2015年05月

2015年05月29日

戦争とは政治の延長であり辻元の様な政治家が戦争を誘発する最大要因である

 中谷元防衛大臣との論戦の中で、自説を滔滔と述べる民主党の辻元清美に、安倍晋三首相が、「早く質問しろよ!」と浴びせかけた。野党は待ってましたとばかりに、この安倍のヤジだけを論い、審議優先から安倍も直ちに陳謝した。ヤクザに謝ると、それを口実に揚げ足を取られ、ケツの毛まで毟り取られるのと同じ。

 民主党や野党が、ここぞとばかり審議拒否の作戦を謀ろうとしてるのはヤクザの揚げ足取りと一緒。辻元は「ホルムズ海峡に機雷をまかれた場合、日本のまわりの近海を海上封鎖をされたことと同等とお考えですか?」と中谷大臣に質す。

 中谷も中谷で中途半端な答弁に終始する。何か余計なことを言って揚げ足を取られるのではという委縮してる感じが窺える。情けないやら嗤えるやら。

 辻元は演説を始める。「アメリカの統合参謀本部の資料に機雷作戦というのが出ているんですね。機雷作戦というのは戦争の一環ですよ」「機雷というのは今まで湾岸戦争の時も、サウジアラビアは自分の領域に機雷が来るかも知れませんと、掃海しました」「日本が機雷の掃海に行くということは相手国からみれば敵国になる訳です。そうすると、私が心配しているのは日本国内や日本人がテロに狙われる可能性は増えると思いますよ」「そして、自衛隊も任務が増える訳ですから自衛隊員が死亡したりするリスクの論理がありますけど、増えると思いますよ」「ですから受動的とか能動的という言葉でいうんじゃなくて、これは機雷の掃海、海の掃除に行くのとは違うんです。軍事作戦行動の一環な訳です。ですから日本人が機雷の掃海に行くことによって、世界中からテロに狙われたり、日本国内もテロに狙われるかも知れないです」

 テレビ放映されてるからと、訳の分からん自説を垂れ流されれば、「(意味が分からないから)早く質問しろよ!」という反論が出るのは当然とも思える。

 ホルムズ海峡に機雷が撒かれるというのは我が国の経済封鎖を意味し、それを取り除く為にあらゆる作戦を講じるのは当然のことだ。3月の衆院本会議上、枝野民主党幹事長が「ホルムズ海峡が封鎖され石油が入らなくても快適な生活が送れなくなる程度」と語ったのは記憶に新しい。民主党というのはホントこんなのばっか。

 民主党のシーレーンの防衛に対する認識とはこの程度で、ホルムズ海峡に機雷が撒かれた結果、我が国の電力供給が停止することになれば福島原発事故以上のパニックが起きるのは必至で、これ即ち「間接的に人命が失われる」危機でもある。危機意識が乏しく、国防意識も決定的に欠落しているというのはこういうこと。

 辻元は「なんらかの事態があり得ないというのはそれは全く現実から目を背けているダチョウの論理に近い訳でありまして、起こって貰いたくない論理には目を背けるということです」と述べた。現実から目を背けてるのは辻元らだろうが、「自分の事は差し置いて」質問出来る、あの精神的逞しさには尊敬すら覚える(笑)

 辻元の言わんとする理由とは全く逆だが、起こって欲しくない問題を想定し、あらゆる対策を講じるのが政治家の務めであり、防衛である。そうした対策が功を奏せず、戦争が起きたならば断固として戦うだけだ。それもまた政治というものなのだ。

 小林よしのりは「平和」の反対が「戦争」ではなく、「混乱」だと言った。それに否定的な意見も聞くが、「平和」の反対が「戦争」というのは実に作為的な表現なのは確かだ。「戦争」とは国際法上認められてる行為であり「悪」ではない。我が国は、負けてしまったから「悪」となってしまっているだけのこと。

 ポツダム宣言の受諾にしろ、戦勝国の論理であり、それらを楯に自国を卑下し、戦争をも否定するというのは、正しく米国の戦後の価値感の押し付けであり、未だ占領政策から目覚めていない証左。共産党の志位なんぞ、その実は親米派だろう(笑)

 先の大戦は、「一旦始めた戦争は決して敗れることがあってはならない」という極めて重要な教訓を残した。 米英は「戦争とは政治の継続である」と教え、ドイツでは「戦争とは別の調停手段を伴う政治的な取り引きの継続である」と教える。

 戦争とは政治と外交の延長。戦争は自衛隊の海外出兵や安全保障法制が原因で起こるのではない。辻元の様な政治家こそが戦争を誘発する最大要因である。

※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。

《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員は300000円~。

cordial8317 at 08:01|PermalinkComments(0)

