2012年02月

2012年02月26日

「大義を明にし、人心を正さば、皇道奚んぞ興起せざるを憂えん」

 

 橋下大阪市長の「維新の会」など、此処に来て「維新」ブームは全国に拡大する様相を呈してるが、彼らは軽々しく「維新」を口にし、恰も惨憺たる現体制を打破し、新たな政治体制を確立するかの様な言動をするが、連中に真の保守主義はなく、尊皇精神は皆無だ。

 日本では過去に、陋習を打ち破らんと維新の大業が成し遂げられた。「大化の改新」「建武の中興(新政)」「明治維新」だ。「維新」とは、「維れ新なり」という意味だが、右顧左眄の自己保身に狂奔する政治家どもが、痴がましくも口に出すものではない。

 「大義を明にし、人心を正さば、皇道奚(いずく)んぞ興起せざるを憂えん」とは、藤田東湖が示した、維新の精神である。

 昭和11年2月26日、国家社会主義者・北一輝の「日本改造法案大綱」の影響を受けた、安藤輝三、野中四郎、香田清貞、栗原安秀、中橋基明、丹生誠忠、磯部浅一、村中孝次ら青年将校は、第1師団の歩兵第1連隊、歩兵第3連隊、近衛師団の歩兵第3連隊などの総勢1483名を率いて、「君側の奸」「昭和維新」「尊皇討奸」を掲げ決起した。

            「蹶起趣意書」

 謹んで惟るに我が神洲たる所以は 万世一系たる天皇陛下御統帥の下に挙国一体生成化育を遂げ 遂に八紘一宇を完うするの国体に存す。此の国体の尊厳秀絶は 天祖肇国神武建国より明治維新を経て 益々体制を整へ今や方に万邦に向つて開顕進展を遂ぐべきの秋なり。

 然るに頃来遂に不逞凶悪の徒簇出して私心我慾を恣にし 至尊絶対の尊厳を藐視し僭上之れ働き万民の生成化育を阻碍して 塗炭の痛苦を呻吟せしめ随つて外侮外患日を逐うて激化す、所謂元老、重臣、軍閥、財閥、官僚、政党等はこの国体破壊の元兇なり。

 倫敦軍縮条約、並に教育総監更迭に於ける統帥権干犯至尊兵馬大権の僭窃を図りたる三月事件 或は学匪共匪大逆教団等の利害相結んで陰謀至らざるなき等は 最も著しき事例にしてその滔天の罪悪は流血憤怒真に譬へ難き所なり。

 中岡、佐郷屋、血盟団の先駆捨身、五・一五事件の憤騰、相沢中佐の閃発となる寔に故なきに非ず、而も幾度か頸血を濺ぎ来つて今尚些かも懺悔反省なく然も依然として私権自慾に居つて苟且偸安を事とせり。

 露、支、英、米との間一触即発して 祖宗遺垂の此の神洲を一擲破滅に堕せしむは火を賭るより明かなり。内外真に重大危急今にして 国体破壊の不義不臣を誅戮し 稜威を遮り御維新を阻止し来れる奸賊を芟除するに非ずして宏謨を一空せん。

 恰も第一師団出動の大命渙発せられ年来御維新翼賛を誓ひ殉死捨身の奉公を期し 来りし帝都衛戍の我等同志は、将に万里征途に登らんとして而も省みて内の亡状に憂心転々禁ずる能はず。君側の奸臣軍賊を斬除して 彼の中枢を粉砕するは我等の任として能くなすべし

 臣子たり股肱たるの絶対道を今にして尽さずんば破滅沈淪を翻すに由なし、茲に同憂同志機を一にして蹶起し奸賊を誅滅して大義を正し国体の擁護開顕に肝脳を竭し以つて神洲赤子の微衷を献ぜんとす。皇祖皇宗の神霊冀くば照覧冥助を垂れ給はんことを!

         昭和拾壱年弐月弐拾六日 陸軍歩兵大尉 野中四郎

 彼らは、反乱軍とされてはいるが、彼らの憂国の至情は今尚消えることはない。「二・二六事件」に唯一の民間人として加わり、「群衆指揮等」として死刑に処せられた「渋川善助」という思想家がいる。

 福島県会津若松市七日町の海産物問屋の長男に生まれ、会津中学校、仙台陸軍地方幼年学校を経て、陸軍士官学校予科に進み、御前講演を行うほど成績優秀で、杉田省吾、西田税、福井幸、加藤春海等とともに「維新同志会」を結成し、国家主義運動に参画した人物だ。

 渋川が少年時代を過ごした部屋は、三島由紀夫が訪れ、「憂国の間」と名付けたという。その部屋は、会津若松市の「渋川問屋」内に現在でも保存されている。

 「渋川問屋」は料理も美味いと評判なのだが、愚生も県内に住んでいながら、未だ訪れたことは無い。いつの日か、「夕刻の士」らと宿泊し、談論風発、杯盤狼籍、大破轟沈したいものだ。呵呵。

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cordial8317 at 04:34|Permalink

2012年02月23日

河村市長の発言撤回を要求するとは(苦笑)



