2012年11月

2012年11月30日

自国はどんなに犠牲を払ってでも自分たちの手で守らなければならない


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 ベトナムは中共に接する国で、今迄にも「中越戦争」や最近でも南シナ海の主権に絡み中共と諍いを起こしているが、ベトナムは元々「清」に朝貢してた国だ。

 清が日清戦争で敗れるとベトナムをフランスに割譲する。そこで、ベトナムの将来を危惧した愛国者・ファン・ボー・チャウが日本を訪れる。対応した犬養毅にファンは「助けてくれたら朝貢する」と申し出るも、その頃、日本はロシアとの「日露戦争」の真っ最中ですからそんな余裕もない。

 犬養はこう言う。「自分たちで何もせずに助けてくれなどとは都合が好過ぎるのではないのか。自分の国はどんなに犠牲を払おうとも自分たちの手で守るものだ。自分たちでどうにかするというのであれば協力は惜しまない」

 そう言うとベトナムから若者らを受け容れ、世界を教え、そして戦い方を教えた。結果、ベトナムはフランスを追い出すことに成功する。しかし、その後、米国が侵攻。その米国も追い払うと、次には中国人民軍が侵略するに至った。ベトナムはこの「中越戦争」にも勝利を収める訳です。

 軍事力に乏しいベトナムが戦争で負けたことがないというのは、ベトナム人の士気の高さも在るが、日本の教えが好かったからだとも言えよう。

 中越戦争で敗戦した中共の最高指導者の鄧小平はその後、ベトナムでの敗戦を教訓に軍事大国化の道を選ぶが、チベットやウイグルなどでの弾圧や尖閣や南沙諸島への侵略・威圧行為は、或る意味で、日本がベトナムへ「戦い方」を教えなければアジアの勢力地図も変わっていたかも知れない。

 「自分の国はどんなに犠牲を払ってでも自分たちの手で守らなければならない」と教えた日本だったが、今や「国防」という国家の大本を米国に委ねた儘、まやかしの平和や繁栄に現を抜かしているというのは皮肉なことだ。

 各党、次期総選挙での政権公約が揃った様だが、争点は相変わらず「原発」や「消費税」「TPP」「年金」などの末の問題ばかり。

 喩え社会保障が充実し、景気が浮上したところで、日本の主権が侵され、国土を蚕食され続けているならば、そこに何の意味が在るのか。

 何度も言うが、政治で大事なのは「教育」であり「国防」なのだ。「子ども手当」や「児童手当」など政治家がカネの分配ではなく、将来を担う子供達に如何にして誇りの持てる教育をするか、志の高い日本人を創るかが大事なのだ。

 「国防」とは単に領土を守ることだけではない。「国防」とは三島由紀夫が訓えた様に、国土という領土の防衛ではなく、「それを亡くしてしまったら日本ではなくなってしまうものを守り抜くこと」であり、国防無き外交交渉などなど無意味でしかない。

 国を護るということはつまり国柄である民族、宗教、言語、​歴史、価値観、習慣、制度を護るであり、世界の中で最も優れた精神文化​や未来の子供達、そして何より皇統を死守し、継承して行くことなのだ。

 本を糺さずしてその場凌ぎの偽善に狂奔し、自己保身、権力欲に溺れた現在の日本の政治屋どもに、犬養や三島といった先人の言葉など聞こえまい。

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2012年11月29日

総選挙の争点は「原発」や「消費税」よりもやはり「国防」と「教育」

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 次期総選挙の民主党の主題が「決断」だというが、下手な落語のオチを聞かされている様で言葉が出ない。沈み逝く民主党よりも気持ちが悪いのは「日本未来の党」という、唯「脱原発」のみで野合する連中だ。

 「脱原発」じゃなく「卒原発」というらしいが、左翼の連中はこうした造語が好きだよなぁ。例えば今流行の「地域主権」なんていうのもそうだし、今じゃ何処の自治体でも平気で使ってる「協働」なんて言葉も、元々は共産党系のコープマート(現パルシステム)が使ってた造語だ。

 「共同」ではなく「協働」というが、「コラボレーション」ではなく、「コミューン」や「コミュンテルン」の意味であり、正しく共働参画社会という「共産社会」実現の為のものだ。

 今やこうした左翼が日本解体の為に創った造語を、自民党や保守を標榜する政治家が何の疑いも無く「時代だから」と平気で使っているのだから困ったものだ。

 「日本未来の党」には保守派の亀井静香もいる。「永住外国人参政権」ひとつ取っても真逆な連中ばかりだろうに、そこまでして「第三極」が大事なのか。士としてひとりで闘う勇気はないのか。まぁ所詮は「政党交付金(助成金)」目当てというのは言わずもがなだ。

 政治で大事なものは「原発問題」や「消費税」よりもやはり「国防」と「教育」。「大津イジメ事件」で拱手傍観を極め込んだ嘉田なんぞを祭上げて悦に入ってること自体、小沢一郎もヤキが回った様だ。

 「脱原発」なんぞ所詮は大衆迎合主義の最たるもので、彼奴らに国を創造する理念や信念など微塵も感じない。

 「卒原発」を掲げる未来の党には元民主党議員が70人以上が参加するが、民主党政権下での「エネルギー基本計画」では、2030年までに14基を新増設し、自民党政権時代30~40%だった原発の発電量を50%に上げるという方針を打ち出している。

 更には原発の海外への輸出も、民主党政権の成長戦略の一つだったし、それこそ原発に依存していたのが民主党であり、震災が起こるまでは自民党よりも遥かに「原発推進派」だったのだ。

 民主党にいながらそれに同調し、脱党したらそれらに頬っ被りし、事が起これば何でもカンでも自民党の負の遺産の所為にするのはお門違いというものだろう。

 「福島から始めよう!」という綺麗ごとを言うなら、福島県に移住してから言ってみたらいいのにな。大歓迎するよ(笑)

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2012年11月28日

「脱原発派」は繁栄を維持出来る具体的な道筋を示せ!

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 又候「日本未来の党」なんて胡散臭げな政党が結成された。衆院総選挙に向けて「脱原発」の政策を掲げる政党が目立つが、「脱原発」を掲げさえすれば票に繋がると思ってるところがイタイよなぁ。

 原発事故の影響をもろに受けている福島県民としては、「原発さえなかったら」という思いは誰よりも強い。だが、果たして、資源の乏しい日本が「原発」無しで現在の様な繁栄を維持出来るのか疑問だ。

「脱原発」による産業振興の停滞や空洞化は避けられず、電力不足や光熱費の値上げなど不安は大きい。何よりも、「便利」という価値観に溺れた日本人が、石油や天然ガス、再生可能エネルギーだけでの生活に満足するとはとても思えない。

「反原発」「脱原発」の流れで原発が停止し、もし化石燃料による電力に移行した場合、中東からの輸入経路であるシーレーンの防衛はどうするのか。防衛を担う自衛隊の存在は憲法違反のままでいいのか。

 万が一シーレーンを封鎖された場合、日本の電力供給は数か月程度しか持たず、福島原発事故以上のパニックが起きるだろう。こうした喫緊の課題に対して「反原発派」からは全くそんな声は聞かれない。

 それどころか、シーレーン防衛に威力を発揮するオスプレイにも反対しているのだから、「反原発派」とは何を況やだろう。

 原発を再稼働しない場合の代替のエネルギーが、太陽光や風力といった不安定な電力供給で本当に大丈夫なのか。太陽光発電は夜間や雨天、曇天では効果は少ないし、風力は風が吹かなければどうにもならない。

 その点、原発は「プルサーマル」や「高速増殖炉」も実用化出来れば、化石燃料に依存しなくてもかなりのエネルギーは自国で賄える。

「脱原発」の理想は分かるが、それよりも現存する原発の安全対策を施すことこそが喫緊の課題ではないのか。

 将来的に原発依存から脱却を図るなら、安定的に電力を供給できる新エネルギーや、蓄電技術などへの莫大な投資が必要になることは自明の理だが、そんな話は「反原発派」からは聞こえて来ない。

「エネルギー供給の危機」をクリアした上で、太陽光や水力、火力、風力、或いはメタンハイドレートへの投資や、蓄電の技術開発に多額の資金を投じれば、将来的な脱原発への道が開かれるだろうが、実際には実現するにしても相当先の話だ。

 何より、既に存在している28000トン在ると言われている「使用済み核燃料」をどのように処理するのか。これを「再処理」した上で「最終処分」しなければならないのを知らない訳ではあるまい。

 反原発派は「原発は危険だから、即時停止しろ!」「再処理はコストがかかるから再処理せずに廃炉にしろ」などととんでもないことをと叫んでいるが、使用済み燃料を再処理せずに最終処分することは、国民の安全が危険に曝されるばかりか、将来的に福島での原発事故以上の環境被害を及ぼすだろう。

 使用済み燃料を再処理するとプルトニウムを含む酸化物が精製される。これを「プルサーマル」や「フルMOX」の原発で燃料として使わなければ、国際公約に違反していることになってしまうという。日本が余剰プルトニウムを持つことは国際的に許されないのだ。

 とすると、使用済み核燃料を再処理してしまうと日本は、原発を動かし続けなければならなず、反原発派が使用済み核燃料の再処理に反対し、「即時停止」を叫ぶのもこうした理由からだが、軽佻浮薄とはこのことだろう。

 まぁ色々と宣ったところで、「財界の手先」だとか言われるのがオチで、原発悪しの「脱原発派」は決して翻意することはないだろう。所詮は「馬の耳に念仏」「犬に論語」「兎に祭文」と言ったところか。

「脱原発派」は、日本の繁栄を維持出来る具体的な道筋を示すことが必要だと思うが、「反原発派」も「脱原発派」も「原発推進派」も、愚生の様にテレビも殆ど見ず、夜は8時に床に入り、朝は5時には起床するという生活をすれば、電力の問題も少子化の問題もクリア出来るのになぁ。呵呵大笑。

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2012年11月27日

自民党で戦争をやりたがってる人って誰よ(笑)


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 自民党は衆議院選の主題を「日本を、取り戻す」とし、政権公約に「憲法改正で自衛隊を国防軍」とすることを盛り込んだ。マニュフェストやアジェンダなどという横文字ではなく「政権公約」としたのは好感が持てる。

 この自民党の「国防軍」案に早速、民主党や公明党が噛み付いた。だが、多くの国民は日夜国家の防衛に邁進する自衛隊を「国防軍」と呼ぶことに、何の違和感もないというのが正直なところだろう。

 終戦後、我が国はポツダム宣言を受諾し、陸海軍は解体され非武装化が進められ、完全な「丸腰国家」にされた。しかし、昭和25年、朝鮮戦争が勃発すると、マッカーサー元帥から吉田茂首相宛に、国内警察力と海上警備力の強化を促す所謂「マッカーサー書簡」が届く。

 このマッカーサー書簡から一ヶ月後の8月9日には「警察予備隊令」が決定、翌日公布、即日施行というスピードで準備が整えられ、自衛隊の前身たる警察予備隊が誕生する。

 当時、警察予備隊は「軍隊」ではないとする為に「師団」を「管区」、「歩兵」を「普通科」、「砲兵」を「特科」、「兵器」は「武器」、「戦車」に至っては「特車」という始末で、そういう愚生も中学校時代「戦車はタンク」と教わった。

 昭和27年8月1日、警察予備隊と海上警備隊を統合し「保安庁」が設置され、政府は「保安庁法」」を提出するが、野党は「憲法9条」を楯に政府を攻撃する。

 吉田茂首相は「戦力とは近代戦を実行する力であり、保安隊、警備隊にその力はない」と答弁。その結果、自衛隊は「戦力なき軍隊」との欺瞞のまま、今もその呪縛に囚われていると言っても過言ではない。

 吉田茂は現憲法を理由に朝鮮戦争への実質的な参戦を拒否したのは価値判断が分かれるところだろうが、参戦していれば自衛隊が憲法違反の存在のまま放置されることはなかっただろう。

 昭和29年7月1日に「防衛庁」が設置され、陸海自衛隊、航空自衛隊が創設され、陸には一〇式戦車、海にはイージス艦、空にはF15戦闘機と文字通り近代戦を戦える装備を持ち、その高い士気と練度は今や国際的にも大きく評価される組織となっている。

 三島由紀夫は「檄」で、「もっとも名誉を重んずるべき軍が、もっとも悪質な欺瞞の中に放置され」「自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず」と喝破した通り、自衛隊は現行憲法下では、未だ「警察予備隊」のまま放置され続けているのだ。

 東日本大震災に於ける救援活動や民生支援、そして復旧に向けて、正しく命を賭して活動を展開した自衛隊を、憲法違反の存在のまま放置していいなどと思ってる国民なんぞおるまい。

 「国防軍」は大いに結構なことだ。安倍自民党は「集団的自衛権は憲法解釈云々」などという姑息な手段ではなく、堂々と「新憲法制定」の必要性を有権者へ訴えて行くべきだ。

 似非保守「日本維新の会」が発表した政策には「地方共有税」や「脱原発依存」は明記されてても「憲法改正」も「憲法廃棄」も明記されてはいない。明記出来ないというのが正直なところだろう。

 政策も関係なく、唯単に「大同小異」で合併するというなら安倍で好いと思うのだが、何故に安倍ではダメなのだろう。

 相田みつお風に言えば、【あべしんぞうだっていいじゃないの まともだもの!】ってなところだろうか。呵呵。

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2012年11月26日

「核武装論」ひとつ取っても米国からの独立は未だ未だ先の様ですな!

