2018年02月16日

放射線防護対策の年間被曝線量は20ミリシーベルト以下

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 県内では一時期よりも少なくなったとはいえ除染作業が続けられている。無駄な除染作業で積み上げられたフレコンバッグを中間処理施設に運搬する仕事が多忙を極め、塗装が間に合わない白地の新車のダンプカーが往来している。

 以前、自民党の丸川珠代が環境大臣として訪問した先で行われた講演会で「年間1ミリシーベルト以下という数値は何の科学的根拠もなく時の環境相が決めた」と発言し槍玉に挙げられていたのは記憶に新しい。

 この「年間1ミリシーベルト」数値は、時の政権だった菅内閣下で共同謀議的に決められた亡国的愚策の一つで、科学的根拠など考えてもいなかった。

 丸川の発言は正しいものだったが、国の除染目標値に関して「反放射能の人がワーワー騒いだ」との発言を含めて、情けないことに法案審議を優先すべく国会での論戦を避け発言を撤回した。撤回するくらいなら初めから発言するなっての。

 現在、福島県内で行われている除染作業も「年間1ミリシーベルト以下」という曖昧な数値を根拠に始められたもので、これは禁煙家でもあり、人一倍健康を気にする小宮山洋子厚生労働大臣(当時)の鶴の一声で始められたものだ。
 
 年間被曝の科学的根拠を示さないばかりか、原子力規制委員会からの「放射線防護対策の年間被曝線量は20ミリシーベルト以下」との提言を無視した。

 政府の説明の無い儘に始められた除染は住民の不安を煽り、低放射線への理解が得られることは無く、未だに終わりの無い除染作業が続けられている。

 民主党政権が謀った除染作業は当初は東電が経費を負担することとなっていたが、東電は支払い能力もなく、結局は公共工事として莫大な血税が垂れ流され、無駄に出た単なるゴミを中間処理施設に運んでいる。

 これを最終処分するとなるとどれ程の血税が垂れ流されるのだろう。年間20ミリシーベルト以下であれば人体に影響が出ることもないし、未だにそうしたことを知らない被災地の人や反原発派を慮って政争にしているだけ。

「1ミリシーベルト以下」という数値が国民の放射線への間違った認識と、それに伴う風評被害を齎し、復興は愚か復旧をも阻んで来た元凶だが、安倍政権下でも撤回し是正しようとしないのは正に党利党略でありポピュリズムそのもの。

「1ミリシーベルト」という数値によって避難指示が行われ、それに便乗した連中が自主避難し被害者ぶって故郷である福島を貶め続ける。

 今や25兆円とも言われる除染関連事業で儲かっているのは除染に関わった大手ゼネコンと一部の業者だけ。下請けや孫請けなら未だしも、それより下の業者の儲けは少なく、親会社に裏切られた下請け業者は数知れず。

 また「1ミリシーベルト」という厳しい基準が「福島は除染しないと住めない」という妄想を生み、風評被害を払拭出来ずにいるのも確か。

 県内各地の空き地や田畑には汚染土砂の詰まったフレコンバッグが山積みにされているがタダで置かれている訳ではない。

 場所代として田畑一反に付き15万円が支払われているという。県内の農業での収入は一反に付き約5万円。つまり農業するより儲かるのだ。漁業関係者に支払われた賠償金も、真面目に働いてる頃よりも莫大な金額だった。

 こうした愚策の影響もあって県内、特に被災者の金銭感覚は悍ましいもので、浜通りのパチンコ店は連日大入り満員だという。浪江町民が1人に付き月10万円の慰謝料を35万円に要求したのも金銭感覚の異常さが成せる業だろう。

 県内の某銀行の預け入れ資産残高は震災前は3兆4756億円。震災から6年経った昨年の決算では6兆894億円と倍増している。要は復旧と復興の名の下に大いに潤ったのは銀行と大手ゼネコンだけ。

 一部の悪徳業者が私腹を肥やし、銀行なんぞ復興に役立て様という殊勝な気持ちも持ち合わせてはいない。除染関連事業なんぞ止めてしまえ。それよりも県内の電柱を地中化して道路整備を進めた方が復興にもなるし、税収も増える。

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2018年02月15日

浪人は長生きすればするほど惨めな生活が待っているよ(呵呵)

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 将棋の羽生善治永世七冠と囲碁の井上裕太全七冠に国民栄誉賞が授与された。正に「歴史に刻まれる偉業」である。両氏共に中学生でプロの世界の中で生き抜いてきた天才であり、勝負師である。

「タニマチが出来ると弱くなる」という言葉が勝負師の世界にはある。打算的で持ちつ持たれつの関係のスポンサーとは違い、タ二マチ(谷町)は無償で人を育てる関係。タニマチに甘んずるが故に勝負で遅れを取る。

「出世払い」という言葉があるが、それもタニマチと同じ様にその人に夢を賭けていることの証しとも言える。愚生は勝負師ではないが、30代から大手警備会社の高花豊会長には物心両面で支援して頂いた。

 会長が70歳を機に引退。愚生にすれば未だ未だ支援してくれるものだとばかり思っていたので、突然の引退で更なる経済的な危機に直面した。「タニマチが出来ると弱くなる」というのはこういうことだろう。

 以前、会長に言われた言葉を思い出す。「佐久間さん、浪人は長生きすればするほど、惨めな生活が待っているよ(呵呵)」

 己の努力の足りなさもあるが正にその言葉通りになりつつある。この言葉の裏には「右翼は身体を賭けてナンボ」との嫌味も含まれていたんだろう(笑)

 別に金を追おうとも思わないが、金が無いというのは実に不便なもので、奢って貰う酒も美味しいとは感じなくなる。

「あんたが(カネを)持っていても俺が持ってなければ、酒なんざ飲んでも旨くない。酒とはそういうもんぜよ」とは坂本龍馬だが、愚生もそう思うから酒席の誘いも断ってるし、外に出ないから情報にも疎くなる。

 金というのは持ってれば何かと便利という代物でしかない。金があれば生活は元より、右翼陣営の立て直しも出来る。

 その昔(昭和24年8月)、故野村秋介の師であり昭和維新を夢見た三上卓は、台湾からの密輸事件(海烈号事件)で逮捕されているが、これも革命(昭和維新)資金の調達が目的だった。

 現在の右翼の先生方を見れば、会社回りも順調で景気の良かった頃に蓄えた金で家を購入し、居の安きに甘んじて右翼を志した純粋な気持ちなんぞ疾うの昔に忘れ去り、「武士は相見互い」なんてのは死語だ。

 右翼の立て直しは資金確保の成否にあるが、そういう意味では鳩山由紀夫と一緒にクリミア半島を訪問した一水会の木村三浩の失墜は痛手でもだった。

 クリミア半島訪問後、畏友でもあった横浜在住の右翼に介添えを進言したが軽く断られたことがある。何のことはない、鳩山との縁を持って右翼陣営の強力な資金提供者(タニマチ)にして欲しかったからだ。

「鳩山が右翼に資金は出さないだろうし、鳩山はダメだ」という声もあるが、革命資金を確保するのに思想や政治信条なんぞ関係ない。どんな金でも金は金、カッコ付けてても潤沢な活動資金を確保出来なきゃ意味はない。

 そんな愚生の想いは通じず、袂を分かつ結果となってしまった。

 愚生の場合、今年になって支援金は数万円ほどでシャレにもならない。いざという時の為に集めていた品をヤフオクで売ってどうにか凌いでいたが、ツイてないときは何をやっても悪い結果になり、ヤフオクから出品制限がかかった(笑)

 別に不如意は慣れてはいるが借金は益々殖えていくばかり。まぁ借金も「出世払い」と同じく愚生の夢に賭けてくれていると思えば気が楽だが、田舎で喘いでいる右翼浪人が出来ることと言ったら高が知れている。

 支援して頂いてるその期待を裏切ることなく、右翼浪人として人生を全うせねばと覚悟してるものの、そろそろ限界を悟ってきた。長い浪人生活は人を本物にするというが、最近は流石に折れそうだ。

「人間の財産と言うものは、いざと言う時に自分を支えてくれる人であると同時に各自が目指す目標実現の為の知恵袋である」という言葉があるが、窮しながらも支えてくれる人が僅かにいるのは救いでもある。

 先行きが不安になるということは歳をとったということだろう。自爆テロでも考えるか、今少し強力なタニマチが現れるのを待つしかないか。呵呵。

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2018年02月13日

言葉や文章を書き留めて、少しでも近付ける様に努力することは大事なことだ

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 誰しも「好きな言葉」というのはあるだろうし、感銘を受けた本や座右の書というものもあるだろう。金言や格言の多くは経験から学んだものであり、自戒を込めた言葉故に相手に響く。逆を言えば、経験が伴わない言葉は軽々しい。

「人真似上手は個性を創造する」という様に、そうした言葉や文章を書き留めて、少しでも近付ける様に努力することは大事なことだと思っている。

 越前福井藩士で安政の大獄で斬首された幕末の志士・橋本左内はこう訓える。

「志を立て、その目的を達成する手段の中で最も近道だと思うのは、聖人の書物や種々の歴史本の中で自分が特に刺激を受けた部分を別紙に書き抜いて壁に貼っておくか、扇などに書いておき、日夜朝夕それを眺め、常に反省しつつ、及ばない点について勉め、進歩を楽しむのがよい」

 よく読書の量を自慢している自称読書家を見かける。斯くいう愚生も、若い頃は政治思想の本を中心に、雑駁ではあったが色々な書物を読み漁り、本棚に並べてはその読書量に悦に入ったりしたものだ(笑)

 そんな読書好きな輩というのは「読書は楽しい」といって憚らないが、読んで楽しいというだけなら別に読書じゃなくても映画でもいいし、落語や講談、歌舞伎などでも好いだろう。

 本というものはカネと同じで、無いよりはあった方がいいし、読まないよりは読んだ方がいいというくらいなのもので、量より質、感じ入った部分を何度も読んで心に刻み込むのが好い。

 勉強とか学ぶという基本的な在り方は活眼を以て生きた本を読むことだ。読んで学んで、実践しなければ意味は無い。常々、心眼を開いていれば「生きた学問」、参考書となるべきものは多く在る。

「生きた学問」」「耳学問」で一番なのが、失敗に失敗を重ねながらも成功した人物の話であり、くだらん流行本なんぞより学ぶことは多い。

 大学教授や学者、或いは昨今の保守ブームに乗っかって稼いでいる営業保守の本なんぞ、小難しい言葉を羅列しては悦に入ってるが、よくよく読めば「常識」を尤もらしく書き綴っているだけのこと。

「小人の学は、耳より入りて口より入ず」というが、小人は学問を売り物にし耳から聞き齧った事をそのまま口にするので少しも身に付かない。

 耳が痛いものを感じるが、自分の中に真の学問を積んでいる人は決してひけらかすことはなく、衒学(げんがく)臭くはないものなのだ。

 武士道では「学問は他人を説得したり、論破したりするものではなく、自分自身がどう生きて行くかのか、或いはどう在るべきか、といったことに答えを見出すものでなくてはならないのである」と説く。

 学問とは本来自分自身の向上の為のもので、仲間にしか通用しない夥しいコピペをSNSに貼り付け、付け焼き刃の知識をひけらかし、自分自身に酔っているネット右翼や営業右翼はある意味で反面教師とも言える(笑)

 実践の伴い薄っぺらな主張では世の中どころか他人さえも、否、身内さえも看過することも感化し賛同させることさえも出来ないだろう。

 愚生の場合、倫理哲学者の西晋一郎が好きで彼是と参考にしている。自分自身に酔っている訳でもないが、西先生の「教えるとは実に教えられることである」を肝に銘じ、今日もまたこうして書き綴っている。呵呵。

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2018年02月12日

地元の「開成大神宮」が「岩代大神宮」となっていたら・・・

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 例年、紀元節には上京し仲間と共に奉祝行事に参加していたが、団体を辞してからは地元の開成山大神宮に参拝し、神武肇国の精神を偲ぶと共に畏くも陛下の弥栄、併而心願成就を祈念している。 

 開成山大神宮の御祭神は「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」「豊受大神(とようけのおおかみ)」「神倭伊波禮彦命(かむやまといわれひこのみこと:神武天皇)」。伊勢神宮や橿原神宮と同じ神を祀る有難い社である。

 安積開拓民の精神的な拠り所にと、福島県の典事・中條政恒が伊勢神宮の分霊の奉遷を神宮司庁へ働きかけた創建された神社である。

 本来は、福島県が「岩代の国」と呼ばれていたということもあり「岩代大神宮」を希望したが、伊勢神宮」と同じく、旧国名を冠することに明治新政府が難色を示し「開成山大神宮」となった。

 こうした経緯があることは余り知られてはいないが、もしも「岩代大神宮」だったらと思うと旧岩代町出身者の愚生としては惜しい哉。

 安積(郡山)の地というのは、明治以降、地元の二本松藩を始め、会津、棚倉。近県からは米沢藩。四国からは土佐と松山藩。山陰からは岡山、鳥取藩。九州から久留米藩の方々が入植して開拓した地だ。

 中でも一番多かったのは九州久留米藩で、郡山弁には「そうだばい」とか言葉尻に「ばい」が使われるのはそうした名残だろう。

 今の様に交通の便が無い時代、九州や中国・四国地方から徒歩で数百、千数百キロを歩いて来たことを思うと実に感慨深い。

 右翼現役時代には初代総隊長だった故福田進が殊のほか紀元節を重んじていたこともあり、明治神宮への参拝は欠かさなかった。

 平成16年、陛下の御親拝の関係者への案内状のミスを理由に神社本庁から離脱し「宗教法人」となって以降、明治神宮参拝は中止した。

 明治神宮は周知の通り、国民の総意により明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲び創建された神社であり、それを神官の一部や神社側の幹部が私物化し、営利至上主義に奔っている現状は正に憂慮すべき事態である。

 神職に携わる者が営利に奔り、神社庁の主導権争いから「神社庁に属さなくても独立採算出来る」というその姿勢は実に賤しく、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲ぶ神社としては不謹慎過ぎる。

 明治神宮が神社本庁から離脱し一宗教法人となったことは、明治神宮が創建された趣旨から鑑みても逸脱するものであり、況してやGHQが実行した「神道指令」を容認している蛮行とも言える。

 右翼陣営がこうしたことに苦言も呈さず明治神宮に参拝することは、明治神宮の愚行とGHQの戦後政策を赦すことでもあると思うが如何か。

 宗教法人とは「教祖・経典・布教活動」の三条件が必要であるが、神社=神道はそれに該当せず、つまりは宗教ではない。神道とは日本人の心に清む惟神(かんながら)の道である。

 靖國神社や全国の護国神社が「宗教法人」となっているのは、戦後GHQの「神道指令」を免れる為に御祭神を別なものにしたりして、神社存続の為に已む無く採った先人の智慧である。

 本来ならば昭和27年4月28日の主権快復の折に、宗教法人格を解除し国が護持すべきだったのだが、未だ宗教法人として放置され続けていることは、政治家の怠慢と不作為以外の何ものでもない。

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2018年02月11日

国を愛する心の涵養とは「敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花」これに極まれり

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 本日は建国記念日、戦前の「紀元節」。祝日法には「建国を偲び、国を愛する心を涵養する日」とあり、また、大日本帝国憲法(欽定憲法)発布記念日でもある。では「建国を偲び、国を愛する心を涵養する」とは如何なることか。

 日本人が失った徳目を呼び返そうという標語として「愛国心」は最も相応しい言葉だと思うが、国旗や旭日旗を仰々しく掲げ、勇ましい言葉で左翼らを攻撃している姿に日本的気風を感じることはなく、「愛国心」が贔屓の引き倒しになってしまってる感は拭えない。

 三島由紀夫は嘗て「日本の様な国には愛国心などという言葉はそぐはないのではないか。大和魂で十分ではないか」と語ったが、激しく同意する。

 我ら日本人が持つべきは「大和の心(大和魂)」であり、つまり、花鳥風月、山川草木、春夏秋冬の恵まれた自然に逆らわず調和して暮す従順な心であり、猛々しくも軽薄な愛国心ではない。

 国を愛する心の涵養とは、即ち大和心の涵養であり、国学者・本居宣長の和歌「敷島の大和心を人問わば、朝日に匂う山桜花」、これに極まれり。

 安っぽい愛国心を昂揚することではなく、八紘(はっこう)を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむこと。つまりは神武肇国の大理想である「八紘一宇」を掲げ、天皇國日本の真姿開顕へ奮闘前進することである。

 終戦により紀元節は廃止。統治下の昭和22年、日本国憲法に相応しい祝日の法案に紀元節が「建国の日」として盛り込まれるもGHQにより削除される。

 主権を回復した昭和27年4月28日「紀元節復活運動」が起き、昭和33年に国会へ紀元節に関する議案を提出。昭和41年に祝日法が改正され、翌年2月11日に「建国記念の日」として実施されることとなった。主権回復から実に15年の歳月を要した。

 建国記念日の趣旨が「建国を偲び、国を愛する心を涵養する日」とするならば、次代を担う子供達や青少年に日本の神話を教え、建国の意義と神武肇国の大理想を伝えて行くべきであろう。

