2011年02月

2011年02月28日

文章の極意は難解なものは易しく、易しいものは格調高く(伊藤仁斎)

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 儒学の「論語」「孟子」の薀蓄は、浅学な愚生には哲学的過ぎてチト理解し難いものがある。やはり支那人の儒学だからだろう。

 この支那の儒学を「日本の儒学」に確立した人物が伊藤仁斎だ。

 仁斎の儒学は、同じ儒学の朱子学とは一線を画し、庶民でも理解出来る様に、より易しく説いている。

 「読書百編義自(おのずか)ら見(あらわ)る」として「論語」「孟子」を読むのも良いが、儒学の入門書として「童子門(どうじもん)」に優るものはない。

 真理の道は仁・義・礼・智であり、聖人(孔孟)は善を成し、悪を遠ざけ、徳を磨く様に勧め、忠・信、敬・恕も人間の本性の善を維持する拠り所なのだ。

 「童子門」では、「仁」とは、徳のうちでもっとも最大最高のものである。

 これを一言でいうなれば、愛そのものである。それは君臣の関係に於いては義といわれ、父子では親といわれ、夫婦では別といわれ、兄弟では序といわれ、朋友では信といわれるが、みんな愛から発したものである。(三十九条)と実に分かり易い。
 
 伊藤仁斎は、寛永四(1627)年京都の材木商の子として生まれた。石田梅岩と同じ町人出身ということが影響し、その教えは実に分かり易いものが多い。

 仁斎が登場するまで、日本の儒学は朱子学の独壇場であったが、仁斎はこれを孔孟説を歪曲するものとして「論語」「孟子」に戻ることを提唱したのである。

 朱子学全盛の時代に「論語」「孟子」以外は無用というのも勇気ある提唱だろう。

 「論語」も「孟子」の両書とも、各章悉く薀蓄のある名句が並ぶが理解し難く、隔靴掻痒の感を拭えないが、仁斎の「童子問」を読むと孔孟の言葉が理解した気になるのは不思議だ。

 伊藤仁斎こそは、大陸の儒学を「日本の儒学」として確立した人なのである。

 今日でも大学教授らが書いた書物に目を通すと、やたら難しい言葉を羅列し、自分に酔っている輩が多く、結局何を言いたいのか分からないものばかり。

 仁斎はこういうものを「邪説」を振りまく輩と喝破し、「難解なものは易しく、易しいものは格調高くというのが、文章の極意」と説く。

 弟子に「先生の説はあまりにも卑近過ぎて平俗過ぎるのでは」と問われ、答えて曰く、「卑近で平俗ということは常識ということである。常識こそ真理なのだ。難しくて高邁なものは空理空論である。学問とは世の為人の為に役立つものでなければならないのだから、卑近であるのが当然である。日常生活を軽視する者は、道を究めることは出来ない。」(二十四章)

 「童子問」を読むと、解り難かった儒学が親しみ易くなるのは、これこそ仁斎の趣意であり、日本儒教と謂われる所以なのである。

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2011年02月25日

我ら三人、死んだ後にオリオンの星になろう!

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 防共挺身隊初代総隊長・福田進著「日本人と油虫」に次の様な一節が在る。

 「俺はまだアラブを知らない。アラブでは夜空に輝く星が、今にも落ちて来るのじゃないかと思うくらい綺麗なんだってな(略)連合赤軍の兵士てえ自称する、共産主義の三匹の油虫のアンチャンは、イスラエルの空港で好き勝手に暴れ回ってユダ公をぶっ殺した。(略)生き残った一匹は『我々三人は死んだ後オリオンの三つの星になろうと考えていた』その言葉は稚拙ではあるが荒廃した日本にはないロマンを感じさせるんだなあ。アラブという国が、日本青年をして死を覚悟するまで革命に駆り立てる何かがあるとすれば、俺も夢多き一人として一度アラブへ行って見たい衝動に駆られる。きっとアラブの夜空に燦然と輝くオリオンの星が、油虫の俺を魅きつけるのかも知れない・・・ 」

 国士舘大學時代この本に出会い、何時の日か自分もアラブに行きたいと思ったが未だ実現出来ないでいる。そんなアラブの情勢が緊迫し、リビアの最高指導者カダフィ大佐が窮地に追いやられている。右翼人だからという訳ではないだろうが、カダフィやゲバラ、カストロといった革命家や愛国者には共鳴を覚える一人だ。チェ・ゲバラの様な革命家に出会っていれば、行動を共にしたに違いない。ゲバラもカストロも共産主義者だが愛国者だ。世界には多くの左翼がいるが、その多くは愛国者だ。日本の左翼の様な売国奴は世界でも稀で珍現象の一つだろう。

 カダフィは独裁者といわれるが、政権掌握後にもリビア最高指導者と君臨しながらも、エジプトでの革命に成功したナセル大佐に憧れ、大統領という呼称を使わず「大佐」の肩書きを通している。日本のマスコミは、独裁政権と糾弾し反体制デモに加担するが、独裁政権は何もリビアに限ったことではない。北朝鮮は金一族の独裁だし、支那も中国共産党の一党独裁ではないか。

 日本のマスコミからこれらの国の独裁を糾弾したことなど聞いたことは無いし、「独裁」が悪で「民主主義」が正義などという欺瞞はアラブには通じない。モロッコを旅した畏友から聞いた話しでは、アラブには「無政府状態よりも百年の独裁(圧制)の方がましだ」との格言が在るそうだ。イラクやアフガニスタンの現状がそれを如実に証明しているではないだろうか。

 アラブは、部族社会や国境を接した人々が入り混じり、一民族で構成されている訳ではなく、人の物を盗んでも罪の意識もなく、物を壊しても決して謝らず、優先されるのは国益よりも家族、部族の利益で、アラブ人というのは、砂漠の民、遊牧民だというし、それは市民だけではなく、空港の税関職員も公務員や警察、軍隊も皆同じ感覚の人が集まっているという。それがアラブのアラブたる所以なのだ。

