2016年11月

2016年11月30日

ベトナム人犯罪者が支那人犯罪者を抜きここ数年で3倍に拡大

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 作家の百田尚樹がtwitterで「千葉大医学部の学生の『集団レイプ事件』の犯人たちの名前を、県警が公表せず。犯人の学生たちは大物政治家の息子か、警察幹部の息子か、などと言われているが、私は在日外国人たちではないかという気がする」とツイートしたことで自称・ジャーナリストの津田大介が噛付いている。

 津田は言葉の一部分を論い「百田の指摘はヘイトスピーチだ」と断じているが、百田は「犯人が在日外国人だからではないか」と呟いただけで、別に断定した訳ではあるまい。

 医師としての将来を危惧したのか、何を慮ったのか知らないが、警察の大甘な対応こそ断じられるべきで、未公表としたことで要らぬ推測を生んでることを真摯に受け止め、早々に公表するべきだろう。

 一昨日の産経新聞の社会欄に、昨年一年間に警察が摘発した外国人(永住者除く)刑法犯の国別の統計が載ってあった。

 この(永住者除く)というのがミソで、在日朝鮮人はこれに含むが、やはり在日朝鮮人による犯罪は相当数に上ることが推測出来る。

 「刑事訴訟法」では、外国人が日本国内で罪を犯し1年以上の有期刑に処せられた場合には、永住権は剥奪され国外追放になる。

 だが、何故か永住権が剝奪され国外退去処分になった者はおらず、そうした影響もあり今や日本の刑務所は外国人犯罪者で大入り満員状態である。

 「在日朝鮮人(永住者)」に限っては例外で、7年以上の刑を起こした場合のみ特別永住権を剥奪され送還される。だが、それも実際には適用されたケースはなく、死刑囚の金嬉老が自ら帰国したくらいなものだ。

 殖え続ける不良支那人を厳罰に処せられないのは、こうした在日永住者への優遇措置を模倣しているに過ぎず、前例に倣うことなく、全ての外国人犯罪者は粛々と強制送還するべきである。

 平成16年より外国人犯罪は減少し、支那人犯罪者はピーク時の6分の1に減る一方で、昨年初めて国籍別でベトナム人犯罪者が支那人犯罪者を抜き数年で3倍に膨れ上がった。

 外国人犯罪の特徴というのは民族の団結が強く、団地などでコミュニテイを形成し、仲間同士で犯罪を繰り返す。以前は支那人やフィリピン人、ブラジル人などが暗躍していたが、今ではベトナム人が勢力を揮っているというから驚く。

 ベトナムは、中共に接する国で元々は清の朝貢国。日清戦争で清が我が国に敗れると、清はベトナムをフランスに割譲してしまった。

 そうした事態を危惧したベトナムの愛国者・ファン・ボー・チャウが我が国を訪れ、対応した犬養毅にこう申し出た。

「助けてくれたら朝貢する」

 その頃、日本はロシアとの「日露戦争」の真っ最中ですからそんな余裕もない。犬養はファンにこう諭す。

「自分たちで何もせずに助けてくれなどとは都合が好過ぎるのではないのか。自分の国はどんなに犠牲を払おうとも自分たちの手で守るものだ。自分たちでどうにかするというのであれば協力は惜しまない」

 その後、我が国はベトナムから若者らを受け容れ、世界を教え、そして戦い方を教えた。結果、ベトナムはフランスを追い出すことに成功するも、その後、米国が侵攻することとなった。

 ベトナムはその米国も追い払うことに成功するも、次には中国人民軍が侵略。ベトナムはこの「中越戦争」にも勝利を収めた。

 軍事力に乏しいベトナムが戦争で負けたことがないというのは、ベトナム人の人となりや士気の高さも在るが、我が国の教育と先人の教えが好かったからだと言っても過言ではない。

 中越戦争で敗戦した中共の最高指導者・鄧小平はその後、ベトナムでの敗戦を教訓に軍事大国化の道を選ぶこととなった。

 チベットやウイグルなどでの弾圧や尖閣や南沙諸島への侵略・威圧行為は、或る意味で、我が国がベトナムへ「戦い方」を教えなければその後のアジアの勢力地図も変わっていたかも知れない。

 ベトナム人も先人のこうした我が国とベトナムの深い関係を知っていれば安易に犯罪を起こすこともないのだろうが、こうした現実は営利至上主義による企業の労働者の受け入れや、観光立国という愚策の弊害と言えよう。

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2016年11月29日

「イマダモッケイタリエズ(未だ木鶏たりえず)」

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 大相撲九州場所は横綱・鶴竜が優勝した。大関・稀勢の里は年間最多勝に輝きながら未だ優勝は無し。

それにしても横綱らの相撲のレベルの低さには厭になる。勝負よりも勝ち星に拘った取り口はつまらなく、これでは相撲人気は凋落の一途を辿るだろう。

 不世出の名横綱といえばやはり「双葉山」だろう。双葉山は強さに加え、美しさがあったと誰もが言って憚らない。

 土俵に上がったら無駄な動きはせず、必ず受けて立った。一度負けた相手には負けることがなかったことからもその努力が窺える。

 今の横綱の様に、張り手や立ち合いでの変化などの無様な相撲ではなく、所作そのものが美しく、見るからに横綱の威厳があったのだ。

 双葉山は、こうした受けて立つ相撲をきかれると「目が悪かったので、自分から突っかけるのは不利だと思った」と述べ、周囲を驚かせた。

 双葉山は明治45年生まれ、大分県宇佐郡天津村布津部出身。四股名は「栴檀(せんだん)は双葉より芳し」から命名で、大成する人物は、幼い頃から人並み外れて優れたところがあるという喩えだ。

 6歳の時に友達と吹き矢で遊んでいる際に、その矢が右目に刺さり失明する。また少年時代、父親の海運業の手伝いをしていた際に、錨の巻き上げ作業で右手小指を潰してしまう。

 父の海運業が失敗し、知人の警察の勧めで立浪部屋に入門。右目は失明、右手小指も動かないというハンデを克服し、前頭二枚目から破竹の69連勝で一気に横綱に昇進した。

 隻眼(せきがん)といえば伊達政宗や北一輝、乃木希典、ヘレンケラーが尊敬した塙保己一など障害を克服した努力の人は多く、特に双葉山の場合はハンデが致命傷となりかねない力士だから驚く他は無い。

 大関になって間もない頃に双葉山は、陽明学者であり思想家でもある安岡正篤から「木鶏(もっけい)」の話を聞く。

 本当に強い闘鶏というのは、空威張りもしないし、無闇に戦闘的でもなく、木で作った鶏の如くだという訓えに痛く感銘を受ける。

 双葉山に安岡は「木鶏の様になれば徳が充実し、勝敗も超越して天下無敵となる」と教え、双葉山もそれに応えようとした。

 70連勝を賭けた昭和14年1月場所4日目、出羽海一門の新鋭・安藝の海(後に横綱)に敗れると、双葉山は欧州航路でインド洋上にあった安岡に打電した。

「イマダモッケイタリエズ(未だ木鶏たりえず)」

 連勝が止まった双葉山はその後、福岡県の山中で滝に打たれ修業し再び連勝を重ねるものの、昭和20年8月15日、大東亜戦争の敗戦に大きな衝撃を受け引退を決意する。

 名選手必ずしも名監督に成れずと言うが双葉山は違った。時津風親方となってからは相撲界の改革を実行し、一代で一横綱、三大関、幕内26名、育て上げた関取の合計は48名という名親方でもあった。

 双葉山はハンデキャップを乗り越え、稽古と研究、精神の修養の続けた人物であり、力士としてだけではなく、日本人の模範ともいえる人格者である。

 そう考えると五体満足の愚生は一体何をやっているのやら。強烈な努力どころか、不断の努力の乏しさを思い知る。

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2016年11月27日

キューバの英雄・フィデル・カストロの死去に思う

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 1959年、キューバ革命を蜂起して親米政権を倒し、以後、半世紀に亘り最高指導者としてキューバを率いてきたキューバの英雄の一人、フィデル・カストロが死去した。

 右翼人ではあるが、カストロやエルネスト・チェ・ゲバラ​ら共産主義者には共鳴を覚え​る。国内でカストロやゲバラの様な真の革命家に出会っていれば行動を共にしたに違いない​。

 ゲバラもカストロも共産主義者ではあるが愛国者だ。世界には多くの左翼がいるが、その全ては愛国者だ。我が国の日本共産党や左翼の​様な自国を卑下してる売国奴は世界でも稀で珍現象の一つでもある(苦笑)

 キューバ革命はカストロだけの手腕で成し遂げた訳ではない。確かに統率力は優れたものがあったのだろうが、やはり片腕であり、名参謀であったゲバラの存在は大きい。

 革命政権樹立後、ゲバラが更なる革命を求めボリビアへ転戦し落命するが、何故に彼がそういう行動を採ったかは、「ゲバラ日記」や「別れの手紙」など本や映画にもなっているので読んでみては如何だろう。

 キューバ政権樹立後の1959年、訪日したゲバラは政府や外務省関係者の反対を押し切って広島視察を強行し、原爆資料館でこう述べた。

「君たち日本人は、アメリカにこれほど残虐な目に遭わされて腹が立たないのか!?」

 カストロも「是非、広島は訪れた方がいい」との盟友であったゲバラから勧められた言葉を忘れることなく、2003(平成15)年に広島を訪問している。

 カストロ前議長を出迎えた元館長は当時の様子を「眼光鋭く、やはり革命家だと確信した」と振り返っているが、カストロは元々は弁護士として貧困者の為に活躍してた人物でもある。

 ゲバラもまた医師であり、米国の圧政や内政の腐敗によって貧困に喘いでいた人々を救う為に、安定した職を投げ出して革命に心血を注いだのだ。

 我が国も昭和の初期には東北の農村を始め、地方では貧困に喘いでおり、女性の身売りが続発する一方で、豊かな者は更に豊かにという貧富の差が激しくなって行った時代だった。

 そこで起こったのが226事件であり、獅子身中の奸賊らを殺害すれば、天皇親政が実現し、彼らが政治腐敗と考える政財界の様々な現象や、農村の困窮が収束すると考えて決起したのだ。

 226の革命は実現を見ることはなかったが、彼ら青年将校らの純真無垢な心情は、その後に起こったキューバ革命などのカストロやゲバラの心情や行動と相通ずるものがあろう。

 愚生も、昭和の貧困時代に生まれていれば226事件を決起したグループの末端に参画したかもしれないし、キューバに生まれたならばカストロやゲバラと行動を共にしたかも知れない。

 アングロサクソンとして生まれていれば敬虔なカトリック教徒として国に忠誠を誓っただろうし、イスラエルに生まれていればユダヤ教徒になっていただろう。

 イスラムならウサマ・ビンラディンと共に行動していたかも知れないと思うこともあるが、つまり、宗教や思想信条とは、結局は何時の時代に何処で生まれたかの問題であるのだと思う。

 「自己放棄に達しない思想は卑しい思想である」とは三島由紀夫。自己放棄とは実に難しく自問自答する毎日でもある。

 キューバの英雄・カストロの訃報に接し彼是と考えてみた。合掌。

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2016年11月25日

困難に耐え忍び難きを忍び、決して挫けることなく、初一念を貫いて皇国日本の再建に邁進せよ!

