2018年03月21日

「森友学園問題」と「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」との共通性

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「改竄(ざん)」とは文書の字句などを書き直してしまうことをいうが、普通は悪用する場合に使う。今回の森友問題で「本件の特殊性」との文言や政治家や明恵夫人の名前を削除したことが悪用だったとは思えない。

 先日、ネットで今回の森友学園の書き換え問題に対し「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」を思い浮かべるというような記事を見かけた。今回の問題をノーパンしゃぶしゃぶ店「楼蘭」事件とダブらせたのは愚生の方が早い(笑)

 ノーパンしゃぶしゃぶ事件はスキャンダルとかそういう類の問題ではなく、我が国の官僚機構が崩壊した象徴とも言える事件だった。

 過去には政治が如何に混迷しても超一流の官僚機構が「日本丸」の舵取りを巧くやってくれるという「神話」があったのも事実だったが、ノーパンしゃぶしゃぶ事件以来、官僚らが国を滅ぼす一大勢力になってしまった。

 ノーパンしゃぶしゃぶ事件が問題なのは「楼蘭」の顧客名簿に載っていた下劣な売国奴ともいうべきスケベ官僚共が、あの事件後も猛省もせずに国の重要ポストで登用され、国の舵取りや地方自治体の首長となっていたことだ。

 我が郡山市の市長・品川萬里も郵政省の官僚として「楼蘭」の顧客名簿に載ってた一人。スケベ官僚が東大出ということだけで評価され市政を担い「子本主義」などと宣ってることに疑問を感じている市民は少なくない。

 やることなすこと高飛車で反対派には高圧的で高慢な対応は目に余る。あの性格は糺せるものではなく、それよりも品川市長にはノーパンしゃぶしゃぶ店「楼蘭」はどんなとこだったのか詳しく聞きたいところだ(笑)

 先日、文科省の前川喜平元事務次官が名古屋市の公立中学校で講演(聞くところに拠れば道徳の時間だったという)を行った際、赤池自民党文科部部会長や池田部会長代理が文科省に授業内容の報告要請したことが問題になってる。

 前川のロリコン癖は尋常ではなく、女子生徒の前に曝け出すことに違和感を覚えるのは当たり前で道徳の授業だったというのにも驚くが、政治家が担当省庁に問い合わせしただけで大問題であるかの如き報道は如何なものか。

 何れにせよ、我が国の政治が機能しない中で巧みに国の舵取りをして来た官僚の暴走は留まるところを知らない。正に官僚暴国、官僚亡国。

 官僚の中の官僚と言われた大蔵省の流れを汲む財務省官僚が、自民党の政治家如きに忖度するなど有り得ない。要は自己保身から書き換えたというのが正しく、正に屋上屋を架してしまったということに尽きる。

 その昔は「嘘は泥棒の始まり」宜しく「嘘は政治家の始まり」などと揶揄されたものだが、今は「嘘は官僚の始まり」か。今回の書き換えが嘘だとは思えないが、悪意あるものだったとしたら閻魔様に舌を抜かれますよ(笑)

「嘘も方便」という様に相手の立場に立った嘘なら周りも和む。「紺屋(こうや)の明後日」なんてのも笑える嘘だ。実家のラーメン屋で出前の催促が来ると「今、出ました」なんてよく言ってたが、アレと同じだ(笑)

 彼岸なのになんだが、釈迦牟尼は「地獄」「極楽」を創られたがあれも嘘だ。だがこうした嘘は民衆の心に安らぎを与えた。キリストもまた「天国」への夢を誘って多くの人々を救ってきた。正に「嘘は世情の宝」でもある。呵呵大笑。

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2018年03月20日

福島から逸早くトンズラした自称・被災者が福島県を貶める

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 朝のニュースを観てたら郡山市から大阪市へ避難した森松明希子という女性が原発事故の被害者代表として国連人権委員会に出席し「市民を放射線から守る日本政府の施策は不十分だ」と指摘し、出席者の支援を要請した。

 この女「郡山市出身」を売りにして放射線被害者を装い反原発運動や生業訴訟などにも参画している名うての活動家。夫は郡山市在住の医師の森松暁史。

 自主避難での生活苦や、夫が子供達に会いに行く為の交通費なども大変な額だと訴えているが、原発事故被害者を装った新手のビジネスにも見える。行く行くは共産党や立憲民主党から出馬要請が来るのではあるまいか(苦笑)

 福島県郡山市からの避難者ということで反原発派にはかなり重宝され、全国各地で講演会なども活発にやってる様だ。そして非政府組織(NGO)のメンバーとして国連人権理事会に出席し、マスメディアによって表舞台に登場した。

 随分不細工な女だと思ってたら出身は兵庫県伊丹市。要は福島県への愛着なんぞ全く無く「福島の特に脆弱な子供を更なる被曝から守る」などとは被害妄想の押し付けであり、復旧と復興に立ち向かってる多くの福島県民にとって迷惑千万。

 福島の子供達は原発事故後も明るく元気に逞しく生き抜いている。不安を煽り続ける自称・被災者らによって垂れ流される妄想や流言蜚語によって福島県民がどれほど迷惑しているか考えたことがあるのだろうか。

 こうした自称・被災者が原発事故の被害者として放射線被害を訴え、日本や福島を貶めるのか。何のことはない単なる反原発運動であり、その終局の目的は日本国家解体。放射線被害の不安を煽るのも左翼革命運動の一環である。

 以前、今村雅弘元復興相が、福島県から自主避難を続けている住民への国の責任を巡り、反原発派で中核派や韓国極左系労組と共闘する左翼活動家の記者・西中誠一郎と激しい言い合いとなったのは記憶に新しい。

「福島はこれからもずっと人の住めない土地であり、国が援助するのは当然だ」と執拗に質問を繰り返した西中に今村大臣が激怒した。

「福島はこれからもずっと住めない」というのが西中ら反原発派共通の認識であり、国連人権委員会に出席した自称・被災者のこの女性も同じ思考。

 福島の地を捨てた自称・被災者が故郷である福島を貶めてるケースは後を絶たない。彼らは被害者ぶってはいるが、その生活は「災害救助法」に則り保障され、最終的には東電から賠償金や和解金が支払われる。

 そうしたことをひた隠し、自分達こそ可哀想な被災者であるかの様な振る舞いは実に醜く、こんな連中と同じ福島県民と思われたくもない。

 自主避難者に対し自己責任を求めるのは当たり前ではないのか。国にしろ自治体にしろ何時までも甘やかしてる余裕は無い。

 政府も感情的ではなく現実的な施策の実現を図るべきであり、避難してる住民の仕事を確保する為にも東京電力福島第二原発の再稼働を否定せず、仕事先を確保するなどの環境整備を図ることも大事ではなかろうか。

 自主避難者にしろ自称・被災者にしろ、いい加減、帰省するか、現在住んでる場所で骨を埋める覚悟を決めるべきだ思うが、それも出来ないというならなら、せめて福島を貶める様な言行は止めなさい。

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2018年03月19日

低能ジャーナリズムを糺すことが政治を正すことにも繋が

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 地元紙のトップは「内閣支持率急落」との仰々しい記事が躍っている。それでも連日あれだけ酷い報道が成されていながら38.7%もの支持率がある。何のことはない、前回の世論調査から9.4ポイント下がっただけ。

 不支持の理由も、安倍首相の責任や明恵夫人の国会招致などを上げていることを見ても、マスコミ報道に煽られてるということが理解出来る。

 安倍内閣不支持の数値と安倍政権が目指す憲法改正案に反対してる数値、安倍退陣を求めてる数値が粗同じというのも何か示唆的だ。

 共同通信社自体が反安倍なのだからこうした世論調査が意味があるとも思えないが、政治を知らない国民を扇動することが目的だと思えば合点が行く。

「安倍首相は退陣する必要はない」との数値を見ても、佐川宣寿前国税庁長官の証人喚問と偏向報道が糺されれば支持率はまた上がるだろう。

「安倍一強」と言われるが、これつまり自民党に替わる健全野党がいないことの裏返しでもあり、野党も猛省すべきだが、安倍には厳しく自分には甘い(笑)

 長期に亘り権力の座に就くというのは傲りを生むのも確か。安倍政権の驕り高ぶりを止めたいのなら野党もスキャンダル国会を猛省し政策論で立ち向かうしかないが、これこそ限りなく不可能に近い(苦笑)

 自民党内にも反安倍が蠢いているが、こうした世論調査や喧騒で一喜一憂してるのはポスト安倍の石破茂だろうか。最近の石破の政権批判は実に醜く、慰安婦問題への認識や対応、靖國神社批判は立憲民政党ばり(失笑)

 ならば離党して二大政党制を創る上げるべく努力すれば好いものを、以前、自民党を出て新進党で懲りてる石破にそんな胆力も無く、有るのは異常な上昇志向と権力欲。その為だけに自民党に居座っているに過ぎない。

 朝日新聞や毎日新聞などの反日マスコミは、安倍を貶すことは正義と言わんばかりに検証したり裏を取ることもせずに作為的な記事を垂れ流し、国民はマスコミ報道を疑いもせずに信じ込む。世論調査の結果はその証左でもある。

 マスコミや新聞記者というのは、社会の木鐸としての矜恃を持たねばならない。「木鐸」とは「世人に警告を発し教え導くこと」にある。

 だが、どうみてもジャーナリストというより、会社の営業利益最優先の単なるサラリーマンと化している。そんな彼らが、ここぞとばかりに安っぽい正義感と屁理屈を掲げて安倍を引き摺り下ろそうと躍起になっている。

 反日マスコミの反安倍の姿勢は異常であり、反日・革命運動と言っても過言ではない。揚げ足を取り、オチョクリに乗っかって何でも腐す。そういう冷笑的な態度を執ることが真のジャーナリズムだと未だに錯覚している。

 問題が出ればその萌芽は我が国や政府に在ると貶し、それを野党やマスコミ御用達のインチキ言論人が煽り立てる。森友学園騒動はその典型だろう。

 我が国の政治が三流と言われる最大の原因は進歩の無いマスコミの影響が大きい。低能ジャーナリズムを糺すことが、政治を正すことにも繋がり、畢竟、日本再生へも繋がるだろうことは言うまでもない。

 傍若無人な礼儀を欠いたマスコミ報道は我が国の品格を貶め、国民の倫理意識をも低下させ続けている元凶である。

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2018年03月16日

森友学園問題を機に憲法違反である私学助成金制度を見直せ!

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 自民党は、憲法を改正し幼児から高等教育までの無償化や奨学金制度の充実を訴えているが教育の中身が語られることはない。

 教育で大事なことは教育の無償化より、先人の営為に学び、日本という国に生まれたことの自覚や誇りと悦びを教えることに重きを置くべきである。

 政治家がこうした教育論を疎かにして、党利党略や党勢拡大の目論見だけで金の分配だけに狂奔していることは本末転倒と言う他はなく、況してや憲法改正に私学助成ではなく無償化を利用するとは姑息過ぎる。

 私学助成金制度が違憲でありながら私学助成金制度を見直すことなく継続していることに括目し、現憲法の矛盾性を指摘し、憲法議論を活発化させ、如何に現憲法が国の基本法として機能していないかを国民に示すべきだ。

 森友学園の問題も決裁文書の書き換えだけが問題となっているが、私学助成に目を付けて金儲けを企んだ金銭欲逞しい籠池の詐欺行為であり、野党やマスコミの大騒ぎは籠池の愛国ビジネス詐欺事件に加担しているとしか思えない。

 決裁文書の問題なんぞ取るに足らない事案であり、国会は我が国の学制の基本となってるこの「私学助成」の在り方を論ずるべきだ。

「私学助成」とは、国及び地方公共団体が行う、私立の教育施設の設置者、及び、私立の教育施設に通う在学者(在学者が未成年者である場合は保護者)に対する助成のことであるが、明らかな憲法違反でもある。

 日本国憲法89条には「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない」と在り、私学助成がこの条文に抵触しているのは明らか。

 だが「私学助成」を廃止すれば私学の多くが破産するということもあり、政府見解では私立学校の事業は「公の支配」に属し、これに対する公費からの助成についても「憲法89条に反しないもの」と温情的解釈が成されている。

「私学と雖も公の支配下に在る」と誤魔化しているのだが、憲法9条を楯に安保関連法案改定に反対し、集団的自衛権などを騒ぎ立てる左翼や護憲派は憲法違反の疑いの濃い私学助成制度には沈黙を極め込むどころか更なる助成を求める始末。

 教育勅語や国旗・国歌に拒否反応は示すカトリック系の学校を始め、宗教系の学校では「日の丸は侵略のシンボル」「君が代は統治者天皇賛美」だとして教えているが、こんな私学を手厚く助成するのは如何なものか。

 こうした反日的な私学で学んだ彼らは「日の丸は侵略のシンボル」「君が代は統治者天皇賛美」「戦前回帰」だというの信じて疑わない。

 ならば問うが、米英や或いは中共の旗は平和の旗か?

 抑々、カトリックとは、アフリカ、アジア、アメリカ大陸への殺戮と掠奪の先兵ではなかったのか。残虐の全てはキリスト教の教義の下、初めはスペイン・ポルトガル王(カトリック)、後にはイギリス・オランダ王(プロテスタント)の命令で行われたのではなかったのか。

 侵略主義のヨーロッパ諸国の国旗・国歌には反対せず、また近隣諸国への蹂躙や武力による弾圧を続ける中共を批判することなく、我が国の国旗・国歌だけを否定することは矛盾と詭弁に他ならない。

 日本再生に教育改革は待ったなし。加えて学校も親も一緒になって子供達を鍛え上げて行かなければ立派な日本人を育くむことは出来ない。教育は国家の大本であり国家百年の大計であるということを肝に銘ぜよ。

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2018年03月15日

森友学園問題の元凶は「官僚主導から政治主導へ」という妄想

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 数日前、小泉純一郎元総理がテレビ番組に出演し森友学園の問題について「私や妻が(学園設立に)関係していたら総理も議員も辞める」と発言した安倍首相が原因だと語り、「これが適材適所なのかと」と批判した。

 国民から見れば小泉の言葉は如何にも正論っぽく聞こえるが、そこに俯瞰した言葉は無く、いつもの大衆迎合の劇場型で論理の破綻にも気付いていない。反原発へのセンチメンタリズムと同じく、国民を誑かす老害の戯言でしかない。

「政治は三流、経済一流、官僚機構は超一流」と揶揄されたのも今や昔の話。政治は三流はどころか益々悪くなる一方。一流だった経済も崩壊した。商業道徳そっちのけで営利至上主義に狂奔したツケが出た。

 過去には、政治が如何に混迷しても超一流の官僚機構が「日本丸」の舵取りを巧くやってくれるという「神話」があったのも事実だったが、今やその官僚らが国を滅ぼす一大勢力になってしまっている。正に官僚亡国、官僚暴国。

 その官僚機構の打破を標榜したのは政権交代を果たした民主党だった。「官僚主導から政治主導へ」のスローガンの下、立法・行政・司法の枠組みを超えて政治介入した。

 その結果、官僚や役人が委縮し政治家の顔色を窺がう様になっていく。今回の森友学園の決裁文書の記述の削除は、過去のそうした行政への政治介入が要因となって起きてしまったのではあるまいか。

 政治家は官僚の言い成りではダメという危機感から「官僚主導から政治主導へ」と問題提起したのは好いが、その民主党は政治経済を最悪の事態を招き、史上最悪の天譴が起こり、最悪の結果を遺した。

 民主党の名残である野党は相変わらず安倍昭恵夫人の証人喚問に拘る。安倍夫人本人の言葉ではなく詐欺師の籠池が出任せで言った言葉を信じる精神構造は理解不能。政治が三流と言われる元凶は劣化する野党の存在が大きい。

 詐欺師の言葉を決定文書から削除した行為は褒められないが、発言が嘘八百だと分かった時点で削除訂正することが絶対悪、民主主義の否定だとは思えない。野党は単に陋習に拘っているだけではないのか。

 官僚機構というのは「士農工商」の階級の名残りで「農工商」の上に胡坐をかいている士階級であり、特権階級でもある。中でも財務官僚の中でもその地位は高いと言われているが、時代劇でいう悪代官と言った方がピッタリ(笑)

 財務省はその昔は「大蔵省」と言った。平成13(2000)年に財務省に改編改称した。「大蔵」とは古代、朝廷の財物を納めた倉をいうが、天皇に関わる組織だという事を忘れ、単に財政に関する事務機関に成り下がってしまった。

 取分け官僚機構が崩壊した象徴こそが、有名な「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」だろうか。そのノーパンしゃぶしゃぶ店「楼蘭」の顧客名簿には名立たる官僚の名が記され、品川萬里現郡山市長も名を連ねていた(笑)

 嘗て日本人は「恥を知る」国民だった。こんな日本したのは政治家か、官僚か、マスコミか、それとも国民なのか、一体誰なんだ???

