2013年01月

2013年01月31日

全日本女子柔道でもパワハラ、今や一億教育評論家か(笑)


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 大阪市立桜宮高校での体罰問題を機に、今や一億総教育評論家になってしまった様だ。「暴力はけしからん」と非暴力主義的意見が大半で、日本も愈々ガンジー主義時代に突入したのだろうか。せめて「左の頬を殴られたら、右の頬を出しなさい」くらいでいいと思うがなぁ(笑)

 だが、多くの意見は「教育や指導とはどう在るべきか」という根本からかけ離れ、興味本位で<体罰=暴力=悪>という図式だけが先行し、クソもミソも一緒になった軽佻浮華な意見が目立つ。

 「角を矯(た)めて牛を殺す」という諺が在る。「少々の欠点を直そうとして、反ってそのもの自体を駄目にしてしまう」という意味だ。

 <体罰=暴力=悪>というレッテルばかりが騒がれて、それに踊らされてる人を目の当たりにし、枝葉に係ずらわって肝心な根本を損ってしまうのではという危機感を覚えるのは愚生だけではあるまい。

 また、人というのは「好き」か「嫌いか」のどちらかだという。

 「生理的に合わない」とか「以心伝心」という言葉もそうだが、自分が嫌いだとか苦手だなと思ってるいるヤツは、大概、向こうもこっちと同じ様に感じているもので、要は桜宮校のバスケ部顧問にしろ女子柔道の園田監督にしろ、生徒や選手から嫌われていたということだ。

 教員や指導者はある意味人気商売の様なもので、生徒や選手に好かれて、尊敬されて、初めて本当の「教育」や「指導」が出来るものだと思っている。

 「人に意見や指導をしてその人の欠点を直す」ということは大切なことであり、親切心であり、慈悲の心だとも言えるが、意見される側や指導される側が、それを受け容れる気持ちが無ければ単なる「余計なお世話」なのだ。

 企業経営者でも、金儲けというのは容易なことだが、人を育てるというのは実に難しいものだと感じている人が多いだろう。

 大方の人は、人の失敗や欠点に対し、好まれない言い難い事を言ってやるのが親切心だと思っているが、それはややもすれば徒に人に恥をかかせ、悪口を言う結果になってしまっている場合も多いということを気付いてはいない。

 意見というものは先ず、その人がそれを受け入れられるかどうかを見極め、相手と親しくなり、自分を信用し受け容れる状態になってからでないと意味はない。

 食事や痛飲しながら相手に心を許し、自分の失敗談を話し、意見を言わなくても相手に思い当たる様に仕向けたり、相手の長所を褒めながら、その上で欠点を指摘し直すというのが本当の親切心であり、意見や指導とは斯く在るべきなのだ。

 何よりも、人というのは好きか嫌いかであって、嫌われてるのに幾ら熱く語ったところで、相手には受け容れられることはないということ。言うことを聞かない、受け容れる態度が悪いからと体罰やヤキを入れる悪循環になっているのだろう。

 「そうか、好きか嫌いかか。なるほど」、右翼が喩え正論を吐いたところで、世間から忌み嫌われるのはそういうことか。呵呵大笑。

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2013年01月30日

パチンコは諸悪の根源、非合法化すべし!


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 恥ずべきことに日本の基幹産業化してしまった感のあるパチンコ産業だが、パチンコを健全な娯楽などと思ってる人などいないだろう。「換金制度」は射幸心を煽り、ギャンブル性を高めている。完全な賭博でありながら、何故か「風適法」によって許可され続け、不幸を量産している。

 パチンコは明らかに「風適法」と「賭博法」に抵触するのだが、取り締まるべき警察の天下り先となり、またマスコミの最大のスポンサーとなったパチンコ産業は、今やその違法性を指摘されることはない。

 「風適法」による遊技場経営者の禁止行為の一つには、「客に提供した賞品を買い取ること」というのがある。つまり特殊景品も賞品には違いはなく、その特殊景品が店舗に戻ってくるということは、客に渡した賞品を買い取っていることとなり、本来ならば「風適法」違反で摘発しなければならない。

 換金制度は脱税防止を目的に、プリペイドカードを導入し、パチンコ屋(店舗)と換金を扱う店(買取所)と交換する「特殊景品(金地金)」を扱う店(問屋)を別々にすることにより「合法」だと、自民党の平沢勝栄ら警察官僚OBらが実に安易でいい加減な発想で合法化されたものだ。

 だが、実際には不良支那人によって偽造プリペードカードが大量に出回り、あっという間に破綻し、今では現金で遊べる様になってるが、これもまた明らかなギャンブル行為そのものであり、違法行為なのだ。

 <店舗→客→買取所→問屋→店舗>、こういうルートで特殊景品を流しているが、実際には直接買い取っておらず、「風適法」の「買取禁止行為」になるのだが、この問屋というのが遊技場組合が関与し、警察の天下り団体となっているのは言わずもがなだ。一例を挙げれば。

 「日本レジャーカードシステム(プリペイドカード会社)代表取締役会長」「日本ゲームカード代表取締役会長」「財団法人・保安電子通信技術協会(パチンコ台の形式を認可する団体)常務理事」「全日本遊技事業共同組合連合会専務理事」「日本遊技関連事業協会」などは歴代警察官僚トップらの天下り先で、地方の警察署長らも同様にこうしたパチンコ業界に天下っている。

 パチンコで合法な<店舗→客→買取所→問屋→店舗>を例えばゲームセンターとかが同じことをやったとすれば、即刻、「風適法」8号条文の適用(賞品の提供の禁止)で摘発となるのは必至で、何故にパチンコだけが特別扱いされるのは警察構造の歪な権力の行使であり、憲法での法の下の平等をも無視するものなのだ。

 パチンコを非合法化することが最良だが、業界側が「健全な娯楽」を謳うならば、せめてこの換金制度を止めるべきだ。換金制度さえ無くなればパチンコの興味は薄れ、遊ぶ人は激減し、依存症も無くなり、自殺や家庭離散も防げ、景気の底上げも可能となるだろう。

 パチンコ業界というのは経営者の殆どが韓国・朝鮮人で、北朝鮮へのミサイル開発などにパチンコ屋からの送金が使われていたということは周知の事実。

 反日政策を国是とする韓国と、日本人同胞を拉致し、周辺諸国を恫喝し続ける北朝鮮。パチンコに興ずるのも勝手だが、日本人として拉致被害者の気持ちを少しでも分かつ気持ちがあるのなら、パチンコなんぞやるべきではない。

 韓国ではパチンコが原因の借金による自殺が相次ぎ、更にはパチンコ業界と政府の癒着という政治スキャンダルなどが問題視された結果、2006年にパチンコは非合法化され全廃となった。

 我が国も本来ならパチンコの違法性を指摘し、自殺やパチンコでの借金問題や家庭崩壊といった社会問題を取り上げ、また警察とパチンコ業界の癒着や、遊技場組合への天下り問題、そしてパチンコ業界と深い関わりのある政治家を糾弾すべきなのがが、如何せん手を拱いている。

 今迄、こうした問題が提起されたり、議論されたことがないのは、相手側が在日や朝鮮人ということで「強制連行」や「差別」といった嘘八百に騙され怯んでいる結果であり、自虐史観が生んだ弱腰政策と言ってもいいだろう。

 悲しいことにパチンコでの不幸な問題より、聞こえて来るのはパチンコの新キャラクターや夢の様な一攫千金といった話ばかりだが、マスコミによればパチンコ業界は深刻な売上の減少が続いているという。

 公益財団法人日本生産性本部が発表した「レジャー白書2012」によると、パチンコ業界関連の指標では、市場規模が前年比2.5%ダウンの18兆8960億円。1回以上の参加人口は1260万人で、前年に比べ410万人と大幅に減少。

 マスコミは「30兆円産業と言われてきた日本のパチンコ業界も危機的な状況に陥っている」と報道しているが、年間、約19兆円という莫大な金額が垂れ流されてて何が危機的な状況か。危機的なのはパチンコ依存症となってる客であり、経済の波及効果を生まないパチンコの増殖なのだ。

 リサーチパネルという会社が14万4594人を対象に、「パチンコ・パチスロが法律で禁止されたら困りますか?」という調査を行った。結果は以下の通り。

 ・困る:6.6%
 ・困らない:88.0%
 ・わからない:5.4%

 この結果を見てもパチンコなど無くなっても困る人などいないということだ。パチンコは諸悪の根源、パチンコを非合法化すべし!

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2013年01月29日

国賊・鳩山由紀夫に続いて村山富市と加藤紘一が揃って訪中


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 国賊・鳩山由紀夫に続いて村山富市と加藤紘一が揃って中共を訪問した。「尖閣諸島は係争地」と放言した鳩山だったが、引退した村山にしろ、加藤にしろ、鳩山に続いて迷台詞を吐いて来るのは間違いないだろう。

 中共の「愛国無罪」もふざけたものだが、我が国の「売国無罪」もいい加減どうにかして欲しいものだ。

 加藤は宮沢内閣の官房長官時、所謂「従軍慰安婦」の軍の関与を正式に認め、「筆舌に尽くしがたい辛苦を舐められた全ての方々に対して、改めて哀心よりお詫びと反省」を表明した自民党内きっての確信的左翼。脳梗塞を患い、落選の憂き目に遭ってはいるが、自民党内の獅子身中の虫の最筆頭。

 自社政権で首相に就いた村山は在任中、植民地支配と侵略を詫び、どさくさに「村山談話」を発表。慰安婦問題や歴史問題で火に油を注いだ売国奴。

 この国賊二人が中共に招待され、ノコノコと出掛けて行くことに何の躊躇いも感じなかったのか。そんなに中国共産党が好きなら亡命すりゃいい。尤も自分達の歴史認識こそ正しいものだと思ってるのだから始末に負えない。

 馬鹿は死ななきゃ治らない、否、死んでも国賊の汚名は消えることはない。

 村山の「植民地支配と侵略」については今更、反論も説明もアホらしくてやる気になれないが、村山の談話を見直すのは当然だが、昭和47年(1972)日中共同声明で田中角栄が発した、「先の大戦で中国国民に重大な損害を与えたことに責任を痛感し、深く反省する」との認識こそ見直すべきだ。

 この田中の歴史認識が未だに踏襲されているが、我が国が先の大戦で戦ったのは中華民国であり、戦後に建国した中華人民共和国ではない。

 中国共産党政府を「中国唯一の合法政府」であると承認し、主権を回復した昭和27年4月28日、中華民国と締結した「日華国交条約」を一方的に破棄、蹂躙したことは道義国家として赦されざる蛮行である。

 中共や韓国が恫喝や強請り、タカリに奔るのは、支那人、朝鮮人の人品の低さも然ること乍ら、歴代日本政府の無知と事勿れ主義、弱腰軟弱外交が要因になっていることは間違いなく、政治家は猛省すべし。

 朝日新聞が捏造した慰安婦問題も、加藤が軍の関与を認め、河野洋平が「談話」を発表したことは、事勿れ主義と謝罪外交の最たるものだ。

 これこそが韓国人慰安婦を付け上がらせる原因を作り、その後の「村山談話」で火に油を注ぎ、歴代の自民党政権下でもこれらを傍観し、撤回もせず黙認し、民主党政権誕生で、鳩山由紀夫が「国家補償」を約束し、前原誠司が「戦後賠償支援」を言及した。

 慰安婦問題というものは、こうして日本側が国家として「謝罪」も「約束」もしている訳だから、韓国みしてみりゃ要求するのは当然で、単なる強請り、タカリとばかり言ってもいられない現実が厳然と存在しているのだ。

 戦後、日本外交は「謝罪」と「賠償」さえしていれば問題ないと思っていた訳だが、外交での譲歩は相手側に更なる譲歩を要求されるだけで何ら解決されないばかりか、問題を先送りするだけでしかない。

 土下座外交は、国民の誇りや自尊心を傷付けるものだということを我が国の政治家は肝に銘じるべきだろう。

 鳩山や村山、加藤らの身勝手な発言で、先人や英霊が冒涜され傷付けられているのをこれ以上拱手傍観している訳には参らない。安倍政権の誕生を機に歴代の不作為犯と売国議員を一掃しよう!

