2010年01月18日

亀井静香の発言を機に京都遷宮を考えてみる

 亀井静香が昨年末、陛下との会食の際に「権力の象徴である江戸城にお住まいになるのは相応しくないのではないか」と発言したという。実に不謹慎且つ不適切で、小沢同様、皇室の存在を軽々しく論じられることに不快感を覚える。

 天皇は憲法上の制約から、国事行為として「国会の開会式」「首相や最高裁長官の親任式」「大臣の認証式」など年間約60回、国賓・公賓への接遇や会見、会食などのご公務を約170回お努めになられる。

 亀井の言う様に、京都にお住まいになられるとしても、こうした国事行為をどの様に対処する積もりなのか。御所・離宮の造営はどうするのか。

 憲法上の制約をどうするのか。 天皇にとって大事なものは「祭事」であり、本来は国事行為より優先されるべきものでなくてはならないのだ。

 歴代天皇が古来より司って来た「祭事」は、現憲法によって天皇家の「私事」になってしまい、皇室典範の「大嘗祭」の規定は最早存在しない。

 現憲法は歴史的な国家としての継続された「祭祀」に関する天皇の役割を否定しており、未だ占領政策の「神道指令」の呪縛が解除されずにいるのである。民主党政権は憲法を改正し、国事行為を無くするとでも言うのだろうか。

 天皇の祭事は、元旦早々の「四方拝」から始まり「歳旦祭」「元始祭」や毎月の旬祭など年に50回程に上る。「国安かれ民安かれ」と国家国民の安寧を祈る存在こそが天皇なのである。

 静謐な環境の中で、政治的に利用されることのない中で、尊い存在として「祭祀」を執り行って頂く為には京都への遷宮も一つの選択肢であろうが、時期尚早。

 先ずは国民が「天皇とは何か」という天皇日本の歴史の中で果たして来られた役割や、天皇の在り方を学ぶべきである。

 祭儀や国事行為など、陛下の激務の御苦労を理解していない故に、亀井の様な不敬な発言や陛下を政治利用しようとする輩は断じて容認出来ない。

cordial8317 at 08:43|Permalink

2010年01月17日

捕鯨問題を考える

 シーシェパードの反捕鯨の活動は白豪主義による人種差別で、オーストラリア人がスポーツハンティングと称してアボリジニを虐殺したのと同じ日本人否定の人種差別活動。こうした偽善の環境保護団体はテロリストと断定し駆逐するべきである。

 我が国の食料自給率は39%で、これは危機的水準だと言うことは誰もが知るところだ。この数値は食料安保の視点からも大変問題のある状況で、食料自給率の改善に繋がる問題として「捕鯨問題」は重要なのである。

 日本が調査捕鯨を継続している背景には、「鯨は将来の人類の重要なタンパク源になる」という考えもあり、小さなミンク鯨1頭で牛7頭分のタンパク質が採れるといい、鯨を家庭の食卓に戻すことが、食料自給率の改善に繋がるのだ。

 地球上の鯨類が年間に捕食する魚類の総量は2億5千万トン~4億トンだという。一方、地球上の漁師の漁獲量は約1億トンしかない中で鯨被害は続いてる。

「鯨飲馬食」と言われるほどに食欲旺盛な鯨類が増え過ぎれば、人間が食料にしている水産資源も脅かされる事となろう。余計な鯨を駆逐するのは 当然だろう。

 日本で商業捕鯨が本格的に始まったのは江戸時代の初期の1606年のことで、紀州の太地で開始された商業捕鯨はやがて全国に広まり、それと共に鯨を食する習慣も全国に広まった。

 松尾芭蕉の句に「水無月や 鯛はあれども 塩鯨」というものがあるが、塩付けされた鯨の肉は江戸庶民の大切なタンパク源で、大衆食として愛された。

 19世紀初頭には「鯨肉調理方」という本が出版されているが、鯨食というのはそれだけ普及していたのである。正しく鯨食は日本文化そのものである。

 今でも、北海道や東北では正月に「鯨汁」を食しているし、「ハリハリ鍋」にしている地域もあるし、大阪のおでんにはコロ、サエズリ、オノミといった具がある。

 反捕鯨の連中は、鯨食を「ゲテモノ」扱いしたり、「戦中戦後の食糧難時代に止むを得ず広まったもの」だとか、或いは遠洋漁業は「鯨油を採る目的だ」などと愚にも付かない反論をしている。

