2012年08月

2012年08月30日

福島県内には地元新聞社が二社在るんですよ!

 福島県には「福島民友新聞」と「福島民報新聞」の二紙が鎬を削っている。地方に新聞社が二紙在るのは全国でも少ない。福島県は自由民権運動が盛んな地だったのでその名残だ。そういう意味でも福島県に生まれて有難いと思っている。

 右翼団体を退いてからは、啓蒙活動と勉強を兼ねて地元紙などに投稿をしている。畏友の言葉を借りれば、「広めることが出来ないときは、高めることに専念すべし」ということなのかも知れないが、そんな気取ったものでもない。

 愚生が敬愛している哲学者の西晋一郎は、「教えることは実に教えられることである」と訓えているが、投稿やこうしたブログを書くことによって間違いを指摘されたりすることで、自分自身が気付き、教えられ、高められることが多い。

 最近送った地元紙への投稿が二回続けてボツになった。中々好い記事だと思うのだが、チョッと難しいのかもな。ボツになった投稿を参考の為にアップしてみる(笑)

〈今国内では「脱原発」「反原発」運動が盛んだが、原発依存から脱却し、化石燃料への依存度を高くした場合、シーレーンの安全確保が重要な問題となる。万が一シーレーンを封鎖された場合、原油価格高騰による経済混乱に陥った「オイルショック」や原発事故以上のパニックが起きるのではないだろうか。日本はオイルショックの経験から産油国との外交関係の重要性、そしてシーレーンの安定化が不可欠と感じ、外洋に伸びるシーレーン千海里防衛構想を策定した。国内経済も多くを海上交易に依存し、日本の輸入依存度の高さは石油が99.8%、石炭98.4%、天然ガス(LNG)96.6%を海外に依存している。輸出も同じだ。こうしたことからも日本でも海洋国家として自国のシーレーン防衛の重要性が認識されている。原発依存から脱却し、今後、化石燃料などに頼るならば、適切な海上権益の確保を万全にすることが重要だと思う。〉(7/30)

〈ロンドンオリンピックでの日本人選手の活躍は感動の連続だった。特にチームでの活躍は目を見張るものがあり、これこそが「絆」というのだろうか、選手から日本をそして被災者を元気付けようという気持ちがひしひしと感じられた。オリンピックは「平和の祭典」とも言われる。かつては、オリンピックが始まると戦争中の国々でも停戦に応じ競技に参加したという。真剣に競技をしているうちに、戦っているのがバカバカしくなって、そのまま講和した例もあるという。そんな平和の祭典中に、李明博韓国大統領が竹島に上陸した。こうした行為は下劣極まりなく、日韓関係には全く逆効果でしかないと思う。李大統領の竹島上陸に合わせたかのように、韓国サッカー選手が日韓戦の勝利後に政治的メッセージボードを掲げ歓喜した。オリンピックに政治的な主張を持ち込んでしまった。〉(8/12)

 と、こんな感じだ。新聞社というのは未だ米軍が行った「言論統制」の呪縛から脱却出来ない様で、読者からの投稿も編集者がチェックするのだろうが、明らかな共産党員の投稿が多く見られるし、無自覚左翼から投稿もかなり多い。

 戦後、米国は徹底した教育改革を行った。その徹底した「戦後民主主義教育」は、意図した以上の効果を上げ、現在もあらゆる処に影響を及ぼし続けている。「戦後民主主義」とは、自国を汚辱に塗れた過去と捉える自虐史観である。

 その戦後民主主義教育で育った者は、日本国家から恩恵を受けながら、個人と国家を常に対立させ、恰も国家は「人間を抑圧する組織」と見做して、反国家反体制的なポーズを執ることが、「進歩的」で「文化的」だと錯覚している。

 米国が「戦後民主教育」と共に最も徹底したのが「言論統制」であった。情報発信の中枢だったNHKを始め、朝日新聞や岩波書店が監視下に置かれて洗脳された。言論統制に因って「進歩的文化人」なる新種が生まれたのだった。

 未だにNHKや朝日新聞、岩波書店などは、米国の洗脳状態から脱却出来ずにいるのだが、いい加減目を醒まして貰いたいものだが、米国から洗脳された連中が今では「反米」を気取り、日米を貶めている現状は最早コメディと言う他ない。 ということで、今日も新しい投稿を送信してみたが、扨てどうなることやら。呵呵。