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2013年01月28日

「伝家の宝刀」として、教員に「ビンタ」する権限を与えよ(笑)


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 桜宮高校の体罰問題に端を発した騒動は各方面に波紋を投げかけている。政府自民党は、いじめ問題の深刻化を踏まえ、体罰もいじめと位置づけ、今日召集される通常国会で、「いじめ問題対策基本法案」の成立を目指すという。

 「いじめ問題基本法」の骨子案は、いじめとは「児童・生徒に対し一定の人的関係に在る者が行う心理的、物理的な攻撃で、児童らが心身の苦痛を感じているもの」と定義している。

 こんな定義では、教員はいつ晒し者になるかとビクビクして、「教える」どころの話しではないだろうし、教員になる希望者も激減するのではないだろうか。こうしたことで根本的な問題を解決出来るとでも思えない。

 先週の水曜日、曽野綾子の人気コラム「透明な歳月の光」に、「体罰と人間観」というタイトルで、体罰を振るった桜宮高校のバスケットボール部顧問と橋下市長について書いてあった。

「人は変えられるという思い込み」があるのではなかろうかと、「世の中のこと、人間というものが、よくわかっていない人である」と、顧問と橋下を曽野綾子風に諭している。

 これに対し橋下は、自分への罵詈雑言だとの認識で、いつもの様に強気の発言を繰り返し、「桜宮高校で一人の生徒が死を選んだ。あの現場にいなければ死を選ばなかった。人が変わってしまったのだ」と、あくまでも自殺は体罰に在るとし、曽野女史を痛烈に批判する。

 橋下の「失言や暴言」「政策の矛盾」をいけしゃしゃと自己正当化するあの弁舌の技術は天性のものだろうが、自殺した生徒があの現場に居なくとも、遅かれ早かれ自殺したかも知れないし、体罰によって生徒の性格が変わったとも思えない。

 体罰を通り越した暴力事件は告発し罰すればいいし、暴力事件を起こした教員も粛々と刑に服すればいいことだが、自殺した生徒の精神状態にこそ問題が在り、そういうものを見逃した親や周りの人にも全く責任が無いとは言い切れまい。

 自民党が「いじめ法案」を作ることにより、「人は変えられる」「いじめ問題が解決する」と思っているのであれば、それは曽野女史の言う通り驕りであり、世の中のことも、人というのも分かっていないということだ。

 日本の教育が抱えている問題は、教育現場の実態も知らず、理想論を繰り返すばかりの文科省や教育委員会、興味本位でこうした問題を煽り続けるマスコミの責任が大きく、専門家という名の御用学者や評論家を交え話し合ったところで、机上論や法整備で解決出来るとは思えない。

 教育で大事なものは幼少期の躾、そして小学校の段階で道徳教育の基づいた正しい人間性の基礎を創ることが肝要で、道徳教育で大切なことは、教えたことを如何に実践するか、考えたことを如何に行動で表すことが出来るかが重要なのです。

 児童・生徒の「心身の苦痛」を守るのもいいが、同時に教育の一環として、善悪を知らない子供達に対し「伝家の宝刀」として、いつでも「ビンタ」で「躾」をする権限を教師には与えるべきだ(笑)

 「八重の桜」で有名になった会津には「什の掟」というものがある。その中には「弱い者をいじめてはなりませぬ」「卑怯な振舞いはしてはなりませぬ」というのが書かれて在るが、教えるにしても教わるにしても、これが大事。

 現在のいじめの問題というのは、こうした「弱い者いじめ」を卑怯なもの、恥ずかしいものだという認識の欠落から出ているもので、即ち日本文化の喪失に起因してると言っても過言ではないだろう。

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2013年01月27日

自民党よ、公明党に三下り半を突き付け、連立を解消せよ!


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 習近平は公明党・山口との会談の冒頭、「池田大作先生から年賀状を頂いた。とても感謝している」と池田創価学会名誉会長の名前を持ち出し、ヨイショ。

 山口も山口で、「くれぐれも宜しくお伝えください」との池田の伝言を伝えるという始末で、安倍総理の名代で来たことも忘れ、親書などそっちのけ。

 まぁ会談出来たのも池田の袖の下という朝貢のお蔭だろうが、山口のトンチンカンな対応は、自らを池田の走狗ということを現したということだ。

 習との会談前日に行われた中国共産党の王家瑞中央対外連絡部長との会談でも山口は、「公明党の創立者である池田名誉会長が日中国交回復に大きな役割を果たした。その基本的な精神を我々も受け継がなければならない」と思わずポロリ。

 これ正に公明党が創価学会の出先機関だということの証左であり、池田の走狗ということだ。公明党の売国性が露呈した歴史的一齣で、もう嗤うしかない。

 「創価学会=公明党」は、極めて戦後民主主義的且つ反国家的な団体であり、天皇陛下を族長と仰ぐ日本国家の正統にとっても悉く異質な存在で、こうした連中が政府与党の一翼であるということを憂うる国民は多い。

 創価学会は宗教団体というより、学会員の現世利益を追求する社会運動体であり、公明党はそれを政治的に実現する為の組織でしかなく、究極の目的は、日本を「池田王国」にして、池田を日本の国主にすることだ。

 創価学会の支援を受けて当選した議員は、「学会員の為に政治をやれ」と指導を受ける。つまりは創価学会のの頂点に君臨する「池田太作名誉会長の現世利益の為だけに命がけでやれ」という命令なのだ。

 公明党の売国性は、「外参権付与」「自虐史観」「反靖國」「反天皇」と挙げれば限が無いが、政治は勿論のこと、経済、文化、教育、司法と、今や創価学会は巷に蔓延し、日本を蝕み続けている。

 池田太作こそ日本国内最大の国賊と言っても過言ではないが、池田を崇め奉るこうした連中と保守を標榜する自民党がいつまでも連立を続けること自体、国益を大きく損なっているということなのだ。

 創価学会に在日が多いのは周知の通りだが、池田が会長となっているSGI(創価学会インターナショナル)は、韓国国内の会員40万人以上いると言われ、公明党が外参権付与法案成立に躍起なるのは言わずもがなだろう。

 自民党よ、公明党に三下り半を突き付け、連立を解消せよ!

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2013年01月26日

日教組を始めとした不良公務員を剔抉粛清しよう!


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 今日から三日間の日程で日教組の第62次教育研究全国集会が佐賀市で開かれる。右翼現役の頃は年に2回の日教組大会はレクレーションの様なもので、修学旅行気分で愉しんだものだ(笑)

 教員という名の労働者約700人が「平和を守り真実をつらぬく民主教育の確立」のスローガンの下、学習指導や人権、平和教育などについて語り合うというが、大会では怒号が飛び交い、教育とは名ばかりの階級闘争を繰り広げられる。

 日教組の倫理綱領第八項には、「教師は学校を職場として働く労働者である。教師は、労働が社会における一切の基礎であることを知るが故に、自己が労働者であることを誇りとする」「教師は労働者として自己の立場を自覚して、強く人類の歴史的進歩の理想に生き、一切の停滞と反動を敵とする」と明記されている。

 自らを労働者と呼び、労働者として現体制の否定と革命謀略の推進を謀る売国団体が日教組であり、日教組の優秀な教え子こそ、中核、核マル、核労協、連合赤軍などの極左暴力集団であり、永田洋子や坂口弘死刑囚なのだ。

 公務員には統一ストは認められておらず、「煽り」「唆し」「誑かし」は地方公務員法第三十七条違反に問われるものだが、当局の対応は「触らぬ神に祟りなし」的な甘い対応に終始し、反国家・反民族の不逞行為を看過しているのが現状だ。

 教育者でありながら国旗、国歌に反対し、我が国の歴史・伝統・文化を否定し、国體破壊を目指す日教組は国内最大の「癌」であり、これを抉り出し粛正しない限り、教育の正常化など在り得ない。

 学問とは気概であって学歴ではないが、大事なのは「学ぼう」という熱意であり、教育者は将来を担う子供達に自国への誇りと自信の持てる教育、高い志を持った日本人を如何に育むかということが肝要なのだ。

 教育者はその教育に携わっているという誇りと責任を挟持すべきだと思うが、先般、退職金目当てで三学期終了も待たず早期退職者が続出した報道を目の当たりにし、教育崩壊の一端を見た気がした。

 「数年前に辞めた人は何千万円だった」とか、「たった2、3ヶ月の違いで150万も違えば辞めるのは当然」などという言い分や反論は実に醜いものだ。

 大体、公務員というのは全体の奉仕者であり、薄給で国家・国民に尽くすことが使命なのだが、いつの間にやらサラリーマンより高い報酬を貰い、退職金やら年金も一般国民より遥かに高額となり優遇されているのは如何なものだろう。

 一旦、公務員になってしまえば死ぬまで優遇されるというより、喩え死んでも、残された家族には過分な年金が投入され続けられるのだ。

 当の公務員も、「退職金も年金も国民より高く積み立ててるので当たり前だ」との言い分は、その積立金も血税ということを理解していない。

 ひと昔前の公務員は薄給で公務員になるのも一般企業に入れないオチこぼれの様な輩ばっかりだったが、宮沢内閣から優遇措置が執られ、一般企業と報酬の格差是正に乗り出し、不況の呷りで安定してる公務員が人気になり、今や公務員になるのは超難関。

 手取り報酬の価格を一般企業と同水準にするのは吝かではないが、退職金や共済年金の多額の積立金も血税だということをひた隠し、手取りだけを同額にとは一種の詐欺の様なものだ。

 公務員には過分な退職金と高額な年金が支払われることを考慮すれば、公務員の給与は一般企業より遥かに安くても不都合はなく、財政事情を鑑みても、いい加減、甘やかすのは止めるべきだ。

 公務員でありながら、自己の利益や労働条件の是正などという詭弁を弄し、デモやストライキを平然と行ってる日教組や自治労といった不良公務員は、「地方公務員法」やあらゆる法令を適用し解雇すべきで、そうすることの方が退職金のカットなんぞより、財政的にも、世の中の為にもなるだろう。

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2013年01月25日

「さっさと死ねる様に」発言を機に終末医療にメスを入れろ!


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 麻生財務大臣兼副総裁は社会保障制度改革国民会議で、「残存生命期間が何カ月かとそれにかける金が月に一千何百万円だという現実を厚労省も一番よく知っているはずだ」とし、終末医療での財政負担が重い現状を指摘した。

 「私は少なくとも遺書を書いて、そういうことをしてもらう必要はない、さっさと死ぬからと書いて渡しているが、そういうことができないと死ねません」 「いいかげん死にたいと思っても『生きられますから』なんて生かされたんじゃ、かなわない。しかも政府の金で(高額医療を)やってもらっていると思うと寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらわないと」と、独特の言い廻しで訴えた。

 これをマスコミは「さっさと死ぬ」と作為的に世論誘導し「不適当発言」と報道し、細野豪志などが「とにかく生きようと頑張っている人の意思は尊重すべきだ」などと、いつもの様にキレイゴトを垂れ流す。

 これを機に終末医療の問題が議論されるのかと思いきや、麻生も麻生で、「ぁ、そう」と気に止めなきゃいいものを、「公の場で発言したことは、適当でない面もあった」と早々に撤回してしまったのは情けない。

 麻生の発言撤回にしろ、マスコミなどの鎮静化にしろ、「議論されては拙い」との思惑が見え見えの日本医師会の圧力や意向が働いているとしか思えない。

 麻生発言は実に大事な問題で、現在の我が国の医療費は国の歳入の殆どを占め、医療費の増大は日本の財政を危機的なものにしてしまっている。

 昨年の国民医療費は前年度比3.9%増の37兆4202億円。内、高齢者の医療費は約16兆円と、これも年々増加の一途を辿っており、その負担を現役世代に頼るのは如何なものだろう。

 昨年度の我が国の歳入は約40兆円。税収の殆どが医療費で消えてしまう計算だ。このままでは約10年後には50兆円を超えると予想されている。

 増加した3.9%の内訳の中でも、新抗がん剤の開発や治療方法の確立、高度な診断機器の普及など、医療の高度化が2.1%分を占めた。

 新薬や医療技術が向上するのは結構だが、華美で分不相応な施設も目立ち、医療の根本に立ち返り、医師自らが現在の殖え続ける医療費に目を向けるべきだろう。

 厚労省は価格の低い「後発医薬品(ジェネリック)」の利用促進や入院日数短縮など医療費抑制策に取り組んではいるが、歯止めが掛かるどころか膨らむ一方だ。

 「乱診乱療」「薬漬け」「保険点数の水増し請求」「大口脱税」など医師会や営利に狂奔する悪徳医師の構造的腐敗にメスを入れることが、こうした膨れ上がる医療費の見直しにも繋がる訳だが、如何せん、「日本医師会」の集票力とバラ撒かれる政治献金で誰も口出し出来ないのが現状だ。

