2010年01月

2010年01月30日

「葉隠」入門

「葉隠」というと、「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」という一節が余りにも有名だが、一般に「武士道」というと「葉隠」を思い出す人は多いだろう。そして、葉隠から思い出すイメージは「右翼的」とか「忠君愛国的」というものだ。

「葉隠」は、親鸞の「歎異抄(たんにしょう)」と共に、学徒出陣で戦地に赴いた学生達に最も読まれた本でもあり、それは「歎異抄」が「死の平安」を語り、「葉隠」が「死の覚悟」を語ったものであったからであろうと思われる。

 冒頭での「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」だけが独り歩きし、「葉隠」を読みもしないで「危険な書」だと思っているのではないだろうか。

 三島由紀夫は、自著「葉隠入門」の中で、この葉隠について「行動の知恵と決意が自ずと逆説を生んで行く、類の無い不思議な道徳書である。如何にも精気に溢れ、如何にも明朗な人間的な書物」と語っている。

 確かに「葉隠」は、「死に狂いの思想」と云われている様に狂信的な処も多いが、一方で現代人にも通用するものも多く非常に役に立つ。 例えば、「意見の仕方」というものが有るが、葉隠ではそれをこう教える

「人に意見してその人の欠点を直す、ということは大切なことであり、慈悲の心とも言える。ただ、意見の仕方には骨を折る必要がある。大方の人は、人に好まれない言い難い事を言ってやるのが親切の様に思い、それが受け入れられなければ、自分の力が足りなかったとしている様だ。こうしたやり方は何ら役に立たない。ただ悪戯に人に恥をかかせ、悪口を言うだけの事と同じ結果になってしまう」

「意見というものは先ず、その人がそれを受け入れられるかどうかを見極め、相手と親しくなり、何時も信用する様な状態で仕向ける処から始めなければならない。言い方なども工夫し、時節を考え、自分の失敗談等を話しながら、余計な事を言わなくても思い当たる様に仕向けるのが良い。先ずは良い処を褒めて気分を引き立てる様に心を砕き、そうした上で欠点を直していくというのが意見というものである」

 なんと細やかな心遣い、これ程の気遣いをする現代人はいないだろう。人間の世界は思いやりの世界である。「葉隠」はそういった日本人としての本来の優しさや気遣う心を教えている日本人必読の道徳規範の書でもある。

cordial8317 at 06:59|Permalink

2010年01月28日

月日が流れても忘れない心

 太平洋上のミクロネシア地域の島々からなる「パラオ共和国」という国が在る。太平洋の浮かぶ小さな独立国だ。歴代大統領には「ナカムラ」という名前の人もいる。面白いことに、「クニオ」とか「マツタロウ」いった日本人風の名前が目立つ。

 こうした伝統は、パラオ共和国を近代社会に仲間入りさせてくれた日本への感謝や愛着からだという。このパラオ共和国の国旗は「日の丸」と同じくシンプルなものだが、白地ではなく青地に、やや中心より左にずらした黄色の丸である。

 何故このような国旗になったのだろう。ドイツの植民地であったパラオは、第一次世界大戦後に日本の委任統治領となった。そこでの日本は厳しくも、産業、教育、文化の発展に大きな功績を残し、パラオの人々に多大な信頼を受けたのである。

 パラオの人々は「日本は厳しかった。然し、我々に農業と真面目に働くこと、そして嘘をつかないことを教えてくれた」と、今でも懐かしそうに語るという。

 約4万2000人の米軍が上陸したのは昭和19年9月15日だった。中川州男大佐率いる約1万2000人の日本軍が迎え撃つ。島民は別の島に退避した。米軍がパラオに迫ると、パラオの人々は「我々も日本人と一緒に戦う」と決意したという。だが、民間人に被害が出ることを懸念した大佐はその申し出を許可することは無かった。

 日本軍はそれまでの戦法を改め、持久戦に持ち込み、圧倒的な戦力を誇る米軍に大打撃を与えた。この戦いは2ヶ月に及び、11月25日まで続いた。

 米国太平洋艦隊司令長官であったチェスター・ニミッツも驚嘆したその戦いぶりは、約3ヵ月後の「硫黄島の戦い」にも引き継がれて行く。因みに、パラオ人の「クニオ」とは、この中川大佐の名前であり、如何に慕われていたかが分かる。

 この戦争で命を落した日本人を、パラオの人々は泣きながら丁寧に埋葬した。日本人遺族が何時来ても良い様にと墓の掃除は今でも欠かさないという。

 戦後パラオは、1994年の独立まで、アメリカが50年間統治したがパラオの人々の心に残っているのは「日本人」だった。数年間の日本の統治が、パラオの人々の心に残したものは大きい。日本人として先人の偉業を感謝せずにはいられない。

cordial8317 at 05:54|Permalink

2010年01月27日

苦難や試練には大きな意味がある

 右翼浪人暮らしというのは金銭的には楽ではないが、「乞食の朝謡」というのと一緒で気楽なものである。防挺時代でも、金権右翼と揶揄された時代には未だ新入りで、オイしい思いをしたことが無いから耐えられるのかものかも知れない。

 最近、漸く「欲なければ足る」というものが、何となしに理解して来た感じがする。何のことはない、歳を取ったということでもあるのだろう(笑)

 若いうちの苦労や失敗は大きな財産を生むというのは間違いない。苦難というものは醜い顔をし厭な顔をして苦痛の姿を採ってはいるが、実は吾等の敵ではなく味方である。苦難は一番親身に吾が身の為を思って突っ掛けてくる正義の友でもある。

 苦難や耐えきれない試練というのは人を殺す為に有るのではなく、人をより善くし、より一歩を進ませ向上させる為に起こるのである。 豪傑、山中鹿之助は「願わくば吾が身に七難八苦を与え給え」と月に祈って修行をしたという。

 苦難は危険を教える慈悲の鞭である。幸福と苦難は表裏一体であり苦難の本質を弁えれば、人生の苦難はやはり「天の与えた試練」と考えるべきなのである。

 西郷隆盛は「艱難は楽しむものなり」と曰く。自殺未遂を経験した西郷は、2度の遠島処分、そして西南戦争と苦難続きの人生を送った人物だったが、真っ黒な目の巨漢というイメージとは裏腹に、その生涯は常に死の影が付き纏っていた。

