2015年03月

2015年03月31日

「右翼の敵は右翼に在り」というのを、田舎にいるとホントよく分かる(笑)

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 今から6年ほど前に防共挺身隊(防挺)のトップに立つも運動方針の違いから前任者と諍いになり引退した。端折って言えば、ヤクザの傘下、舎弟になってまで右翼活動をする気は無かったということだ。

 前任者はその2年前、名古屋に本部が在る大手暴力団組織の相談役の組の舎弟頭に納まった。その組織は「二足の草鞋」は厳禁ということで右翼を実際には引退したにも拘らず、院政を敷こうとあれこれと工作する。

 指示しているのは兄貴分のヤクザH。Hは、数年前、北海道の登別温泉のエレーベーター内で射殺された武闘派ヤクザ。やはり大手の〇健組・〇竜会系梁〇羅〇会の若頭だったが、内部抗争で破門。

 本来ならば前任者との三代目就任時の約束もあり、45歳の時に総隊長に就く予定だったが、このHが前任者を言い含め、禅譲を先延ばしする。

 あの頃からだろうか、組織内に軋みが出て来た。

 引退する数ヵ月前、友人から渓流釣りを教わりすっかりハマった。山に入れば連絡は付かない。ヤクザ傘下になれば午前と午後の定期連絡は欠かせず、前任者らに「定期連絡は出来ない」と断った。

 「なに~、コラッ!総隊長を取るか、渓流釣りを取るのかどうするんだ、お~?」と責められるも、二つ返事で「渓流釣り」を採った(笑)

 「おい、〇〇会をなめてんのか、コラっ!」と嚇されるも、「なめてはいないが、来るなら来い!」と言って電話を切った。連絡はそれっきり。

 その後に愚生への「除籍通知」が出された。画像の様に簡素に書けばいいものを、その通知にはあれやこれやと綴られていたらしい。

 まぁ右翼活動家として後ろ指を指される様なことは無いし、除籍通知を出される理由も無いが、それらを諒として蟄居生活をすることにした。

 その間、前任者は愚生の兄貴分であり、地元の〇龍一家の組織委員長Uに「復帰する様に言って貰えないか」などと依頼したが、もう組織には戻るつもりも、右翼への魅力も感じなかったし、鄭重に断りを入れて貰った。

 この組織委員長からの申し入れもあり、愚生への除籍通知は無効なのだが、未だのこれを気にする右翼人がいるのは悲しいやら情けないやら。

 愚生が除籍された後、続々と破門状やら絶縁状が回された。それらを出した元隊員のヤクザも結局はヤクザになりきれず全員トンズラ(笑)

 「礼節を弁えない」だとか、「犬畜生よりも劣る」だとか、それこそ前任者の周りにはそういう人物しかいなかったかの如くに、自らの器量不足を自ら証明する様なもの。

 隊員への破門状や絶縁状なんぞ出すべきではなかったと今でも思う。

 結局、前任者がその年の暮れに肝臓癌で幽冥境を異にし、組織に残ったのは実績も何も無いトラック運転手で無線同好会のオッサンとそこの若いのが数名。

 初代(福田進)も二代目(早坂光夫)も知らない者が総隊長だというのだから、行動右翼のパイオニアと言われた防挺も変わったものだ。

 引退した後は、趣味の釣りを始め、色々と好きなことをやってるが、右翼の基本である「よく読み、よく書き、よく喋る」+「よく呑み」を忘れることなく実践している(笑)

 ブログや新聞投稿、FBなども右翼としての微かな啓蒙活動の一環。それでも多くの一般の方々に賛同して頂いてるのは有難いし、心強い。

 他の組織の仲間からも「田舎で埋もれているのは勿体無い」「どうにか復帰は出来ないものか」という声を頂きもするし、誘われもする。

 また、大手暴力団幹部と昵懇の某企業の会長からも「俺が〇〇親分(若頭補佐)に言ってやろうか?」と言って貰ったりもしたが、嬉しい反面、右翼団体自体に期待することはもう何も無いし、興味も無いのでやんわり断った。

 山口二矢は既存の右翼や赤尾敏のやり方に絶望したし、野村秋介も右翼絶望派だ。三島由紀夫は既成右翼を毛嫌いしていたのは有名な話し。

 この三人には遥か遠くに及ばないが、愚生も右翼への絶望という点では共鳴することが多々在る。

 先日の木村三浩に対してもそうだが、ああした蛮行に対し右翼から木村が抗議されたとか、諫められたとか、或いはポカンとやられたという声は聞こえて来ない。これ正に、右翼御得意のナアナアさの為せる業だろう(苦笑)

 そういうケジメを付けない右翼というのがホント嫌いだ。

 右翼はいつからこんなだらしない勢力に墜ちてしまったのだろう。

 新右翼や、今時のなんちゃって右翼やインスタント保守は、イデオローギーが違っても、或いは意見が対立していても人間として付き合うのは別だという。

 イデオロギーという言葉だとカッコよく聞こえるが、要は分かり易く言えば「尊皇」か「反天皇」ということだ。根本が決定的に隔絶している者と、人として付き合えるかといえば愚生には到底無理。

 こんなのと付き合うのなら人間的に立派なノンポリと付き合った方がいい。愚連隊右翼と言われた組織で育った者の違いだろうか(笑)

 愚生の場合、嫌いなヤツとは目も合わせないし、挨拶もしないし、波長は合わせないことにしている。若い頃ならいざ知らず、何が悲しくて話を合わせなきゃならないのか。

 野村秋介は遺作となった「さらば群青」で、「日本を切に愛する若き民族派諸君の為に」として、「五つの敵」というものを遺している。

 「東京裁判史観という敵」「魂なき繁栄という敵」「まやかしの平和という敵」「権力悪、そして巨大な不条理という敵」「わが内なる敵という敵」

 正に「わが内なる敵」がそこに存在する。
 
 まぁ、「敵」といえば「敵」なのだろうが、右翼が右翼自身を貶めているいうのは確かで、田舎に住んで遠巻きに見てるとホントよく分かる(笑)

 木村は以前、「右翼は終わってねえぞ」を上梓した。出版当時は大いに共鳴もしたものだが、今の木村を見てると「右翼は終わった」としみじみ感じる。

 右翼の世界も「玉石混交」だというが、その「玉」に中々出会うことはない。

 数ある団体の中には街宣車に日の丸を立てて、軍歌を流すだけの団体も在ったり、街宣車を強請り集りの道具として使用してる自称右翼も少なくない。

 それはそれでいい。宣伝車さえロクに持てない右翼が殆どの時代に、ある意味、右翼の怖いイメージを植え付けてくれてるのだから(笑)

 そんな中で、世間の嘲笑や侮蔑に耐えつつも皇室の弥栄を祈り、国の行く末を憂う純正右翼や本流右翼も極僅かだが存在する。

 福田素顕翁(防共挺身隊・初代総隊長福田進の父)は、「愛国者は国民の模範的人物にして、指導者たれ」との言葉を残してこの世を去ったが、民族派、右翼を自称する者の中で果たして何人が「国民の模範」と胸を張ることが出来ようか。

 野村秋介大人は「塵中に人あり(汚れた顔の天使たち)」の中で、「他を批判する者、先ず自らに峻烈でなくてはならない」と示現している。

 我が胸に手を当て自省してみれば、忸怩たる思いに駆られるが、国民の模範に成れないまでも、塵の中でもキラリと光彩を放ってる、そんな人物に成りたいものである。

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2015年03月30日

財力に諂わず権力に屈することなく正しいものを正しいものとしてどこまでも信念を押し進めて行きたい

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 最近は「保守ブーム」だという。新保守主義を掲げる学者や評論家の言動が持て囃されてはいるが、その保守に尊皇はなく、時勢に媚びた営業保守というのが正しい。

 彼等が保守したいのは己らの今現在の体制であり、要は、生きる為の生業としての現状を維持することが大事であって、立場が維持出来ないとなれば掌を返すのは想像するに余りある。

 やれ、「反中だの、「嫌韓」だの、「反北朝鮮」だのと耳障りの良いことを言ってるだけで、これがホンネとも思えないし、ホンネでもないだろう。

 尊皇無き保守では米国や英国の保守政党や保守主義と何等変りは無く、それは単なる新保守主義でありグローバリズムだ。

 そんな中で、右翼・民族派の存在価値も年々薄れて来ているのは確かだろう。

 資金不足と指導者不足は顕著で、右翼人なのかヤクザなのか分からない。

 思想は乏しく、考えていることは己のシノギばかり。

 久しぶりに相対しても、「どうよ、景気は?」といった具合でうんざりする。

 だが、悲観はしていない。必ずや、この混迷、停滞から脱却し、天皇国日本を磐石の安きに導いてくれる本物の国士は出現するだろうから。

 右翼・民族派諸氏は維新者としての原点に戻り、研鑽を積み、テロを担保しつつ行動し、啓蒙活動をして貰いたいものだ。

 まぁ、右翼から退いた右翼絶望派の愚生ではあるが、現今の自称右翼、自称愛国者よりは懸命に生きていると自任している。

 人というのはどれだけ生きたかではなく、どう生きたか、どう生きるかが大事だということを今更ながらしみじみと考える。


 野村秋介の遺した「自問自答の訓」というものがある。


 常に世俗にありてその一隅を照らし

 常に在野にありて権力悪と闘い

 常に人々を愛し共に涙を流し

 常に海を愛し空を愛して神々を敬い

 常に友情と信義を胸中にして熱く燃え

 常に名利を求めず正義を追い

 常に月を愛し酒を愛し女を愛し

 常に自由にして奔放であり

 常に一剣を懐中にして平天下を願う


 この訓に現されている様に、野村秋介というのは浪漫派だったのだと改めて思う。

 愚生も、常に自由で奔放ではあるが、一隅も照らすものも無し、これほどまでにカッコいい生き方は出来ないだろうが、右翼人生を歩んでる一人として、酒を愛し女を愛し、常に自由にして奔放な無頼派右翼で在りたいとは常々思っている。


 宅見勝というヤクザが遺した言葉がある。


 生ある人生が

 いつかは必ず来るべき死を

 約束づけているなれば

 俺は法律が

 どう変ろうが

 社会の常識が

 どう変ろうが

 財力に諂わず

 権力に屈することなく

 正しいものを

 正しいものとして

 どこまでも俺の信念を

 押し進めて行きたい


 どちらかというと、削げ者の愚生は野村秋介の訓えよりも此方の方が性に合う。

 草莽ではあるが、こんな生き方を全うしたいものだ。

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2015年03月29日

愚生は右翼人ではあるが、自分を愛国者だと思ったことはない(笑)

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 愚生は組織は辞したが正統な右翼人だと自負している。

 右翼浪人などとカッコ付けてはいるが、大学卒業以来ろくろく働きもせずに好きなことをやってる訳で、浪人というより放蕩右翼と言った方がいいだろうか(笑)

 右翼人ではあるが、自分を愛国者だと思ったこともない(笑)

 現役時代、宣伝車に乗り流し街宣をする時にも、「我々は民族派・愛国者団体であります」などというのは烏滸がましく、どちらかといえば「自由・民族・平和を守る・防共挺身隊であります」というフレーズを好んで使ってた。

 右翼は愛国者だとは思っていない。親や家族の為に真面目に勤労し、地域や職場の為に協力し合い、そして納税の義務を果たしている方こそ愛国者であろう。

 宣伝車に乗って騒いだり、日の丸を振ってるのが愛国者なら、カノ国の「反日」さえ訴えてれば熱狂的愛国者であると勘違いしてる民族と大して変わらない。

 右翼とは行動によって世論に警鐘を促す、単なる行為者でいいと思っているし、将棋でいうところの「歩」でいいと思っている。

 駒を扱う人によっては、歩でも「と金」には成れるが、精々そこまで。それでも「と金」ならまだいいが、何でもかんでも成ればいいというものではなく、「成金」にだけには成りたくないという意地はずっと持っていたいものだ。

 「王将」や英雄になるべきはその駒を動かす思想家だろうが、右翼人の大きな間違いは、自分が恰も思想家や坂本龍馬にでもなれるのと勘違いしてる連中が多いことだ。

 右翼の先生方の理論を見聞きしても所詮は先人の請け売りでしかなく、魂の籠っていない二番煎じでは心に響くものもない。

 最近の安っぽい愛国ブームもまた日の丸を掲げただけで愛国者だと勘違いし、それこそが愛国心なのだと取り違えていることが、国を愛する心ということ自体を毀損していることに気付いていない。

 如何にも愛国的な言葉に歓喜し、懐古的なフレーズを称え賛同するが、単なる営業右翼に煽られて利用されているに過ぎず、これらもまた単なる駒でしかない。

 日本人としての誇りや自信の喪失にしろ、多くの自己中心的犯罪にしろ、子殺しや親殺し等々、日本の社会に蔓延する諸問題の根底には、確かに愛国心の欠落というものに起因しているということも無きにしも非ず。

