2014年08月

2014年08月30日

日本財団・笹川会長、上杉鷹山公の財政再建の事例を挙げて説明するも

 産経ニュースの「正論」に日本財団会長・笹川陽平の記事が載っていた。「国の借金は1千兆円超」とし「ダチョウの平和を許すな」というタイトルの冒頭で「経済には疎いが」と断った上で、「国の借金が1千兆円を超えた日本の財政について専門家の話を聞くたびに『ダチョウの平和』という言葉を思い出す」と語り始める。

「ダチョウは危機が迫ると砂の中に頭を突っ込み、危険を見ないようにしてやり過ごすといわれ、「Ostrich Policy(オーストリッチポリシー)」(現実逃避策)といった言葉もある。目がくらむような巨額の借金を前にしながら、危機感が今ひとつ希薄なわが国の現状が、私にはダチョウの姿に見えて仕方がないのだ」

 この喩えは実に面白い。この「ダチョウの平和」という現実逃避策という、その場凌ぎの事勿れ主義が戦後の日本の政治をよく現している。

「財務省によると国債や借入金、政府短期証券を合わせた『わが国の借金』は2013年度末で1024兆円。GDP比2倍超の数字は莫大な戦時債務が重なった終戦時に匹敵し、OECD(経済協力開発機構)加盟の34カ国を見ても、このような巨額な借金を抱える国はない」という。だがOECD加盟国と比べることに無理がある。

「総額95兆円の今年度一般会計予算を家計に例えれば、月収54万円の家庭が毎月41万円の借金をし、月95万円の生活をしている状態。4分の1近くの23万円は借金返済(利払いを含めた国債費)に充てられ、差額の72万円が実生活費となる」と分かり易いく語るが「借金」という表現を見てもやはり「経済には疎い」様だ。

 因みに愚生の生活はもっと酷い。何故なら銀行などの金利の安い「借金」が出来ないから赤字は殖える一方。「借金」が出来るうちはその「借金」は資産と同じ。万が一、どうしようもない状況に陥れば踏み倒し、損切りすりゃ好い(笑)

 国の「借金」という赤字国債も、どうしようもない状況になれば無利子の国債に移行すりゃいいし、だが、そうしたことを実行するほどの危険水域でもない。

「日本には1400兆円に上る個人金融資産があり、国債の大半を国内で消化しているため問題はない、とする意見も聞くが、資金の余剰幅は年々縮小しており、素人目にはどう見ても危険水域に達している」と感じてしまう。我が国の将来が今の価値観の儘で推移して行くとはとても思えないし、どこかで転換を図らねばならない。

 赤字国債が大幅に発行され始めたのは宮沢内閣からで、こうした赤字国債に依存して来た訳ではない。それを考えれば解決方法は自ずと見えて来るのではなかろうか。それにしても「河野談話」といい、経済優先政策といい宮沢内閣の罪は重い。

 更に笹川は、「財務相の諮問機関である財政制度等審議会は4月、このままで推移した場合、半世紀先の2060年には国と地方の債務残高がGDPの約4倍、8150兆円に達するとの試算を公表した。現在、集団的自衛権論議が盛んだが、このままでは安全保障より年々、累積する債務で国が自壊しかねない」との意見を述べる。

 だが、半世紀後のことを単純に数字で出すことに違和感もあるし、「現在、集団的自衛権論議が盛んだが」というのも、集団的自衛権なんぞより財政健全化こそが大事であるという発想は如何なものだろう。親父が草葉の陰で嗤っているぞ!

 その後、笹川は消費税への意見を述べた上で、「財政を立て直すには、あらゆる制度・仕組みを見直し、総力を挙げて『入』を増やし『出』を減らすしかない」と、誰でも分かる当り前のことを当たり前の様に語っていた(笑)

 そして、「『明日の日本』をどう築くか、政治家は議員定数、報酬削減を早急に実現し、有権者受けを狙った“ばらまき”と決別すべきだ。『先ず隗(かい)より始めよ』。それが自らの覚悟と範を示すことになる」と力説する。「政治家は隗より始めよ!」とは愚生が常々言っていることで、些かの異論はない。

「江戸時代、米沢藩の上杉鷹山公は藩財政の窮状を藩民に分かりやすく説明するとともに目安箱などで幅広い知恵を集め、財政支出の削減と産業振興による収入増を実現することで領地返上寸前だった藩財政を立て直した。今、求められているのは、こうした知恵と行動だ」と呈していたが、鷹山公は教育の大事さも訴えている。

 財政再建といえば。第九代米澤藩主に就いた上杉鷹山だろう。鷹山は、逼迫する財政を改革に立ち上がる。その際、鷹山公は「受け継ぎて 国の司の身となれば 忘れまじきは 民の父母」(藩主として自分の仕事は、父母が子を養う如く、人民の為に尽くすことである)と詠まれた様に、上に立つ者の心構えこそが大事であると説くのだ。そして鷹山が先ず手を付けようとしたのが、領民の心である。

「単に帳簿上の赤字を克服すれば財政再建が出来るという訳ではない。今は困窮の余り、この国の人々は目先の利益のことしか考えず、他人のことを思い遣れなくなっている。人々の心にも赤字が生じてしまったのだ。これを克服しなければ、喩え帳簿上の赤字を克服したとしても、また同じことを繰り返すだろう」

 これこそが今の日本に必要なことであろう。現在の日本を見れば困窮している訳でもないのに人々は他人を思い遣ることなく、資本家も国も政治家も営利至上主義や経済のみに狂奔し、人心の荒廃極まれりといった様相を呈している。

 鷹山公の訓えた「心の赤字」を解消すること、つまりは「心の教育」、「道徳教育」の実行であり、他人を労わる心を育む教育を如何に施すかが大事なのだ。

 それには「政治家が隗より始めよ!」という率先垂範が伴わなければならず、何より政治家が国民にその範を示すことこそ大事であるのだが、そうした気概を持つ政治家がいないのも確かで、我が国の不幸は政治家のこうした為体に在る。

 戦後、国民は米国の価値観にどっぷり浸り便利と豊かさを求め、企業は営利至上主義に狂奔して来た。政治家もまた国益を無視し、党利党略、私利私欲に塗れ、保身と次の選挙のことだけを考え、バラマキして来た結果が、現代日本の姿なのだ。

 笹川はこういう。「必要なのは、危機感の共有と財政立て直しに向けた気概である」と。だが今やるべきことは財政立て直しではなく、日本人という生き方を忘れてしまった国民の心の赤字の解消であり、教育の充実を図り、我が国に誇りを持ち、将来を託せる子供達や若者達を如何にして育て上げるかが肝要である。

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2014年08月29日

今年も夏休み中に多くの人が成田空港を利用したが

 夏休み中に海外へ出国した人は約260万人、内約170万人が東京国際空港(成田空港)を利用したというニュースを目にした。成田空港が開港したのは昭和53(1978)年5月20日。この空港が計画されたのは昭和37年で、計画に11年、着工して5年有余、実に計画から16年もの年月が費やされて漸く完成した。

 成田空港が計画されたのは、羽田空港の発着数が増え夜間のピーク時には満杯となり、運行作業も秒単位と言っても過言ではないほどの危険極まりない状況となり、我が国の空の玄関としての面目保持は覚束ない状況となり、国際的信用に係わる重大な問題で、人命の安全からも「新東京国際空港」建設の必要性を感じたからだ。

 この計画が持ち上がると、日本社会党と日本共産党を中心とした左翼らお決まりの「反対屋」が、「新空港は軍事目的に使用される恐れがある」と国民を誑かす。

 一方で、「一坪地主運動」の戦術を使い、地下壕を掘ってのモグラ作戦、見張り塔を造っての空中籠城作戦など、あらゆる嫌がらせ、手段を駆使し、終には警官3名を撲殺、その他多数の負傷者を出すという事件まで惹起して建設阻止に狂奔した。

 この事件の直後、グループの最高責任者が英雄気取りで記者会見し、「警察官が殺されたのは当然の報いである」と言い放った。然るに治安当局は、社共両党に気を遣い、事勿れ主義的弱腰な態度で対応し連中を付け上がらせる要因を招いた。

 当時のマスコミもまたこれら過激派学生に共鳴し、左翼の活動は「平和運動」と詭弁を弄すに至る。現在もその左翼への同情や共感は止むことはない。

 今やその成田空港は空の玄関としての役割を果し、外国人観光客や国民も多くの人々が利用する。当時、反対闘争に明け暮れた左翼らも利用しているに違いない。

 抑々、左翼らの反対の狙いは、反対の為の反対運動であり、何が何でも自民党政府の政策にケチを吐けて、これを妨害し、あわよくば、計画を失敗に帰せしめて、政府の命脈を断とうとする政治謀略である。全てが破壊活動でしかない。

 現在の「反原発」「反オスプレイ」「反集団的自衛権」「反靖國」「反天皇」などの左翼陣営に因る反対運動はこれと同じ短絡的政治謀略に端を発している。

 当時、新国際空港の建設は前述した様に国家的至上命令とも言えるもので、これに反対することが政治謀略でないとするならば、羽田空港の危険度をどの様にして解消出来たというのか。今からでも遅くはない説明して頂きたいものだ。

「新空港は軍事目的に利用される」というトンチンカンな理由を見れば、「集団的自衛権で徴兵制度になる」だとか「若者が再び戦場へ送られる」といった現在の左翼の主張も、あの成田闘争から何ら変わり映えしない主張であるかが理解出来よう。

 政治家諸公は国民の血税で旅行する。これも公務の内だというが国民の多くはそうは見ていない。海外へは殆どが成田空港を利用している。勿論、当時大反対し人殺しまで煽動した社共のセンセイ方も等しくこの空港を利用する。

「先輩方がやったことで関係ない」といえばそれまでだが、何の顔(かんばせ)あって利用出来るのだろうか。死ぬまで利用しないという信念なんぞ彼らにはない。こうしたことでもあの闘争が薄っぺらなものだったかが理解出来るというものだ。

