2015年09月

2015年09月30日

自衛隊のPKO(国際平和維持活動)の貢献は我が国の誇れる活動である

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 安倍首相がニューヨークの国連本部で演説し、シリアやイラクからの難民支援に970億円を拠出することを約束した。常任理事国入りへの決意を表明し、「積極的平和主義」の実践を目指す。

 我が国の国際的活躍は世界が認めるところであり、中でも自衛隊のPKO(国際平和維持活動)の貢献は我が国の誇れる活動であろう。

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 地元郡山市が発行している「広報こおりやま」10月号の最後の頁に、「郡山から世界へ」というインタビュー記事が載っている。

 登場しているのは、地元郡山市出身で陸上自衛隊郡山駐屯地の幸田麻美さんと佐藤志絵梨さん。幸田さんは、国際貢献活動に携わる為に自衛隊の道を選んだ。

 彼女らは先日、国際連合南スーダン共和国ミッションに派遣隊員として参加した。

 国際連合南スーダン共和国ミッションとは、平成23年に独立した南スーダン共和国を支援する為に発足されたPKO活動で、平成24年から自衛隊を派遣し、インフラ整備などを行っている。(以下、抜粋して転載)

「世界には、支援を必要とする発展途上国が数多く存在します。テレビなどで報じられる現状を見て、私達にでも出来ることがあるのではと思い今回の任務に参加しました。私達が行った活動は日本から派遣された隊員の炊事です。」 

「派遣から3ヶ月が経った頃、郡山市から激励品としてあさか米が寄贈されたときは嬉しかったです。久しぶりに食べる故郷のお米は、隊員の間でも好評でした」

「現地での活動を通して、発展途上国への支援の必要性を改めて実感しました。途上国の多くは、インフラの整備が不十分で、多くの道に歩くのが困難なほどの大きな穴が開いています。雨が降ると水が溜まり、そこから蚊が大量に発生して、マラリアなどの感染リスクを増加させます」 

「派遣中、戦争孤児の施設を訪れる機会があり、折り紙やけん玉などで交流をしました。無邪気な笑顔を振りまく子供達と触れ合い、私達が出来る支援とは何かを改めて考えさせられました」

「任務に参加することで、日本に居ては分からない世界の現状や、国際支援活動の重要性を知ることが出来ました。今後もこの様な機会があれば参加したいです。私達の活動が世界の平和に繋がることを願います」

 どうだろう。幸田さんも佐藤さんも、安全保障関連法案で騒いでたあのSEALDsの若者と同年代だ。何故にこうも違うのか。

 マスコミはSEALDsを持ち上げ、「戦争法案」とのレッテルを貼り、自衛隊の活動は全てが戦争に繋がるといったミスリードに躍起だが、彼女らの活躍でも解るように、自衛隊の活動は平和維持がその主たる目的なのだ。

 安全保障関連法案も、日本国と国民を護る為のものだけではなく、自衛隊員を守る為のものであるというのは言うまでもない。

 佐藤さんは、幼少期から空手を習っていて、派遣時には他国の隊員と共に空手の稽古を行い、交流を謀ったという。素晴らしい行動力だ。

 郡山市民としても日本国民としても、彼女らの活動は実に頼もしく誇らしい。

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2015年09月29日

毎年9月29日に行われる「反中共デー」の運動の輪が広がることを願う

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 今日9月29日は右翼民族派団体にとって、8月9日の「反ロシアデー」に並ぶ重要な「反中共デー」であり全国で統一デモなどが行われる。

 尤も「反ロシアデー」にしろ「反中共デー」にしろ、平和運動には違いないのだが、反日マスコミから取り上げられたことはない。 

 我が国の主権が恢復した昭和27年4月28日、「日米平和条約」が発効された同日、「報恩感謝」として中華民国(台湾)との「日華国交条約」も締結。道義国家日本として当然の行動だろう。

 だが、昭和47年9月29日、田中角栄は「日中共同声明」に調印すると、中国共産党を唯一の政府であると認め、一方的に我が国が締結した国際法規である「日華国交条約」を破棄した。

 田中の行為は終戦間際に「日ソ中立条約」を一方的に蹂躙したロシアの蛮行と同じであり、決して赦されるものではない。

 「日華国交条約」の破棄は明らかな日本国憲法98条違反であり、締結していた条約の蹂躙は道義国家日本が失墜した象徴でもある。

 護憲派からもマスコミからも、この田中の蛮行が糾弾されたことはない。

 田中は更に、「先の大戦で中国国民に重大な損害を与えたことに、責任を痛感し、深く反省する」と詭弁を弄した。

 だが、我が国が先の大戦で戦ったのは「中華民国」であり、戦後4年も経って建国した「中華人民共和国」ではない。

 田中が幾ら詭弁を弄そうとも、先の大戦での賠償は「日華国交条約」締結を以て終わっているのだ。

 田中のこうした誤ちと歴史認識が、今でも悪しき前例となり現在も受け継がれ、中共への優遇措置が講じられている。

 「河野談話」や「村山談話」も、対中共への弱腰軟弱外交は、この「日中共同宣言」の田中角栄の認識が元凶となっているのだ。

 抑々、我が国と支那の関係を「一衣帯水」だとか、「古くからの隣人」などと心得違いをしている人が多いが、日中間に国交関係が樹立されたのは20世紀に入ってからで、未だ100年も経っていない関係である。

 親中派のいう「日中は同文同種、一衣帯水の関係」との認識は全くの誤りであり、これ即ち中国共産党の策謀に嵌っている証左の一つであろう。

 聖徳太子は607年、小野妹子を隋に派遣し対等外交に踏み切り、後に蘇我氏を滅ぼした中大兄皇子らが645年「大化の改新」を実現する。

 天智2(663)年、唐・新羅連合軍に攻撃された百済は日本に救援を求めた。

 これが世に言う「白村江(はくすきのえ)の戦い」である。

 百済の要請に応じ応援に出るも、日本軍はこの海戦で大敗を喫す。

 この敗戦を機に中華圏との正式な外交を絶った。

 因みに、白村江の海戦で大敗を喫し、生き残った者は捕虜となった。

 その中の一人、大伴部博麻(おおともべのはかま)は、「唐が日本を攻める」という情報を得るも、日本に知らせる術もなく、自らを奴隷に売って金を作り、仲間を帰国させこの危機を知らせた。

 これが持統4(689)年の事であり、博麻が帰国したのは白村江の戦いから何と30年後のことだった。

 帰国後、持統天皇が博麻の功を顕彰する。

 『朕、その朝を尊び国を愛(おも)ひて、己を売りて忠を顕すことを嘉ぶ』(日本書紀)

 これが「愛国」という言葉の由来である。

 この様に、国書を携えて派遣したのは「倭国」としてであり「日本」と名乗ってからは、一度足りとも正式な国書を携えた外交はない。

 明治4(1871)年「日清修好条規」を結んだ相手は満州人の清朝であり、支那を支配していたが漢民族の国ではなかった為に、支那との正式な外交は明治45(1915)年の「中華民国」誕生まで待たなければならなかったのだ。

 毎年9月29日に行われている「反中共デー」の運動の輪が広がることで、日中関係のこうした歴史が明らかになり、対中外交が改まり、更には台湾との国交恢復が成されることを願って止まない。

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2015年09月26日

次世代の党の平沼赳夫と園田博之の自民党復党に思う

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 次世代の党を離党した平沼赳夫と園田博之が自民党に復党する。元杉並区長で元同党の山田宏も次期参院選では自民党から出馬するという。

