2011年09月

2011年09月30日

日華国交条約を破棄した国賊・田中角栄

 昭和47年(1972年)9月29日、総理大臣・田中角栄は北京で中華人民共和国との国交を快復する為に日中共同声明に調印する。「先の大戦で中国国民に重大な損害を与えたことに、責任を痛感し、深く反省する」との理由を調印の理由にするが、我が国が先の大戦で戦ったのは、中華民国であり、戦後独立を果たした時点で、日華国交は快復し、和解している。

 国賊・田中は更に、中国共産党政府を中国唯一の合法政府であると承認し、我が国が締結していた「日華国交条約」を破棄したが、此れは明らかな憲法98条違反だ。時の総理大臣が平然と憲法を蹂躙していながら、マスコミも政治家も此れを看過し沈黙したのだ。護憲派からこの問題が提起されたことはない。何が護憲か!右翼民族派は、毎年9月29日を「反中共デー」として、「中国共産党打倒」や中共の跳梁跋扈を糾弾しているが、この運動の輪が広がることを願って止まない。 

20世紀最大の害悪はファシズムでもナチズムでも況してや日本の軍国主義でも帝国主義でもない、共産主義だ。歴史に「もし」ということはないが、もし日米が戦わず、蒋介石との和平が実現していれば満州国は保全され、中華民国は中国共産党を圧倒していただろう。そうすれば共産党の大躍進や文化大革命や天安門事件も起きなかったし、北朝鮮の独裁政治も拉致事件も起きなかったのだ。

 大東亜戦争とは、ソ連コミュンテルンと中国共産党、そして日本の共産主義者が仕組んだ、共産革命の為の、実にマルクス・レーニン主義者等の策謀にまんまと嵌ってしまった戦争だったのだ。その視点に立った時、我々は何を成すべきか。大東亜戦争自体、恥ずるべきものではない。日本はアジアを侵略したのではなく、アジアを侵略していた連合国と戦ったのだ。それでも尚、アジアの人々に謝罪をする必要が有るというなら、最大の過ちは共産主義の跋扈を許したことであり、その償いは共産主義を失くすこと以外に無い。

 中共に媚び諂う我が国の弱腰軟弱土下座外交は、西沙諸島、南沙諸島、或いはインドやカシミール地方で中共の無法、虐政に呻吟している国々にとっても落胆は隠せない。存亡と存在を賭けて戦った大東亜戦争。敗れはしたが、アジア諸民族の独立と復権を齎した。日本は何時の時代もアジアの希望の星でなくてはならないのだ。恥ずべき日中国交回復40年、日中の外交戦略を見直し、真の独立国家としての快復を目指せ!

 「中国」ではなく「支那(シナ)」が世界の共通語!アンケートに御協力を!
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cordial8317 at 06:12|Permalink

2011年09月28日

「爆ちゃんの無事を確認する会」という酒乱会

 昨日、憂国の実業家・隠岐康氏の肝煎りで、「爆発五郎の無事を確認する会」という酒乱会を、友人らが催してくれるというので久々上京した。軍事機密ということで場所と参加人数は一部秘匿とするが、美味な料理と酒、そして何より人との邂逅に酔った最高の一献会だった。

 午後3時に自宅を出て、駅まで20分ほどの距離を歩いたのは良いが、最近は革靴など履く機会も無いからか靴擦れを起こす(笑) 5時に東京着。それから待合せの某所へ向かった。待ち合わせ時間は6時ということだったが友人らは既に到着していた。ロビーには隠岐社長と、見るからに人相の悪い方が一緒。聞けば、隠岐社長の大学時代の応援団の先輩でOB会の関西支部長だという。話せば隠岐社長同様に懐の深い、気さくな方だった。

 中華料理で先ずはシャンパンで乾杯。前菜が運ばれ、徐々にピッチが上がる。「フォアグラ入り茶碗蒸し仕立てのフカヒレ姿煮込み」「北京ダック」「大正海老とミル貝の柚子胡椒炒め」「牛フィレときのこの黒豆ソース炒め」「ハタの飾り蒸し」と、どの料理も絶品。シャンパンを2本空け、次は芋焼酎に。その芋焼酎はナント「森伊蔵」。

 中華料理の名匠・Tさんも同席し、そのTさんが調理した「干し鮑の煮込み」が運ばれて来た。正に至高の逸品。干し鮑は戻すのに丸三日ほど掛かるというが、身は柔らかく、鮑の香りと餡が絶妙に絡み合い、森伊蔵のロックと相俟って、酔いも最高潮となった。結局、空けた森伊蔵は三本(爆)

 2時間ほど中華を堪能し、二次会へ。もうこの頃になると何時もの様に談論風発して時の過ぎるのを忘れる。先程の店で世話になったYさんも同席し、口角泡を飛ばしての議論と行きたかったが、カラオケで盛り上がる。Yさんから拙ブログを閲覧していると聞き、驚くも、大変有難く、励みにもなった。隠岐社長には「チョッと堅苦しい。汚れた云々は訳分からん」と辛辣な批評を受けたが、「渓流釣りとかのは愉しい」と聞き一安心。畏友のブログの様に日々の話題を書きたいと思うが、殆ど家からも出ず、やっているのは犬の世話と筋トレくらい。此れじゃ書き様がないわな(笑)

 その後一軒冷やかして、サリーさんの店へ。この頃になると畏友も大破轟沈状態。程無くして店を後にした。隠岐社長のO先輩をホテルに送り、仕上げに隠岐社長とYさんと鮨屋へ。サリーさんも合流したが、時間を見れば一時過ぎ、仕上げの冷酒は流石に堪えた。ホテルに帰り、バタンキュー。目覚めた時は6時近く、慌てて着替え、一路郡山へ。9時前に自宅に到着。老犬は何事も無かったかの様に爆睡していた。

 「人生とは邂逅の一言に尽きる」を実感した思い出深い一献会となった。色々と御世話になった隠岐社長始め、畏友を介して出会った方々に深謝す。合掌再拝。

cordial8317 at 15:39|Permalink

2011年09月27日

「陸山会事件」で有罪判決。小沢への幻想を捨てよ!