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 昭和45(1970)年11月25日午後0時15分、三島由紀夫は同行した楯の会メンバーの森田必勝と共に陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地・東部方面総監室にて壮絶な割腹自決を遂げた。当時、愚生は未だ10歳。この衝撃的な事件を鮮明に記憶している。※画像閲覧注意!

 携行したその「檄」で三島は「もっとも名誉を重んずるべき軍が、もっとも悪質な欺瞞の中に放置され・・・自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず」と喝破した。

 だが、自衛隊は現行憲法下では明らかに憲法違反の存在であり、未だ「警察予備隊」時代のまま、「集団的自衛権の憲法解釈」などという目先の誤魔化しによってかろうじて存在し、あやふやな中途半端な存在のまま放置され続けている。

 自らの国家の防衛をも否定する矛盾だらけの現憲法を見直し、違憲状態の自衛隊を「国軍」とすることに、何を躊躇し、誰に憚るというのか。

 日夜、国の防衛の為に努力する自衛官の姿は心強いし、災害に立向かう自衛隊の存在は実に頼もしい。自衛官は我が国の誇りである。

 憲法論議を避け、自衛隊の存在意義を無視し、国防を論ずることなどあってはならないし、政治家のこれ以上の怠慢は赦されるものではない。

 今こそ戦後のタブーに挑戦せよ!

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 三島を中心に後ろ左から森田必勝、古賀浩靖、小川正洋、小賀正義。 

 昭和45年11月25日の決行当日、同行した小賀正義に命令書が渡された。その一文にはこう記されてあった。

【小賀正義君。君は予の慫慂により、死を決して今回の行動に参加し、参加に際しては、予の命令に絶対服従を誓った。依ってここに命令する。
 君の任務は同志古賀浩靖君と共に人質を護送してこれを安全に引渡したるのちいさぎよく縛につき、楯の会の精神を堂々と、法廷に於て陳述することである。
 今回の事件は、楯の会隊長たる三島が、計画立案、命令し学生長森田必勝が参画したるものである。
 三島の自刃は隊長としての責任上、当然のことなるも、森田必勝の自刃は、自ら進んで楯の会全会員及び現下日本の憂国の志を抱く青年層を代表して、身自ら範を垂れて、青年の心意気を示さんとする鬼神を哭かしむ凛冽の行為である。三島はともあれ、森田の精神を後世に向って恢弘せよ。
 しかしひとたび同志たる上は、たとひ生死相隔たるとも、その志に於て変りはない。むしろ死は易く、生は難い。敢て命じて君を艱苦の生に残すは予としても忍び難いが、今や楯の会の精神が正しく伝わるか否かは君らの双肩にある。
 あらゆる困難に耐え、忍び難きを忍び、決して挫けることなく、初一念を貫いて、皇国日本の再建に邁進せよ。楯の会隊長 三島由紀夫】

「益荒男が たばさむ太刀の鞘鳴りに 幾とせ耐へて 今日の初霜」(三島由紀夫辞世)

「今日にかけて かねて誓ひし 我が胸の 思ひを知るは 野分のみかは」(森田必勝辞世)

 旧来の思想や社会構造を打破しようとするとき常軌を逸した行動が生まれる。三島由紀夫と森田必勝らの行動こそが正気の狂気であり、この狂気こそが我が国に圧し掛かる重苦しい閉塞感を打破する力に成り得るのだ。

 今こそ三島・森田の精神を想起し、祖国日本の恢復を図らねばならない。合掌。

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2016年11月24日

「パチンコは違法ではない」との政府答弁を糺す

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 先週、民進党の緒方林太郎議員が政府に対し、「パチンコは賭博罪ではないのか?」と疑義を呈し、「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する質問主意書を提出した。

 パチンコ議連が多い民進党の中で、こうした質問をするというのは画期的なことと思えるが、これに対し政府は、「風営法の範囲内での営業は違法ではない」と次の様に答えている。

「パチンコ屋については、客の射幸心をそそる恐があることから、風営法に基付き必要な規制が行われているところであり、当該規制の範囲内で行われる営業については、刑法(明治四十年法律第四十五号)第百八十五条に規定する罪に該当しないと考えている」

 緒方議員の質問の趣旨が違法性の高いパチンコへの疑問なのか、それとも「違法ではない」との確かな言辞を引き出す為のものであるのかは定かでないが、パチンコを「健全な娯楽」であると思っている国民はいないだろう。

 確かにパチンコの営業形態は、「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律の第二条第一項第七号」(風適法)に基付いて運営されている。

 風俗営業として、客が遊技の結果得た鋼球をパチンコ店が指定する特殊景品と交換し、景品買取業者(古物商)が運営する景品交換所が、それを買い取る形で現金と交換するシステム。

 一見、合法の様だが、実態はこの「換金制度」こそが射幸心を煽り、ギャンブル性を高めているのは確かで、完全な賭博でありながら、何故か合法的に許可され続けてはいるが、限りなく違法性は高く、その結果、不幸を量産しているというのが実態である。

 「風適法」による遊技場経営者の禁止行為の一つには、「客に提供した賞品を買い取ること」という項目がある。

 つまり、賞品である「特殊景品」が店舗に戻ってくるということは、客に渡した賞品を買い取っていることとなり、「風適法」に抵触してるのは明らかで、政府の答弁書は詭弁以外の何ものでもない。

 換金制度は、抑々、「脱税防止」を大義名分に、プリペイドカードを導入し、パチンコ屋(店舗)と換金を扱う店(買取所)と、交換する特殊景品(金地金)を扱う店(問屋)を別々にすることにより「合法である」として、自民党の平沢勝栄ら警察官僚OBらが安易な我田引水的発想で合法化したのが始まり。

 だが、実際にはプリペード導入後、不良支那人らによって偽造プリペードカードが大量に出回り、あっという間に破綻した。

 今では現金を機械に直接入れて遊べる様になっているが、これもまた明らかなギャンブル行為であり、違法行為である。

 パチンコだけが合法の<店舗→客→買取所→問屋→店舗>を、例えばゲームセンターとかが同じことをやったとすれば、即刻「風適法」8号条文の適用(賞品の提供の禁止)で摘発となるのは必至だろう。

 何故にパチンコだけが特別扱いされるのかは、パチンコ議連の介入やパチンコ業界に天下りする警察幹部、警察構造の歪な権力の行使に因るものであり、これは憲法での法の下の平等をも無視する愚行と言えよう。

 パチンコを非合法化することが最善の策だが、業界側が「健全な娯楽」を謳い、政府も合法というならば、違法性の高いこの換金制度(特殊景品)を廃止し、一般景品のみにするべきではないか。

 一般景品には地元のスーパーの商品券やJAのおこめ券など、地元経済にも波及効果が出る様な景品を提供させるのも一考だろう。

 換金制度さえ無くなればパチンコの興味は薄れて客は激減し、パチンコ依存症というビョーキも無くなり、自殺や家庭離散も防げ、結果、パチンコへの消費は他に回り景気の底上げも可能となろう。

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2016年11月23日

本日は、人々の勤労によって生み出される万物の生産を祝う日である

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 新嘗祭に当たり、豊穣の秋に感謝すると共に畏くも陛下の弥栄と皇室の安穏を祈念する。

 祝日法では「勤労感謝の日」となってるが、「勤労感謝」というと何か、労働していることに感謝する日の様に思ってしまうが、本当の意味は「人々の勤労によって生み出される万物の生産を祝う」というものだ。

 つまり、神の加護による農作物を始めとした恵に国民が互いに感謝し合う日なのだが、その意味を穿違えている国民は少なくない。

 先日のハロウィンでは随分と盛り上がった様だが、簡単に言えば勤労感謝の日とは日本版のハロウィン。そっちの方が分かり易いか(笑)

 「人々の勤労によって生み出される万物の生産を祝う」とするならば、国策としての農業振興と、食の安全保障や食料自給率の向上こそ急務だが、政府の減反政策一つ見ても、真剣に「農」を考える言葉は発せられない。

 「農業」とは愛郷心、祖国愛に繋がるもので、愛情というものがそこには無くてはならない。世界各国でも「農業」の保護政策が行われているが、それは、そうした国々は「農は国の本」ということを自覚しているからである。

 悲しい哉、我が国は戦後「農本主義」的国家観は排除され、大輸出国の米国の戦略に嵌った儘で、「農」を金儲けと捉え、米国主導のTPPに参加しようなどとは狂気の沙汰と言う他ない。

 国家の大本を米国に委ね、軍事的安全保障でも自立出来ず、食料安保でも自立出来ず、これで果たして真の独立国家といえるのだろうか。

 そういう意味でも、トランプが次期大統領に就き、TPP参加を拒否してくれることは願ったり叶ったり。安全保障同様、食糧安保を考える好機である。

 国造りと農業の関係を、単なる経済論で語ることは、国家や郷土愛を放棄したと断じられても仕方ない。

 我々保守陣営は「平成の農本主義」を構築する為にも、安易な輸入物の購入を拒否し、国産物を購入し、食糧自給率向上を真剣に考えなくてはならない。

 「新嘗祭(しんじょうさい、にいなめさい)」は、旧くは霜月(11月)下旬の卯の日とされ、明治6年以降は11月23日に執り行われることとなった。

 戦後、GHQの「神道指令」などもあり「新嘗祭」という呼称は廃止され、昭和23年に「勤労感謝の日」と改められ現在に至っているが、国柄を考えれば、やはり「勤労感謝」というより「新嘗祭」という名称が相応しい。

