2015年04月

2015年04月30日

安倍総理の米国連邦議会上下院合同会議での歴史的演説で感じたこと

 安倍総理が米国連邦議会上下院合同会議で歴史的演説を行った。新聞には安倍総理が「痛切な反省」を述べたとの記事が躍っているが、これは「戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻みました」との一節を曲解してのもの。

 全体的には及第した演説だと思うが、TPPの参加には違和感を覚えるし、「日本はどんな改革から逃げません。ただ前だけを見て構造改革を進める。この道の他、道はなし。確信しています」との言辞に、安倍とは自由主義者だったとの確信に至った。

 正統の保守主義者に於いて時間を体験する仕方は、過去の意味を直視し、その中に価値を見出す発見によって未来を創造して行くものである。だが、安倍がやろうとしている改革は「未来」が全てであり、完全な自由主義者的発想である。

 安倍はJAの農業改革に絡み、岡倉天心の「変化こそ唯一の永遠である」という言葉を引用し、その正当性を訴えた。今回の米国議会での演説はその総仕上げ。

 明治ナショナリズムの中で、岡倉天心は的確にアジア情勢を把握し、その中で日本の伝統文化に目を向け、日本文化を鼓吹した。米国追随の安部とは大違い。

 岡倉は確かに、「変化こそ唯一の永遠である」と言ってはいるが、原文は「歴史の中に未来の秘密がある。我々は、我々の歴史の中に、我々の未来の秘密が横たわっているということを本能的に知る。変化こそ唯一の永遠である」と語っている。

 変化や改革というのは歴史の中に、そのヒントがあるということ。改革も好いが、国柄を失ってしまう様な改革は共産革命と同じ様なもので受け入れられない。

 親米保守派は口々に中共の脅威を煽り、「日本の執るべき道は日米同盟の強化だ」と宣う。我が国には「親中派」と「親米派」しかおらず、真に我が国の国體と国益と皇統を死守しようとする政治家が存在しないのは政治の未熟さを示している。

 世界で美的感受性や道徳の圧倒的高さを有する国家は我が国・日本を措いて他にはない。これ即ち、「天皇国日本」という国柄が在るからだ。世界中が嘘八百並べても日本だけは絶対にしない。それによって経済成長が鈍ろうとも、絶対に世界の真似をしないという、そういう自信や誇りというものを失ってはならないのだ。

 そういう意味では孤高の日本で良いし、我が国が進む道として「攘夷」や「鎖国」という選択肢もあっても善かろう。似非保守派は、「米国を取るか中共に呑まれるか」と究極の選択をしろと言うが、世界の二大元凶は米国と中共である。

 何故にその二大元凶に阿なければならないのか。昔から、アジアの動乱の原因は米国と共産主義だった。我々日本人はこうした歴史的事実を忘れてはならない。

 幕末の安政5(1858)年、アメリカ・イギリス・フランス・ロシア・オランダ五ヶ国と夫夫、「日米修好通商条約・日英修好通商条約・日仏修好通商条約・日露修好通商条約・日蘭修好通商条約」条約(安政五ヶ国条約)を締結するに至った。

 その後も、ポルトガル、プロシアとも同様の条約を結んでいる。その後には更にスイス、ベルギー、イタリア、デンマーク。明治になってからもスペイン、スウェーデン・ノルウェー、オーストリア・ハンガリー等とも条約を締結している。

 これらの条約は治外法権に因る「領事裁判権」を承認させられたり、「関税自主権」を認められなかったり、我が国にとっては正に屈辱的で不平等なものだった。

 攘夷派は、「勅許を待たずに調印した条約は無効」としてこれを認めず、独断専行した井伊直弼を厳しく非難した。その結果、朝廷と幕府(公武)間の緊張が一気に高まり、「安政の大獄」や「桜田門外の変」などの事件が勃発するに至ったのだ。

 明治維新以後、新政府の最重要課題の一つとして条約改正交渉が各国と断続的に行われはしたが、その進展は捗捗しくなく、これらの条約の不平等な部分が解消されるのは、実に日露戦争大勝利後の明治44(1911)年、半世紀経ってのことだった。

 不平等条約は外交圧力に屈した結果だが、TPPも正に「平成の不平等条約」であり、米国の外交圧力に屈しながら、「この道の他、道なし」などと宣ってみたところで実に空々しい。TPPへの参加は、米国への忠誠と更なる属国化に過ぎない。

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2015年04月27日

代替エネルギーを議論しない原発の賛否は自主防衛を言わない沖縄での米軍基地の賛否と同じ

 首相官邸に小型無人機(ドローン)を墜落させた男が福井県警に出頭した。出頭するなら警視庁だろうが、何故に福井県警なのか。先の高浜原発再稼働差し止めや大飯原発再稼働差し止めを命じた福井地裁の樋口秀明がいるからだろうか(笑)

 それにしても福島の地を訪れては原発周辺の砂を採取し、それを態々入れて「反原発」を叫ぶとは、福島県民にとっては大迷惑な話だ。また今回の事件を受け、ドローンなどの小型無人機の規制がされるだろうが、ドローンは空撮などが手頃に出来るということで人気が高まっていただけに、落胆してる人も多いのではなかろうか。

 反原発運動にしろ、米軍基地問題にしろ、己の意見こそが正しいと信じ込んで活動している連中が多いが、「正しい」というのは、偏狭なナショナリズムと同じで、ややもすれば誤った方向へ進んでしまう危険を孕んでいることを自覚するべき。

 原発事故の影響をもろに受けている福島県民として「原発さえなかったら」という思いは強い。だが、果たして資源の乏しい我が国が原発無しで繁栄出来るとは到底思えない。何より、「便利」という価値観に溺れた国民が満足するとは思えない。

 産業振興、電力不足などの不安も大きく、石油や天然ガス、再生可能エネルギーだけで電力を賄える訳が無い。実際、化石燃料の経費負担に因る弊害は大きい。

 再生可能エネルギーの太陽光発電は夜間や雨天、曇天では効果は少ないし、風力発電は風が吹かなければどうにもならない。原発はプルサーマルや高速増殖炉も実用化出来れば、化石燃料に依存しなくてもかなりのエネルギーは自国で賄える。

