2010年01月19日

御意見番・渡部恒三



 独特の雰囲気を醸し出している渡部恒三は、今民主党内で唯一、小沢一郎に苦言を呈すことの出来る人物で、今回の土地購入問題でも「金が無くて土地を売ったという政治家はいるが、土地を買ったという話は始めて聞いた」と会津弁丸出しで話していたが、単純明快で実に解り易く、非常に愉快だ。

 昨年末の陛下と支那政府副主席の会見を巡る問題でも、小沢幹事長の目に余る言動に対し恒三氏は「政治主導は天皇陛下の問題では全く関係ない。これは日本の国体に関する問題で慎まなければならない」と苦言を呈したが天晴れである。先の衆院本会議での法案の強行採決に関しても「国民に恥ずかしい。これをやらなければ明日の日本がないという様な意味がなければならないが、それ程の意味のある法案ではない」と指摘していたが、正鵠を射た意見であると思う。現在の民主党の総てが小沢一郎の意のままで、この小沢に苦言を呈することの出来る人は少なく、恒三氏の様な存在は貴重で、会津人の「ならぬものはならぬ」という気概を感じる。

 小沢は研修会で新人議員に、「君達の仕事は如何に次の選挙で勝利するかだ」と檄を飛ばしたというが、次の選挙に勝利することとは、実に国民をなめた話で、政治家と言うより政治屋、選挙屋そのものだ。小沢の話を有難がって聞いている小沢チルドレンの新人議員なんぞは正に烏合の衆で、国家国民の為に働けるとは思えない。
国会議員とは、恒三氏の言う様に「国会議員は如何に有権者や国民の声を聞くことも仕事」で、その声に耳を傾け、如何に国家国民の為に滅私奉公出来るかが大事で、次の選挙に勝つことが仕事ではない。

 国会議員の接触を禁じ、「陳情の一元化」を決定したことに関しても、恒三氏は「独裁的だ」と苦言を呈した。「陳情の一元化」は民主党への集票力強化を図る為に小沢が画策したもので、これによって自民党離れが進み、二大政党どころか民主党一党独裁まっしぐらである。そんな中で福島県民の一人として、民主党内に在って異彩を放つ会津人・渡部恒三氏の御意見番としての活躍に期待している。

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cordial8317 at 06:05|Permalink

2010年01月18日

京都遷宮を考える

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 亀井静香が昨年末、陛下との会食の際に「権力の象徴である江戸城にお住まいになるのは相応しくないのではないか」と発言したとの報道が有ったが、実に不謹慎且つ不適切で、小沢同様、皇室の存在を軽々しく論じられることに不快感を覚える。

 天皇は憲法上の制約から、国事行為として「国会の開会式」「首相や最高裁長官の親任式」「大臣の認証式」など年間約60回、国賓・公賓への接遇や会見、会食などのご公務を約170回お努めになられる。亀井の言う様に、京都にお住まいになられるとしても、こうした国事行為をどの様に対処する積もりなのか。御所・離宮の造営はどうするのか。憲法上の制約をどうするのか。

 天皇にとって大事なものは「祭事」であり、本来は国事行為より優先されるべきものでなくてはならないのだ。歴代天皇が古来より司って来た「祭事」は、現憲法によって天皇家の「私事」になってしまい、皇室典範の「大嘗祭」の規定は最早存在しない。現憲法は歴史的な国家としての継続された「祭祀」に関する天皇の役割を否定しており、未だ占領政策の「神道指令」の呪縛が解除されずにいるのである。民主党政権は憲法を改正し、国事行為を無くするとでも言うのだろうか。

 天皇の祭事は、元旦早々の「四方拝」から始まり「歳旦祭」「元始祭」や毎月の旬祭など年に50回程に上る。「国安かれ民安かれ」と国家国民の安寧を祈る存在こそが天皇なのである。静謐な環境の中で、政治的に利用されることのない中で、尊い存在として「祭祀」を執り行って頂く為には京都への遷宮も一つの選択肢であろうが、時期尚早であり、先ずは国民が天皇日本の歴史の中で果たして来られた役割や、天皇の在り方を学ぶべきである。

