2013年01月

2013年01月31日

全日本女子柔道でもパワハラに見る今や一億教育評論家時代(笑)

 大阪市立桜宮高校での体罰問題を機に、今や一億総教育評論家になってしまった感は否めない。「暴力はけしからん」との非暴力主義的意見が大半で、我が国も愈々「ガンジー主義時代」に突入したのだろうか。せめて、新約聖書の「左の頬を殴られたら、右の頬を出しなさい」くらいで好いと思うがなぁ(笑)

 だが、多くの意見は「教育や指導とはどう在るべきか」という根本からかけ離れ、興味本位で<体罰=暴力=悪>という図式だけが先行し、クソもミソも一緒になった軽佻浮華な意見が目立つ。「角を矯(た)めて牛を殺す」という諺がある。「少々の欠点を直そうとして、反ってそのもの自体を駄目にしてしまう」という意味だ。

<体罰=暴力=悪>というレッテルというか、何かキレイゴトばかりが語られて、そうした偽善に踊らされてる人を目の当たりにすると、根本とは程遠く、枝葉に係ずらわって肝心な根本を損ってしまうのではという危機感を覚えるてしまう。

 人というのは「好き」か「嫌いか」のどちらかだという。「生理的に合わない」とか「以心伝心」という言葉もそうだが、自分が嫌いだとか苦手だなと思ってるいるヤツは、大概、向こうもこっちと同じ様に感じているもので、要は桜宮校のバスケ部顧問にしろ女子柔道の園田監督にしろ、生徒や選手から嫌われていたということだ。

 教員や指導者はある意味で人気商売の様なもので、生徒や選手に好かれて、尊敬されてこそ、初めて本当の意味での「教育」や「指導」が出来るものだと思っている。企業経営者でもそうだろうが、金儲けというのは容易なことだと承知しても、人材を育てるというのは実に難しいものだと感じている人は多いことだろう。

「人に意見や指導をしてその人の欠点を直す」ということは大切なことであり、親切心であり、慈悲の心だとも言えるが、意見される側や指導される側が、それを受け容れる気持ちが無ければ単なる「余計なお世話」でしかないのだ。

 大方の人は、人の失敗や欠点に対し、好まれない言い難い事を言ってやるのが親切心だと思っているが、それはややもすれば徒に人に恥をかかせ、悪口を言う結果になってしまっている場合も多いということを気付いてはいない。

 意見というものは先ず、その人がそれを受け入れられるかどうかを見極め、相手と親しくなり、自分を信用し受け容れる状態になってからでないと意味はない。

 食事や痛飲しながら相手に心を許し、自分の失敗談を話し、意見を言わなくても相手に思い当たる様に仕向けたり、相手の長所を褒めながら、その上で欠点を指摘し直すというのが本当の親切心であり、意見や指導とは斯く在るべきなのだ。

 何よりも、人というのは好きか嫌いかであって、嫌われてるのに幾ら熱く語ったところで、相手には受け容れられることはないということ。言うことを聞かない、受け容れる態度が悪いからと体罰やヤキを入れる悪循環になっているのだろう。

「そうか、好きか嫌いかか」。なるほど、そういや愚生の如き右翼風情が喩え正論を吐いたところで、世間から忌み嫌われるのはそういうことか。呵呵大笑。

※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。

《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員は300000円~。

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2013年01月29日

国賊・鳩山由紀夫に続いて村山富市と加藤紘一が揃って訪中(苦笑)

 国賊・鳩山由紀夫に続いて村山富市と加藤紘一が揃って中共を訪問した。「尖閣諸島は係争地」と放言した鳩山だったが、引退した村山にしろ、加藤にしろ、鳩山に続いて迷台詞を吐いて来るのは間違いないだろう。中共の「愛国無罪」もふざけたものだが、我が国の「売国無罪」もいい加減どうにかして欲しいものだ。

 加藤は宮沢内閣の官房長官時に、所謂「従軍慰安婦」の軍の関与を正式に認め、「筆舌に尽くしがたい辛苦を舐められた全ての方々に対して、改めて哀心よりお詫びと反省」を表明した自民党内きっての親中派というか確信的左翼。脳梗塞を患い落選の憂き目に遭ってはいるが、自民党内の獅子身中の虫の最筆頭である。

 自社政権で首相に就いた村山は在任中、植民地支配と侵略を詫び、どさくさに「村山談話」を発表。慰安婦問題や歴史問題で火に油を注いだ売国奴である。

 この国賊二人が中共に招待され、ノコノコと出掛けて行くことに何の躊躇いも感じなかったのか。そんなに中国共産党が好きなら亡命すりゃ好いのにな。尤も、自分達の歴史認識こそ正しいものだと思ってるのだからホント始末に負えない。馬鹿は死ななきゃ治らないというが、死んでも国賊の汚名は消えることはない。

 村山の「植民地支配と侵略」については今更乍ら、反論するのも説明するのもアホらしくてやる気も失せた。村山の談話を撤回し見直すのは当然だが、昭和47年(1972)日中共同声明で田中角栄が発した、「先の大戦で中国国民に重大な損害を与えたことに責任を痛感し、深く反省する」との認識こそ見直すべきだ。

 この田中の歴史認識が未だに踏襲されているが、我が国が先の大戦で戦ったのは中華民国であり、戦後に建国した中華人民共和国ではない。中共政府を「中国唯一の合法政府」であると承認し、主権を回復した昭和27年4月28日に中華民国と締結した「日華国交条約」を一方的に破棄したことは道義国家として赦されざる蛮行である。

 中共や韓国が恫喝や強請り、タカリに奔るのは、支那人、朝鮮人の人品の低さも然ること乍ら、歴代日本政府の無知と事勿れ主義、弱腰軟弱外交が要因になっていることは間違いないこと。朝日新聞が捏造した慰安婦問題を加藤が日本軍の関与を認めて、河野洋平が「談話」を発表したことは、謝罪外交の最たるものだ。

 韓国人慰安婦を付け上がらせる原因を作り、その後の「村山談話」で火に油を注ぎ、歴代の自民党政権下でもこれらを傍観し、撤回もせず黙認し、民主党政権誕生で、鳩山由紀夫が「国家補償」を約束し、前原誠司が「戦後賠償支援」を言及した。

 慰安婦問題というものは、こうして日本側が国家として「謝罪」も「約束」もしている訳だから、韓国みしてみりゃ慰安婦問題で賠償要求するのは当然で、単なる強請り、タカリとばかり言ってもいられない現実が厳然と存在してしまったのだ。

 戦後、我が国の外交は「謝罪」と「賠償」さえしていれば問題ないと思っていたのだが、「外交での譲歩は相手側に更なる譲歩を要求されるだけ」ということを知らず、譲歩は何ら解決されないばかりか、問題を先送りするだけでしかない。

 土下座外交は、国民の誇りや自尊心を傷付けるものだということを我が国の政治家は肝に銘じるべきだろう。鳩山や村山、加藤らの身勝手な発言で、先人や英霊が冒涜され傷付けられているのをこれ以上拱手傍観している訳には参らない。安倍政権の誕生を機に歴代の不作為犯と売国議員を一掃したいが、それも無理な話しだわな。

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2013年01月25日

「さっさと死ねる様に」発言を機に終末医療にメスを入れろ!

