2023年08月29日

中国共産党に忠誠を示す我が国政治家どもの歴史認識を嗤う

 福島第一原発の処理水放出に対して、中共政府は我が国からの輸入禁止措置拡大を実行した。岸田文雄首相は、中共の輸入禁止措置拡大に右往左往し、「想定外」と嘆く始末。野村哲郎農水相は「大変驚いた。全く想定していなかったと語った。

「想定外」などと本気で思ってたとしたら救い様が無い。オーストラリアや台湾、中共に逆らった国にやってきた嫌がらせを見てなかったのか。台湾で戦争になったら輸入禁止どころの話しじゃない。岸田の覚悟と能力の無さは我が国の害でしかない。

 そんな中、公明党代表の山口那津男は習近平に忠誠を示す為の訪中を計画するも、前回に続いて中止となった。処理水海洋放出で輸入禁止措置を拡大した中共へ岸田の親書を携えるというのだから狂気の沙汰だ。岸田の親書を見てみたいものだ。

 結党から100周年を迎えた2021年、中国共産党に対し、自民党媚中派議員の代表でもある二階俊博幹事長(当時)は祝意を示し、小沢一郎はマヌケにも「国際社会が中国に嘗てない大きな期待を寄せている」などと語ったことは記憶に新しい。

 山口に至っては、「一つの政党で100年を迎えるということ自体中々ない」と讃え、「尚一層、世界の平和と発展、安定の為に力を尽くして頂きたい」と中共に諂った。「尚一層」と言っていたが、中共が世界平和に貢献した事実なんぞ無いだろ。

 共産党の志位和夫は、X(旧twitter)で、「中国に因る東シナ海や南シナ海での覇権主義的行動、香港やウイグルでの人権侵害は社会主義とは無縁であり共産党の名に値しない」と指摘したのは、二階や小沢、山口なんかよりも立派に見える(笑)

 日本共産党は、コミュンテルン日本支部として設立されてるから中国共産党と仲違いするのは分かる。中共との違いを強調してるが中身は同じ暴力革命集団である。

 昭和12(1937)年7月7日、支那事変(日支事変、日中戦争)の引き金となった盧溝橋事件(七七事変)が勃発。「日中戦争は我が国の侵略戦争だ」という認識が蔓延しているが、この認識は明らかな誤謬と無知と植え付けられた自虐史観である。

 我が国は、1901年9月7日に調印された列国と清国・義和団との戦闘の事後処理に関する最終議定書である「北京議定書」に基づき在留邦人保護の為に軍隊を駐屯させていたのだが、盧溝橋でその日本軍を攻撃してきたのは中国共産党の方だった。

「盧溝橋事件」は中国共産党が起こした謀略であり、共産党が盧溝橋事件を起こしたことは今や100%明らかな歴史的事実である。「日中戦争は日本の侵略だった」などという共産主義者らのプロパガンダをいつまで信じ続けるつもりなのか。

 戦争の発端となったこの盧溝橋事件や支那事変の歴史的事実を知れば、自ずと真相は白日の下に曝されるだろう。だが、悲しい哉、日本人というのはたった一度の敗戦の影響から、こうした歴史の事実すら知ろうとせずに現実逃避を続けている。

 往往にして、歴史と言うものは為政者に都合の好い様に作られるものなのだ。「中国四千年」の歴史にしろ、朝鮮の輝ける歴史にしろ、かの国での歴史とは、新しい王朝が如何に正当性を持つかという謂わば創作物でありフィクションに過ぎない。

 我が国の政治家は歴史認識を問われると「歴史は歴史家に任せる」などとキレイゴトを言う。だが、近隣諸国にとっての優秀な歴史家というのは、自国の正当性を如何に論じられるか、歴史的事実を捏造してでも真実と言い張れるかが大事となる。

 中韓などは捏造には全力でカネで買収し、銅像や記念館を建て既成事実化するのが常套手段である。「従軍慰安婦」や「南京大虐殺」という大嘘も、我が国が論拠を示し毅然と反論して行かなければ、時代が経つにつれ真実になってしまうだろう。

 歴史の問題とは国の存亡に係わる一大事であり、国民もいつまでも共産主義者のプロパガンダや自虐史観という洗脳の留めなき淵に漬かり込んでる場合ではない。

 況してや、共産主義を掲げる中共の汚辱の歴史を忘れて祝意を表し、「一つの政党で100年を迎えるということ自体中々ない」とは、我が国政治家の劣化は甚だしい。

「ウイグル等に於ける深刻な人権侵害に対する非難決議」を阻止した二階や小沢、公明党を筆頭に、国内に巣食う媚中派売国議員どもを次期総選挙で駆逐しよう!

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2023年08月28日

「24時間テレビ 愛は地球を救う」というが、愛では地球は救えんよ(笑)

 偽善番組「24時間テレビ 愛は地球を救う」が終了した。これで「24時間テレビに協賛してます」という目障りなCMが垂れ流されなくなると思うとホッとする。

 抑々、「愛」なんぞで地球は救えない。その「愛」はキリストの教えだとしたら尚更に地球は救えはしないだろう。その「愛」には、不動明王の倶利迦羅剣の様な力が備わっていなければならないのだ。力があってこそ愛を与えられる。

 夏の風物詩というべき24時間テレビ。ギャラを貰って登場するタレントが、如何にも御涙頂戴的に盛り上げよう盛り上げようと必至なのだが、滑稽の極みだ。

 所詮は制作会社やテレビ局の営利至上主義の手の中で踊らされてるだけ。身障者が必死で頑張る姿やタレントの裏話を見聞きして感動の涙を流して何になるの。

 翌日になればその感動も過去のものとして忘れ去り、日々の生活に流される。これも制作会社やテレビ局の思惑通りなのだろう。愚生からすれば身障者を見世物にしてるとしか思えないし、不幸を売りものにする美談には胡散臭さしか覚えない。

 番組に協賛する企業の「24時間テレビに協賛してます」などとのCMにしても、単なる広告宣伝費としての節税対策なのに、如何にもボランテイアに熱心であるかの様な対応やその心根が卑しい。広告代理店にしてみりゃ24時間テレビ様様(笑)

 24時間テレビの番組制作費は数億円程度なのに、CM収入は数十億円に及ぶという。出演したタレントにはギャラを支払うが、一般人は無報酬のボランテイア。

 寄付されるのは一般人から寄付された約1億数千万円のみ。「愛は地球を救う」と言い乍ら、救われるのは日本テレビと制作会社とタレントということだわな(苦笑)

 24時間テレビのマラソンは、話題性のあるタレントに走らせることで感動を呼ぶ名物コーナーだが、マラソンを観て涙を流してる視聴者の気持ちが分からない。

 24時間テレビに熱中する人というのはやはり愛に飢えているのか。そこがテレビ局や制作会社の狙いなのか。だが、感動することなんてのは日常に溢れているのにそれに気付いてないだけで、何も24時間テレビの中にだけあるものでもない。

 偽善のボランテイアやキレイゴトというのはホント大嫌いだし、直ぐ涙を流す人は信じない。哀しさを堪える姿にこそ日本人の美しさを感じる。涙を人前で流すことで、それが優しさの現れだとしたら間違いだし、偽善と言わざるを得ない。

 ボランテイアや奉仕活動してるとアピールしてる人がいるが、「陰徳」とは世間に知られない行いであり、本来、奉仕というのは陰に隠れてやるものだと思う。

 右翼陣営にも、靖國神社の清掃奉仕をしただとか、皇居の勤労奉仕に行って天皇皇后両陛下に拝謁しただとか自慢げに話をしてる輩を見受けるが、そこには陰徳どころかさもしさしか感じない。右翼として教育勅語の徳目を実践してるのだろうか。

 教育勅語には「恭倹己(きょうけんおのれ)を持(じ)し」という徳目がある。「恭倹己を持し」とは、人に対しては恭(うやうや)しく、自分自身は慎み深く振る舞うこと。また、その様をいう。要は、自分は控えめにしてなさいということだ。

 オレが「こうやった」「ああやった」「オレが、オレが」という自慢話や出しゃばりは、見ていて滑稽でもある。内に内に秘めれば自然と滲み出てくるものだ。

 24時間テレビは「こうやった」「ああやった」「オレが、オレが」という偽善ばかりが罷り通っている気がしてならない。こんな番組なんぞ止めてしまえ!

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2023年08月27日

アジテーター(扇動者)としての役を演じている山本太郎

 処理水放出が開始後、中共は日本からの輸入禁止措置拡大を実行。岸田首相は中共の措置に右往左往し「想定外」と嘆く始末。台湾との戦争になったら、輸入禁止どころの話しじゃないだろうに。岸田の覚悟と能力の無さは我が国の害でしかない。

「害」といえば処理水放出反対を叫ぶ左翼活動家。その代表格が山本太郎。実業家のホリエモンが山本を名指しし、「東北の人達が可哀想だと思わないのか。オマエらが騒ぐから、いつまでも風評被害に悩まされてるんだ」と批判してたが、御尤も。

 山本太郎ファンは多く、自称・愛国者や右翼関係者の中にも「話を聞くと民族派的な感じを受ける」と好意的に捉えてるマヌケもいる。山本の反体制や反権力の志向がそれらしく見えるのだろうが、ホント物事の見方が薄っぺらい(苦笑)

 山本が新元号を新党名付けた。京都守護職の会津藩主・松平容保の庇護の下に発足した新選組を捩って「れいわ新選組」とは何ぞや。福島を貶めてる山本が会津に謂れのある新選組とは嗤えない。また元号と幕臣の融合は支離滅裂な山本らしい。

 以前、参議院議員として園遊会に招かれた山本は、恥ずべきことに陛下に直接要望書を手渡すというパフォーマンスを実行した。請願法には、「天皇に対する請願書は、内閣にこれを提出しなければならない」とあり、山本の行為はこれに抵触する。

 陛下にしてみれば、山本の様な出来の悪い子であっても我が子と同じ。請願自体を煩わしいとは思わないだろうが、山本の行為は天皇の政治利用そのものだった。

 批判された山本は、神妙な面持ちで「御宸襟を煩わせた」と謝罪したが、よく「御宸襟」という言葉を知ってたな。日頃、天皇や皇室を軽んじてるからこうした軽挙妄動に奔るのだ。元号を捩った「れいわ新選組」とは天皇利用と断じる他は無い。

 タレントであり俳優である山本は、日本を革命に導く政治家という役に成りきり演じている部分が多く、そうしたことがアジテーター(扇動者)としての優れた部分であり、そういうことから「ヒトラーの再来」などと持ち上げられる所以でもある。

 山本は単なるタレント候補ではない。中核派(革命的共産主義者同盟全国委員会)の公認を受けて参議院議員になった人物であり、要は中核派の傀儡であるのだ。中核派の指示を忠実に守り、共産主義を行政権と連結せしめる役目が山本なのである。

 山本は兎に角、国民の不安を煽り、自民党政権への怒りをぶつけて支持者らを煽る業は天性だろう。民衆は有名人好きなアホばかりで、支離滅裂な演説の中身を考えることなく、コンサート会場の様な雰囲気に呑まれ、熱狂的な山本支持者となる。

 反原発運動家として福島を咎め続け、「福島県内の農家は汚染物を作りバラ撒き続けている」とか「福島県産を買うくらいなら中国産を買う」と口外して憚らない。未だにソレは変わらない。こうしたことだけでも愚生は山本は赦せない。

 目的達成の為には、つまり革命の為には、原発事故や被災者をも利用し支持拡大を謀る。そして前々回の参院選では重度身体障碍者を利用し目的を達成した。早速、共産党は山本と国会運営と国政選挙での連携を表明したが、コレ正に何かを況や。

 原発事故以来、反原発運動や脱原発効果から中核派が勢力を伸ばし、政府中枢に入り込んだ。愚生の住む福島県も例外ではなく、福島大学を拠点に中核派が蠢いており、NPOやNGOを隠れ蓑に行政にも入り込み、復興と復旧を阻害し続けている。

 数年前の参院選での安倍首相(当時)へのヤジは、中核派や左翼勢力に拠る集団的示威活動であり、徹底してその裏を取るべきだったにも拘らず警察は何ら手立てもなく拱手傍観を極め込んだ。これ即ち警察権力は既に左翼の手に堕ちた証左だった。

 三島由紀夫は「文化防衛論」の中で「もし革命勢力、ないし容共政権が成立した場合に、例えたった一人の容共的な閣僚が入っても、もしこれが警察権力に手を及ぼすことが出来れは、忽ち警察署長以下の中堅下級幹部の首の挿げ替えを徐々に始め、或いは若い警官の中に細胞を潜ませ、警察を内部から崩壊させるであろう」と記しているが蓋し正論である。警察組織は右翼には強気だが左翼にはめっぽう弱い(笑)

 三島は同じ著書の中で「我々はあらゆる革命に反対するものではない。暴力的手段たると非暴力的手段たるとを問わず、共産主義を行政権と連結せしめようとするあらゆる企画、あらゆる行動に反対するものである」と訴えていることに刮目したい。

 この三島の声は未だ届かず、我々が想像してる以上に共産主義は政府中枢を蚕食し我が国を蝕み続けている。極左の神輿となり、また御先棒を担いでいるのが山本太郎らなのだが、自民党を始め、営業保守派や右翼陣営にそうした危機感は無い。

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2023年08月26日

前原誠司よ、代表選では得意の「A級戦犯分祀論」には沈黙か

 国民民主党の代表選が告示され、玉木雄一郎代表と前原誠司代表代行が出馬。両名共に憲法改正や防衛力、日米安保の強化や原発の安全運用といった基本政策では一致しているが、次期衆院選を見据えた戦略や認識では路線は対立している。

 玉木は「反自民・反共産で大きな固まりと言っても今、野党が複数に分かれ、立憲民主党と日本維新の会が野党第1党を争っている状況の下では二大政党制に拠る政権交代は現実的ではない」と、野党共闘に否定的な姿勢を強調している。

 前原は「他の野党は、どちらともつかない国民民主党なら結果として野党分断が起きる。ビジネスモデルを変えよう」と訴え「非自民・非共産の野党と協力し政権交代を目指す。日本維新の会や立憲民主党がいがみ合っているのであれば、その橋渡し役となり、政策本位で自民党を追い詰める」などと野党共闘実現を唱えた。

 玉木の「安易な大きな塊論に先祖返りすることなく国民民主党を前に進めて行く。決して古い政治には戻らない」との決意は、万年野党を目指す前原への嫌味だろう。まぁ、前原というのは昔から中途半端で、自民党への敵愾心が強過ぎる。

 民進党代表選にも出馬した経験を持つ前原だが、前原が政局を知っているなら代表選なんぞに出馬せず、枝野幸男に任せて、枝野が共産党と共闘を組んだ時点で脱党し、新党結成すれば好かったのに、政治センスの無さには厭きれるばかり。

 所謂従軍慰安婦問題では、民主党政権下、鳩山由紀夫が総理として慰安婦に対して「国家補償」を約束し、前原誠司幹事長が「戦後賠償支援」を言及した。保守派を気取ってはいるが、その実は旧態依然の国家観無きクソ政治家らと同列。

 政調会長時代に新聞四社の共同シンポジウム「日本再生への針路」で、「日本再生に向けて」とのテーマで講演し、「政治が靖國神社にA級戦犯の分祀を求めることは出来ないが、自主的な判断を望んでいる」と主張して止まない分祀論者。

 靖國神社側に分祀を強要し、「A級戦犯が後から合祀され、天皇陛下が行かれなくなったことが大きなポイントで、分祀が実現すれば天皇陛下、首相が参拝できる環境が整う」などと、恰も正論の如く、陛下の御親拝を持ち出してるが言語道断。

 我が国には「A級戦犯」「B・C級戦犯」「戦争犯罪人」という呼称はない。主権が恢復した昭和27年4月28日、講和条約発効翌年の第十六国会の議決に拠り「戦傷病者戦没者遺族援護法」が改正され、それを以て法的に復権されている。

 連合国側が定めた、A、B、C級の区分に関係なく、刑死・獄中死された方は「法務死」と称され、靖國神社では「昭和殉難者」として御祀りしている。前原よ、何が「戦犯」か、国会決議を無視し、日本再生を拒んでいるのは前原ではないか。

 過去には大勲位を気取る老害・中曽根康弘や、中共の御先棒を担ぐ小沢一郎や石破茂ら曲学阿世の大馬鹿者が、韓国や中共の内政干渉に屈しA級戦犯と呼称した上に、英霊を戦争犯罪人と断じて「分祀論」を提言して国民を撹乱している。

 最高裁が示した憲法の禁止する「宗教的活動」の定義は、当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫等になる様な行為のこと。「分祀論」は、事実上の靖國神社への圧迫干渉であり憲法違反である。

 前原の「政治が靖國神社に分祀を求めることは出来ないが、自主的な判断を望んでいる」との意見は、その辺を十分理解しているから言える訳だが、逆を言えば前原の認識は靖國神社に対する悪質な確信犯的恫喝行為と言っても過言ではない。

「分祀論」は、靖國神社への圧迫干渉であり、政教分離規定の「憲法20条・第3項」違反なのは明らか。昭和殉難者を「戦犯」と呼ぶことは国会決議の軽視である。

 更に言わせて貰えば、幾ら前原らが「分祀論」を垂れ流そうとも、一つの神霊を分霊したとて、元の神霊は存在するというのが神道の神霊観念であり、仮に「分祀論」が成立したとしても、それにより靖國神社側が分祀することは絶対に無い。

 そういや過去に前原は、焼肉屋のオバちゃんから5万円の献金を受けたとして外務大臣を辞任に追い込まれた。横浜在住の某大物右翼は「美談ではないか」と宣ってたのを思い出すが、金額の大小は関係なく、外国人からの寄付は政治資金規正法違反であり、外国人の政治参加は主権侵害であることさえも自覚していないのだろうか。

 前原に献金していた京都市山科の焼肉店経営の在日女性と夫は、民団と北朝鮮系の「朝鮮総連」の両方で活動しており、「外国人参政権獲得運動」に積極的に参加している。女性は前原の秘書だった京都市議にも献金しており「美談」とは程遠い。

 小池百合子の「希望の党」が政権奪取の勢いと見るや前原は小池に擦寄った。あの政治センスの無さも国民には奇異に映ったことだろう。そんな前原が国民民主党の代表となれば、折角、玉木が政策本位で国民に訴えてることが水泡に帰す。それにしても、前原の権力志向は嘗ての小沢一郎に似たり。やはり、噂通り在日っぽいな。
 
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2023年08月25日

洋上風力発電事業を巡る汚職事件を機に再生可能エネルギー賦課金を廃止せよ!

 洋上風力発電事業を巡る汚職事件で、秋本真利衆院議員に3000万円を資金を提供したとして東京地検特捜部から贈賄容疑で捜索を受けた「日本風力開発」側が、特捜部に対して秋本議員への贈賄容疑を認める意向であることが報じられた。

 この汚職事件は、国民から強制的に徴取している再生可能エネルギー賦課金が贈賄の原資になってるのは明らかで、この事件を機に再エネ賦課金は廃止するべきだ。また、再エネ業者と再エネ議連の怪し過ぎる関係を剔抉粛正しなくてはならない。

 福島県内をドライブすると、大規模な太陽光パネルや巨大な風力発電の風車を目にする。郡山市内では布引山、会津の背炙山の巨大風車は正に圧巻である。だが、自然の風景と異様なメガソーラーの融合は見る者にとっては異様な光景である。

 原発稼働停止で、国内の大資本から民間企業、外国資本までもが太陽光発電事業に参入した。結果は地上げ屋が跋扈し、山林が売買され森が伐採されて行った。

 緑豊かな森林が人工的なパネルで敷き詰められ、埋め尽くされ自然の景観を損なっている。バブルで浮かれてゴルフ場を開発しまくったことと同じ構図である。

 エネルギー資源の乏しい我が国が、原発再稼働無しで繁栄を維持出来るとは思えない。電力不足など不安は大きく、現実として燃料高騰は死活問題である。

 何より、戦後の「便利」という価値観に溺れた日本人が、太陽光や風力、石油や天然ガス、再生可能エネルギーだけでの生活に満足するとも思えない。

 反原発派は「電力は足りている」というが、原発事故以来、化石燃料に頼ったツケが我が国経済に大きく圧し掛かっている。原発停止に伴う火力発電に使われる液化天然ガスや停止中の原子炉冷却に必要な原油価格の高騰は国力低下を引き起こす。

 原発はプルサーマルや高速増殖炉を実用化出来れば、かなりのエネルギーは自国で賄える。国力低下を食い止める為にも再稼働を急がなくてはならない。

「脱原発」の理想は分かるが、原発の安全対策を施すことが喫緊の課題であり、福島原発事故も防波堤などの整備を万全にしてさえいたら大事には至らなかった。

 専門家ですら「想定外」の巨大地震が起き、東日本大震災を上回る大津波が発​生したとなれば、日本の原発より、中共や韓国の原発が危​機に瀕するのは明らか。

 万が一の事態に備え、福島原発事故の原因と対策、更には収束技術や環境に与える影響などあらゆる研究を怠らず、近隣国で原発事故が起きたなら、その研究や技術を提供することこそ、原発事故を起こしてしまった我が国の務めであろう。同時に、既存原発に替わるエネルギー研究開発も今後の課題であることは言うまでもない。

 原発に反対し、「友よ山河を滅ぼす勿れ」と叫ぶ右翼活動家がいる。「美しい福島の自然は破壊された」などと福島の現実も見てもいないのに恰も見て来た様な嘘を垂れ流す。福島市を流れる一級河川「荒川」は原発事故前も後も清流日本一を保っている。これでも福島が滅んでると言い張るのか。君、我が故郷を貶めること勿れ。

 東日本大震災で沿岸の破壊された光景は大津波に因るもので、福島に限らず宮城や岩手県も同じこと。原発事故後の放射線への過敏な反応やアルプス処理水への批判は左翼に因る煽動であり、一部の大衆がプロパガンダに騙されているに過ぎない。

「第一原発周辺が破壊されているじゃないか」とか「県内外に避難している被災者は原発事故の最大の被害者だ」と批判する。第一原発周辺が破壊されたのは事実だが、要らぬ避難を招いたのは、緊急時迅速放射能影響予測ネットワーク(SPEEDI)の数値を無視し、「原発周辺20キロ圏内」という根拠のない​避難指示が原因である。

 原発の北側に在る浪江町や飯館村、葛尾村の放射線量が多いのを知って乍ら、撤回する​ことを躊躇した民主党政権と最高責任者であった菅直人の責任は重い。

 抑々、避難指示はSPEEDIによるデータを無視し「半径20キロ圏内」との線引きで決まった。例えば、原発南側に在る楢葉町や広野町の放射線セシウムの数値は低く、川内村に至っては避難先の郡山市より低かったのを知ってるだろうか(笑)