 河村たかし名古屋市長が、南京事件を「無かったのではないか」と発言したことに対し、「南京人民の感情を著しく傷つけた」と、名古屋市との交流を一時停止すると発表。河村市長が発言を撤回しなかったことで、反日感情が広がる懸念が強まっているという。討論もせず、発言の撤回のみを要求し、応じなければ恫喝や人民を煽って反日運動。相変わらず姑息で器の小さな民族だ。

 抑抑、「南京事件」など存在せず、この問題が持ち上がったのは、戦後、米国の原爆投下が問題となるや、「日本軍も30万人も虐殺していたぞ」と言わんとばかりに米国側がでっち上げ、中共がそれを利用している問題なのだ。

 中共側は、南京事件の証拠として「ラーベ日記」を持ち出している。「ラーベ日記」とは、昭和12年12月に日本が南京を占領した時に、南京に残っていた欧米人15人によって組織された「安全区国際委員会」の委員長・ジョン・ラーベが書いたとされる日記だ。

 今ではラーベは、住民保護に当たった人道主義者「中国のシンドラー」として持て囃されている様だが、実際はどんな人物だったのか。

 ラーベは、ドイツの電機メーカー「ジーメンス」の南京支社長で、武器商人の様な存在だ。当時のドイツは、蒋介石政権に軍事顧問団を送り込み、中国軍の近代化を指導すると共に、ドイツ製の武器を大量に売り込んでいた。産業連盟ぐるみで輸出を行っていた中心メーカーで、蒋介石と親密な関係を持つラーベが、委員長に選ばれたのは当然の成り行きだっただろう。

 軍事顧問団のファルケルハウンゼン将軍は、蒋介石に「日本に対する先制攻撃」を提案していた人物で、その仲間のラーベが反日的で、支那人に同情的だったのは想像するに余りある。従って「ラーベ日記」には、日本軍に対する極めて悪意のある作為的描写が多い。

 あの狭い「安全区」には20万人の市民が住んでおり、そこを自由に行き来していたラーベ。日記にも、たったの一件も殺害を見たとは書いていない。 日本軍の蛮行とされているものは、全ては「こう言っている」「ああ言っている」という伝聞ばかりなのだ。

 国際委員会の公式記録「南京安全区の記録」にも、南京の人口はずっと20万人だったと報告されている。だが、ラーベは、ヒットラー総統への上申書で、「南京で5~6万人の民間人が殺された」と虚偽の報告をする。それが、今になって「南京事件」の証拠となっているのは実に御粗末なものだ。

 要するに、南京事件とは「ラーべ日記」の伝聞や、ヒットラーへの嘘の上申書を証拠に捏造されたものであり、全くの事実無根の事件なのだ。

 この解決は、対中韓ではなく、所謂「南京大虐殺」や「従軍慰安婦問題」をでっち上げた米国側も引っ張り出して議論すべきで、それには当然ながら、米国依存の体制から脱却すことが肝要なのだが、それこそ「南京事件」や「慰安婦問題」を否定するより困難を極める。

 歴史の問題は、一国の存亡に関わる大事であり、河村市長は発言を撤回したり、安易に譲歩はしてはならない。日中両国の「平和友好」というなら、先ず南京屠殺記念館や各戦争記念館に展示してあるインチキ写真を撤去するべきだろう。尤も、反日国家との友好など、此方から願い下げだ。

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cordial8317 at 05:14|Permalink

2012年02月22日

2月22日は「竹島の日」です!



 昭和27年1月、韓国初代大統領の李承晩は国際法を無視し、突如として軍事境界線、所謂「李承晩ライン」を設定し、日本領土の竹島を取り込んで韓国領と宣言、占領下で無力な日本の立場を見透かし、泥棒猫の様に竹島を掠め取った。日本の主権が快復される3ヶ月前のこの行為は明らかな侵略行為であり、断じて許されるものではない。

 戦後、李承晩ラインを侵犯したとして拿捕され、抑留された日本人漁民は日韓漁業協定が成立する昭和40年(1965年)の間に3929人に及び、船舶328隻、死傷者は44名を数えた。韓国政府は日本人抑留者との引換えに、日本国内で犯罪を犯し収監されていた在日朝鮮人472名の放免と日本滞留特別許可を要求し、日本政府は已む無くその要求に応じた。在日がゴキブリの如く殖え続け、在日特権が次々と与えられて行くのは此れが元凶だ。

 韓国側が主張する根拠は、「三国史記」という古代朝鮮の歴史書に、鬱陵島の隣の干山島が、新羅の領土と書かれていることに帰着する。「4~5世紀から韓国領だった」というのだが、古地図では干山島は、鬱陵島の西に接近していて、竹島は、鬱陵島の東南92キロに在るのだから、干山島が竹島ではないのは誰にでも理解出来よう。

 抑抑、李氏朝鮮時代には、鬱陵島すら「空島政策」によって居住が禁止されており、それより遥か先の島のことなど関心も認識も無かった。日本では徳川時代から魚採が行われ、度々渡航していた事実があり、竹島は明らかに日本領土なのだ。竹島問題を紛らわしくしているのは、日本では当時、「鬱陵島」を「竹島」と呼んでいたことくらいなものだろう。

 昭和29年9月25日、日本政府は、この問題を「国際司法裁判所」に付託することを提議したが、韓国政府は未だに応じていない。応じていないというより、応じられないというのが本音だろう。また、昭和26年に韓国が米国政府に対し、ポツダム宣言の解釈として「日本が放棄した領土には竹島(独島)が含まれるべきだ」と要求したが、次の様に回答されている。

