2010年06月

2010年06月22日

両陛下、日本学士院授与式に御親臨

 参議院選挙や日本相撲協会の不祥事の記事が紙面を賑せている中、片隅に天皇、皇后両陛下が日本学士院授与式に御親臨されたという記事が載っていた。

 陛下は「科学技術の進歩が人類に不幸を齎すことなく、真に人類社会に役立つ様にする為に、世界の人々が互いに協力しあって行く事が切に期待されるところです」と御言葉を述べられ、受賞者を労った。

 日本芸術院賞もそうだが、優れた芸術作品を創作した方や芸術の進歩に貢献された方々を称える授与式に、天皇、皇后両陛下が御親臨なされることで賞の重みが増すことは誰もが認めることだ。

 科学技術や芸術の分野で卓越した業績を残した方々を、国を挙げて御祝いすることは大きな意義があり、皇室が「後ろ盾」として位置付けれ御親臨なさることは、自然で望ましいことだと思う。

 日本の皇室は、後ろ盾となるだけではなく、皇族方自らが研究に勤しむ「学者」集団でもある。昭和天皇は、ヒドロ虫類の分類学的研究で知られる研究者であった。

 今上陛下はハゼの分類学研究者であり、秋篠宮殿下はナマズの研究で知られ、皇太子殿下もまた、水運の歴史に関する研究者として活躍されている。

 皇室が、自ら学問に勤しむ熱意ある方々によって構成されていることの意味を、我々はもう少し考えた方が良いのではないだろうか。

 学問というものに対する尊敬の思い、そして、科学や技術や芸術が人類普遍の価値に関わるものであるという信念を再確認する場として、日本芸術院賞や日本学士院など日本国最賞の祝いの場に天皇、皇后両陛下が御親臨なされることは英国の「王立協会」(ロイヤル・ソサイエティ)にも勝るものだと思う。

 学問だけではなく、何事にも情熱を駆り立てるものは、自然の驚異に対する感受性と、偉大な成果を残して来た先人に対する尊敬の念が無ければ、それは実に軽いものとなってしまうだろう。自然にも歴史にも恵まれた我が国には、そういった心を育む条件が力強く根付いているのである。

 将来を担う子供達に恵与すべきことは「子ども手当」というばら撒きではなく、何処に生まれ、何処で生き、何の為に学ぶのか、何を貴び、何を信じるのか、友人や朋輩と何を分かつのか、失ってしまった心の中の高貴さと、高邁な知性の磨き様を見失ってしまった今、何事も決め手になるのは、過去を大切にする心なのである。

cordial8317 at 07:02|Permalink

2010年06月21日

参議院廃止を公約に掲げる政党はないのか

 谷亮子、中畑清、堀内恒夫、石井浩郎、桂きん枝、岡崎友紀、庄野真代、三原じゅん子、敏いとうといったタレント候補の乱立は衆愚政治の始まりであり、国民を愚弄する何物でもない。 抑抑、参議院とは良識の府であり、その良識とは政治的良識でなくてはならないのだ。

 現職を見ても、女子プロレスラーや麻薬所持で実刑判決を受けた沖縄民謡歌手、部落解放同盟に元朝鮮日報支社長、日教組に元極左、不倫妻やら女子プロゴルファーの父やら挙げたら限がない無能な連中ばかりで政治的良心の欠片も感じない。

 所詮は単なる数合わせと単なる投票要員で、日本の政治家としての矜持を持って政を司ることなど出来はしない。参議院は衆議院のカーボンペーパーと揶揄され、その存在意義が問われて久しいが、タレント候補の乱立は最早末期的症状で衆議院のチェック機関としても機能しておらず廃止するのが得策だ。

 申し訳程度に「議員定数の削減」を公約に掲げる政党は在るが「参議院の廃止」を訴える政党はいない。民主党は先の総選挙で、国会議員の定数を衆院を80人減らすと公約したが未だ議論すらされてはいない。

 更に今回は参院も40人減らすとしているが、所詮「絵に描いた餅」だろう。自民党は国会議員を3年後に1割削減し、6年後に3割減らすとしているが中途半端。

 たちあげれ日本は衆院定数を400、参院を200にするとしているが、みんなの党の衆院300、参院100との公約より民主党に近いというのは如何にもお粗末で、保守本流を自認するなら「参議院の廃止」くらいのインパクトは必要だと思うが、中畑清を担いでいる様では先が見えている。

 自民党の谷垣は「与党を過半数割れに出来なければ、総裁を辞任する」と宣言しているが、谷垣が辞める確率は限りなく高い。
   
 パート感覚で参議院議員になろうとする連中に高給を払ってやるほど財政は豊かではない。今やるべき改革は消費税増税議論より、先ずは議員定数の削減であり、参議院の廃止である。地方議員は無報酬か日当制にし名誉職にするべきだ。

 財源不足言とうならば、先ずは政治家が隗より始めれば良いので有る。政治家自身が身を削り、敢然と実行すれば、役人も国民も右倣えするだろう。

cordial8317 at 09:27|Permalink

2010年06月18日

またしても愚民は同じ轍を踏む

 各党が参院選に向けてマニュフェスト(政権公約)を発表した。通常国会は僅か9日で閉会し、予算委員会も党首討論も開かれずに終ってしまった今、国民はマニュフェストでしかその政党を知る術はない。

