2010年07月

2010年07月30日

辻元清美が社民党に「三行半」 解党は時間の問題

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 与党ボケした辻元清美が、社民党に三行半を突き付け、党内はてんやわんやの大騒ぎ。民主党の幹部も辻元に秋波を送っており、辻元の民主党入りと、社民党の消滅は時間の問題だ。

 辻元は「嘗ては野党で批判の急先鋒に立ったが、それだけで日本を変えることは出来ないという思いが強くなった」と尤もらしい意見を述べてはいるが、要は、短期間では有ったが与党として副大臣を経験し、あの蜜の味が忘れられないと言うのが本音だろう。
  
 一方で民主党が両院議員総会を開き、選挙敗北の結果を「消費税」とし菅直人が袋叩きに遭った。しかし、国民の半数以上が消費税増税には賛成していることを見ても、その総括は間違いだ。

 先の総選挙で「自民党にお灸を据える」程度で民主党を支持した有権者のバランス感覚と、民主党の売国政策に危うさを感じた国民の判断の結果である。

 そうした猛省もせず菅や枝野を批判するとは本末転倒であり、未だ未だ政権担当能力不足は否めない。

 菅直人が総理に就き、漸く国家の在り方や政治の重さに目覚めたのだろう。先の参院選での「消費税増税」発言は、逼迫する財政を思った末のもので、市民運動家が一国の総理大臣に就任し、責任感に目覚めた結果ではないだろうか。

 元内閣安全保障室長の佐々淳行氏は、菅総理の消費税増税発言を「変成」と命名し、オタマジャクシが蛙へと変化・成長して行く過程に準えたが、「君子豹変す」という諺も有るし、国家指導者として国を思って「変成」して行くことは大いに結構な話だ。
 
 辻元も菅同様に政治の在り方に目覚め「政権の中にいて、色々な声を届けた方が効果的じゃないか」と宣った様に、政権の中枢で活動することが如何に効果的で有るか思い知ったのだろう。

 だが、辻元の「変成」は、嘗て60年安保闘争で学生運動を経験した団塊の世代の連中が、国家の中枢に入り、官僚や政治家として戦後民主主義を撒き散らしたのと同じ臭いを感じる。

 辻元の売国活動は枚挙に暇なし、先般もソマリアへの自衛隊派遣に反対し、態態ソマリアまでキチガイ左翼・ピースボートと共に行ったのは良いが、結局自衛隊に助けられたという無様な結果に終わったのは周知の事実。

 離党を受けて、社民党や有権者への謝罪よりも、先ずは国民への釈明と謝罪、そして何より自衛隊へお礼と感謝をするべきだ。

 社民党の前身である「日本社会党」の衰退、消滅を願い、党首・浅沼稲次郎を刺殺した山口ニ矢が没して、今年で50年。漸く山口烈士の念願が果たされそうであるが・・・

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cordial8317 at 08:00|Permalink

2010年07月29日

民間人で法務大臣が務まるなら、いっそ「死刑執行」も民間委託したら

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  国賊・千葉景子が有権者から「仕分け」されながら未だに民間人として大臣の席に居座っていることは当人も生き恥を曝している様なものだろうが、落選し、国民からあれだけ喜ばれた政治家も珍しい。それに堪え兼ねてか死刑廃止論者の千葉が「死刑執行」に踏み切った。

  刑事訴訟法は、死刑確定から6カ月以内の執行を定めており、何れも6ヶ月以内に検察庁が法務大臣に「死刑執行上申書」を提出し、規定通り押印し、法相の命令から5日以内に執行されなければならない。現在の法律に『死刑』という制度が有る以上、粛々と刑の執行をすべきであるのだが、性善説や冤罪などを唱え「死刑廃止」を執拗に求める輩も多く、簡単に執行出来ないのが現状だ。

 これとは別に、日本在住の外国人が罪を犯し、1年以上の有期刑に処せられた場合、永住権は剥奪され国外追放になる。しかし特別永住者の「在日」に限っては優遇されていて、7年以上の刑を起こした場合のみ法務大臣が特別永住権を剥奪し国外追放出来るとしている。だが、今迄、在日の懲役7年以上の犯罪で法務大臣が押印し、特別永住権を剥奪され韓国や北朝鮮に送還された者は誰一人いない。昔一度だけ執行しようとしたら、在日らがお決まりの「差別だ!」と騒ぎ出し、結局は頓挫した。死刑にも在日の犯罪には目を瞑っていては、これも「法の下の平等」に触れるというものだ。最近は、不法に入国したり、不法に残留した支那人による犯罪が増えているが、これもまた在日同様に強制送還されるケースも少なく、お蔭で日本の刑務所は不良支那人で大入り満員状態である。 

 法務大臣は、死刑執行も強制送還も、またあらゆる犯罪に対して、毅然とした態度で『公正』に処理しなければならない。就任早々、最高裁の下した決定に従わず、支那人の留学生に特別在留資格を許可した国賊・千葉景子だもの「法の下の平等」なんてのは端から持ち合わせていない。今更「法相として法律に沿って適正な判断をしたと認識している」とは笑わせる。

 落選し、弁護士活動を再開すべく「刑事訴訟法」を勉強し、漸く理解出来た様だ。しかし、法務大臣が民間人で務まるんだもの、いっそ「死刑執行」も民間委託したら如何だろう。

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cordial8317 at 06:14|Permalink

2010年07月28日

「防衛白書」日韓併合100年に配慮とは情け無い

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 「防衛白書」の公表を先送りするという。「日韓併合100年」「竹島問題」に配慮するというが、実に情け無い限りだ。我が国は、今や愛国心の希薄と国防意識の欠落では恥ずかしいことに、世界に冠たる国となってしまった。政治で大事なのものは国家観を持って外交を行い、国防を怠らず、将来を担う子供達に誇りの持てる教育を施すことであり、イチャモン難癖に屈し、謝罪や同調するなど以ての外だ。

 不法占拠されている竹島で、今迄328隻が拿捕、44名が殺され、実に4000名近くが抑留されている。政府はこうした事実を公表もせず、実効支配され続けているが、竹島は我が国固有の領土であり、不法行為を繰り返す韓国に抗議し、毅然と領有権を主張するべきであり、国民の国防意識の向上に努めるべきである。

