2015年01月

2015年01月28日

藤沢秀行と升田幸三。こうした勝負師から学ぶことは実に多い

 囲碁の第三十三期女流本因坊就位式で藤沢里菜が允許状を受けた。祖父は言わずと知れた故・藤沢秀行名誉棋聖。豪快、華麗な棋風と酒と女と博打(ギャンブル)麻雀を愛し、破天荒な生き方で囲碁ファンを始め多くの国民を魅了した伝説の人物だ。

 博打と女好きが高じて、ヤクザの高利な金に手を出したお蔭で莫大な借金を抱えてしまう。囲碁のタイトル戦の賞金で支払うしかなく、負ければそこでお終い、首を括らねばならない情況の中での勝負は、正に鬼気迫るものがあった。

 そんな名誉棋聖とは、物心両面で世話になった大手警備会社で幾度となく拝顔の栄に欲したことがある。眼光鋭く、浮世離れした観は独特で、「あの人が藤沢秀行さんだよ」と会長から教えられた時には妙に納得し、感激した覚えがある。

 何でも藤沢さん、若い頃に愛人を何人か囲い、夫夫に子供を儲けてて、その生活費の工面を晩年なってもずっと続けていたそうだ。工面する方もだが、それを支援してやる方も大したものだ。氏の著書は100冊を超え、中でも破天荒な人生を綴ったエッセイは面白いものが多い。読んだ本の中では「野垂れ死に」を思い出す。

 若手の棋士の育成に力を注ぎ、また趙治勲二十五世本因坊や林海峰・名誉天元らも教えを請うた一人であり、中共国内や台湾の棋士の実力向上に大きく貢献し、当時の中国共産党の最高実力者・鄧小平の表敬訪問を受けたこともある人物でもある。酒癖は悪い方ではないらしいが、酔うと「お〇〇こ」を連呼するという(笑)

 鄧小平尿系訪問を受けた際も酔っ払い、「お〇〇このことを中国語では何というのだ」という話しに終始したらしく、結果、面談は途中で中止になった(笑)

 このエピソードを聞いた時には、「流石はシュウコウさん!」と爆笑したが、言わせて貰えれば、どうせ慇懃無礼な支那人のこと、上っ面のことしか言わないだろうから、敢えて酔った振りしてワザとやったんだろう。シラフでやれば角が立つが、酔っていれば笑って許されることも承知の上での、藤沢さんらしい名人芸(笑)

 勝負師の酒でのエピソードと言えば升田幸三を思い出す。占領下、将棋が廃止される危機に際し、GHQの本部の在った皇居前の第一生命ビルに単身趣き、将棋を救ったことは有名だ。戦後GHQは日本弱体化の為にあらゆる物を監視し規制した。

「将棋」でさえも軍国主義と結びつけ、「こんな危ないゲームは無くすに限る」と日本将棋連盟に連絡し呼び出したGHQ。当時は未だ「日本将棋連盟」ではなく「将棋大成会」という組織で、会長の木村義雄は升田幸三を送り出すことにした。

 升田の全盛期は短かったが、棋風も言動も兎に角豪快で、大山の前の名人である木村を相手に「名人なんてのはゴミみたいなもんだ」と発言し、「名人がゴミなら君はなんだ」と反問されると、「ゴミに集るハエよ」と言い返した逸話が残る。

 この升田を木村は「将棋の危機を救うのは升田しかない」と使者とした。升田は兵隊の時に、ポナペ島で星空を見上げては宿敵木村名人を倒すことばかり考えていたという。そんな彼の目の前から将棋が指せなくなる危機が生じたのだ。

 GHQの牙城に乗り込んだ升田は、開口一番、「酒を飲ませろ」

 将校は驚きながらも缶ビールを差し出した。

 缶ビールを知らない升田は、「不味いなぁ、これは本物のビールか」

 これには将校も呆気に取られた。

 酒を出させたのは升田の強がりではなかった。ビールを飲めば小便が近くなり、難しい質問なら便所に駆け込んで考えようという、升田の緻密な作戦であったのだ。

 米軍将校は升田に、「我々のチェスと違って、日本将棋は取った相手の駒を自分の兵隊として使う。これは捕虜の虐待であり人道に反するではないか」と吹っかける。

 升田は、「あなた方は頻りに民主主義を振り回すが、チェスなんてなんだ。王様が危うくなると女王を盾にして逃げるじゃないか。レデイーファーストとは聞いて呆れる。古来から日本の武将は落城にあたっては女や子供を間道から逃し、然る後に潔く切腹したもんだ。敵の駒も自分のものとするのは、駒の能力を尊重してのことだ。適材適所だ。これが本当の民主主義なのだ。民主主義をバカの一つ覚えみたいに唱えるより、日本の将棋を勉強して政治に生かしたらどうだ」 と、言い放つ。

 酔った勢いで喋り倒し敵を圧倒、斯くして将棋は生き残った。

 藤沢と升田、共に酔いをも作戦に入れる強かさは流石だ。聞き齧った様な理論をひけらかす営業保守から学ぶものはないが、勝負師から学ぶことは多い。藤沢秀行は書も愛し、その独特な書体は勢いがあり内に秘めた迫力が現れている。

 その中でも、「大丈夫心配ない死ぬまで生きる」と「強烈な努力」という言葉が好きで、カレンダーの切り抜きだが、壁に貼り付けて毎日拝し元気を頂いている。

「死んだように生きてはいかん、死ぬまで生き生きと、死ぬまでは生きるのだ」という意味が込められているらしいが、単純な言葉だが勝負師が言うと奥が深い。

 逆境を跳ね除ける精神力と豪快さは、是非とも見習いたいものであるが、愚生に足らないものは「強烈な努力」以外にはないとは分かってはいるのだが。呵呵。

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2015年01月26日

テロの根絶を願うなら圧政に呻吟する民族の解放と独立させる以外にない

 人質になってた日本人ジャーナリストの湯川遥菜が殺害された。与野党共に「言語道断」「強い憤り」など、政治家御得意の台詞を口にする。所詮は他人事。

 小沢一郎に至っては、「彼らの敵を援助するなら、日本が敵だと思われても仕方ない」と意味不明の批判していた様だが、厭きれて開いた口が塞がらない。

 出国前、「何があっても私の責任」とその覚悟を示していたジャーナリスト。今回の人質交換での「安倍、お前が殺したのだ」とのメッセージは、彼から発せられたものだとは信じ難い。同胞の死に「可哀想だ」とか「気の毒だ」という様な声も聞く。愚生は冷たい言い方かもしれないが、可哀想とも気の毒とも思わない。

 これは、自分の夢を果そうとした結果であり、可哀想などと言い現わしたらそれこそ可哀想だと思う。正に「男子の本懐」という、これに尽きる。怠惰な生活に溺れ、まやかしの平和の中で「自己責任」「自業自得」などとか断じてる輩よりも立派。出来ればその死は日本人として立派な死に様であり最期であって欲しい。

 人質交換のサジダ・リシャウ(サニーラ・ジャシム)は、イスラム過激派にとって「ジハード(聖戦)」の象徴だという。というのも、彼女は米軍のイラク進攻後、中西部アンバル州で吹き荒れた暴力に翻弄され、親族は米軍に殺害された。

 彼女の兄弟もイスラム国の母体となった「イラク聖戦アルカイダ組織」で、米国によって殺害されたザルカウィの側近で、正に彼女は「反米闘争」の象徴なのだ。

 彼女は夫と共に、ヨルダン首都アンマンのホテルで結婚式に参列していた会場で自爆テロを起こすも、起爆装置が作動せず拘束された。イスラム武装勢力の幹部だというサジダ・リシャウ。拘束されるまで80人以上の女性を「自爆テロリスト」に仕立て、少なくとも28件の自爆テロを引き起こした張本人でもある。

 彼女の自供に由ると、精神的に落ち込んでいる女性に狙いを定め、言葉巧みに誘って仲間に引き入れ、訓練所で自爆テロを教え込み、バグダットなどで敢行させた。

 モスクワ郊外ドモジェドボ国際空港での自爆テロの実行犯の一名が治安機関に夫を殺された北カフカス地域の女性だというし、連続テロの実行犯に17歳の少女が加わっていた。イスラム武装のテロ実行犯に女性テロリストは多くなった。

