2014年09月

2014年09月30日

安倍首相が「地方創生で経済成長」を訴えるが・・・

 畏くも天皇陛下御臨席の下、第八十七臨時国会が召集され、安倍首相が所信表明演説を行った。震災復興の加速を重視し、「災害に強い国創り」を目指すとして、災害対策基本法を改正し、国土強靭化政策を進める決意を表明した。

 国土強靭化対策には全くの異論はない。だが、防災も国防も一線上に在るという認識の下で実行すべきであり、そこにはやはり憲法論議は避けては通れないのだが憲法には一切触れず終い。国土強靭化対策は単なる画餅ということか。

 今回の安倍政権の政策の目玉は、「地方創生で経済成長」「女性の活躍」という構想だろう。その中で安倍は、「外国人観光客は半年間で600万人を超え、過去最高のペースだ」と自慢げに語り、観光立国の下で更なるビザの緩和を確約した。

 第一次安倍政権では、「クールジャパン」の目玉として「観光立国」を標榜し、外国人旅行者向けのビザ発給条件を民主党政権下で行った以上の緩和をした。

 安倍首相は、シナ人の訪日ビザの発給要件を更に緩和し、「半年で600万人」などと自慢しているが、これが安倍が実行する経済成長ならば全く以て厭きれるばかり。俄成り金のシナ人マネーを取り込み、それを経済の浮揚に繋げるというが、つまりは中共政府の謀る日本侵略を忠実に遂行していると言っても過言ではない。

 民主党政権下で推進された「観光立国」というマヌケ極まる策謀が、安倍政権下で更に強化・推進されて行くのだから開いた口が塞がらない。抑抑、民主党政権下で推進された「東アジア大交流時代」という妄想や、「観光立国」などという愚策は、我が国社会の安全を無視した無責任極まりないものでしかなかった。

 その愚策を保守を標榜する安倍が受け継ぎ、更に推進強化するとは何事か。訪日する観光客の経済効果はGDP換算でたった1%にも満たない。外国人の落とす幾許かのカネを期待して、それによって経済の浮揚に繋げるというのは笑止千万。

 嘗ては「世界一安全」といわれた日本が、外国人の急増、それも不良シナ人の増加に因ってその安全が脅かされていることは幾ら不精な人でも気付いているだろう。生命の保証、財産の安全こそ国民の願望であり、これに優る国益はない。

 日本が住み易いと知った不良外国人が殖え続けた結果、外国人への生活保護費は激増し、今やその世帯数は殖える一方。その不良外国人への優遇制度が財政への負担を大きくしている。「観光立国」というのは本来、発展途上国の政策であり、経済大国の我が国が目指すものは観光立国ではなく、「技術立国」を目指すべきである。

 原発事故を受けて、この収束技術の研究や、原発に代わる新エネルギーの研究や開発こそ急ぎ、近隣アジアの国々の原発が万が一事故が起きた場合には、我が国の技術や研究が貢献出来るよう知恵を出し合って行くことこそ務めである。

「地方創生」という言葉は聞こえは好いが、「地方が直面する構造的な課題は深刻であり、将来に夢や希望を抱く若者こそ危機に歯止めをかける鍵だ」とは具体的にどうしようというのだ。安倍は先の総選挙で、「国に誇りの持てる教育を施す」と訴え、それを国民は信じ、自民党に一票を投じた。愚生もその一人でもある。

 だが、誇りの持てる教育どころか、経済至上主義ばかりで、「教育」も或いは「国防」も語ることはなかった。そしてまたしても「将来に夢や希望を抱く若者」などと耳障りの好い言葉で国民を誑かす。「まち、ひと、しごと創生本部」を創設し事に当るというが、この「まち、ひと、しごと」というひらがなを見れば、それが左翼の策謀の最たる男女共同参画社会の延長のものであるのは想像するに余りある。

 また、「女性の活躍」というフレーズにも胡散臭さを感じてしまうのはチョッと穿ち過ぎか。「美しい日本を支えるのは中山間地や離島を始め地方の皆さんだ。古里を消滅させてはならない」と、創業から10年未満の企業を支援するという。

 これはつまり、地方の企業にも外国人労働者が押し寄せて来るということでもあり、地方創生もまた外国人労働者の人員確保の為の謀である。「1000万人移民計画」は経団連ら財界の策謀である。正に財界に「社稷を想う心なし」そのものだ。

 そうした財界どもに与する自民党は保守政党に非ず。「国籍法」を改悪し、「外国人登録法」を廃止したのは麻生政権。また韓国人の日本へのビザなし渡航を推進したのは小泉政権下であり、その官房長官を務めていたのは安倍晋三だった。

 安倍は、昨年6月、ロンドンでの講演で、「日本をどこまでもオープンにし、世界から、ヒト、モノ、カネを呼び込む」と明言し、9月のニューヨークでの講演では、「国籍や国境にこだわる時代は終わった」と宣言した。鳩山由紀夫や民主党が叫んでた「グローバル社会の実現」と変わらない。否、それよりも酷い。

 また、2月の衆議院予算委員会では、移民受け入れ問題に対し、「我が国の将来のカタチや国民生活全体に関する問題として、国民的議論を経た上で多様な角度から検討して行く必要がある」との認識を示しているが、実質的な受入れ表明である。

 何故なら安倍政権では、外国人の単純労働者の受け入れや、年間20万人の移民の受け入れを検討し始めているのだ。「年間20万人」という数字は、「50年間で1000万人」という、いつぞやの「1000万人移民計画」の数字と見事に合致する。

 安倍政権が積極的に押し進める愚策によって人の移動も自由化される訳で、「1000万人移民計画」は国民的議論などされることなく、そのカタチを変え、なし崩し的に実現されようとしているのだ。移民は、経済問題以外にも、文化、宗教、言語、教育の問題、更には治安の問題など様々な社会問題を惹起する危険を孕む。

 我が国は、世界の中で最も優れた精神文化と独自の価値を有する国家である。その国柄がビザの緩和や外国人労働者の受け入れなどに拠って破壊されて行くことは火を見るより明らかである。安倍よ、国柄を破壊しながら、何が「保守」か。

 安倍というのは単なる自由主義者であり、断じて保守政治家ではない。TPPにしろ、移民計画にしろ、「経済戦略」とは名ばかりで、頭の中は単なるカネ儲けしかなく、鯔のつまり、カネの亡者である経済界の走狗、使い走りではないか。

「保守」とは、我々日本人が未来永劫護り抜かねばならぬ民族、宗教、言語、歴史、価値観、習慣、制度の世界の中で最も優れた精神文化を護り、継承して行くものでなくてはならないのだ。真の保守政治家なら、死守するべきは皇統である。

 天皇国日本が、異民族のシナ人や朝鮮人、その他の外国人を国内に抱え込むことに拠って我が国が多民族国家に変化し、その外国人の血に因り日本民族の血が薄められ、その結果として祖国日本の国柄が崩壊する様なことがあってはならない。

 こうした国家の根幹に係わる問題を、キチンと突き詰めた議論もせずに、安っぽいムードだけでやれ「親善」だとか、やれ「グローバル時代の到来」だとか、或いは「世界ではこうだ」とか、実に曖昧な次元で語られるこに危機感が募る。

「人口が減れば労働力が減り国力も低下する」などとは営利主義の経団連を始めとした経済団体の口実に過ぎず、喩え1億人を切ろうが、7000万人ほどになり、経済が停滞しようが、多民族を殖やして国柄が破壊されるより結構なことではないか。

 世界で美的感受性や道徳の圧倒的高さを有する国家は我が国を措いて他はない。世界中が嘘八百並べても日本だけは絶対にしない。喩え経済成長が鈍ろうとも絶対に世界の真似をしない、そういう自信や誇りというものを失ってはならないのだ。つまりは孤高の日本で好いし、労働力不足を口実に屋上屋を架す様なことはするべきではない。そういう考えれば、攘夷や鎖国ということも選択肢の一つでもある。

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2014年09月29日

そうか、我が国を貶め続けた土井たか子が死んだか・・・

「駄目なものは駄目!」と、歯切れの良い演説で愚かな大衆を惹きつけた日本社会党の土井たか子、「反自民」のシンボルとして担ぎ出され、所謂「マドンナ旋風」が吹き荒れた第十五参院選では社会党が躍進し、その結果、与野党の勢力が逆転した。これを機に日本の政治は益々衆愚政治に陥いることとなった。

