2017年10月

2017年10月31日

ビラ貼りは右翼活動家ならば基本中の基本でビラの内容から多くを学んだ

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 Twitterで懐かしい電柱のビラを見つけた。愚生が所属する前の防共挺身隊の「恐怖!共産政権」のビラである。

 防共挺身隊こそが街宣右翼のパイオニア。現在の軍歌を流すスタイルは、初代総隊長の福田進が都知事選に立候補した際に目立つ方法はないかと「チャンチキおけさ」を流した。それを赤尾敏がパクリ軍歌を流しそれが全国に広がった。

 今でこそ街宣右翼というとそれこそ「朝鮮右翼」と詰られるが、戦後の様々な右翼の活動も知らずして偉そうに語るなっての(爆)

 ビラも愛国党と防共挺身隊の二団体が図抜けていた。日の丸をイメージした愛国党の蘊蓄が書かれてあるビラよりも目立ち、黄色と黒のビラには「このビラを剥がすと憲法19条並びに21条に抵触し罰せられます」との一文にセンスを感じた。 

 ビラ貼りは右翼活動家ならば基本中の基本で、ビラの内容から多くを学んだ。当時は電柱に貼り付けてパクられても3000円程度の科料ということもあり、活動家は競ってビラを貼り、逮捕歴を自慢したものだ(笑)

 最高裁で電柱へのビラ貼りが思想信条の自由と表現の自由であると無罪判決が下されると、東京都を始めとした自治体は条例を制定。それにより罰金も高額となってビラ貼りも廃れて行った。

 昭和40年代から50年代初頭の防共挺身隊のビラは秀逸で、中でも若い女性を洗脳し、共同生活を送っていたイエスの方舟(千石イエス)がバッシングされてる中で、「おっちゃん頑張れ!」とのビラは、信教の自由を侵す護憲派であるマスコミへの痛烈な嫌味だった(笑)

 田中角栄が日中国交を回復し、パンダを友好の証として中共政府から贈られる際には「パンダ一匹200億」とのビラが都内に貼り出された(笑)

 皇族が千葉の御料牧場で狩りに講じていることに国民意識との隔絶を感じ、「国民は飢えておるぞ!」とのビラを貼ると、それによって御料牧場での狩りが控えられることとなったということも耳にした。

 愛国党のビラでも、靖國神社に御親拝しない陛下へ苦言を呈したものもあったと思ったが、そういう意味では最近の自称愛国者や保守派の尊皇も親しみばかりを強調する皇室論も何処か穿違えている様に感じてならない。

 当時のビラの記載責任氏は桶忠(通称・おけちゅー)参謀。桶さんは日大中退のインテリで、愚生が入隊してからも運動の責任者として活動していたが、初代総隊長の引退と共に退いた。

 当時、桶さんは若手右翼活動家として雑誌などにもよく登場していて、座右の書はアドルフ・ヒトラーの「我が闘争」。愚生にもあれは面白いよと言ってたので購入して読んではみたが、さっぱり分からなかったっけ(笑)

 当時の本部道場は世田谷区砧に在り、本部に住み込んでた先輩の同郷には後にたけし軍団に入るガダルカナルタカやつまみ枝豆が居候してた時期もある。

 初代総隊長が引退して二代目体制になり、桶さんの後継に川口支部のKさんが行動隊長として運動の責任者に就いていたが資金が渇し先細りに。

 二代目の早坂光夫総隊長の下、後に三代目総隊長となる對馬則政が行動隊長に就くと、愚生の下に「運動の責任者として週に二日、やってくれないか」と声が掛かり、毎週木・金曜日に官公庁への抗議と新橋駅前での街頭演説を始める。

 この時、愚生31歳。その後行動隊長を経て総隊長代行、49歳の時に四代目総隊長に就くも前任者周辺との蟠りもあって間もなく除籍になった。その後は郡山市で蟄居しつつ、正統右翼浪人として右翼の在るべき姿を追及している。

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2017年10月30日

殉職自衛隊員を靖國神社に合祀する議論を進めよ!

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 安倍首相は28日、防衛省市ヶ谷駐屯地内での自衛隊殉職隊員追悼式に参列し「強い使命感と責任感を持ち、職務の遂行に全身全霊を捧げた皆様は国の誇りだ。遺志を受け継ぎ、国民の命と平和な暮らしを守り抜く」と追悼の辞を述べた。

 だが、国民の命と平和な暮らしを守るのは自衛隊ではなく警察の仕事であり、悲しい哉、その「国の誇り」である自衛隊は未だに違憲の存在である。

 平成10年、防衛省の六本木から市ヶ谷への移転に伴い、敷地内に自衛隊殉職者慰霊碑が建立され、毎年、御遺族、内閣総理大臣、防衛大臣以下高級幹部などが参列し追悼式が行われている。

 防衛省はその性格上、一般国民が足を踏み入れることは出来ない。だが、国家国民を護る為に殉職された自衛隊員に感謝の誠を捧げ、如何にして慰霊と顕彰を行うべきか、我々は考えたことがあるだろうか。

 昭和25年8月9日の警察予備隊発足以来、東日本大震災を始めとした災害派遣や我が国の平和と独立、国民の生命財産を守る為に日夜行われている訓練で1870名もの自衛官が殉職されていることを知っているだろうか。

 昨年は、陸上自衛隊員14名、海上自衛隊員が11名が訓練中に亡くなっている。先日も海上自衛隊鹿屋基地所属の小型ヘリコプターが墜落し3名が死亡。昨日も訓練中に行方不明になっていた第16普通科連隊の隊員が遺体で発見された。

 北朝鮮の核武装と朝鮮半島の混乱と緊張、中共の覇権的海洋進出と日米安保の形骸化など、我が国周辺の安全保障環境は益々厳しいものとなりつつある現代に於いて、一旦緩急の有事やそれに伴う自衛隊員の犠牲などを想定して万全の体制を整えるのが政治の務めであろう。

 防衛大臣が、南スーダンでの戦闘行為を武力衝突だと誤魔化して、また日頃から自衛隊に感謝もしない共産党やクソ野党が日報隠蔽を殊更論い如何にも自衛隊員の安全を慮った物言いは正に党利党略の詭弁でしかなく、こんな国民不在の不毛の議論をしている場合ではないのだ。 

 近い将来、アジアや世界の平和・安定の為に、自衛官の「戦死」が生じた場合、彼らを慰霊し顕彰するのはやはり「靖國神社」を於いて他にない。

 然し乍ら、英霊の靖國神社への合祀をも反対する勢力が自衛隊員の靖國合祀に賛成する筈もなく、仮に自衛隊殉職者慰霊碑を千鳥ヶ淵墓苑に移そうものなら、そこが新たな追悼施設にされる危険性を孕んでいる。

 国軍や軍人へ敬意を払うことは世界の常識であるが、我が国は未だ平和ボケの真っ只中。そうした常識が欠落し、与党も野党も自衛隊に感謝や敬意をするどころか自衛権をも否定しているクソ憲法を国民不在の政争の道具に利用し続ける。

 我が国と国民の精神的貧困の元凶は日本国憲法である。

 今こそ、国防をも否定する亡国憲法を破棄し、国民の生命財産と安全な生活を守る為に日夜活躍している自衛隊を国軍としてその存在と必要性を明確にすると共に、誤謬に満ちたこの国の陋習を糺さなくてはならない。

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2017年10月29日

死というものは人に平等に与えられたもので悲しいものではない

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 極楽浄土や天国なんてのは釈迦牟尼やキリストが死への恐怖を取り除く為の嘘だ。人間死んだら終わり。全てが「無」だと思っている。

 極楽浄土とは現世に在り。だからこそ自分の持っているものを惜しみなく与え、悩んでいる者や、自分より劣る者、難渋している者を如何に助けてあげるかが大事で、それこそが極楽浄土だと思っている。

 死というものは人に平等に与えられたもので悲しいものではない。別れも宿命であり、運命なのだから現実を諒として受け入れれば好いだけの話し。

 宮本武蔵の「独行道」に「いづれの道にもわかれ(別れ)をかなし(悲し)まず」という一条が記されてある。「何れの道にも別れを悲しまず」というと、血も涙も無い冷血漢だったのだろうかも思ってしまうが、そこは違うだろう。

 酒を嫌いな人が「我、酒を絶つ」とか、タバコを吸わない者が「タバコを絶つ」などとは書かないし、書いても意味もない。

「飲みたい」「吸いたい」と思うが、これを止めようと自分に誓願した者だけが「絶つ」と言ってこそ他人に訴え、響くものがあるのではないか。

 そう思う時、武蔵は寧ろ人一倍感情豊かな熱血漢であり、別離に人並み以上の涙を流しながら涙を見せまいと努力した男だったに違いない。

 また武蔵の兵法書に「山水三千世界を万里一空に入れ、満天地とも攬(と)る」という教えがある。武蔵が修業の中で確立した思想の根本でもある。

「万里一空(ばんりいっくう)」とは「世界はどこまでいっても空は一つ」「全てのものは一つの世界に留まっている」という考え方である。

 解釈としては「何事も動揺せずに、常に冷静な気持ちで事に当たること」「一つの目標に向かって精進すること」との意味だ。

 何か事が起これば冷静さなど忘れ右往左往。大したことのないことに怯えてる様子はこの心境とは程遠い。何事も成る様にしかならないのだから、身構えず自然体で、間合いというのが大事ということだ。

 斯くいう愚生も右翼浪人を気取り、時局に一喜一憂し、聞き齧った様な私感を尤もらしく披歴しているが、目先のことを語ることや、正体不明の輩との喧々諤々の議論なんぞに何の意味もない。

 天地自然や人間の大道を心得え、時の動きに従いつつも正義を踏み外さず、眼前に起こる危機に際しても平時と同様に対処出来る心構えと行動力を涵養することこそ、男の修業の極致というものである。

 また「人事を尽くして天命を待つ」というが、人事を尽くせば好い事が待っているとも限らない。ってか、思ってる様な結果にならないのが殆どだ。

 そうやって誰もが死んでいく。愚生の場合、死んだら「無」だと思っているし、葬式はやらず、仏教徒でもないので戒名なんぞ必要ない。愚妻には、死に顔は誰にも見せないで棺桶を閉じて早々に焼いてくれと伝えている。

「年忌法要」や「偲ぶ会」などもやって欲しくないので身内や友人らにも申し入れしている。守らないヤツには化けて出るつもりだ(笑)

 愚妻や倅だけに言ってたところで、日頃付き合いもない親族や知人から「何でやらないんだ」と文句を言われるだろうから、親戚や知人にも予め言っているが、追追、文書(最後について)で伝えておこうと思っている。

 仏教徒ではないが般若心経くらいは諳んじられる。中でも最後の「羯諦(ギャーテー)羯諦(ギャーテー)波羅羯諦(ハラギャーテー)波羅僧羯諦(ハラソーギャーテー)菩提薩婆訶(ボージーソワカ)般若心経」というラップ調の響きが好きだ。聞いてても、唱えていても心地好い(笑)

 意味は「さぁ皆一緒に真の幸せの世界に行こうではないか」という呼びかけだが、死の世界から戻った者はおらず、意外と好い世界なのかもよ。呵呵大笑。

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2017年10月28日

これを一大転機として 我が一億皇民の心構えを一回転せずんば 正に何れの時を期すべきぞ(徳富蘇峰)

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 麻生太郎副総裁兼財務相が、先の総選挙の結果について「北朝鮮のおかげもある」と述べたことが問題にされている。

 新聞のタイトルでは作為的に「北朝鮮のおかげ」と(も)を消して断定されて書かれているが、よくよく読めば「不適切な発言だと指摘を受ける可能性もある」との予想記事というか野党に質問して貰いたいのだろう(笑)

 緊迫する朝鮮半島情勢の中で党利党略に明け暮れて、安倍批判とモリカケ問題ばかりを叫んでる野党に国を任せることなど出来ないと思うのは当たり前。その結果が自民党の大勝だった訳で、これつまり北朝鮮のお陰でもある。

 希望の党の小池代表は、前原民進党と合流する上で「安全保障と憲法観」で選別したというが、どう見ても安全保障を真剣に訴えてたとは思えない。

 願って希望の党の公認を貰っておきながら、選挙結果を受けて、縋った小池を吊るし上げてるのを見てると、小池が「排除」したのが悪いというより、小池の排除の仕方が全く足らなかったとしか思えない(笑)

 相変わらず政界は全くといって好いほど緊張感が見えない。出来ることなら我が国に北朝鮮のミサイルが一発撃ち込んで欲しいものだ(笑)

 昭和20年正月の毎日新聞に、国民の厭戦(えんせん)気分を嘆く徳富蘇峰(とくとみそほう)の記事が掲載された。

 厭戦とは戦争を嫌うこと。今で言うところの「反戦・平和」の思想である。

 徳富蘇峰とは、民友社を創立し「国民之友」「国民新聞」を刊行。第二次世界大戦期には大日本言論報国会会長となる。著書の中でも「近世日本国民史」は日本人必読の書といえる名著である。

 思想家としても多くの金言を遺している。中でも「忙しいとは怠け者の遁辞である」は愚生のお気に入りの格言の一つでもある。

 毎日新聞の昭和20年の正月に掲載された論説は「国民の気持ちを引き締めるには東京に爆弾が落とされた方がいい」との内容だった。

「これを一大転機として、我が一億皇民の心構えを一回転せずんば、正に何れの時を期すべきぞ」

 当時は痛罵されたというが、隻眼ともいえる記事だろう。それに比べて「北朝鮮のおかげ」だとの記事を書いてる記者の御粗末さに厭きれるばかり。

 現在の我が国も、北朝鮮や中共から一発喰らう様な大きな衝撃がなければ、我が一億皇民の心構えを一回転することはなく、平和を愛する諸国民も保身ばかりの政治家共も、戦後の惰眠から目覚めることが出来ないのではなかろうか。

