2016年08月

2016年08月26日

歴代日本政府の無知と事勿れ主義や弱腰軟弱外交を何処かで断ち切れ!

 調査捕鯨を実施している日本鯨類研究所とショーシェパード(SS)が米国連邦地裁の調停で、SSは今後、妨害行為を行わないとの合意に達したと報じた。この合意にはSSへの和解金が支払われることが条件だという。被害者である日本が、何故にSSに和解金を支払うのか。そこまでしての合意に何の意味があるのだろうか。

 捕鯨に関しては、国際捕鯨委員会(IWC)で、地道な調査と科学的データを明らかにし、孤立無援だった我が国への賛同国も徐々に増えていて、捕鯨問題は我が国外交史上、貴重な勝利事例になる可能性が見えていた。だが、オランダ・ハーグの国際司法裁判所が「日本の現在の調査捕鯨は商業捕鯨であり条約に違反する」として捕鯨停止を命令したことで、今迄の調査捕鯨の地道な活動が水泡に帰した。

 感情的に反捕鯨を叫び、己らの倫理観と偏狭な正義感を強要する反捕鯨国家と妥協点を見出すことは不可能なこと。調査捕鯨すら容認されないならばノルウェーやアイスランドを見倣ってIWCから脱退し商業捕鯨を再開すべきだ。商業捕鯨再開となれば、我が国の食料自給率も上るし、美味しい鯨料理が安く食べられる。

 岸田外務大臣は日韓外相会談に於いて、韓国の「和解・癒し」という胡散臭げな団体へ10億円の拠出を正式に伝達したという。この10億円の使途は、日本政府としてはあくまでも財団への寄付ということだが、韓国側は建前では理解していても実際には慰安婦への賠償であり、その和解金だと考えているだろう。

 死亡してる元慰安婦(199人)に200万円。生存している46人の元慰安婦に1000万円が支払われるという。これつまり、悲劇の慰安婦が存在したということを認めることに他ならず、我が国の国益と先人の名誉を傷付けるものでしかない。

 我が国の外交というのは失敗を顧みることなく、事勿れ主義から謝罪と和解金(賠償金)を払いさえすれば済むと思っているが、中韓に至っては譲歩が更なる譲歩を生んだという過去の事実を忘れてしまってるのではなかろうか。

 譲歩が更なる譲歩を生んだ典型的なものが「中国」の強要だ。戦前までは「中国」ではなく「支那」と呼んでいたし、支那(China)は国際的な共通語でもある。

「支那」禁止の理不尽な言い掛かりが始まったのは、昭和21(1946)年6月。中国共産党は形式上、連合国の一員で戦勝国であった為、その力関係を盾に、我が国にだけは主の国であるということを認識させる為に「中国」という名を強要した。

 外務省はそれに反論することなく従順に受け容れ、「外務省次官・局長通達」として「理屈抜きにして先方の嫌がる文字を使わぬ様に」と、言論機関になどに「中国」を使用する様にと指示した。今日の日本外交の基本である「隣国が嫌がるようなことはしない」との弱腰土下座外交はこの高々局長通達が基本となっている。

 因みに、所謂「在日特権」も局長通達が未だに生きているのだが、一方で都合の悪い局長通達は無視や撤回・修正・抹消されている。日本が「中国」と言い続けることは、不当な言論弾圧に屈することのみならず、中共政府の属国化である。

「中国」という名は世界の共通語ではない。戦後、外務省が出した「言論抑圧通達」は無効であり、「支那」という呼称こそが世界の共通語である。

 それにしても、日本政府や外務省というのは外交というものを知らなさ過ぎる。此れつまり、国益への認識と覚悟が乏しいからだが、歴代日本政府の無知と事勿れ主義や弱腰軟弱外交を何処かで断ち切らなばならない。

※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。

《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員は300000円~。

cordial8317 at 05:30|PermalinkComments(0)

2016年08月25日

「反捕鯨」「反イルカ漁」の反日的活動には断固として対抗措置を講じよ!

 調査捕鯨を実施する日本鯨類研究所と、それを妨害する「シーシェパード(SS)」との間で、SSは今後、日本への妨害行為は行わないとの合意に達した。

 だが、この合意は日本側がSSへ和解金を支払うという摩訶不思議な条件が提示されており、また米連邦地裁での調停であることをしても、SSが拠点を置く欧州や豪州などの支部には効力が及ばない為に荒唐無稽な約束事になりそうだ。

 SSの創始者のポール・ワトソンらの目的は鯨の保護などというものは付けたりに過ぎない理由で、ホンネは「環境保護」に託けた寄付金集めという金儲け。新手の「鯨ビジネス」に他ならない。実際、SSオランダ支部は、昨年1月、団体史上最高額の約830万ユーロ(日本円約9億3000万円)の寄付金を獲得し妨害船を建造中。

 因みに、オランダは「極東軍事裁判(東京裁判)」に於いて、戦犯虐待を理由に連合軍最多の224人を処刑している国でもある。捕鯨を行っているのは日本だけではないが、執拗に日本だけの捕鯨を妨害するのは日本人への人種差別でしかない。

 感情的に反捕鯨を叫び、己らの倫理観と偏狭な正義感を強要する反捕鯨国家と妥協点を見出すことは不可能なこと。調査捕鯨すら容認されないなら国際捕鯨委員会(IWC)から脱退し、ノルウェーやアイスランドを見倣って商業捕鯨を再開すべきだ。そうしたら我が国の食料自給率も上るし、何より安く鯨料理が食べられる(笑)

 SSらの日本人への敵視と蔑視は趣味と実益を兼ねたものであり、日本なら何をやっても大丈夫だし、日本人は怒らない、逮捕されないと高を括られているだけ、要はナメられているだけのこと。執拗な妨害活動は「白豪主義」に根差した日本人蔑視活動であり、そんな彼らに「環境保護」を訴える資格なんぞない。

 スポーツハンティングと称して原住民のアボリジニを殺してきた白人らが、「クジラは可哀想」などというセンチメンタリズムで、「鯨を食うな」とは笑わせてくれる。抑々、オーストラリアに移住した白人というのは犯罪者がその大半を占め、「白豪主義」を以って徹底した移民政策と人種差別政策を近年まで続けた国でもある。

 SSは、その悪しき伝統を受け継いでいる犯罪者を祖先に持つ子孫と思えば合点が行くというものだろう。「クジラが絶滅する」と叫んでる反捕鯨活動家らは、日本鯨類研究所の科学的データに危機感を募らせ、最近では捕鯨の倫理性や「知能指数が高いクジラの捕獲はダメ」だと、愚にも付かぬ反論をしている。

 こうした主張は当初の反捕鯨の大義からは大きく逸れている。我が国の捕鯨は単に食するだけではなく、鯨の髭は文楽の人形に使使わ、骨は櫛などの工芸品となり、漁師達は鯨塚を作り供養も行っている様に、実に日本文化そのものなのだ。

 地球上の鯨類が年間に捕食する魚類の総量は2億5000万t~4億tだという。一方、地球上の漁師の漁獲量はその半分以下の約1億t。「鯨飲馬食」と言われるほどに食欲旺盛な鯨類が増え過ぎれば、人間が食料にしている水産資源も脅かされる。

 インド、中共、インドネシアなどを始め急激な人口増加も懸念され、将来的には鯨は貴重なタンパク源などの補給食料として乱獲される様になるのではなかろうか。

 捕鯨問題の背景には、日本蔑視や日本人差別は言うに及ばず、我が国の伝統的鯨文化の問題の他にも食糧安保や様々な問題にも直結してる訳で、「反捕鯨」「反イルカ漁」の反日的活動には、断固として対抗措置を講じなければならない。

