2014年11月

2014年11月28日

固定観念や先入観に囚われてる屁理屈ってのは実に厄介なものだ

  
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 今月も残り僅か。今月はどうにか愚妻のパート代よりは実入りがあったが、相変わらず50万ほどの赤字。揚げ句に今月はクルマのボーナス払いと来たから笑えない。

 年に二度くらいは臨時収入をアテにしたのだが読みが浅かった(笑)

 まあ震災以降、ヤル気が出ない。これってやっぱ、放射線の影響じゃなかろうか(笑)

 そういや、こないだ、面白い世論調査が出ていた。何やら反原発派の半数以上が「日本が嫌い」と答えたという。「日本が好き」と答えたのはナント1%。

 この1%の反原発派ってもしかして、右からの~ってやつかな(笑)

「原発停止による電力不足への対策」も、84%が無回答だったというから言わずもがな。まあ、反原発=反日ってのが証明されたなどと解説してたが、そんなのは始めから分かってるわな(笑)

 右からの~は、「友よ山河を滅ぼす勿れ」なんて都合のいい幟を出して反原発を訴えているが、福島に住み続けている愚生に言わせれて貰えば、亡き烈士は、「福島に住むことも無く、外野で、然も安全なところに居ながら批判するとは卑怯そのもの。今も未曽有の事故を収束しようと命がけで戦ってる人達がいるんだぞ、彼らの懸命の努力に感謝し、心を寄せて見守るべきで、『反原発』などという軽々しい発言は慎みなさい!」と言うんじゃなかろうかと、勝手に想っている(爆)

「人間というものは知性に根拠を持たず、大抵は無意識に、ただ感情によってのみ支えられた先入観に囚われていることが稀ではない。こういった本能的な嫌悪、感情的な憎悪、決めつけられた拒否というような柵を乗り越えることは、欠点のある、或いは誤った学説を正しく直すことよりも、千倍も困難である」とは、アドルフ・ヒトラー。

 人の多くは自分の意見や理論こそが正しいと思っている。だから、自分の意見と異にする者を説き伏せようとしたり、感化させようとしたりするもの。

 右翼や左翼にしろ反原発派にしろ原発推進派にしろ同じこと。

 だが、理論的な間違いは指摘出来ても、相手側がこちらに「敬」を抱くことがなければ、喩えそれが正論であり、また相手を慮っての意見と雖も、相手に通ずることはない。

 それだけ固定観念や先入観に囚われてる屁理屈ってのは実に厄介なものだ。

 左翼は確信犯だから翻意することはないが、無自覚左翼という戦後民主主義者にはこの手が多く、聞く耳を持たず、屁理屈を垂れる輩が多い。

 まぁ右でも左でも、どっちにしても、人というのは「好きか嫌いか」が重要であって、嫌われてるのに幾ら熱く語ったところで、相手に受け容れられることはない。

「生理的に合わない」とか「以心伝心」という言葉もそうだが、自分が嫌いだとか苦手だなと思ってるいるヤツは、大概、向こうもこっちと同じ様に感じているものだ。

「人に意見や指導をしてその人の欠点を直す」ということは大切なことであり、親切心であり、慈悲の心だとも言えるが、意見される側が、それを受け容れる気持ちが無ければ単なる「余計なお世話」でしかない。

 意見というものは先ず、その人がそれを受け入れられるかどうかを見極め、相手と親しくなり、自分を信用して受け容れる状態になってからでないと意味はないし、通じることもない。

 食事や痛飲しながら相手に心を許し、自分の失敗談を話し、意見を言わなくても、相手に思い当たる様に仕向けたり出来れば最高。

 また相手の長所を褒めながら、その上で欠点を指摘し直すというのが親切心であり、本来、意見とは斯く在るべきなのだ。

 人は「好きか嫌いか」だというが、なるほど、右翼が喩え、正論を吐いたところで、通じないのは世間から忌み嫌われているということか。

 まぁ右翼に限らず、そこの貴方、熱く語っても通じないのは、毛嫌いされてるってこと。それって立派な理論より、人柄の方に問題があるのかもよ(笑)

 
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2014年11月27日

過ぎたるは及ばざるが如し、何事も中庸が肝心

  
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 孔子は、何事も「中庸」が肝心と訓える。

 中庸とは「中庸の徳たる、其れ到れるかな。民鮮きこと久し」が原文。

 「不足でもなく、余分のところもなく、丁度適当にバランスよく行動できるということは、人徳としては最高のものです。しかし、その様な人を見ることは少なくなりました」という意味だ。

 人を使う場合も、部下にはこの中庸を心がけさせることは必要なこと。

 若い者というのは兎角血気に逸り、一つのことに熱中する。

 若い時というのはそれぐらいの元気があっていいが、上に立つ者は、その道に外れた者を絶えず真ん中に戻してやることが必要となる。

 片方に寄ってしまうと大局を観ることが出来なくなるからだ。

 右翼人も同じで、未だ思想形成に至ってない時代には大いに右翼思想のみに傾倒し、その思想を形成すべきだと思うが、ある程度の立場になったら、一度立ち止まり、大局的に物事を観る冷静さも必要となってくる。

 右翼にしろ、自称・愛国者にしろ、営業保守にしろ、目先のことばかりで大局観に乏しいと感じるのはそういうことなのかも知れない。

 仁・義・礼・智・信という徳目がある。人間の道を守るのに大事な心掛けだ。だが、これを守り過ぎるのもまた悪害にもなる。

 だが、伊達政宗の遺訓にはこう記されている。

 仁に過ぎれば弱くなる。
 義に過ぎれば固くなる。
 礼に過ぎれば諂いとなる。
 智に過ぎれば嘘をつく。
 信に過ぎれば損をする。

 「仁」というのは博愛、慈しみだが、これも過ぎれば他力本願になり過ぎて、全てが弱弱しくなってしまうもの。

 「義」も同じ。義理だとか大義だとかに縛られて、弾力的な物の考え方、行動が出来ずに固くなって動きが鈍くなるもの。

 「礼」は大事だが、ややもすると丁寧にしているつもりが、諂いとなり、或いは慇懃無礼とも捉えられてしまうこともある。

 「智」も大切だが、余り智識に偏り過ぎると、相手を気遣う余りに、或いは余計なことが頭を過ぎり、嘘を吐く様になったりするもの。

 「信」も重んじなければならないが、余り人を信用し過ぎて、思わぬ損やとばっちりを喰らうことにも成り兼ねない。

 遺訓には続きがある。

 「気ながく心穏やかにして、この世に客に来たと思えば何の苦もなし。朝夕の食事は、うまからずとも誉めて食うべし。元来、客の身なれば好き嫌いは申されまい。今日行くをおくり、子孫兄弟に良く挨拶して、娑婆の御暇申すがよし」

 それを自分なりに捉えてみると、こういう意味だろうか。

 「気張ったり気負うことなく、心を穏やかにして、この世にもお客さんとして来た気持ちになれば、何も苦しいこともない。毎日食べる食事にしても、喩え粗末なものでも、感謝の気持ちを持って、有難く頂くべきである。この世にお客さんとして来ているのだから、自分の好みなどどうでも良いではないか。死ぬ間際には、子や孫に感謝と別れを告げて逝くのが幸せというものだ」

 「過ぎたるは及ばざるが如し」という。これを「過ぎ去ったことはクヨクヨしても仕方ない」と理解している人も少なくないが、意味は「やり過ぎは足らないことと同じで好くない」ということ。

 中庸というのは、その程度や加減というのが難しいが、ともあれ、上に立つ者は常に、この中庸ということを常に心掛けることが、組織を維持する上では重要となる。

 まぁ何事も中庸が肝心といっても、孟子は「子莫中を執る」と、中庸を戒めているし、「足して二で割る」様な「真ん中(中道)主義」もバカの見本。

 我が国の政治を見れば、その真ん中主義が好きな様だが、これはどう見ても真ん中より左に寄っている。その状態を真ん中だと思っているところに、我が国の不幸が在る。

 そうした政治を糺すのが右翼の役柄なのだが、右翼を始め、ネット右翼や自称・愛国者が出張って来ると、これも事がややこしくなって逆効果。

 そういう意味では、戦後のタブーに挑戦しようという「次世代の党」には大いに期待するものであり、現在の我が国の政治を右側に戻し、当たり前の国創りをして欲しいものだ。

 
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2014年11月26日

愚生に求められるのは「強烈な努力」以外にはないと自覚する!

  
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 コジマ電気で100円のパソコンを購入したのはいつの頃だろう。現在のパソコンは2台目で、パソコンをやり始めてからmixiに始まり、ブログ、twitter、Facebook(FB)と啓蒙活動とはチョッと仰々しいが、備忘録を兼ねて綴っている。

 mixiは匿名なので、言いっ放しなものが多く、卑怯なコメントが少なくない。FBは基本的に本名なので未だmixiなどよりは礼節を重んじている様にも感じなくもない。

 ただ、その遣り取りを見ているとキレイゴトを並べ、上辺だけのコメントが実に多く、互いに抑揚を抑え、大人の遣り取りをしているつもりなのだろうが、そんな付き合いに意味があるとは思えない。

 「巧言令色鮮矣仁(こうげんれいしょくすくなしじん)」という言葉がある。

 言葉巧みで、人から好かれようと愛想を振りまく者には、誠実な人間が少なく、人として最も大事な徳である仁の心が欠けているものだという意味だ。

 対語は「剛毅木訥近仁(こうきぼくとつじんにちかし」

 その意味は、意思が強く強固で、素朴で口数が少ない人物が、道徳の理想である仁に最も近い者であるということ。

 愚生は剛毅さはあると自負するが、朴訥には程遠いので無理。好かれ様とは思わないが、巧言令色というのも無きにしに非ず(笑)

 FBにしろmixiにしろ、ネット上での理論や薀蓄を読むには読むが、皆さん、ホント凄い。あれがホントなら皆さん天才だろうよ(笑)

 でも、いくら素晴らしい日記や理論を読んでみてもこちらに全く響いて来ないのは何故だろう?

 それはやっぱ自分の言葉で語ってないからだと思う。

 仲間にしか通用しない理論や聞き齧った付け焼刃の薄っぺらい知識を殊更難しく、或いは使い古された政治用語を斬新な言葉や理論であるかの様に語り、相手の反応などお構いなしに自分自身に酔ってる輩を目にする。

 確かに仲間内で盛り上がり、「いいね!」を押したりはしているが、あんなことでは世の中どころか、意見を異にする他人など感化出来るとも思えないし、身内さえも動かない様な気がする。

 右翼陣営にしろ、自称・保守派にしろ、こういう輩が多く、「巧言令色鮮矣仁」の如く、人から好かれようと愛想を振りまく者が少なくない。

 仲間や身内可愛さから、相手の間違いや欠点には見て見ぬふりをする。これが真の友人だとしたらお笑い草だ。

 日頃、国士を気取り「君子の交わり」などと言うのなら、また、かけがえのない友なら尚更、忠告してこれを善導すべきであると思う。

 忠告を聞くか聞かないかは相手の判断次第なのは言うまでもないが(笑)

 まぁ何事も自分の言葉で、自分らしく語りかけた方が好い訳で、文章などもアップする際は、難しいものは分かり易く、簡単なものは格調高く、人生論は自分の失敗や経験なども織り交ぜて、また時にはユーモアを交えて書く様に心掛けることが大事だ。

 昨夜、FB上での「宣伝車での演説なんてのはセンズリと一緒」というコメントに反応し、「多くの同志を揶揄されてはまことに遺憾ですFBFを解除します」と慇懃無礼なメッセージが入っていた。

 この方から申請が来て、友達になったのはつい先日のこと。

 日本会議に所属し、また民族活動家を自任し、定期的に街頭宣伝活動をやっているらしいが、本気で宣伝車による演説が真の活動だと思っているのだろうか。また演説で世の中変わると本気で思ってるのだろうか。だとしたらホント可哀想だ。

