2016年12月

2016年12月29日

「靖國神社法案」の提出と成立を図り、靖國神社の国家護持実現に邁進せよ!

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 真珠湾で日米首脳会談が行われいる中、今村雅弘復興相が参拝し、民進党の蓮舫代表らが違和感を表明したばかりだが、今村大臣に続いて、今日、稲田朋美防衛相が靖國神社を参拝するという。

 真珠湾から帰国して「不戦の誓い」を靖國神社でもするつもりなのか、それとも真珠湾攻撃を敢行した英霊への謝罪か、何れにしても保守票の取り込みとパフォーマンスならばいい加減にして貰いたいものだ。

 抑々、総理大臣や国務大臣が靖國神社への参拝することは、悲しい哉、日本国憲法下では第20条違反に問われ兼ねない行為である。

 20条第3項には「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と明記されており、抵触しているのは明らか。

 自民党幹部は「総理と雖も個人の信条は優遇されるべき」との認識を示し、閣僚らの参拝についても、「個人の意思で参拝するのであれば、個人の判断だ」としているが、これこそ詭弁でしかない。

 だが、問題は靖國神社は宗教なのかということである。

 宗教というのは「教祖」と「経典」と「布教活動」の三要素を必須不可欠とするが、靖國神社にはその一つも無く、唯、祀りの様式を日本古来の神道に則って行っているだけである。

 靖國神社が「宗教法人」となっているのは、戦後、GHQが国家と神道の分離を謀った所謂「神道指令」下、靖國神社の護持に苦慮した関係当局の「緊急避難行為」だったのであって、実態は宗教ではない。

 靖國神社の国家護持を図るには「宗教法人格」を見直すことが肝要で、先ずは靖國神社の宗教法人を外すべきで、そうしたこともせずに、保守票の取り込みとパフォーマンス的参拝には違和感を感じざるを得ない。

 自民党は過去に、衆参両院議員選挙の公約の一つとして「身を挺して国に殉じた英霊を祀る靖国神社の公式参拝と国家護持の実現を図る」ということを幾度となく掲げている。

 昭和39年、自由民主党内閣部会に「靖国神社国家護持に関する小委員会」が設置され、昭和44年から昭和47年にかけて、議員立法案として自民党から毎年提出されるも何れも廃案となった。

 その翌年に提出された法案は審議凍結などを経て、昭和49年に衆議院で漸く可決されるも、参議院では審議未了となり廃案。以来、自民党から「靖国神社法案」は提出されることはなかった。

 これ即ち、自民党のやる気の無さの現れでもあるが、平成に入り小泉純一郎が総裁選で靖國参拝を利用し、その後の愛国ブームに付け込んで、アホな議員らが終戦記念日の参拝を利用しているに過ぎない。

 靖國神社の国家護持と陛下の御親拝、首相や閣僚、自衛隊等政府機関の公式参拝は、英霊は元より、遺族や大多数国民血涙の悲願である。

 我が国は独立国であり、何事に於いても何者の拘束を受ける理由は無く、米中韓などの内政干渉に屈する必要も遠慮する必要もないのだ。

 稲田らが真の保守派を自任するならば、直ちに抑圧していた障害を排除し、真姿の復元を計る為にも「靖國神社法案」の提出と成立を図り、靖國神社の国家護持実現に邁進せよ!

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2016年12月28日

親米保守派というのは安保条約の必要性を頻りにアピールするが

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 真珠湾での安倍首相は、日米関係を「希望の同盟」と準え、和解と未来志向を強調した演説は、途中、真珠湾攻撃中に戦闘機が被弾、基地の格納庫に突入し戦死した飯田房太中佐について触れた部分もあり心に響くものがあったが、悲しい哉、トランプ大統領就任後は和解どころかあからさまな日本叩きが始まるだろう。

 親米保守派というのは安保条約の必要性を頻りにアピールする。確かに防衛力が希薄な我が国にとって日米同盟というのは重要なのだろうが、現在の日米同盟は単に米国依存体制の強化であり、米国への更なる忠誠に他ならない。

 米国という国は何事も自分達の利益だけを考える国であり、今日の夕刻までは友人であっても、明日の朝にはもう敵となって、それを少しも不条理とも不道徳とも恥とも思わぬ国である。

 米国が友人であるという事は、それが米国の為に有利であるからであり、その他の如何なる理由も大義名分も付けたりに過ぎない。

 一旦、その利益(国益)が失われるものなら、何ら躊躇することなく180度転換して敵側に立つことを少しも不思議とも不義理とも思わぬ国であるから、決して心を赦してはならないし、無理無体、理不尽な事を平気でやる米国との同盟強化は万一に備え、慎重に、且つ警戒を疎かにしてはいけない。

 また、親米保守派というのは殊更に「反中国」や「反韓国」を口にし、然も尖閣や竹島などの領土主権を守るぞというポーズを執るが、実は米国の国益を最優先し、我が国の国益を毀損していることさえも気付いていない。

 親米保守派の代表である安倍の演説は、世界への発信というより、トランプ次期大統領へのメッセージでもあるのだろうが、トランプ大統領の就任によって、世界の軍事バランスやアジア情勢も大きく変わって行く中で、我が国が「米国のポチ」で在り続けるというのも如何なものか。

 トランプは選挙中こう述べている。

「日米安保条約を締結した時は米国は豊かだったが、今は『金がない国』になった。我々は全てのものの為に、数十億ドルもの莫大な金をずっと失い続ける余裕はない」

 これが米国の本音であり、年に我が国の防衛予算に匹敵する数兆円の予算を削っているのが米国の現状でもあるのだ。

 我が国が未来志向の日米同盟を望むなら、そろそろGNP1%以内とかGDP比での防衛費の予算付けというのは止めるべきで、トランプが日米安保条約の解消を示唆しながら「撤退と無心」を翳すなら、我が国はそれを機に対米自立、民族自決を決断すべきだろう

 昭和34(1959年)に訪日したキューバの英雄エルネスト・チェ・ゲバラは、外務省の反対を押し切って広島視察を強行し、原爆資料館でこう述べた。

「君たち日本人は、アメリカにこれほど残虐な目に遭わされて腹が立たないのか!?」

 真珠湾での安倍の演説を聞いていると、全て我が国が悪いのを前提としているのは頂けないし、米国と米国民への媚び諂いと更なる忠誠にしか感じない。

 先の大戦を猛省し、和解を示すのは我が国ではなく米国である。また「南京大虐殺」にしろ「従軍慰安婦問題」にしろ、こうした問題の背後にいるものは中共や韓国というより実は米国だということを知るべし。

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2016年12月27日

「戦争の惨禍は二度と繰り返してはならない」との所感を嗤う

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 安倍首相一行はハワイ到着後、「衝突事故で亡くなったえひめ丸の慰霊碑に献花した」というニュースが報じられた。

 平成13(2001)年2月10日、ハワイ沖で愛媛県立宇和島水産高等学校に所属する漁業練習船「えひめ丸」が、急浮上した米国海軍の原子力潜水艦「グリーンビル」に衝突され、高校生ら9名が亡くなった。

 この事件は、原潜「グリーンビル」が、えひめ丸が海上にいることを確認していながら急浮上した訳で、これは衝突事故ではなく、殺人行為であり事件である。

 当時、同原潜に同乗していた民間人は反日団体の「ミズーリ保存会」のメンバーであり、「ジャップの船だ、驚かしてやれ!」という気分が艦内に横溢していたことは想像するに余りある。

 「えひめ丸」の悲劇は、日本人蔑視から起きたと言っても過言ではない。

 閑話休題。安倍首相は、ハワイ州での首脳会談と犠牲者への追悼に先立ち、「戦争の惨禍は二度と繰り返してはならない」との所感を述べたが、広島のあの「安らかにお眠りください・・・」とどっこいどっこい(笑)

 こういうキレイゴトで戦争が無くなればそれに越したことはないが、「戦争」とは国際法上認められてる行為であり「悪」ではない。

 我が国が二度としないと宣ったところで、また米国との絆を深めようと努力しようとも、米国という国は一旦国益が損なわれることになれば、手のひらを返し、また我が国に無理難題を仕掛けてくるだろう。

 今や、米国による自己中心的不正非道に苦しむ非西欧諸国の多くが唯一最大の外敵、脅威と考えているが、米国こそ先の大戦と第二次大戦後の傲慢不遜な態度を改め猛省しない限り、戦争も現代戦争であるテロの脅威も治まることはない。

 米英は「戦争とは政治の継続である」と教え、ドイツでは「戦争とは別の調停手段を伴う政治的な取り引きの継続である」と教える。要は、戦争とは政治や外交の延長であって、軍隊が勝手に行うものではない。

 戦争を避けたいならば、政治家こそがもっと国家観を重んじながら、歴史観、人間観、世界観、そして高度な権謀術数を身に着けることだ。

 我が国は先の大戦で負けてしまったから「悪」となってしまったのだが、そういう意味では先の大戦は、「一旦始めた戦争は決して敗れることがあってはならない」という極めて重要な教訓を残したと言えよう。

 また過去の歴史を振り返れば、「戦争」とは相手を征服することであり、「征服」とは掠奪であった。7世紀に興ったイスラムでは掠奪は正しいと教え、中でも最高の戦利品は「女」だった。女を奪い犯すことは、その国家、民族の純粋性を奪い、征服者の血を入れることで征服が完結する。

 「征服」の定義とは、正に「掠奪」と「強姦」の歴史であり、斯くて世界中の民族、国家は万古不偏、この定義に従って戦争して来た。

 例えばロシア人は第二次世界大戦末にベルリンに侵攻し、僅か半年の間に13万人のドイツ女性を強姦し、うち1万人を孕ませた。8千人は堕児出来たが、2千人は「目が寄った額の狭いロシア人顔」の混血児を生んだ。

 13世紀、欧州迄攻め込んだ蒙古人はイランやロシアに混血児を残し、生まれた子供に蒙古系の血が出るとその子は社会から排斥された。

 米国人もロシア人と同じで、第二次世界大戦に参戦すると英国で400件の強姦を働き、欧州戦線では1万4千件の強姦を記録している。

 無条件降伏した日本国内でも、米国人やロシア人、戦勝国を気取る朝鮮人らは残酷に振舞い、民家に押し入り妻や娘を強姦し、抵抗すれば殺した。調達庁の記録では実に2600人を超える人が殺されている。

 現在も、チベットやウイグル、内蒙古で漢民族が相手民族に対し「民族浄化」という陵辱の限りを尽しているのは周知の事実だろう。

 だが、こうした世界とは違った国が存在した。それが我が国・日本だ。

 我が国だけは日清戦争の昔から、「掠奪」と「強姦」を軍律で厳しく規定し、規定を破った者は厳しく処罰された。

 しかし、生きるか死ぬかの戦場で、若い兵士に生理的なものにまで我慢を強いるのは逆に統率を失うと、街に在る「遊郭」で息抜きをさせた。

 その遊郭で働いていたのが慰安婦であって、売春婦が戦場にまで出張ることは当時は当り前のことだったのだ。

 ジェームスディーンの映画「エデンの東」に、開拓時代にワゴンで売春婦が街を巡回する情景が出るが、あの関係と同じだ。

 戦場に遊郭を建て兵士に息抜きをさせるのは肝心で、これはまた当地での性犯罪を防ぎ、相手民族の尊厳を最低限保つことでもあったのだ。

 こうした日本人の配慮を知らずして、高給に集った売春婦を「従軍慰安婦」と称し、恰も軍が関与し、朝鮮人の女性を強制連行し名誉を傷付け「性奴隷」にしたとは言語道断という他は無い。