 テロリストに仕立てられた女性は、治安当局に殺された者やテロで夫を失った者、生活苦で生きる希望を失った者、更には、組織の男性構成員が若い女性を強姦し、自暴自棄にさせた上で自爆犯にしたケースも有ったというから驚く。

 全く以て卑劣にして非道、鬼畜の所業と言えるが、実はこのサジダ・リシャウも「協力しないのなら住まいを爆破するぞ」と脅されていたというのだから気の僕といえば気の毒である。やはり、脅しというのは効果があるという実証だろう。

 イスラム過激派は「聖戦」などと大義を掲げるが、一般人を犠牲にする無差別テロに大義や神聖な目的も無く、神を語る資格も無い。八百万の神を信じ、また仏を尊ぶ日本人には理解し難いものだが、一神教を信じる国々の不幸はここに在る。

 テロの恐怖に曝されている米国が「世界の警察」を気取り、世界を伸し歩き、身勝手な正義を押付ける傲慢不遜な態度を改めない限りテロは治まらないだろう。

 今や米国の自己中心的不正非道に苦しむ非西洋諸国の多くが、米国を唯一最大の外敵、脅威と考えている。米国自身が「無法者の超大国」だと気付く事は無く、テロ根絶の名の下に更なる弾圧が続けば、テロの連鎖は果てしなく続くだろう。

 テロの根絶を願うならば、その圧政に呻吟する民族の解放と独立させる以外にない。畢竟、それは政治体制の崩壊を意味している。それは米国然り、中共やロシア然り、中近東然り、それはゲリラやテロリストの根絶以上に不可能なものだ。

 テロ根絶を願い、世界での人道支援に邁進するというのなら、米国依存の体制からの脱却を図ることこそ大事だが、これはイスラム国同様、困難を極めることだ。

「一殺多生」という言葉がある。「一人を殺すことによって多くの人を生かすこと」という意味だが、テロリズムの根幹はこの「一殺多生」に在る。

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2015年01月23日

右翼に求めらるものはやはり圧倒的迫力と行動力である。呵呵大笑

 ネット検索していたら、日本再生投資(株)平井宏明という人物のブログが目に留まった。その「わたしの意見」というブログにはこう記されてあった。

「祖国日本を愛する日本人の一人として、タブー、特に『菊タブー』つまり天皇・皇族に関する禁忌、それにひるむことなく、一般とは異なった視点から、特に幼少時から関心のあった『天皇』の問題を中心に政治・経済・社会問題や芸術などに関して意見を述べます」。「幼少時から関心があった」「幼い頃の体験などから」と述べていう様に、幼少時に歪な体験をしたであろうことが想像出来る。

 この男の言い分に拠れば、「天皇」は、右翼団体や右派勢力が崇め奉る御神体。「君が代」は、彼らの主題歌(テーマソング)。「日の丸」は、彼らの旗印(シンボルマーク)らしく、それらへの嫌悪感は抑えることが出来ないらしい。

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 この男のブログに貼り付けられた画像は愛国党だろうか、またその系統の団体だろうか。こうした画像や陛下の御真影を貼り付けて公然と批判する。

 過去にはネット上で、田母神俊雄や百田尚樹、桜井よしこ、竹田恒康などの保守派論客や俳優の津川雅彦や長尾敬代議士らと渡り合ったことも自慢している。

 平井は「祖国日本を愛し誇りに思う気持ちは人一倍強く持っています。 反日思想などとは全く無縁です」とも語り、その上で「天皇を廃絶し、国歌・国旗は、君が代・日の丸から新しいものに変更すべきだ」宣う。更に「天皇・君が代・日の丸を敬うことは、決して愛国者の必要条件ではありません」とは、余りにもイタイ。

「これからもタブーに臆せず、しつこく、天皇・君が代・日の丸 にこだわり、批評を続ける覚悟です」との意思表明を見る限り、日本再生より己の脳内を再生することに投資したら如何か。この男の主張は全てが衒学であり、自分と意見を異にする者には容赦なく抵抗し、或いは反抗することに喜びを感じてる変態だろう。

 こういう男と論争したところで、恐らく、右翼にしろ保守派論にしろ屁理屈で負けるのは想像出来る思想信条は人夫夫であり、どの様な意見を持とうが勝手だが、ブログにしろコメントを寄せる人物にしろ、余りにも公平さが欠けている。

 右翼団体に対しても、「共産圏から資金を提供され日本を貶める為に活動している」とか「日当を貰って活動に参加している」だとか、荒唐無稽の罵詈雑言というか妄想を垂れ流しているが、資金提供なんぞ無いし、読んでて気の毒にもなる(笑)

 現代社会に於ける愛国ブームや保守ブームというのは安っぽい「崇拝」であり、批判されて当然とも思える部分もあるが、何事も学ぶ上で過剰な「反抗」や「抵抗」も同列であり、人を説得出来ない付け焼刃の理論は所詮「衒学」でしかない。

 こうした自称・保守や自称・愛国者、俄右翼らの贔屓の引き倒し的行動が、保守や愛国活動を貶め、混乱させる要因を招いているのではなかろうか。

 我が国では「愛国者」とか「愛国心」というと「右翼だ」「反動だ」と非難される。愛国=蔑視や嘲笑の対象となり、また左翼に愛国者が存在しないのも世界でも稀な珍現象でもある。「愛国」という言葉の由来は「日本書記」に起因する。

 天智2年(663年)唐・新羅連合軍に攻撃された百済は日本に救援を求めた。応援に出た日本軍は白村江の海戦で大敗を喫し、生き残った者は捕虜となった。

 その中の一人、大伴部博麻は唐が日本を攻めるという情報を得たが、日本に知らせる術もなく、自らを奴隷に売って金を作り、仲間を帰国させ危機を知らせたのだ。

 これが持統年(689年)のことである。奴隷となった博麻が帰国したのは何と30年後。帰国後、持統天皇が博麻を表彰し、その言葉が「愛国」だったのである。

 こうしたことでも「愛国」と天皇と国民は繋がっている訳で、何も愛国が右翼だけの専売特許でもない。まぁそんなことより、平井の偏狭且つ支離滅裂な理論を読めば、そうした思想形成に至った幼少時代の衝撃的体験の方が気になるなぁ(笑)

 それにしても「菊のタブー」への挑戦を公言し、こうした右翼団体の行動をしつこく批判して報復はされないのだろうかと、他人事だが心配にもなるが、まぁ昨今の右翼というの聞き分けが好いからなぁ。右翼も、他の保守派と変わらない、否、それよりも大人しい。そうした無難な活動をして何になるというのか(苦笑)

 やはり、小粒でも山椒の様にピリリと辛い、一般人からすると何をするか分からない、そうした闘争心を忘れてはならない。何故なら、右翼に求めらるものはやはり圧倒的迫力と行動力である。そのイメージを壊すこと勿れ。呵呵大笑。

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2015年01月22日

訪日外国人旅行者は台湾がトップなのに何故か報じない不思議

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 政府観光局は、訪日外国人が過去最高の1341万人だったと発表した。だが、水を指す様で悪いが、1300万人の数値目標は2013年だったではないのか(笑)

 相変わらず新聞では観光立国を称えるべく、「観光ビザ緩和などで中国などアジアからの訪日客が顕著となっている」と作為的な記事が躍っている。

 国別では、訪日外国人旅行者は台湾がトップの約283万人。韓国が約276万人で2位。中共は約241万人で3位。台湾の人口を考えれば驚くべき数字であるが、台湾を国家として認めていない我が国は、一括りに「中国などからの」と報じる。

 過去に遡っても、訪日外国人数は台湾と韓国が1、2位を競っており、台湾を無視し続けるとは国策と銘打った「観光立国」が聞いて呆れる。日本政府や外務省は「日中共同宣言」を理由に、「台湾は中国の一部」としており、台湾を国家として認めていない。後述するが、こうした無礼をいつまで続けるつもりなのか。

