2011年11月

2011年11月30日

「袴田事件」を知っていますか?

 先日「BOX(袴田事件 命とは)」という映画を観た。「こんな不条理が在っても良いのだろうか」と言うのが正直な感想だ。警察や検察の正義が在るということを信じている一人だが、この映画を観たらそんな考えは吹っ飛んだ。

「袴田事件」とは、昭和41年6月30日未明、静岡県清水市(現静岡市)の味噌製造会社の専務宅から出火し全焼。焼け跡から一家4人の死体が発見され、その後、味噌工場の二階の寮に住み込みで働いていた袴田巌さんが逮捕された。

 証拠品は、微量の血痕が付着したパジャマのみ。物的証拠が乏しい中で、長時間の過酷な取調べに耐え切れず、袴田さんは終に自白してしまった。

 一審の公判中の昭和42年8月31日、工場内の味噌タンクの中から麻袋に入っていた血痕の付着した衣類が発見され、パジャマから一転しこの衣類が証拠となった。

 パジャマの血痕。味噌タンクに1年も入っていたとは思えない衣服。犯行時に使用したと言われる切り出しナイフなど、誰が見ても不可思議な物的証拠が提出された。

 明らかなでっち上げだったが、摩訶不思議なことに昭和55年に上告が棄却され死刑が確定した。翌年、静岡地裁に再審を申し立てるも、平成6年にまた棄却されてしまった。現在は、東京高裁第二刑事部に即時抗告審継続中である。

 冤罪を生む理由には、警察の固定観念と捜査の杜撰さや自白の強要や捏造、証拠品の不確かな鑑定など様々だろう。今の時代は科学捜査が当たり前になっているが、一昔前には信じられない様な驚く鑑定が相次いだのも事実だった。

 昭和24年、弘前大学の松永藤雄教授宅で教授の妻が何者かに咽を斬られ殺されるという事件が起きた。事件後、教授宅の近所に住む那須隆という男が逮捕された。

 那須の着衣から血痕が見つかり、それを証拠に犯人と断定され実刑判決を受けた。彼は犯行を否認していたが、起訴された。検事らのメンツもあって、「犯人は反省も無い」との理由から15年の刑を丸々務めることになった。 

 那須さんが釈放されて間もなく「弘前大学教授夫人殺害は自分だ」と、滝谷福松という男が名乗り出る。彼の証言に由れば、教授宅はミシン修理に行って面識もあり、犯行時の詳細を供述した。紛れもなく滝谷福松の犯行だった。

 15年の刑を終えた那須さんは早速仙台高裁に再審請求する、だが何故か高裁は棄却した。2年後、那須さんが再審請求すると今度はあっさり受理され、無罪判決が出た。鑑定の結果、「当時証拠とされた着衣の血痕は別の者のだった」という。

 真犯人も逮捕されて、そんな証拠品などは警察がでっち上げたことは始めから判りきっているのに、何故に2年前には再審請求が却下されたのか。何のことはない、血液鑑定を行った古畑種基東大教授が生きていたからだった。

 要は、事件の事実の解明より、科学捜査研究所所長も務め文化勲章を授与された古畑教授の名誉が優先された。古畑が鬼籍に入りると無罪判決を得るが、こんないい加減な鑑定や判決が当たり前の様に行われていたという事実に驚きは隠せない。

「袴田事件」を担当した紅林麻雄は拷問による尋問や、自白の強要、供述調書の捏造など、自己の先入観に拠る杜撰な捜査方法の常習者だったという。

 二俣事件」「幸浦事件」「小島事件」など、紅林が主導した捜査での行き過ぎが指摘されている。その紅林もバチが当たったのか脳梗塞を患い鬼籍に入った。

 冤罪を生む元凶は、捜査に携わる人間の驕りや傲慢さ、更には、間違いを認めず、屋上屋を架すからだろう。「過ちて改めざる此れを過ちという」諺も在るし、「過ちては即ち改むるに憚ること勿れ」とも言うではないか。

 今からでも遅くはない、真犯人は勿論のこと事件を知る関係者は名乗り出て真実を語って欲しいものだ。袴田巖さんの健康を祈るばかり。

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cordial8317 at 15:13|Permalink

2011年11月27日

「女性宮家論」は所謂「天皇制廃止運動」の一環である

 何故にこのタイミングなのか。陛下の御退院に合わせた如くの報道を訝しく思っている国民は多い。小泉政権下で議論された「女系天皇問題」は、秋篠宮悠仁親王殿下の御生誕で沈静化された。だが、何故、又候「女性宮家」の創設なのか。女性宮家を創設したところで一般男子から皇族になろうとする国民が出るとも思えない。

 皇族の数を云々言うならば、皇室典範第12条の「皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」を見直すよりも、同15条の「皇族以外の者及びその子孫は、女子が皇后となる場合及び皇族男子と婚姻する場合を除いては、皇族となることがない」との条項を改正し旧皇族の皇籍復帰を成すべきだ。