 祭儀や国事行為など、陛下の激務の御苦労を理解していない故に、亀井の様な不敬な発言や、小沢の様にルールを破り陛下を政治利用しようとする輩は断じて容認出来ない。




cordial8317 at 08:43|Permalink

2010年01月17日

夫婦別姓は共産(共働参画)社会への第一歩

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 日本が明治維新の大業を成し遂げ、西欧に見習い国民全てに「姓」を与え、新しい家族制度を整えた。
国民が家族の理想にしたのは、皇室の姿である。

 「父母に孝に兄弟に友に夫婦相和し朋友相信じ」正に日本の家族制度は尊いものだ。欧米の教育は、個人が生存権に勝つ為のものであり、辺り構わぬ闘争が行われ働く目的は金と享楽の追求のみである。それ故、家族の絆は緩み道徳の深さは生活から離れているのが現実だ。結果、唯物主義の考え方が支配的となり、人々の心を孤独化している。

 日本の個人主義は極めて僅かで、世代に亘る家族の絆は固く、互いの助け合いによって人間本来の善良な姿と優しい心が保たれている。此れは、国民が皇室の家族の在り方を見本にしているからであり、日本が世界に誇れるものは「家族制度」である。この尊い家族制度を破壊しようとするものが「夫婦別姓」であり、良識ある国民は断じて容認出切るものではない。

 「夫婦別姓が男女平等の理想」とか「少子化時代に墓が守れる」という「夫婦別姓推進のキャッチフレーズ」全てが偽りであり、鯔のつまりは「女性宮家」「開かれた皇室論」を叫び「女性天皇論」を画策しているのは火を見るより明らかだ。

 「夫婦別姓」や「男女共同参画社会」などというのは唯物論とマルクス・レーニン主義に冒された精神異常者やジェンダーフリーを叫ぶ性的変質者の、その重症の病が生んだ狂気であり妄想である。

 「夫婦別姓」や「男女共同参画社会」こそ、ソ連崩壊後、日本国内に巣食う極左勢力が考え抜いた「共産(共参)社会」実現の日本崩壊へのシナリオである。

 因みに最近常用されている『共働』という言葉は、共産党の造語で、共同を変えたものだが、共同はコラボレーションという意味だが、共働社会はコミューンであり、共産社会という意味を持つ。今や誰もがそれを知らずに安易に使用しているが、こうした安っぽい風潮に騙されるべからず。






cordial8317 at 09:11|Permalink

捕鯨問題を考える



 シーシェパードの反捕鯨の活動は白豪主義による人種差別で、オーストラリア人がスポーツハンティングと称してアボリジニを虐殺したのと同じ日本人否定の人種差別活動であり、こうした偽善の環境保護団体はテロリストと断定し駆逐するべきである。

 我が国の食料自給率は39%で、これは危機的水準だと言うことは誰もが知るところだ。この数値は食料安保の視点からも大変問題のある状況で、食料自給率の改善に繋がる問題として「捕鯨問題」は重要なのである。

 日本が調査捕鯨を継続している背景には、「鯨は将来の人類の重要なタンパク源になる」という考えもあり、小さなミンク鯨1頭で牛7頭分のタンパク質が採れるといい、鯨を家庭の食卓に戻すことが、食料自給率の改善に繋がるのだ。

 地球上の鯨類が年間に捕食する魚類の総量は2億5千万トン~4億トンだという。一方、地球上の漁師の漁獲量は約1億トン。「鯨飲馬食」と言われるほどに食欲旺盛な鯨類が増え過ぎれば、人間が食料にしている水産資源も脅かされる事となろう。

 日本で商業捕鯨が本格的に始まったのは江戸時代の初期の1606年のことで、紀州の太地で開始された商業捕鯨はやがて全国に広まり、それと共に鯨を食する習慣も全国に広まった。