 「医術」より「算術」とばかりに不正請求や脱税に奔る悪徳医師どもや、左翼系医療機関が保険料を詐取し、共産党などに還元しているということも囁かれているが、こうしたことが罷り通ってる現状を拱手傍観してていいのだろうか。

 社会保障の充実や医療の向上は結構なことだが、日本医師会が牛耳る医療行政にメスを入れ、現在の麻痺状態の医療制度の正常化を図ることは喫緊の課題であり、麻生の発言はそうした問題を議論する絶好の機会となるべきなのに、「失言」と騒いでいたマスコミまでも口を噤んでしまった。

 麻生でなくても誰もが終末期医療については考えていることではないだろうか。欧州などでは、終末医療での延命治療は「虐待」だと捉えられるというが、助かりもしないのに医療費目当てにズルズルと生かされたのでは堪ったものではない。

 家族に迷惑を掛けずにコロッと死にたいというのは日本人なら誰もが持つ死生観だろう。人の人生は様々だろうが、「生」というものだけに拘るより、個々の「死」の尊厳というものを重んじながら生きて行くことが大事ではなかろうか。

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2013年01月24日

尖閣で戦争が起きれば日本にとっては願ったり叶ったりだろうよ


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 尖閣列島を巡り、日中間で戦争となるだろうと予測してる専門家も多いが、中共にそれほどの度胸があるとは思えない。

 自衛隊の方が中共軍より兵器も個人の資質も非常に高く、中共軍が尖閣上陸を強行した場合、自衛隊の能力の高さを世界に誇示することになるし、日本にとって、紛争は、まとまな国家となる好機であり、願ったり叶ったり。

 更に、尖閣での紛争に米国が同盟国として参戦するとなれば、中共側は短期間で重大な被害を受けるのは必至だ。

 日本がもし一時的にでも中共軍を追い払うことが出来なかったとしても、国民が領土主権の重要性に目覚め、憲法論や国防力を見直す契機にもなるだろう。

 だが、中共の場合、紛争での失態は、習近平体制の威厳を失墜させ、周辺国への恫喝も通じず、巨大な軍事力を背景に弾圧されてる国々は独立に向けて自信を深める結果になり、共産主義一党独裁体制を崩壊する危険を孕む。

 支那には古より、「声東撃西」という戦略がある。東の方を撃つぞと見せかけて、実は西を撃つというのが支那戦史の鉄則だ。

 また、斉の威王が軍師・孫臏の献策により、魏が趙を攻撃している最中に魏の都を急襲して趙を救ったという故事、「囲魏救趙」という戦略もある。

 支那の戦史にはこうした戦略、謀略が実に多く、尖閣問題を始めとする東シナ海のトラブルは、見方によっては中共の真の狙いは尖閣ではなくて、南シナ海だと言えるのではなかろうか。

 中共が尖閣諸島の実効支配を謀るとしたら、精精、南シナ海でよくやったやり方くらいなもので、漁民に扮した工作員が何らかの理由をこじつけて島に上陸し、その後、「漁民保護」を名目に中共軍が御出座しになるといった、セコ~イやり方くらいしか出来まい。

 中共なんぞ恐れるに足らないチンピラ国家であり、いっそ尖閣列島で紛争が勃発してくれれば、一気に共産主義体制を崩壊させる一因となり、我が国は世界から称賛されるだろう。

 未だ、大東亜戦争での日本軍のアジア侵略を糾弾し、「日本は過去の過ちを反省し、アジアの方々へ謝罪すべし!」との愚論を散見する。

 未来永劫、我が国がアジアの方々に謝罪する必要があるというなら、その最大の過ちは中国共産党という共産主義者の跳梁跋扈を許したことであり、最大の償いはその共産主義という「癌」を取除く以外にない。

 尖閣で紛争が勃発し、自衛隊が中共軍を圧倒することによって、西沙諸島、南沙諸島、或いはインドやカシミール地方で中共の無法、虐政に呻吟している国々にとって希望の灯りとなるだろう。

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2013年01月23日

御陵、墳丘への立ち入り調査を強行する学匪どもを一掃しよう!


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 昨年、応神天皇御陵への立入り調査が行われた。これは日本考古学協会などからの、学術研究の為という求めに応じて許可されたものだ。

 過去にも学匪どもの戯言に宮内庁が屈していたが、立入調査が許可されたのは墳丘を巡る内堀までの立ち入りであり、採取や発掘などは許可されてはいない。

 だがあろうことか、先般、外堀より内側に学術調査の許可が出たばかりか、学匪どもは天皇陵の発掘調査をも目論んでいる。

 ピラミッドや兵馬俑などの王の墓と同様に、天皇陵をも発掘の対象にすべきだとの意見が多いというが、御陵や墳丘の発掘までもが許される事態となれば、尊厳は完全に損ねられる自体になることは必至であり、断じて許してはならない。

 エジプトや支那の場合は既に滅亡した王朝の墓だが、天皇陵は現存する皇室が守るべきもので、況してや祭祀の場でもあり、その背景はピラミッドや兵馬俑などとは全く異なるものだ。

 「御陵の周辺部が史跡に指定されてない為に、宅地造成で埋め立てられたり、破壊されたり危機的状況であり、国が直接保護するべきだ」と、如何にも御陵の荒廃を嘆いている様な意見を振り翳してはいるが、彼らの狙いは外に在る。

 そのトリックが「史跡」という言葉だ。「史跡」になれば発掘は可能になるのを承知しての確信犯であり、学匪どものあれやこれやの尤もらしい屁理屈も奸智奸策に過ぎない。

 彼らは目的は、立ち入り調査という「権利」を確保し、発掘という「権利」の実行を目論むことは火を見るより明らかで、そしてその結果を「科学的証拠」として巧みに利用し、我が皇室の歴史を批判、誹謗するかが目的なのだ。

 御陵や墳墓の発掘の真の狙いは、皇室の否定と解体そのものに在り、左翼が目指す「天皇制廃止運動」の一環と断じても過言ではない。

 朝鮮や支那では、墓を掘り起し、死者に恥辱を与えるというのは珍しくもないが、「墓を発く」「死屍に鞭打つ」という発想は、我が国では死者への最大の非礼であり糾弾されるべき蛮行だ。

 御陵は断じて文化財や史跡として考えるべきものではなく、民間調査などという対象になるべきものでもない。

 最近では「御陵を世界遺産にしよう」などという戯言を宣う輩まで出ているのは、日本人の精神的幼稚さを示すものの一つだろうが、御陵は国民挙って崇拝し、伏し拝むべき神聖にして侵すべからざる聖域である。

 戯言を抜かす学匪どもと、それに与する輩を一掃しよう!

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2013年01月22日

犠牲となられた企業戦士の方々の御悔やみ申し上げます


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 アルジェリア人質事件で多くの日本人が殺害されたことは、言い方は悪いが、改めて日本人が「平和」というものを考えるいい機会になったのではないだろうか。

 政府にしても、憲法論を語らずして安全保障を語ったところで意味はないし、集団的自衛権の問題にしろ、海外での邦人救出に関しても自衛隊法の改正という目先だけの改革で終わってしまうことがあってはならない。

 今回の事件を機に、政治が成すべきことは、憲法論を大いに語り、日本人自らの手で新憲法を創り、国防体制を強化し、国民の生命と安全を如何に護るかということが大事だ。

 国防の目的は「平和」にあり、「戦争」にある訳ではない。日本の政治の愚かさは、「国防」そのものまで否定してしまっていることで、「国防」を除いてしまったら、国家の存在意義まで失われてしまうことに気が付いていない。

 「国防」とは単に領土の防衛ということだけではない。

 「国防」とは三島由紀夫が訓えた様に、「それを亡くしてしまったら日本ではなくなってしまうものを守り抜くこと」に在る。

 「国を護る」ということは、つまり国柄である民族、宗教、言語、​歴史、価値観、習慣、制度を護るであり、世界の中で最も優れた精神文化​や未来の子供達、そして何より皇統を死守し、継承して行くことなのだ。

 「国防」で重要なことは、国民が公開の場でよく議論することで、「何から何を護るのか」を明確にした上で、国防の範囲を画定することが基本である。

 今回のアルジェリアの邦人殺害は、日本の法整備の欠落と危機管理能力の欠如と脆弱さを顕わにした。

 今回の事件を教訓に、これらの妨げになっている現憲法の議論と見直しから始めるべきだが、未だ現憲法を金科玉条の如く奉り、このクソ憲法を守ってさえいれば平和が続くと思っている輩も多く存在してるのは困ったものだ。

 「平和ボケ」という言葉は高度成長からバブル時代にかけて、金儲けや飽食に狂奔してきた世相や空想的平和論を弄び、米国の核には反対しても、支那やロシアの書くには反対したことも無い左翼運動家を揶揄したものだ。

 今や左翼に止まらず国民の多くが、まやかしの平和に気付かぬまま、魂亡き繁栄に現を抜かし、私利私欲に狂奔してしまっている。

 タレントのフィフィは現在の「平和ボケ」について実に分かり易くこういう。 

 「平和ボケとは、まともな情報が流れてこなくて、娯楽ばっか与えられて、いつしかモラルすらこだわらなくなって、それを平和と思い込まされてて。水面下でうごめく危機に気づか無くて、いや気づか無いように教育されて。気が付けば、時すでに遅しの状態のこと」

 今や平和主義の理念を守れば平和が訪れる時代ではない。今迄の我が国の平和は米国の軍事力の賜物と、単なる偶然に過ぎないのだ。今こそ、日本人の手で真の「平和」を自分達で創り出さねばならない。

 今回犠牲となられた企業戦士の方々の御悔やみ申し上げます。合掌。

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2013年01月21日

蹴散らして前へ!


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 「八重の桜」の放送も三回目。坂本龍一が音楽担当ってのが気になるが、まぁ無難に進んでいる様だ。今回は「蹴散らして前へ!」というタイトルだが、この言葉は佐久間象山が山本覚馬へ与えた言葉だという。

 佐久間象山役の奥田映二は、自ら「天下の師」を任じ、人を見下す象山の尊大さと不遜さを中々上手く表現していると思う。

 象山は、その尊大な物腰から毀誉褒貶相半ばする人物として知られているが、言動は兎も角、幕末に於ける最高の思想家には違いないだろう。

 身長五尺八寸、道行く時は萌黄色の五泉平の馬乗り袴を穿き、黒文字肩衣に白縮みの帷子を羽織り、備前長光の白柄の太刀を差していたというから、まるで自己顕示欲の俗物が歩いている様なものだったに違いない。

 吉田松陰が海外密航に失敗すると、象山もこれに連座して同罪となり、国元の信州松代での蟄居を命ぜられた。

 文久2年(1862)に約9年間に及ぶ蟄居を解かれ、元治元年(1864)に幕命を受けて上京、象山は、「公武合体」「開国進取」の国是を定める為に各藩要人に意見を具申する。

 その象山の言動が尊攘激派の怒りを買い、同年7月11日、京都三条木屋町で「人斬り彦斎(げんさい)」こと河上彦斎に暗殺される。享年54歳

 信州松代藩では誰一人として同情する者もなく、佐久間家は断絶の処分を受けたというから、傲岸不遜な象山が如何に地元でも嫌われていたことが分かる。

 だが、その暗殺者河上彦斎は象山を「絶代の豪傑」と呼び、幕末の傑物、山岡鉄舟は「人傑」と慕っていたというから人徳もあったのだろう。

 最近は象山の功績が認められており、蟄居中に書いたとされる「省諐録」(せいけんとは、過ちを省みるという意味)は日本人の読むべき名著となっている。

 その一節には「君子には五つの楽しみがある」として。

 一つは、財産や地位とは関係なく、一族の者が皆礼儀を心得て、親子兄弟の間に不和が無いこと。

 二つは、金品の授受をいい加減にせず、心を清く保ち、内には妻子に恥じず、外には民衆に恥じないこと。

 三つは、「聖学」を学んで天地自然や人間の大道を心得え、時の動きに従いつつも正義を踏み外さず、危機に際しても平時と同じ様に対処出来ること。

 四つは、西洋人が科学を発達させた後に生まれて、孔子や孟子の知らなかった処の「理」を知ること。

 五つは、東洋の道徳と西洋の芸術(技術)と、この両方について余すところ無く詳しく研究し、これを民衆の生活に役立て国恩に報ずること。

 この象山の教えが後の「和魂洋才」という教えであり、この思想の下でアジアで唯一の近代化を成し遂げることが出来るのである。

 思えば敗戦後の我が国は、この「和魂」、つまり伝統的な日本の精神を忘却してしまったところに今日の悲劇があるのではなかろうか。

 「愛国心」の教育も結構だが、「大和魂」を教えることが大事で、日本に生まれ、日本で生き、日本の為に学ぶのか、日本の何を貴び、何を信じ、何を護るのか、友人や朋輩と何を分かつのか、皆さんは考えたことはありますか。