 それでも西郷は、「いつ死んだっていい。人事を尽くして天命を待つだけだ」という処生観を持ち、開き直って生きている様なところがあったという。

 私利私欲や保身とは無縁で、清濁併せ呑む器用さもなく、その大人格故に多くの信望を集め、また自分の死に際でさえ実に潔い人物だったという。 苦難や試練には意味が有ると共に、逆に「常に開き直りの処世観」もまた大事なのである。呵呵

cordial8317 at 10:59|Permalink

迷走する民主党連立政権

 先の総選挙で国民の多くは「政権交代で日本が変る」というスローガンの下、マニュフェストで掲げた「一人2万6千円の子供手当て」「農業の戸別所得補償」「暫定税率廃止」「高速道路の無料化」という政策の実行に大いに期待し投票した。

 然し、どの目玉政策は有名無実というもので、一体あの選挙は何だったのだろうと首を傾げたくなる。最悪な時代に最悪な政党が政権に就く不幸ここに極まる。

 外交でも「対等な日米関係」を主張し、「安保条約」の廃棄でも言うのかと思いきや、そんな度胸はなく、普天間基地問題の解決を先延ばししただけで、右往左往の混迷ぶりは見苦しいばかり。国防とは国家の大本であることを理解していない。

 オバマ大統領との首脳会談での約束を反故にし、「私を信じて欲しい」とまで言ったというが、これでは日本国民の信用まで落ちてしまう。民主党の混迷は、やはり結党しても未だに「綱領」が作れないところに原因があるのではないだろうか。

 野合故に基本理念のない儘に、自民党に勝つ為だけの画餅的「マニュフェスト」作り、有権者への目先の損得勘定に問いかけることに成功しただけのこと。

 選挙前、「自民党への不満、民主党への不安」と揶揄されて来た様に、自民党に対して積もり積もっていた不満や不信、失望が「逆風」となり、「自民党にお灸を据える」意味合いで安易に民主党に一票を投じた国民は少なくない。

 民主党政権誕生は、自民党が4年前の衆院選で圧勝しながらも、保守政党として何ら保守的な政策を実行出来なかった事に国民は見切りを付けたことに尽きる。

「政権交代」で日本を変えて貰いたいという単純な図式で、民主党を支持しただけで、民主党のマニュフェストや「基本政策」を理解して投票したとは思えない。

 民主党の勝利の最大の要因は、連日マスコミが垂れ流す『政権交代』というバンドワゴン効果だろう。国民も所詮は、「民主党にでも入れとくか」「民主党しかないか」といった「でもしか政党」が自民党に代わり誕生しただけのことだ。

 民主党は結党以来の「基本政策」としている「外国人地方参政権」や「国立追悼施設の建立」、元慰安婦に対して国家賠償する「戦時性的強制被害者法案」「夫婦別姓」や、言論の自由を侵害する「人権救済機関の設置」「日教組主導の教育関連政策」といった売国法案の成立を謀ってることは国民の殆どは知らない。

 敢えて国民に知らせないというのが本音だったのだろうが、政権を取ったとはいえこの様な国益を害する政策を実行に移すことが有れば、多くの国民が看過することは決してない。 「民主党への不安」「自民党への不満」は一層募るばかり。

cordial8317 at 07:05|Permalink

特攻と沖縄

 普天間問題の迷走は国益を害するものだろう。国家の防衛という大本を米国に委ねながら、米国と対等の関係などとは開いた口が塞がらない。ならば憲法を見直し、安保を解消し、国防を強化すれば済むことだが、そんなことはやる気配すら無い。

 沖縄が歴史的に翻弄されたという事実は理解するが、安全保障上重要な要であるということも認識するべきである。先の大戦で、連合軍の沖縄への上陸、本土決戦を阻止しようと神風特別攻撃隊が編成され多くの若者が犠牲になった。

 特攻作戦は、昭和19年10月20日、フィリピンのレイテ島に圧倒的勢力で上陸を図ろうとする米軍部隊への起死回生の反撃作戦としたのが最初である。以降、翌年8月15日の停戦に至るまでに、3972名の若者が特攻攻撃に命を捧げたのである。

 祖国を守る為に死を決意して志願した特攻精神は祖国愛の極致と言うべきもので、中でも「神風精神」こそは大東亜戦争が、自存の為の祖国防衛戦争であったことの何よりの証である。沖縄人はそうした歴史の事実とどう向き合うのか。

 沖縄戦に於いても特攻部隊が重要な役割を果たした。特攻戦死者の実に76%が沖縄戦で亡くなっている。鹿屋基地(海軍航空)からの特攻で1981名が、知覧基地(陸軍航空)からの特攻では1036名が特攻し、合わせて3017名が散華している。

 特攻は航空だけではなく、特殊潜航艇、回天魚雷、空挺特攻、対戦車特攻、震洋特攻艇、陸軍海上特攻なだ様々な工夫により劣勢を覆す為の特攻攻撃が行われた。

 集団自決が問題となっている座間味や、渡嘉敷両島に於ける梅沢、赤松部隊は、元々島の防衛隊ではなく、海上特攻の部隊であった。米軍がこれを察知して特攻艇を先制撃破した為に、梅沢、赤松部隊は止むを得ず上陸軍と戦闘を行ったのだ。

 大日本帝国海軍が建造した戦艦「大和」が沖縄戦の為に出撃したことはよく知られている。これも特攻攻撃の一つであろう。沖縄に到達した暁には、海岸に乗り上げて全力を挙げて砲撃戦を行う予定であった。然も「大和」艦内には歯磨き粉、ブラシ50万人分、月経帯15万人分などの民生品を大量に積み込んでいたのである。

 沖縄と沖縄の人々を必死で護ろうとした何よりの証明と云えよう。 「日本は沖縄を見捨てた」「日本は沖縄を捨石にした」「日本軍は沖縄の敵であった」などとホザく人々がいる。米軍基地反対や集団自決軍命令説のウソを主張している連中である。

「米軍基地反対!」を叫ぶのも良いが、沖縄を死守する為に純粋に国の為に尊い命を捧げてくれた特攻隊の英霊の方々に、一体どんな顔向けが出来るというのか。

cordial8317 at 06:06|Permalink

2010年01月24日

「驕れる者久しからずや」というが

 天皇陛下の習近平副主席との特例会見問題で、皇室の前例を覆して天皇を利用した小沢が馬脚を露し、ヤクザ紛いの恫喝会見で国民の顰蹙と怒りを買ったことは記憶に新しい。倣岸不遜で姑息なアノ醜態を、決して忘れてはならない。