 愚生のブログに以前、こういうコメントが入っていた。

 「いつもブログ拝見させていただいてます。一般に人から見ると、右翼もヤクザもやっていることは変わらないと思っている人がほとんどではないでしょうか。ヤクザとの2枚看板であるとか、右翼でありながら覚せい剤売買、裏ビデオ販売など破廉恥な凌ぎを行っていたり・・。個々の凌ぎのために、いろんな不法行為を行う。これで日本古来の精神を受け継いでいるといえるのでしょうか。真の右翼は右翼団体構成員のごく一部しかいない気が私にはしてます」

 またこういうのもある。

 「私の中の『真の右翼団体』の存在は昭和を区切りに終わっています」

 これが現実。尤も本人は右翼ではない、日本会議だというだろうが、政治家の演説もセンズリの延長でしかない。「街宣はセンズリ」にカチンと来るなら、その多くの同志に苦言を呈し、真の活動家、民族派を目指し、また若手活動家を育てて頂きたいものだ。

 戦後、右翼の聖地とも言われる新橋ステージでの街頭演説が人気を博した。テレビなども無い時代、これは面白いと、若者から大人まで集まって各自がマイクを持ってアジ演説を行った。

 時代は変わり、テレビが普及し、市井の民の憂国の獅子吼など聞くことはなくなり、マスコミ御用達の評論家らがテレビに出て、視聴者もそれが正義と錯覚するに至った。

 新橋での街宣はその後も続き、愚生も大学時代からまた団体の責任者になってからも定期的に行った。だが、こうした街宣は年々先細りするばかりで、全くの効果は無いと言っても過言ではない。

 初代の福田進総隊長は、「街宣なんてのは運動じゃないよ。運動ってのはパクられてナンボ、捕まらない運動なんてしてんじゃね~」と参謀に怒鳴りつけてたのを思い出す。

 防挺が新橋に拘ったのは、新橋ステージからの伝統というより、上場企業が多く、総務の担当者が見に来ることも多く、また細かい事件を起こす度に総会屋右翼としての価値が上がったからだ(笑)

 街頭宣伝で時代は変わらないし、聴衆も感化されることはないだろう。そんなことで国民が変わるなら、その昔、日蓮上人が辻説法した時代に民衆は覚醒し、とっくに変わっていただろう。

 別に日蓮信者ではないが、尊敬に値する宗教家だと思っている。日蓮が偉いのは流罪になっても決して挫けることなく信念を通したことだ。

 51歳の時に書き上げた「開目抄」というのがある。文字通り日蓮開眼の書であり、これを書き上げたのは流罪での時である。

 時、恰も蒙古襲来の直前。未曽有の国難を予言した日蓮は、辻説法による戦闘的な布教活動を展開し、幕府から流刑となるが、激しい使命感と捨て身の覚悟が、偉大な宗教家たらしめた。

 「我れ、日本の柱とならん。我れ、日本の眼目とならん。我れ、日本の大船とならん等と誓いし願破るべからず」

 我が国が未曽有の国難に直面しているのであれば、活動家に求められるのは日蓮の「開目抄的決意」と覚悟と信念を以て活動すること以外にはない。

 だが、まぁ悲しいかな所詮はアマチュアの口舌の徒ばかりなり。尤も、斯くいう愚生も決定的に努力が足りない。愚生に求められるのは「強烈な努力」以外にはないと自覚する(笑)

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2014年11月25日

決して挫けることなく、初一念を貫いて、皇国日本の再建に邁進せよ!

  
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 三島由紀夫は同行した森田必勝と共に、昭和45年11月25日午後0寺15分、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地、東部方面総監室にて割腹自決した。

 携行したその「檄」には、「もっとも名誉を重んずるべき軍が、もっとも悪質な欺瞞の中に放置され・・・自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず」と喝破した。

 だが、自衛隊は現行憲法下では、悲しいかな明らかに憲法違反の存在であり、未だ「警察予備隊」時代のまま、「集団的自衛権の憲法解釈」などという目先の誤魔化しによってかろうじて存在し、あやふやな中途半端な存在のまま放置され続けているのだ。

 自らの国家の防衛をも否定する矛盾だらけの現憲法を見直し、違憲状態の自衛隊を「国軍」とすることに、何を躊躇し、誰に憚るというのか。

 そういう意味では、今回の総選挙は護憲政党である公明党との決別を明確にする「自公連立解消解散」というのが正しく、自公連立が続く限り、憲法改正は愚か、戦後政治からの脱却なんぞ絵空事ということだ。

 公明党は極めて戦後民主主義であり、反国家的な団体であり、天皇陛下を族長と仰ぐ日本国家の正統にとっても悉く異質な存在である。

 「外参権付与」「自虐史観」「反靖國」「反天皇」などなど、今や政治、経済、文化、教育と創価学会は巷に蔓延し日本中を蝕んでいる。

 抑々、自民党は、公明党との連立に固執するのは、公明党の集票力を期待してのこと。だが、先般の沖縄県知事選挙での結果を見るまでもなく、創価学会員の集票力なんぞ低下する一方。今や誰もが自公連立に意味など無いことに気付いている。

 創価学会票に期待するよりも、自民党内に蠢く獅子身中の虫の剔抉こそ大事。自公連立に固執して、国益を害することがあってはならない。

 前回の総選挙では「ねじれ」は解消したが「改憲」に必要な3分の2以上の議席は確保出来なかった。そういう意味でも次期総選挙では、公明党と決別し、次世代の党の連携こそ模索すべし。

 そういう意味でも、次世代の党の躍進が絶対条件となろう。

 日夜、国の防衛の為に努力する自衛官の姿は心強いし、災害に立向かう自衛隊の存在は実に頼もしい。自衛官は我が国の誇りである。

 憲法論議を避け、自衛隊の存在意義を無視し、国防を論ずることなどあってはならない。政治家のこれ以上の怠慢は赦されない。

 戦後のタブーに挑戦せよ!

 昭和45年11月25日の決行当日、同行した小賀正義に命令書が渡された。その中の一文にはこう記されてあった。

 小賀正義君。君は予の慫慂により、死を決して今回の行動に参加し、参加に際しては、予の命令に絶対服従を誓った。依ってここに命令する。

 君の任務は同志古賀浩靖君と共に人質を護送してこれを安全に引渡したるのちいさぎよく縛につき、楯の会の精神を堂々と、法廷に於て陳述することである。

 今回の事件は、楯の会隊長たる三島が、計画立案、命令し学生長森田必勝が参画したるものである。三島の自刃は隊長としての責任上、当然のことなるも、森田必勝の自刃は、自ら進んで楯の会全会員及び現下日本の憂国の志を抱く青年層を代表して、身自ら範を垂れて、青年の心意気を示さんとする。鬼神を哭かしむ凛冽の行為である。

 三島はともあれ、森田の精神を後世に向って恢弘せよ。

 しかしひとたび同志たる上は、たとひ生死相隔たるとも、その志に於て変りはない。むしろ死は易く、生は難い。敢て命じて君を艱苦の生に残すは予としても忍び難いが、今や楯の会の精神が正しく伝わるか否かは君らの双肩にある。あらゆる困難に耐え、忍び難きを忍び、決して挫けることなく、初一念を貫いて、皇国日本の再建に邁進せよ。

 楯の会隊長 三島由紀夫 昭和四十五年十一月

 「益荒男がたばさむ太刀の鞘鳴りに幾とせ耐へて今日の初霜」(三島由紀夫辞世の句)

 「今日にかけて かねて誓ひし 我が胸の 思ひを知るは 野分のみかは」(森田必勝辞世の句)

 
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2014年11月24日

三島由紀夫が提起した戦後体制の虚妄とは一体何であったのか

  
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 三島由紀夫が市谷駐屯地で蹶起する昭和45年11月25日の4ヶ月ほど前の7月7日、産経新聞夕刊に「私の中の二十五年」と題して、予言的な一文を寄せている。

 その中で、これからの日本には大して希望を持てないとした上で、このまま行ったら日本はなくなってしまうと嘆き、「・・・その代りに、無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るであろう・・・」と悲観的な予言を遺した。

  三島が提起した戦後体制の虚妄とは一体何であったのか。

 「我々は戦後の経済的繁栄に現を抜かし、国の大本を忘れ国民精神を失ひ、本を正さずして末に走りその場凌ぎの偽善に陥り・・・ 政治は自己保身、権力欲、偽善のみに捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦汚辱は払拭されず誤魔化され、日本人自ら日本の歴史と伝統を潰してゆくのを歯噛みしながら見ていなければならなかった・・・」

 現在の我が国はどうだろう。

 無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、経済的大国となり、三島の予言がズバリ的中したカタチとなった。

 「文化防衛論」の「反革命宣言」で三島はこう訴える。

 「もし革命勢力、ないし容共政権が成立した場合に、例えたった一人の容共的な閣僚が入っても、もしこれが警察権力に手を及ぼすことが出来れは、忽ち警察署長以下の中堅下級幹部の首の挿げ替えを徐々に始め、或いは若い警官の中に細胞を潜ませ、警察を内部から崩壊させるであろう」と冒頭で記し、更にはこう宣言する。

 「我々はあらゆる革命に反対するものではない。暴力的手段たると非暴力的手段たるとを問わず、共産主義を行政権と連結せしめようとするあらゆる企画、あらゆる行動に反対するものである。この連結の企画とは、所謂民主連合政権(容共政権)の成立及びその企画を含むことを言うまでもない。名目的たると実質的たるとを問わず、共産主義が行政権と連結するあらゆる態様に我々は反対するものである」

 今、周りを見渡せば「男女共同参画社会」を始め、「外国人地方参政権付与」「住民基本法案」「夫婦別姓法案」「戸籍制度廃止法案」「人権救済法案」「女性天皇論」「女性宮家」などなど、カタチを変えた共産主義が次々と企画され行政権に入り込み、また連結され様としている。

 「男女共同参画社会」とは共同参画といいつつも、「共参社会」というのが正しく、つまりはカタチを変えた「共産社会」の実現が着々と実行されているのだ。

 これらは全て共産党が推進し、実行したのではない。総理府や中央官界に入り込んだ全共闘系と共産党系の過激な連中が共同謀議的に考案したものであり、それらを疑いも無く実行したのは自民党ら歴代政府である。

 これほどマヌケなことが何処にあろうか。こうした愚策により国體や国柄が破壊され続けている。つまりは、三島が悲観した予言より酷い状況に陥っているが現在の日本なのだ。

 これらに対峙するべき愛国陣営や右翼を見渡せば、営業保守と何ら変わり映えのない活動に終始し、揚句は「暴排条例は人権を蹂躙するものだ」などと愚にも付かない運動を展開しているのは、右翼人の立場にいる愚生も隔靴掻痒の感は否めない。

 暴排条例や暴等法に反対なんぞ末の話し。そんな目先の問題に取り組んでどうするのか。ヤクザや不良に奔るのはその環境や社会構造が問題なのであり、問題提起するなら何故にヤクザ組織に入るのか、そうした社会制度、教育制度の在り方を問うべきだと思う。

 今を生きる我々は、国家百年の大計を米国に委ね、敗戦汚辱は払拭されず誤魔化され、日本人自ら日本の歴史と伝統を潰して行くのをこれ以上、歯噛みしながら見ていてはならないのだ。

 旧来の思想や社会構造を打破しようとする時、常軌を逸した行動が生まれる。その行動こそ「正気の狂気」であり、この「狂気」こそ閉塞状況を打破する力に成り得るのである。

 
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2014年11月23日

本日は新嘗祭、神々の加護と人々の勤労によって生み出される万物の生産を祝う日である

  
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 本日は「勤労感謝の日」である。旧くは「新嘗祭(しんじょうさい、にいなめさい)」として、霜月下旬の卯の日に斎行されたが、明治6年以降は11月23日に執り行われることとなった。