 そういう意味でも「建国記念の日」というより「紀元節」とするのが望ましく、更には大日本帝国憲法の意義を考える日にしなくてはならないのだ。

 自分に誕生日がある様に国にも誕生日があり、国が肇められたことを奉り祝うのはその国に生まれた者の務めである。

 本日は全国各地で「神武天皇陵遙拝式」や建国奉祝パレードが行われるが、一方では「紀元節復活は科学的根拠がない」「軍国主義復活反対」などとして、共産党を始めとした売国団体や誤(護)憲派が「奉祝反対」の催しを目にする。

 正に「平和ボケ」と揶揄される日本人を象徴するものだが、「紀元節奉祝反対」を叫ぶ連中の真意は外でもない、明治22年2月11日に公布された国家の大理想が掲げられてる大日本帝国憲法の復活を危惧してのものだ。

 明治人の知恵の結晶でもある大日本帝国憲法の復元と改正こそが天皇国日本を盤石の安きに置く使命であり、民族の信念と道統を受け継ぎ、これを護持し、これを宣布し、そして子孫に伝える責任と使命を有する者、それは我ら日本人である。

 紀元節に当たり、神武肇国の大理想である「八紘一宇」を天高く掲げ、天皇国日本の真姿開顕へ奮闘前進しよう! すめらぎいやさか

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2018年02月10日

朝鮮半島の非核化より金王朝を崩壊させ南北統一を実現させたら面白い

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 安倍首相は平昌オリンピック開会式出席の為に訪韓し、文在寅大統領と会談、日韓合意の履行を要求。更にはペンス米副大統領らと共に北朝鮮への最大圧力を高める方針を確認した。

 南北統一チームで臨むオリンピックに抗議もせずに「最大圧力」とは嗤うしかないが、こういう在り来たりの会談に意味が在るとも思えない。

 何より、核兵器を保持した国が放棄したということは聞いたことがないし、北朝鮮だけを批判するのも如何なものか。

 朝鮮半島が北朝鮮の核によって脅かされるというが、元々は同じ民族。南北統一は民族の悲願であることは間違いない。ただ、統一後に米国が仕切るか、ロシアや中共が仕切るのでは大きな違いがあるというだけのこと。

 そこで問題なのは北朝鮮の金正恩。金正恩さえいなくなれば南北統一が成されたとしても脅威ではない。要は、あの肥えた首領の扱い方次第。

 北朝鮮が異常且つ極めて危険な国だと言うことは誰もが認めるところだ。正式名称は「朝鮮民主主義人民共和国」だが、民主主義でも人民の国でもなく「金一族」の個人独裁の世襲全体主義国家というのが正しい。

 日本人を拉致し、ニセ紙幣を偽造し、覚醒剤を密売し、ミサイルを製造し輸出し、旧社会主義に内在した悪の本質が体制化したチンピラ国家である。

 何百万の餓死者が出ても歯牙にもかけず弾道ミサイルを開発し、核開発に狂奔している。この不良国家の三代目金正恩の存在が鍵となろう。

 金正恩体制を存続した儘では南北統一は非常に難しく、金正恩の崩壊なき統一は韓国が北朝鮮に併呑されたことを意味する。

 米国がテロによって金正恩の暗殺を企てているとも聞くが、貧困に喘ぎ痩せ細った人民とは対照的に、膨よかな肥えた「最も貧しい国に最も富裕な王がいる」時代は未だ未だ続きそうだ。

 韓国では朝鮮半島が分断されたことを日本の責任だとするが、分断に至ったのはソ連の参戦が原因である。

 昭和20年(1945年)8月9日未明、ソ連が参戦すると3日後の12日には朝鮮半島北部にまで侵攻。朝鮮への侵攻準備が出来ていなかった米国はこれに慌て、急遽、朝鮮占領の協議が行われ所謂「38度線」で分割することで合意した。  

 それから5年後の1950(昭和25)年6月25日、北朝鮮の突然の侵攻で同じ民族同士が相討つ戦争となり、数百万人が犠牲となる大惨事となった。これが「朝鮮戦争」である。この時、日本は未だGHQの占領下。

 朝鮮戦争の勃発も朝鮮の南北分断も我が国に責任は無いが、若しその責任が在るのだとすれば、大東亜戦争に敗北し、戦後、共産主義の跋扈と驕逸を許したことだろう。その償いは、その共産主義を滅ぼす以外にはない。

 中国共産党なんぞ北朝鮮と同じく恐れるに足らないヤクザ国家であり、尖閣列島で紛争になれば一気に共産主義体制を崩壊させる好機でもある。

 干戈を交えれることになり我が国が勝利することになれば、ロシアは沈黙し、共産党一党独裁の習近平体制は崩壊し、朝鮮の南北統一も実現可能となり、中共の圧政に呻吟してる国々を始め世界から称賛されることだろう。

 唯くれぐれも、大韓民国を押し付けられた日韓併合の二の舞だけは勘弁願いたい。南北統一後は、米国が米韓強化の為に沖縄を始めとした在日米軍を全て撤退させ朝鮮半島に移設することを望むばかり。

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2018年02月09日

相撲協会VS貴乃花親方の構図を作り大相撲批判を繰り返すマスコミ

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 マスコミは、相撲協会VS貴乃花親方の構図を作り、恰も貴乃花親方が相撲協会の陋習を打ち破ろうとしている改革者であるかの様に作為的に報道し、国民もまた貴乃花親方を支持する。

 だが、本当に貴乃花親方は改革者なのか。貴乃花が理事長に就いたら相撲協会が変わるのか。熱烈な相撲ファンである愚生からすればそうは思えない。

 現役時代、若貴ブームを作り、歴代横綱の中でも記録より記憶に残る力士だったのは間違いない。北の湖と共に一代年寄となったのはそうした功績の賜物だろう。

 だが、プライベートでは宮沢りえとの交際と婚約破棄や兄・若乃花との絶縁など、自分に厳しい結果だとマスコミは好意的に捉え持ち上げるが、貴乃花には心の余裕を感じられない。

 白鵬の相撲を批判してるが、確かにかち上げや張り手は頂けないが、相撲の技にあるのだから一概に批判は出来ない。あくまでも姑息な技は横綱らしくないというだけのこと。

 貴乃花と若乃花の同部屋決戦では若乃花が勝利し優勝を飾ったが、アレは明らかに兄に花を持たそうとした八百長だろう。

 また怪我を押して武蔵丸との決戦に挑み勝利し、鬼の形相で勝ち名乗りを受け、表彰式では総理大臣杯を授与する小泉純一郎が放った「感動した」は記憶に残る一言だろう。

 だが、相手の武蔵丸は怪我をしてる相手に本気で勝負するなど出来ない性格で、試合後「取り難いよ」との言葉にその思いが込められている。

 怪我を押して強行出場した貴乃花は、相手に失礼だとは思わなかったのだろうか。そうしたことに貴乃花の相手を思う気持ち、横綱としての慈愛の心の乏しさが感じられる。

 協会との拗れや蟠りも、己が正しいと言わんばかりに自我を通しているだけで、これが改革者である筈がなかろう。

 人というのは、ハンドルに遊びがある様に心に余裕が無いと窮屈になる。貴乃花は自分自身に厳しいというより、その厳しさが相手も息苦しくさせるということも知るべきだろう。

 身内やマスコミ向けに笑顔を見せるが、その顔は政治家が有権者に見せる取り繕った笑顔にしか見えない。憮然としながらも慈愛に満ちた器の大きな故北の湖の様な親方を目指して欲しいものだ。

 大相撲は、明治維新で「断髪令」が発せられても丁髷の伝統を貫き、戦後もずっと表彰式で国歌「君が代」を斉唱し、国技を自称して来た保守の牙城とも言うべき組織でもある。

 その大相撲を目の仇にし、歴史・伝統・文化を否定する左翼や無自覚左翼の連中が、賭博やら八百長やらを執拗に煽り立て糾弾したことは記憶に新しい。

 今回の日馬富士の暴行事件をきっかけにした大相撲批判を目にすると、大相撲の存続にも影響しかねないし、貴乃花は改革者の名の下にそうした反大相撲勢力に利用されてる様にも感じる。

「角を矯めて牛を殺す」というが、少々の欠点を直そうとして反ってそのもの自体を駄目にすることも無きにしも非ず。

 相撲協会VS貴乃花親方の報道を目にする度に相撲ファンを落胆させる。このままでは大相撲も廃れてしまうだろう。

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2018年02月08日

靖國神社御創立百五十年記念事業に思う

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 今年平成30(2018)年は明治改元(1868年)から150年を迎える。江戸幕府に対する倒幕運動から明治政府による天皇親政体制への転換と、それに伴う一連の改革を明治維新という。

 だが その後、長州藩を中心に動いた一連の動きは尊王攘夷とは名ばかりでその実は尊皇開国。維新後、西洋を模倣した長州閥が中央官制を始め、地方行政、文化、教育、思想政策など多岐に亘り影響を及ぼすこととなる。

 中でも靖國神社は、改元後の明治2年、明治天皇の思し召しにより「東京招魂社」として建立された神社であることは誰もが知るところ。

 その合祀対象は、三条実美の祭文に明示されている様に「皇軍に役立ちして、賊徒等を討たん其の義に・・・命果てぬる輩」に限られている。

 この三条公の祭文の原則がある限り、また見直さない限り、会津藩や我が二本松藩、或いは西南の役での西郷軍関係者などが祀られることはなく、未来永劫 、西郷軍や東軍は「賊軍」の儘なのだ。

 戊辰の役(戦争)では「西軍」と「東軍」は干戈を交えたが、「皇軍」という名の「官軍」と「賊軍」が戦った訳ではないし、東軍は賊徒ではない。「賊軍」とは、維新後、明治新政府によって作られた造語である。

 明治改元前年にあたる慶応3年(1867年)、徳川十五代将軍であった徳川慶喜が征夷大将軍の職を辞し、政権を朝廷に返上した。

 この大政奉還を以て明治維新は成立したと考えるが、王政復古に拠って慶喜の辞官納地を決し、鳥羽伏見の戦いを経て戊辰戦争に突入して行った。

 何故に江戸城開城後も会津や函館を攻め入ったのか。何のことはない、長州藩が蛤御門の変(禁門の変)で敗れたことへの恨みつらみというのが正しく、長州が掲げた錦の御旗も大義も贋物であったのだ。

 歴史に「もし」は無いが、もし、勝海舟が西郷隆盛との会談で江戸城の無血開城を諒としたことを以て徳川幕府が崩壊したのなら、その後の東北や会津での戦いに意味があったとは思えない。

 幕府唯一の神道であった会津が何故に朝敵として責められなければなかったのか、単に蛤御門の変(禁門の変)での敗戦の遺恨であり、とても明治維新が尊王攘夷という大義ある代物とは思えないのだ。

 靖國神社には未だ三条実美の祭文が効力を発揮し、東軍戦死者は賊軍として本殿に祀られることはなく「鎮霊社」に分霊されている。

 だが、靖國神社が戦没者の顕彰を重んじる神社であるなら、鎮霊社という別なカタチで祀ることと、本殿に祀ることと、そのどちらが時代に即して天皇(すめろぎ、すめらぎ)が顕現される道なのか言わずとも分かるだろう。

 死者の選別を続けることは日本人の死生観にもそぐわないし、明治天皇の思召しにより創建された社としては如何なものか。明治維新の戦いで斃れた全ての戦没者の合祀を図るこそ天皇顕現の道である。

 靖國神社御創立百五十年記念事業のパンフレットを見ると、明治維新のことには一切書かれておらず、大東亜戦争での戦没者の御遺族や戦友の減少に伴い賛同者が減っっていることを案じている。

 その上で「国を思い、祖国を愛し、家族を慈しみつつ散華された英霊の御心を次の世代へ伝えて行くことこそ、戦後に生きる私共の責務」と、施設の充実を図る為の工事への支援を訴えている。

 明治維新や明治天皇思し召しで創建されたことにも触れることなく、唐突に、先の大戦で散華された英霊を持ち出すことに違和感を覚える。靖國神社は大東亜戦争の英霊だけの施設になってしまったのか。

 これでは反靖國派に批判される材料を与えている様なもので、靖國神社が戦没者の顕彰を重んじるなら、明治維新の過程で勃発した戊辰戦争や西南の役などで散華された東軍を含めた全戦没者の功労も顕彰すべきであろう。

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2018年02月07日

2月7日の「北方領土の日」に政府や国会のやる気の無さが現れている

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 本日2月7日は「北方領土の日」。地元紙のトップは女性週刊誌の様な秋篠宮真子内親王の御成婚に関する記事が踊っているだけで、新聞を見てもテレビのニュースでも北方領土問題に関する記事は見当たらない。抑々、今日2月7日が「北方領土の日」だと認識している国民はどれ程いるのだろう。

 北方領土は「日露和親条約」並び「樺太・千島交換条約」締結により、歯舞、色丹、国後、択捉の四島を含む、北は占守(シュムシュ)島から得撫(ウルップ)島の全千島列島と南樺太が固有の領土となった。

 領土問題では、日本共産党でさえ「全千島、南樺太の主権」を訴えているが、この認識が正しく、国会で採択された「四島返還決議」の返還要求こそ、事勿れ主義であり軟弱土下座外交そのものなのだ。

 先人達の外交努力を無視し、全千島と南樺太の主権が在るにも拘らず四島のみの領有権主張を明記し、見す見す権利を放棄するとは理解に苦しむ。

 安政元年(1855年)2月7日、下田で「日露和親条約」が締結され、四島と千島の間に境界線が引かれ、樺太を混住の地と決めた。

 だが、これは日本政府としてではなく明治維新前の江戸幕府時代であり、下田での条約締結を四島返還論の論拠とするのは無理がある。

 その後、明治維新を成し遂げ新政府を発足させた我が国は、明治8年(1875年)5月7日に「樺太・千島交換条約」を交わし、樺太の北側を千島列島と交換したことで、南樺太と全千島が日本に帰属したのだ。

 つまり「北方領土の日」は2月7日よりも、旧ソ連が日ソ不可侵中立条約を蹂躙するに至った8月9日にしろとは言わないまでも、南樺太・全千島が国際法的に我が国に帰属した5月7日が相応しい。

 北方領土問題解決には、領土に関する歴史的経緯と事実を、そして領土主権の重要性を国民に分かり易く説明すべきだが、2月7日の北方領土の日に政府や国会のやる気の無さが現れている。

 政府は4島に拘る故に「日露和親条約」を論拠にしているが、日露和親条約ではなく「樺太・千島交換条約」並びに「ロシアは樺太の北緯50度以南の領土を永久に日本へ譲渡する」とした「ポーツマス条約(日露講和条約)」を論拠に領土の主権を主張をすべきであって、四島のみの返還要求など言語道断。

 政府は昭和56(1981)年、北方領土問題に対する国民の関心と理解を更に深め、全国的な北方領土返還運動の一層の推進を図るという理由で2月7日を「北方領土の日」と制定したが、この2月7日こそまやかしの返還運動であり、弱腰外交の象徴の日と断じざるを得ない。

 余談だが、国士舘大学在学中だった昭和56(1981)年2月7日、防共挺身隊の一員として「北方領土の日」を粉砕すべく霞ヶ関の式典会場に向かった。

 会場手前から隊列を組み押し入ろうとするも機動隊と揉み合いになった。当時は幟は竹竿で作ってあり、振り回すと機動隊員に当る。数人が機動隊員に連れ去られるも乱闘の末に奪還したことも今では懐かしい想い出だ(笑)

 世界各地で民族争いの中で国境紛争が頻繁に起きている。寸土たりとも主権確立には戦いをしてまで死守しているのが世界の常識でもある。

 我が国も北方領土然り、竹島然り、奪われたものは奪い返すことでしか解決を見ないことを自覚し、領土奪還の気概を持つべし。

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2018年02月06日

ヤルタ協定はルーズベルト個人の文書であり公式文書でなく無効である

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 第二次世界大戦中の1945年(昭和20年)2月4日から11日にかけて、米国のルーズベルト、ソ連スターリン、英国のチャーチルらがクリミア諸島のヤルタに集い密談が行われた。所謂「ヤルタ協定(会談)」である。

 この時、ルーズベルトは「南樺太のソ連に返還」と「千島列島のソ連への引き渡し」を条件に日ソ中立条約の破棄を進言し、ソ連の対日参戦を促した。

 ソ連は、この密約に従ってドイツが無条件降伏した約三ヵ月後の昭和20年8月9日、ソ連は「日ソ不可侵条約」を一方的に破棄し参戦し、ソ満国境を越え鬼畜の如き蛮行と、我が国固有の領土である北方領土を強奪した。

 現在もロシアは「ヤルタ密約(ヤルタ協定のうち極東密約)」を楯に北方領土の主権を主張しているが、「ヤルタ密約」の有効性について、英国政府はヤルタ会談翌年の1946年2月に疑義を呈していたことが明らかになっている。

 英国立公文書館所蔵の英外交電報では「露の四島占拠根拠なし」として、米英ソがヤルタ密約を公表する2日前に、英外務省から全世界の在外英公館54ヶ所に「緊急且つ極秘」に一斉に送られた。

「ルーズベルト大統領が権限を越えて署名したことや、米上院の批准もない状況下での有効性について米国内で論議が起こるかもしれない」として、「(英国は)その議論に巻き込まれないよう注意すべきだ」と警告している。

 チャーチル首相が1941年8月、ルーズベルト大統領と領土不拡大の原則を謳う「大西洋憲章」に署名しており、ヤルタ密約がこの大西洋憲章に反するとの英政府の認識が示された形だ。

