2014年07月

2014年07月29日

時代錯誤の「原水爆禁止世界大会」が今年も福島市で始まった

 
ブログランキングに御協力を←応援クリック、宜しくお願いします!

 毎年8月6日の広島、9日の長崎と、原爆が投下された日に焦点を合わせ核廃絶を訴える「原水爆禁止世界大会」なるものが開催される。

 今年も福島市で始まった。今年で4年連続で福島市での開催となるが、何故に福島かは言わずもがな。

 「原発の再稼働を阻止し、政府に脱原発への政策転換に向けて舵を切らせる。フクシマを核時代の終わりにする」とするとのアピールを採択したが、こうした戯言に郷土が利用されることに違和感と怒りを覚える県民は少なくない。

 「核も戦争もない平和な21世紀に!」をスローガンに「脱原発」を訴える。揚句には「平和憲法を守る運動を貫く」とも。

 これをキチガイと言わずして何と言う。

 核廃絶を訴えるなら核保有国への抗議こそ優先するべきで、「脱原発」と「核廃絶」を一緒くたにし、「古里に帰れない人を思いやる気持ちが無い」と安倍政権を批判する。

 だが、県外に避難している被災者には過分な補償を続けているし、多くの県民が故郷で復旧・復興に努力している中で、「帰りたくても帰れない」というわがままで帰還しない人達に、これ以上何を補償し、何を施せばいいというのか。

 この「原水禁運動」は、初めは純然たる市民の署名活動から始まったものだ。

 この署名活動の輪が急速に全国に広がって行くのに目をつけた社民党(旧日本社会党)と日本共産党が、これらの活動に割り込みを謀り、イデオロギーに汚染させ、終には主導権争いを演じて分裂させてしまった。

 それが社民党系の「原水禁(原水爆禁止日本国民会議)」と、共産党系の「原水協(原水爆禁止日本協議会)」であり、福島で煽動を謀っているのは原水禁である。

 連中の目的は「平和」「核廃絶」「脱原発」とは名ばかりで、原爆を投下したのが米国だから騒いでるだけなのだ。

 原発事故での県外被災者らを同一に準えて、「広島・長崎両県でも原爆の傷が癒えていない」と政府を批判するが、トンチンカンもいいところ。

 「原爆投下」と「原発事故」は全くの別物で、原発事故を原爆投下と同一視することはそれこそ原爆投下という蛮行を事故程度のものだと矮小化することでもある。

 原水爆禁止世界大会の目的は、執拗にこの「原爆投下」という古傷を暴き、日米離間を企てると共に、党勢拡大と革命謀略に狂奔しているだけだ。

 これだけでも連中に「平和」など口にする資格はない。

 先の大戦では日本と米国は国の威信を賭けて戦っていた訳で、新しい兵器を開発すれば使おうとするのは当然の話で、米国の原爆投下も「三分の理」を認めざるを得ないではないか。

 長崎に原爆投下された日、ロシア(旧ソ連)は「日ソ不可侵中立条約」を一方的に破棄し、満州や南樺太に侵略を開始し日本人同胞を虐殺し、領土を強奪した。

 この旧ソ連の鬼畜の如き蛮行で亡くなった方は、広島・長崎で亡くなった方を遥かに超える。また、終戦後シベリヤに抑留され極寒の地で亡くなった方も数え切れない。

 抑留された日本人は、軍属だけで60万人と言われているが、ロシアの資料に拠れば約70万人、米国の資料では約90万人と言われている。

 「平和」「核廃絶」「脱原発」を訴える平和屋連中が、この旧ソ連の蛮行を取り上げ、糾弾したことは一度たりとも無い。 何が「平和団体」か。

 「脱原発」にしても、安全対策を施し、再稼働を急ぐことが大事で、最近の燃料高騰にしろ原発稼働停止の影響が家計へも大きく圧し掛かっている時に、基幹エネルギーを化石燃料だけに頼るのは如何なものだろう。

 また化石燃料に頼るのであればシーレーンの防衛は重要な課題であり、南シナ海で中共がのさばることとなれば原油の輸入ルートが断たれる訳で、「反原発派」こそシーレーンの防衛やオスプレイの導入を歓迎すべきなのにやってることは全くの真逆。

 これ即ち、中共への忠誠であり、革命謀略の為のものであると断じられても仕方あるまい。

 確かに原発事故の影響をもろに受けている福島県民として「原発さえなかったら」という思いは強い。だが、果たして資源の乏しい日本が、原発無し繁栄を維持出来るのか。

 産業振興、電力不足など不安は大きく、また、「便利」という価値観に溺れた国民も、石油や天然ガス、再生可能エネルギーだけでの生活に満足するとは到底思えない。

 太陽光発電は夜間や雨天、曇天では効果は少ないし、風力は風が吹かなければどうにもならない。その点、原発はプルサーマルや高速増殖炉も実用化出来れば、化石燃料に依存しなくてもかなりのエネルギーを自国で賄える。