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2012年08月29日

大陸からの侮蔑は今に始まったことではない

 尖閣列島や竹島問題で中韓からの日本バッシングが盛んだが、こうした侮蔑は今に始まったことではない。古代から大陸では​我が国を「倭(ヤマト)」と呼び、「倭人」「倭国」と蔑​視してきた。「倭」とは醜いとか卑しいといった軽蔑の意味だ。

 ヤマトの国を「邪馬台国」、日の皇子の女皇を​「卑弥呼」と呼ぶのは我が国を馬鹿にしてる呼称で、日本人自身がこうした名称を使​うのは愚かなことである。

 その「ヤマト」に、先人が「大和」の字を当てたのは、我が国の理想が​「和」であったからだ。「大和心」にしても、日本人は誰に教わった訳でもなく、誰もが自分の生まれた日本という国を「穏や​かな平和の国」と無意識に思ってたからだろう。

「大和魂」というと特攻隊の雄雄しい姿を浮かべる人が多いが、「​敷島の大和心を人問わば、朝日に匂う山桜花」と謳われた様に、大​和の心とは、花鳥風月、山川草木、春夏秋冬、恵まれた自然に逆ら​わず調和して暮す従順な心をいう。

 そう考えると、古代の大陸人と変わり映えのしない中韓とは​、一衣帯水だからという妄想だけで​付き合って行こうなどということ自体が抑々の間違いなのだ。

「東アジア大交流時代」なる愚策は我が国を蚕食しようとする中共の策謀に他ならない。丹羽駐日大使の乗った公用車が襲われ日の丸が奪われたが、先日の韓国の親書返送と同じくやってることは我が国への宣戦​布告にも匹敵する下劣なものだ。

 日中国交正常化40年を控え、駐日大使公用車の襲撃事件をどの様​に解決を図るのか見ものだが、日本の要請通りに犯人を逮捕し処罰す​れば人民の不満が爆発するし、看過すれば国際社会から失笑を買う​だろうし、忘れるのを待つだけだろう。

 抑々、中韓の人民がこうした軽挙に出るのは「愛国無罪」や「親日分子​取締法」なる法律が存在するからだ。日本政府は、世界にこうした国際的にも首を傾げたくなる法律の存​在を知らしめて、中韓両国にこの法律の即時撤廃を要求すべきだ。

 抑々、日中国交回復四十年を祝うこと自体笑止千万で、我が国が主権回復した昭和27年4月28日に、台湾(中華民国)と「日華国交条約」を締結した。これを日中共同宣言に因り一方的に破棄してたことは明らかな憲法第98条違反である。

 憲法を蹂躙してまで結んだ条約に効力はなく無効であり、「日華国交条約」の恢復を図るべきだ。日中国交回復四十年を機に、当時の田中角栄ら権力者が憲法を蹂躙してまで何故に日中との条約締結に至ったのかを検証すべきである。

 我が国は台湾を裏切ったが、台湾の歴史教育は実に公正で、統治時代の認識も台湾の近代化にかなり役に立ったという論調で書かれており、鉄道や電気や水道といったインフラのみならず教育までも日本と全く同じレベルに徹底されている。そんな台湾には、「日本精神(リップンチェンシン)」という言葉があるという。

「勤勉である」「約束は破らない」「人を裏切らない」とか、こういう人を「あいつは、リップンせチェンシンがあるヤツだ」と褒めるというらしい。過去の台湾への仕打ちと現在の我が国の現状を省みれば恥ずかしくて赤面してしまいそうだ。

 台湾には更に「信義誠実の原則」という日本人が忘れてしまったであろう日本的価値観の美徳が未だ連綿と生きているという。我が国が負けた瞬間に、手のひらを返して「創氏改名」までも非難し始めた韓国とは豪い違いである。手のひら返しの不得手な台湾との友好と友情こそ大事に育まなくてはならない。



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2012年08月24日

外交は自国を正当化する強固な意志を持たねばならない

 李明博韓国大統領の竹島への不法上陸と不良シナ人の尖閣列島への不法侵入事件は、領土主権に対する明確な証拠を世界に示す絶好のチャンスでもある。

 竹島問題については日韓での解決は不可能であり、国際司法裁判所の判断を仰ぐべきだし、中共との間に違法行為が起これば徹底排除する旨を通達しておくべきだ。

 外務省は、野田総理が送った韓国側への親書の返却の受け取りを拒否した。拒否するという選択肢も​あったのかと思わず膝を打った。我が国の役人にもこうした知恵者はいると​いうことにチョッと安堵した。外務官僚が、「親書を返却するとは、子供のケンカ以下だ」と語っていたが、全くその通りだと思う。