 次世代の党は、中山恭子が新代表となり今後の活躍が期待されていただけに、それに水をかける様な結果にも見えなくもない。

 古い正統保守派にとって、やはり弱小政党での活動は制限されてしまい、当人らにとっては隔靴掻痒の感は拭えないのだろう。

 平沼や園田、山田らの離脱は序章であり、今後はこの小さな波が大きなうねりとなって、政界再編が為されて行くのではあるまいか。 

 国民が期待するのは国家観を持った保守の二大政党であり、自公政権でもなければ、旧社会党よりも落ちぶれた民主党の復権でもない。

 過去に赤旗新聞に登場した元自民党幹事長の古賀誠がいみじくも語った、「私に言わせると自民党と共産党こそが二大政党だと思っています」という言葉を思い出す。

 民主党は安保関連法案を機に日本共産党へ秋波を送り、来夏の参院選では選挙協力の連携強化を謀るという。

 これもまた平沼らの自民党復党同様、政界再編のうねりの始まりではなかろうか。

 国民は保守の二大政党を期待するが、悲しいかな現在の我が国にそんな土壌も無ければ、真の保守派もホンの極一部しかいない。

 中庸を旨とする日本の美徳は疾うの昔に忘れ去られてしまった。

 政治の分野に於いてもやはり保守か革新か、保守本流か左翼革新かの両極となり、強いて言えば近い将来、〈真正保守〉と〈共産党〉の戦いになるだろうことは想像出来る。

 正統の保守主義者に於いて時間を体験する仕方は、過去の意味を直視し、その中に価値を見出す発見によって未来を創造して行くものである。

 だが、今の自民党も、民主党も、共産党も「未来」が全てであり、完全な自由主義者ばかりで、自己保身、権力欲、偽善のみに狂奔している。

 国の安全保障という国家の大本を他国に委ね、国民もまたまやかしの平和と魂亡き繁栄に現を抜かし、日本人としての高邁な精神を忘れ去ってしまった。

 こうした間隙を共産党は突いて来るのだ。

 共産党は、テロ、リンチ、スパイ、陰謀等々その毛もよだつ様な本質を覆い隠す為に、「国民の自由を守る」かの様なソフト路線を展開している。

 だが、国民は想起せよ。ソ連共産党崩壊後の暗黒一党独裁を。中共の文化大革命での人民殺戮を。金日成やポルポトの粛正の嵐を・・・

 共産党政権下で、「自由」が保障されることが無いことは歴史が証明する処である。

 共産党綱領には「君主制廃止」が明記されている。

 つまりは天皇を制度と捉えた「天皇制打倒」運動は未だ続いているということであり、こうした共産党と手を結ぶ民主党もまた同じ穴の貉であるということだ。

 共産党が、天皇を族長と仰ぐ我が国の正統にとって悉く異質な存在なら、自民党が連立を組む公明党もまた然り。

 公明党=創価学会は極めて戦後民主主義的であり、反国家的である。自公連立が続くことは国益が害され続けるということでもあるのだ。

 平沼、園田らの自民党復党は、今後の自民党が歩む政策に於いても好い影響を与え、自公連立解消の突破口になることを願って止まない。

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2015年09月25日

安倍首相は立党精神に立ち返り、現憲法の矛盾と誤りを糺せ!

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 自民党総裁選再選を受け、安倍首相は「新たな国造り」として任期中の三年間は経済再生を重視する方針を打ち出した。

 安全保障関連法案への批判を躱し、来夏の参院選挙の勝利を目指そうというのだろうが、批判勢力と対峙し駆逐することも必要なことだ。

 自民党の「立党宣言」には、〈(略)社会的欠陥を是正することに勇敢であらねばならない。われらは暴力と破壊、革命と独裁を政治手段とするすべての勢力又は思想をあくまで排撃する。(略)祖国再建の大業に邁進せんとするものである〉と記されている。

 自民党がやるべきことは、目の前に蔓延っている安全保障関連法案を批判する「カタチを変えた共産主義」を排撃すれば好いことだ。

 その「カタチを変えた共産主義」は実に陰湿になり、一例を挙げるまでもなく大東亜戦争の悲惨さを殊更煽った自虐史観、南京大虐殺、沖縄戦、集団自決、日韓併合、講和条約での全面降伏、東京裁判史観、A級戦犯分祀論、靖國神社問題、従軍慰安婦、強制連行、遺棄破壊兵器・・・と枚挙に暇なし。

 更にカタチを変えた左翼勢力は、歴史教科書問題、靖國神社に代わる国立の追悼施設建立、夫婦別姓、男女共同参画社会、人権擁護法案、協働の町づくり、共生社会、永住外国人地方参政権付与、1000万人移民計画、地方主権、子ども人権条例、無防備都市宣言、女性宮家・・・極め付けは女性天皇容認論など多種多様に及んでいる。

 自民党内にもこうした売国法案や条例等に与する輩がいるが、党内の獅子身中の輩を抉り出し、結党精神に立ち返ることも求められる。

 自民党新綱領には先ず「新憲法の制定」を謳い、そして「高い志をもった日本人を」として次の様に明記されている。

 〈私たちは、国民一人ひとりが、人間としての普遍的規範を身につけ、社会の基本となる家族の絆を大切に、国を愛し地域を愛し、共に支え合うという強い自覚が共有できるよう努めます。そのために教育基本法を改正するとともに、教育に対して惜しみなく資源を配分し、日本人に生まれたことに誇りがもてる、国際感覚豊かな志高い日本人を育む教育をめざします〉

 「少子化対策」と称して子育て支援や優しい社会造りも必要だろうが、先ず将来の日本を担う子供達に如何なる教育を施すかということが大事。

 政治で大事なことは「国防」と「教育」である。

 政治家が教育の中身を語ることなく、疎かにしてカネの分配だけに狂奔するのは本末転倒と言う他なく、教育委員会の廃止や、日教組や全教といった公務員の労働組合員への罰則強化などの教育改革の実行を急ぐべきだ。

 また「世界一安心・安全な社会を」という綱領の実行も大事である。

 国防とは単に領土保全と軍事力の充実だけに非ず。国防とは、我が国の歴史・伝統・文化という国柄を守ることであり、畢竟、それは皇統を死守する事に在る。

 その皇統が現憲法下で侵され様としていることを知らぬ訳はあるまい。

 安全保障関連法案は憲法違反であると断じられているが、喫緊に見直さねばならないものは第9条ではなく、第1条と第2条である。

 ここでは第1条は割愛するが、第2条には「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」と在る。

 この「世襲」とは何ぞや。このままでは反天皇論者から「愛子内親王こそが正統な継承者である」とされる可能性が大であろうことは明らか。

 欽定明治憲法第2条に「皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ繼承ス」と在る様に、皇位は男系男子が継承されなければならないのである。

 安全保障関連法案での憲法議論を避けたいが為に、経済再生を重視する方針を打ち出すとはチト姑息過ぎる。

 安倍首相は立党精神に立ち返り、大いに憲法を論じ、現憲法の矛盾と誤りを糺し、明治欽定憲法の正当性を啓蒙し、新憲法制定の道筋を整えよ。

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2015年09月24日

西郷隆盛の本名は「西郷隆永」だったって知ってます?

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 今日9月24日は西郷隆盛の命日。多くの人が西郷隆盛という違和感なく名前を使ってはいるが、本名は西郷隆永。

 ここまで「隆盛」が普及されると、「隆永」より「隆盛」の方が本名になってしまった感は否めないし、西郷隆永と表現したのではややこしくてしゃあない(笑)

 西郷隆盛(隆永、以下隆盛で表記)というのは華やかな生涯に見えるが、その実は自殺未遂、二度の遠島処分、そして西南戦争と苦難続きの人生を送った人物であり、その生涯は常に死の影が付き纏っていた。

 それでも西郷は、「いつ死んだっていい。人事を尽くして天命を待つだけだ」という処生観を持ち、開き直って生きている様なところがあったという。

 私利私欲や保身とは無縁で、清濁併せ呑む器用さもなく、その大人格故に多くの信望を集め、また自分の死に際でさえ実に潔い人物だった。

 「晋どん、もうよか!」という、この最後の言葉こそ西郷の生き様を現している。

 西郷どんというと、上野の西郷さんの銅像のイメージが強いが、いざ銅像落成の日に、それを目にした糸子夫人は、「宿んしはこげんなお人じゃなかったこてえ」と落胆したという逸話でも分かる様に、西郷はもっと美形だったのだろう。

 西郷隆盛というと「大西郷」と称される様に豪快なイメージだが、意外に繊細な面もあり、或いは、慶喜公を執拗に糾弾していた様に執拗な性格も見え隠れする。

 西郷隆盛の正式な名前は「隆盛」ではなく、「西郷隆永」。

 「隆盛」というのは、実は父親の諱(いみな・名前)だったというから驚く。

 西郷は幼少の頃には「小吉」、元服すると「吉之介」、その後は「善兵衛」「吉兵衛」「三助(菊池源吾)」、大島三右衛門、大島吉之助、西郷吉之助と名乗る。

 菊池や大島と名乗ったのは島流し時代だ。

 何故に「隆永」ではなく「隆盛」になってしまったのか。

 明治2年、戊辰戦争の奥羽戦線から帰京させる際に、宮内庁から御召状が出されることになり、通称ではなく諱で記さねばならず、知人の吉井友実に尋ねたところ、「確か、隆盛じゃった」と答え、以後、「隆盛」と称されることとなった。

