2012年10月

2012年10月27日

2045年までに「米軍基地全廃」するんだってよ

 石原慎太郎は新党結成に当たり「薩長連合」を引き合いに第三局の「大連合」を呼び掛けている。保守連合による第三局を狙うのかと思いきや要は野合でも構わないということだろうが、所詮はネオコン、新保守主義の石原らしい。

 最近は何でもかんでも「保守」「保守」というが、石原や「日本維新の会」の橋下らは新自由主義を標榜する経済保守であり、これは保守の中でも「新保守主義」というものであって民主党や自民党にも多くいるパターンだ。

 新自由主義とは「未来が全て」という考え方で、日本の政治家が目指すべきは伝統や文化を重んじる「伝統保守」であり、国益や国家への奉仕を尊重する「国家保守」という正統な保守主義者の出現だ。「保守」は色々在れど、正統な保守主義とは過去の意味を理解し、その中に価値を見出すことが肝要なのだ。

 その「日本維新の会」は2045年までに「米軍駐留全廃」を公約に掲げるという。米軍基地の撤廃や日米安保体制の見直しは大いに結構なことだが、それが何故に終戦百年後となる2045年なのだろう。

「国防」という国家の大本を米国に委ね、まやかしの平和を享受して来たツケが一気に露呈しているという認識は誰もが共有しているだろう。

 抑々自国は自国で守るというのは当然のことであり、国防とは防衛力によって単に領土だけを守るということではなく、「それが亡くなれば日本ではなくなってしまうもの」を死守することであると訓えたのは三島由紀夫。

 大東亜戦争後、我が国は米国の51番目の州にならずに済んだのは、単純に帝国主義が崩壊していたからで、その代わりに半ば強制的に「日米平和(後の日米安保)条約)を締結させられ、この歪な体制が現在も続いている。

 我が国が冷戦時代にも極端に少ないGNP1%以内の国防費で済んだのも米国の御蔭であろうが、その結果、経済的繁栄を遂げたのは皮肉なことだ。

 だが経済的発展を遂げれば遂げるほど人心は荒廃し、様々な弊害が生まれたのも事実だろう。だが、そろそろ米国依存の体制からの脱却を図らねばならないし、共産主義を指導原理と崇める中共との関係も見直すべきだろう。

 昔からアジアの動乱の原因は米国と共産主義だったという事実を忘れてはならない。主権回復も儘ならない我が国が拱手傍観を極め込んだままでは、事在る毎に米中の覇権争いに巻き込まれ、我が国ばかりか再び極東アジアとアジア全体に不幸を齎すことは火を見るより明らかだ。

 ならば、大東亜戦争終結百年後の33年後と言わず、早々に憲法改正、或いは自主憲法制定に立ち上がり、日米安保体制を見直すと同時に、中共の共産党一党独裁体制に物申し、共産主義を崩壊させる様に対策を講じるべきだ。

 二十世紀最大の害悪はファシズムでもナチズムでも、況してや我が国の軍国主義でも帝国主義でもない。共産主義だ。

 先の大戦で我が国が「アジアの人々に謝罪」する必要があるというなら、その最大の過ちは共産主義の跋扈を許したことであり、その償いはその共産主義を失くすことに在り、平和世界の構築には共産主義の崩壊こそが必要不可欠なものだ。

 我が国の政治家は美辞麗句を並べるのは上手だが、其処には理想も無く、真に国益を守ろうなどという気概など全く感じない。残念ながら連中が守りたいのは国柄ではなく、己らの体制だけの様に思えてならない。

 人間がやろうと思ったことや考えたことは実現するという。日本維新の会は33年後にも未だ日米体制が続き、中共による帝国主義が蔓延っているという前提だが、33年後は愚生はこの世にはいないが、出来ることなら日米安保も共産主義も軍事力も無い平和な世界になっていて欲しいものだ。

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2012年10月24日

昔の映画や落語の台詞に耳を欹てる

「座頭市」やら「眠狂四郎」「鬼平犯科帳」「小津安二郎」「黒沢明」などの昔の映画や古典落語、或いは童謡や軍歌、懐メロなどに出て来る難しい日本語に、思わず耳を欹(そばだ)ててしまうことがある。

 こうした古い映画や落語などには懐かしくも美しい日本語が溢れている。こうしたことを気にしながら観たり聴いたりするのは実に楽しいものだ。

 「憚り様でした」 (ご苦労様です。恐れ入ります)
 「傍杖を食う」 (思わぬ災難に遭う)
 「荷が勝つ」 (責任・負担が重過ぎる)
 「武士は相身互い」 (同じ立場の者は助け合うべし)
 「罪業の深さ」 (罪の原因となる行為)
 「浮世に拗ねる」 (世の中に逆らう)
 「卒爾ながら」 (人に声をかける時に言う語)

 その他にも、 「阿漕(あこぎ)な奴」「お為倒し(おためごかし)」「朝未だき」「足元から鳥が立つ」など、余り馴染みのない言葉や台詞が出て来る。

 娯楽や趣味だからこうした難解な言葉を四六時中考え、気にしている訳ではないが、この「四六時中」という言葉も昔は「二六時中」と言ってたそうだ。

 一日を十二刻で数えていた時代には「二六時中」だったが、二十四時間になって「四六時中」に変わったという。

 言葉は移ろうものだが、どういう人がどういう風に使っているのかを知れば、また違った世界を知ることが出来る。日本語と言うのは実に素晴らしいと思う。

 先日、地元紙に天皇皇后両陛下の御来県での愚生の投稿が採用された。だが驚いたことに、敬語の部分が殆ど校正され無惨なものになっていた。

 地方紙とはいえ、やはりマスコミによる「反天皇制活動」の一環である「敬称、敬語不使用運動」は全国共通の様だ。因みに、投稿した原文は次の通り。

「先週、天皇、皇后両陛下が御来県遊ばされた。両陛下の県内御訪問は昨年に続き二度目で、今回は、被災者多くが郡山市に避難している川内村での除染作業などを御視察なされた。近くの幹線道路をお通りになるということで奉迎することに。通りを走るパトカーから「間もなくお通りになられます」との報せの数分後、白バイを先導に両陛下がお通り遊ばされた。宮内庁内部にも「まだ除染が完全に終わっていない地域に、両陛下が行かれるのは危険ではないか」という声があったというが、両陛下は故郷を離れて暮らす原発事故被災者と、原発の近くで生活する人々を励ましたいという強い要望から今回の訪問が実現したという。放射線に対する不安は容易に解消出来るものではないが、両陛下が御身を以てその不安解消の一助となられたことは、福島県民のひとりとして涙が出るほどありがたいものだった」