 資源に乏しい我が国には原発は残念ながら最良のエネルギーなのだ。

 「脱原発」の理想は分かるが、将来的に原発依存の体制から抜け出すことは当然の話しで、徐々に縮小すればいい訳で、何をそれほどまでに脱原発を急ぐ必要があるのか。

 それよりも原発の安全対策を施すことが喫緊の課題であろう。

 東京電力福島第一原発の事故も防波堤などの整備を万全にしてさえいたら、大事には至らなかったのは実証済みではないのか。

 「平和」「核廃絶」「脱原発」を標榜する胡散臭げな平和屋どもは、利用出来るものは利用するだけで、フクシマも単なる小道具に過ぎない。

 「再稼働阻止」にフクシマを利用する勿れ。原発の問題は核武装という国防にも繋がる国家の大事であり、良識ある国民は安っぽい風潮に流されてはならない。

 にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村



cordial8317 at 06:48|PermalinkComments(0)

2014年07月28日

東京裁判を進める上で「通州虐殺事件」は実にやっかいな不都合な事件だった

 
ブログランキングに御協力を←応援クリック、宜しくお願いします!

 国内では未だ「日中戦争は日本の侵略戦争だ」との自虐史観が蔓延しているが、「日中戦争」もまた中国共産党の挑発行為によって勃発したものだ。

 「日中戦争」勃発前の支那の新聞の大勢は、「日本をやっつけるべし」という「対日主戦論」が幅を利かせていて、過激な知識人・学生・都市市民、中国共産党、地方軍閥の3グループが主戦論だった。

 共産党と軍閥は知識人などに主導された過激世論を味方として、蒋介石政権に対しての立場を有利にしようと狙っていた。

 特に共産党は、「反日」を最大の政治的武器として使っていた。

 現在の「反日」も政治的武器であり、見方を変えれば中国共産党の危機感の表れでもある。

 昭和6年(1931年)11月に江西省の瑞金に成立した中華ソビエト共和国は、毛沢東の名により我が国に対して「宣戦布告」を発している。

 この様に何時、何処で我が国への攻撃が起っても不思議ではない状況の下、昭和12年(1947年)7月7日、「盧溝橋事件」が起った。

 「盧溝橋事件」の後には「通州」で、支那人による日本人虐殺事件が起こっている。

 これが歴史から消された「通州事件」、否、「通州虐殺事件」である。

 所謂「南京大虐殺」は知っているが、「通州虐殺事件」について知る国民は少ない。

 この通州での残虐行為は全く語られることはなく、学校の教科書にも歴史書や年表にも載ってはいない。

 「通州虐殺事件」は、戦後、GHQによって消された歴史と言っても過言ではない。

 「東京裁判」で弁護団は、盧溝橋事件の約3週間後に起こった「通州事件」について、外務省の公式声明を証拠として提出を図るが、ウェッブ裁判長によってその申し出は却下された。

 この虐殺事件を取り上げることは、日中戦争での「日本悪玉論」の論拠を失うばかりか、東京裁判を進める上で「通州虐殺事件」は、実にやっかいな不都合な事件だった。

 この虐殺事件を知らずして、この後に日本政府の執った行動は理解出来ないだろうし、「通州虐殺事件」は日本人にとって決して忘れてはならない歴史の真実なのである。

 虐殺事件は昭和12(1937)年7月29日に起きた。

 北京から東に18キロほど下った通州という街は、明朝時代に城壁が築かれ、天津からの集荷の拠点として栄えた運河の街だ。

 通州は当時、日本軍が駐屯しており治安も安定していた。

 規律正しく公正な日本軍は、当時の支那の何処の街でも庶民から歓迎されていたのです。ところが、治安の良いはずのその通州で、昭和11年頃から不穏な空気が漂い始める。

 最初に騒ぎ始めたのが朝鮮人らだった。

 「日本は悪い国だ、朝鮮を自分の領土にして朝鮮人を奴隷にしている」とか言い触らし、「次は支那を領土にして支那人を奴隷にしようとしている」などと根拠のないデタラメを半ば公然と吹聴し始める。

 昭和12年になると「日本軍と日本人を追い出さなければならない。いや日本人は皆殺しにしなければなない」と言い出す迄になり、そうした風評は止まることはなく、益々エスカレートし民衆は殺気立った。

 そうした仄聞はもちろん現地に駐屯していた日本軍にの耳にも入ってはいたが、現地の日本軍は「その様な根も葉もない噂など相手にする必要はない」と問題にしなかった。

 多くの日本人は物事を客観的に捕らえ様と努力する。これは日本人にとっては至極当たり前のことで美徳とも言えるものだ。

 だが、何も反論もせず、怒らないことで朝鮮人や支那人を付け上がらせる結果になってしまったのも事実。

 これは現在の対中、対韓外交でも言えることだ。

 興奮し易く、直ぐに舞い上がり、感情的になるのは古来変わらぬ朝鮮人の特徴で、支那の工作員にとってこれほど利用し易い民族はいなかっただろう。

 昭和12年7月29日の午前3時、突然、通州にいた冀東防共自治政府の保安隊(「張慶餘」が率いる第一総隊と「張硯田」が率いる第二教導総隊)合わせて3000人が日本軍を襲撃する。

