2010年09月

2010年09月29日

戦後史と共産主義の跳梁跋扈

 尖閣諸島問題での、中共政府の跳梁跋扈を目の当りにし、20世紀最大の害悪はファシズムでもナチズムでもなく、況してや日本の軍国主義でも帝国主義でもない、共産主義(マルクス・レーニン主義)であったことを痛感せざるを得ない。

 歴史に「もし」ということはないが、日米が戦わず、蒋介石との和平が実現していれば満州国は保全され、中華民国は中国共産党を圧倒していただろう。

 そうすれば中国共産党の大躍進や文化大革命や天安門事件も起きなかったし、北朝鮮の独裁政治も拉致事件も起きなかったのだ。

 大東亜戦争とは、ソ連コミンテルンと中国共産党、そして日本の共産主義者が仕組んだ、共産革命の実現の為に、マルクス・レーニン主義者の策謀にまんまと嵌ってしまった戦争とも言えるのだ。その視点に立った時、我々は何を成すべきか。

 大東亜戦争自体、恥ずべきものではない。左翼どもは「侵略戦争」と宣い「アジアの人々に多大の迷惑を掛けた」と罵るが、日本はアジアを侵略したのではなく、アジアを侵略していた連合国と戦ったのだ。

 それでも尚、アジアの人々に謝罪をする必要が有るというなら最大の過ちは共産主義の跳梁跋扈を許したことであり、最大の償いはその共産主義を失くすことだろう。

 尖閣問題での日本政府の弱腰軟弱外交は、西沙諸島、南沙諸島、或いはインドやカシミール地方で中共の無法、虐政に呻吟している国々にとっても落胆は隠せない。日本は何時の時代もアジアの希望の星でなくてはならないのだ。

 日本に共産主義が入って約90年。ソ連東欧崩壊後、左翼団体はイデオロギーを流石に言えなくなり、その「カタチ」は実に陰湿になっている。

 男女共同参画社会、人権擁護法案、協働・共生社会、ジェンダフリー、無防備都市宣言、子ども権利条例と枚挙に遑なし。

 更には永住外国人へ地方参政権付与、外国人住民基本法案、戦時性的被害者補償法案、夫婦別姓、戸籍法の改悪。極め付けは女系天皇容認論である。

 此れら全て、唯物論やマルクス・レーニン主義に冒された精神異常者とジェンダフリーを叫ぶ性的変質者が作り出した政策で、今やその本質も理解することなく全国の行政へと深く入り込んでしまっている危機的状況なのだ。

 歴史、伝統、文化を否定し国家解体論を標榜する反日左翼勢力を撲滅しよう!

cordial8317 at 09:44|Permalink

2010年09月27日

蛆虫・共産党に常識は通用しないのは日本も支那も同じ

 尖閣諸島での漁船衝突事件で、中共の恫喝に屈し、逮捕・拘留した支那人船長を処分保留で釈放したことは弱腰外交の極みであり、外交史上最大級の屈辱である。

 中共は船長の釈放を以て「日本への勝利だ」とし、大いに自己満足に浸っているが、一方で主権侵害は国際的な信用が失墜したのも確かだろう。

 孔子の第75代直系子孫で日中関係評論家の孔健氏曰く、日本人と支那人の「謝罪」に対する文化は大きく違うと言う。

 日本人の「御詫び」は自分のメンツを保つ方法の一つで、許しを乞うことで、その人のイメージや尊厳を回復させることが出来るが、支那人にとって謝ることは、メンツを失う行為であり、例え自らの過ちを分かっていても絶対に謝らない。

 支那人にとって謝罪とは、勝ち負けそのもので、謝ってしまったら負けなのだ。「死不認錯(死んでも非を認めない)」という彼らの国民性は日本人には理解し難い。自己正当化の為に、詭弁や計略は非常に発達している(詭計多端)。「移花接木(議論の掏り替え)」も最も得意とするところだろう。

 何でも他人の所為にし、口から出るのは嘘ばかり(信口開河)。支那人と付き合う上で「死不認錯」「移花接木」「信口開河」「詭計多端」といった、支那人の本性を理解することは大事なことなのだ。

 安易に謝罪したり、御詫びをしたところで何ら解決はしないばかりか、ここぞとばかりツケ上がって無理難題を畳み掛けて来るのは目に見えている。

 石原都知事は中共政府をヤクザ国家と揶揄したが快哉だ。ヤクザに安易に「謝罪」や「詫び」をしたら、散々な目に遭うのは理解出来るだろう。

 中華人民共和国は共産党一党独裁のヤクザ国家で、共産主義者に日本的美徳は通用しない。強かに利用されるのがオチだ。

 未だ共産主義を最高原理として崇め、神や仏という共産主義を超える最高の存在を許さず、人民には信仰の自由、集会、結社、出版、言論等々基本的人権が無い。

 こんな蛆虫国家と「友好」だとか「互恵」などとは御笑い種で、「東アジア大交流時代」「観光立国」なんぞクソ喰らえだ。成金趣味の支那人を、査証(ビザ)を簡素化してまで来日させる必要無し。

 満州、内蒙古、チベット、新疆の異民族を虐殺し土地を奪い、共産主義と漢民族化を強制し、清朝時代の最大版図を「歴史的領土」と主張し、尖閣諸島や東シナ海、南シナ海をも併呑しようする中国共産党こそ、最大の「帝国主義国」だということを肝に銘じて対中外交を行うべきである。