 それは、欧米の捕鯨が皮だけ剥いで鯨油のみを採るやり方だから、それと勘違いしているものが実に多く、こうした考えも白人優位主義に因るものだ。

 日本は単に食するだけではなく、鯨の髭は文楽の人形に使い、骨は櫛などの工芸品となっている。漁師達は鯨塚を作り供養も行っていたし、捕鯨問題の背景には、こういった日本の伝統的鯨文化の問題も有り、反捕鯨は日本文化の否定である。

 多少波風が立とうが、日本の主張はするべきで、何でも「協調」しようとか「友愛」だとかの軟弱な姿勢は日本の将来を危うくするもので、捕鯨問題は日本にとって重要な問題なのである。

cordial8317 at 07:45|Permalink

天網恢恢疎にして漏らさず

 東京地検は「政治資金規正法は議会制民主主義の根幹を成す法律。政治資金の実態を偽ることは、国民を欺いて政治判断を歪めることに他ならない」と強調していただけに今回の逮捕は当然だろう。

 それに対し小沢は検察との全面対決を表明し、党大会で「何ら不正な金は使っていない。積み立ててきた個人の資金だ」と説明した様だが、何故預金を担保に融資を受けなければならなかったのか。

 預金が有るなら、それで購入すれば良いだけで、何も利息を払ってまで融資を受ける必要はない。やはりそこには「マネーロンダリング」せざるを得ない、怪しい金の存在が有ったのだろう。

 鳩山が小沢に対し「どうぞ戦って下さい」と言ったらしいが、民主党が真剣に政権運営に臨むので有れば、小沢に幹事長辞任を進言すべきであろう。

 しかし民主党は、自己保身、権力欲、偽善者の烏合の衆ばかりで、苦言を呈する気骨ある議員はおらず、国民には「自浄能力の無さ」「政権担当能力の無さ」を露呈するばかりだ。

『秘書の罪は議員の罪』と厳しく追求してきた鳩山も先日の処分の際に、『私服を肥やしたり不正な利得を受けたりした訳ではない』などと言い訳していた。

 だが、小沢も『私自身が収賄罪等犯罪に手を染めているならどのような捜査でも処罰でも甘んじて受けるが、そういう事実はない』と宣い、両人とも自分自身には相当甘い様だ。鳩山や小沢が政治家の椅子に固執すればするほど、国民の民主党離れは進むだろう。

 政治資金規正法違反は公職選挙法とは違い「連座制」が適用されないが、今回の事件を教訓に政治資金規正法違反にも「連座制」の適用を検討するべき。 

 福沢諭吉の『学問のすすめ』には「政治家や役人や大企業の人間が威張るのは、そうさせることによって儲けた人々がいるからであり、これは双方とも高尚な生き方とは反対の生き方をした人が招いたことである」と述べている。

 民主党を支持した国民は、責任を持って不正に苦言を呈すべきで、政治家自身も「政治とは最高の倫理であり、最高の道徳ある」と肝に銘じ滅私奉公すべきである。

 小沢は「政治家が隗(カイ)より始めよ!」との言葉が好きで度々使っているが、「隗より始めよ」とは、遠大な事をするには手近なことから始めよという「戦国策燕策」にある郭隗の故事である。

 一連の事件に絡み、秘書に総ての責任を押し付け逃げ切れると思ってる高を括っている様だが、政治家として「秘書の責任は私が負う」と一言が言えないのだろう。

「隗より始めよ」との言葉が実に白々しく感じる。金銭欲、権力欲への異常な執着を見せる小沢に一国のリーダーたる器量はない。検察は圧力に屈することなく、小沢の宣戦布告に堂々と立ち向かい、不正を断罪し、正義を示して欲しいものだ。

 天網恢恢疎にして漏らさず!

cordial8317 at 07:33|Permalink

2010年01月15日

横義横行(おうぎおうこう)の勧め

 昨日は新宿まで、物心両面で御支援頂いている大手警備会社の会長に新年の挨拶に出掛けた。毎回示唆に富んだ話をしてくれるが、何といっても圧倒的な存在感で、パワーを頂けるのが有難い。