 福島県郡山市出身の田母神俊夫元幕僚長は「強制避難は菅直人に因る強制連行」だと断じていたのを思い出す。その言葉は荒っぽいが正論であり、正に原発事故というのは、事故後に反原発派に転じた菅の我田引水的マッチポンプに他ならない。

 民主党政権下で行われた非科学的な避難指示にしろ、過敏な放射線数値にしろ、それに伴い実行された除染作業にしろ、福島県を貶めるには十分な愚策だった。

 福島第二原発は全く被害は被っておらず、事故対策を万全にし、全国に先駆けて再稼働させることこそ復旧に、そして復興にも大きく貢献するだろう。

 何より、現在避難している被災者は東京電力や原発関連企業で働いていた人が少なくない。第一原発のみならず第二原発を廃炉にしてしまったら、帰還命令を出したところで働き先はなく、そんな中で「故郷に帰れ」というのは無責任極まる。

 原発稼働停止に伴い、全国的に買い漁られた土地が切り崩されて太陽光パネルが敷き詰められてる光景にこそ営利至上主義であり、原発事故を利用して営利に狂奔する悪徳資本家にこそ「山河を滅ぼす勿れ」と断じるべきではなかったのか。

 太陽光エネルギーという名のバブルで伐採された森林は、バブル崩壊で荒れたゴルフ場と同じ様に放置され、麗しい緑豊かな山河が元の姿に戻ることはない。

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2023年08月24日

原発の危険性と利権構造を批判する反原発派も所詮「反原発利権」漁り

 左翼政党にとって「原発問題」は票になると思ってるのか、有権者をバカにしているのか、対案も出さずに「脱原発」「即廃炉」を主張する厚顔さは呆れ甚し。

 左翼勢力に因る「原発は危険だから即時停止しろ!」「再処理はコストがかかるから再処理せずに廃炉にしろ」などという叫びに情報弱者はコロッと騙される。

 使用済み燃料を再処理せずに最終処分することは国民の安全が危険に曝されるばかりか、福島原発の事故以上の環境被害を及ぼすことを知ってるとは思えない。

 使用済み燃料を再処理するとプルトニウムを含む酸化物が精製される。これを「プルサーマル」や「フルMOX」の原発で燃料として使わなければ、「国際公約違反」になってしまうということを知らないから簡単に「即廃炉」などと叫べるのだ。

 余剰プルトニウムを持つことは国際的に許されない。使用済み核燃料を再処理してしまうと原発を動かし続けなければならないという矛盾が生じてしまうのだ。

「反原発派」らが、使用済み核燃料の再処理に反対して「即時停止」を叫ぶのもこうした理由からだが、「再処理せず即廃炉」は至難の業であることすら知らない。反原発派らは対案も出さず唯唯「原発反対」を叫ぶが、軽佻浮薄とはこういうこと。

 原発は停止中でも原子炉冷却を続けなければならない。既に数十兆円以上の化石燃料を費やしてる現状を見れば、原発を有効利用して行くことは日本経済を考える上でも、安全性を万全にして再稼働するというのは当たり前の話しではないか。

 いつぞや、高市早苗政調会長(当時)が「原発事故で死んだ人はいない」との発言が曲解されて総バッシングを受けたを思い出すが、高市発言は至極まともな話しであって、言葉尻を掴んでケシカランというのはチンピラのイチャモンの類。

 喩えれば、原発事故で亡くなった人はいないが病気や交通事故で亡くなった人もいる。原発事故後に起きた「永崎海岸強盗強姦事件」の様に、死ぬこと以上の被害を被った方もいる訳で、原発関連死だけに固執して騒ぎ立てるのは如何なものか。

「原発事故で死んだ人はいない」という言葉だけが独り歩きし、発言の中身を知らない国民がそれに便乗する。マスコミ御用達の胡散臭げなコメンテーターが登場して雑言の限りを尽くす。左翼陣営の「脱原発」「即廃炉!」の主張もこれと同じ流れ。

 未だに福島第一原発事故を利用されてることには福島県民として違和感しかない。電気量高騰に加えて、国民には再生可能エネルギー賦課金が強制的に徴収されている。そうした中で、安全を確保した原発は再稼働するのは当然の話ではないのか。

 太陽光や風力に拠る発電は安価で、家庭に安く提供出来るということだったが、今や一般家庭の「再エネ発電賦課金」の負担金は2兆円を超える。当初は、月々50円程度だった負担金は年々増え続け、下がったとはいえ月800円を超える。

 国は、こうした現実を無視して2030年度には発電全体の22~24%を再生可能エネルギーで賄うことを目標に掲げている。目標達成の為には、磯部地区のメガソーラー発電所の様な施設を乱立させるしかない。つまりは、太陽光発電所が出来れば出来るほど一般家庭への「再エネ発電賦課金」の負担金は殖え続けるということだ。

 再生可能エネルギーは福島第一原発事故を利用した反原発運動の影響が大きく、太陽光パネルの多くが中国製ということもあって見直すべきものである。

 再生可能エネルギーは基幹エネルギーには成り得ず、再エネ発電賦課金は廃止するのが妥当。賦課金目当てで太陽光発電や風力発電でボロ儲してる事業者は造りっ放し。安全管理を放棄したこんなインチキ事業は見直さなければならない。

「原発は危険でカネがかかる」という理由から脱原発を謀り、再生可能エネルギーを推進したが、反原発派も所詮は原発推進派と同じ「利権漁り」という穴の貉。

 反原発派は原発の危険性と利権構造を批判するが、脱原発に因る国力低下が狙いであり、全てが破壊活動に繋がっている。情報弱者とは言わないが、国民の優しさや幼稚な正義感に漬け込む反原発派のキレイゴトに騙されるてはならない。

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2023年08月23日

「処理水の海洋放出反対」という感情的主張からは何も生まれない

 政府は、東京電力福島第一原発周辺に貯まり続ける処理水を明日(24日)に海洋放出を開始する決定を下した。マスコミは、海洋放出に反対する声を取り上げて政府への不信感を煽る。県漁連も全漁連も相変わらず反対声明を出し世論を煽る。

 反対派は「東電や国が放射線物質トリチウムを含んだ処理水方法を海洋放出されることに怒りしかない」などと反対してるが、原発処理水の海洋放出は世界の常識であり、況してや貯蔵されている処理水のトリチウム数値は極微量なものだ。

 トリチウムというのは放射線エネルギーは弱く、人体の影響はセシウムの700分の1程度とされている。原発事故に因る放射線セシウムが人体に影響も及ぼしてない中で、トリチウムを含んだ処理水の処分に反対するのは単なる感情論でしかない。

 岸田文雄首相も西村康稔経産相も神妙な面持ちで会見に臨んでいたが、処理水は人体に影響も無ければ、水道水にも含まれているのだから、会見場で処理水を飲んで国民に安全・安心を訴えれば好かったのに、何故にやらなかったのだろう。

 WHOが示しているトリチウムの飲料水基準は、2L/日を1年間飲み続けても、線量が0.1mSv/年となる様に計算されている。ALPS処理水を海洋放出する際は、その更に1/7未満になる様に海水を加えて調整するから、人体に影響は全く無い。

 尚、2mSv/年の放射線被曝で遺伝子が受ける損傷の頻度は、日常の紫外線等に因る損傷の頻度の100万分の1以下。反対派は、単に福島原発事故を利用して党勢拡大や反政府活動に利用しているに過ぎない。漁連は賠償金の無心だろうな。

 福島原発周辺に貯蔵されてる処理水のトリチウム総量は2016年3月時点で760テラベクレル。この数値は年々減少している。諸外国の海洋放出処理水に比べても100分の1程度で、IAEAや専門家の「人体に影響を及ぼす数値ではない」は正しい。

 1979年のスリーマイル島原発事故では93000テラベクレル、1986年のチェルノブイリ原発事故では520万テラベクレルと推定されている。1テラベクレルとは1ベクレルの1兆倍。「兆」という単位は余りにも大きい数値に感じるだけ。

 カナダのブルース原発からは年間1280兆ベクレル排出。フランスのラ・アーグ再処理施設からは年間1京1600兆ベクレルが排出されている。「京」とは「兆」の更に上の桁。かなりの数値だがこれらの数値は国際基準値の範囲内である。

 因みに、福島の漁業関係者よりも強力に処理水の海洋放出に難癖を吐けてる韓国だが、韓国は月城原子力発電所で4基のCANDU炉を運転しているが、月城原発が4基体制に入った1999年以降の累積では6000テラベクレルを超える。

 真剣に福島への風評を阻止したいなら「住民への理解が深まっていない」とか非科学的な感情論ではなく、正しい科学的データを内外に広めることである。

 福島第一原発周辺の処理水タンクは134万トンに上る。2024年2~6月には満タンになると予想されており、海洋放出は当然。現状の儘でタンク増設で誤魔化せば環境破壊にも繋がり、それこそ福島県への風評被害が止むことはないだろう。

 感情論で進められた「除染」で、福島県は住みやすくなったどころか、「除染しないと住めない土地」とのレッテルを貼られた。処理水も然り。処分を先送りすることが好いとは思えない。事故を起こした我々の世代が責任を負うべきだ。

 政治が国民目線に(ポピュリズム)に立ち、大衆迎合に陥るならば必ず国は滅ぶ。政治とは本来、国民目線と掛離れた決断が求められる世界なのだ。そういう意味では「先送り出来ない課題」として海洋放出を決断した岸田首相を支持する。

「政治や科学が風評に負けることがあってはならない」とは正しく。科学的根拠に基いて粛々と海洋放出を図ることこそ早々に風評を取っ払う最良の方法であり、国民はいつもの様に福島県産に限らず水産物を購入してくれれば風評は払拭出来る。

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2023年08月22日

漁業関係者への無駄な血税を投入するより水産物購入の補助金に充てよ!

 東京電力福島第一原発処理水の海洋放出が始まる。共産党支持者でもある福島県漁連野崎哲会長や全漁連会長は相変わらず政府にイチャモン難癖ばかり。こんな連中に800億円を補償するなら、福島県産水産物を購入する補助金に充てた方がマシ。

 漁業関係者が率先して水産物の安全と安心を訴えるべきなのに、「汚染水の海洋放出は風評被害を懸念する」などとする共産党や反原発派勢力と共闘するとは何事か。汚染水ではなく「処理水」と言うべきで、反対運動こそ風評被害を生む元凶。

「トリチウムは無害」という認識は持ち合わせている様だが、海洋放出されるのは汚染水でもALPS処理汚染水でもなく、安全性の確認されたALPS処理水である。

 WHOが示しているトリチウムの飲料水基準は、2L/日を1年間飲み続けても、線量が0.1mSv/年となる様に計算されている。ALPS処理水を海洋放出する際は、その更に1/7未満になる様に海水を加えて調整するから、人体に影響は全く無い。

 セシウムでの被害が無い中で、トリチウムを騒ぎ立てるのは如何なものか。尚、2mSv/年の放射線被曝で遺伝子が受ける損傷の頻度は、日常の紫外線等に因る損傷の頻度の100万分の1以下。反対派はいつまで福島原発事故を利用するつもりか。

 トリチウムは放射線のエネルギー、つまり放射能の範囲はかなり弱く、人体への影響はセシウムの700分の1程度だという。県内の放射線セシウムが人体に影響も及ぼしてない中で、トリチウム水の海洋放出に反対というのはどういうことか。

 仮にALPS処理水を飲用し続けたとしても、放射線に因る健康影響は無視できるレベルとなることが分かるだろうに、非科学的な感情論で世論分断を謀っている。

 民主党政権下、年間被曝の科学的根拠を示さずに原子力規制委員会の「放射線防護対策の年間被曝線量は20ミリシーベルト以下」との提言を無視し、住民の不安を払拭する目的で始められたのが「除染」だった。科学的根拠の無い除染は住民の不安を払拭するどころか「福島県は除染をしないと住めない土地」との風評を齎した。

 除染作業費は、当初は東電がその経費を負担することとなっていたが、東電は電気料金に上乗せし利用者に負担させるも支払い出来ず、結局は公共工事として莫大な血税が垂れ流され、中間処理施設という新たな血税を投入するに至った。

 除染で出たゴミを最終処分する為に、莫大な血税が垂れ流されたのは誰もが知るところであろう。「1ミリシーベルト以下」という数値が国民の放射線への間違った認識と、それに伴う風評被害を齎し、復興は愚か復旧をも阻んで来た元凶でもある。

 30兆円とも言われる除染関連事業で儲かっったのは、除染作業に関わった大手ゼネコンと一部の業者だけで経済的波及効果は無かった。下請けや孫請けなら未だしも、それより下の業者の儲けは少なく、親会社に裏切られた下請け業者は多い。

 県内各地の空き地や田畑には、汚染土砂の詰まったフレコンバッグが山積みにされた。別にこれはタダで置かれていた訳ではない。「田畑一反に付き15万円」の土地利用料が支払われていた。県内の農家の農業での収入は、一反に付き約5万円ほどだという。つまり、農業をしてるより除染袋を置く土地を貸した方が儲かったのだ。

 県漁連や全漁連は「(トリチウム水の海洋放出は)本県漁業に壊滅的な打撃を与える」などと反対しているが、何を言ってるのか。原発事故後に漁業関係者に支払われた賠償金も莫大な金額を忘れられず二匹目の泥鰌を狙っているというのが本音。

「これまでの努力と再興意欲を完全に奪う」というが、漁師の中には働くより経費丸ごと補償してくれる賠償金を貰った方が得だと思っている人は少なくない。処理水放出後は、風評被害対策の賠償費用として800億円の血税が漁業関係者に支払われる。

 県漁連や全漁連は、放射線被害を煽る反原発派と同じ単なる非科学的感情論であり、地元漁業関係者の姿勢こそが風評被害を拡大させる要因になっている。

「汚染水は電力消費地である都内の経産省前と東電本社前で放出・保管すべきだ」という意見は、感情論ではなく愉快犯の類。低放射線の危険を煽るだけの報道姿勢が県民の放射線への不安を拡大させ、風評被害に影響を齎しているのではあるまいか。

 放射線不安を煽り始められた科学的根拠もない除染作業で福島県民は要らぬ不評被害と差別に苦しんだ。ALPS処理水の海洋放出でもまた同じことが繰り返される。処理水放出後は、福島県産水産物を購入してくれることを願わずにはいられない。

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2023年08月21日

「英将秘訣」に目を通するとくだらん悩みなんぞ吹き飛んでしまうわ(笑)

「英将秘訣」というものを知ってるだろうか。「義理などは夢にも思ふことなかれ 身をしばらるるものなり」などの条文を読んでると、過去に教えられた価値観がひっくり返り、悩みや色々な葛藤や執着というのがホント馬鹿馬鹿しくもなる。

「日月はあまり役に立たぬものなれども 日は六時の明(あか)り也。月は夜の助けにもなる歟(よ)」から始まる英将秘訣の示唆に富んだ条文は90に及ぶ。

 英将秘訣を世に出 したのは、明治の教育者であった千頭清臣(ちかみきよおみ)著「坂本龍馬」とされている。「坂本竜馬全集」と「坂本竜馬読本」(新人物往来社)の「英将秘訣」も、この千頭清臣著「坂本龍馬」からの出典である。

 英将秘訣は「坂本龍馬説」と「平田篤胤説」があるが、愚生的には平田篤胤説を信じている。「世に生利を得るは事を成すに在り」という台詞を以て、龍馬説を唱えるのは些か単純にも思え、龍馬にしては発する言葉が険しく違う気がしてならない。

 平田篤胤は、荷田春満、賀茂真淵、本居宣長、国学者の四大人(うし)の一人であり、右翼人の中でも信奉者は多い。復古神道の成立に決定的な役割を果たし、博学多識で知られた篤胤であるが、幼少の頃は才能には恵まれて無かったという。

 18歳になっても未だ「四書五経」、「論語」や「易経」などという当時の武士の基本的教養書を理解することもなく、親からも「武士失格」の烙印を押され、袴を着け、帯刀することを禁じられてしまったというから前代未聞のことだった。

 そんな篤胤だったが一念発起し、出羽国秋田から江戸へ向かう。途中、雪の山中で遭難しかかった。意識が薄れて行く中で、篤胤は異人から何やら特殊な霊法を伝えられたという。異人とは異邦人というより、宇宙人だったのかも知れない。

 というのも、江戸へ出てからの篤胤は、以前の彼とは打って変わった様に古今東西のあらゆる本を読み解き、それを記憶し、時には著述に入ると一週間位は不眠でそれを成し遂げるという、通常の人には考えられない様な能力を発揮し始めた。

 江戸では備中国松山藩士平田篤隠(あつやす)に認められ養子となり、松山城主板倉侯に仕えた。その後、本居宣長の著書に接し、深く感激しその門に入った。

 篤胤と宣長は現世で会うことはなかった。篤胤は、宣長没後の門人として、その学問を受け継ぎ、古を明らかにし、皇道を遍(あまね)く天下に広めることを以て自分の使命とし、以来着々と著述を進め、且つ門人を集め古道を唱道した。

 全国神社会は、平田篤胤の「復古神道」を以て統一されたのである。 徳川幕府を倒し、明治維新の指導原理となり、また今日の民俗学や霊学、心霊研究などのオカルト的なものまでに大きな影響を与えたものが篤胤の「復古神道」である。

 その主張は、両部、伊勢、吉田、吉川、垂加神道に雑じっている、インドやシナの教えや説を取り除き、神道の純粋性を保とうとするところにあった。

「国学」というのは、日本の古典を有りの儘に吟味して、古典に込められている純日本的精神を追求しようとした学問である。つまり、中世以来の、儒教、仏教等外国の教えをを拠り所とするこじ付け的な日本古典の研究に反対する教えである。

 復古神道の成立に決定的な役割を果たしたのが本居宣長と平田篤胤である。宣長は、僧・契沖(けいちゅう)の書物に出会って古道を学び、後に賀茂真淵の著述に触れる。真淵は、宣長を自らの志を引き継ぐ人物として入門を許し激励したという。

 この時、真淵67歳、宣長34歳であった。宣長は真淵の期待に応えようと「古事記」の研究に没頭し、終に57歳の時に「古事記伝」を完成する。宣長の一生は「古事記」の注釈に注がれたといっても過言ではない。 宣長は72歳で没するが、宣長の没後に宣長の古道思想を継承し、これを神学的に発展させたのが平田篤胤である。

 篤胤は68歳で没するが、その一生に著した書物は驚くべき数に達している。その中で神道の中心をなすものが「霊能真柱(たまのはしら)」と「古史伝」である。

「霊能真柱」では、人が神の道を実践する為には、先ず大和心を固めなければならず、死後の霊魂の行方が解明されなければならないとし、その為には天地の形成過程を知り、神の功徳を認識し、日本が万国の本源の国であり、全てに於いて優れた国であり、天皇が最高の存在であることを十分に知らなければならないとする。

「古史伝」は、自らの古伝を纏めた「古史成分」の注釈書だが、霊能真柱の考えをより発展させたものである。 篤胤の一貫する「日本本源論」や「皇国尊厳論」は大いに注目すべきもので、また学問の範囲は非常に広く深く独創的であるのが特徴。

 篤胤は、幽冥界についても深く研究し、神界と現界の関連、霊魂、神仙の存在に関する書物を多く書き著して、その後霊や神仙などを研究や修行する者に多大な影響を与えた。 近代日本のオカルティズムの創設者とも言える存在であった。

 そうしたことからも「英将秘訣」のその論は独創的でもあり、カルト的であり、坂本龍馬のものというより、愚生としては平田篤胤のものではないかと考えている。90の条文から一部抜粋してみたい。(読み易いように多少修正してます)

一、親子兄弟と雖も唯執着の私なれば、蠢虫(うじむし)同様の者にして、
  愛するにも足らぬ活物也。 況や夷人をや。

一、本朝の国風、天子を除くの外、主君と云ふ者は其世の名目也。
  独夫なれば、やがて予(われ)主人と為るは唐の例也。
  聖人の教也。猶ほ物の数とも為す事勿れ。

一、予が身寿命を天地と共にし、歓楽を極め、人の死生を擅(ほしいまま)にし、
  世を自由自在に扱ふこそ産れ甲斐は有りけれ。何ぞ人の下座に居られん や。

一、大悪の限りを為さんとしても、少しは善の出来ねばならぬもの也。
  物の理合は万品同じがるべし。

一、俸禄などいふは鳥に与ふる餌の如きもの也。天道豈(あに)無禄の人を生ぜん。
  予が心に叶はねば、やぶれたる草鞋を捨つるが如くせよ。

一、予に随ふ者は生捕同然、予に不随者は皆讐敵と見て、心を許す事勿れ。

一、博奕の類は一ものがす事なく心得置くべし。されど小芸にて人智をためす也。
  拙(つたな)し。

一、予死する時は、命を天に返し、位高き官へ上ると思定めて、死を畏るゝ事勿れ。

一、世に生利を得るは事を成すに在り。人の跡を慕ひ、人の真似をする事勿れ。
  釈迦、孔子の類、唐土の世々の天子も皆しかる事をせり。

一、義理などは夢にも思ふ事勿れ。身を縛らるゝもの也。

一、耻と云事を打捨てゝ世の事は成るべし。使ひ所によりては却って善となる。

一、なる丈け命は惜しむべし。二度と取かへしのな らぬもの也。
  拙きと云事を露斗(つゆばか)りも思ふ勿れ。

一、盗賊と世に云者は、予世を見るの手遊なり。歴代にさせて心を慰る所也。

一、薄情の道、不人情の道、忘るゝ事勿れ。
  是を 却而(かえつて)人の悦ぶ様にするを大智といふ。

一、礼儀など云は、人をしばるの器也。世をしめかためて吾が掌中に入る具也。

一、涙と云は、人情を見する色也。愚人、婦女子に第一の策也。

一、忍は知らせぬを主とす。事を成就するを本意とす。

一、事は七八分成就の時を大切とす。必ず気を許す事勿れ。
  征夷の大将も帰るさには疲るゝ事あり。

一、釈迦、空海、義経、正雪等奇術を知りて世を扱ふとも、何れも小智短才の者也。
  日本にては神武天皇、唐にては泰始皇が如き天下を併呑する大量を以て、
  加之(しか)も彼の術も亦存せば、地球に名ありて後世に及ばんか。

一、学問の道他なし、只生死の情を察する而己。

一、天文を覚り、地理を握る、人意を併呑する一術也。

一、天下の人倫悪を好めば善にうとし。善を行へば悪ににぶく、
  両不全を英将の不具とす。

一、気の弱きは善多く、気の強きは悪多し。

一、信長は天下の人々高位を望で朝廷の取次をせば、
  国中の人我に従ふ決定(けつじよう)を知りたり。

一、太閤は、受嗣ぎて官位を取次ぐ。斯くて取り次げば家来も同様かく行也。

一、家康は、最早天下は天下に還るフリあり、
  天子を以てタヽキて是を矢玉にさへ使はゞ、
  公の如く吾天下を自在にすべしといふ事を知りて、行ひたる也。
   故に口には忠を云て身には自在を行ひたり。

 愚生的には「俸禄などいふは鳥に与ふる餌の如きもの也。天道豈(あに)無禄の人を生ぜん。予が心に叶はねば、やぶれたる草鞋を捨つるが如くせよ」「予に随ふ者は生捕同然、予に不随者は皆讐敵と見て、心を赦す事勿れ」「義理などは夢にも思ふ事勿れ。身を縛らるゝもの也」が好い。 正に示唆に富んだ名文揃い。呵呵

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2023年08月20日

それでも貴方は8月15日を「終戦記念日」だと言い続けますか?