 余談だが、大日本愛国党総裁の赤尾敏は新空港建設地に土地を保有してたのを知る人は少ない。大日本愛国党総裁の土地ということで破格の金額で立ち退いたという。赤尾総裁は、その貰った億単位のカネを息子らに生前贈与する。

 本来ならば右翼勢力の体制強化に使えば好かったものを、まぁ右翼の巨頭と雖も所詮はマイホーム主義者だったということか。やはり右翼の後輩らより子供の将来は心配だった様で、斯くして赤尾総裁は無一文となった(笑)

 赤尾は「右翼にも色々あって、現体制擁護を言うだけで何の政策もないのは反動右翼だよ。財閥上におごれども、なんて歌っていながら、大会社のガードマンやったり、債権取り立てをやっているというのでは、天がゆるさない」とか批判してるが、自分は莫大なカネ(血税)を子供らに生前贈与してながらよく言うわ(笑)

 右翼の先輩方を見てると真面目な活動家だった人というのは如何せん金儲けが下手で、金儲けの上手な人というのは如何せん思想に乏しく、両方に長けてる人もいなけりゃ、肝心なカネの使い方が下手クソなのが多い。

 その昔「防共グループ」に防共同志会という団体が在った。九州出身の新貝宰会長は顔も厳つく、演説も巧く、押しも強いので総会屋としても有名な存在だった。

 愚生よりも一回り上だったが、当時から随分と羽振りもよく、芝公園前のマンションを始め不動産も多く保有し、将来的にも右翼のリーダーになるものだとてっきり思っていたが、40歳前にして突如引退してしまったのは不思議だった。

 その理由を先輩でもあり、友人でもあった右翼浪人の横山武彦が「新貝が引退したのは何のことはない、もう一生働かなくても遊んで暮らせるカネを貯めたからだって言ってたよ。まぁ億、然も二桁は行くだろうな(笑)」と教えてくれた。

 横山と全国放浪の旅に出た際に元会長と会う機会があった。富山市の建設会社の娘と結婚し悠々自適に暮らしていた。右翼人生を全うするのも好いが、どんな手段であろうとカネを掴んで引退するいう生き方も悪くはない。つ~か、無理か(笑)

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2014年08月28日

医療費11年連続で過去最高を更新し年40兆円に迫る

 厚生省は昨年度(平成25年)に医療機関へ支払われた医療費が概算で39兆3000億円となり、11年連続で過去最高を更新したと発表した。我が国の歳入は約50兆円、単純に見ればその約8割が医療費ということだ。前年度と比べ8000億円増。このまま推移すれば10年後の医療費は50兆円を超えると予想されている。

 何故に、医療費がここまで増大してしまったのかといえば、日本医師会の票とカネ目当ての政治家どもが、医療制度や医療行政の改革に手を拱き傍観を極め込んでいたことが原因であり、我田引水的医療制度を創り出して来たところに在る。

 医療制度の改革は、自民党を始めとした政治家と日本医師会の馴合いを矯正する必要があるが、その実行は不可能に近い。医師会は選挙になると抜群の集票力を持っている。資金も潤沢であり、政治家はこの医師会の票とカネ欲しさに媚び諂う。

 民主党が政権に就いたのも医師会の支持表明に因るところも少なくなく、民主党政権に見切りを付けた医師会は自民党に再度鞍替えし安倍自民党を支援した。

 愚生が右翼団体に入隊した昭和54年、日本医師会の会長は「喧嘩太郎」と言われた「武見太郎」という人物が君臨してた。「医師優遇税」問題を巡り、医師会は、自己の意の儘にならない自民党議員に憤慨し、「次期同選挙では自民党代議士を50名程落選させる」と豪語し、当落線上にいる自民党議員を震え上がらせた。

 そのカネを握らせて抑え込む手口は暴力団そっくりで、未だそうした陋習は国会にも蔓延り、医師会の思い通りに事が進められている。その時代から比べれば日本医師会もこじんまりしてしまったが、逆に構図が分かり難くなり、然も政治家に媚び諂う様に見せかけては、算段に長けた強かな輩が牛耳っている様にも思える。

 現在の政治家で、こうした構造的に腐敗している医療制度にメスを入れ、真の医療制度の確立を訴えれば国民の共感を得るのは間違いないと思うのだが、そうした覚悟を持った政治家もいない。昨年だったか麻生太郎が、医療費負担について「食いたいだけ食って、飲みたいだけ飲んで、糖尿病になって病院に入っているヤツの医療費は俺達が払っている。公平ではない。無性に腹が立つ」と語り物議を呼んだ。

 麻生は医療費の抑制策として、病院に通わずに医療費が掛からなかった高齢者に対して、「『10万円をあげる』と言ったら、医療費は下がる。それが最もカネが掛からない方法だ」とのアイデアを披歴したが、その理屈は決して間違ってはいない。

 介護保険でもそうだが、何でもかんでも利用しなきゃ損みたいな風潮に一石を投じる意味でも「健康高齢者褒賞金制度」は面白い試みであり、大いに結構なことで、是非とも実行して頂きたいものだ。麻生は終末医療についてもこう語った。

「私は少なくとも遺書を書いて、そういうことをして貰う必要はない、さっさと死ぬからと書いて渡しているが、そういうことが出来ないと死ねません。いい加減、死にたいと思っても『生きられますから』なんて生かされたんじゃ、叶わない。しかも政府の金で(高額医療を)やってもらっていると思うと寝覚めが悪い。さっさと死ねる様にして貰わないと」。この発言にしても激しく同意するものだ。

 その上で麻生は、「残存生命期間が何カ月かとそれにかける金が月に一千何百万円だという現実を厚労省も一番よく知っているはずだ」とし、終末医療での財政負担が重い現状を指摘したが、正論であって批判されるべき発言ではない。

 国家予算に占める医療費の負担は年々殖え、今や我が国の財政を危機的な状況にしている医療費の現実や医療の実態を国民一人一人が知り考えることは大事だ。

 国民医療費は年々増加の一途を辿り、内、高齢者の医療費は医療費の増加と比例する。麻生の「健康高齢者褒賞金制度」は予想以上の成果を齎すのではなかろうか。

 新薬や医療技術が向上するのは大いに結構な話しだが、華美で分不相応な病院施設も目立つ。「本当にそんなものが病院に必要なのだろうか」と疑問も多い。

 医療に携わる医師や製薬会社が、「医を以て世に尽くす」という根本に立ち返らない限り、医療費は殖え続けるだろう。厚労省は価格の低い「後発医薬品(ジェネリック)」の利用促進や入院日数短縮など、医療費抑制策に取り組んではいるが、現実的には「焼け石に水」で、医療費高騰の歯止めどころか膨らむ一方。

「乱診乱療」「薬漬け」「保険点数の水増し請求」「大口脱税」「在宅医療」など、「医を以て世に尽くす」どころか営利に狂奔する悪徳医師の構造的腐敗にメスを入れることが、膨れ上がる医療費の見直しにも繋がる訳だが、如何せん、聖域化してしまっている医療制度を抜本的に改革しようという政治家もいないのが現状だ。

 高齢化社会に向けて、社会保障の充実や医療技術の向上を図ることは結構なことだが、現実はそうはなっていない。日本医師会が牛耳る医療行政にメスを入れ、現在の「医は算術」と言わんばかりの医療制度の正常化を図ることこそ大事だ。

 麻生でなくても、終末期医療については疑問を抱いてる国民は少なくない。欧州などでは終末医療での延命治療は「虐待」だと捉えられる。助かりもしないのに医療費目当てにズルズルと生かされたのではホント堪ったものではない。

 家族に迷惑をかけずに、コロッと死にたいというのは誰もが持つ死生観だろう。人の人生は様々だろうが、「生」というものだけに拘るより、個々の「死」の尊厳というものを重んじる医療というのも考えて行かねばならないと痛感する。

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2014年08月24日

河井継之助の終焉の地・会津只見から越後長岡への旅を企画してみた!

 河井継之助は越後長岡藩の家老であり、その評価は賛否両論あるが愚生的には幕末の武士の中でも、坂本龍馬や吉田松陰などより最も尊敬する英雄である。

 慶応4(1968)年1月3日(新暦1月27日)、鳥羽伏見の戦いが勃発。西軍は次第に勢力を強めて、3月には江戸城開城、上野寛永寺の戦いなどにも勝利し、最大の目標である会津を目指し北上する。7月、北越の地にも西軍が迫る。

 長岡藩は、継之助の下、藩内を統一し「非武装中立」を貫こうとするも、西軍の岩村精一郎との会談が決裂し、継之助は東軍勢力として戦うことを決意する。

 歴史に「もし」はないが、河井継之助と岩村の対談がもし成功していれば、また西軍が岩村の様な小僧ではなく、山縣有朋や板垣退助らがもし対応していれば「会津戦争」の戦いは避けられ、日本の歴史も大きく変わってたことだろう。

 この後、長岡藩は奥羽列藩同盟に加わることとなり、「北越戦争」へと突入する。北越戊辰戦争において長岡藩兵は近代的な訓練と最新兵器の武装を施されており、継之助の巧みな用兵により開戦当初では新政府軍の大軍と互角に戦った。

 然し、圧倒的物量を有する西軍に比べて、絶対的な兵力と武器に劣る長岡軍は徐々に押され始め、5月19日(7月8日)長岡城を奪われることに。だが、その後の6月2日(7月21日)、今町の戦いを制して逆襲に転じると、7月24日(9月10日)夕刻、敵の意表をつく「八丁沖渡沼作戦」を実施し、翌日に長岡城を再び奪還した。

