2013年11月

2013年11月30日

憲法21条では「報道の自由」が保証されていが・・・


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 「特定秘密保護法案」に反対するマスコミやジャーナリストらは「知る権利」を翳し国民を煽動するが、一体彼らの「知る権利」とは何なのだろう。

 マスコミに「知る権利」が在るなら、国民もまた然り。だが、国民は、マスコミやジャーナリスト、或いは自称・有識者らが取り上げる胡散臭げな問題に一喜一憂するばかりで、自ら考えることを放棄してしまった。

 問題が出ればその萌芽は日本や政府に在ると貶し、それをマスコミ御用達のインチキ言論人が煽り立てる。

 例えば「大東亜戦争」ひとつにしても、「日清・日露戦争」や「日韓併合」に至る近代史にしても、「南京事件」や「慰安婦問題」にしても、マスコミが国民に真実を伝えているとは思えない。

 NHKにしろ、朝日新聞にしろ、GHQの「言論統制」という弾圧から未だ覚醒せず、自虐史観から脱却出来ずにいるそんなマスコミやジャーナリストが、「知る権利」などとは痴しく、「社会の木鐸」としての誇りなど微塵も感じない。

 「木鐸」とは、「世人に警告を発し、教え導くこと」にあるが、どうみても自虐史観にどっぷり漬かった彼らは、贖罪意識から中韓に媚び諂い、我が国の国柄を崩壊させんが為に走狗と化してしまっている。

 憲法21条では「報道の自由」が保証されている。だがこれは、記者らの礼儀を欠いた取材活動や報道を保証するものでもない。

 放送法第1条第2項には、「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること」と謳われ、第4条第2項には、「政治的に公平であること」、そして同条第4項には、「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」と記されている。

 新聞倫理綱領にも、「言論・表現の自由の下、高い倫理意識を備え・・・」と記され、「言論・論評の自由を守り抜くと同時に、自らを厳しく律し、品格を重んじなくてはならない」と記されている様に、兎角、傲慢になりがちな記者を諌める為のものでもある。

 だがどうだろう、新聞記者諸公に高い倫理意識など感じることもなく、とても品格を重んじてるとは思えない。

 テレビにしろ、傍若無人な礼儀を欠いた報道は日本の品格を貶め、国民の倫理意識を低下させ続けている。

 憲法にしろ、放送法にしろ、新聞倫理綱領にしろ、記者らの傍若無人な礼儀を欠いた取材活動を保証する為のものではないのだ。

 「知る権利」を特権であるかの様に振り翳す前に、己らの謙虚さも無い、醜い姿を見つめ直したら如何か。

 「知る権利」とはマスコミの知る「権利」ではなく、国民が真実を知る「権利」でなくてはならず、マスコミは知り得た情報を、公平公正に国民に伝える役目を担っているに過ぎない。
 
 嘗て坂の上の雲を追い続けた時代、国民の側に立ち「自由民権」を主張した新聞は、「反骨」を旨とし、権力に対して敢然と大衆の代弁者を自負していた。

 時の権力は新聞社や記者を弾圧するも、彼らはジャーナリズムの矜持と使命を以て決して怯むことはなかったのだ。
 
 今や正統ジャーナリズムは存在せず、権力への批判は単なるパフォーマンスと化し、民衆に迎合して、何でも腐して終わり。そうした冷笑的な態度こそが真のジャーナリズムだと錯覚している。

 「反安倍」「反自民」こそが反権力と勘違いしているが、我が国の政治が未だ三流と言われ続ける一因は、世論をぶち壊して悦に浸っている進歩の無い「低能ジャーナリズム」が元凶でもある。

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2013年11月29日

患者よ、がんと闘うな!


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 原発事故以来、県内では放射線への恐怖が叫ばれているが、例えば「塩分」は生き物が生きる上では必要な栄養素だが、摂り過ぎると高血圧や脳卒中の原因になると言われている。

 これと同じ様に「放射線」も生きる上では必要で、浴び過ぎると「癌」になり易くなるという単純な理屈だけだ。人は必ず死ぬし、国内では今や国民の3分の1が癌で亡くなる。愚生は癌で死ぬことより、脳卒中で半身不随になる方が辛い。

 女優の樹木希林が、全身癌の詳細や死への覚悟を告白した。「2005年に乳癌の切除をしたが、そこから3ヶ所ぐらい皮膚に転移した。その後、治療して2年ぐらいしたら、また5、6ヶ所転移していた」と吐露。

 更には2週間前に「副腎」にも癌が見つかり「何がんかを聞いたら、全身がんと言われた」と淡々と語った。

 死への覚悟を聞かれると「常に思ってる。皆さんは果てしなく生きると思っているでしょ? 今はいつ何があっても可笑しくない。畳の上で死ねたら上出来です」と語る。

 娘婿でもある俳優の本木雅弘からは、「どういうところで死にたいですか?」と質問されたといい、「病院よりはうちの方がいい。孫の声が聞こえるところで死にたいと伝えた。彼は“おくりびと”ですから」との受け答えも流石に巧過ぎる。

 達観するとはこういうことだろうか。

 慶応大学の近藤誠の著書に「患者よ、がんと闘うな」というものがある。以前から「近藤理論」に興味があり参考にしている。

 「癌は切るな」「癌検診、百害あって一利なし」という独自の理論は、現在の日本癌治療にセンセーショナルを起こし、旧態依然の医師会からの批判はあれど、少しずつではあるがその理論は浸透して来ている様だ。

 近藤がこの理論に至る転機になったのは米国留学からだそうだ。

 近藤は、「米国に行ったら乳癌の治療法が全く違う。既に乳房温存療法というのが主流になっていた。ところが日本では乳房を全部取っていた。今でさえ、乳房を残す治療が勧められる様になったが、当時は外科医が主導で治療を行っているものだからそうなってしまう」という。

 「何でそんな酷い治療を行うのか」と外科医に苦言を呈すると同時に出世は無くなった。だから今でも慶応大学の放射線科の講師のままだ。

 癌治療は、外科手術、放射線治療、抗癌剤治療(科学治療)が三本の柱。

 先ず外科手術だが、少し前までは、広く切除した方が治る率が上がると信じられていたが、実は拡大手術によって生存率は向上するということはなく、温存療法と比較しても違いはない。

 その結果、1987年当時1%に過ぎなかった温存療法は50%以上に達している。

 放射線治療にしても以前は、進行がんや再発移転がんに対してだけ行われていたが、今や比較的早期のがんを対象にしている。

 放射線治療のメリットは、何と言っても臓器を残して治療出来ることだ。

 舌癌、喉頭癌、下咽頭癌、食道癌、肺癌、前立腺癌、膀胱癌、子宮頸癌は放射線治療を考えるべきだという。

 抗癌剤治療は今は、悪性リンパ腫、小児の急性白血病、子宮の絨毛癌、各種小児癌は治るが、胃癌、肺癌、大腸癌、肝臓癌、乳癌、子宮癌など成人の癌は抗癌剤では治らない。

 また、がん検診は落とし穴ばかりで、これは検診を幾ら受けても寿命は延びない。がん検診は有効ではないが、医者や厚労省が推進しているだけで、国民が有効だと思い込まされているだけだという。

 愚生は脳卒中や心筋梗塞だろうが、コロリと逝くのが理想であるが、そうは上手くは行かない。脳卒中になって半身不随になってしまうと、自分も周りも苦しむ。

 その点、癌で死ぬのはそう苦しくないと、近藤はいう。

 「癌治療が苦しいのは、手術や抗癌剤治療を受けるからで、これらをなるべく避けて治療すれば、治るものは治るし、治らない場合にも、そう苦しまないで済む対処法も進んでいるから末期癌でも最後まで意識清明でいられる」

 日本の癌治療は、世界レベルから見て相当特殊で、やらなくていいことをして、必要以上に患者や健康人を苦しめているのが実情だ。

 数年前、行きつけの店でもあり、畏友でもあった、郡山のバー名店「THE・BER WATANABE」のマスターが膵臓癌で亡くなった。

 検査入院をするという2日前、「手術をしないと余命8ヶ月だと言われたよ」と笑いながら、「遣り残したことがあるし・・・」と手術することに同意した。

 冷たい様だが愚生は「手術は止めた方がいい。喩え8ヶ月でもいいじゃない」と説得してみたが、やはり医者の言うことを信じた。

 結局、執刀に失敗しマスターは目を覚まさすことはなく、「余命8ヶ月」どころか、たった1日で亡くなってしまった。

 執刀医は大田西の内病院、副院長だったA

 この件で太田理事長に質問状を出したことがある。その返事は、マスターの哀悼の意と医療ミスではないとの言い訳と、「近藤君はボクの後輩だが、マスコミがチヤホヤし過ぎ」という見苦しい敵愾心だった。
 
 今や癌は恐ろしくない、こうした医師が恐ろしいのだ。

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2013年11月28日

「稚心ヲ去ル 気ヲ振ルウ 志ヲ立ツ 学ニ勉ム 交友ヲ選ブ」(橋本左内)


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 藤田東湖と親交のあった越前藩の家老・鈴木主税が、「吾が藩は人材が乏しい」と嘆き、その際に東湖は、「それは燈台下暗しだ。貴藩には立派な人材がいるではないか」という逸話を先日話した。

 東湖が推薦した人物が「橋本左内」である。左内はこの時22歳、父の後を継いで藩医となったばかりで全くの無名だったが、東湖の具眼畏るべし。

 安政6(1859)年、大老に就いた井伊直弼の手により「安政の大獄」が始まるが、それ以前、佐内は、14代将軍を巡る将軍継嗣問題で、春嶽を助け一橋慶喜擁立運動を展開し、幕政の改革を訴えた。

 また幕藩体制は維持した上で西欧の先進技術の導入や、「日本とロシアは提携の必要性がある」などといった開国論を展開する。

 松平春嶽が隠居謹慎を命じられると、佐内は将軍継嗣問題に介入したことを問われて伝馬町牢屋敷に送られ小塚原刑場で斬首となった。享年26。藤田東湖が家老に具申してからたった4年、その4年間は短いが実に濃い生き様だった。

 「安政の大獄」とは、勤皇の志士や幕府の方針に反対する者らを大量に逮捕・投獄し、更には処刑した変事で、犠牲者の中で我が国の大きな損失となったといわれる人物が吉田松陰と橋本佐内であると言われている。

 佐内は大阪で緒方洪庵の適塾に学び、江戸では藤田東湖や西郷隆盛、横井小楠らと交遊した。藩主・慶永公は、佐内の学識と人間性を信頼し、藩校・明道館の学監(今でいう教頭)を命じ、教育の改革と推進に当らせた。

 小柄で色白、女子の様に見られる為に、西郷隆盛も初対面の際には軽くあしらったという。だが、その識見ぶりに後悔した西郷は翌日正装して詫びに行き、以後、年下の佐内を師の様に尊敬したという。

 佐内が執筆した「啓発録」というのがある。

 「稚心ヲ去ル 気ヲ振ルウ 志ヲ立ツ 学ニ勉ム 交友ヲ選ブ」

 これを書いたのが佐内14歳の時だというから驚く。昨日の双葉山の「栴檀(せんだん)は双葉より芳し」ではないが、やはり歴史に残る人物というのは、幼い頃から人並み外れて 優れたところがあるというのを実感する。

 明治維新後、この「啓発録」は佐内の実弟・綱常(陸軍軍医総監)から明治天皇に献上され、皇室の宝物として今も大切にされているという。

 因みに「稚心ヲ去ル」というのは、「子供っぽい、甘えた心を去ろう、いつまでも幼い心の儘では成長しないぞ」と言い聞かせている訳だが、現在は実に甘えた自分本位の人は多い。何でもかんでも泣き言ばかり。

 我が国の政治が斯くも幼稚になってしまったのは、政治家が自分自身の「稚心」を取り払うことが出来ないからで、「特例秘密保護法案」の国民不在の政争を見ながら、左内や西郷の様な政治家がいないことが我が国の不幸なのだと痛感する。

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2013年11月27日

「栴檀(せんだん)は双葉より芳し」から命名された双葉山の逸話


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 大相撲九州場所は日馬富士の逆転優勝で幕を閉じた。両横綱を破った大関稀勢の里も13勝を上げ、来場所に横綱昇進を目指す。

 白鳳を投げた力士は最近では見たことがないが、その後起こった場内からの「万歳」コールには思わず苦笑した。純日本人の横綱誕生を願うばかり。

 不世出の名横綱といえばやはり「双葉山」だろう。明治45年生まれ、大分県宇佐郡天津村布津部出身。

 四股名の双葉山は「栴檀(せんだん)は双葉より芳し」から命名。「大成する人物は、幼い頃から人並み外れて 優れたところがあること」の喩えだ。

 6歳の時に友達と吹き矢で遊んでいる際に、その矢が右目に刺さり失明する。また少年時代、父親の海運業の手伝いをしていた際に、錨の巻き上げ作業で右手小指を潰してしまう。

 父の海運業が失敗し、知人の警察の勧めで立浪部屋に入門。右目は失明、右手小指も動かないというハンデを克服し、69連勝の偉業は素晴らしい。

 隻眼といえば伊達政宗や北一輝を思い浮かべるが、乃木希典も幼少の頃に左目の視力を失っている。先日の塙保己一もそうだが、障害を克服した努力の人は多い。特に双葉山の場合は力士だから驚く。

 そういう自分と言えば五体満足に生まれながら一体何をしているのやら。愚生に足らないものは努力、それも「強烈な努力」以外にない。

 双葉山の強さに加え、美しさがあった。土俵に上がったら無駄な動きはせず、必ず受けて立った。今の張り手や逃げなどの無様な相撲ではなく、所作そのものが美しく横綱の威厳があったのだ。

