2017年03月

2017年03月31日

民進党「流言飛語を基にした事実無根の記事だ」として産経新聞に対し抗議文

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 森友学園問題に関する産経新聞の「辻元清美への3つの疑惑」記事に対し、民進党は「確認取材という報道取材の基本を欠いた流言飛語を基にした事実無根の記事だ」として産経新聞に対し抗議文を出した。

 日頃「知る権利」を翳しながら、都合の悪い記事には説明責任を果たさずに事実無根とするその根拠も軽薄なもので反論にもなっていない。

 産経側にすれば、「確認取材という報道取材の基本を欠いた」と詰られればジャーナリズムとしてのメンツも立たないし、今後は徹底して取材するのではあるまいか。自ら墓穴を掘った民進党の慌てぶりが愉しみだ(笑)

 産経が報じた辻元に関する「3つの疑惑」とは、1つ目は、籠池諄子が安倍昭恵夫人とのメールの遣り取りの中に書かれていた「辻元が幼稚園に侵入しかけ私達を怒らせようとしました」と記載されてた内容。

 これに対して辻元本人も民進党も事実無根「行ったこともない」としているが、先月の記者会見で辻元本人が「幼稚園に参りました」と答えてるシーンが出てるのは、要は捏造だと言うことか?

  2はつ目の疑惑は、瑞穂の國記念小学院の建設現場に、辻元の関係する会社の作業員を「送り込んだ」という疑惑。

 3の疑惑は、学園の小学校建設地に隣接する「野田中央公園」での国有地払下げでの関与があったのかどうかという疑惑。この三点に対し、産経新聞は辻元事務所に質問状を出しているが返答は無かった。

 先ずは3つの疑問に対してきちんと回答すべきものを、「確認取材」という報道取材の基本を欠いた記事だとして抗議文を送るのは如何なものか。

 籠池泰典の言葉を信じながら、都合の悪い部分は事実無根だという。どこまで都合の好い解釈なのか。国民の知る権利をそれこそ妨害し、それこそ流言飛語を垂れ流してるのは民主党ではないか。

 因みに「流言飛語」とは本来は「流言蜚語」と書く。「世の中で言い触らされる確証のない噂話。根拠のない煽動的な宣伝。デマ」という意味だが、「蜚」とは悪臭を放つ小さな虫の意味で忌み嫌われる語彙だ。因みにゴキブリは「蜚蠊」と書くが、昭恵夫人証人喚問を謀る野党はゴキブリそのもの。

 原発事故後、反原発派により放射線の恐怖が語られ、「福島の農家は汚染物を作りバラ撒き続けている」とか、「福島の人達は命に怯えながら生きている」「頭が二つある子や無脳症の子も生まれてます」「福島の人とは結婚しない方がいい」「今後、福島での発がん率が上がり、奇形児が発生する懸念がある」という流言蜚語が飛び交ったのは誰もが知るところ。

 原発事故後、福島県民はその流言蜚語で差別を受け、未だ風評被害は留まる処を知らない。また避難先でイジメを受けてる子供達がいる。

 原発事故による風評被害を拡大させ、差別を助長したのは当時の民主党政権下での不作為に反原発派が便乗し、流言蜚語を垂れ流した結果でもある。

 民進党は、そうした流言蜚語に対し苦言を呈したことはあるか。共闘する野党や反原発の活動家らに対し、福島への差別に繋がる流言蜚語を止めろと言ったことはあるか。苦言どころか放射線の恐怖を殊更に煽っていたではないか。

 ネットやSNSでの森友学園問題での民進党批判の記事の多くは、異常なまでに昭恵夫人の証人喚問に拘りながら、事が民進党に及ぶと事実無根だと主張する不公平さと不正義、性悪さに対する苦言とは思えないのか。

「昭恵夫人はFacebookではなくてメディアの前に出てきて自身の口から説明することが大事ではないか」とは民進党。だが疑惑を持たれた辻元清美は説明どころかホームページで「このようなデマにくれぐれも惑わされないようにお願いいたします」とコメント。これってどういうこと(笑)

 正にブーメランの真骨頂だが、辻元清美にしろ民進党というのは否定から入り、その否定を正当化しようという言い訳がブーメランとなって跳ね返る。

「言い訳は見苦しいばかりじゃなく同じ過ちを繰り返す」とは思想家・徳富蘇峰の言葉であるが蓋し名言。

 己らの言行に責任も持たず、「流言飛語を基にした事実無根の記事だ」とは、正に福島原発事故に託けて被災地差別を正当化した反原発派の連中と全く同じ精神構造であり、民進党の幼稚な反論こそが流言蜚語そのものである。

 辻元が送り込んだという作業員にしても、テレビでは顔が出てもいないのに否定した根拠は何なのか。作業員にしろ、生コン会社にしろ、建設ユニオンにしろ、辻元とは昵懇の間柄だというが、そうした事もきちんと説明した上で否定すれば好いだけの話だろう。

 大阪という土地柄もあって生コン会社は在日だとか、同和だとか囁かれているが、如何にも怪しげで事実を知りたいものだ。建設ユニオンもまた共産党系で極左暴力集団の大きな資金源と言われる存在である。

 国有地の払い下げや、公的な補助金が充てられる建設工事や公共事業に、こうした怪しげな組織が入り込み、その資金から、反国家、反安倍の活動が成されているとしたら、民進党の反論は本末転倒である。

 抑々、森友学園問題は、国有地払下げで政治家の「関与」があったかどうかだが、政治家の関与は無かったことは明らかになったのにも拘らず、その「関与」の意味を拡大解釈して、昭恵夫人の「忖度」こそが「政治関与」だと騒いでるだけ。国有地払下げで関与があったのはそれこそ辻元清美だろうに。

 疑問に思うことは証人喚問前、福島瑞穂や山本太郎、共産党の小池ら野党4党が籠池泰典の自宅で面会したことだ。これを軽挙妄動と言わずして何という。

「面会内容は非公開の約束」というが、事の重要性を鑑みれば何が話し合われたのかを公表すべきで、証人喚問前に証人と召喚する側が非公表の面会をしたことも問題だが、この非公開の面談が籠池発言を庇う事態になっているのだとしたらそれこそが大問題ではないのか。

 森友学園と籠池を断じて赦せないのは、森友学園が運営する塚本幼稚園はホームページで、「昭和天皇陛下には、(1986年5月)全国植樹祭の途次、当園に御臨幸賜り、園児より紅白のカーネーションをお渡し致しました」として、畏れ多いことに昭和天皇や陛下の行啓などを利用したことだ。これだけでも万死に値する。

 愛国ビジネスに奔る籠池も籠池なら野党も野党で、初めは辻元らが「愛国教育は怪しからん」として批判していながら、次にはこうした人品御粗末な輩の発言に踊らされ、或いは利用してる民進党を始めとするボケ野党と、それに与して世論を煽る朝日新聞を始めとする売国マスコミも御粗末過ぎる。

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2017年03月30日

東京電力福島第二原発を再稼働し復興を加速せよ!

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 関西電力高浜原発3、4号機の運転を差し止めた大津地裁の仮処分について、大阪高裁は福島第一原発事故後に策定された原子力規制委員会の新規制基準の合理性を認め運転禁止を取り消す決定を下した。

 極めて妥当な決定だろう。抑々、大津並びに福井地裁での摩訶不思議な判決こそが、電力喪失による国力低下を狙った左翼勢力による革命暴力の一環であったと断じても過言ではない。

 高浜原発や大飯原発訴訟では、地震対策に「構造的欠陥がある」「主張及び説明を尽くしていない」として運転差し止めの決定が下されたが、この裁判長の認識こそが個人的イデオロギー且つ公正を失した愚かな判断でしかなかったのだ。

 大津並びに福井地裁の裁判官は、原子力規制委員会の審査基準を否定したが、ならば何を基準にすればいいのか。司法の判断が優先されるなら、原子力規制委員会とはどういう存在なのかと疑問を抱いた国民は少なくない。

 地裁での訴訟では、関電側の耐震設計の基準地震動の目安となる1.8倍の1260ガルまでは過酷事故には至らないとする主張に対し、「それを超える地震が来ない根拠はない」とか「発電の効率性を甚大な災禍と引き換えには出来ない」と巨大地震の発生を危惧していたが、そこに科学的根拠はなく、単なる裁判長の言いがかりに過ぎず、「事故が起これば取り返しのつかないものとなるだろう」とは己の妄想の押し付けである。

 高浜原発にしろ、大飯原発にしろ、炉心溶融(メルトダウン)までの時間の想定や冷却機能の確保も原子力規制委員会の審査でクリアしている訳で、地裁の判決は反原発派に与する実に安っぽいセンチメンタリズムによる愚かな判決が、高裁で覆ったことは司法の良識と言えよう。

 起きてしまったことをいつまでも悔やんでいても意味はない。福島原発事故を教訓に、収束技術と研究を怠らず、放射線での正確なデータを集積して、今後に役立てることこそが大事なのは言うまでもなく、福島県民の犠牲を無駄にすることがあってはならない。

 抑々、福島原発の事故は地震による「天災」ではない。大津波の想定をしていなかった為に発電所内の電源が全て失われ、原子炉冷却に関わるバルブが操作不能になったのが要因であり、更には外国人からの不法献金がバレ、四面楚歌だった菅直人がパフォーマンスを優先し、現場視察を強行した為に被害が拡大した「人災」だったということを忘れるな。

 マグニチュード9の巨大地震にも耐え抜いた「女川原発」に注目すれば、さらに地震に強い原発を造ることは可能だろうに、何故に原発停止ありきなのか。福島第二原発にしても何ら問題はないし、復興を加速し、県内外に非難している周辺住民の生業を戻す意味でも福島第二原発を再稼働をするべきだ。

 原発を無くすことや再稼働を停止させることが根本的な解決策ではない。原発事故の「人災」を猛省し、原発の安全確保は万全に、原発の様々な問題点を考究し、世界に誇れる日本の技術力を愈愈高めて行くことこそが大事である。

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2017年03月29日

実践の伴わない道徳教育より「神道」という随神の道を教えよ!

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 全国に神社は沢山在るが、神様とは何か、神道とは何かを知る人は少ない。当り前に存在しているものとだけしか受け止めてはいない。

 その神道の祭祀を斎行する天皇という存在も同じで、「現神(あきつかみ)」としての天皇とは何か、祭祀とは何故に重要かということを教わることも、知ろうともしない。

 神社というのは近所に当り前に在って、祭りがあるから愉しもうというだけで、そこには神への感謝の気持ちは持ち合わせてはいない。

 当たり前の様に存在している神社に何が祀られて、どんな歴史があるということを理解してる住民は少なく、また教えるべき者もいない。

 戦後、住民と神社(神道)との分断を謀ろうと各地に集会所なるものが建設された。戦前は住民の会合などは神社の境内で行われることが多かったが、戦後は集会所で行われることとなり住民と神社との距離が遠いものになってしまった。

 これもまた戦後占領政策の一環である「神道指令」による弊害であるが、住民は祭りでは盛り上がるが、その神社の祭主の何たるかを、また神道とは何かという日本人としての根本の教えを理解することはない。

 自然は、人智の及ばない大いなる存在である。雷雨や日照りや嵐を人間は制御することは到底出来るものではない。

 人々は、自然を征服すべく挑み続けるか、それとも自然と共に生きて行くかなのだが、賢明なことに、先人は共生することを選び、我々もその道を選んできた。

 自然は一瞬のうちに暴れ回り甚大な被害を与えたりもするが、同時に無限の恵みを齎してくれたりもする。

 そこで人々は、自然の織り成す新羅万象を「神」と呼び、豊穣を齎してくれた「神」を称え、荒ぶる「神」を畏れ、鎮め、人々は「神」と共に生きて来た。

 新羅万象の全てが「神」の姿で、山の神、海の神、或いは森、川、泉、石ころや水・・・、全てのカタチある物やそして人も、その神の在る景色の一部に過ぎず、これこそが八百万(やおよろず)の神である。

 我が国固有の信仰である「神道」は、こうした世界の中から生まれた。神と共にあるから「惟神(かんながら)」といい、神の命を与えられているから人は「神の子」、生命は神の「分霊(わけみたま)」と考えられた。

 人は彼等の暮らす土地の神「産土神(うぶすながみ)」の御陰を被って誕生し、産土神やその他諸々の神々と正しく付き合っていくことで四季の恵みを享受し、そして最後には産土神に導かれて祖霊の世界に帰って行ったという教えである。

 古の人々は神々の世界に対し、この様な意味付けを必要としないまでも、自然に体現し、「神」を感じとっていたのだろうと推測する。

 だが、戦後の日本人は余りにも神道の教えというものを知らなさ過ぎるのではなかろうか。実践の伴わない道徳教育より神道という随神の道を教えよ。

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2017年03月28日

大相撲春場所は稀勢の里の奇跡的且つ感動的優勝で幕を閉じたが

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 大相撲春場所は新横綱・稀勢の里の奇跡的とも言える逆転優勝で幕を閉じた。

 千秋楽翌日の昨日、記者会見した稀勢の里は「一生の思い出になる場所だった」と喜びを語ると共に、「15日間万全の状態で務め上げるというのが使命。見苦しいテーピングをしてしまった」と反省を口にした。

