2017年12月

2017年12月27日

文科省も教育委員会も日教組も全教も教育荒廃の腐った肥溜め

 今年1月、須賀川市の中学1年の男子生徒が自殺した問題で、市の第三者委員会は「いじめが大きな一因となって自死を選択した」との調査結果を公表した。

 関係者は「二度とこの様な悲しいことが起きない様に学校と教育委員会が一丸となって再発防止に務める」と御決まりの決意を述べる。男子生徒は同じクラスの男子9人から「菌がうつる」だとか揶揄われ、部活動でも人格を否定する様な名前を付けられ呼ばれていたことで、精神が滅入り、ストレスが溜まり自殺したという。

 学校の対応の甘さを指摘しているが、子供の気持ちに寄り添えなかった親にも責任はあるし、何より自殺する勇気があるなら、何故にいじめた同級生に、喩え負けても構わないから反撃や報復すれば好かったのだ。。今は暴力は絶対悪として受け入れられることはない。況してや反撃や報復となれば逆に批判されかねない。

 市側は学校の対応の甘さを指摘するが、いじめを糺そうといじめてた生徒にビンタでも食らわせたら、それこそ体罰だと騒がれて正義感溢れる教師が吊し上げられる。こうした社会の風潮、被害者よりも加害者側の人権を重んじるかの様な不正義が、いじめや犯罪が無くならない最大要因となっているのも確かだろう。

 いじめというのは幾ら防止しても無くならないだろう。人間というのは強い者には巻かれるが、自分より弱い者と見るや虐めたくなるのは本能でもある。

 昭和40年代後半辺りから続く教育の荒廃の元凶は日教組や全教というだけではなく、文科省や教育委員会の不作為と政治家の教育改革への無関心、そして戦後の幼稚な人権主義や暴力否定の安っぽい平和主義が少なからず影響を齎したのだ。

 教育委員会というのは米国製である。戦後、日本の教育制度を米国の意の儘に置こうというのがその狙いだった。その戦後民主主義教育は米国の思惑以上に大きな成果を齎し続けているが、そんな教育委員会制度に頼ったところで混乱を招くだけ。

 文科省も教育委員会も日教組も全教も教育荒廃の腐った肥溜め、中でも占領下に米国に謀られた教育委員会は早々に廃止すべき無用の長物である。教育委員会制度の廃止が教育改革に繋がり、延いてはいじめ問題解決にも繋がるだろう。

 会津の「什(じゅう)の掟」には「卑怯な振舞いをしてはなりませぬ」「弱い者を苛めてはなりませぬ」ということを訓えている。「什」とは数人の子供が集まり、色々なことを話し合った集団で、決まり事は子供自ら考えて実践した。

 いじめというのは、いじめが卑怯なことや恥ずかしいものだという認識の欠落から行われているのが殆どで、大人が介入したところで解決は見ない。生徒自らが問題意識を以て話し合い、解決することが好い。子供達がこうしたいじめという卑しい行為に奔るのは、日本文化の喪失に起因してると言っても過言ではない。

 戦後、教育という大本を忘れた政治家の怠慢と我々大人の責任。いじめで自殺した生徒も、意味も分からずいじめた側も戦後教育の被害者でもある。いじめられて自殺するくらいなら報復しなさい。反撃もやらないなら学校なんぞ行くな。

 勉強なんてやる気があれば何処でも出来る。その昔、右翼現役時代「日教組撲滅」のビラを都内中に貼った。そのビラの一つに「どんな子も みんな日本の 大事な子!」というのがあった。子供達は日本の宝。どんな出来の悪い子供であっても大人達が優しい目で、そして時には厳しく慈愛を持って見守ってやらねばならない。

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2017年12月26日

「天皇国日本」こそが万古不磨の大原理大原則である

 現憲法下で明記されている国事行為を全うすることが難しくなったと御発露遊ばされ、安倍は「国事行為を軽減する有識者会議」を発足するも、「生前退位」という意味不明の言葉が躍り、天皇譲位は避けられない状況を作り上げられた。

 畏くも天皇陛下は歴史が証明している通り、憲法以前の御存在であらせられ、憲法が在って天皇が存在せられるものではない。国事行為が困難ならば、皇太子殿下や秋篠宮殿下が輔佐する環境を作れば好かっただけだし、憲法を見直して、国事行為を改めれば好かっただけのことだ。何が「生前退位」か。大馬鹿の戯けが。

 然し乍ら、安倍亡国政府はあろうことに皇室典範に手を付け、陛下の譲位を附帯し、皇太子の即位に当たっての大嘗祭も、現憲法に明記していないことで行わない。その他の皇室に関わる行事も特例法という姑息な手段で乗り切るつもりだ。

 我が国は天皇即日本であり日本即天皇である。これ即ち、明治天皇が教育勅語の中に於いて「世々その美を済せる国體の精華」と御諭しになったところであり、万邦類い無き「天皇国日本」の真姿である。欽定明治憲法(大日本帝国憲法)の第1条に「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と在ることは、万世一系という歴史的事実と、我が国の本来在るべき姿を明示されたものと謹解する。

 安倍政治を盲信し、自民党を支持した多くの自称保守派や自称愛国者らは、安倍政権下で憲法改正が恰も成立するかの様なはしゃぎぶりだったが、安倍の目論む憲法改正は現憲法を認め、帝国憲法への復元改正を不可能にするものだ。

 絶対安定多数を占めた第三次安倍政権が発足すると、憲法改正への国民の理解を得る為の取り組みを強める意向を示し、先ずは憲法96条の改正を目論んだ。

 第96条の改憲発議要件を、「国会議員の3分の2以上」から「2分の1」に緩和するらしいが、安倍の傲りそのものだ。安易な発議条項緩和は、万が一、革命政権が樹立されれば天皇条項をも廃止され国體の破壊に繋がる危険を孕んでいる。

 憲法改正というと9条が問題にされるが、9条こそが重要だと位置付けしている点では、自民党議員や保守派や日本会議に洗脳された自称・愛国者というのは、「9条の会」を始めとした誤(護)憲派らのバカらと大して変わらない。

 尤も、安倍の憲法改正論は保守票を取り込むリップサービス。「とりあえず憲法改正派」というのはインチキ保守というのが正しく、究極の護憲運動でもある。

 その証拠に、対北朝鮮や尖閣問題といった領土主権ではあれだけ騒いでいながら、国體や皇統断絶に関わる「生前退位」に沈黙し、そして同調した。

 更には、豊葦原瑞穂の国・日本を崩壊に導く「種子法廃止法案」や「農業競争力強化支援法」、また残留農薬基準の大幅緩和という、正に我が国農業の危機に対しては何ら抗議の声を上げることは無かった。保守派や右翼は何を死守するのか。

 我が国は正に「天皇国日本」。これこそが日本国民として肝に銘じ、忘れてはならない万古不磨の大原理大原則である。現憲法は帝国憲法の改正である。

 現憲法を改正するのなら第96条の改正などという姑息な手段ではなく、現憲法が帝国憲法七十三条に基付いて改正された事実に刮目し、現憲法を破棄し、帝国憲法の復元・改正こそ目指し、天皇国日本を盤石の安きに置かなければならない。

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2017年12月25日

日本中央競馬会のJRAって日本赤軍(ジャパン・レッド・アーミー)と同じだね(笑)

 日本中央競馬会(JRA)は、政府が導入することを決めたカジノ法案(統合型リゾート施設)を踏まえ、ギャンブル依存症対策として、今月28日より依存症の疑いのある人の家族の依頼で投票権購入を拒否出来る制度を導入するという。

 競輪・競馬やボート、オートレースなどをギャンブルと非難するのは容易だが、カジノ法案に反対する連中が、「負けた人のカネが収益になるというのが問題」だと言うであれば、国内最大のギャンブルはそれこそパチンコだろう。

 だが何故か、カジノ法案に反対する連中は「パチンコはギャンブルではない」という。コレ正しくダブルスタンダードの典型。ギャンブルとは博打や賭け事だけではなく、株などの投機もギャンブルだし、結婚もある種のギャンブルだろう(笑)