 日本国内に巣食う、漢族や蛆虫・共産党、日教組等の共産主義勢力を一掃しよう。

cordial8317 at 13:03|Permalink

2010年09月25日

弱腰・軟弱・全方位・土下座・屈辱外交の極み

 尖閣諸島沖での漁船衝突事件は支那人の凶暴性と無法ぶりを示すテロ行為であり、中共の圧力に屈し処分保留で釈放したことは弱腰・軟弱・全方位・土下座・屈辱外交の極みであり、世界に日本の国家主権の御粗末さを曝したと言えよう。

 領土主権に対する明確な証拠と処罰の基準を、支那や世界に示す絶好のチャンスだったが、全てが後手後手で、問題を拗らせた挙句に、中共の圧力に屈した今回の判断は「脅かせば譲歩する」という悪しき前例を残したのは間違いない。

 今後、支那を始め、韓国、北朝鮮、ロシアによる領海侵犯や事件が勃発するであろうことは火を見るより明らかで、領海侵犯や領土侵略には戦争をしてでも死守するという世界の常識を見習って欲しいものだ。

 尖閣諸島や竹島、北方領土の主権侵害は、戦後、歴代の政府、国会が領土主張を疎かにして来た結果だが、与野党入り乱れての責任の擦り合いは見苦しいばかり。

 今回の漁船衝突事件は、支那漁船が海上保安庁の巡視船に接触し、更に別の巡視船に体当たりした挙句に逃走を謀ったものだ。漁船の無法ぶりや逮捕の必要性を、ビデオ公開や法律を示して毅然と処理すれば、支那の対応も違ったものになっただろう。

 海上保安庁は、度重なる支那国籍と見られる漁船の違法操業に業を煮やし、危機感を募らせた海上保安部が、国益と今後の違法操業に警鐘を鳴らす意味で逮捕したのだろうが、処分保留の決定に涙を呑んだ保安官も多いだろう。今回の決定に怯むことなく堂々と国土の防衛と安全に邁進して頂きたいものだ。

 韓国でさえ、頻発する違法操業の支那漁船を拿捕し、法に従って粛々と罰金刑等を科しているが、それで中共政府や支那人が猛反発し、対抗措置や報復と言う様な事態には至っていない。如何に日本が支那人にナメラレているかが分かる。

 前原や仙石は偉そうに「日本の法律に従って粛々と措置する」と宣いながら、結局最後は政治的判断で司法に責任転嫁したのは明らかで、今後の日中関係は互恵や友好どころか更に悪化の一途を辿るのは間違いない。

 釈放を決めた那覇地検は「我が国国民への影響や、今後の日中関係を考慮した」と詭弁を弄した。法と証拠に基いて捜査しなくてはならない検察が、外交問題に介入し政治判断したことは本末転倒で、法律家として恥を知れと言いたい。

 厚生省の文書偽造事件を巡る押収資料の改竄事件然り、今や地に堕ちた司法への国民の信頼は今後益々薄れて行くだろう。

 国際環境が激変した時のみ動くものが領土問題である。北方領土や竹島を取り戻す機会が到来したと同時に、それはまた尖閣諸島を奪われる危機でもあるのだ。

 今回の漁船衝突事件を契機に、政府・国会は一致して北方領土の奪還、竹島の帰属、尖閣諸島の領土主権を確立し、領土は国家の主権で有る。

cordial8317 at 10:14|Permalink

2010年09月24日

支那人よ、先ずは便所を整えてからモノを言え!

 尖閣諸島での漁船衝突事件以来、公務執行妨害で検挙された船長の即時釈放を求め、中共の強硬姿勢は日に日にえげつないものになっている。

 温家宝が国連総会で訪れたニューヨークで、恰も国連で演説してるかの様に小芝居を打ったのには、流石に狡猾と言う他ない。

 日本も具体的に証拠を示し反論しなければ中共は既成事実化するだろう。外交では言葉足らずの日本的美風は通用しない。口先も大事な事なのだ。

 地方自治体や民間レベルでも交流事業の中止や延期が相次ぎ、エコカーやハイテク製品の生産に不可欠な希少資源のレアエース(希土類)も禁輸されるという。

 過去にも靖国神社の参拝を巡り、中共の対日強行姿勢に屈し営利至上主義から中共に媚び諂い、支那の走狗と化した企業や政治家が相次いだが、領土は国の主権であり同じ轍を踏んではならない。尖閣諸島の事件は他国ならば実力行使する重要な問題で、日本の様な弱腰外交では何ら解決しないことを肝に銘じよ。

 漁船衝突の報復で、日本人の建設会社社員四人が軍事管理区域に侵入したとして拘束されたという。この社員等は、所謂「遺棄科学兵器」の関連事業を受注する準備の為に下見に来ていたというが、この処理事業はODAに代わる日本からの朝貢外交の一環で行ったもので、即刻撤収すべき事業である。

 抑抑、科学兵器(毒ガス弾)は「遺棄」ではなく「接収」というのが正しい。広辞苑には「遺棄」とは「捨てること」「置き去りにすること」。一方の「接収」とは「国家等が所有物を取り上げること」と在る。

 所謂「遺棄科学兵器」は、旧満州に駐屯した日本軍(関東軍)が残したものとされているが、明らかな誤解と誤謬であり、兵器は当時の毛沢東の共産軍(八路軍)と蒋介石の国民党軍が接収したもので、日本政府が処理費用を拠出する必要はない。

 中共政府は「毒ガス弾は日本軍が遺棄した兵器だ」と主張し、その処理と被害の補償を日本政府に要求したが、問題の兵器は戦後に中共側が旧ソ連から継承したもので、その管理責任が中共政府に有る事は歴史的経緯からして明らかである。

 日本軍(関東軍)は昭和20年8月9日に日ソ中立条約を一方的に破って満州に侵攻し、暴虐の限りを尽した旧ソ連軍に降伏し武装解除されたのであり、日本軍は兵器を「遺棄」したのではなく、旧ソ連軍に「接収」されたというのが事実だ。

 兵器というのは継承された瞬間から国際法上管理責任は継承した国に在る。つまり責任は中共に有り、日本が本来責任を取る謂れはないのだが、遺棄科学兵器の処理費用はODAに代わる、中共の強請りの打出の小槌だから離さないだけ。

 連日垂れ流される支那人の傲慢さにはうんざりする。日本人を見下して礼節も何もない。尤も便所の普及率が4割にも満たない国家が、日本に講釈を垂れるなど百年早い。「衣食足りて礼節を知る」というが、先ずは便所を整えてからモノを言え!

cordial8317 at 09:23|Permalink

2010年09月23日

支那人への「査証(ビザ)簡素化」を取り消せ!