「女系天皇問題」が活発に論議されていた平成17年、女系天皇容認論に対して、三笠宮寛仁親王殿下が会長を勤める福祉団体「柏朋会」の会報「ざ・とど」で、公なものではない私的な見解と前置きした上で、女系天皇に明確に反対し、旧皇族の皇籍復帰などを求めているが、この殿下の意見こそ隻眼を有するものである。

 寛仁親王殿下は「世界に類の見ない我が国固有の歴史と伝統を平成の御世でいとも簡単に変更して良いのか」と当時の女系天皇論を批判し、また「万世一系125代の天子様の皇統が貴重な理由は、神話の時代の初代神武天皇から連綿として一度の例外も無く、『男系』で続いて来ているという厳然たる事実」と主張した。

 その上で、男系継承を維持する為の方法として、皇室典範を改正して、歴史上の幾つかの方法論を提起している。

 1.臣下降下された皇籍離脱した旧皇族の皇籍復帰。

 2.現在の女性皇族(内親王)に旧皇族(男系)から養子を取れる様にし、その方に皇位継承権を与える。(差当たり内廷皇族と直宮のみに留める)

 3.元皇族に廃絶になった宮家(秩父宮・高松宮)の祭祀を継承して戴き、宮家を再興する。(将来の常陸宮家・三笠宮家もこの範疇に入る)

 4・として、嘗ての様に「側室」を置くという手も有りますが、国内外共に今の世相からは少々難しいかと思うと述べられている。

 最後に親王殿下は、「陛下や皇太子様は、御自分達の家系の事ですから御自身で、発言される事はお出来になりませんから、民主主義の世であるならば、国民一人一人が、我が国を形成する『民草』の一員として、2665年の歴史と伝統に対しきちんと意見を持ち発言をして戴かなければ、いつの日か、『天皇』はいらないという議論にまで発展するでしょう」と結んでいる。皇族の方の意見は重い。

 又候、蠢き出した「女性宮家」論は、「天皇制廃止運動」の枢要な柱として、昭和40年(1970年)代半ば頃に、純然たる共産主義者が発案したもので、1932年に出された、ソ連共産党から日本共産党への「命令書(コミュンテルンテーゼ)」の命令遂行であり、「皇族の数が少ないから」との理由は付けたりに過ぎない。

「女性宮家論」は断固として反対するべき愚論である。男系男子に限定する皇位継承や宮家を「女性が天皇になれないのは可笑しい」だとか「女性宮家がないのは女性差別」だと絶叫しているのは、「男女共同参画社会」を成立させた名うての売国奴どもである。男女共同参画社会とはその名の通り「共産(共参)社会」の実現である。

「女性宮家」「女系天皇」論は、その精神異常者らが煽動している所謂「天皇制廃止運動」であり、日本解体工作である。政府民主党や自民党からこうしたものが提起されること自体、我が国は想像以上に国柄が破壊されてしまっている様に感じる。 国民よ、国内に巣食う左翼売国勢力に騙されてはならない!

cordial8317 at 06:03|Permalink

2011年11月25日

危急存亡の秋、今こそ三島由紀夫の精神を想起せよ!

 昭和45年11月25日、三島由紀夫は、森田必勝ら楯の会のメンバーと共に、市ヶ谷駐屯地に於いて米国依存体制からの脱却を訴え、壮絶な死を遂げた日である。本日11月25日は「憂国忌」や「野分祭」など全国で三島、森田両烈士の追悼が行われる。

 現在の我が国の現状を見渡せば、政治の混乱と機能不全、経済の停滞と低迷、社会の沈滞と退廃と重苦しい閉塞感が我が国全体を覆い尽くしているが、凡そ、我が国歴史の中でこれ程までに堕落した時代はないのではなかろうか。

 これらの諸問題を打開し日本再生の転換点とすべきかは、正に政治家を始め、国民一人一人が三島、森田烈士の憂国の至情を想起し行動に移すことだろう。

 三島は「文化防衛論」の中で、「もし革命勢力、ないし容共政権が成立した場合に、例えたった一人の容共的な閣僚が入っても、もしこれが警察権力に手を及ぼすことが出来れは、忽ち警察署長以下の中堅下級幹部の首の挿げ替えを徐々に始め、或いは若い警官の中に細胞を潜ませ、警察を内部から崩壊させるであろう」と論じた。

 民主党政権下に於いて、「永住外国人地方参政権」や「戦時性的強制被害者法案」「夫婦別姓」「戸籍法改悪」「人権救済機関の設置」「日教組主導の教育関連政策」「外国人住民基本法案」「男女共働参画社会」「ジェンダフリー」「子ども権利条例」「無防備都市宣言」「女性天皇論」など亡国的な政策実行が謀られている。