 だが、それは「愛国心」を持ちさえすれば解決するかといえばそうではない。

 間違った、勘違いした愛国心は事をややこしくもする。

 そうした中、政治家はそれらの根本的諸問題に見向きもせずに、事勿れ主義から論議を避け、非が無いにも拘らず謝罪し続け、問題解決を先送り。

 政治家の頭の中は保身と次の選挙だけで、票になると思ったら平身低頭、支援者と見れば履いてる靴やケツの穴までなめる勢いだ(苦笑)

 頽廃したマスコミは国益を擁護する気配は皆無で、問題から視点を逸らし、国家や政府を腐し、問題が出ればその萌芽は我が国に在ると貶し、国民の愛国心を蝕む。

 今や、マスコミやジャーナリズムは、視聴者や読者に諂うばかりのマスターベーション的コミュニティサイトに成り下がってしまった。

 迷えるものはつまらぬ宗教に走り、国民の勤勉性、家族愛、郷土愛、信義誠実の原則や心の中の高貴なものを失い、高邁さを忘れて自己中心的欲望に塗れ続ける。

 その結果というか反動が、所謂「ネット右翼」を始めとした愛国ブームだろうし、「在特会」の組織拡大であり、「日本会議」などの保守系団体の活発な行動なのだろう。

 「9条改正」こそ愛国心の結集とばかりに盛り上げようとしているが、現憲法の問題が9条に在ると思っていること自体、「9条の会」や左翼らと根本的に違わない。

 護憲派が我が国を貶めてはいるが、国家解体までには及んではいないのは良識が未だ存在しているからだ。だが、悲しいかな、安易な改憲は国家解体を加速させるということに気付いてはいない。

 営業保守や自称・愛国者らが口にする、「取り敢えず第9条改正を突破口に」という認識は、事の重要性を認識していない証左である。

 要は護憲派が日本を徐々に壊し、改憲派が更にそれを加速させるということであり、愛国ブームという世情は国家解体の序章でもあると言っても過言ではない。

 「国家という概念は今日、明白な内容を持っていない。だから軽薄な愛国教育しかできないのだ」とは、アドルフ・ヒトラー。

 三島由紀夫も、「日本の様な国には、愛国心などという言葉はそぐはないのではないか。大和魂で十分ではないか」と教える。

 日本人が持つべき「大和心(大和魂)」とは、つまり、花鳥風月、山川草木、春夏秋冬の恵まれた自然に逆らわず調和して暮す従順な心である。

 愛国心などというものは他人が教えて育めるものでは無い。安っぽい愛国心の昂揚は、ロクな結果しか生まないだろう。

 偏狭な愛国心より、日本人の心の奥底に棲む大和心こそ涵養すべし。

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2015年03月26日

安倍総理が自衛隊を「我が軍」と言ったからってどうでもいいだろ(嗤)

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 安倍首相が国会質疑で自衛隊を「我が軍」と述べたことに対し、野党から批判が相次いでいる。これが国会論戦だというのだから恐れ入る。

 細野豪志民主党政調会長は会見で、「これまで自衛隊という形で、憲法の枠組みの中で積み上げた議論を全部ひっくり返すような話だ。非常に理解に苦しむ」と指摘した。

 松野頼久維新の党幹事長も記者団に「あくまで我が国は自衛隊だ。不安を煽る様な言い回しは、気をつけるべきだ」と指摘した。

 これが真顔で言ってるのだからホント厭きれてしまうが、今や旧社会党以上のノータリン政党になった民主党は分からなくもないが、「維新」を冠する維新の会がこうした認識というのも、「維新」という字を単に弄んでいるだけにしか感じない。

 自衛隊は軍隊で在らねばならず、それは国軍であり天皇の軍隊である。

 何が維新か。彼らは、軽々しく「維新」を口にし、恰も惨憺たる現体制を打破し、新たな政治体制を確立するかの様な言動をするが、連中に保守主義はない。

 彼らに尊皇精神は無く、死守すべき皇統は二の次で、彼らが守りたいのは政治家の椅子だけだ。「維新」という言葉も軽く見られたものだ。

 日本では過去に尊皇を掲げ、陋習を打ち破らんと維新の大業が成し遂げられた。

 「大化の改新」「建武の中興(新政)」「明治維新」である。

 昭和11年2月26日には、「昭和維新」を掲げ、二・二六事件が惹起さている。

 維新の党は、「維れ新なり」と軽々しく使い、国民を言い拵えているが、右顧左眄の自己保身に狂奔する政治家共が痴がましくも口に出すものではない。

 「維新の精神」とは、藤田東湖が教え給う「大義を明にし、人心を正さば、皇道奚(いずく)んぞ興起せざるを憂えん」である。

 維新の党の連中にはそうした精神を知る者はいまい。恥を知れ!

 自衛隊は永い間「戦力なき軍隊」と揶揄されて来たことは周知の通りで、戦力は無くても「軍隊」ではないか。「戦力なき自衛隊」などは聞いたことも無い(笑)

 要は安倍が「我が軍」と言ったなどと論うのは単なる揚げ足取りであり、憲法9条を容認し、国家解体を謀る戯言でしかない。 

 昭和20年8月15日、我が国はポツダム宣言を受諾し、陸海軍は解体、非武装化が進められ、日本は完全な「丸腰国家」にされた。

 しかし、昭和25年に朝鮮戦争が勃発すると、マッカーサー元帥は吉田茂首相に、国内警察力と海上警備力の強化を促す書簡を送った。所謂「マッカーサー書簡」である。

 このマッカーサー書簡から一ヶ月後の8月9日には「警察予備隊令」が決定、翌日公布、即日施行というスピードで準備が整えられ、自衛隊の前身たる警察予備隊が誕生した。

 当時は、警察予備隊は「軍隊」ではないとする為に、「師団」を「管区」、「歩兵」を「普通科」、「砲兵」を「特科」、「兵器」は「武器」、「戦車」に至っては「特車」という始末だった。

 我が国が主権を回復した年の昭和27年8月1日、警察予備隊、海上警備隊を統合し保安庁が設置されるに至った。

 政府は「保安庁法」」を提出したが、野党は「憲法9条」を楯に政府を攻撃した。

 吉田茂首相は野党からの執拗な質問責めに「戦力とは近代戦を実行する力であり、保安隊、警備隊にその力はない」と答弁する。

 その結果、自衛隊は永い間、「戦力なき軍隊」と言われ続け、今もその呪縛に囚われていると言っても過言ではない。

 今般の民主党や維新の党が論う、「我が軍とはケシカラン!」という口撃も、この時代の野党と同じで、政治家というのはあれ以来何ら進化していない証左だ(嗤)

 昭和29年7月1日には防衛庁が設置され、陸海自衛隊、航空自衛隊が創設された。

 陸には一〇式戦車、海にはイージス艦、空にはF15戦闘機と文字通り近代戦を戦える装備を持ち、その高い士気と練度は国際的にも大きく評価される組織となっている。

 昨日は、日本海上自衛隊最大の護衛艦となる「いずも」が就役し実戦配備された。

 全長248メートル、空母と同じ全通甲板を持つ「いずも」の外見は空母そのもの。

 ヘリコプター9機を運用するほか、オスプレイの離発着も可能となることで、尖閣諸島などで想定される島嶼奪回作戦にも大きな力を発揮する。

 世界から見れば自衛隊は軍隊であり、立派な我が国の国軍である。つまりは何のことはない、日本国憲法と野党だけがそれを認めていないだけだ。

 昭和45年11月25日、三島由紀夫が市ヶ谷駐屯地で決起し、その「檄」にはこう記されてあったことは忘れはしない。

 「もっとも名誉を重んずるべき軍が、もっとも悪質な欺瞞の中に放置され・・・自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず」

 三島が喝破した通り、自衛隊は現行憲法下では、未だ「警察予備隊」のまま放置され続けているのだ。

 政治家として真に国家を憂うるならば、「我が軍と言った」とかそんな末の話しではなく、国防とは如何なることか、軍隊とは如何に在るべきかを論じるべきである。

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2015年03月25日

四月からの「ふくしまデスティネーションキャンペーン(DC)」を機に福島へ!

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 福島県内では、愈々四月から大型観光企画「ふくしまデスティネーションキャンペーン(DC)」が始まる。県は、この企画に合わせ観光客が利用出来る旅行券の補助を行う。

 旅行券は宿泊代金が1万円以上の県内宿泊施設で利用可能で、一人につき一枚利用出来る。利用の仕方によっては日帰りよりも宿泊の方が安くなる場合もあり、地域経済の活性化が見込まれる。

 販売方法は、コンビニに設置されている各種チケットの販売端末で旅行券を購入する場合と、大手宿泊予約サイトでの申し込みによって利用出来る。

 未だに福島県は原発事故の影響で要らぬ風評被害と流言蜚語に悩まされ、止まることのない流言蜚語が原発事故の混乱に拍車を掛け、混乱が余計な混乱を生む悪循環。

 今や被災地は震災復興どころか復旧も儘ならないのは中間処理施設設置の遅れも然ることながら、止まらない悪質極まれる流言蜚語と、国民の放射線に対する無知にこそ問題が在ると言っても過言ではない。 

 国民の中には未だに「放射線」と「放射能」を勘違いしている人は多い。

 今更だが、簡単に説明してみよう。何故なら、この単純な思い込みが反原発派や左翼らに煽られて「聞く耳を持たない」人が実に多いからだ。

 放射線を出すものを放射性物質という。放射性物質は放射線を出しながら壊れて行くが、この放射線を出す能力が「放射能」というものだ。

 放射能の強さは、時間とともに弱くなって行き、放射能の強さが半分になるまでの時間のことを「半減期」といいう。

 放射線には、「アルファ(α)線」「ベータ(β)線」「ガンマ(γ)線」「中性子線」などの種類があり、レントゲン写真のX線やMRIなども放射線の一種。

 【放射能】の誤用を一覧にすれば、例えばこうだ。

 ☓「放射能漏れ」→〇「放射能は漏れません」
 ☓「放射能は人体に有害」→〇「放射能は人体に無害です」
 ☓「放射能に食物が汚染」→〇「放射能は汚染しません」
 ☓「放射能が撒き散らされる」→〇「放射能は撒き散らされない」
 ☓「放射能が混ざった雨が~」→〇「放射能は混ざらない」
 ☓「放射能を一定量」→〇「放射能に量はない」
 ☓」放射能を浴びると~」→〇「放射能は浴びることはない」

 この「放射能」と「放射線」の違いを更に分かり易く言えば、こういうことだ。

 【放射線】とは【うんこのニオイ】
 【放射能】とは【そのうんこがどれくらいクサイか】
 【放射性物質】とは【うんこそのもの】

 うんこの臭いは弱いと不快なだけだが、強くなると目に染みたり、気持ち悪くなったり、身体的症状が表れ後々まで症状を残すことがある。

 防護服は、そのうんこを付かない様にする為のものでしかない(笑)

 放射線が厄介なのは、うんこみたいに臭ったり見えたりしないうちに体が犯されて行くところだが、うんこに例えると実に分かり易いだろう(笑)

 現在、福島県内で齎されている放射線は人体に影響が出るレベルではない。

 だが、そうした現実を知りながら、ただ「住民の安全と安心」という愚にも付かない理由で「除染」という不可思議な作業が続けられている。

 既に4兆円がばら撒かれたが、「住民の安全と安心」というならば、放射線の正しい知識を啓蒙すればいいのだが、左翼や反原発派に煽られてしまった国民を、こうした洗脳から目覚めさせるには困難を極めそうだ。

 そういや民主党政権下で起きた原発事故は人災であるが、枝野が当時頻りに「飲んでも食べても直ちに人体に及ぼす影響はない」と言ってたっけ。

 大丈夫、直ちにどころか、将来に亘り影響を及ぼすことはありません。

 来週から始まるDC(ふくしまデスティネーションキャンペーン)を機に、多くの方が福島を訪れ、県民の元気溢れる姿と美味しい料理と素晴らしい景色に直接触れて頂きたいものだ。

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2015年03月24日

桜花咲き匂うこの時期、全国各地で卒業式、入学式が行われるが・・・

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 「敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花」、正に桜花咲き匂うこの時期、全国各地で卒業式、入学式が行われる。県内では、昨日23日が小学校の卒業式だった。