 麻生財務大臣兼副総裁は社会保障制度改革国民会議で、「残存生命期間が何ヶ月かとそれにかける金が月に1千何百万円だという現実を厚労省も一番よく知っているはずだ」とし、終末医療での財政負担が重い現状を嘆き、それを指摘した。

「私は少なくとも遺書を書いて、そういうことをしてもらう必要はない、さっさと死ぬからと書いて渡しているが、そういうことができないと死ねません」 「いいかげん死にたいと思っても『生きられますから』なんて生かされたんじゃ、かなわない。しかも政府の金で(高額医療を)やってもらっていると思うと寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらわないと」と、麻生独特の言い廻しで訴えた。

 これをマスコミは、「さっさと死ぬ」と作為的に世論誘導し、「不適当発言」と報道し、細野豪志などが「とにかく生きようと頑張っている人の意思は尊重すべきだ」などと、いつもの様にキレイゴトを垂れ流していたが、麻生の言葉は正論だ。

 麻生のこの発言を機に終末医療の問題が議論されるのかと思いきや、麻生も麻生で、マスゴミに対して「ぁ、そう」と気に止めなきゃ好いものを、「公の場で発言したことは、適当でない面もあった」と早々に撤回してしまったのは情けない。

 麻生の発言撤回にしろ、マスコミなどの執拗な圧力にしろ、「議論されては拙い」との思惑が見え見えの日本医師会の圧力や意向が働いているとしか思えない。

 麻生発言は実に大事な問題であり、現在の我が国の医療費は歳入の殆どを占め、医療費の増大は日本の財政を危機的なものにしてしまっている。 昨年の国民医療費は前年度比3.9%増の37兆4202億円の内、高齢者の医療費は約16兆円と、これも年々増加の一途を辿っており、その負担を現役世代に頼るのは如何なものだろう。

 昨年度の我が国の歳入は約40兆円余り。この額は税収の殆どが医療費で消えてしまう計算である。この儘行けば、約10年後医療費は実に50兆円を超えると予想されている。増加した3.9%の内訳の中でも、医療の高度化が2.1%分を占めた。

 新薬や医療技術が向上するのは結構だが、華美で分不相応な施設も目立ち、医療の根本に立ち返り、医師自らが現在の殖え続ける医療費に目を向けるべきだろう。

 厚労省は価格の低い「後発医薬品(ジェネリック)」の利用促進や入院日数短縮など医療費抑制策に取り組んではいるが、歯止めが掛かるどころか膨らむ一方だ。

 我が国のこうした実情を見据えて、「乱診乱療」「薬漬け」「保険点数の水増し請求」「大口脱税」など医師会や営利に狂奔する悪徳医師の構造的腐敗にメスを入れることが、こうした膨れ上がる医療費の見直しにも繋がる訳だが、如何せん、「日本医師会」の集票力とバラ撒かれる政治献金で誰も口出し出来ないのが現状だ。

「医術」より「算術」とばかりに不正請求や脱税に奔る悪徳医師どもや、左翼系医療機関が保険料を詐取し、共産党などに還元しているということも囁かれているが、こうしたことが罷り通ってる現状を拱手傍観してていいのだろうか。

 社会保障の充実や医療の向上は結構なことだが、日本医師会が牛耳る医療行政にメスを入れて、現在の麻痺状態の医療制度の正常化を図ることは喫緊の課題であり、それは財政の健全化にも繋がる。麻生の発言はそうした問題を議論する絶好の機会となるべきなのに、「失言」と騒いでいたマスコミまでも口を噤んでしまった。

 麻生でなくても誰もが終末期医療については考えていることではないだろうか。欧州などでは、終末医療での延命治療は「虐待」だと捉えられるというが、助かりもしないのに医療費目当てにズルズルと生かされたのでは堪ったものではない。

 家族に迷惑を掛けずにコロッと死にたいというのは日本人なら誰もが持つ死生観だろう。人の人生は様々だろうが、「生」というものだけに拘るより、個々の「死」の尊厳というものを重んじながら生きて行くことが大事ではなかろうか。

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2013年01月23日

御陵、墳丘への立ち入り調査を強行する学匪どもを一掃しよう!

 昨年、応神天皇御陵への立入り調査が行われた。これは日本考古学協会などからの、学術研究の為という求めに応じて許可されたものだ。 過去にもこうした左翼に与する学匪どもの戯言に宮内庁が屈していたが、立入調査が許可されたのは墳丘を巡る内堀までの立ち入りであり、採取や発掘などは許可されてはいない。

 あろうことか先般、外堀より内側に学術調査の許可が出たばかりか、学匪どもは天皇陵の発掘調査をも目論んでいる。 ピラミッドや兵馬俑などの王の墓と同様に、天皇陵をも発掘の対象にすべきだとの意見が多いというが、御陵や墳丘の発掘までもが許される事態となれば、尊厳は完全に損ねられる自体になることは必至である。

 エジプトや支那の場合は既に滅亡した王朝の墓だが、天皇陵は現存する皇室が守るべきもので、況してや祭祀の場でもあり、その背景はピラミッドや兵馬俑などとは全く異なるものだ。 断じてこうした立ち入り調査は許すべからず。

「御陵の周辺部が史跡に指定されてない為に、宅地造成で埋め立てられたり、破壊されたり危機的状況であり、国が直接保護するべきだ」との、如何にも御陵の荒廃を嘆いている様な意見を振り翳してはいるが、彼らの狙いは外にある。

 そのトリックが「史跡」という言葉。「史跡」になれば発掘は可能になるのを承知しての確信犯であり、学匪どものあれやこれやの屁理屈も奸智奸策に過ぎない。

 彼らは目的は、立ち入り調査という「権利」を確保し、発掘という「権利」の実行を目論むことは火を見るより明らかで、そしてその結果を「科学的証拠」として巧みに利用し、我が皇室の歴史を批判、誹謗するかが目的なのだ。