 本日の国会では、李明博への不法上陸と陛下への暴言に対し決議を行うが​、全会一致ではないというから驚くというか厭きれるばかり。日本共産党と社​民党が反対してるからだが、こういう政党が存在し、それを支持し​ている国民がいることが日本人として不思議でならない。こういうことでは日本の政党としての資格は無い。

 政治家や政党のこうした軽挙妄動が相手国に間違ったメッセージを送ってしまう要因にもなっていることを知るべし。国益を賭けた熾烈な駆引きが要求される外交に、論争を避けるかの様な腰抜で軟弱な姿勢は隣国を逆上せ上がらせるだけである。

 民主党政権が誕生し、逸早く行った「東アジア新時代」という馬鹿げた妄想は、結局は中共や韓国、更には北朝鮮を付け上がらせたけで、我が国の立場を困難にさせただけだった。猛省して、早急に中韓への優遇措置を改めるべきだろう。

 事実現在でも中共には尖閣列島で難癖を吐けられてガス田開発では出し抜かれ、韓国には竹島を不法占拠された揚句に「日本海」を「東海」に変更しろとホザかれ、北朝鮮には同胞を拉致されながら手出しも出来ずにテボドンで脅かされる始末。

 北方領土もロシアに不法占拠された儘で一向に解決どころか話し合いすら出来ずにいるのも、全て日本政府の国家主権に対する甘さと外交の失敗が招いた結果であり、要は、歴代政府の弱腰軟弱外交故に隣国にナメラレっ放しの状態なのだ。

チャーチルが日本の外交を「第二次世界大戦回顧録」で次の様に語っている。

「日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。 しかし、これでは困る。反論する相手を捩じ伏せてこそ政治家としての点数が上るのにそれが出来ない。それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は今まで以上の要求をしろという。無理を承知で要求してみると今度は笑みを浮かべていた日本人は全く別の顔になって、『これほど此方が譲歩しているのにそんなことをいうとは貴方は話の分からない人だ。事ここに至っては刺し違えるしかない』と言って突っかかってくる」

 これは、昭和十六(一九四一)年十二月十日、マレー半島クァンタンの沖合いで、 イギリスが誇る戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスの二隻が日本軍によって撃沈されたときの日記だが、チャーチルは、これによってシンガポールを失い、インドでも大英帝国の威信を失うのではないかと心配しながら書いている。

「日本にこれほどの力があったのならもっと早く言って欲しかった。日本人は外交を知らない」 とチャーチルは言うが、笑える話ではあるが正鵠を射た言葉だろう。

「言わなくても分かるだろう」という日本人の気風や美徳など世界では通用しない。特に中韓、北朝鮮には通じるどころか付け込まれバカにされるだけ。外交では、言うべきことを言うのが大事であり、欧米人やシナ人や朝鮮人の様に、喩え間違いであっても己を正当化する強固な意思を日本人も持たなくてはならない。

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2012年08月16日

侮日売文屋・渡辺淳一を駆除しよう!

 高山正之のコラム「変見自在」や、藤原正彦のコラム「菅見妄語」が好きで「週刊新潮」は愛読している。渡辺淳一のコラム「あとの祭り」は滅多に読まない。先日発売された週刊新潮に、「国旗と国歌」というタイトルで、国歌「君が代」を腐していた。政治的なことは口にせずにエロ小説でも書いてなさいっての(苦笑)

「君が代」は「古今和歌集」巻七「賀の部」の「わが君は千代に八千代にさざれ石の巖となりて苔のむすまで」の一首からの出典であり詠み人知らず。民草が詠んだところに素晴らしさがあり、歌の本意は、大君の御代が栄えることを願ったものだ。

 我が国は、天皇を族長と仰ぐ君民一体の家族国家であり、天皇即日本、日本即天皇の天皇国家であることは言うを俟たない。この国體の精華は万邦類を見ないところであり、畢竟、陛下の御代が栄えることは、即日本が栄えることでもあるのだ。