 松尾芭蕉の句に「水無月や 鯛はあれども 塩鯨」というものがあるが、塩付けされた鯨の肉は江戸庶民の大切なタンパク源で、大衆食として愛された。19世紀初頭には「鯨肉調理方」という本が出版されているが、鯨食というのはそれだけ普及していたのである。

 今でも、北海道や東北では正月に「鯨汁」を食しているし、「ハリハリ鍋」にしている地域もあるし、大阪のおでんにはコロ、サエズリ、オノミといった具がある。

 反捕鯨の連中は、鯨食を「ゲテモノ」扱いしたり、「戦中戦後の食糧難時代に止むを得ず広まったもの」だとか、或いは遠洋漁業は「鯨油を採る目的だ」などと愚にも付かない反論をしているが、それは欧米の捕鯨が皮だけ剥いで鯨油のみを採るやり方だから、それと勘違いしているものが実に多い。

 日本は単に食するだけではなく、鯨の髭は文楽の人形に使い、骨は櫛などの工芸品となっている。漁師達は鯨塚を作り供養も行っていたし、捕鯨問題の背景には、こういった日本の伝統的鯨文化の問題も有り、反捕鯨は日本文化の否定でも有るのだ。

 多少波風が立とうが、日本の主張はするべきで、何でも「協調」しようとか「友愛」だとかの軟弱な姿勢は日本の将来を危うくするもので、捕鯨問題は日本にとって重要な問題なのである。

cordial8317 at 07:45|Permalink

天網恢恢疎にして漏らさず

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 東京地検は「政治資金規正法は議会制民主主義の根幹を成す法律。政治資金の実態を偽ることは、国民を欺いて政治判断を歪めることに他ならない」と強調していただけに今回の逮捕は当然だろう。

 それに対し小沢は検察との全面対決を表明し、党大会で「何ら不正な金は使っていない。積み立ててきた個人の資金だ」と説明した様だが、何故預金を担保に融資を受けなければならなかったのか。預金が有るなら、それで購入すれば良いだけで、何も利息を払ってまで融資を受ける必要はない。やはりそこには「マネーロンダリング」せざるを得ない、怪しい金の存在が有ったのだろう。

 鳩山が小沢に対し「どうぞ戦って下さい」と言ったらしいが、民主党が真剣に政権運営に臨むので有れば、小沢に幹事長辞任を進言すべきであろう。しかし民主党は、自己保身、権力欲、偽善者の烏合の衆ばかりで、苦言を呈する気骨ある議員はおらず、国民には「自浄能力の無さ」「政権担当能力の無さ」を露呈するばかりだ。

 『秘書の罪は議員の罪』と厳しく追求してきた鳩山も先日の処分の際に、『私服を肥やしたり不正な利得を受けたりした訳ではない』などと言い訳していたが、小沢も『私自身が収賄罪等犯罪に手を染めているならどのような捜査でも処罰でも甘んじて受けるが、そういう事実はない』と宣い、両人とも自分自身には相当甘い様だ。鳩山や小沢が政治家の椅子に固執すればするほど、国民の民主党離れは進むだろう。

 政治資金規正法違反は選挙違反の公職選挙法とは違い「連座制」が適用されないが、今回の事件を教訓に政治資金規正法違反にも「連座制」の適用を検討するべきだ。 

 福沢諭吉の『学問のすすめ』には「政治家や役人や大企業の人間が威張るのは、そうさせることによって儲けた人々がいるからであり、これは双方とも高尚な生き方とは反対の生き方をした人が招いたことである」と述べているが、民主党を支持した国民は、責任を持って不正に苦言を呈すべきで、政治家自身も「政治とは最高の倫理であり、最高の道徳ある」と肝に銘じ滅私奉公すべきである。

 小沢は「政治家が隗(カイ)より始めよ!」との言葉が好きで度々使っているが、「隗より始めよ」とは、遠大な事をするには手近なことから始めよ(転じて、事を始めるには先ず自分自身が着手せよ)という「戦国策燕策」にある郭隗の故事である。