 卒業式や、別れの定番曲といえば「蛍の光」だったが、いつの頃から歌われなくなった。

 この歌が拒否された理由は、国歌斉唱を拒否する運動と同じで、我が国の歴史を否定する所から始まったものであろうことは推測出来る。

 「蛍の光」の原曲は、スコットランド民謡の「オールド・ラング・ザイン」。これに詩を付けたのが国学者の稲垣千頴(チカイ)と言われている。

 千頴は、陸奥国棚倉(現・福島県東白川郡棚倉町)出身。

 棚倉藩を治めていた松井松平家の家臣稲垣半太夫の次男として生まれ、幼少期から学問に頭角をあらわし日光の寺院へ留学。

 棚倉藩主松平康英の川越転封に伴い、川越藩藩校長善館の教員となる。

 京都遊学を経て東京に移り、1869年(明治2年)23歳で平田篤胤死後の国学塾「気吹舎(いぶきのや)」(主宰 平田銕胤)に入塾する。

 塾頭に就任するも、塾則で禁じられていた遊郭登楼が発覚し、塾生らから意見書が提出され退塾処分となった人物でもある。

 遊郭通いとは中々洒落てるじゃないか。それを、高が遊郭遊び如きをチンコロするなんぞ、これから国学を習おうという塾生としての心構えがなってはおらん(笑)

 「蛍の光」は、GHQ統治下の、1949(昭和24)年、教科書検定制度最初の小学5年生の音楽教科書に掲載されたが、国家主義的な色合いが強いと「3番」「4番」の歌詞は削除された。

 その「3番」「4番」と意味は次の通り。

 3、筑紫の極み 陸(みち)の奥
   海山遠く 隔つとも
   その真心は 隔て無く
   一つに尽くせ 国の為

 (九州の端や東北の奥まで、海や山々によって遠く離れていても、真心は唯一つにして互いに国の発展の為に尽くそうではないか)

 4、千島の奥も 沖縄も
   八州(やしま)の内の 守りなり
   至らん国に 勲しく
   努めよ我が背 恙無く

 (千島列島の奥も沖縄も、日本の国土の守りだ。学を修め職を得て、どの地に赴こうとも、日本各地夫々の地域で、我が友よ、我が夫よ、我が兄弟よ、どうか無事にお元気で、勇気を持って任に当たり、努めを果たして頂きたい)

 この詩を知れば、我が国の歴史や先人の営為が見えて来るというものだが、「蛍の光」の後半部分の削除は正に戦後民主主義教育の一環でもあるのだ。

 戦後民主主義とは、自国の歴史を汚辱に塗れた過去と捉える自虐史観だが、「蛍の光」を見るまでも無く、その悪しき戦後教育は今や日本の隅々にまで浸透してしまっている。

 占領下、我々日本人はそれまでの尊い価値観を見失ってしまったのだ。

 いつになったら覚醒するのだろう。

 また、卒業・入学シーズンになると、国旗・日の丸、国歌・君が代に反対する蛆虫共も蠢き出す。

 日本という国に生まれ住み、日本人として恩恵を享けながら、日本に誇りも持てず卑下するのは実に醜く見苦しい。

 多くの日本人は国旗・国歌に親しみを感じている。

 ところが未だ、「国旗及び国歌に関する法律」が制定されて以降も、これに公然と異議を唱え、反対している勢力が存在する。

 言わずと知れた「日教組」や「全教」、共産党といった反日勢力だが、連中は「日の丸は軍国主義の象徴だ」「侵略の旗だ」「君が代は天皇賛美だ」との妄言を垂れ流し純真無垢な子供達を洗脳する。

 ならば米国の旗はどうだ。英国やオランダ、フランスはどうだ。或いは中華人民共和国の旗は侵略の旗ではないのか。

 天皇国日本が天皇を賛美したとして何が怪しからんのだ。反対する連中というのは物事の見方が実に薄っぺらで、こうした状況は健全な世論に逆行するばかりか、教育現場での混乱は国益を損ねるものである。

 教師という公務員で有りながら法律を遵守もしない不良教師の一掃を図るべきだが、その日教組にしろ民主党の支持母体というのだから世も末だ。

 国旗「日の丸」、国歌「君が代」とは如何なるものか。

 聖徳太子は隋へ、「日出づる所の天子、書を日没する所の天子にいたす、恙無きや」の文書を小野妹子に託す。

 これを読んだ隋は激怒するのだが、小国日本の存在を堂々と主張して見事に気概を示した逸話であろう。

 我が国は、ユーラシア大陸で最初に朝日を迎える国であり、稲作民族が日の神、天照大御神を崇め太陽信仰を持つのは自然で、国のシンボルに「日の丸」を執ったのも極めて自然なことだ。

 国の成り立ちや理想が、「日の丸」の旗ほど一致する国は無い。

 日の丸の赤丸は、太陽を意味し熟誠、活気、博愛、誠心誠意を現し、白地は清浄無垢を示し神聖、正義、純潔、平和、鎮静を現している。

 これほどシンプルで美しい旗が何処に在ろうか。

 「君が代」も、「古今和歌集」巻七「賀の部」、「わが君は千代に八千代にさざれ石の巖となりて苔のむすまで」の一首からの出典である。

 この詠の本意は、大君の御代が栄えることを願ったものであり、「詠み人知らず」、詠んだのが草莽の民というのが実にいいではないか。

 我が国は、天皇を族長と仰ぐ君民一体の家族国家であり、「天皇即日本、日本即天皇」の天皇国家である。

 この国體の精華は万邦類を見ないところであり、従って陛下の御代が栄えることは、即日本が栄えることでもあるのだ。

 「君が代」は、実に我が国體の精華を格調高く歌い上げたもので、その曲と相俟って厳粛にして荘重、世界に冠たる誇るべき「国歌」である。

 万世一系の天皇を我が国元首として仰ぎ奉り、陛下の御稜威を国民生活の隅々にまで行き亘らせることこそ本望であり、畢竟、それは日本国民として当然の願望であることは言うを俟たない。

 我が国はいつの世も、時の陛下の御代であり、いつの世にもそこには「君が代」の世界が存在し、それは存在し続けなければならないのだ。

 そうした国柄を、「日の丸」と「君が代」は見事に現している。

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2015年03月23日

大相撲春場所を観終わって思うこと・・・

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 大相撲春場所千秋楽での結びの一番は中々見応えのある一戦だった。上手を与えず頭を付ける戦法の日馬富士を、右下手一本でじっと耐える。長い一番になるも、白鵬が上手を掴むと実力差は歴然で勝負あり。寄り切って34回目の優勝を飾った。

 「角を矯(た)めて牛を殺す」という諺がある。

 牛の曲がっている角を真っ直ぐにしようとしても無理な話しで、そんなことをしたら却って牛を死なせてしまうということから、小さな欠点を直そうとして、かえって全体をダメにしてしまうという喩えだ。

 十四日目、相撲の結び前の白鵬と稀勢の里の一番で、「横綱が変化するとは」「卑怯だ」と、ここぞと言わんばかりにバッシングされている。

 二敗で追う照ノ富士と逸ノ城の水入りの一戦の後だっただけに、館内はじめ視聴者からも溜息が出たのは当然といえば当然だろう。

 だが、相撲とは一瞬の勝負であり、相手の目も見ずに突っ込んでくる稀勢の里の脚は立ったまま付いて行けず、白鵬が受け止めてくれるだろうとの読みは脆くも崩れ、白鵬は右に躱し突き落としで勝利した。

 横綱の冷静な判断があっけない勝負となった訳で、横綱を批判するなら伊勢の浜部屋が席捲する幕内で上位陣との同部屋対戦も無い日馬富士の為体だろう。弱小部屋で横綱の地位を維持し続ける白鵬の精神力と努力とはエライ違いだ。

 相撲人気に陰りが出たのは、外人力士の強さばかりが際立って、これはという日本人力士がいないことが挙げられよう。

 また「日本人横綱待望論」は後を絶たない。

 心情は分からないでもないが、「土俵の下には宝が埋まってる」と、血の出る様な努力とハングリー精神で上り詰めようという日本人力士が出るとも思わない。

 だが、白鵬は日本人女性と結婚し、子供を日本人として育てている立派な日本人だと思う。これまでしても未だ白鵬を外人とする風潮は、日本人差別社会の現象であり、在日云々で騒ぐ資格も無いと感じる。

 そんなに純血が大事か、ならば純血であらねばならない理由を教えて頂きたい。それは単なる安っぽい感情ではないのだろうか。

 そういう貴方は純血ですか?

 自分で純血だと思ってるだけではないんですか?

 マイノリティは認めないんですか?

 世界各国の保守派の政治家や活動家には社会的・民族的マイノリティーが多い。

 有名なところでは、「日本が北方領土返還を求めたら東京に原爆を落とせ!」などの過激な発言で知られるロシアの極右政党・自由党のウラジーミル・ジリノフスキー。ジリノフスキーは、東欧系ユダヤ人(アシュケナジー)の血が流れている。

 悪名高きアドルフ・ヒトラーはドイツ人ではなくオーストリア出身。

 その「ヒトラーの再来だ!」と騒がれたオーストリアの極右、自由党のイェルク・ハイダーのルーツはアラブ系移民との混血だし、そのアドルフ・ヒトラー自身もドイツ人ではなくオーストリア出身だ。

 自己の出自に複雑なジレンマを抱えている少数派の新参者は、多数派の古参の住民よりも国家意識や愛国心といったものを強く意識するものなのだ。

 在日の中でも愛国心旺盛な人物は多く、矢沢永吉は日本人以上に日本人だし、力道山や極真空手の大山倍達も、空手という日本武道に生涯を捧げた気魄と精神から学ぶものは多い。

 白鵬も同じ、日本の相撲道に導かれ、そして横綱の地位に上り詰めた大横綱の、些細な言行を論っているが、それこそ「角を矯めて牛を殺す」行為そのものだ。

 白鵬に関しては「懸賞金を受け取る時に手刀をしていない」という声も聞く。好く見てみれば手刀はしている。その後に、束になった懸賞金を鷲掴みする様な仕草が品格にやや欠けるのだ。

 そういうことは親方や後援会で確り諭すことで解決出来るのだが、未だこうした行為が続いていることを見れば、苦言を呈していないか、白鵬が無意識のうちにやってしまっているということだろう。

 「立ち合いが嫌いだ」という声もあったが、こうなるともう、白鵬を好きか嫌いの話しで、相撲云々どころか意味不明としか言い様がない。

 白鵬が下の番付から上がって来る時から観てるが、白鵬の立会いは堂々としたもので、相手が横綱だろうが正面から受けて立った。

 あの頃と変わりはないし、体力が衰えた代わりに円熟味が増し、更に進化している様に思える。まぁ変なクセならば直すに限る。

 クセというのは、意識して行えば大概は直すことが出来る。

 例えば、朝、出掛ける時に靴を右足から履く人なら左足から。左なら右からと意識して履くことを心掛ければ、三日後には今迄と違った足から靴を履く様になるもので、悪いクセなら意識して行動する様にすれば、クセは知らぬ間に消え失せる。

 大相撲は、明治維新で「断髪令」が発せられても丁髷の伝統を貫き、戦後もずっと表彰式で国歌「君が代」を斉唱し、国技を自称して来た。

 この保守の牙城とも言うべき大相撲を、民主党政権下では目の仇にし、歴史・伝統・文化を否定する左翼、無自覚左翼の連中が「賭博」やら「八百長」やらを執拗に煽り立て、糾弾したことは記憶に新しい。

 今も尚、事ある毎に薄っぺらい大相撲批判を目にすると、大相撲の存続にも影響しかねない危険を孕んでいる気がしてならない。

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2015年03月21日

マルナカホールディングス、22億円丸儲け。「上手くやったね」と言いたいが

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 靖國神社の近隣に建つ朝鮮総連中央本部ビルを高松市の不動産会社「マルナカホールディングス」が22億円で落札したが、これを山形県酒田市の「グリーンフォーリスト」が44億円で購入し朝鮮総連と賃貸契約を結ぶ。

 数ヵ月の間にマルナカホールディングスは単純に22億円の儲け。「上手くやったね」、と言いたいが、事はそんな簡単なものでは無い。

 総連ビルがよりにもよって、靖國神社の横に在ること自体が実に不愉快且つ不謹慎で、九段の地からとっとと出て行って欲しいというのが多くの日本人の思いだろう。

 山形の零細企業が何故にこのビルを取得し、総連と賃貸契約を結ぶのか。実に胡散臭げだが、どうせまた「人道的な見地から」だとか「強制連行された方々の思い」などと言うのは目に見えている。

 昭和20年(1945年)8月9日、ソ連が日ソ中立条約を蹂躙し対日参戦すると、三日後には朝鮮半島北部に侵攻。

 朝鮮への侵攻準備が出来ていない米国はこれに慌て、急遽、米ソで朝鮮占領の協議が行われ、結果38度線で分割する事で合意した。  

 ソ連は北朝鮮で、日本人の軍人・行政官・警察官を抑留すると共に親日派を一掃し、共産主義者を中心に人民委員会を組織させ委譲させ、ソ連の傀儡として重慶に亡命していた金日成を首班とする政権を1946年2月に誕生させる。

 一方南朝鮮(韓国)では、米国が総督府の残留朝鮮人官吏を活用し軍政権を敷く。金日成政権が誕生する一か月前、間接選挙による「過度立法議院」を構成させ、翌年の2月、安在鴻を長官とする過度政府を発足させる。

