2013年12月

2013年12月28日

坂本龍馬を暗殺したのは誰なのか・・・

 先日、小名木善行さんのブログ「ねずさんのひとりごと」で「坂本龍馬暗殺説」というのがアップされてて興味深く読んだ。愚生も拙ブログで論じたことがある。

 龍馬暗殺の謎について、「北辰一刀流免許皆伝の龍馬を一刀両断するとは」とか、「龍馬はピストルを持っていたのに一発も発砲されていないのは何故か」だとか、「中岡の暗殺に、龍馬が巻き込まれたのではないか」など、謎は多い。

 こうした疑問は、竜馬のカリスマ性と共に後々誇張され歪曲され、そして想像されていったのではなかろうか。龍馬は、幕末には有名ではなかったという。

 明治維新後、数十年が経った頃に四国の新聞に「坂本龍馬特集」が連載され、それが人気に火を点け、全国に拡がり現在に至っているというのが真相である。

 坂本龍馬暗殺の実行犯は今でも歴史家の意見も様々で、「京都見廻組」と「新撰組」に分かれている。「京都見廻組説」では、明治時代に入り、元・隊士だった今井信郎、渡辺篤が、佐々木只三郎らと実行したとの証言を理由に挙げる。

「新撰組説」では、刺客が「こなくそ」と伊予弁を話していたとか、伊予出身の新撰組隊士の原田左之助刀の鞘や隊士の下駄が近江屋に残されていたとの説を挙げる。

 この「こなくそ」説は、それこそ土佐藩士の谷干城のひとりごとだのではあるまいか。こうした謎が、却って龍馬の神秘性を高めているのは確かだろう。

 龍馬は、近江屋には、万が一に備えて脱出することが出来る隠れ家を土蔵に作っていたという。だが、風邪を引いていた龍馬は土蔵ではなく、来訪した中岡慎太郎と近江屋のニ階で、好物の「鶏の水炊き」を食らいながら歓談していたという。

 部屋には中岡の他に、龍馬の護衛をしていた元・力士の山田藤吉がいた。その日に、近江屋に南大和の「十津川郷土」と名乗る男らが訪ねて来る。山田が対応したが、その客人を山田は疑いもせずに通したというが、顔見知りだったのだろう。

 部屋へ向かう途中に山田は後ろから斬られ、続いて龍馬と中岡が襲撃された。龍馬は即死に近く、仄聞されている様な「わしゃ脳をやられちゅうきダメじゃ」という台詞を吐く間もなかっただろう。中岡は襲撃からニ日後に亡くなった。

 龍馬は北辰一刀流の免許皆伝というのが歴史的に語られているが、事実は北辰一刀流の「長刀」の使い手、つまりは薙刀である。西洋流砲術も学びはしたが、実際には剣の腕前はそれほどではなかったというのが真実なのではなかろうか。

 居合や剣道を経験した者は分かるだろうが、龍馬がピストルを持ち、ブーツで袴姿のあの有名な写真は見るからに如何にも弱そうで、とても剣の達人とは思えない。

 寺田屋事件でも、龍馬は短銃で応戦したというがが、弾丸が切れたにも拘らず、持っていた刀を抜いてはいない。それどころか短銃を振り回して、両手に数か所の深手を負った。とても北辰一刀流免許皆伝の応対ではないと思う。

 この時の傷を癒す為にお龍さんと共に薩摩の温泉に行くのだが、歴史的にはこれが新婚旅行の最初とされている。だが、これも根拠の無いもので、薩摩藩の家老・小松帯刀がそれより十年も早く霧島へ新婚旅行へ行ってるそうだ。

 歴史が物語として語られる時、必ずしもその人物の真実を伝えているとは限らない。書き手や読み方ひとつで変わっていくものなのだ。龍馬の憧れも好いが、生き方を学ぶなら、やはり龍馬が実践した横議横行こそ学ぶべきだと思う。

 時代の寵児として活躍した人物らの共通の特徴は「言葉」が違うことだ。大衆の心を引き付けるのは「言葉」を以て他に無い。龍馬は、正に「言葉の達人」だった。

 彼が幕閣とも勤王の志士とも通じ、後には薩長連合の仕掛け人として明治維新を豪腕で引き寄せ立役者足り得たのは、説得の技術が長けていたということであり、つまりはその言葉の豊かさに拠るものだろう。更にもう一つは、彼が「歩く人」だったことだ。交通の不便だった時代に、龍馬は実に驚く距離を行き来している。

 家を飛び出し、多くの人と顔を突き合わせ「横議横行」することは実に大切なことで、その邂逅こそが時代をも変える可能性を秘めていると確信している。

 今秋、久々に放浪の旅に出て「横議横行」した。終わったばかりなのにまた行きたいと思う。そんなことより年末年始の手元の不如意をどうにかせねば。呵呵。

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2013年12月27日

安倍の靖國参拝で米国の面目丸潰れ!呵呵大笑!

 今秋、ケリー米国務長官とヘーゲル米国防長官が千鳥ケ淵戦没者墓苑を訪れ際に、同行した米国防総省高官は記者団に対し、「千鳥ヶ淵戦没者墓苑はアーリントン国立墓地に最も近い存在だ」と説明した。はっきり言って余計な御世話だわな。

 米国高官は「ケリー国務長官とヘーゲル国防長官も、日本の防衛相がアーリントン国立墓地で献花するのと同じ様に戦没者に哀悼の意を示した」と述べているという。

「日本の政治家が戦没者を追悼する場所は靖國神社ではなく千鳥ヶ淵墓苑であり、アーリントン墓地に相当するのは靖國ではなく千鳥ヶ淵墓苑だ」というのは米国からの警告で暗黙の威圧行為でもあるが、「神道」という宗教感を理解していない。

 米国政府にとってこれ以上、靖國問題で日中韓の軋轢が広がることは米国の国益をも損なう恐れがあるとの判断から、千鳥ヶ淵を「国立戦没者追悼施設」として建設を急ぎ、決着を図れという政治的メッセージだが、はっきり言って大きな御世話。

 そういう意味では、年末の参拝には違和感を覚えるが、安倍の靖國参拝は日本国民にとっては実に快哉であり、米国にとっては面目丸潰れだったには違いない。

 米国という国は何事も自分の利益だけを考える国である。今日の夕刻までは友人であっても、明朝には敵となってもそれを少しも不条理とも不道徳とも思わぬ国である。だが、それは「国益」を護る上では重要だということもある。

 米国が日本を「友人」だとモチ上げるのは米国の為に有利だからで、その他の如何なる理由も付けたりに過ぎない。一旦その利益が失われたならば、何ら躊躇することなく180度転換し、敵側に立つことを少しも不思議と思わぬ国なのだ。

 無理無体、理不尽な事を平気でやるのが米国であり、この際、安倍も靖國参拝に続いて、米国主導のTPP不参加でも表明すれば一目も二目も置くんだがなぁ(笑)

 今回の参拝を英雄視する声も聞こえるが、所詮は政権維持のパフォーマンス。支持率低下を受けての靖國の政治利用することでアホな保守層を取り込む目的だろう。

 日本政府も米国からの「失望」表明に慌てている様だが、国に殉じて尊い命をささげた方を、どのように慰霊するかは日本国内の問題であり、外交問題になる方が可笑しい訳で、靖國問題は米中韓には毅然と対応することが大事だ。

 だ靖國神社にしろ、或いは慰安婦問題にしろ、事の発端は日本側に在り、国家として「謝罪」も「約束」も「譲歩」もしている訳だから、中韓側に対し「内政干渉」だとか「心の問題」とかで済まされない現実が厳然と存在しているのだ。