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 新聞報道によれば日本維新の会の支持率が、自民党に次いで2位、10%もあるという。こうした報道を目にすると、前回の総選挙で中身も知らずに民主党を支持した様に、また愚かな有権者は同じ轍を踏むんだろうなぁ。

 日本維新の会が支持されるのは、橋下の強気の発言と石原の過激な発言から、中韓などへの弱腰外交を糺してしてくれるだろうという期待からだろうが、過度な期待をするほど裏切られた時のショックは大きいですぞ。

 石原の「核兵器は外交で大きな発言力を持つ」などという至極当たり前の発言まで、日本人で初めて発言した火の様な持ち上げ方で報道する。

 我が国は広島、長崎への原爆投下と福島原発事故での「放射線ヒステリー」で、核武装など夢のまた夢、議論すら出来ない。

 早速、石原発言に原水禁などが、「原発事故が収束しない中での核武装の議論は不謹慎だ」「世界で唯一の被爆国の日本が核武装とはケシカラン」と抗議した。

 イスラエルや北朝鮮が核武装をするのは、核兵器が外交交渉をする上での最高且つ最大の武器であり、周辺諸国に睨みを利かせることが出来るとの認識からだが、別に石原でなくても北朝鮮でさえもそうした認識を共有している。

 日本が外交に弱いのは自国の防衛を米国に委ねているからであり、早々に日米安保を解消し、自衛軍備の確立を急ぎ、そして核武装こそが、アジア諸国の平和・安定に貢献出来るものだとの認識を共有すべきなのだ。

 だが現実を見れば未だに米国製の憲法を有難がって、米国の庇護の下でまやかしの平和を貪り続けている。

 その昔、大日本愛国党の赤尾敏が「アメリカは日本の番犬だ。番犬にはエサは必要で、いい番犬ほど金はかかるものだ」と日米安保を容認していたが、今やその番犬は老化のせいかボケ始め、どう処分していいのか分からなくなった。

 そろそろ飼い犬に噛まれる前に、日本人自ら「国防」を真剣に考えなくてはならない時期に来ているのは間違いない。

 「核武装議論」やら「非核三原則の見直し」も結構だが、現実的には非核三原則の撤廃は愚か核武装など到底無理。ならば、現実的にNATO諸国の様に米国の核を使える新たな防衛構想を急ぐべきだろう。

 「核議論」ひとつ取っても、米国からの独立は未だ未だ先の様だ。

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2012年11月25日

危急存亡の秋、今こそ三島・森田の精神を想起すべし!

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 昭和45年11月25日、三島由紀夫は森田必勝と共に、市ヶ谷駐屯地に於いて米国依存体制からの脱却を訴え、壮絶な死を遂げた。当時小学生だったが、新聞に載った三島の頭部の衝撃は今でも記憶に残っている。

 本日は「憂国忌」や「野分祭」など全国で三島、森田両烈士の追悼が行われる。来月の総選挙結果如何では一気に「憲法改正」の機運が高まるかも知れず、改めて三島・森田の憂国の至情を想起し、行動すべき好機が到来したとも言えよう。

 現在の我が国の政治の混乱と機能不全、経済の停滞と低迷、社会の沈滞と退廃など重苦しい閉塞感が国全体を覆い尽くしているが、凡そ、日本の歴史の中でこれ程までに堕落した時代はないのではないだろうか。

 これらの諸問題を打開し、日本再生の転換点とすべきかは、正に政治家を始め、国民一人一人の意思が大事だ。

 三島は「文化防衛論」の中でこう論じている。

 「もし革命勢力、ないし容共政権が成立した場合に、例えたった一人の容共的な閣僚が入っても、もしこれが警察権力に手を及ぼすことが出来れは、忽ち警察署長以下の中堅下級幹部の首の挿げ替えを徐々に始め、或いは若い警官の中に細胞を潜ませ、警察を内部から崩壊させるであろう」

 「政権交代で日本が変わる」と、中身も知らずに怪しい雰囲気の儘に政権を委ねた民主党は、自民党政権にも況して、正に三島が危惧した様に、カタチを変えた共産主義が行政権に入り込んだ。

 「永住外国人地方参政権」「戸籍法改悪」「人権救済機関の設置」「日教組主導の教育関連政策」「外国人住民基本法案」「男女共働参画社会」「ジェンダフリー」「子ども権利条例」「無防備都市宣言」そして「女性宮家」や「女性天皇論」など、反日的且つ亡国的な政策の実行が謀られた。

 更にはTPPに参加し、この期に及んでも日米強化を謀るとは狂気の沙汰であり、国家主権の放棄以外の何ものでもない。

 三島は、「我々はあらゆる革命に反対するものではない。暴力的手段たると非暴力的手段たるとを問わず、共産主義を行政権と連結せしめようとするあらゆる企画、あらゆる行動に反対するものである。この連結の企画とは、所謂民主連合政権(容共政権)の成立及びその企画を含むことを言うまでもない。名目的たると実質的たるとを問わず、共産主義が行政権と連結するあらゆる態様に我々は反対するものである」 と訴えた。

 今こそ、三島精神を継承する真の政治家が、亡国的な企画・政策と対峙して行かねば成らない。

 市ヶ谷駐屯地での蹶起の際の「檄文」には次の様な一節が在る。

 「我々は戦後の経済的繁栄に現を抜かし、国の大本を忘れ国民精神を失い、本を正さずして末に走りその場凌ぎの偽善に走り、政治は自己保身、権力欲、偽善のみに捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されず誤魔化され、日本人自ら、日本の歴史と伝統を潰して行くのを歯噛みしながら見ていなければならなかった・・・」

 安倍政権誕生と日本維新の会への期待は相当なものだと思えるが、それはつまりは国民の現憲法への鬱憤とも言えるのだ。

 次期総選挙で選ばれし政治家は、国の大本を糺し、国民精神を取戻し、本を正して、その場凌ぎの偽善ではなく、国家百年の大計を国民に示し導くことに在る。

 旧来の思想や社会構造を打破しようとするとき常軌を逸した行動が生まれる。三島由紀夫と森田必勝らの行動こそが正気の狂気であり、この狂気こそが日本に圧し掛かる重苦しい閉塞感を打破する力に成り得るのだ。

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2012年11月24日

日本の祝日には夫夫意味が在り、国柄の分かるものはない

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 昨日は「新嘗祭」ということで手元不如意も何のその、久々街に繰り出してはみたものの、案の定、二日酔いの挙句に、風邪を引いた様だ。

 最近は、友人知人からの一献の誘いも乏しくなったというか、誘われても驕って貰うのは好きではないし、呑んでても此方が懐具合を気にしている様では酒なんか美味しくないから出掛けなくなったというのが本音か。

 坂本竜馬が巧いこと言ってるよなぁ。「酒なんざ、あんたが(カネを)持っていても、こっちが無ければ旨くはない。酒とはそういうものぜよ」。蓋し名言。

 昨日は「勤労感謝の日」だった訳だが、「勤労感謝」というと何か、労働していることに感謝する様に思ってしまうが、本当の意味は「人々の勤労によって生み出される万物の生産を祝うもの」だ。

 神の加護による農作物を始めとした恵に国民が互いに感謝し合う日なのだが、その意味を取り違えている国民は少なくない。やはり「勤労感謝」というより、「新嘗祭」という名称が日本には好ましい。

 米国には「感謝祭」というものがある。神の恵みに感謝して共にご馳走を頂いたことが始まりであるとされる祝日で、その日は家族や親戚、友人らが食事会をするそうだ。感謝祭の朝には、ホワイトハウスで大統領が二羽の七面鳥を屠殺される運命から恩赦する行事は恒例となっている。

 或いは最近は日本でも「ハロウィン」というのを目にする様になったが、ハロウィンは秋の収穫を祝い、悪霊を追い出す祭りで、これを日本人が有難がってやっているのは不思議な現象だ。

 「勤労感謝の日」も「日本のハロウィン」だと思えば国民も分かり易いのかも知れないが、日本の祝日が米国の安っぽい休日の様になっていくのは悲しいことだ。

 「成人の日」や「体育の日」などの所謂「ハッピーマンデー」なる愚策は、左翼陣営が国體破壊を目的として施行されたものだが、これに自民党や保守を標榜する政治家が同調して来たのは御粗末過ぎる。

 国體破壊を目指す左翼陣営の最終目的は日本の重要な祝日である「勤労感謝の日」や「建国記念日」をハッピーマンデーにすることが狙いなのは明らかで、「連休がいい」などと安易な動機で語ることがあってはならない。

 ハッピーマンデーにされた「成人の日」にしても、何故1月15日なのかと言えば、この日が「小正月」であり、神道の儀式の一つ「元服の儀」が小正月に行われていたからだ。

 日本の祝日には夫夫意味が在り、国柄の分かるものはないのだ。

 GHQが日本の歴史や伝統、文化を否定することから始まった現在の「祝日法」を本来の在るべき姿に見直すことは喫緊の課題であろう。

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2012年11月23日

今こそ「平成の農本主義」を構築しよう!

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 今日11月23日は、勤労感謝の日。神々の加護と人々の勤労によって可能になる万物の生産を祝い、国民が互いに感謝し合う日だ。旧くは「新嘗祭(しんじょうさい、にいなめさい)」。11月下旬の卯の日とされ、明治6年以降は11月23日に行われることとなった。

 GHQの神道指令などもあり、昭和23年に、「勤労感謝の日」に改められた。因みに天皇の即位後初めて行うものを「大嘗祭(だいじょうさい)」という。宮中では天皇陛下が新穀を神々に供え、厳かに儀式を執り行う。

 県内でも「山ノ神講」として、山々の神に感謝し収穫を祝う行事が各地で行われるが、要は仲間同士が集まっての飲み会。俗に、口喧しくなった愚妻を「山の神」とも揶揄するが、頭が上がらず、いつも感謝しているという意味では神様も妻君も同じだろう。

 農水省に拠ると、一等米比率が年々低下し、コメ農家の収入に深刻な影響を及ぼしているという。それに加え県内産の米も原発事故での風評被害の影響が大きく農業関係者は四苦八苦している。

 だが、価格が下がることは消費者とっては有難いもので、今迄、安くて不味い米を購入していた人が一等米の味を覚え、消費拡大になれば御の字だ。

 生産者にしてみれば米価安での減収は、戸別所得保障制度で補填されるとはいえ手間ひまを考えれば気の毒と言う他ない。

 日本の米は然程高いものではなく、多少高くても地元の米を購入することが、延いては地域活性に繋がる訳で、消費者もそういったことにもっと目を向けるべきだろう。野菜然り、魚も然り。「中国野菜」など以ての外だ。

 次期総選挙では「TPP問題」が焦点になりそうだが、農水産業や農山漁村関係者が死活問題だとしてTPP参加に反対するのは理解出来るが、それよりも、如何に日本のものが安全で美味、且つ、地産地消こそが地域を活性化させるものだとの認識を共有し、啓蒙することこそが大事だと思う。

 今迄も、安易に農産物の輸入し色々と問題が発覚しているが、TPP参加によって、益々日本の農業は衰退の一途を辿るであろうことは火を見るより明らかだろう。日本人が当り前に食べている日本の米が消えるかも知れない危険を孕んでいるTPP参加は、国益を害するものであり、安易に容認すべきではない。

 国策としての農業振興と、食の安全保障や食料自給率の向上は急務だが、政府や国会議員など頭の中は景気対策やその場凌ぎの偽善ばかりが先行し、真剣に「農」を考える言葉は発せられない。「農業」とは愛郷心、祖国愛に繋がるものであり、愛情がそこには無くてはならないのだ。

 世界各国も、「農業」の保護政策が行われているが、「農は国の本」ということを自覚しているからで、ところが日本は戦後GHQによって「農本主義」的国家観は排除され、大輸出国の米国の戦略に嵌った儘、現在に至っている。その挙句に米国主導のTPPに参加しようなどとは狂気の沙汰と言う他はない。

 「国防」という国家の大本を米国に委ね、軍事的安全保障でも自立出来ず、「食料安保」でも自立出来ず、これで果たして真の独立国家といえるのだろうか。国創りと農業の関係を経済論で語ることは、「国家や郷土愛を放棄したものだ」と誹られても仕方ないだろう。

 我々は「平成の農本主義」を構築する為にも、安易な輸入物の購入を拒否し、国産物を購入し、自給率向上を真剣に考えるべきだ。考え方によっては「TPP問題」や「東日本大震災」は、戦後の魂無き経済的繁栄に終止符を打つべき天佑神助なのかも知れない。

 今日は、神々の加護と人々の勤労によって可能になる万物の生産を祝い、国民が互いに感謝し合う日であり、豊穣の秋に、家族や仲間と一献やりつつ、日本の在るべき将来像を語り合っては如何ですか。

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2012年11月22日

尊皇精神なき「日本維新の会」への幻想を捨てよ!

