2010年04月

2010年04月30日

天下の諤諤は君が一撃に若かず(頭山満)

 明治22年10月18日、玄洋社々員の来島恒喜は閣議を終え官邸に戻る途中の大隈重信を霞ヶ関の外務省前で待ち構え、大隈が乗る馬車が正面前に近付いた時に爆弾を投じた。「大隈倒したり」と確信した来島は潔くその場で自刃し絶命する。

 大隈は爆弾で右足を失う重傷を負うも命は助かったが、来島恒喜は自らの命を賭して不公平な条約改正を阻止せんが為のものだったのだ。

 この来島の義挙を玄洋社の頭山満翁は「天下の諤諤は、君が一撃に若かず」と讃えたが、こうした幾多の犠牲を払って40年近い苦難の末、日清戦争前に漸く条約改正は成就することとなるのである。

 明治人は国家主権快復の為に命を賭して爽やかに戦った。今、我々はその覇気に学ばねばならない時に来ている。先覚が築いた素晴らしき日本を、支那の走狗と化した小沢ら売国奴によって忌忌しき事態に陥っている。

 政治の混乱・機能不全、経済の停滞・低迷、社会の沈滞・頽廃と戦後体制の諸矛盾が一気に噴出し、重苦しい閉塞感が日本全土を覆い尽くしている。凡そ、我国の歴史の中で、これ程迄に堕落した時代が有っただろうか。

 この迫り来る祖国の危機に対し、政治に携わる連中は相も変らず国民不在の政争に明け暮れ、自己保身、権力欲、偽善に狂奔しているが、衰廃しつつある日本を歯噛みながら傍観者として手を拱いている訳には行かない。

 右翼ならずとも小沢ら売国奴を成敗したい市井の臣は少なくないだろう。 旧来の思想や社会構造を打破しようとする時、常軌を逸した行動が生まれる。

 来島恒喜や山口二矢といった方々の行動こそが正気の狂気であり、この狂気こそが閉塞状況を打破する力に成り得ると信じて止まない。

cordial8317 at 09:01|Permalink

2010年04月29日

昭和の日に想う

 本日は、昭和天皇の御遺徳を偲ぶ「昭和の日」である。

 畏れ多くも先帝陛下に対し、自存自衛と大東亜の開放を掲げて戦われた先の大戦の「戦争責任」などと戯言を宣う輩が存在するのは悲しいことだが、世界の国々は、先の大東亜戦争を如何に評価し、どの様に受け止められているのだろう。

 簡略して列記してみれば、「第2次世界大戦で、日本人は日本の為というよりも、寧ろ戦争によって利益を得た国々の為に偉大な歴史を残したと云わねばならない。」(アーノルド・J・トインビー(イギリスの歴史学者))

「日本の敗戦、それは勿論東南アジア全域の独立運動には決定的な意味を持っていた。」(ジョイス・C・レブラ(コロラド大歴史学教授)著書、東南アジアの開放と日本の遺産)

「日本占領軍が、インドネシア民族主義の為に行った種々の仕事の中で最も重要なものの一つは、正規軍や軍事組織を創設してそれに訓練を与えたことである。」ジョージ・S・カナヘレ(政治学博士)

「本当に悪いのは侵略して権力を振るっていた西欧人で、日本は敗戦はしたが、その東亜の開放は実現した。日本の功績は偉大である。」(サンティン、アムステルダム市長)

 タイの元首相のククリットプラモードの「身を殺して仁を成した」という言葉は有名で、他にもマレーシア上院議員のラジャー・ダト・ノンチックやインドのラダ・クリシュナン大統領、スリランカのジャヤワンルデ大統領、ビルマのバー・モウ首相、シンガポールのゴーチョクトン首相。キューバのカストロ首相やチェ・ゲバラも評価している。

 先の大戦を評価していないのは日本国内に巣食う戦後民主主義者や支那、韓国、北朝鮮ぐらいなものだ。 我が国を讃えた外国人も数多く、「大日本」「日本精神」の著者モラエスや日本の文学作品を残し、本当の日本を世界に伝えた小泉八雲(アフカディオ・ハーン)

 アーノルド・トインビーが伊勢神宮を参拝した際「この聖なる地域で、私は全ての宗教の根源的な統一を感じた。」と称賛。

 米国のウエスト法学博士は「私は、日本人になって天皇陛下に御使えしたい。」と絶賛し、極東軍事裁判所のウエップ裁判長は「天皇は神だ。あれだけの試練を受けても帝位を維持しているのは神でなければ出来ない。」と述べている。

 熱心な平和主義者であったアインシュタイン博士は、『世界の将来は進むだけ進み、その間幾度か争いは繰り返され、最後には戦いに疲れて必ず真の平和を求めて世界的盟主を挙げねばならぬ時が来る。(略)世界の文化はアジアに始まりアジアに帰り、それはアジアの高峰「日本」に立ち戻らねばならぬ。我々は神に感謝する。天が我等の為に日本という尊い国を創ってくれたことを。」と訴えた。