 韓国は、竹島を独島と称し固有の領土と主張するが、この根拠は、三国史記という古代朝鮮の歴史書に鬱陵島の隣にある干山島が新羅の領土と書かれていることに帰着する。4~5世紀から韓国領だったというのだが、古地図では干山島は鬱陵島の西に接近している。

 竹島は、鬱陵島の東南92キロに在るのだから、干山島が竹島である筈がない。こんな判りきった事実が有るのに、何故韓国の連中は干山島は竹島だから固有の領土だと主張するのか。それは、竹島と鬱陵島の周辺の小島の呼称が色々変わって来たためだ。

 竹島は以前、松島と呼ばれた時代も有るし、リャンコ島と呼ばれたこともある。李氏朝鮮時代の地図には、鬱陵島より90キロも先に在る島のことなど唯の一度も登場したことはない。鬱陵島とその近くの干山島などの小島以外は全く出て来ない。

 考えてみれば当然のことで、李氏朝鮮時代には鬱陵島すら空島政策によって居住が禁止されており、それより遥か先の島のことなど関心の外、認識すらなかったのである。日本では徳川時代から魚採が行われ、度々渡航していた事実がある。この領土問題を紛らわしくしているのは、日本では当時鬱陵島を竹島と呼んでいたことであろう。

 歴史的な事実は以上の通りで、韓国の主張は全く根拠がない。

 福沢諭吉は「脱亜論」で、「日本の不幸は中国と朝鮮である。この二国の人々も日本人と同じく漢字文化圏に属し、同じ古典を共有しているが、もともと人種的に異なるのか、教育に差があるのか、日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。情報がこれほど早く行き来する時代にあって、近代文明や国際法について知りながら、過去に拘り続ける支那・朝鮮の精神は千年前と違わない。国際的な紛争の場面でも「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。最早、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。」と警告したが、正に福沢翁の眼力は鋭く、その認識は未だに色褪せることはない。更には「ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならない。国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。」と支那人や支那人との接し方も教えているが、蓋し正論であり、日韓併合などの歴史問題や差別問題は堂々と事例を出して論破すべし。

 倣岸無礼な韓国には、西郷隆盛の「征韓論」に倣い、正式な責任ある問罪使を派遣し、正理公道を以って猛省を促すべきだろうが、今、西郷隆盛の様な気骨ある政治家もおらず、福沢諭吉の様な思想家もいないのが日本の不幸である。

※福沢諭吉「脱亜論」全文 
http://www.jca.apc.org/kyoukasyo_saiban/datua2.html

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cordial8317 at 10:13|Permalink

2010年07月27日

縁結びの神、出雲大社

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 「神宮」といえば伊勢神宮を指す様に、「大社」と言えば出雲大社を指す。伊勢神宮とはまた違った荘厳さで、「国中第一の霊神」という記述が有る程、崇敬されてきた神社である。

 平安時代の「延喜式」には「杵築大社(きづきのおおやしろ)」と記されており、明治4年に現名に改められるまで、永くこの名が続いていた。その名に相応しく、本殿は遥か昔には高さ32丈(約97メートル)、平安時代では、16丈(約48メートル)の規模だったといわれている。木造建造物では恐らく世界最大だったのではないだろうか。建築様式も日本最古の大社造りで、この意味に於いても伊勢神宮と双璧といえよう。
 寛文7年(1667年)に8丈(約24メートル)の高さになった。出雲地方では、大社を敬い24メートル以上の建築物は建てないことになっている。大きさで圧倒されるのは拝殿の注連縄で、重さ3トン、長さ13メートル、胴回り9メートルで、目の前に立つとあまりの大きさに驚く。此処で、下から小銭を注連縄に向け投げ、上手く挟まると願いが叶うらしい。

 祭神は、一般には大国主命(おおくにぬしのみこと)で、「大国さま」と呼ばれ親しまれており、縁結び、福の神としての深い信仰を集めている。祭典は古式に基づき、5月の例大祭礼、11月の古伝新嘗祭も有名だが、旧暦の10月の神迎祭(かみむかえさい)、神在祭(かみありさい)、神等去出祭(からさでさい)に最も特色がある。この月は普通「神無月」と呼ばれるのだが、出雲では逆に八百万の神が集まるので「神有月」という。
全国から集まった神様達は、国中の縁結びの会議を催すという。昔話を聞くようで、温かい気持ちになる楽しい伝説だ。「国譲り」の神話で有名な稲佐の浜から本殿まで続く祭りの行列も、古の儀式を思わせ優美且つ壮観らしいが、是非とも拝して見たいものだ。

 今迄にニ度参拝したが、駐車場のところに大きな「さざれ石」が在り驚いた記憶がある。小さな花崗岩が永い年月をかけ、大きな巌となる。正に「君が代」の世界がそこには在った。因みに「出雲蕎麦」が名物だが、蕎麦食いの自分としては何度食べても納得行くものはない。

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2010年07月26日

伊勢神宮へ行こう

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 「天下無双の聖地」、若しくは「日本第一の宗廟」と云われるのが『伊勢神宮』で、神道の中心的な存在だ。正式名称は『神宮』。神路山の皇大神宮(内宮)と、高倉山の豊受大神宮(外宮)の両正宮からなる。両宮の間は約5キロ離れており、外宮から先に参拝するのが古来からの習わし。合わせて14の別宮と116の摂社・末社が在り、正しく日本の総氏神が鎮座する神域である。

 内宮は垂仁(すいにん)天皇の時代(3世紀後半)、宮中に祀られていた天照大御神をこの地に移した時を創祀とする。日本の祖神として、あらゆる神徳がある。五十鈴川の清流に架かる宇治橋を渡ると内宮の神苑。参道は深い森に囲まれ静謐且つ荘厳な雰囲気に満ちている。

 外宮は、内宮の創始から約500年後に丹波の国から移された。祭神の豊受大御神は、穀物神で天照大御神の食物を調達するという意味がある。内宮より参道が短いせいか、明るく開放的な雰囲気で親しみ易さを感じさせてくれる。

 内宮、外宮とも、社殿は日本最古の建築様式の一つ「唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)」檜を素材にして清楚な佇まいを見せている。社殿は20年毎に造り替える「式年遷宮」の制度があり、持統天皇の時に第一回の遷宮が行われたが、鎌倉時代に檜を切り尽し用材の確保が困難を極めた時代もある。最近では平成5年に61回目の遷宮が行われている。