※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。

《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員は300000円~。

cordial8317 at 05:21|PermalinkComments(0)

2016年08月22日

右翼を自任しながら教育勅語を熟読し実践してるとはとても思えない(苦笑)

 今朝は雑感を綴ってみよう。右翼が皇居の勤労奉仕に行って陛下から会釈されたことを自慢げにツイートしてるのを見た。黙って奉仕するなら未だしも、勤労奉仕や千鳥ヶ淵墓苑や靖國神社の清掃に参加してきたなどと自慢して何になるのだろう。

 こうした右翼に足らないのは「恭倹己を持し」であり、教育勅語を熟読し実践してるとはとても思えない。「恭倹己を持し」とは、人に対しては恭(うやうや)しく、自分自身は慎み深く振る舞うこと。また、その様をいうが、「こうやった」「ああやった」「俺が、俺が」という自慢話や出しゃばりは見ていて滑稽でもある。

 8月15日に遺族を押し退け靖國神社に参拝し「英霊に哀悼の誠を捧げた」とツイートしてる現役右翼幹部がいた。靖國神社は、英霊の死を悼み悲しむ追悼施設ではない。尊い命を投げ出された英霊の功績などを広く知らせる為の顕彰する社である。

「鎮魂」ということでいうならば、英霊の御霊は陛下の御親拝に拠ってのみ鎮められるということで、我々が出来ることではない。「感謝の誠」ならいざ知らず、「哀悼の誠」とは勘違いも甚だしい。こんなレベルの右翼だから世間に嗤われるのだ。

 英霊は御祭神であり、例えば明治神宮に参拝するにしても、伊勢神宮然り、出雲大社然り、明治天皇や天照大神や豊受大神、大国主命に哀悼の意を表すということはしないことでも分かるだろう。まぁ、それでも神道は大らかである(笑)

 先の大戦で亡くなったのは英霊だけではない。終戦の詔勅が渙発された日を、「終戦記念日」と言い換えて、15日を特別な日として靖國神社に赴く右翼団体や保守派の行動は理解し難く、正に贔屓の引き倒しとしか思えない。

 先の大戦を道義的に最も責任を痛感されたのは昭和天皇であり、終戦の勅諭で「五内為ニ裂ク」と仰せられた通り、自ら身を苛まれたのは陛下御自身なのであるが、それを終戦を祝うが如く記念するとは何事か。保守派や右翼の劣化は甚だしい。

 8月15日は終戦の日ではない。終戦の勅諭が下賜された日であり、侵略戦争が終わったと認識させる為に「戦没者を追悼し平和を祈念する日」を「終戦記念日」と言い換えてるだけに過ぎない。つまり、「終戦記念日」「終戦の日」という言葉そのものが戦後民主主義教育に因る洗脳であるのだが、それにさえ気付かない。

 15日以降、混乱は未だ続いていた。ポツダム宣言を受託した3日後の8月18日早暁千島列島最東端の占守島にソ連軍が奇襲上陸、戦闘は3日間続き終結した。8月20日には南樺太真岡郵便局員の女性9人が、最後まで職務を全うし、最後は従容として青酸カリを服用し壮絶な最後を遂げた。これでも8月15日は「終戦の日」か。

 総理大臣や政治家が靖國神社に参拝するのは当然だという。分からないでもないが、何故に8月15日であらねばならないのかが理解不能。春秋の例大祭で好いではないか。政治家が参拝することで陛下の御親拝が不可能になるならば参拝は控えるべきだ。英霊や遺族にとっての感激と光栄は陛下の御親拝に優るものはない。

 所属していた防共挺身隊初代総隊長の福田進は、その昔「8月15日は遺族の日であるから、決してオマエら行かない様に」と訓示した。今はそういうことを教える幹部がいない。現今の右翼の為体は指導者不足であり、他人事ながら心配になる。

 靖國神社へは、春なら桜の満開の季節に、夏はみたままつりに、秋は例大祭に参拝するのが好いと思っている。8月15日を「終戦記念日」だと疑わず遺族を押し退けて、靖國神社に詣で「哀悼の誠を捧げる」勘違い右翼や自称愛国者は、そんなことよりも5万円を支払って「終身正会員」になることに謹苦すべし。呵呵大笑。

※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。

《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。

cordial8317 at 05:15|PermalinkComments(0)

2016年08月20日

岡田よ、屈辱的経緯の下に米国製の憲法が押し付けられたことは悔しくないのか!?

 民進党代表の岡田克也が、バイデン米副大統領の発言を問題視し、「最終的には国会でも議論して作った。米国が書いたというのは、副大統領としてはかなり不適切な発言だ」と批判した。更に「(GHQが)草案を書いたかどうかというよりは70年間、日本国憲法を国民が育んできた事実の方がずっと重要なことだ」と語った。

 如何にもノー天気な認識を示した。「国民が育んできた事実」というのはキレイゴトに過ぎない。世界の国々が改憲している中で、我が国の政治家は拱手傍観を極め込み、現憲法の問題を先送りし、国家の大本を米国に委ね続けただけのこと。

 草案を書いたか否かより問題なのは「押し付け」られた経緯だ。終戦直後に米国のジャーナリスト・マーク・ゲインが著した「ニッポン日記」には、ゲインが連合軍司令部や日本の政府や政党、財界など各方面を訪問しそれらを詳しく綴っている。

「ニッポン日記」は、ゲインの見聞だけではなく、取り扱っている話題の意味、即ち「日本をどの様に変えようとしたか」という主題を深く彫りこんでいる。

 当時の歴史を知る上でも貴重な著書でもある。日記の日付はコーン・パイプを咥えたマッカーサーが厚木の飛行場に降り立った1945年の12月5日から始まり、最後の日付は1948年5月3日。この間に我が国は徹底的に「民主化」されて行った。取材範囲は広範囲に及ぶが、日本国憲法制定の制定過程の真相が記されてある。

 ・・・ある晩、マッカーサー司令部の民政局の首脳将校達は、
厳秘のうちに日本の新しい憲法を起草する様に命ぜられた。
第一ホテルの一室で開かれた非公式な会議で新憲法の
総括的な輪郭が描き出された。
その翌日、ホイットニー代将は部下全部を会議室に召集した。
彼はいと厳かに言った・・・

 紳士並びに淑女諸君、これは正に歴史的な機会である。
私は今、諸君に憲法制定会議の開会を宣言する

マニラの弁護士出身のホイットニーは、多分に役者である・・・
ここでホイットニーはマッカーサー元帥が、
新憲法中に期待する三原則を読み上げた。

①日本は戦争を永久に放棄し、軍備を廃し、再軍備しないことを誓うこと。
②主権は国民に帰属せしめられ、天皇は国家の象徴と叙述せられること。
③貴族制度は廃止され、皇室財産は国家に帰属せしめられること・・・

「ニッポン日記」の他にも憲法制定での経緯や逸話が記されたものは多くある。文芸春秋発行の「天皇白書」での細川隆元が記した「天皇の代償」もその一つ。

 マッカーサーは、21年2月3日、
民生局長のホイットニーに司令部案の起草を命じている。
司令部案というのは憲法草案である。

 ・・・この司令部起草案は10日間で仕上げられ、
2月12日にタイプで打たれ、翌13日突如して日本側に突き付けられたが、
この時の条文には、天皇は象徴と文字は生まれ変わっていたが、
天皇制そのものは認められていた。

