2016年03月

2016年03月31日

シャープより鴻海の方が商売に長けている(笑)

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 愚生の座右の書でもある「大物になる本(織田大蔵語録)」には、経営学の秘伝として「売る時は安く、買う時は高く」と教える。

 商売上のコツというのは、売りたい場合は、相手の気をグッと惹き付ける為に値段を安く付けるといい。

 例えば、100万円のものなら50万円の半額で。

 すると相手は必ず乗って来る。もう買ったつもりで金を準備し、色々な手配を完了する。その頃合いを見計らって一言。

 「いや、実は他にも買い手が付いて、相手は150万円と言って来ているものだから、大変申し訳ないが・・・」

 すると、相手は、「なんですか。こっちはあの値段で買うことを決めて、もうすっかり手配が終わっているんですよ。今更、そんなことを言われても困る・・・」

 「御尤もですが、私共も三倍で売れるとなるとどうしても・・・」

「困った人ですね。私の方は買うということで手配も終わっているし、ならばどうですか、120万円で」

 「弱りましたな。30万円不足ですが、まぁ仕方がない。最初に口をかけたのは貴方の方ですから・・・」

 と、こうして商談を纏める。

 結局は100万円より20万円高く売って、然も相手には30万円安く買ったという喜びを与えてやれる(笑)

 買う場合はこの逆。

 初めに高値を付けて、相手に売った気持ちにさせることだ。

 相手は売れたものとして段取りをしてる。その頃合いを見て、今度は思い切って値切る。

 理由は何でもいい。「銀行から予定通り融資して貰えなくなった」とか「もっといい物が見つかった」とか。

 相手は既に売れた後のこと、ああしよう、こうしようと考えているだろうから、少し損をしてでも売ってしまおうと決心する。

 そこが付け目。相手はコロッと売って来るだろう。

 どうだ、こういうのが「経営学」にはない本当の秘伝だ。

 生きている人間同士の取引きなんだから、当然、心理作戦というものがあっていい。

 昨日、台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業は取締役会で、経営再建中のシャープを買収することを決めた。

 当初4890億円だった出資金は3888億円と1000億円も大幅に減らされたが、これこそ「売る時は安く、買う時は高く」という心理作戦の結果だろう。

 やはりシャープより鴻海の方が商売に長けている様だ。呵呵。

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cordial8317 at 08:33|PermalinkComments(0)

2016年03月30日

「日本死ね!」というなら「舛添死ね!」ともいうべきだわな(苦笑)

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 「保育園落ちた、日本死ね!何なんだよ日本。一億総活躍社会じゃねーのかよ。昨日見事に保育園落ちたわ。どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか。子供を産んで子育てして社会に出て働いて税金納めてやるって言ってるのに日本は何が不満なんだ?何が少子化だよクソ・・・」とは、国会でも取り上げられたネットの投稿。

 言葉に知性は感じられないが、怒りは伝わってくる(笑)

 だが、保育行政というのは厚生労働省の指導もあるが、実際には地方自治体の管轄であり、この怒りは「日本死ね!」というより地方自治体にも向けられるべきで、そういう意味では、韓国人学校への都有地貸与を決めた舛添東京都知事にこそ「舛添死ね!」と断じるべきだろう(苦笑)

 一方で、マスコミが「女性にとって最も大切なことは子供を2人以上産むこと」という言葉だけを論い、バッシングされた大阪市立中学校の校長は今月末で退職することになった。

 この校長の発言はこうだ。

 「今から日本の将来にとって、とても大事な話をします。特に女子の人は、まず顔を上げてよく聴いてください。女性にとって最も大切なことは、子供を2人以上産むことです。これは仕事でキャリアを積むこと以上に価値があります。なぜなら、子供が生まれなくなると、日本の国がなくなってしまうからです。しかも、女性しか子供を産むことができません。男性には不可能なことです。『女性が子供を2人以上産み、育て上げると、無料で国立大学の望む学部に能力に応じて入学し、卒業できる権利を与えたらよい』と言った人がいますが、私も賛成です。子育てのあと大学で学び、医師や弁護士、学校の先生、看護師などの専門職に就けばよいのです。子育ては、それほど価値のあることなのです。 もし、体の具合で、子供に恵まれない人、結婚しない人も、親に恵まれない子供を里親になって育てることはできます。次に男子の人も特によく聴いてください。子育ては、必ず夫婦で助け合いながらするものです。女性だけの仕事ではありません。 人として育ててもらった以上、何らかの形で子育てをすることが、親に対する恩返しです。子育てをしたらそれで終わりではありません。その後、勉強をいつでも再開できるよう、中学生の間にしっかり勉強しておくことです。少子化を防ぐことは、日本の未来を左右します。やっぱり結論は、『今しっかり勉強しなさい』ということになります。以上です。大阪市立茨田中学校長・寺井寿男

 この文章を読んで「怪しからん!」と感じるのは、余程のバカか、ジェンダーフリーを叫んでる性的変質者くらいなものだろう(苦笑)

 「男女共同参画社会」に於いて、「子供を産まない」「子供を持たない」という選択肢は当然の権利であり、寺井校長の「子供を2人以上産むことが大事」という発言は男女共同参画社会に逆行しているということなのだろうが、子供を産むこと、子育てすることというのはとても大事なことだ。

 何より、家庭(家族)とは、未熟な夫婦が子供を育て上げる過程で、精神的にも、肉体的にも共に成長出来るものである。

 今の自分が存在しているのは、代々続く御先祖様のお蔭であり、その先祖の誰一人が欠けても自分が存在しないのは言うまでもない。

 「子供を産まない」「子供を持たない」ということは、自分の代でその永い歴史が終わるということでもあり、これこそ身勝手極まる選択だろう。

 同じ様に、国にも歴史がある。

 我が国は歴史上、人口移動の殆どない稀有な国だ。日本列島に存在していた方々は皆、我々の御先祖様なのである。

 その共通の御先祖様からの流れの中に今日の我々が存在している。 我が国の歴史は、正に我々の御先祖様の歩みそのものなのである。

 その祖先の歴史を貶し、罵る連中がいるが、これ即ち御先祖様の歩みを否定していることであり、つまりそれは、自分という存在自体を否定していることと同じである。

  「子供を産まない」「子供を持たない」選択を強要する性的変質者らは、「日本人の子孫を誕生させない」という日本民族を絶やすことが狙いであり、国の歴史を否定するクソ左翼らの思惑とが見事に一致する。

 そいういや、福島瑞穂の著書に「産まない選択、子供を持たない楽しさ」というのがあったな。斯くいう当の本人には子供がいないかというとそうではない(苦笑)

 ホント、左翼というのは身勝手。「言論の自由」にしても左翼や人権派、平和団体の逆鱗に触れると、それこそ批判され、言論弾圧を受けるが、我が国の「言論の自由」とは、左翼や特定団体にだけ適用される特権だと熟熟感じる。

 それにしても、寺田校長の様な立派な教育者の損失は国益の損失である。

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2016年03月29日

民進党大会に国體破壊活動家でSEALDsの奥田愛基が来賓として出席(笑)

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 民進党大会が行われ、なんと来賓には国體破壊活動家でSEALDs(シールズ)の奥田愛基が招待されたというから呆れ甚し。民進党とは所詮はこのレベルの政党であるということ以外に言い様がない。

 その奥田、結党大会というのにノーネクタイの普段着。これでは一般常識を疑われても仕方あるまい。別にタキシードや礼服で参加しろとは言わないまでも、「平服」で出席するのは来賓としての最低限のマナーだろう。

 広辞苑などには「平服」とは、式服・礼服に対して普段着と説明しているが、ジーパンやジャケットなどラフな格好が「平服」ではない。

 「平服」とは相手に合わせて着用するべきで、出席する場所を弁えて、最低でもスーツにネクタイというのはいい大人なら理解しているだろう。

 ところがこれは別に奥田だけのことでもない。

 桜も見頃なこの時期、靖國神社には多くの参拝者がやって来る。

 だが、花見や拝殿前での参拝ならいざ知らず、昇殿参拝をするというのにネクタイもせず、平服どころか奥田以上のだらしない格好で参拝してる自称・愛国者、自称・保守派が少なくないのだ。

 こんなだらしないことで、SEALDsや左翼らを批判し、否定するというのは烏滸がましいことだとは思わないのだろうか。

 これは愛国者を自任してる右翼にもいえる。

 愚生が右翼団体に入り、交流して行く中で違和感を持ったのは、口では「尊皇」を唱えながら、皇室を軽々しく扱っているのではと思うことが少なくなかった。

 例えば、「天長節」や正月の一般参賀に背広や正装ではなく、私服やノーネクタイ、或いは胸や腕に日の丸や旭日旗をあしらった隊服で皇居に赴く右翼人が目立つ目立つ。

 彼らは右翼活動家としての正装だといって憚らないが、周りには奇異に映っていることをどう感じているのだろうか。

 最も尊び敬うべき陛下に拝謁するのに、また陛下が正装で御出座しなされるというのに、ああした恰好は右翼人以前の問題で常識を疑ってしまう。

 正月には、笑点に出てる落語家かと見間違える様な派手な着流し姿で参賀する右翼団体幹部も見かけるが、右翼は武士であるべきで、着物を着付けるならば袴を着用するのが侍や武人としての常識だろう。

 右翼が忌み嫌われるのは、思想や主張以前に、こうした日頃の行動や立ち居振る舞いが影響しているのではなかろうか。

 先日届いた来月斎行される靖國神社春季例大祭の案内状には、「平服(ダークスーツ)、女性はこれに準じる服装にて御参列下さい」との但し書きが記されている。

 遺族や保守派、愛国者らが集う靖國神社の然も例大祭の案内状に、こうしたことまでも書かなければならないとはホント情けないやら悲しいやら。

 福田素顕翁(防共挺身隊・初代総隊長福田進の父)は、「愛国者は国民の模範的人物にして、指導者たれ!」との言葉を遺した。

 だが、右翼や自称・愛国者や保守派を自称する者の中で、果たして何人が、我こそが愛国者であり、国民の模範であると堂々と胸を張ることが出来ようか。

 斯くいう愚生も右翼人として我が胸に手を当て自省してみれば、忸怩たる思いに駆られるが、国民の模範に成れないまでも、塵の中でもキラリと光彩を放っているそんな右翼浪人で在りたいものだ。

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2016年03月28日

ドナルド・トランプ大統領誕生を熱望する(笑)

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 ドナルド・トランプは、我が国と韓国の核兵器保有を容認したという。また米軍駐留予算を今よりも大幅に増やさなければ米軍を撤収する考えとの認識も示した。

 親米保守派からは、トランプの大統領誕生を危惧する声が多いが、トランプが大統領に就任し、こうしたことを本当に実行してくれるならば、我が国にとって願ったり叶ったりではなかろうか(笑)

 核兵器について、「核兵器は外交で大きな発言力を持つ」「核兵器は最強の外交官」「核兵器は最大の戦争抑止力」との認識は世界の常識と言っても過言ではない。

 核兵器こそが外交交渉をする上での最高且つ最大の武器になり、周辺諸国に睨みを利かせることが出来るのであり、北朝鮮の核が我が国に照準を当てるならば、それに対抗する為の核武装を急ぐのは当然のことだろう。

