2014年11月

2014年11月28日

固定観念や先入観に囚われてる屁理屈ってのは実に厄介なものだ

 今月はどうにか愚妻のパート代よりは実入りがあったが、相変わらず50万ほどの赤字。揚げ句に今月はクルマのボーナス払いと来たから笑えない。

 年に二度くらいは臨時収入をアテにしたのだが読みが浅かった。まあ震災以降、ヤル気が出ない。これってやっぱ、放射線の影響じゃなかろうか(笑)

 そういや、こないだ、面白い世論調査が出ていた。何やら反原発派の半数以上が「日本が嫌い」と答えたという。「日本が好き」と答えたのはナント1%。この1%の反原発派ってもしかして、右からの~ってやつかな(笑)

「原発停止による電力不足への対策」も、84%が無回答だったというから言わずもがな。まあ、反原発=反日ってのが証明されたなどと解説してたが、そんなのは始めから分かってるわな(笑)

 右からの~は「友よ山河を滅ぼす勿れ」と都合のいい幟を出して反原発を訴えているが、福島に住み続けている愚生に言わせれて貰えば、亡き烈士は、「福島に住むことも無く、外野で、然も安全なところに居ながら批判するとは卑怯そのもの。

 今も未曽有の事故を収束しようと命がけで戦ってる人達がいるんだぞ、彼らの懸命の努力に感謝し、心を寄せて見守るべきで、『反原発』などという軽々しい発言は慎みなさい!」と言うんじゃなかろうかと、勝手に想っている(爆)

「人間というものは知性に根拠を持たず、大抵は無意識にただ感情によってのみ支えられた先入観に囚われていることが稀ではない。こういった本能的な嫌悪、感情的な憎悪、決めつけられた拒否というような柵を乗り越えることは欠点のある、或いは誤った学説を正しく直すことよりも千倍も困難である」とはアドルフ・ヒトラー。

 人の多くは自分の意見や理論こそが正しいと思っている。だから、自分の意見と異にする者を説き伏せようとしたり、感化させようとしたりするもの。

 右翼や左翼にしろ反原発派にしろ原発推進派にしろ同じこと。だが、理論的な間違いは指摘出来ても、相手側がこちらに「敬」を抱くことがなければ、喩えそれが正論であり、また相手を慮っての意見と雖も、相手に通ずることはない。

 それだけ固定観念や先入観に囚われてる屁理屈ってのは実に厄介なものだ。左翼は確信犯だから翻意することはないが、無自覚左翼という戦後民主主義者にはこの手が多く、聞く耳を持たず、屁理屈を垂れる輩が多い。

 まぁ右でも左でも、人というのは「好きか嫌いか」が重要であって、嫌われてるのに幾ら熱く語ったところで相手に受け容れられることはない。

「生理的に合わない」とか「以心伝心」という言葉もそうだが、自分が嫌いだなとか苦手だなと思ってるいるヤツは、大概、向こうも同じ様に感じているものだ。

「人に意見や指導をしてその人の欠点を直す」ということは大切なことであり、親切心であり、慈悲の心だとも言えるが、意見される側が、それを受け容れる気持ちが無ければ単なる「余計なお世話」でしかない。

 意見というものは先ず、その人がそれを受け入れられるかどうかを見極め、相手と親しくなり、自分を信用して受け容れる状態になってからでないと意味はないし、通じることもない。

 食事や痛飲しながら相手に心を許し、自分の失敗談を話し、意見を言わなくても、相手に思い当たる様に仕向けたり出来れば最高。

 また相手の長所を褒めながら、その上で欠点を指摘し直すというのが親切心であり、本来、意見とは斯く在るべきなのだ。

 人は「好きか嫌いか」だというが、なるほど、右翼が喩え、正論を吐いたところで、通じないのは世間から忌み嫌われているということか。

 まぁ右翼に限らず、そこの貴方、熱く語っても通じないのは、毛嫌いされてるってこと。それって立派な理論より、人柄の方に問題があるのかもよ(笑)

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2014年11月26日

愚生に求められるのは「強烈な努力」以外にはないと自覚する!

 コジマ電気で100円のパソコンを購入したのはいつの頃だろう。現在のパソコンは2台目で、パソコンをやり始めてからmixiに始まり、ブログ、twitter、Facebook(FB)と啓蒙活動とはチョッと仰々しいが、備忘録を兼ねて綴っている。

 mixiは匿名なので言いっ放しなものが多く、卑怯なコメントが少なくない。FBは基本的に本名なので未だmixiなどよりはまだマシか。ただ、その遣り取りはキレイゴトを並べ、上辺だけのコメントが実に多く、互いに抑揚を抑え、大人の遣り取りをしているつもりなのだろうが、そんな付き合いに意味があるとは思えない。

「巧言令色鮮矣仁(こうげんれいしょくすくなしじん)」という言葉がある。言葉巧みで、人から好かれようと愛想を振りまく者には、誠実な人間が少なく、人として最も大事な徳である仁の心が欠けているものだという意味だ。対語は「剛毅木訥近仁(こうきぼくとつじんにちかし」。その意味は、意思が強く強固で、素朴で口数が少ない人物が、道徳の理想である仁に最も近い者であるということ。

 愚生は剛毅さはあると自負するが、朴訥には程遠いので無理。好かれ様とは思わないが、巧言令色というのも無きにしに非ず(笑)

 FBにしろmixiにしろ、ネット上での理論や薀蓄を読むには読むが、皆さん、ホント凄い。あれがホントなら皆さん天才だろう。でも、いくら素晴らしい日記や理論を読んでみてもこちらに全く響いて来ないのは何故だろう?

 それはやっぱ自分の言葉で語ってないからだと思う。仲間にしか通用しない理論や聞き齧った付け焼刃の薄っぺらい知識を殊更難しく、或いは使い古された政治用語を斬新な言葉や理論であるかの様に語り、相手の反応などお構いなしに自分自身に酔ってる輩を目にする。確かに仲間内で盛り上がり、「いいね!」を押したりはしているが、あんなことでは世の中どころか、意見を異にする他人など感化出来るとも思えないし、身内さえも動かない様な気がする。

 右翼陣営や自称・保守派にはこういう輩が多く、「巧言令色鮮矣仁」の如く、人から好かれようと愛想を振りまく者が少なくない。仲間や身内可愛さから、相手の間違いや欠点には見て見ぬふりをする。これが真の友人だとしたらお笑い草だ。

 日頃、国士を気取り「君子の交わり」などと言うのなら、また、かけがえのない友なら尚更、忠告してこれを善導すべきであると思う。忠告を聞くか聞かないかは相手の判断次第なのは言うまでもないが(笑)

 まぁ何事も自分の言葉で自分らしく語りかけた方が好い。文章などもアップする際は難しいものは分かり易く、簡単なものは格調高く、人生論は自分の失敗や経験なども織り交ぜて、また時にはユーモアを交えて書く様に心掛けることが大事。

 昨夜、facebookでの「宣伝車での演説なんてのはセンズリと一緒」というコメントに反応し、「多くの同志を揶揄されてはまことに遺憾ですFBFを解除します」とのメッセージが入っていた。この方から申請が来たのはつい先日のこと。

 日本会議に所属し、また民族活動家を自任し、定期的に街頭宣伝活動をやっているらしいが、本気で宣伝車による演説が真の活動だと思っているのだろうか。また演説で世の中変わると本気で思ってるのだろうか。だとしたらホント可哀想だ。愚生のブログに以前、こういうコメントが入っていた。

