2016年01月

2016年01月29日

政治とは最高の倫理であり、最高の道徳であらねばならない!

 にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

 金銭授受疑惑の記者会見で、甘利は「秘書の監督責任、閣僚としての責務及び政治家としての矜持に鑑み閣僚の職を辞する」と語った。

 過去に不正な金銭授受や政治資金の疑惑に対し、全ては秘書の責任とした小沢や鳩山などに比べれば潔い決断だと思う。

 だが、金銭授受を認めており、「一からやり直します」というなら、議員も辞職してしまった方が好かった様にも思う。

 どうせ今年は衆参同日選だろうし、禊を終えて直ぐ復帰出来るし(笑)

 「客の前でポケットに(カネ入りの封筒)入れるというのは、政治家以前に人間として品格を疑われる」とも語ったが、これはトンチンカンな品格論という他は無い(苦笑)

 政治というのは最高の倫理であり、最高の道徳であらねばならず、繰り返される「政治とカネ」の現状を見る時、政治家の倫理道徳の欠落は著しいと断じざるを得ない。

 政治家に求められるのは唯々「滅私奉公」の一つである。

 政治家必携の本といわれる「南洲翁遺訓」があるが、これは政治家に限らず、人の上に立つ者、日本人必読の名著である。

 「万民の上に位置するものは、己を慎み、品行を正しくし、贅沢を戒め、倹約に努め、職務に努力して人民の見本とならねばならない。そして民衆がその働きぶりを見て『気の毒だなぁ』と思うようでなければならない」(第四条)

 今どき「気の毒だなぁ」と思える政治家なんぞ見たことも無い(笑)

 「事を行う場合、どんなことでも正道を踏んで至誠を推し進めよ。決して策謀や不正を用いてはならない」(第七条)

 国民不在の国会中継を見てると、党利党略ばかりで、とても正道を踏んで真心を以て国の行く末を論じているとは思えない。

 「道義心や恥を知る心を失っては、国を維持する方法は有り得ない。上に立つ物が下の者に対して利益だけを求めて正しい道義を忘れてしまうと、下の者も見倣って、人の心は皆金儲けの方ばかりに向いてしまう。上に立つ者は常に下の見本で有らねばならない」(第十六条)

 甘利は、秘書が「誘惑に負けてしまった」と庇ったが、その萌芽と責任は甘利自身にあり、辞任は当然で美学でも何でもない。

 第二十四条は有名な「敬天愛人」の思想である。

 「道は天地自然の物にして、人は之を行ふものなれば、天を愛するを目的とす。天は人も我も同一に愛し給う故、我を愛するを以て人を愛する也」

 天を敬い、「お天道様が見ているぞ!」という、人として当たり前の矜持こそが政治家以前に必要なことであるのは言うまでもない。

 「南洲翁遺訓」は本編四十一条。何れも含蓄あるものばかりで、如何に西郷隆盛が仁者だったか理解出来る。

 我が国の不幸、政治の停滞と機能不全は、西郷隆盛の様な政治家や思想家、指導者がいないことに尽きよう。

 政治家も、集めたその賤しいカネの一部で「南洲翁遺訓」を買って、写本でもした方が国の為になるぞ!呵呵。

 にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

cordial8317 at 07:47|PermalinkComments(0)

2016年01月28日

甘利大臣への金銭授受の告発者は元右翼団体構成員!?

 にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

 甘利大臣の金銭授受疑惑を巡り、民主党はここぞとばかり糾弾の手を強めているが、過去の小沢一郎や鳩山由紀夫への政治資金疑惑も晴らせなかった民主党に政治とカネを断じる資格はない。

 甘利大臣を告発した一色武(実名ではない可能性あり)という人物は住吉会系の元右翼団体「青嵐同志会」の構成員らしく、過去にも同様の手口で暗に金銭を要求された関係者もいるという。

 ネットでは「一色は稲川会」などと書き込まれてもいるし、告発者が「元右翼団体」構成員というのが公表されたことで、検察はやる気を削がれ、民主党も糾弾の手を緩め、この問題も収束して行くのではなかろうか。

 それだけ「右翼」の評判は悪い、否、強烈なのだ(笑)

 こうした政治とカネの問題は尽きることはないし、これをネタに強請ろうとする輩も出るのは、当然といえば当然のこと。

 現にこの一色という人物は他の国会議員(引退)にも近付いて、トラブル解決を依頼し、その国会議員(当時)も「5億円は取れる」などと豪語していたというから厭きれるばかり。

 今回は政治資金規正法ではなく、疑われているのは、トラブル解決での謝礼を受取ったとされる「斡旋利得処罰法」違反容疑。

 元右翼構成員の愚生がその立場なら、「トラブル解決での謝礼」は付けたりに過ぎない理由で、「謝礼を受け取った」という事実を相手側(国会議員)に認めさせ「斡旋利得罪」や「斡旋収賄罪」をチラつかせた恫喝が目的だろう。

 週刊文春がスクープする前にも、恐らく、甘利大臣側にはそれとなく伝えていたことは想像するに余りある。

 それが拒否されたか、思う様にカネにもならず、週刊文春に実名で告発したというのが真相で、TPP担当大臣として不適任だとか、自民党を糺すなどという大義は無く、単に喝取に失敗したということなのだろう。

 要は、甘利大臣も脇が甘いし、秘書は余りにも軽過ぎたということ。

 尤も政治家の秘書なんぞ、カネをチラつかせれば靡く連中が殆どだし、自分自身が代議士にでもなったかの様に横柄な勘違い野郎も少なくないが(苦笑)

 強欲な政治家と、それに集るブローカーとの癒着ということなのだろうが、こうした政治とカネの問題は止むことはなく、今後も繰り返されるだろう。

 「政治資金規正法」にしても、それらがザル法というのは多くの国民は承知している。

 政治家がその法律の網を掻い潜ることは容易なことで、要は、こうした問題を解決するにしても、政治家自身の心構え一つということだ。

 何故に、政治家や秘書らが政治資金集めに狂奔するのかといえば、政治活動ではなく選挙活動にカネがかかるからだ。

 「政治家は負ければただの人」、だから必死で政治家の椅子にしがみ付く。だが、これでは政治家ではなく、所詮は政治屋、選挙屋だろう(苦笑)

 有権者や国家、国民のことなんぞ二の次で、保身と生業の為に必死。頭に在るのは選挙だけ。その権力欲と上昇志向は限が無い。

 政治とカネの問題が尽きないのは、政治家自身の金銭欲の成せる業だろうが、政治家が今後も企業・団体、個人からの献金を続けるなら、国民から詐取している政党交付金(政党助成金)は廃止すべきだ。

 「政治家は隗より始めよ!」とはそういうことだ。

 にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

cordial8317 at 07:49|PermalinkComments(0)

2016年01月27日

人は教えによって人であり、教は国があって行われ、国は歴史があって存立する(西晋一郎)

 にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

 拙ブログ「爆ちゃん吼える」の冒頭には、昭和天皇に論語の「漢籍」の進講をされたこともある、戦前の日本を代表する倫理哲学者・哲学者・西晋一郎の言葉を記している。

 「我が民族の将来と国家の前途を思うは人間の最も真剣なる感情であり、君国に忠、親に孝なるは最も現実なる道徳である。之を離れては人類愛も世界的正義も空想に過ぎない」

 「国に忠」と「親に孝」の二つを離れては、人類愛も、平和主義も、憲法論議も空理空論どころか、ただの「空想」「妄想」に過ぎないということである。

 左翼らが頻りに「平和」を訴え、「正義」を標榜しようが、この「国に忠」という感情が決定的に欠落している故に、まともな国民には受け容れられることはない。

 我が国は、2700年もの歴史が続く君主国家であり、そして神武建国の理念とは、「八紘をおおいて一宇となす」という家族国家の形成に在る。

 「日本を再生する」ということは、欧米の様な国になることではない。

 そういう意味では、明治維新は、「維新」とは名ばかりで、その実は西洋文明を模倣した改革に過ぎなかった。

 戦後体制を見直すことは喫緊の課題であることに間違いないが、明治維新後に長州閥が行った施策の多くを検証する必要もあろう。

 「日本を再生する」「日本を取り戻す」とは、その原点である「日本の背骨」を取り戻すということである。

 そして、その「日本の背骨とは何か」といえば、日本人として生きて行く上で大切な精神である、「国への忠誠心」と「親への孝養」であり、正に「君国に忠」「親に孝」ということに尽きるのだ。