 カダフィ大佐は、この窮地にも「リビアを去らない。殉教者としてこの地で死ぬ」と言明し、反体制デモの鎮圧を指示し、中共の天安門事件に言及し「天安門事件が起きた時、戦車が投入された。此れは冗談ではない」と警告した。果たして今回の騒乱がどの様な結末を迎えるのか定かではないが、カダフィが武力によって民衆を鎮圧しても、天安門事件を黙殺し支那の民主化を妨げた曲学阿世のマスコミにそれを責める資格は無い。

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2011年02月22日

今日2月22日は「竹島の日」です

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 昭和27年1月、韓国初代大統領の李承晩は国際法を無視し、突如として軍事境界線、所謂「李承晩ライン」を設定し、日本領土の竹島を取り込んで韓国領と宣言した。占領下で無力な日本の立場を見透かし、泥棒猫の様に竹島を掠め取ったのである。日本の主権が快復される3ヶ月前のこの行為は明らかな侵略行為であり、断じて許されるものではない。

 戦後、李承晩ラインを侵犯したとして拿捕され、抑留された日本人漁民は日韓漁業協定が成立する昭和40年(1965年)の間に3929人に及び、船舶328隻、死傷者は44名を数えた。韓国政府は日本人抑留者との引換えに、日本国内で犯罪を犯し収監されていた在日朝鮮人472名の放免と日本滞留特別許可を要求し、日本政府は已む無くその要求に応じた。それ以降在日がゴキブリの如く殖え続け、在日特権が次々と与えられていく。

 韓国が主張する根拠は、三国史記という古代朝鮮の歴史書に鬱陵島の隣の干山島が新羅の領土と書かれていることに帰着する。4~5世紀から韓国領だったというのだが、古地図では干山島は鬱陵島の西に接近していて、竹島は、鬱陵島の東南92キロに在るのだから、干山島が竹島ではないのは誰にでも理解出来よう。抑抑、李氏朝鮮時代には鬱陵島すら空島政策によって居住が禁止されており、それより遥か先の島のことなど関心も認識も無かった。日本では徳川時代から魚採が行われ、度々渡航していた事実があり、竹島は明らかに日本領土なのだ。竹島問題を紛らわしくしているのは、日本では当時鬱陵島を竹島と呼んでいたことぐらいなものだろう。

 昭和29年9月25日、日本政府は、この問題を『国際司法裁判所』に付託することを提議したが、韓国政府は未だに応じていない。応じていないというより、応じられないというのが本音だろう。また、昭和26年に韓国がアメリカ政府に対し、ポツダム宣言の解釈として「日本が放棄した領土には竹島(独島)が含まれるべきである」と要求したが、次の様に回答されている。

 「独島、又は竹島ないしリアンクール岩として知られる島に関しては、この通常無人島である岩島は、我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことは決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐支庁の管轄下にあります。この島はかつて朝鮮によって領土主張がなされたとは思いません」(ラスク国務次官補より梁韓国大使宛書簡、1951年8月10日付)

 領土問題が未だ解決の曙光すら見えないのは何故なのか。思うに、領土そのものの重要性に対する認識不足、如何に不法占拠されたのかという真相把握の欠如、そして相手国への認識の甘さ、更には歴代の政府や国会が領土主張を疎かにしてきた結果であり、事の重大さを認識し、実力行使も辞さない覚悟で抗議と返還要求を断行すべし。

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2011年02月19日

似非環境保護団体のテロに屈し、調査捕鯨中止!

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 政府はシーシェパードの反捕鯨の活動に屈し調査捕鯨を中止した。似非環境保護団体の妨害活動に屈し調査捕鯨を中止するとは言語道断で、尖閣諸島事件に続いてまたもや外交での汚点を残したのは間違いない。大した反論や抵抗もせず「乗員、調査船の安全確保の観点から中止する」との詭弁は、腰抜・軟弱・弱腰外交以外の何物でもない。

 地球上の鯨類が年間に捕食する魚類の総量は2億5千万トン~4億トンだという。一方、地球上の漁師の漁獲量は約1億トン。「鯨飲馬食」と言われるほどに食欲旺盛な鯨類が増え過ぎれば、人間が食料にしている水産資源も脅かされる事となろう。

 また急激な人口増加も懸念され、貴重なタンパク源の補給として鯨を捕獲する様になるのではなかろうか。それが現実となった時に果たしてシーシェパードが妨害活動をするのかは疑問だ。要は日本なら何をやっても大丈夫だと高を括られているだけなのだ。シーシェパードの執拗な妨害活動は白豪主義に根差した日本人否定、日本人蔑視の人種差別活動以外の何物でもない。

 日本で商業捕鯨が本格的に始まったのは江戸時代の初期の1606年に遡る。紀州(和歌山)の太地で開始された商業捕鯨はやがて全国に広まり、それと共に鯨を食する習慣も全国に広まった。松尾芭蕉の句「水無月や 鯛はあれども 塩鯨」という様に、塩付けされた鯨の肉は江戸庶民の大切なタンパク源で、大衆食として愛された。

 19世紀初頭には「鯨肉調理方」という本が出版されているが、鯨食というのはそれだけ普及していたのだ。今でも、北海道や東北では正月に「鯨汁」を食しているし、「ハリハリ鍋」にしている地域もあるし、大阪のおでんにはコロ、サエズリ、オノミといった具が入る。

 反捕鯨の連中は、鯨食を「ゲテモノ」扱いしたり、「戦中戦後の食糧難時代に止むを得ず広まったもの」だとか、或いは遠洋漁業は「鯨油を採る目的だ」などと愚にも付かない反論をしているが、それは欧米の捕鯨は、皮だけ剥いで鯨油のみを採るやり方だから、それと勘違いしているものが実に多い。