 戦後、日本外交は「謝罪」と「賠償」さえしていれば問題ないと思っていたのは事実。屈辱的な土下座外交での譲歩が更なる譲歩を生み、結果、日本国民の誇りや自尊心を傷付けて来た。 靖國神社の問題にしろ、歴史認識にしろ、歴代内閣の不作為こそが元凶であり、それを改めることなくして根本的な問題は解決しまい。

 抑々、総理大臣や国務大臣が靖國神社への参拝することは、悲しいことに日本国憲法下では第20条違反に問われる行為である。 20条第三項には、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と明記されており、総理大臣が靖國神社に詣でることは、この条項に抵触していることは明らかだろう。

 自民党幹部は、「総理と雖も個人の信条は優遇されるべき」との認識を示しているが、安倍が参拝後、いみじくも、国のリーダーとしての参拝だったということを表明している様に、その実は内閣総理大臣としての公式参拝である。

 国家の為に尊い命を投げ出された英霊に対して、国民の代表である政治家が感謝の誠を捧げるのは世界中のどの国でも当たり前のことであり議論の余地などない筈だ。況してや、米中韓の内政干渉に屈する必要なんぞ何処にもない。

 我が国は、堂々と米国製の憲法の矛盾点を指摘し、速やかに改正議論を活発化させるべきで、一国の総理が英霊に感謝の誠を捧げることが出来ない憲法が何処にあろう。こういうクソ憲法をいつまでも有難がってる場合ではない。

 靖國神社というのは戦後、GHQの統治下で行われた所謂「神道指令」によって、解体、或いは焼き打ちされそうになった訳だが、先人の智慧で、GHQの目を逸らす為に一時的に別な御祭神を祀り、「一宗教法人」となった。

 本来なら昭和27年4月28日の主権が恢復した日に、靖國神社や全国の護国神社を「宗教法人」ではなく、国家で管理するべきだったが、政治の怠慢の所為でそれをも成されずにあやふやな「一宗教法人」として放置され現在に至っている。

 我が国には「A級戦犯」とか「B・C級戦犯」や「戦争犯罪人」という呼称はない。講和条約発効翌年の第十六国会の議決に拠って、「戦傷病者戦没者遺族援護法」が改正されている。それを以て、この方々は法的に復権されているのだ。

 連合国側が定めた、A、B、C級の区分に関係なく、刑死・獄中死された方は「法務死」と称され、靖國神社では「昭和殉難者」としている。靖國神社には所謂B・C級戦犯1068名、それ以外で亡くなった方約100名が御祭神となっている。

 野党を始め中韓に阿る勢力や左翼、法曹界は、挙って安倍の参拝を否定するが、最高裁が示した憲法の禁止する「宗教的活動」の定義は、当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進または圧迫等も含まれる。

 つまり、分祀論や国立追悼施設建立もまた靖國神社への圧迫干渉であり、信教の自由を保障しようとする政教分離規定の「憲法20条」違反でもあるのだ。

 安倍の靖國参拝で賛否両論渦巻いているが、靖國の在り方ひとつでも未だ我が国は対米自立も出来ない国なのだ。米国に自衛隊の戦力発揮を握られ、国家の大本を米国に依存し、口先だけで「対米自立」を訴えたところで何の意味もない。

 今や米国という番犬は無用の長物と化し、その番犬も長い付き合いの中で高齢となりボケ始めた。飼い犬に噛まれてからでは遅いのだ。国民もそろそろ、自らの生命と安全は、自ら創り出さなくてはならないという現実に気付くべきだ。

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2013年12月26日

安倍総理の靖國参拝で「鎮霊社」の存在が明らかになったのは好いが・・・

r600x600  鎮霊舎

 安倍総理が靖國神社に参拝した。今回の参拝で靖國が騒がしくなるなら、政治家なんぞが靖國にかかずらって欲しくはないというのが正直なところ。

 安倍が会見で述べてた様に「鎮霊社」という存在が明らかにされたことは賊軍とされた二本松藩の愚生からすれば感慨深いが、これを機に所謂「A級戦犯」議論より、「賊軍」とされた方々の祀り方を考えて行かなければならないと思う。

 我が国の歴史も「勝てば官軍」と言われる様に、薩長が後に袂を分かつと、長州閥が維新後の国家運営の多くを取り仕切った。靖國神社もその一つ。

 靖國神社は明治2年、明治天皇の思し召しにより、「東京招魂社」として建立された神社である。その合祀対象は、三条実美の祭文に在る様に、「皇軍に役立ちして、賊徒等を討たん其の義に・・・命果てぬる輩・・・」に限られている。

 この原則がある限り、会津藩や我が二本松藩、西南戦争での西郷軍関係者が祀られることはなく、未来永劫 「賊軍」の汚名が消えることはないのだ。

 明治26年には、靖國神社の参道に高く聳える大村益次郎の銅像が建立された。東軍を征伐した大村益次郎といえば、靖國神社の象徴でもある人物である。

 陸軍大将・西郷隆盛を差し置き、陸軍の実務責任者として靖國神社の建設場所を独自の判断で決めた人物でもあり、大村が靖國神社創建の思し召しを重んじて、三条実美の祭文を糺していれば靖國神社の在り方も違っただろう。

「賊軍」という汚名を着せられ続けている方々が祀られているのは、本殿左奥に鎮座する「鎮霊社」である。その歴史は浅く、昭和40年5月26日に地鎮祭が斎行され、7月13日に鎮座祭を挙行し、以来、この日に祭事が斎行されている。

「鎮霊社」は、幕末の嘉永6年以降に、戦争や事変に係わって戦没したものの、本殿に祀られていない日本人の御霊と、同時期以降の世界の戦争・事変に係わって戦没した全世界各国全ての戦没者の御霊を祀る社とされている。

 この御霊には、慶応4年の戊辰戦争で会津若松の飯盛山で自決した会津藩白虎隊や二本松少年隊、明治10年の西南戦争で自決した西郷隆盛らも含まれる。

 然し乍ら、本殿と鎮霊社の並立状態は、平成13年参議院選挙直前の記者クラブでの党首討論で、所謂A級戦犯分祀について小泉純一郎がいみじくも言った「死者の選別」に皮肉にも該当する好例だであるが、未だに死者の選別は続いた儘だ。

 靖國神社側が、宗教的な敬虔さを示す為に、こうしたカタチで「鎮霊社」を設けたことは高い評価を受けるべきであろうが、「朝敵」とされ、死後も未だ本殿とは別にしてその死を包括し得ない現状に、真に「靖國」の意味が在るのだろうか。

「嘗ての会津藩士の御霊が薩長藩士の霊と一緒に祀られることを喜ぶのか」という声が無い訳ではないが、朝敵とされた儘で良いとはとても思えない。

 会津藩に至っては幕閣で唯一の神道を重んじておりり、どの藩よりも朝廷に忠節を尽くした藩にも拘らず、薩長の策謀に因って「朝敵」とされただけだ。

 そのことは、孝明天皇から下賜された宸翰が物語っているではないか。 朝敵を別なカタチで祀ることと、朝敵をも本殿に祀ることと、そのどちらが現代という時代に即して天皇(すめろぎ、すめらぎ)が顕現される道なのだろう。

 このまま「死者の選別」をした儘で好いとは思えない。所謂「A級戦犯分祀論」で世論を攪乱してるアホ政治家が後を絶えないが、英霊を「戦犯」と罵った挙句に、分祀さえすればそれで済むと思っているとしたら実に怪しからんことだ。

「鎮霊社」の存在を議論しながら、靖國神社創建を成された明治天皇の思し召しに応える意味でも靖國の本当の在り方を真剣に考えなくてはならないと思う。

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「西郷隆盛」の本当の名前は「西郷隆永」だったって知ってます?

