2017年04月

2017年04月29日

「昭和の日」に思う

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 本日は「昭和の日」といことで、新聞に福島県神社庁の「祝祭日には国旗を揚げましょう」という広告が出てた。祭日の国旗掲揚に異論はないが、ハッピーマンデーや要らぬ祝日での国旗掲揚には違和感を覚える。

 正月元旦(四方節)から始まり、師走の天皇誕生日(天長節)まで16の祝祭日があるが、5月3日の「憲法記念日」と4日の「みどりの日」「山の日」などの祝日は廃止し、「成人の日」や「体育の日」「海の日」の天下の愚策であるハッピーマンデーによる祝日は元の謂れのある日に戻すべきだ。

 神社庁が啓蒙すべきは、春分の日を「春季皇霊祭」、秋分の日を「秋季皇霊祭」とし、建国記念の日は「紀元節」、勤労感謝の日を「新嘗祭」に名称を戻し、4月3日の「神武天皇祭」と10月17日の「神嘗祭」を復活させることだ。

 閑話休題。「昭和の日」とは、昭和天皇の御遺徳を忍び、改めて平和とは何か、先の戦争とは如何なる戦いであったのかを考える日である。

「自存自衛と大東亜の開放」を掲げて戦われた先の大戦を、世界の国々は評価しているにも関わらず、国内では自虐史観から目覚めることなく、「侵略戦争」と断じ、現代の倫理観や安っぽい平和主義から「間違った戦争だった」と一方的に反省することに意味があるとは思えない。

 では、世界では先の大戦を如何に評価し、どの様に受け止められているのか。 一部だが羅列してみよう。

「第二次世界大戦で、日本人は日本の為というよりも、寧ろ戦争によって利益を得た国々の為に偉大な歴史を残したと云わねばならない」(アーノルド・J・トインビー(イギリスの歴史学者))

「日本の敗戦、それは勿論東南アジア全域の独立運動には決定的な意味を持っていた」(ジョイス・C・レブラ(コロラド大歴史学教授)著書、東南アジアの開放と日本の遺産)

「日本占領軍が、インドネシア民族主義の為に行った種々の仕事の中で最も重要なものの一つは、正規軍や軍事組織を創設してそれに訓練を与えたことである」ジョージ・S・カナヘレ(政治学博士)

「本当に悪いのは侵略して権力を振るっていた西欧人で、日本は敗戦はしたが、その東亜の開放は実現した。日本の功績は偉大である」(サンティン、アムステルダム市長)

 タイの元首相・ククリットプラモードの、「日本のお蔭でアジア諸国は全て独立した。日本というお母さんは難産して母体を損なったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民が、米英と対等に話せるのは誰のお蔭か。それは、身を殺して仁を成した日本というお母さんがあった為である」という言葉は余りにも有名。

 他にもマレーシア上院議員のラジャー・ダト・ノンチックやインドのラダ・クリシュナン大統領、スリランカのジャヤワンルデ大統領、ビルマのバー・モウ首相、シンガポールのゴーチョクトン首相。キューバのカストロ首相やチェ・ゲバラも先の大戦を評価している。

 我が国を讃えた外国人も数多く、「大日本」「日本精神」の著者モラエスや、日本の文学作品を残し、本当の日本を世界に伝えた小泉八雲(アフカディオ・ハーン)もその一人。

 アーノルド・トインビーは伊勢神宮を参拝した際に、「この聖なる地域で、私は全ての宗教の根源的な統一を感じた」と喫驚した。

 熱心な平和主義者のアインシュタイン博士は、日本への思いを次の様に述べたという。

「世界の将来は進むだけ進み、その間幾度か争いは繰り返され、最後には戦いに疲れて必ず真の平和を求めて世界的盟主を挙げねばならぬ時が来るであろう。(略)世界の文化はアジアに始まりアジアに帰り、それはアジアの高峰『日本』に立ち戻らねばならぬ。我々は神に感謝する。天が我等の為に日本という尊い国を創ってくれたことを・・・」

 東京裁判で大東亜戦争を「侵略戦争」と断じたウエップ裁判長も後に、「天皇は神だ。あれだけの試練を受けても帝位を維持しているのは神でなければ出来ない」と驚嘆した。

 やはり我が国は神の国であり、昭和天皇は現人神であらせられたのだ。

 昭和天皇崩御での服喪国は34ヵ国に及び、大喪の礼には実に193ヶ国国の元首や代表が集まったことは、歴史上空前の出来事だった。

 正に昭和天皇はアジア、そして世界の救世主であらされたのである。

 すめらみこといやさか。すめらぎいやさか。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

cordial8317 at 07:05|PermalinkComments(0)

2017年04月28日

米国依存体制から一国独立し、真の主権回復を目指さねばならない!

 にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 本日は「主権回復の日」。昭和27(1952)年4月28日に、サンフランシスコ講和条約が発効し、第二次世界大戦後、停止状態にあった我が国の主権が回復した日に因んで安倍政権下で決定した。

 名目的には大東亜戦争が終結し、主権が恢復した日なのではあるが、未だに続く米国依存、米国追随の体質をみれば「主権恢復」とは名ばかりで、敗戦から抜け出たとは言えない悲しい現状が続いている。

 昭和27年4月28日、同日、「日米平和(旧日米安保)条約」が発効。そして昭和35(1960)年「日米の相互協力及び安全保障条約(新日米安保条約)」が発効したことに伴い「日米平和条約」は失効する。

 この歴史的事実こそが、日米関係の日米関係たる所以である。

「国防」という国家の大本を忘却し、まやかしの平和を貪り続け、魂亡き繁栄に現を抜かす根源こそが「日米安保条約」であり、安保条約の解消無くして真の独立は果たせない。

「国防」無くして真の主権回復など在り得ない。「国防」とは、領土の防衛だけではなく、「それを失ってしまえば日本では無くなってしまうものを死守すること」であり、つまりは歴史・伝統・文化を守ることであり、畢竟、皇統を死守することに在る。

 端的に言えば、諸悪の根源である現憲法を破棄し、米国依存体制からの脱却を図り、国防体制を確立せねば完全な独立と主権の恢復は成されないということである。

 米国製のインチキ憲法を有難がり、米国の価値感にどっぷり浸っているが、米国への依存体質が続くのと比例して、我が国の国柄と矜持が失われて行く様をこのまま拱手傍観してていい筈がなかろう。

 主権の恢復する上で何より大事なことは「一身独立」である。福澤諭吉はそれをこう訓えた。

「貧富強弱の有様は、天然の約束に非ず、人の勉と不勉とに由って移り変わるべきものにて、今日の愚人も明日は智者となるべく、昔年の富強も今世の貧弱となるべ し。古今その例少なからず。我日本国人も今より学問に志し、気力のたしかにして先ず一身の独立を謀り、随って一国の富強を致すことあらば、何ぞ西洋人の力を恐るるに足らん。道理あるものはこれに交わり、道理なきものはこれを打ち払わんのみ。一身独立して一国独立するとはこの事なり」

 本日4月28日の主権回復の日に当たり、米国依存体制から一国独立し、真の主権回復を目指さねばならない。

 にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます! 

cordial8317 at 05:29|PermalinkComments(0)

2017年04月26日

【白河以北一山百文(しらかわいほくひとやまひゃくもん)】とはよく言ったもので

 にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 今村雅弘復興大臣がまたやってくれた。流石に安倍も庇い切れず更迭し、後任には本県五区の吉野正芳が就く。

 前回の「自己責任」発言は、左翼活動家であるジャーナリストが「福島はこれからもずっと人の住めない土地であり、国が援助するのは当然だ」との認識から執拗に質問を繰り返しており、今村の言い分にも三分の理があるが、今回の「まだ東北で良かった」との発言は救い様がない。

「東北地方でこれだけの甚大な被害なら、首都圏だったら」と言えば済む話しで、「東北で良かった」とは語彙の乏しさ、国語力の無さが成せる業だが、自分の発言自体を理解しておらず、やはり東北を軽視していたということだ。まさか、原発事故も「福島で良かった」などとは思ってはいないだろうな。

 戊辰戦争以来、新政府軍を率いる薩長土肥連合は東北地方を卑下し、【白河以北一山百文(しらかわいほくひとやまひゃくもん)】と揶揄した。

 その意味は「白河の関所より北の土地は、一山で百文にしかならない荒れ地ばかり」という侮蔑した言葉だが、今村は佐賀県出身、昔の肥州ということをしても、やはり東北への偏見が潜在的に残っていたのだろう。

 歴代の復興大臣を思い出しても、民主党政権下では部落解放同盟の松本龍が「九州の人間だから、何市がどこの県とか分からん」と東北を蔑視、その後の安倍政権下では石原伸晃が中間処理場建設が進まない中で「所詮は金目でしょ」と福島県民を愚弄したことは記憶に新しい。

 安倍は「福島の復興なくして日本の再生はない」などと口にするが、歴代の復興大臣を見るまでもなく、被災地の復興というものを軽んじてるのではあるまいか。

 東日本大震災が起きて間もなく、陛下は国民にこう訴えたことをお忘れか。

「被災した人々が決して希望を捨てることなく、身体を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう、また、国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者と共に夫々の地域の復興の道のりを見守り続けて行くことを心より願っています」

 この未曾有の国難ともいえる事態に、国民一人一人が陛下の大御心に応える為にも、労わりあって、この不幸な時期を乗り越えて来たというのに、先頭に立つべき復興大臣がこれではホント呆れ甚し、余りにも情けない。

 「白河以北一山百文」とは、東北人にとって屈辱的な言葉ではあるが、東北人はそれにめげずに奮起する糧とした。

 平民宰相といわれた原敬は南部藩の士出身。戊辰戦争に於いて、南部軍を率いた家老楢山佐渡が薩長に敗れて切腹した際には、 人目も憚らず寺の塀沿いを「満眼に悲涙を湛えて歩いた」という逸話が残っている。この時、原敬14歳。

 彼の悲願は東北に対して「白河以北一山百文」などという、薩長主体の藩閥政治を打倒し、政党による政治体制を創ることにあった。 雅号の「一山」が、その反骨精神をよく顕している。

 今村の「東北で良かった」発言は、「白河以北一山百文」と同じ様な侮蔑であるが、東北人の我慢強さと反骨精神を侮ること勿れ。

 にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

cordial8317 at 07:08|PermalinkComments(0)

2017年04月24日

「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」なんぞ解散してしまえ!

 にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 靖國神社春季例大祭当日祭の21日、超党派の議員連盟「みんなで靖國神社へ参拝する国会議員の会」のメンバー95人が靖國神社へ集団参拝した。

 国会議員約720人いる中でたった95人でも「みんなで・・・」なんて言って参拝して悦に入ってるのだから罪がない(苦笑)

 数年前には保守ブームもあり、平成以降最多の168人が参拝したのも束の間、ここ数年は90人余り、要は保守ブームに陰りが見えてきた証左でもある。

 保守派の取り込みを狙ったパフォーマンスでしかないが、こんなことでは靖國神社の国家護持は愚か、陛下の御親拝などは夢のまた夢だ。

 世間では首相の参拝を熱望する声が絶えないが、安倍首相は今では恒例となった真榊奉納で事を濁した。だが、悲しい哉、抑々、総理や国務大臣が靖國神社への参拝することは現憲法20条違反に問われ兼ねない行為なのだ。

 靖國神社の存在を否定し、首相や閣僚の参拝に反対し、また石破茂を筆頭に所謂「A級戦犯分祀論」を唱える政治家は後を絶たないが、これもまた靖國神社側への政治介入並びに威圧行為であり、同じく憲法20条第三項に違反する行為であるのは最高裁の判例が示す通り。

 高市大臣が参拝したことで、菅官房長官が頻りに「個人的参拝」を強調するのも、現憲法に抵触するとの認識を共有しているからに他ならない。

 だが、国家の為に尊い命を投げ出された英霊に対し、国民の代表である政治家が感謝の誠を捧げるのは当たり前のことであり、議論の余地などないし、誰かに慮る必要も中米韓の内政干渉に屈する必要もない。

 靖國神社というのは戦後、GHQの統治下で行われた「神道指令」によって、解体や焼き打ちが検討された。だが、当時の関係者らは智慧を絞り、GHQの目を逸らす為に一時的に別な御祭神を祀り、「一宗教法人」として存続を図った。

 本来ならば、昭和27年4月28日に我が国の主権が恢復した折に、靖國神社と全国の護国神社は「宗教法人」格を取っ払い国家で管理するべきだったのだが、政治の怠慢と無作為でそれをも成されずに現在に至っている。

 石破茂ら戦犯分祀論派議員らは、憲法20条に抵触しない様にと、「陛下が参拝できるように、靖國神社側が自ら静謐な環境をつくることが望ましい」などと言って国民を誑かしているが、それを言うなら「御親拝遊ばされる環境」だろう。

 こうした言辞でも石破らの胡散臭さが顕れているが、御親拝に向けて静謐な環境を整備することには異論はないが、分祀論などの政治介入や威圧行為に違和感を覚えると共に、靖國神社側がそれに応じることはない。

 靖國神社は現在「宗教法人」となっているが、これは前述した通り、GHQが国家と神道の分離を謀った「神道指令」下、靖國神社の護持に苦慮した当時の関係当局の「緊急避難行為」であり、実態は宗教ではない。

 宗教というのは新興宗教でも分かる様に、「教祖・経典・布教活動」の三要素を必須不可欠とするが、靖國神社にはその一つも無く、唯、祀りの様式を日本古来の神道に則って行っているに過ぎない。

 尤も、過去の総理大臣の参拝に見られる様に、二拝二拍手一礼が強制されてる訳でもなく、参拝者の意志や宗派を尊重している。

 靖國神社の国家護持を図る上では、この「宗教法人」を見直すことが肝要であり、先ずは靖國神社の宗教法人格を外すことから進めるべきだろう。

 自民党は過去に、衆参両院議員選挙の際のその公約の一つとして、「身を挺して国に殉じた英霊を祀る靖國神社の公式参拝と国家護持の実現を図る」という政策を幾度となく掲げて来た。政権政党として至極当然の認識と政策であろう。

 だが、自民党は過去に幾度も安定多数の議席を確保しながらもその公約は実現せず、昭和49年の参議院での審議終了による廃案以来、この「靖國神社法案」は提出されることは無くなった。これ即ち、自民党のやる気の無さの現れでもある。

「みんなで靖國神社へ参拝する国会議員の会」が真に英霊の顕彰を図るなら、超党派の議員で「靖國神社法案」を提出し、靖國神社国家護持と陛下の御親拝に向けての道筋を付ける為に政治生命を賭けよ。

 そうしたことも出来ないなら、「みんなで靖國神社へ参拝する国会議員の会」なんぞ早々に解散してしまえ!

 にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

cordial8317 at 05:33|PermalinkComments(0)

2017年04月21日

明治維新の戦いで斃れた全ての戦没者の合祀を図るべし

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

 本日から靖國神社では春季例大祭が斎行される。ここ数年、退っ引きならない事情で参加してないが、心参して感謝の誠を捧げたい。

 安倍総理は今や恒例となった私費での真榊奉納で保守層を誑かすのか。何れにしても総理や政治家らが参拝することで靖國が騒がしくなるなら、政治家なんぞ靖國にかかずらって欲しくはないというのが正直なところ。

 いっそのこと千鳥ヶ淵墓苑を米国のアーリントン墓地の様に造り直し、国立戦没者墓苑を創ればいいし、政治家はそっちに参じればいい。それでも多くの国民は靖國神社に詣で感謝の誠を捧げるだろう。

 いい加減、靖國神社へのアホ臭い議論はもう終わりにして貰いたいし、米中韓の不当な内政干渉に何時まで屈するつもりか。

 首相の公式参拝は当然のことであるが、現憲法下でそれが赦されていないのならば参拝は控えるべきで、「私的参拝」ほど英霊を愚弄する行為はない。また首相や閣僚の参拝を批判する勢力も憲法を蹂躙していることに気付くこともない。

 世界のどんな国も「英霊」には最大の名誉が与えられている。例えば、米国の歴代大統領は、アーリントン国立墓地の囁きに触れ、オバマ前大統領は「負けた戦争」であるベトナム戦争も取り上げてその英雄的な精神を賞賛する。

 米国に比べ、日本は悠久の歴史と民族の一体性に恵まれているのだが、皮肉なことに国の礎となった英霊の方々は国家から顧みられることが少ない。

 こうした政治家の怠慢と不作為が、国民精神の頽廃を招いている元凶であると言っても過言ではなく、愛国心の欠落、その結果としての国防意識の低下、日本人としての誇りや自信の喪失、子殺しや親殺し、等々、日本の社会に蔓延する問題の全てはそこに起因している。

 首相や閣僚の参拝を合法化するならば靖國神社の「宗教法人格」を外し、国家で管理すればいいだけの話しなのだが、自民党や保守派は「靖國法案」を提出することもなく、参拝のパフォーマンスばかりで全く遣る気が無い。

 政治家の参拝なんぞどうでもいい話で、何より大事なのは陛下の御親拝の実現を図るであり、御親拝によってこそ英霊は安らかに眠れるのである。

 また「鎮霊社」なる死者の選別も見直すべきだろう。それには戦後政治の総決算と同じく、明治新政府による様々な不条理も検証するべきであり、靖國神社こそその不条理の代表的な事例であろう。

 我が故郷の二本松藩や会津藩は「朝敵」と断じられ続けているが、抑々「朝敵」なんていう言葉はない。我が祖先は「東軍」である。

 この「朝敵」と差別され続けている方々を「鎮霊社」という別なカタチで祀ることと、朝敵をも本殿に祀ることと、そのどちらが現代という時代に即して天皇(すめろぎ、すめらぎ)が顕現される道なのか。

 やはり「朝敵」と蔑視され続ける方々を祀り、名誉の恢復を図ることこそ大事であり、死者の選別を続けることは日本人の死生観にもそぐわない。明治維新の戦いで斃れた全ての戦没者の合祀を図るべし。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

cordial8317 at 07:17|PermalinkComments(0)

2017年04月20日

仁侠道の精神が欠落してる暴力団を排除しよう!