 「独島、又は竹島ないしリアンクール岩として知られる島に関しては、この通常無人島である岩島は、我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことは決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐支庁の管轄下にあります。この島はかつて朝鮮によって領土主張がなされたとは思いません」(ラスク国務次官補より梁韓国大使宛書簡、1951年8月10日付)

 領土問題が未だ解決の曙光すら見えないのは何故なのか。思うに、領土そのものの重要性に対する認識不足、如何に不法占拠されたのかという真相把握の欠如、そして相手国への認識の甘さ、更には歴代の政府や国会が領土主張を疎かにしてきた結果であり、事の重大さを認識し、実力行使も辞さない覚悟で抗議と返還要求を断行すべし。

 現在、世界の各地で民族争いの中で国境紛争が頻繁に起きているが、世界では、寸土たりとも主権確立には戦いをしてまで死守しているのが世界の常識で、奪われたものは奪い返す以外に解決する手段は無い。

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cordial8317 at 04:11|Permalink

2012年02月20日

愛犬・陽太(ヨーダ)逝く!

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 愛犬・陽太(ヨーダ)ことジャンダーム・オブ・コーサイ・JP。来月12日で17歳の誕生日だったが、昨日永遠の眠りに就いた。寿命の短いパグ犬にしては大往生だったと思う。ホント世話のかかるヤツだったが、陽太の御蔭で色々と愉しい生活を送れた、本当に有難う。

 倅が小学校時代、一人っ子では可哀想だとペットを飼うことにした。今でも譲って貰った日の光景を思い出す。未だ乳離れもしていない様な二匹の内の、大人しそうな一方を気に入り抱き上げると、「俺の方がいいぞ」と言わんばかりで猛アピールしてきたのが「陽太」だった。何故、大人しい方を選ばなかったのか今でも分からないが、それも運命だったのだろう。

 当時は市営住宅に住んでいて、勿論ペット禁止。散歩に行くのも一苦労で、隠そうと思っても、近所にはバレバレで、それでも倅が高校へ入る迄の約5年間を団地で過ごした。大槻公園や逢瀬公園ではよく遊んだが、怪我もしょっちゅうで、幼い頃、遊んでて爪が剥がれ、近所の動物病院へ運んだのはいいが、ここがとんだヤブ医者で、その後の爪切りは寝たきりになる迄ホント一苦労だった(笑)

 倅が高校に入り、通学が楽な様にと引越した。ペットOKだと思って契約した借家も、ペットがダメだと知り、それでも隠れて飼うことにした。他の犬と違って余程のことがないと吠えることはないので、迷惑を掛けることは無かったと思うが、恐らく、大家も周りの住人も知って知らないフリをしていたのだろう。

 元気だった陽太だったが、三年ほど前から歩くのが困難になり、東日本大震災の頃からは寝たきりになった。地震の時も二人で炬燵に入っていて、大きな揺れに炬燵を覗くと、見えなくなった目で自分の方を見ていたのを思い出す。抱えて外に出ようと思ったが、外には大家もいるし、部屋で揺れの収まるのをジッと待った。

 二年前に倅夫婦に子供が出来て、その孫が遊びに来ると、彼方此方と遊び回るので、陽太の方は孫が嫌いだった様だ。先日、孫が久しぶりに遊びに来たが、陽太はもうライバル意識も、逃げ回る体力もなく、されるが儘にしていた。そんな孫が陽太を見るなり、「師匠」と呼んでいたのには思わず笑った。

 陽太の体調が芳しくなくなった頃、愚生も所属団体を辞した。今考えると、陽太の介護に専念する為に辞めた様にも感じる。歩けないから当然トイレも自分じゃ出来ず、定期的に腹を押して出させ、水や食事も吠え方で何をして欲しいのか分かる様になった。でも、半年前くらいからはその声も出なくなってしまった。

 介護はホント大変だったが、陽太が生きてるだけで嬉しかった。だが、二三日前から食も細くなり、昨日も、ワカサギ釣りに出掛ける前にシッコさせて、水も飲ませたが、顔を付けただけで飲むことも出来ず、愈々かなぁと覚悟は決めていたが別れは突然やって来た。夕方、「帰って来たぞ!」と頭を撫でると、出ない声で「ホーッ」と二回吠えると、眠る様に息を引き取った。

 「何れの道にも別れを悲しまず」とは剣豪・宮本武蔵の言葉だが、酒を嫌いな人が「我、酒を絶つ」或いはタバコを吸わない者が「タバコを絶つ」などと書かない。武蔵は寧ろ、人一倍感情豊かで熱血漢だっただろう。男は斯く在るべきだと常々思っていたが、ペットとはいえ家族を失った悲しさは大き過ぎる。

 享年16歳11ヶ月。陽くん、今迄色々と有難う!合掌。

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cordial8317 at 07:26|Permalink

2012年02月17日

遺棄化学兵器処理事業を十年間延長

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 日中両政府は16日、オランダ・ハーグで開催された化学兵器禁止機関(OPCW)執行理事会で、旧日本軍が遺棄したとされる化学兵器廃棄処理事業の期限を延長計画を報告し、了承された。今後、2022年迄の十年間で完了を目指すというが、十年後も中共政府がこの事業を手放すとは思えない。