 御陵や墳墓の発掘の真の狙いは、皇室の否定と解体そのものに在り、左翼が目指す「天皇制廃止運動」の一環と断じても過言ではない。 朝鮮や支那では、墓を掘り起し、死者に恥辱を与えるというのは珍しくもないが、「墓を発く」「死屍に鞭打つ」という発想は、我が国では死者への最大の非礼であり糾弾されるべき蛮行だ。

 御陵は断じて文化財や史跡として考えるべきものではなく、民間調査などという対象になるべきものでもない。 最近では「御陵を世界遺産にしよう」などという戯言を宣う輩まで出ているのは、日本人の精神的幼稚さを示すものの一つだろうが、御陵は国民挙って崇拝し、伏し拝むべき神聖にして侵すべからざる聖域である。

 戯言を抜かす学匪どもと、それに与する輩を一掃しよう!

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2013年01月22日

犠牲となられた企業戦士の方々の御悔やみ申し上げます

 アルジェリア人質事件で多くの日本人が殺害されたことは、言い方は悪いが、改めて日本人が「平和」というものを考えるいい機会になったのではないだろうか。

 政府にしても、憲法論を語らずして国の安全保障や国民の安全を語ったところで意味はない。集団的自衛権の問題にしろ海外での邦人救出に関しても、自衛隊法の改正という目先だけの改革で終わってしまうことがあってはならない。

 今回の事件を機に、政治が成すべきことは、国の基本法として機能していない現憲法の矛盾と不条理を大いに語り、日本人自らの手で新憲法を創り、国防体制を強化し、国民の生命と安全を如何に護るかということが大事かを国民に問うべきだ。

 国防の目的は「平和」にあり、「戦争」にある訳ではない。日本の政治の愚かさは、「国防」そのものまで否定してしまっていることで、「国防」を除いてしまったら、国家の存在意義まで失われてしまうことに気が付いていない。

「国防」とは単に領土主権の防衛だけに限らず、三島由紀夫が訓えた様に「それを亡くしてしまったら日本ではなくなってしまうものを守り抜くこと」に在る。

「国を護る」ということは、つまり、我が国の国柄である民族、宗教、言語、​歴史、価値観、習慣、制度を護るであり、世界の中で最も優れた我が国の精神文化​や未来の子供達、そして何より皇統を死守し、継承して行くことであるのだ。

「国防」で重要なことは、国民が公開の場でよく議論することで、「何から、何を護るのか」を明確にした上で、国防の範囲を画定することが基本である。

 アルジェリアの邦人殺害は、我が国の法整備の欠落と危機管理能力の欠如と脆弱さを顕わにした。今回の事件を教訓に、これらの妨げになっている現憲法の議論と見直しから始めるべきだが、未だ現憲法を金科玉条の如く奉り、このクソ憲法を守ってさえいれば平和が続くと思っている輩も多く存在してるのは困ったものだ。

「平和ボケ」という言葉は、高度成長からバブル時代にかけて、金儲けや飽食に狂奔してきた世相や空想的平和論を弄び、米国の核には反対しても、中国共産党やロシアの核兵器には反対したことも無い左翼運動家を揶揄したものだ。

 今や左翼に止まらず、国民の多くが、米国の庇護の下でのまやかしの平和に気付かぬ儘に、魂亡き繁栄に現を抜かし、私利私欲に狂奔してしまっている。タレントのフィフィは現在の「平和ボケ」について実に分かり易くこう教えている。 

「平和ボケとは、まともな情報が流れてこなくて、娯楽ばっか与えられて、いつしかモラルすらこだわらなくなって、それを平和と思い込まされてて。水面下でうごめく危機に気づか無くて、いや気づか無いように教育されて。気が付けば、時すでに遅しの状態のこと」。このフィフィの喩えは蓋し正論であろう。

 今や平和主義の理念を守れば平和が訪れる時代ではない。今迄の我が国の平和は米国の軍事力の賜物と、単なる偶然に過ぎないのだ。今こそ、日本人の手で真の「平和」を自分達で創り出さねばならない。今回、アルジェリアの地で犠牲となられた日本企業の戦士の方々に心より御悔やみ申し上げます。合掌。

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2013年01月21日

蹴散らして前へ!

「八重の桜」の放送も三回目。坂本龍一が音楽担当ってのが気になるが、まぁ無難に進んでいる様だ。今回のタイトルは「蹴散らして前へ!」。この言葉は、佐久間象山が山本覚馬へ与えた言葉だという。佐久間象山役の奥田映二は、自ら「天下の師」を任じ、人を見下す象山の尊大さと不遜さを中々上手く表現していると思う。

 象山は、その尊大な物腰から毀誉褒貶相半ばする人物として知られているが、幕末に於ける最高の思想家の一人だろう。身長五尺八寸、道行く時は萌黄色の五泉平の馬乗り袴を穿き、黒文字肩衣に白縮みの帷子を羽織り、備前長光の白柄の太刀を差していたというから、自己顕示欲の俗物が歩いている様なものだったに違いない。

 吉田松陰が黒船での海外密航に失敗すると、象山もこれに連座して同罪となり、国元の信州松代での蟄居を命ぜられた。文久2年(1862)に約9年間に及ぶ蟄居を解かれた象山は、元治元年(1864)に幕命を受けて上京すると、「公武合体」「開国進取」の国是を定める為に各藩要人に意見を具申している。

 その際の象山の言動が尊攘激派の怒りを買い、同年7月11日、京都三条木屋町で「人斬り彦斎(げんさい)」こと河上彦斎に暗殺される。享年54歳だった。

 信州松代藩では誰一人として同情する者もなく、佐久間家は断絶の処分を受けたというから、傲岸不遜な象山が如何に地元でも嫌われていたことが分かる。だが、その暗殺者河上彦斎は象山を「絶代の豪傑」と呼び、幕末の傑物と言われた山岡鉄舟は、松陰をして「人傑」と慕っていたというから人徳もあったのだろう。

 最近は象山の功績が認められており、蟄居中に書いたとされる「省諐録」(せいけんとは、過ちを省みるという意味)は日本人の読むべき名著となっている。その一節には「君子には五つの楽しみがある」としてこう教えている。