 尖閣諸島での支那漁船のテロ行為以来、反日感情は高まり、中共政府の対抗措置は益々エスカレートしている。恰も日本を、支那の属国と見下すその無礼千万な態度は、聖徳太子が小野妹子を派遣した1600年前から変わる事はない。

 日本政府は「遺憾である」と、いつもの御座成りな発言で茶を濁し「御互い冷静に」と例の如く穏便に遣り過す姿勢の様で、仙石官房長官に至っては、御得意の「偏狭なナショナリズム云々」には開いた口が塞がらない。

 仙石こそ「偏狭な戦後イデオロギー」に屈服しているだけではないのか。漁船衝突事件が混迷を深め、支那人船長の凶暴性を目の当たりにした政府が喫緊にやるべきことは、日中友好の名の下に謀られた「査証(ビザ)の簡素化」を即刻中止することである。生命の保証、財産の安全こそ国民の願望であり、これに優る国益はない。

 抑抑、対中外交の目玉政策である「査証(ビザ)簡素化」「観光立国」「東アジア大交流時代」や「外国人地方参政権付与法案」は、中共政府の策謀であり、日本社会の安全を無視した無責任極まりない愚策で、騙されてはならない。

 現在、日本に限らず、米国、アフリカ大陸、ヨーロッパ、全ての都市が支那人で溢れ返っている。今や世界の5分の1が支那人で、支那大陸を出て、他国に根を下ろす「華僑」「華人」は全世界で4800万人にも上る。

 中共は「華僑」や「華人」の移住者や留学生らを使って諜報活動や抗議行動をさせるのは常套手段で、他の外国人とは異なり、組織化し、暴徒化し易い。一昨年、長野・聖火リレーに於ける支那人留学生の集団暴力事件は記憶に新しい。

 支那人留学生らによる「聖火応援隊」の正体が、中共当局の主導による組織で有ることは既に判明している。支那人留学生を統率した「全日本中国留学生学友会」は中国大使館直轄の組織であり、各大学の学友会に、中共の公安関係者が学生の身分で紛れ込んで支那人留学生を監視し、訓練していたことが発覚している。

 長野に集まった約4000名の「聖火応援隊」は、いとも簡単に集結して統制された組織を作り、集団暴力によって「フリーチベット」を訴える者の言論の自由を奪ったことは赦されない。日本の治安を脅かす事態を招いたのだ。あの危機的事態を「長野で起きた一時の現象」と看過してはならない。

 今回の漁船衝突事件を契機に、将来、我が国の主権が脅かされる事の無い様に、心有る関係者は、一致して対中共の具体的対策に着手すべきである。

cordial8317 at 08:56|Permalink

2010年09月22日

アントニオ猪木の大いなる勘違い

 アントニオ猪木が、平壌で行われた映画祭から帰国後、成田空港で記者会見し「八月の大洪水での被害は深刻。日本からも何らかの形で復旧を支援し、扉を開けるきっかけになればと思う」と話したが、日本が人道支援すれば日朝交渉再開は吝かではないとは本末転倒で、例え人道支援と雖も日本は譲歩するべきではない。

 猪木は度々北朝鮮を訪問しては、北朝鮮のスポークスマンの如く振舞う。以前にも、拉致問題に絡み「世論があるのは分かるけど、一国の総理(当時・小泉純一郎氏)が約束(一時帰国者の帰国)を反古にした訳だから。それで次に向けて発展させて行くという外交のチャンネルがプツッと切れてしまった。要するに、外交を優先せずして拉致問題が最優先事項の国なんて何処にあるんですかと。俺も早く解決してほしいと思うけど、反面、対話の場所がなくてどうやって解決するのって」と尤もらしく語っているが、一国の総理が約束した訳でも反古にした訳でもない。

 今回も、帰国後「形だけの対話ではなく、相手の心を開く外交が必要だ」と同じ様な自説を垂れ流しているが、猪木の言い分は北朝鮮のプロパガンダそのものだ。 拉致問題の解決なくして、北朝鮮との友好など有り得ない。

 ハッキリ言えば、拉致問題を抱える北朝鮮や尖閣諸島問題でイチャモンを吐ける支那、竹島を不法に占拠され「日本海」を「東海」に変更しろなどとホザく韓国、北方領土を不法占拠するロシアといった不良国家と付き合う必要もない。

 アントニオ猪木の言う心を開く外交とは一体何なのだ。人民の貧困や餓死者が出ても歯牙にも掛けず、ミサイルを開発し、核開発の疑惑を持たれ様とも軍事力増強に狂奔し、金一族の個人独裁の世襲全体主義に物申すべきではないのか。北朝鮮如きに媚びる必要は全くないのだが、どうせ「喜び組」でも充てがわれてるのだろう。