 昭和天皇が御崩御なされた時、服喪国が34に及んだ。大喪の礼には世界193の国や機関の代表や元首が集まったことは、歴史上空前のことであった。嘗ての植民地民族にとって、正に昭和天皇は救世主であらされたのである。皇尊弥栄

cordial8317 at 19:01|Permalink

2010年04月26日

沖縄県民集会より拉致問題国民大集会を報道すべき

 3年程前、教科書の沖縄集団自決の、所謂「軍命令」記述が違うと抗議集会が開かれ、主催者側が「参加者11万人」と発表した。

 危うくそれを信じた政府やマスコミが右往左往し、教科書の見直しを検討したことがあったが、大手警備会社の「テイケイ」が航空写真を分析し実数が「1万8179人」と解り、直ぐに沈静化された。

 果たして今回の反対集会の9万人の実数を知りたいものだが、沖縄県民もそろそろ被害者意識から脱却し、歴史を冷静に見つめては如何だろう。

 沖縄が歴史的に翻弄されたという事実は理解するが、沖縄がその地理上故に安全保障上重要な要であるということも認識するべきで、普天間問題での混乱は国益を害するだけだ。

 先の大戦で、連合軍の沖縄への上陸、本土決戦を阻止しようと神風特別攻撃隊が編成された。昭和19年10月20日、フィリピンのレイテ島に圧倒的勢力で上陸を図ろうとする米軍部隊への起死回生の反撃作戦としたのが最初である。

 以降終戦に至るまでに、3972名の若者が特攻攻撃に命を捧げたのである。祖国を守る為に死を決意して志願した特攻精神は祖国愛の極致である。

「神風精神」こそは大東亜戦争が、自存の為の祖国防衛戦争であったことの何よりの証である。 沖縄戦に於いても特攻部隊が重要な役割を果たした。

 特攻戦死者の実に76%が沖縄戦で亡くなっている。鹿屋基地(海軍航空)からの特攻で1981名、知覧基地(陸軍航空)からの特攻で1036名の合わせて3017名である。

 特攻は航空だけではなく、特殊潜航艇、回天魚雷、空挺特攻、対戦車特攻、震洋特攻艇、陸軍海上特攻など様々な工夫により劣勢を覆す為の特攻攻撃が行われた。

 集団自決が問題となっている座間味、渡嘉敷両島に於ける梅沢、赤松部隊は元々島の防衛隊ではなく、海上特攻の部隊であった。米軍がこれを察知して特攻艇を先制撃破した為、止むを得ず上陸軍と戦闘を行ったのだ。

 戦艦『大和』が沖縄戦の為に出撃したことはよく知られている。これも特攻攻撃の一つであろう。沖縄に到達した暁には、海岸に乗り上げて全力を挙げて砲撃戦を行う予定であった。

 しかも、『大和』には歯磨き粉、歯ブラシ50万人分、月経帯15万人分などの民生品を大量に積み込んでいたのである。沖縄と沖縄の人々を必死で護ろうとした何よりの証明と云えよう。

「日本は沖縄を見捨てた」「日本は沖縄を捨石にした」「日本軍は沖縄の敵であった」などとホザく人々がいる。米軍基地反対や集団自決軍命令説のウソを主張している連中である。

「米軍基地反対!」を叫ぶのも良いが、こうした純粋に国の為に尊い命を捧げてくれた特攻の英霊に一体どんな顔向けが出来るというのか。

 沖縄で9万人の反対集会が行われた昨日、東京日比谷公会堂で、拉致被害者の早期救出を求める「金生日はすべての拉致被害者をすぐ返せ!『国民大集会』」が行われ、約1500人が集まった。

 マスコミ各社はこの大会を黙殺したが、沖縄の県民集会よりも拉致問題の国民大会をもっと国民に知らせるべきであろう。拉致問題解決は国益上重要で、余りにも軽く扱われ過ぎている事は憤激に堪えない。

cordial8317 at 06:15|Permalink

2010年04月24日

移設問題の迷走は「愛国心」無き国防論に起因する

 沖縄普天間基地移設問題は、専ら自分達の利害や、その場凌ぎの遁辞を羅列するばかりで、国民の生命を守るという国防の在り方を論ずることは全くない。迷走ぶりは正に「愛国心」の無さに起因すると言っても過言ではない。

 愛国心なき国防など在り得ない。日本は残念なことに愛国心の無さと国防意識の欠落という点では世界に冠たる国に成り下がってしまった。

 国防と言う国本来の大本を米国に委ね、まやかしの平和を享受して来たことを恬として恥じない民族になってしまった。

 米国依存の体制から脱却を図るのは大いに結構なことだが、民主党政権は何のことはない、米国依存から支那依存を謀っているだけなのだ。

 日本は明治維新の大業を成し遂げ近代化を進めた。先建は外交交渉一つにしても、日本国に誇りを持ち、日本人を守ると言う気概を持って事に当った。

 日清両属を主張する琉球を沖縄県として統合した「琉球処分」は、日本の国土統一を進める明治政府にとり不可避の課題だった。

 明治5年琉球藩を設置し、琉球王の尚泰を藩王に任命、明治12年の「廃藩置県」の通達により首里王府を解体し沖縄県を置いた。

 しかし、清国はこれを喜ぶことはなく、東京や北京で画策を謀り国際問題化した。清朝の摂政・恭親王、直隷総督・李鴻章は北京訪問中のグランド元米国大統領と会見し、琉球問題の仲介を依頼した。