 伊勢神宮は当然の事ながら「祭り」も多い。1年365日、祭りの無い日はない。全て合わせると千数百に及ぶという。中でも、祈年(きねん)、神御衣(かんみそ)、月次(つきなみ)、神嘗(かんなめ)、新嘗(にいなめ)は五大祭として盛大に執り行われている。

 日本人なら『お伊勢参り』は一生に一度は詣でたい神社である。

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cordial8317 at 07:25|Permalink

2010年07月23日

「日韓併合百年」謝罪すべきは韓国である

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「日韓併合百年」に際し、日本政府が植民地支配への謝罪をするというが、歴史問題は国の大事であり、安易に謝罪などするべからず。相変わらず我が国の政治家は、外交とは謝罪と譲歩、そしてカネをばら撒くことと思っている様だが、こうした弱腰軟弱全方位外交は国益を失うばかりで、真の友好など生まれない。

 日本の統治時代を悪逆非道の「日帝36年」と決め付ける韓国の主張の根源は、米国の傀儡・李承晩らによる「反日教育」の影響だ。李承晩は日本統治時代、海外で反日運動をしていた人物で、戦後、米国の威光で初代大統領になった。韓国国民を纏めようと行ったのが「反共」「反日」政策で、これを『国是』としたのである。こうした一部の少数派が創り上げた歴史を未だに信じているのだから困ったものだ。

 韓国併合当時、韓国国民独自の力による近代独立国家建設の道など在り得ない。彼らに、あの巨大ロシア勢力の排除など到底無理だったことは、日清・日露戦争時代の近代史を学べば解ることだ。日清戦争後、ロシアが南下政策を開始し、日本が戦利品として割譲された、遼東半島に攻め入り、韓国までも触手を伸ばしている時に韓国独自でロシアと対峙することなど出来る筈もなかった。その意味では、寧ろ日本による韓国保護の必要性を認め、日本と一体となった上で、民族の自立発展の道を模索しようとした「日韓合邦派」の主張の方が現実的だったのだ。

 韓国が非難して止まない差別と弾圧の日帝支配なるものは、寧ろその逆であり、世界に例を見ない極めて公平で平等な制度であったのだ。何しろ、日韓併合時に100校程しかなかった小学校を昭和17年には4945校に、中学以上の学校を470校に迄増やしているが、これが差別であり弾圧で有る筈がないではないか。

 ハングルにしてもそうだが、ハングルの使用を禁じていたのは李朝の王らで、彼らは諺文を禁じ、漢語漢字を使用した。日韓併合後、福沢諭吉が諺文と認字率を高める学校教育の普及を説き、今のハングルの礎を作ったというのが事実だ。また「日本語を強制させられた」との妄言を聞くが、日本語を学べば全てが理解出来たということだ。あの時代、文明に通じる道は日本語だった。世界中の古典を一つの言葉に訳された「世界文学全集」は当時、日本にしか無く、支那人もベトナム人も皆、日本に留学して世界を学んだのだ。

 歴史を見れば「日韓併合」への謝罪など以ての外で、傲岸不遜な韓国には正理公道を以て猛省を促すべきで、謝罪すべきは韓国である。

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2010年07月17日

神道と日本人

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 「豊葦原(とよあしはら)の千五百(ちいほ)秋の瑞穂の国は、是れ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地なり。宜しく爾皇孫(いましすめみま)、就(ゆ)きて治(しら)せ。行(さきく)ませ、宝祖(あまひつぎ)の隆えまさむこと、当に天壌(あめつち)と窮(きわま)り無かるべし」(日本書紀)

 自然は、人智の及ばない大いなる存在だ。雷雨や日照りや嵐を人間は制御することは到底出来るものではない。人々は、自然を征服すべく挑み続けるか、それとも自然と共に生きて行くかなのだが、賢明なことに、多くの日本人は共生することを選んで来た。何故なら自然は一瞬のうちに暴れ回り甚大な被害を出したりもするが、同時に無限の恵みを齎してくれたりもする。

 そこで人々は、自然の織り成す新羅万象を「神」と呼び、豊穣を齎してくれた「神」を称え、荒ぶる「神」を畏れ、鎮め、人々は「神」と共に生きて来たのである。新羅万象の全てが「神」の姿で、山の神、海の神、或いは岬、谷、森、石、水・・・そして人間も、その神の在る景色の一部に過ぎなかったのである。

 日本固有の信仰である「神道」は、こうした世界の中から生まれた。神と共にあるから「カンナガラ(惟神)」といい、神の命を与えられているから、人は「神の子」、生命は神の「ワケミタマ(分霊)」と考えられた。人は、彼等の暮らす土地の神「ウブスナガミ(産土神)」の御陰を被って誕生し、産土神や、その他諸々の神々と正しく付き合っていくことで四季の恵みを享受し、そして最後には、産土神に導かれて祖霊の世界に帰って行ったというものである。

 民衆レベルの神々の世界は、この様な意味付けを必要としないまでも、自然に体現し、「神」を感じとっていたのである。こうした神々の世界に、天上界の別格の神々の世界「高天原」が重ねられたのは、天皇による国家統一以降のことである。
 
 自然信仰の観念に重ねられた神々の天上世界が「高天原」だ。天に固有の住居を持つ神々は、高天原で育てた稲(ユニワのイナホ)をその苗裔に授けるという神話によって、この国の神々の世界に革新を齎した。地上の王権は、高天原の神々の苗裔である天皇の支配するところとなり、地上に住居を持つ国津神(クニツカミ)は高天原に住む天津神(アマツカミ)の支配下に入った。神祇(ジンギ)の世界の誕生である。

 高天原というのは、神道の中に生じた垂直思考の産物であるが、民衆レベルでは、自然と共にある神は、何処まで行っても水平に広がる世界だった。太陽の昇る東の方位には「命の源の世界」が在り、日の沈む西の果てには「死の世界」があったが、この水平に広がる生と死の世界に高天原という垂直の軸が導入されることによって、世界は、その頭上に「高天原」、高天原の下には水平に広がる「中津国」と「海神(ワタツミ)の世界」、そして「黄泉の国」という三層構造が完備されることになった。

 古事記」や「日本書記」は、これらの世界が全て「高天原」の支配下に入るよう神話を整えた。高天原は天照大御神が支配し、中津国は、その苗裔である天皇(スメラミコト)の支配領と定められ、海はスサノオ、ないしキヨミノミコト、或いは神武天皇の兄である稲氷命(イナビノミコト)の支配下に入り、黄泉の国は、やはり天津国であるイザナギないしその息子であるスサノオの世界となった。 