「脱原発」の理想は絵に描いた餅。先ずは原発の安全対策を施すことが喫緊の課題だろう。そういう意味に於いても、原子力規制委員会が「安全」と評価した高浜原発を、「反原発」の思いから差し止め命令を下した裁判長は愚の骨頂である。

 樋口裁判長は、大飯原発の再稼働差し止め訴訟でも「構造的欠陥」があるとして3、4号機の再稼働は認めない判決を言い渡した反原発派の裁判長でもある。

 判決の理由は、関電側の耐震設計の基準地震動の目安となる1.8倍の1260ガルまでは過酷事故には至らないとする主張に対し、「それを超える地震が来ない根拠はない」と退けた。だが、これこそ妄想に過ぎない。そんな巨大地震が日本海で起きたら、我が国の原発よりも韓国の原発が倒壊し、壊滅的な状況になるだろう(笑)

 事故が起きた場合の炉心溶融(メルトダウン)までの時間の想定にしろ、冷却機能の確保にしろ、単なる言いがかりを基にした妄想の判決に過ぎず、反原発派に与する実に安っぽいセンチメンタリズムに因る愚かな判決と断じざるを得ない。

 樋口裁判長は、大飯原発に止まらず、高浜原発でも原子力規制委員会の科学的データを一切無視した上で、再稼働差し止めを言い渡したが、己が「正しい」と思いこんでしまっていることを翻意させるのは難しく、実に厄介なことでもある。

 事故を起こした福島第一原発の1号機、2号機は米国製のハリケーン対策に造られた原発だった為に、予備電源を地下に埋設したから起きてしまった「人災」だったというのは既に明らかになっているし、何より菅直人の現場視察が混乱を招いた。

 地震国である我が国では、ハリケーン対策より、津波被害を想定し、防波堤などの整備を万全にしてさえいたら大事には至らなかったと思うと残念でならない。

 原発稼働停止で国内の大資本から民間企業、外国資本までもが太陽光発電事業に参入した。その結果、地上げ屋が跋扈し、山林が売買され、伐採され、麗しき山河が無残な姿になった。緑豊かな森が人工的なパネルで敷き詰められ、広場も埋め尽くされ自然の景観を損なっている状況に違和感を覚えないのだろうか。

 太陽光パネルは正に、バブルで浮かれてゴルフ場を開発しまくったことと同じ構図だ。反原発派は「電力は足りている」という。だが、原発事故以来、化石燃料に頼ったツケが我が国経済に大きく圧し掛かっているということを無視し続ける。

 昨年度上半期の貿易収支は5兆4271億円の赤字。これは、原発停止に伴う火力発電に使われる液化天然ガスや太陽光パネルに使われる半導体等電子部品、石油製品の輸入増加が原因だ。安全な原発を再稼働すれば、こうした化石燃料の無駄を防げるし、何より相当なエネルギーは自国で賄えることは国力増強に繋がるのだ。

「反原発派」から、具体的な代案や、提案が成されたことはなく、樋口裁判長にしろ、ドローンを墜落させた元自衛官にしろ、全てが感情に因る妄想と妄言。

 そんなとこで事が解決することはない。反原発を語るのも、ドローンを飛ばすのも、太鼓を敲いて踊ってるのも結構だが、代替エネルギーを議論しない原発の賛否は、自主防衛を言わない沖縄での米軍基地の賛否と同じもので、意味を成さない。

 沖縄の米軍基地問題についても、米国を追い出すならば自衛隊強化を訴え、その為の憲法を創ることにこそ団結すべきだが、所詮は「反原発」にしろ「米軍基地反対」にしろ、党勢拡大と革命謀略の為に国民や住民を誑かしているに過ぎない。

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2015年04月25日

あの相原修がストーカーだったということに驚きを隠せない

 昨日、気分よく呑んでると着信アリ。誰かと思えば今話題の「木村三浩」さん。出れば「ブログに何を書いても好いけど、ヅラってのは止めてよ。ヅラじゃないし」とのこと。ということで、木村三ちゃんはヅラではありませんので(笑)

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 何やらブログの読者から、地元の経済紙「政経東北」の平成18年10月号に面白い記事が載ってるとの情報が寄せられたので地元の図書館で閲覧してみた。

 その記事には、「不可解な内容と放火事件の関係」として、一水会顧問の鈴木邦男宅とジャーナリストの山岡俊介宅の放火事件の犯人として、〇Xで読めなくなってはいるが、元瑞穂塾で元大日本愛国党にも所属した神官の相原修だと特定出来る。

 相原修といえば、平成4年2月11日、自民党本部を襲撃し総裁室に立て籠もった事件が有名で、愚生の兄弟分だった瑞穂塾(当時)の伊藤満や故瀬野寿夫の後輩であり、その後、大日本愛国党に移籍し赤尾敏の寵愛を受けた若手活動家だった。

 右翼活動家として、将来は右翼陣営のリーダー的存在になる可能性を秘めてただけに、東北自動車道での突然の事故死は返す返すも残念なことだった。

 この相原、鈴木邦男宅や横浜在住の蜷川正大宅に放火したグループのリーダーで、主犯というのは相原を知る右翼関係者ならその辺りの事情はよく知るところ。

 先日、拙ブログで「右翼になったら友達百人できるかな(笑)http://cordial8317.livedoor.blog/archives/51977631.html」というのをアップしたら、相原とその実行犯をよく知る方からメッセージを頂いた。

 驚くことにその放火メンバーの中には、相原の神主仲間を始め、統一戦線義勇軍や同血社のメンバーなども名を連ねていたというから興味深い。

 その後、色々と調べてみると、義勇軍のメンバーだった目黒某はその後、事の大きさを自覚したのか、新右翼でありながら新右翼のリーダーの自宅を襲撃したことに罪の意識を感じたのか、自殺しているということも知った。

