2012年05月

2012年05月31日

革命家として人生を終えたいものだ・・・

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 40年前の昭和45年(1972)5月30日、イスラエルのテル​アビブ空港乱射事件が起きた。犯行を実行したのは、日本赤軍幹部​の奥平剛士(当時27歳)と、京都大生だった安田安之(当時25​歳)、鹿児島大生だった岡本公三(当時25歳)の3名だった。

 未だ幼かったが衝撃的な事件で記憶が残っている。「革命」という​ものが朧げに感じたのはこの時かもしれない。その後、日教組の担​任らの影響もあったのだろう、真逆の右翼思想に共鳴して行った。​ 

 縁あって防共挺身隊に所属する。初代総隊長は福田進。因みに福田​の父は福田素顕(社会主義者として官憲に弾圧を受け、支那に亡命し、その後蒋介石と共に台湾へ​、後に日本へ戻る。国家社会主義者。初代防共新聞社社主)。その​福田の著書「日本人と油虫」に次の様な一節が在る。

 「俺はまだアラブを知らない。アラブでは夜空に輝く星が、今にも落​ちて来るのじゃないかと思うくらい綺麗なんだってな。連合赤軍の兵士てえ自称する、共産主義の三匹の油虫のアンチャンは​、イスラエルの空港で好き勝手に暴れ回ってユダ公をぶっ殺した。​生き残った一匹は、『我々三人は死んだ後オリオンの三つの星になろ​うと考えていた』、その言葉は稚拙ではあるが、荒廃した日本にはない​ロマンを感じさせるんだなあ。アラブという国が、日本青年をして​死を覚悟するまで革命に駆り立てる何かがあるとすれば、俺も夢多​き一人として一度アラブへ行って見たい衝動に駆られる。きっとア​ラブの夜空に燦然と輝くオリオンの星が、油虫の俺を魅きつけるの​かも知れない・・・ 」

 國士舘大学時代にこの本に出会い、いつの日か自分もアラブに行き​たいと思ってはいるのだが未だ実現出来ないでいる。

 右翼人だからという訳ではないだろうが、チェ・ゲバラ、カストロ​、ビンラディン、カダフィといった革命家や愛国者には共鳴を覚え​る。ゲバラの様な革命家に出会っていれば、行動を共にしたに違いない​。ゲバラもカストロも共産主義者だが愛国者だ。世界には多くの左翼がいるが、その全ては愛国者だ。日本の左翼の​様な売国奴は世界でも稀で、珍現象の一つだろう。呵呵。

 30年来所属していた防共挺身隊を辞めてから三年が経った。自分自身に、右翼人として恥じることは一つもないが、袂を分かつた盟友から「除籍通知」なるモノを出された。別に気にするものではないが、その後盟友が寂し、辞めて三年は蟄居しようと心に決めた。

 自分自身に科した三年という謹慎生活が今日で明ける。といっても浪人人生には変わりはないが、辞めてから始めたブログやら、新聞、雑誌の投稿やfacebookやTwitterなど、知らない世界を経験し、右翼人としても視野が広がったと自負しているし、今後の活動に生かして行きたいと思う。

 今後は、先ずは宣伝車でも造って破邪顕正の活動でもしたいと思っているが、不如意の折り、そう簡単には実現出来そうもない。また今日も酒を呷って悲憤慷慨するのが関の山というのが悲しい。そろそろ革命家として人生を終えたいものだが、「死んで名も無きの星になる」のは未だ未だ先の様だ。



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2012年05月30日

中共大使館、李春光1等書記官がスパイ活動



 在日中共大使館の李春光1等書記官がスパイ活動で警視庁公安部から出頭要請されたが、李書記官は当然の如く逃亡した。この人物は福島県の「須賀川市日中友好協会」の国際交流員も務め、福島大学大学院の修士号も取得しているというから県民として良心の呵責に堪えない。

 10年ほど前、須賀川市の友好協会の支部長だった相楽市長に、抗議と質問状を渡したことがあったが、間違いではなかったということだ。まぁ、尤も日本国内でスパイ活動容疑で検挙されたところで軽微な罪にしかならず、喫緊に「機密保護法(スパイ防止法)」などの法整備が必要だと痛感する。