2015年05月26日

「在日米軍基地の7割超が沖縄に集中している」という佐藤栄佐久の妄言

 原発事故以来、反原発派の論客として元福島県知事の佐藤栄佐久が持て囃されている。ネット上でも原発政策への指摘やプルサーマルに対する疑問など、元知事の認識が改めて見直され、先日も外国人特派員協会に招かれ持論を垂れ流した。

 原発を設置する県として県民の安全を最優先に考えれば、原発の見直しとプルサーマルの導入には慎重を期すのが当然だが、栄佐久に政府や県の姿勢を批判する資格はない。栄佐久は福島第一原発のスイッチを入れた一人でもある。

 昨年、衆院原子力問題調査特別委員会で参考人として出席し、「(福島第一原発1、2号機は)40年以上運転すべきではないと思ったが、経済産業省が運転継続を認めた後に事故が起きた」と、然も責任は経産省に在るかの様な口ぶりだった。

 この米国製のポンコツ原発1、2号機のスイッチを入れたのは栄佐久自身であり、「40年以上は運転させてはならない」と思っていたのなら経産省の要求は拒否すべきではなかったのか。ホント、全てを他人の所為にする栄佐久らしい言い分だ。

 退職金7726万円の返納を拒否し続ける栄佐久だが、拒否する理由というのが実にふざけた理由で、「県発注工事を巡る汚職事件は無罪であり、冤罪であるから返還命令は違法だ」という。「事件の裁判は異常である」として、「我々は一貫して無罪を主張したにも係わらず最高裁は真実に到達出来なかった」と詭弁を弄す。

 こうした屁理屈が通用するなら裁判なんぞ必要はなく、最高裁で出される判決全てが意味のないものになってしまうだろう。少なくても参議院議員を経験し、県のトップに君臨した者の言い分ではない。最高裁判所は司法権を担当する司法における最高機関であるが、確かに最高裁で出される判決が全てが「正義」とは限らない。

 全ての裁判所(下級裁判所)は最高裁判所の下に置かれ、唯一の終審裁判所として、上告及び特別抗告について裁判権を持つ。だが、最高裁判所で判断するのは、その上告や特別抗告が現憲法に合致しているか否かだけ。福島県汚職事件で栄佐久と実弟らが起こした破廉恥行為の何処に、現憲法との違法性があるというのか。

 上告が却下され有罪判決を受けるのは当然であり、その判決を諒として受け容れて猛省することが人としての道だろう。況してや退職金の返納を拒否し、詭弁を弄すとは以ての外である。直ちに県民の血税である7726万円を返せ。

 そんな栄佐久が、反原発と県知事汚職事件をダブらせ「日本劣化の正体 抹殺知事が最後の告発で明かす」を上梓した。相変わらず汚職事件は無実だと言い続けているが、栄佐久が実弟の祐二や私設秘書で談合の仕切屋だった辻政雄と結託し、血税に集り私腹を肥やしていた事実は政治的にも道義的にも決して赦されるものではない。

 この新刊の中で栄佐久は「安倍政権と原子力ムラはなぜ、これほどまでに民意を無視し、強権的に原発の再稼働に走るのだろうか。一言でいうと、日本はこと原子力政策に関するかぎり、とうてい民主主義国家とはいえない。日本は『原子力帝国』なのである。そしてその植民地は、原発の立地する全国の過疎地である。それは米軍基地の七割以上が集中する沖縄の構造とまったく同じだ・・・」と述べている。

 安倍政権を恰も大日本帝国の如く「原子力帝国」と準え、原発設置の自治体を「植民地」と表現する。こうしたところにも栄佐久の偏狭な思想が見える。

 栄佐久は日本青年会議所会頭から参議院に出馬し、その後福島県の知事に就任しているが、当初は自民党であり、保守派の知事と思われていたが、こうした表現を見ても、未だ米国の洗脳に嵌ってる確信的戦後民主主義者というのが正しい。

 自国を劣化してると蔑むのは左翼と同じ。原発設置県を植民地だと比喩し、「米軍基地の七割以上が集中する沖縄の構造とまったく同じ」だと断じているが、これもまた勘違いというか間違い。「在日米軍基地の7割超が沖縄に集中している」という言い方は正しくなく、「在日米軍基地の面積の7割が」というのが正解である。

 それはハンセン、シュワブなどの広大な海兵隊基地と演習場が置かれている結果であり、如何にも主要な米軍基地の機能の7割もが沖縄に集中しているような言い方は、左翼マスコミが好んで使った国民を誑かす為の誤った表現でしかない。