 昨年の衆院選挙で国民は「自民党にお灸を据える」という程度で民主党を支持した。別に民主党が良い訳でも、マニュフェストを理解して投票した訳でもない。

「民主党くらいしかないか」「民主党にでも入れとくか」といった感覚で投票したというのが実情で、所詮、民主党にしろ、自民党にしろ、「でもしか政党」なのだ。乱立するミニ政党然り、菅直人然り。

 政治で大事なものは如何に国家観を以て政治を行い国家・国民を安寧に導くかであり、中身も知らないで支持する事が有ってはならない。

 菅政権の「脱小沢」と「クリーンな民主党」という幻想からか支持率が快復しているが、またしても愚民は朝三暮四に騙され、同じ轍を踏むのは間違いない。

 民主党は先の衆院選で「子ども手当」「高速道路無料化」「ガソリン税の暫定税率廃止」などの画餅が功を奏し政権交代を果たしたが、その国民との約束を反古にした。どうみても選挙目当てのマニュフェストだったことは明らかだ。

 今回発表されたマニュフェストを見渡しても国家観皆無の荒唐無稽で無責任な政策が目立つ。民主党が政権に居座るということは、政権政党としてマニュフェストの実現ということだけの話ではない。

 民主党という政党の持つ国家観や哲学、構想が政府の政策に反映するということを意味する。その意味で民主党という政党そのものが問われなければならない。

 護憲派でもある菅は「この国を立て直すのが第一の仕事で、憲法問題は喫緊の課題ではない」と宣うが、喫緊の国の課題は、最早、国の基本法として機能を呈していない現憲法を見直すことであることは余程のバカじゃない限り分かる。

 況してや国の大本は景気対策よりも、将来を担う子供達への教育の充実と国防力の整備を図る事であるが、民主党にはその何れの政策も欠落している。

 民主党は日教組の関係を優先する余り、マニュフェストには「子ども手当」を明記しても、どの様な教育を施して行くかということは一切書かれていない。

「愛国心」も「道徳心」も「学力向上」も明記せず、国民から負託されたという驕りから、教育を疎かにして、金の分配だけに狂奔するのは本末転倒と言うものだ。

「外交・安全保障」も杜撰そのもので、マヌケなことに憲法の平和主義に則った防衛政策を訴えているが、これではアホな社民党と何ら変わりは無く心許無い。

 鳩山が辞任挨拶で述べた「米国に依存し続ける安全保障が50年、100年続いて良いとは思わない。日本の平和を日本自身で創り上げなければならない」としたあの平和独立の精神の理想は何処へ行ってしまったのか。

「自らの国の平和を創り上げる」という理想は、憲法改正ではなく日本人自らの憲法を創設することでしか成し遂げられない。如何に民主党が「誤憲派」や戦後民主主義者やバカ左翼が跋扈している政党かが理解出来よう。

 菅新政権が発表したマニュフェストには相変わらず「東アジア共同体構想」や「観光立国」「ビザ要件緩和」など、支那の策謀が掲げられ、亡国的基本政策「外国人地方参政権付与法案」「外国人住民基本法案」「戦時性的強制被害者法案」「夫婦別姓」「人権救済機関設置」は今日に至っても直隠ししている。

 何れにしても「6月24日公示、7月11日投票」の参院選は否応無しに走り出した。投票する前に、民主党とはどんな政党なのかを知り、日本の為になるかどうか真剣に考えてから行動して貰いたいものだ。同じ轍を踏むべからず。

cordial8317 at 08:33|Permalink

2010年06月17日

「靖國神社には何度も行った」という菅直人の虚仮威し

 我が国には「A級戦犯」も「B・C級戦犯」も「戦争犯罪人」などと言う呼称はない。刑死・獄中死された方は、全て「法務死」と称されており、靖國神社では「昭和殉難者」としてお祀りしている。靖國神社には、所謂B・C級戦犯は1068が御祭神で、それ以外リンチに等しいもので亡くなった方が約100名という。

 東京裁判の茶番劇で、或いは外国の地で不当に処刑された、この方々の命は決して軽いものではない。未だ「戦犯」や「戦争責任」という言葉を耳にするが、この汚名を掛けられ続けるこの方々が、敢えて反論もせず諒として全ての罪を償ってくれたのである。死に代わる責任の取り方以外に何が在ると言うのか。

 国民はこの方々の悲劇を忘れてはならない。菅は「靖國神社には、A級戦犯が合祀されており、公式参拝には問題がある」と宣うが、昭和26年4月28日、我が国は主権を快復したのであり、何時まで不当な内政干渉に屈する積もりか。首相の公式参拝は当然であり、陛下が御親拝を為される様にすることである。

 代表質問に答える形で、菅は「個人的には何度も参拝した」と述べたが、どう見てもブラフだろう。要は所謂「A戦犯」を持ち出し、「分祀論」をまたぞろ出して「国立戦没者追悼新施設」の建設を目論んでいるのは間違いない。

 最高裁が示した憲法の禁止する「宗教的活動」の定義は、当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進または圧迫等になる様な行為をいう。国立追悼施設の一般人に与える効果は事実上、靖國神社に代わる施設だとの認識を与える。つまり、当該行為は靖国神社への圧迫干渉でもある。

 宗教活動であるかどうかは「無宗教の追悼式」という外形的側面のみに囚われることなく当該行為を行う意図、目的及び宗教的意志の有無、程度、当該行為の一般人に与える影響等、諸般の事情を考慮して客観的に判断しなくてはならない。