 この時、通州にいた日本人は380名、内軍関係者は110名、残りは全員が婦女子だった。

 不意を突かれた日本兵は防戦一方。襲撃開始と同時に日本兵30名が死亡した。

 必死で防戦をしている間に、支那人の学生や朝鮮人が日本人の居留区を襲撃し、日本人居留民260名をたった一日で極めて残虐な方法で虐殺するに至った。

 東京裁判での支那駐屯歩兵第2連隊小隊長・桜井文雄証人の証言がある。

 守備隊の東門を出ると、殆ど数間間隔に居留民男女の惨殺死体が横たわっており、
 一同悲憤の極みに達した。
 「日本人はいないか」と連呼しながら各戸毎に調査していくと、
 鼻に牛の如く針金を通された子供や、
 片腕を切られた老婆、
 腹部を銃剣で刺された妊婦等の死体が其処彼処のゴミ箱の中や壕の中から続々出てきた。
 ある飲食店では一家ことごとく首と両手を切断され惨殺されていた。
 婦人という婦人は14、5歳以上は悉く強姦されており全く見るに忍びなかった。
 旭軒では7、8名の女は全部裸体にされ強姦刺殺されており、
 陰部に箒を押し込んである者、口中に土砂をつめてある者、
 腹を縦に断ち割ってある者など、見るに耐えなかった。
 東門近くの池には、首を縄で縛り、両手を合わせてそれに8番鉄線を貫き通し、
 一家6人数珠繋ぎにして引き回された形跡歴然たる死体があった。
 池の水が血で赤く染まっていたのを目撃した。

 証言した桜井小隊長は、事件後に現地に調査に入った人物だが、文中にある旭軒での出来事を全て目撃した女性の体験談もあるが筆舌に尽くし難い。

 日本国内では未だ「日中戦争は日本による侵略戦争」だという自虐史観が蔓延しているが、日本は「北京議定書」に基づき在留邦人保護の為に軍隊を駐屯させていたのであって侵略が目的ではない。

 「盧溝橋事件」は中国共産党の謀略であることは今や明らかになっている。

 上海に駐留していた日本海軍陸戦隊に、正規軍10万人で一方的に攻撃した何れの事件も、中国共産党が仕掛けた戦争であり、つまり侵略者は我が国ではなく中国共産党なのだ。

 天安門事件やチベット、ウイグルなどで、中共軍が行ってきた虐殺や弾圧は筆舌に尽くし難いが、決してこれらは対岸の火事ではない。

「盧溝橋事件」にしても「通州事件」にしても、「事実」を知ることが大事であり、事実を知れば東京裁判で断罪された多くの罪が如何に不当なものであり、不公平な人倫にも悖るものであったことが分かるだろう。

 アジア動乱の濫觴はいつの時代も中共が元凶である。

 中共による挑発行為の結果、沖縄県民が第二の「通州事件」に捲き込まれない為にも、戦争突入を避ける上でも、防衛体制の充実且つ法整備を急がねばならないし、集団的自衛権の賛否を評論家の如く議論したところで意味はない。

「国防」とは「それを失ったら日本では無くなってしまうものを死守することであり」、そう考える時、喫緊にやるべきことは米国依存の歪な体制を正し、国内に巣食うあらゆる反日・売国勢力を排除すること以外にない。

 にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村



cordial8317 at 05:21|PermalinkComments(0)

2014年07月21日

明治9年、東北・北海道へ約50日間に及ぶ巡幸に臨まれた明治天皇

 
ブログランキングに御協力を←応援クリック、宜しくお願いします!

 戊辰戦争で「朝敵」「逆賊」に仕立てられた会津藩は、不毛の領地「斗南藩」に移されることで終結する。開拓は艱難辛苦を極めたが、その開拓がその後の津軽、青森の発展に寄与したことは言うまでもない。  

 会津藩に限らず戊辰戦争で幕府に恩義を感じ、抗戦し、敗れた多くの東日本の雄藩は、新政府に参政することなく辛苦の日々を送っていた。

 「賊軍」の汚名を着せられた多くの人々は、新政府に対して言いたいことは山ほどあっただろう。だが彼らは臥薪嘗胆、耐えることで國全体が保たれるのならばと己の悲運を甘受し、その抗し難い天命を潔しとした。

 明治9年、東北・北海道へ約50日間に及ぶ巡幸に臨まれた明治天皇が「明治丸」で横浜に帰港された日が7月20日であり、この日以外の「海の日」に何の意味が在るというのか。