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2017年10月27日

「主要農産物種子法廃止法案(種子法廃止法案)」は豊葦原瑞穂国という国柄崩壊の序章である

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 戦後の日本は米国の経済戦略に乗せられ、資本主義や自由主義こそが正義であるかの様に洗脳された。これはある意味、戦後民主教育を受けた者が自虐史観から目覚めないのとどっこいどっこいなのだ。

 現在の我が国は、豊葦原瑞穂の国の誇りも何処へやら。農耕民族としての自覚を喪失し、「農」をも営利至上主義で勘定し、最早「農本主義」などは国民の殆どが理解していない。

 我が国は戦後GHQの策謀によって、農本主義的国家観は排除され、大輸出国の米国の戦略に嵌ったまま、米国の価値観が我が国の価値感だと錯覚してしまった。

 その典型といえるものが「モリカケ問題」の陰で成立した「主要農産物種子法廃止法案(種子法廃止法案)」である。この法案は、別名「モンサント法案」とも言われていることは余り知られていない。

 種子法は米、麦、大豆など主要農産物の品種改良を国や都道府県の公的研究が行い、良質で安価な種子を農家に安定的に供給してきた法制度である。

 モンサント社は拙ブログでも度々登場しているが、ベトナム戦争に於いて枯葉剤「エージェント・オレンジ」を開発し「ダイオキシン」を撒き散らした世界最大のバイオ化学会社である。

 この法案により、我が国は米国というかモンサントに食料を依存することになるが、つまり、種子を輸入する国が不作になった場合や種子の売り控えということになれば我が国の農業そのものが崩壊するという危険を孕んでいる。

 つまり、我が国の農業はモンサントに握られてしまったということで、モンサントと提携する前経団連会長で住友化学工業の米倉弘昌は正に売国奴。こうした経済界の策謀に与した安倍もまた一蓮托生である。

「種子法廃止」は日本古来の種子の廃止であり、食の安全と食料安全保障を廃止すると同じであり、畢竟、豊葦原瑞穂国という国柄の崩壊の序章であるといえるものだったが、何故か保守派や自称愛国者らも「モリカケ問題」ばかりだった。

 更には追加法案として「農業競争力強化支援法」という法案が国会を通ったが、これも種苗メーカーであるアグリバイオビジネス企業が農業に参画する出来る為のものであるが、驚くことに外資等の規制はしていない。

 つまり、我が国の公的研究機関が培ったデータが外国資本に提供され、盗用され、特許などが取得される危険を伴うということでもある。

 軍事的安全保障でも自立出来ず、食料安保でも自立出来ず、我が国の農業をも他国に委ねる御粗末さで果たして真の独立国家といえるのだろうか。

 現在の日本の食料自給率はカロリベースで38%。農水省は生産額ベースで68%と誤魔化すが、それでも深刻な数字だ。我々は米国主導の市場原理というものに身を委ねているうちに、日本人としての大切な基盤を喪失してしまったのだ。

 同じ島国の英国ですらカロリーベースで70%を超える。独国は約90%、仏国と米国は120%を超える。こうした国々は、農業への保護政策が行われているのもあるが、「農は国の本」ということを自覚しているからである。

 政府は、減反制度を見直し、米生産拡大によって競争力を強化する方向へ入り、「消費者のニーズに対応した農協を創り、所得倍増を目指したい」と表明してる。だが、消費者のニーズとは一体何なのか。

 スーパーで安かろう不味かろう米や値段が安いからと輸入物を買い漁る姿が、消費者のニーズとはとても思えない。

「グローバル経済」とか「農業改革」とは、自国の文化や歴史を置き去りにせずきちんと捉え、文化などを伝承しながら他国の文化も理解して行かなければ意味はなく、その前に先ずは日本人の文化でもある箸使いを徹底して教えたら如何か。 

 日本人なら箸の作法までとは言わないまでも箸の持ち方くらい徹底すべきだと思っているが、安倍首相を筆頭に箸使い一つ出来ない人が氾濫していることは、日本文化の崩壊の序章であると言っても過言ではない。

 豊葦原瑞穂の国に生まれた者として、米を主食にした正しい食卓を再興することは大事なこと。食文化の乱れが箸使いにも表れてるなら、ごはんを主役にした食卓を再興することが大事なのではないかと考える。

 因みに、箸をきちんと握れないというのは幼い頃に楽して覚えてしまったからで、要は親に甘やかされた裏返し(笑)

 ということで、箸使いもロクに出来ない貴方が、我が国の将来を憂いて立派な事を言ったところで真実味はありませんよ。呵呵。

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2017年10月26日

迷故三界城 悟故十方空 本来無東西 何処有南北(無着道忠禅師)

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 修行の仕方には色々あるのだろうが、手っ取り早いのは歩くことだと思っている。兎に角歩く。30分、1時間とかではなく半日くらい歩く。

 初めこそ歩きながら頭に過った由無し事をあれやこれやと考えるが、そのうち考えることも忘れて無心になる一瞬がある。これも座禅でいうところの無の境地というものなのではあるまいか。

 四国巡礼のお遍路が人気で、寺を回って御朱印集めが目的の様になってるが、歩くことで過去の自分と向き合い、あれやこれやと想いを巡らせているうちに歩くことに集中しそれが修行となる。

 四国巡礼のお遍路が被る笠には次の言葉が書かれてある。

 迷故三界城 (迷うが故に三界は城なり)
 悟故十方空 (悟るが故に十方は空なり)
 本来無東西 (本来東西は無く)
 何処有南北 (何処んぞ南北有らんや)無着道忠禅師

 同行二人

 その意味は「迷いがあるから、まるで城に閉じ込められているかの如く愚劣な考えに縛られて自らを苦しめている。悟りを得ると大宇宙の如く自由自在な境地を得ることが出来る。この世には本来、東も西もない。拘りを捨て、ゆったりと世の中を渡って行こう」。「同行二人」とは、いつも弘法大師と共にあるということ。

「徒然草」三十八段には「名利に使われて、閑かなる暇もなく、一生を苦しむこそ、愚かなれ。財多ければ、身を守るにまどし。害を買い、累を招く媒なり。身の後には、金をして北斗をささふとも、人のためにぞわづらはさるべき。愚かなる人の目をよろこばしむる楽しみ、またあぢきなし。利に惑ふは、すぐれて愚かなる人なり」とある。

 その意味は「世俗的な名声とか地位とか財産とかに身も心も使われて、心静かにゆったりと生活を楽しむ余裕もなく、一生あくせくと暮らすなど実に愚かなことだ。財産が多いとそれだけ身を守らねばならず、面倒な煩いを招くもととなる。例え死んだ後でも残された遺族たちは財産分与で揉めるだけだ。そんな愚かな人々の為に自慢したところで、それもまたつまらないことだ。利欲に惑うことは最も愚かな人である」という訓えである。

 また「葉隠」には「自分は寝ることが好きだ。だから、今の境遇に合わせて、家に閉篭り、寝て暮らそうと考えている」との一節がある。

 こうしたことを真似している訳ではないが、団体を辞して以来、家に閉篭って、成るが儘に身を委ねている。簡単に蟄居というが、働きもせずに浪人として生きていくことは他人が考えるよりかなりの修行だと思っている(笑)

 最近は山歩きも御無沙汰だが、山を歩いてると苦しい中にも何かを感じることがある。一人で野営し、当たり前ではない日常をたった一日過ごしただけでも日々の見え方が違うし、例えば布団で寝れるという当たり前なことが有り難くも感じる。

 渓流釣りでもそうだが、愉しい中にも崖を攀じ登ったり激流を超えたりと、苦しさがあるからこそ実に清々しい気持ちになる。

 これもまた、自然の偉大さを感じながらも自然と対峙することで「無の境地」に近付くからではあるまいか。来月からはワカサギ釣りが解禁されるが、座ったままで単純な動作を繰り返すあの釣りもまた修行に近い(笑)

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2017年10月25日

小池の「排除」発言を利用した立憲民主党や左翼マスコミ

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 政策無き野党の間隙を突いた安倍の絶妙ともいえる解散だったが、希望の党が旗揚げし、そこに民主党合流で俄かに雲行きが怪しくなるも、小池のナイスフォローというか、安全保障と憲法観という踏み絵によって民進党内左派の焙り出しに成功し、これが結果的に安倍自民党を有利にした。

 小池を批判する声が多いが、別に側近の若狭勝が負けたくらいで実力ある議員は当選してる訳で、マスコミが騒ぐほどボロ負けしている訳でもなかろう。若狭の惨敗はモリカケ問題を出して安倍批判をし過ぎた自業自得。

 小池の構想は、程程に勝って首班指名に石破茂か野田聖子辺りを推挙して自公連立に揺さぶりをかけ、首相に色気のある石破はこれに飛び付いて自民党を分裂させるという妄想だったのではあるまいか。

 それが、前原が民進党を実質的に解党し合流したことで当初の予定を偏向せざるを得なくなった。また小池も「もしかしたら」という大いなる勘違いをしてしまったというのが真相だろう。

 政権交代するにしても民進党内の左派が邪魔。そういうこともあって「排除します」との発言に至る。この発言が後々選挙に響いたかの様に言われてるのは、立憲民主党や左翼マスコミらがこの言葉を利用したからに他ならない。

 小池を持ち上げ、希望の党こそが自民党に替え得る新党であるかの如くに報じていたマスコミが、党内左翼を「排除する」と言った途端に小池を詰り、枝野らこそが「筋を通した」などと転じたのは立憲民主党にシンパシーを感じたからだ。

 小池を批判する前に、先ずは党内を纏めることなく合流を決めた前原の軽挙妄動こそ批判されるべきで、解党せずに民進党として戦っていれば自民党の批判の受け皿としてそこそこ勝ってただろうし、野党再編が進んだかも知れない。

 要は、解散は安倍の傲慢ともいえるもので時期尚早かと思えたが、その後の野党のドタバタ劇で、安倍の当初の目論み通りに事が進んだということで、安倍の強運はここでも発揮されたカタチになった。

 県内の五選挙区は自民党が三勝、無所属二勝。無所属二人の内の一人は三区の玄葉光一郎で、もう一人は一区の金子恵美。金子は実質的には立憲民主党で、共産党が候補者擁立を見送り、社民党の支持を得て自民党候補者に勝利した。

 金子や支持者ら反原発派らは、復旧・復興での安倍自民党の対応を批判していたが、批判されるべきは当時の民主党政権であり、己が推薦を受けた立憲民主党の枝野や菅直人だろう。こんなことに騙される福島県民って大丈夫か。

 東京電力福島第一原発事故は、民主党政権下で起こった人災である。当時、官房長官だった枝野は根拠のない「強制避難命令」を発令した張本人。「立憲民主党が躍進」などと持ち上げられて本人も調子に乗ってるが、福島県民の多くは安倍よりも枝野ら旧民主党への拒否反応は大きい。

 事故後、枝野は「直ちに人命に関わる影響は無い」と頻りに放射線の被害の沈静化を謀ったが、本人は現場視察で重装備していたのは忘れていない(笑)

 地震発生5時間後には燃料の損傷が始まり、16時間後には燃料の殆どが原子炉圧力容器の底に溶け落ちたにも係わらず、菅は翌日、颯爽と福島原発を訪れる訳だが、その時、既に原発構内ではメルトダウンの危機に瀕していたのだ。

 震災前、国会で外国人からの不法献金を糺され四面楚歌だった菅は、事故を利用し現場視察のパフォーマンスを強行し、起死回生の一発勝負に出た。この現場視察が、現場の対応に要らぬ混乱を招き、被害が拡大したことは明らかだった。

 東電側では、東日本大震災当日から炉心溶融という「最悪のシナリオ」を予測していたが、菅が強く望んだ現地視察によって、事故後に即座に取るべき「ベント」と呼ばれる応急措置などが遅れ、それに因って建屋が吹き飛んだ。

 当時の民主党政権は、報道規制を敷いて国民には安全であるかの様に偽装した。事故直後にメルトダウンを起こしていながら、民主党政権下で「メルトダウン」を発表したのは、事故後、ナント二ヶ月も経ってからだった。

 事故後、民主党政権下で発令された科学的根拠もない「半径20キロ圏内」という「強制避難命令」によって、双葉病院の重篤な入院患者が退避の為に連れ廻され、結果、数十人の命が亡くなったのを忘れてはいないか。

 放射線の健康被害を避ける為に退避命令を出したつもりが、科学的根拠のない要らぬ避難命令で逆に命を奪ってしまった訳だが、これは民主党政権下で行われた殺人行為だったといっても過言ではない。

 菅の現場視察強行や、SPEDDIの数値隠蔽に因る強制避難や無意味な除染作業など、復旧と復興の遅れは民主党政権下での愚策が尾を引いている。

 なのに何故か、菅も枝野も民主党も叩かれずに安倍が批判され、その枝野の推薦を受けた金子恵美が当選するという不思議さにホトホト厭きれるばかり。

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2017年10月24日

同じ志を共有する政党、政治家と連携し「道義国家・日本」を創造せよ!