 マスコミによる「敬称・敬語不使用」や「開かれた皇室論」の姿勢は今や国内に蔓延し、天皇陛下や皇室に対する敬愛の念を薄れさせている。両陛下や皇太子妃殿下、悠仁親王殿下への一連の報道を見ても、無礼極まるものばかりだ。

 国内に蔓延する日本語の乱れを直すことこそ喫緊の課題だろう。日本人が日本語を正しく使わずして、「国際化社会」などとは痴ましい。

 明治の先覚者は、外来語を全て新漢字に翻訳し、西洋文化を学んだ。

 現代人の様に外来語をそのまま羅列し、軽薄な舶来趣味と比べれば、明治人の気骨と気概、高い見識を伺い知ることが出来る。日本語に自信を持ち、何処までも日本語で主張し、日本文化を貫いたからこそ発展が得られたのだ。

 今こそ美しい日本語文化を世界に普及し、我が国の和の心を伝え、世界平和の実現を図る上でも、日本人自身が乱れた日本語を正すことこそ大事だ。

 忙中閑あり、小津安二郎の映画はちと長いですが、こうした古い映画から日本の在るべき姿が見えて来るかもしれませんぞ。呵呵。

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2012年10月21日

週刊朝日の橋下騒動は「人権救済法案」へのマッチポンプ!?

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「ハシシタ、救世主か衆愚の王か」 「奴の本性」との大見出しで橋下徹大阪市長の出自を暴き、あからさまな「橋下イジメ」を宣言した週刊朝日が、第一回目で早々に謝罪しシリーズ終了。橋下も「ノーサイド」と朝日新聞の取材拒否を撤回した。

 政治家としての橋下徹の本性や「穢多(えた)」や「非人(ひにん)」という出生の真相、政治姿勢を暴くのはジャーナリストとして当然の行為だろうが、橋下の両親や、ヤクザだった父親の自殺や従兄弟が殺人犯だった話を得々と書いてどうなるというのか。普段、朝日が声高に叫んでる「人権」や「差別」との整合性も合わない。

 朝日は今までも「従軍慰安婦問題」や「南京大虐殺」などを捏造するなど、売国的記事で国家と国民の名誉を傷付けているのは余程のバカでない限り知っている。

 現在でもそれを謝罪していないし、恬として恥じることも無い。それどころか未だに日本を貶めることに必死で「反日偏向・自虐史観」は朝日の社是でもある。

 ああも簡単に橋下に謝罪したことは驚いた。「橋下イジメへの謝罪」だと言いながら、難病指定の「潰瘍性大腸炎」で苦しんだ安倍総裁への揶揄や誹謗中傷には謝罪しないどころか、「安倍の葬式はうちが出す」と言いたい放題で、辻褄も合わない。橋下は今回の騒動を受け、ツイッターで次の様なツイートをしている。

「メディアは人権擁護法案にとことん批判してきた。言論の自由の抑制に繋がると。しかしメディアの中できちんと自浄作用が働かなければ、メディアの抑制も必要になる。確かに僕は公人だから、個人がメディアに攻撃を受けるのと少し文脈が違うが、それでもメディアがどこまで今回の件を自己検証できるのか」

 メディアが「人権擁護法案にとことん批判している」ということは初耳だが、橋下が批判すべきは朝日の報道姿勢であり、人権擁護法案が無いばかりにこうした記事が生まれるのではない。本末転倒と言うか、橋下御得意の論理の摩り替えだ。

 最近は「日本維新の会」の支持率は下がる一方で、橋下のメッキも剥がれつつあった。今回の騒動がマスコミに取り上げられることで、有権者は橋下の生まれた境遇やその生き方に同情し、支持率が恢復するのは必至だろう。

 橋下はそれも十分承知で書かせたのではなかろうか。橋下は騒動後、頻りに「やはり人権擁護法案は必要ではないか」「部落差別が大好きな朝日新聞から身を守るためにも人権擁護法案の早期成立が必要」だと発言しているのをみても、一連の騒動は「人権擁護法案」や「人権救済法案」へのマッチポンプではないのだろうか。

 今回の騒動では、ある意味当事者であろう部落解放同盟も沈黙を続けている。差別に敏感な部落解放同盟が橋下の件を黙する理由は一体何故なのだろう。

「差別」表現で思い出されるのは、沖縄集団自決の日本軍の命令した証拠として採用されている、岩波書店の大江健三郎のフィクション「沖縄ノート」だ。

 大江はこの本を現地取材もせずに住民の伝聞だけで書き上げた。大江はこの中で「25年ぶりの屠殺者と生き残りの再会」という差別表現を堂々と使用し、沖縄での戦死者を「虐殺者」という表現ではなく犬や豚の如く「屠殺者」に準えている。

 思想家の呉智英に由れば、岩波書店が昭和63(1987)年に発刊した「報道写真家」の中では、「戦場という異常な状況下では牛や豚などの家畜の虐殺と同じになる」という記述が問題にされ、回収処分となっている。

 ならば「沖縄ノート」も同様に差別表現の最たるものとして絶版にすべきだが、「沖縄ノート」はマスコミからも部落解放同盟からも糾弾もされず、それどころかアホ裁判官が「沖縄集団自決軍命令」の証拠として採用し摩訶不思議な判決を出した。

 大江健三郎のみ「神格化」される理由は反日左翼の同志だからか。橋下の記事で部落解放同盟が沈黙する理由は何なのか。過去に部落解放同盟が出した「神格化したものの考え方を一掃したい」という声明は嘘だったということの証だろう。

