2015年03月

2015年03月30日

財力に諂わず権力に屈することなく正しいものを正しいものとしてどこまでも信念を押し進めて行きたい

 最近は「保守ブーム」だという。新保守主義を掲げる学者や評論家の言動が持て囃されてはいるが、その保守に尊皇はなく、保守ブームという時勢に媚びた営業保守というのが正しい。彼等が保守したいのは己らの今現在の体制でしかない。

 要は、生きる為の生業としての現状を維持することが大事であって、立場が維持出来ないとなれば掌を返すのは想像するに余りある。やれ「反中」だの、「嫌韓」だの、「反北朝鮮」だのと煽っては、保守派や自称・愛国者らへ耳障りの良いことを言ってるだけで、これがホンネとも思えないし、ホンネでもないだろう。

 尊皇無き保守では米国や英国の保守政党や保守主義と何等変りは無く、それは単なる新保守主義でありグローバリズムだ。そんな中で、右翼・民族派の存在価値も年々薄れて来ているのは確かだろう。資金不足と指導者不足は顕著で、右翼人なのかヤクザなのか分からない。思想は乏しく、考えていることは己のシノギばかり。

 久しぶりに相対しても、相手から発せられる言葉は、「どうよ、景気は?」といった具合でうんざりする。だが、悲観はしていない。必ずや、この混迷、停滞から脱却し、天皇国日本を磐石の安きに導いてくれる本物の国士は出現するだろうから。

 右翼・民族派諸氏は維新者としての原点に戻り、研鑽を積み、テロを担保しつつ行動し、啓蒙活動をして貰いたいものだ。まぁ、右翼から退いた右翼絶望派の愚生ではあるが、現今の自称右翼、自称愛国者よりは懸命に生きていると自任している。

 団体を辞して今更乍ら思うことは、人というのはどれだけ生きたかではなく、どう生きたか、どう生きるかが大事だということ。こんなことをしみじみと考える。

 野村秋介の遺した「自問自答の訓」というものがある。

 常に世俗にありてその一隅を照らし

 常に在野にありて権力悪と闘い

 常に人々を愛し共に涙を流し

 常に海を愛し空を愛して神々を敬い

 常に友情と信義を胸中にして熱く燃え

 常に名利を求めず正義を追い

 常に月を愛し酒を愛し女を愛し

 常に自由にして奔放であり

 常に一剣を懐中にして平天下を願う

 この訓に現されている様に、野村秋介というのは浪漫派だったのだと改めて思う。

 愚生も、常に自由で奔放ではあるが、一隅も照らすものも無し、これほどまでにカッコイイ生き方は出来ないだろうが、右翼人生を歩んでる一人として、酒を愛し女を愛し、常に自由にして奔放な無頼派右翼で在りたいとは常々思っている。

 宅見勝という伝説のヤクザが遺した言葉がある。

 生ある人生が

 いつかは必ず来るべき死を

 約束づけているなれば

 俺は法律が

 どう変ろうが

 社会の常識が

 どう変ろうが

 財力に諂わず

 権力に屈することなく

 正しいものを

 正しいものとして

 どこまでも俺の信念を

 押し進めて行きたい

 どちらかというと、削げ者の愚生は野村秋介の訓えよりも此方の方が性に合う。

 草莽ではあるが、こんな生き方を全うしたいものだ。

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2015年03月29日

愚生は右翼人ではあるが、自分を愛国者だと思ったことはない(笑)

 愚生は組織(防共挺身隊)は辞し、正統右翼浪人などとカッコ付けてはいるが、大学卒業以来、勤労の義務も果たさずにいるから浪人というより放蕩右翼だろうか。況してや右翼人ではあるが、自分を愛国者だと思ったことなど一度もない(笑)

 右翼現役時代には宣伝車に乗り、流し街宣をする場合にも、「我々は民族派・愛国者団体であります」などというのは烏滸がましく、どちらかといえば「自由・民族・平和を守る・防共挺身隊であります」というフレーズを好んで使ってた。

 右翼は愛国者だとは思っていない。親や家族の為に真面目に勤労し、地域や職場の為に協力し合い、そして納税の義務を果たしている方こそ愛国者であろう。

 宣伝車に乗って騒いだり、日の丸を振ってるのが愛国者なら、カノ国の「反日」さえ訴えてれば熱狂的愛国者であると勘違いしてるアノ民族と大して変わらない。

 右翼とは行動に拠って世論に警鐘を促す単なる行為者で好いと思っているし、使い捨ての石で好い。将棋でいうところの「歩」で好いと思っている。

 駒を扱う人に由っては、歩であろうとも「と金」には成れるが精々そこまでか。それでも「と金」ならまだいいが、何でもかんでも成れば好いというものではなく、「成金」にだけには成りたくないという意地はずっと持っていたいものだ。

「王将」になるべきはその駒を動かす思想家だろうが、右翼人の大きな間違いは、自分が恰も思想家や坂本龍馬にでもなれるのと勘違いしてる連中が多いことだ。

 右翼の先生方の理論を見聞きしても所詮は先人の請け売りでしかなく、魂の籠っていない二番煎じでは心に響くものもない。最近の安っぽい愛国ブームもまた日の丸を掲げただけで愛国者だと勘違いし、それこそが愛国心なのだと取り違えていることが、国を愛する心ということ自体を毀損していることに気付いていない。

 如何にも愛国的な言葉に歓喜し、懐古的なフレーズを称え賛同するが、単なる営業右翼に煽られて利用されているに過ぎず、これらもまた単なる駒でしかない。

 日本人としての誇りや自信の喪失にしろ、多くの自己中心的犯罪にしろ、子殺しや親殺し等々、日本の社会に蔓延する諸問題の根底には、確かに愛国心の欠落というものに起因しているとも言えるが、それは「愛国心」を持ちさえすれば解決するかといえばそうではない。間違った、勘違いした愛国心は事をややこしくもする。

 そうした中で、政治家どもはそれらの根本的諸問題に見向きもせずに、事勿れ主義から論議を避け、非が無いにも拘らず謝罪し続け、問題解決を先送り。

 権力欲逞しい政治家どもの頭の中は保身と次の選挙だけで、票になると思ったら平身低頭、支援者と見れば履いてる靴やケツの穴までなめる勢いだ(苦笑)

 頽廃したマスコミは国益を擁護する気配は皆無で、問題から視点を逸らし、国家や政府を腐すことに躍起になっている。問題が出ればその萌芽は我が国に在ると貶し、国民の愛国心を蝕む。今や、マスコミやジャーナリズムは、視聴者や読者に諂うばかりのマスターベーション的コミュニティサイトに成り下がってしまった。