 「陸山会事件」で、小沢一郎の元秘書ら三人に有罪判決が下った。秘書らが白々しくも無罪を主張していることを見ても、最高裁まで争うつもりだろうが、勝手にやってくれってな感じだ。小沢の監督責任は重く、政治的、道徳的責任は免れず、早々に政界を引退し、不動産屋にでもなったら如何。

 小沢を語る時、その豪腕は「不透明な政治資金疑惑」を切り離すことは出来ない。西松建設不正政治献金疑惑を始め、小沢の疑惑は枚挙に暇なし。今回の陸山会事件の他にも不動産購入疑惑。陸山会が合計10億3千万円相当の不動産を政治資金で買い漁り、しかもこれら全てが小沢個人名義になっている問題だ。有権者からの浄財や国民からの血税である「政党助成金」などを駆使して、個人的な蓄財をしているのだが、これらについて小沢は白々しく、「私は陸山会所有の全ての不動産について如何なる権利も持っていない」と詭弁を弄している。

 小沢はその昔、政治資金の在り方に関し、自著「日本改造計画」で「政治資金の出入りを1円に至るまで全面的に公開し流れを完全に透明にすること」と提唱していた。更に、同時に罰則の強化も主張し違反の言い逃れを封じる為に「連座制」を導入すべきとも訴えた。しかし現実には、この時、既に小沢は西松建設のダミー会社から献金を受け取っていたのだからフザけた話だ。

 最近でも、政治献金について自著「語る」で、「僕は、天下国家の為にお使い下さいという資金の提供は、百円でも千円でも有難く頂戴するけれども、何かの対価として見返りを求める様なカネは貰う気はないし、そういう心構えの人と今迄付き合ったことはない。だから僕自身には何もワーワー言われる問題は無いんです」といけしゃしゃと述べている。こうなると最早ビョーキだ。

 民主党では「政治資金の透明化」「政治資金規制の強化」を掲げてはいるが、「政治資金による個人蓄財の禁止」は明記していない。収支報告書の開示や領収書の保存などを挙げながら、小沢が行った政治献金の大きな抜け穴に関しては全く手を打たないということだ。はっきり言えば手を打てないということで、注目すべきは、未だに疑惑になった政治資金を自分の懐に仕舞い込んだままなのだ。

 西松建設事件で問題になった3億円も、不動産疑惑で問題になった10億円以上の献金も、北朝鮮系の水谷建設からの一億円の闇献金も、新生党と自由党解党時の政党交付金など23億円余りの金が、今以って小沢の手中に在る。

 小沢一郎について国民は「剛腕」「壊し屋」というイメージが一般的だ。だが、本当に小沢は「豪腕」なのだろうか。マスコミは、「細川内閣樹立」「自民党政権下野」などを、全て小沢の功績かの様に報道し、印象操作をした。小沢自身もそれを否定しないし、否定出来るほどの「口」もない。

 小沢は口下手で、気が小さく、当然に人前で話すのが苦手だから真意が伝わらない。政治家としては致命傷となることが、小沢の場合、マスコミと国民が誇張した「剛腕」というイメージからか、「恐らく裏が有るのではないか」「話せない事情が有るに違いない」と、イメージを増幅する内容になってしまうのだ。

 「小沢一郎ならやってくれるに違いない」との期待は、マスコミの作った幻想でしかない。最早、小沢の求心力の低下は避けられず、国民の懐く小沢への幻想は崩れ去ることだろう。政治とは最高の倫理であり、最高の道徳でなければならないのだが、その倫理も道徳も欠落している小沢に、政治家としての資格なし。

 自らの不徳を恥じ、政界から引退しなさい。

cordial8317 at 06:28|Permalink

2011年09月26日

釣りと酒を愛した作家・開高健が好んで使った故事

 「一時間、幸せになりたかったら酒を飲みなさい。一日幸福でいたかったら、床屋に行きなさい。三日間、幸せになりたかったら結婚しなさい。一年幸福でいたかったら、新しい家を建てなさい。一生幸福でいたかったら、釣りを覚えなさい」とは、釣りと酒を愛した作家・開高健が好んで使った支那の故事成語だ。

 釣りを覚えてからというもの、その奥深さと、愉しさは言わずもがなだ。昨日も今シーズン最後の渓流釣りに行って来た。昨日も一人の釣行となり、キャッチアンドリリースを繰り返しつつ、晩酌の肴に25センチと27センチのイワナを2匹キープ。イワナの腸を捌こうと思ったその時、釣友の哲ちゃんが現れたのにはビックリ。色々と悩みを抱え、今シーズンは同道出来ないと思っていたので嬉しい誤算だった。哲ちゃんの釣行に付き合い、あっという間にキープサイズを3匹確保(1匹はビミョー)。1時間程で納竿し、会津若松市内の「古川農園」の手打ちの大盛り肉そば食べ、別れた。哲ちゃんの渾身の悩みが早く解消されることを祈る。

 故事に戻るが、床屋に行って幸せに浸りたくても、バリカンで自分で丸刈りするから関係はない。結婚が三日間だけってのは言い得て妙。家を建てたこともないし、建てたいとも思わないが、所詮家など、一年経てば喜びも薄れ、厭きてしまうというのも何となく分かる気がする。無理して家を建てたところで、固定資産税に齷齪するのは目に見えている。日本は資本主義、自由主義というが、その体制は破綻している。所得税やら固定資産税、相続税などの酷税は最早、日本的社会主義国と言っても過言ではない。といっても収入の乏しい愚生には所得税も固定資産税も関係はないか(笑)

 飲酒が1時間程度の喜びしかないのかと言えば、此れには声を大にして「否、違う!」と反論したくなる。支那の六朝時代、東晋に陶淵明という詩人がいた。名は潜。貧乏だったから官途(官吏としての仕事や地位)に就いたが、どうしても性に合わない。結局、41歳の時、県令を最後に官を退き、田舎へ帰って63歳で天寿を完するまで酒と詩を愛し続けた。陶潜は天性の酒好きで、酒さえ有れば他に何の欲も無く、住まいはあばら家で、雨風をやっと凌ぐばかり。着衣も継ぎ接ぎだらけの穴だらけ。飯櫃も往々にして空になる。それでも一向苦にしなかった。

 周りの村人らは陶潜の暮らしぶりを見かね、時折酒席を設けてはこの貧乏詩人を招いた。招かれた陶潜は遠慮もせず御馳走に与り、酔いが廻ればさっさと帰り、興が乗れば酒を称える詩を作った。陶淵明の飲酒詩は男の浪漫を感じるものが多い。陶潜は酒を「忘憂物」と呼んだ。以来、忘憂物は酒の異名となり、酒好きを忘憂君と言う様になった。酒を飲めば忽ち良い気持ちになって、嫌なことなど忘れてしまう。だが、陶潜の凄いところは、自分が酒を飲むことで周りの人々の憂さをも忘れさせてしまうことにある。酒飲みは斯く在りたいものだが、愚生は未だ未だ修行が足りない。

 陶潜も愚生も社会からのドロップアウトという点では一緒。毎日ぶらぶらして飲んだくれているのも似た様なものだ。こうした生き方を選べば、周りから次第に敬遠されがちになって行くのが普通だろうが、陶潜がそうはならず、天寿を完したのは、やはり人徳だろう。大らかに誘いを受け、無心に酒を飲み、飲む程に、酔う程に、一緒にいる人々まで愉しくさせる、そういう忘憂君に私もなりたいものだ(笑) 明日、楽しみにしている酒席が有る。今から待ち遠しい。 
  

cordial8317 at 08:44|Permalink

2011年09月22日

増税より先ず議員定数と議員報酬を見直せ!