 心の呵責無しに核兵器を有する資格があるのは、世界で唯一の戦争被爆国である我が国だけであることは疑う余地はなかろう。

 にも拘らず、原爆投下した米国の「核の傘」に甘んじ、安保条約を日本国憲法同様、金科玉条の如く崇め奉るこの歪な体制をいつまで続けるつもりなのか。

 トランプは、「韓国と日本が米軍駐留費用を大幅に増やさないなら、その国に駐留した米軍を撤収するのか」という問いに、「愉快ではないが、そうするだろう」と答えた。

 韓国の駐留費用と我が国の所謂「思いやり予算」を一緒くたにしているのは嗤えるが、朝鮮半島や沖縄を始め日本全国に米軍が駐留しているのは、地政学的に米国の国益に適うからであり、駐留費用を理由に撤退するならそう願いたいものだ(笑)

 「思いやり予算」というのは、昭和53(1978)年、「日米地位協定」の枠を超える法的根拠のない負担に対して、円高ドル安などによって米国側の負担増を考慮し、日本側が負担することを決めた。

 当時の防衛庁長官金丸信が、「思いやりの立場で対処すべき」と答弁したことから「思いやり予算」と呼ばれるようになった。

 当時62億円だった金額は年々増大し、平成26年度の「思いやり予算」は1,848億円を計上している。

 「思いやり予算」とは別に、米国基地周辺対策費・施設の借料など 1,808億円。沖縄に関する特別行動委員会(SACO)関係費 120億円。米軍再編関係費 890億円。提供普通財産上試算(土地の賃料) 1,660億円。基地交付金 384億円と実に年間4800億円以上負担している。

 これだけ米軍に支払いながら、これ以上無心するとは如何なものか。

 いっそのこと米軍が撤退してくれたら、この予算や沖縄への高額な補助金にしろ、自衛軍備の確立・強化に使える訳だし、ホント有難いことだ(笑)

 トランプは「日米安保条約を締結した時は、米国は豊かだったが、今は『金がない国』になった。我々は全てのものの為に、もう数十億ドルもの莫大な金をずっと失い続ける余裕はない」と述べたが、これが本音でありこれが米国の現実だろう。

 その昔、親米右翼の代表でもある大日本愛国党総裁・赤尾敏は数寄屋橋の演説場所で、「アメリカは日本の番犬だ。番犬にはエサは必要で、いい番犬ほど金はかかるものだ」とアジっていたのを思い出す(笑)

 今やその番犬も高齢となり、ヨボヨボでボケ始め、エサばかり欲しがってる(笑)

 飼い犬に噛まれてからでは手遅れなのだ。我が国も、もうそろそろ、自らの生命と安全は、自ら創り出さなくてはならないという現実に気付くべきだろう。

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2016年03月27日

日本人の信仰である「神道」とはどんな教えか

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 自民党の大西英男衆院議員は、衆院北海道5区補選に出馬する自民党候補の必勝祈願を行った神社の巫女に応援を依頼すると「自民はあまり好きじゃない」と言われたというが、神社で冗談半分に投票依頼してどうすんの(笑)

 「巫女さんのくせになんだと思った」と発言し物議を呼んだが、「巫女のくせに」とは余計で、「巫女なのになんなんだ」と言えばまた違ったかもしれない。

 社神庁の「神道政治連盟」は自民党の支持母体でもあり、そういしたことが発言に繋がったのだろうが、自民党議員全員が「神道」の意味を理解し、国體護持、皇統の死守に努力しているのかといえばそうでもなく、大西議員の驕りと断じられても仕方がない。

 巫女も、「自民党は好きじゃない」というのはいいが、「日本を戦争する国にしてはならないと」する民主、共産、社民党らが推す相手の女性候補を支持してるというなら話は別で、巫女の発言真意はどういうものだったのか興味が注がれる。

 それにしても、金儲けしか頭にない葬式仏教ではないが、最近は営利に奔る神社も少なくなく、「道神」の意味も分からず、神の遣いは二の次でバイト感覚でやってる神官や巫女もいるのは確かだろう。

 抑々、日本人の信仰である「神道」とはどういうものか。

 「豊葦原(とよあしはら)の千五百(ちいほ)秋の瑞穂の国は、是れ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地なり。宜しく爾皇孫(いましすめみま)、就(ゆ)きて治(しら)せ。行(さきく)ませ、宝祖(あまひつぎ)の隆えまさむこと、当に天壌(あめつち)と窮(きわま)り無かるべし」(日本書紀)

 自然は、人智の及ばない大いなる存在である。雷雨や日照りや嵐を人間は制御することは到底出来るものではない。

 人々は、自然を征服すべく挑み続けるか、それとも自然と共に生きて行くかなのだが、賢明なことに、先人は共生することを選び、我々もその道を選んできた。

 自然は一瞬のうちに暴れ回り甚大な被害を与えたりもするが、同時に無限の恵みを齎してくれたりもする。

 そこで人々は、自然の織り成す新羅万象を「神」と呼び、豊穣を齎してくれた「神」を称え、荒ぶる「神」を畏れ、鎮め、人々は「神」と共に生きて来た。

 新羅万象の全てが「神」の姿で、山の神、海の神、或いは岬、谷、森、石、水・・・、そして人も、その神の在る景色の一部に過ぎず、これこそが八百万の神である。

 我が国固有の信仰である「神道」は、こうした世界の中から生まれた。

 神と共にあるから「惟神(カンナガラ)」といい、神の命を与えられているから人は「神の子」、生命は神の「分霊(ワケミタマ)」と考えられた。

 人は、彼等の暮らす土地の神「産土神(ウブスナガミ」の御陰を被って誕生し、産土神や、その他諸々の神々と正しく付き合っていくことで四季の恵みを享受し、そして最後には、産土神に導かれて祖霊の世界に帰って行ったという教えである。

 民衆レベルの神々の世界は、この様な意味付けを必要としないまでも、自然に体現し、「神」を感じとっていたのだろうと推測する。

 こうした神々の世界に、天上界の別格の神々の世界「高天原(タカアマハラ、タカアマノハラ、タカノアマハラ、、タカマノハラ、タカマガハラ )」が重ねられたのは、天皇による国家統一以降のことである。
 
 「高天原」とは、自然信仰の観念に重ねられた神々の天上世界である。

 天に固有の住居を持つ神々は、高天原で育てた稲(ユニワノイナホ)をその苗裔に授けるという神話によって、この国の神々の世界に革新を齎した。

 地上の王権は、高天原の神々の苗裔である天皇の支配するところとなり、地上に住居を持つ国津神(クニツカミ)は高天原に住む天津神(アマツカミ)の支配下に入った。

 これが「神祇(ジンギ)」の世界の誕生である。

 高天原というのは、神道の中に生じた垂直思考の産物であるが、民衆レベルでは、自然と共にある神は、何処まで行っても水平に広がる世界だった。

 太陽の昇る東の方位には「命の源の世界」が在り、日の沈む西の果てには「死の世界」が在った。

 この水平に広がる生と死の世界に高天原という垂直の軸が導入されることによって、世界はその頭上に「高天原」、高天原の下には水平に広がる「中津国(ナカツクニ)」と「海神(ワタツミ)の世界」、そして「黄泉の国(ヨミノクニ)」という三層構造が完備されることになったのである。

 「古事記」や「日本書記」では、これらの世界が全て「高天原」の支配下に入るように神話を整え、高天原は天照大御神が支配した。

 中津国は、その苗裔である天皇(スメラギ、スメラミコト)の支配領と定めた。

 海は素戔男尊(スサノオ)、ないし月読尊(ツキヨミノミコト)、或いは神武天皇の兄である稲氷命(イナビノミコト)の支配下に入り、黄泉の国は、やはり天津国である伊弉諾(イザナギ)ないしその息子である素戔男尊の世界となった。 

 「高天原」の登場によって、「神道」は原始宗教の一形態(シャーマニズム)から、固有の神々の世界と信仰が生まれていったのである。

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2016年03月26日

今の境遇に合わせて、家に閉篭り、寝て暮らそうと考えている(葉隠)

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 座右の書ではないが「徒然草」と「葉隠」は折折目を通す。

 「徒然草」三十八段には「名利に使われて、閑かなる暇もなく、一生を苦しむこそ、愚かなれ」とある。

 世俗的な名声とか地位とか財産とかに身も心も使われて、心静かにゆったりと生活を楽しむ余裕もなく、一生あくせくと暮らすなど実に愚かなことだと訓える。

 また「葉隠」には「自分は寝ることが好きだ。だから、今の境遇に合わせて、家に閉篭り、寝て暮らそうと考えている」との一節がある。

 こうしたことを真似している訳ではないが、団体を辞して以来、家に閉篭って、只管果報を寝て待つが如く、成るが儘に身を委ねている(笑)

 というのはチョッとカッコ付け過ぎで、何のことはない、「出れば出銭」ともいうし、慢性的手元不如意という今の境遇では、やりたいことがあっても儘ならないというのが正直なところ(笑)

 「葉隠」の正式名称は「葉隠聞書」といい、佐賀藩士・山本常朝が、同藩の田代陣基(つらもと)に語った口述記録。

 「葉隠」の「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」という冒頭の一節は誰もが知る言葉だろう。

 一般に「武士道」というと、新渡戸稲造の「武士道」と「葉隠」を挙げる人は多いのではなかろうか。

 そして、「葉隠」から思い出すイメージは「右翼的」「忠君愛国的」であり、「葉隠」は親鸞の「歎異抄(たんいしょう)」と共に、学徒出陣で戦地に赴いた学生達に最も読まれた本でもある。

 それは「歎異抄」が「死の平安」を語り、「葉隠」が「死の覚悟」を語ったものだったからだろうと推測する。

 多くの人は、冒頭に書かれた「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」だけが独り歩きし、ロクロク読みもせずに「危険な書」だと決め付けているのではないだろうか。

 三島由紀夫は「葉隠入門」で、「行動の知恵と決意が自ずと逆説を生んで行く、類の無い不思議な道徳書。如何にも精気に溢れ、如何にも明朗な人間的な書物」と語っている。

 確かに「葉隠」は「死に狂いの思想」と云われている様に、狂信的な箇所も少なくないが、一方で現代人にも通用する教えも多く、非常に役に立つ内容だと思う。

 「葉隠」は「美しく死ぬか」と教えるが、同時に「何の為に生きるか」とも説く。

 「人間の一生なんて真に短いものだ。だから、好きなことをして暮らすべきである。夢の間の間の中にあって、嫌なことばかりして苦しんで暮らすことは愚かなることである。だが、このことは悪く解釈されては害になるので、若い人などには最後まで話すことがなかった秘伝といったものである。自分は寝ることが好きだ。だから、今の境遇に合わせて、家に閉篭り、寝て暮らそうと考えている」と説く。

 だが、三島由紀夫はこれを「逆説」といい、「葉隠」はその裏の真実を読み取る術が要求されるとも語っている。

 出来ることなら、「家に閉篭って、只管果報を寝て待つが如く、成るが儘に身を委ねている」という、愚生の裏の真実を読み取って、物心両面で応援してくれる強力な支援者が現れないだろうか(笑)

 封建道徳は「悪」といった概念で読む人には、「葉隠」は全く理解されないだろうが、武士道の世界というのは現代人よりも、もっと優しさと慈愛に満ち溢れた世界だったことが理解出来るのではなかろうか。

 常朝は世知に長けた人物であり、「葉隠」は優れた道徳規範と処世術を教えてくれる日本人必読の名著である。

 まぁ、三島由紀夫の「葉隠入門」から読んでみるのが好いかもね。

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2016年03月24日

日本共産党は破壊活動防止法(破防法)に基き非合法化せよ!