 西郷隆盛というと上野の銅像のイメージが強いが、銅像落成の日にそれを目にした糸子夫人が「宿んしはこげんなお人じゃなかったこてえ」と落胆したという。

 夫人が言う様にもっと美形だったらしい。遠島処分の際にもモテモテだったらしいし。西郷隆盛というと「大西郷」という豪快なイメージだが、意外に繊細な面も、或いは、慶喜公を執拗に糾弾していた様に執拗な性格も見え隠れする。

 西郷隆盛の正式な名前は「隆盛」ではなく、「西郷隆永」。驚くことに「隆盛」というのは実は父親の諱(いみな・名前)だったということを知る人は少ない。

 西郷は、幼少の頃には「小吉」という名で、元服すると「吉之介」を名乗り、その後は「善兵衛」「吉兵衛」「三助(菊池源吾)」、大島三右衛門、大島吉之助、西郷吉之助と名乗っている。島流しされた際には菊池や大島と名乗っている。

 何故に「隆永」ではなく「隆盛」になってしまったのか。明治2年、戊辰戦争の奥羽戦線から帰京させる際に、宮内庁から御召状が出されることになった。

 召喚状には通称ではなく諱で記さねばならず、知人の吉井友実に尋ねたところ、「確か、隆盛じゃった」と答えた。それが「隆盛」となったというのである。

 帰京して、その吉井に会った西郷は、「あれは父の名でごわんか。わしの名は隆永じゃと、おはんも知っちょるじゃろう」というと、吉井も頭を掻きながら、「ほんにそうじゃった」と詫び、二人は顔を合わせて大笑いしたという。

 その後、西郷は「隆盛」という名を否定も訂正もしなかったのは、吉井への気遣いと西郷の大らかさを示すものだろう。西郷には写真が一枚も残されていない。上野の西郷像は、実弟の西郷従道と従弟の大山巌を合わせて創った想像の人物だ。

 糸子夫人は、西郷を「俳優のような好い男だった」とのろけていたというが、分からなくもない。実際の西郷は、眉太く、黒目がちの美しい目をした色白の美男子だったという。完成した銅像を見た糸子夫人の落胆は想像するに余りある。

 慶喜公の恭順と江戸城の無血開城に満足せず、代わりに会津を攻め落とすことで徳川時代終焉の象徴にした訳だが、大西郷たるものどうにか出来なかったのか。その後「征韓論」を唱える西郷は、大久保利通らと対立し薩摩へ帰郷する。

「佐賀の乱」「神風連の乱」「秋月の乱」「萩の乱」など、士族の反乱が続く中で、明治10年(1877年)には西郷が主宰する私学校生徒が暴動を起こし、それが原因で「西南戦争」が勃発。この指揮を執るも、敗れて城山にて自刃した

 明治維新では栄華を誇った西郷隆盛だったが、歴史というのは正義が常に正義ではなく、会津藩と同じく正義が敗れることもある。歴史とは実に異なものである。

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2013年12月25日

「積極的平和主義」の名の下に憲法議論を活発にし戦争出来る国創りを急げ!

「天長節」には上京し一般参賀に参列、3回目の御出座しを友人の尾形さん、国士舘の後輩の光橋さん、豊橋の竹田さんと竹田さんが姉と慕う宮下女史と待つこと暫し、尾形さんの「万歳!」の掛け声に合わせ三唱、陛下の聖壽を祈念した。

 その後は靖國神社に参拝、残念ながら鎮霊社には入れなかったが、門前で会釈、本殿前にて今年の無事を感謝し、心願成就を祈念した。奉祝パレードに参加するという尾形さんと別れ、直会は浅草へ。尾形さんの行動力とパワーは大したものだ。

 見習いたいと思うが、根が出不精で面倒臭がりなので無理だわな。竹田さんのリクエストの「米久本店」で一献。江戸情緒たっぷりの部屋で味わう牛鍋は、友との邂逅も加わって最高の味わい。他愛もない会話で盛り上がり「神谷バー」に転戦。

 途中、盟友の大熊さんから連絡が入り、参戦。その後、大熊さんの行きつけの高級クラブでカラオケ。強か呑んで9時の新幹線で帰還した。人生は正しく「邂逅」に一言に尽きる。出逢いと上手い酒を存分に堪能しました。感謝合掌。

 連日の痛飲で飲む気にもなれず最近では記憶にない「休肝日」となった。早々に床に就くも、酒が入って無い為かウトウトするばかりで寝就けなかった(笑)

 南スーダンで、国連平和維持活動(PKO)に当たる韓国軍に対し、自衛隊が弾薬1万発を提供したことが何故か波紋を広げている。日本政府は人道的立場から韓国の要請に応じたと説明してるが、それが韓国軍だったとは笑える話でもある。

 一方、韓国国内では国内向けに「あくまでも国連が要請しただけだ」と報道。抑々、何故に韓国軍が「SOS」を出す事態になったのか。弾薬提供を要請した韓国軍部隊は工兵隊が大半を占め、自衛の為の十分な武器を持っていなかった。

 2011年に独立したばかりの南スーダンでは、2013年12月15日以降、キール大統領率いる政府軍と、マシャール前副大統領を支持する反乱軍が各地で戦闘を続けている。民族対立も絡んで、現地では残酷な殺戮が横行している地域でもある。

 宿営地の周囲に詰め掛けた避難民と別の勢力が衝突し、他国から派遣されているPKO要員が亡くなる事例も起きている。メンツなんてどうでもイイことだろう。  

 韓国軍部隊の展開しているジョングレイ州は急速に治安が悪化しており、韓国軍は自国軍に拠る補充が完了するまでの応急措置として日本の自衛隊に弾薬の譲渡を要請し、日本側は緊急対応として譲渡を決定したという。

 日本政府がその緊急性と人道的措置だとしたことは無難な決定だと思うが、一方で、弾薬提供によって「冷え切ってる日韓関係の改善に繋がる」との思惑も背景にある様で、そうした邪な考えがあったのなら本末転倒と言う他はない。

 我が国はPKOでも憲法を優先し「武器・弾薬の譲渡は想定していない」「要請があっても応じない」「武器・弾薬は必要ない」としてきた。今回の対応は、こうした過去の政府の事勿れ主義の矛盾が露わになったカタチになっただけだ。

 これを機に、憲法議論を活発化させ、国連の平和維持活動や「国家の防衛」とは如何なるものなのか国民に知らしめるべきである。安倍政権では「、三原則」の見直し方針を閣議決定したが、野党は今回の政府の対応を一斉に批判する。

 民主党内保守派の松原仁も「整合性が取れない。重大な政策変更だ」と批判して、その対応に不満を漏らしているが、保守を自任するならこういう時こそ国の根幹を成す憲法議論を提起すべきだと思うが、所詮、党利党略でしかない。

 共産党は、「積極的平和主義の名の下に、海外で戦争出来る国創りへ危険な一歩を踏み出したことは許されない」と反対するが、いつでも戦争出来る国を創ることこそ大事で、防衛とはそういうことだ。共産党は大事なことを教えてくれる(笑)

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2013年12月20日

猪瀬の5000万円受渡しに一水会会長の木村三浩が同席!!!