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

 今や右翼の99%は暴力団の傘下になったりヤクザと関わりがある。個人的な付き合いを否定するものではないが、資本主義の申し子というべきヤクザに、反資本主義であるべき右翼が随うというのは如何なものか。

 愚生の場合、ヤクザの知り合いもいるし、一盞を傾けることもあるが、「暴力団は仁侠道に立ち返るべき」と暴力団追放を主張している(笑)

 警察やマスコミは、「犯罪の背後には必ず反社会勢力の存在がある」と断じ、暴力団の壊滅を目指すべきだと主張するが、反社会勢力が「悪」だというのなら、極左や日本共産党、民進党も立派な反社会勢力だろう(笑)

 暴力団=ヤクザ=任侠ではない。仁侠というのは江戸時代、口入(くちいれ)家業を生業にした肥後の武士で町奴・幡随院長兵衛(ばんずいいんちょうべえ)が祖とされている。

 仁侠とは、「仁」に狂うことこそ大事で、「狂う」とは陽明学でいうところの「本気でやる」とか「一途に打ち込むこと」をいうが、つまり「仁侠」が本来の「仁に狂う」ならば暴力団に成り下がることはない。

 親分に狂い、兄貴分に狂う。本気で仕え、ホンモノの男であろうと修行するものだが、それが最近は「振り込み詐欺」に見られる様に老人や弱者を食い物にしてカネに狂ってるから始末が悪い。これの何処が任侠なのか。

 「仁」とは己に克ち、他人を労わり、思い遣ることであり、つまり男気に熱く、弱い者を思い遣って助け、悪事を働く強き者を挫き、義の為には命を惜しまない気風を仁侠というが、それなら余っぽど愚生の方が仁侠だ(笑)

 昭和が終わり、平成になりバブルなどもあって、ヤクザは男を売る稼業から「カネも器量のうち」などと、カネこそが器量だという風潮になってしまった。

 山口組三代目の田岡一雄組長も四代目の竹中正久組長も、在日外国人は「若頭」や「若頭補佐」などの幹部には登用しなかったという。

 これは、朝鮮人ヤクザに日本古来の武士道精神や古事記に登場する須佐之男命を理解させるのは至難の業、到底無理だと分かってたからだという。

 況してや天皇陛下を敬うと云うのは論外であり、仁侠道と雖も朝鮮人ヤクザの「民族の団結」の前には軽く一蹴されてしまう。

 日本人ヤクザというのは確かに義には篤いが、如何せん金儲けというのは下手なのが多い。その点、朝鮮人というのは商才に長けた者が多く、平成に入り、昭和の時代の古き好きヤクザは廃り、営利至上主義的暴力団が席捲して行く。

 「暴力団撲滅」というが、資本主義の世の中でその資本主義の弊害というべき暴力団を排除するのは困難だろう。今の警察のやり方では益々暴力団化、或いはマフィア化していくのではなかろうか。

 ヤクザもヤクザで、老人や弱い者を騙して仁侠だとは厭きれるばかり。やはり、暴力団も「暴力団」と断じられてる悪因悪果を自戒すべきだ。

 ヤクザになる目的がカネが欲しいからというのも寂しい限り。確かにカネはあれば便利だが、カネよりも男気を求め家業入りした初心の思いを忘れることなく、ヤクザ本来の「仁侠道」の精神に立ち返るべきだろう。

 社会も「暴力団=恥ずかしい」とか「暴力団☓、仁侠〇」だとか、昔の町奴の様な粋で鯔背なホンモノの任侠が増えれば社会も明るくなるかもよ。呵呵。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉


cordial8317 at 07:38|PermalinkComments(0)

2017年04月19日

陸上自衛隊、国際連合南スーダン共和国ミッションから撤収開始

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログランキング応援バナーのクリックに御協力を♪

 南スーダンで国連平和維持活動(PKO)に邁進して来た陸上自衛隊は撤収を開始、2012年から5年に及ぶ活動は一旦幕を閉じる。

 我が国の国際的活躍は世界が認めるところであり、中でも自衛隊によるPKOの貢献は我が国の誇れる活動であろう。

 南スーダンのPKOには、地元の陸上自衛隊郡山駐屯地からも派遣され、国際連合南スーダン共和国ミッションに参加している。

 以前、郡山市の会報で、南スーダンでのPKO活動に参加した女性自衛官の幸田麻美さんと佐藤志絵梨さんの二人が紹介されたことは記憶に新しい。

 国際連合南スーダン共和国ミッションとは、2011年に独立した南スーダン共和国を支援する為に発足されたPKO活動で、翌年から自衛隊を派遣し、インフラ整備などを行って来た。二人は取材にこう応じる。

「世界には、支援を必要とする発展途上国が数多く存在します。テレビなどで報じられる現状を見て、私達にでも出来ることがあるのではと思い今回の任務に参加しました」

「私達が行った活動は日本から派遣された隊員の炊事です。派遣から3ヶ月が経った頃、郡山市から激励品としてあさか米が寄贈されたときは嬉しかったです。久しぶりに食べる故郷のお米は、隊員の間でも好評でした」

「現地での活動を通して、発展途上国への支援の必要性を改めて実感しました。途上国の多くは、インフラの整備が不十分で、多くの道に歩くのが困難なほどの大きな穴が開いています。雨が降ると水が溜まり、そこから蚊が大量に発生して、マラリアなどの感染リスクを増加させます」 

「派遣中、戦争孤児の施設を訪れる機会があり、折り紙やけん玉などで交流をしました。無邪気な笑顔を振りまく子供達と触れ合い、私達が出来る支援とは何かを改めて考えさせられました」

「任務に参加することで、日本に居ては分からない世界の現状や、国際支援活動の重要性を知ることが出来ました。今後もこの様な機会があれば参加したいです。私達の活動が世界の平和に繋がることを願います」

 どうだろう。幸田さんも佐藤さんも、安全保障関連法案で騒いでたあのSEALDsの若者と同年代だ。日本人として何故にこうも違うのか。

 マスコミはSEALDsを持ち上げ、安保関連法案を「戦争法案」とのレッテルを貼り、自衛隊の活動は全てが戦争に繋がると扇動したが、彼女らの活躍でも解る様にPKO活動は平和維持がその主たる目的である。

 安全保障関連法案も、日本国と国民を護る為のものだけではなく、自衛隊員を守る為のものであるというのは言うまでもない。

 南スーダンでの日報を破棄したと稲田大臣の対応を責め、南スーダンで戦闘行為があったのではないか、自衛隊員が万が一犠牲になったらどうするのかだとか、然も自衛隊員を心配しているが、実に白々しい。

 過去にはPKO活動で亡くなられた日本人もいるし、「武力衝突」だろうが「戦闘行為」だろうが、そんな言葉遊びに意味はない。

 稲田にしろ安倍にしろ、堂々と「平和というのは創り出さねばならない。その為に自衛隊員に若しもの事があれば国家としてどう慰霊し顕彰していくかということを考えなければならない」と何故に国民に堂々と訴えられないのか。

 自衛隊員も警察予備隊発足から1870名以上の自衛官が殉職されている。本来、こうした犠牲者は英霊として靖國神社へ祀るべき存在にも係わらず、そうした議論もせずに自衛隊員へにその職務の遂行のみを強いて、また日頃、自衛隊を蔑視していながら自衛隊員の犠牲を語るとは実に烏滸がましい。

 朝鮮戦争当時、自衛隊発足が間に合わず、極秘裏に派遣された海上保安庁の掃海艇を派遣、その内の一隻が触雷沈没し1名が犠牲となった。

 これは海上保安庁の職員ではあるが、事実上の戦死にも拘らず未だに戦死と認められていない。南スーダンでの自衛隊員に犠牲が出れば、同じ様に殉職死が無駄死となってしまうことを危惧せざるを得ず、官邸筋が「死傷者が出れば政権が吹っ飛びかねない」というのはそういうことだろう。

 軍隊とは任務の為なら死をも厭わぬ集団である。国家・国民の為に犠牲となれば国民挙って感謝の誠を捧げるのは当然であり、国民の義務でもある。

 政府や国会は殉職自衛隊員を如何に慰霊し、顕彰して行くかという根本的議論が抜けているのだ。国民不在の不毛な議論を何時まで続けるつもりか。

 二人の女性自衛官の話に戻すが、佐藤さんは、幼少期から空手を習っていて、派遣時には他国の隊員と共に空手の稽古を行い交流を謀ったという。二人の素晴らしい行動力は、郡山市民としても、日本国民としても実に頼もしく誇らしい。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログランキング応援バナーのクリックに御協力を♪

cordial8317 at 05:19|PermalinkComments(0)

2017年04月18日

米朝一触即発、北朝鮮の民主化と朝鮮半島の安定化に繋がるか

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログランキング応援バナーのクリックに御協力を♪

 北朝鮮は一昨日、弾道ミサイル発射を強行するも直後に爆発。失敗は米国によるサイバー攻撃とも言われているが、発射すれば米国からの攻撃は避けられず、発射しなけりゃしないで金正恩のメンツに関わるし、米朝の駆け引きは続きそうだ。

 北朝鮮の正式名称は「朝鮮民主主義人民共和国」だが、民主主義でも人民の国でもなく「金一族」の個人独裁の世襲全体主義国家である。

 日本人を拉致し、ニセ紙幣を偽造し、覚醒剤を密売し、ミサイルを製造し輸出し、旧社会主義に内在した悪の本質が体制化したヤクザ国家というのが正しい。

 何百万の餓死者が出ても歯牙にもかけず弾道ミサイルを開発し、核開発に狂奔していたのは誰もが知るところ。

 今正に、一触即発の状況だが、金正恩体制の北朝鮮を殲滅し、民族統一を図り、朝鮮半島を真の民主主義に建て替える好機となるのだろうか。

 我が国は拉致問題もあり、過去のミサイル発射や核実験などに対抗する措置として対北朝鮮への経済制裁を実行している。「経済制裁」とは「宣戦布告」と同じあり、戦争状態でもあるのだがそうした認識に乏しい。

 先の大戦直前、我が国は米国、英国、中華民国、オランダから所謂「ABCD包囲網」によって経済封鎖に追い込まれ、これが我が国が自存自衛の為に大東亜戦争に突入した要因になった。

 北朝鮮への経済制裁も、米国への忠誠も、先の大戦直前の我が国と同じ状況を作っているとの認識と覚悟を持つべきだろう。

 そうした危機感の無さが、国民不在の国会審議となり、相変わらず森友学園だとか、今村環境大臣が~ってな不毛な議論が繰り返されている。

 原子力空母カール・ビンソンが朝鮮半島に睨みを効かせてる中で、北朝鮮にしても下手な挑発は出来ないだろうし、失敗して我が国に着弾となれば、米軍はここぞとばかりに総攻撃を仕掛けるだろう。

 そこまでの一線は超えないだろうと普通は思うが、金正恩のことだから何をするか分からない。一歩間違えば我が国に被害が及ぶのは避けられない状況ではあるが、考え様によっては金正恩体制を崩壊させる千載一遇の好機でもある。