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 総選挙の結果は選挙前の世論調査の予想通り自民党の圧勝、自公連立で3/2を超える与党安定多数の構図は変わることがなかった。

 総選挙前、マスコミ各社は「希望の党」を持ち上げ、政権選択選挙と煽るも、小池のオウンゴールで政権選択とは程遠い野党選別の選挙となった。

 希望の党がダメだと見るや、マスコミは「立憲民主党」を野党第一党に躍進すると持ち上げて、反自民勢力の結集を呼びかける。

「自民党圧勝」を連日報じ判官贔屓効果を狙うも、過去の民主党政権に騙された有権者はそうした作為的報道に騙されることはなかった。

 新聞には「立憲民主党躍進」とのタイトルが躍るが、改選前、民進党の議席は88議席。内56名が希望の党、残りが無所属と立憲民主党に分裂。

 要は、改選前99議席(希望の党所属議員含)だった議席数が、希望の党49名、立憲民主党54名の103名となり、改選前より4名殖えたに過ぎず、「立憲民主党躍進」というのはチョッと大袈裟だろう。共産党惨敗は間違いないが(笑)

 小池を批判する声が多いというが、小池は始めから政権奪取は考えてはいなかっただろう。そこそこ勝って、自民党に影響を与えられれば好し程度だったのが、前原らが勝手に合流し日本新党ブームの再来を妄想しただけのこと。

 合流する上で小池が「安全保障と憲法観」との条件を出したことで、立憲民主党という左翼勢力を焙り出すことに成功したことをしても功績は大きい(笑)

 保身から希望の党という泥船に飛び乗った議員共は、今後は立憲民主党に流れるだろう。だが、所詮は過去最低数の弱小野党。政策なんぞ二の次で、安倍憎しからギャーギャー騒ぐしか出来ないだろう。

 この自民党圧勝という現実を「信じられない」と嘆いているのは「脱原発」を訴えてるアホ連中だが、愚生には民主党政権下での原発人災事故を忘れて、枝野や菅らを支援しているという方が気が知れない。

 新聞には「改憲勢力増 憲法議論加速」との見出しも見えるが、抑々、公明党は「改憲」には反対の立場であり、「日本が右傾化にならない様に」と表明していることをみても、自公連立がこのまますんなり進むとは思えない。

 今後は、更に分裂するであろう希望の党内の良識派と日本維新の会などの改憲勢力が自民党と連立を組み、公明党が排除されることを願うばかり。

 大体、公明党は戦後民主主義的であり、且つ反天皇や反靖國など反国家的な組織であることをしても自民党というより枝野らとの連帯が似合う。

 この際、反安倍で枝野らと共闘して議席数を半減した共産党も解党し、左派勢力の大結集を呼びかけりゃ好いのに(笑)

 そうなれば、良くも悪くも保守か革新(革新とは程遠く、戦後民主主義的左翼か)かの、小選挙区の理想でもある二大政党制に近付くぞ(嗤)

 小池は合流前「安全保障と憲法観が大事」と宣って民進党左派から顰蹙を買ったが、大事なのは安全保障や憲法観より「国家観」である。

 安倍首相は自公連立に拘らず、国家観と同じ志を共有する政党、政治家と連携し「道義国家・日本」の創造を図って頂きたいものだ。

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2017年10月23日

「JAPAN」は「NIPPON」と表記させるべきではなかろうか

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 多くの日本人は日中関係は「同文同種」とか「一衣帯水」という認識を持ち、「四書五経」のイメージで支那への憧れを膨らませ、忠誠を誓うかの様に「中国」と呼称している。

 だが、日中関係が樹立されたのは20世紀に入ってからであり、未だその関係は100年ほどしか経っていない。

 607年、聖徳太子は小野妹子を隋に派遣し対等外交に踏み切ると、後に蘇我氏を滅ぼした中大兄皇子らが645年「大化の改新」を実現する。

 天智2(663)年、唐・新羅連合軍に攻撃された百済は日本に救援を求めると、我が国はこれに応じて出兵した。これが世にいう「白村江の戦い」である。

 応援に出た日本軍はこの海戦で大敗を喫し、捕虜として捕らえられた。我が国はこの敗戦を機に中華圏との正式な外交を絶つこととなった。

 それから約1200年後の明治4(1871)年、「日清修好条規」を結んだ相手は満州人の清朝であり、支那を支配していたが漢民族の国ではなかった為に、支那との正式な外交は、更に明治45(1915)年の「中華民国」誕生まで待たなければならなかったのだ。

 中華人民共和国は戦後、我が国を属国、朝貢国と見做しており、日本にだけは自分達を世界の真ん中にある「中国」と呼ばせることで「北京が世界の中心だ」ということを暗に認めさせているということだ。

 中共から理不尽な言い掛かりが始まったのは、戦後の混乱期の昭和21年6月に遡る。形式上、連合国の一員で戦勝国であった中国共産党は、その力関係を盾に我が国に「中国」という名を強要した。

 外務省はそれを従順に受け容れ「外務省次官・局長通達」として、「理屈抜きにして先方の嫌がる文字を使わぬこと」と言論機関などにこれを強制し、国民も疑いもなく「中国」を使い続けている。

 尊皇愛国の書として有名な山鹿素行の「中朝事実」では、世の学者の外国(主として漢土)崇拝を批判し、皇統の一貫を根拠に「日本こそ万国に卓越した中華・中国と呼ぶに相応しい国である」と日本主義を主張しているが、「中国」という言葉の一番古い意味は「首都」という意味で「国民国家」を意味するものではない。

 山鹿素行は、陸奥国会津若松城下生まれで「山鹿流軍学の祖」として知られ、江戸時代に於ける武士道の理論を確立した人であり、赤穂浪士の精神的支柱でもあった。素行の談話を筆記した「山鹿語類」は日本人必読の著である。

 愚生は常々「中華人民共和国」を「中国」と呼ぶのは国際的にも間違いで「支那」と呼ぶことが正しいと考えていたが、それは間違いと気付いた。

「支那」は最初の統一王朝「秦」に由来している。「支那」を漢字にしたのは新井白石でイタリア語の「チーナ」を翻訳したもので、岡倉天心は「新」に由来していると説く。新しいことをして支那とはチト飛躍し過ぎだろう(笑)

「支那」とは、易姓革命によって政権・王朝が代わっても、その基底にある大陸の自然・民族・文化を意味する名称として使われてきた国名でもあり、「支那」の二文字には歴史や浪漫や憧憬を感じる言葉である。

 共産党一党独裁の近代国家を「支那」と呼ぶのは実に分不相応。やはり中華人民共和国は共産党一党独裁の「中共」と呼ぶのが相応しい。

 余談だが、日本を「ジャパン」と呼ぶが、本来は「ニッポン」と言うのが正しく、国際会議やオリンピックなどの国際大会などで「JAPAN」との表示は「NIPPON」と表記させるべきではなかろうか。

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2017年10月22日

習近平の一強体制は「安倍一強」どころの話じゃないぞ(笑)

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 先日、中国共産党(中共)大会が開かれ、習近平総書記(国家主席)は軍拡路線を強固にし、「反腐敗」の名の下に政敵を排除抹殺し「一強体制」を盤石にして、毛沢東や鄧小平らに並ぶ個人崇拝を進めるという。

 我が国を見渡せばアホ野党やマスコミは「安倍一強」を頻りに断じるが、安倍が野党を抹殺する訳でもなし、習近平に比べれば可愛いものだろう。

 圧倒的軍事力を備えた「社会主義の現代化」を目指して、米国に伍にする覇権への野望を剥き出しにして東・南シナ海への海洋進出を視野に入れる。

 その上で習近平は「我が国の社会主義制度を否定する一切の言動に断固反対しなければならない」と、共産党一党独裁に批判的な勢力へ敵意を剥き出しにした。これは我が国に向けたものでもある。

 日頃「中国4000年の歴史」などと宣って憚らない中共だが、習近平の演説でも分かる様に高々68年程の歴史しかない新興国なのだ。

 つまり、第二次世界大戦後に建国された一党独裁の中国共産党政権が半世紀以上も続き、戦勝国である国連常任理事国に就いていることに驚く他なく、これ正に世界の珍現象といっていいだろう。

 共産主義や毛沢東理論を最高原理として崇め、神仏という共産主義を超える最高の存在を許さず、人民には信仰の自由や集会、結社、出版、言論等々基本的人権が無いのは言うまでもない。

「満州」「内蒙古」「チベット」「新疆」を侵略し異民族を虐殺、筆舌に尽くし難い弾圧を加えて、共産主義と漢民族化を強制している。

 清朝時代の最大版図を「歴史的領土」とするばかりか、尖閣諸島や東シナ海、南シナ海をも併呑しよう謀るが、武力を以て国土を拡大して来た国は中共一国のみだということを忘れるな。

 そんな国と友好関係を維持しようなどということ自体が抑々の誤り。

「日中平和条約」には「両締結国は、善隣友好の精神に基きかつ平和及び互恵並びに内政に関する相互不干渉の原則に従い両国民の交流促進のため努力する」と踏襲されているが、努力して譲歩し続けてるのは我が国だけだ。

【社会的欠陥を是正することに勇敢であらねばならない。われらは暴力と破壊、革命と独裁を政治手段とするすべての勢力又は思想をあくまで排撃し祖国再建の大業に邁進せんとするものである】

 これは自民党の立党宣言である。自民党が保守政党を自任するならば今こそこの初心でもある立党精神に立ち返り、我が国柄を壊す共産主義とすべからく対峙することこそが主権回復への道であり、日本再生に繋がる。

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2017年10月21日

我が国の戦後体制の諸矛盾や不条理の元凶は長州閥の明治新政府に在る

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 靖國神社で最も重要な祭事は、春秋に執り行われる例大祭。秋季例大祭は10月17日から20日までの4日間で、期間中、清祓・当日祭・第二日祭・第三日祭・直会の諸儀が斎行された。

 春季例大祭と同様、当日祭には天皇陛下の勅使が参向になり、天皇陛下よりの供え物(御幣物)が献じられ、御祭文が奏上される。

 当日祭後は、第二日祭、第三日祭と当日祭同様の祭儀が執り行われ、最終日には、例大祭が無事に終了することを感謝する「直会」が執り行われる。

 終身正会員らが順次招待されるが、愚生は「第二日祭」に呼ばれる。今回は体調が優れず心参ということで許しを乞うた。

 例年、午前10時、宮司以下本殿の座に著き、国学院吹奏楽部による伴奏に合わせ国歌斉唱が奏じられる。様々な式典で国歌斉唱を聴くが、この例大祭での君が代斉唱より敵うものなし。

 權宮司以下により神事が斎行されているが、聞こえるのは小鳥の囀りと宮司の唱える祝詞、そして社頭で参拝する方々の柏手の音。

 その後、国学院大学混声合唱団と共に「鎮魂歌」並びに「靖國神社の歌」を合唱。宮司玉串奉奠に続き、参拝者が本殿に進み拝礼、英霊に感謝の誠を捧げ、そして退出。式典は約1時間で終了。

 華美さはないが実にいい祭礼である。だが、本殿には未だに死者が選別され、賊軍の名の下にその汚名が灌がれることはない。

 靖國神社は明治2年、明治天皇の思し召しにより、「東京招魂社」として建立された神社であることは誰もが知るところ。

 その合祀対象は、三条実美の祭文に明示されている様に「皇軍に役立ちして、賊徒等を討たん其の義に・・・命果てぬる輩」に限られている。

 この三条公の祭文の原則がある限り、また見直さない限り、会津藩や我が二本松藩、或いは西南の役での西郷軍関係者などが祀られることはなく、未来永劫 、西郷軍や東軍は「賊軍」の儘なのだ。

 愚生も大学入学以来、靖國の地は幾度となく詣でているが、先ず赴くのは「鎮霊社」。だが、例大祭の期間はここは閉門されている。いつになったらこの不条理を払拭出来るのであろうか。

 戊辰の役(戦争)では「西軍」と「東軍」は干戈を交えたが、「皇軍」という名の「官軍」と「賊軍」が戦った訳ではない。因みに「賊軍」とは、維新後、明治新政府によって作られた造語である。

 何故に官軍と賊軍になってしまったのか。何故に江戸城開城後もその恨みを抱えた儘に会津や函館を攻め入ったのか。

 歴史に「もし」は無いが、もし、勝海舟が西郷隆盛との会談で江戸城の無血開城を諒としたことを以て徳川幕府が崩壊したのなら、その後の東北や会津での戦いに意味があったとは思えないし、あの時点で止めることが出来ていたならその後の日本も変わっていたかも知れない。

 幕府唯一の神道であった会津が何故に朝敵として責められなければなかったのか、単に蛤御門の変(禁門の変)での敗戦の遺恨であり、とても明治維新が尊王攘夷という大義ある代物とは思えないのだ。

 そんな経緯もあって幕末の偉人の中で勝海舟はどうも好きになれない。福沢諭吉も、約百年前上梓した「やせ我慢の記」で、敵方である薩摩・長州中心の新政府から優遇を受け、大臣や公爵にまで昇りつめた勝海舟らを批判している。

「勝海舟は、只管講和を主張し官軍と一戦も交えず開城したのは要素たる士風を損なった。例え内乱が国家にとって無益大害の極みであっても抵抗するのが武士の意気地ではないか」

 勝が「江戸城開城を以て明治維新は終了し、以後の争いは避けるべし」と諫言出来なかったのは、福沢諭吉ではないが、明治新政府での厚遇を期待していたからだろうは穿ち過ぎではなかろう。榎本武揚も然り。

「榎本武揚は必敗覚悟で五稜郭に立て篭もり官軍に反抗したのは功名といえるが、降伏後に立身出世を志したのはその過去を傷つけるもので、両人共、敵味方のケジメをつけ、野に下ることこそ取るべき道であった」

 福沢諭吉の諫言こそ蓋し正論。現下の我が国を鑑みれば、政治家を筆頭に「義」を守る者が余りにも少なく、私利私欲に狂奔し、カネに群がる不逞の輩ばかりで、精神的貧困の方が深刻と言えよう。

 我が国の戦後体制の諸矛盾や不条理の元凶は、「ヤルタポツダム体制」は然ることながら、勝海舟ら士風を損ねた幕閣共と、遺恨の末の明治開国という大義無き尊王攘夷を謀った長州閥の明治新政府に在ると考える。

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2017年10月20日

昭和19(1944)年10月20日、神風特別攻撃隊が編成された

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 本日は皇后陛下の御生誕日、謹んで御祝詞申し上げます。戦前は「地久節(ちきゅうせつ)」として国民挙って御祝い申し上げた日であります。

