2012年10月

2012年10月30日

経済再生は、先ず「人々の心の赤字」を解消すべし

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 第百八十一臨時国会が召集され野田首相が衆院本会議で所信表明を行った。最大の課題は「経済再生」だろうが、「一票の格差是正」や「外交・領土問題」、「社会保障制度改革」「公債発行特例法案」「震災復興」などの取り組みを、野田は「明日への責任」だと語ったが、政治家なら誰しも「明日への責任」が在るのは当然で、それを恥じも外聞もなく誇らしげに演説する処が実に野田らしい。

 野田は明日への責任より現在の責任を果たすべきだ。

 三年前の総選挙前、民主党は徹底して無駄を省き、財政再建を断行すると大見得を切った。だが、いざ政権に就いたのはいいが、言ってみるのとやってみるのじゃ大違いで、結局、上げないと言ってた消費税を上げると言い出した。

 我が国の歳入は約40兆円余りで、その殆どは社会保障費で消えてしまう額だ。残りの予算では教育費も公共事業費も賄えず、防衛費程度のものだが、今や防衛費より生活保護費の方が上回っており、この現況こそ我が国の精神的貧困を現すものではないだろうか。

 本来、生活保護費は「日本国憲法第25条」及び「生活保護法」に則り日本人に限られ支給される。つまり、在日を始めとした外国人への支給は明らかな法律違反であり、早急に見直すべき重要な問題だ。人道的という甘い措置が不良外国人の増殖を招いているのだ。

 不正受給には毅然とした対応で臨み、不正受給した外国人に対しては厳罰に処し、当然、賠償請求すると共に「払えない」とか「払わない」なら本国へ送還し、その国に賠償請求すべきであろう。

 高齢者への年金支給にしろ医療費負担にしろ、或いは就職難民やワーキングプアと言われる連中にしろ、「高齢者だから」とか「弱者だから優遇されるのが当然だ」という甘い認識で大手を振って歩いているが、こうした精神構造を改めない限り、慢性的な経済悪化は避けられないだろう。

 財政再建で有名な歴史上の人物は米沢藩第九代藩士の上杉鷹山だろう。鷹山は藩主として、逼迫する財政を改革に立ち上がるが、その際に、「受け継ぎて 国の司の身となれば 忘れまじきは 民の父母」(藩主として自分の仕事は、父母が子を養う如く、人民の為に尽くすことである)と詠まれた。

 そして鷹山が先ず手を付けようとしたのが、領民の心だ。

 「単に帳簿上の赤字を克服すれば財政再建が出来るという訳ではない。今は困窮の余り、この国の人々は目先の利益のことしか考えず、他人のことを思い遣れなくなっている。人々の心にも赤字が生じてしまったのだ。これを克服しなければ、喩え帳簿上の赤字を克服したとしても、また同じことを繰り返すだろう」

 どうだろう、現代にも当て嵌まると思いませんか。

 二宮尊徳も、「経済なき道徳は戯言であり、道徳なき経済は犯罪である」と訓えているが、政府がやるべきことは財政再建も当然ながら、同時に道徳教育の徹底を図らねばならないのだ。

 道徳教育で大事なものは幼年期の「躾」であり、そして、道​徳教育の根本は「教育勅語」に示されている通り「忠孝の道」を確​立することの在る。

 愚生のブログの冒頭に哲学者・西晋一郎の言葉を記しているが、「我が民族の将来と国家の前途を思うは人間の最も真剣なる感情であり、君国に忠、親に孝なるは最も現実なる道徳である。之を離れては人類愛も世界的正義も空想に過ぎない」という、野田政権に足らないものは、正に国への忠誠心と親への孝養である。

 野田の演説は言葉は立派だが響くものが無いのは不徳の致すところだろう。

 国の将来を憂うる危機感と切迫した使命感を全うするには、立ち止まってる時間は無いというが、屋上屋を架す様なことで我が国が直面する難題を解決出来るほど容易ではない。

 それでも三党合意を反故にし「明日への責任」として経済再生を行う気概が在るというなら、上杉鷹山公が曰われた様に、「人々の心の赤字」を解消する為にも先ずは道徳教育の充実を図るべきなのだが、教育を司る文部科学省の大臣が田中真紀子だものシャレにもならない。


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2012年10月29日

「平和主義の理念」を守るというなら


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 次期民主党代表候補でもあり民主党の顔でもある細野豪志政調会長は講演で、「平和主義の理念を確り守ることが必要だ」として、次期総選挙では、改憲を掲げる自民党や日本維新の会、石原新党との対立軸を明確にする考えを示した。

 だから民主党はダメなのだ。尤も民主党は周知の通り、護憲派の自治労や日教組、同盟などが支持母体であり、「輿石支配」なのだから「憲法改正」など表明出来る訳はない。日本の政治がいつまで経っても進歩がないのはこういうことだ。

 現憲法は国の最高法規とは言えない代物で、実に矛盾だらけ。

 「平和主義」にしても、憲法第9条に在る「戦争放棄に関する条項」は、世界大戦後に国連が勧めた「不戦条約」がその源であり、日本やアメリカ、イギリス、フランス、イタリアなど多くの国が締結している。

 しかし、戦争放棄の国際条約を結んで世界から戦争が無くなったかというと、皮肉な事に条約とは全く正反対の道を歩んで往った。

 「平和主義」を憲法で謳っている国は80ヶ国以上に上り、イタリア、スペイン、ハンガリー、エクアドル、フィリピンは日本と同じ規定が或る。

 護憲派は「世界で唯一の平和憲法」と賛美している様だが、これこそ無知と日本人の奢り以外の何ものでもない。

 第9条第1項で、「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と武力による威嚇または行使は国際紛争を解決する手段としては永久に放棄する」としながら、第2項で「前項の目的を達成する上で陸、海、空の戦力は保持しない。また国の交戦権これを認めない」とは理解に苦しむ。

 これを読めば、悲しいことに自衛隊は憲法違反の存在なのだ。

 歴代首相の靖國神社への参拝は、政教分離を謳った第20条違反であり、所謂「A級戦犯分祀論」も靖國神社への政治介入であり同法違反だ。

 「私学助成金制度」は第89条違反。公金その他の財産は国とは関係のないものに使用してはならず、朝鮮学校の無償化だとか、公金の流用は言語道断だ。

 田中角栄は、日本が主権を回復した昭和20年4月28日に締結した「日華国交条約」という国際条約を、「日中国交条約」締結の際に一方的に破棄したが、これは明らかな憲法違反であり、つまり「日中国交条約」は無効であろう。

 第98条には「いかなる理由があろうとも、日本が締結した条約は破棄してならない」と明記されている。抑々先の大戦で我が国が戦ったのは中華人民共和国ではなく、中華民国という現在の台湾であり、戦後、独立を果たした中共ではない。

 第96条には憲法改正の条項が明記されて在る。

 「国会議員の3分の2以上が発議し国民の過半数の同意」で憲法改正が出来るととされているが、これに基づき発議すれば、憲法99条に明記されている「天皇及び摂政、国務大臣、全ての公務員は憲法を遵守しなければならない」とあり、改憲発議自体、憲法を遵守していないことに問われることになるのだ。

 「現内閣では憲法改正は致しません」という不毛空論の議論が繰り返されて来たのはその為だ。石原慎太郎が現憲法「無効論」を訴えているのは蓋し正論であろう。最早矛盾だらけの日本国憲法は、改正するより破棄した方が手っ取り早い。

 自主憲法も創ればいいが、憲法を創案出来るほどの人物は見当たらない。ならば、大日本帝国憲法(欽定憲法)を復元し、改正、追記するのが一計だろう。

 成文憲法のある世界の国の中で最も古いのは1789年の米国。次いでノルーウェー、ルクセンブルグ、スイスと続く。昭和22年の日本は15番目だ。

 ところが米国を始め何処の国も時代に即し改正しており、一字一句改正されていない日本国憲法は、今や世界で最も古い憲法となっている。

 憲法は国の基本法であり、時代の流れに応じて変えていくものだ。環境問題、情報公開、プライバシー保護、尖閣列島や竹島に見られる主権問題など、憲法を施行した時代からは想像もしなかった程社会は変化している。

 改正議論が進まない理由の一つに「護憲派」の抵抗があるのは当然だが、細野の様な「平和主義」という綺麗ごとで議論をも避けられて来た結果である。

 戦後米国が我が国を統治するが、統治時代に「朝鮮戦争」が勃発する。主権を回復したのはいいが、憲法を改正し再度軍事力を持てば米国に駆り出されるのは必至であり、吉田茂らは非武装を謳っている現憲法を利用したというのが事実だろう。

 本来なら自民党が改憲政党として発足した昭和30年に早々に改正すれば済むことだったのだろうが、高度成長や景気対策を優先する余り、それを怠ったのが原因であり、自民党の怠慢以外の何ものでもない。

 平和主義の理念を守れば平和が訪れる時代ではない。平和というのは自分達で創り出すものだ。今迄の平和は単なる偶然と米国の軍事力の御蔭だ。

 魂なき繁栄に現を抜かし、まやかしの平和をいつまでも貪っている訳には参らないのだ。今こそ日本衰退の元凶である日本国憲法の「平和主義」という偽善を取り払い、真の平和を創造しなければならない。

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2012年10月27日

2045年までに「米軍基地全廃」するんだってよ

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 石原慎太郎は新党結成に当たり「薩長連合」を引き合いに第三局の「大連合」を呼び掛けている。保守連合による第三局を狙うのかと思いきや要は野合でも構わないということだろうが、所詮はネオコン、新保守主義の石原らしい。

 最近は何でもかんでも「保守」「保守」というが、石原や「日本維新の会」の橋下らは新自由主義を標榜する経済保守であり、これは保守の中でも「新保守主義」というものであって民主党や自民党にも多くいるパターンだ。

 新自由主義とは「未来が全て」という考え方で、日本の政治家が目指すべきは伝統や文化を重んじる「伝統保守」であり、国益や国家への奉仕を尊重する「国家保守」という正統な保守主義者の出現だ。

 「保守」は色々在れど、正統な保守主義とは過去の意味を理解し、その中に価値を見出すことが肝要なのだ。

 「日本維新の会」は2045年までに「米軍駐留全廃」を公約に掲げるという。米軍基地の撤廃や日米安保体制の見直しは大いに結構なことだが、それが何故に終戦百年後となる2045年なのだろう。