 要するに「沖縄ノート」以来、差別表現は解禁されたということは間違いない。これからは別段、差別表記など気にしなくても好いということだわな(苦笑)

 橋下のイメージは公立学校での国旗国歌の強制というタカ派的イメージであり、朝日と橋下の対決は国民から見れば、「左翼VS保守」と捉えられるだろうが実際には胡散臭げな弁護士崩れで、彼奴には祖国愛や尊皇精神が決定的に欠落している。

 部落解放同盟の沈黙といい、朝日と橋下といい、「人権擁護法案」「人権救済法案」で共闘した様な気がしてならない。それともやはり生まれ育ったあいりん地区への愛着からか、自分を犠牲にして法案成立に動き出したということだろうか。

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2012年10月20日

10月20日という日を考えてみた

 本日10月20日は皇后陛下の御生誕日。戦前は「地久節」と呼ばれました。謹んで御祝詞を申し上げますと共に、皇室の弥栄を御祈念致します。

 昭和19年10月20日、フィリピンのレイテ島に圧倒的勢力で上陸を図ろうとする米軍部隊へ、起死回生の反撃、更に連合軍の沖縄への上陸、本土決戦を阻止しようと帝国海軍・大西瀧次郎中将の指令下、「神風特別攻撃隊」が編成される。

 祖国を守る為に死を決意して志願した特攻精神は、祖国愛の極致というべきもので「神風精神」こそは、大東亜戦争が自存の為の「祖国防衛戦争」だったことの何よりの証だろう。

 沖縄戦でも特攻部隊が重要な役割を果たし、特攻戦死者の実に76%が沖縄戦で亡くなっている。鹿屋基地(海軍航空)からの特攻で1981名、知覧基地(陸軍航空)からの特攻で1036名の合わせて3017名。

 特攻は航空だけではなく、特殊潜航艇、回天魚雷、空挺特攻、対戦車特攻、震洋特攻艇、陸軍海上特攻など劣勢を覆す為の特攻作戦でも3972名と、実に多くの若者が祖国日本の為に尊い命を捧げられた。

 特攻作戦をを「無駄死」だとか「可哀想」だとかいう声も散見するが、現在の道徳観で生死を語るなど笑止千万、現在の平和や繁栄は彼らの尊い犠牲の上に成り立ってるということを決して忘れてはならない。

 19年前の10月20日、右翼のカリスマ的指導者だった野村秋介烈士が朝日新聞社で壮絶な死を遂げた。当時、色々と囁かれたが、野村烈士がこの日を選んだのには「特攻作戦」と「若者の命」という深い意味が込められていたのだ。

 参議院選挙期間中に週刊朝日誌上で「風の会」を「虱の会」と揶揄する。所詮漫画家のシャレということで許されるだろうと思っていたのだろうが、そこには品格も何もない悪意が込められていた。

 未だ米国による戦後占領政策から目覚めることもなく、自虐史観にどっぷり浸かったまま日本を咎め続ける。何でも腐し、そういう冷笑的な態度を執ることこそが真のジャーナリズムだと思っている。

 憲法で「報道の自由」は保障されているが、そこには「新聞倫理綱領」に明記されている様に、高い倫理意識が備わっていなければならないし、自らを律し、品格を重んじなければならないのだ。

 橋下大阪市長への罵詈雑言も、そうした驕りから出たものであり、「風の会」での反省も教訓も生かされていない証左だろう。

 橋下市長の本性を暴くのは吝かではないが、橋下の両親や、ヤクザだった父親の自殺や従兄弟が殺人犯だった話を得々と書てどうなるというのか。普段、声高に叫んでる「人権」や「差別」はどうなってるの。

 日本の政治の混乱に陥る要因は政治家の資質も然ることながら、朝日の様な低能ジャーナリズムの所為であり、国家衰退の元凶と言っても過言ではない。

 話しはガラッと変わるが、今月は「神無月」と呼ばれるが、出雲地方では逆に八百万の神が集まるので「神有月」と呼ばれている。

 全国から集まった神様達が、国中の縁結びの会議を催すという。こうした神話は日本人でなくても誰もが温かい気持ちになる楽しい伝説だろう。

 神無月に出雲に赴かない「留守神」とされた「えびす神(夷、戎、胡、蛭子、恵比須、恵比寿、恵美須)」や「かまど神」を祀り、一年の無事を感謝し、五穀豊穣、商売繁盛を祈願するのが、10月20日の「えびす講」だ。

 地方や社寺によっては、旧暦の10月20日であったり、1月10日だったりするが、七福神で唯一の日本の神様ということもありのか親しみのある神様だ。

 「商売繁盛笹持って来い!」じゃないが、オータムジャンボもダメだったし、手元不如意から抜け出せる様に、えべっさんに頼んでみようか。呵呵。

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2012年10月19日

男の酒のうれしさは たちまち通う意気と熱

 一昨日、八王子市の親戚の叔父の葬儀に出席する為に上京した。親戚の中でも八王子の叔父と叔母には本当に世話になった。福島の田舎から上京し大学生となった昭和54年、優しく迎えてくれた叔父の笑顔を今でも鮮明に覚えている。

 貧乏学生だった愚生に腹一杯に御馳走を振る舞ってくれ、帰りには小遣まで頂戴した。愚生だけでなく誰にも親切で、本当にも自慢の叔父と叔母だった。

 叔母も七年ほど前に幽冥境を異にしたが、葬儀の遺影は、大好きだった叔母の下へ往くことになって何となく微笑んでいる様にも見えた。

 葬儀告別式も終え、従姉妹のお姉さん方を引き連れ東京駅へと向かった。

 夕方、大阪から出張中の大学の後輩との一献を八重洲地下街の天麩羅屋「ハゲ天」でやることとなってたのだが、嬉しいことにそこに大学の先輩でもあり、某県議会の副議長でもあるS氏が「では、私も」と飛び入りすることになった。

