2012年03月

2012年03月30日

「遺恨あり!」死刑制度は「仇討ち禁止令」に代わるものである

 民主党政権下で二回目となる死刑執行が行われた。小川敏夫法相は会見で、「刑罰権は国民に在る。裁判員裁判でも死刑が支持されている」として死刑執行の理由を述べたていが、至極当然のことであり異論を挟む余地など無い。

 死刑執行停止や、死刑廃止を訴える連中は、「国際人権基準」がどうのだとか、死刑は「非人道的」とか「生きる権利の侵害」とか「死刑囚の資料を精査する十分な時間が有ったとは思えない」など、愚にも付かぬくだらん屁理屈ばかり。

 刑事訴訟法は、死刑確定から六ヵ月以内の執行を定めており、何れも六ヶ月以内に検察庁が法務大臣に「死刑執行上申書」を提出し、規定通り押印し、法相の命令から5日以内に執行されなければならないと決められている。「死刑制度」に替わる法律が無い以上、粛々と刑の執行をすべきだが、保留されてる事案は多い。  

 抑々「死刑制度」は、江戸時代には認められた「仇討ち禁止」や「決闘禁止」に代わる制度として発足させたものである。明治6年(1873年)2月、司法卿・江藤新平は「復讐禁止令(仇討ち禁止令。太政官布告第37号)」を発令した。

 幕末から維新期の派閥、政論の対立による暗殺とその報復という面があったところから、この種の紛争を断ち切る為のが目的だったというが、明治22年には「決闘罪ニ関スル法令」も発布されたことに由り、敵討ちや復讐は禁じられた。

 主君や親兄弟などを殺した者を討ち取って恨みを晴らすことは日本人の美意識の顕れであり、江戸時代には武士階級で慣習としてそれらは公認されていた。

「敵討ち」と認められれば罪に問われなかったばかりか大衆の支持を得た。赤穂浪士の討ち入り(忠臣蔵)などがその典型だ。現代も死刑制度を容認する国民が85.6%もいるのは、国が遺族に代わり遺恨を晴らして欲しいという気持ちの顕れである。

「遺恨あり!」という映画を知ってるだろうか。江戸末期、親が藩の策謀で殺された。倅はやっとの思いで仇を討つが、これが「仇討ち禁止令」後のことで罪に問われてしまう。この映画は実話に基いた物語で、実に見応えの有る映画だった。

 犯人への「仇討ち」も「決闘」も出来ない遺族に代わり、「遺恨を晴らす」ことが「死刑制度」の大きな意味である。「生きる権利の侵害」などとくだらない理由で死刑執行しないのでは、それこそ遺族の無念は晴れることは無い。

 死刑囚の執行に躊躇することは、憲法下での「法の下の平等」を犯してるばかりか、刑事訴訟法の意味も問われかねない。法務大臣に就任したのなら刑事訴訟法に定められている通りに、死刑執行確定から六か月以内に執行すべきである。

cordial8317 at 06:14|Permalink

2012年03月22日

高校生の国歌独唱が「素晴らしい!」と評判になっている



 この時期、各地で卒業式、入学式が行われるが、それに合わせ、国旗「日の丸」、国歌「君が代」に反対する勢力も蠢き出すが、今年は橋下大阪市長の影響か、やはり自分の生活が大事らしく騒ぐ輩も例年より少ない様だ。

 日本に住んで、日本の恩恵を享けながら、日本に誇りも持てず、卑下する連中は実に見苦しいばかり。それも、未だに「君が代」「日の丸」に憎悪を抱いてる理由が米国の押し付けた自虐史観なのだから御粗末過ぎる(苦笑)