 「国防」という国家の大本を米国に委ね、まやかしの平和を享受して来たツケが一気に露呈しているという認識は誰もが共有しているだろう。

 抑々自国は自国で守るというのは当然のことであり、国防とは防衛力によって単に領土だけを守るということではなく、「それが亡くなれば日本ではなくなってしまうもの」を死守することなのだ。

 大東亜戦争後、我が国は米国の51番目の州にならずに済んだのは、単純に帝国主義が崩壊していたからで、その代わりに半ば強制的に「日米平和(後の日米安保)条約)を締結させられ、この歪な体制が現在も続いている。

 我が国が冷戦時代にも極端に少ないGNP1%以内の国防費で済んだのも米国の御蔭であろうが、その結果、経済的繁栄を遂げたのは皮肉なことだ。

 だが経済的発展を遂げれば遂げるほど人心は荒廃し、様々な弊害が生まれたのも事実だろう。だが、そろそろ米国依存の体制からの脱却を図らねばならないし、共産主義を指導原理と崇める中共との関係も見直すべきだろう。

 昔からアジアの動乱の原因は米国と共産主義だったという事実を忘れてはならない。主権回復も儘ならない我が国が拱手傍観を極め込んだままでは、事在る毎に米中の覇権争いに巻き込まれ、我が国ばかりか再び極東アジアとアジア全体に不幸を齎すことは火を見るより明らかだ。

 ならば、大東亜戦争終結百年後の33年後と言わず、早々に憲法改正、或いは自主憲法制定に立ち上がり、日米安保体制を見直すと同時に、中共の共産党一党独裁体制に物申し、共産主義を崩壊させる様に対策を講じるべきだ。

 二十世紀最大の害悪はファシズムでもナチズムでも、況してや我が国の軍国主義でも帝国主義でもない。共産主義だ。

 先の大戦で我が国が「アジアの人々に謝罪」する必要があるというなら、その最大の過ちは共産主義の跋扈を許したことであり、その償いはその共産主義を失くすことに在り、平和世界の構築には共産主義の崩壊こそが必要不可欠なものだ。

 我が国の政治家は美辞麗句を並べるのは上手だが、其処には理想も無く、真に国益を守ろうなどという気概など全く感じない。残念ながら連中が守りたいのは国柄ではなく、己らの体制だけの様に思えてならない。

 人間がやろうと思ったことや考えたことは実現するという。日本維新の会は33年後にも未だ日米体制が続き、中共による帝国主義が蔓延っているという前提だが、33年後は愚生はこの世にはいないが、出来ることなら日米安保も共産主義も軍事力も無い平和な世界になっていて欲しいものだ。


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2012年10月26日

石原慎太郎が新党結成するも過度な期待はしなさんな!


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 石原慎太郎が新党結成に動いた。尖閣問題に火を点けた張本人としては当然だろう。だが石原への過度な期待は、「小沢一郎ならやってくれるに違いない」との妄想と同じで単なる幻想に過ぎない。

 作家だけあって時代を読んだ過激な言葉で国民を煙に巻くが、マスコミの使い方が上手で要は潮流に乗るのが上手なだけだ。揶揄する言葉は天下一品だが言葉だけが独り歩きし、一歩間違えば田中真紀子と同じタイプだ。

 平成7年、勤続25年を祝う掲額議員の国会での記念講演に於いて石原は、国会の機能不全と政治家の無能を糾弾し、政治の世界から引退を表明した。だが、間もなく前言を翻し都知事選挙に出馬する。

 政治家の発言した言葉は重い。現役右翼だった頃、田園調布の自宅に、都知事選出馬を翻意させようと抗議文を出したことがある。

 間もなく、右翼の世界にも顔が利く暴力団の某親分から連絡が来た。石原プロに相談したのだろう。話し合いは終始紳士的な対応で、結果は丸く収まった。だが、今回の国政復帰にはやはり違和感を感じる。

 報道によれば伸晃が惨敗し期待が持てなくなったからだという。伸晃に何を期待していたというのだろう。伸晃なんぞ何の実績も政治的哲学も何もないではないか。臍で茶を沸かすとはこのことだ。

 その昔、鹿児島県知覧町の「富や旅館」に泊ったことがある。ここは特攻隊員の母と言われたトメさんの旅館だ。そこの客間には石原慎太郎から送られた手紙が大きくコピーされ掲げられていた。

 その文章はトメさんを称えるものであったが、そこにはあろうことか「大東亜戦争」ではなく、「太平洋戦争」と記されていたのには目を疑った。

 そういや以前は「支那」という発言も、中共から「差別だ」との謂れなき抗議に、「もう使わない」とあっけなく取り下げた。だが最近はまたいけしゃあしゃあと「シナ」などと呼んでいるが、前言を翻すのは何とも思わないらしい。

 まぁ都議会でも、「陛下」を共産党ばりに「天皇」と呼んでたくらいだから別段驚きはしないが、マスコミを使うのも上手いし、他の政治家よりは真面なのだろうが、中曽根康弘の様な老害を振りまくのだけは勘弁して頂きたいものだ。

 東京への五輪招致や横田基地の問題、新銀行の不正問題、築地市場の移転問題など山積してるだろうに、それらを全て無責任にも中途半端に放り出して、国政復帰し、「第三極だの」「大連合を」などと言われても実に痴ましい。

 皆さんは、「黒シール事件」を知ってますか?

 ググれば出て来ますので、暇なら御一読してみたら如何ですか。

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2012年10月24日

昔の映画や落語の台詞に耳を欹てる


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 「座頭市」やら「眠狂四郎」「鬼平犯科帳」「小津安二郎」「黒沢明」などの昔の映画や古典落語、或いは童謡や軍歌、懐メロなどに出て来る難しい日本語に、思わず耳を欹(そばだ)ててしまうことがある。

 こうした古い映画や落語などには懐かしくも美しい日本語が溢れている。こうしたことを気にしながら観たり聴いたりするのは実に楽しいものだ。

 「憚り様でした」 (ご苦労様です。恐れ入ります)
  「傍杖を食う」 (思わぬ災難に遭う)
 「荷が勝つ」 (責任・負担が重過ぎる)
 「武士は相身互い」 (同じ立場の者は助け合うべし)
  「罪業の深さ」 (罪の原因となる行為)
 「浮世に拗ねる」 (世の中に逆らう)
  「卒爾ながら」 (人に声をかける時に言う語)

 その他にも、 「阿漕(あこぎ)な奴」「お為倒し(おためごかし)」「朝未だき」「足元から鳥が立つ」など、余り馴染みのない言葉や台詞が出て来る。

 娯楽や趣味だからこうした難解な言葉を四六時中考え、気にしている訳ではないが、この「四六時中」という何気に使っている言葉も昔は「二六時中」と言ってたそうだ。一日を十二刻で数えていた時代には「二六時中」だったが、二十四時間になって「四六時中」に変わったという。

 言葉は移ろうものだが、どういう人がどういう風に使っているのかを知れば、また違った世界を知ることが出来る。日本語と言うのは実に素晴らしいと思う。

 先日、地元紙に天皇皇后両陛下の御来県での愚生の投稿が採用された。だが驚いたことに、敬語の部分が殆ど校正され無惨なものになっていた。地方紙とはいえ、やはりマスコミによる「反天皇制活動」の一環である「敬称、敬語不使用運動」は全国共通の様だ。

 因みに投稿した原文は次の通り。

 「先週、天皇、皇后両陛下が御来県遊ばされた。両陛下の県内御訪問は昨年に続き二度目で、今回は、被災者多くが郡山市に避難している川内村での除染作業などを御視察なされた。近くの幹線道路をお通りになるということで奉迎することに。通りを走るパトカーから「間もなくお通りになられます」との報せの数分後、白バイを先導に両陛下がお通り遊ばされた。宮内庁内部にも「まだ除染が完全に終わっていない地域に、両陛下が行かれるのは危険ではないか」という声があったというが、両陛下は故郷を離れて暮らす原発事故被災者と、原発の近くで生活する人々を励ましたいという強い要望から今回の訪問が実現したという。放射線に対する不安は容易に解消出来るものではないが、両陛下が御身を以てその不安解消の一助となられたことは、福島県民のひとりとして涙が出るほどありがたいものだった」

 マスコミによる「敬称・敬語不使用」や「開かれた皇室論」の姿勢は今や国内に蔓延し、天皇陛下や皇室に対する敬愛の念を薄れさせている。両陛下や皇太子妃殿下、悠仁親王殿下への一連の報道を見ても、無礼極まるものばかりだ。

 国内に蔓延する日本語の乱れを直すことこそ喫緊の課題だろう。日本人が日本語を正しく使わずして、「国際化社会」などとは痴ましい。

 明治の先覚者は、外来語を全て新漢字に翻訳し、西洋文化を学んだ。現代人の様に外来語をそのまま羅列し、軽薄な舶来趣味と比べれば、明治人の気骨と気概、高い見識を伺い知ることが出来る。日本語に自信を持ち、何処までも日本語で主張し、日本文化を貫いたからこそ発展が得られたのだ。

 今こそ美しい日本語文化を世界に普及し、我が国の和の心を伝え、世界平和の実現を図る上でも、日本人自身が乱れた日本語を正すことこそ大事だ。

 忙中閑あり、小津安二郎の映画はちと長いですが、こうした古い映画から日本の在るべき姿が見えて来るかもしれませんぞ。呵呵。

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2012年10月23日

最早、政治家には「滅私奉公」は死語となった・・・


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 共産党一党独裁の中共による拡張主義は今や日本周辺やアジアの恐怖となっているが、江戸時代末期に強引な拡張主義を行っていたのは帝国ロシアだった。

 その象徴的な事件は1861年(文久元年)の「ロシア軍艦対馬占領事件」だ。不凍港を求めて南下したロシアが対馬をロシア領にしようとする。半年に亘る我が国の抗議は聞き入れられず、最後はイギリス艦隊が圧力を掛けて排除した。

 この一件で「力こそ正義」であることを思い知った我が国は、以後、自らの安全保障の為に「日清・日露戦争」に向かって直走ることになる。

 日本の開国前後、欧米列強が日本植民地の意図を持って押し寄せて来る。あの当時、有色人種の完全な主権国家は日本、トルコ、タイ、エチオピアの四ヵ国だけであり、世界は、軍事力や経済力で他国や異文明を捩じ伏せ、植民地することが当り前の帝国主義の時代だった。

 260年の「鎖国」から目覚めた我が国が生き残る道は、白人の植民地となるか、有色人種初の帝国主義国家に生まれ変わるかの何れかの道しかなく、我が国が選択したのは後者であった。