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 日本維新の会に「米田健三」という人物がアドバイザーで就いている。米田は元自民党の衆議院議員で、「タカ派」の論客として名を馳せた人物で、安倍総裁とも盟友だというがこれがとんでもない野郎なのだ。

 この米田、酒癖が悪いというか、酔うと皇室批判や侮辱を働くのはチョ~有名で、それもかなり悪質で確信的。国民新聞の山田氏や憂国の某弁護士から諌められたこともある一癖も二癖もある人物だ。

 米田は、拉致議連副会長のも就いたことがあり北朝鮮への制裁措置を主張したり、また対中強硬論者でもあり、防衛通としても有名だ。

 「外国人地方参政権問題」は「国の運命に最終的な責任を持ち得ない外国籍の方に参政権を与えるべきではない」と反対し、「人権擁護法案」についても、人権救済やプライバシー保護を名目とした言論弾圧につながりかねないと主張し反対し、「男女共同参画基本法」に反対し、「白い文化大革命」であると非難している。

 保守の論客としては至極真っ当な人物なのだが、こと「天皇観」となると、天皇は日本国家形成の過程で発生した一機関として位置付け、未来永劫護るべき対象とは考えてはいない様で、「皇統」など護るべき対象ではないという思想なのだ。

 保守色を前面に出し「永住外国人参政権」や「人権擁護法案」「男女共同参画社会」などに反対し、タカ派を気取ったところで、「尊皇」という根本が間違っているのでは到底賛同出来るものではない。

 平沼氏や西村氏ら真正保守を標榜する者は、「日本維新の会」のこうした認識を改める様に進言し、「皇統」を護る様に確約を取るべきで、それが為されず、曖昧なままなら袂を分かつべきだ。

 そういやこの米田の手法と石原や橋下のやり方が全く同じ。

 国内に在る真正保守待望論を逆手に取って、「尖閣問題」や或いは「核武装」や「非核三原則の見直し」などという勇ましい言葉で国民の潜在的保守感情を巧く利用しているだけ。

 歴史認識にしても、橋下は「侵略者の日本は未来永劫、アジアの方々に謝罪して行かなければならない」などとほざいているが、歴史や皇統という国家にとって一番重要なものが、高が「中央集権打破」や「地方分権」「道州制」という末の問題で、無視されてもいいのだろうか。

 やはり三島由紀夫が石原を「天皇廃止論者」と断じた様に、「日本維新の会」そのものが保守を纏った国體破壊の売国集団であると言っても過言ではないだろう。


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2012年11月21日

鳩山由紀夫を見てて「男の引き際」は熟熟大事だと感じるなぁ

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 鳩山由紀夫が総選挙に出馬しないことを表明した。抑々一昨年10月、首相退陣の際に言辞を実行するなら国民の評価も違ったろうが、何を今更という感じだ。政治家の言葉の重みを理解していないからだろうが、まぁ鳩山に限らず、今の時代、何処の世界を見渡してみても、実に「辞めっぷり」の悪いヤツが多い。

 小沢一郎にしても、先日の「政治資金規正法」の控訴審で無罪が確定したが、政治的、道義的責任は依然存在する。況してや小沢の政治資金の問題は「政党交付金(助成金)」の在り方が問われる問題であり、それらを一切議論せずに「政治とカネ」を語ることがあってはならない。

 「政治資金規正法」は議会制民主主義の根幹を成す法律であり、法律を創る側の政治家がその法律を巧妙にすり抜け蓄財に充てるなど言語道断。政治資金の実態を偽ることは、国民を欺いて政治判断を歪めることに他ならないのだ。

 小沢にしろ鳩山にしろ「秘書の責任は政治家本人の責任」と宣って憚らなかったのに、いざ火の粉が飛んで来るや否やそれらの言辞を翻し、全て秘書に責任を擦り付け知らぬ顔の半兵衛を極め込んでいるが、政治家の前に人としての人格が疑われるというものだ。

 小沢はその昔、政治資金の在り方に関し、自著「日本改造計画」で「先ず、政治資金の出入りを1円に至るまで全面的に公開し流れを完全に透明にすることである」と提唱し、同時に罰則の強化も主張し、違反の言い逃れを封じる為に「連座制」を導入すべきとも訴えていることも、都合よくすっかり忘れてしまった様だ。

 政治家に横綱の様な「品格」や「礼節」、或いは至高の技量を求めるのは無理な話かも知れないが、政治とは本来「最高の倫理であり、最高の道徳」でなくてはならないのもので、政治に携わる者は人としても最高でなければならないのだ。

 小沢や菅を始めとした恬として恥じることなく政治家の椅子にしがみ付く輩や、政治家として無能な輩に、国民挙って「引退勧告」「NO」を突き付けるしかないのだ。次の総選挙とはそういうことだ。

 鳩山は政界引退後、コメンテーターという立場で政治に口を出し御粗末且つ幼稚な自説を垂れ流すのだろうが、もういい加減恥を曝すのは止めるべきで、引退したら先ずは自国に対し敬意を払い、日本に生まれたことに感謝する為にも、「引退したら百姓をやる」と言った自分自身への約束を果たしなさい。

 まぁ皆さん、何事も男の引き際、辞め(止め)っぷりは大事ですぞ。そういえば菅直人はこの後に及んで未だ続けるつもりなのだろうか。


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2012年11月20日

石原慎太郎と橋下徹こそ究極の「天皇制廃止論者」!

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 石原慎太郎という男は言葉の過激さ故に、多くの国民はその蛮勇を称え「石原なら何かやってくれるのでは」という錯覚に陥る。

 石原はよく三島由紀夫と比べられることがあるが、石原には武士なら在るべき「礼節」や「尚武の精神」というものが備わってはいない。そこが武士道に通じる三島との大きな違いだろう。

 石原を右翼であり石原こそ保守だと勘違いしている人も多いが、譬えば天皇観に関して石原は、「天皇が国家の象徴などという言い分は、もう半世紀すれば、彼が現人神だという言い分と同じ程度、笑止千万で理の通らぬ戯言だということになる」と、天皇を「彼」呼ばわりしているのをみても保守というより国賊だろう。

 石原自ら提案した「オリンピック誘致活動」でも、皇居のライトアップなどという前代未聞の提案を公表したが、直ぐに宮内庁に咎められ、これに対して石原は「宮内庁如きの木っ端役人が決める問題ではない」と宮内庁を批判し、更に皇族の協力を要求する無礼も働いている。

 「宮内庁の木っ端役人」発言云々で思い出すのは、習近平の陛下との拝謁を画策した小沢一郎を思い出すが、石原も小沢と同じく、日頃から皇室を軽々しく思っているからこそこうした言葉が口を吐くのだ。

 更には東日本大震災後の記者会見では、「戦前の日本は天皇を現人神と崇めるなど可笑しな国だった。今の北朝鮮と大差がなかった」と、トンチンカンな自説を述べ、「天皇や皇太子、秋篠宮夫妻を名代として被災地への見舞いに差し向けるべきだ」と具申した。

 常々石原は、「陛下や両殿下」ではなく共産党員ばりに呼び捨てしているが、無礼千万とはこういうことだ。

 陛下は大震災後、御心を痛め国民に向かって御言葉を述べられ、被災した各地を巡幸遊ばされたのは言うまでもないが、態々石原が具申することでもあるまい。

 石原はその後、「陛下はその身の危うさを顧みることなく見事な君主として、そして見事な男として、その責を果たされたものだと思う」と取り繕うな発言をしているが、これもまた傲岸不遜な発言だ。

 国旗、国歌についても「日の丸は好きだけれど、君が代って歌は嫌いなんだ、個人的には。歌詞だってあれは一種の滅私奉公みたいな内容だ。新しい国歌を作ったらいいじゃないか。好きな方、歌いやいいんだよ」と、毎日新聞のインタビューに答えているが、これが石原の本音であり正体である。

 譬え「滅私奉公」だとして、それの何が悪いのか。今や「滅私奉公」という言葉は死語だ。自己犠牲を中心にした無理な生き方より自分本位の生き方が優先される時代に於いて、滅私奉公を想像させるのであれば結構なことではないか。

 三島由紀夫は石原慎太郎との対談「守るべきものの価値」で、「日本のアイデンティティーとして三種の神器、宮中三殿を守らなくてはならない」と発言すると、これに対し石原は、「またそんなことを言うの」と、三島を小馬鹿にし、国體や皇統を否定しているが、これを以てしても保守とは真逆の輩といえよう。

 三島はこの対談の終わりで「(開かれた皇室論などで)天皇の本質というものが誤られてしまった。だから石原さんみたいな、つまり非常に無垢ではあるけれども、天皇制廃止論者を創っちゃった」と厭きれ果て、石原を「べ平連の小田実と全然同じ人間だよ、全く一人の人格の表裏ですな」と言い放ち、石原の天皇に対する無理解を痛烈に批判している。

 橋下徹と石原慎太郎は国歌斉唱での起立強制などで如何にもタカ派的言行で国民を誑かすが、彼らこそ究極の「天皇制廃止論者」であり、国民はこうした似非保守に騙されてはならない。


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2012年11月19日

【政権交代】に飛びついた有権者が今度は【第三極】に騙される

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 渓流釣りがシーズンオフになり始めて来たウオーキングも流石に寒くなって出掛けるにも億劫になって来た。止めるにもタイミングが問題だよなぁ。寒いのは身体に悪いし、そろそろ考えねば。

 次期総選挙が行われれば自民党が勝利し、安倍総裁は平成になって18番目の総理に就くのだろうが、トップがこう頻繁に代わっては、外交上も国益を損ねることも多い。安倍政権が国益を重んじ長期に亘ることを期待したい。 

 何故こうも日本の首相がコロコロ代わるのかというと、低能マスコミの影響もあり、政党支持率も首相の人気もマスコミの気紛れな報道で左右されてしまうからだ。マスコミに媚びれば人気が出るし、凋落するのもマスコミの気分次第という構図になってしまっている。

 これは、政治がマスコミに煽られた国民の顔色一つで決まるという「大衆迎合主義」に陥ったという証左であり、危険な兆候であり、日本の政治が「三流」と言われるのはこういうことだ。

 何か事が起これば、その萌芽は日本にあると貶し、それを煽るマスコミ御用達の言論人が大騒ぎする構図をどうにかせなばならない。

 日本のマスコミというのはオチョクリに乗っかって何でも腐す。そういう冷笑的な態度を執ることが真のジャーナリズムだと錯覚している。こうした「低能ジャーナリズム」を糺すことが、政治を正すことになるのだ。 

 総選挙を機に無能な政治家どもが淘汰され、政界が浄化されれば勿怪の幸いだが、前回、連日の様に「政権交代で日本が変わる」という言葉が垂れ流され、有権者は民主党の中身も知らずに支持をした。

 そしてまた今回も、「第三極」という言葉でマスコミは有権者を煙に巻いている。大多数の有権者は、マスコミの提供する偏った報道に毎日接することで意思行動を方向付けられるが、「第三極」に流される有権者は少なくないだろう。

 マスコミにすれば、報道するものが見せたいものであり、誘導したいもので、報道しないものが国民に知らせたくないものなのだ。つまり、巨大な洗脳装置、誘導装置がマスコミであり、マスコミの垂れ流す報道を疑いもせずににどっぷり浸かっている人達こそが愚民政策の体現者なのである。

 何事も自分の目と頭で考えることが大事で、テレビが普及した時代、「一億総白痴化」などと揶揄されたが、その予見は満更間違いではない。

 マスコミが報じる情報を鵜呑みにしないで、重要な問題を自分自身で紐解き、判断出来る公正、無私無偏な目を持たねばならないと思う。そうすることで日本の政治家の資質も向上するに違いない。

日本維新の会代表に石原が就いたが、石原らが橋下に阿諛追従する姿は醜いを通り越して滑稽としか言い様がない。

 政治家に求められるのは一般国民とは比較にならない様な高い教養と国家観を持ち、世界観の中での日本の歴史観を大事にせねばならない。政治に携わる者は倫理観も道徳観も矜持していなければならないのだ。

 「政治とは最高の倫理であり、最高の道徳なのだ」。まぁそんなとこで、寒いですがチョッと歩いて来ます。


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2012年11月18日

日本国憲法第七条により衆議院を解散する!万歳~!