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2018年03月13日

「森友学園」への国有地売却を巡り決算文書を改竄!?

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 地元紙の一面には、森友学園への国有地売却を巡る決算文書に絡み「答弁合わせ 14件改ざん」との仰々しい見出しが躍り、野党各党は「民主主義の根幹を揺るがす大問題だ」として安倍首相の責任問題を更に追求し退陣に追い込む考えだ。

 周知の通り「森友学園」は詐欺師・籠池泰典が始めた愛国ビジネス。児童に教育勅語を唱和させ、罰当たりなことに昭和天皇が学園を訪問したとの記述をホームページに載せて、学園が神道を重んじた学園であるかの様に偽装した。

 安倍明恵首相夫人や今回の削除文書に登場した平沼赳夫や鴻池祥肇などの政治家を利用して「瑞穂の國記念小学院」の設立を目論んだが、補助金目当ての工事請負契約書を三通も偽造し夫婦揃って詐欺罪で逮捕された。

 籠池逮捕で一件落着かと思いきや、この森友学園の問題は既に一年以上も費やされている。いつまでもこんなくだらんことを国会でやってるのか。

 週刊誌化するマスコミに踊らされ、国民不在の政争を繰り返している国会こそ政治の劣化の現れであり民主主義の否定である。恥を知れ!

 籠池の嘘八百に踊らされた財務省近畿財務局が、籠池に利用されたと思われる人物らの文言を原本から削除したに過ぎない。

 それを政治家への「忖度」と言えばそれまでだが、役人は政治家の思いを推し量るもので、「本件の特殊性」や「特例的な内容」といった文言が削除されているとしても、別に決裁文書が根本から書き換えられてる訳ではなかろう。

 マスコミや野党は大袈裟に「改竄」というが、これが若し、削除や書き換えもやらずに詐欺師に踊らされた政治家の名前が残され放置したままであれば、それはそれで登場人物の証人喚問やら役人の怠慢で吊し上げられているだろう。

 何れにしても安倍憎しの野党やマスコミが、森友学園問題を安倍政権打倒に利用しているだけで、国民不在の政争が止むことはない。

 昨年、国会証人に呼ばれた籠池は愛国者を気取り「天皇国日本」という言葉を口にして、「このままでは憲法改正は出来ないのではないかという疑念を抱いた」と安倍への嫌味たっぷりに語り悦に入った。

 籠池が憲法改正や教育勅語を口にする度に保守派や愛国者が実に軽々しい印象を与え、国民もまた保守派に対する疑念を抱いたのも確か。

 こうした人品に劣る輩に擦り寄った政治家の間抜けさは嗤うしかないが、己の金儲けの為には政治家は愚か、天皇陛下までをも利用した不敬極まりない籠池は腹を召すべきだが、似非愛国者だからそんな覚悟なんぞ毛頭ない。

 当初、愛国者を気取る籠池を安倍糾弾の好材料とする野党やマスコミは、恰も安倍が学園設立に熱心だったかの様に世論誘導し、籠池に利用された安倍夫人にその矛先を向けた。だが、全てが籠池の一人芝居だったことが露呈する。

 諦め切れない野党や安倍晋三に敵意を剥き出しにする朝日新聞は籠池を利用し、決算文書を改竄したと大問題であるかの様に騒ぎ立て、予算審議を疎かにして安倍政権打倒に狂奔しているが、単なる財務省の文書管理の問題に過ぎない。

 国会議員共よ、真面目に仕事しろっての(爆) 

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2018年03月12日

「防災訓練や防災教育、そして過去の災害の記録と記憶の継承が如何に大切であるか」

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 昨日は、政府による追悼式や全国各地で追悼式や復興祈念式などが催され、ネットなどでも犠牲となられた方々へ哀憐の言葉が手向けられた。

 政府式典に御臨席遊ばされた秋篠宮殿下は追悼の言葉の中で「東日本大震災の大きな犠牲の下で、私共は日頃の防災訓練や防災教育、そして過去の災害の記録と記憶の継承が如何に大切であるか」と防災、減災の心を培う大切さを諭された。

 安倍首相も式辞で「復興が一歩ずつ着実に進展している」と語り、更なるインフラ整備や生活環境の整備と支援を誓っていたが、巨大地震に因る大津波での犠牲者より、原発事故での避難者への配慮を優先せざるを得ない現状はもどかしい。

 県追悼復興祈念式の式辞で内堀知事は「巨大地震と大津波、そして原子力発電所の事故という大災害は4000人を超える尊い命を奪った」と語ってた。昨年と変わり映えしない内容で秘書課の作成した文章は実に軽々しい。

 犠牲者の多くは「巨大地震に因る大津波」が原因であって、恰も原発事故で多くの尊い命が犠牲となったという言い回しは違和感を覚える。

 原発事故後、民主党政権は「半径20キロ圏内」という科学的根拠を無視した「強制避難命令」を行った。その結果、双葉病院に入院していた重篤な患者や医療弱者が緊急に移動させられ、治療が受けられず70人が命を落とした。

 健康被害を避ける為に退避命令を出したつもりが、やらなくてもいい避難命令に因って逆に命を奪ってしまった。これは原発事故に因るものというより、民主党政権に因る殺人行為だったと言っても過言ではない。

 式辞の冒頭で内堀知事は「福島県民を代表して追悼の誠を捧げ、御遺族の皆様に心から哀悼の意を表します」と挨拶しているのだから、結びでも「御冥福を衷心より祈ります」と繰り返しているのは余計な文言だ。

「犠牲となられた御霊の前で改めてお誓い申し上げ式辞と致します」で終われば好いこと。況してや「御冥福」というのは「死後の幸福」という意味で、浄土真宗では使用してはならない言葉だというのは事ある毎に指摘している。

 仏教の中でも浄土真宗の教義では「死は穢れ」ではないと教える。故人を阿弥陀如来の智慧の光明によって極楽浄土へと導くという真理である。 

 ネットやテレビなどでも「御冥福をお祈りします」というのが氾濫しているが、「冥福」というのはそれらしく聞こえるから使いたくなるだけ(笑)

 葬儀告別式でも地元選出の議員らが弔電を打つのが恒例となってるが、浄土真宗の故人へ「訃報に接し心より御冥福を祈ります」などとやってるのはホント困ったものだ。政治を語る以前に仏教や宗派の教えを学んでみたら如何か(笑)

 大震災での犠牲者に浄土真宗の信徒がいないなら別に構わないがそんな訳もなく、県民の代表が平然と「御冥福を」などと挨拶している様では情けない。

 相手の宗派が分からない場合は「御冥福を」ではなく「哀悼の意を表します」「御悔やみ申し上げます」「御愁傷様です」と言い換えた方が好い。

「人に未来と英知がある限り、全世界の皆様と協力し合って復興に取り組んで行くことを犠牲となられた御霊へ改めて御誓い申し上げ、遺族代表の言葉と致します」との遺族代表の言葉は、例年の被害者意識丸出しのものとは違って却って強い意思と覚悟を感じた。県秘書課の連中も見習ったら如何か。呵呵。

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2018年03月11日

東日本大震災から7年。心静かに今日一日を過ごしたいものです

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 国会では相変わらず森友学園問題が国家の一大事とばかりに騒がれている。野党やマスゴミは「安倍政権の隠蔽体質」と批判する。

 震災後、民主党政権はSPEDDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム System for Prediction of Environmental Emergency Dose Information)の数値を隠蔽し、科学的根拠を無視して原発周辺20㌔圏内の住民の避難指示を決定したことに比べたら財務省の決裁文書の書き換えなんぞ可愛いものだ。

 東日本大震災後、全国で「絆」という言葉が合言葉になり、畏くも陛下に於かれましては「国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者と共に夫々の地域の復興の道のりを見守り続けて行くことを心より願っています」と思し召し遊ばされた。

 福島県の被災者は宮城や岩手県の被災者に比べて東電からの手厚い補償もあって恵まれている方だと思うが少し甘え過ぎてはいないだろうか。

 被災者は生活の不満を口にし、逸早く県内から逃亡した自称・被災者らも何かと理由を吐けては帰還を拒み、生活苦を訴え、賠償、賠償のオンパレード。

 原発事故の被害は原発周辺者に限らず県民なら誰もが同じことで、偶偶、原発周辺20㌔以内に住んでたからこそ補償の対象になっているだけのことで、これは当時の菅政権に感謝すべきだろう(苦笑)

 原発周辺の住民は東電関連の仕事に従事していた方が多く、第二原発の再稼働が成されない現状では帰っても仕事が無いというのが現実。これが第二原発が廃炉となれば更に帰還は困難になるだろう。

 被災者らは口々に「帰りたくても帰れない」という。だが、故郷に帰るより東電からの賠償金で暮らしてた方が楽というのが本音。

 そうした本音を直隠し「我々は被害者だから優遇されるのが当然だ」と言わんばかりの限りない無心は、同じ県民としてホントみっともない。

 反原発派も被災者同様本音を隠す。戦後「平和」という言葉が共産党など左翼政党の党勢拡大に最も効果的な武器となった様に、「反原発」も放射線の恐怖を煽り、国民の不安に便乗した革命謀略運動というのが正しい。

 有り得もしないことを思い煩ってる場合でもない。現実に有り得ないことを大袈裟に心配していることを「杞憂」「杞人の憂い」という。

 その昔、杞の国の人が年中心配ばかりしていたという。「天が落ちて来たらどうしよう」「地が裂けたらどうしよう」という具合に大袈裟な心配ばかりして暮らしていたという。反原発派に煽られてる国民も杞人と同じ。

 代替エネルギーの太陽光発電にしても原発事故を利用した便乗商法というのが正しく、原発再稼働が滞る限り国民負担の賦課金は殖え続ける。

 国民に負担金を強いる再生可能エネルギーは国力低下を招く。それよりも我が国の技術力をもっと信用し原発の再稼働を急ぐべきで、福島第二原発や宮城県女川原発の再稼働こそ復興の象徴になるだろう。

 一時的な感情論で第二原発の廃炉を決めるのであれば、被災者に対し避難している今の土地での再起を促し納得させることも政治の責任である。

 原発事故以来、ロクに休養も取らず、家族にも会えず、原発構内で命懸けで事態を収束させようと努力している方々がいる。世界が福島原発事故の行方を注視する中で、過酷な現場で従事している彼らの人智が我が国の未曾有の国難を救い、その努力が必ずや報われることを願って止まない。

 3月11日の今日、県内は追悼集会に加え、迷惑なことに反原発派が騒ぎ立てる。各々の主張は控え、心静かに今日の日を過ごしたいものです。東日本大震災に於いて犠牲になられた方々に対し衷心より哀悼の意を表します。合掌再拝。

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2018年03月10日

3月10日は「陸軍記念日」であり「東京大空襲」が始まった日

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 日露戦争開戦前、世界の軍事専門家の中で極東の小国であった我が国が当時世界最大の軍事大国ロシアに勝利すると予想した者は一人もいなかった。

 明治37年2月10日、我が国はロシアに対し敢然と宣戦布告。1年半に及ぶその戦いで我が国は奇跡ともいえる勝利を収め、「日本」という国の存在がアジアのそして世界の植民地支配の国にとって希望の星となった。

 国民が決死の覚悟を以て開戦に踏み切った日露戦争の勝利は、結果として欧米列強に我が国の地位を認めさせることとなり、幕末以来の懸案事項であった不平等条約の改正に繋がって行くこととなる。

 即ち、明治維新の真の目的であった「治外法権」と「関税自主権」という二つの不平等条約の改正が日露戦争の勝利によって実現されたのだった。

 二つの不平等条約の内の「治外法権」は日清戦争後の明治32年に克服したていたが、「関税自主権」の回復は日露戦争の勝利によって実現されたことで明治維新は成就し、我が国は真に独立を恢復することが出来たのである。

 日露戦争の勝利は世界の植民地政策で搾取や弾圧を受けている民族の独立心を駆り立て、後の大東亜戦争後の植民地の解放に繋がって行く。我が国は大東亜戦争に敗れはしたが、戦後の植民地支配の解放が示す通り大義があったのだ。

 日露戦争の世界史に於ける歴史的意義は、有色人種の日本人が白人に勝利することによって、当時、欧米列強に植民地にされていた世界中の被抑圧民族を感動させ、独立への夢を駆り立てた大きな意義を持つものだった。

 明治38年(1905年)3月1日、大山巌陸軍大将指揮下で日露戦争最後の陸上戦「奉天会戦」が行われ、同月10日ロシア軍を撃破した。この成果を称え翌年政府は3月10日を「陸軍記念日」として制定した。因みに「海軍記念日」は5月27日。

 昭和20年3月10日、米国は本土攻撃を断行する。「東京大空襲」である。この爆撃によって多くの無辜の人々の尊い命が失われた。

 米軍は最初の空襲を敢えて陸軍記念日を選んだ。日本の多くの家屋が木造だという理由から火炎の強い焼夷弾を投下したことでも米国の非情さが分かる。

 米軍は4月13、15日及び5月25日にも空襲を断行。5月24日未明から翌日25日の空襲では、その戦災は皇居にも及び、明治宮殿が全焼し、陛下の執務室や御所、正殿などの儀式殿を失うこととなった。

 宮殿が全焼という中で、昭和天皇は、御文庫を仮の御所とされ、昭和36年吹上御所に御移りになられる迄の17年間を御文庫で御過ごしになられた。

 3月10日の大空襲以降も陛下は、戦争で疲弊した国民生活の向上が最優先であるとの思し召しから「国民と共に苦楽を分け合う」と仰せになられ、皇居から御移りになられることはなかった。戦後も新宮殿の再建を御許しにならなかったという。

 東京大空襲での死者は8万3793人に上り、罹災者は100万人を超えた。史上最大の虐殺と言っても過言ではなく、広島、長崎への原爆投下と同様に一般人を犠牲にした蛮行は戦争犯罪や人道に対する罪からも断じて許されるものではない。

 マッカーサーの右腕の一人、ボナ・エラーズが、日本への空襲を「史上最も冷酷野蛮な殺戮」と証言していることでも分かる様に、大空襲や原爆投下、ドイツのドレスデン爆撃は「国際法違反」の代表的例である。

 東京裁判で連合軍は、その理由を「東京への爆撃は重慶、南京の日本軍のよる爆撃への報復」と詭弁を弄した。戦後、GHQは日本人に対し、未来永劫、贖罪意識の植付けと日本弱体化の為にあらゆる施策が謀られた。

 悲しいかな日本人の中にも未だ、こうした米国のプロバカンダを信じ「日本が戦争さえしなければ空爆されなかった」といった自虐史観が散見されるが、いい加減、米国の洗脳から目覚めて欲しいものだ。

 米国製の日本国憲法然り、教育制度然り。米国による戦後占領政策の意図は予想以上に成果を上げ、悪害を齎し続け、「日米同盟」とは名ばかりの「米国のポチ」として忠誠・従属を誓い続けている。

「陸軍記念日」であり、東京大空襲が始まった3月10日という日は、国民が「国防」という意味を理解し、米国依存体制からの脱却を図り、真の主権恢復の為には何を成すべきなのかを考える一日でありたい。

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2018年03月08日

僅かな放射線を必要以上に怖がることは福島の復興を妨げることでもある

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 今日の地元紙の一面に消費者庁が行った福島県産の食品購入への意識調査の結果が載っている。こうした意識調査や世論調査に意味があるとも思えないし、却って福島県を貶める材料になっているのではあるまいか。

