2015年11月

2015年11月25日

今こそ三島・森田の精神を想起し、祖国日本の恢復を急ぐべし!

 昭和45年11月25日、三島由紀夫(当時45歳)は楯の会のメンバー森田必勝(25歳)、小賀正義(22歳)、小川正洋(22歳)、古賀浩靖(23歳)の4名と共に市谷駐屯地総監室に籠城し、憲法改正の必要性を訴え、森田と共に割腹自殺を遂げた。

 三島・森田の死から45年経ち、改めて現憲法の矛盾性と不当性に気付いた多くの国民は、安全保障の観点から現憲法の改正の必要性を感じている。

 だが、三島が訴えたかったのは、皇軍であるべき自衛隊の存在を否定する憲法改正の訴えは単なる手段に過ぎず、真に訴えたかったのは「日本人を骨抜きにしてしまった現憲法」に対峙し、破毀することこそが主眼であったと確信する。

 自決を前に、バルコニーでの渾身の演説が空しく響く。(以下転載)

 《三 島 由 紀 夫 演 説 文》

 私は、自衛隊に、この様な状況で話すのは空しい。
しかし乍ら私は、自衛隊というものを、この自衛隊を頼もしく思ったからだ。
 こういう事を考えたんだ。
 しかし日本は、経済的繁栄に現を抜かして、
ついには精神的にカラッポに陥って、政治はただ謀略・欺傲心だけ………。
 これは日本でだ。ただ一つ、日本の魂を持っているのは、自衛隊であるべきだ。
 我々は、自衛隊に対して、日本人の………。然るにだ、
我々は自衛隊というものに心から………。 静聴せよ、静聴。静聴せい。
 自衛隊が日本の………の裏に、日本の大本を正して良い事はないぞ。
 以上を我々が感じたからだ。
それは日本の根本が歪んでいるんだ。それを誰も気が付かないんだ。
 日本の根源の歪みを気が付かない、それでだ、
その日本の歪みを正すのが自衞隊、それが………。 静聴せい。静聴せい。
 それだけに、我々は自衛隊を支援したんだ。
静聴せいと言ったら分からんのか。静聴せい。
 それでだ、去年の十月の二十一日だ。何が起こったか。
去年の十月二十一日に何が起こったか。
 去年の十月二十一日にはだ、新宿で、反戦デーのデモが行われて、
これが完全に警察力で制圧されたんだ。
 俺はあれを見た日に、これはいかんぞ、
これは憲法が改正されないと感じたんだ。
 何故か。その日を何故か。それはだ、自民党というものはだ、
自民党というものはだ、
警察権力を以て如何なるデモも鎮圧できるという自信を持ったからだ。
 治安出動は要らなくなったんだ。治安出動は要らなくなったんだ。
治安出動が要らなくなったのが、
既に憲法改正が不可能になったのだ。
分かるか、この理屈が………。
 諸君は、去年の一〇・二一から後だ、
最早憲法を守る軍隊になってしまったんだよ。
 自衛隊が二十年間、血と涙で待った憲法改正ってものの機会は無いんだ。
 もうそれは政治的プログラムから外されたんだ。
終には外されたんだ、それは。どうしてそれに気が付いてくれなかったんだ。
 去年の一〇・二一から一年間、俺は自衛隊が怒るのを待ってた。
 もうこれで憲法改正のチャンスはない!
自衛隊が国軍になる日はない!建軍の本義はない!それを私は最も嘆いていたんだ。
 自衛隊にとって建軍の本義とは何だ。
 日本を護る事。日本を護るとは何だ。
日本を護るとは、天皇を中心とする歴史と文化の伝統を護る事である。
 お前ら聞けぇ、聞けぇ!静かにせい、静かにせい!
 話を聞けっ!男一匹が、命をかけて諸君に訴えてるんだぞ。
 いいか。いいか。
 それがだ、今日本人がだ、此処でもって立ち上がらなければ、
自衛隊が立ち上がらなきゃ、憲法改正ってものは無いんだよ。
 諸君は永久にだねえ、唯アメリカの軍隊になってしまうんだぞ。
諸君と日本の………アメリカからしかこないんだ。
 シビリアン・コントロール………
シビリアン・コントロールに毒されてんだ。
シビリアン・コントロールというのはだな、
新憲法下で堪えるのが、シビリアン・コントロールじゃないぞ。
 ………そこでだ、俺は四年待ったんだよ。
俺は四年待ったんだ。自衛隊が立ち上がる日を。
 ………そうした自衛隊の………最後の三十分に、
最後の三十分に………待ってるんだよ。
 諸君は武士だろう。諸君は武士だろう。
武士ならば、自分を否定する憲法を、どうして守るんだ。
 どうして自分の否定する憲法のため、
自分らを否定する憲法というものにペコペコするんだ。
これが在る限り、諸君てものは永久に救われんのだぞ。
 諸君は永久にだね、今の憲法は政治的謀略に、
諸君が合憲だかの如く装っているが、自衛隊は違憲なんだよ。
 自衛隊は違憲なんだ。貴様達も違憲だ。
 憲法というものは、終に自衛隊というものは、
憲法を守る軍隊になったのだということに、どうして気が付かんのだ!
 俺は諸君がそれを断つ日を、待ちに待ってたんだ。
 諸君はその中でも、ただ小さい根性ばっかりに惑わされて、
本当に日本の為に立ち上がる時は無いんだ。
 憲法の為に、日本を骨無しにした憲法に従って来た、という、事を知らないのか。
諸君の中に、一人でも俺と一緒に立つ奴はいないのか。
 一人もいないんだな。
 よし!武というものはだ、刀というものはなんだ。自分の使命………。
 未だ諸君は憲法改正の為に立ち上がらないと、見極めが付いた。
これで、俺の自衛隊に対する夢は無くなったんだ。
 それでは此処で、俺は、天皇陛下万歳を叫ぶ。
 天皇陛下万歳! 天皇陛下万歳! 天皇陛下万歳!(転載終了)