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 議長が「日本国憲法第七条により衆議院を解散する」と宣言すると同時に議場から「万歳~万歳~万歳」の声が発せられる。だが、「万歳」は「軍国主義復活」だとか「好戦的な象徴」だとして捉え、万歳三唱を拒む者もいるのは困ったものだ。

 最近の政治家は「万歳三唱」を嫌い「ガンバロー」などと叫ぶことが多いが、「万歳三唱」は陛下の弥栄を臣下が祈念するものであり、国民の代表である政治家が「バンザイ」を行うのは当然なのだが、その意味を知らない者も多い。

 萬歳三唱令「太政官布告第168号」が何時の時代に出回ったのかは定かでないが、施行日は明治12年4月1日公布と記されている。その「実施要領」には次の様に記されて在る。

 「基本姿勢は直立不動で両手は指をまっすぐ下方に伸ばし体の側面に確り着ける」

 「万歳の発声とともに右足を半歩踏み出し、同時に両腕を垂直に高々と挙げる。その際、両手の指をまっすぐに伸ばし両掌を内側に向けておく」

 「万歳の発声終了と同時に素早く元の直立不動の姿勢に戻す」「以上の動作を三度、節度を持ち且つ気迫を込めて行う」

 この「万歳三唱令」には御名御璽の押印も在り、それらしく出来ているのだが、全くのデタラメだというから驚いた。

 その昔、右翼の先輩で横浜在住の平澤某から「万歳三唱令」を教わり、「なるほど、こりゃいい」と皆に自慢げに教えていたのだが、ネット右翼から指摘を受け、「太政官布告」を調べてみたら168号なるもの無く、贋物だと知った。

 しかし、ネット右翼という人達はマニアックというか実に勉強している(笑)

 明治開国の頃に発布したという「太政官布告」には「御名御璽」を軽々しく扱ったものが多く存在する。

 孝明天皇薬殺疑惑や「錦の御旗」も勝手に創ってしまったという長州藩だも、「御名御璽」の押印の偽造なんてのは朝飯前、「勝てば官軍」、どさくさの時代、何でもアリだったのかもなぁ。

 「万歳三唱」には逸話がある。

 明治初期、明治天皇御臨席の下、訓練観閲が千葉の軍事錬兵場(現・習志野市)で挙行され、全軍の兵全員で「天皇陛下萬歳」を三唱した。この時の篠原国幹近衛長官の指揮能力に陛下は甚く歓心した。

 千葉県「習志野」という地名は、この卓越した篠原の指揮能力と将兵の錬度の高さに感動された明治天皇が「諸官等も篠原(志野原)に習え」と述べられた為に、この地を「習志野」と名付けられたということだ。

 万歳の指揮を執った篠原長官は、明治6年に「征韓論」が破裂して西郷隆盛が下野すると、明治天皇の引き留めの命にも従わず、近衛長官の職を投げうって鹿児島へ帰国することとなる。

 「陸軍士官、相去るもの此の如きに於ては、慮なき能はず。但だ篠原少将の在るあり、桐野等去るも、猶未だ憂ふるに足らず」と存在自体が高く評価されていたので、この帰国は政府・軍関係者に大きな衝撃を与えたという。

 陛下の薫陶を享けた西郷も篠原も西南戦争で敗れ、賊軍とされた。その後、名誉は回復したとはいえ、靖國神社には祀られることはなかった。この事実を以ても、長州閥の新政府が如何に非情だったか察するに余りある。

 賊軍の将の「天皇陛下万歳」を称えるが如くの「萬歳三唱令」は、篠原亡き後、その意を汲んだ草莽の臣により作成され公布されたのではなかろうか。

 「万歳三唱令」は実に素晴らしいもので、皇国臣民としての気概や誇りを感じるものだ。「贋物」と一笑に付すのは簡単だが、「万歳」の意味を国民に教える意味でもどうにかならないものだろうか。

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2012年11月16日

講演「元行動右翼に聞く日本の歩むべき道」(要旨)

