2015年11月

2015年11月19日

無差別テロ犯に乏しいのは衆生の苦しみを救おうとする大悲の心に乏しい

 フランスでは自爆テロの犯人を「カミカズ(KAMIKAZE)」と呼ぶ。「神風」をフランス語風に発音すると「カミカズ」になるというが、テロ犯と特攻隊の英霊を同列に準えるとは、怒りよりフランスジャーナリズムのレベルの低さに嗤える。

 フランスというのは、大相撲好きのミッテラン元大統領など親日派が多いと思っていたが、こうしたことや、過日のフランス週刊紙シャルリエブドの福島原発事故の福島県民を風刺した画などを見る限りとても親日国だとは思えない。

 因みに、シャルリエブドの前身は1960年に創業した「HARAKIRI(アラキリ)」である。これは日本の「切腹」を意味しており、その真意は「笑って腸が捩れる様なブラック・ユーモア」だというのだからホント厭きれてしまう。 

 昭和19年10月20日、フィリピンのレイテ島に圧倒的勢力で上陸を図ろうとする米軍部隊へ、起死回生の反撃、更に連合軍の沖縄への上陸、本土決戦を阻止しようと神風特別攻撃隊が編成される。これが「カミカゼ」と呼ばれるものだ。

 神風特別攻撃隊は「しんぷうとくべつこうげきたい」というのが正しく、いつの間にか国内でも「カミカゼ」が当たり前に使われていることに違和感を覚える。

「ゼロ戦」というのも本来は日本人の言葉ではない。米英のパイロットが称していた「ゼロ・ファイター」から出た通称であって、皇紀2千年に造られた零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき)は、「レイシキ戦闘機」というのが正しい。

 祖国を守る為に死を決意して志願した特攻精神は、祖国愛の極致というべきものであり、「神風精神」こそは、大東亜戦争が自存の為の祖国防衛戦争であったことの何よりの証であろう。「トッコウ(TOKKO)」と揶揄されるものでもない。

 護国の英霊に対する崇高なる行動をテロ行為と準えることがあってはならない。世界に蔓延するこうした我が国への偏見や蔑視を糺さなければならないと思う。

 ISによるテロ犯の自己犠牲の精神は尊いものであるとは思うが、特攻隊の若者との違いは、イスラムと仏教、アッラーと仏・菩薩の違いもあるだろうが、衆生(しゅじょう)の苦しみを救おうとする大悲の心ではなかろうかと感じている。

 ISのテロリストや戦士の怒りや悲しみの表情に比べれば、これから死に往く特攻隊員の表情には悲壮感はない。「大悲」とは観世音菩薩の別名であり、彼らこそ正に観世音菩薩の生まれ変わり、生き仏に思えてならないのだ。

 現在の我が国のまやかしの平和や繁栄ではあるが、先の大戦での純真無垢な若者の尊い犠牲の上にあることを、現代に生きる我々は決して忘れてはならない。

 因みに、沖縄戦では神風特別攻撃隊が重要な役割を果たしている。鹿屋基地(海軍航空)からの特攻で1981名が、知覧基地(陸軍航空)からの特攻で1021名の合わせて3002名という、実に76%が沖縄戦で散華されているのだ。合掌。

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2015年11月18日

「パリ市民の安全と平和を願うプロフィール写真を設定しよう」に思う

 フランスでの同時多発テロを受けて、facebookでは「パリ市民の安全と平和を願うプロフィール写真を設定しよう」と、追悼の思いを込めて、プロフィール画像をフランス国旗を同じトリコロールカラーにする機能が急速に広がった。

 流行に敏感な人が多いのには驚くが、「流行」とは元々「病気」という意味で、こうした流行に踊らされる人というのは兎角利用され易い。「熱狂する大衆のみが操縦可能である」とは、アドルフ・ヒトラーだが、この喩えが分かり易い(笑)

 愚生的には、こうした人の良心を利用するかの様な偽善的パフォーマンスには違和感を覚えていたが、当初は賛同して画像を変えた人も、否定派の意見を読んだのか、それともスパムではという不安もあってか、その数は激減している様だ。

 ISのテロで亡くなったのはイラクだけでその死傷者は数万人にも及ぶ。7月にはラマダン明けのバグダッド近郊の祝祭を襲った爆弾テロで120人以上が死亡し160人以上が負傷している。シリアでは、ISに蜂起したスンニ派シャイタト部族700人が処刑。 トルコは、先月11日に首都の平和集会の爆弾テロで100人以上が死亡。

 エジプト上空では、先月31日にロシア旅客機墜落で乗客乗員224名全員が死亡。ベイルートは、パリ同時多発テロ前日に商店街を襲った自爆テロで43人が死亡。IS以外でも、フランスや米国などによる空爆で無辜の市民が犠牲になっているが、テロが悪で、戦闘行為なら赦されるならそれは強者による方便でしかない。

 ISのテロ行為を否定するなら、同じ様に中共によるチベットやウイグルなどでの殺戮行為も否定されるべきだし、世界のあらゆる不条理や不正義もまた糾弾されて然りだろう。画像をトリコロールカラーにしないからといって、別に犠牲者を悼む気持ちが無い訳ではないし、テロを撲滅したい気持ちに乏しい訳でもない。

 日本人の死生観から言えば、心静かに哀悼の意を表せば好いだけのことだと思う。剣豪・宮本武蔵は独行道の訓えの中で「如何なる別れも悲しまじ」という言葉を遺している。ならば、武蔵という人物は冷血漢なのかというとそうではないだろう。

 煙草を吸わない人が「タバコを止める」とか、酒を飲めない人が「酒は飲まない」などとは言わない。敢えてこの言葉を認(したた)めた武蔵という男は、逆に人一倍涙脆く、人間味豊かな人物だったのではないだろうか。