 この戦いは日本の軍事史に残る快挙であり、関東軍参謀で陸軍中将・石原莞爾の陸軍大学校に於ける卒業論文は、河井継之助のこの戦術を研究したものである。

 だが、この長岡城奪還の代償は大きく、奪還を果たした当日、継之助は左膝下に被弾、重傷を負う。これに由り長岡藩の士気が下がり戦線は次第に後退して行った。

 継之助は、家臣や同士から、「会津藩を頼り、会津で再起を図ろう」という進言を受けるも、故郷・長岡で死にたいとの思いからこの申し出を拒否する。

 だが、戦局は益々不利となり、継之助の傷も化膿が酷く、破傷風に罹ってしまい、已む無く会津での捲土重来を期すこととなった。会津へは国境の「八十里峠(はちじゅうりとうげ)」を超えなければならなかった。実際には8里(約30キロ)程度の道のりだが、その山道は険しく、この「八十里峠」という名前がそれを現している。

 峠越えの途中、継之助は「八十里こしぬけ武士の越す峠」の句を詠んだ。腰抜けと越後の「腰」を掛けた洒落た詩だ。8月5日(9月20日)、会津領の只見に入る。

 叶番所で休憩した後、只見村の目明し清吉宅に身を寄せ7日間を過ごす。8月12日(9月27日)に只見を出発、塩沢村に到着し塩沢の医師・矢沢宗益宅に留まる。

 15日(30日)夜、継之助は従僕を呼ぶと、「松蔵や、永永厄介して呉りやって有難かったでや」と労いの言葉と共に死期を悟った継之助は火葬の仕度を命じた。「松蔵、火を熾(さかん)にせよ!」。司馬遼太郎の「峠」で感動したシーンだ。

 翌16日(10月1日)の昼に継之助は談笑した後、ひと眠り就くとそのまま危篤状態に陥った。再び目を覚ますことのないまま、同日午後8時頃死去。享年42。

 河井継之助終焉の家(矢澤家)は昭和36年(1961年)、只見川電源開発による水没の為、現在は福島県只見町の河井継之助記念館内に移築されている。

 という訳で、河井継之助の足跡と生き様を偲びながら、逆コースではあるが、終焉の地・只見町に在る記念館から長岡へ戻る逆のコースを辿る旅を企画しています。

 予定では、9月20日から2泊3日。郡山~会津~会津川口までは電車。金山町~只見まではバス。只見から長岡まで徒歩。野宿は決定的ですので御覚悟を(笑)

 予定は未定で、行き当りばったりの旅。途中、熊との遭遇するかも知れませんが誰か同道しませんか。それよりカンパしてくれる奇特な方はいませんか(笑)

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2014年08月22日

民主党海江田代表、土砂災害での安倍首相の対応を批判!?

 広島市安佐南区の土砂災害での死者・行方不明者が90名を超えた。警察当局も把握していない被害者もいる可能性もあり、更に死者は増える恐れもある。

 この状況下、安倍首相が山梨の静養先に戻ったことに対し、民主党の海江田代表は「びっくりした!」などと批判した。恰も首相自ら現地に赴いて陣頭指揮をしろとでも言いたげだが、こんなことでびっくりする海江田にもビックリする(笑)

 この前日にも静養先で森喜朗元首相らとゴルフをプレーしていた安倍だが、土砂災害の一報を受けて、ゴルフを途中で切り上げで急遽帰京、対応を指示し、古屋大臣を現地に派遣した。安倍の対応や判断は凡そ的確だったと言えるのだが。

 海江田は記者団に「こういう時だからこそ官邸や公邸に詰めて情報収集に当るべきだ」とキレイゴトを強調する。社会党の又市幹事長も「行方不明者がいる状況で別荘に戻るのは如何なものか。とんでもない判断だ」とここぞとばかり断じる。

 マスコミは、同じ土砂災害の記事の中で宮内庁が、天皇、皇后両陛下が多くの犠牲者が出ていることに配慮し、予定していた軽井沢と草津での静養を取り止められたとの発表をリンクさせ、如何にも安倍の対応が拙いものであるかを訴える。

 日頃、陛下や皇室を軽んじる連中が、ここぞとばかり国民に寄り添う陛下の大御心を利用する様に違和感を感じざるを得ない。安倍は両陛下の「静養取り止め」の報を受け、自らも別荘を出て私邸に戻った。批判される様なものではない。 

 ゴルフで辞任に追い込まれた人物で思い出されるのは森元総理だろう。今回も安倍は森元総理らとゴルフをしていたというのも何か謂れ因縁を感じてしまう。

 平成13年2月10日、ハワイ沖で愛媛県立宇和島水産高等学校の漁業練習船「えひめ丸」が、米国海軍の原子力潜水艦「グリーンビル」に衝突され9名が亡くなった。

 森は、ゴルフ場でその一方を聞いたにも拘らずプレーを続けたことで、「危機管理の意識が欠落している」との批判を受け、総理辞任に至る要因になった。

 今回の野党やマスコミの安倍への批判は、この森の対応を踏まえた「二匹目の泥鰌」を狙ったものであり、あの森への成功をまた目論んでいることは明らか。こうしたことでしか安倍政権を責めきれない野党というのも実に情けない。

「えひめ丸」の事件で批判されるべきは米国であり、この事故は色々と原因が取り糺されてはいるが、最大の原因は米国人による日本人蔑視であったことが大きい。

 当時、原潜「グリーンビル」に同乗していたの民間人は真珠湾の「ミズーリ保存会」のメンバーであり、事故が故意ではないにしろ、「ジャップの船だ、驚かしてやろう!」という気分が艦内に横溢していたことは想像するに余りある。

 責めるべきは森のゴルフではなく、米国の日本人蔑視と事故の究明であったが、結局は、その後に有名な「神の国」発言も相俟って間もなく辞任に追い込まれた。

「神の国」発言が批判された森だが、因みに、米国の教科書では、「イザナギ」「イザナミ」の国生み神話と三種の神器が絵入りで紹介されており、更に「日本は神の国で、国名は日の神である天照大御神の太陽信仰に由来する」と教えている。

 正に我が国は「神の国」なのである。「日本は神の国」という至極真っ当な発言がバッシングを受けたのは如何にも戦後の日本らしい、摩訶不思議な出来事だった。

 時代は変わり、民主党政権下、宮崎県で口蹄疫の感染が拡大した。拡大した原因は担当大臣だった赤松農相の外遊に因るところが大きく、口蹄疫が発生していたにも拘らず、憧れのカストロ閣下に逢う為にキューバの外遊を優先した。

 更に赤松は、外遊中はゴルフ三昧だったのは周知の事実である。赤松のこの外遊とその後の行動や帰国後の言い訳を聞いて見ると危機管理意識が皆無であり、村山富市元アホ首相の阪神大震災時の救助の遅れを彷彿させるものだった。

 赤松の責任を問われた当時の鳩山由紀夫首相は、「責任論よりも迅速な措置を取ることだ」と詭弁を弄したが、口蹄疫が広まった中での「迅速な措置」には唖然呆然。

 赤松を更迭もせず、当時の平野官房長官は「指示が無く、事務方が動けなかった」と、トンチンカンな対応ぶりには呆れかえった。「政治主導」を口にし、官僚体制を打破すると宣い乍ら「事務方が動けなかった」とは開いた口が塞がらない。

 今回の土砂災害事故は、民主党政権下で実行された「コンクリートから人へ」とした公共工事を目の仇にした結果でもある。「1000年に一度来るかどうかも分からない津波にそんな予算を付けられない」と仕分けしたのと同じ構図である。

 責任を追求することは容易いが、喫緊にやるべきこと「日本強靭化対策」であり、国防も防災も領土保全も同一線上に在るという観点から、その妨げになっている一切の法令を見直し図るべき。その妨げになっている法令こそが日本国憲法である。末尾に当り、今回の土砂災害で犠牲になられた方々に対し御悔み申し上げます。

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2014年08月20日

全国戦没者追悼式典を無視し民団の光復節に出席した売国議員どもに厭きれる

 8月15日の昨日、国会議員でありながら全国戦没者追悼式典に出席もしないで、あろうことか民団主催の「光復節」に出てたのには厭きれた。福島瑞穂や白真勲が出るのは別段驚きもしないが、自民党の議員までもが参加するとは何事か。

 テレビでは8月15日、若者への街頭インタビューが流されていた。「8月15日は何の日か知ってるか?」「日本はどこと戦争したか知ってるか?」と尋ねる。

 すると若者らは「キャ~ウケル~」と言わんばかりにあっけらかんと「そんなこと知らない」「え~マジで」と知らないことを恥だとも思わず明るく答えていた。

 マスコミの世論操作なのだろうか、それとも本当のことなのか、暑い東京の九段の靖國神社前に何故に彼らが集まってるのか不思議な光景を目の当たりにし唖然となった。国会議員があの程度なら、若者がこうだとしても責める気にはなれない。

 安倍総理は前回の総選挙で「我が国に誇りの持てる教育を施す」と訴え、愚生もその一言で応援する気になった。だがどうだろう。自国の歴史、然も国の存亡を賭けて戦った大東亜戦争の意義も教えることなく、唯経済政策のみに狂奔してる。

 これでは靖國の英霊は無駄死にだったと言われても仕方あるまい。まぁ見方を変えれば、若者らがあっけらかんと答えられる時代は、英霊の望んだ「平和」とも言えなくもないが、団塊の世代の「平和ボケ」の二の舞だけは避けなければならない。

 韓国も同じ様なもので、8月15日は日本から独立を勝ち取った記念日であると信じて止まない国民は多い。ただ単に連合国から解放されただけで独立を勝ち取ったのではない。何故に韓国民は冷静に自国の歴史を振り返らないのだろう。

 韓国の国是である「反共」も「反日」も、韓国初代大統領の李承晩が実行したものだ。李承晩は日本統治時代より「大韓民国臨時政府」を標榜し、海​外で反日活動を行ってたが、戦後、米国の威光で初代大統​領に就任。李承晩が米国の傀儡と言われる所以である。韓国民は、未だ李承晩らが創り上げたウソの歴史を鵜呑みにしている。

