2010年03月

2010年03月30日

東京の標準木でもある靖國神社の「迅雷桜」

 先週、靖國神社の基準木「迅雷桜」が咲き始め東京都に「開花宣言」が出された。開花宣言から、1週間後が満開になる。毎年この時期に合わせ、知人と靖國神社に詣でるのが恒例となっていて、彼是20年以上続いているだろうか。

 靖國神社には年に何度も参拝するが、所謂「終戦の日」に詣でたことはなく、この時期の九段の桜が満開の時節に参拝するのが一番好きだ。今年は今週末の3日に参拝し、初めて「同期の桜を歌う会」に参加する予定でいる。

 英霊の遺書には「桜満開の時期に靖国で再会しましょう」というものが多く、「同期の桜」に「花の都の靖國神社、春の梢に咲いて会おう」ともある。

 やはり靖國神社には桜満開の時期に詣でるのが好い。8月15日は遺族の方々や関係者が静謐な環境の中心静かに参拝すべきと思っている。

 散華された英霊の鎮魂を祈るなら近くの神社で十分だし、或いは家や出先で黙祷を捧げるだけでも良いだろう。態態敗戦の日に、遺族其方のけで軍服や隊服を着て参拝している人を多く見掛けるが歓心はしない。 

 桜満開の九段周辺は格段に綺麗で、桜の下で一句詠みたいと思うが如何せん歌心が乏しくどこかもどかしい。桜は古代から日本人に最も愛され親しんだ花で、それだけに桜への憧れの詩も多く詠まれている。

 世の中にたえて桜のなかりせば春の心ものどけからまし(在原業平)
 敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花(本居宣長)
 願わくば花の下にて春死なんその如月の望月の頃(西行法師)
 風誘う春よりもなお我はまた春の名残りをいかんとはせん(浅野内匠頭)
 散る桜残る桜も散る桜(大愚良寛)

 また桜は死に際の潔さで昔から武人、軍人精神に最も合う花でもある。九段の桜、同期の桜、愛国の桜。 陸軍の徽章は桜、海軍は桜に錨。靖国神社の紋は菊に一重桜。「桜」は日本人の心の文化と美意識の真髄なのである。

cordial8317 at 07:11|Permalink

2010年03月29日

「アジア新時代」なんてクソ喰らえ!

 日中韓両政府の合意に基いて「歴史共同研究」という茶番が行われているが、支那、韓国側の歴史に対する修正要求は歴史解釈という様な範疇ではなく、我が国の歴史そのものを否定するものであり断じて看過出来るものではない。

 歴史問題に対する支那、韓国の異常な程の難癖は今に始まったことではないが、修正要求やイチャモン難癖は明らかな内政干渉で「平和条約」違反である。

「平和条約」には「両締結国は善隣友好の精神に基づき且つ平和及び互恵並びに内政に対する相互不干渉の原則に従い両国民の交流促進のため努力する」と踏襲されている。だが、こうした規定を順守してるのは我が国だけだ。

 中共や韓国は「近隣諸国条項に基いて対応すべき」と宣うが、「近隣諸国条項」は国際法でも正式な法令でもない。平和条約こそ国際法規である。

 優先すべきは「近隣諸国条項」よりも我が国と締結した「平和条約」であり、中共、韓国こそ「平和条約」に違反しているということを認識させるべきだろう。

 福沢諭吉は「脱亜論」で「ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならない。国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。」と支那人や支那人との接し方を教えているが、蓋し正論である。

 連中の対日批判の多くは、民族性の「虚言癖」から来る歪曲と捏造であるが、その中でも「南京大虐殺」や「慰安婦問題」はその典型だろう。南京での虐殺など存在せず、ジョン・ラーベの嘘を歪曲し喧伝してるだけだ。

 慰安婦問題でも、元慰安婦だと称する老婆が「日本兵に銃を突きつけられ、殺して釜茹でにして喰ってやると言われた」と証言し、朝日や毎日がここぞとばかり大騒ぎしたことが有るが、残念ながら日本には老婆の言う様なそういった風習はない。

 この証言は、大陸支那の影響を受けた朝鮮人が、悪病治療の迷信から人間の肝や指などを食べていた「人肉食習慣」を、日本人も同じ様に行っていると思って仮託した「同一化虚言」の一つであり、朝鮮人特有の精神疾患である。

 日本軍がやったとされる所謂「三光作戦」もその類の嘘であることは歴史が証明している。支那人や朝鮮人の、こうした歪曲や虚言は枚挙に遑がない。

 倣岸無礼な支那、韓国には、西郷隆盛の「征韓論」に倣い、正式な責任ある問罪使を派遣し、正理公道を以って猛省を促すべきだろうが、今、西郷隆盛の様な気骨ある政治家もおらず、福沢諭吉の様な思想家もいないのが日本の不幸である。

※福沢諭吉「脱亜論」全文 http://www.jca.apc.org/kyoukasyo_saiban/datua2.html

cordial8317 at 05:48|Permalink

2010年03月28日

親父の小言

 福島県相馬市の大聖寺の住職、暁仙が昭和3年に書き残したとされる「親父の小言」という物が在る。中々含蓄の有る言葉が多く、県内では珠玉の言葉として額に入れ飾っている家庭も多い。今の住職は無自覚左翼というかアホ左翼だが(苦笑)

 『親父の小言』

 火は粗末にするな
 神仏をよく拝ませ
 人には腹を立てるな
 人には馬鹿にされていよ
 恩は遠くからかくせ
 女房のいうこと半分
 家業は精を出せ
 たんと設けてつかえ
 人には貸してやれ
 女房は早く持て
 生物を殺すな
 義理は必ず欠くな
 大酒は呑むな
 判事はきつく断れ
 貧乏を苦にするな
 塩もたやすな
 怪我と災は恥と思え
 小商ものを値切るな
 産前産後を大切に
 泣き言は必ず云うな
 人の苦労を助けてやれ
 家内は笑ふて暮らせ
 朝きげんをよくしろ
 不浄を見るな
 身の出世を願え
 年寄りをいたわれ
 万事油断するな
 子のいうこと八九きくな
 何事もかまわずしろ
 借りては使うな
 女郎を買うな
 難渋の人にほどこせ
 年忌法事をしろ
 ばくちは決して打つな
 大めしを喰うな
 世話焼になるな
 火事の覚悟をしておけ
 水はたやさぬようにしろ
 戸締りに気をつけろ
 物を拾わば身につけるな
 何事も身分相応にしろ
 小便は小便所へしろ
 病気は仰山しろ
 不吉は云うべからず