 政治家は大衆に媚び諂い、「国民の目線に立った政治を行う」などと平然と公言する様になったのはその現れであろう。「国民目線」とは国民の平均値のことを指すのだろうが、平均値で国の政を行うことは余りにも危険であり、民主主義の本質は国民目線に立つことではないし、平均的な国民を創ることではない。

 また、「国民の目線」とは、ワイドショーに煽られた平均的意見であり、マスコミは国民の安直な正義感に迎合し、自分達の主張こそが「正義であり、民主主義である」との主張を居丈高に振り翳し、国民を煽動し続ける。

 だが、政治が国民目線に立った時には、必ず国は滅ぶというのは世の常、歴史的な事実でもある。何故なら、国民の判断力は古今東西常に低く、その正論と思っている意見も時代に流され、大衆に流され、実に幼稚で気紛れなものだからだ。

「マドンナ旋風」にしろ、民主党の政権交代にしろ、その後に圧倒的支持を得た民主党が失脚したのも、自民党の政権奪回にしても、その全てが多くの国民の安っぽい風潮から支持されただけで、言い換えれば民衆のひと時の気紛れでしかない。

 我が国の首相がコロコロ代わってきたのも、こうした衆愚政治の象徴でもあり、その元凶は国民大衆を煽る低能マスコミの影響であるのは言うまでもない。

 政党支持率も、マスコミの気紛れな報道で左右されてしまう訳で、逆にマスコミに媚びれば人気も出る。これは、我が国の政治がマスコミに煽られた国民の顔色一つで決まるという大衆迎合主義に陥ったという証左であり、危険な兆候である。

 マスコミの報道するものが見せたいものであり、つまりは誘導したいもの。報道しないものが国民に知らせたくないものなのだ。現在のニュース報道やワイドショーを見ても、騒ぎ立てれば立てるほど、本来報道しなければならない問題から目を背け、大衆を誘導しているのではなかろうか。マスコミや左翼勢力らは「知る権利」を叫ぶが、「国民の知る権利」を侵しているのはマスコミ自身の様な気がしてならない。

 巨大な洗脳装置、誘導装置がマスコミであり、マスコミの垂れ流す報道を疑いもせずににどっぷり浸かっている人達こそが愚民政策の体現者なのである。マスコミが頼りにならない時代に於いては、何事も自分の目と頭で考えることが大事である。 

 売国マスコミは、外交にしろ何にしろ、問題が起これば、その萌芽は「日本に在る」と貶し、それをマスコミ御用達の言論人が煽り、それらを疑いもせずに尻馬に乗っかって大騒ぎする大衆のこうした構図をどうにかせなばならない。

 我が国のマスコミというのはオチョクリに乗っかって何でも腐すが、そういう冷笑的な態度を執ることが真のジャーナリズムだと錯覚している。こうした「低能ジャーナリズム」を糺すことが、政治を建直すことに繋がる近道でもあろう。

 我が国の政治が未だに「三流」と言われるのは、大衆に媚びる政治を改めないことが問題であり、政治とは、国家観を重んじながら、国民目線とかけ離れた歴史観や人間観、世界観、時には高度な権謀術数を必要とするものであるのだ。

 土井たか子がその昔、何かのインタビューで「幼い正義感から社会主義者としての道を選んだ」と語ったことを思い出す。この言葉を甚く感じ入ったのは随分前のことだ。永田洋子や坂口弘ら左翼活動家にしろ、同じ思いだったのではなかろうか。

 愚生も激しく同意する。何故ならそういう愚生も同じく「幼い正義感」から右翼の道を歩み、そうした疑問を打ち消しながら邁進し続けて来たことも事実だからだ。

 愚生も、アングロサクソンとして生まれていれば敬虔なカトリック教徒として国に忠誠を誓っただろうし、イスラエルに生まれていればユダヤ教徒になっていただろう。イスラムならウサマ・ビンラディンと共に行動していたかも知れない。

 つまり、宗教や思想信条というものは、結局、何時の時代に何処で生まれたかの問題でもあると思う。山川草木、存在する全てのものに八百万の神が宿っている日本という国に生を享け、日本を愛し、日本の歴史や伝統、文化を護りたいと思うのは日本人なら当然だろうが、土井らに欠落してたものはそうした大和心である。

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2014年09月24日

米国は「正義」を振り翳すがそこに正義はない!

 米国は超大国と言われているが、その実は臆病な図体のデカい国に過ぎない。米国がシリアを空爆した。イラク攻撃の際の様な米国単独ではなく、批判を避ける為に有志国5ヶ国と共同での攻撃を実行した。第二次世界大戦で、英国の助力と指導を必要とした様に、又しても他国を巻き込み、我が国を始め世界に助力を要請している。

 オバマは「米国単独の戦いではない」と詭弁を弄し、「正義」を振り翳すが、そこに「正義」はない。「イスラム国」も同じで「聖戦」などと大義を掲げるが、一般人を犠牲にする無差別テロに神聖な目的も神を語る資格も無い。八百万の神を信じ、仏を尊ぶ日本人には理解し難いものだが、一神教を信じる国々の不幸はここに在る。

 米国はテロの恐怖に曝されているというが、「世界の警察」を気取り、自分勝手な正義を押付け、我が物顔で世界を伸し歩く傲慢不遜な態度を改めない限りテロは治まらないだろう。今や米国の自己中心的不正非道に苦しむ非西洋諸国の多くが米国を唯一最大の外敵、脅威と考えている。米国自身が「無法者の超大国」だと気付くこともなくテロ根絶の名の下に更なる弾圧が続けば、悪の連鎖は止むことはない。

 テロの根絶を願うなら圧政に呻吟する民族の解放と独立させる以外になく、それはつまり政治体制の崩壊を意味する。米国も然ることながら、中共、ロシア、北朝鮮、中近東然り、それはゲリラやテロリストの根絶以上に不可能なものだ。

 テロリズムの根幹は「一人を殺すことによって多くの人を生かす」という「一殺多生」に在る。だが、米国の振り翳す正義もイスラム国の聖戦もそうした大義はなく暴力そのもの。これら米国の横暴に対し、岸田外相はケリー国務長官と会談し「これ以上の事態の深刻化を食い止める為に成された措置だったと理解する」と諂った。

 日米同盟とは言いながら何ら相談されることなく、蚊帳の外に置かれながら、何をトンチンカンなことを語ってるのか。今回の空爆は国連の安保理決議を経たものではない。安保理の御墨付きを得ようと思っても、ロシアが拒否権を行使するのは目に見えており、「自衛権の行使」というコジツケは見苦しい言い訳に過ぎない。

 我が国も常任理事国入りを目指すのならば米国に諂うばかりではなく、意見は意見としてハッキリと物申すべきで、いい加減、米国の「イエスマン」は止めるべきだ。圧倒的な軍事力を背景に政治、経済、外交とあらゆる面で強圧的な対外政策を執って来た結果、米国は傲慢となり、世界から反発を招く結果となっている。

 米国もそろそろ、日本の様な「イエスマン」ばかりでないことに気付くべきで、米国の振り翳す不正義の下で、呻吟している世界の人々が多くいることを理解させることは、我が国が常任理事国入りをを目指すのであればそれこそが使命でもある。

 一方で、安倍首相はコロンビア大学で講演し「日中関係を改善したい」と語った。中共も米国同様、圧倒的な軍事力を背景に政治、経済、外交とあらゆる面で強圧的な対外政策を執って来た国である。日中関係なんぞ改善を急がなくても向こうから秋波を送って来るだろう。急ぐべきは「日米関係」の改善であろう。米中両国に共通するものは互いの国益のみ。日本外交が見倣うべきものはそういう外交だ。

 アジアの動乱は昔から「米国」と「共産主義」が元凶である。その米中両国の国益や利権が一致する時、それはアジアの動乱の濫觴と言っても過言ではない。20世紀は自由と平等の名の下にプロレタリア独裁を標榜する共産主義が猛威を振るい、キリスト教徒の望んだ中国共産党が世界の脅威となっているのは皮肉である。

 オバマ大統領は、過去にアジアで起こした米国の失政を知ることはなく、そしてまたイラクでの失敗を繰り返そうとしている。同じ轍を何回踏めば気付くのか。

 あの9.11でのニューヨーク同時多発テロは、傲慢な米国へのウサマ・ビン・ラディンらイスラム教徒に因る警鐘乱打であり、叫びでもあった。米国の不正義の下で呻吟している人々は、あの同時テロを涙と歓声で賞賛したことを忘れてはならない。

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2014年09月22日

スコットランドの住民投票は否決!混乱の裏側に利権あり!?