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 政府は、日本共産党について、「現在でも暴力革命の方針に変更はなく、破壊活動防止法(破防法)に基付く調査対象団体である」とする答弁書を閣議決定した。

 これについて、当の共産党はそれに真っ向から反論し、安倍政権を批判しているが、監視対象では生温い、破防法を適用し非合法化するべし。

 日本共産党は、大正11(1922)年7月15日に、「コミンテルン(共産党インターナショナル)」の日本支部として誕生したことは歴史的にも明らか。

 コミンテルンは、ロシア革命の指導者・レーニンが創設した共産主義の国際組織であり、レーニンの死後はスターリンが実権を掌握した。

 日本共産党はコミンテルンによって創られ、財政的援助を受けて維持され、壊滅する度に再建されたが、その歴史は暴力革命を標榜する売国政党に他ならない。

 ソビエト連邦崩壊後、東欧では「マルクスレーニン主義」を捨て去り、党名も変更したが、日本共産党は未だにマルクス・レーニン主義を信奉している。

 共産党は、テロ、リンチ、スパイ、陰謀等々その毛もよだつ様な本質を覆い隠す為に、「国民の自由を守る」かの様なソフト路線を展開しているが、これこそが欺瞞でありインチキと断じて好かろう。

 国民は想起すべし。ソ連共産党崩壊後の暗黒一党独裁を。中共の文化大革命での人民殺戮を。金日成やポルポトの粛正の嵐を。

 国内に於いても、宮本顕治らによるリンチ殺人事件は夙に有名だ。

 昭和8年12月23日、党内のスパイと疑って小畑達夫と大泉兼蔵を渋谷区幡ヶ谷のアジトに呼び出しリンチ。スパイと自白しなかった小畑を殺した。

 犯行は宮本の他、袴田里見、逸見重雄、秋笹政之輔らの犯行だった。

 治安維持法違反・不法監禁致傷・不法監禁・傷害致死・死体遺棄・銃砲火薬類取締法施行規則違反で無期懲役に処された宮本顕治が日本共産党の委員長だったというのだからその特異性が解るというものだろう。

 また、武装闘争による「中核自衛隊」を組織し、警察や米軍を襲撃している。

 交番への襲撃も相次ぎ、「伊藤巡査殺害事件」や、札幌警察署警備課長白鳥一雄警部が狙撃され死亡した「白鳥事件」がそうだが、白鳥事件の実行犯2名は、事件後、中国共産党を頼り逃亡し、客死したとされている。

 皇居前広場でのデモ「血のメーデー事件」「曙事件」「あさま山荘事件」「三菱重工ビル爆破事件」「テルアビブ空港乱射事件」等等、その暴力性は挙げたら限が無い。 

 共産党の歴史を遡れば、昭和47年の総選挙で日本共産党は、14議席から40議席に躍進し、日本社会党に次いで第二野党となった。

 自民党政府はこれに危機感を抱き、「社会主義(共産主義)には自由がない」とし、「自由社会を守れ」キャンペーンを行った。

 これを受けて共産党は、昭和48年の党大会で綱領の一部を改訂し、「労働者階級の権力、すなわちプロレタリアート独裁の確立」という文言の「独裁」を「執権」に変更した。

 昭和51年の臨時党大会では、綱領の「プロレタリアートの執権」の文言を削除し、「労働者階級の権力」のみにし、「マルクス・レーニン主義」という用語も「科学的社会主義」に置き換えた。

 だが、日本共産党の実態は、「マルクス・レーニン主義」の教義に基いての「暴力革命」と「プロレタリアート独裁」の思想は変わってはいない。

 共産党は、頻りに「民主主義」を宣うが、共産党政権下では、「自由」が保障されることが無いことは歴史が証明する処であり、共産党政権下では民主主義は存在しない。

 共産党のいう「民主主義」とは、あくまでも組織原則は「中央集権制」が主であって、「民主主義」は単なる飾りに過ぎない。

 「日本共産党の誇るべき組織原則である民主主義的中央集権制(民主集中制)」と、自らが記してある通り、「反主流派」は存在してはならず、党員同士の横の繋がりは「分派活動」として禁止されているのだ。

 とすれば、あのSEALDsとの連携も中央からの指示で動いていると推測出来よう。

 ここへ来て、安保関連法案の成立や憲法改正に躍起な安倍政権に対抗するかの様に、「戦争法案」だとか得意の造語を駆使し、国民を誑かし、国民の安っぽい平和主義を擽り、それが功を奏し、共産党支持の拡大に繋がっている。

 今回の「破防法適用団体」との指摘も、安倍政権の危機感の現れであろうが、国民もまた、こうした共産党のソフト路線に騙されてはならない。

 天皇を族長と仰ぐ我が国の正統にとって悉く異質な存在が日本共産党であるが、悲しいかな自民党が連立を組む公明党、創価学会もまた然り。

 池田創価学会が極めて戦後民主主義であり、且つ反天皇や反靖國など反国家的な組織であるのは言うまでもない。

 さぁ、安倍さん、こっちの方はどうするの?

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2016年03月23日

卒業式や、別れの定番曲といえば「蛍の光」だったが・・・

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 本日は、福島県内では公立小学校卒業証書授与式が行われる。

 卒業式や、別れの定番曲といえば「蛍の光」だったが、いつの頃から歌われなくなってしまった。

 この歌が拒否された理由は、国歌斉唱を拒否する運動と同じで、我が国の歴史を否定する所から始まったものであろうことは推測出来る。

 「蛍の光」の原曲は、スコットランド民謡の「オールド・ラング・ザイン」

 これに詩を付けたのが国学者の稲垣千頴(チカイ)と言われている。

 千頴は、陸奥国棚倉(現・福島県東白川郡棚倉町)出身。

 棚倉藩を治めていた松井松平家の家臣稲垣半太夫の次男として生まれ、幼少期から学問に頭角をあらわし日光の寺院へ留学。

 棚倉藩主松平康英の川越転封に伴い、川越藩藩校長善館の教員となる。

 京都遊学を経て東京に移り、1869年(明治2年)23歳で平田篤胤死後の国学塾「気吹舎(いぶきのや)」(主宰平田銕胤)に入塾する。

 塾頭に就任するも、塾則で禁じられていた遊郭登楼が発覚し、塾生らから意見書が提出され退塾処分となった人物でもある。

 遊郭通いとは中々洒落てるじゃないか。それを、高が遊郭遊び如きをチンコロするなんぞ、これから国学を習おうとする塾生としての心構えがなってはおらん(笑)

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 「蛍の光」は、GHQ統治下の、1949(昭和24)年、教科書検定制度最初の小学5年生の音楽教科書に掲載された。

 だが、「3番」「4番」の歌詞は、国家主義的な色合いが強いと削除された。

 その「3番」「4番」の歌詞と意味は次の通り。

 3、筑紫の極み 陸(みち)の奥 海山遠く 隔つとも その真心は 隔て無く 一つに尽くせ 国の為

 (九州の端や東北の奥まで、海や山々によって遠く離れていても、真心は唯一つにして互いに国の発展の為に尽くそうではないか)

 4、千島の奥も 沖縄も 八州(やしま)の内の 守りなり 至らん国に 勲しく 努めよ我が背 恙無く

 (千島列島の奥も沖縄も、日本の国土の守りだ。学を修め職を得て、どの地に赴こうとも、日本各地夫々の地域で、我が友よ、我が夫よ、我が兄弟よ、どうか無事にお元気で、勇気を持って任に当たり、努めを果たして頂きたい)

 この詩を知れば、我が国の歴史や先人の営為が見えて来る。

 この「3番」と「4番」の削除は正に、米国が謀った戦後民主主義教育の一環でもあったのだ。

 戦後民主主義とは、自国の歴史を汚辱に塗れた過去と捉える自虐史観だが、その悪しき戦後教育は今や日本の隅々にまで浸透してしまっている。

 占領下、我々日本人はそれまでの尊い価値観を見失ってしまった。

 いつになったらこうした洗脳から覚醒するのだろう。

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2016年03月22日

プロ野球選手団は開幕前に靖國神社へ参拝すべし!

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 プロ野球はオープン戦の全日程を終え、愈々25日開幕を迎える。

 去年発覚した巨人選手による野球賭博問題は、渡辺恒雄最高顧問、白石興二郎オーナー、桃井恒和球団会長のトップ3が責任を取って辞任する事態となった。

 またプロ野球で続けられてきたという試合前の円陣で声出しを担当した選手に、祝儀として他の選手が現金を渡す慣習はプロ球団の半数に上った。

 清原の覚醒剤事件もそうだが、こうしたことは野球人としての倫理観の乏しさの現れであり、子供達に夢や希望を与えるスポーツ選手としては実に不適格過ぎる。

 こうしたプロ野球の凋落を救い、また野球が当たり前に野球をやれるということを再認識する為にも、プロ野球選手団は開幕前に靖國神社に参拝することを熱望する。

 平和の尊さと、野球がやれる有難さを実感すれば選手としての思いもまた違ってくるだろうし、プロ野球人気も高まるだろう。

 先の大戦で亡くなられたプロ野球選手は想像以上に多く、試合の途中で出征した方や幾度かの戦火を潜り抜けて帰還し、再び出征して終には戦場に斃れた方は実に69名もいる。

 当たり前に野球が出来なかったことを想えば、今の自分達の恵まれ過ぎてる境遇を改めて感謝するのではなかろうか。

 英霊の中でも有名なのは、東京巨人軍(読売ジャイアンツ)の澤村榮治投手だろう。

 澤村投手がどんなに凄い選手かは説明するまでもないが、年間最優秀投手に与えられる「沢村賞」はプロ野球選手の最高の名誉だ。

 澤村榮治命は野球だけに止まらず、何事にも真摯な態度で挑む人で人格者だったという。

 澤村投手の背番号「14」は永久欠番となっているが、ベーブルースを三振にしたくらいで永久欠番になる訳はなく、プロ野球選手として志し半ばにして出征し、異国の地で散華されたその崇高な精神を忘れない為のものである。

 名古屋軍(現・中日ドラゴンズ)の石丸進一投手と朝日軍(現・横浜DeNA)の渡邉静内野手は特攻作戦で散華されている。

 石丸投手は海軍鹿屋基地から出撃の直前、最後のキャッチボールをして飛び立っていったという。

 どんな思いでキャッチボールをされたのか、これこそが渾身の悩みであり、その心中を察するに余りある。

 渡邉静命も鹿屋基地から沖縄へ出撃した。

 渡邉選手は、夢見て憧れて入団したプロ野球人生での打席はたった二度しか立てなかった。

 「戦争さえなければ」との思いはあっただろうが、彼らは野球への情熱を「特攻」というカタチで尊い命を捧げ、沖縄を、そして祖国日本を死守すべく散華されたのだ。

 自らの命を犠牲にすることで、国や家族、愛するものを守るという彼らの至高の精神を我々は決して忘れてはならない。

 我が国は悠久の歴史と民族の一体性に恵まれている。だが皮肉なことに、国の礎となった英霊の方々は国家から顧みられることが少ない。

 こうしたことが、どれだけ国民精神の頽廃を招いているのか国民の代表者である政治家は考えたことがあるのだろうか。

 愛国心や大和心の欠落、その結果としての国防意識の低下、日本人としての誇りや自信の喪失、子殺しや親殺し等の悲惨な事件にしろ、日本の社会に蔓延する問題の全てはそこに起因していると言っても過言ではない。