 一つは、財産や地位とは関係なく、一族の者が皆礼儀を心得て、親子兄弟の間に不和が無いこと。

 二つは、金品の授受をいい加減にせず、心を清く保ち、内には妻子に恥じず、外には民衆に恥じないこと。

 三つは、「聖学」を学んで天地自然や人間の大道を心得え、時の動きに従いつつも正義を踏み外さず、危機に際しても平時と同じ様に対処出来ること。

 四つは、西洋人が科学を発達させた後に生まれて、孔子や孟子の知らなかった処の「理」を知ること。

 五つは、東洋の道徳と西洋の芸術(技術)と、この両方について余すところ無く詳しく研究し、これを民衆の生活に役立て国恩に報ずること。

 この象山の教えが「和魂洋才」という教えに繋がっている。この象山の思想の下で明治維新が勃発し、アジアで唯一の近代化を成し遂げることが出来るのである。

 思えば大東亜戦争敗戦後の我が国はGHQの策謀に加え、和魂」、つまり伝統的な日本の精神を忘却してしまったところに今日の悲劇があるのではなかろうか。

「愛国心」の教育も結構だが、日本人には「大和魂」を教えることが大事。日本に生まれ、日本で生き、日本の為に学ぶのか、日本の何を貴び、何を信じ、何を護るのか、友人や朋輩と何を分かつのか、そんなことを皆さんは考えたことはありますか。

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2013年01月20日

教育再生の為には、先ず「正しい精神論」を創ることが必要

 大阪市立桜宮高校の体罰問題で、「体罰絶対悪玉論」が席捲している様だが、今回の自殺問題は体罰というより自殺した生徒の精神的な部分の方が問題だろう。  

「戸塚ヨットスクール」の戸塚宏校長も同じ様な認識を示しているが、自殺した生徒が何故そこまで思い詰めるに至ったか、両親始め友人や周辺にいた人たちはその兆候を何故見逃してしまったのか。「体罰が自殺を招いた」と結論付けるのは容易が、そんなことで体罰の問題や教育の荒廃という問題問題が解決するとは思えない。

 橋下は、体育科の入試を実施したり、他の体育系部活の顧問が同校に残れば人件費は執行しないとの考えを示しているが、こうしたやり方は本末転倒で、「校風、体質をいったんゼロにしないとダメ」と訳の分からぬ持論を垂れ流しているが、今やるべきことは、校風を重んじながら生徒と顧問らの信頼関係を深めることだ。

 体罰をした顧問とは何ら関係なく、熱心に指導していた顧問や他の体育系学科の生徒たちにとって、橋下のこうした旧日本軍的「連帯責任的」手法は、そうした教師達の努力を無にするもので、人格否定、人権無視の横暴だろう。

「教育委員会の決定に自動的に予算が付く訳ではない。予算執行は僕の権限だ」との発言は恫喝そのものであり、立場を利用したパワハラ。体罰顧問とどっこいどっこい、体罰を責める資格はない。橋下のやり方というのは、敵対する勢力を作って、過激な言辞で注目させ、マスコミを使い世論を煽るというのがいつものパターン。

「仲間が死んだのだから今何をすべきか考えて貰いたい。この状況で部活をやったら上手くなるかも知れないが人間としてはダメだ。それを言うのが教育だ」

「言うこと聞かなかったら予算削る」とか「悔しかったら選挙で落とせ」とかやりたい放題で、その言辞は飛躍的且つ論理の破綻、とても首長としては不適格な人物だと断じざるを得ない。橋下のそうしたパフォーマンスに辟易している国民は多い。

 小泉が郵政族を遣り込めてから、政治ではこうした手口が目立つ様になったのだが、これは我が国の政治が大衆迎合主義に陥ってる証左であろう。

 その橋下と石原慎太郎が日本維新の会の共同代表に就いたが、石原は戸塚宏の教育論には大いに共鳴し支持しているのは周知の通り。「戸塚ヨットスクールを支援する会」のホームページ上で、石原は次の様なメッセージを寄せている。

「我々の手で教育改革を!という真摯の叫びが、日本全国で澎湃として湧き上がって来んことを願って止みません。日本の教育再生の為には、先ず『正しい精神論』を創ることが必要なのです」 と、戸塚校長のスパルタ教育に賛同しているのだ。

 教育は国家の大本であり、教育論が根本的に違う石原と橋下が、どの様にして将来を担う子供達の教育を施して行くというのだろう。問題が発覚すれば教員を総入れ替えし、入試を中止すればそれでヨシとでも思っているのか。

 嘗て我が国は、教育立国として明冶の試練と昭和の国難を乗り越えた。極貧の生活の中でも多くの偉人が傑物が輩出したのは立派な教育の故であろう。だが、現在はどうだろう、国民の勤勉性、家族愛、愛国心、信義誠実の原則は失われ、心の中の高貴なものを失い、高邁さを忘れてしまった。戦後の日本人の堕落は目を覆うばかり。

 有識者やマスコミが取り上げる胡散臭い問題に一喜一憂し、問題が出れば、その萌芽は日本にあると自国を貶め、それを煽るマスコミ御用達の言論人が大騒ぎ。

 政治家は平身低頭し謝罪を続け、頭にあるのは保身と次の選挙だけで、頽廃したマスコミは国益を擁護する気配など皆無で、国民の愛国心を蝕み続ける。

 高邁な魂を喪失した日本が喫緊にやらねばならないことは、将来を担う子供達へどの様な教育を施し実践させて行くか具体的な教育指針を定めることだ。

 安倍首相は先の総選挙では、「将来を担う子供達に如何にして誇りの持てる教育をするか」、「志の高い日本人を如何にして創るかが大事だ」と訴えたが、そうした教育をどうしたら実行出来るか早急に取り組んで頂きたいものだ。

 戸塚校長は、現在の日本の教育が抱えている問題を解決するには、「小学校の段階で正しい人間性の基礎を創ることが大事で、国語・数学・体育に重点を置いた授業、記憶力ではなく、考える力の重視、合宿などの課外授業の活用という」

 戸塚校長の「科学的精神論」を論拠にした教育の実践こそ、現在学校で起こっている学級崩壊を始めとした諸問題を克服してくれるものだと信じて止まない。

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2013年01月18日

鳩山由紀夫の藪蛇外交は枚挙に遑なし

 ここんとこ、チョ~ムカつくのは橋下徹と鳩山由紀夫の二人である。どっちも己の主張こそが正しいと思って行動してるから実に始末が悪い。逝ってヨシ(笑)