 東日本大震災の復興費用を賄う為に、政府からも国民からも「増税已む無し」の声が多く聞こえる。今後、増税案を巡って与野党の攻防が一段と激しくなるのは必至だろうが、増税云々の前に与野党が挙って公約した「衆院議員の定数削減」を実行し、更には無駄な参議院の廃止に向けた議論も活発化させるべきだ。

 我が国の財源不足は深刻で、それを補う為に新規の国債に頼らざるを得ず、それが慢性化し、その発行額は今や税収を上回り、その利息が国民負担に大きく圧し掛かる。安易な増税は、慢性的な財源不足の解決にはならない。

 今回の復興費用は「建設国債」で賄うべきとの声も上がっているが、建設国債は償還年数が長いだけで、利息が減ることはない。投資が、それ以上の税収を生む訳で、国債発行自体を否定するものではないが、復興の名に隠れて、社会保障費拡大の穴埋めや、国債の金利の支払いの為の国債発行では問題を先送りするだけで、後世に大きな負担を残すだけだ。

 国債の金利の支払いの為の国債発行が、「国の借金」だと嘲罵される原因なのだが、国債の国際評価が下がろうとも、我が国の国債の殆どは日本国民が有しており、言い換えれば「国の借金」ではなく「国民の財産」なのだ。

 だが、前述した様に、国債の利息が国家予算の大きな負担になってしまっている今、そろそろ「無利息・非課税」の国債発行を検討すべきだし、畢竟、それが財政再建や震災復興に役立つなら一石二鳥だろう。

 復興費用や社会保障費を補う為に、最早増税は当然だという流れの様だが、増税前に先ずやるべきは議員報酬と議員定数の削減で、「衆議院のカーボンペーパー」「無用の長物」と言われて久しい参議院は廃止し、地方議員は基本的に、保護司や民生委員と同じ名誉職として無報酬、或いは福島県矢祭町の議員同様「日当制」とすべきだ。いけしゃあしゃあと政党助成金を貰っている場合ではないぞ。

 議員自ら律すること無く、震災復興や財源不足を理由に増税とは本末転倒だ。民主党議員は口々に「国民と約束したマニュフェストを実行することが大事」だと宣うが、ならばマニュフェストで約束した、「衆院議員80人削減」を先ず実行するべきだ。

 自民党然り、多くの野党も国民ウケを狙って「国会議員の定数削減」という大風呂敷を広げたが、やるなら今が好機。何れにしても、国会議員自ら襟を正し、国民の範となるべく、隗より始めるべきだ。



cordial8317 at 05:17|Permalink

2011年09月20日

「放射能はごめんだ」脱原発集会と打ち上げ花火の中止

 名うての売国奴・大江健三郎らが呼掛けた「さようなら原発五万人集会」なるものが東京・明治公園で行われた。主催者の原水禁は参加者数約6万人と発表しているが、参加者数を偽ることは左翼団体の常套手段で、6万人は実に胡散臭げな数字だ。参加者数を偽ることは国民を欺くことであり、有ってはならないことだ。大江らは殊更原発の危険を煽り脱原発を謀っているが、参加人数を水増ししている様ではこの運動に正義は無く、此れ以上盛り上がることはないだろう。

 数年前、社会科教科書の沖縄集団自決に関する記述が違うと抗議集会が開かれ、主催者側が「参加者11万人」と大々的に発表した。それを鵜呑みにした政府やマスコミが右往左往した挙句、教科書の見直しを検討したことが有るが、この11万人という数字に疑問を持った大手警備会社のテイケイ(株)が航空写真を分析し、結果、参加者の実数が1万8179人と解り、直ぐに沈静化された。昨年の沖縄普天間基地反対集会での参加人数9万人も、結局1万1569人だったことが判明した。今回も参加者の実数は沖縄での集会の時と同じだろう。

 愛知県日進市の「にっしん夢まつり・夢花火」で、東日本大震災の復興を支援しようと被災三県の花火を含め、計2000発の打ち上げを予定。このうち80発が福島県下の煙火店の花火だった為に、「放射能はごめんだ」とばかり、「汚染された花火を打ち上げるのか」という安本丹からの抗議で、結局打ち上げられなかったという。市長は「苦渋の選択だった。抗議が相次ぎ打ち上げられなかった」と見苦しい言い訳するが、抗議のメールや電話はたった20件だけだったというから開いた口が塞がらない。

 花火の製造は、保管も管理も室内で行う訳で、何故に放射性物質に汚染され危険なのか理解に苦しむ。況してや川俣町の花火は昨年製造されたものだ。何が「夢まつり・夢花火」か。夢も何も無いではないか。二の足を踏んだ荻野市長や実行委員会は猛省すべきで、抗議が20件というなら、一件一件説明すべきだし、此れがもし市民ではなく、原発の恐怖を煽る「脱原発」を謀る連中の仕業だったかも知れないではないか。どっちにしろ、抗議する側もされた側も、不安を駆り立てるのではなく放射線の問題を正しく理解すべきだし、こうしたことが繰り返されている限り福島県民への差別は治まらない。

 菅直人のマッチポンプだった原発事故以来、「脱原発」は多くの国民に浸透している。確かに原発事故の影響を諸に受けている福島県民として「原発さえなかったら」という思いは強い。だが、果たして資源の乏しい日本が、原発無し繁栄出来るのか甚だ疑問だし、産業振興、電力不足などの不安は拭えない。それより、「便利」という価値観に溺れた国民が、石油や天然ガス、再生可能エネルギーだけでの生活に満足するとはとても思えない。「脱原発」の理想は分かるが、原水禁や大江らが叫べば叫ぶほど興醒めするのは愚生だけでは有るまい。抑抑、福島原発事故は防波堤などの整備を万全にしてさえいたら大事には至らなかった訳で、「脱原発」よりも先ずは現存の原発の安全対策を施すことが大事だ。

 原水禁や「平和」「核廃絶」「脱原発」を標榜する胡散臭げな平和屋どもが蠢き出し、国民を煽動しているが、原発の問題は核武装という国防にも繋がる国家の大事であり、安っぽい風潮に流されてはならない。


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2011年09月19日

一人の釣行は寂しいが

 今月で渓流釣りのシーズンも終るというのに、釣友の哲ちゃんが何かと忙しいらしく一人での釣行が続いている。昨日も一人で、喜多方の山都町の一ノ戸川に出没して来た。釣具メーカー大手のシマノが毎年出す渓流釣りのDVDに今年はこの渓が出ていたので、何時かは行かねばと思っていたので良い機会だと思い、来シーズンに向けての試釣に出掛けた。