 ヤルタ協定では朝鮮は1948年3月迄、国連の信託統治をする予定でいたが、米ソの対立で全ての協議が決裂する。

 1948年8月、米国は反日活動家の李承晩を初代大統領に据え「大韓民国」を建国すると、翌月、北朝鮮は「朝鮮民主主義人民共和国」を発足する。

 韓国は、昭和20年(1945年)8月15日を「光復節」として日本からの独立を祝うが、実際の独立は3年後の昭和23(1948)年であり、それは米国によるものであり、韓国臨時政府の勝利によるものでは無い。

 北朝鮮では、金日成の支配下で着々と国政の整備が進んだのに対し、韓国は、在来の官僚や亡命先からの帰国者、米国の措置で監獄から解放された共産主義者が入り乱れ、政権は安定せず、労働組合によるストライキが多発し、社会混乱が加速していった。

 そこで国民を纏める為の政策が「反共」と「反日」だったのだ。

 1946年10月以降、それまで容共的だった米国は共産主義の肥大化を警戒し、次第に共産党の抑圧政策に転じる。

 李承晩は、日本と共同歩調を執ろうとした「呂運亮」を暗殺し、初代大統領に就くと「反日・反共」を絶対的国是とした。

 李承晩が最初にやった仕事は親日派の追放であり、その結果、日本に育てられた優秀な官僚は次々と追放されていった。

 韓国のウソの原点は李承晩が騙った「大韓民国臨時政府」という妄想に在る。​

 国定教科書でも「対日宣戦布告」等を過度に強調する余り、ウソに​ウソを重ねるしかなくなっているのが現状なのだ。

 「日清戦争」も朝鮮を巡る戦いだったが、日露戦争後の日韓関係の悲劇の現実が「日韓併合」であり、大東亜戦争​も「日本人として共にアジア解放の聖戦に立ち上がった」というのが真実であり、それが歴史的事実なのだ。

 その事実を伝えないで、李承晩が「臨時政府として対日宣戦に​参加した」などというウソを教えるからややこしくなるのだが、そろそろ韓国民もいい加減に気付いたらどうなのだろう。

 韓国は憲法前文で、「大韓民国は3.1運動により建てられた大韓民​国臨時政府の法統を受け継ぐ」と規定している。

 だが、「大韓民国臨時政​府」は国際的にも認められておらず、戦後解放された韓国は戦勝国気取りで「サンフランシスコ講和条約」への​署名を懇願するも認められなかったことでも理解出来よう。

 こうした国際的な常識をも無視し、「日本からの独立を我々の手で勝ち取った」と​いう神話を捏造してしまったところに韓国の悲劇が在るのだ。

 1950年6月25日の北朝鮮の突然の侵攻で、同じ民族同士が相討つ戦争となり、数百万人が犠牲となる大惨事となったが、朝鮮戦争の勃発も、朝鮮の南北分断も、我が国に責任は無い。

 我が国の失敗は、喩え万国平和会議での可決された問題であったとしても、民族的に劣る韓国を併合し、日本人として扱ってしまったことであり、先の大戦に対する責任が在るとするならば、大東亜戦争に敗北し、共産主義の跋扈と米国の驕逸を許した事だろう。

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2015年03月20日

言いたがり屋は聞き齧り屋とはよく言ったもので

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 坂本龍馬は、西郷隆盛をこういう人物であると喩えたという。

 「西郷という男は大きな太鼓だ。小さく敲けば小さく響き、大きく敲けば大きく響く」

 どうもイマイチよくは分からないが、その敲き様で返って来るものが違うということだろうが、要は敲く側、相手側の器量も大事だということだろうか。坂本龍馬の自慢にも感じなくはない(笑)

 「小人の学問は耳より入り口より出ず。君子打たねば響かぬなり。打てば響くなり」という。聞き齧ったものというのは兎角、直ぐ話したくなるもの。

 学問とは、本来自分自身の向上の為にするものだが、小人というのは学問(それほどのものではないが)を売り物にする輩が多いこと多いこと。

 最近の保守ブームに乗っかって、それらに媚びた記事を書いてはせっせと売り上げを伸ばすことに躍起になってるが、これを売文屋、営業保守と言わずして何という。

 自称・愛国者や営業保守らは、頻りに朝日新聞などをバッシングするが、朝日もまた株式会社であり、読者のニーズに合った主張をして売り上げを伸ばすのは当たり前のことで、要は営業保守らとやってることは変わりはない(笑)

 某議員の「八紘一宇」発言も、その聞き齧り屋の典型だろう。

 よりにもよって自己弁護の為に、「これを機に知って頂きたかった」とか言っちゃってるがどうなんだろう。

 そんなに簡単に(国民が)理解出来るなら、様々な問題は起きないわな(笑)

 政治家というのはホンネは出来るだけ出さない方がいいとされている。それは日本の政治家の伝統でもあるし、国民も好いのか悪いのか、政治家のウソには馴れっこになってしまっている。

 「ウソは泥棒の始まり」「ウソを吐くと閻魔様に舌を抜かれる」など、嘘というのは悪いものだと教わって来たが、現代は「ウソは政治家の始まり」というのは国民にとっては不幸なことだ。

 政治家というのは「ウソも方便」というのを優先する。

 だがこの「ウソも方便」には、相手の立場に立って、相手への思いやりが込められたものでなければならないのだ。

 「ウソは世情の宝」ともいう。ウソというのは世間を和ませるものがいい。

 「講釈師見て来た様なウソを吐き」なんてのもあるし、「商人は損と求めて蔵を建て」とか、「これでは儲かりません」と言いながら大きな蔵を建てるなんてのはよくある話し。

 「紺屋(こうや)の明後日」なんてのも笑えるウソだ。。「明後日紺屋に今度(今晩、明晩)鍛冶」とか「医者(問屋)のただ今」「坊さんのおっつけ」も同義語。

 まぁ、愚生の実家のラーメン屋でも、出前の催促が来ると「今、出ました」なんて言ってたが、アレと同じ。笑えるウソだ(笑)

 花魁の世界には「手練手管(てれんてくだ)」なんてのもあった。まぁ今でいうとキャバ嬢やホステスだろうか。

 「手練」とは人を思うままに操り騙す技巧。皆さんも、飲み屋でホステス相手についつい熱くなってなんて、思い当たる節はありませんか(笑)

 「妄語戒(もうごかい)」なんてのはウソの典型の様なものだ(笑)

 釈迦牟尼も「地獄」「極楽」なんていうウソを吐いて、民衆の心に安らぎを与え、キリストもまた「天国」への夢を誘って多くの人々を救ってきた。

 これだってウソだが、いいウソの典型でもある(笑)

 愚生は、極楽浄土とは死後の世界ではなく現世に在ると思っていて、如何にして周りにいる自分より劣る者、弱い者を助けられるか、難渋している人に如何に施してあげられるか、そんなものだと単純に考えている。

 ウソにはいいウソと悪いウソがある。自分の為に吐くウソは感心しないが、周りを安心させる様な「いいウソ」は吐いても差し支えはないのだ。

 そんなウソも吐けないのは正直というものではなく、バカ正直というやつで、世間からは遠ざけられる傾向があるが、そんな馬鹿正直な人も最近はめっきり見かけなくなった。

 まぁ何事も一面な見方や考え方ではなく、ホンネやウソに隠された真実や優しさなどを見抜ける能力を身に付けることが肝心。

 それはやはり場数を経験することだが、場数とはバカな数。つまり失敗から生み出される知恵と経験がものをいうのだ。

 洒落たウソも吐けない人や、遊び心の無い人というのは自分にも余裕がなく、付き合う方も窮屈で堅苦し良いので魅力はない。

 FBFで、畏友とも言うべき方に教わったのだが、「やまとことば」にも、「うそ」という言葉があるそうだ。

 「うそ」「あそ」「あそぶ」は同じ意味をなし、阿蘇山のカルデラの様に真ん中が空っぽの状態を言うらしく、「あそぶ」は、仕事から離れて頭を「空っぽ」にすること。

 遊ぶとは、興じることだと思ってたが、なるほど遊ぶというのは「頭を空っぽ」にすることとは、思わず膝を打った。

 「うそ」は頭が空っぽなので、何を言っているか解らない訳で、日本語素晴らしさは、相手の「うそ」(空っぽの発言)を主体である自分が、好意をもって受け止める、という言葉だというから、実に奥深い。

 皆さんも、シャレの効いたウソをたまには吐いてみては如何ですか(笑)

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2015年03月19日

八紘一宇とは「世界は一家、人類は皆兄弟」ていうのが分かり易いが・・・

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 国会質疑で三原じゅん子が「八紘一宇」という言葉を使ったと賛否両論渦巻いている。どんな内容だったのかYouTubeで観てみたが、悦に入ってる感じで実に軽々しく映る。

 「八紘一宇」という言葉を知って、言いたくて言いたくて仕方なかったのだろう。

 「言いたがり屋は聞き齧り屋」というのが、聞き齧った事をそのまま口にするので、重みも無いから軽々しい。要は身に付いていないということだ。

 自分的には誇らしげに語っているつもりだが、現代の安っぽい愛国ブームに便乗し、それらの支持を得ようという邪な考えがあるのだとしたら、先の総選挙でタカ派を標榜した次世代の党を見れば一目瞭然で逆効果。

 まぁ「八紘一宇」も知らない政治家も多い中で、或いは曲解して騒いでいる商業左翼よりはまともなのだろうが、如何せん喩えが悪過ぎる。

 三原は批判を受けて、自身のブログで、「私の質疑が一つのきっかけになって、忘れられようとしている日本の『建国の理念』と『天皇陛下の祈り』について広く知って頂くと共に、皆様に考えて頂ける機会になって欲しいと思っております」とその心境を綴っている。

 「八紘一宇」は戦時中ではなく、神武天皇即位の際の詔(みことのり)を起源とする言葉であるとし、日本書紀に書かれている様な、「みんなで仲良くし、共に発展していく和の精神である」と説明し、御丁寧にもその「橿原建都の詔」の画像まで貼り付けている。

 だが、その前に「侵略を正当化したいなどとも思っていません」と断りも入れている。

 要は、三原は先の大戦は侵略戦争であるとの認識の上で、敢えて「八紘一宇」という言葉を持ち出したということで、神武肇国を云々語る前に近代史も学んでは如何か。

 質疑は、企業の国際的な租税回避問題を取り上げる中で飛び出した発言で、「八紘一宇の理念の下に、世界が一つの家族の様に睦み合い、助け合える様な経済、税の仕組みを運用することを確認する崇高な政治的合意文書の様なものを、安倍総理こそが世界中に提案していくべきだと思う」と語っている。

 「八紘一宇」発言よりも問題なのは、「世界が一つの家族の様に睦み合い、助け合える様な経済、税の仕組みを運用することを確認する」という、グローバル経済こそ安倍政権の進めるべき道だというその認識である。

 グローバル経済を八紘一宇に準えるとは、いやはや困ったもので、発言を正当化するのならば安倍政権が進めるグローバル経済こそ諫めるべきだ。

 三原は、「神武天皇即位の際の詔を起源とする言葉であるとし、日本書紀に書かれている様な『みんなで仲良くし、共に発展していく和の精神』である」という。

 八紘一宇とは「八紘を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむこと」が語源であるが、三原が、この神武肇国の大理想である「八紘一宇」を認識しているとは到底思えない。

 国民もまた、本当の意味を理解している人は限りなく少ないだろう。 

 2・26事件の「蹶起趣意書」にも八紘一宇が使われている。

 「謹んで惟るに我が神洲たる所以は 万世一系たる天皇陛下御統帥の下に挙国一体生成化育を遂げ 遂に八紘一宇を完うするの国体に存す」

 「八紘一宇」を口にする者は命がけで戦う気概が必要なのだ。そういう心構えが無いのなら軽々しく口に出すべきものではない。

 それとも命がけでグローバル経済を推進しようとしているのか(笑)

 最近の愛国運動や保守活動が軽々しくなったのは 政治家の無能や軽々しい発言も然ることながら「愛国」や「保守」を利用し、それを生業としている輩が元凶であり、その影響はかなりなものだ。

 国旗を高々と掲げ、勇ましい言葉を叫ぶのも結構だが、三原じゅん子の発言にしろ、保守派の日本自画自賛論も、愚生には軽々しいものとしか感じない。

 「八紘一宇を云々する者、固より皇祖皇宗の大訓なれば、謹愼嚴戒を要す」

 高高、国会の質疑で、グローバル経済を推進する過程で、畏れ多くも天子の詔を口にしたことは軽々しく、その言い訳も実に烏滸がましいものであると言わざるを得ない。

 「グローバル経済」は、安倍政権が目指す柱でもあり、経済のグローバル化は、新自由主義と市場原理主義で世界中の資源が最適に配分され、より多くの富を生み出し、世界経済は発展するという。

