2016年07月

2016年07月30日

東京五輪や築地市場移転などでの内田茂らの暗躍を見ればその裏の実情というのが分かるというもの

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 画像は今や時の人となった自民党東京都連の内田茂幹事長と政治力皆無のバカ息子・石原伸晃東京都連会長。内田は某ヤクザの大親分と兄弟分だという。

 千代田区に建設が予定だった参議院議員宿舎を猪瀬(元知事)に潰され激怒した姿を見れば、東京都の利権の多くが内田と昵懇のヤクザに流れたであろうことは想像するに余りある。

 週刊誌などの情報に因れば、内田が都議会で実力を付け出したのは、石原慎太郎が都知事になってからだというが然もありなん。

 石原慎太郎は平成7年、勤続25年を祝う「掲額議員」の国会での記念講演に於いて、国会の機能不全と政治家の無能を糾弾し、政治の世界からの引退を表明した。

 だが、前言を翻し都知事選挙に出馬する。

 右翼現役だった頃、某右翼団体のS会長らとこの石原の都知事選出馬の話になり、「政治家の発した言葉は重い」として、都知事選出馬を翻意させようと石原の田園調布の自宅に抗議文を出したことがある。

 そして数日後、右翼団体の会長でありヤクザの親分でもある人物から愚生の上司のTに連絡が来て、話し合いをすることになった。

 何やら「石原は愛国者で思想的に右翼だから、こういう政治家が都知事になれば国も大きく変わる・・・」という。

 石原の何処が右翼で愛国者なのか理解し難いが、右翼の会長の認識これだもの右翼というのもホントいい加減なものだ。

 石原の売国性は昨日の記事の通りだが、話し合いは終始紳士的な対応で、微々たる(今ではデカいが)〇百万の協力金で和解した。

 これをS会長とT総隊長と愚生で三等分するのかと思いきや、何故か関係のない〇共新〇社のFに三分の一もやった御蔭で、企画・立案・実行した愚生の取り分は大きく減った。この分配は今でも納得していない(笑)

 仲介に入ったヤクザの親分にしてみりゃ「石原は愛国者で」というのは取って付けたりに過ぎない理由で、要は石原に義理を売って、知事就任後の利権に食い込もうという算段だったのだろう。

 内田のヤクザの兄弟分も、石原の仲介に入った親分も同じ東京都に本部を置く広域暴力団の人間で、東京五輪や築地市場の移転などでの内田らの暗躍を見ればその裏の実情というのが分かるというものだ。

 その後、掲額議員表彰で、国会の機能不全と政治家の無能を糾弾した石原は、いけしゃあしゃあと国政復帰したのは記憶に新しい。

 復帰した理由というのが実にふざけた話で「(息子の)伸晃が惨敗し期待が持てなくなったからだ」というから厭きれるばかり。

 伸晃に何を期待していたというのだろう。伸晃なんぞ何の実績も政治的哲学も何もないではないか。親バカも大概にしなさい(苦笑)

 今やその伸晃は自民党東京都連の会長で内田が幹事長。過去のこうした実情を見ればやはり都知事は増田じゃないと都合が悪い。

 そういう意味では小池が当選すれば、過去の多くの不正や都政の裏側が色々と暴かれるのではなかろうか。

 ってか、愚生も石原慎太郎都知事誕生の裏でのヤクザとのこんな経緯があったことを話しちゃってヤバいかもなぁ。

 でも、週刊文春が取材に来れば実名教えますよ。呵呵大笑。

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2016年07月29日

敗戦は必定なれど三春に倣うべからず。一族屍を野に曝すとも武士道と信義に殉ずべきである!

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 会津武士道の昇華を白虎隊に例えるのなら、二本松少年隊は正しく二本松武士道の昇華そのものだろう。

 慶応4(1868)年、西軍の会津征伐に於いて、二本松藩の家老・丹羽一学は「敗戦は必定なれど三春に倣うべからず。二本松は、城が灰燼に帰し、一族屍を野に曝すとも武士道と信義に殉ずべきである」と、藩論を徹底抗戦に纏め上げた。

 同年7月27日、木村銃太郎隊長(22)に率いられた少年隊士23名が蹶起する。会津白虎隊士の構成年齢が16~17歳だったことに対し、二本松少年隊の最年少隊士の年齢は僅か12歳。

 銃太郎の率いる少年隊は、城下西口の要衝である大壇口に布陣。

 7月29日午前9時頃、少年隊は隊伍を組んで進軍してくる西軍に向かい、銃太郎の号令一下、轟然と火を吹いた少年隊の大砲によって、終に戦史に残る激戦が開始される。

 だが、奮闘空しくその日のうちに落城してしまう。

 これを以て、二本松藩への罵詈を浴びせる歴史家もいるが、事実はそんな簡単なものではない。

 幕末の薩摩藩士で陸軍元帥の野津道貫は、回顧談で「兵数不詳の敵兵は、砲列を布いて我軍を邀撃するのであった。我軍は早速之に応戦したが、敵は地物を利用して、おまけに射撃はすこぶる正確で、一時我軍は全く前進を阻害された。我軍は正面攻撃では奏功せざる事を覚り、軍を迂回させて敵の両側面を脅威し、辛うじて撃退することを得たが、怨恐らく戊辰戦中第一の激戦であったろう」と語っている。(近世国民史)

 二本松藩には、代々「必殺を期すには、斬らずに突くべし」という刀法が伝わっている。

 これは、浅野内匠頭が吉良上野介を討ち漏らしたことを聞いた二本松藩初代藩主丹羽光重が、「何故、浅野公は斬りつけたのか。斬りつけずに突けばよかったものを!」と酷く悔しがったという由来から、爾来、二本松に於いては「斬らずに突け」が伝統となった。

 少年隊士・成田才次郎が、出陣の際に父から訓されたのも、この「斬らずに突け」だったという。

 その才次郎、大壇口から敗走中の混乱で隊士はバラバラになってしまい、単独で二本松城下の郭内まで戻るも戦意は尚も旺盛だった。

 「必ず敵将を斃してやる」

 そこで一の丁の物陰に潜んでいたところ、馬上豊かに立派な武士が一隊を率いてやってくるのが見えた。

 長州藩士・白井小四郎が率いる長州藩の部隊だった。

 才次郎、隊列が目前に来るまで充分に引き付け、此処ぞ!というところで大刀をまっすぐに構えるや、一気に先頭の白井に向って突進した。

 しかし、歴戦の長州兵は、この遮二無二突進する小さな刺客に即座に反応し、隊長を護るべく馬前に出る。

 「子供じゃ、手を出すでない」

 白井は、突っ込んで来るのが子供だと瞬時に見抜き、兵を制した。

 だが、それが徒となり、才次郎の剣は、狙い違わずこの敵将の脇の下から胸部を突き刺した。

 白井、どうっと落馬する。

 驚愕した長州兵らは慌てて才次郎を捕えようとするが、刀を振り回す才次郎に近寄ることも出来ない。

 已む無く鉄砲を使い、漸くこの小さな勇士を倒すことが出来た。

 このとき才次郎、14歳。

 現在、長州藩士・白井小四郎の墓が真行寺という寺に残っている。

 維新後の明治3年、長州藩から香華料として金二両が納められた。

 少年への一瞬の憐憫が自らの死を招いたこの将の墓前には、今でも多くの参詣者からの香華が絶えることはない。

 西軍が城下に迫ったと聞くや、城中にあった大城代・内藤四郎兵衛は、「我は城の主将たり、むなしく内に在って死すべきにあらず」と城門を開いて討って出、奮戦激闘の中、見事な最期を遂げた。

 四郎兵衛の最期は、二本松藩士の鑑と称されている。

 丹羽和左衛門は、床机に腰掛けて割腹し、膝上に広げた軍扇の上に自らの内臓を引き出して立亡していたという。

 徹底抗戦を唱えた家老・丹羽一学は、城の土蔵奉行宅で郡代見習・丹羽新十郎、城代・服部久左衛門と共に壮絶な割腹自刃を遂げた。

 「風に散る 露の我が身はいとはねど 心にかかる 君が行末」

 丹羽一学の辞世である。

 少年隊を始め、多くの二本松藩士や先人らは藩と己の名誉を守る為に堂々と戦い、そして潔く散った。

 こうした純真無垢な精神は、大東亜戦争で散って行った特攻隊の英霊の精神とと通ずるものが在るだろう。

 祖国を守る為に死を決意して志願した特攻精神は、祖国愛の極致というべきものであり、「神風精神」こそ大東亜戦争が自存の為の祖国防衛戦争であったことの何よりの証であったのだ。

 二本松少年隊然り。人というのはどれだけ生きたかではなく、どう生きたかが大事であり、特攻隊員や二本松少年隊の覇気に学ぶものは多い。

 二本松に生まれ育った者として、また二本松剣友会の末席を汚した者として、二本松少年隊や先人らの生き様に感謝せずにはいられない。

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2016年07月28日

石原慎太郎が鳥越を「売国奴」呼ばわりし、小池を「厚化粧のババア」と罵って喝采を浴びる

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 石原慎太郎が都知事選の増田候補の応援に駈け付け、鳥越俊太郎を「売国奴」呼ばわりし、小池百合子を「厚化粧のババア」と罵って喝采を浴びた。

 20歳も離れた80歳過ぎの爺に「ババア」と罵倒される小池にしてみりゃ遣り切れないだろうが、それを聞いて笑ってる自民党支持者の良識を疑ってしまう。

 化粧することで何故に罵られなくてはならないのか。高齢(小池候補には失礼だが)になっても綺麗でいたいというのは女性の当たり前の願望ではなかろうか。

 子宮筋腫が原因で子宮を摘出したことを知りながら「外は女装してても中身がタカ派の男性」などと小池を揶揄した福島瑞穂よりはマシだがレベルが低過ぎ。

 石原慎太郎という男は言葉の過激さ故に、多くの国民はその蛮勇を称え「石原なら何かやってくれるのでは」という錯覚に陥るが、所詮は売文屋。田中角栄ブームに肖って、「天才」がベストセラーになっているのがそのいい例だろう。

 田中角栄の人間性には惹かれるものがあるが、政治家としての功罪を問えば、歴史認識で中共に謝罪し、毛沢東・周恩来に諫められ、また我が国が締結した国際条約である日華国交条約の蹂躙は万死に値するものだ。

 石原はよく三島由紀夫と比べられることがあるが、石原には武士なら在るべき「礼節」や「尚武の精神」というものが備わってはいない。そこが武士道に通じる三島との大きな違いだろう。

 石原を右翼であり、石原こそ保守だと勘違いしている人も多いが、譬えば天皇観に関して石原は、「天皇が国家の象徴などという言い分は、もう半世紀すれば、彼が現人神だという言い分と同じ程度、笑止千万で理の通らぬ戯言だということになる」と、畏れ多いことに陛下を「彼」呼ばわりしている。

 過去のこうした発言をみれば保守というより国賊だろう。鳥越を「売国奴」と罵る資格も無いが、彼は演説でのウケを知ってるだけのこと。

 石原自ら提案した「オリンピック誘致活動」では、皇居のライトアップなどという前代未聞の提案を公表したが、直ぐに宮内庁に咎められたことは記憶に新しい。

 これに対して石原は、「宮内庁如きの木っ端役人が決める問題ではない」と宮内庁を批判し、更に皇族の協力を要求する無礼も働いている。

 「宮内庁の木っ端役人」発言云々で思い出すのは、習近平の陛下との拝謁を画策した小沢一郎を思い出すが、石原も小沢と同じく、日頃から皇室を軽々しく思っているからこそこうした言葉がつい口を吐くのだ。