 今、正に我が国の現状は三島が危惧した、行政権にカタチを変えた共産主義が入り込み、国内外に様々な悪害を及ぼし、我が国を破滅の道に導いている。

 三島はこうした事態に対し、「我々はあらゆる革命に反対するものではない。暴力的手段たると非暴力的手段たるとを問わず、共産主義を行政権と連結せしめようとするあらゆる企画、あらゆる行動に反対するものである。この連結の企画とは、所謂民主連合政権(容共政権)の成立及びその企画を含むことを言うまでもない。名目的たると実質的たるとを問わず、共産主義が行政権と連結するあらゆる態様に我々は反対するものである」 と訴えているが、コレは別に共産主義だけではなく自民党こそ肝に銘じるべきで、あらゆる亡国的企画・政策と対峙して行かねば成らない。

 三島は「檄文」で、「我々は戦後の経済的繁栄に現を抜かし、国の大本を忘れ国民精神を失い、本を正さずして末に走りその場凌ぎの偽善に走り、政治は自己保身、権力欲、偽善のみに捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されず誤魔化され、日本人自ら、日本の歴史と伝統を潰して行くのを歯噛みしながら見ていなければならなかった・・・」と悔しさを滲ませて語っている。

 旧来の思想や社会構造を打破しようとする時に常軌を逸した行動が生まれる。その行動こそが三島由紀夫の正気の狂気であり、この狂気こそが閉塞感を打破する力に成り得るのだ。危急存亡の秋、今こそ三島由紀夫の精神を想起すべし!

 《三 島 由 紀 夫 演 説 文》

 私は、自衛隊に、この様な状況で話すのは空しい。
しかし乍ら私は、自衛隊というものを、この自衛隊を頼もしく思ったからだ。
こういう事を考えたんだ。しかし日本は、経済的繁栄に現を抜かして、
ついには精神的にカラッポに陥って、政治はただ謀略・欺傲心だけ………。
これは日本でだ。ただ一つ、日本の魂を持っているのは、自衛隊で有るべきだ。

 我々は、自衛隊に対して、日本人の………。
然るにだ、我々は自衛隊というものに心から………。
静聴せよ、静聴。静聴せい。

 自衛隊が日本の………の裏に、日本の大本を正して良い事はないぞ。

 以上を我々が感じたからだ。それは日本の根本が歪んでいるんだ。
それを誰も気が付かないんだ。
日本の根源の歪みを気が付かない、それでだ、
その日本の歪みを正すのが自衞隊、それが………。 静聴せい。静聴せい。

 それだけに、我々は自衛隊を支援したんだ。
静聴せいと言ったら分からんのか。静聴せい。

 それでだ、去年の十月の二十一日だ。何が起こったか。
去年の十月二十一日に何が起こったか。去年の十月二十一日にはだ、
新宿で、反戦デーのデモが行われて、これが完全に警察力で制圧されたんだ。
俺はあれを見た日に、此れはいかんぞ、
此れは憲法が改正されないと感じたんだ。

 何故か。その日を何故か。それはだ、自民党というものはだ、
自民党というものはだ、
警察権力を以て如何なるデモも鎮圧できるという自信を持ったからだ。

 治安出動は要らなくなったんだ。治安出動は要らなくなったんだ。
治安出動が要らなくなったのが、既に憲法改正が不可能になったのだ。
分かるか、この理屈が………。

 諸君は、去年の一〇・二一から後だ、
最早憲法を守る軍隊になってしまったんだよ。
自衛隊が二十年間、血と涙で待った憲法改正ってものの機会は無いんだ。
もうそれは政治的プログラムから外されたんだ。
終には外されたんだ、それは。
どうしてそれに気が付いてくれなかったんだ。

 去年の一〇・二一から一年間、俺は自衛隊が怒るのを待ってた。
もうこれで憲法改正のチャンスはない!自衛隊が国軍になる日はない!
建軍の本義はない!それを私は最も嘆いていたんだ。
自衛隊にとって建軍の本義とは何だ。日本を護る事。日本を護るとは何だ。
日本を護るとは、天皇を中心とする歴史と文化の伝統を護る事である。

 お前ら聞けぇ、聞けぇ!静かにせい、静かにせい!
話を聞けっ!男一匹が、命をかけて諸君に訴えてるんだぞ。
いいか。
いいか。

 それがだ、今日本人がだ、此処でもって立ち上がらなければ、
自衛隊が立ち上がらなきゃ、憲法改正ってものは無いんだよ。
諸君は永久にだねえ、唯アメリカの軍隊になってしまうんだぞ。
諸君と日本の………アメリカからしかこないんだ。

 シビリアン・コントロール………
シビリアン・コントロールに毒されてんだ。
シビリアン・コントロールというのはだな、
新憲法下で堪えるのが、シビリアン・コントロールじゃないぞ。

