2010年12月

2010年12月27日

酒は飲むべし、酒は飲むべし

 数年ぶりに邂逅した奥村洋子女史が「ゴローちゃんに是非、連れて行きたい居酒屋が在る」というので上京することに。場所は東京赤羽で、店の名前は「米山」。

 中々マニアックなモツ焼きの店で、入れるのは18時15分から。この一回目の開店時に入れないと、次に入れるのが20時半以降の完全総入れ替え制となる。

 19時半に到着し、二回目の先頭に並ぶ。寒風吹き荒ぶ中、久しぶりの再会で話も弾み、待ち時間を感じさせないが、20時半過ぎになっても入れる気配無し。21時過ぎに漸く入店となった。店には何やらルールが有るらしく、注文はツレにお任せ。

 先ず飲み物は「ホッピー」を注文。次にメニューだが、焼きトン中心で、生、半焼き、焼きが有り、レバー、タン、ハツの生とレバー、カシラ、ハラミ、ハツの半焼きとつくねとあぶら、タマネギ和え(合え)、おしんこ、肉豆腐を注文。

 ホッピーを飲み、暫しすると刻み葱とニンニク(ニンニクか生姜を選ぶ)が盛られた皿が運ばれ、生の肉が乗せられる。コレが絶品だった。こんな豚の生肉は食べたことが無い。お好みで胡麻油、醤油、塩で味付けして食べたが最高でした。

 生肉の次に半焼きの品々。生も旨いが、半焼きのカシラとハラミも最高。つくねがこれまた絶品で、スパイシーな味付け。つくねは超稀少メニュー。

 愚生的には、浜松町の「秋田屋」、蒲田の「八幸」が最高峰だと思っていたが、ここ「米山」も引けを取らない逸品で、それどころか一番美味しいかも知れない。

 このつくねを目当てに来る客が多いと言うのは頷ける。二本ずつ頼んだが、「今日は一本しか出せない」とのこと。でも一本だけでも食べられただけラッキー。

 ホッピーを二杯飲んでからグレープフルーツ割りを。ツレはトマトジュース割りにタバスコを少々振りかけてた。ここの焼酎は凍らせて細かく砕いたのを入れるので、氷で薄くなるという事が無いからかなり酔っ払う。気付いた時はヘベレケ(笑)

 最後の肉豆腐が出て来た頃にはかなり酔った。肉豆腐は〆として御飯に掛けたら最高だろう。待ち時間を含め3時間の愉しい時間はあっと言う間に終了。

 この店の名物らしい「あっさり煮込み」や「水餃子」「マカロニサラダ」は売り切れて食べられなかったのが残念だった。次回の裏返しの際には夕方の第一回目に参上し、完全制覇(コンプリート)したいと思っている(笑)

 師走に入り、「忘年会」やら「納会」やら「クリスマス」に託けて酒を飲む機会が多くなる。年明けは「新年会」。酒を飲むならやはり愉しく飲みたいものだ。

 牡丹花肖柏(ぼたんかしょうはく)の詩に、「我仏 隣の宝 婿舅 天下の軍 人の善悪」という一首がある。要は、人の集まる所で口にしてはならない教えだというのだが、酒席では中々そうは行かない。酒席での人の悪口くらい盛り上がるものはないから、困ったもので悪口をつまみについつい呑み過ぎてしまう(笑)

 坂本竜馬の詠んだ詩に「酒は飲むべし酒は飲むべし 人生唯酒ありて肝を開く 酔中の快楽人知るなし」というものが有るが、酒に関する詩では一番好きだ。

「飲酒詩」の中でも漢詩には「月下独酌」など浪漫を感じるものが多い。盃に月や菊や桜の花弁を浮かべたり、漢詩というのは愚生にはチョッと敷居が高過ぎる。

 こうした情緒を味わうにはビールや焼酎やウイスキー、況してや老酒や紹興酒では興醒めだろう。やはり、日本人なら日本酒が一番合うと思う。

 晩酌では、故郷二本松の地酒「大七」の純米酒をお気に入りの錫の徳利に注いで、同じ錫の盃に注ぎチビリチビリでやっている。この酒は熱燗でも合うが、面倒なのでの今の時期は冷や(常温)で飲む。夏場は冷やして呑むのが好い。