 英国からの独立の是非を問うスコットランドの住民投票は僅差で分裂・独立が否決された。「自由主義・資本主義的」に反対するスコットランド。北海油田の税収で財政を改善・減税などの企業誘致政策の実行、医療や福祉、社会保障も充実する「北欧福祉国家」を掲げ、「欧州型社会民主主義国家設立」の理想は理解出来る。

「北海油田の利権が英国政府に完全に握られていることの不満」が最大の理由というのは、如何にも利権絡みっぽく、「独立の大義」という点ではチト乏し過ぎる。

 チベットやウイグルにこうした「住民投票権」があれば、直ぐにでも中共から独立を果せるのに、スコットランドの狂騒は中共の圧政に呻吟する国にとっては羨ましく思えたに違いない。「住民投票」に賛否があるが、今回の選挙でさぞ落胆したのは、「沖縄独立」を叫んでる反日左翼のアホ共ではなかろうか。

 今回の結果は「沖縄独立」の妄想に駆られるアホな連中にとって、冷や水を浴びせられる結果になったのは間違いないとは思うが、連中には通じないか(苦笑)

「国家」よりも地方自治の優遇を訴える。その好い例が沖縄左翼の連中だろう。国に恩恵を享けていながら中国共産党へ与し、あらゆる策謀を実践している。

「自治基本条例」は、住民自治に基づく自治体運営の基本原則を定めた条例であり、「自治体の憲法」とも言われる。条例の名称は自治体によって異なり、「まちづくり条例」、「まちづくり基本条例」あるいは「行政基本条例」など様々。

 自治基本条例は、「市民協働(協働とは共産党の造語)のまちづくり」などに見られる様に左翼の策謀、左翼の行政権への介入によるものが少なくない。こうした行政権への共産主義を連結せしめたのが共産党ではなく、自民党議員らが、そうした売国性を見抜けず推進し、実践したというのは実に御粗末と言う他はない。

「道州制」が胡散臭いのは地方を重んじる結果「国家」という概念が薄れてしまう危険を孕んでいることだ。「道州制」により「国家」の概念が薄まれば、スコットランドの住民投票の様な「独立」を叫ぶ輩が出て来るのは火を見るより明らかだ。

「沖縄利権」や「アイヌ利権」、「在日特権」や「反原発」もそうだが、「混乱の裏側に利権あり」とはよく言ったもので、「道州制」の推進もまた例外ではない。

 最近の風潮というものは、突き詰めた議論がなされないまま、やれ「​安全」がどうのだとか、「グローバ​ル時代の到来」だとか、或いは「世界ではこうだ」とか、実に安っ​ぽい、曖昧な次元で賛同者が広がっている様な気がしてならない。​

「男女共同参画社会」とは「共参​(共産)社会」実現の謀略であり、こうした既に実行してしまった愚策の問題点や危険性を徹底的に指摘​し、批判し、糺すことは大事である。また 「夫婦別姓」運動と「女性宮家」「女系天皇論」には酷似点も多い​。

 1932年、ソ連共産党から日本共産党への「コミュンテルンテーゼ(命令書)」へ指令が出されたが、これらの運動はそれを忠実に​遂行している命令遂行の何ものでもない。「女性宮家」論は天​皇制廃止運動の枢要な柱として昭和40年台半ばに、「夫婦別姓」​運動は平成に入り、キチガイ左翼らが大キャンペーンしたものだ。

「天皇制廃止運動」の主力は、昭和では「戦争責任・退位​論」であり、次に「開かれた皇室論」と「敬称・敬語不使用運動」​であり、平成に入り「女性天皇論」に転換されている。 「天皇家」という表記もまた天皇軽視の反天皇運動の一環だ。

 男系男子に限定する皇位継承や夫婦同姓を「女性差別」だとか「​時代遅れだ」と絶叫し、吹聴するキチガイ共が「男女共同参画社会」を実現​したのは周知の事実。

 今やその左翼どもが謀った中身を知らずに、世界や時代の流れだとか言わんばかりに追随している。だが、こうした安っぽい風潮に流されることで、皇統が破壊され、祖国日本の国柄が大きく変わってしまうことを自覚しなくてはならない。

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2014年09月19日

太平洋に浮かぶ小さな独立国「パラオ共和国」を知っていますか

 天皇皇后両陛下は戦後60年にあたる平成17年、サイパンの地を巡幸遊ばされた。パラオ歴訪を検討されたが、受け入れ態勢が整わないなどとして見送られた。

 戦後70年となる来年、戦没者慰霊の為に先の戦争で激戦地となったパラオ共和国など太平洋諸島の国々を訪問される希望を示されており、両陛下の歴訪を宮内庁が検討していることが報道された。パラオ共和国は太平洋の浮かぶ小さな独立国だ。

 第二次世界大戦では、太平洋戦争のマリアナ・パラオ諸島の戦いに於いて「ペリリューの戦い」の中心地となり激しい戦闘が行われた地でもある。「4日間で陥落する」と言ってた米軍は、上陸から2ヶ月半に及ぶ激戦を強いられることとなる。

 パラオ共和国の歴代大統領には、「ナカムラ」という名前の人もいる。面白いことにパラオでは、「クニオ」とか、「マツタロウ」いった日本人風の名前が目立つ。これは、近代社会に仲間入りさせてくれた日本への感謝や愛着からだという。

 このパラオ共和国の国旗は「日の丸」と同じだが、白地ではなく青地に、やや中心より左にずれた黄色の丸である。何故このような国旗になったのだろうか。

 過去にドイツの植民地であったパラオは、第一次世界大戦後に日本の委任統治領となった。ここでの日本軍は地元住民に厳しく接し乍らも、産業、教育、文化の発展に大きな功績を残し、パラオの人々に多大な信頼を受けたのである。

 パラオの人々は今でも口々に、「日本は厳しかった。然し、我々に農業と、真面目に働くこと、そして嘘をつかないことを教えてくれた」 としみじみと語る。

 約4万2000人の米軍が上陸したのは昭和19年9月15日。中川州男大佐率いる約1万2000人の日本軍がそれを迎え撃つ。洞窟陣地などを利用しゲリラ戦法で抵抗。

 持久戦に持ち込むことで、圧倒的な戦力を誇る米軍に大打撃を与えた。この戦いは実に11月25日まで続き、米国太平洋艦隊ニミッツ司令長官も驚嘆した、日本守備隊のこの組織的な抵抗と戦術は、後の「硫黄島の戦い」へと引き継がれて行く。

 パラオ島民は別の島に退避していたが、米軍がパラオに迫ると、驚くことにパラオの人々は「我々も日本人と一緒に戦う」と決意したという。然し、民間人に被害が出ることを懸念した日本軍は、その申し出を許可することは無かった。

 因みに「クニオ」とは、この中川大佐の名前であり、如何に慕われていたかが理解出来よう。この戦争で命を落した日本人を、パラオの人々は泣きながら丁寧に埋葬した。日本人遺族が何時来ても良い様にと墓の掃除は今でも欠かさないという。

 戦後、パラオは1994年に独立するまで、パラオの人々の心に残っているのは50年間統治したアメリカではなく、「日本と日本人」だったのだ。数年間の日本の統治が、パラオの人々の心に残したものが、それだけ大きかったということだろう。

 先人のこうした教えと偉業を感謝せずにはいられない。来年、終戦70年の節目に天皇皇后両陛下がこのパラオの地を巡幸遊ばされる。異国の地で草生す御霊を鎮め、日本とパラオ両国の友好が更に深まることを願って止まない。天皇陛下万歳。