 日本を訪問したグランドは、伊藤博文、西郷従道と日光で会談するが、清朝の旧態を批判し、日本を支持したのだった。英国でも「琉球処分」での日本の論拠を擁護している。

 日光会談後、東京でも日本政府とグランドとの会談が持たれ、会談には明治天皇も御臨席された。当時の日本外交が用意周到に展開されたことを窺わせるものである。

 今、沖縄では米軍基地の県外移設に向けて盛り上がっているが、果たして米国抜きの国防など出来るのだろうか。

 沖縄県はその位置関係故に安全保障上重要な場所であり、此処から米軍が撤退すれば、支那が触手を伸ばして来るのは火を見るより明らかだ。民主党が目論む「沖縄ビジョン」こそ、支那による「琉球処分」への報復であり、陰謀だろう。

「琉球処分」後も沖縄では頑固党(親清派)と開化党(親日派)との抗争が絶えなかったが、日清戦争で日本が勝利すると、親清派は沈黙し、初めて沖縄が静穏に発展し軌道に乗ったのである。

 正に内政と外交は不可分であり、国防は国の大本である。国防無き外交も平和も在り得ず、愛国心なき国防もまた然りである。 沖縄普天間基地移設問題の迷走は「愛国心」なき国防論が元凶である。

cordial8317 at 09:23|Permalink

2010年04月19日

衆議院のカーボンペパーである参議院はいらない

 参議院は衆議院のカーボンペーパーであり、衆議院と同じ政党が同じ政策を訴えてるのは無駄だ。その存在意義が問われて久しいが、タレント候補の乱立は最早末期的症状で機能しておらず、税金の無駄であり廃止するのが得策だ。

 民主党が「仕分け作業・第二弾」で参議院の廃止を訴えれば人気も快復するだろうが、到底無理な話。先の総選挙で、国会議員の定数を80人削減と公務員の2割減を公約したが未だ議論すらされてはいない。

 揮発油税の廃止や高速道路の無料化同様、所詮は「絵に描いた餅」。 抑抑、参議院とは良識の府であり、その良識とは政治的良識でなければならない。

 しかし、参議院議員や今回立候補が取り立たされている連中を見渡しても、とても政治的良識を持っているとは思えない輩ばかり。女優、淫行で逮捕歴の有る落語家や歌手などのバカタレばかり。

 現職を見ても女子プロレスラーや麻薬所持で実刑判決を受けたジャンキーな沖縄民謡歌手を始め、部落解放同盟や元朝鮮日報支社長、日教組に元極左、不倫妻やら女子プロゴルファーの父親やらアホさ加減を挙げたら限がない。

 どうみても無能な連中ばかりで、極め付けは順法精神皆無な法務大臣の千葉景子だろう。コイツらには政治的良心など持ち合わせていない。

 所詮は単なる数合わせと単なる投票要員で、日本の政治家としての矜持を持って政を司ることなど出来はしない。

 こうした連中を国民の血税で養ってやるほど財政は豊かではない。今やるべき改革は「仕分け作業」よりも先ずは議員定数の削減であり、参議院の廃止である。地方議員は無報酬か日当制にし名誉職にするべきだ。

 改革には痛みが伴うと言うならば、先ずは政治家が隗より始めれば良いので有る。政治家自身が敢然と実行すれば、役人も国民も右倣えするだろう。

cordial8317 at 06:30|Permalink

2010年04月18日

日本語力の向上を目指せ

 東京都は、日本語の力が足らずコミニュケーションが取れなかった為に交渉が失敗することが有ったとして日本語力の向上を計るとして勉強会を行っている。

 石原都知事でなくても乱れた日本語やカタカナ外国語の蔓延に危機感を持っている人は少なくない。日本語の乱れを正すことは急務であろう。 今日の生半可な言葉の洪水や片言のカタカナ外国語の氾濫にはうんざりだ。

 日本語が創って来た素晴らしい日本文化に国民は回帰すべきで、流行から安易に横文字を使用しているが「流行」とは元々「病気」を意味している言葉だ。

 外国人が日本人に感じるものは気品であり、洗練された礼儀正しさであり、寛大さである。世界の何処を探しても日本人の洗練された美を追求する高い創造性や質素な上品さに比肩するものは他にはない。

 この様な日本の生活文化を支えているものが日本語である。安易な横文字の使用は先人達が長い歳月に亘り言葉に宿らせて来た重い意味を失わせてしまう。

 明治の先覚者は、外来語を全て新漢字に翻訳した。日本語のまま西洋文化を学ぶことが出来たことは偉大なことだ。

 現代人の様に外来語をそのまま羅列し、軽薄な舶来趣味と比べれば、明治人の気骨と気概、高い見識を伺い知ることが出来る。日本語に自信を持ち、何処までも日本語で主張し、日本文化を貫いたからこそ発展が得られたのだ。