 一方、米国では1953年に就任した共和党のアイゼンハワー大統領が年頭教書演説で「あらゆる秘密協定を破棄する」と宣言している。

 1956年には、アイゼンハワー政権が「ヤルタ協定はルーズベルト個人の文書であり、米政府の公式文書でなく無効である」との国務省声明を発表し、ソ連の北方領土の占有に法的根拠がないとの立場を鮮明にしている。

 ヤルタ協定に参加した米英が、ロシアの北方領土の主権に疑義を呈している中で、何故に当事国の我が国がロシアの主張を認め、鬼畜の如き蛮行を赦し、二島先行返還に拘るのか理解に苦しむ。

 こうした譲歩した返還要求こそが、事勿れ主義と軟弱土下座外交の象徴であり、未だに領土問題が解決しない元凶であるのは言うまでもない。

 我が国だけで反論するのは無理だというなら、米英の公式文書などを示し、ヤルタ秘密協定の無効と「樺太・千島交換条約」並びに「日露和親条約」という国際条約を論拠に、北方領土の主権の正当性と即時返還を突き付け、更には終戦間際のソ連蛮行とシベリア抑留への謝罪要求をすべし。

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2018年02月05日

野田聖子は「このご時世に江戸時代の日本人と同じことをさせること自体が国会の不作為です」というが

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 ポスト安倍に名乗りを挙げてる野田聖子が熱烈的な夫婦別姓派だというのは周知の事実。ブルーリボンバッチを付け保守を気取っているが、古賀誠や故野中広務らと同列の党内左翼というのが正しい。

 野田聖子自身は野田卯一元衆議院議員の孫とされているが選挙に出馬する為に野田家養子に入り「野田姓を名乗っているだけで、名字自体に愛着はなく、夫婦別姓に賛同するのも当然の帰結でもある。

 野田聖子の旧姓は島聖子。実父は元衆議院議員野田卯一の妾の連れ子で、野田卯一との血縁関係はない。鶴保庸介議員と結婚するも離婚。現在の夫である野田文信は暴力団会津小鉄の元ヤクザ。本名の「木村」姓からして在日っぽい。

 野田聖子はパチンコチェーンストア協会のメンバーでありカジノ議連の副会長で筋金入りの売国議員であり、妾の連れ子の子供の野田には帰化人との噂は絶えない。確かに、この女の権力欲と体制批判は自民党内でも異質な存在だ。

 野田は三原じゅん子議員(自民党)、森ゆうこ議員(自由党)、西村智奈美議員(立憲民主党)、高木美智代議員(公明党)との座談会でこう述べた。

「明治時代の民法を創ったのは江戸時代に生まれた人ですよ。このご時世に、江戸時代の日本人と同じことをさせること自体が国会の不作為です」

 野田は現代人こそ優れていると勘違いし、江戸時代生まれの人の考えや法律を否定し嘲笑しているが、どうだろう、明治維新にしても、日清・日露戦争の国難にしても、その基となったのは江戸時代に育まれた道徳や教養、武士道精神、大和魂が見事に結実し、それが明治に開花した結果である。

 本居宣長が古事記伝を表し国学を大成させ、水戸光圀は「大日本史」を編纂し、勤王の志士を鼓舞した。この日本学を「水戸学」といい、佐久間象山や吉田松陰、西郷隆盛、坂本龍馬、桂小五郎など多くの志士が影響を受けた。

 水戸学を知ることで天朝の尊厳性を崇し、鼓舞し奮い立った。 江戸時代に培った国学や日本学による勤王思想、武士道精神、大和魂の国益中心の愛国・憂国の心の成果が「大政奉還」と「大政復古」の見事な明治維新を成し遂げたのである。

 今、政治がやらなければならないものは明治人の様な道徳や教養を兼ね備え、武士道精神や大和魂を持った志しの高い日本人を育むことであり、江戸時代生まれの人の考えや法律を批判することではなく、上杉鷹山が訓えた様に「人々の心の赤字」こそが今の日本人に最も大事な施策なのだ。

 明治人のバックボーンは江戸時代であるが、野田はそれを腐して悦に入る。だが、野田に国難に打ち克った明治人の気概も国家に対する熱い思いや誇りも在るとは思えないし、高貴さや高邁さも国を支えようという心構えも無い。

 現代を生きる日本人にも悲しい哉、江戸時代生まれの明治人の様なそうした揺るぎない生き方や信条は無く、江戸時代末期、国を思い、坂の上の雲を追いかけた青雲の志も無い。それにしても自民党内左翼というのはホント始末が悪い。

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2018年02月04日

ジャイアンツの宮崎神宮への参拝取り止めは創価学会員の選手の影響か

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 プロ野球12球団は今月1日に一斉にキャンプイン。ジャイアンツは宮崎キャンプ。今年は何故か、草創期から58年間も続けてきたキャンプイン前日の恒例行事である宮崎神宮への必勝祈願参拝を取り止めた。

 宮崎神宮は神武天皇(神日本磐余彦尊 かむやまといわれひこのみこと)を祀る神社である。神武天皇は初代天皇として、大理想である「八紘を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむ)」を天高く掲げ日本国を統一した肇国の神である。

 神社側には球団から「選手の意向で参拝に行かない」との連絡があり、その後、神社に出向いた球団幹部から改めて説明を受けたという。

 新選手会長に就任した菅野智之投手がナインの意向を代表して球団側に伝え、見送りに至ったという。だが、恐らくは信教の自由を理由に神社への参拝に難色を示した選手らに譲歩した結果ではあるまいか。

 ジャイアンツの内海哲也投手や球団職員の野間口貴彦元投手らは熱烈な創価学会信者でもある。神社への参拝拒否は創価学会の教えでもあり、池田創価学会に忠誠を誓うジャイアンツ内部のこうした現状が大きな要因だろう。

 野球が当たり前にやれなかった時代があった。先の大東亜戦争では多くのプロ野球選手も尊い命を投げ出されていることを、プロ野球ファンならずとも国民は知っているだろうか。

 野球をやれるということを再認識する為にも、オープン戦前の地元神社は勿論のこと、開幕前には靖國神社に参拝し、大戦で犠牲となられた先輩方に感謝の誠を捧げるべきだと思っている。

 先の大戦で亡くなられたプロ野球選手は想像している以上に多く、試合の途中で出征した方や、幾度かの戦火を潜り抜けて帰還するも再び出征して終には戦場に斃れた方など実に69名もいる。

 中でも有名なのは「東京巨人軍」の澤村榮治投手だろう。どんなに凄い選手かは説明するまでもないが、年間最優秀投手に与えられる「沢村賞」はプロ野球選手の最高の名誉である。

 昨年は最多勝を取った菅野智之投手が受賞しているが、学会員でもある内海らは、靖國の英霊でもある澤村選手に謂れのあるそんな賞など要らないと思ってるのではあるまいか。巨人ファンとしては実にもの悲しい。

 創価学会は池田太作の野望の実現と学会員の現世利益を追求する社会運動体であり、公明党は、それを政治的に実現する為の出先機関である。

 プロ野球に限らず、今やカルト池田創価学会は政治、経済、文化、教育、司法などあらゆる分野に蚕食し、日本と日本人を蝕み続けている。

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2018年02月01日

「天岩戸」こそ太陽神の天照大御神を信仰する我が国らしい神話である

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 月日の経つのは早いものであっという間に2月。先月はインフルエンザAに続いてB型にも感染してしまい散々な一ヶ月だった。今日は朔日ということで身を清め、神饌を新しくして、畏れ多くも陛下の弥栄を祈願した。

 昨日は皆既月食、然も貴重なスーパーブルーブラッドムーンだったこともあり、俄か天体ファンがカメラやスマートフォン片手に天体ショーを楽しんだ。

 古来、日食と月食の日は「穢れの日」として、月や太陽から放たれる光は「妖光」として忌み嫌われ、幕末までは日食や月食の日は不吉な兆候とされ天皇の祭祀と政務を一切取り止めたという。

 天変地異や疫病などが起きると本気で信じられ、この妖光から天皇の玉体を護って来たことが伝えられている。

 こうした「不吉」は別に神道だけに限ったことではなく、ヒンズー教なども皆既月食や皆既日食を「災いが起こる前兆」として恐れ、祈りを捧げる。

 何故に天皇を日食・月食の妖光から護るのか。その理由は、玉体を護ることが、日本国の自然と社会の秩序を維持するために枢要なことだったからだ。

 天皇とはそうした秩序を体現しているのであり、その玉体安寧を維持することが、政治の核心の一つだったのである。

 神話「天岩戸(あまのいわと)」では、天照大御神が天の岩戸に篭ってしまい世界が真っ暗闇になり悪神が蔓延ったという話があるが、この話も皆既月食や皆既日食の出来事を喩えた話しだろう。

 伊邪那岐神(いざなぎのかみ)は「天上界を天照大御神が、夜の国を月読命(つきよみのみこと)が、海原を須佐之男命(すさのおのみこと)が治めよ」と命じられた。ところが須佐之男命だけは任務を果たさず、その為悪神が蔓延り、諸々の禍が彼方此方で湧き起こる始末だった。

 伊佐那岐神は酷く怒り「お前の様な者に用は無い!」と追放した。

 須佐之男命は姉の天照大御神を頼るが、暫くは大人しくしていたが元々気性の荒い須佐之男命は、程なく種々の乱暴を働くようになった。

 天照大御神の耕す田を壊し、御殿に糞を撒き散らしたりして手の付けようがない。それでも天照大御神は大目に見ていたが、服屋(はたや)で神聖な衣装を織っていると、皮を剥いだ馬が屋根を打ち抜いて投げ込まれ、服織女(はたおりめ)が死んでしまう事件が起きた。犯人は勿論、須佐之男命。

 これには流石の天照大御神も激怒し「天の岩戸」に隠れ篭ってしまった。その為、世界は暗闇となり、悪神達が蔓延り始めたのである。

 そこで高天原の諸神である八百万の神々は、天の河原に集い策を取ることになり、思金神(おもいがねのかみ)の提案で、先ず岩戸の前に常世の長鳴鳥を集め鳴かせることに。

 次に伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)に八尺鏡(やたのかがみ)、玉祖命(たまおやのみこと)に八尺勾玉(やさかのまがたま)を作らせ、布刀玉命(ふとだまのみこと)には御幣(みてぐら)を持たせ、天児屋命(あめのこやねのみこと)には祝詞を奉れせた。

 こうしておいて、岩戸の真ん中で天宇受売命(あめのうずめのみこと)が乳房や女陰を露に神憑りの踊りを大乱舞した。

 これを見て八百万の神々がどっと笑うと、天照大御神は気になり岩戸をそっと開ける。「何事か?」

「あなた様より貴い神が現れたので皆喜んで騒いでいるのです」

 差し出された八尺鏡を見た天照大御神は、そこに映った自分の姿をその貴い神と勘違いし、猶もよく見ようと身を乗り出したところを、怪力の天宇受売命が岩を投げ飛ばした。

 そして、天照大御神が外に出ると漸く世界に再び光明が戻ったという話しだが、この「天岩戸」こそ太陽神の天照大御神を信仰する我が国らしい神話である。

「皆既月食」の昨日、自然現象に多くの子供達も興味を持って観察したが、科学万能の時代、日本人として生を享けたからには、「天岩戸」の神話を始め、古来の日本人の考え方や教えも伝承して行かなければならないと感ずる。

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2018年01月18日

自衛隊諸君は批判の声に怯むことなく、勇気と自信を持って職務に精励し前進せよ!

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 平成7年1月17日午前5時46分、淡路島北部沖の明石海峡を震源として、マグニチュード7.3の兵庫県南部地震(後に阪神淡路大震災)が発生し、自衛隊に批判的且つ無能な村山政権だったこともあり多くの犠牲者を出した。

 大都市の直下型地震は我が国では初めてのことで多くの教訓を残したが、残念ながらその後に起こった東日本大震災を始めとした災害を見る限り、危機管理や防災に関し万全な体制を執って来たとは思えない。

 遡れば我が国は、敗戦の汚辱を払拭せずに戦後の経済的繁栄だけに現を抜かし、国の大本を忘れ国民精神を失ひ、本を正さずして末に奔り、国家百年の大計を米国に依存し、それが当たり前だと思ってきた。

 大東亜戦争の教訓を活かすことなく、唯々反省と謝罪を繰り返してきたことで、国家としての大義を忘却してしまったことこそが、我が国が主権国家として体を成さない元凶でもある。

 阪神淡路そして東日本大震災等で被災された多くの方々の犠牲を無駄にすることなく、今後の我が国の危機管理と防災と国防が万全なものとなる様に、更なる高度な対策を構築しなければならないのは言うまでもない。

 自衛隊への批判の根底には憲法下での自衛隊の存在は違憲であるという認識から、軍事優先の結果がこうした事故が起きる原因であるとガナリ立てる。

 自衛隊に批判的な勢力は「反戦平和」を訴え、自衛隊に対する国民の反感を盛り上げようと躍起となってはいるが、今や国民の自衛隊に対する見方はひと昔前とは明らかに変わって来ているのも確かだ。

 東日本大震災での自衛隊の活躍は誰もが頼もしく感じただろう。国防と領土保全、更には防災、救援、復興と日々休み無く行動している自衛隊を心強く思い、また頼もしく思うのは国民として当然のことだ。

 国際環境やアジア情勢が大きく動いている今、政府がやるべきことは、自衛隊への感謝の念が高まっている今こそ、自衛隊を正式な軍隊として、その存在と必要性を明確にすることだ。

 昭和25年8月9日の警察予備隊発足以来、自衛隊では実に1840名以上の自衛官が「殉職」されており、一昨年も31柱が合祀された。我々はそうした犠牲者の上で生活が成り立っているのを忘れてはいまいか。

 阪神淡路や東日本大震災を始め、災害派遣や我が国の平和と独立、国民の生命財産を守る為に日夜行われている訓練などで、1870名以上の自衛官が殉職されていることを果たして国民の何人が知っているのだろうか。

 確かに、軍隊とは任務の為なら死をも厭わぬ集団である。だが、国民もまた国家の危機の要請に応じ、然と戦場に赴いて戦い散って逝った英霊に対し感謝の誠を捧げ、慰霊し顕彰することは義務でもある。

 ところが残念なことに我が国では国の礎となった方々は国家から顧みられることが少ない。このことがどれだけ国民精神の頽廃を招いているのか、我が国の政治指導者は考えたことがあるのだろうか。

 全ての捩れは日本国憲法が元凶であり、自衛隊をこのまま違憲の状態で放置することがあってはならないし、自らの国家の防衛をも否定する亡国憲法の破棄なくして「積極的平和主義」も「平和国家建設」も単なる画餅に帰す。

 今こそ日本人自らの手で日本人の為の憲法を制定するなり、先人の智慧でもある明治欽定憲法を復元・改正するなり、国民の生命財産と安全を守る為に日夜活躍している自衛隊を、国軍として、その存在と必要性を須く明確にすべし。

 姑息な現憲法の改正だけは阻止せねばならない。自衛隊諸君は批判の声に怯むことなく、勇気と自信を持って職務に益々精励せよ!

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2018年01月17日

主権恢復は祝祭日を本来の在るべき姿に戻すことから始めよ!