 分祀論は信教の自由を保障しようとする政教分離規定の「憲法20条・第3項」違反である。靖國神社は246万6千余柱の神霊を祀っているが、その中から一つの神霊を分霊したとしても元の神霊は存在するというのが神道の神霊観念であり、仮に分祀論が成立したとしても、それにより靖國神社が分祀することは絶対ない。

「分祀論」や「国立追悼施設」が如何に軽薄且つ支離滅裂であり、国家の艱難に立ち向かい尊い命を捧げた英霊を冒涜するものである。今こそ抑圧していた障害を排除し、真姿の復元を計ると共に靖國神社国家護持に立ち上がろう。

cordial8317 at 06:31|Permalink

2010年06月14日

防共挺身隊総隊長辞任から一年が経った

 昨年3月、国士舘大学在学中から所属していた右翼団体『防共挺身隊(以下防挺)』の総隊長に就任。同6月、前任者と活動方針の違いから総隊長を辞し1年が経った。防挺といえば、戦後、大日本愛国党と並び行動右翼として、右翼・民族派運動に大きな役割を担ってきた団体である。(詳細はウィキペディアを参照されたし)

 初代総隊長・福田進、二代目・早坂光夫、三代目・對馬則政の下で約30年間、右翼活動家とし邁進し「防挺の良識」と言われたりもしたが力及ばず袂を分つた。

 爾来蟄居状態ながらも正統右翼浪人を自任して言論活動や自己啓発に充実した日々を送っている。除籍通知を出されたが右翼活動家として何ら恥じることは無い。そんな中で、昨年末、前任者の對馬が急逝したのが返す返すも残念である。
 
 大学時代に「日本論壇倶楽部」という同好会を創った。未だ野村秋介氏が「反共右翼からの脱却」や「理論武装」を訴えていることも知らずにいた頃、これからの右翼は理論が大事だと感じて団体名に「論壇」という字を付けた。

 当時、国際勝共連合や一水会が私服で演説していた様子に興味を持ち、これからの街頭演説は隊服ではなく、揃いのブレザーを着てやろうと彼是考えたりもした。しかし、今、右翼の原点は理論より行動力であるという結論に至っっている。

 昨今、新保守主義を掲げる学者や評論家の言動が持て囃されてはいるが、その「保守」に「尊皇」はない。彼等が「保守」したいのは、自民党や民主党の体制なのだ。反中共、反北朝鮮と耳障りの良いことを言ってるだけで、本音とは思えない。

 保守主義を否定はしないが、尊皇無き保守では米国や英国の保守政党、保守主義と何等変りは無いのだ。そんな中で、右翼・民族派の知識は保守評論家と然程代わり映えせず、理論をひけらかすばかりで、行動力が乏しくなってしまった。

 街宣右翼のパイオニアであり純正右翼を標榜する防挺が一世を風靡した時代、そこには在るのは理論より行動力だった。昔、ある幹部が自分に言った言葉を思い出す。「パクられたら弁護士の先生が巧く理論を考えてくれるから心配無用」。民族派諸氏は原点に戻り研鑽を積み、テロを担保しつつ活動を続けて貰いたいものだ。
 
 警察庁が把握している国内の右翼団体は現在、約900団体に上るという。御多分に漏れず、右翼の世界も「玉石混交」で、数ある団体の中には街宣車に日の丸を立てて、軍歌を流すだけの団体も在ったり、街宣車を強請り、集りの道具として使用してる自称右翼も少なくない。そうなるのも右翼活動の本質を知らないからだ。

 世間の嘲笑や侮蔑に耐えつつも皇室の弥栄を祈り、国の行く末を憂う「純正右翼」「本流右翼」は極僅かになった。国家社会主義者で「皇道日報社(現・防共新聞社)」の福田素顕翁(防共挺身隊・初代総隊長福田進の父)は、「愛国者は国民の模範的人物にして指導者たれ」との言葉を残してこの世を去ったが、民族派、右翼を自称する者の中で果たして何人が「国民の模範」と胸を張ることが出来ようか。

 野村秋介大人は「塵中に人あり(汚れた顔の天使たち)」の中で「他を批判する者、先ず自らに峻烈でなくてはならない」と示現している。こうした言葉を我が胸に手を当て自省してみれば、忸怩たる思いに駆られるが「国民の模範」に成れないまでも、塵の中でもキラリと光彩を放てる人物には成りたいものである。

cordial8317 at 07:07|Permalink

2010年06月11日

須賀川市出身の根本博元中将伝「この命、義に捧ぐ」

 福島県岩瀬郡仁井田村(現須賀川市)出身の根本博元陸軍中将が、死後40年余を経て注目を集めている。根本中将を主人公に描いた「この命、義に捧ぐ」(門田隆将著・集英社)が出版され、産経新聞にも掲載さた。

 今日も地元紙「福島民報新聞」に特集記事が掲載されている。「この命、義に捧ぐ」は、義を貫く生涯を送った根本博・元陸軍中将(1891~1966年)の人物像を描いたノンフィクションの歴史記録である。

 産経新聞も春の特集記事の中で「終戦直後、邦人保護のために蒋介石が手をさしのべてくれた恩義に報いるべく、密航までして身を投じた日本人将軍の秘話が戦役後60年を経て明らかになった」と、根本元中将を取り上げている。