 東日本大震災後の記者会見では、「戦前の日本は天皇を現人神と崇めるなど可笑しな国だった。今の北朝鮮と大差がなかった」と、トンチンカンな自説を述べ、「天皇や皇太子、秋篠宮夫妻を名代として被災地への見舞いに差し向けるべきだ」と具申した。

 常々石原は、「陛下や両殿下」ではなく、共産党員ばりに「天皇・皇太子」と呼び捨てしているが、無礼千万とはこういうこと。

 陛下は大震災後、御心を痛め国民に向かって御言葉を述べられ、被災した各地を巡幸遊ばされたのは言うまでもない。

 被災地への見舞いを、石原如きが具申するとは不敬極まりないが、石原はその後、「陛下はその身の危うさを顧みることなく見事な君主として、そして見事な男として、その責を果たされたものだと思う」と取り繕い、褒め称えた。

 だが、これもまた傲岸不遜な発言で不敬なものであるのは言うまでもない。

 国旗、国歌についても毎日新聞のインタビューに石原はこう述べている。

 「日の丸は好きだけれど、君が代って歌は嫌いなんだ、個人的には。歌詞だってあれは一種の滅私奉公みたいな内容だ。新しい国歌を作ったらいいじゃないか。好きな方、歌いやいいんだよ」

 これが石原の本音であり正体である。

 譬え「滅私奉公」だとして、それの何が悪いのか。

 今や「滅私奉公」という言葉は死語だが、自己犠牲を中心にした無理な生き方より自分本位の生き方が優先される時代に於いて、滅私奉公を想像させるのであれば大いに結構なことではないか。

 三島由紀夫は石原慎太郎との対談「守るべきものの価値」で、「日本のアイデンティティーとして三種の神器、宮中三殿を守らなくてはならない」と発言。

 すると、これに対し石原は、「またそんなことを言うの」と、三島を小馬鹿にし、国體や皇統を否定しているが、これをしても保守とは真逆の輩といえよう。

 三島はこの対談の終わりで「(開かれた皇室論などで)天皇の本質というものが誤られてしまった。だから石原さんみたいな、つまり非常に無垢ではあるけれども、天皇制廃止論者を創っちゃった」と厭きれ果て、石原を「べ平連の小田実と全然同じ人間だよ、全く一人の人格の表裏ですな」と言い放ち、石原の天皇に対する無理解を痛烈に批判している。

 石原慎太郎は国歌斉唱での起立強制などで、如何にもタカ派的言行で国民ウケを狙っていたが、石原こそ究極の「天皇制廃止論者」であり、国民はこうした似非保守の言行に騙され続けているのが現状なのだ。

 石原も鳥越と同じく老害というのが正しく、表舞台から消えて欲しいものだ。

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2016年07月27日

反原発運動は中共の南シナ海での蚕食問題と並行して行われてる我が国の無血革命

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 ラオスでASEANの外相会談が行われ、南シナ海での中共による人工島などの領有権問題が討議されたが、中共に諂うカンボジア・ラオス・タイなどの拒否で共同声明は失敗に終わった。

 南シナ海が中共により領土占領され、万が一にもここが封鎖された場合、我が国は決定的な打撃を被るだろう。

 尖閣諸島の問題はそれ相応に報道し、国民の関心も高まってはいるが、南シナ海での紛争となるとマスコミは中共に慮って作為的な記事を垂れ流してる影響もあり、国民は対岸の火事の如く思っている。

 「反原発」「脱原発」の流れで原発が停止され、化石燃料による電力に移行したが、中東からの輸入経路であるシーレーンは南シナ海を通る訳で、南シナ海の問題は我が国と切っても切り離すことの出来ない重要な問題なのだ。

 以前、国会質疑でもホルムズ海峡封鎖を想定した議論がなされたことがあるが、南シナ海は相手が中共なだけにホルムズ海峡封鎖の想定よりもややこしい。

 原発再稼働が見送られる中で石油ルートが絶たれれば、我が国の経済は愚か国民の生命にも甚大な影響を及ぼすことは必至。

 反原発派から「シーレーンの防衛」という声が全く聞こえて来ないことをみても、反原発運動というのは中共の南シナ海での蚕食問題と並行して行われてる我が国の無血革命と断じて好かろう。

 シーレーンを封鎖された場合、日本の電力供給は数か月程度しか持たないが、つまり数か月後には「間接的に人命が失われる」危機でもあるということを自覚してる人は少ない。

 我が国は四辺を海に囲まれた島国であり、オイルショックの経験から産油国との外交関係の重要性、そしてシーレーンの安定化が不可欠と感じた日本は外洋に伸びるシーレーン千海里防衛構想を策定した。

 国内経済も、多くを海上交易に依存し、日本の輸入依存度は石油が99.8%、石炭98.4%、天然ガス(LNG)96.6%、原子力(ウラン)に至っては100%を依存している。

 こうしたことからも、我が国でも海洋国家として自国のシーレーン防衛の重要性が認識され、海上自衛隊もシーレーン防衛として対潜水艦戦、対機雷戦に重点に訓練を行っている。

 イランの核開発によるホルムズ海峡の危機や、中共の覇権主義によって南シナ海や東シナ海、尖閣列島などが脅かされている中で、適切な海上権益を確保し、マラッカ海峡から日本までのシーレーンの安全を確保することが如何に重要なのは理解出来よう。

 千海里防衛は当然ながら、太平洋~インド洋地域、南シナ海、東シナ海のシーレーンの防衛体制を確立することが大事であり、それが結果的には中東等での事態発生に対する抑止力となり、中共の覇権主義阻止にも繋がるだろう。

 こうした国家の一大事といえる問題を、日米軍事同盟を結んでいる米国と連携することでしか防げないのは我が国の悲しい現実でもある。

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2016年07月26日

心の奥底で日本人として自覚する一瞬

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 明治元年(1868)年、新政府は「祭政一致」を前面に掲げ、「神仏分離令」を布告し、仏教勢力の一掃を図り、その結果、廃仏毀釈運動が全国的に広がることとなった。

 廃仏運動の急先鋒となったのは、延暦寺の支配下にあった日枝山王社(日枝大社)。神仏習合の神社である京都の祇園社、石清水八幡宮、愛宕大権現は夫々、八坂神社、男山神社、愛宕神社に改称させられた。

 明治3年に「大教宣布の詔」が出されると、神道を国家統合の精神とする天皇中心の近代国家の道を進んで行くのだが、これは天皇の政治利用と捉えられても致し方なく、後の所謂「天皇制」批判に繋がった。

 神社は内務省が管轄し、「欽定憲法」と「教育勅語」と相俟って国民に広く浸透することとなり、以降、明治神宮、平安神宮、橿原神宮、湊川神社、吉野神社、靖國神社などの格式の高い神社が創建され、「忠君愛国」の奨励が勧められた。

 昭和20年、我が国が敗戦するとGHQは、国家神道が戦争を誘発させたとして所謂「神道指令」を出して国家と神道の分離を実施する。

 これにより、国家管理の神社制度が一挙に崩壊することになった。

 靖国神社も例外ではなく、「神道指令」を免れる為に、已む無く御祭神を一時的に別なものにしたものの、主権回復後も「宗教法人」格は見直されないまま放置され続けている。

 是、正に政治の怠慢と言わずして何という。

 戦後、我が国はGHQのあらゆる施策を検証することなく、国家の大本をも米国に依存し、まやかしの平和と魂無き繁栄に現を抜かしてきた。

 経済的に豊かになればなるほど、反比例して人心の荒廃は著しくなった。

 儲かれば善だという拝金主義が蔓延し、自分さえ良ければいいといった自己中心的な国民が多くなってしまったのだが、こうしたことは、戦後「教育勅語」に代わる倫理的な規範が無かったことにも起因している。

 神社本庁では、敬神生活の推進を図ると共に「教育勅語」を啓蒙しているが、喩え教育勅語を諳んじることが出来たとしても、その徳目を行動に顕せられなければ意味は無い。

 自然環境と不離一体の神道の精神は、今の荒廃した時代にこそ尤も必要な教えであると考える。

 抑々、日本人の信仰である「神道」とはどういうものか。

 「豊葦原(とよあしはら)の千五百(ちいほ)秋の瑞穂の国は、是れ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地なり。宜しく爾皇孫(いましすめみま)、就(ゆ)きて治(しら)せ。行(さきく)ませ、宝祖(あまひつぎ)の隆えまさむこと、当に天壌(あめつち)と窮(きわま)り無かるべし」(日本書紀)

 自然は、人智の及ばない大いなる存在である。

 雷雨や日照りや嵐を人間は制御することは到底出来るものではない。

 人々は、自然を征服すべく挑み続けるか、それとも自然と共に生きて行くかなのだが、賢明なことに、先人は共生することを選び、我々もその道を選んできた。

 自然は一瞬のうちに暴れ回り甚大な被害を与えたりもするが、同時に無限の恵みを齎してくれたりもする。

 そこで人々は、自然の織り成す新羅万象を「神」と呼び、豊穣を齎してくれた「神」を称え、荒ぶる「神」を畏れ、鎮め、人々は「神」と共に生きて来た。

 新羅万象の全てが「神」の姿で、山の神、海の神、或いは岬、谷、森、石、水・・・、そして人も、その神の在る景色の一部に過ぎず、これこそが八百万(やおよろず)の神であり、その教えが「神道」なのである。

 我が国固有の信仰である随神(かんながら)の道は、こうした世界観の中から生まれたのだが、そんな大らかな国に生まれた奇跡に感謝せずにはいられない。

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2016年07月25日

教育の再生は「教育勅語」の復活を目指すべきだが、教育勅語にある徳育の実践こそ大事であろう!

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 道徳の教育化に伴い文部科学省の専門家会議が、成績評価の方法を示した。道徳の評価というのは評価する側の先生の資質に影響されるが、道徳とは評価そのものより如何に道徳の教えを実践出来るかが肝要である。

 我が国の教育が抱えている問題を解決するには、中学・高校での道徳教育よりも小学校の段階で正しい人間性の基礎を創ることが大事だが、その純真無垢な子供に教えを施す教諭の資質が更に大事だというのは言うまでもない。

 「大学の教授より、寧ろ小学生の先生を大事にしなければいけない。小学校の先生が白紙の子供を教えるのだから」とは流行りの田中角栄BOTだが、何気ない台詞だが教育上重要な考えだろう。

 そう考えれば、大学教授よりも薄給で働く小学校教諭の待遇と意識の改善を図ることは喫緊の課題と言えよう。

 多くの登校拒否児や家庭内暴力などの問題児を更生させた戸塚ヨットスクールの戸塚校長は、「科学的精神論」による教育の実践こそ現在学校で起こっている学級崩壊を始めとした諸問題を克服すると言って憚らない。

 愚生は戸塚校長の教育論には大いに共鳴している一人で、学生時代、将来は右翼団体の経験を活かし、不良少年や登校拒否児を更正させる私塾を創る夢を抱いていた。その考えは未だ潰えてはいない。

 戸塚氏は自著「教育再生」の中で、教育は「科学的精神論」に基づく「正しく・強く・安定」した理性を創ることが大事だと教えている。

 「国語・数学・体育」に重点を置いた授業や記憶力ではなく、考える力の重視、合宿などの課外授業の活用が大事だと教える。

 学級崩壊や家庭内暴力を起こす様な「間違った・弱い・不安定」な理性を持った子供達が大量に登場した原因を考えれば、戦後、日本が採用した欧米型の「精神論」が間違っていたからだと断じる。

