2017年11月

2017年11月30日

先輩として、後輩力士の礼儀を正すことは義務と思っている(日馬富士)

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 日馬富士は貴ノ岩への暴行の理由はどうあれ、潔く引退した方が好いと思っていたが、昨日、日本相撲協会に引退届を提出し受理された。

「先輩として、後輩力士の礼儀を正すことは義務と思っている。弟弟子を思って叱ったことが、彼を傷付け、世間を騒がすことになってしまった」

 この言葉に尽きるだろう。貴ノ岩を思って、相撲会の風習でいう「可愛がり」を、つい飲み会の席でやってしまったことが問題になってしまった。

 指導や教えるというのは実に難しく、言って聞かせて本人が理解出来れば問題ないが、言っても分からない奴に幾ら言って聞かせてもは効果はない。

 そういう奴には体罰やシゴキによって、理性ではなく本能を鍛え上げることは教育の大事な要素の一つでもある。

 教える立場の者は周りから常に尊敬される様な言動や立ち居振る舞いを求められる。尊敬されていなければ、単に傲慢な態度としか思われない。

「愛のムチ」と暴力は紙一重で、要は貴ノ岩に日馬富士への敬いが乏しい中で日馬富士が一方的に正そうと思ったことが間違い。

 人を育て上げるというのは日本刀が出来上がる過程と似ている。

 日本刀は先ず卸し鉄を「積み重ねる」ことから始まる。そして「鍛錬」し、更に「下鍛え」し、何回も何回も鍛え上げ、「芯鉄」を鍛え造り込む。叩いて叩いて鍛えることで強靭で立派な刀が出来上がるのだ。

 国士舘の創設者・柴田徳次郎先生もこう訓示している。

「刀というのはトンテンカン、トンテンカンと叩いて叩いて鍛え上げなければ五郎入道政宗とか村正といった立派な刀は出来ません。国士舘の生徒も先生だけの指導だけではダメで、学校も親も一緒になってお子さん方を鍛え上げて行かなければ立派な日本人に育てることは出来ません」

 日本刀を作る上で最も大事なのが「焼き入れ」で、焼き入れを行うことで刀に命を吹き込む。焼き入れ一つで刀の出来も価値も変わってしまう。

 教育者も指導者も刀鍛冶と同じく、ヤキという鍛え込みと、更なる磨き上げで立派な人材が出来上がることを知るべきだが、如何せん、ヤキの後に磨き上げることが無いから単に体罰や暴力だと断じられてしまうのだ。

 日馬富士のヤキの在り方に全く問題が無いということではないが、礼儀を正そうとした慈愛の一面を否定し、暴力で片付けてしまうという風潮が事の本質を違う方向へ導いてしまったのではあるまいか。

 今日の地元紙の一面は、昨日のICBMの発射で北朝鮮のミサイルが米国本土を射程圏内に入ったという記事が躍っている。

 我が国は米国と足並みを揃え、対北朝鮮への経済封鎖と圧力を強めている訳で、これはつまり戦争状態であると認識すべし。

 国会でのモリカケ問題の再燃を観る限り、我が国はいつ北朝鮮からミサイル攻撃を受けても即時に対戦出来る状態であるという余裕の現れなのだろう。我が国の為政者らは実に頼もしい。呵呵大笑。

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2017年11月29日

「ボタニカル」という聞きなれない言葉を耳にした(笑)

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 先日、クルマで移動中にラジオから「ボタニカル」という聞きなれない言葉を耳にした。その後はこのボタニカルが気になって気になって。

 この妄想状態は、テレビ番組「世にも奇妙な物語」のアノ伝説の「ズンドコベロンチョ」の草刈正雄が演じた主人公の状態(笑)

 ネットで調べれば「ボタニカル」は今年話題の言葉らしく、「植物の。植物性の。植物学の」という意味らしい。

 美術評論家であり思想家の岡倉天心は、自著「日本の覚醒(目覚め)」の中で、西洋文明に浮かれる軽佻浮薄な洋学紳士を痛烈に批判した。

「ああ、西洋開花は利欲の開花なり。利欲の開花は道徳の心を損じ、人身をして唯一個の射利器械たらしむ。貧者は益々貧しく、富者は益々富み、一般の幸福を増加さする能はざるなり」

 これは正に現代に通じる教えでもあろう。

 天心は、我が国の伝統文化に目を向け、日本文化を鼓吹した紛れもないナショナリストであり、奔放に生き、世界を放浪し、大勢の知己友人を持つ本物のインターナショナリストだった。

 海外に住み外国人との交流を深めたいならば、天心の如く自国の言葉を重んじ、自国の歴史や伝統、文化を確り学んで欲しいものだ。

 自国の言葉や伝統文化を軽んじ、自国の歴史を忘却し、英語だけを勉強したところで西洋気触(かぶ)れになるだけ。

 英語という田舎言葉が世界語になったのは、武力で世界を支配し、富を独占したからに他ならないが、その昔はバチカンでも英語は「穢れた言葉」として忌み嫌われたという。

 英語とは喋られれば便利という唯それだけのこと。今、世界では、多くの外国人が日本語を学び始めている。日本語文化を世界に普及することは、即ち我が国の美徳でもある「和の心」を伝えることでもあるのだ。

 岡倉天心を始め、明治の先覚者らは、外来語をそのまま使うのではなく、全て新漢字に翻訳して西洋文化を学んだ。現代人の様に外来語をそのまま羅列し、それが恰もインテリと勘違いしているが、これ正に軽薄な舶来趣味でしかない。

 そんな現代人と比べれば、自国の伝統文化に誇りを持ち、あくまでも日本語で貫き通そうとした明治人の気骨と気概、高い見識を伺い知ることが出来よう。

 日本人として日本語に自信を持ち、何事も日本語で主張し、日本文化を重んじ貫いたからこそ世界に誇れる我が国独自の発展が得られたのだ。

 何が「ボタニカルカラー」か。だったら植物柄とか言えば好いだろうに、ホント流行に流され易い日本人らしい。本来「流行」とは「病気」の意味だったということを知ってるだろうか(笑)

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2017年11月28日

優勝回数40回は確かに数字では立派だが名横綱には程遠い

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 大相撲九州場所は白鵬が優勝。張り差しか、かち上げばかりで勝負よりも勝ち星に拘った取り口で、優勝40回は立派だが相撲自体がホントつまらない。

 嘉風との一番なんぞ自分から物言い。土俵下で不満げに抗議する姿は横綱としての品格はどうなのだろう。

 立行司・木村庄之助の軍配が返り「待ったなし!」、立ち合い後には「残った!」との声が相撲が成立したことを示している。

 張り差しからまわしを取りに行くももろ差しを許す。その態勢が自分に不利だからと「待った!」をアピール。

 立行司というのは軍配も然ることながら、短刀を差して、軍配差し違えの場合は切腹する覚悟で臨んでいるのだ。そうしたことを知ってか知らずか、立行司への抗議は、立行司への尊敬すら持ち合わせてはいない証左だろう。

 勝利者インタビューにしろ万歳三唱にしろ、白鵬は何か勘違いしてはいないか。横綱がこれだけ軽々しいのでは相撲人気は凋落の一途を辿るだろう。

 相撲ファンの一人として、騒がれてる日馬富士問題にしろ、国技とは程遠くスポーツイベント化する相撲界に対して隔靴掻痒の感は拭えない。

 優勝回数や勝利数の記録では確かに白鵬は立派だが、名横綱かといえば未だ未だ未熟。不世出の名横綱といえばやはり「双葉山」だろう。

 双葉山は強さに加え、美しさがあったと誰もが言って憚らない。土俵に上がったら無駄な動きはせず、どんな力士にも必ず受けて立った。所作そのものが美しく、見るからに横綱の威厳があった。

 一度負けた相手には決して負けることがなかったことからも、相手力士への研究は怠らず、その強烈な努力を垣間見ることが出来る。

 双葉山は、こうした受けて立つ相撲をきかれると「目が悪かったので、自分から突っかけるのは不利だと思った」と述べたことで、国民は初めて双葉山が隻眼(せきがん)だったことが分かった。

 双葉山は明治45年生まれ、大分県宇佐郡天津村布津部出身。四股名は「栴檀(せんだん)は双葉より芳(かんば)し」から命名。

「大成する人物というのは、往往にして幼い頃から人並み外れて優れたところがある」という喩えである。

 6歳の時に友達と吹き矢で遊んでいる際に、その矢が右目に刺さり失明してしまう。少年時代には、父親の海運業の手伝いをしていた際には、錨の巻き上げ作業中に右手小指を潰してしまう。

 父の海運業が失敗し、知人の警察官の勧めで立浪部屋に入門することとなる。右目は失明、右手小指も動かないというハンデを克服し、前頭二枚目から破竹の69連勝で一気に横綱に昇進した。

 連勝が止まった双葉山はその後、福岡県の山中で滝に打たれ修業し再び連勝を重ねるものの、昭和20年8月15日、大東亜戦争の敗戦に大きな衝撃を受け引退を決意する。どれほど国を愛していたかが分かるというものだ。

 勝星に拘り、横綱の名を穢しながらも横綱の地位にしがみ続ける今の横綱らは、双葉山の様な潔さというのが決定的に欠けている。

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2017年11月27日

「無条件降伏が無ければ朝鮮半島の悲劇の様に日本は東西に分断されていただろう」との妄想(笑)

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 地元紙(福島民報新聞)のコラム「日曜論壇」は、国立歴史民俗博物館名誉教授という偉そうな肩書だが、その実は左翼闘士の小島美子。地元紙お抱えのコラムニストの中でも、その思想と偏向ぶりは群を抜く(苦笑)

 今日も主張は対北朝鮮への制裁や圧力への疑問と、トランプ大統領と安倍首相の批判。制裁や圧力ではなく、対話の道こそ選ぶべきだという。

 今迄、対話の窓口を開け、人道的立場や様々な理由を付けてはコメ支援や経済制裁を緩和などを続けるも一向に解決されず、それどころかその陰で北朝鮮が核開発とミサイル開発に奔ってしまったことはどう捉えるのか。

 北朝鮮の暴力的な軍隊の様子を記し、まるで「戦前の軍隊そっくりだ」と詰り、当時の政府のやり方は今の北朝鮮と同じだと批判する。

 この方、大東亜戦争が起こったのは軍隊の暴力と政府が悪いとの見解だが、正に、左翼特有の戦後民主主義にどっぷりハマった自虐史観そのもの。米国に洗脳されながら、米国を否定する矛盾にも気付いてもいない。

「それでふと考えた」のが終戦間際のソ連参戦で「無条件降伏が無ければ朝鮮半島の悲劇の様に日本は東西に分断されていただろう」と、北朝鮮と韓国と同じ様に現在の民族同士が相塗れて戦っているだろうとの妄想に耽る。

 そのソ連の参戦こそが国際条約の蹂躙だとの批判も無く、日本分断工作は米英ソのヤルタ会談で密約されたもので、そっちを批判するべきではないのか。それこそ、この婆さんの妄想こそ国民世論の分断工作だろう(笑)

 朝鮮半島の南北分断は別に我が国の責任ではない。それこそ昭和20年(1945年)8月9日未明のソ連軍の参戦に因るもので、参戦3日後の12日にはソ連軍は朝鮮半島北部にまで侵攻した。

 朝鮮への侵攻準備が出来ていなかった米国はこれに慌て、急遽、朝鮮占領の協議が行われ「38度線」で分割することで合意した。

 要は、想像力豊かなこの婆さんがいう「無条件降伏しなければ」というのは、歴史を知らない読者を誑かす妄言である。

 朝鮮戦争の勃発も朝鮮の南北分断も我が国に責任は無いが、若しその責任が在るのだとすれば、大東亜戦争に敗北して以降、こうした左翼の婆さんらが国内外に蔓延ってるのも敗戦の悪しき結果だとすれば駆逐するしかない(笑)

 歴史に「もし」ということはないが、日米が戦わず、蒋介石との和平が実現していれば満州国は保全され、中華民国は中国共産党を圧倒していただろう。

 そうすれば中国共産党の大躍進や文化大革命や天安門事件も起きなかったし、北朝鮮の独裁政治も拉致事件も起きなかったのだ。

 大東亜戦争とは、ソ連コミンテルンと中国共産党、そして日本の共産主義者が仕組んだ、共産革命の実現の為に、マルクス・レーニン主義者の策謀にまんまと嵌ってしまった戦争とも言えるのだ。その視点に立った時、我々は何を成すべきか。

 大東亜戦争自体、恥ずべきものではない。左翼どもは「侵略戦争」と宣い「アジアの人々に多大の迷惑を掛けた」と罵るが、日本はアジアを侵略したのではなく、アジアを侵略していた連合国と戦ったのだ。

 それでも尚、我が国がアジアの人々に謝罪をする必要があるというなら、その最大の過ちは、戦後、共産主義の跋扈と驕逸を許したことであり、最大の償いはその共産主義を失くすことに尽きる。

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2017年11月26日

恭倹己を持することもなく、若手活動家らを一向に育てる気もない右翼の大先生方(苦笑)