 ならば一連の事件に絡み、秘書に総ての責任を押し付け逃げ切れると思ってる高を括っている様だが、政治家として「秘書の責任は私が負う」と一言が言えないのだろう。「隗より始めよ」との言葉が実に白々しく感じる。金銭欲、権力欲への異常な執着を見せる小沢に一国のリーダーたる器量はない。検察は圧力に屈することなく、小沢の宣戦布告に堂々と立ち向かい、不正を断罪し、正義を示して欲しいものだ。

 天網恢恢疎にして漏らさず!



cordial8317 at 07:33|Permalink

2010年01月16日

卑しい思想と狂気の正気



 三島由紀夫曰はす。

『自己放棄に達しない思想は卑しい思想である』。

 つまり、思想を抱くということは、そのまま「死」を覚悟するということなのである。左翼も右翼も社会主義者も国粋主義者も関係なく、常に思想信条の為に命を賭す覚悟が大事である。が、しかし現在の右翼(思想家と言うには痴がましい)を気取る輩にその気概は視られず、唯唯口舌の徒に成り下がっている。思想家とは士(侍)であるべきと考える。

 吉田松陰曰はす。

 人生というものは極めて短いものであり、夢、幻の様なものである。誹りを受けることも、褒められることも一瞬である。栄えることも衰えることも瞬時である。儚い人生で、一つだけでいい、永久に朽ちない事柄を成し遂げられれば十分である。

 三島由紀夫は「檄文」でこう促した。

 『我々は戦後の経済的繁栄に現を抜かし、国の大本を忘れ国民精神を失ひ、本を正さずして末に走りその場凌ぎの偽善に陥り・・・ 政治は自己保身、権力欲、偽善のみに捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦汚辱は払拭されず誤魔化され、日本人自ら日本の歴史と伝統を潰してゆくのを歯噛みしながら見ていなければならなかった。』

 三島由紀夫の憂いた日本は未だ当時の儘で、国家百年の大計を外国に依存して恬として恥ていない。旧来の思想や社会構造を打破しようとする時、常軌を逸した行動が生まれる。その行動こそ「正気の狂気」であり、この「狂気」こそ閉塞状況を打破する力に成り得るのだ。

 「人は何の為に死ぬのか」
 「人は何の為に死なねばならないのか」

 日々この言葉と対峙しているのだが・・・

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cordial8317 at 18:21|Permalink

変節漢、山岡賢次



 石川議員が逮捕され、小沢の参考人招致は当然行うべきであるが、国対委員長の山岡賢次が「一切応じない」と突っ撥ねている。どうせ、ヤツにしてみりゃ小沢に忠誠心を見せたいが為のパフォーマンだろうが、国民をなめてるとしか言いようがない。

 山岡賢次の旧姓は「金子賢二」。作家の山岡荘八の秘書となり、その娘と結婚し、山岡の本名の「藤野」姓を名乗るが、NHKで山岡荘八原作の大河ドラマ「徳川家康」が人気を博すとそれに便乗し、山岡賢次を名乗り自民党から参議院議員に当選した。名前を変えるのと同じく、政界でもコロコロ変わり、自民党清和会の参院議員から、衆議院に鞍替えし経世会に属した。当選翌年経世会が分裂すると、小沢一郎と共に自民党を離党し、以後、新生党、新進党、自由党、そして民主党と渡り歩いた。旧姓の「金子」が示す様に、帰化人との疑いのある山岡が、ここぞとばかり「永住外国人参政権付与」に躍起になるのは言わずもがなだろう。

 山岡は小沢や鳩山母の「証人喚問なんかで景気回復は望めない」と宣うが、躍起になっている外国人参政権付与なんぞしたところで、景気回復どころか、国民の政治不信が増すだけだ。外国人への参政権付与問題は「在日」が大半を占める「特別永住者」だけではなく、一般の永住者も選挙権の対象とされている。
そうなれば「在日」のみならず、支那人永住者にも付与されることとなるが、この点は殆ど議論されておらず、非常に深刻な問題を孕んでいるのだ。というのも「在日」が大半をしめる「特別永住者」は年々減少し続け、その減少傾向が止まらないのに対して、支那人「一般永住者」は急増している。在日韓国人の殆どが日本国民と結婚し、その子供は総て日本国籍になっているのに比べ、支那人永住者の方は、留学生の増加などによって更に増加し、永住外国人の前提となる一般の在留外国人の登録者数は、今や韓国・朝鮮人の数を上回っている状況で、外国人参政権付与問題は、現在「在日」の問題になってはいるが、近い将来必ず支那人問題になるだろう。