 何故なら、日本を経済大国にしたのは戦前に教育を受けた人々であり、それを潰してしまったのは戦後教育を受けた世代であるというのだが、正しくその通り。

 今や、GHQによる戦後民主教育を受けた鳥越俊太郎に見られる第一世代が日本を貶める最大勢力になっているのは言わずもがな。

 更に戸塚校長は「欧米流の理性に抜け落ちているのは『本能論』で、人間と動物の優劣性を強調するあまり、動物にもある『本能』を下等なものとして否定しまった」と嘆く。

 「仏教でも儒教でも、『本能』が『理性』を創るのに重要な役目を果たしていると説いている」が正しく正論。

 これらを考えるに、教育で一番大事なのは「徳育」なのだが、どうしても徳育というと戦前の「忠君愛国」ばかり取り上げられるが、徳育は「人間性」を確立することでもあるのだ。

 我が国の教育再生の為には、先ずは「正しい精神論」を創ることが必要で、やはり教育の再生は「教育勅語」の復活を目指すべきだが、大事なのは教育勅語にある日本人なら当たり前の徳目を如何に実践させられるかである。

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2016年07月23日

福島原発事故でのデマは「ライオンが逃げた」というデマより遙かに悪質

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 熊本地震の発生直後に「地震で動物園のライオンが逃げた」などと、うその内容をツイッターに投稿し動物園の業務を妨害したとして、神奈川県に住む20歳の男が偽計業務妨害の疑いで逮捕された。

 災害時にデマを流し業務妨害をしたとして逮捕されるのは全国で初めてだというが、福島第一原発事故ではこれ以上のデマが流されてながら逮捕者が出ないというのは福島県警の怠慢だろう。

 前々回の参院選に緑の党から比例代表に出馬した木村雄一というアホがいる。木村は福島市内でライブハウスを経営していたが、震災後に逸早く福島県から佐賀県に逃亡した自称・被災者。

 木村の様な自主避難者には「災害救助法」に則り、生活費などが保障されるている。故郷を見捨て、避難した自治体に世話になっていながら、被害者面して福島を貶めてるケースは後を絶たない。

 木村は公示日、九州電力本店前で第一声を上げた。

 これが実に酷いもので、福島県南相馬市の人から聞いたことだとして、「頭が2つある子、生まれてますよ。後は、無脳症の子どもも生まれてます」と訴え、それを聞いたキチガイ支持者が拍手喝采。

 更には、福島県西郷村では、2012年夏以降からも奇形の子が生まれていると断言し、「チェルノブイリの再来」だと煽って、「それを言うために僕は立候補したんです」と悦に入った。

 以前、日本生態系協会会長の池谷奉文が講演会で「福島の人とは結婚しない方がいい」「今後、福島での発がん率が上がり、奇形児が発生する懸念がある」などとの発言したが、これと一緒。

 これらの内容は全く根拠の無いもので悪質な流言蜚語だったが、彼奴等は謝罪するどころか頬っ被りをして逃亡した。

 木村にしろ池谷にしろ、坂本龍一や山本太郎、細川護熙らの根拠もない差別発言は「ライオンが逃げた」というデマより遥かに悪質。

 福島県の風評被害は、全て反原発派によるデマから発生していると言っても過言ではなく、その被害は甚大だ。

 福島県内で行われている「除染」は、民主党政権時に決定した「年間1m㏜(ミリシーベルト)以下」という曖昧な数値を根拠に、小宮山洋子厚生労働大臣(当時)の鶴の一声で始められたものだ。

 「1m㏜」の科学的根拠を示さなかったばかりに、未だに低放射線への理解が得られず無駄な除染作業が続けられ、福島県は「除染しなければ住めない危険な土地」とのレッテルを貼られている。

 原子力規制委員会は、今さらながら放射線防護対策の年間被曝線量は「20m㏜以下」との提言を行っているが、安倍政権下でもこの非科学的な「1m㏜」の基準が見直されることもない。

 この「1m㏜以下」という数値が国民の放射線への間違った認識と、それに伴う風評被害を齎し、復興どころか復旧をも阻んで来た元凶と言っても過言ではないのだが、摩訶不思議なことに人災事故を誘発させた当時の最高責任者の菅直人は未だ逮捕されてはいない。

 菅直人を始め、福島県の風評被害と福島県民への差別を助長したクソ共を根こそぎ逮捕拘留し刑務所へ送るべし!

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2016年07月21日

「政策も何もない人、病み上がりの人をただ連れてくればいいというものではないんです」の何処が差別なの?

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 東京都知事選は小池百合子で好いと思う。都議会の闇を焙り出した功績といい、都立高校跡地の韓国人学校への貸与の取り消しと電柱の地中化だけでも支持出来る。東京オリンピックを考えても華があるのは小池だろう。

 その小池だが、三候補の政策を論ずるテレビ番組で、鳥越から唐突に「病み上がりとはどういうことか。これは私だけじゃなく、ガンサバイバーへの差別・偏見だ」と抗議を受け窮地に立たされた。

 小池は街頭演説で「政策も何もない人、病み上がりの人をただ連れてくればいいというものではないんです」と言ったまでで、これの何処が差別なのか?

 鳥越は「これはガンサバイバーへの差別・偏見だ」と色を作(な)して抗議していたが、どう読んでもガンサバイバーじゃなく、鳥越を統一候補として立候補させた野党四党の無責任さへの批判だろうよ。

 鳥越は、知人の記者か支持者からコピーを渡されただけで、小池の街頭演説の前後の脈絡を読んでないことが分かる。

 民主党政権下で行われた総選挙では、マスコミや野党は「3500円のカツカレーを食べた安倍さんは庶民感覚がない」と決め付け、「政権を投げ出した安倍さんは本当に大丈夫?」といった雑言が飛び交った。

 鳥越の仲間の週刊朝日に至っては、難病指定の「潰瘍性大腸炎」で苦しんだ安倍への誹謗中傷キャンペーンを張り、「安倍の葬式はうちが出す!」と言いたい放題だったのはお忘れか。

 「安倍さん、次に辞めるときは下痢ですか腹痛ですか?」などとの悪質で陰湿なイジメからすれば、「病み上がり」というのは差別でも偏見でもないし、一部の言葉を切り取って論うのは如何なものか。

 尤も、「病み上がり」という切り貼りを見るまでも無く、一部分を論って執拗に責め立てるのは左翼らの常套手段で、小池の演説で大事なのは「病み上がり」ではなく、「政策も何も無い人」というこの部分に尽きる。

 一部分を論って「差別」と騒いでる輩こそが「逆差別」だろう(笑)

 その鳥越、政策は「がん検診100%」でこれ以外の政策は全くない。政策よりも得意の揚げ足取りで、この「病み上がり」を選挙戦略に使おうと思ったのだろうが、同じジャーナリスト仲間から思わぬ反撃に遭った。

 今やスクープ独占状態の週刊文春の「鳥越俊太郎、女子大生淫行疑惑」記事がそれだ。鳥越はこれにどう言い訳するのだろうか。まぁ、精々、言い訳がましく文春を告訴するくらいしか来ないわな(苦笑)

 鳥越は、今回の「病み上がり」発言を見るまでも無く、真相も探ることなく相手を誹り、それを生業にしてきた自称・ジャーナリストである。

 つい最近でも、自民党の高市早苗に対し敵意剥き出しで学歴詐称のレッテルを貼って雑言の限りを尽くしたのは記憶に新しい。

 この件に対して鳥越から正式に謝罪したという話を耳にしてないが、自分のことは正当化しながら自分が叩かれるや否や告訴とは、日頃、言論の自由を振り翳してるジャーナリストとして余りにも姑息過ぎはしませんか(苦笑)

 鳥越の応援にはタレントなども駆け付けているが、中でも熱心なのは森進一。森は「クリーンな鳥越さんを都知事に」だとか「平和憲法を守ろう」などと訴えてた様だが、憲法観はどうでも、淫行疑惑へのコメントを聞きたいものだ(笑)

 森進一といえば恩師の川内康範から絶縁されたのが記憶に新しい。

 「おふくろさん」を勝手に詩を替えて歌ったことが逆鱗に触れた様なことが報じられてたが、民族派といわれた川内には森のこういう戦後民主主義的無自覚左翼ぶりが堪らなかったのではなかろうか。

 まぁ、何れにしても首都東京の首魁を選ぶ選挙から目が離せない。呵々。

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2016年07月20日

我らは暴力と破壊、革命と独裁を政治手段とする勢力又は思想を排撃し祖国再建の大業に邁進せん(自民党結党宣言)

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 今や誰もが違和感なく使っている「協働」という言葉だが、この「協働」は共産党系列のスーパー「生協」が使用してた言葉で、「天皇制」と同じく共産党の造語だと知る人は少ない。

 その意味は、「同じ目的の為に、対等の立場で協力し て共に働くこと」。ウィキペディアには、「複数の主体が、何らかの目標を共有し、ともに力を合わせて活動すること」と説明がなされている。

 「協働」とはコラボレーション(collaboration)、パートナーシップ(partnership)ともいうらしいが、コラボレーション(collaboration)だというならば別に「共同」で十分だろうに。

 「共同」と「協働」の目的は全く違う。「協働」の主体は「国民」ではなく、あくまでも「市民」であり「市民団体」である。

 これだけでもその目論みが理解出来るというものだが、つまり「協働」とは同じ目的を持った者が集うコミューン(共同体)創りであり、その実はコミンテルン、第三インターナショナル(国際共産党・国際共産主義運動)への一里塚である。

 「協働のまちづくり」推進派は、「市民とは必ずしも地域住民に限定されるものではなく、NPOをはじめ、企業などの企業市民も含まれ、また、地域の一員という意味では行政もまた行政市民という名の市民である」と説明するが本末転倒。

 そんなに「市民」が大事か。市民よりも大事なものは「国民」であり、この意識が欠落してては「教育」も「国防」も語れない。

 戦後民主主義者らは「国民」という字は使わず「市民」を好んで使う。戦後民主主義者の多い民進党は最近「国民」という字を使っているが、これは「こくみん」ではなく「あなた」と呼ばせる。

 要は「(我々は)国の民ではない」ということなのだが、「子供」の「供」という字が「お供え物」「お供する」などを連想させ「差別的な印象を与える」として「子ども」表記にしたのと同じ様に、「国民」という字が「あなた」とか「みんな」に訳される日も近いかもよ(笑)

 今やその「協働」という造語があらゆる場面で飛び交い、保守を標榜する政治家までもが何の疑いも無く使っている。

 これは「天皇制」という言葉も同じで、天皇は天皇であって制度ではないのだが、保守派までもが制度として容認し、この造語を違和感なく使用する始末。

 尤も、保守派だけに留まらず自称・愛国者や、なんちゃって右翼にもこの「天皇制」を使ってる輩もいるが(笑)

 いつの間にやら我が国はカタチを変えた共産主義が蔓延り、その「カタチ」は実に陰湿になっている。

 更にカタチを変えた左翼勢力は夫婦別姓や男女共同参画社会、ジェンダーフリー、人権擁護法案、共生社会、外国人参政権、外国人住民基本法案、極め付けは女性天皇容認論と次から次へと策謀を重ねている。

 こうした行政側への共産主義の介入を奨めたのは共産党ではなく自民党だったというのは実に御粗末という他はない。

 自民党員は、自民党の「立党宣言」にはこう綴られてあるのをお忘れか。

 「社会的欠陥を是正することに勇敢であらねばならない。われらは暴力と破壊、革命と独裁を政治手段とするすべての勢力又は思想をあくまで排撃し祖国再建の大業に邁進せんとするものである」