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 愚生の場合、食べ物の好き嫌いや女性の好き嫌いは無いが、男性への好き嫌いは烈しい。右翼の先生と呼ばれる中で文士を気取り学者然としているヤツがいる。愚生も顔はデカいがこの大先生には敵わない。ってか、バランスが悪過ぎ(笑)

 以前、大手右翼団体の相談役でもあるこの大先生の安倍晋三愛が異常さが目に留まり、Facebookで苦言を呈したことがある。

 この方、偉そうに「安倍さんに代わる人物が居るとも思えない」などとの応えていたが、右翼らしからぬ反論に厭きれたが、要は、己の売文の為に体制側に就いてる営業保守と同じく、反動右翼というのが正しい。

 その後、安倍亡国内閣は不敬極まる退位法案を可決し、我が国農業を崩壊に導く種子法を可決し古来の種子が廃止されることになったが、これらの国體に関わる悪法に対して、この右翼相談役が抗議したとは聞いていない。

 大手組織の相談役なら、こうした安倍の謀った亡国法案の売国性を幹部に伝え、撤回させる為に行動指針を明示するべきではなかったか。

 安倍を支持するのは勝手だが、右翼として支持していた安倍が国柄を損ね国益を害するのなら、それこそ安倍を熱烈に支持した責任を取って断固として抗議し阻止すべきだと思うが、所詮は営業保守と同じく都合が悪くなると知らん顔(苦笑)

 Facebookはそういう人士との繋がりは仕方ないのだろうが、以前、500名程のFBFを全員削除したのも、そういう嫌いなヤツの記事も然ることながら、上っ面のキレイゴトだらけの交流に嫌気が差したからだ。

 数日前、あるFBFとの縁を絶った。というのもFBFがいいね!を押した記事は否応なしに目に留まる。そういう記事は削除するが一応目を通してはいるが、そういうのも面倒臭いし、FBFの中に大嫌いなこの右翼人いるのを知った。

 この方から最後に丁重なメッセージを貰ったが、その内容でも中々の好漢で人の好さはよく分かる。在野の保守派として誰でも彼でも友達になって知識を広めたいと思っているのだろうが、それは人の好さというより優柔不断の成せる業。結果、得る知識も中途半端となるということも思い知るべし。

 FBFだからという理由で、誰でも彼でも「いいね!」を押してるが、現代の価値観や歴史観で、然も歴史の一面だけを以て、結果論で正否を語ることに意味はないし、それこそ歴史と先人への冒涜だということに気付くべきだ。

 愚生は、上っ面だけを取り繕ってる輩が苦手で、愚生の大嫌いなその右翼の大先生も陽明学や四書五経を売りにしているが、自ら範を示して後輩を導けば好いが、上っ面の衒学臭い学問故に此方には全く響くものがない。

 この大嫌いな右翼人だが、言ってることとやってることが甚だ疑問。例えば、右翼一巨顔のこの大先生、その昔、右翼の仲間らとフィリピンを訪問。歴史探訪や慰霊というのは大義名分で、夜な夜なフィリピンの夜を愉しんだ。

 この某先生の名誉の為に詳細は避けるが、覚えた学問をひけらかし学者然と偉そうにしていても下半身は俗物そのものだったという。

 己の立派さをアピールするのも好いが、もっとざっくばらんに自分の弱さやスケベさ、否、人間らしさをもっと曝け出せば好いと思う(笑)

 そういや、陽明学者で思想家の安岡正篤も晩年は細木数子の手練手管に翻弄されて晩節を穢したが、安岡に限らず上っ面の勉学だけで、実践の伴わない言葉は確かに綺麗ではあるが重みを感じない(笑)

 教育勅語を諳んじれたとしても、夫婦や兄弟、友人との仲が悪かったり、道徳の授業が満点でも実践の伴わない道徳なんぞに意味はない。

 安岡の言葉にしても、陽明学や四書五経にしても覚えたら如何に実践するか、身に着けるかという努力が大事で、それが無ければ単なる請売りの上っ面の学問でしかなく、そこから脱し自分のものにすることは出来まい。

 大陸浪人を気取り詩を詠み、四書五経の上っ面だけを模倣して大者感を醸し出してるが、所詮は支那被れに過ぎず、それを浪漫派だとは勘違いも甚だしい。

 現在の右翼陣営の為体は、居の安きを求め、固定資産税に汲汲しながら、一方で異常な上昇志向から文士や文化人を気取る大先生方が元凶でもある。

 恭倹己を持することもなく、若手活動家らを一向に育てる気もないなら、早々に愚生を見倣って引退し蟄居でもしてなさいな。呵呵大笑。

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2017年11月25日

益荒男が たばさむ太刀の 鞘鳴りに 幾とせ耐へて 今日の初霜

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 昭和45(1970)年11月25日午後0時15分、三島由紀夫は同行した楯の会メンバーの森田必勝、古賀浩靖、小川正洋、小賀正義と共に陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地・東部方面総監室を占拠し、現憲法の矛盾と戦後の不条理と欺瞞を訴えて壮絶な割腹自決を遂げた。当時、愚生は10歳。この衝撃的な事件を鮮明に記憶している。

 携行した「檄」には「もっとも名誉を重んずるべき軍が、もっとも悪質な欺瞞の中に放置され・・・自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず」と三島は喝破した。※檄文(全文)http://www.geocities.jp/kyoketu/61052.html

 自衛隊は現行憲法下では明らかに憲法違反の存在であり、未だ「警察予備隊」時代のまま「集団的自衛権の憲法解釈」などという目先の誤魔化しによってかろうじて存在し、あやふやな中途半端な存在のまま放置され続けている。

 だが、自らの国家の防衛をも否定する矛盾だらけの現憲法を見直し、違憲状態の自衛隊を「国軍」とすることに、何を躊躇し、誰に憚るというのか。

 あろうことか安倍政権下で、正に健軍の本義もなき物理的な巨大な警察機構としての地位を取り払うべく憲法改正ではなく、九条に附帯するという形で自衛隊を明記しようという愚行が成され様としている。

 日夜、国の防衛の為に努力する自衛官の姿は心強いし、災害に立向かう自衛隊の存在は実に頼もしい。自衛官は我が国の誇りである。にも拘らず憲法論議を避け、自衛隊の存在意義を無視し、国防を論ずることなどあってはならないし、政治家のこれ以上の怠慢は赦されるものではない。 

 決行当日、同行した小賀正義に命令書が渡された。その一文にはこう記されてあった。渡す側もそれを受け取る側もその心中察するに余りある。

【小賀正義君。君は予の慫慂により、死を決して今回の行動に参加し、
 参加に際しては、予の命令に絶対服従を誓った。
 依ってここに命令する。
 君の任務は同志古賀浩靖君と共に人質を護送して
 これを安全に引渡したるのちいさぎよく縛につき、楯の会の精神を堂々と、
 法廷に於て陳述することである。
 今回の事件は、楯の会隊長たる三島が、計画立案、命令し
 学生長森田必勝が参画したるものである。
 三島の自刃は隊長としての責任上、当然のことなるも、森田必勝の自刃は、
 自ら進んで楯の会全会員及び現下日本の憂国の志を抱く青年層を代表して、
 身自ら範を垂れて、
 青年の心意気を示さんとする鬼神を哭かしむ凛冽の行為である。
 三島はともあれ、森田の精神を後世に向って恢弘せよ。
 しかしひとたび同志たる上は、
 たとひ生死相隔たるとも、その志に於て変りはない。
 むしろ死は易く、生は難い。
 敢て命じて君を艱苦の生に残すは予としても忍び難いが、
 今や楯の会の精神が正しく伝わるか否かは君らの双肩にある。
 あらゆる困難に耐え、忍び難きを忍び、決して挫けることなく、
 初一念を貫いて、皇国日本の再建に邁進せよ。
 楯の会隊長 三島由紀夫】

 【益荒男が たばさむ太刀の 鞘鳴りに 幾とせ耐へて 今日の初霜】(三島由紀夫辞世)

 【今日にかけて かねて誓ひし 我が胸の 思ひを知るは 野分のみかは】(森田必勝辞世)

 旧来の思想や社会構造を打破しようとする時、常軌を逸した行動が生まれる。三島由紀夫と森田必勝らの行動こそが正気の狂気であり、この狂気こそが我が国に圧し掛かる重苦しい閉塞感を打破する力に成り得るのだ。

「あらゆる困難に耐え、忍び難きを忍び、決して挫けることなく、初一念を貫いて、皇国日本の再建に邁進せよ」という、三島・森田の精神を想起し、祖国日本の恢復を図らねばならない。すめらぎいやさか。

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2017年11月24日

相撲は古来より五穀豊穣を祈り、その恵みに感謝する神事でもある

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 日馬富士の暴行事件は、協会内の権力闘争なのか、貴乃花親方の対応もあって世間の好奇の目に晒されている。

 大相撲を目の仇にするのは左翼陣営に留まらず、保守派や自称・愛国者らも外国人力士の席捲を苦々しく思い批判する。

 大相撲は、巡業や国技館どころか、テレビ観戦もせずに「相撲なんて大嫌い」といって憚らない右翼人を何人か知っている(笑)

 だが、大相撲は「断髪令」が出ても丁髷の伝統を貫き、戦後も表彰式で国歌「君が代」を斉唱し続けてきた保守の牙城ともいうべき存在でもある。

 相撲は千五百年以上の歴史を有し、古来より、五穀豊穣を祈り、その恵みに感謝する神事でもあり、現在の大相撲は、平安時代に天覧相撲である「相撲節会(すまいのせちえ)」が行われたことが始まりとされている。

 本場所初日の前日には「鎮め物」として、萱(かや)の実、勝栗、スルメ、昆布、塩、洗米といった神饌が土俵中央に納められ、立行事が祭主を務め「土俵入り」が行われる。使用した御幣は、神の降臨の証しとして四色の房に飾られる。

 力士が「四股」を踏むが、これは地面に潜む邪悪なものを封じ込める為の所作であり、「塩撒き」も土俵の邪気を祓い、神への祈りである。

「力水」や「力紙」は清めの作法。清めを終えた力士は、「蹲踞(そんきょ)」から「揉み手」「柏手(かしわで)」し、両腕を開く「塵手水(ちりちょうず)」と一連の動作が続く。「塵手水」は、手に武器を持たないことを表すものだ。

「揉み手」は、古来は雑草の露で手を清めていた所作の名残りで、「柏手」は神に拝する際に打つ動作である

 力士が勝ち名乗りを受ける際に「手刀(てがたな)」を斬るが、これは左が「神産巣日神(カミムスヒノカミ、カムムスビノカミ)」、右が「高御産巣日神(タカミムスビノカミ)」、真ん中が「天御中主神(アメノミナカヌシノカミ)」三神への感謝である。

 白鵬の懸賞金の取り方は、最後に毟り取る様な仕草をするが、アレは間違いというより、天御中主神への冒涜とも言えなくもない。

 力士は神の遣いであり、横綱とはその中の最高峰の存在である。勝敗に拘る以前にその所作や風格が大事であるというのは言うまでもない。

 千秋楽の終了後「神送りの儀式」が行われる。御幣を抱えた新弟子力士らが胴上げすることで相撲の神々は昇天する。

 こうした所作や儀式を理解した上で大相撲を観戦すれば相撲もまた楽しいのだが、相撲も他の競技と同じ様に勝敗ばかりが優先され、スポーツ化し、営利主義に奔る相撲協会に危機感を抱いてるのは相撲ファンは少なくない。

 実力世界の相撲界ではあるのが、「国技」を自任するならば、そうした大相撲の歴史や謂れを内外に発信し啓蒙して行くことも大事なこと。

 日馬富士の暴行事件を機に相撲協会がやるべきは、関係者を厳罰に処すことは当然だが、暴行事件に関与していない圧倒的多数の力士や相撲ファンの為に何を成すべきなのかを熟考し、改革を断行すべきであろう。

「角を矯(た)めて牛を殺す」譬えの様に、少々の欠点を直そうとして、反ってそのもの自体を駄目にすることも無きにしも非ず。相撲は神事ということを自覚すれば、協会も力士も自ずと襟を正すだろう。

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2017年11月23日

すめらぎの千代万代の御代なれや花の都に言の葉もなし

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 本日は新嘗祭、誠におめでとうございます♪

 戦後、「神道指令」を発令したGHQに因り「新嘗祭(にいなめさい、しんじょうさい)」という呼称は廃止され、占領統治下だった昭和23年に「勤労感謝の日」と改められ現在に至っている。

「勤労感謝の日」というと、何か、労働していること、働ける喜びに感謝する日の様に思ってしまうが、本当の意味は「人々の勤労によって生み出される万物の生産を祝う」という趣旨である。

 神の加護による農作物を始めとした恵に、我々国民が互いに感謝し合う日なのだが、残念ながらその意味を取り違えている国民が殆どだ。

 誤った祝祭日の名称を糺し、本来の祝祭日の趣旨を啓蒙すべき神社庁は恥しげもなく「祝祭日には国旗を掲揚しよう!」などという広告宣伝を行ってるが、ハッピーマンデーをも容認する姿勢は神道を司る資格があるとも思えない。