「10月20日」という日は臣民として実にめでたい日であるが、歴史的にも我々日本人が決して忘れてはならない特別な日でもある。

 昭和19(1944)年10月20日、フィリピンのレイテ島に圧倒的勢力で上陸を図ろうとする米軍部隊へ、大日本帝国海軍は起死回生の反撃、更には連合軍の沖縄への上陸、本土決戦を阻止する為に大西瀧次郎中将の指令下「神風特別攻撃隊(しんぷうとくべつこうげきたい)」が編成された。

 祖国を守る為に死を決意して志願した特攻精神は祖国愛の極致というべきものであり、「神風精神」こそは大東亜戦争が自存の為の「祖国防衛戦争」だったことの何よりの証である。

 昭和20年4月1日、米軍はついに沖縄に上陸。それを迎え撃つ牛島満中将指揮下の師団と旅団、及び大田実海軍少将指揮下の海軍部隊、棚町整海軍大佐が指揮する約7千人の航空関係員、更には、「鉄血勤皇隊」や「ひめゆり学徒隊」に代表される少年少女など、軍官民は決死の防衛戦を展開した。

 本土からは、戦艦大和を始めとする第二艦隊の出撃「菊水一号作戦」や、桜花隊や敷島隊等の航空特攻「菊水二号作戦」を発動、更には「回天」等の特攻作戦を展開するも決死の戦闘空しく、同年6月23日組織的沖縄戦は終結した。

 この様に、沖縄戦では特攻部隊が重要な役割を果たし、特攻戦死者の実に76%が沖縄戦。鹿屋基地(海軍航空)からの特攻で1981名、知覧基地(陸軍航空)からの特攻で1036名が散華された。

 特攻は航空部隊だけではなく、特殊潜航艇、回天魚雷、空挺特攻、対戦車特攻、震洋特攻艇、陸軍海上特攻など、劣勢を覆す為の特攻作戦でも3972名と、実に多くの若者が祖国日本の為に尊い命を捧げられたのだった。

 特攻作戦をを「無駄死」だとか「可哀想」だとかいう声を散見するが、現在の道徳観や倫理観で生死を語るなど笑止千万。

 我が国の現在の平和や繁栄は、純真無垢な彼らの尊い犠牲の上に成り立ってるということを現代に生きる我々は決して忘れてはならない。

 また平成5年10月20日には、新右翼のカリスマ的指導者だった野村秋介が朝日新聞社で壮絶な死を遂げた。何故にこの日を選んだのか?

「地久節の日に・・・」との声も無い訳ではないが、この日が「特攻作戦と若者の命」という深い意味が込められていたからである。

 理論家であり、行動派であり、押しも強く、幅広い人脈を持つ野村秋介の死は、新右翼に限らず右翼陣営全体にとっても大きな痛手であり、右翼陣営にとって指導者不足という課題が大きく伸しかかっている。

 10月20日というこの日の思いが吾が脳裏に去来する。

 すめらぎいやさか、すめらみこといやさか。

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2017年10月19日

「排除」という言葉を使わなかったら今頃、自民党と競っていた

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 元汚職県知事の佐藤栄佐久の娘婿でもある玄葉光一郎が、希望の党から出馬している福島四区の小熊慎司の応援で「排除という言葉を使わなかったら、今頃、自民党と競っていた」と、ここに至って小池代表への恨み節をぶつけた。

「排除する」という言葉が党勢の低迷の原因だとしているが、小池の目的は端から「政権選択選挙」だとは考えてはおらず、民進党内の左派を追い出すことが目的だったとすれば、玄葉の考えこそは浅はかでしかない。

 抑々、民進党代表選を追えたばかりの前原が、希望の党との合流こそが自民党への対抗措置であると慌てて飛び乗ったことが大きな間違い。

 小池が希望の党の代表に就くも、首相候補として衆院選に出馬しなかったことをしても、小池は政権奪取など毛頭なかっただろうに、前原らが勝手にそう思い込み、小池を勝手に持ち上げて勘違いしただけ。

 小池新党へ一縷の望みを持って民進党を離党した細野豪志や長島昭久、松原仁らが少数で保守政党を目指そうと思っていたところに、そこに割り込んでクソもミソも一緒に公認して貰おうなどとは余りにも都合が好過ぎ。

 世論調査の結果を受けて「こんな筈じゃなかった」と悔やんでるのは、選挙で劣勢が伝えられてい松原仁だろう。松原にしてみりゃ、小池の排除の論理より、前原が合流しクソもミソも一緒になってしまったことだろう(笑)

 民進党を解党せずに民進党として闘っていれば、総選挙後はまた別な新しい政界の流れを創れたかもしれないが、希望の党を選挙互助会にしてしまったのは、前原や玄葉などのそれこそ「しがらみ」が大きい。

 小池が頻りに安倍自民党を批判し「しがらみ政治」だと腐しているが、希望の党こそが政治を生業とする選挙しがらみ互助会でしかない。

 玄葉も今頃になって小池を批判してどうなるというのだ。総選挙後の再分裂を見越してのことなら余りにも有権者をバカにしていないか。

 少なくとも沈没間近な泥船の民進党から真っ先に逃げ出して、希望の党という船に大きな希望を見出したのは確かで、そこも泥船になってしまったのは前原の決断に因るところが大きい。

 小池の排除の論理を詰るのなら、あの時点で合流を解消すれば好かっただけ。選挙に突入し、世論調査の結果を見て泣き言とはホント情けない。

 希望の党に代わり立憲民主党は漁夫の利から野党第一党に就く可能性を秘める。立憲民主党の思想信条は別にして、これは希望の党へ掌を返したクソらと比較して、有権者には枝野らが信念のある政治家に見えてるからだ。

 今回の選挙で分かる様に国民が期待するのは保守の二大政党制であるが、理想と現実は違う。自民党に替わる政権が出来たとしてもそれは小自民党的な政党であり、また共産党やリベラルという名の左翼勢力が消えることはない。

 中庸を重んじ、判官贔屓の強い民族性を考えれば、イエスかノーか的な二者択一の小選挙区制は合わない。比例制を廃止して、例えば愚生の住む福島県なら浜通り、中通り、会津地方といった三選挙区などの大選挙区に直すべきだ。

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2017年10月18日

文科省通達を無視して「子ども」表記を続ける自民党議員(苦笑)

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 文科省は平成26年6月、国会での議論を経て、巷に散見する「子ども」表記を是正する為に、漢字表記の「子供」に統一する通達を出しているが、未だに改められることはなく、マスコミを中心に「子ども」表記を使用し続けている。

 今朝の地元紙の折込に入っていた選挙公報を見てたら、自民党二区の候補者で自民党幹部の根本匠もこの「子ども」表記をしていた。

 恐らくは無自覚左翼の秘書や側近が作成したのだろうが、「子ども」表記を改めていないということは、文部省通達を遵守していないということで、チェックもせずに「政治家は王道を目指せ」という言葉が白々しい。

 その点、日本維新の会から出馬してる西村えみは「子供に明るい未来を!」と、漢字表記にしていることは好感が持てる。

 何気ないことだが、こういう細かい事に気遣いも出来なくて、大きな仕事や、大きな志を達成出来るとは到底思えない。

 左翼やマスコミなどは確信的にこの「子ども」表記を続けているが、自民党の幹部でさえこうなのだから然もありなん。ってか、右翼の大先生と言われてる人でも、疑いもせずに「子ども」使ってるのもチラホラ見かけますが(笑)

 左翼やマスコミらが率先して「子ども」表記を使うのは、「子供」の「供」という字が「お供え物」「お供する」などを連想させ、「差別的な印象を与える」というのがその最たる理由である。

 誰が子供を親へのお供え物だと連想するのか不思議でならないが、そうしたマヌケなことを真顔で実行し、それを疑いもせずに真似てる根本匠を始めとした自民党員や自称・保守派というのもまた嗤うしかない。

 こうした「お供え物」「お供する」などとキチガイ的屁理屈を並べているのは、政府中枢に入り込んだ全共闘世代や共産主義に阿るアホンダラ左翼やジェンダーフリーの性的変質者共であることは言うを俟たない。

 こうした愚策に、保守派であるべき自民党などが違和感を覚えることなくそれらに与し、率先して実践していることは滑稽極まりない。

「子供」と同じ様に「婦人」という言葉も、こうしたキチガイ活動家らの企てによって公文書から消されてしまった漢字の一つだ。

 これは漢字研究者の諸橋轍次(もろはしてつじ)が、後漢の時代に書かれた「説文解字」を紐解いて、「婦人」とは「箒(ほうき)を持って掃除をする女のこと」と紹介したことに始まる。

 前出の性的変質者とキチガイ共が飛び付いて「婦人は差別」だと叫び、抹殺した。しかし、間もなく諸橋轍次の説は全く誤りだと判明する。

 甲骨文字、それに続く金文の研究から「婦人」の「婦」は、「宗廟に酒を捧げ清める高貴な女性の意味」だということが判明する。

 また今は「看護婦」ではなく「看護師」と呼ぶが、この「師」というのは、師団、軍師、派遣、元帥、追撃などに含まれる「追」のツクリは軍隊を派遣する時に食料である肉を分けることが原義だという。

 普段、「平和」「平和」と叫んでいるアホンダラ左翼らが、その意味も分からず、「看護婦」を「看護師」と呼び換えて満足し、無意識のうちに軍隊に起因する漢字を使用していることは実に滑稽でもある。

「男女共同参画社会」というのは、こうした言葉遊びから始まった左翼陣営の共同謀議的愚策であり、国柄の解体を目指している亡国的組織を解体すれば、消費税増税をせずとも教育費や社会保障費、防衛費の予算計上を図れますよ。呵呵。

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2017年10月17日

神嘗祭に日本人としての「農」を考えてみよう!

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 本日は神嘗祭。誠におめでとうございます。

「神嘗祭(かんなめさい)」は、五穀豊穣の感謝祭であり、宮中及び伊勢神宮では祭祀が行われる。古来、旧暦の9月17日に行われて来たが、明治以降は10月17日に行われることとなった。

「神嘗祭」では、天皇陛下がその年の新穀を、皇祖の天照大御神を祀る伊勢の皇大神宮に奉られ神恩に感謝される大祭である。

 その新穀を天神地祇に供え陛下御自身も召し上がる日が新嘗祭(にいなめさい)。それが何故か「勤労感謝の日」として、日本人にとって重要な祭日の趣旨が失われている。

「勤労感謝の日」というと何か、労働していることに感謝する日の様に思ってしまうが、本当の意味は「人々の勤労によって生み出される万物の生産を祝う」というものだ。

 つまり、神の加護による農作物を始めとした天の恵に感謝し合う日なのだが、その意味を穿違えている国民は少なくない。

「人々の勤労によって生み出される万物の生産を祝う」とするならば、国策としての農業振興と、食の安全保障や食料自給率の向上こそ急務である。

 だが、悲しい哉、農耕民族としての自覚も無く、今回の総選挙にしても、真剣に「農」を考える言葉は発せられない。

「農」とは愛郷心、祖国愛に繋がるもので、愛情というものがそこには無くてはならないが、我が国の農業政策は営利が優先される。

 世界各国では農業の保護政策が行われているが、それは「農は国の本」ということを自覚しているからである。

 我が国は、GHQの弱体化政策によって「農本主義」的国家観は排除されてしまい、農産物の大輸出国でもある米国の戦略上から、日米安保同様に今や農業そのものも米国依存となってしまっている。

 その最たるものが「主要農産物種子法廃止法案(種子法廃止法案)」で、モリカケ問題の陰でこの別名「モンサント法案」とも言われている亡国法案が成立してしまったことは余り知られていない。

 種子法は米、麦、大豆など主要農産物の品種改良を国や都道府県の公的研究が行い、良質で安価な種子を農家に安定的に供給してきた法制度であるが、種子法廃止により、日本古来の種子は廃止となる。

 モンサント社は、ベトナム戦争に於いて枯葉剤「エージェント・オレンジ」を開発し「ダイオキシン」を撒き散らした会社で、遺伝子組み換え作物と除草剤を、世界中にセット販売し年間売上高100億ドル以上、世界シェア90%を独占する世界最大のバイオ化学会社である。

 モンサント社は遺伝子組換え種子の特許を持っており、収穫物からの種採りを認めておらず、種採りをすると特許権の侵害として訴えられる。

 モンサント社は、種子の特許によって世界中の食料支配を謀っており、仮に我が国でモンサントの遺伝子組み換えの苗の栽培が始まれば、日本古来の在来種が汚染されて絶滅してしまう危険を孕んでいる。

 TPPを謀った経団連前会長の米倉弘昌は、住友化学工業と同社の系列企業であるベーラントUSA社とモンサントと長期契約を結んでいる。

 住友化学工業では、モンサントが生産する強力な除草剤「Roundup(ラウンドアップ)」に、耐性を持つ遺伝子組み換え種子をセットで販売するが、種子法廃止はこうした国賊企業に対する忖度であり便宜であることは明らか。

 こうしたことでも安倍というのは保守とは程遠く、保守政党であるべき自民党が大企業や米国の言いなりで亡国法案を率先して可決し、食料安保という国民の食の安全をも軽視したことは万死に値する。

 この法案により、我が国は最終的に他国に食料を依存することになるということであるが、輸入国が不作になった場合や種子の売り控えということになれば、我が国の農業そのものが崩壊するだろう。

「種子法廃止」は、日本古来の種子の廃止であり、食の安全と食料安全保障を廃止すると同じであり、畢竟、豊葦原瑞穂国という国柄の崩壊の序章である。

 種子法廃止法案に続き「農業競争力強化支援法」という法案が国会を通ったが、これも種苗メーカーであるアグリバイオビジネス企業が農業に参画する出来る為のものであるが、驚くことに外資等の規制はしていない。

 つまり、我が国の公的研究機関が培ったデータが外国資本に提供され、盗用され、特許などが取得される危険を伴うということでもある。

 軍事的安全保障でも自立出来ず、食料安保でも自立出来ず、これで果たして真の独立国家といえるのだろうか。

 国造りと農業の関係を、単なる経済論で語ることは、国家や郷土愛を放棄したと断じられても致し方ない。

「平成の農本主義」を構築する為には我々は何を成すべきか。神嘗祭の今日、豊葦原瑞穂国に生まれた日本人として、その生命の根幹に関わる「農」という大問題に目を向けてみたいものだ。

 すめらぎいやさか、すめらみこといやさか。

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2017年10月16日

過ぎたるは猶及ばざるが如し!