 渡辺は国體の精華というものを理解していないし、理解も出来まい。実に「君が代」にしても、我が国體の精華を格調高く歌い上げたものであり、その曲と相俟って厳粛にして荘重、世界に冠たる誇るべき「国歌」である。外国の国歌の様に好戦的で軽いものではなく、渡辺が揶揄する様に明るく歌うのが国歌でもない。

 言論の自由が保障されてる我が国で、エロ作家が何を語ろうが勝手だが、高山や櫻井よしこ女史を登場させる一方で、こうした自虐史観に冒された売文屋を登場させているのは如何だろう。新潮社側がバランスを取ってるのだとしたら購読者に対する冒涜だ。こんなくだらない記事を読む為に購入してるのではない。

 渡辺の自虐史観は今回だけではない。今春にも名古屋の河村市長が「南京事件」で問題提起すると、渡辺は同じくコラム「あとの祭り」で、南京事件を取り上げて、如何にも見て来た講釈師の如く「南京事件は事実」として日本軍を貶めている。内容と言ったら書くのも憚れるトンデモ記事で、全ては伝聞と己の妄想ばかり。

 作家なら少しは事実を知ろうと調べるだろうに、そうしたこともせずに一方的に日本軍を貶める手法は、大江健三郎の「沖縄ノート」と全く同じである。

 その大江は現地取材もせずに、沖縄タイムズの「沖縄戦記・鉄の暴風」というデマを基に書き上げえ、摩訶不思議なことにそれが「集団自決軍命令」の証拠となった。

 こんなことが罷り通れば世も末である。 大江健三郎にしろ渡辺淳一にしろ、作家としての矜持なんぞ皆無で、日本を貶める為には手段は選ばない売国奴であるということの証明だろうが、こうした売文屋の作品を有難がってる読者も如何なものか。

 渡辺淳一は今やシナ大陸では人気作家だというが、歴史認識を観ても何となく理解出来る。70過ぎの爺ちゃんがエロ小説を綴ってるのには害はないが、歴史的事実を捻じ曲げてでも日本と日本人を貶める、こうした売国作家は駆除するに限る。

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2012年08月15日

世界に民度の低さを証明した李明博

 韓国大統領李明博が、あろうことか「平和の祭典」であるロンドンオリンピック開催中に竹島へ不法上陸し、更には、申し合わせたかの様にサッカー男子の試合では政治的スローガンを掲げて、世界中に韓国民の民度の低さを露呈したが、今回は、畏れ多くも陛下に対し謝罪を要求するという看過しがたい無礼を働いた。

 陛下の御訪韓など予定されてもいないのに、恰も日本側が訪韓を要請しているかの様な物言いは、怒りというより憐れさを感じる。 大統領が交代する度に「過去のことは問わない」「未来志向で」と言いながら、政権の支持率が下がるや否や「日本の歴史認識」や「慰安婦問題」などを持ち出しては懲りずに謝罪要求をする。

「反日」のポーズで起死回生の支持率アップを狙うのも結構だが、我が国からの支援を何と思っているのか。「韓国は、強請り、タカリ、恩知らずだ!」と言われても仕方あるまい。韓国こそ自らの責任と歴史的事実を真正面から見詰め直せ。

 近代史を見つめることも無く、唯々「反日」を叫び、在りもしない従軍慰安婦問題を持ち出しては、強請りタカリを謀る李政権は最早崩壊の一途を辿り、更なる陛下への謝罪要求で「日韓関係を悪化させた大統領」として歴史に名を残すだろう。

 韓国の歴代大統領の末路は実に不幸なものばかり。絶対的権力が集中する大統領制というより民族性からか異常な金銭欲と権力欲が不正に走らせる。

 韓国が建国され初代大統領に就任した李承晩は、絶大な権力を握りながらも、独裁色が度を越して反感を買い、大統領選の不正で学生らのデモで退陣に追い込まれてハワイに亡命するも、その後に病死している。その後に大統領に就任した朴正煕は、「暗殺計画」に因って夫人を失うこととなり、その後自らも暗殺された。

 全斗換大統領は、事後法の反乱首謀容疑で「死刑判決」を受け、その後就任した盧泰愚大統領も収賄容疑で有罪判決を受けた。この二人の大統領の逮捕、有罪判決を容認した金永三大統領もその後不正融資事件で近親者などが逮捕され退陣した。