 新嘗祭は、「日本書紀」に皇極天皇が皇極元年(642年)11月に執り行ったという記述があり、天皇にとって新嘗祭は重要な祭事の一つである。

 宮中祭祀で特に重要なものは元旦に執り行われる「四方拝」と、本日行われる「新嘗祭」。

 天皇にとって最も大事なものはこうした「祭事」である。

 宮内庁は、陛下の負担軽減の一環として今年から、未明に執り行われる「暁の儀」の拝礼を取り止められると発表した。こうした報を訝しく思うのは愚生だけではあるまい。

 天皇の「国事行為」について、現憲法では、首相の任命、憲法改正や法律の公布、外国大使らの接受等を定めているが、「公的行為」は現憲法に明文化されていない。

 天皇は憲法上の制約から、国事行為として「国会の開会式」「首相や最高裁長官の親任式」「大臣の認証式」「親授式」など年間約60回、国賓・公賓への接遇や会見、会食などの御公務を約170回お努めになられる。

 こうした国事行為をどの様に対処する積もりなのか。負担軽減とは聞こえはいいが、天皇にとって大事なものはこうした国事行為ではなく、「祭事」なのである。

 祭事を優先し、国事行為や公的行為こそ軽減すべきである。

 新嘗祭のこの日は、宮中では天皇陛下が新穀を神々に供え、厳かに儀式を執り行うのだが、「暁の儀」の取り止めは、今後どういう結果、影響を齎すのだろう。

 だがあろうことか、今や、歴代天皇が古来より司って来た祭事は、現憲法によって天皇家の「私事」にされてしまい、皇室典範にも「大嘗祭」の規定は存在していない。

 現憲法は、歴史的な国家としての継続された「祭祀」に関する天皇の役割を否定している。これ即ち、未だ占領政策の「神道指令」の呪縛が解除されずにいる証左である。

 「勤労感謝の日」というと、何か、労働していることに感謝する日の様に思ってしまうが、本当の意味は「人々の勤労によって生み出される万物の生産を祝う」というものだ。

 神の加護による、農作物を始めとした恵に、我々国民が互いに感謝し合う日なのだが、残念ながら、その意味を取り違えている国民が殆どだ。

 やはり「勤労感謝の日」というより、「新嘗祭」というのが相応しい。

 また、「新米」を食べるのも、本来は陛下の祭事が終わってから口にするものだが、今やそうした意味も知る国民もまたいない。

 GHQの「神道指令」により、「新嘗祭」という呼称は廃止され、昭和23年に「勤労感謝の日」と改められ現在に至っているが、国柄を考えれば、やはり「勤労感謝」というより、「新嘗祭」という名称こそ相応しい。

 「勤労感謝」という言葉で、その祝日の意義を薄れさせている現状と、「ハッピーマンデー」などという愚策によって国體が破壊され続けている現状は見るに堪えない。

 今日は県内でも「山ノ神講」として、全国各地でも山々の神に感謝し、収穫を祝う行事が各地で行われる。要は仲間同士が集まっての飲み会だが、これもまた新嘗祭の風習や伝統を重んじ、伝えて来た名残りでもある。

 俗に、口喧しくなった愚妻を「山の神」とも揶揄するが、頭が上がらず、いつも感謝しているという意味では神様も妻君も同じ。有難いものには違いない(笑)

 国策としての農業振興と、食の安全保障や食料自給率の向上は急務だが、政府や国会議員など頭の中は景気対策ばかりで、減反政策一つ見ても、真剣に「農」を考える言葉は発せられない。

 「農業」とは愛郷心、祖国愛に繋がるもので、愛情というものがそこには無くてはならない。世界各国でも「農業」の保護政策が行われているが、それは、そうした国々は「農は国の本」ということを自覚しているからである。

 ところが我が国は戦後GHQに拠り、「農本主義」的国家観は排除され、大輸出国の米国の戦略に嵌った儘で、更に今、米国主導のTPPに参加しようなどとは狂気の沙汰と言う他ない。

 国家の大本を米国に委ねた儘、軍事的安全保障でも自立出来ず、食料安保でも自立出来ず、これで果たして真の独立国家といえるのだろうか。

 国造りと農業の関係を、単なる経済論で語ることは、国家や郷土愛を放棄したと同然。我々は「平成の農本主義」を構築する為にも、安易な輸入物の購入を拒否し、国産物を購入し、自給率向上を真剣に考えなくてはならない。

 本日は、「神々の加護と人々の勤労によって可能になる万物の生産を祝い、国民が互いに感謝し合う日」である。豊穣の秋に感謝し、家族や仲間と一献やりつつ、我が国の在るべき姿を語り合っては如何ですか。

 
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2014年11月22日

死刑制度廃止論者の薄っぺらい正義感とキリスト教的欧州思考

  
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 日本人というのは「赤穂浪士」を筆頭に、画像の「柘榴坂の仇討ち」、或いは「必殺仕置き人」の様な悪党をやっつける芝居というのが好きだ。

 今では仇討ちなんて出来ないが、その代わりになるものが法律であり、死刑制度である。被害者に代わって国が処罰する。

 我が国の死刑制度は「仇討ち禁止令」や「決闘禁止」に代わるものとして明治6年(1873)2月、司法卿・江藤新平が「復讐禁止令(仇討ち禁止令。太政官布告第37号)」を発令した。

 幕末から維新期の派閥、政論の対立による暗殺とその報復という面があったところから、この種の紛争を断ち切る為のが目的だった。

 明治22年には「決闘罪ニ関スル法令」も発布され、敵討ちや復讐は禁じられた。

 主君や親兄弟などを殺した者を討ち取って恨みを晴らすことは、日本人の美意識の顕れともいえる。江戸時代には武士階級の慣習として公認され、「敵討ち」と認められれば罪に問われなかったばかりか、それは美化され、大衆の支持を得た。

 現代でも「死刑制度」を容認する国民が80%以上もいるのは、国が遺族に代わって遺恨を晴らして欲しいという気持ちの顕れに他ならない。

 死刑廃止論者は、その理由を「国際人権基準」がどうのだとか「非人道的」とか「生きる権利の侵害」だとか「死刑囚の資料を精査する十分な時間があったとは思えない」とか、被害者側に立った意見はとんと聞かない。

 また司法の質の低下も顕著だが、そのいい例が「裁判員裁判」制度だろう。

 最近では裁判員裁判でも重大な事件を裁くこともあり、極刑か無期懲役かの選択肢しかない場合もある。先般、国を相手取り、裁判員裁判に出た主婦が精神的被害を訴え告発したケースがあるが、被害者側の峻烈な怒りや悲しみを酌むことも出来ない精神状態ならば、始めから裁判員裁判に望む前に辞退すべきだろう。

 死刑判決は裁判員に大きな負担を強いるし、日本もそろそろ終身刑を導入すべきだとする流れもあるのも確かだが、死刑制度の廃止より、この裁判員裁判を廃止して欲しいものだ。

 死刑廃止は今や世界の大勢で日本もそうすべきという意見は少なくない。いつも思うことだが、この「世界では」とか「どこそこでは」という理屈は実に胡散臭げなものが多い。

 死刑廃止の理由として「法により国が人を殺す事は罪悪で人道に反する」「死刑には期待する程犯罪防止効果は無い」「冤罪の場合に取り返しが付かない」」、或いは「人間は善を行うべき道徳的本性を先天的に具有しているのだ」という性善説など様々だ。

 「冤罪」というのは確かに有り得なくはないが、それは科学捜査の正確さが乏しい時代のものが殆どで、そういう疑いのある事件は再審対象にすればいいだけの話し。

 「人道に反する」とは、「人を裁けるのは神のみだ」というキリスト教的欧州思考に冒されているもので、そんなものに与する方が間違いだ。

 左翼人士や自称・人権派弁護士などにも、こうした主張をする人を見かけるが、日頃、反米を唱えながら、都合のいい部分はキリスト教でも利用しようというのはホント逞しい(笑)

 残虐な犯行をした者が、死刑廃止で国法により生命を保証されるというのも如何なものか。

 「生」に拘るより、「死」を以て償うべきだと思うのは愚生だけではあるまい。

 抑抑、前述した通り、我が国の死刑制度は被害者遺族に代わり国が仇討ちする意味合いがある。仇討ちを合法化するなら兎も角、終身刑を導入したところで被害者の感情は薄れることは無い。

 「死刑は犯罪抑止効果は無い」との理由も、結局は終身刑も同じことだろう。

 裁判では反省の度合いも考慮されるが、要は、要領良く減刑目的に反省したフリをしているだけ。今迄、愚生も多くのワルを見ているが、多くの者は逮捕された事実こそ反省するが、犯した罪を反省している輩など何処にもいない。

 終身刑を導入しても必ずしも死刑の代替として犯罪抑止の成果が上がるとはとても思えない。被害者及び遺族の無念や怨念を考慮すれば我国では死刑を存続し、国が仇討ちを実行すべし!

 愚生は「死刑制度」は大賛成。刑事訴訟法に基づいて迅速に執行することを望む一人だ。

 刑事訴訟法では、死刑確定から六ヵ月以内の執行を定めており、何れも六ヶ月以内に検察庁が法務大臣に「死刑執行上申書」を提出し、規定通り押印し、法相の命令から5日以内に執行されなければならない。と定められている。

 法務大臣の心情なんぞ関係なし、法務大臣の任を享けた者として、覚悟を以て大臣としての職務を遂行するべきで、それも出来ないのなら法務大臣は愚か政治家を辞めるべきだろう。

 
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2014年11月21日

民主主義とは正に大衆迎合主義と衆愚政治である

  
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 本日、衆議院が解散され選挙戦に突入する。解散については賛否両論あるようだが、別に衆議院は4年の任期満了が決められている訳でもなく、いつやろうが知ったことではない。

 マスコミや野党は、消費税増税先送りを批判し、また「アベノミクスは失敗だ」を口を揃えていたではないか。ならば解散は願ったり叶ったりなことではないか。

 なのに、いざ解散となると「この時期にやることはない」だの「他にもやることがある」だの「総選挙となると700億円もの血税がかかる。無駄なことは止めるべきだ」などと批判する。

 これこそ正に、政策など関係ない大衆迎合主義そのものだ。

 政治家は大衆に媚び、諂い、「国民の目線に立った政治を行う」と然も国民を慮った様な台詞を吐く。だが、民主主義の本質は国民目線に立つことではないし、平均的な国民を創ることではない。

 「国民目線」とは国民の平均値のことを指すのだろうが、平均値で国の政を行うことは余りにも危険。政治が国民目線に立った時、必ず国は滅ぶというのは世の常でもある。

 何故なら、国民の判断力は古今東西常に低く、その意見も時代に流され、大衆に流され、実に幼稚で気紛れなものだからだ。

 民主党の政権交代にしろ、その圧倒的支持を得た民主党が失脚したのも、先の総選挙での自民党の政権奪回にしても、安倍人気にしても、その全てが多くの国民の安っぽい風潮からホンのチョッとの間、支持されただけで、言い換えれば民衆のひと時の気紛れの結果でしかない。

 政治とは、国家観を重んじながら、国民目線とかけ離れた歴史観、人間観、世界観、時には高度な権謀術数を必要とするものなのだ。経済も然り。

 「国民の目線」とは、ワイドショーに煽られた平均的意見であり、マスコミは国民の安直な正義感に迎合し、自分達の主張こそが「正義であり、民主主義である」との主張を居丈高に振り翳し、国民を煽動し続けているのが現状だ。

 正に、「民主主義は、衆愚政治である」ということを痛感する。

 「大衆の多くは無知で愚かである」と言ったのはアドルフ・ヒトラー。またこうも言う。「熱狂する大衆のみが操縦可能である」と。要は、分かり易く言えば多くの有権者というのはバカということだ。