 たった十数年の維新で誕生した明治政府は「富国強兵策」を執り、「封建的農業国家」を一気に「帝国主義的近代工業国家」に改造し、不平等ながら欧米列強と開国条約を締結するに至る。 

 幕末の安政5年(1858年)、井伊直弼はアメリカ・イギリス・フランス・ロシア・オランダの5ヵ国と夫夫、「日米修好通商条約・日英修好通商条約・日仏修好通商条約・日露修好通商条約・日蘭修好通商条約」条約、所謂「安政五ヶ国条約」を締結する。

 その後も、ポルトガル、プロシアとも同様の条約を結び、その後更にスイス、ベルギー、イタリア、デンマーク、明治になってからスペイン、スウェーデン・ノルウェー、オーストリア・ハンガリー等とも条約を締結した。

 幕府が各国と締結したこれらの条約は、治外法権による「領事裁判権」を承認させられたり、「関税自主権」を認められなかったり、我が国にとっては実に屈辱的で不平等なものだったのだ。

 攘夷派は「勅許を待たずに調印した条約は無効」としてこれを認めず、独断専行した井伊を厳しく非難。その結果、朝廷と幕府間の緊張が一気に高まり「安政の大獄」や「桜田門外の変」などの事件が勃発したのは誰もが知るところだ。

 明治政府は各国と条約改正交渉を断続的に行われたが、その進展は捗捗しくなく、条約の不平等な部分が解消されるのは、実に日露戦争大勝利後の明治44年(1911年)のことだった。

 日露戦争が齎した歴史的課題の本格的実現は、大東亜戦争を待たなければならないが、世界史にとっても日本史にとっても重要な「日露戦争勝利」という出来事が、余りにも軽く扱われているのは悲しいことだ。

 今から約110年前、先人が決然たる態度で一戦を決した大英断は、民族の魂の記憶として誇り高く永く後世に継承して往かなければならないのだ。

 国際法的整備を終えた我が国が直面したのが朝鮮半島の為体だった。韓国併合に至る歴史はアジアの近代史を知る必要があろう。

 あの時代、韓国独自での巨大ロシアの排除など到底無理で、況してや近代国家建設の道は日本の助力なしでは在り得ず、寧ろ、日本による韓国保護の必要性を認め、日本と一体となった上で民族の自立発展の道を模索しようとした「日韓合邦派」の主張こそが現実的だった。

 無論、その合邦派も最後は韓国併合の現実に一切沈黙せざるを得なかった。この悲劇の現実こそが、日韓関係の日韓関係たる所以なのだ。

 ロシアが侵略を謀った対馬を、今、恩を徒で返すが如く韓国が虎視眈々と狙い、一方の中共は沖縄をそして日本本土の併呑を謀っている。

 国内を見渡せば党利党略ばかりで、頭の中は「解散」と次の選挙のことばかり。とてもこの我が国を取り巻く危機的状況を共有しているとは思えない。

 特例公債法案や一票の格差是正も結構だが、政治家は私心を捨て、我が国の国土と国民の安全を最優先に考え行動しなくてはならない。

 だが、最早、我が国の政治家には「滅私奉公」というのは死語の様だ。

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2012年10月21日

週刊朝日の橋下騒動は「人権救済法案」へのマッチポンプ!?

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「ハシシタ、救世主か衆愚の王か」 「奴の本性」との大見出しで橋下大阪市長の出自を暴き、あからさまな「橋下イジメ」を宣言した週刊朝日が、第一回目で早々に謝罪し、橋下も「ノーサイド」と朝日新聞の取材拒否を撤回した。

 政治家としての橋下市長の本性や政治姿勢を暴くのはジャーナリストとして当然の行為だろうが、橋下の両親や、ヤクザだった父親の自殺や従兄弟が殺人犯だった話を得々と書てどうなるというのか。普段、朝日が声高に叫んでる「人権」や「差別」との整合性も合わない。

 朝日は今までも「従軍慰安婦問題」や「南京大虐殺」などを捏造するなど、売国的記事で国家と国民の名誉を傷付けているのは余程のバカでない限り知っている。現在でもそれを謝罪していないし、それどころか未だに日本を貶めることに必死で、「反日偏向・自虐史観」は朝日の社是でもある。

 ああも簡単に橋下に謝罪したことは驚いた。「橋下イジメへの謝罪」だというなら、難病指定の「潰瘍性大腸炎」で苦しんだ安倍総裁への誹謗中傷には謝罪しないどころか、「安倍の葬式はうちが出す」と言いたい放題で、辻褄も合わない。

 橋下は今回の騒動を受け、ツイッターで次の様なツイートをしている。

 「メディアは人権擁護法案にとことん批判してきた。言論の自由の抑制に繋がると。しかしメディアの中できちんと自浄作用が働かなければ、メディアの抑制も必要になる。確かに僕は公人だから、個人がメディアに攻撃を受けるのと少し文脈が違うが、それでもメディアがどこまで今回の件を自己検証できるのか」

 メディアが「人権擁護法案にとことん批判」しているということは初耳だが、橋下が批判すべきは朝日の報道姿勢であり、人権擁護法案が無いばかりにこうした記事が生まれるのではない。

 最近は「日本維新の会」の支持率は下がる一方で、橋下のメッキも剥がれつつあった。今回の騒動でマスコミに取り上げられ、有権者は橋下の生まれた環境や生き方に同情し、支持率が恢復するのは必至だろう。橋下はそれも十分承知で書かせたのではなかろうか。

 橋下は騒動後、頻りに「やはり人権擁護法案は必要ではないか」「部落差別が大好きな朝日新聞から身を守るためにも人権擁護法案の早期成立が必要」だと発言しているのをみても、一連の騒動は「人権擁護法案」や「人権救済法案」へのマッチポンプではないのだろうか。

 今回の騒動では、ある意味当事者であろう部落解放同盟も沈黙を続けている。差別に敏感な部落解放同盟が黙する理由は何なのだろう。

 「差別」表現で思い出されるのは、沖縄集団自決の日本軍の命令した証拠として採用されている、大江健三郎が現地取材も無しに書き上げた岩波書店のフィクション「沖縄ノート」だ。

 大江はこの本の中で、「25年ぶりの屠殺者と生き残りの再会」という差別表現を堂々と使用し、沖縄での戦死者を「虐殺者」という表現ではなく犬や豚の如く「屠殺者」に準えている。

 岩波書店が昭和63(1987)年に発刊した「報道写真家」の中では、「戦場という異常な状況下では牛や豚などの家畜の虐殺と同じになる」という記述が問題にされ、回収処分となっている。

 ならば「沖縄ノート」も同様に、差別表現の最たるものとして絶版にすべきだろうが、「沖縄ノート」はマスコミからも部落解放同盟からも糾弾もされず、それどころかアホな裁判官がこれを「沖縄集団自決軍命令」の証拠として採用し、摩訶不思議な判決を出した。

 大江健三郎のみ「神格化」される理由は何か。橋下の記事で部落解放同盟が沈黙する理由は何なのか。過去に部落解放同盟が出した「神格化したものの考え方を一掃したい」という声明は嘘なのか。

 要するに「沖縄ノート」以来、差別表現は解禁されたということで、別段、週刊朝日が差別など気にせず、第二、第三弾を出したところでどうだっていいことだ。

 橋下のイメージは公立学校での国旗国歌の強制というタカ派的イメージであり、朝日と橋下の対決は国民から見れば、「左翼VS保守」と捉えられるだろうが実際には胡散臭げな構図だ。

 部落解放同盟の沈黙といい、朝日と橋下は「人権擁護法案」「人権救済法案」で共闘した様な気がしてならない。それともやはり生まれ育ったあいりん地区への愛着からか、自分を犠牲にして法案成立に動き出した橋下が強かだということか。


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2012年10月20日

10月20日という日を考えてみた


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 本日10月20日は皇后陛下の御生誕日。戦前は「地久節」と呼ばれました。謹んで御祝詞を申し上げますと共に、皇室の弥栄を御祈念致します。

 昭和19年10月20日、フィリピンのレイテ島に圧倒的勢力で上陸を図ろうとする米軍部隊へ、起死回生の反撃、更に連合軍の沖縄への上陸、本土決戦を阻止しようと帝国海軍・大西瀧次郎中将の指令下、「神風特別攻撃隊」が編成される。

 祖国を守る為に死を決意して志願した特攻精神は、祖国愛の極致というべきもので「神風精神」こそは、大東亜戦争が自存の為の「祖国防衛戦争」だったことの何よりの証だろう。

 沖縄戦でも特攻部隊が重要な役割を果たし、特攻戦死者の実に76%が沖縄戦で亡くなっている。鹿屋基地(海軍航空)からの特攻で1981名、知覧基地(陸軍航空)からの特攻で1036名の合わせて3017名。

 特攻は航空だけではなく、特殊潜航艇、回天魚雷、空挺特攻、対戦車特攻、震洋特攻艇、陸軍海上特攻など劣勢を覆す為の特攻作戦でも3972名と、実に多くの若者が祖国日本の為に尊い命を捧げられた。

 特攻作戦をを「無駄死」だとか「可哀想」だとかいう声も散見するが、現在の道徳観で生死を語るなど笑止千万、現在の平和や繁栄は彼らの尊い犠牲の上に成り立ってるということを決して忘れてはならない。

 19年前の10月20日、右翼のカリスマ的指導者だった野村秋介烈士が朝日新聞社で壮絶な死を遂げた。当時、色々と囁かれたが、野村烈士がこの日を選んだのには「特攻作戦」と「若者の命」という深い意味が込められていたのだ。

 参議院選挙期間中に週刊朝日誌上で「風の会」を「虱の会」と揶揄する。所詮漫画家のシャレということで許されるだろうと思っていたのだろうが、そこには品格も何もない悪意が込められていた。

 未だ米国による戦後占領政策から目覚めることもなく、自虐史観にどっぷり浸かったまま日本を咎め続ける。何でも腐し、そういう冷笑的な態度を執ることこそが真のジャーナリズムだと思っている。

 憲法で「報道の自由」は保障されているが、そこには「新聞倫理綱領」に明記されている様に、高い倫理意識が備わっていなければならないし、自らを律し、品格を重んじなければならないのだ。

 橋下大阪市長への罵詈雑言も、そうした驕りから出たものであり、「風の会」での反省も教訓も生かされていない証左だろう。

 橋下市長の本性を暴くのは吝かではないが、橋下の両親や、ヤクザだった父親の自殺や従兄弟が殺人犯だった話を得々と書てどうなるというのか。普段、声高に叫んでる「人権」や「差別」はどうなってるの。