「男の酒」という吟がある。「一献歌」ともいうが、正に昨日の一献はこの歌の通りの想い出深い、愉しい酒席となった。

 1 男の酒の嬉しさは  忽ち通う意気と熱
    人生山河 険しくも 
  君盃を 挙げ給え  いざ我が友よ 先ず一献

 2 秋月影に酌むもよし 春散る花に酔うもよし
    哀れを知るや 英雄ぞ
   君杯を 挙げ給え いざ我が友よ 先ず一献

 3 美人の酌に酔えばとて 今宵は今宵何かある
    男は明日に 生きるもの
   君杯を 挙げ給え いざ我が友よ 先ず一献

 S先生と言うか先輩は、国士舘大学時代には少林寺拳法部に所属した手練れの猛者。琉球拳法部に所属したことがある愚生だが、先輩でもあり三代目総隊長だった對馬も少林寺拳法部だったこともあり、少林寺拳法部の先輩方には知人も多い。

 先ずはビールで乾杯。その後先輩は芋焼酎のお湯割り、愚生はロック。酔いも絶好調となり、程なく後輩のT氏も合流、大学時代の他愛もない話で盛り上がる。

 あっという間に時間は過ぎ、S先輩は県政の大事な仕事の為に退座することに。S先輩に於かれましては貴重な時間を割いて同席頂いた上に、御勘定までして頂き、痛み入る。押忍、先輩、ごっつあんでした。

 その後はT氏と二人で立ち飲み屋で二次会、何を話し、何で盛り上がったかもハッキリ記憶にないが、ホント「男の酒の嬉しさは忽ち通う意気と熱」を実感した一献となった。こうした「横議横行」は大好きだ。

「横議横行」とは辞書には「勝手に論ずる」とか「勝手気儘に歩く」という意味が書かれているが、旅をし、そこで知り合った方々と議論を交わすくらい愉しいものはない。同窓生や気の置けない友なら尚更だろう。

 唯、呑み過ぎてしまい、翌日は猛省するのが御決まり。やはり昨日も呑み過ぎたのは言う迄もない。人生とは正に「邂逅」の一言に尽きる。呵呵。

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2012年10月16日

野田に「一層奮励努力せよ!」なんて訓示されてもなぁ

 海上自衛隊の観艦式で野田首相は、尖閣諸島を巡る緊張や周辺諸国の情勢を念頭に「自衛隊の使命は重要性を増している」との認識を示し、旧海軍兵学校の「五省」を引用しながら「諸君が一層奮励努力することを切に望む」と訓示した。

 相変わらず声だけは好いし、弁舌を揮ってはいるがどうも心に響かない。野田は首相就任時にも勝海舟の言葉を引用し、「政治家に求められるのは正心誠意の四文字が在るのみ」と強調。「正心誠意とは、自らの心を正しくし、政治家としての良心に忠実にすることだ」と、野田自らその意味を説明した。

 野田に在るのは正心誠意どころか、自己保身と民主党政権の延命だけだ。「正心誠意」とは、勝海舟の談話集「氷川清話」に記されている。

 元々は儒教の古典「大学」の一節、「其の身を修めんと欲する者は、先ず其の心を正しくす」の部分を、海舟が政治家の秘訣として「政治家は、唯唯正心誠意在るのみ。この四文字に拠りて遣りさえすれば、譬え如何なる人民でも心服しない者はいない。何事も知行合一でなければならない」と訓えた。

 政治家として言葉の重みも知らない故に、「近いうち」などという誤魔化しが口を吐く。観艦式での訓示でも、言葉だけは勇ましいが、上っ面しか齧ってないから中身の無い迷演説になってしまうのだ。正に「虎を画きて狗に類す」の類(苦笑)

「一層奮励努力せよ!」とは、日露戦争の明治38(1905)年5月27日 から 翌日にかけての日本海海戦の際、トラファルガー海戦の事例に倣い、東郷平八郎連合艦隊司令長官の座乗する旗艦「三笠」のマストにアルファベット最後の文字であるZ旗を掲揚し、「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ」という意味を持たせて掲揚したのが最初だという。

 この文案は連合艦隊参謀・秋山真之とされている。日本海海戦の逸話以降、日本海軍ではZ旗は特別な意味を持つこととなり、大東亜戦争中の日本海軍でも、大規模な海戦の際には旗艦のマストにZ旗を掲揚することが慣例化した。

 因みにZ旗は船同士の意思疎通に用いる国際信号旗のひとつに過ぎないが、日本国内では、スポーツ競技の応援など負けられない勝負に挑む際に、「勝利」を祈願して用いられる場合も少なくない。

 国際信号旗はアルファベット文字旗(26種)、数字旗(10種)、代表旗(3種)、回答旗(1種)の計40種。この中でZ旗はアルファベットの【Z】の文字を示す信号として用いられる他に、単独では「私は曳き船が欲しい」、漁場では「私は投網中である」の意を示す信号としても用いる。

 夫夫の旗は、白、赤、黄、青、黒の5色からなり、各旗の組み合わせで一字~四字信号(一旒~四旒)を表し、日露戦争では、ロシアが終に X ・ G ・ E旗 を掲げた。つまり「我レ降伏ス」となり、日本が歴史的大勝利を収めたのだった。

 国際的にはZ旗は前節の意味しか有していないが、日本でのZ旗はバルチック艦隊を撃滅した象徴として特別な意味を持つ旗としても広く認知されている。

 厚顔無恥な野田は、旧海軍兵学校の「五省」も読み上げたというが、誠実さも無ければ、言行一致でもない野田が宣ったところで嗤われるのがオチだろう。

 一、至誠に悖るなかりしか(誠実さに背いていなかったか)
 一、言行に恥ずるなかりしか(言行不一致な点はなかったか)
 一、気力に缺くるなかりしか(精神力に欠いた点はなかったか)
 一、努力に憾みなかりしか(努力するのに心残りはなかったか)
 一、不精に亘るなかりしか(怠けてものぐさになっていなかったか)