 国民の政治不信を払拭する為にも小沢の証人喚問を招致し、不明な政治資金の流れと、マニュフェストにも明記しなかった参政権付与を何故強硬に提出しようとするのか解明するべきだ。


cordial8317 at 11:33|Permalink

田母神さんは郷土の誇り

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 田母神俊雄さんは郡山生まれで、郡山に住む小生としては誇りである。

 田母神さんが「日本は良い国だ!」と言って解任されたのは記憶に新しい。

 米国を始めとする世界各国も、自分達の都合が悪いので表立って認めはしないが、日本が一方的に世界を侵略したなどということが事実でないことは余程のバカで無い限り認識している。

 ところが本当のことを言ったとたんに、政府は大慌てで田母神さんを解任し、野党は国会で吊るし上げに狂奔し、マスゴミは非難合戦をした。

 今でも、田母神さんへのバッシングはかなりのものだ。

 まぁ田母神さんを目の仇にしている輩がいるが、要するに「日本は侵略国家、犯罪国家であった」という「東京裁判史観」に呪縛されていて、これに反する見解に対しては条件反射的に拒絶反応を示すのだろうが、未だにマインドコントロールされたままで滑稽という他はない。

 田母神論文の冒頭に「米英蘭などとの戦争は、どう見ても日本の自衛戦争であり、またアジア開放の戦争であったと思っている人は多い。しかし、中国との戦争については中国の本土に軍を進めたのだから侵略だ、と思い込んでいる人が意外に多いようだ。しかしこれは完全な間違いである。条約に基づいて他国に軍隊を駐留させることは国際法的に全く合法であり、侵略ではない。日米安保に基づき日本に米軍が駐留しているのは(好き嫌いは別として)侵略ではないのである。逆に合法的に駐留している米軍を自衛隊が攻撃して戦争になった場合、それが日本国内で戦われたとしても、侵略者は日本ということになるのである。日本は「北京議定書」に基づき在留邦人保護のために軍隊を駐屯させていた。盧溝橋でその日本軍を攻撃してきたのが中国軍である。また上海で日本人保護のために合法的に駐留していた海軍陸戦隊に、正規軍10万人で一方的に攻撃を仕掛けてきて、日中戦争は本格化した。何れも中国軍が仕掛けたことであり、侵略者は日本ではなく「中国」なのである。

 「中国」ではなく「支那」と呼ぶべきであろうが、田母神さんはこういう重要なことを教えてくれているのだ。



cordial8317 at 11:16|Permalink

2010年01月15日

『南州翁遺訓』と小沢一郎

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 今の日本に西郷隆盛の様な指導者がいないことが「平成の不幸」であるが、政治家には必携の本に『南洲翁遺訓』が有る。抜粋し現代語で要約すると。

 万民の上に位置するものは、己を慎み、品行を正しくし、贅沢を戒め、倹約に努め、職務に努力して人民の見本とならねばならない。そして民衆がその働きぶりを見て「気の毒だなぁ」と思うようでなければならない。(第4条)

 事を行う場合、どんなことでも正道を踏んで至誠を推し進めよ。決して策謀や不正を用いてはならない。(第7条)

 人間が文明を開発するということは国家や社会の為である。だがそこには「道」がなければならない。何でも外国の真似をして、贅沢な風潮を生じれば人の心も軽薄に流れ、結局は日本そのものが滅びてしまう。(第10条)

 道義心や恥を知る心を失っては、国を維持する方法は有り得ない。上に立つ物が下の者に対して利益だけを求めて正しい道義を忘れてしまうと、下の者も見倣って、人の心は皆金儲けの方ばかりに向いてしまう。上に立つ者は常に下の見本で有らねばならない。(第16条)