 ………そこでだ、俺は四年待ったんだよ。
俺は四年待ったんだ。自衛隊が立ち上がる日を。………
そうした自衛隊の………最後の三十分に、
最後の三十分に………待ってるんだよ。

 諸君は武士だろう。諸君は武士だろう。
武士ならば、自分を否定する憲法を、どうして守るんだ。
どうして自分の否定する憲法のため、
自分らを否定する憲法というものにペコペコするんだ。
此れが在る限り、諸君てものは永久に救われんのだぞ。

 諸君は永久にだね、今の憲法は政治的謀略に、
諸君が合憲だかの如く装っているが、自衛隊は違憲なんだよ。
自衛隊は違憲なんだ。貴様達も違憲だ。憲法というものは、
終に自衛隊というものは、憲法を守る軍隊になったのだということに、
どうして気が付かんのだ!俺は諸君がそれを断つ日を、
待ちに待ってたんだ。諸君はその中でも、
ただ小さい根性ばっかりに惑わされて、
本当に日本の為に立ち上がる時は無いんだ。

 憲法の為に、日本を骨無しにした憲法に従って来た、
という、事を知らないのか。
諸君の中に、一人でも俺と一緒に立つ奴はいないのか。

 一人もいないんだな。よし!武というものはだ、
刀というものはなんだ。自分の使命………。

 未だ諸君は憲法改正の為に立ち上がらないと、見極めが付いた。
此れで、俺の自衛隊に対する夢は無くなったんだ。
それでは此処で、俺は、天皇陛下万歳を叫ぶ。

 天皇陛下万歳! 天皇陛下万歳! 天皇陛下万歳!

cordial8317 at 06:23|Permalink

2011年11月24日

現状に甘んじれば何も問題はなかっただろうが・・・(チェ・ゲバラ)

 エルネスト・チェ・ゲバラのDVDを借りて来た。「チェ・ゲバラ(革命と戦いの日々)」「28歳の革命」「39歳別れの手紙」の3本。以前、映画館で観たことがあるが、改めてチェ・ゲバラの偉大さというか純粋さを思い知った。

 三島由紀夫は「自己犠牲に達しない思想は卑しい思想だ」と明言したが、「人は何の為に死ぬのか」「人は何の為に死なねばならないのか」と自問自答。DVDを観ながら、現状は唯唯口舌の徒に成り下がっている自分の現状を恥じ入った。 

 国士舘大学時代、所属していた防共挺身隊・羽田支部の岩瀬康雄支部長の自宅には福田進の写真と共にチェ・ゲバラのパネルが飾って在り、初めてその存在を知った。「革命家」なんぞ知らない愚生は、支部長に彼是と伺ったりもした。

 その後、チェ・ゲバラの本を読んだり、分で色々と調べたりしているうちに、支部長と同じく、チェ・ゲバラは尊敬する革命家の一人となり、革命家として生きたいとの、未熟ながらもそうした夢を懐いたのはもう30年以上も前のことだ。

 学生時代古本屋で購入した三好徹の「チェ・ゲバラ伝」が在るが、チェ・ゲバラを知るには恰好な本で、時々取り出しては読み耽っている。1974年に第1刷が出されているが、チェ・ゲバラが亡くなったのは1967年。亡くなって日が浅いから取材するのにも相手方の記憶が鮮明で、その為に実にリアルに書かれて在る。

「28歳の革命」と「39歳別れの手紙」は、恐らくこの本を参考にしたのではないだろうか。愚生も右翼人ではあるが、チェ・ゲバラの様な共産主義者に出会っていれば、そういう道に進んだかも知れない。日本の左翼には愛国者がいないのは世界の珍現象だろうが、そんなクソどもに付いてく日本人はいないだろう。

 チェ・ゲバラも、アメリカにアングロサクソンとして生まれていれば敬虔なカトリック教徒として国に忠誠を誓っただろうし、イスラエルに生まれていればユダヤ教徒になっていただろう。日本人ならどういう生き方を選んだだろう。

 イスラムならウサマ・ビンラディンと共に反米活動に邁進していたかも知れない。宗教や思想信条は、結局、何時の時代に何処で生まれたかの問題なのだ。 

 山川草木、存在する全てのものに八百万の神が宿っている国に生を享け、祖国を愛し、歴史や伝統、文化を護りたいと思うのは日本人なら当然だろう。

 そうしたことが「右翼」と言われるのならそれはそれで諒とするが、愚生は自分で右翼と自任してはいるが、況してや愛国者などとは思ったことはない。

 右翼ではあるがマルクスやエンゲル、毛沢東やスターリンの思想と戦っている訳ではない。日本という国に住み、日本の恩恵を受けながら、日本に誇りを持てず蔑み、貶め、卑下し、罵詈雑言の限りをつくしている連中が無性に腹立たしいだけ。

 映画の中でゲバラが囁く「現状に甘んじれば、何も問題はなかっただろうが・・・」との台詞が、耳にこびり付いて離れない。

cordial8317 at 08:25|Permalink

2011年11月23日

今日は「新嘗祭」収穫を祝い神に感謝を捧げよう!