 旧来の思想や社会構造を打破しようとする時には常軌を逸した行動が生まれるというのが世の常でもある。三島由紀夫と森田必勝らの行動こそが正気の狂気である。

 この狂気こそが祖国日本に圧し掛かる重苦しい閉塞感を打破する力に成り得るのである。 今こそ三島・森田の精神を想起し、祖国日本の真の恢復を急ぐべし!

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2015年11月19日

無差別テロ犯に乏しいのは衆生の苦しみを救おうとする大悲の心に乏しい

 フランスでは自爆テロの犯人を「カミカズ(KAMIKAZE)」と呼ぶ。「神風」をフランス語風に発音すると「カミカズ」になるというが、テロ犯と特攻隊の英霊を同列に準えるとは、怒りよりフランスジャーナリズムのレベルの低さに嗤える。

 フランスというのは、大相撲好きのミッテラン元大統領など親日派が多いと思っていたが、こうしたことや、過日のフランス週刊紙シャルリエブドの福島原発事故の福島県民を風刺した画などを見る限りとても親日国だとは思えない。

 因みに、シャルリエブドの前身は1960年に創業した「HARAKIRI(アラキリ)」である。これは日本の「切腹」を意味しており、その真意は「笑って腸が捩れる様なブラック・ユーモア」だというのだからホント厭きれてしまう。 

 昭和19年10月20日、フィリピンのレイテ島に圧倒的勢力で上陸を図ろうとする米軍部隊へ、起死回生の反撃、更に連合軍の沖縄への上陸、本土決戦を阻止しようと神風特別攻撃隊が編成される。これが「カミカゼ」と呼ばれるものだ。

 神風特別攻撃隊は「しんぷうとくべつこうげきたい」というのが正しく、いつの間にか国内でも「カミカゼ」が当たり前に使われていることに違和感を覚える。

「ゼロ戦」というのも本来は日本人の言葉ではない。米英のパイロットが称していた「ゼロ・ファイター」から出た通称であって、皇紀2千年に造られた零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき)は、「レイシキ戦闘機」というのが正しい。