 東京地検の聴取後、詭弁を弄し関与否定の記者会見をしたが、納得した国民は殆どいない。今迄も国会議員の秘書が政治資金規正法違反で逮捕されたり、また知事、市長など多くの人間が建設業界から不当な献金を貰い辞任に追いやられている。

 右翼団体も政治資金規正法違反で摘発されることもあるが、「総て修正で済まされて来た」というのは赦されない。それこそ法の下の平等に反するというものだ。

 政府与党の幹事長の事情聴取という前代未聞の恥ずべき事態になったにも拘らず、未だに秘書に責任転嫁したまま幹事長の椅子に固執しようというのだから世も末だ。

 小沢は政治献金に関して自著で「まず、政治資金の出入りを1円に至るまで全面的に公開し、流れを完全に透明にすることである」と書いた。然し、現実にはこの時既に、小沢は西松建設のダミー会社から献金を受け取っていたというのだからふざけた話だ。これだけカネに卑しい政治家は小沢一郎以外にはいないだろう。

 公設秘書が逮捕されると、記者へ「逮捕されただけで起訴されたんですか」と開き直り、「献金してくれるという方について、どういう所から出ているのかという類を聞くのは失礼なことですし、詮索しない」とまで答えていた。

 秘書が起訴されると「なんで私が離党し、議員辞職しなければならないんですか」と質問した女性記者を睨み付けた。石川議員が逮捕されると、お得意の「民主主義の否定だ!」と左翼闘士を彷彿する口調で、検察との戦いを宣言した。

 北朝鮮系の水谷建設からの1億円の裏献金が、土地購入資金に当てられたのではという疑惑に対しても「全くの出鱈目の報道で、事実は無い」と一蹴していた。

 今回の聴取でも「その様な不正なお金は水谷建設は勿論だが、他の会社からも一切受け取っていない」と啖呵を切った。「秘書や秘書だった者も受け取ってないと確信している」と語り、立件されても秘書への責任転嫁で逃げる口実だろう。

 一方で「単純ミスや記載ミスは有ったかと思う」と認めていたが、単純ミスや記載ミスで摘発された政治団体もあり、小沢の言う様に「公平公正に捜査をして頂くなら」是非とも検察には立件して頂き、政界から追放して欲しいものだ。

 小沢が師と仰いだ田中角栄も、ロッキード社から5億円を貰ったとして有罪判決を受けた。然し、あのロッキード疑獄などホントは小さな問題だった。

 田中の最大の過ちは「日中国交条約」を結ぶ際に中共の圧力に屈し、台湾(中華民国)と締結していた臭い条約である「日華国交条約」を破棄したことである。

 日本国憲法第九十八条には、『我が国が締結した条約は遵守しなければならない』と明記されており、如何なる理由が有ろうとも破棄してはならないのだ。当時、絶対的権力者だった田中角栄が、堂々と憲法違反を犯したのである。

 田中の国際条約の蹂躙を「憲法違反である」と指摘した護憲派はおらず、マスコミは沈黙し、我々右翼団体からの抗議は完全に無視されたのである。

 習近平に忠誠を誓った小沢も同様に外国人への参政権付与法案成立を謀り、田中と同じ轍を踏もうとしているが、小沢の過ぎた権力欲は失墜の序章だろう。

 田中角栄の晩年は実に淋しいものだったが、小沢のこの世の春も間もなく終焉を迎えるだろう。歴史は繰り返されるのだろう。驕れるもの久しからずや。

cordial8317 at 07:08|Permalink

「2番じゃダメなんですか!?」BY村田蓮舫

 スパコンは、その国の国力を示す上で重要な分野である。長らく日本が世界一だったが、IBMに追い越され、今はクレイ社がトップだ。5位には天津スパコンが入っているが、日本は30位以下となっており、技術立国日本の崩壊現象の一つだ。

 IBMの製品は広島原爆を造ったロスアラモスに置かれている。世界一になったクレイ社製のものは広島原爆の濃縮を行ったオークリッジ研究所に置いてある。

 この様に、スパコンは国の戦略にも大きく関わっているものなのだ。スパコン関連予算折衝の折に、偉そうに「何故2番じゃダメなんですか?」との発言をした蓮舫だが、我が国が軍事目的で開発しているとでも思ったのだろうか。

「何故世界一なのか?」と詰問していたが、国民から大顰蹙を買ったのは当然だろう。 こうした技術でもスポーツでも一番を目指すのは余りにも当然なことだ。

 朝日新聞に、慶応大学の添谷という、如何にも朝日が好きそうな教授の論文が度々出る。添谷は「日本は大国を目指すな。二流国家という選択がある」との自説が信条のアホだ。一体何をしたいのだろう。所詮は左翼が目指す破壊活動なんだろう。

「2番じゃダメなんですか」という蓮舫の雄叫びも、このアホ教授と同じ「偉大な中国共産党の下僕になっていろ」と言わんばかりのものと推測出来る。

 帰化した国に誇りも何も無い、有るのは中共への忠誠だけでは余りにも無礼だろう。日本という国への愛着が無いから、ついつい本音が出てしまったのだろう。

 あの調子で、小沢に「何故幹事長を続けるんですか」ってな苦言でも浴びせられる様なら褒めても良いが、そんな度胸もやる気も無い。何故なら、権力者には媚び、自分よりも弱いと見るや偉そうに振る舞うだけ。正に支那人そっくりだ。

 中国共産党の走狗でもある日中友好議員連盟にも加わり、中共に媚び諂い忠誠を誓う蓮舫は、外省人と言われる父方のDNAはやはり隠し様がない。態度も中身も台湾人とは程遠く、漢民族そのもので、不遜という外に喩え様がない。