 今日11月23日は「勤労感謝の日」。祝日法には「神々の加護と人々の勤労によって可能になる万物の生産を祝い、国民が互いに感謝し合う日」となっている。

 旧くは「新嘗祭(しんじょうさい、にいなめさい)」として、11月下旬の卯の日に斎行され、明治6年以降は11月23日に執り行われることとなった。

 GHQの「神道指令」などもあって、昭和23年に名称を「勤労感謝の日」に改められた。因みに天皇の即位後初めて行うものを「大嘗祭(だいじょうさい)」という。宮中では天皇陛下が新穀を神々に供え、厳かに儀式を執り行う。

 県内でも「山ノ神講」として収穫を祝う行事が各地で行われるが、要は仲間同士が集まっての飲み会だ。俗に、口喧しくなった愚妻を「山の神」とも揶揄するが、頭が上がらず、いつも感謝しているという意味では神様も奥様も同じだろう。

 農水省の発表では、一等米比率が年々低下し、コメ農家の収入に深刻な影響を及ぼしているという。今年は米価が下落し人気のコシヒカリは随分と安価になった。

 価格が下がったことで、量販店や外食産業からの引き合いも増えていると言うから消費者とっては嬉しい限りだが、生産者農家にしてみりゃ喜んでもいられない。

 今迄、安い不味い古米や輸入米を購入していた人が、福島や新潟などの一等米の味を覚えて、それ消費拡大になれば御の字だが、生産者にしてみれば米価安での減収は、戸別所得保障制度で補填されるとはいえ気の毒と言う他はない。

 米というのは手間暇を考えればそんなに高いものではない。多少高くても地元の米を購入することが延いては地域活性に繋がると言うことを知るべきなのだ。

 政府はTPP参加を表明し、農水産業や農山漁村関係者が死活問題だとして反対するのは理解出来るが、如何に日本のものが安全で美味しく、且つ「地産地消」こそが地域を活性化させるものだとの認識を共有し啓蒙する事こそが大事である。

 今迄にも安易に中国などから農産物の輸入し、色々と問題が発覚しているが、TPP参加に因って、益々日本の農業は衰退の一途を辿るであろうことは火を見るより明らかで、日本人が当り前に食べている日本の米が消えるかも知れないのだ。

 そういう意味でもTPP参加は「百害あって一利なし」。国策としての農業振興と食の安全保障や食料自給率の向上は急務だが、政府や国会議員など頭の中は景気対策やその場凌ぎの偽善ばかりで、真剣に「農」を考える言葉は発せられない。

「農業」とは愛郷心や祖国愛に繋がるもので、作り手も愛情がそこには無くてはならないのだ。世界各国も「農業」に対しては保護政策が行われているが、こうした対策は「農は国の本」ということを自覚しているからである。

 ところが我が国は、戦後GHQに拠り「農本主義」的国家観は排除され、大輸出国である米国の戦略に嵌った農業をカネ儲けと考える様になってしまった。更に今、米国主導のTPPに参加しようなどとは狂気の沙汰と言う他はない。

 国防という国家の大本を米国に委ねた儘で軍事的安全保障でも自立出来ず、食料安保でも自立出来ず真の独立国家といえるのだろうか。国造りと農業の関係を経済論で語ることは、国家や郷土愛を放棄したものと誹られても仕方ないだろう。

 我々は「平成の農本主義」を構築する為にも、安易な輸入物の購入を拒否し、国産物を購入し自給率向上を真剣に考えるべきだ。「TPP問題」や「東日本大震災」は、戦後の魂無き経済的繁栄に終止符を打つべき天佑神助なのかも知れない。

 本日は、「神々の加護と人々の勤労によって可能になる万物の生産を祝い、国民が互いに感謝し合う日」であり、豊穣の秋に感謝しつつ、家族や仲間と一献やりつつ、我が国の生い立ちと将来の郷土の在るべき姿を語り合っては如何ですか。

cordial8317 at 07:24|Permalink

2011年11月16日

北朝鮮のプロパガンダに利用されたW杯サッカー予選

「サッカーW杯ブラジル大会アジア3次予選第5戦」という長ったらしい試合が、北朝鮮平壌の「金日成競技場」で行われ、日本チームが北朝鮮に1-0で敗れた。

 拉致問題が解決の兆しすら見えない中で「政治とスポーツは別」と言わんばかりに、日本人サポーターの北朝鮮への出国を許可し、挙句に北朝鮮に敗北してりゃ世話ないっての。出場をボイコットすることは出来なかったのだろうか。