 司令部が憲法草案を日本側に突き付けた時、
ホイットニーは日本側の吉田外相、松本国務相に次の様に言い渡した。

 マッカーサー元帥は、
予てから天皇保持について深甚な考慮を廻らしつつあったのであるが、
若し日本政府が今自分の方から出した案を呑まないなら
此方としては、天皇の身分保障は引受けられぬ・・・

 これでは全くの脅しではないか。我が国家、我が民族の命である天皇陛下の身分が保障されないとあれば、彼是と注文を付ける訳にはいかないのは当然のこと。

 何故なら我が国は連合国の占領下に在り、当時の政府にしてみれば不本意ではあるが、こうした米国の一方的な条件を黙って呑まざるを得なかったということは想像するに余りある。こうして、屈辱的経緯の下に米国製の憲法が押し付けられたのだ。岡田はこうした経緯を知らないのか。日本人の一人として悔しくはないのか。

 国会(当時は帝国議会)で議論なんぞ尽くされてはいない。正に「押し付け憲法」であり、これが全く問題ないという岡田の政治家としての常識を疑う。

 岡田よ、この儘で憲法を見直すこともせじ、米国の核の傘の下で、まやかしの平和を享受し続けるというのも余りにも虫が好過ぎはしないか。

※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。

《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員は300000円~。

cordial8317 at 06:00|PermalinkComments(0)

2016年08月19日

8月15日に3日後に起きた「占守島の戦い」を忘れるな!

 ポツダム宣言を受託した3日後の昭和20年8月18日早暁午前1時頃、千島列島最東端の占守島にソ連軍が奇襲上陸する。無条件降伏により武装解除準備を始めていた守備隊は、この奇襲を受けると武装を整え直し、ソ連に対して自衛戦闘を開始した。

 占守島は千島列島最東端に位置する為に、陸軍第5方面軍が対米国戦を予想して占守島・幌筵島の要塞化を進めていた。昭和20年には本土決戦や北海道本島防衛で兵力が削がれたが、終戦時点でも陸軍最強部隊と称された第91師団(2個旅団基幹)などを擁していた。戦闘は日本軍の死傷者約600名、ソ連軍の死傷者約3000名に及び、日本軍の圧倒的勝利の中で、3日後の21日に武装解除に応じ戦闘が終結した。

 日本軍が武装解除を終えたのは、その3日後の24日だった。 この「占守島の戦い」に由り、ソ連軍の千島列島の占領は遅滞し、北海道への上陸が困難となった。

 占守島での戦いの間に米軍の北海道進駐が完了する。米軍進駐に拠って、ドイツや朝鮮半島の様な北海道の分割統治は避けられた。そういう意味でも、ソ連軍の北海道進駐を阻んだ「占守島の戦い」とは大きな意義があったのである。

 この戦いの後、占守島で自衛戦闘を戦った日本軍の兵士のみならず、中千島や南千島に駐留していた兵士全てがシベリアに強制連行されることとなった。理不尽な終戦後の戦争を勇敢に戦った兵士達は、こうした仕打ちさえも無条件降伏のうちだと信じて、飢えも寒さも、その結果としての知れ切った死すらも潔く受容した。

 ソ連はその他の地域からも軍人、軍属、一般人80万人以上をシベリアへ強制連行し不当に抑留。実にこの半数以上の同胞が酷寒の地で凍死、餓死で亡くなられている。 シベリヤに抑留され極寒の地で亡くなられた方もは数え切れない。

 抑留された方は国内では約60万人だが、この数字は軍属だけの数字で、民間人を含めると更に多く、ロシアの資料では約70万人、米国の資料では約90万人とされている。果たしてシベリア抑留で亡くなられた日本人同胞は何人に及ぶのか。

 正式な被害者数を調査公表するのは当然のこと。 東京大空襲や広島・長崎への原爆投下を実行した米国もそうだが、非戦闘員の殺戮も、シベリアへの強制連行も全て国際法違反であり、こうした人道に悖る行為を正当化する権利は無い。

 米国や旧ソ連こそ「平和に対する罪」や「人道に対する罪」で断罪されるべきで、我が国だけが裁かれる理由は無い。況してや終戦間際に日ソ不可侵条約を蹂躙し、一方的に宣戦布告し戦闘に加わったソ連の蛮行は断じて赦されるものではない。

 ソ連の参戦は「ヤルタ協定」での米英との約束の実行であり、北方領土の占有もヤルタ協定を論拠にしているが、このヤルタ協定は国際法的にも意味を成さない。

 1945年(昭和20年)2月、ルーズベルト、スターリン、チャーチルはクリミア諸島のヤルタで会談を行った。ルーズベルトは千島列島をソ連に引き渡すことを条件に、日ソ中立条約の一方的破棄を進言、ソ連の対日参戦を促した。

 ヤルタ協定では「ソ連が日本との戦争に参戦」「南樺太をソ連に返還」、「千島列島をソ連に引き渡す」などが決められた。ドイツが無条件降伏した約3ヵ月後の昭和20年8月9日、ソ連は「日ソ不可侵条約」を一方的に破棄し参戦したのだった。

 歴史を紐解く上でも、そしてソ連の北方領土への侵略と不当性を知る上でも、ソ連参戦を要求した米英主導のヤルタ秘密協定の内容を暴き、その不当性が明らかにすることで「日本悪玉論」も根底から覆ることとなるだろう。

※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。

《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。

cordial8317 at 02:52|PermalinkComments(0)

2016年08月18日

「核保有国になれないという日本の憲法は我々が書いたものだ」

 米国のバイデン副大統領が、我が国の核武装を容認する共和党トランプ候補を批判する中で、「核保有国になれないという日本の憲法は我々が書いたものだ」と発言した。核保有どころか、自らの防衛をも否定しているのが現日本国憲法である。

 このバイデン副大統領の発言に対し、ワシントンの日本大使館は「現行憲法は帝国議会で十分に審査され有効に議決されたものだが、占領軍の強い影響の下に制定されたものだと考えている」との声明を出したが、反論なのか同意なのか中途半端。

 現憲法を「押し付け憲法」と言うのは容易いが、現実は大日本帝国憲法第七十三条に拠る改正であり、であるならば第九十六条や第九条の部分改正という姑息な手段ではなく、大日本帝国憲法の復元・改正こそ我が国の執るべき道である。

 昭和二十年十一月三日の、日本国憲法公布式に於いて昭和天皇は、「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。御名御璽」と裁可なされた。

 当時、我が国は連合国の占領下に在り、当時の政府にしてみれば不本意ではあるが、「天皇」条項存続の見返りに米国の様々な条件を呑まざるを得なかった。

 現憲法の成否は別として「自由主義」「民主主義」「人権尊重」「平和主義」であり、今日の基を築いたと言っても好いだろうが、逆に失ったものは多い。「礼節」「長幼の序」「忍耐・我慢」「滅私奉公」「信義」「忠義」・・・数え切れない。

 これら全てが憲法の所為なのかは分からないが、日本人はいつの間にか利己的なことを恥じない人間ばかりが殖え、自己犠牲の精神などは皆無に等しいくなってしまった。自分を犠牲にして他人に尽くすことこそ日本人たる所以であり美徳美風なのだが、今や心の中の高貴さを失い、高邁な知性の磨きを様を忘れてしまった。

 想えば、我が国は戦前と戦後では全く別な国になってしまった。無条件降伏した日本は米国の51番目の州になっても不思議ではなかったが、第二次世界大戦後の帝国主義の崩壊で免れただけ。その代わり米国は徹底した教育改革を行った。

