2015年10月

2015年10月30日

明治23年10月30日、「教育ニ関スル勅語(教育勅語)」渙発

 明治23(1890)年10月30日、明治天皇は山縣有朋内閣総理大臣並びに芳川顕正文部大臣に対し、「教育ニ関スル勅語(教育勅語)」を下された。占領下だった1948年(昭和23年)6月19日、国会の決議により「教育勅語」が廃止され、内務省所轄だった教育の在り方が抜本的に改革され「教育委員会」なる制度が導入される。

 教育委員会制度というのは、抑々、米国がその占領政策の一環として導入したものであり、昭和の時代の教育の荒廃や教育制度の在り方を見れば、戦後の教育が間違っていたのは明らかで、教育委員会は即刻廃止するのが教育再生の道である。

 米国は、「戦前の日本の軍国主義が日本の中央集権的教育制度を齎し、それが結果戦争に繋がった」と結論付けているが、これこそ詭弁である。

 こうした愚にも付かない理由から、米国は日本の学校教育を、内務省の中央集権的統制から解き放ち、その管理を地域住民の代表に拠って構成される合議制の「教育委員会」の下に置こうと画策し、それを実行したのである。

「教育委員会」のモデルとなったものが米国の教育委員会制度である。これは米国の開拓時代の原住民の占領統治の思惑から生まれたもので、日本の統治も同様に、占領に拠って米国の意の儘に置こうというのが狙いであったのだ。

 米国が実行した「戦後民主主義教育」は、米国側の思惑以上に大きな成果を上げ、様々な弊害を齎し続けている。「国旗」「国歌」に反対し、我が国の歴史・伝統・文化を否定し、皇室解体と国體破壊を目指す日教組や全教はその落とし子でもある。

 日教組や全教といった「癌」これを抉り出し、粛正しない限り教育の正常化など在り得ないが、教育荒廃の原因の全てが日教組や全教だけに在る訳ではない。戦後の教育荒廃の元凶こそが、民主教育行政を司った教育委員会なのである。

 安倍首相が「教育基本法」の改正を行い、米国時代の悪しき教育制度からの脱却を目指した。このこと自体は間違ってはいないが、ならばその教育改革の総仕上げとして、我が国の陋習でもある教育委員会の廃止を急ぐべきであろう。

 教育委員会の解体を旧態依然の文科省に任せたところで頓挫するのは目に見えている。何故なら文科省も教育委員会も日教組も言うなれば一蓮托生、教育荒廃の腐った肥溜めなのだ。占領時代の陋習である教育委員会制度の廃止なくして教育改革なし占領下に廃止された「教育勅語」を復活し、教育の再生を図るべし。

【教育勅語】には次の12の徳目が記されている。

 1.親に孝養を尽くしましょう(孝行)
 2.兄弟・姉妹は仲良くしましょう(友愛)
 3.夫婦はいつも仲睦まじくしましょう(夫婦の和)
 4.友だちはお互いに信じ合って付き合いましょう(朋友の信)
 5.自分の言動を慎みましょう(謙遜)
 6.広く全ての人に愛の手を差し伸べましょう(博愛)
 7.勉学に励み職業を身に付けましょう(修業習学)
 8.知識を養い才能を伸ばしましょう(知能啓発)
 9.人格の向上に努めましょう(徳器成就)
 10.広く世の人々や社会の為になる仕事に励みましょう(公益世務)
 11.法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう(遵法)
 12.正しい勇気をもって国の為、真心を尽くしましょう(義勇)

 道徳教育で大事なものは幼年期の「躾」であり、道徳というものを概念的、論理的に捉えようとするのではなく、学んだことを如何に実践するか、如何に行動で表せるかが大事である。信仰や宗教もそうだが、「道」というものは日常の実践であり、特別に意識するのではなく、日常を過ごしながら身に付き、現れてくるもの。

 道徳教育の根本は「教育勅語」に示されている通り、「忠孝の道」を確立することに在る。拙ブログの冒頭には、昭和天皇に論語の漢籍の進講をされたこともある戦前の日本を代表する倫理哲学者・哲学者・西晋一郎の言葉を記している。