 毎日の様に新聞折込に入ってくるパチンコ屋のチラシには「パチンコ・パチスロは適度に楽しむ遊びです」という白々しい広告を目にするが、パチンコに限らず公営ギャンブルも己の器量以上にのめり込んではダメだということに尽きる。

 依存症になる人というのは金銭欲が逞しく、根がだらしないのに自分に甘い人が多い。大体、賭け事は負けるということを理解していないのでは(笑)

 別に競馬や競輪などだけではなく、株などの投資や投資にしても同じで「もっと儲けたい」「負けを取り返したい」と、のめり込んでしまう。

 逆にギャンブルに嫌悪感を抱き、或いは受動喫煙がどうたらこうたらとタバコに対して敵意を剥き出しにする人というのは、往々にして鷹揚さが足らない。

 気持ちに余裕が無いから相手に厳しく当たる。人間、自分を律し、厳しくするのは好いが、相手にも厳しく当たると窮屈でイケません。ハンドルに遊びがないと危険な様に、生きて行く上では、やはり「遊び」という余裕は大事なことだ。

 テレビに登場する貴乃花親方を見てると余計にそう思う。かといって、こういうギャンブルもタバコもやらない人というのは立派な人かというとそうでもない。ギャンブルとか酒を呑まないヤツには下半身にだらしなく女好きが多い。保守派として持て囃されてる荒川区議の小坂某などを見てると熟熟そう思ってしまう(笑)

 何事も自分でやらないことには分からない。昨日は有馬記念だったが、10万人もの人が競馬場を訪れ、何千万人という人がキタサンブラックの勝利に感動した。

 喜びを否定して依存症ばかりを取り上げるのは本末転倒。斯くいう愚生も週末になれば競馬のメーンレースには参戦する。競輪もG3以上のレースの最終3レースに参戦している。懐具合が芳しくないのでネット口座の残高を気にしながら細々と楽しんでいるが、ストレス解消や小さな喜びを得るには、持って来いの遊び。

 賭ける金額が多いと負ける時も損害が大きくなって、ストレスが溜まり、負けを挽回しようと依存症に陥る。何事も過ぎたるは猶及ばざるが如し。

 要は、己の器量以上なことをやって身を滅ぼしているのが殆ど。そういう意味では、馬券や車券の買い方一つでも、その人の性格や人となりを知ることが出来る。

 今度、競輪場や競馬場に同道しませんか。ってか、中央競馬会のJRAって、日本赤軍(ジャパン・レッド・アーミー)のJRAと同じだよな。呵呵大笑。

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2017年12月23日

明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲び創建された神社の参道のイルミネーションに違和感

 本日は天皇誕生日。皇国臣民としての喜びこれに優るものなし。謹んで陛下の弥栄と長久を祈念する。日本国民にとって天皇誕生日より盛り上がるのは何故かキリスト生誕を祝うクリスマスイブ。ということで街はクリスマス商戦一色。

 明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲び創建された神社の参道もイルミネーションで飾られる。神道という随神の道を重んじ、天皇を戴く我が国にはそぐわない景色でもあるが、宗教なんぞより、イベント好きな日本人らしい(笑) 

 天皇誕生日も祝わず、敬虔なカトリック教徒でもないのにキリスト生誕を祝い、大晦日には寺で除夜の鐘を撞き、元旦には神社に初詣に行き、年賀状には元号を記す。ホント日本人とは実にイイ加減というか、実に大らかな民族でもある(笑)

 キリスト生誕を祝うのは結構だが、日本には日本の神が存在する。そんな日本の神様を知るには「古事記」が好い。最近はマンガ本や現代語訳の本も多く出ているので、クリスマスケーキを買う気分で気軽に購入して頂きたいものだ。

「天地創めて發けしとき高天原(たかまのはら)に成りし神の名は天御中主神(アメノミナカヌシノカミ)、次に高御産巣日神(タカミムスビノカミ)、次に神産巣日神(カミムスビノカミ)、この三柱の神は皆獨神と成りまして身を隠したまいき」

「造化三神」「神代七代」や「伊邪那岐(イザナギ)」と「伊邪那美(イザナミ)」が生んだとされる神は三十五柱に及ぶが、キリストやマホメット、孔子などと同様にこういう神々も日本という国に生まれたのなら知っておくべきだろう。

「古事記」にはこうした神々が登場する。筆録した人物は太安麻呂(おおのやすまろ)。日本で最初に書かれたとされる書籍で、語り部の稗田阿礼(ひえだのあれ)が暗誦していた「帝紀」「旧辞」を基に編纂されたものとされている。

「古事記」は読む人によって感じ方も違うし、古代人が何を言わんとしたのかは捉え方も夫夫。西洋の神が天地創造の神で唯一絶対の不変の存在と描かれているが、我が国の神々は宇宙の後に生まれたと「古事記」では描かれいる。

 何気ないことだが、我々の日本人の祖先というのは唯一絶対の神が世界を意の儘に創造したのではなく、それ以前の「無」の時間、つまり「ビックバン」以前の世界を想定していたというこの教えは驚くほど科学的でもある。

「高天原」とは「三次元世界」を表しており、「高」は高低の差を示す縦軸。「天」は空間であり時間を表す。「原」は無限に水平に広がり行く横軸である。

「古事記」には、我々日本人の先祖の歩んできた歴史が比喩を駆使して活き活きと描かれ、同時に現代の日本語ではなく、日本語本来の美しさも感じられる。

 一見難しそうな漢字が使われてはいるが、日本語が未だ完成していない時代に作られたものなので漢字自体にはそれほど意味はない。「音」を頼りに読み解いていくことが大切で、「言葉」とは「言ハ」であり、「コト」を表現する言語である。

 これは他国の言語には見られない特徴で、一つの言葉に多くの事柄を含めて伝え合う日本独特の文化であり、「古事記」の文章の中に在る「こと」を探って読み解くことが大事で、夫夫その感じ方が違ってもそれはそれで好いのだ。

 日本神話の特徴は、神でも失敗や過ちを起こすということだろう。唯一神であるキリストやマホメットが失敗や過ちを起こすことなど考えられないことだが、これだけでも日本の神々というのは愉快であり、親しみを感じてしまう。

 クリスマスが終わると直ぐに年末年始に向けて、街の様相も変わり正月に向けまっしぐらとなる日本。年末を控え、夫夫悩みも尽きないでしょうが、神様でも失敗はするのだから、人生もっと気軽に行こうじゃありませんか。呵呵大笑。

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2017年12月22日

天皇陛下の御地位および陛下の御存在は動かすべからざるものである(東条英機の遺言書より)

 昭和23年12月22日夜、死刑執行の数時間前に、東京巣鴨において、教誨師の花山信勝師の前で東条英機が遺言書を朗読した。以下転載。(一部校正してます)

 開戦の時のことを思い起こすと実に断腸の思いがある。今回の処刑は個人的には慰められるところがあるけれども、国内的の自分の責任は、死をもって償えるものではない。

 しかし国際的な犯罪としては、どこまでも無罪を主張する。力の前に屈した。自分としては、国内的な責任を負うて、満足して刑場に行く。ただ同僚に責任を及ぼしたこと、下級者にまで刑の及びたることは、実に残念である。

 天皇陛下および国民に対しては、深くおわびする。

 元来、日本の軍隊は、陛下の仁慈の御志により行動すべきものであったが、一部あやまちを生じ、世界の誤解を受けたるは遺憾である。日本の軍に従事し、倒れた人および遺家族に対しては、実に相済まぬと思っている。

 今回の判決の是非に関しては、もとより歴史の批判に待つ、もしこれが永久の平和のためということであったら、もう少し大きな態度で事に臨まなければならぬのではないか。この裁判は、結局は政治裁判に終わった。勝者の裁判たる性質を脱却せね。