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 衆院選挙はイマイチ盛り上がらない。テレビを観ても、希望の党を始めとした野党は安倍自民党批判ばかりで、一体どんな政策を実行するのか全くと言っていいほど聞こえて来ない。

「アベノミクスで景気回復を実感しますか?」と高齢者にインタビューする。案の定、応えは「全く実感出来ていません」。こうした世論誘導的な報道を垂れ流して恥しくはないのだろうか。

 アベノミクスの細かい所を論ったところで意味はなく、事実として民主党政権下では40兆円に満たなかった歳入を約55兆円に伸ばし、国債発行を抑えたことをしても、アベノミクスの実績は認めるべきではあるまいか。

 消費税増税は民主党政権からの継続事項であり、総選挙で信を問うのは当然のこと。だが、闇雲に認めるべきものではなく、日本維新の会が「消費税増税は議員定数の削減や報酬カット、役所の改革をした上で」とは正しく。「政治家は隗(かい)より始めよ!」とはそういうことだ。

 共産党は「増税するなら富裕層と大企業に負担を求めるべきだ」と訴えてるが、共産党幹部の生活は富裕層そのもので、如何にも貧困層や労働者の見方の様に振る舞ってるが、彼奴等の邸宅や生活は正にブルジョア。

 過日、不破哲三の都内の自宅がスクープされたが、あんな豪邸に住んでて何が共産主義か。資本家の搾取は許さないと言いながら、その実は末端の共産党員や労働者からの搾取によって成り立っている。

 立憲民主党の支持が伸びているのは、民進党支持者の中には左翼も多く、党分裂でその党内左派が枝野支持に流れているだけのこと。枝野が代表で、菅直人が最高顧問だというのだから嗤うしかない。

 希望の党の政策を見ても「反原発」を前面に出してるが、これは恩師でもある小泉純一郎への気遣いにも思えなくもないが、反原発が票になると読んでのことだとしたら小池のセンスの無さも嗤うしかない。

 それにしても民進党代表だった前原の姿が見えて来ない。尤も、民進党を分裂させた前原が前面に出てくればマイナスの要素が大きく、今回、希望の党の惨敗となればその責任は前原の政治力の乏しさに因るところが大きい。

 前原にとって希望の党は希望そのものだったのだろうが、合流を急ぐ余り、合流後、そして選挙後の政界再編の動きが全く見えず、結局は安倍自民党やアベノミクスを批判することしか出来ないのが現状。

 前原や福島三区の玄葉光一郎、松原仁などは松下政経塾出身。彼らの多くは新保守、新自由主義志向を示しているが民進党内では埋没し、松下政経塾の後輩でもある福山哲郎といった左翼が党内を席巻するに至った。

 要は、松下政経塾出身者の多くのお坊ちゃんらは、温室育ちで打たれ弱く、喧嘩に弱い連中ばかり。魑魅魍魎渦巻く政治の世界に順応出来ず、結局は逃げ出すか、相手に諂うしかなくなる。

 希望の党も、小池を代表に細野豪志や長島昭久ら少数派が小さな流れを創り出してから次に繋げれば好かったものを、何を勘違いしたのか、政権選択選挙であるといきなり大きなうねりを生み出そうとしたのが抑々の間違い。

 要は「過ぎたるは猶(なお)及ばざるが如し」という様に、己らの器量を弁えない行為、つまりはやり過ぎというのはダメだということだ(笑)

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2017年10月15日

トランプ大統領に倣い、我が国もユネスコから脱退せよ!

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 米政府は、イスラエルへの対応が改まらないとして、国連教育科学文化機構(ユネスコ)からの脱退を表明した。

 マスコミは、トランプ大統領の米国第一主義を危惧し、教育や文化を通じて平和に貢献しているユネスコへの政治的圧力だと批判するが、果たしてユネスコが教育文化を公平に扱っているかといえば疑問だらけ。

 二年前、ユネスコの世界遺産委員会で、我が国が申請していた「明治日本の産業革命遺産」の登録可否が、審議寸前での韓国側の反対で先送りされたのは記憶に新しい。

 委員会では「明治日本の産業革命」の登録可否の前に、韓国の「百済歴史地区」の世界文化遺産への登録審査が行われ、日本を含む21委員国の全会一致で決定している。

「百済歴史地区」は、韓国中西部の3地区にある百済王朝の8資産で構成するもので、これについては日韓外相会談で、我が国の「明治日本の産業革命遺産」と共に両国が登録に協力することで一致していた。

 外相会談の合意を受けて事務レベルで協議していたが、審議寸前で韓国に裏切られることとなった。直ちに日韓両国の話し合いが持たれ、結局、日本側が戦時徴用を認めることで世界遺産登録が認められた。

 その後、ユネスコは中共が登録申請していた「南京大虐殺文書」を記憶遺産に登録したと発表。今年になって韓国は、慰安婦関連資料のユネスコ世界記憶遺産への登録推進を謀っているが、これも登録される可能性は大きい。

「南京大虐殺」の案件は、新規登録の可否を判断する国際諮問委員会(IAC)からユネスコ事務局長のイリナ・ボコヴァに勧告され、ボコヴァが追認した。これは、ボコヴァが率先して認可したというのが正しい。

 ボコヴァは嘗て、ブルガリア共産党の党員でもあり、東欧革命後もブルガリア社会党員であり続けたことでもその品性が分かるというもの。

 トランプ大統領はユネスコというより、この共産主義者のヴコヴァに対する抗議の色合いが強いのだ。ユネスコにはこうした左翼人士が中国共産党などと結託し、我が国を貶めることに奔走しているのが実情である。

 ユネスコは国連の一機関に過ぎず、国連機関に公正・公平を求め、平和的中立や幻想を抱くのは間違いである。

 所詮「国連」とは「戦勝国」の集まりであり、戦勝国にとって我が国やナチスドイツというのは未来永劫「悪」で在り続けなければならないのだが、そこに戦勝国でもない中共がのさばってるから始末が悪い。

 こうしたことをトランプ大統領風に言えば、「ユネスコは反日的」であるのだが、悲しい哉、我が国はカタチだけの抗議で事を濁し、拒否していた38億円も、結局はユネスコの顔色を伺って作年末に支払った。

 我が国も、文化対話を通じた平和構築とは程遠い反日的姿勢を続けるユネスコの現状に警鐘を鳴らす意味でも、米国に倣い拠出金の支払いを停止し、ユネスコからの脱退も視野に入れるべきである。

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2017年10月14日

キューバの英雄、エルネスト・チェ・ゲバラが亡くなってから50年

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 キューバの英雄、エルネスト・チェ・ゲバラが亡くなってから50年ということで、無料映画サイトGyaoでは「チェ 28歳の革命」を配信している。

 アルゼンチンで生まれ、医師としての立場を捨て革命家としての道を選ぶ。後に最高指導者となるフィデル・カストロと共に政府軍と戦い、民衆の支持を得て革命を成功に導いた。

 ゲバラは革命政権樹立後、工業相などの要職に就くも、カストロに別れを告げ更なる革命を求めボリビアへ転戦し落命する。

 キューバに留まっていれば安泰が約束されていたのに、南米の貧困や不条理に傍観することは堪え切れず、新たな革命という行動を採ったのかはゲバラの人間性に因るものだろう。

 映画の最後に、政府軍を倒し、最後の戦いの地であるハバナへ転戦するシーンがある。部下が政府軍の幹部の車を盗んでゲバラの車を追い越す。するとゲバラは「あの車を停めろ」と指示。

「これは誰の車だ?お前じゃないだろ、直ぐに返して来い。帰りはバスか歩きでハバナへ向かえ」

 共産主義者というのは暴力革命で、ソ連の鬼畜の所業が当たり前だと思っていたが、愚生もゲバラの様な慈愛溢れる本物の共産主義者に出会っていれば、共産主義革命の道に進んだかも知れない。

 愚生も右翼と蔑視されてはいるが、アメリカにアングロサクソンとして生まれていれば敬虔なカトリック教徒として国に忠誠を誓っただろうし、イスラエルに生まれていればユダヤ教徒になっていただろう。

 イスラムならウサマ・ビンラディンと共に行動していたかも知れないし、北朝鮮に生まれたら人民軍で戦っていただろう。つまり、宗教や思想信条は、結局、人というのは何時の時代に何処の国で生まれたかというのが大きい。

 山川草木、存在する全てのものに八百万の神が宿っている国に生を享ければ、歴史や伝統、文化を護りたいと思うのは当然のこと。

 拙ブログの冒頭には哲学者である西晋一郎の言葉を記している。

「我が民族の将来と国家の前途を思うは人間の最も真剣なる感情であり、君国に忠、親に孝なるは最も現実なる道徳である。之を離れては人類愛も世界的正義も空想に過ぎない」

 左翼らに決定的に乏しいのは君国への忠である。愚生は右翼人ではあるが、別に左翼やマルクス・レーニン主義に対峙しているのではない。

 日本という国に生を享け、国の恩恵を受けながら、日本という国に誇りを持てず、蔑み、貶め、卑下し、罵詈雑言の限りをつくしている連中が無性に腹立たしいだけで、その腹立たしい連中に左翼が多いというだけのこと。

 我が国にもゲバラの様に革命(維新)を目指した若者がいた。昭和の初期、東北の農村を始め、地方では貧困に喘いでおり、女性の身売りが続発する一方で、豊かな者は更に豊かにという貧富の差が激しくなって行った時代だった。

 獅子身中の奸賊らを殺害すれば、天皇親政が実現し、彼らが政治腐敗と考える政財界の様々な現象や、農村の困窮が収束すると考えて決起した。これが二二六事件である。

 二二六の革命は実現を見ることはなかったが、彼ら青年将校らの純真無垢な心情と捨身の精神は、その後に起こったキューバ革命などのカストロやゲバラの憂国の至情や行動と相通ずるものがあろう。

「28歳の革命」に続いて制作された「別れの手紙」「モーターサイクル・ダイアリーズ」などの映画や「ゲバラ日記」なども読んで祖国とは何か、護るべきものは何か、そしてその生き様とは何かを考えてみては如何だろう。

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2017年10月13日

希望の党も、前原が合流してから「うどん屋の釜」になったな(笑)

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 衆議院が公示され各党党首が各々の想いを有権者に訴える。新聞には「安倍政権問い3極激突」との見出しが躍るが、3極激突というより安倍自民党VS弱小野党の構図は選挙前と代わり映えしない。

 希望の党への期待というか盛り上がりは止まった。前原が民進党を解散して合流した頃がピークで、政権選択選挙どころか、選挙後の政界再編は小池の思惑通りには行かなくなった。

 希望の党が発足した頃は、何かやってくれそうな期待感はあったが、選挙戦を見ても小池も前原も、小池側近の若狭勝らは挙って安倍批判を繰り返す。批判ばっかりじゃ有権者には受け入れられることはない。

 若狭なんてのはメッキが剝れたというか、自民党で当選したことも忘れて自民党批判を繰り返してるが醜いの一言。元特捜部をひけらかして、森友問題や加計学園問題を持ち出しては「安倍有罪」とアホな有権者を誑かす。

 森友・加計学園を揶揄して「もり・かけ」解散とも言われてるが、将来を担おうという希望の党が民進党と同じ安倍批判の選挙戦略に乗ってどうすんの?