 その目黒の葬儀(神葬祭)は相原が行っているが、こうした一連の事実を知るとチョッと違和感を覚えなくもないし、その後の東北自動車道での事故も摩訶不思議な出来事で、メンバーが集団自決を謀ったのではと思えなくもない。

 事情を知る方に拠れば、鈴木邦男や蜷川宅の放火事件は、資金源を巡っての内紛の末の矛先逸らしらしく、当時、話題になっていた「建国義勇軍」の事件に便乗しただけで、思想的犯行ではなかったというからホント呆れ甚し。

 また、相原らには女性への集団暴行事件や、ストーカー疑惑もあるというから驚いたのなんの。これが若し本当なら右翼人としても神官としても赦し難し。

 相原という男を活動家として買い被っていたのかも知れない。こうした実しやかな噂が嘘だったとしたら労しいことだし、相原の名誉の為にも明らかにしたいものだ。

 相原の巫女へのストーカー行為の詳しい内容は、「Prince Crimson(CEOブログ)」での「究極のストーカー」の中で語られている(以下転載)

 六本木ヒルズレジデンスに住んでいた6年ほど前の頃です。
 撮影会のモデルとかしているコと一緒でした。
 北関東の出身で実家は四代目の建設会社の娘でした。
 就活において学歴フィルター(やはり高学歴ほど能力あるという意味)
 があるように、特に地方で社長を何代が続けると美人の奥さんが嫁ぐようになり、
 産まれた娘はきれいになる・・のかも知れない。
 彼女はきれいで明るくて好きだった。私の誕生日に会って食事した。
 その時彼女は「実は」と。衝撃的な話だった。
 実家の隣の駅に出雲大社の分社があって、
 彼女は短大のときにアルバイトで巫女をしていた。
 そこで神主の一人だった30代の男と知り合ってカノジョになった。
 その後で知ったことだが、
 彼は1992年の紀元節つまり02/11に自民党本部に押し入って籠城した右翼。
 刑務所に服役して釈放されてから元カノジョの隣駅の神社の寮に。
 18歳のカノジョは神職衣装など徹夜で洗濯させられたり
 酒を飲んでは暴力を振るわれたりして逃げた。
 ところが粘着な神主は街頭宣伝車で、
 実家とかバイト先の喫茶店とか短大まで押し寄せてはスピーカーで怒鳴る。
 まさに最悪のストーカーだ。
 その右翼業界では有名な出雲大社の神主は、相原修という。
 彼は2009年9月6日に東北自動車道で交通事故で死んだ。
 あの私の誕生日に元カノジョは何を思って打ち明けたのか分からないが、
 あれ以来、私は右翼も暴力団も怖くなくなった。(以上転載終了)

 こうしたストーカー行為が事実かどうか知る術はないが、相原の破廉恥行為の数々がバレ、そうした事情を知った某右翼団体会長の五十嵐某から半殺しの目に遭ったという。それが本当なら逆上せ上った相原をシメた五十嵐会長は大したものだ。

 愚生も相原のこうした事実をもっと早くに知っていれば苦言を呈しただろうが、出所後の相原は周辺の右翼関係者らにチヤホヤされ過ぎたのも事実。

 相原を逆上せ上らせたのは伊藤満を始め、取り巻きの右翼の連中に拠るところが大きく、そういう意味では相原も可哀想な人生だったとも言えなくもない。

 故人を非難することは避けるべきだということは重重承知しているが、今も尚、放火事件や破廉恥行為に口を閉ざし、またこうした事実を知りながら、いけしゃあしゃあと当事者(蜷川氏)らと交流してる右翼関係者がいることに驚きは隠せない。

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2015年04月22日

理不尽な嫌がらせ以外の何物でもありません。これが右翼人のやることとは思えません(木村三浩)

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 先日、横浜在住の大物右翼と称される蜷川正大さんとその関係者とのFBでの交流を止めたのは周知の通り。これに対し愚生と蜷川さんの間で確執があったかの様に捉えている方々がいるが、別に確執なんぞありませんので悪しからず。

 唯、蜷川さんには木村三浩の友人として、また右翼の先輩として、誰よりも先んじて木村を諫め、苦言を呈するべきだったと今でも思っているのは確かです。

 その木村が某右翼団体から抗議の街宣をかけられ、また参画していた「民族革新会議」から要職を解かれた。木村は右翼からの街宣に対し、一水会公式サイトで反論している。http://www.issuikai.jp/kenkai20150417.html

 街宣の主旨は以下のものです。

 1.先の鳩山由紀夫元首相とともにクリミアを訪問した、私、木村三浩に対する抗議。
 2.民族革新会議議長の犬塚博英氏(一水会創設メンバー、OB)が創設に関わった一水会の伝統を木村が汚しているというもの。
 3. 木村は右翼を辞めろという主張。

 これらに対し木村は次の様に答えている。(要旨を「」で抜粋)

 1.について、「鳩山氏とクリミアに行ったことについては、一水会フォーラムでも述べました。私はとんでもないことだと思っておりません。新右翼運動の画期的な運動として評価をして下さる方も多くいます」。要は、木村は「新右翼」であって、「右翼」とするマスコミや右翼団体の彼らに対する認識が抑々の間違い。

「我々の政治的目標は戦後体制の打破を目指すことが主眼であり、その観点からすれば対米自立の一致点を持った認識と行動はむしろ積極的に実施されなければならないものであると考えます」。彼らの目的は「反米」「憎米」「嫌米」が主眼であり、反米でさえあれば、相手が「反天皇」であろうとも連携するということ。

「鳩山氏に関する過去の言動などに対する批判は確かに存在します。しかし新右翼の立場として情報を提供することによって発想や考え方が変化する可能性も大いにあります」という。正に己を勘違いし、「新右翼の立場として情報を提供することによって発想や考え方が変化する可能性も大いにあります」とはマヌケにも程がある。

