2010年01月14日

「併合時の日本政府から朝鮮総督府への通達 」と「脱亜論」

 「併合時の日本政府から朝鮮総督府への通達」というものが在る。真贋は兎も角、朝鮮人との付き合い方を分かり易く示したもので、実に正鵠を射ている。

一、朝鮮人は対等の関係を結ぶという概念がないので、常に我々が優越する立場であることを認識させるよう心がけること。

一、朝鮮人には絶対に謝罪してはいけない。勝利と誤認し居丈高になる気質があり、後日に至るまで金品を強請さるの他、惨禍を招く原因となる。

一、朝鮮人は恩義に感じるということがないため、恩は掛け捨てと思い情を移さぬこと。

一、朝鮮人は裕福温厚なる態度を示してはならない。与し易しと思い強盗詐欺を企てる習癖がある。

一、朝鮮人は所有の概念について著しく無知であり理解せず、金品等他者の私物を無断借用し返却せざること多し。殊に日本人を相手とせる窃盗を英雄的行為と考える向きあり、重々注意せよ。

一、朝鮮人は虚言を弄する習癖があるので絶対に信用せぬこと。公に証言させる場合は必ず証拠を提示させること。

一、朝鮮人と商取引を行う際には正当なる取引はまず成立せぬことを覚悟すべし。

一、朝鮮人は盗癖があるので金品貴重品は決して管理させてはいけない。

一、朝鮮人には日常的に叱責し決して賞賛せぬこと。

一、朝鮮人を叱責する際は証拠を提示し、怒声大音声をもって喝破せよ。

一、朝鮮人は正当なる措置であっても利害を損ねた場合、恨みに思い後日徒党を組み復讐争議する習癖があるので、最寄の官公署特に警察司法との密接なる関係を示し威嚇すること。

一、朝鮮人とは会見する場合相手方より大人数で臨む事。

一、朝鮮人との争議に際しては弁護士等権威ある称号を詐称せる者を同道せる場合がある。 権威称号を称する同道者については関係各所への身元照会を徹底すべし。

一、朝鮮人は不当争議に屈せぬ場合、しばしば類縁にまで暴行を働くので関係する折には親類知人に至るまで注意を徹底させること。特に婦女子の身辺貞操には注意せよ。

一、朝鮮人の差別、歴史認識等の暴言に決して怯まぬこと。証拠を挙げ大音声で論破し、沈黙せしめよ。

一、朝鮮人との係争中は戸締りを厳重にすべし。仲間を語らい暴行殺害を企てている場合が大半であるので、呼出には決して応じてはならない。


 福沢諭吉 『脱亜論』 にはこう在る。

 日本の不幸は中国と朝鮮である。この二国の人々も日本人と同じく漢字文化圏に属し、同じ古典を共有しているが、 もともと人種的に異なるのか、教育に差があるのか、 日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。

 情報がこれほど早く行き来する時代にあって、近代文明や国際法について知りながら、過去に拘り続ける中国・朝鮮の精神は千年前と違わない。国際的な紛争の場面でも「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。

 最早、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。「東アジア共同体」の一員として その繁栄に与ってくれるなどという幻想は捨てるべきである。 日本は、大陸や半島との関係を絶ち、 欧米と共に進まなければならない。ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならない。
 
 この二国に対しても、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。私は気持ちにおいては「東アジア」の悪友と絶交するものである。

 福沢諭吉 「脱亜論」(明治18年)

 「脱亜論」全文 

http://www.jca.apc.org/kyoukasyo_saiban/datua2.html

 昔の政治家は立派だ。それに引替え今の政治家は何を考えているのやら。支那の走狗と化し、朝鮮人と支那人に参政権を与えようとは狂気の沙汰である。恥を知れ!!!



cordial8317 at 18:05|Permalink

テロルのススメ



 大津事件(おおつじけん)を知っていますか。

 明治24年(1891年)5月11日に日本を訪問中のロシア帝国の皇太子・ニコライ(後のニコライ2世)が、滋賀県大津市で警備にあたっていた巡査・津田三蔵に突然斬りかかられ負傷した暗殺未遂事件だ。 