 韓国人というのは愛国者​気取りで我が国にだけに憎悪を剥き出しにする。この安っぽい「反日」が愛国行為だと思っているのも滑稽な話しだが、日本への歴史認識を云々言​う前に、韓国こそ冷静に公正な自国の歴史を学ぶべきだろう。

 だが、悲しいことに韓国のその愛国心は安っぽい「反日」のみで、その​洗脳から覚める気配は全くない。ある意味、日本人が米国の占領政策によって自虐史観を植え付けられた日本のバカ左翼と同じで、そう思うと気の毒でもある。

 韓国のウソの原点は李承晩の「大韓民国臨時政府」のウソに在る。​国定教科書でも「対日宣戦布告」等を過度に強調する余り、ウソに​ウソを重ねるしかなくなっているのが現状なのだ。「屋上屋を架す」という言葉があるが、今更そのウソに気付き乍ら、間違いを認める訳にはいかなくなってしまっているというのが真相だろう。

「日清戦争」も朝鮮を巡る戦いだったが、日露戦争後の日韓関係の悲劇の現実が「日韓併合」であり、大東亜戦争​も「日本人として共にアジア解放の聖戦に立ち上がった」というのが真実であり歴史的事実。その事実を伝えないで、李承晩が「臨時政府として対日宣戦に​参加した」などというウソを教えるからややこしくなる。

 そろそろ韓国人もウソに気付いたらどうなのだろう。 韓国は憲法前文で「大韓民国は3.1運動により建てられた大韓民​国臨時政府の法統を受け継ぐ」と規定している。だが、その「大韓民国臨時政​府」は国際的にも認められていない。

 戦後解放された韓国は戦勝国気取りで「サンフランシスコ講和条約」への​署名を懇願するも認められなかった。こうした国際的な常識を無視し「独立を我々の手で勝ち取った」と​捏造してしまったところに韓国の悲劇が在る。

 韓国民のこうした現状は決して他人事ではない。昭和維新の歌に「ああ人栄え国亡ぶ、盲(めしい)たる民、世に踊る」との一節があるが、今の日本人の多くが、世の中の真実や現実世界が見えていない。正に「盲」そのものでもある。

 今こそ人を育て上げねばならないと思う。教育は国家の大本である。我が国の目指すべきは「観光立国」ではなく「技術立国」であり「教育立国である」。

「我が民族の将来と国家の前途を思うは人間の最も真剣なる感情であり、君国に忠、親に孝なるは最も現実なる道徳である。之を離れては人類愛も世界的正義も空想に過ぎない」とは、哲学者・西晋一郎の言葉だが、今成すべきことは如何にしてこうした「現実なる道徳」の教育を子供達に如何に施して行くかである。

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2014年08月15日

「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に思う

 69回目の終戦の日を迎える。8月15日は「終戦記念日」とされているが、正式には「戦没者を追悼し平和を祈念する日」であり、敢えて言うなら「平和祈念日」が相応しい。この日の靖國神社周辺は左右両陣営入り乱れて騒然となる。

 官房長官談話の通り、「国民1人ひとりが夫夫の場所において戦没者を偲び、心から黙祷を捧げる」ことが大事で、何も靖國神社や護国神社に出向くことが大事なのではない。先の戦争で犠牲者は靖國神社に祀られている英霊の方々だけではく、保守陣営が靖國神社のみに拘れば拘るほど違和感を持つ国民もいるのではなかろうか。

 政治家や保守派、或いは右翼陣営というのは、8月15日の「靖國」を単に利用しているだけではないのか。8月15日の喧騒が続けば続くほど、陛下の御親拝は遠退くばかり。そう考えればあの騒々しさは、贔屓の引き倒し以外の何物でもない。

 過去を振り返れば、歴代政府にしろ、政治家にしろ、我ら日本人にしろ、公正且つ公平な目で大東亜戦争に至る歴史を検証したことがあるだろうか。また、護国の英霊を祀る靖國神社の成り立ちや在り様を検証したことがあるのだろうか。

 国家の大本を論じることなく、経済復興や景気対策といった目先のことばかりが優先され、結果、中韓からの要らぬ抗議を避ける為に謝罪や譲歩を続けていただけではないのか。また、カネをばら撒くことこそが外交だと勘違いして来たのではないのか。主権国家、道義国家として果たして何を成すべきなのか。

 如何なる国家も、その国家の為に殉じた方々に対して敬意を払う権利と義務があるのは言うまでもない。国家の危機の要請に応じ、敢然と戦場に赴いて戦い散って逝った英霊に対し、感謝の誠を捧げることは世界の何処の国でも当然のことである。

 靖國神社の在り様を思うと、我が国の政治家が国家に殉じた英霊に敬意を示さない姿は、とても国民の義務を果たしているとは思えない。このことがどれだけ国民精神の頽廃を招いているか、我が国の政治家は省みたことがあるのだろうか。

 愛国心の欠落、その結果としての国防意識の低下、日本人としての誇りや自信の喪失、子殺しや親殺し、高邁な日本精神の欠落等々、我が国社会に蔓延する問題の全ては、ここに起因していると言っても過言ではないのではないだろうか。

 現在の我が国の平和や繁栄が、靖國の御祭神となられた尊い犠牲の上に成り立っているということを忘れてはならないことは言うまでもないが、それと同時に我々は、先人が遺した「誇り高き日本精神」というものも忘れてはならないのだ。

 政治で大事なものは「国防」と「教育」であり、誇り高き日本人を育成することこそ急務である。教育の充実を図り日本人としての矜持を取り戻そうではないか。

「明治維新」「日清戦争」「日露戦争」「大東亜戦争」は日本人の矜持を語る上で重要な歴史であり、これらの戦いを貫く精神は一つである。一言を以てするなら、欧米の有色民族支配に対する抵抗と反撃であり、それらを我が国は唯一国でやり抜いたのである。隣国は全く覚醒せず、それどころか我が国を見下し侮蔑し続けた。

 中華思想や小中華思想、或いは自大思想に骨の髄まで浸り、孤軍奮闘して自国の独立並びに東亜の保全を確保しようとする我が国の精神を終には理解することは出来なかったのだ。それ故に、我が国は唯一人立ち上がり、巨大ロシアそしてアメリカ、イギリスという世界最強国家を相手に戦わざるを得なかったのである。

 これ程の困難に満ちた歴史を歩んだ国が他に在っただろうか。日清・日露戦争の勝利という歴史的偉業を成し遂げた国が在っただろうか。我が国がロシアに対し敢然と起ち上がったあの時代、世界はこれを正気の沙汰とは見なかった。

 極東の島国の日本が、巨大帝国ロシアに勝つことなど誰もが予想だにしなかったのは当然のことだっただろう。だが、世界の予想を覆し我が国が勝利した。その勝因は果たして何処に在ったのか。国力、軍事力など物理的要素は惨敗しか有り得ず、とすれば、あの勝因は精神的要素以外に無いと言わねばなるまい。

 結局、国難に打ち克つ為に重要なことは、国民性が大事であり、そして民度や教育度は勿論のこと、指導者の能力や将帥の統率力や士気などの精神的要素が大事だということだ。現在、我が国が直面している全ての問題は、「日本人が日本人であることを見失った」ことに起因していると言っても過言ではない。

 冷戦が終わり、欧米主導の西欧近代の終焉が叫ばれ、新たに国際環境が激変しようとする中で、我々日本人は「日本とは何か」「日本人であるとはどういうことなのか」「日本に生まれたということは何を成すべきなのか」ということを考え、近隣諸国は勿論のこと世界の国々と向き合うべきではなかろうか。

 何度でも言うが、現在の平和や繁栄が先人の犠牲の上に在ることを忘れてはならない。それと共に、先人が遺した「誇り高き日本精神」こそ忘れてはならない教えである。今こそ日本人であることの証しを示さねばならない秋でもある。

「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全ての戦没者に対し心より哀悼の意を表し、改めて平和の尊さを護り行かねばならないと決意を新たにする。黙祷。

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2014年08月14日

果てしない大空と広い大地のその中で♪札幌2泊3日の旅の備忘録。

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 11日、10時25分発で札幌に向かう。台風の影響で遅れが出てる様だ。空港のラウンジで旅の無事を願いモーニングのサンドウィッチをつまんで乾杯。キンキンに冷えた生ビールとの相性抜群で、お代わりを頼もうと思ったが愚妻に諫められた。

 10分ほどの遅れでどうにか出発。乗れば1時間ほどで札幌だ。結構揺れたが、飛行機初搭乗の愚妻はあんなものだと思ってた様で快適な様子だった。札幌に到着。松山千春の「大空と大地の中で」の一節が頭の中でリフレインする。

 新千歳空港からは電車で札幌へ。宿泊は駅近くのセンチェリーロイヤルホテル。チェックインは3時と聞いていたが、手荷物が重いので預かって貰おうとホテルに向かうと、「お部屋にご案内できます」とのことで手続きをしてチェックイン。

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 昼飯は「函館うに・むらかみ」で愚妻は「三色丼」と冷酒、愚生は「無添加生うに丼」と生ビール、店員が「ラストオーダーです」というので冷酒を追加(笑)

 程好く酔っ払い、近所を散策。愚妻は夕方予定していた「だるま本店」には行かないというので、札幌東急デバート地下の飲食店で愚妻の晩酌のつまみと酒を調達し、ホテルに送って1人のんびりと散策しながら「だるま本店」へ向かった。

「だるま本店」は北朝鮮出身の店主が経営する店で、その昔、脱税で摘発された曰く付きの店でもある。「北朝鮮の然も脱税した店に右翼人が行くのは拙いんじゃねぇ」との声も聞こえて来るが、大体食べ物に主義主張は関係ねぇ(笑)

 北海道には北方領土返還の運動や日教組で幾度となく訪れている。ジンギスカンの美味しい店も在るのは知っているがやはり「だるま本店」が好い。「明日死ぬと言われたら何を食べたい?」と聞かれれば「だるま本店」のジンギスカンというのは今でも変わっていない。久しぶりに食べて思いは変わっていない(笑)