 過去の戦争を論うことは大事だが、大切なのは古今東西、世界に蔓延る覇権主義の克服を主張すべきであって、他国の覇権主義には目を瞑り、一方的に我が国だけが自虐の淵に止め処なく漬かり込むことではない。

 我が国の戦後の平和というのは確かに米国の核と軍事力に因るところが大きいが、本来、平和というのは自ら創り出すものである。そういう意味でも米国に感謝しつつも袂を分かち、また警戒を疎かにしてはいけない。

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2016年12月26日

「騙し討ち」という汚名を灌ぐことなく、パフォーマンスを優先する安倍首相

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 安倍首相は本日夜、ハワイ州パールハーバーの戦跡を訪れてて犠牲者慰霊と「不戦の誓い」を表明し、日米の絆を世界に発信するというが、所詮はオバマへの勇退への贐に過ぎない。

 「騙し討ち」という汚名を灌ぐことなく、パフォーマンスを優先し、大東亜戦争の意義と歴史の真実が歪曲され、英霊が冒涜され続けることに少なからぬ怒りを覚える国民は少なくないだろう。

 我が国は敗れはしたが、大東亜戦争後、アジアの国々は独立を果たし、日清・日露戦争後の懸案であった「人種平等の原則」は成立した。その事実をしても、如何に大東亜戦争が聖戦だったかが理解出来よう。

 昭和20年9月2日、上海爆弾事件で右足を失った重光全権は、降伏文書への調印の為に義足を引き摺りながら喘ぎ喘ぎ上った。

 調印を前に一杯の水を所望するも米国側は冷たく拒否。卑怯者の「ジャップ」にやる水などないという憎悪が目に見える様だ。

 今も糾弾して止まない「リメンバーパールハーバー」も、日本人への偏見と差別であり、先の大戦を反省すべきは我が国ではなく米国である。

 日米の友好や絆を深めるのも結構だが、パフォーマンスに国の歴史まで利用するのはいい加減にして欲しいものだ。

 思い起こせば、衆参過半数という最良の条件で小泉政権を引き継いだ安倍第一次内閣は、就任直後の北京詣でに始まり、河野談話の継承、靖國不参拝などで安倍への期待は脆くも崩れ去った。

 その結果、続く参院選で大敗し、再起を誓うも間もなく体調不良で退陣となり、引き継いだ福田内閣、その後の麻生内閣と、一旦落ち目になった勢いは止まることなく民主党に政権を奪われることとなった。

 この失敗を教訓に捲土重来を期す覚悟を見せるも、靖国神社へは3年前の今日、保守派を慮ってパフォーマンスで参拝しただけ。

 対中韓政策は第一次安倍内閣と大して変わらず、慰安婦問題を筆頭に意味不明な宥和政策を打ち出し、誤ったメッセージを中韓へ送り続けている。

 口先ではやれ憲法改正だとか、安全保障だとか威勢はいいが、実際やってることは保守とは懸け離れた経済至上主義&新自由主義。

 我、疑心暗鬼どころか、安倍に期待するものは全く無く、こうした安倍が支持されているのは単に、安倍に替わる人材がいないことに尽きる。

 こうして安倍を批判するものなら、安倍信者や自称・保守派からは保守派分断を謀る「工作員」だとか「反日サヨクリベラル」と罵られる。

 だが、間違ったものに諫言もせずに看過し、嘘を嘘と指摘することに躊躇する安倍支持者こそ工作員そのものだろう。

 吉田松陰は「常に勅諫なくば」と訓えているが、日頃、主君の誤りを諌められずしていざ戦場での活躍など出来はしまいということだ。

 自民党は保守というより、新自由主義者や無自覚左翼が蠢いている政党であり、自民党が真の保守主義に目覚め、先人の築き上げた歴史の正統性を自覚することこそ日本再生の道だろう。

 ハワイ州パールハーバーには敗戦の調印式を行った戦艦ミズールが記念艦として保存されている。いつの日かこの甲板上で、米国の過去の多くの過ちを認めさせる調印式を行ってみたいものだ。呵呵。

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2016年12月23日

奉祝・天長節

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 天長節に当たり、皇国臣民として謹んで陛下の弥栄と長久を祈念申し上げます。

 我が国は永い歴史の中から数々の伝統及び制度が生み出されてきた国家である。そんな中で永遠に無くなってはならぬものが天皇を戴く国家の在り方であることは言うを俟たない。

 これこそが我が国のあらゆる制度の基盤であり核心である。日本即天皇、天皇即日本の天皇国家であり、この国體の精華は万邦類を見ない。

 2676年の永きに亙り「万世一系」の天皇を戴き、常に国民や世界の平和を祈り続けておられる天皇を、善き至高の存在として暮らして来た。

 天皇を族長と仰ぐ君民一体の家族国家が日本であり、「天皇即日本」「日本即天皇」の天皇国家が「日本」という国柄なのである。

 天皇の御代が栄えることは、即国民の代が栄えることでもあり、この国體の精華は万邦類を見ないところである。

 正に、世界に冠絶した「君が代」そのものの世界が厳然と存在する国こそが我が祖国「日本」なのだ。

 だが、日本に生を享けながらこうした国柄を否定し、天皇や皇室を批判する誠に以て不遜不敬、不届至極の不逞の輩がいるのも確か。

 これらの奸賊を排し、迫る来る祖国の危機に対処し、天皇国日本を盤石の安きに置く使命を有するのは民族派陣営である。

 正にその存在の意義を示す神機は近付きつつあると確信するも、一旦緩急に備え、遺憾無きを期そうという維新者も悲しい哉、極僅か。

 また本日は、所謂A級戦犯として処刑された7名の命日でもある。

 GHQは、当時の皇太子御生誕の日を選び処刑を行ったのは、未来永劫、日本人に贖罪意識を持たせる為のものであるが、こうした事実をしても米英を始めとした連合国が如何に非情かが解るというものだろう。

 我国には「A級戦犯」「B・C級戦犯」「戦争犯罪人」などという呼称はない。刑死、獄中死された方々は国会に於いては「法務死」と称されており、靖國神社では「昭和殉難者」として御祀りしている。

 極東軍事裁判に於いて弁護する機会も与えられず、一審即結審という復讐という名の茶番劇で、或いは外国の地で不当に処刑されたこの英霊の方々の命は決して軽いものではない。

 彼らは敢えて反論もせず命を捧げて罪を償ってくれたのだ。今を生きる我々は、この英霊の悲劇を決して忘れてはならない。

 日本人でありながら未だに「戦犯」という蔑称を平気で使っているのは、我が民族の精神性の乏しさを象徴する最たるものである。

 本日、天長節を奉祝すると共に、戦犯との汚名を着せられ続けている英霊の名誉恢復と御霊の安らかならんことを祈らずにはいられない。

 天皇陛下万歳、すめらみこといやさか、すめらぎいやさか!

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2016年12月22日

東条英機の遺言書(一部校正してます)

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 昭和23年12月22日夜、死刑執行の数時間前に、東京巣鴨において、教誨師の花山信勝師の前で東条英機が遺言書を朗読した。以下転載。(一部校正してます)

 開戦の時のことを思い起こすと実に断腸の思いがある。今回の処刑は個人的には慰められるところがあるけれども、国内的の自分の責任は、死をもって償えるものではない。

 しかし国際的な犯罪としては、どこまでも無罪を主張する。力の前に屈した。自分としては、国内的な責任を負うて、満足して刑場に行く。ただ同僚に責任を及ぼしたこと、下級者にまで刑の及びたることは、実に残念である。

 天皇陛下および国民に対しては、深くおわびする。

 元来、日本の軍隊は、陛下の仁慈の御志により行動すべきものであったが、一部あやまちを生じ、世界の誤解を受けたるは遺憾である。日本の軍に従事し、倒れた人および遺家族に対しては、実に相済まぬと思っている。

 今回の判決の是非に関しては、もとより歴史の批判に待つ、もしこれが永久の平和のためということであったら、もう少し大きな態度で事に臨まなければならぬのではないか。この裁判は、結局は政治裁判に終わった。勝者の裁判たる性質を脱却せね。

 天皇陛下の御地位および陛下の御存在は、動かすべからざるものである。天皇陛下の形式については、あえて言わぬ。存在そのものが必要なのである。

 それにつきかれこれ言葉をさしはさむ者があるが、これらは空気や地面のありがたさを知らねと同様のものである。東亜の諸民族は、今回のことを忘れて将来相協力すべきものである。

 東亜民族もまた他の民族と同様の権利をもつべきであって、その有色人種たることをむしろ誇りとすべきである。インドの判事には、尊敬の念を禁じ得ない。これをもって東亜民族の誇りと感じた。

 今回の戦争にて、東亜民族の生存の権利が了解せられはじめたのであったら、しあわせである。列国も排他的な考えを廃して、共栄の心持ちをもって進むべきである。

 現在の日本を事実上統治する米国人に一言するが、どうか日本の米国に対する心持ちを離れしめざるように願いたい。

 また、日本人が赤化しないように頼む。東亜民族の誠意を認識して、これと協力して行くようにしなければならぬ。実は、東亜の多民族の協力を得ることができなかったことが、今回の敗戦の原因であると考えている。

 今後日本は米国の保護の下に生活していくのであるが、極東の大勢はどうであろうか。終戦後わずかに三年にして、アジア大陸赤化の形勢はかくのごとくである。今後のことを考えれば、実に憂なきを得ぬ。もし日本が赤化の温床ともならば、危険この上ないではないか。

 日本は米国よりの食糧その他の援助を感謝している。しかし、もしも一般人が自己の生活の困難や、インフレや、食糧の不足などを米軍の日本にあるがためなりというような感想をもつようになったならば、それは危険である。

 実際にかかる宣伝をなしつつある者もあるのである。よって、米軍は日本人の心を失わぬように注意すべきことを希望する。

 米国の指導者は、大きな失敗を犯した。日本という赤化の防壁を破壊し去ったことである。いまや満州は赤化の根拠地である。朝鮮を二分したことは東亜の禍根である。

 米英はこれを救済する責任を負っている。従って、その意味においてトルーマン大統領が再任せられたことはよかったと思う。

 日本は米国の指導にもとづき武力を全面的に放棄した。それは一応は賢明であるというべきである。しかし、世界が全面的に武装を排除していないのに、一方的に武装をやめることは、泥棒がまだいるのに警察をやめるようなものである。

 私は、戦争を根絶するには、欲心を取り払わねばならぬと思う。現に世界各国はいずれも自国の存立や、自衛権の確保を説いている。これはお互いに欲心を放棄していない証拠である。