 祖国を守る為に死を決意して志願した特攻精神は、祖国愛の極致というべきものであり、「神風精神」こそは、大東亜戦争が自存の為の祖国防衛戦争であったことの何よりの証であろう。「トッコウ(TOKKO)」と揶揄されるものでもない。

 護国の英霊に対する崇高なる行動をテロ行為と準えることがあってはならない。世界に蔓延するこうした我が国への偏見や蔑視を糺さなければならないと思う。

 ISによるテロ犯の自己犠牲の精神は尊いものであるとは思うが、特攻隊の若者との違いは、イスラムと仏教、アッラーと仏・菩薩の違いもあるだろうが、衆生(しゅじょう)の苦しみを救おうとする大悲の心ではなかろうかと感じている。

 ISのテロリストや戦士の怒りや悲しみの表情に比べれば、これから死に往く特攻隊員の表情には悲壮感はない。「大悲」とは観世音菩薩の別名であり、彼らこそ正に観世音菩薩の生まれ変わり、生き仏に思えてならないのだ。

 現在の我が国のまやかしの平和や繁栄ではあるが、先の大戦での純真無垢な若者の尊い犠牲の上にあることを、現代に生きる我々は決して忘れてはならない。

 因みに、沖縄戦では神風特別攻撃隊が重要な役割を果たしている。鹿屋基地(海軍航空)からの特攻で1981名が、知覧基地(陸軍航空)からの特攻で1021名の合わせて3002名という、実に76%が沖縄戦で散華されているのだ。合掌。

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2015年11月18日

「パリ市民の安全と平和を願うプロフィール写真を設定しよう」に思う

 フランスでの同時多発テロを受けて、facebookでは「パリ市民の安全と平和を願うプロフィール写真を設定しよう」と、追悼の思いを込めて、プロフィール画像をフランス国旗を同じトリコロールカラーにする機能が急速に広がった。

 流行に敏感な人が多いのには驚くが、「流行」とは元々「病気」という意味で、こうした流行に踊らされる人というのは兎角利用され易い。「熱狂する大衆のみが操縦可能である」とは、アドルフ・ヒトラーだが、この喩えが分かり易い(笑)

 愚生的には、こうした人の良心を利用するかの様な偽善的パフォーマンスには違和感を覚えていたが、当初は賛同して画像を変えた人も、否定派の意見を読んだのか、それともスパムではという不安もあってか、その数は激減している様だ。

 ISのテロで亡くなったのはイラクだけでその死傷者は数万人にも及ぶ。7月にはラマダン明けのバグダッド近郊の祝祭を襲った爆弾テロで120人以上が死亡し160人以上が負傷している。シリアでは、ISに蜂起したスンニ派シャイタト部族700人が処刑。 トルコは、先月11日に首都の平和集会の爆弾テロで100人以上が死亡。

 エジプト上空では、先月31日にロシア旅客機墜落で乗客乗員224名全員が死亡。ベイルートは、パリ同時多発テロ前日に商店街を襲った自爆テロで43人が死亡。IS以外でも、フランスや米国などによる空爆で無辜の市民が犠牲になっているが、テロが悪で、戦闘行為なら赦されるならそれは強者による方便でしかない。

 ISのテロ行為を否定するなら、同じ様に中共によるチベットやウイグルなどでの殺戮行為も否定されるべきだし、世界のあらゆる不条理や不正義もまた糾弾されて然りだろう。画像をトリコロールカラーにしないからといって、別に犠牲者を悼む気持ちが無い訳ではないし、テロを撲滅したい気持ちに乏しい訳でもない。

 日本人の死生観から言えば、心静かに哀悼の意を表せば好いだけのことだと思う。剣豪・宮本武蔵は独行道の訓えの中で「如何なる別れも悲しまじ」という言葉を遺している。ならば、武蔵という人物は冷血漢なのかというとそうではないだろう。