 遺棄化学兵器の処理は1997年発効した化学兵器禁止条約に基づき、2000年から実施しているが、この処理事業はODAに代わる朝貢外交そのもので、本来、日本がやるべき処理事業ではない。

 抑抑、科学兵器(毒ガス弾)は「遺棄」ではなく「接収」というのが正しい。広辞苑には「遺棄」とは「捨てること」「置き去りにすること」であり、「接収」とは「国家等が所有物を取り上げること」と在る。所謂「遺棄科学兵器」は、旧満州に駐屯した日本軍(関東軍)が残したものとされているが、明らかな誤解と誤謬であり、日本政府が莫大な処理費用を拠出する義務はない。

 中共政府は、「毒ガス弾は日本軍が遺棄した兵器だ」と主張し、その処理と被害の補償を日本政府に要求しているが、問題の兵器は毛沢東の共産軍(八路軍)と蒋介石の国民党軍が、旧ソ連から継承したもので、その管理責任が中共政府に在るのは歴史的経緯からして明らかだ。

 日本軍(関東軍)は、昭和20年8月9日未明に、日ソ中立条約を一方的に破って満州に侵攻した旧ソ連軍に降伏し、武装解除されたのであり、日本軍は兵器を「遺棄」したのではなく、旧ソ連軍に「接収」されたというのが事実だ。

 継承された瞬間から国際法上、現在の管理責任は中共政府に在り、日本が本来責任を取る謂れはない。要は遺棄科学兵器の処理費用はODAに代わる、中共の強請り、タカリの打出の小槌なのだ。

 日本が中共へ供与している政府開発援助(ODA)は、平成20年(2008年)から年間40億円に上り、過去に遡ると、有償、無償を含め3兆3千億円以上支払われている。この日本国民の血税であるODAを、中共政府は先の大戦での賠償として捉え、日本や日本国民に対して感謝する気持ちは皆無だ。

 ODA事業や遺棄化学兵器処理事業に、営利至上主義に狂奔する売国企業と政治家が群がっている現状を見れば、朝貢的対中経済支援は即刻中止するべきだ。

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cordial8317 at 07:05|Permalink

2012年02月14日

確定申告をして来たが・・・

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 右翼浪人だが、霞を食って生きている訳ではない。原稿料や講演料、カンパというカタチで支援して頂きどうにか生きている。本来ならば算段を万全にして活動するべきなのだろうが、商売の才覚が無い為に、後輩らの面倒も見れず、憂国の志しを失せさてしまっているのは不徳の致すところだ。

 昨年迄は「原稿料」や「講演料」などの所得が有り、税務署へ書類を提出していたが、今年は市役所から葉書が届き、指定された昨日、深刻に申告して来た。昨年の収入は20万円也。大手警備会社の会長から頂いた、「原稿料」というカタチの支援金だ。その会長も70歳を機に引退し、不如意は益々酷くなるばかり(爆;

 納税は国民の義務であり、脱税は罪になるが、その税金を無駄に使ったところで罪にはならない。民主党は総選挙前、徹底して無駄を省き、財政再建を断行すると大見得を切った。だが、政権に就いたのはいいが、言ってみるのとやってみるのじゃ大違い。結局、震災を大義名分に上げないと言ってた消費税を上げるという。

 財政立て直しで有名な歴史上の人物は上杉鷹山だろう。米沢藩の上杉鷹山は、逼迫する藩の財政を改革に立ち上がるが、その際、「受け継ぎて 国の司の身となれば 忘れまじきは 民の父母」(藩主として自分の仕事は、父母が子を養う如く、人民の為に尽くすことである)と詠んだという。

 そして先ず手を付けようとしたのが、領民の心。「単に帳簿上の赤字を克服すれば財政再建が出来るという訳ではない。今は困窮の余り、この国の人々は目先の利益のことしか考えず、他人のことを思い遣れなくなっている。人々の心にも赤字が生じてしまったのだ。此れを克服しなければ、喩え帳簿上の赤字を克服したとしても、また同じことを繰り返すだろう」

 どうですか、現代にも当て嵌まると思いませんか。二宮尊徳も、「経済なき道徳は戯言であり、道徳なき経済は犯罪である」と訓えているが、政府がやるべきことは財政再建も当然ながら、同時に道徳教育の徹底を図るべきなのだ。道徳教育の第一歩は幼年期の「躾」。そして、日本の道​徳教育の根本は「教育勅語」に示されている忠孝の道を確​立することだ。 

 財政で負担になっているのは医療費も当然ながら、膨れ上がる国債費の利息と年金の支給額だ。国民年金未納率は最悪の約四割。国民年金は月々15000円を40年間払い続け、約700万円納付し、受給年齢が来たら月々約7万円貰える制度だが、そもそも国民年金制度など昔から有った制度ではない。ドイツのビスマルクが「社会主義者鎮圧法」という法律を作る代わりに、労働者の不満を解消する為に「年金制度」作り出した。

 日本はこれを真似て年金制度を導入したが、この儘では、年金制度など破綻するのは誰にでも理解出来る。年金未納の原因は、「どうせろくに貰えない」「イザとなったら生活保護を貰えばいい」と思っている国民が少なくないからだ。生活保護費は年金の倍以上だからそう考える不逞な輩が殖えるのは当然だろう。