 希望の党が「もり・かけ」で騒いでる度に「うどん屋の釜」という言葉を思い浮かべる。「うどん屋の釜」とは、口だけ達者な人を指す。うどん屋の釜は、湯ばっかり。つまり、「言うばっかり」ということ。

 そういや「言うだけ番長」と揶揄されてる前原が合流してからというもの、希望の持てる政策じゃなく、安倍への批判ばっかり言う様になったな(笑)

 閑話休題。「読書の秋」という様に、過ごし易くなり読書の機会が多くなるが、本を読む際に気をつけなければならない心得事が3つあるという。その3つとは「崇拝」「反抗」「衒学(げんがく)」

「崇拝」というのは、自分が尊敬している方や好きな作家などの本は、書いてある事が全て正しいと思いがちだが、信じ込み過ぎないこと。

「反抗」というのは、自分が嫌いな考えの人物や著者の本は、初めから粗を探そうと読んでしまいがちだが、揚げ足を取ろうとして読まないこと。

「衒学」というのは、聞き齧ったり、請売りを然も自分の学識であるかの様に見せびらかすことを目的に読まないようにすること。

「武士道」で一番嫌われることはこの「衒学」であり、学んだことを決してひけらかす様なことをしてはならない。

 この3つの心得事に共通している事は、「先入観を持たない」ということ。その昔、「バカの壁」なんてのがベストセラーになったが、要はアレと同じ。馬鹿は井の中の蛙の如く自分で壁を作って見聞きすることを拒否する。

 安倍信者もアンチ安倍派も、戦後民主主義者も無自覚左翼も、創価学会を始めとしたインチキ宗教に嵌まってる人も、一旦立ち止まって相手の意見に耳を傾けてみることも大事なことだ。

 相手の発する言葉を聞けば、恐らくは愚生の様に相手の救い様のない馬鹿さ加減を再認識することだろう(笑)

 まあ、愚生は「読書の秋」より「食欲の秋」。月や秋の風情を愛でながら気の利いた酒肴で一献というのが好い。

 それにしても、報道各社の「自民党優勢」報道に、希望の党の推薦を貰えば当選出来ると読んだ民進党合流組は「こんな筈じゃ」と焦ってるだろうな。

 ああいう連中を「慌てる乞食は貰いが少ない」っていうんだよ(笑) 

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2017年10月12日

創価学会や共産党が地元の祭りにも参加しない理由

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 先日、久しぶりに故郷の友人から大らかに一献の誘いを受けて、秋祭り真っ盛りの地元に帰省した。町内を山車や神輿が繰り出す。祭りに興ずる人も、それを観る人々も、心の奥底で日本人として自覚する一瞬でもある。

 普段、神様や仏様と縁も所縁もない様な自堕落な生活をしていながらも、多くの日本人は正月には初詣に行き、結婚するとなれば神前でその生涯を誓い合い、死んだとなれば仏式で弔いをする人は多いだろう。

 日本人にとって「宗教」とは、信じるとか信じないとかいう以前に、生活に密着したものとなっているのも確かだ。

 祭りも「神道」の教え云々以前に、単なるレクリエーションの様なものになってしまっているが、神道の大らかさとはそういうことでもある。

 祭りによって団結力が深まり、また祭りによって礼儀作法や長幼の序などを学ぶ。仲間と酒を酌み交わし、日頃の憂さを晴らすかの様に本能のまま祭りに興じれば、神との繋がりを実感する。

 だが、その反面、神社とは何なのか、氏神とは、創建された謂れはどういうものなのか、禊や正しい参拝方法を知る人は少ないのも確か。

 こうしたことは、神道では布教活動をしないところに原因があるのだろうが、神主や禰宜(ねぎ)の努力の足りなさであり、禰宜らも葬式坊主と同じ様に、祭りは単なる生業程度に思っているのだとしたら情けない。

 坊主の説教ではないが、禰宜らもやはり地元の神社の謂れや、神道での作法の重要さを先ず教え、啓蒙することは大事なことだ。

 祭りでは、神輿(御神体)を上から覗く行為は禁止されているが、今は平気で二階などの高みから祭りの光景を眺めたりしている人も見かける。

 御神酒も禊の一つではあるが、酒を呑んで酔っ払うわ、手水舎で禊もしない穢れた身体で神輿を担ぐなどとは愚の骨頂。刺青を見せびらかして神輿の上に乗り、御神体に尻を向けるなどは神への冒涜である。

 最近では女性の神輿が流行りだが余り感心はしない。担ぐ神輿はイミテーションだというが、要は祭りもイベント化してしまって、祭り(祀り)の本来の意味が失われつつあるのは間違いない。

 序でに言わせて貰えば、女性には生理がある。生理中、女性というのは情緒不安定になる。そうした女性の体調を気遣うのは当たり前のことでもあるし、生理は穢れでもある。

 皇室の神事の一つ「皇霊祭」でも、生理中は参加出来ない。こうしたことをいうと、左翼や反天皇勢力から「生理は汚らわしいものではない。女性蔑視だ」という反論も聞こえて来るが、これは何も皇室だけの例外ではない。

 イスラム教では生理中の女性はモスク(イスラム教の礼拝所)には入れないし、ユダヤ教でも生理中の女性との握手を禁じている。これは女性差別ではなく長い歴史と伝統の中で培った教えである。

 それでは聞くが、歴代ローマ法王には女性はいないし、法王どころか、法王を選ぶ枢機卿にさえ女性はいない。これも女性蔑視か?

 日頃「レディーファースト」と自慢してる国でもそういうもので、伝統を守るというのはそういうことでもある。

 我が国の歴史を遡れば女性天皇は存在したし、抑々、我が国の最高神である天照大御神は女性の神だ。女房を「山の神」ともいうが、かみさん=神さんであり、それに仕えるのはやはり男の方が好ましいのだ(笑)

「女系天皇論」も女性差別を理由に論じられているのだが、左翼や反天皇勢力というのは物事の見方が実に薄っぺらいものばかり。

 話を故郷の祭りに戻すが、祭りを観てて考えたことは、別に自民党員や自民党支持者が地元の御祭神や祭りというものを理解しているとも思えないが、創価学会(公明党)は祭りには参加しないし、共産党も協力的ではない。

 彼らは国旗国歌に反対し反天皇を訴えているのだから、神道、つまり神主の最高の地位に就くのが天皇である限り祭りなんぞに参加しないという覚悟はある意味、潔(いさぎよ)さを感じなくもない。

 その点、社民党は、国旗国歌に敵愾心を燃やし、沖縄訪問をした当時の皇太子殿下並びに妃殿下に対して火炎瓶を投擲した国賊や、沖縄国体開会式で国旗を引き摺り下ろした輩が英雄視され、彼奴等が議員出馬した際には、推薦人に福島瑞穂などが名を連ねていたりと、反天皇でありながらそれを隠して祭りに講じる。

 立憲民主党にもそんな反天皇活動家は多いが、社民党員もその支持者も「安倍憎し」から反自民党を叫ぶのもいいが、だったら公明党や共産党の様に徹底して祭りにも参加しないという覚悟も必要ではないのか。

 と、地元の祭りで盛り上がってる姿を醒めた目で眺め乍らそんなことが頭を過った。まあ、それも神道の大らかさなのだから別に好いか(笑)

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2017年10月11日

小林旭じゃなくても、ラスベガス銃乱射事件の犯人は「キチガイ」だろう

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 小林旭がフジテレビの情報番組にコメンテーターとして登場し、アメリカのラスベガスでの銃乱射事件に関し「キチガイ」と発言。これ言葉に反応したテレビ局が問題視し、番組内でアナウンサーが謝罪した。

 放映後、視聴者から小林批判が相次いだらしいが、銃乱射事件の犯人を「精神的に可笑しい」と詰ったところで真意は伝わらない。正に小林旭の発した「キチガイ」という言葉こそがピッタリの表現だろう。

「放送禁止用語」の全てを差別用語としてしてしまう風潮こそ、戦時中の英語(外来語)禁止と同じ危うさを感じる。

 愚生は読書は昔ほど読まなくなった。インチキ保守の売文よりも映画の方が為になると思っているので、ジャンルは問わず毎日何かしらは観ている。

 古い日本映画や古典落語には差別用語だけではなく、懐かしくも美しい日本語が処処に溢れていて、実践した教育でもある。

 日本映画の、例えば「座頭市」や「眠狂四郎」とかの古い映画は、盲(めくら、めしい)、唖(おし)、吃(ども)り、跛(びっこ)、聾(つんぼ)なんていう放送禁止用語が飛び交っていて実に面白い。

 最近観た映画では、竹内力が主演した「岸和田少年愚連隊・カオルチャン伝説」でも、差別用語が何気に飛び出してて、これが実に笑えた。

 言論の自由を標榜しながら、くだらない倫理観によって放送禁止用語が作られ規制されてるのは逆差別にも感じてしまう。

 子供の「供」は供えるという意味で、「親に供えるとは怪しからん」などとキチガイ共が騒いで「子ども」表記が蔓延した様に、そのうち「馬鹿」も「人を馬や鹿に喩えるとは差別だ!」だとか、「アホか」などと言ったものなら「阿呆は痴呆症の意味もあるから使用禁止!」なんてことにも成り兼ねない(笑)

 敬愛する評論家でもあり現代の思想家でもある呉智英(くれ ともふさ、ご・ちえい)は、差別の風潮を逆説的にこう述べる。

「差別は正しい、差別と闘うのが正しいのと同じぐらい正しい。人類が目指すべきは『差別もある明るい社会』である。差別さえない暗黒社会にしてはならない」

 哲学的ではあるが「差別さえない暗黒社会にしてはならない」との意見は実に示唆に富んでいる。

 自称愛国者や保守派らの中には昨今の道徳観の低下を嘆き、戦前の「修身(しゅうしん)」を復活するべきだという声も聴く。だが、修身には、例えば「おたけがめくらのてをひいて」などと表現されているのを知ってるのだろうか。

 これは弱者に手を伸べる優しさを教えているが、この「めくら」は差別用語でもあり、こうした差別用語が処処に羅列されてる「修身」の復活はどう考えても無理。差別表記を直して復活するのか、そのままの標記のままか(笑)

 保守陣営は「教育勅語」を道徳教育の指導原理と成すべきであると「修身」同様に復活を望むが、これらを教え、諳んじられる様になったところで意味はなく、その教えを如何に実践するかが大事なのだ。

「バス(電車)で席に座っていたら高齢者が乗ってきました。あなたはどうしますか?」「目の見えない人が横断歩道を渡ろうとしています。助けてあげますか?」と問われたら「席を譲る」「助ける」と答えるだろう。

 だが、理論や筆記試験で100点を取ったところで意味はない。道徳教育や倫理観というのは行動や実践が伴って初めて身に付くものなのだ。

 差別用語に敏感になればなるほど、それが曲解され、その真意が伝わらないのだとしたら弱者救済にも繋がらないし、逆差別を助長している様なものだろう。

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2017年10月10日

「祝祭日には国旗を掲揚しましょう!」というが・・・

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「体育の日」は、昭和39(1964)年10月10日にアジアで最初、有色人種国として初めてのオリンピックが東京で開催されたことに由来する。

 最近では「体育の日」の名称を「スポーツの日」にしようなどいう声も聞こえて来るが、ホント御粗末としか言い様がない。

 祝日法の改正により導入された、所謂「ハッピーマンデー」は、左翼陣営が国體破壊を目的として休日の意義を薄れさせる為に施行された策謀であり、体育の日もハッピーマンデーに組み込まれ現在に至る。

「成人の日」は1月15日だった。この日は「小正月」に当たり、皇居では神道の儀式の一つである「元服の儀」が小正月に行われていたからだが、祝祭日が意味の無い単なる休日となってしまった。

「海の日」にしても、国民の祝日に関する法律により「国民が海の恩恵に感謝し、海洋国家の繁栄を祝う日」とされているが本来の趣旨は全く違うものだ。

 明治9年、畏くも明治天皇は東北・北海道へ約50日間に及ぶ巡幸に臨まれた。巡幸の目的は、戊辰戦争に敗れて以降、不慣れな土地で艱難辛苦の日々を送っていた人々を明治天皇が慰撫し、激励する為に他ならない。

 明治天皇が「明治丸」で横浜に帰港された日が7月20日であり、古くは「海の記念日」と呼ばれたこの20日以外の「海の日」に何の意味が在るというのか。

「海の日」がハッピーマンデーでありながら何故か「山の日」は8月11日。中途半端なこの休日により強制的に盆休みに入ってしまう。これ正に、観光立国を謀る政府の偽計ともいえる祝日法改正だったのではあるまいか。

 国體破壊を目指す左翼陣営の最終目的は、我が国の重要な祭日である11月23日の「勤労感謝の日」と2月11日の「建国記念日」を、ハーッピーマンデーに組み入れ、祭日を意味のない休日にすることである。

 自民党内でも、景気優先から「ハッピーマンデー」に同調する意見もあるというのは言語道断と言う他なく、保守政党としての資格なし。祝日法の再改正を図り、我が国體を国柄を取り戻す好機とすべし。それには何を成すべきか。

 建国記念の日を「紀元節」、春分の日を「春季皇霊祭」、秋分の日を「秋季皇霊祭」、勤労感謝の日を「新嘗祭」と本来の祝祭日の名称に戻し、「憲法記念日」や何故か「山の日」など意味の無い休日を廃止し、4月3日の「神武天皇祭」と10月17日の「神嘗祭」の復活である。

「勤労感謝の日」というと何か、労働していることに感謝する日の様に思ってしまうが、本当は「人々の勤労によって生み出される万物の生産を祝う」という意味。

 神の加護による農作物を始めとした恵に国民が互いに感謝し合う日ならば、やはり「勤労感謝」ではなく「新嘗祭」という名称が相応しい。

「建国記念日」にしても、左翼陣営は三笠宮崇仁殿下が「紀元節祭復活は科学的根拠に欠ける」と、紀元節の皇居皇霊殿での祭祀に反対している意見を利用し、2月11日に拘る必要なしなどとしているが言語道断である。

 左翼というのはこうした既成事実を積み重ねることによって、我が国の歴史や伝統、文化を否定するのが常套手段。

「祝祭日」には夫夫意味が在り、その日に祝うからこそ、その価値が見出されるものであり、況してや我が国の「祝祭日」ほど国柄や国體の精華を現しているものはないのだ。

 GHQが我が国の歴史や伝統、文化を否定することから始まった「祝日法」を再改正し、「ハッピーマンデー」を廃止すると共に、祝祭日の意味と意義を国民に教えて行かねばならない。

 この愚策に同調するかの様な、神社庁などが推進してる「祝祭日には国旗を掲揚しましょう!」という運動にも違和感を覚える。

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2017年10月09日

ブログやSNSは単なる暇潰しと備忘録

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 ブログにしろFacebookやTwitterにしろ、単なる暇潰しと備忘録と文章力の向上を兼ねて色々と綴っている。

「小人閑居して不善を成す」ではないが、小人の愚生としては、ブログや何やらで暇でも潰してないと悪い事やロクな事を考えないし、そういう意味ではSNSというのは暇潰しには持って来い。

 小人は耳から聞き齧った事をそのまま口にするので少しも身に付かない。愚生もそういう傾向があるのでなるべく綴って頭に入れる様にしている。

 愚生の好きな哲学者の西晋一郎は、「教えるとは実に教えられることである」と訓えたが、この言葉を教訓にやっている。

 親が子供が出来て子供から学ぶ様に、教師が毎日の授業の中で生徒から学ぶ様に、教えるとは実に教えられていることを痛感する。

 愚生もブログやSNSで偉そうに綴ってはいるが、教えるつもりは毛頭なく、備忘録として記事を綴り、アップした記事への意見や反論なども参考にしながら日々学んでいるに過ぎない。