 朝5時半過ぎに自宅を出発。喜多方を通ったのが7時。朝ラーの始まる時間なので、最近は定番となっている「喜一」のSioラーメンでも食べようと立ち寄った。既に20程の客が入っていたが、5分位でラーメンが運ばれて来た。相変わらず美味い。しかも一杯500円は安過ぎる。この店の塩は会津の山塩を使っているので、塩辛い中にも甘味も感じられまろやかな味わいだ。喜多方の北西方面に熱塩加納という集落が在るが、熱塩という名は山塩が多く採れたからという由来らしい。今、この山塩が密かなブーム。その山塩とオヤジの拘りが光る逸品だ。喜多方に立ち寄った際は是非どうぞ。

「喜一」を後にし、喜多方から西側の山都地区へ向かう。喜多方から30分程で目的地の一ノ戸川に到着。一ノ戸川は飯豊山から雪解け水が注ぐ河川で、福島県から上流は山形県まで続いている奥深い川だ。近辺は通ったことが有るが、じっくりと川を見るのは初めてなので、車を停めながら良い場所を探す。普段は餌釣りがメーンだが、昨日は餌も無かったので、テンカラ釣りをやろうと決めていた。暫くすると、格好の場所を見つけ竿を振ってみたが、腕が悪いのか全くアタリなし。三箇所を1時間程で廻ったが、結局釣果無し。でもいい気晴らしになった。

 来る途中「いいでの湯」という温泉施設が在ったので、立ち寄り入浴し、その後は蕎麦で有名な山都宮古地区へ水を汲みに向かった。時間は10時をチョッと廻ったくらい。腹は空いてはいないが、折角だから蕎麦でも食べようと「かわまえ」という店に入った。入ったのは良いが、メニューは蕎麦食べ放題の3コースのみ。それも一番安いので2600円也。「アレ、此処は料理は少なくて、蕎麦が2、3枚で1200円だか1500円のは無いの?」と聞くも、「有りません」と怪訝そうな応え。仕方ないので2600円のコースを注文。

 山都宮古地区の蕎麦屋は何度も来ているが、「かわまえ」は初めて。山菜料理は確かに美味いが、酒も飲まずに田舎料理を食べるってのも何か場違いな感じだ。余り料理に手を付けず、自慢の蕎麦粉100%の手打ち蕎麦を注文。暫くすると、この辺の蕎麦屋と同じ様に御椀に盛られた蕎麦が、山盛りの天麩羅と共に運ばれて来た。「腹くちいって言ってるのに、何なんだこの店のマニュアル通りの対応は」と厭きれた。「残ったものは持って帰れないの?」と聞けば、「保健所の方から言われてますので」とのこと。だったら捨てるのは勿体無いし初めから出すなっての。料金はちゃんと払うから。「返し」も愚生には鰹の風味も味も少し薄く感じた。やっぱり蕎麦は江戸前風の濃いのが好きだな。市販の麺つゆなら「にんべんのつゆ」(笑)

 風評被害で客の入りが悪いのかと心配していたが、こうした慣れきった対応が客足を少なくしている様にも思う。ツーリングやドライブで立ち寄る人も多いだろうが、店に入れば昼一食2500~4000円は躊躇するだろう。予約客はコースで対応し、フリーの客には蕎麦一杯からでもOKなど、臨機応変に対応すれば、もっと客足もクチコミも増えるだろうに残念に思う。宮古地区の蕎麦屋には一考して頂きたいものだ。

 この山都宮古地区に今から10数年前、右翼の朋友10数人で訪れたことが有る。昼に此処で昼食を食べ、泊まりは五時間程掛け、尾瀬の桧枝岐村の民宿へ。大日本T団のU団長は昼に蕎麦を食べ過ぎ、夜の宴会には出られず終い。畏友のN氏らとの大宴会は今でも忘れられない思い出だ。翌日N氏らは会津鉄道で帰還したのは良いが、のんびりした電車の旅は二日酔いの身体には堪えたことだろう。あれから10年余り、一緒に行った仲間のうち3人が幽冥境を異にした。諸行無常を感ぜずにはいられないが、また気の置けない仲間を呼んで会津の旅でもしたいと思っている。

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2011年09月17日

政治家に求められるのは「正心誠意」の四文字

 野田総理は所信表明演説で、「政治家に求められるのは『正心誠意』の四文字が在るのみ」と強調した。誠心誠意の真心を以て物事を行うのではなく、自らの心を正しくし、政治家としての良心に忠実にすることだと、その意味を説明した。

 「正心誠意」は、勝海舟の談話集「氷川清話」からの引用で、元々は儒教の古典「大学」の一節だ。「其の身を修めんと欲する者は、先ず其の心を正しくす」を、海舟は政治家の秘訣として、「政治家は、唯唯正心誠意在るのみ。この四文字に拠りて遣りさえすれば、譬え如何なる人民でも心服しない者はいない。何事も知行合一でなければならない」と訓えた。

 「氷川清話」は日本人の名著の一つには違いない。海舟が出会った幕閣や歴史上の人物、時事評論まで縦横無尽に語られた思想書というより談話集だ。維新史や人物月旦とし超一級の作品とされている。

 だが、どうも愚生にはイマイチ海舟という人物を尊敬出来ない。人物月旦が面白いというが、殆どは己の自慢と相手を誹る話しばかり。その一部を端折って書けば。

 <横井小楠と西郷隆盛> 俺は今迄、天下で恐ろしい者を二人見た。それは横井小楠と西郷南洲だ。その横井に西洋の事を俺が教えてやった。西郷と面会したら、その意見や議論は寧ろ俺の方が優る。

 <佐久間象山> 佐久間象山は物知りで、学問も博し、見識も多少持っていたが、どうもホラ吹きで困るよ。

 <藤田東湖> 俺は大嫌いだ。あれは学問も有るし、議論も強く、また剣術も達者だったが本当に国を思うという赤心がない。書生を大勢集めて騒ぎ廻るとは、実にけしからぬ男だ。

 <桂小五郎(木戸孝允)> 西郷に比べれば非常に小さい。余り用心し過ぎるので、大事には向かない。

 <山岡鉄舟と大久保一翁> この二人は共に熱性で、切迫の方だから、可哀想に若死にしたよ。

 此れ以外にも偉人、傑物との逸話は在るが、海舟の人となりが分かりそうなものばかり。この「氷川清話」が纏められたのは明治30年頃で、海舟の最晩年75歳前後のことなので、老人に有りがちな妄想的言い回しが多い。