 政府のやるべきことは、国民年金と共済年金の廃止の検討に入るべきで、今まで積み立てした分を返還し、老後は「自己責任にすべき」と教えることが大事だ。日本の社会保障制度は世界でも優れたもので、生活が困難な家庭には国や自治体で支援すれば良いだけで、働きもせず、「年金が貰えないのは差別だ!」とホザく在日への「生活保護」支給を中止し、日本国民の保障支援を拡充すれば良いだけだ。

 今必要なのは屋上屋を架す様な愚策よりも、将来的には「年金を廃止せざるを得ない」と、何事にも「本音」を言える政治家の出現であり、上杉鷹山公が曰われた様に、「人々の心の赤字」を解消する為にも道徳教育の充実を急ぐべきだ。

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2012年02月11日

奉祝・紀元節!神武肇国の精神を偲ぶ



 本日は建国を偲び、国を愛する心を涵養する「建国記念の日」です。戦前は四方節(元旦)、天長節、明治節、紀元節は四大節として、宮中皇霊殿で天皇親祭の祭儀が行われ、各地で神武天皇陵の遙拝式も行われたが、現在は紀元節の祭祀だけが行われていない。此れ即ち、戦後占領政策の「神道指令」の名残りであり、早急に見直すべきであろう。

 明治22年2月11日、紀元節の日に「大日本帝国憲法(欽定憲法)」が発布され、憲法発布を記念する日でもある。以来、全国各地の神社で紀元節祭を行うこととなり、青年団や在郷軍人会などを中心とした建国祭の式典が、各地で盛大に開催されることになった。

 終戦後の昭和22年、日本国憲法にふさわしい祝日の法案に紀元節が「建国の日」として盛り込まれていたが、連合国軍最高司令官総司令部により削除された。主権を回復した昭和27年4月28日に「紀元節復活運動」が起き、昭和33年に国会へ議案を提出、昭和41年に祝日法が改正され、「建国記念の日」となる日を定める政令として再制定され、昭和42年2月11日に「建国記念の日」として実施され、今日に至っている。

 本日は全国各地で、神武天皇陵の遙拝式や奉祝パレードが行われる。愚生も鎮守に詣で、神武肇国の精神を偲ぼうと思う。しかし世の中には捻くれた日本人らしからぬ輩も少なくなく、この日は「科学的根拠がない」「軍国主義復活反対」などとして、蛆虫・共産党を始めとした売国団体が「奉祝反対」の催しを行うが、連中に日本人としての誇りなど微塵も無い。

 誤憲(護憲)を叫ぶ連中が、憲法に基き制定された日を蹂躙しているのは笑えるが、連中の主張する「科学的根拠が無い」とする論拠が、歴史学者としての三笠宮崇仁殿下の「紀元節祭復活は科学的根拠に欠ける」と皇居皇霊殿での祭祀に反対している意見を利用していることは困ったもので、左翼はこういったものを利用し、国民世論や大衆を煽動するのは常套手段であり、与してはならない。

 誰もが誕生日を祝うのと同じ様に、国の誕生を祝うのは当然であり、民族の信念と道統を受け継ぎ、此れを護持し、此れを宣布し、そして子孫に伝える責任と使命を有する者、それは我ら日本人であることは言うを俟たない。神武肇国の大理想「八紘一宇」を掲げ、天皇國日本の真姿開顕へ奮闘前進しよう!

 歌曲「紀元節」

伊沢修二作曲、高崎正風作詞

一、雲に聳ゆる高千穂ねおろしに艸も木も
  靡きふしけん大御世を仰ぐけふこそ樂しけれ

二、海原なせるはにやすの池のおもよりなほひろき
  恵みの波にあみし世を仰ぐけふこそたのしけれ

三、天つひつぎの高みくら千代萬づに動きなき
  もとゐ定めしそのかみを仰ぐ今日こそたのしけれ

四、空にかがやく日の本の萬の國にたぐひなき
  國のみはしらたてし世を仰ぐけふこそ樂しけれ

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2012年02月10日

世界的大偉業だった「日露戦争」



 明治37年(1904年)2月10日、日本は当時世界最大の軍事大国だったロシアと民族の生死を賭けた戦いを開始した。一年半にも及ぶ強国との大戦に我が国は奇跡的とも言える勝利を収め、極東小国日本の存在を世界に知らしめた。

 日本大勝利の報は、固唾を呑んで見守っていた世界の人々を驚嘆させた。日露戦争の勝利は、ロシアから占領・弾圧されていたフンランド、トルコ、ポーランドといった国々や、有色人種と差別されていた民族に、国と民族の存在を決定的に変える影響を齎したのである。

 15世紀の大航海時代以来、白人による世界制覇の滔々たる流れが、日露戦争の勝利によって大きく変化し、全世界の有色人種に与えた影響は強烈なもだった。

 印度のガンジー、ビルマのオマッタ、フィリピンのリカルテ、ベトナムのファン・ボイ・チャウ、エジプトのムスタファ・カミール、トルコのケマル・パシャなど挙げれば限が無いが、世界の各地で日本の勝利に狂喜し、有色人種が白人に劣らないことに確信を持ち、各地で独立運動が湧き上がった。