 「高天原」の登場によって、日本の神道はシャーマニズムから固有の神々の世界と信仰が生まれていったのである。

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2010年07月15日

みたままつりを愉しむ

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 昨日は、上京し物心両面で支援して頂いている方に御挨拶してから、靖国神社のみたままつりを愉しんで来た。東京の夏は蒸し暑く何時もながら閉口する。

 大鳥居から参じ、奉納されている大小3万灯を超える提灯と各界著名人揮毫の雪洞を眺めてから、先ず拝殿で参拝。続いて拝殿左手に在る「鎮霊社」に詣でた。鎮霊舎には所謂賊軍とされた会津藩や我が二本松藩、西郷隆盛といった方々が祀られており、靖国参拝時には必ず詣でることにしている。

 所謂、A級戦犯合祀云々よりも先ずは維新の悲運に斃られた方々の名誉回復こそ急務で有ると思うのだが、靖国神社とはそういう処でもある。大村益次郎の銅像が、上野の西郷さんを睨んで建っているが、如何に長州閥が大きかったのが解る。

 参拝を済ませ、涼もうと、遊就館に入り、上映されている「みたまを継ぐもの」を1時間程観て、展示物を足早に眺め、特別展「神風 そのふきゆくかなたへ」ー蒙古襲来と国難に立ち向かった護国の戦士たちーを見学し靖国を後にした。その後、咽喉も渇いたので一人で直会でもと、九段下の「寿司政」に立ち寄った。

 この店は池波正太郎や山口瞳などの文人や有名人も足繁く通った店で、此処のシンコは絶品である。ビールと〆張鶴の純米酒を気の利いた肴でやってから、一通り握って貰った。残念ながらシンコは無かったがコハダと煮蛤、白身の昆布〆、穴子、干瓢巻とどれもが職人の技が光る逸品で久々大満足。勘定は一万チョィ。御心付けを渡し店を出た。また来たいが、不景気の影響か、最近は通し(休憩無し)で営業してる店が少なく、夕方前には呑みたくなる小生には不都合な時代になった。

 我々は普段、神の存在を意識することなく生活をしている。「自分は無宗教だ」という人もいるが、日本人なら、心の深いところで、我々のものの考え方や行動を動かしている「何か」が有るのではないだろうか。その「何か」こそが先人から脈々と受け継いでいる「神々の記憶」であり、「神道」である。

 大自然に宿る日本人の原風景がそこには存在している。寺院で仏像が多く作られ、祀られたのに対して、神社には殆ど神像が存在しない。否、本来は全く存在していなかったのだ。何故なら、日本人は偶像崇拝とは別の次元で「神」の坐すことを感知し、「神」の宿る神木を岩を山を信仰してきたからである。

 姿なき「神」は、自ずと知覚されるものではなく、人間の感性の源である「魂」と直接に響きあう存在なのだ。聖なる山の奥深い処に神社は在ったことでも解る。また「祭り」というのも「神祭り」であり、人々は「神」に触れ熱狂する。これを体験することで日常の日々から開放され、同時に、他の者達と体験を共有することにより「同じ神の子供」即ち「氏子」として絆を再確認するのである。

 豊作を祝い、大漁を寿ぎ、これを「神」に感謝し、来年も再来年も善い年であるよう祈願し、「神」と共に酒を飲み「神」と共に騒ぎ、歓喜を分かち合う。「祭り」は「神」を通じて人間を癒し、地域の共同体を維持させて来た強力な行事なのである。

 みたままつりも、英霊の方々(神)に対する畏敬や欽仰する祭りであり、正に日本は随神(かんながら)の道を歩んで来た世界にも稀有な国であることを実感した一日だった。

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2010年07月14日

公明党連立は願ったり叶ったり(BY池田太作)

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 公明党山口代表が「第三極として存在意義を発揮して行きたい」と是々非々路線を強調している様に、公明党にすれば「永住外国人地方参政権付与」を基本政策にしている民主党との連立は願ったり叶ったり。売国法案が提出されれば蛆虫・共産党やゴキブリ・社民党が同意するのは明らかで、斯かる暴挙は断じて阻止せなばならない。そういう点で参院で「外参権」や「夫婦別姓」に反対する自民党が、僅かの差では有るが第一党になったことは有意義であろう。

 「外参権」は、日本に寄食する朝鮮人が「我々は強制連行された可愛そうな朝鮮人なのだ」と詐称し、「我々を日本人と同等に扱え」と要求したのが最初だ。因みに、強制連行というのは戦争末期、「徴用」されて日本に来た朝鮮人を指すが、彼らはGHQの命令で総て半島に戻っている。被害者を装う彼らは所得税は不払いを決め込み「住民税は半額にしろ」「固定資産税は免除しろ」と税務担当を脅して認めさせ、まともに納税することはない。挙句に「日本国民の為」と明記されている生活保護の支給も、外国人のくせに支給を求め、まんまとせしめている。しかし、在日や支那人などの外国人への生活保護の支給は違法であり、即時停止すべきである。

 この生活保護費の受給率は日本人の4倍以上。生活保護の受給が一番な都道府県は大阪府だが、大阪には国内約68万人の朝鮮人の内の3分の1の約20万人が住んでいる。そのうち12万人が大阪市に集中している。参政権付与によって、大阪市長の勝敗が左右しかねない恐ろしい数だ。この大阪市が在日への生活保護費バラ撒きで財政は逼迫していることは今や周知の事実。在日らには創価学会々員が多く、韓国国内にはSGI(創価学会インターナショナル)会員が40万人以上いると言われ、その為に公明党が、外参権付与法案成立に躍起なるのは言わずもがなだろう。「創価学会」は、宗教団体というより学会員の現世利益を追求する社会運動体であり、「公明党」は、それを政治的に実現する為の出先機関でしかない。学会の支援を受け当選した議員は「学会員の為に政治をやれ」と指導を受けるが、畢竟、その頂点に君臨する池田太作センセイの為に他ならないのだ。

