2011年01月

2011年01月31日

宮城県松島の「牡蠣小屋」で牡蠣を喰らう(笑)

 牡蠣のシーズン真っ盛りの今、昨日は友人四人で宮城県の松島の「牡蠣小屋」へ牡蠣の食べ放題に行って来た。朝8時前に郡山の自宅に迎えに来て貰い、一路松島へ。高速料金も安くなり、松島への道路も延長され随分便利になったものだ。

 9時半松島到着。早速順番待ちの名簿に記入する。既に12、3組30人程が記入していた。1時間後の10時30分の一回目に座れそうなビミョーな順番に暫し雑談しながら開店を待つ。開店時間になり、次々に名前が呼ばれるも結局一回目に入れず。

 次回の呼び出しを待つことに。生憎の曇天で、雪もチラホラ。寒さ凌ぎに近くに置かれているプレハブ小屋に移動し暖を取る。缶ビール片手にカップルや女性3人、男性1人の大学時代の同級生だというグループを冷かしつつ談話を愉しんだ。

「旅の恥はかき捨て」か「袖摺り合うも多生の縁」か、旅先で出会った人との会話も一興である。そうこうしてると名前が呼ばれた。「二人ずつ別々の席なら直ぐ座れる」というので即OKし、入店。牡蠣小屋へは今回で5回目で手馴れたものだ。

 食べ放題の時間は45分、料金は1人2000円。地酒「日高見」とレモンを買って着席。テーブルは6人席で相席した4人は2ヵ月前に予約した福島市民だった。

 焼き台の上には300個位の牡蠣が蒸されてて準備が整うのを待つ。担当のオバちゃんの説明が始まり、「お宅さんらは初めでが?」と聞かれたので「5回目」と答えると「ほだら勝手に食べでろ」ってなことで初めての客に牡蠣道を伝授してた。

 愈々蓋が開けられ45分の闘いが始まった。日高見の冷酒をチビリとやりながら、焼き上がった牡蠣を剥いてレモンを絞ってパクリ。この冬の次期の牡蠣は最高だ。

 松島の牡蠣は小ぶりだが、旨みが凝縮されて幾らでも食べられる。結局、二人で殻を入れる一斗缶が満杯になる約200個程食べて時間終了となった。

 松島を後にし一路蔵王温泉へと向かう。ジンギスカン発祥の地という蔵王の店を目指したのだが、道を間違えてしまい、急遽「遠刈田(とおがった)温泉へ変更。駅前の公衆浴場に立ち寄って、観光案内所で美味しい店を紹介して貰った。

 渡された観光地図からは少し離れているというその店は「賛久庵」という本格手打ち蕎麦が有名な店だという。公衆浴場から車で2、3分程で到着し、メニューを見たのだが、本格蕎麦の店とは名ばかりで十割ではなくニ八蕎麦には唖然とした。

 とんかつやら豆腐料理やらでパッとしない。白石名物の「温麺(うーめん)」なら無難だろうと「かけ」注文することにしたが、一杯なんと630円也。

 茶を運んでくる男性従業員に「温麺のかけ四つ」と注文すると、未だ聞いてないと言わんばかりに「少々お待ち下さい」との横柄な対応。かけ四つくらい一々メモを取らなくても覚えられるだろうに。観光客目当ての殿様商売だわな。

 これが不吉な予感の始まりで、程無く運ばれて来た温麺は「かけ」だから何も入ってないのは問題としても、その器の豪勢さとは裏腹に申し訳程度の温麺の量には一同ビックリ。「これで630円か」。これじゃ儲かるわな(苦笑)

 さぞ美味しいのかと食するも食べてガッカリするほどの味わい。店を出て、観光案内所に戻り、この店を紹介した職員に苦言を呈したのは言う迄もない(笑)

 夕方無事帰着し本宮市の行き付けの「焼き鳥・喜城」で反省会。疲れ気味で今一つ盛り上がらない。程無くして、今回同道出来なかった友人も加わり、2時間程経ってから漸くエンジン全開となる。芋焼酎「武蔵」も3本目となったところで転戦。

 小腹も空いたので「おじやの店・幸楽」へ。この店の納豆入り「ミックスおじや」は絶品で、地元B級グルメの最高峰と言っても過言ではない。芋焼酎を入れて、アサリの酒蒸しに霜降りの馬刺し、鶏の唐揚げ、それにミックスおじやを注文。