 橋下は、同校の体育系学科の入試の中止と桜宮高校の全教員を強制移動するという。こうしたことで肝心な体罰や自殺という問題が解決出来るとは思えない。

 また、橋下は入試を実施したり、他の体育系部活の顧問が同校に残れば人件費は執行しないとの考えを示しているが、本末転倒とはこのことで教育論を穿違えるな。

 体罰問題が票に繋がるとでも思ったのだろう、「校風、体質をいったんゼロにしないとダメ」と橋下は懸命だが、校風を変えればその学校に何が残るというのか。

 その昔、朝日新聞では我が母校である国士舘の校風や暴力問題を取り上げて「反国士舘キャンペーン」をしていた時期があった。国士舘側は対抗措置として朝日の売国性を断じ、「反朝日新聞購読拒否キャンペーン」を展開しいたのを思い出す。

 今やるべきことは生徒と顧問らの信頼関係の再構築こそ大事で、校風や体質をゼロにすることではない。体罰など関係なく的確に指導していた顧問や生徒達にとって、橋下市長の言動は不安や動揺を招くだけで何の解決にもならない。

 橋下の「教育委員会の決定に自動的に予算が付く訳ではない。予算執行は僕の権限だ」との発言に至っては恫喝そのものだろう。「全教員を強制移動する」というのも、要は「連帯責任ということで」、顧問のビンタや体罰より悪質である。

 橋下は、「市ではもう高校はコントロール出来ない。大阪市が高校を持ってるのは大問題」だと、大阪市立高校を大阪府へ移管する計画を前倒しする考えを示しているが、要は橋下の目的は此処にあり、単に体罰問題を利用しただけに思える。

 方や、鳩山由紀夫だが、コイツを売国奴と言わずしてなんという。鳩山の藪蛇外交は枚挙に遑がないが、議員を辞めたにしてもその立場を利用されるということを本人は全く理解していない。南京屠殺記念館の前に建つへんてこりんな銅像に手を触れて、「かわいそうなことをしてしまった」と語りかけて黙祷したという。

 その上で中共愛逞しい鳩ポッポは御粗末な自虐史観をひけらかし、「大虐殺はなかったと言う方はここに来られてから話をされたらいい」と述べたという。ならばいつでも参上し、言ってやりたいが中共に言論の自由があればの話だが(苦笑)

 抑抑、「南京事件」など存在しない。この問題が持ち上がったのは、戦後、米国の原爆投下や無差別爆撃での民間人の虐殺が問題となるや、「日本軍も30万人も虐殺していたぞ」と言わんとばかりに米国側がでっち上げたのが最初である。

 それを中共が政治的に利用しているだけなのだが、南京事件の証拠としているものが「ラーベ日記」と、ヒトラー総統への「上申書」という実に粗末なもので、要は「南京事件」とはその虚偽の証拠を基に捏造された事実無根の事件なのだ。

 歴史の問題は一国の存亡に関わる大事であり、元首相という立場を弁えず安易に土下座謝罪した鳩山の行為は英霊や先人への冒涜であり、万死に値するものだ。

 在りもしない南京事件を認めて、苦しめていない南京の民衆に「苦しめた」と謝罪したが、そうした謝罪に拠って日本国民を貶めることには何ら躊躇いはないのか。

「心からの謝罪」というなら、いっそその場で腹でもかっ捌いてくりゃ好いんだよ。何が「心からの謝罪」か。こういうのを実行が伴わない口舌のアホというのだ。

「平和友愛」とか「東アジア共同体」などの妄想も結構だが、南京屠殺記念館や各戦争記念館に展示してある明らかなインチキ写真の撤去を進言するべきだろう。まぁ、尤もそれを言えるくらいなら端から銅像を撫でて謝罪なんかしないわな(苦笑)

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2013年01月17日

「なんせ、初めてのことじゃけ~」から18年が経った

 18年前の今日1月17日、阪神淡路大震災が発生した。「自衛隊違憲合法論」を標榜する社会党党首で当時の首相村山富市は自衛隊出動に難色を示した。社会党のイデオロギーを優先した村山の対応の拙さから助かる多くの命が失われた。

 愚生者が増え、自衛隊への出動命令の遅れを批判された村山は、「なんせ、初めてのことじゃけ~」と他人事の様に宣ったのを多くの国民は忘れてはいないだろう。こうした言い訳は、見苦しいばかりか同じ過ちを繰り返すことになるのだ。

 東日本大震災では、菅直人が現場視察を強行したことでベント開封が遅れて、更にSPEEDIの数値隠しで要らぬ被曝を招いた。阪神淡路大震災や東日本大震災しても何故に最悪の政権の時に最悪の天災が起こるのだろう。やはり天譴なのだろうか。

 阪神淡路大震災や東日本大震災の災害派遣や我が国の平和と独立及び国民の生命財産を守る為に日夜行われている厳しい訓練に於いて、過去に1822名もの自衛官が殉職されていることを、我々国民は知っているだろうか。

 国家の防衛と国民の生命・財産を守るべき自衛体が、都合の好い「便利屋」の様な扱いをされ、殉職したことも知らされないというのはどうしたものか。こうした自衛官諸君に対し、国家や国民が如何に感謝し、如何に慰霊・顕彰すべきなのか。

 自衛隊殉職者追悼式は、市ヶ谷駐屯地内の慰霊碑の前で政府関係者と自衛隊関係者のみで行われ、悲しいことに国民が慰霊・顕彰することはない。やはり、殉職された自衛官は靖國神社に祀り、国民が感謝の誠を捧げるべきだと思う。

 靖國神社に代わる追悼施設の問題が議論されるが、この市ヶ谷駐屯地内の慰霊碑が「新たな追悼施設」にされるのではなかろうと危惧する国民は少なくない。

 三島由紀夫は、その「檄」において「自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず」と喝破したが、現在の自衛隊は未だに三島の憂いた違憲状態の儘で放置され続けているのだ。

 現憲法の第9条・第2項に「陸海空軍の戦力は保持しない」と明記されており、悲しい哉、自衛隊の存在は明らかな憲法違反であるということを知っているか。

 東日本大震災などに於ける救援活動や民生支援など正に命を賭して活動し、日夜訓練に励む自衛隊を、まともな日本人ならば誰も否定はしまい。

 安倍首相は「集団的自衛権」に対して、「憲法解釈の変更も有り得る」などとと公言しているが、憲法解釈などという姑息な手段ではなく、堂々と現憲法の矛盾点を指摘し自衛隊を名誉ある軍にするべきだが、第九条改正では心許ない。