 自民党よ、そして自民党員よ、保守政党や保守派を自任するならば今こそ立党精神に立ち返り、過去の容共的愚策の実行という過ちを糺すと共に、共産主義を行政権と連結せしめようとするあらゆる企画、あらゆる行動と対峙せよ。

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2016年07月19日

我が国の左翼というのは単なる中国共産党の第五列に過ぎない

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 鳥越俊太郎ってのはホントにジャーナリストなのだろうか。愚生でも分かる様なネタを真顔で訴えて、それらを疑うことも恥じることもない。

 ジャーナリストとして現場主義を貫き、「趣味はニュース」だというが、その現場も、見聞きするニュースも偏ったものばかりなのだろう。

 鳥越はジャーナリストというより左翼思想を生業にした営業左翼、否、そのまま左翼活動家というのが正しい。 

 東京都知事選の公約に永住外国人への参政権付与を上げている鳥越はテレビでいけしゃあしゃあとこう述べた。

 「外国人参政権、アメリカでも一定年齢を過ぎて資格があれば市民権が得られます。それと同じように日本でも、例えば10年住んでいれば参政権が得られるというようなシステムを作る必要があると思いますね」

 アメリカでは「市民権」と「永住権」は別のもので、永住権取得から5年で市民権取得を申請する資格を得られるが、選挙権は「米国籍を有すること」が条件であり、居住が何年だろうが、納税さえすれば得られるというものではないのだ。

 こうしたことさえ分からない鳥越はジャーナリスト失格と言えるが、それを知りながら国民を誑かしているのだとすれば、外国人参政権付与とは鳥越の国家転覆を謀る手段の一つなのだろう。

 外国人参政権付与問題は、在日朝鮮人が大半を占める「特別永住者」だけではなく、一般の永住者も選挙権の対象とされている。

 そうなれば在日朝鮮人のみならず、支那人永住者にも付与されることとなるのだが、この点は殆ど議論されてはいない。

 というのも在日朝鮮人が大半をしめる「特別永住者」は年々減少し続け、その減少傾向が止まらないのに対して、支那人の「一般永住者」の数はここ数年で急増している。

 在日韓国人が日本国民と結婚した場合、その子供は総て日本国籍になっているのに比べ、支那人永住者の方は、留学生の増加などによって更に増加し、永住外国人の前提となる一般の在留外国人の登録者数は今や韓国・朝鮮人の数を上回っている状況なのだ。

 外国人参政権付与問題は、支那人の移民問題にも繋がるもので非常に深刻な問題を孕んでいるのだが、単に「強制連行された」だとか、差別を受けてる在日の問題にしてこの問題点について語ろうとしない。

 要は、鳥越らは在日朝鮮人の擁護者というより、中国共産党の第五列(だいごれつ)というのが正しい。

 因みに、第五列とは、内部にあって、外部の敵勢力に呼応して、その方針の下に活動してるグループをいう。

 我が国の左翼に愛国者がいないのは、外部(中国共産党)の出張所的インチキ左翼だからだ(苦笑)

 以前、鳥越はテレビでの討論会で、中共や北朝鮮の動きを警戒する主張に、色を作(な)して「何処の国が日本を攻めて来るんですか!」と反論したことがあるが、このことでもその忠誠心と働きぶりが分かるというものだろう(笑)

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2016年07月17日

「海の日」は、海の恩恵に感謝するという趣旨とは全く違うものだ

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 「海の日」は、国民の祝日に関する法律により「国民が海の恩恵に感謝し、海洋国家の繁栄を祝う日」とされているが、本来の趣旨は全く違うものであり、「海の日」が20日であらねばならない理由がそこにはあるのだ。

 戊辰の役(戊辰戦争)で敗れた会津藩は「朝敵」「逆賊」に仕立てられ、不毛の領地「斗南藩」に移されることで終結する。

 酷寒の地であり、荒れた土地の開拓は艱難辛苦を極めたが、その開拓がその後の津軽(後の青森)の発展に寄与したことは言うまでもない。  

 会津藩に限らず戊辰戦争で幕府に恩義を感じ、抗戦し、敗れた多くの東日本の雄藩は、新政府に参政することなく辛苦の日々を送っていた。

 「賊軍」の汚名を着せられた多くの人々は、新政府に対して言いたいことは山ほどあっただろう。だが彼らは臥薪嘗胆、耐えることで國全体が保たれるのならばと己の悲運を甘受し、その抗し難い天命を潔しとした。

 明治9年、東北・北海道へ約50日間に及ぶ巡幸に臨まれた明治天皇が、「明治丸」で横浜に帰港された日が7月20日であり、古くは「海の記念日」と呼ばれたこの20日以外の「海の日」に何の意味が在るというのか。

 この巡幸の目的が戊辰戦争に敗れて以降、不慣れな土地で艱難辛苦の日々を送っていた人々を明治天皇が慰撫し、激励する為に他ならない。

 出発は6月2日、馬車で福島から仙台、岩手、青森と北上、次いで明治丸で津軽海峡を渡り、函館を経て三陸沖を海路戻るというコースを辿っている。
 
 この間、東北の人々は巡幸の先々で奉迎した。

 明治天皇は各地で開墾や産業の振興に尽くした功労者を労らわれている。

 愚生の住む郡山(安積)では、荒野を拓いて出来たばかりの桑野村まで分け入り、開拓者の苦労話に耳を傾けられ、金五万円を下賜された。

 弘前の「東奥義塾」では外国人教師による英語教育が行われていて、生徒10名が英語を披露。天皇はその進取の気象に感心され、ウェブスター辞書を買う代金にと一人につき金五円を下賜された。

 或る地方では、小学生が献上してくれた蛍一籠を嘉納され、岩手では太布半纏(ふとのばんてん)と呼ばれる農民の仕事着をお買い上げ遊ばされている。

 どの逸話も明治天皇の慈愛に満ちたもので、天皇と国民は正に君民一体であることを改めて痛感すると共に、東北の人々との間に親しく絆を結ぼうと努める明治天皇の面影が偲ばれる。

 この東北・北海道の巡幸を以て、戊辰の役での瞋恚は慰撫され逆賊も朝敵もなく、一切の蟠りも無くなったのだ。

 東日本大震災と原発事故に疲弊している我々東北人にとって、「海の日」は被災地に思いを寄せる今上陛下の大御心と通じる感慨深い日でもある。

 だが、悲しい哉、こうした「海の日」の由来を知る国民は少ない。

 自民党は以前より、所謂「ハッピーマンデー」となっている「海の日」を、従来の7月20日に変更する祝日法改正案の提出を計画するも、三連休が減ることで観光産業への打撃を懸念する党内の慎重派に配慮し祝日法改正案提出を断念した。

 何たることか。これが本当に保守政党なのか。何が「観光産業への打撃」か。余りにも御粗末過ぎはしませんか。「祝日」は単なる「休日」ではないのだ。分かるか、安倍よ!自民党よ!

 「ハッピーマンデー」は、国體破壊を策謀する左翼陣営が企画したものだが、こうした愚策に自民党や保守を標榜する政治家らが同調し、施行されてしまったことは実に御粗末と言う他はない。

 国體破壊を目指す左翼陣営の最終目的は、我が国の国柄を顕す「新嘗祭(勤労感謝の日)」と「紀元節(建国記念日)」の祭日をハッピーマンデーとし、単なる休日にすることが狙いなのは明らかだ。

 諸外国に比べ、我が国の祝祭日ほど我が国や地方の風習や習慣・文化といった「国柄」の分かる素晴らしい伝統はない。

 だが、今や多くの日本人が「祝日」を知ろうとはせず、単なる「休日」としか考えていないのはさもしく情けない。

 「海の日」をハッピーマンデーから簡択し7月20日に固定すべし!

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2016年07月16日

「皇家の成典」である皇室典範は改正ではなく陛下に奉還すべし

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 「靖国神社に陛下が御親拝遊ばされる環境にする為にA級戦犯を分祀した方がいい」とか「陛下が参拝出来るように靖国神社側が静謐な環境を整えることが望ましい」という声を聴く。

 石破茂や前原誠司らがその代表格だが、静謐な環境整備には異論はないが、こうした政治介入や威圧行為には違和感を覚えるし、靖国神社側がこうした強要に応じることは断じてない。

 要は、陛下を利用し、国民を誑かしている に過ぎない。

 陛下の「生前退位」の報道もこれと同じで、恰も陛下の御意向であるかの様にマスコミにリークし、畏れ多くも陛下の御心中を忖度し「譲位」することが陛下の御意向であるかの報道は正に皇統へのテロ行為と断じても過言ではない。

 何が「国民の願い」か、恥を知れ!

 以前、小泉政権下で議論された「女系天皇問題」に関する皇室典範改正議論は、秋篠宮悠仁親王殿下の御生誕で沈静化されたのは記憶に新しいが、何故に又候(またぞろ)「皇室典範改正」なのか。

 菅官房長官は、内閣官房の皇室典範改正準備室で検討している皇族の減少への対応策について「年内というより早々に対応しなければならないという問題意識を持っている」と述べているが、何故にこのタイミングなのか。

 政府や胡散臭げな有識者らは、皇室典範第12条の「皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」との条項改正を理由に「女性宮家」の創設を謀っている。

 だが、12条より同15条の「皇族以外の者及びその子孫は、女子が皇后となる場合及び皇族男子と婚姻する場合を除いては、皇族となることがない」との条項を改正し、旧皇族の皇籍復帰を成すべきだろう。

 「女系天皇問題」が活発に論議されていた平成17年、女系天皇容認論に対して、三笠宮寛仁親王殿下が「公なものではない私的な見解」と前置きした上で、女系天皇に明確に反対し、旧皇族の皇籍復帰などを求めた。

 寛仁親王殿下は「世界に類の見ない我が国固有の歴史と伝統を、平成の御世でいとも簡単に変更して良いのか」と当時の女系天皇論を批判し、「万世一系、125代の天子様の皇統が貴重な理由は、神話の時代の初代神武天皇から連綿として一度の例外も無く、『男系』で続いて来ているという厳然たる事実」と主張した。

 その上で、男系継承を維持する為の方法として、皇室典範を改正して、歴史上の幾つかの方法論を提起している

 1.臣下降下された皇籍離脱した旧皇族の皇籍復帰。

 2.現在の女性皇族(内親王)に旧皇族(男系)から養子を取れる様にし、その方に皇位継承権を与える。(差当たり内廷皇族と直宮のみに留める)

 3.元皇族に廃絶になった宮家(秩父宮・高松宮)の祭祀を継承して戴き、宮家を再興する。(将来の常陸宮家・三笠宮家もこの範疇に入る)

 4・として、嘗ての様に「側室」を置くという手も有りますが、国内外共に今の世相からは少々難しいかと思うと述べられている。

 最後に親王殿下は、「陛下や皇太子様は、御自分達の家系の事ですから御自身で、発言される事はお出来になりませんから、民主主義の世であるならば、国民一人一人が、我が国を形成する『民草』の一員として、2665年(当時)歴史と伝統に対しきちんと意見を持ち発言をして戴かなければ、いつの日か、『天皇』はいらないという議論にまで発展するでしょう」と結んでいる。

 隻眼を有する意見であろう。

 「女性宮家」論は「天皇制廃止運動」の枢要な柱として、昭和40年(1970年)代半ば頃に、純然たる共産主義者が発案したもので、1932年に出された、ソ連共産党から日本共産党への「命令書(コミュンテルンテーゼ)」の命令遂行である。