 旧くは新嘗祭は、霜月下旬の卯の日に斎行されたが、明治6年以降は11月23日に執り行われることとなった。

 宮中祭祀で特に重要なものは元旦に執り行われる「四方拝」と、本日の「新嘗祭」である。だが、現在は「祭日」ではなく、単なる「祝日」になってしまっているのは残念至極と言わざるを得ない。

 本日は県内でも「山ノ神講」として、全国各地でも山々の神に感謝し収穫を祝う行事が各地で行われるが、これは新嘗祭の風習や伝統を重んじ伝えて来た名残りでもあり、こうしたことでも天皇と国民の繋がりを知る。

 新嘗祭は「日本書紀」の中で、皇極天皇が皇極元年(642年)11月に執り行ったのが初めてで、永永と受け継がれてきた重要な祭事の一つである。

 こうした祭事が脈々と続いていることに、改めて伝統を受け継ぐ大切さを自覚する。だが、宮内庁は陛下の負担軽減の一環として平成24年から、未明に執り行われる「暁の儀」の拝礼を取り止められた。

 歴代天皇が採り行ってきた「暁の儀」の取り止めは、今後、歴史の中での祭事に様々な影響を及ぼすだろう。

 安倍亡国内閣は、畏れ多くも天皇陛下の退位法案を成立させた。正しい「譲位」を使用せず敢えて「退位」を使い続ける裏の意味を知るべきだ。

「退位」という言葉は、戦後、共産主義者が昭和天皇の戦争責任論を叫び強制的に退位させて、A級戦犯として絞首刑に処すという願望から使用されていた「共産党用語」だった事を知っているだろうか。

 現憲法下では、歴代天皇が古来より司って来た「祭事」は、天皇家の「私事」となってしまい、歴史的な国家としての継続された「祭祀」に関する天皇の役割を否定している。

 これつまり、未だ占領政策の「神道指令」の呪縛が解除されずにいる証左であるが、更に「勤労感謝」という言葉に因ってその祭日の意義を薄れさせ、「ハッピーマンデー」の愚策によって国體が破壊され続けている。

「神々の加護と人々の勤労によって可能になる万物の生産を祝い、国民が互いに感謝し合う日」であるなら、勤労感謝の日より新嘗祭が相応しい。

 本日の新嘗祭に当り、豊穣の秋に感謝すると共に、併せて皇室の安穏と陛下の弥栄を祈念する。

 すめらぎの千代万代の御代なれや花の都に言の葉もなし。

 すめらぎいやさか

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2017年11月22日

最近の貴乃花を見てると顔も体型もアノ輪島にソックリになってきたな(笑)

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 日馬富士の暴行問題は、新聞やテレビで連日報道されてることもありのあらましが見えて来た。要は、貴ノ岩の日頃の振る舞いに眉を顰めていた白鵬や日馬富士が、貴ノ岩を諫めようとしたことが事の始まり。

 マスコミの報道に拠れば、都内錦糸町で開かれたモンゴル人力士の飲み会の席で、先場所、横綱白鵬に勝った貴ノ岩は酒の勢いもあり、調子に乗って「あの人の時代ではない」という様な発言をしたという。

 酒の席では気持ちが大きくなり、調子に乗って大言壮語を吐くなんてのはよくあることで気にするものではないが、恐らくはこうした発言以外にも何か引っかかるものがあったのだろう。それが単にきっかけとなっただけ。

 巡業先の鳥取での飲み会の席で白鵬が問い質す。貴ノ岩も神妙に聞くが、そこに携帯が鳴った。携帯を消すか、その儘にしとけば好いものを貴ノ岩は話も聞かずに携帯を操作する。

 それを見ていた日馬富士が「大横綱が話しているんだぞ!・・・」言うのが先か、殴るのが先か、あっという間にマウントを取ってボコボコに。

 正義感旺盛な日馬富士は、白鵬に対する尊敬も然ることながら、後輩である貴ノ岩の将来を慮ってのものだったと言えなくもない。

 先輩や上司が話してる時に、こういう対応をしたり不貞腐れた態度を取れば殴られるのは当たり前で、愚生もこんなシーンにはよく出くわしたし、先輩や上司に代わり後輩をボコボコにしたこともある。

 ヤキを入れるなら中途半端はダメ。身体に徹底的に教え込む。言っても分からない相手には、ヤキによって理性や本能を正しく鍛え揚げることも時には必要だと思っているし、愛情表現の一つでもあると思っている。

 巡業先では、暴行があった翌日には日馬富士と貴ノ岩は握手を交わし、貴ノ岩は取り組みにも出ていたとも聞く。

 巡業先では単なる内輪の揉め事として問題なかったことが、何故か九州場所が始まってからこの問題が騒がれ始め、中でも貴ノ岩の師匠である貴乃花親方の怒りは収まらず、日馬富士を場所中に刑事告発した。

 オイオイ、巡業先での問題は巡業部長である貴乃花親方の責任だろう。それを被害者面した物言いはチョッとどうなのよ。

 この裏には巷で囁かれている様な理事長選への遺恨や、次期理事長選挙への駆け引きだとしたら、余りにも相撲ファンを嘗めてはいないか。

 最近の貴乃花を見てると顔も体型も、アノ輪島にソックリになってきた気がする。前々から囁かれていた「若乃花は初代若乃花の子供で、貴乃花は輪島の子供」という噂の真実味が増すというものだ。

 プロ野球解説者だった佐々木信也が講演で「若乃花と貴乃花の二人は異父兄弟で、貴乃花の父親が輪島だ」と語ったことで、それをアサヒ芸能がスクープとして記事に掲載。その後、佐々木信也は謝罪するもテレビ業界から干された。

 ワイドショーに出演した母親の藤田典子が「全くのデマです」と、若乃花のDNAをやると話すも鑑定したとも聞いてはいない。ってか、初代の若乃花も初代の貴乃花も兄弟だものどうやって判定するの(笑)

 相撲愛に溢れる貴乃花は、旧態依然の大相撲界の陋習を変えようという意気込みは認めるが、ややもすればその改革は国技としての相撲という伝統文化を否定し、相撲の歴史をも変えてしまう危険を伴う。

 そういや輪島も、相撲界の仕来りや風習を否定し、巡業先ではホテルに宿泊したり、豪遊しまくったりと自分本位のやり方を貫いてたっけ。結果は、カネに忙しくなり、自分の年寄株を担保に借財し相撲界を追われた。

 相撲人気は相撲ファンあっての物種。協会にも問題があるが、貴乃花親方は被害者意識が余りにも強過ぎないか。

 確かに日馬富士の軽挙妄動には問題が在るし、その責任を取って潔く引退すれば、事の原因を作った貴ノ岩は猛省するだろう。

 日馬富士が引退なら、不様な稀勢の里も鶴竜も引退した方が好い。序に審判部に不服申し立てという前代未聞の醜態を曝した白鵬も引退し、四横綱時代から横綱不在という異常事態になった方が協会全体が目が覚めるのではあるまいか(笑)

※何か己を勘違いして、一部を論ってくだらんコメントを入れて来る輩がいるが、主義主張があるのなら自分のブログやSNSで発信し啓蒙すれば好いだけ。コメントの受付は今後は会員限定にさせていただきます。呵呵。

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2017年11月21日

米国の核の持ち込みで騒いでないで核保有国を目指すべし!

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 昭和44(1969)年の沖縄返還交渉の過程で、米政府は核兵器の本土持ち込みや基地使用の拡大を要望していたことが米公文書で分かった。

 我が国は敗戦以降、自国の防衛という国家百年の大計を放棄し、米国に依存している歪な体制を取っている訳で何を今更という感じだ。

 我が国は「非核三原則」を掲げてはいたが、余程のバカではない限り、日本の安全は米国の核の傘が守ってくれているということは暗黙の了解。

 有事の際に米軍が事前協議を行わないで在日米軍基地を使用するのは当然で、「核だけは持ち込ませない。でも、日本を守って下さい」などというのは余りにも都合が好過ぎるだろう。

 昭和35年の日米安全保障条約改定に際して、当時の藤山外務大臣は核兵器を搭載した艦船や航空機の寄港、通過は事前協議の対象にしないことを申し合わせており、その「討議録」は既に米国で公開され明らかになっている。

 既に明らかになっていることを「密約説」として、以前、岡田克也が「非核三原則」に反するとして大騒ぎしたのは記憶に新しい。

 今回のこの記事もその密約説と同じ類の与太記事だが、米国の日本駐留米国にとっての国益に適うものであり、自国の防衛を放棄してる我が国にとっても悲しい哉、それらを受け容れるしかないのだ。

 我が国の近隣諸国は中共や韓国、北朝鮮と危険な国ばかりで、これらの脅威に対抗する安全保障措置として、米国の核の傘以外の何に頼るのか。

 冷戦時代、平和を維持する為に米国やNATO諸国が莫大な防衛予算を投じ軍事バランスを保って来た中で、防衛費がGNP1%以内と極僅かな我が国の平和が続いたのは米国の「核」の力に拠るものと、単なる偶然でしかない。

 現在でも、米国の核が我が国の防衛の後ろ盾になってるのは否定出来ない悲しい現実であり、その米国の核の持込みや駐留米軍をも暴いて糾弾しようというのは、我が国の国益に適うものだとは到底思えない。

「核兵器は外交で大きな発言力を持つ」「核兵器は最強の外交官」「核兵器は最大の戦争抑止力」という認識のは世界の常識。核兵器こそが外交交渉をする上での最高且つ最大の武器になり、周辺諸国に睨みを利かせることが出来るのだ。

 インドやパキスタンの紛争が治まったのも、イスラエルや北朝鮮が核武装に奔ったのもそうした認識からであり、何百万人もの餓死者が出ても歯牙にも掛けず核保有に固執するのは、核武装こそが国益だと確信しているからだ。

 我が国も世界で唯一の戦争被爆国として、「世界で核兵器が無くなるまで、世界が核兵器使用という愚かな行為が成されない様に監視し、世界平和を構築する為に我が国は核保有国も選択肢の一つ」と宣言して然り。

 心の呵責無しに核兵器を有する資格があるのは戦争被爆国である我が国だけだ。にも拘らず原爆投下した米国の「核の傘」に甘んじ、国家の大本を米国に依存しているこの歪な体制をいつまで続けるつもりなのか。

 米国の「核の傘」に甘んじ続ければ主権国家足り得ず。米国の核の本土持ち込みを騒いでいる様では先が思い遣られる。

 日米安保を解消し対米自立を図ることは理想だが、それには先ずは国民の「一身独立」が大事。そう考えた時、我が国が自らの手で「平和」を創り出すという主権国家としての当たり前の国になる日は未だ未だ先の様だ。

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2017年11月19日

マスコミも「放送禁止用語」なんて止めて「キンタマ~!」とでも叫んでみたら如何か(笑)

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 地元紙専属の風刺画家(朝倉悠三)の今日の絵は、「フ~、いろいろ手間取ったが予定通りの仕上がりだ」と、画家に扮した安倍首相が加計学園の絵を描いている姿が載っている。

 風刺というのはそこに「クスッ」という笑いがなければならないが、加計学園が恰も安倍の忖度で出来上がったかの様な表現は笑いというより、この画家への嘲笑と軽蔑しか感じない。

 マスコミにしろ、表現者というのは世情を腐し、政権を批判する。そういう冷笑的な態度を執ることが真のジャーナリストや文化人だと錯覚しているが、何か勘違いしてはいないだろうか。

 この本人も風刺画の出来栄えに満足しているのだろうが、風刺するにも、相手に対する尊重と配慮を忘れてはならないと思う。

 読者からの投稿の多くも安倍憎しからの安倍批判が殆ど。加計学園問題は、どう見ても批判する側の方が真実を見ようともせず、思い込みからの批判ばかりで、そこに公平さは微塵もない。

 節度が欠如した批判や風刺というのはそれは単に相手への罵詈雑言や侮辱でしかなく、差別と偏見に満ちた嘲りは、怨みや怒りを増大させるだけ。

 数年前、フランス週刊紙シャルリエブド襲撃事件が起きた。襲撃した犯人はイスラム過激派と関係のある3人だった。

 彼らは、シャルリエブド社が載せる皮肉交じりの下品極まる風刺を真に受けて犯行に及んだ。差別と偏見が赦せなかったのだ。

 フランス人にとって風刺はエスプリ(精神・知性)を表す表現の一つ。風刺画によって相手を嘲笑するのはフランスの伝統・文化なのかも知れないが、あんなレベルの低い笑いが知性と精神だとしたら嗤うしかない。

 風刺画を掲載し続けたのは覚悟あってのことだろうが、襲撃を受けてから表現の自由を振り翳し「言論への弾圧」だとか騒いでいたが、風刺画というのはそれこそペンの暴力ではないのか。

 過去には愛国団体が中心となり「風の会」が設立され参議院選挙に出馬した。だが、選挙中に週刊誌上で「風」の「ノ」を飛ばされ「虱の党」と揶揄された風刺画が載せられたことは記憶に新しい。

 これに憤った風の会代表の野村秋介は、週刊誌と描いた漫画家に抗議し、その親会社である朝日新聞の猛省を促し、最後は本社で壮絶な自裁を遂げた。右翼民族派にとって野村の死の代償は余りにも大きかった。