 隣の席には何時の間にやら、先日の市長選で初当選をした高松義行市長一行様が御来店。高松新市長の父は愚生の中学校時代の社会科の先生で、剣道部の顧問だった。顧問ということだけで剣道を教えてもらったことも無いが(笑)

 という訳で市長も同席しての談論風発に盛り上がり、気が付くと注文したあさりのバター焼きと馬刺しは無くなっていた。「少しは残しとけ」つ~の(怒)

 運転代行を呼んで御開きかと思いきや、誰かから「やっぱ〆はカレーラーメンだべ」ということと相成り居酒屋「ひょうたん」へ。いやぁ、流石に〆のカレーラーメンはきつかったなぁ。おっさんには自殺行為だと猛省するも後の祭り(泣)

「翌日まで頭痛がし、食べられず、呻き伏して、前世と現世の境を隔てた様に、昨日の事は記憶が無く、公私の大事な用も怠って支障をきたす」(徒然草・第一七五段)。ということで、昨夜も痛飲してしまった爆ちゃんなのでした(笑)

cordial8317 at 12:31|Permalink

2011年01月28日

奸賊・小沢一郎、未だ猛省せず!

 奸賊・小沢一郎は「週刊文春」でインタビューに答える形で持論を展開し、所謂A級戦犯に「政治犯」だと罵詈を浴びせ、一昨年暮れの天皇陛下と中共政府副主席・習近平との謁見の経緯にも触れ、又しても厚顔無恥ぶりを発揮している。

 抑抑、我国には「戦犯」など存在してはいない。講和条約発効翌年の第十六国会で「戦傷病者戦没者遺族等援護法」が改正され、連合軍が定めたA・B・C級の区分に関係なく、「法務関係死亡者」並びに「昭和殉難者」として法的に復権されている。それを小沢は「政治犯」などと罵るが英霊への冒涜は断じて許されるものではない。

 陛下と習近平の謁見についても小沢は、「宮内庁の長官が陛下がお疲れだとか、他の日程があるとか屁理屈を付けた」とか、「陛下の御体調が優れないのであれば、他のどうでもいい様な日程を外せば良いではないか」と言いたい放題だった。

 これらの記事に対し、羽毛田宮内庁長官は「当時ああいう対応をしたのは、陛下がお疲れになっているからという事ではない。『日中関係が重要だ』という話しだと、象徴天皇としての陛下の国際親善の在り様を損なう」と苦言を呈しとしている。

 小沢らが強行した拝謁は、世界各国が遵守してきた一ヶ月前迄の文書での正式申請の絶対前提を無視したばかりか、日本が各国に対して平等の適用してきた立場を大きく失墜させ、世界からの皇室への尊崇の念や威厳を薄れさせる愚行だ。

 一昨年にも小沢は、「宮内庁の役人がどうだこうだと言ったそうだが、日本国憲法、民主主義を全く理解していない。内閣の方針にどうしても反対なら辞表を提出した後に言うべきだ」と、羽毛田長官を恫喝したことは忘れてはいない。

 一ヶ月ルールにも、「法律で決まっている訳ではない。宮内庁の役人が作ったから金科玉条で絶対だなんてバカな話があるか」と気色ばむ小沢は、更に「陛下の体調がすぐれないなら優位性の低い行事はお休みになればいいことだ」と居直った。

 ルールを無視し陛下との会見を要望した小沢の態度は傲慢不遜と言う他はなく、中共への忠誠と媚び諂いに、畏れ多くも陛下が利用された事は断じて看過出来るものではない。入ってはならぬ領域に踏み込み多くの国民から顰蹙を買った。

 さぞ猛省しているのと思いきや、無神経極まる小沢は未だ変わらぬ売国性を更に逞しくしている。市井の臣、市井の徒に依る天誅を願って止まない。呵呵

cordial8317 at 12:35|Permalink

2011年01月27日

拙ブログ「爆ちゃん吼える」は「たけし吼える」のパクリ(笑)

 愚生の政治批評のブログの「爆ちゃん吼える」というタイトルは、その昔にビートたけし(北野武)が上梓した「たけし吠える」をパクったものだ(笑)

 この「たけし吠える」の中で、愚生が所属してた防共挺身隊を揶揄する様なこんな件が文中に在る。「防共挺身隊(防挺)ってのはとんでもない右翼団体で、シャブを打っては『ソ連大使館突入!』ってなことばかりやっているんだよ・・・」