 男系男子に限定する皇位継承や宮家を「女性が天皇になれないのは可笑しい」だとか、「女性宮家がないのは女性差別」だと叫んでいるのは、「男女共同参画社会」を成立させた名うての売国奴やキチガイ共だ。

 「女性宮家」「女系天皇」論やここに来ての「生前退位」報道は、その精神異常者らが煽動している「天皇制廃止運動」の確実なる実行であり、畢竟、皇統断絶(日本解体)工作である。

 本来、皇室典範とは、明治22年の紀元節にて「大日本帝国憲法発布の勅語」と同時に発布された「皇室典範制定の勅語」に由来する「皇家の成典」である。

 その勅語に次のように述べられている。

 【天佑を享有したる我が日本帝国の寶祚は、万世一系、歴代継承し、以て朕が躬に至る。惟ふに祖宗肇國の初、大憲一たひ定まり、昭なること日星の如し。今の時に當り、宜く遺訓を明徴し、皇家の成典を制立し、以て丕基を永遠に鞏固にすへし。ここに枢密顧問の諮詢を経、皇室典範を裁定し、朕が後嗣及び子孫をして、遵守する所あらしむ】

 即ち、皇室典範とは、神武創業以来明らかに定まっている皇家の遺訓を成典にしたものであり、皇室典範は「法律」ではなく、「皇家の成典」つまり「天皇家の家訓」であるというのが正しい。

 敗戦後の昭和22年、GHQはこの皇室典範を改悪し、陛下を法律の配下に置いたのは歴史が証明するところ。

 だが、天皇は憲法や法律制定以前の御存在であり、「戦後レジームの総決算」を掲げる安倍政権がやるべきことは皇室典範の改正ではなく、「皇家の成典」である皇室典範は直ちに陛下に奉還すべきである。

 それにしても蛆虫日本共産党ならいざ知らず、保守派を辞任する政府自民党からこうしたものが提起されること自体、我が国は想像以上に国柄(国體)破壊が進んでいることを痛感する。国民よ、天皇廃止運動に騙されるな!

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2016年07月15日

「生前退位」の報道は反天皇運動の一環である

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 畏くも天皇陛下が、天皇の位を皇太子殿下に譲位する意向を御示し遊ばれたとの報道は世界にも報じられた。

 だが、昨日、宮内庁の風岡典之長官が定例会見で、この「生前退位」に関連する質問にこう答えている。

 「陛下は憲法上の立場から制度について具体的な言及は控えており、そういう事実はない」

 事実が無いにも拘らず何故にこういった報道がなされているのか。

 愚生の場合、保守論壇の多い産経新聞を購読しているが、昨日の一面の記事といい、今日の「主張」といい、異常なくらいにこの問題に固執し、陛下を慮った物言いではあるが何か訝しげで胡散臭い。

 保守派を自認する産経もまた他紙と同じ様に、皇族方への敬称や敬語は使用しない。要は単なる営業保守に他ならず、「敬称・敬語不使用運動」に与する産経は、営業左翼の朝日よりも悪質である。

 1932年、ソ連共産党から日本共産党へ「コミュンテルンテーゼ(命令書)」という指令が出されている。

 その命令書には、天皇を制度として捉えた上で「天皇制廃止運動」というものが明記されてある。因みに「天皇制」というのは共産党の造語であり、天皇は制度では無く天皇は天皇である。

 この運動は先ず、昭和天皇への「戦争責任・退位論」に始まり、「開かれた皇室論」と「敬称・敬語不使用運動」を実行した。

 そして平成に入り、「女性天皇論」「女性宮家」など、その「反天皇制運動」は様々な形で継続されている。

 国民が「美智子さま」「雅子さま」「紀子さま」「愛子さま」という呼称を使うことは、国民が殆ど知らぬまに、共産党の命令書を忠実に遂行していると言っても過言ではない。

 本来の日本人ならば、皇后陛下、皇太子妃殿下、秋篠宮妃殿下、敬宮殿下と呼ぶべきで、こうした「開かれた皇室論」から、我が国の伝統文化や美徳が喪失して行くということを自覚すべきだろう。

 今回の「生前退位」の一報も、反天皇運動と捉えるのが正しい。つまり反天皇運動が故に、「生前」だとか「退位」という不敬な言葉を使用するのは当然のこと。

 「天皇陛下の御意向により天皇位を退位できる」ということが可能ならば、皇位継承者(皇太子殿下)の御意向により、即位を辞退することも可能になるということだ。

 皇族を脅迫し、即位を辞退させて天皇位を廃止させようというのは共産党の一つでもあることを我々は知らねばならない。

 安倍首相や菅官房長官が事の重要性からコメントを避ける中で、民進党の岡田は「陛下の御意向を真摯に受け止めて、しっかりと対応していかなければならない」と皇室典範改正に乗り気だが、これは実に分かり易い構図ではなかろうか。

 共産党の策謀である天皇廃止戦略に騙されてはならない。「生前退位」は天皇廃止へ導く為の皇室典範の改悪がその目的である。

 小泉政権下で皇室典範改正を目論むも、悠仁親王殿下御生誕で頓挫したのは記憶に新しいが、今回の「生前退位」の報も、皇室典範改正論者らの策謀であり、恐れ多くも「陛下の御意向」を利用する不敬極まりないテロ行為と断じて好かろう。

 我が国は天皇陛下を族長と仰ぐ家族国家であり、この国體は万邦無比である。戦前の様に「畏れ多くも畏くも」とは言わないまでも、日本国民ならば節度ある敬意を表すべきであるのは言うまでもない。

 陛下や皇室に関することは喩え誉めることであっても不敬である。況してや陛下の御気持を忖度することなど言語道断。神聖にして侵すべからず。

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2016年07月14日

譲位より皇太子殿下を摂政として嘱すことで解決も可能!

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 畏くも天皇陛下に於かせられては「譲位」の御意向を示されている由、皇国臣民として正に忝(かたじけな)し。

 御退位の意向が真実ならば周りへの御心配りからのものであろうが、でありならば譲位より皇太子殿下を摂政として嘱すことで解決を図ることは可能である。

 近年、宮内庁は「公務軽減」を理由に、公務のみならず「暁の儀」などの祭祀の取り止めなどを謀ったことを危惧していた者として、ここに来ての「生前退位」の報を訝しく思わざるを得ない。

 天皇の「国事行為」について、現憲法では、首相の任命、憲法改正や法律の公布、外国大使らの接受等を定めているが、天皇の「公的行為」は「私的行事」とされ現憲法に明文化されていない。

 天皇は憲法上の制約から、国事行為として「国会の開会式」「首相や最高裁長官の親任式」「大臣の認証式」「親授式」など年間約60回、国賓・公賓への接遇や会見、会食などの御公務を約170回お努めになられる。

 「陛下の負担軽減の一環」とは聞こえはいいが、天皇にとって大事なものはこうした国事行為ではなく「祭事」である。

 国事行為や接遇、御公務が御負担になっていることは明らかで、国事行為は皇太子殿下が摂政として引き継がれるべきであろう。

 今や、歴代天皇が古来より司って来た祭事は、GHQの神道指令と現憲法によって天皇家の「私事」にされてしまい、戦後改定された皇室典範にも「大嘗祭」の規定は存在していない。

 これだけでも如何に現憲法が、天皇を族長と仰ぐ我が国の正統にとって歪なものであるかが理解出来よう。

 宮中祭祀で特に重要なものは元旦に執り行われる「四方拝」と、「新嘗祭」であるが、国民の多くはその祭事の重要性を知らされていないことは、日本人として生まれた者として残念至極なことである。

 陛下の御譲位の報を機に、現憲法の不当性を明らかにし、また皇室典範は改正するより旧皇室典範に戻し陛下に返上すべきであろう。

 すめらぎの千代万代の御代なれや花の都に言の葉もなし。

 すめらぎいやさか。すめらみこといやさか。

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2016年07月13日

「私は昭和15年の生まれです。終戦のとき20歳でした・・・」(鳥越俊太郎出馬会見にて)

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 自称ジャーナリストの鳥越俊太郎が、野党統一候補として都知事選に出馬する。自民党のセンスの無さにも嗤えるが、野党の人材不足は否めない。

 最早、野党勢力は政策よりも反安倍の様相を呈し、革命謀略に蠢き出している様にさえ思えてくる。

 鳥越は「改憲の流れを変えたい」と訴える。これは安倍政権下での改憲の発議を阻止したいという切なる思いなのだろうが、発議がされたところで改憲を判断するのは国民である。

 護憲派を自認する勢力が、発議自体を阻止しようとの動きは自らが憲法を蹂躙している様なものだろう。

 昨日、南シナ海での中共による人口島の軍事拠点化に対し、オランダ・ハーグの仲裁裁判所は国際法違反との判断を下した。

 これは単にフィリピンと中共だけの問題ではなく、尖閣諸島での主権が侵されようとしている我が国にとって対岸の火事ではない。

 鳥越は過去に、我が国を取り巻く情勢を危惧する世論に対し「何処の国が日本を攻めて来るというのか」と鼻息荒く反論したことがあるが、尖閣問題より東京都である小笠原諸島での支那人らによる赤サンゴ盗掘事件の認識と再度繰り返された際の対応を伺いたいものだ。

 鳥越は出馬会見で次の様に語った。

 「私は昭和15年の生まれです。終戦のとき20歳でした。もちろん空襲も覚えています。防空壕に逃げ込んだこともよく記憶しております。従って、戦争を知る最後の世代として、そして戦後、昭和21年に小学校へ入りましたんで、戦後第1期生として、戦後の平和と民主主義の教育の中で育ってきた第1期生として・・・」

 終戦は昭和20年。だったら鳥越は終戦時には5歳だろう。そして「終戦時に20歳と言っていながら、昭和21年に小学校へ入学したという。

 あんたは21歳で小学校へ入学したのか。それともあんたの終戦は国会前での安保闘争が敗北した昭和35年か(笑)

 ジャーナリストならば自分の言葉に責任を持つべきで、言い間違いでは済まされないが、鳥越ら左翼ジャーナリストというのは他人の言葉には敏感で間違えたならば徹底して揚げ足を取るのに長けてはいるが、自分や仲間には大甘なのが特徴だ。

 因みに会見でのこの部分の映像は見られなくなっているが、鳥越らが得意の「国民の知る権利」はどうなってるんだい(笑)

 悲しいことに我が国は、尖閣周辺での中共からの威圧行為や朝鮮半島情勢を傍観しておきながら「米軍基地反対」だの「政治とカネ」だの「アベ政治を許さない」だの実にのんびりしたものだ。

 これを「平和ボケ」と言わずして何と言う。

 「平和ボケ」という言葉は、GHQの洗脳から目覚めることなく、戦後民主主義に狂奔する団塊の世代である鳥越らを揶揄したものだ。

 タレントのフィフィが平和ボケした日本人をこう揶揄したとがある。

 「平和ボケとは、まともな情報が流れてこなくて、娯楽ばっか与えられて、いつしかモラルすらこだわらなくなって、それを平和と思い込まされてて。水面下でうごめく危機に気づか無くて、いや気づか無いように教育されて。気が付けば、時すでに遅しの状態のこと」

 蓋し名言だと思う。

 それにしても鳥越のあの髪の毛の多さはなんなんだ。逆に「禿(ハゲ)に癌なし乞食なし」というのも蓋し名言なのかも。呵呵大笑。

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2016年07月11日

参院選の結果は国民良識の勝利といってもいいが、我が福島は・・・

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 参院選の結果は国民良識の勝利といっていいだろう。

 マスコミは改選43から32と大きく議席数を減らした民進党が、三重と沖縄、福島選挙区で共闘候補が当選したことで、恰も安倍政権に勝利したかの如き報道ぶりには厭きれるばかり。