 拉致問題を、戦前日本が行った「徴用」を「強制連行」とし「拉致なんぞ日本のやった行為に比べれば大したことではない」と宣う輩がいるが、アントニオ猪木やデビ夫人もその類で、連中は有名人を懐柔し利用するということを知るべきだ。

 国家の方針として国際テロや拉致を実行し、麻薬や覚醒剤を生産して密輸し、ニセ札をばら撒き、集めたカネでミサイル開発。こうした犯罪国家・北朝鮮を擁護する輩が存在するのには驚くばかりだが、その無知蒙昧は嗤うしかない。

cordial8317 at 07:34|Permalink

2010年09月18日

売国奴・岡崎トミ子が国家公安委員長とは冗談が過ぎる

 菅改造亡国内閣が発足した。国賊・千葉景子が退任し安堵したのも束の間、今度は「戦後補償を考える議員連盟」会長で、名うての売国奴・岡崎トミ子が国家公安委員長に就任だというのだから冗談が過ぎる。菅は今回の内閣を「有言実行内閣」と銘打っているが、岡崎が「有言実行」となればシャレにならない。

 岡崎の反日的言行は枚挙に暇無し。平成13年の参院選の際、朝鮮学校を運営する朝鮮籍の理事長と、パチンコ店を経営する韓国籍の会社社長から寄附を受けたことがバレ、政治資金規正法の疑いを持たれたが未だ疑いは晴れてはいない。岡崎は日本の政治家と言うより、カノ国の走狗と化した売国議員である。

 日本の戦争責任を検証することを目指す政策勉強会「日本の歴史リスクを乗り越える研究会」の発起人になり、昨年も、支那で起きた平頂山事件について日本政府に公式謝罪を求める議員団に参加している。

 所謂、従軍慰安婦という名の売春婦に対し、謝罪と賠償を求める戦時性的強制被害者問題に狂奔しているキチガイの一人で、平成15年(2003年)韓国で、元慰安婦関係者が毎週水曜日に行う日本大使館へ対する恒例の抗議行動(通称水曜デモ)に、国費を利用しての反日デモ参加し、国民から総スカンを喰らった。

 永住外国人地方参政権付与の取り組みも熱心で、こうした反日・自虐史観にどっぷり嵌ったバカ左翼の権化を、事もあろうに国家公安委員長に任命するとは言語道断であり、百害有って一利無し、粉砕するしかない。

 嘗て、三島由紀夫が「反革命宣言」の中で「もし革命勢力ないし容共政権が成立した場合に、例えたった一人の容共的な閣僚が入っても、もしこれが警察権力に手を及ぼすことが出来れば、忽ち警察署長以下の中堅下級幹部の首の挿げ替えを徐々に始め、或いは若い警官の中に細胞を潜ませ、警察を内部から崩壊させるであろう」と揣摩しているが、今、正に三島が憂いた悪夢が現実のものとなろうとしているのだ。

 三島は更に「我々はあらゆる革命に反対するものではない。暴力的手段たると非暴力的手段たるとを問わず、共産主義を行政権と連結せしめようとするあらゆる企画、あらゆる行動に反対するものである。この連結の企画とは、所謂民主連合政権(容共政権)の成立及びその企画を含むことを言う迄もない。名目的たると実質的たるとを問わず、共産主義が行政権と連結するあらゆる態様に我々は反対するものである」と宣言し、保守派の団結と干戈を訴えたが、保守政党が快復の兆しすら見えない今、国を憂うる真の日本人が亡国政権と対峙して行かねば成らない時に来ていると思う。

「傍観者効果」というものがある。目撃者が多数いるにも拘らず、誰かがどうせ助けるだろうとの理由から、援助行動が起こり難くなる現象を言うが政治も同じで、皆傍観者を決め込むに至らば、最後には祖国を護る者は一人も残らないだろう。

 祖国日本の情勢、緊迫は世人の想像を超えてあり、これを思う時、単なる傍観者でいられない。我らの祖国日本を諦める訳には行かないのだ。 日本国内に巣食う反日・悔日・自虐の売国勢力を抉り出し、一掃を図ろう!

cordial8317 at 08:50|Permalink

2010年09月17日

横議横行するべし

 昨日は新宿で畏友と待ち合わせて、物心両面で御支援頂いているテイケイの高花会長に挨拶に出掛けた。会長は毎回示唆に富んだ話をしてくれるが、何といっても圧倒的な存在感があり、此方迄パワーを頂けるのが有難い。

「人間の財産と言うものは、いざと言う時に自分を支えてくれる人で有ると同時に各自が目指す目標実現の為の知恵袋である」という言葉が有るが、正にそういった方で、そんな人物に出会えたことは自分の人生も満更ではないと思っている。

 この方に御支援頂く様になったのは、今は亡き右翼浪人・横山武彦氏と約一ヶ月かけて全国行脚の旅をしたのがきっかけだ。

 最終目的地は知覧の平和記念館。その後4度程決行した。彼此十年以上も前のことだ。横山氏とは歳が二十も違ったが妙に馬が合った。

 横山氏と会長が知り合いと言うことも有り、以来可愛がって頂いているが、年内一杯で会長職を辞するというので、もう会えないかと思うと寂しさを禁じ得ない。

 一時間程の鼎談を終え、昼間から一献やろうということになり、上野・御徒町界隈に出没と相成った。畏友の知人のO氏も参加しての談論風発と相成った。

 こうした「横議横行」は大好きだ。辞書には「横議横行」とは「勝手に論ずる」とか「勝手気儘に歩く」という意味が書かれている。

「人生は邂逅の一語に尽きる」と言う様に、旅をし、知り合った方々と議論を交わすかとくらい愉しいものはない。気の置けない友なら尚更楽しいが、唯、呑み過ぎてしまい、翌日は猛省するのが御決まり。昨日も呑み過ぎたのは言う迄もない。