 ネットでは自称保守派が自分の仕事そっちのけで日本の将来を熱く語り、意にそぐわない意見には反論し批判するが、そういう人もまた扱い易いというもの。

 本来、政治というものがきちんと機能していれば、大衆が政治に係わることなどないものだ。

 三島由紀夫は、それをこう喩えた。

 「胃痛の時に初めて胃の存在が意識されると同様に、政治なんてものは、立派に動いていれば、存在を意識される筈のものではなく、況して食卓の話題なんかになるべきものではない。政治家がちゃんと政治をしていれば、鍛冶屋はちゃんと鍛冶屋の仕事に専念していられるのである」

 それが然も自分が政治家になったつもりであ~だこ~だと嘆いている。

 ヒトラーはこうも言う、「私は間違っているが世間はもっと間違っている」。愚生も熟熟そう思う。

 こういう大衆が現在の有権者であり、その一票一票を集めて当選してるのだからバカしか当選しない。現在の政治家にバカが多いのは当然のことで、期待する方がバカだ。

 仮に動物の世界で喩えれば、数の多いのが当選するのは当たり前のこと。ブタとかネズミとか、要するに能力なんぞ二の次で、数さえあれば当選する仕組みなのだ。

 本当に当選して貰いたい、百獣の王ライオンは、幾ら力があっても数が少ないから当選出来ない。トラやゾウやゴリラでも同じこと、当選は無理。

 力や能力のある者が当選出来ないのでは立派な政治も、政治家も生まれることはない。政治を立派にしたいなら有権者がライオンやトラにならなきゃダメ。でも、それも無理というものだろう。

 今の政治家はブタが偉そうにしているだけで、民主主義というのはこういうものでもあるのだ。

 「主権在民」などというと聞こえはいいが、1億2000万分の1の主権では、無いのと同じ。在る様に錯覚しているだけ。主権在民なんぞクソ喰らえだ。

 今のネットでの声は、それが犇めき合って、夫夫ブタやネズミやニワトリがギャーギャーと鳴き声を張り上げているに過ぎず、結局は数の多いブタどもの世界になるよりほかは無い時代なのだ。

 国内を見渡せば、一番多い労働者。取分け労働組合なんぞブタの集団だ。その労働者の支持を得ないことには政治家にはなれないのだから、まともなヤツが政治家を志すとも思えない。

 創価学会なんぞ養鶏場のニワトリ。飼い主の池田養鶏場の単なる激安鶏肉に過ぎない。こんなブロイラーを食べたがってるのだから安倍ちゃんも体調を崩すのも近いだろうよ(笑)

 政治を糺すのは大いに結構な心掛けだが、政治の仕組み、選挙の仕組みがそうなっているのだから変わり様がない。そんな杞憂より、自分の仕事に専念してた方が余っぽど国の為になる。

 衆愚政治はこれからも続くだろう。そして行き着く処まで行かなけりゃ気が付くことも無い。そしてその時に維新という革命が起こるのだ。そう、歴史は常に繰り返されるものであるから。

 今度の衆院選も、マスコミに煽られた有権者の気まぐれで選ばれるのは間違いない。所詮、自民党にせよ民主党にせよ、「でもしか政党」というのは変わりはない。有権者の不幸はここに極まれり。

 
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2014年11月20日

米中首脳会談、2030年までに数千万人の殺人を容認!

  
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 地元紙の天気図の隣りにはPM2.5の注意を促す予測が出ている。県内の放射線を異常に気にしてる人は多いが、このPM2.5には無頓着。今週末は県内でも「やや多い」という予測が出ているが、九州方面はどうなのだろう?

 先日行われたAPECで米中首脳会談が行われ様々な問題で合意した様だが、世界の二大元凶ともいえる米中の合意は実に胡散臭げなものばかり。

 過去を振り返ってみても、アジアの動乱の原因はいつも時代も米国と共産主義だった。

 例えば、19世紀末から20世紀前半にかけ、アジアの動乱に米国人宣教師の果たした役割は大きく、日露戦争後の動乱全てにキリスト教徒と天道教徒が係っている。

 ハーグの国際会議後の動乱は、安重根に代表される様にキリスト教徒が主体で、明治43年(1910年)8月に発覚した「寺内総督暗殺未遂事件」で122人が逮捕され、その殆どがキリスト教徒である。

 米国に本部が在る朝鮮独立の為の秘密結社「新民会」が、「五賊」「七賊」、所謂「親日派」の大臣暗殺計画も然り。3.1独立運動や支那での5.4運動も然り。

 支那事変、大東亜戦争も、米国と共産主義の巧妙な活動が最大原因だったし、アジアの動乱の多くに米国人が係ったことは歴史が証明している。

 更に言えば、反日テロを繰り返し支那事変から大東亜戦争へ進んで行くのも、米国と共産主義の巧妙な活動が最大の原因だったというのは歴史的事実である。

 20世紀は正に、「自由と平等」の名の下にプロレタリア独裁を標榜する共産主義が猛威を振るい、今や、キリスト教徒の望んだ中国共産党が世界の脅威となっているではないか。

 これをしても、米中の二大元凶による政策合意は、アジアに更なる不幸を齎すものであると言っても過言ではない。

 例えば、「地球温暖化問題」での合意。これを以て中共が温暖化防止に取り組むとの容共派のマヌケな記事を目にしたが、中共がCO2の削減に取り組むのは16年後の2030年。それまで中共は自国の発展、利益追求の為に出したい放題ということを米国が容認したということでもある。

 まぁ、利潤追求の方法が既に共産主義の労働価値観に矛盾しているし、16年後にも共産主義が続いてるとも思えないが、こうした合意を米中の二国間だけで話し合い、「(米中が)合意したのだから、それまでは地球の温暖化なんぞ関係ない」というのは些か乱暴であり、怪しからん話しではないか。

 因みに、現在、世界で排出されるCO2の25%は中共。米国は17%。中共ではこうした排出ガスの影響で年間200万人が亡くなっている。然も、今後益々排出量は増え続けるのは必至で、こうした問題点を看過し合意した米中首脳会議というのは何だったのか。

 米国のスリーマイル島、チェルノブイリ、東海村の事故が起き、原発の廃止や削減が相次いだが、2006年、米国が政策を転換し「国際原子力パートナーシップ(GNEP)」を策定し、原発推進を決定した。

 因みに、GNEPは、第一次安倍内閣で安倍がオバマに提案したものだった。その後、オバマがあまり積極的ではなかった様だが、方向性は間違ってはいない。

 原発見直しの大きな理由は地球温暖化対策であるのは言うまでもない。発電コストを考えても安価で済むし、使用済み燃料再利用技術が向上すれば更にコストは軽減される。

 東日本大震災で我が国は「脱原発」の流れになっているが、地球規模で、或いは将来を考えた場合、やはり日本製の安全性を高めた原発を推進し、輸出して行くことこそ必要なことだと思う。

 原子炉を供給出来るメーカーも世界でも限られ、東芝、日立、三菱重工の3社が断トツのシェアを誇る。冷却水循環のパイプは、室蘭の日本製鉄所が完全独占している。

 また日本製鋼所は大型鍛鋼品の加工メーカでもあり、原子炉容器についても独占状態。こういう世界でも優秀な企業を保護して行くことは国益にも適うことでもある。

 因みに、今回の福島原発事故を受けて、この東芝、日立、三菱重工社員らが事故収束の為に懸命の努力をしているのは余り知られてはいないのは残念なことだ。

 このまま中共がCO2やPM2.5を排出し続ければ、確実に数千万人が死ぬだろうし、人類そのものの存続までもが危うくなるだろう。

 米中の合意は地球温暖化問題の合意ではなく、2030年までに数千万人が死ぬことに合意したということだ。チベットやウイグルでの虐殺も言語道断だが、自国民をも犠牲にし、世界に悪害を撒き散らすことを容認した、こんなふざけた合意が何処にある。

 まぁ米中の一部の特権階級の連中にとっては、それこそが狙いなのだろうが、我が国もそろそろ、米国依存から脱却し、真の独立を果さねばならない。 

 中共も米国同様、圧倒的な軍事力を背景に政治、経済、外交とあらゆる面で強圧的な対外政策を執って来た国である。

 日中関係なんぞ改善を急がなくても向こうから秋波を送って来るだろう。そういう意味からも、中共なんぞにこちらから擦り寄る必要もない。

 
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2014年11月17日

米軍普天間飛行場、辺野古移設反対の翁長雄志の当選は想定内!

  
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 画像は初当選を果たした翁長雄志。それにしても見事なズラだ。我が地元の代議士・根本匠よりスゴい(笑)

 任期満了に伴う沖縄知事選挙で、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設に反対する翁長雄志が、前職に10万票の差をつけて圧勝した。

 マスコミや保守派の一部には仲井眞の敗因は公明党の裏切りという主張が見られる。確かにこれを機に自公連立解消を検討すべきだろうが、今回の結果を、公明党の「自主投票」が最大要因とするのは如何なものだろう。

 出口調査に拠れば沖縄での公明党支持の割合は僅か8%ほどで、その内、翁長を支持したのは34%。一方で、自民党支持は30%もありながら、内23%が翁長に投票した。

 つまりは、得票差の10万票は、「支持政党なし」といわれる無党派層の票というより、自民党支持者によるオウンゴールというのが正しい。

 今や創価学会票頼みの選挙は通用しないという証左であり、自民党もいつまでも自公連立に拘る必要はない。それよりも自民党内に蔓延る獅子身中の虫を剔抉することこそ必要だろう。

 抑々、池田太作=創価学会=公明党は極めて戦後民主主義であり、反国家的な団体であり、天皇陛下を族長と仰ぐ日本国家の正統にとっても、悉く異質な存在というのは言うまでもない。

 「外参権付与」「自虐史観」「反靖國」「反天皇」と挙げれば限が無いが、今や政治、経済、文化、教育と創価学会は巷に蔓延し、日本を蝕んでいるのを知らぬ筈はあるまい。

 また、公明党は「改憲」にしても反対の立場であり、自公連立が続く限り憲法の見直しすら出来ないということであり、改憲議論無き「米軍基地移設論議」に意味は無い。

 安倍は、「政策ごと一致する政党と連携する」というならば、国家観を異にする公明党との連立に固執する必要も譲歩する必要もなく、連立を解消し、同じ志を共有する政党、政治家と連携し「道義国家・日本」を創造するべきだろう。

 沖縄県民の米軍基地アレルギーは理解出来なくもない。

 だが、米軍が否なら自衛隊を増強すればいいだけ話しなのだが、所詮、それも反対なのだ。

 米軍が沖縄から出て行ったとして本当に困るのは、左翼やプロ市民、マスコミにに煽られて「反基地」活動を支援してる住民なんだろうと思うと気の毒にも思えなくもない(苦笑)

 沖縄という地域は日本国の安全保障上の重要な要であり、「国防」や「安全保障」という国家の大本を米国に委ねる歪なカタチを見直さない限り、こうした「反基地」「基地外(キチガイ)」運動は決して消えることは無いだろう。

 地理的に日本と支那の中間に位置する沖縄は、日本から見れば同じ日本人だが、支那や沖縄から見れば寧ろ支那と同族の関係である。

 住民は、日本本土から南下した日本人とポリネシア系、台湾系、支那華南系。明の時代に支那に入貢して琉球国・中山王として冊封を受け、奄美大島から先の宮古・八重山までの領域を支配する中央集権国家を築いた。

 日本への使者の派遣は室町時代になってからで、徳川幕府の命令で島津藩が琉球に出兵し奄美大島を直轄化したが、琉球はその後に支那に誕生した清朝の冊封も受け両属の立場を採った。