(福島県相馬市 大聖寺 暁仙 昭和3年)

cordial8317 at 08:19|Permalink

2010年03月26日

誰だ、こんな民主党を支持したバカは・・・

 政府の普天間問題は解決の兆しすら見えないが、亀井大臣が固執する郵政改革法案を巡り閣内でまたもや意見が対立、政権の新たな火種になる模様だ。

 こんな中で、中井国家公安委員長が30歳も年下の知人女性を議員宿舎に招き入れ、溌剌さをアピールした様だが、危機管理上問題の残る行動には違いない。

 民主党政権下での政治の混乱、機能不全は惨憺たる現況で、経済の停滞、低迷、国民不在の政争は一体何時まで続くのやら。

 大多数の有権者は、マスコミの提供する偏った報道に毎日接することで意思行動を方向付けられる。声の大きい者、頻繁に接する物に、人は正しい者、魅力のある物として誘導される。例えば、テレビショッピングは一種の洗脳番組。

 視聴者に都合の良い部分だけを繰り返し何度も見せて、その後、有名人らに感想を聞いたり、実体験を語って貰ったりする。これを見た視聴者は、大して欲しくないものをついつい勢いで買ってしまう。

 マスコミはこうした人間の心理を全て理解した上で垂れ流す。此れが『バンドワゴン効果』というものだ。 報道するものが、見せたいものであり、誘導したいもので、報道しないものが国民に知らせたくないものだ。

 巨大な洗脳装置がマスコミであり、くだらない芸能ニュースやお笑い番組などにどっぷり浸かっている人達こそが愚民政策の体現者なのである。

 テレビばかり見ているとバカになるってのも満更嘘ではない。マスコミが報じない重要な問題を、自分自身で紐解き判断出来る無私無偏な目を持ちたいものだ。

 先の総選挙での民主党勝利の要因は、連日マスコミが垂れ流す『政権交代』という「バンドワゴン効果」で無党派層と言われる連中が投票したことと、自民党支持者の実に3割近くが民主党を支持したことにある。

 何故、本来自民党である筈の支持者が民主党に投票出来るのかと言えば、自民党に巣食う無自覚左翼と民主党の政策が見事に一致するからであって、浅はかな考えから自民党より民主党に魅力を感じた結果だろう。

 選挙前頻りに『自民党への不満、民主党への不安』と揶揄されてた様に、自民党に対して積もり積もっていた不満や不信、失望が「逆風」となった。

「自民党にお灸を据える」といった意味合いで「民主党に(でも)入れてやるか」「民主党(しか)ないのか」という『でもしか政党』が誕生しただけのこと。

 自民党は5年前の衆院選で圧勝しながらも保守政党として何ら、保守的な政策を実行出来なかった事に、国民は見切りを付け『政権交代』で日本を変えて貰いたいという単純な図式で、民主党を支持しただけ。

 民主党のマニュフェストや「基本政策」を理解して投票したとは到底思えない。結党以来の「基本政策」としている『外国人地方参政権』『国立追悼施設の建立』『戦時性的強制被害者法案』といった反日政策成立に奔走している。

 家族崩壊に繋がる『夫婦別姓』や、言論の自由を侵害する『人権救済機関の設置』『日教組主導の教育関連政策』といったことは国民の殆どは知らない。

 敢えて国民に知らせないというのが本音だったのだろうが、この様な国益を害する政策を実行に移すことが有れば、断じて看過することはない。 民主党政権への不安は日毎募るばかりだが、一体誰なんだ、こんな民主党を支持したバカは。

cordial8317 at 08:26|Permalink

2010年03月25日

日韓の歴史の共同研究なんぞ止めてしまえ!

 日韓両政府の合意に基いて「日韓歴史共同研究」という茶番が行われているが、抑抑日中歴史共同研究同様、歴史の共同認識など共有出来るものではない。

 韓国側の歴史に対する修正要求は歴史解釈という様な範疇ではなく、我が国の歴史そのものを否定するもので、無意味且つ労力の無駄で即刻止めるべきだ。

 韓国の学者は、韓国併合は西洋列強のアジアの植民地支配とは違うという。

 今回の研究でも古代史について、日本書紀の「在安羅諸倭臣」にイチャモンを付け「倭人は安羅の臣下で、安羅倭臣館という用語が妥当」との主張をしているが、こうした認識は韓国併合の認識と同じく「事大思想」に拠るものだ。

 進んだ文化を持つ国が、遅れた国を支配することは至極当然であり、先進国が後進国を支配することを批判は出来ないが、後進国の日本の韓国併合は赦されるものではないという「事大思想」故の認識には呆れるばかりだ。

 韓国は度々日韓併合を「日帝36年」とホザく。しかし、果たしてそうだろうか。当時、韓国国民独自の力による近代独立国家建設の道など在り得ない。

 世界情勢も理解しない彼らに、ロシア勢力の排除など到底無理だったことは、日清・日露戦争時代の近代史を学べば解るだろう。

 日清戦争後、清の脅威が無くなるとロシアが南下政策を開始しする。日本が日清戦争の戦利品として割譲された遼東半島に攻め入り、韓国までも触手を伸ばしていることさえ気付いてないのに韓国独自でロシアと対峙することなど無理なこと。

 その意味では寧ろ、不満なことではあるが日本による韓国保護の必要性を認め、日本と一体となった上で、民族の自立発展の道を模索しようとした「日韓合邦派」の主張の方が現実的だったと言えるだろう。

 その合邦派を「日帝の手先」として糾弾し、その子孫をも「親日分子取締法」によって弾圧する韓国に、歴史の共同研究など語る資格もなく実に痴がましい。

 尤も、500年も前の豊臣秀吉の朝鮮征伐をも責める国に、人間としての高貴で雅量の有る言葉を期待するのが間違いだ。 歴史の問題は、一国の存亡に係わる大事であり、安易に譲歩するべからず。 君、国売り給う事勿れ!

cordial8317 at 06:10|Permalink

2010年03月21日

厚顔無恥な外務省OB

 日米「密約」の参考人質疑を行った衆院外務委員会で、東郷和彦ら元外務官僚が証言し、勝ち誇った様に「密約説」を暴いている。

 昭和35年の日米安全保障条約改定に際して、当時の藤山外務大臣は、核兵器を搭載した艦船や航空機の寄港、通過は事前協議の対象にしないことを申し合わせており、その「討議録」は既に米国で公開され明らかになっている。