 国家から欲心を除くということは、不可能のことである。されば世界より戦争を除くということは不可能である。結局、自滅に陥るのであるかもわからぬが、事実はこの通りである。

 それゆえ、第三次世界大戦は避けることができない。第三次世界大戦において、おもなる立場に立つものは米国およびソ連である。

 第二次の世界大戦において、日本とドイツが取り去られてしまった。それゆえ、米国とソ連が直接に接触することになった。

 米ソ二国の思想上の相違はやむを得ぬ。この見地からいうも、第三次世界大戦は避けることはできぬ。第三次世界大戦においては、極東がその戦場となる。この時にあたって、米国は武力なき日本をいかにするのであろうか。

 米国はこの武力なき日本を守るの策をたてなければ、また何をかいわんや。そうでなしとすれば、米国に何らかの考えがなければならぬ。米国は、日本八千万国民の生きてゆける道を考えてくれねばならない。

 およそ生物としては、生きんことを欲するのは当然である。産児制限のごときは神意に反するもので、行うべきではない。なお言いたきことは、最近に至るまで戦犯容疑者の逮捕をなしつつある。

 今や戦後三年を経ておるのではないか。新たに戦犯を逮捕するというごときは、即時にやめるべきである。

 米国としては、日本国民が正業につくことを願い、その気持ちでやって行かなければならぬ。戦犯の逮捕は、我々の処刑をもって、一段落として放棄すべきである。

 戦死傷者、抑留者、戦災者の霊は、遺族の申し出があらば、これを靖国神社に合祀せられたし。出征地にある戦死者の墓には、保護を与えられたし。従って遺族の申し出あらば、これを内地に返還せられたし。

 戦犯者の家族には、保護を十分に与えられたし。青少年の保護ということは、大事なことである。近時いかがわしき風潮は、占領軍の影響からきているものが少なくない。この点については、わが国古来の美風をも十分考慮にいれられたし。

 今回の処刑を機として敵、味方、中立国の罹災者の一大追悼会を発起せられたし。もちろん、日本軍人の間に間違いを犯した者はあろう。これらについては衷心、謝罪する。

 これと同時に、無差別爆撃や原子爆弾の投下をなしたことについて、米国側も大いに考えなければならぬ。従って、さようなことをしたことについては、米国側も大いに悔悟すべきである。

 最後に軍事的問題について一言するが、我が国従来の統帥権独立の思想は確かに間違っている。あれでは陸海軍一本の行動はとれない。

 兵役については、徴兵制によるか、傭兵制によるか考えなければならぬ。我が国民性を考えて、再建の際に考慮すべし。

 教育は精神教育を大いにとらなければならぬ。忠君愛国を基礎としなければならぬが、責任感をゆるがせにしてはならぬ。この点については、大いに米国に学ぶべきである。

 学校教育は、人としての完成を図る教育である。従前の醇朴剛健のみでは足らぬ。宗教の観念を教えなければならぬ。

 欧米の風俗を知らせる必要もある。俘虜のことについても研究して、国際間の俘虜の観念を徹底せしめる必要がある。

 以上が、死刑執行の前日に朗読した遺言書の摘要である。

 今を生きる我々は、改めて、先人が国家の命運を賭けて戦った大東亜戦争の真実と意義を考えねばならない。合掌。

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2016年12月21日

オスプレイ再開と騒ぐよりオスプレイを配備する最大の理由と意味を報じよ!

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 新聞やテレビでは「オスプレイ飛行再開」との作為的な報道が垂れ流され。翁長知事も見事なヅラを振り乱して「命の軽視」だと喚き散らしている。

 マスコミが翁長ら珍左翼や一部住民の言い分だけを載せて、如何にもオスプレイが危険であるかの様に報道し不安を煽ってるのは如何なものか。

 オスプレイは他のヘリや戦闘機などに比べても事故発生率は断トツに低い。マスコミも不安ばかり呷ってないで、きちんとしたデータを出して公正・公平な報道を心がけるべきだろう。って、無理か(苦笑)

「命の軽視」というならオスプレイよりも中国共産党の弾圧であり、その中共の覇権主義によって脅かされてる近」隣諸国や沖縄だろう。

 オスプレイを配備する最大の理由は、我が国の千海里防衛構想の拡充の為のものであり、尖閣問題への圧力であり、抑止である。

 同時に、南シナ海で中共の威圧行為に呻吟するベトナムとフィリピンを護る意味もあり、畢竟、それはアジアの安定を齎すものでもあるのだ。

 尖閣を始め九州、沖縄の島々には離発着出来る場所はない。領土の防衛では、敵国の侵攻、侵略は色々な場面も想定しておかなければならず、何処でも離着陸出来るオスプレイは貴重な最新兵器である。

 オスプレイのその圧倒的な機動性の高さは、我が国と周辺諸国には大きな抑止力であり、事実、オスプレイ配備が功を奏し、中共にとっては脅威となっているということは紛れもない事実である。

 そうしたことも考慮せず、一方的にオスプレイ飛行再開の危険性を報じるマスコミや翁長らは、単に中共の御先棒を担いでるだけであって、それこそ我が国や国民の命を軽視しているのだ。

 珍左翼らがオスプレイに反対するのは当然のことなのだろうが、木村三浩ら新右翼といわれる勢力もオスプレイ反対を叫んでいるという。

 尤も、彼等は唯唯反米で団結してるだけで、大した大義は無い。その昔、三沢恥廉が「天皇ごっこ」を上梓したが、それこそ「反米ごっこ」。今や彼等は新右翼ではなく、珍左翼と同類の珍右翼というのが正しい(爆)

 それよりも何より、米国に国家の大本を依存している我が国が、米軍に文句を言える立場じゃないのを理解していない(笑)

 米軍のやり方に納得しないのなら、それこそ沖縄県民が先頭に立って憲法の見直しを叫び、自存自衛の防衛体制を確立すれば好いだけのことだが、珍左翼らは自衛隊にも反対なのだからどうしようもない(苦笑)

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2016年12月20日

全国版のニュースになった日大東北高校相撲部の暴力問題を嗤う

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 郡山市の日大東北高校相撲部の顧問が部員に暴力を揮ってたとのニュースが全国を駆け巡った。この顧問の男性教諭は相撲の名門・日大相撲部の主将を務め、全日本選手権では準優勝した経歴を持つ。

 報道は事実を捻じ曲げられ、ゴムのハンマーがいつの間にか単なるハンマーで殴られたとか、デッキブラシが鋸だったりと作為的。鉄のハンマーで相撲の実力者に殴られれば命は無いだろう(笑)

 親やマスコミから見ればして暴力行為を明らかにさせたことはしてやったりだろうが、果たしてそれほど騒がれる問題なのだろうか。

 指導や教えるというのは実に難しく、言って聞かせて本人の理解出来れば問題ないが、言っても分からない子供に幾ら言って聞かせてもは効果はない。

 そういう生徒には体罰やシゴキによって本能を鍛え上げることは教育の大事な要素の一つでもある。

 だがそれには、教える立場の者は日々生徒達に愛情を注ぎ、尊敬される様な言動や立ち居振る舞いをすることが肝要。

 そうしたことを重んじて教育していれば、生徒も先生に「敬」を抱くし、時に揮う「愛のムチ」という体罰も、感じ方、捉え方も変わってくるだろう。

 人を育てるというのは日本刀が出来上がる過程と似ている。

 日本刀は先ず卸し鉄を「積み重ねる」ことから始まる。そして「鍛錬」し、更に「下鍛え」し、何回も何回も鍛え上げ、「芯鉄」を鍛え造り込む。叩いて叩いて鍛えることで強靭で立派な刀が出来上がるのだ。

 国士舘の創設者・柴田徳次郎先生もこう訓示している。

「刀というのはトンテンカン、トンテンカンと叩いて叩いて鍛え上げなければ五郎入道政宗とか村正といった立派な刀は出来ません。国士舘の生徒も先生だけの指導だけではダメで、学校も親も一緒になってお子さん方を鍛え上げて行かなければ立派な日本人に育てることは出来ません」

 日本刀を作る上で最も大事なのが「焼き入れ」で、焼き入れを行うことで刀に命を吹き込むのだが、焼き入れ一つで刀の出来も価値も変わってしまうもので、刀鍛冶と同じく、教育者もヤキというのは重要な工程だということを知るべし。

 本来「ヤキを入れる」とは鍛錬の一つであって、そしてその鍛え込んだ刀を磨き上げて刀が出来上がるのだが、教育も同じで、ヤキの後に磨き上げることも無く放り出すから単に暴力だと断じられてしまうのだ。

 確かにそのヤキという指導の在り方に全く問題が無いということではないが、指導した顧問のやり方全てを体罰や暴力で片付けてしまうというのも、事の本質をチト違う方向へ導いてしまっているのではなかろうか。

 戦後、我が国では子供を褒めなければダメ、叱ったり殴ったりすることはケシカランという考えが支配的になったが、「褒める教育」とは、抑々、日教組が「生徒の自主性・自由の尊重」と謳ったところから始まったものだ。 

 その為に非行を繰り返す不良生徒を殴った教師が吊し上げられ、排除されてきた。「学級崩壊」や「教育荒廃」の元凶は此処に在る。

 今回の問題も、生徒を鍛え上げ方が間違っていたかも知れないが、「角を矯めて牛を殺す」との譬えの様に、顧問を糾弾し過ぎて生徒が逆に傷付き、反って部活動という肝心な根本をも損なうことになってしまうのではと危惧する。

 誰にでも、間違いはあるし、隠したいことはあるだろう。と、日大東北高校の校長のカツラと教頭の禿げ頭を見ながらそんなことを考えた。呵呵大笑。

 追伸、匿名を好いことにくだらないコメントを寄せるなっての(苦笑)

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2016年12月19日

栄佐久さん、そろそろネコババしてる退職金7720万円は返したら(苦笑)

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 小泉純一郎や細川護熙と同じく反原発派の論客として持て囃されてるのが元福島県知事の佐藤栄佐久。この栄佐久のドキュメント映画「収賄額0円の収賄罪・知事抹殺の真実」が好評だという。

 完成試写会では長蛇の列で立ち見続出という声も聞こえて来たが、その実態は一枚1000円のチケットを業者や関係者に義理売。

 業者にしてりゃ断る訳にはいかないから、数枚買って暇な社員を観に行かせ、結果は反原発派も入り混じって大入り盛況(笑)

 栄佐久というのは確かに悪人には見えないが、県知事汚職事件で実弟の祐二が何故に水谷建設に1億円を無心したかが大問題。

 社長だった祐二は、従業員への退職金だとしているが、事実は県知事選挙で事務所に手伝いに来た女性をナンパして愛人にしたが、その愛人に子供が出来て、長年連れ添った糟糠の妻への慰謝料を捻出しなければならなくなったからだ。