 迷えるものはつまらぬ宗教に走り、国民の勤勉性、家族愛、郷土愛、信義誠実の原則や心の中の高貴なものを失い、高邁さを忘れて自己中心的欲望に塗れ続ける。

 その反動が、所謂「ネット右翼」を始めとした愛国ブームだろうし、「在特会」の組織拡大であり、「日本会議」などの保守系団体の活発な行動なのだろう。

「9条改正」こそ愛国心の結集とばかりに盛り上げようとしているが、現憲法の問題が9条に在ると思っていること自体、「9条の会」や左翼らと根本的に違わない。

 護憲派が我が国を貶めてはいるが、国家解体までには及んではいないのは良識が未だ存在しているからだ。だが、悲しい哉、安易な改憲は国家解体を加速させるということに気付いてはいない。営業保守や自称・愛国者らが口にする「取り敢えず第9条改正を突破口に」という認識は、事の重要性を認識していない証左である。

 要は護憲派が日本を徐々に壊し、改憲派が更にそれを加速させるということであり、愛国ブームという世情は国家解体の序章でもあると言っても過言ではない。

「国家という概念は今日、明白な内容を持っていない。だから軽薄な愛国教育しかできないのだ」とはアドルフ・ヒトラー。三島由紀夫も「日本の様な国には、愛国心などという言葉はそぐはないのではないか。大和魂で十分ではないか」と教える。

 日本人が持つべき「大和心(大和魂)」とは、つまり、花鳥風月、山川草木、春夏秋冬の恵まれた山河麗しき日本の自然に逆らわず調和して暮す従順な心である。

 愛国心というものは他人が教えるとロクな結果しか生まない。偏狭で軽軽しいな愛国心の教育より、日本人の心の奥底に棲む大和心こそ涵養すべし。

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2015年03月25日

「ふくしまデスティネーションキャンペーン(DC)」を機に福島へ!

 福島県内では、愈々4月から大型観光企画「ふくしまデスティネーションキャンペーン(DC)」が始まる。県は、この企画に合わせ観光客が利用出来る旅行券の補助を行う。旅行券は宿泊代金が1万円以上の県内宿泊施設で利用可能となる。

 一人につき一枚利用出来る。利用の仕方で日帰りよりも宿泊の方が安くなる場合もある。販売方法は、コンビニに設置されている各種チケットの販売端末で旅行券を購入する場合と、大手宿泊予約サイトでの申し込みによって利用出来る。

 未だに福島県は原発事故の影響で要らぬ風評被害と流言蜚語に悩まされ、止まることのない流言蜚語が原発事故の混乱に拍車を掛け、混乱が余計な混乱を生む悪循環。

 今や被災地は震災復興どころか復旧も儘ならないのは、風評被害の元凶である除染作業と、除染に伴う中間処理施設設置の遅れなどもあるが、止まらない悪質極まれる流言蜚語と国民の放射線に対する無知にこそ問題が在ると言っても過言ではない。 国民の中には未だに「放射線」と「放射能」を勘違いしている人は多い。

 反原発派や左翼らに煽られて「聞く耳を持たない」人が実に多いから、簡単に説明してみよう。放射線を出すものを「放射性物質」という。放射性物質は放射線を出しながら壊れて行くが、この放射線を出す能力が「放射能」というものだ。

 放射能は時間と共に弱くなる。放射能の強さが半分になるまでの時間のことを「半減期」。放射線には、「アルファ(α)線」「ベータ(β)線」「ガンマ(γ)線」「中性子線」などの種類があり、レントゲン写真のX線やMRIなども放射線の一種。

 【放射能】の誤用を一覧にすれば、例えばこうだ。

 ☓「放射能漏れ」→〇「放射能は漏れません」
 ☓「放射能は人体に有害」→〇「放射能は人体に無害です」
 ☓「放射能に食物が汚染」→〇「放射能は汚染しません」
 ☓「放射能が撒き散らされる」→〇「放射能は撒き散らされない」
 ☓「放射能が混ざった雨が~」→〇「放射能は混ざらない」
 ☓「放射能を一定量」→〇「放射能に量はない」
 ☓」放射能を浴びると~」→〇「放射能は浴びることはない」

 この「放射能」と「放射線」の違いを更に分かり易く言えば、こういうことだ。

 【放射線】とは【うんこのニオイ】
 【放射能】とは【そのうんこがどれくらいクサイか】
 【放射性物質】とは【うんこそのもの】

 うんこの臭いは弱いと不快なだけだが、臭いが強くなると目に染みたり、気持ち悪くなったり、身体的症状が表れ後々まで症状を残すことがある。防護服は、そのうんこを付かない様にする為のものであって、ヘルメットも同じ様なものだ(笑)

 放射線が厄介なのは、うんこみたいに臭ったり見えたりしないうちに体が犯されて行くところだが、うんこに例えると実に分かり易いのではなかろうか(笑)

 現在、福島県内で齎されている放射線は人体に影響が出るレベルではない。だが、そうした現実を知りながら、ただ「住民の安全と安心」という愚にも付かない理由で「除染」という不可思議な作業が続けられ、それに因って風評被害を齎している。

 除染に既に4兆円という莫大な費用が使われている。「住民の安全と安心」というならば、放射線の正しい知識を啓蒙すれば好いだけの話だろう。左翼や反原発派に煽られてしまった国民を、こうした洗脳から目覚めさせるには困難を極めそうだ。

 そういや、民主党政権下で起きた福島原発事故は菅直人に因る人災であるが、枝野が当時頻りに「飲んでも食べても直ちに人体に及ぼす影響はない」と言ってたっけ。大丈夫、直ちにどころか、将来に亘り影響を及ぼすことはありません。

 来週から始まるDC(ふくしまデスティネーションキャンペーン)を機に、県外から多くの方が福島の地を訪れ、福島の美味しい料理と素晴らしい景色に直接触れて頂きたいものだ。そして何より、県民の元気溢れる姿に接して欲しいものだ。

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2015年03月24日

桜花咲き匂うこの時期、全国各地で卒業式、入学式が行われるが・・・

「敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花」、正に桜花咲き匂うこの時期、全国各地で卒業式、入学式が行われる。県内では、昨日23日が小学校の卒業式だった。

 その昔は、卒業式や別れの定番曲といえば「蛍の光」だったが、いつの頃から歌われなくなってしまった。この歌が拒否された理由は、国歌斉唱を拒否する運動と同じで、我が国の歴史を否定する所から始まったものであろうことは推測出来る。

「蛍の光」の原曲は、スコットランド民謡の「オールド・ラング・ザイン」である。これに詩を付けたのが国学者の稲垣千頴(チカイ)と言われている。

 千頴は、陸奥国棚倉(現・福島県東白川郡棚倉町)出身。棚倉藩の松井松平家の家臣稲垣半太夫の次男として生まれ、幼少期から学問に頭角をあらわし日光の寺院へ留学。棚倉藩主松平康英の川越転封に伴い、川越藩藩校長善館の教員となる。