「人間の財産と言うものは、いざと言う時に自分を支えてくれる人で有ると同時に各自が目指す目標実現の為の知恵袋である」という言葉が有るが、そんな人物に出会えたことに感謝している。

 この方に支援頂く様になったのは、その昔、横山武彦という右翼浪人と全国行脚の放浪の旅をしたのがきっかけだ。正しく人生とは邂逅である。

「横議横行」という言葉がある。辞書には「勝手に論ずる」とか「勝手気儘に歩く」という意味が書かれている。自由気儘に歩き回ることが禁止されていた幕藩体制下に横議横行を勧め「脱藩せよ」と叫んだのが吉田松陰だった。

「一君万民論」を唱え近代国民国家を志向した魁であり、そこから「草莽屈起論」を導いた。 つまり、天皇=一君と国民という関係を構築するため封建制度を打破すべく脱藩し、一草莽たれと訴えたのである。結果、意志の高い下級武士等が脱藩し「志士」として維新を実現させたのだ。

 横議横行を実践した人物として最も有名なのは坂本竜馬だろう。時代の寵児として活躍した人物の共通の特徴は「言葉」が違うことである。大衆の心を引き付けたりするのは「言葉」を以て他に無い。

 土佐の町人郷士の次男に生まれた坂本竜馬は正に「言葉の達人」だった。彼が幕閣とも勤王の志士とも通じ、後には薩長連合の仕掛け人として、明治維新を豪腕で引き寄せた立役者足り得たのは、説得の技術、つまりは言葉の豊かさによるものである。

 更にもう一つは、彼が「歩く人」であったことだ。交通の不便だった時代に、実に驚く距離を行き来している。 放浪の旅や、家を飛び出し、多くの人と顔を突き合わせ横議横行することは実に大切なことなのだ。

 唯、話をするにも先ずは一献これは更に大事で、腹を割って忌憚無く喋れるには、酒は貴重な存在である。 坂本竜馬は『酒は呑むべし酒は呑むべし人生唯酒ありて肝を開く酔中の快楽人知るなし』という。

 吉田松陰はこう教える「花柳詩酒に陥る如きは真の道に志す者の必ず暇あらざる所なり」。松陰先生というのはチョッと堅物過ぎる(笑)

「数々の過失は酒と共にあり その酒抱きて今日も堕ちなん」とは、最後の浪人と言われた阿部勉の詩だが、愚生にはこの詩が一番合っている。

cordial8317 at 08:46|PermalinkComments(0)

2010年01月14日

「併合時の日本政府から朝鮮総督府への通達 」と「脱亜論」

「併合時の日本政府から朝鮮総督府への通達」というものが在る。真贋は兎も角として朝鮮人との付き合い方を分かり易く示したもので、実に正鵠を射ている。

一、朝鮮人は対等の関係を結ぶという概念がないので、常に我々が優越する立場であることを認識させるよう心がけること。

一、朝鮮人には絶対に謝罪してはいけない。勝利と誤認し居丈高になる気質があり、後日に至るまで金品を強請さるの他、惨禍を招く原因となる。

一、朝鮮人は恩義に感じるということがないため、恩は掛け捨てと思い情を移さぬこと。

一、朝鮮人は裕福温厚なる態度を示してはならない。与し易しと思い強盗詐欺を企てる習癖がある。

一、朝鮮人は所有の概念について著しく無知であり理解せず、金品等他者の私物を無断借用し返却せざること多し。殊に日本人を相手とせる窃盗を英雄的行為と考える向きあり、重々注意せよ。

一、朝鮮人は虚言を弄する習癖があるので絶対に信用せぬこと。公に証言させる場合は必ず証拠を提示させること。

一、朝鮮人と商取引を行う際には正当なる取引はまず成立せぬことを覚悟すべし。

一、朝鮮人は盗癖があるので金品貴重品は決して管理させてはいけない。

一、朝鮮人には日常的に叱責し決して賞賛せぬこと。

一、朝鮮人を叱責する際は証拠を提示し、怒声大音声をもって喝破せよ。

一、朝鮮人は正当なる措置であっても利害を損ねた場合、恨みに思い後日徒党を組み復讐争議する習癖があるので、最寄の官公署特に警察司法との密接なる関係を示し威嚇すること。