 この仕分け作業の茶番を批判した平沼赳夫の言葉尻を捉えて「差別発言だ!」と騒いでいるキチガイ左翼どもがいる様だが、どうせ参政権付与法案を成立さたいが為に、目障りな平沼氏を叩いているのだろうが、余りにも姑息過ぎる。

cordial8317 at 06:07|Permalink

2010年01月23日

脱北詩人「チャン・ジンソン」の慟哭

 脱北詩人「チャン・ジンソン」の詩

『わたしの娘を100ウォンで売ります』

ーわたしの娘100ウォンで売ります
書かれた紙を首にかけ
幼児を脇に
市場にたつその女

女は唖者であった
売られる娘児と
売る女を眺めては
人々の投げかける呪詛に
地べたに見つめるその女

女は涙も枯れていた
母が死病に罹っている

喚き泣き叫ぶ
娘児は
その母の裾
握りしめ
女はただ唇
振るわせるばかり

女は感謝も知らなかった
あんたの娘ではなく
母性愛を買うと
ひとりの軍人 100ウォン差し出すに
その金持ってどこへやら
駆け出したその女

女は母であった
娘売った100ウォンで
小麦粉パン かかえ
慌て 駆け戻り
別離れ行く娘児の
口へ押入れる
・・・赦しておくれ!
慟哭する その女

『ご飯が残ったよ』

どこからか 貰ってきたのか
冷や飯が ひとにぎり
妻の前に差し出しながら
夫は 嬉しそうに言う
ー僕は 食べてきたから

一日中を 荒地 耕し
裏山からもどった 舅姑へ
妻は その冷や飯を
お腹いっぱいな
そぶりで差し出し

ーこれだけしか残ってませんの

お腹には 胎児
飢えは 生涯の罪か
心に シワ また増えた老夫婦
宝でも 隠すようにして
ーこのご飯は 朝食にしよう

その日とうとう
たべるもののない家に
ご飯が残った

『救済米と言うな』

世界の国々よ
この国に 米なるものを送り
救済米と言うなかれ
その 赤き 赤十字は
我らが血で 血塗られたり

その米で 兵士を増大し
砲身をつくり
残れば その米で
閲兵式 武力示唆
食べたる力を誇示する
先軍

これに なお 力つけさせる
援助だ 支援なのだ
独裁者なるものを救済するだけの
人道主義への 背信
赤十字社の欺瞞

どうか 世界の諸国家よ
送る 米の あるなら
いっそ我らの頭上から
無一物の 我らの頭上から
ああ 砲撃して おくれ!

 チャン氏の署名入りの詩は、かつて労働新聞の紙面を飾り、氏は「間違いなく幸福だった」。然し、「最も貧しい国に、最も富裕な王がいる」という眼前の現実に目覚めたとき脱北を決意したという。彼を動かした思いは、「飢えに死んだ300万人の、飢えに至る過程を必ず世界に暴露する」というものだった。

cordial8317 at 06:37|Permalink

2010年01月21日

日本人であるということ

 大航海時代の末期でもあった嘉永6(1853)年、ペリーの黒船が来襲し、我が国はこれに対抗する為に強力な中央集権国家を形成しなければならないと「明治維新」を成し遂げる。危機に直面して僅か15年で体制を整えたのは奇跡とも言える。

 フランスやドイツが、国家形成に至るまで革命を繰り返し100年以上の年月がかかったことと比べてみても、僅か15年で日本を建国したことに驚嘆すると共に、自分がこのような賢い国に生まれたことを心から感謝せずにはいられない。

 我が国の歴史上最も賢かったのは「聖徳太子」だろう。太子は607年、日出ずる日本と隋との対等外交に踏み切る。645年「大化の改新」を実現する。この後663年、白村江(はくすきのえ)での敗戦を機に中華圏との正式な外交を絶つ。

 その後、1871年に日清修好条規を結ぶまでの1200年に亙り日本は日本列島の中で日本文化を熟成させた。大陸からの漢字に音と訓を付け、ひらがな(後にカタカナ)を付け加え、大和言葉を表現し支那とは全く別の文字体系と文化を創造した。

 一方、支那は戦乱に次ぐ戦乱、易姓革命の連続で文字文化の発達は全く止まったままだったのだ。我が国は異文化を吸収し、より善いものを生み出す国民性であり、親中派が「日中は同文同種、一衣帯水である」というのは全く誤った認識である。

 今、日本が直面している全ての問題はこうした先人の努力を無視し、「日本人が日本人であることを見失った」ことが起因していると考えても過言ではない。

 つまり、何処の国で生まれ、何処で生き、何の為に働き、何を尊び、何を信じるのか、子供達に何を語り、友人や朋輩と何を分かつのか、そうした生き方を見失ってしまったことから、現代の混乱と混迷、様々な問題は起きている。

 今一度、「日本とは何か」「日本人であるとはどういうことなのか」を考えながら世界と付き合うべき時代なのだ。欧米主導の西欧時代の終焉が叫ばれている今、我々は日本について考え日本人であるという証を示さなければならない。

 本来の日本人なら心の中に「日本人の魂」というものを持っている。この国の歴史伝統や先人達に対する尊敬や愛着の想いである。例えば、我が国が大東亜戦争に負けたのであれば、限りなく口惜しいと思い、GHQに因る占領で失われたものが有るなら、それを何としても取り戻したいと思う「心」である。

 そう考えるとき、右翼を標榜する者や保守政治家から、日本人としての魂から発する「思い」を感じることもなく、思想無き右顧左眄型の偽善者ばかり。 我が国は世界の中で最も優れた精神文化と独自の価値を有する国家である。

「保守」とは我ら日本人が未来永劫護り抜かねばならぬ民族、宗教、言語、歴史、価値観、習慣、制度の世界の中で最も優れた精神文化を護り、継承して行くものでなくてはならない。中でも皇統の死守は日本人としての義務である。

cordial8317 at 11:43|Permalink

小沢一郎VS特捜が全面対決

 検察との全面対決を剥き出しにした小沢一郎だが、検察にしてみれば政治資金規正法違反の容疑を解明し、小沢への疑惑や真実を明らかにしたいだけである。

 検察は「政治資金規正法は議会制民主主義の根幹を成す法律。政治資金の実態を偽ることは国民を欺いて政治判断を歪めることに他ならない」と強調しているが、疑惑の解明は当然であるし、疑惑がありながら検察批判とは厭きれるばかり。

 検察が秘書の違反容疑の動機や証拠を調べているのだから、小沢が気色ばんで対決姿勢を露にするより、堂々と事情聴取に応じ、自らの潔白と秘書への不当逮捕の理由を説明すれば良いことだろう。国民が知りたいことは、小沢が検察の事情聴取に応じるかどうかではなく、真実はどうなのかということに尽きる。