 その徹底した教育こそ「戦後民主主義教育」であり、その戦後民主教育は米国が意図した以上の効果を上げ、現在もあらゆる処に影響を及ぼしている。中でも、未だその戦後民主主義に侵されてる日本人というのは、米国の洗脳下に在りながら「反米」を掲げつつ、現憲法に関しては米国製の憲法を金科玉条の如く有り難がる。

 護憲派の認識は概ねこんな感じ。第九条を「我が窮状」と歌う護憲派歌手の「ジュリー」こと沢田研二は「アメリカから与えられた憲法だという人がいるが、世界に誇れる宝物だと思う。特に惹かれるのは戦争を放棄するという部分。やられたらやり返すじゃない。日本人の宗教観で受け入れられる感覚だと思う」と宣う。

 憲法9条の「戦争放棄に関する条項」は「不戦条約」がその源であり、日本や米国、英国、仏国、伊国など多くの国が締結している。然し、戦争放棄の国際条約を結んでから、世界は皮肉な事に条約とは全く正反対の道を歩んで往ったのである。

 平和主義を憲法で謳っている国は80ヶ国以上在り、イタリア、スペイン、ハンガリー、エクアドル、フィリピンは日本と同じ規定が在る。 沢田ら護憲派というのは、「世界で唯一の平和憲法」と賛美しているが、それこそ日本人の奢りと、無知以外の何ものでもない。「護憲」とは正に「誤憲」というのが正しい。

 戦後民主主義者というのは自分の考えに拘泥する余り、他人の意見に全く聞く耳を持たない。「誤憲」「人権」「平和団体」などの左翼らに共通するものは、物事の見方が薄っぺらで実に腹立たしいものが多過ぎる。副大統領の発言を機に、占領下で謀られた日本弱体化政策と、国内外に蔓延する東京裁判史観を払拭せよ!

※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。

《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。

cordial8317 at 08:15|PermalinkComments(0)

2016年08月16日

日韓両国の愛国パフォーマンスはもう嗤うしかない!

 今日の産経新聞の主張を読んでぶったまげた。「戦後71年の終戦の日、東京・九段の靖國神社に多くの人が参拝に訪れた。国に命を捧げた人々の御霊に改めて哀悼の意を表したい」という。英霊に感謝の誠を捧げることは今を生きる我々の務めであり義務でもあるが、靖國神社は英霊の死を悼み悲しむ場ではない。

 靖國神社は英霊の功績を顕彰する社であり、戦前は国民が護国の英霊に感謝し、崇敬の誠を捧げて来た。殊に特筆すべきは、靖國神社の大祭に限り天皇陛下が御親拝せられた。聖恩無辺、英霊並びに遺族にとっての感激と光栄これに優るものはなし。

 安倍首相に「何故に直接参拝しないのか」と疑問を投げかける。だが、中韓からの抗議に屈するなというのは心情的には理解するが、その対抗手段として靖國神社を政治利用するのは如何なものか。政治家の参拝なんぞはっきりいってどうでも好い。

 陛下の御親拝を実現させ、英霊の御霊を鎮めることこと大事である。保守を標榜する産経新聞がこのレベルなのだから厭きれるしかないが、産経新聞というのは保守というより、営業左翼の朝日新聞の対極に在る営業右翼、営業保守というのが正しい。

 閑話休題。韓国の国会議員団が竹島に上陸した。こうした「反日」を掲げる愛国パフォーマンスは嗤うしかないが、保守票を目当てに靖國神社に参拝する我が国の政治家らとどっこいどっこい。「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」が参拝したが、国会議員衆参合わせ700名以上いる中でたった67名とは情けない。

 これで「みんな」とは口が塞がらない。とっとと解散した方が好い。相変わらず日本政府は「極めて遺憾」と抗議しながら、議員団の行動と政府の認識は違うと大らかさも見せているが、「光復節」の竹島上陸が恒常化する危険も孕んでいる。

 周辺有事を想定する上でも、竹島問題を国際司法裁判所に提訴し、白黒付ける段階に来ている。 韓国が主張する根拠は、「三国史記」という古代朝鮮の歴史書に、「鬱陵島の隣の干山島が新羅の領土」と書かれていることに帰着する。

 4~5世紀から韓国領だったというのだが、古地図では干山島は鬱陵島の西に接近していて、竹島は鬱陵島の東南92キロに在るのだから、干山島が竹島ではないことは自明の理であろう。この事実は、考えることが出来る人なら誰にでも理解出来るのだが、他人の話に耳を貸さない頑迷固陋な韓国人には理解出来ない。

 抑抑、李氏朝鮮時代には鬱陵島すら空島政策によって居住が禁止されており、それより遥か先の島のことなど関心も認識も無かった。日本では徳川時代から魚採などが行われ、幾度も渡航していた事実があり、竹島は明らかに日本領土と言えよう。

 竹島問題を紛らわしくしているのは、日本ではその昔には「鬱陵島」を「竹島」と呼んでいたということぐらいなものなの。 昭和29年9月25日、日本政府は、この問題を国際司法裁判所に付託することを提議したが韓国側が拒否して頓挫した。

 韓国政府は未だに応じていないが、応じていないというより、応じられないというのが本音だ。韓国には譲歩してやることの無意味さを知るべきだろう。

※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。

《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員は300000円~。

cordial8317 at 07:59|PermalinkComments(0)

2016年08月15日

靖國神社は追悼施設ではなく英霊の顕彰を重んじている社である

 本日は「終戦記念日」とされているが、間違いである。終戦の詔勅(玉音放送)が渙発された日であって、正式には「戦没者を追悼し平和を祈念する日」である。終戦を記念するというのならば、主権が回復した昭和27年4月28日が相応しい。

 保守票欲しさの政治家を始め、全国から自称・愛国者や営業保守や右翼団体が靖國神社に参集し、英霊に哀悼の意を表する。「哀悼」とか「追悼」とは死者の生前を偲び、その死を悼み悲しむことであるが、靖國は追悼の施設ではなく、英霊の顕彰を重んじている社であることを理解していないからこんなことが罷り通る。

 何度でも言おう、靖國神社は追悼施設ではありません!

「顕彰」とは、隠れた功績や善行などを称えて広く世間に知らせることであり、英霊の顕彰ということを重んじるなら、仰々しく所謂「終戦記念日」に合わせて靖國に赴くことが重要ではなく、あの左右入り乱れての喧騒は逆効果の方が大きい。

 未だ東京裁判史観に冒され、「終戦」の意味を穿違え、先の大戦の終戦を思い出として残そうと「記念」するなど笑止千万である。こうしたことでも我が国は「終戦」とは名ばかりの、未だ主権快復も出来ていない幼冲国家だと痛感する。

 抑抑、戦争犯罪とは、ハーグ陸戦法規やジュネーブ条約に規定される、「捕虜に対する人道的取り扱い」や「無防備地域に対する攻撃の禁止」など、戦闘行為に於ける将兵の「国際法違反」を問うものである。終戦当時の国際法では、戦争を遂行した国家の主導者が個人的に犯罪者として裁かれることは赦されるものではない。

「国際法」の直接的指導・命令者で無い限り同様である。東京裁判では被告の方々は「平和に対する罪」「人道に対する罪」と称する事後法で裁かれたのである。事後法は近代法治主義が最も忌み嫌う行為である。「平和に対する罪」や「人道に対する罪」が正当ならば、米国の原爆投下やロシアの蛮行も断罪されて然り。