 冷酒には「涼冷え(15度前後)」「花冷え(10度前後)」「雪冷え(5度前後)」と呼び方も様々らしいが、こんな細かなことをしてる飲み屋は無い。

 燗酒も同様で、「飛び切り燗(55度前後)」「熱燗(50度前後)」「上燗(45度前後)」「ぬる燗(40度前後)」「人肌燗(37度前後)」「日向燗(33度前後)」と温め方で呼び方も変わる。ここまで来ると酒も哲学だよな。

 他にも日本酒というのは、色や香り酸味や日本酒度で呼び方が違うと言うから日本酒道というのは実に奥が深い。福島県内、特に会津地方には日本酒の酒蔵も多く、そうしたこともあり毎月25日を「会津清酒の日」と定めている。

「酒は二合が適量」と言うことで2合らしいが、日本酒を呑む時に欠かせないのが「やわらぎ水」というチェーサー。唯の水ではあるが、これを侮る勿れ。やわらぎ水を傍らに適量の飲酒を心掛ければ海老蔵の様な失態は免れるかも知れない。

 会津の地酒「栄川」を愛した最後の浪人・阿部勉が、「数々の過失は酒と共にあり その酒抱きて今日も堕ちなん」と詠んだが、阿部さんも「やわらぎ水」を傍らに置いて飲んでいたらチョッとは違っていたかも知れない。

「我死なば 火には焼ぶすな栄川の二級に浸して 深く埋めよ」とは阿部さんの辞世の句。阿部さんと同じく酒での失敗は数知れないが、それよりも酒で得る事の方が遥かに多い。やはり「酒は飲むべし酒は飲むべし」とは蓋し正論なのである。呵呵。

cordial8317 at 10:35|Permalink

2010年12月15日

硫黄島訪問での高松宮宣仁殿下の秘話

 菅直人首相は昨日、硫黄島を訪問し遺骨収集作業を視察した。自らも遺骨収集に加わり、「遺骨を家族の待つ地に返すのは国の責務。一粒一粒の砂まで確かめ、一人でも多く帰還出来る様に全力を尽くす」と、視察後の追悼式で挨拶した。

 収集前に菅は、跪き両手を合わせ合掌し頭を垂れる。然し、善く善く見れば軍手をした儘で遺骨が埋もれている場所で拝んでいる姿には違和感を覚えた。

 人は遺骨の上を歩かない。これは古来の日本人が厳しく護って来た道である。昭和47年(1972年)、高松宮宣仁殿下が硫黄島へ行かれた際の秘話が有る。

 壕の中に折り重なっていた遺骨は片付けたが、
 未だ遺骨が散らばっていた。
 壕の中に案内された宮様は、ハッと息を呑む気配を御見せになり、
 やがて地べたに正座し、両手を着き首を垂れ瞑想状態に入られた・・・
 別の壕では靴を脱がれ素足で骨片の散らばる壕内に入って行かれた・・・

 この地を素足で歩かれ視察したのは、高松宮殿下唯一人だったという。菅にも素足でやれとは言わない迄も、せめて軍手を脱いで合掌するべきだったろうに。

 遺骨収集を否定するものではない。だが、集めた遺骨や残る全ての遺骨を千鳥ヶ淵墓苑に埋葬するというのだろううか。そうとは思えない。多くの遺骨で手狭となったと言う理由で「国立戦没者追悼施設」の建立を企てるのではなかろうか。

 我が国政府が、先の大戦で犠牲となった方々の鎮魂の為に建てた慰霊碑は、アジア各国やロシアなどに点在している。インパール作戦での日本兵の霊を鎮める為に、数年前には、インドのレッドヒルの近くに慰霊碑を建立している。

 然し、この地を訪れた人は愕然とするという。施設のコンクリート床は手抜き工事で大きく傾き、薄汚れえ、驚くことに肝心な慰霊碑が無いということも。

 シベリア抑留の帰還船が出たナホトカにも慰霊碑が在る。亡くなられた方々の霊を慰める為の碑なのだが、一般の人の墓と同じで実に安っぽく「日本人墓地」と書かれてるだけ。とても悔し涙を飲んで亡くなった同胞を慰霊するものではない。

 我が国政府や政治家自身に英霊や異国の地で亡くなられた方々への尊崇の念が無いから魂の無い形だけのものになってしまうのだ。数年前に友人らと戦跡慰霊としてサイパンを訪れたことがあった。日本政府の建てた慰霊碑は確かに存在していたが、手入れが行き届いておらず寂しい佇まいをしていたのを思い出す。