 天皇陛下の御地位および陛下の御存在は、動かすべからざるものである。天皇陛下の形式については、あえて言わぬ。存在そのものが必要なのである。

 それにつきかれこれ言葉をさしはさむ者があるが、これらは空気や地面のありがたさを知らねと同様のものである。東亜の諸民族は、今回のことを忘れて将来相協力すべきものである。

 東亜民族もまた他の民族と同様の権利をもつべきであって、その有色人種たることをむしろ誇りとすべきである。インドの判事には、尊敬の念を禁じ得ない。これをもって東亜民族の誇りと感じた。

 今回の戦争にて、東亜民族の生存の権利が了解せられはじめたのであったら、しあわせである。列国も排他的な考えを廃して、共栄の心持ちをもって進むべきである。

 現在の日本を事実上統治する米国人に一言するが、どうか日本の米国に対する心持ちを離れしめざるように願いたい。

 また、日本人が赤化しないように頼む。東亜民族の誠意を認識して、これと協力して行くようにしなければならぬ。実は、東亜の多民族の協力を得ることができなかったことが、今回の敗戦の原因であると考えている。

 今後日本は米国の保護の下に生活していくのであるが、極東の大勢はどうであろうか。終戦後わずかに三年にして、アジア大陸赤化の形勢はかくのごとくである。今後のことを考えれば、実に憂なきを得ぬ。もし日本が赤化の温床ともならば、危険この上ないではないか。

 日本は米国よりの食糧その他の援助を感謝している。しかし、もしも一般人が自己の生活の困難や、インフレや、食糧の不足などを米軍の日本にあるがためなりというような感想をもつようになったならば、それは危険である。

 実際にかかる宣伝をなしつつある者もあるのである。よって、米軍は日本人の心を失わぬように注意すべきことを希望する。

 米国の指導者は、大きな失敗を犯した。日本という赤化の防壁を破壊し去ったことである。いまや満州は赤化の根拠地である。朝鮮を二分したことは東亜の禍根である。

 米英はこれを救済する責任を負っている。従って、その意味においてトルーマン大統領が再任せられたことはよかったと思う。

 日本は米国の指導にもとづき武力を全面的に放棄した。それは一応は賢明であるというべきである。しかし、世界が全面的に武装を排除していないのに、一方的に武装をやめることは、泥棒がまだいるのに警察をやめるようなものである。

 私は、戦争を根絶するには、欲心を取り払わねばならぬと思う。現に世界各国はいずれも自国の存立や、自衛権の確保を説いている。これはお互いに欲心を放棄していない証拠である。

 国家から欲心を除くということは、不可能のことである。されば世界より戦争を除くということは不可能である。結局、自滅に陥るのであるかもわからぬが、事実はこの通りである。

 それゆえ、第三次世界大戦は避けることができない。第三次世界大戦において、おもなる立場に立つものは米国およびソ連である。

 第二次の世界大戦において、日本とドイツが取り去られてしまった。それゆえ、米国とソ連が直接に接触することになった。

 米ソ二国の思想上の相違はやむを得ぬ。この見地からいうも、第三次世界大戦は避けることはできぬ。第三次世界大戦においては、極東がその戦場となる。この時にあたって、米国は武力なき日本をいかにするのであろうか。

 米国はこの武力なき日本を守るの策をたてなければ、また何をかいわんや。そうでなしとすれば、米国に何らかの考えがなければならぬ。米国は、日本八千万国民の生きてゆける道を考えてくれねばならない。

 およそ生物としては、生きんことを欲するのは当然である。産児制限のごときは神意に反するもので、行うべきではない。なお言いたきことは、最近に至るまで戦犯容疑者の逮捕をなしつつある。

 今や戦後三年を経ておるのではないか。新たに戦犯を逮捕するというごときは、即時にやめるべきである。

 米国としては、日本国民が正業につくことを願い、その気持ちでやって行かなければならぬ。戦犯の逮捕は、我々の処刑をもって、一段落として放棄すべきである。

 戦死傷者、抑留者、戦災者の霊は、遺族の申し出があらば、これを靖国神社に合祀せられたし。出征地にある戦死者の墓には、保護を与えられたし。従って遺族の申し出あらば、これを内地に返還せられたし。

 戦犯者の家族には、保護を十分に与えられたし。青少年の保護ということは、大事なことである。近時いかがわしき風潮は、占領軍の影響からきているものが少なくない。この点については、わが国古来の美風をも十分考慮にいれられたし。

 今回の処刑を機として敵、味方、中立国の罹災者の一大追悼会を発起せられたし。もちろん、日本軍人の間に間違いを犯した者はあろう。これらについては衷心、謝罪する。

 これと同時に、無差別爆撃や原子爆弾の投下をなしたことについて、米国側も大いに考えなければならぬ。従って、さようなことをしたことについては、米国側も大いに悔悟すべきである。

 最後に軍事的問題について一言するが、我が国従来の統帥権独立の思想は確かに間違っている。あれでは陸海軍一本の行動はとれない。

 兵役については、徴兵制によるか、傭兵制によるか考えなければならぬ。我が国民性を考えて、再建の際に考慮すべし。

 教育は精神教育を大いにとらなければならぬ。忠君愛国を基礎としなければならぬが、責任感をゆるがせにしてはならぬ。この点については、大いに米国に学ぶべきである。

 学校教育は、人としての完成を図る教育である。従前の醇朴剛健のみでは足らぬ。宗教の観念を教えなければならぬ。

 欧米の風俗を知らせる必要もある。俘虜のことについても研究して、国際間の俘虜の観念を徹底せしめる必要がある。

 以上が、死刑執行の前日に朗読した遺言書の摘要である。

 今を生きる我々は、改めて、先人が国家の命運を賭けて戦った大東亜戦争の真実と意義を考えねばならない。合掌。

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2017年12月20日

社会は肉体の安全を保障するが魂の安全は保証しない(三島由紀夫)

 法務省は19日、死刑囚二人の死刑を執行した。その一人は事件当時少年だった関光彦。市川一家4人殺害事件のその残虐さに戦慄を覚え、何故に死刑執行を躊躇していたのか不思議でしょうがない。これ正に政治家の怠慢以外にない。

 刑事訴訟法では、死刑確定から六ヶ月以内の執行を定めており、何れも六ヶ月以内に検察庁が法務大臣に「死刑執行上申書」を提出し、法相は規定通り押印し、「法相の命令から五日以内に執行されなければならない」と定められている。

 法務大臣の死刑制度への心情なんぞ関係ない、法務大臣の任を享けたのならば覚悟を以て大臣としての職務を遂行するべきで、それも出来ないのなら法務大臣の就任は拒否するべきだろう。「死刑制度」を容認する国民が80%以上もいるのは、国が遺族に代わって遺恨を晴らして欲しいという気持ちの顕れに他ならない。

 政治家は死刑廃止論に与することなく、刑事訴訟法に則り粛々と刑の執行をすれば好いだけのこと。冤罪の疑いがある受刑者が再審請求するのは分かるが、唯「死にたくない」という理由で再審請求していることは異常事態としか言いようがない。

「社会は肉体の安全を保障するが、魂の安全は保証しない」と言ったのは三島由紀夫。日本人としての自覚があるなら、大事にしなければならないものは肉体より魂であり精神性である。人権派を自任する弁護士や死刑廃止を訴える人は、これと同じ様に「生命は地球より重い」と言わんばかりに肉体だけを守ろうとする。

 無神論の共産主義に被れながらも「人を裁けるのは神のみだ」というキリスト教的欧州思考に嵌ってるのも御粗末だが、安っぽい感傷に浸って悦に入ってるとしか思えないし、滑稽にも見える。まぁこれは、死生観の違いだろうが、残虐な犯行をした者が、死刑廃止で国法により生命を保証されるというのも如何なものか。

「死刑制度」とは、死刑囚への大慈悲であると自覚すべし。「死刑制度」は、感情から他人を犠牲にした犯罪への相当の審判であり、それは無駄に生きて来た人生にピリオドを打つ為の優しさでもある。「生」に拘るより「死」を以て償うべきだ。