 あの風刺画も「表現の自由」には違いないが、漫画家だから何を書いても好いというものでもないし、ああしたものを許可した出版社の常識を疑う。

 地元紙も、原発事故以来「反原発」や「反安倍」の読者に阿る記事が多くなった。そこには公平さや公正さも社会の木鐸という矜持もなく、生業として売上を伸ばしたい為の営利至上主義が優先されている。

「表現の自由」がそれこそ何でもかんでも赦されるなら、マスコミも「放送禁止用語」なんて止めて「キンタマ~!」とでも叫んで、それこそ言論の自由の模範を自ら示せばいいだろう。呵呵大笑。

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2017年11月18日

「皇室会議」に反天皇運動に与する菅直人が選出される異常さ

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 衆議院運営委員会は、皇位継承順位の変更などを審議する「皇室会議」の予備議員の一人に、先の大戦を侵略戦争と断じ、「天皇は逮捕されるべきだった」と言って憚らない菅直人が選出された。

 極左でもあり、反天皇論者である菅直人の皇室会議へ参加は不適格と断じざるを得ず、菅を選任した衆院議会運営委員会の国民意識と乖離した非常識は赦されるものではなく、国民感情も許さない。

 運営委員会には「反天皇」の急先鋒でもある辻元清美も入っており、菅直人が推薦されても不思議ではないが、皇統に関わる問題までも悪しき議院の慣例で決められることに違和感というより怒りを覚える。

 菅直人に留まらず、戦後、昭和天皇の戦争責任論は止むことはなく、「陛下は、所謂戦争責任についてどの様なお考えであるか」などと、記者の立場を利用した「吊し上げ」は日常茶飯事だった。

 欽定明治憲法下に於いては国務は国務大臣、統帥は参謀総長及び軍令部長が陛下を輔弼し、その責に任ずることになっており、陛下には法的に責任はない。

 しかし、道義的に最も責任を痛感された昭和天皇は、終戦の勅諭で「五内為ニ裂ク」と仰せられた通り、自ら身を苛まれたのは陛下御自身なのである。

 戦後、天皇廃止運動は昭和天皇への「戦争責任・退位論」に始まった。左翼マスコミは「開かれた皇室論」の急先鋒となり、週刊誌などで陛下や皇族方を登場させては、不敬なスキャンダラスな記事で尊崇の念を薄れさせることに成功した。

 そして平成に入り「女系天皇論」や「女性宮家論」として、所謂「反天皇制運動」は今も尚、巧妙に継続されている。

 菅は戦争責任を「少なくとも歴史的に言えば負ける戦争をやった将軍は例えば戦国時代でいえば腹を切るんです」と偉そうに語っているが、菅は福島原発事故での「人災」の責任を取ることはなく、頬っ被りしてトンズラした(苦笑)

 昭和22年、GHQはこの皇室典範を改悪し、畏れ多くも陛下を法律の配下に置いたのは歴史が証明するところ。だが、天皇とは憲法や法律制定以前の御存在であり、法治国家を取り違え、皇統を法律で論ずることがあってはならない。

 現在の「皇室会議」は皇族2名と衆参両院正副議長、最高裁長官、宮内庁長官ら非皇族8名の10人で構成されている。

 明治皇室典範に於ける「皇族会議」は、成年男子皇族20名によって組織された機関であり、非皇族は内大臣、枢密院議長、宮内大臣、司法大臣、大審院長の5名となっていた。

 現在は男子皇族が皇太子殿下と秋篠宮殿下、悠仁親王殿下の3名。成年皇族が少ないのは戦後、GHQに強制的に11宮家が臣籍降下させられたことが原因であり、皇統を盤石の安きに置くなら旧皇族の復帰を成すべきなのだ。

 旧11宮家の方々は北朝第3代崇光天皇の皇子、栄仁親王から始まる伏見宮の系統に属し今上天皇との関係は、室町時代の伏見宮貞成親王を共通の祖先とされている。旧宮家が復帰すれば男子成年皇族は15名になる。

 旧ソ連のコミュンテルンテーゼを信奉し、反天皇と国體破壊を目指す勢力は旧皇族の復帰は認めず「女性宮家」論で世論を誑かしているが、旧・皇族の皇籍復帰こそは真の主権国家としての精神の再生でもある。

 現皇室典範下での「皇室会議」に正統性はない。GHQが改悪を謀った現皇室典範を奉還し、現在の皇室会議を廃止すると共に、旧皇族の男系男子を中心とした「皇族会議」に戻すことは国民の義務でもある。

「皇室典範」とは、明治22年の紀元節にて大日本帝国憲法発布の勅語と同時に発布された皇室典範制定の勅語に由来する「皇家の憲法」である。

【天佑ヲ享有シタルし我ガ日本帝国ノ寶祚ハ万世一系歴代継承シ以テ朕ガ躬ニ至ル 惟フニ祖宗肇國ノ初大憲一タヒ定マリ昭ナルコト日星ノ如シ 今ノ時ニ當リ宜ク遺訓ヲ明徴シ皇家ノ成典ヲ制立シ以テ丕基ヲ永遠ニ鞏固ニスヘシ 此処ニ枢密顧問ノ諮詢ヲ経 皇室典範ヲ裁定シ朕ガ後嗣及ビ子孫ヲシテ遵守スル所アラシム】

 即ち、皇室典範とは、神武肇国以来明らかに定まっている皇家の遺訓を成典にしたものであり、「法律」ではなく、「天皇家の家訓」であるというのが正しく、それを臣民である政治家やインチキ有識者如きが論ずることが不敬の極み。

「天皇」は天皇であって制度ではない。また「天皇制」とは共産党の造語である。「譲位」ではなく「退位」も同じく共産主義の言葉であり、そういう共産主義の反天皇運動に与する菅直人が皇室会議に入るとは何事か。

 安倍亡国内閣は、退位法案が可決され皇室典範にその旨を付帯した。種子法廃止法案の成立然り、保守を標榜する安倍が就任して以降、神武肇国から続く万世一系の皇統や国柄が破壊されつつあることは決して杞憂ではあるまい。

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2017年11月17日

社会的欠陥を是正することに勇敢であらねばならない

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 GHQに因る占領統治が終わり、我が国が主権回復した約3年後の昭和30年11月15日、日本民主党と自由党が合併し「自由民主党」が誕生した。

 党是は「自主憲法制定」何故に自主憲法制定を目指したのかといえば、占領下にまで遡る。現憲法の公布は昭和21(1946)年11月3日。

 我が国が占領下だった昭和25(1950)年6月25日、北朝鮮が突如として南朝鮮(韓国)に侵攻する。

 これを機に同じ民族同士が相討つ戦争となり、1953年7月27日の休戦に至るまで数百万人が犠牲となる大惨事となった。

 朝鮮戦争が勃発するとマッカーサーは吉田茂首相に、国内警察力と海上警備力の強化を促す書簡を送る。所謂「マッカーサー書簡(文書)」というものである。

 これはマッカーサーが実質、日本国憲法の破棄を促したものだが、吉田は日本国憲法の改正は行わないことを明言した。

 当時の吉田の判断により、我が国が米国に利用され、朝鮮戦争やベトナム戦争に駆り出されなかったのは事実だろう。

 だが、朝鮮戦争を機に憲法を破棄し旧帝国憲法に戻していれば、安保関連法案など未だに続く不毛空論の議論が繰り返されることはなかっただろう。

 我が国の主権回復は昭和27年4月28日。だが朝鮮戦争はその翌年まで続いていたことで、憲法改正の機を失った。

 昭和30年になって、国内では日本国憲法の見直しなどの機運が高まり、鳩山一郎の「日本民主党」と吉田茂の「自由党」が合併し「自由民主党」が誕生する。

 現自民党が掲げる新綱領では「自主憲法の制定」ではなく「新憲法の制定」を謳い、そして「高い志をもった日本人を育む」として次の様に明記されている。

【私たちは、国民一人ひとりが、人間としての普遍的規範を身につけ、社会の基本となる家族の絆を大切に、国を愛し地域を愛し、共に支え合うという強い自覚が共有できるよう努めます。そのために教育基本法を改正するとともに、教育に対して惜しみなく資源を配分し、日本人に生まれたことに誇りがもてる、国際感覚豊かな志高い日本人を育む教育をめざします】

 安倍首相がやるべきことは、教育の無償化などという代物ではなく、「日本人に生まれたことに誇りが持てる、国際感覚豊かな志高い日本人を育む教育を目指す」ことであり、「世界一安心・安全な社会を創る」という党綱領の実行である。

 また自民党の「立党宣言」にはこう綴られてある。

【社会的欠陥を是正することに勇敢であらねばならない。われらは暴力と破壊、革命と独裁を政治手段とするすべての勢力又は思想をあくまで排撃し祖国再建の大業に邁進せんとするものである】

 自民党よ、そして自民党員よ、保守政党や保守派を自任するならば今こそ立党精神に立ち返り、過去の容共的愚策の実行という過ちを糺すと共に、共産主義を行政権と連結せしめようとするあらゆる企画、あらゆる行動とすべからく対峙すべし。

 ってか、無理だわな(苦笑)

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2017年11月16日

横綱・日馬富士、平幕力士をビール瓶で殴打!?

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 横綱・日馬富士が先月下旬、巡業先の鳥取県内で開かれたモンゴル人力士らの酒席で、後輩力士の貴ノ岩にビール瓶で殴るなどの傷害事件を起こしてたことが発覚した。大相撲ファンの一人として非常に残念なことだと思う。

 日馬富士の傷害事件が十月下旬なのに相撲協会のこの対応の遅れは何なのだろう。過去の力士へのしごきに因る暴行致死事件や、朝青龍の暴行事件などの教訓が活かされていないのは危機管理の無さの現れでもある。

 それにしても、酒が入ってる時にビール瓶で殴られたら普段より血が流れる。愚生の場合、所属していた団体の事務所で支部長にオールドパーの角で頭を殴られた先輩の出血が尋常ではなかったことを思い出した(笑)

 テレビや新聞では、日馬富士の酒癖の悪さばかりが報じられているが、事件の発端は長幼の序や礼節に欠けていた貴ノ岩や、そうした相撲界の昔からの仕来りを指導する親方や協会にも責任は在ると感じる。

 最近の相撲協会は営利優先からチケットの販売や相撲人気を高めようと、日本の国技というよりも単なるスポーツイベントの様相を呈していて、稽古も然ることながら角界の常識を教える場が足らないのではなかろうか。

 下積みが長ければそうした事は自然と覚えるだろうが、入門して直ぐに頭角を現す力士というのは親方や周りもチヤホヤして甘やかしがちになる。

 力士も勝てさえすれば好いという感じで、横綱が張り差しや、変化なども平気でやる様な不様な取り組みも目に付く。上に立つ者がこういう相撲を取っていれば、下位の者も先輩や上位力士への尊敬も薄れるのは確かだろう。

 日馬富士が怒るのは組織に居た人間なら分かるし、愚生も態度の悪い後輩に苦言を呈し、言っても分からないヤツには実力行使して本能に教えた。

 上の者が話してる途中でスマホを弄れば怒られるのは当然だし、貴ノ岩が日馬富士ら横綱に向かって「もうあなたちの時代は終わった」と言ったということも報じられてるし、諫めようとした日馬富士の気持ちも理解出来る。

 だが、意見するにしても、尊敬されていなければ聞く耳は持たないということを日馬富士には理解出来ず、身体が先に反応してしまったのだろう。

 今どきの若者といえばそれまでだが、要は、貴ノ岩の礼節の無さ、長幼の序の欠落というより、日馬富士の人徳の無さに尽きる。

 人に意見してその人の欠点を直す』ということは大切なことであり、慈悲の心とも言える。ただ、それが受け入れられなければ悪戯に人に恥をかかせ、悪口を言うだけの事と同じ結果になってしまうのだ。

「意見というものは先ず、その人がそれを受け入れられるかどうかを見極め、相手と親しくなり、何時も信用する様な状態で仕向ける処から始めなければならない。言い方なども工夫し、時節を考え、自分の失敗談等を話しながら、余計な事を言わなくても思い当たる様に仕向けるのが良い。先ずは良い処を褒めて気分を引き立てる様に心を砕き、そうした上で欠点を直すというのが意見というものである」とは「葉隠」の教えである。

 大相撲は歌舞伎と同様、閉じられた社会で磨き上げられ、鍛えられた伝統文化である。明治維新で「断髪令」が発せられても丁髷の伝統を貫き、戦後もずっと表彰式で国歌「君が代」を斉唱し国技を自称して来た。

 この「保守の牙城」でもある大相撲を潰したい勢力は存在してる訳で、日馬富士も相撲という仕事への敬意があれば酒に呑まれることは無かっただろう。

 横綱としての自覚に欠けていたことは事実で、正に不徳の致すところ。横綱という前に一人の男の誇りと名誉の為に即刻引退した方が好い。

 マスコミや国民は横綱に、力士の最高の地位としての品格や礼節を求めるが、ならば政治とは最高の倫理であり、最高の道徳であるならば、即刻引退しなきゃならない政治家はわんさといるな。呵呵大笑。

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2017年11月15日

安倍亡国政府、現憲法を理由に譲位儀式の簡素化を検討!