一、朝鮮人とは会見する場合相手方より大人数で臨む事。

一、朝鮮人との争議に際しては弁護士等権威ある称号を詐称せる者を同道せる場合がある。 権威称号を称する同道者については関係各所への身元照会を徹底すべし。

一、朝鮮人は不当争議に屈せぬ場合、しばしば類縁にまで暴行を働くので関係する折には親類知人に至るまで注意を徹底させること。特に婦女子の身辺貞操には注意せよ。

一、朝鮮人の差別、歴史認識等の暴言に決して怯まぬこと。証拠を挙げ大音声で論破し、沈黙せしめよ。

一、朝鮮人との係争中は戸締りを厳重にすべし。仲間を語らい暴行殺害を企てている場合が大半であるので、呼出には決して応じてはならない。


 福沢諭吉 『脱亜論』 にはこう在る。

 日本の不幸は中国と朝鮮である。
この二国の人々も日本人と同じく漢字文化圏に属し、同じ古典を共有しているが、
もともと人種的に異なるのか、教育に差があるのか、
日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。
 情報がこれほど早く行き来する時代にあって、
近代文明や国際法について知りながら、
過去に拘り続ける中国・朝鮮の精神は千年前と違わない。
国際的な紛争の場面でも「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。
 最早、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。
「東アジア共同体」の一員として
その繁栄に与ってくれるなどという幻想は捨てるべきである。
日本は、大陸や半島との関係を絶ち、 欧米と共に進まなければならない。
ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならない。
 この二国に対しても、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。
悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。
私は気持ちにおいては「東アジア」の悪友と絶交するものである。

 福沢諭吉「脱亜論」(明治18年)全文 http://www.jca.apc.org/kyoukasyo_saiban/datua2.html

 昔の政治家は立派だ。それに引替え今の政治家の為体は著しい。支那の走狗と化し、朝鮮人と支那人に参政権を与えようとは狂気の沙汰である。恥を知れ!

cordial8317 at 18:05|Permalink

テロルのススメ

 大津事件(おおつじけん)を知っていますか。

 明治24年(1891年)5月11日に日本を訪問中のロシア帝国の皇太子・ニコライ(後のニコライ2世)が、滋賀県大津市で警備にあたっていた巡査・津田三蔵に突然斬りかかられ負傷した暗殺未遂事件だ。 

 以前からロシアの北方諸島などに関しての強硬な姿勢や、日本への高慢な態度を快く思っていなかった津田は、ニコライが日本を訪問する際の警備に就くことになる。

 京都から琵琶湖への日帰り観光からの帰り道、ニコライ、ギリシャ王国王子・ゲオルギオス、有栖川宮威仁親王と共に大津市街を通過中、警備中の滋賀県警巡査の津田三蔵が突然サーベルを抜いて斬りかかり、ニコライを負傷させたのである。

 今、日本で最大の国賊と化した小沢一郎に天誅を与えたいと思ってる市井の臣は多いと思う。しかし、小沢に限らず国会議員の要人に対する警備は過剰で、テロは疎か野次さえも飛ばせない状況だ。

 この過剰警備が、政治家が真剣に政治をやらなくなった原因であると言っても過言ではない。滅私奉公を忘れ、私利私欲に狂奔すれば暗殺されるという恐怖が無いから、小沢の様な金銭欲、権力欲に異常な執念を燃やす輩が増えるのである。

 政治家の警備に当たるSPはその昔、大日本愛国党の書記長だった筆保泰禎氏が、佐藤栄作の葬儀の際に葬儀委員長の三木総理を殴打した事件を契機に発足した。

 あわや浅沼稲次郎暗殺を彷彿させたが、筆保氏は「容共的な三木に猛省を促すのが目的だった」と述べている。

 筆保氏と生前、一献した際にこの事件の逸話を聞いたことがある。筆保氏が三木を殴打した際に、三木が発した言葉は「犯人はコイツだ」と言ったそうだ。

 昔なら「話せば分かる」とか「男子の本懐」ってなことになるのだろうが、三木の小物ぶりを示すものだろう。筆保氏曰く「右翼も小さくなったが、政治家はもっと小者になった」