 栄佐久らは「どこの国にもあり得ない収賄額0円の収賄罪」という。だが、何故に県の公共工事の多くを受注していた水谷建設だったのか。

 実弟の祐二が、この水谷建設に無心した頃の相場では明らかに高額であり、水谷への無理強いであり、違法性を問われるのは当然の事であろう。

 それに土地の値段が当時の相場だったというのなら別に水谷建設でなくても、地元の銀行でも何処でも好かったのではないのか。

 そうした裏の関わりやその違法性を認識していたからこそ、郡山三東スーツの常務はその一切の責任を取って自殺を図り、死にきれず植物状態となった。

 そうしたことを隠す様に、後から「(判決時の)相場で0円だから無罪だ」と言われても、それは余りにも虫が好過ぎるし、卑怯だろう。

 況してや土地評価で証人として出廷し、「水谷建設が三東スーツ側から買った1億円は相場の価格」との証言をしたのが悪名高い不動産会社「東日本地所」の武田博志だもの何か況や。

 栄佐久は、最高裁の判決により有罪が確定したにも拘らず、「無罪だから」と血税である退職金の7726万円をネコババしている。

 最高裁の判決を否定し、ネコババの理由を「最高裁でも真実は見抜けなかった」と無罪を主張しているが、こんな言い訳が通用するとでも思っているのか。

 最高裁は一から事件を再捜査する所ではない。最高裁は高裁で下された判決が憲法に合致しているか否かを審理する機関であり、あの県知事汚職の破廉恥事件の何処に、日本国憲法との違法性があったというのか。

 福島県知事汚職とは「血税」というものを理解していないからこそ起こった事件であるが、退職金のネコババという事実が、この栄佐久の人となりとカネへの異常な執着を現していると言えよう。

 国造りの理想や原発行政への見識は立派に聞こえるが、所詮は元知事の言い訳に過ぎず、こうした堅白同異の私見を見る限り、事件を反省してはいないし、反省していないからこそ退職金も返さない(苦笑)

 幾ら栄佐久や実弟の祐二が無実だと言い続けても、福島県汚職事件に絡んだ競争入札妨害(談合)罪で逮捕された栄佐久の盟友でブローカーの辻政雄らと結託し、公共工事という血税に集り、私腹を肥やしていた事実は政治的且つ道義的に断じて赦されるものではない。

 栄佐久は、地震の多い日本で放射性物質を地下に埋めるのは困難で、その処理施設も見つかっていないとの理由で反原発を掲げているが、この認識は小泉純一郎の反原発センチメンタリズムと同じ。

 だが、地下への高レベル放射性廃棄物の処理は技術的に何ら問題はなく、処分地が決まらないのは放射性廃棄物に対する感情論の影響であり、要は単なる政治家の怠慢というのが正しい。

 因みに、高レベル放射性廃棄物の処分地の公募を決めたのは小泉政権下っだ。それを今更、なにが反原発か、嗤わせるなっての。

 栄佐久がインチキマスコミや珍左翼の間でチヤホヤされているのは、反原発派にとって利用価値が高いということだけで、別にその理論が立派な訳ではない。ホント、勘違いするなっての(笑)

 そういや、栄佐久が現職時代、公共工事を受注したい業者らは似合いもしない高級スーツを仕立てに郡山三東スーツに日参してたっけ。

 現在大好評というナンチャッテ映画に通ってる連中も、あの頃の栄佐久に気に入られと必死だった業者らと同じ様にしか見えない。呵呵大笑

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2016年12月17日

奪われたものは奪い返す以外に解決する手段は無い!

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 プーチン訪日前にマスコミやネット上では、恰も安倍首相が北方四島返還を実現するかの様な作為的報道が成され、安倍信者や自称保守派の中にも楽観論が漂っていた。

 経済協力というニンジンをぶら下げて、先ずは「二島返還」を認めさせ、友好条約を締結しようという安倍外交の実に甘っちょろい外交戦略を嗤わずにはいられなかった。

 外交というのは「譲歩が更なる譲歩を生む」というのが世界の常識。つまり二島返還という譲歩が、ロシア側を強硬姿勢に変え、更には経済協力というニンジンをプーチンに奪い去られた。

 地元紙の論説を見れば、「日本の資金と技術が投入されれば、ロシア国内での日本の評価は高まるだろう」と綴られている。

 ならば、同じ様に過去に中国共産党や韓国へ莫大な経済協力をしているが、日本の評価が高まったのか?

 逆だろう。カネになると思った彼奴等は更なる無心を続けてるだけで、拒否すれば反日を利用し更なる無心を繰り返す。

 抑々、国内向けに日本の経済協力の事実を報道もしないし、報道しなければ誰も日本のことなど知る由もない。

 己の土地を他人に奪われて黙っている者はいないだろう。況してや、父祖伝来の国土が強奪されて泣き寝入りする民族が何処にあろうか。

 「北方領土奪還」は正に日本民族の悲願であることは言うまでもないが、戦後70年以上も経った今日、北方領土問題は未だ解決の糸口すら見えて来ないのは一体何故なのか。

 思うに、領土そのものの重要性に対する認識不足と、如何に不法に占拠されたかの真相把握の欠如。つまり、北方領土は第二次大戦下でロシア(旧ソ連)に強奪されたという認識が決定的に欠如しているのだ。

 抑々、南樺太及び全千島列島は我が国固有の領土だが、日露戦争勝利によってカムチャッカ半島をも我が国奪い治めたのを知っているか。

 要は、ロシアにしてみれば奪われた領土を奪い返し、更には領土拡大の為に我が国の領土を強奪しただけのこと。

 こうした歴史的事実を忘却し、「四島は過去に我が国以外どの国にも属したことがない」などとの理由で弱腰軟弱的な四島返還論を展開していることが根本的な間違いなのだ。

 今回の日ロ首脳会談の失敗は、ロシアへの認識の甘さと対応の甘さ等が綯い交ぜとなった最たる事例で在ろう。

 失地領土は奪還することでしか解決を見ない。現在、世界の各地で民族争いの中で国境紛争が頻繁に起きているが、世界では寸土たりとも主権確立には戦いをして死守しているのが世界の常識である。

 奪われたものは奪い返す以外に解決する手段は無く、また北朝鮮に致致された被害者を取り戻すのもやはり奪還する以外にはないのだ。

 世界の常識通り、奪われた領土は奪うことでしか解決出来ないが、我が国の政治家にはそうした「命がけで」取り組む気概が決定的に乏しい。

 国際環境が激変しつつある時に動くものが領土問題である。つまりそれは、北方領土や竹島を取り戻す機会が到来したと同時に、尖閣列島や対馬、或いは沖縄県を奪われる危機でもあることを自覚せよ。

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2016年12月16日

「巌流島の戦い」を真似たプーチン大統領(笑)

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「おのれ武蔵!臆したか」

 慶長17年、山口県下関の関門海峡に浮かぶ巌流島(正式名・舟島)にて宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘した。所謂「巌流島の戦い」である。

 約束の時間は辰の刻(午前8時)。武蔵は2時間経っても現れない。苛立つ小次郎。その脇で決闘を見守る小倉藩の重臣達。

「武蔵という男、確かに来るのか?・・・まさか逃げ出したのでは」

 武蔵が現れると長刀使いの小次郎は、腰に差す自分の鞘を捨てて武蔵に襲い掛かる。対する武蔵は、「小次郎敗れたり!」と上段から木刀を小次郎の頭目掛けて振り下ろし勝利した。

 昨日のプーチンの2時間の遅刻は、恐らく武道好きのプーチンが会談が山口県で行われるというので、この「巌流島の戦い」の武蔵を真似たのだろう(笑)

 遅刻に苛立つ安倍扮する小次郎の負け。巌流島の戦いを喩えて、「流石、武道家の大統領、日本の逸話にも詳しい」とプーチンを持ち上げる余裕が欲しかったところだが、結局はプーチンの方が一枚も二枚も上だった(笑)

 強盗や窃盗犯なんてのは、他人のモノを平気で奪っては恬として恥​入ることはない。つまり強奪した国の首魁に「我が国の固有の領土だ!」なんて宣っ​たところで意味はなし、返って来る筈もない。

 今、日本の島を日本の領土だと言う勇気も必要だろう​が、本当に必要なのは「自国の領土を守る」勇気と、領土主権に対する国民世論の統一、そして何より「奪われた領​土は奪い返す」という気概なのだ。

 外交は軍事力を背景にしたものだと言われる。軍事力に乏しいから日本の外交は負け続けているというが、軍事力に乏しい国なら他にも沢山ある。

 我が国に足りないのは軍事力というよりも国防意識であり、その「国防」とは単に領土防衛だけではなく、その本義とは、それを失えば国家でなくなってしまうことを死守することに在る。

 本来「生命と安全」を守るのは警察の役目であり、自衛隊が国軍として護るべきは領土主権は当然のことながら、言葉や歴史、伝統、文化などの「国柄」であり、畢竟、「皇統」である。

 自衛隊が「国軍」であり「皇軍」で在らねばならないというのはこういうことだが、そうした国防意識に乏しい認識が軟弱外交に現れているのであって、政治家にその気概が備われば我が国外交も改まるだろう。 

 国民が領土主​権と国防問題に目覚めた時こそ、領土問題や現在の米国依存の体制に終止符を​打つ千載一遇の好機となるのだ。

 米ソの軍事バランスが崩れ、中共が台頭しアジアを不安に陥れ、朝鮮半島の緊張が増して来た今、政治が成すべき喫緊の最重要課題は、自主憲法を制定し、国防体制を強化する以外に無い。

 北方領土や竹島の不法占拠、尖閣諸島の主権侵害の最大原因は、戦​後、歴代の政府や国会が領土主張を疎かにしてきた結果だが、憲法も同様に歴代内閣と政治家の不作為が原因で、改憲の議論さえも儘ならない状態なのだ。

 現在の永田町を見れば、陋習は糺されることなく、過去の政党と同じく国益そっちのけで国民不在の政争を繰り返すばかり。

 思えば​6年前、自民党が政権を奪還し、更にはその後の衆院選と参院選にも単独で3分の2の議席を確保したにも拘らず、憲法議論も進まず、目先の経済政策やくだらないカジノ法案などを優先した。

 尤も、安倍政権以前にも、絶対安定多数に達しながらも改憲議論すらやらなかったことをしても、安倍政権に余りにも期待し過ぎだ。

 やはり、保守の立て直しは「自民党粛正」、これに尽きる。

 似非保守の自民党を糺すことが、政治の立て直し、畢竟、祖国日本の再建に繋がるのだと信じて止まない。

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2016年12月15日

事故を騒ぐ前にオスプレイ配備の事の由を知るべし!