 武蔵と同じ様に、普通の日本人は感情を露わにはしない。内に秘めた悲しさこそ日本人の人となりであり、「慎ましさ」こそが日本人らしさなのだと思っている。「慎む」という同じ意味で「恭倹(きょうけん)」という言葉がある。「恭倹己ヲ持シ」というと、教育勅語を思い浮かべる方も多いのではなかろうか。

「恭倹己レヲ持シ」の教えとは、「人に対しては恭(うやうや)しく、自分自身は慎み深く振る舞うこと」であり、簡単に言えば「自分控えめにし、人(喩え夫婦兄弟友人であっても)には礼節を重んじ付き合いなさい」ということ。

 最近は「オレはこういうことやったぞ、偉いだろ!」とか「オレが、オレが」的な記事を目にする。別に普段の生活での出来事ならいざ知らず、ボランティアや奉仕活動、寄付行為など黙ってやるのが普通だと思うのだがそうじゃない。

 善いことをしたということで誰かに自慢したい気持ちも分からない訳じゃないが、「いいね!」を押して貰いたいが為の奉仕活動や善行ってのは如何なものか。

 今や外見で判断することが当たり前となり、「オレはこういうことをやってやったぞ!」的なことをアピールしないと分かって貰えないと思ってしまっている。

 ヤクザがその好い例で、彼らは外見でしか判断されないことを理解してるから、人よりも高いクルマに乗り、派手な服装や時計を身に付け見栄を張る。

 以前、「人は見た目が9割」なんて本も人気になったが、相手の中身を見ずに持ち物や服装などの外見でしか判断出来ないのだとしたら実にさもしいことだ。

 まぁ、facebookやtwitterなどのSNSなんてのは所詮はそういうことをアップして愉しむ場所なのだろうが、せめて教育勅語復活を掲げる右翼民族派や保守派は、日本人の教えである「恭倹己を持し」を肝に銘じて日々を過ごして頂きたいものだ。

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2015年11月09日

徒然なるまゝにその日暮らしシリーズ(笑)

 昨日は南相馬で復旧・復興の手助けをしているFBFと昼から一献。予定してた「春寿司」が休みで、蕎麦屋の名店「隆仙坊」へ。初めて会うが、思ってた通りの好漢で「男同士で飲む酒は忽ち通う意気と熱」ではないが、愉しい酒席となった。

 その後は駅前に繰り出すも日曜日の3時頃でやってる店は無い。アーケードをぶらぶらすると営業してる海鮮居酒屋「さかなや道場」を発見。ここで飲み直し。

 強か呑んで夕方FBFを駅まで送り、再会を約束して別れた。久しぶりに好い酒だった。酒と友人の人柄に酔った。酒席というのは失敗も多いが、得るものの方が断然多い。最近は慢性的手元不如意だし、酒の誘いはなるべく断わることにしている。

 何故なら、酒は身銭を切って飲みたいからだ。「あんたが(カネを)持っていても、俺が持ってなければ、酒なんざ飲んでも旨くない。酒とはそういうもんぜよ」とは坂本龍馬。ホント、龍馬じゃないが、他人のカネで飲んでも大して美味いとも思えないし、そんなことなら自宅でチビチビやってる方が気楽で好い。

 亡父にも、「ただ酒は飲むな。卑しくなる」と口煩く言われたことも影響しているのだろうが、酒は身銭を切って飲むことに価値があるし、その方が旨い。

 酒というのは「百薬の長」とも言われるが、本来はバカになる為に飲むもの。酒を飲むと肚を割って話せるし、酔った心地好さは酔った者じゃなきゃ分からないし、何よりバカになれる。世の中バカになれるほど愉しいものはない(笑)

「酒は飲むべし酒は飲むべし 人生唯酒ありて肝を開く 酔中の快楽人知るなし」(坂本龍馬)とは蓋し正論。正気ではとても出来ないことを、酒の力を借りれば「一時的バカ」になることが出来るし、一時的でもバカの幸福に浸れるのだ。

 酒が別名「キチガイ水」といわれるのはこういうことだろう。バカと言っても酒乱は論外である。酒に飲まれる様じゃ酒飲みの資格はないと思っている。落語のサゲじゃないが、呑むならチョッとマヌケで明るい酔っ払いが好い(笑)

 酒を飲めない人は、「体質的に酒を受け付けないです」とかいう人が多いが、愚生からすれば体質に合わないというより、酒を飲む訓練(練習)が足らないだけのこと。何より、酒を飲まない男というのは人間が小さく見えてしまう(笑)

 正気というのは世間体を気にしているということで、周りを気にするということは、それだけ神経を使ってるということ。これではストレスが溜まるし、ストレスが溜まれば何より身体に悪い。下で仕える者より、上に立つ者は人一倍神経を使うもので、逆を言えば人一倍神経を使えない人間は上には立つ資格は無いということだ。

 下の者からすれば上の者は気楽に見えるかも知れないが、上は上なりに頭の中ではあれやこれやと神経を使い考えを廻らせているもの。そんな時に頭をからっぽにするのに手っ取り早いのが酒だ。気の利いた店や贔屓の店で陽気に騒ぐ。

 酒というのは愉快に飲むのが一番だ。暗い酒は身体を壊すが、適度に愉快に飲む酒は正に「百薬の長」なのである。「酒は陽気に身銭を切って飲むべし」。酒飲みというのはこれに尽きるが、中には人に奢って貰って喜んでるのがいる。

 タダ酒を覚えたヤツというのどうもクセになるらしく、店からも仲間からも嫌われているのだが、当の本人は自覚していない。「タダほど高いものはない」という様に、タダで飲めたと喜んでばかりいると後でとんだしっぺ返しが来ますよ(笑)

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