 煙草を吸わない人が「タバコを止める」とか、酒を飲めない人が「酒は飲まない」などとは言わない。敢えてこの言葉を認(したた)めた武蔵という男は、逆に人一倍涙脆く、人間味豊かな人物だったのではないだろうか。

 武蔵と同じ様に、普通の日本人は感情を露わにはしない。内に秘めた悲しさこそ日本人の人となりであり、「慎ましさ」こそが日本人らしさなのだと思っている。「慎む」という同じ意味で「恭倹(きょうけん)」という言葉がある。「恭倹己ヲ持シ」というと、教育勅語を思い浮かべる方も多いのではなかろうか。

「恭倹己レヲ持シ」の教えとは、「人に対しては恭(うやうや)しく、自分自身は慎み深く振る舞うこと」であり、簡単に言えば「自分控えめにし、人(喩え夫婦兄弟友人であっても)には礼節を重んじ付き合いなさい」ということ。

 最近は「オレはこういうことやったぞ、偉いだろ!」とか「オレが、オレが」的な記事を目にする。別に普段の生活での出来事ならいざ知らず、ボランティアや奉仕活動、寄付行為など黙ってやるのが普通だと思うのだがそうじゃない。

 善いことをしたということで誰かに自慢したい気持ちも分からない訳じゃないが、「いいね!」を押して貰いたいが為の奉仕活動や善行ってのは如何なものか。

 今や外見で判断することが当たり前となり、「オレはこういうことをやってやったぞ!」的なことをアピールしないと分かって貰えないと思ってしまっている。

 ヤクザがその好い例で、彼らは外見でしか判断されないことを理解してるから、人よりも高いクルマに乗り、派手な服装や時計を身に付け見栄を張る。

 以前、「人は見た目が9割」なんて本も人気になったが、相手の中身を見ずに持ち物や服装などの外見でしか判断出来ないのだとしたら実にさもしいことだ。

 まぁ、facebookやtwitterなどのSNSなんてのは所詮はそういうことをアップして愉しむ場所なのだろうが、せめて教育勅語復活を掲げる右翼民族派や保守派は、日本人の教えである「恭倹己を持し」を肝に銘じて日々を過ごして頂きたいものだ。

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2015年11月09日

徒然なるまゝにその日暮らしシリーズ(笑)

 昨日は南相馬で復旧・復興の手助けをしているFBFと昼から一献。予定してた「春寿司」が休みで、蕎麦屋の名店「隆仙坊」へ。初めて会うが、思ってた通りの好漢で「男同士で飲む酒は忽ち通う意気と熱」ではないが、愉しい酒席となった。

 その後は駅前に繰り出すも日曜日の3時頃でやってる店は無い。アーケードをぶらぶらすると営業してる海鮮居酒屋「さかなや道場」を発見。ここで飲み直し。

 強か呑んで夕方FBFを駅まで送り、再会を約束して別れた。久しぶりに好い酒だった。酒と友人の人柄に酔った。酒席というのは失敗も多いが、得るものの方が断然多い。最近は慢性的手元不如意だし、酒の誘いはなるべく断わることにしている。

 何故なら、酒は身銭を切って飲みたいからだ。「あんたが(カネを)持っていても、俺が持ってなければ、酒なんざ飲んでも旨くない。酒とはそういうもんぜよ」とは坂本龍馬。ホント、龍馬じゃないが、他人のカネで飲んでも大して美味いとも思えないし、そんなことなら自宅でチビチビやってる方が気楽で好い。

 亡父にも、「ただ酒は飲むな。卑しくなる」と口煩く言われたことも影響しているのだろうが、酒は身銭を切って飲むことに価値があるし、その方が旨い。

 酒というのは「百薬の長」とも言われるが、本来はバカになる為に飲むもの。酒を飲むと肚を割って話せるし、酔った心地好さは酔った者じゃなきゃ分からないし、何よりバカになれる。世の中バカになれるほど愉しいものはない(笑)