 現在、米国を始め、アフリカ大陸、ヨーロッパ、全ての都市が支那人で溢れ返っている。支那大陸を出て、他国に根を下ろす支那人の「華僑」「華人」は全世界で4800万にも上るという。

 支那の人口は約13億4千万人で地球上の全人口の5分の1を占める。国土は日本の26倍だが、不毛な土地も多く、昔から移民となって海外に出て行くものが後を絶たない。この移民が「華僑」「華人」で、「華僑」は海外に移住する支那公民で、「華人」は居住国の国籍を取得した華僑とその子孫を指す。

 中華人民共和国(中共)が建国されたのが昭和24(1949)年10月1日。その頃の華僑、華人は1200万人というから、約60年で4倍に膨れ上がった計算だが、此処数年での殖え方が目立つ。

 中共は、移住者や留学生らを使って諜報活動をするのは常套手段で、海外でのスパイ活動を活発化させ、各国の機密を盗み、軍事力や経済力を強化を謀っている。

 世界の何処の国も機密情報の漏洩には神経を尖らせ、スパイ活動で逮捕されれば極刑は免れない。しかし、未だに日本は「スパイ天国」と侮られながらも、一向にスパイ活動が無くなる気配も、対策を講じる気配もない。スパイ活動が後を絶たないのは、諸外国に比べ量刑が軽過ぎるのが原因だ。

 今や日本の永住者の数は在日を抜き支那人がトップの約70万人。これに日本国籍取得者や不法滞在者を加えると100万人を優に超える。

 外国人犯罪者は以前から日本をナメきっている。そこへ加えて件のビザの緩和などの甘い対応は更に状況を悪化させるのは火を見るより明らかだ。

 支那人犯罪者による凶悪犯罪の増加という現実を無視した上で、治安を一層悪化させる「査証(ビザ)の簡素化」は国民感情に反するだけでなく、極めて危険、且つ無責任なものだ。

 嘗ては世界一安全といわれた日本が、外国人の急増、それも支那人の増加によって安全を脅かされていることは、幾ら不精な人でも気付いているだろう。生命の保証、財産の安全に優る国益はないのだ。

 世界が支那人移住者に警戒している今、日本ではその支那人のビザ​を緩和し、留学生を優遇し、生活保護費をばら撒き、更には「参政権」までをも与​えようとしているのは狂気の沙汰と言う他はない。

 李春光1等書記官のスパイ行為は氷山の一角であり、今こそ「機密保護法」などの法整備を急がねばならない。

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cordial8317 at 07:31|PermalinkComments(0)

㊙警視庁公安部

 在日中共大使館の一等書記官がスパイ活動で警視庁公安部から出頭要請されたが、書記官は当然の如く逃亡した。まぁ、日本でスパイ活動で検挙されたところで軽微な罪にしかならず、喫緊に「機密保護法(スパイ防止法)」などの法整備が必要だと痛感する。

 ところで、出頭要請した警視庁公安部というのはどんな組織なのだろう。

【警視庁公安部】
 過激派の集会を視察する私服の捜査員。警視庁公安部は、公安を担当する警視​庁の組織で、東京都を管轄とする公安警察。

 警視庁公安部は日本の警察で唯一、独立した「部」を置いており、​多くの捜査員を抱えている。これは単に人口が多いからというだけ​でなく、東京には日本共産党をはじめとする対象団体の本部や各国​の大使館(外交官は逮捕されないなど色々と便利な事がある為、ス​パイは外交官として大使館に勤めている場合が多い)がある為であ​る。

 他の道府県警察本部の場合は、警備部内に公安課や外事課を設置し​ている。また、日本の各警察署では警備課に公安係、外事係を設置​することがある。

 警視庁公安部を初めとする公安警察は警察庁警備局の指揮の下活動​する。左翼や右翼は公安課が担当し、外事捜査に関しては外事情報​部(防諜は外事課、国際テロ対策は国際テロリズム対策課)が担当​する。