 理論上では効果を上げ、恰もグローバル経済がこれからの我が国の進むべき道かの様に語り、国民を誑かしているが、新自由主義を盲信し、経済至上主義に奔る安倍政権というのは諸刃の剣である。 

 「グローバル化」というのは、自国の文化や歴史を置き去りにせずきちんと捉え、文化などを伝承しながら他国の文化も理解して行かなければ意味はない。
  
 世界に最も良い影響を与えている我が国が、世界で行っている国際貢献は目には見えない部分が多く、グローバル経済が日本、そして世界を救うかの妄想よりも、我が国の歴史を理解し、日本語に誇りを持ち、日本文化を貫く日本人を育むことこそ大事である。

 明治の先覚者の偉大さは、外来語を全て新漢字に翻訳し、日本語のまま西洋文明を学ぶことが出来たことだ。

 現代人というのは、外来語をそのまま羅列し、「外国では」「世界のどこそこでは」などと然もそれが正論であるかの様に語っているが、これを舶来趣味と言わずして何という。

 「八紘一宇」という言葉を軽々しく使い、「みんなで仲良くし、共に発展していく和の精神である」というのなら、先ず、日本語文化を世界に普及することだ。

 英語という田舎言葉が世界語となっているのは、英国が武力で支配し富を独占したからに過ぎない。英国に代わり、今は米国がその主導権を握り、我が国をグローバル経済の渦にに巻き込もうとしているのだ。

 世界で今、数千万人もの人が日本語を学び、日本文化を吸収せんと懸命に努力している。日本語文化の普及こそが、日本を中心とする世界平和を実現する近道でもある。

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2015年03月16日

歴史を共有するということは、自国の歴史を否定することである

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 先日、有識者懇談会の北岡伸一座長代理が、先の大戦を「侵略」と認め、「安倍首相に『日本は侵略した』と是非言わせたい」ことに関し、拙ブログでも「自分の意志から発しない首相談話なんぞ止めてしまえ!」と訴えた。

 この北岡だが、国際大学長であり、歴史学者として「日中共同歴史研究」の日本側の座長を務めていたこともある人物でもある。

 安倍にしてみりゃ首相談話への有識者会議メンバーの、左右のバランスを考えた人事なのだろうが、実に不適格な人選と言わざるを得ない。

 政治家は歴史認識を問われると、「歴史は歴史家に任せる」などとキレイゴトを言う。

 だが、これは単なる言い訳であり、遁辞以外の何ものでもなく、我が国の弱腰外交はこうした言い訳とキレイゴトが元凶でもある。

 靖國神社問題然り、事在る毎に中韓からのイチャモンは絶えないが、政府は、中韓の内政干渉に屈するカタチで、「日韓歴史共同研究」「日中歴史共同研究」という茶番が行われる様になった。

 これは、日中韓の合意によって創られたものではあるが、抑抑、歴史の共同認識など共有出来るものではなく、歴史を共有するということは、相手国の歴史を受け容れることであり、つまり自国の歴史を否定することだ。

 我が国の歴史学者は中韓の学者に比べれば多少モラルを持っているだろうが、他所の国は違うし、特に中韓の歴史家なんぞ酷いものだ。

 かの国にとって優秀な歴史家というものは、自国の正当性を如何に論じられるかだけで、捏造してでも真実と言い張れるかである。

 彼らの歴史に対する修正要求は、歴史解釈という様な範疇ではなく、我が国の歴史と日本人そのものを否定する愚劣なものばかり。

 共同歴史研究で座長を務めた北岡が、例えば「南京事件」や「盧溝橋事件」で歴史に基いた認識を示し、修正を促したかといえばそうではない。

 初めから「南京虐殺」有りきの研究で、「盧溝橋事件」にしても、最早、中国共産党の謀略という事実が明らかになっているのにも拘らず、「偶発的に発生した」とは御粗末過ぎだろう。

 「日中戦争」勃発前は果たしてどういう状況だったのか。

 支那の新聞の大勢は「日本をやっつけるべし」という対日主戦論が幅を利かせていた。

 当時の主戦論には、過激な知識人・学生・都市市民、中国共産党、地方軍閥の3グループが在り、共産党と軍閥は知識人などに主導された過激世論を味方として、蒋介石政権に対しての立場を有利にしようと狙っていた。

 特に共産党は反日を最大の政治的武器として使っていて、昭和6(1931)年11月に江西省の瑞金に成立した中華ソビエト共和国は毛沢東の名により、我が国に対して「宣戦布告」を発している。

 この様に何時、何処で日本攻撃が起っても不思議ではない状況の下、昭和12(1937年)7月7日に「盧溝橋事件」が起った。

 実は共産党にとって当時の状況は深刻で、「西安事件」により蒋介石は共産党攻撃を中止し、共産党と協力関係を作ることを約束した。

 しかし、その後、蒋介石は共産党に次々に厳しい条件を突き付け、この窮地に大博打を打って出たのが共産党であった。

 国民党軍の中に大量に潜り込ませていた共産党軍に「反日」を煽り、それに紛れて7月7日22時40分に発砲事件を起こした。

 共産党がこの盧溝橋事件を引き起こしたことは今や100%明らかなのだ。

 日中戦争の原因となった「盧溝橋事件」は中国共産党が起こした謀略であり、「日中戦争は日本の侵略だった」などというプロパガンダを鵜呑みにしないで、戦争の発端となったこの事件の「事実」を知ることが大事だろう。

 また、「南京事件」も捏造であることは余程のバカでない限り承知している。

 抑抑、「南京事件」など存在せず、戦後、米国の原爆投下が問題となるや、日本軍も30万人も虐殺していたぞと言わんとばかりに米国がでっち上げたものだ。

 南京事件とはジョン・ラーベの書いた「ラーべ日記」や、ヒットラーへの上申書を証拠に捏造されたものであり、全くの事実無根、言いがかりに過ぎない。

  歴史の問題は、一国の存亡に関わる大事であり、日中共同研究座長を務めた北岡の歴史認識が、首相談話に影響が及ぶことになれば、それは歴史への冒涜以外の何ものでもない。

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2015年03月14日

「益者三友、損者三友」というが、悪友こそ我が友である!

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 愚生の性格は、周りに結構気は遣うが、自分と異なる意見や行動には遠慮せずに言う方だ。これを言えば角が立つからと避けて通ることはない。よく言えば蛮勇があるということだろうが、そんな愚生を嫌ってる人や苦手と思う人も少なくはない(笑)

 若い頃ならいざ知らず、嫌なヤツや性に合わないヤツとは調子を合わさないことにしている。 話しもしなければ目も合わせない。本能的に虫が好かないというのは意外と当ってるもので、向こうにしてみれば以心伝心ではないが向こうも同じ様に思ってるものだ(笑)

 「忠告して此れを善導し、不可ならば即ち止む。自ら辱められるること勿れ」という。

 付き合ってる相手の不味い点を見て見ないふりをするというのでは友人としての資格が無いと思っている。だが、忠告を聞くか聞かないかは相手の判断次第であり、相手の主体性を重んじることを「君子の交わり」ということも承知している。

 ただ、最近は、指摘したり、忠告したり、諫めたりすると、それを気にしてその後は疎遠になるのことが多く、そういう意味では小者ばかりが多くなったのは確かだ。

 「君子の交わりは淡きこと水の如し、小人の交わりは甘きこと醴の如し」という。

 物事をよく弁えた人の付き合いというものは水の様に自然なものなのだが、つまらぬ小人物の交際は、まるで甘酒の様にベタべタした関係であり、一時的には濃密のように見えても、長続きせず、破綻を招き易い。

 facebookなどでの遣り取りを見ているとキレイゴトを並べ、ベタベタとした上辺だけのコメントが実に多い。互いに抑揚を抑え、大人の遣り取りをしているつもりなのだろうが、そんな付き合いなどに意味があるとは思えない。

 「己に如かざる者を友人とする勿れ」という。

 優れた人物と交わったり、一献することで、自分も成長するし、また香気を放つ人物となって行くもので、人間形成の上で友人の影響は大きく、そういう意味でも友人は選ぶべきで、その交際は慎重であるべきだと思う。

 孔子の言葉に「益者三友、損者三友」というものがある。

 直(なお)きを友とし、真(まこと)を友とし、多聞(たもん)を友とするは益なり。

 つまりは剛直な人。誠実な人。見聞に長け教養のある人と交わることは有益であるが、その反対に、媚び諂い、易きにつく人。人当たりばかり良い人。口先だけの人を友とすることは有害なものだと訓える。

 確かに、自分に諂う様な人物を友としても何の役にも立たないことはよく知っていても、人というのは兎角、自分の短所や欠点を注意されることよりも、何やかんやと御世辞をいう、諂う友を周りに置きたがるものだ。

 だから孔子は、こうも訓える。

 「良薬口に苦けれども病に利あり、忠言、耳に逆らえども、行に利あり」

 まぁこうした考え方は間違いではない。だが、如何せん、そういう立派な友などそうそうはいない。皆、「朱に交われば赤くなる」の喩え通り、似た者同士が集まってしまうものだ。

 実社会の人間模様を見渡せば、善友、必ずしも善友ではなく、悪友、必ずしも悪友とは限らない。「毒を以て毒を制す」悪友の方が、結果として善友以上の働きを示すことの方が多い。

 例えば、畳にこぼれた水を拭き取るには、乾いたタオルでは綺麗に拭き取れない。タオルを充分に水に浸し、これをキリリと絞り上げてから使うのがいい。タオルの水気が畳の水を綺麗に吸い上げるのだ。

 新しいタオルは水を吸わないのと一緒で、日頃、キレイゴトを言ってるヤツなどは、いざという時にはクソの役にも立たないものだ。

 そんな上辺だけの者より、共に笑い、共に泣き、ある時は共に悪い遊びをした様な友達の方がいざという時は親身になって心配してもくれるし、心強いものだ。

 今どきの安っぽい風潮に流され、請け売りの政治や歴史を偉そうに語るヤツより、そんなことは全く分からなくても、酒を愛し、趣味や惚れた女やスケベな話しを一生懸命話してるヤツの方が信用出来るし、好きだ。

 愚生は無頼派右翼として、やはり無難で小さく纏まっている聞き分けのいい人物よりも、チョッと個性的な削げ者が好きだ。呵呵。

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鳩山由紀夫クリミア半島電撃訪問。随員は一水会の木村三浩

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 鳩山由紀夫が、外務省の訪問中止要請を振りきってロシアの査証(ビザ)を使いウクライナ南部クリミア半島を訪れたが、「一水会」の木村三浩も同道したのには吃驚仰天!

 あの鳩山となぁ。反米ならばどんな連中とでも組めるってのは、反日なら何でもありの左翼と同じで、流石は鈴木邦男の弟子だ(苦笑)

 以前、鳩山が尖閣列島の領有権問題に絡み、鳩山の発言を問題視した木村が、鳩山事務所を訪問し、その真意を糺したという記事を目にしたことがあった。

 発言は、中共を訪問した鳩山は、「カイロ宣言には、盗んだものは返さなければならないとしており、中国側に尖閣は愚か沖縄も返すべきだ」との認識を示したもの。

 自国を泥棒呼ばわりすることも言語道断だが、尖閣は愚か沖縄までとはどういうことか。木村でなくても憤りを感じた国民は少なくない。

 だが、木村は猛抗議することなく、摩訶不思議なことに納得して帰って来た様だ。

 要は鳩山と所謂大物右翼と称される木村が会うことで、事の矛先を納める魂胆見え見えのマッチポンプだったということだろう。

 鳩山よ、そんなに自国が悪いというなら元首相として切腹でもして詫びよ。

 木村も木村でホント狡賢い。木村は赦しても、多くの国民は鳩山を赦すまい。

 クリミヤでの会談で、「盗んだものは返さなければならない」と言ったとは聞き及んでいないが、己の発言を正当化するなら、北方領土を強奪したロシアに対してこそ言うべきではないのか。

 武力占領で編入したクリミヤに出向き、「日本人は洗脳されている。こうした考えを正すのは容易なことではない」と語ってたのを見れば、武力占領も容認し、北方領土の占領は合法的な結果であると認めた様なものだろう。

 鳩山はやはり、「統合失調症」というか「広汎性発達障害」というか、人格障害、精神分裂の異常者なのだろうと思うし、そう思わなければやりきれないわ(苦笑)

 一方の木村だが、右翼陣営というのは様々な考えや行動があり、木村も自分の考えがあっての行動なのだろうが、鳩山の過去を振り返るまでもなく国賊の筆頭に挙げられる輩であり、軽率過ぎはしないか。

 鳩山に対しては、右翼でなくても天誅を下したいと思ってる市井の民は少なくない。そういう意味では、木村の行動は、右翼民族派全体への期待や信頼を大きく損なうものだ。

 尤も、上昇志向の強い木村が目指しているものは、反米・救国活動や不条理に対する抵抗運動ではなく、慶応大学の准教授だろう(爆笑)