 過去の鳩山由紀夫の言動や妄言に抗議し、鳩山を諫めることが先ではないのか。右翼や愛国者を自任しているのなら直諌は大事なことだと思うが如何か。

 2.について、「犬塚博英さんは一水会の創設メンバーであり、OBであります。しかしながら、ここ三十年以上における一水会の活動運営は世代が変わって、様々な方に支えられて築いてきています」。要は、創設したメンバー、初代の御歴歴のメンバーなんぞ現在は一切関係ないという認識を披歴し、活動資金の基である一水会機関誌「レコンキスタ」の部数の伸びも自身の実力だと言わんばかりにこう述べる。

「顧問をやっていただいた犬塚さんからは昨今、鈴木邦男顧問に対する意見の相違で、論争を展開することも求めておりました。しかし、これまでご両人が様々な会合で臨席することもありましたが、会話があまりなされませんでした」そう、愚生が事ある毎に右翼を、「なあなあの世界」と断じるのはこういうことだ。

 木村に限らず、友人や周りにいる者が軽挙妄動に奔り、過ちを犯す様なことになれば、苦言を呈すのは当然の事だと思っているが、右翼陣営はその認識に乏しい。

 吉田松陰が「常に直諫なくば」と訓えているではないか。日頃、上司や友人に対し何も言えない者は、いざという時も使い物にはならないし、友人や知人、また門下生としての資格はない。蜷川さんが正しくそうだった。買い被りし過ぎていた様だ。

 3について語った最後に、「どうも今回の街宣は、言い掛かりの類いであって、何か裏があるように思えてなりません」「その根にあるものは理不尽な嫌がらせ以外の何物でもありません。これが右翼人のやることとは思えません」と述べている。

 まぁその「裏」とは何なのか知る由はないが、最後の最後まで自身の軽挙妄動がこういう事態を招いたという認識はない。日本人離れした木村の強弁は流石。街宣した右翼を批判し、「我々は対米自立・国家革新の活動を展開します」と語ってた。

 我が国の米国追随は目に余るものはあるが、冷戦下、日米安保条約の恩恵を享け、我が国の国防費はGNP1%以内という破格の予算で済んだのも確かだろう。

 多くの予算が経済復興や民需に回り、その結果、奇跡的な高度成長を成し遂げ、国民もまた便利で豊かな生活が出来たという事実まで全てを無視するのか。

「やはり天下国家の思想である以上、それに見合った振舞いが必要になっていくと思っております」というなら、先ずは米国に感謝したら如何だろうか。尤も、「もう十分にその対価は払っている」と反論して来るのは目に見えているが(笑)

 我が国が対米追従に陥ったのは米国の責任に非ず、我が国の政治家の無能と不作為であり、その政治家の中心的人物が鳩山一族ではないのか。木村への街宣に「裏」があるのなら、木村の「裏」は鳩山の資金だろうし、そのおこぼれに預かろうとする右翼がいても可笑しくはない。蜷川さんも一口乗れば好かったのにな(笑)

 木村は、朝鮮総連ビルを落札で話題となった池口恵観阿闍梨のボディガードを務め、「拉致問題の解決を図る」かの様なことを宣ってたのは記憶に新しい。池口や鈴木邦男らと北朝鮮を訪問したのは好いが、拉致問題で喧々諤々の討論や抗議をした形跡も無し。恐らくエロ坊主らと「喜び組」の接待を受けたんだろうな(笑)

 結局、池口の宗教団体「最福寺」も資金難を理由に総連ビルの買い取りも出来なかったことは周知の通り。過去の木村の発言を見るまでもなく、全てに於いて詭弁であり、自惚れから発する我田引水的なものばかりで、そこに祖国を想う心は無い。木村のこの問題も、結局は右翼御得意のなあなあの結末で終わりそうだ(苦笑)

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 それにしてもつい先日、木村三ちゃんがヅラだったと聞いて驚いたのだが、本人から連絡があり、断固として否定していたことをここに報告致します(爆)

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2015年04月20日

一億人に一億の母あれど我が母に優る母はなし

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 無事に母の葬儀告別式が終わり安堵しております。多忙の中で御参列頂いた方、また遠くから弔電や御厚志を賜った方々に衷心より御礼申し上げます。

 画像は昭和37年頃の自宅「相模屋呉服店」前にて。父34歳、母31歳(後列中央)、愚生2歳。顔の角度、身体の構えが親父と一緒。我ながら好い面構え(笑)

 母は10年前に脳梗塞を患い、晩年は言葉も発する事も出来ず、その姿を見るのは忍びなく、見舞いなどは実兄に任せ、ろくろく会いに行くこともなかった。

 息子として親不孝だと思われても致し方なし。世間から見れば冷たい様だが弱って行く母を見て「願わくば早く天に召されて欲しい」と思ってた。最後は微笑んで眠る様に逝ったと聞き、悲しみよりは安堵の方が大きかったのも正直なところ。

 剣豪・宮本武蔵が「独行道」で遺した言葉に「いづれの道にもわかれをかなしまず」というものが在る。では「別れを悲しまない」という武蔵は、血も涙も無い冷血漢だったのだろうか。そうではない。例えば、酒を嫌いな人が「我、酒を絶つ」、或いはタバコを吸わない者が「タバコを絶つ」などと書かない。

 飲みたいが、吸いたいが、それを止めようと自分に誓願した者が「絶つ」と言ってこそ訴えるものがあるのではないか。武蔵は寧ろ、人一倍感情豊かで熱血漢であり、別離に人並み以上の涙を流しながら、涙を見せまいと努力した人に違いない。

 武蔵が著した「五輪書」には「山水三千世界を万里一空に入れ、満天地とも攬(と)る」という一節が在る。「万里一空」とは「世界はどこまでも空は一つ」「全てのものは一つの世界に留まっている」という武蔵の思想の根本でもある。