 2千円の図柄ともなっている「守礼の門」は、支那からの冊封使を迎えて行う琉球王の即位式の会場であるが、これを以ても沖縄が日本と支那との両属だったかが理解出来よう。

 琉球は日本文化が拒絶した「宦官制度」を導入していた様に、支那の属国だったという一面を否定出来ない。また、日清戦争の際には日本派(開化党)と清国派(頑固党)が乱闘を演じ、日清戦争で日本が勝利した結果、清国派は支那に逃避した。

 要は、沖縄人にとっては、沖縄で何人が君臨しても構わなかったということでもある。

 「明」や「清」の変わり目に当たっては、支那に使した使節の如き、「清帝」と「明帝」とに捧げる二通りの上表文を持参して行ったことでも理解出来よう。

 沖縄人の「二股主義」、或いは左右入り乱れての騒乱は沖縄の伝統でもあると言えなくもない。

 現在の沖縄もそういう風潮に流された「頑固党」と見間違うばかりの連中が、「日本からの独立」と「中共への隷属」を本気で考えているのだとしたら、マヌケとしか言い様がない。

 「米軍基地反対!」にしろ、「オスプレイ反対!」にしろ、左翼や沖縄メディアが住民を嗾け、誑かし、それにまんまと引っかかり、日本国民としてではなく、あくまでも沖縄人だけの問題として捉えてしまっているのは、日本国民を放棄していると誹られても仕方あるまい。

 最終的に米軍を撤退させることは大いに結構な話で異論はない。

 だが、物事には何事にも順序というのがあるだろうし、日本国民として県民感情より国益を優先するのは当然のことではないのか。

 先ずは如何にして米軍を撤退させるか、それにはやはり現憲法を見直し、国防の充実を図ることでしか根本的解決を見ないのは言うまでもない。

 「沖縄は終わった」「どうしてこんな結果に」「何故だ!」という様なコメントを目にしたが、今年初めに行われた名護市長選での結果や東京都知事選を見れば予想出来たこと。

 まぁ左翼らが席捲しようが、沖縄の保守派が沖縄の危機を喚こうが、どちらも平和ボケの延長の様なもので、何れにせよ何も変わらんよ(笑)

 
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2014年11月16日

11月15日に生まれ、11月15日に死んだ坂本龍馬の処世術に学ぶ

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 11月15日、坂本 龍馬が京都の醤油商・近江屋で暗殺された。竜馬は天保6年11月15日(旧暦1836年1月3日)土佐の郷士の次男として生まる。

 暗殺された日は、慶応3年11月15日(旧暦1867年12月10日)。11月15日は、坂本竜馬にとっても竜馬ファンにとっても思い出深い日である。

 龍馬暗殺の謎について、「北辰一刀流免許皆伝の龍馬を一刀両断するとは」とか「龍馬はピストルを持っていたのに一発も発砲されていないのは何故か」、或いは「中岡の暗殺に、龍馬が巻き込まれたのではないか」など、謎は多い。

 こうした暗殺の謎が謎を生み、そして歪曲され、また想像され、龍馬のカリスマ性と偶像が誇張されていったのではなかろうか。

 坂本龍馬は、幕末には然程、有名な人物ではなかったという。

 維新後、数十年が経ち、四国の新聞に「坂本龍馬特集」が連載され、それが日本人の嗜好に合致し、人気に火を点け、全国に拡がり現在に至っているというのが真相だ。

 坂本龍馬暗殺の実行犯は歴史家の意見も様々で、「京都見廻組」と「新撰組」説に分かれている。

 「京都見廻組説」では、明治時代に入り、元・隊士だった今井信郎、渡辺篤が、佐々木只三郎らと実行したとの証言を理由に挙げる。

 「新撰組説」では、刺客が「こなくそ」と伊予弁を話していたとされ、伊予出身の新撰組隊士の原田左之助刀の鞘や隊士の下駄が、近江屋に残されていたとの説を挙げる。この「こなくそ」説は、それこそ谷干城のひとりごとだ。

 こうした謎が、益々龍馬の神秘性を高めているのに貢献してるのは確かだ。

 龍馬は近江屋に、脱出することが出来る隠れ家を土蔵に造っていたという。だがその日は、風邪を引いていた龍馬は土蔵ではなく、来訪した中岡慎太郎と近江屋のニ階で、好物の「鶏の水炊き」を食らいながら歓談していた。

 部屋には二人の他に、龍馬の護衛をしていた元・力士の山田藤吉。

 その日、近江屋に南大和の「十津川郷土」と名乗る男らが訪ねて来る。

 山田が対応したが、その客人を疑わずに通した。

 部屋へ向かう途中に山田は後ろから斬られ、続いて龍馬と中岡が襲撃された。

 龍馬は即死に近く、仄聞されている様な、「わしゃ脳をやられちゅうきダメじゃ」という台詞を吐く間もなかったのではなかろうか。

 中岡はこの襲撃からニ日後に亡くなった。

 龍馬は北辰一刀流の免許皆伝というのが歴史的に語られているが、事実は北辰一刀流の「長刀」の使い手、つまりは「薙刀」の名手で剣術ではない。

 西洋流砲術も学びはしたが、実際には剣の腕前はそれほどではなかったというのが真実だろうと愚生は思っている。

 居合や剣道を経験した者は分かるだろうが、龍馬のあの有名な拳銃を懐に仕舞って立つ姿は、刀がだらしなく下げられて如何にも弱そう。とても剣の達人には見えない。

 実際、「寺田屋事件」でも龍馬は短銃で応戦はしたが、弾丸が切れたにも拘らず、刀で応戦せず、短銃を振り回して、両手に数か所の深手を負った。

 とても北辰一刀流剣術免許皆伝の応対ではない。

 この寺田屋での傷を癒す為にお龍さんと共に薩摩の温泉に行くのだが、歴史的にはこれが新婚旅行の最初とされている。

 だが、これもまた根拠の無いもので、薩摩の家老・小松帯刀がそれより十年早く、霧島へ新婚旅行へ行ってるそうだ。

 歴史が物語として語られる時、必ずしもその人物の真実を伝えているとは限らない。書き手や読み方ひとつでその生き様も変わってしまうものでもあるのだ。

 幕藩体制下に於いて「横議横行」を勧め、「脱藩せよ!」と叫んだのが吉田松陰だが、その「横議横行」を実践した人物は坂本竜馬だろう。

 「横議横行」とは、自由気儘に各地を歩き回り、出合った人達と大いに議論し語り明かすことだが、幕藩体制下ではそれも儘ならなかった。

 明治維新は、こうした陋習を、龍馬を始めとした草莽の志士らが打ち破り、「横議横行」の実践したことに拠って成し遂げられたものだと言っても過言ではない。

 時代の寵児として活躍した人物の共通の特徴は「言葉」が違うことだ。

 大衆の心を引き付けるのは「言葉」を以て他に無い。

 中でも竜馬は、正に「言葉の達人」だった。

 彼が幕閣とも勤王の志士とも通じ、後には薩長連合の仕掛け人として、明治維新を豪腕で引き寄せた立役者足り得たのは、説得の技術、畢竟、言葉の豊かさに拠るものだろう。

 更にもう一つは、彼が「歩く人」だったことだ。

 交通の不便だった時代に、龍馬は実に驚くほどの距離を行き来している。

 家を飛び出し、多くの人と顔を突き合わせ「横議横行」することは実に大切なこと。

 その「横議横行」での出会いと邂逅こそが、自分自身や周囲は勿論のこと、混濁した時代をも変える可能性を秘めているものであると確信している。

 愚生も、勝手気儘に放浪の旅に出て「横議横行」したいものだが、それには先ず、手元の不如意をどうにかせねばならぬ。呵呵。

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2014年11月14日

日本語文化を世界に普及し、日本の「和の心」を伝えることこそ必要!

  
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 FBを読んでたら「皇室に『御』を付けるのは不敬!」というのがあり、まさかそんなバカことはあるまいと調べてみたら、やはり不敬に当るらしい。これには流石に驚いた。右翼人を自任する者として己の無学さに恥入るばかり。

 敬語の中でも皇室用語は特に難しい。ただでさえ、戦後教育の悪影響で敬語そのものを知らない現代人が多い中で、皇室用語となると教わる機会もないし、尚更、理解不能になる。

 「御」という字は原則として「二重敬語」となるので敬語には使わないという。皇室用語で「御」の字が不要な語は「皇」の字が付く語(皇室、皇族、皇居、皇太子など)。

 その他には、「天」(天覽・天機など)、「聖」(聖慮・聖旨・聖徳など)、「叡」(叡覽・叡慮など)、「勅」(勅語・勅命・勅旨・勅使など)、「詔」(詔勅・詔書・大詔・優詔など)、「宸」(宸翰・宸慮・宸襟など)、「鳳」(鳳輦・鳳駕など)、「玉」(玉體・玉座・玉歩など)、「幸(みゆき)」(行幸・巡幸など)、「啓」(行啓・還啓など)、「下」(出御・入御など)、「賜」(賜餐・賜謁・下賜・賜物など)。

 更には「優諚」「令旨」「鹵簿」「台臨」「行在所」「納采」「臣籍降下」「臣籍降嫁」「祭粢料」「觀櫻會」「朝見」「謁見」「拜謁」など、更には皇族方にも「御」の字は不要。

 皇室尊崇の思いが強過ぎて、知らぬ間に「御」を付けてしまっている人が多いのだろうが、「御皇室」は敬語の用法の誤り(二重敬語)であり、見方を変えれば、「皇室」を「御皇室」と言い換えることは「皇室」を尊敬の対象としていないと認識しているということにもなり兼ねないので要注意。

 愚生も、「御巡幸」や「御行幸」、「御宸翰」や「御聖徳」「御詔勅」なんていう言葉も何気に使ってしまっているが、右翼人を自任する者として細心注意しなくてはならないと猛省した次第。

 「行幸」は昔は「御幸」とも言っていたというし、一概に「御」が間違いということではないとも思うが、皇室に関することはきちんと教え、学び、使用した方が好ましいとは思う。

 尤も漢字というのは、時代で変化してるのもあるし、本来は間違いとされてきた表現でも、そのまま新しい表現として定着することも珍しくない。

 だが、そうした間違った敬語が「反天皇制運動」のものであるとしたら根深い問題でもある。

 皇室への敬語が使われなくなって久しいが、これはマスコミによる「敬称・敬語不使用」の影響は大きく、その悪害は国内に蔓延し、天皇陛下や皇室に対する敬愛の念を薄れさせ、また「開かれた皇室論」の弊害は目に余るものがある。

 戦前の様に「畏れ多くも畏くも」と言わないまでも、きちんとした敬語を表記し、節度ある敬意を表するべきだし、我々も再認識する必要があろう。

 「国際化社会での人材育成」という名の下で、英語教育を重視するというが、日本語の正しい使い方や、我が国の歴史や国柄こそ徹底して教えるべきで、日本人が美しい日本語も知らず、正しい日本語も使えず、況してや我が国の国體も国柄も知らずして、グローバル化だの、国際化(インターナショナライゼーション)などとは実に烏滸がましい。

 英語という田舎言葉が世界語になったのは、武力で世界を支配し、富を独占したからに他ならない。だが、世界では今、1000万人以上の人が日本語を学び始めているという。英語も結構なことだが、日本人として日本語文化を世界に普及し、日本の「和の心」を伝えることこそ必要なことではないのか。

 明治の先覚者は、外来語を全て新漢字に翻訳し、西洋文化を学んだ。

 現代人の様に外来語をそのまま羅列し、軽薄な舶来趣味と比べれば、明治人の気骨と気概、高い見識を伺い知ることが出来る。

 これはつまり、日本人として日本語に自信を持ち、何事も日本語で主張し、日本文化を重んじ貫いたからこそ発展が得られたのだ。

 嘗て我が国は教育立国として明期の試練と昭和の国難を乗り越えた。極貧の中から多くの偉人が輩出したのは立派な教育の故である。

 しかし、現在はどうだろう。国民の勤勉性、家族愛、愛国心、信義誠実の原則は失われ、心の中の高貴なものを失い、高邁さを忘れてしまった。高邁な魂を喪失した日本人に最も必要なのは日本の心を取り戻す教育なのだ。