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 安倍亡国政府は、畏れ多くも天皇譲位を謀った上に、現憲法に抵触する恐れがあると譲位の儀式を簡素な形式で執り行う方向で検討に入った。

 簡素化する理由を、譲位の際に陛下の命令でもある「宣命(せんみょう)」が、天皇の政治的な関与を禁じた憲法第4条違反に問われかねないからだと説明しているが、畏れ多くも天皇は憲法以前の御存在である。

「天皇の政治的関与」とはどういうことか。陛下の国会の開会式への御臨席、国会の解散と国会の召集、大臣への認証、その他、の御公務や各種式典、民間行事等への御臨席も全てが政治的関与の一貫ではないか。

 譲位儀式の簡素化は、恰も陛下の御意向であるかの様に謀っているが、陛下が重要視されている「祭祀」の簡素化や取止めなどを講じて来た宮内庁幹部の反天皇運動の一環であり、正に国賊の所業である。

 現憲法や現皇室典範に瑕疵があることが明白な中で、皇位継承や国事行為を語ることに違和感を覚える国民は少なくない。

 GHQは国體破壊の目論みで現憲法を与え、皇室典範の改悪を謀った。そうした中で宮内庁は「譲位は一代限り」「一部分の改正に留める」などとの詭弁を弄しているが、その実は現皇室典範を現憲法同様に正当化するものである。

「譲位」ではなく「退位」という言葉を使用してることをしても、政府中枢や宮内庁に入り込んだ共産主義者による反天皇運動は根深い。

 歴代天皇が古来より司って来た祭事は、現憲法によって天皇家の「私事」になってしまい、現皇室典範には「大嘗祭」の規定は存在しない。つまり、皇太子殿下が即位する際に行われる即位の儀式である大嘗祭も憲法違反に問われかねない。

 現憲法は歴史的な国家としての継続された「祭祀」に関する天皇の役割を否定し、天皇の「国事行為」のみで「公的行為」は明文化されていない。

 大嘗祭も皇室の公的行事であり、政府がこれを主催することは現憲法を無視した違法行為として、反天皇運動を謀る共産主義者らが騒ぎ立てるだろう。

 どちらにせよ、反天皇運動を謀る連中が納得する訳はなく、こういう雑音を排し、伝統に則った儀式を採り行い、陛下の大御心に報いよ。

 現憲法を有り難がり、GHQが謀った占領政策の一つである「神道指令」に怯え、「皇室典範に退位の儀式に関する規定はない」として、大化の改新から伝承された「宣命」の儀式を採り止めるとは何事か。

 皇統断絶勢力に与する宮内庁幹部らは、陛下の国事行為の御負担の軽減というまやかしの大義名分を振り翳し、重要な祭事である「暁の儀」の取り止めや代拝や拝礼のみという簡素化を謀って来た。

 如何にも陛下の高齢や体調を慮った様な世論誘導による「退位」こそ反天皇運動の極みであり、神武肇国から続く万世一系の皇統が平成の世の共産主義者らの策謀に因って断絶の危機の序章になる可能性は少なくない。

 明治憲法並びに明治皇室典範こそが我が国の正統な国法である。安易な憲法改正は明治憲法への復元・改正を限りなく不可能にするものであり、現皇室典範下で行われる儀式は我が国の正統性を限りなく損なうものだ。

 皇室の家訓である皇室典範は直ちに陛下へ奉還せよ。

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2017年11月14日

ステーキなんぞより茶屋で芸者遊びに興じた方がトランプもさぞかし喜んだだろう(笑)

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 安倍首相はトランプ大統領とゴルフを愉しみ、昼にハンバーガーを、夜は銀座の高級鉄板焼きを振る舞ったというが、そんなステーキなんぞより高級料亭や茶屋で芸者遊びに興じた方がトランプもさぞかし喜んだだろう(笑)

 今どきの政治家が接待で料亭を使うものなら「料亭政治」などと批判されるのがオチだろうが、政治家が小者になったのは、ゴルフやキャバクラ、SMバーだとか小者の遊びしか知らなくなった所為でもある(笑)

 同じタマころがしでも夜のタマころがしの方が好い。いつの時代でも重要な決め事というのは、夜の会合や座敷で決められることの方が断然多い。

 芸者遊びというが、単に酒を呑んで芸者と遊ぶというものではなく、極上の酒と料理、持て成す方も一流なら客も粋さが無ければダメだ。

 この花柳界(かりゅうかい)を「はなやぎかい」と読んだりする時代だもの、花柳界の用語なんて知らなければ、興味もないか。でも日本の伝統でもあり、文化でもあり知ってて損はないだろう。

 例えば「花街(かがい)」とは芸者町のこと。 置屋と料亭の営業を許可された地域で、「はなまち」ではなく「かがい」と読むのが正しい。

「(お)出先き」は芸者の入る待合、料理屋のことをいう。京都で「(お)茶屋」と呼ばれる場所がそうだ。

 格式のある茶屋とか銀座の高級クラブというのは「一見(いちげん)」さんお断り。つまり、初めての客は入れない。馴染みの芸者や担当のホステスを持つというのは一流を目指すなら必要不可欠なことでもある。

 芸者には「自前」といって「看板」(営業権)を持って独立している妓と、「抱っ子」と呼ばれる使用人の妓がいる。

 東京では「芸者」、関西では「芸子(げいこ)」。因みに「芸妓(げいぎ)」は、明治以降の法令文書等に使われていた書き言葉。

「半玉(はんぎょく)」とは芸子(芸妓)の見習いで修行段階の者を指し、東京や関東地域での年少芸妓の呼称。京都では「舞妓(まいこ)」と呼ぶ。

「お座つき(おざつき)」「お座敷をつける」とは宴席に入っている芸者衆が、お座敷の途中で披露する季節の踊りや小唄振りなどの踊りのこと。 演目の予約を受けて特別に見せる出し物は「余興」と言われる。

 芸者が寝泊まりしている家を「芸者屋」といい、芸者が寝泊まりしないで、そこに籍を置いて通って来る店を「置屋(おきや)」とされている。

 京都などの確りした土地には「見番(けんばん)」という組合事務所が在り、芸者も出先きも、その進退や「玉代」の精算などはこの見番を通す仕組みになっていて、芸者が出先きでトラブルがあると「籍止め」される。

「玉代(ぎょくだい)」とは芸者を呼ぶのにかかる料金で「花代(はなだい)」ともいう。 江戸時代に「線香何本分」と、線香の燃える時間を目安にした名残から、年配の芸者は今でも「線香代」と言うこともある様だ。

「出」の着物というのは芸者の正装で裾を引いてるものがそうだ。その裾を広げて上に載せての性行為が「孔雀の舞い」といい、帯を締めたまま行為に及ぶのが「コブ巻き」など色々な隠語がある。

 座敷で直ぐに「転ぶ(寝る)」芸者は「不見転(みずてん)芸者」といって、いい玉ではない。銀座でも「特攻隊」などと呼ばれているホステスがいるが、まぁ愚生的には嫌いじゃない(笑)

「お茶っ挽(ぴ)き」とはよく飲み屋で聞くが、暇な芸者がお茶の葉を臼で挽かされたことが語源で、暇な事を意味する。

「幇間(ほうかん)」とは宴席で主や客の機嫌を取り、自ら芸を見せ、更に芸者(半玉、舞妓)を助けて場を盛り上げる専門職。所謂、太鼓持ちのこと。

 最近は政治家の世界でも相手の顔色を窺って機嫌を取るのに必死なのがいるが、安倍のトランプへの諂いぶりは正に幇間そのものだった。呵呵大笑。

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2017年11月13日

終身保険に入ってて「一日一生」ってのもどうなのよ(笑)

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「覆水盆に返らず」という言葉がある。原義は「一度別れた夫婦は元には戻らない」という意味。なってしまったことは悔やんでも仕方ない。くよくよしてみたところでどうにもならないということだ。

 イエス・キリストは「一日のことは一日にて足れり」と言う。つまりは「一日主義」、カッコいい言葉でいうと「一日一生」。右翼人には「一日一生」とカッコつけながら終身保険に入ってるなんてのも多いですが(笑)

 今日のことは今日、全力を挙げてやり通す。昨日のことは過ぎたことと諦めて今日一日に全力を尽くす。明日からのことを思い煩ってる場合でもない。

「杞人の憂い」という言葉がある。意味は「昔、杞の国の人が年中心配ばかりしていた。天が落ちて来たらどうしよう。地が裂けたらどうしようという具合に、大袈裟な心配ばかりして暮らしていた」ということから「杞憂(きゆう)」という。

 現実に有り得ないことを大袈裟に心配していることを「杞憂」という。要は「取り越し苦労」ということだ。

 失敗や体験したことを思索したり考えを廻らすことは好いが「馬鹿の考え休みに似たり」とか「案ずるより産むが易し」ともいう様に、考えたところで好い案が浮かばないなら時間の無駄でしかない。

 悩みなんぞ自分が考えてるよりも重いものでもなく、意外とどうにかなるものだ。悩みも「不幸は幸福の源泉」と思えば道は必ず拓ける。

 難問題が山積みで、幾ら考えても打開策が見出せないのならば、パ~っと酒でも呑んで寝てしまうのが好い。陽気に飲んで騒いで寝てしまえば、翌朝には案外と好い案が浮かんで来るというのはよくあることだ。

「何かやらなければ」「何か考えなければ」と焦っていると、余計に解決策が浮かばないものだ。便所や風呂で一息ついてる時やふとした時に、「何か閃いた」なんてことはよくあることだ。

 悩みや壁にぶち当たったと思ったら慌てないこと。失敗してもくよくよしないことが大事。こうしたことは試練というより、人生の好い勉強だと思えばいい。悪いことなどそうは続かないものなのだから。

「これを転機に、俺の人生もいい方向へ向かうのだ」と言い聞かせて努力前進することこそが大事なことでもある。

「男はつらいよ」の歌に「男というもの辛いもの、顔で笑って、顔で笑って腹で泣く、腹で泣く」という一節があるが、アレは好い。

 辛い時、泣きたい時には笑うに限る。その笑いは、クスッとニヤケたものではなく、高笑い。この高笑いに男の甲斐性を垣間見る。

 因みに「ニヤケ」とは「若男」と書く。本来の意味は、男が艶めかしい様子をすること。男色の相手をいう。または肛門を指す。そう、ニヤケるというのはゲイやホモがその笑顔を見て勘違いしてるかもよ。呵呵大笑。

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2017年11月12日

情けは人の為ならず 巡り巡って己が為

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「情けは人の為ならず」という格言を「情けをかけることは、結局その人の為にならない」という意味だと思っている者が多い。だが「情けは人の為ならず」には「巡り巡って己が為」と続く。ここまで教えれば間違えることはない。

「借りたカネは忘れるな!貸したカネは忘れろ!」とは田中角栄。角さんはカネを借りに来た人にはその貸すカネにプラスして渡したという。

「くれたと思ったらそれは死に金。余分に渡すことでそのカネが生きたカネとなる」という信念を持っていた。田中角栄の政治家としての正否はどうあれ、あれだけの気遣いを出来る男というのはそうはいない。

 料亭政治の先駆けともいうべき政治家だが、飲む際には女将や料理人は勿論のこと、仲居や下足番にまで「心づけ」を渡した。その際には必ず「ありがとう」の言葉を添えたという。

 その昔、池波正太郎の「男の作法」を読んで、鮨屋や食事の作法、書かれてる一挙手一投足を真似したいと思ったもので、都内の老舗を始め池波正太郎が通ったという店にも随分と通ったものだ。銀座数寄屋通りのクラブにも行ったなぁ(笑)

「男の作法」は、今の時代には合わない個所もあるが、三十代までには読んでおくべき名著だと思う。

 池波正太郎の書生だった佐藤隆介も池波直伝の「男の心得」を著しているが、アレも中々面白い。何事も尊敬する人や好きな人の仕草、立ち居振る舞いを真似てみるというのも大事なことだと思う。

 心づけでいうと、鬼平犯科帳の長谷川平蔵の何気ない渡し方が完璧で、アレは池波正太郎の普段の姿をダブらせたものだろう。

 鬼平犯科帳の処世術は実に参考になる。例えば、礼金にしても「相手が恐縮する程の金を渡さなければ意味はない」というのには刮目した。

 愚生の周りには、世話になりながらボランティアだと思っている人や、僅かな礼金で事を済ませ様とする輩が多いが、過分な礼金を払うことで相手への感謝と敬う気持ちが伝わるのだと思うが如何だろう(笑)

 愚生も長谷川平蔵や角さんほどの真似は出来ないが、慢性的不如意でも財布にはポチ袋を3個ほどは持ち歩く様にはしている。

 何処の店でも渡す訳ではないが、雰囲気が好い店や、接客などが丁寧な店では勘定した後にコソっと渡す様にはしている。

 心づけを渡したくもない店もあるし、渡しても何も感じ入ることのない感謝に乏しい店も在るのも確かで、そんな店には足が遠退き、店も寂れる。

 高が「心づけ」だが、意外に渡すのは難しいもので、これを偉そうにではなく、何気に渡すことが出来ればもう男としても飲兵衛としても一丁前だ。

「お釣りは要らないよ!」とか、これ見よがしにチップを渡している社長さんなどを見かけるが、アレは野暮、不粋というもの。

 釣り銭は有難く貰った後で、別に準備しておいたポチ袋に入れた心づけを手渡す、これが好い。喩え千円、二千円の僅かな心づけでも悪い気はしない。

 心づけは相手に対しての感謝の記しと気遣いでもあるが、後々自分に戻ってくるものなのだ。一見で行った店でも、裏を返した(次に行った)際には此方を覚えていてくれるし、つまみの一品二品、気を遣ってくれたりもする。