 以前からロシアの北方諸島などに関しての強硬な姿勢や、日本への高慢な態度を快く思っていなかった津田は、ニコライが日本を訪問する際の警備に就くことになる。京都から琵琶湖への日帰り観光からの帰り道、ニコライ、ギリシャ王国王子・ゲオルギオス、有栖川宮威仁親王と共に大津市街を通過中、警備中の滋賀県警巡査の津田三蔵が突然サーベルを抜いて斬りかかり、ニコライを負傷させたのである。

 今、日本で最大の国賊と化した小沢一郎に天誅を与えたいと思ってる市井の臣は多いと思う。しかし、小沢に限らず国会議員の要人に対する警備は過剰で、テロは疎か野次さえも飛ばせない状況だ。この過剰警備が、政治家が真剣に政治をやらなくなった原因であると言っても過言ではない。滅私奉公を忘れ、私利私欲に狂奔すれば暗殺されるという恐怖が無いから、小沢の様な金銭欲、権力欲に異常な執念を燃やす輩が増えるのである。

 この政治家の警備に当たるSPは、その昔、大日本愛国党の書記長だった筆保泰禎氏が、佐藤栄作の葬儀の際に葬儀委員長の三木総理を殴打した事件を契機に出来たものだ。あわや浅沼稲次郎暗殺を彷彿させたが、筆保氏は「容共的な三木に猛省を促すのが目的だった」と述べている。

 筆保氏と生前、一献する機会が有ったので、この事件の逸話を聞いたことがある。筆保氏が三木を殴打した際に、三木が発した言葉は「犯人はコイツだ」と言ったそうだ。昔なら「話せば分かる」とか「男子の本懐」ってなことになるのだろうが、三木の小物ぶりを示すものだろう。筆保氏曰く「右翼も小さくなったが、政治家はもっと小者になった」

 この小者になった政治家を物々しく警備をするから小者の政治家は、自分が大物にでもなったと勘違いするのだ。右翼は勿論、市井の徒でも政治家に対するテロ行為が無理な今、期待するのは津田三蔵の様な警察官の出現である。

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cordial8317 at 06:07|Permalink

徒然なるままに

 『徒然草』が好きで時々出しては読み耽っている。

 人の世は常に欲望の社会だが、吉田兼好はこう曰はす。

 「名利に使われて、閑かなる暇もなく、一生を苦しむこそ、愚かなれ。財多ければ、身を守るにまどし。害を買い、累を招く媒なり。身の後には、金をして北斗をささふとも、人のためにぞわづらはさるべき。愚かなる人の目をよろこばしむる楽しみ、またあぢきなし。利に惑ふは、すぐれて愚かなる人なり」(三十八段)

 世俗的な名声とか地位とか財産とかに身も心も使われて、心静かにゆったりと生活を楽しむ余裕もなく、一生あくせくと暮らすなど実に愚かなことである。

 財産が多いとそれだけ身を守らねばならず、面倒な煩いを招くもととなる。例え死んだ後でも残された遺族たちは財産分与で揉めるだけだ。

 そんな愚かな人々の為に自慢したところで、それもまたつまらないことだ。利欲に惑うことは最も愚かな人である。

 「まことの人は、智もなく、徳もなく、功もなく、名もなし。誰か知り、誰か伝えん。これ徳をかくし、愚を守るにあらず。本より賢愚・得失の境にをらざればなり」(同段)

 要するに「まことの人」とは、世間に対して知恵や徳や功績を誇ることなどしないので、世間では誰が本物の人であるかは判らない。だから伝えることも出来ない。

 本当に立派な人というのはそういったことを隠し、元々損得とか名声などとは関係ない処にいて、ただただ己の精神の充足を求めているにすぎないというのである。

 下品な人、無遠慮な人、知ったかぶりをした自己顕示欲の強い人は教養のない人と説くのである。

 只管利欲を求め、長寿だけを願って何になるのか。そういう人は人生の何たるかを知らないのだ。

 人生とは結果ではなく「如何に生きるか」のその経緯が大事なのである。

 兼好の様に、職を辞し精神の自由を求めれば生活は困窮する。暮らしを楽にしようとすれば心が拘束される。
しがない右翼浪人だが、せめて精神だけは兼好の様に自由でありたいと思う。

cordial8317 at 05:02|Permalink

2010年01月13日

「通名」使用を禁止せよ!