 京都遊学を経て東京に移り、1869年(明治2年)23歳で平田篤胤死後の国学塾「気吹舎(いぶきのや)」(主宰 平田銕胤)に入塾。塾頭に就任したが塾則で禁じられていた遊郭登楼が発覚し、塾生らから意見書が提出され退塾処分となった。

 遊郭通いとは中々洒落てるじゃないか。高が遊郭遊び如きをチンコロするなんぞ、これから国学を習おうという塾生としての心構えがなってはおらん(笑)

「蛍の光」は、GHQ統治下の、1949(昭和24)年、教科書検定制度最初の小学5年生の音楽教科書に掲載された。だが、後に国家主義的な色合いが強いと「3番」「4番」の歌詞は削除された経緯がある。その「3番」「4番」と意味は次の通り。

 3、筑紫の極み 陸(みち)の奥
   海山遠く 隔つとも
   その真心は 隔て無く
   一つに尽くせ 国の為

(九州の端や東北の奥まで、海や山々によって遠く離れていても、真心は唯一つにして互いに国の発展の為に尽くそうではないか)

 4、千島の奥も 沖縄も
   八州(やしま)の内の 守りなり
   至らん国に 勲しく
   努めよ我が背 恙無く

(千島列島の奥も沖縄も、日本の国土の守りだ。学を修め職を得て、どの地に赴こうとも、日本各地夫々の地域で、我が友よ、我が夫よ、我が兄弟よ、どうか無事にお元気で、勇気を持って任に当たり、努めを果たして頂きたい)

 この詩を知れば、我が国の歴史や先人の営為が見えて来るというものだが、「蛍の光」の後半部分の削除は正にGHQに因る戦後民主主義教育の一環でもあるのだ。戦後民主主義とは、自国の歴史を汚辱に塗れた過去と捉える自虐史観である。

「蛍の光」を見るまでも無く、その悪しき戦後教育は今や日本国内の隅々にまで浸透してしまっている。占領下でのGHQの矯正と洗脳に因って、我々日本人はそれまでの尊い価値観を見失ってしまったのだ。いつになったら覚醒するのだろうか。

 卒業・入学シーズンになると、国旗・日の丸、国歌・君が代に反対する蛆虫共も蠢き出す。日本という奇跡とも言える国に生まれ住み、日本人として恩恵を享けながら、祖国日本に誇りも持てず卑下し貶めるのは日本人として実に醜く見苦しい。

 多くの日本人は国旗・国歌に親しみを感じている。ところが未だ、「国旗及び国歌に関する法律」が制定されて以降も、これに公然と異議を唱え、反対している勢力が存在する。言わずと知れた「日教組」や「全教」、共産党といった反日勢力。

 連中は「日の丸は軍国主義の象徴だ」「侵略の旗だ」「君が代は天皇賛美だ」との妄言を垂れ流し純真無垢な子供達を洗脳する。ならば米国の旗はどうだ。英国やオランダ、フランスはどうだ。或いは中華人民共和国の旗は侵略の旗ではないのか。

 天皇国であるべき日本が天皇を賛美したとして何が怪しからんのだ。何が「天皇賛美」か。反対する連中というのは物事の見方が実に薄っぺらで、こうした状況は健全な世論に逆行するばかりか、教育現場での混乱は国益を損ねるものである。

 教師という公務員の立場でありながら、法律さえ遵守しない不良教師の一掃を図るべきだが、その日教組は今や政府民主党の支持母体というのだから世も末だ。

「日の丸」と「君が代」とは何か。 聖徳太子は隋へ「日出づる所の天子、書を日没する所の天子にいたす、恙無きや」の文書を小野妹子に託す。これを読んだ隋は激怒するが、小国日本の存在を堂々と主張して見事に気概を示した逸話であろう。

 我が国は、ユーラシア大陸で最初に朝日を迎える国であり、稲作民族が日の神、天照大御神を崇め太陽信仰を持つのは自然で、国のシンボルに「日の丸」を執ったのも極めて自然なこと。国の成り立ちや理想が「日の丸」ほど一致する国は無い。

「日の丸」の赤丸は太陽を意味し、熟誠、活気、博愛、誠心誠意を現し、白地は清浄無垢を示し、神聖、正義、純潔、平和、鎮静。シンプルだが気品に溢れている。

「君が代」は「古今和歌集」巻七「賀の部」、「わが君は千代に八千代にさざれ石の巖となりて苔のむすまで」の一首からの出典である。この詠の本意は、大君の御代が栄えることを願ったものであり、詠んだのが草莽の民というのが実に素晴らしい。

 我が国は、畏くも天皇を族長と仰ぐ君民一体の家族国家であり、「天皇即日本、日本即天皇」の天皇国家である。この国體の精華は万邦類を見ないところであり、従って陛下の御代が栄えることは、即日本が栄えることでもあるのだ。

「君が代」は、実に我が国體の精華を格調高く歌い上げたものであり、その曲と相俟って厳粛にして荘重、正しく世界に冠たる誇るべき「国歌」である。

 万世一系の天皇を我が国元首として仰ぎ奉り、陛下の御稜威を国民生活の隅々にまで行き亘らせることこそ本望であり、畢竟、それは日本国民として当然の願望であることは言うを俟たない。我が国はいつの世も、時の陛下の御代である。

 いつの世にもそこには「君が代」の世界が存在し、それは存在し続けなければならないのだ。そうした国柄を、「日の丸」と「君が代」は見事に現している。

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2015年03月23日

大相撲春場所を観終わって思うこと・・・

 大相撲春場所千秋楽での結びの一番は中々見応えのある一戦だった。上手を与えず頭を付ける戦法の日馬富士を、右下手一本でじっと耐える。長い一番になるも、白鵬が上手を掴むと実力差は歴然で勝負あり。寄り切って34回目の優勝を飾った。

「角を矯めて牛を殺す」という諺がある。牛の曲がっている角を真っ直ぐにしようとしても無理な話しで、そんなことをしたら却って牛を死なせてしまうということから、小さな欠点を直そうとして、却って全体をダメにしてしまうという喩えだ。

 十四日目、相撲の結び前の白鵬と稀勢の里の一番で、「横綱が変化するとは」「卑怯だ」とバッシングされている。二敗で追う照ノ富士と逸ノ城の水入りの一戦の後だっただけに、館内や視聴者からも溜息が出たのは当然といえば当然だろう。

 相撲とは一瞬の勝負であり、相手の目も見ずに突っ込んでくる稀勢の里の脚は立った儘で白鵬の変化に全く付いて行けなかった。立ち合いは白鵬が受け止めてくれるだろうとの読みは脆くも崩れ、白鵬は右に体を躱すと同時に突き落としで勝利した。