 大人という自分の中に真の学問を積んでいる人は決してひけらかすことなく、衒学(げんがく)臭くはない。別に偉そうに話さなくても、苦労や努力の大成というものが身体全体から滲み出て風格を感じるものである。

「武士道」で一番嫌われるのは衒学である。学を衒(てら)う、衒学とは学識を誇り、殊更に自分を大きく見せようとすること。

 現在のマスコミに登場する有識者や、マスコミ御用達の大学教授などのコメンテーターなどはその衒学臭い輩ばかり。

 学問とは他人を説得したり、論破したりするものではなく、自分自身がどう生きて行くかのか、或いはどう在るべきか、といったことに答えを見出すものでなくてはならないという。

 まあ、愚生の場合は、如何に敵を論破し、けちょんけちょんにやっつけてやるかなどと考えながらやってるので、学問というより理論武装か(笑)

 右翼に限らず、仲間にしか通用しない付け焼き刃の知識を熱く語り、自分自身に酔っている輩を度々見掛けるが、そんなことでは、世の中ところか他人さえも動かすことが出来ないのだろう。

 吉田松陰は「学問をする眼目は 自己を磨き自己を確立することにある」と訓える。頭山満も「沈勇を心掛けよ」と訓えているが、自分自身を鍛えることで、自然に相手や周りまでも好い影響を与えるものである。

 野村秋介は「人を動かすものは決して理論などではなく、自分の謙虚な反省に基づく人間性以外にあり得ない」と教えていたが、学問や理論よりも何をするにもやはり人柄が大事なのは言うまでもない。

 右翼というのは愚生も含め、日本人としての正論を語っていながら世間から忌み嫌われるのは、人となりに問題があるのだろう。呵呵大笑。

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2017年10月07日

建国僅か68年の中華人民共和国は戦勝国ではない

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 この時期、中華人民共和国(中共)では建国記念日である「国慶節」で盛り上がる。これは1949(昭和24)年10月1日に天安門広場で式典が行われ、毛沢東により「中華人民共和国」の建国が宣言されたことに因んだもの。

 日頃「中国4000年の歴史」などと宣って憚らない中共だが、実はたった68年程の歴史しかない新興国だ。逆説すれば、一党独裁の中国共産党政権が半世紀以上も続いているのだから驚く他なく、世界の珍現象といっていいだろう。

 未だ共産主義を最高原理として崇め、神や仏という共産主義を超える最高の存在を許さず、人民には信仰の自由、集会、結社、出版、言論等々基本的人権が無い。

「満州」「内蒙古」「チベット」「新疆」を侵略し異民族を虐殺、共産主義と漢民族化を強制し、清朝時代の最大版図を「歴史的領土」とするばかりか、尖閣諸島や東シナ海、南シナ海をも併呑しようする中共の野望は尽きることはない。

  中共は尖閣問題で、国連に於いて「敗戦国(日本)が戦勝国の領土(沖縄・尖閣列島)を占領しようとしている」と発言したことは記憶に新しい。

 これは国連憲章第53条、第107条の、「旧敵国条項」の「連合国の敵国であった日本などが再び侵略行為を行った場合、他の国は安保理の承認なしに武力行使出来る」という規定を意識した発言だ。

 つまり、中共は戦勝国として、我が国を監視し、我が国の如何なる理由による防衛も侵略行為と断定すれば、一方的な武力行使は可能なのだ。

  だが、我が国が先の大戦で戦ったのは「中華民国(現・台湾)」であり、戦後4年も経ってから建国された共産党一党独裁の中共ではない。

 因みに、台湾の国慶節は10月10日。我が国は相変わらず台湾を国家として認めず、中共に媚びるキンピカ報道が垂れ流され、国民は誤った情報に振り回され続けるが、節操無く、中共に靡く親中派は恥を知るべし。

 共産主義一党独裁の中共と友好関係を続けていること自体、国益を大きく損なうものであり、日中外交戦略の見直しを急がなければならない。

 抑々、共産党一党独裁が続いているのは、我が国のODAなどの朝貢外交が大きく影響しているのは否定出来ない。

 また、我が国は先の大戦でアジアを侵略したのではない。アジアを侵略していた連合国に対して戦ったのだ。戦後、多くの植民地の解放が実現したことは、大東亜戦争が大義ある戦いだったことの証明でもあろう。

 それでも尚、我が国がアジアの人々に謝罪し、その罪を償う必要があるというなら、最大の過ちは、戦後、中国共産党の跋扈を許したことであり、その償いは共産主義を失くすこと以外にない。

 共産主義の撲滅は世界の悲願であり、支那の民主化が世界平和を齎すと言っても過言ではない。我が国こそがその先頭に立つべきであり、国内に巣食う漢族や不良支那人、蛆虫・共産党や日教組、全教等の共産主義勢力を一掃しよう。

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2017年10月06日

左翼陣営が「平和」という言葉を最大の武器にしているのと同じく「保守」という言葉で有権者を煙に巻く

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 希望の党は小池代表の意向もあり「安全保障や憲法観といった根幹部分で一致するのが必要最低限」と述べていたが、その口も乾かぬ内に安保関連法案に反対していた議員も公認候補に選ばれる始末。

 単に保守政党を標榜する為に「安全保障」や「憲法観」という言葉を利用し、保守層の有権者を騙しているに過ぎない。

 安倍にしろ政治家は「国民の生命と安全を守る」と口にする。だが「生命と安全」を守るのは本来警察の仕事であり、主権防衛を担い、国軍としての自衛隊が護るべきは国體であり国柄であり、畢竟「皇統」である。

「国防」とは「それを失えば日本では無くなってしまうことを死守することである(三島由紀夫)」であるなら、国防とは領土主権の防衛も然ることながら、我が国の伝統ある精神文化を護ることに在る。

 つまり、自衛隊が「国軍」であると共に「皇軍」で在らねばならないというのはそういうことだが、希望の党の安全保障や憲法観に、そうした国柄を重んじる気概が在るとは到底思えない。

 小池は今回の選挙で政権奪取を目指すつもりは毛頭ないだろう。「首相候補となる方は他にも居る」と言って憚らないが、その候補とは石破茂か。

 石破は加計学園問題辺りからマスコミに度々登場しては安倍批判を繰り返していた。各政党を渡り歩いた石破に対し自民党内ではポスト安倍への反発も大きく、敢えて安倍批判をしたのも小池との連帯への布石だったのだろう(笑)

 希望の党が総選挙で勝利することで自民党は連立を模索するだろう。その際、小池は安倍の退陣と石破の首班指名を要求するのではあるまいか。

 小池は煙幕を張って本音を隠しているが、今回の政権選択選挙というのは間違いであり、自民党や民進党を巻き込んでの政界クーデターとも言える。

 希望の党は石破派の幹部でもある鴨下一郎が出馬する東京選挙区には対抗馬を立てない。また公明党の出馬する9選挙区での擁立を見送ったのは、創価学会の原田稔会長との密談に因るものだ。

 総選挙で自公連立を解消を目指しながら、一方で、選挙後は公明党との連立を模索している様にも思える。

 公約の「2030年原発ゼロ」は小泉純一郎の入れ知恵。そして公明党へ秋波を送るのは「公明党を大事にしろ」という細川護熙の悪知恵。

「憲法改正」や「安全保障」を掲げれば保守なのか。共産党も口では「護憲」と言ってるが、革命政権が樹立すれば日本国憲法なんぞポイ捨てだし、領土防衛も頼もしいものになるだろう。でも、保守でも何でもないではないか(笑)

「自民党では出来ない政策」というなら、例えば農業は国の大本であるが、自民党が成立を謀った「種子法廃止」を撤回するなど、国柄を取り戻す為のもっと自民党に食い込んだ政策を掲げるべきだ。

 選挙結果次第では自民党も分裂し、石破一派が希望の党へ参加となれば、新たな政界再編が成されるのではあるまいか。

 石破に対して国民の多くは「タカ派」のイメージを持っているが、その実は戦後民主主義にどっぷり浸かった無自覚左翼そのもの。

 石破は過去に、日中戦争から東京裁判までの近代史について自分の認識を披歴しているが、言い回しが回り諄く、如何にも尤もらしく意見を述べている様に感じるが、その内容は確信的自虐史観そのもの。

 また石破は「今迄に靖國神社には参拝したことがないし、これからも参拝するつもりはない」と公言し、内閣総理大臣の靖國神社参拝に反対を表明し、更には「A級戦犯の分祀」を主張している。

 石破は「分祀が実現すれば天皇陛下が御親拝出来る環境が整う」などと、畏れ多くも陛下を利用し詭弁を弄するが、この認識は民進党の前原誠司も同じ。小池もまた靖國神社を参拝したという声を聞いたことはない。

 石破というのは、自民党改革派の急先鋒として期待していたが、自民党を離党し「改革の会」に参加した辺りから鍍金が剥がれ始める。

「新党みらい」「自由党」「自由改革連合」を経て「新進党」結成に参画したものの、結局は古巣の自民党に復党した。理論家だが人望に乏しい。

 小池も同じ様な経歴で「日本新党」を皮切りに「新進党」「自由党」「保守党」を経て自民党に入党していることをしても、石破に親近感を感じ、意を同じくするのも別段不思議なことではない。

 共産党や左翼陣営が「平和」という言葉を最大の武器にしているのと同じく、小池もまた「保守」という言葉で有権者を煙に巻く。中曽根康弘や安倍を見るまでもなく、似非保守、インチキ保守が国柄を変えて国を滅ぼす。

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cordial8317 at 05:24|PermalinkComments(0)

2017年10月05日

次期総選挙で護憲派や戦後民主主義者が駆逐され自公連立が解消される(笑)

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 希望の党の第一次公認候補が発表された。公認候補者全員が「憲法改正」に賛成らしい。アレだけ「安倍政権下での憲法改悪は反対!」だと言って憚らなかった連中が、公認欲しさに変節する様は驚くやら厭きれるやら。

 プラカードまで持って「安保関連法案反対!」と騒いでいた玉木雄一郎も、しれ~として入っているし(笑)

 自民党は惨敗するだろうが、希望の党が躍進することで「憲法改正」が早まることになれば安倍にしてみりゃ願ったり叶ったり。

 小池がやりたいのは党勢拡大も然ることながら、憲法改正へ向けての世論作りではあるまいか。安倍が進めれば批判されることでも小池がやるなら許せる様な雰囲気が形成されてる様にも感ずる。

 成否は別にして、マスコミの安倍政治を批判する姿勢を逆に利用して、反安倍政権だった民進党を抱き込んで、更には、枝野や菅ら左翼を排除するという離れ業をあっという間に成し遂げた。

 安倍の「九条その二」という憲法改正より、地方自治の在り方を考える第八条を中心に全体的に改正しようとする小池案の方が現実的だ。

 出来れることなら部分改正ではなく、「現憲法を停止して無効にする」という小池の憲法観の実現を図って欲しいものだ。

 希望側と公認調整に関わっている民進党で福島三区の玄葉光一郎が「民進党は左に寄り過ぎた。もう少し右にシフトしないと政権交代可能な受け皿にならない」と語ったが、これ正に正論。小選挙区制度の下で、国民が期待するのは保守の二大政党であることは言うまでもない。

 この玄葉、福島県知事汚職事件で逮捕され有罪判決を受けるも、退職金約7000万円を返納せずにネコババしてる佐藤栄佐久元知事の娘婿。

 二十代での県議を経て国政へ。外見も好く、弁舌爽やかで選挙も強いのだが、地元貢献度はゼロ。要は、政治を生業にしてきた様な万年野党幹部であり、そんな玄葉だから先日ついつい口が滑った。

 公認調整が難航されてたことに記者が質問すると、玄葉はポロリと「議員の将来の生活がかかってますからねえ」と応えた。

「議員の生活」だとか「議員の将来」とはどういう意味か。国民の生活より、議員の生活が大事だと言わんばかりの返答に思わず仰け反った(笑)

 希望の党の政策協定書には「外国人への地方参政権付与に反対」との項目もある。合流に前向きだった小沢一郎が一転したのはこの外国人地方参政権付与反対が政策協定書に明記されていたからではあるまいか。

 公認候補の中には外国人地方参政権に賛成だった名前もあるが、これも公認を貰いたいが為の嘘だとすれば赦されることではない。

 外国人地方参政権付与には、SGI会長の池田太作の強い意向から公明党が賛成の立場だが、これも自公連立に対する対抗策だとすれば大いに結構なことだ。

 我が国の政治が三流なのは、大衆世論に流され、大衆迎合主義に陥り、滅私奉公を忘れて、考えてることといえば今回の公認候補選びのドタバタ劇を見るまでもなく、候補者らの頭の中は次の選挙や保身のことばかり。

 無知な多くの国民が、マスコミの垂れ流す作為的な記事を鵜呑みにして、世論という形で政治に介入し、我が国を誤った方向へ導こうとしている左翼勢力に利用され続けて来たが、それも小池の暗躍によって愈々終焉を迎えるのか。

 大衆はその時々の雰囲気でどちらにも動くし、大衆の意見というのはそういうもので、実に気紛れでいい加減なもの。我が国の不幸は、そんな世論の気紛れで選ばれただけのホンモノの政治家がいないことに尽きる。

 強力なリーダーシップを発揮する、逞しい国家観と行動力を備えた政治家の出現を待望して止まないが、次期総選挙で希望の党の躍進によって護憲派や戦後民主主義者が駆逐され、自公連立が解消するなら勿怪の幸いでもある。呵呵大笑。

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2017年10月04日

原発事故後に現場を視察した枝野の重装備には嗤ったなぁ(苦笑)

