2015年02月

2015年02月15日

歴史の中に未来の秘密がある。変化こそ唯一の永遠である!

 12日、安倍晋三首相が施政方針演説を行った。いつの頃からか歴史的人物の格言を引用することで、恰も施政方針の内容が立派なものであるかの様に悦に入ってたが、刮目する様なものではなく至って無難としか言い様のない内容だった。

 JA全国中央会の社団法人化と農政改革の政策を訴える中で、「変化こそ唯一の永遠である」との言葉を投げ掛けていた。変化を恐れてはならないという岡倉天心の言葉を引用していたが、これは都合の好い部分だけを切り取ったに過ぎない。

 原文は「歴史の中に未来の秘密がある。我々は、我々の歴史の中に、我々の未来の秘密が横たわっているということを本能的に知る。変化こそ唯一の永遠である」というものであり、変化や改革というのは歴史の中にそのヒントがあるということ。

 正統の保守主義者に於いて時間を体験する仕方は、過去の意味を直視し、その中に価値を見出す発見によって未来を創造して行くものであるが、今の自民党らがやる改革は未来が全てであり、これ即ち保守に非ず完全な自由主義者である。

 安倍の演説は新自由主義からの発想であり、「戦後レジームの総決算」も単なる画餅でしかない。そんな安倍が「変化こそ唯一の永遠である」とは嗤わせてくれる。

 嘗て、岡倉天心は自著「日本の覚醒」の中で、我が国の歴史・伝統・文化を喪失し、西洋文明に浮かれる軽佻浮薄な洋学紳士を痛烈に批判した。

「ああ西洋開花は、利欲の花なり。利欲の開花は、道徳の心を損じ人身をして唯一個の射利器械たらしむ。貧者は益々貧しく、富者は益々富み、一般の幸福を増加さする能はざるなり」奔放に生き、世界を放浪し、大勢の知己友人を持つインターナショナリストでもあった天心の国際情勢分析は的確にアジア情勢を把握していた。

 天心は、西洋の真似をするのではなく、我が国の歴史・伝統・文化に目を向け、その上に立って日本文化を世界に鼓吹した人物でもあった。天心は、紛れもない我が国が誇る愛国者であり、ナショナリストだったのである。

 国際化というものは米国に擦り寄ることではないし、西洋を真似ることではない。夫夫の国々の歴史・伝統・文化を重んじ、礼節を以て交流することである。

 真の国際人を創る意味でも子供達に我が国の「神話」を教え、我が国の生い立ちや日本語の美しさと日本人の心の豊かさを学ばせ、成長に従って我が国の誇るべき歴史や近代史、偉人の教えを学ばせなければならないと痛感する。

 自国の歴史や偉業を知らずして何の国際化か。何が「戦後レジーム」か。教育問題に対し安倍は、不登校になった娘の母親の手紙を披歴し、「子供の貧困は、社会の根幹に関わる深刻な問題だ」という。結局は教育の中身よりも算盤勘定だろう。

 教育の中身を語ることなく、こうしたカネのことだけに拘り支持を得ようとは余りにも姑息で、こうしたことが教育改革だとすれば浅はかなことだ。

 我が国は、今や愛国心の希薄と国防意識の欠落では恥ずかしいことに、世界に冠たる国となってしまった。原因は過去の先人の営為に学ばなかったからだ。

 戦後は愛国心も誤って解釈され、国防も単なる領土主権を守ることだけのことの様に誤解されている。「国防」とは、単に国土という領土の防衛ではなく、「それを亡くしてしまったら日本ではなくなってしまうものを護り抜くこと」である。

 国を護るということは、つまり、国柄である日本民族、宗教、言語、​歴史、価値観、習慣、制度を護り、世界の中で最も優れた精神文化​や未来の子供達、そして何より、国體そのものである皇統を死守し、それを未来に継承することにあるのだ。

 政治で最も大事なものは「国防」と「教育」である。国家観を以て外交を行い、国防を怠らず、将来を担う子供達に、祖国に誇りの持てる教育を如何に施して行くかが求められる。新自由主義を盲信し、経済至上主義に奔る安倍を見ていると、吾、疑心暗鬼どころか、屋上屋を架す大馬鹿者だと断言せざるを得ない。

 財政再建にしろ教育改革にしろ農政改革にしろ、政治家が学ぶべきは米沢藩第九代藩士・上杉鷹山であろう。鷹山公は、逼迫する財政を改革に立ち上がる。

 その際、「受け継ぎて 国の司の身となれば 忘れまじきは 民の父母」(藩主として自分の仕事は、父母が子を養う如く、人民の為に尽くすことである)と詠まれた。

 政治家として大事なことは、こうした領民(国民)に寄り添う覚悟であり、率先垂範である。倣うべきは鷹山公が先ず手を付けたの領民の心の改革である。

「単に帳簿上の赤字を克服すれば財政再建が出来るという訳ではない。今は困窮の余り、この国の人々は目先の利益のことしか考えず、他人のことを思い遣れなくなっている。人々の心にも赤字が生じてしまったのだ。これを克服しなければ、喩え帳簿上の赤字を克服したとしても、また同じことを繰り返すだろう」