 紙面では「ためらう最小更新」と好意的に報じているが、未だに放射性物質に不安を感じてる国民が13.9%もいることに驚く。

 こうした少数派の多くは反原発派やそれに煽られてる国民だろうことは推測出来る。原発事故当時、原子力安全・保安院は、福島原発から放出されたセシウムの量が広島原爆の168倍とする試算を公表し、マスコミが大きく報じた。

「広島原爆の168倍」という数字が全く意味のないものだったことが分かったが、国民の放射線への恐怖や不安を植え付けるのには効果的だった。

 広島・長崎の原爆では放射線セシウムによって死んだ人はいない。死者の殆どは熱線、爆風、そして半減期の短い強力な放射能によるものだった。

 福島県産食品への不安はマスコミや反原発派に煽られた集団ヒステリーというのが正しく、これら少数派がこれから先、福島県産の食品を購入するとは思えないし、御情けで買って欲しいとも思わない。

 山本太郎ら反原発派は「福島県内の農家は汚染物を作り、ばら撒き続けている」「福島県産を買うくらいなら中国産を買う」「福島の人達は命に怯えながら生きている」と口外して憚らない。

 福島原発事故は「チェルノブイリよりも規模は大きい」と根拠のない嘘を垂れ流す。チェルノブイリの原発事故は最大50シーベルトと言われているが、福島原発事故はその1000分の1以下だ。

 チェルノブイリより酷いのは中華人民共和国が行った地上核実験で、この核実験に因って放出された放射線量はチェルノブイリ原発事故の実に800万倍に及んだということを山本らは知らない様だ。

 東京オリンピックが開催された昭和39(1964)年から中共の核実験は始まった。以来、黄砂と一緒に放射性物質が日本全国に降って来た。中でもストロンチウムは福島原発事故の1万倍の量とも言われている。

 セシウムの生物半減期が100日なのに対し、ストロンチウムの生物半減期は15年。中共の核実験の結果、飛来したストロンチウムに因る日本人の体内被曝量は1~7ミリシーベルトに及んだ。

 だがどうだろう、そのストロンチウムに因ってどんな影響があったというのか。東京オリンピックに働き盛りだった多くの人は長寿を謳歌している。

 中でも団塊の世代と言われる連中は健康そのもの。唯、思想が芳しくない。アレは戦後民主主義教育というよりストロンチウムの影響か(笑)

 原発事故以来、過酷な環境の中でロクに休養も取らず、家族にも会わず、原発構内で懸命に努力している作業員ですら放射線で死亡した人はいない。

 そういった方々の努力や犠牲の上に今の我々の生活が成り立っているのだが、そうしたことも忘れて僅かな放射線を必要以上に怖がることは、福島の復興を妨げることになっていることに気付くべきだ。

 山本ら反原発派は、それこそ同志でもある中共の核実験を例に出して福島原発事故の不安を払拭するのに努力すべき立場だと思うが、所詮は原発事故を党勢拡大と革命謀略の為に利用しているに過ぎない。 

 福島原発事故後、原子力規制委員会は「放射線防護対策」の年間被曝線量は20ミリシーベルト以下であれば人体に影響が出ることもないとの提言を行っている。「年間20ミリシーベルト」は科学的に決められた世界の常識でもある。

 だが、未だに1ミリシーベルトが改められず不安を払拭しようともしないのは正に政治の怠慢か、それとも除染利権の為に「年間1ミリシーベルト以下」でなくてはならないということなのか。

 政治の不作為と「子どもたちを放射線から守れ!」という反原発派のキレイゴトが福島県と県民差別に繋がり、復興は愚か復旧をも阻害する。

「ふくしまからはじめよう!」という言葉が実に白々しく響く。

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2018年03月07日

議会の改革は地方議員だけのことではない。政治家は、隗より始めよ!

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 総務省の有識者研究会で小規模な町村議会などを対象に、議員の兼業・兼職制限を条件付きで緩和するなどの地方議会刷新を提言した。

「小規模な町村議会」や「条件付き」ではなく、各自治体の議会全てに当て嵌めるべきで、「多数参画型」や「集中専門型」の導入によって地方議会の活性化を促すことは大いに結構なことだ。

「多数参画型」は、議会は平日の夜間や土日に行い議員報酬を抑制する。諸外国では地方議会というのは夜間や休日に開かれることが多く、幅広い住民自治が行われている。報酬もボランティア的要素が強く薄給である。

「集中専門型」は、議員数を減らす代わりに兼業・兼職制限は維持し、報酬も相応にするという。議会と住民が議論する場を設け、議員削減による弊害を無くして民意を反映出来る様にするという。

 選挙というのは民意の結果だが、更に住民との議論で民意を反映されるというのは専門型とは言いながら矛盾している様にも思える。

「多数参画型」と「集中専門型」の二つの良い部分、議員報酬や議員数を減らして、平日の夜間や土日に議会を開催するとなれば、報酬目当てや、肩書が欲しいだけの上昇志向著しいさもしい輩らが消えて行くだろう。

 議員の役割は行政のチェックと提案機能。だが、地方の議会運営は議員の固定化が進み新しい時代を読み解く考えが弱く、現行の地方自治法の中で十分にその役目を果たされているのかといえば疑問だらけ。

 議会では同じ顔の連中が集まり、なあなあな議会に終始してしまっている。議会が平日の夜間や土日ならば様々な職場で資格を持つ人が参画出来るし、専門知識を議会で議論しあえれば実りある議会となるだろう。

 だが、悲しいかな先進国である筈の我が国は未だに昼間や日中の議会に拘り、議員らは当選すれば偉くなったと勘違いし、高給を頂き乍ら地方自治の何たるかも学ぶこともなく、旧態依然の議会運営が繰り返されているのが現状だ。

 自治体の財政事情を考えれば、安定収入のある人が最低限の報酬でボランティア的に議員活動するのが望ましいのは言うまでもない。

 その昔は、愚生の父親もそうだったが地方議員は仕事を持ちながらなる人が多く、報酬も微々たるもので名誉職の色合いが濃かった。

 それがいつの間にやら議員が生業となり報酬だけで食える様になってしまった。選挙にしても供託金さえ払えばポスターや文書交通費、選挙カーに至るまで自治体丸抱え。法定得票を取ればその供託金も戻る。

 つまりタダで議員になれるのだ。その為に候補者らは政治学など二の次で議員になる為だけに頭を下げ、握手して愛想を振りまく。

 議員報酬とは奉仕的な議員活動に対する対価であり、無闇矢鱈に報酬を弾んで議員の生活を裕福にする為のものでもない。

 議員定数の削減をしたところで、議員報酬が上がるのでは意味はない。定数は地方自治法で決められてる議員数を上限で好いし、議員とは奉仕の心を以て行う究極のボランティア活動であるという認識を共有すべき。

 議会の改革は地方議員だけのことではない。国会議員自ら身を削る意味でも、国民から詐取してる政党交付金を返納廃止し、国民不在の党利党略の議論を改めることこそ肝要である。政治家は、隗より始めよ!

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2018年03月06日

「モリカケ問題」に終始している国会は中共の御先棒を担ぐ走狗にしか見えない

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 中国共産党の全国人民代表大会が行われ、雛壇中央に座る習近平国家主席は絶対権力を不動のものにする為の憲法改正案を読み上げた。

 習は軍拡路線を強固にし、政敵を排除抹殺し「習一強体制」を盤石にして、毛沢東や鄧小平らを超える個人崇拝を推し進める。

 側近らは習を讃え諂う。習もまたカリスマ性を誇示するが如く周囲を見渡し威圧する。会場にいる代表らも子飼いの犬の様に顔色を伺う。正に一党独裁、北朝鮮以上の恐怖政治を目の当たりにした。

 中華人民共和国というが、共産主義や毛沢東理論を最高原理として崇め、神仏という共産主義を超える最高の存在を許さず、信仰の自由や集会、結社、出版、言論等々基本的人権が無い国の何処が人民の為の国家なのか。

「満州」「内蒙古」「チベット」「新疆」を侵略し異民族を虐殺、筆舌に尽くし難い弾圧を加えて、共産主義と漢民族化を強制し続けている。

 清朝時代の最大版図を「歴史的領土」とするばかりか、尖閣諸島や東シナ海、南シナ海をも併呑しよう謀るが、武力を以て国土を拡大して来た国は世界で中華人民共和国一国のみだということを忘れてはならない。

 多くの日本人は日本と支那との関係は「同文同種」とか「一衣帯水」という認識を持ち「四書五経」のイメージで支那への憧れを膨らませてるいるが、現在の中共は共産主義を最高原理とした帝国主義国である。

 国と国との交流は大いに結構だが、天皇を戴き、自由と民主主義の我が国が共産党一党独裁の国家と善隣友好を確固なものにしようなどとは、鯔のつまり我が国が併呑される以外有り得ないことなのだ。

「日中平和条約」には「両締結国は、善隣友好の精神に基づきかつ平和及び互恵並びに内政に関する相互不干渉の原則に従い両国民の交流促進のため努力する」と踏襲されているが、どう見ても交流促進に努力しているのは我が国だけ。

 日本側は「過去の我が国の侵略行為や植民地支配などで多くの人々に耐え難い苦しみと悲しみを齎した」との歴史認識を示しているが、これは田中角栄が日中国交正常化の共同宣言で発したことが原因である。

 昭和47(1977)年9月29日、田中は日中共同声明の調印の席で中国共産党を唯一の政府であると認めると一方的に「日華国交条約」を破棄し、「先の大戦で中国国民に重大な損害を与えたことに責任を痛感し、深く反省する」と述べた。

 だが、我が国が先の大戦で戦ったのは戦後の昭和24(1949)年10月1日に独立したばかりの中華人民共和国ではなく中華民国である。賠償は「日華国交条約」の締結を以て終わっているのだ。

 況してや国際法規である「日華国交条約」の破棄は現憲法98条違反である。こうした田中の蛮行と歴史認識が、今でも悪しき前例となり現在も受け継がれ、中共への媚び諂いと優遇措置が講じられている。

 我が国アホ野党やを見れば己らの無能を猛省もせずに「安倍一強」を頻りに断じるが、安倍が政敵や野党を排除し、己の権力を誇示し首相の終身支配を目論む為に憲法改正を訴えている訳ではないだろう。

 安倍の憲法改正案がダメで習近平の憲法改正は黙認。こんな時こそ九条の会や護憲派の出番だろうが、彼奴等から田中が謀った日華国交条約破棄を憲法違反であると糾弾されたことは一度として無い。

 国防費が18兆3000億円を超えて軍強路線を確実とする国家が、我が国や周辺諸国を脅かしている現実に目もくれず「モリカケ問題」に終始している国会論議を見ていると中共の御先棒を担いでる走狗にしか見えない。

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2018年03月04日

「信」じる「者」がいるからこそ「儲」かる(笑)

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 新聞折込チラシに富士山の綺麗な写真が載ってたので目に留まり目を通してみれば、冨士大石寺顕正会の布教チラシ。顕正会といえば反創価学会の急先鋒。池田創価学会よりは真面な日蓮信者が多く、而も戦闘的な信者が多いことでも有名。

「日蓮宗」は宗教というより日蓮大聖人の教えの実践であり、軍人や右翼人の中にも信奉者は多く、括目する言葉は多い。

 愚生は別に日蓮宗の信者ではないが、日蓮上人が立派だと感じるのは、弾圧され流罪になっても決して挫けることなくその信念を通し続けたことだ。

 未曽有の国難を感じ取った日蓮は「立正安国論」を以て、辻説法による戦闘的な布教活動を展開する。折しもあれ、大蒙古(元と高麗連合軍)が我が国に襲来する時期でもあった。

 日蓮の予言は的中し、アジア大陸を支配していた蒙古軍が朝貢と従属を求め日本に攻め入った。それが「文永の役」「弘安の役」である。

 顕正会や信者らは日蓮の大予言だというが、蒙古軍を撃退せしめたのは台風であって日蓮が追い返した訳ではあるまい。時勢を知ってれば大陸からの侵略は有り得ることで、二度の襲来を台風の時期に計画した蒙古軍の驕りが招いた軽挙妄動。

「法華経の肝心たる三大秘法を立てなければ、この国必ず他国侵逼の大難を受ける」と民衆を扇動したことが幕府から咎められ死罪が執行される。

 文永8年9月12日、日蓮は竜の口刑場の「頸の座」に座し、大太刀が振り下ろされんとしたその刹那「月の如く光たる物」が突如出現し、太刀取りはその場で倒れ、数百人の兵士が逃げ出し、皆悉く砂浜に平伏してしまったという。

 単純に雷がその場に落ちたというだけだろう。こうしたことを日蓮の神懸り、絶大遺徳と持ち上げるから宗教というのは胡散臭いのだ(笑)

 結局、日蓮は佐渡の地に流罪となる。その佐渡の地で書き上げたと言われる「開目抄」は、文字通り開眼の書である。この時、日蓮51歳。激しい使命感と捨て身の覚悟が、偉大な宗教家たらしめたのは言うまでもない。

「我れ、日本の柱とならん。我れ、日本の眼目とならん。我れ、日本の大船とならん等と誓いし願破るべからず」

 宗教に関する本というのは、顕正会にしても、SGI(創価学会インターナショナル)会長池田太作の「人間革命」にしろ、幸福の科学にしろ、オウム真理教にしろ、その辺の拝み屋にしろその教えは参考になるのは確か。

 宗教の教えを訝しがって読めば胡散臭さしか残らないが、要は読み手側が感ずる部分を読み取って己の生き方の参考に出来るか否かが大事というだけ。何事も信じ過ぎる、信奉し過ぎるとロクなことはない(笑)

 チラシの最後には「今世界は核兵器使用の第三次世界大戦の瀬戸際にあり、人類は滅亡の危機に瀕している。この国に大慈大悲・絶大威徳の御本仏ましますを無視し、背き続けた故に今日本は亡国を招かんとしている」「今こそ全日本人は、大慈大悲・絶大遺徳の日蓮大聖人に帰依し奉り、国立戒壇を建立して金剛不壊の仏国を築かなければならない。残された時間は少ない」と結んでいる。

 結局、新興宗教の悪い処は、こうした人の不安を煽り人の心に付け込むことだ。まあ、日蓮の手法の継承でもあるとも言えるが、抑々「全日本人」とは何とも意味深な言い回しで、会長の浅井が何処と無く池田太作にも見えてくる。

 宗教というのは、顕正会にしても、SGI(創価学会インターナショナル)会長池田太作の「人間革命」にしろ、幸福の科学にしろ、オウム真理教にしろ、その辺の拝み屋にしろ、その教えは参考になる部分が多いのも確か。

 宗教の出版物を訝しがって読めば胡散臭さしか残らないが、要は読み手側が感ずる部分を読み取って己の生き方の参考に出来るか否かが大事というだけ。何事も信じ過ぎる、信奉し過ぎるとロクなことはない(笑)

  信者とは「信」じる「者」と書くが、合わせれば「儲」かるという字になる。つまり信じる者が多ければ、多いほど儲かるのだ(笑)

 これは何も宗教に限らず、昨今の北朝鮮の核開発や中国共産党の覇権主義を殊更に論い、「亡国の危機」などと不安を煽って売文してる営業保守や営業右翼などにも言えることだ。呵呵大笑。

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2018年03月03日

米の食味ランキング「特A」評価の43銘柄中、福島県から四銘柄が選ばれる

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 昨日、Facebookで米のミルキークイーンの話になった。飲食店で出す米と毎日家で食べてる米を比べるのもなんだが、気に入って食べてる米を食べもしないでイメージだけで揶揄されると少しムッと来る(笑)

 ミルキークイーンを食べる前は、県内産コシヒカリやササニシキ、ひとめぼれなどを食べていたが、相馬の友人から「ミルキークイーンは冷めても美味しいので弁当に合いますよ」と教えて貰って以来、会津産ミルキークイーンを購入している。

 ご飯は炊き立て熱々では本来の味や香りは分からない。冷めたご飯に水で茶漬け風にすると本来の味が楽しめる。ミルキークイーンは冷めてもモチモチ感や甘みがある。ご飯の味には五月蠅い百姓出のかみさんも気に入っている銘柄だ。

 購入先の会津若松市内の米屋でもミルキークイーンがイチオシで、値段も特Aひとめぼれより高く、同じく特Aコシヒカリと500円程しか変わらない。

 以前は実家の食堂で使ってるササニシキを貰ってたが、親が亡くなってからは会津産コシヒカリを購入していた。新潟県魚沼産コシヒカリや山形県のはえぬき、つや姫など色々買って食べてはみたが地元福島産米が美味い。