 創価学会=公明党は、極めて戦後民主主義であり、反国家的な団体であり、天皇陛下を族長と仰ぐ日本国家の正統にとっても悉く異質な存在な存在である。「外参権付与」「自虐史観」「反天皇」挙げれば限が無いが、政治、経済、文化、教育、今や創価学会は巷に蔓延し日本を蝕んでいる。この国の政治が売国奴・池田太作に乗っ取られる危険が日に日に高まって来ているということであり、警戒を疎かにしてはならない。

 「企業・団体献金の禁止」「子育て支援」で公明党へ恩を着せ、その後は一気に外国人地方参政権付与法案成立を強行して来るだろうことは必至だ。「創価学会」の布教活動の一環で、在日を擁護し、参政権を与えようなどとは言語道断で、国や国籍を軽んじて外国籍定住者に参政権を与えることは、そこから国家の崩壊を招くことを我々日本人は自覚すべきである。

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2010年07月12日

祝、国賊・千葉景子落選

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 民主党政権への初審判が下され、改めて国民のバランス感覚には感心するばかり。
 今回、国賊・千葉景子が落選したことは喜びに堪えない。千葉は法務大臣でありながら順法精神は皆無。支那や朝鮮のイヌと化し、国家解体に狂奔する売国奴で、政界からゴキブリが一匹消えたのは実に喜ばしい。序に輿石東も落選してくれたら御の字だったのだが、僅か3000票差の辛勝。まぁ前回の選挙では関係者の日教組の連中が「教育公務員特例法」と「政治資金規正法」で逮捕されており、また逮捕され、小林千代美同様、政界から追放されるのを祈るばかりだ。

 昨年の衆院選挙で、国民の多くは「自民党にお灸を据える」という程度で民主党を支持した。別に民主党が良い訳ではなく、連日マスコミが垂れ流した「政権交代で日本が変る」というバンドワゴン効果によって洗脳されたというのが事実で、所詮は「民主党しかないのかなぁ・・・」「民主党にでも入れとくか・・・」といった感覚で投票したというのが本音だ。今回の選挙で、自民党が大幅に議席数を増やし、みんなの党も躍進したが、結局は同じ「でもしか政党」なのである。みんなの党の渡辺が頻りに「アジェンダ」という造語を連発し、他の政党も「マニュフェスト」がどうのこうのと宣っていたが、政治で大事なことは、如何に国家観を矜持して滅私奉公するかである。
 「ねじれ」によって今後は益々政権運営は混迷を深め、民主党政権は今後、政策によって連携する政党を模索して行くのだろう。参院選の敗因や支持率低下は消費税ばかりが要因ではない。国民に敢えて知らせなかった『外国人地方参政権付与法案』『外国人住民基本法案』『国立追悼施設の建立』『戦時性的強制被害者法案』『夫婦別姓』『戸籍法改正』『人権救済機関の設置』『日教組主導の教育関連政策』といった売国的政策にも、国民は「NO]の審判を下したという事実を厳粛に受け止めるべきである。
 菅は選挙前の所信表明で「挫折を乗り越え、国民の信頼を快復する」と大言したが、結局国民からの信頼快復は得られず、茶番師としての本領を発揮しただけである。今菅政権が推進める「草の根運動」「政治主導」「真の国民主権」「戦後行政の大掃除」「東アジア共同体」「観光立国」更には日韓併合や大東亜戦争による「不幸な過去の清算」と、戦後民主主義者的売国性が滲み出た愚策も見直すべきだ。

 菅政売国政権へ下した国民の審判は「NO」であり、今後、国益を害する政策を実行に移すことが有れば、多くの国民から、より厳しい審判を受けることになるだろう。

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2010年07月10日

参院選明日投票、民主党政権に「NO」を!

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 第22回参院選が明日投票を迎える。昨年9月に誕生した民主党政権に対する始めての「審判」であり、間違っても前回の衆院選の轍を踏んではならない。菅直人が新総理に就き「脱小沢」と「クリーンな民主党」という幻想からか支持率が快復し、またしても朝三暮四に騙されるのかと思いきや、此処に来て民主党の支持率が下がり与野党が拮抗して来たのは日本国民のバランス感覚の良さだろう。
 
 民主党は先の衆院選で「子ども手当」「高速道路無料化」「ガソリン税の暫定税率廃止」などの画餅が功を奏し、政権交代を果たしたが、その国民との約束を全て反古にした。どうみても選挙目当てのマニュフェストだったことは明らかだ。

 今回発表されたマニュフェストを見渡しても国家観皆無の荒唐無稽で無責任な政策が目立つ。民主党が政権に居座るということは、政権政党として選挙公約(マニュフェスト)の実現ということだけの話ではない。民主党という政党の持つ国家観や哲学、ビジョンが政府の政策に反映するということを意味する。その意味で民主党という政党そのものが問われなければならない。

 菅は「この国を立て直すのが第一の仕事で、憲法問題は喫緊の課題ではない」と宣うが、喫緊の国の課題は、最早国の基本法として機能を呈していない現憲法を見直すことである。況してや国の大本は景気対策よりも、将来を担う子供達への教育の充実と国防力の整備を図る事であるが、民主党にはその何れの政策も欠落している。

 民主党と日教組の関係は今更指摘するまでもないが、マニュフェストには「子ども手当」を明記しても、どの様な教育を施して行くかということは一切書かれていない。「愛国心」も「道徳心」も「学力向上」も明記せず、国民から負託されたという驕りから、教育を疎かにして、金の分配だけに狂奔するのは本末転倒と言うものだ。

 外交・安全保障」も杜撰で、民主党は憲法の平和主義に則った防衛政策を訴えているが、社民党と何ら変わりは無く心許無い。鳩山が代表辞任挨拶で述べた「米国に依存し続ける安全保障が50年、100年続いて良いとは思わない。日本の平和を日本自身で創り上げなければならない」とした理想は何処へ行ってしまったのか。

 「自らの国の平和を創り上げる」という理想は憲法改正でしか成し遂げられない。如何に民主党が「誤憲派」や戦後民主主義者やバカ左翼が跋扈している政党かが理解出来よう。

 菅新政権が発表したマニュフェストには相変わらず「東アジア共同体構想」「観光立国」「ビザ要件緩和」など、支那の策謀が掲げられ、「外国人地方参政権付与法案」「外国人住民基本法案」「戦時性的強制被害者法案」「夫婦別姓」「人権救済機関設置」「戸籍法改正」といった亡国的基本政策は直隠ししている。つまり民主党の参院選の勝利は、日本解体を意味すると言っても過言ではない。

 何れにしても明日が参院選投票日。民主党政権への「審判」というなら「NO」しかない。

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cordial8317 at 09:26|Permalink

2010年07月09日

国防論も教育論も語ることのない参議院など廃止してしまえ!