 我が国は、天皇(君)を頂く家族国家であり、その国體の精華は万邦無比である。

 つまりは、全ての日本人が陛下の下に一つとなって(忠)、先祖代々続く日本人としての血統を重んじ(親)、父祖に恥じない生き方を実現する(孝)、ということである。

 西晋一郎はこうも訓える。

 「人は教えによって人であり、教は国があって行われ、国は歴史があって存立する。人と教と国と歴史は一環状をなし、其の実一である。若し四者が連貫を失ったならば、人は真に人でなく、教は真に教でなく、国は真に国をなさず、歴史というものから断絶される」

 教育と国の歴史は繋がっており、国の歴史を軽んじることは、国家としての未来を放棄したも同然である。

 人もまた教え学ぶことを忘れてはならない。それは単に自分の為だけに非ず、連綿と続くであろう子供達の為でもあるからだ。

 末尾に当たり畏くも、天皇皇后両陛下に於かせられては、先の大戦での激戦地であったフィリピンを巡幸遊ばされ、慰霊と鎮魂の祈りを捧げられる。

 巡幸の後無事と両国の友好が一層深まることを願って止まない。

 にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

cordial8317 at 08:26|PermalinkComments(0)

2016年01月25日

「日本人出身力士10年ぶりの優勝」という狂騒に違和感

 にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

 大相撲初場所は、大関・琴奨菊が14勝1敗で優勝した。

 「日本人出身力士10年ぶりの優勝」といったタイトルが躍り、大相撲ファンのみならず国民もまたそれを喜んだ。

 大相撲ファンの愚生としては確かに日本人出身力士の優勝は感慨深いものがあるが、ここ10年、日本人力士が優勝できなかったのは偏に力が足りなかっただけのことで、歓喜するほどのことでもない。

 「八百長疑惑」や「賭博事件」などで相撲人気に翳りが見えていた時期、それらを払拭し、相撲を支えて来たのは、白鵬や朝青龍といったモンゴル人力士を始めとした外国人力士らだったことも忘れてはならない。

 大相撲は、「断髪令」が出ても丁髷の伝統を貫き、戦後も表彰式で国歌「君が代」を斉唱し続けてきた保守の牙城ともいうべきものだ。

 この大相撲を目の仇にする左翼陣営に留まらず、自称・保守派や自称・愛国者もまた、モンゴル人力士を始めとした外国人力士の席捲を苦々しく思い批判する。

 「日本人出身力士10年ぶりの優勝」という狂騒は、ややもすればヘイトと同じ差別意識の現れにも見えなくはない。

 日頃、ヘイトを忌み嫌ってる筈のマスコミが、率先して「日本人出身力士優勝」と、モンゴル力士への充て付けの如く浮かれてる様はもう嗤うしかない。

 元横綱・武蔵丸や元大関・琴欧洲、優勝力士の旭天鵬など外国人ながらも日本国籍を取得し、親方となっている人も少なくない。

 白鵬は今や全盛時の勢いはなく、これは日馬富士や鶴竜も同じこと。

 そんな中での優勝をここぞとばかり喜んでいる様では、この先も日本人力士の為体は続くだろう。

 白鵬は日本人女性と結婚し、日本に骨を埋める覚悟があると思っていたが、日本人への帰化に難色を示しているとも聞く。

 「年寄」を襲名するには日本国籍が絶対条件で、それは「一代年寄」と雖も同じこと。

 歴代優勝記録を持つ白鵬は、「例外的に一代年寄を認めるべき」との主張をしているとも洩れ伺っているが、これは本末転倒、言語道断であると言わざるを得ない。

 白鵬ファンの愚生としては、そうした話を耳にし興醒めした。

 今も事ある毎に、大相撲は批判の対象にされ、それが相撲離れの要因にもなっているのは相撲と神道、天皇と神話の関係がその根底に在ることは否定出来ない。

 中学時代の担任だった日教組の教諭は、大相撲が始まると「相撲はバカが取って、バカが観る」といつも腐していたが、そこにはやはり天皇否定の思想が垣間見れる(苦笑)

 相撲は千五百年以上の歴史を有し、古来より、五穀豊穣を祈り、その恵みに感謝する神事でもあり、現在の大相撲は、平安時代に天覧相撲である「相撲節会(すまいのせちえ)」が行われたことが始まりとされている。

 こうしたことを理解した上で大相撲を観戦すれば相撲もまた楽しいのだが、相撲も他の武道などと同じ様に勝敗ばかりが優先され、スポーツ化していることに危機感を抱いてるのは愚生だけではあるまい。

 本場所初日の前日には、「鎮め物」として、萱(かや)の実、勝栗、スルメ、昆布、塩、洗米といった神饌が土俵中央に納められ、立行事が祭主を務め、「土俵入り」が行われる。

 使用した御幣は、神の降臨の証しとして四色の房に飾られる。

 力士が「四股」を踏むが、これは地面に潜む邪悪なものを封じ込める為のもので、「塩撒き」も土俵の邪気を祓い、神への祈りであり、「力水」や「力紙」は清めの作法。

 清めを終えた力士は、「蹲踞(そんきょ)」から「揉み手」「柏手(かしわで)」し、両腕を開く「塵手水(ちりちょうず)」と続く。

 「揉み手」は、古来は雑草の露で手を清めていた所作で、「柏手」は神に拝する際に打つ動作。「塵手水」は、手に武器を持たないことを表すものだ。

 勝ち名乗りを受ける際に、「手刀」を斬るが、これは左が「神産巣日神(カミムスヒノカミ、カムムスビノカミ)」、右が「高御産巣日神(タカミムスビノカミ)」、真ん中が「天御中主神(アメノミナカヌシノカミ)」三神への感謝である。

 白鵬が手刀の後に懸賞金を奪い取るかの様な所作は頂けない。

 力士は神の遣いであり、横綱とはその中の最高峰。やはり勝敗に拘るのもいいが、その所作、風格が大事であるというのは言うまでもない。

 千秋楽の終了後、「神送りの儀式」があり、御幣を抱えた新弟子力士らが胴上げすることで相撲の神々は昇天する。

 そういう意味では、実力世界の相撲界ではあるのは確かだが、「国技」を自任するならば、そうした大相撲の歴史や謂れを内外に発信し啓蒙して行くことも大事なことだと思う。

 にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

cordial8317 at 07:58|PermalinkComments(0)

2016年01月18日

魂なき繁栄に現を抜かしている我々日本人こそ、台湾に学ばねばならない

 にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

 台湾の総統選は、民主進歩党の蔡英文主席が当選。これによって親日が進み、日台友好が深まるかの様な雰囲気が広がっている。

 だが、日台関係はそう簡単なものではない。

 何故なら、日本政府や外務省というのは「日中共同宣言」により、台湾は中国の一部としており、台湾を国家として認めていないからだ。

 こうした無礼は道義国を自任する我が国としては如何なものか。

 訪日する外国人のトップにしても、トップは台湾からの観光客なのに、多くは一緒くたに「中国」であるとし、支那人による「爆買い」が然も日本経済に貢献しているかの様に報じていることでも理解出来よう。

 昭和27年4月28日、主権を快復した我が国は、「日米平和条約」を締結すると共に、中華民国への報恩感謝として「日華国交条約」の締結する。

 これは道義国家として当然の行為だろう。

 だが、昭和47年、中華人民共和国との国交正常化交渉がなされ「日中共同声明」に調印すると、田中角栄は中国共産党を唯一の政府と認め、一方的に中華民国に対し国交断絶を通告した。