 米国でも、日露戦争後に黒人に人種平等の自信を与え、黒人解放運動の支えとなり、黒人誌「インディアナポリス・フリーマン」は当時、次の様な社説を掲げた。

 「東洋のリングで黄色い男達のパンチが白人を打ちのめし続けている。事実ロシアは繰り返し何度も日本人にこっぴどくやられて、セコンドは今にもタオルを投げ入れ様としている。有色人種がこの試合をものにするには、もう時間の問題だ。長く続いた白人優位の神話が、遂に今突き崩され様としている」

 それから15年後、パリ講和会議に於いて日本は国際連盟規約に「人種平等の原則」を入れる提案を行った。日本の全権使節団が、パリに向かう途中、ニューヨークに立ち寄った折に、黒人指導者4人が「世界のあらゆる人種差別と偏見を無くす事に尽力して欲しい」という嘆願書を全権団に提出した。

 しかし乍ら、こうした黒人の願いも、米国大統領ウイルソンが議長を務めるパリ講和会議で拒絶されてしまう。日露戦争が齎した歴史的課題の本格的実現は、大東亜戦争を待たなければならないのだが、日本は敗れはしたが、大東亜戦争後、「人種平等の原則」という歴史的使命は果たされるのである。

 世界史にとっても日本史にとっても重要な出来事が、何故か日本では余りにも軽く扱われているが、先人の「誠心」こそ、民族の魂の記憶として、誇り高く永く後世に継承して往かなければならない。

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今日は「開戦記念日」です!

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 今日2月10日は「日露戦争」の開戦記念日。民族の生死を賭けた戦いが行われた日だ。明治天皇の御遺徳と明治人の気概と誇りに日本国民として感謝せずにはいられない。

 明日は「紀元節」。國士舘大学時代の右翼現役の頃から、紀元節には明治神宮へ参拝したものだが、平成16年に明治神宮が神社本庁から離脱し、一宗教法人となった以降は明治神宮参拝を取り止め、靖國神社にて建国祭を行っていた。

 現在は団体を引退し、紀元節には近所の神社で神武肇国の精神を偲んでいる。明日は、安積国造(あさかくにつこ)神社で「建国祭」が挙行され、奉祝パレードも行われるというし、参加してみようとも思っているが、熟慮中だ。

 明治神宮は、神社庁からの離脱の理由として、平成16年4月、陛下の御親拝なされる際の関係者への案内状に「陛下」を「殿下」と誤記してしまった責任を取って離脱したとしているが、神社庁での主導権争いや確執の末の離脱というのは明らかだ。

 明治神宮は周知の通り、国民の総意により、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲び創建された神社であり、それを私物化し、営利至上主義に奔っている現状は正に憂慮すべき事態といえよう。

 本来、神社=神道とは宗教ではなく、日本人の心に清む惟神(かんながら)の道だ。

 宗教法人の規定では、教祖と経典と布教活動の三条件が必要で有るが、明治神宮はその何れも該当せず、神社本庁から離脱し、一宗教法人となることは到底理解出来るものではない。神宮建立の趣旨から鑑みても逸脱しており、先人の努力も、国民の総意も踏み躙るものだろう。

 それにも況して問題なのは、神職に携わる者が営利に奔っている事実で、神社庁に属さなくても独立採算出来るというその姿は、実に醜く、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲ぶ神社としては実に不謹慎過ぎる。
  
 明治神宮が一宗教法人となることは、現在宗教法人となっている靖國神社や護国神社の立場とは違う。

 靖国神社や護国神社が宗教法人となっているのは、戦後GHQの「神道指令」を免れる為に已む無く採った智慧でであり、本来ならば昭和27年4月28日に主権快復した折に、国として護持すべき施設であったのだ。

 明治神宮の神社庁離脱は神道指令や占領政策を容認するもので、営利主義は蔓延する拝金主義を助長するものだ。明治神宮へは猛省を促したい。

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cordial8317 at 08:38|Permalink

2012年02月07日

「北方領土の日」は5月7日にすべし!

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 己の土地を他人に奪われて黙っている者はいないだろう。況してや、父祖伝来の国土が強奪されて泣き寝入りする民族が何処にあろうか。「北方領土奪還」。此れは正に日本民族の悲願である。ところが、戦後65年以上経った今日でも、北方領土問題は未だ解決の糸口すら見えて来ないのは一体何故なのか。

 思うに、領土そのものの重要性に対する認識不足と、如何に不法に占拠されたかの真相把握が欠如していること、更には、ロシアへの認識の甘さと対応の甘さ等が綯い交ぜとなった結果が、未解決の根源であろう。

 北方領土は「日露和親条約」並び「樺太・千島交換条約」締結により、歯舞、色丹、国後、択捉の4島を含む、北は占守(シュムシュ)島から得撫(ウルップ)島の全千島列島と南樺太が固有の領土となった。

 領土問題では、蛆虫共産党が「全千島、南樺太の主権」を訴えているが、この認識が正しく、一昨年国会で採択した「4島返還決議」の返還要求こそ、事勿れ主義の軟弱土下座外交そのものなのだ。

 先人達の外交努力を無視し、全千島と南樺太の主権が在るにも拘らず、4島のみの領有権主張を明記し、見す見す権利を放棄するとは理解に苦しむ。「領土問題」は事勿れ主義では解決など出来ないばかりか、譲歩は更なる譲歩を生むだけなのだ。