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 本来の成人式は1月15日。その年の初めての満月を祝う小正月に一家の行く末を託す男子の「元服」を行っていたというのが成人式の由来だ。

 だが「男子の元服」というのが性差だとして、ジェンダーフリーを叫ぶキチガイや左翼らの怒りに触れ、平成11年所謂「ハッピーマンデー」なる摩訶不思議な祝日が誕生するに至った。

「成人の日」や「体育の日」「敬老の日」「海の日」を「ハッピーマンデー」としたのは、国體破壊を謀る左翼陣営の悪知恵だが、保守を標榜する自民党や似非保守政治家らがこれに同調し施行されたことは実に御粗末と言う他はない。

「海の日」をハッピーマンデーとしながら、何故か「山の日」は8月11日と固定化されている。ならば「海の日」をハッピーマンデーから簡択し、7月20日に固定することに何を憚っているのか。

「体育の日」は、アジアで初の然も有色人種の国が初めてオリンピックを開催したという歴史的偉業である10月10日だったからで、この日以外に何の意味があるというのか。

「ハッピーマンデー」とは、祭日の意味を薄れさせ国柄を見失わせることで国體破壊を目指していることは明らかで、最終的には11月23日の「勤労感謝の日」と、2月11日の「建国記念日」をハッピーマンデーにすることが狙いである。

 左翼陣営はこうした既成事実を積み重ねることによって、我が国の歴史や伝統、文化を否定する論拠とするのは常套手段である。

 祝祭日が単なる休日となってることをして何が「ハッピー」なのかさっぱり分からんが、彼奴等の狙いは鯔のつまり「宮中祭祀」の妨害にあることは明らか。正に「ハッピーマンデー」なんぞ百害有って一利無し。

 宮中祭祀で特に重要なものは正月、元旦に執り行われる「四方拝」と、11月の2回目の「卯の月」に行われる「新嘗祭」であり、歴代天皇にとって最も大事なものは代々受け継がれてきた「祭事」である。

 事実、祭祀縮小を目指す宮内庁は、陛下の高齢を理由にして、陛下の負担軽減の一環であるとして、祭事の中でも重要とされている新嘗祭の未明に執り行われる「暁の儀」の拝礼や元旦の四方拝の一部を取り止めた。

 陛下の高齢を理由に負担軽減を図るなら祭事を優先し、国事行為や公的行為は皇太子殿下と秋篠宮殿下が輔佐すれば好かっただけのことで、祭事の採り止めは陛下を利用した国體破壊の序章であり、天皇の政治利用である。

 祭祀こそ決められた日の決められた時間にすべきものであり、国民が共に祝うべき祝日は単なる休日ではないのだ。

 諸外国に比べ、日本の祝祭日ほど「国柄」の分かる素晴らしい伝統、文化はない。だが、多くの日本人が、祝祭日をただの休みとしか考えていないのは昨今の日本人の精神的貧困を顕している。

 祝祭日を本来の在るべき姿に見直すことは喫緊の課題であり、国民に祝祭日の意義を教えて行かねばならないと痛感する。

 建国記念の日を「紀元節」。春分の日を「春季皇霊祭」。秋分の日を「秋季皇霊祭」。勤労感謝の日を「新嘗祭」と本来の名称に戻さねばならない。

 同時に「憲法記念日」や「山の日」意味の無い祝日を廃止し、4月3日を「神武天皇祭」。10月17日を「神嘗祭」として復活させることは、戦後体制(ヤルタポツダム体制)からの脱却と主権恢復の意味からも重要である。

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2018年01月14日

尖閣諸島周辺に石油・天然ガスが埋没している可能性を報告すると中共や台湾は唐突に領有権を主張し始めた

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 本日1月14日は、沖縄県石垣市が条例により尖閣諸島の主権の正当性を定めた「尖閣諸島開拓の日」「尖閣の日」の記念日である。

 だが、悲しい哉、尖閣諸島の問題に限らず、竹島や北方領土が不法に強奪され、占領されたという歴史的経緯を知る国民は限りなく少ない。

 国際環境が激変する際に動くものが領土問題であり、つまりそれは北方領土や竹島を取り戻す好機であると同時に、尖閣列島や対馬、或いは沖縄本土をも奪われる危機も孕んでいるということでもある。

 領土問題が解決の兆しすら見えないのは、国家主権の甘さと事勿れ主義が招いた結果で、領土主権への重要さが啓蒙されていないことも要因に挙げられる。

 現在も、世界の各地で民族争いの中で国境紛争が頻繁に起きているが、世界では寸土たりとも主権確立には戦いをしてまで死守しているのが世界の常識。

「奪われた領土は奪い返す」ことでしか解決を見ない。我が国もそうした気概を持たなくてはダメだ。

 尖閣諸島とは、「魚釣島」「南小島」「北小島」「久場島」「大正島」と岩礁からなる領土をいう。

 国際法上、「無主地先占」(持ち主のいない土地を占有した国に、その領有権を与えるという考え方)に基いて、10年に及ぶ現地調査の結果、明治28年1月14日の閣議決定に拠って沖縄県に編入された。

 尖閣諸島は世界各地の地図の上でも、支那や台湾の教科書でも日本の領土として公式に認められている。

 だが、昭和43(1968)年6月、国連アジア極東委員会が、尖閣諸島周辺の東シナ海大陸棚に石油・天然ガスが埋没している可能性を報告した。

 すると、中共や台湾は唐突に尖閣諸島の領有権を主張し、国際法上の手続きも無しに地図を書き換え、1992年に自国領に組み入れた。

 そんな中で、昭和47(1972)年に日中正常化交渉が行われ、当時の首相だった田中角栄が、こともあろうに尖閣諸島の領有権に関して「棚上げ合意」した。

 明治政府の閣議決定を無視した、田中のこうした容共姿勢と腰抜け外交が、我が国の国益を大きく損なう結果となっているのはいうまでもない。 

 我が国を取り巻く環境は決して好ましいものではなく、南シナ海の西沙諸島(英語名パラセル)を中共は1974年以降、実効支配すると共に人工島を建設、フィリピンやベトナムとの間でも緊張が高まっているのは周知の通り。

 我が国では尖閣諸島の問題はそれ相応に報道し、国民の認識も広がってはいるが、南シナ海の紛争となるとマスコミは中共に気遣って作為的な記事を垂れ流し、国民も所詮は対岸の火事だ。

 そんな中で、安倍総理は、アジアにおける最も古い海洋民主国家たる我が国は、両地域の共通利益を維持する上でより大きな役割を果たすべきであると、「セキュリティダイヤモンド構想」を提唱した。

「南シナ海は北京の湖となって行くかの様に見える。アナリスト達が、オホーツク海がソ連の内海となったと同じく南シナ海も中国の内海となるだろうと言う様に」と、南シナ海の現状を嘆いている。

 更に安倍は、「南シナ海は、核弾頭搭載ミサイルを発射可能な中国海軍の原潜が基地とするに十分な深さがあり、隣国を恐れさせるに十分である」と危惧した。

 この認識こそが重要であり、東シナ海や南シナ海での中共の覇権主義に我が国が屈してはならない最大の理由がそこに在る。

 我が国が中共に屈することになれば、南シナ海は更に要塞化され、周辺諸国に脅威となるばかりか、我が国へ運ぶ石油ルートも中共の思いのまま、石油ルートの閉鎖は我が国の運命すら握っていると言っても過言ではない。

 東シナ海の浙江省・南麂列島(南キ列島)は、尖閣諸島奪還を狙い、着々と軍事基地が整えられいる。習近平はこの島を「宝島」と評するが、この「宝」とは何を意味するのか。

 この島から尖閣諸島まで約300キロ。「釣魚島奪還」を狙う人民軍にとって格好の立地であり、習近平にとっては正しく「宝島」なのだ。

 因みに、この南麂島は先の大戦では日本軍が上陸した島であり、支那での国共戦争に於いては、劣勢になった国民党軍が「反共」の拠点を構えた島でもある。

 碧く澄んだ海に囲まれ、海の幸のも恵まれたこの島はユネスコのエコパーク(生物圏保存地域)に登録されている。

 ここを観光開発を奨める様に指示したのは習近平だった。だが、主席に上り詰めた習は、新たな野望を果すべく、この島を領土防衛の最前線として要塞化を進めているとは厭きれるばかり。

 こうしたことを看過してるユネスコもユネスコだが、エコパークさえも利用する精神性の異常さは共産主義者ならではのものだろう。

 領土は国の主権であり、尖閣に於いては奪われる前に自衛隊の駐留や住民への上陸を許可し、実効支配は勿論のこと、オスプレイなどの最新防衛設備を充実させ、想定される様々な安全保障上の対策を講じるべし!

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2018年01月12日

義理などは夢にも思ふ事勿れ。身を縛らるゝもの也(英将秘訣)

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 元FBFのタイムラインを覗いたら某政治家と愛国ビジネスが頓挫して逮捕された例のおっさん夫婦の写真がアップされ「昔は友達だったのに掌を返して批判するとは。そういうのを卑怯者や裏切り者という」という様な記事が載っていた。

 この元評論家と元理事長の関係は友達というより別に持ちつ持たれつの関係で、況してや義理なんぞ考える様な関係でもない。相手に問題があれば批判して当たり前。真の友達だったのなら刺し違えて然り(笑)

 愚生も世話になってる支援者もいれば、兄弟分や盟友という様な仲間もいたが、相手に問題があれば苦言して、袂を分かって来たし、また今迄どれだけ裏切られて来たことか。未来永劫、友達の関係が続くなんてことは有り得ない。

 友達だから、友達だったからと義理なんぞ微塵も感じない。要は愚生も「卑怯者」とか「裏切り者」とか呼ばれているのかも知れないが、世話したことはあっても、別に世話になったということも無いから別にどうでもいい(笑)

 愚生の座右の書というか「英将秘訣」には「義理などは夢にも思ふ事勿れ。身を縛らるゝもの也」と訓えているが、正論だと思っている。

 支援金などにしても、英将秘訣には「俸禄などいふは鳥に与ふる餌の如きもの也。天道豈(あに)無禄の人を生ぜん。予が心に叶はねば、やぶれたる草鞋を捨つるが如くせよ」と在る。この実践が支援者が減る要因だろうか(笑)

 友達の多さを自慢するヤツがいる。そういう輩に限って実際には心から分かち合える友はいない。そうしたものはその人の立派そうな肩書や立場に寄って来てるだけで、それは友達という代物じゃなく単なる仲間や知り合いでしかない。

 盟友とか兄弟分とか言ってるのに限って裏切るのも早い。斯くいう愚生の場合も、相手に問題があれば苦言を呈してハイさようなら。真の友達なんぞそうはいないし、自分を誤魔化して付き合ってやるほど人間が出来ていない(笑)

 実社会の人間模様を見渡せば、善友、必ずしも善友ではなく、悪友、必ずしも悪友とは限らない。「毒を以て毒を制す」ではないが、悪友の方が、結果として善友以上の働きを示すことの方が多いのも確かだろう。

 畳にこぼれた水を拭き取るには、乾いたタオルでは綺麗に拭き取れない。タオルを充分に水に浸し、これをキリリと絞り上げてから使うのがいい。タオルの水気が畳の水を綺麗に吸い上げるのだ。

 新しいタオルが殆ど水を吸わないのと一緒で、日頃、キレイゴトを言ってるヤツなどは、いざという時にはあっちにフラフラ、こっちにフラフラと、クソの役にも立たないものだ(笑)

 今どきの安っぽい愛国ブームに流され、請け売りの政治学を偉そうに語るヤツより、政治のことは全く分からなくても、酒を愛し、趣味や惚れた女やスケベな話しを懸命に話してるヤツの方が信用出来る(笑)

 相手の主体性を重んじることを「君子の交わり」というが、見て見ぬふりより、相手がどう捉えるかは別にして苦言を呈すべきだと思う。

 それとは逆に「君子の交わりは淡きこと水の如し、小人の交わりは甘きこと醴の如し」という言葉もある。

 物事をよく弁えた人の付き合いというものは水の様に自然なものなのであるが、つまらぬ小人物の交際というのは、まるで甘酒の様にベタべタした関係であり、一時的には濃密のように見えても、長続きせず、破綻を招き易いものでもある。

 facebookやSNSなどでの遣り取りを見ているとキレイゴトを並べ、ベタベタとした上辺だけのコメントが実に多い。互いに抑揚を抑え、大人の遣り取りをしているつもりなのだろうが、そんな付き合いなどに意味があるとは思えない。

 バーチャルなSNSの世界を勘違いしていませんか(笑)

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2018年01月11日

「日本が心から謝罪するなどして被害者達が許すことが出来た時が本当の解決だ」との謗言を嗤う

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 文在寅は年頭会見で、慰安婦問題を巡る日韓合意について「日本が心から謝罪するなどして、被害者達が許すことが出来た時が本当の解決だ」と述べた。

 要は、過去の日本政府の謝罪は「心から」ではなく、売春婦(自称被害者)が金のなる木を放棄することはなく解決されることはないということだ。

 韓国側が「慰安婦問題」で強請りタカリに奔るのは、朝鮮人の人品の低さも然ること乍ら、歴代日本政府の無知と事勿れ主義が元凶であり、譲歩が更なる譲歩を生んでしまった我が国外交史上の最大の失敗でもある。

 朝日新聞が捏造した慰安婦問題を、自民党の宮沢内閣下で加藤紘一官房長官が事実を認め、次の官房長官に就いた河野洋平が「談話」を発表したことで韓国人慰安婦を付け上がらせる原因を作った。

 更に「村山談話」で火に油を注ぎ、その後の自民党政権下でもこれらを撤回せず黙認し、民主党売国政権誕生で、鳩山由紀夫が総理大臣として「国家補償」を約束し、当時の前原誠司幹事長もまた「戦後賠償支援」を言及した。

 慰安婦問題は、日本側が国家として「謝罪」も「約束」もしている訳だから、韓国にしてみたら賠償請求するのは当然であり、単なる強請り、タカリと言ってもいられない現実が厳然と存在してしまったのだ。

「戦争」とは相手を征服することであり「征服」とは掠奪である。7世紀に興ったイスラムでは「略奪」は正しいと教え、中でも最高の戦利品は「女」だった。

 女を奪い犯すことは、その国家、民族の純粋性を奪い、征服者の血を入れることで征服が完結する。征服の定義とは、正に「掠奪」と「強姦」の歴史なのだ。斯くて世界中の民族、国家は万古不偏、この定義に従って戦争して来た。

 例えばロシア人は第二次世界大戦末にベルリンに侵攻し、僅か半年の間に13万人のドイツ女性を強姦し、うち1万人を孕ませた。8千人は堕児出来たが、2千人は「目が寄った額の狭いロシア人顔」の混血児を生んだ。

 13世紀、欧州迄攻め込んだ蒙古人はイランやロシアに混血児を残し、生まれた子供に蒙古系の血が出るとその子は社会から排斥された。

 米国人もロシア人と同じで、第二次世界大戦に参戦すると英国で400件の強姦を働き、欧州戦線では1万4千件の強姦を記録している。

 現在も、チベットやウイグル、内蒙古で漢民族が相手民族に対し「民族浄化」という陵辱の限りを尽しているのは周知の事実だ。

 無条件降伏した日本国内でも、米国人もロシア人ももっと残酷に振舞い、民家に押し入り妻や娘を強姦し、抵抗すれば殺した。調達庁の記録では実に2600人を超える日本人同胞が殺されている。

 だが、こうした世界とは違った国が存在した。それが日本である。

 我が国だけは日清戦争の昔から、「掠奪」と「強姦」を軍律で厳しく規定し、規定を破った者は厳しく処罰された。

 しかし、生きるか死ぬかの戦場で、若い兵士に生理的なものにまで我慢を強いるのは逆に統率を失うと、街に在る「遊郭」で息抜きをさせた。

 その遊郭で働いていたのが慰安婦であって、売春婦が戦場迄出張ることは当時は当り前のことだったのだ。

 戦場に遊郭を建て兵士に息抜きをさせるのは肝心で、これはまた当地での性犯罪を防ぎ、相手民族の尊厳を最低限保つことでもあったのだ。

 こうした日本人の配慮を知らずして、高給に集った売春婦を「従軍慰安婦」と称し、恰も軍が関与し、朝鮮人の女性を強制連行し名誉を傷付け「性奴隷」にしたとは言語道断という他は無い。

 1964年、ベトナム戦争が激化すると韓国は、米国への忠誠と資金援助を得る為に、ベトナムに韓国軍を派兵した。

 この戦争に於いて、韓国軍兵士は十万人単位のベトナム人女性を凌辱し強姦、その一部を虐殺、結果、約3万人のライダイハンが生まれ放置された。

 韓国側がひた隠す「ライダイハン(韓国人とベトナム人の混血児)」の「ライ」とは、ベトナム語で「雑種」の意味で、「ダイハン」は「大韓」のベトナム語読み。つまり、韓国人男性とベトナム人女性の間に生まれた子供のことだ。

 統一後のベトナムでは、ライダイハンは「敵国の子」とされ迫害の対象となった。1987年に米国政府は戦争責任からか混血児とその家族の移住を受け入れ始めた。だが、韓国側は謝罪もせず沈黙を続けた儘だ。

 ベトナムのクァンアイソン・ビンホア村には「韓国軍憎悪碑」というものが建っており、次の様に刻まれている。

「天をつく罪悪、万代に記憶するだろう!この虐殺で犠牲になった者の数は合計430人、そのうち268人は女性、109人は50才から80才まで老人、82人は子供、7人は妊婦だった。2人は生きたまま火に投げこまれ、1人は首を切られ、1人は腹を割かれ、2人は強姦された。2世帯は一人残らず抹殺された」

 文在寅は親日派と言われた朴正熙政権に反対する学生運動の首謀者的存在で投獄されたこともある確信的左翼闘士であり、名うての反日活動家である。ならば何故に、朴正煕政権下で行われたベトナムでのこうした蛮行を検証しないのか。

 ベトナム女性への陵虐や惨殺は犯罪ではなく、「反共」を国是とする韓国の英雄的行為とされたことを間違いだったと猛省すべきだろう。

 ベトナム共産主義者との戦いと弾圧は熾烈さを増した厳しいもので、女性子供であろうが情けは無用との認識だったが、そうした過去の過ちに向き合ってこそ成熟した国家といえるが、反日ばかりで己らの歴史を直視することはない。

「ライダイハン問題」を抱えながら、ベトナムに対して謝罪も補償もしない韓国に慰安婦問題や歴史問題で我が国を責める資格など無い。

 1951年から61年にかけて「東亜日報」にUN軍相手の慰安婦募集の記事が載っている。韓国に駐留する国連軍に、韓国が国家として慰安婦の提供をしていた事実を報じたものだ。

 韓国こそ、こうした国ぐるみで他国の軍隊に慰安婦を斡旋していた事実には口を噤み、ライダイハン問題には謝罪どころか沈黙し、我が国の慰安婦問題だけを騒ぎ立てることに矛盾と羞恥心は感じないのか。

「従軍慰安婦」や「強制連行」が嘘だということは最早、朝鮮人自身でさえも判っているのに、何故か我が国の政治家やマスコミだけは知ってか知らずか、懲りもせずにその嘘に付き合い続けている。