 猪瀬東京都知事が辞任するという。そのまんま東が辞任した時点で辞任は既定路線だったのだろうが、男の引き際としては無様というか御粗末過ぎる。

 猪瀬という人物がどういうものかは分からないが、人相学というか、こういう顔はどうも生理的に合わない。男の粋や品格の好さなど微塵も感じない。

 5000万円がどういう借金なのかなどどうでもいいが、抑々そのカネをどうするつもりだったのか。そこまで生活が苦しいとも思えないし、何故に一水会代表の木村三浩まで立ち会う必要があったのか、誰が見ても胡散臭さは拭え切れない。

「李下に冠を整さず」という諺がある。スモモの木の下で、曲がった冠を直そうと手を上げれば、スモモを盗むのかと疑われるから冠は直さない。疑いを招き易い行為は、立場のある者であれば避ける方が好いという教えである。

 猪瀬の持っていたカバンに「5000万円が入るとか入らないとか」そんなことはどうだって好いが、政治とは最高の倫理であり、最高の道徳でなくてはならないのだ。

「南洲翁遺訓」ではこう訓える。「万民の上に位置するものは己を慎み、品行を正しくし、贅沢を戒め、倹約に努め、職務に努力して人民の見本とならねばならない。そして民衆がその働きぶりを見て『気の毒だなぁ』と思うようでなければならない」

 マスコミや都議会から責められる猪瀬も、ある意味「気の毒だなぁ」と思えなくもないが、猪瀬に限らず、己を慎み、品行を正しくし、贅沢を戒め、倹約に努め、職務に努力して人民の見本となってる政治家なんぞは御目にかかったこともない。

 貰えるとなれば、そのカネがどういうものかも疑いもせず懐に入れる。尤もそう言い乍ら、愚生も5000万円と言わずに、多額のカネを貸してくれる人がいるなら、愚生も躊躇なく借りて、若手活動家やテロリストを養成するんだがなぁ(笑)

 抑々、徳洲会が何故にこんなに大金をばら撒くのか。徳洲会に限らず政界のタニマチを気取った医師会へのそういう体質にこそ問題があるのではなかろうか。

 現在の医療というのは一般企業と同じ営利至上主義であり、国民医療費は年々増加の一途を辿っているのは余程のバカじゃない限り承知している。我が国の歳入は約40兆円程度だが、その税収の殆どが医療費で消えてしまう計算になる。

 このままでは約10年後には50兆円を超えると予想されている。だが、悲しいことに歳入増加の見込みはない。国債発行に頼る悪循環は当分続くだろう。

 医療費が、新抗がん剤の開発や治療方法の確立、高度な診断機器の普及など、医療の高度化や、新薬や医療技術が向上するのは結構なことだ。

 だが、一方で華美で分不相応な病院施設も目立ち、こうした医療とはかけ離れた実態を糺し、「医は仁術」という医療の根本に立ち返らせるべきだろう。

 厚労省は価格の低い、「後発医薬品(ジェネリック)」の利用促進や入院日数短縮など医療費抑制策に取り組んではいるにはいるが、その効果は微々たるもので、医療費の増加に歯止めが掛かるどころか膨らむ一方という現実が。

「乱診乱療」「薬漬け」「保険点数の水増し請求」「大口脱税」など、日本医師会や営利に狂奔する悪徳医師や病院の構造的腐敗にメスを入れることが、こうした膨れ上がる医療費の見直しにも繋がる訳だが、如何せん、「日本医師会」の集票力とバラ撒かれる政治献金で、政治家の誰もが口出し出来ないのが現状である。

「医術」より「算術」とばかりに、不正請求や脱税に奔る悪徳医師どもや左翼系医療機関が、国からの保険料を詐取し、共産党や左翼団体などに流用しているという疑いもあり、こうしたことを剔抉粛正しなければならないと考える。

 日本医師会が牛耳る医療行政にメスを入れ、現在の麻痺状態の医療制度の正常化を図ることは、我が国の財政再建及び日本再生を考える上でも喫緊の課題であるが、医師会の票と政治資金目当ての政治家に期待するのは無理がある。

「徳洲会事件」をきっかけに、一水会会長の木村三浩が右翼・民族派を代表して、こうした医療の実態を剔抉粛正するというなら大いに結構なことだが、そんな声などさっぱり聞こえて来ない。笑えることに単に右翼の大物を気取ってるだけ。

 それにしても、木村三浩もオイシイ思いはしたのだろうなぁ。朝鮮総連を落札した池口恵観のボディガードなんかもしてるとか聞いたし、まぁ右翼に在りがちな小銭で利用されてポイってなことにはならない様にね、木村さん。呵呵。

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2013年12月19日

勝海舟の「氷川清話」は人物月旦としては超一級の作品ではあるが・・・

 旧幕臣ながら外務大丞、兵部大丞、参議兼海軍卿、元老院議官、枢密顧問官を歴任し、伯爵を叙された勝海舟が晩年遺したものに「氷川清話」というものがある。

 勝がその生涯に出会った幕閣や歴史上の人物及び時事評論まで、縦横無尽に語られた「思想書」というよりも「談話集」であり、「維新史」や「人物月旦」としては超一級の作品とされている。確かに日本人の読むべき名著には違いない。

 だが、どうも愚生には、この勝海舟という人物は好きではない。「人物月旦」が面白いというが、殆どは己の自慢と相手を誹る話しばかり。その一部を摘記してみる。

【横井小楠と西郷隆盛】 俺は今迄、天下で恐ろしい者を二人見た。それは横井小楠と西郷南洲だ。その横井に西洋の事を俺が教えてやった。西郷と面会したら、その意見や議論は寧ろ俺の方が優る。

【佐久間象山】 佐久間象山は物知りで、学問も博し、見識も多少持っていたが、どうもホラ吹きで困るよ。

【藤田東湖】 俺は大嫌いだ。あれは学問もあるし、議論も強く、また剣術も達者だったが本当に国を思うという赤心がない。書生を大勢集めて騒ぎ廻るとは、実にけしからぬ男だ。

【桂小五郎(木戸孝允)】 西郷に比べれば非常に小さい。余り用心し過ぎるので、大事には向かない。

【山岡鉄舟と大久保一翁】 この二人は共に熱性で、切迫の方だから、可哀想に若死にしたよ。

 これ以外にも偉人、傑物との逸話を書いてはいるが、佐久間象山を「ホラ吹き」と罵ってる割には、同じ様に海舟の人となりが分かりそうなものばかり。

 この「氷川清話」が纏められたのは明治30年頃の最晩年75歳前後のことなので、老人にありがちな妄想的言い回しが目立つ。妄想症とは言わないが、勝の自己顕示欲の強さを割り引いて読めば、幕末維新史としては貴重な資料なのは確かだろう。
 
 一方で、福沢諭吉の「痩せ我慢の記」の一節にはこう記されている。

「一片の痩せ我慢こそ百千年後に至るまで、国の独立を維持する上で大切である」と説き、嘗て幕臣だった勝や榎本武揚が、敵方である薩摩・長州中心の新政府から優遇を受けて、大丞(大臣)や伯爵に昇りつめた出世を厳しく批判している。

 痩せ我慢の記の諭旨は「勝海舟は只管講和を主張し、官軍と一戦も交えず開城したのは要素たる士風を損なった。譬え、内乱が国家にとって無益大害の極みであっても抵抗するのが武士の意気地ではないか」というものだが正鵠を射たものだ。

「榎本武揚は必敗覚悟で五稜郭に立て篭もり、官軍に反抗したのは功名といえるが、降伏後に立身出世を志したのはその過去を傷つけるものである。両人共、敵味方のケジメをつけ野に下ることこそ取るべき道であった」と断じている。

 愚生もこれには激しく同意する。昨今の我が国を見渡しても、政治家を筆頭に「義」を守る者が余りにも少なく、利権に集り、私利私欲に狂奔し、カネに群がる不逞の輩ばかり。経済的な貧困よりも、精神的貧困の方がが深刻である。日本人が本来持つべき「痩せ我慢」の気風は何処へ行ってしまったのだろう。

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2013年12月18日

佐藤栄佐久元知事が退職金7726万円の返還命令を拒否(苦笑)

 原発事故以来、「反原発派」に持て囃されている前福島県知事の佐藤栄佐久だが、7726万円の退職金返還命令に異議申し立てしていた件で、県議会は「棄却すべし」とする答申を全会一致で可決した。県知事汚職事件を猛省してない証左だ。