 日本酒もそうだが、地酒は地元で採れた魚や農作物で作った料理が合うように、やはり地元の米は地元の水で炊くのが好ましい。

 子供の頃から実家の食堂のご飯を食べていたというのもあるが、二升炊きのガス釜で炊いたご飯が美味い。最近は土鍋で炊くご飯が美味いというのでやってみたいのだが、炊いた後が面倒臭そう(笑)

 自宅でガス釜は無理なので、炊飯器は毎日使うものなので現行の炊飯器の中でもかなり高い南部鉄器の釜のものに買え替えそれで炊いている。最近は炊飯器も精米の技術も良くなっているので米の甘さが際立つ。

 二日前、新潟県魚沼産コシヒカリが特A評価から陥落という衝撃的なニュースを目にした。魚沼産コシヒカリを購入したことはあるが、ブランドばかりで会津産コシヒカリの方が美味しい気がしていたのは強ち間違いではなかった様だ。

 ヤフオクでは魚沼産コシヒカリの値段が急落している様だ、逆を言えば今が買い得か。愚生的には魚沼産コシヒカリより、新種の「新之助」がかなり気になっている。青森の「青天の霹靂」や熊本の「森のくまさん」も興味津々(笑)

 若者を中心に米離れが顕著だという。外国産の米や古米を口にして何とも感じない大人達。ただ腹が満たされれば良いのか。箸もロクに持てない日本人が溢れているのはこれ正に食文化崩壊の序章でもある。

 そうしたことにも気付かず、農業を経済論で語り「種子法廃止法案」と「農業競争力強化支援法」を成立させ、更には残留農薬基準の大幅緩和など、米国依存、新自由主義経済を信奉する安倍政権は日本農業解体の御先棒を担ぐ。

 我が国は豊葦原瑞穂の国である。安倍政権が謀った愚策を改め、米を主役にした食卓を囲み、日本らしい食文化を再興することが日本再生への道である。

 今年度(2018年)の「特A」評価だった43銘柄は次の通り。

・北海道「ゆめぴりか」
・北海道「ななつぼし」
・青森県津軽「青天の霹靂」
・宮城県「ひとめぼれ」
・宮城県「つや姫」
・秋田県県南「あきたこまち」
・山形県置賜「つや姫」
・山形県村山「つや姫」
・福島県会津「コシヒカリ」
・福島県浜通「コシヒカリ」
・福島県会津「ひとめぼれ」
・福島県中通「ひとめぼれ」
・茨城県県北「コシヒカリ」
・栃木県県南「とちぎの星」
・埼玉県県東「彩のきずな」
・神奈川県の県央・湘南・県西「はるみ」
・新潟県上越「コシヒカリ」
・新潟県下越「コシヒカリ」
・新潟県佐渡「コシヒカリ」
・福井県「コシヒカリ」
・福井県「ハナエチゼン」
・福井県「あきさかり」
・長野県北信「コシヒカリ」
・岐阜県美濃「コシヒカリ」
・岐阜県飛騨「コシヒカリ」
・三重県伊賀「コシヒカリ」
・滋賀県「みずかがみ」
・京都府丹波「キヌヒカリ」
・兵庫県県北「コシヒカリ」
・兵庫県県南「きぬむすめ」
・島根県「つや姫」
・岡山県「きぬむすめ」
・山口県県西「きぬむすめ」
・高知県県北「にこまる」
・福岡県「夢つくし」
・福岡県「ヒノヒカリ」
・佐賀県「夢しずく」
・佐賀県「さがびより」
・熊本県県北「ヒノヒカリ」
・熊本県県北「森のくまさん」
・大分県豊肥「ヒノヒカリ」
・大分県西部「ひとめぼれ」
・鹿児島県県北「あきほなみ」

 福島県は「特A」評価の43銘柄中全国最多の4銘柄が選ばれた。震災後は福島県内の米は原発事故の風評被害から安価になってしまった。会津産米にも影響したが昨年辺りから値段も回復した。食味からすれば未だ未だ安い方だと思う。

 ミソが吐いたミルキークイーンは当面見送り、次回は会津産コシヒカリか中通りの須賀川産か食味ランキング日本一にも輝いた天栄村ひとめぼれを購入してみよう。ということで、皆さんも福島県産米を購入してみては如何でしょう。

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2018年03月02日

ライダイハン問題を抱えながら「慰安婦は人道犯罪」だとさ(苦笑)

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「三・一独立運動」だった昨日、文在寅大統領はソウルでの政府式典で演説し、旧日本軍の「従軍慰安婦問題は反人道的な犯罪だ」と断じ、日韓合意での日本政府の対応を批判。慰安婦問題は未来永劫消えることはないと示唆した。

 竹島問題に対しても「帝国主義日本の朝鮮半島侵奪の過程で最初に支配を受けた私達の領土だ」と述べ、領有権は韓国にあるとの認識を示した。

 高給に集った売春婦を「従軍慰安婦」と称し、恰も日本軍が朝鮮人の女性を強制連行し性奴隷にした「人道的犯罪」とは開いた口が塞がらない。

「ライダイハン問題」を抱えながら、ベトナムに対して謝罪も補償もしない韓国が慰安婦問題や歴史問題で我が国を責めるとは厚顔無恥も甚だしい。

 1964年、ベトナム戦争が激化すると韓国は米国への忠誠と資金援助を得る為に、ベトナムに韓国軍を派兵した。当時の韓国は「反共」が徹底していて、共産主義者への虐殺は犯罪ではなく英雄的行動だった。

 ベトナム戦争に於いて、韓国軍兵士は十万人単位のベトナム人女性を凌辱し強姦、その一部を虐殺、結果、約3万人の「ライダイハン(韓国人とベトナム人の混血児)」が生まれ放置された。

「人道的犯罪」とはこういうことを言うのだ。「ライダイハン」の「ライ」とは、ベトナム語で「雑種」の意味で、「ダイハン」は「大韓」のベトナム語読み。統一後のベトナムでは、ライダイハンは「敵国の子」とされ迫害の対象となった。

 1987年に米国政府は、戦争責任からか混血児とその家族の移住を受け入れ始めた。だが、韓国側は未だに拱手傍観を極め込んだ儘だ。

 文在寅は「加害者の日本が問題を終わったと口にしてはならない」という。その韓国はどうなのだ。加害者でありながら未だにベトナムに謝罪すらしていないが、少しは日本の誠意と責任の取り方を見倣ったらどうだ。

 朴槿恵も三・一独立運動の式典で「加害者と被害者という歴史的立場は千年の歴史が流れても変えることは出来ない」とも発言したことを思い出すが、 韓国の強請りタカリの体質は千年の歴史が流れようとも変わることはない。

 韓国は憲法前文に於いて「大韓民国は三・一独立運動により建てられた大韓民​国臨時政府の法統を受け継ぐ」と規定しているが「大韓民国臨時政​府」は国際的にも認められておらず、サンフランシスコ講和条約への​署名も認められてはいない。

 こうした国際的な常識を無視し「対日宣戦を布告し、独立を我々の手で勝ち取った」と​歴史を捏造してしまったところに韓国の悲劇が在る。

 国定教科書でも「対日宣戦布告」や「抗日活動」を過度に強調する余り、虚妄と捏造を重ねるしかなくなっているのが現状である。

 歴史というのは公正に語るべきで、公正とは是と非である。表と裏、功績と罪過を検証しなければ公正な歴史を知ることはない。

 竹島問題も「略奪された領土を奪い返した」との認識だが、事実は我が国がGHQの占領下だった昭和27年1月、初代大統領・李承晩が国際法を無視し軍事境界線を勝手に設定すると、竹島を取り込んで「韓国領」と宣言しただけ。

 抑々、李氏朝鮮時代には「空島政策」によって鬱陵島など近隣の島々でさえ居住が禁止されており、鬱陵島より遥か先の島の干山島(竹島)ことなんぞ関心も認識すらもなかったというのが正直なところ。

 抗日活動家の李承晩らが捏造したインチキ近代史を盲信しているが、その韓国近代史の祖というべき李承晩も学生革命でハワイに亡命した。自国を捨てた元大統領の歴史的嘘にいつまで付き合うつもりなのか(苦笑)

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2018年03月01日

「千年に一度来るかどうかも分からないものに予算は組めない」と拒否した民主党政権

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 今日は弥生朔日。いつもの様に朝まだきから身を清める。流石に寒さは堪えるが春の気配を少しずつ感じている。神饌を替え、神棚に向い二礼二拍手一礼。畏くも陛下の弥栄を祈念し併せて心願成就を懸ける。

 東京電力第一原発事故の刑事責任を巡り、検察審議会の起訴議決に基づき、東電の勝俣元会長ら3人を強制起訴。第四回公判が東京地裁で行われた。

 東電の子会社「東電設計」の社員が出廷し、最大15.7メートルの津波が襲うと平成20(2008)年3月の時点で東電の土木担当者に試算結果を伝えていたと証言した。その後は防潮堤の嵩上げと非常用機器の保護対策を進言したという。

 当時は自民党政権下ではあったが政局が混乱を極め、翌年7月には衆議院が解散、総選挙では民主党が308議席を獲得し自民党が歴史的大敗を帰した。

 だが、民主党政権への期待は直ぐに失望に変わり、最低最悪の政権下での「失われた三年」の悪害が未だに尾を引いている。

 野党となった自民党は国会審議に於いて政府に福島原発の防潮堤の嵩上げを申し入れるも、「仕分け」に狂奔する民主党は「千年に一度来るかどうかも分からないものに予算は組めない(蓮舫)」と拒否した。

 つまり、東電の旧経営陣が津波の危険性を認識していたかというより、民主党政権下で実行された「コンクリートから人へ」と公共工事を目の仇にした愚策の結果、最悪の事故が起きてしまったと言っても過言ではない。

 福島原発事故は事故調査委員会から「人災」と結論付けられている。事故そのものが人災であるのに、「天災」を旧経営陣のみが津波の危険性を認識していたかどうかと問われるというのも如何なものか。

 防潮堤の嵩上げは東電より政治の不作為が原因である。仕分けというパフォーマンスを党勢拡大に利用した民主党政権の危機管理能力の欠落、特に震災時の最高責任者であった菅直人こそその責任を問われるべきだ。

 事故前に外国人からの不法献金を糺され四面楚歌だった菅は、福島原発事故を利用しようと「現場視察」というパフォーマンスを強行し、政権浮上の起死回生の一発勝負に出た。

 この現場視察が、原発事故の現場の対応に要らぬ混乱を招き、東日本大震災当日から炉心溶融という「最悪のシナリオ」を予測していながら、菅が強く望んだ現地視察で、即座に取るべき一連の措置に遅れが生じ被害が拡大した。

 福島原発事故の責任は東電は然ることながら、国にも、県や原発設置を容認した自治体にも在る訳で、中でも、原発事故の対応の拙さと混乱、要らぬ避難者を生んだ当時の民主党政権の責任は重い。

 未だに原発事故を論い、正義感ぶってその責任論を然も当然であるかの様に振り翳すが、生き残った我々がいつまでも被害者意識丸出しで、過去ばかりをふり返ってどうなるというのか。

 いつまでもその場に立ち止まっている訳には参らないのだ。現実に、今も事故現場に於いて命懸けで収束しようと頑張っている方々が存在し、また、この事故の教訓を活かそうと懸命に努力している方々が存在する。

 事故責任を問うのは法治国家では当然であろうが、菅の責任を問わない強制起訴裁判に意味があるとも思えない。それよりも二度とこの様な過ちを繰り返さない為にはどうすべきか、また事故の教訓をどう活かすかが大事なのだ。

 国内での原発事故に限らず、いつか起こるであろう韓国や中共、或いは世界に在る原発事故に対しても、福島原発事故の収束技術と正確な科学的データが活かされることこそ、福島のこの地に住み続ける我々の願いでもある。

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2018年02月27日

「神国思想」を政治的に利用した長州閥中心の専制政治の矛盾と不条理

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 今日も地元紙では「象徴考」という天皇否定、神道否定のクソ記事が載っている。紙面に登場する歴史学や考古学先行のメンバーを見れば、成城大の外池昇や名古屋市立大の吉田一彦、奈良女子大の小路田泰直など名うての反天皇活動家ら。

 吉田は「日本書紀は天皇制を根拠付ける為に書かれており、神武天皇も創作された」と宣い、皇紀も「神武創業」の単なるスローガンだと腐す。彼らの好きな「天皇制」は共産党用語だが、残念ながら天皇は天皇であり制度に非ず。

 日本人であれば「神武肇国」というべきものを、敢えて「創業」という言葉に置き換えている処にこの輩の反日思想が込められている。

 小路田は「神武陵は天皇の権威を高めるだけではなく、国民のアイデンティティを創り上げるのに決定的な役割を果たした」と強調し、日中戦争が激化する中で、国民を結束させる役割を果たしたと指摘している。

 本来は「日中戦争」ではなく「支那事変(日華事変・日支事変)」と呼ぶべきだが、反日派というのは「日中戦争は侵略戦争だ」という認識から、そのきっかけとなった盧溝橋事件も日本悪玉論を信奉している。

「盧溝橋事件」は中国共産党が起こした謀略であり、共産党が盧溝橋事件を起こしたことは今や歴史的事実。「日中戦争は日本の侵略だった」などというのは共産主義者らのプロパガンダであり、神武天皇陵の否定も同列である。

 外池は日本書紀に書かれた事実を否定し「天皇中心の体制を国内外にアピールする為に神武天皇の陵は格好の象徴となった。このことは国民を戦争に動員するのに利用された」と指摘している。

 外池らは、日清・日露戦争と大東亜戦争を一緒くたにしてはいないか。況してや戦争は政治や外交の延長であり、天皇が起こす訳ではない。

 大学教授という己の生業や売文から日清戦争や日露戦争を否定するのも結構だが、日清・日露戦争で我が国が勝利しなかったら現在の日本国そのものが存在していなかったということを理解しているとは思えない。

 尤も、彼奴等は日本否定派であり、敗戦してた方がそれこそ天皇の存在も無くなってただろうし、その方が好かったと思っているのだろう。

 御陵や陵墓というのは確かにシンボル的な意味合いが大きいとは思うが、それを天皇が尊いのはその教えであり、思召しである。

 天皇を頂く我が国こそが世界の中心であり、日本こそが特別な神の国と信じることは日本人として真剣な感情でもある。

 仏教に「須弥山(しゅみせん)思想」というものがある。須弥山とは世界の中心に聳え立つ高山で、その頂上には帝釈天が住むという世界観である。

 輪廻にかかわる世界全体を表す「三界」と呼ばれる世界の最も上位にある「無色界」の更に最上位の非想非非想天と呼ばれる領域を「有頂天」という。

 我が国の「神国思想」は、この空想的な世界観である須弥山思想を日本に当て嵌めることによって、「天皇を頂く我が国こそが世界の中心である」という教えを導き出し、人々もそうした教えを自然に受け入れた。

 鎌倉時代末期、当時、全世界規模で支配力を強めていたモンゴル帝国が日本に襲来した際も、二度の台風によってモンゴル軍を敗走に導いたのは台風を「神の吹かせた風(神風)」と解釈したことで一層流布した。

「神国思想」では、国土を「神州」、国民を「神裔=神の子孫」、国権を「神授=神から委託された権利」というが、国民は神の子として「子が親に孝養を尽くす様に、国民が国に尽くすのは真剣な感情である」との教えに辿り着く。

「日本は神の国」とする思想は伝統的なもので「古事記」や「日本書紀」でもこの点を事実として強調している。教育勅語も然り。

 左翼勢力や反皇室活動家らはこうした神国思想を否定し、日本人としての根本的な教えも拒絶する。何故に拒絶するのかといえば先の大戦と神国思想を結び付けてるからだが、これは戦後民主主義教育という洗脳が大きく影響している。

 未だ天皇否定、神道否定の勢力が存在するのは、戦後民主主義教育や共産主義の弊害も然ることながら、長州閥の明治新政府が、殊更に天皇と「神国思想」を政治的に利用した反動というのも一因に挙げられよう。