 安政元年(1855年)2月7日、下田で「日露和親条約」が締結され、4島と千島の間に境界線が引かれ、樺太を混住の地と決めた。

 その後、明治8年(1875年)5月7日には「樺太・千島交換条約」が交わされ、樺太の北側を千島列島と交換し、南樺太と全千島が日本に帰属した。とすれば、「北方領土の日」は2月7日より5月7日が相応しく、2月7日に制定していること自体が弱腰外交と断じざるを得ない。

 右翼民族派は、日ソ不可侵条約が蹂躪された8月9日を「民族痛恨の日・反ロシアデー」として「北方領土奪還」を訴えているが、「北方領土の日」を8月9日にせよとは言わない迄も、南樺太・全千島が日本に帰属した5月7日に訂正し、北方領土の歴史の事実を公表すべきだ。

 1945年(昭和20年)2月、ルーズベルト、スターリン、チャーチルがクリミア諸島のヤルタで会談が行われる。ルーズベルトは千島列島をソ連に引き渡すことを条件に、日ソ中立条約の一方的破棄を進言し、ソ連の対日参戦を促した。

 ヤルタ協定では、ソ連が日本との戦争に参戦すること、南樺太をソ連に返還すること、千島列島をソ連に引き渡すことなどが決められ、此れに従ってドイツが無条件降伏した約3ヵ月後の昭和20年8月9日、ソ連は「日ソ不可侵条約」を一方的に破棄、日本人を虐殺、婦女子を強姦、鬼畜の如き行為を繰り返し、軍人、軍属、一般人を含め80万人以上の人間をシベリアへ抑留し、半数以上を凍死、餓死させ現在に至っている。日本人はこうした悲劇を決して忘れてはならない。

 ロシアは「ヤルタ秘密協定」を楯に北方領土の主権を主張しているが、「ヤルタ秘密協定」こそが国際法的にも意味を成さない協定なのだ。

 日本は「樺太・千島交換条約」並びに「ポーツマス条約」を論拠に領土の主権を主張をすべきで、4島返還要求など言語道断だ。ロシアに対し毅然と4島を含む南樺太、全千島列島の即時返還と謝罪を要求すべきで、韓国に不法占拠されている「竹島」も然り。

 最近では沖縄県尖閣諸島の領有権を、支那や台湾が自国領だと主張しているが、此れは戦後、歴代の政府や国会が、領土主張を疎かにしてきた結果だ。

 現在、世界の各地で民族争いの中で国境紛争が頻繁に起きているが、世界では寸土たりとも主権確立には戦いをしてまで死守しているのが世界の常識で、奪われたものは奪い返す以外に解決する手段は無い。北方領土奪還に立ち上がれ!

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cordial8317 at 05:39|Permalink

2012年02月06日

靖國神社と自衛隊

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 靖國神社から会報が届いた。佐藤正久参議院議員の玉稿が載っている。「靖國神社と自衛隊」というタイトルの論文は刮目に値するもので、「近くて遠い九段と市ヶ谷」で始まる内容は是非とも御一読して欲しい内容だ。県内トップの福島高校から防衛大に入った者と、二本松工業から国士舘大へ入った愚生と比べるのは烏滸がましいが、佐藤議員には、同郷、同年として大いに活躍して欲しいと思っている。(論文を一部抜粋・要約して転載させて頂く)

 東京都千代田区九段北、新宿区市谷本村町。前者は靖國神社の所在地であり、後者は防衛省だ。徒歩で10数分の距離であり、指呼の間に両者は位置している。防衛省が所在する市ヶ谷台には、かつて陸軍士官学校、陸軍参謀本部などが置かれていた。陸軍士官学校で学んだ先輩達、また参謀本部で勤務した将校達も靖國神社に祀られているが、今、靖國神社と防衛省の距離は極めて遠いと言わざるを得ない。

 昭和20年8月15日、わが国はポツダム宣言を受諾し、陸海軍は解体、非武装化が進められ、日本は完全な「丸腰国家」にされた。しかし、昭和25年、朝鮮戦争が勃発すると、マッカーサー元帥は吉田茂首相に、国内警察力と海上警備力の強化を促す書簡を送った。所謂「マッカーサー書簡」である。

 このマッカーサー書簡から一ヶ月後の8月9日には「警察予備隊令」が決定、翌日公布、即日施行というスピードで準備が整えられ、自衛隊の前身たる警察予備隊が誕生した。当時は、警察予備隊は「軍隊」ではないとする為に、「師団」を「管区」、「歩兵」を「普通科」、「砲兵」を「特科」、「兵器」は「武器」、「戦車」に至っては「特車」という始末だった。

 昭和27年8月1日、警察予備隊、海上警備隊を統合し保安庁が設置され、政府は「保安庁法」」を提出したが、野党は「憲法9条」を楯に政府を攻撃した。吉田茂首相は「戦力とは近代戦を実行する力であり、保安隊、警備隊にその力はない」と答弁。その結果、自衛隊は永い間「戦力なき軍隊」と言われ、今もその呪縛に囚われていると言っても過言ではない。

 昭和29年7月1日に、防衛庁が設置され、陸海自衛隊、航空自衛隊が創設され、陸には一〇式戦車、海にはイージス艦、空にはF15戦闘機と文字通り近代戦を戦える装備を持ち、その高い士気と練度は国際的にも大きく評価される組織となっている。