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2013年01月20日

教育再生の為には、先ず「正しい精神論」を創ることが必要


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 大阪市立桜宮高校の体罰問題で、「体罰絶対悪玉論」が席捲している様だが、今回の自殺問題は体罰というより自殺した生徒の精神的な部分の方が問題だろう。  

 「戸塚ヨットスクール」の戸塚宏校長も同じ様な認識を示しているが、自殺した生徒が何故そこまで思い詰めるに至ったか、両親始め友人や周辺にいた人たちはその兆候を何故見逃してしまったのか。

 「体罰が自殺を招いた」と結論付けるのは容易なことだが、そんなことで体罰の問題や教育の荒廃という問題問題が解決するとは思えない。

 橋下は、体育科の入試を実施したり、他の体育系部活の顧問が同校に残れば人件費は執行しないとの考えを示しているが、こうしたやり方は混乱を招くだけだ。

 本末転倒とはこのことで、「校風、体質をいったんゼロにしないとダメ」と訳の分からぬ持論を垂れ流しているが、今やるべきことは、校風を重んじながら生徒と顧問らの信頼関係を深めることだ。

 体罰をした顧問とは何ら関係なく、熱心に指導していた顧問や他の体育系学科の生徒たちにとって、橋下のこうした「連帯責任的」手法はそうした人たちの努力を無にするもので、人格否定、人権無視の横暴だろう。

 「教育委員会の決定に自動的に予算が付く訳ではない。予算執行は僕の権限だ」との発言は恫喝そのものであり、立場を利用したパワハラ。体罰顧問とどっこいどっこい、体罰を責める資格はない。

 橋下のやり方というのは、敵対する勢力を作って、過激な言辞で注目させ、マスコミを使い世論を煽るというのがいつものパターン。

 「仲間が死んだのだから今何をすべきか考えて貰いたい。この状況で部活をやったら上手くなるかも知れないが人間としてはダメだ。それを言うのが教育だ」

 「言うこと聞かなかったら予算削る」とか「悔しかったら選挙で落とせ」とか実にやりたい放題で、その言辞は飛躍的且つ論理の破綻、とても首長としては不適格な人物だと断じざるを得ない。 

 橋下のそうしたパフォーマンスに辟易している国民は多い。小泉が郵政族を遣り込めてから、政治ではこうした手口が目立つ様になったのが、これは日本の政治が大衆迎合主義に陥ってる証左であろう。

 その橋下と石原慎太郎が日本維新の会の共同代表に就いたが、石原は戸塚宏の教育論には大いに共鳴し支持しているのは周知の通り。

 「戸塚ヨットスクールを支援する会」のホームページ上で、石原は次の様なメッセージを寄せている。

 「我々の手で教育改革を!という真摯の叫びが、日本全国で澎湃として湧き上がって来んことを願って止みません。日本の教育再生の為には、先ず『正しい精神論』を創ることが必要なのです」

 教育は国家の大本であり、教育論が根本的に違う石原と橋下が、どの様にして将来を担う子供達の教育を施して行くというのだろう。問題が発覚すれば教員を総入れ替えし、入試を中止すればそれでヨシとでも思っているのか。

 嘗て我が国は教育立国として、明冶の試練と昭和の国難を乗り越えた。

 極貧の中から多くの偉人が輩出したのは立派な教育の故であろう。だが現在はどうだろう、国民の勤勉性、家族愛、愛国心、信義誠実の原則は失われ、心の中の高貴なものを失い、高邁さを忘れてしまった。

 有識者やマスコミが取り上げる胡散臭い問題に一喜一憂し、問題が出れば、その萌芽は日本にあると自国を貶め、それを煽るマスコミ御用達の言論人が大騒ぎ。

 政治家は平身低頭し謝罪を続け、頭にあるのは保身と次の選挙だけで、頽廃したマスコミは国益を擁護する気配など皆無で、国民の愛国心を蝕み続ける。

 高邁な魂を喪失した日本が喫緊にやらねばならないことは、将来を担う子供達へどの様な教育を施し実践させて行くか具体的な教育指針を定めることだ。

 安倍首相は先の総選挙では、「将来を担う子供達に如何にして誇りの持てる教育をするか」、「志の高い日本人を如何にして創るかが大事だ」と訴えたが、そうした教育をどうしたら実行出来るか早急に取り組んで頂きたいものだ。

 戸塚校長は、現在の日本の教育が抱えている問題を解決するには、「小学校の段階で正しい人間性の基礎を創ることが大事で、国語・数学・体育に重点を置いた授業、記憶力ではなく、考える力の重視、合宿などの課外授業の活用という」

 戸塚校長の「科学的精神論」による教育の実践こそ、現在学校で起こっている学級崩壊を始めとした諸問題を克服してくれるものだと信ずる。

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2013年01月19日

我が国が為さねばならぬことは米国からの自立である

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 アルジェリアのガス田施設で起きたイスラム武装勢力による人質事件でアルジェリア政府は軍事作戦を強行した。国家主権に係わる問題に対しては犠牲を払ってでも護り抜くんだという覚悟を我が国も見倣って欲しいものだ。

 在アルジェリア日本大使館のホームページには、「アルジェリアの治安情勢は、政府や治安当局による警備強化により一定の成果がみられますが、依然として北東部の山間部を中心にテロ事件が散発的に発生しており、近年身代金目的の誘拐事件が発生しています。またテロ及び誘拐以外にも繁華街等において、盗難、麻薬犯罪、強盗、傷害事件等も発生しています。この『安全の手引き』はこのような治安情勢に応じて作成されたものです。ご家族や社員の方と共にご一読頂き、安全確保の一助として頂ければ幸いです。」との留意点と共に、戦争、暴動等の緊急事態への備えと緊急時の対処方法が記載されている。※http://www.anzen.mofa.go.jp/manual/algeria.html参照

 日揮の社員にしろ日本政府にしろ、こうしたリスクは想定内で、犠牲は承知の上での事業進出だろう。

 イスラム過激派は一般人を犠牲にしながらも「聖戦」だとか大義を掲げるが、こうした人質事件に神聖な目的もなく、世界各地での紛争を引き起こす武器商人や金融マフィアと同じだ。

 政情不安のどさくさで資源の利権を縦(ほしいまま)にしたいだけで、彼らにアッラーの神を語る資格もない。

 テロリズムの根幹は本来「一殺多生」であり、「悪事を働く一人を殺すことによって多くの民を生かすことにある」という大慈悲がそこにはなくてはならない。

 今回の様な身代金誘拐などの事件にこうした大義はなく、テロリストと呼ぶのも間違い。単なるギャングやマフィアの類であり、強行作戦は理解出来る。

 八百万の神を信じ、仏を尊ぶ日本人には理解し難いものだが、「宗教」とは一度信じたらその宗旨や儀礼に束縛され、宗教の語源通り呪縛される。宗教とは一種の麻薬と同じだ。

 一神教を信じる国々の不幸はこうしたことに在ると言っても過言ではない。

 また、「世界の警察」を気取り、勝手な正義を押付け、我が物顔で世界を伸し歩く米国にしても、その傲慢不遜な態度を改めない限り、テロは治まることはない。

 今や米国の自己中心的不正や非道に苦しむ非西洋諸国の多くが唯一最大の外敵、脅威と考えており、日本も米国に与する一国と見做されているのは確かだろう。

 欧米がテロ根絶の名の下に更なる弾圧が続けば、テロの連鎖は止むことはなく、真にテロの根絶を願うなら、圧政に呻吟する民族の解放と独立させる以外にないが、それは言い換えれば政治体制の崩壊を意味している。

 米国然り、中共然り、ロシア然り、中近東然り、それはゲリラやテロリストの根絶以上に不可能なものなのだ。

 諸文明が鎬を削り合う時代、我が国が為さねばならぬことは米国からの自立である。いつまでも従属させられている場合ではない。

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2013年01月18日

鳩山由紀夫の藪蛇外交は枚挙に遑なし


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 ここんとこ、チョ~ムカつくのは橋下徹と鳩山由紀夫。どっちも己が正しいと思って行動してるから始末が悪い。

 橋下は、同校の体育系学科の入試の中止と桜宮高校の全教員を強制移動するという。こうしたことで肝心な体罰や自殺という問題が解決出来るとは思えない。

 また橋下は入試を実施したり、他の体育系部活の顧問が同校に残れば人件費は執行しないとの考えを示しているが、本末転倒とはこのことだろう。

 体罰問題が票に繋がるとでも思ったのだろう、「校風、体質をいったんゼロにしないとダメ」と橋下は懸命だが、校風を変えればその学校に何が残るというのか。

 その昔、朝日新聞に国士舘の校風や暴力問題が取りだたされ、朝日が「反国士舘キャンペーン」をした時期があった。国士舘側は対抗措置として朝日の売国性を断じ、「反朝日新聞キャンペーン」を展開したのを思い出す。

 今やるべきことは生徒と顧問らの信頼関係の再構築こそ大事で、校風や体質をゼロにすることではない。

 体罰など関係なく的確に指導していた顧問や他の体育系学科の生徒達にとって橋下市長の言動は不安や動揺を招くだけで何の解決にもならない。

 「教育委員会の決定に自動的に予算が付く訳ではない。予算執行は僕の権限だ」との発言に至っては恫喝そのもの、全教員を強制移動するというのも要は「連帯責任ということで」、顧問のビンタや体罰より悪質だ。

 「市ではもう高校はコントロール出来ない。大阪市が高校を持ってるのは大問題」だと、大阪市立高校を大阪府へ移管する計画を前倒しする考えを示しているが、要は橋下の目的は此処にあり、単に体罰問題を利用しただけ。

 方や鳩山由紀夫だが、コイツを売国奴と言わずしてなんという。

 鳩山の藪蛇外交は枚挙に遑がないが、議員を辞めたにしてもその立場を利用されるということを本人は全く理解していない。

 南京屠殺記念館の前に建つへんてこりんな銅像に手を触れ、「かわいそうなことをしてしまった」と語りかけて黙とうしたという。

 挙句に御粗末な自虐史観をひけらかし、「大虐殺はなかったと言う方はここに来られてから話をされたらいい」と述べたという。ならばいつでも参上し、言ってやりたいが中共に言論の自由があればの話だ。

 抑抑、「南京事件」など存在せず、この問題が持ち上がったのは、戦後、米国の原爆投下や無差別爆撃での民間人の虐殺が問題となるや、「日本軍も30万人も虐殺していたぞ」と言わんとばかりに米国側がでっち上げたのが最初。

 それを中共が政治的に利用しているだけなのだが、南京事件の証拠としているものが「ラーベ日記」と、ヒトラー総統への「上申書」という実に粗末なもので、要は「南京事件」とはその虚偽の証拠を基に捏造された事実無根の事件なのだ。

 歴史の問題は一国の存亡に関わる大事であり、元首相という立場を弁えず安易に謝罪した鳩山の行為は先人への冒涜であり、万死に値するものだ。

 在りもしない南京事件を認め、苦しめていない南京の民衆に「苦しめた」と謝罪したが、そうした謝罪によって日本国民を貶めることに何ら躊躇いはないのか。

 「心からの謝罪」というなら、いっそその場で腹でもかっ捌いてくりゃいいんだよ。そんなことも出来ずに何が「心からの謝罪」か。こういうのを実行が伴わない口舌のアホというのだ。

 「平和友愛」などという前に、南京屠殺記念館や各戦争記念館に展示してあるインチキ写真の撤去を進言するべきだろう。まぁ尤もそれを言えるくらいなら端から謝罪なんかしないわな。

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2013年01月17日

「なんせ、初めてのことじゃけ~」から18年が経った


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 18年前の今日、阪神淡路大震災が発生。「自衛隊違憲合法論」を標榜する社会党党首で当時の首相村山富市は、自衛隊出動に難色を示し、結果、その対応の拙さから数千人もの助かる命が失われた。

 自衛隊への出動命令の遅れを批判された村山は、「なんせ、初めてのことじゃけ~」と他人事の様に宣ったのを多くの国民は忘れてはいないだろう。

 こうした言い訳は見苦しいばかりか、同じ過ちを繰り返すことになるのだ。菅が現場視察を強行した所為で「ベント」が遅れ、SPEDDEIによる数値隠しで要らぬ被曝を招いた東日本大震災もそうだが、何故に最悪の政権の時に最悪の天災が起こるのだろう。やはり天罰なのだろうか。