 拉致問題は、国際的な分析の甘さと北朝鮮に対する甘やかしと認識不足による中途半端な弱腰軟弱外交が未解決の元凶であるが、米国支援を表明した以上、我が国も犠牲覚悟で臨まなければならない。

「政治とは血を流さない戦争であり、戦争とは血を流す政治である」と言ったのは毛沢東だが、我が国も、政治にしろ外交にしろ、血を流さないが「戦争である」という気概を持たなければ多くの諸問題の解決は図れまい。

 安倍首相は「戦後70年、我が国は平和国家としての道を歩んで来た」と胸を張ったが、その実は日米安保条約により米国の軍事力の庇護の下でのまやかしの平和を享受して来ただけに過ぎない。

 シリアへの空爆や中東などでの米軍支持や、NATO諸国への後方支援は、我が国も戦争に参加して来たという紛れもない事実である。

 いい加減、キレイゴトは止めるべきで、北朝鮮と米国が戦争となれば、我が国も強力に米国を支え、拉致された邦人の救出に全力を注ぐと共に、北朝鮮の民主化と朝鮮半島の安定化に寄与するべきだ。

 いつまでも党利党略から不毛な国会議論をしている場合ではないぞ。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログランキング応援バナーのクリックに御協力を♪

cordial8317 at 04:43|PermalinkComments(0)

2017年04月16日

人の多くは自分の意見や理論こそが正しいと思っているが

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←応援クリックに御協力を♪

 アドルフ・ヒトラーはこう訓える。

「人間というものは知性に根拠を持たず、大抵は無意識に、ただ感情によってのみ支えられた先入観に囚われていることが稀ではない。こういった本能的な嫌悪、感情的な憎悪、決めつけられた拒否というような柵を乗り越えることは、欠点のある、或いは誤った学説を正しく直すことよりも千倍も困難である」

 正義や良識というのは己の価値観であってそれが正しいかというとそうでもない。特に正義となればその正義は真逆な場合が多い。

 米国の行動を正しいと思う人もいれば、リビアや北朝鮮の様に米国の圧政を不正義だと思ってる国も在れば、中共の弾圧で苦しむ国には正義という行動さえも容易に敢行出来ない国も在る。

 愚生の場合、己の意見が万人に正しいものだとは思ってはいない。右翼を自任する者として、日本国民であるならばこう考える、こう行動しなければならないというものであって、それを絶対無謬で右翼共通のものだとの驕りもない。

 人の多くは自分の意見や理論こそが正しいと思っている。SNSの世界も同じで、自分の意見と異にする者を説き伏せようとしたり、感化させようとしたりする。だが、固定観念や先入観に囚われてる屁理屈ってのは実に厄介なものでもある。

 意見の隔絶してる者を翻意させることなど到底無理なことなのだが、それにも気付かずに意味の無い論争をしている様子は気の毒にも思う(笑)

 論争で理論的な間違いは指摘出来ても、相手側がこちらに「敬」を抱くことがなければ、喩えそれが正論であり、また相手を慮っての意見と雖も、相手に通ずることも受け容れることはない。

 左翼というのは確信犯だから翻意することはないが、無自覚左翼という戦後民主主義者にはこの手が多く、聞く耳を持たず、偏狭な屁理屈を垂れる輩が多い。

 まぁ、右でも左でも、どっちにしても、人というのは「好きか嫌いか」が重要であって、「正しい」とか「間違ってる」という基準もまた「好きか嫌いか」であり、好きなものは精神的に正しいと思い込んでいるに過ぎない。そんな嫌われてる相手に幾ら熱く語ったところで疲れるだけだ。

「生理的に合わない」とか「以心伝心」というが、自分が嫌いだとか苦手だなと思ってるいる相手は、向こうも同じ様に感じているものだ(笑)

「人に意見や指導をしてその人の欠点を直す」ということは大切なことであり、親切心であり、慈悲の心だとも言えるが、意見される側が、それを受け容れる気持ちが無ければ単なる「余計なお世話」でしかない。

 意見というものは先ず、その人がそれを受け入れられるかどうかを見極めることが大事で、相手と親しくなり、自分を信用して受け容れる状態になってからでないと意味はないし通じることもない。

 食事や痛飲しながら相手に心を許し、自分の失敗談を話し、意見を言わなくても、相手に思い当たる様に仕向けることが出来れば上出来。相手の長所を褒めながら、その上で欠点を指摘し直すというのが親切心であり、本来、意見とは斯く在るべきなのだ。

 人は「好きか嫌いか」であるというのは実に正鵠を射たもので、喩え声を大にして正論を吐いたところで、相手に通じないのは世間から忌み嫌われているということ。要は好きじゃないということに尽きる(笑)

 まぁ、立派な主張が通じないのは理論よりも人柄や人格に問題があるとしたら、その性格や人となりを磨くのは容易なことではない。呵呵大笑。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←応援クリックに御協力を♪

cordial8317 at 06:04|PermalinkComments(0)

2017年04月14日

徒然なるまゝに、その日暮らしシリーズ

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←応援クリックに御協力を♪

 最近は活動家としての政治批評のブログよりも、食べ歩きのブログやどうでも地元ネタのブログ方が好評なのはチョッと複雑(笑)

 まぁ、政治の問題というのは余り興味もないし、同じ様な内容の記事をしょっちゅうアップしてると、近くの神社や寺を有難く思わないのと同じで軽く思われるのは仕方ない。有料会員にするとか、勿体付けた方がいいのかもなぁ(笑)

 相変わらず算段に余念がないが、講演依頼も無く、暇を持て余してるから精精ブログの更新が関の山。もう活動家というより貧乏ブロガーだな(笑)

 我が国の収入(歳入)を家計に喩え分かり易く説明すればこうだ。

 年収が500万円(歳入約50兆円)ほどだが、生活費が年に1000万(100兆円)ほどかかる。借入金は1億円(1000兆円)余り。その借入は友人知人から借りて月々の利息は払っているが、その利息分をまた借り入れる悪循環。

 尤も、年収が500万あれば、借金の1億円くらいはなんてことはない額だと感じるのは愚生だけだろうか(笑)

 愚生の場合、震災以降、年収が100万円も満たない年が続いている。

 「出れば出銭」ということもあり、付き合いはなるべく最小限にしているが、それでも借金に借金が殖え年間約500万円ほどの赤字になる。

 このまま行けばギリシャの二の舞だが、そんなギリシャにも支援の手が差し伸べられるのだから、愚生も悲観はしていない(笑)

 震災前には結構あった借金も減り、どうにか返済に目途が立ったと思いきや、震災で先行きが怪しくなった。

 それでも、僅かな支援者や貸し手がいるから未だ救われている。

 まぁ、マジメに働いて返すのが一番だし、働いてた方が余計なことを考えないで済むので楽だとは自覚しているがその簡単なことが中々出来ない。

 都合のいい右翼人には成りたくないと思っているし、単なるプライドだろうが、浪人としてもホンモノで在りたいと思っている。

 今の時代、何の職業でもそうだが、「らしい」人やプロ意識、職人気質が乏しくなってしまった様に感じる。

 サラリーマンでも公務員でも議員でも、或いはパートのおばちゃんでも誰でも、報酬を貰えばプロだ。

 だが、「雇われている」というより「働いてやっている」という意識が強く、また単なる時間潰しで就職している者も少なくない。

 給料とは昔でいう俸禄であり、侍(さぶら)うという自覚もない。

 「侍う」とは「仕える」という意味だ。

 自分の夢がありながら、目先の生活に困窮し、或いは分不相応な生活を望んで、結果、目先の「食える」職業を選択する。

 「好きなことをやり、それで食えるようになりたい」と思うのならば、それに向かい懸命に努力し、我慢し、試練に耐えながら必死に生きればいいが、今の時代、夢なんぞ二の次で、アルバイト程度で食えてしまうから始末が悪い。

 これではプロやホンモノは育たない。

 目先の仕事にあり付いて、食えることを優先するというのは、それは単なる自分自身への誤魔化しであり、畢竟、プロやホンモノへの侮辱でもある。

 ボクサー・辰吉丈一郎を20年間追いかけたドキュメンタリー映画「ジョーのあした-辰吉丈一郎との20年」が公開されるという記事が出てたので読んでみた。

 辰吉も今や45歳。原則的に日本人ボクサーの「定年」は37歳だそうだ。その歳をとうに過ぎても尚現役に拘る辰吉の思いと魅力が、インタビューによって引き出されていく。

 この映画について、某雑誌のインタビューに応える辰吉の言葉が実に好い。

 現在の収入は?

 辰吉:まったくない。無収入。

 無収入? 生活は?

 辰吉:いうても僕、3回も世界チャンピオンになってますから(笑)。ファイトマネーを無駄遣いしてこなかったし、リングに立って稼いでいるわけではない以上は、貯金をおろして生活するしかないでしょ?

 過去には、数千万単位のCM出演を断ったとの伝説もあります。

 辰吉:うん。だって僕、タレントじゃなくてボクサーなんで。ボクサーがCMって違うと思うんで。小銭ならいいですよ? でも、何千万というお金を稼いではダメだと思った。

 後悔は?

 辰吉:一切ない。

 テレビを見ればプロのスポーツ選手が毎日の様にタレントの如くに出演し、CMにも登場するのは当たり前の時代、「だって僕、タレントじゃなくてボクサーなんで」とは中々言えた言葉ではない。

 これぞプロ中のプロだと思う。

 自分の生き方がありながら、目先のカネに飛び付いて、本業ではない仕事で食えることを優先するというのはプロとしての覚悟が乏しい証拠。

 インタビューは続く。

 世間からは「もう十分だろ」との声も届いていると思うのですが?