 日本人とは何事も潔さが肝要である。死刑囚らの多くは「殺したい」という衝動に駆られて実行した訳で、今更「死にたくない」と命乞いとは情けなや。

「心の死ぬことを恐れず、肉体の死ぬことばかり恐れている人で日本中が占められているならば、無事安泰であり平和である」とはこれも三島由紀夫の言葉。

「死刑論」での喧々諤々の論争を見てても、日本というのは「平和なんだなぁ」と熟熟実感する。まぁこの「死刑反対」も平和ボケの一つの事例には違いない。「平和ボケ」とは段階の世代への揶揄だが、高度成長からバブル時代にかけて金儲けや飽食に狂奔してきた世相や、空想的平和論を弄ぶ連中を冷やかした言葉でもある。

 平和ボケの風潮は、戦後民主主義者や無自覚左翼に蠢蠢しているが、これは「平和」や「人権」「死刑廃止」「反原発」を訴える連中共通のものでもある。

 今月23日は「天長節」であると同時に、所謂・A級戦犯との汚名を着せれた東条英機を始めとした7名の方々が死刑執行された日である。東京裁判の不当性や不条理は扨て置き、彼らはその死を諒とし、死を以て敗戦の罪を償ってくれたのである。

「死刑制度廃止」を訴える左翼陣営からは「戦犯」の汚名を着せられて死刑に処せられた英霊に対する不当性を語られたことはない。A級戦犯に留まらず、海外の地で正式な裁判を受けることなく処刑されたB・C級の戦犯と言われる方々も同じ。この処刑こそ人道に反するものであり、人権無視の暴挙の最たるものではないのか。

 死刑執行前日の昭和23年12月22日夜、東京巣鴨に於いて、教誨師の花山信勝師の前で東条英機閣下は遺書を朗読した。参照(東条英機の遺言書)http://blog.livedoor.jp/cordial8317/archives/52044601.html

 今こそ極東軍事裁判の不当性と不条理を明らかにし、「戦犯」との汚名を着せられ続けている英霊の方々の名誉恢復を急ぐと共に、先の大戦で犠牲になられた方々の精神性、そして魂から発せられた思いを、後世に伝えて行かねばならない。合掌。

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2017年12月19日

「種子法廃止法案」の成立と「農業競争力強化支援法」や「残留農薬基準の大幅緩和」は正に農業の危機

 新自由主義に突き進む現在の我が国は、豊葦原瑞穂の国の誇りも無く、農耕民族としての自覚を喪失し、「農」をも新自由主義の営利至上主義で勘定し、農業を以て立国の基本とするという「農本主義」は国民の殆どが理解していない。

 我が国は戦後GHQの策謀によって農本主義的国家観は排除され、大輸出国の米国の戦略に嵌ったまま米国の価値観が我が国の価値感だと錯覚してしまった。

 その典型といえるものが、「主要農産物種子法廃止法案(種子法廃止法案)」である。種子法は米、麦、大豆など主要農産物の品種改良を国や都道府県の公的研究が行い、良質で安価な種子を農家に安定的に供給してきた法制度である。

 旧種子法の廃止は、日本古来の種子の廃止であり、これつまり食の安全と食料安全保障を廃止すると同じことである。畢竟、豊葦原瑞穂国という祖国日本の国柄の崩壊の序章であるといえるものだったが、何故か保守派や自称愛国者らは沈黙した。

 種子法廃止法案は、別名「モンサント法案」とも言われている。モンサント社は、ベトナム戦争で悪名高い枯葉剤「エージェント・オレンジ」を開発し、ベトナムに「ダイオキシン」を撒き散らした世界最大のバイオ化学会社である。

 種子法廃止法案成立に因って、我が国は米国モンサント社に食料を依存することになる。つまり、種子を輸入する国(米国)が不作になった場合や政治的な問題が重なり、種子の売り控えということになれば、どうなるかは自明の理であろう。

 種子法の廃止は、我が国の農業そのものが崩壊するという危険を孕んでいるということでもあり、簡単に言えば、我が国の農業はモンサント社に握られてしまったということである。モンサント社と提携する、前経団連会長で住友化学工業の米倉弘昌は正に売国奴であり、営利に狂奔するの経済界に与した安倍もまた然りである。

 種子法廃止法案の追加措置として「農業競争力強化支援法」という法案が国会を通った。驚くことに外資等の規制はしておらず、これも種苗メーカーであるアグリバイオビジネス企業が農業に参画する出来る為のものであることは明らか。

 つまり、我が国の公的研究機関や各県や自治体に在るハイテクプラザなどで培った研究資料やデータが外国資本に無償で提供され、それを盗用され、一部を変更することで特許などが容易に取得される危険を伴うということでもある。

 住友化学工業の米倉弘昌はモンサントの系列企業であるベーラントUSA社との長期契約を結んでいるが、モンサントが生産する強力な除草剤「Roundup(ラウンドアップ)」に、耐性を持つ遺伝子組み換え種子をセットで販売している。

 ラウンドアップの有効成分名は、グリホサートイソプロピルアミン塩。グリシンの窒素原子上にホスホノメチル基が置換した構造を持つ。接触した植物の全体を枯らす(茎葉)吸収移行型で、殆どの植物にダメージを与えるという危険なものだ。

「グリホサート」という成分は、現在市販されている除草剤の殆どに含まれているという。粗全ての植物を枯れさせる高い効果があり、安価なのでホームセンターなどで手軽に入手出来るので、あらゆる場所で使用されているという。

 日本では栽培中の植物に散布することは出来ないというが、小麦の様な遺伝子組み換えではないない作物には、自然に枯れて実が乾燥するのを待たなくても、このグリホサート入りの枯葉剤を散布して強制的に枯らしてから収穫するという。

 問題になるのはグリホサートの残留農薬の数値だが、政府はこの農薬残留基準を緩和させるというから驚く。厚生労働省の「食品中の農薬の残留基準」の改正案では、安倍が妄信する環太平洋連携協定(TPP)や自由貿易協定(FTA)の流れで、外国の基準に合わせて残留農薬基準を大幅に緩和することは既定路線となっている。

 安全安心と言われた我が国の農作物が、「種子法廃止法案」「農業競争力強化支援法」「残留農薬基準の大幅緩和」で危機に瀕する。こに実態こそ葦原瑞穂国という祖国日本の国柄の崩壊である。こうした愚策に加え、皇統断絶を謀る勢力に阿り、只管亡国に奔る安倍を糾弾する声は保守派からは全く聞こえて来ない不思議。

 我が国の保守派や自称・愛国者、セミプロ右翼らを見ていると憲法改正やら領土防衛ばかりで、農耕民族としての自覚を喪失し、豊葦原瑞穂の国に生まれた者として農業を以て立国の基本とするという考えは持ち合わせてはいない。安倍の放題は、安倍信者や安倍ヨイショの営業保守と、なんちゃって愛国者らの妄動に比例する(苦笑)

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2017年12月18日

「南京大虐殺犠牲者30万人」と「大韓民国臨時政府の対日宣戦布告」という大ウソで反日の連携(苦笑)

 文在寅大統領は追従外交中の重慶で、第二次大戦中に設置された「大韓民国臨時政府」の庁舎跡を視察し、習近平国家主席に「抗日運動」関係施設の復元の協力を要請したという。まあ、要請というより、哀願したというのが真相か。

「南京事件」をでっち上げる中国共産党と、国際的に認められていない「大韓民国臨時政府」で連携とは、実に御粗末と嗤う他はない。韓国建国の国是は「反共」と「反日」だったが、今や「反共」は放り出し「反日」に躍起になっている。

「反日」も「反共」も竹島の不法占拠も、インチキ「大韓民国臨時政府」を標榜した初代大統領・李承晩が謀ったものだ。その李承晩といえば後に不正が発覚し、学生デモにより失脚。ハワイに亡命した犯罪者の愚策をいつまで信じるのか。