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 夕方の4時30分に「だるま本店」に到着すると既に1組2名が並んでた。3番目に並び、開店まで待つこと暫し。5時の開店時には既に2、30名の行列が出来てた。

 愈々入店となった。案内された席に座ると店員さんがジンギスカン鍋を置き、玉葱と長葱が載せられる。生ビールを注文したと同時にジンギスカンが出される。ここは「生マトン」。生ラムも美味しいがジンギスカンは生マトンが旨い。

 狭い店内はあっという間に煙が充満し煙いのなんの。それでも生ビールをお代わりし、ジンギスカンも3皿平らげ、20分ほどで店を出た。早いでしょ(笑)

 店を出ると、大日本愛国党北海道本部政治局長の雪田顕正さんが立っていてビックリ。何やら携帯やfacebookで連絡してた様だがそれに気付かず恐縮至極。

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 本格的に飲むには早い時間だったので何処もやっていないということで、雪田さんの知人の経営する「スパホテルソーレ」屋上でやってるビアガーデンで一献することに。因みに「SOLE」という店名は「総連」から採ったものらしい(笑)

 雪田さんとはFBでのやり取りはあったが会うのは今回が初めて。人相風体も、着てる服も似てて、何か弟に会った様な感じで初めてという感じがしない(笑)

 自身の渾身の悩みや、大病を患ったことなど微塵も感じさせない雪田さんに男気を感じ、好漢との一献は正に、「一献歌」の歌詞の如く、「男の酒の嬉しさは忽ち通う意気と熱」。ということで、「いざ、我が友よまず一献」と相成った。

 ところが1杯目も終わらないうちに雨がぱらぱらと。まぁ直ぐにあがると思っていたが、益々酷くなるばかりで撤収し、下の階のレストランへ移動した。いつものことだが程なく酔っ払い、論談風発して時の過ぎるのを忘れる。

 その後、雪田さんの行きつけのバーに移動。雪田さんの門下生・村井祐介さんに出迎えられた。好さ気なバーだったのだが酔っ払ってて名前も覚えていない(笑)

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 バーボンソーダを何杯飲んだだろう。何を語り、何を聞いたのかも定かではないが、まぁ酔っ払った時の言葉こそ本音だと思っているので気にはしていない(笑)

 雪田顕正という好漢との邂逅と、心地好い酒の余韻を味わいながら、薄野から酔い覚ましがてら歩いて宿泊先のセンチェリーロイヤルホテルに向かった。

 札幌二日目。今日は愚妻を旭山動物園に連れて行く。夫婦共々動物は好きで、動物は癒される。ということで、バスターミナルに向い手続きを済ませる。

 9時過ぎに出発、旭山動物園まで途中休憩を挟み約2時間半。座席は前々から予約していたので最前席、運転手より見晴らしも良く快適な旅となった。

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 バスガイドは井城美香子さんというベテランガイド。井城さんの説明が何とも上手で、北海道の歴史を始めとした話は大学の講義を聞いてる様で実に勉強になった。

 そうこうしているとあっという間に旭山動物園に到着。昼時だったのでレストランは大行列。入場する前に近くのレストランでカレーと豚丼を頂く。勿論、生ビールも。つまみはチキンスティック。これが何とも安くて旨い。

 旭山動物園は旭川市が経営している。聞けば、動物園の動物は市職員として登録されているという。餌代も自分達でやりくりしているというから大したものだ。

 レッサーパンダの散策に微笑み、アザラシのサービス精神の豊富さに感激し、暑さに参るライオンや白熊に同情し、カバの百吉の暴れ様に感動する。

 園内を3時間ほどかけ見物したが、歩き過ぎて最後はカートに乗った。道行く人がこっちを見て嗤っている様に見えたのは気の所為か(笑)

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 札幌に戻ったのは夕方6時過ぎ。今日も雪田さんと待ち合わせしているので、昨日も行った東急で買い出ししてホテルに送り、狸小路へ向った。

 道に迷ったこともあり待ち合わせ時間に少し遅れた。雪田さんに連絡すると雪田さんの後輩で大日本愛国党北海道本部の政治局次長・泉谷さんが迎えに来てくれた。

 待ち合わせした場所は「すし明」。何やら泉谷さんの行きつけの店らしいが、実に愚生好みの寿司屋で、店内は店主の拘りを感じさせる。何よりも店主の寡黙さが好い。つまみは「おまかせ」で注文。愚生は地酒の純米酒の冷酒でいざ乾杯!

 泉谷さんはこの後に会合があるというので酒ではなくウーロン茶。何やら泉谷さんは札幌市内で4店舗ほど店を持ってる若手事業家らしく、昨日の後輩にしろ、立派な後輩が周りにいるというのは雪田さんの器量の賜物だろう。右翼人としても、こうした憂国の志を持つ後輩が、地方と雖も頑張ってることは実に頼もしく感じる。

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 北海道らしい肴で酒も進み、この日も昨夜同様に、論談風発に時の過ぎるのを忘れたのは言うまでもない。ホント、好い出会いと美味い酒だった。

 画像はホンの一部だが、酒肴も握りも店主の人柄も最高。特に〆のあさりの味噌汁は感動もの。素晴らしい店を教えて頂いた。またいつか伺いたいものです。

「河岸を変えて飲み直しましょう」という言葉に気持ちも揺らいだが、再会を約束し、今宵ものんびりと札幌の夜の雰囲気を味わいながら千鳥足でホテルに向かった。 

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 札幌三日目。9時にチェックアウトを済ませ、地下鉄を使い大通り公園へ。テレビ塔で時間を潰し、昼めしはスープカレーを食べようと目当ての「ガラク」へ。

 開店前だというのに既に100名ほどの行列。諦めて札幌ラーメン横丁へ。腹も減ったので薄野のラーメン屋に入ってみたが味はイマイチで、ラーメンはやはり生まれた地元のラーメンに限る。ということで、札幌駅に戻り新千歳空港へ。

 出発までは未だ3時間ほどある。空港内に在る温泉でのんびりしようと思ったが、空港内のレストランで時間を潰す。スープカレーの店に行くも、カレーの前に頼んだつまみで腹一杯になり食べるのは諦めた。まぁガイドさんも言ってたが「スープカレーはレトルトでもそれなりの味が出てます」とのことで土産を買った(笑)

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 出発までは未だ時間がある。札幌の〆は空港内のバーラウンジで「流氷ハイボール」。これが実に旨い。ニッカの「ブラック」と「余市」のブレンドで、耳を傾ければ炭酸に解けてシュワシュワという流氷の音が何ともロマンを感じ心地好い。

 夕方5時の飛行機で福島に帰還した。と、そんな感じで札幌2泊3日の旅は終了しました。好い旅でした。雪田さん、有難う。またいつの日か一献!

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2014年08月09日

ヘイトスピーチを規制するなら「在特会」より先ずは「反天連」を規制せよ!

 本日は長崎に原爆が投下された日であり、旧ソ連が「日ソ中立条約」を蹂躙し同胞の虐殺、強姦、略奪がこの日を以て開始され、我が国固有の領土が強奪された民族痛恨の日でもある。犠牲になられた先人に対し、衷心より哀悼の意を表します。

 舛添要一東京都知事は、7日安倍首相と対談し、在特会のヘイトスピーチ(憎悪表現)について、「民主主義や基本的人権に対する極めて重大な挑戦だ」と述べて、国レベルでヘイトの規制強化への対策を検討するよう要請した。

 これに対し安倍は 「(ヘイトスピーチは)日本人の誇りを傷つける。しっかり対処しなければならない」と述べ、自民党で対応を検討する考えを示唆した。 

 在特会のデモを「ヘイトスピーチ」だからと批判するなら、愚生も現役右翼時代、日教組大会に登場しては「槙枝(日教組元委員長)殺せ!」だとかやってたし、信濃町に繰り出しては「池田大作は地獄に堕ちろ!」なんてのもやってたな(笑)

 麻布十番では韓国大使館や民団に出向いては抗議と共に、「パーポーチョソン」だとか「オマエらキムチ臭いから今直ぐ日本から出てけ!」とか、やりたい放題。

 ベンツの中から宣伝車を撮影してたオッサンに、どうせパチンコ屋か何かだろうと思ってた「何撮ってんだ、コラッ!」って言ったものの、山〇組の直参。新橋の本部事務所に乱入され、最後はホテル・オークラに呼び出され凄まれたっけ(爆)

 まぁ結局は、愚生如きじゃ埒が明かないし、二代目の早坂光夫総隊長が昵懇だった山〇組の中〇会のヤクザがその間に入り、事なきを得たが、ヤクザってのはやっぱ名前のデカいのが強いと再認識した。よくよく考えれば愚生が行動隊長だった頃の防挺の抗議街宣ってのは、今でいう「ヘイトスピーチ」と同じだわな(笑)

 在特会に批判的な自称・正統右翼は、武士道精神もないのに「武士道精神に悖る」だとか、「在特会のデモは怪しからん」と断じるが、愚生はああいうスタイルの団体が在ってもいいと思ってるし、一律化してしまった右翼より魅力的だ(笑)

 在特会を批判する前に、天皇への侮蔑を繰り返す「反天連」のデモこそ糾弾し、刺違えてでも阻止するべきだし、安倍も「日本人の誇りを傷付ける」というのなら、公の場所で堂々と「天皇粉砕」を叫ぶキチガイ共こそ排除したら一目置くのにな。