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2018年01月10日

選択的夫婦別姓に見られる世論の怪しい動きに騙されてはならない

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 どこぞの性的変質者の社長らが「選択的夫婦別姓」を認めない戸籍法の不備で精神的苦痛を受けたとして、国に計220万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。日本人になれただけでも十分なのに何を勘違いしてるの(笑)

 民法第750条には「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」と明記されている。つまり夫となる人、または妻となる人の何れか一方の「氏」を夫婦の氏とするということ。

 この規定を大半の人は「片方が氏を変える」と理解しているが、「氏は自分個人の名前の一部」という誤解が混乱を招いているのも確かだろう。

 抑々「氏」というものは、個人を表す名称ではなく、明治維新以前には武士や大店(おおだな)の商人以外は「氏」を使う必要もなく、氏自体が意味を持たなかった。明治維新により新政府が樹立すると、戸籍を整える為に全ての国民に「氏」を与え、戸籍を整え、家族の絆の重要性を教えた。

 戸籍抄本や謄本を見れば分かるが、戸籍の筆頭者のみが「氏」と「名」で書かれており、その他の家族は「続柄」と「名」しか書かれていない。つまり、「氏」は家族を表す名称であり、個人名ではない。

 日本人の日本人らしさの根幹を成すのが「戸籍制度」であり、個人だけでなく、親兄弟や子といった歴史の縦軸の中に生きるという制度である。正に我が国の「戸籍制度」は世界に誇れる制度である。

 欧米の教育は個人が生存権に勝つ為のものであり、辺り構わぬ闘争が行われ、働く目的は金と享楽の追求のみ。それ故、家族の絆は緩み道徳の深さは生活から離れ、結果、唯物主義の考え方が支配的となり、人々の心を孤独化している。

 我が国の個人主義は極僅かで、世代に亘る家族の絆は固く、互いの助け合いによって人間本来の善良な姿と優しい心が保たれている。

 だが、夫婦別姓制は家族の一体感を損ない、子供に与える精神的影響も大きく、事実婚を増加させ、離婚の増加や婚姻制度の崩壊を齎すのは明らか。

 抑々、婚姻に際し氏を変える者で職業上不都合が生じる人にとって、通称名で旧姓を使用することが一般化しており、婚姻に際し氏を変更するも、関係者知人に告知することにより何の問題も生じない。

「夫婦別姓が男女平等の理想」とか「別姓は仕事上の不都合を生む」といった胡散臭げな理由を不審に思う国民が多くなり、「夫婦別姓」運動は廃れたが、夫婦別姓推進派はそれでも執拗に「選択的夫婦別姓」という新たな戦略を模索している。

 平成10年以来「民法の一部を改正する法律案」が国会に十数回提出され、選択的夫婦別姓制度について議論がなされているが、我が国には馴染まない為か国民的合意には至っていない。だが油断してはならない。

 自民党議員が十年以上騙された「夫婦別姓」運動と同じ騙され方をしているのが「選択的夫婦別姓」や「女性宮家」問題であり、こうした巧妙にカタチを替えた共産主義の策謀に騙されてはならない。

「選択的夫婦別姓制度」を導入した、イタリア、オーストリア、ドイツ、デンマーク、スウェーデン、ハンガリー、フランス、スペインなど欧州の国々では婚姻率が4割以上も減り、離婚率が2倍となり、婚外子の割合が5割も増加した。

 北欧、フランスでは婚外子が5割を超え、従来の家族制度が崩壊している。これは「選択的夫婦別姓制度」の導入が最大要因だったのは言わずもがな。

「氏を変えることにより自己喪失感を覚える」という様な意見もある様だが、これは「氏(姓)は個人名ではない」ということを理解していない典型で、同姓が嫌なら、同棲という事実婚でいいだけのことだろう。

 だが、そうした変態的な意見より、結婚に際し同じ姓となり、これから新たな家庭を築くという喜びを持つ夫婦の方が圧倒的多数であり、それが極めて一般的な普通の感覚ではあるまいか。

 夫婦同姓は、普通の日本人にとって極めて自然な制度であり、現代社会で家族とその絆を支えているのが「戸籍」であり、戸籍は、国民の出生・結婚・死亡などの身分の変動を「夫婦と未婚の子」を単位として登録するシステムである。

 戸籍制度は結婚や相続など家族生活を営む上で極めて重要な役割を担うと同時に、実は家族の一体感を維持する機能も有している。

 ところが、別姓推進派の中には「別姓導入は戸籍制度改廃への一里塚だ」とする考え方が根強く存在するのは事実。

 別姓するくらいなら結婚などしなきゃいいと思うのが普通だが、夫婦別姓は世界に誇る「戸籍法」の解体こそがその目的である。

 別姓推進派は、現在の戸籍制度が家族単位である点を、戦前の「家父長制度」の残滓と捉え、戸籍を個人単位の「個籍」や、欧米諸国を模した「個人登録制」に改めることを求めている。

 夫婦別姓を導入すれば我が国の戸籍制度や家族制度は瓦解し、祖先と家族・親と子を結ぶ連帯意識や地域の一体感、延いては日本人の倫理道徳観にまで悪影響を及ぼすのは必至。だが、彼らの目的が日本的家族制度の破壊、畢竟、国體破壊に在るとすれば合点がいくというものだろう。

 夫婦別姓に限らず、突き詰めた議論が無いまま、安っぽいムードだけで、やれこれが世界の流れだとか、グローバル時代の到来だとか、そんな曖昧な次元でもって賛同者が広がってるが、こうした世論の怪しい動きに騙されてはならない。

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2018年01月06日

天皇にとって最も大事な祭事の簡略化が謀られている

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 畏くも陛下の一年は「四方拝」で始まる。年初の未明から、陛下は潔斎し、古式に則った黄櫨染御袍の装束を身に纏い、伊勢神宮や陵墓、四方の神々に拝し、国の安寧や豊作を祈るのが歴代天皇が行ってきた秘儀である。

 近年は陛下の負担軽減を理由に黄櫨染御袍正装ではなく、元旦の新年祝賀の儀を優先してモーニングを着ての拝礼で済まし、年始の祭典である「歳旦祭」もまた同じ理由から掌典職が代拝している。

 負担軽減とは単なる屁理屈に過ぎず、天皇にとって最も大事な祭事は天皇の私事であり、元旦に行われる新年祝賀の儀は憲法で規定されている「国事行為」である為にそれを最優先しているからに他ならない。

 正月三日には、国と国民の繁栄を祈る「元始祭」、四日は「奏事始め」、七日は「昭和天皇祭」など、宮中祭祀は年に二十件前後斎行されるが、現在は代拝や短縮など更なる簡略化が謀られている。

 11月23日は、その年に収穫した穀物を神嘉殿に供え神に感謝する「新嘗祭」が行われる。新嘗祭は四方拝に並び宮中祭祀でも最も重要な祭事。

 午後6時から「夕(よい)の儀」、午後11時からは「暁の儀」が斎行されるのだが、平成24年からは陛下の高齢を理由に行われなくなった。

「暁の儀」の取り止めは、皇極元年(642年)より受け継いできた祭祀に、今後何らかの結果と影響を齎すのは明らか。天皇にとって大事なものは国事行為に非ず「祭事」であり、国事行為より優先されるべきものでなくてはならないのだ。

 陛下の負担軽減とは聞こえはいいが、こうした祭事の簡素化を実行した宮内庁は正に獅子身中の虫であり、皇統断絶を謀る国賊と断じて好かろう。

 歴代天皇が司ってきた祭事を最優先し、国事行為や公的行為こそ軽減すべきであり、陛下の負担軽減というのであれば、祭事は本より、国事行為や公的行事も皇太子殿下や秋篠宮親王殿下が輔佐する環境こそ整えるべきであった。

 だが、あろうことか安倍亡国内閣は皇室典範に退位を附帯して実質的な皇室典範の改悪を謀り、畏れ多くも陛下の譲位を強行した。

「女性宮家」の創設議論に見られる様に、平成の御世で宮内庁や共産主義者、無自覚左翼によって過去に例のない高等断絶が謀られていることに危機感を抱いている保守派や愛国者というのは限りなく少ない。

 以前、高松宮寛仁親王殿下が「国民一人一人が、我が国を形成する『民草』の一員として、2665年(当時)歴史と伝統に対しきちんと意見を持ち発言をして戴かなければ、いつの日か『天皇』はいらないという議論にまで発展するでしょう」と憂いていたが、正に「開かれた皇室」の名の下に陛下の尊厳が軽んじられ、天皇廃止運動は着々と進められている。

 来年は陛下は譲位遊ばされる。確かに天皇には憲法遵守の規定はあるが余りにも憲法に拘り過ぎではあるまいか。

 現憲法は歴史的な国家としての継続された「祭祀」に関する天皇の役割を否定し、天皇の「国事行為」のみで「公的行為」は明文化されていない。だが然し、天皇は憲法以前の御存在であらせられるのだ。

 神武肇国から続く万世一系の皇統が、平成の世を境に崩れて行くのを拱手傍観してる訳には参らない。皇統断絶を謀ってる元凶は獅子身中の虫である宮内庁か、それとも皇統を軽んじる安倍晋三なのか。剔抉粛正せねばならない。

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2018年01月03日

父上様、母上様、三日とろろ美味しゆうございました(円谷幸吉)

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 愚生の住む福島県内を始めとする東北や北関東の一部では、正月の3日にとろろメシ(汁)を食べる風習がある。

「三日とろろ」を食べるとその年は風邪をひかないと言われているが、まぁ風邪をひかない様にというより「七草粥」の様に、年末年始で飲み過ぎた胃腸を労わるという優しさから食べられる様になったのだと思う。

「三日とろろ」でいつも思い出すのは、福島県須賀川市出身で東京五輪マラソン銅メダリストの円谷幸吉選手のことだ。

 円谷選手の遺書の最初には「父上様、母上様、三日とろろ美味しゆうございました」と認められ、家族皆への感謝が綴られている。

 そして「幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました」で結ばれ、中でも「幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒お許し下さい」の言葉はトップ選手故の苦悩の現れであり衝撃的でもある。

 円谷選手が遺書は、世話になった方々から頂いた美味しい食べ物への感謝の言葉で綴られ、人となりが十分伝わってくる内容だ。(以下、遺書の全文)

「父上様、母上様、三日とろろ美味しうございました。干し柿、もちも美味しうございました。敏雄兄姉上様、おすし美味しうございました。勝美兄姉上様、ブドウ酒 リンゴ美味しうございました。巌兄姉上様、しそめし南ばんづけ美味しうございました。喜久造兄姉上様 ブドウ液養命酒美味しうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。幸造兄姉上様、往復車に便乗さして戴き有難とうございました。モンゴいか美味しうございました。正男兄姉上様、お気を煩わして大変申し訳ありませんでした。幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、立派な人になってください。父上様母上様、幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒お許し下さい。気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。幸吉は父母上様の側で暮しとうございました」

 アジアで最初、有色人種国として初めて開催された東京オリンピックで3位という快挙を成し遂げた幸吉はレース後にこう語った。

「私1人が走っているのではなく、日本国民全部の人が後ろから私を押していてくれるという感じを受けました」。正しく幸吉は国士だったのだ。

 遺書というのはその人の人物像が現れる。中でも特攻隊員や靖國に眠る英霊の遺書は正しく「神」そのものの渾身の叫びであり、その言葉には言霊が宿り、その精神は日本人の心の奥に響き、時空を超えて明らかに現代に感応している。

 右翼人の愚生には左翼という生き方はどんなものかは知らないが、28歳で自裁した連合赤軍中央委員会委員長・森恒夫の遺書には「自己の責任の重さに絶望し、自らに死刑を下す」と綴られていた。内容は次の様なものだった。

「御遺族のみなさん、十二名の同志はぼくのブルジョア的反マルクス的専制と戦い、階級性、革命性を守ろうとした革命的同志であった。責任はひとえにぼくにある。同志のみなさん、常に心から励まして下さってありがとう。お元気で。父上、ぼくはあなたの強い意志を学びとるべきだった。強い意志のない正義感は薄っぺらなものとなり、変質したのである。お元気で。愛する人へ、希望をもって生きて下さい。さようなら。荷物は坂東君に」

 森は逮捕されてからはキリスト教に関心を示していたというが、自ら行った罪を悔い改めている遺書からも、キリスト教に縋り、革命家を気取りながらも幼稚だった正義感を恥じている心境が伝わってくるが、遺族への謝罪は全くないこれをしても左翼というのは自分勝手の様に思えてならない。

 一方で、浅沼稲次郎社会党委員長を刺殺した右翼の山口二矢は、供述調書を取り終えると移送された練馬鑑別所で自裁する。その調書の中で遺族に対して心境を吐露している。

「浅沼委員長を倒すことは日本の為と堅く信じ殺害したのですから、行為については法に触れることではありますが今何も悔いる処はありません。しかし、浅沼委員長は最早故人となった人ですから、生前の罪悪を追及する考えは毛頭なく唯故人の冥福を祈る気持ちであります。又浅沼委員長の家族に対しては、如何なる父、夫であっても情愛に変わりなく、殺害されたことによって悲しい想いで生活をし迷惑を掛けたことは事実ですので、心から家族の方に申し訳ないと思っています」

 二矢は練馬鑑別所に於いて、「國のため 神洲男児晴れやかに ほほえみ行かん 死出の旅へ」「大君に 仕えまつれる 若人は 今も昔も 心かわらじ」の辞世を遺し、「天皇陛下万歳」と従容として死に就いた。

 二矢は、「私には日本人の血が流れており唯物論では到底割り切れない。持って生まれた日本精神という唯心論的なものが滾っており、天性からこういう人生観、思想などが形成されたと思っています。尚、本当の日本人であれば、私の様な人生観、思想というものが心の奥底には必ず在ると思います」と述べているが、右翼と極左暴力団との違いはこういうことだろう。

 17歳の二矢と27歳の円谷幸吉の遺書に日本人としての惻隠の情を犇々と感じ、人というのはどれだけ生きたかという人生の長さではなく、どう生きたか、どう生きるかが大事だと痛感する。合掌再拝。

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2018年01月01日

大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス

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 皇紀2678年、平成30年を迎えるに当り、謹んで陛下と皇室の弥栄を寿ぎ奉り、併而心願成就を祈念する。扨て今年もどうなるものぞ。

「わが民族の将来と国家の前途を思うは人間の最も真剣なる感情であり、君国に忠、親に孝なるは最も現実なる道徳である。之を離れては人類愛も世界的正義も空想に過ぎない」(西晋一郎)

 心ある国民は日本に生まれた者としてその日本を憂い、心中密かに期するものがあるだろう。それは一体何か、何であらねばならないのか。

 これを一言にして表現するならば、天皇国日本の真姿開顕に奮励前進、捨身奉公するということに尽きよう。

 畏くも、皇祖天照大御神が垂示し給うところの、「豊葦原の千五百秋の瑞穂国は、是れ吾が子孫の王たるべき地なり、宜しく爾皇孫就いて治せ、行矣。宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と窮り無けむ」との天孫降臨の御神勅を心魂に刻んで日々奉拝することである。

 明治22年2月11日の紀元節、畏くも明治天皇は、大日本帝国憲法施行の際に下し給える憲法発布勅語の中でこう思召し遊ばされた。

「惟フニ我カ祖我カ宗ハ我カ臣民祖先ノ協力輔翼ニ倚リ我カ帝国ヲ肇造シ以テ無窮ニ垂レタリ此レ我カ神聖ナル祖宗ノ威徳ト並ニ臣民ノ忠実勇武ニシテ国ヲ愛シ公ニ殉ヒ以テ此ノ光輝アル国史ノ成跡ヲ貽シタルナリ」

 この御神勅こそ正に天孫降臨の御神勅の精神の継承である。「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と在る様に我が国は「天皇国日本」なのである。

 これこそが日本国民たるものとして肝に銘じ、忘れてはならない万古不磨の大原理大原則であることを知るべきなのだ。

 北畠親房卿は「皇統正統記」の冒頭でこう記す。

「大日本者神国也。天祖はじめて基をひらき、日神ながく統を傳へ給ふ。我國のみ此事あり。異朝には其たぐひ なし。此故に神國と云ふ也。神明の皇統を傳へ給へる國也」

 これもまた日本国民が矜持すべき信念であり、日本人としての信仰であらねばならないと断言して憚らない。

 この民族の精神と、道統を受け継ぎ、これを護持し、これを宣布し、そして子孫に伝えるところの責任と使命を有する者は、今を生きる我々日本人であることは言うを俟たないところであろう。

 然るに、この万邦無比の国體、尊厳崇高なる祖国日本の歴史と道統に目を覆い、或いは西洋物質文明に被れ、或いは共産主義反逆思想に随喜して、日本人の本質を自ら喪失し、無機質な人種が増殖する傾向は由々しき一大事と言わざるを得ない。

 本居宣長は自著「うひ山ふみ」の中でこう教示している。

「やまと魂だによく堅固(かた)まりて、動くことなければ、昼夜からぶみをのみよむといへども、かれに惑はされるうれひはなきなり」

「からぶみ」とは「洋風かぶれ」「米国追随」ということだが、多くの国民も悲しいかな「やまと魂だによく堅固まりて」どころではないのだ。

 国内には未だ米国の占領政策の洗脳から目覚めることなく、米国や中共の走狗となった不逞の徒輩により大和魂の基盤そのものが逐次掘削され、国家の大本を忘却し経済至上主義に奔り、我が国體の精華が穢され続けている。