 双葉山は、こうした受けて立つ相撲を、「目が悪かったので、自分から突っかけるのは不利だと思った」と述べているが、やはり大したものだ。

 大関になって間もない頃に双葉山は、陽明学者であり思想家でもある安岡正篤から「木鶏」の話を聞く。

 古典の「荘子」や「列子」に出て来る寓話だが、本当に強い闘鶏というのは、空威張りもしないし、無闇に戦闘的でもなく、木で作った鶏の如くだという。

 双葉山に安岡は、「木鶏の様になれば徳が充実し、勝敗も超越して天下無敵となる」と教え、双葉山もそれに応えようとした。

 前頭二枚目から破竹の69連勝で一気に横綱に上り詰めた。昭和14年1月14日、双葉山は安芸の海に敗れる。
 
 双葉山は欧州航路でインド洋上にあった安岡に打電、「イマダモッケイタリエズ(未だ木鶏たりえず)」は誰もが知っている言葉だろう。

 連勝が止まった双葉山はその後、福岡県の山中で滝に打たれ修業し、再び連勝を重ねるが、昭和20年8月15日の敗戦に大きな衝撃を受け引退を決意する。

 時津風親方となってからは相撲界の改革と関取を育て上げる。双葉山一代で、一横綱、三大関、幕内26名、関取の合計は48名という名親方だった。

 名選手必ずしも名監督に成れずと言うが、双葉山は違った。一度負けた相手には負けることがなかったことからもその努力が窺える。

 ハンデキャップを乗り越え、稽古と研究、精神の修養の続けた人物であり、力士としてだけではなく、日本人の模範ともいえる人格者だろう。

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明治維新を導く上に欠くるべからざる礎になった人物「藤田東湖」

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 西郷隆盛、吉田松陰、橋本左内を始め多くの明治維新の志士達が師事し学び、彼らに最大の感化、影響を与えた人物こそ藤田東湖であろう。

 明治維新を成就せしめた第一人者であり代表的日本人の筆頭である西郷隆盛が最も敬愛し師事したのは、島津成彬を別としては藤田東湖その人である。

 西郷は安政元年(1854)春28歳の時東湖にしばしば会った。東湖49歳の時である。東湖に会った悦びを近親者にこう語っている。

 「東湖先生も至極丁寧なる事にて、彼の宅へ差し越し候と清水の欲した塩梅にて、心中一点の雲霞なく唯清浄なる心に相成り、帰路を忘れ候次第にござ候。彼の方の学問は終始忠義を主とし武士となる仕立にて、学者風とは大いに違い申し候。自画自賛にて人には申さず候得ども、東湖も心に悪まれ候向きにてはござなく、いつも丈夫と呼ばれ過分の至りにござ候。もしや老公(斉昭)鞭を挙げて異船へ魁ござ候わば、逸散駆けつけむべ草に成りともまかりなり申したく心酔仕り申し候」

 西郷が如何に東湖を敬仰し心酔したか思いやられる。

 東湖もまた西郷を「丈夫」「偉丈夫」と殊に親愛し「自分の志を継ぐに足る人物は西郷」といい両者は相許した。

 幕末の生んだ一大天才、橋本左内も東湖を最も敬慕して止まなかった。

 左内曰く、「小拙も心服致し候者は水府(水戸)藤田氏に止り申し候」

 人物、学問、見識、手腕何れも飛び抜けていた左内は謙虚さを失わなかったが、自負心甚だ高く容易に人を許さなかった。唯一東湖には心から敬服した。

 東湖と親交のあった越前藩家老鈴木主税がある時「吾が藩は人材が乏しい」と嘆いた。すると東湖は「それは燈台下暗しだ。貴藩には立派な人材がいるではないか」と言ったという。

 「一体それは誰か」と問うと、「橋本左内である」と答えて笑った。左内はこの時22歳、父の後を継いで藩医となったばかりで全くの無名であった。

 吉田松陰もまた東湖崇拝者であった。

 水戸を訪れた時、謹慎中の東湖には会えなかったが、著作を愛読し、松下村塾では「生気歌」「回天詩史」「常陸帯」等を使って人々に教えた。

 松陰の一番弟子、久坂玄瑞も東湖を崇拝し、年齢がかけ離れて会うことが叶わなかった久坂は「自分は是非お目に掛かりたかった」と嘆じていたが、遂に夢で会うことが出来て悦んだという。

 西郷、松陰、左内、久坂という維新の英傑達に斯くも決定的感化を及ぼした藤田東湖は、安政2年の地震で不慮の死を遂げるが、明治維新を導く上に欠くるべからざる礎になったのである。

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2013年11月26日

日本を護るとは、天皇を中心とする歴史と文化の伝統を護ることである


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 昭和45年11月25日、三島由紀夫と森田必勝は市ヶ谷駐屯地に於いて米国依存体制からの脱却を訴え壮絶な死を遂げた。愚生は当時小学生だったが、新聞に載った三島の頭部の衝撃は今でも記憶に残っている。

 バルコニーからの演説はマスコミのヘリと平和ボケした多くの自衛隊員のヤジで揉み消された。一部抜粋する。

 静聴せい!静聴せい!

 それだけに、我々は自衛隊を支援したんだ。静聴せいと言ったら分からんのか!静聴せい!

 それでだ、去年の10月の21日だ。何が起こったか。

 去年の10月21日に何が起こったか。去年の10月21日にはだ、新宿で、反戦デーのデモが行われて、これが完全に警察力で制圧されたんだ。

 俺はあれを見た日に、これはいかんぞ、これは憲法が改正されないと感じたんだ。

 何故か。その日を何故か。それはだ、自民党というものはだ、自民党というものはだ、警察権力を以て如何なるデモも鎮圧できるという自信を持ったからだ。

 治安出動は要らなくなったんだ。治安出動は要らなくなったんだ。

 治安出動が要らなくなったのが、既に憲法改正が不可能になったのだ。分かるか、この理屈が・・・

 諸君は、去年の10・21から後だ、最早憲法を守る軍隊になってしまったんだよ。

 自衛隊が20年間、血と涙で待った憲法改正ってものの機会は無いんだ。もうそれは政治的プログラムから外されたんだ。終には外されたんだ、それは。

 どうしてそれに気が付いてくれなかったんだ。

 去年の10・21から一年間、俺は自衛隊が怒るのを待ってた。

 もうこれで憲法改正のチャンスはない!自衛隊が国軍になる日はない!建軍の本義はない!

 それを私は最も嘆いていたんだ。自衛隊にとって建軍の本義とは何だ。日本を護る事。日本を護るとは何だ。

 日本を護るとは、天皇を中心とする歴史と文化の伝統を護ることである。

 お前ら聞け、聞けぇ!静かにせい、静かにせい!話を聞けっ!男一匹が、命をかけて諸君に訴えてるんだぞ。いいか。いいか。

 それがだ、今日本人がだ、ここでもって立ち上がらなければ、自衛隊が立ち上がらなきゃ、憲法改正ってものは無いんだよ。

 諸君は永久にだねえ、唯アメリカの軍隊になってしまうんだぞ。諸君と日本の・・・・・アメリカからしかこないんだ。

 シビリアン・コントロール・・・・・シビリアン・コントロールに毒されてんだ。シビリアン・コントロールというのはだな、新憲法下で堪えるのが、シビリアン・コントロールじゃないぞ。

 ・・・・・そこでだ、俺は四年待ったんだよ。俺は四年待ったんだ。自衛隊が立ち上がる日を。・・・・・そうした自衛隊の・・・・・最後の30分に、最後の30分に・・・・・待ってるんだよ。

 諸君は武士だろう。諸君は武士だろう。

 武士ならば、自分を否定する憲法を、どうして守るんだ。

 どうして自分の否定する憲法のため、自分らを否定する憲法というものにペコペコするんだ。これが在る限り、諸君てものは永久に救われんのだぞ。

 諸君は永久にだね、今の憲法は政治的謀略に、諸君が合憲だかの如く装っているが、自衛隊は違憲なんだよ。自衛隊は違憲なんだ。

 貴様達も違憲だ。憲法というものは、終に自衛隊というものは、憲法を守る軍隊になったのだということに、どうして気が付かんのだ!

 俺は諸君がそれを断つ日を、待ちに待ってたんだ。

 諸君はその中でも、ただ小さい根性ばっかりに惑わされて、本当に日本の為に立ち上がる時は無いんだ。

 憲法の為に、日本を骨無しにした憲法に従って来た、という、事を知らないのか。諸君の中に、一人でも俺と一緒に立つ奴はいないのか。

 一人もいないんだな。よし!武というものはだ、刀というものはなんだ。自分の使命・・・・・

 未だ諸君は憲法改正の為に立ち上がらないと、見極めが付いた。これで、俺の自衛隊に対する夢は無くなったんだ。それでは此処で、俺は、天皇陛下万歳を叫ぶ。

 天皇陛下万歳! 天皇陛下万歳! 天皇陛下万歳!(抜粋終わり)

 携行した「檄」にはこう記されていた。

 我々は戦後の経済的繁栄に現を抜かし、国の大本を忘れ国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場凌ぎの偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は自己保身、権力欲、偽善のみに捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されず誤魔化され、日本人自ら日本の歴史と伝統を潰して行くのを、歯噛みしながら見ていなければならなかった・・・

 国體を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。政体を警察力を以て守りきれない段階に来て、初めて軍隊の出動によって国體が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであろう。日本の軍隊の建軍の本義とは、「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」ことにしか存在しないのである。

 旧来の思想や社会構造を打破しようとする時、常軌を逸した行動が生まれる。その行動こそが正気の狂気であり、この狂気こそが閉塞感を打破する力に成り得るのだ。危急存亡の秋、今こそ三島・森田の精神を想起すべし。

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2013年11月25日

中共の「防空識別圏」を設定は挑発行為の何ものでもない


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 中国共産党が尖閣諸島は自国領だと言わんばかりに、あからさまな「防空識別圏」を設定したことは我が国への挑発行為の何ものでもない。

 日本国内では未だ「日中戦争は日本の侵略戦争だ」との自虐史観が蔓延しているが、日中戦争も中国共産党の挑発行為によって勃発したものだ。中共はまたしても挑発行為によって、我が国を戦争に捲き込むつもりなのか。

 当時、日本軍は「北京議定書」に基づき在留邦人保護の為に軍隊を駐屯させていたのだが、盧溝橋でその日本軍を攻撃してきたのは中国共産党である。

 上海でも日本人保護のために合法的に駐留していた海軍陸戦隊に、正規軍10万人で一方的に攻撃を仕掛けてきた結果、「日中戦争」は本格化した。

 何れも中国共産党が仕掛けた戦争であり、つまり侵略者は日本軍ではなく、中国共産党というのが国際的な常識である。

 「日中戦争」勃発前、支那の新聞の大勢は、「日本をやっつけるべし」という対日主戦論が幅を利かせていて、過激な知識人・学生・都市市民、中国共産党、地方軍閥の3グループが主戦論だった。

 共産党と軍閥は知識人などに主導された過激世論を味方として、蒋介石政権に対しての立場を有利にしようと狙っていた。特に共産党は「反日」を最大の政治的武器として使っていた。

 昭和6年(1931年)11月に江西省の瑞金に成立した中華ソビエト共和国は、毛沢東の名により日本に対して「宣戦布告」を発している。

 この様に何時、何処で日本攻撃が起っても不思議ではない状況の下、昭和12年(1947年)7月7日に「盧溝橋事件」が起ったのだ。

 「盧溝橋事件」後には「通州」で、支那人による日本人虐殺事件が起こっている。これが歴史から消された「通州事件」である。

 「通州」は、明朝時代に城壁が築かれ、天津からの集荷の拠点として栄えた運河の街で、当時、日本軍の駐屯もあり治安は安定していた。

 昭和12年7月29日の午前3時、突然、通州にいた冀東防共自治政府の保安隊(「張慶餘」が率いる第一総隊と「張硯田」が率いる第二教導総隊)合わせて3000人が、通州にいた日本軍を襲撃する。

 この時、通州にいた日本人は380名、内軍関係者は110名、残りは全員が婦女子だった。不意を突かれた日本兵は防戦一方。

 襲撃開始と同時に日本兵30名が死亡し、防戦の間に、支那人の学生や朝鮮人は日本人居留区を襲撃し、日本人居留民260名をたった一日で極めて残虐な方法で虐殺するに至ったというのが事件の真相だ。

 天安門事件やチベット、ウイグルなどで、中共軍が行ってきた虐殺や弾圧は筆舌に尽くし難いが、決してこれらは対岸の火事ではないのだ。

 「盧溝橋事件」にしても「通州事件」にしても、「事実」を知ることが大事。

 アジア動乱の濫觴はいつの時代も中共が元凶である。中共による挑発行為の結果、沖縄県民が第二の「通州事件」に捲き込まれない為にも、戦争突入を避ける上でも、防衛体制の充実且つ法整備を急がねばならない。

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2013年11月24日

幕末の激動期、安積艮斎を師と仰いだ門人実に2282人に上る


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 愚生の住む郡山市の鎮守・安積国造(くにつこ)神社境内に、安積艮斎(あさかごんさい)の銅像が在る。郡山市に縁の深い人物である。

 艮斎は寛政3年(1791年)、陸奥(後の岩代)国安積郡郡山の総鎮守、安積国造神社・第55代宮司・安藤親重の三男として陸奥二本松の地に生を享ける。

  この艮斎の「艮」は大根の「根」の木偏の無いもので、丑寅の方向、つまり「東北の人」という意味がある。「斎」は師と仰いだ二人の「斎」を貰ったものだ。

 この艮斎、何故に17歳で学問を志し江戸へ出奔したというと聞こえはいいが、真相は女房にフラれたからだ。

 16歳で隣村の「横塚」に婿入りするも、その女房が評判の美人。方や艮斎といえば画像の通りで醜男。その上良斎は学問が好きで、仕事もせずに本ばかりを読んでいる様な男だった。

 そして終には三下り半、養子先から追い出される羽目となった訳だが、これを機に江戸に遊学し、そして成功を収める。

 幕末の激動期、艮斎を師と仰いだ門人は小栗上野介を始め、秋月悌次郎、岩崎弥太郎、清河八郎、栗本鋤雲、権田直助、高杉晋作、谷干城、中村正直、そして吉田松陰など実に2282人にも上る。

 二本松藩の儒者・今泉徳輔に学んだ後、文化3(1808)年、その向学心止み難く、17歳で出奔。江戸に上り、儒学者・佐藤一斎の門に入る。その後、大学頭・林述斎の門人となり研鑽を積んだ。