 因みに、天皇の即位後初めて行うものを「大嘗祭(だいじょうさい)」というが、今や大嘗祭は皇室典範にも明記されていない。

 本日、宮中では天皇陛下が新穀を神々に供え、厳かに儀式を執り行うが、宮内庁は陛下の負担軽減の一環として平成24年から、「暁の儀」の拝礼を取り止められたが、こうした報を訝しく思うのは愚生だけではあるまい。

 宮中祭祀で特に重要なものは元旦に執り行われる「四方拝」と、本日行われる「新嘗祭」。天皇にとって大事なものは国事行為ではなく「祭事」である。

 歴代天皇が執り行ってきた「暁の儀」の取り止めは、今後、歴史の中での祭事にどういう結果を影響を齎していくのかが気になるところ。

 天皇は憲法上の制約から、国事行為として「国会の開会式」「首相や最高裁長官の親任式」「大臣の認証式」「親授式」、国賓・公賓への接遇や会見、会食、皇居清掃団への会釈など御勤め遊ばされる。

 「負担軽減」とは聞こえはいいが、天皇にとって最も大事な祭事を最優先し、国事行為や公的行為こそ軽減すれば好いことだ。

 陛下の負担軽減というのであれば、国事行為や公的行事は皇太子殿下や秋篠宮親王殿下が輔佐する環境こそ整えるべきであろう。

 現憲法下では、歴代天皇が古来より司って来た「祭事」は、天皇家の「私事」とされてしまい、歴史的な国家としての継続された「祭祀」に関する天皇の役割を否定してしまった。

 これつまり、未だ占領政策の「神道指令」の呪縛が解除されずにいる証左であるが、更には「勤労感謝」という言葉で、その祝日の意義を薄れさせ、「ハッピーマンデー」などという愚策によって国體が破壊され続けている。

 今日は県内でも「山ノ神講」として、全国各地でも山々の神に感謝し収穫を祝う行事が各地で行われるが、これは新嘗祭の風習や伝統を重んじ伝えて来た名残りでもあり、ここでも天皇と国民は繋がっている。

 【すめらぎの千代万代の御代なれや花の都に言の葉もなし】

 すめらぎいやさか。

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2016年11月21日

将棋では駒を動かすことを「効かす」「働かす」という

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 大相撲九州場所も今日が中日、豪栄道には是非とも優勝戦線に残って相撲を大いに盛り上げて欲しいが、それにしても最近の白鵬の相撲には興醒め。あんな相撲を取ってる様じゃ相撲人気が落ちるのは当然のこと。

 懸賞金の受け取り方といい実に醜い。一代年寄になる資格は有しているが、それには日本人帰化が条件であり、帰化に難色を示す白鵬はピークは過ぎたし、相撲はつまらんし、早々に引退して欲しいものだ。

 相撲は年齢に関係なく実力の社会だが、人生もまた実力社会でもある。実力がある者が番付が上がり、心技体が備わっている者が横綱となるのと同じ様に社会でも伸上がって行く。

 横綱の子供が必ずしも横綱になれる保証はなく、血縁も、家柄も、門閥も、学歴も一切関係なく実力だけがものをいう世界である。

 これに反して、歌舞伎の世界というのは、市川団十郎や尾上菊五郎、中村吉右衛門などを襲名出来る者は限られていて、家柄や門閥がないと譬え実力があっても襲名は中々出来るものではない。

 政界や役人、学会などでは学歴と経歴がものをいう。幾ら実力があっても高卒じゃ事務次官にはなれない。

 また企業でも、実力はあれど出世は叶わず、二代目、三代目が跡を継いで、そのバカ社長に社員を見る目がなければ芽が出ることもなく、そんな企業というより家業を継いだ二代目、三代目の会社に将来はない。

 こういうことは会社に限らず、器量のない上司の下では実力を発揮出来ることなく、早々に見切りを付けて辞めた方が好い。

 話は逸れるが、國士舘初代館長・柴田徳次郎先生は、「国士とは歩が成った様な者」と訓えた。将棋では、金や銀、飛車、角も大事だが、普段軽く見られる「歩」こそ大事に扱わなければならない駒であり、徳次郎先生はその「歩」を教育することに終生心血を注いだ。

 「ヘボ将棋、王より飛車を可愛がり」だとか、「桂馬の高飛び歩の餌食」など、将棋には面白い川柳や諺が多くあるが、中でも、「歩の無い将棋は負け将棋」という格言は、会社経営や人を育てる上で実に考えさせる言葉だろう。

 企業や組織でいえば「歩」というのは若い社員であり、この社員を活かすも殺すも上司の腕の見せ所。この若い社員、つまり「歩」を如何に育てるかで会社の将来が決まると言っても過言ではない。そしていつかはその歩が「金」と成って、会社は言うに及ばず、延いては国の宝となるのである。

 将棋では駒を動かすことを、「効かす」とか「働かす」という言葉を使う。つまりは、上司は部下を無闇やたらに「動かす」のではなく、「動」に「人偏(にんべん)」をプラスして、如何に「働かす」かことが肝要となる。

 駒の欠点を周りで補いながら、駒の長所を伸ばし、折角の駒を死に駒にしないで働かせることで勝ちに繋がるもので、これは会社の経営や組織を率いることでも同じこと。

 「働かす」のが下手な上司の下では、自分の長所や個性を引き出されることはなく、自分の持ってる好い部分に気付くこともないということだ。

 政治家の世界も実力社会ではなく役者の世界と同じ世襲ばかり。 政治の世界では選挙に負けたらただの人。ジバン・カンバン・カバンがものいう世界だから世襲が有利となる。

 政策も国家観も乏しい二代目、三代目の世襲議員が当選するのはそういう仕組みだから当然といえば当然で、結果、考え方もやることも同じだから、政治が醸成することなく混乱し機能不全に陥ってるのが現状だ。

 政治の世界は実力の世界に戻さなければならないと感じる。学生に実力テストがあるように、政治家にも実力テストを受けさせれば好い。そしたら多くの議員は落選し、我が国の真の再生に繋がるだろう。呵呵。

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2016年11月20日

「得意冷然、失意泰然」「失意泰然、得意淡然」

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 先日の「スーパームーン」に感動した人も多いだろう。「スーパムーン」という用語は天文学ではなく、占星術に由来する。

 故に自然と災害に結び付けたり、吉凶を判断したりする人もいた様だが、月にしろ、星にしろ、花にしろ、愛でて一献やるのが好い(笑)

 最近ではスーパームーンや月食、日食なども科学的な事が優先され、単なる天体ショーとして捉えられているが、古来、月や太陽から放たれる光は「妖光」だとして、天変地異や疫病などが起きると本気で信じられていたのもまた事実。

 幕末までは「穢れの日」として、この妖光から天皇の玉体を護る為に天皇の祭祀と政務を一切取り止めた。

 「天岩戸(あまのいわと)」という神話がある。天照大御神が天の岩戸に篭ってしまい、世界が真っ暗闇になり、悪神が蔓延ったという神話だ。

 伊邪那岐神(いざなぎのかみ)は、「天上界を天照大御神が、夜の国を月読命(つきよみのみこと)が、海原を須佐之男命(すさのおのみこと)が治めよ」と命じられた。

 ところが須佐之男命だけは任務を果たさず、その為悪神が蔓延り、諸々の禍が彼方此方で湧き起こる始末だった。

 伊佐那岐神は酷く怒り、「お前の様な者に用は無い!」と追放する。困った須佐之男命は、姉の天照大御神を頼る。姉の許で暫くは大人しくしていたが元々気性の荒い須佐之男命は、程なく種々の乱暴を働く様になった。

 天照大御神の耕す田を壊し、御殿に糞を撒き散らす。

 それでも天照大御神は大目に見ていたが、服屋(はたや)で神聖な衣装を織っていた時、皮を剥いだ馬が屋根を打ち抜いて投げ込まれ、服織女(はたおりめ)が死んでしまう事件が起きた。犯人は勿論、須佐之男命。

 これには流石の天照大御神も激怒し「天の岩戸」に篭ってしまった。天照大御神が隠れると世界は暗闇となり、悪神達が蔓延り始める。

 そこで高天原の諸神である八百万の神々は、天の河原に集い策を取ることになり、思金(兼)神(おもいがねのかみ)の提案で、先ず岩戸の前に常世(とこよ)の長鳴鳥(ながなきどり)を集め鳴かせる。

 次に伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)に、八尺鏡(やたのかがみ)、玉祖命(たまおやのみこと)に八尺勾玉(やさかのまがたま)を作らせ、布刀玉命(ふとだまのみこと)には御幣(みてぐら)を、天児屋(根)命(あめのこやねのみこと)には祝詞を奉じさせた。

 すると天照大御神は、そこに映った自分の姿をその貴い神と勘違いし、猶もよく見ようと身を乗り出したところを、怪力の天宇受売命が岩を投げ飛ばし外に出すこに成功し、漸く世界に再び光明が戻ったという。

 「皆既月食」という自然現象を神の世界の事件と捉えた古代の日本人の信仰と伝承こそ、実は科学に基く教えだったのではなかろうか。

 科学万能の時代であるが、日本という神の国に生まれた者として、畏れや感謝を知る上でもこうした神話や古来の教えを、未来を担う子供達にこそ伝承して行かなければならないと感ずる。

 月に関連した言葉で「満(み)つれば欠くるは世のならい」「月満つればすなわち欠く」というのがある。満月になると次は必ず欠け始め三日月となる様に、物事は絶頂期に達すると同時に下り坂になるのが世の道理である、という意味だ。

 だが、三日月もまた三日月のままではない、また少しずつではあるが満月に向かって膨れていくもの。つまりは何事も「時」というのが大事になってくる。つまり「時を味方に引き入れる」ということなのだが、そのタイミングは難しい。

 勝負事の経験のある人はよく分かると思うが、「ツキ」というのがある。このツキが勝負事では勝敗を左右する。ツキ出すと自分でも驚くくらい当たり出す、花札や麻雀でも不思議なくらい好い手が回って来るし、安い手でも勝ってしまったり。

 ツキとはそんなもので、逆にツイてないと、喩え好い手が回って来ても負けたり、何をやっても上手くは行かない。別にツキというのは博打や勝負事だけのものではなく、人生に於いても、仕事にも、経営などにも当て嵌まる。