 確かに防挺が愚連隊と呼ばれた、昭和40年代から50年代の初め頃まではそんな先輩方も多かったのも確かだ。それは「覚醒剤取締法」でパクられても罰金刑で済んだ時代で、愚生が防挺に入隊した昭和54年頃はそういうことも殆ど無かった(笑)

 それらしいOBには遭遇したことはある。何故、ビートたけしが防挺の裏事情を知り書いてしまったのかといえば、たけし軍団のメンバーのつまみ枝豆(青木)や、ガダルカナル・タカ(井口)がその昔、防挺の本部に出入りしていたこともあり、酒席や雑談の際に大袈裟に面白可笑しくたけしに吹聴したからだろう。

 ビートたけしは防挺には親近感を持っていた様で、日本テレビの人気番組だった「TVジョッキー」で「右翼と言えば防共挺身隊!」というつまらないギャグを何度も飛ばしたりしていたのを思い出す。当時、国民の多くは赤尾敏率いる「愛国党」くらいしか知らないのが普通だったから、防挺の名前が出ること自体がマニアック。

 話しを戻すが、青木らが防挺に出入りする様になったのは、当時、世田谷の砧に在った本部道場の「耕雲草舎」に伊豆修善寺出身の先輩K野(後にヤクザ)が部屋住みしていて、それを頼って上京し、何時しか運動にも参加する様になった。

 タカ(井口)は、右翼運動自体は真面目ではなかったと聞いている。青木は横山武彦副隊長(当時)の付き人をしたり、日教組大会か何かで検挙された経験も有った。青木と井口以外にもう一人修善寺から来てた青年が居たが名前は忘れた。

 浜松町に在った当時の本部事務所でその青年の話になったことがある。
 何やらそいつが「イシャの倅」らしいというのだ・・・
 幹部の横山副隊長が「お前の親は何をやってるんだ?」と聞くと、
 青年は「自分はイシャの倅です」と答えたいう。
 「医者の倅か。そりゃ大したもんだな」
 「いやそれほどでも(笑)」
 「親の跡は継がないのか。まぁ見るからに無理だわな(笑)」
 「いや、ゆくゆくは・・・」
 一同「???」
 そしてある幹部は「そりゃ今更医者なんて無理に決まってるだろ!」
 本人曰く「何時でも出来ますよ。体力さえ有れば(笑)」
 その意味が分からずまた一同「???」
 「やはり右翼団体に出入りするのはまともなヤツはいないわな・・・」
 となったかどうかは知らないが、
 よくよく聞けば「医者(イシャ)」ではなく
 「石屋(イシヤ)の倅」だったというからシャレにならない(笑)

 暫くすると、青木ら三人とも本部道場から消えた。そんなある日のこと、当時人気だった「お笑いスター誕生」というお笑い番組に、何と井口と青木が「カージナルス」というコンビを組んで出場していてビックリした記憶がある。

「カージナルス」は10週連続勝ち抜きプロとなり、その後、たけし軍団入りし、夫夫「ガダルカナルタカ」「つまみ枝豆」と名前を替えて活躍することとなった。

 有名な「フライデー事件」では、たけしの愛人の記事を巡って軍団はたけしと共に講談社を襲撃した。同道したタカは逮捕されるが、枝豆は実行グループにも参加しなかった。というのも、恐らくそれは防挺時代に逮捕歴が有った為だろう。

 何れにしても、つまみ枝豆にしろガダルカナル・タカにしろ、防挺に縁の有った者が芸能界で活躍しているのは嬉しいものだ。愚生も政治評論家としてオフィス北野で採用してくれないかな。右翼団体元総隊長の肩書はウケると思うのだが。

 もう随分経つことが、前出の「たけし吠える」の、「シャブを打っては『ソ連大使館突入!』ってなことばかりやっているんだよ・・・」との中傷記事の件で、出版元の「飛鳥新社」と「オフィス北野」に申し入れをしたことがあった。

 飛鳥新社の編集長へ、当時総隊長代行だった愚生が「全国紙への訂正文の掲載」と「北野たけし本人の謝罪」を要求してみた。両社の顧問弁護士が登場し、スッタモンダの話し合いになったが、結局、双方歩み寄り和解が成立した。その後、オフィス北野と飛鳥新社のホームページには、中傷記事に対する謝罪文が掲載された。