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2014年09月18日

同級生の葬儀に参列し、あれこれと考えてみた・・・

 同級生の葬儀告別式があり参列してきた。僅か30人ほどのこじんまりしたものだったが、実に素晴らしい葬式だった。子を無くした親の悲しみを目の当たりにし、また同級生による弔辞も涙を誘った。それにしても冷たいのは同級生らだ。自分を含め男子3名、女子5名だけ。町内や近場の連中も来ないとは不義理なヤツらだ。

 地元の安達高校を卒業し、看護婦となり、縁あって所沢の病院に勤務して、独身になっても娘二人を育て上げた。肺炎らしき症状が出た際に、早めに治療すれば好かったものを我慢強い性格が災いしてしまった。診断の結果はやはり肺炎だった。

 看護婦という仕事柄、自分の尋常ではない異変を感じ取ったのだろうが、自ら119番通報したそうだが手遅れだった。懸命の看護の甲斐なく幽冥境を異にした。

 本人の希望で、葬儀は故郷の二本松市小浜で行うことに。御両親や子供らの悲しみ、心境は如何許りかと思う。故郷の友人は、ホント冷たいものだ。

 同級生も仕事もあるだろうから、昨夜の通夜には来たのだろうと葬儀屋の同級生に尋ねるも、3人だけで、その通夜に参列した地元の友人は1人だけだったとのこと。

 これじゃ過疎化になるのは当たり前の様な気がする。故郷に戻りたいという憧憬は、所詮は幼い頃の夢幻に過ぎず、現実はこんなものなのだろう。

 葬儀告別式は、浄土真宗でしめやかに行われた。浄土真宗は「死」は「穢れ」ではない。一般に言われる「ご冥福をお祈りします」というのは「死後の幸福をお祈りします」という意味で、浄土真宗では使用してはならない。キリスト教も同じ。

 故人の宗派が分からない場合は、「ご冥福をお祈りします」ではなく、「哀悼の意を表します」「お悔やみ申し上げます」「御愁傷様でした」と言い換えた方が好いのだが、弔電の多くは「ご冥福をお祈りします」との決まり文句ばかり。

 愚生は神道だが、仏教の中では「華厳経」に興味があるというか、あったというのが正しいか。「華厳経」の難しいことは分からんし、極めたいとも思わないが、その教えは「一瞬の中に永遠があるという『一即一切』『一切一即』を説く」先日、詳しく知りたいと思いネットで調べてみた。教義経典がやたら難しく興醒め(笑)

 新興宗教や宗教の教祖や弟子らが単純な教えをワザと難しくしてるのではと勘ぐっしまうし、熱心な信者らも、やたら難しい言葉を羅列しているが、当の本人は本当に理解してるのか疑いたくもなる。あんたら、ホントに宗教を分かってんの?

 葬儀に参列し、改めて「葬式」も「年忌法要」も、「偲ぶ会」などもやって欲しくないと熟熟思った。人間死んだら終わり、「無」だ。葬儀屋の同級生や、石屋の後輩には悪いが、さっさと火葬してその辺にぶっ散らかして欲しいものだ(笑)

 因みに、男女共同参画社会では、「看護婦」は、女性は「看護師」、男性は「看護士」と呼ぶらしい。平成14年の法改正で「看護師」に統一された。性差を無くすということだが、言葉遊びでしかない。警察官も「婦警」ではなく「女性警察官」。

「男女共学」や「男女混合名簿」など、ジェンダーフリーや男女共同参画社会が実行され、「子供」は「子ども」と表記するなど、変な日本語が巷に氾濫している。

 こうした愚策に防衛費の2倍、教育費よりも高い10兆円近い予算が計上され、今では男女共同参画社会の担当大臣までいるとは驚くというより厭きれてしまう。

 また、今や誰もが使う「協働」という言葉だが、この「協働」は抑々、共産党系の生協が使用してた言葉で、共産党の造語である。こうした造語は今や全国の地方自治体で流行ってて、自民党議員までもが疑問を抱くことなく常用している。

「協働」のその意味は、「同じ目的の為に、対等の立場で協力し て共に働くこと」であり、コラボレーション(collaboration)なのだという。ならば「協働」ではなく、「共同」だろう。 だが、「共同」と「協働」の目的は全く違うものだ。

「協働」の主体は「国民」ではなく、あくまでも「市民」であり、共同参画社会の推進、つまり「共参(共産)社会」の実現であり、コミューン(commune:共同体)を創ることがその目的である。こうした共産主義者の策謀が巷に蔓延している。

「協働」推進派は、「市民とは必ずしも地域住民に限定されるものではなく、NPOをはじめ、企業などの企業市民も含まれ、また、地域の一員という意味では行政もまた行政市民という名の市民である」と説明する。今やその「協働」という造語が飛び交い、保守を標榜する政治家までもが何の疑いも無く使っている始末。

 いつの間にやら我が国はカタチを変えた共産主義が蔓延り、その「カタチ」は実に陰湿になった。「協働のまちづくり」にしろ、こうした行政側への共産主義の介入を奨めたのは共産党ではなく自民党だったというのは実に御粗末と言う他はない。

 更に、巧妙にカタチを変えた左翼勢力は、夫婦別姓、男女共同参画社会、ジェンダーフリー、人権擁護法案、共生社会、外国人参政権、外国人住民基本法案、極め付けは女性天皇容認論や女性宮家など次から次へと策謀を重ねている。

 三島由紀夫は嘗てこうしたことを危惧し、「我々はあらゆる革命に反対するものではない。暴力的手段たると非暴力的手段たるとを問わず、共産主義を行政権と連結せしめようとするあらゆる企画、あらゆる行動に反対するものである」と文化防衛論で語っている。今正に三島が危惧した、共産主義を行政権と連結せしめようとするあらゆる企画が実施され、我が国を蝕んでいることに何故に気付かないのだろう。

 自民党「立党宣言」に「社会的欠陥を是正することに勇敢であらねばならない。われらは暴力と破壊、革命と独裁を政治手段とするすべての勢力又は思想をあくまで排撃する。(略)祖国再建の大業に邁進せんとするものである」と在るではないか。

 自民党よ、「立党宣言」は絵に描いた餅か。今こそ立党精神に立ち返り、過去の過ちを糺すと共に、共産主義を行政権と連結せしめようとするあらゆる企画、あらゆる行動と対峙しなければならない。ってか、危機感皆無な自民党じゃ無理。まぁこれは自民党に限らず、右翼陣営や自称・保守派にも言えることでもあるが(苦笑)

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2014年09月13日

野村秋介には朝日瓦解の足音が聞こえてるのではなかろうか

 国民の朝日新聞に対する怒りは収まる気配はない。これを機に朝日新聞を始めとした進歩的文化人らが垂流し続けた戦後民主主義の過ちを糺さなくてはならない。

 戦後、米国は徹底した教育改革を断行する。その徹底した「戦後民主主義教育」は、米国が意図した以上の効果を齎し、現在もあらゆる処に悪害を及ぼし続けている。「戦後民主主義」とは、自国を汚辱に塗れた過去と捉える自虐史観である。

 その教育で育った者は、国から恩恵を受けながら個人と国家を常に対立させ、恰も、国家は「人間を抑圧する組織」と見做して、反国家反体制的なポーズを採ることが「進歩的」で「文化的」であり、それこそが正義だと未だに錯覚している。

 米国(GHQ)が、「戦後民主教育」と共に最も徹底したのが言論統制である。「日本に与うる新聞遵則」、所謂「プレスコード」というのがそれであり、情報発信の中枢だったNHK、朝日新聞、岩波書店が真っ先に監視下に置かれた。その米国の洗脳の結果として生まれたのが「進歩的文化人」なる珍種である。

 このプレスコードは講和条約発効で失効したのだが、朝日新聞やNHK、岩波書店、或いは地方新聞にしろ、失効後も米国に忠誠を誓い、たった7年間で培われたマスコミの反日偏向・自虐史観は社是となり、現在に引き継がれている。

 だが、この連中は営利優先から洗脳状態のフリをしているに過ぎない。一方で「反米」を叫ぶのも、そうした考えを持つ購読者へのリップサービスに他ならない。

 幾らなんでも、一流大学を出た記者なら、15世紀に始まる大航海時代や近代史を読めば、公正な歴史くらい理解するだろうし、戦前に国威発揚を煽った朝日新聞ならば、戦前の自社の記事を読むことで一目瞭然ではないかと思うからだ。