 過去の多くの国賊的発言に苦言を呈さず容認し、国益を害した行為にも目を瞑り、敵である筈の相手をも受け容れる、木村の度量というのは大したもの。愚生も見倣わねばならないと思うが到底無理なことだ(嗤笑)

 猪瀬東京都知事失脚の要因となった徳洲会からの融資問題で仲介料を貰った。あの500万円授受でマスコミは木村を「大物右翼」と称えた。

 今回のクリミア上陸に際しても、SPの如く鳩山をボディガードする木村の姿はホント頼もしく、右翼の鑑だ。否、新右翼の鑑だ(嘲笑)

 しかしまぁどういう経緯で、どういう意図を持って訪ロしたのか意味不明。まぁどうせ、お得意の我田引水的遁辞を繰り返すのは目に見えているし、興味も無い。

 今回の鳩山との同行は、木村三浩にとってはオイシイものだろうということは想像出来る。マスコミの需要もかなり増えるだろう(爆)

 しかしながら、強かな木村は、猪瀬が失脚した時の様に、鳩山への引導を渡す為のものかも知れない、というのはチョッと期待し過ぎか、ってかそれはないわな(笑)

 以前には、例の朝鮮総連問題で話題となった大阿闍梨・池口恵観のボディガードなんかもしていた様だが、武道や格闘技経験者でもない木村なんぞ、いざ、本気で揉めたら、一発で吹っ飛んでしまうんじゃなかろうか。

 今や、やりたい放題の木村だが、こうした軽挙妄動を糺す右翼もいないし、フィクサーを気取り、「右翼の事なら何でもお任せ」的、木村三浩大先生の独壇場は続きそうだ(笑)

 余談だが、外務省の訪問要請を無視し渡航した鳩山に「旅券没収」という話が出ている。当の本人は「没収するならクリミアに移住する」と強きに応じたらしいが、移住するならそれほど嬉しいことはない。そうなったら、木村も移住するのだろうか(笑)

 だが、こんな連中でも日本政府は見捨てまい。少しは感謝しなさいな。呵呵大笑。

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2015年03月13日

「こども」は「子ども」ではなく「子供」です!

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 国会での質疑もあり、文科省は平成25年6月、公用文中の「子ども」との表記を「子供」に統一したが、今でも「子ども」表記が改められず平然と使用されている。マスコミなんぞ文科省の指導なんぞ無視し平然と「子ども」表記を続けている。

 「こども」については、漢字の「子供」ではなく、「子ども」との表記を使うのは、「供」という字が「お供え物」「お供する」などを連想させ、「差別的な印象を与える」というのがその最たる理由だ。

 こうしたキチガイ的屁理屈を並べているのは、いつものアホンダラ左翼やジェンダーフリーの性的変質者共だということは言うを俟たない。

 こうした変態らの屁理屈を疑いもせずに、多くの国民は、「子ども」表記に慣らされてしまったのだが、行政や保守派であるべき自民党の議員までもが御粗末にも使用しているのも目にする。

 「男女共同参画社会(共参社会)」にしろ、「協働」の町づくりにしろ、総理府や国立婦人教育会館に巣食う全共闘系と共産党系の女革命家らが共同謀議的に考案したものなのだが、これを自民党政権下でろくろく議論もせずに疑いも無く導入し、今では担当大臣までいるというのだから呆れ甚し。

 「共参社会」とは「共産社会」であり、「協働」とはコミューン、つまり共産主義のコミュニティ集落というのがその語源の基となっている。「協同」というコラボレーションの意味ではない。共産党の造語だ。

 こうした左翼の造語がマスコミなどを通じて巷に氾濫し、それを国民が疑いも無く使用している実態は、我々が想像している以上に左翼が権力側に入り込み、行政権と連結してしまっているという証左であろう。

 文科省の決定を無視しながら、一方では外務省局長通達の「中国」使用や、生活保護の局長通達を遵守していることとはどういうことか。一貫性が無いではないか。

 「中国」呼称についても、我が国を属国、朝貢国と見做す支那は、日本にだけは、自分達を世界の真ん中にある「中国」と呼ばせたいが為の強要である。

 「支那」という言葉の禁止という理不尽な言い掛かりが始まったのは、我が国がGHQの支配下にあった戦後の混乱期の昭和21年6月迄遡る。

 支那は形式上、連合国の一員で戦勝国であった為、その力関係を盾に我が国に「中国」という名を強要してきた。

 外務省はそれに反論も出来ず、従順に受け容れ「外務省次官・局長通達」として、「今度は、理屈抜きにして先方の嫌がる文字を使わぬ様に」との指示を出すに至った。

 主権恢復前とはいえ、我が国は支那の異常な主張に諾々として従い、言論機関にこれを強制し、現在に至っているのだが、一つの譲歩が更なる譲歩を生む典型だろう。

 今日の日本外交の基本である、「隣国が嫌がるようなことはしない」との弱腰土下座外交は、この時が最初であろう。

 生活保護も然り。

 これも一時的に採った温情措置なのだが、「厚生省社会局長通達」は今や見直されることなく恒常化してしまい、在日への不正受給は我が国の財政をも圧迫している。

 在日ら外国人への生活保護費支給は日本国憲法第25条違反並びに生活保護法違反であり、即時中止すべきものなのだが、在日特権が改められることはない。

 三島由紀夫は嘗て自著「祖国防衛論」にこう著した。

 「共産主義を行政権と連結せしめようとするあらゆる企画、あらゆる行動に反対するものである。この連結の企画とは、所謂民主連合政権(容共政権)の成立及びその企画を含むことを言うまでもない。名目的たると実質的たるとを問わず、共産主義が行政権と連結するあらゆる態様に我々は反対するものである」

 今、周りを見渡せば「男女共同参画社会」を始め、「外国人地方参政権付与」「住民基本法案」「夫婦別姓法案」「戸籍制度廃止法案」「人権救済法案」「女性天皇論」「女性宮家」などなど、カタチを変えた共産主義が次々と企画され行政権に入り込み連結され様としている。正に三島が憂いた現実がそこに在る。

 昨今の安っぽい保守ブームや愛国ブームなんぞ、単なるマスコミや左翼らによる目晦ましに過ぎないのだ。

 右翼陣営も反中・反韓・反米を声高らかに叫んではいるが、身近に起こっている左翼のこうした策謀に気付かないフリをしているのか、糾弾の声は上がらない。

 「中国」呼称を平気で使用し続ける右翼も実に多いが、要は「祖国防衛」、国防への危機感が欠落してると言わざるを得ない。

 扨て、話しは変わるが、ネットでこんなのを目にしたので声に出して読んでみましょう!

 「親も子どももももが好き」
 「子どもはどの子もどの子も子どもらしい」
 「もう子どももどうもだめ」
 「どもる子どももどもらない子どもも子どものうちは子どもどうし」
 「親子ともども子どもみたいでもどかしい」
 「ドコモはどこも子どもでいっぱい」
 「もと子の子どもももう子どもじゃない」
 「男子は女子どもとばかにしないでね」
 「この椅子もこの子の子どものころのもの」
 「この子どもどこの子?」

 どうでしょう、読み難いでしょ。でも、これを漢字にすると実に読み易くなる。

 「親も子供も桃が好き」
 「子供はどの子もどの子も子供らしい」
 「もう子供もどうもだめ」
 「どもる子供もどもらない子供も子供のうちは子供どうし」
 「親子ともども子供みたいでもどかしい」
 「ドコモはどこも子供でいっぱい」
 「もと子の子供ももう子供じゃない」
 「男子は女子供とばかにしないでね」
 「この椅子もこの子の子供のころのもの」
 「この子供どこの子?」

 「子供」は「子ども」ではありません。「子ども」使用は文科省並びに国家に対する反乱であり、革命分子、または単なるアホと見做す。呵呵大笑。

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2015年03月11日

自分の意志から発しない首相談話なんぞ止めてしまえ!

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 「陸軍記念日」であり、東京大空襲が始まった3月10日付けの地元紙には戦後70年談話に関し、有識者懇談会の北岡伸一座長代理が、安倍首相に対し、先の大戦を「侵略」と認める様に進言するとの記事が載っていた。

 北岡は「安倍首相に『日本は侵略した』と是非言わせたい」と述べているが、自分の意志から発しない談話に意味はなく、こうした有識者懇談会も茶番としか言い様がなく、恒例になりつつある首相談話なんぞ止めた方がいい。

 北村の言う「侵略」とは如何なることか?

 何を以て「侵略」と仮定するのか?

 この記事には主語がない。「侵略」だと断じるならば具体的にどういうことなのか説明した上で発言すべきだが、どう見ても中共へのリップサービスにしか感じない。

 習近平が、北京市郊外の中国人民抗日戦争記念館で演説し、「侵略の歴史に対する否定や歪曲を中国人民は決して赦さない」と吠えたのは記憶に新しいが、北村の「侵略」の認識もこれに与するものだ。

 こんなのが有識者懇談会というのだから呆れ甚し。有識者とは程遠く、「浅識者茶話会」と命名した方が御似合いだ。

 歴史認識というの見直すということよりも、大切なのは公正・公平な歴史の真実を将来を担う子供達にどう語り継ぐかだ。

 安倍の首相談話も、過去の村山談話との整合性を謀ってるに過ぎず、遡れば、それは田中角栄の日中共同宣言に起因する。

 田中はその会見で、中国共産党を唯一の政府と認め、「先の大戦で中国国民に重大な損害を与えたことに責任を痛感し、深く反省する」と述べた。

 これを機に中共の強請りが止まらなくなったのは歴史の示す通りだ。

 こうした田中角栄の日中共同宣言での誤った歴史認識が悪しき前例となり、細川護煕の「侵略戦争発言」や河野談話や村山談話に継承され、現在も受け継がれているということを忘れてはならない。

 単純に「侵略」と表明することによって、歴史の一部分だけが固定化されることの悪影響は計り知れない。

 「日中戦争」は我が国の侵略戦争だという認識が蔓延しているが、これは明らかな誤謬であり、無知と自虐史観によるところが大きい。

 我が国は「北京議定書」に基づき在留邦人保護の為に軍隊を駐屯させていたのだが、盧溝橋でその日本軍を攻撃してきたのは中国共産党の方なのだ。

 上海でも日本人保護の為に合法的に駐留していた海軍陸戦隊に、正規軍10万人で一方的に攻撃を仕掛けてきて、日中戦争は本格化したが、何れも中国共産党が仕掛けた戦争であり、つまり侵略者は我が国ではなく中国共産党であるというのが正しい。

 以前、田母神元幕僚長が発表したアパ論文には、この「侵略」に関する認識を次の様に分かり易く書かれてある。

 「米英蘭などとの戦争は、どう見ても日本の自衛戦争であり、またアジア開放の戦争であったと思っている人は多い。しかし、中国との戦争については中国の本土に軍を進めたのだから侵略だ、と思い込んでいる人が意外に多いようだ。しかしこれは完全な間違いである。条約に基づいて他国に軍隊を駐留させることは国際法的に全く合法であり、侵略ではない。日米安保に基づき日本に米軍が駐留しているのは(好き嫌いは別として)侵略ではないのである。逆に合法的に駐留している米軍を自衛隊が攻撃して戦争になった場合、それが日本国内で戦われたとしても、侵略者は日本ということになるのである」

 大東亜戦争を「侵略戦争」であり、アジアの人々に多大の迷惑を掛けたと罵り、戦争の原因を「天皇である」とか、「軍部である」とか、「A級戦犯である」などと喧伝しているのは、無知に加え、大戦の原因や犯人を隠し続けたいからに過ぎない。

 戦争犯罪人は大日本帝国憲法でもなく、統帥権でもない。況して軍部でもなければ日本の軍国主義でもない。

 真の戦争犯罪人は近衛文麿と尾崎秀美らそのブレーン達、即ち日本国内で蠢いていた共産主義者らであり、マルクス・レーニン主義思想が昭和の悲劇を生んだということは今や歴史的事実だ。

 多くの戦死者、戦災者を出し、日本の資産の大部分を失った大東亜戦争とは、ソ連コミンテルンと中国共産党、そして日本の共産主義者が仕組んだ共産革命の為の愚かな戦争だったのだ。

 大東亜戦争とは、ソ連コミンテルンと中国共産党、そして日本国内の共産主義者が仕組んだ共産革命の実現の為の争いであり、そのマルクス・レーニン主義者の策謀にまんまと嵌ってしまった戦争とも言えるのである。

 先の大戦を「侵略戦争」と宣い「アジアの人々に多大の迷惑を掛けた」と罵ることは容易だが、日本軍はアジアを侵略したのではなく、アジアを侵略していた連合国と戦ったのだ。

 それでも尚、アジアの人々に謝罪をする必要が有るというなら、最大の過ちは共産主義の跳梁跋扈を許したことであり、最大の償いはその共産主義を失くすことだろう。

 歴史は歴史家が考えればいいというものではない。歴史の問題は、一国の存亡に係わる大事である。自分の意志から発しない、軽々しい首相談話なんぞ止めてしまえ!