 帰京し、吉井に会った西郷は、「あれは父の名でごわんか。わしの名は隆永じゃと、おはんも知っちょるじゃろう」というと、吉井も頭を掻きながら、「ほんにそうじゃった」と詫び、二人は顔を合わせて大笑いしたという。

 その後、西郷は「隆盛」という名を否定も訂正もしなかったのは、吉井への気遣いと、西郷自身の大らかさを示す逸話だろう。

 西郷には写真が一枚も残されていない。上野の西郷像というのは、実弟の西郷従道と従弟の大山巌を合わせて創った想像の人物だ。

 糸子夫人は、西郷を「俳優のような好い男だった」とのろけていたというし、実際の西郷は、眉太く、黒目がちの美しい目をした色白の美男子だったというのが真相だろう。

 完成した銅像を見た糸子夫人の落胆は想像するに余りある。

 慶喜公の恭順と江戸城の無血開城に満足せず、代わりに会津を攻め落とすことで徳川時代終焉の象徴にした訳だが、福島県人の愚生としたら大西郷たるもの会津戦争をどうにか回避出来なかったものか。

 そこまで執拗に会津を攻め落とした西郷だったが、その後、自らの信念であった「征韓論」で大久保利通らと対立し、薩摩へ帰郷することとなった。

 「佐賀の乱」「神風連の乱」「秋月の乱」「萩の乱」など士族の反乱が続く中で、明治10年(1877年)に西郷が主宰する私学校生徒の暴動から「西南戦争」が勃発。その指導者となるが、敗れて城山で自刃した。

 西郷の自裁は、歴史というのは正義が常に正義ではなく、正義が敗れることもあるという一例だろう。歴史とは実に異なものである。

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2015年09月23日

「日本人」とは違う「ニホンジン」が日本国を貶める

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 日本に帰化した全ての方々を論う訳ではないが、どうも日本人とは違う「ニホンジン」がこの国の脚を引っ張ってる様に感じてしまう。それは国内に巣食う左翼も同じで、やはり彼らも日本人に非ず、ニホンジンというのが正しい。

 凡そ、我が国の歴史の中でこれ程までに堕落した時代があっただろうか。何故にこの様な混濁の世になってしまったのか。

 いつの頃からか「グローバルの時代」だとか、やれ「友愛」だとか「親善」だとか「世界ではこうだ」とか、実に曖昧な次元で愚策が講じられ、国民もそれを当然であるかの様に受け容れて来た。

 例えば「観光立国」にしろ、支那人留学生の優遇政策にしろ、在日特権にしろ、問題先送りでキチンと突き詰めた議論がなされないまま、安っぽいムードだけで実行されてしまった様に思う。

 これは「外国人地方参政権問題」や「夫婦別姓」、「男女共同参画社会」などでも同じで、要は内閣府や総理府に巣食う左翼の策謀にまんまと嵌ってしまった結果でもある。

 国際化社会というのは、先ずは自国の文化や歴史を学び、それを基に諸外国の文化を重んじることであるが、悲しいかな我が国は、「譲歩」や相手に合わせることを友好だと勘違いしてしまっている。

 特に中華人民共和国や南北朝鮮との交流は異常としか言い様がない。

 中でも、支那人の人間性というのは「死んでも非を認めない(死不認錯)」というのが特徴であるという。

 日本人も、自己正当化の為の反論というのはもっと必要であるとは思うが、間違いを改めることを憚ることがあってはならない。

 支那に於いては、詭弁や計略の芸術は非常に発達している。これを「詭計多端」という。

 大分前のことではあるが、評論家の金美齢が、こうした支那人の特異性をブログで紹介していたことがあった。(ここから引用)

 私の夫が50年前のある体験を話してくれたことがある。そのとき彼は台湾大学の一年生、田舎のぽっと出だった。

 学寮の食堂で、混雑に紛れて、一人の(中国人)学生が料理一皿を掠め取った。

 「ちょっと待った。君は賄い費を払っていない」

 学寮自治会の賄い委員がこれを見咎めた。同様の事件が頻発していたので警戒していたのだ。

 「勝手に料理を持っていって、皆が迷惑しているんだ。台湾大学の学生ともあろうものが・・。むかし日本時代ならこんなこと絶対に起こらんぞ」

 と台湾人の委員が言い始めた時、それまで黙ったままだった支那(中国)人が突然逆襲に転じた。

 「何だと!台湾は昔も今も中国のものだ。『日本時代』とはどういう意味だ。お前は漢奸だ!中華民族の面汚しだ!」

 ここぞとばかりまくし立てる支那(中国)人の前に、台湾人の方は唖然として言葉もでない。

 タダ食いの件はもうどこかへ飛んでいってしまい、この偉大なる中華民族の愛国者は昂然と方を聳やかせて、食堂から出て行ったのだという。

 こうした議論のすり替え(移花接木)は支那(中国)人の最も得意とするところだ。(引用終了)

 こうした人間性は小中華の朝鮮然り。

 日本に帰化し、日本人となった方々を批判するつもりはないが、DNAとか育った環境というのはそう簡単には変わらないものだ。

 支那人と付き合う上でこうした「死不認錯」「移花接木」「信口開河」といった、支那人の本性を理解することは大事なことだと思われますが、如何でしょう。

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2015年09月22日

「護憲」とは正に「誤憲」であり、【誤憲=無知=バカ】と訳すのが正しい(笑)

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 国会前で安保関連法案反対デモに参加したタレントの石田純一は、自分の過去の迷言を引用し「戦争は文化ではな~い」と叫んで悦に入る。

 タレントにも立派な政治思想を持ち合わせている人物もいるが、今回の安保法案に絡み反対の声を上げたバカタレ共の多くが、時勢に乗った安っぽい平和主義を振り翳す安っぽいセンチメンタリズムばかり。

 こうした護憲派のバカタレやインチキ平和主義者に共通しているのが、憲法9条を「世界で唯一の平和憲法」だと思ってしまっていることだ。

 残念ながら戦後の平和というのは憲法が在ったからではなく、米軍の存在があったからこそ。ましてやその憲法を与えてくれたのは米国である。

 彼らに決定的に欠落しているのは米国への感謝である。

 国家の大本であるべき安全保障を米国に委ねていながら、「米国の戦争に巻き込まれる」だとか「米軍基地反対」とは矛盾してはいないか。

 日本国憲法然り。あんたらの大好きな「平和憲法」を創ってくれた米国にもう少し感謝し、敬意を表したら如何か(笑)

 だが、悲しいかな、護憲派のいう「世界で唯一の平和憲法」だとか、「日本国憲法は世界の宝」とは無知から来る現実逃亡でしかない。

 現憲法の基となったのは第二次大戦後の「不戦条約」である。

 「不戦条約」は我が国を始め、米国、英国、仏国、伊国など多くの国が締結している。

 しかし、戦争放棄の国際条約を結んでから、世界は皮肉なことに条約の理想とは全く正反対の道を歩んで往った。

 こうしたことをしても理想と現実は違うのだ。

 況してや、戦争というのは政治の延長であり、政治的に合意を見なければ戦争というのは避けられないことでもあるのだ。

 戦争とは国際法上認められてる行為であり「悪」ではない。

 我が国は先の大戦で負けてしまったから、「戦争=悪」となってしまったのだ。

 ポツダム宣言の受諾にしても、それは戦勝国の論理であり、それらを楯に自国を卑下し、戦争をも否定するというのは、正しく米国の戦後の価値感の押し付けであり、未だ占領政策から目覚めていない証左でもある。

 安保関連法案の成立は米国追従脱却の第一歩でもあり、それらに反対する行為というのも究極の親米派ではあるまいか(笑)

 米英は「戦争とは政治の継続である」と教え、ドイツでは「戦争とは別の調停手段を伴う政治的な取り引きの継続である」と教える。

 戦争とは政治の延長なのだ。

 つまり、戦争は自衛隊の海外出兵や安全保障法制を創ることで起こるのではない。

 幼稚な正義感や安っぽい平和主義で国民を賺(すか)し、党勢拡大と革命謀略を謀る左翼政治家と、それに便乗する勢力こそが戦争を誘発する最大要因となるのだ。

 抑々「平和憲法」って何なんだ?