「一体、いつになったら自虐史観のマインドコントロールから目覚めるのだろう」と思うのが普通だが、要は何のことはない、社是である反日自虐は、米国からの自虐史観から目覚めない読者を対象とした単なる「商業左翼」と思えば合点が行く。

「社会の木鐸」だとか「国益」なんぞ二の次で、所詮は単なる左翼思想を利用した営利至上主義に他ならない。言い方を変えれば「反日や売国、自虐は儲かる」ということ。況してや朝日新聞社は自社ビルの賃貸などの不動産で収入が多くを占める。

 そうした売り上げから給与を貰いぬくぬくと生きて来たに過ぎない。社会の木鐸として、また真実を伝えるべきジャーナリストとして恥ずかしくはないのだろうか。

 こんな朝日の体質を変えようと闘ったのが野村秋介だ。遺作となった「さらば群青」での朝日との闘いを再読しようと、押し入れから引っ張り出してみた。

 野村秋介の言葉というのは一つ一つに魂が刻まれているということだ。一つ一つに自分の命を刻み込む様に語ってる言葉は気魄が漂い未だに色褪せない。

 第Ⅲ部、「ジャーナリズムの旗手・朝日新聞と闘う」の文章を抜粋してみたい。拙ブログで野村秋介を語ることは分不相応だと理解してるが敢えて綴ってみよう。

 朝日新聞を中心とした、マスコミのこれまでの無節操さについては、
我慢も限界にきている。戦前はあれほど日本の戦争の正義を謳い、
アジアの解放の大義を説き、『聖戦だ聖戦だ』と喚きちらしたくせにして、
日本が負けるやいなや、豹変して占領軍に媚びを売り、
GHQ(連合軍司令部)による日本民族の弱体化政策の
片棒を担ぐどころか率先して日本批判に転じた。
最近では韓国人の従軍慰安婦問題で、
まるで鬼の首を取ったかの如き騒ぎである・・・

 倫理的意味で、それが正しいと強弁するつもりはない。
しかし、一九四五年までは、
その時のパワー・ポリティックスの価値観で世界は動いていた。
日本が、ヤルタ・ポツダム宣言を受諾する一週間前、
旧ソ連は『日ソ中立条約』があるにもかかわらず、
ソ連国境を越えて侵入してきた。
その際、日本人婦女子に彼らが何をしたか、これも知らぬとは言わせぬ。
銃で威嚇し、公衆の面前で、それも路上で、次々と強姦し、輪姦し、
どれだけ無法をはたらいたか。
朝日も進歩的文化人と称する連中も、なぜそれをいわぬ・・・

 かかる史実を知りながら、朝日新聞社は、
日本のみの戦争犯罪を得々として喋りまくった。・・・
こういう社会的状況の中で、一方では飽食の時代を謳歌している。
まっとうな青少年が育つはずはない。祖国日本を、
胸を張って誇りうる青年たちがそだつはずがない。
そういう戦後的特異な環境の中で、純真で無垢な青年たちは、
それが純真であればあるほど、盲目的に、
朝日や日教組、左翼文化人らの甘美な言葉に誘われ、
心が純であればあるほど、感受性が強ければ強いほど、
階級闘争、プロレタリアートの解放といった幻想に陶酔し、
まさに暗渠の深みにのめり込んでいってしまった。
連合赤軍事件は、その典型といってよい・・・

 野村はこうも述べている。

 戦後若い優秀な青年たちが、群れて左翼運動に身を投じたのも、
「朝日」らの煽動や「日教組」らの教育もあったが、
それらを凌駕しうる思想が、我々民族派の側になかったことが、
最も重大な致命傷であったことも、決して忘れてはならない

 朝日新聞を批判しながらも、右翼民族派の後進への苦言を忘れないところがカリスマたる所以だろう。「さらば群青」のこんな一文も目に留まった。

 風の会」代表として参議院選挙を戦うに当り、
とある侠客に挨拶に行った際に、
「野村さん、あなたは(選挙で)負けてもこのことで責任をとっちゃいかん。
いま野村秋介がいなくなると、日本の民族運動は三十年遅れる」
と言われたそうだ。

 野村秋介が亡くなり、早いもので20年以上の歳月が経った。確かに右翼陣営の活動は年々先細りした。果たして右翼陣営はこの遅れを取り戻せるのだろうか。

 もう直ぐ、野村秋介の命日ある。今回の朝日新聞の騒動も、朝日の驕りによる自業自得だが、野村秋介の怒りが朝日側を追い込んだ様な気がしてならない。

 朝日側も、野村秋介と幹部との討論にしろ、遺作となった「さらば群青」での苦言や提言を、朝日側が真剣に受け止めていれば、今回の様なことは起きなかっただろう。朝日新聞が瓦解するのも時間の問題ではあるまいか。

 命を賭した渾身の叫びを軽んじ、猛省することも、社風も糺すことも無く、屋上屋を架して行ったところに現在の腐った朝日ジャーナリズムの現実が在るのだ。

 頼もしいことに、野村門下や野村秋介ファンは多く、年々その数は増えつつある。愚生もその隠れ野村ファンの一人でもある。そんな皆は遺作となった「さらば群青」は読んでるだろうが、この野村烈士の遺書を再読して、対朝日・対左翼の理論武装を固め、野村秋介が果たせなかった朝日との闘いを新たに始めようではないか。

「さらば群青」の帯には「戦闘的ナショナリストの遺書」として「饒舌の徒・進歩的文化人と称する醜い日本人よ、語るなら命を賭けろ!」の言葉が虚しく響く。

 これを現代に置き換えれば左翼や進歩的文化人に限らず、保守ブームを好いことに「愛国」や「反中」「反韓」で若者らを煽り、生業にしてる営業保守、営業右翼にも言えることでもある。そういや愚生も、もう何十年も捕まってないな。呵呵。

 ※野村秋介の書籍に関する問い合わせは二十一世紀書院(代表・蜷川正大)まで。連絡先:090-6300-7075 snforever@proof.ocn.ne.jp

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2014年09月12日

朝日新聞謝罪!過去の穢された歴史認識から脱却する機が熟しつつある

 朝日新聞の木村伊量社長が「吉田調書」と「慰安婦問題」で謝罪した。遅きに失した感は否めないが、社長が過ちを認め、謝罪したことは評価とまでは行かないが、過去の穢された我が国の歴史認識から脱却する機が熟しつつあるのは確かだ。

 だが、朝日新聞社側にしろ、安倍らの認識にしろ根本的に違ってるのは「誤報」ではなく、確信的「捏造」であり、こうした認識を改めない限り、「南京事件」や「盧溝橋事件」「百人切り裁判」などの問題に対処するのは困難を極めるだろう。

 朝日新聞の報じた、「所員の九割が吉田所長の待機命令に違反し撤退した」という話は、吉田調書の何処にも出て来ない。それもその筈、現場は逃げていなかったのだ。これは「誤報」というものではなく、確信的「捏造」と言わずに何と言う。

 当時、菅直人が「撤退を止めたのは自分だ」との発言にしても全くのデタラメだったことも後に判明した。抑々、最高責任者で「人災の」張本人だった菅を検挙・送検しなかったことは司法の無能を示すもので、何より「正義」に反するもの

 吉田所長が調書で放った「あの、おっさんがそんな発言する権利があるんですか。あのおっさんだって事故調の調査対象でしょう」の一言は、痛烈であり快哉だ。

「吉田調書」での菅直人にしろ、朝日新聞以外にも謝罪・猛省しなければならない連中は未だ未だいるが、皆さん、火の粉が被らない様に口を噤んでいる。

 例えば、朝日新聞が捏造した慰安婦問題を、自民党の宮沢内閣下で、河野洋平官房長官が談話を発表し、これが韓国人慰安婦を付け上がらせる原因を作った。

 その後の「村山談話」で火に油を注ぎ、その後の自民党政権下でもこれらを撤回せず黙認し、売国民主党政権誕生で、鳩山由紀夫が「国家補償」を約束し、前原誠司が「戦後賠償支援」を言及した。こうした連中は全く反省すらしていない。