 韓国の愛国心というものは安っぽい「反日」のみで​、未だに李承晩に因る洗脳から未だに抜け出せない状態。これは、米国の占領政策に因って自虐史観を植え付けられた日本の珍左翼や自称・文化人と同じで気の毒とも言えなくもない(笑)

 李承晩は、日本統治時代より「大韓民国臨時政府」を標榜し、米国内や海​外で反日活動を行ってた人物であり、戦後、米国の威光で初代大統​領に就任した。

 李承晩が米国の傀儡と言われる所以でもあるが、韓国人はその李承晩らが創り上げたウソの歴史を鵜呑みにし、愛国者​気取りで憎悪を剥き出しにする。我が国へ歴史認識を云々言​う前に、韓国こそ冷静に公正な歴史を学ぶべき時に来ている。

 韓国のウソの原点は李承晩の「大韓民国臨時政府」のウソに在るのは明らか。​国定教科書でも「対日宣戦布告」等を過度に強調する余り、ウソに​ウソを重ねるしかなくなっているのが現状であり、「屋上屋を架す」典型的な例でもある。

 今更、そうした過ちを認める訳にはいかなくなってしまっているというのが真相なのだが、日清戦争も朝鮮を巡る戦いだったということも理解していない。

 日露戦争後、日韓関係の悲劇の現実が「日韓併合」であり、大東亜戦争​も「日本人として共にアジア解放の聖戦に立ち上がった」というのが歴史的真実である。

 世界史やアジアの歴史的事実を無視して「大韓民国臨時政府として対日宣戦布告し抗日戦争に​参加した」などというウソを教えるからややこしくなるのだ。

 韓国は憲法前文で、「大韓民国は三.一運動により建てられた大韓民​国臨時政府の法統を受け継ぐ」と規定している。だが「大韓民国臨時政​府」は国際的にも認められておらず、サンフランシスコ講和条約への​署名も認められなかった。

「我々の手で日本からの独立を勝ち取った」と​いう神話を捏造してしまったところに韓国の悲劇が在る。「南京大虐殺犠牲者30万人」と「大韓民国臨時政府の対日宣戦布告」という大ウソで反日の足並みを揃える中共と韓国。性悪な北朝鮮も、いっそのこと中共に併呑されてしまえば、我が国の外交も楽になるのだが(大笑)

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2017年12月15日

赤穂浪士の仇討ちも泉岳寺で腹を切らなかったのが落度と言うべきだ

 赤穂浪士が吉良邸に討ち入りしたのは元禄15年12月14日とされているが、実際は旧暦の元禄16年1月30日だった。討ち入りの日は満月とされ、雪もあり明るい夜だったとさているが、元禄15年12月14日だと新月に近かったので暗かったのではと推測する。翌年1月30日だと粗満月で、映画などで語られてる情景に近い。

 赤穂浪士の精神的支柱となったのが、陸奥国会津若松城下生まれの山鹿素行(やまがそこう)という人物だと言われている。「山鹿流軍学の祖」として知られているが、実は江戸時代に於ける武士道の理論を確立した人であり、山鹿の門人達が素行の談話を筆記した「山鹿語類」は日本人必読の著でもある。

 また、尊皇愛国の書として有名な「中朝事実」で山鹿は、世の学者の外国(主として漢土)崇拝を批判し、皇統の一貫を根拠に、「日本こそ万国に卓越した中華・中国と呼ぶに相応しい国である」と主張した儒学者でもある。

 これは「日本主義」と言われるもので、易姓革命で度々王朝が変わった漢土に対し、「我が国は、天子の地位を侵す様な不義不道の者がいなかった為に皇統が一貫している」と、我が国の卓越性を強調した思想である。

 江戸時代267年の歴史の中で赤穂藩の様な理不尽な御家断絶や御家騒動は他にもあったが、唯一、赤穂藩の四十七士だけが「義士」と呼ばれ「武士道の華」と評価されたのは、山鹿素行の「正義の遂行」の本義に基づく教えが在ったからだろう。

 だが一方で、忠臣蔵の討ち入りに「大義」などではなく、単なる「打算」だと断じる批評家もいるのも事実である。「大石内蔵助は討ち入りで忠義心を示さなければ山科で帰農しそのまま埋もれただろうが、吉良を討ち取った結果、子孫は本家の浅野家に千五百石の高録で召し抱えられている。この事実をして「忠義ばかりでなく、子孫の将来まで考えて討ち入った」と断じているが、これもまた一理あり。

「葉隠」でも、赤穂浪士の討ち入りに触れた部分があり、 「赤穂浪士の仇討ちも、泉岳寺で腹を切らなかったのが落度と言うべきだ。それに主君が死んで、敵を討つまでの間が長過ぎる。もしもその間に、吉良殿が病死でもなされた時にはどうにもならないではないか」と、やはり批判的に書かれてある。

 仇討ちというのは緻密な計画でやるものではなく、武士とは「即刻やられたらやり返す」というのが本道であって、事の「成否」は問題ではない。成否よりも行為自体に意味が在るという。その上で赤穂の武士を、「上方の人間は小利口だから世間から褒められる様にするのは上手である」と嘲笑している。

 赤穂浪士の討ち入りを打算的と見るか否かは夫々だろうが、「仮名手本忠臣蔵」が日本人の美学を現し、多くの国民から愛されているのは確かだろう。

 幕末から維新期の派閥、政論の対立による暗殺とその報復という面があったところから、この種の紛争を断ち切るのを目的に、明治6年(1873)2月、司法卿・江藤新平が「復讐禁止令(仇討ち禁止令。太政官布告第37号)」を発令。明治22年には「決闘罪ニ関スル法令」も発布され、敵討ちや復讐は禁じられた。

 仇討ちや報復を否定する風潮が浸透した結果、相手と刺し違えるくらいの仕返しをすれば好いものを、泣き寝入りして被害者側が自殺なんてことも。学校でのいじめがそうだ。自殺するくらいなら相手と刺し違えて遺恨を晴らすべし。呵々大笑。

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2017年12月11日

爾俸爾禄 民膏民脂 下民易虐 上天難欺(戒石銘)

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 愚生の故郷・二本松市の霞ヶ城址に「戒石銘」という碑が在る。

 爾俸爾禄(なんじのほう なんじのろくは)
 民膏民脂(たみのこう たみのしなり)
 下民易虐(かみんはしいたげやすきも)
 上天難欺(じょうてんはあざむきがたし)

 その意味を要約すれば「貴達の俸給というのは人々の汗と脂の結晶である。だから人々を労わらなければならない。もし、人々を苦しめたりする様なことがあれば、必ず天の怒りに触れるであろう」。二本松藩第七代藩主・丹羽高寛が、学者・岩井田昨非の献策で、藩庁前の自然石に藩政改革と綱紀粛正の指針として刻んだもの。

 右翼現役の頃、団体(防共挺身隊)のビラにこの「戒石銘」を記し「政財官界粛正」を訴えたこともあった。我乍ら、中々好いビラだったと思ったが、最後の「難欺」の部分が、「欺難」になってると公安から指摘されるも、どうせ見る奴も少ないし読んでる奴は分からないだろうからその儘にして貼らせて(笑)

「戒石銘」は、先日の市長選挙で返り咲いた三保が好きで、この碑を拓本したものを恵贈しており、愚生も以前、秘書課長から貰ったことがある。

 三保というのは言葉が上手く、先日も市長としての心構えを問われると、上杉鷹山公の「受け継ぎて国の司の身となれば忘れまじきは民の父母」と応えた。だが、言ってることとやってることは程遠いものばかり。まあ、自戒だろうな(笑)

 三保もそうだが、政治家は口々に「市民目線の政治を行う」などという。国会議員も同じく「国民目線」などと頻りに語るが、政治で大事なのは国民目線の平均的政治ではないし、国民目線が必要なのは政治家自身と官僚(役人)共の方だろう。

 我が国は官僚(役人)亡国というか官僚暴国というのが正しい。官僚や役人のやりたい放題し放題。そういう意味でも官僚や役人を上手に操れる政治家が出なければならないのだが、政治家はそんなことより次の選挙のことばかり。