 憲法で「平和主義」を謳っている国は80ヶ国以上に上り、イタリア、スペイン、ハンガリー、エクアドル、フィリピンは日本と同じ規定が在る。

 護憲派のいう「世界で唯一の平和憲法」という賛美は、これこそ日本人の奢りであり、無知以外の何ものでもない。

 「護憲」とは正に「誤憲」であり、【誤憲=無知=バカ】と訳すのが正しい(笑)

 タレントとは一芸に秀でた者をいうが、俳優としては一流だからといって、そういう者が政治的にも立派な考えを持ち、人間的にも優れているかといえばそうでもない。

 要は、バカはバカなりに自覚して余計なことに口を挟むなということだ。

 「誤憲」「人権」「平和団体」などの所謂「無自覚左翼」に共通するものは、物事の見方が薄っぺらで、実に腹立たしいものが多い。

 そんな勢力にバカタレ共が与するからややこしくなる(笑)

 共産党を始めとした左翼勢力にとって、石田純一らの様な無自覚左翼的芸能人は利用価値は非常に高く、連中はこうした有名人を利用し国民を誑かすのが常套手段である。

 タレントは国民に夢を与えるのが仕事であり、その本義を忘れる勿れ。

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2015年09月20日

数十年愛読して来た地元紙と決別することにした!

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 数十年愛読して来た「福島民報新聞」と決別することにした。(以下御参考まで)

 安全保障関連法案が参議院本会議で可決され成立する。愚生は安全保障法案賛成派だ。戦争を抑止する上でも必要な法案であると考える。安全保障関連法案が「違憲」であるなら、自衛隊こそ憲法9条違反であろう。その違憲である自衛隊は今や合法的に存在していることに刮目すれば、安全保障関連法案もまた合法というのは当然の帰結でもあろう。

 どうせ、法案反対派の投稿ばかりで愚生の記事が採用されることはないので、序に言わせて頂くが、現憲法下に於いて違憲なことは数多くある。

 例えば私学助成金も憲法違反なら、総理大臣や閣僚の靖国神社参拝も憲法違反だろう。また、所謂「A級戦犯分祀論」もまた一宗教法人たる靖国神社への干渉であり、憲法違反。

 中華人民共和国と「日中友好条約」を締結する際に、当時の田中角栄は、我が国が主権を恢復した昭和27年4月28日に締結した「日華国交条約」を一方的に破棄したが、これは明らかな我が国が締結した国際法規の蹂躙であり憲法98条違反だ。

 何より第1条も、天皇に反対する共産党らが存在する限り「国民の総意」ではなく、「天皇の存在は違憲である」とか「天皇は要らない」と断じられても仕方ない。

 先般、最高裁で、在日外国人への生活保護に対して違憲判決が出ているが、こうした問題が違憲であるから廃止しろ、などという主張を目にしたことはない。

 安保関連法案だけが「違憲」と騒がれる意味が分からない。そういう国民の疑問に対し丁寧に説明すべきマスコミは都合の悪いことには沈黙する。

 何故にマスコミは今回の法案だけを憲法違反だと論うのだろう。憲法がそんなに大事か?例えばイギリスには憲法が無いが、そうした国が在ることすら国民が知ることはない。

 報道とは「公正」を旨とすべきで、その公正とは是と非である。だが、最近の報道にせよ、御社の「みんなのひろば」にしろ、偏った投稿が多過ぎる様に思う。

 自由民権運動の精神など皆無で、その実は読者に媚びる記事を垂れ流し、また読者の安っぽい正義感や平和主義を煽り世論誘導しているだけ。原発事故以降、反原発派に阿る記事や編集委員の主張にもうんざりだ。

 こうした新聞が、ネットなどの普及により将来無用の長物となるのは必至で、それも時代の流れであるし、新聞記者諸公の自業自得でもあろう。

 気骨のある記者がいた頃の民報新聞が懐かしい。だが、所詮今は部数発行ばかりを気にしてる単なる営利主義でしかなく、よって愚生は数十年来愛読して来た民報新聞と決別しようと思います。

 尽きましては、今月一杯で購読を止めますので、口座からの引き落としを止めて頂くよう要望致します。(クレジット払いとなってますですのでお調べください)

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2015年09月18日

パフォーマンス優先の演説に悦に入る野党議員のバカさ加減

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 昨日の参院特別委員会を視聴していたが、鴻池笑肇委員長の不信任動議の賛成討論のくだらなさ、法案の中身よりも己のパフォーマンス優先の三文芝居にはうんざり。思わずテレビを消した。

 面白かったのは鴻池委員長をガードする佐藤正久議員の活躍。覆い被さる野党のクソ議員の排除はお見事(笑)

 テレビを消すも、もう終わっただろうとまた付けてみれば未だ自説を滔滔と述べている。ああしたパフォーマンスが今後の悪しき前例となって続けられて行くのだろうと思うと、我が国の将来を悲観せずにはいられない。

 先ずは福山哲郎が賛成討論に立つ。だが、福山ら登壇した連中は「敬愛する鴻池委員長」と鴻池委員長を持ち上げる。それでいながら不信任案提出するとはこれ如何に(笑)

 野党議員は不信任決議なんぞ二の次で、パフォーマンスの演説に悦に入る。ある時は涙を浮かべ、ある時は同僚らの拍手に勝ち誇る。

 だが、こんな政府批判で国民が納得するとでも思っているのか。ホント国民をバカにしてるとしか思えない。

 「戦争法案」だとか「米国の戦争に引き込まれる」というが、あんたらの好きな戦後の「平和」とは、米国がいたからこそ享受出来たのだ。

 国家の大本であるべき安全保障を米国に委ねていながら、「米国の戦争に巻き込まれる」だとか「米軍基地反対」とは矛盾してはいないか。

 憲法も然り。「平和」や「護憲」というならば、それこそあんたらの大好きな日本国憲法を創ってくれた米国に、もう少し感謝したら如何だろう(笑)

 安全保障関連法案は、その米国依存体制とまやかしの平和から脱却し、まともな国家となる第一歩でもあるのだ。

 それにしても賛成討論が長過ぎる、内容も幼稚だし。これを「牛歩戦術」ならぬ「牛タン戦術」というらしいが、ホント、ベロが長い(笑) 

 野党のああした牛タン戦術や中川雅治参院議会運営委員長の解任決議にしろ、前々から企画されたものだろうが、見方を変えれば野党も初めから安保関連法案は可決されることを承知してのこと。

 「こういう場合にはこうして、あ~して」とやってはいるが、これ正に血税の無駄。参院とは「良識の府」。その良識とは政治的良識である。パフォーマンスを優先してる連中に政治的良識は無い。

 長ったらしい牛タン戦術の後に法案が可決されても、「我々もここまで抵抗したぞ!」という反対派への言い訳と自己満足に過ぎない。

 野党は「今後、この法案が成立しても国民の反対のうねりはもっと大きくなるだろう」と大見得を切ったが、法案成立で国会前のデモを始め、反対派の多くは雲散霧消の一途を辿るだろう。

 民主党議員や福島瑞穂らのレベル低い自己陶酔の演説を見てると、国会議員というのは厚顔というか変態じゃないとやってけないんだなと熟熟思た次第(笑)

 それにしても、福島瑞穂の顔は年々醜くなっていくなぁ。

 国会議員に成りたての頃は未だ若かったし、新進の弁護士でそこそこの顔だったが、最近は歳のせいだけではなく、人を疑るような嫌みというか、他人の悪口ばかりを論う、厳しい怒りを含んだ醜悪な顔になってしまった。

 民主党議員の人相然り、共産党員も然り。

 因みに警察と犯人が似て来るのも、常に相手を疑うからそうなる。マル暴なんてのはヤクザと同じ。否、それ以上ガラが悪いか(笑)

 人間の顔というのはある年齢以上になると、不思議と心が顔に表れるもの。皆さんの顔貌は如何ですか(笑)