「何事も動揺せず、常に冷静な気持ちで事に当たる」「一つの目標に向かって精進する」などの意味として解釈されるが、これをいざ実践するとなると実に難しい。

 事が起これば冷静さなど忘れがちになるが、何事も万里一空と思えば冷静にもなれる。右翼人として政局に一喜一憂し、ブログやSNSなどで「時局厳正批判」を尤もらしく披歴しているが、目先のことを語ることや喧々諤々の議論に意味もない。

 天地自然や人間の大道を心得え、時の動きに従いつつも正義を踏み外さず、危機に際しても平時と同じ様に対処出来ること、読書などでの理論よりこういう心構えを日頃から意識することこそ大事であり、そう思えば日々の修行は欠かせない。

 最近では「自分磨き」という言葉をよく聞く。自分を磨き上げるというのは大事なことである。それには「修業」「修行」「稽古」など様々で、「修業」とは、学問や技芸などを師から習い身に付けること。「修行」とは、それら修業によって学んだものを、より向上させる為に肉体的、技術的、精神的に励み、磨くこと。

「稽古」とは、「古(いにしえ)の道を考える」ということである。師に学ぶこともなく、古の教えも知らないで「自分磨き」は出来ない。稽古の「稽」とは「考える」という意味があり、古書を紐解いて古人の教えを学ぶことが稽古の本来の意味だ。

 千利休は「稽古とは一より習い十を知り十よりかへるもとのその一」と教えた。稽古は初めて一を習う時と、十まで習い元の一に戻って再び一を習う時とでは、人の心は全く変わっているもの。「十まで習ったからこれでよい」と思った人の進歩はそれで止まってしまい、その真意を掴むことは出来ないとの教えた。

 稽古に稽古を重ね、一応全てを知り尽くしたつもりでいてもそれで満足すればそれまで。大事なのは「もとのその一」という初心である。「初心忘れるべからず」とは蓋し名言であろう。岡倉天心も、古人、先人の教えを学ぶことの重要性を説く。

「歴史の中に未来の秘密がある。我々は、我々の歴史の中に、我々の未来の秘密が横たわっているということを本能的に知る。変化こそ唯一の永遠である」

 安倍は先の所信表明でこの都合の好い部分だけを切り取り「変化こそ唯一の永遠である」と宣った。だが、正統の保守主義者に於いて時間を体験する仕方は、過去の意味を直視し、その中に価値を見出す発見に拠って未来を創造して行くものである。

 人というのは、いざという時に的確な行動が出来る様にする為に生きていると言っても過言ではなく、過去に学び、修行や稽古に励むことは大事なことだ。

 これを愚生に当て嵌めてみれば、愚生には師と呼べる人はいない。強いて言えば高花豊先生くらいなもの。周りは全て反面教師の個性的な人物ばかりだった。それが好かったことなのか、悪かったのかはこれからの生き様で分かるだろう(笑)

 母が亡くなって両親はもういない。両親から教わったことや、失敗から学んだことを教訓として、初心に返り、修行、稽古を重ねて行かねばと痛感する。「一億人に一億の母あれど我が母に優る母はなし」。南無大師遍照金剛。合掌再拝。

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2015年04月11日

右翼になったら友達百人できるかな(笑)

 小学1年生じゃあるまいし、SNSなどで友達の多さを自慢するヤツがいる。そういう輩に限って実際には心から分かち合える友はいないのではないかと感じる。

 そういうのは友達ではなく単なる知り合いでしかない。SNSってのは肩書や立場に寄って来てるだけで、元々が権威主義というか有名人好きばかり。

 愚生もFBFは6人。本当の友人は少なく、親友と呼べるのは3人くらいなもので、盟友だとか兄弟分だとか言ってるのに限って裏切るのも早い(笑)

 横浜在住の大物右翼の蜷川正大さんのブログを見たら、愚生への苦言というか嫌味のつもりなのだろう、あれやこれやと綴ってあったので有難く拝読させて頂いた。

「政治を批判し、同志を批判する人がいるが、そう思ったら自分が行動を起こしたら良いのにといつも思う」という。それについては是非そうしたいと思う。

 つ~か、政治を批判することが悪いなら時局厳正批判の街頭演説も意味はない。何より、その政治批判で生活してる営業右翼、営業保守こそ批判されるべきだ。

 また「同志を批判する」とは、愚生のブログなどへの批判なのだろうが、愚生を右翼の同志と思って頂いてるのは有難いが、愚生は同志だとは思っていない。

 右翼団体から除籍されたし、現在の右翼団体に付いてくことが出来なかった脱落者。除籍された当時、愚生を庇ってくれた右翼人はいない。蜷川さん然り。

「人生意気に感ずる」とか言いながら、口先だけで最後は保身に奔る。右翼団体に魅力もないし、今は却って除籍処分は有難いことだったとも思っている。

「忠告してこれを善導し不可ならば即ち止む。自ら辱められるること勿れ」という。君子の交わりというのは本来そうであるべきだ。友人や知人の不味い点を見て見ないふりをするというのでは友人としての資格が無いと思っている。

 最近は、相手を慮って忠告したり、苦言を呈すると、その後は何故だか疎遠になるのことが多いのは如何ともし難い。右翼の世界は見掛け倒しばっか(笑)

 君子の交わりとは程遠く、正しく「小人の交わりは甘きこと醴の如し」。仲が好く濃密の付き合い様に見えてもそうした付き合いは長続きせず破綻を招き易い。

「FBなどで一度も会ったことのない人の「友達」の多さに満足している人もいるが、所詮はバーチャルの世界だ」というが、この意見は激しく同意する。

 別に愚生はFBでの友達を親友だと思ったこともないし、FBFの数なんぞ気にしたことも無い。FBFは500人以上いたが殆ど削除したし、況してやその友達になったFBFらを社友会に入会させて購読料なんぞを無心したこともない(笑)