 鳩山が永住外国人への参政権付与法案を今度の通常国会に政府提案するというが、狂気の沙汰と言う外ない。その理由も「日韓併合百年というタイミングでもある」と詭弁を弄しているが、党内の意見も国民の理解を得られないと、マニュフェストへの記載を見送った筈の政策を何故強行に提出しようというのか。マニュフェストの目玉だった「子供手当て」や「高速道路の無料化」「暫定税率の廃止」という国民との約束を反古にして措きながら、参政権の付与、夫婦別姓の成立への異常な姿こそが民主党の正体であろう。

 「参政権付与」「夫婦別姓」成立の後は、慰安婦への「戦時性的強制被害者法案」や靖国神社に代わる「国立戦没者追悼施設」の建立やら「外国人住民基本法案」「人権救済機関設置」「日教組主導の教育政策の実施」と国民へ知らせなかった反日的基本政策の成立を急ぎ、正に選挙公約だった「政権交代で日本を変える」という大目標を達成しようとするのだろうが、断じて阻止せねばなるまい。

 話を戻すが、日本に寄生しながら、反日的な発言や行動を繰り返す「在日朝鮮人」は自分達の素性が明かされる事に、恐怖と後ろめたさを持つ様だ。『通名』で通すのは、日本人に成りすました方が悪さするのも便利で、疚しい事が多過ぎるから本名を名乗れないのだけなのだが、その理由を『自分達が「在日朝鮮人」であるとカミングアウトし辛いのは、差別意識を持つ日本人にこそ問題があるからだ』と必ず責任転嫁する。

 そりゃ嫌われるのも当たり前で、自分達は「強制連行された」と嘘を吐き通し、だから特別待遇されて当然で、それをしない日本は「差別だ!」と宣う。「日本人」のフリをしているが、彼等は「韓国籍」を持つ由緒正しいガイジンなのだ。そこを彼等も日本人も弁えるべきだろう。外国人が日本人と全く同等の権利を主張するなど、有り得ない事なのだ。しかし、彼等「在日朝鮮人」は違う。日本に住まわせて貰っている事への感謝もせず、「生活保護をヨコセ」「参政権もヨコセ」等々、理不尽な権利ばかりを要求する。挙句、その要求が適わなかったら「差別だ」「強制連行だ」と騒ぎ立てるのは常套手段で、やりたい放題し放題。

 戦後、日本は「在日朝鮮人」に対して、あまりにも対応が甘くあらゆる特権を与え過ぎた様だ。

 民主党や公明党、社民党の売国議員共が、永住外国人への「参政権」を与えようと数の力で強行突破を図るというなら、我々も最大限の抵抗は惜しまないが、参政権付与の前に、先ずは「在日朝鮮人」も「支那人」も普通の外国人として取り扱うべきで、日本人とチョーセンジン、シナジンの区別を付ける為にも、先ず『通名』の使用を禁止させるべきである。

 『通名禁止法案』を成立させよう!



cordial8317 at 09:02|Permalink

2010年01月12日

危険を孕んだ参政権付与問題

 大正15年、普通選挙法が施行され25歳以上の全ての男子日本国民に選挙権が与えられるようになり、日本本土に在住する朝鮮人にも日本国民として平等に与えられた。

 昭和7年の衆議院選挙には東京4区から朝鮮出身の朴春琴が立候補し当選した。選挙区には朝鮮から出稼ぎに来ていた人達が多かったとはいえ有権者数の1.5%にも満たない数で、多くの日本人が投票したことが分かる。

 投票の表記にハングルで書かれたものも有効と認められていたが「植民地」の文字が宗主国の選挙で使用を認められたのは当時世界で唯一であった。この様に、戦前の朝鮮人に対する偏見、差別はよく言われている様なものではなかったことが理解出来る。

 朴春琴は昭和12年の選挙でも再び当選している。尚、貴族院は華族と勅撰議員(天皇陛下から指名された議員)で構成されていたが、朝鮮人の華族、勅撰議員が何人もいた。更に付け加えると「創始改名」が行われてからも、彼等は日本名に改名していない。このことでも創始改名が強制ではなかったことの証拠だろう。

 最近問題となっている「外国人参政権」だが、これを推進する在日韓国居留民団は「あの日帝の支配下においてすら参政権が認められていたのに、現在認められないのは時代錯誤だ」とホザいているが、二重に意味で見当外れである。