 妄想症ではとの疑いと迄は言わないが、海舟の自己顕示欲の強さを割り引いて読めば、幕末維新史としては貴重な本なのは確かだ。
 
 福沢諭吉は、100年前「痩せ我慢の記」という一文を発表した。「一片の痩せ我慢こそ百千年後に至るまで、国の独立を維持する上で大切である」と説き、福沢翁は、嘗て幕臣だった勝海舟が、敵方である薩摩・長州中心の新政府から優遇を受け、大臣に昇りつめた出世を厳しく批判している。

 その諭旨は「勝海舟は只管講和を主張し、官軍と一戦も交えず開城したのは、要素たる士風を損なった。譬え、内乱が国家にとって無益大害の極みであっても、抵抗するのが武士の意気地ではないか。敵味方のケジメを付け、野に下ることこそ取るべき道であった」という。愚生も激しく同意する。

 海舟は「人間の元気を減らすに一番力の在るものは内輪の世話や心配事だ。外部の困難なら大抵の人が辛抱もするし、此れによって益々元気が出ると言うことも有る。どうも大抵物事は内より破れますよ」と訓える。

 野田総理も党内融和を優先するが、烏合の衆の民主党故、挙党体制を維持するのは困難の極み、内から崩壊するのは必至だろう。海舟の請売りも良いが、三代続けての政権維持は頂けない。

 福澤翁が海舟を断じた様に、自ら進んで国民に真を問いケジメを付け、それに拠って譬え下野しようともそれを諒として享け入れるべきだ。だが、野田には海舟同様、そんな意気地は持ち合わせてはいない。



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2011年09月16日

民主党政権と韓国が「戦時性的強制被害者法案」で連携

 所謂「従軍慰安婦」問題で、反日韓国政府は15日、日本公使を呼び付けに日本政府に賠償協議に応じるよう要請した。今年8月、韓国政府が日本と外交交渉を行わないのは憲法に違反するとの韓国裁判所の判断を受けての措置だというが、民主党政権が企む売国法案「戦時性的強制被害者法案」を見据えてのものだろう。今や余程のバカじゃない限り、元売春婦の「強制連行され慰安婦にされた」などとの虚言を信じている者はいないが、何故か日本の政治家にはその余程のバカが多い。

 「戦争とは相手を征服することであり、征服とは相手の持ち物を奪う掠奪である」だという。7世紀に興ったイスラムでは略奪は正しいと教え、最高の戦利品は「女」だった。女を奪い犯すことは、その国家、民族の純粋性を奪い、征服者の血を入れることこそが支配だと信じ、斯くて世界中の民族、国家は万古不偏、この定義に従って戦争して来たのだ。

 13世紀、欧州迄攻め込んだ蒙古人はイランやロシアに混血児を残した。生まれた子供に蒙古系の血が出るとその子は社会から排斥された。米国人もロシア人も、第二次世界大戦に参戦すると英国で400件の強姦をした記録が残されている。ロシア人は第二次世界大戦末にベルリンに侵攻し、僅か半年の間に13万人のドイツ女性を強姦し、うち1万人を孕ませた。8千人は堕児出来たというが、2千人は「目が寄った額の狭いロシア人顔」の混血児を生んだ。欧州戦線では1万4千件の強姦が記録されている。現在も、チベットやウイグル、内蒙古で漢民族の中共軍が相手民族に対し略奪と強姦といった陵辱の限りを尽している。

 無条件降伏した日本でも、米国人もロシア人も残酷に振舞った。民家に押し入り妻や娘を強姦し、抵抗すれば殺した。調達庁の記録では実に2千600人を超える人が殺されたというから言葉も無い。だが、こうした世界とは違った国が在る。それが日本だ。日本だけは日清戦争の昔から掠奪と強姦を軍律で厳しく規定した。日露戦争もその後の支那戦線も、大東亜戦争でも然りで、規律を破った者は厳しく処罰された。しかし、生きるか死ぬかの戦場で若い兵士に我慢を強いるのは逆に統率を失うと、街に在る「遊郭」で息抜きをさせた。その遊郭で働いていたのが慰安婦で、売春婦が戦場迄出張ることは当時は当り前の事だった。

 ジェームスディーンの主演映画「エデンの東」には、開拓時代にワゴンで売春婦が街を巡回する情景が出るが、慰安婦もアレと同じだ。戦場に遊郭を建て兵士に息抜きをさせるのは肝心で、性犯罪を防ぎ、相手民族の尊厳を最低限保つ事でも有ったのだ。こうした日本人の配慮を知らずして、高給に集った売春婦を「従軍慰安婦」と称し、恰も軍が関与し、朝鮮人の女性を強制連行し「性奴隷」にしたとは言語道断。

 1951年から61年にかけ「東亜日報」にUN軍相手の慰安婦募集の記事が載っている。韓国に駐留する国連軍に韓国が国家として慰安婦(売春婦)の提供をしていた事実を報じたもので、此れ即ち、韓国こそ国家ぐるみで他国の軍隊に慰安婦(売春婦)を斡旋しているのではないのか。所謂、従軍慰安婦や強制連行が嘘だとは最早、朝鮮人でさえも判っているだろうに、何故か日本の売国政府だけは知らない。余程のバカに付ける薬は無い。

cordial8317 at 04:18|Permalink

2011年09月14日

日本国憲法の見直しなくして日本の再生はない!

 野田総理が所信表明演説を行った。国造りの理念として、「東日本大震災の復旧・復興と原発事故の収束」「日本経済の建て直し」を最優先課題に挙げ、現在の日本の状況を国難と表した。「福島の再生なくして、日本の信頼回復はない」と福島を持ち上げ、被災者への賠償や仮払いを急ぐ考えを示した。だが、福島県民の一人として言わせて貰えば、被災者への賠償や仮払い如きが福島の再生であり、それが日本の再生だと考えているのであれば本末転倒だ。

 「福島に生まれて、福島で育って、福島で働く。福島で結婚し、福島で子供を産んで、福島で子供を育てる。福島で孫を見て、福島で曾孫を見て、福島で最後を過ごす。それが私の夢なのです」と、野田御得意の地元女子高生徒の総文での創作劇の台詞をパクリ訴えてはいたが、先日の相田みつをの「金魚にはなれねぇんだよ」の内容同様、愚生の心には響くものは無かった。心の琴線に触れるというのはパクリではダメだろう。

 エネルギー対策、円高、財政健全化、社会保障改革、日米同盟、日中関係、拉致問題、北方領土問題とそつなくこなしていたが、組閣同様「均衡」だけを意識した中身の無い様な演説に終始した。雑食のどじょうらしいといえばそれまでだ。勝海舟の「正心誠意」の言葉を引用し、己の愚直さと誠実さを訴えたつもりだろうが、それも何となく愚生には「無難な男」としか感じなかった。何事もそつなくこなす無難な奴が、この国難と言うべき時代を乗り切れるとは思えない。任期を無難に全うすることだけを目指しているだけにしか思えない。