 我が国の危機管理と防災と国防が万全なものとなり、より高度な対策が構築されて行くことが犠牲になられた方々の無念さに応える唯一無二のものだ。合掌。

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2013年01月13日

安倍総理の提唱した「アジアの民主主義セキュリティダイアモンド」

Asia’s Democratic Security Diamond

http://www.project-syndicate.org/commentary/a-strategic-alliance-for-japan-and-india-by-shinzo-abe

 アジアの民主主義セキュリティダイアモンド

 2007年の夏、日本の首相としてインド国会のセントラルホールで演説した際、
私は「二つの海の交わり」 ─1655年にムガル帝国の皇子ダーラー・シコーが
著わした本の題名から引用したフレーズ─ について話し、
居並ぶ議員の賛同と拍手喝采を得た。
あれから5年を経て、
私は自分の発言が正しかったことをますます強く確信するようになった。

 太平洋における平和、安定、航海の自由は、
インド洋における平和、安定、航海の自由と切り離すことは出来ない。
発展の影響は両者をかつてなく結びつけた。

 アジアにおける最も古い海洋民主国家たる日本は、
両地域の共通利益を維持する上でより大きな役割を果たすべきである。
にもかかわらず、ますます、
南シナ海は「北京の湖」となって行くかのように見える。

 アナリストたちが、オホーツク海がソ連の内海となったと同じく
南シナ海も中国の内海となるだろうと言うように。

 南シナ海は、核弾頭搭載ミサイルを発射可能な
中国海軍の原潜が基地とするに十分な深さがあり、
間もなく中国海軍の新型空母がよく見かけられるようになるだろう。

 中国の隣国を恐れさせるに十分である。
これこそ中国政府が東シナ海の尖閣諸島周辺で毎日繰り返す演習に、
日本が屈してはならない理由である。

 軽武装の法執行艦ばかりか、
中国海軍の艦艇も日本の領海および接続水域に進入してきた。
だが、このような“穏やかな”接触に騙されるものはいない。

 これらの船のプレゼンスを日常的に示すことで、
中国は尖閣周辺の海に対する領有権を既成事実化しようとしているのだ。
もし日本が屈すれば、南シナ海はさらに要塞化されるであろう。

 日本や韓国のような貿易国家にとって必要不可欠な航行の自由は
深刻な妨害を受けるであろう。
両シナ海は国際海域であるにもかかわらず
日米両国の海軍力がこの地域に入ることは難しくなる。

 このような事態が生じることを懸念し、
太平洋とインド洋をまたぐ航行の自由の守護者として、
日印両政府が共により大きな責任を負う必要を、
私はインドで述べたのであった。

 私は中国の海軍力と領域拡大が2007年と
同様のペースで進むであろうと予測したが、
それは間違いであったことも告白しなければならない。

 東シナ海および南シナ海で継続中の紛争は、
国家の戦略的地平を拡大することを以て
日本外交の戦略的優先課題としなければならないことを意味する。

 日本は成熟した海洋民主国家であり、
その親密なパートナーもこの事実を反映すべきである。
私が私が描く戦略は、
オーストラリア、インド、日本、米国ハワイによって、
インド洋地域から西太平洋に広がる海洋権益を保護するダ
イアモンドを形成することにある。

 対抗勢力の民主党は、私が2007年に敷いた方針を継続した点で
評価に値する。つまり、彼らはオーストラリアやインドとの絆を
強化する種を蒔いたのであった。

(世界貿易量の40%が通過する)マラッカ海峡の西端に
アンダマン・ニコバル諸島を擁し、
東アジアでも多くの人口を抱えるインドはより重点を置くに値する。

 日本はインドとの定期的な二国間軍事対話に従事しており、
アメリカを含めた公式な三者協議にも着手した。

 製造業に必要不可欠なレアアースの供給を中国が
外交的な武器として使うことを選んで以後、
インド政府は日本との間にレアアース供給の合意を結ぶ上で
精通した手腕を示した。

 私はアジアのセキュリティを強化するため、イ
ギリスやフランスにもまた舞台にカムバックするよう招待したい。
海洋民主国家たる日本の世界における役割は、
英仏の新たなプレゼンスとともにあることが賢明である。

 英国は今でもマレーシア、シンガポール、オーストラリア、
ニュージーランドとの五カ国防衛取極めに価値を見いだしている。

 私は日本をこのグループに参加させ、毎年そのメンバーと会談し、
小規模な軍事演習にも加わらせたい。
タヒチのフランス太平洋海軍は極めて少ない予算で動いているが、
いずれ重要性を大いに増してくるであろう。

 とはいえ、日本にとって米国との同盟再構築以上に重要なことはない。
米国のアジア太平洋地域における戦略的再編期にあっても、
日本が米国を必要とするのと同じぐらいに、
米国もまた日本を必要としているのである。

 2011年に発生した日本の地震、津波、原子力災害後、
ただちに行なわれた米軍の類例を見ないほど巨大な平時の人道支援作戦は、
60年かけて成長した日米同盟が本物であることの力強い証拠である。

 私は、個人的には、日本と最大の隣国たる中国の関係が
多くの日本国民の幸福にとって必要不可欠だと認めている。
しかし、日中関係を向上させるなら、
日本はまず太平洋の反対側に停泊しなければならない。

 というのは、要するに日本外交は民主主義、法の支配、
人権尊重に根ざしていなければならないからである。
これらの普遍的な価値は戦後の日本外交を導いてきた。

 2013年も、その後も、アジア太平洋地域における将来の繁栄もまた、
それらの価値の上にあるべきだと私は確信している。(安倍晋三)

cordial8317 at 08:56|PermalinkComments(0)

2013年01月09日

「教育」は国の大本であり子供達は日本の宝です

 大阪の市立桜宮高校でバスケ部顧問から体罰を受けた高校2年の生徒が自殺する事件が起きた。愚生は常々「体罰という愛が子供の理性を正しく鍛える」というのを持論にしている。子供を躾ける上で、「理性」に問い掛けて、それを理解出来る子供や生徒には効果的だが、言っても分からない子供には全く効果はない。

 何度言い聞かせても理解出来ない、或いは何度も同じ様な過ちを犯す子供や生徒には、体罰に拠って「善悪」というものを「本能」に問い掛けることも大事だとも言っている。 だがそれには、教える立場に在る教師や躾をする親は日々子供達に愛情を注ぎ、子供達から敬愛、尊敬されることが大事なのは言うまでもない。

 指導や意見の仕方を分かり易く教えているものに愚生も愛読する「葉隠」がある。「葉隠」というと右翼的とか、忠君愛国的と思い込んでいる人も多いだろう。

 本文冒頭での「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」だけが独り歩きし、読まずに「危険な書」だと思っているのではないだろうか。この本は類の無い不思議な道徳書なのだ。文中には「人への意見」として次の様なことが述べられている。