 一つは、彼等が非難して止まない差別と弾圧の日帝支配なるものは、寧ろその逆であり、世界に例を見ない極めて公平で平等な制度であったということである。何しろ、日韓併合時に100校程しかなかった小学校を昭和17年には4945校に、中学以上の学校を470校に迄増やしているが、これが差別であり弾圧で有る筈がない。

 二つ目は何故戦前に在日朝鮮人に選挙権が与えられていたのか?理由は明白で、彼等は「日本人」だったからである。現在も執拗に参政権を求めるなら、日本に帰化をして日本人になれば良いだけの話でので、そうすれば、何の制限差別もなく、100%の参政権が与えられる。それが出来ないのであれば、日本人に成り済ます「通名」を止め、堂々と朝鮮人の本名を名乗るべきだ。

 外国人への参政権付与は「在日」が大半を占める「特別永住者」だけではなく、一般の永住者も選挙権の対象とされている。そうなれば「在日」のみならず、支那人永住者にも付与されることとなるが、この点は殆ど議論されておらず、非常に深刻な問題を孕んでいるのだ。

 というのも「在日」が大半をしめる「特別永住者」は年々減少し続け、その減少傾向が止まらないのに対して、支那人「一般永住者」は急増している。在日韓国人の殆どが日本国民と結婚し、その子供は総て日本国籍になっているのに比べ、支那人永住者の方は、留学生の増加などによって更に増加し、永住外国人の前提となる一般の在留外国人の登録者数は、今や韓国・朝鮮人の数を上回っている状況なのだ。

 外国人参政権付与問題は、支那人の移民問題にも繋がるもので、現在「在日」の問題になって隠れてしまってはいるが、近い将来必ず支那人問題になる大問題なのだ。参政権付与など、言語道断である!

cordial8317 at 11:03|Permalink

小沢の疑惑、枚挙に遑なし

 未だ多くの国民が小沢の怪しすぎる多くの疑惑に関し「説明責任を果たしていない」と思っているが、 これらの疑惑に未だにはっきりした説明責任を果たすことなく最高権力者としてしてやりたい放題なのだから世も末だ。

 小沢はその昔、政治献金に関して、自著で「まず、政治資金の出入りを1円に至るまで全面的に公開し流れを完全に透明にすることである」と書いた。しかし現実には、この時、既に小沢は西松建設のダミー会社から献金を受け取っていたと言うのだからフザけた話だ。献金問題で公設秘書が逮捕されると、「逮捕されただけで起訴されたんですか」と開き直り、「献金してくれるという方について、どういう所から出ているのかという類を聞くのは失礼なことですし詮索しない」と答え、秘書が起訴されると「なんで私が離党し、議員辞職しなければならないんですか」と気色ばんで、質問した女性記者を睨み付けた。

 小沢の疑惑は留まるところを知らず、福島県知事汚職で暗躍した北朝鮮系の国賊企業・水谷建設からの1億円の「裏献金疑惑」が持たれている。小沢の地元岩手県奥州市の胆沢ダムの工事に参入した水谷建設は「小沢氏秘書に5千万円ずつ1億円を手渡した」と供述しているが、事実だろう。しかし、この疑惑に対しても「まったくでたらめの報道で、事実は無い」と一蹴したが、国民の多くは納得はしていない。民主党の目玉政策で話題に上った八ッ場ダムの工事中止も、小沢に献金しなかった為の報復だと囁かれていたが、強ち間違いではあるまい。世田谷の土地購入問題以外にも、「都内の高級マンション購入疑惑」「岩手めんこいテレビ株主問題」群を抜く「個人資産」、更に新生、自由党の解党時に政治資金23億円余りを自分の政治団体へ移動したと言うが、こういうのをネコババと言うのだ。新生党結党時に、国から立法事務費として4億7970万円が支給され、自由党には政党交付金5億6096万円、立法事務費1億7550円が支給されているが、これらは全て国民の血税であり、国民に対する背任、横領、詐欺行為である。正に、小沢の疑惑は枚挙に暇なし。

 小沢が目指すものは、国よりも党、党よりも自分であり、最高権力者として「権力欲」と「金銭欲」の異常な執着だけしかない国賊である。

 天網恢恢疎にして漏らさず!


cordial8317 at 07:14|Permalink

2010年01月11日

除籍通知と平成の右翼

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 運動方針の違いと組織の維持に対する違いから、30年所属していた団体を辞めたのは先日の日記で書いた通りだ。除籍通知が出され、それに何やら、次の様なこと書かれていたらしい・・・ 「右の者、民族活動家として上下の礼節を弁えず・・・理由は如何を問わず交友等は一切堅くお断りします」。除籍通知を出される謂れもないし、民族活動家として恥じることは一つもない。