 8月15日を、多くの日本人は疑いもなく「終戦記念日」と思ってるが、昭和天皇の「米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書(玉音放送)」が流されたことを記念しているのであれば間違いである。8月15日は「戦没者を追悼し、平和を祈念する日」であり、敢えて言うなら「平和祈念日」、或いは「戦没者追悼記念日」と称するべきであろう。

 8月14日に我が国はポツダム宣言の受諾。だがその後もソ連軍の残虐非道、鬼畜の行為は収まる事はなく、千島列島だけではなく、樺太でも蛮行を繰り返した。

 昭和20年8月9日(8日未明)、ソ連は「ヤルタ秘密協定」を忠実に実行に移し「日ソ不可侵中立条約」を一方的に破棄し、満州や南樺太に侵略を開始した。

 終戦間際のロシアに因る鬼畜の如き所業は筆舌に尽くし難い。敗戦時に、駐蒙軍司令官だった根本博中将(須賀川市出身)は旧ソ連の侵攻を食い止めつつ、軍上層部の武装解除命令を敢えて無視して、邦人保護の優先を部下に命じた。

 根本中将の決断に拠って、支那・内蒙古に残された在留邦人約4万人を脱出させることに成功。だが、多くは武装解除命令順守が徒となってソ連の侵略を赦した。

 日本人同胞の虐殺、強姦、略奪が8月9日を以て開始され、ソ連兵に因る鬼畜の如き所業が各地で重ねられた。千島列島の最北端の「占守島(しゅむしゅとう)では、8月18日の早暁午前1時頃、占守島の日本軍に対し、ソ連軍が奇襲上陸する。

 ポツダム宣言を受諾で武装解除準備を始めていた守備隊は、ソ連の奇襲に対抗する為に武装を整え直し、自衛戦闘を開始した。三日間の戦闘で日本軍の死傷者約600名、ソ連軍の死傷者約3000名に及び、日本軍の圧倒的勝利の中で、8月21日に武装解除に応じ戦闘が終結した。日本軍が武装解除を終えたのは3日後の8月24日。

 その後、占守島の兵士や中千島や南千島に駐留していた兵士全てがシベリアに強制連行されることとなった。これをしても8月15日を終戦記念日だと言い張るのか。

「占守島の戦い」に拠って、ソ連軍の千島列島の占領は遅滞された。その間に米軍の北海道進駐が完了したことで、ドイツや朝鮮半島の様な北海道の分割統治は避けられた。そういう意味でも、占守島での戦いには大きな意義があったのだ。

 この後、占守島で自衛戦闘を戦った日本軍の兵士のみならず、中千島や南千島に駐留していた兵士全てがシベリアに強制連行された。理不尽な終戦後の戦争を勇敢に戦った兵士達は、こうした理不尽な仕打ちさえも無条件降伏の無条件のうちだと信じて、飢えにも寒さも耐え、その結果としての知れ切った死すらも潔く受容した。

 8月20日には、樺太真岡郵便局女子局員の伊藤千枝(23歳)可香谷シゲ(23歳)沢田キミ(19歳)志賀晴代(22歳)高石みき(24歳)高城淑子(19歳)松橋みどり(17歳)吉田八重子(21歳)渡辺照(17歳)の9名は、最後まで郵便局員として職務を全うし、最後は従容として青酸カリを服用し壮絶な最後を遂げた。

 外務省の外交文書「ポ宣言受諾関係・善後措置及び各地状況関係」には、ソ連(ロシア)の蛮行が生々しく書かれている。一部摘記する。 「東部北鮮在留日本人の状況として、ソ連兵ハ30年来ノ怨ミヲ晴ラスハ此時ナリトシ邦人ノ所持品ハ一物ヲモ残サズ略奪シ婦女子ニ対シテハ時所ヲ弁エズ暴行ヲ加フルノ暴挙ノ出テ・・・」

 鉄原の状況として、「ソ連進駐ト共ニ市街ノ様相ハ一変シ、ソ連兵市内ヲ横行シ略奪ヲ擅(ほしいまま)ニシ9月1日男24名ヲ本願寺ニ、女32名ヲ広島屋ニ監禁シ女ハ一室ニ一名宛閉ジ若キ娘ハ毎日14、5名、年配ノ婦人ハ毎日10名交代ニ暴行ヲ加ヘ其ノ結果6名ハ死亡シ、然ラザル者モ負傷ノ為歩行ノ自由ヲ失ウニ至ル・・・」

 捉えられた婦女子は、「監禁され、ソ連兵に凌辱される」という恐怖から、自裁する道を選択せざるを得なかった女性も少なくない。樺太真岡郵便局の女子郵便局員の方々も、大和撫子として自裁する道を選んだ。この様な悲劇が8月15日以降も続いていたことをしてしても、8月15日が「終戦記念日」である筈もない。

 北海道北部の留萌市に〈この悲劇を永遠に忘れないことを誓いながら鎮魂の祈りをこめ恒久の平和を願この地にこの碑を建立する〉との樺太引揚三船殉難平和の碑が建っている。8月22日に起きた三船殉難事件では1700名が亡くなっている。

 現在もロシアは「ヤルタ密約(極東密約)」を楯に参戦の正当性と北方領土の主権を主張している。1945(昭和20)年2月4日から11日、米国のルーズベルト、ソ連スターリン、英国のチャーチルらがクリミア諸島のヤルタに集い密談が行われた。

 ルーズベルトは、「南樺太のソ連に返還」と「千島列島のソ連への引き渡し」を条件に日ソ中立条約の破棄を進言し対日参戦を促す。ソ連はこの密約に従い、ドイツが無条件降伏した後に国際法を蹂躙し参戦。ヤルタ密約の有効性について英国政府は、ヤルタ会談翌年の1946年2月に疑義を呈していたことが明らかになっている。

 英国立公文書館所蔵の英外交電報では、「露の四島占拠根拠なし」として、米英ソがヤルタ密約を公表する2日前に、英外務省から全世界の在外英公館54ヶ所に「緊急且つ極秘」に一斉に送られている。「ルーズベルト大統領が権限を越えて署名したことや、米上院の批准もない状況下での有効性について米国内で論議が起こるかもしれない」として「その議論に巻き込まれないよう注意すべきだ」と警告している。

 チャーチル首相が1941年8月、ルーズベルト大統領と領土不拡大の原則を謳う「大西洋憲章」に署名しており、ヤルタ密約がこの大西洋憲章に反するとの英政府の認識が示された形だ。一方、米国では1953年に就任した共和党のアイゼンハワー大統領が年頭教書演説で、「あらゆる秘密協定を破棄する」と宣言している。

 1956年、アイゼンハワー政権が「ヤルタ協定はルーズベルト個人の文書であり、米政府の公式文書でなく無効である」との国務省声明を発表し、ソ連の北方領土の占有に法的根拠がないとの立場を鮮明にしている。つまり、ロシアの主張に論拠は無く、旧ソ連時代に断行した日ソ不可侵中立条約という国際法の蹂躙も満州や北方領土での蛮行も不法占領も、ヤルタ密約を論拠にしているが正当性は全く無い。

「平和」を考える上で大事なのは戦争の悲惨さを殊更煽るのではなく、ソ連参戦を促した米英主導の「ヤルタ秘密協定」の不当性と残虐性を暴き、戦後の不条理と不正義を再検証することこそ肝要である。ヤルタでの秘密会談での米英ソの不当性が明らかになれば、我が国に対する「悪玉論」も根底から覆ることだろう。

 個人的なことだが、青森在住の友人から「岩瀬支部長が亡くなった」との連絡を貰った。岩瀬支部長とは、愚生が防共挺身隊・羽田支部に入隊した頃の支部長だった岩瀬康雄。右翼浪人としての今があるのも岩瀬支部長に厳しく鍛えられたからだ。

 何やら、亡くなったのは昨年の8月16日で、誰にも連絡はしなかったという。愚生も葬儀告別式はやらない。岩瀬支部長の様にひっそりと逝きたいものだ。合掌。

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2023年08月19日

いっそのこと千鳥ヶ淵墓苑を造り直し国立戦没者墓苑にすれば好い

 所謂「終戦記念日」である8月15日は保守票欲しさの政治家を始め、保守派や右翼団体、自称・愛国者らが靖國神社に参拝し、哀悼の誠を捧げ、今や保守派や愛国者の踏絵の様相を呈している。8月15日に靖國に拘ることは正に贔屓の引き倒し。

 保守派らは靖國神社参拝は「諸外国に言われる筋合いは無い」と、総理大臣の靖國参拝を熱望する。だが、総理大臣が参拝することで靖國が騒がしくなるなら、政治家なんぞが靖國神社にかかずらって欲しくはないというのが正直なところ。

 いっそのこと遺骨が埋葬されてある千鳥ヶ淵墓苑を米国のアーリントン墓地の様に造り直し、国立戦没者墓苑とすれば好い。「鎮魂」だとか「哀悼」などと言ってる政治家や保守派、右翼団体、自称愛国者なんぞはそっちに参じれば好いだけのこと。

 靖國神社の国家護持さえ出来ない政治家がパフォーマンスで参拝し、それを保守派や自称愛国者らが支持してるのは滑稽である。米中韓の不当な内政干渉に屈する必要はないが、首相の公式参拝が現憲法下で赦されていないのならば控えるべきだ。

 中韓の言う「軍国主義の復活」などとは妄想の押し付け。靖國神社は中韓からは好戦的な施設と捉えられており、国立戦没者墓苑の参拝なら文句はあるまい。

 また「A級戦犯分祀論」も靖國神社への圧迫行為に当たり、現憲法に抵触する。 靖國神社参拝を合法化するならば靖國神社の宗教法人格を外し、国家で管理すれば好いだけの話しなのに、その議論さえもしないのは政治の怠慢そのものである。

 総理大臣なんぞの参拝よりも、陛下の御親拝こそが英霊の魂を鎮めるものであり、聖恩無辺、英霊並びに遺族にとっての感激と光栄、これに優るものはない。

 また「鎮霊社」なる死者の選別も見直すべきだ。「朝敵」とされた方々を別なカタチ(鎮霊社)で祀ることと、朝敵をも本殿に祀ることと、そのどちらが現代という時代に即して天皇(すめろぎ、すめらぎ)が顕現される道かは言わずもがな。

 靖國神社が「死者の選別」をした儘で好いとは思えない。所謂「A級戦犯分祀論」で世論を攪乱してるアホ政治家が後を絶えないが、英霊を「戦犯」と罵った上に、分祀さえすればそれで済むと思っているとしたら実に怪しからんことだ。

「鎮霊社」の存在を議論し乍ら、招魂社を創建成された明治天皇の思し召しに応える意味でも靖國の本当の在り方を真剣に考えなくてはならないと思う。

 世界の国々は戦没者には最大の名誉を与える。米国の歴代大統領はアーリントン国立墓地に赴き、「負けた戦争」であるベトナム戦争での英雄的な精神を賞賛する。

 米国に比べ我が国は悠久の歴史と民族の一体性に恵まれているのに、皮肉なことに国の礎となった英霊の方々は国家から顧みられることが少ないのは悲しいことだ。

 戦後教育の影響で、英霊への尊崇の欠落が国民精神の頽廃を招いている元凶でもあるという認識が、我が国の政治家には決定的に欠落しているのではあるまいか。

 先の大戦での贖罪意識の植付け。愛国心の欠落、その結果としての国防意識の低下、日本人としての誇りや自信の喪失、子殺しや親殺し等々、我が国社会に蔓延する問題の全ては英霊への感謝の喪失が起因していると言っても過言ではない。

 三木武夫~中曽根康弘から続く8月15日の靖國参拝は靖國と国民を引き離す策謀である。この日の喧噪が続く限り、御親拝遊ばされる環境が整うことはない。

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2023年08月18日

ソ連軍の北海道進駐を阻んだ「占守島の戦い」は大きな意味があったのだ

 ポツダム宣言を受託した3日後の昭和20年8月18日早暁午前1時頃、千島列島最東端の占守島にソ連軍が奇襲上陸する。無条件降伏により武装解除準備を始めていた守備隊は、この奇襲を受けると武装を整え直し、ソ連に対して自衛戦闘を開始した。

 占守島は千島列島最東端に位置する為に、陸軍第5方面軍が対アメリカ戦を予想して占守島・幌筵島の要塞化を進めていた。この地にソ連が奇襲攻撃。占守島の守備隊は、昭和20年になると本土決戦や北海道本島防衛で兵力が削がれたが、終戦時点でも日本陸軍最強部隊と称された第91師団(2個旅団基幹)などを擁していた。

 戦闘は日本軍の死傷者約600名、ソ連軍の死傷者約3000名に及び、日本軍の圧倒的勝利の中で、3日後の21日に武装解除に応じ戦闘が終結した。日本軍が武装解除を終えたのは、その3日後の24日だった。 この「占守島の戦い」に拠って、ソ連軍の千島列島の占領は遅滞し、北海道への上陸が困難となったのは事実である。

 占守島での戦いの間に米軍の北海道進駐が完了。米軍進駐によって、ドイツや朝鮮半島の様な北海道の分割統治は避けられた。そういう意味でも、ソ連軍の北海道進駐を阻んだ「占守島の戦い」とは大きな意義があった戦いだったのだ。

 この戦いの後、占守島で自衛戦闘を戦った日本軍の兵士のみならず、中千島や南千島に駐留していた兵士全てがシベリアに強制連行された。理不尽な終戦後の戦争を勇敢に戦った兵士達は、こうした仕打ちさえも無条件降伏の条件だと信じた。

 酷寒の地での飢えも寒さも、その結果としての知れ切った死すらも潔く受容した。ソ連は他の地域からも軍人、軍属、一般人80万人以上をシベリアへ強制連行した。実にこの半数以上の同胞が酷寒の地で凍死、餓死で亡くなられている。

 シベリヤに抑留され、極寒の地で亡くなられた方も数え切れず、抑留された日本人同胞は、国内では一般には約60万人と言われている。だが、この数字は軍属だけの数字で、民間人を含めると更に多く、ロシアの資料では約70万人、米国の資料では約90万人とされている。果たしてシベリア抑留で亡くなられた日本人同胞はどれ程に上るのか、平和を考える上でも正式な被害者数を調査公表しなくてはならない。

 東京大空襲や広島・長崎への原爆投下を実行したアメリカもそうだが、ソ連の非戦闘員の殺戮も、強姦・凌辱もシベリアへの強制連行も全て国際法違反であり、戦勝国と雖もこうした人道に悖る行為を正当化する権利が在るとは思えない。

 米国や旧ソ連こそ「平和に対する罪」や「人道に対する罪」で断罪されるべきで、我が国だけが裁かれる理由は無い。況してや終戦間際に日ソ不可侵条約を蹂躙し、一方的に宣戦布告し戦闘に加わったソ連の蛮行は断じて赦されるものではない。

 ロシア政府はは「ヤルタ秘密協定」を理由に対日参戦の正統性を訴えているが、この「ヤルタ協定」こそが国際法的にも意味を成さないものである。

 1945年(昭和20年)2月、ルーズベルト、スターリン、チャーチルはクリミア諸島のヤルタで会談を行った。ルーズベルトは千島列島をソ連に引き渡すことを条件に、日ソ中立条約の一方的破棄を進言、ソ連の対日参戦を促した。

 ヤルタ協定では「ソ連が日本との戦争に参戦すること」「南樺太をソ連に返還すること」「千島列島をソ連に引き渡すこと」などが決められた。ドイツが無条件降伏した約3ヵ月後の昭和20年8月9日、ソ連は不可侵条約を破棄し対日参戦を実行した。

 歴史を紐解く上でも、或いはソ連の北方領土への侵略と不当性を知る上でも、ソ連参戦を要求した米英主導のヤルタ秘密協定の内容を暴かなければならない。その不当性が明らかになれば、我が国の「悪玉論」も根底から覆ることとなろう。

 秘密協定が行われたヤルタはロシアの軍事侵攻に因って占領されたのは記憶に新しい。 8月とは日本と日本人にとっては正に悲憤慟哭、民族痛恨の月でもある。 

 八月なる嵐はやみて夏の夜の 空に望月のかがやきにけり(御製)

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2023年08月17日

8月15日の「終戦記念日」という呼称を改めなければならない

 8月15日を「終戦記念日」と呼ぶのに違和感を覚える。その後も戦争は続いていたし、何故に終戦なのか。15日は「戦没者を追悼し、平和を祈念する日」であるなら、「平和祈念日」とか「戦没者追悼の日」と呼ぶべきなのではないだろうか。

 国家の為に尊い命を投げ出された英霊に感謝の誠を捧げることは、今を生きる我々の務めであり義務でもあるが、8月15日に靖國神社の英霊のみに拘ることは、戦火で斃れた一般の方々の死を軽んじている気がしてならない。そう考えればやはり、「終戦の日」ではなく、「戦没者追悼の日」の呼称の方が相応しいと思う。

 政治家や保守派らが靖國神社に参じて英霊の死を悼む。だが、靖國神社は英霊の功績を顕彰する社であり、死を悼む施設ではない。戦前は護国の英霊に感謝し崇敬の誠を捧げて来た。殊に特筆すべきは、靖國神社の大祭に限り天皇陛下が御親拝せられた。聖恩無辺、英霊並びに遺族にとっての感激と光栄は、之に優るものは無し。

 自称愛国者や営業保守派らは総理大臣の参拝を熱望し、「何故に参拝しないのか」「中韓に遠慮する必要はない」との疑問を投げかける。中韓に遠慮する必要はないが、愚生からすれば「何故に8月15日なのか」という疑問しか浮かばない。

 現在の平和や繁栄が戦没者の犠牲の上で成り立っているということは承知だが、犠牲となられたのは、戦陣に散り靖國神社に祀られている英霊の方々だけではない。

 原爆投下や全国への空襲、暴行や陵虐などに因って亡くなられた方々も多く、保守派が靖國神社のみに拘れば拘るほど、違和感を持つ国民がいても不思議ではない。

 政治家にしろ、保守派や自称・愛国勢力にしろ、軍事オタクにしても、或いはキチガイ共の「反天連」にしろ、8月15日の靖國を単に利用し弄んでいるだけだ。

 総理大臣は靖國神社で斎行される春秋の例大祭に参拝するのが恒例だった。ところが、容共の三木武夫が例大祭ではなく8月15日に私的参拝する。だが、三木の前首相の田中角栄も、三木の後の福田赳夫も大平正芳も例大祭に参拝している。

 三木が8月15日に参拝し、似非保守である中曽根康弘が公式参拝したことで靖國神社が政治問題化されて行き、その結果として、それまで続いていた歴代総理大臣の参拝までもが中止になったという経緯に刮目して理解しなければならない。

 中韓からの抗議に屈するなというのは心情的には理解するが、その対抗手段として靖國神社を政治利用するのは如何なものか。政治家の靖國参拝なんぞはっきりいってどうでも好い。陛下の御親拝を実現させ英霊の御霊を鎮めることこと肝要である。

 靖國神社の建立の趣旨を理会すれば英霊への追悼や鎮魂ではなく、国家に殉じた英霊の功績を未来永劫に亘り顕彰することに重きを置かなければならない。

 左翼どころか右翼陣営も今や自虐史観に侵されていることすら自覚していない。自覚していない故に8月15日を「終戦記念日」として靖國神社に赴く。熟熟、自虐史観、戦後民主主義教育の象徴でもある「終戦記念日」という呼称を改めなければならないと痛感する。以前、この問題を地元紙に投稿した。原文は次の通り。

〈今年も8月15日がやってくる。一般には「終戦記念日」と呼ばれているが、正式には「戦没者を追悼し平和を祈念する日」。玉音放送により、日本の降伏が国民に公表された日である。常々、終戦記念日より「平和祈念日」と言った方が好いのではと思っている。8月15日には、「国民一人一人が夫夫の場所において戦没者を偲び、心から黙祷を捧げる」ことが大事で、何も靖国神社や護国神社に出向くことが戦没者を追悼することではない。現在の平和や繁栄が戦没者の犠牲の上で成り立っているということは承知している。だが、先の戦争で犠牲となられたのは、戦陣に散り靖國神社に祀られている英霊の方々だけではない。広島・長崎の原爆投下や全国各地への空襲などによって亡くなられた方々も多く、保守派が「終戦記念日」に靖国神社に拘れば拘るほど、平和を祈念するという趣旨から離れて行く気がしてならない。〉

 天皇陛下の御親拝こそが英霊の御魂を鎮める唯一無二のものであり、今上陛下に於かれましては、靖國神社に関する雑音を排し、御親拝遊ばされることを冀う。

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2023年08月16日

陛下、「深い反省」と言うなら靖國神社へ御親拝を!