 阪神淡路大震災や東日本大震災など、災害派遣や我が国の平和と独立、国民の生命財産を守る為に日夜行われている訓練で、1822名もの自衛官が殉職されていることを、多くの国民は知っているだろうか。

 国家の防衛と国民の生命・財産を守るべき自衛体が、都合のいい「便利屋」の様な扱いをされ、殉職したことも知らされないというのはどうしたものか。こうした自衛官諸君に対し、国家や国民が如何に感謝し、如何に慰霊・顕彰すべきなのか。

 自衛隊殉職者追悼式は市ヶ谷駐屯地内の慰霊碑の前で、自衛隊関係者のみで行われ、国民が慰霊・顕彰することはない。やはり、殉職された自衛官は靖國神社に祀り、国民が感謝の誠を捧げるべきだと思う。

 靖國神社に代わる追悼施設の問題が議論されるが、この市ヶ谷駐屯地内の慰霊碑が「新たな追悼施設」にされるのではなかろうと危惧する国民は少なくない。

 三島由紀夫は、その「檄」において「自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず」と喝破したが、現在の自衛隊は、三島の未だ違憲の儘、放置され続けているのだ。

 現憲法の第9条・第2項には「陸海空軍の戦力は保持しない」と明記されており、悲しいかな自衛隊は明らかな憲法違反の存在なのだ。だがしかし、東日本大震災などに於ける救援活動や民生支援など正に命を賭して活動し、日夜訓練に励む自衛隊を、まともな日本人ならば誰も否定はしまい。

 安倍首相は「集団的自衛権」に対し、「憲法解釈の変更も有り得る」と公言しているが、憲法解釈などという姑息な手段ではなく、堂々と現憲法の矛盾点を指摘し、自衛隊を名誉ある軍にするべきだ。

 日本の危機管理と防災と国防が万全なものとなり、より高度な対策が構築されて行くことが、震災での犠牲になられた方々の無念さに応える唯一無二のものだと信じて止まない。合掌。

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2013年01月15日

乞食でもホンモノの乞食は信用出来る


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 「成人式」の昨日、県内も大雪が降り交通網も混乱した様だが、チョッとした雪で大騒ぎしてる都会の光景ほど滑稽なものはない。あの程度の雪で機能が停止してしまうというのは如何なものだろう。大丈夫なのか(笑)

 連休明けの今日、愚妻がいつもより一時間ほど早く出るというのでクルマに積もった雪を除けてやったが、運転して行くのも大変そうだ。 

 そういう愚生といえば今年に入って未だ収入も無く、支援して頂くにも自分ではどうにもならない訳で、そういう意味では他力本願と言う他なく、果報を寝て待つも、経済的試練は未だ未だ続きそうな気配だ。

 それでも「乞食の朝謡(あさうたい)」じゃないが、こうした大雪でも出勤しなけりゃいけない人に比べりゃ気楽な境遇だとも思っている。

 「乞食に氏無し」というのもあるが、何事も、その者の心がけの悪さからなるもので、今の境遇を嘆いても因果応報、仕方ない。

 最近は弱者を標榜し、「苦しい」だとか「大変だ」と泣き言さえいえば手厚く保護され、「我こそは弱者なるぞ、控えおろ~」ってな感じで威張りちらし、それを本人らは恥とも思っていない。

 行政側は働く気もない連中を被害者扱いし、生活保護を大盤振る舞い。

 それを「現在の政治の被害者だ」とか「可哀想」とかといってボランティアなどが支援するのだが、これこそ偽善以外の何物でもない。

 本来、生活保護費は「日本国憲法第25条」及び「生活保護法」に則り日本人に限られ支給される。つまり、在日を始めとした外国人への支給は明らかな法律違反であり、早急に見直すべき重要な問題だ。

 外国人の受給条件について、厚労省の社会・援護局保護課は「永住者とそれに準ずる定住者。更に、難民認定されている人や、日本人の配偶者がいる人が対象」と説明する。

 制度を悪用する外国人が増えているのは確かで、生活保護目当てに偽装離婚したり、書類を偽造したりするケースもあるという。

 詐欺行為や私文書偽造、公文書偽造、同行使は当たり前。役所が不正の兆候を認めて問い糺しても、日本語が分からない振りをして誤魔化すのは常套手段。

 連帯感が強い外国人は、自国の出身者らで作ったコミュニティーの中で制度利用のノウハウを共有する。正に無法地帯。何故、こんな現状が野放しになってていいのだろうか。こうした不良外国人の蚕食を赦してはならない。

 給付審査をするケースワーカーが圧倒的に少ないとの理由も言い訳であり、不正をチェックする監視態勢が機能していないのなら直ちに増員すればいいし、不正請求や違法行為は行政ではなく警察が「詐欺罪」などで介入すればいいではないか。

 行政側の「人道的」という甘い措置が不良外国人の増殖を招いているのだ。

 不正受給には毅然とした対応で臨み、不正受給した外国人に対しては厳罰に処し、当然、賠償請求すると共に「払えない」とか「払わない」なら本国へ送還し、その国に賠償請求すべきだろう。

 こうした安易な生活支援が愚民を生む原因。福島県内でも、或いは逸早く県外に避難した県民も被災者を標榜さえすれば手厚く保護される。結果、同じ県民の中に格差や差別が生まれてしまっているのが現状だ。

 いつまでも被災者を気取る連中に、「実に甘えた話だ」「宮城や岩手に比べりゃ恵まれ過ぎ」と苦言を呈してみても、被災者にしてみりゃ保護され支援されるのが当たり前だと思っているのだから始末に負えない。

 何でもむやみに貰いたがる賤しい根性を「乞食根性」というが、幾ら貧乏浪人とはいえ賤しい人間にはなりたくないものだ。

 「乞食も三日すれば忘れられぬ」ともいう。乞食は気楽なもので三日もやればそれが忘れられなくなる様だ。言っちゃ悪いが、被災者もそんな感じになってしまってるのではなかろうか。

 「悪習は染まり易く、改めるのは困難」なのである。

 その昔、熊本県天草出身の横山武彦という破天荒な右翼浪人がいた。年は二回りも上だったが、妙に馬が合った。その横山から「乞食でも本物の乞食は信用出来るぞ」と教えられたことがあった。

 何処の世界もインチキばかりが幅を利かす昨今、愚生も乞食の様な生活ではあるが本物の右翼浪人、一維新者で在りたいものだ。

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2013年01月14日

今日は「尖閣の日」、本来「成人式」は明日だ!


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 今日は「尖閣諸島開拓の日」「尖閣の日」。沖縄県石垣市が条例により尖閣諸島の主権の正当性を定めた記念日だが、尖閣に限らず、竹島や北方領土が強奪され不法に占領されたという歴史的経緯を知る国民は少ない。

 国際環境が激変する際に動くものが領土問題であり、つまりそれは北方領土や竹島を取り戻す好機が到来したと同時に、尖閣列島や対馬、或いは沖縄本土をも奪われる危機も孕んでいるということでもあるのだ。

 領土問題が解決の兆しすら見えないのは、国家主権の甘さと事勿れ主義が招いた結果だが、要はロシアや支那、韓国にナメられているということだが、国民への啓蒙活動が徹底されていないことも要因でもある。

 現在も、世界の各地で民族争いの中で国境紛争が頻繁に起きているが、世界では寸土たりとも主権確立には戦いをしてまで死守しているのが世界の常識であり、我が国もそうした気概を持つべきだろう。

 尖閣諸島は「魚釣島」「南小島」「北小島」「久場島」「大正島」と岩礁からなる領土をいうが、国際法上、「無主地先占」(持ち主のいない土地を占有した国に、その領有権を与えるという考え方)に基いて、10年に及ぶ現地調査の結果、明治28年1月14日の閣議決定に拠って沖縄県に編入され、世界各地の地図の上でも、支那や台湾の教科書でも日本の領土として公式に認められた。 

 竹島は、昭和27年1月、韓国初代大統領の李承晩は国際法を無視し、軍事境界線「李承晩ライン」を設定し、日本領土の竹島を取り込んで韓国領と宣言した。日本の主権が快復する直前に、泥棒猫の様に竹島を掠め取ったのが真相だ。

 戦後、この李承晩ラインを侵犯したとして拿捕、抑留された日本人漁民は「日韓漁業協定」が成立する昭和40年(1965年)の間に3929人に及び、船舶328隻、死傷者は44名を数えるが、こうした事実も知らずに竹島問題は語ることがあってはならない。

 北方領土は、「日露和親条約」並び「樺太・千島交換条約」締結により、歯舞、色丹、国後、択捉の4島を含む、北は占守(シュムシュ)島から得撫(ウルップ)島の全千島列島と南樺太が固有の領土となっているのだが、何故か四島のみの返還要求に終始しているのは弱腰外交と誹られても仕方あるまい。

 ロシアは「ヤルタ秘密協定」を楯に北方領土の主権を主張しているが、「ヤルタ秘密協定」こそが国際法的にも意味を成さない協定であり、我が国は毅然と対処するべきなのだ。

 領土主権の問題もそうだが、明治維新にしろ、日清日露戦争にしろ、先の大戦にしろ、領土問題にしろ「何故にこうなったのか」「何故強奪された」という経緯を知ることは何より大事だ。

 我が国の歴史、或いは国の成り立ちなど、日本人として知っておくべき事柄が左翼陣営の策謀によって日本人の心から忘れ去られようとしている。

 その典型とも言えるのが「成人式」だろう。

 成人式は本来昭和23年の「祝日法」により1月15日と決められていた。何故「1月15日」なのかは、この日が「小正月」であり、神道の儀式の一つである「元服の儀」が小正月に行われていたという謂れからだ。

 だが、平成11年「ハッピーマンデー」の施行によって1月の第2火曜日に決定される。「ハッピーマンデー」とは、左翼陣営が国體破壊を目的として施行されたもので、「男女共同参画社会」と同じ経緯で実行されている。

 「男女共同参画社会」にしろ「ハッピーマンデー」にしろ、全共闘系と共産党系の過激な女革命家を気取る連中が共同謀議的に考案したものを、あろうことか保守を標榜する自民党政権下で実行されてしまったことは呆れ甚しと言う他ない。

 左翼陣営はこうした既成事実を積み重ねることによって、日本の歴史や伝統、文化を否定する論拠とするのは常套手段で、「ハッピーマンデー」なんぞ百害有って一利無し、早々に改定を図るべきだ。

 本来ならば旧暦を復活させ、新暦や元号と併用すれば休日の意味も国民には分かり易いが、左翼陣営は元号をも否定し、西暦一元化を謀り、日本の歴史・伝統・文化の破壊を目論んでるのは言わずもがなだ。

 左翼陣営の究極の目的は「宮中祭祀」の妨害。宮中祭祀で特に重要なものは正月、元旦に執り行われる「四方拝」と、11月の2回目の「卯の月」に行われる「新嘗祭」である。

 祭祀こそ、決められた日の決められた時間にすべきものであり、国民が共に祝う日であって、祝日は単なる休日ではないのだ。そうした意味も知らず、また「尖閣諸島開拓の日」も知らず、単に二十歳になったからと浮かれているのは何事ぞ。

 諸外国に比べ、日本の祝祭日ほど「国柄」の分かる素晴らしい伝統、文化はないのだが、多くの日本人が、祝日の意味を知らず、ただの休みとしか考えていないのは悲しいことだ。

 今こそ我々は、まやかしの平和や繁栄から脱却し、日本人としての矜持を取戻し、日本人として生まれた意義を再確認しようではないか。

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2013年01月13日

安倍総理の「アジアの民主主義セキュリティダイアモンド」


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Asia’s Democratic Security Diamond

http://www.project-syndicate.org/commentary/a-strategic-alliance-for-japan-and-india-by-shinzo-abe

アジアの民主主義セキュリティダイアモンド

 2007年の夏、日本の首相としてインド国会のセントラルホールで演説した際、私は「二つの海の交わり」 ─1655年にムガル帝国の皇子ダーラー・シコーが著わした本の題名から引用したフレーズ─ について話し、居並ぶ議員の賛同と拍手喝采を得た。あれから5年を経て、私は自分の発言が正しかったことをますます強く確信するようになった。

 太平洋における平和、安定、航海の自由は、インド洋における平和、安定、航海の自由と切り離すことは出来ない。発展の影響は両者をかつてなく結びつけた。アジアにおける最も古い海洋民主国家たる日本は、両地域の共通利益を維持する上でより大きな役割を果たすべきである。