 右翼民族派や保守派らは終戦間際の「日ソ中立条約」を一方的に破棄した旧ソ連を糾弾して止まないが、我が国もソ連と同じ蛮行を台湾に行ったのだ。

 この国際条約の破棄、蹂躙という行為は明らかな日本国憲法第98条違反であり、道義国家として断じて赦されざる破廉恥行為である。

 左翼やマスコミら護憲派は、安保関連法案にしろ、事ある毎に「違憲」と断じるが、ならば過去のこうした憲法蹂躙も糾弾されるべきではないのか。

 爾来、我が国は台湾を国家と見做さない無礼千万な振る舞いを行っているが、日本人として実に恥かしい限り。

 台湾では、戦後、掌を返したかの国とは違い、我が国の統治時代の歴史教育は、実に公正に教えており、台湾の近代化にかなり役に立ったという論調で書かれている。

 鉄道や電気、水道といったインフラのみならず、教育までも日本と全く同じレベルに徹底されている。

 台湾には、「日本精神(リップンチェンシン)」という言葉があるという。

 「勤勉である」「約束は破らない」「人を裏切らない」。こういう人を、「あいつは、日本精神があるヤツだ」と言うらしいが、現在の我が国の現状を鑑みれば、申し訳なく、恥ずかしくて赤面してしまいそうだ。

 「信義誠実の原則」という日本が忘れてしまった日本的価値観の美徳が、未だ台湾には連綿と生きている。

 魂なき繁栄に現を抜かしている我々日本人こそ、台湾に学ばねばならない。

 蔡英文総統就任で、我が国も対中外交が改まり、台湾との国交恢復と真の友好が成されることを願って止まない。

 にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

cordial8317 at 07:40|PermalinkComments(0)

2016年01月17日

防災と国防が万全なものにすることが犠牲者に応える唯一無二のものである

 にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援バナークリックありがとうございます!〉

 21年前の今日、阪神淡路大震災(阪神大震災)が起きた。この21年の間、果して我が政府はその教訓を生かして来たのだろうか。

 残念ながら、その後に起こった東日本大震災を始めとした災害を見る限り、万全な体制を執って来たとは思えない。

 遡ればそれは、敗戦の汚辱を払拭せずに、戦後の経済的繁栄だけに現を抜かし、国の大本を忘れ国民精神を失ひ、本を正さずして末に奔り、国家百年の大計は米国に依存して来たことに起因するといっても過言ではないだろう。

 大東亜戦争の教訓は当然ながら、災害等で被災された多くの方々の犠牲を無駄にすることなく、今後の我が国の危機管理と防災と国防が万全なものとなる様に、更なる高度な対策が構築されて行くことを望むばかり。

 阪神大震災が起こった際、首相は最低・最悪の村山富市だったが、こうした無能な輩を持ち上げ連立を組み、首班指名した自民党にも責任があろう。

 村山が首相指名を受ける前年、羽田内閣が少数与党内閣となり総辞職。

 政権復帰を目指した自由民主党は、日本社会党(村山富市委員長)・新党さきがけ(武村正義代表)と連立政権を組むことに合意した。

 その時の自民党総裁はあの河野洋平であったことは何か況や。

 「自衛隊違憲合法論」を標榜する社会党の党首でもあった村山は、自衛隊の出動に難色を示し、結果、その対応の拙さから数千人もの助かる命が失われた。

 自衛隊への出動命令の遅れを批判された村山は、「なんせ、初めてのことじゃけ~」と他人事の様に語ったことは決して忘れはしない。

 「言い訳は見苦しいばかりではなく同じ過ちを繰り返す」とはよく言ったもので、その後、村山は、日韓併合の植民地支配と大東亜戦争を「侵略」と断じ、どさくさに「村山談話」を発表するに至った。

 こうして慰安婦問題や歴史問題で火に油を注いだ村山は、今も尚、我が国を貶め続け、老醜を曝け出し、老害を撒き散らしている。

 東日本大震災時の首相であった菅直人も、現場視察強行やSPEDDIによる数値隠蔽で、要らぬ被曝を招いたこともまた然り。

 社会党の村山や民主党の菅といった、最低・最悪の政権の時に何故に史上最悪といえる天災が起こるのだろう。

 これはやはり天譴(てんけん)、天罰であったのだろうか。

 「青年日本の歌(昭和維新の歌)」に一節に、「天の怒りか地の声か、そもただならぬ響きあり、民永劫の眠りより、醒めよ日本の朝ぼらけ」とある様に、今こそ我々は戦後のあらゆる不条理から覚醒せねばならない。

 警察予備隊発足以来、阪神淡路大震災や東日本大震災など、災害派遣や我が国の平和と独立、国民の生命財産を守る為に日夜行われている訓練で、1840名もの自衛官が殉職されていることを知っているだろうか。

 国家の防衛と国民の生命・財産を守るべき自衛体が、都合の好い便利屋的な任務で殉職していることも知らされないというのはどうしたものか。

 こうした自衛官諸君に対し、国家や国民が如何に感謝し、殉職された隊員に対しては如何に慰霊・顕彰すべきなのか。

 こうしたことは財政再建よりも優先されるべき喫緊の課題であろう。

 自衛隊殉職者追悼式は市ヶ谷駐屯地内の慰霊碑の前で、自衛隊関係者のみで行われ、国民が慰霊・顕彰することはない。

 殉職された自衛官は靖國神社に祀り、国民が感謝の誠を捧げるべきだと思う。

 だが、如何せん、自衛隊の存在があやふや故に儘ならないのが現状なのだ。

 度々、靖國神社に代わる国立戦没者追悼施設の問題が議論されるが、ややもすれば市ヶ谷駐屯地内の慰霊碑や千鳥ヶ淵墓苑が新たな追悼施設にされるのではなかろうと危惧する国民は少なくない。

 三島由紀夫は嘗て、その檄文の中でこう喝破した。

 「自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず」

 だが、自衛隊は未だ違憲の儘、放置され続けているのだ。

 現憲法の第9条・第2項に「陸海空軍の戦力は保持しない」と明記されている様に、悲しいかな自衛隊は明らかな憲法違反の存在なのだ。

 しかしながら、阪神大震災や東日本大震災などに於ける救援活動や民生支援など正に命を賭して活動し、日夜訓練に励む自衛隊を、まともな日本人ならば誰も否定はしまい。

 安倍首相は「集団的自衛権」に対し、憲法解釈などという姑息な手段でその場を凌いだ。安保関連法案もまた然り。

 何故に堂々と現憲法の矛盾点を指摘し、自衛隊を名誉ある軍にしようとしないのだ。

 憲法の矛盾を解消することに、誰に何を慮るというのか。

 これ以上の政治の怠慢は赦されない。

 我が国の危機管理と防災と国防が万全なものとなり、より高度な対策が構築されて行くことが、震災での犠牲になられた方々の無念さに応える唯一無二のものであると信じて止まない。合掌。

 にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援バナーのクリックに御協力ください!〉

cordial8317 at 06:57|PermalinkComments(0)

2016年01月16日

ヘイトスピーチ(差別的憎悪表現)抑止条例案可決は大阪市の異常性を現すものだ

 にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

 大阪市議会は昨日(15日)未明、ヘイトスピーチ(差別的憎悪表現)の抑止条例案を可決し、閉会した。自民党は憲法での表現の自由などの問題もあり反対した様だが、慎重だった公明党が賛成に転じた。

 このヘイトスピーチだが、「在特会(在日特権を許さない市民の会)」や「主権回復を目指す会」などの日本人側だけが対象であり、「反天連」や「しばき隊」などの「CRAC(対レイシスト行動集団)」は対象外だという。

 要は、在日から「おい、日本人、殺してやろうか!」と煽られ、カッと来て「なにコラ!お前ら朝鮮人は日本から出て行け!」と反論したものなら、この一部分だけが問題視され相応の処罰を受ける可能性があるというから厭きれるばかり。

 「在日朝鮮人を叩きだせ!」だとか「朝鮮人を殺せ!」といえば規制されるが、これが「在日米軍」や「アメリカ人」、或いは「天皇」となれば規制されないばかりか、違法行為をしても赦されるというのは如何なものか。

