2014年08月
2014年08月31日
「英将秘訣」を読んでるとくだらん悩みなんぞ吹き飛んでしまうわ。呵呵

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「英将秘訣」というものを知ってるだろうか。志士を自任する右翼人なら知らない人はいないだろうが、これを読んでると組織にしがみ付いてるのがアホ臭く感じるのも確か(笑)
「日月はあまり役に立たぬものなれども、日は六時の明(あか)り也。月は夜の助けにもなる歟」から始まる「英将秘訣(えいしょうひけつ)」の条文は全部で90条に及ぶ。
「英将秘訣」を世に出 したのは千頭清臣著「坂本龍馬」(初版1914年)とされ、「坂本竜馬全集」と「坂本竜馬読本」(新人物往来社1985年)の「英将秘訣」も、この千頭清臣著「坂本龍馬」からの出典である。
「英将秘訣」にはこの「坂本龍馬説」と、「平田篤胤(ひらたあつたね)説」があるが、愚生的には平田篤胤説を信じている。「世に生利を得るは事を成すに在り」という台詞を以て龍馬説を唱えるのは些か単純にも思え、龍馬にしては発する言葉が違う気がしてならない。
平田篤胤は、荷田春満(かだのあずままろ)、賀茂真淵(かものまぶち)、本居宣長(もとおりのりなが)、国学者の四大人(うし)の一人であり、右翼人の中でも信奉者は多い。
その昔、自民党本部を襲撃し総裁室に籠城した相原修も篤胤信奉者の代表だった。だが、6年前の9月6日、八甲田山に向かう途中の岩手県八幡平の東北自動車道で事故死。
博学多識で知られた篤胤であるが、幼少の頃は才能には恵まれて無かったらしく、18歳になっても未だ「四書五経」、つまり「論語」や「易経」などという当時の武士の基本的教養書を理解することもなく、親からも「武士失格」の烙印を押され、袴を着け、帯刀することを禁じられてしまったというから前代未聞。
そこで篤胤は一念発起し、出羽国秋田から江戸へ向かう途中、雪の山中で遭難しかかったのだが、この時に異人から何やら特殊な霊法を伝えられたという。
というのも、江戸へ出てからの篤胤は、以前の彼とは打って変わった様に古今東西のあらゆる本を読み解き、それを記憶し、時には著述に入ると一週間位は不眠でそれを成し遂げるという、通常の人には考えられない様な能力を発揮し始めたからだ。
江戸では備中国松山藩士平田篤隠(あつやす)に認められ養子となり、松山城主板倉侯に仕えた。その後、本居宣長の著書に接し、深く感激しその門に入った。
篤胤と宣長は現世で会うことはなく、篤胤は宣長没後の門人として、その学問を受け継ぎ、古を明らかにし、皇道を遍く天下に広めることをもって自分の使命とした。
以来着々と著述を進め、且つ門人を集め古道を唱道した。全国神社会は平田篤胤の「復古神道」を以て統一されたのである。
徳川幕府を倒し、明治維新の指導原理となり、また今日の民俗学や霊学、心霊研究などのオカルト的なものまでに大きな影響を与えたものが「復古神道」である。
その主張は、両部、伊勢、吉田、吉川、垂加神道に雑じっている、インドや支那の教えや説を取り除き、神道の純粋性を保とうとするところにあった。
「国学」というのは、日本の古典を有りの儘に吟味して、古典に込められている純日本的精神を追求しようとした学問であり、つまり中世以来の、儒教、仏教等を拠り所とするこじ付け的な日本古典の研究に反対するものである。
復古神道の成立に決定的な役割を果たしたのが本居宣長と平田篤胤である。
宣長は僧・契沖(けいちゅう)の書物に出会って古道を学び、後に賀茂真淵の著述に触れる。真淵は宣長を自らの志を引き継ぐ人物として入門を許し激励した。
この時真淵67歳、宣長34歳であった。
宣長は真淵の期待に応えようと只管「古事記」の研究に没頭し、終に57歳の時に「古事記伝」を完成する。実に宣長の一生は「古事記」の注釈に注がれたといっても過言ではない。
宣長は72歳で没するが、宣長の没後に宣長の古道思想を継承し、これを神学的に発展させたのが平田篤胤である。
篤胤は68歳で没するが、その一生に著した書物は驚くべき数に達している。その中で神道の中心をなすものが「霊能真柱(たまのはしら)」と「古史伝」である。
「霊能真柱」では、人が神の道を実践する為には、先ず大和心を固めなければならず、死後の霊魂の行方が解明されなければならないとし、その為には天地の形成過程を知り、神の功徳を認識し、日本が万国の本源の国であり、全てに於いて優れた国であり、天皇が最高の存在であることを十分に知らなければならないとする。
「古史伝」は自らの古伝を纏めた「古史成分」の注釈書であるが、「霊能真柱」の考えをより発展させたものである。
篤胤の著述の中に一貫する「日本本源論」や「皇国尊厳論」は大いに注目すべきもので、また学問の範囲は非常に広く深く、独創的である。
篤胤は幽冥界についても深く研究し、神界と現界の関連、霊魂、神仙の存在に関する書物を多く書き著して、その後霊や神仙などを研究や修行する者に多大な影響を与えた。
篤胤は、近代日本のオカルティズムの創設者とも言える存在であり、そうしたことから「英将秘訣」もその論は独創的でもあり、カルト的であり、坂本龍馬のものというより平田篤胤のものではないかと考えるのだ。
90の条文から一部抜粋すれば(読み易いように多少修正してます)
一、親子兄弟と雖も唯執着の私なれば、蠢虫(うじむし)同様の者にして、愛するにも足らぬ活物也。 況や夷人をや。
一、本朝の国風、天子を除くの外、主君と云ふ者は其世の名目也。独夫なれば、やがて予(われ)主人と為るは唐の例也。聖人の教也。猶ほ物の数とも為す事勿れ。
一、予が身寿命を天地と共にし、歓楽を極め、人の死生を擅(ほしいまま)にし、世を自由自在に扱ふこそ産れ甲斐は有りけれ。何ぞ人の下座に居られん や。
一、大悪の限りを為さんとしても、少しは善の出来ねばならぬもの也。物の理合は万品同じがるべし。
一、俸禄などいふは鳥に与ふる餌の如きもの也。天道豈(あに)無禄の人を生ぜん。予が心に叶はねば、やぶれたる草鞋を捨つるが如くせよ。
一、予に随ふ者は生捕同然、予に不随者は皆讐敵と見て、心を許す事勿れ。
一、博奕の類は一ものがす事なく心得置くべし。されど小芸にて人智をためす也。拙(つたな)し。
一、予死する時は、命を天に返し、位高き官へ上ると思定めて、死を畏るゝ事勿れ。
一、世に生利を得るは事を成すに在り。人の跡を慕ひ、人の真似をする事勿れ。釈迦、孔子の類、唐土の世々の天子も皆しかる事をせり。
一、義理などは夢にも思ふ事勿れ。身を縛らるゝもの也。
一、耻と云事を打捨てゝ世の事は成るべし。使ひ所によりては却って善となる。
一、なる丈け命は惜しむべし。二度と取かへしのな らぬもの也。拙きと云事を露斗(つゆばか)りも思ふ勿れ。
一、盗賊と世に云者は、予世を見るの手遊なり。歴代にさせて心を慰る所也。
一、薄情の道、不人情の道、忘るゝ事勿れ。是を 却而(かえつて)人の悦ぶ様にするを大智といふ。
一、礼儀など云は、人をしばるの器也。世をしめかためて吾が掌中に入る具也。
一、涙と云は、人情を見する色也。愚人、婦女子に第一の策也。
一、忍は知らせぬを主とす。事を成就するを本意とす。
一、事は七八分成就の時を大切とす。必ず気を許す事勿れ。征夷の大将も帰るさには疲るゝ事あり。
一、釈迦、空海、義経、正雪等奇術を知りて世を扱ふとも、何れも小智短才の者也。日本にては神武天皇、唐にては泰始皇が如き天下を併呑する大量を以て、加之(しか)も彼の術も亦存せば、地球に名ありて後世に及ばんか。
一、学問の道他なし、只生死の情を察する而己。
一、天文を覚り、地理を握る、人意を併呑する一術也。
一、天下の人倫悪を好めば善にうとし。善を行へば悪ににぶく、両不全を英将の不具とす。
一、気の弱きは善多く、気の強きは悪多し。
一、信長は天下の人々高位を望で朝廷の取次をせば、 国中の人我に従ふ決定(けつじよう)を知りたり。
一、太閤は、受嗣ぎて官位を取次ぐ。斯くて取り次げば家来も同様かく行也。
一、家康は、最早天下は天下に還るフリあり、天子を以てタヽキて是を矢玉にさへ使はゞ、公の如く吾天下を自在にすべしといふ事を知りて、行ひたる也。 故に口には忠を云て身には自在を行ひたり。
「俸禄などいふは鳥に与ふる餌の如きもの也」「予に随ふ者は生捕同然、予に不随者は皆讐敵と見て、心を赦す事勿れ」「人の跡を慕ひ、人の真似をする事勿れ」「義理などは夢にも思ふ事勿れ。身を縛らるゝも の也」「薄情の道、不人情の道、忘るゝ事勿れ。是を 却而(かえつて)人の悦ぶ様にするを大智といふ」「涙と云は、人情を見する色也。愚人、婦女子に第一の策也」「忍は知らせぬを主とす。事を成就するを本意とす」「事は七八分成就の時を大切とす。必ず気を許す事勿れ」「天下の人倫悪を好めば善にうとし。善を行へば悪ににぶく、両不全を英将の不具とす」「気の弱きは善多く、気の強きは悪多し」
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2014年08月30日
日本財団・笹川会長、上杉鷹山公の財政再建の事例を挙げて説明するも

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msn産経ニュースの「正論」に日本財団会長・笹川陽平の記事が載っていた。「国の借金は1千兆円超」とし、財政で「ダチョウの平和を許すな」というタイトルで自説を述べている。
冒頭、「経済には疎いが」と断った上で、「国の借金が1千兆円を超えた日本の財政について専門家の話を聞くたびに『ダチョウの平和』という言葉を思い出す」と語り始める。
「ダチョウは危機が迫ると砂の中に頭を突っ込み、危険を見ないようにしてやり過ごすといわれ、「Ostrich Policy(オーストリッチポリシー)」(現実逃避策)といった言葉もある。目がくらむような巨額の借金を前にしながら、危機感が今ひとつ希薄なわが国の現状が、私にはダチョウの姿に見えて仕方がないのだ」
この喩えは実に面白い。この「ダチョウの平和」という現実逃避策という、その場凌ぎの事勿れ主義が戦後の日本の政治をよく現している。
笹川は「財務省によると、国債や借入金、政府短期証券を合わせた『わが国の借金』は2013年度末で1024兆円。GDP(国内総生産)比2倍超の数字は莫大な戦時債務が重なった終戦時に匹敵し、OECD(経済協力開発機構)加盟の34カ国を見ても、このような巨額な借金を抱える国はない」というが、OECD加盟国と比べることに無理がある。
「総額95兆円の今年度一般会計予算を家計に例えれば、月収(税収など歳入)54万円の家庭が毎月41万円の借金(国債発行)をし、月95万円の生活をしている状態。4分の1近くの23万円は借金返済(利払いを含めた国債費)に充てられ、差額の72万円が実生活費となる」と分かり易いく語るが「借金」という表現を見てもやはり「経済には疎い」様だ。
因みに愚生の生活はもっと酷い。何故なら赤字を埋め合わせするのに銀行などの金利の安い「借金」が出来ないから赤字は殖える一方。「借金」が出来るうちはその「借金」は資産と同じ。万が一、どうしようもない状況に陥れば踏み倒せばいいし、損切りすりゃいい(笑)
国の「借金」という赤字国債も、どうしようもない状況になれば無利子の国債に移行すりゃいいし、だが、そうしたことを実行するほどの危険水域でもない。
「日本には1400兆円に上る個人金融資産があり、国債の大半を国内で消化しているため問題はない、とする意見も聞くが、資金の余剰幅は年々縮小しており、素人目にはどう見ても危険水域に達している」というが、我が国の将来が今の価値観のまま推移して行くとはとても思えないのだ。
赤字国債が大幅に発行され始めたのは宮沢内閣からで、戦後、間もないころからこうした赤字国債に依存して来た訳ではない。それを考えれば解決方法は自ずと見えて来るのではなかろうか。それにしても「河野談話」といい、経済優先政策といい、宮沢内閣の罪は重い。
更に笹川は、「財務相の諮問機関である財政制度等審議会は4月、このままで推移した場合、半世紀先の2060年には国と地方の債務残高がGDPの約4倍、8150兆円に達するとの試算を公表した。現在、集団的自衛権論議が盛んだが、このままでは安全保障より年々、累積する債務で国が自壊しかねない」との意見を述べる。
だが、半世紀後のことを単純に数字で出すことに違和感もあるし、「現在、集団的自衛権論議が盛んだが」というのも、集団的自衛権なんぞより財政健全化こそが大事であるという発想は如何なものだろう。所謂「A級戦犯」だった親父が草葉の陰で嗤っているぞ!
その後、笹川は消費税への意見を述べた上で、「財政を立て直すには、あらゆる制度・仕組みを見直し、総力を挙げて『入』を増やし『出』を減らすしかない」と、誰でも分かる当り前のことを当たり前の様に語る(笑)
そして、「『明日の日本』をどう築くか、政治家は議員定数、報酬削減を早急に実現し、有権者受けを狙った“ばらまき”と決別すべきだ。『先ず隗(かい)より始めよ』。それが自らの覚悟と範を示すことになる」と力説する。
「政治家は隗より始めよ!」とは愚生が常々言っていることで、些かの異論はない。
そして笹川会長は、「江戸時代、米沢藩の上杉鷹山公は藩財政の窮状を藩民に分かりやすく説明するとともに目安箱などで幅広い知恵を集め、財政支出の削減と産業振興による収入増を実現することで領地返上寸前だった藩財政を立て直した。今、求められているのは、こうした知恵と行動だ」と呈す。
だが、この上杉鷹山公の財政再建の智慧は愚生とは認識が違う様だ。
第九代藩主に就いた上杉鷹山は、逼迫する財政を改革に立ち上がる。
その際、鷹山公は「受け継ぎて 国の司の身となれば 忘れまじきは 民の父母」(藩主として自分の仕事は、父母が子を養う如く、人民の為に尽くすことである)と詠まれた様に、上に立つ者の心構えこそが大事であると説くのだ。
そして鷹山が先ず手を付けようとしたのが、領民の心である。
「単に帳簿上の赤字を克服すれば財政再建が出来るという訳ではない。今は困窮の余り、この国の人々は目先の利益のことしか考えず、他人のことを思い遣れなくなっている。人々の心にも赤字が生じてしまったのだ。これを克服しなければ、喩え帳簿上の赤字を克服したとしても、また同じことを繰り返すだろう」
これこそが今の日本に必要なことであろう。現在の日本を見れば困窮している訳でもないのに人々は他人を思い遣ることなく、資本家も国も政治家も営利至上主義や経済のみに狂奔し、人心の荒廃極まれりといった様相を呈している。
鷹山公の訓えた「心の赤字」を解消すること、つまりは「心の教育」、「道徳教育」の実行であり、他人を労わる心を育む教育を如何に施すかが大事なのだ。
それには「政治家が隗より始めよ!」という率先垂範が伴わなければならず、何より政治家が国民にその範を示すことこそ大事であるのだが、そうした気概を持つ政治家がいないのも確かで、我が国の不幸は政治家のこうした為体に在る。
戦後、国民は米国の価値観にどっぷり浸り、ひたすら便利と豊かさを求め、また企業は営利至上主義に狂奔して来た。政治家もまた国益を無視し、党利党略、私利私欲に塗れ、保身と次の選挙のことだけを考え、“バラマキ”して来た結果が、今の日本の姿なのだ。
笹川はこういう。「必要なのは、危機感の共有と財政立て直しに向けた気概である」と。だが今やるべきことは財政立て直しではなく、日本人という生き方を忘れてしまった国民の心の赤字の解消であり、教育の充実を図り、我が国に誇りを持ち、将来を託せる子供達や若者達を如何にして育て上げるかが肝要である。