 横綱白鵬の冷静な判断があっけない勝負となった訳で、白鵬を批判するならば伊勢ノ浜部屋が席捲する幕内で上位陣との同部屋対戦も無い日馬富士の為体だろう。弱小部屋で横綱の地位を維持し続ける白鵬の精神力と努力とはエライ違いだ。

 相撲人気に陰りが出たのは、外人力士の強さばかりが際立って、これはという日本人力士がいないことが挙げられよう。また「日本人横綱待望論」は後を絶たない。

 心情は分からないでもないが、「土俵の下には宝が埋まってる」と、血の出る様な努力とハングリー精神で上り詰めようという日本人力士が出るとも思わない。

 白鵬は帰化してないが、日本人女性と結婚し、子供を日本人として育てている立派な日本人だと思う。未だ白鵬を外人とする風潮は、日本人差別社会の現象であり、在日云々で騒ぐ資格も無いと感じる。そんなに純血が大事か、ならば純血であらねばならない理由を教えて頂きたい。それは単なる安っぽい感情ではないのだろうか。

 そういう貴方は純血ですか?

 自分で純血だと思ってるだけではないんですか?

 マイノリティは認めないんですか?

 世界各国の保守派の政治家や活動家には社会的・民族的マイノリティーが多い。有名なところでは、「日本が北方領土返還を求めたら東京に原爆を落とせ!」などの過激な発言で知られるロシアの極右政党・自由党のウラジーミル・ジリノフスキー。ジリノフスキーは、東欧系ユダヤ人(アシュケナジー)の血が流れている。

 悪名高きアドルフ・ヒトラーはドイツ人ではなくオーストリア出身。「ヒトラーの再来だ!」と騒がれたオーストリアの極右、自由党のイェルク・ハイダーのルーツはアラブ系移民との混血だ。自己の出自に複雑なジレンマを抱えている少数派の新参者は、多数派の古参の住民よりも国家意識や愛国心を強く意識するものなのだ。

 在日の中でも愛国心旺盛な人物は多く、矢沢永吉は日本人以上に日本人だし、力道山や極真空手の大山倍達も、空手という日本武道に生涯を捧げた気魄と精神から学ぶものは多い。横綱の地位に上り詰めた大横綱というべき白鵬の、些細な言行を論っているが、それこそ「角を矯めて牛を殺す」行為そのものと認識するべきだ。

 白鵬に関しては「懸賞金を受け取る時に手刀をしていない」という声も聞く。好く見てみれば手刀はしている。その後に、束になった懸賞金を鷲掴みする様な仕草が品格にやや欠けるのだ。そういうことは親方や後援会で確り諭すことが大事。

 未だに白鵬のこうした行為が続いていることを見れば、苦言を呈していないか、白鵬が無意識のうちにやってしまっているということだろう。「立ち合いが嫌いだ」という声もあったが、張り差しのことだろうが確かに横綱がやることではない。

 白鵬を好きか嫌いの話しというより、相撲が嫌いなだけだろう。白鵬が下の番付から上がって来る時から観てるが、白鵬の立会いは堂々としたもので、相手が横綱だろうが正面から受けて立った。あの頃と変わりはないし、体力が衰えた代わりに円熟味が増し、更に進化している様に思える。まぁ変なクセならば直すに限る。

 クセというのは、意識して行えば大概は直すことが出来る。例えば、朝、出掛ける時に靴を右足から履く人なら左足から。左なら右からと意識して履くことを心掛ければ、三日後には今迄と違った足から靴を履く様になるもので、悪いクセなら意識して行動する様にすれば、クセは知らぬ間に消え失せるものでもある。

 大相撲は、明治維新で「断髪令」が発せられても丁髷の伝統を貫き、戦後もずっと表彰式で国歌「君が代」を斉唱し、国技を自称して来た。この保守の牙城とも言うべき大相撲を、民主党政権下では目の仇にし、歴史・伝統・文化を否定する左翼、無自覚左翼の連中が「賭博」やら「八百長」やらを執拗に煽り立て、糾弾した。

 今も事ある毎に薄っぺらい大相撲批判を目にすると、大相撲の存続にも影響しかねない危険を孕んでいる気がしてならない。「角を矯めて牛を殺す」こと勿れ。

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2015年03月19日

八紘一宇とは「世界は一家 人類は皆兄弟」ていうのが分かり易いが・・・

 参議院予算委員会の質疑で三原じゅん子が使った「八紘一宇」という言葉に関して賛否両論渦巻いている。どんな内容だったのかYouTubeで観てみたが、己の発する言葉に悦に入ってる感じで実に軽々しく映っていたが、流石は女優だな。「八紘一宇」という言葉を知って、言いたくて言いたくて仕方なかったのだろう。

「言いたがり屋は聞き齧り屋」というのが、聞き齧った事をその儘に口にするので、言葉そのものに重みも無いから軽々しい。要は身に付いていないということだ。

 三原も自分的には誇らしげに語っているつもりなのだろうが、現代の安っぽい愛国ブームに便乗し、それらの支持を得ようという邪な考えがあるのだとしたら、先の総選挙でタカ派を標榜した次世代の党を見れば一目瞭然で逆効果でしかない。

 まぁ「八紘一宇」も知らない政治家も多い中で、或いは曲解して騒いでいる商業左翼よりはまともなのだろうが、如何せん喩えが悪過ぎる。三原は批判を受けて、自身のブログで、「私の質疑が一つのきっかけになって、忘れられようとしている日本の『建国の理念』と『天皇陛下の祈り』について広く知って頂くと共に、皆様に考えて頂ける機会になって欲しいと思っております」とその心境を綴っている。

「八紘一宇」は戦時中ではなく、神武天皇即位の際の詔を起源とする言葉であるとし、日本書紀に書かれている様な、「みんなで仲良くし、共に発展していく和の精神である」と説明し、御丁寧にも「橿原建都の詔」の画像まで貼り付けている。

 だが、その前に「侵略を正当化したいなどとも思っていません」と断りも入れている。要は、先の大戦は侵略戦争との認識の上で、敢えて「八紘一宇」という言葉を持ち出したということ。ならば神武肇国を云々語る前に近代史も学んだら如何か。

 三原の問題となった質問は、企業の国際的な租税回避問題を取り上げる中で飛び出した発言で、「八紘一宇の理念の下に、世界が一つの家族の様に睦み合い、助け合える様な経済、税の仕組みを運用することを確認する崇高な政治的合意文書の様なものを、安倍総理こそが世界中に提案していくべきだと思う」と語っている。

「八紘一宇」発言よりも問題なのは、「世界が一つの家族の様に睦み合い、助け合える様な経済、税の仕組みを運用することを確認する」という、グローバル経済こそ安倍政権の進めるべき道であるというその認識である。似非保守がバレバレ(苦笑)