 ツイてる時には、そのツキを味方に付けて勝負することだ。逆に、ツイてない時は、じっと「時」が来るまで待てばいい。「時が解決する」というのは別に失恋だけのことでもないのだ。

 大事なことは、折角ツキ始めたのに、そのツキを逃してしまうことと、ツイてもいないのに無理に事を構えて痛手を深くしてしまうことだ。

 「時はカネなり」とか言って、ツイてもいないのに焦って行動してはダメ。人間誰でも好調、不調はある訳で、その処し方で成功、不成功が決まると言っても過言ではあるまい。

 「得意冷然、失意泰然」とか「失意泰然、得意淡然」とはそういうことを訓えている。その意味は、失意のときには泰然と構え焦らず、上手くいっているときは淡々と構え驕らないということ。

 「時」という時間を味方に付け、じっくり考えて決断する。尤も、そのタイミングというのは己の経験からしか分からない。つまりは何事も日々の修行が大事であるというのは言うまでもない。

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2016年11月19日

士(し)別れて三日、即ち更に刮目して相待すべし

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 「男子三日会わざれば刮目して見よ」「士(し)別れて三日、即ち更に刮目して相待すべし」という言葉がある。男同士の付き合いというのは斯く在りたいと思っているし、そういう付き合いをしているつもりだ。

 一方で「呉下の阿蒙(ごかのあもう)」という言葉がある。進歩のない人物を揶揄する言葉で、その反対語や同義語は「旧呉下の阿蒙」

 三国志時代、「呉」の国に、呂蒙(ろもう)という武力に長じた武将がいた。呂蒙はその無鉄砲ともいえる勇猛さで、その名は「魏」や「蜀」にも響き亘っていた。

 勇猛なその一方で、呂蒙は無学だったので、君主の孫権(そんけん)が「学問を学び、人間の幅を広げるように」と呂蒙に諭した。

 それから時が流れて、呉の知将・魯粛(ろしゅく)が、前線司令官として赴任する途中に呂蒙の下を訪ねた。

 呂蒙は、魯粛の赴任先の正面には、当時最強と言われた蜀の将軍・関羽が指揮官に就いていると聞いて、関羽の性格を分析し、適切な戦略を魯粛に助言した。

 武骨なだけの昔の呂蒙しか知らない魯粛はこれに驚き、「呉の城下を走り回っていたあの頃の蒙ではないな」と語った。これが「旧呉下の阿蒙に非ず」という言葉である。

 呂蒙は己の智の無さを知り、孫権の言う通り学問に励み、いつしか勇に智が伴う武将になっていたのだった。

 そして呂蒙は「士別れて三日、即ち更に刮目して相待すべし」と言ったという、これが「三国志演義」でも有名な一場面である。

 「男子三日会わざれば刮目して見よ」「士別れて三日、即ち更に刮目して相待すべし」とは、日々鍛錬している者は三日も会わなければ見違えるほど変わっているということ。転じて、いつまでも同じ先入観で物事を見ずに常に新しいものとして見よという意味でもある。

 個人的なことだが、30代に入り、総本部の運動の総責任者を任されて活動していた時期に、鹿児島県指宿市出身の若者が活動に加わる様になり、右翼活動の何たるかを仕込み、若手活動家として名を馳せて行く。

 行動隊の行動隊長を任命し、いざこれからだがという頃に、何故か突然、消える様にいなくなった。

 愚生としては何があったのかその理由も分からない。その年だったか、1年後だったか、盟友との全国行脚世直し街宣という放浪の旅で鹿児島の知覧へ行く機会があり、この若者の指宿の自宅を探して訪れたことがあった。

 「三顧の礼」を以て迎えてやろうと思ったのだが、結局は会えず仕舞い。要は縁がなかったということで諦めた。

 それから約20年。twitterとfacebookからら本人名メッセージが入った。ニセモノだと思ってはいたが、twitterのメッセージに返事してみたら、本人だった。正に人の縁とは邂逅の一言に尽きる。

 久闊を叙し、本人の自慢話や武勇伝に耳を傾け、辞めた理由を問い質すと、とんでもない内部の事情だったことが分かった。

 これも、当時、総本部の代行だった自分の至らなさではあるが、フケた一因には総隊長も関わってたと知り茫然自失。

 本人も心の何処かに消えて居なくなったことに負い目を感じていたのだろうが、それでホッとしたのか本人の性格か、先輩や上司への礼節などなく、こっちの状況もお構いなしで連絡を寄越してくる。

 本人も寂しいし、懐かしいという想いが募ってるのだろうが、話す内容もくだらない事ばっかで、昔のやんちゃな頃から全く成長していない。

 本人も苦労もしただろうし、それなりの修業も積んだのだろうがどうも身になっていないというか「呉下の阿蒙」そのものなのだ。

 やはり男同士の付き合いとは括目して相対すものであると思うし、人生は邂逅の一言に尽きるというのであれば尚更そう在りたいと思う。

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2016年11月18日

羯諦羯諦羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶

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 愚生は仏教徒ではないが「般若心経」は唱えられる。CDも持っていて偶に車を走らせながら聞いたりもする(笑)

 「般若心経」は釈迦が弟子の舎利弗(シャーリーシ)に語った悟りであり、それを三蔵法師が訳したものだ。

 三蔵法師というと「西遊記」を思い浮かべるが、三蔵法師とは仏教の経蔵・律蔵・論蔵の三蔵に精通した僧侶のことで、夏目雅子が演じた「西遊記」での「玄奘三蔵」も三蔵法師の一人に過ぎない。

 般若心経の文字数は題字を含め276文字。「空」が7回、「無」が21回、「不」が9回で、般若心経の教えとは「空」であり、その「空」「無」「不」を知り、「空」に生きることに在る。

 死んで「戒名」を頂くというのは「釈迦牟尼の弟子になる」ということだが、そういう意味も知らずに、高いカネを出して訳の解らん戒名を有り難がり、大きな墓を造ったりしてるのを見ると滑稽にしか見えない。

 寺の坊主も葬式仏教ばかりで、説法や説教も語彙が乏しく、上っ面の言葉ばかりで心を打つ、心に響き気付かせる様な言葉はない。

 釈迦牟尼にしろ親鸞や空海、日蓮、法然、道元、達磨など開祖の坊主というのは現在の様な安穏とした中で悟り拓いた訳ではない。困難や苦難、試練の上で悟りの境地に達したのだ。

 江戸末期の「寺請制度」に胡坐をかいてる現在の仏教に救われるとも思えないし、それこそインチキ新興宗教の方が体の好い教えで信者を誑かしはいるが、信者の救いになっているのも事実だろう。

 葬式での御経も単なるイベントのBGMにし聞こえないが、せめて説法や説教で、自ら苦労されて心理の世界に到達し、これこそが真理の道と説かれた般若心経に込められた釈迦牟尼の教えや意味くらいは諭すべきだし、仏教徒ならそれこそ般若心経を毎日唱和しても罰は当たらない(笑)

 愚生的には、般若心経の「羯諦(ギャーテー)羯諦(ギャーテー)波羅羯諦(ハラギャーテー)波羅僧羯諦(ハラソーギャーテー)菩提薩婆訶(ボージーソワカ)般若心経」という、最後のラップ調の心地好い響きが好きだ(笑)

 意味は「さぁ皆一緒に、真の幸せの世界に行こうではないか!」という呼びかけだが、扨、この問いに応えるには、如何に生きるべきか、仏教徒の皆さんは自分自身に問いかけたことはありますか(笑)

 愚生は仏教徒でもないが「仏」というのは夫夫の心に在り、「極楽浄土」は現世の今にこそ存在しているものだと勝手に思っている。

 自分より劣る者や貧しい者、難渋している問題を自分の出来る範囲で助け、和らげ、救ってやることこそが極楽浄土なのではあるまいか。

 大乗仏教の中では「一即一切 一切即一」、「一塵の中に全世界が宿り、一瞬の中に永遠が在る」という「華厳経」の教えに興味があったが、やはり適当な愚生には何事にも大らかな神道が合っている(笑)

 因みに「教育勅語」は315文字。「般若心経」の方が難しく覚え難いが、276なら暗記出来そうな気がしませんか。 呵々。

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2016年11月16日

昭和30年11月15日、日本民主党と自由党の合併により「自由民主党」が誕生

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 昭和30年11月15日、日本民主党と自由党の合併により「自由民主党」が誕生した。党是は自主憲法の制定であることは誰もが知るところ。

 何故に自主憲法制定を目指したのかといえば、占領下にまで遡る。

 昭和25(1950)年6月25日、北朝鮮が突如として南朝鮮(韓国)に侵攻。これを機に同じ民族同士が相討つ戦争となり、休戦に至る約4年間で数百万人が犠牲となる大惨事となった。

 朝鮮戦争が勃発するとマッカーサーは吉田茂首相に、国内警察力と海上警備力の強化を促す書簡を送る。所謂「マッカーサー書簡(文書)」である。

 これはマッカーサーが実質、日本国憲法の破棄を促したものである。だが、吉田は日本国憲法の改正は行わず遵守することを明言した。

 当時の吉田の判断により、我が国が米国に利用され、朝鮮戦争やベトナム戦争に駆り出されなかったのは事実だろう。

 だが、「マッカーサー書簡」が送られたのを機に憲法を破棄し、旧帝国憲法に戻していれば、安保関連法案や集団的自衛権の行使云々で不毛空論の議論が繰り返されることはなかっただろう。

 また、朝鮮戦争は我が国の主権回復(昭和27年4月28日)後の1948(昭和28年7月27日)まで続いていたことで、憲法改正の機を失ったのもまた事実である。

 昭和30年になって、漸く憲法の見直しなどの機運が高まり、日本民主党と自由党が合併し、自由民主党が誕生することとなるのである。

 自民党が掲げる新綱領には先ず「新憲法の制定」を謳い、そして「高い志をもった日本人を」として次の様に明記されている。

【私たちは、国民一人ひとりが、人間としての普遍的規範を身につけ、社会の基本となる家族の絆を大切に、国を愛し地域を愛し、共に支え合うという強い自覚が共有できるよう努めます。そのために教育基本法を改正するとともに、教育に対して惜しみなく資源を配分し、日本人に生まれたことに誇りがもてる、国際感覚豊かな志高い日本人を育む教育をめざします】

 安倍首相がやるべきことは公約通り「日本人に生まれたことに誇りが持てる、国際感覚豊かな志高い日本人を育む教育を目指す」ことであり、「世界一安心・安全な社会を創る」という党綱領の実行である。

 「積極的平和主義」を唱え「軍事力」の充実を図るのも大事ではあるが、「国防」とは単に領土保全だけのことではない。

 三島由紀夫はそれをこう訓えている。

「国防とは国土という領土の防衛ではなく、それを亡くしてしまったら日本ではなくなってしまうものを守り抜くことである」

 国を護るということはつまり、国柄である民族、宗教、言語、​歴史、価値観、習慣、制度を護り、世界の中で最も優れた精神文化​や未来の子供達、そして何より「皇統」を死守し、継承することである。

 安倍自民党並びに自民党員は、現在の新自由主義と経済至上主義を猛省し、結党精神を想起すると共に、祖国・日本の再生を図れ!