 どうだろう、この鷹山公の教えは現代あらゆる問題にも当て嵌まると思いませんか。「人々の心の赤字(貧困)」の解消を図ることこそ日本再生の近道である。

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2015年02月14日

曽野綾子のコラムへの言いがかりこそ差別そのものだ

 作家の曽野綾子が、2月11日付の産経新聞に寄せたコラム「透明な歳月の光」の内容が、差別ではないのかと物議を醸しているという。コラムは、労働移民の受け入れに関して「資格や語学力の障壁を取り除くべきだ」とする一方で、南アフリカの事例を出して「居住地だけは別にした方がいい」と主張する内容である。

 至って普通の内容なのだが、これに対し、批判的な勢力からは「アパルトヘイトを肯定してる」「はっきりと差別を肯定する文章」などと反発を広げている。

 以前にも曽野は、「サンデー毎日」での連載コラムで、部落問題に関する記述が問題視され連載中止になったことがある。 サンデー毎日なんて滅多に読むことはないが、このコラムの内容は自著「運命は均される」という本に収録されている。

 その内容は「自分は東京生まれ東京育ちだが、日常生活で部落問題が話題になった記憶はない。そんな自分に部落差別について教え込もうとする人たちがいる。差別を知らない人間に同和教育を吹き込むな」と、至極真っ当なことが綴られている。

 こうした過去の問題を大袈裟に取り上げて、恰も曽野が差別発言をして来たと捉え騒ぎ立てて、「想像力の欠如した言論人」であるとバッシングされているが、想像力が欠落しているのは批判している己らの捻じ曲がった価値感ではないのか。

 以前も沖縄での集団自決の「軍命令」の証拠となった大江健三郎の「沖縄ノート」に関連し、その沖縄ノートの論拠となった「鉄の暴風」の著者の一人に「分裂症になったのか」と語り、「分裂症」表記が同じ様に話題になったことがあった。

 批判勢力は今回と同様に左翼文士らだが、沖縄タイムスの「沖縄戦記・鉄の暴風」そのものがフィクションであり、内容は割愛するが、意味を成さないものだ。

 沖縄タイムスの「創刊の辞」には、「我々はアメリカの暖かい援助の下に生活している。この現実を正しく認識することは取りも直さずアメリカ軍政に対する誠実な協力であり・・・」と明記されている。 「反米」「反基地」を煽っている沖縄タイムズだが、米軍の御用新聞として出発した新聞社だということが理解出来る。

「琉球新聞」も同じ様なもので、過去のことなど忘れ去り、偏狭なイデオロギーを撒き散らすクソ記者どもには、ジャーナリズムの矜持など持ち合わせてはいない。

 戦後、沖縄の人々は決して日本軍を「加害者」だとか、米軍を「解放軍」などと思ってはいなかった。だが、米軍の徹底した検閲が功を奏し、米軍こそが「解放軍」であるとの認識に至ったのだった。 その有力な協力者こそが沖縄タイムスであり、琉球新聞らだが、その彼らが今さら「反米」とは、もう嗤うしかない。

 要するに、沖縄では「反米」の方が部数が伸びるからであり、所詮は朝日新聞と同様に、読者に媚びる内容で売り上げアップを企む営利至上主義そのもの。

「鉄の暴風」は、日本軍加害者論を宣伝する為の物語として、米軍支援の下に発行されたフィクションである。 「鉄の暴風」の中に次の様な件(くだり)がある。

「なお、この動乱を通じて、おそらく終生忘れることのできないことは、米軍の高いヒューマニズムであった。・・・戦いの暗たんたる記録の中に珠玉のごとき光を放つ米軍のヒューマニズム・・・」 。何が「米軍の高いヒューマニズム」だ。

 この一節こそが、「鉄の暴風」の正体を雄弁に語っているのではないだろうか。 今、米軍基地反対の御先棒を担いで、民衆を扇動してるのは沖縄タイムズを始めとした左翼文士だが、高いヒューマニズムを矜持している米軍に失礼ではないか(笑)

 体験者の証言もなしに「日本軍自決命令」を書いた「鉄の暴風」は、米軍の占領を正当化する宣伝書に過ぎないものなのだが、その後、遺族年金の為の根拠とされ、然も事実であるかの様に見做されて来たというのが歴史的な真相である。

 沖縄に巣食う反米左派集団が、米軍宣伝のデマを金科玉条の如く死守し、戦後民主主義教育から目覚めることもないのは滑稽極まりないが、こんな流言蜚語や嘘八百を許して置く訳には参らない。大江は、こうした沖縄タイムスのフィクションをパクリ、関係者への取材は全くすることなく「沖縄ノート」を書き上げた。

 言ってみれば、大江の妄想までもが炸裂したフィクション本なのだが、摩訶不思議なことにこの本を証拠として「軍命令があった」との判決が下った。

「鉄の暴風」の著者にしても大江というの男も正に精神分裂病、今風に言えば統合失調症か。否、はっきりいって脳内が破壊されたキチガイというのが正しい。

 この「沖縄ノート」だが、その文章の一節には「25年ぶりの屠殺者と生き残りの再会・・・」と、集団自決者や戦災者を公然と「屠殺者」と準えている。

「屠殺者」という表記は差別表現ではないのか。これこそ「分裂病」や「差別を知らない人間に同和教育を吹き込むな」どころの騒ぎではなかろうに、何故に沈黙するのか。 評論家の呉智英は、この沖縄ノートの差別表記に驚き疑問を呈した。