「いつもブログ拝見させていただいてます。一般に人から見ると、右翼もヤクザもやっていることは変わらないと思っている人がほとんどではないでしょうか。ヤクザとの2枚看板であるとか、右翼でありながら覚せい剤売買、裏ビデオ販売など破廉恥な凌ぎを行っていたり・・。個々の凌ぎのために、いろんな不法行為を行う。これで日本古来の精神を受け継いでいるといえるのでしょうか。真の右翼は右翼団体構成員のごく一部しかいない気が私にはしてます」

 またこういうのもある。「私の中の『真の右翼団体』の存在は昭和を区切りに終わっています」。これが現実。尤も本人は右翼ではない、日本会議だというだろうが、政治家の演説もセンズリの延長でしかない。

「街宣はセンズリ」にカチンと来るなら、その多くの同志に苦言を呈し、真の活動家、民族派を目指し、また若手活動家を育てて頂きたいものだ。

 戦後、右翼の聖地とも言われる新橋ステージでの街頭演説が人気を博した。テレビなども無い時代、これは面白いと若者から大人まで集まって各自がマイクを持ってアジ演説を行った。時代は変わり、テレビが普及し、市井の民の憂国の獅子吼など聞くことはなくなり、マスコミ御用達の評論家らがテレビに出て、視聴者もそれが正義と錯覚するに至った。

 新橋での街宣はその後も続き、愚生も大学時代からまた団体の責任者になってからも定期的に行った。だが、こうした街宣は年々先細りするばかりで、全くの効果は無いと言っても過言ではない。初代の福田進総隊長は、「街宣なんてのは運動じゃないよ。運動ってのはパクられてナンボ、捕まらない運動なんてしてんじゃね~」と参謀に怒鳴りつけてたのを思い出す。

 防挺が新橋に拘ったのは、新橋ステージからの伝統というより、上場企業が多く、総務の担当者が見に来ることも多く、また細かい事件を起こす度に総会屋右翼としての価値が上がったからだ(笑)

 街頭宣伝で時代は変わらないし、聴衆も感化されることはないだろう。そんなことで国民が変わるなら、その昔、日蓮上人が辻説法した時代に民衆は覚醒し、とっくに変わっていただろう。別に日蓮信者ではないが、尊敬に値する宗教家だと思っている。日蓮が偉いのは流罪になっても決して挫けることなく信念を通したことだ。

 51歳の時に書き上げた「開目抄」というのがある。文字通り日蓮開眼の書であり、これを書き上げたのは流罪での時である。時、恰も蒙古襲来の直前。未曽有の国難を予言した日蓮は、辻説法による戦闘的な布教活動を展開し、幕府から流刑となるが、激しい使命感と捨て身の覚悟が、偉大な宗教家たらしめた。

「我れ、日本の柱とならん。我れ、日本の眼目とならん。我れ、日本の大船とならん等と誓いし願破るべからず」とは日蓮大聖人。

 我が国が未曽有の国難に直面しているのであれば、活動家に求められるのは日蓮上人のこの「開目抄的決意」と覚悟と信念を以て活動すること以外にはない。だが、所詮はアマチュアの口舌の徒ばかりなり。尤も、斯くいう愚生も決定的に努力が足りない。愚生に求められるのは「強烈な努力」以外にはないと自覚する(笑)

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2014年11月25日

決して挫けることなく初一念を貫いて皇国日本の再建に邁進せよ!

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 三島由紀夫は同行した森田必勝と共に、昭和45年11月25日午後0寺15分、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地、東部方面総監室にて割腹自決した。

 携行したその「檄」には、「もっとも名誉を重んずるべき軍が、もっとも悪質な欺瞞の中に放置され・・・自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず」と喝破した。

 だが、悲しい哉、自衛隊は現行憲法下では憲法違反の存在であり、未だ「警察予備隊」時代のまま、「集団的自衛権の憲法解釈」などという目先の誤魔化しによってかろうじて存在し、あやふやな中途半端な存在のまま放置され続けているのだ。

 自らの国家の防衛をも否定する矛盾だらけの現憲法を見直し、違憲状態の自衛隊を「国軍」とすることに、何を躊躇し、誰に憚るというのか。

 そういう意味では、今回の総選挙は護憲政党である公明党との決別を明確にする「自公連立解消解散」というのが正しく、自公連立が続く限り、憲法改正は愚か、戦後政治からの脱却なんぞ絵空事ということだ。

 抑々、自民党は、公明党との連立に固執するのは、公明党の集票力を期待してのこと。だが、先般の沖縄県知事選挙での結果を見るまでもなく、創価学会員の集票力なんぞ低下する一方。今や誰もが自公連立に意味など無いことに気付いている。

 創価学会票に期待するよりも自民党内に蠢く獅子身中の虫の剔抉こそ大事。政権に固執するばかり自公連立を優先する余り国益を害することがあってはならない。

 前回の総選挙では「ねじれ」は解消したが「改憲」に必要な3分の2以上の議席は確保出来なかった。次期総選挙では、公明党と決別し、次世代の党の連携こそ模索すべし。そういう意味でも、次世代の党の躍進が絶対条件となろう。

 日夜、国の防衛の為に努力する自衛官の姿は心強いし、災害に立向かう自衛隊の存在は実に頼もしい。自衛官は我が国の誇りである。

 憲法論議を避け、自衛隊の存在意義を無視し、国防を論ずることなどあってはならない。政治家のこれ以上の怠慢は赦されない。戦後のあらゆるタブーに挑戦せよ。

 昭和45年11月25日の決行当日、同行した小賀正義に命令書が渡された。その中の一文にはこう記されてあった。

「小賀正義君。君は予の慫慂により、死を決して今回の行動に参加し、参加に際しては、予の命令に絶対服従を誓った。依ってここに命令する。君の任務は同志古賀浩靖君と共に人質を護送してこれを安全に引渡したるのちいさぎよく縛につき、楯の会の精神を堂々と、法廷に於て陳述することである。今回の事件は、楯の会隊長たる三島が、計画立案、命令し学生長森田必勝が参画したるものである。三島の自刃は隊長としての責任上、当然のことなるも、森田必勝の自刃は、自ら進んで楯の会全会員及び現下日本の憂国の志を抱く青年層を代表して、身自ら範を垂れて、青年の心意気を示さんとする。鬼神を哭かしむ凛冽の行為である。三島はともあれ、森田の精神を後世に向って恢弘せよ。しかしひとたび同志たる上は、たとひ生死相隔たるとも、その志に於て変りはない。むしろ死は易く、生は難い。敢て命じて君を艱苦の生に残すは予としても忍び難いが、今や楯の会の精神が正しく伝わるか否かは君らの双肩にある。あらゆる困難に耐え、忍び難きを忍び、決して挫けることなく、初一念を貫いて、皇国日本の再建に邁進せよ。楯の会隊長 三島由紀夫 昭和四十五年十一月」

「益荒男がたばさむ太刀の鞘鳴りに幾とせ耐へて今日の初霜」(三島由紀夫)

「今日にかけて かねて誓ひし 我が胸の 思ひを知るは 野分のみかは」(森田必勝)

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2014年11月24日

三島由紀夫が提起した戦後体制の虚妄とは一体何であったのか

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 三島由紀夫が市谷駐屯地で蹶起する昭和45年11月25日の4ヶ月ほど前の7月7日、産経新聞夕刊に「私の中の二十五年」と題して、予言的な一文を寄せている。

 その中で、これからの日本には大して希望を持てないとした上で、このまま行ったら日本はなくなってしまうと嘆き、「・・・その代りに、無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るであろう・・・」と悲観的な予言を遺した。三島が提起した戦後体制の虚妄とは一体何であったのか。