 既に明らかになっている極めて当然のことを「密約説」として「非核三原則」に反するとして大騒ぎし、これを公表し、大騒ぎしているのだから呆れ果てる。

 日本政府が「非核三原則」を掲げてはいたが、余程のバカではない限り、日本の安全は米国の核の傘が守ってくれているものだということは暗黙の了解。

 これを「持ち込ませない」「寄航もダメ」、しかし日本を守って下さいなどというのは、余りにも都合が好過ぎるというものだ。

「密約説」を大騒ぎするなら、昭和16年12月7日、米国開戦の前日に仲間と飲み過ぎて指定時間に宣戦布告の覚書を米国に渡せず、何と真珠湾攻撃の1時間後に持って行き、日本国に永遠に泥を塗ったことも公表し国民に詫びるべきだ。

 日本の外交史上歴史に残るだ大失態なのに、誰一人として咎められず、責任も取っていない。しかも、戦後、彼らは外務次官や駐英大使、その他第一級ポストに昇進し、叙勲までされているのには驚くしかない。

 彼らが、職務を遂行していれば「嘘吐き」「騙まし討ち」「卑怯者」といった汚名を着せられずに済んだのだ。 外務省OBらが、過去の数々の失態を猛省もせず、岡田らの尻馬に乗って恥も外聞も無く同調しているが、バカじゃなかろうか。

 我が国の近隣諸国は中共や韓国、北朝鮮と危険な国ばかりで、これらの脅威に対抗する安全保障措置として米国の核の傘以外の何が存在するというのだろうか。

 冷戦時代、日本の平和は米国の「核」の力に拠るものと単なる偶然であり、平和に貢献した米国の核の持込まで暴いて糾弾しようとは正気の沙汰とは思えない。

「密約説」に狂奔する連中の一連の行動は、日本の国益に適う物だとは到底思えないし、正に危機感が自覚皆無な「平和ボケ」の象徴である。

 我が国は自らの国家の防衛という国家百年の大計を放棄し、米国に依存している歪な体制を取っている訳で、それが嫌なら憲法を見直し、日米安保を破棄し、防衛費を増大し、自らの国は自ら守るという普通の国になれば良いだけである。

cordial8317 at 06:37|Permalink

2010年03月20日

「自由が無いのが民主党」とは上手いことを言うねぇ

 民主党、生方幸夫副幹事長が執行部を批判し更迭された。自民党の小泉進次郎が「自由が有るのが自由民主党。自由が無いのが民主党」と巧いことを言っていたな。

 今の民主党は、北朝鮮や中共政府の如く言論の自由は存在せず健全な政党とは思えない。 「国民の納得が得られなければ幹事長を辞任すべきだというのが党内のマジョリティー(大多数)だ」と語ってるが違和感を覚える国民は多い。

 小沢一郎の党運営を「中央集権的だ。権限と財源を何方か一人が握っている」と記者団に指摘した生方氏の発言は至極当然の認識で、間違いだとすれば「党内のマジョリティー」ではなく「国民のマジョリティー」だろう。

 副幹事長の解任は民主党と国民感情とのズレを改めて感じさせるもので、野田佳彦が「耳に痛い話しをした人が辞表を迫られるのは宜しくない」と批判した。

 枝野幸夫も「直ちに辞める類のことが何処に在るのかと首を傾げたくなる」などと苦言を呈してはいるが、何ら反映されてはいないことを見ても、如何に民主的でもなく、言論の自由さえも儘ならないことが理解出来る。

 生方氏が「党内には三人も秘書が逮捕され、何の処分もされてはいないのに、辞任要求するなら倫理委員会にかけて欲しい」と反論していたが、執行部はそうした抗弁に聞く耳を持たず、即、副幹事長解任を決めた。

 吉田松陰は「平時直諌(ちょっかん)なくんば、戦に臨みて先登なし」と、日頃(殿を)直接諌めるということが出来なければ、いざ戦の際に、真っ先を駆けて敵陣を斬り込むことなど出来はしないと教えている。

 また「幽窓随筆」には「天子に争臣七人在らば、無道と雖も天下を失わず」と、遠慮せずに自分の信ずるところを述べて、天子と論争する家来が七人いれば、政治が一時的に道理に外れた状態になっても、国家を失う様なことは無いと説いている。

 こういう圃場時に苦言を呈する者こそ大事にすべきで、山岡賢次や輿石東ら腰巾着が、小沢に擦寄って媚び諂う態度は醜いとしか喩えようがない。

 今の小沢独裁政治は、北朝鮮や中共政府、或いは戦時中の特高警察の如く言論を封殺し、自己保身や権力欲や金銭欲に塗れ、現を抜かしている姿は、国民の政治不信を増長するばかり。生方幸夫副幹事長の更迭より小沢が引退すれば好い。

 小沢は中共訪問時に、自らを人民解放軍の司令官と喩え、悦に入ってバカをひけらかしていたが、ヤツには上に立つ器量など皆無。こういう独裁者の結末は、反乱分子やテロに由り粛正される運命を辿るであろうことは歴史が証明している。

cordial8317 at 06:47|Permalink

2010年03月19日

クロマグロ禁輸否決

 カタール・ドーハで開かれているワシントン条約国会議で、「大西洋・地中海クロマグロ取引禁止提案」を大方の予想に反して否決された。

 今回の結果は日本外交史上貴重な事例であり、米国がクロマグロや鯨やトヨタ問題を政治問題化させようとする米国にとって大差での否決はショックは隠せない。

 この勢いで、捕鯨問題も解決をして欲しいものだが、無理無体、理不尽なことを平気でやる米国との同盟強化など笑止千万と言われても仕方あるまい。

 我が国の食料自給率は39%。この数値は食料安保の視点からも大変問題のある状況で、食料自給率の改善に繋がる問題としても「捕鯨問題」は重要である。

 日本が調査捕鯨を継続している背景には、「鯨は将来の人類の重要なタンパク源になる」という考えもあり、小さなミンク鯨1頭で牛7頭分のタンパク質が採れる。鯨を家庭の食卓に戻すことが、食料自給率の改善に繋がるのだ。

 地球上の鯨類が年間に捕食する魚類の総量は2億5千万トン~4億トン。一方、地球上の漁師の漁獲量は約1億トン。「鯨飲馬食」と言われるほどに食欲旺盛な鯨類が増え過ぎれば、人間が食料にしている水産資源も脅かされる事となろう。

 日本で商業捕鯨が本格的に始まったのは江戸時代の初期の1606年の頃だと言われている。紀州(和歌山県)の太地で開始された商業捕鯨はやがて全国に広まり、それと共に鯨を食する習慣も全国に広まった。