 文芸春秋二月号の「消えた五箱のダンボール」という記事には、昨年三月に大久保秘書が逮捕された日に側近らで証拠隠滅工作を行ったことが書かれている。

 今回逮捕された石川議員の元秘書の証言でもあり、具体的に「これを特捜部から隠せて本当に良かった。あと二時間遅れていたらみんな逮捕だったな」「中には鹿島(建設)の資料も入っている。西松(建設)なんか問題じゃないよな」という、その「やばいもの」をダンボール五箱に詰め込み持ち去ったという。

 隠蔽工作には小沢側近の樋高副幹事長も加わっており、「資料が出ていたら、小沢先生も含めて全員逮捕だ」と言ったと証言しているが、検察にすれば、そういった証言が有る以上調べるのは当然で、先日、小沢事務所や鹿島本社、水谷建設、山崎建設、宮本組などに一斉捜査が入ったのもその流れだろう。

 この家宅捜査の対象は、小沢の地元岩手県奥州市の「胆沢ダム」に参入している会社ばかりで、民主党の目玉政策だった「八ッ場ダム」が工事停止になったのは、小沢に献金しなかった為であるとの噂があったが、強ち間違いではあるまい。

 公共工事を利用して「天の声」によって利益を得る手法は、田中角栄や金丸らがやっていたことと同じで、小沢が政治的な力によって独裁的なことをやらかしてるのはそれこそ民主主義の根幹を歪める不当な行為であり断じて許されるものではない。

 共同通信社の世論調査で、小沢の幹事長続投に73%の国民は辞任すべきとして反対おり、小沢の説明には6.3%しか納得出来た国民はいない。民主党議員の殆どが、党大会での小沢の説明に「納得出来た」と語っていたが、国民意識とかなり乖離しており、こんな自浄能力の無いアホ政党が政権を続けて行くのかと思うと憂鬱だ。

 田中角栄も疑惑を持たれてから、二ヵ月後に記者会見し「潔白宣言」を出したが、三ヶ月後に逮捕された。小沢もまた、同じ様に鼻息荒く検察との対決姿勢を見せてはいるが、宮内庁長官を罵倒した際の記者会見でもそうだったが、自分が不利だと見ると、認識不足を棚に上げて気色ばんで詭弁を弄する癖は治らない様だ。

 政治家としての器は田中角栄には及ばないが、政治家としての末路は同じだろう。つ~か、田中角栄に寵愛されたというが、小沢は角栄の足元にも及ばない。

cordial8317 at 06:22|Permalink

2010年01月20日

北朝鮮系企業の水谷建設

 小沢の疑惑に度々登場する水谷建設は、平成18(2006)年に発覚した福島県知事汚職事件で栄佐久知事の盟友である辻政雄と共に暗躍した北朝鮮系企業である。

 福島県内での公共工事も水谷建設は大手ゼネコンの下請け企業として、福島空港を始め、サッカー施設のJビレッジやダム工事など高額な公共工事を請負い、その見返りとして佐藤栄佐久知事の弟らに受注した金額の約5%を支払っていた。

 三重県の中堅建設会社が、身寄りも何もない東北各地でこれだけ巨額なの工事を請負えた背景には、北朝鮮出身の水谷元会長の思いが反映されている。

 元会長が逮捕され「政治家に金さえ渡せば何とでもなる。そういった意味では全国何処でも金儲け出来る」と豪語していたが、小沢への献金もこれと同じだろう。

 福島県汚職で逮捕された際に、小沢らへの証拠も差し押さえられおり、言い逃れられない為に正直に話しているのだろうが、水谷の証言を事実無根とする栄佐久知事らの主張は無理な話で、窮地に追いやられた水谷の供述は信用出来るものだ。

 Jビレッジの工事では、東京電力が寄付した約130億円で水谷建設が受注している。この時は名刺代わりに当時の山口組の秘書だった会津角定一家の親分に3億円、いわき市の住吉会丸唐一家の親分にも2億円渡したと公判時に供述している。

 水谷建設は知事の実弟を抱き込み、ブローカーの辻と逮捕されるまで公共事業を取りまくり、儲けた金はレインボーブルッジという北朝鮮シンパの胡散臭い団体を経由して、北朝鮮に送金していたと言うから怒りが込み上げて来る。

 因みに、辻は、大日本愛国党の相談役でもあった。党員が拉致問題に取り組んでいる中で北朝鮮系の企業と一緒に血税を騙し取っていたとは恥ずべきことだ。

 県内の右翼の重鎮である芦名昇盛議長が生前だった頃に、こうした辻の行為を諌める様に進言したことが有る。芦名議長は憮然としていたが、辻に利用されてただけで詳細は知らなかったのだろうか。「右翼人として万死に値しますよ」と苦言を呈した数ヵ月後、芦名議長は幽冥境を異にしたが、辻が逮捕される前で好かったかもな。

 福島県汚職で栄佐久らは「事実無根」として上告しているが、見苦しいばかりで、自分が喩え知らなくても、弟らのやった行為は県民への背信行為で不徳の致すところだ。欲の皮のツッパった小沢も、逮捕される前に潔く政界を引退しなさい。

cordial8317 at 14:08|Permalink

平沼赳夫は雑音など気にせず真正保守を目指せ!

 民主党の「仕分け作業」は茶番でしかない。民主党の功績が如く報じてるマスコミもマスコミ。アレだけ騒いで1兆125億円の財源を確保したというが、結局、小沢の鶴の一声で「仕切り直し」した予算も多く、結果は6千億程度とは恐れ入る。

 唯一「優良児童劇巡回等事業」が要求通りとなったが、理由は「子供達に夢や希望を与える事業は大切にすべき」と言うものだった。その一方で、小中学校の道徳教材「心のノート」の配布を止めるべきとして「3分の1から半額」の削除とされた。

 最終的には廃止し、道徳教育を止めさせる魂胆なのだが、どう見ても児童劇より道徳教育の普及が大事である。 戦後、日本は「道徳教育」を廃止し「忠孝」という言葉は死語になり、教育界からも社会からも危険な言葉とされてしまった。

 その結果が、現在の教育の荒廃と家族崩壊に繋がっている。「忠」とは愛国心、「孝」とは親孝行であり、国の教育の基本であり目的であるべきなのだ。

 教育勅語には、「我が臣民克く忠に克く孝に億兆心を一にして世々其の美を済せるは此れ我が国体の精華にして教育の淵源亦実に此に存す」と在る。人間にとっての最高の道徳である「忠孝」を教えることは教育にとって最も大切なことである。