 「教育再生」を謳うならば英語よりも、小学校時代に乱れた日本語を正すことこそ大事。そうすることで真の国際人が育つものだと信じている。

 嘗て、岡倉天心は著書「日本の覚醒」の中で、我が国の歴史・伝統・文化を喪失し、西洋文明に浮かれる軽佻浮薄な洋学紳士を痛烈に批判した。

 「ああ西洋開花は、利欲の花なり。利欲の開花は、道徳の心を損じ人身をして唯一個の射利器械たらしむ。貧者は益々貧しく、富者は益々富み、一般の幸福を増加さする能はざるなり」

 明治ナショナリズムの中で天心の国際情勢分析は、的確にアジア情勢を把握していた。

 天心は、日本の伝統文化に目を向け、日本文化を鼓吹した紛れもないナショナリストだった。奔放に生き、世界を放浪し、大勢の知己友人を持つインターナショナリストでもあったのだ。

 「国際化」は米国に擦り寄ることではない。それぞれの国の歴史・伝統・文化を重んじ、交流することである。

 真の国際人を創る意味でも、小学校では「神話」を教え、我が国の生い立ちや日本語の美しさと日本人の心の豊かさを学ばせ、成長に従って我が国の誇るべき歴史や近代史を教えるべきだろう。

 そうした教育も施さずに何が英語教育か。何が国際化社会への人材育成か。更なる追米・従米政策、更なる米国の属国化ではないか。

 こんなことをしていたら次には支那語やハングルも習えとなるかもよ。呵呵

 
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2014年11月13日

自民党、「海の日」を従来の7月20日に戻す「祝日法改正案」提出を断念!

  
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 12日付の地元紙(福島民報新聞)に、自民党が「海の日」を、従来の7月20日に変更する祝日法改正案の今国会提出を断念したという記事が載っていた。

 断念にした理由は、「三連休が減ることで観光産業への打撃を懸念する党内の慎重派に配慮した」からだという。

 何たることか。これが保守政党なのか。何が「観光産業への打撃」か。「祝日」は単なる「休日」ではないのだ。分かるか、自民党よ!

 「ハッピーマンデー」なる愚策は、左翼陣営が国體破壊を目的として施行されたものだが、これに自民党や保守を標榜する政治家が同調して来たのは実に御粗末と言う他はない。

 国體破壊を目指す左翼陣営の最終目的は、我が国の重要な祝日である「新嘗祭(勤労感謝の日)」と「紀元節(建国記念日)」をハッピーマンデーにすることが狙いなのは明らか。

 「三連休が減ることで観光産業への打撃を懸念する党内の慎重派に配慮して」というなら、建国記念日も、勤労感謝の日も、ハッピーマンデーにするつもりか。

 諸外国に比べ、我が国の祝祭日ほど「国柄」の分かる素晴らしい伝統、文化はない。だが、多くの日本人が、祝日をただの休みとしか考えていないのはさもしく情けない。

 戊辰の役(戦争)で「朝敵」「逆賊」に仕立てられた会津藩は、不毛の領地「斗南藩」に移されることで終結する。

 開拓は艱難辛苦を極めたが、その開拓がその後の津軽、青森の発展に寄与したことは言うまでもない。  

 会津藩に限らず戊辰戦争で幕府に恩義を感じ、抗戦し、敗れた多くの東日本の雄藩は、新政府に参政することなく辛苦の日々を送っていた。

 「賊軍」の汚名を着せられた多くの人々は、新政府に対して言いたいことは山ほどあっただろう。だが彼らは臥薪嘗胆、耐えることで國全体が保たれるのならばと己の悲運を甘受し、その抗し難い天命を潔しとした。

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 そんな中、明治9年6月2日、明治天皇は、灯台巡視船であり御召し船である「明治丸」で、東北・北海道へ約50日間に及ぶ巡幸に臨まれた。そして、横浜に帰港遊ばされた日が7月20日であり、これが「海の日」の謂れである。

 この「海の日」の謂れを国民に教えることは、観光産業への打撃という尤もらしい言い分より大事なことではないのか。

 この日以外の「海の日」に何の意味が在るというのか。案の定、反対してるのは中共の御先棒を担ぐ二階俊博ら。何を況んや。

 衛藤征士郎ら推進派は、再改正の理由を「国民が海の恩恵に感謝する日」としているが、その理由は如何にも薄弱過ぎる。

 東北・北海道への巡幸の目的は、戊辰戦争に敗れて以降、艱難辛苦の日々を送っていた人々を明治天皇が慰撫し、激励する為に他ならない。

 福島からは馬車で、仙台、岩手、青森と北上、次いで明治丸で津軽海峡を渡り、函館を経て三陸沖を海路戻るというコースを辿っている。

 この間、東北の人々は御巡幸の先々で奉迎した。

 明治天皇も各地で開墾や産業の振興に尽くした功労者を労らわれている。愚生の住む郡山(安積)では、荒野を拓いて出来たばかりの桑野村まで分け入り、開拓者の苦労話に耳を傾けられ、金五万円を下賜された。

 弘前に在る「東奥義塾」では外国人教師による英語教育が行われていて、生徒10名が英語を披露。天皇はその進取の気象に感心され、ウェブスター辞書を買う代金にと一人につき金五円を与えられた。

 また或る地方では、小学生が献上してくれた蛍一籠を嘉納され、岩手では太布半纏(ふとのばんてん)と呼ばれる農民の仕事着をお買い上げ遊ばされている。

 どの逸話も明治天皇の慈愛に満ちたもので、天皇と国民は正に君民一体。東北の人々との間に親しく絆を結ぼうと努める明治天皇の面影が偲ばれる。

 この巡幸を以て、逆賊も朝敵もなく一切の蟠りも無くなったのだ。「海の日」は、我が国が君民一体の国柄であることを自覚する祝日でもある。

 東日本大震災と原発事故に疲弊する我々東北人にとって「海の日」は、被災地に思いを寄せる今上陛下の大御心と通じる感慨深い日でもあるのだ。

 「海の日」は、7月20日に戻すべし!

 「ハッピーマンデー」は国體破壊を目論む愚策であり、百害あって一利なし!

 GHQが我が国の歴史・伝統・文化を否定することから始まった現在の「祝日法」の改正を急ぐと共に、祝日の意味と意義を教えて行かねばならない。

 
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2014年11月12日

「使われ上手は、使い上手になる」、豊臣秀吉の処世術に学ぶ

  
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 支那への憧れ、或いはコンプレックスから「四書五経(ししょごきょう)」を好む日本人は少なくない。「四書」は、「大学」「中庸」「論語」「孟子」の4つの儒教の経書。

 「五経」とは、「詩経」「書経」「礼経」「楽経」「易経」「春秋経」の六経から「楽経」を除いたもの。全て孔子以前からの書物である。

 まぁ孔孟にしろ読むのはいいが、単なる「支那かぶれ」になるだけ。それよりも、我が国の過去の英雄に学ぶ方が現実的で、また為になる。

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 画像は豊臣秀吉。秀吉に学ぶことは多いが、感心することは人に仕える上手さ。秀吉というのは藤吉郎の時代から羽柴秀吉となってからも永い間、気難しい信長に仕えて来た。

 人というのは、その立場立場で、人を使う立場になったり、人に使われる立場になったりする。人を使うことは難しいが、使われ方もまた難しい。

 秀吉に感心するのは、見事な使われ方だと思う。その心配りが、自分が人を使う立場になった時に如何なく発揮される。

 秀吉の人使いは実に見事で、つまりは「使われ上手は、使い上手になれる」という典型的な人物であろう。

 信長が上杉謙信と戦う為に加賀に出陣した秀吉は、柴田勝家の指揮下に入り参陣していた。ところが柴田勝家と作戦計画で意見が合わないとみるや、信長の承諾もなしに先陣を離れ長浜の居城に帰還してしまう。

 信長は激怒し秀吉に謹慎を命じる。

 しかし、秀吉は謹慎どころか、毎晩、家来どもを集めては酒宴を開いてのドンチャン騒ぎ。家臣らは信長に知られたら大変だと秀吉を諌める。

 だが、秀吉は一向に聞き入れようとはしない。秀吉にしてみれば信長の耳に入った方が好都合だと考えていた。

 酒宴を開いて騒いでいた方が「サルらしい」「どうしようもない野郎」で済むが、なまじ謹慎などして大人しくしている様だと、「謀反を企てているのでは」と邪推され、却って信長の勘気をそそることになると考えたのだ。

 果たせるかな信長は、それから二ヶ月後、上杉との戦いを終え、中国地方征伐の総大将として秀吉を起用した。秀吉の思う通りになったのだ。

 「中国征伐に成功したら、次には九州を。九州を抑えた場合一年間は私に治めさせてくだされ。その間、軍備を整え、朝鮮を征伐します。最早日本国内は全て上様のものです。朝鮮征伐後は朝鮮を私に、更に上様の為に明国まで足を伸ばしたいと思います」

 疑い深い信長に、自分は領土的野心など毛頭なく、寧ろ上様はアジアを支配する大きな御方だという「ゴマすり」まで入れている。

 そして中国地方の征伐も、最後のところは信長に出馬を懇願し、勝利を信長に譲っている。心憎いほどの気配りだろう。

 これだけの心遣いをされて訝る上司はいない。そしてこうした者を引き立てない訳にも行かなくなるというものだ。

 下積み経験の無い者は、こうした気遣いの出来ない者が多く、下積み時代には下積みなりに、人に使われるという修業を積むことは大事。使われ上手は、使い上手になれるものです。

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2014年11月11日

「外交というのは根回しが大事」、伊達政宗の処世術に学ぶ

  
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 「運命」とは生命を運ぶと書く。この世に生まれたという宿命を、懸命の努力によって、好い方向へ運ぶことの出来るものが運命でもある。

 信長、秀吉、家康の様に天下統一を果した者もいれば、この三名以上の器量や見識、才智に長けながらも地方の武将に甘んじた者も少なくない。

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 中でも伊達政宗はそういう悲運の武将でもあろう。唯、惜しむらくは天の時、地の利を得なかった。何より生まれたのが遅過ぎた。

 愚生にとっても縁の強い政宗は、信長、秀吉、家康に匹敵する武将だと思っている。

 梵天丸と称した少年時代、隻眼で醜怪な顔立ちが嫌われて、弟の竺丸を偏愛した産みの母に危うく毒殺されそうな一幕もあった。

 十一歳で元服し「政宗」を名乗り、十三歳で三春から愛姫を娶る。十九歳の時には二本松の畠山に裏切られ、父・輝宗が宮森城から拉致されるも高田橋で輝宗もろとも畠山を撃殺した。