 その昔「政治は三流、経済一流、官僚機構は超一流」と揶揄された。政治が三流なのは今も変りはないどころか益々悪くなる一方。一流だった経済も崩壊してしまった。商業道徳そっちのけで営利至上主義に狂奔したツケが出た。

 昔は政治が如何に混迷しても、超一流の官僚機構が「日本丸」の舵取りを巧くやってくれるという「神話」があったのも事実だが、今やその官僚が国を滅ぼす一大勢力になってしまっている。今は山賊はいないが「三賊」というのが蔓延って人々を苦しめる。「三賊」とは「官賊」「政賊」「労働賊」のことだ。

 昔でいうところの悪代官やそれに阿る輩のことをいう。「士農工商」の階級の名残りで「農工商」の上に胡坐をかいている士階級、特権階級といわれる連中のこと。

 強大な国家権力を背景にした、我が国の高級官僚共の堕落と腐敗は目に余る。モリカケ問題は元官僚のデマゴーグ。安倍首相の責任というより、官僚の立場を勘違いした事勿れ主義と既得権益を巡る悪しき姿が露呈しただけだろう。

 高級官僚らは、特定の政治家の手下になって諂屈したフリをしているが、アホ政治家を操縦し、定年後の安定を求めて特殊法人を手中に収め、天下り先の大企業とべったりくっ付いて私腹を肥やし、目線は国民を向いてはいない。正に「下民易虐 上天難欺」の言葉は、国民を蔑にする政財官界を糺す上での指針でもある。

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2017年12月09日

「ともさん(三笠宮寛仁親王殿下)のひとり言」

 世論というのは国民の声ではなく、マスコミの作為的な報道で形成されて行く。キチンと突き詰めた議論が成されない儘で、安っぽいムードが優先され、実に曖昧な次元で賛同者が殖えて行く。最近の「女性宮家」論はその最たるものである。

「女性宮家」論は「天皇制廃止運動」の枢要な柱として、昭和40年(1970年)代半ばに共産主義者が発案したもので、1932年にソビエト共産党からコミュンテルン日本支部へ出された「命令書(コミュンテルンテーゼ)」の命令遂行である。

 あろうことか、安倍政権下で「天皇退位」が謀られ、「女性宮家」も既定路線となった。皇室会議には沖縄訪問時に両陛下(当時・皇太子両殿下)に火炎瓶を投擲した社会党の同士であった赤松広隆が入り、予備議員には菅直人が名を連ねる。

 天皇制廃止論者である辻本清美や極左の枝野幸男らが、天皇退位を歓迎していることでも如何にも胡散臭げであることは分かるだろう。岡田克也に至っては、「女性宮家創設は急ぐべきテーマだ」と安定的継承策に反発する。正に、皇統の危機であるにも拘らず、国民レベルでは支持者が多いことに驚く他はない。

「女系天皇問題」が活発に論議されていた平成17年、女系天皇容認論に対し故三笠宮寛仁親王殿下は、会長を勤める福祉団体「柏朋会」の会報「ざ・とど」で、「公なものではない」と、女系天皇に明確に反対し、旧皇族の皇籍復帰などを求めている。

 寛仁親王殿下の「世間では『女帝問題』がかまびすしいので私の意見を『ともさんのひとり言』として聞いて頂きます」から始まる論文の論点は二つである。

 一つは「2665年(当時)年間の世界に類の見ない我が国固有の歴史と伝統を平成の御世でいとも簡単に変更して良いのか」と疑問を呈す。

「万世一系、125代の天子様の皇統が貴重な理由は、神話の時代の初代神武天皇から連綿として一度の例外も無く、『男系』で続いて来ているという厳然たる事実です」と、歴史的な正統性を重んじる。

 二つ目は、男系継承を維持する為の方法として、皇室典範を改正して、歴史上の幾つかの方法論を提起している。

1.臣下降下された皇籍離脱した旧皇族の皇籍復帰。

2.現在の女性皇族(内親王)に旧皇族(男系)から養子を取れる様にし、その方に皇位継承権を与える。(差当たり内廷皇族と直宮のみに留める)

3.元皇族に廃絶になった宮家(秩父宮・高松宮)の祭祀を継承して戴き、宮家を再興する。(将来の常陸宮家・三笠宮家もこの範疇に入る)

4・として、嘗ての様に「側室」を置くという手も有りますが、国内外共に今の世相からは少々難しいかと思うと述べられ、余談として明治・大正両天皇共に側室との間に出来た子供であることも記している。

 最後に寛仁親王殿下は「陛下や皇太子様は、御自分達の家系の事ですから御自身で、発言される事はお出来になりませんから、民主主義の世であるならば、国民一人一人が、我が国を形成する『民草』の一員として、2665年(当時)歴史と伝統に対しきちんと意見を持ち発言をして戴かなければ、いつの日か、『天皇』はいらないという議論にまで発展するでしょう」と結んでいる。隻眼を有する意見である。

「臣下降下された皇籍離脱した旧皇族の皇籍復帰」の実現を図り、「女性皇族(内親王)に旧皇族(男系)から養子」より先んじて、旧皇族の皇籍復帰を成すことが求められる。何より、「女性宮家」では祭祀が叶わないのである。

 旧皇族の皇籍復帰を図り、廃絶になった宮家(秩父宮・高松宮、女性皇族しかいない常陸宮と三笠宮)を復活させ祭祀を継承して戴き、宮家を再興することこそが皇統を盤石の安きに置く最善最良の策である。「女性宮家」論は反天皇運動の一環であり、国民はマスコミ主導の実に怪しげな世論誘導に騙されてはならない。

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2017年12月07日

歪曲、偽造、捏造、虚構のでっち上げ、我が国を貶め続けるNHK

 放送法64条1項には、「受信設備を設置した者は、NHKと受信契約を結ばなければならない」と定められている。NHKの強制的受信料制度に関して上告審判決が行われ、最高裁は「合憲」と結論付けた。最高裁とは、一審二審の判決が日本国憲法に合致してるか否かを判断する所であり、判決が別に正義とは限らない。

 大法廷は「NHKに国家機関等からの影響が及ばない様にし、広く公平に負担を求める仕組み」だと判断している。だが、NHKは国民から強制的に受信料を貰っている特殊法人でありながら、幾多の株式会社の持ち株会社となり、その収益を視聴者(受信契約者)へ還元しないのは公共性とは大きくかけ離れるものだろう。

 NHKから訴えられた男性は、愚生の考えと同じく「放送内容が偏っている」ということで支払いを拒否しているが、こうしたNHKの偏向報道への違和感を共有する国民は多い。偏向内容が正されずに受信料のみを合憲とする事に違和感は更に募る。

 偏向報道で有名なのは、日本の台湾統治を描いた「アジアの一等国」だろう。これは田辺雅泰というNHK幹部が作成した番組だった。 冒頭から「台湾は漢民族のもの」と如何にも台湾は中華人民共和国の一部であるとの認識を示して、「差別された。だから名前を日本名に変えた」と台湾一中卒の老人にインタビューを流す。

 この老人は「台湾は実は親日的ではない。今迄口に出せなかっただけで、今やっとNHKにホンネを吐露出来た」と語るシーンが流された。 この番組を見た台湾一中の同窓生らが驚き、当人に問い質すと「そんなことは言っていない」と応えた。

  何のことはない、NHKお得意の意図的な切り貼りだった。 朝鮮人の届出制とは違い台湾人の創氏改名は許可制であり、その殆んどは「不可」。冒頭での「差別され日本名に変えた」というのが嘘だと分かる。 番組制作者の田辺雅泰はそうした事実を捻じ曲げ、老人に語らせた言葉を切り貼りし、虚構をでっち上げた。

 NHKのETV特集シリーズ「戦争をどう裁くか」第2夜「問われる戦時性暴力」では、「第二次世界大戦中において旧日本軍が組織的に行った強姦、性奴隷制、人身売買、拷問、その他性暴力等の戦争犯罪を、裕仁(昭和天皇)を初めとする9名の者を被告人として市民の手で裁く民衆法廷」が放映された。