 23歳で江戸神田駿河台に私塾を開き、天保2年の41歳で「艮斎文略」を出版し、その後も「艮斎間話」を著し、艮斎の名は天下に知れ渡る様になる。当時、文壇では「東の安積艮斎、西の斉藤拙堂」と並び称された学聖である。

 艮斎は朱子学のみならず、陽明学など他の思想や宗教の善い所を摂取しようと自由な学風を貫いた。洋学にも造詣が深く、渡辺華山が主宰し高野長英ら学者や幕臣が会した尚歯会にも参加した。

 天保7年(1836年)二本松藩儒となり、嘉永元年(1848年)58歳の時に海外事情研究の集大成「洋外紀略」を著し、世界史を啓蒙、海防論を説いた。

 同3年には幕府の昌平坂学問所教授に就任し、同5年十二代将軍徳川家慶に御進講。同6年、米国、露国の国書を翻訳し、ペリー来航時にも翻訳を行った。

 近代日本の源流とも言える江戸時代の偉大な思想家のひとりであった艮斎は、万延元年(1860年)11月21日、昌平坂学問所にて多くの門人に看取られて、70年のその波乱に満ちた生涯を閉じた。

 艮斎の床の間には一幅の美人画が飾られていたという。

 それは別れた女房を偲ぶ為に書いて貰った掛け軸で、「この女房に追い出されたことで今の自分がある。この絵を見て自分自身を戒めているのだ」と弟子に語っている。

 人間誰でも悪い時というのはあるもので、そんな時こそ「災い転じて福と成す」ではないが、艮斎の様に「今があるのはそのお蔭である」という考え方こそ大事なのだ。

 艮斎が没した数年後、大政奉還、王政復古の大号令、戊辰戦争と政治的社会変革が次々と興り、見事な明治維新の大業を成し遂げたのだ。

 幕末の激動期に多くの功労者を育んだ安積艮斎の生涯、そこには近代日本の源流が在り、今も尚、滔滔と流れ続けている。

 余談だが、郡山の土産の定番、「薄皮饅頭」で有名な「柏屋」では、きな粉が塗してある「ごんさい豆」という素朴な菓子がある。

 江戸へ出る旅の途中、腹が減ると懐中の煎り豆を齧りながら歩いたという。

 だが、余程不味かったのだろう。後年、「せめてあれに塩でも砂糖でも塗してあればマシだったのに・・・」と弟子に夜語りしたという。

 この逸話に因んだ菓子が「ごんさい豆」。郡山へお越しの際には是非、土産にどうぞ。呵呵。

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2013年11月23日

本日は「新嘗祭」、神の加護による農作物を始めとした恵に感謝しよう!


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 本日11月23日は「勤労感謝の日」。「勤労感謝」というと何か、労働していることに感謝する日の様に思ってしまうが、本当の意味は「人々の勤労によって生み出される万物の生産を祝う」というものだ。

 神の加護による農作物を始めとした恵に国民が互いに感謝し合う日なのだが、その意味を取り違えている国民は少なくない。

 旧くは「新嘗祭(しんじょうさい、にいなめさい)」として、霜月(11月)下旬の卯の日とされ、明治6年以降は11月23日に執り行われることとなった。

 GHQの「神道指令」などもあり「新嘗祭」という呼称は廃止され、昭和23年に「勤労感謝の日」と改められ現在に至っているが、国柄を考えれば、やはり「勤労感謝」というより、「新嘗祭」という名称が相応しい。

 因みに天皇の即位後初めて行うものを「大嘗祭(だいじょうさい)」。宮中では天皇陛下が新穀を神々に供え、厳かに儀式を執り行う。

 宮中祭祀で特に重要なものは元旦に執り行われる「四方拝」と、本日行われる「新嘗祭」。天皇にとって最も大事なものはこうした「祭事」である。

 歴代天皇が古来より司って来た「祭事」は、現憲法によって天皇家の「私事」になってしまい、皇室典範の「大嘗祭」の規定は最早存在しない。

 現憲法は歴史的な国家としての継続された「祭祀」に関する天皇の役割を否定しており、未だ占領政策の「神道指令」の呪縛が解除されずにいるのである。

 「勤労感謝」という言葉で、その祝日の意義を薄れさせている現状と、「ハッピーマンデー」などという愚策によって国體が破壊され続けている。

 今日は県内でも「山ノ神講」として、全国各地でも山々の神に感謝し、収穫を祝う行事が各地で行われるが、要は仲間同士が集まっての飲み会。こうした昔からの風習や伝統を重んじて来たのが日本人なのだ。

 俗に、口喧しくなった愚妻を「山の神」とも揶揄するが、頭が上がらず、いつも感謝しているという意味では神様も妻君も同じ。有難いものには違いない(笑)

 国策としての農業振興と、食の安全保障や食料自給率の向上は急務だが、政府や国会議員など頭の中は景気対策ばかりで、減反政策一つ見ても、真剣に「農」を考える言葉は発せられない。

 「農業」とは愛郷心、祖国愛に繋がるもので、愛情というものがそこには無くてはならない。世界各国でも「農業」の保護政策が行われているが、それは「農は国の本」ということを自覚しているからである。

 ところが我が国は戦後GHQに拠り、「農本主義」的国家観は排除され、大輸出国の米国の戦略に嵌った儘で、更に今、米国主導のTPPに参加しようなどとは狂気の沙汰と言う他ない。

 国家の大本を米国に委ねた儘、軍事的安全保障でも自立出来ず、食料安保でも自立出来ず、これで果たして真の独立国家といえるのだろうか。

 国造りと農業の関係を経済論で語ることは、国家や郷土愛を放棄したものと誹られても仕方ないだろう。

 我々は「平成の農本主義」を構築する為にも、安易な輸入物の購入を拒否し、国産物を購入し、自給率向上を真剣に考えなくてはならない。

 本日は、「神々の加護と人々の勤労によって可能になる万物の生産を祝い、国民が互いに感謝し合う日」であり、豊穣の秋に、家族や仲間と一献やりつつ、日本の在るべき姿を語り合っては如何ですか。

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2013年11月22日

さてさて、目明きとは不自由なものだなぁ(塙保己一)


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 盲聾唖という三重苦を克服したヘレン・ケラーは知っていても、悲しいかな、「塙保己一(はなわほきいち)」を知っている人は少ない。

 訪日したヘレンは、渋谷の温故学会の講堂で、「私は塙先生のことを知った御蔭で障害を乗り越えることが出来ました。人生の目標であり、心から尊敬する人です」と語ったことは有名な逸話である。

 塙保己一は延享3(1746)年5月5日、武蔵国児玉郡保木野村(現・埼玉県本庄市児玉町)出身。江戸時代の国学者。幼名は寅之助。

 3歳の時に眼病に罹り、7歳で失明。失明後に辰之助と改め、多聞房(たもんぼう)とも名乗ったことも。15歳で雨富検校に入門してからは、千弥(せんや)、保木野一(ほきのいち)、保己一と改名した。

 文久2(1862)年、長州の伊藤博文と山尾庸三に暗殺されたとされる国学者・塙忠宝は保己一の息子でもある。

 盲目ということで針や按摩を身に付け様とするもさっぱり上達せず、身体の弱い保己一を心配した雨富検校は、「旅をすれば丈夫になるだろう」と、21歳の春、父と共に関西への旅を勧めた。

 北野天満宮を詣でた時に保己一は「菅原道真」を守護神と決めたという。

 約2ヵ月の旅行を終え、保己一の身体は丈夫になり、学問への集中力が高まった。それから3年後、最晩年の賀茂真淵に入門し「六国史」などを学ぶ。

 国学者・加茂真淵に入門した期間は僅か半年ではあったが、真淵から得た学問や同じ志しを持つ仲間は保己一にとって生涯貴重な財産となった。

 塙保己一の才能を認めた水戸藩や幕府は保己一を支援する。その甲斐あって国学研究の「和学講談所」を立ち上げ、多くの弟子を育てた。

 天明5(1785)年、水戸藩の彰考館に招かれて「参考源平盛衰記」の校訂に預かり、続いて、昨日アップした水戸光圀の「大日本史」の校正にも参画し、幕府からもその学問的力量を認められた。

 保己一が編纂した「群書類従」は、実に41年もの歳月をかけて木版、実に1万7244枚で作り上げたもので、その666冊にも及ぶ「群書類従」が完成したのは、文政2年、保己一が74歳の時である。

 「群書類従」は、我が国の貴重な古文書などを「全集」として形にしたもので、現在は国の重要無形文化財に指定されている。

 「群書類従」に続いて編纂中だった「続群書類従」などの行く末を案じながらも、同4年9月12日に逝去した。享年76歳。

 逸話がある。

 源氏物語の講義をしていた夜、風で灯りが消えた。弟子達は「先生、ちょっとお待ち下さい」と申し出ると、事情を知った保己一は、「さてさて、目明きとは不自由なものだなぁ」と朗笑したという。

 ヘレンが何故、「塙保己一」という名前を知っていたかというと、サリバン先生を紹介したベル博士が、ヘレンの両親に語って聞かせてたからで、このベル博士に保己一のことを教えたのが伊沢修二という留学生。

 後に、文部省高官・教育者となった著名な人物で、「雲に聳 ゆる 高千穂の~♪」で始まる「紀元節」の作曲家でもある。

 それにしても「目明きとは不自由なものだなぁ」とは実に意味深な言葉だ。

 「盲(めくら)千人目明き千人」というが、世の中には物の分かる人もいれば分からない人もいる。人を外見で判断したり、或いは安っぽい世論のムードに流されてはいないだろうか・・・

 まぁそんなとこで、皆さんには物事がきちんと見えてますか(笑)

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2013年11月21日

色と慾と酒とを敵と知るべし!(水戸光圀)


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 県内では「水戸黄門」の再放送されている。東野英次郎の黄門様がいい。悪人を懲らしめ、弱い者を助けるという、喩え話だと分かっていても何故か愉しく、水戸光圀は日本人なら誰もが頭の中に焼き付いている名前だろう。

 ドラマの「水戸黄門」は、松下電気産業の創立者である松下幸之助が、少年時代に読んだ、立川文庫の講談本「水戸黄門漫遊記」を基に、松下幸之助の発案で始まったドラマだということを知ってる人は少ないだろう。

 「TBSナショナル劇場」として、ドラマが始まる前に流される「明る~いナショナル 明る~いナショナル みんな~ うちじゅう~ 明る~いナショナル♪」の歌詞を、何気に口ずさめる人は多いのではなかろうか(笑)

 水戸光圀といえば、領民を愛し、善政を施した名君であり、多くの著書を遺した学者であり、将軍家の近親でありながら尊皇思想の魁となった人物だ。

 「大日本史」を編纂し、勤王の志士を鼓舞した人物で、この日本学を「水戸学」といい、佐久間象山や吉田松陰、西郷隆盛、坂本龍馬、桂小五郎など多くの志士が影響を受け、水戸学を知ることで天朝の尊厳性を崇し、鼓舞し奮い立ったのだ。

 江戸時代に培った「国学」や「日本学」による勤王思想や武士道精神、大和魂という国益中心の「愛国」「憂国」の心の成果が、「大政奉還」と「大政復古」の見事な明治維新を成し遂げたといっても過言ではない。

 因みに「大日本史」は水戸光圀一人で書き上げたものではない。水戸藩の人々がその意思を引き継ぎ、完成を見たのは明治39年。実に260年の歳月を要している。

 「大日本史」は、神武天皇から第百代の後小松天皇までの歴史が綴られている。優れた学者を集め、調査・研究を重ねた。

 ドラマの「助さん」は、ドラマでは佐々木助三郎になっているが、佐々宗 淳(別名、佐々介三郎(さっさ すけさぶろう)、「格さん」は渥美格之進。どちらも優れた学者で、光圀の代わりに全国に資料を求め旅をした。

 「大日本史」という一つの書物を作るのに260年の歳月、然も一つの精神によってこれを貫いているというのは古今東西に例がない。これ偏に水戸光圀の偉大なリーダーシップ故であり、松下幸之助もこうした人物像に心打たれたのだろう。

 水戸光圀は少年の頃、手の付けられない不良だったという。それが18歳の時、司馬遷の歴史書「史記」を読み、学問と修養に勤める様になり、「史記」に負けない歴史書を作ろうと志を立てたのだ。

 一、正直は一生の賓、堪忍は一生の相続、慈悲は一生の祈祷。
 一、苦は楽の種、楽しみは苦しみの種と知るべし。
 一、主人と親は無理なるものと思へ、下人は足らぬものと知るべし。
 一、恩を忘るる勿れ。
 一、子程に親を思へ、子なきものは身に比べ、近き手本とすべし。
 一、掟に怖(お)ぢよ、火に怖ぢよ、分別なきものに怖ぢよ。
 一、分別は堪忍なり、小なる事は分別せよ、大なることは驚くべからず。
 一、九分に足らば、十分に零るると知るべし。
 一、朝寝すべからず、話の長者すべからず
 一、色と慾と酒とを敵と知るべし。

 この座右の銘を信条として修養を積んだというが、この教えの一つに「欲と色と酒を敵と知るべし」というのがあるのが目に留まる。

 酒を飲まない人や、欲の無い人が、態態、こういうことは記さない。そういう意味でも黄門様でさえ、若い時分には女と酒に溺れ、失敗したのだろうなぁと思えば、少しは気が楽だ。呵ッ呵ッ呵ッ呵ッ呵~!