 ヘイトスピーチ(差別的憎悪表現)の抑止条例案可決は、前代未聞の悪しき前例と言わざるを得ず、これは大阪市の異常性を現すものだろう。

 この条例が、きちんとした議論が為されない儘、安っぽいムードだけで全国の自治体に拡散されてく様な気がしてならない。

 日本に寄食する朝鮮人ら多くは、「我々は強制連行された可愛そうな朝鮮人なのだ」と詐称し、「我々を日本人と同等に扱え」と要求すると、政府や行政側は人道的処置ということで譲歩し、以来、その強要は更にエスカレートして行った。

 こうして生まれた「在日特権」というものは、朝鮮人の所為というより、政府や行政側の事勿れ主義と不作為が原因であり、例の慰安婦問題も然り、そうした萌芽を創り出した責任は日本側にあるのだ。

 因みに、強制連行というのは戦争末期、「徴用」されて日本に来た朝鮮人を指すが、彼らはGHQの命令で総て半島に戻っている。

 被害者を装う彼らは所得税は不払いを決め込み、「住民税は半額にしろ」「固定資産税は免除しろ」と税務担当を脅して認めさせ、まともに納税することはない。

 挙句に、憲法でも「日本国民の為」と明記されている生活保護の支給も、外国人なのに支給を求め、まんまとせしめている。

 在日への生活保護費の受給率は日本人の4倍以上だという。生活保護の受給が一番な都道府県は当然大阪府。大阪には国内の3分の1の約20万人が住み、そのうち12万人が大阪市に集中している。

 沈静化している外国人への地方参政権が付与されれば、大阪市長の勝敗が左右しかねない恐ろしい数であり、橋下元市長や現大阪市長が在日勢力に秋波を送るのも分からなくもない(苦笑)

 全国初の「ヘイトスピーチ(差別的憎悪表現)抑止条例」可決によって、益々、在日からの行政への介入や強要が殖えることが考えられるし、全国初の地方参政権付与も大阪から成立するのではと危惧する国民は少なくない。

 その大阪市が、在日への生活保護費バラ撒きで財政が逼迫していることは、今や周知の事実である。

 生活保護費は、日本国憲法「第25条」及び、「生活保護法」に則り、日本人に限られ支給されることになっている。

 最高裁でも外国人への生活保護費の支給は「憲法違反」と判決が下されているが、つまり、在日を始めとした外国人への支給は明らかな法律違反であり、早急に見直すべき重要な問題でもあるのだが、何故か見直されることはない。

 ヘイトスピーチなんぞ喫緊を要する問題でもないと思うが、ならば並行して在日特権や違法にばら撒かれ続ける生活保護や、不正受給にも剔抉粛正する必要があろう。

 在日らには創価学会々員が多いといわれ、韓国国内にはSGI(創価学会インターナショナル)会員が40万人以上いるといいわれている。

 公明党は、今回のヘイトスピーチ条例に慎重だったというが、賛成に回ったのも言わずもがな。既定路線だったということだろう。

 日頃、「言論の自由」を振り翳すマスコミや人権派が、こと在特会や主権回復を目指す会の主張を、「ヘイト」とレッテル張りし、批判しているのを見ると、在特会らの主張こそが正論なのではとさえ思えてくる。呵呵。

 にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

cordial8317 at 08:58|PermalinkComments(0)

2016年01月15日

「慰安婦は職業としての売春婦」発言を撤回した桜田も桜田だが

 にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

 落語には吉原に纏わる一席は多い。愚生の好きなネタで「錦の袈裟(にしきのけさ)」というのがある。(上方落語では「袈裟茶屋」)

 昔は、遊びに行くといえば吉原と相場が決まってて、男衆が集まると必ずこの吉原での話になった。

 祭りも終わり、打ち上げを吉原でということになり、「隣町の連中が吉原で緋縮緬(ひぢりめん)の揃いの長襦袢で遊んだ」という話を耳にした。

 「ならばこっちはもっと派手に」と、全員で錦の褌(ふんどし)を着けて総踊りという案を出すも、褌が一人分足らない。

 そこで与太がかみさんに相談。

 するとかみさんは「住職の袈裟を借りてこい。それでこさえてやるから」と相成り、その後はこの褌をした与太が花魁に惚れられるというオチ。

 住職の派手な袈裟を褌にするとは実に快哉。で、この遣り取りが面白い。

 しゃあしゃあとかみさんに「吉原に行くから」と相談する方もする方だが、それを聞いたかみさんの台詞がまたいい。

 「必ずそういった話になるから、祭りってのは嫌いなんだよ。でも、行かせないってのも、後後、色々言われるし。あんた、帰って来る時は塩でしっかり洗って来るんだよ!」と、袈裟の褌を着けさせ送り出した(笑)

 昔の吉原というのは、男が遊ぶ場所で、女房も商売女との遊びは遊びとして気に留めず、大らかさがあったのは確かだろう。

 昭和31年、売春防止法が施行されて以降、売春という行為そのものが、如何わしい行為、不潔なものとされてしまったのが大きな要因で、慰安婦問題の根底にはこうした認識があるのは確かだろう。

 金儲けしか考えない現在の売春行為と、昔の吉原の遊びを一緒くたにするのは無理があるが、ある一時代、職業として娼婦にならざるを得なかったことを、現代の安っぽい倫理観や道徳観で語るのは如何なものか。

 極貧故に吉原に売られた幼い子らも自分の意志ではないが、身体を張って家族を守り、そして貢献したことは立派なことだと思う。

 「慰安婦は職業としての売春婦」と発言した桜田義孝は、政治家として軽々しいものではあるが、強ち間違いではない。

 それより、騒ぎになって発言を撤回したことが実に見苦しい。

 だが、桜田の発言を鬼の首を獲ったかの様に断じている連中は、売春そのものを「悪」であり「不潔なもの」と考えているのならどっちもどっち。

 売春行為が悪ならば、国内外にいる売春婦を摘発し、彼女らが身体を売らないで生きる具体的な施策を打ち出すべきだが、それも到底無理なこと。

 いっそのこと、赤線を復活し、世の男性に夢を与えた方がいい。

 非合法だから料金もそれなりに高くなってるだけで、赤線復活となれば売春相場も激減し、態態、売春しようという女性も少なくなるのではなかろうか(笑)

 ソープランド嬢は菩薩であり、慰安婦は立派な職業だったのです(爆)

 にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

cordial8317 at 07:30|PermalinkComments(0)

2016年01月14日

今日1月14日は「尖閣諸島開拓の日」「尖閣の日」です!

 にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

senkaku_top
 今日1月14日は、沖縄県石垣市が条例により尖閣諸島の主権の正当性を定めた記念日「尖閣諸島開拓の日」「尖閣の日」である。

 だが、尖閣諸島の問題に限らず、竹島や北方領土が不法に強奪され、占領されたという歴史的経緯を知る国民は少ない。

 国際環境が激変する際に動くものが領土問題であり、つまりそれは北方領土や竹島を取り戻す好機であると同時に、尖閣列島や対馬、或いは沖縄本土をも奪われる危機も孕んでいるということでもある。

 領土問題が解決の兆しすら見えないのは、国家主権の甘さと事勿れ主義が招いた結果で、領土主権への重要さが啓蒙されていないことも要因に挙げられる。

 現在も、世界の各地で民族争いの中で国境紛争が頻繁に起きているが、世界では寸土たりとも主権確立には戦いをしてまで死守しているのが世界の常識であり、「奪われた領土は奪い返す」ことでしか解決を見ない。

 我が国もそうした気概を持つべきだろう。

 尖閣諸島とは、「魚釣島」「南小島」「北小島」「久場島」「大正島」と岩礁からなる領土をいう。

 国際法上、「無主地先占」(持ち主のいない土地を占有した国に、その領有権を与えるという考え方)に基いて、10年に及ぶ現地調査の結果、明治28年1月14日の閣議決定に拠って沖縄県に編入された。