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2015年09月14日

君達が日陰者である時の方が国民や日本は幸せなのだ・・・

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 鬼怒川決壊で救助作業を行う自衛官らの活躍は実に頼もしい。

 こうした自衛官の活躍を受けて、ネットでは保守派や自称・愛国者らが、吉田茂が昭和32年に行った、防衛大学校第1回卒業式での挨拶が素晴らしいと拡散しているのが目に留まった。

yosida
 その挨拶の内容は次の通り。

 「君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、 歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。きっと非難とか誹謗ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。言葉を換えれば、君達が日陰者である時の方が、国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい」

 当時としては、戦後間もないということで軍隊に対する偏見があったのは確かだが、今でも自衛隊を日陰者にしているのは、為政者の怠慢以外の何ものでもない。

 昭和25(1950)年6月25日に朝鮮戦争が勃発すると、マッカーサーは吉田茂首相に、国内警察力と海上警備力の強化を促す書簡を送った。所謂「マッカーサー書簡(文書)」である。

 マッカーサーが実質、日本国憲法の破棄を促したものだ。

 このマッカーサー書簡から一ヶ月後の8月9日には「警察予備隊令」が決定、翌日公布、即日施行というスピードで準備が整えられ、自衛隊の前身たる警察予備隊が誕生することとなった。

 当時は、警察予備隊は「軍隊」ではないとする為に「師団」を「管区」、「歩兵」を「普通科」、「砲兵」を「特科」、「兵器」は「武器」、「戦車」に至っては「特車」という始末だった。

 主権回復後の昭和27年8月1日、警察予備隊と海上警備隊を統合し、「保安庁」が設置され、続いて政府は「保安庁法」を提出するも、野党は「憲法9条」を楯に政府を攻撃する。

 この与野党の構図は変わらず、今でも憲法9条を巡り不毛空論の議論が繰り返されている。

 野党に追及された吉田茂はその答弁で、「戦力とは近代戦を実行する力であり、保安隊、警備隊にその力はない」と詭弁を弄す。

 その結果、自衛隊は永い間「戦力なき軍隊」と言われたまま、巨大な警察機構のまま放置され、今もその呪縛に囚われて続けているのだが、防衛大学での吉田の挨拶も愚生からすれば単なるいい訳でしかない。

 「言い訳は見苦しいばかりではなく、同じ過ちを繰り返す」というが、当時の吉田の判断を今更論っても意味はないが、朝鮮戦争が勃発し、吉田がマッカーサーの要請通りに現憲法を破棄していれば、現在の様な「集団的自衛権」の問題も「安全保障関連法案」の問題も、更に言えば「憲法改正」の煩わしい問題も無かっただろう。

 「国防」というのは、単に領土防衛だけが任務ではない。

 三島由紀夫は、「国防とは、それを失えば日本ではなくなってしまうことを死守することだ」と訓えたが、正に正鵠。

 市谷駐屯地で自裁した三島が携行した「檄文」にはこう綴られている。

 「国體を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。政体を警察力を以て守りきれない段階に来て、初めて軍隊の出動によって国體が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであろう。日本の軍隊の建軍の本義とは、『天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る』ことにしか存在しないのである」

  本来、「生命と安全」を守るのは警察の役目であり、国軍としての自衛隊が護るべきは「国柄」であり、畢竟「皇統」である。自衛隊が「国軍」であり「皇軍」で在らねばならないというのはこういうことだ。

 安全保障関連法案は「違憲」であるなら、自衛隊こそ憲法9条違反であろう。その違憲である自衛隊は今や合法的に存在していることに刮目すれば、安全保障関連法案もまた合法というのは当然の帰結でもあるが、国防を担い、国軍であるべき自衛隊が今の様なあやふやな存在のままで好い筈がなかろう。

 保守派も自称・愛国者も吉田茂の挨拶を有り難がってる場合ではなかろうに。それとも、自衛隊をこのまま日陰者にしておくつもりなのか。

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2015年09月11日

「男女共同参画社会」は男の甲斐性の無さの現れでもある

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 政治批評のブログ「爆ちゃん吼える」だけではなく、ライフワークの「汚れた顔の紳士達」や、福島県内の食べ歩きのブログ「爆ちゃんのふくしまグルメ放浪記」も綴っている。

 食べ歩きのブログは、以前やっていた「食べログ」からの転用記事が多く、原発事故にもめげずに県内に留まり頑張っている飲食店を取り上げて応援している。

 これを見て、「毎日高価なグルメお食事ができてセレブお金持ちなんですね。働かなくてもお金持ちなんてすごーい。お金が出てくる魔法の壺でもお持ちかしら?」なんて、トンチンカンなメッセージも届く。

 愚生は何も高級な料理を食べてる訳でもなく、多くは土日に愚妻と行くラーメン屋やB級グルメといった店を取り上げてることが多い。

 これをして「毎日高価なグルメ」とは、チト見方が薄っぺら過ぎないか(苦笑)

 数日前にアップした「靖國神社例大祭、行くべきか、やっぱり止めようか・・・」の記事には、「食べることばかりだ」なんてコメントが入る。

 価値観の違いといえばそれまでだが、池波正太郎や山口瞳といった作家は食文化を大事にしたし、衣食住と言われる様に「食」は大事なことだ。

 こういう人はもう少し、自分を高めることに投資すべきだと思うが、所詮は「生活が苦しくてそんな余裕はない」との答えが返ってくることは想像出来る。

 愚生は食べることも、料理を作ることも好きだ。パートに出る愚妻の弁当も作るが、料理は好きだから苦にはならないし、料理を作るというのは頭も使うし、ストレス解消にもなるし、何より愉しい。

 毎日旦那や子供の為に料理を作ってる専業主婦の苦労も分かるが、何事も、楽をしようと思わないで楽しくやればいいだけのこと。同じ「楽」だが意味は全く違う。

 何事もホンモノを知ることは大事で、料理にしてもホンモノの味を知らなきぇりゃ中途半端なものしか作れない。

 そういう意味ではホンモノを知る為の食べ歩きは必要なことで、若いうちは給料を叩(はた)いてでもホンモノを探究すべきだと思っている。

 池波正太郎はこの様に教える。

 「一日1000円の料理を食べるとしたら、そのカネを半分に減らし、残った500円を10日貯めれば5000円。それで高い料理を食べる様に心掛ける。10日でなく一ヶ月なら15000円の料理を食べられる」

 一日の食事は大事で、生きてく中で不味い料理に出会うと、大切な人生の一日を損した気分になるのも確かだろう。

 愚生の料理はその日の気分で、冷蔵庫の残りもので作る簡単な料理ばかりだが、それでもそれを互いに「うん、うまいなぁ」となればホンモノ。

 こうした価値観は何も夫婦に限らない。今付き合ってる彼氏や彼女が、共に食べてるものを同じ様に感じればそれは相性のいい印しだし、料理の他にも風景にしろ、事件やニュースにしろ、同じ感動があればそれは最高の相性と言える。

 味覚の違いは大事なことで、愚生の経験上、好き嫌いの激しい人というのは、仕事にしても何事も選り好みが激しく、厭きっぽい人が多い。

 「男子厨房に入るべからず」だとか「男は台所へ首を突っ込むものではない」と昔は聞いたものだが、池波正太郎に言わせれば、それは「半可通」と言うらしい。

 「半可通」の「半可」とは、「生半可」の半可のことで、要は中途半端な知識をひけらかす「知ったかぶり」ということだ。

 織田信長にしろ豊臣秀吉にしろ、加藤清正や伊達政宗ら、戦国時代の一流の男達の多くが台所へ首を突っ込んでいる。

 愚生の好きな「鬼平」の長谷川平蔵も、「剣客商売」の秋山小兵衛にしても、料理をあれやこれやと指南するシーンは多い。

 自分で包丁を持たなくても、きっちり女房に指示するのも亭主の責任のひとつでもある。

 自分では何もせずに偉そうにしているのもそれはそれでいいが、それでいて「これが不味い」だの「あれじゃダメだ」というのは、つまりは自らの甲斐性の無さを曝け出している様なものなのだ。

 「典座(てんぞ)」という僧がいる。

 多くの僧の床座や食事などの雑事を司る役僧で、今では食事係の僧のことを「典座」という様になったという。

 日本曹洞宗の開祖である道元の教えのひとつに、「喜心老心大心(きしんろうしんだいしん)」というものがある。

 「喜心」とはその名の通り喜ぶ心。料理する喜び、食べてくれる人の笑顔に喜びを感じる心などをいう。

 「老心」は子供を想う親の心で接しなさいという戒め。「大心」というのは、偏りのない広い心を持ち、謙虚にして初心を忘れるべからずという意だ。

 この「喜心老心大心」の教えは、料理人ならば絶対不可欠なものだ。

 だが、最近は「食べて遣わす!」的な店や料理人が多く、どうも気に入らないというか居心地の悪い店が少なくない。

 亭主というのはある意味「典座」であらねばならない。

 亭主関白ぶって自ら台所に立たずとも、客が来たならそういう「典座」の心で客をもてなし、また毎日料理をしてくれる女房にも感謝することは忘れてはならないということだ。

 日々こういう心構えでいれば「男女共同参画社会」なんてのは要らないのだが、昨今の女性の社会進出は男の甲斐性の無さの現れでもある。呵呵。

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2015年09月10日

「観光立国」での支那人への優遇措置を改めよ!