 この政治的利用が「天皇制」であり、天皇を軽んじた故に現代になって矛盾が生じてしまった。ヤルタ・ポツダム体制の検証然り、明治開国後の長州閥中心の専制政治が強行した様々な矛盾や不条理を一つ一つ検証していかねばならない。

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2018年02月26日

大義を明にし 人心を正さば 皇道奚んぞ興起せざるを憂えん

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 陋習を打ち破らんと「大化の改新」「建武の中興(新政)」「明治維新」という大業が成し遂げられた。

「維新」とは、幕末の思想家・藤田東湖が示した「大義を明にし、人心を正さば、皇道奚(いずく)んぞ興起せざるを憂えん」こそが維新の精神である。

 昭和11年2月26日、安藤輝三、野中四郎、香田清貞、栗原安秀、中橋基明、丹生誠忠、磯部浅一、村中孝次ら青年将校は総勢1483名を率いて「昭和維新」「尊皇討奸」を掲げ決起した。

「皇道派」といわれた彼らのその行動の柱となったのが国家社会主義者・北一輝の「日本改造法案大綱」であるが、この226事件の伏線になったものが「相沢事件」とも言われている。

「相沢事件」とは、昭和10年8月12日、陸軍中佐の相沢三郎が陸軍省内で軍務局長・永田鉄山を刺殺した事件である。

 相沢三郎は明治22年、福島県白河町(現白河市)生まれ。大正7年、歩兵第4連隊から台湾歩兵第1連隊付に移り大尉に進級、同年9月陸軍戸山学校教官に就任する。剣の達人として知られる人物でもある。

 その後、陸軍士官学校付、歩兵第13連隊中隊長を経て、昭和2年少佐進級と共に歩兵第1連隊付として日本体育会体操学校(後の日本体育大学)に配属され学校教練を担当した。

 昭和8年陸軍中佐となるも昭和10年永田軍務局長を刺殺し、翌軍法会議に於いて死刑判決が下され、代々木衛戍刑務所内で銃殺刑に処される。

 陸軍内は当時、高度国防国家を目指す「統制派」と天皇親政を理想とする「皇道派」の対立が激化。皇道派の相沢は、同派の教育総監・真崎甚三郎が更迭されたことを理由に統制派の中心人物だった永田の刺殺に至る。

「相沢事件」が226事件」の伏線になったということは紛れもない事実だろう。相沢事件の半年後、226事件が蹶起される。

 226事件に唯一の民間人として加わり「群衆指揮等」として死刑に処せられた渋川善助という思想家がいる。渋川もまた相沢と同じ福島県人である。

 福島県会津若松市七日町出身。会津中学校、仙台陸軍地方幼年学校を経て陸軍士官学校予科に進み、御前講演を行うほど成績優秀で、杉田省吾、西田税らと「維新同志会」を結成し、国家主義運動に参画した人物である。

 渋川が少年時代に過ごした部屋は、三島由紀夫が「憂国の間」と名付け、会津若松市の「渋川問屋」内に現在でも保存されている。

 この「渋川問屋」は料理も美味いと評判で、愚生も県内に住んでいながら未だ訪れたことは無い。いつの日か友人らと宿泊し、談論風発、杯盤狼籍、大破轟沈するのが愚生の囁か細やかな夢でもある。

 彼らは「反乱軍」と断じられ処刑されはしたが、彼らの尊皇精神と憂国の至情は決して消えることはない。すめらぎいやさか。

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2018年02月25日

「御陵を世界遺産にしよう」などという戯言

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 先月末、政府は国連教育科学文化機構(ユネスコ)に「百舌鳥・古市古墳群」を世界文化遺産に推薦する際に、国内最大の大山(だいせん)古墳を「仁徳天皇陵古墳」と天皇の名前を冠する名称を採用した。

 この決定に対し、歴史学者や考古学者から異論や批判が強まっているという。学匪らは歴史や考古学、文化調査という言葉を持ち出してはいるが「科学的証拠」として巧みに利用し天皇の歴史を批判、誹謗するかが目的である。

 学匪らは天皇陵の発掘調査を「史跡」だとして、然もその研究が研究者として当然の権利の如く主張しているが、御陵や墳墓発掘の真の狙いは、天皇の歴史の否定と皇室の解体そのものに在る。

 宮内庁こそがその実は皇室解体を目指す最大勢力なのだが、尊皇精神皆無の政府もそれを疑いもせずに手助けする。

 抑々「御陵を世界遺産にしよう」などという戯言を掲げ、それらを実行しようなどというのは日本人の精神的幼稚さを示す最たるものだ。

 宮内庁は全国約900の陵墓を非公開で管理している。平成19年に内規を改め、畏れ多いことに研究者側からの要望に応じて陵墓の立ち入りを認めるに至り、既に計14件の陵墓が許可され調査されている。

 こうした事実は、宮内庁が我が国の国柄と不可分の天皇陵の尊厳ということを全く理解しない証左であるが、陵墓への立ち入りは明らかに刑法で定められている「礼拝所及び墳墓に関する罪 」に抵触する犯罪行為である。

 ピラミッドや兵馬俑などの王の墓と同様に「天皇陵も発掘の対象にすべきだ」というが、御陵や墳丘の発掘までもが許される事態となれば、尊厳は完全に損ねられることは必至であり、断じて許してはならない。

 エジプトや支那の場合は既に滅亡した王朝の墓だが、天皇陵は現存する皇室が守るべきもので、況してや祭祀の場でもあり、その背景はピラミッドや兵馬俑などとは全く異なるものなのだ。

 学匪らは「御陵の周辺部が史跡に指定されてない為に、宅地造成で埋め立てられたり、破壊されたり危機的状況であり、国が直接保護するべきだ」と、如何にも御陵の荒廃を嘆くかの様な意見を振り翳してはいるが詭弁である。

 そのトリックが「史跡」という言葉にあり、「史跡」になれば発掘は可能になるのを承知しての確信犯であり、学匪どものあれやこれやの尤もらしい屁理屈も単なる奸智奸策に過ぎない。

 彼奴等の発掘の真の狙いは皇室の否定と解体そのものに在り、左翼が目指す所謂「天皇制廃止運動」の一環である。

 地元紙の今日の記事「象徴考・陵(みささぎ)に吹く風」の中で、「象徴天皇制となった現代、新たな陵の在り方も模索が進んだ」とあるが、天皇は天皇であり別に天皇制ではない。況してや「象徴天皇制」とは共産党の造語である。

 その記事の隣には「剣璽等継承の儀」に際して、男性成年皇族のみの参列に疑問を呈し「今の時代に合わない」と女性皇族や未成年である秋篠宮悠仁親王殿下の出席を認めるべきとの作為的な記事が躍っている。

「今の時代」とは何なのか、正に現代こそが絶対と言わんばかりではないか。これこそが現代日本人の傲りそのものである。

 皇紀2678年の歴史と伝統に裏付けられた意見を出し合って話し合うなら未だしも、現代の価値観で論ずれば「天皇はいらない」という議論にまで発展するだろう。だが、反天皇運動を謀る連中の狙いはそこにあるのだ。

 有識者会議に出席した女性教授は「天皇を巡る儀式で女性の参画を禁忌とする原則は無かった」と説明しているが、神事では生理は「穢れ」と捉えられ、皇室の重要な神事の一つ「皇霊祭」でも生理中は参加出来ないのは当たり前。

 生理中、女性というのは情緒不安定になるというし、そうした女性の体調を気遣うのは当たり前のことで、これは女性差別ではなく女性の身体を気遣ってのことでもある。これはイスラム教でもユダヤ教でも同じ事。

 我が国の最高神は天照大御神であり、女性差別どころか崇めている訳で、女性の神に仕えるのはやはり男の方が好ましいのは言わずもがな。何でもかんでも「男女平等」を都合好く解釈するなっての。

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2018年02月23日

宮内庁は別な形での国民への御発露の方法を考えよ!

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 本日、皇太子殿下の御誕生日に当り謹んで御祝詞を申し上げます。

 恒例の皇太子殿下への会見の全文が掲載されている。相変わらず「時代に即した新しい御公務」だとか「二重権威を危惧する意見も聞かれる」などの悪意に満ちた質問が目に留まるが、皇太子殿下はそれを無難に熟していた様だ。

「二重権威」だとかいうが、その危惧する声は何処から聞こえてくるのか。抑々、退位後に正式な「太上天皇」と称さないで「上皇」と「上皇后」呼称することが問題で、国民が危惧するのはこうした現世での皇統の歴史の改竄である。

 況してや皇太子殿下となるべき秋篠宮殿下を、皇統の歴史にも無い「皇嗣(こうし)殿下」とするとは何事か。早々に「皇太子」と名称を戻すべきだ。

 要は「秋篠宮家」を残して女性宮家にしようという宮内庁や反天皇活動家らの策謀に他ならない。だが、女性宮家を創設したところで出来るのは皇室外交くらいなもので、女性皇族が陛下の国事行為や祭祀を代行することは不可能。

 何故に女性宮家創設を急ぐかは、男系男子の皇統の歴史に楔を打ち込み、現憲法第二条に拠る世襲を強行し、愛子内親王殿下を即位させ皇統断絶を完遂しようという共産主義者に因る反天皇運動の実行である。

 女性宮家は、減少する男系男子皇族の減少を食い止めるという理由を挙げているが、皇統を盤石の安きに置くというのなら、占領下、昭和天皇が最後まで反対なされた皇籍離脱させられた旧皇族の皇籍復帰こそ我が国が執るべき道である。

 陛下を始め、皇太子殿下や秋篠宮殿下に於かれては立場上私見を語ることは許されず、また選挙権も有していない。それを好いことに記者諸侯は悪意に満ちた無礼千万な不敬不遜な質問を投げ掛け、失言を引き出そうとする。

 マスコミは「開かれた皇室」を翳し、如何にも国民と皇室の垣根を外そうと必死だが、こういう形式だけの会見は抵抗を感ぜざるを得ない。

 抑々、象徴天皇や御公務などというの現日本国憲法下での決め事に過ぎない。天皇陛下というのは憲法以前の存在であらせられ、憲法が在って存在せられるものではない。これは歴史が証明するところであろう。

 我が国は、天皇即日本、日本即天皇であり、天皇の存在せられない日本国は在り得ない。これ即ち、明治天皇が教育勅語の中で御諭しなされた「世々その美を済せる国體の精華」であり、万邦類い無き天皇国日本の真姿なのである。

 欽定明治憲法第一条に「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と在るのは、この歴史的事実と我が国の本来在るべき姿を明示されたものと勤解する。

 陛下や皇太子殿下の御言葉はその影響するところは大であり、正に「綸言汗の如し」なのである。それを承知で一問一答形式によって、御言葉を引き出し、世論誘導を企んでるのは火を見るより明らか。

 陛下や皇太子殿下、秋篠宮殿下というのは政治家と比べるも烏滸がましいが、口先で誤魔化し、その場を逃れ様ということをなさる方々ではない。その御地位、御立場と崇高な御人格がそれを許さないのである。

 ところが、相手の記者団といえば海千山千の強か者ばかり。恰も皇室を理解している様に取り繕ってはいるが、多くは皇室に批判的な輩である。少なくとも尊皇絶対の大義を弁えている記者はいない。

 今では当たり前となった記者会見によって、言葉尻を捉えて政治問題にしようという記者が存在しているのは確かで、こういう会見は断固拒絶するのが妥当であり、宮内庁は別な形での国民への御発露の方法を考えるべきである。

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2018年02月22日

韓国側の「干山島が竹島である」との領土主権主張の御粗末さ

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 未だに失地領土の恢復が実現出来ないのは、政府の弱腰外交も然ることながら領土主権の重要性や歴史的経緯を知らなさ過ぎるのが要因である。

 韓国人の「虚言癖」という病んだ民族性はどうやっても治ることはない。その中でも最大級の嘘が所謂・従軍慰安婦問題と竹島の主権主張だろう。 

 韓国は竹島を「独島(ドクト)」と称し「古来から韓国固有の領土である」と主張するその根拠は、古代朝鮮の歴史書である「三国史記」に帰着する。

 その「三国史記」には、鬱陵島(うつりょうとう)の西隣に在る「干山島(うざんとう)が新羅(しんら)の領土」と書かれていることを歴史的論拠にしている。

「三国史記」とは、三国(新羅・高句麗・百済)時代から統一新羅末期までを対象とする紀伝体の朝鮮半島に現存する最古の歴史書である。

 韓国側はこの粗末な歴史書を持ち出して「4~5世紀から韓国領だった」と主張しているが、その古地図での干山島は鬱陵島の西に接近している島だと分かる。

「独島(竹島)」は鬱陵島の東南92キロに在る島なのだから、「干山島が竹島である」と主張することには無理がある。

 こんな判りきった事実が存在するのにそれを否定し、領有権を主張し竹島を不法占拠を続けているというのが現状である。

 歴史的に見れば鬱陵島周辺の小島の呼称が変遷し「竹島」は「松島」とか「リャンコ島」とか呼ばれた時代もあり、我が国では鬱陵島を「竹島」と呼んでもいたこともある。であれば韓国風に言えば「鬱陵島も我が国の領土」だろう(笑)

 こうした呼称も事を紛らわしくしているのも事実だが、李氏朝鮮時代の地図には鬱陵島より90キロも先に在る島のことなど唯の一度も登場したことはないし、鬱陵島とその近くの干山島などの小島以外は全く出て来ない。

 考えてみればそれは当然のことで、抑々、李氏朝鮮時代には、鬱陵島すら「空島政策」によって居住が禁止されており、それより遥か先の島の干山島ことなんぞ関心も認識すらもなかったというのが正直なところ。

 米国の傀儡として「反日」と「反共」を国是とし、韓国初代大統領に就いた李承晩は昭和27年1月、国際法を無視し、軍事境界線を勝手に設定すると、我が国の固有の領土である竹島を取り込んで「韓国領」と宣言した。

 我が国の主権が快復する4月28日の直前に、我が国固有の領土であった竹島を掠め取ったというのが真相であり、韓国側の竹島の領有権主張は、敗戦間際の旧ソ連と同じ国際法の蹂躙である不法行為を正当化する詭弁でしかない。

 戦後、この李承晩ラインを侵犯したとして拿捕、抑留された日本人漁民は「日韓漁業協定」が成立する昭和40年(1965年)の間に3929人にも及び、拿捕船舶328隻、死傷者は実に44名を数えた。

 韓国政府はこの日本人抑留者との引換えに、日本国内で犯罪を犯し収監されていた在日朝鮮人472名の放免と日本滞留特別許可を強要すると、我が国政府はその恫喝にあっさり屈し要求に応じた。

 外交や交渉での安易な譲歩が更なる譲歩を生んだ悪しき前例であるが、これ以降、在日が国内に居住続け、在日特権が次々と与えられて行くこととなった。竹島問題は「在日特権」を考える上でも重要な問題でもある。

 本日2月22日は「竹島の日」の日。国民は領土主権の重要性を再認識すると共に政府の弱腰外交を糺し、失地領土の奪還に立ち上がろう。

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2018年02月21日

飯館村の102歳男性自殺訴訟で東電に1520円の支払い命令

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 東京電力福島原発事故に因る強制避難を前に自殺した、当時102歳だった飯館村の男性の遺族3人が東電に約6000万円の損害賠償を求めた訴訟で、福島地裁の金沢秀樹裁判長が高齢男性の自殺と福島第一原発原発事故の因果関係を認め、東電に1520万円の支払いを命じた。

 福島県人として恥ずかしいやら醜いやら。福島県人はいつからこんな卑しくなってしまったのか。遺族は「無念を晴らせた」と目を潤ませていたが、賠償請求をすることが故人の苦悩を晴らすものだったとは到底思えない。

 こうした被災者の被害者意識を煽り、多くの訴訟が行われている裏側で、法テラスや弁護士らが被災者に入れ知恵し、あくまでも「原発事故は東電の責任である」との既成事実を積み上げて反原発に利用しているに過ぎない。

 震災後「絆」という言葉が合言葉になり、畏くも陛下は「国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者と共に夫々の地域の復興の道のりを見守り続けて行くことを心より願っています」と思し召し遊ばされた。

 だが、そうしたことを好いことに県内の被災者は少し甘え過ぎてはいないだろうか。被災者は仮設住宅での生活の不満を口にし、逸早く県内から逃亡した自称・被災者らは何かと理由を吐けては帰還を拒み、生活苦を訴える。