 日本は単に食するだけではなく、鯨の髭は文楽の人形に使い、骨は櫛などの工芸品となっている。漁師達は鯨塚を作り供養も行っていたし、捕鯨問題の背景には、こういった日本の伝統的鯨文化の問題も有り、反捕鯨は日本文化の否定でも有るのだ。

 スポーツハンティングで原住民のアボリジニを殺してきたオーストラリア人らが今更「鯨を食うな」とは笑止千万。尤も、オーストラリアに移住した白人は犯罪者が大半を占め、「白豪主義」を以って徹底した移民政策と人種差別政策を続けた。シーシェパードはその悪しき伝統を受け継いでいる子孫と思えば合点がいくというものだ。

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2011年02月18日

野合民主党、崩壊の序章

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 民主党に会派離脱を衝き付けた16名は「菅政権は国民との約束を果たす本来の民主党政権ではない」と宣言文に記し、多くの民主党議員がそう感じていると尤もらしくホザいているが、党方針への公然の反旗は権力闘争以外の何物でもない。

 民主党政権誕生は、マスコミが垂れ流した「政権交代」というバンドワゴン効果と、民主党マニュフェストのばら撒き政策に集(たか)った愚民が支持した結果だ。16名の反乱分子は「国民との約束」というが、民主党に一票を投じた有権者の殆どは、民主党の胡散臭さに気付き、民主党に「三行半」を衝き付けている。そうした事に対してどういった認識を示すのか。会派離脱の正当性を示したところで、その堅白同異の詭弁を信じる国民はいない。次期総選挙に向けて支持基盤の弱さから、党内実力者の小沢を擁護し、小沢からの支援を期待した自己保身見え見えの行動で、こうした徒党が「国民の為に」とは実に痴がましい。

 民主党は最早政権政党として体を成してはいない。身内からの事実上の退陣要求は党分裂の序章であり、菅政権が一層窮地に立たされたのは間違いない。小沢は最近「三月危機説」を公然と言い触らしているが、此処に来ての小沢派といわれる16名の造反は、「三月危機説」を裏付けるものだろう。ねじれ国会で、予算関連法案は小沢の協力無くして成立出来ない。こうした小沢の脅しに屈し、菅が小沢に禅譲することは有得ず、そうなればやはり解散総選挙しかないだろう。「政治空白は作るべきでない」との意見も有るが、民主党政権がずるずると続くよりは余っぽどマシだ。

 小沢は今回の会派離脱の行動に対し「知らなかった」と惚けるが、国民からすれば、小沢の意を汲んだ子分らが政権打倒に動いたものとしか感じていないだろう。小沢のこうした旧態依然の政治手法に多くの国民は辟易している。

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幕末の思想家・佐久間象山

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 佐久間象山は愚生と姓が同じということもあり、気になる歴史上の人物の一人だ。

 その尊大な物腰から毀誉褒貶相半ばする人物として知られているが、言動はともかく幕末に於ける最高の思想家には違いない。象山は自ら「天下の師」を任じ、その態度は人を見下す倣岸不遜な人物だったという。身長五尺八寸、道行く時は萌黄色の五泉平の馬乗り袴を穿き、黒文字肩衣に白縮みの帷子を羽織り、備前長光の白柄の太刀を差していたというから、まるで自己顕示欲の俗物が歩いている様なものだ。その為か、元治元年(1864)7月11日、京都三条木屋町で「人斬り彦斎(げんさい)」こと河上彦斎に暗殺された時も、象山が仕えていた信州松代藩では誰一人として同情する者もなく、佐久間家は断絶の処分を受けたというから、地元でも嫌われていたことが分かる。だが、その暗殺者河上彦斎は象山を「絶代の豪傑」と呼び、幕末の傑物、山岡鉄舟は「人傑」と慕っていた。吉田松陰は象山の弟子で、ペリー艦隊への渡航計画を企てたのも象山だった。その為、松陰が縛についた時、同時に象山も連座して同罪となり、国元で蟄居することになる。

 その時書いた「省けん(侃の下に言)録」というものがある。(省けんとは、過ちを省みるという意味)その中の一つに次の様な一節がある。

 『君子には五つの楽しみがある。一つは、財産や地位とは関係なく、一族の者が皆礼儀を心得て、親子兄弟の間に不和が無いこと。二つは、金品の授受をいい加減にせず、心を清く保ち、内には妻子に恥じず、外には民衆に恥じないこと。三つは「聖学」を学んで天地自然や人間の大道を心得え、時の動きに従いつつも正義を踏み外さず、危機に際しても平時と同じ様に対処出来ること。四つは、西洋人が科学を発達させた後に生まれて、孔子や孟子の知らなかった処の「理」を知ること。五つは、東洋の道徳と西洋の芸術(技術)と、この両方について余すところ無く詳しく研究し、これを民衆の生活に役立て国恩に報ずること』

 この教えが後に「和魂洋才」となって、アジアで唯一の近代化を成し遂げることが出来るのである。思えば敗戦後の日本は、この和魂、つまり伝統的精神を忘却しているところに今日の悲劇が有るのではないだろうか。

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2011年02月14日

石田梅岩(いしだばいがん)という人を知ってますか?