 外国人観光客が増えたのは単に円安の影響が大きいというだけで、中共に関しては観光査証(ビザ)の発給緩和は功を奏していないということでもある。

 外国人観光客は確かに増えたが、不良外国人の犯罪も比例して殖えているのが実情である。観光立国とは聞こえは好いが、諸刃の剣には違いないのだ。

 政府は東京五輪・パラリンピックが開催される2020年迄に2000万人の目標数値を掲げ、航空路線網の整備や外国人向けの看板設置などを充実させるという。

 それでなくても薄気味悪い支那語やハングルの看板や標識が、道路や電車、地下鉄など街中に氾濫し、景観を損なっているという自覚はないのだろうか。

「グローバル」だの「クールジャパン」だの、片言のカタカナ外国語の氾濫にはうんざり。設置されている止め処の無い外国語表示に違和感を覚える人は多い。

 観光に訪れるのは別に支那人や韓国人だけではあるまい。況してや支那で使われている漢字は和製漢字であり日本語の看板が通じる訳ではない。朝鮮人然り。

 外国人が日本に来日し、日本人と接することで感じるものは滲み出る気品であり、洗練された礼儀正しさであり、寛大さである。世界の何処を探しても、日本の洗練された美を追求する高い創造性や、質素な上品さに比肩する国は他にはない。

 この様な日本の生活文化を支えているものが日本語である。安易なカタカナ外国語や横文字の使用や、相手国に迎合するかの様な安っぽい対応は、先人達が長い歳月に亘り言葉(日本語)に宿らせて来た重い意味を失わせてしまうだろう。

 明治の先覚者は、外来語を全て新漢字に翻訳した。日本語のまま西洋文化を学ぶことが出来たことは偉大なことだ。現代人の様に外来語をそのまま羅列し、軽薄な舶来趣味と比べれば、明治人の気骨と気概、高い見識を伺い知ることが出来る。

 海外に目を向けた先人の多くが祖国日本と日本文化に自信を持ち、何処までも日本語で主張し、日本文化を貫いたからこそ今の発展が得られたのだ。

 世界では今、1000万人以上の人が日本語を学び始めているという。美しい日本語文化を世界に普及し、日本の和の心を伝えるべきで、外国人向けの看板を作り、観光客に諂うことが「お・も・・て・な・し」などではあるまい。まぁ看板屋にしてみれば、この世の春を謳歌しているかも知れないとは思うが(笑)

 訪日する観光客の経済効果はGDPに換算してもたった1%にも満たない。「観光立国」というのは本来は発展途上国が推進する政策であり、我が国が目指すものは観光立国ではなく、あくまでも「技術立国」であらねばならない。

 我が国の技術力を以てGDPアップを図るべきである。それが何を血迷って、俄(にわか)成り金のらが落とす幾許かのカネを期待して、経済の浮揚に繋げ様とは笑止千万、これが「成長戦略」の目玉だというのだから開いた口が塞がらない。

 抑々、この観光立国という愚策は、小泉政権下で行われた「ビジット・ジャパン・キャンペーン」から始まった。新自由主義者の小泉らしい発想だった。

 民主党政権下では中共からの意向もあり、中国人へのビザの発給緩和を実行した。続く安倍政権下でビザ発給条件を更に緩和し、日本を安売りしている。

 我が国の価値観を変えグローバル化を目指す「アベノミクス」は小泉改革の総仕上げであり、安倍もまた単なる似非保守及び新自由主義者に過ぎない。

 官公庁やそれを管理する国交省の太田昭宏大臣らは、「中国や韓国からの旅行者をどれだけ上積み出来るかだ」との認識を示している通り、観光立国成功の為には、反日国家である中韓に如何に譲歩するかという裏返しでもあるのだ。

 相変わらず政府や観光局からは台湾への感謝の言葉は見られない。これ即ち、未だ我が国が台湾を国家として認めていない証左であり、日中共同宣言で田中角栄が述べた歴史認識が未だに蔓延ってるということの証左である。

 昭和27年4月28日、主権を快復した我が国は中華民国への報恩感謝として日華国交条約の締結する。道義国家として当然の行為だろう。だが、昭和47年、中華人民共和国との国交正常化交渉がなされると、中国共産党を唯一の政府と認め、一方的に中華民国に対し断絶を通告した。中華民国も日本との国交を断絶する。

 田中角栄は「日ソ中立条約」を一方的に破棄した旧ソ連と同じ行為を台湾に行ったのだ。国際条約の破棄は明らかな憲法98条違でもある。道義国家として赦されざる蛮行であったが、何故か護憲派から抗議の声さえ上がらなかった。

 爾来、台湾を国家と見做さないという無礼千万な振る舞いを行っているのだが、道義国家日本は何処に行ったのか、日本人として実に恥かしい限りである。

 台湾は中国の一部ではない、台湾は台湾という独立国である。「観光立国」を目指すならば、親日国である台湾に感謝し、日中共同宣言で蹂躙した「日華国交条約」の蛮行と過去の数々の無礼を詫び、日台国交回復の実行を図るべし。

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2015年01月17日

阪神淡路大震災から20年、防災と国防が万全なものにすることが犠牲者に応える唯一無二のものである

 6434名が犠牲となった阪神淡路大震災から20年が経った。この20年の間、我が政府はその教訓を生かして来たのだろうか。残念乍ら、その後に起こった東日本大震災を始めとした災害を見る限り、万全な体制を執って来たとはとても思えない。

 遡ればそれは、敗戦の汚辱を払拭せずに、戦後の経済的繁栄だけに現を抜かし、国の大本を忘れ国民精神を失ひ、本を正さずして末に奔り、国家百年の大計は米国に依存して来たことに起因するといっても過言ではないだろう。

 大東亜戦争の教訓は当然ながら、過去に起きた災害等で被災された多くの方々の犠牲を無駄にすることなく、今後の我が国の危機管理と防災と国防が万全なものとなる様に、更なる高度な対策が構築されて行くことを望むばかり。

 阪神大震災が起こった際の首相は日本社会党党首の村山富市だった。「自衛隊違憲合法論」を標榜するクサレ社会党の親分でもあった村山は、自衛隊の出動に難色を示した。その結果、村山の対応の拙さから数千人もの助かる命が失われた。

 自衛隊への出動命令の遅れを記者から批判された村山は、「なんせ、初めてのことじゃけ~」と他人事の様に語ったことは決して忘れはしない。「言い訳は見苦しいばかりではなく同じ過ちを繰り返す」とはよく言ったもので、日韓併合の植民地支配と大東亜戦争を侵略と断じ、どさくさに「村山談話」までも発表した。

 慰安婦問題や歴史問題で火に油を注いだ村山は我が国を貶め続け、老醜を曝け出し、老害を撒き散らしている。菅直人の現場視察強行やSPEDDIの数値隠蔽で、要らぬ被曝を招いた東日本大震災もまた然り。社会党や民主党といった最悪の政権の時に何故に最悪の天災が起こるのだろう。やはり天譴、天罰であったのだろうか。

 三上卓が作詞作曲した「青年日本の歌(昭和維新の歌)」に一節には、「天の怒りか地の声か、そもただならぬ響きあり、民永劫の眠りより、醒めよ日本の朝ぼらけ」とあるが、今こそ戦後のあらゆる不条理と不正義から覚醒せねばならない。

 GHQの統治下だった昭和25年の警察予備隊発足以来、阪神淡路大震災や東日本大震災など、災害派遣や我が国の平和と独立、国民の生命財産を守る為に行われている訓練で、1840名もの自衛官が殉職されていることを国民は知っているだろうか。

 国家の防衛と国民の生命・財産を守るべき自衛体が、都合の好い便利屋的な扱いをされ、こうした任務で殉職したことも知らされないというのはどうしたものか。

 こうした殉職した自衛官諸君に対し、国家や国民が如何に感謝し、如何に慰霊・顕彰すべきなのか。こうしたことは財政再建よりも優先されるべきである。

 自衛隊殉職者追悼式は市ヶ谷駐屯地内の慰霊碑の前で、自衛隊関係者のみで、国民が慰霊・顕彰することはない。殉職された自衛官は靖國神社に祀り、国民が感謝の誠を捧げるべきだと思うが、如何せん、自衛隊の存在があやふや故に儘ならない。