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2015年03月10日

明治37年3月10日、奉天会戦勝利。昭和20年3月10日、東京大空襲

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 明治37(1904)年2月10日、我が国は当時、世界最大の軍事大国であったロシアに対し、敢然と宣戦布告、民族の生死を賭けた戦いを開始した。

 一年半にも及ぶ強国との大戦に我が国は奇跡的とも言える勝利を収め、極東小国日本の存在を世界に知らしめた。

 日本大勝利の報は、ロシアから占領・弾圧されていたフンランド、トルコ、ポーランドといった国々や、有色人種と差別されていた民族に、国と民族の存在を決定的に変える影響を齎したのである。

 15世紀の大航海時代以来、白人による世界制覇の滔々たる流れが、日露戦争での日本の勝利によって大きく変化し、中でも全世界の有色人種に与えた影響は強烈なものだった。

 挙げれば限が無いが、印度のガンジー、ビルマのオマッタ、フィリピンのリカルテ、ベトナムのファン・ボイ・チャウ、エジプトのムスタファ・カミール、トルコのケマル・パシャなど、世界の各地で日本の勝利に狂喜した。

 有色人種が白人に劣らないことに確信を持ち、各地で独立運動が湧き上がって行くこととなった。

 米国内でも、人種平等の自信を与え、黒人解放運動の支えとなった。

 黒人誌・インディアナポリス・フリーマンは次の様な社説を掲げている。

 「東洋のリングで黄色い男達のパンチが白人を打ちのめし続けている。事実ロシアは繰り返し何度も日本人にこっぴどくやられて、セコンドは今にもタオルを投げ入れ様としている。有色人種がこの試合をものにするには、もう時間の問題だ。長く続いた白人優位の神話が、遂に今突き崩され様としている」

 我が国の勝利は欧米列強に我が国の地位を認めさせることとなり、幕末以来の懸案事項であった不平等条約の改正に繋がって行くこととなる。

 即ち、明治維新の真の目的であった「治外法権」と「関税自主権」という二つの不平等条約の改正が、日露戦争の勝利によって実現されたのである。

 二つの不平等条約の内の「治外法権」は、既に日清戦争後の明治32年に克服したが、「関税自主権」の回復を実現することで明治維新は成就し、我が国は真に独立を回復することが出来たのである。

 日露戦争の勝利は、植民地政策で搾取や弾圧を受けている民族の独立心を駆り立て、後の大東亜戦争後の植民地の解放に繋がって行ったことは言うまでもない。

 日露戦争の世界史に於ける歴史的意義は、有色人種の日本人が白人に勝利することによって、当時、欧米列強に植民地にされていた被抑圧民族を感動させ、独立への夢を駆り立てた大きな意義を持つものだったのだ。

 日露戦争は奇跡的な戦いの連続でもあった。

 大山巌陸軍大将指揮下で3月1日から始まった最後の陸上戦「奉天会戦」の激戦はその一つ。

 この戦いは同月10日を以て我が国が勝利を収めた。

 この成果を称え、翌年、政府は3月10日を「陸軍記念日」として制定した。

 爾来、3月10日は国民挙って先人の偉業を称え、御祝いする日であり、我が国にとって3月10日という日は重要な意味を持つ日なのである。

 因みに、日本海海戦でバルッチック艦隊を撃破し、勝利した5月27日は「海軍記念日」である。

 昭和20年3月10日、陸軍記念日のこの日を狙って米国は日本本土への爆撃を開始する。

 この爆撃によって多くの無辜の人々の尊い命が失われたのである。

 米軍による東京大空襲は3月10日が最初で、日本の多くの家屋が木造だという理由から火炎の強い焼夷弾を投下した。

 米軍これに飽き足らず、同月13日には大阪、17日には神戸とその空爆は全国に及び、愚生の住む郡山市の保土谷化学周辺など多くの被害を被った。

 東京への大規模空爆は4月14日、5月25日にも断行している。

 5月25日の戦災では、皇居にも及び、明治宮殿が全焼し、陛下の執務室や御所、正殿などの儀式殿を失うこととなった。

 断じて許されざる蛮行である。

 昭和天皇は御文庫を仮の御所とされ、昭和36年吹上御所に御移りになられる迄の17年間を御文庫で御過ごしになられた。

 戦争で疲弊した国民生活の向上が最優先であるとの思し召しから、戦後も長きに亘って新宮殿の再建を御許しにならなかった。

 3月10日の大空襲以降も陛下は、「国民と共に苦楽を分け合う」と仰せになられ、皇居から御移りになられることはなかったという。

 先帝陛下の大御心の程を拝する逸話であろう。

 東京大空襲は、広島、長崎への原爆投下と同様、一般人を犠牲にした蛮行は国際法違反であり、近代史でも稀に見る凶悪な戦争犯罪である。

 マッカーサーの右腕の一人、ボナ・エラーズは、この日本への空襲を「史上最も冷酷野蛮な殺戮」と証言しているが、大空襲や原爆投下、ドイツのドレスデン爆撃は「国際法違反」の代表的例と言えよう。

 だが、東京裁判で連合軍は、「東京への爆撃は重慶、南京の日本軍のよる爆撃への報復」と詭弁を弄し、その事実無根の南京事件の方が断罪されるに至っている。

 これを不条理と言わずして何という。

 日本人の中にも未だ、こうした米国のプロバカンダを信じ、「日本が戦争さえしなければ空爆されなかった」といった自虐史観が散見されるが、いい加減、こうした東京裁判史観から目覚めて欲しいものだ。

 戦後、GHQは日本軍の解体に飽き足らず、日本国と日本人に対して、未来永劫、贖罪意識を植え付けるのが目的であらゆる施策が謀られた。

 こうした米国の意図は予想以上に成果を上げ、その効果を齎し続けている。

 我が国は同盟国とは名ばかりの米国のポチとして忠誠・従属を誓っているに過ぎない。

 因みに、日本政府は昭和39年12月、東京大空襲の指揮官カールス・ルメイに対し、「国防への貢献が大である」として勲一等旭日大綬章を与えた。

  叙勲の際、東京大空襲の非を問われたルメイは、「民間人を殺したのではない、軍需工場を消滅させただけだ」と詭弁を弄した。

 当時の総理は佐藤栄作、米国への隷属ぶりを示す出来事だろう。

 だが、現在もその隷属ぶりに変わりはなく、否、それ以上に隷従している。

 3月10日、我々は改めて先人の偉業を称えると共に、米国依存体制の脱却を図る為にも国防の意味を理解し、真の意味での主権回復を急がねばならない。

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2015年03月09日

先人の智慧の結晶である大日本帝国(欽定)憲法の復元改正を図れ!

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 地元紙は東日本大震災から四年になるのを前に、犠牲者を悼む行事が各地で行われた。そんな中で、県民世論調査が行われ、原発事故への風化を感じる人が59.3%に及ぶことが報じられている。

 恰も、大震災で亡くなったのは原発事故かの様な世論誘導を感じなくもないが、犠牲になった方々の殆どが大津波に因るものだ。

 原発事故の風化というのは、危険でなくてはならない放射線への風化なのだろうが、これは不安を煽り続けている反原発派や左翼、マスコミに拠るところが大きく、国民の放射線への理解の乏しさと、反原発派に阿るマスコミの恣意的報道が綯交ぜとなってる結果であり、徐々にではあるが放射線が及ぼす影響はないということが理解されて来た証左と言えよう。

 震災から間もなく勅諭が下された。

 「被災者のこれからの日々を私達皆が、様々な形で少しでも多く分かち合って行くことが大切であろうと思います。被災した人々が決して希望を捨てることなく、身体を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう、また、国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者と共に夫々の地域の復興の道のりを見守り続けて行くことを心より願っています」

 未曾有の国難ともいえる事態に、陛下の大御心に応えようと国民一人一人が心を一にし労わりあったことは紛れもないことだろう。だが、悲しいかな、福島への差別は未だ存在するのも確か。

 東京を始め関東各地へ電力を供給していた福島県や福島県民が、こうした仕打ちを受けるとはよもや思わなかった。

 「流言」や「デマ」が余計な混乱を生むが、その元凶が反原発派であり、反原発派こそ復旧は愚か復興をも遅らせている。

 多くの尊い命と被災された方々の犠牲の上に、危機管理と防災と国防が万全なものとなり、更により高度な対策が構築されて行くことが、今回の大震災での犠牲者の無念さに応える唯一無二のものだ。

 そんな中、自民党は結党60年の党大会を開き、安倍総裁は「日本人の命と平和を守る責任がある」として、領土保全の重要性の認識を示し、党是である「憲法改正」を運動方針の柱に掲げた。

 自民党は、自主憲法制定が党是として自由党と民主党が合併した党であり、改憲ではない。今も新憲法制定が党是ではなかったか。

 「改憲」は護憲派同様、現憲法を容認するものであり、自主憲法制定も改憲と同じいう認識は間違いだ。

 憲法改正が成されなかったのは自民党のやる気の無さが最大の原因だが、戦後、現憲法を利用した結果でもあるのだ。

 昭和20年8月15日、我が国はポツダム宣言を受諾し、陸海軍は解体、非武装化が進められ、完全な「丸腰国家」にされた。

 GHQは「日本軍」の解体を実行するが、それでは物足りず「日本国」の解体を謀った。 

 現憲法はその日本占領政策、日本国解体の中心的役割を果たすもので、こうしたクソ憲法を後生大事に有難がるのも如何なものか。

 占領下の昭和25年6月25日、朝鮮戦争が勃発する。

 マッカーサー元帥は吉田茂首相に、国内警察力と海上警備力の強化を促す書簡を送った。所謂「マッカーサー書簡(文書)」である。

 マッカーサーが実質、日本国憲法の破棄を促したものだ。

 だが、吉田は憲法を破棄し、欽定憲法の復元を図ることなく、米国製の日本国憲法を解釈で事を収める手段に打って出る。

 このマッカーサー書簡から一ヶ月後の8月9日には「警察予備隊令」が決定、翌日公布、即日施行というスピードで準備が整えられ、自衛隊の前身たる警察予備隊が誕生した。

 主権回復後の昭和27年8月1日、警察予備隊と海上警備隊を統合し「保安庁」が設置され、政府は「保安庁法」」を提出するも、野党は「憲法9条」を楯に政府を攻撃した。

 吉田茂はその答弁で、「戦力とは近代戦を実行する力であり、保安隊、警備隊にその力はない」と詭弁を弄した結果、自衛隊は永い間、「戦力なき軍隊」と言われたまま、今もその呪縛に囚われて続けている。

 吉田が日本国憲法第9条を理由に朝鮮戦争出兵を拒否した訳だが、その結果、その後に起こるベトナム戦争にも駆り出されなかったのは事実だろう。

 歴史に「もし」はないが、朝鮮戦争勃発を機に憲法を破棄していれば、また違った国になっていたことだろうし、主権回復後、憲法解釈で誤魔化さず、改正や欽定憲法の復元を図っていれば今の様な安全保障法制議論などやっていなかっただろう。

 当時の吉田茂の判断が善かったかどうかなど今の価値感で議論したところで意味はないが、この憲法解釈が未だに大きく圧し掛かっているのは言うまでもない。

 憲法の在り方について、改憲派は「日本国憲法改正派」「自主(新)憲法制定派」「大日本帝国(欽定)憲法復元改正派」の凡そ三つに分けられる。

 これらを喩えて分かり易く説明すれば、借家に綻びが出て来たのでリフォームしてまた住もうというのが「日本国憲法改正派」であり、現在の借家に住み続けるということだ。

 借家がボロになったので、引っ越そうというのが「新憲法制定派」や「自主憲法制定派」。自民党はこれだろう。

 そろそろ借家住まいを止めて、先々代が遺した豪邸に戻って、現代風にリフォームして孫子に遺そうというのが「欽定憲法復元改正派」であり、愚生はこの認識だ。

 右翼陣営の中にも一時期よりは少なくなりつつはあるが、「憲法改正」と「自主憲法制定」を一緒くたにしている者も少なくない。

 「自主憲法制定や欽定憲法復元改正なんてとてもじゃないが無理。だったら取り敢えず改憲を目指すことの方がベストだ」という声も多い。

 日本会議とかがそうだし、自民党も安倍も同じ認識だが、改憲への突破口として「第96条改正」を目論み、それ機に党是である新憲法の制定を目指しているのであれば、その手法は姑息であり、誤りであると言わねばなるまい。