 波乱の人生を送りながら大統領にまで昇りつめた、韓国初のノーベル賞受賞者である金大中も、政権末期には不正資金事件で息子が逮捕されると責任を負って退陣している。共産主義者の盧武鉉大統領も同様で、身内が逮捕され自殺した。

 こうなると大統領に権限が集中し過ぎることの反作用というより、倫理観も道徳的価値観も乏しい朝鮮人の民族性の問題だと断じられても仕方なかろう。李明博も兄弟と親戚が不祥事で逮捕され失脚するのは時間の問題。

 何か己に問題が起こる毎に「日本の歴史認識」や「靖國問題」「慰安婦問題」などを持ち出し、「反日」のポーズさえしていれば不正や失政が許されるなら、それは韓国民がバカにされているということだろうが、それさえも分からない。

 何れにしても、韓国民は自らの責任と歴史的事実を真正面から見詰め直す時期に来ている。尤も、五百年も前の豊臣秀吉の朝鮮征伐をも責める国に、人間としての高貴で雅量在る偉大な言葉など期待する方が間違いかも知れない。

 野田政権は、公然と「平和条約」を蹂躙し、傲岸不遜な韓国に対し正理公道を説き猛省を促すべきで、韓国が受け容れない場合は躊躇なく国交を断絶すべきだ。

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大東亜戦争終結ノ詔書(現代語訳)

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 本日は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」です。一体あの戦争とは何だったのか。玉音放送を知れば、陛下の大御心と大戦の真意、そして我が国が進むべき道が自ずと理解出来るのではないだろうか。

     玉音放送(現代語訳)

 私は、深く世界の大勢と日本の現状を考えて、
特別な方法でこの事態を収拾しようと思い、
ここに忠義の気持ちを持った国民に告げます。
 私は政府に、米・英・中国・ソ連の四国に対して
ポツダム共同宣言を受諾することを通告させました。
 もともと日本国民の安全と世界の共存を共にすることは、
我が歴代天皇の残した教えで私も大切にしていることです。
 米国や英国と戦争をしたのも、
日本の自立とアジアの平和を願うからであり、
もともと他国の主権を侵したり、
領土に侵入することは私の気持ちではありません。
 開戦以来すでに四年経ち、我が陸海軍の将兵が勇ましく戦い、
役人たちが懸命に働き一億の国民が力を尽くし、
それぞれ最善をつくしたにもかかわらず、戦局は必ずしも好転しません。
 世界の大勢もまた我々に利がないことを示しています。
 その上、敵は新たに残虐な爆弾を使用して、
罪のない人たちを殺傷し、その痛ましい被害は計り知れません。
 このまま戦争を続ければ最後には我が民族が滅亡するだけでなく、
人類の文明をも破壊するでしょう。
 もしそうなれば一億の国民を預かっている私としてどうやって
我が歴代天皇の霊に謝ることができましょう。
 このことが私が政府に対し共同宣言に応じさせるに至った理由です。
 私は、日本とともにアジアの解放に協力した国々に
申し訳なく思わずにはいられません。
 日本国民で、戦地で死んだり職場で命を落とした人々と、
その遺族のことを思うと、悲しみで心が裂ける思いです。
 また戦傷を負い、災難で家業を失った人々についても
私は大変心配しています。
 考えると、これから日本が受けるであろう苦しみは
大変なものがあると思います。
 国民の悔しい思いは私がよく知っています。
 しかし私は時の運に従って、堪え難きを耐え、忍びがたきを忍んで、
後の世のために平和を齎したいと思っているのです。
 私は日本の国家を譲ることができたので、
忠義で善良な国民の真心に信頼を寄せ、いつも国民と一緒にいます。
 感情のままにみだりに事件を起こしたり、
国民同士が争って時勢を乱して、
そのために道を誤って世界の信用を失うようなことは、
私が最も戒めるところです。
 国を挙げて子孫に伝え、神国の不滅を信じ、
任務は重く道は遠いことを思い、将来の国の再建に向けて総力をあげ、
道義を厚くして志を堅くして、日本の優れたところを更に高め、
世界の進歩に遅れないよう決意すべきです。
 君たち国民よ、私の気持ちを汲んで身をもって行いなさい。

 ※本日の「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、先の大戦で犠牲となられた全ての戦没者に対し心より哀悼の意を表します。黙祷。



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