 辰吉:まがいものというのか、ひねくれているというのか。デビューの頃から僕は、普通が嫌やったんですよ。

 紛い物ではないこれぞホンモノ。捻くれている様にも見えるが、「普通が嫌だった」というこの気持ちと男の痩せ我慢は大いに共感出来る。

 ボクサーだろうが、サラリーマンだろうが、右翼だろうが、どんな仕事に就いて様が、あっちにコロコロ、こっちにコロコロと、要領のいい生き方をしてるヤツよりも、愚生はこうした信念のある削げ者が好きだ。

 愚生が右翼に入った昭和50年代というのは右翼ブームで、暴走族らが挙って入隊し、マスコミには「インスタント右翼」などと揶揄されたものだ。

 愚生も何百何千の右翼を見て来たが、殆ど残ることはなく、熱が醒めると去って行き、残ったのはホンの僅か。

 その残った者がホンモノかというとそうでもない。

 最近はそんなインスタント右翼時代よりも気軽に出入り出来る様になったし、右翼とサラリーマンの境もなくなった。

 これが好いことなのか、悪いのかは分からない。

 右翼と自称・愛国者とのボーダーラインが無くなったのは確かだろう。それと比例して右翼は怖さが無くなったし、何より牙がなくなった。

 今の保守ブームが去れば、自称・愛国者らも去って行くのは明らか。

 政治の世界も同じで、結局はホンモノとホンモノのぶつかり合い。大衆はどちらにも動くし、大衆の意見というのはそういうもの。

 我が国の不幸は、滅私奉公を忘れ、次の選挙や保身のことばかりで、ホンモノの政治家がいないことに尽きる。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←応援クリックに御協力を♪

cordial8317 at 08:05|PermalinkComments(0)

2017年04月13日

新聞社に公正を求めることは最早無理なのかも知れない

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

 30年程愛読した地元紙を止めて産経新聞を一年間購読するも、地元の情報が無いので再度地元紙を購読する様にした。

 別の保守的な論評を求めている訳ではないが、せめてリベラルを自任するなら公正な報道に努めて頂きたいもの。

 だが、相変わらずリベラルを穿き違え、リベラルとは程遠い、左翼の主張と違わない世論誘導にしか思えない論説が目立つ。

 リベラルとは自由主義であり、自由主義とは個人の価値や人格の尊厳性を重んじることではあるが、そこには郷土愛や祖国愛がなくてはならない。

 新聞という公共的なものであれば中立を重んじ、意見の解れる問題に関しては公正の立場で報じるべきで、公正とは是と非、表と裏である。

 如何せん、昨今のマスコミは反安倍の立場を強調する余り反体制的な読者の投稿を利用し、またそうした読者に阿る主張を垂れ流す。

 地元紙の投稿欄である「みんなのひろば」には、仄々とした記事は兎も角、政治的なものは共産党支持者ではと思いたくなる常連ばかり(笑)

 ここの所多いのは教育勅語への批判。森友学園を例に挙げ「教育勅語を肯定・閣議決定不適切」という投稿が載っていた。こうした方々の主張は共産党の機関紙・赤旗やビラに書かれている内容と酷似してるのは気の所為か(笑)

 教育勅語を否定してる一番の理由は「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ」で、これを「戦争があったら天皇の為に死ね」と曲解する。

 「戦前の子供はこれを暗誦し死んで行った」などと断じるが、教育勅語が渙発されたのは明治23年であり、ならば日清・日露戦争を戦った明治・大正時代の国難の時代を生き抜いた方々もそうだったのか。

 教育勅語は「滅私奉公」の前振りだと断じているが、国民として滅私奉公は当然のことで政治家にこそ求められる奉仕の心だろう。

 義勇公に奉じることを天皇や皇室に結び付けてるが、国家の為に犠牲を覚悟で戦うことが何故にダメなのか。自分達の国や愛する者の為に戦うのは当たり前のことだろう。それとも敗戦国の日本は未来永劫、米国に助けを求めろというのか。

 一方で、安っぽい平和主義を掲げ、国家の大本である防衛を担っている駐留米軍を批判するアホ左翼らの言い分には厭きれるしかない。

 現憲法13、14条では「信教の自由」「思想・信条の自由」が保証されている。政府が教育勅語を使用することを否定しないのは憲法を順守している結果であり、否定することこそが憲法20条第3項違反であることを認識すべき。

 福島県の新聞社ということもあり、被害者を演ずる余り、反原発の記事が多い。先の今村大臣の発言に対しての意見も、作為的な内容の記事を鵜吞みにした軽々しく幼稚な内容で、読んでて気の毒にも思えなくもない。

 最早、新聞社に公正を求めることは無理なのかも知れない。何故なら新聞社と雖も株式会社であり、広告主と読者に諂った意見を綴ることで営業が成り立ってる一面もあり、正義を振り翳してはいるが所詮は営利主義なのだ。

 何より、戦後、米国が徹底した戦後民主主義教育にどっぷり漬かった読者と、GHQによるマスコミへの言論統制の呪縛から解放されていない現状を見れば偏向するのは致し方無く、公正な報道を期待する方が無理というものか。 

 斯くいう愚生も投稿している。なるべく右翼的な主張は控えめしているつもりだが、投稿への反論や主張が通ることはめっきり無くなった。

 「岩代小浜の歴史と文化を護る会の取り組み」「原発再稼働・我が国の技術力を信じよう」「稀勢の里の優勝は日本人らしい判官贔屓」と、三回連続でボツでした。数日前に送った「米軍、シリアを攻撃」は採用されるだろうか(笑)

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

cordial8317 at 04:27|PermalinkComments(0)

2017年04月10日

自称・自主避難者に見る朝鮮人強制連行説との共通性

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

 安倍総理は一昨日、今月1日に避難指示が解除された福島県双葉郡富岡町を訪れ、今村復興大臣の発言について「大臣から既に謝罪をしているところでありますが、私からも率直にお詫びを申し上げたい」と述べ謝罪した。

 今村発言については、マスコミの作為的切り貼り報道に因って、国民の多くが福島県民を貶めたという捉え方をしてるが、「福島はこれからもずっと人の住めない土地であり、国が援助するのは当然だ」と執拗に繰り返して質問や雑言を浴びせ、被災地である福島を貶めてたのは今村大臣ではなく左翼活動家の自称・フリージャーナリストだろう。

 安倍や今村らにすりゃ言いたいことは山ほど在るが、パレルモ条約締結に向け「テロ等準備罪」などの重要法案審議を控えてる中で、要らぬ論争で無駄な時間を費やしたくないとの思惑が感じられるが、安易な謝罪は相手側にとって更なる譲歩を引き出す口実になるということも自覚した上での謝罪だったのか疑問が残る。

 今村に食って掛かった自称・フリージャーナリストの西中誠一郎は、中核派らと共に「反原発」「反基地」「従軍慰安婦支援」等等を謀る名うての左翼活動家である。

 西中の「福島はこれからもずっと住めないから国が責任を取れ」という言い分は、正しく「我々は強制連行させられた可哀想な民族であるから優遇されるのが当り前」という在日朝鮮人の言い訳と同じである。

 こうした悪質な質問に対し、法案成立優先から安易に謝罪したことで、自称・自主避難者らは国に対し更なる強要を強いるのは明らか。

 韓国や北朝鮮がいう「強制労働」とは、昭和13年の国家総動員法に基付く「徴用例」を指しているが、戦中の日本本土では中高年、婦人、学生に至るまで工場などの施設に動員され生産に従事した。

 日本人、朝鮮人、台湾人が一律に負っていた労務提供の国民的な義務であり、日本の統治によって多大な恩恵を受けていた朝鮮人も当時は日本国民であった以上、これに協力する義務があったことは言う迄もない。

 戦前(昭和14年)に日本内地に住んでいた朝鮮人は約100万人で、終戦直前(昭和20年)には約200万人となった。増加した100万人のうち、70万人は自分から進んで内地に職を求めてきた個別渡航者と、その間の出生によるものである。残りの30万人は大部分、工鉱業、土木事業の募集に応じて来たもので、戦時中の国民徴用令による徴用労務者は極少数である。

 国民徴用令は日本内地では昭和14年7月に実施されたが、朝鮮や朝鮮人への適用は差し控え、昭和19年9月に初めて実施された。それも、朝鮮人徴用労務者が奉仕した期間は翌年3月の下関~釜山間の運航が止るまでの僅か7ヶ月間だった。

 日本人も台湾人も朝鮮人も等しく戦時徴用されていたのであり、韓国や北朝鮮が主張する「強制連行」とは、それこそ「徴用令」への無理解と我が国の歴史の捏造であるが、終戦後の昭和20年8月から翌年3月までに政府の配給、個別引揚げで合計140万人が帰還している。

 北朝鮮へは昭和21年3月、連合国の指令に基づく北朝鮮引揚計画で350人が帰還するなど、終戦時までに在日していた者の内75%が帰還しているし、戦時中に来日した労務者、復員軍人、軍属などは日本内地に馴染みが薄い為、終戦後、残留した者は極少数である。

 これらの調査が行われた昭和34年、登録されている在日朝鮮人は総計約61万人で、関係各省で来日の事情を調査した結果、戦時中に徴用労務者としてきた者は245人に過ぎず、 現在、日本国内に居住している朝鮮人は自由意思によって在留したものである。

 自由意思によって日本に住んでいながら「強制連行」を振り翳し、被害者を演じて特権の恩恵に預かっている在日朝鮮人と同じく、自由意思で県外に住んでる「自主避難者」からの国に対する強要は更に節操の無いものになるだろう。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

cordial8317 at 05:29|PermalinkComments(0)