 松尾芭蕉の句に「水無月や 鯛はあれども 塩鯨」というものがあるが、塩付けされた鯨の肉は江戸庶民の大切なタンパク源で、大衆食として愛された。

 19世紀初頭には「鯨肉調理方」という本が出版されているが、鯨食というのはそれだけ普及していたということが分かるだろう。

 今でも北海道や東北では正月に「鯨汁」を食しているし、「ハリハリ鍋」にしている地域もあるし、大阪のおでんにはコロ、サエズリ、オノミが好まれる。

 反捕鯨の連中は、鯨食を「ゲテモノ」扱いしたり、「戦中戦後の食糧難時代に止むを得ず広まったもの」だとか、或いは遠洋漁業は「鯨油を採る目的だ」などと愚にも付かない反論をしているが、それは欧米の捕鯨が皮だけ剥いで鯨油のみを採るやり方だから、それと勘違いしているものが多いだけだ。

 日本は単に食するだけではなく、鯨の髭は文楽の人形に使い、骨は櫛などの工芸品となっている。漁師達は鯨塚を作り供養も行っていたし、捕鯨問題の背景には、こういった日本の伝統的鯨文化の問題も有るのである。

 多少波風が立とうが、日本の主張はするべきで、何でも「強調」しようとか「友愛」だとかの軟弱な姿勢は日本の将来を危うくするものである。捕鯨問題は、日本にとって重要な問題であり、地道な科学調査が実を結ぶことを願って止まない。

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2010年03月17日

将棋も無くそうとしたGHQ

 戦後GHQは日本弱体化の為にあらゆる組織や団体に至るまで徹底して監視し規制した。日本発祥の「将棋」も何故か軍国主義と結びつけ、「こんな危ないゲームは無くすに限る」と日本将棋連盟に連絡し責任者を呼び出した。

 当時は未だ「日本将棋連盟」ではなく「将棋大成会」という組織で、会長の木村義雄は升田幸三が適任だとしてGHQ本部に送り出した。

 将棋を知らない人でも大山康晴という名を知ってるだろうが、地味で派手さがなくつまらぬ将棋で強過ぎる大山とは対照的に、大山の兄弟子で当時、升田幸三実力制第四代名人は将棋ファンには大人気であった。

 升田の全盛期は短かったが、棋風も言動も兎に角豪快で、大山の前の名人である木村を相手に「名人なんてのはゴミみたいなもんだ」と発言し「名人がゴミなら君はなんだ」と反問され「ゴミに集るハエよ」と言い返したのは有名な話だ。

 この升田を木村は「将棋の危機を救うのは升田しかない」と使者とした。升田は兵隊の時に、ポナペ島で星空を見上げては宿敵木村名人を倒すことばかり考えていたという。そんな彼の目の前から将棋が指せなくなる危機が生じたのだ。

 升田は将棋を指すが如く熟慮し、作戦を練ってGHQの牙城である皇居前の第一生命ビルに向かった。 升田、開口一番「酒を飲ませろ」

 将校は驚きながらも缶ビールを差し出した。

 缶ビールを知らない升田は「不味いなぁ、これは本物のビールか」

 これには将校も呆気に取られた。

 酒を出させたのは強がりではない、ビールを飲めば小便が近くなり、難しい質問なら便所に駆け込んで考えようという、升田の緻密な作戦である。

 将校は升田に「我々のチェスと違って、日本将棋は取った相手の駒を自分の兵隊として使う。これは捕虜の虐待であり人道に反するではないか」と吹っ掛けて来た。

 升田は、すかさずこう切り返す。

「貴方方は頻りに民主主義を振り回すが、チェスなんてなんだ。王様が危うくなると女王を盾にして逃げるじゃないか。レデイーファーストとは聞いて呆れる。古来から日本の武将は落城にあたっては女や子供を間道から逃し、然る後に潔く切腹したもんだ。敵の駒も自分のものとするのは、駒の能力を尊重してのことだ。適材適所だ。これが本当の民主主義なのだ。民主主義をバカの一つ覚えみたいに唱えるより、日本の将棋を勉強して政治に生かしたらどうだ」

 酔った勢いで喋り倒し敵を圧倒、斯くして将棋は生き残った。

 懐の深さと弁が立ち頭の良い升田の価値を理解し、将棋を救うのは升田しかいないと確信していた木村の人を見る価値こそ将棋で培われた「適材適所」であろう。

 愚人、賢人、使い道の異なる人間を適所に生かす世界観こそ「各々其の所を得る」ということである。 人は適所さえ与えれば自ずと輝き出す。

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2010年03月16日

「通名禁止法案」をつくろう!

 大正15年、普通選挙法が施行され25歳以上の全ての男子日本国民に選挙権が与えられるようになり、日本本土に在住する朝鮮人にも日本国民として平等に与えられた。 こうしたことでも日韓併合とは植民地支配でないことが分かるだろう。

 昭和7年の衆議院選挙には、東京4区から朝鮮出身の朴春琴が立候補し当選した。選挙区には、朝鮮から出稼ぎに来ていた人達が多かったとはいえ、有権者数の1.5%にも満たない数で、多くの日本人が投票したことが分かる。

 投票の表記に、ハングルで書かれたものも有効と認めていり。「植民地」の文字が宗主国の選挙で使用を認められたのは当時世界で唯一日本だけ。

 この事でも、戦前の朝鮮人に対する偏見、差別はよく言われている様なものではなかったことが理解出来る。朴春琴は、昭和12年の選挙でも再当選している。

 尚、貴族院は華族と勅撰議員(天皇陛下から指名された議員)で構成されていたが、朝鮮人の華族、勅撰議員が何人もおり「創氏改名」が行われてからも彼等は日本名に改名していない。この事実を見ても創氏改名が強制ではない。

 最近問題となっている「外国人参政権」だが、これを推進する在日韓国居留民団は「あの日帝の支配下においてすら参政権が認められていたのに、現在認められないのは時代錯誤だ」とホザいているが、二重に意味で見当外れである。
 
 一つは、彼等が非難して止まない差別と弾圧の日帝支配なるものは寧ろその逆であり、世界に例を見ない極めて公平で平等な制度であった。

 何しろ、日韓併合時に100校程しかなかった小学校を昭和17年には4945校に、中学以上の学校を470校に迄増やしている。

 二つ目は、何故戦前に在日朝鮮人に選挙権が与えられていたのか。理由は明白で、日韓併合に由って彼等は当時「日本人」だったからである。

 現在も執拗に参政権を求めるなら、日本に帰化をして日本人になれば良いだけの話でので、そうすれば、何の制限差別もなく100%の参政権が与えられる。

 それが出来ないのであれば、日本人に成り済ます「通名」を止め、堂々と朝鮮人の本名を名乗るべきである。日本は戦後、余りにも朝鮮人に対し寛容過ぎた様で、彼らは外国人であるということを自覚すべきだろう。