 しかし、昭和45年11月25日に、(三島由紀夫氏が市ヶ谷駐屯地で決起し)その「檄」において「もっとも名誉を重んずるべき軍が、もっとも悪質な欺瞞の中に放置され」「自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず」と喝破した通り、自衛隊は現行憲法下では、未だ「警察予備隊」のまま放置され続けている。

 昭和25年8月9日の警察予備隊発足以来、自衛隊では1822名の自衛官が「殉職」されている。平成10年、防衛省の六本木から市ヶ谷への移転に伴い、敷地内に自衛隊殉職者慰霊碑が建立され、毎年、御遺族、内閣総理大臣、防衛大臣以下高級幹部などが参列し追悼式が行われている。昨秋は東日本大震災で殉職された九柱が合祀された。

 東日本大震災における救援活動や民生支援、そして復旧に向けて、正しく命を賭して活動を展開した自衛隊の姿が取り上げられ、多くの国民からお褒めの言葉を頂いた。OBとしてとても誇りに思っている。今回の大震災を始め、災害派遣やわが国の平和と独立、国民の生命財産を守る為に日夜行われている訓練で、1822名の自衛官が殉職されていることを、多くの国民は知っているのだろうか。

 国、そして国民が如何なるかたちで慰霊・顕彰すべきなのか。防衛省はその性格上、一般国民が足を踏み入れることはできない。年に一度の自衛隊殉職者追悼式は言わば身内のみで行われており、広く国民が慰霊・顕彰することは困難である。とはいえ、仮にその自衛隊殉職者慰霊碑を解放された空間とした場合、下手をすると靖國神社に代わる「新たな追悼施設」にされる危険性を孕んでいる。

 金正日が死亡し朝鮮半島の混乱の恐れもあり、中共の覇権的海洋進出、ロシアの復権など、わが国周辺の安全保障環境は益々厳しいものとなりつつある。万一の場合を想定して準備を怠ってはならないのが政治の務めである。近い将来、自衛官の「戦死」が生じた場合、如何に彼らを慰霊・顕彰するかを、国民挙げて考えて行かねばならない時期を迎えつつあるのではないか。そのことが、九段と市ヶ谷の距離を縮めることになるのではないだろうか。(引用終了)

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cordial8317 at 05:14|Permalink

2012年02月02日

公務員に政治的中立性を求め適正化委員会を設置

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 沖縄県宜野湾市長選挙に絡み、「沖縄防衛施設庁の職員が選挙に介入した」と共産党の赤嶺議員に指摘され、政府民主党は早速「業務適正化委員会」を設置し、公務員の政治的中立性が疑われる問題の再発防止に努めるという。だが、共産党然り、民主党然り、自治労や日教組の公務員を動員し、政治介入や選挙介入を行っているのは周知の事実だ。要は、施設庁の職員が自公が推薦している佐喜眞候補者を応援したから問題なだけで、此れが、日米安保体制を否定する伊波候補だったら問題は無かっただろう。 

 マスコミはこうした問題を鬼の首でも獲ったかの如く一面トップで扱うが、米軍普天間基地移設問題が混迷すればするほど、国民の安全や国益が害されていることも報道するべきで、公務員に中立性や公正性を求める以前にマスコミの公正性も問われなければならない。公正とは是と非、現在の一方的且つ偏向報道こそ諸悪の根源だ。人を批判する前に自らの姿勢を恥よ。

 周知の通り民主党は自治労や日教組が支持母体の政党であり、「日教組のボス」と称され、日頃から「永遠に日教組の組合員という自負を持って、日教組と共に戦い抜く」と宣って憚らない日教組政治家の輿石東は、今や民主党幹事長として党内の左派は勿論、党内を仕切り、日本労働組合総連合(連合)との関係を深め、国家転覆を謀っているが、此れを糺さずして何が適正化だ。

 輿石の地元の山梨県教組関係者が、参議院選挙に介入し、「教育公務員特例法」と「政治資金規制法」で逮捕され、有罪判決を受けているのは周知の通り。この一件で輿石は、事実関係を全面否認し、何ら責任を取っていないが、輿石こそ公務員の中立性や公共性を無視してきた中心人物ではないのか。「業務適正委員会」なんぞ設置したところで、身内には甘い民主党だもの、公務員の中立性や公共性が改められるとは思えない。

 輿石は「内外に多くの犠牲を齎した先の大戦を国策として立案、指導した人の責任は非常に大きい」として、大東亜戦争の意義や英霊が祀られる靖國神社を否定し、将来を担う子供達に反日、自虐の教育を徹底しているが、教育荒廃の元凶である輿石らに教育を語る資格など無い。

 沖縄県宜野湾市長選を巡る「政治介入」という騒動こそが、市長選への介入であり、米軍普天間移設問題が又もや頓挫し、混迷の度合いが益々深まるだろうが、このバカ騒ぎをニンマリして見ているのは、沖縄奪還を目論む中国共産党なのは間違いない。米軍施設や日米安保が否なら、憲法を見直し、国軍としての自衛隊の駐留強化を図るべきで、どうせそれも反対だろう。要は、中共の走狗と化しているのが、民主党であり、沖縄県民であり、マスコミなのだ。

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cordial8317 at 06:24|Permalink