 今回の訴訟も東電に全ての責任を押しつけているが、原発事故が「人災」だったというのは事故調査委員会で既に明らか​になっている。ならば東電だけではなく、その人災の原因を作った当時の最高責任者だった菅直人も訴えるべきだろう。

 要らぬ被災者を出し、反原発派という精神異常者らが住民や国民を煽り放射線ヒステ​リーを齎し、福島への風評被害と福島県民への差別を生んだ主犯は菅直人でありながら、東電や東電幹部のみにその責任を負わせるのは如何なものか。

 当時の政府の不作為が後々の事故処理にも大きな課題を残した。史上最悪の事故は史上最悪の政権が起こした人災だったのだが、張本人の菅は自分の責任に頬被りして反原発を訴えてる始末。此奴こそ業務上過失致死傷で逮捕するべきだ。

 福島県の被災者は東電からの補償もあり、宮城や岩手県の被災者に比べて恵まれている方だと思うが、その限りのない無心は収まることはない。

 原発事故の被害は原発周辺者に限らず県民なら誰もが同じこと。偶偶、原発周辺20㌔以内に住んでたからこそ補償の対象になっているだけのことで、こうした現状を理解しているが故に被災者や自主避難者らは菅には寛大なのか(苦笑)

 第一原発北側に在る浪江町や飯館村、葛尾村の放射線量が多いのを知っていな​がら、既に発表した「20キロ圏内避難指示」を撤回する​ことに躊躇し、科学的放射線の数値が出されたSPEEDIの情報を隠蔽した責任は重い。

 20㌔圏内でも、川内村や楢葉町、双葉町、富岡町といった放射線の低い地域にも避難命令が出された。被災者となった彼らには過分な生活費と賠償金など、事故前よりも裕福となりこの世の春を謳歌している。

 因みに、川内村の住民は郡山市に避難することになったが、「川内村の放射線量は郡山市より低いのに何故に非難する必要があるのか」と糺したマスコミは無く、放射線の真実を伝えようとしたジャーナリストもいなかった。

 被災者や自主避難者らは口々に「帰りたくても帰れない」という。だが、原発周辺の住民の多くは東電関連の仕事に従事していた方が多く、あの周辺に戻っても昔の様な仕事に在り付けないということを知っている。

「帰りたくても帰れない」とのセリフは「帰っても仕事が無い」というのが大きな理由。それよりも生活補償費や賠償金で暮らした方が楽だもの。

 被災者らが集団訴訟を起こした「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ」がその無心の最たるもの。ならば反原発じゃなく「生業の為に福島第二原発の再稼働を急げ」と訴えるべきだが、言ってることとやってることが真逆(苦笑)

 それらのホンネを直隠し、未だに「我々は被害者だから優遇されるのが当然だ」と言わんばかりに権利ばかりを主張し、止まることのない無心を繰り返しているのは同じ福島県人としてホントみっともない。

 被災者はいい加減、被害者意識を棄てよ!

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2018年02月20日

古い日本語が差別用語として規制されてるのは逆差別にも感じてしまう

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 田村正和主演の「眠狂四郎」を観た。中々見応えのある内容だったが、眠狂四郎は今は亡き市川雷蔵のあのドSぶりが好きだ(笑)

 昔の日本映画や落語などには、盲(めくら)、唖(おし)、吃(ども)り、跛(びっこ)、聾(つんぼ)などの放送禁止用語がバンバン飛び交ってて実に面白く、台詞そのものが実に興味深い。

 古い映画や古典落語には差別用語だけではなく、懐かしくも美しい日本語が処処に溢れていて、こうしたことを気にしながら観たり聴いたりすることこそ生きた耳学問であり、実践した教育でもある。

「憚(はばか)り様でした」(ご苦労様です。恐れ入ります)
「傍杖(そばづえ)を食う」(思わぬ災難に遭う)
「荷が勝つ」(責任・負担が重過ぎる)
「武士は相身互い」(同じ立場の者は助け合うべし)
「罪業の深さ」(罪の原因となる行為)
「浮世に拗(す)ねる」(世の中に逆らう)
「卒爾(そつじ)ながら」(人に声をかける時に言う語)

 その他にも「阿漕(あこぎ)な奴」「お為倒し(おためごかし)」「朝未(ま)だき」「足元から鳥が立つ」など、現代では余り馴染みのない言葉や台詞のオンパレード。映画や落語は娯楽や趣味だから、こうした難解な言葉を四六時中考え、気にしている観ている訳ではないが、それはそれで楽しいもの。

 この「四六時中」という言葉も昔は「二六時中」と言ってたそうだ。一日を十二刻で数えていた時代には「二六時中」だったが、二十四時間になって「四六時中」に変わったというから面白い。

 言葉は時代と共に移ろうものだが、時代時代でどういう人がどういう風に使っているのかを知れば、また違った世界観を知ることが出来るというもの。外国語に比べ日本語というのは実に素晴らしい。

 愚生の敬愛する現代の思想家でもある新崎智こと呉智英(くれ ともふさ、ご・ちえい)は、差別を逆説的にこう述べる。

「差別は正しい、差別と闘うのが正しいのと同じぐらい正しい。人類が目指すべきは『差別もある明るい社会』である。差別さえない暗黒社会にしてはならない」。哲学的ではあるが実に示唆に富んでいる。

 マスコミのくだらない倫理観やキレイゴトによって、そうした古い日本語が差別用語として規制されてるのは逆差別にも感じてしまう。

 保守陣営などからは「教育勅語」を道徳教育の指導原理と成し、また戦前の「修身」復活の声も聞こえる。

 修身では例えば「おたけがめくらのてをひいて」と、幼少のおたけの障碍者への労りや優しさを教えている。だが「めくら」は現代では差別用語でもあり、放送禁止用語でもある。先ずはマスコミによる放送禁止用語を撤廃させるのが先決。

 差別用語が羅列されてる「修身」の復活は無理。「差別用語を使用しなければ良いだろう」というが、眠狂四郎や他の時代劇のリメイク版の様にリアル感が無くなり、相手(子供や学生)の心にに響くものが無ければ実践することもなく、実践の伴わない修身や道徳教育なんぞに意味は無い。

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2018年02月18日

乱れた箸使いは乱れた食卓にあり。食文化の崩壊が国家の崩壊を招く。

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 グルメ番組やケンミンショーなどで全国各地の美味しい料理などが紹介され、それをタレントらが食べるシーンが映し出される。汚らしい食べ方も興ざめするが、気になってしまうのが箸の持ち方。正しい持ち方をしている人が少ない。

 口々に「おいしい!」と言ってはいるが、それを見ている側としては食べ方も然ることながら箸の持ち方が下手クソなので美味しくは見えない。

 箸の持ち方も日本文化の一つであり、箸の作法までキチンとしろと言わないまでもテレビに出るなら最低限の作法は身に付けるべきだ。

 例えば、ゴルフのスイングもレッスンプロなどに指導され、それを直そうと思うと却って打ち難くなる。自己流のスイングでも差し支えなく打てるので、ぎこちないスイングの儘で固まってしまう。ゴルフに限らず他のスポーツも同じ。

 箸の持ち方も始めは持ち難いが意識して続けてれば直ります。要は、直そうとする意識に乏しいか、恥ずかしいという意識が欠落してるだけのこと。

 因みに、箸の持ち方というのは筆やペンの持ち方と同じ。箸使いの下手な人というのは往往にして字も下手くそなのが多い。

 箸の持ち方も満足に出来ない人が氾濫していることは、日本文化の崩壊の序章でもあると言っても大袈裟ではない。箸置きがあるなら箸置きに置くという、そういう当たり前のことが何故に出来なくなってしまったのだろう。

 食事や酒席で、箸置きではなく器の上に箸を置く「渡し箸」をされるとそればかり気になって食事どころではない(笑)

 愚生の場合、別に詳しく教わった訳ではないが、親や兄弟の箸の持ち方を見てれば自然に身に付くもの。やはり育った環境は大きく、乱れた箸使いは乱れた食卓にあり、親が箸使いが出来ないか単に甘やかされて育ったということだ。

 箸使いもロクに出来ない安倍首相が農業改革を叫んでるがやってることは農業解体。「主要農産物種子法廃止法案(種子法廃止法案)」「農業競争力強化支援法」を可決した安倍自民党に、農業改革を唱える資格無し。

 箸使いが下手くそな安倍が農業云々というのも如何なものか。安倍ちゃんを見てると親に甘やかされて育ったというのがよく分かる。

 また、自称愛国者にも箸使い一つロクに出来ないで「やれ韓国が~」「やれ北朝鮮が~」と騒いでいるが、朝鮮人や支那人が出来て、それを批判する日本人が出来ないというのは情けないやら、嗤えるやら(苦笑)

 その国の食文化の崩壊が国家の崩壊を招く。豊葦原瑞穂の国に生まれた日本人としてもう一度、ご飯を主役にした食卓を囲み、日本らしい食文化を再興することが大事であると思う。

 箸の持ち方は和文化の代表的なもの。日本人として大事な作法の一つだと思っていますので同じ様な記事はちょくちょくアップしてます。

 福井県越前市に「はし和文化研究会」という団体が在る。箸を通じて和文化(日本の歴史・文化、和の心、礼儀作法、躾)を学び深めようと活動しているグループで、その素晴らしい活動は刮目に値する。

 箸の使い方が下手な自称愛国者や保守派、また和文化研究に興味のある方は下記のアドレスをクリックしてみて下さい。http://hashiwabunka.jp/

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2018年02月16日

放射線防護対策の年間被曝線量は20ミリシーベルト以下

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 県内では一時期よりも少なくなったとはいえ除染作業が続けられている。無駄な除染作業で積み上げられたフレコンバッグを中間処理施設に運搬する仕事が多忙を極め、塗装が間に合わない白地の新車のダンプカーが往来している。

 以前、自民党の丸川珠代が環境大臣として訪問した先で行われた講演会で「年間1ミリシーベルト以下という数値は何の科学的根拠もなく時の環境相が決めた」と発言し槍玉に挙げられていたのは記憶に新しい。

 この「年間1ミリシーベルト」数値は、時の政権だった菅内閣下で共同謀議的に決められた亡国的愚策の一つで、科学的根拠など考えてもいなかった。

 丸川の発言は正しいものだったが、国の除染目標値に関して「反放射能の人がワーワー騒いだ」との発言を含めて、情けないことに法案審議を優先すべく国会での論戦を避け発言を撤回した。撤回するくらいなら初めから発言するなっての。

 現在、福島県内で行われている除染作業も「年間1ミリシーベルト以下」という曖昧な数値を根拠に始められたもので、これは禁煙家でもあり、人一倍健康を気にする小宮山洋子厚生労働大臣(当時)の鶴の一声で始められたものだ。
 
 年間被曝の科学的根拠を示さないばかりか、原子力規制委員会からの「放射線防護対策の年間被曝線量は20ミリシーベルト以下」との提言を無視した。

 政府の説明の無い儘に始められた除染は住民の不安を煽り、低放射線への理解が得られることは無く、未だに終わりの無い除染作業が続けられている。

 民主党政権が謀った除染作業は当初は東電が経費を負担することとなっていたが、東電は支払い能力もなく、結局は公共工事として莫大な血税が垂れ流され、無駄に出た単なるゴミを中間処理施設に運んでいる。

 これを最終処分するとなるとどれ程の血税が垂れ流されるのだろう。年間20ミリシーベルト以下であれば人体に影響が出ることもないし、未だにそうしたことを知らない被災地の人や反原発派を慮って政争にしているだけ。

「1ミリシーベルト以下」という数値が国民の放射線への間違った認識と、それに伴う風評被害を齎し、復興は愚か復旧をも阻んで来た元凶だが、安倍政権下でも撤回し是正しようとしないのは正に党利党略でありポピュリズムそのもの。

「1ミリシーベルト」という数値によって避難指示が行われ、それに便乗した連中が自主避難し被害者ぶって故郷である福島を貶め続ける。

 今や25兆円とも言われる除染関連事業で儲かっているのは除染に関わった大手ゼネコンと一部の業者だけ。下請けや孫請けなら未だしも、それより下の業者の儲けは少なく、親会社に裏切られた下請け業者は数知れず。

 また「1ミリシーベルト」という厳しい基準が「福島は除染しないと住めない」という妄想を生み、風評被害を払拭出来ずにいるのも確か。

 県内各地の空き地や田畑には汚染土砂の詰まったフレコンバッグが山積みにされているがタダで置かれている訳ではない。

 場所代として田畑一反に付き15万円が支払われているという。県内の農業での収入は一反に付き約5万円。つまり農業するより儲かるのだ。漁業関係者に支払われた賠償金も、真面目に働いてる頃よりも莫大な金額だった。

 こうした愚策の影響もあって県内、特に被災者の金銭感覚は悍ましいもので、浜通りのパチンコ店は連日大入り満員だという。浪江町民が1人に付き月10万円の慰謝料を35万円に要求したのも金銭感覚の異常さが成せる業だろう。

 県内の某銀行の預け入れ資産残高は震災前は3兆4756億円。震災から6年経った昨年の決算では6兆894億円と倍増している。要は復旧と復興の名の下に大いに潤ったのは銀行と大手ゼネコンだけ。

 一部の悪徳業者が私腹を肥やし、銀行なんぞ復興に役立て様という殊勝な気持ちも持ち合わせてはいない。除染関連事業なんぞ止めてしまえ。それよりも県内の電柱を地中化して道路整備を進めた方が復興にもなるし、税収も増える。

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2018年02月15日

浪人は長生きすればするほど惨めな生活が待っているよ(呵呵)

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 将棋の羽生善治永世七冠と囲碁の井上裕太全七冠に国民栄誉賞が授与された。正に「歴史に刻まれる偉業」である。両氏共に中学生でプロの世界の中で生き抜いてきた天才であり、勝負師である。

「タニマチが出来ると弱くなる」という言葉が勝負師の世界にはある。打算的で持ちつ持たれつの関係のスポンサーとは違い、タ二マチ(谷町)は無償で人を育てる関係。タニマチに甘んずるが故に勝負で遅れを取る。

「出世払い」という言葉があるが、それもタニマチと同じ様にその人に夢を賭けていることの証しとも言える。愚生は勝負師ではないが、30代から大手警備会社の高花豊会長には物心両面で支援して頂いた。

 会長が70歳を機に引退。愚生にすれば未だ未だ支援してくれるものだとばかり思っていたので、突然の引退で更なる経済的な危機に直面した。「タニマチが出来ると弱くなる」というのはこういうことだろう。

 以前、会長に言われた言葉を思い出す。「佐久間さん、浪人は長生きすればするほど、惨めな生活が待っているよ(呵呵)」

 己の努力の足りなさもあるが正にその言葉通りになりつつある。この言葉の裏には「右翼は身体を賭けてナンボ」との嫌味も含まれていたんだろう(笑)

 別に金を追おうとも思わないが、金が無いというのは実に不便なもので、奢って貰う酒も美味しいとは感じなくなる。

「あんたが(カネを)持っていても俺が持ってなければ、酒なんざ飲んでも旨くない。酒とはそういうもんぜよ」とは坂本龍馬だが、愚生もそう思うから酒席の誘いも断ってるし、外に出ないから情報にも疎くなる。

 金というのは持ってれば何かと便利という代物でしかない。金があれば生活は元より、右翼陣営の立て直しも出来る。

 その昔(昭和24年8月)、故野村秋介の師であり昭和維新を夢見た三上卓は、台湾からの密輸事件(海烈号事件)で逮捕されているが、これも革命(昭和維新)資金の調達が目的だった。

 現在の右翼の先生方を見れば、会社回りも順調で景気の良かった頃に蓄えた金で家を購入し、居の安きに甘んじて右翼を志した純粋な気持ちなんぞ疾うの昔に忘れ去り、「武士は相見互い」なんてのは死語だ。

 右翼の立て直しは資金確保の成否にあるが、そういう意味では鳩山由紀夫と一緒にクリミア半島を訪問した一水会の木村三浩の失墜は痛手でもだった。

 クリミア半島訪問後、畏友でもあった横浜在住の右翼に介添えを進言したが軽く断られたことがある。何のことはない、鳩山との縁を持って右翼陣営の強力な資金提供者(タニマチ)にして欲しかったからだ。