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2016年11月15日

若者よ、大いに失敗し、そこから学ぶべし。こじんまりすること勿れ!

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 「読書の秋」ってか、もう冬だが、「読書の秋」とは、支那・唐代の文人である韓愈の詩の中の一節、「燈火(とうか)親しむべし」が由来で、その意味は、「秋になると涼しさが感じられ、あかり(燈火)に馴染む様になる」、つまり、秋は読書に一番適した季節だということらしい。

 読書をする上で大事なのは「崇拝」「反抗」「衒学(げんがく)」の心得。

 「崇拝」とは、自分が尊敬している先生や著者の本は、書いてある事が全て正しいと思いがちだが、信じ込み過ぎないことが大事。

 「反抗」とは、「崇拝」の逆で、自分が嫌いな考えの人物や著者の本は、初めから粗を探そうと読んでしまいがちで、揚げ足を取ろうとして読まないこと。自分の主張を確固なものにするには別な意見にも耳を傾けることだ。

 「衒学」というのは、学識・博識をひけらかす目的を以て読まないことで、新渡戸稲造の「武士道」でも教えているが、武士道では「衒学」が嫌われる。

 この3つは別に読書に限らず、人間関係にも当て嵌まる。

 FBなどでも著名人と知り合いになり、その人を崇拝し過ぎて、結果、媚び諂っているなんてことも無きにしに非ず。安倍信者なんてのはその典型だが、有名右翼人と繋がって勘違いしてるのもチラホラと(笑)

 「反抗」もそうで、少しは自分と違う意見にも耳を傾けることも必要で、反骨精神から反論し諭すことこなら大いに結構だが、少しでも意見が違うとなれば有無を言わさず罵詈雑言を浴びせるいうのは頂けない。

 自称・読書家というのは読書の量を自慢する。斯くいう愚生も、若い頃は政治思想の本を中心に、雑駁ではあったが色々な書物を読み漁り、本棚に並べてはその読書量に悦に入ったりしたものだ(笑)

 そんな読書好きな人というのは「読書は楽しい」といって憚らないが、読んで楽しいというだけなら別に読書じゃなくても映画でもいいし、芝居とか落語でも好いだろう。

 本というものはカネと同じで、無いよりはあった方がいいし、読まないよりは読んだ方がいいというくらいなのもので、勉強とか学ぶという基本的な在り方は、活眼を以て生きた本を読むことだ。

 読んで学んで、実践しなければ意味は無い。常々、心眼を開いていれば、「生きた学問」、参考書となるべきものは多く在る。

 「生きた学問」」「耳学問」で一番なのが、失敗に失敗を重ねながらも成功した人物の話であり、くだらん流行本なんぞより学ぶことは多い。

 大学教授や学者、或いは昨今の保守ブームに乗っかって稼いでいる営業保守の本なんぞ、小難しい言葉を羅列しては悦に入ってるが、よくよく読めば「常識」を尤もらしく書き綴っているだけのこと。

 「常識」というのは、太陽が東から昇って西に没する、こういうことが常識であり、法律なのだが、法律の細かな点では専門家には敵わない。だから顧問弁護士やら相談役というのが登場する。

 だが弁護士もまた「好い顧問」とそうでもないのがいる。

 好い顧問とは、頭が良いだけではダメで、やはり毒ネズミを食べた猫でなくてはならない。法律にだって表があれば裏だってある。千軍万馬の危ない橋を渡って来た弁護士が重宝されるのはその為だ。

 失敗を経験した数が「場数」であり、愚生は「バカ数」といっている。つまりは「失敗」というバカなことを経験を積み重ねることによって男の重みが変わって来るのもの。だから失敗もいい経験なのだ。

 人間、成功から学ぶことは無い。失敗を経験し、そこから学んだ者の知恵は傾聴に値するのは、「失敗」することで「反省」し、そこから「思索」し、生きた学問を学んでいるからこそ面白く為になる。

 我が母校・国士舘の徳目である「読書」「体験」「反省」「思索」とは、創立者・柴田徳次郎先生の自らの経験や失敗から学んだ根本原理であり、教育の理念、国士舘の大理想でもある。

 若者よ、大いに失敗し、そこから学ぶべし。こじんまりすること勿れ。決して当たり障りのない様な、無難な男になるべからず!

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2016年11月14日

人の運命とは実に気まぐれでもある

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 「運命」「宿命」「使命」「懸命」・・・夫夫「命」という言葉が使われているが、例えば「運命」とは生命を運ぶと書く。

 この世に生まれたという宿命を、懸命の努力によって使命を果たし、好い方向へ運ぶことの出来るものが運命でもある。

 愚生の場合、この懸命な努力が乏しく、右翼人として、一維新者を自任しながらもその使命を死命とせずに、うだうだと怠惰な生き方を続けている。これが己の運命や宿命というのも厚顔の至り。

 歴史を見れば、織田信長や豊臣秀吉、徳川家康の様に天下統一を果した者もいれば、この三名以上の器量や見識、才智に長けながらも、時代がそれを見放して地方の武将に甘んじた者も少なくない。

 中でも伊達政宗はそういう悲運の武将でもあろう。唯、惜しむらくは天の時、地の利を得なかったし、何より生まれたのが遅過ぎた。

 梵天丸と称した少年時代、隻眼で醜怪な顔立ちが嫌われて、弟の竺丸を偏愛した産みの母に危うく毒殺されそうな一幕もあった。

 十一歳で元服し「政宗」を名乗り、十三歳で岩代の国(福島県)三春から愛姫を娶る。十九歳の時には二本松藩主の畠山に裏切られ、父・輝宗が宮森城から拉致されるも高田橋で輝宗もろとも畠山を撃殺した。

 この時、政宗が住んでた城が愚生の故郷の「小浜城」。因みに輝宗が居城していたのが小浜城より2キロほど下った処に在った「宮森城」。ここの宮森家の末裔が会津の「花春」「栄川(えいせん)」「宮泉」などの銘醸を創り上げた。

 畠山を成敗し、二十歳の時には葦名ら会津四軍を攻め落とし、黒川城、現在の鶴ヶ城に入城する。この時、秀吉は小田原城を攻めてる最中で、全国平定が成し遂げられつつあった。

 若し、政宗が東北の片田舎でなかったら天下統一も夢ではなかっただろう。これ即ち、運命に非ず、宿命というものだろう。

 斯くいう愚生も地方で蟄居状態ではあるが、決して中央で活躍してる右翼らより活動家や右翼人として劣っているとは思わないが、やはり団体を除籍になった影響は大きく、これも宿命だったのかと自問自答する。

 政宗に学ぶことは多い。中でも豪胆な外交力は刮目に値する。政宗は秀吉の度々の上洛の督促にも中々腰を上げ様とはしなかった。小田原参陣の最後通牒を受けても正月を悠々と会津で過ごした。

 政宗は数年前から秀吉を取り巻く煩型の家康、利家、秀次、浅野長政、千利休などの実力者と親交を結び、かなりの付け届けを怠らなかった。これは秀吉の動向を探る為のもので、外交力の高さが窺える。

 小田原で秀吉に謁見する際には、髻(もとどり)を水引で結び、甲冑を被り、素衣を着て、凶服の装束で出掛けた。

 流石の秀吉もこれには唖然。諸国大名居並ぶ中で命拾いの御礼言上。そして献上品として大量の砂金を差し出す。その砂金が零れると、政宗は事も無げに懐紙で拭いてしまった。

 こうした政宗の豪気と肝の据わり方は他の大名でも真似出来ない天性のものであろう。この時、政宗、弱冠二十一歳。

 関ヶ原の戦いも終わり、天下の大勢が家康に決すと察すると、国内統一は諦め、外国との貿易を夢見て支倉六右衛門ら伊達政宗遣欧使節団十名を独力で派遣する。こんな気宇壮大な武将が他にはいない。

 政治家にしろ、組織のトップにしろ器量や見識、才智に長け、或いは能力があるから成功するものでもなし、人の運命とは実に気まぐれでもある。

 まぁ、愚生の慢性的不如意は自業自得の様なものだが、そのうちなんとかなるだろうし、一維新者として活躍の場が来るだろうと勝手に思っている。何故ならそれが運命なのだから。呵呵大笑。

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2016年11月13日

「国防費」GDP・GNP比1%以内という閣議決定を先ず取っ払え!