 グローバル経済を八紘一宇に準えるとは、いやはや困ったもので、発言を正当化するのならば安倍政権が進めるグローバル経済こそ諫めるべきだろう。

 三原は「神武天皇即位の際の詔を起源とする言葉であるとし、日本書紀に書かれている様な『みんなで仲良くし、共に発展していく和の精神』である」と語った。

 八紘一宇とは、「八紘を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむこと」が語源であるが、三原が、この神武肇国の大理想である「八紘一宇」を認識しているとは到底思えない。言葉だけの模倣だ。国民も同じく、本当の意味を理解している人は限りなく少ないだろう。 二・二六事件の「蹶起趣意書」にもこの八紘一宇が使われている。

「謹んで惟るに我が神洲たる所以は 万世一系たる天皇陛下御統帥の下に挙国一体生成化育を遂げ 遂に八紘一宇を完うするの国体に存す」。「八紘一宇」を口にする者は命がけで戦う気概が必要。そういう心構えが無いのなら軽々しく口に出すべきものではない。それとも命がけでグローバル経済を推進しようとしているのか(笑)

 最近の愛国運動や保守活動が軽々しくなったのは 政治家の無能に加え、「愛国」や「保守」を利用し、それを生業としている営業保守が元凶であり、その影響はかなりなものだ。国旗を高々と掲げ、勇ましい言葉を叫ぶのも結構だが、三原の発言にしろ、保守派の日本自画自賛論も、愚生には軽々しいものとしか感じない。

「八紘一宇を云々する者、固より皇祖皇宗の大訓なれば、謹愼嚴戒を要す」。高高、国会の質疑で、グローバル経済を推進する過程で、畏れ多くも天子の詔を口にしたことは軽々しく、その言い訳も実に烏滸がましいものであると言わざるを得ない。

「グローバル経済」というのは、安倍政権が目指す柱でもあり、経済のグローバル化は、新自由主義と市場原理主義で世界中の資源が最適に配分され、より多くの富を生み出し、世界経済は発展するというもの。理論上では効果を上げ、恰もグローバル経済がこれからの我が国の進むべき道かの様に語り、国民を誑かしている。

 だが、新自由主義を盲信し、経済至上主義に奔る安倍政権というのは諸刃の剣である。「グローバル化」というのは、自国の文化や歴史を置き去りにせずきちんと捉え、文化などを伝承しながら他国の文化も理解して行かなければ意味はない。
  
 世界に最も良い影響を与えている我が国が、世界各地での国際貢献は目には見えない部分が多く、グローバル経済が日本と世界を救うかの妄想よりも、我が国の歴史を理解し、日本語に誇りを持ち、日本文化を貫く日本人を育むことこそ大事である。

 明治の先覚者の偉大さは外来語を全て新漢字に翻訳し、日本語で西洋文明を学ぶことが出来たことだ。現代の政治家は、カタカナ英語を羅列して、恰もそれが国際人であると勘違いし、然もそれが正論であるかの様に語っているが、これを舶来趣味と言わずして何という。昨今のカタカナ英語の氾濫こそ日本人の劣化の現れである。

「八紘一宇」という言葉を軽々しく使い、「みんなで仲良くし、共に発展していく和の精神である」というのなら、先ず、日本語文化を世界に普及することだ。

 英語というバチカンでは忌み嫌われた田舎言葉が世界語となっているのは、英国が武力で支配し富を独占したからに過ぎない。英国に代わり、今は米国がその主導権を握り、我が国をグローバル経済の渦にに巻き込もうとしているのだ。

 世界では数千万人もの人が日本語を学び、日本文化を懸命に学ぶ努力をしている。日本語文化の普及こそが、日本を中心とする世界平和を実現する近道でもある。

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2015年03月14日

鳩山由紀夫クリミア半島電撃訪問。随員は一水会の木村三浩(苦笑)

 鳩山由紀夫が、外務省の訪問中止要請を振りきってロシアの査証(ビザ)を使いウクライナ南部クリミア半島を訪れたが、「一水会」の木村三浩も同道したのには吃驚仰天。あの鳩山となぁ。反米ならばどんな連中とでも組めるってのは、反日なら何でもありの左翼と同じで、流石は鈴木邦男の愛弟子だけあるな(苦笑)

 以前、鳩山が尖閣列島の領有権問題に絡み、鳩山の発言を問題視した木村が、鳩山事務所を訪問し、その真意を糺したという記事を目にしたことがあった。

 発言は、訪中した鳩山が「カイロ宣言には、盗んだものは返さなければならないとしており、中国側に尖閣は愚か沖縄も返すべきだ」との認識を示したもの。

 自国を泥棒呼ばわりすることも言語道断だが、尖閣列島は愚か沖縄までとはどういうことなのか。木村でなくても憤りを感じた国民は少なくない。だが、木村は猛抗議することなく、摩訶不思議なことには鳩山の説明に納得して帰って来た様だ。

 要は、鳩山と大物右翼と称される木村が会うことで、事の矛先を納める魂胆見え見えのマッチポンプだったということだろう。木村さんもウマいことやってるな。

 鳩山よ、そんなに自国が悪いというなら元首相として切腹でもして詫びよ。木村も木村でホント狡賢い男だな。多くの国民は鳩山にしても木村も赦すまい。

 クリミヤでの会談で、「盗んだものは返さなければならない」と言ったとは聞き及んでいないが、己の発言を正当化するなら、北方領土を強奪したロシアに対してこそ言うべきではなかったのか。竹島然りで、鳩山の二枚舌はビョーキだろうな。

 武力占領でロシアに編入したクリミヤに出向き、「日本人は洗脳されている。こうした考えを正すのは容易なことではない」と語ってたのを見れば、クリミヤの武力占領も容認し、北方領土の占領は合法的な結果であると認めた様なものだろう。

 鳩山はやはり「統合失調症」というか「広汎性発達障害」というか、人格障害、精神分裂の異常者なのだろうと思うし、そう思わなければやりきれないわ(苦笑)

 一方の木村だが、右翼陣営というのは様々な考えや行動があり、木村も自分の考えがあっての行動なのだろうが、鳩山の過去を振り返るまでもなく、鳩山は国賊の筆頭に挙げられる政治家であり、そんな鳩山と同道するとは軽率過ぎはしないか。

 鳩山に対しては、右翼でなくても天誅を下したいと思ってる市井の民は少なくない。そういう意味では、木村の行動は、右翼民族派全体への期待や信頼を大きく損なうものだ。尤も、上昇志向の強い木村が目指しているものは、反米・救国活動や不条理に対する抵抗運動ではなく、知人曰く、慶応大学の准教授らしい(爆笑)