 SNSにしろブログにしろ新聞投稿にしろ、啓蒙活動と時局などの備忘録の一環として綴ってるだけで、これが右翼活動なのだとも思ったことも無い。

 愚生は単なる右翼浪人であり、無頼派右翼や放蕩右翼だと自任しているが、自分のことをいっぱしの国士だとか愛国者だと思ったことなんぞ一度もない。

 SNSと雖も、街宣車での下手くそな演説をしてるよりは、一般大衆に拡散することに於いては長けているし、啓蒙活動としての効果はあると思っている。

 蜷川さんのブログでは「まず自分が先頭に立って見本を見せてから後輩をリードすべきではないか」と詰っていたが、要はテロでもしろって言いたげだ(笑)

「それも刑務所どころか留置所さへ入った経験もないのに人の批判をしたり世を罵る。思わず笑ってしまうが、それはそれで自分がいっぱしの国士と任じているのだから罪がない」と、嫌味たっぷりな苦言というか皮肉が呈されていた。

 流石は文士だけあって言葉を選んでるが、この揶揄には愚生も入っているのだろう、否、愚生のことだろうが、確かに右翼として刑務所経験が無いのが心残り。

 蜷川さん曰く、拘置所や刑務所経験の無いのは活動家としての資格が無いらしい。行動して刑務所にでも入れとは流石である。この苦言は肝に銘じたい。

 斯くいう愚生は逮捕歴や留置所経験はあるが、如何せん、この刑務所経験だけが無いのが右翼活動家歴として後ろめたいのは確かだ。平成からは逮捕歴も無い。要は、真面目にというか本気で活動をやってないからに他ならない(笑)

 そんな蜷川さんの周りの右翼人や先生方を見れば、逮捕歴も留置所経験さえ無い人は少なくなく、右翼としての資格が無い人は多いんじゃなかろうか。愚生への嫌味の前に、周りの刑務所経験のない右翼を嗤い交流を止めるべきだと思うが如何か。

 所属していた防共挺身隊は行動右翼の中でも逮捕歴が格段に多かったが、自ら志願して逮捕された隊員は殆どいない。全て幹部会で決められたことだ。

 自ら行動したのは初代総隊長・福田進の国会議事堂敷地内で、共産党代議士ら数十名に一斗缶に入れた糞尿をぶちまけた「糞尿事件」くらいなものか(笑)

 愚生もたまたま指名されなかっただけのこと。要は、事件を起こさせ、逮捕させるということも若手を育てるには一つの方法でもあったのは確かだ。

「右翼として何の実績も無い」と言うが、初代総隊長の福田進から二代目の早坂光夫、三代目の對馬則政の下での活動は生易しいものではなかった。

 入隊した頃の羽田支部長だった岩瀬泰雄は厳しい人だったし、二代目時代からは運動の責任者として活動し、四代目総隊長まで上り詰めたが、それを否定されるのは納得し兼ねる。この「右翼として何の実績も無い」言葉は忘れないだろう。

 FBでの友達削除と木村三浩に対する苦言から、それを根に持ったのか、30年の右翼としての生き方を否定されたと思うと、返す返すも残念でならない。

 名前や顔を売るのは義理場だが、そういう派手な場が嫌いで、義理事は全て三代目の對馬がやってただけ。そうしたことが実績なら本末転倒と言う他ない。

 二代目総隊長の早坂光夫が引退し、三代目体制になって間もなくして二代目総隊長と険悪な事態となった。その二代目から「防挺ってのは佐久間、おまえで持ってたんだな。お前は損な性格だよ」と、しみじみと言われたことを思い出す。

 愚生の苦言を受け容れることなく、木村の友人として何ら苦言も呈せずに「私たちに期待されても迷惑なだけだ」とはどういうことなのだろう。右翼に期待する声があるのは有難いことで、期待されない右翼なら存在価値も無いではないか。

 蜷川さんへの苦言とは鳩山由紀夫のクリミヤ半島訪問に木村のことで、蜷川さんが右翼団体との間に入り、そして鳩山人脈というか金脈を右翼再生に繋げて欲しかったのだがその思いは届かず。その後、木村は右翼の表舞台から去ってしまった。

 その後、郡山駅前で不条理の会が街宣してたので聴きに行ったら、蜷川さんの盟友の長谷川光良さんにばったり出会い、この件をかくかくしかじかと説明してみたことがあった。長谷川さん曰く、「蜷川にそんな器量はないよ」と笑ってた。

 その昔、一水会顧問の鈴木邦男と蜷川正大邸が同時テロ(火炎瓶投擲事件)に遭ったことを知る人は少ない。火炎瓶が命中したらしいがボヤで済んだが、右翼関係者の間では、鈴木と蜷川さん邸への攻撃はある意味で快哉な事件でもあった。

 蒲田の野村秋介が愛した焼鳥屋で伊藤満や山本眞一郎と飲んでたら、当時話題になってた「建国義勇軍」の話になった。愚生は、「このメンバーには野村秋介の元門下生の中台さんが係わっているのではないか?」との考えを語ってみた。

 伊藤は失笑しながら否定する。「こないだ鈴木邦男と蜷川さんの自宅に火炎瓶が投げられたの知ってる?あれも、相原らだよ」と自慢げに語った。

 同席した山本も驚いた。相原とは自民党本部に籠城した若手右翼。

「ん~、相原ならやりかねないかもな。それより、お前、相原と付き合いながら蜷川さんとも付き合ってんのか。そりゃダメだろ。どっちか切らなきゃ」

「佐久間も、蜷川さんと親しくしてるとやられるぞ!」

「それは瀬野からも同じこと言われたよ。まぁ来たら返り討ちするけどな(笑)」

 その後、建国義勇軍は「刀剣友の会」の犯行だったことが明らかになり、火炎瓶投擲事件の主犯とされた相原は東北自動車道で不慮の事故で亡くなった。

 刀剣友の会にしろ、相原グループにしろ、あの残党らは今どこに潜んでいるのだろうか。大物右翼の蜷川さんのブログを読んでたら、ついそんなことを思い出し、愚生も次回の同時テロに参画したい衝動にも駆られたのは言う迄もない(笑)