 靖國神社周辺での騒がしい8月15日が終わった。愚生も昔は「終戦記念日」を何の疑いも無く使っていたが、よくよく考えれば「終戦記念日」とは、「(無謀な)戦争が終わってめでたい、めでたい」ってことなんじゃね~のと気付いた(笑)

「終戦記念日」と国民が信じて疑わなくなっってしまった。「終戦」とは、GHQに因る戦後民主主義の影響だろう。8月15日は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」であり、「平和祈念日」や「戦没者追悼記念日」の方が好いのではなかろうか。

 全国戦没者追悼式で陛下は、宮内庁の奸臣どもが作った恒例の「深い反省」の下で、全国民と共に戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し追悼の意を表した。

「深い反省」とは、国策として戦った戦争に負けてしまったことの反省か。 不戦の誓いを新たにすることは諒とするが「深い反省」は止めた方が好い。

「深い反省」とは、先の大戦での日本悪玉論を認めることに他ならず、「大東亜戦争終結ニ関スル詔勅」と照らし合わせても矛盾を感じるし軽々しく思う。

「深い反省」という、その誤った国策の中で自らの命を投げ出された英霊も加害者だと言ってる様なものである。そんな馬鹿なことはあるまい。「深い反省」というのなら、国策に殉じた英霊の御霊を鎮める為にも御親拝遊ばされるべきだと思う。

 陛下を利用しての反戦の主張など、陛下を政治利用してる現状は、正しく天皇が現憲法下での傀儡として国事行為を行う為だけの存在であることを憂う。

 8月15日は、「国民一人一人が夫夫の場所に於いて戦没者を偲び、心から黙祷を捧げる」ことが大事で、何も靖國神社や護国神社に出向くことが大事なのではない。

 現在の平和や繁栄が戦没者の犠牲の上で成り立っているということは当然であるが、先の大戦で犠牲となられたのは靖國神社に祀られている英霊の方々だけではない。原爆投下や全国への空襲、暴行や陵虐、自裁などで亡くなられた方々も多い。

 所謂「終戦記念日」に、右翼陣営や自称・愛国者、営業保守や政治家が靖國神社のみに拘れば拘るほど、それに違和感を持つ国民がいても不思議ではない。キチガイ集団「反天連」にしても、8月15日の靖國を単に利用し弄んでいる様にも感じる。

 超党派の議員連盟「みんなで靖國神社に参拝する国会議員の会」のメンバー67名が参拝した。国会議員衆参合わせ713名中、たった67名だから一割にも満たない。

 60人そこそこで恥ずかしくもなく「みんなで」などと言えたものだ。「みんなで靖國神社へ参拝する国会議員の会」などという仰仰しい名前は変えた方が好い。

 高市早苗経済安全保障担当大臣、荻生田光一政調会長などが参拝した。高市大臣は「国策に殉じられた皆様の御霊に哀悼の誠を捧げて参りました」と語った。

 靖國神社は、国家の礎として尊い命を投げ出された英霊の功績などを広く知らせる為の顕彰する社である。「顕彰」とは、広く世間に知らせることである。

 英霊の死を悼み、悲しむ追悼施設ではない。「鎮魂」ならば、国策に殉じた英霊の御霊は陛下の御親拝に拠って鎮められるしかなく、臣民が出来ることではない。

 悲しい哉、総理大臣や国務大臣が靖國神社への参拝することは、日本国憲法下では第20条違反に問われる行為でもある。 20条第3項には、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と明記されている。

 つまり、首相や閣僚の靖國参拝がこの条項に抵触していると断じられても致し方ないのである。自民党幹部は「総理や大臣と雖も個人の信条は優遇されるべき」との認識を示し、「個人の意思で参拝するのであれば、個人の判断だ」とも述べている。

 この「個人なら参拝は問題ない」という言い回しは、逆を言えば「総理や大臣の参拝には現憲法上問題がある」ということを自覚しているということでもある。

 最高裁が示した憲法の禁止する「宗教的活動」の定義は、当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進または圧迫等も含まれる。

「A級分祀論」や「国立追悼施設建立」なども同じく靖國神社への圧迫干渉であり、信教の自由を保障する政教分離規定の「憲法20条」違反でもある。大臣の靖國参拝訴訟が起こされ違憲判決が下されたならば即刻、現憲法を改正すれば済むこと。

 憲法改正が困難というか実質的に不可能な中で、容易に靖國参拝が可能になる方法がある。それは、靖國神社の国家護持を図る上で「宗教法人格」を見直すことであり、先ずは靖國神社の宗教法人を外すことから進めることも一考だろう。

 問題は「靖國神社は宗教なのか」ということである。確かに現在「宗教法人」となっているが、これはGHQが国家と神道の分離を謀った所謂「神道指令」下、靖國神社の護持に苦慮した関係当局の緊急避難行為であり、実態は宗教ではない。

 宗教とは「教祖」と「経典」と「布教活動」の三要素を必須不可欠とするが、靖國神社にはその一つも無い。祀りの様式を日本古来の神道に則って行っているだけ。

 自民党は過去に、衆参両院議員選挙の際のその公約の一つとして、「身を挺して国に殉じた英霊を祀る靖國神社の公式参拝と国家護持の実現を図る」ということを幾度となく掲げているが、国民が期待する保守政党として当然の主張であろう。

 然し乍ら、自民党が安定多数の議席を確保しても公約は実現せず、昭和49年の参議院での審議終了に因る廃案以来、自民党からは「靖國神社法案」は提出されることはなくなった。これ即ち、自民党のヤル気の無さと保守政党として瓦解した証左。

 靖國神社の国家護持、そして陛下の御親拝始め、閣僚、自衛隊等政府機関の公式参拝は、遺族や大多数国民血涙の悲願である。靖國問題に対する民心の帰趨は明らか。

 自民党は保守政党とは程遠くなった。であるならば、自民党内保守や「みんなで靖国神社を参拝する会」の超党派議員が靖國神社に集い、靖國神社の下で、日本再生の気概を示す意味でも「靖國神社法案」のスローガンを高々と掲げるべきである。

 悲しい哉、国会議員の8月15日の参拝は保守票目当てのパフォーマンスに過ぎない。右翼団体を始め自称愛国者や営業保守派、政治家の靖國神社を軽んじるパフォーマンスとキチガイ反天連の行動が続く限り、陛下の御親拝は遠退くばかりなり。

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2023年08月15日

終戦記念日とは「戦争が終わってめでたしめでたし」ということだろう(苦笑)

 日本人の殆どが疑いもなく、8月15日を「終戦記念日」だと思っているが、これ正にGHQに因る洗脳であり、戦後民主主義教育の象徴と言えるものでもある。

 要するに、「(米軍のお陰で)戦争が終わってホントめでたし、めでたし」ということなのだろう。「記念」とは思い出という意味であり、何故に戦争終結を記念しなきゃならないのか。「終戦記念日」とは日本人の使う言葉とは思えない(苦笑)

 抑々、昭和天皇の御聖断に拠り、ポツダム宣言受諾が決定されたのが昭和20年8月14日であり、8月15日は終戦の詔勅(玉音放送)が渙発された日である。

 日本政府がポツダム宣言受諾に由り、降伏文書に調印した日は9月2日であり、連合国やロシアはその翌日3日を「対日戦勝記念日」として祝賀行事を開催する。

 我が国が最終的に戦争状態を終結し、主権回復したのは昭和27年4月28日であり、「終戦記念日」なら4月28日が相応しい。8月15日は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」であり、敢えて言うのならば「平和祈念日」と呼称するべきだ。

 今日は右翼の先生らも靖國神社へ集結し英霊の方々だけに哀悼の意を表する。「哀悼」とか「追悼」とは、死者の生前を偲び、その死を悼み悲しむことである。

 靖國神社は追悼の施設ではなく、英霊の顕彰を重んじている社であることを理解していないからこんなことが罷り通る。靖國参拝が然も愛国者として当然の様になってるが、これ正に無知と目立ちたがりからの軽挙妄動と言わざるを得ない。

 自称愛国者や営業保守派らは頻りに8月15日の総理大臣の参拝を熱望するが、これもまた無知からのもの。歴代の総理大臣は、8月15日ではなく、春秋に斎行される例大祭に参拝するのが恒例だった。何故に8月15日に拘る様になってしまったのか。

 8月15日に靖國神社に「私人」として参拝したのは容共派の三木武夫が最初だった。未だに続く「公人か私人か」の論争は、この三木の参拝がきっかけである。

 その後、中曽根康弘が「公式参拝」し、中共からの抗議で外交問題に発展し、恒例だった春秋の例大祭への参拝までも出来なくなってしまった。そして平成13年、自民党総裁選に出馬した小泉純一郎は保守票欲しさに「如何なる反対があろうとも8月15日に靖國神社へ参拝する」と発言。この言葉は多くの国民を喜ばせた。

 結果は靖國を政治利用し、混乱を招いただけだった。8月15日という日は、「国民一人一人が夫夫の場所において戦没者を偲び、心から黙祷を捧げる」ことが大事で、何も靖國神社に参拝し、護国神社に出向くことが立派なことではない。

 平和や繁栄が戦没者の犠牲の上で成り立っているということは当然のこと。先の戦争で犠牲となられたのは、戦陣に散り靖國神社に祀られている英霊の方々だけではない。原爆投下や全国への空襲、暴行や陵虐などで亡くなられた方々も多い。

 所謂「終戦記念日」に、保守派や自称・愛国者、右翼団体が靖國神社のみに拘れば拘るほど、そうした風潮に違和感を持つ国民が増えても不思議ではない。

 8月15日は遺族にとって大切な日であり、遺族を押し退けて靖國神社の参道を伸し歩く右翼は、教育勅語に示された「恭倹己を持し」の意味を到底理会しているとも思えない。これ正に贔屓の引き倒し。こうした行為が陛下の御親拝をも阻害する。

 本日「戦没者を追悼し、平和を祈念する日」に当たり、先の大戦に於いて祖国と子孫の存命を願いつつ異国の地で戦陣に散り、職場に殉じ、戦災に斃れた方々並びに北の島々に眠る同胞の御霊に対し、衷心より哀悼の意を表します。天皇陛下万歳。

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2023年08月14日

8月15日の靖國参拝は愛国者としての踏絵なのか

 中曽根康弘は昭和60年8月15日、所謂「終戦記念日」に靖國神社を公式参拝した。多くの国民はこれを喜び、中曽根を支持した。だが、それから間もなく中共からの抗議を受けると、中曽根は申し合わせたかの様に参拝そのものを謝罪した。

 その言い訳は実に見苦しく、当時、中国共産党書記長で「知日派」と言われた「胡耀邦書記長の失脚を防ぐ為のものである」との遁辞を垂れ流した。だが、初めから公式参拝への抗議が来ると読んでのマッチポンプだったというのが正しい。

 公式参拝を掲げ乍ら、直ぐに謝罪した中曽根の御蔭で、続いていた歴代首相の靖國神社への公式参拝が途絶え、陛下の御親拝も憚れる様になってしまった。

 正に中曽根の靖國参拝に由り政治問題化され、その後の内閣の悪しき前例となった。これこそ中曽根の狙うところであり、中曽根が国賊と断じられる所以でもある。

 中曽根の大罪を列記すれば、歴代続いた靖國神社への公式参拝を中共・韓国のイチャモンに屈し取止め、その後の内閣の前例になったことは言うまでもない。

「支那人就学生10万人計画」に拠って日本をシナ人の犯罪天国にし、日本の刑務所をシナ人犯罪者で満員にしたこと。藤尾文相の発言が韓国で問題化するや罷免し、後の内閣で奥野文相や永野法相が対中・対韓発言を理由に辞職する前例を作った。

 靖國神社問題に関し、所謂「A級戦犯分祀論」を持ち出して世論を攪乱し、分祀論に与した政治家が軽軽しく御親拝を口にする。こういう輩が保守を標榜していることが大きな問題で、故安倍にしても中曽根と同様の曲学阿世の臭いを放った。

 中曽根の8月15日の参拝は公式参拝と呼べる様なものではなく、靖國神社の参道に遺族や関係者を並ばせて、手水もせず、御祓いも受けず、玉串奉奠もせず、二礼二拍手一礼もしない、黙祷だけという神道否定、神社冒涜の異様なものだった。

 当時の松平宮司は、その時の光景を「他人の家に泥靴で踏み込む様な人」だとその行為を断じ、「遺族を参道に並ばせ、非常に芝居がかった演出。驚いたのはその横にボディガードを連れて行動したんですね。うちの神様というのは皆手足四散して戦場で亡くなられた方が大部分です。そこへ参拝するのに自分のみ安全を謀るSPを伴うというのは無礼、非礼の極みと言う他はありません」と回想している。

 当日、松平宮司は中曽根を出迎えることなく、記帳台の周囲に幕を張って中曽根に向かって密かに御祓い(陰祓い)したという。中曽根の終戦の日の参拝以来、8月15日の参拝が保守派を標榜する政治家や自称・愛国者らの踏絵の様相を呈している。

 右翼団体や自称愛国者らが8月15日の参拝に拘るのは、三木武夫~中曽根と続いたマッチポンプと言うべき英霊冒涜の公式参拝を理解していない証左である。

 検証すれば、如何に所謂「終戦記念日」の参拝が靖國問題を殊更ややこしくしてしまっていることにも気付くだろうに、摩訶不思議なことに今や8月15日の参拝が愛国者としての踏み絵となってしまっている。正に「贔屓の引き倒し」そのものだ。

 靖國神社には、英霊の遺書にも多く綴られている様に桜満開の時節や例大祭、盂蘭盆に行われる「みたままつり」に詣でた方が好い。8月15日は遺族の日であり、遺族が心静かに詣でる環境を整え、陛下の御親拝を仰ぐことこそ願うべきである。

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2023年08月13日

徒然なるまゝにその日暮らし。パソコンに向ひて心に移り行くよしなしごとをそこはかとなく書きつくれば(笑)

 小学校時代に亡き父から「この本は読んどけ」と言われたのが、田中角栄の「わたしの少年時代」と尾関宗園の「いま頑張らずにいつ頑張る」、そして福島が生んだ大物財界人で梟雄の織田大蔵語録(今泉正顕著)「大物になる本」の三冊だった。

 中でも「大物になる本」はワクワクして読んだっけ。座右の書と言われればこの三冊じゃなく「徒然草」だろうか。否、マンガの「嗚呼、花の応援団」か(笑)

 右翼の先輩や右翼の先生方は林房雄や福田恆存、北一輝や大川周明、或いはヒットラーなどの難解な本を進める人が多いが本当に理解しているとは思えない。

 本というのは読まないよりは読んだ方が好いが、読むだけではダメ。読んで感じ入ったところを書き留め、それを真似たりして心に確りと刻み込むのが好い。

 国士舘の教育指針には「読書」「体験」「反省」「思索」というものがある。「読書」したら感じ入った箇所を模倣して「体験」してみることが大事。

 真似はダメという人がいるが、人真似上手は個性を育てる第一歩でもある。大谷翔平選手やイチローなど一流と呼ばれる多くが真似ることでその技を習得した。何をやるにしても、上手くなる為の一番のコツはモノマネすることが近道でもある。

 真似も極めればそれなりになるが、大事なのはその先。体験や実践すれば必ず失敗する。失敗したことを「反省」し、何故に失敗したのかを「思索」して次に繋げることこそが学ぶ上で大切であると国士舘創設者・柴田徳次郎先生は教えている。

 経営の神様と言われた松下幸之助は、会社発展の秘訣を聞かれ「雨が降れば傘をさす。商売・経営に秘訣があるとすればそれはその平凡なことをごく当たり前にやることに尽きる」と答えたという。商いとは「厭きない」とはよく言ったものだ。

 当たり前のことをコツコツやり続けることが大事であり、つまり「真理は平凡の中に在る」ということだが、この平凡に気付かない。幸福もまた平凡の中に在る。

 右翼とは「反共」であると同時に「反資本主義」であらねばならない。だが、資本主義に抗すれば何も出来ないのも確か。活動資金というより日々の生活を生きるのに必死で、いつの間にか活動よりも日々の生活で一杯一杯になってしまう。

 愚生は「門前の小僧習わぬ経を読む」ではないが、ラーメン屋の倅として食堂でもやれなくもないが、金儲けには淡白で根が厭きっぽい性格だから無理。「果報は寝て待て」が信条の愚生に「あきんど(商人)」は到底やれそうもない(笑)

 世界は資本主義か社会主義、或いは共産主義の体制に分かれてはいるが、どれが国民にとって生活が豊かなのかといえば資本主義国だろう。我が国は資本主義を取り繕ってはいるが、現憲法下の共産主義的累進課税と相続税の実行を謀っている。

 我が国は日本的社会主義制度であるが、国民の多くがそこに気付かない。資本主義の「資本」というのは「カネ」のこと。ただのカネではない、カネを動かすことによって利益としてそれ以上のカネが増え、その儲かるカネを「資本」という。

 資本主義とは「カネ主義」という単純なこと。国民がカネに集り、個人主義の業突く張りになったのも全てがこの資本(カネ)主義による弊害と言えるだろう。

 インチキ経済評論家の影響か、国民の多くは資本という単純な意味を知らない。資本主義国に甘んじながらそれすらも理解していない国民は実に多いのは笑えない。

「資本を投入することでそれ以上の収入を生む」ということを理解してないから、「公共投資はダメ」だとか、「赤字国債は借金」と言った妄言が罷り通る。

 資本を、人間の欲と努力で段々と大きな資本として発展させるところに、事業としても、国家としても繁栄に繋がると信じているのが資本主義であるが、戦後、我が国が選択したその限りない資本主義という欲望は止まるところを知らない。

 資本主義とは欲望の社会。昨今の資本家や社長らに社稷を思う心は無く、「社稷」という意味すら知らない卑しい者ばかり。吉田兼好は「徒然草」でこう曰はす。

「名利に使われて、閑かなる暇もなく、一生を苦しむこそ、愚かなれ。財多ければ、身を守るにまどし。害を買い、累を招く媒なり。身の後には、金をして北斗をささふとも、人のためにぞわづらはさるべき。愚かなる人の目をよろこばしむる楽しみ、またあぢきなし。利に惑ふは、すぐれて愚かなる人なり」(三十八段)

 意味は「世俗的な名声とか地位とか財産とかに身も心も使われて、心静かにゆったりと生活を楽しむ余裕もなく、一生あくせくと暮らすなど実に愚かなことだ。財産が多いとそれだけ身を守らねばならず、面倒な煩いを招くもととなる。例え死んだ後でも残された遺族たちは財産分与で揉めるだけだ。そんな愚かな人々の為に自慢したところで、それもまたつまらないことだ。利欲に惑うことは最も愚かな人である」

 兼好の様に、職を辞し精神の自由を求めれば生活は困窮する。暮らしを楽にしようとすれば心が拘束される。 愚生は浪々の身ではあるが、せめて精神だけは兼好の様に自由でありたいと思い、兼好の生き様を実践しようと思うが困窮するばかり。

 右翼浪人として「清貧に甘んじる」とカッコ付けてはいるが、織田大蔵に言わせれば「貧乏とは弱者の戯言に過ぎない」と断じているが蓋し正論でもある(笑)

 我が国の資本主義は、正しく米国附庸型日本的社会主義国であり、心ある国民ならこうした歪な資本主義の矛盾に気付いているし、資本主義社会の限界を感じている。本来、我が国が目指すべきは天皇中心の平等社会、国家社会主義が理想である。

 経済界を見渡せば営利至上主義の小者ばかり。その小者の起業家に平身低頭し、小者の言い分を実行しているのが今の政治家であり政治家は更に小者になった。

 今の時代は「成りあがり」や「成り金」なんていうと軽蔑されるが、資本主義社会では成り上がった経済人は一目も二目も置かれる存在であらねばならないのだが、見渡せばそういう昔の財界の大物と呼ばれた「成りあがり者」の経済人もいない。

「成り金」とは将棋と同じく立派な「おくり名」でもあり、三菱の岩崎弥太郎を始め、松下幸之助やホンダ、ブリジストン、ソニーにしろ創業者と言われる人物は「成り金」だったではないか。商売人を目指すなら成り金を目指さねばウソだ(笑)

 まぁ、右翼浪人の愚生如きに商売のイロハを聞いてる様じゃ高が知れてるが、小者は大人物の大きな志など分からない。また、大人物にならんと欲する者は小者の気持ちを知らねばならず、先ずはどんなことでも経験することが後々の財産になる。

 事業家に必要なことは柔軟性だろう。いつでも変化に即応する柔軟性とは、やはり「経験」であり「反省」である。そしてそこから生まれたものが「思索」となり活かされるのだが、今の二代目、三代目の経営者にはそれらが決定的に乏しい。

「小人物には大人物の考えや志が分からない」という喩えに、「燕雀(えんじゃく)安(いず)くんぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らんや」という諺がある。つ~か、右翼人で大人物といわれる人はいるのだろうか。まぁそんなとこで、今日もまた徒然なるまゝに硯ではなくパソコンに向かってそこはかと綴ってみました。呵呵。

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2023年08月12日

人生とは長く生きた年月ではなく如何に生きたかという中身が大事

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 孔子は、「吾、十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず」との人生観を訓えた。愚生の六十三の人生を振り返れば恥入ることばかり。

「六十にして耳順う」とは、「他人の意見に反発を感じることも少なくなり、素直に耳を傾けられるようになる」らしいが、愚生の性格からして共産党や無自覚左翼の異なる意見や生理的に合わないヤツには死ぬまで反発してると思う(笑)

 還暦祝いでは、赤色の頭巾やちゃんちゃんこなどを贈る習慣があるが、これは昔は魔除けの意味で、赤ちゃんの産着に赤色が使われていたことの名残り。

 還暦というのは「生誕時に還る」という意味であり、還暦とは、「干支(十干十二支)」が一巡して誕生した年の干支に還ること。本卦還り(ほんけがえり)とも言い、生まれた年の干支と同じ干支の年が来ることで「暦が還る」となる。

「十二支」は、知っての通り子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の12種類。「十干」は、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の10種類。「干支」の組み合わせが60通りある。愚生が生まれた昭和35年は「子年庚子」となる。

 活動家時代、物心両面で支援して頂いた大手警備会社・テイケイの高花豊会長から「活動家が長生きすると惨めな生活しか待ってませんよ」と言われたのを思い出す。

 右翼になった頃、まさか還暦を越えるなどとは思いもしなかったが、高齢者右翼になってしまった今、高花会長の「惨めな生活」の言葉をしみじみと感じている(笑)

「社会は肉体の安全を保障するが、魂の安全は保証しない」と言ったのは三島由紀夫。大事にしなければならないものは肉体より魂や精神性であると熟熟思う。

 今は亡き石原慎太郎が、難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)を患った女性の尊厳死に関し、ALSを「業病」に準えていたのを思い出すが、業病とは前世の悪行の報いで罹るとされている治り難い病気のことで、業病とはオカルトや宗教に行き着く。

 石原のツイートでの「業病」ばかりが問題にされて感情的に批判に曝されてたが、肝心な中身が伝わって来ない。ツイートの「業病」を消すとこんな感じだ。

「ALSに侵され、自殺のための身動きも出来ぬ女性が尊厳死を願って相談した二人の医師が、薬を与え手助けした事で『殺害』容疑で起訴された。武士道の切腹の際の苦しみを救うための介錯の美徳も知らぬ検察の愚かしさに腹が立つ・・・」

 石原という人物は好きではないがこの言葉は決して批判されるものではない。死生観の違いだが、愚生も他人を煩わせてまで長生きはしたくない。安楽死というより「尊厳死」というのは生きる上での選択肢の一つとして有っても好いと思う。

 未だに石原を真の保守だと勘違いしている人も多いが、石原というのは橋下徹などと同じく反天皇論者であり、尊皇精神は無い。石原は作家故に言葉の過激さを売りに支持されて来た。一方で、過激な言葉と逆行する言葉の軽さが目立ったのも確か。

 国旗、国歌についても「日の丸は好きだけれど、君が代って歌は嫌いなんだ、個人的には。歌詞だってあれは一種の滅私奉公みたいな内容だ。新しい国歌を作ったらイイじゃないか。好きな方、歌いやイイんだよ」と、毎日新聞のインタビューに答えているが、これこそが石原の本音であり、尊皇無き保守の正体だった。