 この時、政宗が住んでた城が愚生の故郷の「小浜城」。輝宗が居城していたのが小浜城より2キロほど下った「宮森城」である。

 因みに、宮森一族はその後、会津に遁走。現在の「花春」や「栄川」「宮泉」の会津名酒の社長らの「宮森」姓はこの宮森城を謂れとしている。

 畠山を成敗し、二十歳の時には葦名ら会津四軍を攻め落とし、黒川城、現在の鶴ヶ城に入城。

 この時、秀吉は小田原城を攻めてる最中で、全国平定が成し遂げられつつあった。

 秀吉と政宗の違いというのは、「天運」というのが無かっただけ。

 何故なら、若し、政宗が東北の片田舎でなかったら天下統一も夢ではなかっただろう。

 持って生まれた運というのは致し方ないもの。これは「運命」というより「宿命」である。だが、ものは考え様で、地の利が悪かったからこそ滅ぼされずに済んだとも言えよう。

 政宗に学ぶことは多い。中でも豪胆な外交力は刮目に値する。

 政宗は秀吉の度々の上洛の督促にも中々腰を上げ様とはしなかった。小田原参陣の最後通牒を受けても正月を悠々と会津で過ごした。

 政宗は数年前から秀吉を取り巻く煩型の家康、利家、秀次、浅野長政、千利休などの実力者と親交を結び、かなりの付け届けを怠らなかった。

 これは秀吉の動向を探る為のもので、外交力の高さが窺える。

 小田原で秀吉に謁見する際には、髻(もとどり)を水引で結び、甲冑を被り、素衣を着て、凶服の装束で出掛けた。

 流石の秀吉もこれには唖然。諸国大名居並ぶ中で命拾いの御礼言上。そして献上品として大量の砂金を差し出す。その砂金が零れると、政宗は事も無げに懐紙で拭いてしまった。

 こうした政宗の豪気と肝の据わり方は他の大名でも真似出来ない天性のものであろう。この時、政宗、弱冠二十一歳。

 関ヶ原の戦いも終わり、天下の大勢が家康に決すと察すると、国内統一は諦め、外国との貿易を夢見て支倉六右衛門ら伊達政宗遣欧使節団十名を独力で派遣する。こんな気宇壮大な武将が他にはいない。

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2014年11月10日

昭和19年11月8日、回天特攻が実戦投入される

  
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 昭和19年10月20日、フィリピンのレイテ島に圧倒的勢力で上陸を図ろうとする米軍部隊へ、起死回生の反撃、更に連合軍の沖縄への上陸、本土決戦を阻止しようと神風特別攻撃隊が編成される。

 祖国を守る為に死を決意して志願した特攻精神は祖国愛の極致というべきもので、「神風精神」こそは大東亜戦争が自存の為の祖国防衛戦争であったことの何よりの証である。

 沖縄戦では特攻部隊が重要な役割を果たし、鹿屋基地(海軍航空)からの特攻で1981名、知覧基地(陸軍航空)からの特攻で1021名、合わせて3002名の実に76%が沖縄戦で散華された 。

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 回天特攻が実戦に投入されたのは、昭和19年11月8日。 「菊水隊」の12基が、大津島基地から敵主力基地である西カロリン諸島のウルシー泊地と、パラオに停泊中の敵艦隊を目指して出撃した。

 回天は搭乗員一名が魚雷を操縦して必中を期す、所謂「人間魚雷」で、出撃すれば生きて還ることはない。他にも小型の合板製高速モーターボートの船内艇首部に炸薬を搭載し、目標艦艇に体当たり攻撃を敢行する「震洋」という特攻艇もあった。

 それら特攻艇の搭乗員は、航空隊員であった学徒兵や予科練習生などが中心で、特攻作戦では「神風特別攻撃隊」を始め、様々な特攻作戦で実に3972名もの若者が尊い命を捧げたのである。

 現在の平和や繁栄は、こうした純真無垢な若者の尊い犠牲の上にあることを、現代に生きる我々は決して忘れてはならない。

 沖縄では、未だに「日本は沖縄を見捨てた」だとか、「日本は沖縄を捨石にした」「日本軍は沖縄の敵」などというプロパガンダが蔓延っているが、いい加減県民も被害者意識を捨て、歴史の事実に目を向けたらどうだろう。

 回天を四基搭載した「伊三七潜」が爆雷により悲惨な最期を遂げ、日本軍約1万1千人が玉砕したパラオに、来年、天皇皇后両陛下が行幸啓遊ばされるという。

 パラオで草生す屍となった英霊にとっても、遺族にとっての感激と光栄、これに優るものなし。

 英霊の御霊が鎮められ、更には両国の友好が更に深まることを願って止まない。

 余談になるが、昨年、戦跡慰霊を兼ね九州を放浪した。

 その際、長崎県佐世保在住の上田崇仁先輩の車で諫早へ向かう途中、大東亜戦争での南方からの引き揚げ者が降り立ったという川棚町南風港の話しを伺い、この地から出撃した回天特攻の慰霊碑に寄って頂いたのを思い出す。

 また、宮崎では友人に日南海岸沿いの絶景地を巡って頂き、回天特攻の訓練地だったという南郷湾内を眺め、そこに建つ慰霊碑で一礼し黙祷した。

 慰霊碑から望む湾の光景を忘れることはない。合掌。

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「時代を見抜け、人を見抜け」、斎藤道三の処世術に学ぶ

  
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 画像は斎藤道三。「まむしの道三」という名の通り、悪名高い戦国武将である。

 愚生も、こうした削げ者というか変わり者は好きだ。

 道三は郷士の家に生まれるも、郷士では出世は出来ないと十一歳の時に僧門に入る。貧乏人の子は坊主になるのが出世の早道だった。法蓮坊という学僧となり将来を期待される。

 しかし、仏門の世界と雖も家柄とか財産が物言うことを悟る。それに女も抱けない。魚も食えない。嫌気が差して環俗して油屋庄九郎になった。

 油商人となり、一文銭の孔から油を注ぐ方法で金儲けに成功するも、士農工商の時代、商人にも満足せず、足を洗って武士になろうと決心する。

 三間半の長槍の使い方を編み出し、槍の使い手となり、武芸者として諸国にその名が知られることとなる。

 そして土岐頼芸に仕官し、その多才ぶりを発揮する。家老となった道三は事実上美濃一国を掌握する。そして主人頼芸をも殺し終には大守となった。

 歴史では「主人殺し」と非難され、「まむしの道三」と毛嫌いもされるが、戦国時代にはよくあること、頼芸がボンクラだっただけだろう。

 悪名高い道三だが、その才能は非凡。太守になって城下町を岐阜に造ったが、当これも当時の我が国では初めての試みだった。

 道三の娘・帰蝶(濃姫)を信長と政略結婚させる。だが、周りでは信長を「あの戯(たわ)け殿」と嘲笑っていたが、道三は違った。

 「残念だが、今にあの戯け殿の門前にワシが子供らは馬を繋ぐことになろう」と喝破した。

 この見識ぶり、時代を見抜く目、人を見る目の立派さ、道三から学ぶものは多い。悪口を言うのは容易いことだが、人を見た目で判断したり、時代を目先で見てはダメだということだ。

 人の悪口というのは嫉妬から出ているものが多く、見方を変えれば実力を認めてるという裏返し。そういう意味では褒められるより貶されてることの方が好都合でもある。

 
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2014年11月09日

「いづれの道にもわかれをかなしまず」、宮本武蔵の処世術に学ぶ

  
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 先日、義母の葬儀は曹洞宗で執り行われた。坊主の懇ろな経に聞き入るも、納棺の儀やその他の取り決め事が多過ぎて、遺族ならずとも疲労困憊。

 今はどの家庭も手狭になり、便利さもあって葬祭場を利用する家庭が多くなった。葬祭場の従業員は、連日繰り返される葬儀に慣れっこになり過ぎて、過剰な演出が目立つ。こうしたイベント的葬式に辟易している参列者も少なくない。

 参列者は、しめやかに故人を見送ろうとしているのであって、過剰に演出された葬式は故人を冒涜している様にも感じる。

 そうした中でも、葬儀の最後に読まれた孫の弔辞は実に良かった。内容といい抑揚を抑えた語り口といい、身内や参列者の涙を誘っていた。

 普段、涙を見せることのない愚妻も、チラ見すると目を真っ赤にしていた様だが、悪いので見ないふりをした。

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 宮本武蔵が、死の直前、弟子らに遺した「独行道」という二十一条の条文を知ってるだろうか。

 一、世々の道をそむく事なし
 一、身にたのしみをたくまず
 一、よろづに依枯の心なし
 一、身をあさく思、世をふかく思ふ
 一、一生の間欲心思はず
 一、我事におゐて後悔をせず
 一、善悪に他をねたむ心なし
 一、いづれの道にもわかれをかなしまず
 一、自他共にうらみかこつ心なし
 一、恋慕の道思ひよるこゝろなし
 一、物毎に数奇このむ事なし
 一、私宅におゐてのぞむ心なし
 一、身ひとつに美食をこのまず
 一、末々代物なる古き道具所持せず
 一、わが身にいたり物いみする事なし
 一、兵具は格別、余の道具たしなまず
 一、道におゐては、死をいとはず思ふ
 一、老身に財宝所領もちゆる心なし
 一、仏神は貴し、仏神をたのまず
 一、身を捨ても名利はすてず
 一、常に兵法の道をはなれず

 この中一つに、「いづれの道にもわかれをかなしまず」というのが記されてある。

 では、宮本武蔵という人物は血も涙も無い冷血漢だったのだろうか。

 酒を嫌いな人が「我、酒を絶つ」、或いはタバコを吸わない者が「タバコを絶つ」などとは書かない。

 飲みたいが、或いは、吸いたいが、これを止めようと自分に誓願した者だけが「絶つ」と言ってこそ、人に訴えるものがあるのではないか。

 そう思う時、武蔵は寧ろ、人一倍感情豊かで、熱血漢であり、別離に人並み以上の涙を流しながら、涙を見せまいと努力した人間に違いない。

 また武蔵の兵法書である「五輪書」には、「山水三千世界を万里一空に入れ、満天地とも攬(と)る」という一節が記されている。

 「万里一空」とは「世界はどこまでいっても空は一つ」「全てのものは一つの世界に留まっている」という考え方で、武蔵が修業の中で確立された思想の根本でもある。

 「動揺せず、常に冷静な気持ちで事に当たる」「一つの目標に向かって精進する」などの意味として解釈されるが、これが実に難しい。

 何か事が起これば冷静さなど忘れ右往左往。愚生も右翼浪人を気取り、時局に一喜一憂し、私感を尤もらしく披歴しているが、目先のことを語ることや、喧々諤々の議論に何の意味もない。

 天地自然や人間の大道を心得え、時の動きに従いつつも正義を踏み外さず、危機に際しても平時と同様に対処出来る心構えを涵養することこそ大事。

 男の修業とは斯く在りたいものだ。

 
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2014年11月08日

「耐乏生活を潜り抜けた人間は強い」、徳川家康の処世術に学ぶ

  
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 徳川家康の金言で「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し」というのがある。

 家康というと、華やかな道を歩んで来た様に思っている人がいるが、そんな人物がこうした言葉を遺したところで心に響くものではない。

 家康の生い立ちは可哀想なものだった。まだ「竹千代」と呼ばれていた三歳の時に、離別になった母と別れ、六歳の時には今川家に人質として捕らわれる途中、義理の叔父の為に織田側の人質として捕らわれてしまう。

 今川と織田の休戦和議が成立し、人質交換で故郷の岡崎に戻されるも、僅か十二日で再び今川の人質として駿府に送られる。この時、竹千代八歳。

 この様な人質生活の中から、油断は出来ない、人を警戒する習慣と、耐乏生活の中から、金銭の有難さ、質素倹約、質実剛健の気風が育まれたといっていいだろう。

 家康の家臣達も、主人は人質、所領は代官の管理。知行も扶持もろくろく貰えず、百姓仕事をしながら、じっと時節到来を待つこととなる。

 家康十五歳の時、初めて今川から墓参を許され岡崎に戻ったことがある。

 その時、譜代の家来の一人が田に出て泥だらけになって草むしりをしているのを見つけ、「難儀をさせることよ」というと落涙。これには泥だらけの家臣も周りにいた家臣達も思わず強泣した。

 また鳥居忠吉という齢八十を超す老臣は、家康を自宅に招くと、人払いをして土蔵に案内する。中に入ると床一面に銅銭がうず高く積まれていた。

 「殿、この同銭は殿が戻られた時の軍費でござる。爺が今川の者達の目を盗んで蓄えたもの。よいか殿、殿の後ろには、この様に家臣の一人一人が血の滲む苦労をしながら明日の日を待っているのですぞ」