〈捜査方法〉
 捜査対象は政治犯やカルトなど特殊な対象のため、そのほとんどが​機密に包まれる。

 通常は、対象団体の集会の視察や構成員を追尾する視察作業が多い​。構成員を饗応して協力者に仕立て上げ(獲得工作という)、情報​を収集することもある。対象とする犯罪も特殊なだけに、事件発生​後に捜査するのではなく、不審な対象を発見した場合は公共秩序を​乱す行為を行っていなくとも捜査対象に置く場合がある。

〈外事捜査〉

 日本警察において外務的な捜査や、防諜を担当する部門は外事課で​ある。スパイに対する捜査や在日外国人団体関連の捜査を行う。国​外において日本の司法警察に法的な捜査権はないが、現地の捜査機​関と密接に捜査協力を行ったり、特にテロ捜査のためには海外での​情報収集も積極的に展開する。同時に防衛省情報本部や公安調査庁​と協力を行っている。

 また各国大使館や国外の情報機関(西側諸国の機関 主としてアメ​リカ中央情報局や連邦捜査局、イギリス情報局秘密情報部など)と​も密接な関係を保っており、不穏な国内情勢や国際情勢はすぐさま​公安部に伝えられ、常にテロやゲリラなど国家治安維持に関係する​事態に警戒できる体制が敷かれている。

〈公安部員〉

公安部員の性質は一般的な警察官に比べて情報機関要員に近く、業​務の特殊性から顔・体格・素性・素振りなどを部外者(これは一般​人のみならず、刑事・交通・地域など他部の警察官も含む)に覚え​られることを嫌う。そのため、マスクなどで顔を隠していることも​多い。声を覚えられることを警戒する公安部員もおり、部外者とは​雑談さえも控えている者もいる。一般市民が公安部員と接触する機​会は全くといっていいほどない。また、現職の警察官であっても、​公安部員と合同で捜査や業務を行うことは非常に少ない。そのため​公安部員については、たとえ同期の警察官であっても、詳細な所属​先や業務内容が分からないと言われている。

〈対象犯罪〉

 政治犯
 カルト団体
 国際及び国内テロリスト
 警察内部の防諜
 軍事的な重武装を行うゲリラなどの犯罪
 皇族だと身分を詐称する人物に関するもの、例えば有栖川宮詐欺事​件など。
 同盟国以外の外国政府の要員による諜報活動(実際、金大中事件以​外、情報収集活動・不法工作を行なった者が摘発された例はない)
 特に警戒される事件として北朝鮮による日本人拉致問題などの北朝​鮮の国家機関が関係すると見られる犯罪

〈組織〉

 公安総務課 庶務:庶務係(公安部内庶務) 第一公安捜査:公安管理係(公安部運用)、第1、第2係(デモ対​応) 第二公安捜査:第3、第4係(反戦デモ) 第三公安捜査:第5、第6係(反戦デモ) 第四公安捜査:第7、第8係(左翼政治団体対応) 第五公安捜査:第9、第10係(左翼政治団体対応) 日本共産党、市民運動、反グローバリズム運動、カルトなどを捜査​対象とする。総務課相当の業務は庶務係と公安管理係が行う。 公安第一課 第一公安捜査:第1係(課内庶務)、第2係(極左警備情報) 第二公安捜査:第3、第4係(極左情報収集) 第三公安捜査:第5、第6係(日本赤軍情報収集) 第四公安捜査:第7、第8係(極左情報収集) 極左暴力集団(=新左翼の過激派。警察用語)を捜査対象とする 公安第二課 第一公安捜査:第1係(課内庶務)、第2、第3係(労働争議関係​) 第二公安捜査:第4、第5、第6、第7係(過激派関係情報収集)​ 労働組合、極左のうち革マル派等を捜査対象とする 公安第三課 第一公安捜査:第1係(課内庶務)、第2係(右翼情報) 第二公安捜査:第3、第4係(右翼情報) 第三公安捜査:第5係(右翼情報) 右翼団体を捜査対象とする 公安第四課 第一公安資料:第1係(課内庶務、公安関係統計) 第二公安資料:第2係(公安資料整理) 資料管理 外事第一課 外事:第1係(課内庶務)、第2係(在外大使館関係) 欧米:第3、第4、第5係(欧米関係外事捜査) ロシアや、摘発例は寡少だが東ヨーロッパ等旧共産圏のスパイを捜​査対象とする また犯罪経歴証明書の発行も担当 外事第二課 アジア第一:第1係(課内庶務)、第2係(アジア関係外事捜査)​ アジア第二:第3、第4、第5係(アジア関係外事捜査) アジア第三:第6、第7係(アジア関係外事捜査) 東アジア地域、特に中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国、共​産圏諸国のスパイを捜査対象とする 外事第三課 国際テロ第一:第1係(課内庶務)、第2係(国際テロ情報) 国際テロ第二:第3、第4係(外国人テロ情報) 国際テロリストや、こちらも摘発例は寡少だが中東地域のスパイを​捜査対象とする 公安機動捜査隊 隊本部(庶務係、運用係)、各班。NBCテロ対策班を置いている​。目黒区目黒一丁目に隊本部が在る。