 一昨年春、思想信条の違いから約30年に亘り共に闘って来た盟友の對馬則政と袂を分かち右翼浪人として生きる道を選んだ。その年の暮れに病に倒れ多臓器不全で幽冥界を異にし、防挺も解散状態だという。諸行無常、実に淋しいものだ。

※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。

《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。

cordial8317 at 08:43|Permalink

2011年01月26日

ゲリラ・テロリストの根絶は不可能である

 今月24日、モスクワ郊外のドモジェドボ国際空港で自爆テロが起きた。実行犯の1名は、治安機関に由れば「夫を殺された北カフカス地域の女性だ」という。昨年起きた連続テロの実行犯には17歳の少女が加わっていたし、スラム武装のテロ実行犯に女性テロリストは多く、最近では別段驚くことは無くなくなった。

 数年前、イスラム武装勢力の幹部だというサニーラ・ジャシムという女が逮捕されている。この女はイスラム過激派組織に所属し、これまで80人以上の女性を「自爆テロリスト」に仕立て、少なくとも28件の自爆テロを引き起こしたという。

 同容疑者の自供によると、精神的に落ち込んだ状態の女性に狙い言葉巧みに誘って仲間に引き入れ、訓練所で自爆テロを教え込み、バグダットなどで敢行させた。

 テロリストに仕立てられた女性は、治安当局に殺された者やテロで夫を失った者、生活苦で生きる希望を失った者、更には、組織の男性構成員が若い女性を強姦し、自暴自棄にさせた上で同容疑者が近づき、自爆犯にしたケースも有ったという。

 全く以て卑劣にして非道であり、鬼畜の如き所業と言えるが、実はこのサニーラ・ジャシャム容疑者も、「協力しないのなら住まいを爆破するぞ」と脅されていたというのだから気の僕といえば気の毒である。イスラム過激派に大義無し。

 イスラム過激派は「聖戦」などと大義を掲げるが、一般人を犠牲にする無差別テロに大義や神聖な目的も無く、神を語る資格なんぞ無い。八百万の神を信じ仏を尊ぶ日本人には理解し難いものだが、一神教を信じる国々の不幸はここに在る。

 米国もテロの恐怖に曝されているが「世界の警察」を気取り、勝手な正義を押付け、我が物顔で世界を伸し歩く傲慢不遜な態度を改めない限りテロは治まらない。

 今や、米国の自己中心的不正非道に苦しむ非西洋諸国の多くが唯一最大の外敵や脅威と考えている。米国自身が「無法者の超大国」だと気付く事は無く、テロ根絶の名の下に更なる弾圧が続けば、テロの連鎖は果てしなく続くだろう。

 テロの根絶を願うのなら、圧政に呻吟する民族の解放と独立させる以外にない。畢竟、それは政治体制の崩壊を意味し、ロシア然り、米国然り、中共然り、中近東然り、北朝鮮然り、それはゲリラやテロリストの根絶以上に不可能なものだ。

 日本には「一殺多生」という言葉が有る。「一人を殺すことに拠って多くの人を生かすこと」という意味だ。テロリズムの根幹は「一殺多生」に在る。

cordial8317 at 14:15|Permalink

2011年01月14日

赤羽「米山」へ裏返し。その後聖子メドレーを聞かされる(笑)

 水曜日、郡山16時1分発の新幹線に乗り大宮で酒友の奥村氏と待合せて赤羽の「米山」へ。米山へは昨年12月25日に次いで今回で二度目で、所謂「裏返し」。17時40分過ぎに到着。既に奥村女史の実弟が待っていた。鼎談しながら開店を待つ。

 18時15分愈々開店。一番乗りでカウンター奥に着座しホッピーの白と黒を注文し、ハーフ&ハーフで乾杯。先ず御決まりのニンニクか生姜の薬味を選ぶのだが、今回は生姜を注文。奥村弟がニンニクを注文するもその後に携帯でヒソヒソ話し。

 聞けば何やらこの後に年下の彼女と逢うというから羨ましい限り。結局、自分の生姜と弟のニンニクを交換する破目となったのは言う迄もない(笑)