 この巡幸の目的が戊辰戦争に敗れて以降、艱難辛苦の日々を送っていた人々を明治天皇が慰撫し、激励する為に他ならない。

 出発は6月2日、馬車で福島から仙台、岩手、青森と北上、次いで明治丸で津軽海峡を渡り、函館を経て三陸沖を海路戻るというコースを辿っている。
 
 この間、東北の人々は巡幸の先々で奉迎した。

 明治天皇も各地で開墾や産業の振興に尽くした功労者を労らわれている。愚生の住む郡山(安積)では、荒野を拓いて出来たばかりの桑野村まで分け入り、開拓者の苦労話に耳を傾けられ、金五万円を下賜された。

 弘前に在る「東奥義塾」では外国人教師による英語教育が行われていて、生徒10名が英語を披露。天皇はその進取の気象に感心され、ウェブスター辞書を買う代金にと一人につき金五円を与えられた。

 また或る地方では、小学生が献上してくれた蛍一籠を嘉納され、岩手では太布半纏(ふとのばんてん)と呼ばれる農民の仕事着をお買い上げ遊ばされている。

 どの逸話も明治天皇の慈愛に満ちたもので、天皇と国民は正に君民一体。東北の人々との間に親しく絆を結ぼうと努める明治天皇の面影が偲ばれる。

 この東北・北海道の巡幸を以て、逆賊も朝敵もなく、一切の蟠りも無くなったのだ。

 東日本大震災と原発事故に疲弊する我々東北人にとって「海の日」は、被災地に思いを寄せる今上陛下の大御心と通じる感慨深い日でもある。

 だがどうだろう。悲しいかな、こうした「海の日」の由来を知る国民は少ない。

 また「成人式」が何故に1月15日だったのかというのも同様で、1月15日が「小正月」であり、神道の儀式の一つ「元服の儀」が小正月に行われていたからだ。

 だが、平成10年、「国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律」(法律第141号)が成立し、更には平成13年の「国民の祝日に関する法律及び老人福祉法の一部を改正する法律」(法律第59号)の施行によって夫夫の月曜日に行うこととなった。

 所謂「ハッピーマンデー」というもので、以来「成人の日」「体育の日」「海の日」「敬老の日」が月曜日に実施されることとなった。

 この「ハッピーマンデー」こそ左翼陣営による国體破壊工作なのだ。

 だが、あろうことか、自民党がそれらの策謀に気付かず、それに同意し成立、施行された。これ程マヌケなことがあるだろうか。

 嘗て三島由紀夫は「文化防衛論」でこう述べている。

 「我々はあらゆる革命に反対するものではない。暴力的手段たると非暴力的手段たるとを問わず、共産主義を行政権と連結せしめようとするあらゆる企画、あらゆる行動に反対するものである」と。

 だが、保守を標榜する議員にそうした危機意識はなく、逆に、三島由紀夫が憂いた行政権に姿を変えた共産主義が入り込もうという策謀の手助けを自民党自らが実行し、また実行しようしているのが実情だ。

 こうした実態を見ても国體破壊は想像以上に進んでいることが理解出来よう。

 左翼陣営は皇室への「敬称略」や「元号不使用」など、こうした既成事実を積み重ねることによって、我が国の歴史や伝統、文化を否定する論拠とすることを常套手段としている。

 保守政党を標榜していながら、総理府や国の中枢に巣食わせ、それらのキチガイ左翼らが立案する策謀も見抜けず、挙句にそれらに与する政策を成立させ推進する始末。

 何が保守政党か。

 例えば「男女共同参画社会」がそのいい例だろう。

 「ハッピーマンデー」も同様に祝日の意義を薄れさせ目的で実行されている。

 「ハッピーマンデー」なんぞ百害有って一利無し。

 「日本を取り戻す!」というなら早々に本来の祝日の意味を教え、旧「祝日法」に則り、元の祝日に戻すべきである。

 左翼陣営は「男女共同参画」や「ハッピーマンデー」に飽き足らず、国體否定の策謀を次から次と実行しており、左翼どもの最終的な目的は「宮中祭祀」の妨害である。

 宮中祭祀で特に重要なものは正月の元旦に執り行われる「四方拝」と、11月の2回目の「卯の月(建国記念日)」に行われる「新嘗祭」。

 「ハッピーマンデー」の最終目的は、我が国の重要な祝日である「勤労感謝の日」と「建国記念日」を第2月曜日にすることが狙いなのは明らか。

 「連休がいい」などと安易な動機で祝日を語ることがあってはならない。

 天皇の行う祭祀こそ、決められた日の決められた時間にすべきものであり、国民が共にそれを分かち合い祝う日であらねばならないのだ。

 祝日は単なる休日ではないのである。

 諸外国に比べ、我が国の祝祭日ほど「国柄」の分かる素晴らしい伝統、文化はない。だが、多くの日本人が、祝日をただの休みとしか考えていないのはさもしく情けない。

 「ハッピーマンデー」を粉砕し、祝日の意味と意義を教えて行かねばならない。

 にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村



cordial8317 at 08:39|PermalinkComments(0)

2014年07月19日

「みたままつり」、法政大学應援團による奉納演武に感動す(備忘録第2弾)

 
ブログランキングに御協力を←応援クリック、宜しくお願いします!