2017年04月09日

米軍、シリアに対しトマホークミサイル攻撃

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

 米軍はシリアのアサド政権軍が化学兵器による空爆を行ったと断定し、シリア中部のシャイラト空軍基地に対し、巡航ミサイル・トマホークによるミサイル攻撃を断行した。

 これに驚いたのは米中首脳会談で訪米中の習近平だろう。米国パームビーチのトランプ大統領の別荘で夕食会が行われてる最中の攻撃は、様々な憶測と外交戦略が見え隠れする。

 以前、イラクに大量破壊が存在すると脅威を煽った米国は、シリアのサリンなどの化学兵器使用に対しても「非人道的であり、国際法違反である」と、然も軍事介入は当然だとの認識を示しその正当性をアピールした。

 だが、オバマ前大統領はロシアに慮って攻撃を躊躇した。オバマは「世界の警察」という立場を緩めたが、トランプ政権はまた世界の警察としての立場を鮮明にする道を選んだ様だ。

 シリアの後見人でもあるロシアのプーチン大統領はこの攻撃を受け「国際法違反」と反発しているが、常任理事国の国際法違反は毎度の事だ。

 安倍首相はシリア攻撃を受け、トランプ政権を支持する旨の表明をしたが、ロシアとの関係悪化は避けられず、我が国の外交の稚拙さを露呈した。

 今後はシリアの内戦が激化し、トランプ政権が更に北朝鮮に対する強硬姿勢を示せば朝鮮半島や世界情勢が一気に緊迫した状況に追い込まれ、我が国も外交的に難しい局面を迎えることだろう。

 今や、米国の自己中心的不正や非道に苦しむ非西欧諸国は、「世界の警察」を気取っている米国を唯一最大の外敵であり脅威と考えている。オバマ政権時にはその「世界の警察」という立場を緩めたものの、トランプ政権はまた世界の警察としての立場を鮮明にする道を選んだ。

 欧米が自己中心的正義の名の下に更なる弾圧や軍事介入が続けば、米国への反発とテロの連鎖は止むことはなく、真にテロの根絶と世界平和を願うなら、圧政に呻吟する民族の解放と独立をさせる以外にない。

 しかしそれは、言い換えれば政治体制の崩壊を意味しており、米国然り、中共、ロシア、中近東然り、北朝鮮もまた然り、それはゲリラやテロリストの根絶以上に不可能なものなのだ。

 諸文明が鎬を削り合う時代、我が国が為さねばならぬことは米国への忠誠ではなく、米国からの自立であり、「米国のポチ」としていつまでも従属させられている場合ではない。

 我が国が中共と米国の何れに擦り寄れば擦り寄るほど、米中の覇権争いに巻き込まれ、最終的には再び、極東アジアとアジア全体に不幸を齎すことは火を見るより明らかなのだ。

 アジアの動乱の多くに米国人が係ったことは歴史が証明している。20世紀は正に、キリスト教徒の望んだプロレタリア独裁を標榜する中国共産党と米国が世界の脅威となったのを忘れたのか。

 政界ではくだらない森友学園問題や今村大臣の言葉尻を論い、国民を巻き込んでの大騒ぎだが、北朝鮮のミサイル発射なんぞ何処吹く風。

 我が国の政治家に真に国益を守ろうなどという気概など全く感じることはなく、頭の中は選挙の事だけ。自民党にしろ野党にしろ、連中が守りたいのは己らの議員としての立場と気楽な現在の体制を維持したいだけなのだ。

 米国も、世界には日本の様な「イエスマン」ばかりでなく、米国の不正義の下で呻吟している人々が多くいることを思い知るべきだろう。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

cordial8317 at 05:25|PermalinkComments(0)

2017年04月07日

福島県や自称・被災者を慮っている様に装う反原発派にはうんざり

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

 今村雅弘復興相が、福島県から自主避難を続けている住民への国の責任を巡る記者との遣り取りで激しい言い合いとなり、記者に対し「出て行きなさい」などと記者に激高したことが問題となっている。

 野党は「資質に欠ける」と一斉に反発。共産党の小池晃に至っては「被災地の皆さんは怒っているだろう」と辞任を要求したが、福島県民の多くが迷惑だと思ってるのは、福島県を慮っているかの様に装う反原発派であり、それに与する自称・被災者や自主避難者である。

 今村大臣に対し、自主避難者への対応を繰り返し質問した記者は西中誠一郎。フリーの記者という肩書だが、中核派や韓国極左系労組と共謀し、「反原発」「反基地」「従軍慰安婦支援」運動やレイバーネットで活動している名うての左翼活動家であり、秘密保護法違憲訴訟の原告でもある。

 質問も「福島はこれからもずっと人の住めない土地であり、国が援助するのは当然だ」との認識から、執拗に繰り返しており、被災地である福島を貶めてたのは今村大臣ではなく左翼活動家の西中だろう。

 野党のクソ共は「自主避難されている皆さんの心をどれだけ傷つけたか。怒りを覚える」というが、風評被害や止まぬ福島県民への差別は極左や反原発派が放射線の危険を殊更に煽ったことが一因でもある。

 反原発派や自称・自主避難者らによって垂れ流される流言蜚語によって福島県民がどれほど迷惑しているか考えたことがあるのだろうか。

 例えば、福島市内でライブハウスを経営していた木村雄一も自主避難者の一人。震災後に福島から佐賀県に逃亡した木村は、反原発を訴える為に緑の党から参院選に出馬し、公示日には九州電力本店前で第1声を上げた。

「頭が2つある子、生まれてますよ。後は、無脳症の子どもも生まれてます」と被害を装う。更に「チェルノブイリの再来」だと煽り、「それを言うために僕は立候補したんです」と悦に入った。正にキチガイと言う他はない。

 こういう自主避難者が政府の政策に同意することはなく、如何にも自主避難者が大変だと言わんばかりに、執拗に「国の責任」を求める無礼な質問に対し激怒するのも分からなくもない。

 木村に限らず、福島の地を捨てた自称・被災者が故郷である福島を貶めてるケースは後を絶たず、彼らは被害者ぶってはいるが、その生活は災害救助法に則り避難した自治体から保障され、最終的には東電からも賠償金や和解金が支払われる。

 そうした自主避難者に対し、そろそろ自己責任を求めるのは当たり前ではないのか。国にしろ自治体にしろ何時までも甘やかしてる余裕は無い。

 自称・被災者らは「故郷に帰れない私達の気持ちをカネで解決出来るのですか?」だとか「故郷を昔の様に戻してくれ!」などと無理難題をいう。

 ならば、いつの時代まで遡れば好いのか。原発が設置され、生活が潤っていた時代か、それとも原発が建設される前か?

 原発周辺地域の多くは原発や東京電力関連企業など、原発関係の仕事に従事していた方が多く、廃炉に向かって進んでいる中で、昔の様な生活を要求するというのは到底無理だし、それこそ強要だろう。

 高度成長に入る時代というのは何処の家庭も裕福ではなく、極貧に喘いでいた訳で、それを考えれば一から出直すのは容易いことだ。起きてしまった事故のことを恨んでも仕方がないが、連中の強欲は尋常ではない。

 自主避難者というのは、簡単に言えば原発事故を利用したアルバイトの様なもの。愚生もどうせ仕事もやることもないし、被災者を騙って自主避難しとけば6年で2000万以上の貯蓄が出来たと思うと羨ましくもある(笑)

 政府も、被災者に気を遣うのは止めて、感情的ではなく現実的な施策の実現を図るべきであり、東京電力福島第二原発の再稼働を否定せず、被災者の働き先を確保するなどの環境整備を図ることも大事ではなかろうか。

 自主避難者にしろ自称・被災者にしろ、いい加減、今住む場所で骨を埋める覚悟を決めるとか、故郷に戻り復旧・復興に努力すべきだ思うが、それも出来ないというならなら、せめて福島を貶める様な反原発運動に与する言行は止めなさい。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

cordial8317 at 03:42|PermalinkComments(0)

2017年04月06日

道徳教育とは体育の授業と同じ。行動や実践が伴わなければ意味はない

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

 読書量を自慢し、本棚に並ぶ本の多さに悦に入ってる人がいる。斯くいう愚生も、若い時分にはそういうこともあった様にも思うが(笑)

 だが、読書量を誇ったところで意味はなく、本の中身の感ずる処を書き記し、自ら実践してみることが何より大事なことである。

 実践すれば失敗する。その失敗を反省し、その理由を探り、失敗を次に繋げる糧とすることが貴重なのだ。失敗しない成功に意味はない。

 国士舘の創立者・柴田徳次郎先生が教える「読書」「体験」「反省」「思索」の四徳目とはそういうことだ。

 保守陣営などからは、「教育勅語」を道徳教育の指導原理と成し、また戦前の「修身」復活の声も聞こえるが、これらを幾ら教え諳んじたところで、その教えを実践しなければ単なる画餅に帰すだけだ。

 道徳教育とは体育の授業と同じで、理論を教えることは大事ではあるが、喩え頭で考えても行動や実践が伴わなければ意味はない。

 嘗ての我が国は、「教育立国」として明冶の試練と昭和の国難を乗り越えた。極貧の中から多くの偉人が輩出したのは立派な教育の故であろう。

 悲しい哉、現在の我が国を見渡せば、自己中心性の欲望だけは留まる処を知らず、日本人の美徳である勤勉性、家族愛、愛国心、信義誠実の原則は失われ、心の中の高貴さを失い、高邁さは忘れ去られてしまった。

 高邁な魂を喪失した国民に最も大事なものは、将来を担う子供達への教育を如何に充実させるかは大事ではあるが、道徳教育や「修身」復活を願うなら、先ずは政治家自らが実践して模範を示すことだ。

 修身を復活するというが「おたけがめくらのてをひいて」の「めくら」は差別用語でもあり、放送禁止用語でもあるが、こうした差別用語が羅列されてる「修身」の復活は無理ではあるまいか(笑)