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2014年08月29日
今年も夏休み中に多くの人が成田空港を利用したが

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夏休み中、海外へ出国した人は約260万人、内約170万人が成田空港を利用したという。成田空港が開港したのは昭和53(1978)年5月20日。この空港が計画されたのは昭和37年で、計画に11年、着工して5年有余、実に16年もの年月が費やされて漸く完成した。
成田空港が計画されたのは、羽田空港の発着数が増え、夜間のピーク時には満杯となり、運行作業も秒単位と言っても過言ではないほどの危険極まりないものとなり、日本の空の玄関としての面目保持は覚束ない状況となり、国際的信用に係わる重大な問題であるのは勿論、人命の安全の点からも「新東京国際空港」建設の必要性を感じたからだ。
この計画が持ち上がると、日本社会党と日本共産党を中心とした左翼らお決まりの「反対屋」が、「新空港は軍事目的に使用される恐れがある」と国民を誑かす。
一方で、「一坪地主運動」の戦術を使い、地下壕を掘ってのモグラ作戦、見張り塔を造っての空中籠城作戦など、あらゆる嫌がらせ、手段を駆使し、終には警官3名を撲殺、その他多数の負傷者を出すという事件まで惹起して建設阻止に狂奔した。
この事件の直後、グループの最高責任者が英雄気取りで記者会見し、「警察官が殺されたのは当然の報いである」と言い放った。
然るに治安当局は、社共両党に必要以上に気を遣い、事勿れ主義的弱腰な態度で対応し、連中を益々付け上がらせる要因を招いた。
当時のマスコミもまたこれら過激派学生に共鳴し、左翼の活動は「平和運動」と詭弁を弄すに至る。現在もその左翼への同情や共感は止むことはない。
今やその成田空港は空の玄関としての役割を果し、海外からは勿論、国内からも多くの人々が利用する。当時、反対闘争に明け暮れた左翼らもきっと利用しているに違いない。
抑々、左翼らの反対の狙いは、反対の為の反対運動であり、何が何でも自民党政府の政策にケチを吐けて、これを妨害し、あわよくば、計画を失敗に帰せしめて、政府の命脈を断とうとする政治謀略に過ぎない。
現在の「反原発」「反オスプレイ」「反集団的自衛権」「反靖國」「反天皇」などの反対運動はこれと同じ短絡的政治謀略に発している。
当時、新国際空港の建設は前述した様に国家的至上命令とも言えるもので、これに反対することが政治謀略でないとするならば、羽田空港の危険度をどの様にして解消出来たというのか。今からでも遅くはない説明して頂きたいものだ。
「新空港は軍事目的に利用される」というトンチンカンな理由を見れば、「集団的自衛権で徴兵制度になる」だとか「若者が再び戦場へ送られる」といった現在の左翼の主張も、あの成田闘争から何ら変わり映えしない主張であるかが理解出来よう。
政治家諸公は国民の血税で旅行する。これも公務の内だというが国民の多くはそうは見ていない。海外へは殆どが成田空港を利用している。勿論、当時大反対し人殺しまで煽動した社共のセンセイ方も等しくこの空港を利用する。
「先輩方がやったことで関係ない」といえばそれまでだが、何の顔(かんばせ)あって利用出来るのだろうか。死ぬまで利用しないという信念なんぞ彼らにはない。
こうしたことでもあの闘争が薄っぺらなものだったかが理解出来るというものだ。
因みに余談だが、右翼の巨頭・赤尾敏は当時、新空港建設地傍に土地を保有してた。大日本愛国党総裁の土地だということで当時にしては破格の金額で立ち退いたという。
赤尾総裁は早速、その貰った億単位のカネを息子らに生前贈与する。
本来ならば右翼勢力の体制強化に使えば好かったものを、まぁ右翼の巨頭と雖もマイホーム主義者だったということか、やはり子供の将来は心配だった様だ。
斯くして赤尾総裁は無一文となった(笑)
右翼の先輩方を見てると真面目な活動家だった人というのは如何せん金儲けが下手で、金儲けの上手な人というのは如何せん思想に乏しく、カネの使い方が下手クソなのが多い。
そういやその昔、「防共グループ」に防共〇志会という団体が在った。九州出身の会長は顔も厳つく、演説も巧く、押しも強いので総会屋としてもかなり有名な存在だった。
愚生よりも一回り上だったが、当時から随分と羽振りもよく、芝公園前のマンションを始め不動産も多く保有し、将来的にも右翼のリーダーになるものだとてっきり思っていたが、40歳前にして突如引退してしまった。
その理由を先輩でもあり友人でもあった右翼浪人・横山武彦が教えてくれた。
「〇〇が引退したのは何のことはない、もう一生働かなくても遊んで暮らせるカネを貯めたからだって言ってたよ。まぁ億、然も二桁は行くだろうな(笑)」
その横山と全国放浪の旅に出た際にその元会長と会う機会があった。現在は富山市の建設会社の娘と結婚し悠々自適に暮らしていた。右翼人生を全うするのもいいが、どんな手段であろうとカネを掴んで引退するいう生き方も悪くはないよなぁ。ってか無理か。呵呵大笑

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2014年08月28日
医療費11年連続で過去最高を更新し年40兆円に迫る

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厚生省は昨年度(平成25年)に医療機関へ支払われた医療費が概算で39兆3000億円となり、11年連続で過去最高を更新したと発表した。
我が国の歳入は約50兆円、単純に見ればその約8割が医療費ということだ。前年度と比べ8000億円増。このまま推移すれば10年後の医療費は50兆円を超えると予想されている。
何故に医療費がここまで増大してしまったのかといえば、日本医師会の票とカネ目当ての政治家によって医療制度、医療行政の改革に手を拱いたことが原因であり、我田引水的に儲かる医療制度を創り出して来たところに在る。
医療制度の改革は先ず、自民党を始めとした政治家と日本医師会の馴合いを矯正する必要があるが、その実行は限りなく不可能に近い。
日本医師会は選挙になると抜群の集票力を持っている。また資金も潤沢であり、政治家はこの医師会の票とカネ欲しさに媚び諂う。
民主党が政権に就いたのも医師会の支持表明によるところも少なくなく、その後、民主党政権に見切りを付けた医師会は自民党に再度鞍替えし安倍自民党を支援した。
愚生が右翼団体に入隊した昭和54年、日本医師会の会長は「喧嘩太郎」と言われた「武見太郎」という人物が君臨してた。
「医師優遇税」問題を巡り、医師会は、自己の意のままにならない自民党議員に憤慨し、「次期同選挙では自民党代議士を50名程落選させる」と豪語し、当落線上にいる自民党議員を震え上がらせた。
そのカネを握らせて抑え込む手口は暴力団そっくりで、未だそうした陋習は国会に蔓延り、医師会の思い通りに事が進められている。
その時代から比べれば日本医師会もこじんまりしたが、逆に構図が分かり難くなり、然も政治家に媚び諂う様に見せかけては、算段に長けた強かな輩が牛耳っている様にも思える。
現在の政治家で、こうした構造的に腐敗している医療制度にメスを入れ、真の医療制度の確立を訴えれば国民の共感を得るのは間違いないと思うのだが、そうした覚悟を持った政治家もいない。
昨年だったか麻生太郎が、医療費負担について「食いたいだけ食って、飲みたいだけ飲んで、糖尿病になって病院に入っているヤツの医療費は俺達が払っている。公平ではない。無性に腹が立つ」と語り物議を呼んだ。
麻生は医療費の抑制策として、病院に通わずに医療費が掛からなかった高齢者に対して「『10万円をあげる』と言ったら、医療費は下がる。それが最もカネが掛からない方法だ」とのアイデアを披歴した。
介護保険でもそうだが、何でもかんでも利用しなきゃ損みたいな風潮に一石を投じる意味でも、麻生の言う、「健康高齢者褒賞金制度」は面白い試みであり、大いに結構なことで、是非とも実行して頂きたいものだ。
麻生は終末医療についてもこう語った。
「私は少なくとも遺書を書いて、そういうことをして貰う必要はない、さっさと死ぬからと書いて渡しているが、そういうことが出来ないと死ねません。いい加減、死にたいと思っても『生きられますから』なんて生かされたんじゃ、叶わない。しかも政府の金で(高額医療を)やってもらっていると思うと寝覚めが悪い。さっさと死ねる様にして貰わないと」
その上で、「残存生命期間が何カ月かとそれにかける金が月に一千何百万円だという現実を厚労省も一番よく知っているはずだ」とし、終末医療での財政負担が重い現状を指摘した。
国家予算に占める医療費の負担は年々殖えるばかり。今や我が国の財政を危機的な状況にしている医療費の現実や医療の実態を国民一人一人が知り、考えることは大事だ。
国民医療費は年々増加の一途を辿り、内、高齢者の医療費は医療費の増加と比例して増えて行くばかり。となれば麻生の「健康高齢者褒賞金制度」は予想以上の成果を齎すのではなかろうか。
新薬や医療技術が向上するのは大いに結構な話しだが、華美で分不相応な病院施設も目立つのも事実で、「本当にそんなものが病院に必要なのだろうか」と疑問を抱く国民も多い。
医療に携わる医師や製薬会社が「医を以て世に尽くす」という根本に立ち返らない限り、医療費は殖え続けるだろう。
厚労省は価格の低い「後発医薬品(ジェネリック)」の利用促進や入院日数短縮など、医療費抑制策に取り組んではいるが、現実的には「焼け石に水」で、医療費高騰に歯止めが掛かるどころか膨らむ一方なのだ。
「乱診乱療」「薬漬け」「保険点数の水増し請求」「大口脱税」「在宅医療」など営利に狂奔する悪徳医師の構造的腐敗にメスを入れることが、こうした膨れ上がる医療費の見直しにも繋がる訳だが、如何せん、聖域化してしまっている医療制度を抜本的に改革しようという政治家もいないのが現状だ。
高齢化社会に向け、社会保障の充実や医療技術の向上を図ることは結構なことだが、日本医師会が牛耳る医療行政にメスを入れ、現在の「医は算術」と言わんばかりの医療制度の正常化を図ることこそ大事だろう。
麻生でなくても終末期医療については疑問を抱いてる国民は少なくない。
欧州などでは終末医療での延命治療は「虐待」だと捉えられる。助かりもしないのに医療費目当てにズルズルと生かされたのではホント堪ったものではない。
家族に迷惑を掛けずにコロッと死にたいというのは日本人なら誰もが持つ死生観だろう。
人の人生は様々だろうが、「生」というものだけに拘るより、個々の「死」の尊厳というものを重んじる医療というのも考えて行かねばならないのではなかろうか。

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2014年08月27日
ガソリン価格が3ヵ月連続で1ℓ160円を超えた場合揮発油税25.1円を停止する