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 日本人は勤勉な国民だと言われて来た。何故勤勉なのかと問えば、多くの人は「貧しかったから」だという。だが日本より貧しい国は沢山在るが、それらの国民も勤勉かといえばそうとは限らない。日本人の美徳とされたものに「勤勉と貯蓄」というものが有るが、それを提唱し、生活思想に高めた人物が「石田梅岩」その人なのだ。

 学者(学ぶ人)は、知識よりも心を磨くことを先にしなければならない。心を磨けば自らの行いを慎み、自らの行いを慎めば「礼」に合致し心は安らかとなる。心の安らかなのが「仁」である。仁は天に備わる根本の「気」である。天の気は万物を生み出して養育する。この心を会得することが学問の初めであり終わりでもある。

 石田梅岩は「石門心学」の祖といわれているが、現在この「石門心学」は然程知られていない。武士も大名も学んだが、梅岩自身が商人の出ということもあり「町人哲学」といわれ、今日でも関西では「事業に行き詰まったら梅岩を読みなはれ」と「都鄙問答(とひもんどう)」と「斉家論(せいかろん)」は経営者のバイブルとなっている。

 江戸時代にあって商人は「士農工商」の最下位に置かれ「金儲け=賤しい」と軽蔑の対象にあった。商人の役割について「余ったものを足りない所に送り社会全体を過不足なくすることだ」といい、倹約の公共的な経済効果を打ち出した。「倹約」は「ケチ」とは違う。「ケチは、貯めたカネを後で贅沢しようと思うことで、倹約は社会の為我慢することだ」

 現在の経営者に至ってはケチが多い。3度のメシを2度に減らしてはいるが、その減らした分を足らない所や頑張っている人を助けてやれば良いものを、後で自分で食べたりバカ息子に譲ったり。日本の景気低迷の一因は経営陣のこうした心の乏しさも有るのではないだろうか。

 梅岩の終局の目的は、日常生活の仕事を通して「人格修行」をする処にあった。その答として、梅岩は「ボウフラは人を刺さない。だが蚊になれば人を刺す。此れは蚊に人を刺してやろうという心が有るからだ。また蛙は蛙だから蛇を怖がる。つまり全ては心が決める」と独自の見解を述べた上で更にこう付け加える。「即ち心とは形となって表れる。何かの形は、そのものの心を表している。

 従って正しい行いをしたければ、先ず正しい心を持たねばならない」。此れが梅岩の「心学」と云われる所以である。そこで得られる結論は、簡単に言えば「らしく」ということなのだ。武士は武士らしく、農民は農民らしく、商人は商人らしく、夫夫の形に合った道が有りその役割と責任を果たすことによって、社会の秩序安寧を保つというものである。

 「自分らしく」生きる。日本人の勤勉さは、先人のこうした教えによるものを連綿と受け継いでいる。

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2011年02月13日

戦友別杯の歌

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 言うなかれ、君よ、わかれを、

 世の常を、また生き死にを、

 海原の はるけき果てに、今やはた 何かを云わむ、

 熱き血を捧ぐる者の

 大いなる胸を叩けよ、

 満月を盃にくだきて暫し、

 ただ酔いて勢へよ、

 わが征くはバタビアの街、

 君はよくバンドンを突け、

 この夕べ相離るとも かがやかし南十字を 

 いつの夜か、また共に見ん、

 言うなかれ、君よ、わかれを、

 見よ、空と水うつるところ、

 黙々と雲は行き雲は行けるを。

                        ※大木惇夫(おおきあつお)

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2011年02月11日

本日は建国を偲び、国を愛する心を涵養する日

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 本日は建国を偲び、国を愛する心を涵養する「建国記念の日」である。戦前は四方節(元旦)、天長節、明治節、紀元節は四大節として、宮中皇霊殿で天皇親祭の祭儀が行われ、各地で神武天皇陵の遙拝式も行われた。現在、紀元節の祭祀だけが行われていないが、戦後占領政策の「神道指令」の名残りであり、早急に見直すべきであろう。

 明治22年2月11日の紀元節の日に『大日本帝国憲法(欽定憲法)』が発布され、憲法発布を記念する日でもある。以来、全国の神社で紀元節祭を行うこととなり、青年団や在郷軍人会などを中心とした建国祭の式典が、各地で盛大に開催されることになった。

 第二次世界大戦後の昭和22年、日本国憲法にふさわしい祝日の法案に紀元節が「建国の日」として盛り込まれていたが、連合国軍最高司令官総司令部により削除された。日本が国家主権を回復した昭和27年に漸く復活運動が起き、昭和33年に国会への議案を提出、昭和41年に祝日法が改正され「建国記念の日」となる日を定める政令として再制定され、昭和42年2月11日「建国記念の日」として実施され、今日に至っている。

 本日は全国各地で、神武天皇陵の遙拝式や奉祝パレードが行われる。しかし、この日は「科学的根拠がない」「軍国主義復活反対」などとして、蛆虫・共産党を始めとした売国団体が「奉祝反対」の催しも行うが、連中に日本人としての誇りなど微塵も無い。

 誤憲(護憲)を叫ぶ連中が、憲法に基き制定された日を蹂躙しているのは笑えるが、連中の主張する「科学的根拠が無い」とする論拠が、歴史学者としての三笠宮崇仁殿下の「紀元節祭復活は科学的根拠に欠ける」と皇居皇霊殿での祭祀に反対している意見を利用していることは困ったもので、左翼はこういったものを利用して国民世論や大衆を煽動するのは常套手段だ。

 誰もが誕生日を祝うのと同じ様に、国の誕生を祝うのは当然であり、民族の信念と道統を受け継ぎ、此れを護持し、此れを宣布し、そして子孫に伝える責任と使命を有する者、それは我ら日本人である事は言うを俟たない。神武肇国の大理想「八紘一宇」を掲げ、天皇国日本の真姿開顕へ奮闘前進しよう!