 日本の政治の混乱に陥る要因は政治家の資質も然ることながら、朝日の様な低能ジャーナリズムの所為であり、国家衰退の元凶と言っても過言ではない。

 話しはガラッと変わるが、今月は「神無月」と呼ばれるが、出雲地方では逆に八百万の神が集まるので「神有月」と呼ばれている。

 全国から集まった神様達が、国中の縁結びの会議を催すという。こうした神話は日本人でなくても誰もが温かい気持ちになる楽しい伝説だろう。

 神無月に出雲に赴かない「留守神」とされた「えびす神(夷、戎、胡、蛭子、恵比須、恵比寿、恵美須)」や「かまど神」を祀り、一年の無事を感謝し、五穀豊穣、商売繁盛を祈願するのが、10月20日の「えびす講」だ。

 地方や社寺によっては、旧暦の10月20日であったり、1月10日だったりするが、七福神で唯一の日本の神様ということもありのか親しみのある神様だ。

 「商売繁盛笹持って来い!」じゃないが、オータムジャンボもダメだったし、手元不如意から抜け出せる様に、えべっさんに頼んでみようか。呵呵。

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2012年10月19日

男の酒のうれしさは  たちまち通う意気と熱

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 一昨日、八王子市の親戚の叔父の葬儀に出席する為に上京した。親戚の中でも八王子の叔父と叔母には本当に世話になった。福島の田舎から上京し大学生となった昭和54年、優しく迎えてくれた叔父の笑顔を今でも鮮明に覚えている。

 貧乏学生だった愚生に腹一杯に御馳走を振る舞ってくれ、帰りには小遣まで頂戴した。愚生だけでなく誰にも親切で、本当にも自慢の叔父と叔母だった。叔母も七年ほど前に幽冥境を異にしたが、葬儀の遺影は、大好きだった叔母の下へ往くことになって何となく微笑んでいる様にも見えた。

 葬儀告別式も終え、従姉妹のお姉さん方を引き連れ東京駅へと向かった。

 夕方、大阪から出張中の大学の後輩との一献を八重洲地下街の天麩羅屋「ハゲ天」でやることとなってたのだが、嬉しいことにそこに大学の先輩でもあり、某県議会の副議長でもあるS氏が「では、私も」と飛び入りすることになった。

 「男の酒」という吟がある。「一献歌」ともいうが、正に昨日の一献はこの歌の通りの想い出深い、愉しい酒席となった。

 1 男の酒の嬉しさは  忽ち通う意気と熱
    人生山河 険しくも 
  君盃を 挙げ給え  いざ我が友よ 先ず一献

 2 秋月影に酌むもよし 春散る花に酔うもよし
    哀れを知るや 英雄ぞ
   君杯を 挙げ給え いざ我が友よ 先ず一献

 3 美人の酌に酔えばとて 今宵は今宵何かある
    男は明日に 生きるもの
   君杯を 挙げ給え いざ我が友よ 先ず一献

 S先生と言うか先輩は、国士舘大学時代には少林寺拳法部に所属した手練れの猛者。琉球拳法部に所属したことがある愚生だが、先輩でもあり三代目総隊長だった對馬も少林寺拳法部だったこともあり、少林寺拳法部の先輩方には知人も多い。

 先ずはビールで乾杯。その後先輩は芋焼酎のお湯割り、愚生はロック。酔いも絶好調となり、程なく後輩のT氏も合流、大学時代の他愛もない話で盛り上がる。

 あっという間に時間は過ぎ、S先輩は県政の大事な仕事の為に退座することに。S先輩に於かれましては貴重な時間を割いて同席頂いた上に、御勘定までして頂き、痛み入る。押忍、先輩、ごっつあんでした。

 その後はT氏と二人で立ち飲み屋で二次会、何を話し、何で盛り上がったかもハッキリ記憶にないが、ホント「男の酒の嬉しさは忽ち通う意気と熱」を実感した一献となった。

 こうした「横議横行」は大好きだ。「横議横行」とは辞書には「勝手に論ずる」とか「勝手気儘に歩く」という意味が書かれているが、旅をし、知り合った方々と議論を交わすくらい愉しいものはない。同窓生や気の置けない友なら尚更だ。

 唯、呑み過ぎてしまい、翌日は猛省するのが御決まり。やはり昨日も呑み過ぎたのは言う迄もない。呵呵。

 人生とは正に「邂逅」の一言に尽きる。




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2012年10月17日

本日から靖國神社では秋季例大祭

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 今日から靖國神社では秋季例大祭。本日は「清祓の儀」が行われます。靖國神社には数えられないくらい来ているが、初めて「清祓の儀」を拝見し感激した日から早いもので一年が過ぎた。
 
 明日からは当日祭、第二日祭、第三日祭と続きます。皆さんも、終戦記念日やみたままつりの喧騒さとは違う静謐な境内で、御神霊と静かに心を通わせては如何でしょうか。

 靖國神社は終戦記念日のイメージから八月に参拝する人が多い様に感じるが、今月、来月に参拝する人が多いといいます。近年、遺族や戦友が御高齢となり参拝が減少される中で、終戦記念日に参拝する若年層や家族連れが増えている。

 靖國神社に拠れば、今年8月15日の参拝者は16万1千人。過去最高は平成17年の20万5千人。平成12年に5万5千人だったことを見ても、ここ数年の参拝者の増加が目立つ。

 それと反比例し、年々政治家の参拝は減少している。「みんなで靖國神社を参拝する会」などと仰々しく銘打っていても参拝する国会議員は精精数十人程度だ。政客の意識改革は喫緊の課題だろう。

 参拝客の増加には、所謂「ネット右翼」や「愛国ブーム」も影響しているのだろうが、昨年より5000人減少していることを見ても、保守ブームに翳りが見えてきた感も否めない。

 だが、自分では良かれと思った行動が「贔屓の引き倒し」になっている場合も無きにしも非ず。終戦記念日に、多くの右翼団体や軍事マニアやネット右翼が大挙して参集するのは頂けない。やはり静謐な環境を整え、畏れ多くも陛下の御親拝を実現せねばならないと思う。

 日本は悠久の歴史と民族の一体性に恵まれているが、皮肉なことに、国の礎となった英霊の方々は国家から顧みられることが少ない。このことがどれだけ国民精神の頽廃を招いているのか、政治家は考えたことがあるだろうか。

 愛国心の欠落、その結果としての国防意識の低下、日本人としての誇りや自信の喪失、子殺しや親殺し等々、日本の社会に蔓延する問題の全てはそこに起因していると言っても過言ではない。

 自分達の先祖にきちんと向き合うことが出来なくて、どうしてまともな国家を築くことが出来ようぞ。「この国を断じて守るぞ!」という気概と信念と勇気が大事なのだが、如何せんそれらが乏しい様だ。

 混迷する日本の再生に取り組むに当り、最も重要なことは靖國神社に眠る神霊の時代を超えた囁きに耳を傾けることだ。

 今日、叔父の通夜に上京し、明日の告別式の後にでも参拝しようと思っていたが、序に参拝するのは失礼なので例大祭への出席は見送ることにした。

 最近は一人で詣でることが多く、靖國神社に参拝した後は、文人墨客らが愛した九段下の「寿司政」で軽く一杯やるのが至極贅沢な愉しみだったが最近はとんと行ってない。そういや去年は赤羽の「米山」だったなぁ。

 寿司政もそうだが、最近は「通し」で営業してる江戸前の店も少なくなり、酒飲みとしては少し淋しく感じる時代になった。

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※画像は昨年の秋季例大祭の「清祓の儀」


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2012年10月16日

「一層奮励努力せよ!」なんて訓示されてもなぁ

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 日曜日に挙行された海上自衛隊の観艦式で野田首相は、尖閣諸島を巡る緊張や周辺諸国の情勢を念頭に「自衛隊の使命は重要性を増している」との認識を示し、旧海軍兵学校の「五省」を引用しながら、「諸君が一層奮励努力することを切に望む」と訓示した。

 相変わらず声だけはいいし、弁舌を揮ってはいるがどうも心に響かない。野田は首相就任時にも勝海舟の言葉を引用し、「政治家に求められるのは正心誠意の四文字が在るのみ」と強調し、「正心誠意とは、自らの心を正しくし、政治家としての良心に忠実にすることだと、野田自らその意味を説明した。

 野田に在るのは正心誠意どころか、自己保身と民主党政権の延命だけだ。

 「正心誠意」とは、勝海舟の談話集「氷川清話」に記されている。元々は儒教の古典「大学」の一節、「其の身を修めんと欲する者は、先ず其の心を正しくす」の部分を、海舟が政治家の秘訣として「政治家は、唯唯正心誠意在るのみ。この四文字に拠りて遣りさえすれば、譬え如何なる人民でも心服しない者はいない。何事も知行合一でなければならない」と訓えた。

 政治家として言葉の重みも知らない故に、「近いうち」などという誤魔化しが口を吐く。観艦式での訓示でも、言葉だけは勇ましいが、上っ面しか齧ってないから中身の無い迷演説になってしまうのだ。

 正に「虎を画きて狗に類す」とは野田のことを言うのだ。

 「一層奮励努力せよ!」とは、日露戦争の明治38(1905)年5月27日 から 翌日にかけての日本海海戦の際、トラファルガー海戦の事例に倣い、東郷平八郎連合艦隊司令長官の座乗する旗艦「三笠」のマストにアルファベット最後の文字であるZ旗を掲揚し、「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ」という意味を持たせて掲揚したのが最初だという。

 この文案は連合艦隊参謀・秋山真之とされている。日本海海戦の逸話以降、日本海軍ではZ旗は特別な意味を持つこととなり、大東亜戦争中の日本海軍でも、大規模な海戦の際には旗艦のマストにZ旗を掲揚することが慣例化した。

 因みにZ旗は船同士の意思疎通に用いる国際信号旗のひとつに過ぎないが、日本では、スポーツ競技の応援など負けられない勝負に挑む際に「勝利」を祈願して用いられる場合も少なくない。

 国際信号旗はアルファベット文字旗(26種)、数字旗(10種)、代表旗(3種)、回答旗(1種)の計40種。この中でZ旗はアルファベットの【Z】の文字を示す信号として用いられる他に、単独では「私は曳き船が欲しい」、漁場では「私は投網中である」の意を示す信号としても用いる。