「我が民族の将来と国家の前途を思うは人間の最も真剣なる感情であり、君国に忠、親に孝なるは最も現実なる道徳である。之を離れては人類愛も世界的正義も空想に過ぎない」 要するに、「君国に忠」「親に孝」これを離れては、人類愛も平和主義も憲法論議も空理空論どころか、ただの空想に過ぎないということだ。

 我が国は2700年もの歴史が続く君主国家であり、そして神武建国の理念は「八紘一宇」という家族国家の形成に在る。 日本を再生するということは、欧米の様な国になることではない。原点である日本の背骨を取り戻すということである。

 そして日本の背骨とは何かといえば、それは、国への忠誠心と親への孝養であり、「君国に忠」「親に孝」という徳目を実行することに尽きる。

 つまり、我が国は天皇を戴き(君)、全ての日本人(国)が、陛下のもとにひとつの家族となって(忠)、先祖代々続く日本人としての血統を重んじ(親)、父祖に恥じない生き方を実現する(孝)ということだ。教育勅語渙発日に当たり、「教育勅語」を声高らかに奉読し、日本人としての自覚を再確認しよう!ではないか。

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2015年10月22日

読売ジャイアンツ選手の野球賭博騒動は大相撲の時とはエライ違うな!

 日本野球機構(NPB)は、野球賭博に関与した選手は読売ジャイアンツの福田聡志投手の他に、笠原将生と松本竜也の2投手も賭博行為をしていたと発表した。

 このジャイアンツの3選手は、野球協約180条の「賭博行為の禁止および暴力団員等との交際禁止」に違反する行為に該当し、1年又は無期の失格処分となる。

 笠原と松本に関しては情状酌量の余地はあるが、福田聡志はジャイアンツ戦でも賭けを行っていたというから救い様がなく、失格(永久追放)が適当だろう。

 それでなくてもプロ野球の人気が薄れている中で、NPB側はプロ野球全体の統制とプロスポーツとしての子供達への影響も考え英断が求められよう。

 平成22年、大相撲の大関・琴光喜や元関脇の貴闘力ら数十人が野球賭博をしていたことが発覚し、相撲協会から解雇や謹慎処分を下されたのは記憶に新しい。

「旧態依然だ」とか「相撲界の旧弊」と追求され、「相撲は潰してゼロからスタートする位の覚悟がなければ体質を変えることは出来ない」と噛み付いた。

 大相撲は、明治維新で「断髪令」が発せられても、丁髷の伝統を貫き、戦後もずっと表彰式で国歌「君が代」を斉唱し、国技を自称して来た大相撲は「保守の牙城」でもある。「この保守の牙城を潰したいが為に大騒ぎしている一種の色褪せた革命ノスタルジー」だといった知識人がいるが荒唐無稽な話ではなかった。

 今回のプロ野球へのマスコミ報道を見る限りでは、あの大相撲へのバッシングの時とはエライ違いだ。規模の大小に拘らず、当事者が読売グループということもあり、多くのジャーナリストも拱手傍観を極め込んでいるとしか思えない。

 野球賭博より、ジャイアンツの原監督が辞任し、高橋由伸に監督要請だとか、阪神の新監督に金本知憲、横浜DeNAベイスターズの新監督はラミちゃんだとか、野球賭博問題を隠そうとしてるのか、そんな話題を作為的に垂れ流している。

 琴光喜らが係わったのが暴力団関係者で、今回は飲食店関係者ということがその対応の違いというなら、それは現憲法下の「法の下の平等」やマスコミに求められる公平・公正さに欠けると断じざるを得ない。尤も、ジャーナリズムに公平・公正はなく、またマスコミに正義や公平・公正さを求めるのも酷というもの(笑)

 日本相撲協会は野球賭博問題を機に、暴力団などの反社会勢力との関係を根絶する為に「暴力団等排除宣言」を示した。暴力団が反社会勢力というのは分かるが、「暴力団等」というのはどういう勢力か?「右翼団体」も指しているのだろうか(笑)

 反社会勢力というならならば、それこそ「左翼団体」や日本共産党、その共産党と連合政府を創ろうとする民主党も立派な反社会勢力だと思うがなぁ(笑)