 この迫り来る祖国日本の危機に対処し、天皇国日本を盤石の安きに置く使命を有するものは我ら日本人である。

 正にその存在の意義を示す神機は近付きつつあるのだ。さあ、全国の愛国者よ、草莽の志士よ、その一旦緩急に備え遺憾無きを期そうではないか。

 念頭に当り、右翼浪人として、そして一維新者として、貧すと雖も志士の覚悟を忘れることなく草莽の道を歩んで往こうと思っておりますれば、本年も何卒御付き合いの程宜しく御願い申し上げます。すめらぎいやさか。

 皇紀2678年 平成30年 歳旦 佐久間五郎拝

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2017年12月30日

「今日は無礼講だから遠慮しないでどんどん呑め!」とか言われて杯盤狼籍(笑)

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 忘新年会のシーズン、「今日は無礼講だから遠慮しないでどんどん呑め!」とか言われ、その気になって泥酔して杯盤狼籍。調子に乗って飲み過ぎて、翌日には記憶もカネも無いなんてのはよくあるだろう。

 先輩や上司から「無礼講だ」と言われてもやはり酒席では礼節は失ってはいけません。大体、会社や先輩での酒席は修行の一環。気を遣って飲む酒なんぞ旨くもないし楽しくもない。やはり酒は身銭を切って飲むのが旨いし愉しい。

 毘沙門天を信仰し、生涯質素な生活を送った質実剛健の戦国武将・上杉謙信は酒には目が無くて、酒の飲み過ぎで脳卒中で死んだというから何か親近感が沸くというものだが、愚生も他人事ではない。

 謙信は、お気に入りの大ぶりの盃を持って部下と一献。大いに酒を勧めながら部下の酔いの姿を観察し、酒に呑まれて我を忘れる部下を酷く嫌ったという。また、酔った勢いでここぞとばかりに進言したりする部下も信用しなかった。普段も酒席も同じ態度の者を重用した。

 愚生の場合、鼻に付く先輩などには酒席で苦言を呈す時もある。ただ、翌日には「昨日は酔っぱらってついつい言い過ぎました」と謝ることにしているが、酒の所為にすれば大概赦される。でも、言ったことは本音です(笑)

 吉田松陰は「常に直諫なくば」と訓えているが、先輩や上司への諫言とはシラフの時に言った方が好い。ただ、それを赦してくれる様な度量の大きな先輩や上司は少ないので御注意を(笑)

「今日は無礼講だ」と勧める一方で、酒席の様子や酔っ払いぶりを謙信の様に冷静に観察している上司や先輩方がいることを忘れてはいけません(笑)

 酒ってのは失敗も多いが、失敗で得る方が断然多いから酒での失敗も大事な経験。「酒が人間をダメにするんじゃなく、酒は如何に人間がダメなものかを教えてくれる」とは立川談志だが、蓋し正論。

「酒は飲むべし 酒は飲むべし 人生唯酒ありて肝を開く 酔中の快楽人知るなし」とは坂本龍馬。酒は男を磨く道具の一つ。肴は特に拘らなくても好いが、飲む酒には拘りたいものだ。但し呑み過ぎには御注意を。呵呵大笑。

 これを以て今年最後のブログと致します。今年も「爆ちゃん吼える」に御付き合い頂き感謝申し上げると共に、謹んで陛下と皇室の弥栄を寿ぎ奉り、併而、来年が皆様にとって実りある年と成ります様に御祈念申し上げます。

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2017年12月29日

「喪中につき年末年始の挨拶はご辞退させて頂きます」という陋習

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「喪中につき年末年始の挨拶はご辞退させて頂きます」だとか、「喪中なので初詣には行かない」いう様な声を聞く。信心深いのだろうが、こうしたことも古くからの習慣であり、大した意味はなくやっている様だ。

「初詣」も神道なら50日を過ぎていれば問題はない。仏教でも浄土真宗などは「死」は「穢(ケガ)れ」ではなく、故人を阿弥陀如来の智慧の光明に縁り極楽浄土へと導くという真理であるという教なのだから問題はない。

 尤も、日本人というのは天皇陛下の御生誕を祝わずキリスト誕生を祝い、大晦日には除夜の鐘を撞き、初詣には神社に参拝する。結婚式を教会や神社で挙げ、葬式は仏教と実にいい加減な民族ともいえるが、何故か喪中にだけは拘る(笑)

 先祖の宗派も分からず、日頃、神仏などを軽んじていながら、自分の都合の好い時だけ信心深くなるのはどういう訳だろう(笑)

 近親者が亡くなった場合に、一定の期間、その死を悼み、身を慎むことを「忌服」、或いは「服喪」という。

 古くは、門戸を閉じ、酒肉を断ち、弔せず、賀せず、音曲をなさず、嫁取りをせず、財を分かたずという様な仕来たりがあった様だが、今日ではそれらの一部分が慣例として受け継がれているだけなのだ。

 現在はここまで喪に服することはないし、そこまでした人を見たことも聞いたこともない。一等親の身内が亡くなられた場合でも、一週間も仕事を休めば「もう、君は来なくていい」と上司から誹られるだろう。

 日本での喪中の規定に関する法律は、奈良時代の「養老律令」には既に見られ、江戸時代になると「服忌令」という法律によって喪中の規定が記され、これらによると父母の喪は12ヶ月~13ヶ月であると制定されている。

 明治7年に出された太政官布告(「忌服令」昭和22年に廃止)では、「父母、夫、50日、13ヶ月。妻、兄弟姉妹、20日、90日」などと「忌(忌中)」と「服(喪中)」の期間をこと細かく定めている。

 明治42年に制定された「皇室服喪令」では「12か月」と、こちらも「忌服令」などと粗同様の期間が決められている。

「忌」と「服」は、謹慎度の深さによって分けられるが、大まかには「忌」は自宅に謹慎する期間、法要(四十九日)が終わる期間。「服」は喪服を着用する期間、死者を偲ぶ期間と考えていいだろう。

「忌中」とは、神道の「穢れである死を忌む期間」という考え方から、忌中時(五十日)は「出仕(仕事)を控え、殺生をせず、髭や髪を剃らず、神社に参拝しない」としている。

 現在ではこうした法令は全て撤廃され、仏事の慣例としては今もこの太政官布告が一つの目安にされていて、喩えば父母の死亡に際しては七七忌(四十九日)までが忌中、一周忌(一年間)までが喪中とされることが多い様だ。

「喪」は抑々儒教から生じているもので、父母の死については13ヶ月間喪に服するということになっている。

 この13ヶ月の数え方だが、昔は「0」という観念がないので、父母が亡くなった月が1ヶ月目となり、丸1ヶ月なくてもその月が終われば1ヶ月と数え、翌月は2ヶ月目になる。亡くなって二年目の法要が三回忌となるのと同じ。

「年賀状」は明治6年、日本で「ハガキ郵便配達」が始まったのを機に、遠方以外の人にも挨拶状を送る習慣が広まって行った。

「年賀郵便」の制度は明治39年に始まり、昭和24年には「お年玉付き年賀はがき」が発売されると、年賀状が次第に普及し慣例となった。

 年賀状というのは正月の愉しみではあるが、通信手段が無い時代に遠くの友人に年に一度の挨拶する為に生まれたのが年賀状であり、ネットや通信網が普及された現代に於いては面倒な習慣でもある。

 服喪期間という個人の故人への思いはそれはそれで好い。喪中の相手を気遣うという意味では年賀状を送るというのは思慮不足なのかも知れないが、悪気が在って送る訳でもないだろうし、陋習ともいえる年賀状如きに、亡くなった人まで巻き込んで一喜一憂などする必要はない。

 尤も「喪中だから」と門戸を閉じ、酒肉を断ち、弔せず、賀せず、音曲を成さず、嫁取りをせず、財を分かたず、出仕(仕事)を控え、殺生をせず、髭や髪を剃らず、自らを厳しく律している方なら別だが、そんな人はいないだろう(笑)

 愚生の場合、年賀状は殆ど書かない。頂いた方には寒中見舞いを出すことにしている。「葬儀・告別式」も「年忌法要」も「偲ぶ会」も身内や友人には「やる必要なし」と断ってるので、当然、喪に服する必要もない。

「死んだらそれまで、忘れて結構!」と念を押している。若しこの遺言とも言える申し入れを無視する様なら化けて出るつもりでいる。呵呵大笑。

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2017年12月28日

フィクサーを気取ったゴロツキ右翼や金権右翼も歌心のない乞食右翼も皆右翼

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 右翼が、国家社会主義、農本主義、純正日本主義などの思想を基に活動したのは遠い昔の話で、今はそうした思想も無ければ、政治に対しての認識や危機感も「ネット右翼」と揶揄されている連中の方が長けている。

 だが、そんな右翼にも悲観はしていない。人生、好い時もあれば悪い時もあるもので、女に本気になったり、金儲けに奔ったりする時期もあるだろう。その方が人間味があって右翼らしい。どんな生き様をしてようが本物は残る。

 街宣車のある者は、それを大いに利用して街頭演説で啓蒙したり、営利を貪る悪徳資本家共を糾弾するのも好い。宣伝車が無い者は徒歩で集団示威行為をしたり、ハンドマイクを使った街頭演説や抗議も好いだろう。

 文章が上手なら、政争ばかりの政治家や営利に狂奔する企業への抗議文の送付したり、アジビラを撒くも良し。或いはボランティアなどで社会貢献するのも良し。救国運動とは夫夫が出来ることをコツコツとやれば好い。

 真面目な右翼もパクられてばかりいる右翼も、ヤクザブルな軟弱右翼も、金儲けの下手な右翼も、ヤクザ系右翼やフィクサーを気取ったゴロツキ右翼も、歌心のない乞食右翼と揶揄される者も皆右翼。色んな右翼がいて右翼なのだ。

 右翼は愛国者ではない。愛国者とは社稷を重んじて懸命に働き納税してる資本家であり、国に頼らず国を支えている勤労者だと思う。

 日々を怠惰に生きながらも、日々の生活に流されながらも、一維新者としての志しさえ忘れなければいつかはその熱意は届くだろう。

「日本は滅びる!」「日本が危ない!」と徒に危機を煽り、日本が滅亡するかの様に叫ぶ保守派や、我が国に係る危機を売り物にして売文し、講演を生業にしてる営業保守がいる。

 日本会議を始めとしたそんな営業保守、営業右翼の言葉を真に受けて、その御先棒を担ぎ、前衛となってネットで街頭で騒ぎ立てているのが、自称・愛国者を気取ったネット右翼と言われる連中だろう。

 右翼の何たるかも知らないで「右翼」とは右翼もナメられたものだ。愛国運動が軽々しくなったのは右翼指導者の無能は然ることながら、「愛国」や「保守」を利用し、それで蓄財し、右翼の大物ぶってる輩が元凶ではなかろうか。

 正統の保守主義者に於いて時間を体験する仕方は、過去の意味を直視し、その中に価値を見出す発見によって未来を創造して行くものである。

 高邁な心を忘却し、高い精神の伴わない現在の我が国の様な繁栄はやがて衰退する。我ら大和民族は目先の繁栄ではなく、神武肇国の精神の高揚と国民国家の繁栄をこそ目指さねばならないのだ。

 国を愛する心を涵養するとは如何なることか。街頭に立ち、日の丸や旭日旗を掲げ、街中を闊歩すれば愛国者なのか。やらないよりはやった方が好いだとか、そんなものはオナニーと同じで贔屓の引き倒しそのものだ。

 愛国心とか大和心とはそんなものではない。愛国とは日本に生を享けた者が、八紘を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむこと。つまりは神武肇国の大理想「八紘一宇」を掲げ、天皇國日本の真姿開顕へ奮闘前進すること以外に無い。

 愚生は、防挺(防共挺身隊)に愛着はあったが、前任者やそれを取り巻く体制に付いて行けず袂を分かつ結果となてしまったのは返す返すも残念無念。今やその行動右翼のパイオニアを自任した防挺も風前の灯というのも寂しい限り。

 そうした現状に隔靴掻痒の感は拭えないが、愚生を含め、防挺を去った後輩らも、防挺に所属していたという誇りを胸に精進して欲しいものだ。

 ということで、怠惰に日々を過ごしてしまっている愚生への自戒と純粋に右翼活動に打ち込んでいる若手活動家にエールを送ってみた。

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2017年12月27日

文科省も教育委員会も日教組も全教も教育荒廃の腐った肥溜め

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 今年1月、須賀川市の中学1年の男子生徒が自殺した問題で、市の第三者委員会は「いじめが大きな一因となって自死を選択した」との調査結果を公表した。

 関係者は「二度とこの様な悲しいことが起きない様に学校と教育委員会が一丸となって再発防止に務める」と御決まりの決意を述べる。

 男子生徒は同じクラスの男子9人から「菌がうつる」だとか揶揄われ、部活動でも人格を否定する様な名前を付けられ呼ばれていたことで、精神が滅入り、ストレスが溜まり自殺したという。

 学校の対応の甘さを指摘しているが、子供の気持ちに寄り添えなかった親にも責任はあるし、何より自殺する勇気があるなら、いじめた同級生に負けても良いから反撃や報復すれば好かったと思っている。

 今は暴力は絶対悪として受け入れられることはない。況してや反撃や報復となれば逆に批判されかねない。市側は学校の対応の甘さを指摘するが、いじめを糺そうといじめてた生徒にビンタでも食らわせたら、それこそ体罰だと騒がれて正義感溢れる教師が吊し上げられる。

 こうした社会の風潮、被害者よりも加害者側の人権を重んじるかの様な不正義が、いじめや犯罪が無くならない最大要因となっているのも確かだろう。

 いじめというのは幾ら防止しても無くならないだろう。人間というのは強い者には巻かれるが、自分より弱い者と見るや虐めたくなるのは本能でもある。

 教育の荒廃の元凶は日教組や全教というだけではなく、文科省や教育委員会の不作為と政治家の教育改革への無関心、そして戦後の幼稚な人権主義や暴力否定の安っぽい平和主義が少なからず影響を齎したのだ。

 教育委員会は戦後、日本の教育制度を米国の意のままに置こうというのがその狙いだった。その戦後民主主義教育は米国の思惑以上に大きな成果を齎し続けているが、その教育委員会制度に頼ったところで余計に混乱を招くだけ。

 文科省も教育委員会も日教組も全教も教育荒廃の腐った肥溜め、中でも占領下に謀られた教育委員会は早々に廃止すべき組織であり、教育委員会制度の廃止が教育改革に繋がり、延いてはいじめ問題解決にも繋がるだろう。

 会津の「什(じゅう)の掟」には「卑怯な振舞いをしてはなりませぬ」「弱い者を苛めてはなりませぬ」ということを訓えている。

「什」とは数人の子供が集まり、色々なことを話し合った集団で、決まり事は子供自ら考えて実践した。

 いじめというのは、いじめが卑怯なことや恥ずかしいものだという認識の欠落から行われているのが殆どで、大人が介入したところで解決は見ない。生徒自らが問題意識を以て話し合い、解決することが好い。

 子供達がこうしたいじめという卑しい行為に奔るのは、日本文化の喪失に起因してると言っても過言ではない。

 それは政治家の怠慢でもあるが、我々大人の責任でもある。いじめで自殺した生徒も、意味も分からずいじめた側も戦後教育の被害者でもあるのだ。

 いじめられて自殺するくらいなら報復しなさい。反撃もやらないなら学校なんぞ行くな。勉強なんてやる気があれば何処でも出来る。

 その昔、右翼現役時代「日教組撲滅」のビラを都内中に貼った。そのビラの一つに「どんな子も みんな日本の 大事な子!」というのがあった。

 子供達は日本の宝だ。どんな出来の悪い子供であっても、大人達が優しい目で、そして時には厳しく、慈愛を持って見守ってやらねばならない。

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2017年12月26日

我が国は正に「天皇国日本」。これこそが万古不磨の大原理大原則である

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 現憲法下で明記されている国事行為を全うすることが難しくなったと御発露遊ばされ、安倍は「国事行為を軽減する有識者会議」を発足するも、「生前退位」という意味不明の言葉が躍り、天皇譲位は避けられない状況を作り上げられた。

 畏くも天皇陛下は歴史が証明している通り、憲法以前の御存在であらせられ、憲法が在って天皇が存在せられるものではない。

 国事行為が困難ならば、皇太子殿下や秋篠宮殿下が輔佐する環境を作れば好かっただけで、また憲法に明記されてる国事行為を改めれば好かっただけのこと。

 然し乍ら、安倍亡国政府はあろうことに皇室典範に手を付け、陛下の譲位を附帯し、皇太子の即位に当たっての大嘗祭も、現憲法に明記していないことで行わない。その他の皇室に関わる行事も特例法という姑息な手段で乗り切るつもりだ。

 我が国は天皇即日本であり日本即天皇である。これ即ち、明治天皇が教育勅語の中に於いて「世々その美を済せる国體の精華」と御諭しになったところであり、万邦類い無き「天皇国日本」の真姿である。

 欽定明治憲法(大日本帝国憲法)の第1条に「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と在ることは、万世一系という歴史的事実と、我が国の本来在るべき姿を明示されたものと謹解する。

 安倍政治を盲信し、自民党を支持した多くの自称保守派や自称愛国者らは、安倍政権下で憲法改正が恰も成立するかの様なはしゃぎぶりだったが、安倍の目論む憲法改正は現憲法を認め、帝国憲法への復元改正を不可能にするものだ。