 社会保障改革や財政再建を目指したところで、真の日本再生は無い。国防と教育こそ国家の大本であり、国防と領土保全と防災は一線上に在るという観点から、国家・国民の安全を考えることこそ大事で、それにはやはり日本国憲法の見直しこそ急ぐべきなのだ。昨日の所信表明演説では、国防も教育も憲法の文字も一度も出なかった。

 党綱領も創れない民主党が国家の再生を訴えたところで、所詮は画餅に帰すだろう。「希望と誇りある日本に向けて」と仰仰しく宣った割には、教育論は一切語らず、希望も誇りも持てる内容でもない。野田は「歴史的国難から日本を再生して行く為、全国民が心を合わせて、力を合わせて、この危機に立ち向かおうではないか」と締め括ったが、此れは震災後に陛下が賜れた御言葉のそれと同じ。此れもパクッたのか。

 議論を通じて合意を目指し、真剣に日本の再生を図るなら、与野党一致して憲法論議を活発に行い、戦後政治の総決算として日本人自らの手で新たな日本国憲法を創るべだ。震災復興も大事だが、復興は時間が経てば成し得るだろう。だが、日本国家の再生は時間が解決出来るものではない。

 政治家どもは自己保身、権力欲、偽善、国民不在の政争に狂奔するばかりで、敗戦の汚辱を払拭しようとはせず、国家の大本を米国に委ねていることを恬として恥じ入ることはない。日本精神を失った国民も、「脱原発」を声高に叫んではいるが、人間本然の大切なものを失い、便利という価値観に溺れた人間が、その便利さを放棄出来るとは到底思えない。

 何度も言うが、国家の大本は「国防」と「教育」。野田の所信表明演説にその二つは無い。二つに不可欠なものは「愛国心」であり、愛国心無き国防も、国防無き教育も無い。民主党政権にはこの「愛国心」が決定的に欠けている。国を愛するという心情は理屈ではなく極めて自然な感情だ。女子高生の「福島で生まれて、福島で育って・・・」の台詞も地元を愛する自然な感情で、地元への郷土愛こそ日本人の愛国心の真髄なのだ。

 今こそ「不条理の政治」の象徴である日本国憲法を破棄し、日本人自らの手で憲法を創り、敗戦汚辱の払拭と真の独立を果たそうではないか。それこそ真の日本再生であり、震災復興にも繋がるものだと信じて止まない。



cordial8317 at 09:21|Permalink

2011年09月13日

蓮舫よ、「日本の若者への歴史に関する教育が足りない」とは笑わせる

 蓮舫こと村田蓮舫参議院議員が、北京で行なわれた中国日報社と日本の言論NPOが共催する「第7回北京―東京フォーラム」に参加し、「日本は歴史上に於いて中国を侵略した歴史がある。此れは非常に痛ましい事実。しかし一部の日本人はこれを認めていない。日本の内閣メンバーはたまに中国の人達を傷つける発言をしている。学校にしても家庭にしても、日本の若者への歴史に関する教育が足りないと思う」と、自らの無知を曝け出した。

 教育が足りないのは、蓮舫を始めとした中共に媚び諂う軽佻浮華の政治家どもであり、恥を知るべきだ。

 蓮舫に限らず「日中戦争は日本の侵略戦争だった」と多くの人が思い込んでいる。此れは未だ日本が自虐史観から目覚めていない証左だ。

 果たして日中戦争(支那事変)勃発前はどういう状況だったのだろう。当時、支那の新聞の大勢は「日本をやっつけるべし」という対日主戦論が幅を利かせていた。主戦論には、3つのグループが在り、一つは過激な知識人・学生・都市市民で、二つ目は中国共産党、三つ目は地方軍閥である。

 共産党と軍閥は、知識人などに主導された過激世論を味方として、蒋介石政権に対しての立場を有利にしようと狙っており、特に共産党は「反日」を最大の政治的武器として使っていて、昭和6年(1931年)11月に江西省の瑞金に成立した中華ソビエト共和国は、毛沢東の名により日本に対して「宣戦布告」を発している。

 この様に何時、何処で日本攻撃が起っても不思議ではない状況の下、昭和12年(1947年)7月7日に「盧溝橋事件」が起った。実は共産党にとって当時の状況は深刻で、西安事件により蒋介石は共産党攻撃を中止し、共産党と協力関係を作ることを約束した。

 しかし、その後蒋介石は次々に厳しい条件を突き付け、この窮地に大博打を打って出たのが共産党だった。

 国民党軍の中に大量に潜り込ませていた共産党軍に反日を煽り、それに紛れて発砲事件を7月7日22時40分に起こしたのだ。中国共産党がこの事件を起こしたことは今や100%明らかなのだ。

 発砲事件の翌8日に共産党は、中央委員会の名で長文の電報を蒋介石や全国の有力者、新聞社、団体に発信している。日本軍は8日午前5時30分に初めて反撃を開始したのだが、当時の通信事情からしても8日に初めて反撃したのに、8日に公式電報を作成し発信することなど絶対的に不可能なのだ。

 その証拠が存在する。支那派遣軍情報部北平(北京)支部長・秋富大佐は事件直後の深夜、天津の特殊情報班の通信手が、北京大学構内と思われる通信所から、延安の中共軍司令部の通信所に緊急無線で呼び出しが行われているのを傍受した。

「成功した」と3回連続反復送信していたという。その時は此れが何を意味するものか解らなかったというが、今ではそれが「盧溝橋事件」の明らかな証拠となった。謀略が成功したことを延安に報告し、早速延安では電文作りが行われたのだ。

 郷土の誇り田母神さんが有名になった論文の冒頭には、「中国との戦争については中国の本土に軍を進めたのだから侵略だ、と思い込んでいる人が意外に多いようだ。しかしこれは完全な間違いである。条約に基づいて他国に軍隊を駐留させることは国際法的に全く合法であり、侵略ではない。日米安保に基づき日本に米軍が駐留しているのは(好き嫌いは別として)侵略ではないのである。逆に合法的に駐留している米軍を自衛隊が攻撃して戦争になった場合、それが日本国内で戦われたとしても、侵略者は日本ということになるのである。日本は『北京議定書』に基づき在留邦人保護のために軍隊を駐屯させていた。盧溝橋でその日本軍を攻撃してきたのが中国軍である。また上海で日本人保護のために合法的に駐留していた海軍陸戦隊に、正規軍10万人で一方的に攻撃を仕掛けてきて、日中戦争は本格化した。何れも中国軍が仕掛けたことであり、侵略者は日本ではなく『中国』なのである」と実に分かり易く述べられている。