 DSC00288
 13日に引き続いて昨日は再度靖國神社へ向う。今日は初めて夜に行くので浴衣を着て行くことにした。昼過ぎの新幹線で上京。上野で先ずは腹ごしらえ。

 とんかつの名店「蓬莱屋」に行くも満席。続いて蕎麦屋の老舗「蓮玉庵」へ。蓮玉庵は池波正太郎や文人墨客、落語家などに愛された名店でいい雰囲気を醸し出している。

 ただ、福島や山形の本物の蕎麦を知っている者として流石に江戸前の蕎麦はイマイチ美味しいとは思えない。まぁそれでもビールの小瓶と冷酒、それから「天せいろ」を注文。

 切って切れるは蕎麦なれど、切っても切れぬは蕎麦と酒。

 こういう蕎麦屋は客の空いた時間にスッと寄って、飲むのがいい。でも、藪などの人気店になると飲む客というのは歓迎されない。江戸の蕎麦屋に粋はない。

 DSC00298
 その後は気の利いた店を探してぶらぶら。最近は通しで営業する店は少なくなり、呑兵衛としては淋しい限り。

 アメ横のスカジャン屋「大熊商会」へ顔を出す。大熊社長自ら店に出て営業中だがチョッと元気がなさそうだ。まぁ不景気だから色々大変だろうなぁ。

 その後、いい飲み屋もないのでぶらぶらして時間を潰し九段へ。

 DSC00303
 法政大学應援團の演武は夜の8時30分頃だというので未だ未だ時間はある。ということで友人らと「寿司政」で待ち合わせ。

 寿司政もまた文人墨客が贔屓にした店で、山口瞳は自著「行きつけの店」でここのシンコを食べないと「私の夏が終わらない」と絶賛している。

 酢が効いたパンチのある味で、これぞ寿司政のシンコだ。

 寿司政で好きなのが「ばらちらし」、これを土産で貰って新幹線や自宅に帰ってから食べるのだがこれが抜群に旨い。

 ネタが江戸前の所謂「仕事をしている」ものばかりなので、時間が経つほどに赤酢の寿司飯とネタが馴染んで更に味を増す。

 何しろ折りを開けて驚くのが見た目の美しさ。それを見せびらかして食べれば優越感に浸れること間違いなし。生憎、今回はばらちらしはない。

 DSC00332


 DSC00352


 DSC00349
 程好く酔ったところでいい時間になった。靖國に向かう。

 いつも飲む時間が早いので「みたままつり」の夜の光景は見たことがない。人の多さに圧倒される。参道を通るのは無理ということで、脇の道路を進むも行き交う人で歩くことすら儘ならない。

 自然発生的にこれだけ多くの国民が「みたままつり」に集うというのは我が国の将来も満更捨てたものええはない。

 そんなこんなでどうにか演武をする拝殿前の広場に到着。そして間もなく演武が始まった。

http://youtu.be/1uqLVEN6nG4←クリックすると動画が見られます!

http://youtu.be/SiaDNxQfwiU←クリックすると動画が見られます!

 DSC00369
 

 DSC00370
 法政大学應援團第八十九代団長は我が畏友・隠岐康の長男・龍一君。3年ぶりで会ったが実に頼もしい日本男児に成長していた。

 DSC00356
 彼女か?可愛らしい女性二人に囲まれてどことなくニヤケ顔の龍一君

 DSC00378
 記念撮影

 DSC00320
 隠岐氏と本日撮影担当の人見さん。

 DSC00358
 いつも仲のいい松本夫妻とも遭遇。

 DSC00357
 序にもう一枚。松本夫妻♪

 演武はビデオ撮影をし、パソコンでは観れるのだがアップが出来ない。どうすればアップ出来るのか分からないし、そのうちアップしたいと思ってますので、乞う御期待下さい。

 今回の気合い溢れる若者達の演武は正に感動もの、ホントいいものを観させて頂いた。誘って頂いた隠岐氏に感謝。

 学徒出陣した法政大学OBは勿論のこと、靖國に眠る英霊も現代を生きる若者の姿を頼もしく思い、きっと微笑んでいるに違いない。

 演武が終わり、解散。隠岐氏らは皆で門前仲町で直会をするというので、愚生は大熊氏を誘い浅草小島の馴染みの寿司店で一献。

 DSC00387
 浅草小島の名店「秀鮨」

 DSC00388
 大将の秀さん

 DSC00395
 大好きな煮蛤、絶品です。

 考えてみたら寿司屋のハシゴ。まぁ同じ寿司屋でも中身は違う。「九段下寿司政」も一流店だが、ここ「秀鮨」も一流。どちらかといえば「秀鮨」の方がいい、何しろ寿司も秀逸だが店主夫婦の人柄がいい。

 いい感じで酔っ払い、「自宅に泊れば」と誘ってくれた大熊さんと別れ、御徒町のカプセルホテルに泊まった。どうにか今回は野宿をしないで済みました。呵呵。

 にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村



cordial8317 at 05:16|PermalinkComments(0)

2014年07月15日

「みたままつり」で会おう!大村益次郎像の下で(備忘録第1弾)


ブログランキングに御協力を←応援クリック、宜しくお願いします!