 今回は、生レバーと生タン。半焼きのハラミ、ハツ、カシラ。つくねは二本ずつ。アブラ、玉子合え、水餃子、マカロニサラダ、モツ煮を注文してみた。

 ここは先に一通り注文を受けてから、生レバーから順番に皿に運ばれる。この店では、例えばつくねやモツ煮だけを注文しても生肉から順番に運ばれて来るから、つくねやモツ煮が来る迄はずっと酒だけ飲んで待つことになるので要注意だ。

 生レバーから食して行くが全部絶品で、一本ずつ運ばれる様はフレンチのフルコースか会席料理の如くに至福の時間。前回食べられなかった水餃子とマカロニサラダ、玉子合えを頂く。水餃子の餡はつくねと同じな感じでスパイシー且つジューシー。マカロニサラダも黒胡椒が利いてて後を引く美味さで、玉子合えも絶妙な旨さ。

 最後に御目当てのモツ煮が運ばれて来た。スープは澄んで一口啜ってみたが、讃岐うどんの出汁を彷彿させる品の良い鰹風味で、入っている白モツはトロトロで舌の上で蕩ける。このモツ煮を食べ終る頃には20時半となり第一回目の終了となる。

 勘定は三人でガッツリ飲んで食って1万チョイは安過ぎる。帰り際に大将に挨拶したが、取っ付き難そうな風貌とは裏腹に以外に愛想が良いではないか。近所にこんな店が在ったら絶対通い詰めるだろうが、痛風になるのは間違いない(笑)

 彼女に逢いに帰るという奥村弟と別れて西川口へ繰り出した。奥村女史行きつけの店を二軒ハシゴ。「松田聖子メドレー」を散々聞かされ愉しいひと時だった。

 翌日、新宿で畏友と待合せて物心両面で支援を頂いている方へ新年の御挨拶。今月15日で代表取締役を辞し、後進へ譲るというがその見事な潔さに敬服する。

 小一時間鼎談。畏友と別れ難く昼から一献という事になり一路浅草は「飯田屋」へ。どぜう鍋と板わさ、玉子焼き、御新香を注文し、生ビールで乾杯。ビールを飲干し、日本酒を頂く。愚生は吉田蔵の冷酒、畏友は月桂冠の熱燗を酌み交わす。

 昼どきで店が混んで来た様なので店を出て浅草を暫し探索することに。途中和紙の名店「くろだや」でポチ袋と絵葉書を購入し、神谷バーへ寄ってみた。名物のデンキブランの炭酸割りにデンキブランを注いだ「奥村バージョン」を二杯ほど飲んでから、畏友の愛すべき後輩・大熊雄次氏が経営するアメ横の店へ向う。

 沢尻エリカ様も愛用しているというスカジャン専門店「大熊商会」は、アメ横センタービルの1階に在る。スカジャンファンならずとも一度は覗いて見たいスカジャンの老舗でもある。程なくして大熊氏と合流し、台湾小菜「新東洋」へ向かう。

 暖めた紹興酒と棒々鶏、香腸、水餃子、牛肉の牡蠣油炒めなどを摘み、〆は名物のローメンを頂いた。ローメンは初めて食したが、クセになる味で今度はこれだけを食べに行きたいと思っている。しかし、この店を見付けるのが容易でなさそうだ。

 別れ際に大熊氏から土産を頂くが、何時も乍らの心遣いに痛み入る。夕方無事郡山へ帰還したが、流石に連日の飲み会で疲れてたので、自宅では芋焼酎のロックを二杯だけにした。頭の中では未だ聖子メドレーがリフレーンしている(笑)

cordial8317 at 09:33|Permalink

2011年01月12日

NHKは解散させ民間委託すべし!

 NHK次期会長人事を巡る混迷ぶりはNHKの末期症状を示すものである。歪曲、偽造、捏造体質と相俟って、公正中立には程遠く、公共放送とは程遠く、自虐史観が蔓延するNHKこそ民間委託や仕分けの対象とし解散させるべき団体だろう。

 並居る同経営委員会の御歴々は、初めからNHKの存在有りきで経営方針を決めている様だが、公共放送として国益に相応しくない番組を垂れ流している事実を指摘し、NHKの報道姿勢に対して猛省を促したことはあるのだろうか。

 次期会長として内定していた安西祐一郎前慶応大学学長は「謂れ無き中傷を含む風評」に涙を浮かべ、怒りの「拒絶会見」をした様だが、NHKの偏向報道に由って泣かされた国民の人々の怒りや慟哭に比べれば屁の様なものだろう。