「鳩山が右翼に資金は出さないだろうし、鳩山はダメだ」という声もあるが、革命資金を確保するのに思想や政治信条なんぞ関係ない。どんな金でも金は金、カッコ付けてても潤沢な活動資金を確保出来なきゃ意味はない。

 そんな愚生の想いは通じず、袂を分かつ結果となってしまった。

 愚生の場合、今年になって支援金は数万円ほどでシャレにもならない。いざという時の為に集めていた品をヤフオクで売ってどうにか凌いでいたが、ツイてないときは何をやっても悪い結果になり、ヤフオクから出品制限がかかった(笑)

 別に不如意は慣れてはいるが借金は益々殖えていくばかり。まぁ借金も「出世払い」と同じく愚生の夢に賭けてくれていると思えば気が楽だが、田舎で喘いでいる右翼浪人が出来ることと言ったら高が知れている。

 支援して頂いてるその期待を裏切ることなく、右翼浪人として人生を全うせねばと覚悟してるものの、そろそろ限界を悟ってきた。長い浪人生活は人を本物にするというが、最近は流石に折れそうだ。

「人間の財産と言うものは、いざと言う時に自分を支えてくれる人であると同時に各自が目指す目標実現の為の知恵袋である」という言葉があるが、窮しながらも支えてくれる人が僅かにいるのは救いでもある。

 先行きが不安になるということは歳をとったということだろう。自爆テロでも考えるか、今少し強力なタニマチが現れるのを待つしかないか。呵呵。

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2018年02月13日

言葉や文章を書き留めて、少しでも近付ける様に努力することは大事なことだ

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 誰しも「好きな言葉」というのはあるだろうし、感銘を受けた本や座右の書というものもあるだろう。金言や格言の多くは経験から学んだものであり、自戒を込めた言葉故に相手に響く。逆を言えば、経験が伴わない言葉は軽々しい。

「人真似上手は個性を創造する」という様に、そうした言葉や文章を書き留めて、少しでも近付ける様に努力することは大事なことだと思っている。

 越前福井藩士で安政の大獄で斬首された幕末の志士・橋本左内はこう訓える。

「志を立て、その目的を達成する手段の中で最も近道だと思うのは、聖人の書物や種々の歴史本の中で自分が特に刺激を受けた部分を別紙に書き抜いて壁に貼っておくか、扇などに書いておき、日夜朝夕それを眺め、常に反省しつつ、及ばない点について勉め、進歩を楽しむのがよい」

 よく読書の量を自慢している自称読書家を見かける。斯くいう愚生も、若い頃は政治思想の本を中心に、雑駁ではあったが色々な書物を読み漁り、本棚に並べてはその読書量に悦に入ったりしたものだ(笑)

 そんな読書好きな輩というのは「読書は楽しい」といって憚らないが、読んで楽しいというだけなら別に読書じゃなくても映画でもいいし、落語や講談、歌舞伎などでも好いだろう。

 本というものはカネと同じで、無いよりはあった方がいいし、読まないよりは読んだ方がいいというくらいなのもので、量より質、感じ入った部分を何度も読んで心に刻み込むのが好い。

 勉強とか学ぶという基本的な在り方は活眼を以て生きた本を読むことだ。読んで学んで、実践しなければ意味は無い。常々、心眼を開いていれば「生きた学問」、参考書となるべきものは多く在る。

「生きた学問」」「耳学問」で一番なのが、失敗に失敗を重ねながらも成功した人物の話であり、くだらん流行本なんぞより学ぶことは多い。

 大学教授や学者、或いは昨今の保守ブームに乗っかって稼いでいる営業保守の本なんぞ、小難しい言葉を羅列しては悦に入ってるが、よくよく読めば「常識」を尤もらしく書き綴っているだけのこと。

「小人の学は、耳より入りて口より入ず」というが、小人は学問を売り物にし耳から聞き齧った事をそのまま口にするので少しも身に付かない。

 耳が痛いものを感じるが、自分の中に真の学問を積んでいる人は決してひけらかすことはなく、衒学(げんがく)臭くはないものなのだ。

 武士道では「学問は他人を説得したり、論破したりするものではなく、自分自身がどう生きて行くかのか、或いはどう在るべきか、といったことに答えを見出すものでなくてはならないのである」と説く。

 学問とは本来自分自身の向上の為のもので、仲間にしか通用しない夥しいコピペをSNSに貼り付け、付け焼き刃の知識をひけらかし、自分自身に酔っているネット右翼や営業右翼はある意味で反面教師とも言える(笑)

 実践の伴い薄っぺらな主張では世の中どころか他人さえも、否、身内さえも看過することも感化し賛同させることさえも出来ないだろう。

 愚生の場合、倫理哲学者の西晋一郎が好きで彼是と参考にしている。自分自身に酔っている訳でもないが、西先生の「教えるとは実に教えられることである」を肝に銘じ、今日もまたこうして書き綴っている。呵呵。

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2018年02月12日

地元の「開成大神宮」が「岩代大神宮」となっていたら・・・

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 例年、紀元節には上京し仲間と共に奉祝行事に参加していたが、団体を辞してからは地元の開成山大神宮に参拝し、神武肇国の精神を偲ぶと共に畏くも陛下の弥栄、併而心願成就を祈念している。 

 開成山大神宮の御祭神は「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」「豊受大神(とようけのおおかみ)」「神倭伊波禮彦命(かむやまといわれひこのみこと:神武天皇)」。伊勢神宮や橿原神宮と同じ神を祀る有難い社である。

 安積開拓民の精神的な拠り所にと、福島県の典事・中條政恒が伊勢神宮の分霊の奉遷を神宮司庁へ働きかけた創建された神社である。

 本来は、福島県が「岩代の国」と呼ばれていたということもあり「岩代大神宮」を希望したが、伊勢神宮」と同じく、旧国名を冠することに明治新政府が難色を示し「開成山大神宮」となった。

 こうした経緯があることは余り知られてはいないが、もしも「岩代大神宮」だったらと思うと旧岩代町出身者の愚生としては惜しい哉。

 安積(郡山)の地というのは、明治以降、地元の二本松藩を始め、会津、棚倉。近県からは米沢藩。四国からは土佐と松山藩。山陰からは岡山、鳥取藩。九州から久留米藩の方々が入植して開拓した地だ。

 中でも一番多かったのは九州久留米藩で、郡山弁には「そうだばい」とか言葉尻に「ばい」が使われるのはそうした名残だろう。

 今の様に交通の便が無い時代、九州や中国・四国地方から徒歩で数百、千数百キロを歩いて来たことを思うと実に感慨深い。

 右翼現役時代には初代総隊長だった故福田進が殊のほか紀元節を重んじていたこともあり、明治神宮への参拝は欠かさなかった。

 平成16年、陛下の御親拝の関係者への案内状のミスを理由に神社本庁から離脱し「宗教法人」となって以降、明治神宮参拝は中止した。

 明治神宮は周知の通り、国民の総意により明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲び創建された神社であり、それを神官の一部や神社側の幹部が私物化し、営利至上主義に奔っている現状は正に憂慮すべき事態である。

 神職に携わる者が営利に奔り、神社庁の主導権争いから「神社庁に属さなくても独立採算出来る」というその姿勢は実に賤しく、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲ぶ神社としては不謹慎過ぎる。

 明治神宮が神社本庁から離脱し一宗教法人となったことは、明治神宮が創建された趣旨から鑑みても逸脱するものであり、況してやGHQが実行した「神道指令」を容認している蛮行とも言える。

 右翼陣営がこうしたことに苦言も呈さず明治神宮に参拝することは、明治神宮の愚行とGHQの戦後政策を赦すことでもあると思うが如何か。

 宗教法人とは「教祖・経典・布教活動」の三条件が必要であるが、神社=神道はそれに該当せず、つまりは宗教ではない。神道とは日本人の心に清む惟神(かんながら)の道である。

 靖國神社や全国の護国神社が「宗教法人」となっているのは、戦後GHQの「神道指令」を免れる為に御祭神を別なものにしたりして、神社存続の為に已む無く採った先人の智慧である。

 本来ならば昭和27年4月28日の主権快復の折に、宗教法人格を解除し国が護持すべきだったのだが、未だ宗教法人として放置され続けていることは、政治家の怠慢と不作為以外の何ものでもない。

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2018年02月11日

国を愛する心の涵養とは「敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花」これに極まれり

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 本日は建国記念日、戦前の「紀元節」。祝日法には「建国を偲び、国を愛する心を涵養する日」とあり、また、大日本帝国憲法(欽定憲法)発布記念日でもある。では「建国を偲び、国を愛する心を涵養する」とは如何なることか。

 日本人が失った徳目を呼び返そうという標語として「愛国心」は最も相応しい言葉だと思うが、国旗や旭日旗を仰々しく掲げ、勇ましい言葉で左翼らを攻撃している姿に日本的気風を感じることはなく、「愛国心」が贔屓の引き倒しになってしまってる感は拭えない。

 三島由紀夫は嘗て「日本の様な国には愛国心などという言葉はそぐはないのではないか。大和魂で十分ではないか」と語ったが、激しく同意する。

 我ら日本人が持つべきは「大和の心(大和魂)」であり、つまり、花鳥風月、山川草木、春夏秋冬の恵まれた自然に逆らわず調和して暮す従順な心であり、猛々しくも軽薄な愛国心ではない。

 国を愛する心の涵養とは、即ち大和心の涵養であり、国学者・本居宣長の和歌「敷島の大和心を人問わば、朝日に匂う山桜花」、これに極まれり。

 安っぽい愛国心を昂揚することではなく、八紘(はっこう)を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむこと。つまりは神武肇国の大理想である「八紘一宇」を掲げ、天皇國日本の真姿開顕へ奮闘前進することである。

 終戦により紀元節は廃止。統治下の昭和22年、日本国憲法に相応しい祝日の法案に紀元節が「建国の日」として盛り込まれるもGHQにより削除される。

 主権を回復した昭和27年4月28日「紀元節復活運動」が起き、昭和33年に国会へ紀元節に関する議案を提出。昭和41年に祝日法が改正され、翌年2月11日に「建国記念の日」として実施されることとなった。主権回復から実に15年の歳月を要した。

 建国記念日の趣旨が「建国を偲び、国を愛する心を涵養する日」とするならば、次代を担う子供達や青少年に日本の神話を教え、建国の意義と神武肇国の大理想を伝えて行くべきであろう。

 そういう意味でも「建国記念の日」というより「紀元節」とするのが望ましく、更には大日本帝国憲法の意義を考える日にしなくてはならないのだ。

 自分に誕生日がある様に国にも誕生日があり、国が肇められたことを奉り祝うのはその国に生まれた者の務めである。

 本日は全国各地で「神武天皇陵遙拝式」や建国奉祝パレードが行われるが、一方では「紀元節復活は科学的根拠がない」「軍国主義復活反対」などとして、共産党を始めとした売国団体や誤(護)憲派が「奉祝反対」の催しを目にする。

 正に「平和ボケ」と揶揄される日本人を象徴するものだが、「紀元節奉祝反対」を叫ぶ連中の真意は外でもない、明治22年2月11日に公布された国家の大理想が掲げられてる大日本帝国憲法の復活を危惧してのものだ。

 明治人の知恵の結晶でもある大日本帝国憲法の復元と改正こそが天皇国日本を盤石の安きに置く使命であり、民族の信念と道統を受け継ぎ、これを護持し、これを宣布し、そして子孫に伝える責任と使命を有する者、それは我ら日本人である。

 紀元節に当たり、神武肇国の大理想である「八紘一宇」を天高く掲げ、天皇国日本の真姿開顕へ奮闘前進しよう! すめらぎいやさか

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2018年02月10日

朝鮮半島の非核化より金王朝を崩壊させ南北統一を実現させたら面白い

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 安倍首相は平昌オリンピック開会式出席の為に訪韓し、文在寅大統領と会談、日韓合意の履行を要求。更にはペンス米副大統領らと共に北朝鮮への最大圧力を高める方針を確認した。

 南北統一チームで臨むオリンピックに抗議もせずに「最大圧力」とは嗤うしかないが、こういう在り来たりの会談に意味が在るとも思えない。

 何より、核兵器を保持した国が放棄したということは聞いたことがないし、北朝鮮だけを批判するのも如何なものか。

 朝鮮半島が北朝鮮の核によって脅かされるというが、元々は同じ民族。南北統一は民族の悲願であることは間違いない。ただ、統一後に米国が仕切るか、ロシアや中共が仕切るのでは大きな違いがあるというだけのこと。

 そこで問題なのは北朝鮮の金正恩。金正恩さえいなくなれば南北統一が成されたとしても脅威ではない。要は、あの肥えた首領の扱い方次第。

 北朝鮮が異常且つ極めて危険な国だと言うことは誰もが認めるところだ。正式名称は「朝鮮民主主義人民共和国」だが、民主主義でも人民の国でもなく「金一族」の個人独裁の世襲全体主義国家というのが正しい。

 日本人を拉致し、ニセ紙幣を偽造し、覚醒剤を密売し、ミサイルを製造し輸出し、旧社会主義に内在した悪の本質が体制化したチンピラ国家である。

 何百万の餓死者が出ても歯牙にもかけず弾道ミサイルを開発し、核開発に狂奔している。この不良国家の三代目金正恩の存在が鍵となろう。

 金正恩体制を存続した儘では南北統一は非常に難しく、金正恩の崩壊なき統一は韓国が北朝鮮に併呑されたことを意味する。

 米国がテロによって金正恩の暗殺を企てているとも聞くが、貧困に喘ぎ痩せ細った人民とは対照的に、膨よかな肥えた「最も貧しい国に最も富裕な王がいる」時代は未だ未だ続きそうだ。

 韓国では朝鮮半島が分断されたことを日本の責任だとするが、分断に至ったのはソ連の参戦が原因である。

 昭和20年(1945年)8月9日未明、ソ連が参戦すると3日後の12日には朝鮮半島北部にまで侵攻。朝鮮への侵攻準備が出来ていなかった米国はこれに慌て、急遽、朝鮮占領の協議が行われ所謂「38度線」で分割することで合意した。  

 それから5年後の1950(昭和25)年6月25日、北朝鮮の突然の侵攻で同じ民族同士が相討つ戦争となり、数百万人が犠牲となる大惨事となった。これが「朝鮮戦争」である。この時、日本は未だGHQの占領下。

 朝鮮戦争の勃発も朝鮮の南北分断も我が国に責任は無いが、若しその責任が在るのだとすれば、大東亜戦争に敗北し、戦後、共産主義の跋扈と驕逸を許したことだろう。その償いは、その共産主義を滅ぼす以外にはない。

 中国共産党なんぞ北朝鮮と同じく恐れるに足らないヤクザ国家であり、尖閣列島で紛争になれば一気に共産主義体制を崩壊させる好機でもある。

 干戈を交えれることになり我が国が勝利することになれば、ロシアは沈黙し、共産党一党独裁の習近平体制は崩壊し、朝鮮の南北統一も実現可能となり、中共の圧政に呻吟してる国々を始め世界から称賛されることだろう。

 唯くれぐれも、大韓民国を押し付けられた日韓併合の二の舞だけは勘弁願いたい。南北統一後は、米国が米韓強化の為に沖縄を始めとした在日米軍を全て撤退させ朝鮮半島に移設することを望むばかり。

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2018年02月09日

相撲協会VS貴乃花親方の構図を作り大相撲批判を繰り返すマスコミ

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 マスコミは、相撲協会VS貴乃花親方の構図を作り、恰も貴乃花親方が相撲協会の陋習を打ち破ろうとしている改革者であるかの様に作為的に報道し、国民もまた貴乃花親方を支持する。

 だが、本当に貴乃花親方は改革者なのか。貴乃花が理事長に就いたら相撲協会が変わるのか。熱烈な相撲ファンである愚生からすればそうは思えない。

 現役時代、若貴ブームを作り、歴代横綱の中でも記録より記憶に残る力士だったのは間違いない。北の湖と共に一代年寄となったのはそうした功績の賜物だろう。

 だが、プライベートでは宮沢りえとの交際と婚約破棄や兄・若乃花との絶縁など、自分に厳しい結果だとマスコミは好意的に捉え持ち上げるが、貴乃花には心の余裕を感じられない。