DSC00214
 日曜日、友人らと靖國神社の大村益次郎像の下で待ち合わせ。東京の蒸し暑さには閉口する。九段下駅から大鳥居を潜る。奉納されている大小3万灯を超える提灯と各界著名人揮毫の雪洞を眺めてから、先ず社頭にて参拝。

 続いて拝殿左手に在る「鎮霊社」に詣でるも閉鎖中で入ることは出来ず。

 「鎮霊社」には、所謂賊軍とされた会津藩や我が二本松藩、西郷隆盛といった方々が祀られており、靖國に参拝した際には必ず詣でることにしている。

 「みたままつり」や例大祭など混雑が予想される時期には閉鎖されていることが多いが、遠方から来て入れないのはチョッと寂しい。門前にて会津藩や二本松藩の先人に頭を垂れる。

 暑いので遊就館内の茶寮「結」で休憩。その後は館内をのんびり巡る。涼んで汗も引いたところで大村益次郎像の下へ向かう。待ち合わせ時間の3時には未だ30分ほどある。

DSC00229
 ボ~ッとして靖國に集う人々の人間ウオッチングをしていると背中をポンポンと叩かれた。

 振り返れば宮崎の福田さん。久闊を叙し、世間話をすれば何やら介護の仕事で8キロ痩せたとか。大したものだ。見倣いたいが無理(笑)

 その後は群青の会の大熊会長や最近、子宮頸がんワクチンの危険性を訴える活動家の尾形さんとも再会。そうこうしていると3時過ぎ、真打ちの横浜の畏友一行が参上し再度拝殿へ。

DSC00222
 予定より人数が大人数になってしまったので暑気払いは「銀座ライオン」か御徒町の「大統領支店」のどちらにしようかと相成り、「大統領」に決定。御徒町へと向かう。

 「大統領支店」はまぁ普通の居酒屋、大統領で飲むならやっぱり本店がいい。

DSC00231
 日曜日ということもあり大入り満員。先ずは生ビールで乾杯!問答無用の一献の始まり。つまみは適当に頼んだ。こういう席はつまみなんてのはどうでもいい、気の置けない仲間とどうでもいい話で盛り上がるだけ、ただそれだけ。

 大人数になると各各の話しが遠くて聞こえず、やや盛り上がりに欠ける。そんな中で、尾形さんが右翼の大物との一献ということで敬意を払い政治談議を始める。

 横浜の右翼の巨頭はこういう酒席での政治談議は大嫌い。何故なら政治談議というのは結論が出ないことが多いからだ。それよりは他愛もないバカ話で盛り上がった方がいい。

 中途半端に飲んだところで「そろそろおひらき」ということとなり解散。

DSC00273
 その後は福田さんと尾形さん、Yさんらと転戦。終電で帰る予定だったが結局は友と別れ難く、上野から結局は新宿ゴールデン街に出没し、歌舞伎町の寿司屋で飲み明かす。

 福田さんの青春時代の放浪の旅の話しに感動。

 時計を見れば4時近い。もしやバスなら行けるかもとバス乗り場に向かうも始発は8時。ということで仮眠を取ることに。目の前の公園を見付けると早速新聞を広げ福田さん就寝。続いて尾形さんも(笑)

 いやぁ~福田さん、尾形さんのワイルドさに感心しながら、愚生も寝ようとするも蚊の襲撃に遭い、退散。結局は近くの高島屋の前のベンチで2時間ほど寝た。

 しかし、まさか新宿で野宿する羽目になるとは。浪人の修業が足らないと痛感。愚生なんかより、福田・尾形両氏の方がはるかに野武士ですわ(笑)

 そんなとこで、今日は「みたままつり」第二弾に参上します。

 法政大学應援團による英霊に対する応援・エールが初めて奉納されます。法政大学始め学徒出陣で散華された英霊に感謝と慰霊の真心を捧げたいとの申し出から実現される訳だが、こうした応援団による奉納演武の輪が広がることを期待したい。

 まぁ今日は野宿ということにはならないとは思うが。呵呵。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村



cordial8317 at 07:41|PermalinkComments(0)

2014年07月09日

國といふくにのかがみとなるばかり みがけますらを大和だましひ


ブログランキングに御協力を←応援クリック、宜しくお願いします!