 自由気儘に歩き回りることが禁止されていた幕藩体制下に「横議横行」を勧め「脱藩せよ」と叫んだのが吉田松陰だ。「一君万民論」を唱え近代国民国家を志向した魁であり、そこから「草莽屈起論」を導いた。

 つまり、天皇=一君と国民という関係を構築するため封建制度を打破すべく脱藩し、一草莽たれと訴えたのである。結果、意志の高い下級武士等が脱藩し「志士」として維新を実現させたのだ。

 また「横議横行するべし」と、実践した人物として最も有名なのは坂本竜馬だろう。時代の寵児として活躍した人物の共通の特徴は「言葉」が違うことである。大衆の心を引き付けたりするのは「言葉」を以て他に無い。

 土佐の町人郷士の次男に生まれた坂本竜馬は正に「言葉の達人」だった。彼が幕閣とも勤王の志士とも通じ、後には薩長連合の仕掛け人として、明治維新を豪腕で引き寄せた立役者足り得たのは、説得の技術、つまりは言葉の豊かさによるものである。

 更にもう一つは、彼が「歩く人」であったことだ。交通の不便だった時代に、実に驚く距離を行き来している。 放浪の旅や、家を飛び出し、多くの人と顔を突き合わせ「横議横行」することは実に大切なことなのだ。横議横行するべし!

cordial8317 at 13:37|Permalink

2010年09月14日

岡田外相「バターン死の行進」で謝罪

「バターン死の行進」とは、第二次大戦中の日本軍によるフィリピン進攻作戦に於いて、バターン半島で日本軍に投降した米軍・フィリピン軍捕虜が、マリベレスからサンフェルナンドの区間約88キロを将軍も含めた捕虜が徒歩で行進のこと。

 この区間の行軍で多くの犠牲者を出したことから「バターン死の行進」と呼ばれている。「バターン死の行進」は米国のプロバガンダであることは証明済み。

 日本が謝罪する類のものではないが、昨年と一昨年に、藤崎駐米大使が、バターン行進の生存者で作る団体「全米バターン・コレヒドール防衛兵の会」に対し日本政府を代表し公式に謝罪している。これは所謂「村山談話」の一環と言うから厭きれる。

 昨日、岡田克也外務大臣が元捕虜と外務省で面会し、外務大臣として初めて謝罪したというが、外交は謝罪し、譲歩し、或いはカネをばら撒くことではない。歴史は一国の大事であり、如何なる譲歩も有っては成らず、謝罪するなど以ての外。

 昭和16年12月、日本軍のフィリピン攻略戦が開始され、ルソン島のバターン半島に陣を構えた米比軍と本間雅晴中将率いる第十四軍の間で戦闘が行われた。戦闘は籠城戦となり、米比軍が降伏した翌年4月9日の四ヶ月続いた。

 降伏時バタアン半島の米比軍と流民の状況は、士気は全く衰え、食料の不足とマラリア、デング熱、赤痢の蔓延に由り極度に衰弱し、コレヒドール攻略戦を目前に控えた軍としては、その準備や防諜上の観点及び米比軍の砲爆撃から避ける為にも捕虜や住民をマリベレスからサンフェルナンドの区間を移動させる必要が有った。

 日本軍は捕虜に対する食料は勿論のこと、収容施設や輸送などに関し準備を行なう余裕も無く、当時、軍自体が食料及び輸送力の不足に苦慮している状態だった。「行軍による移動しか無かった」というのが悲しい現実である。

 捕虜は徒歩でサンフェルナンドへ護送する日本兵と一緒に歩いた。水筒一つ。全行程約88キロ余り、それを四~五日がかりで歩いたのだから如何に疲弊していたかが分かる。南国とはいえ夜になると肌寒く、日本兵が焚火をし、炊き出しをして彼らに食事を与え、それから自分らも食べた。

 通り掛かった報道班員が見兼ねて食料を与えたことも有るという。トラックで輸送すべきだったと言うが、貧弱な装備の日本軍に余裕は無く、次期作戦のコレヒドール島攻略準備にも事欠く状態だったのである。

 マラリアに罹った捕虜を歩かせた事を、米軍側は捕虜虐待と言う。戦後「マニラ軍事法廷」に於いて、本間雅晴中将や捕虜移送の責任者の第14軍兵站監河根良賢少将は責任者として有罪の判決が下り処刑された。この問題は不条理そのものだが、一死を以てその責任を果たされているのだ。

 岡田如きの下らん政治家がそんなに謝罪したければ腹を斬って詫びれば良いではないか。一審即結審と言う茶番劇で、不当に処刑された方々の命は決して軽いものではない。国民はこの方々の悲劇を決して忘れてはならない。

 因みに、終戦後に行われたマニラ軍事裁判では、起訴された212名のうち177名が有罪となっている。判決内容は、死刑69名、終身刑33名、有期刑75名。死刑の執行は、ルソン島マニラの南東に位置するラグナ湖周辺、マンダルヨソグ、カンルバン、ロスバニオス南部の3ヵ所で行われた。

 有期刑・終身刑の判決を受けた戦犯は、モンテンルパ近郊のニュービリビット監獄に収容された。 何時の日か、モンテンルパを旅して見たいものだ。

cordial8317 at 09:20|Permalink

2010年09月10日

尖閣諸島は日本固有の領土である

 中共・国家海洋局の海洋調査船という名の軍艦が、東シナ海を沖縄県・尖閣諸島方向に航行しているという入手が報じられた。

 支那の漁船船長が第11管区海上保安本部に逮捕されたことに対する抗議行動と威圧行為だが、領土問題は国の主権であり断じて譲歩してはならない。

 昨年、南シナ海でも領有権を廻りフィリピンと小競り合いが有ったばかりで、改めて中国共産党こそ世界最大の「帝国主義国」であり、仮想敵国として対中外交を練り直すべきである。日中友好なんぞ夢のまた夢でしかない。