 過去の多くの国賊的発言に苦言を呈さず容認し、国益を害した行為にも目を瞑り、敵である筈の相手をも受け容れる、木村の度量というのは大したもの。愚生も見倣わねばならないと思うが到底無理なことだ。つ~か、やっぱり金目かな(嗤笑)

 猪瀬東京都知事失脚の要因となった徳洲会からの融資問題で仲介料を貰った。あの500万円授受でマスコミは木村を「大物右翼」と称えた。今回のクリミア上陸に際しても、SPの如く鳩山をボディガードする木村の姿はホント頼もしく右翼の鑑だ。

 否、右翼ではなく新右翼の鑑だ、然しどういう経緯で、どういう意図を持ってクリミヤ半島を訪問したのか意味不明というか理解不能。まぁどうせ、鳩山も木村も御得意の我田引水的遁辞を繰り返すのは目に見えているし、興味も無い。

 今回の鳩山との同行は、木村三浩にとっては猪瀬を徳洲会に紹介したのと同じくオイシイ思いをしたのだろうし、マスコミの需要もかなり増えるだろう。

 然し乍ら、強かな木村は、猪瀬が失脚した時の様に、鳩山への引導を渡す為のものかも知れない、というのはチョッと期待し過ぎか、ってかそれはないわな(笑)

 以前には、例の朝鮮総連問題で総連ビルを落札して話題となった大阿闍梨・池口恵観のボディガードなんかもしていた様だが、武道や格闘技経験者でもない木村なんぞ、いざ、本気で揉めたら、一発で吹っ飛んでしまうんじゃなかろうか。

 今や、やりたい放題の木村だが、こうした軽挙妄動を糺す右翼もいないし、フィクサーを気取り、「右翼の事なら御任せ」的、木村大先生の独壇場は続きそうだ(笑)

 余談だが、外務省の訪問要請を無視し渡航した鳩山に「旅券没収」という話が出ている。当の本人は「没収するならクリミアに移住する」と強きに応じたらしいが、移住するならそれほど嬉しいことはない。そうなったら、木村も移住するのだろうか。だが、こんな連中でも日本政府は見捨てまい。少しは感謝しなさいな。呵呵。

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2015年03月13日

「こども」は「子ども」ではなく「子供」です

 国会での質疑もあり、文科省は平成25年6月、公用文中の「子ども」との表記を「子供」に統一したが、今でも「子ども」表記が改められず平然と使用されている。マスコミなんぞ文科省の指導なんぞ無視し平然と「子ども」表記を続けている。

「こども」については、漢字の「子供」ではなく、「子ども」との表記を使うのは、「供」という字が「お供え物」「お供する」などを連想させるし、「差別的な印象を与える」というのがその最たる理由である。 こうしたキチガイ的屁理屈を並べているのは、いつものアホンダラ左翼どもやジェンダーフリーの性的変質者どもだ。

 誰が「お供え物」「お供する」などを連想するというのか。こうした屁理屈を疑いもせずに、多くの国民は、「子ども」表記に慣らされてしまったのだが、行政や保守派であるべき自民党の議員までもが御粗末にも使用しているのも目にする。

「男女共同参画社会(共参社会)」にしろ、「協働」の町づくりにしろ、総理府や国立婦人教育会館に巣食う全共闘世代と共産主義に入れ込んだの女革命家らが共同謀議的に考案したものなのだが、これを自民党政権下でろくろく議論もせずに疑いも無く導入し、今では担当大臣がいて防衛費よりも高額な予算付いてるだから呆れ甚し。

「共参社会」とは「共産社会」であり、「協働」とは「共同」ではなくコミューン、つまり共産主義のコミュニティ集落というのがその語源の基となっている。

「協同」というコラボレーションの意味ではない。こうした共産党の造語がマスコミなどを通じて巷に氾濫し、それを国民が疑いも無く使用している実態は、我々が想像している以上に左翼が権力側や行政権と連結してしまっているという証左だ。

 文科省の決定を無視しながら、一方では外務省局長通達の「中国」使用や、生活保護の局長通達を遵守していることとはどういうことか。一貫性が無いではないか。

「中国」呼称についても、我が国を属国、朝貢国と見做す中共は、日本にだけは、自分達を世界の真ん中にある「中国」と呼ばせたいが為の強要でしかない。

「支那」という言葉の禁止という理不尽な言い掛かりが始まったのは、我が国がGHQの支配下にあった戦後の混乱期の昭和21年6月迄遡る。中共は形式上、連合国の一員で戦勝国であり、その力関係を盾に我が国に「中国」という名を強要してきた。

 外務省は反論も出来ず、従順に受け容れ「外務省次官・局長通達」として、「今度は、理屈抜きにして先方の嫌がる文字を使わぬ様に」との指示を出すに至った。

 主権恢復前とはいえ、中共からの異常な主張に諾々として従い、言論機関にこれを強制し、現在に至っているのだが、一つの譲歩が更なる譲歩を生む典型だろう。

 今日の日本外交の基本である、「隣国が嫌がるようなことはしない」との弱腰土下座外交は、この時が最初であろう。生活保護も然り。こうした外国人への生活保護は一時的に採った温情措置なのだが、「厚生省社会局長通達」は今や見直されることなく恒常化してしまい、在日への不正受給は我が国の財政をも圧迫している。

 在日ら外国人への生活保護費支給は日本国憲法第25条違反並びに生活保護法違反であり、即時中止すべきものなのだが、在日特権が改められることはない。

 三島由紀夫は嘗て、自著「祖国防衛論」にこう著している。

「共産主義を行政権と連結せしめようとするあらゆる企画、あらゆる行動に反対するものである。この連結の企画とは、所謂民主連合政権(容共政権)の成立及びその企画を含むことを言うまでもない。名目的たると実質的たるとを問わず、共産主義が行政権と連結するあらゆる態様に我々は反対するものである」

 今、周りを見渡せば「男女共同参画社会」を始め、「外国人地方参政権付与」「住民基本法案」「夫婦別姓法案」「戸籍制度廃止法案」「人権救済法案」「女性天皇論」「女性宮家」などなど、カタチを変えた共産主義が次々と企画され行政権に入り込み連結され様としている。正に三島が憂いた現実がそこに在る。

 昨今の安っぽい保守ブームや愛国ブームなんぞ目晦ましに過ぎないのだ。右翼陣営も反中・反韓・反米を声高らかに叫んではいるが、身近に起こっている左翼のこうした策謀に気付かないフリをしているのか、糾弾の声は全く上がることがない。

「中国」との呼称を平気で使用し続ける右翼も実に多いが、要は、「祖国防衛」とか、国防への危機感が決定的に欠落してると言わざるを得ない。扨て、話しは変わるが、ネットでこんなのを目にしたので声に出して読んでみましょう!

