2010年11月

2010年11月26日

裁判員裁判で初の死刑判決を下す

 宮城県石巻市の殺傷事件の裁判員裁判で19歳(犯行当時18歳)の元解体工に死刑を言い渡した。何故か未だに実名が報道されないのは不思議なことで、市民感情を色濃く反映した結果が「死刑判決」なのであれば、実名も公表すべきだろう。

 裁判員が口々に「(死刑)判決を出すのが怖かった」「一生悩み続けるだろう」「眠れなかった」「泣いてしまった」とか、「やりたくなかった」という甘っちょろい感想を述べている。ならば、選ばれた段階で裁判員を辞退すべきだろう。

 この事件は残虐さや結果の重大性から極刑か無期懲役かの選択肢しかない。被害者側の峻烈な怒りや悲しみを酌むことも出来ない精神状態というのは如何なものか。判決後の裁判員経験者インタビューは三文芝居を見ている様で興醒めだ。

 死刑判決は裁判員に精神的苦痛と大きな負担を強いるし、我が国もそろそろ終身刑を導入すべきだとする流れなのだろうが、死刑制度の廃止より、我が国司法の低下著しい、このくだらん裁判員裁判を廃止して貰いたいものだ。

 死刑廃止は今や世界の大勢で日本もそうすべきという意見は少なくない。その理由として「法により国が人を殺す事は罪悪で人道に反する」「死刑には期待する程犯罪防止効果は無い」「冤罪の場合に取り返しが付かない」」或いは「人間は善を行うべき道徳的本性を先天的に具有しているのだ」と言う性善説など様々だ。

 人道に反するとは「人を裁けるのは神のみだ」というキリスト教的欧州思考に冒されているものだろうが、残虐な犯行をした者が死刑廃止で国法により生命を保証されると言うのも如何なものか。生命の尊重こそ大事というのは理解出来ない。

 抑抑、我が国の死刑制度は被害者遺族に代わり国が仇討ちする意味合いが強い。仇討ちを合法化するなら兎も角として、終身刑を導入したところで被害者感情は薄れる事は無い。「死刑は犯罪抑止効果は無い」と言うが、終身刑も同じだろう。

 裁判では反省の度合いも考慮されるが、要は、顔色を窺い要領良く減刑目的に反省したフリをしているだけだ。今迄多くのワルを見ているが、多くの者は逮捕された事実こそ反省するが、犯した罪を反省している輩など何処にもいない。

 元警察官僚の亀井静香が「冤罪云々」を疑って死刑制度に疑問を呈し、人権派弁護士らが「性善説」唱え死刑廃止を訴えているの本末転倒と言う他は無い。

 終身刑を導入しても死刑の代替として犯罪抑止の成果が上がるとは思えない。被害者及び遺族の無念や怨念を考慮すれば死刑を存続し国が仇討ちを実行すべし。

cordial8317 at 08:59|Permalink

2010年11月22日

地元郡山市の偉人・安積艮斎没後150年

 近代日本の源流と言われる江戸時代の思想家・安積艮斎(あさかごんさい)が万延元年(1860年)11月21日に永逝し150年を迎えたという記事が載っていた。

 安積艮斎の名は重信、別号、見山楼。幕末の激動期、良斎を師と仰いだ門人は吉田松陰を始め小栗上野介、高杉晋作、岩崎弥太郎など実に2282人に上る。

 艮斎は寛政3年(1791年)、陸奥国安積郡(現郡山市)の総鎮守、安積国造神社(あさかくにつこじんじゃ)第55代宮司・安藤親重の三男に生まれた。

 文化3年、17歳で学問を志し出奔。江戸に上り儒学者・佐藤一斎の門に入る。その後、大学頭(だいがくのかみ)林述斎(じゅっさい)の門人となり研鑽を積む。

 23歳で江戸神田駿河台に私塾を開き、天保2年、41歳で「艮斎文略」を出版する。その後も「艮斎間話」を著し、艮斎の名は天下に知れ渡る様になる。

 当時、文壇では「東の安積艮斎、西の斉藤拙堂」と並び称された。 艮斎は朱子学のみならず陽明学など他の思想や宗教の善い所を摂取しようと自由な学風を貫いた。

 洋学にも造詣が深く、渡辺華山が主宰し高野長英ら学者や幕臣が会した尚歯会にも参加した。天保7年(1836年)二本松藩儒となり、嘉永元年(1848年)58歳の時に海外事情研究の集大成「洋外紀略」を著し、世界史を啓蒙、海防論を説いた。