 夫夫の旗は、白、赤、黄、青、黒の5色からなり、各旗の組み合わせで一字~四字信号(一旒~四旒)を表し、日露戦争では、ロシアが終に X ・ G ・ E旗 を掲げた。つまり「我レ降伏ス」となり、日本が歴史的大勝利を収めたのだった。

 国際的にはZ旗は前節の意味しか有していないが、日本でのZ旗はバルチック艦隊を撃滅した象徴として特別な意味を持つ旗としても広く認知されている。

 厚顔無恥な野田は、旧海軍兵学校の「五省」も読み上げたというが、誠実さも無ければ、言行一致でもない野田が宣ったところで嗤われるのがオチだろう。

 一、至誠に悖るなかりしか(誠実さに背いていなかったか)
 一、言行に恥ずるなかりしか(言行不一致な点はなかったか)
 一、気力に缺くるなかりしか(精神力に欠いた点はなかったか)
 一、努力に憾みなかりしか(努力するのに心残りはなかったか)
 一、不精に亘るなかりしか(怠けてものぐさになっていなかったか)

 「五省」は旧海軍江田島海軍兵学校で使用されていたもので、夜間「自習止め5分前」にラッパが鳴り響くと、生徒は粛然と姿勢を正し、その日当番の生徒が自習室正面に掲げられている東郷元帥読書の「軍人勅諭五箇條」を奉読、続いてこの「五省」を次々に問いかけた。

  生徒らは瞑想し、心中でその問いに答えながら、その日一日の自分の行動について自省自戒したという。今でも自衛隊隊員や海上保安庁職員の中には「五省」を常用している人も少なくない。

 日本は「恥の文化」だと云われているが、昨今は政治家を始め、官界、財界などあらゆる場に恥ずべき行為が溢れている。こうした連中にこそ「五省」は必携であり、毎夜、自分自身に問い掛け、日々の行いを猛省するべきだ思う。

 昔で云えば「恥を知れ、恥を!」と罵っただろうが、恥を恥とも思わない輩にこの言葉は効力を発揮しない。武士道では「恥」とは侍(士)を愚弄する言葉であった為、武士は自らを省みて生きていたのだ。

 論語には「過ちて改めざる是を過ちと謂う」という言葉も在る。「反面教師」じゃないが、野田を始め恥を知ることのない輩を模範にし、自己を省み、人格陶冶(とうや)に努めなければならない。


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2012年10月14日

福島県民に勇気と感動を与えて下された両陛下


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 昨日は両陛下の巡幸ということで駅まで出掛けるも、自宅近くの幹線道路をお通りになられるということで戻って奉迎することに。近所の住民も徐々に多くなり、画像の様に道路は規制され、通りを走るパトカーから「間もなくお通りになられます」との報せの数分後、白バイを先導に両陛下がお通り遊ばされた。

 新潟から応援に来たという警察官は頻りに愚生に移動する様に促すが、それを無視し、通り過ぎる車両の列に日の丸を振ってお迎えすると、皇后陛下が愚生に気付いて笑顔で手を振って下された。

 奉送は晩酌中だったので止め様と思っていたが、見送りに出た愚妻が「そろそろ来るってよ」と態々呼びに来たので路地裏からそっと見守ることにした。反対側だし、うす暗いし、気付かないだろうと手を振ってると、嬉しいことに陛下が我ら貧乏夫婦に気付いてくれて笑顔で会釈をして頂く。

 流石にこれには畏まり最敬礼するのが精一杯。まさか自宅の傍で、両陛下に拝する誉れに預かれるとは思いもよらなかった。陛下を戴く日本に生まれたことに感謝せずにはいられない。震災後二度目となる両陛下の巡幸は、県民に大きな勇気と感動を与えて下された。

 宮内庁内部には「まだ除染が完全に終わっていない地域に、両陛下が行かれるのは危険ではないか」という声があったというが、両陛下は故郷を離れて暮らす原発事故被災者と、原発の近くで生活する人々を励ましたいという強い要望から今回の訪問が実現したという。

 今年3月の東日本大震災1周年追悼式で、陛下は次の様に述べられている。

 「この震災のため原子力発電所の事故が発生したことにより、危険な区域に住む人々は住み慣れた、そして生活の場としていた地域から離れざるを得なくなりました。再びそこに安全に住むためには放射能の問題を克服しなければならないという困難な問題が起こっています」

 震災以来、両陛下は亡くなった多くの犠牲者はもちろんだが、放射線の為に住み慣れた土地や故郷を離れなくてはならなくなった人々を心に留めてきた。そんな思いが、未だ放射線の不安が残る川内村への御訪問になったのだろう。

 放射線に対する不安は容易に解消出来るものではないが、巡幸遊ばされた両陛下が、御身を以てその不安解消の一助となられていることは正に大御心の何ものでもなく、実に有難く、涙が出る思いだ。

 だが、脱原発派に拠れば、あろうことか、両陛下の巡幸が原子力政策を全面支援しているものだする保守系団体がいたという。若し、これが本当なら陛下の大御心を踏み躙る蛮行であり、許されるべきものではない。

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2012年10月13日

両陛下、震災後二度目の福島県巡幸

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 本日、天皇、皇后両陛下が御来福遊ばされる。福島県民のひとりとしてこれ以上の喜びはなく、実に有難いものだ。両陛下の県内御訪問は昨年に続き2度目で、即位して5度、皇太子時代を含めると9度目となる。今回は、被災者多くが郡山市に避難している川内村での除染作業などを御視察なされる。

 反原発派から「陛下を被曝させるな」との声も聞こえるが、こうした如何にも尤もらしい詭弁には違和感を感じざるを得ない。両陛下が御訪問される川内村の線量は被災者が避難している郡山市より低いのだが、菅政権下での「原発周辺20キロ圏内」という意味の無い区域分けで避難しているのが現状だ。

 原発事故で着の身着のままで郡山市へ避難したのは気の毒だが、身の回りの物を持ち帰る為に帰村する際に防護服を着用し、それを仰々しく報じられたニュースに違和感を覚えた県民は多い。

 郡山市よりも低い地域へ戻るのに何で防護服の着用が必要なのだろうか。こうした矛盾だらけの報道や、福島県内全域が被曝の危険がさも在るかの様な世論誘導や洗脳はもう勘弁して欲しいものだ。

 被災者も原発周辺20キロ圏内ということで被災者を気取っているが、本来、政府は「SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)」の数値によって避難誘導すべきだったのだ。

 川内村や楢葉、広野町といった線量の低い自治体の住民は、いい加減、被害者ぶるのは止めるべきで、故郷の復旧・復興に尽力するべきだと思う。それでも未だ東電からの賠償は足りないとでも言うのですか。

 それにしても福島県への差別や流言飛語は止まることはない。日本生態系協会会長の池谷奉文というオッサンの「福島の人とは結婚し​ない方がいい」「今後、福島での発がん率が上がり、奇形児が発生する懸念がある」などという根拠のない差別発言はその最たるものだろう。

 「流言飛語」とは本来は「流言蜚語」と書く。その意味は「世の中で言い触らされる確証のない噂話。根拠のない煽動的な宣伝。デマ」で、「蜚」とは悪臭を放つ小さな虫の意味だ。ゴキブリは「蜚蠊」と書く様に、忌み嫌われる類のものだ。

 反原発派や震災後に早々と故郷から逃げて行った連中から福島県を貶める流言蜚語が飛び交っているのは困ったものだ。「流言は知者に止まる」とも言う。何より胡散臭げな情報を聞き及んだら検証するに越したことはない。

 一体原発では何が起こっているのか分からず、情報が錯綜し、国民の不安を感じるのも分からないでもないが、現在も福島第一原発構内で命懸けで懸命の努力を続けている人達がいる。必ずやこの方々の人知や努力が未曾有の事故を収束させ、福島をそして日本を救ってくれると信じている。

 原発事故での止まらない風評被害に苦しむ県民にとって、両陛下の川内村への御訪問は本当に心強い。両陛下の巡幸を機に県民も国民も心を一にして、より一層、復旧・復興へ向けて努力し、邁進しなければならないと思う。


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2012年10月11日

田中慶秋法相が地元暴力団との癒着


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 田中慶秋法相が地元暴力団との癒着が週刊新潮ですっぱ抜かれた。田中慶秋を知る人にとって、田中ほどの悪党はいないというから、地元の有権者にしてみれば「何を今さら・・・」ってな感じだろう。

 「暴排条例」の施行によって、ヤクザと関係の無い愚生までもがとばっちりを喰らってる中で、法務大臣とヤクザとの交友が発覚したが、いっそ「暴排条例」の在り方を徹底して議論して欲しいものだ。

 島田紳助が暴力団幹部との親密な関係を理由に芸能活動から引退したのは記憶に新しい。芸能人という河原乞食とヤクザの関係など、昔から「持ちつ持たれつ」で別段驚くことでもないが、驚くのは法的には何ら問題の無い「モラル」の問題で解雇され、それを当然だと大騒ぎするマスコミと庶民の感覚だ。

 大相撲の八百長疑惑に発展した「八百長メール」もそうだったが、警察が家宅捜索した際の押収品や証拠品が捜査関係者からマスコミに齎され、事件や騒動に発展するというのは如何なものなのだろうか。

 こうしたことは「守秘義務違反」や「公務員法」に問われるばかりか、それこそ「モラル」に反するものではなかろうか。今や日本は「警察ファッショ」の時代と言っても過言ではないだろう。

 「暴力団」という呼称は、警察やマスコミが戦後に命名した言葉だという。

 この暴力団には反社会勢力として右翼団体も含まれる。愚生が所属していた「防共挺身隊」も有難いことに日本共産党からは名指しで「右翼暴力団」と蔑称されてはいたが、今や右翼団体自体が警察や国民からも暴力団とひと括りにされる様になってしまっているのは、不徳の至りと言う他ない。

 昨年10月1日、全都道府県において「暴力団排除条例(暴排条例)」が施行された。全国で適用するならば「法案」として国会に於いて制定化すべきだろうが、それが出来ないところにこの条例の胡散臭さが見え隠れする。

 「暴排条例」の施行により、暴力団関係者との会食、ゴルフ、旅行などの交際を繰り返すことで、警察がその人物に対し「密接交際者」と見做し、認定を行うことを可能にするというものだ。

 「密接交際者」の認定が下されれば、該当者が金融機関からの融資を受けたり、当座預金の開設が出来なくなったり、住宅の賃貸契約も出来なくなるというが、暴力団そのものより、条例が曲解され一般人が泣かされることになるのは明らかだ。