「情けは人の為ならず」ではないが、その心づけという気遣いや気配り、感謝の気持ちが「巡り巡って己が為」となって返ってくる。

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2017年11月11日

昭和19年11月8日、神風特別攻撃隊に続いて回天特攻が実戦に投入された

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 昭和19年11月8日、神風特別攻撃隊に続いて回天特攻が実戦に投入された。祖国を守る為に死を決意して志願した特攻精神は正に祖国愛の極致である。

「菊水隊」の12基が、山口県の大津島基地から敵主力基地が在る西カロリン諸島のウルシー泊地とパラオに停泊中の敵艦隊を目指して出撃した。

 回天は搭乗員1名が魚雷を操縦して必中を期す、所謂「人間魚雷」で、出撃すれば生きて還ることはない。特攻艇の搭乗員は、航空隊員であった学徒兵や予科練習生などが中心だった。

 特攻艇には、小型の合板製高速モーターボートの船内艇首部に炸薬を搭載し、目標艦艇に体当たり攻撃を敢行する特攻艇「震洋」というものもあった。

 特攻作戦では神風特別攻撃隊を始めとして、様々な作戦に因り3972名もの若者が尊い命を捧げた。現在の我が国の平和や繁栄は、あの時代に生きた純真無垢な若者の尊い犠牲の上にあることを我々は決して忘れてはならない。

 昭和20年4月1日、米軍はついに沖縄に上陸。それを迎え撃つ牛島満中将指揮下の師団と旅団、及び大田実海軍少将指揮下の海軍部隊、棚町整海軍大佐が指揮する約7千人の航空関係員、更には、「鉄血勤皇隊」や「ひめゆり学徒隊」に代表される少年少女など、軍官民は決死の防衛戦を展開した。

 本土からは、戦艦大和を始めとする第二艦隊の出撃「菊水一号作戦」や、桜花隊や敷島隊等の航空特攻「菊水二号作戦」を発動、更には「回天」等の特攻作戦を展開するも決死の戦闘空しく、同年6月23日組織的沖縄戦は終結した。

 沖縄戦では特殊潜航艇、回天魚雷、空挺特攻、対戦車特攻、震洋特攻艇、陸軍海上特攻などの特攻部隊が重要な役割を果たし、鹿屋基地(海軍航空)からの特攻で1981名、知覧基地(陸軍航空)からの特攻で実に1036名が散華された。この数は特攻戦死者3972名の実に76%に当たる。

 沖縄では未だに「日本は沖縄を見捨てた」だとか「日本は沖縄を捨石にした」「日本軍は沖縄の敵」などというプロパガンダが蔓延っているが、いい加減県民も被害者意識を捨て歴史の事実に目を向けたらどうだろう。

 回天を四基搭載した「伊三七潜」が爆雷により悲惨な最期を遂げ、日本軍約1万1千人が玉砕したパラオに二年前、天皇皇后両陛下が行幸啓遊ばされ御霊を鎮められた。特攻作戦を始め、南洋のパラオで草生す屍となった英霊と遺族にとっての感激と光栄これに優るものはなかった。

 数年前、戦跡慰霊を兼ね九州を放浪した。長崎県佐世保の上田崇仁先輩の車で諫早へ向かう途中、南方からの引き揚げ者が降り立ったという川棚町南風港に立ち寄り、この地から出撃した回天特攻の慰霊碑に首を垂れた。

 その後は、鹿児島県の万世、知覧の二つの特攻平和記念館を訪れて英霊に感謝の誠を捧げ、宮崎では、畏友に回天特攻の訓練地だった南郷湾内に建つ慰霊碑に案内された。慰霊碑から望む湾の光景を忘れることはない。

 この涙悲しく 留まりて零るることなし。合掌。

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2017年11月10日

食べ物を大事にしないということは命を大事にしていないこと同じ

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「食べ物を大事にしないということは命を大事にしていないこと同じ」との某老女性料理家の言葉を思い出す。食を軽んじるということは、命を軽んじることに繋がるというのは何となく理解出来る。

 箸をまともに握れないのも、鯔のつまり、食というものを軽んじ、腹に押し込めば好いくらいにしか考えていないからだろう。

 愚生も料理は好きでジャンルは問わず色々作る。自己流だが料理はストレス解消にもなるし、コンビニやファミリーレストランとかの化学調味料だらけの食べ物よりは美味しいし健康的だと思っている。

 レトルト食品やインスタントラーメンでも、ちょっとでも美味しく食べようと工夫してみることは脳の活性化にも好い。

 美味しいという味覚は、やはり美味しい料理を知らなけりゃダメで、それには偶には食べ歩きをしなきゃセンスは磨かれまい。

 毎日、安い外食をするなら、自宅でおにぎりや弁当を作って持っていけば昼飯代は浮くし、それが500円なら一週間で3500円になる。3500円あれば寿司にしろ贅沢な昼飯を食べられるだろう。

 そうやって自分に投資して、自分を高めに置こうとする努力は若い頃には必要で、貯金なんぞ30~40歳から考えれば好い。

 始めて会う人の嗜好は、その人が行く料理屋で分かるし、食事の作法でその人が育った環境や人となりが窺い知ることが出来る。

 別に安くても好い焼鳥屋や酒場とかは在るもので、それを初対面でいきなり大手居酒屋チェーンなんかに連れてかれたら興醒めだし、そんな大人と付き合っても意味はない。

 男子たるもの贔屓の店の2.3軒は無くてはならないし、行きつけのバーや好きなジンの銘柄くらい知ってて損はない。

 始めて行く様な高級料理屋に行ったところで、見せかけだけの上っ面だけでその人の人となりなんぞ分かるまい。

 特に女性がその男性を知りたいなら、馴染みの店に連れてって貰うことだ。その男性に対する店側の対応やその人の嗜好や振舞いを観察すれば凡そのことは知ることが出来るだろう。

 男女の仲は価値観が似ているというのが好いが、食の好みが合うというのが一番。性の相性なんぞ若い頃だけで、SEXしてるうちは本物の夫婦愛ではない。子供が出来たら仕事とSEXは家庭に持ち込むな(笑)

「これが最後の食事だと思って食べろ」とは池波正太郎。やはり「食」は一期一会、真剣勝負であらねばならないのだ。

 愚生の人生も終盤に差しかかった。これからの残りの人生でどれだけの「食」に出会うか知らないが、「これが最後の食事かも」との人生観を以て清々しく生きて行きたいものである。

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2017年11月09日

韓国政府、晩餐会に元UN専属の慰安婦を招待し竹島産の海老を提供(失笑)

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 韓国政府主催の晩餐会に元慰安婦が招待され、竹島(韓国名・独島)の名前を冠した「独島エビ」を提供したという。

 韓国というのは何故にこうも国際的常識が欠落しているのだろう。それ程までに日本が難いなら、米国の意向なんぞ関係なしに、日本との国交を断絶すれば好かろう。日本との国交断絶は我が国にとっては願ったり叶ったり。

 慰安婦という元売春婦を晩餐会に招待し、然も日本軍に騙された可哀想なオモニ達なんだということをアピールしたかったのだろうが、1951年から61年にかけ「東亜日報」にUN軍相手の慰安婦募集の記事が載っている。

 韓国に駐留する国連軍に韓国が国家として慰安婦の提供をしていた事実を報じたものだが、韓国こそ国ぐるみで他国の軍隊に慰安婦を斡旋している。

 今回招待された元慰安婦の婆さんは88歳だという。戦後72年経つが、つまりこの婆さんは15歳より前から慰安婦だったということだが、ということは日本の軍人ではなく、戦後のUN軍や米兵相手の慰安婦じゃね~の(苦笑)

 慰安婦がトランプにハグをし、トランプも応じる。トランプもまさかこの婆さんが元売春婦だとは思ってもみなかったのではあるまいか(笑)

 トランプの隣で文在寅が満面の笑みでしてやったりの顔をしていたが、己らの無知と厚顔さを世界にアピールした様なものだろう。そうした恥を、恥と思わないところが韓国人の人となり、性悪さを現している。

 晩餐会の料理は激辛の朝鮮料理ではなく宮廷料理が提供された。竹島産の海老はチャプチェで提供されたというが、画像では茹でただけの様に見える。まあ、変な調理をするくらいならシンプルな茹で海老が美味しい(笑)

 元々朝鮮半島というのは支那の支配下に在り、李氏朝鮮の創設者・李成桂は明の武将。手柄を立て朝鮮半島を譲り受けた。従って、中国料理の流れを汲む宮廷料理が本来の韓国料理で、激辛の唐辛子を使った料理は日本の影響が大きい。

 文字も古くは韓国内では漢字が使用され、ハングルは使用禁止。このハングルを朝鮮民族の文化だとして復活させたのは福沢諭吉ら日本の先人達だ。

 支那の属国だった韓国が、習近平やトランプへの二股主義を採るのは当然で、我が国は日米同盟を重視すれば好いだけで、日米韓となれば別な話し。韓国が対北朝鮮に対して足並みを乱すなら、韓国はスパイ国と見做し同盟国から排除すべき。

 万が一、北朝鮮が韓国に軍事侵攻し、核攻撃という事態になれば朝鮮半島から多くの難民という密入国者が押し寄せるだろうが、戦後の悪しき前例を教訓に、人道的措置ではなく、難民救済は断固として拒否するべきだだろう。

 それにしても、未だに慰安婦は日本からの無心の打ち出の小槌の如くカネになると思っているが、「ライダイハン問題」を抱えながら、ベトナムに対して謝罪も補償もしない韓国に、慰安婦問題で我が国を責める資格など無い。

 嘗て「反共」を国是とした朴正煕政権下では、ベトナムでのこうした蛮行も犯罪ではなく英雄的行為とされた。共産主義者との戦いと弾圧は熾烈さを増した厳しいもので、女性子供であろうが情けは無用との認識だったのだ。

 韓国が日本の残虐性をアピールしようと慰安婦問題を取り上げる度に、韓国がベトナム人に行った残虐行為と破廉恥行為が世界に広まって行く。

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2017年11月08日

更なる米国依存、更なる米国への忠誠を示す安倍亡国内閣

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 来日中のトランプ大統領との日米首脳会談が迎賓館で行われ、対北朝鮮への圧力強化や対日赤字解消の為に米国製武器の購入で合意し、安倍も自慢げに「嘗てないほど、日米関係の絆が深まった」と悦に入る。

 戦後、領土防衛という大本を米国に依存し、まやかしの平和を享受して来た我が国が、今更、米国抜きで対北朝鮮や対中、対韓外交をやれる筈もなく、歪ではあるが日米軍事同盟というカタチには異論はない。

 反米右翼は日米安保条約の即時解消を訴え、対米自立を叫んでいるが、日清・日露や第二次世界大戦時にも日英同盟や日独伊三国同盟などもあった訳で、軍事戦略上は日米同盟も間違ってはいない。

 安保条約に基いて米軍が日本国内に駐留しようが、米軍によって日本という国柄が壊されることはない。

 それよりも、モリカケ問題の陰で可決された「主要農産物種子法廃止法案(種子法廃止法案)」並びに「農業競争力強化支援法」や、戦後、米国が謀った対日弱体化工作の方が遥かに問題だ。

 確かにヤルタポツダム体制打倒は訴えてはいるが、都会に住んでるからか彼らの口から我が国の農業が語られることはなく、国柄の崩壊を招く「種子法廃止法案」や「農業競争力強化支援法」より、出来もしない領土防衛に主眼を置く。

 国家の大本は「国防」と「教育」であるが、国防とは単に領土主権の防衛のみならず、未来永劫護り抜かねばならぬ民族、宗教、言語、歴史、価値観、習慣、制度を護り抜くことであり、畢竟、それは皇統を死守することだ。

 自衛隊を巨大な警察機構として存在を明らかにするのではなく、皇統を護る上でも国軍とすべきであり、国軍とは皇軍で在らねばならないのだ。

 教育にしてもカネの分配ばかりで教育の中身が論じられることが無く、米国製の教育委員会を有り難がり、戦後教育の誤りを一向に改めようともしない。

 教育荒廃の元凶である日教組も、日本国憲法 28条の労働基本権の理念に基き制定された「労働三法(労働組合法、労働基準法、労働調整法)」に従って設立したものだが、これも米国に因る策謀である。

「労働者の保護」という目的で労使関係を規定し対等的労使関係の基礎となっているが、その実は、労働三法に因って守られた労働者によるストライキによって日本企業の生産低下を狙ったものというのが真意だった。

 だが、その結果は嗤えることに、全国に労働組合が乱立し、米国が作った法律で守られた労働者らが、あろうことか今では「反米」「反基地」を唱える始末で、労働三法は反米闘争の闘士を育ててしまうという皮肉な結果となった。