 東京裁判の目的は明らかに勝者の敗者に対する見せしめであり、復讐であり、日本は「悪」であるという虚構の観念を植え付ける為の茶番劇であった。

 所謂「終戦記念日」は、GHQは敢えて玉音放送が在った日に制定し、先の間違った侵略戦争から恰も解放されたという認識を植え付けることに成功したが、これは、韓国の日本軍国主義から解放されたという「光復節」大して変わらない。

 東京裁判で日本側の米国人弁護人・ブレイクニーは「広島・長崎への無差別殺戮兵器の原子爆弾の投下を命じた者に被告らを裁く資格は無い」と叫んだ。同じ米国人弁護人のローガンは「欧米から経済的、軍事的に追い詰められた結果の日本の自衛戦争である」と指摘している。インドのパル判事は被告の「無罪」を主張した。

 必要なのは冷静且つ客観的に、そして科学的且つ公平に先の大戦の是非を明らかにすることが肝要で、「靖國神社にはA級戦犯が祀られている」だとか、「戦争犯罪人を祀るべきではない」だとか、そうした詭弁を弄したところで意味はない。

 日本人自らが、また法的に復権させた政治家自らが「A級戦犯」「B・C級戦犯」「戦争犯罪人」などと呼称しているのは実に情けなく、日本人の精神的貧困さを示す典型的なものだろう。刑死・獄中死された方は戦犯などではなく「法務死」である。

 靖國神社では「昭和殉難者」と称する。所謂B・C級戦犯は1068名、それ以外リンチに等しいもので亡くなった方が約100名が祀られている。東京裁判の茶番劇で、或いは外国の地で不当に処刑されたこの方々の命は決して軽いものではない。

 我が国の政治家は「反省」を述べ「謝罪」を口にするが、そんなに詫びたいなら腹を切って詫びなさいな。「戦犯」の汚名を着せられ、不当な判決を諒として罪を償ってくれた英霊の悲劇の現実を、今を生きる我々は決して忘れてはならない。

 感謝の誠を捧げるなら未だしも、靖國は追悼施設ではない。今日は、甲子園でも正午の時報に合わせ黙祷が捧げられる。別に靖國に詣でることだけが立派な事ではありません。今立つ処で心静かに祈り平和に感謝することこそ大事なのである。

※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。

《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員は300000円~。

cordial8317 at 08:03|PermalinkComments(0)

2016年08月14日

8月15日に靖國神社に参じる営業保守や自称愛国者の懲りない面々

 今年も8月15日がやって来る。また靖國神社周辺での厭な姿を目にすると思うと憂鬱でもある。8月15日の参拝が保守派を標榜する政治家や自称・愛国者らの踏絵の様になってるが、これこそ贔屓の引き倒しそのものであり、英霊への冒涜でもある。

「終戦記念日」と浮かれているが、要は「戦争が終わって好かったね」ということで、「だって間違った侵略戦争だったんだもの」ってな感じなのだろう(笑)

 8月15日は終戦ではない。そうしたことに違和感を覚えず、「我こそは愛国者なるぞ!」と終戦記念日に靖國に集まって来る連中を見ると滑稽にしか見えない。

「終戦記念日」という呼称を使い続けてるが、この呼称こそGHQの洗脳そのもの。昭和天皇の御聖断に拠り、ポツダム宣言受諾が決定されたのが昭和20年8月14日であり、8月15日は終戦の詔勅(玉音放送)が渙発された記念日というだけのこと。

 我が国の「終戦の日」は、GHQの占領統治から解放され、我が国の主権が回復した昭和28年4月28日である。大日本帝国政府がポツダム宣言による降伏文書に調印した日は9月2日であり、連合国はその翌日3日を対日戦勝記念日としている。

「終戦記念日」という呼称は、GHQに因る戦後民主主義教育の最たるものである。8月15日が「戦没者を追悼し、平和を祈念する日」であるならば、「終戦記念日」というよりも「平和祈念日」との呼称の方が相応しいと思うが如何だろう。

 8月15日に政治家らが靖國神社へ参拝することが然も当然の様になってるが、それ以前の総理大臣は、春秋に斎行される例大祭に詣でるのが恒例だった。8月15日に靖國神社へ参拝したのは中曽根康弘だと思ってるのは「公式参拝」の影響であるが、総理大臣乍ら「私人」として参拝しているのは三木武夫が最初である。

 未だに続く、「公人か私人か」との論争は、この三木の所謂「終戦記念日」での参拝がきっかけである。三木の後に福田赳夫が「私的」参拝したが、中曽根が「公式参拝」したことで、その後、靖國神社が政治利用される様になって行った。

 偉そうに公式参拝していながら、それから間もなく中共から抗議されると、中曽根は反論することなく、申し合わせたかの様に「公式参拝」を取り消して謝罪するに至った。その理由を、中曽根は驚くことに、当時の中国共産党書記長で「知日派」と言われた「胡耀邦の失脚を防ぐ為のものである」と平然と答えている。

 初めから所謂終戦記念日である8月15日の公式参拝には抗議が来ると読んでのマッチポンプだったというのが正しい。中曽根のこの謝罪に因って、歴代続いた靖國神社への公式参拝が途絶えたばかりか、陛下の御親拝も憚れる様になってしまった。

 この終戦記念日の靖國神社への参拝を利用したのが小泉純一郎。党総裁選に立候補した小泉は「如何なる批判があろうとも8月15日に靖國神社へ参拝する」との言葉は多くの国民を喜ばせた。だが、結果は靖國を政治利用し混乱を招いただけだった。

 正に、中曽根の所謂終戦記念日である8月15日の参拝に因って、靖國神社は更に政治問題化され、その後の内閣の悪しき前例となってしまった訳だが、これこそが中曽根の狙うところであり、中曽根が国賊と断じられる所以でもある。

 中曽根の大罪を列記すれば、歴代続いた靖國神社への公式参拝を、中共・韓国のイチャモンに屈し取止め、その後の内閣の前例になったことは言うまでもない。

 中曽根の売国というのは枚挙に暇なく、その中でも「シナ人就学生10万人計画」に拠って日本をシナ人の犯罪天国にし、日本国内の刑務所をシナ人犯罪者で満員にしたことでも万死に値する。現在、シナ人留学生には一人当たり、年間250~300万円の予算が組まれ、学費は免除、月々の生活費も保証されている。

 4年間で平均1051万円もの血税が使われ、その予算は約2600億円に以上に及ぶ。こうしたシナ人への優遇措置が為される契機になったのが、中曽根の「終戦記念日」の靖國神社への公式参拝だったのである。保守派や自称・愛国者や右翼団体が8月15日に参集するが、これ正に中曽根から続く靖國神社冒涜運動の継承である。

 8月15日は、「国民一人一人が夫夫の場所に於いて戦没者を偲び、心から黙祷を捧げる」ことが大事で、何も靖國神社に出向くことが大事なのではない。現在の平和や繁栄が戦没者の犠牲の上で成り立っていることは分かるが、先の戦争で犠牲となられたのは、戦陣に散り靖國神社に祀られている英霊の方々だけではない。

 原爆投下や東京大空襲を始め全国への空襲。暴行や陵虐などに因って亡くなられた方々も多く、所謂「終戦記念日」に保守派や自称・愛国者らが靖國神社のみに拘れば拘るほど、そうした風潮に違和感を持つ国民がいても不思議ではない。

 九段での左右入り乱れての喧騒は感心しない。8月15日とは遺族の日であり、遺族が心静かに詣でる環境を整え、陛下の御親拝を仰ぐことこそ願うべきである。

※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。

《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員は300000円~。

cordial8317 at 05:55|PermalinkComments(0)