「これ、いつから解禁になったのか。虐殺を屠殺になぞらえようものなら許すべからざる差別表現として、部落解放同盟と屠場労組の苛烈な糾弾が展開されたことは言論人なら誰知らぬものはいない」と語っている。

 呉は更に、1982年に俳優座のブレヒト原作「屠殺場の聖ヨハンナ」では、「屠殺」という言葉が差別表記として問題にされると、「屠殺」表記を改題したのだが、部落解放同盟から激しい糾弾に合い、上演は困難を極めたことを指摘している。

 部落解放同盟は「誰々の作品だから差別はないと、神格化したものの考え方を一掃したい」とまで言明していたことまでも、呉は振り返って疑問を呈している。

 1987年には「沖縄ノート」と同じ岩波書店が発行した「報道写真家」というのがあるが、これにも呉は、「戦場という異常な状況下では牛や豚などの家畜の虐殺と同じになる」という記述が問題にされて回収処分となっていることも紹介している。

 だが、大江の「沖縄ノート」だけは一度も糾弾も回収もされることはなく、それどころかアホな裁判官がこれを証拠として採用し、摩訶不思議な判決を出した。

 大江のみ「神格化」される理由は何か。大江の「25年ぶりの屠殺者と生き残りの再会・・・」という差別表記に部落解放同盟は何故に沈黙するのか。

 何のことはない、「反日」「自虐史観」では、バカ左翼どもは共闘し、嘘であっても、或いは差別表記であっても利用しようという悪辣さの現れだ。「集団自決軍命令」の証拠となった「沖縄ノート」は証拠としては余りにも御粗末過ぎる。

 曽野綾子の区別表記を差別を断じるならば、大江の差別表現こそ物申せ。同和や部落解放同盟が「沖縄ノート」を廃刊に追い込めば少しは世の為になるぞ(笑)

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2015年02月13日

神道とは日本人の心に清む惟神(かんながら)の道である

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 紀元節の2月11日には、地元の開成山大神宮に参拝し、神武肇国の精神を偲ぶと共に、陛下の弥栄と皇室の益々の安寧を祈念し、併而心願成就を懸ける。 

 開成山大神宮の御祭神は、伊勢神宮と同じく「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」と「豊受大神(とようけのおおかみ)」並びに「神倭伊波禮彦命(かむやまといわれひこのみこと:神武天皇)」という実に有難い神社である。

 安積開拓民の精神的な拠り所にと、福島県の典事・中條政恒が伊勢神宮の分霊の奉遷を神宮司庁へ働きかけ創建された神社で、名称は「開成山大神宮」だが、福島県が「岩代の国」と呼ばれていたということもあり「岩代大神宮」を希望した。

 残念乍ら、「伊勢神宮」と同じ様に旧国名を冠することに明治新政府が難色を示し、「開成山大神宮」となった。こうした経緯があることは余り知られてはいないが、もしも「岩代大神宮」だったらと思うと岩代町出身者としては惜しい哉。

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 安積(郡山)の地というのは、地元の二本松藩を始め、会津、棚倉。近県からは米沢藩。四国からは土佐と松山藩。山陰からは岡山、鳥取藩。九州から久留米藩の方々が入植して開拓した地である。中でも一番多かったのは九州久留米藩で、郡山弁に「そうだばい」「んだばい」とか、言葉尻に「ばい」を遣うのはその名残だろう。

 今の様に交通の便が無い時代、九州や中国・四国地方から徒歩で数百、千数百キロを歩いて来たことを思うと実に感慨深い。右翼現役時代には、初代総隊長が殊の外、紀元節を重んじていたこともあり明治神宮への参拝は欠かさなかった。

 だが、平成16年、陛下の御親拝なされる際の関係者への案内状のミスを理由に神社本庁から離脱し「宗教法人」となって以降の明治神宮参拝は中止にした。

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 明治神宮は周知の通り、国民の総意により、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲び創建された神社である。それを私物化し、営利至上主義に奔っている現状は正に憂慮すべき事態である。案内状への記載ミスとは単なる言い訳に過ぎない。

 神職に携わる者が営利に奔り、神社庁の主導権争いから、神社庁に属さなくても独立採算出来るというその姿勢は実に醜く、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲ぶ神社としては不謹慎過ぎる。靖國神社の「宗教法人」とは全く趣旨が違うのだ。

 靖國神社や全国の護国神社が「宗教法人」となっているのは、GHQの「神道指令」を免れる為に、已む無く採った先人の智慧である。靖國神社には経典はなく、英霊は教祖でもない。唯々、祀られている御祭神を顕彰をする社である。