 抑々、日本国憲法の「表現の自由」や「集会の自由」を楯にこうしたことが赦されるのなら、在特会の街宣のみを規制しようというのは片手落ちというものだろう。

 現憲法では確かに「結社の自由」や「集会の自由」「表現の自由」が保障されている。憲法は国の最高法規であり、憲法が最優先されるのは当然のこと。

 だが、街宣するにも勝手にやっている訳でもなく、やるにしても警察にショバ代を払い、「道路使用許可」を貰うのだが、やる際にも時間も音量も規制される。

「結社」も「表現」も「集会」も「自由」なら、ビラ貼りの規制も、ショバ代も、音量規制も、時間制限も明らかに憲法に抵触するものではないのか。だが、憲法云々の前に、やはり公共の福祉を守るという常識がそこになくてはならないのだ。

「道路交通法」や「静穏保持法案」「騒音防止条例」などで規制するのもそういう理由からだが、見方を変えれば「日本国憲法」というものは国の基本法として機能しておらず、「道交法」や「刑法」より軽い法律と見做されているとも言えよう。

 因みに、「大日本帝国憲法」第二十九條には「日本臣民ハ法律ノ範圍内ニ於テ言論著作印行集會及結社ノ自由ヲ有ス」と明記されてある。この「法律ノ範圍内ニ於テ(法律の範囲内)」というのが大事で、法律の範囲内で「集会」や「結社」の自由が認められるのだ。こうしたことで我が国には「大日本帝国憲法」が相応しい。

「表現の自由」が何でもかんでも赦されるなら、マスコミも「放送禁止用語」や「差別用語」なんてのは要らないだろう。左翼マスコミが言論の自由を振り翳すなら、「キンタマ~」と叫んで言論の自由の模範を示せば好いのではないか。在特会の街宣をヘイトスピーチだと騒ぎ立てるのは単に論理の摩り替えでしかない。

 在特会の目的は「在日特権を赦さない」ということであり、ヘイトスピーチばかりを問題視させることによって「在日特権」を矮小化することが狙いなのだ。

 在日特権問題の元凶は、朝鮮人らを野放しにしていた行政側の責任が大きく、行政側の職務怠慢を看過し、「街宣は公共の福祉に抵触する」と差別認定して摩訶不思議な判決を出した。有罪判決が下された在特会の抗議行動も、その元凶は朝鮮学校の不法占有であり、その経緯を見れば竹島の不法占拠と同じゴネ得でしかない。

 こうした朝鮮人の違法行為には寛容なのに、在特会側のみの発言を一方的に断じることは本末転倒と言う他はなく、こうした不公平な対応は国益にも合致しない。

 今年もまた所謂「終戦の日」がやって来る。靖國神社周辺での左右入り乱れての喧騒は感心しない。国会議事堂や外国公使館周辺での街宣や拡声器での抗議活動は、「静穏保持法案」に則り8月15日のデモや街宣は徹底して排除するべきである。

 陛下の靖國神社御親拝を実現する為にも、日本人の誇りを傷つける「反天連」のデモを取り締まり、九段周辺の静謐な環境を創り出すことこそ求められる。

 在特会の「ヘイトスピーチ」なんぞ、「反天連」の不敬極まるデモに比べれば可愛いものだ。こうしたキチガイ共のデモを規制出来ない警察に代わり、8月15日に靖國に参集する右翼陣営や自称・保守派は「反天連」と刺違え、その存在を示せ!

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2014年08月07日

慰安婦連行の「虚偽」を認め記事を取り消した朝日新聞

 朝日新聞は自社の所謂「従軍慰安婦」に関する報道を検証し、慰安婦連行が「虚偽」であると判断し、当該記事を取り消した。朝日以外にも共同通信や地方紙などでも、慰安婦連行を強制であると報じているが取り消しまでしていない。

 抑々、新聞報道などでは「慰安婦と挺身隊を情報不足から混同してしまった」としている。新聞記者諸侯がそんな当たり前のことを知らない訳は無く、こうした遁辞が示すことは朝日新聞は間違いなく確信犯だったという証明でもあろう。

 頑迷固陋の朝日新聞が間違いを認めたことは画期的ではあるが、そんな単純に事が済む問題ではない。この問題を困難にしたのは、朝日新聞は当然のことながら事勿れ主義からその場を取り繕おうとした政治家の無能が招いた結果でもある。

「従軍慰安婦」問題は、元山口県労務報国会下関支部動員部長だった吉田清治が、昭和58(1983)年に上梓した「私の戦争犯罪」​という本がその発端である。

「済州島で9名の兵隊と共に約200名の​朝鮮人女性を強制連行して慰安婦にした」と記述し、済州島での当時の様​子を回想(妄想)し描写した吉田のフィクション。

 その後の調査で直ぐに創作だったことが判明したが、​この本だけが独り歩きし始める。平成元(1988)年、この本が韓国語に翻訳されると韓国人は激昂する。

 そして平成4(1992)年、朝日新聞がこのトンデモ本を取り上げ、根拠もない儘に日本軍や警察が「慰​安婦狩り」をやったと書き立てて韓国人の怒りを煽り、福島瑞穂ら名うての売国奴どもがこれを支持し、自称・従軍慰安婦らを支援した。

 この吉田の本に疑問を持った「済州新聞」記者の許栄善は、現地を取材した上で、「慰安婦狩りの話を裏付ける証​言者はいない。島民の名前もデタラメ」と一蹴している。 韓国の郷土史家である金奉玉も現地調査を実施し次の様に述べた。

「昭和58年に日本語版が出てから、何年かの間、​追跡調査をした結果、事実でないことを発見した。この本は日本の​悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」(「ほんとうは、『​日韓併合』が韓国を救った!」松木国俊著WAC社)

 当事者の吉田は調査結果を突き付けられ、「創作だった」と事実を認めたが遅きに失した。日本発の嘘から始まり、韓国全土で「慰安婦​狩り」が独り歩きしてしまう。売文という私利私欲の所業が国家を​売ることになってしまったのだ。

 戦前は日本も朝鮮も「売春」は合法だった。今、この是非善悪を裁いても意味はない。悲しいことであるが、貧​しい女性たちが生きる為に、また親兄弟を養うため、身​を売ったこともあったし、多くは東北出身の貧農の女性が多かったのだ。

 戦争になれば兵士は国の為に戦う。兵士の息抜きの為に駐屯地の近くには「慰安所」が設けられた。危険に見合う多額の収入を​求めて、多くの「売春宿」経営者らが戦地に赴き、商売を始めるのは当時では何処にでもある普通の光景だった。

 ジェームスディーンが主演の名作「エデンの東」にも、開拓時代にワゴンで売春婦が街を巡回する情景が出るがアレも同じ。戦場に遊郭を建て兵士に息抜きをさせるのは肝心で、性犯罪を防ぎ、相手民族の尊厳を最低限保つことでもあったのだ。

 勝新太郎が主役の「兵隊やくざシリーズ」という映画を観たことがある。勝新演じる兵隊と慰安婦(売春婦)の仄仄としたあの時代の背景が分かるだろう。

 現在の倫理観や道徳観、価値観で売春というものを語るから、売春=悪いもの、売春=悲惨なものと考えてしまうのだ。それは単なるキレイゴトでしかない。

「性犯罪を防ぎ、相手民族の尊厳を最低限保つ」という、こうした日本人の配慮を知らずして、高給に集った売春婦を「従軍慰安婦」などと称し、恰も日本軍が関与し、朝鮮人の女性を強制連行し「性奴隷」にしたとは言語道断と言う他はない。

 当​時、工場で働く女性の平均月給は約30円で、戦地で働く慰安婦は約​300円だった。それ以上に稼いだ商魂逞しい娼婦もいたという。当時の300円というと知事や軍の大佐と同じくらいの高給だったというから驚く額だ​。経営者は軍とは関係ない一般の民間人。募集は民​間人が実施し、軍や官憲は一切係わってはいない。

 当時、慰安婦募​集に「女衒」などの悪徳業者が様々な問題を起こしたこともあったと聞いたこともあるし、「軍の依頼」​と嘘をついて募集したり、子女を誘拐して満州に売り飛ば​し、金儲けを企むという卑劣な事件もあったのも事実である。

 内務省は「こうした事件は帝国の威信を傷つけ、皇軍の名誉を​害う」として、「契約内容や事情を調査して、略取誘拐等がないよ​う留意すること」「軍の名を騙る業者は厳重に取り締まること」な​ど通達し、「朝鮮における慰安婦の不法な募集禁止」も閣議​決定した。軍にあっては、兵士が飲酒して暴れたり、慰安婦や経営​者に暴力を振るったりしない様に、不届き者を憲兵が厳しく取り締​まった。

 軍や政府は、不法な慰安婦の募集を禁止している。慰安婦の健康指導や、人権を​損なうことがないよう関与していたのであって、強制連行に関与し​た事実は全くない単なる言いがかり。 だが、平成4(1992)年、朝日新聞の報道により再燃する。

 韓国の大学教授が、「軍慰​安所従業婦募集に関する件」という陸軍省の文書を発見したと報じ​る。その内容は、「慰安婦の募集に対し、軍の名義や権利を利用して誘​拐に類する様な悪徳業者がいるので、警察と連携して防止を指示​する」という文書であり、軍による強制連行を寧ろ否定するものだった​。

 ところが、朝日新聞は事実とは逆に「軍の関与があった」「強制連行があった」と世論を誤誘導した​。この報道を受け、東亜日報は「12歳の​小学生まで動員し、戦場で性的にもて遊ばれた」と報道しこれに因って韓国​の世論は激昂して行く。

 狼狽えた宮沢内閣は、「外交上の配慮」として強制連行の事実を​認める方向で検討に入った。だが、証拠となる資料が発見されない​ことから対応に苦慮する。

 ところが、証拠は韓国が作成した資料と元慰安婦​の証言のみで謝罪に踏み切った。 証拠資料を精査せず、裏付け調査も無しに謝罪した宮沢内閣の罪​は重い。

 元慰安婦の証言も後の調査で信憑性が無いことが判明し​ているし、陸軍省の文書を発見した教授も、慰安婦強制連行は証明出来ていな​いことを認めている。

 内外世論に押されて実施した政府調査でも、「強制​連行させないための政府の関与」は認めたが、強制連行を立証する​資料なしと結論付けている。 それにも拘らず、訪韓した宮沢首相は韓国内の反日の嵐の中で謝罪と反省を8回も繰り返し​た。