2016年08月10日

民草として畏れ多いことではあるが「生前退位」に物申す

 今上陛下が「譲位」を御示し遊ばされたとの報道には違和感を覚える、というか違和感しかない。民草として畏れ多いことではあるが、陛下の御言葉を忖度するならば、「天皇は天皇で在り続ける」との強い御決意にも感じられる。

 歴代天皇の中で在位期間が62年、宝算87年という長寿であらされた昭和天皇は、敗戦・占領という亡国の縁にあっても御退位遊ばされなかった。御不例の中では国事行為や祭祀を、当時の皇太子殿下であった今上陛下が代行なされた。

 陛下が摂政を置くことに否定的なのは、昭和天皇を輔佐した御自らの経験上のものであり、喩え臥しても天皇は天皇で在るとの御覚悟の顕れである。

 昭和天皇が崩御遊ばされ、即位なされた今上陛下は「昭和天皇のこころをこころとされる」とその決意を国民に語られた。マスコミは畏くも陛下が「生前退位」を示されたという認識の上で報じているが、昭和天皇の御公務や祭祀に照らしても、「生前退位」は整合性に欠けている。今回の御発露は「生前退位」の報が一人歩きしていることを危惧された陛下が、そうした天皇としての想いを語られたと理会する。

 天皇陛下の御意向で退位出来るのが可能なら、同時に、皇位継承者の御意向により即位を辞退出来ることも可能になる。共産党の「天皇制廃止運動」の戦略は、マスコミなどを使って国民世論を誘導し、「開かれた皇室論」や「敬称・敬語不使用運動」「女性天皇論」「女性宮家」など様々なカタチで実行されているが、皇族を脅迫し、退位させ、即位を辞退させ天皇位を廃止させるという策謀も考えられる。

「生前退位」の報を訝しく思うのは、反天皇勢力の策謀が裏に潜んでいるからで、昨今ネット上などで見られる皇太子妃殿下への誹謗中傷は、皇太子殿下即位辞退への布石ではとさえ思えて来る。この地ならしの結果、天皇陛下が若し譲位遊ばされれば、皇太子殿下即位に当たり、妃殿下へネガティブキャンペーンはその激しさを増し、皇太子殿下が御即位され難くなるだろうことは想像するに余りある。

 実に、共産主義者に因る「天皇制廃止運動」は巧妙且つ陰湿になっている。陛下は、「象徴としての行為を限りなく縮小して行くことには無理があろう」との考えを御示し遊ばれたが、これは現憲法を改正されない限り、国事行為の縮小は不可能ということを理解しているからに他ならない。憲法第一章こそ見直すべきだ。

 天皇は憲法上の制約から、国事行為ぼ「国会の開会式」「首相や最高裁長官の親任式」「大臣の認証式」「親授式」など年間約60回、国賓・公賓への接遇や会見、会食などの御公務を約170回務められる。正に陛下の御公務は激務であり、この国事行為が陛下の御負担になっている。天皇の「国事行為」については現憲法では定められているが、「公的行為」は「私的行事」とされ現憲法には明文化されていない。

「陛下の負担軽減の一環」とは聞こえは好いが、天皇にとって最も大事なものは国事行為ではなく「祭事」であるのは言うまでもない。だが、今や、歴代天皇が古来より司って来た祭事は、GHQの神道指令と現憲法によって天皇家の「私事」にされてしまい、戦後改定された皇室典範にも「大嘗祭」の規定は存在していない。

 天皇は憲法以前の御存在であるのは言うを俟たない。然し、「神道指令」を謀るGHQは昭和22年、皇室典範を改悪し、天皇の御存在を法律の配下に置いたのは歴史が証明するところ。つまり、今上陛下の即位の礼であった「大嘗祭」も、譲位後に行われるであろう皇太子の大嘗祭もまた憲法違反に問われてしまうものなのだ。

 こうしたことでも如何に現憲法というものが、天皇を族長と仰ぐ我が国の正統にとって悉く歪なものであるかが理解出来よう。憲法改正というと第9条ばかりが取り上げられるが、喫緊に見直しが必要なのは第1条を始めとした「天皇」の条項であり、現憲法の不当性を明らかにし、改憲や自主憲法制定の突破口とするべし。

 また皇室典範は、神武肇国以来明らかに定まっている皇家の遺訓を成典にしたものであり、皇室典範は「法律」ではなく「皇家の成典」、つまり「天皇家の家訓」であるというのが正しく、旧皇室典範に戻し、陛下に奉還しなくてはならない。

 明治22年2月11日の紀元節に、明治天皇は大日本帝国憲法(欽定憲法)施行の際に下し給える憲法発布勅語の中で「惟フニ我カ祖我カ宗ハ我カ臣民祖先ノ協力輔翼ニ倚リ我カ帝国ヲ肇造シ以テ無窮ニ垂レタリ此レ我カ神聖ナル祖宗ノ威徳ト並ニ臣民ノ忠実勇武ニシテ国ヲ愛シ公ニ殉ヒ以テ此ノ光輝アル国史ノ成跡ヲ貽シタルナリ」と思召し遊ばされた。この天孫降臨の御神勅の精神の継承は今上陛下の想いも同じであり、我々日本人が忘れてはならない万古不磨の大原理大原則である。

 陛下は「天皇は天皇で在り続ける」との御言葉を拝しているではないか。昭和天皇の例に倣い、皇太子殿下及び秋篠宮殿下が陛下を輔佐する環境を整えるべし。

※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。

《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員は300000円~。

cordial8317 at 05:10|PermalinkComments(0)

2016年08月09日

「日本にこれほどの力があったのならもっと早く言って欲しかった。日本人は外交を知らない」

 中共海警局の公船が尖閣諸島の領海に二日連続で侵入。公海の数は15隻に殖え、周辺では中国漁船約300隻が恫喝的な航行を続けている。

 何故に今、尖閣諸島なのか。要は、こうした動きは南シナ海での人工島建設などの中共の主張がオランダハーグの仲裁裁判所で「法的根拠はない」との判決を受け、国際的世論の沈静化と目眩しに東シナ海にシフトした様に見せかけているだけに過ぎない。

 支那には古より「声東撃西(せいとうげきせい)」(兵法三十六計第六計)という戦略がある。

 「東に声して西を撃つ」の意味で、要は、東で声を発してそちらにいると見せかけ、実際は西を撃つ戦術。敵に対しては弱小のように見せかけて誘い出し、堅強な兵で迎え撃つ。西に領土を広げようとするなら、先ずは東に進むというのが支那戦史の鉄則である。

 こうした行動は中共得意のパフォーマンスだが、こういう確信犯に「遺憾の意」を表したところで意味はなく、海上保安庁を引き上げさせ、海上自衛隊による領土防衛を図らねばならない。

 中共の目的はあくまでも南シナ海であり、尖閣諸島に目を向けさせて、南シナ海の要塞基地は着々と整備されて行くだろう。

 南シナ海が中共に占有されれば、我が国にとっての最重要なシーレーンの封鎖も容易になり、尖閣や沖縄よりも我が国自体が中共に無血開城の如く併呑されてしまう危機を孕んでいるのだ。

 以前、安倍総理は、所謂「セキュリティダイヤモンド構想」を訴えた際に、「南シナ海は北京の湖となって行くかの様に見える。アナリスト達が、オホーツク海がソ連の内海となったと同じく南シナ海も中国の内海となるだろうと言う様に」と南シナ海の現状を嘆いた。