 「五省」は旧海軍江田島海軍兵学校で使用されていたもので、夜間「自習止め5分前」にラッパが鳴り響くと、生徒は粛然と姿勢を正し、その日当番の生徒が自習室正面に掲げられている東郷元帥読書の「軍人勅諭五箇條」を奉読、続いてこの「五省」を次々に問いかけた。

  生徒らは瞑想し、心中でその問いに答えながら、その日一日の自分の行動について自省自戒したという。今でも自衛隊隊員や海上保安庁職員の中には「五省」を常用している人も少なくない。

 日本は「恥の文化」だと云われているが、昨今は政治家を始め、官界、財界などあらゆる場に恥ずべき行為が溢れている。こうした連中にこそ「五省」は必携であり、毎夜、自分自身に問い掛け、日々の行いを猛省するべきだ思う。

 昔で云えば「恥を知れ、恥を!」と罵っただろうが、恥を恥とも思わない輩にこの言葉は効力を発揮しない。武士道では「恥」とは侍(士)を愚弄する言葉であった為、武士は自らを省みて生きていたのだ。

 論語には「過ちて改めざる是を過ちと謂う」という言葉も在る。「反面教師」じゃないが、野田を始め恥を知ることのない輩を模範にし、自己を省み、人格陶冶(とうや)に努めなければならない。

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2012年10月14日

福島県民に勇気と感動を与えて下された両陛下

 昨日は両陛下の巡幸ということで駅まで出掛けるも、自宅近くの幹線道路をお通りになられるということで戻って奉迎することに。

 近所の住民も徐々に多くなり、画像の様に道路は規制され、通りを走るパトカーから「間もなくお通りになられます」との報せの数分後、白バイを先導に両陛下がお通り遊ばされた。両陛下の御姿に甚く感動する。

 新潟県警から応援に来たという警察官は頻りに愚生に移動する様に促すが、それを無視し、通り過ぎる車両の列に日の丸を振ってお迎えすると、皇后陛下が愚生に気付いて笑顔で手を振って下された。有難し。

 奉送は晩酌中だったので止め様と思っていたが、見送りに出た愚妻が「そろそろ来るってよ」と態々呼びに来たので路地裏からそっと見守ることにした。

 反対側だし、うす暗いし、気付かないだろうと手を振ってると、嬉しいことに陛下が我ら貧乏夫婦に気付いてくれて笑顔で会釈をして頂く。

 流石にこれには畏まり最敬礼するのが精一杯。まさか自宅の傍で、両陛下に拝する誉れに預かれるとは思いもよらなかった。

 陛下を戴く日本に生まれたことに感謝せずにはいられない。震災後二度目となる両陛下の巡幸は、県民に大きな勇気と感動を与えて下された。

 宮内庁内部には「まだ除染が完全に終わっていない地域に、両陛下が行かれるのは危険ではないか」という声があったというが、それも不敬なことだ。

 両陛下は故郷を離れて暮らす原発事故被災者と、原発の近くで生活する人々を励ましたいという強い要望から今回の訪問が実現したという。

 今年3月の東日本大震災1周年追悼式で、陛下は次の様に述べられている。

「この震災のため原子力発電所の事故が発生したことにより、危険な区域に住む人々は住み慣れた、そして生活の場としていた地域から離れざるを得なくなりました。再びそこに安全に住むためには放射能の問題を克服しなければならないという困難な問題が起こっています」

 震災以来、両陛下は亡くなった多くの犠牲者はもちろんだが、放射線の為に住み慣れた土地や故郷を離れなくてはならなくなった人々を心に留めてきた。そんな思いが、未だ放射線の不安が残る川内村への御訪問になったのだろう。

 放射線に対する不安は容易に解消出来るものではないが、巡幸遊ばされた両陛下が、御身を以てその不安解消の一助となられていることは正に大御心の何ものでもなく、実に有難く、涙が出る思いだ。

 だが、脱原発派に拠れば、あろうことか、両陛下の巡幸が原子力政策を全面支援しているものだする保守系団体がいたという。若し、これが本当なら陛下の大御心を踏み躙る蛮行であり、許されるべきものではない。  

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2012年10月13日

両陛下、震災後二度目の福島県巡幸

 本日、天皇、皇后両陛下が御来福遊ばされる。福島県民のひとりとしてこれ以上の喜びはなく、実に有難いものだ。両陛下の県内御訪問は昨年に続き2度目で、即位して5度、皇太子時代を含めると9度目となる。今回は、被災者多くが郡山市に避難している川内村での除染作業などを御視察なされる。

 反原発派から「陛下を被曝させるな」との声も聞こえるが、こうした如何にも尤もらしい詭弁には違和感を感じざるを得ない。

 両陛下が御訪問される川内村の線量は被災者が避難している郡山市より低いのだが、菅政権下での「原発周辺20キロ圏内」という意味の無い区域分けで避難しているのが現状。郡山市民に補償は無く、線量の低い住民に補償される不思議。

 原発事故を受けて、民主党の不作為から着の身着のままで郡山市へ避難したのは気の毒だが、身の回りの物を持ち帰る為に帰村する際に防護服を着用し、それを仰々しく報じられたニュースに違和感を覚えた県民は少なくない。

 それより、郡山市よりも低い地域へ戻るのに何で防護服の着用が必要なのだろうか。こうした矛盾だらけの報道や、福島県内全域が被曝の危険がさも在るかの様な世論誘導や洗脳は県民じゃなくてももう勘弁して欲しいものだ。

 被災者も原発周辺20キロ圏内ということで被災者を気取っているが、補償されるという理由から被災者ぶってるだけ。本来、政府は「SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)」の数値によって避難誘導すべきだった。

 川内村や楢葉、広野町といった線量の低い自治体の住民は、いい加減、被害者ぶるのは止めるべきで、故郷の復旧・復興に尽力するべきだと思う。それでも未だ東電からの賠償は足りないとでも言うのですか(笑)

 それにしても福島県への差別や流言飛語は止まることはない。日本生態系協会会長の池谷奉文というオッサンの「福島の人とは結婚し​ない方がいい」「今後、福島での発がん率が上がり、奇形児が発生する懸念がある」「子どもを産むな」などという根拠のない差別発言はその最たるものだろう。