 尖閣諸島は日本固有の領土で有ることは紛れもない事実で、一例を挙げれば、大正8年(中華民国八年)の冬に、支那・福建省の漁民が暴風難で遭難し、尖閣諸島の和洋島(魚釣島の別称)に漂着し地元住民に助けられた。

 中華民国は翌九年五月二十日、助けた魚釣島の四氏に感謝状を贈っている。感謝状をスキャナーでアップすれば解り易いが壗ならないので書き連ねてみる。

「感謝状 中華民国八年冬福建省恵安縣漁民郭合順等三十一人遭風遇難飄泊至日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内和洋島承 日本帝国八重山郡石垣島雇玉代勢孫伴君熱心救護使得生還故国洵矚救災恤鄰當仁不譲深堪佩特贈斯状以表謝忱 中華民国駐長崎領事馮冕 中華民国九年五月二十日」

 解説「感謝状 中華民国八年の冬に、福建省・恵安県の漁民郭合順ら三十一人が、海上で暴風の難に遭って漂流し、日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内の和洋島(魚釣島の別称)に漂着した。その際、八重山郡石垣村役所の玉代勢孫伴君らが、熱心に救護に当ってくれて、遭難漁民らを故国に生還せしめるまで世話をしてくれた事に深く感謝し、ここにこの感謝状を贈る。中華民国長崎領事馮冕」

 明確に尖閣諸島が台湾附属の島では無く、日本領の沖縄県、八重山郡の行政区域の中に位置付けており、沖縄県領域の日本領であることを当時の中華民国政府が認識していたことの証拠資料の一つである。

 当時、この感謝状は、魚釣島の鰹節工場主の古賀善次氏、石垣村長豊川善左氏、通訳・ロブナスト氏、感謝状に書かれている玉代勢孫伴氏(石垣島役場職)の四氏に贈られているが、現存している。詳しく知りたい方は、惠忠久著「尖閣諸島写真・資料集」(尖閣諸島防衛協会)を参照されたし。

 北方領土の返還、竹島の帰属、尖閣諸島の主権問題は、戦後、歴代の政府、国会が事勿れ主義で遣り過し、領土主張を疎かにしてきた結果が侵害の原因で、今回の不法操業問題を契機に領土主権確立の主張を声高に叫ぶと共に、領土は国の主権であるとの認識を啓蒙することが肝要である。

cordial8317 at 08:15|Permalink

2010年09月06日

東京・横浜「B級グルメツアー」に参加してみた

 個人的なことで恐縮だが、土日は友人と3人で東京・横浜方面へ「B級グルメツアー」と銘打って小旅行に出掛けて来た。毎年この季節に旅行している。

 昨年は大阪・京都、一昨年は四国へ旅した。今回は人数も少ないし、時間も無いので近場で済ませることにした。早朝に郡山を出発。コンビニに立ち寄り缶ビールを購入し、早速グビリ。須賀川で高速バスに乗り込み一路東京へ。

 新宿へは11時頃到着予定。民主党代表選の演説会が新宿でやるとのことだったので野次ってやろうとも思ったが、どうせ公安やらが彷徨いてるだろうし、連れに迷惑が掛かるのも何だし、王子で下車し、一路浅草へ向かうことにした。

 11時前に浅草到着。先ずは天丼で有名な「まさる」へ。何時もなら既に行列が出来ている時間なのだが、やはり不景気なのだろう、すんなり店に入れた。中には3、4組の客。此処のメニューは「江戸前天丼」のみ。

 普段は二種類用意されているが、偏屈、否、職人気質なオヤジの仕入れで決まるので、この日は3500円の一品のみ。味噌汁200円。20分程待って天丼が運ばれて来たが、友人らはその美美しさにビックリ。食べて美味しさに感嘆。天然車海老、メゴチ、キス、穴子、だけのシンプルなものなのだが絶品である。

「まさる」を後にし、次は「韓国風モツ煮込み」を食べに「鈴芳」という店に入る。ビールではなく「かち割りワイン」と言うのを注文してみることに。

 何のことはない赤ワインに氷を入れただけだった。モツ煮だけではと「ハチノスの炒め物」を頼んだが、両方とも「B級グルメ」に相応しい珍味佳肴だった。

 浅草をぶらついて、シーバスでお台場へ。お台場に到着したのは良いが、暑さでげんなり。船着場近くの店で「カキ氷」で涼をとった。男同士でお台場見物は様にならないし、予約した五反田のホテルに向かうことにした。

 4時前にホテル到着。シャワーを浴び、今度は蒲田へ向かう。知る人ぞ知る名店「八幸」へ。野村秋介先生の「さらば群青」でこの店の存在を知り、それから何度か通っている。「佐久間さん、久しぶりですね」という店主に、「いやぁカネが有ったんで、別な店に通ってましたよ(笑)」と挨拶がてらの一言(笑)

 何時来ても大将と女将の人柄の良さにホッとする。「生ビール」「ガツ刺し」と「漬け物」を注文し、一通りのネタを焼いて貰い、取り敢えず乾杯~。

 友人が「あぶらって何ですか?」と言うので「来れば分かる」。その「あぶら」を一口にし「んーあぶらですね」には爆笑。平日は「レバ刺し」が有るのだが、土曜日ということで無し。ここの「つくね」がお気に入りで追加注文した。