 更に、民主党は教育関連に関し、教員免許更新制の廃止も示し、不良教師の一掃と教育の充実を目指し改正した教育基本法と関連3法を再改正を目論んでいる様だが、これを見ても文部行政が、日教組に支配され始まった証左であることが分かる。

 スパーコンピューター関連予算折衝の折に、「何故2番じゃダメなんですか?」との迷を残した蓮舫が、区民から大顰蹙を買ったことは記憶に新しいが、流石は北京大学に学んだだけのことはあるな。所詮はタレント上がりのバカタレ議員。

 日中友好議員連盟に加わり支那に媚びる蓮舫の態度は、台湾人のハーフというより、態度も中身も漢民族を感じさせ、不遜という外に喩えようがない。

 この仕分け作業の茶番を批判した平沼赳夫氏の言葉尻を捉え、「差別発言をした」となどキチガイ左翼どもが騒いでいる様だが、何のことはない民主党政権下で外国人参政権付与法案を始めとした売国法案を成立さたいが為のものだろう。

 今、平沼グループは、平沼の他に城内実、と小泉龍司の3人だけで政党としての要件を満たしていない。政党助成金など制限があり、国会内で活躍出来ない状況だが、「大義」を翳し、保守再興を目指せばこの状況から脱却出来るだろう。

 次期参院選で民主党が過半数を取れず、また自民党が惨敗すれば、その時こそ政界再編の波は大きくなり、真保守政党待望論が出てくるであろうことは必至。

 では、真正保守として何を成すべきなのか。それには姑息な奇策などするべきではなく、我が国の歴史と伝統、文化に基づいた日本らしい政策を堂々と掲げ、民主党が実行しようとする反日的な愚策に理路整然と対抗すれば良いだけである。

 安政の大獄で牢に繋がれた吉田松陰が、長州が一時的に幕府に恭順した時期でも草莽の民の崛起を信じて、やがてそれが明治維新に至った例に倣い、皇統を重んじ、国家観に溢れた志のある政治家が団結すれば国民も自ずと支持するだろう。

 平沼は左翼勢力ら外野の騒音など気にせず、堂々と正論を述べ、自民党や民主党にいながら埋没している保守政治家との真正保守再興を目指すべきである。

「正統の保守主義者に於いて時間を体験する仕方は、過去の意味を直視し、その中に価値を見出す発見によって未来を創造して行くものである」。実践せよ!

cordial8317 at 07:05|Permalink

2010年01月18日

亀井静香の発言を機に京都遷宮を考えてみる

 亀井静香が昨年末、陛下との会食の際に「権力の象徴である江戸城にお住まいになるのは相応しくないのではないか」と発言したという。実に不謹慎且つ不適切で、小沢同様、皇室の存在を軽々しく論じられることに不快感を覚える。

 天皇は日本国憲法上の制約から、国事行為として「国会の開会式」「首相や最高裁長官の親任式」「大臣の認証式」など年間を通して約60回お努めになられ、国賓・公賓への接遇や会見、会食などのご公務を約170回お努め遊ばされる。

 亀井の言う様に江戸城から遷都して京都にお住まいになられるとしても、こうした憲法上の国事行為やその制約をどの様に対処する積もりなのか。御所・離宮の造営はどうするのかという、そうした議論もせずに遷宮とは失礼極まる。

 天皇にとって大事なものは「祭事」であり、国事行為より優先されるべきものである。歴代天皇が古来より司って来た「祭事」は、現憲法によって天皇家の「私事」になってしまい、皇室典範の「大嘗祭」の規定は現憲法には存在しない。

 現憲法は歴史的な国家としての継続された「祭祀」に関する天皇の役割を否定しており、未だ占領政策の「神道指令」の呪縛が解除されずにいるのである。民主党政権は憲法を改正して、国事行為を無くするとでも言うのだろうか。

 天皇の祭事は、元旦早々の「四方拝」に始まり「歳旦祭」「元始祭」や毎月の旬祭など年に50回程に上る。国家国民の安寧を祈る存在こそが天皇なのである。

 静謐な環境の中で、政治的に利用されることのない中で、尊い存在として「祭祀」を執り行って頂く為には京都への遷宮も一つの選択肢であろうが、時期尚早。

 先ずは、国民が「天皇とは何か」という天皇日本の歴史の中で果たして来られた役割や、天皇の在り方を学ぶべきである。現在の天皇は、悲しい哉、現憲法に呪縛され、国事行為を行うだけの政府の都合の好い傀儡でしかないのだ。

 祭儀や国事行為など、陛下の激務の御苦労を理解していない故に、亀井の様な不敬な発言や陛下を政治利用しようとする輩は断じて容認出来ない。

cordial8317 at 08:43|Permalink

2010年01月17日

捕鯨問題を考える

 シーシェパードの反捕鯨の活動は白豪主義による人種差別で、オーストラリア人がスポーツハンティングと称してアボリジニを虐殺したのと同じ日本人否定の人種差別活動。こうした偽善の環境保護団体はテロリストと断定し駆逐するべきである。

 我が国の食料自給率は39%。この数値は危機的水準だと言うことは誰もが知るところ。この数値は食料安保の視点からも大変問題のある状況であり、食料自給率の改善に繋がる問題として「捕鯨問題」は重要な課題の一つなのである。

 我が国が調査捕鯨を継続している背景には、「鯨は将来の人類の重要なタンパク源になる」という考えもある。例えば小さなミンク鯨1頭で牛7頭分のタンパク質が採れるといい、鯨を家庭の食卓に戻すことが、食料自給率の改善に繋がる。

 地球上の鯨類が年間に捕食する魚類の総量は2億5千万トン~4億トンだという。一方、地球上の漁師の漁獲量は約1億トンしかない中で鯨被害は続いてる。

「鯨飲馬食」と言われるほどに食欲旺盛な鯨類が増え過ぎれば、人間が食料にしている水産資源も脅かされる事となろう。余計な鯨を駆逐するのは 当然だろう。

 捕鯨が始まったのは江戸時代の初期の1606年のこと。紀州の太地で開始された商業捕鯨はやがて全国に広まり、それと共に鯨を食する習慣も全国に広まった。

 松尾芭蕉の句に「水無月や 鯛はあれども 塩鯨」というものがあるが、塩付けされた鯨の肉は江戸庶民の大切なタンパク源であり、大衆食として愛された。

 19世紀初頭には「鯨肉調理方」という本が出版されているが、鯨食というのはそれだけ普及していたのである。正しく鯨食は日本文化そのものなのである。

 今も北海道や東北では正月に「鯨汁」を食しているし、「ハリハリ鍋」にしている地域もあるし、大阪のおでんにはコロ、サエズリ、オノミといった具がある。

 反捕鯨の連中は、鯨食を「ゲテモノ」扱いしたり、「戦中戦後の食糧難時代に止むを得ず広まったもの」という反論にしても、或いは、遠洋漁業は「鯨油を採る目的だである」などと愚にも付かない反論をしているのはもう嗤うしかない。