 会長人事など誰が就いても同じだ。NHK改革について先ずやるべきは放送法で守られた親方日の丸的体質を改めるべきであり、、NHKが国民から強制的に受信料を徴収して成り立っている特殊な存在だということを忘れてはならない。

 特殊法人でありながら、幾多の株式会社の持ち株会社となり、その収益を視聴者(受信契約者)へ還元しないのは公共性とは大きくかけ離れるものだろう。

 近年は自分達の価値観や意見を押し付ける「説教」が目立ち、全共闘世代や左翼が作成する根拠の無い偏向番組が散見していることは大きく国益を損ねている。最早、NHKは公共放送局として存続に値しない特殊法人で早急に解散させるべきだ。

 NHKに対し国民の怒りが極に達したのは日本の台湾統治を描いたNHKスペシャル「プロジェクトJAPAN・アジアの一等国」という常軌を逸した反日番組からだ。公共放送で前代未聞ともいうべき歴史の捏造・歪曲番組を垂れ流したのだ。

「アジアの一等国」では「日台戦争」というデマを流して、「台湾は漢民族のもの」との嘘を冒頭で流し、台湾一中卒の老人にインタビューしている。老人は、「差別された。だから名前を日本名に変えた」と語り、「台湾は実は親日的ではない。今迄口に出せなかっただけで、今やっとNHKにホンネを吐露出来た」と続く。

 この番組を見た台湾一中の同窓生らが驚き、この老人に問い質したところ、「そんなことは言っていない」と事実が露呈した。何のことはない、知日派台湾人の証言の都合の良い部分のみを切り貼りしたNHK御得意の捏造だったのだ。

 反日侮日的意図から、これを恣意的に編集をして制作されたことは明白であり、政治的中立を定めた「放送法」に違反していることは誰が見ても明らかだった。

 公共放送の役割は事実を淡々と報じることに他ならず、多数の視聴者の常識から逸脱してはならないのだ。この番組を制作した責任者は河野伸洋プロデューサー。「河野チーム」は濱崎憲一・島田雄介・田辺雅康ら総て名うての売国奴ばかり。

 河野チームが制作した番組はこれだけに留まらない。歴史の捏造は断じて許されるものではなく、先人の名誉を汚すばかりか視聴者の判断を誤った方向へ導こうとする犯罪的行為そのもの。国に仇成す行為は断じて赦すべからずものである。

 左翼勢力の跳梁跋扈を黙認するNHKは多くの国民からの抗議をも黙殺した。最早、NHKによる犯罪行為と言っても過言ではない。歪曲、偽造、捏造の常習犯であり、虚構や嘘をでっち上げ我が国を貶め続けるNHKは受信料を払ってまで見る様な類のものではない。我々視聴者は、「受信料拒否」の手段を以て抗議しよう!

cordial8317 at 09:59|Permalink

2011年01月08日

玄葉光一郎と渡部恒三

 民主党の党役員人事と内閣改造で、玄葉光一郎国家戦略担当相の留任と国対委員長には渡部恒三の名が浮上している。福島県民として今後の二人の活躍は愉しみだ。

 今や反小沢の筆頭株になった渡部恒三は、小沢一郎を「小沢くん」と見下した物言いで度々苦言を呈している。騒がれた土地購入問題でも、「金が無くて土地を売ったという政治家はいるが、土地を買ったという話は始めて聞いた」と、会津弁丸出しで語っていたのには大笑い。単純明快で実に解り易く非常に愉快な狸爺である。

 国政での「一郎対決」に加え、次期衆院選では対抗馬として菅家一郎会津若松市長が自民党から出馬を表明したが、会津での「一郎対決」も目が離せない。

 ここは一つ、国対委員長として手腕を発揮し、「流石は恒三さん」と有権者にアピールしたいとこだろうが、かといって磐石とは言えない選挙を考えれば、国政など放ったらかしにして選挙区廻りをしたいというのが本音だろう。

 玄葉光一郎大臣は、県政史上最年少の26歳で県議会議員に当選し、県議1期を経て衆院選に出馬し、現在6期目。玄葉がまだ県会議員の頃に、愚生の実兄の岩代町議会議員選挙に応援に来て貰った事が有る。その選挙では愚生が司会を務めた。