 にもかかわらず、ますます、南シナ海は「北京の湖」となっていくかのように見える。アナリストたちが、オホーツク海がソ連の内海となったと同じく南シナ海も中国の内海となるだろうと言うように。南シナ海は、核弾頭搭載ミサイルを発射可能な中国海軍の原潜が基地とするに十分な深さがあり、間もなく中国海軍の新型空母がよく見かけられるようになるだろう。中国の隣国を恐れさせるに十分である。

 これこそ中国政府が東シナ海の尖閣諸島周辺で毎日繰り返す演習に、日本が屈してはならない理由である。

 軽武装の法執行艦ばかりか、中国海軍の艦艇も日本の領海および接続水域に進入してきた。だが、このような“穏やかな”接触に騙されるものはいない。これらの船のプレゼンスを日常的に示すことで、中国は尖閣周辺の海に対する領有権を既成事実化しようとしているのだ。

 もし日本が屈すれば、南シナ海はさらに要塞化されるであろう。日本や韓国のような貿易国家にとって必要不可欠な航行の自由は深刻な妨害を受けるであろう。両シナ海は国際海域であるにもかかわらず日米両国の海軍力がこの地域に入ることは難しくなる。

 このような事態が生じることを懸念し、太平洋とインド洋をまたぐ航行の自由の守護者として、日印両政府が共により大きな責任を負う必要を、私はインドで述べたのであった。

 私は中国の海軍力と領域拡大が2007年と同様のペースで進むであろうと予測したが、それは間違いであったことも告白しなければならない。

 東シナ海および南シナ海で継続中の紛争は、国家の戦略的地平を拡大することを以て日本外交の戦略的優先課題としなければならないことを意味する。

 日本は成熟した海洋民主国家であり、その親密なパートナーもこの事実を反映すべきである。私が描く戦略は、オーストラリア、インド、日本、米国ハワイによって、インド洋地域から西太平洋に広がる海洋権益を保護するダイアモンドを形成することにある。

 対抗勢力の民主党は、私が2007年に敷いた方針を継続した点で評価に値する。つまり、彼らはオーストラリアやインドとの絆を強化する種を蒔いたのであった。

 (世界貿易量の40%が通過する)マラッカ海峡の西端にアンダマン・ニコバル諸島を擁し、東アジアでも多くの人口を抱えるインドはより重点を置くに値する。日本はインドとの定期的な二国間軍事対話に従事しており、アメリカを含めた公式な三者協議にも着手した。

 製造業に必要不可欠なレアアースの供給を中国が外交的な武器として使うことを選んで以後、インド政府は日本との間にレアアース供給の合意を結ぶ上で精通した手腕を示した。

 私はアジアのセキュリティを強化するため、イギリスやフランスにもまた舞台にカムバックするよう招待したい。海洋民主国家たる日本の世界における役割は、英仏の新たなプレゼンスとともにあることが賢明である。

 英国は今でもマレーシア、シンガポール、オーストラリア、ニュージーランドとの五カ国防衛取極めに価値を見いだしている。私は日本をこのグループに参加させ、毎年そのメンバーと会談し、小規模な軍事演習にも加わらせたい。タヒチのフランス太平洋海軍は極めて少ない予算で動いているが、いずれ重要性を大いに増してくるであろう。

 とはいえ、日本にとって米国との同盟再構築以上に重要なことはない。米国のアジア太平洋地域における戦略的再編期にあっても、日本が米国を必要とするのと同じぐらいに、米国もまた日本を必要としているのである。

 2011年に発生した日本の地震、津波、原子力災害後、ただちに行なわれた米軍の類例を見ないほど巨大な平時の人道支援作戦は、60年かけて成長した日米同盟が本物であることの力強い証拠である。

 私は、個人的には、日本と最大の隣国たる中国の関係が多くの日本国民の幸福にとって必要不可欠だと認めている。しかし、日中関係を向上させるなら、日本はまず太平洋の反対側に停泊しなければならない。というのは、要するに、日本外交は民主主義、法の支配、人権尊重に根ざしていなければならないからである。

 これらの普遍的な価値は戦後の日本外交を導いてきた。2013年も、その後も、アジア太平洋地域における将来の繁栄もまた、それらの価値の上にあるべきだと私は確信している。

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2013年01月12日

教えるとは実に教えられることである


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 大阪の市立高校生の自殺を受けて、巷では「ビンタも体罰」「体罰=暴力」「体罰絶対悪玉論」という意見が席捲している様だが、抑々「体罰」と「暴力」とは異質のもので、「ビンタ」や「体罰」は子供に善悪を躾けることが目的であって「暴力」とは言わない。「暴力」とは私的感情で利害が在る行為をいうのだ。

 戦後、日本では子供を褒めなければダメ、叱ったり、殴ったりすることはケシカラン、「ビンタ」や「体罰」はダメという考えが支配的になった。

 「褒める教育」というものは日教組が「生徒の自主性」「自由の尊重」などと謳ったところから始まったもので、その為に非行を繰り返す不良生徒を批判せず、その不良生徒に体罰をした教師だけが吊し上げられ、現場から排除されてきた。

 今回の生徒の自殺に端を発した問題も同じで、自殺した生徒の心の問題より、体罰が自殺に追いやったと断定し、「体罰」だけを批判しているのを見ても、こうした問題の根本的な解決にはならないだろう。

 体罰によって部活動を辞めた生徒も少なくないだろうが、熱血先生の指導によって活躍し、或いは鉄拳制裁やビンタによって目覚めた生徒も多いだろうに、それら全てが「体罰」と一括りされ批判され、否定されるというのは如何なものだろう。

 自殺した生徒の苦悩を知る術はないが、全国大会常連校として学校側が指導者にそうした指導を期待し、任せてたのも事実で、そういう意味では顧問の指導方法の問題ではなく、学校側も、倅の悩みを見過ごした親も、無能な教育委員会も責任は感じるべきだ。

 「学級崩壊」や「教育荒廃」の元凶は日教組であることは言うまでもないが、教育現場の実態も知らず、机上論や理想論を繰り返すばかりの文科省や教育委員会、興味本位でこうした問題を煽り続けるマスコミに在ると言っても過言ではない。

 日教組主導の「褒める教育」を推進する連中は「体罰は暴力」と決め付けるが、「ビンタ」「体罰」という「愛」が子供の理性を正しく鍛えるということを親や教師、そして無能な教育委員会は知るべきだろう。

 昨今、教師も親も社会全体が子供らをどう導けば善いのか解らなくなっているのが実情で、子供らも厳しく躾けられていないから善悪の判断が乏しく、その為に逆境に弱く、逆ギレする子供は少なくない。

 そういう意味では、「躾」もされず、「体罰」の意味も知らずに軟弱に育てられた子供達こそ現代社会の犠牲者なのかも知れない。

 学級崩壊や家庭内暴力を起こす様な子供達が大量に登場した原因を考えれば、戦後、日本が採用した「欧米型」の教育方針が間違っていたからだろう。

 失敗に失敗を重ねた文科省や教育委員会に教育を変える能力は無い。

 日本の教育が抱えている問題を解決するには、幼少期や小学校の段階で正しい人間性の基礎を創ることが肝要で、それには「ビンタ」や「体罰」というものは必要不可欠な教育の一環と考え、教師にもその権限を与えるべきだ。

 唯、言うまでもないが、そこには生徒との信頼関係は勿論、「愛」がなくてはならない。それがなければ「暴力」と断じられても致し方ないことだ。

 話しは変わるが、戦後、極東軍事裁判に於いて、所謂「BC」級の戦犯がアジア各地で「食事が粗末だ」とか「ビンタされた」他愛も無い理由で逮捕され処刑された。その数、実に1068名に及び、それ以外に待遇の不満を理由にリンチ等で亡くなった方が約100名いる。

 鬼の首でも獲ったかの様に体罰した教師を吊し上げ、したり顔で糾弾してる連中を見ると、「ビンタされた」と騒ぎ立てた性悪な捕虜と同じ匂いがしてならない。

 「教えるとは実に教えられることである」という言葉がある。

 親が子供の成長と共に親らしくなるのと同じ様に、教師も単なる人間、失敗することもあるだろうし、泣きたいこともあるだろ。それで結構、教師も生徒と共に成長し、立派な志を持った日本人を育んで欲しいと願うばかりだ。

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2013年01月10日

「手抜き除染」に係わったゼネコンを厳罰に処せ!


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 東京電力福島第一原発周辺の除染作業で、取り除いた土や枝葉、洗浄に使った水の一部を現場周辺の川などに捨てる「手抜き除染」が横行していることが、朝日新聞にすっぱ抜かれた。

 「手抜き除染」は、元請けゼネコンの現場監督が指示して投棄した例もあるというが、県内各所の現場では目先の金儲けに奔ってる建設業者が、除染のスピードアップばかりを優先し、「手抜き除染」は暗黙の了解。

 朝日記事によれば、今回の手抜き作業が発覚した除染作業の胴元ゼネコンは前田建設工業、大日本土木、大成建設、鹿島を中心とした共同企業体(JV)複数。

 楢葉町が前田建設工業や大日本土木などへ188億円。飯舘村が大成建設などへ77億円。川内村が大林組などへ43億円。田村市が前田建設工業や鹿島などへ33億円。四市の総額は約341億円の上る。

 環境庁では、除染の予算は約1兆円を見込んでいるという。この利権に公共工事減少で疲弊している建設業者が群がり、またブローカーやヤクザが実態を隠し、人材派遣という形で作業員を送り込み、本来支払われるべき「危険手当」などが削減、或いは支払われないという事態は関係者なら知らない人はいない。

 除染は本来、作業によって「0.23ミリシーベルト以下」に抑えなければならないが、実際には数値など関係なく作業が進められているのが実情だ。

 つまりは「線量が下がらない」という理由で、何度も繰り返し除染作業で儲けようと企んでるというのが正直なところ。公共工事が減少する中で「除染作業」は、建設業界にとっては正に天佑神助というべき利権漁りなのだ。

TKY201301030481 除染

















 「除染のガイドライン」というか、環境省が元請けと契約した「作業ルール」には次の様なことが明記されている。

 「はぎ取った土や落ち葉はすべて袋に入れて回収し、飛散しないように管理しなければいけない」「住宅の屋根や壁は手で拭き取るかブラシでこする」「高圧洗浄機の使用は汚染水が飛び散るため雨どいなどごく一部でしか認めていない」「洗浄に使った水は回収する」という様なものだ。

 「手抜き除染」は自治体、つまりは国民との「契約違反」は言うまでもなく、汚染物質を川に垂れ流したり、裏山に投棄するなどの行為などは、「作業ルール」を無視した「特別措置法(特措法)」違反だ。

 「特措法」では、「放射能に汚染された廃棄物やはぎ取った土壌を、みだりに捨ててはならない」とされている。特措法に違反した場合、「5年以下の懲役や1000万円以下の罰金」などの罰則も設けられており、厳罰を与えるべきだろう。

 「特措法」は条例ではなく法律であり、行政でこうした実態を調べるのは限界があり、県警始め警察庁が「特措法」は当然ながら「詐欺罪」や「廃棄物処理法」違反容疑で徹底して剔抉し、業界粛清に立ち上がるべきだ。

 抑々、1兆円もの税金を投じて行われている除染作業だが、今のやり方で作業効果はあるのか、限られた税金の使い道として適切なのか、冷静且つ科学的見地に立った議論が必要なのではないのだろうか。

 当該エリアを100%除染することなど科学的にも不可能で、住民の「安心」の為の除染が、ゼネコンを始めとした建設業者の金儲けの為のものになってしまっているのはどうみても不適切だろう。

 反原発派は放射脳と呼ばれる連中は、この朝日新聞のスクープ記事でまたしても福島県へのバッシングを始め、安倍政権が10年間で200兆円を投入する「国土強靭化計画」をも糾弾し始めている。

 理由は簡単、公共事業に多額の血税が垂れ流され、ゼネコンや不良建設業界により自民党の旧態依然の体質に戻ってしまうのではなかろうかという尤もらしい批判だが、今回の手抜き除染作業を見過ごすことになれば、杞憂では済まされまい。

 安倍自民党が「新しく生まれ変わった自民党」をアピールするなら、この朝日新聞のスクープを機に徹底して営利に狂奔する建設業界の浄化を進め、不良建設業者の一掃を図って貰いたいものだ。