 栄佐久はこれに対し、「謂れのない命令を突き付けられている。誇りを賭けて一生、戦う」と語った。この男に誇りなどあったとは驚いた。栄佐久と実弟の祐二らにあるものは卑しい金銭欲と権力欲、実弟に至ってはそれに色欲が付いて来る。

 原発事故や原発問題を、然も政府や東電の責任であるかの様に批判しているが、ポンコツで問題のあった東京電力福島第一原発の1号機、2号機のスイッチを入れたのは栄佐久自身ではなかったか。佐藤前知事に政府や東電を批判する資格はない。

 福島県知事汚職事件では、実弟の会社「郡山三東スーツ」の土地を巡り、水谷建設に相場よりも高い金額で引き取らせたことが収賄と見做され有罪判決を受けた。

 水谷建設は三重県の中堅の建設業者でありながら、前知事が初当選以来、福島県内で多くの公共工事を受注してきた。中でも、東電からの130億円という多額の寄付で建設した「Jビレッジ」や「福島空港」は、水谷建設が一手に引き受けた。

 この東電からの130億円という寄付金が、実弟や知事の自称私設秘書で大日本愛国党福島県本部相談役の辻政雄や地元広域暴力団に流れたのは誰もが知るところ。

 前知事も、「辻くんには12億の貸しがあるんだよ!」と郡山市内の企業役員に漏らしたことがあるが、血税に集り、「口利き料」を強要していた事実を知りながら、今更ながら、「冤罪だ」と訴えたところで、汚名が返上されることはない。

 知事と実弟とブローカーの辻政雄は一蓮托生。栄佐久の盟友である辻は「入札妨害(談合)」の罪で逮捕されると保身から検察証人となり栄佐久らを裏切った。

 前知事の周りは辻を始めどいつもこいつもろくでもない連中ばかりで、知らないのは当人だけ。相変わらずの裸の王様。実弟と辻は金銭欲に塗れ、実弟は選挙の手伝いに来た女性と不倫をする始末。その愛人が妊娠し、糟糠の妻と離婚するが、実弟は前妻への慰藉料捻出の為に水谷建設に無心したというのが汚職事件の真相である。

 尤も、辻が建設業者から掠め取ったカネをネコババしないで、実弟に渡していれば、前妻の慰藉料に窮することも、県知事汚職事件も起きなかっただろう。

「郡山三東スーツ」を巡る増収賄とされた1億円なんぞ、実弟や辻らが業者から巻き上げたカネに比べりゃ屁の様な金額である。こうした栄佐久兄弟の限りの無い金銭欲というものは、やはり極貧の中で育った家庭事情がそうさせるのだろう。

 辻の件で愛国党の芦名議長に苦言を呈したことがある。「北朝鮮と係りのある水谷と、愛国党の相談役の辻がツるんでるのは、日頃、拉致問題を訴えてる愛国党として問題だし、どうにかするべきでは」という様な内容だったと記憶する。

 愚生に苦言を呈され怒りから憮然としていたが、その諫言は図星だったから反論は無かった。その後、芦名議長は体調を崩し幽冥境を異にしたが、兄弟分だった辻の逮捕を見なくて済んだのは本人にとっては勿怪の幸いだったと思う。

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2013年12月16日

河井継之助と岩村精一郎との慈眼寺での会談は日本の歴史に禍根を残した

 昨夜はもの凄い風で我が襤褸マンションは彼方此方から隙間風が入り、ぴゅーぴゅーと五月蠅かったのもあって少々寝不足気味。床に就いて間もなく友人から「20時からBS日テレで特別時代劇 河井継之助 駆け抜けた蒼龍・北国にいたもう一人の坂本竜馬!が放映されます」との一報を頂いた。生憎うちはBS放送が観れない(笑)

 坂本龍馬というのは脱藩し、幕末という時流に乗り、維新の魁となったのは分かるが、河井はそうした時代の流れの中で小藩を必死に守ろうとした侍であり、龍馬とは真逆の生き方を全うした人物で、龍馬よりも格からしても上だろう。

 確かに龍馬は「薩長同盟」に奔走したり全国を駆け回ったが、武器商人故のこと。河井の遊学は藩を憂うる至情からのものであり、その目的は全くの別物だ。

 龍馬というのは、幕末の時代にはそれほど有名な人物ではなかった。維新後に、「こういう人物が土佐にいたぞ」と地元高知の新聞で取り上げられた。それを機に、日本人ウケするそのキャラクターと共に全国的に有名になっただけのこと。

 そんな坂本龍馬に憧れて、新政府軍(西軍)に参加した人物に岩村精一郎というさもしい男がいる。土佐藩士で後に華族、男爵の称号を与えられたこの岩村こそ、長岡藩や会津藩の悲劇を生んだ張本人であると言っても過言ではないだろう。

 新潟県小地谷の慈眼寺に於いて西軍との会談に赴いた河井継之助は、長岡藩の総督として中立を保ち和平交渉を進めようと、山縣有朋(狂介)か黒田清隆との会談を希望していた。だが、出て来たのは弱冠23歳の岩村。岩村はこれを一蹴する。

 この時、河井42歳。後に岩村は自伝で「途中で従う様になった信州各藩の家老は平凡な人材ばかりで、河井についても経歴や人物を知らなかった為に、時間稼ぎをしているだけだと思った」と述懐しているが、自らの無能を曝け出した様なもの。

 この岩村の無知と熟慮を欠いた判断が、長岡藩を奥羽列藩同盟側へ追い込むこととなったのだが、こうした刮目して相対すことも出来ない若造から罵られた継之助の心境は想像するに余りある。岩村・河井会談が決裂し中立を模索していた長岡藩は東軍勢力として戦うことを決意。会津藩と共に徳川に忠義を捧げ武士の本懐を成す。

「北越戦争」に於いて新政府軍は、長岡藩の抵抗によって大損害を被り、一旦陥落させた城を再び奪われるという軍事史的に稀な大失態を起こすことになった。

 本来であれば岩井は切腹ものだが、こうした失態の責任を問われたり罰せられてはいない。これをしても新政府軍というのは指揮系統が体を成さず、その実は卑しい権力欲ばかりで、武士の精神はこの時既に崩壊してしまっていたと言えよう。

 歴史に「もし」はないが、もし、河井と山縣や黒田との会談が実現していれば、「北越戦争」を避けられただろうし、その後の「会津戦争」も避けられただろう。或いは、長州閥で固められたその後の日本の姿も違っていたかも知れない。

 会津藩への講和交渉提案を引き受けるとまで申し出た河井に対し「単なる時間稼ぎである」と一蹴し交渉の機会を与えなかった岩村は、一軍の将としては狭量と言わざるを得ない。 括目して相対すことのなかった岩村に武士道精神は無い。

 要は、分不相応、未熟だったということだ。新政府軍も土佐藩というだけで岩村の様な無能な人材を登用せざるを得なかったということなのかも知れない。

 土佐の坂本龍馬や中岡慎太郎が存命ならまた違ったものになっていただろう。歴史というものは実に移ろい易い。 先の大戦でも多くの有能な人材が失われたが明治維新でも然り。残った岩村を始め、長州閥を中心とした木っ端ばかり。

 ドナルド・キーンも岩村の人物像をして、「無能で横柄な岩村の抜擢は、最悪の選択だったと言える」と厳しく評しているが正鵠を射たものだと思う。岩村の様な小人の軽挙妄動で、我が国は人材を失うという大きな損害を被ることになった、

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2013年12月15日

尊敬はあくまでも醇乎たるべきものでなければならない(河井継之助)