「人に意見してその人の欠点を直すということは大切なことであり、慈悲の心とも言える。ただ、意見の仕方には骨を折る必要がある。大方の人は、人に好まれない言い難い事を言ってやるのが親切の様に思い、それが受け入れられなければ、自分の力が足りなかったとしている様だ。こうしたやり方は何ら役に立たない。ただ悪戯に人に恥をかかせ、悪口を言うだけの事と同じ結果になってしまう」

「意見というものは先ず、その人がそれを受け入れられるかどうかを見極め、相手と親しくなり、何時も信用する様な状態で仕向ける処から始めなければならない。言い方なども工夫し、時節を考え、自分の失敗談等を話しながら、余計な事を言わなくても思い当たる様に仕向けるのが良い。先ずは良い処を褒めて気分を引き立てる様に心を砕き、そうした上で欠点を直していくというのが意見というものである」

 なんと細やかな心遣い、これ程の気遣いをする現代人はいないだろう。今回の自殺は、部活動での先生と生徒の考え方の違いだろうが、この先生は果たして生徒への愛を以て相対していたのだろうか。単に自分のエゴからの行動であって、体罰も自己満足に過ぎなかったのではないのか。つまり、意見の仕方が間違っていたと思う。

 この教師も純粋に生徒を「強くさせたい」とか「上手にさせたい」という気持ちばかりが先走りして、意味の無い体罰を繰り返していたのではないのだろうかと思う。また、自殺した生徒は先生に対し敬う気持ちが果たして在ったのだろうか。

 愚生は小学校4年生から剣道を始め、中学2年の時に初段に合格した。高校時代は1年からレギュラーでそこそこ活躍していた。だが、高校2年になった頃からだろうか、「オマエのは残心が悪い。何度言ったら分かるんだ」と貶され続け、「なんでオレばっか言われるのだろう」とやる気をなくし、結局、部活を辞めた。

 その貶され続けた「残心」だが、国士舘大学の剣道の授業で、日本一の指導者と言われる右田先生に「佐久間の残心は素晴らしい。有段者の中でも一番良い」と褒められたことがあった。こう見えても褒められりゃ伸びるタイプなんです(笑)

 要は、指導者によって見方や考え方も違う訳で、人生に「もし」はないが、もしも高校時代に腐って剣道を辞めないで続けていれば違った人生になったかもしれない。

 高校時代の顧問と親戚の葬儀で再会したことがあった。すると先生は、「佐久間君の剣道は柔らかく、教え子の中でもいいものを持ってたんだがなぁ」と言われたことを思い出す。「何で、それを高校時代に言ってくれなかったんですか」と聞けば、「佐久間君なら幾ら叩いても大丈夫だと思ったんだよ」と元顧問の先生。

「でも、先生、100回やって100回貶されれば、やる気はなくなりますよ(笑)」というと、「そうだな、悪かったな。もう一度やらないか。春には五段を授与するから」と、町の道場に誘われたのは好いが、五段取得前に本当に挫折した(笑)

 先生と言われる立場の人はその言動や一挙手一投足の責任の重みを自覚して、人を見る目を養うべきだとも思う。人を見る目というのは人生哲学そのもの。そういう意味で、教師というのは人を見る目を養う機会に恵まれていない様にも感じる。

 こうした体罰問題や自殺が起きる度に解決策も何ら講じずに、右往左往した揚句に平身低頭するばかりの教育委員会というのもホント厭きれるばかりだが、こうした陋習を廃し、根本的な教育改革を進めて頂きたいものだ。 教育は国の大本であり、子供達は日本の宝だ。「教育勅語」を指導原理とし教育の再生を図るべし。

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2013年01月08日

会津の「白虎隊」と二本松の「少年隊」

 NHK大河ドラマ「八重の桜」の初回の視聴率は視聴率は21.4%、福島地区では30%超えだったという。原発事故で逸早く福島から逃げ出した県民もドラマで「福島訛り」や「会津弁」を聞いて懐かしく思いながら観たことだろう。

 ドラマでは会津だけではなく白河や二本松の激戦のシーンも描かれるというので、今後も愉しみにしている。会津の「白虎隊」に比べて「二本松少年隊」を知る者は少ない。白虎隊士の構成年齢が16~17歳だったのに対し、二本松少年隊の最年少隊士の年齢は僅か12歳。二本松に生まれ育った愚生も「少年隊」は郷土の誇りである。

 慶応4年7月27日、木村銃太郎隊長(22)に率いられた少年隊士23名は、城下西口の要衝である大壇口に布陣。その二日後の午前9時頃、隊伍を組んで進軍してくる西軍に向かって、銃太郎の号令一下、終に戦史に残る激戦が開始された。

 だが、少年隊の奮闘空しく、銃太郎は二の腕に銃弾を受けながらも木村隊長は少年達に退去を命じる。迫り来る西軍を睨みつつ、周囲の味方の陣の様子を窺ってみると味方はもう既に退却した後で、少年隊は孤立無援の危機に直面した。

 銃太郎は、大砲の火門に釘を打ち込んで使用不能にした後に、次の指示しようと口を開きかけたその刹那、西軍の敵弾が銃太郎の腰を貫き思わず腰から崩れ落ちた。

「最早、これまで」と、銃太郎は少年達に自らの斬首を命じる。「隊長死んじまった、どうすっぺぇ」と号泣しながら棒や素手で土を掘りその遺骸を葬ったという。

 二本松藩には代々、「必殺を期すには、斬らずに突くべし」という剣術の極意が伝わっている。これは、赤穂藩主の浅野内匠頭が江戸城にて吉良上野介を討ち漏らしたことを聞いた二本松藩初代藩主の丹羽光重が、「何故、浅野公は斬りつけたのか。斬りつけずに突けばよかったものを!」と、酷く悔しがったという。

 爾来、二本松に於いては「斬らずに突け」が伝統となった。成田才次郎が出陣の際に父から訓されたのも「斬らずに突け」だった。その才次郎、大壇口から敗走中の混乱で隊士はバラバラになってしまい、郭内まで戻るも戦意は尚も旺盛だった。

 才次郎は、「必ず西軍の敵将を斃してやる」との決死の思いで城下の郭内のとある物陰に潜んでいたところ、馬上豊かに如何にも立派な武士が一隊を率いてやってくるのが見えた。それは、長州藩士・白井小四郎が率いる部隊だった。