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 佐久間五郎でございます。本日はお招き頂きまして、また多くの皆様方の御参会を賜りまして誠に有難うございます。自分の講演に合わせたかの様な野田総理の解散表明で、愈々自民党が政権を奪還する訳ですが、安倍総裁らは政権奪還で満足しててはダメなんです。政権を取り返したら何を成すべきなのかなんです。今日は自民党青年部主催ということですから自民党がやるべきことというものを憲法問題を中心に分かり易く話して行きたいと思っています。政治で大事なのは「教育」であり「国防」です。「子ども手当」や「児童手当」など政治家がカネの分配ではなく将来を担う子供達に如何にして誇りの持てる教育をするか、自民党新綱領にも在る様に志の高い日本人を創るかが大事なんです。国防とは単に領土を守ることではありません。領土を守ることだけなら共産党でも出来ます。領土だけなら自民党などより共産党の方がまともですよ。北方領土も歯舞、色丹、国後、択捉の四島ではなく、全千島列島と南樺太の領土主権の正当性を訴えていますからね。国防とは三島由紀夫はこう言っています。「それを亡くしてしまったら日本ではなくなってしまうものを守り抜くこと」。それは日本という国柄であり、歴史伝統文化であり、未来の子供達であり、そして何より皇統なのです。 まぁ普段なら酔っぱらってる時間なので酒でも飲みながらやればペラペラ喋れるんですが、まぁそれでも安倍総裁よりは滑舌はいい方だと思いますので、どうか最後までお付き合いの程を宜しく御願い申し上げます。
 私が政治に興味を持ったのは、死んだ親父の影響で中学校二年生の頃でしょうか。親父も自民党員でありまして、親父の持ってくる自民党の機関誌「月刊・自由民主」を何気に読み出し、当時はハッキリしたことは分かりませんが、「自主憲法制定」だとか「憲法改正」「日米安保条約」「靖國神社」「北方領土」或いは「日教組は如何に悪いか」といった言葉に興味を抱いたのが最初でしょうか。また、中学校時代の担任が高橋寅彦、副担任が遠藤四郎と、名うての日教組組合員。遠藤四郎は退職後、日本共産党公認で出馬し二本松市議になったことを見ても自分が右翼に傾倒して行くのは当然と言えば当然だったんです。そんな環境で中学校時代を過ごした訳ですが、「自由民主」に書かれていることや親父の言うことと先生が言うことが違うんですね。こうした疑問を抱いたのが益々政治に興味が湧いたんだたと思います。ある日、担任の寅彦が突然、「オメら、天皇は自分のことを何ていうか分がっか」と言うんで、「朕だべ!」と応えると、褒めるのかと思いきや「そうだ、チンポコのチンだ」と言ったんです、クラス中大爆笑。或いは天覧相撲が行われると、日教組ってのは日本の歴史や伝統・文化というものを否定しておりますから、「相撲ってのはバカが取って悧巧が見るっていうが、あんなのはバカが取ってバカが見るんだ」。他にも陛下や皇室への罵詈雑言ばっかでして、まぁ今ならブっ飛ばしますがね。こうした「反天皇制運動」というのをちょくちょくやってたのが日教組なんです。
 中学校三年生なった春、珍しく機嫌よく教室に入って来た寅彦が、「今日はめでたい日だな、何でか分かるか」と言うんで、新聞に「ベトナム戦争終結、米軍撤退」と書いてあったのを思い出し、「アメリカ軍撤退がそんなに嬉しいか」と言うと、「オメ~はおかしいんだ、バカヤロウ」と怒られたのを覚えています。因みにベトナムは元々「清」に朝貢してた国なんですね。清が日清戦争で敗れますとベトナムをフランスにくれてやるんです。そこで、ベトナムの愛国者・ファン・ボー・チャウという人物が日本を訪れるんです。対応した犬養毅にファンは「助けてくれたら朝貢する」と申し出るも、その頃、日本はロシアと戦ってる最中ですからそんな余裕もない。犬養はこう言うんです。「自分たちで何もせずに助けてくれなどとは都合が好過ぎるのではないのか。自分の国はどんなに犠牲を払おうとも自分たちの手で守るものだ。自分たちでどうにかするというのであれば協力は惜しまない」。そう言うとベトナムから若者らを受け容れ、世界を教え、そして戦い方を教えるんですね。結果、ベトナムはフランスを追い出しますが、その後、米国が侵攻して来るんです。その米国も追い払うと、次には中国人民軍が侵略をして来るんですね。ベトナムはこの「中越戦争」にも勝利を収める訳です。軍事力に乏しいベトナムが戦争で負けたことがないというのは、ベトナム人の士気の高さも在るでしょうが、日本の教えが好かったからなんですね。中越戦争で敗戦した中共の最高指導者の鄧小平はその後、ベトナムでの失敗を教訓に軍事大国化の道を選ぶんですが、チベットやウイグルなどでの弾圧や尖閣や南沙諸島への侵略・威圧行為は、別な意味で、日本がベトナムへ「戦い方」を教えなければアジアの勢力地図も変わっていたかも知れません。「自分の国はどんなに犠牲を払ってでも自分たちの手で守らなければならない」と教えた日本でしたが、今や「国防」という国家の大本を米国に委ね、まやかしの平和や繁栄に現を抜かしているというのは皮肉なことです。
 そんな中学時代を過ごし、高校は二本松工業高校、大学は国士舘大学。何故国士舘に入り右翼団体に入ったのか、この辺りを話していますと時間が足りませんので割愛します。タイトルにも在りますが、「行動右翼」とか「右翼」っていうのはと、右翼の実態を知らない人も多いでしょうし、興味のある人もいるでしょうから、そういうことを少し話そうと思います。抑々「右翼」「左翼」というのはフランス革命で保守が右側の席に革新派が左側に座ったことから出た言葉で、まぁ日本の幕末に当て嵌めれば徳川幕府が右翼、薩長土肥の討幕派が左翼ということでしょうか。 現在「右翼」というのは蔑視、侮辱の言葉ですが、左翼というのは自分達が進歩的で自分達こそ革新的だと勘違いしてるから「恥」どころか自慢なんでしょうね。
 右翼というと大日本愛国党とか赤尾敏や社会党の浅沼稲次郎を刺殺した山口二矢などを思い浮かべる人もいるかと思いますが、自分が所属していた団体は「防共挺身隊」という団体で、福田進という人が昭和29年に設立した政治結社です。防挺は昔、愛国党の城南支部も兼任していましたが「赤尾は完全な資本主義」だと袂を分かちます。山口二矢もやはり「愛国党の運動では日本を救えない」と吉村法俊さんと中堂利夫さんといった先輩らと脱党し「全アジア反共青年連盟」を結成するんですが、如何せん生活費もありませんからその面倒を福田が見てたんですね。 山口二矢は犯行時は17歳で大東文化大学の学生、日本を救うには左翼の煽動者や阿る連中に天誅を加えなければと、先ず日教組委員長の小林武、日本共産党・野坂参三、日本社会党・浅沼稲次郎、自民党・鳩山一郎、石橋湛山、社会党・松本治一郎の6人を狙うんです。「紀元節反対」を論じている三笠宮殿下に対しても御反省を求めています。浅沼は三番目でしたが、日比谷公会堂で立会演説会が行われると聞き急遽向かうんですが、入場するには入場券が必要で、諦めようかと思っていると、学生服を着た若者が可愛そうだと、受付にいた人が余ってたチケットを渡す訳です。結果、テロということになる訳ですが、運命というのは偶然と偶然が重なりあって必然になるものだと私は思っています。
 供述調書を取り終えた山口二矢は収容先の練馬鑑別所で「七生報国」「天皇陛下万歳」そして辞世の句を残して従容として自裁するのですが人としても立派だったと思います。この事件は昭和35年、自分が生まれた年でありますし、感慨深いものがあります。人間とは「どれだけ生きたかではなく、短くともどう生きたか」だと思います。尊敬する人物は、アドルフ・ヒトラー、児島高徳、吉田松陰、山鹿素行、西郷隆盛でして、皆さんは、まぁヒトラーとか吉田松陰、西郷隆盛なんかは知ってるでしょうが、山鹿素行とか児島高徳という人は知らない人も多いのではないでしょうか。時間があれば説明しますが、そういった時間がありませんので詳しいことは各々調べて下さい。
 福田進総隊長の父親は福田素顕、本名「狂二」、元社会主義者で軍部から弾圧を受け、支那に亡命するも国家社会主義に転向し「防共新聞社」を創刊します。この防共新聞社の行動隊が防挺でした。この防挺の名前を初めて知ったのは高校二年の時でありまして、当時、福島市で日教組大会が行われるというので、授業を抜け出して態々見に行ったことがありました。当時は宣伝車の上に乗るのが禁止されていませんでしたので、宣伝車の上からビラは撒くは爆竹は投げつけるはそれはもう凄いものでした。その為に街中に防護ネットが張り巡らされて、街中が騒然となっていました。その中で異彩を放っていたのが防挺で、当時は新聞雑誌などで「総会屋右翼」と呼ばれていまして、自分も「総会屋」にも興味があったし、入るなら此処だなと思っていました。人生は邂逅の一言に尽きるといいますが、ある人物に出会いそうした道に入る訳ですが、この辺も割愛します。
 初代総隊長の福田進を一躍有名にしたのが、国会議事堂での「人糞事件」です。共産党員と共産党被れの国会議員5、60人にクソ塗れにした事件なんですが、これはやられた方は屈辱ですよ。刺されたり、撃たれたり、殴られたりなら未だ「男子の本懐」ってな具合でしょうが、クソ塗れですからね。この事件で、懲役3年ほど務め上げ、出所すると三菱商事に顔を出したといいます。担当に「オヤジ今日はナンボ欲しいんだ」と言われた福田隊長は逮捕前には1、2万円程度でしたから本人は五万円のつもりで片手を出したそうです。するとその担当が持ってきたのが50万円。今から50年ほど前の50万ですから相当な額だと思います。福田は「よし、俺の価値が上がってる。ウンコ撒いたら運が付いた」 ってな具合で企業を回るんですね。企業にしてみれば当時は「べ平連」やら「中ピ連」など左翼や胡散臭げな連中が一株株主として騒いでいましたから、防挺の様な右翼団体を利用した訳です。警備会社なんてその頃はないし、民間企業を警察が一々警護する訳には行きませんからね。企業防衛ですが、その後、福田進はマスコミからは「右翼総会屋」と言われる様になって行く訳です。
 この福田進の若さと行動力を認め寵愛したのが隣町の本宮出身の「政財界の黒幕」と言われた児玉誉志夫です。戦前は海軍航空部門の物資調達を任された人物で、「児玉機関」、右翼の大物と言われた人物で、GHQに逮捕され「A級戦犯」。GHQは占領下に日本国内の右翼を潰そうとする訳ですが、大東亜戦争が終わりますと、各地で共産党による革命や暴動が起こるんですね。日本国内でも同じ、GHQは方向転換し、右翼を「反共」の為に利用するんです。同じA級戦犯だった笹川良一も同じです。児玉は戦後、関東軍の闇資金を日本へ持ち帰ったとされています。児玉は鳩山一郎の「日本民主党」の設立資金を提供。その後、「日本民主党」と吉田茂の「自由党」が合併し「自由民主党」が誕生する訳ですが、この自民党の結党資金にも児玉誉志夫の闇資金が使われています。自民党が結党するに当って、児玉が突き付けた条件は唯ひとつ、「自主憲法の制定」だったのです。
 日本国憲法は「平和憲法」と言われますが現在の憲法は実に矛盾だらけで国の基本法としては機能しておりません。この日本国憲法を共産党や社会党、九条の会などの「護憲派」は「世界で唯一の平和憲法」だとよく言いますが、「平和主義」というのは第二次世界大戦後に国連で可決された「不戦条約」が基となっています。米英を始め多くの国が可決し、80か国以上の国が憲法で「平和主義」を謳っています。 イタリア、スペイン、エクアドル、フィリピンには日本と同じ規定がありますし、誤憲派がいう「世界で唯一の平和憲法」というスローガンは誤憲派の驕りであり、単なる無知に他なりません。
 大体、前文では「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して生命の安全と財産を守ろうと決意した」などという下手くそな日本語が書かれていますが、平和を愛する諸国民の公正と信義が本当に全ての人にあるのならば「警察」なんかいらないですね。しかし、現実には警察が存在していますから治安は守られ、生命の安全と財産が護られ公共の福祉が守られているんです。 現憲法というのは前文から意味不明でありまして、また有名な第9条第一項には、「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と武力による威嚇または行使は国際紛争を解決する手段としては永久に放棄する」と書かれています。国際紛争を武力による威嚇や使用では解決しないという理想は理解出来ます。しかし第2項で、在る筈の軍事力や交戦権という権利を否定しまっているんですね。「前項の目的を達成する上で陸、海、空の戦力は保持しない。また国の交戦権これを認めない」、これに従えば、自衛隊は本来は認められず、憲法違反の存在ということになってしまうのは小学生でも理解出来ます。ならば、改正すればいいんです。憲法を見直し、自衛隊を国軍としての地位を確立させるべきなんです。「集団的自衛権」の憲法解釈以前の問題です。
 現憲法というのは何より、第一条が酷いんですね。「主権在民」「象徴天皇制」を謳っているんですが、「天皇は日本統合の象徴であって、それは主権の存する国民の総意に基づく」と在る訳です。日本共産党は天皇の存在を否定していますから、この第一条は「我々が反対しているのに総意ではないだろう。よって天皇は憲法違反の存在なんだ」という屁理屈を抜かすんですね。無礼にも国会が開催されますと天皇陛下が御臨席遊ばされ、お言葉を述べられる。その際共産党は必ず欠席します。衆参の議長も総理大臣も、こうした共産党の無礼を咎めたこともないんですが、しかし、この共産党の屁理屈は法治国家という日本で、憲法上は正論なんです。だったら、直せばいいんですよ。私は憲法改正派でもなく自主憲法制定派でもなく「第日本帝国憲法復元改正派」なんですが、欽定憲法第一条は「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と在るんですが、大日本帝国を「日本国」に代え「日本国は万世一系の天皇が統治する」とすればいいんです。
 政治家が靖國神社への参拝することは第20条違反に問われるものです。しかし、何処の国に国家の為に尊い命を投げ出された英霊に、国民の代表である政治家が感謝の誠を捧げるのは当たり前で、「憲法違反」になってしまうバカげた国が在るでしょうか。靖國神社というのはGHQの統治下で行われた「神道指令」で解体されそうになった訳ですが、智慧で一時的に御祭神を変えGHQの目を逸らす訳です。本来なら昭和27年4月28日、主権が恢復した日に靖國神社や全国の護国神社は宗教法人ではなく国家で管理する様にすべきだったのですが、そうしたことも怠ったのは政治の怠慢、自民党の無能なんです。また、所謂「A級戦犯分祀論」なる問題が度々聞かれますが、これも靖國神社側への政治介入であり威圧行為ですから憲法20条違反になるのです。中曽根を始め「A級戦犯分祀論」を唱える政治家は後を絶ちませんが、最近では前原誠司や石破茂がこの条文に抵触しない様に、畏れ多くも天皇陛下の御親拝という尤もらしい理由を述べています。靖國神社側が自ら静謐な環境をつくることが望ましい」などと言っておりますが、こうした政治介入や威圧行為に靖國神社側が応じることはないでしょう。
 先日、田中真紀子が秋田公立美術大学、札幌保健医療大学、岡崎女子大といった三大学への認可に待ったをかけました。てっきり営利に狂奔する現在の大学の在り方や憲法違反の「私学助成金制度」や、文部省官僚の天下りの構造にメスを入れるのかと思いきや、結局はいつもの通りの単なる思い付きで、大騒ぎになったら直ぐに撤回。尤も朝鮮学校の無償化を謀る田中真紀子だものそこまでの知恵などあるはずはありません。 「公金その他の公の財産は公とは異なる団体や教育に拠出してはならない」と憲法89条にあります。国とは係わり合いに無い私立学校や、或いは朝鮮学校へ血税を投入すること、所謂「私学助成金制度」はこの89条違反なんです。カトリック系の大学では公然と「国旗は侵略の旗だ」とか「君が代は天皇賛美だ」という教育が施されていますが、こうしたことをチェックせずに、なし崩し的に公金を流入して行くというのは如何なものかと思います。
 真紀子の父、田中角栄が日中国交回復をした際、「日華国交条約」を一方的に破棄したんですが、これは明らかな第98条違反です。98条には「如何なる理由があろうとも我が国が締結した条約は破棄してならない」と明記されてます。田中角栄はこれを平然と蹂躙した訳ですが、マスコミからも他の政治家からも誤憲派からも、これを追及されたことはありません。抑々日本が戦ったのは中華民国であり、戦後の昭和24年11月に建国した中華人民共和国ではありません。戦勝国側のカイロ会談には当然蒋介石が出席してるんですね。中華民国とは主権が恢復した27年4月28日の「日華国交条約」を締結し和解が成立しているんです。田中は「日中共同声明」で、「先の大戦では中国国民に甚大な被害を与えた責任を痛感し深く反省する」と述べるんですが、これが歴史認識の悪しき前例になってしまってるんです。安倍総裁は河野談話の見直しを表明していますが、日本の歴史認識の元凶となった田中のこの発言も見直さなければならないと思います。
 憲法の改正要綱が第96条に在ります。日本国憲法は改正出来るんです。しかし、「国会議員の3分の2以上が発議し、国民の過半数の同意」と在りますが現実的には非常に面倒な手続きを要するのです。96条に基づき国会議員が発議すれば「天皇及び摂政、国務大臣、全ての公務員は憲法を遵守しなければならない」との第99条違反に問われます。今迄、国会で憲法論議がされないのは、護憲派がこの条項を楯に抵抗し、他の予算や法案を優先する余り、「私の内閣では憲法を順守します」などといった国民不在の議論が繰り返されて来たのです。 因みに欽定憲法には改正条項はこう書かれて在ります。「国会議員の三分の二の出席且つ三分の二の可決」で憲法は改正出来るんです。国民の代表である国会議員が決めればいいんですよ。国民の同意など必要ありません。
 憲法を見直す絶好の機会は、主権の恢復した昭和27年4月28日だったのですが、25年に「朝鮮戦争」が勃発するんですね。周知の通り、日本が敗れますと、朝鮮半島は38度線より南側を日韓併合前より反日活動をし、大東亜戦争時には米国で反日活動をしていた李承晩が米国の意向で初代大統領に就任、北朝鮮は抗日活動家だった金日成がソ連の傀儡として支配されます。長くなるので近代史は割愛しますが、昭和25年、朝鮮戦争が勃発しますとマッカーサーから吉田茂に手紙が届くんですね。「日本も再軍備を急ぐべし」という内容の手紙です。所謂「マッカーサー文書」。日本の対応は早く、この手紙から一ヶ月後に自衛隊の前身である「警察予備隊」が発足、その後「保安隊」が創られて行くんです。吉田茂はこのままずるずると米国の要請を受け入れれば戦争に巻き込まれるのではと危惧し、ここで日本国憲法を利用するんです。「我々には貴方方が創ってくれた憲法が在る。この憲法は非武装を謳い、武力による国際紛争の解決を否定しているんですよ」とマッカーサーの要請を拒否したんです。朝鮮戦争が停戦するのは昭和28年11月ですから、主権回復した日に憲法改正が出来なかったのはこうした理由です。
 成分憲法のある世界の国の中で最も古いのは1789年の米国ですが、ノルウエー、ルクセンブルグ、スイスと続き、1946年発布の日本は15番目ですが、一字一句改正されていませんから日本国憲法は今や世界で最も古い憲法なのです。大日本帝国憲法は「3分の2以上の出席、且つ3分の2以上の可決」で改正は出来るとしていますが本来ならこれでいいんです。何処の国でも時代の流れに応じて憲法を変えて行くもので、環境問題、情報公開、プライバシー保護、国家の安全等々、憲法を施行した時代からは想像もしなかった程社会は激変している今。一刻も早く現憲法を破棄し、日本国民の手による日本国民の為の憲法制定を急がなくてはならないのです。
 安倍さんは前回の政権時に憲法改正に必要な「国民投票法案」を成立させています。自民党が政権を奪回して先ず安倍総理が目指すものは憲法改正なんですが、今話した様に現憲法は矛盾だらけですから、改正するにも労力も時間も要るんです。石原慎太郎が「現憲法無効論」を主張していますが強ち間違いではありません。
 現在、国会では憲法議論や教育論は語られることなく、「選挙制度改革」やら「国債特例法案」などが尤もらしく議論されていますが、国債法案にしても結局は国債発行の利息を賄うための国債発行では悪循環を売り返すだけなんです。日本の税収は今や40兆円程度。にも拘らず約100兆円の予算を計上しています。医療費だけで約35兆円、残り5兆円では社会保障費も教育費も国防費や公共事業費も、そして年間20兆円という国債の利息分はどうするのか。今や国防費より生活保護費の方が多いということはどう見たって異常なんです。目先の改革をしたところで日本の悪循環を断ち切ることは出来ないんですね。
 昔、薩摩藩に調所笑左衛門という人物がおりました。元々は茶坊主なんですが経理に長けてたということで勘定方に取り入れられるんですが。江戸時代末期、薩摩藩主の島津茂秀は「西洋かぶれ」で有名な殿様で、今でも鹿児島に行きますと「天文館」という地名が在りますが、そうしたものやら「博物全書」など、こういうものにカネを湯水の様に使うんです。そこで出来た借金が500万両、藩の税収はたったの15万両、年間の利息だけで50万両ですからもうどうしようもない訳です。そこで笑左衛門は「借用書を確認したいので登城する様に」債権者に通知を出すんですね。債権者というのは商人、大店です。笑左衛門は借用書を預かると火鉢に中へポンと捨ててしまうんです。驚いたのは商人の債権者、相手は侍ですから怒る訳にもいかない。笑左衛門は藩の事情を説明し、「もう利息は払えない。500万両を年2万両で250年で支払いする」という条件を出し、商人も承知するんですね。その後藩主に就いた島津斉彬が産業を起こし藩の財政を立て直すのですが、その後に薩摩藩は明治維新の主役に躍り出て明治維新の大業が成される訳ですが、笑左衛門のこうした機転がなければ薩摩藩は破綻し、日本の開国も成されなかったかも知れないと思うと、やはり笑左衛門こそ薩摩藩どころか日本を救った英雄ではなかったのではと私は思うんです。因みに年2万両の支払いは約30年間約束通り支払われましたが、廃藩置県で反故されるに至ったのは言うまでもありません。
 また財政再建で有名なのは米沢藩第九代藩士上杉鷹山ですが、鷹山は逼迫する藩の財政を改革に立ち上がりますが、その際、次の言葉を詠んでいます。「受け継ぎて 国の司の身となれば 忘れまじきは 民の父母」そして鷹山が、先ず手を付けようとしたのが領民の心。「単に帳簿上の赤字を克服すれば財政再建が出来るという訳ではない。今は困窮の余り、この国の人々は目先の利益のことしか考えず、他人のことを思い遣れなくなっている。人々の心にも赤字が生じてしまったのだ。此れを克服しなければ、喩え帳簿上の赤字を克服したとしても、また同じことを繰り返すだろう」 どうですか、現代にも当て嵌まると思いませんか。 二宮尊徳も、「経済なき道徳は戯言であり、道徳なき経済は犯罪である」と訓えていますが、政府が今やるべきことは財政再建も当然ながら、同時に「道徳教育」の徹底を図るべきなのです。道徳教育の第一歩は幼年期の「躾」。そして、日本の道徳教育の根本は「教育勅語」に示されている忠孝の道を確立することです。
 政治家が尊敬されない国は潰れるといいます。日本の政治が三流と言われるのは進歩の無いマスコミに原因が在るんです。オチョクリに乗って何でも腐す。そいいう冷笑的な態度を執ることが真のジャーナリズムだと思っているんですが、こうした低能ジャーナリズムを糺すことは大事なんです。TVが普及して来た際に「一億総白痴化時代が来る」と揶揄されましたが、テレビはなるべく見ないで、新聞や本、今はネットが普及していますから確かな情報を自分自身で読んで、自分自身で判断するということが大事なんです。次の総選挙で自民党が政権の座に就くのは間違いない訳ですからどうか、今日言った憲法の問題を大いに語り、そして自民党綱領に在る志の高い日本人を創ることが大事です。政治でやるべきことは「国防」と「教育」なのです。