「流言飛語」とは本来は「流言蜚語」と書く。その意味は「世の中で言い触らされる確証のない噂話。根拠のない煽動的な宣伝。デマ」で、「蜚」とは悪臭を放つ小さな虫の意味だ。ゴキブリは「蜚蠊」と書く様に、忌み嫌われる類のものだ。

 反原発派や震災後に早々と故郷から逃げて行った連中から福島県を貶める流言蜚語が飛び交っているのは困ったものだ。「流言は知者に止まる」とも言う。何より胡散臭げな情報を聞き及んだら検証するに越したことはない。

 一体原発では何が起こっているのか分からず、情報が錯綜し、国民の不安を感じるのも分からないでもないが、現在も福島第一原発構内で命懸けで懸命の努力を続けている人達がいる。必ずやこの方々の人知や努力が未曾有の事故を収束させ、福島をそして日本を救ってくれると信じている。

 原発事故での止まらない風評被害に苦しむ県民にとって、両陛下の川内村への御訪問は本当に心強い。両陛下の巡幸を機に県民も国民も心を一にして、より一層、復旧・復興へ向けて努力し、邁進しなければならないと思う。

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2012年10月11日

田中慶秋法相が地元暴力団との癒着

 田中慶秋法相が地元暴力団との癒着が週刊新潮ですっぱ抜かれた。田中慶秋を知る人にとって、田中ほどの悪党はいないというから、地元の有権者にしてみれば「何を今さら・・・」ってな感じだろう。

 「暴排条例」の施行によって、ヤクザと関係の無い愚生までもがとばっちりを喰らってる中で、法務大臣とヤクザとの交友が発覚したが、いっそ「暴排条例」の在り方を徹底して議論して欲しいものだ。

 島田紳助が暴力団幹部との親密な関係を理由に芸能活動から引退したのは記憶に新しい。芸能人という河原乞食とヤクザの関係など、昔から「持ちつ持たれつ」で別段驚くことでもないが、驚くのは法的には何ら問題の無い「モラル」の問題で解雇され、それを当然だと大騒ぎするマスコミと庶民の感覚だ。

 大相撲の八百長疑惑に発展した「八百長メール」もそうだったが、警察が家宅捜索した際の押収品や証拠品が捜査関係者からマスコミに齎され、事件や騒動に発展するというのは如何なものなのだろうか。

 こうしたことは「守秘義務違反」や「公務員法」に問われるばかりか、それこそ「モラル」に反するものではなかろうか。今や日本は「警察ファッショ」の時代と言っても過言ではないだろう。

「暴力団」という呼称は、警察やマスコミが戦後に命名した言葉だという。この暴力団には反社会勢力として右翼団体も含まれるらしい。

 愚生が所属していた防共挺身隊も有難いことに日本共産党からは名指しで「右翼暴力団」と蔑称されてはいたが、今や右翼団体自体が警察や国民からも暴力団とひと括りにされる様になってしまっているのは、不徳の至りと言う他ない。

 昨年10月1日、全都道府県において「暴力団排除条例(暴排条例)」が施行された。全国で適用するならば「法案」として国会に於いて制定化すべきだろうが、それが出来ないところにこの条例の胡散臭さが見え隠れする。

「暴排条例」の施行により、暴力団関係者との会食、ゴルフ、旅行などの交際を繰り返すことで、警察がその人物に対し「密接交際者」と見做し、認定を行うことを可能にするというものだ。だが、検挙されたり通報されるのは稀だ。

「密接交際者」の認定が下されれば、該当者が金融機関からの融資を受けたり、当座預金の開設が出来なくなったり、住宅の賃貸契約も出来なくなるというが、暴力団そのものより、条例が曲解され一般人が泣かされることになるのは明らかだ。

 愚生も「元右翼団体員」だということで、地元の建設協会から付き合いを断られた。これこそ条例の曲解というか拡大解釈、挙句は「法の下の平等」を謳った憲法14条違反であり、憲法よりも条例が優先されることが在ってはならない。

 暴力団の排除や根絶は大いに結構なことだ。「任侠道」といいながら、やってることは違法行為と弱い者イジメ。どこに「任侠」精神が在るというのか。「任侠」とは弱い者を助け、強い者を挫き、義の為には命を惜しまない気風をいうが、今の暴力団にそうした男気を感じることはない。

 しかし、こんな抜け穴だらけの「暴排条例」で暴力団は無くなることはない。実際、県内では除染作業や瓦礫処理、建設作業に暴力団が介入している。

 業者もハローワークで人材を募集するより、所謂「人夫出し」という人材派遣を生業にしてる連中に依頼した方が確実、しかも手っ取り早いのだ。

 抑々、警察もVシネマの観過ぎなのか、「ヤクザはこういうものだ」という固定観念が、対応をマヌケなものにしているというのは言うまでもない。

 一方で民主党亡国政府は「外国人地方参政権付与」を始め、「人権擁護法案」や「人権侵害救済法案」成立に躍起になっている。これこそ「人権」とは名ばかりの、在日や同和、部落解放同盟を優遇する売国政策だろう。

 ヤクザにはその同和や部落解放同盟、在日が大勢を占めるという。「人権侵害救済法案」などの愚策が可決されれば「暴排条例」の効力は失うことになるのは必至だろうが、それともそれこそが狙いなのか。

 それにしても「暴排条例」が反社会勢力の排除が目的だとというなら、民主党こそ反社会勢力の筆頭で、暴力団より先ずは「民主党排除条例」でも施行したら如何だろうか。尤も法務大臣がヤクザなんだもの「暴排条例」で十分か。呵呵。

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2012年10月05日

「男女共同参画社会」という妄想を廃止しよう!