 尖閣諸島は世界各地の地図の上でも、支那や台湾の教科書でも日本の領土として公式に認められている。

 だが、昭和43(1968)年6月、国連アジア極東委員会が、尖閣諸島周辺の東シナ海大陸棚に石油・天然ガスが埋没している可能性を報告。

 すると、中共や台湾は唐突に尖閣諸島の領有権を主張し、国際法上の手続きも無しに地図を書き換え、1992年に自国領に組み入れた。

 そんな中で、昭和47(1972)年に日中正常化交渉が行われ、当時の首相だった田中角栄が、こともあろうに尖閣諸島の領有権に関して「棚上げ合意」した。

 明治政府の閣議決定を無視した、田中のこうした容共姿勢と腰抜け外交が、我が国の国益を大きく損なう結果となっているのはいうまでもない。 

 我が国を取り巻く環境は決して好ましいものではなく、南シナ海の西沙諸島(英語名パラセル)を中共は1974年以降、実効支配すると共に人工島を建設、フィリピンやベトナムとの間でも緊張が高まっているのは周知の通り。

 我が国では尖閣諸島の問題はそれ相応に報道し、国民の認識も広がってはいるが、南シナ海の紛争となるとマスコミは中共に気遣って作為的な記事を垂れ流し、国民も所詮は対岸の火事だ。

 そんな中で、安倍総理は、アジアにおける最も古い海洋民主国家たる我が国は、両地域の共通利益を維持する上でより大きな役割を果たすべきであると、「セキュリティダイヤモンド構想」を提唱した。

 「南シナ海は北京の湖となって行くかの様に見える。アナリスト達が、オホーツク海がソ連の内海となったと同じく南シナ海も中国の内海となるだろうと言う様に」と、南シナ海の現状を嘆いている。

 更に安倍は、「南シナ海は、核弾頭搭載ミサイルを発射可能な中国海軍の原潜が基地とするに十分な深さがあり、隣国を恐れさせるに十分である」と危惧した。

 この認識こそが重要であり、東シナ海や南シナ海での中共の覇権主義に我が国が屈してはならない最大の理由がそこに在る。

 我が国が中共に屈することになれば、南シナ海は更に要塞化され、周辺諸国に脅威となるばかりか、我が国へ運ぶ石油ルートも中共の思いのまま、石油ルートの閉鎖は我が国の運命すら握っていると言っても過言ではない。

9144714-3653587
 東シナ海の浙江省・南麂列島(南キ列島)は、尖閣諸島奪還を狙い、着々と軍事基地が整えられいる。

 習近平はこの島を「宝島」と評するが、この「宝」とは何を意味するのか。

 この島から尖閣諸島まで約300キロ。「釣魚島奪還」を狙う人民軍にとって格好の立地であり、習近平にとっては正しく「宝島」なのだ。

 因みに、この南麂島は先の大戦では日本軍が上陸した島であり、支那での国共戦争に於いては、劣勢になった国民党軍が「反共」の拠点を構えた島でもある。

 碧く澄んだ海に囲まれ、海の幸のも恵まれたこの島はユネスコのエコパーク(生物圏保存地域)に登録されている。

 ここを観光開発を奨める様に指示したのは習近平だった。

 だが、主席に上り詰めた習は、新たな野望を果すべく、この島を領土防衛の最前線として要塞化を進めているとは厭きれるばかり。

 こうしたことを看過してるユネスコもユネスコだが、エコパークさえも利用する精神性の異常さは共産主義者ならではのものだろう。

 領土は国の主権であり、尖閣に於いては自衛隊の駐留や住民への上陸を許可し、オスプレイなどの最新防衛設備を充実させ、実効支配を強化することは勿論のこと、想定される様々な安全保障上の対策を講じるべし!

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
 〈ブログランキング応援バナークリックに御協力を!〉

cordial8317 at 05:08|PermalinkComments(0)

2016年01月13日

「拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々」という羊頭狗肉なタイトル(笑)

 にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

 拉致被害者の帰国の経緯を巡り、安倍首相が槍玉に挙げられている。

 きっかけとなってるのは、拉致帰国者の実兄である蓮池透の著書「拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々」に書かれている内容。

 如何にも意味有り気で、羊頭狗肉にも感じなくはないタイトルだが、「拉致問題はこれでもかというほど政治利用してきた。その典型例は安倍首相だ」と、かなり過激な内容となっている様だ。

 政治利用というのは見方によってはそう見えなくもないが、保守ブームに便乗した営業保守や、福島原発事故を利用し国民を誑かしている反原発派も同じ様なものだ(笑)

 安倍を断じるならば、拉致問題には拱手傍観を極め込む政治家や、過去に被害者家族からの相談を一笑に伏した政治家こそ責められるべきで、安倍のみを論い批判するのはフェアじゃない。

 批判されるべきは、過去に行ってきた数々の「人道的措置」や「優遇措置」であり、拉致問題の政治利用を断固として阻止するならば、過去のそうした愚策や大甘な外交姿勢を猛省し糺すべきだ。

 蓮池透自身も、センセーショナルだった「奪還」を出版し、更には二番煎じを狙い「奪還・第二章」「拉致」なども上梓してる。

 今回の騒動で「拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々」はベストセラー間違いないだろう(苦笑)

 彼は講演会などにも呼ばれている様だが、多くは反安倍派や拉致問題に批判的な胡散臭げな団体などからのものが少なくない様だ。

 こうした実情はそれこそ「拉致問題の利用」そのものであり、国内世論を二分する様な行為は北朝鮮を利するものでしかないことも知るべし。

 蓮池透の言行の変遷を知る上で目に留まるのは、「植民地時代の過去の清算を具体化させた上で、一刻も早い拉致被害者救出しなければならない」というこの一言に尽きるのではなかろうか。

 昭和48(1973)年、日本に滞在中の金大中が、東京都内のホテルから拉致される事件が起きた。

 横田めぐみさんが拉致されたのは、この金大中拉致事件から4年後のこと。蓮池薫さんが拉致されたのは5年後のこと。

 日本人が次々と拉致される様になった背景には、「日本のホテルから拉致された事件にも拘らず、日本政府が傍観を極め込んだからだ」とする意見も散見するが、その認識は強ち間違ってはいない。

 にも拘らず何故に「植民地時代」にまで遡り清算することが必要なのか。

 恐らく、「拉致事件」は日本が過去に行ったとされる強制連行の代償であり、その萌芽と全ての責任は日本に在ると思っているのではなかろうか。

 「北朝鮮には対話と圧力」という常套句にはもううんざり。そういう愚策が「政治利用」ということなのだろうが、北朝鮮へは断固とした「圧力と制裁」以外には無いものと考える。

 政治の決断と外交での無策の上で「圧力と制裁」を決断するならば、それは北朝鮮への「宣戦布告」であり、「戦争」であるという認識を持つべきだ。

 拉致問題にしろ領土問題にしろ、「奪われたものは奪い返す」という気概を以て解決を図らねばならないが、悲しいかな我が国にはそういう気骨のある政治家はいない。

 国会での揚げ足取りの議論は正に国民不在そのものであり、新聞やネットでのから騒ぎは拉致問題解決にはマイナスでしかない。

 にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

cordial8317 at 07:57|PermalinkComments(0)

2016年01月12日

自虐史観が蔓延していることは歴史と英霊に対する冒涜である!

 にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

 ホロコーストによって殺害されたユダヤ人は600万人以上、最多で1100万人を超えるとされている。

 だが、どうしても、所謂「南京大虐殺」や「従軍慰安婦強制連行」などと同じ様な胡散臭さを感じてしまうのは愚生だけではあるまい。

 ホロコーストがあったとされる証拠の一つに「アンネの日記」がある。

 「アンネの日記」は第二次世界大戦中にオランダでナチスのユダヤ人迫害から逃れるために屋根裏に住んだ少女、アンネ・フランク(1929〜1945)が綴った日記で、世界的なベストセラーでもある。

 だが、この本は真実ではなくフィクションであり、従軍慰安婦問題を綴った吉田清治の「私の戦争犯罪」とどっこいどっこいの内容。

 「南京大虐殺」もまたジョン・ラーベの「ラーベ日記」などが証拠となっている。

 吉田清治の「私の戦争犯罪」がフィクションであり捏造だったことは誰もが知るところだが、「ラーベ日記」も、「アンネの日記」も、吉田と同じ妄想から綴られたものだ。

 マスコミや左翼というのは、南京事件や慰安婦問題を、ホロコーストとヘイトや人種差別、排外主義を結び付け、世論を誘導する。

 だが、抑抑、「南京事件」など存在せず、戦後、米国の原爆投下が問題となるや、日本軍も南京で30万人も虐殺していたぞと言わんとばかりに米国がでっち上げたものだ。

 「南京大虐殺」は、ジョン・ラーベの書いたヒットラーへの上申書を証拠に捏造されたものであり、全くの事実無根、言いがかりに過ぎない。

 ホロコーストではナチスやヒトラーを非難しながら、「南京事件」ではヒトラーをも利用していることでも米国の強かさが理解出来よう。

 そういう意味では、「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」問題の背後にいるのは、実は米国であるということを知らねばならない。

 今や、ホロコースト自体が捏造されたものだということが明らかになりつつあるが、ホロコーストが在ったとされる「アンネの日記」にしろ、実際にはホロコーストを利用しようとしたユダヤ人の策謀が見え隠れする。

 ホロコーストにしろ、南京大虐殺にしろ、従軍慰安婦強制連行にしろ、そうした事実が真実でなくてはならない連中の思惑が見事に一致するのだ。

 米国というのは自国の国益しか考えてはおらず、日米同盟の強化に熱心なのは、それが米国の国益に適うからで、それ以外の理由は付けたりに過ぎない。

 国内には、反韓・反中を殊更に煽り立てる米国シンパ、親米保守派がいるが、親米を盲信する余り、我が国の国益を損なってることも自覚すべきだ。

 ユダヤ人にとって目障りなのは日本人であるということを知るべきで、いつでも掌を返す米国との友好関係は慎重に、警戒は疎かにしてはならない。

 国内では、相変わらず「ドイツを見習え」という声を聞く。

 「ドイツは、ナチスの犯罪行為について、時効を設けずに謝罪と賠償をし続けているから日本もドイツを見習うべきだ」という。

 だが、ドイツはナチスについてはその罪は認めているが、ドイツ国家、或いはドイツ国民全体の罪は今日迄一度たりとも認めたことはない。

 それはナチスの犯罪とドイツ国民としての戦争行為は別なものとしているからだ。

 「反原発」もそうだが、左翼やマスコミというのは都合の好い部分だけを持ち出して、それを見習えというが、物事の見方が実に薄っぺらい。

 大日本帝国の遂行した戦争と、ナチス・ドイツの犯罪行為とは全く異なるものだが、未だ東京裁判に毒され、ナチスと日本軍が同一であるかの様な自虐史観が蔓延していることは歴史と英霊に対する冒涜である。

 にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

cordial8317 at 06:59|PermalinkComments(0)

2016年01月11日

所謂「ハッピーマンデー」は左翼陣営による国體破壊が目的である!

 にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

 相田みつをの「自分の番 いのちのバトン」という詩がある。

 父と母で二人
 父と母の両親で四人
 そのまた両親で八人
 こうしてかぞえてゆくと十代前で
 千二十四人
 二十代前では?
 なんと百万人を越すんです
 過去無量の
 いのちのバトンを受けついで
 いまここに
 自分の番を生きている
 それが
 あなたのいのちです
 それがわたしのいのちです

 今を生きる我々は、「今は自分の番」という意識を持って、今迄、先人が築いて来た長い歴史を、子や孫に繋げて行くという立場でしかないのだ。

 命を繋ぎたくても繋げなかった時代がある。

 大東亜戦争で国の為、家族の為、故郷の為、愛するものの為に尊い命を投げ出された英霊の方々の命である。

 靖國神社監修の「英霊の言の葉」に、二十歳の青年の次の様な遺書がある。

 お父様お母様。
 ただいま出撃命令がでました。
 私は立派にやって参ります。
 本当はその前に最後のお礼とお別れを申し上げたかったのですが
 その暇もなく行かなければならないことをお詫び申し上げます。
 私の鞄には、缶詰やお酒が入っています。
 軍から支給されたものを
 皆様とご一緒に食べようと残しておいたものですが
 それも叶わぬ夢となりました。
 どうか皆様で召し上がってください
 それでは行って参ります。
 長い間お世話になりありがとうございました。
 お体お大事になさってください。
 ごきげんよう。
 さようなら。

 今日は「成人の日」だが、本来は1月15日。

 国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)第2条によれば「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」ことを趣旨としている。

 「大人になったことを自覚」し「自ら生き抜こう!」という覚悟が伴わなければならないのだが、そういう自覚に乏しい二十歳も多いのも確か。

 抑々、「成人の日」が何故に1月15日なのかは、この日が「小正月」であり、神道の儀式の一つ「元服の儀」が小正月に行われていたからだ。

 だが、一家の行く末を担う「男子の元服」というのが性差だとして、ジェンダーフリーを叫ぶキチガイ共の逆鱗に触れた。

 結果、平成10年には「国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律」(法律第141号)が可決され、更には平成13年には「国民の祝日に関する法律及び老人福祉法の一部を改正する法律」(法律第59号)の所謂「ハッピーマンデー」の施行によって、第二月曜日に行われることとなった。

 「成人の日」「体育の日」「海の日」「敬老の日」が「ハッピーマンデー」として実施されることとなった理由は、左翼陣営による国體破壊が目的であるということは明白。

 祝日だからと、その意味も知らず日の丸を揚げてる場合ではないぞ!

 にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

cordial8317 at 06:30|PermalinkComments(0)

2016年01月10日

世の中で一番さびしい事はする仕事のない事です!

 にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

 正月も終わったが、浪人暮らしの愚生は毎日が休みの様なもの。特に今月は粗収入が無いので先々の事を考えると不安が無い訳ではない。

 若い頃は宵越しのカネも持たず、パーッと使って気にも留めなかったが、歳をとった所為か明日の事を考える様になってしまった(自嘲)

 若い時分から物心両面で支援して頂いていた高花豊先生に幾度となく言われた、「佐久間さん、活動家が長生きすると惨めな生活しか待ってませんよ!」という言葉が重く堪えてる今日この頃です。

 「生老病死(しょうろうびょうし)」の「四苦」とは、人として生まれたら逃れられない苦しみだが、「老いる」というのは本人が考えている以上に厄介なものなのかも知れない。

 因みに、「四苦」に、「愛別離苦(あいべつりく)」「怨憎会苦(おんぞうえく)」「求不得苦(ぐふとくく)」「五陰盛苦(ごおんじょうく)」の四つを併せたものが「八苦」。

 この「四苦」「八苦」以上の悩みや苦しみを見付ければ、皆さんも釈迦牟尼や開祖の坊さんくらいにはなれますよ、きっと(笑)

 福沢諭吉の「心訓」というものが在る。

 一.世の中で一番楽しく立派なことは一生涯を貫く仕事を持つ事です
 一.世の中で一番みじめな事は人間として教養のない事です
 一.世の中で一番さびしい事はする仕事のない事です
 一.世の中で一番みにくい事は他人の生活をうらやむ事です
 一.世の中で一番尊い事は人の為に奉仕して決して恩にきせない事です
 一.世の中で一番美しいことはすべてのものに愛情をもつ事です
 一.世の中で一番悲しい事はうそをつく事です

 右翼人という一生涯を貫く生き方を持ったことは立派なことなのだろうが、仕事をしてないのは寂しいことでもある(笑)

 今時、働きもせず、これといった収入も無く自由に生きて行くというのは至難の業。カネが無いというのは実に不安なもので、これは現実に経験した者でなければ分かるまい。

 尤も、くだらない意地を捨てて、パートに出て25万円(安倍首相曰く)稼げばどうってことはないのだが、それが出来ないから始末に負えない(笑)