「我々は戦後の経済的繁栄に現を抜かし、国の大本を忘れ国民精神を失ひ、本を正さずして末に走りその場凌ぎの偽善に陥り・・・ 政治は自己保身、権力欲、偽善のみに捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦汚辱は払拭されず誤魔化され、日本人自ら日本の歴史と伝統を潰してゆくのを歯噛みしながら見ていなければならなかった・・・」

 現在の我が国はどうだろう。無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、経済的大国となり、三島の予言がズバリ的中したカタチとなった。「文化防衛論」の「反革命宣言」で三島はこう訴える。

「もし革命勢力、ないし容共政権が成立した場合に、例えたった一人の容共的な閣僚が入っても、もしこれが警察権力に手を及ぼすことが出来れは、忽ち警察署長以下の中堅下級幹部の首の挿げ替えを徐々に始め、或いは若い警官の中に細胞を潜ませ、警察を内部から崩壊させるであろう」と冒頭で記し、更にはこう宣言する。

「我々はあらゆる革命に反対するものではない。暴力的手段たると非暴力的手段たるとを問わず、共産主義を行政権と連結せしめようとするあらゆる企画、あらゆる行動に反対するものである。この連結の企画とは、所謂民主連合政権(容共政権)の成立及びその企画を含むことを言うまでもない。名目的たると実質的たるとを問わず、共産主義が行政権と連結するあらゆる態様に我々は反対するものである」

 今、周りを見渡せば「男女共同参画社会」を始め、「外国人地方参政権付与」「住民基本法案」「夫婦別姓法案」「戸籍制度廃止法案」「人権救済法案」「女性天皇論」「女性宮家」などなど、カタチを変えた共産主義が次々と企画され行政権に入り込み、また連結され様としている。

「男女共同参画社会」とは共同参画といいつつも、「共参社会」というのが正しく、つまりはカタチを変えた「共産社会」の実現が着々と実行されているのだ。

 これらは全て共産党が推進し、実行したのではない。総理府や中央官界に入り込んだ全共闘系と共産党系の過激な連中が共同謀議的に考案したものであり、それらを疑いも無く実行したのは自民党ら歴代政府である。これほどマヌケなことはない。

 こうした愚策により国體や国柄が破壊され続けている。つまりは、三島が悲観した予言より酷い状況に陥っているが現在の日本なのだ。

 これらに対峙するべき愛国陣営や右翼を見渡せば、営業保守と何ら変わり映えのない活動に終始し、揚句は「暴排条例は人権を蹂躙するものだ」などと愚にも付かない運動を展開しているのは、右翼人の立場にいる愚生も隔靴掻痒の感は否めない。

 暴排条例や暴等法に反対なんぞ末の話し。ヤクザや不良に奔るのはその環境や社会構造が問題なのであり、問題提起するなら何故にヤクザ組織に入るのか、そうした社会制度、教育制度の在り方を問うべきだと思う。

 今を生きる我々は、国家百年の大計を米国に委ね、敗戦汚辱は払拭されず誤魔化され、日本人自ら日本の歴史と伝統を潰して行くのをこれ以上、歯噛みしながら見ていてはならないのだ。旧来の思想や社会構造を打破しようとする時、常軌を逸した行動が生まれる。その行動こそ「正気の狂気」であり、この「狂気」こそ閉塞状況を打破する力に成り得るのである。

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2014年11月23日

本日は新嘗祭、神々の加護と人々の勤労によって生み出される万物の生産を祝う日である

 本日は「勤労感謝の日」。旧くは「新嘗祭(しんじょうさい、にいなめさい)」として、霜月下旬の卯の日に斎行されたが、明治6年以降は11月23日に執り行われることとなった。新嘗祭は「日本書紀」に皇極天皇が皇極元年(642年)11月に執り行ったという記述があり、天皇にとって新嘗祭は重要な祭事の一つである。

 宮中祭祀で特に重要なものは元旦に執り行われる「四方拝」と、本日行われる「新嘗祭」。天皇にとって最も大事なものはこうした「祭事」である。宮内庁は、陛下の負担軽減の一環として今年から、未明に執り行われる「暁の儀」の拝礼を取り止められると発表した。こうした報を訝しく思うのは愚生だけではあるまい。

 天皇の「国事行為」について、現憲法では、首相の任命、憲法改正や法律の公布、外国大使らの接受等を定めているが、「公的行為」は現憲法に明文化されていない。

 天皇は憲法上の制約から、国事行為として「国会の開会式」「首相や最高裁長官の親任式」「大臣の認証式」「親授式」など年間約60回、国賓・公賓への接遇や会見、会食などの御公務を約170回お努めになられる。

 こうした国事行為をどの様に対処する積もりなのか。負担軽減とは聞こえはいいが、天皇にとって大事なものはこうした国事行為ではなく、「祭事」なのである。祭事を優先し、国事行為や公的行為こそ軽減すべきである。

 新嘗祭のこの日は、宮中では天皇陛下が新穀を神々に供え、厳かに儀式を執り行うのだが、「暁の儀」の取り止めは、今後どういう結果、影響を齎すのだろう。だがあろうことか、今や、歴代天皇が古来より司って来た祭事は、現憲法によって天皇家の「私事」にされてしまい、皇室典範にも「大嘗祭」の規定は存在していない。

 現憲法は、歴史的な国家としての継続された「祭祀」に関する天皇の役割を否定している。未だ占領政策の「神道指令」の呪縛が解除されずにいる証左である。

「勤労感謝の日」というと、何か、労働していることに感謝する日の様に思ってしまうが、本当の意味は「人々の勤労によって生み出される万物の生産を祝う」というものだ。神の加護による、農作物を始めとした恵に、我々国民が互いに感謝し合う日なのだが、残念ながら、その意味を取り違えている国民が殆どだ。

 やはり「勤労感謝の日」というより、「新嘗祭」というのが相応しい。また、「新米」を食べるのも、本来は陛下の祭事が終わってから口にするものだが、今やそうした意味も知る国民もまたいない。

 GHQの「神道指令」により、「新嘗祭」という呼称は廃止され、昭和23年に「勤労感謝の日」と改められ現在に至っているが、国柄を考えれば、やはり「勤労感謝」というより、「新嘗祭」という名称こそ相応しい。

「勤労感謝」という言葉で、その祝日の意義を薄れさせている現状と、「ハッピーマンデー」などという愚策によって国體が破壊され続けている現状は見るに堪えない。

 今日は県内でも「山ノ神講」として、全国各地でも山々の神に感謝し、収穫を祝う行事が各地で行われる。要は仲間同士が集まっての飲み会だが、これもまた新嘗祭の風習や伝統を重んじ、伝えて来た名残りでもある。

 俗に、口喧しくなった愚妻を「山の神」とも揶揄するが、頭が上がらず、いつも感謝しているという意味では神様も妻君も同じ。有難いものには違いない(笑)

 国策としての農業振興と、食の安全保障や食料自給率の向上は急務だが、政府や国会議員など頭の中は景気対策ばかりで、減反政策一つ見ても、真剣に「農」を考える言葉は発せられない。「農業」とは愛郷心、祖国愛に繋がるもので、愛情というものがそこには無くてはならない。

 世界各国でも「農業」の保護政策が行われているが、それは、そうした国々は「農は国の本」ということを自覚しているからである。ところが我が国は戦後、GHQは「農本主義」的国家観は排除され、大輸出国の米国の戦略に嵌った儘で、更に今、米国主導のTPPに参加しようなどとは狂気の沙汰と言う他ない。