 どんなに立派な制度を作り或いは組織を形成したとしても、結局はそれを動かすのは人間である。先ずは人材の育成が最初であって、制度作りや組織変えはその後に来る。人間こそは第一の宝であり、自分自身でそうした立派な人間になることが肝要である。(第20条)

 『道は天地自然の物にして、人は之を行ふものなれば、天を愛するを目的とす。天は人も我も同一に愛し給う故、我を愛するを以て人を愛する也』(第24条)此れは有名な「敬天愛人」の思想である。

 『南洲翁遺訓』本編41ヶ条有るうちのほんの一部であるが、何れも含蓄あるものばかりであり、如何に西郷隆盛が「仁者」だったか知ることが出来る。

 昨今、上に立つ者が、こうした「公の精神」を忘れ、私利私欲に狂奔している状況だが、中でも小沢一郎には是非とも読んで欲しいと思っていた。そんな矢先、先日小沢事務所のホームページを覗いたら、自身の座右の銘が書かれた色紙がアップされていて、そこには白々しく、西郷隆盛の金言が羅列して在ったのには驚いたの何の。何処をどう見てもヤツに、己を慎み、品行を正しくし、贅沢を戒め、倹約に努め、職務に努力して国民の見本となってるとは思えない。

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cordial8317 at 12:23|Permalink

横義横行の勧め

 昨日は新宿まで、物心両面で御支援頂いている方に新年の挨拶に出掛けた。毎回示唆に富んだ話をしてくれるが、何といっても圧倒的な存在感で、パワーを頂けるのが有難い。

 「人間の財産と言うものは、いざと言う時に自分を支えてくれる人で有ると同時に各自が目指す目標実現の為の知恵袋である」という言葉が有るが、そんな人物に出会えたことに感謝している。

 この方に支援頂く様になったのは、その昔、横山武彦という右翼浪人と全国行脚の放浪の旅をしたのがきっかけだ。

 『横議横行』という言葉がある。辞書には「勝手に論ずる」とか「勝手気儘に歩く」という意味が書かれている。

 自由気儘に歩き回ることが禁止されていた幕藩体制下に『横議横行』を勧め「脱藩せよ」と叫んだのが吉田松陰だった。

 「一君万民論」を唱え近代国民国家を志向した魁であり、そこから「草莽屈起論」を導いた。

 つまり、天皇=一君と国民という関係を構築するため封建制度を打破すべく脱藩し、一草莽たれと訴えたのである。結果、意志の高い下級武士等が脱藩し「志士」として維新を実現させたのだ。

 『横議横行』するべし! これを実践した人物として最も有名なのは坂本竜馬だろう。

 時代の寵児として活躍した人物の共通の特徴は「言葉」が違うことである。大衆の心を引き付けたりするのは「言葉」を以て他に無い。

 土佐の町人郷士の次男に生まれた坂本竜馬は正に「言葉の達人」だった。彼が幕閣とも勤王の志士とも通じ、後には薩長連合の仕掛け人として、明治維新を豪腕で引き寄せた立役者足り得たのは、説得の技術、つまりは言葉の豊かさによるものである。

 更にもう一つは、彼が「歩く人」であったことだ。交通の不便だった時代に、実に驚く距離を行き来している。

 放浪の旅や、家を飛び出し、多くの人と顔を突き合わせ『横議横行』することは実に大切なことなのだ。
唯、話をするにも先ずは一献これは更に大事で、腹を割って忌憚無く喋れるには、酒は貴重な存在である。

 坂本竜馬は『酒は呑むべし酒は呑むべし人生唯酒ありて肝を開く酔中の快楽人知るなし』という。
しかし、吉田松陰はこう教える『花柳詩酒に陥る如きは真の道に志す者の必ず暇あらざる所なり』