 家康のこの生い立ちが、終生堅実な生活を営ましめたといっていいだろう。そして三河武士の剛強、忠義、団結心を謳われたのも、彼らが圧迫と貧窮の中に育ったからであろう。

 昔の軍隊では、仙台の二師団と、熊本の六師団が最強と言われた。これも東北と九州が貧しく、そうしたことが大きく影響していたのは言うまでもない。

 人間、耐乏生活を潜り抜けてこそ初めて強くもなるし、他人の苦労も理解出来るし、何より人間味も深まるというもの。

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 画像は「徳川家康三ヶ方原戦役」、敗走し、馬上で脱糞、自分の戒めの絵だ。

 三方ヶ原の戦いは、元亀3年12月22日(1573年1月25日)に、遠江国敷知郡の三方ヶ原で起こった、武田信玄軍2万7千人と徳川家康軍1万1千人(うち織田信長からの援軍3千人)との間で行われた戦いである。

 浜松城に戻った家康は、苦渋の表情の肖像画を描かせた。これが通称「顰像」といわれる「徳川家康三ヶ方原戦役画像」である。

 これは一般に、血気に逸って武田軍の誘いに乗り、多くの将兵を失った自分に対する戒めとして描かせたとして知られ、この後に熱くなった自分を抑える為に、この絵を見て自重していたという逸話が残されいる。

 
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2014年11月07日

「早く死んでは夢も叶うまい」、北条早雲の処世術に学ぶ

  
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 愚生は正統右翼浪人を自任している。浪人とは侍(さぶら)うことではない。侍うとは誰かに仕えるということで、俸禄を頂くということでもある。

 そうした素浪人、野武士から身を起こして、伊豆、相模両国の大守となった男がいる。

 北条早雲、その人である。

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 早雲は若い頃には「新九郎」と呼ばれて伊勢で育った。四十近くまで裸馬の生活をしながら一国一城の主を夢見ていた。

 伊勢時代、早雲は仲間六人と、神水を飲み交しこんな誓いをしたという。

 「我ら七人、如何なることがあっても仲違いなどすまい。互いに力になり合って武功を立てて立身しよう。もし、この中の一人が大守になったら、残る六人はその家人となって助けようぞ」

 三国志にも、「我ら三人、生まれし日、時は違えども兄弟の契りを結びしからは、心を同じくして助け合い、困窮する者たちを救わん。上は国家に報い、下は民を安んずることを誓う。同年、同月、同日に生まれることを得ずとも、同年、同月、同日に死せん事を願わん」という「桃園の誓い」というのがあるが、あれは創作でしかない。

 新九郎らが契りを交わしてから十五年、新九郎が五十五、六歳になって、小さいながらも一国一城の主となった。

 その時、他の六人は約束を守って家臣となり、やがて新九郎が北条早雲と名を改め、伊豆、相模両国を支配する戦国大名にのし上がった時には、六人は家老として仕え、その関係は終生変わらなかった。

 男の約束、男の友情とは斯く在りたいものだ。

 早雲の立派なことは、民心を安定させ、領民の全てを心服させていたことだ。当時、戦国の世の中は戦争に明け暮れていた関係で、どこの国でも農民を苛め、分けても関東地方一帯は、租税の厳しさでは群を抜いていた。

 「七公三民」といって、七割を領主が召し上げるという酷い制度で、現在の税制と同じ様なものだ。

 早雲はこれを「六公四民」にし、百姓を苛める役人を処罰し、病弱者の為に、今でいう診療所を開いた。領民の喜びの大きさは計り知れない。

 北条家が後に五代続いたのも早雲のこうした善政の賜物であろう。

 早雲は五十半ばから芽が出た、謂わば大器晩成の模範の様な男である。早雲が伊豆、相模を平定し、関東を制圧したのが実に八十七の時だ。その翌年、八十八で亡くなるのだが、これは流石に真似出来ない。

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 愚生も大器晩成だと自分自身に言い聞かせてはいるが、愚妻曰く、「大器晩成の早死にタイプじゃね!」ということらしい(笑)

 まぁ憎まれっ子世に憚るというし、大いに憎まれ口、耳の痛い話をして行きたいものだ。呵呵。

 
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cordial8317 at 16:00|PermalinkComments(0)

2014年11月03日

「文化の日」とは第二の憲法記念日である!

  
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 本日は「文化の日」。「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことを趣旨として制定された記念日である。皇居では文化勲章が下賜され、文化に功労が著しい方々が叙勲される。

 だが、「文化の日」のその実は、昭和21(1946)年に日本国憲法が公布された日であり、第二の「憲法記念日」と言うのが正しい。

 11月3日は、戦前の「明治節」、明治時代の「天長節」であり、敢えてこの日に現憲法が公布されたということに米国の意図が窺える。占領統治時代にはこうしたことが度々実行されている。

 例えば、昭和21年に開廷された「東京裁判」でもそうだが、所謂「A級戦犯」28名が起訴されたのは、同年4月29日の「天長節(昭和天皇の誕生日)」。そして、当時の皇太子殿下の誕生日である12月23日に東条英機閣下以下7名の絞首刑が執行された。

 現憲法の発布を、明治天皇の誕生日という記念日を選んだという事実は、日本人に対し、贖罪意識を植え付ける為であることは言うを俟たない。

 こうした事実を知るだけでも、米英を始めとした連合国が如何に非情で無慈悲な、日本人矯正を実行したかが理解出来よう。

 教育勅語を下賜され、教育・文化を重んじた明治天皇を偲び、我が国の文化を奨めるの「文化の日」ならいざ知らず、「自由と平和を愛し、文化をすすめる日」とは詭弁以外の何ものでもない。

 憲法前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し・・・」という記述があるが、「平和を愛する」という感情と、現実的に平和を守るというのは違う次元だ。

 保守派や愛国団体の中には、本日を「明治節」だとして、明治神宮を参拝し、明治天皇の御遺徳を啓蒙するという行動も見受けられる。「明治節復活」は異論はないが、果して明治神宮がそれに相応しいかといえばまたそれも疑問。

 明治神宮は周知の通り、国民の総意により、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲び創建された神社である。しかし、平成16年に明治神宮は突如として神社本庁から離脱し一宗教法人となった。

 明治神宮側は神社庁からの離脱の理由として、平成16年4月、陛下の御親拝なされる際の関係者への案内状に「陛下」を「殿下」と誤記してしまった責任を取って離脱したとしている。

 だが、それは詭弁であり、神社庁での主導権争いや確執の末の離脱というのが真相である。

 これ即ち、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲ぶという本分を忘れ、神社を私物化し、営利至上主義に奔っている証左であり、こうした現状は正に憂慮すべき事態である。

 保守派並びに愛国団体は明治神宮のこうした姿勢も糺すべきであろう。

 本来、神社=神道とは宗教ではなく、日本人の心に清む惟神(かんながら)の道である。

 宗教法人の規定では、教祖と経典と布教活動の三条件が必要で有るが、明治神宮はその何れも該当せず、神社本庁から離脱し、一宗教法人となることは到底理解出来るものではない。

 「宗教法人」としての独立は、明治神宮建立の趣旨から鑑みても逸脱しており、先人の努力も、国民の総意も踏み躙るものだ。
  
 明治神宮が一宗教法人となることは、同じ宗教法人となっている靖國神社とは経緯が違う。

 靖國神社や護国神社が現在、「宗教法人」となっているのは、戦後GHQの「神道指令」を免れる為に已む無く採った先人の智慧であり、本来ならば昭和27年4月、我が国が主権を快復した折に、国家で護持すべきだったのだ。

 靖國神社に係わるあらゆる問題は歴代政治家の不作為が招いたものである。

 明治神宮の神社庁離脱と宗教法人化は、GHQの神道指令や戦後占領政策を容認するもので、「文化の日」という第二の憲法記念日を容認するものと断じて好かろう。

 保守派が本日11月3日を「明治節」として祝うなら、明治天皇の御遺徳を偲ぶには相応しくない明治神宮の営利狂奔主義を糺し、憲法発布記念日という汚辱こそ払拭しなくてはならない。

  現在、我が国が直面している全ての問題は「主権」の意味も理解することなく、国家の大本を忘却し、日本人が日本人であることを見失ったことに起因していると言っても過言ではない。

 「君民一体」こそが、これ我が国體の精華なのである。

 つまり、我々日本人が護るべきものは、平和や独立という主権や国民の生命や財産だけに非ず、「日本」という国柄や国體という文化そのものであり、真に死守すべきは「皇統」以外にはない。

 未だ米国の占領政策下に甘んじ、まやかしの平和を平和だと思い込まされているということに何故に気付かないのか。何が「自由と平和を愛し」か。何が「文化の日」か。

 「文化の日」という祝日は戦後の我が国の欺瞞の象徴そのものであり、米国への忠誠であると断じても過言ではない。直ちに「明治節」に戻すと共に、抑圧された一切の占領政策を廃止せよ!

 
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cordial8317 at 19:36|PermalinkComments(0)

2014年11月02日

昭和35年11月2日、「七生報国天皇陛下万才」と記し従容として死に就いた山口二矢

  
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 本日11月2日は、日本社会党党首・浅沼稲次郎を刺殺した国士・山口二矢の命日である。

 二矢は、昭和18年2月22日東京生まれ。二男で、二月二十二日生まれと「二」の字が続いたことから、父は「二矢(おとや)」と命名したという。

 社会党、浅沼稲次郎を刺殺したのが10月12日。

 練馬鑑別所で自裁したのが11月2日。

 「二」という数字は烈士にとって運命であり宿命でもあったのだろう。

 「浅沼稲次郎刺殺事件」は愚生が生まれた昭和35年のことだった。

 生きていれば71歳、現在の右翼陣営の低迷は指導者不足が顕著であり、天皇国日本を盤石の安きに導く為の指導者の出現を待望して止まない。

 昭和34年、二矢は大日本愛国党に入党。その翌35年5月、同党の吉村法俊、中堂利夫(両名は事件後、防共挺身隊に身を寄せるも脱退し、人気作家となった)と共に愛国党を脱党し、「全アジア反共青年連盟」を結成。

 同年10月12日、日比谷公会堂で演説中の浅沼稲次郎を刺殺、現行犯逮捕された。

 携行した檄文にはこう認めてあった。

 「汝、浅沼稲次郎は日本赤化を謀っている。自分は、汝個人に恨みはないが、社会党の指導的立場にいる者としての責任と、訪中に際しての暴言と、国会乱入の直接の煽動者としての責任からして、汝を許しておくことは出来ない。此処に於て我、汝に対し天誅を下す。 皇紀二千六百二十年十月十二日  山口二矢」

 「私の人生観は大義に生きることです。人間必ずや死というものが訪れるものであります。その時、富や権力を信義に恥ずるような方法で得たよりも、たとえ富や権力を得なくても、自己の信念に基づいて生きてきた人生である方が、より有意義であると信じています」

 「浅沼委員長を倒すことは日本の為と堅く信じ殺害したのですから、行為については法に触れることではありますが今何も悔いる処はありません。しかし、浅沼委員長は最早故人となった人ですから生前の罪悪を追及する考えは毛頭なく唯故人の冥福を祈る気持ちであります。又浅沼委員長の家族に対しては、如何なる父、夫であっても情愛に変わりなく、殺害されたことによって悲しい想いで生活をし迷惑を掛けたことは事実ですので、心から家族の方に申し訳ないと思っています」 

 供述調書を取り終えた11月2日未明、東京少年鑑別所の個室で支給された歯磨き粉で壁に「七生報国天皇陛下万才」と記し従容として死に就いた。

 旧来の思想や社会構造を打破しようとする時、常軌を逸した行動が生まれる。

 来島恒喜、山口二矢、三島由紀夫、野村秋介といった方々の行為こそが正気の狂気であり、この狂気こそが現状の閉塞状況を打破する力に成り得るのだ。合掌再拝。

 
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cordial8317 at 05:43|PermalinkComments(0)