 慰安婦問題は捏造と知りながら、日本側が国家として「謝罪」も「約束」もしてしまった訳だから、韓国にしてみりゃ、賠償要求するのは当然だろう。韓国を単なる強請り、タカリと言ってもいられない現実が厳然と存在してしまったのだ。

 NHKの籾井勝人会長が就任会見で、「慰安婦問題」に関して個人的見解だとして、「何処の国にも在った」という発言をしたのは記憶に新しい。だが、この「何処の国にも在った」という言葉だけを糾弾して、民主党の海江田万里や売国マスゴミが鬼の首を獲ったかの様なはしゃぎぶりで、籾井会長を糾弾したはつい最近のこと。

 籾井会長はいみじくも語った、「現在の価値観や倫理観で語るから勘違いする」との言葉は、実に正鵠を射たもので正論でしかなく、糾弾される謂れはない。 

「性犯罪を防ぎ、相手民族の尊厳を最低限保つ」という、日本軍の配慮を知らずして、高給に集った売春婦を「従軍慰安婦」と称し、恰も日本軍が関与し、朝鮮人の女性を拉致・強制連行し、「性奴隷」にしたとは言語道断と言う他はない。

 無知文盲の記者を嗤ってばかりいられないが、籾井会長の発言を論った海江田を始めとした者共こそ、従軍慰安婦の虚偽を認め、撤回・謝罪すべきであろう。

 日本国憲法21条では、「報道の自由」が保証されているが、これは別に記者の礼儀を欠いた取材活動や報道を保証するものでもない。「言論の自由」も然りだ。

「新聞倫理綱領」には、「言論・表現の自由の下、高い倫理意識を備え・・・言論・論評の自由を守り抜くと同時に、自らを厳しく律し、品格を重んじなくてはならない」と記されている。「憲法」の言論の自由も、「新聞倫理綱領」や「放送法」というのは、兎角、傲慢になりがちな記者らを諌める為のものでもある。

 だがどうだろう、新聞記者諸公に高い倫理意識など感じることもなく、品格を重んじてるとは思えない。こうした傲慢さをして捏造記事が生み出されたと言っても過言ではない。安倍首相の言う様に、「朝日新聞の捏造記事は我が国の名誉を傷付けた」というのは確かだが、我が国の名誉を傷付けたのはそればかりでもあるまい。

 戦後の我が国の政治姿勢や外交を振り返れば、事勿れ主義から「謝罪」と「賠償」さえしていれば問題ないと思っていたのも確かで、こうした全方位弱腰土下座外交が国民の誇りや自尊心を傷付けたことの方が遥かに罪深い。朝日新聞の謝罪を機に、歴代の不作為犯と売国議員を炙り出し剔抉粛正しなければならない。

 インドのパル判事は東京裁判の無罪判決の最後を、「時が、熱狂と偏見を和らげた暁には、また理性が、虚偽からその仮面を剥ぎ取った暁には、そのときこそ正義の女神はその秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くに、そのところを変えることを要求するであろう」と、こう結んでいる。その機は熟しつつある。

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2014年09月10日

河井継之助の足跡を辿ろうと会津只見から越後へ遊歴するも無計画が徒に

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 幕末の英傑・河井継之助の足跡を辿ろうと、継之助終焉の地となった奥会津の只見町から八十里峠(鞍掛峠)を越して長岡へ向かう旅を計画し実行した。

 日曜日の早朝出発の予定だったが、前日の深酒と生憎の豪雨にやる気を削がれ二度寝した。が、10時過ぎ目覚めると外は晴天、急遽出発を決め駅に向かう。

 郡山駅から会津若松、只見線に乗り換えだが次の電車が出るのは3時間後。駅近くのスーパー銭湯で時間を潰し、夕方4時56分発の会津川口行きに乗った。

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 只見線は3年前の7月に起きた「新潟・福島豪雨」で橋が崩壊し、会津若松駅から会津川口駅まで終わり。ここから只見まで全線復旧の目途は立っていない。会津川口駅に着いたのは夜8時過ぎ、ここからバスに乗り換えて只見駅へ向かった。

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 只見に着いたのは夜の9時近くだったが、この日は夏祭りだったらしく町はまだ祭りの余韻で賑わっていた。駅前の「山六食堂」で、おすすめの生ラム焼と生ビールで軽く安着祝い。その後は、駅近くの広場にテントを設営して初日終了。就寝。

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 翌朝4時にテントを撤収し、身支度を整え、駅から終焉の地となった塩沢地区へ。墓へ参り、そこから国道289号線へ入り八十里峠越え。だがここで問題発生。

 周りにコンビニも無く食料の買い出しが出来ず、八十里峠を縦走するのは危険と判断し、戦国武将・直江兼続も通ったという六十里(国道252号線)に変更した。

 この国道252号線は、近辺に「銀山湖(奥只見ダム)」があり、渓流釣り師にとっては聖地でもある地区でもある。釣りを愛した作家の開高健も銀山湖に通った一人で、晩年は銀山湖に大イワナを放流し、その放流した子孫が多く棲息している。

 暫く進むと目の前には要塞の様な「田子倉ダム」が見えて来た。でも、中々ダムに近付けない。近付いたと思ったら今度は曲がりくねった上り坂道が続く。朝から歩き続けて漸く田子倉ダムの遊覧船乗り場に到着したのは出発から3時間後だった。

 田子倉ダムまで来たたのは好いが、思ってた以上の厳しさで心が折れる。早朝ということでレストランも売店も開いていない。朝から口に入れたのは黒飴1個だけ。1.5ℓの水も残りが心細くなって来た。自販機も無さそうだし、流石に腹が減った。

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 田子倉ダムを上る途中、振り返れば遠くに銀山湖(只見ダム)を見下ろす。

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 田子倉ダム遊覧船乗り場より。

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 六十里峠、小出まで未だ未だ遠い。

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 只見線は日本でも有数のローカル線です。復活して欲しいものだ。

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 もう随分と標高も高くなった。

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 田中角栄総理大臣揮毫による「会越の窓を開く」の記念碑。

 歩けども歩けども同じ様な山道の光景が続くだけ。兎に角、ひたすら歩き続けるしかない。9時間ぶっ続けで歩くも水も底を尽き、20キロ以上あるリックを背負っての縦走で流石に体力も限界に近い。ここまで約30キロは歩いただろうか。

 次の駅が在るのは未だ未だ先だ。自販機も在る気配すらない。記念碑の場所で新潟方面から来た女性ライダー2人に「この先に自動販売機とか家とか在りました?」と聞くも「え~、無いと思います」との返答に疲れがどっと押し寄せた(笑)

 トレッキングや登山経験もあるし、修験の山「大峰山」にも何度か登ったことはあるがここまで辛いのは初めてだ。唯、救いは1人なので気楽だということだけか。

 それにしても昔の人というのは凄いと思う。そんな装備もなく、玄米3合と漬物くらいの食事で長い距離を歩いたのだから大したものだ。河井継之助一行も長岡から八十里峠を丸二日で歩いたという記録が残ってるが驚くべき体力である。

 継之助は江戸への遊学の際や岡山や長崎への遊歴でも徒歩で旅をした。江戸藩邸から横浜など実に驚く距離を行き来している。継之助に限らず、坂本龍馬や吉田松陰などもそうだった。自由気儘に歩き回ることが禁止されていた幕藩体制下、況してや交通の不便だった時代に彼らは実に縦横無尽に日本全国を歩き回った。

 この「歩く人」がいなかったら明治維新は成し遂げられなかったと言っても過言ではないだろう。そんなことを考えながら歩き続けるも己のだらしなさを痛感する。

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 もう40キロ近く歩いただろうか。軽いスニーカーにすれば好かったとダナーのブーツの重さを恨みながら、落ちてる小石も歩くのに邪魔になりだした(笑)

 飲む水も無いし、「こりゃ最後はドクターヘリか救急車だな」と自嘲しながらふらふらして歩いているとそこに救世主が現れた。地獄に仏とは正にこのこと。

 軽トラに乗ったオヤジさんが、そんな自分を見兼ねて気の毒に思ったのか、通り過ぎて直ぐに急停車し「乗ってくかい?」と一声。この誘いを断る理由は無く、即「ハイ!ありがとうございます」。新潟の「小出」まで行く途中だという。