 昭和20年8月9日、旧ソ連は、ヤルタ密約の実行から未だ有効だった「日ソ不可侵中立条約」を一方的に破棄し、満州、南樺太に侵略を開始する。

 ロシアによる鬼畜の如き所業は筆舌に尽くし難い。敗戦時、駐蒙軍司令官だった根本中将は旧ソ連の侵攻を食い止めつつ、軍上層部の武装解除命令を敢えて無視して、邦人保護の優先を部下に命じた。この決断により、支那・内蒙古に残された在留邦人約4万人を脱出させることに成功する。

 その際に中国国民党の蒋介石から受けた恩義に報いようと、GHQの統治下だった戦後の昭和24年6月、九州から老朽漁船で密航する。決死の思いで辿り着き、国民党軍に協力し、そして軍事顧問に迎えられる。

 中国国民党と中国共産党との間で支那の覇権を争って繰り広げた「国共内戦」の事実上の最終戦「金門島・古寧頭(こねいとう)の戦い」で、共産党軍を壊滅させる策を授けた。この戦いから三年後、日本に帰還するが、晩年根本氏は、自らのこの台湾での行動を誇示することは無かったという。

 台湾当局は台湾独立の先駆けとなった「金門島の戦い」に、先の大戦で敵対した旧日本軍の将軍が参画したことを認めては来なかった。否、出来なかったのだろう。

 しかし、昨年10月、金門島で行われた「古寧頭戦役60周年記念式典」に、根本元中将と共に渡った関係者の子息と門田氏らが出席し、その席で馬英九総統や軍幹部が初めて謝意を伝えた。根本氏もあの世で感無量だったに違いない。

 門田氏は根本元中将を「窮地にある蒋介石の力になりたいとの一心で台湾行きを決行した。根底にあるのはヒューマニズム。戊辰戦争で敗れ賊軍となった福島出身であることが影響しているのだろう。毅然とした生き方に学ぶべきだ」と評す。

 根本元中将は正に、会津士魂の教え「譬え義に死するとも不義を以て生きず」の生き方を実践した武将だ。郷土の偉人の勇姿は時を経て今、光彩を放つ。

cordial8317 at 07:28|Permalink

2010年06月10日

菅政権は「脱小沢内閣」ではなく「小沢隠し内閣」である

 大多数の有権者は、マスコミの提供する偏った報道に毎日接することで意思行動を方向付けられる。声の大きい者、頻繁に接する物に、人は正しい者、魅力のある物として誘導される。例えば、テレビショッピングは一種の洗脳番組だ。

 視聴者に都合の良い部分だけを繰り返し何度も見せて、その後、有名人らに感想を聞いたり、実体験を語って貰ったりする。これを見た視聴者は、大して欲しくない商品をついつい勢いで買ってしまう。

 マスコミはこうした人間の心理を全て理解した上で垂れ流す。報道するものが、見せたいものであり誘導したいもので、報道しないものが国民に知らせたくないものだ。巨大な洗脳装置がマスコミである。

 マスコミが垂れ流す下らないワイドショーに一喜一憂している人達こそが愚民政策の体現者なのである。その体現者がまたもや民主党を支持し出した。

「小沢外し」の人事が功を奏し、菅内閣を「脱小沢内閣」と評価し支持しているが、所詮は小沢の意のままに画策されている様に感ずるのは杞憂だろうか。

 民主党が本気で「政治とカネ」に決別するなら、先ずは小沢の政倫審や証人喚問を行うべきだが、菅を始め執行部が否定的なのは、結局「脱小沢」ではなく「小沢隠し」であり、小沢を庇っているだけだ。

 要は参院選を勝ちたいが為の目眩ましで、こうした事実が露呈すれば世論は離反して行くだろうし、国民は小沢の逃げ得は決して許さない。

民主党は「政治資金の透明化」「政治資金規制の強化」の政策を掲げてはいるが、「政治資金による個人蓄財の禁止」は明記していない。

 収支報告書の開示や領収書の保存などを挙げながら、小沢が行った政治献金の大きな抜け穴に関しては全く手を打たない。はっきり言えば手を打てないというのが本音で、如何に民主党が小沢の影響力が大きいかが垣間見れる。

 更に「無駄遣いの見直し」「新たな治水対策を考える」という理由を掲げ公共事業を見直すとして、群馬県の八ッ場ダムをその象徴として大々的に取り上げた。

 この民主党の目玉であり、一丁目一番地とも言うべき政策も、熊本県の川辺川ダム、或いは長崎県の諫早湾干拓の中止も、西松建設が関与していない、つまり小沢に献金しなかった企業の工事ばかりだというのは紛れも無い事実だ。

 小沢の地元の岩手県の胆沢ダムを中止をしない理由として「既に本体工事に入っているから」というのは、余りにも説得力がない。

 小沢の不正献金問題は、この胆沢ダム工事を請け負った関係企業ばかりで、そこを避けて政策を立てる辺りが、民主党の恣意的な政治姿勢を如実に表している。

 菅内閣は「脱小沢内閣」ではなく「小沢隠し内閣」というのが正しく、亡国政権が掲げる胡散臭げな政策に決して騙されてはならない。

cordial8317 at 08:38|Permalink

2010年06月09日

国民最大不幸である菅亡国内閣

 菅直人が新総理に就き、御祝儀相場も有って支持率が快復しているが、その中身は鳩山政権発足時同様、空疎な言葉ばかりが目立つ。菅内閣は「騎兵隊内閣」を自任している様だが、「奇変態内閣」と言うのがお似合いだ。