 この小者になった政治家を物々しく警備をするから小者の政治家は、自分が大物にでもなったと勘違いするのだ。右翼は勿論、市井の徒でも政治家に対するテロ行為が無理な今、期待するのは津田三蔵の様な警察官の出現である。

cordial8317 at 06:07|Permalink

徒然なるままに

 吉田兼好の『徒然草』が好きで時々出しては読み耽っている。 人の世は常に欲望の社会だが、吉田兼好はこう曰はす。

「名利に使われて、閑かなる暇もなく、一生を苦しむこそ、愚かなれ。財多ければ、身を守るにまどし。害を買い、累を招く媒なり。身の後には、金をして北斗をささふとも、人のためにぞわづらはさるべき。愚かなる人の目をよろこばしむる楽しみ、またあぢきなし。利に惑ふは、すぐれて愚かなる人なり」(三十八段)

 世俗的な名声とか地位とか財産とかに身も心も使われて、心静かにゆったりと生活を楽しむ余裕もなく、一生あくせくと暮らすなど実に愚かなことである。

 財産が多いとそれだけ身を守らねばならず、面倒な煩いを招くもととなる。例え死んだ後でも残された遺族たちは財産分与で揉めるだけだ。

 そんな愚かな人々の為に自慢したところで、それもまたつまらないことだ。利欲に惑うことは最も愚かな人である。

「まことの人は、智もなく、徳もなく、功もなく、名もなし。誰か知り、誰か伝えん。これ徳をかくし、愚を守るにあらず。本より賢愚・得失の境にをらざればなり」(同段)

 要するに「まことの人」とは、世間に対して知恵や徳や功績を誇ることなどしないので、世間では誰が本物の人であるかは判らない。だから伝えることも出来ない。

 本当に立派な人というのはそういったことを隠し、元々損得とか名声などとは関係ない処にいて、ただただ己の精神の充足を求めているにすぎないというのである。

 下品な人、無遠慮な人、知ったかぶりをした自己顕示欲の強い人は教養のない人と説くのである。只管利欲を求め、長寿だけを願って何になるのか。そういう人は人生の何たるかを知らないのだ。

 人生とは結果ではなく「如何に生きるか」のその経緯が大事なのである。

 兼好の様に、職を辞し精神の自由を求めれば生活は困窮する。暮らしを楽にしようとすれば心が拘束される。 しがない右翼浪人だが、せめて精神だけは兼好の様に自由でありたいと思う。

cordial8317 at 05:02|Permalink

2010年01月11日

除籍通知と平成の右翼

 運動方針の違いと組織の維持に対する違いから、30年所属していた団体を辞めたのは先日の日記で書いた通りだ。

 除籍通知が出され、それに何やら、次の様なこと書かれていたらしい・・・ 「右の者、民族活動家として上下の礼節を弁えず・・・理由は如何を問わず交友等は一切堅くお断りします」。

 除籍通知を出される謂れもないし、民族活動家として恥じることは一つもない。

 頭山翁がその昔、社内の暗闘の際「そんなケチ臭いことでは将来の志業に大害あり」と憂いたというが、流石は大物である。国士とは斯く在りたいものである。

  『世の人は我を何とも言わばいへ 我が成す事は我がのみぞ知る』(坂本龍馬)

 警察庁が把握している国内の右翼団体は現在、約900団体に上るという。

 御多分に漏れず、右翼の世界も「玉石混交」であるから、数ある団体の中には街宣車に日の丸を立てて、軍歌を流すだけの団体も在ったり、街宣車を強請り、集りの道具として使用してる自称右翼も少なくない。

 世間の嘲笑や侮蔑に耐えつつも皇室の弥栄を祈り、国の行く末を憂う「純正右翼」「本流右翼」は、一体どの位存在するのか。

 右翼団体の草分けは玄洋社である。頭山満翁らは明治12年、向陽社を設立したが社内の暗闘を知った頭山翁は向陽社を発展的に解消し、「玄洋社」に改め組織を再編した。

玄洋社憲則
第一条 皇室を敬載す可し
第二条 本国を愛重す可し
第三条 人民の権利を固守す可し

 昭和21年1月4日、GHQは所謂、超国家主義者団体の解散令を出した。荒原牧水の「大右翼史」に拠れば、終戦時の右翼は350団体、このうち追放、解散令を受けたのは210団体に及ぶという。