 今年も13日から16日まで靖國神社では「みたままつり」が開催される。宮崎から畏友が上京するというので13日の3時頃に大村益次郎の銅像の下で会う予定でいる。

 まぁ暑気払いで一献やるのが目的。九段下の「寿司政」でシンコで一杯と行きたいが、どうもあそこは勘定する時に酔いが一気に醒めるので、もっと大衆的な処がいい(笑)

 15日には友人の倅が団長を務める法政大学應援團による英霊に対する応援・エールが初めて奉納されるというので再度上京しそれも見物する予定だ。

 「みたままつり」は昭和22年から始まったもので、故俗になられた英霊奉慰の祭祀ではあるが、盆行事を大事にする祖先供養でもある。

 そういうこともあり、春秋の例大祭の厳かさや所謂「終戦記念日」の喧騒とは違う趣があり、愚生的には桜満開の季節と同じく大好きな行事でもある。

 皆さんも是非、みたままつりを見に来ませんか。

 我々は普段、神の存在など意識することなく生活をしているだろう。

 「自分は無宗教だ」と言いながらも、日本人ならば心の深いところで、動かしている「何か」が在るのではないだろうか。

 その「何か」こそが先人から脈々と受け継いでいる「神々の記憶」であり、それこそが「神道」であると言えようで。

 姿なき「神」は自ずと知覚されるものではなく、人間の感性の源である「魂」と直接に響きあう存在である。

 また、「祭り」というものも本来は「神祀り」であり、神輿などを担ぐことで人々はその「神」に触れ熱狂する。

 豊作を祝い、大漁を寿ぎ、これを「神」に感謝し、来年も再来年も善い年であるよう祈願し、「神」と共に酒を飲み、「神」と共に騒ぎ、歓喜を分かち合う。

 祭りは「神」を通じて人間を癒し、地域の共同体の絆を深め維持させてきた原動力でもあるのだ。

 みたままつりも、英霊の方々(神)に対する畏敬や欽仰する祭りである。

 正に我が国は随神(かんながら)の道を歩んで来た世界にも稀有な国だと痛感する。

 政治家は田舎で盆行事に参加するのと同じ様に「みたままつり」に参拝しなさい。

 背広を脱ぎ捨て、浴衣に下駄や雪駄という出で立ちでいいではないか。靖國に集う人々と祖先供養という盆行事を愉しむことが英霊奉慰に繋がるのだ。

 「盂蘭盆」に合わせ開催される「みたままつり」は、祖先霊を供養し、苦しんでいる亡者を救う、支那でも古くから行われている風習と同じで、「みたままつり」に参じたところで批判される謂れは無いだろう。

 「戦犯」と蔑称され続ける英霊の方々の名誉の恢復無くして真の復興無し。

 「みたままつり」の参拝を戦後レジームからの脱却への突破口とせよ。

 極東軍事裁判に於いて弁護する機会も与えられず、一審即結審という復讐という名の茶番劇で、或いは外国の地で不当に処刑されたこの方々の命は決して軽いものではない。

 現代を生きる我々はこの悲劇を忘れてはならないのだ。

 国際法の原理に基づき、「この法廷で日本を裁く権利は無い」とし、「各被告は全ての起訴状中の各起訴事実部につき無罪とされなければならない」と述べたパル判事の意見は忙殺され、未だ「侵略国」と断罪され続けているのは政治家の怠慢以外の何ものでもない。

 「東京裁判史観」が未だに蔓延っているが、抑々「極東軍事裁判」自体が戦勝国による日本苛めである。

 「人道に対する罪」は事後法であり、それに基づいて罰するということは国際法上も無効であり、茶番劇だったのだ。

 「この法廷で日本を裁く権利は無い」としたパル判事の主張が正しいものだったことは、判決から2年半後、米国軍事委員会で証明されることとなる。

 マッカーサーが「彼ら(日本)が戦争に入った目的は、主として自衛の為に余儀なくされたものだ」と証言する。極東軍事裁判の最高責任者である連合国最高司令官マッカーサーが公的な場で認めたのだ。

 今こそ我々は、「戦犯」との汚名を着せられ続けている英霊の方々の名誉恢復を急がねばならない。

 その先頭に安倍が立つべきで、安倍よ、「みたままつり」に詣でよ。そうすれば英霊の御加護の下、政権は安定し、畢竟、国家安寧に繋がることだろう。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村



cordial8317 at 08:00|PermalinkComments(0)

2014年07月08日

「侵略の歴史に対する否定や歪曲を中国人民は決して赦さない」という妄言

 
人気ブログランキングへ>↑御一読前に「爆ちゃん吼える」応援クリックに御協力を!

 7月7日は支那事変(日中戦争)の引き金となった「盧溝橋事件」が起きた日だ。1937年に勃発した盧溝橋事件から77年、習近平は北京市郊外の中国人民抗日戦争記念館で演説し、「侵略の歴史に対する否定や歪曲を中国人民は決して赦さない」と吠えた。

「日中戦争は、我が国の侵略戦争だ」という認識が蔓延しているがこれは明らかな誤謬であり、無知と自虐史観によるところが大きい。

 我が国は、「北京議定書」に基づき在留邦人保護の為に軍隊を駐屯させていたのだが、盧溝橋でその日本軍を攻撃してきたのは中国共産党の方なのだ。

 上海でも日本人保護の為に合法的に駐留していた海軍陸戦隊に、正規軍10万人で一方的に攻撃を仕掛けてきて、日中戦争は本格化したが、何れも中国共産党が仕掛けた戦争であり、つまり侵略者は我が国ではなく中国共産党である。