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 川崎市の安部孝夫市長が会見で「参院は与野党対立の場となって良識の府になっていない」と苦言を呈し、「参院が国家を立て直す役割を果たせないなら、無くす方が賢明だ。被選挙権が30歳以上になっている意味を考えて欲しい」と、消費税の増税議論より参議院を廃止すべきとの認識は正鵠を射たもので共感出来るものだ。

 抑抑、参議院とは良識の府であり、その良識とは政治的良識でなくてはならないのだ。参議院は衆議院のカーボンペーパーと揶揄され、その存在意義が問われて久しいが、タレント候補の乱立は最早末期的症状で衆議院のチェック機関としても機能しておらず廃止するのが得策である。

 申し訳程度に「議員定数の削減」を公約に掲げる政党は在るが「参議院の廃止」を訴える政党はいない。民主党は先の総選挙で、国会議員の定数を衆院を80人減らすと公約したが未だ議論すらされてはいない。

 更に今回は参院も40人減らすとしているが、所詮「絵に描いた餅」だろう。自民党は国会議員を3年後に1割削減し、6年後に3割減らすとしているが中途半端。たちあげれ日本は衆院定数を400、参院を200にするとしているが、みんなの党の衆院300、参院100との公約より民主党に近いというのは如何にもお粗末で、保守本流を自認するなら安部市長の様に「参議院の廃止」くらいのインパクトは必要だと思うが情けない。

 パート感覚で参議院議員に出る連中に、高給を払ってやるほど日本の財政は豊かではない。今やるべき改革は消費税増税議論より、先ずは議員定数の削減であり、参議院の廃止である。地方議員は名古屋の河村市長の持論である無報酬か日当制にし名誉職にするべきだ。

 財源不足言とうならば、先ずは政治家が隗より始めれば良いので有る。政治家自身が自らを削り敢然と実行すれば、役人も国民も右倣えするだろう。

 朝刊に各党の政策が羅列してあった。どれもこれも財政再建や消費税問題が大きく紙面を割いていたが、一方で中共の軍事費が公表の1.5倍の10兆2000億円との記事が掲載されていた。更にロスケは9月2日を「対日戦勝記念日」とすることを決めたという。

 国際環境が激変している中、世界の情勢に目もくれず党利党略に狂奔している我が国の政治家連中には呆れるばかりだ。国の大本は教育であり国防である。その議論、政策を一切語ることも無い参議院など、やはり無くするのが賢明である。

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cordial8317 at 07:41|Permalink

2010年07月08日

妄言!!!仙石官房長官「韓国国民へ戦後補償を」

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 民主党は日韓併合を「民族の誇りを傷つけた」との訳の解らぬ見解を示し「私たちは過去の歴史を前向きに直視する勇気を持っている」と、恰も日本の統治時代が間違っているかのように媚び諂っているが、外交とは謝罪や同調をすることではない。況してや戦後処理が不十分だとして個人補償をするとは開いた口が塞がらない。流石は「民力結集」。その「民力」には大韓民国も民団も入っているのだろうが、外交と友好を混同し、韓国政府の出先機関の如く振舞う政治家共には呆れ返るばかりだ。
 
 日本の統治時代を悪逆非道の「日帝36年」と決め付ける韓国の主張の根源は、米国の傀儡・李承晩らによる「反日教育」の影響だ。李承晩は日本統治時代、海外で反日運動をしていた人物で、戦後、米国の威光で初代大統領になった。韓国国民を纏めようと行ったのが「反共」「反日」政策で、これを『国是』としたのである。こうした一部の少数派が創り上げた歴史を未だに信じているのだから困ったものだ。
 韓国併合当時、韓国国民独自の力による近代独立国家建設の道など在り得ない。彼らに、あの巨大ロシア勢力の排除など到底無理だったことは、日清・日露戦争時代の近代史を学べば解ることだ。日清戦争後、ロシアが南下政策を開始し、日本が戦利品として割譲された、遼東半島に攻め入り、韓国までも触手を伸ばしている時に韓国独自でロシアと対峙することなど出来る筈もなかった。その意味では、寧ろ日本による韓国保護の必要性を認め、日本と一体となった上で、民族の自立発展の道を模索しようとした「日韓合邦派」の主張の方が現実的だったのだ。
 韓国が非難して止まない差別と弾圧の日帝支配なるものは、寧ろその逆であり、世界に例を見ない極めて公平で平等な制度であったのだ。何しろ、日韓併合時に100校程しかなかった小学校を昭和17年には4945校に、中学以上の学校を470校に迄増やしているが、これが差別であり弾圧で有る筈がないではないか。
 ハングルにしてもそうだが、ハングルの使用を禁じていたのは李朝の王らで、彼らは諺文を禁じ、漢語漢字を使用した。日韓併合後、福沢諭吉が諺文と認字率を高める学校教育の普及を説き、今のハングルの礎を作ったというのが事実だ。また「日本語を強制させられた」との妄言を聞くが、日本語を学べば全てが理解出来たということだ。あの時代、文明に通じる道は日本語だった。世界中の古典を一つの言葉に訳された「世界文学全集」は当時、日本にしか無く、支那人もベトナム人も皆、日本に留学して世界を学んだのだ。

 その昔マレーシアのマハティール首相が「半世紀も前の戦争で謝罪する心理は、私には不可解だ」と語っていたが、100年も前の日韓併合を間違いだとして謝罪し、贖罪意識から連中に個人補償するなど以ての外である。

 「君、国売り給う事勿れ!」

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cordial8317 at 08:25|Permalink

2010年07月07日

「みたままつり」つのだ☆ひろ奉納特別野外コンサート

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 参議院選挙も終盤に入ったが、相変わらず盛り上がりに欠ける選挙で、消費税議論に掻き消され、候補者から国家観の見える政策を聞くことは無い。今回出馬している有名人やタレント候補に国家観を求めるのは酷というものだろうが、保守思想を持つ芸能人も少なくなく、例えば俳優の藤岡弘や歌手のつのだ☆ひろの思想・信条は共鳴するものが多い。こうした保守タレントが結集し保守新党でも結成すれば、日本が直面する危機を身近に感じる国民も増え、効果絶大であろう。