「鯨油を採る目的」とは欧米の捕鯨が皮だけ剥いで鯨油のみを採るやり方だから、それと勘違いしているものが多く、こうした考えも白人優位主義に因るものだ。

 日本では単に食するだけではなく、鯨の髭は文楽の人形に使い、骨は櫛などの工芸品となっている。漁師達は鯨塚を作り供養も行っていたし、捕鯨問題の背景には、こういった日本の伝統的鯨文化の問題も有り、反捕鯨は日本文化の否定である。

 多少波風が立とうが主張はするべきで、「協調」しようとか「友愛」だとか軟弱な姿勢は日本の将来を危うくする。捕鯨問題は日本にとって重要な問題なのである。

cordial8317 at 07:45|Permalink

2010年01月15日

横義横行(おうぎおうこう)の勧め

 昨日は新宿まで、物心両面で御支援頂いている大手警備会社「テイケイ」の高花豊会長に新年の挨拶に出掛けた。会長は毎回示唆に富んだ話をしてくれるが、何といっても圧倒的な存在感があり、パワーを頂けるのが有難い。

「人間の財産と言うものは、いざと言う時に自分を支えてくれる人で有ると同時に各自が目指す目標実現の為の知恵袋である」という言葉が有る。そんな人物に出会えたことに感謝している。この方に支援頂く様になったのは、その昔、横山武彦という右翼浪人と全国行脚の放浪の旅をしたのがきっかけだ。正しく人生とは邂逅に尽きる。

「横議横行」という言葉がある。辞書には「勝手に論ずる」とか「勝手気儘に歩く」という意味が書かれている。自由気儘に歩き回ることが禁止されていた幕藩体制下に於いて、横議横行を勧め「脱藩せよ」と叫んだのが吉田松陰だった。

 吉田松陰こそが「一君万民論」を唱え、近代国民国家を志向した魁であり、そこから「草莽屈起論」を導いた。 つまり、天皇=一君と国民という関係を構築する為に、封建制度を打破すべく「脱藩し、一草莽たれ」と訴えたのである。その結果、意志の高い下級武士等が脱藩し「志士」として維新を実現させたのだ。

 横議横行を実践した人物として最も有名なのは坂本竜馬だろう。時代の寵児として活躍した坂本龍馬を始めとした人物の共通の特徴は、発する「言葉」が違うことである。大衆の心を引き付けたりするのは「言葉」を以て他に無い。

 土佐の郷士の次男に生まれた坂本竜馬は正に「言葉の達人」だった。彼が幕閣とも勤王の志士とも通じ、後には薩長連合の仕掛け人として、明治維新を豪腕で引き寄せた立役者足り得たのは、説得の技術、つまりは言葉の豊かさによるものである。

 更にもう一つは、彼が「歩く人」であったことだろう。交通の不便だった時代に、実に驚く距離を行き来している。愚生も、放浪の旅や、家を飛び出し、多くの人と顔を突き合わせ横議横行することは実に大切なことだと思っている。

 唯、話をするにも先ずは一献これは更に大事なことだ。腹を割って忌憚無く喋れるには、酒は貴重な存在である。 坂本竜馬は、「酒は呑むべし 酒は呑むべし 人生唯酒ありて肝を開く 酔中の快楽人知るなし」との言葉を遺してるが激しく同意する。

 吉田松陰はこう教えている。「花柳詩酒に陥る如きは真の道に志す者の必ず暇あらざる所なり」。松陰先生というのは愚生にしてみればチョッと堅物過ぎるな(笑)

「数々の過失は酒と共にあり その酒抱きて今日も堕ちなん」とは、最後の浪人と言われた阿部勉の詩だが、愚生にはこの詩が一番合っている。正に夕刻の志士。呵呵。

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2010年01月14日

徒然なるまゝに

 座右の書ではないが、吉田兼好の「徒然草」が好きで時々出しては読み耽っている。 人の世は常に欲望の社会だが、吉田兼好はこう曰はす。

「名利に使われて、閑かなる暇もなく、一生を苦しむこそ、愚かなれ。財多ければ、身を守るにまどし。害を買い、累を招く媒なり。身の後には、金をして北斗をささふとも、人のためにぞわづらはさるべき。愚かなる人の目をよろこばしむる楽しみ、またあぢきなし。利に惑ふは、すぐれて愚かなる人なり」(三十八段)

 世俗的な名声とか地位とか財産とかに身も心も使われて、心静かにゆったりと生活を楽しむ余裕もなく、一生あくせくと暮らすなど実に愚かなことである。

 財産が多いとそれだけ身を守らねばならず面倒な煩いを招く元となる。例え死んだ後でも残された遺族たちは財産分与で揉めるだけ。そんな愚かな人々の為に自慢したところで、それもまたつまらないことだ。利欲に惑うことは最も愚かな人である。

「まことの人は、智もなく、徳もなく、功もなく、名もなし。誰か知り、誰か伝えん。これ徳をかくし、愚を守るにあらず。本より賢愚・得失の境にをらざればなり」

 要するに「まことの人」とは、世間に対して知恵や徳や功績を誇ることなどしないので、世間では誰が本物の人であるかは判らない。だから伝えることも出来ない。

 本当に立派な人というのはそういったことを隠し、元々損得とか名声などとは関係ない処にいて、ただただ己の精神の充足を求めているにすぎないというのである。

 下品な人、無遠慮な人、知ったかぶりをした自己顕示欲の強い人は教養のない人と説くのである。只管利欲を求め、長寿だけを願って何になるのか。そういう人は人生の何たるかを知らない。人生とは結果ではなく、生きる経緯が大事なのである。

 兼好の様に、安定した生活を捨て職を辞し、己の精神の自由を求めれば生活は困窮するどう。一方で、暮らしを楽にしようとすれば心が拘束される。 愚生もしがない右翼浪人ではあるが、せめて精神だけは兼好の様に自由でありたいと思う。