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2013年11月20日

安重根は愛国者に非ず、「李完用」こそが真の愛国者であり英雄であろう


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 初代韓国統監・伊藤博文を暗殺したとされる安重根を英雄視する韓国は、暗殺現場のハルビン駅に記念碑を作るよう中共に働きかけている。いっそのこと北朝鮮と共に中共に併呑され、朝貢し続けたらいいのに(笑)

 朴槿恵の父・高木正雄こと朴正煕もテロに遭い、その際に母・陸英修がテロで亡くなっているが、犯人の在日韓国人、南条世光こと文世光の銅像を日本で建立したらどうなるかは想像するに余りある。

 抑々、伊藤博文暗殺犯は安重根ではない。

 明治42(1909)年10月26日、ロシアのココツェフ外相との会談の為ハルピンに到着した伊藤博文は駅構内で凶弾に倒れた。

 捜査の結果全部で13発の銃弾が発射されたことが判明している。このうち安重根から発射された銃弾は5発だが、その全てが伊藤には命中していない。

 致命傷になった弾丸は駅構内の二階から発射されたフランス騎馬銃の弾丸2発。安重根が犯人ではないのは今や歴史的事実だ。

 犯人が安重根でなければ一体誰が本当の犯人なのか、真相は果たしてどうなのか、興味が灌がれる歴史の一幕である。

 当時韓国では人種差別的に、日本人に反感を持つ欧米の宣教師達が朝鮮の信者を焚き付け反日行動を煽っていたが、安重根もそんなカトリックの信者だった。

 日本の韓国支配が進むことへの不安から安重根も義兵闘争に参加するが、当時、列強が虎視眈々と狙っている国際背景に対する理解や、韓国が独立国としての対応能力を失っている点に気付かず、更に自国に対する批判や反省をすることなく、伊藤博文へのテロの実行に至った。

 この事件は日本は当然乍ら朝鮮国内を震撼させ、日本の報復を怖れた韓国政府と民衆の反応は以前から取り沙汰されていた日韓併合に傾き、日本国内でも併合論が大勢を占めたのだった。

 併合に反対だった伊藤博文が暗殺された事で、皮肉にも「日韓併合」は急速に進んだというのが現実で、今風に言えば「日韓併合」を目論む勢力の反日活動家を利用したマッチポンプだったと言えなくもない。

 この事件について「高宗」は次の様に語っている。

 「伊藤を失った事は、我国と謂わず、日本のみならず、東洋の不幸である。その凶弾が韓国人と在っては赤面の外無い。日本天皇は唯一の重臣にして太師の伊藤を亡くされた。それなのに伊藤を害した兇徒を出した国の皇太子を、飽く迄も輔育する誠意を見せた。山よりも高く海よりも深い恩義有る日本皇室に、どう感謝の意を表すべきだろうか」

 日本に敵対して来た高宗の言葉だけに、此れを聞いた朝鮮民衆の日韓併合への抵抗は薄れたのだった。

 翌年2月14日、日韓併合前に安重根は処刑された。現在、韓国では安重根を救国の義士として祀っているが、本人は草葉の陰で赤面していることだろう。

 安重根の純真な愛国心を否定するものではないが、方や、第二次、第三次「日韓条約」「日韓併合」に賛成し、朝鮮の近代化を遂げた李完用は今では「親日反民族行為者」と認定され、子孫の所有する土地、財産は没収とされた。

 日清戦争後、ロシアが南下政策を開始し、日本が割譲された遼東半島に攻め入り、韓国までも触手を伸ばすが、これを韓国独自でロシアと対峙することなど出来なかったのは歴史が証明している。

 その意味では寧ろ、日本による韓国保護の必要性を認め、日本と一体となった上で、民族の自立発展の道を模索しようとした、李完用ら「日韓合邦派」の主張の方が現実的だったと言えよう。

 韓国が非難して止まない差別と弾圧の「日帝支配」なるものも真実はその逆で、世界に例を見ない極めて公平で平等な制度だったのだ。

 今や「日韓併合」は「日帝支配」と歪曲され、「日韓合邦派」は犯罪者とされてしまっているが、果たしてどちらが本当の愛国者だったか。

 真の愛国者はテロリストの安重根に非ず。「日韓合邦派」である李完用こそが韓国の真の愛国者であり、英雄であろう。

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2013年11月19日

福島県に始まった原発の歴史が、福島の地でまたその歴史が刻まれて行く

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 福島第一原発4号機の使用済み核燃料プールに保管している燃料の取出しを開始した。廃炉に向けての第一歩だが、比較的被害が少なかった4号機だけで1533本の燃料があり、4号機だけでも処理が終了するのは来年末だ。

 3号機、そして1号機2号機の処理が終わるのも順調に行って4年後、この3機には原子炉内に溶融燃料があり、この燃料の取出し作業は根気と集中力を伴う作業になるだろう。事故の無いことを祈るばかり。

 使用済み燃料を再処理するとプルトニウムを含む酸化物が精製されるが、これを「プルサーマル」や「フルMOX」の原発で燃料として使わなければ、「国際公約違反」に問われてしまうが、こういうこともどう対処するのだろう。

 日本が余剰プルトニウムを持つことは国際的に許されない。プルトニウムの再処理も処分の仕方も具体的には決められない中で、東電にばかり責任を押し付けるのは無責任の極みだろう。

 原発事故は東電は言うに及ばず国の責任は大きい。今後は政府の責任に於いて廃炉に向けての具体的な計画と万全の対策を講じなければならない。

 使用済み燃料を再処理せずに最終処分することは、国民の安全が危険に曝されるばかりか、将来的に福島での原発事故以上の環境被害を及ぼす危険を孕んでいることを知らぬ訳ではあるまい。

 「反原発」を訴えるのは容易いが、原発を廃炉にするにしても、そのの道はとてつもなく困難を極めるものなのだ。況してや既に存在している28000トンと言われている「使用済み核燃料」をどの様に処理するつもりなのか。

 28000トンを処理するにしても、一日で処理する量は微々たるもので、全てを処理・処分することは労力とそれに伴う経費も相当なものになるだろう。

 「使用済み核燃料」は「再処理」した上で「最終処分」しなければならない訳で、今回行われている燃料棒の取出し作業の様に、22本しか収容出来ない燃料輸送容器に入れて「ハイそれまで」とは行かないのだ。

 こうした状況の中、佐藤知事が記者会見し、「作業が本当に安全なのか県民は不安に思っている。安全を最優先に、細心の注意を払って貰いたい」などと然も他人事の様に述べたが、正に当事者の自覚なし。

 今回の原発事故は「人災」だが、知事もその責任がある一人だ。不安に思うのは当然かも知れないが、県民のトップに立つ者が、福島第一原発構内で命がけで事故を収束させようと、懸命に努力している作業員を信じないでどうするのか。

 「世界が福島原発事故の行方を注視する中で、危険を伴う現場で従事している彼らの人知が、未曾有の国難を救い、その努力が必ずや報われることを願っています」くらい言えないものなのか。福島県民の不幸はトップの不能に在る。

 何れにしても、手探り状態ながら廃炉への新たな一歩が踏み出された。福島県に始まった原発の歴史が、福島の地でまた新たな歴史が刻まれて行く。


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2013年11月18日

今シーズン初のわかさぎ釣りに行って来た!

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 昨日は釣友でもあり親友の哲ちゃんと今シーズン初のわかさぎ釣りに檜原湖へ。嬉しいことに、わかさぎ釣りは初めてだという幼馴染みの弘ちゃんも同道した。

 朝4時半、自宅に迎えに来て貰い出発。途中、コンビニで買い物などを済ませて現地に向かった。6時前に桧原湖の船の出発地点に到着。

 徐々に東の空が薄っすらと明るくなってきた。出発時間は6時半、他の客も集まり、出港。といっても、現場は500メートルほど行った屋形船というかドーム船、あっという間に到着し、電動リールと仕掛けを整え、いざ。

 だが、天気は最高なのだが食いがイマイチ、全く反応がない。開始1時間で未だ2匹。3時間で3匹。他の客も口々に「今日はダメだなぁ」「今迄で最悪」「100匹より少ないなんて無いんだが」などと落胆しながらも誘いを続けてる。

 ワカサギ釣りは、回遊魚だから、集団で廻って来れば黙ってでも釣れるが、釣れない時は竿をトントンと動かしたり、しょっちゅう誘いをしてないと食いついて来ない。単純な釣りだが、釣れた時の楽しさはやった人じゃないと分かるまい。

 まぁここは運転手もいることだし、酒でもチビチビ飲みながらのんびりとやるしかない。それにしても絶好の日和で、ドームの中では半袖で十分。

 食いは悪いが、それでも何とか遊ぶことが出来た。釣果は19匹。1匹200円を越すのは納得いかないが、まぁこんな日もある。

 舟屋の夫婦も申し訳なさ気で、同道した哲ちゃんは今までで最悪の21匹。ワカサギ釣り初心者の弘ちゃんはといえば、開始早々の1匹と終了間際の1匹の計2匹。1匹2000円のワカサギはさぞ美味しかっただろうなぁ(笑)

 今日はそんなとこで、腰と肩が痛い(笑)

 今朝の地元紙には除染作業員の記事が載っている。「刃物で脅し車奪い銃刀法容疑で逮捕」「子ども3人誘拐容疑」「除染作業員の摘発急増」

 福島県内は震災と原発事故以来、除染作業員による犯罪が急増している。ゼネコンが受注する除染は福島県民は仕事に従事出来ないという意味不明な申し合わせがある為に、作業員の約6割は県外からの労働者だ。

 こんなことは言いたくはないが、地元で正職に就いていれば、態態福島県まで来て除染作業員になどにならないだろう。県内には県外ナンバーが目立つ。近所ですれ違う作業員を見渡しても、余りいい印象はない。

 原発事故以来、福島県内で逮捕・摘発された除染作業員は実に148人に及ぶ。これ以外に摘発されない犯罪者がいるのは当然の話し。

 傷害事件と窃盗が多く、覚醒剤取締法、監禁事件など。原発関連作業員の事件の中でも最悪な事件が「いわき市永崎海岸強盗強姦事件」だろう。

 いわき市に遊びに来た県中地区のカップルを襲い、男性ナイフで脅し暴行し現金を奪い、4人で執拗に女性を強姦した鬼畜の如き犯罪だった。

 犯行に及んだ2人が未成年ということで報道も遠慮がちだったが、こいつらもゼネコンの下請けの神奈川県の建設業者から送られて来た不良どもだ。

 元請けのゼネコンを始め、この神奈川県の建設業者の名前を公表し、責任を負わせるべきだと思うが、行政側からも何ら指導も成されていない。

 「反原発」や「脱原発」を訴えるのも結構だが、原発事故での放射線被害は皆無だが、過剰な放射線へのヒステリーによって生み出された除染という作業によって、県民の安心安全が脅かされている現実をどう思っているのだろう。

 まぁそんなとこで、桧原湖を始め県内のワカサギはセシウムなど心配いりません。皆さんもわかさぎ釣り、始めませんか。呵呵。


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2013年11月16日

朴槿恵、日中韓の歴史教科書をつくることを提案

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 朴槿恵大統領は、「ドイツとフランスのように、東北アジア共同の歴史教科書を発刊することで、欧州のように協力と対話を積み重ねることができる」と述べ、日中韓を念頭に共同で歴史教科書をつくることを提案した。

 日韓両政府の合意に基いて「日韓歴史共同研究」という茶番が行われているが、「日中歴史共同研究」然り、歴史の共同認識など抑々共有出来るものではない。

 韓国側の歴史教科書に対する要求は、歴史解釈という様な範疇ではなく、我が国の歴史そのものを否定するもので、無意味且つ労力の無駄で即刻止めるべきだ。

 韓国は「韓国併合」は西洋列強のアジアの植民地支配とは違うという。

 進んだ文化を持つ国が、遅れた国を支配することは至極当然であり、西洋の植民地支配は先進国が後進国を支配したのであって、後進国の日本による韓国併合は、ナチスドイツのフランス侵略と同じで赦されるものではないというのだ。

 これは正に「事大思想」であり、こうした認識には呆れるばかり。

 韓国が進歩しないのはこうした民族性が原因でもあるが、因みにイギリスもフランスも米国も過去の植民地支配を謝罪したことも無く、それらの国を咎められず、日本にしか謝罪要求出来ないのは事大思想が故である。

 韓国は、米国の傀儡・李承晩らが創り上げたウソの歴史を鵜呑みにし、愛国者​気取りで日本に憎悪を剥き出しにするが、日本へ歴史認識を云々言​う前に、韓国こそ冷静に公正な歴史を学ぶべきだ。

 だが、悲しいことに韓国の歴史というのは全てが「反日」のみで、その​歴史を疑うことを知らない。我が国にも未だ米国の戦後民主主義を鵜呑みにしている輩がいるがそれと同じで、それはそれで気の毒とも言えなくもない。

 韓国のウソの原点は李承晩の「大韓民国臨時政府」のウソに在る。

 ​国定教科書でも「対日宣戦布告」を過度に強調する余り、ウソに​ウソを重ねるしかなくなっているのが現状で、こうした間違いに目を向けず、全てを日本の責任とするのは甘えであり、主権国家としての権利を放棄したことと同じである。

 韓国にしろ、中共にしろ国家として我が国と戦った歴史はない。中共は国民党と共産党による「国共戦争」の結果であり、韓国が独立出来たのも、敗戦に乗じ、米国からの御祝儀、餞別の様なものでしかない。

 「日清戦争」というのも朝鮮を巡る戦いだったが、「日露戦争」後の日韓関係の悲劇の現実こそが「日韓併合」であり、大東亜戦争​も「朝鮮人も日本人として共にアジア解放の聖戦に立ち上がった」というのが真実だ。

 その事実を伝えないで、反日活動家だった李承晩の「臨時政府として対日宣戦に​参加した」などというウソを否定もせず、教えるからややこしくなるのだ。

 韓国の憲法の前文には、「大韓民国は3.1運動により建てられた大韓民​国臨時政府の法統を受け継ぐ」と規定していることからも、韓国は真に歴史を共同研究したいのならば、先ずは自国の捏造された歴史に目を向けるべきだ。

 抑々、「大韓民国臨時政​府」は、サンフランシスコ講和条約への​署名も認められなかったことでも分かる様に国際的にも認められてはいない。

 こうした国際的な常識を無視し、「悪逆非道な日本からの独立を我々の手で勝ち取った」と​いう神話を捏造してしまったところに韓国の悲劇が在る。

 何か問題が起こる度に「全ての責任は日本に在る」という遁辞は止めるべきだ。何れにしても韓国は、自らの責任を真正面から見つめ直すべきだ。

 更に言わせて貰えれば、「日韓併合」時代にしても韓国は「日帝36年」と批判して憚らないが、果たしてそうだったのだろうか。

 当時、韓国国民独自の力による近代独立国家建設の道など在り得ない。彼らに、あの巨大ロシア勢力の排除など到底無理だったことは、日清・日露戦争時代の近代史を学べば解ることだ。