「酒は飲むべし酒は飲むべし 人生唯酒ありて肝を開く 酔中の快楽人知るなし」(坂本龍馬)とは蓋し正論。正気ではとても出来ないことを、酒の力を借りれば「一時的バカ」になることが出来るし、一時的でもバカの幸福に浸れるのだ。

 酒が別名「キチガイ水」といわれるのはこういうことだろう。バカと言っても酒乱は論外である。酒に飲まれる様じゃ酒飲みの資格はないと思っている。落語のサゲじゃないが、呑むならチョッとマヌケで明るい酔っ払いが好い(笑)

 酒を飲めない人は、「体質的に酒を受け付けないです」とかいう人が多いが、愚生からすれば体質に合わないというより、酒を飲む訓練(練習)が足らないだけのこと。何より、酒を飲まない男というのは人間が小さく見えてしまう(笑)

 正気というのは世間体を気にしているということで、周りを気にするということは、それだけ神経を使ってるということ。これではストレスが溜まるし、ストレスが溜まれば何より身体に悪い。下で仕える者より、上に立つ者は人一倍神経を使うもので、逆を言えば人一倍神経を使えない人間は上には立つ資格は無いということだ。

 下の者からすれば上の者は気楽に見えるかも知れないが、上は上なりに頭の中ではあれやこれやと神経を使い考えを廻らせているもの。そんな時に頭をからっぽにするのに手っ取り早いのが酒だ。気の利いた店や贔屓の店で陽気に騒ぐ。

 酒というのは愉快に飲むのが一番だ。暗い酒は身体を壊すが、適度に愉快に飲む酒は正に「百薬の長」なのである。「酒は陽気に身銭を切って飲むべし」。酒飲みというのはこれに尽きるが、中には人に奢って貰って喜んでるのがいる。

 タダ酒を覚えたヤツというのどうもクセになるらしく、店からも仲間からも嫌われているのだが、当の本人は自覚していない。「タダほど高いものはない」という様に、タダで飲めたと喜んでばかりいると後でとんだしっぺ返しが来ますよ(笑)

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2015年11月05日

「夫婦別姓」など、左翼の策動に乗じて現憲法の見直しを計るべし!

「夫婦別姓」並びに「女性の再婚禁止期間」の規定の違憲性が争われた上告審弁論が最高裁大法廷で開かれた。女性の再婚禁止期間は「女性に対する差別」というのは分からないではないが、夫婦別姓が「時代の流れ」というのは、左翼やジェンダーフリーを叫ぶ性的変質者に因る我が国の伝統文化破壊の策動に過ぎない。

 明治維新以後、国民の全てに「姓」を与え、戸籍を整え、家族の絆の重要性を教えた。国民が理想にしたのは、皇室の姿であり、正に我が国の家族制度は教育勅語に示されている通り、「父母に孝に兄弟に友に夫婦相和し」、実に尊いものである。

 欧米の教育は個人が生存権に勝つ為のものであり、辺り構わぬ闘争が行われ、働く目的は金と享楽の追求のみ。それ故、家族の絆は緩み道徳の深さは生活から離れ、結果、唯物主義の考え方が支配的となり、人々の心を孤独化している。

 我が国の個人主義は極僅かで、世代に亘る家族の絆は固く、互いの助け合いによって人間本来の善良な姿と優しい心が保たれている。「夫婦別姓」や「選択的夫婦別姓」制の導入を許せば家族の一体感を損ない、子供に与える精神的影響も大きく、事実婚を増加させ、離婚の増加や婚姻制度の崩壊を齎すのは明らかだ。

 我が国は「一夫一婦制」だが、別姓導入は「一夫(婦)多妻制」をも可能となり、最高裁による婚外子相続の違憲判決もあり、そうしたことが容易になったということだ。別姓が罷り通れば不倫なんぞ当たり前、倫理観や道徳観が低下するだろうことは明らかだ。まぁ、その方が都合の好い人もいるのだろうが(笑)