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 民主党政権下、支那の策謀に嵌り、「観光立国」や「ビザの簡素化」を実行した。安倍政権が誕生し、その愚策を見直すのかと思いきや、更なる優遇措置を講じ支那人を招き入れているのだから呆れ甚し。

 支那人による「爆買い」を大きく報じ、恰も支那人観光客が日本経済に好い影響を与えているかの様なヨタ記事を度々見るが、実際は不法滞在、不法就労が罷り通っているというのが実情である。

 元警視庁通訳捜査官の安藤忠信氏によれば、「来日」外国人犯罪者の殺人事件は年平均して約35件発生し、中で多いのが当然ながら支那人によるものだ。

 昨年は、支那人に9人殺されて、ここ10年の殺害件数を見ると145人に上る。これは来日外国人による殺人事件全体の41.5%を占める。

 殺人でこれならば、窃盗や強盗などはこれ以上であることは想像するに余りある。

 「観光立国」の裏で、こうした来日外国人の犯罪に因って、日本人が被害に遭ってる現状を鑑みれば、観光立国という愚策は早々に見直すべきであろう。

 生命の保証、財産の安全こそ国民の願望であり、それらを守ることこそが政治家の務めであり、これに優る国益はない。

 米国やヨーロッパ、ロシア、アジアの国々はゴキブリ並みに繁殖力のある支那人を警戒し、あらゆる策を講じている。

 だが、日本国内では、支那人らの凶暴性を知りながら、積極的に支那人を受容れようと言うのだから狂気の沙汰と言う外無い。

 抑抑、清朝は封禁制で漢族の移住を禁じていたから、満州やその北方のロシア領、沿海州に漢族が居ることは無かった。

 しかし、清朝の衰退に乗じ、漢族は大河沿いに進出し、売掛代金が返済出来ない土着民から「婦人を奪い取り、まるで家財道具か何かの様に、自分ら同士で分け合っていた」という。(同地を探検したアルセールニエフ著「デルスウ・ウザーラ」)

 それを遡ること約100年前、北方の樺太の地で、漢族は既に活動していた証拠がある。

 1807年、樺太からアムール河下流地帯を探検した間宮林蔵は、「漢族商人は、借金を払えない樺太・アイヌ人の其子、其兄弟を率い帰て質と成す」と、自著「東韃靼紀行」で報告している。

 その結果として、今日のロシア極東では合法・非合法を問わず、移住支那人の数は800万人~1000万人以上に達し、民族別では、今やロシア人に次いで第二位となった。

 ハバロフスク州知事は「ロシア領土側に間断無く浸透しつつある支那人は、次第にロシア人をこの地域から追い出す様になる。シベリア・極東は最初は支那の影響圏に、やがて支那が事実上保有し、最後には法的に支那の領土になってしまうだろう」と眼前の危機を訴えたのは記憶に新しい。

 南方のインドでも「支那脅威論」が噴出している。

 産経新聞に拠れば「東北国境地帯での水資源開発に対するアジア開発銀行の融資を中共政府が潰そうとした」「シッキム州ナトゥラ峠で中印両軍が衝突した」等の情報が交錯し、メディアは、インド政府が国境地帯で中共軍の活動を隠蔽していると非難した。

 しかし、問題は我が国である。

 親中派は戦後民主主義に洗脳され、その贖罪意識から「日中友好」を推進し、支那大陸への憧れからか、支那とは「同文同種」「一衣帯水」であると宣って恬として恥入ることは無い。

 だが、支那人とは「一衣帯水」という認識は全く誤りである。

 日本が支那との対等外交に踏み切ったのは607年の遣隋使が初めてであり、その後の645年「大化の改新」を実現するも、663年の白村江(はくすきのえ)での敗戦を機に中華圏との外交を絶った。

 その後、1871年の「日清修好条規」を結ぶまでの約1200年に亙り、日本は日本の国の中で日本文化を熟成させたのである。

 大陸からの漢字に音と訓を付け、ひらがな(後にカタカナ)を付け加え、大和言葉を表現し、支那とは全く別の文字体系と文化を創造して行ったのである。

 一方の支那は戦乱に次ぐ戦乱、易姓革命の連続で、文字文化の発達は全く止まった儘だったのだ。

 先日、ネットでは安倍首相の色紙の字と、習近平国家主席の字とを比べた写真が載っていたが、正に漢字文化は我が国の方が遥かに優れていることを証明した。

 尤も、現在、中共国内で使用されている漢字の多くは日本製。

 「人民共和国、共産主義、共産党、革命、共和、左翼、唯物論、社会主義、右翼、演説、警察、芸術、自然、自由、新聞、鉄道、文学、歴史・・・」等等、こうした日常用語は、実は総て日本で作られた漢字だ。

 支那に於ける和製漢字語研究の第一人者である王彬彬は、「我々が使っている西洋の概念は、基本的に日本人が我々に代わって翻訳してくれたものであり、中国と西洋の間には永遠に日本が介在している」と正鵠を射た意見を述べている。

 日本の漢字用語は、西洋の語彙を日本語に置き換えたもので、この「漢字」こそが日本の文化と言っても過言ではない。

 尤も、支那人に日本人の様な芸当は出来ないし、智慧もない。

 中共も「反日教育」徹底するなら、いっそのこと「和製漢字」の使用でも禁止したら如何と思うが、「和製漢字」を捨てることなど不可能だし、混乱を極めることは必至だ。

 尤も、無恥で厚顔不遜な連中のこと、その「和製漢字」そのものも「日本製」だと認めることもないだろう。

 「同文同種」も妄想であり、「日中友好」なんぞ幻想に過ぎず、支那と南北朝鮮とは「脱亜論」に倣い、絶交するに越したことはない。

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2015年09月09日

靖國神社例大祭、行くべきか、やっぱり止めようか・・・

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 来月の靖國神社の例大祭第二日祭に行くべきか止めようかどうしようかと悩み中。こんな事で悩んでる様じゃ愚生も焼きが回ったか(笑)

 例大祭序でに、こんな事を言うと自称・愛国者に怒られそうだが、例大祭より、その後の直会というか一献が目的でもある(笑)

 所属してた団体(防共挺身隊)を辞してからというもの上京する機会もめっきり減って、贔屓の店にもとんと行かなくなってしまった。

 行きたい店は色々在る。鰻なら石川台のその名も「鰻家」。ここは、鰻も然ることながら女将が作る茶碗蒸しが絶品なんです。

 その近くでは、長嶋終身名誉監督が贔屓にしてる田園調布駅前の人気店「鳥鍈(とりえい)」や、やはり鰻屋の名店「平八」がいい。

 平八の一階は焼鳥屋で夕方からの営業だが、二階は鰻屋になっていて雰囲気好し。酒肴といい、銘酒が揃っていて、限定の肝焼きや気の利いたつまみで冷酒を愉しんで鰻重で〆るのがいい。

 田園調布に住んでた頃は、酔った最後は雪が谷大塚の「B-奈」でカラオケってのが定番だった。奈ちゃんは元気でいるだろうか。

 それから、昔の幹事会の若い連中(もう若くはないが)もどうしているものやら。

 旗の台に在る「鳥樹」は鳥鍈より味はいい。五反田の「リベラ」でステーキもいい。ここのビックサイズのステーキを食べると何となく元気が出る様な気がする(笑)