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平成21(2009)年の衆院選で民主党はマニュフェスト(政権公約)の目玉の一つとして、ガソリン税などの暫定税率廃止を掲げた。
羊頭狗肉のマニュフェストが功を制し政権与党となった民主党は、その約束を翻し財源不足を理由に暫定税率廃止を見送った。
その代わりに燃料価格の高騰対策として翌22年、「所得税法等の一部を改正する法律」を成立させ、「トリガー条項」というものを盛り込んだ。
この「トリガー条項」は、総務省が発表する小売物価統計調査において、ガソリンの平均価格が3か月連続で1リットル160円を超えた場合、揮発油税の上乗せ税率分である25.1円の課税を停止するというものである。
尚、停止後に3か月連続でガソリンの平均価格が130円を下回った場合には、課税停止が解除される。
だが、東日本大震災の発生を受けて、適用されると復興財源となる税収が約1.8兆円減るという理由から、「トリガー条項」は発動されてはいない。
今、ガソリン価格の高騰は止まるところを知らず先日は170円近くに跳ね上がった。
最近は利用者も慣れっこになってしまって、近所のスタンドのガソリン価格が160円を割り、158.9円などという数字を見ると如何にも安くなった錯覚に陥る。
福島原発事故を受けて被災者や自称・被災者への優遇措置が講じられているが、本来ならば県内に留まり復旧・復興に汗する県民にこそ優遇すべきで、何より県内ナンバーの車への給油に限って揮発油税を廃止するべきだと思っている。
ダンプ屋の友人などを見ていると多忙を極めてはいる様だが、燃料費の高騰で儲けはそれほど無いという。経由の値段もまたひと昔前のハイオクの値段よりも高い。
ガソリン価格の高騰は企業の経費にも大きく影響し、景気回復の足枷にもなっている状況を見れば、「トリガー条項」を発動し、ガソリン価格を下げるのが得策だろう。
因みに沖縄は「沖縄復帰特別措置法」によりガソリン価格は安い。ならば東日本大震災で被害を被った東北3県にそうした措置を講じられないものか。
「トリガー条項」は東日本大震災の復興財源確保の為に発動しないというが、復興財源を確保するという理由から採られていた国会議員の歳費削減も解除され、国家公務員の給与削減や復興特別法人税といった対策は既に解除されたのも合点が行かない。
復旧・復興に努力する自衛隊の給与アップには些かも異論はないが、政治家への優遇措置は到底納得出来るものではない。
「政治家は隗(かい)より始めよ!」という言葉がある。
遠大な事をするには、手近なことから始めよ。転じて、事を始めるには先ず自分自身が着手せよという意味だ。「戦国策燕策」郭隗の故事だが、口ばっかりで命がけで実行しようという政治家は見当たらない。
国民に社会保障費の財源を確保するなどという名目で消費税増税を押し付けながら、政治家どもは地方議員を含め優遇され過ぎているのは、政治家としての「滅私奉公」という生き方からは程遠いものだ。
地方議員は日当制にし、無用の長物・参議院なんぞ廃止すべきであり、何より「政党交付金」は即刻廃止、今迄の詐取した分は返納すべし。
「政党交付金(政党助成金)」は、企業・労働組合・団体から政党・政治団体への政治献金を制限する代償として、平成6年の細川政権時に導入されたものだ。
細川はドイツの事例を挙げ、「ドイツでは国民がカネを出し合って政党を援助している。政治家がカネ集めに奔走しなくて済むし、何よりクリーンな政治を実現出来る」とこの制度を導入した。
「政党助成法」の成立で、企業献金や政治資金パーティーは無くなり、政治家は国家国民の為に汗してくれるものと国民の誰もが思った。だが現実は、政治資金パーティーは無くならず、政治家は政治資金集めに狂奔するばかり。
政党交付金として、国会議員一人当たり約5000万円が支払われている。国民一人当たり換算で約250円、総額約320億円に上り、今迄支払われた総額は実に6兆円を超える。
政党交付金は政党に配られ、政党職員の給与に充てられる。結果、公務員の様な政党職員が殖え、政策秘書という職員らが作ったクソの様な政策を政治家が実行しているに過ぎない。
抑々、議員には歳費として年間2300万円、文書交通費1200万円、他にも公設秘書の給料や議員会館、議員宿舎など年間合わせて1億円以上の国費が計上されている。
誰が見ても十分な金額だろうが、欲の皮のツッパッた連中は何処までも貪欲だ。
相変わらず国会議員のバカ共は企業献金やら個人献金、政経パーティーと、国政そっちのけで金策に狂奔しているが、これ即ち国民に対する「政党交付金詐欺」と言っても過言ではないだろう。
政党交付金は、政治活動の自由という観点から、政党交付金の使い道には制限が無ければ立法事務費も使途報告の必要もなく、解散時の返納する義務もない。
正に「政党助成法」は国民をバカにした、都合のいい法律であり、あの小沢一郎の事件も、本を糺せばこの政党交付金の在り方を論じなければならない問題だったのだ。
共産党は政党助成金を受け取らず、政党助成金制度の廃止を主張しているが、至極真っ当な認識であろう。
共産党以外の政党は「政党交付金」を受け取ることが、国民への背信行為であり、詐欺行為だとの認識はないのだろうか。
政党交付金の趣旨は、企業、労働組合、団体からの政治献金禁止の代償であり、未だ企業団体献金や政治資金パーティーが無くならない現状を見れば即刻廃止するのが得策である。
こうした状況を見れば「トリガー条項」発動が東日本大震災復興の財源確保の為にも出来ないという理由は単なる詭弁にしか聞こえない。
安倍首相は早々に「トリガー条項」を発動し、復旧・復興の妨げになっているあらゆる施策の見直しを急ぐべし!

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2014年08月24日
河井継之助の終焉の地・会津只見から越後長岡への旅を企画してみた!

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河井継之助。越後長岡藩の家老で、その評価は賛否両論あるが愚生的には幕末の武士の中でも最も尊敬する英雄である。
慶応4(1968)年1月3日(1月27日)、鳥羽伏見の戦いが勃発。西軍は次第に勢力を強めて、3月には江戸城開城、上野寛永寺の戦いなどにも勝利し、最大の目標である会津を目指し北上する。
7月、北越の地にも西軍が迫る。
長岡藩は、継之助の下、藩内を統一し「非武装中立」を貫こうとするも、西軍の岩村精一郎との会談が決裂し、継之助は東軍勢力として戦うことを決意する。
歴史に「もし」はないが、河井継之助と岩村の対談が成功していれば、また西軍が岩村の様な小僧ではなく、山縣有朋や板垣退助らが対応していれば「会津戦争」の戦いは避けられ、日本の歴史も大きく変わってたことだろう。
長岡藩は奥羽列藩同盟に加わり、「北越戦争」へと突入する。
北越戊辰戦争において長岡藩兵は近代的な訓練と最新兵器の武装を施されており、継之助の巧みな用兵により開戦当初では新政府軍の大軍と互角に戦った。
しかし、圧倒的物量を有する西軍に比べ絶対的な兵力に劣る長岡軍は徐々に押され始め、5月19日(7月8日)長岡城を奪われる。
だが、その後の6月2日(7月21日)、今町の戦いを制して逆襲に転じ、7月24日(9月10日)夕刻、敵の意表をつく「八丁沖渡沼作戦」を実施し、翌日に長岡城を再び奪還した。
これは軍事史に残る快挙であり、関東軍参謀で陸軍中将・石原莞爾の陸軍大学校における卒業論文は河井継之助のこの戦術を研究したものだ。
だがこの奪還の代償は大きく、奪還を果たした当日、継之助は左膝下に被弾、重傷を負った。これにより長岡藩の士気が下がり、戦線は次第に後退して行った。
継之助は、家臣や同士から「会津藩を頼り、会津で再起を図ろう」という進言を受けるも、故郷で死にたいとの思いから拒否する。
だが、戦局は益々不利となり、継之助の傷も化膿が酷く、破傷風に罹ってしまい、已む無く会津での捲土重来を期すこととなった。
会津へは国境の「八十里峠(はちじゅうりとうげ)」を超えなければならなかった。
実際には8里(約30キロ)程度の道のりだが、その山道は険しく、この「八十里峠」という名前がそれを現している。
峠越えの途中、継之助は次の様な詩を詠んだ。
「八十里こしぬけ武士の越す峠」
8月5日(9月20日)、会津領の只見に入り、叶番所で休憩した後、只見村の目明し清吉宅に身を寄せ7日間を過ごす。
8月12日(9月27日)に只見を出発、塩沢村に到着し、塩沢の医師・矢沢宗益宅に留まる。
15日(30日)夜、継之助は従僕の松蔵を呼ぶと、「松蔵や、永永厄介して呉りやって有難かったでや」と労いの言葉と共に死期を悟った継之助は火葬の仕度を命じた。
「松蔵、火を熾(さかん)にせよ!」
翌16日(10月1日)の昼に継之助は談笑した後、ひと眠り就くとそのまま危篤状態に陥った。再び目を覚ますことのないまま、同日午後8時頃死去した。享年42。
河井継之助終焉の家(矢澤家)は昭和36年(1961年)、只見川電源開発による水没の為、現在は福島県只見町の河井継之助記念館内に移築されている。
という訳で、河井継之助の生き様を偲びながら、終焉の地・只見町に在る記念館から長岡へ戻る逆のコースを辿る旅を企画しています。
予定では9月20日から2泊3日、郡山~会津~会津川口(金山町)までは電車を予定、金山町~只見まではバスか徒歩。只見から長岡まで徒歩。野宿は決定的です(笑)
詳しいことは未定。行き当りばったりの旅です。途中、熊との遭遇するかも(笑)
誰か同道してみようという奇特な方はいませんか!

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2014年08月22日
民主党海江田代表、土砂災害での安倍首相の対応を批判!?
広島市安佐南区の土砂災害での死者・行方不明者が90名を超えた。警察当局も把握していない被害者もいる可能性もあり、更に増える恐れもある。
そんな状況の中、安倍首相が山梨の静養先に戻ったことに対し、民主党の海江田代表は「びっくりした!」などと批判した。
まぁこんなことでびっくりする海江田にもビックリするし、呆れかえるし(笑)
この前日にも静養先で森喜朗元首相らとゴルフをプレーしていた安倍だが、土砂災害の一報を受け、ゴルフを切り上げで急遽帰京、対応を指示し、古屋大臣を現地に派遣した。
安倍の対応や判断は凡そ的確だったと言える。
海江田は記者団に「こういう時だからこそ官邸や公邸に詰めて情報収集に当るべきだ」とキレイゴトを強調する。社会党の又市幹事長も「行方不明者がいる状況で別荘に戻るのは如何なものか。とんでもない判断だ」とここぞとばかり断じる。
マスコミはマスコミで、同じ土砂災害の記事の中で宮内庁が、天皇、皇后両陛下が多くの犠牲者が出ていることに配慮し、予定していた軽井沢と草津での静養を取り止められたとの発表をリンクさせ、如何にも安倍の対応が拙いものであるかを読者に訴える。
日頃、陛下や皇室を軽んじる連中が、ここぞとばかり国民に寄り添う陛下の大御心を利用する様に違和感を感じざるを得ない。
安倍は両陛下の静養取り止めの報を受け、自らも別荘を出て私邸に戻った。
確かに安倍の静養先に戻った対応は軽挙ではあるが、批判される様なものではない。
ゴルフで辞任に追い込まれた人物で思い出されるのは森元総理だろう。今回も安倍は森元総理らとゴルフをしていたというのも何か謂れ因縁を感じてしまう。
平成13年2月10日、ハワイ沖で愛媛県立宇和島水産高等学校に所属する漁業練習船「えひめ丸」が、米国海軍の原子力潜水艦「グリーンビル」に衝突され、日本人9名が亡くなった。
この一報を森がゴルフ場で聞いたにも拘らずプレーを続け、危機管理の意識が欠落していると総理辞任に至る要因になった。
今回の野党の安倍への批判は、このことを踏まえた「二匹目の泥鰌」を狙ったものであり、あの時の成功をまた目論んでいることは明らかで、こうしたことでしか安倍政権を責めきれない野党というのも実に情けない。
「えひめ丸」の事件では本来、批判されるべきは米国であり、この事故は色々と原因が取り糺されてはいるが、最大の原因は米国人による日本人蔑視であったことが大きい。
当時、原潜「グリーンビル」に同乗していたの民間人は「ミズーリ保存会」のメンバーであり、事故が故意ではないにしろ「ジャップの船だ、驚かしてやろう!」という気分が艦内に横溢していたことは想像するに余りある。
責めるべきは森のゴルフではなく、米国の日本人蔑視と事故の究明であったが、結局は「神の国」発言も相俟って辞任に追い込まれた。
因みに 米国の教科書でも「イザナギ」「イザナミ」の国生み神話と三種の神器が絵入りで教えられ、「日本は神の国で、国名は日の神である天照大御神の太陽信仰に由来する」と教えている。
正に我が国は「神の国」なのだが、「日本は神の国である」という至極真っ当な発言がバッシングを受けたのは如何にも戦後の日本らしい摩訶不思議な出来事だった。
時代は変わり、民主党政権下、宮崎県で口蹄疫の感染が拡大した。
拡大した原因は担当大臣だった赤松農相の外遊に因るところが大きく、口蹄疫が発生していたにも拘らず、憧れのカストロに逢う為にキューバの外遊を優先した。
更に赤松は外遊中はゴルフ三昧だったのは周知の事実。
赤松の外遊にしろ、行動や帰国後の言い訳を聞いて見ても、危機管理意識が皆無で、村山富市元首相の阪神大震災時の救助の遅れを彷彿させるものだった。
時の鳩山首相はその責任を問われ、「責任論よりも迅速な措置を取ることだ」と詭弁を弄したが、口蹄疫が広まった中での「迅速な措置」には唖然。
赤松を更迭もせず、当時の平野官房長官は「指示が無く、事務方が動けなかった」と、トンチンカンな対応ぶりには呆れかえった。
民主党は「政治主導」を口にし、官僚体制を打破し、政治主導に戻すと言ってながら、「事務方が動けなかった」とは開いた口が塞がらない。
今回の土砂災害事故は、民主党政権下で実行された「コンクリートから人へ」と公共工事を目の仇にした愚策の結果でもある。
これはスーパー堤防を「1000年に一度来るかどうかも分からない津波にそんな予算を付けられない」と仕分けし、その1000年に一度の津波が来てしまったのと同じ構図でもある。
誰の責任かを追求することは容易いが、喫緊にやるべきことは自民党政権下で進め様としている「日本強靭化対策」であり、国防も防災も領土保全も同一線上に在るという観点から、これらの妨げになっている一切の法令を見直し実行すべきである。
その妨げになっている最大の法令こそが日本国憲法であることは言うまでもない。
末尾に当り、今回の土砂災害で犠牲になられた方々に対し御悔み申し上げます。
そんな状況の中、安倍首相が山梨の静養先に戻ったことに対し、民主党の海江田代表は「びっくりした!」などと批判した。
まぁこんなことでびっくりする海江田にもビックリするし、呆れかえるし(笑)
この前日にも静養先で森喜朗元首相らとゴルフをプレーしていた安倍だが、土砂災害の一報を受け、ゴルフを切り上げで急遽帰京、対応を指示し、古屋大臣を現地に派遣した。
安倍の対応や判断は凡そ的確だったと言える。
海江田は記者団に「こういう時だからこそ官邸や公邸に詰めて情報収集に当るべきだ」とキレイゴトを強調する。社会党の又市幹事長も「行方不明者がいる状況で別荘に戻るのは如何なものか。とんでもない判断だ」とここぞとばかり断じる。
マスコミはマスコミで、同じ土砂災害の記事の中で宮内庁が、天皇、皇后両陛下が多くの犠牲者が出ていることに配慮し、予定していた軽井沢と草津での静養を取り止められたとの発表をリンクさせ、如何にも安倍の対応が拙いものであるかを読者に訴える。
日頃、陛下や皇室を軽んじる連中が、ここぞとばかり国民に寄り添う陛下の大御心を利用する様に違和感を感じざるを得ない。
安倍は両陛下の静養取り止めの報を受け、自らも別荘を出て私邸に戻った。
確かに安倍の静養先に戻った対応は軽挙ではあるが、批判される様なものではない。
ゴルフで辞任に追い込まれた人物で思い出されるのは森元総理だろう。今回も安倍は森元総理らとゴルフをしていたというのも何か謂れ因縁を感じてしまう。
平成13年2月10日、ハワイ沖で愛媛県立宇和島水産高等学校に所属する漁業練習船「えひめ丸」が、米国海軍の原子力潜水艦「グリーンビル」に衝突され、日本人9名が亡くなった。
この一報を森がゴルフ場で聞いたにも拘らずプレーを続け、危機管理の意識が欠落していると総理辞任に至る要因になった。
今回の野党の安倍への批判は、このことを踏まえた「二匹目の泥鰌」を狙ったものであり、あの時の成功をまた目論んでいることは明らかで、こうしたことでしか安倍政権を責めきれない野党というのも実に情けない。
「えひめ丸」の事件では本来、批判されるべきは米国であり、この事故は色々と原因が取り糺されてはいるが、最大の原因は米国人による日本人蔑視であったことが大きい。
当時、原潜「グリーンビル」に同乗していたの民間人は「ミズーリ保存会」のメンバーであり、事故が故意ではないにしろ「ジャップの船だ、驚かしてやろう!」という気分が艦内に横溢していたことは想像するに余りある。
責めるべきは森のゴルフではなく、米国の日本人蔑視と事故の究明であったが、結局は「神の国」発言も相俟って辞任に追い込まれた。
因みに 米国の教科書でも「イザナギ」「イザナミ」の国生み神話と三種の神器が絵入りで教えられ、「日本は神の国で、国名は日の神である天照大御神の太陽信仰に由来する」と教えている。
正に我が国は「神の国」なのだが、「日本は神の国である」という至極真っ当な発言がバッシングを受けたのは如何にも戦後の日本らしい摩訶不思議な出来事だった。
時代は変わり、民主党政権下、宮崎県で口蹄疫の感染が拡大した。
拡大した原因は担当大臣だった赤松農相の外遊に因るところが大きく、口蹄疫が発生していたにも拘らず、憧れのカストロに逢う為にキューバの外遊を優先した。
更に赤松は外遊中はゴルフ三昧だったのは周知の事実。
赤松の外遊にしろ、行動や帰国後の言い訳を聞いて見ても、危機管理意識が皆無で、村山富市元首相の阪神大震災時の救助の遅れを彷彿させるものだった。
時の鳩山首相はその責任を問われ、「責任論よりも迅速な措置を取ることだ」と詭弁を弄したが、口蹄疫が広まった中での「迅速な措置」には唖然。
赤松を更迭もせず、当時の平野官房長官は「指示が無く、事務方が動けなかった」と、トンチンカンな対応ぶりには呆れかえった。
民主党は「政治主導」を口にし、官僚体制を打破し、政治主導に戻すと言ってながら、「事務方が動けなかった」とは開いた口が塞がらない。
今回の土砂災害事故は、民主党政権下で実行された「コンクリートから人へ」と公共工事を目の仇にした愚策の結果でもある。
これはスーパー堤防を「1000年に一度来るかどうかも分からない津波にそんな予算を付けられない」と仕分けし、その1000年に一度の津波が来てしまったのと同じ構図でもある。
誰の責任かを追求することは容易いが、喫緊にやるべきことは自民党政権下で進め様としている「日本強靭化対策」であり、国防も防災も領土保全も同一線上に在るという観点から、これらの妨げになっている一切の法令を見直し実行すべきである。
その妨げになっている最大の法令こそが日本国憲法であることは言うまでもない。
末尾に当り、今回の土砂災害で犠牲になられた方々に対し御悔み申し上げます。
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2014年08月20日
全国戦没者追悼式典を無視し民団の光復節に出席した売国議員どもに厭きれる