 当ブログで『外参権法案に反対し、通名禁止法案をつくろう!』というアンケートを実施していますので、是非とも御協力お願い致します。

 http://blog.with2.net/vote/?m=v&id=29906

cordial8317 at 05:47|Permalink

2010年03月15日

花粉症はつらいよ

 今日は趣を変え、個人情報を少々。今年の「花粉症」はそんなでもないと高を括ってたら、昨日と一昨日と用事が有って出掛けたら、酷いの何の。

 やっぱり例年通りで、目は充血して痒いし、鼻水は垂れ流し状態で、咽喉はいがらっぽいし、耳まで痒いし、頭はボーっとしてくるし参った参った。症状が軽かったのは、何のことはない、ずっと家に引篭もってたからだ

 一昨年の末に、コジマ電気でIPOD付き100円のパソコン購入して以来パソコン三昧の日々で、ミクシィやらグリーやらのコミュニテイサイトにも出没し始めたものだから、今までの生活サイクルが随分変った。

 朝は4時前後には起床する。新聞に目を通し、朝食を作る時間まで本を読んだり、用事を済ませたり。何事も、朝の静かな時間にやるのが効果的だと思っている。

 読書は「速読3級」なので結構読むのは早い方だが、最近ドライアイに罹って、瞬きしないといられなくなり、集中力がめっきり低下した。用足しが一段落したら、朝食とパートに出る愚妻の弁当を作って、8時から暫しのリラックスタイム。

 facebookなどのSNSをチェックし9時頃から2時間程筋トレ。昼飯食って、バタバタしてると3時近くになり、4時近くに愚妻帰宅。それから晩酌の準備に取り掛かり、5時前には一献始まり6~7時には終了。8~9時には寝る。

 そうした生活を基本としていたが、最近は生活サイクルがビミョーに変った。朝の時間がパソコン操作に没頭する時間が多くなり、読書の時間が大幅に減った。

 2時間程やっていた筋トレも1時間程度に減り、最近は筋トレをサボってパソコンをやってることが間々有る。パソコンは便利だし、調べモノするのにも楽で、非常に参考には成るが、あまり身に付かない様な気がする。

 古いかも知れないが、パソコンよりも、やはり本が良い。「学問」や「知識」といったものは、本から学ぶものが多く、自分自身の向上にも役に立つと感じる。 

『言いたがり屋は、聞き齧(かじ)り屋』という言葉がある。「学問」とは本来自分自身の向上にするもので、他人を説得したり論破したりするものではない。

「自分自身がどう生きていくか」「或いはどう在るべきか」といったことに答えを見出すものでなくてはならないのだが、しかし、小人は耳から聞き齧った事をそのまま口にするので、少しも身に付かないという。

 自分の中に真の学問を積んでいる者は、決してひけらかすことなく衒学臭くはないものなのだというし、。また『言いたがり屋は、聞き齧り屋』という言葉が有るが、愚生にしてみれば実に耳の痛い言葉でもある(笑)

 今は亡き右翼浪人・横山武彦翁は「右翼人はよく読み、よく書き、よく喋るの三拍子が揃ってなければならない」と言っていたが、「言いたがりやは、聞き齧り屋」とは、右翼人には必要不可欠な要素かも知れない。呵呵。

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2010年03月14日

「命を守る」最重要課題は国防である

 鳩山政権が発足し6ヶ月。政権交代で日本が変ると期待した国民は、小沢や鳩山らの相次ぐ「政治とカネ」問題に失望し、政治不信は益々膨らむばかり。

 鳩山は「友愛精神」や「命を守る」という抽象的な言葉を羅列するが、真剣に国家・国民を護るという気概が全く感じられない。

 「子供手当て」や「高校無償化」「高速道路一部無料化」などの政策の垂れ流しで、人気を回復させようと必死な様だがバラ撒き政策は愚民を増やすだけ。

 バラ撒きさえすれば国民の支持を得られるだろうとする、鳩山や小沢らの感覚は国民を愚弄するもので、決して国民の支持は得られまい。

「命を守る」最重要政策は『国防』と『教育』である。普天間問題の迷走でも感じるのだが、国家・国民の平和・安全よりも、自分さえ善ければという風潮が蔓延して、国民の『国防』に対する意識は益々薄れるばかりだ。

 政治家も、憲法論議を避けその場を誤魔化し、頭の中に有るものは自己保身と権力欲と党利党略の偽善だけである。

「命を守る」と景気対策や社会保障を見直し、バラ撒き政策をしたところで、北朝鮮のミサイル一発でそんなものは吹っ飛んでしまうだろう。

「国防」と「教育」、この二つに不可欠なものは「愛国心」であり、日本を愛するという心情は理屈ではなく極めて自然な感情である。

 ところが戦後、戦前の狂信的ともいえる鼓吹された愛国心の反動から「愛国」という言葉自体が、政治家からもマスコミからも教育の世界からも消えて久しい。

 愛国心無き「国防」も「教育」も在り得ず、国防を米国に依存したまま「命を守る」と宣い、将来を担う子供達への教育の中身を議論することなく「子供手当て」や「授業料無償化」に拘り、国民の支持を得ようとは実に姑息で痴がましい。

 我が国は、今や愛国心の希薄と国防意識の欠落では恥ずかしいことに、世界に冠たる国となってしまった。今後、民主党政権下では「国を愛する心」や「国を護る」という言葉はタブーとなり、国民の国防意識など無くなって行くだろう。

 政治で大事なのものは、国家観を持って外交を行い、国防を怠らず、将来を担う子供達に誇りの持てる教育を如何に施して行くかということである。

cordial8317 at 07:18|Permalink

2010年03月11日

昭和20年3月10日、東京大空襲

 先の大戦で米国が犯した「国際法違反」は枚挙に暇がない。

 3月10日は東京大空襲が行われた日であり、この大空襲やドイツのドレスデン爆撃は「国際法違反」の代表的例であろう。日本の家屋が木造であることに着目し、敢えて火炎の強い「焼夷弾」を使用したのだ。 この残虐行為によって、多くの一般市民が犠牲となったが、広島、長崎への原爆投下同様、一般市民への攻撃は断じて許されるものではない。東京裁判で連合軍は、東京への爆撃は「重慶、南京の日本軍のよる爆撃への報復」と宣ったが、未だにこうした米国のプロバカンダを信じ、東京裁判史観から脱却も出来ず「戦争さえしなければ」といった自虐史観には困ったものだ。