 司馬遼太郎は著書である「峠」で、河井を武士道倫理に生きた「最後の侍」だとして、その継之助の生き様を活き活きと描いている。中でも茶屋遊びの場面が粋で好い。やはり放蕩というのは人物を大きくするものだと痛感する(笑)

 歴史家も河井を東西の優れた軍事指揮者の一人に挙げているが、愚生は継之助こそ幕末の最も優れた人物であり、然も人間味に溢れた武士だったと思っている。

 河井継之助、名は秋義、号は蒼竜窟。越後長岡藩士。「越(ほくえつ)の蒼竜」と称された継之助は、幕末に於いて長岡藩の近代化に努力した英雄である。

 継之助は、長岡藩士120石取りの代右衛門秋紀の子として生まれる。幼少の頃から腕白だったといい、人の忠告を素直に聞かない強情張りであったという。

 それは大人になってからも変わらなかった。少年時代は藩校で古義学を学び、成長するとともに実践重視の「陽明学」へと傾倒して行ったと言われている。

 17歳の時に継之助は、鶏を裁いて王陽明を祭る祭壇に鶏肉を供え、人民と藩是の為に立志し誓明したという。青年期には読書に没頭し、良書を見つけるとその書だけを何度も読み返し、一字一句を書き留め暗記し、我が身の行動の規範と成した。

 嘉永5(1852)年、継之助は江戸に遊学。佐久間象山や古賀謹一郎に師事するが、象山の尊大さと理屈を捏ねる腹の曲がり具合が気に食わず象山から遠ざかった。継之助が生涯を通じて、敬服した人物は備中松山藩の儒者・山田方谷である。

 安政6(1859)年には、継之助は遊学を決意し、松山藩まで足を運ぶと、直接、方谷から陽明学を学んで藩政改革の方法を習得している。彼は、方谷を「先生」と呼び「希代の英雄」と讃えて、方谷が唱える思想を熱心に学んだという。

 方谷に入門を乞うも中々承諾されなかった。だが、継之助の熱意は届き、漸く入門を許可されると、「学問の講義は要りませぬ」と断ったという。方谷先生と起居を共にすることだけでも学ぶものが多いのことを継之助は知っていた。

 暇があれば方谷と雑談する、その雑談や所作、何気ないことから学ぶことこそ貴重であり、得るものが多いものだ。書物を読み暗記したところで意味はない。継之助は内弟子らは「何故に貴公は方谷先生と一緒に鍬を持たないのか」と詰られる。

「嫌いだからだ。今更、百姓の真似が出来るか」。内弟子が尚も「方谷先生を尊敬していないのか」と詰るも、継之助は、「尊敬はあくまでも醇乎(じゅんこ)たるべきものであり、百姓を手伝うというのはおべっかに過ぎない」と開き直った。

 昨今、愚生の周りを見渡しても目上の者や強い者、或いは右翼の有名な人と見るや「おべっか」やそういうのに諂う輩が目立ち、その心情や行動に「醇乎」さは乏しいというより全く無い。純粋さからはかけ離れている「ヨイショ」ばかり。

 方谷は後に、「河井は豪(えら)過ぎる。豪過ぎることが幸福な結果になるか、不幸を呼ぶか」と語ったという。その結果は、残念乍ら後者の方であった。

 1ヶ月半ほどの遊学であったが、別れの朝、継之助は対岸の街道の路上に土下座し、師匠の小さな姿を伏し拝んだ。人を容易に尊敬することのない男が、土下座したのは生涯これが最初で最後だったという。こうしたことでも親しみが湧く。 

 継之助はこの後、長崎などへも西国への遊学を果たして見聞を広めると共に、会津藩の秋月悌次郎などとも交友を深め、様々な人脈を広げている。

 真実を求める為に塾を転々とし、諸国を遍歴した継之助の真似ではないが、愚生も今秋に、遊学の様な偉そうなことではないが旅に出た。どんなものでも「旅」は人を大きくしてくれると思っている。旅から得るものは実に多い。

 放浪の旅というのは日常の解放であり、酒徒が酒を恋うのと同じ欲求でもある。人との出会いに感動し、酒を酌み交わせば言葉は要らない。「一期一会」とか「刮目して相対す」とか「人生意気に感じる」とはそういうことだと思う。

 愚生にも師と呼べる師はいない。強いて言えば、一代で大手警備会社「テイケイ」を築いた高花豊先生くらいなものだ。後は、組織の先輩や先生方は反面教師ばかり。

 師に仕えるというのは大事なこと。然し、悪しき師に学べば悪癖がこびり付いて一生の垢となる。それ程でもない師に三年学ぶのなら、良い師を求める為に三年費やした方が好い。皆さんにはいざという時に心の支えになる「師」はいますか。

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2013年12月12日

山水三千世界を万里一空に入れ満天地とも攬る(宮本武蔵)

 一昨日の通夜に引き続き、昨日は叔父の葬儀告別式に参列した。しめやかながらも孫や曾孫らの明るさが今は亡き叔父の人柄を現していた。叔父は座ったまま亡くなってたという。その死に様は正に山岡鉄舟か達磨大師。改めて天晴れである。

 別れというものは悲しいことではあるが、死別に限らず、生きていれば別離というものは避けては通れない。全ての生き物に平等に与えられてる必然である。

「別離」で思い浮かべるのは宮本武蔵。武蔵と言えば「五輪書」が有名だが、武蔵は死の直前に、弟子らに「独行道」という21ヶ条の置文を遺している。

 一、世々の道をそむく事なし。
 一、身にたのしみをたくまず。
 一、よろづに依枯の心なし。
 一、身をあさく思、世をふかく思ふ。
 一、一生の間欲心思はず。
 一、我事におゐて後悔をせず。
 一、善悪に他をねたむ心なし。
 一、いづれの道にも、わかれをかなしまず。
 一、自他共にうらみかこつ心なし。
 一、恋慕の道思ひよるこゝろなし。
 一、物毎に数奇このむ事なし。
 一、私宅におゐてのぞむ心なし。
 一、身ひとつに美食をこのまず。
 一、末々代物なる古き道具所持せず。
 一、わが身にいたり物いみする事なし。
 一、兵具は格別、余の道具たしなまず。
 一、道におゐては、死をいとはず思ふ。
 一、老身に財宝所領もちゆる心なし。
 一、仏神は貴し、仏神をたのまず。
 一、身を捨ても名利はすてず。
 一、常に兵法の道をはなれず。

 この中に「いづれの道にもわかれをかなしまず」というものが記されてあるのが分かるだろうか。悲しまないということは武蔵は血も涙も無い冷血漢だったのか。

 例えば、酒を嫌いな人が「我、酒を絶つ」、或いは、タバコを吸わない者が「タバコを絶つ」などと書かない。飲みたいが、或いは吸いたいが止めようと自分に誓願した者が「絶つ」と言ってこそ、人に訴えるものがあるのではないか。

 そう思うと、武蔵というのは寧ろ、人一倍感情豊かで熱血漢だったのではないだろうか。別離に際して人並み以上の涙を流したいが、その涙を見せまいと努力した人間に違いない。愚生も見倣いたいと思うが、実践するのは中々難しい。

 宮本武蔵の「五輪書」は、山本常朝の「葉隠」の「武士道とは死ぬことと見つけたり」という訓えよりクールで合理的な武士道である。武蔵は「死ぬということ位なら僧侶でも女でも百姓でも弁えている、武士に限ったことではない」と言う。

「武士が兵法を実行する場合は、何事に於いても他人より優れている事が第一の条件である。個人対個人の戦いに勝ち、数人の戦いに勝つのは、主君の為、我が身の為、名を上げて身を立てる為である」という。この教えを実践するのは難しい。