「女性国際戦犯法廷」では、「裕仁は有罪、日本政府には国家責任がある」との判決を下しているが、余りにも侮蔑に満ちた偏った内容は公共放送局が取り上げるべきものではない。この「法廷」では慰安婦問題を扱っており、慰安婦問題を焚き付けた責任は重い。こうした番組を垂れ流しながら謝罪もしていない。

 国家機関からの影響というより、戦後民主主義や自虐史観に拘泥してるNHK幹部やNHK御用達の制作会社の政治思想や価値観の押し付けが目立ち、根拠のない偏向番組が垂れ流され、そうした妄動が大きく国益を損ねているのも事実である。

 公共放送の役割とは、事実を淡々と報じることで、多数の視聴者の常識から逸脱してはならない。だが、NHKは公共放送局として存続に値しない特殊法人であって民営圧迫の最たるもので、早急に解散させるべき特殊法人であるのは間違いない。

 歪曲、偽造、捏造、の常習犯。虚構をでっち上げ、我が国を貶め続けるNHKは受信料を払ってまで見る様な類のものではなく、視聴者が「受信料拒否」で抗議することはそれこそ憲法で認められるべき国民の表現の自由であり手段でもある。

 国民の多くは最高裁判所とは「最高の判決を下す裁判所」だと思っているが、最高裁で「違憲」判決が下されたならば、現憲法を見直せば好いだけのこと。

 放送法第1条第2項は、「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること」と謳われ、第4条第2項には、「政治的に公平であること」と、同条第4項には「意見が対立している問題についてはできるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」と記されている。

 だが、公共放送のNHKの報道はどう見ても真実及び自律を保障を遵守しているとは思えない。最高裁は「表現の自由を確保するという放送法の目的を達成する為に必要で合憲」との判断を示した。我が国の品格を貶め、国民の倫理意識を低下させ続けている元凶であるが、最高裁はそれらを正さずNHKに与した。

 マスコミは口々に「知る権利」を振り翳すが、それはマスコミの知る「権利」ではなく、国民が真実を知る「権利」でなくてはならず、マスコミは知り得た情報を公平公正に国民に伝える役目を担っているに過ぎない。公共放送局であるNHKは、知り得た情報を公平公正に国民に報道しているとは到底思えない。

 NHKにしても最高裁も何か勘違いしているが、親方日の丸に胡坐をかいてやりたい放題のNHKのこうした諸問題を放置し続けた政治家の不作為は赦し難い。

 護憲派の集まりとも言うべき最高裁は正義は二の次。国の基本法として機能してはいない日本国憲法下では「違憲」判決は次々と下されるだろう。だが、「違憲」判決が下されたならば時代や世情に鑑みて現憲法を見直せば好いだけのこと。

 安倍首相も憲法9条への附加とか解釈とか、まどろっこしいことをやってないで、国の基本法として機能していないクソ憲法を放棄しろっての。序に、民営圧迫のNHKを解体すれば、アベノミクスにも博が付くというものだろう。呵呵大笑。

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2017年12月04日

畏れ多くも天皇とは憲法以前の御存在であらされる

 地元紙の一面トップに、「即位の礼 2019年秋に」との見出しが躍っている。相変わらずの西暦表示、一見不思議ではないと思われるが、即位の礼とは「大嘗祭」のことであり、大嘗祭とは陛下として初めて行う新嘗祭のことをいう。

 悲しい哉、日本国憲法にはこの「大嘗祭」の規定は無い。占領下、現憲法を押し付けたGHQは、日本弱体化政策の一つとして、神社と国民を離そうと「神道指令」を謀った。以降、皇室行事というものは天皇の私事となってしまった。

 然しながら、昭和天皇が崩御なされ、今上陛下が即位遊ばされる際は、世界から国賓を招き即位の礼である「大嘗祭」が斯くも盛大に執り行われ、我が国の悠久の歴史を内外に示したことは記憶に新しい。やはり我が国は天皇の国であると痛感する。

 現憲法下での前例を無視し、「生前退位」だからとの言い分で、天皇の政治的利用などという付けたりに過ぎない理由を振り翳して、歴代の譲位式で行われている「宣命」を取り止め、然も「退位の礼」とは不敬過ぎるだろう。

 宮内庁幹部は「政府内では過去の例は採用出来ない」との見解が広がっているというが、確かに全会一致で退位法案成立を謀った安倍政権下でこうした認識が広まってても不思議なことではないが、宮内庁が強く申し立てれば好いだけのこと。

 要は、陛下を御守りするべき立場の宮内庁ではるが、平成24年から陛下の負担軽減の一環という尤もらしい理由で「暁の儀」の拝礼を取り止めている。

 「暁の儀」は、日本書紀の中で、皇極天皇が皇極元年(642年)11月に、「初めて新嘗祭を執り行った」と記されている。永永と受け継がれてきた重要な祭事が脈々と続いていることに、改めて伝統を受け継ぐ大切さを自覚する。

 歴代天皇が採り行ってきた「暁の儀」の取り止めは、今後、歴史の中での祭事に様々な影響を及ぼすだろうとは思っていたが、早速、「宣命」の取り止めや、簡素化した「退位の礼」と「即位の礼」というカタチで現れた。

 陛下御発露後、いきなり出だした「生前退位」の報も、共産主義者らによる反天皇運動の謀だったが、その共産主義者は内閣府を始め宮内庁をも蚕食している。

 現憲法第4条には天皇の政治的な関与を禁じた項目があるが、儀式の簡略化は違反に問われかねない為だと説明しているが詭弁である。大嘗祭も現憲法違反を免れる為に簡素化し「即位の礼」としているだけだ。それ程までに憲法が大事か。

「天皇の政治的関与」とはどういうことか。国会の開会式への御臨席、国会の解散と国会の召集、大臣への認証、その他、の御公務や各種式典、民間行事等への御臨席など全てが政治的関与でははないか。今や天皇とは政府の都合の好い傀儡である。

 現憲法は歴史的な国家としての継続された「祭祀」に関する天皇の役割を否定し、天皇の「国事行為」のみで「公的行為」は明文化されていない。

 皇太子殿下の即位の礼を「大嘗祭」とすれば、天皇は憲法違反の存在だとする反天皇運動を謀る共産主義者らは、現憲法を無視した違法行為として騒ぎ立てるだろうことは火を見るより明らか。何故にクソ共の顔色を窺う必要があるのか。

 畏れ多くも天皇とは憲法以前の御存在であらされるのだ。こんな米国製のクソ憲法を護って歴史や伝統文化を否定するとは本末転倒である。堂々と歴史と伝統に則った祭典を採り行い、我が国の悠久の歴史と文化を世界に発信せよ。

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2017年12月02日

「退位 2019年4月30日」という見出しに見る反天皇運動

 地元紙の一面は、「退位 2019年4月30日」との見出しが付けられ、恰も女性皇族ばかりだと言わんばかりに、「皇室の構成」が敬称略で載せられている。隣には御丁寧に、「安定的な皇位継承課題」との論説まで添えられている。

 先月30日の誕生日に際し、記者会見に臨んだ秋篠宮殿下は、記者からの「退位を実現する特例法が成立、公布され、陛下が退位することが決まったが」という不敬な質問に対して、「譲位」という言葉で返答されている。諸外国でも皇帝や国王が退位させられ処刑されているが、抑々「退位」という言葉は「共産党用語」。

 戦後、昭和天皇の「戦争責任論」を叫び強制的に退位させて、A級戦犯として絞首刑に処すという願望から使用されていた言葉でもある。今やその中身も分からずに「敬称・敬語不使用」や「開かれた皇室論」の姿勢は国内に蔓延し、それと比例するかの様に天皇陛下への尊崇や皇室に対する敬愛の念を薄れさせてしまった。