 度々、靖國神社に代わる追悼施設の問題が議論されるが、市ヶ谷駐屯地内の慰霊碑が新たな追悼施設にされるのではなかろうと危惧する国民は少なくない。

 市谷駐屯地に籠城した三島由紀夫は、その「檄」の中で「自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず」と喝破している。自衛隊は未だ違憲の儘で放置され続けているのだ。

 現憲法の第9条・第2項には、「陸海空軍の戦力は保持しない」と明記されている。この条項が在る限り、悲しい哉、自衛隊は明らかな憲法違反の存在なのだ。然し乍ら、阪神大震災や東日本大震災などに於ける救援活動や民生支援など正に命を賭して活動し、日夜訓練に励む自衛隊をまともな日本人ならば誰も否定はしまい。

 安倍首相は、「集団的自衛権」に対して、憲法解釈などという姑息な手段でその場を凌いだ。何故に堂々と現憲法の矛盾点を指摘して、自衛隊を名誉ある軍にしようとしないのか。憲法の矛盾と不条理を解消することに、誰に何を慮るというのか。

 これ以上の政治の怠慢は赦されない。我が国の危機管理と防災と国防が万全なものとなり、より高度な対策が構築されて行くことこそが、多くの震災で犠牲になられた方々の無念さに応える唯一無二のものであると信じて止まない。合掌。

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2015年01月16日

小山田遺跡で飛鳥時代中頃の巨大な古墳の墳丘の一部と濠跡が見つかる

 小正月の昨日、秋篠宮佳子内親王殿下が成年皇族となられたことを、多摩陵と多摩東陵、武蔵野陵と武蔵野東陵に参拝し御報告なされたという記事が載っていた。

 同じ紙面には、奈良県明日香村川原の小山田遺跡で、飛鳥時代中頃の巨大な古墳の墳丘の一部と濠跡が見つかり、舒明天皇との墓陵の可能性を語る研究者もいる。

 橿原考古学研究所に拠れば、一辺50メートル以上の方墳と推定され、蘇我馬子の墓といわれる石舞台古墳を上回り飛鳥時代最大級の規模。濠は墳丘北側で東西方向に直線状に延び、長さ約48メートル、上部幅約7メートル、深さ約1.2メートル。

 小山田遺跡の底部と北側斜面は川原石で石貼りが施されいて、南側では、板石状の榛原石の切石などを階段状に積んだ墳丘の一部も見つかったという。

 遺構の状況や付近の地形などから、古墳は馬子の墓とされる石舞台古墳より大きい一辺50メートル以上の方墳で、下段部が榛原石で装飾されていたとみられる。

 薄茶色の室生安山岩の切石で装飾されており、規模や築造時期などから第34代の舒明天皇の初葬墓で、日本書紀に登場する滑谷岡陵の可能性が高いとみている。

 一方で、発掘場所が大豪族・蘇我邸宅があった甘樫丘に近く、蘇我蝦夷・入鹿親子の墓として日本書紀に登場する双墓のうちの蝦夷の大陵と考える研究者もいる。

 中々浪漫を感じるニュースではあるが、こうした遺跡調査に止まらず、仁徳天皇陵の陵墓を始めとした歴代天皇陵の調査を目論むことは明らか。学匪どもは天皇陵の発掘調査を「史跡」だとして、然もその研究が研究者として当然の権利の如く主張しているが、御陵や墳墓発掘の真の狙いは皇室の否定と解体そのものに在る。

 ピラミッドや兵馬俑などの王の墓と同様に、天皇陵をも発掘の対象にすべきだとの意見が多いというが、御陵や墳丘の発掘までもが許される事態となれば、尊厳は完全に損ねられる自体になることは必至であり、断じて許してはならない。

 エジプトや支那の場合は既に滅亡した王朝の墓だが、天皇陵は現存する皇室が守るべきものであり、祭祀の場でもある。ピラミッドや兵馬俑などとは全く異なる。

「御陵の周辺部が史跡に指定されてない為に、宅地造成で埋め立てられたり、破壊されたり危機的状況であり、国が直接保護するべきだ」と、如何にも御陵の荒廃を嘆いている様な意見を振り翳してはいるが、彼らの狙いは外に在る。

 そのトリックが「史跡」という言葉だ。「史跡」になれば発掘は可能になるのを承知しての確信犯であり、学匪どもの尤もらしい屁理屈も奸智奸策に過ぎない。

 彼らは目的は、立ち入り調査という「権利」を確保し、発掘という「権利」の実行を目論むことは火を見るより明らかである。そしてその結果を、「科学的証拠」として巧みに利用し、我が皇室の歴史を批判、誹謗するかが目的なのだ。

 御陵や墳墓などの発掘の真の狙いは、天皇及び皇室の否定と解体そのものに在り、左翼活動家が目指す「天皇制廃止運動」の一環と断じても過言ではない。

 朝鮮や支那では、墓を掘り起し、死者に恥辱を与えるというのは珍しくもないが、「墓を発く」「死屍に鞭打つ」という発想は、我が国では死者への最大の非礼であり糾弾されるべき蛮行だ。 御陵は断じて文化財や史跡として考えるべきものではなく、況してや民間調査などという対象になるべきものでもない。

「御陵を世界遺産にしよう」などというのは、日本人の精神的幼稚さを示すものの一つである。御陵とは国民が崇拝し、伏し拝むべき神聖にして侵すべからざる聖域である。 戯言を抜かす学匪どもと、それに与する左翼勢力の蛆虫どもを一掃しよう!

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2015年01月09日

フランス週刊紙シャルリエブド襲撃事件に思う

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 画像は、フランスの週刊紙が、2020年夏季東京オリンピック開催と福島原発の汚染問題の影響を報じた、手や足が3本ある日本人(福島県民)の相撲の風刺画。

 多くのフランス人は、相撲などの日本の文化に敬意を持っているが、一部のフランス人に無神経な人間がいることは大変残念なことだ。この風刺画に、在仏日本大使館は「不適切な表現で、被災者の心情を傷つける」として同紙に抗議した。

 日本の様に抗議したことで満足してるならば好いが、相手に因ってはそうはいかない。風刺は、フランス人にとってはエスプリ(精神・知性)を表す表現らしい。つまり、風刺画によって相手を嘲笑するのはフランスの伝統・文化とも言える。

 それら皮肉交じりの下品極まる風刺を真に受けて相手にするのもアホ臭いことでもあるが、風刺するにも、相手に対する尊重と配慮を忘れてはならないと思う。

 そうした節度が欠如した風刺というのはそれは単に相手への罵詈であり、雑言であり、侮辱でしかなく、差別と偏見に満ちた嘲りは、怨みや怒りを増大させるだけ。

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 その結果の末に起こったのが、フランス週刊紙シャルリエブド襲撃事件である。襲撃した犯人はイスラム過激派と関係のある3人だという。フランスでは、報復としてモスクなどの襲撃が相次いでいるが、事件拡大や無差別テロの連鎖が懸念される。

 シャルリエブド紙はこれまでも、政治や宗教などさまざまなジャンルの有名人を攻撃する風刺画を数多く掲載している愉快犯でもある。風刺画の中でも一番注目を集めたのは、イスラム教ならびに預言者ムハンマドに関する表現だった。

 2011年には、ムハンマドを同紙の新しい編集長に指名したという風刺画を掲載。そこには「笑いすぎて死ななかったら、むち打ち100回の刑だ」と書かれている。案の定、その翌日には、同紙事務所に火炎瓶が投げ込まれ全焼する事件が起きた。

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 同紙は反省することなく更に、預言者ムハンマドを同性愛者として描いた風刺画を掲載。その報復として同紙のウェブサイトはハッカーの被害を受けた。

 フランス国内に住むイスラム教徒の組織「フランス・イスラム評議会」が、同週刊紙を訴える事態となるも、最新号では、イスラム国が預言者ムハンマドの首を切るマンガを掲載した。これが襲撃事件の決定的要因になったのは想像するに余りある。