 車内で色々と話すと、何やら昨晩に立ち寄った「山六食堂」の店主とは従兄弟だという。縁は異なもの味なもの、袖摺り合うも多生の縁とはこういうことだ。

 でも、このオヤジさん、話しながら愚生の方をしょっちゅう向くのでカーブでは反対車線にはみ出すし、話に夢中で信号無視するし、ホント危なかったな(笑) 

 渓流釣りの話にも及んだ。オヤジさんの話に因ると「銀山湖」に来る釣り人は年々減っているらしく、てっきり原発事故の影響なのかと思ったら、その多くは高齢となり釣りを卒業したとか、死んでしまったのだろうということだった。

 ん~なるほど。そういや確かに開高健も亡くなってるし、愚生の周りを見ても、銀山湖を愛した「ザ・バー」の渡辺秀行マスターも幽冥境を異にしてしまった。

 最初の駅で降りるつもりが「小出駅」まで送って頂いた。僅かばかりの心付けを渡すと必死に拒む。「いや、ホンの気持ちです。冷たいビールや晩酌の足しにでもして下さい」というと、「んじゃ、かえってすみません」と微笑んだ。

 酒は相当イケる口と読んだが、是非とも邂逅し盃を傾けてみたいものだ。

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 画像の小出駅看板は俳優・渡辺謙の揮毫によるもの。吉永小百合に感化され思想は御粗末だが、中々の達筆ぶりに思わず見入った。流石に字に勢いがある。

 気の好いオヤジさんと別れて直ぐに自販機で水を購入した。「酔い覚めの水、値は千両と決まりけり」「酔い覚めの水は甘露の味」なんて言うが、枯れてた愚生にとってこの水の旨さはビールよりも格別で、生き返ったのは言う迄もない(笑)

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 小出駅前の食堂に入りビールで安着祝い。腹は減ってたが疲れもありビール1本と天ざる一杯で眠くなった。駅近くの広場を見付けてテントを設営し就寝した。

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 中秋の名月も秋の夜長も楽しむ余裕もなく、鈴虫の声の心地よさもあり爆睡。

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 小出駅前に貼り出されていた奥只見郷観光マップ。只見町は今年「ユネスコエコパーク」に登録された。正に日本の原風景で、誰もが何故か懐かしく思うだろう。出来ることなら晩年は、奥只見でイワナ釣りしながら余生を過ごしたいものだ。

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 翌朝は電車で長岡へ。河井継之助記念館と山本五十六の記念館を拝観する為だ。駅から「河井継之助記念館」まで徒歩で10分ほど。記念館は継之助の私邸が在った場所。因みに現在の長岡駅は長岡城が在った場所に造られている。

 10時の開館には未だ15分ほどある。外で待とうとしてると中から女性が出て来て「好かったら中へどうぞ!」と声を掛けられたので好意に甘えて中で休むことに。

「どちらから来られたんですか?」の問いに、「いや~只見の終焉の地から八十里(ホントは別な六十里)峠を歩いて来ました。3日かかりました(笑)」とシャレで大袈裟に答えたのだが、その驚き様と反応ぶりにチョッと戸惑った(笑)

 会館内でビデオを観る。河井継之助を知りたい人は司馬遼太郎の「峠」が分かり易いと思うので是非とも御一読為れたい。30分ほど見学し、次に立ち寄ったのは「山本五十六記念館」。その記念館は継之助記念館から徒歩1分の所に在った。

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 会館内には山本五十六の遺品や書などが展示されていた。中央にはパプアニューギニアで墜落した際に乗っていた戦闘機の翼が据えられていたが、実に往時を偲ばせる生々しいものだった。翼に向かって頭を垂れ暫し黙祷する。

 遺品の中でも驚いたのが、入口前に展示してあった15歳の時に友人に宛てたという手紙。五十六の達筆さも然ることながら文章力の高さは驚くばかり。

 正に神童と称えられた五十六の片鱗を窺えるもので、「栴檀は双葉より芳し」という格言通り、天才とは生まれながらにして天才なのだろうと痛感した次第。

 11時過ぎ、今回の旅の目的はここで凡そ終了。扨て、これから北上するか南下するか、それともこのまま帰還し、捲土重来を期して再度計画を練り直すか。まあ、ビールでも飲んで考えるかということで市内をぶらり散策してみる(笑)

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 10分ほど歩いたところで好さ気な蕎麦屋を発見。「越後長岡・八嶋屋本店」。新潟名物の「へぎそば」の名店である。暑さもあり、早速入店し、生ビールの小を注文。一気に飲み干して、次に地酒の〆張鶴の純米の冷酒で蕎麦前&反省会(笑)

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 〆で頂いたへぎそばは絶品で思わずお代わりしてしまった。雰囲気も店員さんの対応も完璧で、久しぶりに好い蕎麦屋で好い酒が飲めた。また来よう(笑)

 その後は新潟へ出ようと駅に向かうと、ある喫茶店が目に留まった。「珈琲を飲みながら、山本五十六を語りませんか?」という看板を目にし思わず入店。

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 入ってみれば普通の喫茶店。店自慢の「山本五十六珈琲」を注文。店主が珈琲と山本五十六の経歴などが書かれた自作のパンフレットを持って登場。山本五十六談義になるのかと思いきやパンフレットを置いてっただけだった(笑)

 パンフレットには「軍縮会議出席のため渡米中、山本五十六がコーヒーに多量の砂糖を入れて飲むのを見た同席者が『ずいぶん甘党ですね』と声をかけると、『できるだけアメリカの物資を減らしてやるんだ』と冗談半分に答えたと言う」逸話が。

 ということで、五十六を真似て砂糖を遠慮気味に2杯ほど入れて飲んでみた。ん~甘い。エスプレッソに砂糖は分かるが、やはりコーヒーはブラックに限る。勘定は600円也。まぁパンフレット代も入ってると思えばそう高くはないか(笑)

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 駅に向かい、一路新潟へ。北上し、山形県村山市の蕎麦屋の名店「あらきそば」に行こうと計画するも乗り継ぎが難しく、明日は定休日ということで断念する。

 ならば「弥彦神社にでも行こうか」と地図を見れば、燕三条から弥彦線で行くか新潟から越後線で向かうしかない。ということで新津へ。そして新津から会津若松へ。

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 会津若松へ戻り、長岡藩の山本帯刀らが眠る市内に在る「本光寺」に参ろうと思っったのだが、会津若松市内のホテルは何処も満室。3日続けての野営はチョッと辛い。風呂にも入りたいしということで諦めて郡山に帰還することにした。

 何故に「本光寺」なのか。河井継之助が只見で亡くなり、その後に残った長岡藩士は会津へ向かった。長岡藩上席家老で大隊長の山本帯刀もその中の一人。

 山本以下44名(碑に刻まれてる数字、46名とも)は濃霧の為に敵が見えず、味方の会津藩だと思われた軍勢は霧が明けてみれば西軍の然もど真ん中だった。

 会津同盟軍から孤立し、銃撃されるも勇猛果敢に応戦。32名が戦死し14名が生け捕りにされた。薩摩藩淵辺直右衛門を含む3人の軍監は山本らに降伏を迫るも、「降伏に来たのではなく戦いに来た」と降伏を拒否する。この覚悟と潔さ天晴れ。

 山本帯刀を始め長岡藩士の斬首が決まり、9月8日藩主、そして長岡の方向に別れを告げ、粛々と異郷の地に散って逝った。この時、山本帯刀、24歳。

 因みに、山本帯刀亡き後、山本家は廃絶となった。明治に入りその罪は赦面となるが跡継ぎの居ない山本家は廃家状態となっていたが、長岡士族の高野家より養子縁組をすることに。その養子こそが高野定吉の六男、後の山本五十六元帥である。

 因みに、五十六の妻・禮子は会津氏族の娘で、河井継之助と山本五十六という悲運の武将二人と、悲運の会津藩が此処でも繋がっている。実に感慨深い。

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 河井継之助や山本五十六が好んで使ったのが「常在戦場(じょうざいせんじょう)」という言葉。別に軍師や軍人だからではなく、長岡藩の藩風・藩訓であり、読んで字の如く、「常に戦場にあるの心を持って生き、事に処す」という意味だ。

 職場でさえも「戦場」である。これ即ち「一所懸命」とか、「一日一生」と同じ意味である。自分が今いるその場で、今頑張らずにいつ頑張るというのだということ。政治家や上に立つ者こそ、この真心を以て事に当らねばならないと思う。

 今回の放浪の旅は2泊3日の強行軍(移動距離約450㌔、内徒歩約50㌔)で、無計画さを猛省すること頻りですが、それはそれで活動家としても得るものが多々あり、満足出来る旅となりました。次回は今回の旅を教訓に計画を万全にし、八十里峠を踏破したいと思っています。次回は、皆さんも是非同道してみませんか。呵呵。

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2014年09月03日

「朝日新聞」の虚言症留まる処を知らず。吉田昌郎所長の聴取結果所(吉田調書)も捏造!