 世界で今、1000万人以上の人が日本語を学び始めている。日本語文化を世界に普及し、日本の和の心を伝え、世界平和の実現を図ることは大事だが、先ずは日本人自身が乱れた日本語を正すことこそ大事である。

cordial8317 at 10:43|Permalink

2010年04月17日

英霊の囁きに耳を傾ければ

 靖国神社の春季例大祭が行われる。国家の危機の要請に応じ、敢然と戦場に赴いて戦い散って逝った英霊に対し感謝の誠を捧げる事は何処の国でも当然のことだ。

 中共や韓国、バカ左翼やエセ宗教団体からの謂れ無きイチャモンや「分祀論」等のアホ臭い議論はもう終わりにして貰いたい。

 不当な内政干渉に何時まで屈するつもりか。首相の公式参拝は当然であり、陛下が御親拝なされて初めて英霊は安らかに眠れるのだ。

 政教分離や軍国主義の復活などを訴えるが、妄想の押し付けであり、本気でそう思うのなら政治家が葬儀や法事にも異議を唱えるべきだろう。

 世界のどんな国も「英霊」には最大の名誉が与えられている。オバマ大統領は度々、アーリントン国立墓地の囁きに触れて「負けた戦争」であるベトナム戦争も取り上げてその英雄的な精神を賞賛する。

 米国に比べ、日本は悠久の歴史と民族の一体性に恵まれているが皮肉なことに、国の礎となった英霊の方々は国家から顧みられることが少ない。このことがどれだけ国民精神の頽廃を招いているのか、政治家は考えたことがあるだろうか。

 愛国心の欠落、その結果としての国防意識の低下、日本人としての誇りや自信の喪失、子殺しや親殺し、等々、日本の社会に蔓延する問題の全てはそこに起因していると言っても過言ではない。

 自分達の先祖にきちんと向き合うことが出来なくて、どうしてまともな国家を築くことが出来るのだろうか。大切なのはこの国を守る気概と信念と勇気なのである。

 日本再生に取り組むに当り最も重要なことは、靖國神社に眠る神霊の時代を超えた囁きに耳を傾けることだ。靖国に眠る神々は、単に日本の独立を守るために戦ってくれただけではなく、我々が忘れがちな公の精神の体現者だ。

 自分の欲望を追求するだけの身勝手が蔓延りがちな社会で、その対極にあって国家の為に、我々の為に命を捧げた方々が神となって鎮まり給うのである。

 この靖國神社を国家の責任で護持することは当然のことで議論の余地などない筈なのだが、未だ総理の参拝は愚か天皇陛下の御親拝されないのは悲しい限り。

 我が国は独立国である。何者の拘束を受ける理由はなく遠慮する必要もない。抑圧していた障害を排除し、真姿の復元を計ると共に靖國神社国家護持に立ち上がれ。

cordial8317 at 07:22|Permalink

2010年04月16日

哀れなハトヤマ

 ワシントンポストがコラムで、核安全保障サミットでの各国首脳外交を総括し「哀れなハトヤマが最大の敗者」と扱下ろした。

 普天間問題での迷走で、鳩山は最早四面楚歌状態。平野官房長官が助け舟を出すも認識の違いが浮き彫りになるだけで、5月末迄に米国と地元沖縄の合意を得られることは困難だろう。

 抑抑、米国側の冷たい反応は、鳩山がオバマに「トラスト・ミー」などと安請け合いしたことに起因する。自分で撒いた種は自分で刈り取るしかないのだろうが、米国のこうした外交姿勢は今に始まったことではない。

 米国という国は何事も自分の利益だけを考える国であり、今日の夕刻までは友人であっても明日の朝にはもう敵となって、それを少しも不条理とも不道徳とも思わぬ国である。

 米国が友人であるという事は、それが米国の為に有利であるからであり、そのほかの如何なる理由も大義名分もつけたりに過ぎない。

 一旦その利益が失われたならば、何ら躊躇することなく180度転換して敵側に立つことを少しも不思議と思わぬ国であるから、決して心を許すことは出来ない。

 鳩山はオバマが自分と同じ匂いのする政治家だと勘違いした様だが、オバマに有るのは自国の「国益」だけで、鳩山にはその肝心な「国益」も「国家観」も無いから言行全てに重みが無いのである。

 尤も、米国との交渉に一役買った寺島実郎の入れ智恵を信じた結果だろうが、寺島らの様な支那信奉者を信じ対米交渉を行う民主党には困ったものだ。

 これとは逆に、親米保守派にも困ったもので、親米保守派は度々「反中国」を口にし国益を守るぞというポーズを執るが、その実は米国の国益を優先し日本の国益を毀損している場合が多い。

「南京事件」「従軍慰安婦問題」がそうだが、この問題の背後にいるのは米国だ。所謂「南京大虐殺」は東京大空襲や広島・長崎への原爆投下を敢行した米国の論理の摩り替えであり、日本も30万人も大量虐殺をしていたぞと言いたいが為にでっち上げたものなのだ。

 所謂「従軍慰安婦問題」然り「捕鯨問題」然り。「捕鯨問題」が騒がれる様になったのは、ベトナム戦争で米国の使用した枯葉剤エージェント・オレンジが、環境に及ぼす影響が国連人間環境会議で討議されることになってからだ。