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8月15日の終戦の日、国会議員でありながら全国戦没者追悼式典に出席もせず、あろうことか民団主催の「光復節」に出てたのには厭きれた。
福島瑞穂や白真勲が出るのは別段驚きもしないが、自民党の議員までもが参加するとは何事か。何らかの処分を下すべきであろう。
テレビでは8月15日、靖國神社前に集まる若者への街頭インタビューが流されていた。
「8月15日は何の日か知ってるか?」「日本はどこと戦争したか知ってるか?」と尋ねる。
すると若者らは「キャ~ウケル~」と言わんばかりにあっけらかんと「そんなこと知らない」「え~マジで」と知らないことを恥だとも思わず明るく答えていた。
マスコミの世論操作なのだろうか、それとも本当のことなのか、暑い東京の九段の靖國神社前に何故に彼らが集まってるのか不思議な光景を目の当たりにし唖然となった。
国会議員があの程度なら、若者がこうだとしても責める気にはなれない。
安倍総理は前回の総選挙の際、「我が国に誇りの持てる教育を施す」と訴え、愚生もその一言で応援する気になった。
だがどうだろう。自国の歴史、然も国の存亡を賭けて戦った大東亜戦争の意義も教えることなく、唯経済政策のみに狂奔してるとは一体何事ぞ。
これでは靖國の英霊は無駄死にだったと言われても仕方あるまい。
まぁ見方を変えれば、若者らがあっけらかんと答えられる時代は、英霊の望んだ「平和」とも言えなくもないが、団塊の世代の「平和ボケ」の二の舞だけは避けなければならない。
韓国も同じ様なもので、8月15日は日本から独立を勝ち取った記念日であると信じて止まない国民は多い。ただ単に連合国から解放されただけで独立を勝ち取ったのではない。
何故に韓国民は冷静に自国の歴史を振り返らないのだろう。
韓国の国是である「反共」も「反日」も、韓国初代大統領の李承晩が実行したものだ。
李承晩は日本統治時代より「大韓民国臨時政府」を標榜し、海外で反日活動を行ってた人物で、戦後、米国の威光で初代大統領に就任した。李承晩が米国の傀儡と言われる所以である。
韓国民は、未だ李承晩らが創り上げたウソの歴史を鵜呑みにし、愛国者気取りで我が国にだけに憎悪を剥き出しにする。
この安っぽい「反日」が愛国行為だと思っているのも滑稽な話しだが、日本への歴史認識を云々言う前に、韓国こそ冷静に公正な自国の歴史を学ぶべきだろう。
だが、悲しいことに韓国の愛国心は安っぽい「反日」のみで、その洗脳から覚める気配は全くない。ある意味、日本人が米国の占領政策によって自虐史観を植え付けられた日本のバカ左翼と同じで、そう思うと気の毒でもある。
韓国のウソの原点は李承晩の「大韓民国臨時政府」のウソに在る。
国定教科書でも「対日宣戦布告」等を過度に強調する余り、ウソにウソを重ねるしかなくなっているのが現状なのだ。
「屋上屋を架す」という言葉があるが、今更、間違いを認める訳にはいかなくなってしまっているというのが真相だろう。
「日清戦争」も朝鮮を巡る戦いだったが、日露戦争後の日韓関係の悲劇の現実が「日韓併合」であり、大東亜戦争も「日本人として共にアジア解放の聖戦に立ち上がった」というのが真実であり歴史的事実。
その事実を伝えないで、李承晩が「臨時政府として対日宣戦に参加した」などというウソを教えるからややこしくなるのだが、そろそろ韓国民もいい加減に気付いたらどうなのだろう。
韓国は憲法前文で、「大韓民国は3.1運動により建てられた大韓民国臨時政府の法統を受け継ぐ」と規定している。
だが、「大韓民国臨時政府」は国際的にも認められておらず、戦後解放された韓国は戦勝国気取りで「サンフランシスコ講和条約」への署名を懇願するも認められなかった。
こうした国際的な常識を無視し、「独立を我々の手で勝ち取った」という神話を捏造してしまったところに韓国の悲劇が在る。
韓国民のこうした現状は決して他人事ではない。
昭和維新の歌に「ああ人栄え国亡ぶ、盲(めしい)たる民、世に踊る」との一節があるが、今我々は世の中や世界が見えていない「盲」そのものでもあるのだ。
今こそ人を育て上げねばならない。
「我が民族の将来と国家の前途を思うは人間の最も真剣なる感情であり、君国に忠、親に孝なるは最も現実なる道徳である。之を離れては人類愛も世界的正義も空想に過ぎない」とは哲学者・西晋一郎の言葉だが、今成すべきことは如何にしてこうした「現実なる道徳」の教育を如何に施して行くかである。

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2014年08月18日
「占守島の戦い」は決して忘れてはならない歴史である

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昭和20年8月18日の早暁午前1時頃、占守島の日本軍に対し、ソ連軍が奇襲上陸。終戦により武装解除準備を始めていた守備隊は武装を整え直し、ソ連に対して自衛戦闘を開始した。
戦闘は日本軍の死傷者約600名、ソ連軍の死傷者約3000名に及んだ。
日本軍の圧倒的勝利の中で、8月21日に武装解除に応じ戦闘が終結。日本軍が武装解除を終えたのは3日後の24日だった。
この占守島の戦いによりソ連軍の千島列島の占領は遅滞され、その間に米軍の北海道進駐が完了したことで、ドイツや朝鮮半島の様な北海道の分割統治は避けられた。
そういう意味でも「占守島の戦い」は大きな意義があったのだ。
この戦いの後、占守島で自衛戦闘を戦った日本軍の兵士のみならず、中千島や南千島に駐留していた兵士全てがシベリアに強制連行されることとなった。
理不尽な終戦後の戦争を勇敢に戦った兵士達は、こうした仕打ちさえも無条件降伏の無条件のうちだと信じて、飢えも寒さも、その結果としての知れ切った死すらも潔く受容した。
ソ連はその他の地域からも軍人、軍属、一般人80万人以上をシベリアへ強制連行し不当に抑留。実にこの半数以上の同胞が酷寒の地で凍死、餓死で亡くなられている。
シベリヤに抑留され、極寒の地で亡くなられた方も数え切れず、抑留された日本人同胞は、国内では一般には約60万人と言われているが、この数字は軍属だけの数字で、民間人を含めると更に多い。
ロシアの資料では約70万人、米国の資料では約90万人とされているのだが、果たしてシベリア抑留で亡くなられた日本人同胞はどれ程に上るのか、平和を考える上でも正式な被害者数を調査すべきではないだろうか。
東京大空襲や広島・長崎への原爆投下を実行したアメリカもそうだが、非戦闘員の殺戮も、シベリアへの強制連行も全て国際法違反であり、戦勝国と雖もこうした人道に悖る行為を正当化する権利が在るとは思えない。
況してや終戦間際に日ソ不可侵条約を蹂躙し、一方的に宣戦布告し戦闘に加わったソ連の蛮行は断じて赦されるものではない。
このソ連の参戦は、「ヤルタ秘密協定」での米英との約束の実行だが、「ヤルタ協定」こそが国際法的にも意味を成さないものであり、国際的にも再検証する必要があろう。
1945年(昭和20年)2月、ルーズベルト、スターリン、チャーチルはクリミア諸島のヤルタで会談。ルーズベルトは千島列島をソ連に引き渡すことを条件に、日ソ中立条約の一方的破棄を進言、ソ連の対日参戦を促した。
ヤルタ協定では、「ソ連が日本との戦争に参戦すること」、「南樺太をソ連に返還すること」、「千島列島をソ連に引き渡すこと」などが決められ、これに従ってドイツが無条件降伏した約3ヵ月後の昭和20年8月9日、ソ連は「日ソ不可侵条約」を一方的に破棄し参戦した。
歴史を紐解く上でも、或いはソ連の北方領土への侵略と不当性を知る上でも、ソ連参戦を要求した米英主導の「ヤルタ秘密協定」の不当性と残虐性を暴き、世界に訴えるべきで、その不当性が明らかになれば、我が国の「悪玉論」も根底から覆ることだろう。
北方領土での戦いや悲劇は日本人として決して忘れてはならない歴史である。
樺太でも同じ様にソ連からの猛攻によって約5700名の軍人や民間人が犠牲となった。赤帝ソ連の残虐非道、鬼畜の行為は筆舌に尽くし難く、終戦後も収まることはなかった。
同月20日、樺太真岡郵便局の女子郵便局員の伊藤千枝(23歳)可香谷シゲ(23歳)沢田キミ(19歳)志賀晴代(22歳)高石みき(24歳)高城淑子(19歳)松橋みどり(17歳)吉田八重子(21歳)渡辺照(17歳)の9名が最後まで職務を全うし、最後は従容として青酸カリを服用し壮絶な最後を遂げた。
8月とは正に悲憤慟哭、民族痛恨の月でもある。
八月なる嵐はやみて夏の夜の 空に望月のかがやきにけり(御製)

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2014年08月15日
「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に思う

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69回目の終戦の日を迎える。8月15日は「終戦記念日」とされているが、正式には「戦没者を追悼し平和を祈念する日」である。
靖國神社周辺は左右両陣営入り乱れて騒然となるが、14日付で官房長官が談話を発表した様に、「国民1人ひとりが夫夫の場所において戦没者を偲び、心から黙祷を捧げる」ことが大事で、何も靖國神社や護国神社に出向くことが大事なのではない。
況してや先の戦争で犠牲となられたのは靖國神社に祀られている英霊の方々だけではく、靖國神社のみに拘れば拘るほど、それに違和感を持つ国民もいるのではなかろうか。
政治家にしろ、保守派といわれる勢力にしろ、或いは右翼陣営にしろ、終戦の日の「靖國」を単に利用しているだけではないのかと思うこともしばしばだ。
8月15日の喧騒が続けば続くほど、陛下の御親拝は遠退くばかりなり。
過去を振り返れば、歴代政府にしろ、政治家にしろ、我々にしろ、公正且つ公平な目で大東亜戦争に至る歴史を検証したことがあるだろうか。
また、靖國神社の成り立ちや在り様を検証したことがあるのだろうか。
国家の大本を論じることなく、経済復興や景気対策といった目先のことばかりが優先され、結果、中韓からの要らぬ抗議を避ける為に謝罪や譲歩を続けていただけではないのか。
また、カネをばら撒くことこそが外交だと勘違いして来たのではないのか。
主権国家、道義国家として果たして何を成すべきなのか。
如何なる国家も、その国家の為に殉じた方々に対して敬意を払う権利と義務があるのは言うまでもない。
国家の危機の要請に応じ、敢然と戦場に赴いて戦い散って逝った英霊に対し、感謝の誠を捧げることは世界の何処の国でも当然のことである。
靖國神社の在り様を思う時、我が国の政治家が国家に殉じた英霊に敬意を示さない姿は、とても義務を果たしているとは思えない。
このことがどれだけ国民精神の頽廃を招いているか、政治家は省みたことがあるのか。
愛国心の欠落、その結果としての国防意識の低下、日本人としての誇りや自信の喪失、子殺しや親殺し、等々、我が国社会に蔓延する問題の全ては、ここに起因していると言っても過言ではないのではないだろうか。
現在の平和や繁栄が尊い犠牲の上に成り立っているということを忘れてはならないことは言うまでもないが、それと同時に我々は、先人が遺した「誇り高き日本精神」というものも忘れてはならないのだ。
政治で大事なものは「国防」と「教育」であり、誇り高き日本人を育成することこそ急務である。教育の充実を図り日本人としての矜持を取り戻そうではないか。
「明治維新」「日清戦争」「日露戦争」「大東亜戦争」は日本人の矜持を語る上で重要な歴史であり、これらの戦いを貫く精神は一つである。
一言を以てするなら、欧米の有色民族支配に対する抵抗と反撃であり、それらを我が国は唯一国でやり抜いたのである。
隣国たる支那や朝鮮は全く覚醒せず、それどころか我が国を見下し侮蔑し続けた。
中華思想や小中華思想、或いは自大思想に骨の髄まで浸り、孤軍奮闘して自国の独立並びに東亜の保全を確保しようとする我が国の精神を終には理解することは出来なかったのだ。
それ故、我が国は唯一人立ち上がり、ロシアそしてアメリカ、イギリスという世界最強国家を相手に戦わざるを得なかったのである。
これ程の困難に満ちた歴史を歩んだ国が在っただろうか。
これ程の歴史的偉業を成し遂げた国が在っただろうか。
我が国がロシアに対し敢然と起ち上がった時、世界はこれを正気の沙汰とは見なかった。
極東の島国の日本が、巨大帝国ロシアに勝つことなど誰もが予想だにしなかったのは当然のことだっただろう。
だが、世界の予想を覆し我が国が勝利した。
その勝因は果たして何処に在ったのか。
国力、軍事力など物理的要素は惨敗しか有り得ず、とすれば、勝因は精神的要素以外に無いと言わねばなるまい。
結局、国難に打ち克つ為に重要なことは、国民性が大事であり、そして民度や教育度は勿論のこと、指導者の能力や将帥の統率力や士気などの精神的要素が大事だということだ。
現在、我が国が直面している全ての問題は、「日本人が日本人であることを見失った」ことに起因していると言っても過言ではない。
冷戦が終わり、欧米主導の西欧近代の終焉が叫ばれ、新たに国際環境が激変しようとする中で、我々は「日本とは何か」「日本人であるとはどういうことなのか」「日本に生まれたということは何を成すべきなのか」ということを考え、近隣諸国は勿論のこと世界の国々と向き合うべきではなかろうか。
我々は、現在の平和や繁栄が先人の犠牲の上に在ることを忘れてはならない。それと共に、先人が遺した「誇り高き日本精神」こそ忘れてはならないばかりか、日本人であることの証しを示さねばならない秋でもある。
「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全ての戦没者に対し心より哀悼の意を表し、改めて平和の尊さ、有難さを実感する。黙祷。