 国歌の内容が「滅私奉公」だとして、それの何が悪いのか。今や「滅私奉公」という言葉は死語だ。自己犠牲を中心にした無理な生き方より自分本位の生き方が優先される時代に於いて、滅私奉公を想像させるのであれば結構なことではないか。

 嘗て三島由紀夫は、石原慎太郎と「守るべきものの価値」との対談の中で、三島が「日本のアイデンティティーとして三種の神器、宮中三殿を守らなくてはならない」と発言すると、石原は「またそんなことを言うの」と三島を小馬鹿にし、国體や皇統を否定していた。これを以てしても保守や右翼とは真逆の輩といえよう。

 石原はよく三島由紀夫と比べられることが多かったが、石原には武士道が重んじる「礼節」や「尚武の精神」というものが全く備わってはいなかった。

 武士道に通じる三島との大きな違いはそこだが、ALSの女性への尊厳死を「武士道の切腹の際の苦しみを救う為の介錯の美徳」との石原の言葉に違和感を覚えた。

 石原慎太郎も長生きし過ぎた。作家であり発する言葉は巧みではあるがその言葉に魂は無い。そろそろ楽隠居した方が好いと思っていたが幽冥境を異にした。

 釈迦牟尼曰く「長生きは無間地獄」とは正しく。人生とは長く生きた年月ではなく、如何に生きたかが大事である。愚生も右翼浪人として、残り少ない人生の中で一旦緩急が有ることを願い、微力乍ら義勇公に奉じて人生を閉じたいものだ。呵呵。

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2023年08月11日

「八」の両脇に「1」を木に見立てると「山」の字に見えるから「山の日」だってよ(笑)

 本日は「山の日」。「海の日があるのに山の日が無いのは問題」との理由から施行されたが実に馬鹿げている。意味は「八」という漢字の両脇に数字の「1」を木に見立てると「山」の字に見えるとの理由で8月11日を「山の日」としたという。

 語呂合わせで「山の日」が休日になってしまった。何のことはない、要は、強制的に盆休みにしてマヌケな国策でもある「観光立国」の目玉にしたいだけ。

 如何にも軽々しい休日だが、ハッピーマンデーに組み入れられてしまった「海の日」も本来の7月20日に戻すべきで、こうしたことが「成長戦略」とは嗤える。

「海の日」は7月20日でなければならない。祝日法では、「国民が海の恩恵に感謝し、海洋国家の繁栄を祝う日」とされてはいるが、海の日の真意は全く別に在る。

 明治9年6月2日、明治天皇は東北・北海道へ約50日間に及ぶ巡幸に臨まれた。巡幸の目的が、戊辰戦争に敗れて以降も艱難辛苦の日々を送っていた人々を明治天皇が慰撫し、激励する為に他ならない。そして横浜に帰港した日が7月20日である。

 横浜から明治丸に乗船して太平洋を北上し、福島県いわきに到着。その後は馬車で安積(郡山)に向かう。福島から仙台、岩手、青森と北上、次いで明治丸で津軽海峡を渡り、函館を経て三陸沖を海路戻るというコースを辿っている。
 
 明治天皇を奉迎した東北の人々は巡幸の先々で陛下から感激を賜った。明治天皇も訪問先の東北各地で開墾や産業の振興に尽くした功労者を労らわれている。

 愚生の住む郡山(安積)では、不毛の地と言われた安積の荒野を拓いて出来たばかりの桑野村まで分け入り、開拓者の苦労話に耳を傾けられ、金五万円を下賜された。明治天皇が休息した場所は「開成館」として保存されている。

 弘前に在る私塾「東奥義塾」では、外国人教師による英語教育が行われていて、生徒10名が陛下の御前で英語を披露した。明治天皇はその進取の気象に感心され、「ウェブスター辞書を買う代金に」と一人につき金五円を下賜されたという。

 或る地方では小学生が献上してくれた蛍一籠を嘉納されたという。岩手では太布半纏(ふとのばんてん)と呼ばれる農民の仕事着をお買い上げ遊ばされている。

 巡行先でのどの逸話も明治天皇の慈愛に満ちたもので、天皇と国民は正に君民一体、東北の人々との間に親しく絆を結ぼうと努める明治天皇の面影が偲ばれる。

 そして何より重要なことは、この明治天皇の東北・北海道の巡幸を以て「逆賊」も「朝敵」もなく、戊辰戦争での一切の蟠りも無くなったということだ。

 本来であれば、この明治天皇の巡幸を機に「逆賊」「賊軍」とされた方々の名誉を恢復し、靖國神社に祀るべきものを長州閥の明治政府は拱手傍観を極め込んだ。

「海の日」には、正に君民一体、天皇と国民を繋ぐ深い謂われがあったのだが、所謂「ハッピーマンデー」に組み込まれてしまった。ハッピーマンデーとは左翼陣営が国體破壊を目的として休日の意義を薄れさせる為に施行された策謀である。

 1月15日の小正月に行われる「成人の日」や、明治天皇東北御巡幸帰還日の7月20日の「海の日」、アジアでまた有色人種国で初めての東京オリンピック開催日の10月10日の「体育の日」も単なる休日としてハッピーマンデーに組み込まれた。

 国體破壊を目指す左翼陣営の最終目的は、重要な祭日である11月23日の「新嘗祭(勤労感謝の日)」と2月11日の「紀元節(建国記念日)」をハーッピーマンデーに組み入れ、日本の重要な祭日を意味のない休日にすることである。

「八」の両脇に「1」を木に見立てると「山」になるという理由で休日になるなら、その前に左翼に因る「ハッピーマンデー」なる愚策こそ廃止したら如何か。

 諸外国に比べ我が国の祝祭日ほど「国柄」の分かる素晴らしい伝統、文化はない。祝祭日の多くが神道に由来する。多くの日本人が祝祭日の意味を知ることなく、ただの休日としか考えていないのは精神的貧困さを表す最たるものであろう。

 祝祭日を本来の在るべき姿に糺すことは、戦後の我が国の諸矛盾や精神的堕落を解消する為の喫緊の課題であり、畢竟、それこそが日本再生の道でもある。

「憲法記念日」や「山の日」という我が国にとって意味の無い休日を廃止し、建国記念の日という呼称を「紀元節」に戻し、春分の日を「春季皇霊祭」、秋分の日を「秋季皇霊祭」、勤労感謝の日を「新嘗祭」と本来の名称に戻すことが肝要である。

 4月3日を「神武天皇祭」、10月17日を「神嘗祭」として祝い、GHQの占領から独立を果たした4月28日を「主権回復の日」として、戦後GHQが謀った国民と神道との分断など、あらゆる占領政策を見直し、戦後体制からの脱却を図るべし。

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2023年08月10日

何故に我が国が大東亜戦争に突入して行ったのか

 国民の多くは「戦争が終結した」「日本が戦争に負けた」というのは知ってるが、何故に我が国が大東亜戦争に突入して行ったのか、その理由を知ることはない。

「日本は満州事変以降、大陸への侵略を拡大し、無謀な戦争でアジアを中心とする諸国に多くの被害を与えた」というのが、先の戦争に対する政府の基本認識であり、国民もそれを疑わない。然し乍ら、こうした認識は公正なものとは言い難い。

 結果論ではなく、何故に我が国が大東亜戦争の開戦を決意し、真珠湾攻撃に至ったかが重要であって、それには1953年のペリー来航(黒船来航)の時代まで遡って、当時の世界の情勢とアジアの近代史を学ばなければ理解は出来まい。

 我が国は西洋列強に追い着くべく、幕藩体制を糾し強力な中央集権国家を形成しようと「明治維新」という大業をたった数年で成し遂げ、近代国家を形成する。

 15世紀半ばから17世紀半ばまでの所謂「大航海時代」以来、白人に因る世界制覇の波が終にアジアにも押し寄せ、次々と列強に蚕食され植民地となって行った。

 我が国が「日本国」として世界に独立を宣言し、大韓民国にも独立を促す。李氏朝鮮は当時は清国の属国であり、これに怒った清が日本との戦争に至った。

 この「日清戦争」は、世界の予想を覆し我が国が勝利。戦利品と賠償に台湾と澎湖諸島、並びに遼東半島を割譲されるが所謂「三国干渉」に由って頓挫する。

 清が滅ぶと、巨大な空き地と化した支那の領土は世界の国々に蚕食されることとなる。巨大国家ロシアも南下政策を執り、遼東半島から韓国にも触手を伸ばす。

 当時、韓国独自でロシアと対峙することなど到底無理なことだった。その意味では寧ろ日本による韓国保護の必要性を認め、日本と一体となった上で、民族の自立発展の道を模索しようとした「日韓合邦派」の主張の方が現実的だったのである。

 頑迷固陋な韓国は、「日韓合邦派」や我が国の意見に耳を貸すことはなく、李王朝はあろうことかロシアに保護を求めた。我が国が勝利したことで独立の機は失ったのは当然のこと。合邦派は今や「親日派」として事後法に因り断罪されている。

 その後、当時の「万国平和会議」で、世界満場一致で「日韓併合」が可決されることとなる。三等国家の韓国が、独自の力による近代独立国家建設の道など在り得ず、我が国の協力が有って初めて文化的生活を得られたのが歴史的な事実である。

 こうした悲劇こそが日韓関係の日韓関係足る所以であり、我が国を詰る前に韓国国民こそ歴史の事実と自らの責任を真正面から見つめ直すべきである。

 大航海時代への変化の中で起きた日清戦争や日露戦争、そして日韓併合もアジアや我が国にとっては避けては通れない宿命的な歴史だったのである。

 日清・日露戦争での有色人種である「日本大勝利」の報は、固唾を呑んで見守っていた世界の人々を驚嘆させ、特に有色人種に与えた影響は強烈だった。

 日露戦争勝利から15年後、第一次世界大戦に於ける連合国が、中央同盟国の講和条件等について討議したパリ講和会議で、我が国は「人種平等の原則」を国際連盟規約に載せることを提案するも、「有色人種に人権は必要無い」と否決された。

 パリ講和会議の議長を務める米国大統領・ウイルソンが提案を拒絶したのは、米国人ら白人に因る有色人種への差別が横溢していたのは明らかだった。日露戦争が齎した歴史的課題の本格的実現は大東亜戦争を待たなければならないのである。

 その後「黄禍論」が湧き起り、世界は第二次世界大戦に突入する。我が国へ米国(America)、英国(Britain)、支那(China)、和欄(Dutch)から、所謂「ABCD包囲網」が敷かれると、無理難題を強いる「ハルノート」が突き付けられた。

 降伏は即ち欧米列強の植民地の道しかなく、我が国の生き残る道は連合国との戦争しかないと決断。開戦の詔勅を賜り、宣戦布告、真珠湾攻撃に至ったのだ。

 米国内では、毎年12月7日(現地時間)を「汚名の日・リメンバー・パールハーバー」として、我が国を「騙し討ちをした卑怯な国」として糾弾して止まない。日本人蔑視は未だに続いているが、我が国は断じて「騙し討ち」はしていない。

 こうした汚名を着せられ続ける理由は、嗤えることに駐米日本大使が宣戦布告の覚書を渡し遅れたことが原因で、外務省の職員の職務怠慢に他ならない。

 糾弾して止まない「リメンバー・パールハーバー」の根底に在る「黄禍論」という日本と日本人への偏見と差別が悲劇を生んだ元凶である。先の大戦然り、パリ講和会議然り、猛省するべきは日本ではなく未だ有色人種を差別し続ける米国である。

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2023年08月09日

「悲憤慟哭民族痛恨の日」昭和20年8月9日を忘れるな!

 米国は、6日の広島に続き9日にも原爆投下を実行する。投下予定地は九州小倉だった。だが、当日の小倉の天気が悪く、変更を余儀なくされる。実験データ収集の為には荒天では実験データの撮影も儘ならない為に小倉から急遽、長崎に変更した。

「戦争を終わらせる」のが目的ならば広島だけで十分だった。だが、米国は二発目の原爆を落とさなければならなかった理由があった。広島と長崎に落とした原爆は種類が違う。広島はウラン型。長崎はプルトニウム型。この二つのデータ取集である。

 原子爆弾開発プロジェクトのコードネームである「マンハッタン計画」に因って、莫大な研究費を注ぎ込んだ米国は、議会でその成果を証明する必要があった。

 エノラゲイから投下される原爆投下の一部始終撮影し、実験データを詳細に記録している。我が国を占領した米国は、日本人に戦後民主主義教育を徹底し、ハリウッド・エンターテイメントを模倣して芸能に興じる様に日本人を仕立てて洗脳した。

 一方で、ソビエトは長崎に原爆が投下される9日未明、「日ソ不可侵中立条約」を破棄するとソ満国境を越え、南樺太に攻め入り鬼畜の如き所業を繰り返した。

 昭和31(1956)年、日本共産党中央委員会宣伝教育調査部が編集した「日本共産党の政策」というものがある。その中で、「ソヴエトは終戦間際に参戦して火事ドロ式にうまいことをやったという人がいますが、ソヴエトが参戦したため、平和が回復され、日本が焦土とならずにすんだのです・・・」との驚くべき記述がある。

 この思想的次元が日本共産党の本質を露呈している。そのソヴエト(ソ連)の参戦こそが大問題ではないか。何が「日本が焦土とならずに済んだ」だ。未だに革命謀略を目指し、国民を誑かし続ける日本共産党は日本にとって悪害でしかない。

 原水爆禁止世界大会では、自称・平和屋らは米国の原爆投下を執拗に糾弾する。原爆投下を直ちに是認出来るものではないが、米国と我が国とは国の威信と生死を賭けて戦っていたのであり、新しい兵器の開発と使用に三分の理を認めざるを得ない。

 然るに、ソ連はどうか。我が国との間には厳然とした国際条約である「日ソ中立条約」が締結されており、領土の保全と不可侵、そして中立が固く約束されていた。戦況が悪化していた日本にとって不可侵条約は講和への拠所でもあったのだ。

 長崎に原爆投下された昭和20年8月9日、ソ連は日ソ不可侵条約を一方的に破棄し、満州や南樺太に侵略を開始。日本人同胞の虐殺、強姦、略奪がこの日を以て開始され、我が国固有の領土である南樺太、全千島列島、北方四島が強奪された。

 このソ連の蛮行に対し、政府もマスコミも自称・平和屋も責めたことはない。何が「平和団体」か。「原水爆禁止世界大会」という仰々しい名前の大会を主宰する「原水協」や「原水禁」ら、似非「平和屋」どもは、米国の原爆投下は執拗に糾弾すれども、ソ連共産党に忠誠を誓うが如く蛮行には沈黙を続ける。実に分かり易い。

 連中は、原爆を投下したのが米国だから、執拗にこの古傷を暴き、反米感情を煽り日米離間を謀り、党勢拡大に利用しているだけに過ぎない。それでも彼らが厚顔にも「平和団体」を自任するならば、米国や国内だけではなく、ロシアや中国共産党に対し、或いは北朝鮮やインドなどの核保有国にも物申すべきではないのか。  

 鬼畜の如き蛮行で亡くなった日本人同胞は、広島・長崎の原爆投下で亡くなった方々を遥かに超え、戦後にシベリヤに不当に抑留され、極寒の地で餓死・凍死した方々も数え切れない。ソ連軍の残虐非道、鬼畜の行為は、ポツダム宣言を受諾した後も収まることはなく、樺太では約5700名の軍人や民間人が犠牲となっている。

 同年8月20日には、樺太真岡郵便局の女子郵便局員・伊藤千枝(23歳)可香谷シゲ(23歳)沢田キミ(19歳)志賀晴代(22歳)高石みき(24歳)高城淑子(19歳)松橋みどり(17歳)吉田八重子(21歳)渡辺照(17歳)の9名が最後まで職務を全うし、最後は従容として青酸カリを服用し壮絶な最後を遂げている。

 日ソ中立条約を蹂躙し、ソ満国境を越え、また南樺太に於いてのソ連兵に因る鬼畜の如き残虐行為の一部が、外務省の外交文書に、生々しく書かれている。

「ソ連兵は30年来の怨みを晴らすはこの時なりとし邦人の所持品は一物をも残さず略奪し婦女子に対しては時所を弁えず暴行を加えるの暴挙に出て・・・。ソ連進駐と共に市街の様は一変し、ソ連兵市内を横行し略奪を縦(ほしいまま)にして、9月1日女32名を監禁し、若き娘は毎日14,5名、年配の婦人は毎日10名交代に暴行を加えその結果6名は死亡し、然らざる者も負傷の為歩行の自由を失うに至る・・・」

 千島列島の最北端の占守島では、米軍の侵略に備えていた。8月18日の早暁午前1時頃、日本軍に対しソ連軍が奇襲上陸する。ポツダム宣言受諾で武装解除準備を始めていた日本軍守備隊は武装を整え直し、ソ連に対して自衛戦闘を開始した。

 占守島の戦いは日本軍の死傷者約600名、ソ連軍の死傷者約3000名に及び、日本軍の圧倒的勝利の中で8月21日に武装解除に応じ戦闘が終結した。日本軍が武装解除を終えたのは3日後の24日だった。その後、占守島の兵士のみならず、中千島や南千島に駐留していた兵士や民間人全てがシベリアに強制連行されることとなった。

 シベリアに抑留された日本人は日本国内では約60万人と言われているが、これは軍属だけの数字であり、民間人を含めると更に多く、ロシアの資料に拠れば約70万人、米国の資料では約90万人と言われている。未だ我が国政府は情けないことに、こうした問題を世界の国々に提起し、その真相を明らかにしようともしない。

 米国の原爆投下と無差別爆撃、ソ連の卑劣極まる蛮行こそ「平和に対する罪」であり、「人道に対する罪」である。昭和20年8月9日を以て、ソビエト共産党に因って残虐行為と不法行為が公然と行われたのだ。正に8月9日とは、平和な現代を生きる我ら日本人にとって決して忘れてはならない悲憤慟哭民族痛恨の日なのである。

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2023年08月08日

心の呵責なしに核兵器を造り有する資格があるのは広島・長崎の悲惨さを知る我が国以外にない

 岸田文雄首相は「原爆の日」の6日、広島市で記者会見し、G7広島サミットでの核軍縮文書「広島ビジョン」が、現行の核抑止体制を前提にしているとの批判に対し、「国の安全保障を万全にし、同時に現実を『核兵器のない世界』という理想に近づける。このロードマップ(行程表)を示すのが政治の責任だ」と反論した。

 相変わらずノー天気な主張だが、「核抑止体制として世界で唯一の戦争被爆国である我が国こそ核兵器保有の権利がある」との信念を示した上で、核兵器廃絶を訴えれば好いものを、こういうキレイゴトしか言えない岸田の無能が顕わになる。

 我が国は世界で唯一の戦争被爆国であるが、戦後教育もあって余りにも原爆に敏感になり過ぎているのは事実。異常な核アレルギーを見る限り、米国が実行した原爆投下は、その原爆被害以上の何かを我が国に遺したと言えるのではなかろうか。

「反米」にしろ「反日」にしろ、行き着くところは米軍が統治時代に行った戦後民主教育に因る自虐史観であり、その弱体化政策は想像以上の成果を齎し続けている。

 北朝鮮が核保有国入りしたのは誰もが知るところ。安保理決議を無視し、核弾道ミサイル発射実験を強行する北朝鮮の恫喝外交は益々強硬なものとなっている。

 安保理が緊急会議を召集し北朝鮮の非難決議をしたところで、金正恩にしてみれば馬耳東風。北朝鮮の狙いは米国との直接交渉であり、そういう意味では乱暴ではあるが、北朝鮮の核兵器を前面に出した外交戦略は強ち間違ってはいない。

 北朝鮮のミサイル発射に「断じて容認出来ない」とか「極めて遺憾」だとか「暴挙だ」とか言ったところで、そんな空疎な言葉に何の意味が在るというのだ。

 況してや、御花畑的「広島ビジョン」が外交上何の戦略になるというのだろう。「核武装」こそ、アジア諸国の平和・安定に貢献出来る最強の外交官である。

 核武装を毛嫌いしてないで、「世界が核保有するなら、我が国も安全保障の観点から核を持たざるを得ない」とか、気の利いた台詞の一つ二つ言えないものか。

 それにしても、事の善し悪しは兎も角として、何百万人もの餓死者が出ても歯牙にも掛けずに、核開発とミサイル開発などの軍事力の整備に躍起になっている、あの依怙地なまでの強硬姿勢は日本外交でも見倣うべきものがあるのではなかろうか。

「核兵器は外交で大きな発言力を持つ」というのは世界の常識であり、イスラエルや北朝鮮が核武装をするのは、核兵器が外交交渉をする上での最高且つ最大の武器であり、周辺諸国に睨みを利かせることが出来るとの認識と理由からだ。

 我が国が弱腰外交なのは、自国の防衛」という国家の大本を米国に委ねているというのが大きな間違い。発言力を高める為には今回の核実験を機に自衛軍備の確立を急ぎ、日米安保の見直しを図り、米国依存からの脱却することが肝要である。

 尖閣周辺での中共の主権侵害や北朝鮮のミサイル発射実験は、我が国にとって「国防とは何か」を考える好機であり、「天の風」と捉えるべきであろう。

 米中露を始め、核保有国入りした北朝鮮やインド・パキスタンの核保有が容認されて、新たな核保有は認めないというのは違和感を覚える。心の呵責なしに核兵器を造り得る国は、広島・長崎の被爆の悲惨さを知る我が国以外にない。

 原爆を投下した米国の核の庇護の下で、まやかしの平和を享受している場合ではない。米国やロシア、中共、北朝鮮、インド、パキスタンといった国々が核を放棄しないのなら、「世界から核兵器が無くなるまで我が国は暫定的に核を保有する」と、我が国にも強力な核保有という選択肢があることを世界に示唆するべきであろう。

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2023年08月07日

そこの自称愛国者の貴方、8月15日は「終戦記念日」と思ってませんか?