「飼い犬に手を咬まれる」とはこのことだろう(笑)

 その昔、親米右翼の大日本愛国党総裁・赤尾敏は「アメリカは日本の番犬だ。番犬にはエサは必要で、いい番犬ほど金はかかるものだ」とアジっていたのを思い出す。今やその番犬も高齢となり、ヨボヨボでボケ始め、エサばかり欲しがってる。飼い犬に噛まれてからではもう遅い(笑)

 米国という国は何事も自分達の利益だけを考える国であり、喩え今日の夕刻までは友人であっても明日の朝にはもう敵となってしまっても、それを少しも不条理とも不道徳とも恥とも思わぬ国だ。まあそれが国益というものでもあるが(笑)

 トランプが安倍を友人であると持ち上げるのは、それが米国(自分)の為に有利であるからで、日米安保条約も米国にとってアジアの戦略上、日本という国と地域が必要なだけで、その他の如何なる大義名分も付けたりに過ぎない。

 安倍が、トランプの御機嫌を採る為に米国製の武器を購入するのは勝手だが、米国への忠誠として我が国が古来より培ってきた種子を廃止して米国に丸投げし、米国企業の参入を謀ったことは万死に値する。

 豊葦原瑞穂の国という国柄が崩壊する危険性を孕んでいる種子法の廃止を、日米同盟の為に何故にそこまでやる必要があるのだ。安倍がやってることは単に米国依存体制の強化であり、米国への更なる忠誠、否、対米追従に他ならない。

 いつまでも「米国のポチ」であってはならないが、かといって中共の犬はもっと酷い。ポチはまだペットだが、中共の犬は食用犬だろう(苦笑)

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2017年11月07日

大体「右(right)」というのは、ヨーロッパの言葉では「正しい」という意味なんだから(笑)

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 正統右翼浪人を気取り、由無し事を徒然なるままに偉そうに綴ってはいるが、大学卒業以来就職もせずにいる単なるプータローに過ぎない。

 中学時代に右翼に興味を持ち、高校時代に国士舘大学三年生で国防青年体の廣瀬某が当時の首相だった大平正芳の殺人未遂事件を起こし、翌日の新聞に「インスタント右翼」などと揶揄した記事がデカデカと載った。

 この事件で国士舘大学~右翼団体に入ろうと決意。出来ることなら総会屋にも興味があり、出来ることなら、当時、愚連隊右翼で総会屋の世界でも名を馳せていた防共挺身隊に入隊したいとも思っていた。

「縁は異なもの味なもの」とはよく言ったもので、入学するといつも同じ授業に出席してるフケてるおっさんがいた。名前は上田崇仁、皇族の様な名前だが工学部の四年生で、防共挺身隊羽田支部の隊員だった。

 この上田が愚生の右翼人生を決定付けた張本人といっても好いだろう。その上田は四年で卒業出来ずに中退し、故郷の長崎で実家の建設会社に就職。その後は地元の町会議員にもなった。

 愚生も死んだ親父には「政治に興味があるなら天野光晴(元建設相)の秘書でもやって勉強すれば市会議員くらいにはなれんだぞ」と諭されもしたが、その頃は幼い正義感もあって右翼こそが真の日本人だと確信していた。

 まあ、右翼団体に入ってみたら、それこそヤクザにもなれないハンパものばかり。総会屋になる夢も大学四年生の時に商法が改正され頓挫。時代といえばそれまでだが、運の無さは生まれもってのものだろう(笑)

 それでも人生なんぞ短いもので、一旦決めたことは何があろうが遣り抜こうと決心し、団体は辞したが現在に至る。

 現在の右翼の世界は頭でっかちというか、志士を気取りながら安定した生活を追う様になって面白味が無くなった。昔の愚連隊時代に戻って欲しいものだと思っているが、このままじゃ右翼そのものが淘汰されて行くだろう。

 そういやその昔、三島由紀夫は右翼についてこう語っている。

「筋の通ったことを言えば、皆右翼と言われる。大体『右』というのは、ヨーロッパの言葉では『正しい』という意味なんだから(笑)」

「右翼」というと、日本ではイコールヤクザとかバカと捉えられる。ネット右翼の連中は我こそが愛国者なるぞと、既成右翼を「朝鮮右翼」と詰るが、右翼を批判する連中が右翼というものを真に理解していないからそうなる。

 三島でなくても「オーライ(all right)」は、「よろしい」とか「差し支えはない」「任せろ」という意味になる。要は、全ての日本人が右翼になれば、正しくて好ましい国になるということか(笑)

 まあ、簡単にプータローというが、愚生のこの慢性的不如意と多額の借金を気にしたら普通の人なら自殺するだろうな。そういう意味では、理論武装というよりも日々精神的鍛錬を実践している様なものか。呵呵大笑。

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2017年11月06日

「十五夜」は知ってても「十六夜」というのは余り知られてはい

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 何も用事なければ夜の8時には寝て4時前後に起きる。最近は日の出が遅いので明るくなるまで布団の中でスマートフォンを弄っていることもある(笑)

 こうした生活を「早いですね!」「健康的ですね」などと嗤われもするが、10時に寝て6時に起きる人と睡眠時間は同じだろう。古来、暗くなれば一日が終わり、日の出と共に一日が始まるというのが日本人の生活だった。

 遅くまで起きてて、くだらないニュースやテレビを観ては悲歌慷慨している人がいるが、だったら見なきゃ好いのにとも思う(笑)

 反原発派や自称自主避難者らは愚生を見倣って、早寝早起きして無駄な消費電力を減らす努力を実践すべき。序に言わせてば「少子化対策」も、早寝早起きというか強制停電すれば効果絶大に違いない(笑)

 昨夜は「十六夜(じゅうろくや、いざよい)」。十六夜とはその名の通り、十五夜の満月の次の日の月。新月から数えて16日目の月をいう。

 こうした神々しい月を盃に映して月下独酌と浸りたいが外は薄曇り。それよりも昨夜もいつもの様に心地好く酔っ払い早々に寝てしまった(笑)

 秋の満月というのは何処か寂しげで好い。でも、「十五夜」は知ってても十六夜は余り知られていない。十五夜にしても「中秋の名月」ばかりで、他の月にも十五夜はあるが何故か重宝されない。

 十五夜を見た人は十六夜を見ないと、それは「片目月」といって縁起が悪いらしいが、要は十五夜と翌日も酒呑んで愉しめということか(笑)

「天高く馬肥ゆる秋」というが、秋の空気はとても澄んでいて空が高く見える。これは夏に比べて湿度が低く水蒸気が少ないことがその理由。冬も空気も澄んではいるが、月の位置も更に高く気候的にも寒いので外で月を愛でるには不向き。

「実りの秋」という様に、秋は収穫を迎える時期であり、収穫を太陽や月に感謝するという日本人にとって中秋の満月は豊穣の象徴でもあったのだ。

 秋には皇室では収穫を祝う神嘗祭が行われるが、一般家庭でも団子や里芋などを備え、今年の実りに感謝し、宴を催したともの自然に感謝する日本人の現れであり、現代ではそんな風習は消え去り、ハロウィンに現を抜かしている。

 中秋の満月は旧暦の8月15日とされている。今年は10月4日だったが、満月だったのは正式には翌日の10月5日だった。

 昔は、十五夜や十六夜の他にも十九夜、二十三夜、二十六夜などの満月を待ちながら宴を催したという。江戸時代には月を神仏の信仰にした「月待講」というのもあったらしく、宴会好きは日本人のDNAらしい(笑)

 こうしたことでも日本人は太陽だけではなく、月と共に暮していたことが窺い知ることが出来るし、四季折々の季節を愉しんだ。

 旧暦というのは月の満ち欠けで1ヶ月を現した。月が地球の周りを1周するサイクルが29.5日ということで、1ヶ月は29日か30日。つまり、四年に一度の閏年と同じで1年が13月になることもあった。

 明治5年(1872年)、新政府はそれまでの月の満ち欠けを中心にした太陰暦を切り替えて、太陽暦のグレゴリオ暦(西暦)を採用し、当時の12月3日を明治6年の「元日」と決めた。

 月の満ち欠けで表してた旧暦が1ヶ月間が30日や31日、2月に至っては28日で4年に一回は29日と、一年が12ヶ月と決められたのだから大きな混乱や支障が生じただろうことは想像するに余りある。

 月の満ち欠けで1ヶ月を表した旧暦は実に太古の浪漫を感じさせる。現代人も西暦ばかりではなく、月齢などと共に生きるとまた違った日々が見えて来るかも知れない。ってか、それより最近、空を見上げてますか?

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2017年11月05日

武道や芸事の世界では「守・破・離(しゅ・は・り)」の意味を重視する

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 茶人・山内宗二が記した「茶湯年来稽古」というのがある。

「十五ヨリ三十マデ万事ヲ師ニマカスル也。三十ヨリ四十マデハ我ガ分別ヲ出ス。四十ヨリ五十マデ十年間ハ師ト西ヲ東ト違ッテスル也。其ノ内、我流ヲ出シテ上手ノ名ヲトル也。又、五十ヨリ六十マデ十年ノ間ハ師ノ如クスル也。名人ノ所作ヲ万手本ニスル也。七十ニシテ宗易ノ今ノ茶湯ノ風体、名人ノ他ハ無用也」

 凡その意味は、15歳から30歳迄は師の教えを忠実に守り、30歳からは自分なりに思索し、40歳からは師の教えとは逆にやってみる必要があるということ。50歳からは師の如く振る舞うことで己も名人の域になれるということだ。

 この教えの基となっているのが、宗二の師である千利休の「守・破・離」の心である。武道や芸事の世界ではこの「守・破・離」の意味を重視する。

「守(しゅ)」とは「修める」ことであり、師の教えや古からの教えを学び、修行によって技芸を身に付けること。

「破(は)」は、そうした今迄の既存の概念や枠組み、秩序というものを破壊してみること。要は、固定観念を棄てること。

「離(り)」とは、師匠や既存の教えから離れて、自分で思索して自身の型を創造してみること。この新しい発想が未来へ繋がる。

 つまり、伝統を重んじる武道や芸事とあろうと、単に伝統を守り伝えようとするだけでは、結局のところ伝統を守れなくなってしまうということでもある。

 今に伝えられてることは、古より先人が失敗に失敗を積み重ねた中で、思索して厳選して遺したことでもある。

 こうした先人の当時の悩みや困難を少しも考えずに学ぶということは、大きな失敗もせずに近道で辿り着こうとしているということでもあり、そんな楽な修行で好い筈があるまい。

 況してや師の教えだけ学んだところで、師や先人が辿り着いた処からは先へ進むことは出来ないだろう。ここで初めて「破」と「離」が必要となってくる。

「温故知新」という言葉があるが、古きを訪ねて新しきを知るには、やはりそこから突き抜ける努力が必要なのだ。

 伝統に学び、根本的な精神を後世に存続させて行くには、新しい息吹を注入する必要があり、そうすることで伝統が再生し、更なる伝統となって受け継がれて行くのである。伊勢の遷宮である「床若(とこわか)」という教えがそれである。

 唯、闇雲に新しいことをやれば好いというものでもなく、古に学び、習得し、それを確り護るというのが大事。武道や芸事に限らず、何事も確りした土台がなければ、伝統を後世に存続させて行くことは出来ない。

 現在の我が国の政治に欠けているのも古の教えであり、安倍を筆頭に未来志向の新自由主義者ばかり。国家というのは未来が全てではなく、過去を振り返り、そこから学び、未来に生かすことこそ大事。

 正統の保守主義者に於いて時間を体験する仕方は、過去の意味を直視し、その中に価値を見出す発見によって未来を創造して行くものであるが、我が国の保守派の過去というのは精々戦前まで。だから国家観が安っぽくなる。

 我が国の保守派に足らないのは正に守破離の教えである。

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2017年11月04日

「文化の日」は第二の「憲法記念日」と言うのが正しい

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 11月3日は「文化の日」であり、その趣旨は「自由と平和を愛し、文化をすすめる」として制定された祝日である。皇居では文化勲章が下賜され、順次、旭日大綬章などが授与される。全国では文化に功労が著しい方々が叙勲される。

 だが「文化の日」のその実は、昭和21(1946)年に日本国憲法が公布された日であり、第二の「憲法記念日」と言うのが正しい。

 教育勅語を下賜され、教育・文化を重んじた明治天皇を偲び、我が国の文化を奨めるの日なら理解もするが、「自由と平和を愛し、文化をすすめる日」とは正に戦後占領政策の忠実な実行と詭弁以外の何ものでもない。

 憲法前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し・・・」という記述がある。だが「平和を愛する」という感情と現実的に平和を守るというのは違う次元であり、護憲派を筆頭に、現在の我が国の平和は現憲法に因る処が大きいと奉るが、現憲法こそが平和を阻害する元凶となっている。

 日本国憲法は、建前上は日本人自身による新憲法の制定となっているが、事実は大日本帝国憲法(欽定憲法)の改正によって創られたものだ。

「将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スル必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総員三分ノ二以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ス」