 本来ならばGHQの占領から解き放たれた昭和27年4月28日の主権快復の折に、宗教法人格を解除して国家として護持するべきだったのだが、未だ宗教法人として放置され続けていることは、政治家の怠慢と不作為以外の何ものでもない。

 明治神宮が神社本庁から離脱し一宗教法人となったことは、明治神宮が創建された趣旨から鑑みても逸脱するもので断じて赦されない。況してやGHQが実行した「神道指令」を容認するものであり、こうした営利主義は拝金主義を助長する。

 右翼陣営が明治神宮に猛省を促すことも苦言も呈することなく参拝することは、明治神宮の愚行とGHQの戦後政策を赦すことでもあると思うが如何か。

 宗教法人の規定は「教祖」と「経典」と「布教活動」の三条件が必要。明治神宮の明治天皇並びに憲昭皇太后が教祖だとでも言うのか。経典は「教育勅語」なのか、違うだろう。神道とは宗教ではなく、日本人の心に清む惟神の道である。

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2015年02月12日

JA全中の政府介入は米国からの要望でありTPP参加への忠誠である

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 1967年2月、米国はベトナム戦争で、悪名高い枯葉剤「エージェント・オレンジ」を含む農薬を森林、田畑、農村に散布した。その量、実に7500万リットル。画像は散布している様子。農薬「エージェント」は、オレンジ、ホワイト、ブルーの3種類があり、オレンジとホワイトは、成長や代謝を阻害するものだ。

 これらの枯葉剤「エージェント・オレンジ」に因って環境が破壊され多くのベトナム人に奇形が生まれた。「ベトちゃん、ドクちゃん」がその象徴だった。

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 その後、この枯葉剤が環境や人体に及ぼした悪影響が社会問題になり、「国連人間環境会議」で討議されることとなる。キッシンジャー国務長官(当時)は、何故か「環境保護団体」を利用し、突然「捕鯨問題」をこの会議に持ち出した。これこそが米国に因る「論理のすり替え」であり、米国が最も得意とする手法である。

 米国という国は何事も自分の利益だけを考える国であり、「論理のすり替え」など朝飯前である。喩え、今日の夕刻までは友人であっても明日の朝にはもう敵となったとしても、それを少しも不条理とも不道徳とも恥とも思わぬ国である。

 米国が友人であるということは、それが米国の為に有利であるからであり、その他の如何なる理由も大義名分も付けたりに過ぎない。だが、「国益を守る」とは本来そういうものでもあるのだ。所謂「南京大虐殺」も、東京大空襲や広島・長崎への原爆投下を敢行した米国への非難を躱す為の「論理のすり替え」である。

「日本も30万人もの大量虐殺をしていたぞ」と言いたいが為にでっち上げたものであり、それを中共が利用しプロパガンダしているだけのこと。慰安婦問題や、中韓の「反日」にしても、それらの全てが米国が裏で糸を引いてるというのが事実だ。

「国連人間環境会議」後に、グリンピースやシーシェパードら似非環境保護団体が増殖し、我が国に対しの日本人蔑視と我が国だけの理不尽な反捕鯨活動が始まった。

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 シーシェパードのワトソンらの目的は鯨の保護などではなく、日本人への敵視と蔑視であり、日本人人種差別を繰り返す彼らに「環境保護」を言う資格もない。

 オーストラリア原住民「アボリジニ」を、スポーツハンティングとして自由に捕獲・殺害して来た連中の末裔であるワトソンらが「鯨を殺すな」とは笑止千万。

「ダイオキシン」を開発した会社が、TPPで名を馳せ、枯葉剤でも悪名高い「モンサント社」である。ベトナムで犯した戦争犯罪を一切問われることなかった。

 モンサント社は、遺伝子組み換え作物&除草剤をセット販売し、年間売上高100億ドル以上、世界シェア90%を独占する世界最大のバイオ化学会社である。

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 TPPを推進する経団連前会長の米倉弘昌は、住友化学工業の系列企業であるベーラントUSA社とモンサントと長期契約を結んでいるが、これをしてもTPPというのは実に胡散臭げだ。モンサントが生産する強力な除草剤「Roundup」に、耐性を持つ遺伝子組み換え種子をセットで販売するというのだから恐ろしいことだ。

 正に、TPPという米国の経済戦略に拠って環太平洋に不幸の種子が蒔かれようとしていることに、我々は拱手傍観を極め込む訳には参らないし、こうした連中が暗躍しているTPPなんぞに加わることは、我が国の国益に適うなどとはとても思えない。

 JA全国中央会(全中)へ政府が介入は、全中の監査・指導権を無くすことにより、各地域の農協が独自の経営的感覚の上に立って、新たな農産物の開発や流通ルートの開拓によって互いに競争し、農業を活性化することが目的だという。

 然し乍ら、JA全中の解体というのは米国からの強要であり、TPP参加への忠誠に過ぎず、その実は我が国の国益よりも米国の国益を優先しているだけである。

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2015年02月11日

神武肇国の大理想「八紘一宇」を掲げ天皇國日本の真姿開顕へ奮闘前進せよ!