 国家の大本を米国に委ねた儘、軍事的安全保障でも自立出来ず、食料安保でも自立出来ず、これで果たして真の独立国家といえるのだろうか。

 国造りと農業の関係を、単なる経済論で語ることは、国家や郷土愛を放棄したと同然。我々は「平成の農本主義」を構築する為にも、安易な輸入物の購入を拒否し、国産物を購入し、自給率向上を真剣に考えなくてはならない。

 本日は、「神々の加護と人々の勤労によって可能になる万物の生産を祝い、国民が互いに感謝し合う日」である。豊穣の秋に感謝し、家族や仲間と一献やりつつ、我が国の在るべき姿を語り合っては如何ですか。

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2014年11月22日

死刑制度廃止論者の薄っぺらい正義感とキリスト教的欧州思考

 日本人というのは「赤穂浪士」を筆頭に、画像の「柘榴坂の仇討ち」やら「必殺仕置き人」の様な悪党をやっつける勧善懲悪的芝居というのが好きだ。今では仇討ちなんて出来ないが、その代わりになるものが法律であり、死刑制度である。

 犯罪者を被害者に代わって国が処罰する。我が国の死刑制度は「仇討ち禁止令」や「決闘禁止」に代わるものとして明治6年(1873)2月、司法卿・江藤新平が「復讐禁止令(仇討ち禁止令。太政官布告第37号)」を発令した。

 幕末から維新期の派閥、政論の対立による暗殺とその報復という面があったところから、この種の紛争を断ち切る為のが目的だった。明治22年には「決闘罪ニ関スル法令」も発布され、敵討ちや復讐は禁じられた。

 主君や親兄弟などを殺した者を討ち取って恨みを晴らすことは、日本人の美意識の顕れともいえる。江戸時代には武士階級の慣習として公認され、「敵討ち」と認められれば罪に問われなかったばかりか、それは美化され、大衆の支持を得た。

 現代でも「死刑制度」を容認する国民が80%以上もいるのは、国が遺族に代わって遺恨を晴らして欲しいという気持ちの顕れに他ならない。

 死刑廃止論者は、その理由を「国際人権基準」がどうのだとか「非人道的」とか「生きる権利の侵害」だとか「死刑囚の資料を精査する十分な時間があったとは思えない」とか、被害者側に立った意見はとんと聞かない。また司法の質の低下も顕著だが、その好い例が「裁判員裁判」制度だろう。

 最近では裁判員裁判でも重大な事件を裁くこともあり、極刑か無期懲役かの選択肢しかない場合もある。先般、国を相手取り、裁判員裁判に出た主婦が精神的被害を訴え告発したケースがあるが、被害者側の峻烈な怒りや悲しみを酌むことも出来ない精神状態ならば、始めから裁判員裁判に望む前に辞退すべきだろう。

 死刑判決は裁判員に大きな負担を強いるし、日本もそろそろ終身刑を導入すべきだとする流れもあるのも確かだが、死刑制度の廃止より裁判員裁判を廃止した方が好い。死刑廃止は今や世界の大勢で日本もそうすべきという意見を耳にする。

 いつも思うことだが、この「世界では」という理屈は実に胡散臭げなものが多い。死刑廃止の理由として「法により国が人を殺す事は罪悪で人道に反する」「死刑には期待する程犯罪防止効果は無い」「冤罪の場合に取り返しが付かない」「人間は善を行うべき道徳的本性を先天的に具有しているのだ」という性善説など様々。

「冤罪」というのは確かに有り得なくはないが、それは科学捜査の正確さが乏しい時代のものが殆どで、そういう疑いのある事件は再審対象にすれば好いだけのこと。

「人道に反する」とは、「人を裁けるのは神のみだ」というキリスト教的欧州思考に冒されているもので、そんなものに与する方が間違いだ。左翼人士や自称・人権派弁護士などにも、こうした主張をする人を見かけるが、日頃、反米を唱えながら、都合のいい部分はキリスト教でも利用しようというのはホント逞しい(笑)

 残虐な犯行をした者が、死刑廃止で国法により生命を保証されるというのも如何なものか。「生」に拘るより「死」を以て償うべきだ。抑抑、我が国の死刑制度は被害者遺族に代わり国が仇討ちする意味合いがある。仇討ちを合法化するなら兎も角、終身刑を導入したところで被害者の感情は薄れることは無い。「死刑は犯罪抑止効果は無い」との理由も、結局は終身刑も同じことだろう。

 裁判では反省の度合いも考慮されるが、要は、要領良く減刑目的に反省したフリをしているだけ。今迄、愚生も多くのワルを見ているが、多くの者は逮捕された事実こそ反省するが、犯した罪を反省している輩など何処にもいない。

 終身刑を導入しても必ずしも死刑の代替として犯罪抑止の成果が上がるとはとても思えない。被害者及び遺族の無念や怨念を考慮すれば我国では死刑を存続し、国が仇討ちを実行すべし!愚生は「死刑制度」は大賛成。刑事訴訟法に基づいて迅速に執行することを望む一人だ。

 刑事訴訟法では、死刑確定から六ヵ月以内の執行を定めており、何れも六ヶ月以内に検察庁が法務大臣に「死刑執行上申書」を提出し、規定通り押印し、法相の命令から5日以内に執行されなければならないと定められている。法務大臣の心情なんぞ関係なし。法務大臣の任を享けた者として、覚悟を以て大臣としての職務を遂行するべきで、それも出来ないのなら法務大臣は愚か政治家を辞めてしまえ。

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2014年11月20日

米中首脳会談で2030年までに数千万人の殺人を容認!

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 地元紙の天気図の隣りにはPM2.5の注意を促す予測が出ている。県内の放射線を異常に気にしてる人は多いが、このPM2.5には無頓着。今週末は県内でも「やや多い」という予測が出ているが、九州方面はどうなのだろう?

 先日行われたAPECで米中首脳会談が行われ様々な問題で合意した様だが、世界の二大元凶ともいえる米中の合意は実に胡散臭げなものばかり。

 過去を振り返るとアジアの動乱の原因はいつも時代も米国と共産主義だった。例えば、19世紀末から20世紀前半にかけ、アジアの動乱に米国人宣教師の果たした役割は大きく、日露戦争後の動乱全てにキリスト教徒と天道教徒が係っている。

 ハーグの国際会議後の動乱は、安重根に代表される様にキリスト教徒が主体で、明治43年(1910年)8月に発覚した「寺内総督暗殺未遂事件」で122人が逮捕され、その殆どがキリスト教徒である。

 米国に本部が在る朝鮮独立の為の秘密結社「新民会」が、「五賊」「七賊」、所謂「親日派」の大臣暗殺計画も然り。3.1独立運動や支那での5.4運動も然り。

 支那事変、大東亜戦争も、米国と共産主義の巧妙な活動が最大原因だったし、アジアの動乱の多くに米国人が係ったことは歴史が証明している。

 更に言えば、反日テロを繰り返し支那事変から大東亜戦争へ進んで行くのも、米国と共産主義の巧妙な活動が最大の原因だったというのは歴史的事実である。

 20世紀は正に、「自由と平等」の名の下にプロレタリア独裁を標榜する共産主義が猛威を振るい、今や、キリスト教徒の望んだ中国共産党が世界の脅威となっているではないか。これをしても、米中の二大元凶による政策合意は、アジアに更なる不幸を齎すものであると言っても過言ではない。

 例えば、「地球温暖化問題」での合意。これを以て中共が温暖化防止に取り組むとの容共派のマヌケな記事を目にしたが、中共がCO2の削減に取り組むのは16年後の2030年。それまで中共は自国の発展、利益追求の為に出したい放題ということを米国が容認したということでもある。