 日清戦争後、ロシアが南下政策を開始し、日本が戦利品として割譲された、遼東半島に攻め入り、韓国までも触手を伸ばしている時に韓国独自でロシアと対峙することなど到底不可能だったのだ。

 その意味では、寧ろ日本による韓国保護の必要性を認め、日本と一体となった上で、民族の自立発展の道を模索しようとした「日韓合邦派」の主張の方が現実的だったと言えよう。

 その合邦派を「日帝の手先」として糾弾し、その子孫も「親日分子取締法」によって弾圧する韓国に、歴史の共同研究など語る資格はない。

 厚顔にも朴槿恵が「日中韓で歴史教科書の共同研究を」などと提案しているが、これ即ち己の歴史を知らない故の妄言であり、我が国がそれらを受け容れるということは歴史の捏造に与することと同じ。断じて赦されるものではない。

 歴史の問題は、一国の存亡に係わる大事であり、安易に譲歩するべからず。


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2013年11月15日

「人は何の為に死ぬのか」「人は何の為に死なねばならないのか」

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 昭和45年11月25日、三島由紀夫は森田必勝と共に、市ヶ谷駐屯地に於いて米国依存体制からの脱却を訴え、壮絶な死を遂げた。

 携行した「檄文」には次の様な一節が在る。

 「我々は戦後の経済的繁栄に現を抜かし、国の大本を忘れ国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場凌ぎの偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は自己保身、権力欲、偽善のみに捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されず誤魔化され、日本人自ら、日本の歴史と伝統を潰して行くのを歯噛みしながら見ていなければならなかった・・・」

 それから 三年後の昭和48年11月20日、靖國神社の社頭で壮絶な割腹自殺を遂げた青年がいる。その名は土方英次。

 携行していた遺書には次の様な決意が綴られていたという。

 「世に言う三島事件以来、早や三年幾月が経過しましたが、現状の日本社会は混乱を来たし、富の偏差は甚だしく、人心は乱れ、巷での悲劇は枚挙にいとまがない。日本民族に継承されつづけた伝統、美的心を失った者が世に氾濫し、正直者が馬鹿をみる社会風潮は一向に改められるような兆候は見受けられない。あの故三島由紀夫先生の死が、我々日本国民一人一人にとって、又現在直面している日本社会にとって、歴史的に何を意味するものであるかを今一度今一度日本人の心に立ち帰り、直視しなければならない」

 だが、この事件はマスコミによって隠蔽され、或いは歪曲され、土方英次のやむに已まれぬ信条が公表されることはなかった。

 この翌年の2月11日、元国士舘大生・大橋正文も靖國の同じ場所で自刃する。その遺書には前年に自刃した土方英次の覚悟が綴られ、土方は「叔父」であることを明らかにしている。

 「今日、建国の日をもって我らが憂うる御国に命、捧げん。我、日本人に生、受けたるを喜ぶ。土方英次(叔父)昭和四十八年十一日二十日自刃。大橋正文昭和四十九年二月十一日(建国記念の日)」

 「叔父、故土方英次の名を記しましたのは、平常、小生と同様の考えを持ち、同様に割腹自決して果てた故人の死が誤った形で世間に伝わり、その無常さを思うと、忍びず、真に勝手独断な振舞ではありますが、小生の至情お察し下さいますよう。昭和四十九年二月十一日。元国士館大生・大橋正文」

 「遺書」に記した「元国士舘大生」という文字に、大橋正文という真の愛国者の国士舘への思慕の念がひしひしと伝わって、泣けてくる。

 愚生も国士舘OBではあるが、恥ずかしながら、この事件も、先輩である大橋正文という名前も知らなかった。facebookや国士舘の「皇国史観研究会」のブログでこの事実を知り、OBとして、また今を生きる日本人として忝さで一杯だ。

 大橋烈士の自決を受けて、「国士舘大学有志」「大橋正文君遺徳顕彰会」が設立され、大橋烈士の義挙を称える冊子が発行された。当時の国士舘大学・柴田梵天総長が大橋烈士の両親に宛てた形で記している。

 「昨今の時勢は、純真なる真日本人には、忍び難き状況にて、我々も心から義憤を禁じ得ません。私は故正文様の挙が決して無にならぬことを固く信じ、又、我等一同心から、御冥福を御祈り致しおる旨御霊前に御報告いただきますならば、誠に幸いでございます」

 しかしながら、梵天総長が「故正文様の挙が決して無にならぬことを固く信じ」と宣ったにも拘らず、マスコミからのバッシングを懼れたのか、或いは文部省からの圧力か、その後、大橋烈士の義挙が国士舘で語り継がれることは無く、こうした冊子も学生らが目にすることも無かったことは総長の不徳の致すところだろう。

 因みに、愚生が入学したのが昭和54年、事件から未だ5年ほどしか経っていなかった訳だが、先輩らからもこの話を聞かされたことはない。

 元国士舘大生・大橋正文とその叔父の土方英次両名の、三島由紀夫に追随した憂国の至情と、この世を超え、生き代わり、死に代わりつつ「永遠」に生き続ける魂を、我々は決して忘れることなく語り継がねばならない。

 楠木兄弟を始め、大東亜戦争での特攻隊など「義」を貫いた方々は多く存在する。彼らの最後は、余人の想像を絶する悲しみや苦しみの世界を潜り抜けたに違いない。彼らの渾身の悩みに比べれば我々の悩みなどちっぽけなものなのだ。

 楠木兄弟や英霊、山口二矢、三島由紀夫、森田必勝、野村秋介、そして土方英次と大橋正文と同じ生き方は到底出来まい。ならば、我々は「人は何の為に死ぬのか」「人は何の為に死なねばならないのか」ということを身を以て示した、彼らの崇高な精神を忘れてはならない。

 「留めおきし大和魂時を得て たぎる血しほか匂うもみじば」(柴田徳次郎)


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2013年11月14日

般若心経の「羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」の響きが好きだ

「般若心経」は、お釈迦様が弟子の舎利弗(子)に語った「悟りを成就する道」であり、その語った言葉を三蔵法師が訳したものだ。

 文字数は題字を含め276文字で「空」が7回、「無」が21回、「不」が9回、般若心経の教えは「空」であり、その「空」を知り「空」に生きることにある。

「三蔵法師」というと西遊記の夏目雅子を思い浮かべてしまうが、「三蔵法師」というのは仏教の経蔵・律蔵・論蔵の三蔵に精通した僧侶のことで、夏目雅子が演じた「玄奘三蔵」も三蔵法師のひとりに過ぎない。

 死んで戒名を頂くというのは釈迦の弟子になるということだ。つまり、仏教徒というのは死後も修行の道を選ぶのだから実に信心深い。

 ならばせめて自ら苦労されて心理の世界に到達し、これこそが真理の道と説かれた「般若心経」くらいは覚えて損はない。

 般若心経は最後の「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶」(ぎゃーていぎゃーてい、はらそーぎゃーてい、ぼーじーそわか)の響きが好きだ。

「さぁ皆一緒に、真の幸せの世界に行こうではないか!」という呼びかけに応えるには、如何に生きるべきかという意味である。

 愚生は仏教徒でもないし、日蓮などを信仰している訳でもないが、「仏」というのは夫夫の心に在り、「極楽浄土」は現世に存在しているものだと思っている。

 自分より劣る者、或いは貧しいものを救うことこそが「極楽浄土」だと勝手に解釈し、微力ながらも実行しているつもりだ。

 大乗仏教の中では「華厳経」というのに興味がある。「一即一切一切即一」という「一塵の中に全世界が宿り、一瞬の中に永遠が在る」という教えが好い。

 因みに「般若心経」は276文字だが、実は「教育勅語」の方が315文字と多い。「般若心経」の方が少ないと自分に言い聞かせれば暗記するのも容易い。

 11日の午前1時59分日、本家の従兄弟が亡くなった。享年79歳。父方の従兄弟の中では父が末っ子で、愚生も末っ子だったので、当然従兄弟の中でも愚生が一番若い。自分よりも25歳も上だが「嘉兄ちゃ」と慕い色々面倒を見て貰った。

 晩年は体調を悪くして、本人も介護する家族も大変だったと思う。嘉兄ちゃと、そして嫁さんのスイ子ちゃん、本当に御苦労様でした。

 昨日は通夜で今日が告別式。式は浄土真宗で行われた。浄土真宗というのは「死」は「穢れ」ではないと教えている。

 故人を阿弥陀如来さまの智慧の光明によって極楽浄土へと導く教えで、所謂「他力本願」というものだ。浄土真宗では「般若心経」は唱えない。

 通夜では「正信念仏偈(げ)」という有難い御経が書かれてあるビラを頂き、道士と一緒に念仏を唱和した。

 その後、説教があり、「阿弥陀如来様は誰にでも分け隔てなく御救い下さります」ということだったが、貰ったビラは捨てると如何にも罰が当るぞと言わんばかり「大事に取って決してゴミ箱には捨てない様に」と釘を刺された。

「あれ、阿弥陀如来様は分け隔てなく御救い下さるんじゃなかったっけ」とツッコミながら、流石、浄土真宗本願寺派は意外と小さいと悟る(笑)

 そういや、「本願寺派」と「大谷派」で結成された「非戦平和共同行動委員会」や「反靖国連帯会議」「反靖国全国連絡会」「非武装平和を願う会」「真宗遺族会」は、閣僚の靖国神社参拝や、「つくる会」の教科書採択に反対している。

 このズラリ並んだ名前からも分かる様に、宗教家とは程遠い「国賊宗教団体」と言った方が好いだろう。

 靖國神社に反対する理由として、「アジア諸国への侵略を聖戦とし、戦死者を英霊と称えることで戦争を美化・肯定する役割を果たしてきたのがヤスクニの思想であり、宗門の過去の過ちに学び、平和な社会を実現する為だ」と表明している。 

 要は、今や「浄土真宗」は親鸞の教えとは程遠い、國體破壊を最大目標とする日本最大の邪教と言っても過言ではなく創価ガッカリとどっこいどっこい。

 まぁゴミ箱に捨てはしないが、新聞と一緒に処分するだろうなぁ。呵呵大笑。

※コメントは会員のみにさせて頂いております。コメント入力希望の方はパスワードを教えますので mr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを!

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2013年11月13日

小泉純一郎の「脱原発論」のセンチメンタリズムを嗤う

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 小泉純一郎が「脱原発」に躍起だ。放射性廃棄物の最処分場が確保されていないというのが最大の理由らしいが、こうした重要な問題を放置し続けて来た責任は歴代の自民党に在る。

 そういうことを無視し、今更ながら時流に乗って、「即ゼロがいい」などと煽動していることこそ無責任の極みだろう。

 安倍首相に対し「脱原発」を政治決断する様に迫った上で、「政治が原発ゼロの方針を出せば必ず智恵のある人がいい方針を出す。専門家の知恵を借り、その結果を尊重して進めるべきだ」と尤もらしく訴える。

 だが、その「必ず知恵のある人が・・・」という言い方こそ具体性に欠ける無責任な発言そのもの。「(原発費用を)代替エネルギーに費用を回した方が、エネルギー源が開発される」というのも具体性に欠ける夢物語に過ぎない。

 新規原発の増設が不可能な中で、将来的に「原発ゼロ」に向うのは必至。だが、世界の流れは原発の推進であり、中共を始め、韓国にしろ増設だ。

 国内では「脱原発」「反原発」運動が盛んだが、現在、世界に在る400基の原発は2020年には800基になる。代替エネルギーが開発されていない中で、我が国だけが原発を捨てるというのは余りにも危険過ぎる。

 小泉の狙いは、その代替エネルギーによって利益を得ようと謀る、米国を始めとした多国籍企業への我田引水に過ぎない。

 我が国の電力の現況は90%が火力発電によって賄われているが、このまま原発依存から脱却し、化石燃料への依存度が高いまま推移した場合に様々な弊害が出て来ることは火を見るより明らかだ。

 例えば、自衛隊の存在があやふやなままで、万が一、シーレーンを封鎖された場合、原発事故以上のパニックが起きるのは必至だ。

 日本は四辺を海に囲まれた島国であり、オイルショックの経験から産油国との外交関係の重要性、そしてシーレーンの安定化が不可欠と感じた日本は外洋に伸びるシーレーン千海里防衛構想を策定した。

 国内経済も多くを海上交易に依存し、日本の輸入依存度の高さは石油が99.8%、石炭98.4%、天然ガス(LNG)96.6%、原子力(ウラン)に至っては100%を依存している。輸出も然り。

 こうしたことからも日本でも、海洋国家として自国のシーレーン防衛の重要性が認識され、海上自衛隊もシーレーン防衛として「対潜水艦戦」や「対機雷戦」に重点に訓練を行っている。

 現在もイランの核開発によるホルムズ海峡の危機や、中共の覇権主義によって南シナ海や東シナ海、そして尖閣列島などが脅かされているが、適切な海上権益を確保し、マラッカ海峡から日本までのシーレーンの安全を確保することが重要だ。

 日米軍事同盟を結んでいる国として米軍と協力して、千海里防衛は当然ながら、太平洋~インド洋地域、南シナ海、東シナ海のシーレーンの防衛体制を確立することが大事であり、それが結果的には中東等での事態発生に対する抑止力となり、中共の野望も阻止出来るのだ。

 「脱原発」の流れで原発を廃炉にし、代替エネルギーも確保されないままで、もし化石燃料による電力のみに移行した場合、それは自殺行為とも言える。

 「脱原発」もいいが、シーレーンの防衛こそ真剣に考えなければならないのだが、小泉や反原発派からは全くそんな声は聞かれない。

 原発を再稼働しない場合の代替のエネルギーが、太陽光や風力といった不安定な電力供給で本当に大丈夫なのか。太陽光発電は夜間や雨天、曇天では効果は少ないし、風力は風が吹かなければどうにもならない。