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cordial8317 at 05:02|Permalink

2010年01月11日

防共挺身隊執行部からの除籍通知と平成の右翼

 運動方針の違いと組織の維持に対する違いから、大学時代から約30年に及び所属していた防共挺身隊を辞めたのは先日の日記で書いた通り。除籍通知が出され、それに何やら、次の様なこと書かれていたらしい・・・ 「右の者、民族活動家として上下の礼節を弁えず・・・理由は如何を問わず交友等は一切堅くお断りします」。

 除籍通知を出される謂れもないし、民族活動家として恥じることは一つもない。「防共挺身隊執行部」なんぞ聞いたことがない。まぁ某ヤクザの入れ知恵だろうな。

 頭山満翁がその昔、社内の暗闘の際「そんなケチ臭いことでは将来の志業に大害あり」と憂いたというが、流石は大物である。国士とは斯く在りたいものである。「世の人は我を何とも言わばいへ 我が成す事は我がのみぞ知る(坂本龍馬)」

 警察庁が把握している国内の右翼団体は現在約900団体(現在は恐らく3分の1程度か)に上るという。 御多分に漏れず、右翼の世界も「玉石混交」であるから、数ある団体の中には街宣車に日の丸を立てて、軍歌を流すだけの団体も在ったり、街宣車を強請り、集りの道具として使用してる自称右翼も少なくない。

 世間の嘲笑や侮蔑に耐えつつも皇室の弥栄を祈り、国の行く末を憂う「純正右翼」「本流右翼」は、一体どの位存在するのか。 右翼団体の草分けは玄洋社である。頭山満翁らは明治12年、向陽社を設立したが、前述した通り、社内の暗闘を知った頭山翁は向陽社を発展的に解消し、「玄洋社」に改め組織を再編した。

 玄洋社憲則
 第一条 皇室を敬載す可し
 第二条 本国を愛重す可し
 第三条 人民の権利を固守す可し

 昭和21年1月4日、GHQは所謂、超国家主義者団体の解散令を出した。荒原牧水の「大右翼史」に拠れば、終戦時の右翼は350団体、このうち追放、解散令を受けたのは210団体に及ぶという。この中には防共挺身隊初代総隊長・福田進の父である福田素顕翁の「皇道日報社(現、防共新聞社)」も一切の活動を禁じられた。

 この福田素顕翁は「愛国者は国民の模範的人物にして、指導者たれ」との言葉を残してこの世を去った。民族派、右翼を自称する者の中で、果たして何人が「国民の模範」として胸を張ることが出来ようか。新右翼のカリスマだった野村秋介大人は「他を批判する者、先ず自らに峻烈でなくてはならない」と訓える。

 我が胸に手を当て自省してみれば、忸怩たる思いに駆られるが「国民の模範」に成れないまでも、塵の中でもキラリと光彩を放てる右翼浪人に成りたいものだ。

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cordial8317 at 09:14|Permalink

2010年01月08日

『ブログ開設記念』行動右翼から右翼浪人へ

 国士舘大学時代に右翼団体・防共挺身隊(以下防挺)に入隊した。防挺といえば、戦後、大日本愛国党と並び行動右翼として、右翼・民族派運動に大きな役割を担ってきた団体だ。詳細はウィキペディアを参照して頂けたら幸いです。

 政治に興味を抱いたのは中学時代だった。亡き親父が町会議員や衆議院議員(故・天野光晴)の秘書の様な事をやったいた影響と、担任と副担任の二人が日教組の組合員と共産党員だった事が大きく影響していると思う。親父が持ってくる「月刊自由民主」という雑誌を貪る様に読んで、辿り着いた正義感は「右翼思想」だった。

 高校は地元の二本松工業高校。当時は進学するなど考えもしていないし、土方の監督かテレビドラマの「前略おふくろ様」の影響で板前にでもなろうと思っていた。

 進学に傾いたのは、担任が自分だけには就職を世話しないし、シャレで受けた福島県警も不合格だったし、ならば成績は悪くは無かったので大学を「推薦」して貰って4年間遊びながら将来を考えれば良いかなんて思っていた。

 そんな矢先、国防青年隊隊員で国士舘大学の3年生だったH氏による大平総理テロ未遂事件が有り、その後、直ぐこの国士舘大学への推薦を願い出た。

 然し、即座に却下され「地元の日大工学部なら」ということになった。しかし、日頃父から「田舎で勉強するより、都会で昼寝しろ」と教わっていたので、地元の大学には行く気もなく、しつこく担任に国士舘大学の推薦をするよう迫ってた。

 暫くして先生も根負けしたのか「坊主にしたら」という条件で推薦してくれることになった。先生にしてみりゃ絶対坊主にはしないだろうという思惑があったのだろうが、翌日五厘に刈り上げ挨拶行ったら無言で書類を作成してくれたのを思い出す。

 合格し、先生方に報告に行ったら、言われたことは「五郎、右翼にだけは入るなよ!」。爾来30年、微力ではあるが愛国活動に邁進し「右翼の良識」と言われたりもしたが、力及ばず、昨年、永年共に行動してきた盟友と袂を分つた。

 その盟友だった對馬則政も昨年末に多臓器不全で幽明界を異にした。今後は、正統右翼浪人として「晴耕雨読」の生き方を全うしたいと思っている。

 昨今、新保守主義を掲げる学者や評論家の言動が持て囃されてはいるが、その「保守」に「尊皇」はない。彼等が「保守」したいのは、自民党や民主党の体制なのだ。反中共、反北朝鮮と耳障りの良いことを言ってるだけで、本音とも思えない。

 保守主義を否定する訳ではないが、尊皇無き保守では米国や英国の保守政党、保守主義と何等変りは無いのだ。そんな中で、右翼・民族派の存在価値は年々無くなってきている様に感じるが、それは右翼人自身に問題が有る様な気がしてならない。

 思想は乏しく、考えていることは「シノギ」ばかり。久しぶりに相対しても「どう、景気は」・・・だが、悲観はしていない。必ずや、この混迷、停滞から脱却し、天皇国日本を磐石の安きに導いてくれる「国士」は出現するだろうから。

 右翼・民族派諸氏は原点に戻り、研鑽を積み、テロを担保しつつ啓蒙活動をして貰いたいものだ。「自己犠牲に達しない思想は卑しい思想である」(三島由紀夫)

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