 頭山翁がその昔、社内の暗闘の際「そんなケチ臭いことでは将来の志業に大害あり」と憂いたというが、流石は大物である。国士とは斯く在りたいものである。

  『世の人は我を何とも言わばいへ 我が成す事は我がのみぞ知る』(坂本龍馬)

 警察庁が把握している国内の右翼団体は現在、約900団体に上るという。
御多分に漏れず、右翼の世界も「玉石混交」であるから、数ある団体の中には街宣車に日の丸を立てて、軍歌を流すだけの団体も在ったり、街宣車を強請り、集りの道具として使用してる自称右翼も少なくない。

 世間の嘲笑や侮蔑に耐えつつも皇室の弥栄を祈り、国の行く末を憂う「純正右翼」「本流右翼」は、一体どの位存在するのか。

 右翼団体の草分けは玄洋社である。頭山満翁らは明治12年、向陽社を設立したが社内の暗闘を知った頭山翁は向陽社を発展的に解消し、「玄洋社」に改め組織を再編した。

玄洋社憲則
第一条 皇室を敬載す可し
第二条 本国を愛重す可し
第三条 人民の権利を固守す可し

 昭和21年1月4日、GHQは所謂、超国家主義者団体の解散令を出した。荒原牧水の「大右翼史」に拠れば、終戦時の右翼は350団体、このうち追放、解散令を受けたのは210団体に及ぶという。この中には福田素顕翁の「皇道日報社(現、防共新聞社)」も、玄洋社同様一切の活動を禁じられた。この福田素顕翁は「愛国者は国民の模範的人物にして、指導者たれ」との言葉を残してこの世を去ったが、民族派、右翼を自称する者の中で果たして何人が「国民の模範」と胸を張ることが出来ようか。野村秋介大人は「他を批判する者、先ず自らに峻烈でなくてはならない」と訓える。

 我が胸に手を当て自省してみれば、忸怩たる思いに駆られるが「国民の模範」に成れないまでも、塵の中でもキラリと光彩を放てる右翼浪人に成りたいものだ。

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cordial8317 at 09:14|Permalink

2010年01月10日

右翼浪人としての覚悟

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 防共挺身隊(防挺)は、三菱重工でのべ平連との乱闘や日露漁業での糞闘事件等活躍は凄まじく「総会屋右翼」としても業界では有名だった。学生時代には株主総会に借り出されては「議事進行!」の掛け声を叫んでた。日当1万円。右翼活動の運動費は、企業からの寄付金で賄えると踏んで、就職活動もせず運動に専念していた。だが、大学4年の秋、思いもよらぬ商法の改正で活動そのものが岐路に立たされる。

 福田総隊長より各支部は独立採算の通達が有り、防挺は防共グループとして、各支部が単独団体になり、自分の所属していた羽田支部も「報国社」に名称変更した。その後、多くの隊員は就職したりバイトをしたり働き出したが「何で今更」との忸怩たる思いで、一念発起し帰省し団体を設立し活動をするに至る。

 爾来、働きもせず貧乏に呻吟しながらも活動を続けているが、未だ明るい兆しすらない。

 自分が、右翼活動家に至る要因は、中学時代の担任の高橋寅彦、副担任の遠藤四郎が。バリバリの日教組組合員で、その影響が大きく、副担任などは退職後に共産党の市会議員になったことでも理解出来るだろう。それを今になって、自分の境遇を嘆き、「こういった右翼難民を生んだのは国の政策が悪い」だとか、或いは国や行政に生活支援を求めるようなことは恥ずかしくて出来るものではない。

 「乞食に氏無し」というのも有るが、何事も、その者の心がけの悪さからなるものである。

 派遣村問題の報道を見ながら感じることは、ワーキングプアという乞食連中に小遣いを与え、住居を提供し、挙句は生活保護の大盤振る舞いしているが、働く気もない連中を宛も国の被害者扱いし、またそれを「可哀想」といって支援するなど、偽善以外の何物でもない。