 歌曲「紀元節」

伊沢修二作曲、高崎正風作詞

一、雲に聳ゆる高千穂ねおろしに艸も木も
  靡きふしけん大御世を仰ぐけふこそ樂しけれ

二、海原なせるはにやすの池のおもよりなほひろき
  恵みの波にあみし世を仰ぐけふこそたのしけれ

三、天つひつぎの高みくら千代萬づに動きなき
  もとゐ定めしそのかみを仰ぐ今日こそたのしけれ

四、空にかがやく日の本の萬の國にたぐひなき
  國のみはしらたてし世を仰ぐけふこそ樂しけれ

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2011年02月10日

紀元節には明治神宮に参拝していたが

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 今日2月10日は「日露戦争」の開戦記念日。民族の生死を賭けた戦いが行われた日だ。明治天皇の御遺徳と明治人の気概と誇りに感謝せずにはいられない。明日11日は「紀元節」。現役右翼だった国士舘大学時代から例年、明治神宮へ参拝し御祝いしたものだ。

 しかし、平成16年に明治神宮は突如として神社本庁から離脱し一宗教法人となったことから、以降は明治神宮参拝を取り止め、靖國神社にて建国祭を行った。一昨年団体を引退してからは近所の神社で神武肇国の精神を偲んでいる。

 明治神宮側は神社庁からの離脱の理由として、平成16年4月、陛下の御親拝なされる際の関係者への案内状に「陛下」を「殿下」と誤記してしまった責任を取って離脱したとしている。

 しかし此れは堅白同異の弁であり、神社庁での主導権争いや確執の末の離脱というのは明らかだ。明治神宮は周知の通り、国民の総意により、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲び創建された神社であり、それを私物化し、営利至上主義に奔っている現状は正に憂慮すべき事態といえよう。

 本来、神社=神道とは宗教ではなく、日本人の心に清む惟神(かんながら)の道なのだ。宗教法人の規定では、教祖と経典と布教活動の三条件が必要で有るが、明治神宮はその何れも該当せず、神社本庁から離脱し、一宗教法人となることは到底理解出来るものではない。

 神宮建立の趣旨から鑑みても逸脱しており、先人の努力も、国民の総意も踏み躙るものだ。それにも況して問題なのは、神職に携わる者が営利に奔っている事で、神社庁に属さなくても独立採算出来るというその姿は実に醜く、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲ぶ神社としては実に不謹慎過ぎる。
  
 明治神宮側が一宗教法人となることは、現在宗教法人となっている靖国神社や護国神社とは違う。靖国神社や護国神社が宗教法人となっているのは、戦後GHQの「神道指令」を免れる為に已む無く採った智慧でであり、本来ならば昭和27年4月に主権快復した折に国が護持すべきものであったのだ。

 明治神宮の神社庁離脱は神道指令や占領政策を容認するもので、営利主義は蔓延する拝金主義を助長するものだ。明治神宮へは猛省を促したい。

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2011年02月09日

明治23年2月10日、日露戦争開戦!

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 明治37年(1904)2月10日、日本は当時世界最大の軍事大国ロシアに対して敢然と宣戦布告をした。民族の生死を賭けた戦いは1年半にも及び、強国との大戦に日本は奇跡的とも言える勝利を収め、極東小国日本の存在を世界に知らしめた。

 日本大勝利の報は、固唾を呑んで見守っていた世界の人々を驚嘆させ、ロシアから占領・弾圧されていたフンランド、トルコ、ポーランドといった国々や、有色人種として差別されていた民族に、国家と民族の存在を決定的に変える影響を齎したのである。

 15世紀の大航海時代以来、白人による世界制覇の滔々たる流れが、日露戦争での日本の勝利によって大きく変化し、此れが全世界の有色人種に与えた影響は強烈なものであった。

 印度のガンジー、ネール、ビルマのオッタマ、ミール、フィリピンのリカルテ、ベトナムのファン・ボイ・チャウ、エジプトのムスタファ・カミール、トルコのケマル・パシャなど挙げれば限が無いが、世界の各地で日本の勝利に狂喜し、有色人種が白人に劣らないことに確信を持ち、各地で独立運動が湧き上がった。

 もう一つ見逃してならないのは、それは日本の勝利によって、米国でも黒人に人種平等の自信を与え、黒人解放運動の支えとなったということである。

 黒人誌「インディアナポリス・フリーマン」は当時、次の様な社説を掲げた。「東洋のリングで黄色い男達のパンチが白人を打ちのめし続けている。事実ロシアは繰り返し何度も日本人にこっぴどくやられて、セコンドは今にもタオルを投げ入れ様としている。有色人種がこの試合をものにするには、もう時間の問題だ。長く続いた白人優位の神話が、遂に今突き崩され様としている」

 それから15年後、パリ講和会議に於いて日本は国際連盟規約に「人種平等の原則」を入れる提案を行った。日本の全権使節団が、パリに向かう途中、ニューヨークに立ち寄った折に、黒人指導者4人が「世界のあらゆる人種差別と偏見を無くす事に尽力して欲しい」という嘆願書を全権団に提出した。

 しかし乍ら、こうした黒人の願いも、米国大統領ウイルソンが議長を務めるパリ講和会議で拒絶されていまうのである。日露戦争が齎した歴史的課題の本格的実現は、大東亜戦争を待たなければならないのである。大東亜戦争で日本は敗れたが、戦後「人種平等の原則」という歴史的大使命は果たされるのである。

 世界史にとっても日本史にとっても重要な「日露戦争勝利」という出来事が、何故か日本では余りにも軽く扱われているのは国家の危機と断罪しても過言ではないだろう。

 今から108年前、先人が決然たる態度で一戦を決した大英断は、民族の魂の記憶として誇り高く永く後世に継承して往かなければならないのだ。

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2011年02月07日

国民を誑かす2月7日の「北方領土の日」

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 己の土地を他人に奪われて黙っている者はいないだろう。況してや、父祖伝来の国土が強奪されて泣き寝入りする民族が何処にあろうか。「北方領土奪還」は正に日本民族の悲願である。ところが、戦後65年経った今日、北方領土問題は未だ解決の糸口すら見えて来ないのは一体何故なのか。思うに、領土そのものの重要性に対する認識不足と、如何に不法に占拠されたかの真相把握が欠如していること、更には、ロシアへの認識の甘さと対応の甘さ等が綯い交ぜとなった結果が、未解決の根源であろう。