 愚生の敬愛する評論家というか現代の思想家でもある新崎智こと呉智英(くれ ともふさ、ご・ちえい)は、差別を逆説的にこう述べる。

「差別は正しい、差別と闘うのが正しいのと同じぐらい正しい。人類が目指すべきは『差別もある明るい社会』である。差別さえない暗黒社会にしてはならない」。哲学的ではあるが実に示唆に富んでいる。

 愚生は読書よりも映画が好きで、ジャンルは問わず毎日何かしら観ている。中でも日本映画の、例えば「座頭市」や「眠狂四郎」とかの古い映画ってのは、放送禁止用語がバンバン飛び交ってて実に面白く興味深い。

 盲(めくら)、唖(おし)、吃(ども)り、跛(びっこ)、聾(つんぼ)なんてのは台詞の中でしょっちゅうが飛び交っている。マスコミのくだらない倫理観によって規制されてるのは逆差別にも感じてしまう。

 古い日本映画や古典落語には差別用語だけではなく、懐かしくも美しい日本語が処処に溢れていて、実に実践した教育である。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

cordial8317 at 05:23|PermalinkComments(0)

2017年04月05日

筋金入りの反日派・文在寅が次期韓国大統領に就くという意味

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

 朴槿恵の罷免に伴う次期大統領選に、韓国最大野党「共に民主党」代表の文在寅が党公認候補に選出され、事実上の次期大統領が決まった。

 文在寅は、韓国歴代大統領の中でも徹底した「反日」政策を実行した故廬武鉉の側近中の側近で、慰安婦像と握手したそのパフォーマンスと反日ぶりは廬武鉉をも凌ぐもので、その精神的異常さが垣間見れる。

 北朝鮮は「親北派」の文在寅就任を見込み、日米韓の同盟分断を謀るかの様に在日米軍基地へのミサイル攻撃を示唆しているが、米国の動向次第ではミサイルが発射される可能性は否定出来ない。

 韓国は、文在寅新政権発足後は反日を徹底し、北朝鮮への忠誠を誓うが如く米国とも一線を画し、竹島に続き長崎県対馬の領土主権を主張して反日を徹底し韓国世論を扇動するのではあるまいか。

 我が国政府は、文在寅就任を見越して駐韓大使を帰任させたが、これを韓国側は譲歩と見るのは明らか。慰安婦像なんぞ、日本にとって別に恥ずかしいものではなく、売春婦の銅像を駐韓大使館前に設置し続けることは国際条約違反でもあり、世界から恥をかくのは韓国自身である。

 「反共」国家ならいざ知らず、今や反共は存在せず「反日」を国是とする韓国との善隣友好には無理があり、国交断絶とは言わないまでも、今後はある程度は距離を置いて外交交渉を進めることだ。

 我が国にとって韓国との友好親善が滞っても何ら困ることはない。我が国と交流が滞ることで韓国は中共に頼るだろうが、対日本の様には行かず、その時初めて日本との善隣友好の有難さを知るだろう。だが、そうなった時点で時既に遅しだ。

 「反日と反共」を国是としたのは初代大統領の李承晩だが、韓国の反共を捨て去り、リベラルの金大中でさえやらなかった異常ともいえる「反日」を徹底し、「反日無罪」を生み出したのは廬武鉉だった。

 2002年、韓国16代大統領選出馬に向けて盧武鉉は歴史の見直しに強い意欲を示し、約100年前の日韓併合や日本統治時代の親日派、朝鮮戦争時代の韓国軍による民間人虐殺、軍事政権下での人権抑圧事件の真相究明を主張した。

 韓国国会では過去清算の立法を進め、真相究明や責任の追及、補償を行う為に「過去史整理基本法」を成立させる。

 更には日本統治時代の親日派の子孫を排斥する為「親日分子取締法」を施行し、「親日派」とする李完用元首相ら9人の子孫が所有する財産36億ウォンと相続した土地を没収。2006年には、全斗煥元大統領ら170人の叙勲を取り消す暴挙も行っている。

 その後、「親日・反民族行為者の財産の国家帰属に関する特別法」に基き発足した「親日・反民族行為者真相究明委員会」は、406名を「親日派・反民族分子」と断定し追加公表した。

 廬武鉉政権下で実行されたこれらの事後法は文明の原則である、法の「不遡及の原則」に反しており、まともな国際社会では許されるものではない。この時の大統領秘書室長が文在寅であり、その反日ぶりは筋金入りだ。

 こうした事実をしても韓国と胸襟を開いて付き合うなどとは笑止千万。友好親善を続けるならば、先ずは韓国側にこの恥ずべき「親日分子取締法」の撤廃を条件にすべきで、慰安婦像の撤退如きで譲歩する様なことがあってはならない。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

cordial8317 at 04:40|PermalinkComments(0)

2017年04月04日

「桜」は正に日本人の心の文化と美意識の真髄である!

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

 靖國神社境内の「迅雷桜(じんらいざくら)」が咲き出すと「開花宣言」が出され、約一週間後には満開になる。東京は既に桜満開とのこと。

 安倍首相も秋季例大祭への真榊奉納という御為倒し(おためごかし)より、夫人と共にふらっと靖國神社の桜を愛でに行けば好いのにな。

 例年、この時期には靖國神社に詣でていたが、ここ数年は諸般の事情で儘ならず。毎年四月の第一土曜日には「靖國神社の桜の花の下で『同期の桜』を歌う会」が催される。今年は一昨日に行われた。

 今年は桜満開でしかも最高の日和ということもあり、人出も大賑わいでごった返したことだろう。日本人の桜好きもあるが、自然発生的に靖國神社に集う日本人の多さを見れば、未だ未だ日本も大丈夫だと感じる。

 靖國神社に詣でると先ずは本殿左手に在る「鎮霊社」に参ずるのが恒例で、鎮霊社には賊軍とされた会津藩や我が故郷の二本松藩、西郷隆盛などの悲運の運命を辿った方々が小さな社に祀られている。

 明治天皇の思し召しにより建立されたその趣旨を鑑みれば、賊軍とされた先人の名誉回復こそが先ではないかとの思いが募る。

 未だに名誉回復は愚か本殿への合祀が成されないのは、靖國神社の創立に長州藩が大きく係っていたことが要因であるが、戦後政治の総決算もいいが、明治開国の諸矛盾に対しても考察すべきであると考える。

 靖國神社とは正に長州閥が産んだ歪な追悼施設でもある。敷地のど真ん中に「大村益次郎」の銅像が、それをよく示している。

 因みに、大村は上野に在る西郷隆盛の銅像を睨んで建っていることを以前、タクシーの運転手に聞いた時は思わず膝を打った。

 「靖國神社の桜の花の下で『同期の桜』を歌う会」は、その大村益次郎の銅像下の特設ステージで行われる。

「海ゆかば」が流れる中、英霊に対し黙祷を捧げ献杯、女性コーラス隊が登壇し愈々「歌う会」という名の大軍歌大会が始まる。

 間髪を容れず次々と歌われて行くが、大声で、立ちっぱなしで歌っていると結構疲れる。ということで、中座し、直会に向かうのが恒例。というか、直会という名の飲み会が目的でもある(笑)

 桜を愛でるにもやはり酒は欠かせない。靖國神社の近所では九段下の「政寿司」が好い。贔屓にしてる浅草小島の「秀鮨」はネタや握りも然ることながら、江戸っ子の秀さんの粋を愉しめる。

 事務所の在った田園調布界隈では、長嶋茂雄終身名誉監督が足繁く通う「鳥鍈」にも行きたいな。その近所の「平八」の鰻も好い。

 鰻といえば石川台の「鰻家」が好い。ここの鰻は絶品だが、鰻の前に焼き鳥や茶碗蒸しで一杯やるのが好い。特に茶碗蒸しは珠玉の味わい。

 浅草なら「飯田屋」。「駒形どぜう」が有名だが、飯田屋が好い。飯田屋の後には「神谷バー」。赤羽の「米山」も御無沙汰してるが、久しぶりに奥村さんと一献やりたいな。あの呑みっぷりの良さは惚れ惚れします(笑)

 何だかんだと言いながら愚生の場合、桜より一献か(笑)

「世の中にたえて桜のなかりせば 春の心ものどけからまし(在原業平)」

「敷島の大和心を人問わば 朝日に匂う山桜花(本居宣長)

「願わくば花の下にて春死なん その如月の望月の頃(西行法師)」

「風誘う 春よりもなお我はまた 春の名残りをいかんとはせん(浅野内匠頭)」

「散る桜 残る桜も散る桜(大愚良寛)」

 日本人にとってて花いえば桜。桜は死に際の潔さで昔から武人、軍人精神に好まれた花でもある。九段の桜、同期の桜、愛国の桜。陸軍の徽章は桜、海軍は桜に錨。靖國神社の紋は菊に一重桜。

「桜」は正に日本人の心の文化と美意識の真髄である。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

cordial8317 at 05:05|PermalinkComments(0)

2017年04月03日

「勅語とは天皇が臣下に対して発する言葉で憲法違反」ならば現憲法は無効だな(笑)

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

 民進党代表の蓮舫は、安倍内閣が教材に教育勅語を使用することを否定しない答弁書を閣議決定したことについて「正直驚愕した」と語った。だが、蓮舫の二重国籍に対して驚愕してるという声の方が大きい(笑)

 また上西小百合とかいう馬鹿な政治家は「勅語とは天皇が臣下に対して発する言葉で憲法違反」だとして批判してるが、ならば現憲法も昭和天皇の御詔勅により制定されてるのだから無効ということか(苦笑)

 教育勅語は、明治23年10月30日に煥発された当時の教育理念であり、何故に「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」ばかりが強調され否定されるのか。