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 トランプが次期大統領に決まり、日米安保や国防の在り方が議論されつつあるが、我が国の国防費というのは生活保護費より少なく、GDPやGNP比1%以内という閣議決定を先ず取っ払う必要がある。

 駐留米軍が撤退するしないにしろ、自国の防衛は自国で行うという当たり前の国になる千載一遇の好機と捉えるべきで、活発な国防議論が求められる。それには何を成すべきなのか。

 安倍総理も外遊先で気前よくバラ撒いてるが、如何に税収を上げ、更には如何に無駄を削り国防費を捻出するか手腕が問われるところ。

 だが、国防費の値上げというのは容易なものではなく、年金問題や社会保障費問題を優先しなければ有権者の反発は必至。

 また、駐留米軍が撤退し、安全保障を自国でやるとなれば憲法の見直しは当然避けられないが、次期総選挙で自民党の大敗は目に見えており、憲法改正に必要な3分の2の議席は得られず、自称保守派やナンチャッテ愛国者らが夢見る憲法改正は儚く散るだろう。

 要は、目先の改革をしたところで屋上屋を架すだけであって、真にやるべきことは、国民へ国防の必要性を訴え続け、また財政再建にしても数字的なものだけではなく、何故に慢性的な景気低迷に喘いでいるかを国民に問いかけることが肝要。

 財政再建で有名なのは米沢藩第九代藩主・上杉鷹山。鷹山は逼迫する藩の財政を改革に立ち上がる際、次の詩を詠んだ。

「受け継ぎて国の司の身となれば 忘れまじきは民の父母」

 藩主としての仕事は、父母が子を養う如く人民の為に尽くすことであると、鷹山は「率先垂範」と「滅私奉公」を実践し、財政を立て直す上で最初に手を付けたのが領民の心だった。

「単に帳簿上の赤字を克服すれば財政再建が出来るという訳ではない。今は困窮の余り、この国の人々は目先の利益のことしか考えず、他人のことを思い遣れなくなっている。人々の心にも赤字が生じてしまったのだ。これを克服しなければ、喩え帳簿上の赤字を克服したとしても、また同じことを繰り返すだろう」

 現在の我が国も正にこれで、政治家は私欲を捨て率先垂範と滅私奉公することに尽きるが、悲しい哉、我が国の政治家は与野党共に先の改革ばかりで将来に目を向けず、頭の中に在るものは保身と次の選挙だけ。

 頽廃したマスコミは政府を批判し腐すことこそがジャーナリズムだと錯覚し、胡散臭い問題に一喜一憂して、問題が出ればその萌芽は我が国に在ると貶し、それを煽るマスコミ御用達の言論人や自称・有識者らが大騒ぎする構図にはいい加減うんざり。

 政治家の為体とマスコミ報道は国民を蝕み、日本人の美徳ともいうべき勤勉性、家族愛、愛国心、信義誠実の原則は失われ、日本人古来の心の中の高貴なものを失い、高邁さを忘れてしまった。

 「国防」とは領土主権での軍事力の充実も然ること乍ら、国柄を守ることも国防であり、国柄を守るということは皇統の死守である。そう考えた時、現在の政治家の中で「国防」の真の意味を理解してる者は果たして何人いるのだろう。

 政治家に足らないのは率先垂範と滅私奉公であり、政治とは「国防」と「教育」こそ大事であり、教育を充実させることで「心の赤字」が解消され、畢竟、財政再建も成されることだろう。

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2016年11月12日

民主主義というのは正に衆愚政治でもあるというのを痛感する

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 ドナルド・トランプが次期大統領に決定し、その選挙結果を不服だとしてクリントン支持派やそれに便乗する反米勢力によるデモや騒乱が起きている。民主主義というのは正に衆愚政治でもあるというのを痛感する。

 クリントンを支持したレデイ・ガガやマドンナら多くの芸能人がトランプを批判し、己らの意見こそ正義であると主張するが、所詮はマスコミやインチキジャーナリズムに煽られ洗脳された幼稚な正義感でしかない。

 米国の芸能人というのは、政治に参加することを当然の権利であると信じて止まない。ハリウッド俳優の渡辺謙が、安倍首相を批判し、幼稚な平和主義を訴えてるのもそんな影響なのだろう。尤も、彼の場合は、数々の共演作に出た共産党員の吉永小百合の洗脳に因るものだろうが(笑)

 マスコミやインチキジャーナリズムというのは国民の安直な正義感に利用し、自分達の主張こそが「正義であり、民主主義である」との主張を居丈高に振り翳し国民を誑かす。

 国民もまたマスコミの垂れ流す報道を疑いも無く信用し、利用されていることも分からずに幼稚で安っぽい主義主張を訴え悦に入る。

 「大衆の多くは無知で愚かである」「熱狂する大衆のみが操縦可能である」と言ったのはアドルフ・ヒトラーだが、要は、簡単に言えば多くの有権者というのはバカで利用し易いということだ(笑)

 ヒトラーはこうも言う。「私は間違っているが、世間はもっと間違っている」。こういう幼稚で始末の悪いバカという大衆が現在の有権者であり、その一票一票を集めて当選してるのだからバカしか当選しない。

 現在の選挙制度で当選した政治家にバカが多いのは当然の結果であり、そんな政治家に期待する方がバカだ(笑)

 政治家は大衆に媚び諂い、「国民の目線に立った政治を行う」と然も国民を慮った様な台詞を吐く。だが、民主主義の本質は国民目線に立つことではないし、大衆に迎合し平均的な国民を生み出すことではない。

 「国民目線」とは国民の平均値のことを指すのだろうが、平均値で国の政を行うことは余りにも危険であり、政治が国民目線に立った時に必ず国は滅ぶというのは世の常でもある。何故なら、国民の判断力は古今東西常に低く、その意見も時代に流され、大衆に流され、実に幼稚で気紛れなものだからだ。

 民主党の政権交代にしろ、その圧倒的支持を得た民主党が失脚したのも、自民党の政権奪回にしても、安倍人気にしても、熱狂した国民の安っぽい風潮からホンのチョッとの間だけ支持されただけのこと。

 言い換えれば民衆の一時の気紛れの結果でしかなく、熱し易い国民は覚め易く、安倍人気もその先どうなるかは分からない。

 政治とは、国家観を重んじながら、国民目線とかけ離れた歴史観、人間観、世界観、時には高度な権謀術数を必要とするものなのだ。

 ネットでは自称保守派が自分の仕事そっちのけで日本の将来を熱く語り、意にそぐわない意見には反論し批判するが、そういう人もまた扱い易いというもの。

 本来、政治というものがきちんと機能していれば、大衆が政治に係わることなどないものだ。三島由紀夫はそれをこう喩える。

「胃痛の時に初めて胃の存在が意識されると同様に、政治なんてものは、立派に動いていれば、存在を意識される筈のものではなく、況して食卓の話題なんかになるべきものではない。政治家がちゃんと政治をしていれば、鍛冶屋はちゃんと鍛冶屋の仕事に専念していられるのである」

 三島のこの言葉は正に正鵠。そういう意味では、然も自分が政治家になったつもりで、大衆があ~だこ~だと嘆いてる米国も我が日本も政治が機能していない証左でもある。

 ヒトラーは「私は間違っているが、世間はもっと間違っている」と言った。斯くいう愚生も、右翼として日本人としての正論を語ってきたつもりでいるが、訴える相手側に敬もなければ、逆に嫌われてるのに、熱く正論を吐いたところで聞き入れられる訳もない(笑)

 衆愚政治はこれからも続くだろう。そして行き着く処まで行かなけりゃ国民が目覚めることも無い。そしてその時に「維新」という革命が起こるのだ。そう、歴史は常に繰り返されるものであるから。

 トランプ就任で世界が混乱期を迎えるのであれば、全維新者は皇運を扶翼すべく一旦緩急に備えよ!

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2016年11月10日

トランプ大統領誕生を機に対米自立を図るべし!

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 ドナルド・トランプが予想通り第45代米国大統領に就任する。マスコミ各社は「予想外の結果に驚く」との認識を示しているが、それは米国マスコミの垂れ流す報道を鵜呑みにしたからに他ならない。

 プロ意識を以て、自分の足で情報を得てるジャーナリストの中には、クリントンや米国内の問題点を明らかにしてトランプ勝利を予想した人もいる訳で、そういう意味でも日米のジャーナリズムの凋落は顕著だ。

 徹底して反トランプの論調だった産経新聞は、今日のトップ記事で「ついに驚くべき日がやってきた」と揶揄しながらも、「トランプ大統領でもいいじゃないか」との論説を載せている。この身の変わり様は流石だ(笑)

 トランプ誕生を危惧し、落胆してるのは安倍首相を始めとした親米保守派と株屋くらいなもので、対米自立を訴える民族陣営や反米保守派らの多くは、この結果に大きな期待を持っているのではあるまいか。

 愚生も泡沫候補だったトランプが共和党の補者指名に選ばれた時点からトランプに注目し、拙ブログでも【連日報道される米国大統領選候補指名選挙に違和感】【トランプ大統領が誕生で「日米安保条約破棄」も想定すべし!】【ドナルド・トランプ大統領誕生を熱望する】と度度取り上げたりもした。

 トランプは選挙戦略の一つとして過激な言葉を選び、我が国と韓国の核兵器保有を容認し、米軍駐留予算を今よりも大幅に増やさなければ米軍を撤収する考えとの認識を示したトランプの大統領誕生を期待した。

 トランプは「日米安保条約は不公平だ」と言って憚らななかったが、親米保守派はトランプを批判し「日米同盟にとって不利益である」と断じ続けた。だが、果してそうだろうか。

 トランプが、駐留米軍の撤退を図り、米国属国化の象徴でもある日米安保条約の解消を実行することになれば、我が国が真に主権国家になる千載一遇の好機となるだろう。

 日米安保は、日本が敵国から攻撃を受けた際に米国は支援を約束しているが、本当に支援するかは現実になってみなけりゃ分からない。そういう状況に直面してから、慌てて「そんなバカな!」と地団太を踏んで「想定外」だとか「約束が違う」などと叫んだところで恥を晒すだけ。

 トランプが米国大統領に就くということは、世界のバランスが変わる前兆であり、アジア情勢も大きく変わって行くだろう。我が国がいつまでも「米国のポチ」であってはならないのだ。

 米国という国は、何事も自分の利益だけを考える国であり、喩え今日の夕刻までは友人であっても、明日の朝にはもう敵となってしまっても、それを少しも不条理とも不道徳とも恥とも思わぬ国だ。

 米国が友人であるということは、それが米国の為に有利であるからであり、日米安保にしても米国にとって日本という国と地域が必要なだけで、その他の如何なる大義名分も、付けたりに過ぎない理由なのだ。

 親米保守派もまた安保条約の必要性を頻りにアピールするが、確かに日米同盟というのは重要だとは思うが、現在の日米同盟は単に米国依存体制の強化であり、米国への更なる忠誠に他ならない。

 トランプは「日米安保条約を締結した時は、米国は豊かだったが、今は『金がない国』になった。我々は全てのものの為に、もう数十億ドルもの莫大な金をずっと失い続ける余裕はない」と述べている。これが米国の本音であり、年に我が国の防衛予算に匹敵する予算を削っているのが米国の現状でもあるのだ。

 我が国はそろそろGNP1%以内、GDP比での防衛費の予算付けというのは止めるべきで、トランプが「撤退と無心」を翳すなら、これを機に対米自立、民族自決を決断すべきだろうが、親米保守の安倍がやるとしたら、精精、TPPからの撤退を決断し、トランプに忠誠を示すことくらいだろう。まぁ、それはそれでTPPに関しては結果オーライだが(笑)

 それにしても、連日垂れ流される米国大統領の選挙報道を見てると、熟熟、我が国は51番目の州なんだと痛感する。

 以前、自民党の丸山参議院議員が、黒人奴隷発言に続いて「日本州の出身がアメリカの大統領になる可能性が出てくるという事なんですよ」と、我が国を51番目の州に準えて意味不明の自説を述べていたが、対米自立の機を失えば、近い将来、日本州から大統領選挙に出るなんてこともあり得なくはない。呵呵大笑。

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2016年11月07日

国内に溢れ出してる支那語やハングル表記を止めさせよう!