 8月15日は「終戦記念日」と称するが、終戦の詔勅(玉音放送)が発布された日であって、正式には「戦没者を追悼し平和を祈念する日」である。記念日とは、想い出の日という意味でもあるが、何故に敗戦を記念しなくてはならないのか。

 我が国の終戦記念日は、主権回復した昭和27年4月28日であろう。「追悼」とは死者の生前を偲び、その死を悼み悲しむことであるが、靖國は追悼施設ではない。

 今日8月15日は、右翼団体を始め自称・愛国者や営業保守らが靖國神社に参集し、保守票目当ての政治家らが英霊に哀悼の意を表する。だが、靖國神社は追悼や慰霊施設ではない、英霊の顕彰を重んじている社であって死を悼み悲しむ場所ではない。

「顕彰」とは、国に殉じた英霊の功績、善行などを称えて広く世間に知らせることである。全国の神社には神が祀られてるが、御祭神の死を悼むのだろうか。

 軍服マニアや右翼団体らが靖國に集い、靖國に祀られている英霊にだけを追悼している光景は、顕彰とは程遠く、贔屓の引き倒しと断じられても致し方ない。

「反天連」などの蛆虫連中も靖國前で騒ぎ立てるが、左右入り乱れての喧騒は感心しない。遺族にとって8月15日は喧騒の中で終る。遺族にとって願うことは陛下の御親拝以外にはない。唯々、陛下の御親拝遊ばされる環境が整うことを願うばかり。

 未だ東京裁判史観や自虐史観に冒され、反省の言葉ばかり口にする我が国は、「終戦」とは名ばかりの、未だ主権快復も出来ていない国家だと痛感する。

 抑抑、戦争犯罪というものは、ハーグ陸戦法規やジュネーブ条約に規定されている、「捕虜に対する人道的取り扱い」及び「無防備地域に対する攻撃の禁止」など、戦闘行為に於ける将兵の「国際法違反」を問うものである。

 当時の国際法に則れば、戦争を遂行した国家の主導者が個人的に犯罪者として裁かれることは無かったし、今日でも、国際法の直接的指導・命令者で無い限り同様である。然るに、東京裁判では被告の方々に対して「平和に対する罪」「人道に対する罪」と称する国際法上も無意味な事後法によって裁かれたのである。

 この様な事後法は、隣の韓国の「親日分子取締法」じゃあるまいし、近代法治主義が最も忌み嫌う行為である。若し「平和に対する罪」や「人道に対する罪」が正当ならば、米国の原爆投下やロシアの蛮行も断罪されて然りではないのか。

 東京裁判の目的は明らかに、勝者の敗者に対する見せしめであり、復讐であり、日本は「悪」であるという虚構の観念を、全ての日本人に植え付ける為のものだったのだ。米国人弁護人、ブレイクニーは、「広島・長崎への無差別殺戮兵器の原子爆弾の投下を命じた者に被告らを裁く資格は無い」と叫んだ。蓋し正論であろう。

 同じ米国人弁護人のローガンは「欧米から経済的、軍事的に追い詰められた結果の日本の自衛戦争である」と指摘しているし、インドのラダ・ビノード・パール判事は、所謂A級戦犯を含めた日本人被告被告の「無罪」を主張している。

 必要なのは冷静且つ客観的に、そして科学的且つ公平に先の大戦の是非を明らかにすることが肝要であって、「靖國神社にはA級戦犯が祀られている」だとか、「戦争犯罪人を祀るべきではない」だとか、そうした詭弁を弄したところで意味はない。

 日本人自ら「A級戦犯」「B・C級戦犯」「戦争犯罪人」などと呼称しているのは実に情けないもので、精神的貧困さを示す典型的なものだろう。刑死・獄中死された方は「法務死」、靖国神社では「昭和殉難者」と称し、所謂B・C級戦犯は1068名が御祭神で、それ以外リンチに等しいもので亡くなった方が約100名が祀られている。

 東京裁判の茶番劇で、或いは外国の地で不当に処刑されたこの方々の命は軽いものではない。我が国の政治家共は口々に「反省」を述べ、「謝罪」し、「お詫びは不変」だという。そんなに詫びたいなら腹を切って詫びれば良いではないか。

「戦犯」の汚名を着せ続けられている方々は、敢えて反論もせず諒として罪を償ってくれたのだ。こうした悲劇の現実を今を生きる我々は決して忘れてはならない。

 8月15日は、別に靖國神社に詣でることだけが愛国者や保守派としての立派な行いではありません。今立つ処で心静かに祈り感謝することこそ大事だと思います。

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2023年08月06日

原爆投下は人種偏見や日本人蔑視以外に合理的根拠は見つからない

 昭和20年8月6日、午前8時15分、米軍は広島市に核兵器「リトルボーイ」を投下し一瞬にして14万人以上の無辜の民を虐殺した。米国は広島への原爆投下でも厭き足らずに、3日後の9日午前11時02分、長崎市に「ファットマン」を投下した。

「原爆投下が大東亜戦争の終結を早めた」という人がいるが事実はそうではない。 沖縄が占領され、我が国は、終戦(講和)の機を窺っていたのは間違いなかった。

 米国のポツダム宣言の原案には、「天皇存続の保証」が盛り込まれていた。米国は、日本政府が「日ソ中立条約」を拠り所に和平を模索していることを知っており、「天皇存続を保障する案」なら受け入れる可能性が極めて高いと考えていた。

 ところが、反日的なスチムソン陸軍長官やハル元国務長官から助言されたバーンズ国務長官は、この項目をポツダム会議直前で削除する。即ち、ポツダム宣言は天皇存続の原案とは違い、我が国が極めて受け容れ難い内容に変更されていたのである。

 そうした事情をよく認識していたトルーマン大統領は、ポツダム宣言発表前日(7月25日)に自らの日記に、「この兵器(原爆)は、今から8月10日迄の間に使用されることになる」と綴っている。つまり、ポツダム宣言を日本側が受け入れることを知り乍ら、敢えて懲らしめ的に原爆を投下したということは明らかである。

 未だ国内に蔓延する「日本政府がポツダム宣言を黙殺したから原爆が投下された」との理由が真っ赤な嘘であることはトルーマンの日記が明瞭に証明している。

 抑々、原爆を日本に投下することになった背景には黄禍論に見られる様に日本人への偏見と差別が根強く在ったからに他ならない。米国が原爆投下を決定したのは1943(昭和18)年5月のことである。原爆搭載機を、対日戦用のB-29を選んだ。

 翌年9月の、米英間の秘密覚書である「ハイド・パーク協定(ハイドパーク合意)」には、「原爆は日本に対して使用されるであろう」と明記されている。こんな不可思議な決定は、人種偏見や差別、日本人蔑視以外に合理的根拠は見つからない。

 更には、原爆投下後の広島・長崎で米軍が執った、「放射能治療方法交流禁止」や「被爆者カルテ没収」など、目に余る人権蹂躪行為を見ると、日本人を使った人体実験、否、動物実験としての原爆投下だったのではなかったのかと思えてくる。

 トルーマンの日記には、「ジャップどもは野蛮人で、冷酷、無慈悲且つ狂信的な連中だ」と、日本人差別や日本人への蔑視表記も羅列されている。野蛮で冷酷非道なのは米国自身であり、未だに米国の歪な正義感を世界にバラ撒き続けている。

 昭和34(1959)年、来日中だったキューバのエルネスト・チェ・ゲバラは広島視察を強行した際に、原爆資料館で「君たち日本人は、アメリカにこれほど残虐な目に遭わされて、腹が立たないのか!?」と述べている。これが素直な感情だろう。

 悲しい哉、GHQの謀った自虐史観から覚醒しない日本人は、押し付けられた米国製のクソ憲法を有り難がり、「憲法九条が平和を齎した」などと勘違いし、米国が実験的に謀った様々な弱体化政策に疑問を抱くことなく、未だ日本人蔑視が蔓延る米国に領土防衛という国家の大本を委ねて、まやかしの平和を謳歌し続けている。

 被爆地である広島には、自虐史観の象徴の様な「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから」という原爆死没者慰霊碑が建っている。この意味不明の碑こそ、GHQに拠る戦後民主主義教育の洗脳著しい現代日本人の姿であろう。

 非人道的原爆投下を実行して、一般人(非戦闘員)の大量殺戮という大きな過ちを犯したのは米国であり、断じられるべきは、我が国でもなければ大東亜戦争でもない。過ちを犯し、猛省せずに過ちを繰り返してるのは米国であり連合国である。

 平和ボケに浸かった日本人が「真の平和は、自らが創り出さなくてはならない」という主権国家として当たり前の事に気付くのはいつのことだろう。本日ここに、原爆投下で犠牲になられた全ての方々に対し、衷心より哀悼の意を表します。合掌。

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2023年08月05日

公正な近代史を学び東京裁判の不正義と不条理を検証すべし!



 所謂「終戦記念日」が近付くと歴史検証の特集や特番が組まれる。「終戦記念日」だとか太平洋戦争史観だから自虐の歴史となる。歴史の検証をする上で、我が国の罪を論うことは大事だが、米軍に因る国際法違反というべき広島・長崎への原爆投下や日本の各都市への無差別絨毯爆撃の罪を糾弾することもまた忘れてはならない。

 更に言えば米軍だけではなく、国際法上無効である「ヤルタ協定」を優先し、我が国と締結していた国際法規である「日ソ中立条約」を一方的に破棄して参戦し、北方の地で鬼畜の如く振舞ったソ連の蛮行も決して忘れてはならない歴史である。

 戦争というのは、国際法上認められている政治的行為であって「悪」ではない。我が国は先の大戦で負けてしまったから「悪」となってしまったのだ。これ即ち、思考停止の最たるものであるが、先の大戦は、「一旦始めた戦争は決して敗れることがあってはならない」という極めて重要な教訓を残したと言って好いだろう。

 大東亜戦争は、支那事変(日中戦争)に端を発した日本の侵略戦争ではない。GHQの謀った東京裁判史観に侵された連中は、未だに洗脳から醒めないばかりか、日清・日露戦争まで侵略戦争だと断罪する始末。斯くも日本人は劣化してしまった。

 容共派からは「靖國参拝は中韓を刺激するから、外交的にマイナスだ」という声が聞こえるが、中共については軍事力を増強し続け、海洋調査船が日本の排他的経済水域に於いて不当な活動を繰り返し、加えて尖閣諸島の領有権をも主張している。

 韓国にしても、島根県竹島を未だに不法占拠した儘、北方領土海域に於ける漁業権確保をロシアとの間で契約している。つまり、今日只今を以てしても中韓は日本への敵対行為を採っている国なのだ。そのことには目を瞑り、相手を刺激する事のみを心配する論理は、正に東京裁判史観に毒された自虐の思想以外の何ものでもない。

 凡そ国家が存在するならば、他国を刺激しないなどということがあるだろうか。国家は自存の為に国益を主張し、国益は往々にして対立することを免れない。

 然らば、他国を刺激しないという理由は、自国の国益を放棄することに他ならない。「近隣諸国を刺激しない」という、戦後日本の国是は誤りなのだ。

 皮肉なことに過去に於いて被害者であったと声高に主張する国が、現代では我が国の主権を侵し続けていることだけでも連中に被害を口にする資格はない。

 百歩も千歩も譲って、我が国が、過去のある時代に悪逆非道の犯罪者だったらどうだというのか。それでも我等は歩みを止めず生きて行かねばならないのだ。

 北朝鮮に日本人同胞を拉致され乍ら、他人事の様に涼しい顔をし、先祖の領土を略奪され主権を侵害されながら、拱手傍観している訳には参らないのだ。

 大切なのは古今東西、世界に蔓延る覇権主義の克服を主張すべきであって、他国の覇権主義に目を瞑り、一方的に自虐の淵に止め処なく漬かり込むことではない。

 インドのパル判事は東京裁判の無罪判決の最後を、「時が、熱狂と偏見を和らげた暁には、また理性が、虚偽からその仮面を剥ぎ取った暁には、そのときこそ正義の女神はその秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くに、そのところを変えることを要求するであろう」と結んでいる。今こそ、東京裁判の不当性を検証せよ。

※上記のビデオ(1時間程)「凛として愛」を是非とも御視聴為れたい!

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2023年08月04日

原水禁と原水協の「原水爆禁止世界大会」は時代錯誤の革命謀略運動

 毎年、8月6日の広島、9日の長崎と、原爆が投下された日に焦点を合わせ核廃絶を訴える「原水爆禁止世界大会」なるものが開催される。主催は原水禁と原水協。今年も先月末の福島大会を皮切りに始まった。何故に福島なのかは言わずもがな。

「原発の再稼働を阻止し、政府に脱原発への政策転換に向けて舵を切らせる。フクシマを核時代の終わりにする」とするとのアピールの採択もそうだが、左翼勢力の戯言に郷土である福島県が利用されることに違和感と怒りを覚える県民は少なくない。

「核も戦争もない平和な21世紀に!」をスローガンに「脱原発」を訴え、「平和憲法を守る運動を貫く」と叫ぶ。核廃絶は核保有国への抗議するべきで、核の無い日本で騒いでどうするの。「脱原発」と「核廃絶」を一緒くたにするのは筋違い。

 多くの県民が故郷で復旧・復興に努力している中で、「帰りたくても帰れない」という我儘で帰還しない人達に、これ以上何を補償し、何を施せば好いというのか。この「原水禁運動」は、初めは純然たる市民の署名活動から始まったものだ。

「世界から核兵器を無くそう」との署名活動の輪が急速に全国に広がって行くのに目をつけた社民党(旧日本社会党)と日本共産党が、これらの活動に割り込みを謀り、イデオロギーに汚染させ、終には主導権争いを演じて分裂させてしまった。

 それが社民党系の「原水禁(原水爆禁止日本国民会議)」と、共産党系の「原水協(原水爆禁止日本協議会)」であり、福島で煽動を謀っているのは原水禁である。この二つの団体は日本共産党と同じく、公安調査庁の監視団体でもある。

 連中の目的は、「平和」「核廃絶」「脱原発」とは名ばかりで、原爆を投下したのが米国だから騒いでるだけ。被災者らを同一に準えて、「広島・長崎両県でも原爆の傷が癒えていない」と政府を批判するが、トンチンカンとはこのことだ。

「原爆投下」と「原発事故」は全くの別物で、原発事故を原爆投下と同一視することはそれこそ原爆投下という蛮行を事故程度のものだと矮小化することでもある。

 原水爆禁止世界大会の目的は、執拗にこの「原爆投下」という古傷を暴き、日米離間を企てると共に、党勢拡大と革命謀略に狂奔しているだけだ。

 これだけでも連中に「平和」など口にする資格はない。 先の大戦では日本と米国は国の威信を賭けて戦っていた訳で、新しい兵器を開発すれば使おうとするのは当然の話で、米国の原爆投下も「三分の理」を認めざるを得ないではないか。

 長崎に原爆投下された日、ロシア(旧ソ連)は「日ソ不可侵中立条約」を一方的に破棄し、満州や南樺太に侵略を開始し日本人同胞を虐殺し領土を強奪した。この旧ソ連の鬼畜の如き蛮行で亡くなった方は、広島・長崎で亡くなった方を遥かに超える。また、終戦後シベリヤに抑留され極寒の地で亡くなった方も数え切れない。

 抑留された日本人は、軍属だけで60万人と言われているが、ロシアの資料に拠れば約70万人、米国の資料では約90万人と言われている。「平和」「核廃絶」「脱原発」を訴える平和屋連中が、この旧ソ連の蛮行を取り上げ、糾弾したことは一度たりとも無い。 何が「平和団体」か、単なる「反米団体」ではないか。

「脱原発」にしても、安全対策を施し、再稼働を急ぐことが大事であるのは言うを俟たない。最近の燃料高騰にしろ原発稼働停止の影響が家計へも大きく圧し掛かっている時に、基幹エネルギーを化石燃料だけに頼るのは如何なものだろう。

 化石燃料に頼るのであれば、シーレーンの防衛は重要な課題であり、南シナ海で中共がのさばることとなれば原油の輸入ルートが断たれる訳で、「反原発派」こそシーレーンの防衛やオスプレイの導入を歓迎すべきなのにやってることは全くの真逆。要は、「反原発」とは中共への忠誠であり、革命謀略の為のものである。

 原発事故の影響を受けている福島県民としては、「原発さえなかったら」という思いは強い。だが、果たして資源の乏しい我が国が、原発稼働無しで繁栄を維持出来るのか疑問だ。産業振興、電力不足など不安は大きく「便利」という価値観に溺れた国民が石油や天然ガス、再生可能エネルギーだけでの生活に耐えられるのか。

 太陽光発電は夜間や雨天、曇天ではその効果は限りなく少ない。風力は風が吹かなければどうにもならない。その点、原発はプルサーマルや高速増殖炉も実用化出来れば、化石燃料に依存しなくてもかなりのエネルギーを自国で賄えるのだ。

 資源に乏しい我が国にとって原発は残念乍ら最良のエネルギーである。「脱原発」の理想は分かるが、将来的に原発依存の体制から抜け出すことは当然の話しで、徐々に縮小すれば好い訳で、何をそれほどまでに脱原発を急ぐ必要があるのか。

 反原発より、原発の安全対策を施すことが喫緊の課題であろう。東京電力福島第一原発の事故も防波堤などの整備を万全にしていたら、大事には至らなかった。

「平和」「核廃絶」「脱原発」を標榜する胡散臭げな似非平和屋どもにとって、フクシマも勢力拡大の為の小道具に過ぎない。原発の問題は核武装という国防にも繋がる国家の大事であり、国民は安っぽい反原発派の革命謀略に騙されてはならない。

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2023年08月03日

「原爆投下」は神の懲罰なのかそれとも日本人蔑視の人種差別か

 昭和20年8月6日午前8時15分、米爆撃機B29エノラ・ゲイが広島に原爆「リトルボーイ」を投下。米国は一瞬にして14万人以上の無辜の民を虐殺した。米国は更に3日後の9日午前11時02分、長崎に原爆「ファットマン」を投下した。

 広島と長崎への原爆投下で、終に我が国はポツダム宣言の受諾を決定し、14日未明に終戦の詔勅を発布した。この結果をして「原爆投下が戦争の終結を早めた」という人がいるが、米国側の歴史的事実はそう簡単に説明出来るものではない。

 抑抑、米国が投下した二種類の原爆は、日本人への人種差別と原爆に因る人体実験を検証する為に行ったものであることは今や歴史的にも明らかである。 

 以前、韓国・中央日報の論説委員が「原爆投下は神の懲罰だった」と厳罰投下を称えたことがあった。反日というより、原爆投下した米国を「神」に例えるマヌケぶり。主張が批判されると、中央日報は「あくまでも個人の見解」との見苦しい言い訳をしていた様だが、韓国人の人品の悪さはホント救い様がない。

 中央日報は「神は人間の手を借りて人間の悪行を懲罰したりする。最も苛酷な刑罰が大規模空襲だ。歴史には代表的な神の懲罰が2つある。第2次世界大戦が終結に向かった1945年2月、ドイツのドレスデンが火に焼けた。6カ月後に日本の広島と長崎に原子爆弾が落ちた。これらの爆撃は神の懲罰であり人間の復讐」などと主張。

「同じ復讐だったが結果は違った。ドイツは精神を変え新しい国に生まれた。だが、日本はまともに変わらずにいる」と、いつも乍らの日本批判を繰り返す。

「ドレスデンはナチに虐殺されたユダヤ人の復讐だった。広島と長崎は日本の軍国主義の犠牲になったアジア人の復讐だった。特に731部隊の生体実験に動員された丸太の復讐であった」と、安倍首相が乗った航空自衛隊松嶋基地所属のブルーインパルスの番号が731だったばかりに、無理矢理に「731部隊」と結び付ける始末。

 中央日報の記者は、ジャーナリストというより反日妄想逞しい精神異常者という言い方がピッタリ。厭きれるというより、その民族性に尊敬の念すら覚える。

 歴史を語る上でよく日本とドイツが比べられるが、ドイツはナチの行為は批判し反省するが、国家として謝罪したことは一度も無い。一方で我が国は韓国に対して、ドイツとは比較にならない補償と経済援助をし、そして何度も謝罪して来た。

 然し乍ら、韓国は日本へ感謝することは無く、それどころか「反日教育」を徹底し、謝罪と賠償の名の下に留まることのない日本バッシングを繰り返している。

 事が起これば自分達で努力しようともせず、悪いのは全て日本となる。何事も日本の所為にしてりゃ済まされるのだから気楽な人種でもある。韓国人なんてのはハッキリ言って乞食以下だ。犬コロでも人の恩が分かるのに恩を徒で返し続ける。

 韓国も中共も日本にばかり要求してないで自国の歴史を直視しなさい。中共の発展は日本からのODAが大きく貢献し、韓国にしても「日韓併合」に拠って三等国であった韓国が発展し、韓国人の生活が劇的に改善させたのも歴史的事実だろう。

 広島・長崎への原爆投下を日本人への神の懲罰だと言うのなら、当時は日本人だった韓国人への懲罰でもあるということを何故に理解出来ないのだろうか。

 抑々、原爆を日本に投下することになった背景には、米国の人種偏見が根強くあったのは事実。米国が原爆投下を決定したのは1943(昭和18)年5月、原爆搭載機を対日戦用のB-29とした。そして翌年9月米英間の秘密覚書である「ハイド・パーク協定」には、「原爆は日本に対して使用されるであろう」と明記されたのである。

 こんな魔訶不可思議な決定は、人種差別と偏見及び日本人蔑視以外に合理的根拠は見つからない。更に、その後の米軍の広島長崎で執った「放射能治療方法交流禁止」や「被爆者カルテ没収」などの目に余る人権蹂躪行為を見ると、日本人を「動物実験」として治験しようと企てた原爆投下だったのではなかったのかとすら感じる。

 先の大戦では我が国と米国は国の威信を賭けて戦っていたのだ。新しい兵器を開発すれば使用するのは当然で、原爆投下にせよ、非戦闘員を巻き込んだことは断じて許されざる蛮行ではあるが、そこに三分の利を認めざるを得ないではないか。

 資源に乏しい我が国が安価な化学兵器を研究するのも当然で、731部隊が事在る毎に悪の権化の様に曝されるが実に怪しからんことである。「遺棄化学兵器」にしても巷間言われている様に大量でもなければ、我が国が処理費用を拠出する謂れもない。

 中央日報の論説員にせよ、クリスチャンに洗脳された韓国人は都合よく「神」を持ち出すが、日本人として共に戦った大東亜戦争を批判にして何になるというのか。

「神」を持ち出すのなら、「日韓併合」こそ神から与えられた宝だったとは思わないのだろうか。未だ歴史を直視することなく、日韓併合をも非難し続ける韓国こそ、いつの日か神からの懲罰や復讐されるのは強ち幻想でもないかも知れない。

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2023年08月02日

財政再建は薩摩藩の茶坊主「調所笑左衛門」に学ぶべし!