 浜松町の「秋田屋」のつくね(特製たたき肉だんご)も恋しいなぁ。

 昔というか愚生が防挺に入隊した頃の本部事務所は浜松町に在り、ビラ貼りや運動の帰りによく御馳走して貰ったのを思い出す。

 銀座では路地裏の名店「小笹寿司」や、その向かいに在るフレンチの「ビストロ・カシュカシュ」がいいね。銀座のねえちゃんと同伴してた頃が懐かしい(笑)

 寿司屋じゃ、九段下の「寿司政」もいいが、浅草小島の「秀鮨」がいい。

 祭り好きの江戸っ子の大将は人相は悪くて危なそうだが、酒肴といい寿司といい絶品なんです。何より親方夫婦の人柄好し。

 浅草も名店揃いでどこに行くか迷ってしまうが、昼時なら「まさる」の天丼か。

 昼飲みなら「駒形どぜう」より、「飯田屋」からの「神谷バー」がいい。

 江戸前の小鍋で食べるすき焼きが味わえる、江戸情緒たっぷりの「米久本店」からの神谷バーってのもあるな。

 それとも銀座線地下街の場末の店で酔っぱらうか(笑)

 久々に両国や森下に足を延ばして、「ももんじゃ」や「みの家」ってのもいいなぁ。

 マニアックな処では赤羽もいい。孤独のグルメでも登場した「川栄」で昼飲みってのもいいし、絶品の馬刺しを出す「きらく」も捨て難い。

 赤羽の名店「米山」は、もつ焼きを始めどの料理も絶品なんだが、大将の対応がイマサンなんだよなぁ(笑)

 上野界隈では、こないだ畏友に連れて行って貰った「東京苑」がいい。店はとても綺麗とはいえないが、出される焼肉は絶品なんです。

 何処へ行くかはアメ横の「大統領」で飲んでから考えよう(笑)

 まぁ取り敢えず、例大祭は「出席」で出しとくとするか。呵呵。

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2015年09月08日

常に戦場にあるの心を持って生き、事に処す!

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 昨日は、長岡藩家老・河井継之助の逸話をアップしたが、河井が只見で幽冥境を異にした後には続きがある。

 残された長岡藩士は越後へは戻らず会津へ向かった。長岡藩上席家老で大隊長の山本帯刀(やまもとたてわき)もその中の一人。

 山本以下44名(碑に刻まれてる数字、46名とも)は濃霧の為に敵が見えず、味方の会津藩だと思われた軍勢は、霧が明けてみれば西軍の然もそのど真ん中だった。

 会津同盟軍から孤立し、銃撃されるも勇猛果敢に応戦。32名が戦死し、生き残った14名が生け捕りにされた。

 薩摩藩淵辺直右衛門ら3人の軍監は山本らに降伏を迫る。

 だが、帯刀は「我らは降伏に来たのではない。戦いに来たのだ」と降伏を拒否する。この覚悟と潔さ、天晴れ。

 山本帯刀を始め長岡藩士の斬首が決まり、9月8日、藩主、そして長岡の方向に別れを告げ、粛々と異郷の地に散って逝った。その時、帯刀、24歳。

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 彼らの遺骨は会津若松市の「本光寺」に懇ろに葬られている。

 因みに、山本帯刀亡き後、山本家は廃絶。明治に入り、その罪は赦面となるも、跡継ぎの居ない山本家は廃家状態となっていた。

 そこで、山本家は長岡士族の高野家より養子縁組をすることにする。

 その養子こそが高野定吉の六男、後の山本五十六元帥である。

 因みに五十六の妻・禮子は会津氏族の娘であり、河井継之助と山本五十六という悲運の武将二人と、悲運の会津が此処でも繋がっている。

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 河井継之助や山本五十六が好んで使ったのが「常在戦場(じょうざいせんじょう)」という言葉だ。

 これは長岡藩の藩風・藩訓であり、読んで字の如く、「常に戦場にあるの心を持って生き、事に処す」という意味だ。

 「戦場」という言葉を忌み嫌い、勘違いする者もいるだろうが、何処の世界も戦場であり、これ即ち「一所懸命」、或いは「一日一生」と同じ意味で、今いるその場で今頑張らずにいつ頑張るということだ。

 政治家や上に立つ者こそ、この真心を以て事に当らねばならないが、悲しいかな、今の政治家は日々是選挙宜しく、「常在選挙」(苦笑)

 我が国の悲劇は継之助や西郷隆盛の様な政治家がいないことに尽きる。

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2015年09月07日

 「八十里こしぬけ武士の越す峠」(河井継之助)

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 越後長岡藩の家老・河井継之助は、その評価は賛否両論あるが愚生的には幕末の武士の中でも最も尊敬する英雄である。

 昨年、継之助の生き様を偲びながら、終焉の地・只見町に在る記念館から長岡へ戻る逆のコースを辿る旅を企画し実行するも、無計画が徒となり、只見町から約40キロの新潟との県境付近で頓挫した。

 その顛末は此方をクリック!http://blog.livedoor.jp/cordial8317/archives/51953669.html

 昨年は六十里峠を通ったが、次回は八十里峠の縦走をしたいが未定。まぁ一人じゃ無理だし、膝に不安を抱える身としては厳しいか。

 慶応4(1968)年1月3日(新暦1月27日)、鳥羽伏見の戦いが勃発。西軍は次第に勢力を強めて、3月には江戸城開城、上野寛永寺の戦いなどにも勝利し、最大の目標である会津を目指し北上する。

 7月、北越の地にも西軍が迫る。

 長岡藩は、継之助の下、藩内を統一し「非武装中立」を貫こうとするも、西軍の岩村精一郎との会談が決裂し、継之助は東軍勢力として戦うことを決意する。

 歴史に「もし」はないが、継之助と岩村の対談が成功していれば、また西軍が岩村の様な小僧ではなく、山縣有朋(狂二)か板垣退助らが対応していれば「会津戦争」は避けられ、歴史も大きく変わっていただろう。

 長岡藩は奥羽列藩同盟に加わり「北越戦争」へと突入する。

 北越戊辰戦争に於いて、長岡藩兵は近代的な訓練と最新兵器の武装を施されており、継之助の巧みな用兵により、開戦当初では新政府軍の大軍と互角に戦った。

 しかし、圧倒的物量を有する西軍に比べ、絶対的な兵力に劣る長岡軍は徐々に押され始め、5月19日(同7月8日)長岡城を奪われる。

 だが、その後の6月2日(同7月21日)、今町の戦いを制して逆襲に転じると、7月24日(同9月10日)夕刻には敵の意表を突く「八丁沖渡沼作戦」を実施し、翌日に長岡城を再び奪還することに成功する。

 これは軍事史に残る快挙であり、関東軍参謀で陸軍中将・石原莞爾の陸軍大学校における卒業論文は継之助のこの戦術を研究したものだ。

 だがこの奪還の代償は大きく、奪還を果たした当日、継之助は左膝下に被弾、重傷を負った。これにより長岡藩の士気が下がり、戦線は次第に後退して行った。

 継之助は、家臣や同士から「会津藩を頼り、会津で再起を図ろう」という進言を受けるも、故郷で死にたいとの思いから拒否する。

 だが、戦局は益々不利となり、継之助の傷も化膿が酷く、破傷風に罹ってしまい、已む無く会津での捲土重来を期すこととなった。

 会津へは国境の「八十里峠(はちじゅうりとうげ)」を超えなければならなかった。実際には8里(約30キロ)程度の道のりだが、その山道は険しく、この「八十里峠」という名前がそれを現している。

 峠越えの途中、継之助は次の様な詩を詠んだ。

 「八十里こしぬけ武士の越す峠」(こしぬけとは、「腰抜け」と「越後を抜ける」という意味で、継之助の洒落と悲しみが込められている)