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 民主党政権下で推進し、実行された無責任極まる「観光立国」などという愚策は、安倍政権下で「クールジャパン」だとか「グローバル化」など片言のカタカナ外国語が氾濫し、問題点を検証することなく実に曖昧な次元で継承されている。

 「観光立国」の名の下、全国の役所内や施設に設置されているハングルや支那語の看板や案内板に違和感、拒否感を覚える人は多いだろう。

 訪日客は別に支那人や朝鮮人だけではない。こうしたこともまた過去から続く「近隣諸国条項」の流れだとすれば御粗末過ぎる。

 中共国内で使用されている「人民共和国、共産主義、共産党、革命、共和、左翼、唯物論、社会主義、右翼、演説、警察、芸術、自然、自由、新聞、鉄道、文学、歴史・・・」等等、こうした日常用語は、実は総て日本で作られた和製漢字だということを知っているだろうか。

 過去に人民日報の姉妹紙「環境時報」が、使用されている「日本式漢字語」の実態に触れながら、無分別な和製漢字語導入を巡り、一世紀前の支那で戦わされた論争を紹介し注目を引いたことがある。

 それに拠れば、現在、中共で使用されている社会、人文分野の用語の実に約70%が、日本から導入された外来語(日本語)であり、態態、支那語を表記せずとも、普段、我々が使っている漢字表記だけでも十分伝わるということだ。

 清朝末期、日清戦争に敗北した支那では庚有為が中心となって「維新変法」(自主的な近代化の試み)を進めたが、その取り組みが保守派の抵抗で挫折した後、和製漢字語が本格的に流入し始めることになった。

 日清戦争後から、支那は近くに存在する日本に注目し始め、近代化を目指す多くの留学生が西欧の文物を間接的に学ぶ為、日本に渡り始めた。

 近代支那の代表的知識人として知られている梁啓超も、和製漢字語の普及に大きな影響を与えた一人だが、彼は日本に亡命しながら、日本の小説などを翻訳し、自らが創刊した「清議報」に連載するなどした人物だ。

 支那に於ける和製漢字語研究の第一人者、王彬彬は、「我々が使っている西洋の概念は、基本的に日本人が我々に代わって翻訳してくれたものであり、中国と西洋の間には永遠に日本が介在している」と意見を述べているが、これこそ正鵠を射たものだ。

 我が国の漢字用語は、西洋の語彙を日本語に置き換えたもので、この「漢字」こそが我が国の文化と言っても過言ではない。尤も、現代の中共や漢民族に日本人の様な芸当は出来ないし、智慧もない。

 来日する外国人や世界の人々が日本や日本人に感じるものは「気品」であり、洗練された礼儀正しさであり、寛大さである。世界の何処を探しても、日本人の洗練された美を追求する高い創造性や質素な上品さに比肩するものは他にはない。

 この様な日本の生活文化を支えているものが日本語なのだ。

 安易な横文字を使用したり、相手国に迎合するかの様な安っぽい対応は優しさや配慮というより、先人達が長い歳月に亘り言葉(日本語)に宿らせて来た重い意味を失わせてしまうことにも繋がる。

 明治の先覚者は、外来語を全て新漢字に翻訳した。日本語のまま西洋文化を学ぶことが出来たことは偉大なことだ。

 現代人の様にカタカナ外来語をそのまま羅列し、軽薄な舶来趣味と比べれば、明治人の気骨と気概、高い見識を伺い知ることが出来る。

 日本語に自信を持ち、日本文化に誇りを持ち、何処までも日本語で主張し、日本文化を貫いたからこそ西洋に負けない発展が得られたのだ。

 外国語に訳すことが難しい日本語は多く、単純に外国語に訳すことで日本の美徳や日本の心が穿違えられてしまうことにも成り兼ねない。

 今、世界では数千万人もの外国人が日本語を学び始めている。

 日本語文化を世界に普及し、日本の和の心を伝え、世界平和の実現を図ることは大事なことで、それには先ずは、日本人自身が日本語の素晴らしさを知り、乱れた日本語を正すことこそ肝要である。

 「観光立国」の名の下に実行されてるハングルや支那語の表記は血税の無駄という他はなく、日本語と英語表記に統一するべきで、何より発展途上国の国策とも言える「観光立国」という愚策こそ止めるべきだ。

 国内に溢れ出してる支那語やハングル表記を止めさせよう!

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2016年11月05日

TPP国会承認議案と関連法案が衆議院通過

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 TPP国会承認議案と関連法案が衆議院通過する見通し。野党民進党は、山本農相の問題発言を執拗に論い審議に反対したが、抑々TPPは当時の民主党政権下で菅直人が参加を示唆し、野田総理が表明したものだ。

 山本農相の発言は軽率ではあるが、蓮舫の二重国籍問題に比べれば大した問題ではない。TPP参加を表明した者として、民主党幹事長であるならば、審議拒否こそ戒めて堂々とTPPを語れば好いではないか。

 こうした国民不在の党利党略の政争にはうんざり。いい加減、政治の混乱と機能不全の元凶は政治家の堕落に在ることに気付くべきだ。

 TPPに参加表明した野田総理に対し、当時、TPPに反対する自民党内や国民から「平成の井伊直弼だ」と不平等条約を結んだ井伊直弼に准えた声が上がったが思わず首肯した。

 大老・井伊直弼は、幕末の安政5年(1858年)、アメリカ・イギリス・フランス・ロシア・オランダの5ヵ国と夫夫、「日米修好通商条約」を始めとして、「日英修好通商条約」「日仏修好通商条約」「日露修好通商条約」「日蘭修好通商条約」条約という、所謂「安政五ヶ国条約」を締結した人物である。

 その後も井伊は、ポルトガル、プロシアとも同様の条約を結び、その後更にスイス、ベルギー、イタリア、デンマーク、明治になってからスペイン、スウェーデン・ノルウェー、オーストリア・ハンガリー等とも条約を締結する。

 幕府が各国と締結したこれらの条約は、治外法権による「領事裁判権」を承認させられたり、「関税自主権」を認められなかったり、幕府側にとっては正に屈辱的で不平等なものだった。

 攘夷派は、「勅許を待たずに調印した条約は無効だ」としてこれを認めず、独断専行した井伊を厳しく非難し、その結果、朝廷と幕府(公武)間の緊張が一気に高まり、「安政の大獄」や「桜田門外の変」などの事件が勃発した。

 明治維新以後、新政府の最重要課題の一つとして条約改正交渉が各国と断続的に行われたが、その進展は捗捗しくなく、条約の不平等な部分が解消されるのは、実に日露戦争大勝利後の明治44年(1911年)のことだった。

 不平等条約の締結は、外交圧力(軍事力)に屈した結果なのだが、TPPも正に「平成の不平等条約」と言っても過言ではない。

 米国の外交圧力に屈しながら日本を「開国」するなどとは本末転倒で、TPPは開国ではなく米国への更なる属国化と忠誠いうのが正しい。

 TPPでの経済効果を見てもGDP換算で1%も満たない3.2兆円ほど。これは「観光立国」での収益とどっこいどっこいの数値で、高高3.2兆円に何故にここまで固執し、何故にこうした愚策が次々と謀られてしまったのか全く以て理解不能。

 TPP推進派は、世界のGDPの約40%を占める巨大な経済圏が誕生することになると夢を語るが、加盟国・交渉国に日本を加えた12ヶ国のGDPを比較すると、米国が67%、日本が24%。日本とアメリカで9割を占める。

 続くオーストラリアが5%、その他の国々で僅か4%に過ぎず、これで我が国の経済が上向くなどと宣うこと自体が実に胡散臭い。

 TPPには「ネガティブリスト」というのがあり、これは「やってはいけない事柄をリストアップして、これ以外なら何をやっても構わない」ということ。

 だが、例えば、我が国の「健康保険制度」は世界に誇れる医療制度だが、TPPのネガティブリストに「健康保険制度」はリストに載せていない。

 厚労省や推進派などは、「そんなバカなことがある筈はない」と楽観視している様だが、TPPによって我が国の世界に誇れる「健康保険制度」や「医療制度」が崩壊する危険も孕んでいることを否定も出来ない。

 TPPでは、農産物問題も然ることながら、金融のサービスと投資の自由化がメインターゲットになるのは間違いなく、また、公共事業にも各国が参入出来る様になり、その為に英語での発注案件公示をしなくてはならず、建設業界にとっても混乱は避けられず、死活問題になるのは必至だろう。

 要するにTPPは、「平成の開国」という様な甘っちょろいものではなく、オバマが政権の命運を懸けて行う、「輸出倍増計画」「雇用対策」という名の経済侵略であり、更なる属国化というのが正しく、農業を金儲けのチャンスと捉えそれらを推進する安倍らは保守に非ず、新自由主義者というのが正しい。

 TPPには「ISD条項」という、所謂「毒饅頭条項」が盛り込まれていることも鑑みても、やはりTPP参加には断固反対であるが、救いは米国の新大統領に就くクリントンにしろトランプにしろ協議の見直しを示唆してることだ。

 親分である米国新大統領が疑義を呈している中で、何故に安倍はTPPを推進し、法案成立を急いでいるのか理解不能で、やはり長州閥のやることは明治維新や明治新政府と同じく、ホントえげつない。呵々。

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2016年11月03日

アイドルグループのコスチュームに難癖を吐けるユダヤ系人権団体

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 本日は「文化の日」。祝日法に因れば「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことを趣旨として制定された記念日とされているが、教育勅語を下賜され、教育・文化を重んじた明治天皇を偲び、我が国の文化を奨めるの「文化の日」ならいざ知らず、「自由と平和を愛し、文化をすすめる日」とは詭弁以外の何ものでもない。