「最小不幸の社会を創る」とし「日本を根本から立て直し、もっと元気の良い国にして行きたい。強い経済、強い財政、強い社会保障を一体として実現する」と語る。

 財政状況悪化は「20年間、税金を上げられずに大きな借金を繰り返し、効果の薄い公共事業に注ぎ込んだことだ」として自民党政権時代を暗に批判し「日本は深刻な経済危機」という認識を示した。

 しかし、日本の純資産残高(債務残高から金融資産を引いた数値)は欧米に比べ然程悪くは無く、日本の国債も95%以上を国民が購入している点を見ても、世界に比べ深刻な経済危機ではない。

「投資がそれ以上の税収を生む」と言うことを知らないから「公共投資はダメ」「赤字国債の発行もダメ」と言った妄言を繰り返すのだが、一国の総理としては全くの経済音痴で実に心許ない。

 国民の多くも同様に似非経済危機論を信じきっているのには困ったもので、将来、様々な形でツケが廻ってくるのは明らかで「最小不幸」どころか「最大不幸」が待ち構えているに違いない。

 政治が先ずやるべきことは、将来を担う子供達への教育の充実である。民主党と日教組の関係は今更指摘するまでもないが、マニュフェストに「子ども手当て」を明記しても、どの様な教育を施して行くかということは一切書かれていない。

「愛国心」も「道徳心」も「学力向上」も明記せず、国民から負託されたという驕りから、教育を疎かにして、金の分配だけに狂奔するのは本末転倒。

「外交・安全保障」も杜撰さが目立つ。「専守防衛に徹し、集団的自衛権を行使しないこと、非核三原則を守ること、海外における武力行使は行わないこと、文民統制を維持することなどを防衛政策の諸原則を今後も遵守する」と、とても防衛の「基本政策」と言えない代物が在るが、喜んでるのは周辺諸国だけ。

 鳩山が辞任挨拶で「米国に依存し続ける安全保障が50年、100年続いて良いとは思わない。日本の平和を日本自身で創り上げなければならない」と珍しく正論を語っていたが、この基本政策を変えない限り日米を基軸とした原則を続けることなど出来はしない。

 菅が言うべきことは「日米合意」や「沖縄の負担軽減」ではなく、鳩山が示した認識の下に国民に「国防の在り方」を訴えるべきではないのか。尤も、普天間問題で知らぬ顔の半兵衛を決込んだ菅に、それを求めるのは酷か。

 石原都知事が菅政権を「極左政権」と揶揄したが、菅の目指すものは「世界の人々が不幸になる要素を少なくする」と敢えて示した様に、菅の頭に存在する世界は、支那人や朝鮮人の「最小不幸」を目指している様に感ずるのは穿った見方だろうか。

cordial8317 at 08:31|Permalink

2010年06月07日

玄葉光一郎は福島県知事汚職・佐藤栄佐久の娘婿

 民主党政調会長に玄葉光一郎が内定した。玄葉は弁舌爽やか且つ美男子で人気が有り、福島県3区では対抗出来る自民党候補はいない。

 その昔、中選挙区の頃には荒井弘幸が出馬してライバル争いをしていたが、小選挙区では玄葉に勝てず、今ではその荒井も参議院に転向してしまった。

 松下政経塾出身で、県会議員を経て20代で代議士になった玄葉は、とっくに活躍して然りの人物だったが、先の福島県知事汚職で義父の佐藤栄佐久が逮捕され、自身も、同事件で逮捕された政治ブローカーの辻政雄を仲介させ、北朝鮮系企業の水谷建設などにパーティー券を購入さていた事実も発覚し、隠忍自重していた。

 漸く、県知事汚職事件の世間の熱りも冷め、政調会長として政権の表舞台に出て来たが、政治とカネの象徴的な企業との係わりの疑いの残る玄葉が、果たして「政治とカネ」の一掃を図れるかは疑問が残る。

 お坊ちゃん育ちの玄葉が、魑魅魍魎渦巻く世界で、果たしてどれだけやれるか愉しみだが、安倍、麻生、鳩山同様、お坊ちゃまの行く末は決まっている様に感ずる。

 平成18年(2006年)に発覚した福島県知事汚職で暗躍した水谷建設は、県内発注の公共工事を大手ゼネコンとのJV企業として、福島空港を始め、サッカー施設のJビレッジやダム工事など高額な公共工事を請負い、その見返りとして佐藤栄佐久知事の弟らに請負い金額の約5%を支払っていた。

 三重県の三流建設会社が、身寄りも何もない地でこれだけの工事を請負い出来た背景には、水谷建設の元会長の「政治家に金さえ渡せば何とでもなる。そういった意味では全国何処でも金儲け出来る」との経営哲学が大きい。この水谷がカネの亡者の小沢らと繋がっていた事実は言わずもがなだろう。

 福島県汚職事件で、佐藤栄佐久元知事は「事実無根」として上告しているが見苦しいばかり。自分が喩え知らなくても、弟らのやった行為は県民への背信行為で不徳の致すところだ。小沢同様、政治家には沈勇という美学は無い様だ。

 玄葉が政調会長として喫緊にやるべきは、民主党の売国的基本政策を見直し、党の綱領を創ることだろうが、菅極左政権だもの、そりゃ無理というものだ。玄葉の就任は国民へ「爽やかさ」と「小沢との決別」をアピールする為の目玄しである。

cordial8317 at 07:55|Permalink

2010年06月05日

菅直人売国政権と「でもしか政治家」

 昨年の総選挙で、国民の多くは「自民党にお灸を据える」という程度で民主党を支持した。別に民主党が良い訳ではなく「民主党しかないか・・・」「民主党にでも入れとくか・・・」程度で投票したというのが実情で、所詮、民主党にしろ、自民党にしろ、「でもしか政党」なのだ。乱立するミニ政党然り、菅直人然り。