 我が国が明治維新の大業を成し遂げ、西欧に見習って国民の全てに「姓」を与え、新しい家族制度を整えた。国民が家族の理想にしたのは、皇室の姿でした。

 正に日本の家族制度は教育勅語に在る様に「父母に孝に兄弟に友に夫婦相和し朋友相信じ」であり尊いものである。 欧米の教育は個人が生存権に勝つ為のものであり、辺り構わぬ闘争が行われ、働く目的は金と享楽の追求のみ。

 それ故に、家族の絆は緩み道徳の深さは生活から離れ、結果、唯物主義の考え方が支配的となり、人々の心を孤独化している。

 我が国の個人主義は極僅かで、世代に亘る家族の絆は固く、互いの助け合いによって人間本来の善良な姿と優しい心が保たれている。これは、国民が皇室の家族の在り方を見本にしているからであり、我が国の家族制度は世界に誇れるものだ。

 戦後、我が国は「道徳教育」を廃止し、最早「忠孝」という言葉は死語になり、教育界からも社会からも危険な言葉とされてしまった。

 その結果が、現在の教育の荒廃と家族崩壊に繋がっている。「忠」とは愛国心、「孝」とは親孝行であり、国の教育の基本であり目的であるべきものなのだ。

 教育勅語でも「我が臣民克く忠に克く孝に億兆心を一にして世々其の美を済せるは此れ我が国体の精華にして教育の淵源亦実に此に存す」と明解に述べている。

 忠孝の教育を否定する日教組によって教育が荒廃し、当然、愛国心の涵養など行われることもなく、「夫婦別姓」によって家族制度の崩壊を画策した。

「男女共同参画社会」という妄想によって日本の国柄をも変えようとしている事実に、保守派の議員からも同調する声が上がっていることは憂慮に堪えない。

「夫婦別姓」や「男女共同参画社会」は、唯物論とマルクス・レーニン主義に冒された精神異常者やジェンダーフリーを叫ぶ性的変質者の、その重症の病が生んだ狂気であり妄想である。

「夫婦別姓」や「男女共同参画社会」こそ、ソ連や東欧諸国崩壊後、日本国内に巣食う極左勢力が考え抜いた「共産(共参)社会」実現の日本崩壊へのシナリオと言っても過言ではない。 それらが自民党政権下で謀られた。

 看護婦さんを「看護師」、女優は「俳優」、「婦警」さんではなく「女性警察官」、「男女混合名簿」やら「男女共学」・・・

 こうした愚策の実行に組まれた予算がナント年間10兆円。左翼勢力へこの予算の多くが垂れ流されているのは言わずもがな。

「男女共同参画社会」や「ジェンダーフリー」などという妄想を廃止すれば、消費税の増税など画策する必要も無く、復興予算も十分確保できるだろうし、畢竟、それが日本再生への大きな転換期となるだろう。

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2012年10月03日

ところで、拉致問題担当大臣の田中慶秋って誰よ・・・

 野田第三次改造内閣を発足させたが「誰よ、こいつ!?」ってな顔ぶればかりで、目玉が田中真紀子だというのだから民主党の人材不足を露呈するばかり。

 これが三年前、「政権交代で日本が変わる」と期待した政権の顔ぶれだと思うと情けないやら、可笑しいやら、笑い過ぎて涙が出るわ。

 田中慶秋という爺さんが法相兼拉致問題担当相に就いた。聞けば、地元神奈川県ではヤクザを凌ぐ悪党で評判らしい。でも、出身は福島県だという。

 原発事故で被災した浪江町生まれということで、野田にしてみれば被災者への目眩ましなのだろうが復興にしろ、野田内閣のやる気の無さが窺える。

 田中慶秋が拉致問題に係わったという話は聞いたことがない。それとも愚生が知らないだけなのか。尤も民主党政権下、歴代の担当大臣を見ても中井やら仙石やら山岡なんてのもいたし、今更田中が就いたところで驚きはしない。

 拉致問題担当大臣を辞任にした松原仁は取材で「極めて心残りだ」と言ったというが、「人権機関設置」の閣議決定を知りながら外遊していたのも実に不可思議な行動で、小沢派「一新会」幹部として暗黙の了解だったのではなかろうか。

 田中慶秋が拉致担当大臣なら、拉致問題解決の足を引っ張り続けた田中真紀子が文科省の大臣様だもの、拉致問題の解決は益々遠退くばかりだ。

 北朝鮮のボンボン息子の金正男が不法入国し、拉致問題解決の千載一遇のチャンスを逃した真紀子だが、先日の日中国交正常化四十周年で中共に招待された結果報告なのか、閣僚就任の記者会見で「日本の歴史教育には欠陥がある。全面的な歴史的事実を日本の次の世代に伝えるべきだ」と語ったという。

 現在の教育指導綱要に言及し、近現代史の歴史内容について「この様な教育には問題が存在すると思う」と語り、「日本国内の出版社や政治家の歴史教育に対する考え方は夫夫だが、全面的な歴史的事実を日本の次世代に伝え、国民が考え、判断する様にしなければならない。そうでなければ日本人は国際社会で発言権を得ても何も話せなくなってしまう」と、至極真っ当な言い分を述べたという。

 だが、このバカ女の「全面的な歴史的事実」とは、それこそ自虐史観そのものであり、中共や韓国に阿るものにしなければならないということなのだ。

 今迄にもこのバカ女は、外務大臣時代に教科書問題で支那人や朝鮮人の如く扶桑社の教科書に難癖を付けたのは記憶に新しい。或いは李登輝総統の訪日に関して難色を示し、小泉の靖國神社への参拝にも抗議し、厚顔無恥を曝け出した。

 人品賤しく、過去の発言や行動を見ても、とても我が国の大臣とは思えないものだった。外務大臣として日本を貶し、今度は国家の大本である「教育」を司る文科省の大臣として我が国を貶め続けるつもりか。

 安倍新総裁は「日本の国に誇りの持てる教育を!」と力強く語り自虐史観からの脱却を訴えたが、それと真逆な教育がバカ女によって施されて行くだろうことを我々国民は拱手傍観している訳には参らない。