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 沖縄にオスプレイが配備されて以来、「墜ちりゃいいのに」と内心思ってた連中にとって待ちに待った日が到来した(笑)

 沖縄県名護市沿岸で、オスプレイが空中給油の訓練中にプロペラを損傷し不時着に失敗したことで、反オスプレイを叫ぶ自称・平和団体の珍左翼らが鬼の首を獲ったかの様なはしゃぎぶり。ホント、日本ってのは平和だよなぁ(苦笑)

 更に、在沖米軍トップのニコルソン四軍調整官が住民に謝罪した上で、「パイロットが沖縄の上空を飛ばず、沖縄の人々の多くの命を守り、乗組員を守った。最悪の事態で最善の決断をくだせたのは誇りに思う」と述べているにも拘らず、これを歪曲し、「住民に被害与えず、感謝されるべきだ」との副知事の談話を作為的に報道しているのは如何なものか。

 左翼思想に傾倒し、幼稚な平和主義から批判するのは容易だが、先ずは国防という国家の大本を忘却し、米軍に頼っている現状を恥じ入った上で、敬を以て相対すべきではあるまいか。

 マスコミや珍左翼らは、恰もオスプレイが危険であるかの様に批判しているが、オスプレイは他のヘリや戦闘機などに比べても事故発生率は断トツに低い。

 オスプレイの事故以上に危険なのは中共の覇権主義だが、翁長らがオスプレイの事故に敏感に反応するのは言わずもがなだろう(笑)

 我が国は四辺を海に囲まれた島国であり、オイルショックの経験から産油国との外交関係の重要性、そしてシーレーンの安定化が不可欠と感じた日本は外洋に伸びるシーレーン千海里防衛構想を策定した。

 海洋国家として自国のシーレーン防衛の重要性が認識され、海上自衛隊もシーレーン防衛として「対潜水艦戦」「対機雷戦」に重点に訓練を行っている。

 イランの核開発によるホルムズ海峡の危機や、中共の覇権主義によって南シナ海や東シナ海、そして尖閣列島などが脅かされているが、適切な海上権益を確保し、マラッカ海峡から日本までのシーレーンの安全を確保することは重要なのことだ。

 日米軍事同盟を結んでいる国として米軍と協力して、千海里防衛は当然ながら、太平洋~インド洋地域、南シナ海、東シナ海のシーレーンの防衛体制を確立することが大事であり、それが結果的には中東等での事態発生に対する抑止力となり、中共の覇権主義も阻止出来るのは言うまでもない。

 オスプレイを配備する最大の理由は、こうした千海里防衛構想の拡充の為のものであり、尖閣問題への圧力であり、抑止であると同時に、南シナ海で中共の威圧行為に呻吟するベトナムとフィリピンを護る意味もあり、それは畢竟、アジアの安定を齎すものでもあるのだ。

 尖閣を始め九州、沖縄の島々には離発着出来る場所はない。敵国の侵攻、侵略は色々な場面も想定しておかなければならず、何処でも離着陸出来るオスプレイは貴重な最新兵器であることに間違いはない。

 オスプレイのその圧倒的な機動性の高さは、我が国と周辺諸国には大きな抑止力であり、事実、オスプレイ配備が功を奏し、中共にとっては脅威となっているということは紛れもない事実なのだ。

 オスプレイの批判もいいが、自国の防衛を怠っていながら、他国である日本を犠牲を負ってでも防衛を担おうとしている米軍や海兵隊に、少しでも感謝の言葉を述べても罰は当たるまい。

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2016年12月14日

赤穂浪士の討ち入りを美学と捉えるか打算的と見るかは人夫々

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 暮れの今の時期になると昔は「忠臣蔵」「赤穂浪士」が定番で、必ずといっていいほどテレビでは放映されていたが、仇討ちを美化するのを否定してるのか、吉良の「悪玉論」への反発からか、年末の恒例行事ともいえる番組が消えたのはチョッと寂しい気もする。

 赤穂浪士が吉良邸に討ち入りしたのは元禄15年12月14日とされているが、旧暦では元禄16年1月30日となっている。

 旧暦だと月の満ち欠けは29.5日周期で、1日が新月だから14~15は満月の夜、30日だとすると新月に近く薄暗かったのではなかろうか。

 だが、旧暦の元禄15年は閏年で、つまり一年が13ヶ月あった年だから話がややこしく、映画や仮手本忠臣蔵で演じられている満月の夜だったという想定はやはり脚本だろうか。

 赤穂浪士の精神的支柱となったのが、陸奥国会津若松城下生まれで、「山鹿流軍学の祖」として知られている山鹿素行(やまがそこう)。

 山鹿素行は、江戸時代に於ける武士道の理論を確立した人であり、素行の談話を筆記した「山鹿語類」は日本人必読の著である。

 山鹿の著した「中朝事実」では、世の学者の外国(主として漢土)崇拝を批判し、皇統の一貫を根拠に「日本こそ万国に卓越した中華・中国と呼ぶに相応しい国である」との日本主義を主張した人物でもある。

 江戸時代267年の歴史の中で理不尽な御家断絶や御家騒動は他にもあったが、唯一、赤穂藩の四十七士だけが「義士」と呼ばれ「武士道の華」と評価されたのは何故かといえば、山鹿素行の「正義の遂行」の本義に基付く教えが在ったからだと言ってもいいだろう。

  だが一方で、忠臣蔵の討ち入りに「大義」などではなく、「忠義ばかりでなく、子孫の将来まで考えて討ち入った」単なる「打算」だと断じる歴史家や批評家もいるのも確か。

「大石内蔵助は忠義心によって討ち入らなければ大石家は山科で帰農し、そのまま埋もれただろうが、けれど吉良を討ち取った結果、子孫は本家の浅野家に千五百石の高録で召し抱えられた」

 「葉隠」でも、赤穂浪士の討ち入りに触れた部分がある。

「赤穂浪士の仇討ちも、泉岳寺で腹を切らなかったのが落度というべきだ。それに主君が死んで、敵を討つまでの間が長過ぎる。もしもその間に、吉良殿が病死でもなされた時にはどうにもならないではないか」

  仇討ちというのは緻密な計画でやるものではなく、武士とは即刻「やられたらやり返す」というのが本道で、事の「成否」は問題ではなく「成否」よりも行為自体に意味が在ると訓えている。

 その上で赤穂の武士を「上方の人間は小利口だから世間から褒められる様にするのは上手である」と嘲笑しているが、赤穂浪士の討ち入りを打算的と見るか否かは夫々。何かを感じれば好いことだ。

 余談だが、福島と米沢の峠(旧板谷峠)に赤穂藩の次席家老・大野九郎兵衛ら十六名の供養塔がひっそりと佇んでいる。

 これは、泉岳寺での討ち入りに失敗した場合、吉良は倅の米沢藩主を頼り北上するだろうと考えて、この峠に身を潜めるも、四十七士の本懐の報を受け、この地で自刃したという。

 何れにしても「仮名手本忠臣蔵」が日本人の美学を現し、多くの国民から愛されているのは確かだろう。

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2016年12月13日

君、狂い給え!

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 吉田松陰や坂本龍馬を始め幕末の英雄と呼ばれてる人物は多いが、愚生的には越後長岡藩家老・河井継之助を尊敬している。

 「越の蒼竜(ほくえつのそうりゅう)」と称された継之助は、幕末に於いて、変わり往く時代を敏感に感じ取り、国家というものを重んじながらも、西洋に倣い長岡藩の近代化に努力した英傑である。

 継之助は、長岡藩士120石取りの代右衛門秋紀の子として生まれる。幼少の頃から腕白で、人の忠告を素直に聞かない強情張りであったというが、それは大人になってからも変わらなかった。

 少年時代は、藩校で古義学(こぎがく)を学び、成長するとともに実践重視の「陽明学」へと傾倒し、17歳の時に継之助は、鶏を裁いて、王陽明を祭る祭壇に鶏肉を供え、人民と藩是の為に立志し、誓明したという。

 青年期には読書に没頭し、良書を見つけると、その書だけを何度も読み返し、一字一句を書き留め暗記し、我が身の行動の規範と成した。

 愚生も若い頃はジャンルを問わず乱読したが、読書はやはり、感じ入った所を読み返し、書き留め、自分のものにしていくことが大事だと思う。

 嘉永5(1852)年、継之助は江戸に遊学し、佐久間象山、古賀謹一郎に師事する。だが、象山の尊大さと勿体付けて理屈を捏ねる腹の曲がり具合が気に食わず、象山から遠ざかったという。

 継之助が生涯を通じて、敬服した人物は、備中松山藩の儒者・山田方谷(ほうこく)であった。

 安政6(1859)年には、自ら松山藩まで足を運び、直接、方谷から陽明学を学び、藩政改革の方法を習得。彼は、方谷を「希代の英雄」と讃え、方谷が唱える思想を熱心に学んだ。

 方谷は後に「河井は豪過ぎる。豪過ぎることが幸福な結果になるか、不幸を呼ぶか」と語ったというが、結果は後者の方であった。

 1ヶ月半ほどの遊学であったが、別れの朝、継之助は対岸の街道の路上に土下座し、師匠の小さな姿を伏し拝んだ。

 人を容易に尊敬することのないこの不器用な男が、土下座したのは生涯これが最初で最後だったという。

 「陽明学」は、簡単にいえば「知行合一」の教えであり、言葉にしたことは必ず実行するという「知行合一」は極めて陽明学的思考だ。

 逆を言えば「実行できるかどうか分からないことは言葉にしない」ということであり、自分の発言には自ら責任を課していることを意味する。

 陽明学は、先ず「志を立てる」ところから始まり、その志を「行動に昇華する」ことで終結する。

 つまり、例えば政治家を志すにしても、自分の言葉に責任を持ち、自らが率先垂範して国民の模範となることが大事だということだ。

 陽明学では、人間の格位を「聖賢」「狂」「狷(けん)」「卿愿(きょうげん)」の四つに分けている。

 この中の「狂」とはクルクルパーではなく、孟子曰く、理想主義だと訓えるが、要するに「狂」とは、「理想を高く持ち、何の虚飾も隠し立てもなく、心のままに率直に行動すること」であり、つまり、一つの信念に向かって脇目もふらずに突進することである。

 旧来の思想や社会構造を打破しようとする常軌を逸した行動を「正気の狂気」というが、これこそが「狂挙」である。

 だが、悲しい哉、愚生を始め、昨今の右翼に「狂気」はなく、これ即ち、本気さが決定的に足らないということだ。

 吉田松陰もこう訓える・・・「君、狂い給え!」

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2016年12月11日

我が国ほど労働貴族といわれるプロ組合員共が優遇されてる国はない

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 福島第一原発事故で福島県から横浜市に自主避難した中学1年の男子生徒が、放射線を理由にイジメを受けて不登校になった問題に続き、新潟市でも小学4年の児童にも同じ様なイジメが発覚した。

 こうした問題が起こると登場するのが教育委員会。委員長らが神妙な面持ちで会見に臨み謝罪するが、根本的解決に繋がったことはない。

 この「教育委員会制度」というのは昔から存在している我が国の独自の教育機関だと思っているが、これはGHQの戦後占領政策の一環で教育破壊を目的として導入したものだと知る国民は少ない。

 米国は「戦前の日本の軍国主義が日本の中央集権的教育制度を齎し、それが結果戦争に繋がった」と結論付けた。

 その日本の学校教育を、内務省の中央集権的統制から解き放ち、その管理を地域住民の代表により構成される合議制の「教育委員会」の下に置こうと画策し、それを実行したのがこの制度である。