 その点、原発は「プルサーマル」や「高速増殖炉」も実用化出来れば、化石燃料に依存しなくてもかなりのエネルギーは自国で賄える。

 「脱原発」の理想は分かるが、それよりも現存する原発の安全対策を盤石に施し、核リサイクルなどの技術開発研究こそが喫緊の課題ではないのか。

 将来的に原発依存から脱却を図るなら、安定的に電力を供給できる新エネルギーや、蓄電技術などへの莫大な投資が必要になることは自明の理だが、原発費用を充てろなどとは勝手過ぎる言い分だ。 

 「エネルギー供給の危機」をクリアした上で、太陽光や水力、火力、風力、或いはメタンハイドレートへの投資や、蓄電の技術開発に多額の資金を投じれば、将来的な脱原発への道が開かれるだろうが、実際には実現するにしても相当先の話。

 何より、既に存在している28000トン在ると言われている「使用済み核燃料」をどのように処理するのか。これを「再処理」した上で「最終処分」しなければならないのを知らない訳ではあるまい。

 反原発派は「原発は危険だから、即時停止しろ!」「再処理はコストがかかるから再処理せずに廃炉にしろ」などととんでもないことをと叫んでいる。

 そんな中で、福島第一原発の核燃料棒の取り出し作業が行われる訳だが、使用済み燃料を再処理せずに最終処分することは、国民の安全が危険に曝されるばかりか、将来的に福島での原発事故以上の環境被害を及ぼす危険を孕んでいる。

 使用済み燃料を再処理するとプルトニウムを含む酸化物が精製されるが、これを「プルサーマル」や「フルMOX」の原発で燃料として使わなければ、国際公約に違反していることになってしまう。

 日本が余剰プルトニウムを持つことは国際的に許されないのだ。

 とすると、使用済み核燃料を再処理してしまうと日本は、原発を動かし続けなければならなず、反原発派が使用済み核燃料の再処理に反対し、「即時停止」を叫ぶのもこうした理由からだが、軽佻浮薄とはこのことだろう。

 今や「反原発」の主役として時の人となった小泉純一郎だが、その発言は相変わらず中身の無いセンチメンタルリズム。これを嗤わずにはいられない。


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2013年11月11日

新聞休刊日の隔靴掻痒な気分の中で徒然なるままに綴ってみた(笑)

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 民主党政権の茶番といえば「仕分け作業」だろう。仕分けによって様々な弊害が出た。津波による被害の想定も「1000年に1度くるかどうかも分からない事業に予算は組めない」と言った途端、その1000年に1度という地震が来た。

 最悪の政権の時に最悪の災害が襲ったことは天譴というものだろうか。揚句に菅の現場視察というパフォーマンスが火に油を注いだ。福島原発事故は「反原発」を訴える菅のマッチポンプと断じていいだろう。

 仕分けによって予算の無駄を削り、財源を確保するのというは結構なことだ。だが、アジア情勢が緊迫する中で、防衛省への予算カットや人員削減は頂けない。士気が下がる。自衛官の報酬こそアップすべきだ。

 少子化にも拘らず日教組に気を使い、結果は増員となったが、少子化を控え、教育ですべきは「合同のクラス」で、別に1年生と2二年生が合同で授業を行っても何ら差し支えないし、現に過疎地域ではそういった学校は幾らでも在る。

 少子化で一人っ子の家庭が多い中、合同のクラス学校で兄弟や姉妹といった家族意識を味わえ、情操教育にも役立ち一石二鳥だと思う。

 先端技術の研究開発事業の削減も決定したが、「科学技術創造立国」や「国家基幹技術」を目指す日本には逆行するもので、「観光立国」なんぞ早々に止めて、「科学技術創造立国」を目指すべきだろう。

 スポーツ振興の費用の削減も、夢を無くすものだった。2020年の東京オリンピックに向けて、子供達に夢を与える充実した予算を組まなくてはならない。

 国家の大本を為す「国防」や「教育」や「研究開発」が、単なる費用対効果の対象にされたのは残念で、これだけ大騒ぎして、結果は1兆8千億円程度の予算が削減出来ただけだった。

 我が国の無駄といえば政治家の報酬。地方議員は日当制で十分。 国会議員も山本太郎やアントニオ猪木を見ていれば参議院の廃止がいい(笑)

 「政治家は隗より始めよ!」とはいうが、政治家が自ら率先垂範してることなど見たことはない。やってることといえば全てが「我田引水」だ。

 何より無駄なのは「男女共同参画社会」の関連予算だろう。或いは、在日への生活保護も廃止し、現在の医療制度を見直しすれば10兆円以上が削減出来るし、そうすれば消費税も上げなくて済む。

 現在の予算の組み立てをガラガラポンした方がいい。目先をチマチマと見直すだけだからダメなのだ。序に政党もガラガラポンするのがいい(笑)

 まぁそんなとこで、週の初め、新聞休刊日の隔靴掻痒な気分の中で、何となく徒然なるままに綴ってみました。呵呵。


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2013年11月10日

年間被曝線量「20ミリシーベルト以下」、健康影響なし!

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 昨日の地元紙の一面に「20ミリシーベルト以下、健康影響なし」との見出しが躍った。原子力規制委員会が「放射線防護対策」の年間被曝線量の提言を行う。

 年間20ミリシーベルト以下であれば人体に影響が出ることもないし、それが世界の共通認識だが、武田邦彦らマスコミ御用達の評論家などが煽って、民主党政権下で摩訶不思議な「1ミリシーベルト以下」という数値が示されただけのこと。

 この「1ミリシーベルト以下」という数値が、国民の放射線への間違った認識と、それに伴う風評被害や、復旧をも阻む元凶と言っても過言ではない。

 今更ながらの数値だが、これによって「年間1ミリシーベルト以下」として行われてきた除染作業も見直しが迫られるだろう。

 抑々、除染作業は科学的にも意味はない。除染費用は国が管轄し自治体が発注しているが、最終的には東電が支払う訳で、要は国民が電気料として徴収される。

 その額は1兆円を越し、5兆円と見積もりされたが東電が免除を申請し、東電が3億円を負担し、今後は国の公共工事として1兆円が計上されている。

 現在の除染は年間被曝を1ミリシーベルト以下とするために、室内線量を毎時0.23ミリシーベルト以下に抑えなければならないとしているが、セシウムの半減期は100日で、1ミリシーベルトを365日で割ることも意味はない。

 実際には室内線量が0.23どころか、外の数値でもそれより低い場所の除染も業者への垂れ流しの如く発注しているのが現状なのだ。

 東電が支払う訳だから別にいいが、これが公共となれば別問題。血税が無駄な事業に垂れ流されているのを傍観している訳には参らない。

 「脱原発」を訴える勢力からの煽りを受けて「除染」が行われる様になったのだが、「脱原発派」は除染問題は全くといっていいほど興味はない。

 その放射線被害の煽りの代表と言われるのが山本太郎であり、大江健三郎であり、坂本龍一であり、極左「中核派」を始めとした連中だ。

 「脱原発」を掲げ、「子どもたちを放射線から守れ!」というキレイゴトが福島県と県民差別に繋がり、復興は愚か復旧をも阻害する。

 山本太郎は「御宸襟」を悩ませることに猛省したが、ならば「原発を推進し、それに拠って御宸襟を悩ませてる連中こそ猛省せよ!」との意見を目にした。

 一見尤もらしい意見だが、福島に「原発」が設置され、連日の様にあった停電は無くなり、テレビや冷蔵庫など家電が各家庭にも溢れる様になったあの時代の喜びを、「人災」によって齎された事故によって全否定されるのは如何だろう。

 それこそ40年前の原発推進という国策をも遡って否定してる連中は、「事後法」によって前大統領らを逮捕し、また併合や創氏改名をも否定する、あの性悪などこかの国の連中と共通すると感じるのはチョッと穿ち過ぎだろうか。

 原発事故以来、ロクに休養も取らず、家族にも会わず、福島第一原発構内で命がけで事故を収束させようと、懸命に努力している勇士や英雄らがいることを我々は忘れてしまっているのではなかろうか。

 そういった方々の努力や犠牲の上に今の生活が成り立っているのだ。原発の仕事に誇りと覚悟を持ってこの困難に立ち向かった方々の尽力の賜物であり、言い換えれば彼らこそが真のヒーローであり、愛国者だと思う。

 世界が福島原発事故の行方を注視する中で、現場で従事している彼らの人知が未曾有の国難を救い、その努力が必ずや報われることを願って止まない。


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2013年11月09日

我が国には、中国共産党を付け上がらせた責任が在る!

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 中華人民共和国(中共)は、「人民の国」とは名ばかりの、「共産主義」を最高原理と崇める帝国主義国家である。 第二次世界大戦以降、中共は膨大な軍事力を背景に周辺諸国を弾圧して来た。

 例えばチベット。チベットは日本と並ぶ長い歴史を持つ独立国だ。このチベットの広大な国土を奪い獲った上に「民族浄化」を推進する中京軍がチベット人に行った弾圧の凄まじさは筆舌に尽くし難い。

 生爪を剥し、逆さ吊りにして鞭打つことなど珍しくなく、凄惨な拷問に加え、凄まじい「移住政策」と「民族浄化」という名のレイプである。

 人口600万人の国に、その人口を上回る漢民族が移住し、チベット人の血は混血によって薄められていく。

 トルコ系の民族が多く住む「東トルキスタン共和国」も同様で、歴史的に見ても侵略に晒される事が多く、「唐」や「モンゴル帝国」、「清」などの支配下に置かれていた時代もある様に、支那大陸における王朝の興亡の影響を強く受けてきた不運な民族がウイグル人でもある。

 「東トルキスタン共和国」として独立を果たそうとしているが、1955年の中華人民共和国の侵略より「新疆ウィグル自治区」として設置されて今日に至っている。

 「自治区」とされた後のトルキスタンの人々の受ける迫害は凄まじく、膨大な数の死者と、7万人以上がソ連(現ロシア)へ逃亡した。

 その他にも有名な「ロブノール核実験場」における1964年から実に46回の核実験が行われ、19万人の死亡者と約130万人の健康被害者が出ている。

 日本国内で原発事故の健康不安を煽り国民を誑かしてる連中は、このウイグルの悲劇を何故か語ろうとしない。

 武力、暴力、弾圧、無法によって国土を拡大して来た国は、今世紀地球上で中共一国であり、共産党一党独裁の国との友好など笑止千万である。

 その中共で今、新たな動きが芽生えようとしている。天安門広場での自爆行為や山西省の共産党委員会前での連続爆発がそうだ。

 中国共産党は火消しと犯人でっち上げに躍起な様だが、これらの事件は共産主義崩壊の序章に過ぎない。

 この事件を機に、中国共産党による人権弾圧を世界に明らかにし、共産主義という人類史上最悪の体制を崩壊に導かなければならない。

 歴史に「もし」ということはないが、日米が戦わず、蒋介石との和平が実現していれば満州国は保全され、中華民国は中国共産党を圧倒していただろう。

 そうすれば中国共産党の大躍進や文化大革命や天安門事件も起きなかったし、北朝鮮の独裁政治も拉致事件も起きなかったのだ。

 大東亜戦争とは、ソ連コミンテルンと中国共産党、そして日本の共産主義者が仕組んだ、共産革命の実現の為に、マルクス・レーニン主義者の策謀にまんまと嵌ってしまった戦争とも言えるのだ。

 その視点に立った時、我々は何を成すべきか。

 大東亜戦争自体、恥ずべきものではない。左翼どもは「侵略戦争」と宣い「アジアの人々に多大の迷惑を掛けた」と罵るが、日本はアジアを侵略したのではなく、アジアを侵略していた連合国と戦ったのだ。

 それでも未だアジアの人々に謝罪をする必要が足りないというなら、最大の過ちは共産主義の跳梁跋扈を許したことであり、最大の償いはその共産主義を失くすこと以外にはない。

 我が国には、中国共産党を付け上がらせた責任が在るのだ。


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2013年11月08日

天皇の「政治利用」ってなんだろう・・・

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 安倍が「主権回復記念日に難色を示す宮内庁を押し切って天皇陛下万歳!とやったじゃないか」だとか、「小沢が習近平と陛下の謁見を無理強いしたじゃないか」だとか、「山本の行為を政治利用というなら、そっちこそ問題だ」という様なトンチンカンな意見を目にした。

 「議会開設120年記念式典」で、御臨席遊ばされた秋篠宮殿下並びに同妃殿下に対し、当時の衆議院予算委員長だった中井洽(なかいひろし)「早く座れよ、こっちも座れないじゃないか」などと野次を飛ばしていたこともあったし、自民党の相澤一郎の携帯が場内に鳴り響いた。

 「中井の発言が失礼なら、携帯も失礼だ」という様なトンチンカンな意見が出て、結局は中井への処分は成されることはなかったが、今回の山本の蛮行も、結局は中途半端なトンチンカンな解決で終わるだろうことは予想出来る。

 「中井は腹を斬れ!」だとか騒いだ売文屋や、血判状を叩き付けた右翼や、大手右翼団体の大先生方も、何故か今回は余り過激な発言や抗議はしていない。やはり相手が中核派絡みだと、そうも行かない様だ(嗤)

 天皇の「政治利用」っていうのは何なのだろう。

 陛下がもし靖國に詣でれば「政治利用だ」と騒ぐ輩も出て来るだろうし、陛下の国会の開会式への出席もそうだが、「政治利用であり、天皇は憲法違反の存在である」という共産党の暴言も正論となってしまうだろう。

 「利用」という安っぽい言い回しが実に不敬なものに感じてしまう。

 天皇の「国事行為」について、憲法は、首相の任命、憲法改正や法律の公布、外国大使らの接受等を定めているが「公的行為」は現憲法に明文化されていない。

 天皇は憲法上の制約から、国事行為として「国会の開会式」「首相や最高裁長官の親任式」「大臣の認証式」「親授式」など年間約60回、国賓・公賓への接遇や会見、会食などの御公務を約170回お努めになられる。