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 民進党の代表代行だった枝野幸男が、菅直人や長妻昭、赤松広隆らを引き連れて「立憲民主党」を結成した。何も「民進党」を継承し、政党交付金もそのまま使える様にすれば好いものを、態々新党を創る意味が分からない。

「立憲主義」とは、憲法に基いて政治を行うという原理であるが、「立憲」には「憲法を制定する」という意味もあり、「安倍政権下での憲法改悪に反対」という元極左の枝野が「立憲」などと言うと意味深でもある。 

 枝野らを「リベラル」というが、リベラルとは自由主義であると共に穏やかな改革勢力をいうが、左翼をリベラルというのは間違いだ。

 原発事故後、国内の原発が停止し、化石燃料や太陽光パネルなどの再生可能エネルギーによる電力に移行したのは民主党政権の置き土産でもあるが、これは菅や枝野ら左翼勢力による日本弱体化の愚策でもあった。

 化石燃料に依存してる中で、中東からの輸入経路であるシーレーンの防衛は最重要課題であるが、枝野は「ホルムズ海峡が封鎖され石油が入らなくても快適な生活が送れなくなる程度」と自衛隊の任務を否定したことを思い出す。

 反論された枝野は気色ばんで「我が国には備蓄があるではないか」と反論したが、万が一、シーレーンを封鎖された場合、日本の電力供給は数か月程度しか持たず、これ即ち「間接的に人命が失われる」危機でもあるのだが、そうした認識も枝野は持ち合わせていなかった。

 領土防衛や安全法制を担う自衛隊の存在が憲法違反のままで「安倍政権下での憲法改悪に反対」などとは余りにも無責任過ぎるし、悉く国民に寄り添って来なかった枝野や菅らに果たして何が出来るのかと問えば疑問だらけ。

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 枝野で思い出すのが画像の重装備。原発事故後、現場を視察した枝野は民間人が平服だというのに被曝を恐れてこの姿を曝け出した(笑)

 福島第一原発事故は、民主党政権下で起こった人災だったが、その官房長官だった枝野が「強制避難命令」を発令した張本人。事故後、枝野は「直ちに人命に関わる影響は無い」と頻りに放射線の被害の沈静化を謀った。

 地震発生から5時間後には燃料の損傷が始まり、16時間後には燃料の殆どが原子炉圧力容器の底に溶け落ちた。地震の翌日、菅は颯爽と福島原発を訪れる訳だが、その時既に「メルトダウン」の危機に瀕していたのだ。

 事故前に外国人からの不法献金を糺され四面楚歌だった菅は、事故を利用し「現場視察」を強行し、起死回生の一発勝負に出た。この菅の現場視察が、原発事故の現場の対応に要らぬ混乱を招き、被害が拡大したことは明らかだった。

 東日本大震災当日から、東電側では炉心溶融という「最悪のシナリオ」を予測していながら、菅が強く望んだ現地視察によって、即座に取るべき一連の措置に遅れが生じてしまったのだ。

 政府担当者からの要請により「首相を被曝させない」ことを優先する余り、1号機の炉圧を低下させる為の「ベント」と呼ばれる応急措置が遅れ、それに因って建屋が吹き飛んだ。

 民主党政権は報道規制を敷いて国民には安全であるかの様に偽装した。事故直後にメルトダウンを起こしていながら、民主党政権下でメルトダウンを発表したのは事故後二ヶ月も経ってからだった。

 事故後発令した「半径20キロ圏内」という科学的根拠を無視した「強制避難命令」によって、双葉病院の重篤な入院患者が退避の為に連れ廻され、結果、数十人の命が亡くなった。

 健康被害を避ける為に退避命令を出したつもりが、要らぬ避難命令で逆に命を奪ってしまった。こうした死者は原発関連死とされているが、これは明らかな民主党政権下で行われた殺人行為だったといっても過言ではない。

 菅の現場視察強行や、SPEDDIによる数値隠蔽に因る強制避難や意味不明の除染作業など、復旧と復興の遅れには民主党政権下での愚策が尾を引いているのに、何故か菅も枝野も民主党も叩かれずに安倍が批判されている(笑)

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2017年10月03日

古くは酒作物忌と言われる清純無垢な少女が酒造りに従事した

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 10月1日は「御酒殿祭(みさかどのさい)」。これは、10月17日の神嘗祭(かんなめさい)で供える白酒(しろき)・黒酒(くろき)・醴酒(れいしゅ)・清酒の御料酒が、麗しく醸造出来ることを祈願し、酒造業の繁栄を祈る御祭である。

 また10月1日は「日本酒の日」ということで「全国一斉に日本酒で乾杯!」というイベントなども開催された。これもまた「御酒殿祭」に因んだものだ。

 今では日本酒ファンも多くなり、「最初の一杯を日本酒で」などという日本酒乾杯条例なども制定されたりと日本酒に対するイメージも大分変わった。

 日本酒といえば「清酒」であるが、清酒の歴史は新しく、神宮で清酒が供えられる様になったのは明治以降のこと。

 神宮(伊勢神宮)では醸造出来ないことから、灘(兵庫県)の「白鷹本舗」で謹醸されている。おかげ横丁でも、ここ白鷹酒造の名酒が頂ける。

 神宮で造られるのは白酒(=どぶろく)、黒酒(=どぶろくに灰を混ぜ黒くしたもの)、醴酒(=一夜酒、米が粒上で箸で盛る酒)の三種類である。

「御酒殿祭(みさかどのさい)」は、6月、10月、12月の各1日に行われており、神宮の由緒ある三節際(さんせつさい)に合わせて行われる。

「三節祭」とは、神宮で年間諸祭祀のうちで特に重視されている神嘗祭と 6月、12月の月次祭(つきなみさい)のこと。

「神嘗祭」は、その年に神田で収穫された新穀を初めて内宮(皇大神宮)、外宮(豊受大神宮)の神々に奉る年間で最も重要な祭りで、10月15日から 25日まで諸行事が続く。

 この三節祭に、祈年祭(2月17~23日)と新嘗祭(11月23~29日)を加えて「五大祭」と言われることもある。

「新嘗祭(にいなめさい、しんじょうさい)」は、神嘗祭で奉られた新穀を天神神祇に供え陛下御自身も召し上がる神事であるが、今では新嘗祭の名称は消えて「勤労感謝の日」という意味不明の休日となってしまっている。

「神嘗祭」を祭日とし、勤労感謝の日を止めて「新嘗祭」に戻し、我が国が主権国家として再興する気概を取り戻さねばならない。

 古くは「酒作物忌(さかとこのものいみ)」と言われる清純無垢な少女が主となり酒造りに従事したというが、流石に現代はそういう役は存在しない。だが古事に習い、この日に日本酒を楽しむ会なども催されているのは結構なことだ。

 地元郡山市でも昨日は、日本酒の日ということで「全国一斉に日本酒で乾杯!」という会が開かれた様だが、開始は18:30~。愚生の場合、夕方の早い時間から呑んでおり、その時間は心地好く酔っ払っている頃なので諦めた(笑)

 酒は毎日呑むものなので程好く呑むのを心掛ける。日本酒、特に冷酒は酔うので晩酌は二合程度が好い。だが、「友遠方より来る、また久しからずや」ではないが、久しぶりに会う友人との一献の場合はその限りに非ず(笑)

「酒はのみべし、酒は飲むべし。人生唯避けありて肝を開く。酔中の快楽人知るなし」とは坂本龍馬。その酒とはやはり日本酒。これが、ウイスキーやワインだと腹を割っての問答無用の一献とは成り難い。

 大らかに誘いを受け、無心に酒を飲み、飲む程に、酔う程に、一緒にいる人々まで愉しくさせる。酒飲みとは斯く在りたいものだが、愚生は未だ未だ修業が足らない様だ。「酒道」とは実に奥が深い(笑)

 12月1日にも「御酒殿祭」があります。是非とも日本酒で乾杯し、日本酒を愉しみながら、浪漫溢れる古の日本を思い浮かべてみては如何でしょうか。

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2017年10月02日

秋祭り真っ盛り。心の奥底で日本人として自覚する一瞬でもある!

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 10月を「神無月」と呼ぶが、出雲地方では八百万の神が集まるので「神有月(かみありづき)」と言い、全国津々浦々から出雲に集まった神様達は、国中の縁結びの会議を催すという。

 そうした話を聞くと何となく微笑ましく温かい気持ちになるが、こうした八百万の神による話し合いこそが神道の神髄なのだろう。

 神道を「随神(かんながら)」という。古より伝わって来た「神道」は、こうした世界の中から生まれた。神と共にあるから「惟神」。

 新羅万象の全てが「神」の姿で、山の神、海の神、或いは森、川、泉、石ころや水・・・全てのカタチある物やそして人も、その神の在る景色の一部に過ぎず、これこそが八百万(やおよろず)の神である。

 今月は全国的に秋祭り真っ盛りとなり、町内を山車や神輿が繰り出す。祭りに興ずる人も、それを観る人々も、心の奥底で日本人として自覚する一瞬でもある。

 祭りも「神道」の教え以前に、単なるレクリエーションの様なものになってしまっているが、神道の大らかさとはそういうことでもある。

 祭りによって団結力が深まり、また祭りによって礼儀作法や長幼の序などを学ぶ。仲間と酒を酌み交わし、日頃の憂さを晴らすかの様に本能のまま祭りに興じれば、神との繋がりを実感する。

 一神教や新興宗教にはこれがない。教祖や経典が絶対。「宗教」とは一度信じたらその宗旨や儀礼に束縛され「宗教」の語源通り呪縛される。

「宗教」とは一種の麻薬と同じで、信じることで安らぎを覚え、いつの間にかそれに盲信してそれを正義と信じ抜け出すことが出来なくなる。

 一神教や新興宗教を信じる者の不幸はこうしたことにあるが、こうしたことでも大らかな日本という国に生まれたことを感謝せずにはいられない。

 八百万の話し合いではないが、一昨日、希望の党の小池と維新の会の松井知事、愛知の大村知事が鼎談し、東京と大阪での「住み分け」で合意。脱原発や憲法8条の改正などの共通政策を確認した。

「脱原発」というが、新規の原発が建設される見込みはなく、態々「脱原発」を掲げずとも将来的には原発が無くなって行くのは必至だろう。

 それよりも現存する原発の安全対策を盤石に施し、核リサイクルなどの技術開発研究こそが喫緊の課題であり、そうしたことを何故に訴えないのか。

 将来的に原発依存から脱却を図るなら、安定的に電力を供給出来る新エネルギーや、蓄電技術などへの莫大な投資が必要になることは自明の理であろう。

 希望の党が真に自民党に替わる政権政党を目指すなら、「脱原発」という無責任なスローガンだけではなく、責任ある現実的な政策を掲げるべきだ。

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2017年10月01日

「安全保障や憲法観」より重んずるべきは国家観である

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 衆院解散に伴い民進党が事実上解党し、小池新党の「希望の党」と合流する。早々に第一次公認候補を決定する。

 前原は浮足立って「政権選択選挙」「安倍自民党を終わらせる」と躍起だが、小池は政権交代までは考えてはいないのではあるまいか。

 安倍は総選挙では「人づくり革命」「生産性革命」を訴えるが、先の会見などでは「憲法改正」に一言も触れてはいない。

 小池は今回の選挙で躍進することで、憲法改正をより進めようと訴えている様にも思える。共産党の志位委員長が声を大にして「自民党政治の補完勢力である」と希望の党を批判してるのはそういうことだ。

 小池代表は「安全保障や憲法観といった根幹部分で一致するのが必要最低限」と述べているが、憲法観とは、要は「護憲派」はダメだということで、現憲法を如何に変えるかという細かな部分ではなく、大雑把な振り分けでしかない。

 小池が保守であり、希望の党が真の保守政党であるならば、安全保障や憲法観より重んじるべきは「国家観」である。

 国益や国體を護る気概が無くして安全保障は語れない。防災も領土保全も同一線上に在るという観点から、これらの妨げになっている現憲法に対する危機感を党員同士で共有するのは当然のこと。

 だが、安全保障とは単に領土保全だけではなく「国防」が大事。国防とは、我が国の精神文化を護ることであり、何より死守しなければならないものは皇統以外にはない。となるとやはり大事なのは国家観である。

 マスコミは、豊洲移転問題を忘れたかの様に、恰も「希望の党」が自民党に変わる救世主であるかの様な盛り上がりだが、小池は憲法廃止論者ということを知ってるのだろうか。小池は過去に憲法調査会に於いてこう語っている。

「一旦現行の憲法を停止し、廃止する。その上で新しい憲法を創っていく」

 日本新党を皮切りに新進党、自由党、保守党を経て自民党に入党した経緯を見れば、単に保守票目当てのリップサービスにも思えなくもないが、早々に憲法を停止して廃止するなら願ったり叶ったり。

 その際は、出来れば新憲法ではなく、日本の宝とも言うべき明治欽定憲法に復元した上で、新しく創り直して頂きたいものだ。

「希望の党」がどんな政党なのかも知らない中で、「反安倍政権」「安倍政治を止める」という目的のみで合流し、政権に就いて果たしてやっていけるのだろうかという不安があるのも確かだ。

 現在のマスコミの報道や小池の持ち上げ様は、八年前、その中身も分からずに「自民党にお灸を据える」という単純な図式で、民主党を支持し、政権交代したあの時の異常さとダブって見える。

 一方で自民党は、総選挙では「人づくり革命」「生産性革命」を訴えるという。悲しい哉、その「人創り」とは、教育の無償化などのバラ蒔きであり、教育の中身が論じられることはない。

 これは、民主党政権時代の目玉でもあった「子ども手当」とさほど変わらない。選挙目当ての愚策と断じて好かろう。

 民主党による政権交代が騒がれていた当時、「自民党への不満、民主党への不安」と揶揄されたのは記憶に新しい。今回も同様に「自民党への不満、希望の党への不安」という声が何処からか聞こえて来そうだ。

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