 フランス当局から再三の警告を受けていたにも関わらず、シャルリエブド紙がイスラムを揶揄する風刺画を掲載し続けたのは覚悟あってのことではなかったのか。

 今回の襲撃事件で殺害された編集長のステファン・シャルボニは、「何も恐れない挑発的な人物」として持ち上げられてたというが、だとしたら本人にとっては本懐これに過ぐるものなし。だが、風刺は、フランス人の精神や知性を表すものではなく、単に売り上げを伸ばす為の羊頭狗肉。つまりは営利至上主義に他ならない。

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 シャルリエドブリ襲撃事件の背景には、イスラムへの宗教蔑視、風刺による宗教弾圧が行われていた訳で、今回の事件は起こるべくして起こった事件と言えよう。

 マスコミは「表現の自由」「言論の自由」を楯に「如何なる暴力も赦さない」と叫ぶ。だが、自分達がペンの暴力を使って皮肉たっぷりに揶揄し、弾圧して来たことは正当化する。自分達の文化か何か知らないが、皮肉たっぷりに相手の宗教を侮辱し弾圧しておきながら、暴力だから怪しからんとは都合好過ぎはしないだろうか。

 これはフランスに限らず、何でも腐し、そういう冷笑的な態度を執ることが真のジャーナリストだと錯覚している、我が国の低能ジャーナリズムにも言えることだ。

 過去には、参院選に立候補した「風の会」が、立候補中に週刊朝日の誌上で、風の「ノ」を飛ばされ、「虱(しらみ)の党」と揶揄されたことは記憶に新しい。

 これに憤った野村秋介は、その親会社である朝日新聞本社で抗議の自裁を遂げた。右翼民族派にとって、風刺画に端を発した代償は余りにも大きかった。

 あの風刺画もマスコミの言う「表現の自由」なのだろうが、漫画家だからと書けば好いというものでもないし、ああしたものを許可した出版社の常識を疑う。

 確かに「言論の自由」「表現の自由」が保障されている。憲法は国の最高法規であり、それらの自由が遵守されるのは当然のことかも知れないが、憲法での保障云々の前に、そこには公共の福祉を守るなどの常識や良心がなくてはならないのだ。

 因みに、「大日本帝国憲法」第二十九條には、「日本臣民ハ法律ノ範圍内ニ於テ言論著作印行集會及結社ノ自由ヲ有ス」と明記されている。この「法律ノ範圍内ニ於テ(法律の範囲内)」というのが大事なことで、法律の範囲内で「集会」や「結社」の自由が認められるという良識が、現憲法では決定的に欠落しているのだ。

「表現の自由」を翳せば何でもかんでも赦されるというのなら、マスコミも「放送禁止用語」なんていう決まり事なんぞは要らないだろうし、マスコミは先ず「キンタマ~!」とでも叫んで言論の自由の模範を示せば好いではないか(笑)

 愚生は暴力は否定しない。不当な暴力には正当防衛が認められている様に、ペンの暴力には反論という手段以外にも実力行使も当然の対抗措置の一つだと考える。

 右翼陣営及び愛国者は、言論の自由や集会の自由を振り翳して国民を誑かす勢力と対峙する為に、テロや暴力を担保にして更なる救国活動に邁進せよ!呵呵大笑

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2015年01月07日

人日(じんじつ)に七種菜羹を食べると万病を逃れるという言い伝え

 今日は七日。年明け初めての節句を「人日(じんじつ)」という。この日は七草粥を食べて、正月での飲み過ぎや食べ過ぎで疲れた胃腸を労わるのが好いとされている。三日とろろもそうだが、どんだけ呑んだのよってな話だわな(笑)

 春の七草は、セリ、ナズナ、ゴギョウ(母子草)ハコベラ、ホトケノザ(田平子)、スズナ(かぶ)、スズシロ(大根)最近はスーパーなどでも「七草かゆセット」として売られていて気軽に味わえる。冬の栄養源としてビタミンを補給する意味もあるというが、大してあるとも思えないし、何より不味い(笑)

 また七日は「爪切りの日」でもあるらしく、七草の日にその年に初めて爪を切ると風邪をひかないという謂れもある。その爪切りの際には、七草を浸した水に爪を浸して、柔かくしてから切るらしいが、ハッキリ言って面倒臭い(笑)

 これらは、支那古来の「人日に七種菜羹(しちしゅさいかん)を食べると万病を逃れる」という言い伝えが起源だという。こうしたことでも、支那と日本というのは恰も同文同種だとか一衣帯水だと勘違いしている日本人が多いが、日中間に国交関係が樹立されたのは20世紀からで、未だその関係は100年ほどしか経っていない。

 況してや現在の中華人民共和国は、たった65年ほどの歴史しかない新興国。逆説すれば共産主義が60年以上も続いている世界でも稀有な国だ。多民族が混在する支那大陸は正に人種の坩堝、国家としての連続した歴史は存在しない。

 陰謀と策略の権力闘争を繰り返し、契丹族の遼、タングリート族の西夏、女真族の金、モンゴル人の元、満州族の清など異民族による征服王朝の時代を含め、易姓改名の原則の下に「族滅」し、王朝が変わる毎に歴史や文化が断ち切られて来た。

 支那大陸との交流は、聖徳太子が607年、当時の隋王朝との対等外交に踏み切ったのが始まり。645年に「大化の改新」が成立。しかし、この後の663年、朝鮮半島の白村江(はくすきのえ)の戦いでの敗戦を機に中華圏との正式な外交を絶った。

 その後、遣唐使が250年間、派遣されてはいたが、菅原道真の献策に拠って廃止される。確かに、唐の文化が奈良時代の平城京を中心とした天平文化に影響を与えた例はある。だが、我が国が国書を携えて派遣したのは「倭国」としてであり、我が国が「日本」と名乗ってからは一度足りとも正式な国書を携えなかった。

 以来、我が国は正式な国交関係は持たずに経済関係を保ち、「政経分離」の方針を貫たというのが歴史的真相である。明治4(1871)年に日清修好条規を結んだ相手は満州人の清朝であり、支那を支配していたが漢民族の国ではなかった為に、支那との正式な外交は明治45年の中華民国の誕生まで待たなければならなかった。

 抑々「漢民族」なるものは存在しないという。古代支那の都市に、様々な地方から交易を目的として集まった雑多な民族が「漢民族」だが、後漢末期、紀元184年の「黄巾の乱」によって人口は10分の1の500万人足らずに減少し、その後北方の騎馬民が流れ込んで来た為、漢民族の文化伝統は死に絶えたというのが歴史的事実。

「中国4000年の歴史」も「漢民族」も空想的な概念で、要は嘘っぱち。「三国志」や「水滸伝」などの英雄なんぞフィクションに過ぎない。「四書五経」などの孔孟の教えにしても、支那かぶれの日本人が好意的に伝え、実践しているだけだ。

 そんなシナ人を更に招き入れる為に、数次ビザの発給要件を緩和するというから尋常じゃない。昨年行われた日中首脳会談の合意に基く人的交流促進の一環だという。

 日中平和友好条約には「両締結国は善隣友好の精神に基づき、且つ平和及び互恵並びに内政に対する相互不干渉の原則に従い、両国民の交流促進のため努力する」と踏襲されているが、両国民の交流促進は我が国からの一方的なものに過ぎない。

 こうしたことは「日韓基本条約」でも言えることだが、条約には「主権・領土の相互尊重」「相互不可侵」「相互内政不干渉」も記述されている。現実を見れば、尖閣や竹島への主権侵犯然り、靖國神社への内政干渉然り、中韓側が公然と条約を蹂躙しているのは歴然たる事実ではないのか。 日中友好なら毅然と相対するべきだ。

 抑々、我が国が戦ったのは中華民国であり、韓国は日本だった。戦争もしていない中華人民共和国との「平和条約」や、日本が全面的に支援した韓国への補償や賠償とは摩訶不思議なことだが、こうした善隣条約に疑問を呈する者はいない。

 そればかりか、共産党一党独裁の中共に与し、阿る輩が絶えないのは我が国政治の堕落そのもの。諂えば諂うほど逆上せ上るのが何故に分からないのだろう。

 シナ人や在日外国人への優遇政策は驚くべき金額に及ぶ。例えば、シナ人留学生には1人当たり、年間250~300万円の予算が組まれており、学費は免除、月々の生活費も保証されている。日本人の苦学生を見捨てていながら何たる優遇措置か。