 更には「南シナ海は、核弾頭搭載ミサイルを発射可能な中国海軍の原潜が基地とするに十分な深さがあり、隣国を恐れさせるに十分である」と危惧したが、それが今や現実のものとなってしまっている。

 こうした認識の上に立てば、東シナ海や南シナ海での中共の覇権主義に我が国が屈してはならない最大の理由が其処に在る。

 また、斉の威王が軍師・孫臏の献策により、魏が趙を攻撃している最中に魏の都を急襲して趙を救ったという故事、「囲魏救趙(いぎきゅうちょう)」(兵法三十六計第二計)という戦略もある。

 敵を集中させるよう仕向けるよりも、敵を分散させるよう仕向けるのが良いとされ、敵の正面に攻撃を加えるよりも、敵の隠している弱点を攻撃する策をよく使う。つまり、中共からすれば、我が国にとっての弱点は尖閣諸島なのだ。

 敵を一箇所に集中させず、奔走させて疲れさせてから撃破する戦術で、支那の戦史にはこうした戦略、謀略が実に多い。

 尖閣諸島でのデモンストレーションを見ると、中共の真の狙いは尖閣ではなくて南シナ海であり、西沙諸島と見せかけて南沙諸島の完全制圧だろう。

 余談だが、1941(昭和16)年12月10日、マレー半島クァンタンの沖合いで、 英国が誇る戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスの二隻が日本軍によって撃沈され、チャーチルはこう振り返った。

 「日本にこれほどの力があったのならもっと早く言って欲しかった。日本人は外交を知らない」

 ある意味嗤える話しではあるが、昭和16年12月10日といえば真珠湾攻撃から二日後のこと。つまり、我が国が正しく外交を行っていれば大東亜戦争は回避出来たかも知れないということだ。

 我が国をナメきってる中共と外交交渉を図る上で大事なことは、我が国の自衛隊の戦闘能力の高さを教えてやることだ。

 「日本にこれほどの力があったのならもっと早く言って欲しかった。日本人は外交を知らない」とはもう言わせてはならない。

cordial8317 at 05:04|PermalinkComments(0)

2016年08月08日

領土とは国家そのものであり、その国家なくして国民の生命・財産の存在する根拠が失われる

 尖閣諸島周辺で中国共産党による恫喝行為が繰り返され、また同じ東シナ海の日中中間線で天然ガスの盗掘を強行した。不法に設置した海洋プラットホームは南シナ海での人工島と同じく、拡張されれ軍事拠点化するのは火を見るより明らか。

 領土とは国家そのものであり、その国家なくして国民の生命・財産の存在する根拠が失われるということを自覚すべし。島の帰属を巡る戦いというと、1982(昭和58)年4月2日、アルゼンチン軍事政権が英国が実効支配しているフォークランド諸島に侵攻した、「フォークランド紛争」を思い浮かべる人も多いだろう。

 サッチャー英政権(当時)は、直ちに空母2隻を主力とする部隊を7000マイルも離れたフォークランド諸島海域に派遣し応戦。約2ヶ月後の6月14日、アルゼンチンが降伏したが、この紛争での死者は約900人、負傷者は約1800人を出した。

 サッチャーの強硬な姿勢に拠るフォークランド島の奪還で、多くの英国軍人の犠牲を払ったが、英国国民からの評価が極めて高い。抑々、フォークランド諸島はアルゼンチンの猟師などが嵐などからの避難の為に使用していた島だった。

 だが、植民地化全盛時代、英国が軍事占領し実効支配したという歴史的経緯を持つ。 以来、領有を巡って両国の諍いは絶えず、「歴史的に我が領土」と主張し続けた結果、紛争に至ったのだが、紛争後も領有権の問題は解決してはいない。

 尖閣列島も竹島もアルゼンチンの漁師らと同じく、日本の漁師らが実際に使っていた島だ。若し他国に実効支配されれば、フォークランド紛争での英国の立場は中共や韓国となる。領土問題を抱える我が国にはアルゼンチンの立場は他人事ではない。

 世界では寸土と雖も主権の恢復には戦いをしてまで死守すべきものなのだが、我が国にその覚悟は在るや無しや。 サッチャーは「人命に代えてでも我が英国領土を守らなければならない」と述べ、不退転の決意を示したが、安倍総理にしろ岸田文雄外務大臣や稲田朋美防衛大臣に試されるのはこうした国益への気概と認識である。

 余談だが、1941(昭和16)年12月10日、マレー半島クァンタン沖で、 英国が誇る戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスの二隻が日本軍に撃沈された。チャーチルは日本の外交について「第二次世界大戦回顧録」で次の様に語っている。

「日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。 しかし、これでは困る。反論する相手を捩じ伏せてこそ政治家としての点数が上るのにそれが出来ない。それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は今まで以上の要求をしろという。無理を承知で要求してみると今度は笑みを浮かべていた日本人は全く別の顔になって、『これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことをいうとは貴方は話の分からない人だ。事ここに至っては刺し違えるしかない』と言って突っかかってくる。日本にこれほどの力があったのならもっと早く言って欲しかった。日本人は外交を知らない・・・」

 ある意味で笑える話しではあるが、正鵠を射た言葉だろう。「遺憾の意」なんぞ、中国共産党には通じないどころか、逆に付け込まれバカにされるだけのこと。

 我が国をナメきってる中共には、我が国の自衛隊の戦力の高さを認めさせることが大事である。そういう意味でも不法行為に対しては断固として抗議し、「戦争を辞さない」という強固な意志と覚悟で外交交渉に臨まなければならない。

※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。

《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員は300000円~。

cordial8317 at 06:09|PermalinkComments(0)

2016年08月04日

石原伸晃自民党東京都連会長「全責任は谷垣幹事長」だと責任逃れ(苦笑)

 久しぶりに最低の男を見た。石原伸晃がそう。この男、記者会見で、東京都知事選で自民党の推薦した候補の大敗を受けて、都連会長を辞任する意向を述べた。

 どうせ辞めるのだから都連会長として「全責任は私に在る」といえば好いものを、あろうことか「全責任は谷垣幹事長」だと責任逃れ。知っての通り谷垣禎一幹事長は、サイクリング中の頸椎損傷で恐らくは政治家生命も潰えたと思う訳で、そんな病床にある谷垣幹事長にその責任を押し付けるのは卑怯という他ない。

 伸晃は、小池百合子が推薦状を取り下げたことを根に持って、「人間じゃない!」と扱き下ろしたが、伸晃こそ人間として、否、日本人の男としての最低限の美学も持ち合わせていないサイテーな野郎ではないのか。山本五十六はこう訓えた。

「苦しいこともあるだろう。言い度いこともあるだろう。不満なこともあるだろう。腹の立つこともあるだろう。泣き度いこともあるだろう。これらをじっとこらえてゆくのが男の修行である」。要は、伸晃というのは親の七光りで政治家になっただけの能無しの修行不足の盆暗(ボンクラ)男というのが正しい。

 こんなのが安倍首相の盟友であり、現職の大臣だというのだからホント厭きれる。谷垣幹事長が若し事故に遭わず、選挙戦を戦って増田候補が勝つことになったなら、その功績は谷垣ではなく東京都連会長の伸晃が頂くことになっただろう。

 大体、大きな敗因は小池が糺した通り、自民党東京都連幹事長の旧態依然の陋習であり、それに苦言も呈せない伸晃ら幹部の為体と、選挙後半での石原慎太郎の「厚化粧の大年増」発言が響いたのが要因で、オヤジの暴言も谷垣の責任か(笑)