「政治問題をスポーツに絡めるのは止めるべき」との声を聞くが、昨日の試合こそ北朝鮮の政治的デモンストレーションであり、プロパガンダそのものだろう。

 日本人同胞が拉致されて、北朝鮮内で塗炭の苦しみを強いられていることを歯牙にも掛けない様なスポーツマンシップなどんぞ必要ないし、国益さえ害すものだ。

 1980(昭和55)年、ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻に抗議して、米国や西側諸国がモスクワオリンピックのボイコットを決め、我が国もそれに同調した。

 ボイコットで当時金メダル確実と言われた柔道の山下康裕やレスリングの高田裕司、マラソンの瀬古利彦、水泳の長崎宏子、男子体操といった選手が涙を呑んだ。

 山下選手は涙を流し、「個人ででも出場したい」とインタビューで答え、その言動は批判を招いた。スポーツが政治に利用されることは往往にして在ることだ。

 有名なのが、1936年のドイツのベルリンオリンピックだろう。「オリンピックはユダヤの祭典だ」と開催に難色を示していたヒトラーだが、オリンピックがプロパガンダに利用出来ることを知ったヒトラーはオリンピックを開催を実行する。

 米国や英国はヒトラーのナチスドイツの人種差別などを批判し、ボイコットを示唆していたが、「政治とスポーツは別」だとして最終的には出場を決めた。

 結果、ベルリンオリンピックは成功裏に終わり、ヒトラーの政治的パフォーマンスとプロパガンダはまんまと成功した。オリンピックを成功裏に終れば、ヒトラーも大人しやかになるだろうとの米英の思惑は脆くも崩れ去ったのである。

 オリンピック後、ヒトラーはラインラントへ侵攻し、スペインへ大量の爆撃機を送り、2年後にはオーストリアを併合し、ズデーデン地方へも侵攻。その翌年の1939年9月にはポーランドに侵攻し、終に第二次世界大戦が勃発するに至った。

 歴史家の間ではドイツのポーランド侵攻とされているが、歴史家で元駐日大使のライスシャワーは、このポーランド侵攻の2年前の1937年の上海での中国軍による日本海軍への全面攻撃こそが第二次世界大戦の始まりだと主張している。

 条約上の権利の下に上海に駐留していた2500人の日本海軍「上海特別陸戦隊」に対し、1936年8月13日、12万以上の中国軍は全面攻撃を行なった。これこそが第二次世界大戦の始まりとの主張は蓋し正鵠を射ている。この1936年8月13日というのは、実はベルリンオリンピックが開催されていた時期と重なるのだ。

「政治とスポーツは別」だとの主張こそ「平和ボケ」の象徴であり、こうした世論誘導は、マスコミが放映権や放送権を欲しいが為の我田引水的詭弁であろう。

 拉致問題が解決せずして北朝鮮との国交など言語道断である。W杯予選で北朝鮮戦をボイコットし、それにより日本チームが失格になろうとも、それに拠って世界に北朝鮮による拉致問題や人権問題が提起された方が好かったのではないか。

 北朝鮮に行ったサポーターの一人は、「日本が勝っていたらどうなっていたか」と会場の異様な雰囲気を怖がった。日の丸はダメ、鳴り物や横断幕もダメ、君が代にブーイング、そんなことは行く前から判ってることだろっての(爆)

cordial8317 at 06:18|Permalink

2011年11月06日

野田が「平成の井伊直弼」ならば「平成の大獄」は如何に

 野田総理がTPP参加を表明し、国内ではTPPに関して賛否両論渦巻いているが、野田こそ「平成の井伊直弼だ」と准えたSNSでの声に思わず首肯した。

 井伊直弼は幕末の安政5年(1858年)、アメリカ・イギリス・フランス・ロシア・オランダと夫夫に「日米修好通商条約・日英修好通商条約・日仏修好通商条約・日露修好通商条約・日蘭修好通商条約」(安政五ヶ国条約)を締結した。

 その後も、ポルトガル、プロシアとも同様の条約を結び、その後更にスイス、ベルギー、イタリア、デンマークと締結し、明治になってからスペイン、スウェーデン・ノルウェー、オーストリア・ハンガリー等とも条約を締結している。

 幕府が各国と締結したこれらの条約は、治外法権による「領事裁判権」を承認させられたり、「関税自主権」を認められなかったり、我が国(当時は徳川幕府)にとっては正に屈辱的で不平等な条約でしかなかったのである。

 攘夷派は、「勅許を待たずに調印した条約は無効だ」として認めず、独断専行した井伊を厳しく非難。その結果、朝廷と幕府(公武)間の緊張が一気に高まり、「安政の大獄」や「桜田門外の変」などの事件が勃発したのは誰もが知るところだ。