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2016年03月20日

釈迦牟尼は「地獄」「極楽」を創られたがあれもウソだろう(笑)

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 「ウソも方便」という。だがその「ウソ」には、相手の立場に立って、相手への思いやりが込められたものでなければならない。

 彼岸なのになんだが、釈迦牟尼は「地獄」「極楽」を創られたがあれもウソだろう。だがこうしたウソを吐いて、民衆の心に安らぎを与えた。

 キリストもまた「天国」への夢を誘って多くの人々を救ってきた。

 「人は小さなウソには騙されないが大きなウソには騙される」とはアドルフ・ヒトラーだが、「地獄」「極楽」「天国」なんてのは大きなウソの典型だろう(笑)

 人間死んだら終わり。「無」だ。だから「極楽浄土」なんてのは死後の世界には無く、現世に在ると思っている一人でもある。

 如何にして身近にいる自分よりも劣る者や弱い者を助けられるか、与えられるか、難渋している人に如何に施してあげられるか、現世の苦しみを多少でも救ってやることこそ極楽浄土ではなかろうかと単純にそう考えている。

 「不妄語戒(ふもうごかい)」という仏語がある。

 「ウソ偽りを言ってはいけない」という「五戒」「十戒」の戒めの一つだが、これはウソの典型の様なもので、人というのはウソや偽りを騙る性分なので、そうした自戒を込めた箴言というのが正しい(笑)

 因みに「五戒」とは「不殺生戒(ふせっしょうかい)」。生き物を害してはならない。また他人に殺さしめてはならない。また他人が殺害するのを容認してはならない。

 「不偸盗戒(ふちゅうとうかい)」。他人のものを盗んではいけない。また他人をして盗らせてはならない。また他人が盗るのを認めてはならない。

 「不邪婬戒(ふじゃいんかい)」。不道徳な性行為を行ってはならない。これは、不倫や強姦を指すが、他にも性行為に溺れるなどの行為も含まれる。

 「不妄語戒」。嘘をついてはいけない。また他人をして偽りを言わせてもならない。また他人が偽りを語るのを容認してはならない。

 「不飲酒戒(ふおんじゅかい)」。酒を飲んではいけない。また他人をして飲ましめてもならない。また他人が酒を飲むのを容認してはならない。

 愚生には耳の痛い戒めだが、中でも「不飲酒戒」は守るのは絶対無理(笑)

 政治家の世界というのはホンネは出来るだけ出さない方が好いとされている。これは政治家の伝統でもあるし、国民も、これが好いのか悪いのか、政治家のウソには馴れっこになってしまっている。

 「ウソは泥棒の始まり」「ウソを吐くと閻魔様に舌を抜かれる」など、嘘というのは悪いものだと教わって来た。

 だが、現代は「ウソは政治家の始まり」というのは国民にとっては不幸なことだ(笑)

 「ウソは世情の宝」ともいう。

 ウソというのは世間を和ませるものがいい。

 「講釈師見て来た様なウソを吐き」なんてのもあるし、「商人は損と求めて蔵を建て」とかいうのもある。

 商人なんてのは、口では「儲かりません、儲かりません」と言いながら大きな蔵(家)を建てるなんてのはよくある話し。

 「紺屋(こうや)の明後日」なんてのも笑えるウソだ。

 愚生の実家のラーメン屋で出前の催促が来ると「今、出ました」なんてよく言ってたが、アレと同じだ(笑)

 花魁の世界には「手練手管(てれんてくだ)」なんてのもある。

 今でいうとキャバ嬢やホステスだろうか。

 「手練」とは人を思うままに操り騙す技巧だが、皆さんも、飲み屋でホステスのウソを勘違いして、ついつい熱くなってなんて、そんな思い当たる節はありませんか(笑)

 ウソには好いウソと悪いウソがあるのは理解しているだろう。

 自分の為に吐くウソは感心しないが、周りを安心させる様な、また和ませる「ウソ」は吐いても差し支えはない。

 そんな「いいウソ」も吐けないのは正直というよりバカ正直。

 そんな輩は世間からは遠ざけられる傾向があるが、そんな馬鹿正直な人も最近はめっきり見かけなくなった。

 まぁ、何事も一面な見方や考え方ではなく、ホンネやウソに隠された真実や優しさなどを見抜ける能力を身に付けることが肝心。

 皆さんも、シャレの効いたウソをたまには吐きませんか(笑)

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2016年03月19日

国旗「日の丸」と国歌「君が代」は我が国體の精華を見事に現している

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 「敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花」、正に桜花咲き匂うこの時期に全国各地で卒業式、入学式、或いは入社式などが行われる。

 世界中の人々は自国の国旗・国歌に親しみを感じているし、まともな日本人ならば「日の丸」「君が代」に愛着を抱いている。

 ところが未だ、「国旗及び国歌に関する法律」が制定されて以降も、これに公然と異議を唱え、反対している勢力が存在するのもまた事実。

 言わずと知れた「日教組」や「全教」、共産党といった反日勢力だが、連中は「日の丸は軍国主義の象徴だ」「侵略の旗だ」また「君が代は天皇賛美だ」との妄言を垂れ流し純真無垢な子供達を洗脳する。

 ならば米国の旗はどうだ。英国やオランダ、フランスはどうなのだ。或いは中華人民共和国の旗は侵略の旗ではないのか。

 日本国民が天皇を賛美したとして何が怪しからんというのだ。

 反対するバカ左翼の連中というのは物事の見方が実に薄っぺらで、こうした日本人らしからぬ認識は健全な世論に逆行するばかりか、教育現場での混乱を生むばかりか国益を損ねるものである。

 公務員でありながら法律を遵守もしない不良教師の一掃を図るべきだが、その日教組にしろ民主党の支持母体というのだから世も末だ。

 我が国の国旗「日の丸」、国歌「君が代」とは如何なるものか。

 607(推古15)年、聖徳太子は隋へ、「日出づる所の天子、書を日没する所の天子にいたす、恙無きや」の文書を小野妹子に託す。

 これを読んだ隋は激怒するのだが、小国日本の存在を堂々と主張して、見事にその気概を示した逸話であろう。

 我が国は、ユーラシア大陸で最初に朝日を迎える国であり、稲作民族が日の神、天照大御神を崇め太陽信仰を持つのは自然で、国のシンボルに「日の丸」を執ったのも極めて自然なことだ。

 国の成り立ちや理想が、「日の丸」の旗ほど一致する国は無い。

 日の丸の赤丸は、太陽を意味し熟誠、活気、博愛、誠心誠意を現し、白地は清浄無垢を示し神聖、正義、純潔、平和、鎮静を現している。

 これほどシンプルで美しい旗が何処に在ろうか。

 「君が代」も、「古今和歌集」巻七「賀の部」の「わが君は千代に八千代にさざれ石の巖となりて苔のむすまで」の一首からの出典であることは学界の定説である。

 この詠の本意は、大君の御代が栄えることを願い、祈ったものだ。

 この詠が「讀人知らず」という草莽の民というところに、我が偉大なる民族性を認識し、無限の感激を禁じ得ないのである。

 我が国は、天皇を族長と仰ぐ君民一体の家族国家であり天皇即日本、日本即天皇の天皇国家である。

 この国體の精華は万邦類を見ないところであり、従って陛下の御代が栄えることは、即日本が栄えることでもある。

 「君が代」は、実に我が国體の精華を格調高く歌い上げたもので、その曲と相俟って厳粛にして荘重、世界に冠たる誇るべき「国歌」である。

 皇国臣民として畏くも、万世一系の天皇を我が国元首として仰ぎ奉り、陛下の御稜威を国民生活の隅々にまで行き亘らせることこそが理想であり、それは日本国民として当然の願望である。

 我が国はいつの世も、時の陛下の御代であり、いつの世にもそこには「君が代」の世界が存在し、それは存在し続けなければならないのだ。

 そうした国柄を、「日の丸」と「君が代」は見事に現している。

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2016年03月17日

トランプ大統領が誕生で「日米安保条約破棄」も想定すべし!

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 ドナルド・トランプ候補の勢いは収まる気配はなく独走態勢を維持している。トランプ大統領誕生も夢ではなさそうだが、こうしたトランプ現象や、万が一、トランプが大統領に選ばれたなら「日米同盟関係が損なわれる」かの様な意見も耳にする。

 トランプ候補は、「日米安保条約は不公平だ」と言って憚らないが、この不公平という認識は強ち間違いではないにも拘らず、親米保守派はトランプ候補を批判し「日米同盟にとって不利益である」と断じる。

 だが、果してそうだろうか。

 安倍首相は「戦後レジームからの脱出」だという。ならば、米国属国化の象徴でもある日米安保の解消ということになれば、GHQの断行した戦後のあらゆる不条理の見直しも図れる訳で、主権国家になる千載一遇の好機と捉えるべきだろう。

 日米安保は、日本が敵国から攻撃を受けた際に米国は支援を約束しているが、本当に支援するかは現実になってみなけりゃ分からない。

 そういう状況に直面してから、慌てて「そんなバカな!」と地団太を踏んで、「想定外」だとか「約束が違う」などと叫んだところで手遅れだ。

 トランプが米国大統領に就くということは、世界のバランスが変わる前兆だろうし、アジア情勢も大きく変わって行くだろう。

 いつまでも我が国が「米国のポチ」であってはならないのだ。

 トランプ候補は、「(日米安保条約は)米国が攻撃を受けた際に日本は支援しない」という欠陥を指摘しているだけのことで、これの何が不適格なのか。

 安保条約は、所謂「思いやり予算」を見ても分かる様に、体の好い米軍支援であり、米軍への軍事貢献に他ならない。

 日米同盟や安保条約が未来永劫続くという訳でもなし、大事なことは、あらゆる想定を鑑みて、独自の防衛体制を確立すること肝要で、日米安保条約にみる米国依存体制の終焉というのも視野に入れておくべきではなかろうか。

 愚生に言わせて貰えれば、トランプ大統領誕生で日米安保条約の解消を通告して貰えたならば、これほど有難いことはない(笑)

 米国という国は、何事も自分の利益だけを考える国であり、喩え今日の夕刻までは友人であっても、明日の朝にはもう敵となってしまっても、それを少しも不条理とも不道徳とも恥とも思わぬ国だ。

 米国が友人であるということは、それが米国の為に有利であるからであり、日米安保にしても米国にとって日本という国と地域が必要なだけで、その他の如何なる理由も大義名分も付けたりに過ぎない。

 親米保守派もまた安保条約の必要性を頻りにアピールするが、確かに日米同盟というのは重要だが、今の日米同盟は単に米国依存体制の強化であり、米国への更なる忠誠に他ならない。

 親米保守派よ、米国の国益を優先する余り、我が国の国益を毀損している場合もあるということを自覚すべきで、我が国に求められるのは「対米自立」である。

 それにしても、トランプ候補の髪形は個性的だ。北の将軍様の髪形も凄いが、トランプが大統領に就任すれば、へんてこりんな髪形同士で意気投合なんてことも無きにしも非ず、米朝会談もまた違った展開になるかもね。呵呵。

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2016年03月16日

「民進党」は、台湾の民主進歩党ではなく、「民主新進党」と思えば合点がいく!