 北方領土は「日露和親条約」並び「樺太・千島交換条約」締結により、歯舞、色丹、国後、択捉の4島を含む、北は占守(シュムシュ)島から得撫(ウルップ)島の全千島列島と南樺太が固有の領土となった。領土問題では、蛆虫共産党が「全千島、南樺太の主権」を訴えているが、この認識が正しく、一昨年国会で採択した「4島返還決議」の返還要求こそ、事勿れ主義の軟弱土下座外交そのものなのだ。先人達の外交努力を無視し、全千島と南樺太の主権が在るにも拘らず、4島のみの領有権主張を明記し、見す見す権利を放棄するとは理解に苦しむ。「領土問題」は事勿れ主義では解決など出来ないばかりか、譲歩は更なる譲歩を生むだけなのだ。

 安政元年1855年2月7日、下田で「日露和親条約」が締結され、4島と千島の間に境界線が引かれ、樺太を混住の地と決めた。その後、明治8年5月7日には「樺太・千島交換条約」が交わされ、樺太の北側を千島列島と交換し、南樺太と全千島が日本に帰属した。とすれば、如何に2月7日の「北方領土の日」がいい加減な根拠に基づくものかが解るだろう。右翼民族派は民族痛恨の日として、日ソ不可侵条約が蹂躪された8月9日を「反ロシアデー」として「北方領土奪還」を訴えているが、「北方領土の日」を8月9日にせよとは言わない迄も、南樺太・全千島が日本に帰属した5月7日の方が2月7日よりは遥かに相応しい。

 1945年(昭和20年)2月、ルーズベルト、スターリン、チャーチルがクリミア諸島のヤルタで会談が行われる。ルーズベルトは千島列島をソ連に引き渡すことを条件に、日ソ中立条約の一方的破棄を進言し、ソ連の対日参戦を促した。ヤルタ協定では、ソ連が日本との戦争に参戦すること、南樺太をソ連に返還すること、千島列島をソ連に引き渡すことなどが決められ、此れに従ってドイツが無条件降伏した約3ヵ月後の昭和20年8月9日、ソ連は「日ソ不可侵条約」を一方的に破棄、日本人を虐殺、婦女子を強姦、鬼畜の如き行為を繰り返し、軍人、軍属、一般人を含め80万人以上の人間をシベリアへ抑留し、半数以上を凍死、餓死させ現在に至っている。日本人はこうした事実と悲劇を決して忘れてはならない。

 ロシアは「ヤルタ秘密協定」を楯に北方領土の主権を主張しているが、「ヤルタ秘密協定」こそが国際法的にも意味を成さない協定なのだ。日本は「樺太・千島交換条約」並びに「日露和親条約」を論拠に領土の主権を主張をすべきで、4島返還要求など言語道断だ。ロシアに対し毅然と4島を含む南樺太、全千島列島の即時返還と謝罪を要求すべきで、韓国に不法占拠されている「竹島」も然り。最近では沖縄県尖閣諸島の領有権を、支那や台湾が自国領だと主張しているが、此れは戦後、歴代の政府や国会が、領土主張を疎かにしてきた結果なのだ。現在、世界の各地で民族争いの中で国境紛争が頻繁に起きているが、世界では寸土たりとも主権確立には戦いをしてまで死守しているのが世界の常識で、奪われたものは奪い返す以外に解決する手段は無い。

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cordial8317 at 07:56|Permalink

2011年02月06日

小沢一郎は口下手で、酒好き、女好きの普通のオッサン

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 マイミクの「剛腕実は田舎のオッサン」という日記は、小沢の人となりがよく理解出来、実に面白く興味深いものだ。宇田川敬介氏の「小沢一郎は何故期待されているのか」という口述を起こしたもので、読み難い部分は校正し転載する。(以下引用)

 小沢一郎について国民はどんなイメージを持っているかと言えば、「剛腕」「壊し屋」というイメージが一般的であり、もう少し政策などを見ている人は、「親中・親韓・反米」というイメージかも知れない。では、「真実の小沢一郎」はどのような人物なのだろうか。実際に小沢一郎と親しかった小沢一郎政治塾の元塾生は小沢に関してこう言う。

 「酒飲んで女の話をしている分には非常にいいオッサンですよ。友達にもなれるし、笑って差が飲める。しかし、あの人が政治の話をするから可笑しくなる。その上影響力が有るから始末に負えない。あんなオッサンが『剛腕』とか言われていること自体、どうかしてますよね」

 実際に小沢に会った殆どの人が同じ様な感想を話す。そこには政界を牛耳る「剛腕政治家」の姿は何処にも見えない。そんなものよりも、どちらかというと、「普通のおじさん」というイメージしかないという。逆に、何処から見ても弱弱しい、気の小さい、そして、酒好き・女好きな何処にでもいる初老の男でしかないのだ。(※初老とは四十歳をいうが、此れは宇田川氏の勘違いか)

 その「普通のおじさん」が「剛腕政治家」に化けるのは何故か。一つには小沢一郎の経歴が在る。以前「チャンネル桜」の討論番組での平野貞夫参院議員との会話を思い出す。「シャッポ(帽子)は軽い方が良い」という発言に関するエピソードだ。海部総理大臣時の幹事長だった小沢一郎は、「海部首相の無能」との評判に関し、「帽子は軽い方が良い」と、自分が担ぐ(被る)ものは、要するに有能でない方が使い易いという意味の発言をしたという。この発言は小沢一郎の性格を良く現した話として、新聞紙上を通じ一気に有名になった。

 その後の細川内閣成立、自民党の下野の立役者として活躍した小沢一郎の、正に代名詞になったかの如き発言である。しかし、平野氏は「アレは実は私の言葉だ」という。要するに、当時小沢の秘書をしていた平野氏が記者の前で、オフレコで話した言葉だったというのだ。しかし、記者らはそれを「平野秘書」と書かずに「小沢幹事長が」という主語で記載した。一秘書の発言よりも小沢の発言とした方が、よりニュース性が高いと判断したからだ。