 マッカーサーの右腕の一人、ボナ・エラーズは日本への空襲を「史上最も冷酷野蛮な殺戮」と記している。がしかし、有ろう事か日本政府は昭和39年12月、東京大空襲の指揮官カーチス・イー・ルメイに対し、国防への貢献が大であるとして「勲一等旭日大綬章」を与えているのだ。  叙勲の際、東京大空襲の非を問われたルメイは「民間人を殺したのではない、軍需工場を消滅させただけ」と詭弁を弄した。当時の総理は佐藤栄作だが、日本の米国への隷属ぶりを示す出来事で、「非核三原則」によって国民を煙に巻くのは朝飯前だろう。

 政府は今、日米密約説を暴くのに必死だが、「日米安保条約」の見直しは必要だが、その為には国家の防衛を否定しているクソ憲法を破棄し、明治憲法を復元・改正し国軍を創設し、国防を充実させ、更にアジアの平和安定に寄与するべきであるが、民主党政権下では「憲法」や「日米安保」を見直ししても、所詮は支那の属国に成り下がるのがオチだ。

 「米国が日本を守ってやっている」「米国が日本の防衛を肩代わりしている」との理由には一理有るが、米国は世界戦略上、日本の国土が必要なだけなのだ。「密約説」を云々騒ぐより、日米安保を見直し、法整備を急ぎ、「国防」という国家の大本を、日本国民自ら考える時期に来ているのである。何時までも、米国に従属させられている場合ではない。

cordial8317 at 06:26|Permalink

2010年03月10日

日米密約説を暴いたところでどうするの

 我が国は国家の防衛という国家百年の大計を放棄し米国に依存している歪な体制を取っている訳で、それが嫌なら憲法を見直し、日米安保を破棄しGNP1%以内という防衛費を増大し、自らの国は自ら守るという普通の国になれば好いだけ。

 日本政府は「非核三原則」を掲げてはいたが、余程のバカではない限り、日本の安全は米国の核の傘が守ってくれているものだということは暗黙の了解。

 これを「持ち込ませない」だとか「寄航もダメ」と批判しながら、一方で「日本を守って下さい」などというのは余りにも都合が好過ぎるというものだろう。

 昭和35年の日米安全保障条約改定に際して、当時の藤山外務大臣は核兵器を搭載した艦船や航空機の寄港、通過は事前協議の対象にしないことを申し合わせており、その「討議録」は既に米国で公開され明らかになっている。

 既に明らかになっている極めて当然のことを「密約説」として「非核三原則」に反するとして大騒ぎし、これを公表し、大騒ぎしているのだから呆れ果てる。

 我が国の近隣諸国は、中共や韓国、北朝鮮と危険な国ばかりで、これらの脅威に対抗する安全保障措置として米国の核の傘以外の何か存在するというのだろうか。この非常識な言行を、近隣の腹黒い国はほくそ笑んでいるに違いない。

 冷戦時代、日本の平和が続いたのは別に平和憲法のお陰ではなく、米国の「核」の力に拠るものと、単なる偶然だった訳だが、平和に貢献した米国の核の持込まで暴いて糾弾しようとは正気の沙汰とは思えない。

 この密約説に狂奔する連中の一連の行動は、日本の国益に適う物だとは到底思えないし、正に危機感が自覚皆無な「平和ボケ」の象徴である。

「平和ボケ」という言葉は高度成長からバブル時代にかけて、金儲けや飽食に狂奔してきた世相や、空想的平和論を弄び、米国の核には反対しても、支那やロシアの書くには反対したことも無い左翼運動家を揶揄したものだ。

 鳩山由紀夫や岡田克也も同じく「平和ボケ」そのものだ。 自らの国の「平和」を自ら創り出すという、当たり前の国になる日は来るのだろうか。

cordial8317 at 07:32|Permalink

2010年03月09日

福島民報新聞「みんなのひろば」

 先日、友人の父親の葬儀があり参列したが余りにも過剰な演出が目に付いたので、「福島民報新聞」に「過剰演出は故人への冒涜」として投稿したら採用された。

 昨年9月に政治批評を中心に投稿を始めて今回で7度目の採用だ。採用されると嬉しいものだ。「過剰な演出は故人への冒涜」とのタイトルが、「過剰演出やめて・葬祭場の告別式」 となっていたが、原文は次の通り。

「先週、立て続けに葬式があった。一人は同級生で、もう一方は友人の父親である。同級生は、日頃から明るい性格で、まさか自殺で亡くなるとは夢にも思わなかったが、死のうとするまでの悩みや苦痛に同級生として少しでも力になれなかったのが、返す返すも残念でならない。告別式は同級生の営む葬祭場で行われ他の同級生と共に参列した。残された娘さんが「お母さんへの手紙は、てっきり私は結婚式で読むものと思っていた」との別れの手紙を読み上げると、参列者の涙を誘っていた。派手な演出もなく、しめやかに行われた。その数日後に、友人の父親が郡山で倒れ、処置の甲斐なく幽冥境を異にした。告別式は二本松の葬祭場で行われたが、開式前から葬祭場の社長らしき人の説明が入り、故人の思い出話や来賓の挨拶と見間違うばかりの講釈を延々と聞かされたのには驚いた」
 
 今、どの家庭も手狭になり、便利さもあって葬祭場を利用する家庭が多くなった。葬祭場の関係者は、連日繰り返される葬儀に慣れっこになり過ぎているのではないだろうか。過剰な演出をして、泣かせるために美辞麗句を並べて悦に入ってる様だが、こうしたイベント的告別式に辟易している参列者も少なくない。

 参列者は下手な演出を見に来たわけではなく、しめやかに故人を見送ろうとしているのであって、こうした過剰演出に参列者や遺族が利用されるのはまっぴらだ。こうした過剰に演出された葬式は、故人を冒涜しているように感じる。 合掌

 福島県内在住で民報新聞を購入されている方は、ヒマが有ったらこの原文と今朝の朝刊の記事を見比べて下さい。

cordial8317 at 12:41|Permalink

2010年03月08日

日教組は我が国に巣食う「癌」である。

 北海道教職員組合から小林千代美代議士への不正資金提供事件で、民主党と日教組の関係が改めて問題になっている。日教組と民主党に絡んだ事件は少なくない。

 日教組の代表的議員と言えば「日教組のドン」を自任する輿石東参議院議員であるが、輿石の地元の山梨でも、先の参議院選挙で「教育公務員特例法」と「政治資金規制法」で関係者が逮捕され有罪判決を受けているのを知ってるだろうか。