 まぁ、利潤追求の方法が既に共産主義の労働価値観に矛盾しているし、16年後にも共産主義が続いてるとも思えないが、こうした合意を米中の二国間だけで話し合い、「(米中が)合意したのだから、それまでは地球の温暖化なんぞ関係ない」というのは些か乱暴であり、怪しからん話しではないか。

 因みに、世界で排出されるCO2の25%は中共。米国は17%。中共ではこうした排出ガスの影響で年間200万人が亡くなっている。然も、益々排出量は増え続けるのは必至で、こうした問題点を看過し合意した米中首脳会議というのは何だったのか。

 米国のスリーマイル島、チェルノブイリ、東海村の事故が起き、原発の廃止や削減が相次いだが、2006年、米国が政策を転換し「国際原子力パートナーシップ(GNEP)」を策定し、原発推進を決定した。

 因みに、GNEPは、第一次安倍内閣で安倍がオバマに提案したものだった。その後、オバマがあまり積極的ではなかった様だが、方向性は間違ってはいない。原発見直しの大きな理由は地球温暖化対策であるのは言うまでもない。

 発電コストを考えても安価で済むし、使用済み燃料再利用技術が向上すれば更にコストは軽減される。東日本大震災で我が国は「脱原発」の流れになっているが、地球規模で、或いは将来を考えた場合、やはり日本製の安全性を高めた原発を推進し、輸出して行くことこそ必要なことだと思う。

 原子炉を供給出来るメーカーも世界で東芝、日立、三菱重工の3社が断トツのシェアを誇る。冷却水循環のパイプは、室蘭の日本製鉄所が完全独占している。また日本製鋼所は大型鍛鋼品の加工メーカでもあり、原子炉容器についても独占状態。こういう世界でも優秀な企業を保護して行くことは国益にも適うことでもある。

 因みに、今回の福島原発事故を受けて、この東芝、日立、三菱重工社員らが事故収束の為に懸命の努力をしているのは余り知られてはいないのは残念なことだ。 このまま中共がCO2やPM2.5を排出し続ければ、確実に数千万人が死ぬだろうし、人類そのものの存続までもが危うくなるだろう。

 米中の合意は地球温暖化問題というより、2030年までに数千万人が死ぬことに合意したということだ。チベットやウイグルでの虐殺も言語道断だが、自国民をも犠牲にし、世界に悪害を撒き散らすことを容認した、こんなふざけた合意が何処にある。

 まぁ米中の一部の特権階級の連中にとっては、それこそが狙いなのだろうが、我が国もそろそろ、米国依存から脱却し、真の独立を果さねばならない。 

 中共も米国同様、圧倒的な軍事力を背景に政治、経済、外交とあらゆる面で強圧的な対外政策を執って来た国である。日中関係なんぞ改善を急がなくても向こうから秋波を送って来るだろうし、中共なんぞにこちらから擦り寄る必要もない。

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2014年11月17日

米軍普天間飛行場辺野古移設反対の翁長雄志の当選は想定内!

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 画像は任期満了に伴う沖縄知事選挙で初当選を果たした翁長雄志。それにしても見事なズラだ。我が地元郡山市の代議士・根本匠よりスゴいな(笑)

 マスコミや保守派の一部には仲井眞の敗因は公明党の裏切りという主張が見られる。確かにこれを機に自公連立解消を検討すべきだろうが、今回の結果を、公明党の「自主投票」が最大要因とするのは如何なものだろう。

 出口調査に拠れば沖縄での公明党支持の割合は僅か8%ほどで、その内、翁長を支持したのは34%。一方で自民党支持は30%もありながら内23%が翁長に投票。

 つまりは、得票差の10万票は「支持政党なし」といわれる無党派層の票というより、自民党支持者に因るオウンゴールというのが正しい(笑)

 今や創価学会票頼みの選挙は通用しないという証左であり、自民党もいつまでも自公連立に拘る必要はない。自公連立が続く限り憲法の見直しすら出来ないということであり、況してや改憲議論無き「米軍基地移設論議」に意味は無い。

 安倍は「政策ごと一致する政党と連携する」というならば、国家観を異にする公明党との連立に固執する必要も譲歩する必要もなく、連立を解消し、同じ志を共有する政党、政治家と連携し「道義国家・日本」を創造するべきだろう。

 沖縄県民の米軍基地アレルギーは理解出来なくもない。だが、米軍が否なら自衛隊を増強すれば解決する話しなのだが、所詮、それも反対なのだ。

 米軍が沖縄から出て行ったとして本当に困るのは左翼やプロ市民、労働組合やマスコミに煽られて「反基地」活動を支援し小遣いを得てる住民(苦笑)

 沖縄という地域は日本国の安全保障上の重要な要であり、「国防」や「安全保障」という国家の大本を米国に委ねる歪なカタチを見直さない限り、こうした「反基地」を叫ぶ基地外(キチガイ)運動は暫くは消えることは無いだろう。

 地理的に日本と支那の中間に位置する沖縄は、日本から見れば同じ日本人だが、支那や沖縄から見れば寧ろ「支那と同族の関係」と認識してる人も見受けられる。

 沖縄の住民は、日本本土から南下した日本人とポリネシア系、台湾系、支那華南系である。明の時代に支那に入貢して琉球国・中山王として冊封を受け、奄美大島から先の宮古・八重山までの領域を支配する中央集権国家を築いた。

 琉球王国から日本への使者の派遣は室町時代になってから初めて行われ、江戸時代、徳川幕府の命令で島津藩が琉球に出兵し奄美大島を直轄化したが、琉球はその後に支那に誕生した清朝の冊封も受け、日清両属の立場を採った。

 2千円の図柄ともなっている「守礼の門」は、支那からの冊封使を迎えて行う琉球王の即位式の会場であるが、この2千円札の絵柄をしても沖縄(琉球王朝)が日本と支那との両属の歴史を辿ったことが理解出来よう。

 琉球は日本文化が拒絶した「宦官制度」を導入していた様に、支那の属国だったという一面を否定出来ない。また、日清戦争の際には日本派(開化党)と清国派(頑固党)が乱闘を演じ、日清戦争で日本が勝利した結果、清国派は支那に逃避した。

 要は、沖縄人にとっては沖縄で日本人だろうが支那人だろうが誰が君臨しても構わなかったらしい。「明」や「清」の変わり目に当たっては、支那に使した使節の如き「清帝」と「明帝」とに捧げる二通りの上表文を持参して行ったというから、強かと言えば強かだし、優柔不断と言えば優柔不断と嗤うしかない。

 沖縄人の左右入り乱れての騒乱は沖縄の伝統と言えなくもない。 現在の沖縄もそういう風潮に流された「頑固党」と見間違うばかりの連中が、「日本からの独立」と「中共への隷属」を本気で考えているのだとしたら赦し難い。

 左翼や沖縄メディアが沖縄県民を嗾(けしか)け、誑かし、それにまんまと引っかかり、日本国民としてではなく、あくまでも沖縄人だけの問題として捉えてしまっているのは、日本国民としての誇りを放棄していると誹られても仕方あるまい。

 日米安保条約を廃止に追い込み、最終的に米軍を撤退させることは大いに結構な話で異論はない。だが、物事には何事にも順序というのがあるだろうし、日本国民として県民感情より国益を優先するのは当然のことではないのか。

 先ずは如何にして米軍を撤退させるか、それにはやはり現憲法を見直し、国防の充実を図ることでしか根本的解決を見ないのは言うまでもない。

「沖縄は終わった」「どうしてこんな結果に」「何故だ!」という様なコメントを目にしたが、先の名護市長選の結果や東京都知事選を見れば予想出来たこと。

 まぁ、沖縄左翼らが席捲しようが、沖縄の保守派が沖縄の危機を喚こうが、どちらも平和ボケの延長の様なもので、何れにせよ何も変わらんよ(笑)

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2014年11月14日

日本語文化を世界に普及し日本の「和の心」を伝えることこそ必要!