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2014年08月14日
札幌2泊3日の旅の備忘録。「果てしない大空と広い大地のその中で」

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11日、10時25分発で札幌に向かう。台風の影響で遅れが出てる様だ。空港のラウンジで旅の無事を願い乾杯。つまみはモーニングのサンドウィッチ。これがキンキンに冷えた生ビールとの相性抜群で、お代わりを頼もうと思ったが愚妻に諫められた。
10分ほどの遅れでどうにか出発。乗れば1時間ほどで札幌だ。結構揺れたが、飛行機初搭乗の愚妻はあんなものだと思ってた様で快適な様子だった。
札幌に到着。松山千春の「大空と大地の中で」の一節が頭の中でリフレインする。
新千歳空港からは電車で札幌へ。宿泊は駅近くのセンチェリーロイヤルホテル。チェックインは3時と聞いていたが、手荷物が重いので預かって貰おうとホテルに向かうと、「お部屋にご案内できます」とのことで手続きをしてチェックイン。
昼飯は近くの「函館うに・むらかみ」さんへ。

愚妻は「三色丼」と冷酒、愚生は人気の「無添加生うに丼」と生ビール、店員が「ラストオーダーです」というので冷酒も注文し安着祝い(笑)
程好く酔っ払い、近所を散策。愚妻は夕方予定していた「だるま本店」には行かないというので、札幌東急デバート地下の飲食店で愚妻の晩酌のつまみと酒を調達し、ホテルに送って1人のんびりと散策しながら「だるま本店」へ向かった。
「だるま本店」は北朝鮮出身の店主が経営する店で、その昔、脱税で摘発された曰く付きの店。「北朝鮮の然も脱税した店に右翼人が行くのはチョッと」との声も聞くが、大体食べ物にそんなのは関係ね~(笑)
北海道には北方領土返還の運動や日教組で幾度となく訪れている。ジンギスカンの美味しい店も在るのは知っているがやはり「だるま本店」がいい。
「明日死ぬと言われたら何を食べたい?」と聞かれれば「だるま本店」のジンギスカンというのは今でも変わっていない。久しぶりに食べて思いは変わっていない(笑)

4時30分に店に到着すると既に1組2名が並んでた。3番目に並び待つこと暫し。5時の開店時には既に2、30名の行列が出来てた。
愈々入店。案内された席に座ると店員さんがジンギスカン鍋を置き、玉葱と長葱が載せられる。生ビールを注文したと同時にジンギスカンが出される。ここは「生マトン」。生ラムも美味しいがジンギスカンは生マトンが旨い。
狭い店内はあっという間に煙が充満し煙いのなんの。それでも生ビールをお代わりし、ジンギスカンも3皿平らげ、20分ほどで店を出た。早いでしょ(笑)
店を出ると、大日本愛国党北海道本部政治局長の雪田顕正さんが立っていてビックリ。何やら携帯やFBで連絡してた様だがそれに気付かず恐縮する。

飲むには早い時間で何処もやっていないということで、雪田さんの知人の経営する「スパホテルソーレ」屋上でやってるビアガーデンで一献することに。因みに「SOLE」という店名は「総連」からの「SOLE」、ここも北朝鮮の店らしい(笑)
雪田さんとはFBでのやり取りはあったが会うのは今回が初めて。人相風体も、着てる服も愚生と似てて、何か弟に会った様な感じで初めてという感じがしない(笑)
渾身の悩みや大病を患ったことなど微塵も感じさせない雪田さんに男気を感じ、好漢との一献は正に、「一献歌」の歌詞の如く、「男の酒の嬉しさは忽ち通う意気と熱」。ということで、「いざ、我が友よまず一献」と相成った。
ところが1杯目も終わらないうちに雨がぱらぱらと。まぁ直ぐにあがると思っていたが、益々酷くなるばかりで撤収し、下の階のレストランへ移動した。
いつものことだが程なく酔っ払い、論談風発して時の過ぎるのを忘れる。
その後、雪田さんの行きつけのバーに移動。店の前では雪田さんの門下生・村井祐介さんに出迎えられた。好さ気なバーだったのだが酔っ払ってて名前も分からない(笑)

バーボンソーダを何杯飲んだだろう。全く分からない。何を語り、何を聞いたのかも定かではないが、まぁ酔っ払った時の言葉こそ本音だと思っているので気にはしていない(笑)
雪田顕正という好漢との邂逅と心地いい酒の余韻を味わいながら、薄野から酔い覚ましがてら歩いてホテルに向かった。
札幌二日目。今日は愚妻を旭山動物園に連れて行く。夫婦共々動物は好きで、動物は癒される。ということで、バスターミナルに向い手続きを済ませる。
9時過ぎに出発、旭山動物園まで途中休憩を挟み約2時間半。座席は前々から予約していたので最前席、運転手より見晴らしも良く快適な旅となった。

バスガイドさんは井城美香子さんというベテランガイド。このガイドさんの説明が何とも上手で、北海道の歴史を始めとした話は大学の講義を聞いてる様で実に勉強になった。
そうこうしているとあっという間に旭山動物園に到着。昼時だったのでレストランは大行列。入場する前に近くのレストランでカレーと豚丼を頂く。勿論、生ビールも。つまみはチキンスティック。これが何とも安くて旨い。
旭山動物園は旭川市が経営してるので実に良心的。聞けば、動物園の動物は皆、市職員に登録されていて、食事代は自分達でやりくりしているというから大したものだ。
レッサーパンダの散策に微笑み、アザラシのサービス精神の豊富さに感激し、暑さに参るライオンや白熊に同情し、カバの百吉の暴れ様に感動する。
園内を3時間ほどかけ見物したが、歩き過ぎて最後はカートに乗った。道行く人がこっちを見て嗤っている様に見えたのは気の所為か(笑)

札幌に戻ったのは夕方6時過ぎ。今日も雪田さんと待ち合わせしているので、昨日も行った東急で買い出ししてホテルに送り、狸小路へ向った。
道に迷ったこともあり待ち合わせ時間に少し遅れた。雪田さんに連絡すると雪田さんの後輩で大日本愛国党北海道本部の政治局次長・泉谷さんが迎えに来てくれた。
待ち合わせした場所は「すし明」。何やら泉谷さんの行きつけの店らしいが、実に愚生好みの寿司屋で、店内は店主の拘りを感じさせる店で、何よりも店主の寡黙さがいい。
「おまかせ」で注文。愚生は地酒の純米酒の冷酒で乾杯!
泉谷さんはこの後に会合があるというので酒ではなくウーロン茶。何やら泉谷さんは札幌市内で4店舗ほど店を持ってる若手事業家らしく、昨日の後輩にしろ、いい後輩を持ってるというのは雪田さんの器量の賜物だろう。
右翼人としても、こうした後輩が地方と雖も頑張ってることは実に頼もしい限り。






北海道らしい肴で酒も進み、今日も昨夜同様、論談風発に時の過ぎるのを忘れたのは言うまでもない。ホントいい出会いと酒だった。
画像はホンの一部だが、酒肴も握りも店主の人柄も最高。特に〆のあさりの味噌汁は感動もの。いい店を教えて頂いた。またいつか伺いたい札幌の寿司屋の名店だと思います。
「河岸を変えて飲み直しましょう」という雪田さんの言葉に気持ちも揺らいだが、再会を約束し、今宵ものんびりと札幌の夜の雰囲気を味わいながら千鳥足でホテルに向かった。
札幌三日目。9時にチェックアウトを済ませ、地下鉄を使い大通り公園へ。テレビ塔で時間を潰し、昼めしはスープカレーを食べようと目当ての「ガラク」へ。

開店前だというのに既に100名ほどの行列。諦めて札幌ラーメン横丁に行くも、何か気が進まない。腹も減ったので薄野のラーメン屋に入ってみたがイマイチで、ラーメンはやはり生まれた地元のラーメンに限る。
ということで、札幌駅に戻り、新千歳空港へ。
出発までは未だ3時間ほどある。空港内に在る温泉でのんびりしようと思ったが、空港内のレストランで時間を潰す。
スープカレーの店に行くも、カレーの前に頼んだつまみで腹一杯になり食べるのは諦めた。まぁガイドさんも言ってたが「スープカレーはレトルトでもそれなりの味が出てます」とのことで土産を買うことにした(笑)

出発までは未だ時間がある。札幌の〆はバーラウンジで「流氷ハイボール」。これが実に旨い。ニッカの「ブラック」と「余市」のブレンドで、耳を傾ければ炭酸に解けてく流氷の音が何ともロマンを感じ心地いい。
夕方5時の飛行機で福島に帰還。と、そんな感じで札幌2泊3日の旅は終了しました。好い旅でした。雪田さん、有難う。またいつの日か一献!

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2014年08月09日
ヘイトスピーチを規制するなら「在特会」より先ずは「反天連」を規制せよ!

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本日は長崎に原爆が投下された日であると共に、旧ソ連が「日ソ中立条約」を蹂躙、同胞の虐殺、強姦、略奪がこの日を以て開始され、我が国固有の領土が強奪された民族痛恨の日であります。犠牲になられた先人に対し、衷心より哀悼の意を表します。
舛添東京都知事は、7日安倍首相と対談し、在特会のヘイトスピーチ(憎悪表現)について、「民主主義や基本的人権に対する極めて重大な挑戦だ」と述べ、国レベルで規制への対策を検討するよう要請した。
これに対し安倍は 「(ヘイトスピーチは)日本人の誇りを傷つける。しっかり対処しなければならない」と述べ、自民党で対応を検討する考えを示唆した。
在特会のデモを「ヘイトスピーチ」だからと批判するなら、愚生も現役右翼時代、日教組大会に登場しては「槙枝(日教組元委員長)殺せ!」だとかやってたし、信濃町に繰り出しては「池田大作は地獄に堕ちろ!」なんてのもやってたな(笑)
麻布十番では韓国大使館や民団に出向いては抗議と共に、「パーポーチョソン」だとか「オマエらキムチ臭いから今直ぐ日本から出てけ!」とか、やりたい放題。
ベンツの中から宣伝車を撮影してたオッサンらに「何撮ってんだ、コラッ!」って言ったのはいいが、パチンコ屋か朝鮮人の成り金だろうと思ってたら、山〇組の直参二組。新橋の本部事務所に乱入され、最後はホテル・オークラに呼び出され凄まれたっけ(爆)
まぁ結局は愚生じゃ埒が明かないし、二代目の早坂総隊長が昵懇だった山〇組の中〇会の人間が間に入り事なきを得たが、ヤクザってのはやっぱ名前のデカいのが強いね(爆)
よくよく考えれば愚生が行動隊長だった頃の防挺の抗議街宣ってのは、今でいう「ヘイトスピーチ」と同じだわな、ってか在特会なんかよりもっと品がなかったかもね(笑)
在特会に批判的な自称・正統右翼は、武士道精神もないのに「武士道精神に悖る」だとか、「在特会のデモは怪しからん」と断じるが、愚生はああいうスタイルの団体が在ってもいいと思ってるし、一律化してしまった右翼より魅力的だ(笑)
在特会を批判する前に、天皇への侮蔑を繰り返す「反天連(反天皇制運動連絡会)」のデモこそ糾弾し、刺違えてでも阻止するべきだし、安倍も「日本人の誇りを傷付ける」というのなら、公の場所で堂々と「天皇粉砕」を叫ぶキチガイ共こそ排除すべし。
抑々、日本国憲法の「表現の自由」や「集会の自由」を楯にこうしたことが赦されるのなら、在特会の街宣のみを規制しようというのは片手落ちというものだろう。
現憲法では確かに「結社の自由」や「集会の自由」「表現の自由」が保障されている。憲法は国の最高法規であり、憲法が最優先されるのは当然のこと。
だがどうだろう。街宣するにも勝手にやっている訳でもなく、やるにしても警察にショバ代を払い、「道路使用許可」を貰うのだが、やる際にも時間も音量も規制される。
「結社」も「表現」も「集会」も「自由」なら、ビラ貼りの規制も、ショバ代も、音量規制も、時間制限も明らかに憲法に抵触するものではないのか。
だが、憲法云々の前にやはり公共の福祉を守るという常識がなくてはならないのだ。
「道路交通法」や「静穏保持法案」「騒音防止条例」などで規制するのもそういう理由からだが、見方を変えれば「日本国憲法」というものは国の基本法として機能しておらず、「道交法」や「刑法」より軽い法律と見做されているとも言えよう。
因みに、「大日本帝国憲法」第二十九條にはこう在る。
「日本臣民ハ法律ノ範圍内ニ於テ言論著作印行集會及結社ノ自由ヲ有ス」
この「法律ノ範圍内ニ於テ(法律の範囲内)」というのが大事で、法律の範囲内で「集会」や「結社」の自由が認められるのだ。
こうした文言を見てもやはり我が国の憲法には「大日本帝国憲法」が相応しい。
「表現の自由」が何でもかんでも赦されるなら、マスコミも「放送禁止用語」なんてのは要らないだろうし、マスコミは先ずはそこから始めて言論の自由の模範を示せばいい(笑)
在特会の街宣をヘイトスピーチだと騒ぎ立てるのは単に論理のすり替えでしかない。
在特会の目的は「在日特権を赦さない」ということであり、ヘイトスピーチばかりを問題視させることによって「在日特権」を矮小化することが狙いなのだ。
在日特権問題の元凶は、朝鮮人らを野放しにしていた行政側の責任が大きく、行政側の職務怠慢を看過し、「街宣は公共の福祉に抵触する」と差別認定して摩訶不思議な判決を出した。
有罪判決が下された在特会の抗議行動も、その元凶は朝鮮学校の不法占有であり、その経緯を見れば竹島の不法占拠と同じゴネ得でしかない。
こうした朝鮮人の違法行為には寛容で、在特会側のみを一方的に断じることは本末転倒と言う他はなく、こうした不公平な対応は国益にも合致しない。
今年もまた終戦の日がやって来る。靖國での左右入り乱れての喧騒は感心しない。
国会議事堂や外国公使館周辺での街宣や拡声器での抗議活動は、本来「静穏保持法案」によって禁止されている訳で、警察は8月15日のデモや街宣は徹底して排除するべきである。
陛下の靖國神社御親拝を実現する為にも、日本人の誇りを傷つける「反天連」のデモを取り締まり、静謐な環境を創り出すことこそ大事である。
「ヘイトスピーチ」なんぞ「反天連」の不敬極まるデモに比べれば可愛いものだ。こうしたキチガイ共のデモを規制出来ない警察に代わり、終戦の日に靖國に参集する右翼や自称・保守派は「反天連」と刺違え、存在を示せ!