 教育委員会のモデルは米国の教育委員会制度。これは、米国の開拓時代の占領統治の思惑から生まれたもので、日本の統治もこれと同じ様に、占領によって米国の意のままに置こうというのが狙いだった。

 米国の実行した「戦後民主主義教育」と日本国憲法を始めとした様々な法律や制度は、米国の思惑以上に大きな成果を齎し続けている。

 米国からの押し付けというと現憲法ばかりが論われるが、教育委員会制度や「労働三法(労働組合法、労働基準法、労働調整法)といった悉く失敗した米国の策謀を有難く思い、それを当たり前だと錯覚し、それを変えることすら躊躇しているとは滑稽という他はない。

 「労働三法」は、憲法 28条の労働基本権の理念に基き制定されたもので、日本の労使関係を規定し、対等的労使関係の基礎となっているが、これも米国の学者らが日本を実験台に謀られたものだ。

 「理想的な労働関係の法律を作る」だとか「労働者の保護」という目的で作られたが、労働者によるストライキによって生産低下を狙ったものというのが真意だったが、結果は米国の大失策。

 労働組合が乱立し労働人を蔓延らせ、嗤えることに、米国が作った法律で守られた労働者らが、あろうことか「反米」を唱える始末で、反米闘争の闘士を育ててしまうという皮肉な結果となった。

 「飼い犬に手を咬まれる」とはこのことだろう(笑)

 我が国は相も変わらず労働者天国というか労働貴族が、労働者らから掠めた組合費でこの世の春を謳歌している。

 先日、銀座で豪遊しホテルで淫行を繰り返していた日教組の岡本泰良委員長が、週刊新潮に不倫と組合費の流用疑惑をすっぱ抜かれ辞任したが、こんなものはホンの一例に過ぎない。

 労働者にとって社会主義国や共産主義国が理想の国とされたりもするが、どっこい、我が国ほど労働貴族といわれるプロ組合員共が優遇されてる国はない。

 米国は「日本国憲法」で国民を骨抜きにし、「労働三法」で労働者を優遇し、「教育委員会」の制度導入によって教育を荒廃させたという事実を国民は冷静に見るべきだろう。

 米国製の憲法を護り、米国製の労働三法に守られ、米国製の教育委員会に頼っているのは、「反米」を叫んでいる珍左翼ばかりか、保守を標榜する自民党にも多く存在しているのでは将来が思い遣られる。

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2016年12月09日

「息を吐(は)くように嘘を吐(つ)く」と安倍に詰る蓮舫の精神的異常性

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 民進党代表の村田蓮舫というのはなんでいつも面白くない、不機嫌な顔をしてるんだろう。岡田克也譲りの仏頂面はある意味この党の伝統なのだろう(笑)

 ところがどっこい、選挙などで支持者に会ったものなら旧来の友と再会したかの様に満面の笑みで対応する。

 あの小沢一郎もそうだったが、作られた笑顔というのは見ていても醜いというか、気の毒にもなる(笑)

 一昨日行われた党首討論を見ていたら、蓮舫はカジノ法案に反対す理由として「負けた人のカネが収益になるというのが問題」と述べた。

 また「カジノは賭博だ」とも声高に叫んでいたが、負けた人のカネが収益になるのが問題ならそれこそパチンコも同じだろう。

 賭博がダメというのなら、競馬も競輪も競艇もオートレースも、或いは勝負事でいえば投資だって賭博性の高いギャンブルの様なものだ。

 党首討論でのこの発言が目に留まったので早速Twitterでツイートしてみたら、賛同する声と共に次の様な反論も寄せられた。

「パチンコは廃止されると機種メーカーとか関連産業で働いてる人が路頭に迷う。バカ右翼は感情で反論するから話にならない」

 此奴のいう関連産業にはサラ金も含むのだろうか(笑)   

 所謂「カジノ法案」は統合型リゾート施設整備推進法案であり、カジノ以外のホテルや関連施設の建設やそこで働く人の創設を生む訳で、路頭に迷うと反論を寄せたパチンコの機種メーカーの社員らとどこが違うというのか。

 「成長戦略の目玉になる」という安倍首相に、蓮舫は「カジノは付加価値を生み出さない」「美しい国造りにはそぐわない」などと断じた。

 ならば、年に20兆円が消費されてるのに全く経済効果が無いどころか、ギャンブル依存症や自殺や犯罪の温床となっているとなっているパチンコこそ、諸悪の根源だとして問題提起すれば好いではないのか。

 パチンコへ消費される無駄な20兆円を規制した方がよっぽど経済の波及効果が上がるし、付加価値を生むだろう。

 具体的提案もせずに「感情で反論してる」のはバカ右翼ではなく蓮舫や民進党だろうが、この民進党支持者か反安倍派かは知らないが、「バカ右翼」などと貶していた割にはモノの見方が薄っぺらいのは嗤うしかない。

 それにしても蓮舫は、安倍に対し「息を吐(は)くように嘘を吐(つ)く」と詰っていたが、二重国籍疑惑に何ら答えることもなく、嘘を吐き通した蓮舫に言われる筋合いもないだろう。

 自分がやっていることは、相手もやっていると思ってしまうことを「同一化虚言」というが、正しく蓮舫がこの典型的な症状(笑)

 こういうことを本気で思ってるのだとしたら精神的に病んでるという他はないが、党首討論に臨むならもっと機知に富んだ、見ていて愉しい中身のある議論は出来ないものなのだろうか。

 あれでは民進党の支持率は上がることはなく、インチキ保守のデモシカ安倍政権は当分続きそうだ。嗚呼。

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2016年12月08日

東亞永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス

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 本日12月8日は、畏くも「宣戦の詔書」が渙発せられた大詔奉戴日である。

 75年前の昭和16(1941)年12月8日未明、大日本帝国海軍は真珠湾を攻撃、東アジアに永遠の平和を確立し、我が国の光栄の保全を期す戦いの火蓋が切られた。

 米国では12月7日(現地時間)を「汚名の日・リメンバー・パールハーバー」とし、我が国を卑怯な国として糾弾し、日本蔑視は止むことはない。

 未だに我が国がこうした汚名を着せられ続けるのは、駐米日本大使があろうことか前の晩に酒を飲み過ぎて「宣戦布告の覚書」を指定時間に渡せず、結果、真珠湾攻撃から1時間後に持参することとなったからに他ならない。

 我が国の外交史上歴史に残る大失態なのに誰一人として咎められず、責任も取っていない。しかも戦後、彼らは外務次官や駐英大使、その他第一級ポストに昇進し、叙勲までされているのには驚く他はない。

 彼らが、職務を遂行していれば我が国も日本国民も「嘘吐き」「卑怯者」といった汚名を着せられずに済んだのだのは間違いないが、抑々、大東亜戦争に至ったのは「騙し討ち」と言われる真珠湾攻撃そのものが原因ではない。

 我が国が何故に米英との開戦を決意し、何故に真珠湾攻撃に至ったかは1953年のペリーの黒船来航時代まで遡り、アジアの近代史と15世紀からの大航海時代の世界史を学ばなければ到底理解することは出来まい。

 抑抑、何故に我が国が大東亜戦争の開戦を決意し、真珠湾攻撃に至ったかが問題であって、現代の幼稚で安っぽい倫理観や道徳観で一部分の歴史だけを見て断じることに何の意味が在るというのか。

 歴史の検証をする際、我が国の罪を論うことは大事なことだが、日本に生を享けた者として大東亜戦争の真の歴史と意義を知ることは国民としての義務でもある。

 大切なのは古今東西、世界に蔓延る覇権主義の克服を主張すべきであって、他国の覇権主義には目を瞑り、一方的に我が国だけが自虐の淵に止め処なく漬かり込むことではない。

 思うに、我が国が未だに自虐史観から目覚めないのは、米国が徹底した「太平洋戦争」史観が蔓延っているからに他ならないが、我が国が断行したのは「太平洋戦争」ではなく、「大東亜戦争」ということを先ず理解するべきだ。

 我が国は「大東亜戦争」を断行したのであって、先の大戦を理解しようとするならば先ずは「太平洋戦争」という呼称を止めることだ。そうすれば自ずと先の戦争の意義を理解することが出来るだろう。

 昭和16年12月8日に渙発せられた「大東亜戦争・開戦の詔勅(米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書)」には大東亜戦争に至る経緯が記されこう結ばれている。

【・・・東亞安定ニ關スル帝國積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ帰シ帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ事既ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衞ノ爲蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ皇祖皇宗ノ神靈上ニ在リ朕ハ汝有衆ノ忠誠勇武ニ信倚シ祖宗ノ遺業ヲ恢弘シ速ニ禍根ヲ芟除シテ東亞永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス 御名御璽】 

「・・・東亜安定に関する帝国積年の努力は、悉く水泡に帰し、帝国の存立、亦正に危殆に瀕せり。事既に此に至る帝国は、今や自存自衛の為、蹶然起って、一切の障礙を破砕するの外なきなり。皇祖皇宗の神霊、上に在り、朕は、汝、有衆の忠誠勇武に信倚し、祖宗の遺業を恢弘し、速に禍根を芟除して、東亜永遠の平和を確立し、以って帝国の光栄を保全せんことを期す。 御名御璽」

(・・・東アジアの安定に関して我が帝国がはらってきた積年の努力は、ことごとく水の泡となり、帝国の存立も、まさに危機に瀕することになる。ことここに至っては、我が帝国は今や、自存と自衛の為に、決然と立上がり、一切の障害を破砕する以外にない。皇祖皇宗の神霊をいただき、私は、汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め、すみやかに禍根をとり除き、東アジアに永遠の平和を確立し、それによって帝国の光栄の保全を期すものである)

 我が国にとって先の大戦は結果的に敗れはしたが、日露戦争以降の懸案だったアジア諸民族の独立と復権を齎し、「開戦の詔勅」で示された大義と、アジアの「希望の星」としての役割は見事に果たしたと言えよう。

 大東亜戦争の開戦日に当たり、先の大戦で戦陣に散った英霊に対し感謝の誠を捧げると共に、畏くも陛下の弥栄を祈念する。

 すめらぎいやさか。すめらみこといやさか。すめらみくにいやさか~!

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2016年12月07日

12月8日は、一身を賭して重大な決心をされた日であり我々は決して忘れてはならない!