 財務省の言い成りの岸田政権は、経済財政諮問会議を開き、経済財政運営の指針「骨太方針」案を示した。新型コロナ対策などで膨らんだ国の歳出構造を「平時に戻して行く」らしいが、国債を国の借金だと認識してるから根本的解決を見ない。

 令和4年度の税収は71兆円で3年連続で過去最高を記録した。日本の純資産は世界一なのに全く国民に還元されないのは財務省の謀略と岸田の無能が重なり合う。

 米国製というと日本国憲法だが、他にも教育委員会や労働三法も米国製であり、昭和22年にGHQが創った「財政法」に基いて行う施策の全てが時代にそぐわない。

「財政再建」や「健全財政」が叫ばれて久しい。政府や地方公共団体は、行政の任務を遂行するに当たり、債務不履行や極端なインフレの亢進を防ぎ乍ら、経済の発展と国民全体への公共サービスの維持と充実を実現することが求められる。

 健全財政とは「資源配分」「所得再分配」「経済の安定化」の三つの機能を持続的に果たしている状態のこと。要は、歳入と歳出がバランスよく保たれていることだが、我が国の歳出のバランスを保っているのは国債に拠るところが大きい。

「プライマリー・バランス(PB)」とは、(税収+税外収入)から政府支出(政策的経費)を指し引いた政府の本業に伴う単年度の収支のこと。PBが収支ゼロであれば、公共サービス提供が(税収+税外収入)だけで賄えるということ。

 令和4(2022)年の一般会計予算は約107.5兆円。内社会保障36兆2735億円、地方交付税交付金15兆8825億円、公共事業5兆3901億円、教育費5兆3901億円、防衛費5兆3687億円、予備費、その他が14兆2847億円。国債費24兆3393億円。

 歳入が約65兆2000億円だから国債を発行しなけりゃ大赤字。国債は否定しない。何故なら国債という資本を投入することで、それ以上の収入(税収)を生む。だが、この儘では限界がある。先ずは膨れ上がる国債の利率を先ずは廃止したら如何か。

 岸田文雄首相の「新しい資本主義」とは、言い換えれば「新しいカネ主義」。「新しい」というと新鮮な感じだが、渋沢栄一が提唱した日本的資本主義とは逆行しているカネ主義であり、日本的社会主義の完遂を目指しているとしか思えない。

 我が国は戦後、米国型資本主義社会を選択した。その限りのない資本主義という欲望は止まるところを知らず、比例して心の豊かさを失い続けて行くこととなった。財政悪化も赤字国債の増加も、資本主義と米国への追随の悪しき結果である。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という。財政再建を歴史上の人物で見倣うべきなら、圧迫する米沢藩の財政を立て直した上杉鷹山の道徳教育に刮目するが、薩摩藩の茶坊主・調所笑左衛門(ずしょしょうざえもん)の借金踏み倒しが秀逸。

 江戸時代も中期から後期になると、殆どの大名は藩の財政に苦しんでいた。算段は、市中の商人や金貸しから借りなくてはやりくり出来なかったという。

 七十七万石の薩摩藩も例外ではなく、「武を以て尊し」とする薩摩藩は経済を軽視し、二十五代藩主の島津重豪(しげひで)は西洋かぶれもあって、大金を投じて「天文館」を建てたり、博物全書を出版したりと資金を湯水の様に浪費した。

 その結果は当然の如く、文政十年(1827年)の頃には、薩摩藩は五百万両もの借金を抱えることとなったという。この頃の薩摩藩の石高(税収)は年間十五万両程度だったというから、実に年間予算の33倍もの借金を負っていたことになる。

 現在、我が国の税収は65兆円余りで、借金は1100兆円程度だから現在の日本政府の約2倍以上となり、薩摩藩は財政的に酷かったというのが理解出来る。

 そこで登場したのが調所笑左衛門。元々は殿様の茶坊主だったが、経理の才能に秀でてた為に小納戸役頭取に抜擢され藩の財政再建を一任されることとなった。

 茶坊主らしく知恵を働かせた笑左衛門は、債権者に「借金の返済方法について相談したいことがあるのでお越し願いたい。証文の書き換えをしたいので持参されたし」との通知を出したという。債権者らは疑いも無く城に上ることとなる。

 債権者らは幾ばくかの返済を当てにして赴いたのだろうが、笑左衛門は証文を出させると、何と火鉢の中に投げ入れてしまったのだ。唖然とする債権者ら。

 そこで笑左衛門は必死の形相で、呆然とする債権者に向かって、「借金は二百五十年腑で御返しする。但し、利息は付けない。無理は承知。それが否だというなら私を突くなり、斬るなり好きにしてくれ」と言い放ったというから茶坊主らしい。

 債権者にしてみれば証文は既に灰となっているし、商人が武士に楯突ける訳も無し。「笑左衛門さまがここまで覚悟を決めたのは余程のことが在るのだろう」と納得し、斯くして年二万両ずつ二百五十年かけての返済に同意することとなった。

 その後、笑左衛門は藩内の経費を切り詰め、一方では南の島の黒砂糖貿易を独占して財政を立て直した。重豪の次の藩主の斉彬が藩内の工業化に成功したことで藩の財政は潤い、明治維新という日本の開国に大きく寄与して行くこととなった。

 因みに、年二万両の返済は笑左衛門の約束通り、明治初頭までは続けられていたが、廃藩置県に由り藩が消滅し、その約束は反故されたのは言うまでもない。

 政府も、自転車操業的な殖え続ける国債発行に伴う利息の支払いを止めるには、調所笑左衛門のやり方を見倣って無利息の国債を発行したら如何だろう。呵呵。

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2023年08月01日

天皇の存在が「主権の存する国民の総意に基づく」とは何事ぞ!

 LGBT法に続き同性婚を謀る左傾化著しい自民党は、憲法改正を騙り保守票を取り込もうと必死だが、無党派層の多くのネトウヨが自民党を支持することはあるまい。況してや公明党と連立を組む自民党が改憲どころか議論さえ進まないだろう。

 抑々、自民党が謀る憲法改正は第九条が本丸。然し、第九条を改正することに因って現憲法が絶対化する危険を孕む。矛盾だらけの現憲法は、改正して治るレベルではなく破棄するのが最善。何より、現憲法の最大の不条理は第一章「天皇」だろう。

 天皇陛下の現憲法上に於ける御地位、或いは権限は「国民統合の象徴」という実にあやふやな表現の下で実行されている。国民の多くも「天皇とは何か」「どの様な御存在なのか」ということを知らぬ儘に、諸外国の国王の如く認識する始末である。

 学校では「象徴天皇」だけで、天皇の意味を教えない。天皇が日本の歴史の中で果たして来られた役割や在り方を学ぶべきである。そうしなければ いつの日か、左翼陣営の思惑通りに「天皇はいらない」という議論にまで発展して行くだろう。

 随神の道である神道の教えを実践する天皇にとって、最も大事なものは「祭事」であり、本来は「国事行為」よりも優先されるべきものなのだが、「祭事」は現憲法に因って「天皇家の私事」とされた儘放置され続けているのが実情である。

 現憲法は、歴史的な国家としての継続された「祭祀」に関する天皇の役割を否定している。これ即ち、未だ占領政策である「神道指令」の呪縛から解放されずにいるということの証左でもある。これを政治の怠慢、不作為と言わずして何と言おう。

 米国製の日本国憲法というのは国の基本法として体を為していない。憲法というと第九条ばかりが議論されるが、九条よりも天皇の章「第一条」が酷いのだ。

 第一条は所謂「主権在民」「象徴天皇制」を謳っている条項で、「天皇は日本統合の象徴であって、それは主権の存する国民の総意に基づく」と在る。日本共産党や反天皇勢力の珍左翼やキチガイどもは、この第一条のこの「総意」に噛付き、それを論拠に天皇の存在を否定し、「天皇は憲法違反の存在である」と断じて憚らない。

 卑しくも天皇の臣民たる国民が、陛下の御地位、御発言、御行為等を彼是批判することは誠に以て不遜不敬、不屈至極であり、断じて赦されるものではない。

 国體変革、革命謀略の大反逆心を謀る共産党の行為を苦々しく思い、怒りを覚える国民が殆どだろうが、残念乍ら共産党の「総意」の屁理屈は法治国家日本の憲法上の解釈は正論なのだ。だが、抑々、天皇陛下は憲法以前の御存在であらせられる。

 憲法が在って天皇が存在せられるものではなく、歴史が明らかに証明するところであろう。我が国は天皇即日本、日本即天皇であり、天皇の存在せられない日本など断じて有り得ない。明治天皇が、教育勅語の中で「世々その美を済せる国體の精華」と御諭しになったところであり、万邦類い無き「天皇国日本」の真姿である。

 共産党は天皇の存在を否定し乍ら「天皇制」という言葉を使用する。「天皇制」とは共産党の造語であり、天皇は天皇であり「制度」ではない。強いて言うのならば、現在の憲法下での国事行為が政府の都合の好い「制度」となっていることだ。

 共産党ら左翼自体の「天皇制反対」というのは、見方を変えれば「日本という国は天皇制の国家である」ことを暗黙に認めている証左でもあり、だからこそ「天皇制廃止」を声高に叫ぶ。共産党こそが、天皇の偉大さを知ってるからに他ならない。

 日本共産党委員長の志位和夫が、「元号は時をも君主が支配するとの考えから来ている。国民主権の原則に馴染まない」と述べ、「元号法」の廃止を訴えたのも余りにも天皇の存在が大きいからだ。そんな経緯もあって、共産党が謀る天皇廃止運動は巧妙化している。その一歩が「女性天皇」や「女性宮家」の創設である。

 憲法第二条は「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」と在る。天皇廃止を叫ぶ勢力は、現憲法第二条を楯に皇室典範の改悪と愛子内親王こそ「世襲」であるとし、初代・神武天皇から百二十六代の今上陛下の皇統が「男系」と連綿と続いていとる厳然たる事実を否定する。

 世界に類の見ない固有の歴史と伝統を、憲法以前の御存在で荒らされる天皇を「法律」ということを以て改革するとは何事か。最近では、共産党はLGBTやSOGI(ソジとはセクシャル・オリエンテーションとジェンダー・アイデンティティーのこと)に躍起になり、LGBT法に続き同性婚や民法の改正、更に戸籍法廃止を謀る。

 男系男子の歴史を否定し、「女性天皇及び女系天皇こそ多様性」などとほざいている。歴代天皇には8人10代の女性がいるが、ローマ教皇の歴史に女性はいないし教皇を選ぶ枢機卿にさえ女性はいない。多様性に程遠いバチカンに抗議したのか。

 LGBT法は日本の歴史・伝統・文化に対する共産革命の序章である。天皇を族長と仰ぐ我が国の正統にとって悉く異質な存在が日本共産党であり、行政内に侵食し、悪害をバラ撒くあらゆる共産主義を根絶させねばならない。創価学会もまた然り。

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2023年07月31日

「トリガー条項」発動しガソリンを値下げして景気回復の呼び水とせよ!

 産油国からなるOPECプラスが実施している原油の減産措置に加え、ロシアのウクライナ侵攻やサウジアラビアが独自で行う追加減産が影響して、レギュラーガソリン1ℓ当たりの全国平均小売価格の高騰は止まるところを知らず1ℓ174.8円となった。

 原油価格の騰勢を背景にガソリン価格には上昇圧力が続くとみられ、1ℓ200円になる可能性も。運送会社やダンプ屋や自家用車をよく使う人にとって試練は続く。

 福島県内では会津地方や福島市内などが価格が高く、郡山市内でも170円を超えているスタンドもチラホラと見受ける。最近は利用者も慣れっこになってしまって、価格が168円などという数字を見ると如何にも安くなった錯覚に陥ってしまう。

 平成21(2009)年の衆院選で、民主党はマニュフェスト(政権公約)の目玉の一つとして、ガソリン税などの暫定税率廃止を掲げた。羊頭狗肉のマニュフェストが功を制し政権を奪取したが、民主党は公約を反故し、暫定税率廃止を見送った。

 その代わりに燃料価格の高騰対策として、翌22年に「所得税法等の一部を改正する法律」を成立させ、所謂「トリガー条項」というものを盛り込んだ。

 トリガー条項は単なる羊頭狗肉の国民向けの誑かしで、その間に道路補修などに使われるべきガソリン税を道路維持財源ではなく一般財源化してしまった。

 民主党内に「ガソリン値下げ隊」というグループがいた。目的はガソリンの値下げではなく、道路特定財源として道路補修や道路維持に充てる財源である暫定税率を廃止し、ガソリン税の一般財源化を目論んだ小沢一郎の出先機関というのが正解。

 小沢ガールズでガソリン値下げ隊メンバーだった太田和美(現柏市長)は、落下傘部隊として福島二区から出馬し、地元候補の根本匠を破り当選したっけ(笑)

 トリガー条項とは、総務省が発表する小売物価統計調査で、ガソリンの平均小売価格が3か月連続で1リットル160円を超えた場合には、揮発油税の25.1円分を停止するというものだが、一般財源化した為に過去に発動されたことは無い。 

 揮発油税課税停止後、3か月連続でガソリンの平均価格が130円を下回った場合には揮発油税の課税停止が解除されるというものだが、社会保障を優先する余りガソリン税(揮発油税と地方揮発油税)を一般財源化してしまったから課税停止は困難。

 東日本大震災の発生でも適用されることはなく、自民党が政権奪取後、安倍政権下では1ℓ170円になっても傍観を極め込んだ。故安倍首相は「復興財源となる税収が当時の試算で約1.8兆円減るから」と詭弁を弄し、トリガー条項の発動は見送られた。

 福島原発事故後、被災者や自称・被災者への優遇措置が講じられているが、事故後も県内に留まり復旧・復興に汗する県民には無しの礫。県内ナンバーの車への給油に限って揮発油税を廃止するべきだったと思ったが講じられることはなかった。

 ガソリン価格の高騰は企業にも大きく影響し、景気回復の足枷にもなっている状況を見れば「トリガー条項」を発動し、ガソリン価格を下げるのが得策だろう。

「成長」と「分配」を訴える岸田首相は、ガソリン価格高騰への対策としてトリガー条項の発動ではなく、石油元売り会社などへ1ℓあたり5円の補助を打ち出し大失敗。国民への分配や補助より、石油業者優遇に違和感を覚えた国民は少なくない。

「復興財源となる税収が減る」とした過去の安倍政権と同じく、ガソリン税を一般財源化してしまったことで揮発油税の停止は困難。ならば、揮発油税に加えて消費税も取られるという違法とも言える二重課税の消費税を廃止するべきではないのか。

 因みに、沖縄県は「沖縄復帰特別措置法」により揮発油税は安い。東日本大震災で被害を被った東北3県にもそうした措置を講じるべきだった。況してや、ガソリン税は道路維持や整備の費用であって一般財源化してしまったことは違和感しかない。

「トリガー条項は、東日本大震災の復興財源確保の為に発動しない」と結論付けられた。復興財源確保を理由にし乍ら、国会議員の歳費削減や国家公務員の給与削減や復興特別法人税といった対策が解除されたことに合点が行かない国民は少なくない。

「新型コロナで疲弊する経済対策を最優先する」と言い乍ら、トリガー条項の発動は成されることはなかった。であるならば、国会議員特権を見直したら如何か。

「政治家は隗(かい)より始めよ!」という言葉がある。遠大な事をするには、手近なことから始めよ。転じて、事を始めるには先ず自分自身が着手せよという意味だ。昨今、口先ばっかりで命がけで実行しようという政治家は見当たらない。

 国民に社会保障費の財源を確保するなどという名目であらゆる増税を押し付け乍ら、政党交付金を受給し続け、地方議員を含め優遇され過ぎている。国会議員や地方議員の実態は、政治家として在るべき「滅私奉公」という生き方からは程遠い。

 こうした状況を見れば、東日本大震災復興の財源確保の為に揮発油税の停止は出来ないという理由は単なる詭弁でしかない。新型コロナ禍で景気が低迷する中で「トリガー条項」発動し、ガソリンを値下げして景気回復の呼び水とするべきである。

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2023年07月30日

くだらない事でも全力を傾注して最良の効果を収めるように努力する精神が偉いのである(柴田徳次郎)

 ブログやfacebookやtwitterなどのSNSをやってると批判的なコメントや揶揄する様なメッセージが寄せられる。多くは記事に関して賛同するものが多いが、中には誹謗や嫌味なものも少なくない。過日も、こんなコメントに書き込まれてた。

「毎日高価なグルメお食事ができてセレブお金持ちなんですね。働かなくてもお金持ちなんてすごーい。お金が出てくる魔法の壺でもお持ちかしら?」

 文面から女性だろうか。愚生は憲法で義務付けられてる勤労を怠ってはいるが、右翼人として真っ当に生きており、支援者に支えて頂いてるのは言わずもがな。

 インチキ宗教家でも、その辺の祈祷師風情でも生きているのは信者がいる。愚生が生きてるのも別に魔法の壺なんぞでもない。会員と奇特者の援助と、啓蒙活動や相談事などの結果として活動費や礼金が日々を生きる上での支えになっている。

 食べ歩きブログ「爆ちゃんのふくしまグルメ探訪」にしても、高価なグルメだと思う方がどうにかしている訳で、参加してる「食べログ」の記事を参考に、原発事故後も県内に留まり頑張ってる飲食店を紹介し応援しているだけのこと。

 メールアドレスも明記してるのだから直接疑問や苦言を呈せば好いのにな。こうした嫌味なコメントなんぞ気に留める必要もないし、関わってはいられない。

 閑話休題。大多数の国民、取り分けテレビや新聞しか接しない人は、マスコミ報道に毎日接することで、それが間違ったものとは認識せずに正論と疑わない。

 左翼やマスコミが頻りに煽る話題を聞いた情報弱者はそれらを疑いもせずに同調し、幼稚な正義感から行動を起こすことこそ正しい行為であると錯覚する。

 要するに左翼陣営の煽動というか誑かしのアジテーターに騙されているのだが、そうしたことにも気が付かない洗脳状態にあり、一種の被害者でもあるのだ。

「バンドワゴン効果」という言葉がある。流行しているという情報が流れることで、その支持が一層強くなることを指す。「バンドワゴン」とは行列の先頭の楽隊車のことであり、その真意は時流に乗るとか、多勢に与するという意味である。

「声の大きいもの」や「頻繁に接するもの」は正しいものと判断し、魅力のあるものとして誘導される。例えば、テレビショッピングは一種の洗脳商法でもある。

 販売者に都合の好い部分だけを繰り返し見せて、そして有名人に感想を聞く。その結果、大して欲しくないものをついつい勢いで買ってしまうのが大衆だし、マスコミにとっては報道するものが見せたいものであり、誘導したいものである。

 逆の見方をすれば、報道しないものが実は見せたくないものであり、そこにこそ真実が隠されているのだが、マスコミを鵜呑みにする大衆は気付くことはない。

 左右両陣営というか、特に保守を自任している者や自称・愛国者らは、何故か敵対する朝日新聞や毎日新聞、テレビ朝日やTBS、NHKを見ては批判の声を上げる。観なきゃ好いし、読まなきゃ好いと思うのだがそうは行かないらしい(笑)

 所詮、マスコミというのは「株式会社」であって、部数や視聴率を上げる為に読者や視聴者に媚びを売る報道をするは当たり前のことで公正や正義を求めるのは間違い。批判する為に視聴するのも営業左翼に与していると言われても仕方ない(笑)

 若者の命がけでの行動を批判するつもりは無いが、くだらない行動より、懸命に学んで自身の公正な目を涵養しなさい。斯くいう愚生も学生時代には右翼こそ正義と信じ、右翼にその曙光を見出し、右翼活動に傾注したも事実である。

 チョッとカッコ付け過ぎだが、実際には若い頃は女に惚け、酒に溺れて多くの過失を生んだというのが正直なところ。人生なんってそんなもの。高が知れてることでも、思い立ったことを懸命にやってみることも大事なことだと思っている。

「くだらないと思われる事でも全力を傾注して、最良の効果を収めるように努力する精神が偉いのである」とは、国士舘創設者・柴田徳次郎先生の金言である。

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2023年07月29日

「南京大虐殺」は知っているが「通州虐殺事件」を知らない日本人

 戦後、日教組教育を受けた多くの国民は、「日中戦争は日本の侵略戦争だ」との自虐史観に洗脳されてる故に「戦争は悪」であるかの様に騒ぎ立てている。

「日中戦争(支那事変)」とは、我が国の侵略ではなく、中国共産党の挑発行為に因って勃発したものというのは今や歴史的事実である。戦争勃発前のシナの新聞の大勢は、「日本をやっつけるべし」という「対日主戦論」が幅を利かせていて、過激な知識人・学生・都市市民、中国共産党、地方軍閥の3グループが主戦論であった。

 毛沢東の中国共産党と軍閥は知識人などに主導された過激世論を味方として、蒋介石政権に対しての立場を有利にしようと謀っていた。特に共産党は、「反日」を最大の政治的武器として使っていた。 現在の中共や、或いは韓国・北朝鮮の「反日」も政治的武器であり、見方を変えれば中国共産党の危機感の表れでもある。

 昭和6年(1931年)11月に江西省の瑞金に成立した中華ソビエト共和国は、我が国に対して「宣戦布告」を発している。 何時、何処で我が国への攻撃が起っても不思議ではない状況の下、昭和12年(1947年)7月7日、「盧溝橋事件」が起った。

「盧溝橋事件」の3週間後、「通州」でシナ人に因る日本人虐殺事件が起きている。これが、戦後の歴史から消された「通州事件」「通州虐殺事件」である。 所謂「南京大虐殺」は知っているが、「通州虐殺事件」について知る国民は限りなく少ない。

 通州での残虐行為は全く語られることはなく、学校の教科書にも歴史書や年表にも載ってはいない。「通州虐殺事件」は、消された歴史の一つである。

「東京裁判」で日本側弁護団は、盧溝橋事件の後に起こった「通州事件」での外務省の公式声明を証拠として提出を図るが、ウェッブ裁判長はその申し出を却下した。

 通州での日本人虐殺事件を取り上げることは「日本悪玉論」の論拠を失うばかりか、東京裁判を進める上で、実にやっかいな不都合な事件だったのだ。

 通州での日本人虐殺事件を知らずして、この後に日本政府の執った行動は理解出来ないだろうし、日本人にとって決して忘れてはならない歴史の悲劇である。

 通州虐殺事件は、昭和12(1937)年7月29日未明に起きた。北京から東に18キロほど下った通州は、明朝時代に城壁が築かれ、天津からの集荷の拠点として栄えた運河の街でもある。 通州は当時、日本軍が駐屯しており治安も安定していた。

 規律正しく、何人にも公正な日本軍は、当時のシナの何処の街でも庶民から歓迎されていた。ところが、通州で、昭和11年頃から不穏な空気が漂い始める。

 最初に騒ぎ始めたのが朝鮮人らだった。「日本は悪い国だ、朝鮮を自分の領土にして朝鮮人を奴隷にしている」と言い触らし、「次はシナを領土にしてシナ人を奴隷にしようとしている」などと根拠のないデタラメを半ば公然と吹聴し始める。

 昭和12年になると、「日本軍と日本人を追い出さなければならない。いや日本人は皆殺しにしなければなない」と過激なことを言い出す迄になった。朝鮮人らのそうした風評は止まることはなく、益々エスカレートして民衆は殺気立って行った。

 そうした仄聞は勿論、現地に駐屯していた日本軍にの耳にも入ってはいたが、「その様な根も葉もない噂など相手にする必要はない」と問題にしなかった。

 多くの日本人は物事を客観的に捕らえ様と努力する。こうした対応は日本人にとっては至極当たり前のことで美徳とも言えるものだが、何も反論もせず、怒らないことで朝鮮人やシナ人を付け上がらせる結果になってしまったのも事実である。