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2015年10月19日

嘗ての会津藩士の御霊が薩長藩士の霊と一緒に祀られることを喜ぶのか・・・

 今日は靖國神社秋季例大祭第二日祭。案内状には「出席」と応えていたが、今日は残念ながら出席することが叶わない。第二日祭に出席出来ない旨をブログに綴ったら、「靖國神社より大事な用って、ふ~ん」などというコメントが入ってた。

 どう見ても嫌味というか冷やかしだが、明治天皇の思し召しを無視して長州閥が創った靖國がそんなに大事なのだろうか。尤も終身正会員にならなきゃ例大祭には呼ばれないのだが、こういうコメントをくれたヤツは当然乍ら、終身正会員なんだろうなぁ。でなきゃこうしたコメントを書き込める訳がないもんな(笑)

 愚生が知ってる限りでは、終身正会員になってる右翼ってのは数えるしかいない。正会員にもなってない右翼も多いぞ。そういうのはどうなんだね、君?

 閑話休題。岩城光英、高市早苗両大臣が例大祭に合わせて靖國神社を詣でたことで、恒例の批判報道が成されているがいつもながら実に滑稽なことだ。

 靖國神社は明治2年、明治天皇の思し召しにより、「東京招魂社」として建立された神社であることは誰もが知るところ。合祀対象は、三条実美の祭文の「皇軍に役立ちして、賊徒等を討たん其の義に・・・命果てぬる輩」に限られている。

 戊辰の役では「西軍」と「東軍」は干戈を交えたが、「皇軍」及び「官軍」と「賊軍」が戦った訳ではない。「賊軍」とは、維新後、明治新政府が作った造語である。この三条公の祭文の原則がある限り 「賊軍」の汚名が消えることはない。

 愚生も大学入学以来、靖國神社には参拝しているが、先ず赴くのは「鎮霊社」。だが、例大祭の期間は閉門されている。「鎮霊社」は幕末の嘉永6年以降、戦争や事変に係わって戦没したものの本殿に祀られていない御霊と、同時期以降の世界の戦争・事変に係わって戦没した全世界各国全ての戦没者の御霊を祀る社である。

 安倍総理が本殿前に詣で知られる様になった。 御霊には慶応4年の戊辰戦争で会津若松の飯盛山で自決した会津藩白虎隊や二本松少年隊、西南戦争で自決した西郷隆盛らも含まれる。 こうした本殿と鎮霊社の並立状態は「死者の選別」であり、こうした死に対する差別的処置は日本人の持つ宗教観からも違和感を覚える。

 それはまた、所謂「A級戦犯分祀論」もまたそれらと同じ行為を実行しようとする企てであり、断じて赦されるものではない。 靖國神社側が宗教的な敬虔さを示す為に、こうしたカタチで「鎮霊社」を設けたことは高い評価を受けるべきであろう。

「朝敵」や「賊軍」とされ、死後も未だ本殿とは別にしてその死を包括し得ない現状は、真に「靖國」の意味が在るのかという疑問を生じてしまう一人でもある。

「嘗ての会津藩士の御霊が薩長藩士の霊と一緒に祀られることを喜ぶのか」という声は無くはないが、未だに「朝敵」とされた儘で放置し続けることが好いも思えない。 会津藩に至っては幕閣で唯一の神道を重んじていた訳で、どの藩よりも朝廷に忠節を尽くした藩にも拘らず薩長の策謀で「朝敵」とされただけだ。

 孝明天皇から下賜された御宸翰が何よりの証だろう。 朝敵を別なカタチで祀ることと、朝敵も本殿に祀ることとどちらが現代に即して、天皇(すめろぎ、すめらぎ)が顕現される道なのであろうか。「死者の選別」をした儘で好いとは思えない。未だに、所謂「A級戦犯分祀論」で世論を攪乱してるアホ政治家が後を絶えない。

 日本人でありながら英霊を「戦犯」と罵り、分祀さえすればそれで済むというのは靖國を軽んじる愚行でもある。「A級戦犯分祀論」問題は、「鎮霊社」の存在を議論することで、靖國神社を御創建遊ばされた明治天皇の思し召しが国民に知れ渡り、靖國の真の在り方を真剣に考える契機になることを願うばかり。

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