 既に「選択的夫婦別姓制度」を導入した、イタリア、オーストリア、ドイツ、デンマーク、スウェーデン、ハンガリー、フランス、スペインなど欧州の国々では婚姻率が4割以上も減り、離婚率が2倍となり、婚外子の割合が5割も増加した。

 従来の家族制度が崩壊しているのは「選択的夫婦別姓制度」の導入が最大要因であるのは明らかで、これが「時代の流れ」というなら、もう嗤うしかない。

 抑々、婚姻に際して「氏(苗字)を変える」ことで職業上不都合が生じる人にとって、通称名として旧姓を使用することが一般化しており、婚姻に際して氏(苗字)を変更するも、関係者知人に告知することにより何の問題も生じない。

 また、氏を変えることに由り「自己喪失感を覚える」という様な変態的意見もあるが、それよりも結婚に際し同じ姓となり、これから新たな家庭を築くという喜びを持つ夫婦の方が圧倒的多数であり、それが極めて一般的な普通の感覚だろう。

 夫婦同姓は普通の日本人にとって極めて自然な制度である。別姓が導入され別姓世代が続けば家系は確実に混乱して、我が国の戸籍制度や家族制度は瓦解し、祖先と家族・親と子を結ぶ連帯意識や地域の一体感、延いては日本人の倫理道徳観にまで悪影響を及ぼすのは必至。 現代社会で家族との絆を支えているのが「戸籍」である。

 戸籍は、国民の出生・結婚・死亡などの身分の変動を「夫婦と未婚の子」を単位として登録するシステムであり、戸籍制度は結婚や相続など家族生活を営む上で極めて重要な役割を担うと同時に、実は家族の一体感を維持する機能も有している。

 普通で考えれば「別姓するくらいなら結婚などしなきゃ好い」と思うが、あくまでもその目的が「戸籍法の改正」に在るのだとすれば合点が行くというものだ。

 推進派は、現在の戸籍制度が家族単位である点を、戦前の「家父長制度」の残滓と捉え、戸籍を個人単位の「個籍」や、欧米諸国を模した「個人登録制」に改めることを求めている。だが、別姓導入によって家族の絆が弱まるだけではなく、別姓導入は初めから「家族制度の解体」を意図した策動と断じて好かろう。

 つまり、夫婦別姓というのは、別姓自体が目的ではなく、我が国の誇る戸籍制度そのものの崩壊を目的とするものだと言っても過言ではない。現在は「民法」と「戸籍法」に拠って婚姻の際の氏(姓)の決め方が定められている。

 民法第750条には「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」と明記されている。夫となる人、または妻となる人の何れかの「氏」を夫婦の氏とするということ。この規定を大半の人は「片方が氏を変える」と理解しているが、「氏は自分個人の名前の一部」という誤解が混乱を招いているのも確かだろう。

「氏」というものは個人を表す名称ではない。明治維新以前には武士や大店の商人以外は氏などない。明治維新で戸籍を整える為に全ての国民に「氏」を与えただけ。 戸籍を見れば分かるが、戸籍の筆頭者のみが氏と名で書かれており、その他の家族は続柄と名しか書かれていない。つまり「氏」は家族を表す名称なのだ。

 日本人の日本人らしさの根幹を成すものが「戸籍制度」である。個人だけでなく、親兄弟や子といった、歴史の縦軸の中に生きるという素晴らしい制度であるのだ。正に我が国の「戸籍制度」は世界に誇る制度であると言えよう。
 
「世界ではこうだ」とか「何処何処の国では・・・」という意見を散見するが、他所の国なんぞどうでもいいではないか。我が国は異文化を吸収し、より善いものを生み出す国民性であり、天皇を族長と仰ぐ家族国家という国體は万邦無比であり、我が国の優れた「家族制度」と「戸籍制度」こそ世界に普及させるべきである。

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