 まだまだ話したいことは尽きないのですが、時間になりましたので終了させて頂きます。本日は皆様方の御参会と御静聴を心より感謝申し上げ、私の拙い講演とさせて頂きます。御静聴ありがとうございました。(※文字数に限りがありますので一部削除させて頂き要旨を纏めてみました。御参考に!)
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2012年11月15日

爆ちゃん、政治評論家としてデビューす(爆)

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 昨日は態々大阪から国士舘大学の後輩の高田功氏が来郡。ということで、馴染みの「春鮨」~「平亀」~「D」~「辰美」の四件はしご。平亀で呑んでいると、久々の郡山市議で友人の大城宏之氏が登場、「新聞投稿読んでますよ。いいこと書きますよねぇ」に酒が進む(単純)

 大城氏は亜細亜大学の野球部出身で、東北地区のOB会の支部長もやっているというが、当然大学野球にも詳しいが、地元の高校野球解説などでも有名なの地元の名士。こういう政治家ばかりだと世の中明るくなるのだが、政治家よりも人としてどうなのかというヤツばかり。

 高田氏も国士舘の野球部OBで、大城氏と色々と大学野球の話で盛り上がっていた様だ。その後、その道の梅本兄ィが陣屋界隈で友人らと誕生会をやってるというので乱入し、久々カラオケなどで盛り上がる。

 その後は「辰美」で今や郡山市の名物となっているB級グルメの「カレー南蛮蕎麦」で〆て、高田氏をホテルに送り帰宅した。明日は講演会だし、ゆっくり眠ろうと思ったが、いつもの様に4時過ぎには目が覚めたが、やはりいつもの様に、否、いつも以上に飲み過ぎた様だ(笑)

 愈々本日、自民党岩代支部青年部主催の愚生の講演会が開催される。愚生の講演会に合わせたかの様な野田総理の解散表明で話そうと思っていた内容を修正せざるを得なくなった(爆)

 講演会といってもどうせ地元の自民党青年部だし精精2、30人くらいだろうと思っていたら、実兄に聞けば「300人は入る会場だから結構来るよ」とのこと。まぁ少ないよりは気持ちがいい。

 民主党というのは輿石支配というのは言うまでもないが、輿石と密談したところで大反対されるのは必至。ならばテレビ公開される党首討論で言ってしまえということだったのだろう。こうなると輿石はお手上げ、野田もしてやったり、どうにか最低の総理としてのメンツは保った様だ。

 それにしても、野田は声はいいし、演説というか討論は上手いな。幼少期に親父に見せた通知表のエピソードなんて、ありゃウマすぎだろ。

 「成績は下がったが、評価欄に『野田君は正直の上にバカが付く』と書いてあった。それを見て親父は喜んでくれた」なんてセリフはシビれたねぇ。

 負けると分かってながら解散を決断した野田の判断はある意味英断だと思う。選挙になれば民主党議員の多くは消えてなくなるのは結構なことだ。

 次の総選挙では有権者は候補者の人となり、そしてその候補が日本の将来の為に何をやってくれるのかじっくりと観察して投票して欲しいものだ。 

 自民党にしても目標が「政権奪還」だけではダメで、政権に就いたら何を成すべきか、安倍総裁は「誇りの持てる子供達を育てる」と公言しているが、志の高い日本人を創るということこそ最重要課題である。

 今日の講演会のタイトルは「元行動右翼が語る日本の歩むべき道」、憲法論を中心に政治家が成すべきことを熱く語ります。乞う御期待下さい!

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2012年11月14日

「太陽の塔」じゃない「太陽の党」だってよ


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 「たちあがれ日本」を母体にした新党の新しい「太陽の党」という名前を聞いて思わず愕然とした。というより余りにセンスの無さに失笑したというのが本音か。裕次郎も草葉の陰で「アニキ、そりゃね~だろ!」って笑ってるに違いない(爆)

 石原慎太郎や同道する平沼赳夫が、真の保守政党、保守の第三極を目指すというなら奇を衒う様なものではなく、日本の歴史、伝統、文化に基づいた政策を堂々と掲げ、国民に日本が歩むべき道を示すべきで、党名ももっとシンプルなものにするべきではなかったのか。

 三年前の総選挙で自民党が惨敗し民主党政権が誕生したが、民主党が政権に就くと、面白いもので余りの売国性に気付いた国民の間から「真保守政党待望論」が湧き出て来た。さらにはネット右翼なる人種も殖え、今や「国民総保守化」とでも言うべき時代になった。

 自民党が政権から転げ落ちたのは、保守を標榜しながらも何ら保守的な政策を実行出来ず、国民から見切りを付けられた結果なのだが、国民もまた民主党の正体も知らず、「政権交代で日本を変えて欲しい」という単純な図式で民主党を支持してみたものの、民主党は自民党よりももっと酷かった。

 自民党や民主党という「でもしか政党」しか選択肢のない国民は何かに縋ろうと、日本維新の会や太陽の党、みんなの党などの第三の政党を選ぶかも知れないが、それも所詮は「でもしか政党」なのだ。

 前回の総選挙前、「自民党への不満、民主党への不安」との揶揄は思わず膝を打ったが、民主党への「不安」は益々募り、自民党への「不満」は未だ消えることはない。今こそ、真の保守政治家の団結を急がねばならないと思うが、隔靴掻痒の感は否めない。

 抑々、石原の唱える保守と平沼の唱える保守では違うのではないのか。石原は「新保守」であり、平沼は正当な「真保守」だ。

 共同代表の平沼氏も、もっと前面に出て堂々と天下国家論を述べ、自民党や民主党にいながら埋没している国家観を共有する政治家との真正保守の再興を目指すべきだと思う。

 石原は「小異を捨て、大同に就こう」と第三極の結集を訴えてはいるが、何か目先の選挙ばかりを気にしている様で安っぽく感じてしまうのはちと穿ち過ぎか。

 「安政の大獄」で牢に繋がれた吉田松陰が、長州が一時的に幕府に恭順した時期に於いても草莽の民の崛起を信じ続け、やがてそれが明治維新に至った例に倣って、真に志のある者が団結することこそ大事だと思うが、石原ばかりが独り歩きしている様に感じる。

 「正統の保守主義者に於いて時間を体験する仕方は、過去の意味を直視し、その中に価値を見出す発見によって未来を創造して行くものである」

 「太陽の党」という名前を何度聴いてみても、頭の中には岡本太郎の「太陽の塔」しか浮かばない。「芸術は爆発だ!」「政治も爆発だ!」な~んてね。呵呵。

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2012年11月11日

「投資はそれ以上の税収を生む」ということを知ってますか

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 財務省は、国債や借入金などの残高を合計した「国の借金」が9月末現在で983兆2950億円に膨らんだと発表した。