 1932年、ソ連共産党から日本共産党へ「コミュンテルンテーゼ(命令書)」という指令が出されたのは歴史的事実である。その中で、天皇を制度として捉える共産党は「天皇制廃止運動」として、昭和天皇への「戦争責任・退位論」に始まり「開かれた皇室論」と「敬称・敬語不使用運動」の実行を謀った。

 女性週刊誌やテレビに登場はその最たるものだ。平成に入り「生前退位」や「女性宮家創設論」「女性天皇論」として、反天皇運動は巧妙に継続されている。

 尊称や敬称ではなく、「さま」付けの呼称は、親しみ易さと言うよりも、国民が気付かない儘に共産党の命令書を忠実に遂行していることと同じ言っても過言ではなく、国民自身が、皇室の尊厳と敬愛を棄損し続けていることさえ気付かない。

「譲位」ではなく、敢えて「退位」を使い、敬称を略して、元号ではなく西暦表示。更には女性宮家の創設は皇位安定への重要課題だとは、正に今日の新聞は、戦後のマスコミや共産主義者による反皇室運動の全てが満載されている。

 何故に西暦で明記するのか。皇室に関する行事は「皇紀」を使用すべきとは言わないまでも「元号」で表記すべきだ。「元号」は、節季の習俗を時代の流れに応用する先人の智慧であり、これこそが我が国文化を象徴する代表的なものである。

 645年の「大化の改新」の時代より、歴代の天皇は数年から十年を目途に改元して巧みに時代転換をして来た。我が国はいつの世も、その時の陛下の御代である。いつの世にもそこには「君が代」の世界が存在し、その御代を端的に表現するものが「元号」であり、これ正に我が国體の精華であり、世界に誇る美風である。

 江戸幕末の混乱期に御即位遊ばされた孝明天皇は、御在位21年の間に「嘉永」「安政」「万延」「文久」「元治」「慶応」と実に6回も改元為されたが、これは幕末という混乱の時代を如何に転換させるかの苦衷の表れでもあった。

 我が国には「元号法」が存在してる訳だが、日頃、法治国家を叫ぶ連中は何故か元号法や国旗国歌法は無視し続ける。今回の報に接しても尚、憲法に明記されている国事行為を全うすることが困難になったとの御発露を御汲みするなら、現憲法を改めるなり、皇太子殿下と秋篠宮殿下が輔佐出来る環境を整えれば好かっただけのこと。

 何故に「退位法案」だったのか。保守を気取りながら次々と国體に係わる施策の実行を謀った安倍は正に国賊の誹りを受けても致し方あるまい。

 こうした国體破壊行為は左翼の策謀も然ることながら、歴代自民党政府の無能と政治家自身が我が国の成り立ちと国柄を理解していないことに他ならない。

 皇太子殿下が即位すれば皇太子の名称は消え、長い皇室の歴史の中でも使われていない「皇嗣殿下」という言葉が使われ、秋篠宮殿下がその位に就く。

 皇太子が消えることで「東宮」職も解任となるのだろうが、陛下の祭祀の軽減など国體破壊を謀る宮内庁は正に奸臣であり、獅子身中の虫と断じる他はない。

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2017年12月01日

連日、相撲ネタばかりですみません(笑)

 今日は師走朔日ということで、朝まだきから身を清め、神饌を替え、畏くも陛下の弥栄を奉り、併せて心願成就を祈念した。扨て、今月もどうなるものぞ。

 今日も相撲ネタ。新聞に日本相撲協会危機管理委員会に由る今回の問題の経緯が載っている。事の始まりは白鵬の貴ノ岩への説教だということが分かる。

 鳥取城北高校の関係者が主催した食事会で、白鵬は先場所後に発言した言動を問い質す。これは恐らく「もうあの人らの時代ではない」という内容だろう。

 白鵬の説教に対して、貴ノ岩の態度を諌め様と日馬富士が間に入った。白鵬も説教するなら、貴ノ岩個人を別室に呼ぶなりして諫めれば好いものを、周りに人がいる中での説教となれば単なる見せしめであり、貴ノ岩のメンツも潰すだろうに。

 その後、棚を変え二次会へ。酒も入り、盛り上がっている中で白鵬は同校を卒業してる照ノ富士と貴ノ岩に、「高校の恩を忘れるなよ!」と説諭する。

 その最中に、貴ノ岩のスマートフォンが鳴り、白鵬の話の途中でスマートフォンを弄った。メールなんぞほったらかしにするなり、メールの着信音なんぞ消しておくべきだが、白鵬の説諭より、彼女からのメールを優先したのだろう(笑)

 この貴ノ岩の態度に直ぐ反応したのが日馬富士だった。「さっき庇ってやったのにまたかよ」ってな感じで、白鵬に変わり貴ノ岩をビンタを食らわす。

 貴ノ岩は謝るどころか睨み返し、日馬富士は言っても分からないならと身体に教え込む。白鵬が止めに入り、日馬富士も暴行を止めたが、本来は白鵬が叱るべきものを、日馬富士が身代わりになることで貴ノ岩への責めを躱そうとしたのだろう。

 抑々、白鵬がやった貴ノ岩への説教こそが大問題だと思う。「人に意見してその人の欠点を直す」ということは大切なことであり、慈悲の心とも言える。ただ、意見の仕方は難しく、骨を折る必要があると「葉隠」でも教えている。

「大方の人は、人に好まれない言い難い事を言ってやるのが親切の様に思い、それが受け入れられなければ、自分の力が足りなかったとしている様だが、こうしたやり方は何ら役に立たない。ただ悪戯に人に恥をかかせ、悪口を言うだけの事と同じ結果になってしまう」というのだ。その上でこう説く。

「意見というものは先ず、その人がそれを受け入れられるかどうかを見極め、相手と親しくなり、何時も信用する様な状態で仕向ける処から始めなければならない。言い方なども工夫し、自分の失敗談等を話しながら、余計な事を言わなくても思い当たる様に仕向けるのが良い。先ずは良い処を褒めて気分を引き立てる様に心を砕き、そうした上で欠点を直していくというのが意見というものである」

 白鵬にはこういう気遣いや後輩への思いやりに欠けていたのだ。やはりそこには己自身が大横綱だという慢心はなかったか。相撲は国技の前に武士道だろう。

 「葉隠」には赤穂浪士の討ち入りに触れた部分があるが、そこでは打算的討ち入りを否定している。武士とは即刻「やられたらやり返す」というのが本道で、主君の仇討ちは地道に計画を立てて行うものではなく、事の「成否」は問題ではなく「成否」よりも、行為自体に意味が在ると訓えている。

 つまり、日馬富士の後先を考えずに身体が反応したことは、見方に由っては武士道そのものでもある。やられた貴ノ岩も中途半端に不貞腐れるなら、喩え格上とはいえ酒席だった訳で、徹底して反抗し反撃に転じれば好かったのにな(笑)

 白鵬は、今回の事の起こりが何だったか理解しておらず、横綱という立場を勘違いした自身の軽挙妄動こそ猛省すべきで、万歳三唱をやってる場合ではないし、日馬富士が引退する前に「私の不徳の致すところ」と申し出るべきだったと思う。

 それにしても、貴ノ岩の礼節の無さは親方の貴乃花譲りだろう。八角理事長や先輩親方に対する接し方を見ていても、礼節も長幼の序の欠片も感じない。

 他人の意見や声には耳を貸さず、己の意見や考えこそ正義であるかの様な対応は見ていて醜いしい。厳しさは分かるが、人間的に余裕が無くて息苦しい。

 師匠の貴乃花は、現役時代には爽やかなイメージだったが、人相風体も激変し身内や関係者だけに見せる笑顔は実に胡散臭げでもある。相撲界の革新に熱心だが、今回の問題の対応を見る限りやってることは「角を矯めて牛を殺す」そのもの。

 少々の欠点を直そうとして、反ってそのもの自体を駄目にすることも無きにしも非ず。こんな騒ぎは相撲ファンを落胆させ、大相撲も廃れてしまうだろう。

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