 4年間で平均1000万円以上の血税が使われており、こうした外国人留学生への予算は実に約2700億円に及ぶ。更には、安倍政権下では民主党政権下よりも厚遇し、これらの留学生を3倍に拡大するというのだからもうキチガイ沙汰と言う他はない。

 これ以上、シナ人へ何を支援し何を援助してやるというのか。これではまるで援助交際ではないか。我が国外交の負けっ放しの状況は隔靴掻痒の感を拭えない。

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2015年01月06日

終戦70年の首相談話に「反省」を盛り込むというが

 伊勢神宮を参拝した安倍首相は年頭の記者会見を行い、今年発表する戦後70年の首相談話に、第二次世界大戦への「反省」を盛り込む意向を明らかにした。

 大東亜戦争の開戦の詔勅を拝すれば、我が国が戦う意味を簡潔に述べられているし、終戦の詔勅も同じこと。敗戦したことへの反省なら理解も出来るが、「村山談話を含め歴代内閣の立場を全体として引き継いでいく」とは開いた口が塞がらない。

 村山談話は、韓国の「日帝36年の植民地支配」を認めたものであり、これらを踏襲するということは、「日韓併合は植民地支配である」と認めることだ。

 終戦50年で「侵略戦争」と断じて謝罪した細川護煕然り、歴史の検証もせずに過ちを認め「反省」することは我が国歴史の捏造であり、先人への冒涜である。

 韓国は口を開けば「日帝36年」などと日韓併合を批判するが、日韓併合は侵略でもなければ植民地支配でもない。日韓併合は「万国平和会議」で議論され、当時出席していた世界の国々の満場一致で「日韓併合」が可決されることとなったのだ。

 三等国家の韓国が、独自の力による近代独立国家建設の道など在り得ず、我が国からの協力があって初めて韓国人は日本人として文化的生活を得られたのである。

 1853年、ペリーの黒船が来襲し、我が国はこれに対抗する為に、強力な中央集権国家形成を目指した。それが「明治維新」であり、ペリー来航から僅か15年ほどで体制を整えた。フランスやドイツが国家形成に至るまで100年以上の年月がかかったことを考えてみても、僅かな期間で維新に成功したことに驚嘆すると共に、日本人としてこの様な賢い国に生まれたことを心から感謝せずにはいられない。
 
 明治維新を経て「日本」の建国を世界に宣言した後に、隣の大韓民国にも清からの独立を促した。だが、清国の属国で朝貢国であった李氏朝鮮は我が国からの進言を拒否する。それにも況して世界を見る目も力も無かったのは歴史が証明している。

 我が国からの大韓民国独立の進言に怒った清は我が国との戦争に踏み切った。それが日清戦争である。世界中の誰もが開国間もない日本の勝利など考えてはいなかった。だが、我が国が勝利し、台湾、澎湖諸島、遼東半島を割譲され、我が国の領土となるも、ロシア、フランス、ドイツの「三国干渉」により頓挫する。

 清国の領土もまた敗戦に由って、巨大な空き地と化し、世界の国々に蚕食されることとなった。巨大国家ロシアも清国崩壊と共に南下政策を執り、日清戦争で割譲された遼東半島をロシアが侵略するに至り、更にロシアは韓国にも触手を伸ばしたのである。当時、韓国独自でロシアと対峙することなど到底無理なこと。

 寧ろ、日本に拠る韓国保護の必要性を認め、日本と一体となった上で、民族の自立発展の道を模索しようとした「日韓合邦派」の主張の方が現実的だったと言えよう。

 頑迷固陋な韓国は、その「日韓合邦派」や我が国からの意見に耳を貸すことはなく、あろうことか李王朝はロシア公使館に保護を求めたのだった。その後の「日露戦争」で我が国が勝利すると韓国の独立の機は失ったのは言うまでもない。

 韓国が非難して止まない「差別」と「弾圧」の日帝支配なるものは、寧ろその逆であり、世界に例を見ない極めて公平で平等な制度であったのだ。例えば、日韓併合時に100校程しかなかった小学校を昭和17年には4945校に、中学以上の学校を470校に迄増やしている。これが差別であり弾圧でなかったのは明らかではないか。

 ハングルにしても、ハングルの使用を禁じていたのは李朝の王らで、彼らは諺文を禁じ、漢語漢字を使用した。日韓併合後、福沢諭吉が諺文と認字率を高める学校教育の普及を説き、今のハングルの礎を作ったというのが事実で、細川護煕が「朝鮮半島の方々は母国語教育の機会を奪われた」として謝罪したことは無知の極み。

 こうしたことでも日韓併合は侵略でもなければ植民地支配でもないことが分かるだろう。こうした悲劇こそが日韓関係の日韓関係足る所以であり、韓国国民こそ自らの責任を真正面から見つめ直すべきで、反省すべきは我が国ではなく韓国である。

 何故に我が国が、韓国や中共に気を遣わねばならないのか。細川や村山らの歴史認識の誤りを糺すことが政治家の務めではではないのか。残念ながら、戦後の70年が平和国家として歩んで来れたのは、日米安保条約に因る処が大きく、その実情はまやかしの平和でしかない。三島由紀夫は「檄文」の中でこう喝破した。

「我々は戦後の経済的繁栄に現を抜かし、国の大本を忘れ国民精神を失い本を正さずして末に走りその場凌ぎの偽善に走り、政治は自己保身、権力欲、偽善のみに捧げられ国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されず誤魔化され、日本人自ら日本の歴史と伝統を潰して行くのを歯噛みしながら見ていなければならなかった」

 国家百年の計を米国に委ねながら、また敗戦の汚辱を払拭せずして何が戦後70年、平和国家として歩んで来ただ。反省するならば、それら政治の怠慢を反省し、英霊や先人に反省し謝罪し、新たな国家百年の計をアジアや世界に発信すべきである。

 安倍は「侵略」という定義には難色を示しているというが、これも安倍御得意の保守派への取り繕いに過ぎない。また侵略の定義に疑義を呈せば中韓からの反発は必至だということで、村山談話の「痛切な反省」を踏襲するというから厭きれる。

 何故に中韓の顔色を窺うのか。我が国は中華人民共和国とも大韓民国とは戦ってはいない。当時の韓国朝鮮人も、日本人として共に連合軍と戦い、アジアの解放を成し遂げた訳で、況してや我が国が戦ったのは何度も言うが中華民国である。

 反省するならば、主権回復した昭和27年4月28日に締結した国際条約である「日華国交条約」を一方的に破棄し蹂躙したことだろう。その原因を作ったのは田中角栄であり、歴代首相の細川や村山、加藤、河野官房長官談話も全て「日中共同宣言」での田中の声明が元凶である。田中の共同声明の撤回は容易ではないだろう。

 その後の我が国の歴史認識の基となった田中の声明や、東京裁判の不当性の検証もせずにやる「戦後70年談話」ならやらない方がマシだ。正に現代日本は口先ばかりの不逞ばかりなり。これも戦後70年で培った平和ボケというものなのだろうか。

「平和ボケとは、まともな情報が流れてこなくて、娯楽ばっか与えられて、いつしかモラルすらこだわらなくなって、それを平和と思い込まされてて。水面下でうごめく危機に気づか無くて、いや気づか無いように教育されて。気が付けば、時すでに遅しの状態のこと」。フィフィのこのツイートは名言だと思う。目覚めよ、日本人!

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2015年01月05日

歴代自民党政府が尖閣諸島領有権の棚上げ容認をしてたことがバレた!