 愚生も「元右翼団体員」だということで、地元の建設協会から付き合いを断られた。これこそ条例の曲解というか拡大解釈、挙句は「法の下の平等」を謳った憲法14条違反であり、憲法よりも条例が優先されることが在ってはならない。

 暴力団の排除や根絶は大いに結構なことだ。「任侠道」といいながら、やってることは違法行為と弱い者イジメ。どこに「任侠」精神が在るというのか。「任侠」とは弱い者を助け、強い者を挫き、義の為には命を惜しまない気風をいうが、今の暴力団にそうした男気を感じることはない。

 しかし、こんな抜け穴だらけの「暴排条例」で暴力団は無くなることはない。実際、県内では除染作業や瓦礫処理、建設作業に暴力団が介入しているのは紛れもない事実で、業者もハローワークで人材を募集するより、所謂「人夫出し」という人材派遣を生業にしてる連中に依頼した方が確実、しかも手っ取り早いのだ。

 抑々、警察もVシネマの観過ぎなのか、「ヤクザはこういうものだ」という固定観念が、対応をマヌケなものにしているというのは言うまでもない。

 一方で民主党亡国政府は「外国人地方参政権付与」を始め、「人権擁護法案」や「人権侵害救済法案」成立に躍起になっている。これこそ「人権」とは名ばかりの、在日や同和、部落解放同盟を優遇する売国政策だろう。

 ヤクザにはその同和や部落解放同盟、在日が大勢を占めるという。「人権侵害救済法案」などの愚策が可決されれば「暴排条例」の効力は失うことになるのは必至だろうが、それともそれこそが狙いなのか。

 それにしても「暴排条例」が反社会勢力の排除が目的だとというなら、民主党こそ反社会勢力の筆頭で、暴力団より先ずは「民主党排除条例」でも施行したら如何だろうか。尤も法務大臣がヤクザなんだもの「暴排条例」で十分か。呵呵。

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2012年10月09日

夫婦別姓制度導入は戸籍制度改廃への一里塚

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 「夫婦別姓が男女平等の理想」とか「別姓は仕事上の不都合を生む」といった胡散臭げな理由を不審に思う国民が多くなり、「夫婦別姓」運動は廃れたが、夫婦別姓推進派はそれでも執拗に「選択的夫婦別姓」という新たな戦略で国民を煙に巻こうとしている。

 平成10年以来、「民法の一部を改正する法律案」が国会に十数回提出され、選択的夫婦別姓制度について議論がなされているが、日本には馴染まない為か国民的合意には至っていない。

 自民党議員が十年以上騙された「夫婦別姓」運動と同じ騙され方をしているのが「選択的夫婦別姓」や「女性宮家」問題であり、こうしたカタチを替えた共産主義に騙されてはならない。

 明治維新以後、国民の全てに「姓」を与え、戸籍を整え、家族の絆の重要性を教えた。国民が家族の理想にしたのは、皇室の家族の在り方であり、正に日本の家族制度は、父母に孝に兄弟に友に夫婦相和しと言われる様に尊いものだ。

 欧米の教育は個人が生存権に勝つ為のものであり、辺り構わぬ闘争が行われ、働く目的は金と享楽の追求のみ。それ故、家族の絆は緩み道徳の深さは生活から離れ、結果、唯物主義の考え方が支配的となり、人々の心を孤独化している。

 日本の個人主義は極僅かで、世代に亘る家族の絆は固く、互いの助け合いによって人間本来の善良な姿と優しい心が保たれている。

 「夫婦別姓制」の導入を許せば家族の一体感を損ない、子供に与える精神的影響も大きく、事実婚を増加させ、離婚の増加や婚姻制度の崩壊を齎すのは明らかだ。

 日本は「一夫一婦制」だが、別姓は「一夫多妻制」というか、今の時代風に言えば「一婦多夫制」だろうか、別姓が罷り通れば不倫なんぞ当たり前、倫理観や道徳観が低下するだろうことは明らかだ。

 既に「選択的夫婦別姓制度」を導入した、イタリア、オーストリア、ドイツ、デンマーク、スウェーデン、ハンガリー、フランス、スペインなど欧州の国々では婚姻率が4割以上も減り、離婚率が2倍となり、婚外子の割合が5割も増加した。

 北欧、フランスでは婚外子が5割を超え、従来の家族制度が崩壊している。「選択的夫婦別姓制度」の導入が最大要因だ。

 抑々、婚姻に際し氏を変える者で職業上不都合が生じる人にとって、通称名で旧姓を使用することが一般化しており、婚姻に際し氏を変更するも、関係者知人に告知することにより何の問題も生じない。

 また、氏を変えることにより自己喪失感を覚えるという様な意見もあるが、それよりも結婚に際し同じ姓となり、これから新たな家庭を築くという喜びを持つ夫婦の方が圧倒的多数であり、極めて一般的な普通の感覚だろう。

 夫婦同姓は、普通の日本人にとって極めて自然な制度であり、「別姓」が導入され、別姓世代が続けば家系は確実に混乱して、日本の戸籍制度や家族制度は瓦解し、祖先と家族・親と子を結ぶ連帯意識や地域の一体感、ひいては日本人の倫理道徳観にまで悪影響を及ぼすのは必至だ。

 仄聞されている様に「選択的夫婦別姓」導入が「戸籍制度解体」への一里塚となる可能性は否定出来ない。

 日本の社会で家族とその絆を支えているのが「戸籍」なのだが、戸籍は、国民の出生・結婚・死亡などの身分の変動を「夫婦と未婚の子」を単位として登録するシステムであり、戸籍制度は結婚や相続など家族生活を営む上で極めて重要な役割を担うと同時に、実は家族の一体感を維持する機能も有している。

 ところが、別姓推進派の中には「別姓導入は戸籍制度改廃への一里塚だ」とする考え方が根強く存在するのは事実で、普通なら「別姓するくらいなら結婚などしなきゃいい」と思うが、あくまでもその目的が「戸籍法の改正」に在るのだとすれば合点が行くというものだ。

 推進派は、現在の戸籍制度が家族単位である点を戦前の「家父長制度」の残滓と捉え、戸籍を個人単位の「個籍」や、欧米諸国を模した「個人登録制」に改めることを求めているが、別姓導入によって「家族の絆」が弱まるだけではなく、別姓導入は初めから家族制度の解体を意図した策動とも言えるのだ。

 つまり、夫婦別姓は、それ自体が目的ではなく、日本の誇る戸籍制度そのものの崩壊を目的とするものだと言っても過言ではないだろう。

 現在は民法と戸籍法によって婚姻のときの氏の決め方が定められている。

 民法第750条には「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」と明記されている。つまり夫となる人、または妻となる人の何れか一方の「氏」を夫婦の氏とするということだ。

 この規定を大半の人は「片方が氏を変える」と理解しているが、「氏は自分個人の名前の一部」という誤解が混乱を招いているのも確かだろう。

 日本の「氏」というものは、個人を表す名称ではなく、明治維新以前には武士や大店の商人以外は氏などない。明治維新で、戸籍を整える為に全ての国民に「氏」を与え、国民は皇室の家族の在り方を理想としたのだ。

 戸籍を見れば分かるが、戸籍の筆頭者のみが氏と名で書かれており、その他の家族は続柄と名しか書かれていない。つまり、氏は家族を表す名称なのだ。

 日本人の日本人らしさの根幹をなすのが「戸籍制度」であり、個人だけでなく、親兄弟や子といった、歴史の縦軸の中に生きるという制度だ。正に我が国の「戸籍制度」は世界に誇る制度であると言えよう。

 「世界ではこうだ」とか「何処何処の国では・・・」という尤もらしい意見を散見するが、他所の国なんぞどうでもいいではないか。

 我が国は異文化を吸収し、より善いものを生み出す国民性であり、天皇を族長と仰ぐ家族国家という国體は万邦無比だ。

 日本の優れた「家族制度」と「戸籍制度」こそ世界に普及させよう!


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2012年10月08日

「ハッピーマンデー」とか言ってるが、何がハッピーなんだろうな・・・


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 連休の昨日は、実家の「小浜の紋付祭り」を見に出掛け、同級生の古山、菅野、佐藤君らと一献。気の置けない仲間との痛飲ほど愉しいものはない。小浜新町若連の桑原君も途中に参戦し、更に盛り上がった。

 夜中の12時過ぎに実家に戻ると兄が未だ起きていて、久々盃を酌み交わしながら2時過ぎまで政治談議、安倍総裁のへの期待で一致した。

 今日は御霊櫃峠に軽くトレッキングしに行こうと思っていたが完璧な二日酔いで諦め、中ノ沢温泉にでも酒を抜きに出掛けることにしよう(笑)

 本来「体育の日」は東京オリンピックが開催された10月10日だが、「ハッピーマンデー」なる愚策こそ、国體破壊を目的として施行されており、左翼陣営はこうした既成事実を積み重ねることによって、日本の歴史や伝統、文化を否定する論拠とするのだ。

 「ハッピーマンデー」なんぞ百害有って一利無し、早々に改定を図るべきだ。旧暦を復活させ、新暦と併用すれば休日の意味も国民には分かり易いだろう。

 祝日といえば中華民国(台湾)では辛亥革命(1911)の武昌蜂起を記念して10月10日を「双十節」と呼び,最大の祝日となっている。

 「中華人民共和国」は昭和24年(1949)の建国を記念して10月1日を国慶節と呼び,最大の祝日としている。これについで中国共産党創立(1921)7の月1日,中国人民解放軍建軍(1927、南昌蜂起)の8月1日,メーデーの5月1日および春節(旧正月3ヵ日,陰暦)が主な祝日だ。

 日本に滞在している支那人らの多くが帰国する。そういや先日、夜な夜な酔っ払いのオヤジらを誘惑をしているマッサージ店の支那人のネエちゃんらも「帰国するあるよ」と喜んでいたが、如何わしい仕事をしながらも、祖国の建国を祝おうとする良心は大したものだ。

 日頃、中共は恥も外聞も無く、「中国4000年の歴史」などとホザいているが、建国は1949年で、戦争終結から4年後のことで、本当はたった63年の歴史しかない新興国なのだ。

 建国以来、共産主義を最高原理として崇め、神や仏という共産主義を超える最高の存在を許さず、人民には基本的人権は無く、信仰の自由も認めない。現代中国こそ世界最大の「帝国主義国」「植民地主義国」であり、共産主義国との善隣友好など徒夢だ。