 来場所は東の正横綱に座るが、これは途中休場した白鵬や10勝5敗という為体な三横綱の御蔭であって、13勝という数字は立派なものではなく、怪我をしながらも勝利したという日本人らしい判官贔屓に過ぎない。

 「怪我をしないことが一番」と自覚出来たことは大きな収穫だろう。焦ることなく怪我を治して万全の状態で来場所に臨んで貰いたいものだ。

 大相撲というのは我が国の固有の教えでもある神道と深い結びつきがあるのは言うまでもない。明治維新後、「断髪令」が出ても丁髷の伝統を貫き、戦後も表彰式で国歌「君が代」を斉唱し続けてきた保守の牙城ともいうべき存在でもある。

 相撲は千五百年以上の歴史を有し、古来より、五穀豊穣を祈り、その恵みに感謝する神事でもあり、現在の大相撲は、平安時代に天覧相撲である「相撲節会(すまいのせちえ)」が行われたことが始まりとされている。

 本場所初日の前日には、「鎮め物」として、萱(かや)の実、勝栗、スルメ、昆布、塩、洗米といった神饌が土俵中央に納められ、立行事が祭主を務め、「土俵入り」が行われる。使用した御幣は、神の降臨の証しとして四色の房に飾られる。

 力士が「四股」を踏むが、これは地面に潜む邪悪なものを封じ込める為のもので、「塩撒き」も土俵の邪気を祓い、神への祈りであり、「力水」や「力紙」は清めの作法。

 清めを終えた力士は、「蹲踞(そんきょ)」から「揉み手」「柏手(かしわで)」し、両腕を開く「塵手水(ちりちょうず)」と続く。

「揉み手」は古来は雑草の露で手を清めていた所作の名残りで、「柏手」は神に拝する際に打つ動作である。「塵手水」は手に武器を持たないことを表すものだ。

 力士が勝ち名乗りを受ける際に「手刀(てがたな)」を斬るが、これは左が「神産巣日神(カミムスヒノカミ、カムムスビノカミ)」、右が「高御産巣日神(タカミムスビノカミ)」、真ん中が「天御中主神(アメノミナカヌシノカミ)」三神への感謝である。

 力士は神の遣いであり、横綱とはその中の最高峰。やはり勝敗に拘るのもいいが、その所作や風格が大事であるというのは言うまでもない。

 千秋楽の終了後、「神送りの儀式」があり、御幣を抱えた新弟子力士らが胴上げすることで相撲の神々は昇天する。

 こうしたことを理解した上で大相撲を観戦すればまた楽しいのだが、日本人というのは当たり前に在るものは当たり前だと思っているが深く考えることはない。

 近所の神社がいい例だろう。何気に存在している神社に何が祀られて、どんな歴史があるということを理解してる住民は少ない。

 戦後、住民と神社の分断を謀ろうと各地に集会所なるものが建設された。戦前は住民の会合などは神社の境内で行われることが多かったが、戦後は集会所で行われることとなり住民と神社との距離が遠いものになってしまった。

 これもまた戦後占領政策の一環である「神道指令」による弊害であるが、住民は祭りでは盛り上がるが、その神社の祭主の何たるかを、また神道とは何かという日本人としての根本の教えを理解することはない。

 新羅万象の全てが「神」の姿で、山の神、海の神、或いは岬、谷、森、石、水・・・、そして人も、その神の在る景色の一部に過ぎず、これこそが八百万の神である。 我が国固有の信仰である「神道」は、こうした世界の中から生まれた。

 神と共にあるから「惟神(カンナガラ)」といい、神の命を与えられているから人は「神の子」、生命は神の「分霊(ワケミタマ)」と考えられた。

 人は、彼等の暮らす土地の神「産土神(ウブスナガミ」の御陰を被って誕生し、産土神や、その他諸々の神々と正しく付き合っていくことで四季の恵みを享受し、そして最後には、産土神に導かれて祖霊の世界に帰って行ったという教えである。

 国民は余りにもそうした神道の教えというものを知らなさ過ぎるのではなかろうか。実践の伴わない道徳教育より神道という随神の道を教えよ。

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2017年03月27日

私は間違っているが世間はもっと間違っている(ヒトラー)

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 大相撲春場所は新横綱稀勢の里の劇的な二場所連続優勝で幕を閉じた。

 前日の照ノ富士と大関復帰を目指す琴奨菊との一番は、照ノ富士の変化であっけなく終わり、稀勢の里は前々日の日馬富士との一番で怪我をして満身創痍。

 そんな中で出場を決めるものの案の定相撲にならず、照ノ富士の優勝は決まった様なもの。ということで、昨日は笑点を観ていたら、Twitterのニュースに「優勝決定戦へ」との記事が目に留まり、急遽大相撲中継に切り替えた。

 肩に巻かれたサポーターが痛々しい。柏手を打つも力が入っていない。どう見ても照ノ富士が有利だが、逆に照ノ富士は取り難いだろう。

「待ったなし!」軍配が返りいざ勝負。もろ差しから一気に土俵際へ追い込まれるも、逆転の右からの小手投げが決まった。

 表彰式で君が代が流れると胸を張り斉唱する稀勢の里。だが、途中で涙が溢れ肩を震わす。高安も兄弟子の努力精進を思い出してか男泣き。

 前日の照ノ富士の相撲には興覚めもいいとこで、観客から怒号を浴びせられたのは当然のこと。ガチンコ相撲を期待したファンの落胆は隠せなかったが、勝負よりも相撲に拘る稀勢の里の姿に相撲ファンならずとも感動したに違いない。

 閑話休題。「熱狂した大衆だけが操縦可能である」とはヒトラー。一億総評論家時代と言われて久しいが、森友学園騒動はその典型。

 何でも腐すマスコミとそれに便乗する民衆。マスコミは国民の安直な正義感に迎合し、上から目線で「自分達の主張こそが正義である」と居丈高に振り翳して国民を煽動し続けているが、そこに正義や公正さはない。

 森友学園問題での安倍の対応は正しく大衆迎合主義。マスコミに煽られた国民の視線を気にし過ぎで、それ故に身の潔白を強調する。

 ワイドショーに煽られた平均的意見が国民目線らしいがその平均値が正しいとは限らない。そんな雑音を気にしてどうなるの。

 民主主義の本質は国民目線に立つことではないし、大衆に媚びることでもないが、正に民主主義とは衆愚政治であることを痛感する。

 マスコミが作為的な記事で国民を誑かし、ソシオパスの輩の噓に踊らされる国会こそが危機管理能力の欠落であり、政権が崩壊することがあろうとも、万が一にも国家が滅ぶことがあってはならない。

 それにしても、一億総評論家時代の昨今、然も自分が政治家になったつもりであ~だこ~だと嘆いている。愚生もだが(笑)

「私は間違っているが世間はもっと間違っている(ヒトラー)」

 悲しい哉、こういう大衆が有権者であり、その一票を集めて当選してるのだからバカしか当選しないのは当たり前で、現在の政治家にバカが多いのはこういうこと。政治家に期待する方がバカだ(笑)

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2017年03月26日

徒然なるまゝにその日ぐらしシリーズ

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 昔は春はどこかウキウキして大好きな季節だったが、花粉症になってからは大嫌いになった。春彼岸でここ数日外出した為に症状が酷い。眼は痒いし、充血してるし、鼻水は垂れるし、咽喉はいがらっぽいし、耳まで痒いし、頭はボ~っとしてくるし、やっぱ引籠ってるのが好い(笑)

 まぁ、桜が満開になれば症状は治まるし、もう少しの辛抱。でも、来月解禁となる渓流釣りで山に入るとまた花粉症がぶり返すんだよなぁ(笑)

 閑話休題。「居の安きを求むるは真の志士に非ず(吉田松陰)」。「一日一生」と言いながら積立保険に入ってたり、サラリーマン右翼やマイホーム主義者の様に居の安きを求める都合のいい右翼にだけはなりたくないと右翼浪人を気取っているが、実態は悲惨なもので、もう直ぐ4月になるというのに支援金は微々たるもの。酒代にもならない。ってか、酒は上等なのを仕入れてますが何か(笑)

 浪人という生き方は、借金の返済など算段さえ心配しなけりゃ気楽なものだが、これが儘ならなず、月々数十万の借金が殖えて行く。

 学生時代から所属してた団体を辞し蟄居してたこともあり、またそれに加え、先の大震災の影響でめっきり支援者も減ってしまったというのもあるが、要は慢性的不如意の現状は自分自身の努力不足と悪因悪果でもある(自嘲)

 だが、一維新者として志は失ってはいない。

「貧すと雖も浮雲の富を求むる勿れ 窮すと雖も丈夫(すまらお)の志を屈する勿れ 矯々龍の如く沈々虎の如し 身を潜め名を隠し 当に一陽来復の時を待つべし(坂本竜馬)」(貧しくても僅かばかりの目先の金儲けに奔るな、困っても挫けるな。眼を据える龍や草叢に身を潜める虎の如くじっと耐え、いつか来るであろう時を待て)。こうした気構えで日々を送っている。ってか、カッコつけ過ぎ(笑)

 暇を持て余し過ぎて、遣ってることといえばブログの更新。政治批評と右翼としての思想信条や地元の悪漢どものスキャンダルネタと、そして福島県内のグルメ放浪記と4つやってるが、これじゃ右翼浪人ではなく単なるブロガー。それも食べ歩きブログに至っては人気ブロガーだから笑える。

「艱難は愉しむものなり」と言ったのは西郷隆盛。

 エリート路線を歩んで来たと思いきや、自殺未遂、二度の遠島処分、そして西南戦争と苦難続きの人生を送った人物だった。真っ黒な目の巨漢というイメージとは裏腹に、その生涯は常に死の影が付き纏っていた。

「何時死んだっていい。人事を尽くして天命を待つだけだ」という処生観を持ち、どんな時も開き直って生きている様な処があったという。

 私利私欲や保身とは無縁で、清濁併せ呑む器用さもなく、その大人格故に多くの信望を集め、自分の死に際でさえ実に潔い人物だった。

 苦難というものは苦痛ではあるが、実は吾等の敵ではなく味方であり、一番親身に吾が身の為を思って与えてくれる正義の友である。

 苦難は人を殺す為のものではない。人をより善くし、より一歩を進ませ向上させる為に起こるの大慈悲でもある。

「憂きことの なほ積もれかし 限りある身の力ためさん」とは、豪傑・山中鹿之助。山中に籠り「願わくば吾が身に七難八苦を与え給え」と月に祈って修行をしたという。この辺が精精家に籠り、果報を寝て待つ俗物の愚生と違うところ(笑)

 幸福と苦難は表裏一体であり、苦難の本質を弁えれば人生の苦難は「天の与えた試練」と考えるべきなのだ。と、カッコイイことを綴れども、この慢性的不如意はどうにかならないものか。

 不如意で沈むか、一旦緩急で義勇公に身を捧げられるか、扨てどっちが先か。まぁ、ここまでどうにか生きて来たんだし、何とかなるだろう。呵呵大笑。

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2017年03月25日

昭恵夫人の証人喚問を要求するボケ野党四党と世論を煽るマスコミ

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 相変わらずボケ野党四党(民進、共産、社民、自由)は、鬼の首でも獲ったかの様に「昭恵夫人の証人喚問」を要求する。マスコミはそれに応じるかの様に「安倍首相、夫人の喚問拒否」という記事が躍る。

 野党四党にとって安倍昭恵首相夫人の証人喚問というのは審議拒否の付けたりに過ぎない理由で、狙いは所謂「共謀罪」と言われる、「犯罪の国際化及び組織化並びに情報処理の高度化に対処するための刑法等の一部を改正する法律案」を継続審議や廃案に追い込むことに在る。

 昭恵夫人は左翼人士と交流したり、沖縄ヘリパッドを視察したり、「大麻に興味がある」と語ったり、都内で居酒屋を経営したり、福島県喜多方市の酒蔵と提携して酒を造ったりと、自分らしく、破天荒な生き方を実践している女性でもある。

 だが、首相夫人としてはどうかと言えば隙だらけ。人の好さに付け込まれ易く、立場的に相手に利用されるという警戒心に乏しく、軽挙が目立つ。

 野党の政治的パフォーマンスと党利党略とはいえ、近隣諸国の情勢が緊迫してる中で、重要法案が自身の軽挙と不徳によって審議が遅れているということを重く受け止めて、これを機に猛省しなければいけないと思う。

 噓八百で固めた籠池が自己保身から名指しした人物を、一々国会に呼び付けるということ自体が国会の軽視以外の何物でもないが、それでも野党が昭恵夫人の証人喚問をあくまでも要求するなら応じれば好いし、蓮舫にしろ、疑惑を持たれてる国会議員も喚問申請して証言台に立たせれば好い(笑)

 昨日の参院予算委員会で維新の会の議員が言ってた様に「許認可申請をしている段階で三通の虚偽の申請書が発覚し、申請が取り下げられ、顧問弁護士も不正の事実を知り辞任しているということを参院の先生方は冷静に受け取るべきだ」というのが、良識の府として真っ当な言葉だろう。