 栄佐久がマスコミなどでチヤホヤされているのは、反原発派にとって利用価値が高いということで別にその理論が立派な訳ではない。原発が将来的に無くなることは明らかなことだが、自然エネルギーは基幹エネルギーには成ることは無く、ならば日本人の叡智で更なる安全を確保した原発技術の向上こそ目指すべきだ。

 現実的代替エネルギーの政策を打ち出すことなく、単に感情論で反原発を騙ることは、米軍基地に反対するばかりで自衛隊の強化や自主防衛論を語らない沖縄と同じ構図だ。補助金欲しさに原発に集った自治体同様、ならば沖縄への年間3000億円という補助金を停止し、自衛隊の沖縄配備と増強に充てるべきである。

 こうした前科者の元知事の出版記念パーティーにノコノコと出掛けてる商工会議所会頭や自民党議員らがいたが、出席するならば返納しない退職金にしろ、過去の公共事業で業者から集めたカネに対する苦言も呈すべきではないのか。

 栄佐久に諂うということは、退職金返納拒否を容認し、反原発にも与するということでもある。単に義理ならば、そんなパーティーなんぞに出るなっての!

※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。

《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員は300000円~。

cordial8317 at 08:29|PermalinkComments(0)

2015年05月24日

イルカ漁の抗議や反捕鯨は日本文化の否定というより日本人差別

f641df66-s
 画像は、海面がイルカの血で真っ赤に染まるショッキングな画像だが、これは和歌山県太地町ではない、デンマーク自治領、フェロー諸島で行なわれている追い込み漁のシーンだ。イルカを岸へ追い込み、漁師がそれを捕獲する。海面が血で赤く染まっていく漁法が、それを見る人々に残虐な印象を与えるには効果覿面である。

 問題作の米国映画「ザ・コーブ」では、作為的に殺す場面に焦点をあてて残虐性を演出し、観客にその残虐性を記憶に埋め込むことに成功した。イルカや小型鯨を沿岸に追い込み捕獲する地域は太地町以外にも、千葉の房総でも伝統漁として行われている。アラスカなどもそうだし、画像のデンマークのフェロー諸島もそう。

 コペンハーゲンから北へ飛行機で2時間程のバイキングの末裔達が住む島だが、この町でもゴンドウ鯨やイルカを追い込み漁で捕獲する。大半はゴンドウ鯨で、イルカは1~2割程度。年間850頭程捕獲されるが、捕鯨のシーズンは仕事を中断し住民総出で行われる。獲れた鯨やイルカはその場で処理され、海は血で真っ赤に染まる。

 確かにショッキングなシーンだが、牛や豚の屠殺シーンを見たら誰もが同じ様な気分になるだろうし、何も鯨やイルカ漁だけが特別な訳ではないだろう。

 漁師にしろ、家畜業者にしろ、料理人にしろ、生きものを扱うという仕事というのは多かれ少なかれ非情なものであって、それが冷血かといえばそうではない。

 フェロー諸島の漁も400年以上も続く伝統だが、近年、この町へも太地町と同様に、自称・環境保護団体の連中が妨害にやって来ては乱暴狼藉を働くという。

 然し、住民らはこのゴロツキらに毅然と対応し、捕鯨とイルカ漁の正当性や捕鯨文化をPRし、伝統を受け継ぐ子供達にも漁の意義を教えているという。

 捕鯨への誇りと自信がそうさせるのだろう。太地町の地元漁業関係者は勿論のこと、民族派陣営などからも反捕鯨勢力へ怒りの声は聞こえて来ないのは歯痒いばかりで、太地町関係者もフェロー諸島の住民に倣い、奮起して頂きたいものだ。

 和歌山県太地町のイルカ追い込み漁を批判したキャロライン・ケネディ駐日米大使の発言をきっかけに波紋が広がっている。仁坂和歌山知事や安部首相、菅官房長官らが「これは合法的な日本の伝統漁法であり、鯨やイルカを食べるのは日本の食文化である。異なる文化を認めるべきだ」と反論したが、効果は全く無かった。

 反論に耳を貸すことはなく、日本人の残虐性ばかりが世界に流出して行く。イルカ論争は、捕鯨問題と同じく答えの出ないもので、結局は「平和」や「反原発」に煽られ、それを疑いも無く支持している連中と同じ安っぽいセンチメンタリズム。

 イルカショーは好きだから、捕まってしまったイルカには同情するが、漁法の残虐性にあるのだとするなら、人間が人間に行っている弾圧や虐殺の方が遥かに問題だろう。例えばチベット。チベットは我が国と並ぶ長い歴史を有する独立国だ。