 カネが無いことで他人を羨むことはないが、カネというのはあればあったで便利なもので、活動するのにもやはり資金の確保は重要なことだ。

 右翼団体を辞して随分経ったし、右翼団体そのものに興味もないが、ネットなどで「街宣右翼は在日ばかり」だとか「日本を貶めるものだ」「ヘタレ右翼」などとの批判を耳にする。

 行動右翼のパイオニアを自任する防共挺身隊の元総隊長として、忸怩たるものが在るのも確かだが、右翼の行動というのは別に街宣が主ではない。

 街宣そのものには意味が無く、単に示威行為とパフォーマンスでやってるのが殆どだが、世間にはアレが右翼のスタイルであり、右翼のイメージとして植え付けられてしまったことは残念でもある。

 あの悪いイメージを払拭するのは容易ではないし、国民意識から乖離していながら、啓蒙活動などしたところで効果はないし、第一、右翼の街宣や演説如きで世の中が変わることなどありはしない。

 やはり右翼に求められるのは、素人如きに批判も揶揄も赦さない圧倒的な怖さであり、言論活動にせよ、常にテロを担保に行動することこそ大事だと思っている。

 と、自分自身の戒めとして綴ってみました。呵呵。

 にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

cordial8317 at 08:34|PermalinkComments(0)

2016年01月08日

「経済制裁」とはつまりは「宣戦布告」と同じだという認識と覚悟を持つべし!

 にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

 北朝鮮の核実験を受け、国際社会というか日米韓が右往左往の大騒ぎ。北朝鮮が核実験を強行しようが、水爆実験に成功しようが、そんなものは過去の行動を見れば想定内だったのではないのか。

 今更、何を驚いているのだろう。

 北朝鮮が異常且つ極めて危険な国だということは誰もが認めるところ。

 正式名称は「朝鮮民主主義人民共和国」だが、民主主義でも人民の国でもなく「金一族」の個人独裁の世襲全体主義国家である。

 日本人を拉致し、ニセ紙幣を偽造し、覚醒剤を密売し、ミサイルを製造し輸出し、旧社会主義に内在した悪の本質が体制化したヤクザ国家というのが正しい。

 何百万の餓死者が出ても歯牙にもかけず弾道ミサイルを開発し、核開発に狂奔していたのは誰もが知るところ。

 日本政府は米韓と足並みを揃えて「制裁強化」を目指すという。

 制裁強化とはとは更なる経済制裁であり、経済封鎖のことであろう。

 「経済制裁」とは耳障りのいい表現ではあるが、画餅の様な経済制裁で北朝鮮が屈するとは思えないし、更なる強硬姿勢に打って出るだろう。

 「経済制裁」とはつまりは「宣戦布告」と同じなのだ。

 我が国も米韓との連携を強めるのはいいが、「経済制裁は戦争でもある」という認識を持ち、強硬な姿勢と信念を持たなければ、拉致問題も解決されることはないだろう。

 「経済制裁」は、「ABCD包囲網」によって経済封鎖に追い込まれて大東亜戦争に突入した時と同じ状況を作るという認識と覚悟を持つべきだろう。

 そうした危機感の無さと、国際的な分析の甘さと認識不足による中途半端な弱腰且つ軟弱な外交交渉が、拉致問題未解決の元凶であり、「外交とは戦争である」という気概を持たなければ解決は図れまい。

 安倍首相は、「戦後70年、我が国は平和国家としての道を歩んで来た」と胸を張るが、その実は日米安保条約により米国の軍事力の庇護の下でのまやかしの平和を享受して来ただけに過ぎない。

 中東などでの米軍やNATO諸国への後方支援は、戦争に参加して来たという紛れもない事実であり、北朝鮮へ圧力を強めるなら、並行して軍事力の強化を急ぐべきで、党利党略で不毛な国会議論をしている場合ではないぞ。

 にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

cordial8317 at 07:37|PermalinkComments(0)

2016年01月07日

正に昭和天皇はアジア、そして世界の救世主であらされた

 にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

 昭和63年9月19日、「陛下御不例」という衝撃的なニュースが飛び込んで来た。この日以来、禁酒し御快癒を祈るも、翌年1月7日、崩御遊ばされた。

 大喪の礼は2月24日。小雨交じりの寒い日だった。団体と別行動し、寂然として見送ったのを昨日のことの様に思い出す。

 未だ、国内には先帝陛下に対して、「戦争責任」などとの戯言を垂れ流す日本人らしからぬ輩が存在するのは悲しいことだ。

 こうした動きは、GHQの「神道指令」や「言論統制」「日本弱体化政策」というより、1932年にソ連共産党から日本共産党へ通達された「コミュンテルンテーゼ(命令書)」の指令による影響が大きい。

 「命令書」には天皇を制度と見做し、所謂「天皇制廃止運動」として昭和時代の「戦争責任・退位論」に始まり、次いで「開かれた皇室論」「敬称・敬語不使用運動」などが記されてあり、それを忠実に実行しているに過ぎない。

 昭和天皇に対して「陛下は、所謂戦争責任についてどの様なお考えであるか」などと質問するのは日常茶飯事。これは記者の立場を利用した「吊し上げ」であり、記者の傲岸不遜ここに極まれりというものだった。

 欽定明治憲法下に於いては、国務は国務大臣、統帥は参謀総長及び軍令部長が陛下を輔弼し、その責に任ずることになっており、つまりは陛下には法的に責任はないのだ。

 しかし、道義的に最も責任を痛感されたのは昭和天皇であり、終戦の勅諭で「五内為ニ裂ク」と仰せられた通り、自ら身を苛まれたのは陛下御自身なのである。

 戦後、マスコミは「開かれた皇室論」の急先鋒となり、週刊誌などで陛下や皇族方を登場させては、不敬なスキャンダラスな記事で尊崇の念を薄れさせることに成功した。

 そして平成に入り、「女系天皇論」や「女性宮家論」として、「反天皇制運動」は今も尚、巧妙に継続されている。

 「自存自衛と大東亜の開放」を掲げて戦われた先の大戦を、世界の国々は評価しているにも関わらず、国内で「侵略戦争」と断じることは如何なものか。

 では、世界では先の大戦を如何に評価し、どの様に受け止められているのか。

 「第二次世界大戦で、日本人は日本の為というよりも、寧ろ戦争によって利益を得た国々の為に偉大な歴史を残したと云わねばならない」(アーノルド・J・トインビー(イギリスの歴史学者))

 「日本の敗戦、それは勿論東南アジア全域の独立運動には決定的な意味を持っていた」(ジョイス・C・レブラ(コロラド大歴史学教授)著書、東南アジアの開放と日本の遺産)

 「日本占領軍が、インドネシア民族主義の為に行った種々の仕事の中で最も重要なものの一つは、正規軍や軍事組織を創設してそれに訓練を与えたことである」ジョージ・S・カナヘレ(政治学博士)

 「本当に悪いのは侵略して権力を振るっていた西欧人で、日本は敗戦はしたが、その東亜の開放は実現した。日本の功績は偉大である」(サンティン、アムステルダム市長)

 タイの元首相・ククリットプラモードの、「日本のお蔭でアジア諸国は全て独立した。日本というお母さんは難産して母体を損なったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民が、米英と対等に話せるのは誰のお蔭か。それは、身を殺して仁を成した日本というお母さんがあった為である」という言葉は余りにも有名。

 他にもマレーシア上院議員のラジャー・ダト・ノンチックやインドのラダ・クリシュナン大統領、スリランカのジャヤワンルデ大統領、ビルマのバー・モウ首相、シンガポールのゴーチョクトン首相。キューバのカストロ首相やチェ・ゲバラも先の大戦を評価している。

 我が国を讃えた外国人も数多く、「大日本」「日本精神」の著者モラエスや、日本の文学作品を残し、本当の日本を世界に伝えた小泉八雲(アフカディオ・ハーン)もその一人。

 アーノルド・トインビーは伊勢神宮を参拝した際に、「この聖なる地域で、私は全ての宗教の根源的な統一を感じた」と喫驚した。

 熱心な平和主義者のアインシュタイン博士は、日本への思いを次の様に述べたという。

 「世界の将来は進むだけ進み、その間幾度か争いは繰り返され、最後には戦いに疲れて必ず真の平和を求めて世界的盟主を挙げねばならぬ時が来る。(略)世界の文化はアジアに始まりアジアに帰り、それはアジアの高峰『日本』に立ち戻らねばならぬ。我々は神に感謝する。天が我等の為に日本という尊い国を創ってくれたことを」

 東京裁判で大東亜戦争を「侵略戦争」と断じたウエップ裁判長も後に、「天皇は神だ。あれだけの試練を受けても帝位を維持しているのは神でなければ出来ない」と驚嘆した。

 やはり我が国は神の国であり、昭和天皇は現人神であらせられたのだ。

 昭和天皇崩御での服喪国は34ヵ国に及び、大喪の礼には実に193ヶ国国の元首や代表が集まったことは、歴史上空前の出来事だった。

 正に昭和天皇はアジア、そして世界の救世主であらされたのである。

 すめらみこといやさか。すめらぎいやさか。

 にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

cordial8317 at 14:57|PermalinkComments(0)

「山の日」が8月11日なら、ハッピーマンデーも廃止しろっての!

 にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

 トイレに貼ってある富士山のカレンダーを見ながら「あれ、8月11日って何の休日だったっけ?」と、ふと考え込んだ。

 所謂「ハッピーマンデー」ではなく、それ程までに重要な休日なのかと調べてみたら「海の日」に対抗する「山の日」。

 その理由は「八」の文字が山の形に見えるので「8」、木が立ち並ぶイメージから「11」ということで「山の日」になったそうだ(笑)

 如何にも軽々しい休日だが、ならば「海の日」こそ7月20日に戻すべきだろう。

 「海の日」は、 「国民が海の恩恵に感謝し、海洋国家の繁栄を祝う日」とされてはいるが、その真意は、明治9年に東北・北海道へ約50日間に及ぶ巡幸に臨まれた明治天皇が「明治丸」で横浜に帰港された日が7月20日であり、これに因んでこの日を「海の日」に指定した。

 巡幸の目的が戊辰戦争に敗れて以降、艱難辛苦の日々を送っていた人々を明治天皇が慰撫し、激励する為に他ならない。

 出発は6月2日。馬車で福島から仙台、岩手、青森と北上、次いで明治丸で津軽海峡を渡り、函館を経て三陸沖を海路戻るというコースを辿っている。
 
 この間、東北の人々は巡幸の先々で奉迎した。

 明治天皇も各地で開墾や産業の振興に尽くした功労者を労らわれている。

 愚生の住む郡山(安積)では、荒野を拓いて出来たばかりの桑野村まで分け入り、開拓者の苦労話に耳を傾けられ、金五万円を下賜された。

 弘前に在る「東奥義塾」では外国人教師による英語教育が行われていて、生徒10名が英語を披露。天皇はその進取の気象に感心され、ウェブスター辞書を買う代金にと一人につき金五円を下賜された。

 また或る地方では、小学生が献上してくれた蛍一籠を嘉納され、岩手では太布半纏(ふとのばんてん)と呼ばれる農民の仕事着をお買い上げ遊ばされている。

 どの逸話も明治天皇の慈愛に満ちたもので、天皇と国民は正に君民一体、東北の人々との間に親しく絆を結ぼうと努める明治天皇の面影が偲ばれる。

 この東北・北海道の巡幸を以て、「逆賊」も「朝敵」もなく、一切の蟠りも無くなった。

 「山の日」と違い、「海の日」には、こうした我が国の君民一体の国柄、天皇と国民を繋ぐ深い謂われがあったということを知らねばならない。

 もう直ぐ「成人の日」だが、これも左翼の企みにより第二月曜日となって久しい。

 その年の初めての満月を祝うのが「小正月」。この特別な満月の日に、一家の行く末を託す男子の「元服」を行っていたというのが成人式の由来だ。

 だが、「男子の元服」というのが性差だとして、ジェンダーフリーを叫ぶキチガイ共の逆鱗に触れ、平成11年、成人式は1月の第2月曜日に行うこととなった。

 抑々、この「ハッピーマンデー」は国體破壊を目的として策謀されたものであり、左翼陣営はこうした既成事実を積み重ねることによって、我が国の歴史や伝統、文化を否定する論拠とする。

 「八」が「8」「山」が「11」という理由が休日になるなら、その前に「ハッピーマンデー」なる愚策こそ廃止すべきであろう。

 祭祀こそ、決められた日の決められた時間にすべきものであり、諸外国に比べ、我が国の祝祭日ほど「国柄」の分かる素晴らしい伝統、文化はないのだから。

 まあ、そんなとこですが、正月早々パソコンが不調となりタブレットでアップしてみたが、タブレットでの長文は容易ではありません(笑)

 にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

 

cordial8317 at 07:46|PermalinkComments(0)

2016年01月01日

天皇国日本の真姿開顕に奮励前進、捨身奉公せよ!

 にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

 年頭に当り、謹んで陛下と皇室の弥栄を寿ぎ奉り、併而、皆々様の御隆昌と御健康を祈念申し上げます。

 「往く道は精進して 忍びて終わり悔いなし(高倉健)」。扨て、今年もどうなるものぞ。

 「皇統正統記」で北畠親房卿は、「大日本者神国也。天祖はじめて基をひらき、日神ながく統を傳へ給ふ。我國のみ此事あり。異朝には其たぐひ なし。此故に神國と云ふ也。神明の皇統を傳へ給へる國也」と訓えた。

 本居宣長も「うひ山ふみ」の中で、「やまと魂だによく堅固(かた)まりて、動くことなければ、昼夜からぶみをのみよむといへども、かれに惑はされるうれひはなきなり」と教示している。

 国内には、未だ米国の占領政策の洗脳から目覚めることなく、米国や中共の走狗となった不逞の徒輩により大和魂の基盤そのものが淘汰され、国家の大本を忘れ、経済至上主義に狂奔し、消滅寸前の様相を呈している。

 この迫り来る祖国日本の危機に対処し、天皇国日本を盤石の安きに置く使命を有するものは我ら憂国の日本人である。

 正にその存在の意義を示す神機は近付きつつあるのだ。

 心ある国民は日本に生まれた者としてその日本を憂い、心中密かに期するものがあるだろう。

 それは一体何か、何であらねばならないのか。

 これを一言にして表現するならば、天皇国日本の真姿開顕に奮励前進、捨身奉公するということに尽きよう。

 畏くも皇祖天照大御神が垂示し給うところの、「豊葦原の千五百秋の瑞穂国は、是れ吾が子孫の王たるべき地なり、宜しく爾皇孫就いて治せ、行矣。宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と窮り無けむ」との天孫降臨の御神勅を心魂に刻んで日々奉拝することである。

 明治22年2月11日の紀元節に、明治天皇が、大日本帝国憲法(欽定憲法)施行の際に下し給える憲法発布勅語の中でこう思召し遊ばされた。

 「惟フニ我カ祖我カ宗ハ我カ臣民祖先ノ協力輔翼ニ倚リ我カ帝国ヲ肇造シ以テ無窮ニ垂レタリ此レ我カ神聖ナル祖宗ノ威徳ト並ニ臣民ノ忠実勇武ニシテ国ヲ愛シ公ニ殉ヒ以テ此ノ光輝アル国史ノ成跡ヲ貽シタルナリ」

 この御神勅こそ正に天孫降臨の御神勅の精神の継承である。

 その欽定憲法には、「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と在る様に、我が国は正に「天皇国日本」なのである。

 これこそが日本国民たるものとして肝に銘じ、忘れてはならない万古不磨の大原理大原則であることを知るべきなのだ。

 本年も右翼人として、また一維新者として一旦緩急に備え、遺憾無きを期し、貧すと雖も志士の覚悟を忘れることなく、草莽の道を歩んで往こうと思っておりますれば、何卒御付き合いのほど宜しく御願い申し上げます。

 すめらぎいやさか すめらみこといやさか 

 平成28年 皇紀2676年 歳旦 佐久間五郎拝

 にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックありがとうございます!〉

cordial8317 at 06:50|PermalinkComments(0)