 「親も子どももももが好き」
 「子どもはどの子もどの子も子どもらしい」
 「もう子どももどうもだめ」
 「どもる子どももどもらない子どもも子どものうちは子どもどうし」
 「親子ともども子どもみたいでもどかしい」
 「ドコモはどこも子どもでいっぱい」
 「もと子の子どもももう子どもじゃない」
 「男子は女子どもとばかにしないでね」
 「この椅子もこの子の子どものころのもの」
 「この子どもどこの子?」

 どうでしょう、読み難いでしょ。でも、これを漢字にすると実に読み易くなる。

 「親も子供も桃が好き」
 「子供はどの子もどの子も子供らしい」
 「もう子供もどうもだめ」
 「どもる子供もどもらない子供も子供のうちは子供どうし」
 「親子ともども子供みたいでもどかしい」
 「ドコモはどこも子供でいっぱい」
 「もと子の子供ももう子供じゃない」
 「男子は女子供とばかにしないでね」
 「この椅子もこの子の子供のころのもの」
 「この子供どこの子?」

「子供」は「子ども」ではありません。「子ども」使用は文科省並びに国家に対する反乱であり、左翼勢力や革命分子、または単なるアホと見做す。呵呵大笑。

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2015年03月07日

「一殺多生」や「七生報国」は知ってるが「四生五殺」という言葉があるそうだ

 大手コンビニエンスストア「ファミリーマート」と「サークルKサンクス」を傘下に持つ、「ユニーグループ・ホールディングス」が経営統合に向けて本格的な協議に入ることが明らかになった。この統合が実現すれば、コンビニの店舗数では業界首位に立つ「セブンーイレブン・ジャパン」に並ぶ規模となるという。

 愚生の住む地域を見てもファミリーマートの進出は目覚ましく、ヤフオクで「はこBOON」を利用することが多い愚生には結構なことだ。一方のセブンイレブンはというと、フランチャイズ契約を結んでるオーナーの自殺が殖えているという。

「四生五殺」という言葉もあるそうだ。 その昔、受験生の間には「四当五落」などという言葉があった。「寝る間も惜しんで勉強して、4時間の睡眠なら合格するが、5時間以上睡眠している様では合格出来ない」という意味に使われていた。

「四生五殺」とは、4000万までの借金なら大丈夫だが、借金が5000万円まで達すると自殺するからだという。 コンビニというのは他人事ながら、それほど儲かる商売だとは思わない。コンビニエンスという名前の通り便利なものでしかない。

 最近のコンビニの統廃合は、消費者からすればコンビニ店の個性も無くなってしまい、存在価値も薄れて来てしまった様にも思う。これだけコンビニが街に殖えれば過当競争になるのは当然で、売り上げも本人や本社の思い通りには伸びない。

 脱サラしたり、定年後に、「老後の小遣い稼ぎにしよう」なんて、軽い気持ちでコンビニ経営を始めるとエライことにもなり兼ねない。赤字が出たコンビニには、それこそ24時間の監視態勢が執られ、金庫のカギを取り上げて管理される。

 売り上げに改善が見られない場合には、「契約不更新」を宣告され、店も本社に取り上げられるという。更には、それまでのセブン本部との取引で生じた、「オープンアカウント」(取引勘定)が清算され、莫大な借金だけが残されるという。

 このオープンアカウントでは、通常は利息が発生しない買掛金にまで5~7%の高い金利まで付くというから驚く。そうしてストレスがピークに達し、悩んだオーナーが自殺する訳だが、返済は個人事業主が入ってる生命保険目当てに自殺し、借金の返済に充てる。「セブン‐イレブン加盟店共済制度保険」がそれだ。

 オーナーが閉店しようが自殺しようが、損害賠償金はオーナーに支払われることがなくセブンイレブンジャパンがネコババ。その保険代理店は、親会社のセブン&アイ・ホールディングスグループの「株式会社ヨークインシュランス」である。まぁ、大手企業のやってることは暴力団と大して変わりはない(苦笑)

「四生五殺」という借金地獄で思い出すのは、盟友だった右翼団体・蒼穹社代表の瀬野寿夫だ。横浜の瑞穂塾々長の伊藤満と浄化槽管理の事業を始めたが、無計画さと自身の放蕩などが重なって、高金利に手を出して借金が膨れ上がった。

 4000万ほどの借金もあっという間に7000万円に。生命保険に入ってた瀬野は、母親が連帯保証人となってたことを気に留めていて、その5000万円の保険金目当てに自殺した。高金利で貸してたのはヤクザを始め、伊藤や数人の右翼らも貸主に名を連ねていた。所詮は金の切れ目が何とやらという付き合いだったのだろう。

 愚生も他生の工面をして貸してはいたが、香典だと思って諦めてた。そんな矢先、伊藤から「これ瀬野の母親から渡す様に言われたから」と、70万円を渡された。どうせ無くなったカネだと思ってたので、そのカネでロレックスの金無垢のボーイズサイズの中古を購入。だが、その数か月後にはシナ人の女に盗まれてしまった。

 縁起の悪いカネで買った時計なんてそんなもの。盗まれて以来、夜の繁華街などに立つシナ人を見つけると、ロレックスをしていないか調べることにしている(笑)

 瀬野が自殺した場所からは、いつも彼らがやっていた横浜駅西口広場の街宣場所が見える場所だったという。本人も余程右翼活動への未練があったのが分かる。

 瀬野とは上京すると毎週の様に会い、酒を酌み交わし、話しは尽きなかったが、蒼穹社という団体を立ち上げてから、それまでの付き合いから一変してしまった。

「団体なんて創らないで浪人で好いだろ」「借金なんて返さなきゃいいよ、事件起こして刑務所でも入ってりゃ相手も諦めるだろ」などと進言してはみたが、やはり母親の連帯保証の件と、伊藤への絶望感が、ああした結果に繋がってしまった。

 どうにか足掻き乍らも生きてりゃ、今じゃ貸借関係の法律も変わり、過払い請求で逆に貸主に請求出来ただろうに。瀬野の軽挙妄動は返す返すも残念でならない。

 最近は愚生も借金が四生とまでは行かないまでも、遣り繰りが大変で首が回らなくなって来た。それでも四生五殺というより「九生」くらいまでは大丈夫だとは思っていますので、貸主の方々は安心して増資を検討しては貰えませんか。呵呵大笑。

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2015年03月06日

特殊法人でありながら、幾多の株式会社の持ち株会社となり、その収益を視聴者(受信契約者)へ還元しないNHK

 啓蒙活動と備忘録を兼ねてfacebookもやっている。先日、FBFが「NHKを解体しろ!テレビは見ない! 勝手に言ってればよいと思います。自分は寺門アナがいる限り、朝はNHKを見続けます!」といつもの様に、シャレを利かせながら自称・愛国者、保守系団体への皮肉たっぷりの日記がタイムラインにアップされた。