 同3年には幕府の昌平坂学問所教授に就任し、同5年十二代将軍徳川家慶に御進講。同6年、米国、露国の国書を翻訳し、ペリーの黒船来航時にも翻訳を行う。

  艮斎が師と仰いだ佐藤一斎が没した翌年の万延元年(1860年)11月21日、昌平坂学問所にて多くの門人に看取られて70年の波乱に満ちた生涯を閉じた。  

 艮斎が没した数年後、大政奉還、王政復古の大号令と政治的社会変革が次々興る。幕末の激動期に多くの功労者を育んだ艮斎の畢生は近代日本の大業である。

cordial8317 at 09:18|Permalink

2010年11月19日

いのちのバトン

 相田みつをの詩に「自分の番 いのちのバトン」というものがある。

 父と母で二人
 父と母の両親で四人
 そのまた両親で八人
 こうしてかぞえてゆくと十代前で
 千二十四人
 二十代前では?
 なんと百万人を越すんです
 過去無量の
 いのちのバトンを受けついで
 いまここに
 自分の番を生きている
 それが
 あなたのいのちです
 それがわたしのいのちです

 今の自分が存在しているのは、沢山の御先祖様のお蔭である。同じ様に、国にも歴史がある。日本は歴史上、人口移動の殆どない稀有な国である。

 日本列島に存在していた人は皆我々の御先祖様である。その共通の御先祖様からの流れの中に今日の我々がいる。日本の歴史は正に我々の御先祖様の歩みである。

 その日本の歴史を悪し様に罵る輩は御先祖様の歩みを否定していることであり、つまりそれは、自分という存在自体を否定していることと同じであろう。

 こうした日本人らしからぬ自己中心的発想は「男女共同参画社会」を唱える連中に多く見られる傾向で、唯物論とマルクス・レーニン主義に冒された精神異常者やジェンダフリーを叫ぶ性的変質者らしい実に身勝手なものばかり。

 福島瑞穂の著書に「生まない選択 子供を持たない楽しさ」という本がある。この本でそのキチガイぶりを発揮しているが、子供が出来ないなら兎も角として、「生まない」「持たない」とは恐れ入る。その福島には子供がいる(苦笑)

 民主党の目玉「仕分け作業」では、男女共同参画社会関連の破格予算が仕分け対象にならないが、これ程の無駄で悪しき制度を仕分けせずに何が仕分けか。男女共同参画社会を排除し、国防費や教育の充実、景気回復予算に充てるべきだろう。

「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」という。人間の命は儚い。自分の短い人生の中での経験よりも、滔滔と続いて来た先人の多くの経験から学ぶことが懸命。

 御先祖様の営為を学ぶことが歴史を学ぶことであり、そんな歴史に思いを馳せれば「子供は必要ない」という考えなど起こる筈もない。そう今が自分の番なのだ。

cordial8317 at 08:03|Permalink

2010年11月10日

ビデオ流出犯は第二の田母神さんになるか

 尖閣列島海域でのシナ人船長に因る漁船衝突事件のビデオが流出し、与野党入り乱れての喧喧囂囂の議論が入り乱れているが、流出犯を支持する国民は多い。

 流出させた海上保安庁の職員が国家公務員違反で逮捕に至れば懲戒処分は免れないだろうが、公務員と雖も「内部告発保護法」に由り保護されるべき事案だろう。

 裁判になり、流出に至る理由と衝突事件の全貌が明らかになれば、困るのは政府であって、仄聞されている様海上保安庁職員の殺人シーンは無いにせよ、みんなの党の渡辺喜美の言う様に「見付かっても英雄になる」のは間違いないだろう。

 例え逮捕され解雇されたとしても多くの国民は蛮勇を支持するだろうし、新たな人生を前航空幕僚長の田母神俊雄と共に憂国活動に邁進して欲しいものだ。
 
 田母神幕僚長が「日本は良い国だ」と言って解任されたのは記憶に新しい。世界のどの国も、自分達の都合が悪いので表立って認めはしないが、我が国が一方的に世界を侵略したなどということは、余程のバカで無い限り認識している。

 ところが、本当の事を言った途端に、当時の政府・自民党は大慌てで幕僚長を解任し、民主党も国会での参考人招致で田母神幕僚長に一切の弁明もさせず吊るし上げた。その御蔭かどうかは知らないが、田母神講演会は何処でも大入り満員だ。

 自衛隊の要職を解任された田母神元幕僚長は、今や時の人となり、「田母神塾塾長」「頑張れ日本!全国行動委員会会長」として八面六臂の大活躍である。

 尖閣列島での漁船衝突事件の流出ビデオの画像は、正にシナ人(漢民族)の凶暴性を示すもので、国民にこうした事実を知らしめる事は国益に敵うものである。

 日中関係悪化を懸念しビデオ公開を躊躇い、猛省もせずに犯人探しとは本末転倒で、ビデオ流出なんぞ警視庁の極秘文書流出事件に比べれば屁の様なものだ。

 菅直人が、APECを成功裏に収め様と姑息な手段で屋上屋を架してるが、抑抑、中共やロシアといったゴロツキ国家との友好や互恵関係などこっちから願い下げだ。

 左翼民主党亡国政権が続き、国益が損なわれ続け、自民党に保守政党の気概が見られない今、国民が待望しているのは真の保守政治の確立であり、そうした意味でも田母神元幕僚長や国を憂うる心有る方々との結集を期待して止まない。

cordial8317 at 07:39|Permalink

2010年11月09日

天皇皇后両陛下、明治神宮を御親拝

 畏くも天皇、皇后両陛下並びに皇太子殿下は、昨日、創建九十周年を迎えた明治神宮を御親拝なされ明治天皇と昭憲皇太后の御遺徳を偲ばれた。

 承知の通り、明治神宮は国民の総意により、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲び大正4年(1915年)に着工し、その5年後の大正9年に創建された神社である。