 明治維新以後、新政府の最重要課題の一つとして条約改正交渉が各国と断続的に行われはしたが、その進展は捗捗しくなく、条約の不平等な部分が解消されるのは、実に日露戦争大勝利後の明治44年(1911年)のことだった。

 不平等条約の締結は外交圧力(軍事力)に屈した結果なのだが、TPPも正に「平成の不平等条約」。米国の外交圧力に屈しながら日本を「開国」するなどとは本末転倒で、TPPは開国ではなく米国の更なる「属国」化でしかない。

「ネガティブリスト」という言葉を御存知だろうか。この言葉の意味は、簡単に説明すれば、「やってはいけない事柄をリストアップして、これ以外なら何をやっても構わない」ということ。日本が護るべき施策をリストアップしていない。

 例えば、我が国の「健康保険制度」は世界に誇れる医療制度であるが、TPPのネガティブリストにその「健康保険制度」は記されてはいない。

 厚労省や推進派などは「そんなバカなことはしない」と楽観視しているが、TPP参加に拠って「健康保険制度」や「医療制度」が崩壊する危険も孕んでいる。

 更に恐ろしいのは、締結国が市場開放をやり過ぎたとしても緩和させることは出来ない「ラチェット規定」がTPPには組み込まれているということも看過出来ない。

 TPPでは金融のサービスと投資の自由化がメインターゲットになるのは間違いない。また、公共事業にも各国が参入出来る様になり、その為に英語での発注案件公示をしなくてはならなくなり、建設業界にとっても死活問題になるだろう。

 要するにTPPは、「平成の開国」という様な甘っちょろいものではなく、オバマが政権の命運を懸けて行う、「輸出倍増計画」「雇用対策」という名の経済侵略であり、属国化なのだ。「SD条項」所謂「毒饅頭条項」が盛り込まれていることも鑑みても、やはりTPP参加は時期尚早であり断固反対である。

cordial8317 at 13:24|Permalink

2011年11月05日

椎間板ヘルニアを患い身動きも儘ならず

 先週末の門下生との一波乱以来、腰に違和感を感じていたが、昨日、朝食を終え片付け様と立ち上がろうとしたら腰に激痛が走り暫く動けずにジッといた。自業自得といえばそれまでだが、やはり身体は正直だ。老化とは思いたくはないが、そろそろTVショッピングで「皇潤」の世話にでもなるしかないか(笑)

 椎間板ヘルニアは10年程前にも経験済み。完治に向かっていたところだったから元の木阿弥。前回の激痛の際は余りの痛さに「尿管結石」が再発したと思い込み、痛み止めを飲んでは見るも効果無く、結局、検査の結果「椎間板ヘルニア」と診断され、「家で安静にしている様に」とコルセットと湿布薬を渡された。

 前回は単なる不摂生と運動不足が原因で、これを機に体質改善しようと色々やってみた。結果は、バランスボールがかなり効果があり、以来コツコツとやり続けていて、最近ではハードな筋トレも熟せる様になっていただけに今回は痛恨事だ。

 寝返りすることも儘ならずトイレに行くのも一苦労。まぁどうせやることもないし、のんびり治すしかないとは思っているが、そんな中でしんどいのは老犬の世話。食事の世話やトイレに床擦れの手当の介護をするにもぎっくり腰じゃ儘ならない。

 それを知ってか知らずか(知る訳はないですが)、何が不満なのか、ワンワン、ギャ~ギャ~と五月蝿い。それにしても2日の日じゃなくて良かったなぁ。何と悪運が強いのか、それとも単なる酒好きが功を奏しただけなのか(笑)

 そんな訳で昨日一日は横になって畏友から恵贈された「山口ニ矢供述調書」や靖國神社会報やら読んでいた。供述調書は、以前、門下生からパソコンからダウンロードしたコピーを貰い幾度と無く読んでいたので凡そのことは理解している積もりだったが、製本した物に目を通してみると改めて感ずる部分も多い。

「靖國」ではコラム「靖濤」が好きだが、始まったばかりの「護國神社だより」も愉しみにしている頁だ。気になるのは先の大戦の記事ばっかりになってることだ。

 今月の論文は、立命館大学教授・北村稔氏の「A級戦犯はどのようにしてつくりだされたのかー知られざる背景を探るー」で、極東軍事裁判(東京裁判)での、所謂A級戦犯の「平和に対する罪」の不当性や論拠を論説しているが実に分かり易い。

 現在我々が享受してる平和や繁栄がこうした「戦犯」の汚名を着せられ続けている英霊の犠牲の上に存在しているということを決して忘れてはならない。

cordial8317 at 08:06|Permalink

2011年11月04日

友人達と「駒形どぜう」で一献

 一昨日、いつもの友人達と一献酌み交わす為に上京した。上野へ~地下鉄渋谷線に乗り換え浅草へ。待ち合わせ時間より1時間ほど早く到着してしまった。

 一番乗りと思いきや、横浜の山崎さんが待っていたのには驚いた。浅草は「酉の市」ということで、待ち合わせした「駒形どぜう」も多くの客で賑っていた。

 そうこうしていると、アメ横でスカジャン屋を経営する大熊さんが到着。続いて隠岐社長が登場。何やら神宮で東都リーグ優勝決定戦が行われていて、応援団OBの隠岐さんとしても気が気じゃ無い様だ。結果は残念ながら二位となったらしい。