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 民主党と維新の党が合流して「民進党」となるらしい。民進党というと台湾の「民主進歩党」を思い浮かべる人が殆どだろう。

 民主党の岡田に至っては台湾の独立は認めないばかりか、中国共産党の御先棒を担いで走狗と化しているのは公然の事実。なのに何故に「民進党」なのか。台湾の「民主進歩党」のパクリだとしたらこれほどふざけた話しもないだろう。

 悲しい哉、別に台湾独立を支持していないのは岡田だけはなく、日本政府自体が台湾を国家として認めていない。

 日本は、米国の占領統治から解放された昭和27年4月28日、中華民国への報恩感謝として「日華国交条約」を締結し、同年8月5日に発効した。

 しかし、昭和47年、田中角栄首相の下で中華人民共和国との国交正常化交渉がなされると、田中は中国共産党を唯一の政府として認め、一方的に中華民国に対し断絶を通告するに至った。

 これは、我が国が締結した条約の順守を謳った憲法98条に違反するもので、道義国家失墜の象徴的な事例と言えよう。

 我が国では「日ソ中立条約」を一方的に破棄した旧ソ連を糾弾して止まないが、日華国交条約を蹂躙した我が国が旧ソ連の破棄をとやかく言う資格はない。

 爾来、台湾を国家と見做さない無礼な振る舞いを行っているが、日本人として赤面の至りであり、道義国家として断じて赦されない。

 東日本大震災が起きると世界中から日本への救いの手が差し伸べられたが、中でも、台湾からの義捐金が150億円を超えたことは記憶に新しい。人口約2300万人ということを考えれば驚異的な金額だった。

 だが、日本政府から台湾への感謝の言葉は聞こえて来ないばかりか、中共の顔色を窺って、未だ台湾を中共の一部と捉える政治家が多いのも確か。

 安倍首相になり、確かに日台友好ムードは醸成されつつあるが、国家としては依然台湾は中共の一部でしかないのは情けない。

  日中共同声明に調印した田中は、「先の大戦で中国国民に重大な損害を与えたことに、責任を痛感し深く反省する」と謝罪した。

 だが、先の大戦で我が国が戦ったのは、中華民国であり、戦後独立を果たした中華人民共和国ではない。干戈を交えていない国と何故に友好条約なのか。

 況してや、主権回復後に締結した「日華国交条約」により戦時中の全ての案件は和解しており、何故にぶり返す必要があったのか。

 百歩譲って「国共戦」勝利によって、戦後独立した中華人民共和国と友好関係を結ぶというなら、別に中華民国と結んだ条約とは別に締結すれば好かったことだ。

 要は、容共的田中内閣が中国共産党の外交戦略に与したということであり、これを腰抜け軟弱外交と言わずして何という。

 国民の贖罪意識と歴史認識然り、歴代首相の細川や村山、加藤や河野談話も然り、全てこの「日中共同宣言」での田中の声明と歴史認識が元凶である。岡田は元田中派であり、田中の歴史認識を継承してるのは明らか。

 民進党の「進」は、台湾の民主進歩党ではなく、田中の秘蔵っ子・小沢一郎の傀儡だった「新進党」の「進」であり、「民主新進党」だと思えば合点が行くというものだろう。

 それともまさか、中核派の拠点「前進社」の「進」だったりして(笑)

 何れにしても「選挙の為なら何でもする」こうした野合の党は、我が国の国益を大きく損ねることは明らかで、近隣諸国同様シカトするに限る。呵呵

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2016年03月15日

愚生も自主避難しとけば好かったなぁ。呵呵大笑!

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 東京電力福島第一原発事故後、原子力安全・保安院が「放出されたセシウムの量が広島原爆の168倍」との試算を公表し、マスコミはここぞとばかりこれを大きく報じ、国民に要らぬ恐怖心を煽った。

 反原発派陣営が「御用学者」と断じて止まない高田純教授は、この発表に関し、「全く意味のない数字だ」とし、こう喝破した。

 「広島でセシウムによって死んだ人はいない。広島の死者は熱線、爆風、そして半減期の短い強力な放射能によるもの。セシウムの放射線はそれほど強いものではなく、今の日本で起きているのは集団ヒステリー状態だといえる」

 この「集団ヒステリー」との揶揄は正鵠を射た意見だろう。

 因みに高田教授は、チェルノブイリ原発事故の現地調査の際、自分自身でセシウムに汚染したきのこを食べ人体実験を行っている。

 その結果、セシウム137(半減期30年)は人体に入った場合、体外に半分が排出される生物半減期は100日であることを実証している。

 「御用学者」と罵るのは簡単だが、ならば「セシウムは危険」と煽る学者や反原発派の連中も、高田教授に倣って人体実験を買って出て、その危険性を証明すればいいだけの話しではないかと思うのだが、そんな殊勝な人物はいないし、そんな度胸も覚悟もない。

 それこそ英雄になれるチャンスなのに惜しいとも思うが、人体実験をすれば、低放射線の無害性と高田教授のデータの正当性を逆に実証することになるだろう(笑)

 高田教授は大震災後の翌月から、福島県内で住民の甲状腺検査もボランティアで実施している。

 その結果、チェルノブイリの事例(最大50シーベルト)と比べて福島原発事故は千分の1以下であり、その線量から計算すると「福島県民が甲状腺がんになるリスクは年間で1千万人あたり1人以下。といっても福島県の人口は約200万人。つまり、誰も甲状腺癌にはなりません」と結論付けた。

 反原発派の御用医師ともいうべき輩らは、「福島県内の子供の甲状腺癌の疑いが他の県の子供に比べ異常に高い」などと煽るが、診療対象者が増えれば疑われる対象者も比例して増えるのは当たり前のことで、原発事故での被曝に因るものとは言い難い。

 原発事故から5年も経ちながら今も放射線への理解が深まることはないが、これ即ち、反原発の活動の賜物である(苦笑)

 民主党政権下で、放射線への誤った認識から始められた除染にしても、中間処理場も出来ていない中での除染作業は県内各地にゴミを殖やすだけの結果に終わり、「福島県は除染をしないと住めない」といった風評が全国に広がったことで、復興は愚か復旧をも阻害した。

 約5兆円といわれる巨額除染費用はゼネコンと一部の建設業者らが潤っただけで、あんな除染なんぞより、原発の恩恵を享けた象徴ともいえる電柱の地中化やインフラ整備などに充てた方が福島の為になっただろうに。返す返すも残念なことだ。

 原発が設置されている場所から離れている福島市や郡山市などの避難区域外の地域から逸早くトンズラした「自主避難者」という連中がいる。

 彼らは被害者ぶってはいるが、その生活は避難した自治体から保障され、最終的には東電からも和解金が支払われる。

 そういうことをいうと、「故郷に帰れない私達の気持ちをカネで解決出来るのですか?」だとか、「故郷を昔の様に戻してくれ!」などと無理難題をいう。

 ならば、いつの時代まで遡れば好いのだろう?

 原発が設置され、生活が潤っていた時代か、それとも原発建設前か?

 原発周辺地域の多くは原発や東京電力関連企業など、原発関係の仕事に従事していた方が多く、廃炉に向かって進んでいる中で、昔の様な生活を要求するというのは到底無理だし、それこそ強要だろう。

 あの高度成長に入る時代というのは何処の家庭もそれほど裕福ではなく、どちらかといえば極貧に喘いでいた訳で、それを考えれば一から出直すのは容易いことだとも思う。

 起きてしまった事故のことを恨んでも仕方がないし、所詮はカネで解決するしかないのだが、「所詮は金目でしょ!」と言った大臣を槍玉に挙げた(苦笑)

 少しはニホンジンと見えて、あからさまな金銭の要求はしないが実に巧妙。要は原発事故を利用したアルバイトの様なもので、愚生もどうせやることもないし、被災者を騙って自主避難しとけば5年で2000万の貯蓄が出来たな(笑)

 政府も、非難区域の住人を戻すなら、東京電力福島第二原発の再稼働を視野に入れ働き先を確保するなどの環境整備を図ることも大事ではなかろうか。

 彼奴らもいい加減、今住む場所で骨を埋める覚悟を決めるか、故郷に戻り、復旧・復興に努力すべきだ思うが、それも出来ないというならなら、せめて福島を貶める様な反原発運動に与する言行は止めて頂きたいものだ。

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2016年03月14日

「国連(国際連合)」とは本来「戦勝国」というのが正しい!

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 「国際連合(United Nations、国連、UN)」は、国際連合憲章の下、1945年に設立された国際組織であり、主たる活動目的は国際平和の維持(安全保障)、そして経済や社会などに関する国際協力の実現である。

 加盟国は193か国。現在国際社会に存在する国際組織の中で最も広範・一般的な権限と、普遍性を有する組織とされてはいるが、その活動は中立性に欠け、一部の国による寡占化が進み偏狭な平和主義が蔓延りつつある。

 国連を設立した趣旨は、「国際連盟が、第二次世界大戦を防ぐことが出来なかっことへの反省」とされてはいるが、その中心となったのは米国、英国、ソビエト連邦、中華民国などの「連合国」だったということでもその目的が理解出来よう。

 その連合国とは、我が国に宣戦布告した国々を称する用語として使われたものであり、「国連」とは本来「戦勝国」というのが正しく、未だ我が国が「敵国条項」から削除されず、常任理事国入り出来ないのは当然なことでもあるのだ。

 因みに国連で敵国であった国とされているのは、我が国を始め、ドイツ、イタリア、ブルガリア、ハンガリー、ルーマニア、フィンランドがこれに該当する。

 我が国は、国連加盟国最多となる11回目の非常任理事国を務めることになってはいるが、これは単に国連への拠出金負担額の多さに対する御情でしかなく、現在の国連に於いて我が国が常任理事国入りすることは困難を極めるというより不可能に近い。

 昭和20年12月8日、我が国は大東亜戦争に突入するが、先の大戦で我が国に対し宣戦布告した国々は「ABCD包囲網」といわれた、米国、英国、中華民国、オランダだけに非ず、実に50か国以上に及ぶ。

 布告年月日と国名列記すれば次の通り。

 1941(昭和16)年12月8日米国、 英国、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、南アフリカ連邦、コロンビア、エル・サルバドル、コスタリカ、ドミニカ、ニカラグア、ハイチ、グァテマラ、ホンジュラス

 同年12月9日パナマ。10日オランダ、キューバ、ベルギー

 1942(昭和17)年5月22日メキシコ

 1943(昭和18)年1月17日イラク。7月11日ノルウェー。12月4日ボリビア

 1944(昭和19)年1月27日。リベリア。9月22日フィンランド。10月31日ルーマニア。11月7日ブルガリア

 1945(昭和20)年2月9日エクアドル。12日ペルー。13日 パラグアイ。14日ベネズエラ。22日ウルグアイ。23日トルコ。26日エジプト、シリア。27日レバノン。28日イラン。

 同年3月1日 サウジアラビア。3月27日アルゼンチン。

 同年4月12日スペイン、チリ。

 同年5月23日デンマーク。

 同年6月6日ブラジル。26日 ギリシャ。

 同年8月9日ソビエト連邦(ソ連)、モンゴル

 また、大日本帝国は政権(国家)として承認していない政権未承認国であった中華民国(重慶政権)。フランス(ド・ゴール政権)。ユーゴスラビア。ポーランド。エチオピア。チェコスロバキア。イタリア(バドリオ政権)からも宣戦布告をされている。

 「日ソ不可侵条約」を締結していたソ連が条約を蹂躙し一方的に宣戦布告したことは多くの国民が知るが、政権が違うとはいえ「日独伊三国同盟」を結んでいたイタリアが寝返ってることを知る人は少ない。