 政治を行う上で大事なものは、如何に国家観を以て政治を行い、国家・国民を安寧に導くかであり、中身も知らないで支持する事が有ってはならない。

 菅直人が新総理に就き、御祝儀相場も有って支持率が快復して来た様だが、果たしてどれ程の国民が民主党という政党を理解しているのだろうか。

 政権政党として選挙公約(マニュフェスト)の実現ということだけではなく、民主党という政党の持つ国家観や哲学、ビジョンが政府の政策に反映するということを意味する。その意味でも民主党という政党そのものが問われなければならない。

 菅は「この国を立て直すのが第一の仕事」と宣うが、国の大本は景気対策よりも、将来を担う子供達への教育と国防力の充実を図る事である。

 しかし、民主党にはその何れの政策も認識も欠落している。民主党と日教組の関係は今更指摘するまでもないが、マニュフェストには「子ども手当て」を明記しても、どの様な教育を施して行くかということは一切書かれていない。

「愛国心」も「道徳心」も「学力向上」も明記せず、国民から負託されたという驕りから、教育を疎かにして、金の分配だけに狂奔するのは本末転倒と言うものだ。「外交・安全保障」も杜撰さが目立つ。

「国際社会の利益と調和させつつ、わが国の安全と主体性を実現していく『外交立国・日本』を目指す。憲法の平和主義に則った防衛政策を継続する一方で、現実かつ柔軟な認識と戦略をもって、日本外交の自立性とダイナリズムを確立する」という。

 だが、日頃官僚主導の政治から脱却を図ると息巻いている割には、頭の悪い官僚が書いた作文の様な空疎な内容が羅列している。

 更に、防衛政策では「専守防衛に徹し、集団的自衛権を行使しないこと、非核三原則を守ること、海外における武力行使は行わないこと、文民統制を維持することなどを防衛政策の諸原則を今後も遵守する」と書かれているが、要するに「基本政策」とは銘打っているが、とても基本政策と言える代物ではない。

 普天間問題の迷走や鳩山の辞任は、こうした国家観皆無の認識が招いた結果である。鳩山は辞任挨拶で「米国に依存し続ける安全保障が50年、100年続いて良いとは思わない。日本の平和を日本自身で創り上げなければならない」と珍しく正論を語っていたが、党の基本政策が在る限り、所詮は空論に過ぎない。

 菅新政権がやるべきことは、絵に描いた餅の如きマニュフェストや国民に直隠ししている亡国的基本政策の実行より、先ずは党の綱領を創り、国民に民主党の掲げる理想を明示すべきであろう。有権者は投票する前に民主党とはどんな政党なのかを知り、日本の為になるかどうか真剣に考えてから行動して貰いたいものだ。

cordial8317 at 08:27|Permalink

2010年06月04日

「国民目線」に立つ政治家を戴く不幸

 極左である菅直人が総理になるのは確実だが、民主党内の人材不足ばかりが目立つ。「強い経済・財政・社会保障」を謳ったところで、綱領すら未だに創れない政党に日本の将来を任せることは出来ない。況してや大衆迎合主義者の菅が強いリーダーシップなど執れる筈も無い。我が国の不幸は続く。

 菅は、故市川房枝に寵愛され市民運動家から代議士に転身する。市川房枝は婦人運動家として、如何にも国民目線に立った政治家というイメージが強いが、戦前は大日本言論報国会の理事として国民を戦争に駆り立て煽動した右翼である。

 戦後、公職追放に遭い、これからは戦後民主主義が持て囃されると見るや、態度を急変させ、婦人運動家として婦人参政権の付与や売春防止法の制定に奔ることとなるが、要は主義主張も節操も無い政治屋の一人に過ぎない。

 この市川のお気に入りが菅直人で、その教え故、国民の動きには過敏に反応する。薬害エイズが票になると見るや徹底して市民側に立った政治を断行した。

 先の派遣村も同様で、湯浅某如きの市民運動家と言う名のバカ左翼を内閣府の参謀に参画させたことでも、如何に菅が破壊活動家であり、大衆迎合主義者であるかが理解出来る。大衆迎合主義は百害有って一利無し。

 菅直人を始めとした政治家は、頻りに「国民の目線に立った政治を行う」と宣うが、民主主義の本質は国民目線に立つ事ではない。国民目線とは、国民の平均値のことだろうが、平均値で国の政を行うことは余りにも危険である。

 政治が国民目線に立った時、必ず国は滅ぶと言うのは世の常で、何故なら国民の判断力は古今東西常に低く、その意見も気紛れだからだ。民主党が政権を獲れたのも鳩山政権が辞職に追い込まれたのも、同じ民主党に投票した多くの国民の判断だ。

 政治を行う上では、国民目線と掛離れた歴史観、人間観、世界観、時には高度な権謀術数を必要とするのは当たり前のこと。経済もまた然りであり。

「日本は深刻な経済危機」というが、純資産残高(債務残高から金融資産を引いた数値)は欧米に比べ然程悪くは無く、日本の国債も95%以上を国民が購入している点を見ても、他国とは違うと言うことを知っている国民は非常に少ない。