 この中には福田素顕翁の「皇道日報社(現、防共新聞社)」も、玄洋社同様一切の活動を禁じられた。この福田素顕翁は「愛国者は国民の模範的人物にして、指導者たれ」との言葉を残してこの世を去った。

 民族派、右翼を自称する者の中で果たして何人が「国民の模範」と胸を張ることが出来ようか。野村秋介大人は「他を批判する者、先ず自らに峻烈でなくてはならない」と訓える。

 我が胸に手を当て自省してみれば、忸怩たる思いに駆られるが「国民の模範」に成れないまでも、塵の中でもキラリと光彩を放てる右翼浪人に成りたいものだ。

cordial8317 at 09:14|Permalink

2010年01月08日

『ブログ開設記念』行動右翼から右翼浪人へ

 国士舘大学時代に右翼団体・防共挺身隊(以下防挺)に入隊した。防挺といえば、戦後、大日本愛国党と並び行動右翼として、右翼・民族派運動に大きな役割を担ってきた団体だ。詳細はウィキペディアを参照して頂けたら幸いです。

 政治に興味を抱いたのは中学時代。親父が町会議員や衆議院議員(故・天野光晴)の秘書の様な事をやったいた影響と、担任、副担任とも日教組だった事が大きく影響していると思う。親父が持ってくる「月刊自由民主」という雑誌を貪る様に読んで、辿り着いた正義感は「右翼思想」だった。

 高校は地元の二本松工業高校で、当時は進学するなど考えもしていないし、土方の監督か「前略おふくろ様」の影響で板前にでもなろうと思っていた。

 進学に傾いたのは、担任が自分だけには就職を世話しないし、シャレで受けた福島県警も不合格だったし、ならば成績は悪くは無かったので大学を「推薦」して貰って4年間遊びながら将来を考えれば良いかなんて思っていた。

 そんな矢先、国防青年隊隊員で国士舘大学の3年生H氏による大平総理テロ未遂事件が有り、直ぐこの国士舘大学への推薦を願い出た。

 しかし、即却下され「地元の日大なら」ということになった。しかし、日頃父から「田舎で勉強するより、都会で昼寝しろ」と教わっていたので、地元の大学には行く気もなく、しつこく担任に国士舘大学の推薦をするよう迫ってた。

 暫くして先生も根負けしたのか「坊主にしたら」という条件で推薦してくれることになった。先生にしてみりゃ絶対坊主にはしないだろうという思惑があったのだろうが、翌日五厘に刈り上げ挨拶行ったら無言で書類を作成してくれたのを思い出す。

 合格し、先生方に報告に行ったら、言われたことは「五郎、右翼にだけは入るなよ!」(爆)  

 爾来30年、微力ではあるが愛国活動に邁進し「右翼の良識」と言われたりもしたが、力及ばず、昨年、永年共に行動してきた盟友と袂を分つた。

 その盟友も昨年末、幽明界を異にした。今後は、正統右翼浪人として「晴耕雨読」の生き方を全うしたいと思っている。

 昨今、新保守主義を掲げる学者や評論家の言動が持て囃されてはいるが、その「保守」に「尊皇」はない。彼等が「保守」したいのは、自民党や民主党の体制なのだ。反中共、反北朝鮮と耳障りの良いことを言ってるだけで、本音とも思えない。

 保守主義を否定する訳ではないが、尊皇無き保守では米国や英国の保守政党、保守主義と何等変りは無いのだ。そんな中で、右翼・民族派の存在価値は年々無くなってきている様に感じるが、それは右翼人自身に問題が有る様な気がしてならない。

 思想は乏しく、考えていることは「シノギ」ばかり。久しぶりに相対しても「どう、景気は」・・・だが、悲観はしていない。必ずや、この混迷、停滞から脱却し、天皇国日本を磐石の安きに導いてくれる「国士」は出現するだろうから。

 右翼・民族派諸氏は原点に戻り、研鑽を積み、テロを担保しつつ行動を続け、言論活動にも励み啓蒙活動をして貰いたいものだ。

「自己犠牲に達しない思想は卑しい思想である」(三島由紀夫)

cordial8317 at 06:56|Permalink