 『数々の過失は酒と共にあり その酒抱きて今日も堕ちなん』とは、最後の浪人・阿部勉さん詩だが、自分にはこの詩が一番合っている。





cordial8317 at 08:46|Permalink

2010年01月14日

「併合時の日本政府から朝鮮総督府への通達 」と「脱亜論」

 「併合時の日本政府から朝鮮総督府への通達」というものが在る。真贋は兎も角、朝鮮人との付き合い方を分かり易く示したもので、実に正鵠を射ている。

一、朝鮮人は対等の関係を結ぶという概念がないので、常に我々が優越する立場であることを認識させるよう心がけること。

一、朝鮮人には絶対に謝罪してはいけない。勝利と誤認し居丈高になる気質があり、後日に至るまで金品を強請さるの他、惨禍を招く原因となる。

一、朝鮮人は恩義に感じるということがないため、恩は掛け捨てと思い情を移さぬこと。

一、朝鮮人は裕福温厚なる態度を示してはならない。与し易しと思い強盗詐欺を企てる習癖がある。

一、朝鮮人は所有の概念について著しく無知であり理解せず、金品等他者の私物を無断借用し返却せざること多し。殊に日本人を相手とせる窃盗を英雄的行為と考える向きあり、重々注意せよ。

一、朝鮮人は虚言を弄する習癖があるので絶対に信用せぬこと。公に証言させる場合は必ず証拠を提示させること。

一、朝鮮人と商取引を行う際には正当なる取引はまず成立せぬことを覚悟すべし。

一、朝鮮人は盗癖があるので金品貴重品は決して管理させてはいけない。

一、朝鮮人には日常的に叱責し決して賞賛せぬこと。

一、朝鮮人を叱責する際は証拠を提示し、怒声大音声をもって喝破せよ。

一、朝鮮人は正当なる措置であっても利害を損ねた場合、恨みに思い後日徒党を組み復讐争議する習癖があるので、最寄の官公署特に警察司法との密接なる関係を示し威嚇すること。

一、朝鮮人とは会見する場合相手方より大人数で臨む事。

一、朝鮮人との争議に際しては弁護士等権威ある称号を詐称せる者を同道せる場合がある。 権威称号を称する同道者については関係各所への身元照会を徹底すべし。

一、朝鮮人は不当争議に屈せぬ場合、しばしば類縁にまで暴行を働くので関係する折には親類知人に至るまで注意を徹底させること。特に婦女子の身辺貞操には注意せよ。

一、朝鮮人の差別、歴史認識等の暴言に決して怯まぬこと。証拠を挙げ大音声で論破し、沈黙せしめよ。

一、朝鮮人との係争中は戸締りを厳重にすべし。仲間を語らい暴行殺害を企てている場合が大半であるので、呼出には決して応じてはならない。


 福沢諭吉 『脱亜論』 にはこう在る。

 日本の不幸は中国と朝鮮である。この二国の人々も日本人と同じく漢字文化圏に属し、同じ古典を共有しているが、 もともと人種的に異なるのか、教育に差があるのか、 日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。

 情報がこれほど早く行き来する時代にあって、近代文明や国際法について知りながら、過去に拘り続ける中国・朝鮮の精神は千年前と違わない。国際的な紛争の場面でも「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。

 最早、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。「東アジア共同体」の一員として その繁栄に与ってくれるなどという幻想は捨てるべきである。 日本は、大陸や半島との関係を絶ち、 欧米と共に進まなければならない。ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならない。
 
 この二国に対しても、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。私は気持ちにおいては「東アジア」の悪友と絶交するものである。

 福沢諭吉 「脱亜論」(明治18年)

 「脱亜論」全文 

http://www.jca.apc.org/kyoukasyo_saiban/datua2.html

 昔の政治家は立派だ。それに引替え今の政治家は何を考えているのやら。支那の走狗と化し、朝鮮人と支那人に参政権を与えようとは狂気の沙汰である。恥を知れ!!!