 FBを読んでたら「皇室に『御』を付けるのは不敬!」というのがあり、まさかそんなバカことはあるまいと調べてみたら、やはり不敬に当るらしい。これには流石に驚いた。右翼人を自任する者として己の無学さに恥入るばかり。

 敬語の中でも皇室用語は特に難しい。戦後教育の悪影響で敬語そのものを知らない中で、皇室用語となると教わる機会もないし、尚更、理解不能になる。「御」という字は原則として「二重敬語」となるので敬語には使わないという。皇室用語で「御」の字が不要な語は「皇」の字が付く語(皇室、皇族、皇居、皇太子など)。

 その他には、「天」(天覽・天機など)、「聖」(聖慮・聖旨・聖徳など)、「叡」(叡覽・叡慮など)、「勅」(勅語・勅命・勅旨・勅使など)、「詔」(詔勅・詔書・大詔・優詔など)、「宸」(宸翰・宸慮・宸襟など)、「鳳」(鳳輦・鳳駕など)、「玉」(玉體・玉座・玉歩など)、「幸(みゆき)」(行幸・巡幸など)、「啓」(行啓・還啓など)、「下」(出御・入御など)、「賜」(賜餐・賜謁・下賜・賜物など)。更には、「優諚」「令旨」「鹵簿」「台臨」「行在所」「納采」「臣籍降下」「臣籍降嫁」「祭粢料」「觀櫻會」「朝見」「謁見」「拜謁」など、更には皇族方にも「御」の字は不要。

 皇室尊崇の思いが強過ぎて、知らぬ間に「御」を付けてしまっている人が多いのだろうが、「御皇室」は敬語の用法の誤り(二重敬語)であり、見方を変えれば、「皇室」を「御皇室」と言い換えることは「皇室」を尊敬の対象としていないと認識しているということにもなり兼ねないので注意が必要。愚生も「御巡幸」や「御行幸」、「御宸翰」や「御聖徳」「御詔勅」なんていう言葉も何気に使ってしまっているが、右翼人を自任する者として細心注意しなくてはならないと猛省した次第。

「行幸」は昔は「御幸」とも言っていたというし、一概に「御」が間違いということではないとも思うが、皇室に関することはきちんと教え、学び、使用した方が好ましいとは思う。尤も漢字というのは、時代で変化してるのもあるし、本来は間違いとされてきた表現でも、そのまま新しい表現として定着することも珍しくない。だが、そうした間違った敬語が「反天皇制運動」のものであるとしたら根深い問題でもある。

 皇室への敬語が使われなくなって久しいが、これはマスコミによる「敬称・敬語不使用」の影響は大きく、その悪害は国内に蔓延し、天皇陛下や皇室に対する敬愛の念を薄れさせ、また「開かれた皇室論」の弊害は目に余るものがある。

 戦前の様に「畏れ多くも畏くも」と言わないまでも、きちんとした敬語を表記し、節度ある敬意を表するべきだし、我々も再認識する必要があろう。

「国際化社会での人材育成」という名の下で、英語教育を重視するというが、日本語の正しい使い方や、我が国の歴史や国柄こそ徹底して教えるべきで、日本人が美しい日本語も知らず、正しい日本語も使えず、況してや我が国の国體も国柄も知らずして、グローバル化だの、国際化などとは実に烏滸がましい。

 英語という田舎言葉が世界語になったのは、武力で世界を支配し、富を独占したからに他ならない。だが、世界では今、1000万人以上の人が日本語を学び始めているという。英語も結構なことだが、日本人として日本語文化を世界に普及し、日本の「和の心」を伝えることこそ必要なことではないのか。

 明治の先覚者は、外来語を全て新漢字に翻訳し、西洋文化を学んだ。現代人の様に外来語をそのまま羅列し、軽薄な舶来趣味と比べれば、明治人の気骨と気概、高い見識を伺い知ることが出来る。これはつまり、日本人として日本語に自信を持ち、何事も日本語で主張し、日本文化を重んじ貫いたからこそ発展が得られたのだ。

 嘗て我が国は教育立国として明期の試練と昭和の国難を乗り越えた。極貧の中から多くの偉人が輩出したのは立派な教育の故である。

 しかし、現在はどうだろう。国民の勤勉性、家族愛、愛国心、信義誠実の原則は失われ、心の中の高貴なものを失い、高邁さを忘れてしまった。高邁な魂を喪失した日本人に最も必要なのは日本の心を取り戻す教育なのだ。

「教育再生」を謳うならば英語よりも、小学校時代に乱れた日本語を正すことこそ大事。そうすることで真の国際人が育つものだと信じている。

 嘗て、岡倉天心は著書「日本の覚醒」の中で、我が国の歴史・伝統・文化を喪失し、西洋文明に浮かれる軽佻浮薄な洋学紳士を「ああ西洋開花は、利欲の花なり。利欲の開花は、道徳の心を損じ人身をして唯一個の射利器械たらしむ。貧者は益々貧しく、富者は益々富み、一般の幸福を増加さする能はざるなり」と、痛烈に批判した。

 明治ナショナリズムの中で天心の国際情勢分析は、的確にアジア情勢を把握していた。天心は、日本の伝統文化に目を向け、日本文化を鼓吹した紛れもないナショナリストだった。奔放に生き、世界を放浪し、大勢の知己友人を持つインターナショナリストでもあったのだ。

「国際化」は米国に擦り寄ることではない。それぞれの国の歴史・伝統・文化を重んじ、交流することである。真の国際人を創る意味でも、小学校では「神話」を教え、我が国の生い立ちや日本語の美しさと日本人の心の豊かさを学ばせ、成長に従って我が国の誇るべき歴史や近代史を教えるべきだろう。

 そうした教育も施さずに何が英語教育か。何が国際化社会への人材育成か。更なる追米・従米政策、更なる米国の属国化ではないか。こんなことをしていたら次には支那語やハングルも習えとなるかもよ。呵呵

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2014年11月13日

自民党、「海の日」を従来の7月20日に戻す「祝日法改正案」提出を断念!

 12日付の地元紙(福島民報新聞)に、自民党が「海の日」を、従来の7月20日に変更する祝日法改正案の今国会提出を断念したという記事が載っていた。

 断念にした理由は、「三連休が減ることで観光産業への打撃を懸念する党内の慎重派に配慮した」からだという。何たることか。これが保守政党なのか。何が「観光産業への打撃」か。「祝日」は単なる「休日」ではない。分かるか、自民党よ!