 60年余りの中共建国以来、様々な出来事が起こっている。1959年、共産主義化、漢民族化に反発したチベット人が中共軍に対し蜂起した。所謂「サラ蜂起」だ。北京オリンピック直前、「チベット騒乱」が起こったのも、この「サラ蜂起」の記念日に誘発されたものだ。

 中共軍の膨大な軍事力を背景に弾圧され続ける少数民族の抵抗はチベットに止まらず、内蒙古、新疆、ウイグルなどでも今でも続いている。

 大躍進政策失敗と中印戦争。文化大革命中の中ソ国境衝突。経済近代化の失敗と中越戦争。天安門事件やユーゴの中国大使館誤爆事件。民主化を求める「0八憲章」運動に取り組む人民も年々増え、13億の人民の不安は極に達し、この不満が中共政府に向かうのは時間の問題。

 今こそ世界も足並みを揃え、中共の圧政を糾弾すべきだ。12年前、法輪功の信者が北京の中南海を占拠した。その後中共政府は法輪功を徹底的に弾圧したが、共産党脱党を推し進める法輪功は4500万人を脱党させるという事態に。法輪功に限らず、共産主義の撲滅は世界の悲願であり、支那の民主化が世界平和を齎すと言っても過言ではない。

 最近では共産主義への警戒感からか、強硬派、特に軍部の突出が目立ち始め、「空母の建造」や「東シナ海のガス田掘削」「南シナ海領有権問題」など、隣国との国境紛争が続いている。尖閣列島での漁船衝突事件や度重なる領海侵犯は、強硬派の抵抗の証左であり、中共政府は日本を標的に人民の反日感情を煽り、苦境を乗り切ろうと試みている様だが、情報化社会が発達した今日、その姑息な統制が続くとも思えない。

 日本では相変わらず支那成長を伝えるキンピカ報道ばかりで、国民は誤った情報に振り回されているが、実際は未だ便所の普及率は4割にも満たない三等国。共産党幹部の横領や持ち逃げは後を絶たず、ギャンブル好きの国民性は相変らず。

 そんな亜流な国に媚び諂い、「中国とは一衣帯水であり、同文同種」の関係だからと友好を謳う日本の政治家共はクソばかり。中共に節操もなく譲歩する日本人は、戦後に建国した中華人民共和国の行動を先ず学ぶべきだろう。

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2012年10月07日

なぜ今、女性宮家創設なのか

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 小泉政権下で議論された「女系天皇問題」は、秋篠宮悠仁親王殿下の御生誕で沈静化された。だが、何故か又候「女性宮家」の創設問題が論議されている。陛下の御病状や「皇室活動の安定的な継続」との意見が散見するが、女性宮家を創設したところで、陛下の御公務が減ることはない。

 万世一系、125代の皇統が貴重な理由は、神話の時代の初代神武天皇から連綿として一度の例外も無く「男系」で続いて来ているという厳然たる事実であり、これを無視して何が「皇室活動の継続」か。

 天皇の「国事行為」について、憲法は、首相の任命、憲法改正や法律の公布、外国大使らの接受等を定めているが、「公的行為」は憲法に明文化されておらず、親善目的の外国要人との謁見が含まれるとの解釈が一般的だ。

 天皇は憲法上の制約から、国事行為として「国会の開会式」「首相や最高裁長官の親任式」「大臣の認証式」など年間約60回、国賓・公賓への接遇や会見、会食などの御公務を約170回お努めになられる。

 こうした憲法上の御公務を、憲法議論もせずに、女性宮家の創設有りきで議論していること自体、本末転倒であり、まやかしでしかない。

 天皇にとって最も大事なものは「祭事」であり、歴代天皇が古来より司って来た祭事は、現憲法によって天皇家の「私事」になってしまい、皇室典範の「大嘗祭」の規定は存在しない。

 天皇の祭事は、元旦早々の「四方拝」から始まり「歳旦祭」「元始祭」や毎月の旬祭など、年に50回程に上るが、こうしたものは公的行為ではない。

 「国安かれ民安かれ」と国家国民の安寧を祈る存在こそが天皇であり、本来は、国事行為や公的行為よりも優先されるべきものなのだ。

 「高齢になられた陛下の御公務の軽減を」とか、「陛下の御意見を聞くべき」だとか、尤もらしい意見で国民を誑かし、「この儘では男子皇族が維持出来ない」とか、「時代の流れに合わせ変えるべきだ」との意見まで出る始末で、絶対に変えてはならぬものが「皇統」であり、「祭事」なのだ。

 「皇族の数」を云々言うならば、皇室典範第12条の「皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」との条項を見直すよりも、同15条の「皇族以外の者及びその子孫は、女子が皇后となる場合及び皇族男子と婚姻する場合を除いては、皇族となることがない」との条項を改正し、旧皇族の皇籍復帰を成すべきだろう。

 男系男子に限定する皇位継承や宮家を、「女性が天皇になれないのは可笑しい」だとか、「女性宮家がないのは女性差別」だと愚にも付かない愚論を絶叫しているのは、「男女共同参画社会」を成立させた名うての売国奴どもだ。

 「男女共同参画社会」は、その名の通り「共産(共参)社会」の実現であり、「女性宮家」「女系天皇」論は、その精神異常者らが煽動している「天皇制廃止運動」の流れであり、1932年のソ連共産党から日本共産党への「命令書(コミュンテルンテーゼ)」の命令遂行なのだ。

 「女性宮家」論も「女系天皇」論も、「天皇制廃止運動」の枢要な柱として、昭和40年(1970年)代半ば頃に、純然たる共産主義者が発案したものだ。こうした裏舞台を知らずとも、国民の多くは「女性宮家」と聞いただけで胡散臭げに感じるのが普通ではなかろうか。

 「天皇制反対」を叫ぶ日本共産党ならいざ知らず、民主党や自民党からこうした「女性宮家論」を疑問視されることなく論議されてること自体、日本の国柄は我々の想像以上に破壊されてしまっている様だ。

 国内に蔓延する無礼千万な「開かれた皇室論」と御皇族の方々への「敬称・敬語不使用運動」、そして「女性宮家論」を粉砕しよう!


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2012年10月06日

繰り返される不法献金、「政党交付金」を廃止せよ!


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 田中慶秋法相と樽床伸二総務相への不法献金が発覚した。政治家というのは国民よりもかなり学習能力が劣る様で、こうした問題が繰り返されるのは政治家自身の金銭欲の成せる業だろうか。政治家が企業・団体からの献金を続けるなら、国民から詐取している「政党交付金(政党助成金)」の廃止すべきだと思う。

 政党交付金(政党助成金)は、企業・労働組合・団体から政党・政治団体への政治献金を制限(禁止としないところがミソ)する代償として「バカ殿」と揶揄された細川護煕政権時に導入された。

 細川はドイツの事例を挙げ、「ドイツでは国民がカネを出し合って政党を援助している。政治家がカネ集めに奔走しなくて済むし、何よりクリーンな政治を実現出来る」と国民に説明し、この制度を導入した。

 国民の誰もが「政党助成法」の成立で、企業献金や政治資金パーティーは無くなり、政治家は国家国民の為に汗してくれるものと思ったが、クリーンな政治どころか、国政そっちのけで企業献金、団体献金、個人献金とカネ集めに狂奔している。

 政党交付金(政党助成金)は、国民一人当たり約250円。国民総額約320億円。国会議員一人当たり約5000万円。周知の通り、議員には歳費として年間2300万円、文書交通費1200万円、公設秘書の給料や議員会館、議員宿舎など年間合わせて1億円以上の国費が掛かる。

 誰が見ても政治活動には十分な金額だろうと思うのだが、流石に欲の突っ張った政治家の金銭欲は凄まじい。「政治にはカネがかかる」とは誰が言ったか知らないが、政治家の秘書は如何にカネを集められるかで有能かどうか判断されるという。

 同じ様に現代ヤクザは金儲けが上手いかどうかでヤクザとしての器量が分かるらしいが、「ヤクザをやるのはカネがかかる」という台詞と、「政治をやるのはカネがかかる」という言い訳は同義語だというのも嗤える話だ。

 そうした価値観がいつから蔓延ったか分からないが、政治家に求められるのは「滅私奉公」唯一つ、ヤクザの生き方は「任侠道」だ。任侠とは弱い者を助け、強い者を挫き、義の為には命を惜しまない気風をいうが、今のヤクザにそうした男気を感じることはないし、政治家の「滅私奉公」なんてのは最早死語だ。

 政党交付金(政党助成金)の趣旨は、企業、労働組合、団体からの政治献金禁止の代償であり、未だ政治献金が無くならない現状は国民への裏切りであり、「政党助成法」は即刻廃止するのは当然だろう。

 政治活動の自由という観点から、政党交付金の使い道には制限も無ければ、立法事務費も使途報告の必要も、解散時の返納する義務もないが、法を作るべ国会議員が「合法的なら」とか「法律の範囲内なら」と法を巧妙に抜け、小沢一郎の様に不動産購入や蓄財をするなど言語道断、政治家としてあるまじき行為だ。

 日本共産党は、政党助成法に反対する立場から政党交付金は受け取らないが、敵ながら大したものだと思う。領土主権の問題でも、北方領土は「南樺太と四島を含む全千島列島」だとし、尖閣列島、竹島領有の認識も至極マトモだ。日本共産党が立派に見えるのは何故だ。呵呵。

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2012年10月05日

「男女共同参画社会」という妄想を廃止しよう!