「投資がそれ以上の税収を生む」と言うことを知らないから「公共投資はダメ」「赤字国債の発行もダメ」と言った妄言が罷り通るのである。これらを知ることのない国民の目線とは、ワイドショーに煽られた意見と言っても過言ではない。

 マスコミは視聴率を伸ばす為だけに、国民の安直な正義感に迎合し、自分達の主張こそが「正義であり民主主義である」との主張を居丈高に振り翳し、国民を煽動しているだけなのである。 国民の軽佻浮薄な流れに苦言を呈し、大局観に立って国家と国民を安寧に導く政治家やマスコミの出現を待望する。

cordial8317 at 09:40|Permalink

2010年06月03日

国民不在の政争に狂奔する政治屋ども

 昨年の衆院選で、国民の多くが「自民党にお灸を据える」という程度で民主党を支持し政権交代が実現した。それから8ヶ月余り、鳩山由紀夫は、自民党・安倍、福田同様、政権を投げ出した。福田が退陣の際、記者に向かって「貴方とは違うんです」との台詞を吐いたのは記憶に新しい。

 福田にしてみれば、麻生に政権を譲り、即解散総選挙に打って出る算段が脆くも崩れてはしまったが、鳩山も福田同様、参院選勝利には自らの辞任は避けて通れないと踏んでの決断で、如何にも小沢を道連れにした様に見せ掛けてはいるが、今回の「辞任劇」という小芝居の脚本・演出は小沢だろう。

 所詮「政治とカネ」「普天間の迷走」での引責辞任としてはいるが、選挙目当ての国民向けの誤魔化しでしかない。この辞任劇と新政権の御祝儀相場で民主党の支持率が上がることは必至だが「表紙」を変えたところで、民主党の中身が変る事はない。ややもすれば小沢が表舞台から消え、院政による支配が益々強まるだろう。

 未だ民主党の中身も知らないで支持しているが、民主党政権が続く事の意味を果たして理解しているのだろうか。政権を執るということは、政党の持つ国家観や哲学、構想、未来像が政府の政策に反映するということを意味する。その意味で民主党という政党そのものが問われなければならないのである。

 果たして、民主党とは一体どんな政党なのか。多くの国民が知り得るのは、民主党がマニュフェストで掲げた「一人2万6千円の子供手当て」「農業の戸別所得補償」「暫定税率廃止」「高速道路無料化」等であり、その政策の多くが頓挫している。

 しかし結党以来の「基本政策」としている「外国人地方参政権付与」や「外国人住民基本法案」靖国神社に替る「国立追悼施設の建立」、元慰安婦に対して国家賠償する「戦時性的強制被害者法案」といった反日政策、更に日本の家族制度を破壊する「夫婦別姓」、言論の自由を侵害する「人権救済機関の設置」「日教組主導の教育関連政策」といった売国法案成立に狂奔していることは国民の多くは知らない。

 敢えて国民に知らせないというのが本音だろう。既に支那の走狗と化した民主党は「東アジア大交流時代」と称し、「観光立国」「査証(ビザ)の簡素化」「沖縄ビジョン」といった支那の策謀を忠実に実行していることは憂慮せざるを得ない。

 民主党が野党時代、コロコロ替る自民党政権に「総理を変えるなら総選挙で国民に信を問え」と宣っていたが、この主張が本音なら衆院も解散し同日選挙を行うべきだろう。尤も「秘書の責任は政治家の責任」同様、自分自身には相当甘い民主党だもの、負け戦をやる度胸は在るまい。国民不在の政争は一体何時まで続くのやら。

cordial8317 at 07:53|Permalink

2010年06月02日

福島みずほや辻元清美の涙には騙されまい(苦笑)

 余程、与党連立に未練が在るのか、福島瑞穂も辻元清美も涙を流したと言うが、誰も同情はしまい。 辻元清美なんぞは起訴猶予になったとはいえ、秘書給与を誤魔化し詐取した犯罪者である。辻元の売国活動は枚挙に暇なし。

 ソマリアへの自衛隊派遣に反対し、態態ソマリアまでキチガイ・ピースボートとのこのこ出掛けたのは良いが、結局、船が故障して自衛隊を要請し助けられるも感謝することなく、無様な結果に終わったのは記憶に新しい。

 この件で、未だ国民への釈明も謝罪も、自衛隊へのお礼も感謝の言葉も無いが、こんなのが国土交通省の副大臣だったと言うのだから哂うしかない。

 辞任が決まり、涙を見せ「泣いたらアカンやろ」と国民からの同情を求めるかの様な役者ぶりを見せたが、政権与党に固執する余りに、副大臣ポストに未練タラタラといった感じにしか見えなかったは小生だけか。

 福島瑞穂も同様で、次期参院選向けの目眩しだろう。 社民党は沖縄米軍基地の「県外移設」に拘るが、抑抑、非武装中立を叫ぶ連中が政権与党だったことが大きな間違いだろう。こんな無能な社民党を支持してるのもキチガイの所業。

 国の大本は「国防」であり「教育」であり、その二つに不可欠なものは「愛国心」である。国家観を持って外交を行い、国防を怠らず、将来を担う子供達に誇りの持てる教育を施すことであるが、社民党にそれらを求めるのは不可能だ。

 沖縄普天間基地移設問題の迷走・混乱も専ら自分達の利害やその場凌ぎばかりで、国民の生命・財産を守るという国防の在り方を論ずることは全くなかった。

 迷走・混乱ぶりは、正に「愛国心」の無さに起因すると言っても過言ではなく、また愛国心無き国防など在り得ない。戦後の我が国というのは残念なことに、愛国心の無さと国防意識の欠落という点では世界に冠たる国に成り下がってしまった。