 我が国の国益を踏み躙り、中共政府の言文と寸分も違わない発言を繰り返す田中真紀子は民主党政権の目玉ではなく、民主党政権に止めを刺す大臣となるだろう。

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2012年10月02日

中学校時代の担任だった寅さんが亡くなった

 先日、釣友であり小中学校の同級生の哲ちゃんと強か飲んで、仕上げに本宮市の洋食レストラン「かなざわ」へピザとナポリタンを食べに立ち寄った。

「今度、寅さんを呼んで『罵詈雑言を浴びせる会』をやりたいねぇ」と話してたら、ママが「寅彦先生、亡くなったって聞きましたよ」と神妙な表情。

「寅彦」とは愚生の中学時代の担任だった高橋寅彦のことで、この店のママも寅彦の教え子で、この店で寅さんの話題でよく盛り上がったものだ。

 寅彦は名うての日教組の組合員で、「オレが国会に出した法案で成立したのが二つあるんだ」が自慢だった。一つは昔は何処の学校にも在った「特殊学級」(ひまわり学級)を廃止させたらしく、もう一つは何だったか忘れた(笑)

 自分が右翼活動家になった要因は、中学時代の担任の高橋寅彦と副担任の遠藤四郎というバリバリの日教組組合員の影響が大きいい。

 遠藤四郎は教員退職後に日本共産党の市会議員になったことでも理解出来るだろう。その所為か「日教組大会」での活動には特に力が入ったものだ(笑) 

 その昔、実家に帰っていた際に、他の学年の同級会に出席していた寅さんと遠藤四郎に遭遇し、雑談やら政治談議をしたことがある。遠藤四郎がいきなり「五郎、オメエは天皇制は絶対だと思ってんのか」と聞いてきた。

「天皇は制度でもないし、天皇は天皇だよ。日本人として生まれ、日本人として恩恵を享けていながら、天皇や皇室を否定する理由はない。それなら、共産主義とはなんだ。矛盾だらけだべ。こないだの『赤旗』の値上げは、労働価値観じゃなく、売上げ低迷からの資本主義の論理だし、ソ連なんてのは絶対崩壊するよ」と応じた。

 序に「共産党のくせに公務員の給与で家を建てて、安住しながら『革命』もないっての」と愚生。この一言に遠藤四郎は激怒し、「五郎、にしゃとは話しになんねぇ」と席を立ち、残った寅さんは、「五郎、オメエは大したもんだな。俺は退職してから建てたが、遠藤四郎は現役時代に建てたからな(笑)」

 この数年後、愚生の予想通りソ連が崩壊したのは言うまでもない。中学校時代の寅さんは、職員会議での結果如何で様子が分かった。海軍上がりの根本三郎校長と遣り合った時は機嫌が悪く、そのとばっちりをよく受けたものだ。

「おまえら天皇は自分のことを何て呼ぶか知ってるか?」。この質問に同級生はちんぷんかんぷん。そこで愚生は「朕だろ!」と応えた。

 寅彦は唖然とし、褒めるどころかすかさず「そうだ、チンポコのチンだ」というと周りは爆笑、こういうことを平気でやっていたのが日教組組合員の寅彦だった。 

 中間テストが終わり午後から映画鑑賞というある日、給食の食器を片付けていたら、「今、食器を投げたのは誰だ!」と言うなり、ビンタを2、30発打たれたことがあった。教室の前で始まって後ろの席までずっと殴られぱなし(笑)

 打たれた愚生はさっぱり意味も分からず、「貴様、帰れ!」という言葉を聞くなり、「じゃ帰ります、皆さん、さようなら!」と教室を後にし、職員室に寄ってラーメンの出前の注文を取って帰宅した。

 帰り際に寅さんは「親父じゃねぇ、母ちゃん来る様に言え」と一言。帰ったってそんなこという訳はない。「母ちゃん、先生の出前の注文貰って来たよ(笑)」

 実家は食堂で、昔の先生方はよく出前を取ったものだった。愚生が小学校時代には、中学校へ出前に行くとおつりを駄賃としてくれた先生は、それこそ寅さんと体育の担任だった原先生くらいだったと記憶している。

 職員室に立ち寄っても先生らは何ら不信感を抱くでもなく、「なんだ五郎、帰って出前の手伝いか」と実に大らかな時代だった。

 帰宅して店の手伝いをしていると突然寅彦が訪れた。親父が「何だ寅さん、顔色悪いが何か用か(笑)」と聞けば、「五郎君の件で・・・」と神妙な顔。

 親父は忙しい中でも対応した。「で、何だい、五郎のことってのは」と親父が聞くと、「すいません。最近五郎君が投げやりだったのでチョッと殴ってしまったんです」の台詞に、親父は「別に五郎が悪いことしたなら殴ればいいが、『すいません』と謝ったところを見ると本当は違うんじゃないのか、寅さんよ(笑)」

 これを聞いて寅彦は「すみません」を繰り返すばかり、その後、寅彦の願いを受けて学校へ戻り映画観賞会に。くだらない文部省指定の映画だったと記憶している。

 中学時代に入ってた囲碁将棋クラブも寅彦が担当だった。諍いは多かったが、卒業してからはなんだかんだと言いながらも馬が合ったのも事実。囲碁を再開し、寅さんに教えを乞おうと思っていただけに突然の訃報は返す返すも残念の一言。

 そういや数年前、寅彦から突然連絡を貰ったことがあった。聞けば、何やら実弟との遺産相続を巡って土地絡みの諍いがあるらしく、「五郎、アノおっかないのはやってんだろ。チョッと若い連中使って嚇かしてくれないか」という相談だった。

「寅さんよ。若いのを使えばカネも要るし、俺がちゃんと話してやってもいいが、日教組で共産党員が右翼の教え子を使ったんじゃシャレにならないんじゃね~の」と笑ったが、その後、寅さんからの相談は途絶えた(笑)

 副担任の遠藤四郎も一年前に亡くなり二本松の斎場で告別式を行ったという。無神論の共産党員が御経を上げるってのも不思議で、所詮は信念もクソもなかったのだと軽蔑もしたくなるが、寅彦は葬儀も挙げず、戒名も要らず、ひっそりと亡くなったことに「先生、敵ながら天晴!」だったと褒めてやりたい心境になった。合掌。

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