 こうしたことを見ても、戦争とはやはり勝つことが大事であり、大東亜戦争は一旦始めた戦いは決して負けることがあってはならないという貴重な教訓を遺したと言えよう。

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2016年03月11日

司法崩壊!摩訶不思議な判決は、電力喪失による国力低下を狙った革命暴力の一環である

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 高浜原発3、4号機の運転差し止めを求めた住民訴訟でまたもや摩訶不思議な判決が命じられた。福井県大飯原発の再稼働差し止め訴訟に続いての判決は、我が国司法の正義の欠落を意味している。

 大飯原発訴訟では、地震対策に「構造的欠陥」があるとして3、4号機の再稼働は認めない判決を言い渡しているが、今回も「主張及び説明を尽くしていない」とは、単なる裁判長の個人的イデオロギー且つ公正を失した愚かな判断でしかない。

 原子力規制委員会の審査基準をも否定しているが、ならば何を基準にすればいいのか。司法の判断が優先されるなら、原子力規制委員会とはどういう存在なのか。

 大飯原発の訴訟では、関電側の耐震設計の基準地震動の目安となる1.8倍の1260ガルまでは過酷事故には至らないとする主張に対し、「それを超える地震が来ない根拠はない」と退けているが、今回も「発電の効率性を甚大な災禍と引き換えには出来ない」と巨大地震の発生を危惧している。

 「それを超える地震が来ない根拠はない」とか「甚大な災禍」とはどういうことか。

 恰も尤もらしい主張だが、これは単なる妄想と根拠のない言いがかりに過ぎず、「事故が起これば取り返しのつかないものとなるだろう」とは、己の妄想の押し付けである。

 高浜原発にしろ、大飯原発にしろ、炉心溶融(メルトダウン)までの時間の想定や冷却機能の確保も原子力規制委員会の審査でクリアしている訳で、今回の判決は反原発派に与する実に安っぽいセンチメンタリズムによる愚かな判決と断じざるを得ない。

 「(巨大地震が)来ない根拠はない」というが、日本海側でそれほどまでの巨大地震が起これば、我が国の原発よりも、韓国や中共の安全基準を満たしていない原発が破壊されるだろうことは想像するに余りある(笑)

 そうした状況に陥った時、我が国は一体どうするべきか。

 そうした危機に役立たせる為にも、福島原発での収束技術と研究を怠らず、放射線での正確なデータを集積し、また再稼働の基準も福島原発事故の事故原因とその責任を徹底して解明すべきだろう。

 だが、何度も言わせて貰うが、抑々、福島原発の事故は地震による「天災」ではない。

 大津波の想定をしていなかった為に発電所内の電源が全て失われ、原子炉冷却に関わるバルブが操作不能になったのが要因であり、更には菅直人が現場視察を強行した為にベントが遅れた「人災」だったではないのか。

 「人災」でありながら誰一人として責任を負わず、またその罪を裁判によって罰せられた者はいない。

 今回の摩訶不思議な判決を言い渡した山本善彦裁判長や大飯原発訴訟の樋口英明裁判長にしろ、起こることも無い巨大地震による原発崩壊を心配するより、そうした司法の欠落こそ憂うるべきではないか。

 マグニチュード9の巨大地震にも耐え抜いた「女川原発」の技術に注目すれば、さらに地震に強い原発を造ることは可能だろうに、何故に原発停止ありきなのか。

 原発を無くすことや再稼働を停止させることが解決策ではない。

 やるべきことは「人災」を猛省し、原発を安全に停止させる技術を高め、冷却装置の機能を失わない対策こそ急ぐべきであり、それをクリアした高浜原発を裁判長如きがイデオロギーを垂れ流し、独断で停止させることは、電力喪失による国力低下を狙った革命暴力の一環であると断じざるを得ない。

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2016年03月10日

「陸軍記念日」である3月10日という日を忘れてはならない!

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 日露戦争開戦前、世界の軍事専門家の中で、我が国が当時世界最大の軍事大国ロシアに勝利すると予想した者は一人もいなかった。そんな中で、我が国は、明治37年2月10日、ロシアに対し敢然と宣戦布告した。

 1年半に及ぶその戦いは奇跡ともいえる勝利を収め、「日本」という国の存在がアジアのそして世界の希望の星となった。

 国民が決死の覚悟をもって開戦に踏み切った日露戦争の勝利は、結果として欧米列強に我国の地位を認めさせることとなり、幕末以来の懸案事項であった不平等条約の改正に繋がって行くこととなる。

 即ち、明治維新の真の目的であった「治外法権」と「関税自主権」という二つの不平等条約の改正が、この日露戦争の勝利によって実現されたのだった。

 二つの不平等条約の内の「治外法権」は、既に日清戦争後の明治32年に克服したていたが、「関税自主権」の回復を実現することで明治維新は成就し、我が国は真に独立を回復することが出来たのである。

 日露戦争の勝利は、世界の植民地政策で搾取や弾圧を受けている民族の独立心を駆り立て、後の大東亜戦争後の植民地の解放に繋がって行く。

 日露戦争の世界史に於ける歴史的意義は、有色人種の日本人が白人に勝利することによって、当時、欧米列強に植民地にされていた世界中の被抑圧民族を感動させ、独立への夢を駆り立てた大きな意義を持つものだったのだ。

 明治38年(1905年)3月1日から、日露戦争最後の陸上戦「奉天会戦」が大山巌陸軍大将指揮の下行われ、同月10日、勝利を収めた。

 この成果を称え、翌年政府は3月10日を「陸軍記念日」として制定し、以後、国民挙って御祝いすることとなった。因みに「日本海海戦」で、バルッチック艦隊を撃破し、大勝利を収めた5月27日は「海軍記念日」である。

 昭和20年3月10日の「陸軍記念日」、国内では戦果芳しくない大東亜戦争の起死回生の戦いを祈念している日を敢えて選び、米国は本土攻撃を断行する。

 これが「東京大空襲」であるが、この爆撃によって多くの無辜の人々の尊い命が失われたのは誰もが知るところ。米軍による大空襲はこの日が最初で、日本の多くの家屋が木造だという理由から火炎の強い焼夷弾を投下した。

 米軍これに飽き足らず、4月14日及び5月25日にも空襲を断行した。5月25日の空襲では、その戦災は皇居にも及び、明治宮殿が全焼し、陛下の執務室や御所、正殿などの儀式殿を失うこととなった。

 宮殿が全焼という中で、昭和天皇は、御文庫を仮の御所とされ、昭和36年吹上御所に御移りになられる迄の17年間を御文庫で御過ごしになられた。

 戦争で疲弊した国民生活の向上が最優先であるとの思し召しから、戦後も長きに亘って新宮殿の再建を御許しにならなかったという。

 3月10日の大空襲以降も陛下は、「国民と共に苦楽を分け合う」と仰せになられ、皇居から御移りになられることはなかった。

 先帝陛下の大御心の程を拝する逸話であろう。

 東京大空襲は、皇居への攻撃も然ることながら、広島、長崎への原爆投下と同様に一般人を犠牲にした蛮行であり断じて許されるものではない。

 マッカーサーの右腕の一人、ボナ・エラーズが、日本への空襲を「史上最も冷酷野蛮な殺戮」と証言していることでも分かる様に、大空襲や原爆投下、ドイツのドレスデン爆撃は「国際法違反」の代表的例と言えよう。

 東京裁判で連合軍は、その理由を「東京への爆撃は重慶、南京の日本軍のよる爆撃への報復」と語っているが、これこそが詭弁である。

 悲しいかな日本人の中にも未だ、こうした米国のプロバカンダを信じ、「日本が戦争さえしなければ空爆されなかった」といった自虐史観が散見されるが、いい加減、米国の洗脳から目覚めて欲しいものだ。

 戦後、GHQは日本人に対し、未来永劫、贖罪意識を植え付ける目的で、更には弱体化の為にあらゆる施策が謀られた。

 日本国憲法然り、教育制度然り。こうした米国の意図は予想以上に成果を上げ、今や日本は「同盟国」とは名ばかりの「米国のポチ」として忠誠・従属を誓い続けている。

 「陸軍記念日」であり、東京大空襲が始まった今日3月10日という日は、国民が「国防」という意味を理解し、米国依存体制からの脱却を図り、真の意味での主権回復を成すには何をすべきか考える一日でありたい。

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2016年03月09日

「国連女子差別撤廃委員会」が皇室典範の改正を強要!

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 「国連女子差別撤廃委員会」が、あろうことか、男系男子に限られている皇位継承に関して皇室典範の改正を強要した。

 国連というのは、本来「戦勝国」という名称であり、その主な目的は日本バッシングであると断じても可笑しくなく、こうしたことこそ女性差別という名を利用した日本差別である。

 我が国政府も、男系男子を盤石なものにする為にも、GHQにより臣籍降下された元皇族の皇籍を復帰するなどの対策を講じるべきで、その為の皇室典範改正を急ぐべきだ。

 また、日本国憲法第二条には「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」と、「皇位は世襲のもの」記されているが、これもまた喫緊に見直さなければならない重要な条項である。

 因みに、大日本帝国憲法第二条は「皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ繼承ス」と明記されている。

 皇位は男系男子が継承されなければならないことは言うまでもないが、現憲法が我が国體(皇統)を維持し続ける上でも実に御粗末な最高法規であるのは、こうしたことでも理解出来よう。

 刮目すべきは、万世一系、百二十五代に及ぶ男系男子の皇統が貴重な理由は神話の時代の初代・神武天皇から連綿として一度の例外も無く、「男系」で続いて来ている厳然たる事実である。

 現憲法下で不敬にも天皇廃止を叫ぶ勢力は、現憲法第二条を楯に皇室典範の改悪と「愛子内親王こそ世襲の筆頭である」とし、百二十五代続く事実を否定することで国體破壊を目論んでいるが、正に国連女性差別撤廃委員会と足並みを同じくするもので断じて容認出来るものではない。

 それにしても、慰安婦問題でもそうだが、恰も我が国が女性を差別しているかの様な国連のクソどもの物言いに、違和感と怒りを覚えるのは愚生だけではあるまい。

 女性には生理がある。生理中、女性というのは情緒不安定になるというし、そうした女性の体調を気遣うのは当たり前のこと。

 また生理は「穢れ」でもある。

 皇室の神事の一つ「皇霊祭」では、生理中は参加出来ない。

 こうしたことも、左翼や反天皇勢力からは「生理は汚らわしいものではなく、女性蔑視だ」との反論も聞こえて来る。

 だが、これは何も皇室だけの例外ではない。

 イスラム教では生理中にはモスクには入れないし、ユダヤ教でも生理中の女性との握手を禁じている。

 これは女性差別ではなく伝統の中で培った教えである。

 「女系天皇論」も、こうした女性差別を理由に論じられているのだが、左翼や反天皇勢力というのは考えが偏向してるのもそうだが、物事の見方が実に薄っぺらい。

 それでは聞くが、歴代ローマ法王に女性はいないし、ローマ法王を選ぶ枢機卿にさえ女性はいない。

 「女性差別撤廃」というならこれも女性差別ではないのか?