 籠池の証人喚問で明らかになったのは、森友学園の国有地売却に政治家の不正な関与はなく、地下埋設物8億円の根拠も正当な試算と国の瑕疵担保責任免責事項を含めた適正な時価売却だったということ。

 それを世論誘導し、恰も安倍夫人の関与を騒ぎ立ててるマスコミと野党は、単なる反政府運動、安倍政権倒壊を目論んでいるだけに過ぎない。

 全ての問題の原因は、嘘の申請書と偽造した契約書で、大阪府の私学審議会に「認可適当」を出させた籠池自身の悪因悪果でしかない。

 松井大阪府知事が証人喚問されるというし、籠池の不正と野党四党のアホさ加減が明らかになるだろうし、そろそろ大阪地検特捜部も動くのではあるまいか。

「屋上屋を架す」という言葉がある。屋根の上に屋根を造る、屋上の上に家を建てるというのは無駄なことという喩えで、失敗を取り繕おうとしてまた失敗を繰り返してしまうというのは人間の性でもある。

 また「恥の上塗り」というのもあるが、籠池のやってることは正しくコレで、昭恵夫人のメールではないが、籠池夫人も「今はじっと我慢の時です」との言葉を重く受け止めて時が過ぎるのを待てば、また違った展開になったかも知れないが、自分の行動や言葉を正当化しようと屋上屋を架し嘘で固めようとしたことが抑々の間違い。

 武田信玄が「風林火山」を旗印に掲げたことは有名だが、肝心なことは攻撃を中断する時は林の如く静かにして次の機会を待ち、山の如く動かないでじっと構えてることが大事だと訓えている。

 動いてならぬ時に動いて失敗するというのは往往にして在ることで、「風林火山」とは動いてならぬ時の軽挙妄動を戒めているのだが、籠池というのは愛国者ぶってるはいるが、歴史の造詣にも疎い様だ。

 それにしても、籠池夫人のメールは興奮した様子が窺えるもので、昭恵夫人へのストーカーメールにも感じなくはない。いっそのこと昭恵夫人も籠池夫人も、序に蓮舫も証人喚問すりゃ好いんじゃないの。どうせ参議院なんぞ初めから良識なんて持ち合わせていないんだから。呵呵大笑。

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2017年03月24日

スキャンダル国会にはうんざり。劣化する国会と週刊誌化する新聞

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 地元紙の一面は森友学園の籠池理事長の証人喚問の記事。地元紙に限らず、今日は籠池一色で、「首相夫人」とい言葉が躍り、如何にも安倍首相が国有地払下げで関与したかの様な作為的な記事だが、タイトルは仰々しいが、中身はテレビ中継を観てれば分かることで目新しいものはなく羊頭狗肉。新聞記者ならもっと自分で調べて裏を取り、公平・公正な記事を心掛けるべきだろう。

 証人喚問は、ハッキリ言って籠池の異常さと堅白同異の弁が目立ち、「オレは愛国教育を推進している保守派なのに、松井大阪知事らに裏切られた」「安倍信者だったオレが何故にこんな仕打ちを」という恨み節にしか聞こえなかったが、野党やマスコミはチト感覚が違う様だ(笑)

「ならば昭恵夫人を巻き込んでやろう」ということで、「安倍晋三からです」と言ったらしい100万円の寄付と講演料10万円を持ち出して、恰も安倍や昭恵夫人が森友学園と瑞穂の國記念小学院の設立に熱心であったかの様に繕ったのだのだろうが、発言する籠池もそれを信じる野党も余りにも軽薄過ぎる。

 証人喚問を受けて、昭恵夫人は早速、Facebookで疑惑を否定し事実を公表するも、民進党代表の蓮舫や野党、マスコミは「更に疑惑が深まった」と昭恵夫人の証人喚問を招請したが、問題は国有地の払下げが妥当かどうか、政治家の関与があったのかどうかで、籠池の「昭恵夫人に相談してから何か大きな力が動いた」という単なる牽強付会に過ぎない言葉を信じて、日本国の総理大臣夫人の言葉を信じないとはどういうことか。

 況してや二重国籍の疑惑が深まっても説明責任を果たさずに、言い訳と嘘ばかりで逃げ切りを謀った蓮舫が「疑惑が深まった」というのも国民をバカにしてないか。問題となってるのは国有地の払下げで、寄付問題ではないし、自民党の葉梨代議士がパネルで示した様に、森友学園だけがこうした国有地の格安な払下げを享受したという訳ではない。

 昭恵夫人と籠池夫人との遣り取りにしても、「昭恵夫人から口止めとも取れるメールが届いた」と恰も100万円の寄付が事実であるかの様に騙り、国有地の定値借地契約の期間延長に関しのファックスにしても、明らかな物証かと思いきや単なる断りのファックスで、これを物証というのは嗤うしかない。

 畏れ多いことに陛下が学園を訪問遊ばされたとしたホームページの内容を聞かれた籠池は、「天皇国日本」という言葉を出して質問の矛先を変え論点を摩り替えていたが、ありもしない陛下の学園訪問を騙ったことは万死に値する。籠池は保守に非ず、正しくこれを愛国教育ビジネスと言わずして何という。

 籠池が保守派を気取り、「このままでは憲法改正は出来ないのではないかという疑念を抱いた」とか「天皇国日本」と宣えば宣うほど、保守のイメージが貶され、国民の保守派に対する疑念を抱くだろう。野党やマスコミが籠池を利用するのも、籠池の狙いもそこにあるのではなかろうか。

 国や自治体からの補助金目当てに偽装した三枚の工事請負契約書については「刑事訴追の可能性がある」として回答は避けたが、これに対しても、設計事務所からのアドバイスであると自身の責任を否定したが、何処をどう見ても愛国者としての風格はなく、単なる卑怯な愛国ビジネスの守銭奴にしか見えなかった。

 孔子の言葉に「巧言令色鮮矣仁(こうげんれいしょくすくなしじん)」という教えがある。

 その意味は、「言葉巧みで、人から好かれようと愛想を振りまく者には誠実な人間が少なく、人として最も大事な徳である仁の心が欠けている」というものだが、多弁を弄し自己保身に奔る籠池は正しくコレで、教育者としては実に不適格、バレるのが遅過ぎた(笑)

「訳の分からない空気、訳の分からない力が、何か動いていて、その力によって物事が進み、(学校計画が)なくなっていってしまうんじゃないかなあ、と思う」と籠池はいう。だが、一番訳の分からないのは籠池自身であり、こうなったのも己の悪因悪果、因果応報という他はない。

 補助金目当ての工事請負契約書偽造で逮捕されるのは時間の問題。いつまでもこんなくだらんことを国会でやってるのか。国会の劣化は目に余るが、それにしても最近の新聞は週刊誌化して派手な見出しの割には中身が空っぽ(苦笑)

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2017年03月23日

憲法の精神を軽んじる護憲派と語るに落ちる左翼勢力(笑)

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 所謂「共謀罪」が閣議決定され国会に提出される。この法案は「共謀罪」という名称ではなく、「犯罪の国際化及び組織化並びに情報処理の高度化に対処するための刑法等の一部を改正する法律案」だが、野党や左翼マスコミらは敢えて「共謀罪」と騒ぐことでその危険性を煽る。

 安倍のやることは何でも反対の民進党は、「権力の乱用の可能性を排除出来ない」と法案を廃案に追い込むという。

「権力の乱用」を危惧するが、要は、自分達なら権力を乱用するから危険なんだという同一性虚言が生む妄想に過ぎない(嗤)

 左翼の巣窟である日弁連も「主体がテロ組織に限定されておらず、市民団体や労働組合にも適用される余地がある」と反対している。

 沖縄を始めとした市民団体の多くは極左の関わる組織も在り、労働組合にもセクトは少なくない。出来ればこうした組織にも適用すれば好いのにと思うが、この法案は残念なことに左翼を取り締まるものではない。

 法案に反対するのは御決りの護憲派だが、日本国憲法前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義」を重んじているのは言うまでもない。

 つまり、多くの国民は悪事を働くことはなく、何事も悪意を以て行うことはないとの性善説を重んじているのだが、要は、護憲派こそ憲法の精神である諸国民の公正と信義を軽んじてるのではあるまいか(苦笑)

 死刑廃止論者である日弁連の人権派弁護士らは、死刑廃止の理由に性善説を用いてその正当性を訴える。ならば安倍政権にもその性善説を当て嵌めるべきと思うが、それだけは絶対に認めることはない。

 要は、対象によって基準をコロコロと変える得意のダブルスタンダードだが、左翼やなんちゃって人権派はホントこんなのばっか(笑)

 安倍首相は過日の衆院本会議の代表質問に於いて「条約を締結できなければ、2020年東京五輪・パラリンピックを開催出来ないと言っても過言ではない」と強調したが、この条約とは「パレルモ条約」のこと。 

「パレルモ条約」とは「国際組織犯罪防止条約」のことで、テロや組織犯罪に対応する目的で、2000年に国連総会で採択された。イタリア・シチリア島の都市名から「パレルモ条約」という通称が付いた。

 この条約を批准するには今回の所謂「共謀罪」の成立は不可避なのだが、共産党や民進党、自称・平和主義者や人権派などのクソ勢力らが「平成の治安維持法」などと国民を誑かして反対している。

 アホ左翼やインチキマスコミが執拗に反対してるということは、恐らくは一般人には無害であり、好い法案なのだろうと思ってしまう(笑)

 先の「安保関連法案」の際にも「戦争法案」などとレッテルを貼って「戦争に巻き込まれる」だとか、「あの暗い時代に逆戻り」などといったどれも愚にも付かない理由をこじつけて反対したのは記憶に新しい。

 また「特定秘密保護法案」に際しては、法案に反対する左翼マスコミやインチキジャーナリストらは「知る権利」を翳し国民を煽動したが、法案成立で、何の、どんな影響や被害があったのかと言えば全く無い。

 法案に反対する勢力は国民の不安を煽り、あり得ない事例を挙げて国民世論を扇動しようと躍起になっている。何処をどう読んでもテロ組織を取り締まるものであるのだが、要は、左翼勢力は国家と対峙する組織犯罪だと認めて、自分達への適用を恐れているのだろうが、語るに落ちるとは正にこのこと(笑)

 パレルモ条約には世界187国が締結しマネーロンダリングなどの組織犯罪を防いでいる中で、我が国が締結しないことで国際的な非難の対象になるのは必至。

 条約を締結することで、捜査共助や犯罪人引き渡しの条約を結んでいない国に対しても捜査協力を依頼出来るようになるし、国内で犯罪を犯し逃亡してる犯人を追い込むことが出来るのは好いことではないか。

 この条約には驚くことに北朝鮮も締結してるというし、可能性は少ないが日本国内で拉致監禁事件を犯した犯人の引き渡しを要求することが出来るというでもあり、拉致問題解決の糸口にもなるのではあるまいか。

 我が国もパレルモ条約締結に向け法整備を粛々と整えよ。

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2017年03月22日

社会の木鐸としての挟持や矜恃が決定的に欠落しているジャーナリズム

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 森友学園騒動をウオッチングしてると、如何にも胡散臭げな菅野完(かんのたもつ)という自称・フリージャーナリストの名前が出てくる。

 何やら、出版差し止めになった「日本会議の研究」の著者で、被差別部落の出身で自身も部落解放同盟に所属してたとか、元シバキ隊だとか、婦女暴行罪で裁判中だとか、実に胡散臭げな人物だということが分かる。

 本人はこの騒動で、自著「日本会議の研究」が第十刷の版だと笑いが止まらない。話題になりさえすればそれで好し。安倍を貶すのも要は正義とか、そういう類ではなく単なる目立ちたがりと上昇志向。

 こういう不良がジャーナリストを自称すればそれで通るのも凄いが、此奴の発言や主張を検証したり裏を取ることもせずに信じ込み、否、視聴者を信じ込ませようと疑いもなく報道してるマスコミというのは、社会の木鐸としての挟持や矜恃が在るとも思えない。

 「木鐸」とは「世人に警告を発し教え導くこと」にあるが、どうみてもジャーナリストというより、サラリーマン生活にどっぷり漬かった彼らにそうした自負心はなく、仕事に誇りを持てというのも酷だろう(笑)

 菅野自身も取材をろくろくせずに、フィクションとしての「日本会議の研究」を上梓したから出版禁止になったのだが、取材もしないで伝聞や身近な情報などで書き上げるのは左翼や不逞の輩が得意とするところでもある。

 有名なところでは大江健三郎の「沖縄ノート」だろう。大江はこの本を上梓するに当たり、関係者への取材は全くせず、沖縄タイムスの「沖縄戦記・鉄の暴風」などの記事を基に書き上げた。

 言ってみれば大江の妄想が入ったフィクションなのだが、摩訶不思議なことにこの本が、沖縄での集団自決に軍が関与したとの「軍命令」の証拠となり、摩訶不思議な判決が下されている。

 これも我が国司法の正義が欠落した一つの事例でもあるが、同時に我が国のジャーナリズムの崩壊と言っても過言ではない。

 マスコミも、ここぞとばかりに安倍を引き摺り下ろそうと必至だが、自分で調べもせずに、都合の好い記事や発言ばかりを切り貼りして世論誘導していることを恥じ、襟を正したら如何か。