 本日2月11日は「建国記念の日」、戦前には「紀元節」として奉祝した日でもある。紀元節は、「日本書紀」が伝える神武天皇の即位日とされている「辛酉年春正月、庚辰朔」に由来し、1873年(明治6年)に、2月11日と定められた。現在の祝日法には、「建国を偲び、国を愛する心を涵養する日」と記されている。

 戦前は四方節(元旦)、紀元節、天長節、明治節は「四大節」として、宮中皇霊殿で天皇親祭の祭儀が行われ、各地で神武天皇陵の遙拝式も行われた。だが、紀元節の祭祀だけが行われていない。これ即ち「神道指令」から解放されていない証左。

 昨日の「日露戦争開戦記念日」にしても、我が国と我が民族の命運を賭けて戦った記念日であることを知る日本人がいないのは、GHQの謀った戦後民主主義教育に因る自虐史観であり、歴史の忘却である。祖国の歴史を忘却するということは、その国に生まれし民族として生きることを否定しているのと同じである。

 今を生きる日本人に必要なことは、国家民族の最も基盤となるべき自己本来の教えである神道を正しく認識する必要があると考える。それには、紀元節の由来となった日本書紀を始め、古事記、万葉集、古今集、源氏、平家物語などの謂わば神道の経典ともいうべき古典に触れるべきであろう。正に神道なくして日本なし。

 欧米人からキリスト教を取り去ったら欧米人で無くなる様に、日本人から神道を取り除いたら日本人では無くなってしまうのである。我が国の伝統と文化や発展の謎が神道にあることに気付かないというか、気付かせない様に施した「神道指令」に怯え、神道を戦犯扱いし、拒否する勢力があるのは実に愚かなことである。

 米国の教科書でも「イザナギ」「イザナミ」の国生み神話と三種の神器が絵入りで教えられ、日本は「神の国」で、国名は「日の神」である天照大御神の太陽信仰に由来すると教えている。正に我が国は「神の国」なのだが、以前、森総理が「日本は神の国だ」と発言しバッシングを受け自任させられたのは記憶に新しい。

 明治22年2月11日、大日本帝国憲法が発布されると、全国各地の神社では紀元節祭を行うこととなり、青年団や在郷軍人会などを中心とした建国祭の式典が各地で盛大に開催されることになったが、大東亜戦争での敗戦で中止を余儀なくされた。

 終戦後の昭和22年、日本国憲法にふさわしい祝日の法案に紀元節が「建国の日」として盛り込まれていたが、連合国軍最高司令官総司令部により削除された。

 我が国が占領から解放され主権を回復した昭和27年4月28日、「紀元節復活運動」が起きる。昭和33年に国会へ紀元節に関する議案を提出。昭和41年に祝日法が改正され、翌年2月11日に「建国記念の日」として実施され今日に至っている。

 本日は全国各地で、神武天皇陵の遙拝式や紀元節の奉祝パレードが行われるが、世の中には実に捻くれた日本人らしからぬ輩も多く存在するのも確か。

「建国記念日は科学的根拠がない」とか「軍国主義復活反対」などとして、共産党を始めとした売国団体が「奉祝反対」の催しを行う。連中の「科学的根拠が無い」とする論拠が、歴史学者としての三笠宮崇仁殿下の発言なのだから困ったものだ。

 殿下は「紀元節祭復活は科学的根拠に欠ける」と皇居皇霊殿での祭祀に反対していたのは有名である。これ即ち、殿下が「赤い宮様」と言われる所以でもある。

 左翼は己らの利益に繋がると見るや、日頃「反天皇」でありながら皇族をも利用し、国民世論や大衆を煽動するのは常套手段であり、決して与してはならない。

 誰もが誕生日を祝うのと同じ様に、国家の誕生を祝うのは当然であり、日本民族の信念と道統を受け継ぎ、これを護持し、これを宣布し、そして子孫に伝える責任と使命を有する者、それは我ら日本人であることは言うを俟たない。

 建国記念日のその趣旨である「建国を偲び、国を愛する心を涵養する」とは如何なることなのか。日本人は日本を「穏やかな平和の国」と無意識に思っている。

 日本人が持つべき愛国心というものは大和の心(大和魂)であり、つまり、花鳥風月、山川草木、春夏秋冬の恵まれた自然に逆らわず調和して暮す従順な心である。軽薄な愛国心より、先ずは国の成り立ちを教え、大和心を涵養すべきなのだ。 

 紀元節に当たり、八紘を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむ。国民よ、神武肇国の大理想である「八紘一宇」を掲げ、天皇國日本の真姿開顕へ奮闘前進せよ!

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2015年02月07日

「2月7日は北方領土の日です」という欺瞞を糺す!