 藤岡 弘

「祖国の為、先祖、子孫の為に、戦いの場に赴いた戦士達を、後世の人間が敬意をもって遇しないとしたら、その国はやがて滅びるだろうと私は思います。難民救済活動でいろんな国へ行きましたが、女子供、老人たちが見るも無残な難民となって、彷徨う姿を見る度に、国や民族が滅びるとはこういうことかと、とても悲痛な思い駆られます。だから私は『自衛力無き民族は滅びる』という言葉を実感として受け止められるのです。全人類の歴史を考えてみれば、一体どれほどの民族が絶えてしまったか。もう自分が生きていることは奇跡の様な事だと思って間違いない。そして自分を、自分の両親、そのまた両親を生かしてくれる為に、自らの命を投げ出してくれた人がいる。自分の存在はそうした尊い犠牲の上にある。靖国神社にはそうした、生きては見(まみ)えることのなかった子孫のために命を投げ出してくれた人たちが祀られている。感謝の気持ちは自分もまた次なる子孫の為に、愛の連続性に責任を持つという姿勢として現れてくる。だからこそ、どの国、どの民族も、自国の為に戦って倒れた戦士の慰霊を大切にする。当たり前の行為なんだといいうことを改めて日本人は自覚すべきである。そして慰霊の作法というのは、それぞれの国や民族の文化によって異なるものですから、これは日本のやり方を通すしかない。今の日本が徹底した侮りを受けないで済んでいるのは、身命を投げうって究極の奮戦をしてくれた英霊、特に神風特攻隊のお陰です。彼らが武士道精神を発揮して戦ったその記憶が『バリア』となって、いまも我々を守ってくれている。戦後半世紀の平和は『平和憲法』によって齎されたもたものではなく、最悪の戦いの中で、究極の武徳を示してくれた英霊のお陰だと私は思っています」

 つのだ☆ひろ

「私は、戦後の自虐史観を身体に叩き込まれた団塊の世代だ。戦前や戦中派の人達と違って皇民教育の断片も頭の中に無く、最初から祖父や父の世代を悪し様に貶め、軍隊や戦争は全て悪いといった教育の真っ只中に育った。何処の誰が何時の間に、そんな考えを植え付け指導したのか。これは国家の安全対策上大きな問題であろう。遡って、先の大東亜戦争は国民の総意により洋威の圧力に屈せず、亜細亜の安定を強固にする事で、日本の安全をより確かなものにする為に起きたものだと確信する。欧米の侵略から亜細亜を救う為の戦いという大義は誇らしく思う。ところが、日本が敗戦するやこの理念は一変して戦勝国によって捩じ曲げられてしまった。軍国主義国家という不名誉な罪を擦り付けられ、法律上有り得ない事後法まで使って裁かれ、戦犯の汚名を着せられた上に、戦争の責任を一方的に負わされてしまったのである。日本の正義も道理も歴史も理不尽に踏み躙られてしまった。私は幸いにも祖先から高潔な志と価値観を受け継いだ日本人として、自らを律して一生の幕を閉じたいと思う。社会が私をどう見ようが、日本人としての魂に恥じない視点と方向性を私の『普通』として位置付け、常に先学に学び勤勉と進歩を目指して努力を怠らない姿勢を貫きたい。現在の日本に蔓延している事勿れ主義と無責任、そして何より誤った教育、偏った報道は国を滅ぼし大切な命を死に至らしむる病原菌と成りうる事を我々は肝に銘じなければならない」

 来週13日から16日迄の4日間、靖国神社で、第64回「みたままつり」が執り行われる。14日には「つのだ☆ひろ奉納特別野外コンサート」が催される。コンサートに先立ち「御神前に額づき英霊に感謝の気持ちを伝え、労を労って戴ければ私の奉納演奏の意義も自ずと価値を高めるに違いない」と語っているが、是非機会が有れば参加したいものである。

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cordial8317 at 08:13|Permalink

2010年07月05日

党首論戦、目だった挑発的逆質問

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 昨日は各局で党首論戦が行われたが、各党代表とも消費税議論ばかりで明快な主張は無く、目立ったのは菅の逆質問で「こんな財政にしたのは誰だ」「今まで結論を出さなかったのは、どの政権か」「何故、政権にいた時に実行しなかったのか」など挑発的なものばかり。菅は、みんなの党の渡辺喜美を槍玉に上げ、再三、責任転嫁と受け止められる様な質問をしていたが、実に見苦しいものだった。たちあがれ日本の平沼代表が「責任の擦り合いの様な議論を国民は聞きたくない」と苦言を呈していたが御尤もだ。平沼氏には殆ど意見を述べる機会を与えられなかったが、マスコミの作為的なものと感じざるを得ない。

 何故か各党とも経済政策ばかりで「永住外国人の地方選挙権付与」にも言及しなかったのは不可思議で、自民党は選挙協力する公明党に配慮したのだろうが、何を遠慮する必要があるのか。やはり保守を自認するなら言及すべきではなかったのか。今回の参院選は消費税より外国人地方参政権付与を認めるか認めないかの選挙であり、日本の存亡が懸かっている選挙と言っても過言ではない。外参権の議論を避けて通ることは有ってはならない。

 谷垣を見ていても迫力不足というか、消化不良。自民党の『立党宣言』には「(略)社会的欠陥を是正することに勇敢であらねばならない。われらは暴力と破壊、革命と独裁を政治手段とするすべての勢力又は思想をあくまで排撃する。(略)祖国再建の大業に邁進せんとするものである」と宣言しているが、今、目の前にはカタチを変えた共産主義が蔓延っており、その「カタチ」は実に陰湿で、それらを排撃せず、消費税議論とは本末転倒だ。
 
 大東亜戦争の悲惨さを煽り、南京大虐殺、沖縄戦、集団自決、日韓併合、サンフランシスコ講和条約、東京裁判、A級戦犯、靖国神社問題、従軍慰安婦、強制連行、遺棄破壊兵器・・・と枚挙に暇なし。更にカタチを変えた左翼勢力は歴史教科書問題、靖国神社に代わる追悼施設建設、夫婦別姓、男女共同参画社会、ジェンダーフリー、人権擁護法案、協働・共生社会、外国人参政権、移民計画、外国人住民基本法案、派遣村、観光立国、沖縄ビジョン、東アジア大交流時代。極め付けは女性天皇容認論である。

 連中は自国である日本を罵り、蔑み、貶め自虐史観の限りを尽くしているが、自民党内部にも今や巣食っている状態で、国民が期待するのは国家観を持った保守の二大政党で、民主党政権でも自公政権でもない。

 日本の社会保障制度は世界で誇れるもので、国民はこれ以上国に何を要求し、何をして貰ったら満足するのだろう。幾ら裕福になったとしても、北朝鮮のミサイル一発で脆くも崩れ去るような繁栄に現を抜かすことが有ってはならないのだ。国の大本は、やはり国防であり教育である。自国で憲法を創り、安全保障を確立し、また子供に手当てを出すことよりも、その子供にどういう教育を施すかということが大事なのだ。

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cordial8317 at 07:47|Permalink

2010年07月03日

言語道断!支那人観光ビザ緩和!