 その上で、「万事に役立つ様に心掛けてこそ兵法の徳というものだ」という。要するに、武蔵は、武士が死ぬことを覚悟しているのは当然であって、その本質は「常に勝つこと」が大事であり、それによって名を上げる事が目的だというのだ。

「葉隠」の武士道が主従関係に重きを置いているのに対して、武蔵の武士道は戦国の世を如何に勝ち抜き、如何に生きていくかの「兵法」だったかが理解出来る。

「五輪書」に「山水三千世界を万里一空に入れ、満天地とも攬(と)る」という一節がある。「万里一空」とは「世界はどこまでいっても空は一つ」「全てのものは一つの世界に留まっている」という考え方で、武蔵の思想の根本とも言えるものだ。

「動揺せず常に冷静な気持ちで事に当たる」「一つの目標に向かって精進する」として解釈されるがこれが実に難しい。何か事が起これば冷静さなど忘れ右往左往。

 右翼人として政局に一喜一憂し、「時局厳正批判」を尤もらしく披歴してはいるが、目先のことを語ることや喧々諤々の議論に何の意味もないとは自覚している。

 天地自然や人間の大道を心得えて、その時勢の動きに従いつつも正義を踏み外さず、危機に際しても平時と同じ様に対処出来ること、理論なんぞよりもこういう心構えを以ての行動こそが大事である。男の修業とは斯く在りたいものだ。

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2013年12月07日

一族の者が皆礼儀を心得て親子兄弟の間に不和が無いこと(佐久間象山)

 司馬遼太郎の「峠」を読み出した。昔読んだが忘れてた部分もあるし、新たな発見もある。本というのもそれっきりのものもあればまた出会うものもあり、これも邂逅であると思う。河井継之助という人物は実に好い。後々綴りたいと思う。

 継之助が師事した人物に佐久間象山がいる。象山は愚生と姓が同じということもあり、気になる歴史上の人物の一人だが、継之助は、象山の尊大さや勿体付ける教え方に辟易して遠ざかったという。継之助の心境が何となく分かる気がする。

 象山は、その尊大な物腰から、毀誉褒貶相半ばする人物として知られているが、自ら「天下の師」を任じ、その態度は人を見下す倣岸不遜な人物だったという。

 言行は兎も角として幕末に於ける最高の思想家には違いない。身長五尺八寸、道行く時は萌黄色の五泉平の馬乗り袴を穿き、黒文字肩衣に白縮みの帷子を羽織り、備前長光の白柄の太刀を差し、まるで自己顕示欲の俗物が歩いている様なもの。

 そうしたこともあって、京都三条木屋町で「人斬り彦斎」こと河上彦斎に暗殺された際も、仕えていた信州松代藩では同情する者も少なく、佐久間家は断絶の処分を受けたというから、如何に嫌われていたことが分かる。だが、その暗殺者の彦斎は象山を「絶代の豪傑」と呼び、幕末の傑物、山岡鉄舟は「人傑」と慕っている。

 吉田松陰も象山の弟子だったのは有名だろう。幕末のペリー艦隊(黒船)への渡航計画を企てたのも象山だった。そんなこともあり、松陰が縛についた時には同時に象山も連座して同罪となり、国元の信州松代で蟄居の処分を受けている。

 その時に象山が書いた「省諐(せいけん)録」というものがある。(せいけんとは、過ちを省みるという意味)その中の一つに次の様な一節がある。

「君子には五つの楽しみがある」と始まる教えは。一つは、財産や地位とは関係なく、一族の者が皆礼儀を心得て、親子兄弟の間に不和が無いこと。

 二つは、金品の授受をいい加減にせず、心を清く保ち、内には妻子に恥じず、外には民衆に恥じないこと。

 三つは、「聖学」を学んで天地自然や人間の大道を心得え、時の動きに従いつつも正義を踏み外さず、危機に際しても平時と同じ様に対処出来ること。

 四つは、西洋人が科学を発達させた後に生まれて、孔子や孟子の知らなかった処の「理」を知ること。

 五つは、東洋の道徳と西洋の芸術(技術)と、この両方について余すところ無く詳しく研究し、これを民衆の生活に役立て国恩に報ずること。

 この象山の教えが、後に「和魂洋才」となって、アジアで唯一の近代化を成し遂げることが出来るのである。思えば、敗戦後の我が国は「洋風気触れ(かぶれ)」ばかりで「和魂」という伝統的精神を忘却しているところに今日の悲劇がある。

 大河ドラマの「八重の桜」で象山は、山本覚馬に、「新しいことをしようとする者、改革をしようとする者には必ず邪魔をする者が現れる。何故なら、既得権者は新しい動きを放置すれば、忽ち自分の拠って立つ基盤を失ってしまうからだ。それらを蹴散らして前へ!」と、こう言い放つ。今も昔も邪魔するヤツは変わらない。

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2013年12月06日

その心を汚さず鏡の様に磨き上げておくことが身を修める根本である

 日本最初の陽明学者と言われる人物は中江藤樹である。徳川幕府は儒教である「朱子学」を盛んにしたが、その朱子学が形式や礼儀を重んじたのに対して、明の学者・王陽明が唱えた「陽明学」は心の持ち方を大切にする教えでもある。

 王陽明は若い頃は生活もだらしなく、無頼の徒で仁侠道に溺れたり、武道に凝り過ぎたり、詩や仏法に惑溺したり。我が国の偉人にもよく似たことがある。

 司馬遼太郎の「峠」の主人公・河井継之助もこの陽明学を重んじ、王陽明を敬慕していた為か、それ故にどこか王陽明を彷彿させ、どことなく破天荒でもある。

 王陽明は、終いには儒教に辿り着き、独自の学派を拓いた。「知識」は「行動」と一つであり、人を狂人にし、常に人を行動へと駆り立てる。

 因みに、愚生の所属していた防共挺身隊の初代・福田進の父は「福田素顕」だが、本名は「福田狂二」と言い、当時は社会主義者でも有名だった人物だった。

 この「狂」という字は、単に「狂った」という意味ではなく、陽明学の教える「狂」であり、「狂」の思想は王陽明が「伝習録」で訓えたものでもある。

 陽明学は「知行合一」の教えだということを知ってる人は多いだろう。言葉にしたことは必ず実行するというのは「知行合一」は陽明学の究極の思考だ。

 逆を言えば、「実行できるかどうか分からないことは言葉にしない」ということでもあり、自分の発言には自らの覚悟と責任を課していることを意味する。

「良知に至る」というのは、人は誰でも生まれながらにして美しい心がある。即ち「良知」というのを持っている。その心を汚さず、鏡の様に磨き上げておくことが身を修める根本だという意味である。これは「性善説」とはチョッと違う。

 悪いことをするというのは「良知」が乏しく、自分自身を磨き上げることを怠ったということで、死刑廃止を訴える人権派弁護士らのいう「性善説」は本末転倒だ。

 人権派を自任してる連中も最近の政治家にしても、言葉が軽く国民から支持されないのはのはこうした陽明学の意味を知らず行動にも責任も持てないからだ。

 陽明学は「志を立てる」ところから始まり、「行動に昇華する」ことで終結する。つまり、例えば政治家を志すにしても、自分の言葉に責任を持ち、自らが率先垂範して国民の模範となることが大事であるということだ。

 陽明学では、人間の格位を「聖賢」「狂」「狷(けん)」「卿愿(きょうげん)」の四つに分けている。孟子はこれを次の様に注釈している。「狂」は理想主義だが言行不一致。「狷」は不潔を潔しとしないものとされる。

「卿愿(郷愿)」は世俗と歩調をあわせた風俗とし、徳の賊(道徳家を装って郷里の評判を得ようとする俗物)だとした。我が国の国会や政治家を見渡せば、正に「卿愿の如し」。政治家は俗物と化し、政治は党利党略の風俗に成り下がった。