 当時のキッシンジャー国務長官等が、米国の国益を守る為、環境保護団体を利用し無理矢理「捕鯨問題」をこの会議に持ち出したというのが真相。

 その後、グリンピースやシーシェパードの様な似非環境保護団体の増殖と理不尽な行為が続いているのは言うまでも無い。

 無理無体、理不尽な事を平気でやる米国との外交交渉は強かに、同盟強化は慎重に、且つ警戒は疎かにしてはいけない。

cordial8317 at 08:09|Permalink

2010年04月15日

弱腰・軟弱・全方位・土下座外交

 オバマ大統領の呼掛けで「核安全保障サミット」が開かれ、鳩山が各国首脳と会談を行ったが、オバマにはシカトされ、胡錦濤には「死刑執行」も、中共軍の沖縄南方海域での軍事行動にも抗議することなく、メドベージェフにも軽く遇われた。

 国益を賭けた熾烈な駆引きが要求される外交や安全保障に、こうした論争を避けるかの様な腰抜で軟弱な姿勢は隣国を逆上せ上がらせるだけだ。

「東アジア新時代」という馬鹿げた妄想は、益々支那や韓国、北朝鮮を付け上がらせ、日本の立場は困難を余儀なくされるだろう。

 事実、支那にはガス田問題で出抜かれ、尖閣諸島の問題でイチャモンを吐けられ、韓国には竹島を不法に占拠され、「日本海」を「東海」に変更しろとホザかれ、北朝鮮には同胞を拉致されながら手出しも出来ず、挙句にテボドンで脅かされる始末だ。

 北方領土もロシアに不法占拠されたまま一向に解決出来ずにいるのも、全て日本政府の国家主権に対する甘さが招いた結果であり、要は隣国にナメラレっ放しなのだ。

 邦人の死刑執行も、本来ならば譬え犯罪者とはいえ邦人救出に努力するのが独立国として当然の姿ではなかったのか。そうした努力もせずに、毒餃子事件での支那当局の「捜査努力を評価する」などとは本末転倒だ。

 未だ共産主義を最高原理として崇め、神や仏という共産主義を超える最高の存在を許さず、人民には信仰の自由は認めない。

 集会、結社、出版、言論等々基本的人権が無く、満州、内蒙古、チベット、新疆の異民族を虐殺し土地を奪い、共産主義と漢民族化を強制し、清朝時代の最大版図を「歴史的領土」と主張する中国共産党こそ最大の帝国主義国である。

「友愛」を掲げ「東アジア新時代」を標榜する日本が、その支那に併呑され様としている今、日本の取るべき道は悲しいかな「日米同盟」しかないのである。

cordial8317 at 06:18|Permalink

2010年04月13日

井上ひさしは平和主義者ではなく単なるDV男

 井上ひさしといえば、大江健三郎や故小田実と並ぶ戦後民主主義者の代表だろう。「平和主義」を掲げ、6年前に大江、小田らと「9条の会」を設立している。

 ペンクラブ会長も務め、言論による平和運動を理想としていた様だが、口では「平和主義」を掲げ、「軍事力(暴力)よりは話し合いによる解決」としながら、家庭では話し合いによる解決を図ることなど一切無く、度重なるDV(家庭内暴力)は尋常ではなかったという。

 前妻の内館好子さんは、離婚後「修羅の棲む家」を出版し、井上のDVを曝露している。三女の井上真矢さんも「激突家族」を出版、井上の家庭内暴力の凄惨さを披瀝していることでも、如何に井上が言行不一致の最低の輩だったかが理解出来る。

 先の大戦を煽り「昭和天皇の戦争責任」を信条としながら、文化功労賞の表彰では陛下から畏まって授与されていたが、これもまた信念の無さが窺えるものだった。

 日本に共産主義が入って約90年。ソ連東欧崩壊後、左翼団体はイデオロギーを流石に言えなくなり、その「カタチ」は実に陰湿になっている。

「カタチ」を変えた左翼勢力は、「9条の会」「外国人参政権付与問題」「夫婦別姓」「歴史教科書問題」「従軍慰安婦」「男女共同参画社会」「人権擁護法案」「協働・共生社会」「ジェンダフリー」「無防備都市宣言」「子ども権利条例」「戸籍法改正」「外国人住民基本法案」と枚挙に遑なし。   

 唯物論やマルクス・レーニン主義に冒された精神異常者や、ジェンダフリーを叫ぶ性的変質者が巷には蔓延しているが、似非平和団体や偽善人権団体の連中に共通するのは、井上ひさしや大江健三郎、小田実、加藤周一同様、物事の見方が実に薄っぺらで腹立たしいものばかり。こういう連中を『懲りない人々』というのだ。 呵呵。

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2010年04月11日

冤罪を生む元凶とは

 グリーンマイルという映画が有る。無実の罪を被って死刑にされる囚人の周りに起こる奇跡を描いたもので、何度見ても切なくなる。

 このマイケル・クラーク・ダンカン演じる、ジョン・コーフィは無実の罪で処刑されるが、こんな不条理は有ってはならないことだ。

 冤罪を生む理由には、捜査のいい加減さや証拠品の不確かな鑑定など様々だろうが、今では、科学捜査が当たり前になっているが、その昔というか、昭和時代には信じられない様な驚く鑑定が相次いだのも事実だ。