 この一件でも、輿石は関係を否認し、責任を取ってはいないことを見ても、小林が辞任するとも思えない。というか、辞任する必要もないのではあるまいか。

 神奈川県と山梨県の小学校教諭や山梨県教組執行委員長を歴任した輿石東は「永遠に日教組の組合員であるという自負を持って、日教組と共に戦って行く」と、日頃から度々宣っている様に、自他共に認める「日教組政治家」である。

  教育基本法第14条では、学校の政治的中立性を定めているが、輿石は「教育の政治的中立は有り得ない」と改正教育基本法を再び改正しようと目論んでいる。

 今迄にも輿石は日教組の反日思想を政治の場に持ち込んでいる。例えば日教組は入学式や卒業式などの式典に於ける「国旗掲揚」「国歌斉唱」を否定している。

 民主党も日教組の影響が強い為に、党大会に国旗掲揚と国歌斉唱はしたことは一度もなかった。国民からの抗議で先の党大会で始めて掲げた様だが、未だ国旗掲揚は徹底されてはいない。未だ輿石ら売国奴が幅を利かせている証左である。

 民主党政権下で、国家行事に日の丸と君が代が消える異常な事態が、輿石らの命令で学校を始め、其処彼処で実行されるだろうことは必至だ。

 更に恐ろしいのは、所謂従軍慰安婦と称する売春婦に「戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法案」を早期に成立させ、国家賠償をしようと企んでいることだ。それに因って、日本の戦争犯罪を正当化させる魂胆だ。

 子供達へ自虐史観に基づく教育を徹底する魂胆であることは明白で、ホント、左翼の売国性というのは留まるところを知らず何処までも姑息な連中である。

 また「内外に多くの犠牲を齎した先の大戦を国策として立案・指導した人の責任は非常に大きい」として、所謂A級戦犯が合祀されている靖国神社に代わる「国立追悼施設の設置」を訴え、それが実現を帯びて来たことは看過出来るものではない。

 民主党政権誕生で国のカタチが大きく変り、国家の大本である教育が大きく転換されつつある。日教組の「反日」「自虐」史観に基づく学校教育が大っぴらに行われ、益々教育が荒廃していくであろうことは火を見るより明らか。

 これを唯々傍観している訳には行かないのである。日教組は日本国内に巣食う「癌」であり、これを抉り出し粛正しない限り、教育の正常化など在り得ない。

cordial8317 at 08:22|Permalink

2010年03月07日

「開かれた皇室論」という名の所謂「天皇制廃止運動」

 日本国憲法第一条には「天皇は日本国の象徴であり日本国民の統合の象徴であって、この地位は主権の存する日本国民の総意に基づく」と在る。

 共産党の様に「我々は天皇制に反対しているのだから、国民の総意ではなく天皇は違憲である」というのは論外として、日頃「平和憲法を守れ」だとか「改憲反対」を主張する売国マスゴミの朝日、毎日、NHKは皇室用語に敬語は使わない。

 この事実だけ見ても連中が、現憲法を守っているとは思えず「平和憲法を守れ」などと言う資格は無く、如何に護憲派が「誤憲」で有るかが理解出来よう。

 売国マスゴミの「敬称・敬語不使用」や「開かれた皇室論」の姿勢は、今や国内に蔓延し、天皇陛下や皇室に対する敬愛の念を薄れさせている。今回の、敬宮内親王殿下の一連の報道を見ても、無礼極まる報道は目に余る。

 1932年、ソ連共産党から日本共産党へ「コミュンテルンテーゼ(命令書)」という指令が出されている。共産党の破壊活動はこの命令書の実行である。

 その中では天皇を制度として捉え、「天皇制廃止運動」として、昭和の「戦争責任・退位論」に始まり「開かれた皇室論」と「敬称・敬語不使用運動」、そして平成に入り「女性天皇論」として、その「反天皇制運動」は継続されている。

「愛子さま」「美智子さま」「雅子さま」「紀子さま」という呼称は、国民が殆ど知らぬまに、共産党の命令書を忠実に遂行していると言っても良いだろう。

 本来の日本人ならば、敬宮内親王殿下、皇后陛下、皇太子妃殿下、秋篠宮妃殿下と呼ぶべきで、こうした「開かれた皇室論」の意味も分からず与することで、日本の伝統文化や美徳が喪失して行くということを自覚すべきだろう。

 我が国は天皇陛下を族長と仰ぐ家族国家でありこの国體は万邦無比である。戦前の様に「畏れ多くも畏くも」とは言わないまでも節度ある敬意を表するべきだ。

 今回の報道を契機に、国内に蔓延する日本語の乱れを直すことこそ急務であろう。日本人が日本語を正しく使わずして、国際化社会などとは痴ましい。

 明治の先覚者は、外来語を全て新漢字に翻訳し、日本語のまま西洋文化を学ぶことが出来たことは偉大なことだ。現代人の様に外来語をそのまま羅列し、軽薄な舶来趣味と比べれば、明治人の気骨と気概、高い見識を伺い知ることが出来る。

 日本語に自信を持ち、何事の於いても日本語で主張し、日本文化を貫いたからこそ発展が得られたのだ。バチカンではその昔、英語を「穢れた言葉」と断じた。

 英語という田舎言葉が世界語になったのは、米英が大航海時代に武力で世界を支配し、植民地支配という蛮行に因って富を独占したからに他ならない。

 世界で今、1000万人以上の人が日本語を学び始めている。日本語文化を世界に普及し、日本の和の心を伝え、世界平和の実現を図ることは大事で、その為にも先ずは、日本人自身が乱れた日本語を正すことこそ大事である。

cordial8317 at 06:17|Permalink

2010年03月05日

朝鮮高級学校と国士舘

 その昔、チョンコーと我が国士舘は切っても切れない縁が有った。遭遇すれば喧嘩三昧に明け暮れ、思えば懐かしく、良い時代だった。

 そのチョンコーへの無償化などとんでもない話しだが、授業料を無償化したところで、その浮いた金は北朝鮮に流れるだけだ。

 支那からの留学生への手厚い高額補助や、憲法違反の私学助成金制度に比べれば屁の様な金額だろうが、拉致問題の解決するのが先決だろう。

 チョンコーでは「朝鮮史は教えているが、その他の授業は日本と凡そ変らない」と宣うが、その「朝鮮史」こそ反日教育なのだ。

 国内に巣食う総連関係者は事有る毎に「差別だ!」「強制連行された!」などと御得意の決め台詞を吐くが、くだらん嘘ばかり抜かしてないでこういう時にこそ、本国に苦言を呈し拉致問題解決に奔走すべきではないのか。