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2014年08月07日
慰安婦連行の「虚偽」を認め記事を取り消した朝日新聞

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朝日新聞は自社の所謂「従軍慰安婦」に関する報道を検証し、慰安婦連行が「虚偽」であると判断し記事を取り消した。朝日以外にも共同通信や地方紙などでも、慰安婦連行を強制であると報じているが取り消しまでしていない。
抑々、「慰安婦」と「挺身隊」を情報不足から混同してしまったとしているが、新聞記者がそんなことを知らない訳は無く、この遁辞が示すことは朝日新聞は間違いなく確信犯だったという証明でもあろう。
頑迷固陋の朝日新聞が間違いを認めたことは画期的ではあるが、そんな単純に事が済む問題ではない。この問題を困難にしたのは、朝日新聞は当然のことながら事勿れ主義からその場を取り繕おうとした政治家の無能が招いた結果でもある。
「従軍慰安婦」問題は、元山口県労務報国会下関支部動員部長の吉田清治が昭和58(1983)年に書いた「私の戦争犯罪」という本がその発端である。
吉田はその本で、「済州島で9名の兵隊と共に約200名の朝鮮人女性を強制連行して慰安婦にした」と記述し、済州島での当時の様子を回想し描写した。
その後の調査で直ぐに創作だったことが判明したが、この本だけが独り歩きし始める。
平成元(1988)年、この本が韓国語に翻訳されると韓国の人々は激昂。
そして平成4(1992)年、朝日新聞がこのトンデモ本を取り上げ、根拠もない儘に日本軍や警察が「慰安婦狩り」をやったと書き立てて韓国人の怒りを煽り、福島瑞穂ら名うての売国奴らがこれを支持し、自称・従軍慰安婦らを支援した。
この本に疑問を持った「済州新聞」の記者・許栄善は、現地を取材し、「慰安婦狩りの話を裏付ける証言者はいない。島民の名前もデタラメ」と一蹴している。
韓国の郷土史家・金奉玉氏も現地調査を実施し次の様に述べた。
「昭和58年に日本語版が出てから、何年かの間、追跡調査をした結果、事実でないことを発見した。この本は日本の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」(「ほんとうは、『日韓併合』が韓国を救った!」松木国俊著WAC社)
吉田も調査結果を突き付けられ、「創作だった」と事実を認めたが遅きに失した。
日本発の嘘から始まり、韓国全土で「慰安婦狩り」が独り歩きしてしまう。売文という私利私欲の所業が国家を売ることになってしまったのだ。
戦前は日本も朝鮮も、他国と同様「売春」そのものが合法だった。
今、この是非善悪を裁いても意味はない。
悲しいことであるが、貧しい女性たちが生きる為に、また親兄弟を養うため、身を売ったこともあったし、多くは東北出身の貧農出の女性が多かったのだ。
戦争になれば兵士の息抜きの為に駐屯地の近くに「慰安所」が設けられ、危険に見合う多額の収入を求めて、多くの「売春宿」経営者が戦地に赴き、商売を始めるのは当時は何処でもある光景だった。
ジェームスディーンが主演の名作「エデンの東」にも、開拓時代にワゴンで売春婦が街を巡回する情景が出るが、アレもそうだ。
戦場に遊郭を建て兵士に息抜きをさせるのは肝心で、性犯罪を防ぎ、相手民族の尊厳を最低限保つことでもあったのだ。
勝新太郎が主役の映画「兵隊やくざシリーズ」もそうだが、戦後それほど経っていない時代に作られた映画を観ても、兵隊と慰安婦の仄仄としたあの時代の背景が分かるだろう。
現在の倫理観や道徳観、価値観で売春というものを語るから、売春=悪いもの、売春=悲惨なものと考えてしまうのだ。それは単なるキレイゴトでしかない。
「性犯罪を防ぎ、相手民族の尊厳を最低限保つ」という、日本人の配慮を知らずして、高給に集った売春婦を「従軍慰安婦」と称し、恰も軍が関与し、朝鮮人の女性を強制連行し「性奴隷」にしたとは言語道断と言う他はない。
当時、工場で働く女性の平均月給は約30円、戦地で働く慰安婦は約300円、それ以上に稼いだ商魂逞しい娼婦もいたという。
当時の300円は知事や軍の大佐と同じくらいの高給だったのだ。
経営者は軍とは関係ない一般の民間人。
勿論、募集は民間人が実施し、軍や官憲は一切係わってはいない。
当時、慰安婦募集に「女衒」などの悪徳業者が様々な問題を起こしたこともあったし、「軍の依頼」と嘘をついて募集したり、或いは子女を誘拐して満州に売り飛ばし、金儲けを企むという卑劣な事件もあったのも事実。
内務省は、「こうした事件は帝国の威信を傷つけ、皇軍の名誉を害う」として、「契約内容や事情を調査して、略取誘拐等がないよう留意すること」「軍の名を騙る業者は厳重に取り締まること」など通達し、「朝鮮における慰安婦の不法な募集禁止」も閣議決定した。
軍にあっては、兵士が飲酒して暴れたり、慰安婦や経営者に暴力を振るったりしない様に、不届き者を憲兵が厳しく取り締まった。
軍や政府は、不法な募集を禁止し、慰安婦の健康指導や、人権を損なうことがないよう関与しているのであって、強制連行に関与した事実は全くないのだ。
だが、平成4(1992)年、朝日新聞の報道により再燃する。
大学教授が「軍慰安所従業婦募集に関する件」という陸軍省の文書を発見したと報じる。
内容は、「慰安婦の募集に対し、軍の名義や権利を利用して」誘拐に類する様な悪徳業者がいるので、警察と連携して防止を指示する文書であり、軍による強制連行を寧ろ否定するものだった。
ところが、朝日新聞は事実とは逆に「募集について軍の関与があった」「強制連行があった」と世論を誤誘導したのだった。
朝日新聞の報道を受け、東亜日報は「12歳の小学生まで動員し、戦場で性的にもて遊ばれた」と虚偽報道し、これによって韓国の世論を激昂して行く。
これに狼狽えた宮沢内閣は、「外交上の配慮」として強制連行の事実を認める方向で検討に入った。
だが、証拠となる資料が発見されないことから、対応に苦慮するも、韓国が作成した資料と元慰安婦の証言のみで、「この事実を厳粛に受け止めたい」と謝罪した。
証拠資料を精査せず、裏付け調査も無しに謝罪した宮沢内閣の罪は重い。
元慰安婦の証言も後の調査で信憑性が無いことが判明しているし、文書を発見した教授も、慰安婦強制連行は証明出来ていないことを認めている。
内外世論に押されて実施した政府調査でも、「強制連行させないための政府の関与」は認めたが、強制連行を立証する資料なしと結論付けた。
にも拘らず、訪韓した宮沢首相は反日の嵐の中で謝罪と反省を8回も繰り返した。
謝れば事は収まるとの甘い読み、兎に角その場は収めたいという事勿れ主義が日本の国益を大きく損なうこととなったのは言うまでもない。
更に政府は、平成5(1993)年8月4日、戦後最大の外交汚点となる「河野談話」を発表。
「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれにあたったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意志に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことがあきらかになった」と述べ、重大な人権侵害を認め謝罪した。
根拠も示さぬ儘、「官憲等が直接これに加担したこともあった」の一文は、軍と官憲が強制連行に関与したことを既定事実とした。
その後の日本非難は全て「河野談話」が根拠となっているのは周知の通り。
韓国での国家賠償を求める裁判や、米国、欧州での「慰安婦非難決議」も「河野談話」が証拠であり、「河野談話」は、日本政府の思惑とは逆に慰安婦問題を益々エスカレートさせてしまっているのだ。
韓国側が「慰安婦問題」で強請り、タカリに奔るのは、朝鮮人の人品の低さも然ること乍ら、歴代日本政府の無知と自虐史観、事勿れ主義、そして弱腰外交が最大要因になっていることは否定出来ない。
朝日新聞が捏造した慰安婦問題を、自民党の宮沢内閣下で、加藤紘一官房長官が事実を認め、次の官房長官に就いた河野洋平が「談話」を発表した。
「河野談話」が韓国人慰安婦を付け上がらせることとなった元凶だが、その後の「村山談話」で火に油を注ぎ、自民党政権下でもこれらを撤回せず拱手傍観した責任は大きい。
民主党政権誕生が誕生すると、鳩山由紀夫は総理として慰安婦に「国家補償」を約束し、前原誠司幹事長が「戦後賠償支援」を言及した。
慰安婦問題は、日本側が国家として「謝罪」も「約束」もしてしまっている訳で、韓国にしてみれば賠償請求するのは当然であり、韓国側を単なる強請り、タカリと言ってもいられない現実が厳然と存在してしまっているのだ。
「虚偽」のフィクション本が独り歩きし、朝日新聞がその「虚偽」を知りながら事態を大きくし、事実を知りながら事勿れ主義から謝罪し、談話を発表し、それによって「虚偽」が「証拠」とされてしまったのだ。
朝日新聞がその「虚偽」を認め記事を取り消したということは全ての論拠を失ったということである。つまりは、吉田清治のウソを利用し、朝日新聞の煽動に屈するカタチで行われた宮沢の謝罪も河野談話も、後に続く政治家どもの韓国に対する媚び諂い全てが「虚偽」を信じて行われたもので、当事者らは朝日新聞同様早々に非を認め謝罪するべきである。
今や従軍慰安婦問題は国益を大きく損なっている。朝日新聞が「虚偽」を認めた今、やべきことはその「虚偽」によって作られてしまった河野談話を始めとした国益を損なった多くの問題を再検証し、過ちを糺し、先人の名誉を恢復こそ急がねばならない。