 東京電力福島第一原発の事故調査・検証委員会が当時の現場責任者だった故・吉田昌郎所長から事故後の現場の状況を聞いた「聴取結果書(吉田調書)が公開された。吉田所長は生前、「記憶の薄れ、混同で事実を誤認している部分もあると思う。内容の全てが事実であったかの様に独り歩きしないか危惧している」と非公開を望んでいたが、朝日新聞が歪曲し「所員の九割が吉田所長の待機命令に違反し撤退した」などと報道したことで、国際的信用を失墜しかねないと政府は公開を決断した。

 朝日新聞といえば、吉田清治の戯言を利用し、所謂「従軍慰安婦」の存在を広めながら、やっと記事が事実誤認であることを認め、訂正こそしたが未だ謝罪は無し。朝日はこれ以外にも、本多勝一が昭和46(1971)年から連載が始まった「中国の旅」で、戦時中の「日本軍国主義の残酷行為」を証言者の話として発表した。

 この内容は全く根拠の無いもので、中国共産党によるプロパガンダだった。だが、朝日新聞はこれを事実として「南京大虐殺」を広め国民を誑かし、今や国際問題にまで発展した。この問題に至っては未だ捏造であることすらも認めていない。

 以前、東京都知事選に立候補した田母神俊雄候補の応援に駆け付けた百田尚樹が、「南京事件は無かった」と言い放ち、「東京裁判は原爆大虐殺の行為を誤魔化す為のもの」と断じた発言に、朝日新聞を始めとしたマスコミ各社は噛み付いた。

「南京事件」は百田の言う通り広島・長崎の原爆投下や東京を始めとした都市への無差別爆撃を正当化する為の世論のすり替えであり、「東京裁判」は勝者による敗者への苛めであり、「事後法」に拠る裁判は「国際法」的にも無効である。

 こうした新聞が、日本を代表する新聞だというのだから厭きれるが、尤も、朝日や毎日新聞なんてのは所詮は商業左翼でしかない。読者に気に入られる様に書くのは当然で、こうした新聞を購読する読者が多いということは、それだけバカ、否、未だに米国の占領政策や自虐史観が浸透しているということでもある。

 米国は、我が国が二度と米国に歯向かわない様にする為に特別な占領政策を実行したのは誰もが知るところ。中でも、報道の監視と言論統制は徹底して行われ、最も活用したのが情報発信の中枢であったNHKと朝日新聞、岩波書店だった。

 GHQは占領政策に協力的な売国的人物をリストアップし、彼らを通し巧妙に偏向情報を流布させた。ここに、当時NHK文化人、朝日文化人、岩波文化人なる反日的戦後民主主義者が生まれ、マスコミに登場しては米国の価値観を垂れ流した。

 7年間の統治で培われたマスコミの反日偏向・自虐史観は社是となり、現在に引き継がれているのは言うまでもない。一体、いつになったら米国からのマインドコントロールから目覚めるのだろうと思うのが普通だが、米国からの自虐史観から目覚めない読者がいる限り、こうした捏造や不検証は続けられるということだ。

 何故なら所詮、朝日新聞なんぞに「正義」はなく、単なる営利至上主義。言い方を変えれば「反日や売国、自虐は儲かる」ということ、その一言に尽きる。

 その昔というか愚生が入学する数年前までは、國士舘では売国的な朝日新聞の「不買運動」を訴えていた。この運動が正しかったことが今改めて確信出来る。こうした学校に学び、4年間を過ごせたということは貴重な経験であり誇りでもある。

 朝日新聞はその対抗措置として國士舘の建学の精神や硬派的校風を取り上げて批判。ヤキやシゴキを「暴力体質」として糾弾し続けた。そういう愚生も工学部の教授会で諮問され琉球拳法部を辞する際、一学年上の先輩からヤキを頂いた。

 普通はこれで終わりだが、愚生の場合はチト違ってて同じ工学部の2学年上の先輩2人と政経学部の1人からもケジメと称されトイレに連行されて暴行を受けた。

 まぁそれで琉球拳法部とは関わりを切り、翌日もいつもの様に所属していた右翼団体の宣伝車を校門脇に停めて登校。服装は蛇腹ではなく、私服というか警察の払い下げの出動服に雪駄履き。登校したらヤキを入れた先輩に遭遇した。

「ヤキを貰って登校して来たのはお前くらいなものだ」と不貞腐れていたが、その後、愚生の一件が学生主事に寄せられ暴行事件が発覚、2学年上の3人は停学処分、朝日新聞にも取り上げられ、実家にも取材があったことを後から知った(笑)

 当時、主将だった小島先輩が、「佐久間の場合は事情が違ったのに、あいつらに申し伝えてなかったのは俺の責任だ。申し訳ない」と謝罪して頂き、自分の中でも溜飲を下げた。だが、ヤキを入れ停学になった3人のうちの1人の西谷亮祐は國士舘創立100周年を迎えるに当り監事に名を連ねている。これには目を疑った。

 あの時、愚生が朝日新聞記者の言う様に警察に被害届を出していたら、恐らくは退学だろうし、後藤先輩も福島県警に採用されることは無かっただろう(笑)

 ケジメを付けた以降もシカトなどの卑怯な振舞いに終始し、停学したのも「佐久間がチンコロした所為だ」と言い触らしていた者が、「監事」とは実に不適格な人事であると断じざるを得ず、納得いく回答が無い場合、國士舘に乗り込んでやろうと思っている。因みに学生課にチンコロしたのは同郷の友人だった(笑)

 國士舘の朝日新聞不買運動の輪が広がることはなかったが、現在、朝日新聞の不買運動や企業の広告拒否は広がってるというし、朝日新聞の一日でも早い倒産をことを願うばかり。「吉田調書」の件に戻るが、現場の緊迫した様子が伝わってくる。

 福島第一原発事故は菅首相の強行視察でベントが遅れたと言われていたが「吉田調書」ではベントの遅れは否定している。「海水注入中止」を本店に報告しながら、注水を中止しなかった事実や菅直人の慌てふためいた様子も実にリアルだ。

 朝日新聞のいう、「所員の九割が吉田所長の待機命令に違反し撤退した」という話は何処にも出て来ない。現場は誰も逃げていなかった。菅が首相を退くと「撤退を止めた」とのは自分だと自慢気に語ったことも全くのデタラメだったことも判明。正に原発事故は菅の「反原発」運動のマッチポンプであると断じて好かろう。

 抑々、菅を最高責任者として検挙・送検しなかったことは憲政史上の汚点。今からでも遅くはない、菅を「業務上過失致死傷容疑」で検挙し刑務所で矯正させよ。

 吉田所長の、「あの、おっさんがそんな発言する権利があるんですか。あのおっさんだって事故調の調査対象でしょう」の一言は実に快哉でもあるが、菅が未だに逮捕されない不思議。福島県内に住んでいる一人として、非常用復水器の停止と損失や津波対策の遅れは返す返すも残念なことだったと思っている。

 それに対しても、吉田所長は「マグニチュード9の地震が来ると誰が事前に言っていたのか。何で考慮しなかったのだというのは無礼千万だと思っています」と語っているが、「想定外」という見苦しい言い訳よりも実に分かり易かった。

 朝日新聞による「吉田調書」の捏造は国家を貶めるもの以外何ものでもなく、況してや今も原発構内で、未曽有の事故を一日でも早く収束させようと、命がけで闘っている英雄達への冒涜であり、決して赦されるものではない。朝日人は猛省を。

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