 異国の地や激戦地で斃れた方々は、祖国日本の為に、家族を守る為に、アジアの独立という大義に殉じたのだ。屍は異国の地に草生すとも「靖國で会おう!」との言葉を残し散って往った魂は今、靖国に還り、滔滔と生き続けているのだ。

「国立戦没者追悼施設」より、靖國神社の宗教法人格を見直すと共に国家の責任で護持し、国民挙って護国の英霊に感謝し、崇敬の誠を捧げる事こそ有要である。

 精魂を込め戦いし人未だ地下に眠りて島は悲しき(御製)

cordial8317 at 09:32|Permalink

2010年12月12日

一兵卒である小沢一郎が国会審議の妨げになっている(苦笑)

 民主党執行部は、小沢一郎を政倫審に招致する方針を固めたらしい。小沢の政治とカネの問題で国会審議が遅れているが、「一兵卒として党に尽す」筈の小沢が、幹事長に逆らい国会審議の妨げになっているのだからこれほど滑稽な話しは無い。

 小沢は幹事長の再三の面会要求を拒み続けているが、党を仕切る幹事長が自称一兵卒の議員に会えない状態は、党幹部の岡田克也ならずとも「チョッと異常な事態」を通り越している。最早、壊滅状態の民主党は遅かれ早かれ瓦解するだろう。

 当の小沢は、相も変らず「自分の姿勢と政治生活に於いて一点も疚しいことは無い」と堅白同異の弁を垂れ流して、更には白々しくも、「今や一兵卒だが、多くの仲間と力を合わせ民主党政治を成功させる為に全力で頑張ると宣う始末。

 小沢は、「もう一度、国民の期待に応えられる様な民主党政権にしなければならない」と語っているが、その一兵卒こそが、民主党政権の支持離れと党を瓦解させる最大要因になっていることには気付いていないというか、気付かないフリ。

「政治資金規正法」は議会制民主主義の根幹を成す法律であり、政治資金の実態を偽ることは国民を欺いて政治判断を歪めることだ。立法府の国会議員が、その法律の抜け道を巧妙に掻い潜り不動産購入や蓄財に充てる事が有ってはならない。

 検察審議会の「起訴相当」の判断に、小沢は「今後は裁判の場で私が無罪で有ることが必ず明らかになるものと確信している」と悪怯れた様子もないが実に見苦しい。

 検察審議会が「本人の供述は極めて不合理で不自然」と断罪し「起訴相当」と議決した様に、多くの国民も又政治とカネの問題が解決したとは思ってはいない。

 小沢は先の代表選で「政治とカネの問題から逃げない」と大見得を切ったが、ならば堂々と政倫審に出席すべきで、高が政倫審如きに何をそんなに怯えているのか。

 民主党議員には小沢に阿諛追従する「一新会」などクソ議員や無知な新人議員も多く、自浄能力の無さと政権担当能力の無さを露呈するばかり。党利党略を優先し、大連立構想に狂奔している野党議員にも呆れ果てて返す言葉も無い。

 ここ一週間の動きを見ても読売グループの渡辺会長に嗾けられ、鳩山兄弟やら舛添やら与謝野、自民党の谷垣や森らが密談しているが、こうした旧態依然の政治手法は国民に疎んじがられるばかりではなく、単なる野合は国益を害するだけだ。

 小沢の師である田中角栄も金丸信も「政治とカネ」で失脚した。小沢は政治力では田中や金丸に及びはしないが、歴史は繰り返されるというし政治家としての末路は淋しいものになるだろう。いっそ醜態を曝す前に潔く引退した方が身の為だ。

cordial8317 at 10:52|Permalink

2010年12月09日

連日、海老蔵事件ばかりが報道されるが

 連日マスコミでは、半グレ集団のリーダーにボコボコにされた市川海老蔵の事件ばかりが取り上げられて、緊迫する朝鮮半島情勢や政治の話題は二の次の様だ。

 ドサクサに紛れてやるのが日本政界の常套手段で、読売グループの渡辺がしゃしゃり出て谷垣禎一や鳩山由紀夫と会談し「大連立構想」の姦策を巡らせている。

 自民党の森喜朗が待ってましたとばかり官邸に出向いて何やら密談して来た様だが、こうした旧態依然の政治手法は国民から総スカンを喰らうのは必至だろう。 

 菅直人は小沢一郎の国会招致問題に絡み、衆院政治倫理審査会での招致議決指示した。これに小沢チルドレンら小沢支持派が強く反発し、仙石の辞任を要求したと言うが「目糞鼻糞を笑う」とはこの事で、民主党は最早壊滅状態に違いない。