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 「観光立国」の推進を謀る亡国政府は、支那人観光客を増やす為に富裕層に限定していた個人観光ビザの発給条件を中間層にまで広げる愚策を断行した。

 抑抑「東アジア大交流時代」「観光立国」などという妄想は、日本社会の安全を無視した無責任極まりない愚策であり、到底容認出来るものではない。今更、何を血迷って支那本土からの観光客誘致を強化しようなどと考えるのだろう。支那人観光客が落とす幾許かのカネを期待して、それによって経済の浮揚に繋げるというが笑止千万だ。

 溝畑観光長々官は記念式典で「更に多くの中国の方に日本を訪問して欲しい」と挨拶した様だが、こいつはキチガイか。ここ数年、外国人の旅行者の入国は増えているし、今更、犯罪者予備軍ともいうべき不法滞在者や不法就労者が多発している支那人らに来て貰う必要はない。

 観光庁は、平成21年度に101万人だった支那人旅行客を、3年後に390万人、6年後に600万人に増やす戦略だというが、逆を取れば、中共政府の日本侵略の戦略と言っても過言ではない。

 嘗ては世界一安全といわれた日本が、外国人の急増、それも支那人の増加によって安全が脅かされていることは、幾ら不精な人でも気付いている。生命の保証、財産の安全こそ国民の願望であり、これに優る国益はないのである。

 政府は「観光政策は国家戦略というのが世界の共通の認識」などと詭弁を弄しているが、「観光立国」は本来、発展途上国の政策というべきもので、日本の目指すべきものは、今迄同様「技術立国」である。

 支那人犯罪者による凶悪犯罪の増加という現実を無視した挙句、治安を一層悪化させることが確実な「ビザの簡素化」や「東アジア大交流時代」という妄想は国民感情に反するだけでなく、日本人に今迄以上の犠牲者を出す極めて危険、且つ無責任な愚策である。

 「ビザの簡素化」「観光立国」「東アジア大交流時代」「外国人参政権付与」の一連の流れは、中共政府の謀略であり、支那の走狗と化し、これらの愚策を強行する民主党政府を粉砕しよう。

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cordial8317 at 10:40|Permalink

2010年07月01日

無責任な大衆迎合主義

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 小沢一郎が、先の衆院選マニュフェストの修正に対し批判していることに関し、枝野幹事長が小沢を「無責任なは大衆迎合だ」と断じたが、民主党は画餅マニュフェストで政権交代したのは紛れもない事実で、安易な修正変更もまた大衆迎合で、枝野らが小沢を批判する資格などない。批判するならマニュフェストなんぞより党の綱領を創り、国民に国家の理想像を明らかにすべきだ。

 小沢の主張は大衆迎合というより選挙屋としての考えから批判したもので、「国民に約束したことは実行しないと駄目だ」というのは御尤も。ならば国民に約束しなかった裏マニュフェストの「外国人地方参政権」や「夫婦別姓」「戸籍法改正」などの売国政策はやらないでほしいものだ。

 大衆迎合というなら菅の方が上だろう。菅は、故市川房枝に寵愛され市民運動家から代議士に転身する。市川房枝は婦人運動家として、如何にも国民目線に立った政治家というイメージが強いが、戦前は「大日本言論報国会」の理事として国民を戦争に駆り立て煽動した人物だ。

 戦後、公職追放に遭い、これからは「戦後民主主義」が持て囃されると見るや、態度を急変させ、婦人運動家として婦人参政権の付与や売春防止法の制定に奔ることとなるが、要は主義主張も節操も無い大衆迎合の政治屋の一人に過ぎない。

 菅直人も同じで、その教え故、国民の動きには過敏に反応する。カイワレといい、薬害エイズといい、票になると見るや徹底して市民ウケするパフォーマンスを繰り返す。先の派遣村も同様で、湯浅某如きの市民運動家というアホ左翼を内閣府の参謀に参画させたことでも、如何に菅が大衆迎合主義者であるかが理解出来る。

 最近の政治家は、頻りに「国民の目線に立った政治を行う」と宣うが、民主主義の本質は国民目線に立つ事ではない。国民目線とは、国民の平均値のことだろうが、平均値で国の政を行うことは余りにも危険だ。

 政治が、国民目線に立った時、必ず国は滅ぶと言うのは世の常で、何故なら、国民の判断力は古今東西常に低く、その意見も気紛れだからだ。

 民主党が政権を獲れたのも、鳩山政権が辞職に追い込まれたのも、同じ民主党に投票した多くの国民の判断だ。政治には、国民目線と掛離れた歴史観、人間観、世界観、時には高度な権謀術数を必要とする。経済も然り。

 「日本は深刻な経済危機」というが、純資産残高(債務残高から金融資産を引いた数値)は欧米に比べ然程悪くは無く、日本の国債も95%以上を国民が購入している点を見ても、他国とは違うと言うことを知っている国民は非常に少ない。「投資がそれ以上の税収を生む」と言うことを知らないから「公共投資はダメ」「赤字国債の発行もダメ」と言った妄言が罷り通るのである。

 これらを知ることのない国民の目線とは、ワイドショーに煽られた意見と言っても過言ではない。マスコミは視聴率を伸ばす為だけに、国民の安直な正義感に迎合し、自分達の主張こそが「正義であり民主主義である」との主張を居丈高に振り翳し、国民を煽動しているだけなのである。

 民主党の参院選のスローガン「民力結集」は、国民というより市民や民団の結集を呼掛けているのであろうが、こうした反日的且つ大衆迎合主義は百害有って一利無しだ。

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