 こうした国事行為をどの様に対処する積もりなのか決めてもいないのに、軽々しく「政治利用」だとか論ずることに不快感を覚える。

 天皇にとって大事なものは「祭事」である。

 歴代天皇が古来より司って来た「祭事」は、現憲法によって天皇家の「私事」になってしまい、皇室典範の「大嘗祭」の規定は最早存在しない。

 現憲法は歴史的な国家としての継続された「祭祀」に関する天皇の役割を否定しており、未だ占領政策の「神道指令」の呪縛が解除されずにいるのである。

 「新憲法制定」を標榜する自民党政権は、早々に現憲法を放棄し、陛下の御負担になっている国事行為を無くしてくれるとでも言うのだろうか。

 「国民投票法」も先送りし、「集団的自衛権」の解釈すら出来ない自民党や自称・保守勢力が陛下のお努めの御苦労を知ることはない。

 天皇の祭事は、元旦早々の「四方拝」から始まり「歳旦祭」「元始祭」や毎月の旬祭など、年に50回程に上るが、こうしたものは公的行為ではない。

 「国安かれ民安かれ」と国家国民の安寧を祈る存在こそが天皇なのであり、本来ならば国事行為や公的行為よりも優先されるべきものなのである。

 静謐な環境の中で、政治的に利用されることのない中で、尊い存在として「祭祀」を執り行って頂く為には京都への「遷宮」も一つの選択肢であろう。

 だが、先ずは我々国民が、天皇が日本の歴史の中で果たして来られた役割や、在り方を学ぶべきである。

 祭儀や国事行為などでの陛下の御苦労を理解していない連中が、「天皇の政治利用」などという議論をしていること自体、実に痴がましい。


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2013年11月07日

中共で使われている漢字の多くは「日本製」である

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 「観光立国」の名の下に推進されているハングルや支那語の表記は何の為に行っているのか意味不明。韓国客は別に支那人や朝鮮人だけではなく、これも「近隣諸国条項」の流れだとすれば御粗末過ぎる。

 抑々、中共国内で使用されている、「人民共和国、共産主義、共産党、革命、共和、左翼、唯物論、社会主義、右翼、演説、警察、芸術、自然、自由、新聞、鉄道、文学、歴史・・・」等等、こうした日常用語は、実は総て日本で作られた漢字だということを知っているだろうか。

 過去に人民日報の姉妹紙「環境時報」が、使用されている「日本式漢字語」の実態に触れながら、無分別な和製漢字語導入をめぐり、1世紀前の支那で戦わされた論争を紹介し注目を引いたことがある。

 それに拠れば、現在、中共で使用されている社会、人文分野の用語の実に約70%が、日本から導入された外来語(日本語)だ。

 清朝末期、日清戦争に敗北した支那では庚有為が中心となって「維新変法」(自主的な近代化の試み)を進めたが、その取り組みが保守派の抵抗で挫折した後、和製漢字語が本格的に流入し始めることになった。

 日清戦争後から、支那は近くに存在する日本に注目し始め、近代化を目指す多くの留学生が西欧の文物を間接的に学ぶ為、日本に渡り始めた。

 近代支那の代表的知識人として知られている梁啓超も、和製漢字語の普及に大きな影響を与えた一人だが、彼は日本に亡命しながら、日本の小説などを翻訳し、自らが創刊した「清議報」に連載するなどした人物だ。

 支那に於ける和製漢字語研究の第一人者、王彬彬は、「我々が使っている西洋の概念は、基本的に日本人が我々に代わって翻訳してくれたものであり、中国と西洋の間には永遠に日本が介在している」と正鵠を射た意見を述べている。

 日本の漢字用語は、西洋の語彙を日本語に置き換えたもので、この「漢字」こそが日本の文化と言っても過言ではない。

 尤も、現代の支那人に日本人の様な芸当は出来ないし、智慧もない。

 中共も「反日教育」徹底するなら、「和製漢字」の使用でも禁止したら如何と思うが、「和製漢字」を捨てることなど不可能だし、混乱を極めることは必至。

 尤も、無恥で厚顔不遜な連中のこと、その「和製漢字」そのものも「日本製」だと認めることもないだろう。

 日本国内でも未だに中共に阿り、支那との関係を「一衣帯水」だとか、「同文同種」だからと信じて止まないアホ連中が多いが、我が国と支那との関係は「一衣帯水」でもなければ「同種同文」などでもない。

 聖徳太子が607年に隋との対等外交に踏み切り、645年「大化の改新」を実現するも、この18年後の663年、白村江(はくすきのえ)での敗戦を機に中華圏との正式な外交を絶つ。

 その後、遣唐使が約250年間、菅原道真の献策によって廃止されるまで派遣され、唐の文化が、奈良時代の平城京を中心とした天平文化に影響を与えた例もあるが、国書を携えて派遣したのは「倭国」としてであり、「日本」と名乗ってからは、一度足りとも正式な国書を携えた外交はない。

 明治4(1871年)年、我が国が「日清修好条規」を結んだ相手は満州人の「清朝」であり、支那を支配はしていたが漢民族の国ではなかった為に、支那との正式な外交は、明治45年(1915年)の「中華民国」誕生まで待たなければならないのだった。

 「日清修好条規」を結ぶ迄の約1200年に亙り、日本は、日本列島の中で独自の日本文化を熟成させたのだ。

 大陸からの漢字に「音」と「訓」を付け、ひらがな(のちにカタカナ)を付け加え、大和言葉を表現し、支那とは全く別の文字体系と文化を創造した。

 一方、支那は戦乱に次ぐ戦乱、易姓革命の連続で文字文化の発達は全く止まった儘だったではないか。多民族が混在する支那大陸は正に人種の坩堝であり、統一された国家としての連続した歴史は存在しないのだ。

 陰謀と策略の権力闘争を繰り返し、契丹族の「遼」、タングリート族の「西夏」、女真族の「金」、モンゴル人の「元」、満州族の」清」でも理解出来よう。

 異民族による征服王朝の時代を含め、易姓改名の原則の下に「族滅」し、王朝が変わる毎に歴史や文化が断ち切られて来たというのが実状である。

 「中国4000年の歴史」も「漢民族」も空想的な概念と言わざるを得ず、「4000年の歴史」なんぞ嘘っぱち。現在の中共も1949年に出来た新興国だ。

 「三国志」や「水滸伝」などの英雄なんぞフィクションに過ぎず、孔孟の教えにしても日本人が好意的に伝え実践しているだけ。

 日本人は異文化を吸収し、より善いものを生み出す国民性であり、親中派が言う様に「日本と中国は同文同種、一衣帯水である」との認識は間違いである。

 我が国は、世界の中で最も優れた精神文化と独自の価値を有する国家であり、民族、宗教、言語、歴史、価値観、習慣、制度は日本独自のものである。

 今こそ聖徳太子に倣って中共とは一線を画すべし!


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2013年11月06日

ハングルや支那語の看板や案内板にはうんざり


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 安倍政権下、「クールジャパン」として「観光立国」という愚策を引き継ぎ、外国人旅行者向けの査証(ビザ)発給の条件を民主党政権下以上の緩和した。

 経済至上主義によってグローバル化を目指す「アベノミクス」は諸刃の剣であり、多くの危険を孕んでいる。

 「クールジャパン」だとか「グローバル化」だとか、オマエは欧米か!(古)

 抑抑、民主党が推進した「東アジア大交流時代」という妄想や「観光立国」は、日本社会の安全を無視した無責任極まりないものだった。

 「観光立国」や「査証の簡素化」は中共政府の策謀であり、保守を標榜する安倍政権下でその愚策を受け継ぎ、更に推進強化するとは何事か。

 訪日する観光客の経済効果はGDPに換算しても1%にも満たない。

 俄(にわか)成り金の支那人らが落とす幾許かのカネを期待して、それによって経済の浮揚に繋げ様とは笑止千万と言う他はない。

 嘗ては世界一安全といわれた日本が、外国人の急増、それも支那人の増加によって安全が脅かされていることは幾ら不精な人でも気付いているだろう。

 生命の保証、財産の安全こそ国民の願望であり、これに優る国益はない。「観光立国」はそれに逆行する愚策である。

 今日の片言のカタカナ外国語の氾濫にはうんざりするが、各地に設置されているハングルや支那語の看板や案内板に違和感を覚える人は多いだろう。

 これも日本人的優しさなのだろうが、これが「グローバル化」というものならば勘違いも甚だしい。何故にハングルや支那語なのか。

 観光に訪れるのは別に支那人や韓国人だけではあるまい。

 外国人が日本や日本人に感じるものは「気品」であり、洗練された礼儀正しさであり、寛大さである。

 世界の何処を探しても日本人の洗練された美を追求する高い創造性や質素な上品さに比肩するものは他にはない。

 この様な日本の生活文化を支えているものが日本語なのだ。

 安易な横文字の使用や、相手国に迎合するかの様な安っぽい対応は、先人達が長い歳月に亘り言葉(日本語)に宿らせて来た重い意味を失わせてしまう。

 明治の先覚者は、外来語を全て新漢字に翻訳した。日本語のまま西洋文化を学ぶことが出来たことは偉大なことだ。

 現代人の様に外来語をそのまま羅列し、軽薄な舶来趣味と比べれば、明治人の気骨と気概、高い見識を伺い知ることが出来る。

 海外に目を向けた先人の多くが祖国と日本語に自信を持ち、何処までも日本語で主張し、日本文化を貫いたからこそ今の発展が得られたのだ。

 世界で今、1000万人以上の人が日本語を学び始めている。

 日本語文化を世界に普及し、日本の和の心を伝え、世界平和の実現を図ることは大事。それには先ずは、日本人自身が乱れた日本語を正すことこそ大事である。

 「観光立国」の名の下に推進されているハングルや支那語の表記は血税の無駄であり、何より「観光立国」という愚策こそ止めるべきだ。

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2013年11月05日

最高裁で違憲判決が出された場合、速やかに憲法改正の手続きをすればいいことだ


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 最高裁判所は、司法権を担当する司法における最高機関であるというのは誰もが知っているが、最高裁で出される判決が全て「正義」とは限らない。

 全ての裁判所(下級裁判所)は、最高裁判所の下に置かれ、唯一の終審裁判所として、上告及び特別抗告について裁判権を持つが、最高裁判所で判断するのは、その上告や特別抗告が現憲法に合致しているか否かだけだ。

 最高裁が「憲法の番人」と称されるのはそういうことで、「靖國訴訟」や「一票の格差」「非嫡子(婚外子)問題」に限らず、制定当時より環境が劇的に変わっている今、現憲法下では更なる違憲判決が出されるのは火を見るより明らかだ。

 今や日本国憲法というのは国の最高法規としては機能していない。前文にしろ、第一条の「天皇」の条項から矛盾だらけで、天皇も違憲の存在なのだ。

 こんなバカげた国の最高法規が何処にあろう。天皇は憲法以前の御存在であり、事後法というべき憲法に憚る必要が何処に在ろうか。

 日本国憲法が施行された当初から比べればその環境が大きく変わり、それに対応することもなく、一字一句たりとも改正することなく、それを「平和憲法」などと有難がってること自体が本末転倒であり、政治家の怠慢以外の何ものでもない。

 現憲法で得たものは、成否は別として「自由主義」「民主主義」「人権尊重」「平和主義」であり、今日の基を築いたと言ってもいいだろう。

 だが、逆に失ったものも多い。「礼節」「長幼の序」「忍耐・我慢」「滅私奉公」「信義」「忠義」「親孝行」「愛国心」などなど数え挙げたら限がない。

 日本人はいつの間にか利己的なことを恥じない人間ばかりが殖え、自己犠牲の精神など皆無に等しい。 

 自分を犠牲にして他人に尽くすことこそ日本人たる所以であり、美徳美風なのだが、今や心の中の高貴さを失い、高邁な知性の磨きを様を忘れてしまった。

 こうした戦後の価値観を植え付け、日本を貶めた元凶こそが日本国憲法であり、最高裁の違憲判決にオロオロし、目先の法律改正で誤魔化そうとする国会は、最早、国権の最高機関としての存在価値もない。

 今国会で、公明党が躍起となっている「非嫡出子(婚外子)」の遺産相続分を嫡出子と同等とする「民法改正案」に、自公連立を優先する自民党も同調する構えだというが言語道断である。

 我が国は天皇を族長と仰ぐ家族国家であり、この国體は万邦無比である。教育勅語に「父母に孝に兄弟に友に夫婦相和し」とあるが、ここに愛人や妾の子供を入れる様なもの。国柄が壊れて行くのを拱手傍観している訳には参らない。

 最高裁で違憲判決が出された場合、速やかに憲法改正の手続きをすればいいことだ。前述した様に日本国憲法は矛盾だらけのクソ憲法、現憲法を剥こうとし、新憲法や大日本帝国憲法復元改正を急ぐべきである。

 言い方を変えれば、最高裁というのは究極の護憲団体なのだ。「新憲法制定」を党是とする自民党が現憲法の矛盾と対峙せず、「憲法の番人」である最高裁判決に則った施策を講じている限り、新憲法制定どころか改正も儘為らないだろう。

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2013年11月04日

伝統的武道や芸事の世界はこの「守破離」の意味を重視する


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 十五ヨリ三十マデ万事ヲ師ニマカスル也。三十ヨリ四十マデハ我ガ分別ヲ出ス。四十ヨリ五十マデ十年間ハ師ト西ヲ東ト違ッテスル也。其ノ内、我流ヲ出シテ上手ノ名ヲトル也。又、五十ヨリ六十マデ十年ノ間ハ師ノ如クスル也。名人ノ所作ヲ万(よろず)手本ニスル也。七十ニシテ宗易ノ今ノ茶湯ノ風体、名人ノ他ハ無用也。

 凡その意味は15から30までは師の教えを忠実に守り、30歳からは自分なりに思索し、40歳からは師の教えとは逆にやってみる必要があるということ。50歳からは師の如く振る舞うことで己も名人の域になれるということだ。

 この山内宗二の「茶湯年来稽古」の教えの基となっているのが、宗二の師・千利休の「守、破・離」の心だ。

 伝統的武道や芸事の世界はこの「守破離」の意味を重視する。「守」は「修」であり、師の教え、古からの教えを学び身に付けること。「破」は、そうした既存の概念や枠組み、或いは秩序を破壊すること。「離」とは、既存のものを離れて自分自身の型を創造して行くこと。

 つまり、如何に伝統を重んじる武道や芸事とあろうと、単に伝統を守り伝えようとするだけでは、結局のところ伝統を守れなくなってしまうということだ。

 古くから伝えられたことは、先人が失敗を積み重ねた中で厳選したことでもあり、これを何も考えずに学ぶということは、大きな失敗もせずに近道で辿り着いているということでもある。そんな楽なことでいい筈があるまい。

 況してやそれだけ学んだところで、先人が辿り着いた処からは先へ進むことは出来ない訳で、ここで初めて「破」と「離」が必要となってくるのである。

 「温故知新」という言葉があるが、古きを訪ねて新しきを知るには、やはりそこから突き抜ける努力が必要なのだ。

 「遷宮」の教えは「常若」だが、伝統に学び、根本的な精神を後世に存続させて行くには、新しい息吹を注入する必要があり、そうすることで伝統が再生し、更なる伝統となって受け継がれて行くのである。

 唯、やみくもに新しいことをやればいいというものでもなく、やはり大事なのは古いことに学び、習得し、それを確り護るのは言うまでもない。確りした土台がなければ、伝統を後世に存続させることは出来ない。

 現在の政治に欠けているのも古の教えであり、国家というのは未来が全てではなく、過去を振り返り、そこから学び、未来に生かすことこそ大事。それが真の「保守」であり、未来が全てというのは「自由主義者」という。

 政治の世界でも「守・破・離」の教えは大事なのだ。

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2013年11月03日

寒暑、栄枯は天地の呼吸なり、苦楽、栄辱は人生の呼吸なり!