 TKY201301030466 除染


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2013年01月09日

「教育」は国の大本であり、子供達は日本の宝です


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 大阪の市立桜宮高校でバスケ部顧問から体罰を受けた高校2年の生徒が自殺する事件が起きた。愚生は常々「体罰という愛が子供の理性を正しく鍛える」というのを持論にしている。

 子供を躾ける上で、「理性」に問い掛けて、それを理解出来る子供や生徒には効果的だが、言っても分からない子供には効果はない。

 何度言い聞かせても理解出来ない、或いは何度も同じ様な過ちを犯す子供や生徒には、体罰によって「善悪」というものを「本能」に問い掛けることも大事だとも言っている。

 だがそれには、教える立場に在る者や躾をする親は、日々子供達に愛情を注ぎ、子供達から尊敬されることが大事なのは言うまでもない。

 指導や意見の仕方を分かり易く教えているものに「葉隠」というのがある。「葉隠」というと右翼的、忠君愛国的と思い込んでいる人も多いだろう。

 本文冒頭での「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」だけが独り歩きし、「葉隠」を読まずに「危険な書」だと思っているのではないだろうか。

 「葉隠」は類の無い不思議な道徳書なのだが、そこには「人への意見」として次の様なことが述べられている。

 「人に意見してその人の欠点を直すということは大切なことであり、慈悲の心とも言える。ただ、意見の仕方には骨を折る必要がある。大方の人は、人に好まれない言い難い事を言ってやるのが親切の様に思い、それが受け入れられなければ、自分の力が足りなかったとしている様だ。こうしたやり方は何ら役に立たない。ただ悪戯に人に恥をかかせ、悪口を言うだけの事と同じ結果になってしまう」

 「意見というものは先ず、その人がそれを受け入れられるかどうかを見極め、相手と親しくなり、何時も信用する様な状態で仕向ける処から始めなければならない。言い方なども工夫し、時節を考え、自分の失敗談等を話しながら、余計な事を言わなくても思い当たる様に仕向けるのが良い。先ずは良い処を褒めて気分を引き立てる様に心を砕き、そうした上で欠点を直していくというのが意見というものである」

 なんと細やかな心遣い、これ程の気遣いをする現代人はいないだろう。

 今回の自殺は部活動での先生と生徒の考え方の違いだろうが、先生は果たして生徒への愛を以て相対していたのだろうか。自己満足に過ぎなかったのではないのか。意見の仕方が間違っていたのではなかろうか。

 「強くしたい」「上手くさせたい」という気持ちばかりが先行し、意味の無い体罰を繰り返していたのではないのだろうか。また自殺した生徒は先生に対し敬う気持ちが在ったのだろうか。

 愚生は小学校4年から剣道を始め、中学2年で初段、高校時代は1年からレギュラーでそこそこ活躍していた。高校2年になった頃からだろうか、「オマエのは残心が悪い。何度言ったら分かるんだ」と貶され続け、「なんでオレばっか言われるのだろう」とやる気をなくし、結局、部活を辞めた。

 だが貶され続けた「残心」を大学の剣道の授業で、日本一の指導者と言われる右田先生に「佐久間の残心は素晴らしい。有段者の中でも一番いい」と褒められたことがあった。こう見えても褒められりゃ伸びるタイプなんです(笑)

 要は指導者によって見方もやり方も違う訳で、人生に「もし」はないが、もしも高校時代、剣道を続けていれば違った人生になったかもしれない。

 高校時代の顧問と親戚の葬儀で再会したことがあった。すると先生は「佐久間君の剣道は柔らかく、教え子の中でもいいものを持ってたんだがなぁ」と言われたことを思い出す。

 「何で、それを高校時代に言ってくれなかったんですか」と聞けば、「佐久間君なら幾ら叩いても大丈夫だと思ったんだよ」

 「でも、先生、100回やって100回貶されれば、やる気はなくなりますよ(笑)」「そうだな、悪かったな。もう一度やらないか」

 町道場に誘われたのはいいが、今度は本当に挫折した(笑)

 やはり先生と言われる立場の人は、言動や一挙手一投足の責任の重みを自覚し、人を見る目を養うべきだとも思う。

 人を見る目というのは人生哲学。教師というのは同僚や生徒や保護者とばかりで、人を見る目を養う機会に恵まれていない様にも感じる。

 こうした事件が起きる度に解決策も何ら講じず、右往左往した揚句に平身低頭するばかりの教育委員会というのもホント厭きれるばかりだが、こうした陋習を廃し、根本的な教育改革を進めて頂きたいものだ。

 教育は国の大本であり、子供達は日本の宝だ。「教育勅語」を指導原理とし教育の再生を図るべし。

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2013年01月08日

「白虎隊」と「二本松少年隊」


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 NHK大河ドラマ「八重の桜」の初回の視聴率は視聴率は21.4%、福島地区では30%超えだったという。原発事故で逸早く福島から逃げ出した県民も、ドラマで「福島訛り」や「会津弁」を聞いて懐かしく思いながら見たことだろう。

 このドラマでは会津だけではなく白河や我が故郷・二本松の激戦のシーンも描かれるというので、今後も愉しみにしている。

 会津の「白虎隊」に比べ「二本松少年隊」の悲劇や武勇を知る者は少ない。白虎隊士の構成年齢が16~17歳だったのに対し、二本松少年隊の最年少隊士の年齢は僅か12歳。二本松に生まれ育った者として「少年隊」は郷土の誇りだ。

 慶応4年7月27日、木村銃太郎隊長(22)に率いられた少年隊士23名、銃太郎の率いる少年隊は、城下西口の要衝である大壇口に布陣。二日後の29日午前9時頃、隊伍を組んで進軍してくる西軍に向かい、銃太郎の号令一下、轟然と火を吹いた少年隊の大砲によって、終に戦史に残る激戦が開始された。

 だが、少年隊の奮闘空しく、二の腕に銃弾を受けながらも木村隊長は少年達に退去を命じる。迫り来る西軍を睨みつつ周囲の味方の陣の様子を窺ってみると、味方は既に退却した後で、少年隊は孤立の危機に直面した。

 大砲の火門に釘を打ち込んで使用不能にした後、集合した彼らに次の指示しようと口を開きかけたその刹那、敵弾が木村隊長の腰を貫き、腰から崩れ落ちた。

 「最早これまで」と、木村隊長は少年達に自らの斬首を命じる。どうにか斬首を終えると少年達は「隊長死んじまった、どうすっぺぇ」と号泣しながら、棒や素手で土を掘り、遺骸を葬ったという。

 二本松藩には代々、「必殺を期すには、斬らずに突くべし!」という剣術の極意が伝わっている。これは、浅野内匠頭が吉良上野介を討ち漏らしたことを聞いた二本松藩初代藩主・丹羽光重が、「何故、浅野公は斬りつけたのか。斬りつけずに突けばよかったものを!」とひどく悔しがったということから、以来、二本松に於いては「斬らずに突け」が伝統となった。

 成田才次郎が出陣の際に父から訓されたのも、この「斬らずに突け」だった。その才次郎、大壇口から敗走中の混乱で隊士はバラバラになってしまい、単独で二本松城下の郭内まで戻るも戦意は尚も旺盛だった。

 「必ず敵将を斃してやる」そこで一の丁の物陰に潜んでいたところ、馬上豊かに立派な武士が一隊を率いてやってくるのが見えた。長州藩士・白井小四郎が率いる長州藩の部隊だった。

 才次郎、隊列が目前に来るまで充分に引き付け、此処ぞ!というところで、大刀をまっすぐに構えるや、一気に先頭の白井に向って突進した。

 しかし、歴戦の長州兵は、この遮二無二突進する小さな刺客に即座に反応し、隊長を護るべく馬前に出る。

 「子どもじゃ、手を出すでない」白井は、突っ込んで来るのが子供だと瞬時に見抜き、兵を制した。それが徒となり、才次郎の剣は、狙い違わずこの敵将の脇の下から胸部を突き刺した。

 白井、どうっと落馬。驚愕した長州兵らは慌てて才次郎を捕えようとするが、刀を振り回す才次郎に近寄ることも出来ず、已む無く鉄砲を使い、漸くこの小さな勇士を倒すことが出来た。このとき才次郎、14歳。

 飯島(木村)八重と同じ様に、スペンサー(元締め)銃を手に奮闘したのは二本松少年隊の小澤幾弥。弱冠17歳。戊辰戦争前まで江戸で育った幾弥は、新式のスペンサー銃を二本松藩に持ち込んだ。

 戦では阿武隈川を超え霞ヶ城(二本松城)に殺到する西軍を丘の上から次々と撃ち倒すも、師・朝河八太夫と討ち死にする。因みに砲術師範の八太夫は世界的歴史学者である朝河貫一博士の祖父だ。

 薩摩藩士で陸軍元帥・野津道貫は回顧談(近世国民史)で、「兵数不詳の敵兵は、砲列を布いて我軍を邀撃するのであった。我軍は早速之に応戦したが、敵は地物を利用して、おまけに射撃はすこぶる正確で、一時我軍は全く前進を阻害された。我軍は正面攻撃では奏功せざる事を覚り、軍を迂回させて敵の両側面を脅威し、辛うじて撃退することを得たが、怨恐らく戊辰戦中第一の激戦であったろう」と述懐している。

 会津武士道の昇華を「白虎隊」に例えるのなら、「二本松少年隊」は正しく二本松武士道の昇華そのものだろう。

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2013年01月07日

「白虎隊」をどう変換したら「百虎隊」になるんだろう(笑)

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 福島みずほがTwitterで会津藩の「白虎隊」を「百虎隊」と書き込んだ挙句に、「八重の桜」や「什の掟」に準えて原発や憲法を持ち出して「ならぬものはならぬ」なんてつぶやいてるのを見て思わず笑ってしまった、というより流行に乗っかろうとの必死さに憐れさを感じてしまった。

 「白虎隊」をどう変換したら「百虎隊」となるんだろうな。「ひゃっこたい」と入力すれば出るらしいが愚生のパソコンでは「ひゃくとらたい」と入力しなきゃ無理。抑々、自分で「白虎隊をテレビで見た」とつぶやいてるんだから「ひゃっこたい」と入れること自体マヌケというか、見てなかった証明だろうよ。

 虚言症のこのアホ女、「什の掟」には「虚言を言うことはなりませぬ」というのが在るのを知らない様だ(笑)

 会津藩には「什の掟」という訓えがある。同じ町に住む6歳から9歳までの藩士の子供達が10人前後集まり、年長者が一人什長(座長)となるこの集まりを「什」といい、その決まり事が「什の掟」だ。

 子供達が自ら約束事を決め、その日に起こった由無し事を語り合い、約束を破った者には子供ながらの制裁を加えたという。

  一、年長者の言ふことに背いてはなりませぬ
  一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
 一、嘘言を言ふことはなりませぬ
  一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
 一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
 一、戸外で物を食べてはなりませぬ
 一、戸外で婦人と言葉を交へてはなりませぬ

 そして最後に「ならぬことはならぬものです」となる。

 地区地区の「什」によっては多少違うが、「ならぬことはならぬものです」との最後の言葉は、何処の「什」も共通だった様だ。

 会津出身の新島(山本)八重を主人公にした「八重の桜」が始まった。NHKで見るのは大相撲と落語くらいなものだが、このドラマが原発事故の風評被害などで疲弊する福島県の復興の起爆剤になることを期待したい。

 だが、偏向的自説を垂れ流すNHKのこと、「男女平等」「男女共同参画社会」の先駆者としての八重の姿を「女性の地位向上」「女性の社会進出促進」に利用するであろうことは予想出来る。

 八重は弘化2年(1845)、会津藩砲術指南役・山本権八、さく夫妻の三女として生まれ、兄の覚馬から洋式砲術を学び、戊辰戦争では断髪・男装し、スペンサー銃を担ぎ最後まで勇敢に戦った。

 「幕末のジャンヌダルク」とも呼ばれた八重は、戊辰戦争前に但馬出石藩・川崎尚之助会津日新館教授と結婚するが、会津若松城篭城戦前に離婚、その夫は戦の最中に行方不明となったという。

 落城後、八重は京都顧問だった兄の覚馬を頼り、上洛。縁有って後に同志社大学を設立する新島襄と再婚する。キリスト教が未だ世に認められていない時代、洗礼を受け入信し、襄と共に同志社大の設立に尽力した。