 昭和24年、弘前大学の松永藤雄教授宅で妻が何者かに咽を斬られ殺された事件がある。近所に住む那須隆という男が逮捕される。彼の着衣から血痕が見つかり、それを証拠に犯人と断定された。彼は犯行を否認したまま起訴された。

「反省も無い」との理由から15年の刑を丸々務めることになった。釈放されて間もなく、「弘前大学教授夫人殺害は自分だ」と滝谷福松という男が名乗り出る。

 彼の証言によれば、教授宅はミシン修理に行って面識もあり、犯行時の詳細を供述し、紛れもなく滝谷福松の犯行だったことが明らかになった。

 那須氏は早速仙台高裁に再審請求するが、何故か高裁は棄却。2年後、那須氏が再審請求すると今度はあっさり受理され、無罪判決が出た。

 鑑定の結果、当時証拠とされた着衣の血痕は別のものだったという。そんな事は始めから判りきっているのに、何故2年前は再審請求が却下されたのかと言えば、血液鑑定を行った古畑種基東大教授が生きていたからだ。

 要は事実の解明よりも、科学捜査研究所所長も務め、文化勲章を授与された古畑教授の名誉が優先されたのである。こうした不条理が赦されるのだろうか。

 2年の間に古畑が鬼籍に入り、漸く無罪判決を得るが、こんないい加減な鑑定や判決が当たり前の様に行われていたという事実に驚きは隠せない。

「名張毒ぶどう酒事件」も冤罪だというが、冤罪を生む元凶は、捜査に携わる人間の驕りや傲慢さから来るものであると思う。

「過ちて改めざる、これを過ちという」とか「過ちては即ち改むるに憚ること勿れ」というが、警察も検事も裁判官も、司法に携わる者は肝に銘ぜよ!

cordial8317 at 05:24|Permalink

2010年04月10日

「観光立国」より「技術立国」

 人気アイドルグループの嵐を『観光立国ナビゲーター』にボランティアとして就任させ「観光立国」を目指すとしているが、要は支那人や朝鮮人を多く呼び込んで景気対策に繋げようとは本末転倒。我が国が目指すべきは技術立国である。

 「東アジア大交流時代」などという妄想は、日本社会の安全を無視した無責任極まりない愚策であり、到底容認出来るものではない。

 今更、何を血迷って「支那本土からの観光客誘致を強化する」などと考えるのだろう。ここ数年、外国人の旅行者の入国は増えているし、今更、犯罪者予備軍ともいうべき不法滞在者や不法就労者が多発している支那人らに来て貰う必要はない。

 支那人犯罪者による凶悪犯罪の増加という現実を無視した上で、治安を一層悪化させることが確実な「査証の簡素化」を既に強行しているが、「東アジア大交流時代」という妄想は国民感情に反するだけでなく、日本人に今迄以上の犠牲者を出す極めて危険、且つ無責任な愚策である。

 嘗ては世界一安全といわれた日本が、外国人の急増、それも支那人の増加によって安全が脅かされていることは、幾ら不精な人でも気付いている。

 生命の保証、財産の安全こそ国民の願望であり、これに優る国益はない。支那人や朝鮮人の落とす小銭目当てに「観光立国を目指す」とは笑止千万。

「観光政策は国家戦略というのが世界の共通の認識」などとして詭弁を弄しているが、「観光立国」は本来、発展途上国の政策というべきもので、日本の目指すべきものは、今迄の様に「技術立国」で良いのである。

「ビザの簡素化」「観光立国」「東アジア大交流時代」「外国人参政権付与」の一連の流れは、中共政府の謀略であり騙されてはいけない。

cordial8317 at 05:22|Permalink

2010年04月09日

オバマ大統領って流石はノーベル賞受賞者だな

 オバマ大統領が「核兵器を持たない国に核攻撃せず!」との新戦略を発表したが、流石はノーベル平和賞受賞者だけあって言う事が違う。

 余程プラハが好きな様で、メドベージェフ・ロシア大統領と新たな核軍縮条約を、そのプラハで調印したが、両国とも核保有国としての影響力を維持し続けたいという「大国のエゴ」そのものである。

 昨年、オバマ大統領が北朝鮮のミサイル発射を受けて、プラハで「米国は、核兵器を使ったことがある核兵器保有国として、核軍縮に向かって行動する義務がある。」との演説と、先の国連常任理事会で提言した「核兵器の無い世界」に向けた決議が採択された事への褒美としてノーベル平和賞を受賞した。

「核兵器を持たない国に核攻撃せず!」とは、あの演説が出任せだったことが露呈したということだろう。オバマ大統領は何のことはない「我々も核兵器を減らして廃絶に向かうから、日本の皆さんは核兵器を作らないで下さいね!」と言っただけ。

 本当に核兵器を無くすなど出来るものではないし、するつもりも毛頭ない。対話路線を掲げながらも、アフガニスタンへの派兵を続けていることを見ても 『平和』というものは自ら創り出さねばならない時代だということを痛感する。

 方や日本国内を見れば「核を持つと日本が孤立する」だとか「非核三原則が有れば大丈夫」と言う妄言が未だに罷り通り、挙げ句に岡田らが「日米密約説」を暴こうと躍起になっている有様で、それに何の意味が有るというのだろう。