 ややもすればその96条改正が後の売国政権誕生で逆利用されかねない危険も孕んでいることを指摘しておく。

 国柄や国體と皇統を護り抜く上でも、「第1条」の共産党の屁理屈を指弾し、女系天皇に通じかねない「第2条」を議論することにより、現憲法の不敬さと不当さが明らかになるだろう。

 憲法論議を活発化させ、国民の理解を得ると共に、先人の智慧の結晶である大日本帝国(欽定)憲法の復元改正を図るべきである。

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2015年03月07日

「一殺多生」や「七生報国」は知ってるが「四生五殺」という言葉があるそうだ

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 大手コンビニエンスストア「ファミリーマート」と「サークルKサンクス」を傘下に持つ「ユニーグループ・ホールディングス」が経営統合に向けて本格的な協議に入ることが明らかになった。

 統合が実現すれば、コンビニの店舗数は業界首位のセブンーイレブン・ジャパンに並ぶ規模となる。

 愚生の住む地域を見ても、最近のファミリーマートの進出は目覚ましく、ヤフオクで「はこBOON」を利用することが多い愚生には結構なことだ。

 一方のセブンイレブンはというと、フランチャイズ契約を結んでるオーナーの自殺が殖えているという。

 「四生五殺」という言葉もあるそうだ。

 その昔、受験生の間には「四当五落」などという言葉があった。

 「寝る間も惜しんで勉強して4時間の睡眠なら合格するが、5時間眠っている様では合格出来ない」という意味に使われていた。

 つまり、「四生五殺」は、4000万までは借金を膨らませて働かせるが、その借金が5000万円まで達すると自殺するからだという。

 コンビニというのは他人事ながら、それほど儲かる商売だとは思わない。コンビニエンスという名前の通り便利なものでしかない。

 最近のコンビニ統廃合は、消費者からすれば各コンビニ店の個性も無くなり、存在価値も薄れて来てしまった様にも思う。

 これだけコンビニが街に殖えれば過当競争になるのは当然で、売り上げも本人や本社の思い通りには伸びない。

 脱サラしたり、定年後に、「老後の小遣い稼ぎにしよう」なんて、軽い気持ちで始めるとエライことにもなり兼ねない。

 赤字が出たコンビニには、それこそ24時間の監視態勢が執られ、金庫のカギを取り上げて管理される。

 改善が見られない場合には、「契約不更新」を宣告され、店も本社に取り上げられ、更には、それまでのセブン本部との取引で生じた「オープンアカウント」(取引勘定)が清算され、莫大な借金だけが残される。

 このオープンアカウントでは、通常は利息が発生しない買掛金にまで5~7%の高い金利まで付くというから驚く。

 そうしてストレスがピークに達し、悩んだオーナーが自殺する訳だが、返済は個人事業主が入ってる生命保険目当てに自殺し、借金の返済に充てる。

 「セブン‐イレブン加盟店共済制度保険」がそれだ。

 オーナーが閉店しようが自殺しようが、損害賠償金はオーナーに払わないでセブンがネコババ。

 その保険代理店は、親会社のセブン&アイ・ホールディングスグループの「株式会社ヨークインシュランス」である。

 まぁ、大手企業のやってることは暴力団と大して変わりはない(苦笑)

 「四生五殺」で思い出すのは、盟友だった蒼穹社代表の瀬野寿夫だ。

 横浜の瑞穂塾々長の伊藤満と浄化槽管理の事業を始めたが、無計画さと自身の放蕩もあり、高金利に手を出して借金が膨れ上がった。

 4000万ほどの借金もあっという間に7000万円に。生命保険に入ってた瀬野は、母親が連帯保証人となってたことを気に留めていて、その5000万円の保険金目当てに自殺した。

 高金利で貸してたのはヤクザを始め、伊藤や数人の右翼らも貸主に名を連ねていた様だ。所詮は金の切れ目が何とやらという付き合いだったのだろう。

 愚生も貸してたが、香典だと思って諦めてた。そんな矢先、伊藤から「これ瀬野の母親から渡す様に言われたから」と、70万円を渡された。

 どうせ無くなったカネだと思ってたので、そのカネでロレックスの金無垢のボーイズサイズの中古を購入。だが、その数か月後には支那人の女に盗まれてしまった。

 縁起の悪いカネってのはそんなもの。以来、夜の繁華街などで支那人を見つけると、ロレックスをしていないか調べることにしている(笑)

 因みに、瀬野が自殺した場所からは、いつも彼らがやっていた横浜駅前の街宣場所が見える場所だったというから、右翼活動への未練があったのだろう。

 瀬野とは毎週の様に会い、酒を酌み交わし、話しは尽きなかったが、蒼穹社という団体を立ち上げてから、それまでの付き合いから一変してしまった。

 「団体なんて創らないで浪人でいいだろ」「借金なんて返さなきゃいいよ、事件起こして刑務所でも入ってりゃ相手も諦めるだろ」などと進言してはみたが、やはり母親の連帯保証の件と、伊藤への絶望感が、ああした結果に繋がってしまった。

 生きてりゃ、今じゃ法律も変わり、過払い請求で逆に相手に請求出来ただろうに、瀬野の軽挙妄動は返す返すも残念でならない。

 最近は愚生も借金が四生に近くなり首が回らなくなって来た。それでも四生五殺というより「九生」くらいまでは大丈夫だとは思っていますので、貸主の方々は安心して増資を検討しては貰えませんか。呵呵大笑。

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cordial8317 at 07:48|PermalinkComments(0)

2015年03月06日

特殊法人でありながら、幾多の株式会社の持ち株会社となり、その収益を視聴者(受信契約者)へ還元しないNHK

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 啓蒙活動と備忘録を兼ねてfacebookもやっている。

 先日、FBFが、「NHKを解体しろ!テレビは見ない! 勝手に言ってればよいと思います。自分は寺門アナがいる限り、朝はNHKを見続けます!」といつもの様に、シャレを利かせながら自称・愛国者、保守系団体への皮肉たっぷりの日記がタイムラインにアップされた。

 別段、いつものことと笑って見過ごそうかと思ったが、NHKに対しては多くの国民が怒り、訴訟を起こされてる訳で、国営放送としては実に不適格な存在であることは余程のバカではない限り承知している訳で、分かり易くコメントしてみた。内容は以下の通り。

 相変わらず腐してますな(笑)公共放送の役割は事実を淡々と報じることに他ならず、多数の視聴者の常識から逸脱してはなりません。近年は、政治的な問題は、自分らの価値観や意見を押し付ける「説教」が目立ち、根拠の無い偏向番組が散見せれるのは大きく国益を損ねていることは承知の筈。最早NHKは公共放送局として存続に値しない特殊法人で、早急に解散させるべきです。特殊法人でありながら、幾多の株式会社の持ち株会社となり、その収益を視聴者(受信契約者)へ還元しないのは公共性とは大きくかけ離れるものです。歪曲、偽造、捏造、の常習犯。虚構をでっち上げ、我が国を貶め続けるNHKは受信料を払ってまで見る様な類のものではなく、視聴者が「受信料拒否」の手段で抗議することは一つの手段でしょう。シャレはいいですが、笑えない場合もありますよ。

 これに何をトチ狂ったのか、FBFの友達のKという男性から以下の様な、反論とは言い難い内容のコメントが書き込まれた。

 「どちらがシャレにならないかは個人の判断考え方です。NHKの生い立ち。現在のスタンスは考えるべき物も在るとは思いますが…国営放送は必要ですよ。そして現在国営なのです。国営なら、国民が負担すべきだとは思いませんか?これは日本国民の決められたルールです。自分はNHKの視聴料を払ってから、意見を述べる土俵に上がるべきだと思います。払わずに理屈をコネルのは最も非常識だと思います」

 何故に愚生への反論なのかと訝しく思い、ここの前のコメント欄に目を通すと、こんなコメントが入れられていたのに気が付いた。

 「自分の国の国営放送を解体。視聴していないから金を払わない?なんたる愚かしい発言でしょうか?全く。笑ってしまいます」

 これに対し、FBFは「自分の考え方と違うだけで無理な駄々をこねる、まるでガキですね」と同意をする。

 あ~なるほど、Kは自分が反論されたと思ったのだろう。簡単に論破出来るし、揚げ足を取ってやることも出来るが、FBFのウオールを汚すのも悪いので止めといた。

 ということで、拙ブログでその遣り取りを書き留めることにした。呵呵。

  <NHK受信料お悩み解決>  http://jushinryo.web.fc2.com/kaiyaku.htm

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2015年03月05日

ホルムズ海峡が封鎖され石油が入らなくても快適な生活が送れなくなる程度だってよ!

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 衆院予算委員会での質疑で、民主党の枝野幹事長は、「ホルムズ海峡が封鎖され石油が入らなくても快適な生活が送れなくなる程度」と語り、反響を呼んでいる。

 枝野は「油が8割止まると今と同じ様な快適な生活ができないけど、武力攻撃を受けた場合と同様ではない。直接人命が失われるような事態ではない」とも語った。

 「石油が入らなくなっても快適な生活が送れない程度」というのは実に興味深いが、「便利」という価値観に溺れた日本人にとって、快適な生活が送れないとなれば、耐えきれるとは到底思えない。

 枝野は、現代を生きる日本人の忍耐力を過信し過ぎている様だが、ホンネは、不便な生活に耐え切れなくなった国民は暴徒化し、その矛先が政府に向けられることを見込んでのこと。流石は極左の枝野、やることも言うことも確信犯だ(苦笑)

 福島第一原発事故は、民主党政権下で起こった人災だったが、その官房長官だった枝野は「強制避難命令」を発令した張本人。

 それによって、双葉病院の重篤な入院患者が退避の為に連れ廻され、数十人の命が亡くなった。放射線被害で亡くなった人はいないが、要らぬ避難命令で死亡した方は少なくない。

 こうした死者は原発関連死とされているが、これは明らかな民主党政権下で行われた殺人といっても過言ではなく、健康被害を避ける為に退避命令を出したつもりが、逆に命を奪ってしまった。

 今回の枝野のこうした発言は、過去の自分の過ちを反省していない結果であり、エネルギー安全保障政策が、如何に国民の生活・命を預かる上で大事なことかを理解していない証左である。

 原発事故後、国内の原発が停止し、化石燃料による電力に移行した。

 経済の疲弊は明らかに原発停止による影響は大きく、枝野も、原油輸入に言及するならば、「ホルムズ海峡の封鎖は我が国の死活問題であり、原発再稼働を検討すべき」とでも言うなら刮目もするが、そんな奇特な輩ではない。

 まぁ枝野に限らず、反原発派というのは全く以てその論理は支離滅裂、呆れ甚しとはこういうことだ。

 中東からの輸入経路であるシーレーンの防衛は最重要課題であり、防衛や安全法制を担う自衛隊の存在が憲法違反のままでいい筈はなかろう。

 枝野は「我が国には備蓄があるではないか」ともいう。

 だが、万が一、シーレーンを封鎖された場合、日本の電力供給は数か月程度しか持たず、福島原発事故以上のパニックが起きるのは必至で、これ即ち、「間接的に人命が失われる」危機でもあるのだ。

 こうした喫緊の課題に対して「反原発派」からは全くそんな声は聞かれない。それどころか、「快適な生活が出来なくなる程度」とは、反原発派とは何を況やだろう。

 我が国は四辺を海に囲まれた島国であり、オイルショックの経験から産油国との外交関係の重要性、そしてシーレーンの安定化が不可欠と感じた日本は外洋に伸びるシーレーン千海里防衛構想を策定した。

 国内経済も多くを海上交易に依存し、日本の輸入依存度は石油が99.8%、石炭98.4%、天然ガス(LNG)96.6%、原子力(ウラン)に至っては100%を依存している。輸出も然り。

 こうしたことからも、我が国でも海洋国家として自国のシーレーン防衛の重要性が認識され、海上自衛隊もシーレーン防衛として対潜水艦戦、対機雷戦に重点に訓練を行っている。

 イランの核開発によるホルムズ海峡の危機や、中共の覇権主義によって南シナ海や東シナ海、そして尖閣列島などが脅かされているが、適切な海上権益を確保し、マラッカ海峡から日本までのシーレーンの安全を確保することが重要なのは理解出来よう。

 日米軍事同盟を結んでいる国として米軍と協力して、千海里防衛は当然ながら、太平洋~インド洋地域、南シナ海、東シナ海のシーレーンの防衛体制を確立することが大事であり、それが結果的には中東等での事態発生に対する抑止力となり、中共の覇権主義も阻止出来るのだ。

 枝野と極左の繋がりを今更ながら論うつもりはないが、所詮、彼奴等の狙いは革命にあるのだ。それが「快適な生活が出来なくなる程度」の発言であり、社会の不安と混乱、秩序の破壊、そして大衆を洗脳し暴徒化させることこそその目的である。

 国防を強化する上でも、国内に蠢く左翼共の監視を怠ってはならない。

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cordial8317 at 07:14|PermalinkComments(0)