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2015年04月09日

異国の地で草生す屍となった御霊を鎮められ両国の友好が更に深まることを願って止まない

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 パラオ共和国は太平洋の浮かぶ小さな独立国。パラオの国旗は日の丸を模したものだ。パラオの人々は国旗制定に苦心した。逸話が遺されている。

 私達は国旗の選択に相当苦労した。
 応募者は悉く各島の人々であり、
 それぞれの旗にパラオの歴史と伝統が込められていた。
 だから、選考委員は真剣であった。選考に日数をかけた。
 でも、最終的にこの旗に決まったのは、
 日本の旗に一番似ていたので、最大の人気が集まった。
 日の丸の部分を黄色にしたのは、月を現わす。
 周囲の青地は海を意味する。
 月は太陽が出ないと輝くことが出来ない。
 つまり月は太陽によって支えられ、月としての生命を持つ。
 太陽とは日本のことである。
 海に囲まれたパラオという国は、
 日本の太陽の反射によって輝かねば生きられないのである。
 我々はまた戦争中に、
 日の丸を掲げて強大な米軍と交戦した日本軍将兵の勇敢さと純粋さに、
 大きな魅力と尊敬を捧げている。
 一万に及ぶ英霊たちは私達に、
 勇気と国を想う心があれば、
 アメリカよりも強くなれることを教えて死んだのである。

 天皇皇后両陛下は、平成17年のサイパン巡幸に続き、パラオ共和国で慰霊し、御霊を鎮められる。第二次世界大戦時には太平洋戦争のマリアナ・パラオ諸島の戦いに於いて「ペリリューの戦い」の中心地となり激しい戦闘が行われた地でもある。

 歴代大統領には「ナカムラ」という名前の人もいる。面白いことに「クニオ」とか「マツタロウ」いった日本人風の名前が目立つ。これは、近代社会に仲間入りさせてくれた日本への感謝や愛着からだという。このパラオ共和国の国旗は「日の丸」を参考に創られた。白地ではなく青地に、やや中心より左にずれた黄色の丸である。

 何故このような国旗なのか。ドイツの植民地であったパラオは、第一次世界大戦後、日本の委任統治領となった。日本軍は地元住民に厳しく接するも、産業、教育、文化の発展に大きな功績を残し、パラオの人々に多大な信頼を受けたのである。

 パラオの人々は今でも「日本は厳しかった。しかし、我々に農業と、真面目に働くこと、そして嘘をつかないことを教えてくれた」と口々に語るという。

 米軍約4万2000人が上陸したのは昭和19年9月15日。中川州男大佐率いる約1万2000人の日本軍が迎え撃つ。島民は別の島に退避していたが、米軍がパラオに迫ると、パラオの人々は「我々も日本人と一緒に戦う」と決意したという。然し、民間人に被害が出ることを懸念した中川大佐らはその申し出を許可することは無かった。

 日本軍はそれまでの戦法を改め、要塞化した洞窟陣地などを利用しゲリラ戦法で持久戦に持ち込み、圧倒的な戦力を誇る米軍に大打撃を与えた。

 この戦いは11月25日まで続いた。米国太平洋艦隊司令長官CW・ニミッツも驚嘆。この組織的な抵抗と戦術は、後の「硫黄島の戦い」へと引き継がれて行く。

 因みに現地の人の「クニオ」とは、この中川州男大佐の名前であり、如何に慕われていたかが理解出来よう。この戦争で命を落した日本人をパラオの人々は泣きながら丁寧に埋葬した。日本人遺族が何時来てもいい様にと墓の掃除は今でも欠かさない。

 戦後パラオは1994年の独立までの50年の間、米国が5統治したがパラオの人々の心に残っているのは「日本人」だったのだ。数年間の日本の統治が、パラオの人々の心に残したものがそれだけ大きかった。何が侵略戦争か。何が無駄死にか。先人の偉業に思いを馳せれば、今を生きる日本人として感謝せずにはいられない。

 天皇皇后両陛下がこの地を巡幸遊ばされることは大きな意味がある。異国の地で草生す屍となった御霊を鎮められ、両国の友好が更に深まることを願って止まない。

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2015年04月07日

教科書検定も結構だが政治家必携の道徳規範の書を創るべし!

 来春の中学校教科書に竹島と尖閣諸島が登場し、今更乍らではあるが「日本の固有の領土」と教えられることとなるという。確かに領土主権の重要さを教えることは大切なことだとは思うが、根本的解決にはやはり政治や外交でしか図れない。

 今、「日本の領土だと言える勇気」も必要だろうが、本当に必要なのは自国の領土を「守る勇気」と、「奪われた領土は奪い返すことでしか解決は図れない」という至極当たり前の認識だ。つまり大事なのは「奪い返すという気概」と法整備である。

 例えば、強盗犯や窃盗犯なんてのは、他人のモノを強奪したり、盗んだりしても恬として恥入ることはない。罪の意識が欠落しているのだ。つまり、ロシアや韓国に「我が国の固有の領土だ!」なんて宣ったところで、また尖閣諸島や沖縄を「強奪してやろう」と謀っている中共にしてみりゃそんなのどうだって好いことだ。

 韓国は早速、この教科書問題に噛み付いているが、いつもの強要であり、日本側の譲歩に竹島の領土主権の正当性を訴えたいのだろうが、こうした国に我が国の正当性を訴えたところで解決をみることはない。やはり大事なのは軍事力を背景にした外交であり、現憲法の見直しなくして主権国家としての役割は果たせない。

 安倍首相は、戦後70年の平和の歩みを強調するが、戦後の平和は米国の軍事力と核の力と単なる偶然に過ぎない。国家百年の計を米国に依存した儘で、「戦後70年、平和国家として歩んで来た」とは嗤える。未だ米国からの独立を果せず、米国の51番目の州に成り下がり、更に米国追従を図っているのは如何なものか。