 要は、「文化の日」のその実は、昭和21(1946)年11月3日に日本国憲法が公布された日であり、第二の「憲法記念日」でもあるが故に、平和憲法下での「自由と平和」を有り難く思えという、GHQによる無理強いである。

 畏くも明治天皇の天長節であり、「明治節」として戦前には国民挙って奉祝した記念日であるこの日に、現憲法を公布させたということに米国の如何わしい意図が窺える。つまり、未来永劫、現憲法を有り難く頂戴しろということだ。

 閑話休題。アイドルグループの「欅坂46」が、イベントで着た衣装がナチスを想起させるとして、米国を拠点とするユダヤ系人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」が、責任者である秋元康氏とソニーミュージックに対し謝罪を求めている。

 米国というかユダヤ人にとって目障りなのは日本人。ドイツはナチスの犯罪行為について時効を設けずに謝罪と賠償をし続けているから「日本もドイツを見倣え」「ナチスの残虐行為を教育しろ」という。

 胡散臭げな人権団体が、アイドルグループのコスチュームをナチスに準え、騒ぎ立てるのも、ナチスのホロコーストを日本でも徹底して教育しろというユダヤ人による強要という他はない。

 抑々、ナチスによるホロコーストは事実なのかということだ。

 ホロコーストが在ったとされる「アンネの日記」というのは、単なフィクションであり、これをして事実と断定するのは無理がある。

 ホロコーストによって殺害されたユダヤ人は600万人以上、最多で1100万人を超えるとされているが、歴史家の中には、明らかにされた文献などによりホロコーストは捏造であるとの検証もされている。

 南京事件などと同様に、虐殺ありきの観点や、戦後のこうした事実とされていることを検証して行く必要があるのではなかろうか。

 ホロコーストにしろ、南京大虐殺にしろ、従軍慰安婦強制連行にしろ、そうした事実がなくてはならない連中の思惑が見事に一致する。

 ドイツはナチスの犯罪行為に対し謝罪と賠償をしているというが、ドイツは確かにナチスについてはその罪は認めているが、ドイツ国家やドイツ国民全体の罪は今日迄認めたことはない。

 人権団体が、尤もらしくホロコーストを行ったナチスを糾弾し、高が知れてるコスチュームに難癖を吐けているが、要は環境保護団体を標榜するシーシェパードらと同じで、ナチスを利用した営利団体というのが正しく、今回の騒動は日本のアイドルが彼奴らの集金対象になったということだ。

 こんなコスチュームなんぞ一笑すれば好いことで、一々謝罪する必要はない。謝罪や譲歩をすれば更なる強要を生むだけで、安易に謝罪した秋元やレコード会社やイベント会社は人権団体から無心されることだろう(笑)

 「勝てば官軍」とはよく言ったもので、逆を言えば敗けることは「悪」となる。

 我が国もたった一度の敗戦で物の見事に日本の精神性までもが失われた。ドイツも同じで、ナチスを全て悪者とレッテルを貼られ、ホロコーストの残虐性を然も事実かの様にされて批判に曝され続けている。

 勝者であるユダヤ人は、ナチスのホロコーストから生き延びた国家を持たない可哀想な民族として、土着のアラブ人、パレスチナ人らを追い出してイスラエルを建国したが、要は「勝てば官軍」とばかりに都合の好い歴史を創りたいだけ。

 こんなユダヤ人の妄想とによるイチャモンや強要を認めていたら、我が国も南京事件や慰安婦を既成事実化され、中共や韓国からの無理難題は収まることなく激しさを増し、ナチスドイツと同じ様に大東亜戦争の大義が否定され、日本軍の服装なども同じ様に扱われてしまうだろう。

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2016年11月02日

国の為 神州男子 晴れやかに ほほえみ行かん 死出の旅路

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 今日11月2日は、日本社会党党首・浅沼稲次郎を刺殺した国士・山口二矢の命日。生きていれば73歳、現在の右翼陣営の低迷を鑑みれば、山口烈士や野村秋介の様な指導者がいないことが悔やまれる。

 天皇国日本を盤石の安きに導く使命を有するのはやはり右翼陣営であり、そういう意味でも右翼指導者の出現を待望して止まない。

 昭和34年、二矢は大日本愛国党に入党する。だが赤尾総裁の運動方針に疑義を感じ、翌年5月に同党の吉村法俊、中堂利夫らと愛国党を脱党し、防共挺身隊に身を寄せ「全アジア反共青年連盟」を結成した。

 「全アジア反共青年連盟」の事務所は銀座・鳩居堂の二階。後見人の防共挺身隊の総隊長・福田進が資金面などを支援した。事件後は、吉村・中堂の二人は右翼から退き、共に人気作家となった。

 同年10月12日、ニ矢は日比谷公会堂で演説中の浅沼稲次郎を刺殺、現行犯逮捕された。その刺殺シーン(画像)を撮ったカメラマン・長尾靖はその年の 新聞報道などに与えられるピューリッツァー賞を受賞した。

 二矢が携行した檄文にはこう認めてあった。

「汝、浅沼稲次郎は日本赤化を謀っている。自分は、汝個人に恨みはないが、社会党の指導的立場にいる者としての責任と、訪中に際しての暴言と、国会乱入の直接の煽動者としての責任からして、汝を許しておくことは出来ない。此処に於て我、汝に対し天誅を下す。皇紀二千六百二十年十月十二日 山口二矢」

 逮捕された二矢は供述録取書にも素直に応じた。

「私の人生観は大義に生きることです。人間必ずや死というものが訪れるものであります。その時、富や権力を信義に恥ずるような方法で得たよりも、たとえ富や権力を得なくても、自己の信念に基づいて生きてきた人生である方が、より有意義であると信じています」

「浅沼委員長を倒すことは日本の為と堅く信じ殺害したのですから、行為については法に触れることではありますが今何も悔いる処はありません。しかし、浅沼委員長は最早故人となった人ですから生前の罪悪を追及する考えは毛頭なく唯故人の冥福を祈る気持ちであります。又浅沼委員長の家族に対しては、如何なる父、夫であっても情愛に変わりなく、殺害されたことによって悲しい想いで生活をし迷惑を掛けたことは事実ですので、心から家族の方に申し訳ないと思っています」 

 供述調書を取り終えた11月2日未明、東京少年鑑別所の個室で支給された歯磨き粉で壁に「七生報国天皇陛下万才」と記し従容として死に就いた。

 【国の為 神州男子 晴れやかに ほほえみ行かん 死出の旅路】

 旧来の思想や社会構造を打破しようとする時には常軌を逸した行動が生まれる。山口二矢を始め、三島由紀夫や森田必勝、野村秋介らの行動こそが正にそれで、これこそが正気の狂気である。

 今こそ二矢、三島、森田、野村と続く憂国の精神を想起し、祖国日本の恢復を急がねばならない。合掌・再拝。

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2016年11月01日

初代・金日成といわれる「金顕忠」は旧陸軍士官学校出身

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 旧陸軍士官(陸士)学校や日本軍出身の朝鮮人は、大東亜戦争終結後終、韓国人軍属は朝鮮戦争などでも指導的役割を果し、第18代までの韓国陸軍参謀総長は全て旧軍出身者で占められていた様に立派な方は多い。

 戦犯の汚名を着せられた洪思翊中将を始め、趙東潤中将、李秉武中将、趙性根中将、魚潭(西川潭一)中将、李垠(李王)中将、李斗少将、金應善(宇都宮金吾)少将、王瑜植少将の将官の他、韓国軍少将で韓国大統領に就いた朴正煕(高木正雄)などが陸士学校出身。

 だが、廬武鉉政権下で「親日分子取締法」が制定されると旧日本軍の将官、高級将校を務めたものは貴族院議員、衆議院議員、道知事、裁判官、朝鮮総督府高官などは「親日反民族行為者」と認定された。

 他方、北朝鮮においては、旧軍の将校以上の地位にあった者は対敵協力者として多くが粛清され、ソビエト連邦(ソ連)の士官養成教育を受けた者らが朝鮮人民軍将校団の主軸となったが驚くことに、初代・金日成といわれる「金顕忠」が、陸士学校出身であるという資料が発見されたと産経新聞が報じている。

 第二次世界大戦後、ソ連の傀儡として北朝鮮の首相や主席となった金日成は本名を「金正柱」といい、初代・金日成の「金顕忠」と直接の関係はないが、ソ連が都合の好い金正柱を伝説の金日成だとして仕立て上げた。

 抗日独立運動での金日成将軍伝説は数多く、「義兵闘争のころから1920年代まで活躍した」「縮地の法を使い、白馬に乗って野山を駆けた」「白頭山を根城にして日本軍と戦った」などと言われ、そのカリスマ性は高い。

 金日成は馬に跨って抗日運動を指導し百戦百勝との伝説があるが、金顕忠は陸士時代は騎兵出身で乗馬は得意。こうしたことでも「金日成は日本陸軍士官学校を出ている」「白馬に載って野山を駆けた」との証言が証明された形だ。

 金顕忠はソ連に処刑され、金日成伝説は「金一星」「金日星」「金一成」「金光瑞」などに受け継がれたとされているが、金日成主席ニセモノ説が絶えないのはそういうことで、初代・金日成が陸軍士官学校出身だったとすれば、金日成のカリスマも北朝鮮の建国の大義も失せることになるだろう。

 北朝鮮は「朝鮮民主主義人民共和国」というが、実態は民主主義でも人民の国でもなく「金一族」の個人独裁の世襲全体主義国家というのが正しい。

 日本人を始め多くの民間人を拉致し、ニセ紙幣を偽造し、覚醒剤を密売し、ミサイルを製造し輸出し、核開発に没頭し、ミサイル発射を実行する北朝鮮というのは、旧社会主義に内在した悪の本質が体制化したヤクザ国家である。

 そんなヤクザ国家に向けて「対話と圧力」といつもの常套句を宣ってみたところで意味はない。北朝鮮へは断固とした「圧力と制裁」以外には無く、政治の決断と外交での無策の上で「圧力と制裁」を決断するならば、それは北朝鮮への「宣戦布告」であり、戦争状態であるという認識を持つべきだろう。

 政治的や外交的に手を拱いてる以上、拉致問題や核問題は戦争を以て解決を図らねばならないという自覚と覚悟を持たなくてはならない。

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