 武力を以て国土拡大を謀る中共は、この広大な国土を取り上げた上に漢民族化を推進する中共軍が、チベット人に行ってきた弾圧の凄まじさは筆舌に尽くし難い。

 生爪を剥がすという凄惨な個々の拷問に加えて、「移住政策」、つまりは「民族浄化」という名のレイプは民族の誇りをも汚す。人口600万人の国にそれを上回る漢民族が移住し、チベット人の血は混血に因って益々薄められていく。

 中共はチベットに止まらず、内蒙古、新疆、ウイグルにも至るが、何もこうした弾圧は中共に限ったことではなく、米国のイスラムへの介入にしろ、アフリカでの民族紛争もイルカ漁や反捕鯨の様な感情論で解決する様な問題ではない。

 イルカ漁に反対する一番の理由は漁法ではあるまい。日本で商業捕鯨が本格的に始まったのは江戸時代の初期の1606年に遡る。紀州(和歌山)の太地で開始された商業捕鯨はやがて全国に広まり、それと共に鯨を食する習慣も全国に広まった。

 松尾芭蕉の句にも、「水無月や 鯛はあれども 塩鯨」という様に、塩付けされた鯨の肉は江戸庶民の大切なタンパク源で、大衆食として愛された。

 19世紀初頭には「鯨肉調理方」という本が出版されているが、鯨食というのはそれだけ普及していた食文化でもある。北海道や東北では正月に「鯨汁」を食し、「ハリハリ鍋」や、大阪のおでんにはコロ、サエズリ、オノミといった具が入る。

 イルカの追い込み漁への反応は単なるセンチメンタリズムだが、反捕鯨勢力は鯨食を「ゲテモノ」扱いしたり、「戦中戦後の食糧難時代に止むを得ず広まったもの」だとか、「遠洋漁業は鯨油を採る目的だ」などと愚にも付かない反論をしていることを見てもとても論理的なものとは言い難い稚拙なものばかり。

 欧米の捕鯨は、皮だけ剥いで鯨油のみを採るやり方だから、それと勘違いしているものが実に多いが、日本の捕鯨は単に食するだけではなく、鯨の髭は文楽の人形に使い、骨は櫛などの工芸品となっている、実に文化そのものなのだ。

 漁師達は鯨塚を作り供養も行っていたし、捕鯨問題の背景にはこういった日本の伝統的鯨文化の問題もある訳で、イルカ漁の抗議や反捕鯨は日本文化の否定というより、日本人差別に端を発しているとことは間違いはない。

 感情的にイルカ漁反対を叫び偏狭な正義感を強要する反捕鯨国家と、化学的調査に拠る捕鯨の正当性を訴えたところで妥協点を見出すことは不可能なこと。

 調査捕鯨すら容認されることの無い日本は、国際捕鯨委員会(IWC)から脱退し、ノルウェーやアイスランドを見倣って商業捕鯨を再開すべきだろう。そうしたら我が国の食料自給率も上るし、何より安く鯨料理が食べられるんだが(笑)

※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。

《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。

cordial8317 at 05:49|PermalinkComments(0)

2015年05月22日

党首討論を嗤う。岡田、志位よ、もっと真面目にやれっての!

 先日、国家基本政策委員会両院合同審査会で、安倍総理は民主党の岡田克也、維新の党の松野頼久、日本共産党の志位和夫と党首討論を行った。維新の党の松野はそんなに興味は無いが、岡田と志位のあの質問はなんなんだろうな?

 岡田は「戦闘地域の近くでいれば、米軍その他と一緒にいれば、戦闘に巻き込まれるリスクもある。正直に説明する中で、私は安全保障の議論深まると思うわけですけど、まず、この後方支援について、総理、自衛隊のリスクは高まるんですね」

 この岡田の変てこりんな質問にも安倍は無難な答弁していたが、岡田は苛苛を隠せず「国民に対して正直に“こういうリスクもあるが必要だ”という議論をしないと、絶対に理解されない」と批判した。岡田のいう「リスク」とは何なのだろう?