「謝罪すれば事は収まる」との甘い読みと、その場は収めたいと​いう事勿れ主義が我が国の国益を大きく損なうこととなったのは言うまでもない。 更に日本政府は、平成5(1993)年8月4日、戦後最大の外​交汚点となる「河野談話」を発表する。

 河野官房長官は「慰安婦の募集につ​いては、軍の要請を受けた業者が主としてこれにあたったが、その​場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意志に反して集められた​事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあっ​たことがあきらかになった」と述べ、重大な人権侵害を認め、謝罪​してしまった。

 河野は確たる根拠も示さぬ儘に「官憲等が直接これに加担したこともあった」と​の一文は、軍と官憲が強制連行に関与したことを既定事実としたものだった。その後の韓国側の日本非難は全て「河野談話」が根拠となっているのは周知の通り。

 韓国での国​家賠償を求める裁判や、米国、欧州での「慰安婦非難決議」も「河​野談話」が証拠であり、「河野談話」は、日本政府の思惑とは​逆に慰安婦問題を益々エスカレートさせてしまっているのだ。河野洋平は万死に値する国賊である。

 韓国側が「慰安婦問題」で強請り、タカリに奔るのは、朝鮮人の人品の低さも然ること乍ら、歴代日本政府の無知と自虐史観及び政治家の事勿れ主義と弱腰軟弱外交という日本的政治の不作為が最大要因になっていることは否定出来ない。

 朝日新聞が捏造した慰安婦問題を、自民党の宮沢内閣下で、加藤紘一官房長官が事実を認め、次の官房長官に就いた河野洋平が「談話」を発表した。

「河野談話」が韓国人慰安婦を付け上がらせた元凶だが、その後の「村山談話」で火に油を注ぎ、自民党政権下でもこれらを撤回せず拱手傍観した責任は大きい。

 政権交代で民主党政権誕生が誕生すると、鳩山由紀夫は総理として慰安婦に「国家補償」を約束し、前原誠司幹事長が「戦後賠償支援」を言及した。

 慰安婦問題は、日本側が国家として「謝罪」も「約束」もしてしまっている訳で、韓国にしてみれば賠償請求するのは当然のことでもある。韓国側を単なる強請り、タカリと言ってもいられない現実が厳然と存在してしまっているのだ。

「虚偽」と「妄想」逞しい吉田清治のフィクション本が独り歩きし、朝日新聞がその「虚偽」を知りながら事態を大きくし、事実を知りながら事勿れ主義から謝罪し、談話を発表し、それによって「虚偽」が「証拠」とされてしまったのだ。

 朝日新聞がその「虚偽」を認め記事を取り消したということは全ての論拠を失ったということである。つまりは、吉田清治のウソを利用し、朝日新聞の煽動に屈するカタチで行われた宮沢の謝罪も河野談話も、政治家どもの韓国に対する媚び諂い全てが虚偽を信じて行われたもので、当事者らは非を認め謝罪するべきである。

 今や従軍慰安婦問題は国益を大きく損なっている。朝日新聞が虚偽を認めた今、やべきことはその虚偽によって作られてしまった河野談話を始めとした国益を損なった多くの問題を再検証し、過ちを糺し先人の名誉恢復こそ急がねばならない。

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2014年08月06日

広島・長崎の原爆投下はその被害以上の成果を齎し続けている

 米爆撃機B29エノラ・ゲイが広島に原爆を投下してから69回目の「原爆の日」を迎える。犠牲になられた方々に対し追悼の意を表しします。広島には「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから」とい​う訳の分からぬ碑が建っている。自虐史観の象徴の様な碑だが、過​ちを犯したのは米国であり、日本が悪い訳ではない。

 広島・長崎の「平和式典」は平和とは名ばかりで「反米」の様相を呈している。戦後の東​京裁判史観や戦後民主主義教育にに毒された連中が反米を唱えて「平和運動」などとは笑止千万。原発事故以降「核廃絶」に「フクシマ​」を利用する。

 先日、福島市を皮切りに始まった「原水爆禁止世界大会」でも広島・長崎への原爆投下などそっちのけで、原発の再稼働を目指す安倍政権を批判に終始していた。「原爆と原発」どころか「復興と平和」を結び付けて国民世論を煽っていた。

 広島・長崎は「被爆」であり、福島原発事故は「被​曝」。「被爆」は原爆に拠るものであり、「被曝」は原発事故などで放射線の被​害に曝されていることをいう。

「被爆」と「被曝」を一緒にし「反原発」や「脱原発」を訴えるが、福島​を「ヒロシマ」「ナガサキ」と同様に「フクシマ」と呼ばれること​に怒りが込み上げる。 

 福島県民として原発事故の影響を受けてることで「脱原発」は当然なのかも知れないが、今やるべきは原発の安全を徹底し再稼働を図ることこそ国益に敵うことだ。

 福島第一原発事故は、前年のチリ地震を受けて、自公両党から出された「防波堤などの安全・整備等に関する法案」を却下したことが大きく響いた。

 更に「スーパー堤防」などの整備予算にしても、民主党の蓮舫が、「1000年に一度来るかどうかの災害に莫大な予算は付けられない」として仕分けした結果だった。

 要は、最悪な民主党政権時に最悪な災害が起きたということは天譴そのもの。「想定外」という言葉にしても、予備電源を確保してさえいれば事故は防げた訳で、「想定外」というよりは危機意識の欠落。要はマヌケだったということだ。

 原発周辺の防波堤を整備してさえいたら、被害は最小限に抑えられていただろうし、予備電源さえ確保出来ていれば今回の様な人災事故は起きなかったのだ。

 そうした政治や行政側の怠慢を批判せずに、東電を始めとした電力会社だけを「悪」とするのは本末転倒と言う他はない。そう考えると「反原発」や「脱原発」は大震災を利用した菅直人に因るマッチポンプである断じざるを得ない。

 検察審査会が、東電元会長らを有罪と断じるならば、当時最高責任者の菅直人を先ず断罪すべきである。菅の逮捕無くして正義を語ることがあってはならない。

 保安院のやらせに代表される原発行政の問題や、財界を中心とした原発利益共同体に拠って「安全神話」が垂れ流されたことについても当然猛省すべきだろう。

 だが、原子力の平和利用でさえもノーとなれば、「積極的平和主義」により日本が執るべき「核武装」でさえも、怪しからんこととして抹殺されるだろう。

 安全も平和も自ら創り出さなくてはならない時代に於いて、「防災」も「国防」も「領土の保全」も同一線上に在るという観点に立てば、やはり原子力は必要なものとして確保し、新たな防災と国防強化を図るべきではないだろうか。 

 とは言っても、被爆国として余りにも原子力に敏感になり過ぎているのも事実である。だが、その異常ともいえる核アレルギーにしろ、自虐史観にしろ、米国の原爆投下とはその被害以上のものを我が国に墜としたと言えるのではなかろうか。

「原爆の日」には、左翼が「平和」を騙り蠢動する。だが、左翼団体や自称・平和団体の「反米」も行き着くところは米軍の行った自虐史観による洗脳である。未だその洗脳から目覚めようともせずに「反米」を口にするとは嗤うに嗤えない。

 原爆投下で、こういう人種が殖えてしまったのは皮肉な結果でもある。米国の洗脳にどっぷり漬かっている左翼が「反米」などとは滑稽極まりないが、統治下で実行された我が国への弱体化政策は米国の予想以上の成果を齎し続けている。

 抑抑、米国に因る原爆投下は、日本人への人種差別と人体実験から行ったというのが真相である。6日の広島、9日の長崎への原爆投下を受け、日本政府は14日、終にポツダム宣言の受諾を決定した。この結果を見て、「原爆投下が太平洋戦争の終結を早めた」という人を多く見かけるが、事実はそんな単純なものではない。

 元駐日大使のグルー国務長官代理が中心になって作成されたポツダム宣言の原案には、「天皇制」存続の保障が盛り込まれていたのは確認されている。

 米国側は、日本政府が和平を模索していることを知っていたので、天皇制存続を保障する案なら受け容れる可能性が極めて高いと考えていた。

 ところが、反日的なスチムソン陸軍長官やバーンズ国務長官らは、元国務長官のハルの助言によって「天皇制存続」の項目をポツダム会議の直前で削除してしまう。

 即ち「天皇制存続」の項目が明記されていないポツダム宣言は、我が国にとっては極めて受け容れ難い内容になっていたのである。

 そのことをよく認識していたトルーマン大統領は、ポツダム宣言発表前日(7月25日)の日記に「この兵器(原爆)は今から8月10日迄の間に使用されることになる」と記した。この記述からも、原爆投下を知っていたことが分かる。

 この事実をしても「日本政府がポツダム宣言を黙殺したから原爆が投下された」という理由は真っ赤な嘘であることは、この日記が明瞭に証明しているのだ。原爆を日本に投下することになった背景は根強い日本人への人種偏見からである。

 米国が原爆投下を決定したのは1943(昭和18)年5月のことで、原爆搭載機は対日戦用のB29を選んだ。翌年9月の米英間の秘密覚書である「ハイド・パーク協定」には、「原爆は日本に対して使用されるであろう」と明記された。

 こんな不可思議な決定は、人種偏見、日本人蔑視以外に合理的根拠は見つからない。更に、その後の米軍の広島長崎で執った「放射能治療方法交流禁止」「被爆者カルテ没収」など、目に余る人権蹂躪行為を見ると「動物実験」としての原爆投下だったのではとすら思えて来る。 トルーマン大統領の日記にはこうも書かれてある。

「ジャップどもは野蛮人で、冷酷、無慈悲且つ狂信的な連中だ」。この事実しても日本人への差別と蔑視は明らかだろう。「反米」を訴えるなら、いつまで米国の「核の傘」に甘んじ、国家の大本を米国に依存しているつもりなのか。

「平和」も「安全」も日本人自らが創り出さねばならず、「反米」から脱却を目指すには何を成せばいいのか、口先だけでの「反米」なんぞクソ喰らえだ。

 広島・長崎での原爆投下を煽り、「復興と平和」で国民を誑かす左翼どもが策謀する「反原発」「脱原発」に拠って、「核武装」という国防上最重要ともいえる問題をも否定されることがあってはならない。我が国の「核武装」こそが、アジア諸国や世界の平和と安定に貢献出来るものだとの認識を共有すべきである。

 心の呵責無しに核兵器を有する資格があるのは世界で唯一の戦争被爆国である我が国だけである。真の「平和」を創造する為にも限定的核武装を急ぐべし!