 沖縄も福島選挙区も選挙前の調査結果通り落選は織り込み済み。野党は、この沖縄・福島の現職大臣落選を安倍政権の否定と捉え政争の具にしたいだろうが、何ら影響はないだろう。

 自民党が改選50から56と6議席増やした。公明党が9から14と5議席増。共産党も選挙前の予想では改選3から10議席を窺う勢いだったが、例の「人を殺す為の予算」が影響し倍増に止まった。

 愚生が比例で一票を投じた「日本のこころ」が0というのは寂しいが、自民党比例の青山繁晴の当選や改憲に前向きな大阪維新の会の7議席は心強い。

 それにしても東北は秋田県以外は全て民進党の統一候補が当選。原発事故にしろ、復興対策にしろ、民主党政権下での失政を忘れたかの様な選挙結果には厭きれるしかない。

 東日本大震災以来、県内では極左が息を吹き返し、過去の遺物でしかなかった中核派・前進社が福島大学を拠点に勢力拡大を謀り、「子どもたちを放射能から守るネットワーク」などのプロ市民が行政側に入り込んだ。

 中核派ら極左らはアジビラやアジ演説で、純粋な若者や一般人の正義感や安っぽい平和主義を擽り煽動する。

 「沖縄と思いをひとつに、帝国主義の核と戦争で命を奪われてきたすべての人びとの思いを背負い、福島から全国・全世界へ〈核と原発をなくせ!〉と叫ぼう! 」

 「福島の怒りと行動は必ず安倍・自民党を打ち倒す。3・11を、福島から安倍にトドメをさす日としよう!」

 福島県内は今や我々が想像している以上に左翼が蔓延っている。

 そんな中で行われた参院選挙だが、前回は定数二名で今回と同じ増子と岩城、それと共産党候補者が戦い、増子が約2700差でトップ当選を果たしている。

 今回、共産党との共闘で、共産党が前回獲得した約6万票が増子に流れるのは必至な中で、票差3万票は大健闘と言えなくもない。

 それにしてもマスコミや野党は「憲法改正」というキーワードを頻りに使って国民を扇動したが、憲法改正は3分の2で成立する訳ではない。

 単に憲法改正の発議であって、憲法が改正されるのは国民の過半数の同意が必要なのは言うまでもない。

 つまり、マスコミや野党というのは国民の良識を否定しているとも言える訳で、今回の選挙結果でもそうだが、こうした結果が出た以上、一定の評価をした上で公正・公平に報じるべきではなかろうか。

 今後、憲法議論が大いに活発化されるのを期待しているが、「護憲」を掲げ自衛隊を否定する共産党が選挙中に発した、「人を殺す為の予算」や「自衛隊は違憲だが(災害時には)利用する」との主張が、逆に憲法9条の問題点を明らかにしてくれたのは皮肉なことだ。

 自民党の憲法改正推進本部は、9条への国防軍の明記や、96条の改憲発議要件の緩和などを特に重要な項目と位置付ける方針を示している。

 安倍首相は「国防軍」の創設を公言しているが、国防軍の創設は当然9条の改正を伴うものだが、9条こそが重要だと位置付けしている点では、護憲派の9条信者と大して変わらない。

 現憲法は9条以外にも矛盾や欠陥が多く、また96条の改憲発議条項を緩和することは、万が一、共産党などの革命政権が樹立した場合、再改憲や天皇条項の削除も容易になるという危険も孕んでいることを自覚しなくてはならない。

 現憲法が、大日本帝国憲法第七十三条の、貴族院と衆議院の両議院の総議員の3分の2以上の出席を要し、且つ出席議員の3分の2以上の多数で議決されている様に、96条の改正を図るなら発議条項より「国民投票」というまやかしこそ取っ払うべきだろう。  

 自民党の憲法改正案には、前文の全面的な改定や天皇を「日本国の元首」とする規定や、環境権の創設や選挙権の国籍要件など、一見すると立派なものになるのではとの期待感を感じるが、所詮は改正は改正でしかない。

 自民党の党是は過去には自主憲法の制定であり、現在は新憲法の制定ではないのか。つまり、改正を目論むことは現憲法を容認することであり、党是と矛盾しているのではあるまいか。

 日本国憲法は、表面上は新憲法(日本国憲法)の制定とはなってはいるが、建前上は大日本帝国憲法(欽定憲法)73条による改正である。

 ならば、憲法改正への手順は現憲法の成立に倣って大日本帝国憲法の復元を図り、その上で改正することこそ望ましい。

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2016年07月10日

欧米諸国は日本を「オストリッチ・ファッション」と嘲(あざわら)う

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 多くの日本人は「平和」なのが当たり前だと思っている。

 参議院選挙を見ても「平和を守る」というスローガンを掲げて有権者に訴える。だが、軽々しく「平和」を口にする政党に限ってどうやって我が国の平和を創造するかという具体策は言わない。

 「戦争を誘発する大きな原因の一つは、アンディフェンデッド・ウェルス(無防備の害)だ」と訓えたのは三島由紀夫だが、軽々しく「平和」を訴えている政治家こそが戦争を誘発する最大要因となるというのは言わずもがな。

 憲法を守り、安保法案に反対し、自衛隊が無くなれば当たり前に平和が存在するのだと疑って止まないが、そういうのを思考停止という(笑)

 平和を守るには自衛隊の存在が不可欠で、自衛隊を更に有効に且つ自衛隊員の安全確保に安全関連法案は必要であり、自国の防衛を否定する現憲法には問題があると言った途端に反発を食らう。

 「オストリッチ・ファッション」という言葉があるそうだ。

 欧米諸国は日本を「オストリッチ・ファッション」と嘲(あざわら)う。

 オストリッチとはダチョウのことだが、ダチョウというのは自分に危機が迫ると穴に首を突っ込み、危機を見ないようにして危機から逃れたつもりになるという。

 「軍事」「戦争」「憲法改正」と言った途端に思考停止に陥る日本人を揶揄した言葉だが、正しくその通りだろう(笑)

 「平和」の反対が「戦争」ではない。戦争は政治や外交の延長線上にあるもので、国際法上認められた正当な行為である。

 「平和」の反対は「混乱」であり、「当たり前」の反対は「有り難い」であり、その稀にある「平和」という偶然に「有り難い」と「感謝」することは当たり前のこと(笑)

 悲しい哉、日頃軽々しく「平和」を口にしてる連中というのは、この平和で有ることが難いことであるという自覚が無く、「当たり前」に存在することなのだと勘違いし、「感謝」することもない。

 我が国の平和というものは、単に日米安保条約や米国の核の傘の下でのまやかしの平和であり、国民の多くはそんな薄っぺらな平和に現(うつつ)を抜かしているのが現状である。

 我が国の平和が、米国の庇護の下での存在であることに気付きながら、その米国に感謝するどころか批判し、米軍をも否定する。

 であるならば、中共や北朝鮮からの眼前の危機に対し、自らが立ち上がり平和を創造すべきなのだが、何故かそれをも否定する。

 我が国もそろそろ「オストリッチ・ファッション」から覚醒し、国家の大本である国防を取り戻す為にも、米国依存の体制からの脱却を図らねばならない。

 政治とは国防と教育が大事である。どの候補者・政党も一長一短色々あるが、国家観を重んじる政治家に一票を投じたいと思う。

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2016年07月09日

明日は国民の良識を問う選挙である。心して投票為れたい。

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 「野党の統一候補なら出馬する」と東京都知事選出馬に意欲を示し石田純一。この男ホント何を勘違いしているのか。こんなバカタレでも政治をやれると思われてしまうことが、現代の政治の堕落と為体の現れだろう。

 抑々、石田に都知事選出馬を要請したというその「市民団体」とは何処の組織か。東京都民でありながら「市民団体」というのも可笑しな話だが、どうせSEAL'sとかのアホ左翼の胡散臭げな団体というのは察しが付く(笑)

 芸能界には津川雅彦や伊東四朗、藤岡弘など保守的な芸能人も多くいるが、逆に共産党シンパや無自覚左翼翼タレントも少なくない。

 だが、芸能人やタレントなどのテレビに露出する機会の多い有名人の「言葉」というのは社会的影響が大きいだけに、政治活動をしたり政治的発言をするのは慎重であらねばならない。

 俳優や芸能人というのは本来は政治的には不偏不党、中立の立場を守るべきだが、閉ざされた世界で育つ故にどうしても関わりの持った先輩芸能人や周辺者に感化されてる場合が多い。

 共産党シンパの吉永小百合や沢田研二、最近では吉永に洗脳されたと思しき渡辺謙やこの石田らに共通するのは安っぽい正義感。

 彼らは戦後教育の自虐史観にどっぷりと漬かりながら、それらを疑うこともせず、「戦後民主主義」に拘泥するあまり、自分の考えこそ絶対として全く聞く耳を持とうとはしない。

 一世を風靡したジュリーこと沢田研二は、「憲法九条を守りたい」と、自ら詩を付けたバラード「我が窮状」を制作し、これがコンサートでは人気らしく、昔からのジュリーファンが恍惚に浸る(笑)

 歌手として何を歌おうが勝手だが、九条を「世界に誇れる宝物」だとか、アホな解釈を垂れ流すのは勘弁して貰いたいものだ。

 第九条の「戦争放棄に関する条項」は、世界大戦後に国連が勧めた「不戦条約」がその源である。

 「不戦条約」は我が国を始め、米国、英国、仏国、伊国など多くの国が締結している。しかし、戦争放棄のこの国際条約を結んでおきながら世界は皮肉な事に条約とは全く正反対の道を歩んで往った。

 成文憲法で「平和主義」を謳っている国は80ヶ国以上在り、イタリア、スペイン、ハンガリー、エクアドル、フィリピンは日本と同じ規定が在る。

 護憲派らは口々に「世界で唯一の平和憲法」と賛美しているが、これこそ日本人の奢りであり、無知以外の以外の何ものでもない。

 正に「護憲派」とは「誤憲派」と断じるのが正しい。

 タレントとは一芸に秀でた者をいうが、俳優としては一流だからといって、そういう者が政治的にも立派な考えを持っているのかといえばそうでもない。その政治的自論は実に幼稚なものばかり。

 「誤憲」「人権」「平和団体」などの所謂「無自覚左翼」に共通するものは、物事の見方が薄っぺらで実に腹立たしいものばかり。

 左翼にとって、石田の様な無自覚左翼的タレントは利用価値は非常に高く、共産党や左翼陣営、売国マスコミの連中はこうした有名人を利用し、国民を誑かすのが常套手段でもある。

 石田はそれに載せられているだけのバカタレに過ぎない。

 参院投票前にこうしたバカタレがメディアに露出し、暗に安倍政権を否定することで投票行動に影響が出るのは避けられない。

 明日は投票日だが、マスコミ各社の調査では自公で3分の2に迫る勢いだという。だが、一方で改選前3議席だった共産党が10議席を窺う勢いだというから驚くしかない。

 つまり、今回の民共合作で漁夫の利を得るのは共産党だけであり、政策論争を避け、旧社会党の如く何でもかんでも反対だと醜い選挙戦を演じた民進党岡田の責任は重く、選挙後の辞任は避けられまい。

 ということで、明日投票の参議院選挙は国民の良識を問う選挙でもある。心して投票為れたい。

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2016年07月08日

都知事選挙に小池百合子が出馬表明し「都議会改革」を明言

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 来週告示される東京都知事選挙に小池百合子が出馬を表明した。この席で小池は「都議会の冒頭解散」を打ち出し、都政改革の必要性を訴えた。