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2012年05月29日

言い訳は見苦しいばかりでなく同じ過ちを繰り返す!

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 菅直人が原発事故調査委員会に呼び出され、「原発事故は国策で引​き起こされた」との認識を示し、自らの責任を転嫁した。そればかりか、「戦前の軍部に似た原子力ムラを解体することが改​革の第一歩」だと、原発を大東亜戦争の日本軍に準え「脱原発」を訴える始末。

 事故前に、外国人からの不法献金を糺され四面楚歌だった菅は、事​故を利用ようと、現場視察というパフォーマンスを強行し、起死回生の一発勝負に出た。菅の現場視察が原発事故の対応に要らぬ混乱を招いたのは事実で、​己の行動を猛省せずに、何をトンチンカンに「軍部に似た原子力ム​ラ」か。

 東日本大震災当日から炉心溶融という「最悪のシナリオ」を予測していながら、菅直人首相が強く望んだ現地視察で即座に取るべき一連の措置に遅れが生じた。「首相を被曝させない」(政府当局者)ことを理由に、1号機の炉圧を低下させるための「ベント」と呼ばれる応急措置が遅れたというのが真相なのだ。

 性急な現地視察という間違った「政治主導」が目の前に迫る危機への対応を滞らせ、首相と補佐役の専門家の間に不信感が募った。危機管理システムが人的要因で機能せず、有事という認識が皆無だったというのが菅政権の実態だった。

 真っ先に現地に赴いた菅は「現場重視」との言い訳を口にするが、それは大震災での原発事故を利用しようというパフォーマンス以外の何ものでもなく、危機の深刻化が想定される中で、政府の最高指導者が取るべき行動ではなかった。正に軽挙妄動と断じざるを得ない。

 1号機の炉心損壊、その後の炉心溶融阻止に向け、即座に取るべき応急措置を優先し「二の矢、三の矢」を視野に入れて事態収拾を図るべきだったし、当初から炉心溶融が予測されていたのなら、もっと迅速により多くの周辺住民を避難させるべきだったろう。

 今や国内では菅と足並みを揃える胡散臭げな連中が過剰な放射線の恐怖を煽り、「脱原発」は多くの国民に浸透している。そういう意味では菅の思惑は功を奏しているのだろう。だが、その「脱原発​」というキレイゴトが東北の復興どころか復旧をも妨げてしまっている。

 やは​り原発事故は、菅の「マッチポンプ」であり、確信犯なのだ。堅白同異の弁を垂れ流す愚かな菅直人にはこの言葉がピッタリだろう。

 「言い訳は見苦しいばかりではなく、同じ過ちを繰り返す!」 




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2012年05月26日

「海軍記念日」は海軍軍人だった父の命日



 5月27日は「海軍記念日」であり、親父の命日だ。父は昭和3年生まれ、尋常高等小学校を卒業し、15歳で海軍に入隊、横須賀の海軍工廠で大日本帝国海軍軍人としての人生が始まった。その後、土浦の予科練を経て昭和20年8月15日の終戦に至る。

 神奈川県相模原で仲間と共に土建業で資金を作り、郷土に帰還後は呉服屋を立ち上げ、その後は「相模屋食堂」を営み4人の子供を育て、三十代半ばには町会議員に立候補し、5期20年余りを地方自治、郷土の発展に寄与した。