 日頃「レディーファースト」と自慢してる国でもそういうもので、我が国の皇統に口出しするなら、ローマ法王や枢機卿にも抗議すべきだと思うが、したとしてもけんもほろろに拒否されるだろう(苦笑)

 伝統を守るというのはそういうことでもある。

 我が国の歴史を遡れば女性天皇は存在したし、抑々、我が国の最高神である天照大御神は女性の神だ。

 また女房のことを「山の神」ともいうが、「かみさん=神さん」であり、女性差別どころか崇めている訳で、女性の神に仕えるのはやはり男の方が好ましい(笑)

 皇室典範改正にまで踏み込んだ国連とは、離脱とまで言わないが一線を画すか、拠出金の在り方なども真剣に考えるべきである。

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2016年03月08日

震災から5年。東北電力女川原発を再稼働させ、東北の復興を加速させよ!

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 花粉症が酷く、昨夜は目が痒くて夜中に何度も目が覚めた。今年は温かいせいか花粉症になるのが早い様な気がするが、それも桜が咲けば症状も軽くなって行くし、桜も一気に咲いて欲しいものだ(笑)

 もう直ぐ3.11ということもあり、県内では「あの(原発)事故を忘れない」という記事を目にするが、抑々、福島原発の事故は地震による「天災」ではない。

 大津波の想定をしていなかった為に発電所内の電源が全て失われ、原子炉冷却に関わるバルブが操作不能になったのが要因であり、更には菅直人が現場視察を強行した為にベントが遅れた「人災」に他ならない。

 「人災」でありながら誰一人としてその責任を負わず、またその罪を裁判によって罰せられた者はいない。

 これは正に司法の正義が崩壊した最たるものだ。

 菅直人元首相や枝野幸男元官房長官らが他人事の様にインタビューに答える姿は、正に屋上屋を架すもので、そうした詭弁を弄する前に心から猛省し、反省に立った上での提言をすることこそ大事ではないのか。

 己らの無知と失体が招いた事故にも拘らず、東電が恰も事故を誘発し、「また原発事故が起これば取り返しのつかないものとなるだろう」と、己の妄想と幼稚な脱原発論を押し付けるのは如何なものか。

 原発を無くすことが解決策ではない。

 「人災」を猛省し、原発を安全に停止させる技術を高め、冷却装置の機能を失わない対策こそ急ぐべきではないのか。

 マスコミは相変わらず福島原発事故を殊更取り上げては、原発そのものの不安と危険性を煽り続けている。

 反原発派らもまた、原発推進派の利権構造を批判するが、反原発派も所詮は「反原発利権漁り」であり、推進派を批判する資格は無い。

 安全保障関連法案の憲法解釈にしても、「戦争への道」などと国民を誑かしていたが、これも反原発も同じ構図で、人々の優しさや幼稚な正義感に漬け込んで党勢拡大に利用しているに過ぎない。

 既に福島原発事故の教訓から、全国の各原発では「防波堤の建設」「浸水防止ドアの設置」「高台への非常用電源の確保」などの対策が進められているが、大事なのはこういうことだ。

 マグネチュード9という巨大地震の震源地に最も近かった「女川原発」は地震直後、原子炉は安全に停止し、被災者の避難所にもなった。 世界はこの「女川原発」に注目し、地震対策を講じている。

 事故を起こしたのは福島第一原発で、第二原発は女川原発同様万全だったのだが、その安全性は語られることはない。

 「冷源」と「電源」が確り保たれてさえいれば「冷温停止」に持ち込むことが可能ということで、つまりはどんな地震であれ津波であれ原子炉を安全に停止させることは可能なのだ。

 日本の技術力をもっと信用しようじゃないか。

 「女川原発」の技術に注目すれば、さらに地震に強い原発を造ることは可能だろうに、何故、原発停止ありきなのか。

 生き残った我々がいつまでも被害者意識丸出しで、過去ばかりふり返り、その場に立ち止まっている訳には参らないのだ。

 福島県民として福島第二原発の必要性を痛感しているが、現状では再稼働は困難を極める。ならば、先ずは東北電力女川原発を再稼働させ、東北の復興を加速させよ!

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2016年03月05日

「憲法改正で戦後を終わらせよう」というタイトルを見て思わず仰け反った

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 昨夜のボクシングは中々見応えがあった。3ラウンドに2回のダウンをした山中だったが、冷静に試合を運びV10を達成した。

 新聞で詳細やコメントなどを見ようかと思ったが、産経新聞というのは設備や配送が整っていないのか、編集が間に合わなかったのか山中の記事が載っていなかった。

 ひと昔前には、山村では配達手段が乏しくその日に新聞が届かず、前日の新聞を読むなんてことがあったが、アノ時代と同じだ(笑)

 地元紙の「反原発」や無自覚左翼ぶりの論説に呆れ返り、購読を止めてからは、読売新聞~産経新聞を購読しているのだが、保守派といわれてる人物の主張にも胡散臭げなの記事も少なくない。

 朝日新聞が営業左翼なら、方や産経は営業保守か(笑)

 昨日の阿比留瑠比の「極言御免」という主張での、「憲法改正で戦後を終わらせよう」というタイトルを見て思わず仰け反った。

 保守派や自称・愛国者は膝を打って感激したに違いない(笑)

 「いよいよ、待ちに待ったその時が来た。安倍晋三首相が参院予算委員会で憲法改正について『在任中に成し遂げたい』と明言したのだ」と、狂喜する。

 そして「憲法改正で戦後は終わり、日本は当たり前の国になれる」と結んでいるが、憲法改正で戦後の全てが終わるとはホント暢気な解説委員だと思う。

 戦後の日本を象徴するのは確かに日本国憲法でもあるが、同時に「日米安保条約」もそうだろう。この日米安保条約の解消せずして日本の戦後はない。

 ならば、「日米安保条約は不平等条約」と叫んで止まないトランプ候補でも応援して、「日米安保の解消」を訴えれば納得もするが、産経新聞は徹底した反トランプであり、日米同盟の重要性を考えればトランプは不適格だと断じる。

 これでは更なる米国への従属を訴えてるのと同じではないか。

 産経新聞の主張や保守派らの憲法改正は、改正によって成される真の独立ではなく、単にアジアの防衛の一翼を担わせる為のものでしかない。

 抑々、現憲法は「日本国憲法」とはなってはいるが米国製だ。余程のバカじゃない限りそうしたことは理解しているだろう。

 その現憲法を見直すということは、現憲法を容認することであり、容認しながら部分改正如きで戦後のあらゆる不条理が解決されるほど単純なものではない。

 この論説の隣りの記事には「改憲決めるのは国民」との安倍の言葉が記され、稲田政調会長の「9条2項の改正は困難」との認識も取り上げられている。

 多くの自称・保守派が待ち望んでいるのは、自国をまともに護ることも出来ない「9条第2項」の改正こそが最大の目的ではないのか?

 だが、自民党の政調会長は「それは無理だ」という。

 抑々、自民党というのは憲法改正が党是ではない。昔は「自主憲法制定」が党是であり、現在は「新憲法の制定」が党是である。

 多くの自民党員や、保守派、自称愛国者や右翼までもが、「自主憲法制定」と「憲法改正」を一緒くたにしているが、これは間違いだ。

 現憲法を金科玉条の如く崇めた時代とは違い、国民の多くが現憲法が機能していない現状とその条項の矛盾を理解している。

 野党が結束し、反安倍政党を立ち上げ様としているが、現在の保守ブームといわれる時代が終わり、容共政権が権力を握ることになれば、安倍政権下で行う安易な改正手法が逆に利用される危険も孕んでいることも考慮しなくてはならない。

 憲法改正が主たる目的ではなく、やるべきことは現憲法の欠陥と矛盾を国民に明らかにして行くことこそが肝要であり、目先の改正なんぞどうでもいい。

 憲法を改正し防衛力を高めることが「国防」ではない。

 国防とは国體を死守する事であり、その国體とは皇統である。

 「万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ」。これこそが、我が万古不易の国體であり、それを死守するには現憲法の改正如きでは不可能ということ。

 東京裁判の不当性を明らかにし、現憲法を始めとした米国の行った占領政策のあらゆる不条理を検証することは大いに結構なことだが、安倍の「憲法改正」発言は保守派へのリップサービスでしかない。

 ホント、単純な熱狂する保守派ほど実に扱い易い(苦笑)

 最早、現憲法の改正如きでは我が国體を維持することは困難であり、皇統断絶の危機を済う為めにも、明治人の智慧の結晶である大日本帝国憲法の復元・改正の足掛かりを得る為に奮闘努力すべし!

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2016年03月03日

連日報道される米国大統領選候補指名選挙に違和感

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 先日、自民党の丸山参議院議員が、黒人奴隷発言に続いてこう述べた。

 「例えば、日本がですよ、アメリカの第51番目の州になるということについてですね、例えばですよ、憲法上どのような問題があるのかないのか・・・(略)。まあ、世界の中の日本と言うけども、要するに日本州の出身がアメリカの大統領になる可能性が出てくるという事なんですよ」

 我が国を51番目の州に準えて意味不明の自説を述べていたが、連日、トップ記事で報道される米国大統領選の候補指名選挙を見てると、我が国を「51番目の州」という喩えは強ち間違いではない(笑)

 日本人がアメリカ大統領になるというのは飛躍し過ぎだが、加熱する選挙報道を見てると、近い将来、日本から候補指名選挙に出ることもあり得なくはないと錯覚する(笑)

 産経新聞は「反トランプ」に必死で、今日の「主張」で「『痛快だから』では済まぬ」との論説を載せ、止まらないトランプ現象を批判している。

 他所の国の大統領が誰がなろうがどうでもいいが、どう見ても日本の新聞ではなく、米国の新聞記事にしか見えない(笑)

 産経新聞というと保守派というイメージで、反中・反韓という耳障りの好い言葉で保守層を取り込んでいるが、どうみても親米保守派であり、こうした似非保守が米国の国益を優先するあまり、日本の国益を害してる場合が多い。

 「主張」の中で、トランプ人気をこう解説する。

 「政治経験のないトランプ氏の人気は、既成の政治への不満であり、大衆の本音をずばり口にするポピュリズムである」

 ポピュリズムは別にトランプに限ったことではないだろうし、政治経験の無い人物が政治家になったというのは何処にでもいるだろう。

 橋下元大阪府知事なんてのは政治経験なんぞ全く無い人物で、ポピュリズムの申し子の様な政治家だったし、我が国にポピュリズムを批判する資格があるとは思えない。

 我が国の多くの政治家は大衆に媚び、諂い、「国民の目線に立った政治を行う」と然も国民を慮った様な台詞を吐くが、民主主義の本質は国民目線に立つことではないし、平均的な国民を創ることではない。

 「国民目線」とは国民の平均値のことを指すのだろうが、平均値で国の政を行うことは余りにも危険。政治が国民目線に立った時、必ず国は滅ぶというのは世の常でもある。

 何故なら、国民の判断力は古今東西常に低く、その意見も時代に流され、大衆に流され、実に幼稚で気紛れなものだからだ。

 安倍人気にしても、その全てが多くの国民の安っぽい保守ブームの風潮から支持されてるだけで、言い換えれば民衆のひと時の気紛れの結果でしかない。

 政治とは、国家観を重んじながら、国民目線とかけ離れた歴史観、人間観、世界観、時には高度な権謀術数を必要とするものなのだ。経済も然り。

 「国民の目線」とは、ワイドショーに煽られた平均的意見であり、マスコミは国民の安直な正義感に迎合し、自分達の主張こそが「正義」であり、「真の民主主義」であるかの主張を居丈高に振り翳し、国民を煽動し続けているのが現状だ。