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 昨年の大晦日の新聞記事に、昭和57(1982)年9月、当時の鈴木善幸首相は来日したサッチャー英国首相との首脳会談で、尖閣諸島の領有権に関して、日中両国で「現状維持の合意」があることを明かしていたという記事が載っていた。

 機密解除した英公文書館によって明らかにされたものであるが、少なくても当時の日本政府が、昭和53(1978)年8月12日に締結した日中平和条約によって、友好と経済関係を優先する余り、国益を害する政策を採っていたことが暴かれた。

 尖閣問題の領有権が我が国に在るのは明らかだが、昭和43(1968)年6月、国連アジア極東委員会が、尖閣諸島周辺の東シナ海大陸棚に石油・天然ガスが埋没している可能性を報告したことから、中共は唐突に尖閣諸島の領有権を主張し始め、国際法上の手続きも無しに地図を書き換えて自国領に組み入れたというのが真相。

 昭和47(1972)年に日中正常化交渉が行われ、田中角栄首相主導の下で尖閣諸島の領有権に関して「棚上げ合意」があったと考えて間違いないだろう。

 一昨年6月、野中広務が訪中し、尖閣列島は棚上げ問題に対して、「自分が生き証人だ。当時の現状を明確に聞いた生き証人として、明らかにしておきたいという気持ちがあった」と騙ったことがあったが、それが証明された容となった。

 英公文書によると1972年の田中・周恩来の会談に続き、1978年にも福田赳夫・鄧小平の会談でも怪しからんことに、尖閣諸島の当面棚上げを提案していたというから、如何に当時の自民党が容共的であったかが理解出来るというものだろう。

  愚生が防共挺身隊に入隊した当時の総理大臣は前出の鈴木善幸。「話し合い一本化」で誕生した鈴木内閣は、要職に田中派を起用する。党三役の総務会長は田中の腹心であった二階堂進。こうしたことから「鈴木(角影)内閣打倒!」や「自民党粛正!」を訴えていたのを記憶する。当時、田中角栄はローッキード事件で自民党を離党。刑事被告人の立場ながらも、依然として権力を縦(ほしいまま)にしていた。

「田中軍団」と呼ばれていた田中派だが、会合には角栄が出席し訓示を与え、指図した。角栄の傍若無人ぶりと、これを許している自民党の腑抜けぶりを糾弾した。

 現在の自民党も未だ旧態依然の田中政治から脱却出来ず、それどころか田中を始めとした歴代自民党政権を踏襲している。その最たるものが歴史認識だろう。1972(昭和47)年の9月29日、田中角栄は我が国が締結していた日華国交条約を一方的に破棄し、中国共産党政権を唯一の政府と認め、「日中共同声明」を発表した。

 日中共同声明で田中は、「先の大戦で中国国民に重大な損害を与えたことに責任を痛感し、深く反省する」と述べた。この田中の声明に因って、その後の中共からの強請りが止まらなくなったのは歴史の示す通りである。共同声明での田中の歴史認識が未だに引き継がれ、その後の村山談話や河野談話に繋がっている。

 先の大戦で我が国が戦ったのは蒋介石率いる「中華民国」であり、戦後の昭和24(1949)年10月1日に建国した「中華人民共和国」ではない。 中国共産党政権に遜り、我が国が主権が恢復した昭和27年4月28日に締結した「日華国交条約」という国際条約を蹂躙したことは道義国家として決して赦されるものではない。

 田中が発した「先の大戦で中国国民に重大な損害を与えたことに責任を痛感し、深く反省する」との歴史認識を見直さない限り、我が国の対中外交は間違った方向へ進み続けるだろう。 更には、「日華国交条約」の破棄は明らかな憲法98条違反であり、我が国の総理大臣が平然と憲法を蹂躙したという事実を明らかにすれば、如何に現憲法が戦後の我が国にとって全く機能していなかったという証左でもある。

 尖閣列島の棚上げ論を否定していた安倍政権にとって、英公文書の公開は痛手には違いない。だが、田中角栄やその後の自民党政権下でのこうした歴史的事実を国民に知らしめ、理解を得ると共に、尖閣列島の法的根拠を訴えれば好いことだ。

 沖縄県石垣市の、魚釣島などの五つの島(魚釣島、南小島、北小島、九場島、大正島)と岩礁からなる尖閣諸島は、国際法に於ける「無主地先占」(持ち主のいない土地を占有した国にその領有権を与える)という認識に基いて、10年に及ぶ現地調査の結果、明治28年1月14日の閣議決定に拠って沖縄県に編入された。

 世界各地の地図の上でも、中共や台湾の教科書でも日本の領土として公式に認められていたが、その後の国連の報告書での油田・天然ガス資源が絡み、更には中共へのODA利権を我物にしようとした田中らの策謀でややこしくなってるだけのこと。

 尖閣問題に限らず、北方領土然り、竹島然り、これらの諸問題は歴代政府の事勿れ主義と領土主権に対する認識不足と、国家観無き外交による、我々世代への置き土産である。「戦後レジームからの脱却」にはこうしたことを整理することは必要で、戦後の諸問題は、後の世代へ先送りせず、我々の世代で解決を図らねばならない。

 今年は大東亜戦争後70年の節目となる。先ずは田中・鄧らが宣った「後の世代というのは、我らである」として、未だに踏襲され続けている田中の歴史認識を否定する意味でも、安倍談話を発表してみては如何か。つ~か、無理だわな(苦笑)

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2015年01月02日

「鎮霊社」という死者への選別をいつまで続けるつもりなのか

 大晦日の未明、靖國神社内の鎮霊社が放火されるという事件が起きた。ここのところ立て続けに起こっている神社への放火事件は、何を示唆しているのだろう。

 護国の英霊を祀る靖國神社の放火は断じて赦されざる蛮行であり、如何なる理由があろうとも厳罰に処し、精神障害を騙るならば施設に収監し矯正すべし。

 靖國神社は明治2年、明治天皇の思し召しにより、「東京招魂社」として建立された神社であるが、その合祀対象は、三条実美の祭文に明示されている様に、「皇軍に役立ちして、賊徒等を討たん其の義に・・・命果てぬる輩・・・」に限られている。

 戊辰の役では「西軍」と「東軍」は干戈を交えたが、「官軍」と「賊軍」が戦ったのではない。「賊軍」とは、維新後、新政府によって作られた造語である。

 この祭文の原則がある限り、会津藩や我が二本松藩、或いは西南の役での西郷軍関係者が祀られることはなく、未来永劫 「賊軍」の汚名が消えることはない。

 戊辰戦争で「朝敵」「逆賊」「賊軍」に仕立てられた会津藩が戦いに敗れると、不毛の領地であった「斗南藩」に移されることで終結する。開拓は艱難辛苦を極めたが、その開拓がその後の津軽、青森の発展に寄与したことは言うまでもない。  

 会津藩に限らず戊辰戦争で幕府に恩義を感じ、抗戦し、敗れた多くの東日本の雄藩は、明治新政府に参政することなく辛苦の日々を送っていた。 「賊軍」の汚名を着せられた多くの人々は、新政府に対して言いたいことは山ほどあっただろう。

 彼らは臥薪嘗胆、耐えることで国全体が保たれるのならばと悲運を甘受し、その抗し難い天命を潔しとした。そんな中で明治9年6月2日、明治天皇は、灯台巡視船で御召し船でもある「明治丸」で、東北・北海道へ約50日間に及ぶ巡幸に臨まれた。

 巡行を終えた明治天皇が、横浜に帰港遊ばされた日が7月20日であり、これが「海の日」の謂れであるが、東北・北海道への巡幸の目的は、戊辰戦争に敗れて以降、艱難辛苦の日々を送っていた人々を明治天皇が慰撫し、激励する為に他ならない。

 明治丸でいわき港へ到着。福島からは馬車で、仙台、岩手、青森と北上、次いで明治丸で津軽海峡を渡り、函館を経て三陸沖を海路戻るコースを辿っている。

 この間、東北の人々は御巡幸の先々で奉迎した。 この巡幸を以て、逆賊も朝敵もなく一切の蟠りも無くなったのだ。靖國神社が建立され、未だ7年ほどのことだ。

 明治26年には、靖國神社の参道に高く聳える大村益次郎の銅像が建立される。大村といえば、靖國神社の象徴でもあるが、陸軍大将・西郷を差し置き、陸軍の実務責任者として靖國神社の建設場所を独自の判断で決めた人物でもある。