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2014年08月06日
広島・長崎の原爆投下はその被害以上の成果を齎し続けている
米爆撃機B29エノラ・ゲイが広島に原爆を投下してから69回目の「原爆の日」を迎える。米国による残虐行為で犠牲になられた方々に対し追悼の意を表しします。
広島には「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから」という訳の分からぬ碑が建っている。自虐史観の象徴の様な碑だが、過ちを犯したのは米国であり、大東亜戦争が悪い訳ではない。
広島・長崎の「平和式典」は平和とは名ばかりで、「反米」的な様相を呈しているが、東京裁判史観に毒された連中が反米を唱え、これを「平和運動」など自称するとは笑止千万。
今年も「核廃絶」に「フクシマ」を利用する。
先日福島市を皮切りに始まった「原水爆禁止世界大会」でも、原爆投下などそっちのけで原発の再稼働を目論む安倍政権を批判し、「原爆と原発」どころか、「復興と平和」を結び付けて国民を誑かす。
広島・長崎は「被爆」であり、福島原発事故は「被曝」。「被爆」は原爆に拠るものであり、「被曝」は原発事故などで放射線の被害に曝されていることをいう。
「被爆」と「被曝」を一緒くたにし、「反原発」や「脱原発」を訴えるが、福島を「ヒロシマ」「ナガサキ」と同様に「フクシマ」と呼ばれることに激しい怒りを覚える。
福島県民として原発事故の影響を受けている現状を見れば「脱原発」は当然なのかも知れないが、今やるべきは原発の安全を徹底し再稼働を図ることこそ国益に敵うことだと思う。
福島第一原発事故は、前年のチリ地震を受けて、自公両党から出された「防波堤などの安全・整備等に関する法案」を却下したことが大きく、また「スーパー堤防」などの整備予算にしても、蓮舫が「1000年に一度来るかどうかの災害に莫大な予算は付けられない」として仕分けした結果だった。
要は最悪な政権時に最悪な災害が起きたということ。それを天譴ともいうのだ。
「想定外」という言葉にしても、予備電源を確保してさえいれば事故は防げた訳で、「想定外」というよりは危機管理の欠落。要はマヌケだったということだ。
原発周辺の防波堤を整備してさえいたら、被害は最小限に抑えられていただろうし、予備電源さえ確保出来ていれば今回の様な人災事故は起きなかったのだ。
そうした政治や行政側の怠慢を批判せずに、東電を始めとした電力会社だけを「悪」とするのは本末転倒と言う他はない。
そう考える時、「反原発」や「脱原発」は大震災を利用した菅直人によるマッチポンプである断じざるを得ない訳で、検察審査会が東電元会長らを有罪と断じるならば、当時の最高責任者である菅直人を先ず断罪すべきである。
保安院のやらせに代表される原発行政の問題や、財界を中心とした原発利益共同体によって「安全神話」が垂れ流されたことは当然猛省すべきだろう。
だが、原子力の平和利用でさえもノーとなれば、「積極的平和主義」により日本が執るべき「核武装」でさえも、怪しからんこととして抹殺されるだろう。
安全も平和も自ら創り出さなくてはならない時代、「防災」も「国防」も「領土の保全」も同一線上に在るという観点から、やはり原子力は必要なものとして、新たな防災と国防強化を図るべきではないのか。
と言っても、被爆国として余りにも原子力に敏感になり過ぎているのは事実。
だが、その異常ともいえる核アレルギーにしろ、自虐史観にしろ、米国の原爆投下は、その被害以上のものを我が国に遺したと言えるのではなかろうか。
「原爆の日」には左翼が「平和」を騙り蠢動する。
だが、左翼団体や自称・平和団体の「反米」も行き着くところは米軍の行った自虐史観による洗脳であり、未だその洗脳から目覚めようともせず、揚句には「反米」を口にする始末。
原爆投下によって、こういう人種が殖えてしまったのは皮肉な結果でもある。
米国の洗脳にどっぷり漬かっている左翼が「反米」などとは滑稽極まりないが、統治下で実行された我が国への弱体化政策は米国の予想以上の成果を齎し続けていると言えよう。
抑抑、米国による原爆投下は日本人への人種差別と人体実験から行ったものだ。
6日の広島、9日の長崎への原爆投下を受け、日本政府は14日、終にポツダム宣言の受諾を決定した。この結果を見て、原爆投下が大東亜戦争の終結を早めたという人がいるが、事実はそうではない。
元駐日大使のグルー国務長官代理が中心になって作成されたポツダム宣言の原案には、「天皇制」存続の保障が盛り込まれていたのは確認されている。
米国側は、日本政府が和平を模索していることを知っていたので、天皇制存続を保障する案なら受け容れる可能性が極めて高いと考えていた。
ところが、反日的なスチムソン陸軍長官やバーンズ国務長官らは、元国務長官のハルの助言によって、この「天皇制存続」の項目をポツダム会議の直前で削除してしまう。
即ち「天皇制存続」の項目が明記されていないポツダム宣言は、我が国にとっては極めて受け容れ難い内容になっていたのである。
そのことをよく認識していたトルーマン大統領は、ポツダム宣言発表前日(7月25日)の日記に「この兵器(原爆)は今から8月10日迄の間に使用されることになる」と記した。
この事実をしても、「日本政府がポツダム宣言を黙殺したから原爆が投下された」という理由は真っ赤な嘘であることは、この日記が明瞭に証明している。
原爆を日本に投下することになった背景は根強い人種偏見からだ。
米国が原爆投下を決定したのは1943(昭和18)年5月のことで、原爆搭載機を対日戦用のB29を選んだ。翌年9月米英間の秘密覚書「ハイド・パーク協定」に、「原爆は日本に対して使用されるであろう」と明記された。
こんな不可思議な決定は、人種偏見、日本人蔑視以外に合理的根拠は見つからない。
更に、その後の米軍の広島長崎で執った「放射能治療方法交流禁止」「被爆者カルテ没収」など、目に余る人権蹂躪行為を見ると「動物実験」としての原爆投下だったのではとすら思えて来る。
トルーマン大統領の日記にはこうも書かれてある。
「ジャップどもは野蛮人で、冷酷、無慈悲且つ狂信的な連中だ」
このことでも人種差別、日本人蔑視は明らかだろう。
左翼も右翼も「反米」は大いに結構なことだ。ならば原爆投下した米国の「核の傘」に甘んじ、国家の大本を米国に依存しているこの歪な体制をいつまで続けるつもりなのか。
「平和」も「安全」も日本人自らが創り出さねばならず、「反米」から脱却を目指すには何を成せばいいのか、口先だけでの「反米」なんぞクソ喰らえだ。
広島・長崎での原爆投下を煽り、「復興と平和」で国民を誑かす左翼らが策謀する「反原発」「脱原発」によって、「核武装」という国防上最重要ともいえる問題をも否定されることがあってはならない。
集団的自衛権行使は当然ながら、「核武装」こそがアジア諸国や世界の平和と安定に貢献出来るものだとの認識を共有すべきである。
心の呵責無しに核兵器を有する資格があるのは世界で唯一の戦争被爆国である我が国だけである。真の「平和」を創造する為にも限定的核武装を急ぐべし!
広島には「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから」という訳の分からぬ碑が建っている。自虐史観の象徴の様な碑だが、過ちを犯したのは米国であり、大東亜戦争が悪い訳ではない。
広島・長崎の「平和式典」は平和とは名ばかりで、「反米」的な様相を呈しているが、東京裁判史観に毒された連中が反米を唱え、これを「平和運動」など自称するとは笑止千万。
今年も「核廃絶」に「フクシマ」を利用する。
先日福島市を皮切りに始まった「原水爆禁止世界大会」でも、原爆投下などそっちのけで原発の再稼働を目論む安倍政権を批判し、「原爆と原発」どころか、「復興と平和」を結び付けて国民を誑かす。
広島・長崎は「被爆」であり、福島原発事故は「被曝」。「被爆」は原爆に拠るものであり、「被曝」は原発事故などで放射線の被害に曝されていることをいう。
「被爆」と「被曝」を一緒くたにし、「反原発」や「脱原発」を訴えるが、福島を「ヒロシマ」「ナガサキ」と同様に「フクシマ」と呼ばれることに激しい怒りを覚える。
福島県民として原発事故の影響を受けている現状を見れば「脱原発」は当然なのかも知れないが、今やるべきは原発の安全を徹底し再稼働を図ることこそ国益に敵うことだと思う。
福島第一原発事故は、前年のチリ地震を受けて、自公両党から出された「防波堤などの安全・整備等に関する法案」を却下したことが大きく、また「スーパー堤防」などの整備予算にしても、蓮舫が「1000年に一度来るかどうかの災害に莫大な予算は付けられない」として仕分けした結果だった。
要は最悪な政権時に最悪な災害が起きたということ。それを天譴ともいうのだ。
「想定外」という言葉にしても、予備電源を確保してさえいれば事故は防げた訳で、「想定外」というよりは危機管理の欠落。要はマヌケだったということだ。
原発周辺の防波堤を整備してさえいたら、被害は最小限に抑えられていただろうし、予備電源さえ確保出来ていれば今回の様な人災事故は起きなかったのだ。
そうした政治や行政側の怠慢を批判せずに、東電を始めとした電力会社だけを「悪」とするのは本末転倒と言う他はない。
そう考える時、「反原発」や「脱原発」は大震災を利用した菅直人によるマッチポンプである断じざるを得ない訳で、検察審査会が東電元会長らを有罪と断じるならば、当時の最高責任者である菅直人を先ず断罪すべきである。
保安院のやらせに代表される原発行政の問題や、財界を中心とした原発利益共同体によって「安全神話」が垂れ流されたことは当然猛省すべきだろう。
だが、原子力の平和利用でさえもノーとなれば、「積極的平和主義」により日本が執るべき「核武装」でさえも、怪しからんこととして抹殺されるだろう。
安全も平和も自ら創り出さなくてはならない時代、「防災」も「国防」も「領土の保全」も同一線上に在るという観点から、やはり原子力は必要なものとして、新たな防災と国防強化を図るべきではないのか。
と言っても、被爆国として余りにも原子力に敏感になり過ぎているのは事実。
だが、その異常ともいえる核アレルギーにしろ、自虐史観にしろ、米国の原爆投下は、その被害以上のものを我が国に遺したと言えるのではなかろうか。
「原爆の日」には左翼が「平和」を騙り蠢動する。
だが、左翼団体や自称・平和団体の「反米」も行き着くところは米軍の行った自虐史観による洗脳であり、未だその洗脳から目覚めようともせず、揚句には「反米」を口にする始末。
原爆投下によって、こういう人種が殖えてしまったのは皮肉な結果でもある。
米国の洗脳にどっぷり漬かっている左翼が「反米」などとは滑稽極まりないが、統治下で実行された我が国への弱体化政策は米国の予想以上の成果を齎し続けていると言えよう。
抑抑、米国による原爆投下は日本人への人種差別と人体実験から行ったものだ。
6日の広島、9日の長崎への原爆投下を受け、日本政府は14日、終にポツダム宣言の受諾を決定した。この結果を見て、原爆投下が大東亜戦争の終結を早めたという人がいるが、事実はそうではない。
元駐日大使のグルー国務長官代理が中心になって作成されたポツダム宣言の原案には、「天皇制」存続の保障が盛り込まれていたのは確認されている。
米国側は、日本政府が和平を模索していることを知っていたので、天皇制存続を保障する案なら受け容れる可能性が極めて高いと考えていた。
ところが、反日的なスチムソン陸軍長官やバーンズ国務長官らは、元国務長官のハルの助言によって、この「天皇制存続」の項目をポツダム会議の直前で削除してしまう。
即ち「天皇制存続」の項目が明記されていないポツダム宣言は、我が国にとっては極めて受け容れ難い内容になっていたのである。
そのことをよく認識していたトルーマン大統領は、ポツダム宣言発表前日(7月25日)の日記に「この兵器(原爆)は今から8月10日迄の間に使用されることになる」と記した。
この事実をしても、「日本政府がポツダム宣言を黙殺したから原爆が投下された」という理由は真っ赤な嘘であることは、この日記が明瞭に証明している。
原爆を日本に投下することになった背景は根強い人種偏見からだ。
米国が原爆投下を決定したのは1943(昭和18)年5月のことで、原爆搭載機を対日戦用のB29を選んだ。翌年9月米英間の秘密覚書「ハイド・パーク協定」に、「原爆は日本に対して使用されるであろう」と明記された。
こんな不可思議な決定は、人種偏見、日本人蔑視以外に合理的根拠は見つからない。
更に、その後の米軍の広島長崎で執った「放射能治療方法交流禁止」「被爆者カルテ没収」など、目に余る人権蹂躪行為を見ると「動物実験」としての原爆投下だったのではとすら思えて来る。
トルーマン大統領の日記にはこうも書かれてある。
「ジャップどもは野蛮人で、冷酷、無慈悲且つ狂信的な連中だ」
このことでも人種差別、日本人蔑視は明らかだろう。
左翼も右翼も「反米」は大いに結構なことだ。ならば原爆投下した米国の「核の傘」に甘んじ、国家の大本を米国に依存しているこの歪な体制をいつまで続けるつもりなのか。
「平和」も「安全」も日本人自らが創り出さねばならず、「反米」から脱却を目指すには何を成せばいいのか、口先だけでの「反米」なんぞクソ喰らえだ。
広島・長崎での原爆投下を煽り、「復興と平和」で国民を誑かす左翼らが策謀する「反原発」「脱原発」によって、「核武装」という国防上最重要ともいえる問題をも否定されることがあってはならない。
集団的自衛権行使は当然ながら、「核武装」こそがアジア諸国や世界の平和と安定に貢献出来るものだとの認識を共有すべきである。
心の呵責無しに核兵器を有する資格があるのは世界で唯一の戦争被爆国である我が国だけである。真の「平和」を創造する為にも限定的核武装を急ぐべし!
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2014年08月04日
教育荒廃の元凶である教育委員会を廃止せよ!

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政治を行う上で最も大事なものは「教育」と「国防」である。
「国防」とは単に領土の防衛だけではなく、それを失えば日本では無くなってしまうものを死守するとこであり、畢竟、「皇統」であろう。
つまり「国防」と「教育」は一対のものであり、このどちらかが欠落しても国家として体を為さないということでもある。
集団的自衛権の問題一つにしても、国内には「国防」に関することは悉く反対する勢力が存在しているのは言うまでもない。これは実に分かり易い構図でもある。
だが、「教育」の問題となると実にややこしく、恰も教育の荒廃は日教組や全教といった売国勢力によるものだと思われがちだが、確かに日教組や全教の責任は小さくはない。
だが実は、教育改革の足を引っ張ってるのが実は文科省と教育委員会であり、地方に於いては教育委員会こそが教育荒廃の元凶といっても過言ではないのだ。
今や無用の長物と化した「教育委員会」と「農業委員会」は即刻廃止すべき対象である。
以前、日本維新の会による「教育委員会廃止法案」提出が話題に上ったことがある。
その要綱案は、「地方教育行政法」や「地方自治法」などを改正することで、教育行政の最終責任が政府に在ることを明確にし、自治体は首長の下で行政部局(仮称・教育行政局)で教育事務を行うというものだった。
これは画期的なもので、安倍政権にとっても願ったり叶ったりだと思ったのだがその後は話題にも上らなくなってしまった。一体どうなってるのだ。
我が国の教育委員会制度は、抑々米国がその占領政策の一環として導入したものだ。
米国は、「戦前の日本の軍国主義が日本の中央集権的教育制度を齎し、それが結果戦争に繋がった」と結論付けている。
その日本の学校教育を内務省の中央集権的統制から解き放ち、その管理を、地域住民の代表により構成される合議制の教育委員会の下に置こうと画策し、それを実行した。
教育委員会のモデルとなったものが、米国の教育委員会制度である。
これは米国の開拓時代の占領統治の思惑から生まれたものだが、日本の統治も同じ様に占領によって米国の意のままに置こうというのが狙いであり、米国の戦後民主主義教育は米国の思惑以上に大きな成果を齎し続けている。
教育者でありながら、また公務員の立場にいながら、「国旗」「国歌」に反対し、我が国の歴史・伝統・文化を否定し、皇室解体と国體破壊を目指す日教組や全教は国内最大の「癌」であるというのは言うを俟たない。
これを抉り出し粛正しない限り、教育の正常化など在り得ないのは当然だが、教育荒廃の原因全てが日教組や全教だけに在る訳ではない。
確かに日教組こそ戦後教育の落とし子とも言えるが、戦後の教育荒廃の元凶こそ民主教育行政を司った教育委員会に在ると言っても過言ではないのだ。
安倍は前政権時代「教育基本法」の改正を行い、米国時代の悪しき教育制度からの脱却を目指した。このこと自体は間違ってはいない。
ならばその教育改革の総仕上げとして、教育委員会の廃止を急ぐべきであろう。
旧態依然の文科省に任せたところで頓挫するのは目に見えている。文科省も教育委員会も日教組も言うなれば一蓮托生、教育荒廃の腐った肥溜めなのだ。
安倍の肚一つで教育が劇的に変わるのだ。安倍よ、今すぐ決断と実行を!
占領時代の陋習である教育委員会制度の廃止なくして教育改革なし!
将来を担う子供達が生まれた国に誇りの持てる教育を施す為にも、無能な教育委員会の解体を急がなくてはならない。教育の再生は待ったなしである
安倍首相は常々「将来を担う子供達に如何にして誇りの持てる教育をするか」、「志の高い日本人を如何にして創るかが大事だ」と訴え、またそれが多くの国民の共感を得たのも事実。
ならば、財政再建やTPP問題よりも、「教育」の問題こそ最優先すべきではないのか。
政治家が将来を担う子供達へ如何に教育を施すかも議論せず、景気がどうだとか、カネの分配だけに狂奔するとは言語道断。
安倍を始めとした自称保守派は真の保守に非ず。何故なら彼らの経済政策に見る様に、過去なんてのはどうでもよく、未来こそが全てである。
正統の保守主義者に於いて時間を体験する仕方は、過去の意味を直視し、その中に価値を見出す発見によって未来を創造して行くものだ。
経済至上主義を改め、「教育」の問題こそ最優先に、「誇りの持てる教育」や「志の高い日本人を創造」することを真剣に議論し、政治生命を賭け前進すべし。
教育は国家の大本である。今こそ、戦後の米国による我が国弱体化のあらゆる策謀を明らかにし、それを改め、真の主権国家としての恢復と道義国家・日本の復活を急げ。