 マスコミというのはオチョクリに乗っかって何でも腐す。そういう冷笑的な態度を執ることが真のジャーナリズムだと未だに錯覚している。問題が出ればその萌芽は日本や政府に在ると貶し、それを野党やマスコミ御用達のインチキ言論人が煽り立てる。

 森友学園騒動はその典型であるが、森友学園騒動に狂騒してるこうした「低能ジャーナリズム」を糺すことが、政治を正すことにも繋がり、日本再生へも繋がるだろうことは言うまでもない。

 我が国の政治が三流と言われる最大の原因は、進歩の無いマスコミの影響があるというのは言わずもがな。傍若無人な礼儀を欠いた報道が我が国の品格を貶め、国民の倫理意識をも低下させ続けている元凶である。

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2017年03月21日

反日活動家&売国奴でありながら国家公安委員長に就いた岡崎トミ子死去

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 恥かしながら福島県福島市出身で、ラジオ福島や東北放送アナウンサーを経て、宮城選挙区から旧日本社会党の候補として衆院議員に出馬し初当選。その後は数々の反日活動を評価され、反日同士の菅政権下でなんと国家公安委員長に就くという離れ業を成し遂げた岡崎トミ子が死んだ。

 岡崎の反日的言行は枚挙に暇無し。平成13(2001)年の参院選の際には、朝鮮学校を運営する朝鮮籍の理事長と、パチンコ店を経営する韓国籍の会社社長から寄附を受けていたことがバレ、政治資金規正法違反の疑いを持たれるも頬っ被りして逃げ切りを謀った。

 これは大震災が起こる前の菅直人も野田佳彦や前原誠司らも同じで、外国人からの不法献金を授受したが、岡崎の前例を模し逃げ切った。

 現在、森友学園への寄付騒動で安倍夫婦が矢面に立ってるが、違法行為の反日外国人からの献金に説明責任を果たさず沈黙していながら、ここぞとばかりに違法行為でもない寄付行為を論ってるのも嗤える話し。

 故人を貶すことは本意ではないが、岡崎トミ子は日本の政治家と言うより、中韓朝の走狗と化した売国議員の代表的な人物だった。

 日本の戦争責任を検証することを目指す政策勉強会「日本の歴史リスクを乗り越える研究会」の発起人になり、支那で起きた平頂山事件について日本政府に公式謝罪を求める議員団に参加し活動を展開した。

 また、所謂、従軍慰安婦という名の売春婦に対し、謝罪と賠償を求める戦時性的強制被害者問題に狂奔し、平成15年(2003年)韓国で、元慰安婦関係者が毎週水曜日に行う日本大使館へ対する恒例の抗議行動(通称水曜デモ)に、国費を使って反日デモ参加し、国民から総スカンを喰らった。

 永住外国人地方参政権付与の取り組みも熱心で、こうした反日・自虐史観にどっぷり嵌ったバカ左翼の権化を、事もあろうに国家公安委員長に就任させたことは菅直人の売国性を如実に顕していた。

 そう思う時、最悪の政権の時に最悪の災害が起こってしまったのだが、東日本大震災とは正に天譴(てんけん)だったのではあるまいか。

 日本は民主主義国家であり、どの政党をどの政治家を支持しようが批判しようが自由だが、反自民、反安倍ありきから安っぽい平和主義や科学的データを無視して反原発などを叫んでる連中の気が知れない。

 安倍を持している訳ではないが、安倍は他の政治家よりは国家観があるとは思う。野党が唯単に安倍難きから、己らの力量不足を棚に上げて揚げ足取りばかりしていれば安倍政権の独壇場は続くだろう。

 山川草木、存在する全てのものに八百万の神が宿っている日本という国に生を享け、その国を愛し、祖国日本の歴史や伝統、文化を護りたいと思うのは日本人なら当然だろうが、岡崎や菅を始めとした反日活動家やクソ野党やその支持者というのは愛国心というより大和心が決定的に乏しい。

 岡崎もあの世で、土井たか子や多くの反日活動家や売国奴と共に幼稚な正義感からの生き方と軽挙妄動を猛省して欲しいものだ。ってか、馬鹿は死ななきゃ治らないというが、左翼や売国奴は死んでも治ることはない(笑)

 愛国者らは楠正成、正季兄弟が遺した「七生報国」という言葉を好むが、売国奴の彼奴等にしてみりゃ「七生売国」ということか。呵呵大笑。

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2017年03月20日

「御用学者」と罵るなら、人体実験を買って出てその危険性を実証すれば好いのに(笑)

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 原子力安全・保安院が「(東京電力福島第一原発事故での)放出されたセシウムの量が広島原爆の168倍」とする試算を公表し、それをマスコミは然も危険かの様に大きく報じたことは記憶に新しい。

 反原発派が「御用学者」と断じて止まない高田教授に拠れば、「全く意味のない数字だ」とし、「広島でセシウムによって死んだ人はいない。広島の死者は熱線、爆風、そして半減期の短い強力な放射能によるもの。セシウムの放射線はそれほど強いものではなく、今の日本で起きているのは集団ヒステリー状態だといえる」と喝破した。

 この「集団ヒステリー」との揶揄は正鵠を射た意見だろう。未だに起こりもしない放射線被害を煽り、それに怯えているだけ。

 因みに高田教授は、チェルノブイリ原発事故の現地調査の際、自分自身でセシウムに汚染したきのこを食べ人体実験を行い、その結果、セシウム137(半減期30年)は人体に入った場合、体外に半分が排出される生物半減期は100日であることを実証している。

 反原発派らが「御用学者」と罵るならば、「セシウムは危険」と煽る学者や反原発派の連中も、高田教授に倣って人体実験を買って出て、その危険性を実証すれば反原発派の英雄になれるのに(笑)

 尤も、人体実験をすれば低放射線の無害性と高田教授のデータの正当性を逆に実証することになるだろうからやる訳はない(笑)

 高田教授は大震災後の翌月から、福島県内で住民の甲状腺検査もボランティアで実施し、その結果、チェルノブイリの事例(最大50シーベルト)と比べて福島原発事故は千分の1以下であり、その線量から計算すると「福島県民が甲状腺がんになるリスクは年間で1千万人あたり1人以下。といっても福島県の人口は約200万人。つまり、誰も甲状腺癌にはなりません」と結論付けた。

 反原発派の御用医師ともいうべき輩らは、「福島県内の子供の甲状腺癌の疑いが他の県の子供に比べ異常に高い」などと煽るっていが、診療対象者が増えれば疑われる対象者も比例して増えるのは当たり前のことで、原発事故での被曝に因るものとはちと強引過ぎる。

 原発事故から6年も経ちながら、未だに放射線への理解が深まらないのは、中核派を始めとした反原発運動の成果であり、これに因って除染などの反原発利権が行われているのが実情(苦笑)

 放射線への誤った認識から始められた除染にしても、中間処理場も出来ていない中での除染作業は県内各地にゴミを殖やすだけの結果に終わり、「福島県は除染をしないと住めない」といった風評が全国に広がったことで、復興は愚か復旧をも阻害した。

 約5兆円といわれる巨額除染費用は事故前に不況に喘いでいたゼネコンと一部の建設業者らが潤っただけ。あんな除染なんぞより、原発の象徴ともいえる電柱の地中化やインフラ整備などに充てた方が福島の為になっただろうに、返す返すも残念なことだ。

 避難区域でもない福島市や郡山市などの地域から逸早くトンズラした「自主避難者」らは被害者ぶってはいるが、その生活は避難した自治体から保障され、東電からも和解金が渡される。

 要は原発事故を利用したアルバイトの様なものだ。愚生もどうせ収入も無いんだし、早々に自主避難しとけば6年で2000万以上の貯蓄が出来たなと思うと、返す返すも惜しいと思う(笑)

 放射線被害なんていうのは付けたりに過ぎない理由で、いい加減、故郷に戻り復旧・復興に努力すべきだ思うが、それも出来ないというのならなら、せめて福島を貶める様な反原発運動に与するのは止めなさいな。

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2017年03月19日

いい加減、福島県民は被害者意識を棄てよ!

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 東京電力福島第一原発事故で福島県から群馬県に避難した自称・福島県民が損害賠償を求めた訴訟で、前橋地裁は国と東電の過失を認めた。

 この中には避難区域外の住民が半数近くいるが「生活基盤を失い、慣れない土地で精神的苦痛を受けた」というならとっとと戻って来れば好いものを、要は原発事故を利用した錬金術と反原発運動でしかない。

「巨大津波を予見出来た」という。先の大震災で亡くなった人は大津波によるもので、ならば福島県に限らず、宮城や岩手県でのスーパー堤防や防潮堤の整備を中止した当時の民主党政権こそその責任を負うべきで、然も安倍政権の責任かの様に喜んでる反原発派の頭の構造は理解不能。

 原発再稼働での裁判でも反原発派に与するボンクラ裁判長によって摩訶不思議な判決が下されているが、今回の判決を逆から見れば、「巨大津波を想定した対策を講じれば再稼働は可能」ということだが、幾ら対策を講じようとも同じ様に横槍が入るのは明らか。

 福島第一原発の事故は、原発事故調査委員会からは「人災」と結論付けられている。事故前に外国人からの不法献金を糺され四面楚歌だった菅直人は、この事故を利用し「現場視察」というパフォーマンスを強行し、政権存続への執着から起死回生の一発勝負に出た。

 この現地視察で即座に取るべき一連の現場の措置対応に要らぬ混乱を招き、それに因って被害が拡大し、大震災当日から炉心溶融という最悪のシナリオを予測していたのが現実のものとなってしまった。

「首相を被曝させない」ことを優先する余り、炉圧を低下させる為の「ベント」と呼ばれる応急措置が遅れたのが事実で、「人災」を決定付けた当時の最高責任者であった菅直人こそその責任を問われるべきだ。

「巨大津波を予見出来た」というが、不作為で起きた原発事故の責任は国や東電だけではあるまい。

 その責任は設置を容認した県や地方自治体にも、原発設置によりその恩恵を受けてた住民らにも在る訳で、中でも原発事故の対応の拙さと混乱を生んだ当時の民主党政権の責任は重い。

 未だに原発事故を論い、その責任論を然も当然であるかの様に振り翳すが、生き残った我々がいつまでも被害者意識丸出しで過去ばかりをふり返ってその場に立ち止まっていて恥ずかしいとは思わないのか。

 現実に原発構内で命懸けで収束しようと頑張っている方々が存在し、また、この教訓を活かそうと懸命に努力している方々が存在する。

 事故の責任を問うのは法治国家では当然であろうが、ならば当時の最高責任者だった菅直人を拘束して刑務所に入れなさい(笑)

 既に起こってしまった事を論い、原発事故から6年も経った今頃になって過失認定したところで今後の教訓になるとも思えない。

 それよりも大事なことは、二度とこの様な過ちを繰り返さない為にはどうすべきか、また事故の教訓をどう活かすかだ。

 国内に限らず、いつか起こるであろう韓国や中共、或いは世界の原発事故に対しても、福島原発事故の収束技術と正確な科学的データが活かされることこそ福島のこの地に住み続ける我々の願いでもある。

 福島県民はその魁となるべきで、いい加減、被害者意識を棄てよ!