「差別」という名の「逆差別」にはいい加減うんざりする。 北朝鮮が異常且つ極めて危険な国家であることは、誰もが認めるところだろう。

 正式名称は「朝鮮民主主義人民共和国」。しかし民主主義でも人民の国でもなく「金一族」の個人独裁の世襲全体主義国家である。

 日本人や外国人を拉致監禁し、ニセドル紙幣を偽造しばら撒き、覚醒剤を製造密売し、ミサイル等の武器を輸出し資金調達しているが、北朝鮮は中共同様共産主義に内在し悪の本質が体制化したヤクザ国家である。

 何十万の餓死者が出ても歯牙にもかけず弾道ミサイルを開発し、核開発に狂奔しているが、こんなヤクザ国家と付き合おうとは狂気の沙汰と言う他はない。

 北朝鮮のミサイルにも核開発にも金一族の成金趣味にも、日本のパチンコ屋からの金が流れているということは今や公然の事実である。

 パチンコ屋からの送金が止れば北朝鮮は困窮し、体制崩壊に繋がるかも知れない。日本経済や治安に悪影響を垂れ流すパチンコは諸悪の根源で、この不良産業を非合法化すれば拉致問題に曙光が射し全てが丸く治まる。先ずは換金制度を廃止すべし。

cordial8317 at 07:37|Permalink

2010年03月04日

創価学会の国家支配の始まり

 昨日の参議院予算委員会で、外国人参政権(外参権)付与問題に関連し、亀井大臣が「国会提出を優先するなら連立は一挙に解消になる」と明言した。しかし、小沢の今迄の言動から見ても、外参権法案の国会提出を諦めることはない。

 普天間問題で、社民党とも連立解消になるのも時間の問題で、今後は、利害の一致する公明党との連立が一挙に進むだろう。

「創価学会」は、宗教団体というより学会員の現世利益を追求する社会運動体であり「公明党」は、それを政治的に実現する為の出先機関び過ぎない。

 公明党が政権与党にいるということは、創価学会による国家支配の始まりと言っても過言ではなく、それはつまり池田太作による恐怖の宗教支配の始まりである。

 池田太作の究極の目的は、日本を「池田王国」にして国主になることである。政治、経済、文化、教育、司法等に至るまで、あらゆる分野に自分の力が及び、国民に「池田先生マンセー」を叫ばせる事を夢見ているのだ。

 学会の支援を受けて当選した議員は「学会員の為に政治をやれ」と指導を受けるが、つまり、その頂点に君臨する「池田太作名誉会長の為」に他ならない。

 創価学会は、学会批判や池田太作への誹謗中傷や揶揄には、徹底的に監視し弾圧するのは常套手段で、今迄も学会員による嫌がらせや事件は少なくない。

 1年前、タレントの北野誠が「カネを出して勲章を貰って・・・」と名前を出さなかったものの、これが池田太作個人の揶揄だったから、執拗な抗議が相次いだという。学会員にしてみれば看過することは絶対出来ないのだろう。

 今や、マスコミにとって創価学会とパチンコ屋は大スポンサーである。創価学会への批判は勿論、公明党への批判も許されない。

 批判する勢力は徹底して排除されるが、不景気で広告代が思うように集めれないからと、カルトや犯罪の元凶であるパチンコ業界からの広告料を貰うことは企業倫理にも悖るし、ジャーナリズムとしての矜持の欠片も感じない。

 国民新聞によれば、池田名誉会長は東京大森海岸出身で、子供の頃は、日本語の下手糞な無口な少年だったという。父親の名前は「田太作」、母親の姓は「池」。日本への帰化の際に、親の名前の「池田大作」となったという。

 日頃から、べらんめぇ調で江戸っ子を気取っているが、池波正太郎曰く「池田大作あたりが度々『俺は江戸っ子でぇ』と気取ってるが、あんなのをピント外れといってねぇ、江戸ってぇのは本来、品川迄で、大森ってのは江戸じゃねぇよ。」

 臆面も無い小沢一郎の欲望民主主義の跋扈と、帰化人・池田大作の国家支配という野望は早急に食い止め、潰すしかあるまい。

cordial8317 at 05:57|Permalink

2010年03月01日

「蛍の光」は四番まで在るのを知ってますか

 今日から弥生三月、進学や就職、或いは異動や退職で別れの季節でもある。卒業式で、日教組の反対で歌われなくなった「仰げば尊し」だが、「蛍の光」は歌われているのだろうか。この「蛍の光」が四番まで在ることを知っている人は少ない。

一、蛍の光 窓の雪
  書(ふみ)読む月日 重ねつゝ 
  何時しか年も すぎの戸を
  開けてぞ今は 別れ行く

(蛍を集めた光や雪の明かりを頼りにして、貧しくとも共に苦労して勉学に励んで来た友よ、愈々お別れの時が来ましたね。)

二、止まるも行くも 限りとて
  互(かた)みに思う 千萬(ちよろず)の
  心の端を 一言に
  幸(さき)くと許(ばか)り 歌うなり
  
(学舎に留まる人も、また学を修めて卒業し、旅立って行く人も、今日を限りにと思ってお互いに交わした心の架け橋、永遠の絆を、無事に有れとばかりを念じ、この歌の一言に想いを託して歌います。)

三、筑紫の極み 陸(みち)の奥
  海山遠く 隔つとも
  その真心は 隔て無く
  一つに尽くせ 国の為
  
(九州の端や東北の奥まで、海や山々によって遠く離れていても、真心は唯一つにして互いに国の発展の為に尽くそう。)

四、千島の奥も 沖縄も
  八州(やしま)の内の 守りなり
  至らん国に 勲しく
  努めよ我が背 恙無く
  
(千島列島の奥も沖縄も、日本の国土の守りだ。学を修め職を得て、どの地に赴こうとも、日本各地夫々の地域で、我が友よ、我が夫よ、我が兄弟よ、どうか無事にお元気で、勇気を持って任に当たり、努めを果たして頂きたい。)

 「蛍の光」を知れば、日本の歴史や先人の営為が見えて来る。

cordial8317 at 05:42|Permalink