 冷戦時代、日本の平和が続いたのは米国の「核」の力に拠るものと、単なる偶然だったのだが、平和に貢献した米国の核の持込まで暴いて糾弾しようとは正気の沙汰とは思えないし、「平和ボケ」の象徴にしか見えない。

「平和ボケ」という言葉は高度成長からバブル時代にかけて、金儲けや飽食に狂奔してきた世相や、空想的平和論を弄び、米国の核には反対しても、中共やロシアの書くには反対したことも無い左翼運動家を揶揄したものだ。

 今の日本も全く同じで、未だ「平和ボケ」から脱却出来ずにいる連中が、政府の中枢に巣食い、無自覚左翼らが国を治めているのは困ったものだ。

 我が国が、自主憲法を制定し、国軍を整備し、安保条約を解消し、自らの国の「平和」を自ら創り出すという、当たり前の国になるのは何時のことだろう。

cordial8317 at 06:07|Permalink

2010年04月08日

支那製「チャイナホワイト」という覚醒剤

 中共で麻薬密輸の罪で「死刑」判決を受けていた日本人受刑者が処刑された。昨年、英国籍の男が新疆ヘロイン4kgを持ち込み逮捕され、中共の法律に則り「死刑」判決を受け年末に処刑されている。

 明日にも日本人3人が処刑されるというが、犯罪者とはいえ同朋を救出しようと努力するのは独立国として当然だと思うが、情けないことに日本政府は傍観者を決込んだ儘で、こんな外交姿勢で「拉致問題」を解決することは到底無理な話しだ。

 支那が麻薬に敏感なのは「阿片戦争」の苦い経験から来るものだろうが、その国に「死刑制度」があり、それに触れるならば粛々と刑の執行をするのは当然。

 今、支那には「チャイナホワイト」という麻薬が生産されており、欧州系のヘロインをも凌ぐ純度の高さだという。今時の麻薬の密売人にとって、支那に麻薬を買いに行くのは、「銚子に干物を買いに行く様なもの」だそうだ。

 そんな汚名を返上すべく、国際的な注目もあって「死刑」執行を急いでいる感も否めない。「死刑制度」に異常な反応を見せる人権派は、今回の死刑執行には何故か沈黙しているが、如何にもインチキ人権はの連中らしい。

 日本では大騒ぎになる死刑問題も、中国共産党や朝鮮絡みの問題となると、何故か人権派や自称・平和団体はダンマリを決め込む。抗議したとしても、国内向けにチョこっと申し訳程度にアピールするだけだ。

 こういう事態の時こそ、中共に出向いてお得意の『話し合い』で解決したらどうだろうと思うが、偽善の「人権団体」と、似非「平和団体」なのだから出来る訳もなく、やる積もりもなければ、そんな度胸も持ち合わせてはいない。

 日本の刑事訴訟法は、「死刑」確定から6カ月以内の執行を定めており、いずれも6カ月以内に検察庁が法相に「死刑執行上申書」を提出し、規定通り、法相の命令から5日以内に執行されなければならない。

 最近続いている「冤罪事件」を理由に「死刑廃止」を止めろとするのは本末転倒で、死刑制度が有る以上、法に則り粛々と刑の執行をすべきである。  

 法務大臣は、死刑執行も在日の強制送還も、あらゆる犯罪に対して毅然とした態度で『公正』に処理しなければならないのだが、順法精神皆無の売国奴・千葉景子だものそりゃ無理だわな。死刑囚を釈放すれば誰かが天罰を下すだろう。呵呵。

cordial8317 at 05:49|Permalink

2010年04月07日

宇宙ステーション「きぼう」に翻る「日の丸」

 山崎直子さんら7人が搭乗した、米シャトル「ディスカバリー」の打ち上げが成功し、今日夕方には国際宇宙ステーションにドッキングし作業を行う。

 日本実験棟「きぼう」で生活を送っている野口聡一さん然り、日本人宇宙飛行士の活躍は、同じ日本人として誇りに思う。「きぼう」の船体には「日の丸」が標されている。国旗「日の丸」が宇宙に在るかと思うと、感激も一入だ。

 宇宙で正月を迎えた野口さんが「是非、船内に日本文化を持ち込みたい、きぼうの中で和の心を忘れずに夢を追いたい」と、日の丸を掲げ、書初めをし、門松を飾っていたが、こうした和の心を矜持し、国際社会に恥じることなき資質を備えているのが真の国際人であり、日本人であると思う。

「敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花」正に桜花咲き匂うこの時期、各地で卒業式、入学式が行われるが、それに合わせ、国旗「日の丸」、国歌「君が代」に反対する勢力も蠢き出すが、日本に住んで、日本の恩恵を享けながら、日本に誇りも持てず卑下する輩は醜く見苦しい。

 バンクーバーで繰り広げられた冬季オリンピック、パラリンピックが閉幕したが、今大会での日本選手は、各国選手と比べて一際大きな日の丸がユニホームや帽子などに翻っていたが、参加選手の直向な姿勢や、高橋大輔選手や浅田真央選手の涙と相俟って感動すること頻りだった。