 生前、軍隊時代の思い出を詳しく聞いた事が無いのが返す返すも残念だが、実家の屋号の「相模屋」という名前からも、横須賀や相模原での思い入れが深かったことが分かる。厳しかった父の命日が「海軍記念日」というのも何か深い謂れや縁を感じ、決して忘れることはない。

 閑話休題。明治38年5月27日は、日露戦争に於ける海上での戦いだった「日本海海戦」が行われ、東郷元帥率いる連合艦隊がロシヤのバルチック艦隊を撃滅し、奇跡的大勝利を収めた日だ。

 日露戦争の勝利は欧米列強に日本の地位を認めさせることとなり、幕末以来からの懸案事項だった不平等条約、畢竟、明治維新の真の目的だった「治外法権」「関税自主権」という二つの不平等条約の克服を達成することになる。

 「治外法権」は既に日清戦争後の明治32年に克服したが、「関税自主権」の回復を実現することで明治維新は成就し、真に独立を恢復することが出来たのだ。また、この戦争の勝利は、植民地にされていた民族の独立心を掻き立て、後の大東亜戦争後の植民地の解放に繋がったのは申す迄もない。

 日露戦争の世界史における歴史的意義は、有色人種が白人に勝利することによって、当時、欧米列強に植民地にされていた世界中の被抑圧民族を感動させ、独立への夢を駆り立てたことだろう。

 日露戦争での勝利は、日本にとっても世界の有色民族にとってもこの戦争での勝利は誠に大きな意義を持つものだったのだ。そうした先人の努力と苦労の上に、現在のこの日本国が成り立っていることに感謝せずにはいられない。

 大東亜戦争後、占領政策によって訳の解らぬ「平和主義」が蔓延り、「戦争=悪」といった短絡的思考が常識化しているが、「戦争」というのは国際法上、紛争を解決する手段としては認められている。単純に「戦争」か「平和」かと問われれば、誰でも「平和」を選ぶだろう。

 国家間の紛争が武力の行使無しに話し合いだけで解決されるのならばそれに越したことはないが、国際社会に於いては、平和的解決が話し合いだけで解決されることは殆んど無い。平和的解決、非軍事的措置を執る方が遥かに犠牲者も多く、非人道的な場合が多いことも知らなければならない。

 「戦争=悪」だという様な短絡的な思考は寧ろ暴走を招く危険もあり、もっと理性的な思考をしなければ反って戦争を招き寄せることに為りかねない。

 「日本国憲法」の前文に在る「諸国民の公正と信義に信頼して云々」という様な、「平和」「平和」と空念仏を唱えるだけで平和が訪れるという、「念仏平和教」信仰こそ異常な状態なのだ。

 戦後の日本人は基本的人権の尊重が幅を利かせ権利を過剰に主張し続けているが、国際社会において、国家の権利を主張せずに黙り込むというのは、余りにも論理の整合性に欠けていると言わざるを得ない。

 北朝鮮の明らかな国家意思によって日本人同胞が拉致されても何ら奪還する手立てを打たず、或いは中共や韓国、ロシアに主権侵害されながら、ただ指を銜えて傍観しているだけで、果たして真の独立主権国家と言えるだろうか。

 ロシアという巨大国家に、正に国の命運を賭けて挑んだ戦いに勝利した「海軍記念日」に、先人の営為に思いを馳せると共に、我が国の行く末を一人びとりが考えなければならない。 合掌再拝。

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2012年05月18日

シュガーキングと呼ばれた男・松江春次



 台湾に烏山頭ダムを設計した八田興一の銅像が在るが、当時は台湾は日本領であり、それ以外に外国で建てられた日本人の銅像は二人だけだったという。

 一人は、医学者 野口英世博士、そしてもう一人は、映画「バルトの楽園」で有名になった板東捕虜収容所所長・松江豊寿大佐の実弟、松江春次氏だ。野口英世、松江春次両人共に福島県人で同じ年、然も、実際に交流が有ったというから凄い。

 後に「キング・オブ・シュガー 」と称された松江春次は、明治9年(1876)市内馬場町(現在の中央二丁目)に生まれ、会津中学(現会津高校)を卒業し、苦学して東京工業学校(現東京工業大学)応用化学科を卒業し、大日本製糖に入社。