 前回公表した6月末から7兆1098億円殖え、推計人口(1億2753万人)で割ると、国民1人当たり771万円の借金を背負っている計算になるという。

 国債は国民の資産でもあるが、「国の借金」というトリックが多くの国民を惑わし続けているというのが真相だ。

 マスコミは「国民一人当たり」という数字を出し、これを以て日本は経済危機だと煽るが、日本の純資産残高(債務残高から金融資産を引いた数値)は欧米に比べれば然程悪くはなく、日本の国債は95%以上を国民が購入している点を見ても、世界に比べても深刻な経済危機ではない。

 多くの国民はマスコミの報道を鵜呑みにし、「投資がそれ以上の税収を生む」ということを知らないから「公共投資はダメ」とか「赤字国債の発行もダメ」といった妄言やインチキ経済評論家の「似非経済危機論」を信じきっている。

 確かに財源不足は深刻で、国の税収は約40兆円程度。国家予算は約100兆円が必要だから、残り6割ほどを新規国債に頼らざるを得ない状況だ。

 慢性的な赤字国債発行は殖える一方で、この状況をどうにかしなければならないのだが、国会では「国債特例法案」という目先の予算獲得に躍起になっているだけで、国債の在り方という肝心な議論がなされていない。

 発行済みの国債の利息は年約20兆円で、この額は税収の半分が利息で消える計算。このまま手を拱いていては破綻するのは目に見えている。

 京都大学大学院の藤井聡教授の「日本列島強靭化対策」という起死回生の名案で、景気の浮上、税収アップを図るのも一考だが、そろそろ「無利息・非課税」の国債発行を検討したら如何だろうか。

 「投資はそれ以上の税収を生む」訳で、国債の発行自体を否定するものではないが、社会保障費拡大の穴埋めや、国債の金利支払いの為の国債発行では悪循環は断ち切れない。

 また、社会保障費を補う為に消費税増税は仕方ないと真顔でいうが、国会議員が先ずやるべきは議員報酬の見直しと政党助成金の廃止、衆議院の定数の削減で、「0増5減」というまやかしに騙されてはならない。

 民主党は、先の総選挙で「衆院議員80人削減」をマニュフェストに明記し、自民党や多くの野党も、国民ウケを狙って「国会議員の定数削減」という大風呂敷を広げたが、未だ実行される気配もない。

 議員報酬カット、政党助成金の廃止、衆議院定数削減は当然ながら、参議院の廃止、地方議員の無報酬、或いは日当制とするなど努力すべきであって、議員自ら律することなく、財源不足を口実に消費税増税などとは本末転倒だ。

 何れにしても国会議員自ら襟を正し国民の範となるべく、隗より始めよ!


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2012年11月10日

「体罰」という「愛」が子供の理性を正しく鍛える


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 昨日の地元紙の社会面に、郡山市内の四十代の男性教諭が部活動中の生徒を殴り一週間のケガを負わせたという記事が載っていた。親やマスコミから見ればしてやったりだろうが、右往左往の教育委員会はホント厭きれるばかり。

 教育委員会と農業委員会ってのは「無用の長物」、「税金の無駄使い」。「仕分け」をするならこうした陋習を仕分けして頂きたいものだ。

 閑話休題。子供を躾けるには本人の理性に問い掛けて理解出来る子には効果的だが、言っても分からない子供には効果はない。そういう子には体罰によって「善悪」を本能に問い掛けることが大事。

 だがそれには、教える立場に者や「躾」をする親は、日々、子供達に愛情を注ぎ、尊敬される様な言動や立ち居振る舞いをすることが大事で、残念ながら今の子供には、親や先生に対し「敬」というものがないからダメなのだ。

 戦後、日本では子供を褒めなければダメ、叱ったり殴ったりすることはケシカランという考えが支配的になったが、「褒める教育」は抑々日教組が「生徒の自主性・自由の尊重」と謳ったところから始まったものだ。 

 その為に非行を繰り返す不良生徒を殴った教師が吊し上げられ、排除されてきた。よく耳にする「学級崩壊」や「教育荒廃」の元凶は此処に在る。

 「体罰」という「愛」が子供の理性を正しく鍛えるということを親や教師、そして無能な教育委員会は知るべきだ。

 「褒める教育」を推進する連中は「体罰は暴力」と決め付けているが、「体罰」と「暴力」とは異質のもので、「体罰」は子供に善悪を躾けることが目的なのだから「暴力」とは違う。暴力とは私的感情で利害が在る行為をいう。

 昨今、教師も親も、社会全体が子供達をどう導いて往けば善いのか解らなくなっているのが現状で、子供達も厳しく躾けられていないから善悪の判断が出来ず、実に逆境に弱い子供が実に多い。

 そういう意味では、「体罰」の意味も知らずに育った子供達こそ現代社会の犠牲者なのかも知れない。教師も親も毅然と子供らを「躾」すべし。

 「体罰」での教育で思い浮かべるのは「戸塚ヨットスクール」。「スパルタ式」で子供を死にやったことばかりが取り上げられるが、不登校や家庭内暴力で苦しんだ親が子供を手放し、実に600人以上の子供を更正させた戸塚氏の実践教育の実績は凄いと言う他ない。

 戸塚氏は自著「教育再生」で、教育は「科学的精神論」に基づくと言い「正しく・強く・安定」(知・情・意)した理性を創ることが大事だと教えている。

 学級崩壊や家庭内暴力を起こす様な、「間違った・弱い・不安定」な理性を持った子供達が大量に登場した原因を考えれば、戦後、日本が採用した欧米型の「精神論」が間違っていたからだという。

 日本を経済大国にしたのは戦前に教育を受けた人々であり、それを潰してしまったのは戦後教育を受けた世代だ。

 「欧米流」の理性に抜け落ちているのは「本能論」で、人間と動物の優劣性を強調する余り、動物にも在る「本能」というものを下等なものとして否定しまった。

 仏教でも儒教でも、「本能」が「理性」を創るのに重要な役目を果たしていると説いているし、これらを考えるに、教育で一番大事なのは「徳育」であり、徳育は忠君愛国ばかりではなく「人間性」を確立することに在る。

 だから、幸福になる方法も、ちゃんと仕事が出来る様になるのも徳育で、日本の教育再生の為には先ず「正しい精神論」を創ることこそ肝要だ。

 失敗に失敗を重ねた文科省や教育委員会に、学校を変える能力は無い。日本の教育が抱えている問題を解決するには、戸塚氏の語る様に小学校の段階で正しい人間性の基礎を創ることが大事なのだ。

 「国語・数学・体育」に重点を置いた授業や記憶力ではなく、「考える力」を重視し、合宿などの課外授業の活用を重点的に行えと戸塚氏は説く。

 この科学的にも正しい精神論による教育の実践こそ、現在の学級崩壊を始めとした諸問題を克服してくれるものだと信じている。

 戸塚宏氏の教育論を支持してる石原慎太郎は「支援する会」のホームページ上で、次の様なメッセージを寄せている。

 「我々の手で教育改革を!という真摯の叫びが、日本全国で澎湃として湧き上がって来んことを願って止みません。日本の教育再生の為には、先ず『正しい精神論』を創ることが必要なのです」

 正しく同感。愚生もこうした塾を創りたいものです。

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2012年11月07日

高い志を持った日本人を育もう!

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 田中真紀子文科大臣が、来春開校される予定だった秋田公立美術大、札幌保険医療大、岡崎女子大の三大学への不認可をしたかと思ったら一転、再審査されることになった。本来、少子化などで淘汰されるべき三流大学の営利主義に一石を投じるのかと思いきや、腰砕け。

 所謂「私学助成金制度」というのは、公の財産を、公とは異なる団体や教育機関へ拠出してはならないという憲法89条に明らかに違反する。にも拘らず、私立学校どころか朝鮮学校への授業料免除や無償化を謀る真紀子だもの、いつもの様にそんなに深い意味もなく、思い付きで発言した様だ。

 「教育」とは、将来の日本を担う子供達に如何なる教育を施すかということが大事であり、「教育」というのは営利を目的とするものであってはならない。

 しかし、現在の私立学校を見渡せば、「教育」という本文よりも、学校経営の方が優先され、支那人留学生への優遇措置などもあり、営利に狂奔する不埒な学校法人が殖えているのも事実で、不適格な学校は剔抉粛清して行くべきだろう。 

 嘗ての日本は「教育立国」として、明冶の試練と昭和の国難を乗り越えた。極貧の中から多くの学聖や偉人、傑士が輩出したのは立派な教育の故だ。

 しかし、現在はどうだろう。日本人としての勤勉性や家族愛、愛国心、信義誠実の原則は失われ、心の中の高貴なものを失い、高邁さを忘れてしまっている。

 国民はマスコミが取り上げる胡散臭げな問題に一喜一憂し、問題が出れば、その萌芽は我が国に在ると貶し、貶め、マスコミ御用達の言論人がそれを煽り大騒ぎ。こうした構図にはホトホト厭きれるばかりだ。

 「少(わか)くして学べば、即ち壮にして為すことあり。壮にして学べば、即ち老いて衰えず。老にして学べば、即ち死して朽ちず。(言志晩録六十条)」。有名な佐藤一斎の「言志四録」の一節「三学戒」、学ぶことの重要性を説いたものだ。

 平成13年5月、当時の総理大臣だった小泉純一郎が、教育基本法の議論の中で、この「三学戒」引用し、脚光を浴びる。

 小泉は、外務大臣だった田中真紀子へ、佐藤一斎の「重職心得箇条」を贈ったところ、真紀子は「こんな江戸時代のカビの生えた話など要らないわよ!」と一蹴した話しは有名だ。

 「学ぶこと」の認識が欠落しているバカ者が、今や日本の教育を司る文部科学省の大臣だというのだから世も末だ。

 学問とは気概であって学歴ではないが、大事なのは「学ぼう」という熱意が大事。高い志を持った日本人を育む教育を図らねばならない。


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2012年11月06日

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶという


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 「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という。先日のブログで、財政再建をする上で見倣うべき歴史上の人物として米沢藩第九代藩士の上杉鷹山を挙げた。

 鷹山公は、「単に帳簿上の赤字を克服すれば財政再建が出来るという訳ではない。今は困窮の余り、この国の人々は目先の利益のことしか考えず、他人のことを思い遣れなくなっている。人々の心にも赤字が生じてしまったのだ。これを克服しなければ、喩え帳簿上の赤字を克服したとしても、また同じことを繰り返すだろう」と断じた。

 鷹山公が訓えた様に、目先の財政再建策より、先ずは道徳教育の充実を図るべきなのだが、現実的にはそんなに悠長に事を構えていられないのが現在の日本の財政状況だ。

 現在の我が国の一般会計予算を見れば、税収が40兆円余り。これしか無いのに予算は約100兆円。税収の多くは医療費と社会保障費で消える。

 残りの予算では教育費や防衛予算、公共事業などは賄えないばかりか、国債発行に伴う利息は年々増える一方だ。利息だけで約20兆円。このまま往けば、破綻するであろうことは明らかだろう。

 現在の日本の状況と同じ様な立場だったのが、江戸時代末期の薩摩藩だ。江戸時代も中期から後期になると、殆どの大名は藩の財政に苦しんでいた。算段は、市中の商人や金貸しから借りなくてはやりくり出来なかったという。今で言うところの「国債」と同じ様なものだ。

 七十七万石の薩摩藩も例外ではなく、武を以て尊しとする薩摩藩は経済を軽視し、二十五代藩主の島津重豪(しげひで)は西洋被れもあり、大金を投じて「天文館」を建てたり、博物全書を出版したりと資金を湯水の様に浪費した。

 その結果、文政十年(1827年)には、薩摩藩は五百万両もの借金を抱えることとなった。この頃の薩摩藩の税収は年間十五万両程度で、実に年間予算の33倍もの借金を負っていたのだ。現在、国の税収は40兆円余りで、借金は1000兆円程度の約25倍。今よりも酷かったというのが理解出来る。

 そこで登場したのが勘定方の調所笑左衛門(ずしょしょうざえもん)だ。元々は殿様の茶坊主だったが、経理の才能に秀でてた為に、小納戸役頭取に抜擢され藩の財政再建を一任されることとなった人物だ。

 茶坊主らしく知恵を働かせた笑左衛門は、先ずは大店(債権者)に「借金の返済方法について相談したいことがあるのでお越し願いたい。証文の書き換えをしたいので持参されたし」との通知を出す。