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2014年08月04日

教育荒廃の元凶である教育委員会を廃止せよ!

 政治を行う上で最も大事なものは「教育」と「国防」である。「国防」とは単に領土の防衛だけではなく、それを失えば日本では無くなってしまうものを死守するとこであり、畢竟、「皇統」であろう。つまり「国防」と「教育」は一対のものであり、このどちらかが欠落しても国家として体を為さないということでもある。

 集団的自衛権の問題一つにしても、国内には「国防」に関することは悉く反対する勢力が存在しているのは言うまでもない。これは実に分かり易い構図でもある。だが「教育」の問題となると実にややこしく、恰も教育の荒廃は日教組や全教といった売国勢力によるものだと思われがちだが、確かに日教組や全教の責任は重い。

 だが実は、教育改革の足を引っ張ってるのが実は文科省と教育委員会であり、地方に於いては教育委員会こそが教育荒廃の元凶といっても過言ではないのだ。今や無用の長物と化した「教育委員会」と「農業委員会」は即刻廃止すべき対象である。

 以前、日本維新の会が、「教育委員会廃止法案」を提出して話題に上ったことがある。その要綱案は、「地方教育行政法」や「地方自治法」などを改正することで、教育行政の最終責任が政府に在ることを明確にし、自治体は首長の下で行政部局(仮称・教育行政局)で教育事務を行うというものだった。

 これは画期的なもので、安倍政権にとっても願ったり叶ったりだと思ったのだがその後は話題にも上らなくなってしまった。一体どうなってるのだ。

 抑々、我が国の教育委員会制度というものは、米国が占領政策の一環として導入したものである。米国は、「戦前の日本の軍国主義が日本の中央集権的教育制度を齎し、それが結果戦争に繋がった」と結論付けている。

 その日本の学校教育を内務省の中央集権的統制から解き放ち、その管理を、地域住民の代表により構成される合議制の教育委員会の下に置こうと画策し、それを実行。教育委員会のモデルとなったものが、米国の教育委員会制度である。

 これは米国の開拓時代の占領統治の思惑から生まれたものだが、日本の統治も同じ様に占領に拠って米国の意の儘に置こうというのが狙いであり、米国の戦後民主主義教育は米国の思惑以上に大きな成果を齎し続けている。

 教育者でありながら、また公務員の立場にいながら、「国旗」「国歌」に反対し、我が国の歴史・伝統・文化を否定し、皇室解体と国體破壊を目指す日教組や全教は国内最大の「癌」であるというのは言うを俟たない。

 こうした不良教師を抉り出し、処分粛正しない限り、教育の正常化など在り得ないのは当然だが、教育荒廃の原因全てが日教組や全教だけに在る訳ではない。

 確かに日教組こそ戦後教育の落とし子とも言えるが、戦後の教育荒廃の元凶こそ民主教育行政を司った文科省及び教育委員会に在ると言っても過言ではないのだ。

 安倍は、第一次安倍政権時代に「教育基本法」の改正を行い、米国時代の悪しき教育制度からの脱却を目指した。このこと自体は間違ってはいない。ならばその教育改革の総仕上げとして、教育委員会の廃止を急ぐべきであったと思う。

 旧態依然の文科省に任せたところで教育改革が頓挫するのは目に見えている。文科省も教育委員会も日教組も言うなれば一蓮托生、教育荒廃の腐った肥溜めなのだ。安倍の肚一つで教育が劇的に変わるのだ。安倍よ、今直ぐ決断し実行せよ。

 占領時代の陋習である教育委員会制度の廃止なくして教育改革はない。日本将来を担う子供達が、生まれた祖国日本に誇りの持てる教育を施す為にも、無能な教育委員会の解体を急がなくてはならない。教育の再生は待ったなしである

 安倍首相は常々「将来を担う子供達に如何にして誇りの持てる教育をするか」とか「志の高い日本人を如何にして創るかが大事だ」と訴え、またそれが多くの国民の共感を得たのも事実。ならば、教育の問題こそ最優先すべきであろう。

 政治家が、子供達へ如何に教育を施すかも議論せず、景気がどうだとか、カネの分配だけに狂奔するとは言語道断である。給食費の無償化より教育の中身を語れ。

 安倍ら新自由主義者は、経済政策に見る様に過去なんてのはどうでもよく、未来こそが全てである。正統の保守主義者に於いて時間を体験する仕方は、過去の意味を直視し、その中に価値を見出す発見によって未来を創造して行くものだ。

 経済至上主義を改め、「教育」の問題こそ最優先に、「誇りの持てる教育」や「志の高い日本人を創造」することを真剣に議論し、政治生命を賭け前進すべし。教育は国家の大本である。今こそ戦後の米国による我が国弱体化の策謀を明らかにし、それを改め、真の主権国家としての恢復と道義国家・日本の復活を急げ。

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2014年08月03日

つれづれなるまゝにその日暮らし(笑)

 昨日は愚生の54歳の誕生日だった。誕生日だからといって別段何があるということでもなく、いつも通り夕方4時過ぎに晩酌が始まるもつまみは無い。流石に腹が減ったので冷やし中華を作って食べ、いつもの様に8時には床に就いた(笑)

 本当ならば、バスツアーで青森のねぶた祭りに行く予定だったのだが、旅行会社から「ツアー客が集まらなかったので今回は中止にします」との連絡を受けた。

 でも、物は考えようで、お盆には飛行機に乗ったこともない愚妻を北海道旅行に連れて行く予定なので散財しなくて済んで助かったと思えばそれはそれで好し。

 団体を辞し、正統右翼浪人を自任して気取ってはいるが、要は無職のその日暮らし。経済的には正直厳しいが、その実は「乞食の朝謡」宜しく気楽なものだ。

 日本国民としては勤労の義務も果たしておらず「先生」だとか「国士」だとか持ち上げられもするが当の本人は烏滸がましくも愛国者などとは思ってもいない。

 愚生の様な勤労の義務を果たさない人ばっかなら国家は機能しない。雑念を捨て、家族を守らんと懸命に働いているサラリーマンこそ真の愛国者といえよう。國士舘創設者の柴田徳次郎先生は、「国士とは歩が成った様な者」と訓えた。

 将棋の世界では「ヘボ将棋、王より飛車を可愛がり」だとか「桂馬の高飛び歩の餌食」など、将棋には面白い川柳や諺がある。そんな中で、「歩の無い将棋は負け将棋」というのは会社経営や人を育てる上で実に考えさせる言葉だろう。

 金や銀、飛車、角も大事だが、普段軽く見られる「歩」こそ大事に扱わなければならない駒なのだ。企業でいえば歩というのは若い社員。この社員を活かすも殺すも上司の腕の見せ所。この若い社員、つまり歩を如何に育てるか、そしていつかはその歩が「金」と成って会社は言うに及ばず、延いては国の宝となるのである。

 将棋では駒を動かすことを、「効かす」とか「働かす」という言葉を使う。つまりは、上司は部下を無闇やたらに動かすのではなく、その人に合った仕事を与え、動くに人偏(にんべん)をプラスして如何に働かすかが大事となる。

 駒の欠点を周りで補いながら、その駒の長所を伸ばし、折角の駒を死に駒にしないで働かせることが勝ちに繋がるもので、会社の経営も同じことだろう。

 まぁ、愚生は「歩」というより「香車」だろうか。不器用に真っ直ぐにしか進めない。それでも未だ「成れる」可能性もあるとは思ってはいるが、未だに「成る」手前のまま。大器晩成の早死にタイプ、このまま終わる可能性は大きい(笑)

 今日の地元紙トップは「いじめ深刻化防止」として、生徒指導のアドバイザー制度を新設するという記事が踊っている。愚生をアドバイザーに選ぶ様ならその効果は絶大で、教育再生も期待出来ると自負してるが、役所が選ぶことは無いわな。

 こうした机上論で教育を語っているから根本的解決が出来ないのだ。何事も民主的な手法で解決しようとするが、この民主主義こそ我が国を崩壊に導いた元凶と思っている一人でもある。何故なら人というのは平等ではないからだ。

「一年で育てようと思うなら花を育てるべし。十年で育てようと思うなら木を育てるべし。百年かけて育てようと思うなら人を育てるべし」という言葉がある。

「人材育成」というのは、机上論やインスタントに出来るものではないというのは誰もが自覚していることだろう。ならばどうすれば好いのか。

 普段から、学校は勿論のこと、家庭や地域社会で、将来の日本を担う子供や若者を「育もう」という意識がなければダメ。花を育てたり、木を育てるにしても臭い飼料も時には与える様に、人もまた同じく甘やかすだけでは立派には育たない。

 温室で育った野菜や果物は見かけだけで味に深みはない。やはり自然の風雪に耐えてこそ味わい深くなる。人間だって同じ。時には鉄拳も必要だし、厳しく突き放すことも必要だろう。個性を磨くというのは本来そういうものであるのだ。

 民主主義を穿き違え、人間平等観が蔓延っているのは何か物足りない。こんな世の中が続けば、同じ様な個性の無いハウス栽培の日本人ばかりになってしまうだろう。まぁそんなとこで、今日もつれづれなるまゝに綴ってみました。呵呵。

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