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 「日本のお蔭でアジア諸国は全て独立した。日本というお母さんは難産して母体を害なったが、生まれた子供はスクスク育っている。今日、東南アジアの諸国民が、米・英と対等に話が出来るのは一体誰のお蔭であるのか。それは身を殺して仁を為した日本というお母さんが在った為である。12月8日は、一身を賭して重大な決心をされた日であり、我々は決して忘れてはならない」(タイ・ククリットプラモード元首相)

 アジアでは中韓は例外として、我が国を植民地から解放させた救世主であり、希望の星であると称え、大東亜戦争の開戦記念日を忘れることは無い。

 だが、米国内では毎年12月7日(現地時間)を「汚名の日・リメンバー・パールハーバー」として、我が国を卑怯な国として糾弾して止まず、依然として我が国は「騙し討ち」の汚名を着せられ続け、日本人蔑視は未だ止むことはない。

 こうした汚名を着せられ続ける理由は、駐米日本大使が宣戦布告の覚書を渡し遅れたことが原因で、外務省の職員の職務怠慢に他ならない。

 我が国は断じて「騙し討ち」はしていないが、「騙し討ち」そのものが問題ではない。重要なのは、抑抑、何故に我が国が開戦を決意し、真珠湾攻撃に至ったかであって、それには1953年のペリー来航時代まで遡って、当時の世界の情勢とアジアの近代史を学ばねば到底理解は出来まい。

 我が国は西洋列強に追い着くべく、強力な中央集権国家を形成しようと明治維新の大業をたった数年で成し遂げた。

 15世紀の大航海時代以来、白人による世界制覇の波がアジアにも押し寄せアジアは次々と列強に蚕食され植民地となって行った。

 その間に勃発した、日清、日露戦争も、また日韓併合もアジアや我が国にとっても避けては通れない宿命的な歴史だったのである。

 日清戦争に勝利し、更には日露戦争でも我が国が勝利する。「日本大勝利」の報は、固唾を呑んで見守っていた世界の人々を驚嘆させ、特に有色人種に与えた影響は強烈だった。

 日露戦争勝利から15年後、パリ講和会議で我が国は「人種平等の原則」を国際連盟規約に載せることを提案するも、議長を務める米国大統領・ウイルソンは「有色人種に人権など必要無い」と拒絶し否決した。

 米国人ら白人による人種差別が横溢していたのは明らかだった。

 その後世界は第二次世界大戦に突入し、米国、英国、中華民国、和蘭から我が国へ所謂「ABCD包囲網」が敷かれ、そして無理難題を強いる最後通牒「ハルノート」が突き付けられることとなった。

 降伏は即ち植民地の道しかなく、最早、我が国の生き残る道は連合国との戦争しかないとの決断、開戦の詔勅を賜り、宣戦布告、真珠湾攻撃に至ったのだ。

 今も糾弾して止まない「リメンバー・パールハーバー」も、日本と日本人への偏見と差別であり、先の大戦を猛省すべきは我が国に非ず米国である。

 昭和26年(1951年)、マッカーサーが上院軍事外交委員会で、「日本が戦争に飛び込んで行った動機は、安全保障の必要に迫られた為である」と証言した様に、大東亜戦争は正に自存自衛の為の戦いだったのだ。

 我が国は結果的には敗れはしたが、戦争終結後、アジアの国々は独立し、アジア諸民族の復権を齎し、日露戦争の念願であった「人種平等の原則」は成立したその事実をしても、アジアの希望の星としての役割を見事に果たした。

 安倍は今月27日、我が国首相として初めてハワイの真珠湾を訪問する。

 政府に因れば、太平洋戦争の発端となった旧日本軍による真珠湾攻撃の米軍犠牲者を追悼し、戦後の「和解」の価値を前面に打ち出す方針という。

 何が「和解」か。和解も何も戦後米国の価値観を共有し、米国の配下に成り下がった我が国が、これ以上、何を和解しようというのだ。

 「太平洋戦争」という呼称にしろ、先の大戦は真珠湾を攻撃したから勃発したという認識にしろ、正に米国の属国そのものではないか。

 こうした政府の歴史認識は米国の国益を優先するものであり、「和解」を前面に出すのならば、未だ蔓延る「騙し討ち」「卑怯者」という歴史の修正と米国人の傲慢さにも物申すべきだろう。

 今回の真珠湾訪問は、オバマの広島訪問への返礼であり、引退するオバマへの贐(はなむけ)として民間人大量殺戮と軍事施設攻撃を同一視し、慰霊するのだとしたら、身を殺して仁を為した先人と歴史の冒涜と断じる他はない。

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2016年12月06日

「ヤルタ密約」に領土占有の法的根拠なし!

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 安倍政権下、ロシアとの北方領土交渉が進展するのではとの期待感が高まっているが、抑々、我が国の固有の領土は南樺太並びに四島を含む全千島列島であり、四島どころか二島先行返還論は我が国外交の失墜の象徴である。

 安政元年(1855)2月7日、江戸幕府は伊豆下田でロシアと交渉し、「日露和親条約」を締結し、歯舞、色丹、国後、択捉の四島と千島列島の間に境界線が引かれ、樺太を混住の地と決めた。

 維新後の明治8年(1875)5月7日、日本政府は榎本武揚を全権特命大使として派遣して外交交渉を重ね、ロシアとの間で「樺太・千島交換条約(サンクトペテルブルク条約)」が締結されるに至り、その結果、混住の地だった樺太の北側と千島列島を交換し、南樺太と占守島までの全千島列島が我が国に帰属した。

 それから70年後、第二次世界大戦中の1945年(昭和20年)2月4日から11日にかけて、米国のルーズベルト、ソ連スターリン、英国のチャーチルらがクリミア諸島のヤルタに集い密談が行われた。

 これが所謂「ヤルタ(秘密)協定」であるが、この時、ルーズベルトは「南樺太のソ連に返還」「千島列島のソ連への引き渡し」を条件に日ソ中立条約の破棄を進言し、ソ連の対日参戦を促した。

 ソ連は、この密約に従ってドイツが無条件降伏した約三ヵ月後の昭和20年8月9日、ソ連は「日ソ不可侵条約」を一方的に破棄し参戦し、ソ満国境を越え鬼畜の如き蛮行と、我が国固有の領土である北方領土を強奪した。

 現在もロシア側は、「ヤルタ密約(ヤルタ協定のうち極東密約)」を楯に北方領土の主権を主張しているが、つい数日前、この「ヤルタ密約」の有効性について、英国政府がヤルタでの会談が行われた翌年の1946年2月に疑義を呈していたことが明らかになった。

 英国立公文書館所蔵の英外交電報では、「露の四島占拠根拠なし」として、米英ソがヤルタ密約を公表する2日前に、英外務省から全世界の在外英公館54カ所に「緊急且つ極秘」に一斉に送られた。

 「ルーズベルト大統領が権限を越えて署名したことや、米上院の批准もない状況下での有効性について米国内で論議が起こるかもしれない」として、「(英国は)その議論に巻き込まれないよう注意すべきだ」と警告している。

 チャーチル首相が1941年8月、ルーズベルト大統領と領土不拡大の原則を謳う「大西洋憲章」に署名しており、ヤルタ密約がこの大西洋憲章に反するとの英政府の認識が示された形だ。

 一方、米国では1953年に就任した共和党のアイゼンハワー大統領が年頭教書演説で、「あらゆる秘密協定を破棄する」と宣言し、56年には、アイゼンハワー政権が「ヤルタ協定はルーズベルト個人の文書であり、米政府の公式文書でなく無効」との国務省声明を発表し、ソ連の北方領土の占有に法的根拠がないとの立場を鮮明にしている。

 ヤルタ協定に参加した米英が、ロシアの北方領土の主権に疑義を呈している中で、何故に当事国の我が国がロシアの主張を認め、蛮行を赦し、二島先行返還に拘るのか理解に苦しむ。

 こうした譲歩した返還要求こそが、事勿れ主義と軟弱土下座外交の象徴であり、未だに領土問題が解決しない元凶である。

 我が国は、米英の公式文書などを示し、ヤルタ秘密協定の無効と、「樺太・千島交換条約」並びに「日露和親条約」という国際条約を論拠に、領土主権の正当性と即時返還を突き付けるべきだ。

 更に言えば、終戦間際のソ連蛮行とシベリア抑留への謝罪要求をするべきで、屈辱的二島返還論に騙され友好条約が交わされる様なことがあってはならない。

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2016年12月05日

何事も両目をカッと見開いて、その中身を吟味する癖を付けましょう

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 当り前だが人間には目玉が二つある。だが、「明き盲(めくら)」という様に、多くの人は世の中を片目でしか見ていなかったり、理解力が乏しかったり、自分で判断もせずに大勢に流されてしまう人は多い。

 伊達政宗や乃木希典、北一輝、小泉八雲、双葉山などなど、隻眼(せきがん)と言われた人物の方が物事を冷静に見てたりもする。

 世の中というのは自分で見聞きしたものよりも、数の多いものが「当たり前」と捉え、数の少ないものを「間違い」と決め付ける癖がある。

 徳川時代に日本にやってきた外人は、日本人の丁髷を見て、日本人の男は恐ろしい、頭にピストルを載せているとびっくりしたという。

 それに尾鰭が付いて、「チョンマゲ、ハラキリ、フジヤマ、ゲーシャ」などの変な日本人観が生まれた。

 そういう日本人も、来日した外人を見て、背の高い、赤毛の天狗が来たとびっくりしたというからお互い様だが、人の見る目と噂というものは存外そんなものなのだ(笑)

 もう直ぐ大東亜戦争の開戦記念日を迎えるが、先の大戦に突入する頃、数ある国会議員でさえ、対米戦争已む無しの声が大勢を占め、反対したのは当時、参議院議員だった赤尾敏ら少数だったというのも嗤えない。

 多くの国民も、神州不滅を信じ、「反対」の意見を吐くものなら「非国民」と罵られ、憲兵にひっぱられ酷い目に遭わされた。

 つまり、いつの世も大衆の多くは無知で愚かであり、大衆というのは実に操縦し易く、そういう認識故に世論操作が行われるのだが、そういう意味では国民意識というのは戦前から何も進歩もしていない。

 反原発派らが目の敵にする原発だってそうだ。

 第一次オイルショックを経験した日本は、基幹エネルギーに原発を選択する。そして我が国は高度成長に乗り、三種の神器といわれるテレビ、冷蔵庫、洗濯機といった家電が普及する。

 こうした便利さを多くの国民は当たり前だと思ったのは事実で、今更、原発を批判するのは筋違いだろう。

 そうした恩恵の全てを否定して、「原発の無い時代に戻せ!」「故郷を返せ!」というのは本末転倒と言う他は無い。

 民主主義は多数決だが、数の多い意見が正しいとは限らないし、同様に、善人必ずしも善人とは限らず、悪人必ずしも悪人と言い難い。

 一般人から見れば「キチガイ」や「変人」かも知れないが、そのキチガイ側から見れば、一般人が変人に見えてるかもしれませんよ(笑)

 勝海舟はこんなことを言っている。

「世評なんぞ気にかけるな。人間の評価など十年毎に浮き沈みするものだ。大奸物、大逆物と言われた勝麟太郎も今では伯爵という華族様の勝安芳様と言われる様になった。世評など変わるものだし、信じるものではない」

 人間の賢愚、美醜、善悪など、そう簡単に決められるものではない。何事も極一部の人間の判断で決まるもので、大衆はいつの時代もどうにでも、どっちにも動くもの、流されるものなのだ。