 8月5日(9月20日)、会津領の只見に入り、叶番所で休憩した後、只見村の目明し清吉宅に身を寄せ七日間を過ごす。

 8月12日(9月27日)に只見を出発するも、継之助の体調が芳しくなく、塩沢町の医師・矢沢宗益宅に留まる。

 15日(30日)夜、継之助は従僕の松蔵を呼ぶと、「松蔵や、永永厄介して呉りやって有難かったでや」と、労いの言葉と共に死期を悟った継之助は火葬の仕度を命じた。

 「松蔵、火を熾(さかん)にせよ!」

 翌16日(10月1日)の昼に継之助は談笑した後、ひと眠り就くとそのまま危篤状態に陥った。再び目を覚ますことのないまま、同日午後8時頃死去した。享年42歳。

 河井継之助終焉の家(矢澤家)は昭和36年、只見川電源開発による水没の為、現在は福島県只見町の河井継之助記念館内に移築されている。

 そんな訳で、放浪の旅に出たいという衝動に駆られる今日この頃です。誰か同道しませんか。呵呵

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cordial8317 at 08:35|PermalinkComments(0)

2015年09月04日

「正しい歴史観」を共有するということは自国の歴史を否定することである

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 今日の地元紙を読むと、実家でもある二本松市小浜と会津若松市が、会津身不知(みしらず)柿を縁に連携して観光を盛り上げるという記事以外に、大して興味を注がれる記事はない。

 政治・外交面では、北京で「抗日戦勝と世界ファシズム戦争勝利七十周年」の記念行事と軍事パレードが行われ、その席で習近平は「正しい歴史観」をアピールし、暗に我が国に歴史の共有を強要した。

 プーチンや朴槿恵、そして江沢民らの御歴歴も顔を揃えた。ってか、こないだの天津での爆発事故を受けて江沢民が拘禁されたって記事が流れてなかったか?

 ホント、ネットってのはインチキ情報もあるから困ったものだ。

 「正しい歴史観」というが、政府は、中韓の内政干渉に屈するカタチで、「日中歴史共同研究」や「日間歴史共同研究」という茶番が行われる様になった。

 その結果がこれである。

 血税の垂流し、無駄使いとはこういうことだろう。

 この研究は、日中韓の合意によって創られたものではあるが、「正しい歴史観」を共有するということは、自国の歴史を否定することでもある。

 抑抑、歴史の共同認識など共有出来るものではなく、歴史を共有するということは、相手国の歴史を受け容れることであり、況してや戦争もしていない中共や韓国と何を、どういう歴史を共有するというのか。

 我が国の歴史学者は中韓の学者に比べれば多少モラルを持っているだろうが、他所の国は違うし、特に中韓の歴史家なんぞ酷いものだ。

 かの国にとって優秀な歴史家というものは、自国の正当性を如何に論じられるかだけで、捏造してでも真実と言い張れるかである。

 習近平のいう「正しい歴史観」というのも、分かり易く言えば「捏造のインチキな歴史を丸暗記しなさい!」ということだ(笑)

 彼らの歴史に対する修正要求は、歴史解釈という様な範疇ではなく、我が国の歴史と日本人そのものを否定する愚劣な強要であり、軍事力を背景にした恫喝でしかない。

 さっさと安保関連法案を成立させなさい!

 地元紙の一面には仰々しく、「元最高裁長官が違憲!」との記事が躍っている。

 元最高裁長官の山口繁が、共同通信の取材に応じ、安保関連法案について「集団的自衛権の行使を認める立法は憲法違反と言わざるを得ない」と述べたという。

 新聞では恣意的に、「憲法の番人は最高裁であり憲法学者である」と語った高村自民党副総裁の発言が、然も問題であるかのように書かれているが、「法案は憲法違反であるから、憲法を見直してからやるべきではないか」という苦言にも聞こえなくもない。

 だが、悲しいかなそんな悠長に憲法論議をしている時間的余裕は無いし、憲法9条の平和主義を補う上で、平和主義を全うしようと法案成立を目指すことは、「戦争法案」と叫んでいるバカ者らにとっても有難いことではないか(笑)

 抑々、最高裁というのは最高の判決を出す処ではない。

 その罪が現憲法に違反しているかどうかを審理する処であって、仮に司法の最高機関に於いて「違憲判決」が出たなら、立法府の国会としてはその判決を重く受け止め粛々と憲法の見直しをすればいいことだ。

 「憲法の番人」が最高裁なら、国会議員が守るべきは国民である。

 だが、如何せん、現憲法には国会議員の憲法順守規定があるんだよなぁ(笑)

 ということは、憲法改正を発議することは現憲法の否定に繋がり、憲法を守ってる限り憲法改正は夢のまた夢ということ。

 現憲法はもう矛盾だらけで、国の基本法としては機能していないのだ。

 ならば、憲法改正なんぞより、先ずは憲法を捨ててしまったらどうだろう。

 「イギリスには憲法はありません。イギリスを見倣い、イギリスの議会制民主主義を理想としよう!」、な~んてね(笑)

 憲法が無けりゃ、違憲だの、護憲だのと煩わしくもないし、最高裁も要らなくなれば、こういう元最高裁長官なんていう勘違い老害が出しゃばることもないだろう。呵呵。

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cordial8317 at 10:27|PermalinkComments(0)

2015年09月01日

大東亜戦争の真の歴史と意義を知ることは国民としての義務である

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 1945年(昭和20年)9月2日、東京湾上に停泊してた戦艦ミズーリの甲板上で重光葵(しげみつまもる)外相と梅津美次郎参謀総長が降伏文書に調印する。

 「上海天長節爆弾事件」で右足を失った重光全権は、ステッキを頼りに義足を引き摺りながらミズーリの階段を喘ぎ喘ぎ上る。

 調印を前に重光は一杯の水を所望する。

 だが、米国側に冷たく拒否された。

 卑怯者の「ジャップ」にやる水などないという米国人の憎悪が目に見える。

 これを遡ること昭和7年4月29日、重光は上海に於いて、駐中華民国公使として天長節奉祝式典に参列し、国歌を斉唱する。

 この時、朝鮮独立運動家・尹奉吉が爆弾を投擲。

 だが、重光は逃げずにそのまま「君が代」を歌い続け、結果、片足を失った。

 重光はこの時を振り返りこう述べた。

 「爆弾が投げられたのは分かっていたけれど、国歌斉唱中なので動かなかった。動くのは不敬であると考えた」

 重光の隣でやはり遭難し片目を失った海軍大将・野村吉三郎も、「国歌斉唱中だったから逃げなかった」と、重光と同じ理由を語っている。

 後に外相や駐米大使となる野村や重光の様な、こうした決死の覚悟というか、肝の据わった官僚や政治家がいないのは我が国の不幸とも言えよう。

 「君が代」「日の丸」に反対する勢力も、また軽々しく国旗や国歌を利用する自称・保守派や右翼人もまた、決死の覚悟が伴っているかといえば疑問だ。
 
 降伏文書によって我が国は「負け」を認めたが、先の戦争は決して間違いではない。

 抑抑、何故に我が国が開戦を決意し真珠湾攻撃に至ったかが問題であり、それにはペリー来航時代にまで遡らなければ到底理解は出来まい。

 我が国は強力な中央集権国家を形成しようと明治維新の大業を成し遂げた。

 15世紀の大航海時代以来、白人による世界制覇の波がアジアにも押し寄せ、アジアは次々と列強に蚕食され植民地となった。

 その間に勃発した「日清・日露戦争」も避けては通れない宿命的な歴史だったのだ。

 「日清・日露戦争」での日本大勝利の報は、固唾を呑んで見守っていた世界の人々を驚嘆させ、特に有色人種に与えた影響は強烈だった。

 日露戦争勝利から15年後、パリ講和会議で日本は、「人種平等の原則」を国際連盟規約に載せることを提案する。

 しかし、議長を務める米国大統領ウイルソンが拒絶し否決される。

 「有色人種に人権など必要無い」との差別が横溢していたのは明らかだった。

 その後、世界は第二次世界大戦に突入し、我が国はABCD包囲網や最後通牒を突き付けられ、最早生き残る道は連合国との戦争しかないとの決断に至るのだ。

 今も糾弾して止まない「リメンバーパールハーバー」は、日本人への偏見と差別であり、先の大戦の過ちを反省すべきは我が国ではなく米国である。

 歴史を語る上で大切なのは、古今東西、世界に蔓延る覇権主義の克服を主張すべきであって、他国の覇権主義に目を瞑り、一方的に自虐の淵に止め処なく漬かり込むことではない。

 終戦70年を迎えた今、日本に生まれ育った者として、大東亜戦争の真の歴史と意義を知ることは国民としての義務である。

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cordial8317 at 08:23|PermalinkComments(0)