 当の小沢は、党内事情を他人事と捉え相変わらず政界再編を睨み策謀に奔っているが、小沢にしろ読売の渡辺にしろ、悪しき輩は早く引退して欲しいものだ。

 昨日、元横綱朝青龍の傷害容疑が起訴猶予となった。横綱審議委員会から「引退勧告」を出され落涙し引退を決意したことは記憶に新しい。朝青龍が自ら引退表明した同じ日、政治資金規正法違反に問われていた小沢に不起訴の判断が下された。

 不起訴処分とはなったが、嫌疑不十分で罪に問うには証拠が少ないと言うだけの話しで無実(無罪)となった訳でもないし、政治的・道義的責任は拭えない。

 政治資金規正法は議会制民主主義の根幹を成す法律であり、政治資金の実態を偽ることは、国民を欺いて政治判断を歪めることに他ならないのである。「天網恢恢疎にして漏らさず」の譬え通り、小沢は国民審査会で処分が下されるだろう。

 金銭欲逞しい卑しい政治家に横綱の様な品格や礼節を求めるのは無理な話かも知れないが、政治とは最高の倫理であり、最高の道徳でなくてはならないのだ。

 そう考える時、恬として恥じること無く、権力の中枢に居座り続ける政治家のクソどもには、総選挙という国民の力を以て「引退勧告」を突き付けるしかない。

cordial8317 at 08:49|Permalink

2010年12月06日

そうか、槙枝元文(元日教組委員長)が死んだか!

 国士舘大学に入学して間もなく行動右翼・防共挺身隊に入隊したには昭和54年の頃だった。当時の右翼団体の活動の最たるものは「日教組撲滅」であり、全国で開催される日教組大会には全国の右翼団体が挙って結集し抗議行動を行った。

「日教組粉砕!槙枝殺せ!」と、咽喉が掠れるほど絶叫したのが今では懐かしい想い出でもある。あの時代に日教組の委員長だったのが槙枝元文だった。

 槙枝が日教組委員長を務めていたあの昭和50年代が最も教育界を蝕んだ時代だったと言っても過言ではないだろう。その槙枝が亡くなり、感慨深いと言うより、天罰を下されるべき国賊が未だ生きていたのかと言うのが正直な感想でもある。

 日教組が共産党系の「全教」と袂を分かち、壊滅すると思いきや今や政権与党である民主党に巣食い、国家を蝕んでいるのだから、世の中何が有るか分からない。 

「ミスター日教組」に代わり、「日教組のドン」「参院のドン」と称される輿石東参院議員が民主党内左派を束ねて日本労働組合総連合(連合)との関係を深めている事実に危機感を持つ国民は多い。党内実力者は小沢ではなく実は輿石なのだ。

 輿石は過去の総選挙に於いて、山梨県教組の関係者が「教育公務員特例法」並びに「政治資金規制法」で逮捕され有罪判決を受けてもその関係を全面否認して、未だ責任を取ってはいないことを見ても姑息なジジイと言う他は無い。

 神奈川県と山梨県の小学校教諭や山梨県教組執行委員長などを歴任した輿石は、日頃から「永遠に日教組の組合員であるという自負を持って、日教組と共に戦って行く」だとか、「教育の政治的中立は有り得ない」と宣って憚らないクソだ。

「教育基本法違反」を公然と勧めるその精神異常さは、槙枝同様に喩え死んでも治らないだろう。輿石は、日教組の反日思想を政治の場に持ち込み、我が国を罵り、蔑み、貶め、自虐史観の限りをぶち挙げ、売国法案の早期成立に躍起だ。

「戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法案」もその一つである。この売国法案を早期に成立させ、元売春婦らへの国家賠償を企み、日本の戦争犯罪を正当化させ、自虐史観に基づく教育の徹底を謀っているが断じて阻止せねばならない。

 民主党政権下で、国家のカタチが大きく変り、国家の大本である教育が大きく転換された。日教組主導の「反日」と「自虐」史観に基づく学校教育が大っぴらに行われ、益々教育荒廃が進んで行くのを拱手傍観している訳には行かないのだ。

 やはり、日教組は日本国内に巣食う「癌」であり、この病巣を抉り出し、粛正しない限り我が国の教育の正常化など有得ない。歴史・伝統・文化を否定し、日本国家解体論を標榜する日教組や全教といった売国蛆虫勢力を撲滅しよう。

cordial8317 at 07:29|Permalink