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 己の土地を他人に奪われて黙っている者はいないだろう。況してや、父祖伝来の国土が強奪されて泣き寝入りする民族が何処にあろうか。ロシアに占領されてる「北方領土奪還」は、日本民族の悲願である。韓国に実効支配されている竹島然り。

 ところが、戦後70年も経った今日、北方領土問題は未だ解決の糸口すら見えて来ないのは一体何故なのか。思うに、領土そのものの重要性に対する認識不足と、如何に不法に占拠されたかの真相把握が欠如していること、更には、ロシアへの認識の甘さと対応の甘さ等が綯い交ぜとなった結果が未解決の根源であろう。

 北方領土は「日露和親条約」並び「樺太・千島交換条約」「日露講和条約」の締結により、歯舞、色丹、国後、択捉の四島を含む、北は占守(シュムシュ)島から得撫(ウルップ)島の全千島列島と南樺太が、我が国固有の領土となった。

 領土問題では、共産党が「全千島、南樺太の主権」を訴えているが、この認識が正しく、共産党でも分かることが自民党を始めとした政党や政治家が理解していないのは実に情けない。過去に国会に於いて「四島返還決議」を採択しているが、この返還要求こそ、事勿れ主義であり、軟弱土下座外交そのものなのである。

 明治新政府の外交努力を無視して、四島を含む全千島列島と南樺太の主権が在るにも拘らず四島のみの主張を明記し、見す見す権利を放棄するとは理解に苦しむ。

 ペリーが浦賀に来航した2年後の安政元年(1855)2月7日、江戸幕府は伊豆下田でロシアと交渉し、「日露和親条約」を締結。この条約を以て歯舞、色丹、国後、択捉の四島と千島列島の間に境界線が引かれ、樺太を混住の地と決めた。「北方領土の日」はこうした歴史がその根拠となっているのだが、歴史には続きがある。

 明治新政府は、榎本武揚を全権特命大使としてロシアに派遣して外交交渉を重ねた結果、明治8年(1875)5月7日、ロシアとの間で「樺太・千島交換条約(サンクトペテルブルク条約)」が締結されるに至った。その結果、混住の地だった樺太の北側と千島列島を交換し、南樺太と占守島までの全千島列島が我が国に帰属した。

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 歯舞、色丹、国後、択捉の四島は我が国以外に帰属したことはなく、何を今更乍ら「四島返還要求」なのか。四島返還要求こそ弱腰軟弱全方位外交の象徴である。

 江戸幕府ではなく我が国がロシアと締結した国際条約である「樺太・千島交換条約」を論拠に、或いは日露戦争の講和条約である「ポーツマス条約」に則って、四島を含む全千島列島並びに南樺太の即時返還を要求すべきなのだ。「北方領土の日」は2月7日ではなく「樺太・千島交換条約」が締結された5月7日が相応しい。

 歯舞、色丹、国後、択捉の四島返還に固執する故に2月7日にせざるを得ないのが実情である。2月7日に締結した「日露和親条約」は江戸幕府であり、新政府が日本国家として正式に締結した「樺太・千島交換条約」こそ重んずるべきだろう。

 全千島と南樺太の主権が在るにも拘らず、四島のみの領有権主張を明記し、見す見す権利を放棄した揚句に「四島返還」の国会決議をしていることは、国会と政治家の無能を示すものであり、国益を重んじる政治家として万死に値するものだ。

 四島返還論はヤルタポツダム体制が作り出した象徴である。安倍が真に「戦後レジームからの総決算」を訴えるなら領土主権の問題も根本から見直さねばならない。

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 1945年(昭和20年)2月、米国のルーズベルト、ソ連スターリン、英国のチャーチルらがクリミア諸島のヤルタに集った。この会談でルーズベルトは千島列島をソ連に引き渡すことを条件に日ソ中立条約の破棄を進言し、ソ連の対日参戦を促した。

「ヤルタ協定」ではソ連の対日参戦を始め、南樺太をソ連に返還すること、千島列島をソ連に引き渡すことなどが決められた。ドイツが無条件降伏した約3ヶ月後の昭和20年8月9日、ソ連は「日ソ不可侵条約」を一方的に破棄し参戦した。

 このソ連の国際条約の蹂躙と侵略に因って、日本人同胞の虐殺、強奪、婦女子の強姦、暴行など鬼畜の如き行為が繰り返えされた。更にはソ連は、日本軍人、軍属、一般人を含め80万人以上の人間をシベリアへ抑留し、半数以上を凍死、餓死させた。

 ソ連軍による残酷無残な行為は正に悲憤断腸、鮮血の逆流するのを覚える。今を生きる我々はこうした事実と悲劇を決して忘れてはならない。因みに、ソ連は1926年から1941年までの15年間に、「不侵略条約」「中立条約」、或いは不侵略や中立の名を冠した条約を東西15ヶ国と結んだが、14ヶ国はソ連がこれらを破っている。

 ロシアは「ヤルタ秘密協定」を楯に北方領土の主権を主張しているが、ヤルタ秘密協定こそが国際法的に意味を成さない。我が国はヤルタ秘密協定の無効と、「樺太・千島交換条約」並びに「日露講和条約」という国際条約を論拠に、領土主権の正当性と即時返還、更には終戦間際のソ連の蛮行に対する謝罪を要求すべし。

 韓国も同じく島根県の竹島を不法占拠し、中共、台湾もまた沖縄県石垣市の尖閣諸島の主権を主張しているが、これもまた北方領土同様に戦後の歴代政府や国会が、領土主権を理解せず、事勿れ主義から主張を疎かにしてきた結果である。

 現在、世界の各地で民族争いの中で国境紛争が頻繁に起きているが、世界では寸土たりとも主権確立には戦いをしてまで死守しているのが世界の常識である。

 奪われたものは、奪い返す以外に解決する手段は無いという世界の常識通り、奪われた領土は奪うことでしか解決出来ないという覚悟こそ大事なのだが、悲しい哉、現在の我が国の政治家に決定的に足らないものはそうした気概である。

 国際環境が激変しつつある時に動くものが領土問題である。つまりそれは、ロシアから北方領土を奪還する好機でもあり、竹島を取り戻す機会が到来したと言える訳だが、一方では尖閣列島や対馬、或いは沖縄県を奪われる危機でもあるのだ。

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2015年02月02日

邦人殺害の実行犯とされる英国人を国際指名手配せよ!