「言わなくても分かるだろう」というのは現在の対中、対韓外交でも言えることだ。 興奮し易く、直ぐに舞い上がり、感情的になるのは、古来変わらぬ朝鮮人の特徴であり、中国共産党の工作員にとってこれほど利用し易い民族はいなかっただろう。

 昭和12年7月29日の午前3時、突然、通州にいた冀東防共自治政府の保安隊3000人が日本軍を襲撃する。通州には日本人380名の内軍関係者110名で残りは婦女子だった。不意を突かれた日本兵は防戦一方。襲撃開始と同時に日本兵30名が死亡。

 日本兵が必死で防戦をしている間に、シナ人の学生や朝鮮人が日本人の居留区を襲撃し、日本人居留民260名をたった一日で極めて残虐な方法で虐殺するに至った。

 支那駐屯歩兵第2連隊小隊長・桜井文雄証人の証言がある。守備隊の東門を出ると、殆ど数間間隔に居留民男女の惨殺死体が横たわり一同悲憤の極みに達した。

〈「日本人はいないか」と連呼しながら各戸毎に調査していくと、鼻に牛の如く針金を通された子供や、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦等の死体が其処彼処のゴミ箱の中や壕の中から続々出てきた。ある飲食店では一家ことごとく首と両手を切断され惨殺されていた。婦人という婦人は14、5歳以上は悉く強姦されており全く見るに忍びなかった。「旭軒」では7、8名の女は全部裸体にされ強姦刺殺されており、陰部に箒を押し込んである者、口中に土砂をつめてある者、腹を縦に断ち割ってある者など、見るに耐えなかった。東門近くの池には、首を縄で縛り、両手を合わせてそれに8番鉄線を貫き通し、一家6人数珠繋ぎにして引き回された形跡歴然たる死体があった。池の水が血で赤く染まっていたのを目撃した・・・〉

 証言した桜井小隊長は、事件後に現地に調査に入った人物である。文中にある「旭軒」での出来事を全て目撃した女性の体験談もあるが筆舌に尽くし難い。

 国内では「日中戦争は侵略戦争」との自虐史観が蔓延しているが、「北京議定書」に基づき、在留邦人保護の為に軍隊を駐屯させていたのであって侵略が目的ではない。「盧溝橋事件」は中国共産党の謀略であることは今や明らかになっている。

 上海に駐留していた日本海軍陸戦隊に、中国共産党が仕掛けた戦争であり、つまり侵略者は我が国ではなく、中国共産党というのが歴史上は正しい。

「盧溝橋事件」にしても、「通州事件」にしても、歴史的な公正・公平な事実を知ることが大事であり、真実を知れば、東京裁判で断罪された多くの罪が如何に不当なものであり、不公平且つ不正義な人倫にも悖るものであったことが分かるだろう。

 アジア動乱の濫觴はいつの時代も米中が元凶である。そう考えれば、日米安保条約を殊更信じ込み、安全保障を米国一国に委ねることは危険であり、安全保障関連法案成立に続き主権国家として独自の国防体制の確立を急がねばならない。

 中共に因る尖閣諸島周辺での天然ガス盗掘や尖閣諸島での挑発行為、更には沖縄への策謀にしろ、事を軽く考えることがあってはならない。沖縄県民が第二の「通州事件」に捲き込まれない為にも、防衛体制の充実且つ法整備を急がねばならない。

 三島由紀夫は、「国防とはそれを失ったら日本では無くなってしまうものを死守することである」と訓えた。米国依存の歪な体制を正すのは当然だが、偏向報道を続け国民を誑かし、世論分断を謀るマスコミを正すことも国防上大事である。

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2023年07月28日

日本共産党は破壊活動防止法(破防法)に基き非合法化せよ!

 日本維新の会代表の馬場伸幸が「立民がいても日本は何も良くならない」「共産党は日本からなくなったら好い」と公言し撤回を要求されていたが拒否。発言を直ぐに撤回する某党議員とは覚悟が違うが、公明党にも言ってやりゃ好いのに(笑)

 馬場代表は、共産党に関しては政府が「破壊活動防止法に基づく調査対象団体」とする答弁書を決定しているなどと指摘し、「非常に他の政党とは違うし、危険な政党であるという風に政府として見ている」と至極真っ当な認識を示した。

 共産党は創立100年間の歴史を纏めた「日本共産党の百年」を発表。「長期に亘る党勢の後退から前進に転ずることに成功していない」とし、「今、抜本的な前進に転じなければ任務を果たせなくなる危機に直面している」と強い危機感を訴えた。

 政府は、日本共産党について、「現在でも暴力革命の方針に変更はなく、破壊活動防止法(破防法)に基付く調査対象団体である」とする答弁書を閣議決定した。

 安倍政権下での閣議決定に対し、共産党はそれに真っ向から反論し、政府を批判していたが、監視対象程度では生温い、破防法を粛々と適用し非合法化するべきだ。

 日本共産党は大正11(1922)年7月15日、「コミンテルン(共産党インターナショナル)」の日本支部として誕生。コミンテルンは、ロシア革命の指導者・レーニンが創設した国際組織であり、レーニンの死後はスターリンが実権を掌握。

 日本共産党はソヴィエト共産党に拠って創られ、財政的援助を受け維持され、壊滅する度に再建されたが、その歴史は暴力革命を標榜する売国政党に他ならない。

 ソビエト連邦崩壊後、東欧諸国では「マルクスレーニン主義」を捨て去り、党名も変更したが、日本共産党は未だにマルクス・レーニン主義を信奉している。

 共産党は、テロ、リンチ、スパイ、陰謀等々、身の毛もよだつ様な悪の本質を覆い隠す為に、現在は赤色を隠し、「国民の自由を守る」かの様な主張をしているが、このソフト路線こそが欺瞞であり、共産党こそ国内からいなくなるべき政党である。

 国民は想起すべし、ソ連共産党崩壊後の暗黒一党独裁を。中国共産党の文化大革命での人民殺戮を。金日成やポルポトの粛正の嵐を。中共のジェノサイドは現在進行形だ。国内に於いても、宮本顕治らに因るリンチ殺人事件は夙に有名だろう。

 昭和8(1933)年12月23日、党内のスパイと疑って小畑達夫と大泉兼蔵を渋谷区幡ヶ谷のアジトに呼び出しリンチ。おしてスパイと自白しなかった小畑を殺した。犯行は宮本の他に、袴田里見、逸見重雄、秋笹政之輔らが実行したものだった。

 治安維持法違反・不法監禁致傷・不法監禁・傷害致死・死体遺棄・銃砲火薬類取締法施行規則違反で無期懲役に処された宮本顕治が日本共産党の委員長だったというのだから、共産党の暴力性と特異性が解るというものだろう。また、武装闘争に因る「中核自衛隊」を組織して、警察署や交番、米軍施設なども襲撃している。

 交番への襲撃は相次ぎ、「伊藤巡査殺害事件」や、札幌警察署警備課長白鳥一雄警部が狙撃され死亡した「白鳥事件」がそうだが、白鳥事件の実行犯2名は、事件後、中国共産党を頼り逃亡するも客死したとされているが、真相は定かではない。

 皇居前広場でのデモ「血のメーデー事件」「曙事件」「あさま山荘事件」「三菱重工ビル爆破事件」「テルアビブ空港乱射事件」等等、その暴力性は枚挙に暇なし。 

 昭和47(1972)年の総選挙で日本共産党は、14議席から40議席に躍進し、日本社会党に次いで第二野党となった。自民党政府はこれに危機感を抱き、「社会主義(共産主義)には自由がない」と、「自由社会を守れ」キャンペーンを行った。

 この翌年、共産党は党大会で綱領の一部を改訂し、「労働者階級の権力、すなわちプロレタリアート独裁の確立」という文言の「独裁」を「執権」に変更した。

 昭和51(1976)年の臨時党大会では、綱領の「プロレタリアートの執権」の文言を削除し「労働者階級の権力」のみにした。「マルクス・レーニン主義」という用語も「科学的社会主義」に置き換えたのは共産主義の欺瞞の現われである。

 どんなに誤魔化そうとも日本共産党の実態は「マルクス・レーニン主義」の教義に基いての「暴力革命」と「プロレタリアート独裁」の思想は変わってはいない。

 共産党は「民主主義」を宣うが、共産党政権下では「自由」が保障されることが無いことは歴史が証明する処であり、共産党政権下では民主主義は存在しない。

 共産党の訴える「民主主義」とは、あくまでも組織原則は「中央集権制」が主であって党本部が絶対。「民主主義」とは国民を誑かす単なる道具に過ぎない。

「日本共産党の誇るべき組織原則である民主主義的中央集権制(民主集中制)」と、自らが記してある通り、「反主流派」は存在してはならず、党員同士の横の繋がりは「分派活動」として禁止されているのだ。つまり、国内の左翼組織や活動家との連携や数々の破壊活動も中央(代々木)からの指示で動いていると推測出来よう。

 安保関連法案を「戦争法案」だとか得意の造語を駆使し、国民を誑かし、国民の安っぽい平和主義を擽り、それが功を奏し、共産党支持の拡大に繋がっている。

「破防法適用団体」である共産党は、馬場代表の言う通り「日本からなくなったら好い政党」であり、天皇を族長と仰ぐ我が国の正統にとって悉く異質な存在である。更には自民党が連立を組む公明党とその本体である創価学会もまた然り。

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2023年07月27日

風に散る 露の我が身はいとはねど 心にかかる 君が行末(丹羽一学)

 戊辰戦争は西軍と東軍の戦いであり、「官軍」と「賊軍」が戦った訳ではない。だが、靖國神社の現状でも分かる通り、未だ賊軍の汚名は雪がれることはない。

 幕末の慶応4年、西軍に因る会津征伐に於いて二本松藩家老・丹羽一学は、「敗戦は必定なれど、三春に倣うべからず。二本松は、城が灰燼に帰し、一族屍を野に曝すとも、武士道と信義に殉ずべきである」と、藩論を徹底抗戦に纏め上げた。同年7月27日、木村銃太郎隊長(当時22歳)に率いられた少年隊士23名が蹶起する。

 会津藩白虎隊士の構成年齢が16~17歳だったことに対して、二本松藩少年隊の最年少隊士の年齢は僅か12歳であった。会津武士道の昇華を白虎隊に例える声があるが、二本松少年隊の生き様も正しく二本松武士道の昇華そのものである。

 銃太郎の率いる少年隊は、二本松城下西口の要衝である大壇口に布陣する。7月29日午前9時頃、少年隊は隊伍を組んで進軍してくる西軍に向かい、銃太郎の号令一下、轟然と火を吹いた大砲に拠って、終に幕末戦史に残る激戦が開始される。

「竹薮に一弾入るや、竹幹に当りて所謂外れ丸となりカラカラと物凄き音を立て飛び去るを以て危険更に増さりぬ、余鉄砲を取直して打たんとすればこは如何に先に竹薮に駆け入りし時敵弾に引金を打貫かれて用をなさず、如何はせんとためらふ不図見付けたるは、砲車の側は横はれる一大木材なり、一抱えもありて長さは四五間に余れり。是れ屈竟の物なりと直に其木材にひたと許りに伏し附き、是れにて大安心いざ戦況を窺はんとせし刹那、隊長打たれたりと云ふ声あり」(二本松少年隊記より)

 二の腕に銃弾を受けた隊長・銃太郎は、迫り来る西軍を睨みつつ周囲の味方の陣の様子を窺ってみると、驚いたことに味方は既に退却した後で、少年隊は孤立の危機に直面していた。「今はこれまで」と銃太郎は即座に少年達に退却を命じる。

 銃太郎は大砲の火門に釘を打ち込んで使用不能にした後、集合した彼らに次の指示しようと口を開きかけたその刹那、飛来した敵弾が銃太郎の腰を貫くと、銃太郎は腰から崩れ落ちた。自らの負傷の程度を確かめ、それが重傷だと悟った。

 銃太郎は、「この傷では到底入城できない。早く我が首を斬れ」と、少年らに斬首する様に命じるが、仰天した少年達は互いに顔を見合すばかりだった。

「何をしておるか、早くこの首を斬るのだ」と銃太郎。

「隊長の傷は軽いです、私たちの肩につかまって退却してください」

「悪戯に押し問答している場合ではない。早く斬れ、早く!」
 
「しからば御免仕る」と、副隊長の二階堂衛守(33歳)が名乗り出る。

「忝い。後は頼みます」

「心得て候」

 銃太郎の想いに応えた二階堂だったが、銃太郎の首を斬り落とすのに三回刀を振り下ろさねばならなかったという。二階堂も緊張の極みだったに違いない。

 周りを取り囲んでいた少年達は、「隊長死んじまった、どうすっぺぇ」と号泣し乍らも棒っ切れや素手で土を掘り、銃太郎の遺骸を懇ろに葬ったという。

 大壇口から退却して、次戦に備えようとした二階堂と岡山篤次郎は大隣寺近くで敵軍に狙撃され、腹部貫通の重傷を負った。篤次郎は、その狙撃した土佐藩の兵に拠って野戦病院だった称念寺に運び込まれるも13歳という短い生涯を閉じた。

 土佐藩隊長広田弘道は篤次郎の勇敢さに感動し、最期まで決して屈しなかった魂に感激を熱くすると、「反(かえり)感状」を少年の遺骸の枕元に残した。

 広田隊長の反感状の全文が、蓮華寺という寺の石碑に刻まれている。

「今年十三才にて戦死岡山篤次郎 敵ながらも甲斐々々敷美少年一色残し置次第
    薩州土州の者憐みいたはりしかども蘇みかへらず 依てさしおくる一首
    岡山尊公の名は幾世残れかし
           君がため二心なき武士は
                 命はすてよ名は残るらん」

 事実、篤次郎は眉目秀麗な美少年だったという。

 二本松藩には代々「必殺を期すには、斬らずに突くべし」との刀法が伝わっている。これは赤穂藩主浅野内匠頭が吉良上野介を討ち漏らしたことを聞いた二本松藩初代藩主丹羽光重が「何故、浅野公は斬りつけたのか。斬りつけずに突けばよかったものを!」と酷く悔しがったという由来から、「斬らずに突け」が伝統となった。

 少年隊士・成田才次郎が、出陣の際に父から訓されたのも、この「斬らずに突け」だったという。その才次郎、大壇口から敗走中の混乱で隊士はバラバラになってしまい、単独で二本松城下の郭内まで戻るも戦意は尚も旺盛だった。

「必ず敵将を斃してやる」と一の丁の物陰に潜んでいたところ、馬上豊かに立派な武士が一隊を率いてやって来た。長州藩士・白井小四郎が率いる部隊だった。

 才次郎は長州藩の隊列が目前に来るまで充分に引き付け、「此処ぞ!」というところで、大刀を真っ直ぐに構えるや、一気に先頭の白井に向って突進した。

 然し、歴戦の長州兵は、この遮二無二突進する小さな刺客に即座に反応し、隊長を護るべく馬前に出る。「子供じゃ、手を出すでない」と白井隊長。

 白井は、突っ込んで来るのが子供だと瞬時に見抜き兵を制した。だがそれが徒となり、才次郎は、狙い違わずこの敵将の脇の下から胸部を突き刺した。白井が落馬。

 驚愕した長州兵らは慌てて才次郎を捕えようとするが、刀を振り回す才次郎に近寄ることも出来ない。已む無く鉄砲を使い、漸くこの小さな勇士を倒すことが出来た。

 才次郎は14歳だった。現在、白井小四郎の墓が真行寺に残っている。維新後の明治3年、長州藩から香華料として金二両が納められた。少年への一瞬の憐憫が自らの死を招いたこの将の墓前には、今でも参詣者からの香華が絶えることはない。

 少年隊の奮闘空しく、その日の内に二本松城は落城してしまう。この事実を以て、二本松藩への罵詈を浴びせる歴史家もいるが、歴史的事実はそんな簡単なものでは語れない。戊辰の役で戦った藩は多かれど、一藩玉砕したのは二本松藩だけである。

 圧倒的な武力を前に「東北列藩の信を以て滅びよう」と義を貫いた。当時、西軍隊長だった板垣退助も、「一藩挙って身命を擲(なげう)ち、斃れて後已むまで戦い抜く、武士道の精髄を尽くしたのは二本松を以て最上とする」と讃えている。

 幕末の薩摩藩士で陸軍元帥の野津道貫は、回顧談で「兵数不詳の敵兵は砲列を布いて我軍を邀撃するのであった。我軍は早速之に応戦したが敵は地物を利用して、おまけに射撃はすこぶる正確で、一時我軍は全く前進を阻害された。我軍は正面攻撃では奏功せざる事を覚り、軍を迂回させて敵の両側面を脅威し辛うじて撃退することを得たが怨恐らく戊辰戦中第一の激戦であったろう」と語っている。(近世国民史)

 西軍が城下に迫ったと聞くや、城中にあった大城代・内藤四郎兵衛は、「我は城の主将たり、むなしく内に在って死すべきにあらず」と城門を開いて討って出、奮戦激闘の中、見事な最期を遂げた。四郎兵衛の最期は二本松藩士の鑑と称されている。

 丹羽和左衛門は、床机に腰掛けて割腹し、膝上に広げた軍扇の上に自らの内臓を引き出して立亡していたという。徹底抗戦を唱えた家老・丹羽一学は、城の土蔵奉行宅で郡代見習・丹羽新十郎、城代・服部久左衛門と共に壮絶な割腹自刃を遂げた。

「風に散る露の我が身はいとはねど 心にかかる 君が行末」(丹羽一学辞世)

 少年隊を始め、二本松藩士や先人が名誉を守る為に堂々と戦い潔く散った。こうした純真無垢な精神は、大東亜戦争で散って行った英霊と通ずるものが在るだろう。

 二本松に生まれ育ち、また二本松剣友会の末席を汚した愚生として少年隊は郷土の誇りであり、その生き様に感謝すると共に先人の覇気に学ばねばならない。

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2023年07月26日

正しい道に反することを「左様(さよう)」というが「左様」を「左翼」に当て嵌めると分かり易い(笑)

 正統右翼浪人を気取り、時局という由無し事を徒然なるまゝに偉そうに綴ってはいるが、国士舘大学卒業以来、就職もせずにいる単なるプータローに過ぎない。

 中学時代、町会議員で自民党員だった親父が持ってくる自民党の機関誌「月刊自由民主」を読み政治に目覚め、また担任が熱烈な日教組、副担任は共産党ということもあり、右翼思想に傾倒して行く。反共というより、幼い正義感だったと思う。

 自民党の主張と現実との矛盾、担任は究極の反面教師だった。そんなこともあり、ぼんやりとだが政治にのめり込んでいく。高校三年、福島県警の採用試験に落ち、進路を決めかねているそんな時に、大平正芳首相を襲撃する事件が起きた。

 犯人は右翼団体・国防青年隊の廣瀬某という国士舘大学三年生Hだった。翌日の新聞には「元暴走族」「インスタント右翼」などと犯行を揶揄した記事が載った。

 大平首相襲撃事件にある種の感動を覚え、国士舘大学~右翼団体に入ろうと決意。当時は、右翼の他に総会屋にも興味があり、出来ることなら、当時、愚連隊右翼で当時は総会屋右翼としても名を馳せていた防共挺身隊に入隊したいとも思っていた。

「縁は異なもの味なもの」とはよく言ったもので、いつも一年生の授業に出席してるフケてるおっさんがいた。長崎県佐世保出身の上田崇仁。皇族の様なインチキ臭い名前だが、工学部土木工学部の四年生で防共挺身隊羽田支部の隊員だった。

 愚生も国士舘大学の工学部ではなく、体育学部や他の学部に入っていれば上田先輩とは会わなかっただろうし、今頃は違った人生を歩んでいたかも知れない(笑)

 いざ右翼団体に入ってみたのは好いが、愚連隊どころかヤクザにもなれないハンパ者ばかり。総会屋になるという夢も大学四年生の秋に商法が改正されて頓挫した。運命といえばそれまでだが、金運の無さは生まれもってのものだろう(笑)

 人生なんぞ短いもの。一旦決めたことは何があろうが遣り抜こうと決心し、右翼活動家の道を歩んだ。その後、団体は辞したが正統右翼浪人を自任し現在に至る。

 右翼の世界を見て来たが、破天荒さが無くなり、志士を気取り乍らも安定した生活を追う輩ばかりで、主張もネット右翼の方が優れてる。昔の愚連隊時代に戻って欲しいものだが、暴力団の傘下に成り下がった右翼団体が淘汰されて行くのは必至。

「右翼」というと、日本では「=ヤクザ」だとか「バカ」と捉えられる。ネット右翼や自称愛国者らは自分達こそ真の愛国者だと勘違いし、既成右翼や街宣右翼を「朝鮮右翼」と詰るのをよく見るが、右翼というものを理解していないからそうなる。 

「筋の通ったことを言えば、みな右翼と言われる。大体『右』というのは、ヨーロッパの言葉では『正しい』という意味なんだから」と言ったのは三島由紀夫。

 三島でなくても「right」は「正しい」という意味だし、「オーライ(all right)」は「よろしい」「差し支えはない」とか「任せなさい」という意味になる。

 他にも「右肩上がり」とか、「右腕」だとか、「右」という字は好ましい意味で捉えられる。更に「右倣え」とは言うが、「左倣え」とは言わない。要は、全ての日本人が右に倣え(all right)ば、正しくて好ましい国になるということだろう(笑)

 一方で、「左」というと「左団扇」とか、「左党」とか好ましい意味もあるが、知能が足りない者などを「左巻き」というし、正しい道に反することを「左様」という。「左様でござるか」を「左翼でござるか」に当て嵌めると分かり易い(笑)

「右翼」と「左翼」の語源をよくフランス革命に準えて、左に座った勢力を革新派としているが、日本の漢字の語源の方が「左」の意味をよく表していると思う。

 世界の共産主義者は愛国者だが、日本の左翼というのは売国奴ばかり。現在の右翼陣営の為体は著しいが、日本の珍左翼の劣化に比べれば可愛いものだ(笑)

 まあ、右翼というのは生き様であり、維新者や革命家として散るのが理想ではあるが、だらしない右翼も任侠右翼もゴロツキ右翼も乞食右翼も含めて右翼なのだ。

 そんな現在の右翼に悲観はしていない。人生というのは好い時もあれば悪い時もあるもので、女に惚れて騙されたり、金儲けに奔ったりする時期もあるだろう。その方が人間味があって右翼らしい。どんな生き様をしていてもホンモノは必ず残る。

 日々を怠惰に生き乍ら、日々の生活に流され乍らも、一維新者として憂国の志しさえ忘れなければいつかはその熱意は届くだろう。そんな愚生も慢性的不如意は続く。コレつまり、日々是精神的鍛錬を実践している様なものでもある。呵呵大笑。

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