 選挙の結果を否定してるが、有権者の判断をナメるなっての。言い訳がましく、「知事選は党本部マター(問題・事項)だ。カネも党本部が集めた。責任は谷垣幹事長だ」などとは開いた口が塞がらない。何がマターだっての。この男の失言と器量の無さはオヤジ譲りだが、学習能力に乏しいのはホント救い様がない。

 伸晃といえば、除染廃棄物を補完する中間貯蔵施設建設を巡り難航している福島県側との交渉について、「最後は金目でしょ!」とつい本音を吐露し、環境相を更迭されたことは記憶に新しい。安定した支持率を維持していた安倍政権だったが、この石原の発言が野党の政争の道具に使われた結果、安倍政権の支持率を下げた。

 人の本性というのは切羽詰まった時に顕わになるもので、伸晃というのは所詮はこの程度のチンケな男なのだ。安倍首相は伸晃を留任させたが、こうした卑怯な男が大臣に居座ることに違和感を覚える国民は多く、都知事選もその結果である。

※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。

《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員は300000円~。

cordial8317 at 06:01|PermalinkComments(0)

2016年08月03日

徒然なるまゝにその日ぐらしシリーズ(笑)

 政治ネタにも厭きたので、久々に「徒然なるまゝにその日ぐらし」シリーズをアップしてみる。コジマ電気で100円パソコン(ipod付き)を購入し、啓蒙活動とディベートの練習の一環としてmixiをやり出したのは今から8年程前のことだった。

 何が愉しいのか全く分からずいたが、友人から「ニュースに書き込むと反響がありますよ」教えられ、書き込んだ。最高記録は飯島愛が亡くなった際に書き込んだコメントへの反論で、1時間で数万人が閲覧し、数十人から抗議が来たっけ(笑)

 最初の頃はネット右翼だろうと断定され、左翼やネット右翼を毛嫌いする自称・愛国者らから次から次と反論が寄せられたが、その全てに対抗し論破した。

「いや、まさかリアル右翼の方とは存じ上げず・・・」「右翼というと理論も無い朝鮮右翼ばかりだと思っていました」などのコメントを貰ったりもした。mixiの匿名の世界にうんざりし憩息した。twitterは短い文ながら参考になるものが多い。

 その後、備忘録と時局批判を兼ねブログを揮う様になり、今は食べ歩きブログと地元ネタのブログの3つを綴り、facebookにも参加している。SNSでは同じ様な意見に同じ様なコメントを見かけるが、そんなんで愉しいのだろうかと思ったり。

 保守派にしろ、右翼にしろ、左翼にしろ、仲間内で同じ様な意見を共有し、互いに褒め称えて悦に入る姿は滑稽にさえ思える。こうした上辺だけの付き合いというのはホント苦手だ。尤もこういうのがSNSなのだから仕方がない(笑)

 閑話休題。国士舘大学入学して直ぐ、長崎県出身の4年生の上田崇仁という先輩に「全日本愛国者懇親会」に拉致されたのが右翼人生の始まり。考えればこの上田こそが、その後の愚生の人生を破天荒なものにしてくれた張本人と言って好いだろう。

 爾来、趣味は「右翼」だった。今では渓流釣りなどの趣味あるが、現役時代には趣味は何も無し。精々酒飲みくらいなもので、それは今も変わらないが(笑)

 右翼で人生を棒に振ったと言えばそれまでだが、サラリーマンでは出来ない体験をし、無職ながらサラリーマンの生涯収入も疾うの昔に稼いだが、その全てを活動と酒呑みで費やした。そんな右翼人生も捨てたものではなかったのも事実である。

 地元郡山市の名物で日本三大饅頭の「柏屋の薄皮饅頭」というのがある。その先代社長である本名善兵衛の金言に「人生を棒に振る」というのが在る。

 行きつけの寿司屋に掲げられてた日捲りの諺集の中に、この「人生を棒に振る」言葉を見付け、訝しげに読んでみた。何やら、就職活動も終わった大学時代のある日、同級生から「本名、おまえは饅頭屋で人生を棒に振るのか」と言われたそうだ。

 考えてみれば、長嶋や王選手高が野球で人生を棒に振った。野球さえやらなかったら別な幸せがあったかも知れないが、その野球に打ち込んだから成功した。そこで本名社長は、「(自分には)饅頭という、人生を全て熱中出来るものがあるというのは幸せなのだ」との考えに至り、「饅頭で人生を棒に振ろう」と稼業に専念した。

 愚生も「右翼で人生を棒に振った」などと言われもする。父親の言う様に消防士になってたらと思ったりするが、人生の30年余りを右翼活動に没頭出来たことは貴重な経験だった。皆さんには、人生を棒に振る様な熱中出来る何かがありますか?

※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。

《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。

cordial8317 at 06:11|PermalinkComments(0)

2016年08月02日

小池百合子の大勝利は旧態依然の自民党選挙の終焉を意味する

 東京都知事は予想通り小池百合子で決まった。マスコミは「小池ややリード」としてたので、大方10ポイント位の差だろうと思ってたがその大差には驚いた。

 予定されていた安倍首相の応援演説が取り止めた時点で勝負あり。民進党の岡田の突然の辞意表明も前以ての票読みで驚愕の結果を知ったからだろう。

 小池の勝利は陋習蔓延る旧態依然の自民党政治の終焉を意味している。これを機に創価学会票は当てにならないし、却って票を減らしているということを自覚するべきで、小池勝利が自公連立の終わりの始まりになることを祈るばかり。

 昨日、東京都知事選そっちのけで安倍首相と橋下徹ら「おおさか維新の会」との会合が行われたが、今後の政界再編の大きな流れとなるのだろうか。

 一方で、元在特会の桜井誠が全体第5位の11万票を獲得した。在日外国人への生活保護やパチンコ問題など、行政側の職務怠慢に因る問題点や違法行為など、マニアックな一部の者しか知らない現実を白日の下に曝した功績は大きい。

 今回の出馬で、巷間騒がれている「ヘイトスピーチ」なるものは朝鮮人への蔑視や差別というものではなく、実は日本人の心の奥底に在る獅子吼でもあったということが都民や多くの国民に理解されたのではなかろうか。これからはシバキ隊なんぞ相手にせず、大義ある政策を更に広めて行くことこそ大事だろう。

 余談だが。以前、右翼民族派のカリスマ・野村秋介が中心となり「風の会」を結成し参院選に打って出た。この時の獲得票数は22万4000票余り。だが、この大きなうねりを次に繋げることが出来なかったのは返す返すも残念なことだった。

 そういう意味でも桜井代表は今回のうねりを更に大きくする為に、次の都議会議員選にも多くの同志や支援者を出馬させて欲しいものだ。つ~か、それにしても、鳥越の得票は嗤うしかない。これもまたノスタルジック左翼の終焉だろうか(苦笑)

 自民党東京都連の会長が石原伸晃なら、民進党は党内保守派とされるインチキ保守で小沢信者の松原仁。松原も共産党と組んで保守派とは嗤うしかないが、共に同じ大田区の選挙区で政治センスの無さも石原も松原もどっこいどっこい(笑)

 今回の小池勝利の影の功労者は、何といっても「厚化粧の大年増」と罵った石原慎太郎だろう。この下手糞なブラックジョークが小池勝利の決定打となった。伸晃会長、このオヤジのオウンゴール的失言の責任はどうすんの。呵呵大笑。

※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。

《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員は300000円~。

cordial8317 at 05:30|PermalinkComments(0)