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 我が国が明治維新の大業を成し遂げ、西欧に見習って国民の全てに「姓」を与え、新しい家族制度を整えた。国民が家族の理想にしたのは、皇室の姿でした。正に日本の家族制度は教育勅語に在る様に「父母に孝に兄弟に友に夫婦相和し朋友相信じ」であり、尊いものです。

 欧米の教育は個人が生存権に勝つ為のものであり、辺り構わぬ闘争が行われ、働く目的は金と享楽の追求のみ。それ故、家族の絆は緩み道徳の深さは生活から離れ、結果、唯物主義の考え方が支配的となり、人々の心を孤独化している。

 日本の個人主義は極僅かで、世代に亘る家族の絆は固く、互いの助け合いによって人間本来の善良な姿と優しい心が保たれている。これは、国民が皇室の家族の在り方を見本にしているからであり、我が国の家族制度は世界に誇れるものです。

 日本は「道徳教育」を廃止し、「忠孝」という言葉は死語になり、教育界からも社会からも危険な言葉とされてしまった。その結果が、現在の教育の荒廃と家族崩壊に繋がっている。「忠」とは愛国心、「孝」とは親孝行であり、国の教育の基本であり目的であるべきものなのだ。

 教育勅語でも「我が臣民克く忠に克く孝に億兆心を一にして世々其の美を済せるは此れ我が国体の精華にして教育の淵源亦実に此に存す」と明解に述べている。

 忠孝の教育を否定する日教組によって教育が荒廃し、当然、愛国心の涵養など行われることもなく、「夫婦別姓」によって家族制度の崩壊を画策し、「男女共同参画社会」という妄想によって日本の国柄をも変えようとしている事実に、保守派の議員からも同調する声が上がっていることは憂慮に堪えない。

 「夫婦別姓」や「男女共同参画社会」は唯物論とマルクス・レーニン主義に冒された精神異常者やジェンダーフリーを叫ぶ性的変質者の、その重症の病が生んだ狂気であり妄想であり、「夫婦別姓」や「男女共同参画社会」こそ、ソ連や東欧諸国崩壊後、日本国内に巣食う極左勢力が考え抜いた「共産(共参)社会」実現の日本崩壊へのシナリオと言っても過言ではない。

 看護婦さんを「看護師」、女優は「俳優」、「婦警」さんではなく「女性警察官」、「男女混合名簿」やら「男女共学」・・・こうした愚策の実行に組まれた予算がナント年間10兆円。左翼勢力へこの予算の多くが垂れ流されているのは言わずもがな。

 「男女共同参画社会」などという妄想を廃止すれば、消費税の増税など画策する必要も無く、復興予算も十分確保できるだろうし、畢竟、それが日本再生への大きな転換期となるだろう。


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2012年10月03日

ところで、拉致問題担当大臣の田中慶秋って誰よ・・・


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 野田第三次改造内閣を発足させた。顔ぶれを見たが「誰よ、こいつ!?」ってな顔ぶればかりで、目玉が田中真紀子だというのだから民主党の人材不足を露呈するばかり。これが三年前、「政権交代で日本が変わる」と期待した政権の顔ぶれだと思うと情けないやら、可笑しいやら、笑い過ぎて涙が出るわ。

 田中慶秋という爺さんが法相兼拉致問題担当相に就いた。地元神奈川県ではヤクザを凌ぐ悪党で評判らしい。生まれは原発事故で被災した浪江町出身ということで、野田にしてみれば被災者への目眩ましなのだろうが復興にしろ拉致問題にしろ、野田内閣のやる気の無さが窺える。

 田中慶秋が拉致問題に係わったという話は聞いたことがない。それとも愚生が知らないだけなのか。尤も民主党政権下、歴代の担当大臣を見ても中井やら仙石やら山岡なんてのもいたし、今更田中が就いたところで驚きはしない。

 拉致問題担当大臣を辞任にした松原仁は取材で、「極めて心残りだ」と言ったというが、「人権機関設置」の閣議決定を知りながら外遊していたのも実に不可思議な行動で、小沢派「一新会」幹部として暗黙の了解だったのではなかろうか。

 田中慶秋が拉致担当大臣なら、拉致問題解決の足を引っ張り続けた田中真紀子が文科省の大臣様だもの、拉致問題の解決は益々遠退くばかりだ。

 北朝鮮のボンボン息子の金正男が不法入国し、拉致問題解決の千載一遇のチャンスを逃した真紀子だが、先日の日中国交正常化四十周年で中共に招待された結果報告なのか、閣僚就任の記者会見で「日本の歴史教育には欠陥がある。全面的な歴史的事実を日本の次の世代に伝えるべきだ」と語ったという。

 現在の教育指導綱要に言及し、近現代史の歴史内容について、「この様な教育には問題が存在すると思う」と語り、「日本国内の出版社や政治家の歴史教育に対する考え方は夫夫だが、全面的な歴史的事実を日本の次世代に伝え、国民が考え、判断する様にしなければならない。そうでなければ日本人は国際社会で発言権を得ても何も話せなくなってしまう」と、至極真っ当な言い分を述べたという。

 だが、このバカ女の「全面的な歴史的事実」とは、それこそ自虐史観そのものであり、中共や韓国に阿るものにしなければならないということなのだ。

 今迄にもこのバカ女は、外務大臣時代に教科書問題で支那人や朝鮮人の如く扶桑社の教科書に難癖を付けたのは記憶に新しい。或いは李登輝総統の訪日に関して難色を示し、小泉の靖國神社への参拝にも抗議し、厚顔無恥を曝け出した。

 過去の発言や行動を見ても、とても我が国の大臣とは思えないものだった。外務大臣として日本を貶し、今度は国家の大本である「教育」を司る文科省の大臣として日本を貶め続けるるつもりか。

 安倍新総裁は「日本の国に誇りの持てる教育を!」と力強く語り自虐史観からの脱却を訴えたが、それと真逆な教育がバカ女によって施されて行くだろうことを我々国民は拱手傍観している訳には参らない。

 我が国の国益を踏み躙り、中共政府の言文と寸分も違わない発言を繰り返す田中真紀子は民主党政権の目玉ではなく、民主党政権に止めを刺す大臣となるだろう。

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2012年10月02日

中学校時代の担任だった寅さんが亡くなった

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 先日、釣友であり小中学校の同級生の哲ちゃんと強か飲んで、仕上げに本宮市の洋食レストラン「かなざわ」へピザとナポリタンを食べに立ち寄り、「今度、寅さんを呼んで此処で『罵詈雑言を浴びせる会』をやりたいねぇ」と話してたら、ママが「寅彦先生、亡くなったって聞きましたよ」と神妙な表情にビックリ。

 「寅彦」とは愚生の中学時代の担任だった高橋寅彦のことで、「かなざわ」のママも寅彦の教え子で、この店で寅さんの話題でよく盛り上がったものだ。

 寅彦は名うての日教組の組合員で、「オレが国会に出した法案で成立したのが二つあるんだ」が自慢だった。一つは昔は何処の学校にも在った「特殊学級」(ひまわり学級)を廃止させたらしく、もう一つは何だったか忘れた(笑)

 自分が右翼活動家になった要因は、中学時代の担任の高橋寅彦と副担任の遠藤四郎というバリバリの日教組組合員の影響が大きく、遠藤四郎は教員退職後に日本共産党の市会議員になったことでも理解出来るだろう。

 その所為か、「日教組大会」での活動には特に力が入ったものだった(笑) 

 その昔、実家に帰っていた際に、他の学年の同級会に出席していた寅さんと遠藤四郎と政治談議をしたことがある。遠藤四郎が「五郎、オメエは天皇制は絶対だと思ってんのか」と聞いてきた。

 「天皇は制度でもないし、日本人として生まれ、日本人として恩恵を享けていながら、天皇や皇室を否定する理由はない。それなら、共産主義とはなんだ。矛盾だらけだべ。『赤旗』の値上げは、労働価値観じゃなく、売上げ低迷からの資本主義の論理だし、ソ連なんてのは絶対崩壊するよ」

 「共産党のくせに公務員の給与で家を建てて、安住しながら『革命』もないっての」と愚生。この一言に遠藤四郎は激怒し、「五郎、にしゃとは話しになんねぇ」と席を立ち、残った寅さんは、「五郎、オメエは大したもんだな。俺は退職してから建てたが、遠藤四郎は現役時代に建てたからな(笑)」

 この数年後、愚生の予想通りソ連が崩壊した(爆)

 中学校時代の寅さんは、職員会議での結果如何で様子が分かった。海軍上がりの根本三郎校長と遣り合った時は機嫌が悪く、そのとばっちりをよく受けたものだ。

 「おまえら天皇は自分のことを何て呼ぶか知ってるか?」

 同級生はちんぷんかんぷん。そこで愚生は「朕だろ!」

 寅彦は唖然とし、褒めるどころかすかさず「そうだ、チンポコのチンだ」というと周りは爆笑、こういうことを平気でやっていたのが日教組組合員の寅彦だった。 

 中間テストが終わり午後から映画鑑賞というある日、給食の食器を片付けていたら、「今、食器を投げたのは誰だ!」と言うなり、ビンタを2、30発打たれたことがあった。教室の前で始まって後ろの席までずっと殴られぱなし(笑)

 打たれた愚生はさっぱり意味も分からず、「貴様、帰れ!」という言葉を聞くなり、「じゃ帰ります、皆さん、さようなら!」と教室を後にし、職員室に寄って出前の注文を取って帰宅した。

 実家は食堂で、昔の先生方はよく出前を取ったものだった。愚生が小学校時代、中学校へ出前に行くとおつりを駄賃としてくれた先生は、それこそ寅さんと体育の担任だった原先生くらいだったと記憶している。

 職員室に立ち寄っても先生らは何ら不信感を抱くでもなく、「なんだ五郎、帰って出前の手伝いか」と実に大らかな時代だった。

 帰宅して店の手伝いをしていると突然寅彦が訪れた。親父が「何だ寅さん、顔色悪いが何か用か(笑)」と聞けば、「五郎君の件で・・・」と神妙な顔。親父は忙しい中でも対応した。

 「で、何だい、五郎のことってのは」と親父が聞くと、「すいません。最近五郎君が投げやりだったのでチョッと殴ってしまったんです」の台詞に、親父は「別に五郎が悪いことしたなら殴ればいいが、『すいません』と謝ったところを見ると本当は違うんじゃないのか、寅さん(笑)」

 これを聞いて寅彦は「すみません」を繰り返すばかり、その後、寅彦の願いを受けて学校へ戻り映画を観た。くだらない文部省指定の映画だったと記憶している。

 中学時代に入ってた囲碁将棋クラブも寅彦が担当で、なんだかんだと言いながらも馬が合ったのも事実。囲碁を再開し、寅さんに教えを乞おうと思っていただけに突然の訃報は返す返すも残念の一言。

 そういや数年前、寅彦から連絡を貰ったことがあった。聞けば弟との遺産相続を巡って諍いがあるらしく、「五郎、チョッと若い連中使って嚇かしてくれないか」という相談だった。

 「寅さんよ。若いのを使えばカネも要るし、俺がちゃんと話してやってもいいが、日教組で共産党員が右翼の教え子を使ったんじゃシャレにならないんじゃね~の」と笑ったが、その後、相談が来ることはなかった(笑)

 副担任の遠藤四郎も一年前に亡くなり二本松の斎場で告別式を行った。無神論の共産党員が御経を上げるってのも不思議で、所詮は信念もクソもなかったのだと軽蔑もしたくなるが、寅彦は葬儀も挙げず、戒名も要らず、ひっそりと亡くなったことに「先生、敵ながら天晴!」だったと褒めてやりたい心境になった。合掌。


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