 別に天皇の為に死ねと言ってる訳でもなし、国家の為に犠牲を覚悟で戦うことが何故にダメなのか。自分達の国や愛する者の為に戦うのは当たり前のことで、それとも未来永劫、米国に助けを求めろとでもいうのか。

 義勇公に奉じを批判する一方で、国家の大本である防衛を担っている駐留米軍を批判するアホ左翼らには厭きれるしかない。少なくとも多くの国民は、一旦緩急になれば身を挺して愛する者を護るだろう。

 教育勅語は憲法違反というが、現憲法13、14条では「信教の自由」「思想・信条の自由」が保証されている。

 つまり、明治天皇の詔勅である教育勅語を信じるのも思想信条の自由であり、憲法違反に問われることはない。

 政府が教育勅語を使用することを否定しないのは憲法を順守している結果であり、否定することの方が憲法20条第3項違反であろう。

 護憲派らは事在る毎に「憲法違反」を叫ぶが、彼奴等こそが憲法を理解していないのは明らか。つまり護憲派とは「誤憲派」というのが正しい。

 現憲法は最早、国の最高法規として機能しておらず矛盾だらけのクソ憲法と化している。矛盾の最たるものが第9条だろう。

 第9条第1項で「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と武力による威嚇または行使は国際紛争を解決する手段としては永久に放棄する」としながら、第2項では「前項の目的を達成する上で陸、海、空の戦力は保持しない。また国の交戦権これを認めない」とは理解に苦しむ。

 これに従えば、悲しい哉、自衛隊の存在は本来は認められず、憲法違反であるし、日本国憲法前文の「諸国民の公正と信義」を重んじていれば悪人は存在せず、つまりは警察も要らないということになるが、現実は違う(笑)

 歴代首相の靖國神社への参拝が第20条違反なら、「A級戦犯分祀論」は靖國神社への圧迫行為であり、教育勅語否定と同じく20条第3項違反に問われる。

 私学助成金制度は第89条違反である。森友学園は補助金不正に係わっており、現憲法がそれほどまでに大事なら、くだらない議論をしてる暇があるなら、私学助成金制度の廃止を決定したら如何か(苦笑)

 田中角栄が日中国交条約を締結した際「日華国交条約」を破棄したが、第98条には「いかなる理由があろうとも、日本が締結した条約は破棄してならない」とあり、国際条約の破棄は明らかな憲法違反だったのだが、誤憲派やマスコミが異を唱えたことはない。

 第96条に「国会議員の3分の2以上が発議し国民の過半数の同意」により憲法改正は出来ると記されてあるが、これに基付き発議すれば第99条の「天皇及び摂政、国務大臣、全ての公務員は憲法を遵守しなければならない」に抵触し、改憲発議自体、憲法を遵守していないとして第99条違反に問われる。

 要は、最早現憲法というのは国の基本法として体を成しておらず、矛盾だらけのクソ憲法であり、亡国憲法というのが正しい。

 教育勅語を否定するなら、明治神宮には参拝するべきではないが、明治神宮は毎年参拝者数は日本一。つまりは多くの国民は教育勅語を自然に受け容れており、違和感を唱える連中にこそ違和感と嫌悪感を覚える。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

cordial8317 at 05:36|PermalinkComments(0)

2017年04月02日

韓国歴代大統領の不正は道徳的価値観に乏しい民族性に起因する

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

 朴槿恵前大統領が収賄容疑逮捕された。韓国大統領の不祥事は別に毎度の事なので別に驚きもしないが、その民族性には厭きれるばかり。

 男尊女卑が未だ色濃く残り、儒教の国でもある韓国で女性大統領に誕生し、時代は変わったのかと思いきや、その民族性は変わるどころか益々酷くなるばかり。

 韓国の歴代大統領の末路というのは実に不幸なものばかり。絶対的権力が集中する大統領制ということよりも、人品に劣る民族性からか、朝鮮人特有の異常な金銭欲と権力欲が不正に奔らせるとしか思えない。

 大韓民国が建国され米国の傀儡として初代大統領に就任した李承晩は、絶大な権力を握りながらも独裁色が度を越して反感を買い、大統領選の不正で学生らのデモで退陣に追い込まれ、ハワイに亡命した後に病死した。

 韓国の国是である「反共」も「反日」も、そして竹島の不法占拠も、初代大統領に就いた李承晩の影響​であり、これこそが悪害となって未だ治まることはない。

 その後に就任した朴正煕大統領は北朝鮮による「暗殺計画」によって夫人を失い、その五年後自らも暗殺された。

 全斗換大統領は、国際的にも認められない事後法の反乱首謀容疑で「死刑判決」を受けるも、その後に恩赦を受け無期懲役に処せられた。

 その後就任した盧泰愚大統領も不正献金事件で逮捕され、反乱と内乱の罪などで懲役17年に処せられるもその後に特赦。

 二人の大統領の逮捕後に就任した金永三大統領も、不正融資事件で次男や側近などが逮捕され退陣を余儀なくされた。

 波乱の人生を送りながら大統領にまで昇りつめた、韓国初のノーベル賞を受けた金大中も、最後は不正資金事件で次男と三男が逮捕され退陣した。

 その後に就任した盧武鉉も不正資金供与の疑いで身内が逮捕されると、自らの逮捕を恐れて自殺したが、この盧武鉉の「反日」は酷いものだった。

  近年の「反日」世論を形成したのは、金大中より廬武鉉に因る処が大きく、中でも廬武鉉が施行した「親日分子取締法」は親日派を一掃する悪法となった。

 歴代大統領の中でも廬武鉉ほど反日を徹底した大統領はおらず、親日分子の対象者には朴正煕もいるが、朴槿恵は父親の汚名返上の為にも「親日分子取締法」を廃止すべきだと思ったが、父親の名誉回復より反日の世論に迎合した。

 韓国国民は、こうした事後法という国際的にも恥ずべき幼稚な法律を「愛国的」なものだと信じ、反日こそが愛国心だとているのだから始末が悪い。

 廬武鉉の後に就任した李明博も、不資金事件で実兄が逮捕され四面楚歌に陥ると、反日のパフォーマンスで竹島へ上陸し、陛下への雑言を浴びせるも退陣。

 こうなると大統領に権限が集中し過ぎることの反作用というより、道徳的価値観に乏しい民族性の問題だと断じられても仕方なかろう。

 何か己に問題が起こる毎に「歴史認識」や「靖國問題」「慰安婦問題」などを持ち出し反日のポーズで矛先を逸らすが、何れにせよ、韓国民こそが自らの責任と歴史的事実を真正面から見詰め直す時期に来ている。

 尤も、五百年も前の豊臣秀吉の朝鮮征伐をも責める国に、人間としての高貴で雅量在る偉大な言葉や行動を期待する方が間違い。韓国とは関わらないのが一番。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

cordial8317 at 04:36|PermalinkComments(0)

2017年04月01日

プロ野球開幕。選手団は靖國神社へ参拝し感謝の真を捧げよ!

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

 プロ野球が開幕した。東北地方というと昔はジャイアンツ戦しか中継も無かったし、熱烈的な長嶋茂雄ファンなのでどうしてもジャイアンツが気になってしまう。

 開幕戦の相手は中日ドラゴンズ、主軸の活躍もあって快勝。熱狂的ドラゴンズファンでもある横浜の友人の悔しそうな顔を思い浮かべてほくそ笑んだ(笑)

 野球が当たり前にやれなかった時代がある。

 先の大東亜戦争では多くのプロ野球選手も尊い命を投げ出されていることを、プロ野球ファンならずとも国民は知っているだろうか。

 愛する野球をやれるという当たり前のことを再認識する為にも、プロ野球選手団は、開幕前に靖國神社に参拝し、犠牲となられた先輩方に首を垂れ、顕彰することを熱望しているが未だ実現はしていない。

 参拝することで平和の尊さと、野球がやれる有難さを実感すれば選手としての思いもまた違ってくるだろうし、プロ野球人気も高まるだろう。

 先の大戦で亡くなられたプロ野球選手は、我々が想像している以上に多く、試合の途中で出征した方や、幾度かの戦火を潜り抜けて帰還し、再び出征して終には戦場に斃れた方など、実に69名もいる。

 中でも有名なのは、東京巨人軍(読売ジャイアンツ)の澤村榮治投手だろう。澤村投手がどんなに凄い選手かは説明するまでもないが、年間最優秀投手に与えられる「沢村賞」はプロ野球選手の最高の名誉である。

 澤村榮治は野球だけではなく、普段の何事に対しても真摯な態度で挑む人で、実に立派な方だったという。

 背番号「14」は永久欠番となっているが、ベーブルースを三振にしたくらいで永久欠番になる訳はなく、プロ野球選手として志し半ばで出征し、異国の地で散華されたその崇高な精神を忘れない為のものである。

 名古屋軍(現・中日ドラゴンズ)の石丸進一投手と朝日軍(現・横浜DeNA)の渡邉静内野手は、特攻作戦で散華されている。

 石丸投手は鹿児島県の海軍鹿屋基地から出撃の直前、最後のキャッチボールをして飛び立っていったという。

 どんな思いでキャッチボールをされたのか、これこそが渾身の悩みであり、その心中を察するに余りある。

 渡邉静命も鹿屋基地から沖縄へ出撃した。

 渡邉選手は、夢見て憧れて入団したプロ野球人生での打席はたった二度。戦争が悲しい現実を彼に与えてしまった。

 彼らは野球への情熱を「特攻」というカタチで尊い命を捧げ、沖縄を、そして祖国日本を死守すべく散華されたのだ。

 自らの命を犠牲にすることで、国や家族、愛するものを守るという彼らの至高の精神を、今を生きる我々は決して忘れてはならない。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

cordial8317 at 06:36|PermalinkComments(0)