 支那事変の原因となった「盧溝橋事件」は中国共産党が起こした謀略というのは世界の常識。

 日本国民は「日中戦争は日本の侵略だった」などという中共や米国のプロパガンダを鵜呑みにしないで、戦争の発端となったこの事件の「真実」を知るべきであり、それを知らずに態態北京へ出掛け、「日本の若者への歴史に関する教育が足りない」などと中共を持ち上げ、自虐的歴史認識を垂れ流した村田蓮舫は、国会議員の資格無し。早々に政界を引退し、お笑いタレントにでも転職したら如何だろう。


cordial8317 at 06:52|Permalink

2011年09月07日

満州事変の起因となった柳条湖事件勃発から80年

 靖國神社の会報が「秋季例大祭」の案内状と共に届いた。会報のコラム「靖濤」を毎回楽しみにしているが、今月は、満州事変の起因とされた柳条湖事件の逸話が書かれていた。(以下転載)

 満州事変を戦後の偏向した史観で言えば「昭和6年9月18日、柳条湖に於いて、我が国が運営していた南満州鉄道の線路を関東軍が爆破し、此れを張学良軍の仕業として戦闘を開始、満州全域を占領して傀儡国家・満州国を建国した」ということになろう。

 昭和7年、国際連盟はこの事変究明の為「リットン調査団」を満州に派遣。

 その報告書では各国の思惑通り関東軍の行動を正当な自衛行動と認めなかったが、翻ってこの事変の誘因を満州と中華民国の混乱と内乱に在るとし、「満州に於ける諸問題は極度に複雑だから、この事変は単に一方的に侵略したという簡単な事件ではない。

 何故なら満州は、世界の他の地域に類例を見ない様な多くの特殊事情が在るからだ」と確信している。

 こうした認識の背景には、日露戦争後の正当な権益である租借地と、満鉄経営に対する不当な鉄道妨害や抗日活動、或いは日本人迫害が長期に亙って続いていた事実を、リットン調査団が十分に把握していたからであろう。

 更に日本の権益については「日本人にとって対露戦争とは、ロシアの侵略の脅威に対する自衛戦争、生死を賭けた戦いとして永久に記憶され、この一戦で10万人の将兵を失い、20億円の国費を費やしたという事実を決して無駄にしてはならないという決意をさせた」と言及している。

 日本本土も含めた自存自衛と膨大な投資を行った権益保持、そして在留邦人の生命を守る為には、満州を紛乱した中華民国から切り離して安定させるしかなかったという、事変に至る日本の偽らざる動機の一端を、この報告書の記述は正確に伝えている。

 米国の元中華民国公使ジョン・マクマリーの「日本の安全保障の為には朝鮮半島と満州の安定が必要不可欠であった」といった要旨の言説に見られる様に、欧米の識者の中には事変直後から、日本の立場をある程度擁護する意見が少なからずあった。

 この9月は、満州事変の起因となった柳条湖事件勃発から80年を迎える。新旧史料を精査し、史実の研究は怠ってはならない。

cordial8317 at 08:07|Permalink

2011年09月06日

福島県内は三月末だった地上デジタル放送化が・・・

 未だに我が家ではブラウン管の分厚いテレビだ。福島県は東日本大震災の影響を考え、全国で行われた地上デジタル放送化を来年の3月末まで延期するという配慮がなされた。7月24日の地デジ対応に備えなければとあれやこれやと考えてはいたが、移行時期が来春まで延期されたのは不如意の愚生には有り難い措置だ。それが昨日、よもやの事態に陥った。

 半月程前、発注者・ビックアイ管理組合と施工者・県中通信情報設備協同組合から、「ビックアイ電波障害対策加入者・各位」へとした、「引き込み線撤去工事」を行う旨の通知書が届いた。そして昨日、工事関係者が来て、「これから工事をしますので」との挨拶を受け、30程で工事は終った様だった。別段気にも留めなかったが、その後、昼のニュースを見ようとテレビを付けると、何と画像は砂嵐状態で全く見れず。驚いて、関係者へ問い合わせをすると、「もうアナログは見れませんよ。見れないのはこっちは関係ないし、テレビを買うしかないでしょ」との横柄な対応。怒りを抑え、「工事をするのは分かっていたが、工事でテレビが映らなくなるなんて聞いてないし、福島県内の移行は来年三月末なのでは?」と質すも、「もう随分前からビックアイ側と業者の間で決まっていたことですから」と自分らの仕事を優先し、此方の話しは全く聞く耳を持たず。

 偉そうな言い分に怒りが込み上げ、「アンタは責任者か?」と怒鳴ると、「今から行くから!」ってな台詞を吐かれた。暫くして、来訪のチャイム。「アンタがさっきのYさんか?」と聞くも電話の対応とは全く違い神妙な表情。「テレビを買えってどういうことよ?」「いや、そんなことは言ってません」「まぁそんなことはどうでもいいが、工事をするとテレビが映らなくなるなんて聞いてないし。きちんと言うべきでしょ」と諭すと、「申し訳ありません。唯、前から決まっていたことですのでどうにもならないんです」「ウチだけ止めるってのは出来ないの?」「それは出来ません。この一帯全てでやらなくてはダメな工事なんです」「そりゃ可笑しいでしょ。国の方針が来年三月末って決めたのに。ビックアイ側と組合で対応を見直せば済むことでは?組合長は誰なの?」と聞き出すと、何と郡山商工会議所の大槻副会頭の倅だという。他にも組合には電気工事会社の歴歴がずらり。

 震災での情況を鑑み、東北三県の移行期を伸ばしたのはありゃ何だったのか。要は地上デジタル放送化なんてのは、テレビ局や業社の金儲けの道具に、物言わぬ国民が利用されてるだけだろう。誰でも彼でも薄型テレビ。貧乏人ほど大きな画面の物を欲しがるのは滑稽というより哀れだ。「テレビを見るな」というならそうしよう。現在の日本のテレビ放送なんぞ何の役にも立たないし、見れば見るほどバカになるだけ。大体、テレビ局が無くなれば消費電力が抑えられるし、国民に節電を強いることも無くなるし、一石二鳥だろう。テレビ局こそ輪番制にしたら良いし、NHKなんてのは解体させるべきだ。

 地デジ化延期の措置が、こうしたことで蔑ろにされるとは夢にも思わなかった。急遽、デジタルチューナーを付けてはみたが、今度は録画が撮れなくなった。結局、ジャパネットたかたで新調するしかないのだろうが、何かしっくりしない。



cordial8317 at 07:24|Permalink

2011年09月03日

野田総理よ、そんなに党内融和が大事か!