「国防」という国本来の大本を米国に委ね、まやかしの平和を享受して来たことを恬として恥じない民族になってしまったことをどう感じているのだろうか。

 米国依存の体制からの脱却を図り、国防体制の強化を実行するなら吝かではないが、民主党も社民党も米国依存から支那依存を謀ってるだけである。

 民主党政権は、支那の策謀に嵌り「東アジア大交流時代」「観光立国」「査証簡素化」を実行する始末で、今後は「外国人地方参政権」「外国人住民基本法案」の法制化を目指すであろうことは火を見るより明らかだ。

 他にも所謂、従軍慰安婦と称する売春婦へ国費投入「戦時性被害者補償法案」や靖国神社に代わる「国立戦没者追悼施設建立」。日教組主導による「教育改革」等々、社民党と民主党が共鳴し成立を謀る売国法案は目白押し。

 要は、次期参院選を見越しての偽装政権離脱で、参院選後は「是々非々」という奇麗事で亡国法案に同意することは明らかだ。破壊活動を主として国民に害を及ぼす社民党なんぞ、民主党同様早々に消滅して頂きたいものだ。

cordial8317 at 05:53|Permalink

2010年06月01日

日中友好などクソ喰らえ!

 中国共産党の温家宝との首脳会談が開かれ、鳩山は「日本と中国の間の海が友愛の海になる」と暢気なコメントを出して御満悦な様だったのには厭きれるばかり。

 沖縄南方海域で活発化する中共軍の軍事行動に抗議することもなく、論争を避ける様な全方位外交は、国益を賭けた熾烈な駆引きが要求される外交や安全保障には以ての外で、こうした腰抜軟弱外交が隣国を逆上せ上がらせる原因になるのである。

 事実、支那にはガス田問題で出抜かれ、尖閣諸島の問題でイチャモンを吐けられ、韓国には竹島を不法に占拠され、「日本海」を「東海」と呼べとホザかれ、北朝鮮には同胞を拉致されながら手出しも出来ず、挙げ句にテボドンで脅かされる始末。

 北方領土もロシアに不法占拠されたまま一向に解決出来ずにいるのも、全て我が国政府の弱腰外交と国家主権に対する甘さが招いた結果であり、要は、戦後の日本というのは情けないことに隣国にナメラレっ放しなのだ。

 未だ共産主義を最高原理として崇め、神や仏という共産主義を超える最高の存在を許さず、因って人民には信仰の自由は認めることもない。

 集会、結社、出版、言論等々基本的人権が無く、満州、内蒙古、チベット、新疆の異民族を虐殺し土地を奪い、共産主義と漢民族化を強制し、清朝時代の最大版図を「歴史的領土」と主張する中国共産党こそ最大の「帝国主義国」である。

 その中共は日本に対してだけ「中国」と呼ぶよう強要する。日本も忠誠を誓うが如く「中国」と呼称するが、これは国際的にも間違った表現である。

「中国」という言葉の一番古い意味は「首都」という意味で、中共政府の言う様な「国民国家」を意味するものではなく、やはり「中国」ではなく「支那(シナ)」との呼称が正しく、中華人民共和国は「中共」と呼ぶべきだ。

「支那」という言葉は、最初の統一王朝の「秦」に由来し、世界中でその近似音で支那を呼んでいる。清朝の公的文書にも「支那」は出てくる。「支那」を漢字にしたのは新井白石で「チーナ」を翻訳したものだ。

英語圏では「チャイナ」
フランス「シーヌ」
ドイツ「ヒーナ」
イタリア語「チーナ」
ペルシャ語「チーン」
アラビア語「スィーン」
インド「シナスタレ」
ロシア語では「キタイ」

「キタイ」とは支那大陸の北部を支配しただけの契丹のことだ。大統一帝国の秦どころか、契丹と呼称とするロシアに「差別だ」との抗議の声が上がったことがない。要は、「中国」との呼称の強要は日本への逆差別である。

 日本を属国、朝貢国と見做す中共は、日本にだけは自分達を世界の真ん中にある「中国」と呼ばせたいのだ。「支那」禁止の理不尽な言い掛かりが始まったのは、戦後の混乱期の昭和21年6月迄遡る。

 中華民国の戦勝国は分かるが、戦後に建国した中国共産党は形式上、連合国の一員であった為、その力関係を盾に我が国に「中国」という名を強要してきた。

 外務省はそれに反論も出来ず、従順に受け容れ「外務省次官・局長通達」として「今度(このたび)は、理屈抜きにして先方の嫌がる文字を使わぬ様に」との異常な主張に諾々として従い言論機関にこれを強制し、現在に至っている。

 今日の日本外交の基本である「隣国が嫌がるようなことはしない」との弱腰土下座外交はこの時が最初であろう。一つの譲歩が更なる譲歩を生む典型である。

 今日も「支那」と使わず「中国」と言い続けることは、不当な言論弾圧に屈したままのみならず、日本が中共政府の属国と化すものである。

「中国」という名は世界の共通語ではない。外務省の「言論抑圧通達」は無効であり、「支那」という呼称こそが世界の共通語であることを知るべきである。「東アジア新時代」を標榜し、友愛を叫ぶなど言語道断。日中友好などクソ喰らえ!

cordial8317 at 06:32|Permalink