 春次は米国ルイジアナ大学にも留学し砂糖科を卒業するも、技術習得の為にヨーロッパに出向。31歳で帰国し、そして日本初の角砂糖の製造に成功する。

 その後も製糖会社を転々とし、台湾での製糖業で成功を収めるも、自身が描く南洋開発の夢の為に退社。当時、5万人もの日本人が入植していた「南国の楽園」と言われたサイパン島に渡った。

 しかし、実際にはサイパン島では、国の入植事業に失敗した千人の日本人が生活に苦しんでいた。島を調査し、製糖事業の成功を確信した春次は、地元の人々を救う為に「南洋興発株式会社」を設立、開拓に着手する。

 やがて製糖事業は大成功し、日本からも多くの入植者を迎えた。

 成功した春次は、成金趣味を持たず会津人らしく質素な生活を続け、育英事業に私財を投じた。自分の苦難の経験から「青年に投資する」を持論とし、自分の土地、株券を売却し、故郷の会津工業高校へ33万円(現在の数億円に相当)を寄付し、機械科を創設させ、多くの技術者が育ち日本に貢献することとなる。

 会津の白虎隊の悲劇は誰もが知るところだが、こうした会津の若者の悲運が、春次が日本の将来の為にも青年を育てなければという思いに駆られたのだと思う。

 第二次世界大戦は激烈を極め、日本軍は終に敗走する。サイパンを占領した米軍は残された「キング・オブ・シュガー・松江春次像」の倒壊を謀るが、地元住民からの懇願で断念したという。春次が如何に慕われていたかが想像出来る。

 春次は、敗戦で財産の殆どを失ったが、砂糖製造を中心に開発事業に成功した優れた開拓者として今も尚語り伝えられている、福島が生んだ英雄である。

 晩年春次は、サイパンへの郷愁を抱きながら、酒を酌み交わすことが楽しみだったという。春次が好んで揮った「生来無一物(しょうらいむいちぶつ)」の渾身の書に、激動の時代を生き抜いた春次の人となりを感じる。

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2012年05月15日

沖縄復帰四十周年に想う


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 今日で沖縄が本土復帰してから40年になる。「沖縄が帰らずして日本の戦後はない」との佐藤栄作首相の言葉は衝撃的で、未だ小学生だった愚生も亡き父親らとテレビを見ながら沖縄の本土復帰を喜んだのを思い出す。

 地理的に日本と支那の中間に位置する沖縄は、日本から見れば同じ日本人だが、支那や沖縄から見れば寧ろ支那と同族の関係にあった。

 住民は日本本土から南下した日本人と、ポリネシア系、台湾系、支那華南系だとされている。「明」の時代に支那に入貢して「琉球国・中山王」として冊封を受け、奄美大島から先の宮古・八重山までの領域を支配する中央集権国家を築いた。

 日本への使者の派遣は室町時代になってからで、徳川幕府の命令で島津藩が琉球に出兵し奄美大島を直轄化したが、琉球はその後に支那に誕生した清朝の冊封も受け両属の立場を執った。

 二千円札の「守礼の門」の図柄は、支那からの冊封使を迎えて行う琉球王の即位式の会場で、そのことを以ても沖縄が、日本と支那と両属だったかが理解出来る。二千円評判が悪いのはその絵柄の影響もあるのだろう。

 明治39年に沖縄で初めて文学士となった「沖縄学の父」と称される、伊波普猷(いはふゆう)の説に拠れば、琉球は日本文化が拒絶した宦官制度を導入し、また日清戦争の際には日本派(開化党)と清国派(頑固党)が乱闘を演じ、日本派が勝利した結果、清国派は支那に逃避した。

 彼の代表的著作「古琉球」の中には、〈沖縄人の最大欠点〉として次の様なことが書かれて在る。

 「沖縄人はとかく恩を忘れ易い人民だという評を耳にすることがあるが、これは弁解し切れない大事実だと思う」

 「久しく日支両帝国の間に介在していたので、自然二股膏薬主義を取らなければならない様になった」

 「沖縄人にとっては沖縄で何人が君臨しても、支那で何人が君臨しても構わなかったのである。明、清の変わり目に当たって支那に使した使節の如き、清帝と明帝とに捧げる二通りの上表文を持参して行ったとのことである」