 愚生が所属していた行動右翼のパイオニア、防共挺身隊の初代総隊長・福田進の自著「日本人と油虫」の中に、「俺はまだアラブを知らない。アラブでは夜空に輝く星が、今にも落ちて来るのじゃないかと思うくらい綺麗なんだってな・・・。連合赤軍の兵士てえ自称する、共産主義の三匹の油虫のアンチャンは、イスラエルの空港で好き勝手に暴れ回ってユダ公をぶっ殺した。・・・生き残った一匹は『我々三人は死んだ後オリオンの三つの星になろうと考えていた』と供述した」との一節がある。

「テルアビブ空港乱射事件」とは、1972(昭和47)年5月30日にイスラエルのテルアビブ近郊都市ロッドに所在するロッド国際空港(現・ベン・グリオン国際空港)で発生。別名「ロッド空港乱射事件」。日本赤軍に因る事件である。

 英語では「Lod Airport massacre(ロッド空港の虐殺)」と呼ばれる。日本赤軍側はリッダ闘争と呼ぶ。リッダ(Lydda)はロッドの非ヘブライ語での名称である。

 犯行を実行したのは、日本赤軍幹部の奥平剛士(当時27歳)と、京都大学の学生だった安田安之(当時25歳)、鹿児島大学の学生だった岡本公三(当時25歳)。

 奥平は警備隊に射殺され、安田は手榴弾で自爆した。自裁出来ずにぶるぶる震えていた岡本公三は警備隊に取り押さえられオリオンの星座になることはなかった。

 その後、岡本公三はイスラエルで終身刑で受刑した後に捕虜交換で釈放され、現在はイスラエルと敵対する勢力の庇護を受け「アラブの英雄」としてレバノン郊外のアパートに居住しているという。テロリストとして一目も二目も置かれていた日本人が、今や大義なきテロリストの標的になり、手に掛かるとは皮肉なものだ。

 中東では過去に、2004年5月にジャーナリスト2人が殺害され、10月には日本人青年の香田証正が殺害された。2012年8月には取材中だった山本美香が銃撃戦に巻き込まれ死亡。翌年にはアルジェリアで人質になった邦人10人が犠牲となった。

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 安倍首相は目を潤ませながら、日本人ジャーナリストの死を「非道、卑劣極まるテロ行為に強い怒りを覚える」と語った。だが、果して今回の一連の事件はテロ行為なのだろうか。政治的目的ではなく、身代金目的の誘拐及び殺人事件だろう。

 テルアビブ空港での乱射は極左なりの大義があったが、イスラム国という組織を「国」と見做すからややこしくなる訳で、イスラム教徒の犯罪集団ならばこれは国際紛争ではなく、武力に拠る威嚇や行使は当然権利を有するものと考える。

 明治以降、日本とアラブ、イスラムとの繋がりは深かった。だが、ここに来て何故に日本人にまで敵意を剥き出し標的にして来るのか。異常な米国追随も問題だが、日米分断を謀る外国人の存在もまた否定出来ないのではなかろうか。

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 日本人ジャーナリストを殺害したとするビデオに登場した黒い覆面の男は、これまでも英米人らの斬首を繰り返してきたムハンマド・エムワジとみられている。

 真実を明らかにする上で、この英国人を身代金目的誘拐並びに監禁と殺人、死体損壊容疑で国際指名手配するべし。邦人殺害継続を予告する犯罪者共を地の果てまでも追い詰め、アッラーの名を貶める奸賊共を地獄に堕とさなくてはならない。

「日本人と油虫」は、「その言葉は稚拙ではあるが、荒廃した日本にはないロマンを感じさせるんだなあ。アラブという国が、日本青年をして死を覚悟するまで革命に駆り立てる何かがあるとすれば、俺も夢多き一人として一度アラブへ行って見たい衝動に駆られる。きっとアラブの夜空に燦然と輝くオリオンの星が、油虫の俺を魅きつけるのかも知れない・・・ 」 と続く。夢多き日本人がアラブの星となった。合掌。

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2015年02月01日

イスラム国に屈する訳には参らない。目覚めよ、日本人!