 大トリの横浜の畏友も到着し役者が揃った。先ずはビールで乾杯。酒肴は「鯨ベーコン」「玉葱の酢漬け」「玉子焼き」「鳥つくね」といった品々を堪能。

 夫夫、ビールから飲み物を替え、愚生は「二之宮」という純米の冷酒を注文するも、隠岐社長が「やっぱ男は升酒でしょ」とチクリ。ん~どっちも美味しい(笑)

 ピッチが進むにつれ会話も弾む。気の置けない仲間と飲む酒ほど愉しいものはないが、これに駒形どぜうという店の雰囲気と極上の料理だもの言うことはない。

 軽く抓んだ後は愈々「どじょう鍋」を頂く。駒形の丸鍋は同じ浅草のどぜう鍋の名店「飯田屋」とはまた違って、どじょうも小ぶりで上品な感じだ。「ささがきごぼう」とたっぷりの葱を載せて味わえば正に至福のひととき。日本酒から焼酎へ替える頃は何時もの様に酔いも絶好調となったのは言うまでもない。

 その後、浅草のバーの老舗「ネモ」へ転戦したが、この店の酒の数の豊富さに圧倒される。「マティーニオンザロック」を注文、ジンは「ゴードン」で。

 流石に名店だけあって品の良い味わいに仕上がっていた。次に店のオリジナルのウイスキーを「トワイスアップ」で注文するも、バーテンから「いきなりトワイスアップより、少しずつ薄めてみては」と勧められたので飲んでみることに。

 確かにストレートから徐々に薄めて行くと不思議なくらい味が変化して行くからウイスキーは奥深い。マスターの人柄といい、また覘いて見たい名店だった。

「それじゃ錦糸町へ行くぞ!」という畏友を宥め、酉の市が行われている鷲(おおとり)神社へ向かう。初めて行ったが中々の風情だ。こうした雰囲気はやはり浅草でしか味わえないだろう。大熊さんに熊手の土産を頂戴し恐縮する。

 その後、「じゃ錦糸町へ」と執拗に食い下がる畏友を説得し、大熊さん行きつけのスナックへ移動し、カラオケを愉しんだ。そこへ隠岐社長の倅が登場した。

 何と今時珍しい学ラン姿に思わず嬉しくなった。聞けば法政大学の応援団だという。隠岐さんも青学の応援団だったし、親子揃って応援団とは素晴らしい。

 カラオケで法政大学の校歌を聞き、じゃあこっちも対抗しようと「國士舘々歌」をリクエストするもカラオケには入っていなかった。何なんじゃコラ~(爆)

 その後、横浜へ帰る畏友を見送り、〆は隠岐氏御用達の寿司屋で一献し御開きとなった。翌日、前々から隠岐さんに「合切袋」の店を紹介してと言われていたので、待ち合わせして、小島に在る「藤井袋物」へ。残念ながら連絡ミスで会えず。

 折角来たので、藤井さんの店の向かいの「秀鮨」の店主の片山さんへ連絡し、近所の喫茶店でモーニング珈琲を飲む。秀(秀鮨店主)さんとは暫くぶりで会ったが元気そうで何より。女将さんもやって来て、1時間ほど雑談して別れた。

 時間を見れば昼となり「蕎麦でもどうでしょう」となり、上野の老舗「蓮玉庵」へ。二日酔いだが、「酒でもどうですか」と問えば、「勿論」と即答、隠岐さんはビールの小瓶、愚生は「冷や」で乾杯。ん~二日酔いでも日本酒は旨いな(笑)

 摘みは、蕎麦屋では定番の「板わさ」「月見とろ」と「葱みそ」でチビリチビリ。隠岐さんのピッチが次第に上がり、「鴨の燻製」と「焼き海苔」を追加。仕上げは「せいろ」、結局昼から御銚子10本近く空けてしまった(爆)

 友と別れ難く、アメ横の呑兵衛の聖地「大統領」へ。途中、大熊さんが経営するスカジャン屋を覗いて合流するも、時間も時間となり程無く撤収と相成った。

 大熊さんにはまたまた「昇龍」のジャンボ餃子を土産に頂戴し、再会を約束して別れた。新幹線に乗った途端爆睡し、ハッと目覚めた時は郡山へ到着していた。隠岐社長並びに大熊さんの友情と御心遣いに痛み入る。合掌再拝。

cordial8317 at 04:09|Permalink