 分かり易く言えば、自衛隊員が犠牲になる、つまり自衛隊員が死亡するリスクが高まるということを言いたいのだろうが、自衛隊員たるもの国家国民の為に自己犠牲も厭わず日夜訓練に励んでいる訳で、殉職を厭わない国防のプロである。

 昭和25年8月9日の警察予備隊発足以来、自衛隊では1822名の自衛官が「殉職」されており、東日本大震災で殉職された方々を入れるとその犠牲者は1851名にも及ぶ。 東日本大震災を始めとした災害派遣や、我が国の平和と独立、国民の生命財産を守る為に日夜行われている訓練などで1851もの自衛官が殉職されている。

 岡田や政治家が、自衛隊員の現実を見ずに「リスク」を語ることに違和感と憤りを覚える。殉職隊員の慰霊と顕彰を語る上で、靖國神社は切り離せない。

 現在、殉職隊員の追悼式は、市ヶ谷の防衛省敷地内で行われているが国民に知らされることはない。自衛隊員の「リスク」云々を語るなら、安保法制成立でその犠牲が高まるならば、慰霊と顕彰の在り方を論ずることこそ政治家の務めである。

 中共の覇権的海洋進出を始めとした近隣諸国への圧政、朝鮮半島の緊張と日米安保の形骸化など、我が国周辺の安全保障環境は益々厳しいものとなりつつある今こそ、一旦緩急を想定して準備を怠ってはならない。 近い将来、自衛官の「戦死」が生じた場合、彼らを慰霊し顕彰するのはやはり「靖國神社」を於いて他にない。

 1851名に及ぶ殉職自衛官もまた、靖國神社に祀ることは当然の行為であると考える。 国家の危機の要請に応じ、敢然と戦場に赴いて戦い散って逝った英霊に対し感謝の誠を捧げ、慰霊し、そして次世代へ顕彰することは世界の何処の国でも余りにも当然のことで議論の余地などなく、今を生きる我々国民の義務でもある。

 ところが残念なことに、我が国では国の礎となった方々は国家、国民から顧みられることが無い。このことがどれだけ国民精神の頽廃を招いているのか、我が国の政治指導者らは考えたことがあるのだろうか。 全ての捩れは国の基本法である日本国憲法が元凶であり、自衛隊を巨大な警察組織として誤魔化して放置する気か。

 安倍は、「その御遺志を受け継ぎ、我が国の平和と独立を守り、そして、世界の平和と安定に貢献する」というならば、過去の多くの殉職隊員の遺志を継いで、世界の平和と安定に貢献するという決意を述べて欲しかった。

 一方の志位だが、こいつは多少は歴史を知ってるのかと思いきや、ポツダム宣言を引用、首相に日本の戦争について「間違った戦争」と認めるかと質問してた。
 
 日頃「反米」を唱えている共産党が、こと大東亜戦争に於いては「太平洋戦争」の認識であり、米国の歴史認識に従ってることを嗤わずにはいられない。

 志位にとっては、ポツダム宣言の内容を読んでるか、読んでないかが重要らしく、「歴史的文書を読んでなくて首相が務まるのか」とtwitterで勝ち誇ってツイートしているが、志位こそ開戦の勅諭を読んでるとも思えない(笑)

「先の戦争は間違った戦争との認識はあるか?」と質問に愚生ならこう応える。

「先の戦争は間違いだった。歴史に“もし”ということはないが、日米が戦わず、蒋介石との和平が実現していれば満州国は保全されていただろうし、中華民国は中国共産党を圧倒していただろう。そうしていれば、中国共産党の大躍進や文化大革命や天安門事件も起きなかったし、北朝鮮の独裁政治も拉致事件も起きなかったと思う。そういう意味では、志位さんの言う通り先の戦争とは間違った戦争だったなと思う」

 左翼どもは相変わらず米国目線で「大東亜戦争」を「太平洋戦争」と呼称し、「侵略戦争であり、アジアの人々に多大の迷惑を掛けた」と罵る。先の戦争の原因を「天皇」であるとか、「軍部」であるとか、「A級戦犯」であるなどと喧伝しているのは、無知に加え、大戦の原因や犯人を隠し続けたいからに他ならない。

 戦争犯罪人は大日本帝国憲法でもなく、昭和天皇でも統帥権でもなく、況して軍部でもなければ日本の軍国主義でもない。真の戦争犯罪人は近衛文麿と尾崎秀美らそのブレーン達、即ち日本国内で蠢いていた共産主義者らであり、マルクス・レーニン主義思想が昭和の悲劇を生んだということは今や歴史的事実である。

 多くの戦死者、戦災者を出し、日本の資産の大部分を失った大東亜戦争とは、ソ連コミンテルンと中国共産党、そして日本の共産主義者らが仕組んだ共産革命の為の愚かな戦争だったのだ。その視点に立った時、我々は何を成すべきか。

 大東亜戦争自体、恥ずべきものではない。我が国はアジアを侵略したのではなく、アジアを侵略していた連合国と戦ったのだ。それでも未だアジアの人々に謝罪をしろというなら、最大の過ちは共産主義の跳梁跋扈を許したことだ。最大の償いはその共産主義を失くすこと以外にはなく、先の戦争の教訓とは、始めた戦争は絶対に負けることがあってはならないということ。備えは万全にしておかなければならない。