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 日本人ジャーナリストの後藤健二が「イスラム国」に殺害されたとみられる映像がインターネット上に投稿された。マスコミは朝からてんやわんやの大騒ぎ。

 然し乍ら、今回の様な外国人への見せしめは想定されていたことで、ジャーナリストの死がどういう意味を持つのかを、日本人一人一人が考えるべきであろう。

 過去の同じ様なジャーナリストの殺害や、一昨年前に起きたアルジェリア人質事件で邦人10人が殺害されたことなど、日本人はもう忘れてしまった様だが、イスラム圏に於いては今回の日本人殺害事件だけが特別なものなのではない。

「可哀想だ」とか「気の毒だ」とか、「安倍が見殺しにした」だと「自業自得」だとか、そんな簡単な次元で解決出来る問題でもない。確かに、「政府が見殺しにした」というのは強ち間違いではないが、安倍が見殺しの張本人でもない。

 唯、その過ちは身代金の拒否というものではなく、歴代政府が国防や安全保障という国家の大本を米国に委ねていたツケが今回の事件の背景にあるのは確かである。

 こうした償いは、米国依存ではなく我が国独自での国防体制の強化というカタチで償うべきであろう。過ちや失敗というのは繰り返すことがあってはならないのだ。

 自らの意思で行った国でそうした自らの行動に伴う犠牲より、自らの意志とは関係なく祖国から拉致され塗炭の苦しみを味わい、未だ帰ることも叶わない同胞の無念や悲しみに思いを致せば、如何なる不条理も晴らさねばならないと痛感する。

 言い方は悪いかも知れないが、今回のイスラム国での日本人同胞二人の殺害は、日本人が「真の平和」というものを考える好い機会になったのではなかろうか。

 今回のこの日本人殺害事件を教訓にするのは当然ながら、国際情勢を鑑み、国防体制を強化し、国民の生命と安全を如何に護るかということを真剣に議論すべきであろう。だが、国内を見渡せば総理官邸前でどんちゃん騒ぎしている左翼どもの光景を見れば、相変わらず我が国は平和ボケが蔓延していると痛感する。

 自称平和主義者らは集団的自衛権に反対し国防さえも否定するが、国防の目的は「平和」にあり、「戦争」にある訳ではない。日本人の愚かさは、国防を否定してしまっていることで、国防を除いてしまったら、国家の存在意義まで失われてしまうことに何故に気が付かないのか。左翼に欠落していることはそういうことだ。

 国防とは単に領土の防衛だけではないく、国防とは三島由紀夫の「それを亡くしてしまったら日本ではなくなってしまうものを守り抜くこと」との訓えに在る。

「国を護る」ということは、つまりは国柄であり、民族、宗教、言語、​歴史、価値観、習慣、制度を護るであり、世界の中で最も優れた精神文化​や将来を担う未来の子供達を育むことであり、そして何より皇統を死守し、継承して行くことである。

 国防で重要なことは「何から何を護るのか」を明確にした上で、国防の範囲を画定することが基本である。今回の殺害事件も、一昨年前のアルジェリアの邦人殺害も、我が国の法整備の欠落と危機管理能力の欠如と脆弱さを顕わにした。

 今回のイスラム国に因る殺害事件を教訓に、これらの妨げになっている現憲法の議論と見直しから始めるべきなのだが、未だ現憲法を金科玉条の如く奉り、このクソ憲法を守ってさえいれば平和が続くと思っている輩も多く存在しているのも確か。

「平和ボケ」という言葉は、我が国の高度成長からバブル時代にかけて、金儲けや飽食に狂奔してきた世相や空想的平和論を弄び、米国の核には反対しても、中共やロシアの核には反対したことも無い団塊の世代や左翼運動家を揶揄したものだ。

 今や左翼に止まらず国民の多くが、まやかしの平和に気付かぬまま、魂亡き繁栄に現を抜かし、私利私欲に狂奔してしまっている。安倍でなくても「同胞を死に追い遣ったテロリストに罪を償わせる為に」、また「テロに屈しない」というならば、我ら日本人自身が戦後の平和主義の妄想から覚醒せねばならないのだ。

 戦後の我が国の平和は単なる偶然に過ぎず、北朝鮮に拉致されたまま、未だ救出すら、まともな交渉すら出来ない現状を見れば、正に拉致という日本人へのテロ事件は平和主義という妄想が生んだ悲劇であると断じても過言ではない。

 国家の大本をいつまで米国に委ねるのか。これでは米国の属国ではないか。今こそ、平和や安全というものは、自らの手で創り出さなければならないのである。

 安倍は「テロと戦う国際社会で日本として責任を毅然として果たしていく」と強調する。その上で「食糧支援や医療支援といった人道支援を拡充していく」という。

「テロと戦う国際社会で我が国の責任だ」とするその認識は間違いであると断じざるを得ない。人道支援とは耳障りの好い言葉だが、人道支援しか出来ない政治の歪みを現すもので、これ即ち現憲法の矛盾を曝け出していることでもあるのだ。

 出国前、「何があっても私の責任」とその覚悟を示していたジャーナリストの後藤健二。それを「気の毒だ」などと言い現わしたらそれこそ気の毒だろう。正に「男子の本懐」、これに尽きる。怠惰な生活に溺れ、まやかしの平和の中で「自己責任」「自業自得」などとか断じてる輩よりも立派だったと思う。合掌

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