 絶対安定多数を占めた第三次安倍政権が発足すると、憲法改正への国民の理解を得る為の取り組みを強める意向を示し、先ずは憲法96条の改正を目論んだ。

 第96条の改憲発議要件を「国会議員の3分の2以上」から「2分の1」に緩和するらしいが、安易な発議条項緩和は、万が一、革命政権が樹立されれば天皇条項をも廃止され国體の破壊に繋がる危険を孕んでいる。

 憲法改正というと9条が問題にされるが、9条こそが重要だと位置付けしている点では、自民党議員や保守派や日本会議に洗脳された自称・愛国者というのは、「9条の会」を始めとした誤(護)憲派らのバカらと大して変わらない。

 尤も、安倍の憲法改正論は保守票を取り込むリップサービスでしかないが、こうした国體を破壊しかねない「とりあえず憲法改正派」というのはインチキ保守、インチキ右翼というのが正しい。

 その証拠に、対北朝鮮や尖閣問題といった領土主権ではあれだけ騒いでいながら、国體や皇統断絶に関わる「生前退位」に沈黙し、そして同調した。

 更には、豊葦原瑞穂の国・日本を崩壊に導く「種子法廃止法案」や「農業競争力強化支援法」、また残留農薬基準の大幅緩和という、正に我が国農業の危機に対しては何ら抗議の声を上げることは無かった。保守派や右翼は何を死守するのか。

 我が国は正に「天皇国日本」。これこそが日本国民として肝に銘じ、忘れてはならない万古不磨の大原理大原則である。

 現憲法は帝国憲法の改正であり、現憲法を改正するというのなら第96条の改正などという姑息な手段ではなく、現憲法が帝国憲法七十三条に基付いて改正された事実に刮目し、現憲法を破棄し帝国憲法の復元・改正こそ目指し、天皇国日本を盤石の安きに置かなければならない。

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2017年12月25日

日本中央競馬会のJRAって日本赤軍(ジャパン・レッド・アーミー)と同じだね(笑)

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 日本中央競馬会(JRA)は、政府が導入することを決めたカジノ法案(統合型リゾート施設)を踏まえ、ギャンブル依存症対策として、今月28日より依存症の疑いのある人の家族の依頼で投票権購入を拒否出来る制度を導入するという。

 競輪・競馬やボート、オートレースなどをギャンブルと非難するが、カジノ法案に反対する連中が「負けた人のカネが収益になるというのが問題」だと言うであれば、国内最大のギャンブルはそれこそパチンコだろう。

 だが何故か、カジノ法案に反対する連中は「パチンコはギャンブルではない」という。コレ正しくダブルスタンダードの典型でもある。

 ギャンブルとは博打や賭け事だけではなく、株などの投機もギャンブルだし、結婚もある種のギャンブルだろう(笑)

 毎日の様に新聞折込に入ってくるパチンコ屋のチラシには「パチンコ・パチスロは適度に楽しむ遊びです」という白々しい広告を目にするが、パチンコに限らず公営ギャンブルも己の器量以上にのめり込んではダメだということに尽きる。

 競馬や競輪などの公営ギャンブルより、民間企業のパチンコで家庭崩壊に陥った人の方が断然に多い。競馬は週末だけだが、パチンコは毎日なので猛省する機会がない、だからダラダラと続けてしまうのだ。

 依存症になる人というのは金銭欲が逞しく、根がだらしないのに自分に甘い人が多い。大体、賭け事は負けるということを理解していないのでは(笑)

 別に競馬や競輪などだけではなく、株などの投資や投資にしても同じで「もっと儲けたい」「負けを取り返したい」と、のめり込んでしまう。

 逆にギャンブルに嫌悪感を抱き、或いは受動喫煙がどうたらこうたらとタバコに対して敵意を剥き出しにする人というのは、往々にして鷹揚さが足らない人が多い。気持ちに余裕が無いから相手に厳しく当たる。

 人間、自分を律し、厳しくするのは好いが、相手にも厳しく当たると窮屈でイケません。ハンドルに遊びがないと危険な様に、やはり「遊び」という余裕は大事なことだ。テレビに登場する貴乃花親方を見てると余計にそう思う(笑)

 かといって、こういうギャンブルもタバコもやらない人というのは立派な人かというとそうでもない。下半身にだらしなく女好きが多い。保守派として持て囃されてる荒川区議の小坂某などを見てると熟熟そう思ってしまう(笑)

 何事も自分でやらないことには分からない。昨日は有馬記念だったが、10万人もの人が競馬場を訪れ、何千万人という人がキタサンブラックの勝利に感動した。この多くの喜びを否定して依存症ばかりを取り上げるのは本末転倒。

 斯くいう愚生も週末になれば競馬のメーンレースには参戦するし、競輪も月に数回あるG3以上のレースの最終3レースに参戦している。

 懐具合が芳しくないのでネット口座の残高を気にしながら細々と楽しんでいるが、ストレス解消や小さな喜びを得るには持って来い。

 掛け金が多いと負ける時も損害が大きくなって、ストレスが溜まり、負けを挽回しようと依存症に陥る。何事も過ぎたるは猶及ばざるが如し。

 要は、己の器量以上なことをやって身を滅ぼしているのだ。そういう意味では、馬券や車券の買い方一つでも、その人の性格や人となりを知ることが出来ます。今度、競馬場に同道しませんか。ってか、中央競馬会のJRAって、日本赤軍(ジャパン・レッド・アーミー)のJRAと同じだね。呵呵大笑。

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2017年12月24日

仏教にしてもキリスト教や新興宗教にしても「宗教」とは正に流行という病気でもある

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 日本人というのは戦後、米国の価値観を植え付けられ、それが当たり前だと思って来た。建国記念日を否定し、天皇誕生日よりキリスト生誕を祝い、新嘗祭よりハロウィンといった具合。

 我が国に古より伝わって来た「神道」は、こうした世界の中から生まれた。神と共にあるから「惟神(かんながら)」という。

 新羅万象の全てが、山の神、海の神、森、川、泉、石ころや水・・・全てのカタチある物やそして人も、その神の在る景色の一部に過ぎず、これこそが八百万の神である。

 その後、仏教が伝来する。仏教も当時は新興宗教であり、昔から人々は流行に敏感で瞬く間に普及していった。

 日本人の心の奥底には随神の教えがあるが、一方で仏教的価値観が事の善悪や行動の指針にもなっているのも確かだろう。

「宿命」という認識は仏教の教えからのものでもあり、それを仏教では「宿業(しゅくごう)」とか「宿世(すくせ、しゅくせ)」という言葉で表される。

 これは「生きる上で、自分の力ではどうにも出来ない過去に制約を受けているからどうしようもない」という発想である。

 仏教には「目の前にある状況は何らかの原因で起こっていることであり、この状況も何らかの原因となって別の結果を生み出す」という思想が根本にあり、それを「縁起(えんぎ)」という。

「因果応報」「悪因悪果」というが、今生きている自分は、自分が知らぬ過去によって決められているので自分ではどうしようもない。

 自分の死後も自分でもどうなるかは分からない、死後は「仏の世界」に導かれる、という一種の洗脳から、日本人は自分一代の生涯ではなく、過去と未来にも想いを巡らせる様になった。

 これは仏教の教えにより「永遠という観念」を手に入れたとも言える。仏教とは現世利益を与えてくれる恩恵の神という捉え方である。

「源氏物語」は、主人公である光源氏を中心に様々な恋が「宿世」として捉えられている。男女が出会うのも「宿世」なら、求愛も「宿世」。要は、不倫なんかも過去の導きから生まれた「宿世」ということになる(笑)

 この仏教的「宿業」「宿世」の考えは「自分の力ではどうしようもない」という一種の開き直りに繋がったのも事実。

 平安時代末期「仏の道が衰え、悪が横行する世になる」という「末法思想」が流行する。これをしても宗教とは正に流行という病気でもある。

 天皇誕生日よりキリスト生誕を祝う現在の風潮も、戦後の米国による洗脳の現れなら、そんな流行も廃れるのは時間の問題か、否否未だ未だ続くのか。惜しむらくは後者の方だろう。呵呵大笑。

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2017年12月23日

明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲び創建された神社の参道のイルミネーションに違和感

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 本日は天皇誕生日。皇国臣民としての喜びこれに優るものなし。謹んで陛下の弥栄と長久を祈念する。日本国民にとって天皇誕生日より盛り上がるのは何故かキリスト生誕を祝うクリスマスイブ。

 ということで街はクリスマス商戦一色。明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲び創建された神社の参道もイルミネーションで飾られる。天皇を戴く我が国にはそぐわない景色だが、まぁイベント好きな日本人らしい(笑) 

 敬虔なカトリック教徒でもないのにキリスト生誕を祝い、大晦日には寺で除夜の鐘を撞き、元旦には神社に初詣に行き、年賀状には元号を記す。ホント日本人とは実にいい加減というか、実に大らかな民族だ(笑)

 キリスト生誕を祝うのは結構だが、日本には日本の神が存在する。それを知るには「古事記」が好い。最近はマンガ本や現代語訳の本も多く出ているので、クリスマスケーキを買う気分で気軽に購入して頂きたいものだ。

「古事記」の書き出しは「天地創めて發けしとき高天原(たかまのはら)に成りし神の名は天御中主神(アメノミナカヌシノカミ)、次に高御産巣日神(タカミムスビノカミ)、次に神産巣日神(カミムスビノカミ)、この三柱の神は皆獨神と成りまして身を隠したまいき」と在る。

「造化三神」「神代七代」や「伊邪那岐(イザナギ)」と「伊邪那美(イザナミ)」が生んだとされる神は三十五柱に及ぶが、キリストやマホメット、孔子などと同様にこういう神々も日本人なら知っておくべきだろう。

「古事記」にはこうした神々が登場する。筆録した人物は太安麻呂(おおのやすまろ)。日本で最初に書かれたとされる書籍で、語り部の稗田阿礼(ひえだのあれ)が暗誦していた「帝紀」「旧辞」を基に編纂されたものとされている。

「古事記」は読む人によって感じ方も違うし、古代人が何を言わんとしたのかは捉え方も夫夫で、愉しい古典だと思う。

 西洋の神が天地創造の神で唯一絶対の不変の存在と描かれているが、我が国の神々は宇宙の後に生まれたと「古事記」では描かれいる。

 何気ないことだが、我々の祖先は唯一絶対の神が世界を意のままに創造したのではなく、それ以前の「無」の時間、つまり「ビックバン」以前の世界を想定していたというこの教えは驚くほど科学的でもある。

「高天原」とは「三次元世界」を表しており、「高」は高低の差を示す縦軸。「天」は空間であり時間。「原」は無限に水平に広がり行く横軸。

「古事記」には我々日本人の先祖の歩んできた歴史が比喩を駆使して活き活きと描かれ、同時に日本語本来の美しさも感じられる。

 一見難しそう漢字が使われてはいるが、日本語が未だ完成していない時代に作られたものなので漢字自体にはそれほど意味はない。

「音」を頼りに読み解いていくことが大切で、日本語の「言葉」とは「言ハ」であり、「コト」を表現する言語である。

 これは他国の言語には見られない特徴で、一つの言葉に多くの事柄を含めて伝え合う日本独特の文化であり、「古事記」の文章の中に在る「こと」を探って読み解くことが大事で、夫夫その感じ方が違ってもそれはそれで好いのだ。

 日本神話の特徴は、神でも失敗や過ちを起こすということ。外国では神が失敗や過ちを起こすことなど考えられないことだが、これだけでも日本の神々というのは愉快で、親しみを感じてしまう。

 クリスマスが終わると年末年始に向けて街の様相も変わり、正月に向けまっしぐら。年末を控え夫夫悩みも尽きないが、神様でも失敗はするのだから、人生もっと気軽に行こうじゃありませんか。呵呵大笑。

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2017年12月22日

天皇陛下の御地位および陛下の御存在は動かすべからざるものである(東条英機の遺言書より)

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 昭和23年12月22日夜、死刑執行の数時間前に、東京巣鴨において、教誨師の花山信勝師の前で東条英機が遺言書を朗読した。以下転載。(一部校正してます)

 開戦の時のことを思い起こすと実に断腸の思いがある。今回の処刑は個人的には慰められるところがあるけれども、国内的の自分の責任は、死をもって償えるものではない。

 しかし国際的な犯罪としては、どこまでも無罪を主張する。力の前に屈した。自分としては、国内的な責任を負うて、満足して刑場に行く。ただ同僚に責任を及ぼしたこと、下級者にまで刑の及びたることは、実に残念である。

 天皇陛下および国民に対しては、深くおわびする。

 元来、日本の軍隊は、陛下の仁慈の御志により行動すべきものであったが、一部あやまちを生じ、世界の誤解を受けたるは遺憾である。日本の軍に従事し、倒れた人および遺家族に対しては、実に相済まぬと思っている。

 今回の判決の是非に関しては、もとより歴史の批判に待つ、もしこれが永久の平和のためということであったら、もう少し大きな態度で事に臨まなければならぬのではないか。この裁判は、結局は政治裁判に終わった。勝者の裁判たる性質を脱却せね。

 天皇陛下の御地位および陛下の御存在は、動かすべからざるものである。天皇陛下の形式については、あえて言わぬ。存在そのものが必要なのである。

 それにつきかれこれ言葉をさしはさむ者があるが、これらは空気や地面のありがたさを知らねと同様のものである。東亜の諸民族は、今回のことを忘れて将来相協力すべきものである。

 東亜民族もまた他の民族と同様の権利をもつべきであって、その有色人種たることをむしろ誇りとすべきである。インドの判事には、尊敬の念を禁じ得ない。これをもって東亜民族の誇りと感じた。

 今回の戦争にて、東亜民族の生存の権利が了解せられはじめたのであったら、しあわせである。列国も排他的な考えを廃して、共栄の心持ちをもって進むべきである。

 現在の日本を事実上統治する米国人に一言するが、どうか日本の米国に対する心持ちを離れしめざるように願いたい。

 また、日本人が赤化しないように頼む。東亜民族の誠意を認識して、これと協力して行くようにしなければならぬ。実は、東亜の多民族の協力を得ることができなかったことが、今回の敗戦の原因であると考えている。

 今後日本は米国の保護の下に生活していくのであるが、極東の大勢はどうであろうか。終戦後わずかに三年にして、アジア大陸赤化の形勢はかくのごとくである。今後のことを考えれば、実に憂なきを得ぬ。もし日本が赤化の温床ともならば、危険この上ないではないか。

 日本は米国よりの食糧その他の援助を感謝している。しかし、もしも一般人が自己の生活の困難や、インフレや、食糧の不足などを米軍の日本にあるがためなりというような感想をもつようになったならば、それは危険である。

 実際にかかる宣伝をなしつつある者もあるのである。よって、米軍は日本人の心を失わぬように注意すべきことを希望する。

 米国の指導者は、大きな失敗を犯した。日本という赤化の防壁を破壊し去ったことである。いまや満州は赤化の根拠地である。朝鮮を二分したことは東亜の禍根である。

 米英はこれを救済する責任を負っている。従って、その意味においてトルーマン大統領が再任せられたことはよかったと思う。

 日本は米国の指導にもとづき武力を全面的に放棄した。それは一応は賢明であるというべきである。しかし、世界が全面的に武装を排除していないのに、一方的に武装をやめることは、泥棒がまだいるのに警察をやめるようなものである。

 私は、戦争を根絶するには、欲心を取り払わねばならぬと思う。現に世界各国はいずれも自国の存立や、自衛権の確保を説いている。これはお互いに欲心を放棄していない証拠である。

 国家から欲心を除くということは、不可能のことである。されば世界より戦争を除くということは不可能である。結局、自滅に陥るのであるかもわからぬが、事実はこの通りである。

 それゆえ、第三次世界大戦は避けることができない。第三次世界大戦において、おもなる立場に立つものは米国およびソ連である。

 第二次の世界大戦において、日本とドイツが取り去られてしまった。それゆえ、米国とソ連が直接に接触することになった。

 米ソ二国の思想上の相違はやむを得ぬ。この見地からいうも、第三次世界大戦は避けることはできぬ。第三次世界大戦においては、極東がその戦場となる。この時にあたって、米国は武力なき日本をいかにするのであろうか。

 米国はこの武力なき日本を守るの策をたてなければ、また何をかいわんや。そうでなしとすれば、米国に何らかの考えがなければならぬ。米国は、日本八千万国民の生きてゆける道を考えてくれねばならない。

 およそ生物としては、生きんことを欲するのは当然である。産児制限のごときは神意に反するもので、行うべきではない。なお言いたきことは、最近に至るまで戦犯容疑者の逮捕をなしつつある。

 今や戦後三年を経ておるのではないか。新たに戦犯を逮捕するというごときは、即時にやめるべきである。

 米国としては、日本国民が正業につくことを願い、その気持ちでやって行かなければならぬ。戦犯の逮捕は、我々の処刑をもって、一段落として放棄すべきである。

 戦死傷者、抑留者、戦災者の霊は、遺族の申し出があらば、これを靖国神社に合祀せられたし。出征地にある戦死者の墓には、保護を与えられたし。従って遺族の申し出あらば、これを内地に返還せられたし。