※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。

《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員は300000円~。

cordial8317 at 05:40|PermalinkComments(0)

2015年05月21日

井戸川元町長も訴えるなら先ず菅直人を訴えるべきだろう(嗤)

 以前、グルメ漫画「美味しんぼ」で、東京電力福島第一原発を訪問した主人公の山岡士郎が鼻血を出し、双葉町の井戸川克隆元町長らしき人物が登場し、「福島では同じ症状の人が大勢いる」と発言する描写が問題となったことは記憶に新しい。

 漫画に登場した人物でもある井戸川は他にも被害妄想と虚言癖からからトンデモ発言を繰り返し、福島県を貶めては反原発を訴えているキチガイでもある。

 井戸川は、「美味しんぼの漫画に環境省が異常なほど反応していますがこれは彼らが福島で安心キャンペーンの嘘がバレるために躍起になって否定をしているからです、嘘をついていなければ漫画がどうしたと平静でいられるものです。如何に福島は危ないかを証明しているのは今の環境省です」とのトンチンカンな自説を垂れ流す。

 環境省の陰謀説とは恐れ入るが、今どきのどっかのインチキ宗教でももっとまともだわな。こうした大馬鹿者が福島第一原発設置自治体の首長だったというのだから、地元住民にとっても、県民にとっても不幸としか言い様がない。

 然も見て来た様な虚言を繰り返す井戸川だが、任期中「中間貯蔵施設設置」の利権に絡み怪しげな噂が飛び交い、結局は町議会で不信任決議を受けて町長職を辞任した人物でもある。そんな井戸川が、国と東京電力に対し1億4800万円の損害賠償を求め、東京地裁に訴えを起こした。弁護士が宇都宮健児とくれば何を況んや。

 訴状では、「国と東電が地震や津波の危険性を認識していながら対策を取らなかった」「事故後には避難指示が遅れた為に大量に被曝した」などと批判している。

 だが、地震や津波被害を認識しながら「コンクリートから人へ」などと、その対策を怠ったのは民主党政権であり、また避難指示にしてもSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の数値を隠蔽した菅直人の責任は大きい。

 SPEEDIの公表の遅れは、事故後に発令した「原発周辺20キロ圏内」という根拠のない避難指示の隠蔽であることは間違いなく、この20キロの避難指示が「自称・被災者」を生み、その後の復旧や復興の大きな障害となってしまっている。

 第一原発北側に在る浪江町や飯館村、葛尾村の放射線量が多いのを知っていながら、発表してしまった「20キロ圏内避難指示」を撤回することを躊躇し的確な情報を隠蔽したのだ。 初動ミスを撤回することなく、屋上屋を架した菅直人と民主党政権の責任は大きく、井戸川らも訴えるなら先ず菅直人を訴えるべきだ。

 その菅は、政権時の失態を猛省するどころか「脱原発」「反原発」を訴えている始末である。これは一体どういうことか。要は、原発事故は菅直人に因るマッチポンプであり、反原発派にとって、菅こそが最大の功労者ということだ。

 井戸川は、「カネで解決したくはない。元に戻して頂きたい。それだけだ」とキレイゴトを垂れる。「元に戻して頂きたい」とはどういうことか?原発事故が起こる前か?それとも原発が設置される前の昭和40年代に遡るのか?

 原発事故は何も東電だけの責任ではない。国も当然乍ら補助金や税金を目論んで設置した県や自治体、或いは原発設置を容認した住民にも、そして原発に依存し、便利という価値観に流されていた国民にもその責任は在る。福島原発事故は大きな教訓を遺した。我々はこの事故を決して無駄にしてはならないのだ。

 東日本大震災の教訓を活かし、我が国の危機管理と防災と国防が万全なものとなり、より高度な対策が構築されて行くことこそが、大震災での巨大津波で犠牲になられた方々の無念さに応える唯一無二のものであると信じて止まない。

※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。

《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員は300000円~。

cordial8317 at 07:53|PermalinkComments(0)

2015年05月13日

左翼というのは物事の見方が実に薄っぺらで腹立たしいものばかり

 安倍総理は先月の参院予算委員会で、国立大学の入学式、卒業式で、日の丸が掲げられず、君が代が斉唱されていないことについて、「税金で賄われていることに鑑みれば、教育基本法の方針に則って正しく実施されるべきだ」と述べた。