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2017年03月18日

「瑞穂の國記念小学校」の瑞穂って、福島瑞穂の瑞穂じゃあるまいな(笑)

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 連日騒がれている森友学園の籠池理事長は、参議院予算委員会の視察団に対し「安倍首相から100万円の寄付があった」と応えるも、野党四党の調査では領収書なども存在せず、籠池理事長の言ったもん勝ち(笑)

 国会での証人喚問で真相が明らかになるが、この籠池理事長を見れば見るほど、知れば知るほど胡散臭さばかりが際立ってしまう。

「(小学校を)造り上げようとしたのは皆さんの御意思があってこそ」と然も自分がやってやったかの様に恩着せがましく強弁する。

 神道系の学校を創るという志は素晴らしいことだと思うが、書類を偽造し、私学助成金制度や補助金制度を利用して教育という名の下に私腹を肥やそうとしたことは教育者としては不適格と言わざるを得ない。

 こうしたことに政治家が介入し、学園側に有利な働きをした見返りとして不正なカネが政治家に還元していたら政治家として万死に値するが、神道系の学校創立の趣旨に賛同し、ポケットマネーから寄付をしたのであれば別に寄付そのものを否定する必要もないと思うのだが、野党やマスコミは何故か鬼の首でも獲ったかの様なはしゃぎぶり。

 安倍が「私や妻、事務所が関わっていれば、首相も国会議員も辞める」と啖呵を切った事を理由に、マスコミは「安倍首相、森友学園に100万円寄付」と大騒ぎし、辞任必至の報じ方だが、安倍が言ったのは国有地の売却について「森友学園側に有利になる様に働きかけたことはない」として、こう述べただけのこと。

 教育者が政治家や実業家と交流し、また支援して貰うのは別に構わないことだろう。愚生の母校である国士舘も創立者の柴田徳次郎先生は、財閥の渋沢栄一や右翼の巨頭・頭山満と交流を深め、「青年大民団(後の国士舘)」創立に漕ぎ着けた。

 これは早稲田の福沢諭吉や慶応の大隈重信然り。教育とは如何にして将来を担う子供達を国の宝として育むかという志が大事である。

 籠池理事長の教育理念にそうした高い志はなく、神道や安っぽい愛国ブームに便乗し、私学助成金や補助金目当ての営利主義に他ならない。

 問題は土地の不正取得に政治家の働きかけがあったのかという疑惑も然ることながら、憲法違反の疑いの濃い、私学助成金制度や私学への補助金の在り方を検証すべきだが、日頃、護憲を訴えてる勢力からはこうした違憲状態である私学助成金制度の問題が提起されたことはない。

 それにしても、安倍夫人にしても他の政治家らにしても、この籠池理事長を見て胡散臭さを感じなかったのだろうか。

 人を見る目というのは人生哲学の集大成の様なもので、己を持ち上げてくれさえすれば相手がどんな人物だろうがホイホイと付いて行く政治家というのは、人を見る目が無いという証でもある(苦笑)

 テレビやネットで籠池理事長が登場すると、画像の様な国旗・日の丸の前でのシーンや拉致問題解決の印であるブルーリボンのバッチなどが映し出されるが、これこそ印象操作にしか見えない。

 籠池理事長の自宅前で共産党の小池や社民党の福島と一緒に籠池理事長が映っていたが、人相風体共に違和感がなかった。ひょっとすると「瑞穂の國記念小学校」の瑞穂って、福島瑞穂の瑞穂じゃあるまいな。呵呵大笑。

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2017年03月17日

「退位」という共産党の造語が皇室典範附則が置かれる不思議

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 「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」が、「天皇陛下の退位検討会議」や「天皇陛下の生前退位を巡る有識者会議」などに変更され、恰もその目的が「退位」であるかの様に作為的に報じ国民を誑かした。

 本来ならば憲法に明記されてる天皇の国事行為の軽減を図ることこそその目的であった筈だが、いつの間にか「退位」がその目的となった。

 連日、天皇の「退位」を巡る記事が躍っているが、抑々この「退位」という表現は共産党用語であり、「譲位」という文言ではなく、皇室の家憲である皇室典範の付則に「退位」という不敬極まる表現が加筆される事を許してはいけない。

 因みに、唐突に出て来た「生前退位」にしろ、天皇を制度と看做す「天皇制」とい用語も、今では地方自治では定番となった「協働」なども同じで、「女性宮家」も皇統断絶を謀る共産主義者による造語である。

 皇位継承順位は、今上天皇→皇太子殿下→秋篠宮殿下→悠仁親王殿下、とここまで事実上決まっているが、何故に「女性宮家」なのか。

 女性宮家を創設するというが、究極は「女性天皇」、つまりは今上陛下→皇太子殿下→愛子内親王への布石であるが、女性宮家の創設となれば対象は真子内親王と佳子内親王の御二人であり、皇位継承者には成り得ない。

 公務の御負担を「女性宮家創設で軽減する」というが、「祭祀」の代行は名代として掌典長のみが許され、「国事行為」の代行は、憲法第4条の第2項よる委任か、摂政のみ可能であり、「公務」の代行は皇太子殿下のみ可能。

 つまり、女性皇族は何も代行できないのが真実であり、公務の御負担を「女性宮家創設で軽減する」というのは国民を騙す詭弁である。

 年々増え続けている陛下の御公務の内、各種式典、民間行事等への御臨席を軽減するのは宮内庁の務めであるが、宮内庁は陛下が重要視されている「祭祀」の簡素化や取止めなど本末転倒の策を講じていることは正に国賊、獅子身中の虫。

 天皇は憲法以前の御存在であり、現憲法に瑕疵があることが明白な中で皇位継承や国事行為を語ることに違和感を覚える。

 明治憲法並びに明治皇室典範こそが我が国の正統な国法である。現憲法の破棄と明治憲法への復元が直ぐには叶わないなら、皇室の家訓である皇室典範は直ちに陛下へ奉還することこそ図るべきである。

 現皇室典範もまた現憲法同様に法体系上も法律上も重大な瑕疵があり、その皇室典範の下で譲位論を語り、「譲位は一代限り」「一部分の改正に留める」との詭弁を弄し、事実上の皇室典範の再改悪を謀るなど言語道断である。

 天皇にとって最も大事なものは「祭事」であるが、歴代天皇が古来より司って来た祭事は、現憲法によって天皇家の「私事」になってしまい、現皇室典範には「大嘗祭」の規定は存在しない。

 現憲法は、GHQの国體破壊の目論見が反映され、歴史的な国家としての継続された「祭祀」に関する天皇の役割を否定しており、天皇の「国事行為」については、首相の任命、憲法改正や法律の公布、外国大使らの接受等を定めているが「公的行為」は明文化されていない。

 これ即ち、未だ占領政策の「神道指令」の呪縛が解除されずにいる証左であるが、皇統断絶勢力に与する宮内庁は、陛下の御負担の軽減というまやかしの大義名分を振り翳し、重要な祭事である「暁の儀」の取り止めや代拝や拝礼のみという簡素化を謀っていることは看過出来るものではない。

 「女性宮家」ではなく、旧宮家の皇族復帰こそが、皇統を盤石の安きに置く上で必要な対応策であって、女性宮家創設は皇統断絶の策謀である。

 「女性宮家」や「皇室典範改正」を執拗に強要してるのが民進党や共産党、社民党、生活の党の連中ということでもその売国性を理解出来よう。

 男系男子皇族は皇太子殿下と秋篠宮殿下、悠仁親王殿下しかおられないが、万一に備えるにはGHQに強制的に臣籍降下させられた元皇族の皇籍を復帰させれば好い事で、それにより若年皇族は15名に増え皇統は盤石なものとなる。

 皇籍離脱をされた旧宮家は、北朝第3代崇光天皇の皇子、栄仁親王から始まる伏見宮の系統に属し、今上天皇との関係は、室町時代の伏見宮貞成親王を共通の祖先とされる正当な皇統に属する方々であり、何の違和感があるというのか。

 また、女性宮家を叫んでる連中は「内親王の尊称保持」ということも訴えている。これは女性宮家創設に繋げる為の手段であるが、日頃尊称ではなく「愛子さま」だとか「さま」付で呼んでいながら「尊称保持」とはホント嗤わせてくれる。

 如何にも陛下の高齢や体調を慮った様な世論誘導による「退位」こそ反天皇運動の極みであり、神武肇国から続く万世一系の皇統が平成の世の共産主義者らの策謀に因って断絶の危機の序章にしてはならない。

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2017年03月16日

国家の大本である教育の中身を論ずることなく教育を語る勿れ

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 森友学園騒動は、野党にしてみれば安倍政権を糾弾する千載一遇の好機と捉えている様で収まる気配はない。それにしても稲田朋美というのは見ていて情けない。ホント自称保守というのはこういう時に心根と覚悟が現れる。まあ、安倍も第一次政権の頃はこんなヘタレ感じだったが(笑)

 森友学園の遣り過ぎを庇うつもりはないが、神道系の学校であればば教育勅くらい教えるのは当然で、教育勅語に問題があるというのなら、日本一の参拝客を誇る明治神宮の教育勅語普及への取り組みも断じられるべきだろう。だが、明治神宮を詰る者など出ることはないし、日本人であれば教育勅語は教育の根本原理であることは理解している。要は、単なる党利党略からの政争に過ぎない。

 森友学園の問題なのは教育理念より私学助成金を詐取した疑いがあることで、大阪府は刑事告発を検討しているが、国会側は学制の基本となってるこの私学助成金制度を再考するべきであり、同時に国立や公立の学校の現状やバラ撒き制度などを検証し、国家の大本である教育そのものを正すべきではなかろうか。

 この「私学助成」とは、国及び地方公共団体が行う、私立の教育施設の設置者、及び、私立の教育施設に通う在学者(在学者が未成年者である場合は保護者)に対する助成のことであるが、これは明らかな憲法違反。

 日本国憲法89条には「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない」と在り、この条文に抵触しているのは明らか。

 だが「私学助成」を廃止すれば私学の多くが破産するのは明らかで、そういうこともあって温情から、政府見解では私立学校の事業は「公の支配」に属し、これに対する公費からの助成についても「憲法89条に反しないもの」と解釈している。

 私学と雖も公の支配下に在るということで誤魔化しているのだが、私学助成でもこうした憲法解釈は行われており、憲法9条を楯に安保関連法案改定に反対し、集団的自衛権などを騒ぎ立てる左翼や護憲派というのは何故か私学助成金制度の憲法違反には沈黙を極め込む。

 教育勅語や国旗・国歌に拒否反応は示す彼らだが、カトリック系の学校を始め、宗教系の学校では「日の丸は侵略のシンボル」「君が代は統治者天皇賛美」だとして教えているが、それは問題ではないのか。

 まさか真顔で「日の丸は侵略のシンボル」「君が代は統治者天皇賛美」というの信じて、国旗国歌を重んじることで「また太平洋戦争の頃の様な暗い時代に逆戻り」などと言うのではあるまいな。

 時代が戻るなら、江戸時代の様な丁髷を結って刀を差して歩く様な時代にもなるということか。或いは縄文・弥生時代の再来もあり得るのか。そんなバカげた発言をいつまで繰り返すつもりなのか(笑)

 ならば問うが、米英や或いは中共の旗は平和の旗か?

 抑々、カトリックとは、アフリカ、アジア、アメリカ大陸への殺戮と掠奪の先兵ではなかったのか。残虐の全てはキリスト教の教義の下、初めはスペイン・ポルトガル王(カトリック)、後にはイギリス・オランダ王(プロテスタント)の命令で行われたのではなかったのか。

 教義の下であれば、その殺戮と掠奪さえ赦されるというのなら、あのオウム真理教も同じ様にその罪は赦されるべきではないのか(苦笑)

 侵略主義のヨーロッパ諸国の国旗・国歌には反対せず、また近隣諸国への蹂躙や武力による弾圧を続ける中共を批判することなく、我が国の国旗・国歌だけを否定し、神道系の学園だからと執拗に断じることは矛盾と詭弁に他ならず、そこには公平・公正さは愚か正義の微塵も感じない。

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2017年03月14日

戦後民主主義の多い団塊の世代への再教育の場を設けたいものだ(笑)

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「最近の若者は・・・」というのはよく聞いた言葉だが、昔の人ほど最近の大人は言わなくなった様な気もする。

「戦前の少年犯罪(管賀江留郎著)」に拠れば、現在の子供たちは道徳的にどんどん向上しているといい、子供が殺される様な事件は減少し、未成年の犯罪は戦後最低を記録しているという。

「未成年者による犯罪が殖えてる」などというのは全くのデマで、外国人犯罪は殖えているが少年犯罪は減少している。

 少年法は昔の様に15歳以下にすべきだと思っているが、治安悪化を理由にするなら外国人犯罪者を厳罰に処すべきだろう。

 昭和25年の未成年の犯罪は448人で、人口比率にすれば2.55%。昭和35年は人口比率は2.19%。平成18年では比率0.59%

 未成年の強姦犯の検挙数も昭和34年には4649人が検挙されてるが、平成18年では113人。要は戦前に生まれ、戦後教育を受けた人間の時代の連中が一番悪かったということだ。

 この未成年者犯罪の多かった時代を生きた人には「進歩的文化人」と称する戦後民主主義者が多く、彼らの多くは日本を卑下するが、日本を貶めて来たのはそれこそこの団塊の世代の連中でもあるのだ。

 治安が悪くなったと感じるのは、観光立国の愚策により入国する外国人に比例して外国人の犯罪が殖えた影響であり、事実を捻じ曲げてまでも我が国を貶める輩が蔓延っているのは嘆かわしいことだ。

「未成年者による犯罪が殖えてる」かの様なデマに荷担し、自国を貶め反日的言説を弄して喜んでいる自称保守派や自称愛国者が殖え、マスコミもまた凄惨なニュースばかりを垂れ流す。

 恰も最近の若者はサイコパスが多いといイメージだが、凄惨な事件は昔の方が酷く、サイコパスも今と変わらない。唯、マスメディアが発達していなかったから知らされてなかっただけのこと。

「最近の若者は」確りしている人が多く、確りして貰わなきゃいけないのは大人、それも70歳過ぎのオッサンらだろう(笑)

 愚生はよく公衆浴場に行くが、この年代のオッサンらというのはマナーがなっていない人が多く、洗い場でもサウナでも周りの迷惑なんぞ考えない自己チューばかり。その度に注意はしてるが聞く耳もない。

 マナーにしろ、ルールにしろ、国家観にしろ、戦後民主主義者の多いこの団塊の世代への再教育の場を設けたいものだ(笑)
 
 それにしても、連日垂れ流されるくだらない報道や番組にはうんざり。事実をありの儘に報じるべきでマスコミ御用達のインチキコメンテーターらの安っぽい私感は要らない。それよりも、もっと世の人を励まし、世の中を明るくする様なニュースを多く報道出来ないものか。

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2017年03月13日

神武肇国から続く万世一系の皇統が平成の世を境に・・・

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 地元紙のトップは、天皇陛下の退位を巡り、衆参両院の正副議長が、皇室典範附則に陛下一代限りの特別法を明記し、皇位継承の安定化を図る為の最終調整に入ったとの記事が載っている。