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 人というのは、いい時だけは付き合うが、悪い時や悪い部分を指摘されたりすると、気不味くなり徐々に離れて行く場合が多い。

 野球の落合博満はこういう。「良い時も、悪い時も同じ態度で接してくれた人だけ信じられんだ、そういう人と一生つき合っていきたい」

 尤も付き合いというのは付き合う時よりも、離れる時の方が難しい。男女の仲も同じ。

 離れるにしてもきちんと説明し、理解を得る努力をすればいいが、どっち付かずで、結局はその優柔不断から「絶縁」「断絶」という経緯に至る。

 先日、facebookで一人の男を友達から削除した。他の友達には「いいね!」を押すが、愚生のは全くシカト。他にも理由はあるが本人が一番分かってるだろう。

 自分の日記やコメントは多くは若い者に対する苦言や示唆だが、愚生からの意見を読みもせず、それを嫌味や悪意と捉えられたのでは致し方ない。

 この隊員が未だ20代の頃から知っているし、盟友から「この男を右翼として育ててくれ」と頼まれ、惜しげもなく仕込んだつもりだった。

 だが、本人はチョッと出の右翼なのに何を勘違いしたのか、辞めた元隊員の家族に宣伝車で嫌がらせ、挙句に恐喝してパクられ初犯で実刑を喰らった。

 初犯で送られた刑務所は中期刑務所。そりゃそうだろう、愚生も傍聴には欠かさず行ったが、かなり悪質で、自分が判事なら無期懲役(笑) 

 本来なら破門だが、大目に見た。現役時代、この他に、2人がくだらない事件でパクられ刑務所へ送られた。

 本部の総責任者として反省し、銀座遊びも止め、刑務所にいる若い者を想いストイックな生活を心掛け、本や手紙などの差し入れも欠かさず、面会もし、自分の名前だけではなく総隊長名や、そいつらの兄弟分の名で差し入れしたりもした。

 彼らから返ってくる手紙には必ずと言っていいほど、「この御恩は一生忘れません」「社会復帰した暁には御恩に報いる為に愛国運動に邁進し」だとかキレイゴトが並べられていたが、パクられた内の一人は出所後自殺、他の者も社会復帰してからというものそんな言葉など忘れたかの様に元の生活、否、それ以上酷くなった。

 自分が本部との運動方針の違いから引退すると、嫌がらせで「除籍通知」が出された。

 「この御恩は一生忘れません」と言っていた奴もこれに同調したというから呆れ甚し。本来なら前総隊長へ諫言すべきで、それが士というのもだろう。

 右翼人として後ろ指を指される謂れはないが、未だこの「除籍通知」にビビる右翼関係者も僅かにいるというから驚く。右翼というのはホント見かけ倒しばかり。

 そんなこととはつゆ知らずヤクザが近況報告がてら前総隊長に電話すると、「佐久間に戻ってくれるように言って貰えないでしょうか・・・」

 総隊長に依頼されたヤクザから「一献どうよ!」と鮨屋に誘われ行ってみればその話だった。

 「自分はヤクザに興味はないし、今さらヤクザの傘下になってまで右翼を続けるつもりはない」と突っぱねた。

 てっきり、自分が辞めたので、この隊員も当然辞めてるだろうと思っていたら、自分に隠れて本部とやり取りしてたのにはビックリというかガッカリ。

 義理や人情、筋なんてのは全く無い。恩というものをどういう風に感じていたのだろう。その後、このが「絶縁」処分となった。その絶縁状には「犬畜生より劣る・・・」と記されてあったそうだが、別れ方がだらしないからだ。

 そのヤクザは大手暴力団二次団体の幹部だが、防挺のことは昔から贔屓にしてくれてる人で、右翼の活動には理解のある昔気質のヤクザだ。

 総隊長に連絡し、「名古屋と縁を持ったからこんなこと(破門通知や絶縁処分)やってるの?ヤクザだったらヤクザの話しをしましょうか・・・」と苦言を呈すと、総隊長は「いや、ヤクザにはなってないし、そういう訳ではありません・・・」と言ったという。

 その後の防挺といえば、前総隊長に付いてヤクザになった一人もヤクザに成りきれず破門。昔の行動右翼の面影はない。

 この絶縁された隊員といえば、あれだけ世話になったヤクザとも疎遠になった。そして今度は愚生とも一線を画し、距離を置き出した。

 別にシカトするなりゃすりゃいいし、ケツ捲るならやればいい。要は小さなことを気にし過ぎ。ヤクザブルだし、何より破天荒さが足り無い。右翼には向いてはいない。右翼はいい人ではダメだ、削げ者がいい。

 入れ墨だけは超一流。人柄は好く、見かけだけ見れば超一流の右翼、否ヤクザ。外見しか見ない堅気衆には評判はいい。でも、いい人ぶり過ぎるのだ。

 右翼はいい人だけじゃダメだ。況してや愛国者でもないし、一維新者としても言行や心意気が大事なのだ。

 ヤクザも堅気と同じ様に見る目が無いから外見で人を判断する。

 乗ってる車や連れてる女、裸になれば入れ墨の多い方が勝ちだ。そういうのと似た様なのが右翼だというのだからヤクザになめられるのだ。

 野村秋介はヤクザに、「ヤクザに成りきれない中途半端なのが右翼だ」と言われ反論出来なかったというが、その気持ちがハッキリ分かる。

 まぁ取り留のない文章になりましたが、そういうことです。人間いい時もあれば悪い時もあるし、生きてく上では面白くない事ばかり。夫婦なんてのもそうだが、いいことだけを心の支えに生きてくべきだと思う。

 佐藤一斎は「言志耊録(げんしてつろく)」でこう訓える。

 「寒暑、栄枯は天地の呼吸なり、苦楽、栄辱は人生の呼吸なり!」、人生はいい時もあれば悪い時もあるのは当然で、それだからこそ人生は愉しいのだ。

 日本人の悪い癖は言葉足らずで、「言わなくても分かってくれるだろう」というのは単なる錯覚でしかない。言わなきゃ分からないし、反論があれば言い返せばいい。大人ぶって揉め事を避けることの方が卑怯だと思っている。

 まぁそれでも彼奴もこっそりブログやfacebookを見てると思うので、今後は遠くから日本男児として恥じない生き方をしてるか見守るつもりです。

 唯、心配なのは、支那人と結婚した愚生の知人は、3人ほどが焼身自殺や首つりし、多額の保険金が下りると早々に本国へ帰ってしまったり、或いは財産を持ち逃げされている。そうならないことを祈るばかりだ。呵呵

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2013年11月02日

11月2日未明、二矢は東京少年鑑別所で「七生報国天皇陛下万才」と記し従容として死に就いた


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 今日11月2日は、日本社会党党首・浅沼稲次郎を刺殺した国士・山口二矢の命日だ。今、生きていれば70歳、現在の右翼陣営の低迷は指導者不足が顕著であり、天皇国日本を盤石の安きに導く為の指導者の出現を待望して止まない。

 昭和34年、大日本愛国党に入党するも、翌年5月に同党の吉村法俊、中堂利夫(両名は事件後、防共挺身隊に身を寄せるも脱退し、人気作家となった)と共に愛国党を脱党し、「全アジア反共青年連盟」を結成。同年10月12日、日比谷公会堂で演説中の浅沼稲次郎を刺殺、現行犯逮捕された。

 携行した檄文にはこう認めてあった。

 「汝、浅沼稲次郎は日本赤化を謀っている。自分は、汝個人に恨みはないが、社会党の指導的立場にいる者としての責任と、訪中に際しての暴言と、国会乱入の直接の煽動者としての責任からして、汝を許しておくことは出来ない。此処に於て我、汝に対し天誅を下す。 皇紀二千六百二十年十月十二日  山口二矢」

 「私の人生観は大義に生きることです。人間必ずや死というものが訪れるものであります。その時、富や権力を信義に恥ずるような方法で得たよりも、たとえ富や権力を得なくても、自己の信念に基づいて生きてきた人生である方が、より有意義であると信じています」

 「浅沼委員長を倒すことは日本の為と堅く信じ殺害したのですから、行為については法に触れることではありますが今何も悔いる処はありません。しかし、浅沼委員長は最早故人となった人ですから生前の罪悪を追及する考えは毛頭なく唯故人の冥福を祈る気持ちであります。又浅沼委員長の家族に対しては、如何なる父、夫であっても情愛に変わりなく、殺害されたことによって悲しい想いで生活をし迷惑を掛けたことは事実ですので、心から家族の方に申し訳ないと思っています」 

 供述調書を取り終えた11月2日未明、東京少年鑑別所の個室で支給された歯磨き粉で壁に「七生報国天皇陛下万才」と記し従容として死に就いた。

 旧来の思想や社会構造を打破しようとする時、常軌を逸した行動が生まれる。来島恒喜、山口二矢、三島由紀夫、野村秋介といった方々の行為こそが正気の狂気であり、この狂気こそが現状の閉塞状況を打破する力に成り得るのだ。合掌再拝。

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2013年11月01日

山本太郎の行為は「開かれた皇室論」の弊害でしかない


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 今日は朔日、身を清め、神棚を飾り直し、神饌を新しくして、畏くも皇室の弥栄と玉体安穏、そして心願成就を祈る。扨て、今月もどうなるものぞ。

 昨日、知人から「皇室カレンダー」と「国会手帳」が贈られてきた。国会手帳は使い勝手がいいが、右翼現役ではないので昔ほど利用する機会はない。

 右翼人ではあるが、「皇室カレンダー」も部屋には飾らない。畏れ多くも陛下の画像を月が終われば捲ったり、破ったりするというのも気が引けるからだ。

 Facebookなどでも御真影や陛下の記事を載せている人を見かけるが、そういうのには「いいね!」は押せない。皇室や陛下に対し、喩えそれが讃えることや誉めることであっても不敬だと教わったし、自分でもそう思うからだ。

 山本太郎が前代未聞の不敬を働いた。言語道断、議員辞職や追放どころか良識が求められ参議院議員のやる行動ではない。極刑に値する蛮行である。その軽挙妄動を諌め、粛々と法に則って罰し、議員の職を剥奪すべし。

 「請願法」には「天皇に対する請願書は、内閣にこれを提出しなければならない」とあり、参議院議員として山本の行為は違法行為である。

 本人が「手紙を渡すことが失礼に当たるかも知れないとは思ったが、禁止されてはいない」「法律には触れていない」という詭弁は無知以外の何物でもない。

 当の本人は悪びれた様子はない。取り巻きもその行為を称える始末。これを糾弾する国民もまた勇ましい言葉を放つ。右翼人として山本の行為は赦し難いが、いざ行動に移した場合、山本らと同じ様に皇室を貶めることにもなり兼ねない。

 売国マスゴミの「敬称・敬語不使用」や「開かれた皇室論」の姿勢は、今や国内に蔓延し、天皇陛下や皇室に対する敬愛の念を薄れさせている。

 今回の山本の行為も、こうした「開かれた皇室論」の弊害でしかない。

 1932年、ソ連共産党から日本共産党へ「コミュンテルンテーゼ(命令書)」という指令が出された。その中には所謂「天皇制廃止運動」というのも記されている。

 昭和時代の「戦争責任・退位論」に始まり、「開かれた皇室論」と「敬称・敬語不使用運動」、そして平成に入り、「女性天皇論」や「女性宮家」の問題として、未だにその「天皇制廃止運動」は継続されているのだ。

 抑々、我が国に「天皇制」などという制度は無く、「天皇制」とは蛆虫・共産党が創った造語である。

 「美智子さま」「皇太子さま」「雅子さま」「紀子さま」「悠仁さま」という呼称は、国民もまた知らぬ間に共産党の命令書を忠実に遂行している様なものだ。

 本来の日本人ならば、皇后陛下、皇太子殿下、皇太子妃殿下、秋篠宮妃殿下、悠仁親王殿下と呼称すべきで、こうした「開かれた皇室論」から、日本の伝統文化や美徳が喪失して行くということを自覚すべきだろう。

 我が国は天皇陛下を族長と仰ぐ家族国家であり、この国體は万邦無比である。「畏れ多くも畏くも」とは言わないまでも、節度ある敬意を表するべきだ。

 保守派を気取る連中の御真影の貼り付けも同じ様なもので、尊皇というより、それ以前の天皇の本質というものが誤られてしまっている。

 「開かれた皇室論」を元凶とする反天皇制運動を糺さねばならない。

 「天皇は神聖にしてこれを侵すべからず」、これに尽きる。

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