「かも」というメニューが有るが、鴨ではなく葱なのだが、これを「かも」と言うところが如何にも小洒落ている。一時間程で店を出た。次に向かったのは東急池上線の石川台、と雪ヶ谷大塚の間に在る、その名もズバリ「鰻家」へ。

 入り口には「時間かかるよ」の看板。久闊を叙し、早速「八海山」の冷酒と「茶碗蒸し」「鰻丼」の梅を注文。本来なら「肝焼き」と「う巻き」は予約し、「白焼き(時価)」「焼き鳥」(鰻屋だが、この焼き鳥も秀逸)で一献するところだが、腹くちいので茶碗蒸しと細身の鰻を使う「梅」の鰻重にした。

 ここの茶碗蒸しを食べれば、恐らく今迄茶碗蒸しと思っていたのが「卵豆腐」紛いのものだったことを気付くに違いない。友人ら一口食べると「お~」と驚嘆。皆さんにも是非とも食べて頂きたい逸品である。

 鰻丼は松、竹、梅、特上(時価)と有るが、鰻の大きさで決まる。よく、松は鰻ニ匹、竹は一匹半、梅は半身などという店が在るが、本来、鰻はその場で捌き、蒸したりするので一匹じゃなければ無理だろう。大概、そういう鰻屋は注文すると直ぐ出てくる店が多いが、鰻の香りも無ければ、食べた後で胸焼けするから御注意を。

「鰻家」の看板に「時間かかるよ」と書いてるのは仕事をしてるという証。その昔、鰻屋のポスターに掛かれてた「待つ喜び」というキャッチコピーが蘇る。

 その後は、昔、現役右翼だった頃に行きつけだったスナックへ。地元の後輩を呼んで、カラオケを熱唱。9時過ぎに御開きにして、ホテルへ戻った。途中、電車の中で偶然、昔の若い連中にも遭遇したが元気そうなので安心した。

 翌日、朝8時にホテルをチェックアウトし、一路横浜へ向かう。横浜在住の畏友のN氏お気に入りの「安記」や「中国飯店」で食べたかったのだが、未だ開店前で、結局、朝からやっている「馬さんの店」で「ピータン粥」を食した。この日の横浜も茹だる様な暑さで、来ているシャツは汗でぐっしょり。

 着替が無いので、元町の「FUKUZO」でシャツを購入。この店に来たのは大学時代に当時の彼女と来て以来、30年近くになる。当時は「ハマトラ」全盛期で、FUKUZOのシャツを着ている女性は御洒落に見えた。遠い昔の思い出だ。

 中華街に戻り、汗もかいたし、序にもっと汗を出させてやろうと、以前畏友のN氏に連れて来て頂いた四川料理の「天外天」へ。その際に食べた「麻婆豆腐」と「鶏の唐辛子炒め」と「生ビール」を注文してみた。

 N氏と「この店は嫌いな奴とか、嫌がらせにはイイね」と話していたが、友人らは、四川料理の辛さなど何のその「辛いけど、旨いねぇ」を連発し、ぺろりと平らげたのにはビックリした。その間に紹興酒二本空ける。

 口直しに「広東風センマイの炒め物」を注文したが、余りの不味さに三人無口になってしまった。〆の「マンゴープリン」は美味しかったので良しとしよう。

 帰りのバス迄時間も有るし、横浜東口に在る「スカイスパ」で休憩しようと横浜へ向かう。マイミクで友人のこまさ氏が、西口で「知ろう、見よう、語ろう演説会」を開催してるというので顔を出した。この酷暑の中、理路整然と演説するこまさ氏に敬意を払わずにはいられない。友人らも甚く感心する。

 スカイスパは、今は亡き盟友の蒼穹社会長の瀬野寿夫と度々利用していた場所で、夕方の一献に体調を整えるのには持って来いの処だ。

 眺めも良いし、清潔だし、のんびり出来るのが良い。ひとっ風呂浴びて、昼寝をしたらあっと言う間に4時を廻っていた。身支度を整え、新宿へ。最終便を予約していたが、7時10分の席が空いているということなので変更して貰った。

 一時間程時間があるので、近くの居酒屋へ。刺身の三点盛り、とシラス入り出汁巻き玉子で乾杯するも、見栄えと値段ばかりで、味は最低で、東京最後の料理にしては少々後味の悪い旅行になってしまった気がした。

 10時半須賀川着。小腹が空いたので地元のラーメンチェーン「幸楽苑」で生ビールと餃子で安着祝い。その後ラーメンを食べたが、此処はB級どころかランク外。近々、美味しい店で反省会をしたいと思っている。 清清した二日間だった。

cordial8317 at 10:46|Permalink

2010年09月03日

「支那脅威論」世界に溢れ出る漢族

 民主党政権下、中国共産党の策謀にまんまと嵌り、「観光立国」「ビザの簡素化」といった愚策を実行し、今や日本国土は支那人に蚕食されつつある。

 朝日新聞を始めとした売国マスゴミは、チャイナタウンと化した池袋北口付近を日本の新たな観光スポットで有るかの様に紹介している記事を度々見るが、実際は不法滞在、不法就労が罷り通った異常な不法地帯というのが事実である。

 米国やヨーロッパ、ロシア、アジアの国々はゴキブリ並みに繁殖力の有る支那人を警戒し、あらゆる策を講じているが、どういうことか我が国では積極的に支那人を受容れようと言うのだから狂気の沙汰と言う外は無い。

 抑抑、清朝は封禁制で漢族の移住を禁じていたから、満州やその北方のロシア領、沿海州に漢族が居ることは無かった。しかし、清朝の衰退に乗じ、漢族は大河沿いに進出し、売掛代金が返済出来ない土着民から「婦人を奪い取り、まるで家財道具か何かの様に、自分ら同士で分け合っていた」という。(同地を探検したアルセールニエフ著「デルスウ・ウザーラ」の解説から引用)