 上記の大日本帝国憲法第七十三条により日本人自身が制定したこととなっている。昭和21年11月3日、帝国議会に於いて昭和天皇は次の様に下賜された。 

「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。御名御璽」

 だが、当時、我が国は連合国の占領下に在り、当時の政府にしてみれば不本意ではあるが、米国の様々な条件を呑まざるを得なかったというのが真相であり、現憲法が米国からの「押し付け憲法」と言われる所以でもある。

 本来、11月3日は「天長節」であり、戦前には国民挙って奉祝した日本人の記念日に敢えて現憲法を公布させたということに「未来永劫、大事に奉りなさい」という米国の如何わしい意図が窺える。

 占領統治時代にはこうしたことが度々実行されている。例えば、昭和21年に開廷された「東京裁判」で、所謂「A級戦犯」28名が起訴されたのは、同年4月29日の「天長節」だった。そして、当時の皇太子殿下の誕生日である12月23日を選んで東条英機閣下以下7名の絞首刑が執行された。

 現憲法の発布を明治天皇の誕生日に、そして大東亜戦争の責任を取らされた英霊の死刑執行を現在の天皇誕生日に選んだという事実は、日本人に対し、贖罪意識を植え付ける為のものであることは言うを俟たない。

 こうした事実を知るだけでも、米英を始めとした連合国が如何に非情で無慈悲な、日本人矯正を実行したかが理解出来よう。

 保守派や愛国団体の中には、本日を「明治節」として、明治神宮を参拝し、明治天皇の御遺徳を啓蒙するという行動も見受けられる。

「明治節復活」は異論はないが、果して明治神宮がそれに相応しい神社であるかといえばまたそれも疑問である。

 明治神宮は周知の通り、国民の総意により、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲び創建された神社である。しかし、平成16年に明治神宮は突如として神社本庁から離脱し営利目的から一宗教法人となった。

 明治神宮側は神社庁からの離脱の理由として、平成16年4月、陛下の御親拝なされる際の関係者への案内状に「陛下」を「殿下」と誤記してしまった責任を取って離脱したとしている。

 だが、それは詭弁であり見苦しい言い訳に過ぎず、神社庁での主導権争い確執の末の離脱というのが真相で、これ即ち、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲ぶという本分を忘れ、神社を私物化し、営利至上主義に奔っている証左である。

 全愛国者は戦後占領政策の様々な欺瞞と不条理を検証し、真の主権国家の創造を急ぐと共に天皇国日本を盤石の安きに置く歴史的使命を果たそうではないか。

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2017年11月03日

国の為 たふれし人ぞ あるこそを 今の若人 育ち来らん(山口二矢)

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 11月2日は、日本社会党党首・浅沼稲次郎を刺殺した山口二矢の命日である。生きていれば74歳、麻生太郎財務相より3歳も若い。現在の右翼陣営の低迷を鑑みれば、山口烈士や野村秋介の様な指導者がいないことが悔やまれる。

 天皇国日本を盤石の安きに導く使命を有するのは右翼陣営であり、活動家らを扇動するカリスマ右翼指導者の出現を待望して止まない。

 二矢は、昭和十八年二月二十二日東京生まれ。二男で、二月二十二日生まれと「二」の字が続いたことから、父は「二矢(おとや)」と命名した。崇拝している人物はアドルフ・ヒットラー、児島高徳、西郷隆盛、山鹿素行、吉田松陰。

 昭和34年、二矢は大日本愛国党に入党。だが赤尾総裁のパフォーマンス的運動方針に疑義を感じ、翌年5月に同党先輩だった吉村法俊、中堂利夫らと愛国党を脱党し、防共挺身隊総隊長の福田進を頼り、身を寄せる。

 後に、銀座・鳩居堂の二階に吉村、中堂らと「結成した全アジア反共青年連盟」の事務所を構える。団体の後見人として福田進が資金面などを支援した。浅沼稲次郎刺殺事件後は、吉村・中堂の二人は右翼から退き、後に共に人気作家となった。

 同年10月12日、ニ矢は日比谷公会堂で演説中の浅沼稲次郎を刺殺、現行犯逮捕された。二矢が携行した檄文にはこう認めてあった。

「汝、浅沼稲次郎は日本赤化を謀っている。自分は、汝個人に恨みはないが、社会党の指導的立場にいる者としての責任と、訪中に際しての暴言と、国会乱入の直接の煽動者としての責任からして、汝を許しておくことは出来ない。此処に於て我、汝に対し天誅を下す。皇紀二千六百二十年十月十二日 山口二矢」

 逮捕された二矢は供述録取書にも素直に応じた。

「私の人生観は大義に生きることです。人間必ずや死というものが訪れるものであります。その時、富や権力を信義に恥ずるような方法で得たよりも、たとえ富や権力を得なくても、自己の信念に基づいて生きてきた人生である方が、より有意義であると信じています」

「浅沼委員長を倒すことは日本の為と堅く信じ殺害したのですから、行為については法に触れることではありますが今何も悔いる処はありません。しかし、浅沼委員長は最早故人となった人ですから生前の罪悪を追及する考えは毛頭なく、唯故人の冥福を祈る気持ちであります。又浅沼委員長の家族に対しては、如何なる父、夫であっても情愛に変わりなく、殺害されたことによって悲しい想いで生活をし迷惑を掛けたことは事実ですので、心から家族の方に申し訳ないと思っています」 

 供述調書を取り終えた11月2日未明、東京少年鑑別所の個室で、支給された歯磨き粉で壁に「七生報国天皇陛下万才」と記し、従容として死に就いた。

《辞世》

【国の為 神州男子晴れやかに ほほえみ行かん 死出の旅路】
【大君に 仕えまつれる 若人は 今も昔も 心変わらじ】
【千早ぶる 神の御世代とこしえに 仕えまつらん 大和男子は】
【国の為 たふれし人ぞあるこそを 今の若人 育ち来らん】
【しきしまの 大和男子と生まれなば 進まん道ぞ 一ツなりける】

 テロ行為を否定するが、若し、二矢が警鐘を鳴らさねば日本社会党の勢いは止むことなく、多くの国民が浅沼らの美辞麗句に騙され、社会主義の犠牲者になってただろう。今や日本社会党は消え去り、残党である社民党も風前の灯火。この現実こそが、二矢の憂国の至情が間違いで無かったことの証でもある。

 旧来の思想や社会構造を打破しようとする時には常軌を逸した行動が生まれる。この行動こそが正に正気の狂気である。すめらみこといやさか。

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2017年11月02日

我が国の収穫祭も祝わないのにハロウィンに浮かれてる不思議

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 世の中、何処も彼処もハロウィンが流行している様だが、日本人として何の収穫を祝い、何の悪霊を追い払うのか全く以て意味不明という他はない。

「流行とは本来は病気という意味である」とは蓋し正論。ハロウィンなんぞホントバカげてるとしか言い様がないが、収穫を祝うというより、流行に便乗して仮装パーティで憂さ晴らしをしてると思えば合点も行く。

 10月17日の「神嘗祭(かんなめさい)」は、天皇陛下がその年の新穀を皇祖の天照大御神を祀る伊勢の皇大神宮に奉ら神恩に感謝される大祭であり、我が国の収穫祭である。

 この奉られた新穀を天神地祇に供え、陛下御自身も召し上がる神事が、今月23日の「新嘗祭(にいなめさい)」である。

 GHQの策謀により11月23日は「勤労感謝の日」となってはいるが、その意味は、労働(勤労)に感謝することではない。その勤労によって生み出される農作物を始めとした万物の生産を祝い、神の恵みに感謝するという趣旨である。

 豊葦原瑞穂の国という国柄を考えれば、「勤労感謝の日」というより、「新嘗祭」という名称こそが相応しい。

「種子法廃止」は日本古来の種子の廃止であり、豊葦原瑞穂国という国柄の崩壊の序章であるといえるものだったが、安倍亡国内閣は続いて「農業競争力強化支援法」の成立を謀った。

 種子法は米、麦、大豆など主要農産物の品種改良を国や都道府県の公的研究が行い、良質で安価な種子を農家に安定的に供給してきた法制度であるが、種子法廃止により、日本古来の種子は廃止となり、米国モンサント社の独壇場となる。

「農業競争力強化支援法」という法案が国会を通ったが、これも種苗メーカーであるアグリバイオビジネス企業が農業に参画する出来る為のものであるが、驚くことに外資等の規制はしていない。

 つまり、我が国の公的研究機関が培ったデータが外国資本に提供され、盗用され、特許などが取得される危険を伴うということでもある。

 こうした我が国農業の崩壊と食糧安保の放棄という大問題に、農本主義を重んじるべき右翼民族陣営から抗議の声すら聞こえて来ないのは、ハロウィン同様、米国の戦略に載せられてしまっている証左である。

 日米安保条約には拒否反応を示す連中も、「種子法廃止法案」や「農業競争力強化支援法」には沈黙するのは何故なのか。

 対米自立を訴えるなら、日米安保条約廃棄同様「種子法廃止法案」や「農業競争力強化支援法」の危機感を共有すべし。

「何でもないことは流行に従う。重大なことは道徳に従う。芸術のことは自分に従う」という格言がある。ハロウィンくらいなら未だマシだが、種子法廃止法案や農業競争力強化支援法成立という現実は「何でもないこと」ではない。

 米国で、イスラム原理主義を盲信するテロリストがハロウィンの仮想パレードに車で突入して轢き殺したというテロ事件があったが、これも米国の不正義と傲慢さに耐え難い苦痛を味わってる人々の心の叫びでもあるのだ。

 関係のない一般市民を標的にするテロ行為を正当化することなど出来ないが、そうした一方で、自分勝手な正義を押付け、我が物顔で世界を伸し歩く傲慢不遜な態度を改めない限り、こうしたテロは治まることはないだろう。

 今や米国の自己中心的不正非道に苦しむ非西洋諸国の多くが、米国を唯一最大の外敵であり脅威と考えている。

 圧倒的な軍事力を背景に政治、経済、外交とあらゆる面で強圧的な対外政策を執って来た結果、米国は傲慢となり、世界から反発を招く結果となっている。

 だが、米国自身が「無法者の超大国」だと気付くことは無く、テロ根絶の名の下に更なる弾圧が続けば、悪の連鎖は果てしなく続くだろう。

 あの「9.11同時多発テロ」は、傲慢な米国へのウサマ・ビン・ラディンらによる警鐘乱打であり、米国の不正義の下で呻吟している人々の多くがは9.11テロを涙と歓声で賞賛したことを忘れてはならない。

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2017年11月01日

「天皇を頂く我が国こそが世界の中心である」

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 仏教に「須弥山(しゅみせん)思想」というものがある。須弥山とは世界の中心に聳え立つ高山で、その頂上には帝釈天が住むという世界観である。

 輪廻にかかわる世界全体を表す「三界」と呼ばれる世界の最も上位にある「無色界」の更に最上位の非想非非想天と呼ばれる領域を「有頂天」という。

 我が国の「神国思想」は、この空想的な世界観である須弥山思想を日本に当て嵌めることによって、「天皇を頂く我が国こそが世界の中心である」という教えに導き、人々も日本こそが特別な神の国と信じる様になった。

 鎌倉時代末期、当時、全世界規模で支配力を強めていたモンゴル帝国が日本に襲来した際も、二度の台風によってモンゴル軍を敗走に導いたのは台風を「神の吹かせた風(神風)」と解釈したことで一層流布した。

「神国思想」では、国土を「神州」、国民を「神裔=神の子孫」、国権を「神授=神から委託された権利」というが、国民は神の子として「子が親に孝養を尽くす様に、国民が国に尽くすのは真剣な感情である」との教えに辿り着く。

 教育勅語も正にこの教えであるが、この神国思想を否定する左翼勢力や反皇室活動家らはこうした根本的な教えも拒絶する。

 何故に拒絶するのかといえば先の大戦と神国思想を結び付けてるからだが、これは戦後の米国に因る民主主義教育という洗脳が大きく影響している。

 遡れば、長州閥の明治新政府が、殊更に天皇と「神国思想」を政治的に利用した反動というのも一因に挙げられよう。

「日本は神の国」とする思想は伝統的なもので、「古事記」や「日本書紀」でもこの点を事実として強調している。

 地上とは違う超現実的な世界を想定する神国思想は仏教だけではなく、キリスト教やイスラム教などの教えでもあり人類普遍のものでもある。

 我が国の神国思想は、これらの考えとは一線を画し、「日本という地上世界そのものが神の国である」とする処が特殊である。

 以前、森元総理が「日本は天皇を中心とした神の国」と発言してバッシングを受けて早々に退陣したが、米国でも「日本はアマテラスの神の国」と教えているのに日本ではタブーなのは嗤うしかない(笑)

 明治4年7月、江戸時代の藩を廃止して府県を置く「廃藩置県」が施行され中央集権的統一国家が確立された。因みにこの「県」とは「あがた」と読み、古代の皇室の料地、つまり県とは「神の土地」という意味を持つ。

 現在、地方自治の確立という理由の下で、この「県」を廃止して「道州制」を導入しようという計画が進められている。こうしたことも政府中枢に入り込んだ左翼や反皇室活動家が国柄破壊の為に謀っている気がしてならない。

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