 それに対し、国旗・日の丸、国歌・君が代に拒否反応を示す精神異常者からは反発が相次いでいる。「国立大に国旗掲揚・国歌斉唱要請へ。首相答弁受け文科相」(朝日新聞2015年4月10日)の記事の通り、下村文科相は国立大学へ「要請」した。

 文部省は「強制や指導は出来ない。最終的な判断は委ねることになるだろう」などと述べているが、「要請」ではなく強制して「指導徹底」を図るべきだ。

 左翼陣営は口を揃えて、「安倍政権になって以降、急速な右傾化が進んでいる」というが、安倍の政策が右傾化やナショナリズムの高揚と見えるのは頭の構造がイカれているとしか思えない。左翼らは「今は国立大学ということになっていますが、何れは私立大学にも波及させる意図があることは間違いありません」と国民を誑かす。

 私立大学にも波及させる意図があると煽っているが、「私立」だから何でも許される訳ではないだろう。私立大学や私立学校には「私学助成」が行われている。

「私学助成」とは、国及び地方公共団体が行う、私立の教育施設の設置者、及び、私立の教育施設に通う在学者(在学者が未成年者である場合は保護者)に対する助成のことである。だが、私学助成金制度は、日本国憲法89条に抵触している。

 その条項は「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。」とあり明らかな憲法違反だ。 

 左翼らは、自分らにとって都合の好いものには口を閉ざす。護憲を唱えながら、明らかな憲法違反には拱手傍観を極め込むが、「私学の自主性」を重んじるなら国からの援助や便宜は一切拒否し、個性的な教育の実践を図るべきではないのか。

「私学助成」を廃止すれば私学の多くが破産するのは明らかであり、そういうこともあり、政府見解では、「私立学校の事業は『公の支配』に属し、これに対する公費からの助成についても憲法89条に反しない」としているが、チョッと苦しいわな。

 私学と雖も公の支配下に在るということで誤魔化しているのだが、私学助成でもこうした憲法解釈は行われており、集団的自衛権などの憲法解釈だけを騒ぎ立てるのは如何なものだろう。私学の学校法人の諸侯はもっと素直になるべきだろう。

 安倍の「教育基本法の方針に則って正しく実施されるべきだ」との発言に拒否反応は示す彼らだが、カトリック系の学校を始め、宗教系の学校では左翼と同じ様に、「日の丸は侵略のシンボル」「君が代は統治者天皇賛美」だとして教えている。

 その根拠は何か。まさか真顔で、「太平洋戦争の頃の様な暗い時代に逆戻り・・・」などと言うのではあるまい。時代が戻るなら、江戸時代の様な丁髷を結って刀を差して歩く様な時代にもなるということか。或いは縄文・弥生時代の再来もあり得るのか。そんなバカげた発言をいつまで繰り返すつもりなのか(笑)

 ならば問う。米英や或いは中共の旗は平和の旗か?抑々、カトリックとは、アフリカ、アジア、アメリカ大陸への殺戮と掠奪の先兵ではなかったのか?

 残虐の全てはキリスト教の教義の下、初めはスペイン・ポルトガル王(カトリック)、後にはイギリス・オランダ王(プロテスタント)の命令で行われたのではなかったのか。教義の下であれば、その殺戮と掠奪さえ赦されるというのなら、あのオウム真理教も麻原も同じ様にその罪は赦されるべきではないのか(笑)

 侵略主義のヨーロッパ諸国の国旗・国歌には反対せず、また近隣諸国への弾圧を続ける中共を批判もしないで、日の丸・君が代だけを否定することは矛盾と詭弁に他ならない。左翼というのは物事の見方が実に薄っぺらで腹立たしいものばかり。

※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。

《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。

cordial8317 at 08:18|PermalinkComments(0)

2015年05月02日

つれづれなるまゝに、その日ぐらし

 愚妻が突然「シロイルカに会いたい」というので、28日の夜に計画を立て、30日の午後から八景島シーパラダイスに行って来た。経費削減からバスと普通電車の旅で、流石に30時間のスケジュールはきつかったが、中々中身の濃い旅になった。

 最近は膝の調子が悪いこともあり、渓流釣りもウオーキングもしていないので、久々に長い距離を歩いたので筋肉痛です。揚げ句に膝痛悪化してるし(笑)

 今回は旅というよりカミさん孝行だが、旅は実に好い。何が愉しいかといえば「旅打ち」ならぬ「旅呑み」に限る。美味しい肴と酒。隣り合わせた客同士、他愛もない話で盛り上がり、隙を見ては時局を面白可笑しく語ってはオルグする(笑)