 今や退位は避けられない情勢だが、突然に「生前退位」という言葉が躍り、陛下の激務を慮るかの様に「陛下の意思を尊重する」と国民世論を誘導し、政府も呼応し、有識者会議なるものを創設した。

 だが、天皇陛下の御意向により天皇位の退位が可能ならば、同時に皇位継承者(皇太子殿下)の御意向により、即位を辞退出来ることも可能になるということも我々は知らねばならない。

 「天皇制廃止運動」の戦略は、「開かれた皇室論」「敬称・敬語不使用運動」「女性天皇論」「女性宮家」など様々なカタチで実行されているが、皇族を脅迫し、退位させ、即位を辞退させ天皇位を廃止させるということも共産党や反天皇主義者らによる策謀の一つであるのだ。

 この有識者会議の正式名称は「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」であり、本来ならば憲法に明記されてる天皇の国事行為の軽減を図ることこそその目的であった筈だが、いつの間にか「退位」がその目的となった。

 陛下の御発露を受けて、如何に国事行為や御公務を減らし、天皇としての祭事を如何に優先させるべきかを考えるべき好機であったが、国事行為の軽減を図るどころか、軽々しく皇統を論ずることに不快感を覚える国民は少なくない。

 売国マスコミはそうした陛下の国事行為の事は無視し、「天皇陛下の退位検討会議」や「天皇陛下の生前退位を巡る有識者会議」など称し、恰もその目的が退位であるかの様に作為的に報じ国民を誑かした。

 衆参両院の正副議長は「皇族減少対策を含む皇位継承安定化」の検討を要請したが、これは暗に「女性宮家」創設を示唆しているのだろうが、皇籍離脱させられた旧皇族の方々の皇籍復帰こそ図るべきである。

 旧皇族の皇籍復帰を決断しないことは、国體破壊を実行したGHQの非理非道を認めることであり、真の主権回復をも阻むものだ。

 旧皇族の皇籍復帰こそは真の主権国家としての精神の再生であり、皇籍復帰を実現させることは我々日本国民の義務でもある。

 GHQにより臣籍降下が強制されたが、悲しい哉、それを忠実に実行したのが政府であり、大蔵省(当時)である。

 中でも大蔵省は、臣籍降下した11宮家に予算を計上しない「兵糧攻め」を強制し、皇室財産の90%以上を没収したことは不敬極まる行為であり、占領下とはいえ恥ずべき蛮行であったと断じざるを得ない。

 在位期間が62年、宝算87年という長寿であらされた昭和天皇は、敗戦・占領という亡国の縁にあっても御退位遊ばされなく、御不例の中では国事行為や祭祀を当時の皇太子殿下であった今上陛下が代行なされた。

 陛下が摂政を置くことに否定的なのは、昭和天皇を輔佐した御自らの経験上のものであり、喩え臥しても天皇は天皇で在るとの御覚悟の顕れである。

 先の東日本大震災での政府式典には両陛下ではなく秋篠宮殿下同妃殿下が御臨席遊ばされたが、国事行為ではなかったにせよ皇太子殿下や秋篠宮殿下が陛下を輔佐することは可能であり、何故に退位なのか。

 昭和天皇が崩御遊ばされ、大嘗祭を経て即位なされた今上陛下は「昭和天皇のこころをこころとされる」とその決意を国民に語られた。昭和天皇の御公務や祭祀に照らしても「退位」は整合性に欠けている。

 如何にも陛下の高齢や体調を慮った様な世論誘導や、過去に前例のない形での譲位に違和感を覚えると共に、神武肇国から続く万世一系の皇統が平成の世を境に崩れて行くのではなかろうかとの危機感を感じる。

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2017年03月12日

原発事故での避難者はいい加減、被害者意識を棄てよ!

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 昨日は、東日本大震災に併せ全国各地で追悼式や復興祈念式などが催され、ネットなどでも御悔みの言葉などが多く見られた。

 政府追悼式に御臨席遊ばされた秋篠宮殿下は、大震災への思いを語り、「御霊への追悼の言葉と致します」と締め括った。安倍首相も「御霊の安らかならんことを」祈り、追悼の意を表した。

 一方で、川内村の遺族代表は、原発事故での全村避難を余儀なくされたと東電や政府への恨みつらみを吐露し、最後に「大震災の犠牲になられた方々の御冥福を祈る」と挨拶を終えた。

 東日本大震災で亡くなられた方々は津波によるもので、原発事故での関連死を同じ思いで語るのも何か違和感を覚えるし、「御冥福を祈る」などとは真に死者に対しての想いがあるとも思えない。

 これは幾度となくも言ってることだが、仏教の中でも浄土真宗の教義では「死は穢れ」ではないと教える。

 故人を阿弥陀如来の智慧の光明によって極楽浄土へと導くという真理である。 

 大震災での犠牲者に浄土真宗の信徒やキリスト教徒がいないなら別に構わないが、「一般に言われる「御冥福をお祈りします」というのは「死後の幸福をお祈りします」という意味で、浄土真宗では使用しないし、キリスト教も同じ。

 ネットでもこの「御冥福をお祈りします」というのが氾濫しているが、どうしても「冥福」というのはそれらしいから使いたくなるだけのこと(笑)

 県の追悼復興祈念式で内堀知事も「犠牲となられた方々の御冥福を」と語っていたが、知事にしろ、葬式の際に選挙運動の一環として「故人の御冥福を祈ります」などと弔電を打ってる議員もそうだが、もう少し仏教や宗派の教えを学んでみたら如何か(笑)

 逆を言えば、浄土真宗の信徒やキリスト教徒へ「御冥福を祈る」というのは不敬であり、「哀悼の意を表します」「お悔やみ申し上げます」「御愁傷様でした」と言い換えた方が好いのだが、国民の多くは仏教徒だと自認してるが、所詮は葬式仏教だからそんな死後のことなどどうでも好いのだろう(笑)

 地元紙に拠れば、県内原発の全廃炉を求める自治体が全五十市町村の八割超に及ぶという。恰も原発事故で県民の多くが犠牲になったかの様な作為的な記事だ。

 東日本大震災後、「絆」という言葉が合言葉になり、畏くも陛下に置かせられては「国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者と共に夫々の地域の復興の道のりを見守り続けて行くことを心より願っています」と思し召し遊ばされた。

 だが、県内の被災者は少し甘え過ぎてはいないだろうか。被災者は仮設住宅での生活の不満を口にし、逸早く県内から逃亡した自称・被災者らは何かと理由を吐けては帰還を拒み、生活苦を訴える。

 福島県の被災者は東電からの補償もあり、宮城や岩手県の被災者に比べて恵まれている方だと思うが、その無心は収まることはない。

 原発事故の被害は原発周辺者に限らず県民なら誰もが同じことで、偶偶、原発周辺20㌔以内に住んでたからこそ補償の対象になっているだけのことで、これは当時の菅政権の愚策に感謝すべきだろう(苦笑)

 20㌔圏内だった川内村や楢葉町、双葉町、富岡町といった割かし放射線の低い地域にも避難命令が出され、川内村の住民は郡山市に避難することになった。だが、川内村の放射線量は郡山市より低い(笑)

 被災者らは口々に「帰りたくても帰れない」というが、原発周辺の住民の多くは東電関連の仕事に従事していた方が多く、あの周辺に戻って昔の様な仕事に在り付こうと思っても無理なこと。

 全廃炉というなら尚更帰還は困難になるだろうが、そういうことを理解した上での全原発廃炉なのだろうか。

 「帰りたくても帰れない」理由は仕事が無いというのもあるが、それらを隠し、未だに「我々は被害者だから優遇されるのが当然だ」と言わんばかりに権利ばかりを主張するのはホントみっともない。

 福島第二原発の再稼働こそ復興の象徴になると思うが、感情的に全廃炉を目指すのであれば、過去の現実と現在の状況を諒として、避難している今の土地での再起を期すべきだと思う。

 原発事故での避難者はいい加減、被害者意識を棄てよ!

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2017年03月11日

心静かに、大津波の犠牲となり亡くなられた多くの方々に哀悼の意を捧げよう

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 6年前の今日午後3時頃、国会中継を見ていると「緊急地震速報」のテロップが流れ、数秒後、ゴーという不気味な音と共にドカンっと大きな揺れに只事ではないものを感じた。

 何時もの地震の様に直ぐに止むと思っていたその揺れは、収まるどころか更に強まり、部屋中の物が散乱した。長い時間の揺れだった。

 間隔を置いて3回、凡そ5分間の激震が続いた。愛犬も炬燵の中で不安げに見えない眼で此方を見てたのを思い出す。

 地震も収まり、近所の人達も集まって不安げに推移を見守っていたが、兎に角、経験したことの無い長く強い地震だった。

 余震の続く中、部屋を見渡すと物は落下し、天井は歪み、サッシ戸や窓は開き、風呂場の壁は剥がれ落ちた。

 こんな中でも無事だったのは幸いだった。

 愚妻に連絡を取るも携帯は繋がらない。愚妻や倅らにmixiやtwitterをやらせとけばと悔やんだが仕方ない。

 散乱した物を片付けながら帰りを待った。漸く帰宅すると倅夫婦と孫も一緒で、無事な様子に安堵した。

 倅夫婦の住まいも古い家屋なので、倒壊するのではと、着のみ着の儘で出て来た為に、孫のミルクも哺乳瓶なども持って来る余裕も無く、近所のツルハドラッグに行った。

 地震で散乱している店の中で必要な物を探しレジに持っていくと、「こういう状況なので御代は落ち着いてからで結構です。困ってる時は御互い様です。また来店して下さい」との言葉に甚く感動した。

 翌日、最小限の食料を買おうとイトーヨーカドーへ行くと、店内は客でごった返して、商品は便乗値上げと言われても仕方の無い値段設定だった。

 水を購入しようと探すも大きなペットボトルは既に売り切れ、小さな300ミリの物が一人2本限定で、1本100円。普段は30円ほどで売っている商品だ。

 こんなもの高く売り付けるより、一人1本、数量も限定でいいから無料で配給したらいいのにと言ってやろうかと思ったが止めといた。

 震災当日のツルハドラッグの店員とはエラい違いで、商魂逞しいと言えばそれ迄だが、営利主義の賤しさを目の当たりにし嫌な気分になった。

 マスコミ報道を見た国民がパニックに陥り、必要以上に買い溜めし、結果、食料もガソリンも不足して、肝心な被災者へは廻って来ず、特に福島県は原発事故での放射線の影響が心配され、トラックでの搬入に支障が出た。

 当時の民主党政権下での原発事故の対応を今更論っても仕方がない。

 原発事故以来、ロクに休養も取らず、家族にも会わず、福島第一原発構内で命がけで事故を収束させようと、懸命に努力している勇士や英雄らがいることを我々は忘れてしまっているのではなかろうか。

 そういった方々の努力や犠牲の上に今の生活が成り立っているのだ。

 原発の仕事に誇りと覚悟を持ってこの困難に立ち向かった方々の尽力の賜物であり、言い換えれば彼らこそが真のヒーローであり愛国者だろう。

 世界が福島原発事故の行方を注視する中で、現場で従事している彼らの人知が我が国の未曾有の国難を救い、その努力が必ずや報われることを願って止まない。

 本日此処に、東日本大震災に於いて大津波に因って犠牲になられた方々に対し、衷心より哀悼の意を表します。合掌再拝。

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2017年03月10日

感情的な議論より、日本の技術力をもっと信用しようじゃないか

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 3・11に合わせ犠牲者を悼む行事が各地で行われる。マスコミの報道は恰も大震災で亡くなったのは原発事故かの様な世論誘導を感じなくもないが、犠牲になった方々の殆どが大津波に因るものだ。

 世論調査では「県発事故の風化を感じる」という人も多いという。これは、あくまでも危険であらねばならない放射線の恐怖と不安を煽り続けている反原発派やマスコミの思惑とは裏腹に、徐々にではあるが放射線が及ぼす影響はないということが国民に理解されて来た証左と言えよう。

 震災から間もなく陛下は国民にこう訴えかけた。

「被災者のこれからの日々を私達皆が、様々な形で少しでも多く分かち合って行くことが大切であろうと思います。被災した人々が決して希望を捨てることなく、身体を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう、また、国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者と共に夫々の地域の復興の道のりを見守り続けて行くことを心より願っています」

 未曾有の国難ともいえる事態に、陛下の大御心に応えようと国民一人一人が心を一にし労わりあったことは紛れもないことだろう。

 だが悲しい哉、福島への差別は未だ存在するのも確かで、東京を始め、関東各地へ電力を供給していた福島第一原発による事故によって福島県や福島県民がこうした仕打ちを受けるとはよもや思わなかった。

 流言やデマが余計な混乱を生むが、その元凶が民主党政権下で実行され、安倍政権下でも引き継がれている科学的根拠のない除染作業であり、「福島は除染しなければ住めない地域」との風評は止むことがない。

 こうした愚策が中間処理施設という更なる愚策を生み、復旧は愚か復興をも遅らせ、福島県や県民を貶め続けている。

 何故にこうした愚策が成されたのかと言えば、何のことはない人々の優しさや幼稚な正義感に漬け込んで、原発事故での放射線への無知と無理解から来る感情を利用して党勢拡大に利用しているに過ぎない。