 この「シャッポ発言」からも判る通りに、マスコミは小沢一郎の「細川内閣樹立」「自民党政権下野」の実績から導き出される「周辺のエピソード」を、全て小沢の功績かの様に報道し印象操作をしたのだ。此れによって、その後、それに続いて多くの人が後追い印象操作を行い、何でもない事や日常茶飯事も、全て国民の持つイメージを増幅する形でデフォルメ(誇張された表現)されてしまうのだ。

 小沢一郎自身もそれを否定しないし、否定出来るほどの「口」もない。小沢は無類の口下手で、気が小さいから、当然に人前で話すのが苦手で、真意が伝わらなかったり、言葉が少なかったりする。普通ならば、コミュニケーションが巧く行かない状況になるが、小沢の場合は、マスコミと国民がデフォルメした「剛腕」というイメージからか、「恐らく裏が有るのではないか」「話せない事情が有るに違いない」と、より一層イメージを増幅する内容になってしまうのだ。実際の本人とは違う「イメージ」が独り歩きをして、何時の間にか、そのイメージから「小沢なら自分たちの期待通りにやってくれるに違いない」という事になってしまっているのだ。

 小沢一郎への期待は、この様にして生まれた「マスコミの作った国民の幻想」でしかない。小沢本人が政策について自分の言葉で語った内容が異常に少ないのはその様な背景によるものだろう。この様な「マスコミに作られた偶像」に期待していては、日本は間違った方向に行ってしまうだろう。(以上引用終了)

 「言い当たるは知なり。黙して当るも知なり」という言葉が在る。発言によって核心を突くのは「知」と言えるが、沈黙によって核心を突くのも「知」。雄弁も沈黙も時には同列だが、それには、表情、眼差し、物腰によって何事かを伝えるという事が大事なのだが、小沢の表情も眼差しも物腰も全て胡散臭げに感じる国民は多い。

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cordial8317 at 07:51|Permalink

2011年02月05日

「角を矯めて牛を殺す」 八百長騒動に思う

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 「八百長」とは、八百屋の長兵衛(通称・八百長)という人が、相撲の年寄・伊勢乃海五太夫と囲碁を打ち、適当に勝ったり負けたりする様に手加減したことから出た語という。まぁ結局、相撲と八百長は切っても切れない腐れ縁ということだろう。

 「あいつに子供が出来たから一丁負けてやるか」「結婚したから」といった御祝儀を兼ねて勝負に負けてやるというのは、相撲に限らず競輪・競馬・競艇など、色んな競技・スポーツでも有ることだ。

 しかし、今回の八百長をしたとされる連中は、十両力士に与えられる約100万円という俸禄を、幕下転落により無給となるのを逃れる為に、互助会的に八百長をやっていたというのだから呆れる。実に恥ずべき行為で、勝負師として断じて許されるものではない。

 大相撲は、明治維新で「断髪令」が発せられても丁髷の伝統を貫き、戦後もずっと表彰式で国歌「君が代」を斉唱し、国技を自称して来た。この保守の牙城とも言うべき大相撲を、歴史・伝統・文化を否定する左翼、無自覚左翼の連中が「賭博」やら「八百長」やらを殊更煽り立て、糾弾してるとしか思えない。

 元核マル・枝野官房長官も、待ってましたとばかり、さも相撲界に八百長が蔓延しているかの様なコメントを出して、法人格の取り消しと総理大臣杯の中止を示唆しているが、天皇賜杯も授与しない異常な状況になるのは必至だろう。

 協会が喫緊にやるべき事は、関係者を厳罰に処し、結果、法人が取り消され様とも、多くの相撲ファンの為に捲土重来を期し、興行を続けるべきだ。圧倒的多数の力士は「八百長」にも「賭博」にも関与していないのだから。

 以前、賭博事件が発覚し、NHKが大相撲の放映中止に踏み切った際に、西館牧子女史は「無関係の圧倒的多数の力士から出世の場を奪い、地方のファンから楽しみを奪うことになってはならない」と世間の喧騒に苦言を呈したのは記憶に新しい。

 「角を矯(た)めて牛を殺す」譬えの様に、少々の欠点を直そうとして、反ってそのもの自体を駄目にすることも無きにしも非ず。枝葉に係ずらわって、肝心な根本を損なってはならないと思う。

 今回の「八百長問題」で気になるのは、賭博事件を調べていた警視庁が、社会的問題だからとメールのやり取りといった個人情報を公表した事だ。八百長にカネが絡んでいたからなのか。

 確かに八百長は、社会的・道徳的には問題が有るのだろうが、法的にはどうなのだろう。警察が社会的問題だからと、こうした個人情報をいとも簡単に公表し、興味本位に問題を取上げ国民を煽ってたら、末恐ろしい警察ファッショ時代が到来する気がしてならない。

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cordial8317 at 07:55|Permalink

2011年02月02日

春節(旧正月)で訪日する支那人に警戒せよ!

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 明日2月3日は日本では「節分」だが、支那では今日から「春節(農暦正月、旧正月)」の休みに入る。

 訪日ビザが更に緩和され、俄成金の下品な支那人が大量に訪日し、幾許かのカネを落として行くのだろうが、そんなものに一喜一憂し、国民の安全が脅かされる事が有ってはならない。

 訪日する支那人への警戒を怠る勿れ。

 閑話休題。大正15年、普通選挙法が施行され25歳以上の全ての男子日本国民に選挙権が与えられるようになり、日本本土に在住する朝鮮人にも日本国民として平等に与えられた。