 平成16年、明治神宮は神社本庁から離脱し一宗教法人となったことは記憶に新しい。明治神宮側と神社庁との確執の末の離脱したのは誰もが知るところ。

 明治神宮側は「離脱の理由」として、平成16年4月の陛下の御親拝なされる際の関係者への案内状に、有ろうことか「陛下」を「殿下」と誤記してしまった責任を取って離脱したとしている。だが、その理由は正に堅白同異の弁で有るのは明らか。

 明治・大正を生きた国民の総意で建立した神社(明治神宮)を私物化し、神職どもが明治神宮側が営利至上主義に奔っている現状は憂慮すべき事態であろう。

 本来、神社=神道とは宗教ではなく、日本人の心に清む惟神の道である。宗教法人の規定では、教祖と経典と布教活動の三条件が必要で有るが、明治神宮はその何れも該当しておらず、宗教法人に甘んずることは国民への裏切りだ。

 神社本庁から離脱し一宗教法人となること自体、建立の趣旨から鑑みても逸脱しており、先人の努力も、国民の総意も踏み躙るもので看過出来るものではない。

 それにも況して問題なのは、神職に携わる者が明治神宮を利用して営利に奔っていることであろう。「神社本庁に属さなくても独立採算出来る」と言うその邪な考えは実に醜く、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲ぶ神社としては不謹慎過ぎる。
  
 明治神宮側が一宗教法人となることは、未だに宗教法人となっている靖國神社や全国に在る護国神社とは根本的に違う。靖國神社や護国神社が宗教法人となっているのは、戦後GHQの「神道指令」を免れる為に已む無く採った智慧でである。

 本来ならば昭和27年4月28日の主権快復した折に、国が護持すべきものであったのだ。歴代内閣の不作為で未だ国家護持実現されていないことは憤激に堪えない。

 明治神宮の神社庁離脱と目に余る営利主義は、戦神道指令や占領政策を容認するばかりか、明治神宮建立の趣旨からも逸脱するもので猛省を促したい。

cordial8317 at 07:54|Permalink

2010年11月06日

漁船衝突事件の流出ビデオ公開は実に快哉

 尖閣列島でのシナ人船長に因るテロ行為というべき衝突事件の録画ビデオが流出した。このビデオを見た多くの国民は何故このビデオが流出したのかという疑問より、何故政府は公開しなかったのだろうという疑問の方が強いと思う。

 この事件は明らかなシナ漁船の不法行為であり、始めからこの不法行為を公開し世界に我が国の正当性を主張していれば今回の様な迷走は無かっただろう。

 今回のビデオ流出について、石原都知事が会見し「実態を見て貰いたい」という内部告発だろうとの認識を示したが、何処の誰かは知らないが「義を見てせざるは勇無きなり」と告発した蛮勇を多くの国民は快哉と感じたに違いない。

 政府は、ビデオ流出を犯罪行為として捜査の意向を示しており、民主党や野党がここぞとばかり政府の危機管理を追及する構えの様だが、本末転倒である。

 中共政府に媚び諂い、柳腰オカマ外交の一環としてビデオ公開をしなかった民主党政権の弱腰外交を猛省し、与野党一致して中共の傲慢な態度を糺す事こそ肝要。

 中共政府は、「尖閣諸島は我が国の固有の領土」と主張しているが、尖閣諸島が日本の領土で有ることは中共自らが昔から認めて来た歴史的な事実である。

 昭和43年6月、国連アジア極東委員会が、尖閣諸島周辺の東シナ海大陸棚に石油・天然ガスが埋没している可能性を報告したことから、中共は唐突に国際法上の手続きも無しに地図を書き換え、自国領に組み入れているというのが実情である。

 1960年(昭和35年)に中共で出版された「世界地図集」には、「魚釣島」と記され、国境線も国連海洋法に従って与那国島と台湾本島の中間に引かれている。

 共産党独裁の中共で、出版会社が勝手に自らの解釈で国境を定められることはなく、この地図からも尖閣諸島が日本の領土であることが読み取れる。中共の領有権の主張は何ら根拠の持たぬ恣意的な捏造や改竄であることは明白である。

 石原都知事は、「尖閣の領有権を中国が主張する法的、歴史的根拠を、公式に政府から中国に質問すべき」と政府に苦言を呈したが、当たり前の認識だろう。

 重なる領海侵犯行為には毅然とした態度で臨み、単に「領土問題は存在しない」との見解を垂れ流すのではなく、根拠を示して反論すべきであり、国民は勿論、将来を担う子供達にこそ正しい資料に拠って教育し認識させる義務があると思う。

 領土は国の主権であり、これ以上国益を損なってはならない。

cordial8317 at 08:27|Permalink