「ハッピーマンデー」なる愚策は、左翼陣営が国體破壊を目的として施行されたものだが、これに自民党が同調して来たのは実に御粗末と言う他はない。国體破壊を目指す左翼陣営の最終目的は、我が国の重要な祝日である「新嘗祭(勤労感謝の日)」と「紀元節(建国記念日)」をハッピーマンデーにすることが狙いなのは明らか。

「三連休が減ることで観光産業への打撃を懸念する党内の慎重派に配慮して」というなら、建国記念日も、勤労感謝の日も、ハッピーマンデーにするつもりか。諸外国に比べ、我が国の祝祭日ほど「国柄」の分かる素晴らしい伝統、文化はない。だが、多くの日本人が、祝日をただの休みとしか考えていないのはさもしく情けない。

 戊辰の役(戦争)で「朝敵」「逆賊」に仕立てられた会津藩は、不毛の領地「斗南藩」に移されることで終結する。開拓は艱難辛苦を極めたが、その開拓がその後の津軽、青森の発展に寄与したことは言うまでもない。  

 会津藩に限らず戊辰戦争で幕府に恩義を感じ、抗戦し、敗れた多くの東日本の雄藩は、新政府に参政することなく辛苦の日々を送っていた。

「賊軍」の汚名を着せられた多くの人々は、新政府に対して言いたいことは山ほどあっただろう。だが彼らは臥薪嘗胆、耐えることで國全体が保たれるのならばと己の悲運を甘受し、その抗し難い天命を潔しとした。

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 そんな中、明治9年6月2日、明治天皇は、灯台巡視船であり御召し船である「明治丸」で、東北・北海道へ約50日間に及ぶ巡幸に臨まれた。そして、横浜に帰港遊ばされた日が7月20日であり、これが「海の日」の謂れである。

 この「海の日」の謂れを国民に教えることは、観光産業への打撃という尤もらしい言い分より大事なことではないのか。この日以外の「海の日」に何の意味が在るというのか。案の定、反対してるのは中共の御先棒を担ぐ二階俊博ら。

 何を況んや。 衛藤征士郎ら推進派は、再改正の理由を「国民が海の恩恵に感謝する日」としているが、その理由は如何にも薄弱過ぎる。

 東北・北海道への巡幸の目的は、戊辰戦争に敗れて以降、艱難辛苦の日々を送っていた人々を明治天皇が慰撫し、激励する為に他ならない。福島からは馬車で、仙台、岩手、青森と北上、次いで明治丸で津軽海峡を渡り、函館を経て三陸沖を海路戻るというコースを辿っている。この間、東北の人々は御巡幸の先々で奉迎した。

 明治天皇も各地で開墾や産業の振興に尽くした功労者を労らわれている。愚生の住む郡山(安積)では、荒野を拓いて出来たばかりの桑野村まで分け入り、開拓者の苦労話に耳を傾けられ、金五万円を下賜された。

 弘前に在る「東奥義塾」では外国人教師による英語教育が行われていて、生徒10名が英語を披露。天皇はその進取の気象に感心され、ウェブスター辞書を買う代金にと一人につき金五円を与えられた。

 また或る地方では、小学生が献上してくれた蛍一籠を嘉納され、岩手では太布半纏(ふとのばんてん)と呼ばれる農民の仕事着をお買い上げ遊ばされている。

 どの逸話も明治天皇の慈愛に満ちたもので、天皇と国民は正に君民一体。東北の人々との間に親しく絆を結ぼうと努める明治天皇の面影が偲ばれる。

 この巡幸を以て、逆賊も朝敵もなく一切の蟠りも無くなったのだ。「海の日」は、我が国が君民一体の国柄であることを自覚する祝日でもある。

 東日本大震災と原発事故に疲弊する我々東北人にとって「海の日」は、被災地に思いを寄せる今上陛下の大御心と通じる感慨深い日でもあるのだ。

 「海の日」は、7月20日に戻すべし!そして「ハッピーマンデー」は国體破壊を目論む愚策であり、百害あって一利なし!

 GHQが我が国の歴史・伝統・文化を否定することから始まった現在の「祝日法」の改正を急ぐと共に、祝日の意味と意義を教えて行かねばならない。

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2014年11月12日

「使われ上手は使い上手になる」豊臣秀吉の処世術に学ぶ

 支那への憧れ、或いはコンプレックスから「四書五経(ししょごきょう)」を好む日本人は少なくない。「四書」は、「大学」「中庸」「論語」「孟子」の4つの儒教の経書。「五経」とは、「詩経」「書経」「礼経」「楽経」「易経」「春秋経」の六経から「楽経」を除いたもの。全て孔子以前からの書物である。

 まぁ孔孟にしろ読むのはいいが、単なる「支那かぶれ」になるだけ。それよりも、我が国の過去の英雄に学ぶ方が現実的で、また為になる。

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 秀吉に学ぶことは多いが、感心することは人に仕える上手さ。秀吉というのは藤吉郎の時代から羽柴秀吉となってからも永い間、気難しい信長に仕えて来た。

 人というのは、その立場立場で、人を使う立場になったり、人に使われる立場になったりする。人を使うことは難しいが、使われ方もまた難しい。

 秀吉に感心するのは、見事な使われ方だと思う。その心配りが、自分が人を使う立場になった時に如何なく発揮される。秀吉の人使いは実に見事で、つまりは「使われ上手は、使い上手になれる」という典型的な人物であろう。

 信長が上杉謙信と戦う為に加賀に出陣した秀吉は、柴田勝家の指揮下に入り参陣していた。ところが柴田勝家と作戦計画で意見が合わないとみるや、信長の承諾もなしに先陣を離れ長浜の居城に帰還してしまう。信長は激怒し秀吉に謹慎を命じる。

 秀吉は謹慎どころか、毎晩、家来どもを集めては酒宴を開いてのドンチャン騒ぎ。家臣らは信長に知られたら大変だと秀吉を諌める。だが、秀吉は一向に聞き入れようとはしない。秀吉にしてみれば信長の耳に入った方が好都合だと考えていた。

 酒宴を開いて騒いでいた方が「サルらしい」「どうしようもない野郎」で済むが、なまじ謹慎などして大人しくしている様だと、「謀反を企てているのでは」と邪推され、却って信長の勘気をそそることになると考えたのだ。

 果たせるかな信長は、それから二ヶ月後、上杉との戦いを終え、中国地方征伐の総大将として秀吉を起用した。秀吉の思う通りになったのだ。

「中国征伐に成功したら次には九州を。九州を抑えた場合一年間は私に治めさせてくだされ。その間、軍備を整え朝鮮を征伐します。最早日本国内は全て上様のものです。朝鮮征伐後は朝鮮を私に、更に上様の為に明国まで足を伸ばしたいと思います」

 疑い深い信長に、自分は領土的野心など毛頭なく、寧ろ上様はアジアを支配する大きな御方だという「ゴマすり」まで入れている。そして中国地方の征伐も、最後のところは信長に出馬を懇願し、勝利を信長に譲っている。心憎いほどの気配りだろう。

 これだけの心遣いをされて訝る上司はいない。そしてこうした者を引き立てない訳にも行かなくなるというものだ。下積み経験の無い者は、こうした気遣いの出来ない者が多く、下積み時代には下積みなりに、人に使われるという修業を積むことは大事。使われ上手は、使い上手になれるものです。

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2014年11月11日

「外交というのは根回しが大事」、伊達政宗の処世術に学ぶ

「運命」とは生命を運ぶと書く。この世に生まれたという宿命を、懸命の努力によって、好い方向へ運ぶことの出来るものが運命でもある。

 信長、秀吉、家康の様に天下統一を果した者もいれば、この三名以上の器量や見識、才智に長けながらも地方の武将に甘んじた者も少なくない。

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 中でも伊達政宗はそういう悲運の武将でもあろう。唯、惜しむらくは天の時、地の利を得なかった。何より生まれたのが遅過ぎた。愚生にとっても縁の強い政宗は、信長、秀吉、家康に匹敵する武将だと思っている。

 梵天丸と称した少年時代、隻眼で醜怪な顔立ちが嫌われて、弟の竺丸を偏愛した産みの母に危うく毒殺されそうな一幕もあった。

 十一歳で元服し「政宗」を名乗り、十三歳で三春から愛姫を娶る。十九歳の時には二本松の畠山に裏切られ、父・輝宗が宮森城から拉致されるも高田橋で輝宗もろとも畠山を撃殺した。この時、政宗が住んでた城が愚生の故郷の「小浜城」。輝宗が居城していたのが小浜城より2キロほど下った「宮森城」である。