 安易な生活支援がこの様な愚民を生む原因である。石原都知事が「実に甘えた話だ」と苦言を呈していたが、多くの国民もそう感じたに違いない。

 何でもむやみに貰いたがる賤しい根性を「乞食根性」と言うが、幾ら浪人右翼とはいえ此処まで賤しい人間にはなりたくないものだ。「乞食の朝謡(あさうたい)」という諺も有る様に、普通の人なら働き始めの忙しい朝の時間にも謡ってられる様に、派遣村の連中も自分も気楽な境遇なのだ。

 「乞食も三日すれば忘れられぬ」とも言うし、乞食は気楽で、三日もすればそれが忘れられなくなるし、悪習は染まり易く、改めるのは困難で、働く意欲の無い連中への生活支援など根本的な解決にはならない。

 その昔、横山武彦という破天荒な右翼浪人がいた。年は違うが、妙に馬が合った。その横山曰く「乞食でも本物は信用出来る」。インチキばかりが幅を利かす昨今、本物の右翼浪人で在りたいものだ。

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cordial8317 at 09:03|Permalink

2010年01月08日

『ブログ開設記念』行動右翼から右翼浪人へ

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 国士舘大学時代に右翼団体・防共挺身隊(以下防挺)に入隊した。防挺といえば、戦後、大日本愛国党と並び行動右翼として、右翼・民族派運動に大きな役割を担ってきた団体だ。詳細はウィキペディアを参照して頂けたら幸いです。

 政治に興味を抱いたのは中学時代。親父が町会議員や衆議院議員(故・天野光晴)の秘書の様な事をやったいた影響と、担任、副担任とも日教組だった事が大きく影響していると思う。親父が持ってくる「月刊自由民主」という雑誌を貪る様に読んで、辿り着いた正義感は「右翼思想」だった。

 高校は地元の二本松工業高校で、当時は進学するなど考えもしていないし、土方の監督か「前略おふくろ様」の影響で板前にでもなろうと思っていた。進学に傾いたのは、担任が自分だけには就職を世話しないし、シャレで受けた福島県警も不合格だったし、ならば成績は悪くは無かったので大学を「推薦」して貰って4年間遊びながら将来を考えれば良いかなんて思っていた。

 そんな矢先、国防青年隊隊員で国士舘大学の3年生H氏による大平総理テロ未遂事件が有り、直ぐこの国士舘大学への推薦を願い出た。しかし、即却下され「地元の日大なら」ということになった。しかし、日頃父から「田舎で勉強するより、都会で昼寝しろ」と教わっていたので、地元の大学には行く気もなく、しつこく担任に国士舘大学の推薦をするよう迫ってた。

 暫くして先生も根負けしたのか「坊主にしたら」という条件で推薦してくれることになった。先生にしてみりゃ絶対坊主にはしないだろうという思惑があったのだろうが、翌日五厘に刈り上げ挨拶行ったら無言で書類を作成してくれたのを思い出す。合格し、先生方に報告に行ったら、言われたことは「五郎、右翼にだけは入るなよ!」(爆)  

 爾来30年、微力ではあるが愛国活動に邁進し「右翼の良識」と言われたりもしたが、力及ばず、昨年、永年共に行動してきた盟友と袂を分つた。その盟友も昨年末、幽明界を異にした。今後は、正統右翼浪人として「晴耕雨読」の生き方を全うしたいと思っている。

 昨今、新保守主義を掲げる学者や評論家の言動が持て囃されてはいるが、その「保守」に「尊皇」はない。彼等が「保守」したいのは、自民党や民主党の体制なのだ。反中共、反北朝鮮と耳障りの良いことを言ってるだけで、本音とも思えない。

 保守主義を否定する訳ではないが、尊皇無き保守では米国や英国の保守政党、保守主義と何等変りは無いのだ。そんな中で、右翼・民族派の存在価値は年々無くなってきている様に感じるが、それは右翼人自身に問題が有る様な気がしてならない。思想は乏しく、考えていることは「シノギ」ばかり。久しぶりに相対しても「どう、景気は」・・・、しかし、悲観はしていない。必ずや、この混迷、停滞から脱却し、天皇国日本を磐石の安きに導いてくれる「国士」は出現するだろうから。

 右翼・民族派諸氏は原点に戻り、研鑽を積み、テロを担保しつつ行動を続け、言論活動にも励み啓蒙活動をして貰いたいものだ。

 「自己犠牲に達しない思想は卑しい思想である」(三島由紀夫)

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