 話しは変わるが、先の大戦での「沖縄戦」に於いても、特攻部隊が重要な役割を果たし、特攻戦死者の実に76%が沖縄戦で亡くなっている。鹿屋基地(海軍航空)からの特攻で1981名、知覧基地(陸軍航空)からの特攻で1036名の合わせて3017名が亡くなった。

 特攻は航空だけではなく、特殊潜航艇、回天魚雷、空挺特攻、対戦車特攻、震洋特攻艇、陸軍海上特攻なだ様々な工夫により劣勢を覆す為の特攻攻撃が行われた。

 集団自決が問題となっている座間味、渡嘉敷両島に於ける梅沢、赤松部隊は元々島の防衛隊ではなく、海上特攻の部隊だった。米軍がこれを察知して特攻艇を先制撃破した為、止むを得ず上陸軍と戦闘を行ったのだ。

 戦艦「大和」が沖縄戦の為に出撃したことはよく知られているが、此れも特攻攻撃の一つであろう。「大和」が沖縄に到達した暁には、海岸に乗り上げて全力を挙げて砲撃戦を行う予定だった。

 「大和」には歯磨き粉、ブラシ50万人分、月経帯15万人分などの民生品を大量に積み込んでいたことを鑑みても、沖縄と沖縄の人々を必死で護ろうとした何よりの証明と云えよう。

 「日本は沖縄を見捨てた」「日本は沖縄を捨石にした」「日本軍は沖縄の敵であった」などとの妄言を未だに信じる人々がいるのは悲しいことだが、沖縄を護る為に、そして日本を救う為に、尊い命を捧げてくれた特攻の英霊に対し、一体どんな顔向けが出来るというのか。

 沖縄本土復帰に当り、改めて英霊の御霊に対し感謝の誠を捧げる。合掌。

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2012年05月09日

財政再建は「調所笑左衛門」に学ぶべし!

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 消費税増税を柱とした社会保障と税の一体改革関連法案が審議入りした。消費税増税反対の小沢の党員資格回復も重なり、政局は一気に波乱含みだ。

 消費税増税は致し方ないような雰囲気が巷間漂っているが、社会保障と税の一体改革というなら、先ずは膨れ上がる国債の利率を先ずは廃止したら如何か。

 「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」というが、財政再建を歴史上の人物で見倣うべきなら、薩摩藩の調所笑左衛門(ずしょしょうざえもん)だろう。

 江戸時代も中期から後期になると、殆どの大名は藩の財政に苦しんでいた。算段は、市中の商人や金貸しから借りなくてはやりくり出来なかったという。今で言うところの「国債」と同じ様なものだ。

 七十七万石の薩摩藩も例外ではなく、武を以て尊しとする薩摩藩は経済を軽視し、二十五代藩主の島津重豪(しげひで)は西洋被れもあり、大金を投じて「天文館」を建てたり、博物全書を出版したりと資金を湯水の様に浪費した。

 その結果、文政十年(1827年)には、薩摩藩は五百万両もの借金を抱えることとなった。この頃の薩摩藩の税収は年間十五万両程度で、実に年間予算の33倍もの借金を負っていたのだ。現在、国の税収は40兆円余りで、借金は1000兆円程度の約25倍。今よりも酷かったというのが理解出来よう。

 そこで登場したのが調所笑左衛門だ。元々は殿様の茶坊主だったが、経理の才能に秀でてた為に小納戸役頭取に抜擢され藩の財政再建を一任されることとなった。

 茶坊主らしく知恵を働かせた笑左衛門は、先ずは債権者に「借金の返済方法について相談したいことがあるのでお越し願いたい。証文の書き換えをしたいので持参されたし」との通知を出す。

 債権者にしてみれば、幾ばくかの返済を当てにして赴いたのだろうが、笑左衛門は証文を出させ、それを何と火鉢の中に投げ入れてしまったのだ。

 唖然とする債権者らに笑左衛門は必死の形相で、「借金は二百五十年腑で御返しする。但し、利息は付けない。無理は承知。それが否だというなら突くなり、斬るなり好きにしてくれ」と言い放った。