 要するに、陽明学派の「狂」とは、「理想を高く持ち、何の虚飾も隠し立てもなく、心のままに率直に行動すること」であり、「狂」とは、一つの信念に向かって脇目もふらずに突進することである。因みに福田進の実弟は「狂介」という名だが、第三代、第九代内閣総理大臣に就いた山県有朋も自らを「狂介」と号している。

 また「狂」は、「もし過失があれば改めさえすればよい」とする臨機応変的なものでもあり、世俗社会の常識に対し果敢に挑戦する「実践的理想主義」でもある。

 河井継之助が、当時流行していた堅物な衒学臭げな尊皇カブレの徒輩とどこか違うのは、陽明学の「実践的理想主義」故のものだったからではなかろうか。

 自分の行動を「狂挙」と敢えて言える為には、歴史を見つめる「冷静な目」が必要であり、この「狂」の精神こそが、明治維新への道と切り開く転換点となった。

 藤樹は母親を養う為に、「今、孝行を尽くさなければ後悔しても間に合わない」と武士を辞め故郷へ帰る。刀を売り資金を作り、貧しいながら老母に仕え、村人に学問を教えた。噂を聞いて遠近から藤樹の人柄を慕って来る者は絶えなかった。

 講義を受けていた中の一人の馬方が、「客が馬の鞍に結びつけたまま忘れた二百両入りの財布を、八里も離れた宿場まで届けるも礼金を享けなかった」という話は有名で、偶々この評判を聞いたのが、陽明学者の熊沢蕃山だった。

「貴男の様な立派な御武家にお教えする様な学も徳もない」と、師となることを固く断る藤樹に、蕃山は、門前に二日間座り込み漸く入門が叶った。後に蕃山は岡山藩に仕え、藤樹から教わった学問を政治の上に大きく活かした。

 藤樹は41歳で没する。多くの門人に熱心に、真面目に、丁寧に教えた故に「近江聖人」と讃えられ、今なお尊敬され続けている。昔の思想家に学ぶものは多い。

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2013年12月05日

いのちのバトンを受けついで いまここに 自分の番を生きている

 相田みつをの「自分の番 いのちのバトン」という詩がある。

 父と母で二人
 父と母の両親で四人
 そのまた両親で八人
 こうしてかぞえてゆくと十代前で
 千二十四人
 二十代前では・・・?
 なんと百万人を越すんです
 過去無量の
 いのちのバトンを受けついで
 いまここに
 自分の番を生きている
 それが
 あなたのいのちです
 それがわたしのいのちです

 福島瑞穂の著書で「生まない選択 子供を持たない楽しさ」というトンデモ本がある。当の福島本人には子供がいないかというとそうではない。

「子供を生まない」「子供を持たない」とは、「男女共同参画社会」を叫ぶ性的変質者らしい発想だが、子供が出来ないなら仕方ないが実に身勝手なものだ。

 今の自分が存在しているのは、沢山の御先祖様のお蔭であり、子供が必要ないということは、自分の代でその永い歴史が終わるということでもある。

 何より家族とは、未熟な夫婦が子供が出来ることで、精神的にも肉体的にも共に成長して行くものだと思っている。 同じ様に、国にも歴史がある。

 我が国は歴史上、人口移動の殆どない稀有な国だ。日本列島に存在していた方々は皆、我々の御先祖様なのである。 その共通の御先祖様からの流れの中に今日の我々が存在している。 我が国の歴史は、正に我々の御先祖様の歩みなのである。

 その祖先の歴史を貶し、罵る連中がいる。これ即ち御先祖様の歩みを否定していることであり、つまりは、自分という存在自体を否定していることと同じ。

 問題にぶつかれば、自分の短い人生の中での経験から解決を急ぐよりも、先人の多くの経験や教えから学ぶことが懸命である。つまりは、日本人として御先祖様の営為を学ぶことこそが歴史を学ぶことであり、問題解決の近道でもある。

「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」との教えは蓋し名言である。

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2013年12月03日

日本臣民ハ法律ノ範圍内ニ於テ言論著作印行集會及結社ノ自由ヲ有ス

「特定秘密保護法案」に反対するデモを「テロ行為」と准えた石破茂幹事長がやり玉に挙げられている。マスコミは恣意的に「市民デモ」と表記するが、市民だからどうだというのだ。ならばこれが右翼団体によるデモならどうだろう。

 在特会のヘイトスピーチにしても、「不良朝鮮人を殺せ!」だとか「在日を叩き出せ!」というのは差別表現と批判するが、この「朝鮮人」や「在日」を、「米国(アメリカ)人」に置き換えたら差別だと騒ぐとはとても思えない。

 マスコミにしろ、「市民デモ」の連中にしろ、憲法第21条の「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」という条項を金科玉条というより、我田引水的の如く振り翳すが、それは本末転倒と言わざるを得ない。

 現憲法では結社の自由や集会の自由、表現の自由が保障されている。憲法は国の最高法規であり、法令や条例より憲法が最優先されるのは当然のこと。

 だがどうだろう。右翼現役の頃、ビラ貼りで検挙され、さんざ街宣や抗議行動はやってきたが、街宣するにも「道路使用許可」が必要で、音量も規制される。

 街宣するにしても「自由」にはやらせて貰えないのが事実。警察署で手続きしショバ代を払い、街宣時間も音量も規制されているし、国会議事堂や外国公使館周辺での街宣や拡声器での抗議活動は「静穏保持法案」によって禁止されている。

「結社」も「表現」も「集会」も「自由」されるのなら、ビラ貼りも自由だし、ショバ代も音量規制も、時間制限というのも明らかに憲法に抵触するものだろう。こうした矛盾には傍観を極め込みながら、自分達に火の粉が被ると大騒ぎ。

 マスコミにしろ野党にしろ、「市民デモ」が良くて、右翼の街宣がダメな理由を分かり易く教えて欲しいものだ。「道路交通法」や「静穏保持法案」や「騒音防止条例」が憲法より優先される。つまり、今や憲法は国の基本法として機能していないどころか道交法や刑法より軽いのだ。この現実を見れば憲法は要らない。

 中共による覇権主義の脅威が現実的になっている今、現憲法の見直しが困難ならば、「日本版NSC」「特定秘密保護法」「集団的自衛権行使」の、所謂「三点セット」は、喫緊にやらなばならない最重要課題だろう。

「知る権利」も結構なことだ。ならば愚生も、中共に密通を謀る国賊の輩は誰なのか、米国が掴んでいる情報こそ知りたいものだ。特定秘密保護法案成立に拠り日米の情報が共有され、己らの素性が暴かれるのが心配なだけだろう。

「(特定秘密保護法案が)悪用される」と騒いでいるが、現憲法前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し・・・」とあり、悪いことをする人はいないという前提でこの憲法が作られている。護憲派というのは正しく誤憲である。

「特定秘密保護法案」に反対する連中は、「表現の自由を守れ」とか「憲法を護れ」というが、憲法を信用し、順守していないのはこの誤憲派のアホ連中の方だろう。

 何より、憲法前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」と書かれてある。つまり、悪意を以て犯罪を犯す人というのはいない前提である。

「特定秘密法案」にしても、悪意を以て摘発するということは有得ないとは思わないのか。だとしたら、それは「護憲」ではない。それこそ改憲の狼煙を上げるべきだ。

 因みに「大日本帝国憲法」第二十九條には「日本臣民ハ法律ノ範圍内ニ於テ言論著作印行集會及結社ノ自由ヲ有ス」。この「法律ノ範圍内ニ於テ」というのが大事。

「表現の自由」が何でもかんでも赦されるなら「放送禁止用語」も要らないだろう。マスコミは先ずは「キンタマ~」と叫んでみてから始めりゃイイ(笑)

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