 正に、「民主主義」とは、「衆愚政治」であるということを痛感するが、議員に当選するには大衆に媚び、大衆にニンジンをぶら下げなくてはならないのも確か。

 「大衆の多くは無知で愚かである」とか、「熱狂する大衆のみが操縦可能である」と訓えたのはアドルフ・ヒトラーだが、彼もまた既成の政治への不満を煽り、大衆の心理を擽ったポピュリズムを代表する政治家だろう。

 トランプは米国版ヒトラーになるかも知れないぞ(笑)

 要は、歴史を見るまでもなく、大衆に選ばれるには、その大衆を熱狂させなければならないということで、分かり易く言えば、多くの有権者というのはバカだから、それを上手く利用するのが効果的だということだ。

 本来、政治というものがきちんと機能していれば、大衆が政治に係わることなどないもので、大衆が政治に関心があるというのはそれだけ政治が機能していない裏返しでもある。

 三島由紀夫は、それをこう喩えた。

 「胃痛の時に初めて胃の存在が意識されると同様に、政治なんてものは、立派に動いていれば、存在を意識される筈のものではなく、況して食卓の話題なんかになるべきものではない。政治家がちゃんと政治をしていれば、鍛冶屋はちゃんと鍛冶屋の仕事に専念していられるのである」

 それが然も自分が政治家になったつもりで、あ~だこ~だと嘆いている。

 こういう大衆が現在の有権者であり、その一票一票を集めて当選してるのだからバカしか当選しない。現在の政治家にバカが多いのは当然のことで、期待する方がバカだ。

 仮に動物の世界で喩えれば、数の多いのが当選するのは当たり前のこと。ブタとかネズミとか、要するに能力なんぞ二の次で、数さえあれば当選する仕組みなのだ。

 本当に当選して貰いたい、百獣の王ライオンは、幾ら力があっても数が少ないから当選出来ない。トラやゾウやゴリラでも同じこと、当選は無理。

 力や能力のある者が当選出来ないのでは立派な政治も、政治家も生まれることはない。政治を立派にしたいなら有権者がライオンやトラにならなきゃダメ。でも、それも無理というものだろう。

 今の政治家は、要はブタが偉そうにしているだけで、「民主主義」というのはこういうものであるということを知るべし。

 「主権在民」などというと聞こえはいいが、1億2000万分の1の主権では、無いのと同じで、ある様に錯覚しているだけのこと。

 「主権在民」なんぞクソ喰らえ。今のネットでの声は、それが犇めき合って、夫夫ブタやネズミやニワトリがギャーギャーと鳴き声を張り上げているに過ぎず、結局は数の多いブタどもの世界になるより他は無い時代なのだ(笑)

 国内を見渡せば、一番多い労働者。取分け労働組合なんぞブタの集団だ。その労働者の支持を得ないことには政治家にはなれないのだから、まともなヤツが政治家を志すとも思えない。

 創価学会なんぞ養鶏場のニワトリ。飼い主の池田養鶏場の単なる激安鶏肉に過ぎない。こんなブロイラーを食べたがってるのだから安倍自民党も高が知れている(苦笑)

 政治を糺すのは大いに結構な心掛けだが、政治の仕組み、選挙の仕組みがそうなっているのだから変わり様がない。そんな杞憂より、自分の仕事に専念してた方が余っぽど国の為になる。

 衆愚政治はこれからも続くだろう。そして行き着く処まで行かなけりゃ気が付くことも無い。そしてその時に維新という革命が起こるのだ。

 そう、歴史は常に繰り返されるものである。

 米国のポピュリズムを批判したところでどうなるものでもないし、そんなことより我が国の足元を見つめ直せ。

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2016年03月02日

高市総務大臣は「放送法」に則って粛々と電波停止すべし!

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 クソジャーナリストらが、高市早苗総務相が発した「国は放送局に対して電波停止できる」という至極真っ当な発言に抗議の声を上げている。

 池上彰に於いては「まるで中国政府がやるようなことを平然と言ってのける大臣がいる。驚くべきことです。欧米の民主主義国なら、政権がひっくり返ってしまいかねない発言です」と宣う。

 安倍政権を共産党一党独裁の中共に準えるのも嗤えるが、「欧米の民主主義なら政権がひっくり返る」とはどういうことか?

 然も、こうした発言に寛容な日本人はバカだとでも言いたいのだろうか、それとも日本の民主主義が欧米よりも劣るとでも言うのか。

 こうした偏狭な自説を公然と垂れ流すことこそ弊害が多く、正に放送法に則って粛々と電波停止するべきだと思う。

 反対するマスコミやジャーナリストらは「知る権利」を翳し、「現憲法の精神に反する」と国民を煽動するが、一体彼らの「知る権利」とは何なのだろう。

 マスコミに「知る権利」が在るなら、国民もまた然り。だが、国民は、マスコミやジャーナリスト、或いは自称・有識者らが取り上げる胡散臭げな問題に一喜一憂するばかりで、自ら考えることを放棄してしまっているのが現状。

 問題が出ればその萌芽は日本や政府に在ると貶し、それをマスコミ御用達のインチキ言論人が煽り立てる。

 例えば「大東亜戦争」にしても、未だ米国の「太平洋戦争」だと教え、「日清・日露戦争」や「日韓併合」に至る近代史にしても沈黙し、「南京事件」や「慰安婦問題」にしても、マスコミが国民に真実を伝えているとは到底思えない。

 NHKにしろ、朝日新聞にしろ、GHQの「言論統制」という弾圧から未だ覚醒せず、自虐史観から脱却出来ずにいるそんなマスコミやジャーナリストが、「知る権利」などとは痴しく、「社会の木鐸」としての誇りなど微塵も感じない。

 「木鐸」とは、「世人に警告を発し、教え導くこと」にあるが、どうみても彼らは、自虐史観にどっぷり漬かった彼らは、贖罪意識から中韓に媚び諂い、現憲法を金科玉条の如く崇め奉り、我が国の国柄を崩壊させんが為に走狗と化してしまっているではないのか。

 確かに、憲法21条では「報道の自由」が保証されている。だがこれは、記者らの礼儀を欠いた取材活動や報道を保証するものでもない。

 放送法第1条第2項には、「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること」と謳われ、同法第4条第2項には、「政治的に公平であること」、そして同条第4項には、「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」と記されている。

 新聞倫理綱領にも、「言論・表現の自由の下、高い倫理意識を備え・・・」と記され、「言論・論評の自由を守り抜くと同時に、自らを厳しく律し、品格を重んじなくてはならない」と記されている様に、兎角、傲慢になりがちな記者を諌める為のものでもある。

 だがどうだろう、高市発言を論うジャーナリスト諸公に高い倫理意識など感じることもなく、とても品格を重んじてるとは思えない。

 テレビにしろ、傍若無人な礼儀を欠いた報道は日本の品格を貶め、国民の倫理意識を低下させ続けているが、憲法にしろ、放送法にしろ、新聞倫理綱領にしろ、記者らの傍若無人な礼儀を欠いた取材活動を保証する為のものではない。

 「知る権利」を特権であるかの様に振り翳す前に、己らの謙虚さも何も無い、薄っぺらい正義感と己らの権利ばかりを主張するその醜い姿を見つめ直したら如何か。

 尤も、こいつらは単なる営業左翼というのが正しく、彼らに公正・公平な正義感や社会の木鐸としての矜持は無い(苦笑)

 「知る権利」とはマスコミの知る「権利」ではなく、国民が真実を知る「権利」でなくてはならず、マスコミは知り得た情報を、公平公正に国民に伝える役目を担っているに過ぎないが、それを忠実に実行しているとはとても思えない。
 
 嘗て坂の上の雲を追い続けた時代、国民の側に立ち「自由民権」を主張した新聞は、「反骨」を旨とし、権力に対して敢然と大衆の代弁者を自負していた。

 時の権力は新聞社や記者を弾圧するも、彼らはジャーナリズムの矜持と使命感を以て、決してそれらに怯むことはなかったのだ。
 
 今や正統ジャーナリズムは存在せず、権力への批判は単なるパフォーマンスと化し、民衆に迎合して、何でも腐して終わり。そうした冷笑的な態度こそが真のジャーナリズムだと錯覚しているクソばかり。

 この連中は「反安倍」「反自民」こそが反権力と勘違いしているが、我が国の政治が未だ三流と言われ続ける一因は、世論をぶち壊して悦に浸っている、こうした進歩の無い「低能ジャーナリズム」が元凶でもある。

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cordial8317 at 05:40|PermalinkComments(0)

2016年03月01日

「人災」を決定付けた菅直人こそ責任を問われるべきだ!

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 今日は朔日。いつもの様に朝まだきから身を清めるも、流石に今朝の寒さは堪えた。神饌を新しくし、神棚に向い二礼二拍手一礼。畏くも陛下の弥栄を祈念し、併せて心願成就を懸ける。

 東京電力第一原発事故の刑事責任を巡り、検察審議会の起訴議決に基づき、東電の勝俣元会長ら3人を強制起訴した。

 福島原発事故は事故調査委員会からは「人災」と結論付けられているが、今回の強制起訴は「天災」を予測出来たかどうかが争点であり、ならば「人災」を決定付けた当時の最高責任者であった菅直人こそ、その責任を問われるべきだ。

 事故前に外国人からの不法献金を糺され、四面楚歌だった菅は、事故を利用しようと「現場視察」というパフォーマンスを強行し、起死回生の一発勝負に出た。

 この菅の現場視察が、原発事故の現場の対応に要らぬ混乱を招き、被害が拡大したことは明らかだった。

 東日本大震災当日から炉心溶融という「最悪のシナリオ」を予測していながら、菅が強く望んだ現地視察で、即座に取るべき一連の措置に遅れが生じた。

 当時、政府担当者からの要請により「首相を被曝させない」ことを優先する余り、1号機の炉圧を低下させる為の「ベント」と呼ばれる応急措置が遅れた事実は既に報じられている通り。

 原発事故の責任は何も東電だけではあるまい。その責任は東電は然ることながら、国にも、県にも、設置を容認した自治体にも在る訳で、中でも原発事故の対応の拙さと混乱を生んだ当時の民主党政権に責任は重い。

 起訴訴状の中には、強制避難による影響で亡くなられた双葉病院の患者44名の死亡の責任も問われているという。

 だが、避難命令を出し、動かしてはいけない重篤な患者を強制的に移動させたのは、東電役員らではなく、当時の災害対策本部長である菅直人であり、その責任を問うなら菅であり、適切な処置を誤った医者だろう。

 勝俣元会長らを庇うつもりは毛頭ないが、当時の最高責任者であり、混乱と更なる被害の拡大を生んだ菅が逮捕されなければ我が国の正義は何処に在るというのだ。

 未だに原発事故を論い、その責任論を然も当然であるかの様に振り翳すが、生き残った我々がいつまでも被害者意識丸出しで、過去ばかりをふり返って、いつまでもその場に立ち止まっている訳には参らないのだ。

 現実に今も凄惨な事故現場に於いて、命懸けで収束しようと頑張っている方々が存在し、また、この教訓を活かそうと懸命に努力している方々が存在する。

 事故責任を問うのは法治国家では当然であろうが、それよりも大事なことは、二度とこの様な過ちを繰り返さない為にはどうすべきか、また事故の教訓をどう活かすかだ。

 国内での原発事故に限らず、いつか起こるであろう韓国や中共、或いは世界に在る原発事故に対しても、福島原発事故の収束技術と正確な科学的データが活かされることこそ、福島のこの地に住み続ける我々の願いでもある。

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cordial8317 at 08:36|PermalinkComments(0)