 以前、田母神元幕僚長が発表したアパ論文には、次の様に分かり易く書かれてある。

「米英蘭などとの戦争は、どう見ても日本の自衛戦争であり、またアジア開放の戦争であったと思っている人は多い。しかし、中国との戦争については中国の本土に軍を進めたのだから侵略だ、と思い込んでいる人が意外に多いようだ。しかしこれは完全な間違いである。条約に基づいて他国に軍隊を駐留させることは国際法的に全く合法であり、侵略ではない。日米安保に基づき日本に米軍が駐留しているのは(好き嫌いは別として)侵略ではないのである。逆に合法的に駐留している米軍を自衛隊が攻撃して戦争になった場合、それが日本国内で戦われたとしても、侵略者は日本ということになるのである」

 日中戦争勃発前は果たしてどういう状況だったかというと、支那の新聞の大勢は「日本をやっつけるべし」という「対日主戦論」が幅を利かせていたことは言うまでもない。

 当時の主戦論には、過激な知識人・学生・都市市民、中国共産党、地方軍閥の3グループ。

 共産党と軍閥は知識人などに主導された過激世論を味方として、蒋介石政権に対しての立場を有利にしようと狙っており、特に、共産党は「反日」を最大の政治的武器として使っていたことは歴史的事実で、この「反日」という策謀は現在も引き継がれている。

 昭和6年(1931年)11月には、江西省の瑞金に成立した中華ソビエト共和国が、毛沢東の名により日本に対して「宣戦布告」を発している。

 この様に何時、何処で日本への攻撃が起っても不思議ではない状況の下で昭和12年(1947年)7月7日に事件(盧溝橋事件)が起ったのだ。

 実は共産党にとって当時の状況は深刻で、西安事件により蒋介石は共産党攻撃を中止し、共産党と協力関係を作ることを約束した。

 しかし、その後、蒋介石は共産党に対し次々に厳しい条件を突き付ける。そして、この窮地に大博打を打って出たのが毛沢東率いる共産党だった。

 国民党軍の中に大量に潜り込ませていた共産党軍に反日を煽り、それに紛れて7月7日22時40分に発砲事件を起こしたのだ。

 共産党が盧溝橋事件を起こしたことは今や100%明らか。それを何がいけしゃあしゃあと「侵略の歴史に対する否定や歪曲を赦さない」とは嗤わせてくれる。

 発砲事件の翌8日に、共産党は中央委員会の名で長文の電報を蒋介石や全国の有力者、新聞社、団体に発信している。

 実は日本軍は、8日午前5時30分に初めて反撃を開始したのである。

 当時の通信事情からしても8日に初めて反撃されたのに、8日に公式電報を作成し発信することなど絶対的に不可能である。

 その証拠が存在する。

 支那派遣軍情報部北平(北京)支部長秋富大佐は、「事件直後の深夜、天津の特殊情報班の通信手が、北京大学構内と思われる通信所から延安の中共軍司令部の通信所に緊急無線で呼び出しが行われているのを傍受した。

「成功した」と3回連続反復送信していたという。

 その時はこれが何を意味するものか解らなかったというが、今ではそれが「盧溝橋事件」の明らかな証拠とされている。

 謀略が成功したことを延安に報告し、延安では電文作りが行われたのだ。

 支那事変(日中戦争)の原因となった「盧溝橋事件」は中国共産党が起こした謀略であり、「日中戦争は日本の侵略だった」などというプロパガンダをいつまで信じ続けるつもりなのか。

 戦争の発端となったこの事件の「事実」を知れば、自ずと真相は白日の下に曝されるだろう。だが、悲しいかな日本人というのはこうした歴史の事実すら知ろうとしない。

 歴史と言うものは為政者に都合の好い様に作られるものなのだ。

 「中国四千年」の歴史にしろ、朝鮮の輝ける歴史にしろ、かの国での歴史とは、新しい王朝が如何に正当性を持つかという謂わば創作物に過ぎない。

 安倍にしろ、政治家は歴史認識を問われると「歴史は歴史家に任せる」などとキレイゴトを言うが、それは言い方を変えれば議論を避けるということであり、逃げるここと同義。

 彼らにとって優秀な歴史家というものは、自国の正当性を如何に論じられるかだけで、捏造してでも真実と言い張れるかなのだ。

 捏造には全力でカネで買収し、銅像や記念館を建て既成事実化するのが常套手段。

「従軍慰安婦」という大嘘も、「南京大虐殺」という大嘘も、我が国が毅然と反論して行かなければ、時代が経つにつれ真実になってしまうだろう。

 歴史は歴史家が考えればいいというものではない。歴史の問題は、一国の存亡に係わる大事である。

 にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←応援クリックを宜しくお願いします!

cordial8317 at 07:41|PermalinkComments(0)