 因みに、宮森一族はその後、会津に遁走。現在の「花春」や「栄川」「宮泉」の会津名酒の社長らの「宮森」姓はこの宮森城を謂れとしている。

 畠山を成敗し、二十歳の時には葦名ら会津四軍を攻め落とし、黒川城、現在の鶴ヶ城に入城。この時、秀吉は小田原城を攻めてる最中で、全国平定が成し遂げられつつあった。秀吉と政宗の違いというのは、「天運」というのが無かっただけ。

 若し、政宗が東北の片田舎でなかったら天下統一も夢ではなかっただろう。持って生まれた運というのは致し方ないもの。これは「運命」というより「宿命」である。だが、ものは考え様で、地の利が悪かったからこそ滅ぼされずに済んだとも言えよう。政宗に学ぶことは多い。中でも豪胆な外交力は刮目に値する。

 政宗は秀吉の度々の上洛の督促にも中々腰を上げ様とはしなかった。小田原参陣の最後通牒を受けても正月を悠々と会津で過ごした。

 政宗は数年前から秀吉を取り巻く煩型の家康、利家、秀次、浅野長政、千利休などの実力者と親交を結び、かなりの付け届けを怠らなかった。これは秀吉の動向を探る為のもので、外交力の高さが窺える。

 小田原で秀吉に謁見する際には、髻(もとどり)を水引で結び、甲冑を被り、素衣を着て、凶服の装束で出掛けた。流石の秀吉もこれには唖然。

 諸国大名居並ぶ中で命拾いの御礼言上。そして献上品として大量の砂金を差し出す。その砂金が零れると、政宗は事も無げに懐紙で拭いてしまった。こうした政宗の豪気と肝の据わり方は他の大名でも真似出来ない天性のものであろう。

 この時、政宗、弱冠二十一歳。関ヶ原の戦いも終わり、天下の大勢が家康に決すと察すると、国内統一は諦め、外国との貿易を夢見て支倉六右衛門ら伊達政宗遣欧使節団十名を独力で派遣する。こんな気宇壮大な武将が他にはいない。

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2014年11月10日

「時代を見抜け、人を見抜け」、斎藤道三の処世術に学ぶ

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 画像は斎藤道三。「まむしの道三」という名の通り、悪名高い戦国武将である。愚生も、こうした削げ者というか変わり者は好きだ。道三は郷士の家に生まれるも、郷士では出世は出来ないと十一歳の時に僧門に入る。貧乏人の子は坊主になるのが出世の早道だった。法蓮坊という学僧となり将来を期待される。

 しかし、仏門の世界と雖も家柄とか財産が物言うことを悟る。それに女も抱けない。魚も食えない。嫌気が差して環俗して油屋庄九郎になった。油商人となり、一文銭の孔から油を注ぐ方法で金儲けに成功するも、士農工商の時代、商人にも満足せず、足を洗って武士になろうと決心する。

 三間半の長槍の使い方を編み出し槍の使い手となり、諸国にその名が知られることとなる。そして土岐頼芸に仕官し、その多才ぶりを発揮する。家老となった道三は事実上美濃一国を掌握する。そして主人頼芸をも殺し終には大守となった。

 歴史では「主人殺し」と非難され、「まむしの道三」と毛嫌いもされるが、戦国時代にはよくあること、頼芸がボンクラだっただけだろう。悪名高い道三だがその才能は非凡。太守になって城下町を岐阜に造ったが、当これも当時の我が国では初めての試みだった。道三の娘・帰蝶(濃姫)を信長と政略結婚させる。だが、周りでは信長を「あの戯(たわ)け殿」と嘲笑っていたが、道三は違った。

「残念だが、今にあの戯け殿の門前にワシが子供らは馬を繋ぐことになろう」と喝破した。この見識ぶり、時代を見抜く目、人を見る目の立派さ、道三から学ぶものは多い。悪口を言うのは容易いことだが、人を見た目で判断したり、時代を目先で見てはダメだということだ。

 悪口というのは嫉妬から出ているものが多く、見方を変えれば実力を認めてるという裏返し。そういう意味では褒められるより貶されてることの方が好都合でもある。

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2014年11月09日

いづれの道にもわかれをかなしまず(宮本武蔵)

 先日、義母の葬儀は曹洞宗で執り行われた。坊主の懇ろな経に聞き入るも、納棺の儀やその他の取り決め事が多過ぎて、遺族ならずとも疲労困憊。

 今はどの家庭も手狭になり、便利さもあって葬祭場を利用する家庭が多くなった。葬祭場の従業員は、連日繰り返される葬儀に慣れっこになり過ぎて、過剰な演出が目立つ。こうしたイベント的葬式に辟易している参列者も少なくない。

 参列者は、しめやかに故人を見送ろうとしているのであって、過剰に演出された葬式は故人を冒涜している様にも感じる。

 そうした中でも、葬儀の最後に読まれた孫の弔辞は実に良かった。身内や参列者の涙を誘っていたが、普段、涙を見せることのない愚妻も、チラ見すると目を真っ赤にしていた様だが、悪いので見ないふりをした。

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 宮本武蔵が、死の直前、弟子らに遺した「独行道」という二十一条の条文を知ってるだろうか。

 一、世々の道をそむく事なし
 一、身にたのしみをたくまず
 一、よろづに依枯の心なし
 一、身をあさく思、世をふかく思ふ
 一、一生の間欲心思はず
 一、我事におゐて後悔をせず
 一、善悪に他をねたむ心なし
 一、いづれの道にもわかれをかなしまず
 一、自他共にうらみかこつ心なし
 一、恋慕の道思ひよるこゝろなし
 一、物毎に数奇このむ事なし
 一、私宅におゐてのぞむ心なし
 一、身ひとつに美食をこのまず
 一、末々代物なる古き道具所持せず
 一、わが身にいたり物いみする事なし
 一、兵具は格別、余の道具たしなまず
 一、道におゐては、死をいとはず思ふ
 一、老身に財宝所領もちゆる心なし
 一、仏神は貴し、仏神をたのまず
 一、身を捨ても名利はすてず
 一、常に兵法の道をはなれず

 この中一つに、「いづれの道にもわかれをかなしまず」というのが記されてある。では、宮本武蔵という人物は血も涙も無い冷血漢だったのだろうか。

 酒を嫌いな人が「我、酒を絶つ」、或いはタバコを吸わない者が「タバコを絶つ」などとは書かない。飲みたいが、或いは、吸いたいが、これを止めようと自分に誓願した者だけが「絶つ」と言ってこそ、人に訴えるものがあるのではないか。

 そう思う時、武蔵は寧ろ、人一倍感情豊かで、熱血漢であり、別離に人並み以上の涙を流しながら、涙を見せまいと努力した人間に違いない。

 また武蔵の兵法書である「五輪書」には、「山水三千世界を万里一空に入れ、満天地とも攬(と)る」という一節が記されている。「万里一空」とは「世界はどこまでいっても空は一つ」「全てのものは一つの世界に留まっている」という考え方で、武蔵が修業の中で確立された思想の根本でもある。

「動揺せず、常に冷静な気持ちで事に当たる」「一つの目標に向かって精進する」などの意味として解釈されるが、これが実に難しい。何か事が起これば冷静さなど忘れ右往左往。愚生も右翼浪人を気取り、時局に一喜一憂し、私感を尤もらしく披歴しているが、目先のことを語ることや、喧々諤々の議論に何の意味もない。

 天地自然や人間の大道を心得え、時の動きに従いつつも正義を踏み外さず、危機に際しても平時と同様に対処出来る心構えを涵養することこそ大事。男の修業とは斯く在りたいものだ。

cordial8317 at 05:18|PermalinkComments(0)