 既に福島原発事故の教訓から、全国の各原発では「防波堤の建設」「浸水防止ドアの設置」「高台への非常用電源の確保」などの対策が進められているが、大事なのはこうした科学的データに基いた具体的な効率ある対策である。

 マグネチュード9という巨大地震の震源地に最も近かった「女川原発」は地震直後、原子炉は安全に停止し、被災者の避難所にもなった。 世界はこの「女川原発」に注目し、原発の地震対策を講じている。

 事故を起こしたのは福島第一原発で、第二原発は女川原発同様万全だったのだが、その安全性は語られることはなく、廃炉ありきから感情的に論じられているに過ぎない。

 「冷源」と「電源」が確り保たれてさえいれば「冷温停止」に持ち込むことが可能ということで、つまりはどんな地震であれ津波であれ原子炉を安全に停止させることは可能なのだ。

 感情的な議論に意味はない。日本の技術力をもっと信用しようじゃないか。

 この科学的根拠というのは重要で、それらを無視したところに悲劇が生じてる訳で、これは現在騒がれている豊洲市場も同じこと。都議会のドンも引退したし、そろそろ科学的根拠を明らかにして落とし処を探ることだ。

 東日本大震災で多くの尊い命と被災された方々の犠牲の上に於いて、危機管理と防災と国防が万全なものとなり、更により高度な危機管理と対策が構築されて行くことが、先の大震災での犠牲者の無念さに応える唯一無二のものとなることを願って止まない。

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2017年03月06日

放射線を分かり易く例えるとウンコの臭い。放射能はその臭いの届く範囲(笑)

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 もう直ぐ東日本大震災の起った3.11がやって来る。未だに反原発派による福島県や福島県人に対するデマや差別は止むことがない。

 そうした福島県への風評が止まない原因の元凶とも言えるのが除染という摩訶不思議な作業。これが福島県に「除染しなければ住めない危険な場所」とのレッテルが貼られる要因の一つになっている。

 以前、丸川珠代が環境相だった頃に「年間1ミリシーベルト以下という数値は、何の科学的根拠もなく時の環境相が決めた」と講演会で発言したことが槍玉に挙げられてたことは記憶に新しい。

 この発言は事実で、時の政権だった民主党が示した「年間1ミリシーベルト以下」という数字に科学的根拠はなく、更に言えば菅内閣下で共同謀議的に決められた亡国的愚策の一つである。

 禁煙家でもあり、人一倍健康を気にする当時の小宮山洋子厚生労働大臣の鶴の一声で始められたものが除染作業だった。

 この「1ミリシーベルト」の科学的根拠を示さなかったばかりに、住民からは未だに低放射線への理解が得られることは無く、終わりの無い無駄な除染作業が続けられている。

 本来ならば、この「年間1ミリシーベルト以下」という科学的根拠を示すべきで、それが証明出来ないなら、莫大な血税が垂れ流され続けている除染作業は即時撤収させ、この除染を策謀した当事者は処罰されるべきだ。

 原子力規制委員会は、放射線防護対策の年間被曝線量は「20ミリシーベルト以下」との提言を行っていることを何故にシカトするのか。

 年間20ミリシーベルト以下であれば人体に影響が出ることもないし、未だにそうしたことを知らない被災地の住民や、放射線が危険でなくてはならない反原発派を慮っているだけではないのか。

 20ミリシーベルトを無視して決定したこの「1ミリシーベルト以下」という数値が、国民の放射線への間違った認識とそれに伴う風評被害を齎し、復興どころか復旧をも阻んで来た元凶と言っても過言ではない。

 ゼネコンが受注する除染作業には、福島県民は二重被曝を避けるとい理由から従事出来ないという意味不明な申し合わせがある為に、除染作業員の約6割は県外からの労働者だ。

 よくもまあこれだけの作業員が県外から集まったものだが、彼らは地元で正職に就いていれば、福島県くんだりまで来て除染作業員になんぞにならないだろう。言い方は悪いが不良ばかり。

 ということで、福島県内では除染作業員による犯罪が増加したのは言うまでもないが、除染作業員の犯罪が繰り返される中で、こんな不効率な作業をいつまでも続けるつもりなのか。

 因みに、既に4兆円以上ばら撒かれた除染費用は、国民の電気料から捻出されてるのであって、別に福島県民だけの問題ではない。

 こんな除染作業よりも、住民に安心を与える意味でも放射線への理解を啓蒙して行くべきだろうが、低放射線を容認する科学者の声は届かず、反原発派からは「御用学者」とのレッテルを貼られる始末。

 放射線への知識のない多くの国民は、放射線は恐ろしいものと認識し、恰も数値が0にならなければならないと勘違いしてる人も少なくない。

 塩分過多が身体に悪いことを知ってるが、塩分が0になれば生きていけないのと同じで、放射線が0になることの在り得ない。

 国民の多くは、放射線物質と放射能をよく理解していない。この放射能と放射線物質の違いを更に分かり易く、砕いて言えばこういうことだ。

 放射能漏れ→放射能は漏れない。
 放射能は人体に有害→放射能は人体に無害。
 放射能に食物が汚染→放射能は汚染しない。
 放射能が撒き散らされる→放射能は撒き散らされない。
 放射能が混ざった雨が~→放射能は混ざらない。
 放射能を一定量→放射能に量はない。
 放射能を浴びると~→放射能は浴びることはない

 放射線ーうんこのニオイ
 放射能ーそのうんこがどれくらいクサイか。どこまで臭うか。
 放射性物質ーうんこそのもの

 うんこの臭いは不快なだけだが、強くなると目に染みたり身体的症状が表れるが唯それだけのこと。放射線が厄介なのは、うんこみたいに臭ったり見えたりしないうちに体が犯されていくところだが、過剰に反応する必要もない。呵呵大笑

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高齢化社会の弊害は、貯めに貯め込んだカネを使わないこと(笑)

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 己の努力の無さもあるが、震災以降は支援者がめっきり減って慢性的不如意からの脱却も儘成らない。一献の誘いも不如意を理由に断ってたら誘ってくれる人もとんと少なくなってしまった(笑)

 まぁ寒いし、家でチョッと呑んで、早めに寝るのが好いが、こういうことを皆がやってると景気にも日本経済にも影響する。

 歳を取ると「足るを知り」別に今あるもので足りてしまう。また戦後を知る人は極貧の日本を知ってるのでいざという時の為に蓄えたがる。

 歳を重ねるほど、物欲や食欲が減退していくが、こうしたことが積み重なり、経済の波及効果も乏しくなっていく。日本の高齢化社会の弊害の根本はこうした単純な構造から来るものだ。

 外食しようにも「勿体ないから家で済まそう」「クルマを買い替えようと思ったが今回は車検で好いか」、服にしろ何にしろ「別に今買わなくても」となる。これこそが高齢化社会の弊害でもある。

 年寄りというか、歳を重ねた人が率先して景気対策に貢献しようとと散財すれ好いのだが、如何せん、老人は可哀想だから守られるべき存在だと優遇してしまう。結果、老人業だとか貧困業が絶えない。

 歳を重ねた者こそが大いに遊び、大いに散財することで、地域は勿論のこと、国の景気対策にも繋がって来るのだが、ケチな老人が多く、貯めに貯めたカネを「還付金があります」などと言われて詐欺師にまんまと取られたり、特殊詐欺を庇う訳じゃないが、ホント間抜けだ。

 財を成したところで、死んだら終わり。それどころか遺産の相続で揉めるだけ。愚生の座右の書「徒然草」にはこう在る。

 「財多ければ、身を守るにまどし。害を買い、累を招く媒なり。身の後には、金をして北斗をささふとも、人のためにぞわづらはさるべき」(第三十八段)

 子供の為にと苦労して遺したカネがとんだ災いとなることも多く、だったら、生きている内に稼いだカネはパーっと使った方が自分の為にも、残された子供達にも、況してや日本経済にとっても好い事尽くめ(笑)

 その意味は、「財産が多いとそれだけ身を守らねばならず、面倒な煩いを招く元となる。例え死んだ後でも残された遺族たちは財産分与で揉めるだけだ」

「三年間、酒を飲んでみよ。恐らく金がなくなるだろう。では、三年間、酒を飲まずにいてみよ。それでも金はなくなる」という諺がある。

 酒でも煙草でも博打でも欲しい物でも、それを止めたから、買うのを我慢したからといってその分貯蓄が増えるかというとそうでもない。

 結局のところ、酒飲みにしろ、競輪、競馬、競艇などの公営ギャンブルにしろ、パーッと飲んで、パーっと遊んだ方が本人も国も活気が出るし、波及効果によって自分自身にも巡って来るというものなのだ。

 でも、パチンコはイケません。アレは経済の波及効果は全く無いし、我が国にとって諸悪の根源、不幸を量産する元凶でもある。

 カネは物じゃないから使うことで価値が上がる。俄か成金というのは「カネ持ち」というより、要は「モノ持ち」というのが正しく、カネのある奴はパーっと使うべし。何ならその使い方を教えてあげましょうか(笑)

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2017年03月04日

「園児に偏った考えや、狭い視野を押し付けてしまうことになる」といいながら(嗤)

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 愚生の故郷でもある二本松市小浜(旧岩代町)に在る浄土宗の寺の僧侶のブログが目に留まり、何気に読んでみた。

 尤もらしく書いてはいるが、教育勅語を先の戦争に繋げたり、平気で「子ども」表記を使ったりと典型的な無自覚左翼。仏の道を説く者としては実に薄っぺらく、所詮は己の宗教の杓子定規でしか物事を見ていない偏狭な考え。

 内容を端折って記すとこうだ。「とある幼稚園のニュースが話題になっています。そもそもの発端は、この学園が小学校を開校するために、広大な土地を格安で国から買い取ったことでした。その他、様々な疑念が取り沙汰されています。また、園児に、運動会の選手宣誓などで総理大臣を誉め讃えさせたり、園の活動で教育勅語を暗唱させたりという教育方針が取り上げられています」

 とある幼稚園とは今話題の「森友学園」のことだと分かる。「様々な疑念はともかくとして、私立の幼稚園ですから、保護者から反対されなければ、基本的にどんなことに取り組んでも良いのかもしれません。しかし、いくら私立とは言え、政治的な事柄をはじめ、何でも偏らない事が大切なことだと思います」と、これまでは無難な論説だ。

「実際、テレビで選手宣誓をしている様子を目にしましたが、戦前の軍国主義時代の映像をみているようで、私は良い気持ちがしませんでした。私が園長をしている幼稚園では、先祖を大切するとか、他者を傷つけない、と言った仏教の理念を保育の基本にしていますが、自分の宗派をはじめ、特定の宗派に偏らないように心がけています。そうでなければ、園児に偏った考えや、狭い視野を押し付けてしまうことになるからです」

「戦前の軍国主義時代の映像」との喩えは嗤えるが、正しく、幼児教育に於いては偏った考えや思想を押し付けてはならないのは言うまでもないし、伸び伸びと大らかな和の心を育むことが肝要である。ここまでは別段どうってことはないが、この続きはこうだ。

「ネットでは、教育勅語のどこが悪いのか、という意見も散見されます。教育勅語は第二次世界大戦前の、天皇が君主で国民が臣民という枠組みの中で生まれたものです。ですから、万が一の時には、皇室やお国を守るために忠義を尽くす事が求められています。こうした教育の結果、日本は第二次大戦を戦い、莫大な死者を出し、敗戦国となりました」

 おいおい、「園児に偏った考えや、狭い視野を押し付けてしまうことになるからです」といいながら、それこそが狭い視野っていうものとは違うんかいな(笑)

 教育勅語は明治23(1890)年10月30日に渙発されたもので、別に第二次世界大戦前に作られたものではない。ならば、教育勅語渙発の4年後に起きた日清戦争はどうなのか、また明治37年に勃発したロシアとの国の存亡をかけた戦いで起死回生で我が国が勝利したのも教育勅語の賜ではないのか(笑)

 教育勅語には次の12の徳目が記されている。

 1.親に孝養を尽くしましょう(孝行)
 2.兄弟・姉妹は仲良くしましょう(友愛)
 3.夫婦はいつも仲睦まじくしましょう(夫婦の和)
 4.友だちはお互いに信じ合って付き合いましょう(朋友の信)
 5.自分の言動を慎みましょう(謙遜)
 6.広く全ての人に愛の手を差し伸べましょう(博愛)
 7.勉学に励み職業を身に付けましょう(修業習学)
 8.知識を養い才能を伸ばしましょう(知能啓発)
 9.人格の向上に努めましょう(徳器成就)
 10.広く世の人々や社会の為になる仕事に励みましょう(公益世務)
 11.法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう(遵法)
 12.正しい勇気をもって国の為、真心を尽くしましょう(義勇)

 道徳教育で大事なものは幼年期の「躾」であり、道徳というものを概念的、論理的に捉えようとするのではなく、学んだことを如何に実践するか、如何に行動で表せるかが大事である。