 選抜高校野球での広島音楽高校の野々村彩乃さんの「国歌独唱」が素晴らしいとネット上で評判になってる。この歌声を聴いて感動しない日本人はいないだろう。

 野々村さんの歌声を聴いて「国歌」「国旗」に反対している大馬鹿者も己の幼稚な行動に恥入りなさい。「日の丸」と「君が代」の意味を改めて考えてみよう。

 推古天皇の摂政として政治を整備した聖徳太子は隋へ「日出づる所の天子、書を日没する所の天子にいたす、つつがなきや」の文書を小野妹子に託す。

 この文書を読んだ隋は激怒するが、小国日本の存在を堂々と主張して見事にその気概を示すと共に支那大陸との国交を開き大陸文化導入に努めた。

 我が国は、ユーラシア大陸で最初に朝日を迎える国であり、稲作民族が日の神、天照大御神を崇め太陽信仰を持つのは自然なことだった。

 そうした国のシンボルに「日の丸」を執ったのも極めて自然なことだ。国の成り立ちや理想が「日の丸」ほど一致する国は無い。

 日の丸の赤丸は、太陽を意味し熟誠、活気、博愛、誠心誠意を現し、白地は清浄無垢を示し神聖、正義、純潔、平和、鎮静を現している実に美しい旗である。

「君が代」は「古今和歌集」巻七「賀の部」の「わが君は千代に八千代にさざれ石の巖となりて苔のむすまで」の一首からの出典だ。

 この歌の本意は、大君の御代が栄えることを願ったもので、我が国は、天皇を族長と仰ぐ君民一体の家族国家であり天皇即日本、日本即天皇の天皇国家なのだ。

 この国體の精華は万邦類を見ないものであり、天皇国日本である我が国で陛下の御代が栄えることは、即日本が栄えることでもあるのだ。

 実に「君が代」は、我が国體の精華を格調高く歌い上げたもので、その曲と相俟って厳粛にして荘重、世界に冠たる誇るべき「国歌」である。国旗「日の丸」を高く掲げ、国歌「君が代」を高らかに歌い、祖国日本の再建に立ち上がろう。

cordial8317 at 06:23|Permalink

2012年03月09日

「陸軍記念日」に米国の大空襲は始まった!

 米軍による東京大空襲は昭和20年3月10日が最初だった。日本の多くの家屋が木造だという理由から火炎の強い焼夷弾を投下した。この空襲で多くの一般市民が犠牲となったが、米軍はこれに飽き足らず、4月14日と5月25日にも空襲している。

 5月25日の戦災では、皇居にも及び、明治宮殿が全焼し、陛下の執務室や御所、正殿などの儀式殿を失った。昭和天皇は「御文庫」を仮の御所とされ、昭和36年に吹上御所に御移りになられる迄の17年間を御文庫で御過ごしになられた。

 戦争で疲弊した国民生活の向上が最優先との思し召しから新宮殿の再建を御許しにならなかった。大空襲以降も「国民と共に苦楽を分け合う」と仰せになられ、皇居から御移りにならなかった。先帝陛下の大御心を拝する逸話である。

 東京大空襲は、広島、長崎への原爆投下と同様、一般人を犠牲にした蛮行は断じて許されるものではない。マッカーサー元帥の右腕の一人だったボナ・エラーズが、日本への空襲をして「史上最も冷酷野蛮な殺戮」と証言している。

 大空襲や原爆投下、ドイツのドレスデン爆撃は「国際法違反」の代表的例だ。東京裁判で連合軍は、東京への爆撃は「重慶、南京の日本軍のよる爆撃への報復」と詭弁を弄したが、民間人の殺戮は国際法違反である前に赦されざる蛮行である。

 未だ国内でも、こうした米国のプロバカンダを信じ「日本が戦争さえしなければ空爆されなかった」といった、自虐史観が散見されるのは困ったものだ。
 
 東京大空襲が決行された3月10日は我が国の「陸軍記念日」である。日露戦争最後の陸上戦「奉天会戦」が、大山巌陸軍大将指揮下断行され、明治38年3月10日に勝利を収めた。翌年、その勝利を祈念して3月10日を「陸軍記念日」として制定した。爾来、3月10日は国民が先人の偉業を称え、御祝いする日だったのだ。

 米軍は敢えてこの3月10日を選び攻撃したのだが、こうした事例は枚挙に遑なし。極東軍事(東京)裁判では、所謂A級戦犯が「死刑」判決を言い渡された日は「天長節」の4月29日。処刑日は皇太子殿下の御生誕日の12月23日に執行している。

 日本人に対し未来永劫に亘って、贖罪意識を植え付けるのが目的だったのは言う迄もない。こうした米国の意図は予想以上に成果を上げ、今や日本は「同盟国」とは名ばかりの「米国のポチ」として忠誠を誓い続けてる始末である。

 世界情勢が大きく変わろうとする今こそ、現憲法を破棄し、帝国憲法を復元・改正し、米国依存から脱却を急ぎ、国防体制の強化こそ急がねばならない。 

cordial8317 at 11:11|Permalink