 大村が、明治天皇の東北・北海道への巡行後に、三条実美の祭文を糺していれば靖國の在り方も違っただろう。「朝敵」「逆賊」「賊軍」という汚名を着せられ続けている方々が祀られているのが、今回ボヤ騒ぎがあった「鎮霊社」である。

 歴史は浅く、昭和40年5月26日に地鎮祭が斎行され、7月13日に鎮座祭を挙行し、以来この日に祭事が斎行されている。「鎮霊社」は、幕末の嘉永6年以降、戦争や事変に係わって戦没したものの本殿に祀られていない日本人の御霊と、同時期以降の世界の戦争・事変に係わって戦没した全世界各国全ての戦没者の御霊を祀る。

 この鎮霊社には、慶応4年の戊辰戦争で会津若松の飯盛山で自決した会津藩白虎隊や二本松少年隊、明治10年の西南戦争で自決した西郷隆盛らも含まれる。 然し乍ら、本殿と鎮霊社の並立状態は、平成13年参議院選挙直前の党首討論で、小泉純一郎がいみじくも語った、「死者の選別」に該当する好例だとも言えよう。

 靖國神社側が、宗教的な敬虔さを示す為に、こうしたカタチで「鎮霊社」を設けたことは高い評価を受けるべきであろうが、死後も未だ本殿とは別にしてその死を包括し得ない現状に「靖國」の意味が在るのかという疑問もまた生じるのも確か。

「嘗ての会津藩士の御霊が薩長藩士の霊と一緒に祀られることを喜ぶのか」という声は皆無ではないが、朝敵とされた儘で放置し続けることが好いも思えない。

 会津藩に至っては幕閣で唯一の神道を重んじていた。京都守護職など、どの藩よりも朝廷に忠節を尽くした藩であったにも拘らず、西軍の薩長の策謀に因り「朝敵」とされただけだ。孝明天皇から下賜された宸翰が物語っているではないか。

「朝敵」「逆賊」「賊軍」として別なカタチで祀ることと、彼らを靖國神社本殿に祀ることと、そのどちらが現代に即して、天皇(すめろぎ、すめらぎ)が顕現される道なのであろうか。「死者の選別」をした儘で好いとはとても思えない。

 所謂「A級戦犯分祀論」で世論を攪乱してるアホ政治家が後を絶えないが、英霊を「戦犯」と罵り、分祀さえすればそれで済むと思っているのなら罪深い。

「鎮霊社」の存在を議論しながら、靖國神社を御創建遊ばされた明治天皇の思し召しに応える意味でも、靖國神社の真の在り方を真剣に考えなくてはならない。

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2015年01月01日

往く道は精進して 忍びて終わり悔いなし(高倉健)

 皇紀2675年、平成27年を迎えるに当り、謹んで陛下の晏然と皇室の弥栄を寿ぎ奉り、併而皆々様の御隆昌と御健康を祈念申し上げます。朝まだき、窓を開け新しい風を入れる。神饌を捧げ、心願成就を祈願す。扨て今年はどうなるものぞ。

 我が国の政治の混迷は、国家観無き政治家が、自己保身と偽善のみに狂奔し、戦後政治の総決算を怠って来たことに尽きる。 これは地方議員と雖も同じこと。

 今日の祖国日本の重苦しい閉塞感と、惨憺たる現況を救う為にはどうするべきか。それは、国民が日本人であるという自覚と、日本人としての誇りと矜持を取戻すこと以外に無い。今、我が国が直面している全ての問題は先人の努力を無視し、日本人が日本人であることを見失ったことに起因していると言っても好いだろう。

 何処で生き、何の為に働き、何を尊び、何を信じるのか。子供達に何を語り、友人や朋輩と何を分かつのか、そうした生き方を見失ってしまったことが精神的貧困を生む。今を生きる我々は今一度、「日本とは何か」「日本人であるとはどういうことなのか」を考えながら、近隣諸国や世界の国々と向い合うべきではないだろうか。

 欧米主導の西欧時代の考え方や価値観の終焉が叫ばれている今こそ、我々は「日本」について考え、「日本人である」という証を示さなければならない時なのだ。 本来の日本人なら心の中に「日本人の魂」というものを持っているだろう。

 祖国の歴史伝統や先人達に対する尊敬や愛着である。例えば、この祖国が戦争に負けたのであれば、その事実を限りなく口惜しいと思い、占領で失われたものがあるならば、それを何としても取り戻したいと思う日本人としての「心」である。

 そう考えるとき、右翼や国士を標榜する者は勿論のこと、「保守」と呼ばれている政治家や保守論壇の面々から、日本人としての魂から発するそうした「思い」を感じることはなく、右顧左眄型の偽善者ばかりが目立つ気がしてならない。

 心ある国民は日本に生まれた者としてその国を憂い、心中密かに期するものがあるだろう。それは一体何か、何であらねばならないのか。一言にして表現するならば、天皇国日本の真姿開顕に奮励前進、捨身奉公するということに尽きよう。

 畏くも、皇祖天照大御神が垂示し給う、「豊葦原の千五百秋の瑞穂国は、是れ吾が子孫の王たるべき地なり、宜しく爾皇孫就いて治せ、行矣。宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と窮り無けむ」との御神勅を心魂に刻み日々奉拝することである。

 明治22年2月11日の紀元節、明治天皇が、大日本帝国憲法施行の際に下し給える勅語の中で「惟フニ我カ祖我カ宗ハ我カ臣民祖先ノ協力輔翼ニ倚リ我カ帝国ヲ肇造シ以テ無窮ニ垂レタリ此レ我カ神聖ナル祖宗ノ威徳ト並ニ臣民ノ忠実勇武ニシテ国ヲ愛シ公ニ殉ヒ以テ此ノ光輝アル国史ノ成跡ヲ貽シタルナリ」こう思召し遊ばされた。

 この御神勅こそ、正に天孫降臨の皇祖天照大御神が垂示した御神勅の精神の継承である。その欽定憲法には、「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と在る様に、我が国は「天皇国日本」なのである。これこそが日本国民たるものとして肝に銘じ、忘れてはならない万古不磨の大原理大原則であることを知るべきなのだ。

「皇統正統記」で、北朝時代の公卿であった北畠親房卿は、「大日本者神国也。天祖はじめて基をひらき、日神ながく統を傳へ給ふ。我國のみ此事あり。異朝には其たぐひ なし。此故に神國と云ふ也。神明の皇統を傳へ給へる國也」と訓えた。

 この訓えもまた日本国民が矜持すべき信念であり、日本人の信仰である。この民族の精神と、道統を受け継ぎ、これを護持し、これを宣布し、そして子孫に伝えるところの責任と使命を有する者は、今を生きる我々日本人であるのだ。

 然るに、この万邦無比の国體、尊厳崇高なる祖国日本の歴史と道統に目を覆い、或いは西洋物質文明に被れ、或いは共産主義反逆思想に随喜して、日本人の本質を自ら喪失し、無機質な人種が増殖する傾向は由々しき一大事と言わざるを得ない。

 本居宣長も「うひ山ふみ」の中で、「やまと魂だによく堅固(かた)まりて、動くことなければ、昼夜からぶみをのみよむといへども、かれに惑はされるうれひはなきなり」と教示している。「からぶみ」とは「洋風気触れ(かぶれ)」。悲しい哉、「やまと魂だによく堅固まりて」どころではないのが我が国の現状である。

 国内には、未だGHQの謀った戦後民主主義教育の洗脳から目覚めることなく、米国や中共の走狗となった不逞の徒輩により大和魂の基盤そのものが逐次掘削され、国家の大本を忘却し、経済至上主義に見られる様に消滅寸前の様相を呈している。

 この迫り来る祖国日本の危機に対処し、天皇国日本を盤石の安きに置く使命を有するものは我ら日本人である。正にその存在の意義を示す神機は近付きつつあるのだ。

 本年も、正統右翼浪人として、また一維新者として志を忘れず、一旦緩急に備え遺憾無きを期し、貧すと雖も志士の覚悟を忘れることなく草莽の道を歩んで往こうと思っておりますれば、今後とも何卒御付き合いのほど宜しく御願い申し上げます。

「往く道は精進して 忍びて終わり悔いなし」(高倉健)

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