 戦犯者の家族には、保護を十分に与えられたし。青少年の保護ということは、大事なことである。近時いかがわしき風潮は、占領軍の影響からきているものが少なくない。この点については、わが国古来の美風をも十分考慮にいれられたし。

 今回の処刑を機として敵、味方、中立国の罹災者の一大追悼会を発起せられたし。もちろん、日本軍人の間に間違いを犯した者はあろう。これらについては衷心、謝罪する。

 これと同時に、無差別爆撃や原子爆弾の投下をなしたことについて、米国側も大いに考えなければならぬ。従って、さようなことをしたことについては、米国側も大いに悔悟すべきである。

 最後に軍事的問題について一言するが、我が国従来の統帥権独立の思想は確かに間違っている。あれでは陸海軍一本の行動はとれない。

 兵役については、徴兵制によるか、傭兵制によるか考えなければならぬ。我が国民性を考えて、再建の際に考慮すべし。

 教育は精神教育を大いにとらなければならぬ。忠君愛国を基礎としなければならぬが、責任感をゆるがせにしてはならぬ。この点については、大いに米国に学ぶべきである。

 学校教育は、人としての完成を図る教育である。従前の醇朴剛健のみでは足らぬ。宗教の観念を教えなければならぬ。

 欧米の風俗を知らせる必要もある。俘虜のことについても研究して、国際間の俘虜の観念を徹底せしめる必要がある。

 以上が、死刑執行の前日に朗読した遺言書の摘要である。

 今を生きる我々は、改めて、先人が国家の命運を賭けて戦った大東亜戦争の真実と意義を考えねばならない。合掌。

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2017年12月20日

社会は肉体の安全を保障するが、魂の安全は保証しない(三島由紀夫)

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 法務省は19日、死刑囚二人の死刑を執行した。その一人は事件当時少年だった関光彦。その残虐さに戦慄を覚え、何故に今迄、刑の執行を躊躇していたのか不思議でしょうがない。正に政治家の怠慢以外にない。

 刑事訴訟法では、死刑確定から六ヵ月以内の執行を定めており、何れも六ヶ月以内に検察庁が法務大臣に「死刑執行上申書」を提出し、規定通り押印し、法相の命令から5日以内に執行されなければならない。と定められている。

 法務大臣の死刑制度への心情なんぞ関係ない、法務大臣の任を享けたのならば覚悟を以て大臣としての職務を遂行するべきで、それも出来ないのなら法務大臣の就任は拒否するべきだろう。

「死刑制度」を容認する国民が80%以上もいるのは、国が遺族に代わって遺恨を晴らして欲しいという気持ちの顕れに他ならない。政治家は感情的死刑廃止論に与することなく、刑事訴訟法に則り粛々と刑の執行をすれば好いだけのこと。

 冤罪の疑いがある受刑者が再審請求するのは分かるが、唯「死にたくない」という理由で再審請求していることは異常事態としか言いようがない。

「社会は肉体の安全を保障するが、魂の安全は保証しない」と言ったのは三島由紀夫。大事にしなければならないものは肉体より魂、精神性である。

 人権派を自任する弁護士や死刑廃止を訴える人は、これと同じ様に「生命は地球より重い」と言わんばかりに肉体だけを守ろうとする。

 無神論の共産主義に被れながらも「人を裁けるのは神のみだ」というキリスト教的欧州思考に嵌ってるのも御粗末だが、安っぽい感傷に浸って悦に入ってるとしか思えないし、滑稽にも見える。

 まぁこれは、死生観の違いだろうが、残虐な犯行をした者が、死刑廃止で国法により生命を保証されるというのも如何なものか。

「死刑制度」とは、死刑囚への大慈悲である。「死刑制度」は、他人を犠牲にした犯罪への相当の審判であり、それは無駄に生きて来た人生にピリオドを打つ為の優しさでもある。「生」に拘るより「死」を以て償うべきだ。

 日本人とは何事も潔さが肝要で、死刑囚らの多くは「殺したい」という衝動に駆られて実行した訳で、今更「死にたくない」と命乞いとは情けなや。

「心の死ぬことを恐れず、肉体の死ぬことばかり恐れている人で日本中が占められているならば、無事安泰であり平和である」とはこれも三島由紀夫の言葉。

「死刑論」ひとつでも喧々諤々の論争が繰り広げられる。だが、こうした論争を見てても日本というのは「平和なんだなぁ」と熟熟実感する。

 まぁこれも平和ボケの一つには違いない。「平和ボケ」とは段階の世代への揶揄だが、高度成長からバブル時代にかけて金儲けや飽食に狂奔してきた世相や、空想的平和論を弄ぶ連中を冷やかした言葉でもある。

 こうした風潮は戦後民主主義者や無自覚左翼に蠢蠢しているが、これは「平和」や「人権」「死刑廃止」「反原発」を訴える連中共通のものでもある。

 週末の23日は天長節であると同時に、東条英機を始めとした所謂・A級戦犯とされた7名の方々が死刑執行された日である。東京裁判の不当性は扨て置き、彼らはその死を諒とし、死を以て敗戦の罪を償ってくれたのである。

「死刑制度廃止」を訴える左翼陣営からは、この「戦犯」の汚名を着せられて死刑に処せられた英霊に対する不当性を語られたことはない。

 これはA級戦犯に留まらず、海外の地で正式な裁判を受けることなく処刑されたB・C級の戦犯と言われる方々も同じで、この処刑こそ人道に反するものであり、人権無視の暴挙の最たるものではないのか。

 死刑執行前日の昭和23年12月22日夜、東京巣鴨に於いて、教誨師の花山信勝師の前で東条英機閣下は遺書を朗読した。参照(東条英機の遺言書)http://blog.livedoor.jp/cordial8317/archives/52044601.html

 今こそ極東軍事裁判の不当性を明らかにし、「戦犯」との汚名を着せられ続けている英霊の方々の名誉恢復を急ぐと共に、先の大戦で犠牲になられた方々の精神性、そして魂から発せられた思いを、後世に伝えて行かねばならない。

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2017年12月19日

「種子法廃止法案」の成立と「農業競争力強化支援法」や「残留農薬基準の大幅緩和」は正に農業の危機

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 現在の我が国は、豊葦原瑞穂の国の誇りも無く、農耕民族としての自覚を喪失し、「農」をも新自由主義の営利至上主義で勘定し、農業を以て立国の基本とするという「農本主義」は国民の殆どが理解していない。

 我が国は戦後GHQの策謀によって農本主義的国家観は排除され、大輸出国の米国の戦略に嵌ったまま米国の価値観が我が国の価値感だと錯覚してしまった。

 その典型といえるものが「主要農産物種子法廃止法案(種子法廃止法案)」である。種子法は米、麦、大豆など主要農産物の品種改良を国や都道府県の公的研究が行い、良質で安価な種子を農家に安定的に供給してきた法制度である。

 種子法の廃止は日本古来の種子の廃止であり、これつまり食の安全と食料安全保障を廃止すると同じであり、畢竟、豊葦原瑞穂国という国柄の崩壊の序章であるといえるものだったが、何故か保守派や自称愛国者らは沈黙した。

 種子法廃止法案は、別名「モンサント法案」とも言われている。モンサント社はベトナム戦争で悪名高い枯葉剤「エージェント・オレンジ」を開発し「ダイオキシン」を撒き散らした世界最大のバイオ化学会社である。

 種子法廃止法案成立により、我が国は米国モンサントに食料を依存することになる。つまり、種子を輸入する国(米国)が不作になった場合や政治的な問題が重なり、種子の売り控えということになれば我が国の農業そのものが崩壊するという危険を孕んでいるということでもある。

 簡単に言えば、我が国の農業はモンサントに握られてしまったということで、モンサントと提携する前経団連会長で住友化学工業の米倉弘昌は正に売国奴であり、こうした営利至上主義の経済界に与した安倍もまた然り。

 種子法廃止法案の追加措置として「農業競争力強化支援法」という法案が国会を通った。驚くことに外資等の規制はしておらず、これも種苗メーカーであるアグリバイオビジネス企業が農業に参画する出来る為のものであることは明らか。

 つまり、我が国の公的研究機関や各県や自治体に在るハイテクプラザなどで培った研究資料やデータが外国資本に無償で提供され、それを盗用され、一部を変更することで特許などが容易に取得される危険を伴うということでもある。

 住友化学工業の米倉弘昌はモンサントの系列企業であるベーラントUSA社との長期契約を結んでいるが、モンサントが生産する強力な除草剤「Roundup(ラウンドアップ)」に、耐性を持つ遺伝子組み換え種子をセットで販売している。

 ラウンドアップの有効成分名はグリホサートイソプロピルアミン塩。グリシンの窒素原子上にホスホノメチル基が置換した構造を持つ。接触した植物の全体を枯らす(茎葉)吸収移行型で、殆どの植物にダメージを与えるという。

「グリホサート」という成分は除草剤の殆どに含まれているという。粗全ての植物を枯れさせる高い効果があり、安価なのでホームセンターなどで手軽に入手出来て、あらゆる場所で使用されているという。

 日本では栽培中の植物に散布することは出来ないというが、小麦の様な遺伝子組み換えではないない作物には、自然に枯れて実が乾燥するのを待たなくても、このグリホサート入りの枯葉剤を散布して強制的に枯らしてから収穫するという。

 ここで問題になるのはグリホサートの残留農薬の数値だが、なんと政府はこの農薬残留基準を緩和させる動きがあるというから驚く。

 厚生労働省の「食品中の農薬の残留基準」の改正案では、安倍が妄信する環太平洋連携協定(TPP)や自由貿易協定(FTA)の流れで、外国の基準に合わせて残留農薬基準を大幅に緩和することは既定路線となっている。

 安全安心と言われた我が国の農作物が「種子法廃止法案」の成立と「農業競争力強化支援法」や「残留農薬基準の大幅緩和」は正に農業の危機であると同時に葦原瑞穂国という国柄の崩壊である。

 我が国の保守派や自称・愛国者らを見ていると対北朝鮮や中韓に対しての領土の防衛ばかりで、農耕民族としての自覚を喪失し、豊葦原瑞穂の国に生まれた者として農業を以て立国の基本とするという考えは持ち合わせてはいない。

 こうした愚策に加え、皇統断絶を謀る勢力に阿り、只管亡国に奔る安倍を糾弾する声は全く聞こえない。安倍の放題は、安倍信者や安倍ヨイショの営業保守と、なんちゃって愛国者らの賜物でもある(苦笑)

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2017年12月18日

「南京大虐殺犠牲者30万人」と「大韓民国臨時政府の対日宣戦布告」という大ウソで反日の連携(苦笑)

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 文在寅大統領は追従外交中の重慶で、第2次大戦中に設置された「大韓民国臨時政府」の庁舎跡を視察し、習近平国家主席に「抗日運動」関係施設の復元に協力するよう要請したという。まあ、哀願したというのが真相か。

「南京事件」をでっち上げる中国共産党と、国際的に認められていない「大韓民国臨時政府」で連携しようとは実に御粗末な反日活動と嗤う他はない。

 韓国の国是は「反共」と「反日」だったが、共産主義者でもある文在寅は「反共」は放り出して「反日」のみに躍起になっている。

「反日」も「反共」も竹島の不法占拠も「大韓民国臨時政府」を標榜した初代大統領・李承晩が実行したものだ。その李承晩といえば後に不正が発覚し、学生デモにより失脚。ハワイに亡命した犯罪者の愚策をいつまで信じるのか。

 韓国の愛国心は安っぽい「反日」のみで​、未だに李承晩に因る洗脳から未だに抜け出せない状態。これは米国の占領政策によって自虐史観を植え付けられた我が国左翼や自称・文化人と同じで気の毒とも言えなくもない(笑)

 李承晩は日本統治時代より「大韓民国臨時政府」を標榜し、米国内や海​外で反日活動を行ってた人物で、戦後、米国の威光で初代大統​領に就任した。李承晩が米国の傀儡と言われる所以でもある。

 韓国人は李承晩らが創り上げたウソの歴史を鵜呑みにし、愛国者​気取りで憎悪を剥き出しにするが、我が国へ歴史認識を云々言​う前に韓国こそ冷静に公正な歴史を学ぶべき時に来ている。

 韓国のウソの原点は李承晩の「大韓民国臨時政府」のウソに在る。​国定教科書でも「対日宣戦布告」等を過度に強調する余り、ウソに​ウソを重ねるしかなくなっているのが現状で、正に「屋上屋を架す」典型的な例でもある。

 今更、間違いを認める訳にはいかなくなってしまっているというのが真相なのだが、日清戦争も朝鮮を巡る戦いだったということも理解していない。

 日露戦争後、日韓関係の悲劇の現実が「日韓併合」であり、大東亜戦争​も「日本人として共にアジア解放の聖戦に立ち上がった」というのが歴史的真実である。

 そうした歴史的事実を無視して「大韓民国臨時政府として対日宣戦布告し抗日戦争に​参加した」などというウソを教えるからややこしくなるのだ。

 韓国は憲法前文で「大韓民国は3.1運動により建てられた大韓民​国臨時政府の法統を受け継ぐ」と規定している。だが「大韓民国臨時政​府」は国際的にも認められておらず、サンフランシスコ講和条約への​署名も認められなかった。

 こうした国際的な常識を無視し「我々の手で独立を勝ち取った」と​いう神話を捏造してしまったところに韓国の悲劇が在る。

「南京大虐殺犠牲者30万人」と「大韓民国臨時政府の対日宣戦布告」という大ウソで反日の足並みを揃える中国共産党や韓国と友好なんぞクソ食らえ。

 性悪な韓国も貧坊ちゃまの北朝鮮も、いっそのこと中共に併呑されてしまった方が外交的に楽だと思っているのは愚生だけではあるまい(大笑)

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2017年12月17日

「日本会議」に見る我が国の保守派の認識不足と軽佻浮華

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 先日、実家に顔を出したら店のテーブルに、実兄も会員でもあり定期購読してる日本会議の冊子「日本の息吹」が置いてあり目を通してみた。

 日本会議は周知の通り保守団体であり、憲法改正や内閣総理大臣の靖国神社参拝や自衛隊を国防軍になどを主張しており、自民党の重要な支援団体の一つでもあり、自民党のシンクタンク的な存在でもある。

 歴史認識や教育改革、行政に入り込んだ男女共同参画社会などの愚策への疑問など共鳴する部分は大いにあるが、本丸ともいえる憲法改正や皇室問題への取り組みは根本的に間違っていると言わざるを得ない。

 今月号は「女性宮家」創設に反対する論文が掲載されている。女性宮家に反対までは別に問題はないが、女性皇族(内親王)が婚姻する場合、旧皇族の男系男子からの婿入り(養子)を容認している。

 論文は格式高く書かれていて一見問題は無さそうに見えるが、要は女性宮家を間接的に容認している様なもので、GHQに臣籍降下させられた旧皇族の皇籍復帰もせずに男系皇族を婿入りさせようとは本末転倒である。

 櫻井よし子や八木秀次などの評論家や学者らの多くが、これと同じ婿入りを主張しているが、男系男子が拒否した場合、或いは一般人が皇室に入る様なことになる可能性もあり、こうした認識不足が反天皇勢力に付け入られるのだ。

「臣下降下された皇籍離脱した旧皇族の皇籍復帰」の実現を図ることこそが皇統を盤石の安きに置く最善最良の策である。

「女性宮家」では祭祀が叶わない。旧皇族の復帰を図り、廃絶になった宮家(秩父宮・高松宮、女性皇族しかいない常陸宮と三笠宮)の祭祀を継承するには、女性宮家ではなく旧宮家を再興する以外にないのだ。

 大体「宮家」とは男系だからこそ宮家なのであって、「女性宮家」とはなんぞや。「女性宮家」とは正に近年の反天皇運動に見られた「生前退位」や、皇太子即位後に創設される「皇嗣殿下」という皇統の歴史にも存在しない意味不明の言葉もまた共産主義者による造語である。

 そうした共産主義者の造語を愛国者を気取る保守系団体が軽々しく使っていることに、我が国保守派の無知と限界を感じる。

「生前退位」という言葉が躍ったのも、高齢もあり憲法で明記されている国事行為が思う様に出来なくなったと吐露したことで、「生前退位」は避けられないという様な世論を形成して行ったことに始まる。

 陛下の御発露を受けて、安倍首相は「国事行為を軽減する有識者会議」を招集するもマスコミは「生前退位を実現する有識者会議」などと作為的に報道し、退位は既定路線であると国民を扇動し同意を得ることに成功した。

 保守派もまた「高齢であるし致し方ない」という様に譲位に与したが、天皇の存在は個人的な意思や政治が介入するべきではなく、国事行為の軽減を図る為に皇太子殿下や秋篠宮殿下が補佐出来る環境を整えれば好かっただけのこと。

 何れにしても譲位は避けられない。残すは皇統を盤石の安きに置くことが保守派としての務めであり、それには昭和天皇が最後まで反対された臣籍降下させられた旧皇族の皇籍復帰を成すこと以外にはない。

 我が国を崩壊に導くのは左翼勢力に非ず、安易な憲法改正を叫び、皇室典範に附帯し、瑞穂の國の崩壊を齎す種子法廃止法案を成立させ、新自由主義を盲信する安倍自民党や日本会議に見られる似非保守が国を亡ぼす最大勢力となる。

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cordial8317 at 05:23|PermalinkComments(0)