 才次郎、隊列が目前に来るまで充分に引き付け、「此処ぞ!」というところで大刀を真っ直ぐに構えるや一気に白井に向って突進した。然し、歴戦の長州兵は、この遮二無二突進する小さな刺客に即座に反応し、隊長を護るべく馬前に出る。

「子どもじゃ、手を出すでない」と白井隊長は、必死に突っ込んで来るのが子供だと瞬時に見抜いて、部隊の兵を制した。それが徒となり、才次郎の剣は狙い違わずこの敵将の脇の下から胸部を突き刺した。白井は、思わず落馬した。

 驚愕した長州兵らは才次郎を捕えようとするが剣を振り回す少年に近寄ることも出来ず、已む無く射殺してこの小さな勇士を倒すことが出来た。才次郎、14歳。

 会津藩の飯島(木村)八重と同じ様に、当時は最新鋭のスペンサー(元締め)銃を手に奮闘したのは二本松少年隊の小澤幾弥である。弱冠17歳。戊辰戦争前まで江戸で育った幾弥は、新式のスペンサー銃を二本松藩に持ち込んだ。

 二本松戦争では、阿武隈川を超え霞ヶ城(二本松城)に殺到する西軍を丘の上から次々と撃ち倒した。だが、その抵抗も虚しく師・朝河八太夫と討ち死にする。因みに、砲術師範である八太夫は世界的歴史学者である朝河貫一博士の祖父である。

 薩摩藩士で陸軍元帥・野津道貫は回顧談(近世国民史)で「兵数不詳の敵兵は砲列を布いて我軍を邀撃するのであった。我軍は早速之に応戦したが敵は地物を利用して、おまけに射撃はすこぶる正確で一時我軍は全く前進を阻害された。我軍は正面攻撃では奏功せざる事を覚り、軍を迂回させて敵の両側面を脅威し辛うじて撃退することを得たが、怨恐らく戊辰戦中第一の激戦であったろう」と述懐している。

 会津武士道の昇華を「白虎隊」に例えるのなら「二本松少年隊」も二本松武士道の昇華そのものであり、二本松が故郷である愚生にとって少年隊は英雄である。

※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。

《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員は300000円~。

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2013年01月07日

「白虎隊」をどう変換したら「百虎隊」になるんだろう(笑)

 日本社会党の福島みずほがtwitterで、「白虎隊」を「百虎隊」と書き込んだ上に、NHK大河ドラマの「八重の桜」に便乗し、「什の掟」に準えて原発や憲法を持ち出して「ならぬものはならぬ」なんてつぶやいてるのを見て思わず笑ってしまった。というより、話題に乗っかろうとのその必死さに憐憫差を禁じ得ない(苦笑)

「白虎隊」をどう変換したら「百虎隊」となるんだ。「ひゃっこたい」と入力すれば出ると聞いたが、愚生のパソコンでは「ひゃくとらたい」と入力しなきゃ無理。

 自分で「白虎隊をテレビで見た」とつぶやいてるんだから、「ひゃっこたい」と入力すること自体マヌケというか、観ていない証明だろうよ。虚言症女、「什の掟」には「虚言を言うことはなりませぬ」という教えが在るのを知らない(笑)

 会津藩には「什の掟」という訓えがある。同じ町内の6歳から9歳までの藩士の子供達が10人前後集まり、年長者が一人什長(座長)となるこの集まりを「什」といい、その決まり事が「什の掟」だ。子供達が自ら約束事を決め、その日に起こった由無し事を語り合い、その約束を破った者には子供ながらの制裁を加えたという。

 一、年長者の言ふことに背いてはなりませぬ
 一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
 一、嘘言を言ふことはなりませぬ
 一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
 一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
 一、戸外で物を食べてはなりませぬ
 一、戸外で婦人と言葉を交へてはなりませぬ

 そして最後に「ならぬことはならぬものです」となる。地区地区で多少違うらしいが、「ならぬことはならぬものです」との最後の教えは共通だった様だ。

 会津出身の新島(山本)八重を主人公にした大河ドラマ「八重の桜」が始まった。NHKで観るのは大相撲と落語くらいなものだが、このドラマが原発事故の風評被害などで疲弊している福島県民の復興の起爆剤になることを期待したい。

 然し乍ら、偏向的自説を垂れ流すNHKのこと、今どきの安っぽい「男女平等(ジェンダー平等)」や「男女共同参画社会」の先駆者としての八重の姿を、「女性の地位向上」「女性の社会進出促進」に利用するであろうことは予想出来る。

 八重は弘化2年(1845年)、会津藩砲術指南役・山本権八・さく夫妻の三女として生まれた。八重は兄の覚馬から洋式砲術を学び、戊辰戦争では断髪・男装し、スペンサー銃を担ぎ最後まで勇敢に戦い「幕末のジャンヌダルク」とも呼ばれた。

 八重は、戊辰戦争前に但馬出石藩・川崎尚之助会津日新館教授と結婚するが、会津若松城篭城戦前に離婚。その夫は戦の最中に行方不明となった。愚生に浅田次郎や百田尚樹の様な文才があれば、その後の元夫の生き様を綴ってみたいな(笑)

 会津若松城落城後、八重は京都顧問だった兄の覚馬を頼り上洛する。縁有って、その後に同志社大学を設立する新島襄と再婚する。キリスト教が未だ世に認められていない時代に洗礼を受け入信し、襄と共に同志社大の設立に尽力した。

 八重は夫(襄)を「ジョー」と呼び捨てる姿は、男尊女卑が未だ色濃く残る明治時代に於いては「悪妻」と評されたり「烈婦」と評されたこともあるという。当時同志社の学生だった思想家・徳富蘇峰からは、「頭と足は西洋、胴体は日本という鵺(ぬえ)の様な女性」と罵倒されたというから、想像するに余りある。

 明治23年に、夫の襄が急逝する。八重は夫の死後、日清戦争などで看護婦を志願し篤志看護婦として救護活動に参加した。こうした行動は、同じ会津藩で「会津のナイチンゲール」と慕われた瓜生岩子の影響が大きかったのではないだろうか。幕末の「会津戦争」を経験したからこそ、残りの人生を社会貢献に身を投じたのだろう。

 昭和天皇御即位の際に銀杯を下賜された八重はその4年後自宅で死去、享年86歳。葬儀は「同志社社葬」として執り行われた。波乱に富んだ八重の生涯のドラマが、県民にとって大きな励みとなり、復旧復興に繋がることを願うばかりである。

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