 債権者にしてみれば、幾ばくかの返済を当てにして赴いたのだろうが、笑左衛門は証文を出させ、それを何と火鉢の中に投げ入れてしまう。

 唖然とする債権者らに笑左衛門は必死の形相で、「借金は二百五十年腑で御返しする。但し、利息は付けない。無理は承知。それが否だというなら突くなり、斬るなり好きにしてくれ」と言い放った。

 債権者にしてみれば、証文は灰だし、商人が武士に楯突ける訳も無し。此処まで覚悟を決めたのは余程のことが在るのだろうと、笑左衛門が提案した「年二万両ずつ二百五十年」での割賦返済に同意する。

 その後、藩内の経費を切り詰め、一方では南の島の黒砂糖貿易を独占して財政を立て直した。重豪の次の藩主の斉彬が藩内の工業化に成功し、藩の財政は潤い、明治維新という日本の開国に大きく寄与して行くこととなった。

 因みに、年二万両の返済は約束通り明治初頭までは続けられていたが、廃藩置県により消滅したのは言うまでもない。

 今の日本に必要なのは上杉鷹山公のリーダーと調所笑左衛門の様な知恵者だ。

 「無利子・非課税」の国債に移行し、京都大学大学院教授の「日本強靭化対策」の提言を実践すれば、日本の帳簿上の財政再建は解消出来るだろう。

 だが、財政再建する上で最も大事なことは「人々の心の赤字」の解消なのだ。

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2012年11月04日

大東亜戦争で亡くなられたプロ野球選手


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 ON世代の愚生はジャイアンツファンでありプロ野球ファンだ。まぁジャイアンツファンというより長嶋茂雄ファン。長嶋終身名誉監督が生きてる限りそれは変わらない。そのジャイアンツが3年ぶりに日本一に輝いた。

 高が野球に一喜一憂している訳ではないが、その高が野球を自由にやれなかった時代があった。先の大東亜戦争で亡くなられたプロ野球選手は、試合の途中で出征した方、幾度かの戦火を潜り抜けて帰還し、再び出征して終には戦場に斃れた方など実に69名もいたことを御存じだろうか。

 有名なのは澤村榮次命。現在のプロ野球の最優秀投手に贈られる「沢村賞」は東京巨人軍(現・読売ジャイアンツ)の澤村榮次選手を称えたものだ。東京巨人軍の永久欠番となった背番号14番。澤村榮治投手がどんなに凄い選手かは、日米対決でベーブルースから三振を奪ったことでも理解出来る。

 特攻で亡くなられた方は、名古屋軍(現・中日ドラゴンズ)の石丸進一投手と朝日軍(現・横浜DeNA)の渡邉静内野手の二名だ。

 石丸投手は鹿屋基地から沖縄の海へ飛び立った。出撃の直前、最後のキャッチボールをして飛び立っていったという。どんな思いでキャッチボールをされたのか、その心中を察するに余りある。

 渡邉静命も鹿屋基地から沖縄へ出撃した。渡邉選手は夢見て憧れて入団したプロ野球人生で、たった二度の打席を最後に戦地に赴かねばならなかったのだ。

 タレントの山田雅人の「かたり」が秀逸だ。「稲尾対長嶋」や「伝説の天覧試合」「二十四の瞳」「武市と竜馬」など50作品を超えるという。中でも「戦火に散ったプロ野球選手」は、平和の尊さや命の大切さを語り継ぐ秀逸な作品だ。

 靖國神社を始め、全国各地の小中学校などで山田は「かたり」を行っているというが、バカタレどものくだらない番組を垂れ流すより、こうしたものをテレビで大いに取上げて真の歴史を教えて欲しいものだ。

 山田は作品を作る上で、自ら史料を集め、取材に当り、疑問を懐いたことは更に深く調べたというから大したものだ。現地取材もせずに「沖縄ノート」を書き上げ、悦に入っている売国奴・大江健三郎とはエライ違いだ。

 山田の「かたり」を聞いた子供達は、「自分達も一生懸命夢を追いかけます」「野球が出来ることが当り前と思っていました」「嫌なことがあっても頑張ります」など、素直な感想が届くという。

 将来を担う子供達に、殊更戦争の悲惨さを煽ることより、歴史の真実を語り、平和の尊さと命の大切さを教えていくことこそ大事で、そういう意味でも山田雅人の「かたり」は立派な愛国活動だと思う。

 愛国活動故に業界から干されてるのだろうか。山田は、一人でも多くの子供達に最後の最後まで夢を諦めずに生き抜いた、スポーツ選手の話を通して「平和への感謝」「夢を諦めないこと」「命の尊さ」を届けられたらと、全国を駆け巡っているという。応援してやりたいものだ。

 大東亜戦争で散華した彼らは、野球が自由に出来るくらい平和になった日本の姿を喜んでいることだろう。残された我々は、自らの命を犠牲にすることで、国や家族、愛するものを守るという彼らの至高の精神を決して忘れてはならない。

 高が野球だが、長嶋は言う。「野球というスポーツは人生そのものだ!」

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cordial8317 at 07:11|PermalinkComments(1)

2012年11月03日

「教育勅語」を奉読し、日本人としての自覚を再確認しよう!

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 今日は「文化の日」、昭和23年7月20日、「国民の祝日に関する法律(祝日法)が制定され、「自由と平和を愛し、文化を奨める」ことを趣旨としている。皇居では天皇陛下から、ノーベル賞を受賞した山中教授らへ文化勲章が授与される。

 明治6年に公布された「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」(太政官布告第344号)から明治44年までは「天長節」として、昭和2年に改正された「休日ニ関スル件」(勅令第25号)から昭和22年までは「明治節」として、国民挙って奉祝していた日だ。

 日本で最も平和を愛し、文化を重んじ、率先垂範しているのは天皇、皇后両陛下であり、皇族の方々だろう。

 日本の皇室は、皇族方自らが研究に勤しむ「学者」集団でもある。

 昭和天皇は、ヒドロ虫類の分類学的研究で知られる研究者であった。今上陛下はハゼの分類学研究者であり、秋篠宮殿下はナマズの研究で知られ、皇太子殿下もまた、水運の歴史に関する研究者として活躍されている。

 皇室が、自ら学問に勤しむ熱意ある方々によって構成されていることの意味を、我々はもう少し考えた方が良いのではないだろうか。

 過日、日本学士院授与式に御親臨遊ばされた陛下は、「科学技術の進歩が人類に不幸を齎すことなく、真に人類社会に役立つ様にする為に、世界の人々が互いに協力しあって行く事が切に期待されるところです」と御言葉を述べられた。

 日本学士院や日本芸術院とかでもそうだが、優れた芸術作品を創作した方や芸術の進歩に貢献された方々を称える授与式に、天皇、皇后両陛下が御親臨遊ばされることは国民として実に有難いことだ。

 科学技術や芸術の分野で卓越した業績を残した方々を、国を挙げて御祝いすることは大きな意義があり、学問というものに対する尊敬の思い、そして、科学や技術や芸術が人類普遍の価値に関わるものであるという信念を再確認しなければならないと思う。

 自由と平和を愛し、文化を奨めることも大事だが、日本人が失ってしまった心の中の高貴さと、高邁な知性の磨き様を見失ってしまった今、口だけで「平和を愛し、文化を奨める」と言ってみたよころで単なる空想に過ぎない。

 日本再生としても決め手になるのは、過去を大切にする「心の教育」であろう。学問だけではなく、何事にも情熱を駆り立てるものは、自然の驚異に対する感受性と、偉大な成果を残して来た先人に対する尊敬の念が無ければ、それは実に軽いものとなってしまうだろう。

 自然にも歴史にも伝統にも恵まれた我が国には、そういった「心を育む」条件が力強く根付いている。

 つまり、未来の子供達に恵与すべきことは、「何処に生まれ」「何処で生き」「何の為に学ぶのか」「何を貴び」「何を信じるのか」「友人や朋輩と何を分かつのか」ということを教えて行くことが大事であり、そういうことから真の教育が生まれてくものだと信じている。

 今日の「文化の日」に当たり、明治天皇の御遺徳である「教育勅語」を奉読し、日本人としての生き方を再確認してみませんか。

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cordial8317 at 07:52|PermalinkComments(1)

2012年11月02日

二月二十二日に生まれ十一月の二日に死んだ山口二矢


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 今日11月2日は、山口ニ矢の命日。昭和十八年二月二十二日東京生まれ。二男で、二月二十二日生まれと「二」の字が続いたことから、父は「二矢(おとや)」と命名したという。崇拝している人物は、アドルフ・ヒットラー、児島高徳、西郷隆盛、山鹿素行、吉田松陰。

 昭和34年、16歳で大日本愛国党に入党するも、翌35年5月に同党の吉村法俊、中堂利夫(後に防共挺身隊に身を寄せるも脱退し、両名共に人気作家となる)と共に愛国党を脱党し、「全アジア反共青年連盟」を結成。同年10月12日、ニ矢は日比谷公会堂で演説中の社会党・浅沼稲次郎を刺殺、現行犯逮捕された。

 携行していた檄文には、「汝、浅沼稲次郎は日本赤化を謀っている。自分は、汝個人に恨みはないが、社会党の指導的立場にいる者としての責任と、訪中に際しての暴言と、国会乱入の直接の煽動者としての責任からして、汝を許しておくことは出来ない。此処に於て我、汝に対し天誅を下す。 皇紀二千六百二十年十月十二日  山口二矢」と認めていた。

 逮捕されたニ矢は供述調書にも素直に応じる。一部抜粋すれば、「小学校四年生の頃、共産党があちらこちらで騒ぎ、警察が馬鹿にされているのを知り、『共産党は怪しからん』と思うようになり、街で赤旗を見ると唾を吐きかけてやりたいような気持ちにかられた」と、既に10歳にしてこうした心境に達していたとは驚く。

 高校生になったニ矢は、「共産主義はマルクスの唯物論的弁証法を指導原理とし、資本主義は共産主義と同じ様に唯物論から出発した個人主義である。唯物論は物質中心の精神主義を軽視したものだ」と共産主義と資本主義の欠陥を指摘し、「日本は古来の伝統を生かして精神を基礎として物質面も豊かになる唯物論優先の二元論で行かなければならない。その為には共産主義、資本主義は共に倒さなければならない」との思想に至る。

 人生観は、「私には日本人の血が流れており唯物論ではとうてい割り切れない。持って生まれた日本精神という唯心論的なものがたぎっており、天性からこういう人生観、思想などが形成されたと思っています。尚、本当の日本人であれば、私の様な人生観、思想というものが心の奥底には必ず在ると思います」と述べている。

 最後に今の心境を聞かれ、「浅沼委員長を倒すことは日本の為と堅く信じ殺害したのですから、行為については、法に触れることではありますが、今何も悔いる処はありません。しかし、浅沼委員長は最早故人となった人ですから、生前の罪悪を追及する考えは毛頭なく唯故人の冥福を祈る気持ちであります。又浅沼委員長の家族に対しては、如何なる父、夫であっても情愛に変わりなく、殺害されたことによって悲しい想いで生活をし、迷惑を掛けたことは事実ですので、心から家族の方に申し訳ないと思っています」と吐露している。

 供述調書を取り終えた11月2日未明、ニ矢は、東京少年鑑別所の個室で、支給された歯磨き粉で壁に「七生報国 天皇陛下万才」と記し、従容として死に就いた。やはり「二」という日に運命を感じていたのだろうか。

 昭和35年といえば愚生が生まれた年で、亡くなった父からも山口烈士のことは幾度となく耳にしたことが在る。「右翼というのは命懸けでやらなきゃダメだぞ」。その言葉は未だに耳にこびり付いている。

 相も変らず我が国の政治家どもは国民不在の政争に明け暮れ、自己保身、権力欲、偽善に狂奔している。衰廃しつつある日本を歯噛みながら傍観者として手を拱いている訳には行かないのだ。

 旧来の思想や社会構造を打破しようとする時、常軌を逸した行動が生まれる。来島恒喜、山口二矢、三島由紀夫、野村秋介といった方々の行動こそが正気の狂気であり、この狂気こそが閉塞状況を打破する力に成り得ると信じて止まない。

 合掌再拝

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cordial8317 at 06:14|PermalinkComments(3)