 債権者にしてみれば、証文は灰だし、商人が武士に楯突ける訳も無し。此処まで覚悟を決めたのは余程のことが在るのだろうと、年二万両ずつ二百五十年かけての返済に同意する。

 その後、藩内の経費を切り詰め、一方では南の島の黒砂糖貿易を独占して財政を立て直した。重豪の次の藩主の斉彬が藩内の工業化に成功し、藩の財政は潤い、明治維新という日本の開国に大きく寄与して行くこととなった。

 因みに、年二万両の返済は約束通り明治初頭までは続けられていたが、廃藩置県により消滅したのは言うまでもない。

 現在の一般会計を見ても、税収が40兆円余りしか無いのに予算は90兆円を優に超える。社会保障や医療、教育費、防衛予算、公共事業の予算も見直しが必要だろうが、先ずは国債発行に伴う利息の支払いを止めるべきで、政府は調所笑左衛門のやり方を見倣ってみては如何か。呵呵。


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2012年05月02日

沢田研二の「我が窮状」を嗤う

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 芸能界には保守的な芸能人も多くいるが、逆に共産党シンパや無自覚左翼も少なくない。芸能人の「言葉」は社会的影響が大きいだけに、安易に政治的発言をするのは慎んで欲しいものだ。

 一世を風靡したジュリーこと沢田研二だが、憲法「九条を守りたい」と、自ら詩を付けたバラード「我が窮状」を制作した。「憲法」という言葉は使わず、九条を「守りきりたい」と歌い、コンサートで人気らしい(笑)

 地元紙に、沢田研二の憲法観というか、バカを披瀝しているインタビュー記事が載っていた。此れが実に笑えるものばかり。

 「アメリカから与えられた憲法だという人がいるが、世界に誇れる宝物だと思う。特に惹かれるのは戦争を放棄するという部分。やられたらやり返すじゃない。日本人の宗教観で受け入れられる感覚だと思う」

 「どの家でもお父さんが怒っても、お母さんが我慢すれば喧嘩にならない」と、悪いのはいつでも親父らしい(苦笑)

 「他国に宣戦布告されて迎え撃ちに出ることになったら若い人達が召集されて、国の未来を考えると良いことはないですよ。国の軍隊同士の戦いと言っても、結局普通の人が巻き込まれる。自分の家族が死傷者に含まれていたら、国の為、大義の為で片付けられないでしょう」と言いたい放題で、思わずこっちが「勝手にしやがれ!」と言いたくなった。

 「世界中の宗教絡みの争いも、どっかで止めれば、或いは我慢すれば無くなる」という。此処まで来ると、余りの短絡的思考に憐れみを感じてしまった。

 「若い人は自分のことで手一杯でしょう。長く生きて来た僕らが考えないといけない問題なのだと感じます。」と締め括っていたが、歌手として何を歌おうが勝手だが、九条を「世界に誇れる宝物」だとか、「若い人は自分のことで手一杯」だからとか、アホな解釈を垂れ流すのは勘弁して貰いたいものだ。

 第九条の「戦争放棄に関する条項」は、世界大戦後に国連が勧めた「不戦条約」がその源であり、日本や米国、英国、仏国、伊国など多くの国が締結している。しかし、戦争放棄の国際条約を結んでから、世界は皮肉な事に条約とは全く正反対の道を歩んで往ったのである。

 平和主義を憲法で謳っている国は八十ヶ国以上在り、イタリア、スペイン、ハンガリー、エクアドル、フィリピンは日本と同じ規定が在る。

 沢田研二ら護憲派は、「世界で唯一の平和憲法」と賛美しているが、此れこそ日本人の奢り以外の何ものでもない。「護憲」は正に「誤憲」なのだ。

 沢田らは「戦後民主主義」に拘泥するあまり、自分の考えこそ絶対として全く聞く耳を持たないが、誤憲、人権、平和団体などの無自覚左翼に共通するものは、物事の見方が薄っぺらで、実に腹立たしいものが多い。

 こうした無自覚左翼の芸能人を、「九条の会」を始め、蛆虫共産党や売国マスコミの連中は利用する。

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