 「都議会の冒頭解散」は大袈裟だが、猪瀬、舛添と二人続けて任期途中で辞任するに至ったが、都議会と自民党東京都連は、舛添前知事の公私混同疑惑問題を何ら追求することなく他人事を極め込んだ。

 小池は、こうした都議会と自民党東京都連を都政改革の元凶(抵抗勢力)と捉え、世論を味方に「都政を取り戻す」をスローガンに選挙戦を戦うつもりだろう。

 我々には都議会や自民党東京都連の評判というのはイマイチ分からない。そこで、元知事の猪瀬直樹が面白いコメントを載せている。

 括目する内容なので一部校正して転載してみよう。

 「報ステ」と「ニュース23」の解説は重大な誤り。舛添は自民党推薦だが、僕(猪瀬)は「推薦」を貰っていない。自民党都連(内田茂幹事長)は、選挙のポスターを貼ってくれず突き返してきた。舛添氏は傀儡(自公の)政権だが、僕は副知事時代に既得権益に斬り込んだので敵扱いされた。(結果は周知の通り)

 都政で何が問題だったのか。最後まで舛添続投を模索していたのは都議会自民党のドン(内田幹事長)だった。(世論の騒ぎは収まらず)このままでは参議院選挙に影響が出ると官邸から言われた内田は渋々引導を渡した。

 都政最大のガンは既得権益を仕切るボス(内田らによる)政治なのに、メディアは表層的でことの本質に迫っていない。小泉元首相の「最近は女も度胸がある」との発言の真意が伝えられていない様なので解説しておきたい。

 小泉元首相は既得権益への斬り込みを小池に期待しているのだ。

 内田茂自民党都連幹事長は既得権益の権化として都議会に10数年君臨してきた人物。区長会や自民党都議団幹事長が出馬を要請したりしているが、これは制度的にはどうでもよい組織で、都連幹事長とは違う。都議団幹事長は軽量でいつでも首を差し替えることができる。名称が似ているが非なるもの。

 内田茂都連幹事長は正式に増田氏に出馬を要請していない。勝ち馬に乗ろうと慎重に様子を伺っている。同時に増田氏を立てて小池降ろしを画策している。(小池がパラシュートなしでの立候補だと言ったのはそういうこと)

 自民党都連会長は石原伸晃だが、会長は(単なる)帽子で国会議員や都議会議員の公認権は都連幹事長の内田が握っている。(石原が小池と会談しても決断出来なかったのはこういうことで、「小池さんは自由人だね」と腐すのがやっと)

 内田は過去には石原慎太郎知事に対しても牙を剥いている。僕が副知事に就任した際に議会承認が必要だったが、ラインを渡さない無任所とされた。謂わば松下電器の副社長になったら副社長室しかなく事業本部がないと同じ。ラインは別の役人(上がり)の副知事に握らせていた。

 そこで僕は、課題ごとにプロジェクトチームを創り、優秀な人材をラインから集めて改革に着手した。そして先ず、副知事就任の直後に千代田区に建設が予定されていた参議院議員宿舎を潰した。

 この件で、千代田区基盤の内田が激昂したのは言うまでもない。

 そういう経緯もあり僕が都知事に出馬した際、ポスター2万枚が送り返されてきた。「貼ってやらない」というのである。そこで徳洲会に応援を頼んだ。

 最後は「連合」が貼ってくれることになり徳洲会からの借金(5000万円)は使わずに済んだ。(だがその後この5000万円が問題になり猪瀬は辞任に至る)

 問題はメディアである。都庁記者クラブは社会部で若い記者の通過場所で深堀がない。都庁の人事情報などを入手するため内田詣が慣例となっている。

 恐らくメディアは、出馬に踏み切った小池の粗探しを始めるだろう。内田の思う壺になることも分からずに。(以上が猪瀬のコメント)

 数日前、「支援者ビルに格安入居は政治資金規正法に抵触する可能性」というニュースが報じられたが、如何にも胡散臭げな記事だった。

 小池が東京都知事選挙に名乗りを上げて直ぐこういう作為的な記事が出るのは摩訶不思議なことで、てっきり小池出馬に難色を示す森元首相の策謀かと勘繰っていたが、これが内田幹事長の策謀だと思えば合点が行くというもの。

 自民党東京都連が「日韓併合」に批判的で韓国に秋波を送る増田寛也を擁立し、一方で、都立高校跡地を韓国人学校に有償で貸与する件を撤回させるという小池との対決の構図はこれはこれで面白い。

 候補の一人、長島昭久は政治思想は好いのだが民進党にいながら何も出来ないし、こういうなんちゃって保守が一番始末が悪い。

 ここに来て、タレントの石田純一が出馬に意欲を見せている。石田は安保関連法案でSEALDsらと共に反対集会にも参加した無自覚左翼のバカタレだが、反原発派や左翼の支持を得て当選なんてことになったらシャレにならない。

 兎にも角にも、小池の出馬は自民党の旧態依然の体質と陋習から決別するチャンスでもあり、大いに興味が注がれる。

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2016年07月07日

敵国(日本)が再び侵略行為を行った場合には連合国(中共)は安保理の承認なしに武力行使出来る

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 東シナ海での中共人民軍の挑発行為が止まらない。そればかりか、航空自衛隊機が中共人民軍機にレーダーを照射したと言い掛かりを吐けて来た。

 真相は逆で、航空自衛隊機が人民軍機に危険な目に遭わされたのだが、日本政府は抗議するどころか否定している。

 いつの世も戦争というのは存外こんなことから始まるのかも知れない。

 中共は国連に於いて、「敗戦国(日本)が戦勝国の領土(沖縄・尖閣列島)を占領しようとしている」と発言したのは記憶に新しい。

 これは国連憲章第53条、第107条の「旧敵国条項」、「連合国の敵国であった日本などが再び侵略行為を行った場合、他の国は安保理の承認なしに武力行使出来る」という規定を意識した発言であるのは間違いない。

 中共は沖縄・尖閣諸島は自国の領土だと公言し、つまりは国連憲章に基付いて、中共は戦勝国として我が国を監視し、我が国の如何なる理由による防衛でさえも侵略行為と断定してしまえば、一方的な武力行使は可能ということなのだ。

 今回のレーダー照射も武力行使の付けたりに過ぎない理由なのだ。

 だが、考えてみれば、中国共産党が戦勝国というのも可笑しな話で、我が国が先の大戦で我が国が戦ったのは「中華民国」であり、戦後4年も経ってから建国された共産党一党独裁の「中華人民共和国」ではない。

 国連が、蒋介石の「国民党」と毛沢東の「中国共産党」による「国共戦争」で勝利した中共を戦勝国として容認したことは理解するが、何故に我が国までが中華民国を見捨て、中共と戦ったことになってしまったのか。

 そこには、戦後消された歴史の存在がある。

 我が国は主権が恢復した昭和27(1952)年4月28日、米国との「日米平和条約」が発効され、そして同日、中華民国と「日華国交条約」を締結した。「報恩感謝」として平和条約を締結したことは道義国家として当然の行動だろう。

 だが、昭和47(1972)年9月29日、田中角栄が「日中共同声明」に調印するが、この時田中は中国共産党を唯一の政府であると認め、一方的に「日華国交条約」を蹂躙し、「日中平和条約」を締結するに至った。

 中華民国(台湾)は直ちに日本との国交を断絶。これを以て、我が国が戦った国は中華民国ではなく中華人民共和国であるとの歴史の修正を余儀なくされた。

 我が国が中共との国交を結ぶのは吝かではないが、何故に干戈を交えた中華民国との国交までも破棄する必要があったのか。

 抑々、田中が「我が国は道義国家であり、干戈を交えた中華民国との友好条約を破棄することは出来ない」と拒否すれば好かったことだ。

 周恩来らの恫喝に屈し、中国共産党を唯一の政府と認め、「日華国交条約」を蹂躙した田中の行為は、終戦間際に「日ソ中立条約」を一方的に蹂躙したソ連の蛮行と同じであり、道義国家日本が崩壊した象徴でもある。

 我が国が締結した「平和条約」には、「主権・領土の相互尊重」「相互不可侵」「相互内政不干渉」が記述され、「両締結国は善隣友好の精神に基づき且つ平和及び互恵並びに内政に対する相互不干渉の原則に従い両国民の交流促進のため努力する」と踏襲されている。韓国との友好条約も然り。

 だが、尖閣諸島への主権侵犯然り、靖國問題然り、中共や韓国側が公然と国家の意思によって条約を蹂躙していることは歴然であり、両国の交流促進にしても我が国からの一方的なものでしかない。

 「反日」を掲げ敵対行為を繰り返す中共や、或いは「反日」をヒステリックに叫ぶ韓国との関係は「平和条約不履行」を理由に条約を破棄し、国交を断絶すべきだと思うが、現憲法98条には「国際条約締結の順守義務」があり、言うは易く行うは難しというのが現実。

 だが、チョッと待てよ。国際条約の破棄は明らかな日本国憲法98条違反だが、田中が国際条約である「日華国交条約」を公然と破棄したという前例に倣えば、「日中平和条約」の破棄も不可能ではないということか(笑)

 善隣友好の精神なんぞ皆無の中共と国交を断絶し、交戦に備えよ!

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2016年07月06日

「戦争出来る国」ではなく「戦争で負けない国」にしなければならない

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 上田健二郎こと不破哲三が、参院選挙で共闘する民進党候補者の応援演説に立った。御年86歳。年寄りが元気なのは好いが、はっきり言って老害と嗤うしかない。尤も、これは自民党の大勲位・中曽根康弘らにも言えることだが(笑)

 「今の自民党は安倍カラー一色でゆとりがない」と批判し、「日本を戦争出来る国に変えることを自分の最大の責任だと思っている」と安倍首相を批判した。

 だが、好戦的で一党独裁を目論む共産党にだけは言われたくはない(笑)

 今回の参議院選挙を見ていると、共産党に与する勢力の威圧行為や暴力的行為が目立つ。例えば安倍首相が演説する場に来ての「アベ帰れ!」コールや「アベ政治を許すな!」というプラカードを持っての妨害。

 自民党の候補者を取り囲んでの威圧行為も確認されてるが、口では「平和」を唱えている彼らのその体質は暴力的であり独善的だ。

 自分達の主張が受け入れられなかったり、思い通りにならないと暴力を揮ったり、発狂して喚き散らし相手を黙らせるのは常套手段。

 そんな彼らも不破の演説では大人しく聞き入ったというが、こうなるとインチキ信仰宗教の教祖様を見に行く信者の様でもあり、演説もまた洗脳そのものでそれを信じる党員は信者そのもの(笑)

 そんな彼らに聞きたいが、「戦争出来る国」というがその何が悪いのか?

 「戦争」とは国際法上認められてる行為であり「悪」ではない。

 我が国は先の大戦で負けてしまったから「悪」となってしまったのだが、自国を卑下し、戦争を否定するというのは、正しく米国の戦後の価値感の押し付けであり、未だ占領政策から目覚めていない証左である。

 日本共産党は、思想的には中国共産党の第五列でありながら、歴史認識では自虐史観にどっぷりと浸かった親米派だろう(苦笑)

 そういう意味では先の大戦は、「一旦始めた戦争は決して敗れることがあってはならない」という極めて重要な教訓を残したと言えよう。

 つまり「戦争を出来る国」では足らず、戦争が起こった場合に備え「負けない国」を目指さなくてはならないということだ。

 米英は「戦争とは政治の継続である」と教え、ドイツでは「戦争とは別の調停手段を伴う政治的な取り引きの継続である」と教える。

 要は、戦争とは政治や外交の延長であって、憲法を見直したり、自衛隊の海外出兵や安全保障法制を創ることで起こるのではない。

 「戦争を誘発する大きな原因の一つは、アンディフェンデッド・ウェルス(無防備の害)だ」と訓えたのは三島由紀夫。

 つまり、軽々しく「平和」を口にし、「自衛隊(軍事増強)反対」を訴えている政治家こそが戦争を誘発する最大要因となるということを知るべし。

 尤も、一番戦争したいと思っているのは、否、戦争で日本が負けてくれと願ってるのは共産党だということは言わずもがなだが。呵呵。

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2016年07月04日

テロという「現代戦争」に万全の対策を講じよ!