「玄葉議員は必ずや将来、中央政界で活躍する政治家ですので皆さん玄葉議員の演説に耳を傾けて頂きたい」との紹介したのを鮮明に覚えている。後日、玄葉が実兄に「弟さんは演説が巧いですが何をなされているのですか」と尋ねたという。兄曰く「そのうち判るでしょう(笑)」。其の後、度々新幹線で鉢合わせした。

「玄葉さん、グリーン車にタダで乗ってる様じゃ国民の気持ちは分かりませんよ」と質した記憶が有る。だが、その玄葉は国会議員の無料パスを使わずに自費で自由席に乗っていたのに驚き、必ずや大臣になるだろうと確信を持った。

 その玄葉と年末にまたまた遭遇した。東京の帰り郡山駅に着くとSPが目に留り、誰が来るのだろうと待っていると玄葉大臣。透かさず声を掛けた。「玄葉さん」。玄葉は「あ~どうも」とヨン様ばりの笑顔を見せる。「余り偉くなっちゃ駄目よ。立派にならなきゃ」と愚生。秘書らは笑っていたがSPは怪訝そうに睨む。

 その玄葉大臣が日韓経済連携協定(EAP)交渉再開の為に訪韓した。今春の李明博大統領の来日の合わせ合意するというが、訪韓は時期尚早だろうに。

 金星煥外交交通商相は先日の前原外相同様に歴史問題を取上げ、更に在日韓国人への「地方参政権付与」の問題が先決だと傲岸不遜な言行に終始した。

 玄葉大臣は「同じ経済圏となることで歴史問題をクリアする方が早い」との見解を示したと言うが、間違っても参政権付与を大統領への土産にしてはならない。

cordial8317 at 11:45|Permalink

2011年01月05日

年末年始はいつものことながら少々?飲み過ぎたな(爆)

 昨日から仕事始めだった人も多いだろうが、正月4日の昨日はいつもの同級生三人との飲み会という名の酒乱会で、当然乍ら呑んでた後半の記憶が無い(笑)

 昼に自宅まで迎えに来て貰い、市内に在る並木温泉に浸かってから、中華料理屋「太陽」で静かに始まった。この店は四川料理の名店六本木に在る「四川飯店」の陳健民の片腕だった従兄弟が経営している店で、料理はどれも保証付きの美味さ。

 従兄弟は所謂残留孤児で、中国から帰国して直ぐ中華料理の道に入りその腕は秀逸だ。先ずは絶品の棒々鶏を摘みながら生ビールで乾杯。海老チリや鶏のカシューナッツ炒め、麻婆豆腐、餃子など。紹興酒に替え、一気にボルテージは揚がって行く。

 気の置けない仲間との酒席くらい愉しいものはない。それも美味しい料理と同級生との一献となれば愉快に酌み交わして談論風発、中学時代の気分に戻り、時間の経つのも忘れて呑み続けた。その後、友人の行きつけの店「盛り亭山治」に転戦。

 この店はジャンボメンチカツ定食が有名で、最近ではマスコミにも度々取り上げられている店だ。店の休憩時間だったが友人が無理を言って開けて貰った。

 食べたばかりで腹くちいので、芋焼酎「黒霧島」をロックで呷る呷る。肴は女将の御好意で地元野菜の御新香。大根の皮と白菜と山牛蒡ともう一つは忘れた(笑)

 あっと言う間に焼酎の四合瓶が空き、もう一本入れるたのだがこの辺りから様子が怪しくなって来た。友人らが夫夫勝手な事を言い出したかと思うと、常連の友人はカウンターで若い娘を口説き捲っていた。流石に二本目の焼酎は余した。

 気が付けば何故か駅前に繰り出していた。小腹も空いてきたので手打ち蕎麦が絶品の「こまち」へ。日本酒の三点セットともり蕎麦を注文。日本酒の銘柄を説明していた様だが、全く記憶が無い。旨い日本酒だったことだけは覚えている。

 もり蕎麦が運ばれ一気に平らげた。もう一枚と行きたかったが止めといた。その後は御決まりの郡山市の誇る名店「ザ・バー」へ。もうこの辺りになると何がなんだかさっぱり記憶が無い。何を飲んで、何を喋ったのか、気が付けば布団の中(笑)

 目が覚め、徐に布団から出てから記憶を辿る。服は脱ぎっ放しだったが他の物はきちんと置いて在った。先ずは財布の中身を確認するも「あ~やっちまった!」な。更に携帯を見るも何故か裏蓋が無く、電池が丸出しになっていて猛省。