 昭和7年の衆議院選挙には東京4区から朝鮮出身の朴春琴が立候補し当選した。

 選挙区には朝鮮から出稼ぎに来ていた人達が多かったとはいえ有権者数の1.5%にも満たない数で、如何に多くの日本人が投票したことが分かる。

 投票の表記にハングルで書かれたものも有効と認められていたが、「植民地」の文字が宗主国の選挙で使用を認められたのは当時世界で唯一であった。

 このように、戦前の朝鮮人に対する偏見、差別はよく言われている様なものではなかったことが理解出来る。

 朴春琴は昭和12年の選挙でも再び当選している。尚、貴族院は華族と勅撰議員(天皇陛下から指名された議員)で構成されていたが、朝鮮人の華族、勅撰議員が何人もいた。

 更に付け加えると「創始改名」が行われてからも、彼等は日本名に改名していない。この事実を以っても創始改名が強制ではなかったことの証左だろう。

 「外国人地方参政権付与」を執拗に求める在日韓国居留民団は、「あの日帝の支配下においてすら参政権が認められていたのに、現在認められないのは時代錯誤だ」とホザいているが、二重に意味で見当外れだ。

 一つは、彼等が非難して止まない差別と弾圧の日帝支配なるものは、寧ろその逆であり、世界に例を見ない極めて公平で平等な制度だった。

 何しろ、日韓併合時に100校程しかなかった小学校を昭和17年には4945校に、中学以上の学校を470校に迄増やしており、此れが差別や弾圧とは言語道断。

 二つ目は何故戦前に在日朝鮮人に選挙権が与えられていた理由は明白で、彼等は「日本人」だったからだ。

 現在も執拗に参政権を求めるなら、日本に帰化をして日本人になれば良いだけの話で、そうすれば、何の制限差別もなく、100%の参政権が与えられる。

 それが出来ないなら、日本人に成り済ます「通名」を止め、堂々と本名を名乗るべきだろう。

 外国人への参政権付与は「在日」が大半を占める「特別永住者」だけではなく、一般の永住者も選挙権の対象とされている。

 つまり参政権問題は「在日」のみならず、支那人永住者にも付与されることとなるのだが、この点は殆ど議論されておらず、非常に深刻な問題を孕んでいる。

 というのも「在日」が大半をしめる「特別永住者」は年々減少し続け、その減少傾向が止まらないのに対して、支那人「一般永住者」は民主党の勧める「東アジア新時代」「観光立国」「ビザの簡素化」といった売国政策により急増している。

 在日韓国人の殆どが日本国民と結婚し、その子供は総て日本国籍になっているのに比べ、支那人永住者の方は、留学生の増加などで更に増加し、永住外国人の前提となる一般の在留外国人の登録者数は、今や韓国・朝鮮人の数を上回って状況だ。

 「外国人参政権付与問題」は、近い将来必ず支那人問題になる危険極まりない大問題なのだ。

 支那人の監視を徹底し、治安の悪化を防止しよう!

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cordial8317 at 06:50|Permalink

2011年02月01日

小沢強制起訴で、問われる政治家の品性

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 「睦山会」の土地購入を巡る収支報告書虚偽事件で小沢が強制起訴された。此れに伴い小沢は記者会見し「疚しいことは何もない」「一刻も早く無罪判決を獲得したい」と詭弁を弄し、「引き続き民主党の国会議員として誠心誠意取組む」と政治活動の継続に意欲を示した。

 今回の「強制起訴」は、善良な国民の良識と怒りに応えるものであり、正に小沢の不徳の至り、恥を知るべきだ。政治に携わる者は、国民の模範となる倫理、道徳を兼ね備えてなくてはならないという事を未だ理解していない様だ。検察審議会が「起訴相当」の議決をした際「素朴な国民感情としては赦し難い」と断罪したが、政治的・道徳的責任を果たし、政治家として国民の模範になる責任の取り方こそ大事なのだ。

 小沢はその昔、政治資金の在り方に関し、自著「日本改造計画」で「まず、政治資金の出入りを1円に至るまで全面的に公開し流れを完全に透明にすることである」と提唱していた。更に、同時に罰則の強化も主張し違反の言い逃れを封じる為に「連座制」を導入すべきとも訴えている。

 しかし現実には、この時、既に小沢は西松建設のダミー会社から献金を受け取っていたというのだからフザけた話だ。献金問題で公設秘書が逮捕されると、「逮捕されただけで起訴されたんですか」「献金してくれるという方について、どういう所から出ているのかという類を聞くのは失礼なことですし詮索しない」と居直った。

 秘書が起訴されると「なんで私が離党し、議員辞職しなければならないんですか」と気色ばんで、質問した女性記者を睨み付けた。今回の「強制起訴」に対しても「何も疚しいことはない」「無実であることは自ずと明らかになる」との堅白同異の弁を繰り返しているが見苦しいばかり。

 小沢の疑惑は、西松、水谷建設の「裏献金疑惑」や世田谷の土地購入問題意外にも「都内の高級マンション購入疑惑」「岩手めんこいテレビ株主問題」群を抜く「個人資産疑惑」と枚挙に遑なし。これらの不動産取得や蓄財に、新生、自由党の解党時の政治資金約23億円余りが使われている。

 「政党交付金(政党助成金)」は国民の血税であり、法律を作る側の政治家が法の網を巧妙に摺り抜け、これを返納せずに不動産購入や蓄財に充ることは、国民に対する背任、横領、詐欺行為であり、万死に値するものだ。

 民主党は「政治資金の透明化」「政治資金規制の強化」の政策を掲げてはいるが、「政治資金による個人蓄財の禁止」は明記していない。収支報告書の開示や領収書の保存などを挙げながら、小沢が行った政治献金の大きな抜け穴に関しては全く手を打たない。はっきり言えば手を打てないというのが本音で、如何に民主党が小沢の影響が大きいかが理解出来よう。

 政治資金規正法は議会制民主主義の根幹を成す法律であり、政治資金の実態を偽ることは、国民を欺いて政治判断を歪めることに他ならない。政治不信を招いた小沢の責任は大きく、とっとと政界から消えて欲しいものだ。天網恢恢疎にして漏らさず!

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cordial8317 at 06:08|Permalink