 ヒトラーはこう叫ぶ。

「大衆は、小さな嘘より大きな嘘にだまされやすい。なぜなら、彼らは小さな嘘は自分でもつくが、大きな嘘は怖くてつけないからだ」

 そしてこう訓える。

「必要不可欠なのは、一人の指導者の意志、一人が命じ、他の人はそれを実行すればよい」

 我が国の政治が大衆迎合主義に陥るのは、マスコミに誘導された大衆に媚びるばかりで強固な意志を持った政治家がいないことに尽きる。

 政治でも、議論し合うことは必要なことではあるが、大事なのは上に立つ者の意志と実行力である。これは組織も会社も同じこと。

 世評なんぞ懼れるに足らず。坂本龍馬はそれをこう訓える。

「世の人は我を何とも言わば言え、我が成すことは我のみぞ知る」

 皆さんも大勢に流されず、何事も両目をカッと見開いて、その中身を吟味する癖を付けましょう。呵々

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2016年12月04日

過去無量の いのちのバトンを受けついで いまここに 自分の番を生きている

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   【自分の番 いのちのバトン】

 父と母で二人
 父と母の両親で四人
 そのまた両親で八人
 こうしてかぞえてゆくと十代前で
 千二十四人
 二十代前では・・・?
 なんと百万人を越すんです

 過去無量の
 いのちのバトンを受けついで
 いまここに
 自分の番を生きている
 それが
 あなたのいのちです
 それがわたしのいのちです

 今の自分が存在しているのは御先祖様のお蔭であり、その長い歴史からすれば己の存在とはホンの一瞬の出来事に過ぎず、単に歴史のリレー走者に過ぎない。

 そうした先祖から紡いできた歴史を顧みることも無く、結婚もせず、子供を作らないとなればバトンが受け継がれることはなく、自分の代でその紡いできた永い先祖の歴史が終わるということでもある。

 同じ様に、国にも歴史がある。

 我が国は歴史上、人口移動の殆どない稀有な国だ。日本列島に存在していた方々は全てが我々の御先祖様なのである。

 その共通の御先祖様からの流れの中に今日の我々が存在しているに過ぎず、我が国の歴史は正に我々の御先祖様の歩みなのである。

 悲しい哉、その祖先の生き抜いた歴史を貶し、罵る連中がいる。

 言わずと知れた左翼の蛆虫連中だが、これ即ち、御先祖様の歩みを否定していることであり、つまりそれは、自分という存在自体を否定していることと同じことなのだ。

 「他人の生活を羨んでいると自分の幸福に気付かない」というが、左翼というのは自分勝手故にそんな当たり前の事さえも気付かない。

 歴史を学ぶというのは年表を暗記することではなく、御先祖様のその生き抜いた時代の営為を学ぶことこそが肝要であり、現在、山積する諸問題も、歴史に学ぶことこそが解決への近道でもある。

 正統の保守主義者に於いて時間を体験する仕方は、過去の意味を直視し、その中に価値を見出す発見によって未来を創造して行くものである。

 そう考えれば、安倍自民党にしろ、自称保守派にしろ、過去に学ぶことはなく、彼らの頭の中は未来が全てであり、それはつまり保守に非ず、完全な自由主義者というのが正しい。

 人の悩みも同じことで、高が知れてる自分の短い人生の中での経験や知識から解決を図るよりも、先人の多くの経験や智慧、格言や処世学から導き出すことが懸命である。

 「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」とは蓋し名言である。

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2016年12月02日

元号法を改正し「平成」の御代を改元することも視野に入れよ!

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 畏くも陛下の御譲位に関する有識者会議が行われ、出来レースの意見聴取を終え、愈愈「退位」に向けて法整備に向け本格着手する。

 何故に退位ありきなのか、また摂政を置くことや、GHQに皇籍臣下させられた元皇族方の復籍に反対していることに違和感を覚える国民は少なくない。

 胡散臭げな専門家の意見よりも、陛下と皇太子殿下、秋篠宮親王殿下との皇位継承者による会議の意見こそ最大限に汲むべきだし、何より陛下の御意向というのであれば皇太子殿下が陛下を輔佐する環境を整えれば宜しい。

 また、陛下の苦渋を理由にするならば、元号法を改正し、「平成」の御代を改元することも視野に入れて論ずることがあって然りではなかろうか。

 明治5年(1872年)、それまでの月の満ち欠けを中心にした太陰暦(旧暦)を切り替え、太陽の一太陽年を基準とする太陽暦のグレゴリオ暦(西暦)を採用し、12月3日を明治6年の「元日」と決めた。

 旧暦では、一年が13ヶ月だった訳で、それが12ヶ月になったのだから大きな混乱や支障が生じただろうことは想像するに余りある。

 旧暦というのは、月の満ち欠けで一ヶ月を現したのだが、実にロマンティックというか、現代人も西暦ばかりではなく月齢などと共に生きるとまた違った一日が見えて来るかも知れない。

 今では誰もが当り前の様に使っている西暦はキリスト生誕に基くものというのは誰もが知るところだが、自国の歴史である「皇紀」を否定する左翼勢力が西暦を容認し推進しているのは滑稽なことでもある。

 暦というのは宗教と歴史が現れるもので国が変われば暦も様々。

 イスラムでは太陰暦。タイでは仏暦。ユダヤ教ではユダヤ暦。北朝鮮でも主体(チュチュ)暦を使用している。

 本来ならば我が国は、神武天皇御即位年を紀元とされる「皇紀」を用いるべきだが、皇紀という言葉さえも知らない国民は少なくない。

 また我が国には、暦とは別に「元号」というものが在る。

 この元号は、節季の習俗を時代の流れに応用する先人の智慧であり、これこそが我が国文化を象徴する代表的なものである。

 645年の「大化の改新」を果たした聖徳太子の時代より、歴代の天皇は数年から十年を目途に改元して巧みに時代転換をして来た。

 中でも江戸幕末の混乱期に御即位遊ばされた孝明天皇は、御在位21年の間に「嘉永」「安政」「万延」「文久」「「元治」「慶応」と実に6回も改元為されたが、これは幕末という混乱の時代を如何に転換させるかの苦衷の表れであろう。

 陛下や皇室へに対する尊崇の念も薄くなっているのと並行し、元号への認識も薄れてしまっているのは悲しいことだ。

 左翼に限らず、国民の間からも「西暦が世界で一般化している」とか「元号は古臭い」「時代遅れ」といった意見を散見するが、こうした国體破壊は左翼の策謀も然ることながら、歴代自民党政府の無能と政治家自身が我が国の成り立ちと国柄を理解していないことに他ならない。

 我が国はいつの世も、その時の陛下の御代である。いつの世にもそこには「君が代」の世界が存在し、その御代を端的に表現するものが「元号」であり、これ正に我が国體の精華であり、世界に誇る美風である。

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2016年12月01日

横浜いじめ問題の背景に在る反原発派による悪影響

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 地元紙の福島民報新聞の主張に違和感を覚え、30年来の購読を止め産経新聞を購読することにしたのが丁度一年前。その間、読者投稿は5回ほど送り、今回で2度目の採用された。購読最終日に全国版への採用とは感慨深い。

 今回の投稿は横浜市で起きたいじめ問題に対しての雑感を綴ってみた。内容は校正されてると思うが凡そ次の通り。

【福島第一原発事故で福島県から横浜市に自主避難した中学1年の男子生徒が、いじめを受けて不登校になった問題は、福島県民の一人として怒りというより悲しみが込みあげてきた。生徒の手記には「ばいきんあつかいされて、ほうしゃのうだとおもっていつもつらかった。福島の人はいじめられるとおもった。なにもていこうできこともなかった」と綴っていたが、こうしたいじめの背景には反原発派による福島県への流言飛語や、放射線への誤った認識などの影響もあったからではと推察する。放射線への正しい知識があればこうしたいじめは防げたのではと思うと残念でならない。「いままでなんかいも死のうとおもった。でも、しんさいでいっぱい死んだからつらいけどぼくはいきるときめた」との自殺を思いとどまった言葉に、この生徒の真の強さが垣間見れる。弁護士によれば生徒は今フリースクールに通っているというが、同じ福島県民として陰ながら応援して行きたいと思う】

 原発事故後、低放射線への無理解から福島県民や故郷・福島には多くの罵詈雑言や流言飛語が飛び交った。これは今でも止むことはない。

 「流言飛語」は、本来「流言蜚語」と書く。

 「世の中で言い触らされる確証のない噂話。根拠のない煽動的な宣伝。デマ」という意味だが、「蜚」とは悪臭を放つ小さな虫の意味で忌み嫌われる語彙だ。因みに、ゴキブリは「蜚蠊」と書く。

 反・脱・卒原発派から福島を貶める流言蜚語が止むことはなく、横浜のいじめ問題の背景は、反原発派に因る感情的で幼稚且つ誤った知識や言葉を信じた子供らに因る処が大きく、そういう意味では被害者・加害者共に反原発派らによる犠牲者ともいえる訳で、今回の虐めの問題というのは反原発派らも猛省すべきだろう。

 何の不安も躊躇もなく福島の地に住んでいる我々県民が「普通に問題なく生活してる」と言えば、「それこそデマだ」とか「原子力ムラの連中に騙されてる」だの言われ、挙句には「福島の人とは結婚するな」だとか「福島の人は子供を産むな」とまで差別されてる。

 県外の人なら未だしも、原発事故で県外に避難した福島市在住の男は、参院選で「緑の党」から出馬して九州電力本社前でこう叫んだ。

「頭が2つある子、生まれてますよ。後は、無脳症の子どもも生まれてます。更に、福島県西郷村では、12年夏以降からも奇形の子が生まれている」

 小泉純一郎と共に反原発を訴える細川護熙は、「いま北極海とかいろんなところでシロクマ、アザラシ、その他の生物の大量死が続出していると、これはまさにその福島の影響であるということ」とインタビューに答えている。

 この人物が日本国の総理大臣だったというのだから厭きれてしまうが、こうした内容は全く根拠の無いデタラメで、単なる被害妄想からの幻覚でしかない。

 反原発派が胡散臭いのは、こうした妄言に苦言も呈さず、それどころかこうした発言に便乗して一緒になって福島差別を助長していることだ。

 こうした愚論に反論すれば「原発を推進する財界の手先」だの「ニセ福島県民」だの「ホンモノの愛国者じゃない」とかバカにされ、「それでも、福島の子供達は逞しく、明るく生きている」と言えば、「そうやって子供を被曝させ、取り返しの付かない事態を招いている」だとか「無責任だ」「親のエゴ」だと非難される。

 我ら福島県民は、福島で生まれ、生きて来て、福島の地で死にたいだけなのだが、反原発派に言わせれば「福島から一刻も早く避難したいと思っている多くの人の邪魔をしているだけだ」と断じられる。

 福島県内の農家は「汚染物を作り、ばら撒き続けている」と言い放つ山本太郎らを筆頭に、口先では「ふくしまからはじめよう!」と宣いながらも「福島の人達は命に怯えながら生きている」と言って憚らない政治家なんてのは、福島原発事故に託けて被災地差別を正当化しているだけであって、これを流言蜚語と言わずして何というか。

 止まることのない流言蜚語が未だに飛び交い、原発事故の混乱に拍車を掛け、混乱が余計な混乱を生む悪循環。止まらない悪質極まれる流言蜚語こそ全ての混乱を生む元凶であると言っても過言ではない。

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cordial8317 at 04:28|PermalinkComments(0)