 信仰や宗教でもそうだが、「道」というものは日常の実践であり、特別に意識するのではなく、日常を過ごしながら身に付き、現れてくるものなのだ。

 道徳教育の根本は、明治天皇の恩徳により渙発された「教育勅語」に示されている通り、「忠孝の道」を確立することに在るのだが、この坊主は「義勇公に奉じ」ばかりを論い否定するのはチョッと強引過ぎるのでは(笑)

 我が国の国柄である皇統や御皇室、国を守る為に忠義を尽くすことはその国に生を享けた者として当然の務めであると思うし、仏教でも天長節や天皇行啓の折などには玉体安穏を祈念する寺も在り、正に神仏習合は日本の文化でもある。

 勅語に示された「義勇公に奉じ」を曲解し、「万が一の時には、皇室やお国を守るために忠義を尽くす事が求められています。こうした教育の結果、日本は第二次大戦を戦い、莫大な死者を出し、敗戦国となりました」などとは、共産党を始めとした左翼がこの一部分を口実に教育勅語を否定してる手法と同じ。

 浄土宗から分派した浄土真宗には「大谷派」を始めとした共産党系の組織があるが、この寺も浄土宗から真宗大谷派へ改宗したら如何だろうか(笑)

 我が国は、天皇を族長と仰ぐ君民一体の家族国家であり天皇即日本、日本即天皇の天皇国家である。この国體の精華は万邦類を見ないところであり、従って陛下の御代が栄えることは、即日本が栄えることでもある。つまり、国柄を守るということは皇統を護ることであり、それの何処が不都合なのか。

「教育勅語は、天皇が国の象徴となり、主権が国民に移った現代にはそぐわない内容ですし、教育勅語を奉じるということは、また同じ過ちを繰り返す事になるのではないか、と私は危惧します」というが、先の大戦を「過ち」としている処がこの坊主の安っぽい平和主義と不見識を現している。

 況してや天皇は法律以前の御存在であり、主権が国民に移った現代であろうが万世一系の天皇を頂く国體は変わることはない。

 畏くも万世一系の天皇を我が国元首として仰ぎ奉り、陛下の御稜威を国民生活の隅々にまで行き亘らせることこそが理想であり、それは日本国民として当然の願望である。我が国はいつの世も、時の陛下の御代であり、いつの世にもそこには「君が代」の世界が存在し、それは存在し続けなければならないのだ。

 別に教育勅語にそうした天皇の維持などということが書かれている訳ではない。道徳の根本を教え、そして忠孝の道を記されているのだ。それこそこうした我が国の国柄を見事に現しているのは「日の丸」と「君が代」だが、この住職は恐らく国旗や国歌に対しても違和感を覚えているに相違ない(笑)

 何故なら、この住職は無自覚左翼というよりも明らかな左翼、反天皇主義者の主張であるからだが、坊主という立場は小さな村社会ではその発言の影響が少なくないので幼稚な平和主義などの軽々しい発言は控えるべきだと思う。

 森友学園の理事長の教えを全て容認するものではないが、この浄土宗の僧侶が運営する幼稚園も「先祖を大切するとか、他者を傷つけない、と言った仏教の理念を保育の基本にしていますが、自分の宗派をはじめ、特定の宗派に偏らないように心がけています」とは言いながら、無意識の内にそういう反国家的な考えを浸透させている訳で、ある意味、森友学園より始末が悪い(笑)

 仏の道を説く者としてはそこに俯瞰した言葉は無く、己の宗教と御粗末な情報から導き出した偏狭な考えという他はない。教育勅語を己の価値観や考えで否定するとかではなく、そういう訓えもあるのだというだけで好いのではないか。

 別に愚生は仏教徒ではないが、浄土や天国、地獄というのは釈迦牟尼やキリストらの民衆を救う為の好い嘘であるが、釈迦にしろ親鸞や最澄、空海、日蓮、法然、道元、達磨など開祖の坊主というのは困難や苦難、試練の上で悟りの境地に達したと理会するし、我が国の古来の教えである随神の道、つまり神道と共存を選んだ。

 この故郷の坊主は、随神の道である神道を否定しているから教育勅語を拒否しているものと思われるが、教育勅語も般若心経などの民衆を救う教えの一つであると思えないこと自体、修業が足らないのではあるまいか(笑)

 故郷と雖も共産党員もいれば無自覚左翼の戦後民主主義者もいるのは承知しているが、当時、既成の仏教の教えに疑問を抱き、「唯、只管念仏を唱えよ」という「称名念仏」の方法である「南無阿弥陀仏」を唱えさえすれば浄土に行けるとした法然の教えを否定されたらどんな気持ちか。

 何でもかんでも、先の大戦を悪とする考えは僧侶として実に幼稚で軽々しく、禅宗の寺で座禅を組むなり、真言宗の様に修験の山に籠って修行したら如何だろう。何でもかんでも「南無阿弥陀仏」で済ませ様などとは浄土宗の悪い処で、それではチョッと虫が好過ぎはしませんか(笑)

 因みに、最澄は空海に密教の教えを乞うた様に、他の宗教に学ぶことも大事。浄土宗は貧困の民衆ばかりではなく、教養の乏しかった鎌倉武士や台所事情が悪かった貴族にも受け容れられ、国民仏教として栄えるも、従来の仏教勢力から反発を買い、法然は流罪となった。

 つまりは法然は当時、革命家というべき存在だったのだ。それを今風に喩えれば単なる前科者、キチガイ。そうした開祖の苦労と血の出る様な努力に胡坐をかいてワイドショーのコメンテーターの様に一部分を見て偉そうに語るなっての(笑)

 故郷の坊主に限らず、今や仏の道なんぞなく単なる葬式仏教であり、安穏とした中で己自身が悟りを拓く訳でもなく、単なる齧った程度の学問やテレビの情報で、気骨ある明治人の尊い教えを否定するのは如何なものか。

 尤も、今や坊主なんてのは商売、生業に過ぎないし、仏を売り物にした営業仏教というのが正しく、そんな坊主が綴ったブログに一々反応してる愚生も修業が足らないわな。呵呵大笑。

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2017年03月03日

日越友好と殖え続けるベトナム人犯罪者

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 ベトナムに行幸中の両陛下が元日本兵家族と面会し長年の辛苦を労わった。日越関係の更なる友好と絆が深まることを祈って止まない。

 ベトナムは、地図を見れば分かるが、中華人民共和国に接する国で元々は清の朝貢国だった。そういう関係から、日清戦争で清が我が国に敗れると、清はベトナムをフランスに割譲してしまう。

 このフランスの植民地となる事態を危惧したベトナムの愛国者・ファン・ボー・チャウはこの窮地をどうにかしようと我が国を訪れる。

 ファンは当時の首相だった犬養毅に拝謁しこう申し出た。

「助けてくれたら朝貢するので助けて欲しい」

 当時の日本は、日清戦争に続いてロシアとの日露戦争の真っ最中だからそんな余裕もない。犬養はファンにこう諭す。

「自分達で何もせずに助けてくれなどとは都合が好過ぎるのではないのか。自分の国はどんなに犠牲を払おうとも自分達の手で守るものだ。自分達でどうにかするというのであれば協力は惜しまない」

 ファンはこの犬養の言葉に恥じ入り、自身の軽挙を戒め思い直す。その後、我が国はベトナムから多くの若者らを受け容れ、世界の歴史や情勢を教え、そして戦い方を教えた。

 結果、ベトナムはフランスを追い出すことに成功する。だが、歴史というのは非常であり、その後、米国が侵攻することとなった。

 ベトナムはそれでも屈せず、その米国も追い払うことに成功する。米国軍撤退を好機と見た鄧小平は中国人民軍をベトナムに侵略させる。だが、ベトナムはこの「中越戦争」にも勝利を収めた。

 軍事力に乏しいベトナムが戦争で負けたことがないというのは、ベトナム人の気高い民族性や士気の高さも在るが、我が国の教育と先人の教えの賜であったと言っても過言ではない。

 中越戦争で敗戦した中共の最高指導者・鄧小平はその後、ベトナムでの敗戦を教訓に軍事大国化の道を選ぶこととり、武力を背景に「帝国主義国」として周辺諸国を弾圧し続けている。

 チベットやウイグルなどでの弾圧や尖閣や南沙諸島への侵略・威圧行為は、或る意味、我が国がベトナムへ「戦い方」を教えなければその後のアジアの勢力地図も変わっていたかも知れない。

 今や我が国は国の大本である国防を米国に丸投げ。

「自分達で何もせずに助けてくれなどとは都合が好過ぎるのではないのか。自分の国はどんなに犠牲を払おうとも自分達の手で守るものだ」との、ファンを諭した犬養の言葉が虚しく響く。

 陛下行幸に因る友好とは別に、近年、ベトナム人犯罪者が殖え続けている現状はとても看過出来るものではない。

 平成16年より外国人犯罪は減少しており、支那人犯罪者はピーク時の6分の1に減る一方で、国籍別では、ベトナム人犯罪者が支那人犯罪者や在日朝鮮人を抜きここ数年で3倍以上に膨れ上がっている。

 外国人犯罪の特徴というのは民族の団結が強く、団地などでコミュニテイを形成し仲間同士で犯罪を繰り返すのが特徴。

 以前は支那人やフィリピン人、ブラジル人などが暗躍していたが、今では不良ベトナム人の勢力が拡大している。

 ベトナム人も我が国とベトナムの歴史や深い関係を知っていれば安易に犯罪を起こすこともないのだろうが、こうした現実は営利至上主義に奔る企業の外国人労働者の受け入れや、観光立国という愚策の弊害であるのは言うまでもない。

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2017年03月01日

森友学園騒動と「過ぎたるは猶(なお)及ばざるが如し」という古諺

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 弥生三月、朝まだき身を清め、神饌を新しくし、神棚と南方に向い、陛下の弥栄と両陛下のベトナム御行幸の無事を祈り、併せて心願成就を祈念する。

 「過ぎたるは猶(なお)及ばざるが如し」。何事も遣り過ぎというのは、足らないことと同じく好くないことと訓える。

 森友学園報道を見ていて思うのは、野党の安倍への攻撃とかではなく、学園側の園児への政治利用はチョッと遣り過ぎだろう。

 式典で国旗を掲揚し、国歌を斉唱することは素晴らしいし、「孝行」「友愛」「夫婦の和」「朋友の信」「謙遜」「博愛」「修業習学」「知能啓発」「徳器成就」「公益世務」「遵法」「義勇」の徳目を実践すべく教育勅語を朗誦し、愛国心を育むというのは大事なことだと思う。

 だが、未だ判断能力のない園児に安保法案がどうとか、韓国や中共に対する政治的な問題や民族差別を植え付けるかのような教育は、北朝鮮の「反米教育」や韓国の「反日教育」とどっこいどっこいで洗脳そのもの。

 「自分達は選ばれし民族」だとか、園児に「日本人ではなく日本民族」と連呼させて悦に入ってるが、創価学会を始めとするインチキ宗教や北朝鮮じゃあるまいし、幼い子供にそんな言わせたり、思想の植え付けは世間から見れば奇異に映るし、幼児教育としては異常であると断じられても致し方ない。

 世界観や視野が逆に狭くなってしまうし、中学時代、日教組だった担任・副担任に嫌気が差して右翼に共鳴した愚生の例を挙げるまでもなく、そうした強要に反発することも考えられる。

 4月に開校される予定だった、全国初の神道系の学校法人・瑞穂の國記念小學院も、マスコミや野党らの反発もあって開校は難しくなってしまったが、神道系ならもっと大らかな大和心を育むべきだろう。

 抑々、日本人の信仰である「神道」とはどういうものか。

「豊葦原の千五百(ちいほ)秋の瑞穂の国は、是れ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地なり。宜しく爾皇孫(いましすめみま)、就(ゆ)きて治(しら)せ。行(さきく)ませ、宝祖(あまひつぎ)の隆えまさむこと、当に天壌(あめつち)と窮(きわま)り無かるべし」

 自然は、人智の及ばない大いなる存在である。雷雨や日照りや嵐を人間は制御することは到底出来るものではない。

 人々は自然を征服すべく挑み続けるか、それとも自然と共に生きて行くか。賢明なことに先人は共生することを選び、我々もその道を歩んできた。

 自然は一瞬のうちに暴れ回り甚大な被害を与えたりもするが、同時に無限の恵みを齎してくれたりもする。

 自然の織り成す新羅万象を「神」と呼び、豊穣を齎してくれた「神」を称え、荒ぶる「神」を畏れ鎮め、人々は「神」と共に生きて来た。

 新羅万象の全てが「神」の姿で、山の神、海の神、岬、谷、森、石、水・・・そして人もまたその神の在る景色の一部に過ぎず、これこそが八百万(やおよろず)の神であり、その教えが「神道」なのである。

 日本と日本人の固有の信仰である随神(かんながら)の道はこうした世界観の中から生まれた教えである。

 そんな日本という大らかな国に生まれた奇跡に感謝すべきというのは当然だが、「自分達は選ばれし民族」というのは一神教に在りがちな高慢さでと同じあり、日本人の抱く美意識とはチョッと違うと思う。涵養すべきは大和心である。

「我が国は 神の末なり 神まつる 昔の手振り忘るなよゆめ(明治天皇御製)」

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