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2014年08月03日
つれづれなるまゝにその日暮らし(笑)
昨日は愚生の54歳の誕生日だった。誕生日だからといって別段何があるということでもなく、いつも通り夕方4時過ぎに晩酌が始まるもつまみは無い。流石に腹が減ったので冷やし中華を作って食べ、いつもの様に8時には床に就いた(笑)
本当ならば、バスツアーで青森のねぶた祭りに行く予定だったのだが、旅行会社から「ツアー客が集まらなかったので今回は中止にします」との連絡を受けた。
モノは考え様で、お盆には飛行機に乗ったこともない愚妻を北海道旅行に連れて行く予定なので散財しなくて済んで助かったと思えば好いだけ。
団体を辞し、正統右翼浪人を自任して気取ってはいるが、要は無職のその日暮らし。経済的には正直厳しいが、その実「乞食の朝謡」宜しく気楽なものだ。
日本国民としては勤労の義務も果たしておらず「先生」だとか「国士」だとか持ち上げられもするが当の本人は烏滸がましくも愛国者などとは思ってもいない。
愚生の様な生き方をしてる人ばっかなら国家は機能せず、雑念を捨て、家族を守らんと懸命に働いているサラリーマンこそ真の愛国者といえよう。國士舘創設者の柴田徳次郎先生は、「国士とは歩が成った様な者」と訓えた。
将棋では「歩の無い将棋は負け将棋」というが、金や銀、飛車、角も大事だが、普段軽く見られる「歩」こそ大事に扱わなければならない駒なのだ。
「ヘボ将棋、王より飛車を可愛がり」だとか、「桂馬の高飛び歩の餌食」など、将棋には面白い川柳や諺があるが、中でもやはり「歩の無い将棋は負け将棋」というのは会社経営や人を育てる上で実に考えさせる言葉だろう。
企業でいえば歩というのは若い社員。この社員を活かすも殺すも上司の腕の見せ所。この若い社員、つまり歩を如何に育てるか、そしていつかはその歩が「金」と成って会社は言うに及ばず、延いては国の宝となるのである。
将棋では駒を動かすことを、「効かす」とか「働かす」という言葉を使う。つまりは上司は部下を無闇やたらに動かすのではなく、その人に合った仕事を与え、動くに人偏(にんべん)をプラスして如何に働かすかが大事となる。
駒の欠点を周りで補いながら、駒の長所を伸ばし、折角の駒を死に駒にしないで働かせることで勝ちに繋がるもので、会社の経営も同じこと。
まぁ愚生は「歩」というより「香車」だろうか。不器用に真っ直ぐにしか進めない。それでも未だ「成れる」可能性もあるとは思ってはいるが、未だに「成る」手前のまま。大器晩成の早死にタイプ、このまま終わる可能性は大きい(笑)
今日の地元紙トップは「いじめ深刻化防止」として、生徒指導のアドバイザー制度を新設するという記事が踊っている。愚生をアドバイザーに選ぶ様ならその効果は絶大で、教育再生も期待出来ると自負してるが、役所が選ぶことは無いわな。
こうした机上論で教育を語っているから根本的解決が出来ないのだ。何事も民主的な手法で解決しようとするが、この民主主義こそ我が国を崩壊に導いた元凶と思っている一人でもある。何故なら人というのは平等ではないからだ。
「一年で育てようと思うなら花を育てるべし。十年で育てようと思うなら木を育てるべし。百年かけて育てようと思うなら人を育てるべし」という言葉がある。
「人材育成」というのは、机上論やインスタントに出来るものではないというのは誰もが自覚していることだろう。ならばどうすれば好いのか。
普段から、学校は勿論のこと、家庭でも地域でも子供や若者を「育もう」という意識がなければダメ。花を育てたり、木を育てるにしても臭い飼料も時には与える様に、人もまた同じく甘やかすだけでは立派には育たない。
温室で育った野菜や果物は見かけだけで味に深みはない。やはり自然の風雪に耐えてこそ味わい深くなる。人間だって同じ。時には鉄拳も必要だし、厳しく突き放すことも必要だろう。個性を磨くというのは本来そういうものであるのだ。
民主主義を穿き違え、人間平等観が蔓延っているのは何か物足りない。こんな世の中が続けば、同じ様な個性の無いハウス栽培の日本人ばかりになってしまうだろう。まぁそんなとこで、今日もつれづれなるまゝに綴ってみました。呵呵。
本当ならば、バスツアーで青森のねぶた祭りに行く予定だったのだが、旅行会社から「ツアー客が集まらなかったので今回は中止にします」との連絡を受けた。
モノは考え様で、お盆には飛行機に乗ったこともない愚妻を北海道旅行に連れて行く予定なので散財しなくて済んで助かったと思えば好いだけ。
団体を辞し、正統右翼浪人を自任して気取ってはいるが、要は無職のその日暮らし。経済的には正直厳しいが、その実「乞食の朝謡」宜しく気楽なものだ。
日本国民としては勤労の義務も果たしておらず「先生」だとか「国士」だとか持ち上げられもするが当の本人は烏滸がましくも愛国者などとは思ってもいない。
愚生の様な生き方をしてる人ばっかなら国家は機能せず、雑念を捨て、家族を守らんと懸命に働いているサラリーマンこそ真の愛国者といえよう。國士舘創設者の柴田徳次郎先生は、「国士とは歩が成った様な者」と訓えた。
将棋では「歩の無い将棋は負け将棋」というが、金や銀、飛車、角も大事だが、普段軽く見られる「歩」こそ大事に扱わなければならない駒なのだ。
「ヘボ将棋、王より飛車を可愛がり」だとか、「桂馬の高飛び歩の餌食」など、将棋には面白い川柳や諺があるが、中でもやはり「歩の無い将棋は負け将棋」というのは会社経営や人を育てる上で実に考えさせる言葉だろう。
企業でいえば歩というのは若い社員。この社員を活かすも殺すも上司の腕の見せ所。この若い社員、つまり歩を如何に育てるか、そしていつかはその歩が「金」と成って会社は言うに及ばず、延いては国の宝となるのである。
将棋では駒を動かすことを、「効かす」とか「働かす」という言葉を使う。つまりは上司は部下を無闇やたらに動かすのではなく、その人に合った仕事を与え、動くに人偏(にんべん)をプラスして如何に働かすかが大事となる。
駒の欠点を周りで補いながら、駒の長所を伸ばし、折角の駒を死に駒にしないで働かせることで勝ちに繋がるもので、会社の経営も同じこと。
まぁ愚生は「歩」というより「香車」だろうか。不器用に真っ直ぐにしか進めない。それでも未だ「成れる」可能性もあるとは思ってはいるが、未だに「成る」手前のまま。大器晩成の早死にタイプ、このまま終わる可能性は大きい(笑)
今日の地元紙トップは「いじめ深刻化防止」として、生徒指導のアドバイザー制度を新設するという記事が踊っている。愚生をアドバイザーに選ぶ様ならその効果は絶大で、教育再生も期待出来ると自負してるが、役所が選ぶことは無いわな。
こうした机上論で教育を語っているから根本的解決が出来ないのだ。何事も民主的な手法で解決しようとするが、この民主主義こそ我が国を崩壊に導いた元凶と思っている一人でもある。何故なら人というのは平等ではないからだ。
「一年で育てようと思うなら花を育てるべし。十年で育てようと思うなら木を育てるべし。百年かけて育てようと思うなら人を育てるべし」という言葉がある。
「人材育成」というのは、机上論やインスタントに出来るものではないというのは誰もが自覚していることだろう。ならばどうすれば好いのか。
普段から、学校は勿論のこと、家庭でも地域でも子供や若者を「育もう」という意識がなければダメ。花を育てたり、木を育てるにしても臭い飼料も時には与える様に、人もまた同じく甘やかすだけでは立派には育たない。
温室で育った野菜や果物は見かけだけで味に深みはない。やはり自然の風雪に耐えてこそ味わい深くなる。人間だって同じ。時には鉄拳も必要だし、厳しく突き放すことも必要だろう。個性を磨くというのは本来そういうものであるのだ。
民主主義を穿き違え、人間平等観が蔓延っているのは何か物足りない。こんな世の中が続けば、同じ様な個性の無いハウス栽培の日本人ばかりになってしまうだろう。まぁそんなとこで、今日もつれづれなるまゝに綴ってみました。呵呵。
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2014年08月01日
「人を殺してみたかった」という欲求を実践する異常さ

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本日は朔日。神饌を替え、陛下の弥栄と心願成就を祈念す。
長崎県佐世保市で起きた女子高生による同級生刺殺切断事件が連日マスコミで報じられている。被害者の画像ばかりが流され、加害者の方といえば母親の死や父親の暴力と再婚など家庭環境の影響からこうした事件が起きたのだろうという推察し、安っぽい性善説を垂れ流す。
どんな悪人でも少しくらいは良心を持っているだろうと信じている国民は少なくない。死刑廃止論者もこうした性善説からのものが多い。
しかし、世の中にはそんな考え方が全く通用しない「サイコパス(精神病質者)」と呼ばれる人間が存在する。 今回のこの事件も典型的なサイコパス、精神的異常性が起こすべくして起きた事件だと断じても好かろう。
サイコパスと呼ばれる人間は結構多く、2、300人に1人の割合で存在するという。以外に多いが、サイコパスにも理性でその欲求や衝動を自己抑制している人もいるのも確か。
専門家はサイコパスの特徴の一つとして、口達者で社交的であり、表面的には魅力的に見える人物が多いという。
一方で自分自身を偉大な人物や同情すべき「可愛そうな人」に見せる為に嘘を吐くのが巧く、「可哀相な人のふり」をして同情を引こうとするという手をよく使うという。
無責任で問題行動が目立ち、用意周到に実行するが、一方でとても衝動的で刹那的な行動も目立つのも特徴。
責任を追求されて心理的に追い詰められると、逆ギレ。愛情や良心を持たないというだけでなく、あらゆる面において感情が希薄で表面的であるという特徴もあるという。
残忍で嘘吐き、善意を持たず狡賢く立ち回る。またサイコパスは知能も高い人が多いというのも特徴で、今回事件を起こした女子高生もかなり知能指数は高い。
小学校時代、クラスメートの給食にスポイトで漂白剤を混入。猫を殺し解剖。父親が眠っている時に金属バットで殴打。これだけでも隔離し治療するべきだったし、サイコパスに言い聞かせても従順に振る舞うだけで、その結果更なる大きな犯罪を犯すことになるのだ。
マスコミはこうした事件は社会全体が起こしたものとして捉え、犯罪者の性善説ばかりを盲目的に信じ、犯人を社会的犠牲者と言わんばかりに異常な擁護姿勢を見せるが、所詮はこうしたマスコミの偽善に満ちたキレイゴトこそ諸悪の根源と言っても過言ではない。
今回の事件に限らず、マスコミというのはあることないこと誇大に報道する。専門家や有識者なる胡散臭げなコメンテーターを出演させ、一見、公正に見せかけてはいるが私感に満ちた偏向報道ばかりを垂れ流す。
進歩の無いマスコミはオチョクリに乗っかって何でも腐し、自分達の主張こそが正義であるかの様に立ち振る舞う。
そういう冷笑的な態度を執り行動することが真のジャーナリズムだと錯覚しているのだが、こうした「低能ジャーナリズム」を糺すことが日本再生へも繋がると信じて止まない。
だが、マスコミと雖も所詮は私企業。株式会社として営利を目的として存在し、売り上げがなければやってはいけない。
保守派や右翼陣営は朝日や毎日、NHKなどの偏向報道を糾弾し、国民を煽ることを止めろと叫ぶが、ヨタ記事に煽られるほどのバカもそうはいない。
何のことはない、そうした偏向報道を欲している国民が多いというだけのこと。朝日や毎日、NHKの連中だって、変更していることなんぞ自覚しているだろう。
だが悲しいかな、これらの左翼新聞が産経新聞の如くなったら売り上げは伸びず、倒産という憂き目に遭うのは必至。
だから、読者や視聴者という労働組合や無自覚左翼らに気に入られる様な営業紙面を作り、偏向報道を垂れ流しているというのが実情。
新聞の部数を伸ばしたり視聴率を伸ばすことなら何でもアリ。つまりマスコミというのは「営業左翼」「商業左翼」と呼ぶのが正しい。
またその逆で保守ブームを利用する「営業右翼」も多いのも確か。
話しは逸れたが今回の事件はサイコパスの生徒が起こした特異な事件であり、教育委員会が机上論で対応を議論したところで解決は見ないだろう。
大事なのは教育を行って行く上で精神的な部分を如何にして育むかであり、それによって同じ様な事件を防止して行かねばならないが、そうした実りある教育を企画し実行して行くかはやはり安倍総理の決断ひとつ。
「どんな子もみんな日本の大事な子」、教育こそ国家の大本である。
愚生は戸塚ヨットスクールの戸塚宏の教育論には大いに共鳴している一人でもあり、不良少年や登校拒否児を与り更正させる私塾を創る夢は未だ潰えてはいない。
その資金を出してくれる篤志家が現れるのを鶴首しているが未だ現れない(笑)
戸塚ヨットスクールというと「スパルタ式」で子供を死にやったことばかり取り上げられるが、不登校や家庭内暴力で悩む親が子供を手放し、戸塚氏に預け、実に600人以上の子供を更正させた実践教育の実績は凄い。
戸塚氏は自著「教育再生」で、教育は「科学的精神論」に基づくと言い「正しく・強く・安定」(知・情・意)した理性を創ることが大事だと教えている。
学級崩壊や家庭内暴力を起こす様な「間違った・弱い・不安定」な理性を持った子供達が大量に登場した原因を考えれば、戦後、日本が採用した欧米型の「精神論」が間違っていたからだという戸塚氏の考えは正しい。
何故なら、日本を経済大国にしたのは、戦前に教育を受けた人々であり、それを潰してしまったのは、戦後教育を受けた世代なのだから。
更に「欧米流」の理性に抜け落ちているのは「本能論」で、人間と動物の優劣性を強調するあまり、動物にもある「本能」を、下等なものとして否定しまったのが抑々の間違いであると断じる。
仏教でも儒教でも「本能」が「理性」を創るのに重要な役目を果たしていると説く。
これらを考えるに、教育で一番大事なのは「徳育」であるというのだ。
「徳育」は忠君愛国ばかりではなく、「人間性」を確立することにある。
だから、幸福になる方法も、ちゃんと仕事が出来る様になるのも「徳育」で、日本の教育再生の為には、先ず「正しい精神論」を創ることこそ肝要。
失敗に失敗を重ねた文科省には、最早学校を変える能力は無く、教育委員会に委ねるなど以ての外。同時に日教組や全教などの組合は非合法化し解散させるべし。
我が国の教育が抱えている問題を解決するには、戸塚氏が教えている様に小学校の段階で正しい人間性の基礎を創ることが喫緊にやるべき対策である。
「国語・数学・体育」に重点を置いた授業、記憶力ではなく、考える力の重視。合宿などの課外授業の活用するというのは単純ではあるが大きな成果を齎すだろう。
戸塚氏の理想とする小学校像は決して突飛なものなどではなく、「科学的精神論」による教育の実践こそ、現在学校で起こっている学級崩壊を始めとした諸問題を克服してくれるのではと期待している。
余談だが、愚生に限らず「人を殺してみたかった」というより、殺したいヤツはいるのではなかろうか。それってやっぱサイコパスかもよ(笑)

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cordial8317 at 08:09|Permalink│Comments(0)