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 バングラデシュの首都ダッカで起きたテロ事件で犠牲になれた方々に衷心より御悔み申しあげます。

 イスラム過激派の武装グループが飲食店に侵入、このテロで日本人7名が犠牲になったことは日本国民として激しい怒りを覚える。

 IS(イスラム教スンニ過激派組織)は、「イタリア人を含む十字軍22人を殺害した」とする犯行声明を出したが、これは我が国に対する宣戦布告でもある。

 テロ発生の報を受け安倍首相は応援演説先から急遽官邸に戻り情報収集と対応に追われたが、これを民進党代表の岡田らが批判しているが、批判、抗議すべきは卑劣なテロ行為であって安倍ではない。

 参院選挙の最中、一票欲しさに何でもかんでも安倍の所為にするのは余りにも安直し過ぎだし、テロ行為を非難せずに首相を貶すことは、ISへ間違った情報を与えてしまう可能性を否定出来ない。

 こうした現実に目を瞑り、「戦争法」だとか「憲法改悪阻止」だとかいいながら「平和を守る」という岡田らの神経が理解出来ないし、こういう政党を支持してる有権者というのは危機感が欠落してると言わざるを得ない。

 犠牲になられた日本人は、国際協力機構(JICA)の円借款のプロジェクトに参加し、バングラデシュの為に懸命に働いていた方々で、こうした方々が犠牲になるのは余りにも忍びない。

 プロジェクトに関わる別の7人と共に食事中に襲撃された様だが、この日はイスラム教徒にとっては重要なラマダン(断食月)の最終金曜日。

 ラマダン明けが危険ということは過去のテロを見るまでもなく、そういう意味では「日本人だから大丈夫」という予断はなかったか。

 イスラム過激派は「アッラー・アクバル(神は偉大なり)」などと大義を掲げるが、一般人を犠牲にする無差別テロに神聖な目的も無ければ神を語る資格も無い。

 八百万の神を信じ仏を尊ぶ日本人には理解し難いものだが、イスラム教やキリスト教など一神教を信じる国々の不幸は此処に在る。

 一神教を盾にしたテロは止むことはなく、一方で「テロ根絶」の名の下に更なる弾圧が続けば、テロの連鎖は果てしなく続くだろう。

 テロの根絶を願うなら、圧政に呻吟する民族の解放と独立させる以外にないが、畢竟、それは政治体制の崩壊を意味する。

 政治体制を見直すことは米国然り、中共やロシア然り、中近東然り、それはゲリラやテロリストの根絶以上に不可能なことだ。

 我が国も、テロ根絶を願い、世界での人道支援に邁進するというのなら、米国依存の体制からの脱却を図り一身独立することこそ大事なのだが、これもまた困難を極めるだろう。

 今回のバングラデシュでのテロ行為が組織的且つ周到な準備を経た犯行を見れば、テロというより「現代戦争」というのが正しい。

 我が国も、こうした「現代戦争」が何時でも何処でも起こり得るということを想定し、万全の対策を講じなければならない。

 それこそが、テロで犠牲になられた方々の無念さに応える唯一無二のものであると信じて止まない。合掌

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2016年07月03日

若者の政治参加を煽り唆す教師共の教員免許を剥奪せよ!

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 公職選挙法が改正され、選挙権が18歳に引き下げられたこともあって、政治運動に参加する若者が殖えている。

 若者が政治に目覚めることは結構なことだが、如何せん、無知な若者は洗脳されやすく、純粋なというか幼い正義感が利用されてしまうことは儘あることだ。

 SEALDsなどの若者らの政治集会を観ても、共産党や日教組などに煽られた若者がファッションの延長の如く、「戦争法案反対!」だとか「安倍政権打倒!」などを叫んでいる姿は見ていて悲しいものがある。

 そういう愚生も、中学時代の日教組だった担任や自民党員だった父親の影響もあり政治に興味を持つ様になり、その結果、幼い正義感から右翼こそ正義であると活動にのめり込んだ。

 若者への影響力があるのは親よりもやはり先生だろう。

 多くの教師がまともなのは承知しているが、中には異常な精神構造の教師もいるのは確かで、政治が絡めば尚更キチガイになる。

 そんな精神異常者が日教組や全教の教師らであって、連中が今回の公職選挙法改正を千載一遇の好機とばかり、「戦争法」だとか「徴兵制」だとか己らの妄想を生徒らに押し付ける。

 自らを「労働者」と呼び、労働者として現体制の否定と革命謀略の推進を謀る売国団体が日教組や全教であり、その親玉は周知の通り日本共産党と社民党だ。

 この日教組の優秀な教え子であり、共産主義に正義を求めた体現者が永田洋子(ひろこ)や坂口弘ら死刑囚だった。

 中核、核マル、核労協、連合赤軍、全学連などの極左暴力集団然り、若者らは次々と暴力革命に狂奔し、それが正義だと疑わなかった。

 彼らの行動の正否を論ってもしょうがないが、彼らは若者の特権でもある純粋な正義感を貫いたのだ。

 一方の誑かした教師といえば、公務員給与で自宅を建て、退職後も共済年金で悠々自適な生活を送り、己らの左翼思想の押し付けで生徒の一生を台無しにしたという意識は皆無で、その罪を贖うことは無かった。

 公務員には統一ストは一切認められておらず、「煽(あお)り」「唆(そそのか)し」「誑(たぶら)かし」は、地方公務員法第三十七条違反に問われる犯罪行為である。

 だが、当局の対応は「触らぬ神に祟りなし」的な甘い対応に終始し、反国家・反民族の不逞行為を看過しているのが現状である。

 若者らの政治参加ブームは、売国マスコミを始め、こうした確信的左翼集団による「煽り」「唆し」「誑かし」によるものであろうことは想像するに余りある。

 若者が「戦争法案!」だというなら、それは何故かを問い質し、そうしたものは誰から聞いたのか、誰の入れ知恵なのかをじっくりと聞いてみたいものだ。

 それがもし教師ら公務員によるものなら「唆し」の罪で厳罰に処すべきで、地方公務員法の適用が難しいなら罰則規定を強化する法案成立を急ぎ、若者らが誤った方向へ進むのを食い止めなくてはならない。

 「無知が犯罪を生む」というのはよくあることで、無知な若者の政治参加には、第二の永田洋子や坂口弘を創り出す危険を孕んでいる。

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cordial8317 at 04:37|PermalinkComments(0)

2016年07月01日

直(なお)きを友とし、真(まこと)を友とし、多聞(たもん)を友とするは益なり

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 「朋あり遠方より来たる。また楽しからずや」

 親しい友とはこの言葉通りかけがえのないものであり、気の置けない友人との一献ほど愉しいものはない。

 しかし、親しいからといって近づき過ぎると礼を失することになるし、かといって距離を取り過ぎれば余所余所しくなる。

 武道ではないが、人間関係に於いても程好い間合いというのが大事なのだ。

 願之推(がんしすい)は「優れた人物を友に持てば、長い間には自分もまた香気を放つ人物になるもので、友人との交際は慎重でありたい」と訓えている。

 自分より優れた人たちとの交際が、自分を成長させる上で役に立つ。要は「己に如かざる者を友人とする勿れ」ということだ。

 孔子は「益者三友、損者三友」、つまり「直(なお)きを友とし、真(まこと)を友とし、多聞(たもん)を友とするは益なり」と訓える。

 益者とは「剛直な人」「誠実な人」「教養のある人」をいい、損者とは「易きに付く人」「人あたりばかりいい人」「口先だけ巧い人」などをいう。

 つまりは剛直な人。誠実な人。見聞に長け教養のある人と交わることは有益であるが、その反対に、媚び諂い、易きにつく人、人当たりばかり良い人、口先だけの人を友とすることは有害なものだと訓える。

 だが、為にならない人も反面教師として見れば役に立つ(笑)

 確かに、自分に諂う様な人物を友としても何の役にも立たないことはよく知っていても、人というのは兎角、自分の短所や欠点を注意されることよりも、何やかんやと御世辞をいう、諂う友(人)を周りに置きたがるものだ。

 だから孔子は、「良薬口に苦けれども病に利あり、忠言、耳に逆らえども、行に利あり」とも喩えている。

 こうした考え方は間違いではないが、如何せん、そういう立派な友などそうそうはいないのではなかろうか。皆、「朱に交われば赤くなる」の喩え通り、似た者同士が集まってしまうものだろう(笑)

 実社会の人間模様を見渡せば、善友、必ずしも善友ではなく、悪友、必ずしも悪友とは限らない。「毒を以て毒を制す」ではないが、悪友の方が、結果として善友以上の働きを示すことの方が多いのも確かだろう。

 分かり易く喩えれば、畳にこぼれた水を拭き取るには、乾いたタオルでは綺麗に拭き取れない。タオルを充分に水に浸し、これをキリリと絞り上げてから使うのがいい。タオルの水気が畳の水を綺麗に吸い上げるのだ。

 新しいタオルが水を吸わないのと一緒で、日頃、キレイゴトを言ってるヤツなどは、いざという時にはクソの役にも立たないものだ(笑)

 そんな上辺だけの者より、共に笑い、共に泣き、ある時は共に悪い遊びをした様な友達の方がいざという時は親身になって心配してもくれるし心強い。

 今どきの安っぽい風潮に流され、請け売りの政治学を偉そうに語るヤツより、そんな政治のことは全く分からなくても、酒を愛し、趣味や惚れた女やスケベな話しを自慢顔で話してるヤツの方が信用出来る(笑)

 相手の主体性を重んじることを「君子の交わり」というが、「君子の交わりは淡きこと水の如し、小人の交わりは甘きこと醴の如し」という言葉もある。

 物事をよく弁えた人の付き合いというものは水の様に自然なものなのであるが、つまらぬ小人物の交際というのは、まるで甘酒の様にベタべタした関係であり、一時的には濃密のように見えても、長続きせず、破綻を招き易いものでもある。

 facebookなどでの遣り取りを見ているとキレイゴトを並べ、ベタベタとした上辺だけのコメントが実に多い。互いに抑揚を抑え、大人の遣り取りをしているつもりなのだろうが、そんな付き合いなどに意味があるとは思えない。

 「巧言令色鮮矣仁(こうげんれいしょくすくなしじん)」という訓えの通り、言葉巧みで、人から好かれようと愛想を振りまく者には、誠実な人間が少なく、人として最も大事な徳である仁の心が欠けているものだ。

 この言葉の対語は「剛毅木訥近仁(こうきぼくとつじんにちかし)」というが、その意味は、意思が強く強固で、素朴で口数が少ない人物が、道徳の理想である仁に最も近い者であるということ。

 愚生は剛毅さはあると自負するが、右翼人というのは「よく読み・よく書き・よく喋る」という三拍子が必要で、つまりは朴訥には程遠いし、人から好かれ様とは思わないが、巧言というのは無きにしに非ず。呵々

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cordial8317 at 11:13|PermalinkComments(0)