 白鵬の相撲を批判してるが、確かにかち上げや張り手は頂けないが、相撲の技にあるのだから一概に批判は出来ない。あくまでも姑息な技は横綱らしくないというだけのこと。

 貴乃花と若乃花の同部屋決戦では若乃花が勝利し優勝を飾ったが、アレは明らかに兄に花を持たそうとした八百長だろう。

 また怪我を押して武蔵丸との決戦に挑み勝利し、鬼の形相で勝ち名乗りを受け、表彰式では総理大臣杯を授与する小泉純一郎が放った「感動した」は記憶に残る一言だろう。

 だが、相手の武蔵丸は怪我をしてる相手に本気で勝負するなど出来ない性格で、試合後「取り難いよ」との言葉にその思いが込められている。

 怪我を押して強行出場した貴乃花は、相手に失礼だとは思わなかったのだろうか。そうしたことに貴乃花の相手を思う気持ち、横綱としての慈愛の心の乏しさが感じられる。

 協会との拗れや蟠りも、己が正しいと言わんばかりに自我を通しているだけで、これが改革者である筈がなかろう。

 人というのは、ハンドルに遊びがある様に心に余裕が無いと窮屈になる。貴乃花は自分自身に厳しいというより、その厳しさが相手も息苦しくさせるということも知るべきだろう。

 身内やマスコミ向けに笑顔を見せるが、その顔は政治家が有権者に見せる取り繕った笑顔にしか見えない。憮然としながらも慈愛に満ちた器の大きな故北の湖の様な親方を目指して欲しいものだ。

 大相撲は、明治維新で「断髪令」が発せられても丁髷の伝統を貫き、戦後もずっと表彰式で国歌「君が代」を斉唱し、国技を自称して来た保守の牙城とも言うべき組織でもある。

 その大相撲を目の仇にし、歴史・伝統・文化を否定する左翼や無自覚左翼の連中が、賭博やら八百長やらを執拗に煽り立て糾弾したことは記憶に新しい。

 今回の日馬富士の暴行事件をきっかけにした大相撲批判を目にすると、大相撲の存続にも影響しかねないし、貴乃花は改革者の名の下にそうした反大相撲勢力に利用されてる様にも感じる。

「角を矯めて牛を殺す」というが、少々の欠点を直そうとして反ってそのもの自体を駄目にすることも無きにしも非ず。

 相撲協会VS貴乃花親方の報道を目にする度に相撲ファンを落胆させる。このままでは大相撲も廃れてしまうだろう。

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2018年02月08日

靖國神社御創立百五十年記念事業に思う

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 今年平成30(2018)年は明治改元(1868年)から150年を迎える。江戸幕府に対する倒幕運動から明治政府による天皇親政体制への転換と、それに伴う一連の改革を明治維新という。

 だが その後、長州藩を中心に動いた一連の動きは尊王攘夷とは名ばかりでその実は尊皇開国。維新後、西洋を模倣した長州閥が中央官制を始め、地方行政、文化、教育、思想政策など多岐に亘り影響を及ぼすこととなる。

 中でも靖國神社は、改元後の明治2年、明治天皇の思し召しにより「東京招魂社」として建立された神社であることは誰もが知るところ。

 その合祀対象は、三条実美の祭文に明示されている様に「皇軍に役立ちして、賊徒等を討たん其の義に・・・命果てぬる輩」に限られている。

 この三条公の祭文の原則がある限り、また見直さない限り、会津藩や我が二本松藩、或いは西南の役での西郷軍関係者などが祀られることはなく、未来永劫 、西郷軍や東軍は「賊軍」の儘なのだ。

 戊辰の役(戦争)では「西軍」と「東軍」は干戈を交えたが、「皇軍」という名の「官軍」と「賊軍」が戦った訳ではないし、東軍は賊徒ではない。「賊軍」とは、維新後、明治新政府によって作られた造語である。

 明治改元前年にあたる慶応3年(1867年)、徳川十五代将軍であった徳川慶喜が征夷大将軍の職を辞し、政権を朝廷に返上した。

 この大政奉還を以て明治維新は成立したと考えるが、王政復古に拠って慶喜の辞官納地を決し、鳥羽伏見の戦いを経て戊辰戦争に突入して行った。

 何故に江戸城開城後も会津や函館を攻め入ったのか。何のことはない、長州藩が蛤御門の変(禁門の変)で敗れたことへの恨みつらみというのが正しく、長州が掲げた錦の御旗も大義も贋物であったのだ。

 歴史に「もし」は無いが、もし、勝海舟が西郷隆盛との会談で江戸城の無血開城を諒としたことを以て徳川幕府が崩壊したのなら、その後の東北や会津での戦いに意味があったとは思えない。

 幕府唯一の神道であった会津が何故に朝敵として責められなければなかったのか、単に蛤御門の変(禁門の変)での敗戦の遺恨であり、とても明治維新が尊王攘夷という大義ある代物とは思えないのだ。

 靖國神社には未だ三条実美の祭文が効力を発揮し、東軍戦死者は賊軍として本殿に祀られることはなく「鎮霊社」に分霊されている。

 だが、靖國神社が戦没者の顕彰を重んじる神社であるなら、鎮霊社という別なカタチで祀ることと、本殿に祀ることと、そのどちらが時代に即して天皇(すめろぎ、すめらぎ)が顕現される道なのか言わずとも分かるだろう。

 死者の選別を続けることは日本人の死生観にもそぐわないし、明治天皇の思召しにより創建された社としては如何なものか。明治維新の戦いで斃れた全ての戦没者の合祀を図るこそ天皇顕現の道である。

 靖國神社御創立百五十年記念事業のパンフレットを見ると、明治維新のことには一切書かれておらず、大東亜戦争での戦没者の御遺族や戦友の減少に伴い賛同者が減っっていることを案じている。

 その上で「国を思い、祖国を愛し、家族を慈しみつつ散華された英霊の御心を次の世代へ伝えて行くことこそ、戦後に生きる私共の責務」と、施設の充実を図る為の工事への支援を訴えている。

 明治維新や明治天皇思し召しで創建されたことにも触れることなく、唐突に、先の大戦で散華された英霊を持ち出すことに違和感を覚える。靖國神社は大東亜戦争の英霊だけの施設になってしまったのか。

 これでは反靖國派に批判される材料を与えている様なもので、靖國神社が戦没者の顕彰を重んじるなら、明治維新の過程で勃発した戊辰戦争や西南の役などで散華された東軍を含めた全戦没者の功労も顕彰すべきであろう。

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2018年02月07日

2月7日の「北方領土の日」に政府や国会のやる気の無さが現れている

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 本日2月7日は「北方領土の日」。地元紙のトップは女性週刊誌の様な秋篠宮真子内親王の御成婚に関する記事が踊っているだけで、新聞を見てもテレビのニュースでも北方領土問題に関する記事は見当たらない。抑々、今日2月7日が「北方領土の日」だと認識している国民はどれ程いるのだろう。

 北方領土は「日露和親条約」並び「樺太・千島交換条約」締結により、歯舞、色丹、国後、択捉の四島を含む、北は占守(シュムシュ)島から得撫(ウルップ)島の全千島列島と南樺太が固有の領土となった。

 領土問題では、日本共産党でさえ「全千島、南樺太の主権」を訴えているが、この認識が正しく、国会で採択された「四島返還決議」の返還要求こそ、事勿れ主義であり軟弱土下座外交そのものなのだ。

 先人達の外交努力を無視し、全千島と南樺太の主権が在るにも拘らず四島のみの領有権主張を明記し、見す見す権利を放棄するとは理解に苦しむ。

 安政元年(1855年)2月7日、下田で「日露和親条約」が締結され、四島と千島の間に境界線が引かれ、樺太を混住の地と決めた。

 だが、これは日本政府としてではなく明治維新前の江戸幕府時代であり、下田での条約締結を四島返還論の論拠とするのは無理がある。

 その後、明治維新を成し遂げ新政府を発足させた我が国は、明治8年(1875年)5月7日に「樺太・千島交換条約」を交わし、樺太の北側を千島列島と交換したことで、南樺太と全千島が日本に帰属したのだ。

 つまり「北方領土の日」は2月7日よりも、旧ソ連が日ソ不可侵中立条約を蹂躙するに至った8月9日にしろとは言わないまでも、南樺太・全千島が国際法的に我が国に帰属した5月7日が相応しい。

 北方領土問題解決には、領土に関する歴史的経緯と事実を、そして領土主権の重要性を国民に分かり易く説明すべきだが、2月7日の北方領土の日に政府や国会のやる気の無さが現れている。

 政府は4島に拘る故に「日露和親条約」を論拠にしているが、日露和親条約ではなく「樺太・千島交換条約」並びに「ロシアは樺太の北緯50度以南の領土を永久に日本へ譲渡する」とした「ポーツマス条約(日露講和条約)」を論拠に領土の主権を主張をすべきであって、四島のみの返還要求など言語道断。

 政府は昭和56(1981)年、北方領土問題に対する国民の関心と理解を更に深め、全国的な北方領土返還運動の一層の推進を図るという理由で2月7日を「北方領土の日」と制定したが、この2月7日こそまやかしの返還運動であり、弱腰外交の象徴の日と断じざるを得ない。

 余談だが、国士舘大学在学中だった昭和56(1981)年2月7日、防共挺身隊の一員として「北方領土の日」を粉砕すべく霞ヶ関の式典会場に向かった。

 会場手前から隊列を組み押し入ろうとするも機動隊と揉み合いになった。当時は幟は竹竿で作ってあり、振り回すと機動隊員に当る。数人が機動隊員に連れ去られるも乱闘の末に奪還したことも今では懐かしい想い出だ(笑)

 世界各地で民族争いの中で国境紛争が頻繁に起きている。寸土たりとも主権確立には戦いをしてまで死守しているのが世界の常識でもある。

 我が国も北方領土然り、竹島然り、奪われたものは奪い返すことでしか解決を見ないことを自覚し、領土奪還の気概を持つべし。

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2018年02月06日

ヤルタ協定はルーズベルト個人の文書であり公式文書でなく無効である

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 第二次世界大戦中の1945年(昭和20年)2月4日から11日にかけて、米国のルーズベルト、ソ連スターリン、英国のチャーチルらがクリミア諸島のヤルタに集い密談が行われた。所謂「ヤルタ協定(会談)」である。

 この時、ルーズベルトは「南樺太のソ連に返還」と「千島列島のソ連への引き渡し」を条件に日ソ中立条約の破棄を進言し、ソ連の対日参戦を促した。

 ソ連は、この密約に従ってドイツが無条件降伏した約三ヵ月後の昭和20年8月9日、ソ連は「日ソ不可侵条約」を一方的に破棄し参戦し、ソ満国境を越え鬼畜の如き蛮行と、我が国固有の領土である北方領土を強奪した。

 現在もロシアは「ヤルタ密約(ヤルタ協定のうち極東密約)」を楯に北方領土の主権を主張しているが、「ヤルタ密約」の有効性について、英国政府はヤルタ会談翌年の1946年2月に疑義を呈していたことが明らかになっている。

 英国立公文書館所蔵の英外交電報では「露の四島占拠根拠なし」として、米英ソがヤルタ密約を公表する2日前に、英外務省から全世界の在外英公館54ヶ所に「緊急且つ極秘」に一斉に送られた。

「ルーズベルト大統領が権限を越えて署名したことや、米上院の批准もない状況下での有効性について米国内で論議が起こるかもしれない」として、「(英国は)その議論に巻き込まれないよう注意すべきだ」と警告している。

 チャーチル首相が1941年8月、ルーズベルト大統領と領土不拡大の原則を謳う「大西洋憲章」に署名しており、ヤルタ密約がこの大西洋憲章に反するとの英政府の認識が示された形だ。

 一方、米国では1953年に就任した共和党のアイゼンハワー大統領が年頭教書演説で「あらゆる秘密協定を破棄する」と宣言している。

 1956年には、アイゼンハワー政権が「ヤルタ協定はルーズベルト個人の文書であり、米政府の公式文書でなく無効である」との国務省声明を発表し、ソ連の北方領土の占有に法的根拠がないとの立場を鮮明にしている。

 ヤルタ協定に参加した米英が、ロシアの北方領土の主権に疑義を呈している中で、何故に当事国の我が国がロシアの主張を認め、鬼畜の如き蛮行を赦し、二島先行返還に拘るのか理解に苦しむ。

 こうした譲歩した返還要求こそが、事勿れ主義と軟弱土下座外交の象徴であり、未だに領土問題が解決しない元凶であるのは言うまでもない。

 我が国だけで反論するのは無理だというなら、米英の公式文書などを示し、ヤルタ秘密協定の無効と「樺太・千島交換条約」並びに「日露和親条約」という国際条約を論拠に、北方領土の主権の正当性と即時返還を突き付け、更には終戦間際のソ連蛮行とシベリア抑留への謝罪要求をすべし。

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2018年02月05日

野田聖子は「このご時世に江戸時代の日本人と同じことをさせること自体が国会の不作為です」というが

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 ポスト安倍に名乗りを挙げてる野田聖子が熱烈的な夫婦別姓派だというのは周知の事実。ブルーリボンバッチを付け保守を気取っているが、古賀誠や故野中広務らと同列の党内左翼というのが正しい。

 野田聖子自身は野田卯一元衆議院議員の孫とされているが選挙に出馬する為に野田家養子に入り「野田姓を名乗っているだけで、名字自体に愛着はなく、夫婦別姓に賛同するのも当然の帰結でもある。

 野田聖子の旧姓は島聖子。実父は元衆議院議員野田卯一の妾の連れ子で、野田卯一との血縁関係はない。鶴保庸介議員と結婚するも離婚。現在の夫である野田文信は暴力団会津小鉄の元ヤクザ。本名の「木村」姓からして在日っぽい。

 野田聖子はパチンコチェーンストア協会のメンバーでありカジノ議連の副会長で筋金入りの売国議員であり、妾の連れ子の子供の野田には帰化人との噂は絶えない。確かに、この女の権力欲と体制批判は自民党内でも異質な存在だ。

 野田は三原じゅん子議員(自民党)、森ゆうこ議員(自由党)、西村智奈美議員(立憲民主党)、高木美智代議員(公明党)との座談会でこう述べた。

「明治時代の民法を創ったのは江戸時代に生まれた人ですよ。このご時世に、江戸時代の日本人と同じことをさせること自体が国会の不作為です」

 野田は現代人こそ優れていると勘違いし、江戸時代生まれの人の考えや法律を否定し嘲笑しているが、どうだろう、明治維新にしても、日清・日露戦争の国難にしても、その基となったのは江戸時代に育まれた道徳や教養、武士道精神、大和魂が見事に結実し、それが明治に開花した結果である。

 本居宣長が古事記伝を表し国学を大成させ、水戸光圀は「大日本史」を編纂し、勤王の志士を鼓舞した。この日本学を「水戸学」といい、佐久間象山や吉田松陰、西郷隆盛、坂本龍馬、桂小五郎など多くの志士が影響を受けた。

 水戸学を知ることで天朝の尊厳性を崇し、鼓舞し奮い立った。 江戸時代に培った国学や日本学による勤王思想、武士道精神、大和魂の国益中心の愛国・憂国の心の成果が「大政奉還」と「大政復古」の見事な明治維新を成し遂げたのである。

 今、政治がやらなければならないものは明治人の様な道徳や教養を兼ね備え、武士道精神や大和魂を持った志しの高い日本人を育むことであり、江戸時代生まれの人の考えや法律を批判することではなく、上杉鷹山が訓えた様に「人々の心の赤字」こそが今の日本人に最も大事な施策なのだ。

 明治人のバックボーンは江戸時代であるが、野田はそれを腐して悦に入る。だが、野田に国難に打ち克った明治人の気概も国家に対する熱い思いや誇りも在るとは思えないし、高貴さや高邁さも国を支えようという心構えも無い。

 現代を生きる日本人にも悲しい哉、江戸時代生まれの明治人の様なそうした揺るぎない生き方や信条は無く、江戸時代末期、国を思い、坂の上の雲を追いかけた青雲の志も無い。それにしても自民党内左翼というのはホント始末が悪い。

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