 バスの出発まで時間があったので、駅ナカの蕎麦屋で旅の無事を祈り生ビールで乾杯。バスに乗り込むと後は寝るだけ。バスの揺れに間もなく睡魔に襲われる。

 夕方の7時前に、横浜駅に到着。シーバスの出発時間まで少々時間があるのでベイエリアのカフェでフィッシュ&ポテトフライをつまみに生ビール。中華街では「菜香」の飲茶で青島ビールと日本酒を飲み、その後はホテルのバーで呑み直し。

「菜香」には、地元横浜の畏友に連れてって貰ったのは随分前のことだ。舌が肥えたのか、それとも「菜香」の料理が落ちたのか、味はそれほどでもなかった。

 初めて連れてって貰った時は余りの美味しさに感動したものだが、やっぱり「美は一度限り」じゃないが、味の感動というものもそんなもんなのかも知れない。八景島を後にし、空腹の中、都内赤羽の鰻と焼鳥の名店「川栄」を目指した。

 到着したのは昼の営業時間終了前の1時45分。店主に、「うちはラストオーダーが2時ですので、それまでに席が空いたら連絡します。2時過ぎたらお断りの連絡を差し上げます」とのことで、近所を散策。すると間もなく着信アリ。

 時間を見れば2時10分前。店に向い「合いもり」「ホロホロ鶏のバラ焼き」「ぼんちり」「せせり」「うな丼としのび丼」を注文。ホロホロ鶏のバラ焼きは売り切れ。生ビールで乾杯するも、「ラストオーダーです」とのことで冷酒を追加。

 一階の店内は狭いが雰囲気好し。慌ただしい時間だったが、「孤独のグルメ」に登場しただけあってどの料理も美味しく、雰囲気も接客も好く旅の好い〆になった。

 赤羽から在来線でのんびり帰還した。今年は昨年挫折した八十里峠の縦走と、四国への放浪の旅を計画しているが、兎にも角にも軍備を満たすことが先決で、サラリーマンの様に実入りが安定していないので、計画は思う様には進まない。

 只見から長岡へ。その足で弥彦競輪でひと儲けして、四国の旅に出るのがベストなのだが、そう簡単には行くまい。ボロ負けして郡山に帰還するのがオチだろう(笑)

 新潟県長岡市の弥彦競輪場は彌彦(いやひこ)神社の境内に在り、日本では唯一となる村営の公営競技場であり、「旅打ち」の聖地でもあると勝手に思っている。

「旅打ち」といえば色川武大こと阿佐田哲也だろう。他にも浅田次郎や伊集院静、山口瞳なんかも旅打ちを愛した作家だ。「旅をしながらギャンブルを行う」というスタイルは、江戸時代の「博徒」と呼ばれた国定忠治などの無宿人がそう。

 愚生からすると、ギャンブルを否定する人や全くギャンブルをやったことが無い人というのは魅力を感じない。それは無難な人生を歩んで来たという如何にも安泰した生活臭が、そういう雰囲気を醸し出しているからだろうが、何事も失敗を経験しバカな事に打ち込んだ人というのはどことなく人間味に溢れている。

 阿佐田や浅田、伊集院といった作家の作品がウケるのは、そうした経験から滲み出る人間性から発した生きた言葉や人生観が綴られているからだと思う。

 阿佐田はギャンブルから学んだ人生観を相撲の勝敗に喩え、「9勝6敗を狙え。8勝7敗では寂しい。10勝を狙うと無理が出る」と教えた。実に分かり易い。

「幸運が続きすぎると危ない」という考えから、ギャンブルに大負けすると「ここで不運を消化しておけば安心だ」とよく語っていたというが、愚生も見倣おう。

「満(み)つれば(か)欠くる」ともいうが、愚生の人生も40歳の頃がピークで、後はずっと欠けっぱなし。まぁ、月も三日月になってしまえば後は満ちて来るし、ツキは戻って来るものだから、今を凌げばどうにかなるだろうと楽観視している。

「勝つと思うな思えば負けよ」という。「勝とう」「勝たねば」と思うと実力を発揮出来ずに終わるということが多いが、これを「引き分けで好い」と思うと意外と気負わずに出来るもの。そんな精神的余裕が勝ちに結びついたりするものだ。そういう意味では旅打ちやギャンブルというのは精神修行でもあるのだ。分かるかなぁ(笑)

 という訳でGW真っ只中なのだが当面やることも無し。渓流釣りにも行きたいが、「出れば出銭」だし、軽挙妄動を戒めて暫くはじ~っとしているしかないか。ってか、その前に明日の「天皇賞」の結果次第では豪遊出来るかもな。呵呵。

※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。

《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。

cordial8317 at 09:21|PermalinkComments(0)