 こんなものそう簡単に外れないだろうに、何処でどうして無くしてしまったのだろう。友人らに電話するも、皆ザ・バー辺りからの記憶が無い様だった(笑)

 酒での過失は数限り無いが、痛飲した末に懐がすっからかんになっても、気分が良く、直にまた誘いたくなる酒友がいるというのは本当に有難いことである。

 年末年始、少々飲み過ぎた。懐具合も芳しくないし、来週の赤羽「米山」への裏返しも有るし、暫くは納豆でも食って静かに過ごすとするか。呵呵大笑。

cordial8317 at 14:26|Permalink

2011年01月03日

新年一般参賀~靖國神社~浅草「どぜうの飯田屋」へ

 新年に当り、天皇陛下が臣民から祝賀を受けられる恒例の新年一般参賀の儀に伍する為に上京した。朋友らと10時に東京駅で待ち合わせて皇居へ向かう。晴天に恵まれ、コートも要らない位の暖かさ。二回目の11時の御出座しを待つ。

「もう直ぐ御出座しになられます」とのアナウンスが流れると、間もなく宮殿・長和殿の襖が開けられ、天皇皇后両陛下並びに皇太子殿下、同妃殿下、秋篠宮殿下、同妃殿下他皇族方が次々と御出座しになられ、ベランダに御立ちになられる。

 御出座し遊ばされると同時に、長和殿前の広場に集まった彼方此方から「天皇陛下萬歳」が唱和される。右翼現役の頃は若い隊員と共に萬歳三唱を声高らかにしたものだが、右翼団体を辞した今年は静かに陛下と皇室の弥栄を御祈りした。

 同道した元防共挺身隊行動隊長の板倉純一郎も何か物足らなさを感じていた様子だった。陛下より、「今年が皆さん一人一人にとり、少しでも善い年になるよう願っています」との御言葉を賜り、皇国臣民としての喜びこれに優るものはない。

 皇居宮殿を後にし、九段の靖國神社へ詣でる為に「乾門」方向へと歩く。今迄は参賀を終えると、東京駅方面へ戻っていた為に、初めて見る宮城の佇まいに感動しつつ、九段下迄の散策を愉しんだ。途中、高円宮妃殿下や高松宮殿下皇族方の車両が我々の横を御通りになったのには驚いたというか感動を覚えた。

 乾門を出て北丸の内公園を通り、1時間弱ほどで靖國神社へ到着した。参道には老若男女多くの心有る国民でごった返していたが、一般参賀にしてもこうして自然発生的に集まる姿を見れば我が国も未だ未だ捨てたものじゃないと実感する。

 本殿参拝と鎮霊社へ詣でる予定だったが、居並ぶ人の多さに遠くから一礼し靖國を後にした。靖國通りでタクシーを拾う。乗り込みと、ヘキサ交通の運転手の長沢さんという方から「お年玉」を頂く。「今年一年見通しが明るくなる様に」と中には55円が入っていた。こうした心遣いは本当に嬉しいものだ。

 そんなこともあって気分上上で浅草のどぜうの名店「飯田屋」へ。20分程で二階席へ案内された。「生ビール」とどぜう鍋の「丸」、「牛蒡の笹掻き」は別注文。

 肴は「まぐろの山かけ」と「茶碗蒸し」「鯰の唐揚げ」を注文。ビールの後は純米酒の冷やを頂く。同道した二人共どぜう鍋は初めてらしく、「葱は多めに入れ」などと薀蓄を垂れるもその味の秀逸さは鍋を突けば忽ち分かると言うものだ。

 追加の「丸」の泥鰌と豆腐を注文して鍋も終了。心地良く酔って来たところで勘定を済ませ「神谷バー」へ。やはりここも正月だけあって店の外には長い行列。

 10分程で席に案内された。ここではやっぱり名物の「デンキブラン」でしょ。その後はデンキブランの炭酸割りにデンキブランを入れた「奥村バージョン」を。

 何杯飲んだか忘れたが、酔っ払い過ぎて、周りの迷惑顧みず談論風発。白昼にして乱酔す。興志ひとたび来らば狂喜し、侠友ひとたび往かば乱酔すべし。呵呵

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cordial8317 at 09:24|Permalink