 皇居での任命・認証式を経て野田内閣が発足した。党内融和を掲げただけに、党内バランスを優先した顔ぶれになった。外相に玄葉光一郎が就任したことは福島県民にとっても喜ばしい限りだ。県人の外相は、「総理の椅子を蹴った男」として名を馳せた、会津人・伊藤正義以来実に31年ぶり。「日本外交の責任者として、我が国の国益の為に全力を尽したい」との意気込み通り、歴史に残る様な外交戦略を全うして欲しいものだ。

 玄葉外相は会見で「アジアのリスクを最小化したい」との趣旨を語っていたが、この意味は一体何を示しているのだろう。政権延命の為には要らぬ中・韓との問題は避けたいという意味なのだろうか。野田首相も早速記者会見で、首相在任中の靖国神社への参拝について「これまでの内閣の路線を継承して、首相、閣僚は公式参拝はしない。国際政治等々、総合判断をすることで、そうしたことが必要だろう」と、野田内閣として参拝はしないと表明した。こうした措置がアジアのリスクの最小化なら、それは弱腰外交そのものだ。

 野田は小泉純一郎の靖国神社参拝が論争となっていた当時、民主党内ではA級戦犯合祀を理由に参拝を批判する見解が多い中で、「A級戦犯と呼ばれた人たちは戦争犯罪人ではない。戦争犯罪人が合祀されていることを理由に首相の靖国神社参拝に反対する論理は破綻しているが、小泉総理の見解ではその論理を反駁出来ない」と批判していたではないのか。外交とは譲歩することでもないし、譲歩は更なる譲歩を生み出すだけで、外交での摩擦を避けていては真の友好は生まれない。

 「言うは易く行なうは難し」というが、靖国参拝自粛は、野田の政治信念の無さを露呈したばかりか、保守政治を期待していた国民を裏切った。野田は小泉に「参拝の是非は国際政治的な利害を踏まえてなされるべきもので、誤ったA級戦犯理解に基づく是非論はA級戦犯とされた人々の人権侵害であり、人権と国家の名誉に関わる問題である」と論破していたが、小泉よりも劣るではないか。参拝自粛要請が国際政治を踏まえたものなら、それは詭弁であり、それこそ国際政治などクソ喰らえだ。

 野田は「安全保障基本法」「緊急事態法」の制定を主張し、「永住外国人地方選挙権付与(外国人参政権)法案」には明確に反対しているが、此れも翻意してしまうのではないだろうか。日教組のボス・輿石の幹事長就任や多くの外参権付与賛成派の大臣就任で、中・韓を巻き込んで売国政策が復興計画に秘されつつ、実行されるのではないだろうか。監視を怠ってはならない。

 政治家に求められるのは、一般国民とは比較にならない様な教養、国家観、歴史観、世界観で、野田には少なくてもそれが在ると思っていたが脆くも裏切られた思いだ。就任の挨拶を見る限り、政権の延命工作と保身が見え見えで、靖国神社参拝自粛要請は国家観も歴史観をも否定するものだ。民主党への不安と自民党への不満は極に達している今、靖国の下に政界再編が成され、国家観を共有する保守政党の出現を願って止まない。

 野田は「福島の再生なくして日本の再生はない」と、沖縄返還当時に佐藤栄作が言った「沖縄が帰らずして戦後はない」との名言を髣髴する言葉を発し、国民の胸襟を擽った。福島の復興は吝かではないが、国が滅んで福島も有るまい。野田新総理に求められるものはパフォーマンスではなく、保守政治家としての気概と実行で、党内融和なんぞより、党内左派を懐柔すべし。



cordial8317 at 09:13|Permalink

2011年09月02日

菅の「最後っ屁」は、北朝鮮に忠誠を示す計画的犯行だ!

 菅直人が先週末に来県し、とんだ置き土産を残していった。放射線量が高い地域は長期間に亙り帰宅は困難だとの認識を示し被災者を落胆させると同時に、放射線物質が付着した瓦礫などの廃棄物の中間貯蔵施設の県内設置を要請した。此れに対し、佐藤雄平知事は「何ですかそれは!」と憤怒したが、多くの県民も知事と同じ気持ちだったろう。佐藤知事が怒りを露にしたように、県民として、原発事故に加え、更に負担を強いる廃棄物施設設置に素直に応じることは出来るものではないが、冷静に考えれば県内設置は致し方ないだろう。要は、事前の段取りもせず、唐突に要請した菅首相のやり方に対する不満が、混乱に拍車を掛けているのだ。こうした問題は、辞任間近の首相が言い放つ問題ではなく、新政権に委ねるべきだ。

 菅は同じ様に辞任間近のどさくさ紛れに、朝鮮高校への無償化適用を指示した。それも4月に遡って支給するというから「思いつき」というより、北朝鮮に忠誠を示す菅の計画的な犯行だ。拉致家族会を始め、たちあがれ日本や自民党、身内の民主党・拉致議連からも抗議の声が上がっているが当然だ。菅の行動は「最後っ屁」と揶揄されているが、正しく無償化指示は菅の悪足掻きと断じざるを得ない。朝鮮高校への無償化に対する対応が野田新政権の試金石になるだろう。

 反日教育を徹底する朝鮮高校への無償化など言語道断。譬え授業料を無償化したところで、その浮いた金は北朝鮮本国へ流れるだけで、金一族の延命を手助けするだけだ。支那人留学生への手厚い高額補助に比べれば屁の様な金額だろうが、無償化適用より拉致問題解決が先決だ。早速、北朝鮮は日朝関係改善の見通しとして「新政権の出方次第だ」と牽制しているが、党内融和を掲げる野田新政権が、菅の無償化指示を撤回するとも思えない。支那人留学生の厚遇も、朝鮮高校無償化も、明らかな憲法違反、即刻中止すべきだ。因みに私学助成金も憲法違反だが、政治家は見て見ぬ振りするばかり、朝鮮高校無償化を機に憲法論議を活発化させよ。

 北朝鮮が異常且つ極めて危険な国家であることは誰もが認めるところだ。正式名称は「朝鮮民主主義人民共和国」。しかし民主主義でも人民の国でもなく「金一族」の個人独裁の世襲全体主義国家だ。日本人や外国人を拉致監禁し、ニセドル紙幣を偽造してはバラ撒き、覚醒剤を製造密売し、ミサイル等の武器を輸出し資金調達している世界の癌だ。 中共同様、共産主義に内在し悪の本質が体制化したヤクザ国家。何十万の餓死者が出ても歯牙にもかけず弾道ミサイルを開発し、核開発に狂奔しているが、こんなヤクザ国家の子供らを手厚く保護し、国交を快復しようなどとは狂気の沙汰と言う他ない。



cordial8317 at 07:39|Permalink