 沖縄の米軍基地問題にしろ、自国の防衛という大本を米国に委ねて来た歪な体制が、事を更に複雑にしてしまったのだ。沖縄県民が米軍基地に拒否反応を示すなら、米軍に代わり自衛隊がその任を受継ぐ様にしていけば好いだけだが、中共に阿る沖縄左翼はそれもダメということなのだから、単なる謀略運動だということだ。

 沖縄の米軍基地で考えるのは活発な噴火活動が続く小笠原諸島の西之島のこと。溶岩が東の方面に流れて広がり、面積は元々の西之島の11倍以上、東京ドームの約52倍にまで成長しているというから驚く。これは正に天の配剤ではなかろうか。

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 地図を見れば分かるが、この西之島は東京の南、沖縄の東に面しており、フィリピンや台湾も見据えられる地域に在り、地政学的にも有効な島である。近い将来、この西之島に普天間基地の様な巨大軍事基地を造成したら好いのではないかと考える。

 中共が南沙諸島や西沙諸島、或いは沖縄県石垣市の尖閣諸島を虎視眈々と狙ったところで、太平洋の出口に続く西之島軍事基地が在れば、中共の野望も阻止出来るに違いない。そういう意味でも西之島の巨大化は大いに夢が膨らむというものだ。 

 戦後70年。魂なき繁栄に現を抜かしている時代ではない。米国依存の体制に終止符を打ち、我が国の要衝として守りを鉄壁にしなくてはならない。冷戦下での米ソの軍事バランスが崩れ、中共が台頭しアジアを不安に陥れ、朝鮮半島の緊張が増している。政治が成すべきは、自主憲法を制定し、国防体制を強化する以外に無い。

 北方領土や竹島の不法占拠、尖閣諸島の主権侵害の最大原因は、戦後、歴代の政府や国会が領土主張を疎かにしてきた結果であるが、憲法も同様に歴代内閣と政治家の不作為が原因で、憲法議論さえも儘ならない状態なのは如何ともし難い。

 永田町を見れば相も変わらず、国益そっちのけで国民不在の政争やスキャンダルを大騒ぎしている。子供達へ「固有の領土」を教えるのも結構だが、その前に、政治家に対する道徳規範の書を創り、携行させる必要がある様に感じる。呵呵。

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2015年04月05日

貴方様より貴い神が現れたので皆喜んで騒いでいるのです

 昨夜は満月が地球の影にすっぽり入り、月が赤銅色になる皆既月食が観測された。桜が咲いてる処では夜桜とのコラボを愉しめた様だ。最近では何事も科学的な事象ばかりが優先され、月食や日食も単なる天体ショーとして捉えられているが、古来の我が国では日食と月食の日は「穢れの日」として忌み嫌われていたこともある。

 月や太陽から放たれる光は「妖光」として捉えられ、幕末までは日食の日には不吉な日として天皇の祭祀と政務を一切取り止めた。天変地異や疫病などが起きると本気で信じられ、この妖光から天皇の玉体を護って来たことが窺える逸話だろう。

 こうした「不吉」は別に神道だけに限ったことではない。ヒンズー教などもそうだが、皆既月食や皆既日食を「災いが起こる前兆」として恐れ、祈りを捧げる。

「天岩戸(あまのいわと)」という神話がある。天照大御神が天の岩戸に篭ってしまい、世界が真っ暗闇になり、悪神が蔓延ったという日本の代表的神話であろう。

 伊邪那岐神(いざなぎのかみ)は、「天上界を天照大御神(あまてらすおおみかみ)が、夜の国を月読命(つきよみのみこと)が、海原を須佐之男命(すさのおのみこと)が治めよ」と命じられた。ところが、須佐之男命だけはその任務を果たさず、その為悪神が蔓延り、諸々の禍が彼方此方で湧き起こる始末だった。

 伊佐那岐神は酷く怒り、「お前の様な者に用は無い!」と追放する。

 困った須佐之男命は、姉の天照大御神を頼る。

 姉の許で暫くは大人しくしていたが元々気性の荒い須佐之男命は、程なく種々の乱暴を働く様になった。天照大御神の耕す田を壊し、御殿に糞を撒き散らす。

 それでも天照大御神は大目に見ていた。

 だが、服屋(はたや)で神聖な衣装を織っていたら、皮を剥いだ馬が屋根を打ち抜いて投げ込まれ、服織女(はたおりめ)が死んでしまった。犯人は勿論、須佐之男命である。これには流石の天照大御神も激怒し「天の岩戸」に篭ってしまった。

 天照大御神が隠れると世界は暗闇となり、悪神達が蔓延り始める。 そこで高天原の諸神である八百万の神々は、天の河原に集い策を取ることになり、思金(兼)神(おもいがねのかみ)の提案で、先ず岩戸の前に常世の長鳴鳥を集め鳴かせる。

 次に伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)に、八尺鏡(やたのかがみ)、玉祖命(たまおやのみこと)に八尺勾玉(やさかのまがたま)を作らせ、布刀玉命(ふとだまのみこと)には御幣を、天児屋(根)命(あめのこやねのみこと)には祝詞を奉じさせた。※因みに平田篤胤の説では思金神と天児屋命は同一神としている。

 岩戸の真ん中では、天宇受売命(あめのうずめのみこと)が乳房や女陰を露に神憑りの踊りを大乱舞(今でいうストリップ)。これを見て八百万の神がどっと笑うと、天照大御神は気になって気になって岩戸をそっと開けて「何事か」と聞く。

 そこで思金神は、「貴方様より貴い神が現れたので皆喜んで騒いでいるのです」と天照大御神に八尺鏡を差し出した。すると天照大御神は、そこに映った自分の姿をその貴い神と勘違いし、猶もよく見ようと身を乗り出したところを、怪力の天宇受売命が岩を投げ飛ばし外に出すこに成功し、漸く世界に再び光明が戻ったという。

「皆既月食」という自然現象を、神の世界の事件と捉えた古代日本人の信仰と伝承こそ、実は科学的だったのではなかろうか。科学万能の時代であるが、畏れや感謝を知る上でも、こうした神話や古来の教えも伝承して行かなければならないと感ずる。

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