 まともな日本人ならそんな気持ちになるのは当然だろう。こうしたオリンピックなどの国際大会で、愛国心の高揚や、国旗・国歌に対する敬愛の念が増すことは、日本国民として極めて健全な発露であろう。

 多くの日本人は国旗・国歌に親しみを感じている。ところが未だ「国旗及び国歌に関する法律」が制定されて以降も公然と異議を唱え、反対している勢力が存在する。「日教組」や「全教」といった反日教育を施している連中である。

「日の丸は軍国主義の象徴だ」「君が世は天皇賛美だ」との偏狭な言説を垂れ流し、将来の日本を担う子供達を洗脳している状況は、健全な世論に逆行するばかりか、教育現場での混乱は国益を損ねるものでしかない。

 公務員で有りながら法律を遵守もしない不良教師の一掃を図るべきだと考えてる国民が殆どだろう。しかし、民主党政権の支持母体こそが、日教組や自治労といった名うての反日勢力なのだから世も末である。

 日本の青少年が、宇宙で活躍する野口、山崎さんの様な和の心を矜持し、国際社会に恥じることなき資質を備え、未来に大きな夢を繋げることの出来る健全な学校教育の充実を熱望するものである。

cordial8317 at 07:41|Permalink

2010年04月05日

靖國神社の桜の花の下で「同期の桜」を歌う会

 一昨日、知人らと桜満開の靖國神社に詣で「桜の花の下で『同期の桜』を歌う会」に参加して来た。自然発生的に靖國に集い、英霊に感謝し、喜びを分かち合う日本人の多さを見れば、未だ未だ日本も大丈夫だと感じる。

 境内の「迅雷桜」が咲き出すと「開花宣言」が出され、約1週間後には満開になる。昨年暮れに気象庁が「開花予想」を取り止めると発表したが、「開花宣言」は従来通り、靖國神社の標準木を基準に行われている。

 昨年は、開花宣言から一週間後に参詣したが、満開どころか1,2分咲き程度でガッカリした記憶が有るが、今年は前日吹き荒れた強風にも何のその、桜満開でしかも最高の日和、人出も大賑わいでごった返していた。

 本殿参拝に続いて、本殿左手に在る「鎮霊社」に詣でるのが恒例で、「鎮霊社」には、賊軍とされた会津藩や我が故郷の二本松藩、西郷隆盛などの悲運の運命を辿った方々が小さな社に祀られている。死者の選別をいつまで続けるのか。

 所謂A級戦犯の分祀論が出る度、賊軍とされた先人の名誉回復こそが先ではないかとの思いになるが、靖国神社の創立に長州藩が大きく係っていたことが要因であろうが、靖国神社とはそういう社でもある。

 靖国神社の参道の真ん中に「大村益次郎」の銅像が建っているが、聞くところに由れば大村は上野公園の西郷どんの銅像を睨んで建っているらしい。こうしたことをしても靖國神社の成り立ちが分かるだろう。

 その大村益次郎の銅像前特設ステージで「靖國神社の桜の花の下で『同期の桜』を歌う会」が行われた。「海ゆかば」が流れる中、英霊に対し黙祷を捧げ、主催者代表の国学院大学の大原康男先生の挨拶に続き、献杯。

 女性コーラス隊が登壇し愈々「歌う会」という名の大軍歌大会が始まった。間髪を容れず次々と歌われて行くが、大声で、立ちっぱなしで歌っていると結構疲れる。

 喉も渇いたので、途中で退席し、銀座ライオンで「直会」という名の一献を挙げることにした。今回、サプライズゲストとして畏友のN氏も同道してくれて、大いに盛り上がり、上野のコリアンタウンの焼肉屋「板門店」で二次会。

 強かに呑み過ぎて、フラフラになりながらも最終の新幹線で帰還した。N氏の言葉を借りれば、大破・轟沈で、毎度の事ながら猛省。

 民主党政権は靖国神社に代わる追悼施設の建立を企んでいるが言語道断。「日本は日本人の為のものではない」でもなければ「日本の国は今生きてる我々のものではない」のだ。政治家は靖國神社に関わるなと言いたい。

 国家の為に尊い命を捧げた方々の御魂を奉斎する靖國神社を、国家の責任で護ることは余りにも当然のことで論議の余地などない。

 多くの国民が護国の英霊に感謝し崇敬の誠を捧げる姿は、靖國神社に代わる追悼施設が造られ様とも未来永劫絶えることはないだろう。

 追悼施設より、靖國神社の大祭に天皇陛下が御親拝せられることを目指すべきで、聖恩無辺、英霊並びに遺族にとっての感激と光栄これに優るものは無い。

 我が国は独立国であり、何処の国にも何者の拘束を受ける理由は無く、英霊に感謝し顕彰することを遠慮する必要もない。直ちに抑圧していた障害を排除し、真姿の復元を計り、靖國神社国家護持に立ち上がろうではないか。

 散華の心と鎮魂の誠という、この分かつ事の出来ない「誠心」こそ、民族の魂の記憶として、誇り高く永く後世に継承して往かねばならないのだ。

 心静かに眼を閉じれば英霊の声が聞こえて来る。

cordial8317 at 08:21|Permalink