 別段、いつものことと笑って見過ごそうかと思ったが、NHKに対しては多くの国民が怒り、訴訟を起こされてる。国営放送としては実に不適格な存在であることは余程のバカではない限り承知している訳で、分かり易くコメントしてみた。

「相変わらず腐してますな(笑)公共放送の役割は事実を淡々と報じることに他ならず、多数の視聴者の常識から逸脱してはなりません。近年は、政治的な問題は、自分らの価値観や意見を押し付ける「説教」が目立ち、根拠の無い偏向番組が散見せれるのは大きく国益を損ねていることは承知の筈。最早NHKは公共放送局として存続に値しない特殊法人で、早急に解散させるべきです。特殊法人でありながら、幾多の株式会社の持ち株会社となり、その収益を視聴者(受信契約者)へ還元しないのは公共性とは大きくかけ離れるものです。歪曲、偽造、捏造、の常習犯。虚構をでっち上げ、我が国を貶め続けるNHKは受信料を払ってまで見る様な類のものではなく、視聴者が「受信料拒否」の手段で抗議することは一つの手段でしょう。シャレは好いですが、笑えない場合もありますよ」。この文面に何をトチ狂ったのか、FBFの友達のKという男性から以下の様な、反論とは言い難い内容のコメントが書き込まれた。

「どちらがシャレにならないかは個人の判断考え方です。NHKの生い立ち。現在のスタンスは考えるべき物も在るとは思いますが…国営放送は必要ですよ。そして現在国営なのです。国営なら、国民が負担すべきだとは思いませんか?これは日本国民の決められたルールです。自分はNHKの視聴料を払ってから、意見を述べる土俵に上がるべきだと思います。払わずに理屈をコネルのは最も非常識だと思います」

 受信料拒否は当然のこと。何故に愚生への反論なのかと訝しく思い、ここの前のコメント欄に目を通すと、こんなコメントが入れられていたのに気が付いた。

「自分の国の国営放送を解体。視聴していないから金を払わない?なんたる愚かしい発言でしょうか?全く。笑ってしまいます」 これに対し、FBFは「自分の考え方と違うだけで無理な駄々をこねる、まるでガキですね」と同意をする。

 あ~なるほど、Kは自分が反論されたと思ったのだろう。簡単に論破出来るし、揚げ足を取ってやることも出来るが、FBFのウオールを汚すのも悪いので止めといた。ということで、拙ブログでその遣り取りを書き留めることにした。呵呵。

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2015年03月05日

ホルムズ海峡が封鎖され石油が入らなくても快適な生活が送れなくなる程度だってよ!

 衆院予算委員会での質疑で、民主党の枝野幸男幹事長は、「ホルムズ海峡が封鎖され石油が入らなくても快適な生活が送れなくなる程度」と語り、反響を呼んでいる。「油が8割止まると今と同じ様な快適な生活ができないけど、武力攻撃を受けた場合と同様ではない。直接人命が失われるような事態ではない」とも語った。

「石油が入らなくなっても快適な生活が送れない程度」というのは実に興味深いが、「便利」という価値観に溺れた日本人にとって、快適な生活が送れないとなれば、耐えきれるとは到底思えない。流石は極左、やることも言うことも確信犯(苦笑)

 枝野は、日本人の忍耐力を過信し過ぎているが、ホンネは、不便な生活に耐え切れなくなった国民は暴徒化し、その矛先が政府に向けられることを見込んでのこと。

 東京電力福島第一原発事故は、民主党政権下で起こった人災だったが、その官房長官だった枝野は「強制避難命令」を発令した張本人。それに因って、双葉病院の重篤な入院患者が退避の為に連れ廻され、数十人の命が亡くなった。放射線被害で亡くなった人はいないが、要らぬ避難命令で死亡した方は少なくない。

 こうした死者は原発関連死とされているが、これは民主党政権下で行われた殺人といっても過言ではなく、健康被害を避ける為に退避命令を出したつもりが、逆に命を奪ってしまった。今回の枝野の発言は、過去の過ちを反省していない結果。

 エネルギー安全保障政策が、如何に国民の生活・命を預かる上で大事なことかを理解していない。原発事故後、国内の原発が停止し、化石燃料による電力に移行した。

 経済の疲弊は明らかに原発停止の影響は大きく、枝野も、原油輸入に言及するならば、「ホルムズ海峡の封鎖は我が国の死活問題であり、原発再稼働を検討すべき」とでも言うなら刮目もするが、そんな奇特な輩ではない。まぁ枝野に限らず、反原発派というのは全く以てその論理は支離滅裂、呆れ甚しとはこういうことだ。

 中東からの輸入経路であるシーレーンの防衛は最重要課題であり、防衛や安全法制を担う自衛隊の存在が憲法違反の儘で好いとは思えない。枝野は「我が国には備蓄があるではないか」とも言う。だが、万が一、シーレーンを封鎖されれば、電力供給は数か月程度しか持たず、福島原発事故以上のパニックが起きるのは必至である。

 シーレーンの封鎖は「間接的に人命が失われる」危機でもあるのだ。こうした喫緊の課題に対して「反原発派」からは全くそんな声は聞かれない。それどころか、「快適な生活が出来なくなる程度」とは、反原発派とは何を況やだろう。

 我が国は四辺を海に囲まれた島国であり、オイルショックの経験から産油国との外交関係の重要性、そして中東からの石油輸入ルートであるシーレーンの安定化が不可欠と感じた日本は外洋に伸びるシーレーン千海里防衛構想を策定した。

 国内経済も海上交易に依存し、輸入依存度は石油が99.8%、石炭98.4%、天然ガス(LNG)96.6%、原子力(ウラン)は100%を依存している。輸出も然り。こうしたことから、海洋国家として自国のシーレーン防衛の重要性が認識され、海上自衛隊もシーレーン防衛として対潜水艦戦、対機雷戦を重点に訓練を行っている。

 イランの核開発に因るホルムズ海峡の危機や、中共の覇権主義に因り南シナ海や東シナ海、尖閣列島などが脅かされているが、適切な海上権益を確保し、マラッカ海峡から日本までのシーレーンの安全を確保することが重要なのは理解出来よう。

 米軍と協力し、千海里防衛は当然乍ら、太平洋~インド洋地域、南シナ海、東シナ海のシーレーンの防衛体制を確立することが大事であり、それが結果的には中東等での事態発生に対する抑止力となり、中共の覇権主義も阻止出来るのである。

 枝野と極左の繋がりを今更ながら論うつもりはないが、所詮、彼奴等の狙いは革命にあるのだ。それが「快適な生活が出来なくなる程度」の発言であり、社会の不安と混乱、秩序の破壊、そして大衆を洗脳し暴徒化させることこそその目的である。国防を強化する上でも、国内に蠢く左翼共の監視を怠ってはならない。

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