夫を「ジョー」と呼び捨てる姿は、男尊女卑が未だ色濃く残る明治時代に於いては「悪妻」と評されたり、「烈婦」と評されたこともあるという。

 当時同志社の学生だった思想家・徳富蘇峰からは「頭と足は西洋、胴体は日本という鵺(ぬえ)の様な女性」と罵倒されたという。

 明治23年、襄が急逝。八重は夫の死後、日清戦争などで看護婦を志願し、篤志看護婦として救護活動に参加する。幕末の「会津戦争」を経験したからこそ、残りの人生を社会貢献に身を投じたのだろう。

 昭和天皇御即位の際に銀杯を下賜された八重はその4年後自宅で死去、享年86歳。波乱に富んだ八重の生涯のドラマが、県民にとって大きな励みとなり、復旧復興に繋がることを願うばかりだ。

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2013年01月05日

父上様、母上様、「三日とろろ」美味しゆうございました


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 「三日とろろ」とは、福島をはじめとする東北や北関東の一部で正月の3日にとろろメシ(汁)を食べる風習のことで、食べるとその年は風邪をひかないと言われているが、まぁ風邪をひかない様にというより「七草粥」の様に、年末年始で飲み過ぎた胃腸を整えるという意味合いだと思う。

 この「三日とろろ」でいつも思い出すのは、福島県須賀川市出身で東京五輪マラソン銅メダリストの円谷幸吉選手のことだ。

 円谷選手の遺書の最初には「父上様、母上様、三日とろろ美味しゆうございました」と認められ、家族皆への感謝、そして「幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました」で結ばれ、中でも「幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒お許し下さい」の言葉はトップ選手故の苦悩の現れであり衝撃的だ。

 円谷選手が遺書は、世話になった方々から頂いた美味しい食べ物への感謝の言葉で綴られ、人となりが十分伝わってくる内容だ。(以下、遺書の全文)

 「父上様、母上様、三日とろろ美味しうございました。干し柿、もちも美味しうございました。敏雄兄姉上様、おすし美味しうございました。勝美兄姉上様、ブドウ酒 リンゴ美味しうございました。巌兄姉上様、しそめし南ばんづけ美味しうございました。喜久造兄姉上様 ブドウ液養命酒美味しうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。幸造兄姉上様、往復車に便乗さして戴き有難とうございました。モンゴいか美味しうございました。正男兄姉上様、お気を煩わして大変申し訳ありませんでした。幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、立派な人になってください。父上様母上様、幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒お許し下さい。気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。幸吉は父母上様の側で暮しとうございました」

 遺書というのはその人の人物像が現れる。特攻隊員や靖國に眠る英霊の遺書は正に「神」そのものであり、その言葉には言霊が宿り、その精神は日本人の心の奥に響き、時空を超えて明らかに感応している。

 左翼という生き方はどんなものかは知らないが、28歳の元旦に自裁した連合赤軍中央委員会委員長・森恒夫の遺書には「自己の責任の重さに絶望し、自らに死刑を下す」と綴られていた。内容は次の様なものだった。

 「御遺族のみなさん、十二名の同志はぼくのブルジョア的反マルクス的専制と戦い、階級性、革命性を守ろうとした革命的同志であった。責任はひとえにぼくにある。同志のみなさん、常に心から励まして下さってありがとう。お元気で。父上、ぼくはあなたの強い意志を学びとるべきだった。強い意志のない正義感は薄っぺらなものとなり、変質したのである。お元気で。愛する人へ、希望をもって生きて下さい。さようなら。荷物は坂東君に」

 森は逮捕されてからはキリスト教に関心を示していたというが、自ら行った罪を悔い改めている遺書からも、キリスト教に縋り、革命家を気取りながらも幼稚だった正義感を恥じている心境が伝わってくるが、遺族への謝罪は全くない。

 浅沼稲次郎社会党委員長を刺殺した山口二矢は、供述調書を取り終えると移送された練馬鑑別所で自裁する。その調書の中で遺族に対して心境を吐露している。

 「浅沼委員長を倒すことは日本の為と堅く信じ殺害したのですから、行為については法に触れることではありますが今何も悔いる処はありません。しかし、浅沼委員長は最早故人となった人ですから、生前の罪悪を追及する考えは毛頭なく唯故人の冥福を祈る気持ちであります。又浅沼委員長の家族に対しては、如何なる父、夫であっても情愛に変わりなく、殺害されたことによって悲しい想いで生活をし迷惑を掛けたことは事実ですので、心から家族の方に申し訳ないと思っています」

 二矢は練馬鑑別所に於いて、「國のため 神洲男児晴れやかに ほほえみ行かん 死出の旅へ」「大君に 仕えまつれる 若人は 今も昔も 心かわらじ」の辞世を遺し、「天皇陛下万歳」と従容として死に就いた。享年17歳。

 二矢は、「私には日本人の血が流れており唯物論では到底割り切れない。持って生まれた日本精神という唯心論的なものが滾っており、天性からこういう人生観、思想などが形成されたと思っています。尚、本当の日本人であれば、私の様な人生観、思想というものが心の奥底には必ず在ると思います」と述べているが、極左暴力団との違いはこういうことだろう。

 17歳の二矢と28歳の森を見ても、人というのはどれだけ生きたかではなく、どう生きたか、どう生きるかが大事だと痛感する。合掌。再拝。

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cordial8317 at 08:44|PermalinkComments(1)

2013年01月04日

「喪に服する」とは門戸を閉じ、酒肉を断ち、弔せず、賀せず・・・


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  「喪中はがきを出したのに年賀状を寄越すとは無礼千万!来年からは付き合い方を考えなければ」とか、「喪中なので初詣には行かない」いう様な声を聞く。

 喪中の相手を気遣うという意味では思慮不足だったのかも知れないが、相手も悪気が在る訳でもないだろうし、喪中と言っても慣例に過ぎず、年賀状如きにそれほど目くじらを立てる様なことではないと思うがなぁ。

 「初詣」にしても、神道なら50日を過ぎていれば問題はないし、仏教は抑々「死」は「穢れ」という教えではないから初詣に参じても問題はなかろう。

 近親者が亡くなった場合に、一定の期間、その死を悼み、身を慎むことを「忌服」或いは「服喪」と言う。

 古くは、門戸を閉じ、酒肉を断ち、弔せず、賀せず、音曲をなさず、嫁取りをせず、財を分かたずという様な仕来たりがあった様だが、今日ではそれらの都合のいい部分だけが慣例として受け継がれているだけなのだ。

 現在はここまで喪に服することはないし、そこまでした人を見たことも聞いたこともない。一等親の身内が亡くなられた場合でも、一週間も仕事を休めば会社から「もう、君は来なくていい」と誹られるだろう。

 日本では、喪中の規定に関する法律は奈良時代の「養老律令(ようろうりつりょう)」には既に見られ、江戸時代になると「服忌令(ぶっきりょう)」という法律によって喪中の規定が記され、これらによると父母の喪は12ヶ月~13ヶ月であると制定されている。

 明治7年に出された太政官布告(「忌服令」昭和22年に廃止)では、「父母、夫、50日、13カ月。妻、兄弟姉妹、20日、90日」などと「忌(忌中)」と「服(喪中)」の期間をこと細かく定めている。

 明治42年に制定された「皇室服喪令」では「12か月」と、こちらも「忌服令」などと粗同様の期間が決められている。

 「忌」と「服」は、謹慎度の深さによって分けられるが、大まかには、「忌」は自宅に謹慎する期間、法要(四十九日)が終わる期間。「服」は喪服を着用する期間、死者を偲ぶ期間と考えていいだろう。

 「忌中」とは、神道の「穢れ(ケガレ)である死を忌む期間」という考え方から、忌中時(五十日)は「出仕(仕事)を控え、殺生をせず、髭や髪を剃らず、神社に参拝しない」としている。

 現在ではこうした法令は全て撤廃され、仏事の慣例としては今もこの太政官布告が一つの目安にされていて、喩えば父母の死亡に際しては七七忌(四十九日)までが忌中、一周忌(一年間)までが喪中とされることが多い様だ。

 「喪」は抑々儒教から生じているもので、父母の死については,13ヶ月間喪に服するということになっている。この13ヶ月の数え方だが、昔は「0」という観念がないので、父母が亡くなった月が1ヶ月目となり、丸1ヶ月なくてもその月が終われば1ヶ月と数え、翌月は2ヶ月目になる。

 明治6年、日本で「ハガキ郵便配達」が始まったのを機に、遠方以外の人にも挨拶状を送る習慣が広まっていく。

 「年賀郵便」の制度は明治39年に始まり、昭和24年には「お年玉付き年賀はがき」が発売され、年賀状の普及にして行った。

 服喪期間という個人の故人への思いはそれはそれでいいが、年賀状如きに、亡くなった人まで巻き込んで一喜一憂などする必要はないと思うがなぁ。

 尤も、「喪中だから」と門戸を閉じ、酒肉を断ち、弔せず、賀せず、音曲を成さず、嫁取りをせず、財を分かたず、出仕(仕事)を控え、殺生をせず、髭や髪を剃らず、自らを厳しく律している方なら別だが。

 愚生の場合、「葬儀」も「年忌法要」も「偲ぶ会」も、身内や親戚、友人、知人らには「やる必要なし!」と断ってるので、喪に服する必要もないし、「死んだら無、忘れて結構!」と念を押している。

 もしも、この思いを無視するなら、化けて出るつもりだ(笑)

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cordial8317 at 08:07|PermalinkComments(0)

2013年01月01日

戦後政治の総括を急げ!


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 年頭に当り、謹んで皇室の弥栄を寿ぎ奉り、併而皆々様の御隆昌と御壮健を祈念申し上げます。

 我が国の政治の混迷の一端は、戦後政治の総括を怠り、自己保身と偽善に狂奔して来た政治の陋習と国家観なき政治家の怠慢に在ると言っても過言ではない。

 今日の祖国日本の重苦しい閉塞感と惨憺たる現況を救う為に要用なものは、我らは日本人であるという自覚と誇りと矜持を取戻すこと以外に無い。

 今、日本が直面している全ての問題は先人の努力を無視し、日本人が「日本人であることを見失った」ことに起因していると言ってもいいだろう。

 つまり、何処で生き、何の為に働き、何を尊び、何を信じるのか、子供達に何を語り、友人や朋輩と何を分かつのか、そうした生き方を見失ってしまったことから、現在の混乱と精神的貧困は起きていると考える。

 今一度我々は、「日本とは何か」「日本人であるとはどういうことなのか」を考えながら、世界とそして近隣諸国と向い合うべき時代ではないだろうか。

 欧米主導の西欧時代の終焉が叫ばれている今、我々は日本について考え、日本人であるという証を示さなければならない時なのだ。

 本来の日本人なら心の中に「日本人の魂」というものを持っているだろう。この国の歴史伝統や先人達に対する尊敬や愛着の想いである。

 例えば、この日本が戦争に負けたのであれば、その事実を限りなく口惜しいと思い、占領で失われたものがあるならば、それを何としても取り戻したいと思う日本人としての「心」である。

 そう考えるとき、右翼や国士を標榜する者や、「保守」と呼ばれている政治家から、日本人としての魂から発する「思い」を感じることはなく、右顧左眄型の偽善者ばかりが目立つ気がしてならない。

 我が国は世界の中で最も優れた精神文化と独自の価値を有する国家であり、「保守」とは我々日本人が未来永劫護り抜かねばならぬ民族、宗教、言語、歴史、価値観、習慣、制度の世界の中で最も優れた精神文化を死守し、継承して行くものでなくてはならないのだ。

 その為には、最早国の基本法として機能していない矛盾だらけの現憲法を早急に破棄し、先人の智慧と営為に学び、日本人の手による日本人の為の最高法規を制定する必要があろう。

 同時に、日本国民一人一人の「義務」として、靖國神社に眠る英霊に感謝の誠を捧げることこそ大事である。

 我国の長い歴史の中でこれ程迄に堕落し、自己犠牲の精神を忘却し、まやかしの平和と繁栄に現を抜かし、自己本位の享楽にばかりに狂った時代は無いだろう。

 だが、そんな中でも、真保守主義に覚醒し、山積する諸問題を如何に打破し、日本再生の転換点と成すべきかと行動する若者が多く出て来たことは喜ばしい限り。

 愚生もしがない右翼浪人だが、一維新者としてこの迫り来る祖国の危機に対処し、粉骨砕身、愛国的活動に奮励邁進することこそが日本再生の道であり、天皇国日本を磐石の安きに置く使命だと確信しておりますれば、本年も何卒、叱咤激励、苦言、提言、御支援のほど宜しく御願い申し上げます。

 本年が皆様にとって実りある1年と成ります様に。

 皇紀2673年 歳旦 佐久間五郎拝

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cordial8317 at 08:26|PermalinkComments(1)