 それを遡ること約100年前、北方の樺太の地で、漢族は既に活動していた証拠が残っている。1807年、樺太からアムール河下流地帯を探検した間宮林蔵は、「漢族商人は、借金を払えない樺太・アイヌ人の其子、其兄弟を率い帰て質と成す」との内容を「東韃靼紀行」で報告している。

 その結果として、今日のロシア極東では合法・非合法を問わず、移住支那人の数は800万人~1000万人に達し、民族別では、今やロシア人に次いで第二位だ。イシャエフ・ハバロフスク州知事は「ロシア領土側に間断無く浸透しつつある支那人は、次第にロシア人をこの地域から追い出す様になる。

 シベリア・極東は最初は支那の影響圏に、やがて支那が事実上保有し、最後には法的に支那の領土になってしまうだろう」と眼前の危機を訴えている。

 南方のインドでも「支那脅威論」が噴出している。産経新聞に拠れば「東北国境地帯での水資源開発に対するアジア開発銀行の融資を中共政府が潰そうとした」「シッキム州ナトゥラ峠で中印両軍が衝突した」等の情報が交錯し、メディアは、インド政府が国境地帯で中共軍の活動を隠蔽していると非難している。

 しかし、問題は日本である。親中派の中国愛は逞しく、加えて戦後民主主義に洗脳された贖罪意識からか「日中友好」を推進し、「中国とは同文同種の関係」だとか「一衣帯水だから」と宣うが、これは全く誤った認識と言わざるを得ない。

 日本が支那との対等外交に踏み切ったのは607年の遣隋使であり、645年「大化の改新」を実現するも、663年の白村江(はくすきのえ)での敗戦を機に中華圏との外交を絶つ。その後1871年の「日清修好条規」を結ぶまでの約1200年に亙り日本は日本の中で日本文化を熟成させたのである。

 大陸からの漢字に音と訓を付け、ひらがな(後にカタカナ)を付け加え、大和言葉を表現し、支那とは全く別の文字体系と文化を創造したのである。一方の支那は戦乱に次ぐ戦乱、易姓革命の連続で、文字文化の発達は全く止まった儘だったのだ。

 日中友好など幻想に過ぎず、支那と朝鮮とは絶交するに越したことは無い。我が国は過去のロシアの轍を踏まぬ様に訪日する支那人(漢民族)の素行調査と徹底した取締りを怠ってはならない。ガンバレ公安・警察諸君!

cordial8317 at 08:43|Permalink

2010年09月02日

何故支那人は人殺しが好きなのか

 中華人民共和国四川省成都市出身で支那の歴史に造詣の深い石平の著「中国大虐殺史ー何故中国人は人殺しが好きなのか」(ビジネス社刊)が、支那人(漢民族)の本性である「虚言癖」と「残虐性」を分かり易く解説している。

「虐殺」は支那文化の一部であり、秦帝国以来支那の歴史に於いて繰り返されて来た大虐殺がどの様なものであったか、漢、南北朝、明、清での代表的な虐殺事件を詳しく説明されている。タイトルは過激だが、支那を知る上で貴重な書だ。

 1937年12月に日本軍が行ったとされる「南京大虐殺」が、中共のプロパガンダであって歴史的な事実でないことは周知の事実である。

 当時、世界で最も権威有る英文中国年鑑「チャイナ・イヤーブック1938年版」には「12月13日、日本軍南京占領」「12月17日、日本軍入城」としか書かれていない。同年鑑に「南京暴虐事件」として書かれているのは日本軍ではなく1927年3月13日に北伐中国軍が起こした事件だけだ。

 全く存在しない「南京虐殺」というものが、中共政府の宣伝によって巷間に出回ったというのが真相であり、未だにこれを信じる日本人がいるのは悲しい限り。

 自分達(支那人)がしていることは「日本人もやっているに違いない」という「同一化虚言」に由って語られている為に身の毛もよだつ表現が多い。

「片っ端から殺戮し、目を刳り貫き、腹を抉り、陰部を抉り」等等、惨たらしいものばかりだが、残念なことに日本には支那の様な虐殺文化は存在しない。

 この無知と虚言癖から日本に虐殺の罪を擦り付けることによって、自己の虐殺事件を隠したいという思惑が窺える。南京事件を叫ぶことで、逆に南京陥落半年前に支那保安隊が通州で日本人居民留民300人近くを実際に殺戮したことが露呈した。

 この時の報告書には、「片っ端から日本人を殺戮し、目を刳り貫き、女性の陰部を抉り」という身の毛もよだつ残虐行為が記されている。こうした虐殺行為という伝統は近代に於いてもチベットやウイグルで行われている。

 石平氏の著書には、毛沢東が自己の権力奪取とその維持の為に、大々的に虐殺を実行して来たことが詳細に語られ、更には天安門事件を始め、チベット人の虐殺、ウイグル人の虐殺など人民軍が行った虐殺や弾圧は筆舌に尽くし難し。

 未だ共産主義を最高原理として崇める現代中国共産党こそ、世界最大の「帝国主義」であり、武力を以て国土を拡大している国は今世紀地球上で中共一国のみだということを断じて忘れてはならない。

「観光立国」「ビザ簡素化」「沖縄ビジョン」そして「外国人地方参政権付与」は中共政府の策謀であり、チベット虐殺、ウイグル虐殺は決して対岸の火事ではない。このままでは尖閣は愚か沖縄が危ない。日中友好なんぞクソ喰らえ!

cordial8317 at 08:54|Permalink