cordial8317 at 18:05|Permalink

テロルのススメ



 大津事件(おおつじけん)を知っていますか。

 明治24年(1891年)5月11日に日本を訪問中のロシア帝国の皇太子・ニコライ(後のニコライ2世)が、滋賀県大津市で警備にあたっていた巡査・津田三蔵に突然斬りかかられ負傷した暗殺未遂事件だ。 

 以前からロシアの北方諸島などに関しての強硬な姿勢や、日本への高慢な態度を快く思っていなかった津田は、ニコライが日本を訪問する際の警備に就くことになる。京都から琵琶湖への日帰り観光からの帰り道、ニコライ、ギリシャ王国王子・ゲオルギオス、有栖川宮威仁親王と共に大津市街を通過中、警備中の滋賀県警巡査の津田三蔵が突然サーベルを抜いて斬りかかり、ニコライを負傷させたのである。

 今、日本で最大の国賊と化した小沢一郎に天誅を与えたいと思ってる市井の臣は多いと思う。しかし、小沢に限らず国会議員の要人に対する警備は過剰で、テロは疎か野次さえも飛ばせない状況だ。この過剰警備が、政治家が真剣に政治をやらなくなった原因であると言っても過言ではない。滅私奉公を忘れ、私利私欲に狂奔すれば暗殺されるという恐怖が無いから、小沢の様な金銭欲、権力欲に異常な執念を燃やす輩が増えるのである。

 この政治家の警備に当たるSPは、その昔、大日本愛国党の書記長だった筆保泰禎氏が、佐藤栄作の葬儀の際に葬儀委員長の三木総理を殴打した事件を契機に出来たものだ。あわや浅沼稲次郎暗殺を彷彿させたが、筆保氏は「容共的な三木に猛省を促すのが目的だった」と述べている。

 筆保氏と生前、一献する機会が有ったので、この事件の逸話を聞いたことがある。筆保氏が三木を殴打した際に、三木が発した言葉は「犯人はコイツだ」と言ったそうだ。昔なら「話せば分かる」とか「男子の本懐」ってなことになるのだろうが、三木の小物ぶりを示すものだろう。筆保氏曰く「右翼も小さくなったが、政治家はもっと小者になった」

 この小者になった政治家を物々しく警備をするから小者の政治家は、自分が大物にでもなったと勘違いするのだ。右翼は勿論、市井の徒でも政治家に対するテロ行為が無理な今、期待するのは津田三蔵の様な警察官の出現である。

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徒然なるままに

 『徒然草』が好きで時々出しては読み耽っている。

 人の世は常に欲望の社会だが、吉田兼好はこう曰はす。

 「名利に使われて、閑かなる暇もなく、一生を苦しむこそ、愚かなれ。財多ければ、身を守るにまどし。害を買い、累を招く媒なり。身の後には、金をして北斗をささふとも、人のためにぞわづらはさるべき。愚かなる人の目をよろこばしむる楽しみ、またあぢきなし。利に惑ふは、すぐれて愚かなる人なり」(三十八段)

 世俗的な名声とか地位とか財産とかに身も心も使われて、心静かにゆったりと生活を楽しむ余裕もなく、一生あくせくと暮らすなど実に愚かなことである。

 財産が多いとそれだけ身を守らねばならず、面倒な煩いを招くもととなる。例え死んだ後でも残された遺族たちは財産分与で揉めるだけだ。

 そんな愚かな人々の為に自慢したところで、それもまたつまらないことだ。利欲に惑うことは最も愚かな人である。

 「まことの人は、智もなく、徳もなく、功もなく、名もなし。誰か知り、誰か伝えん。これ徳をかくし、愚を守るにあらず。本より賢愚・得失の境にをらざればなり」(同段)

 要するに「まことの人」とは、世間に対して知恵や徳や功績を誇ることなどしないので、世間では誰が本物の人であるかは判らない。だから伝えることも出来ない。

 本当に立派な人というのはそういったことを隠し、元々損得とか名声などとは関係ない処にいて、ただただ己の精神の充足を求めているにすぎないというのである。

 下品な人、無遠慮な人、知ったかぶりをした自己顕示欲の強い人は教養のない人と説くのである。

 只管利欲を求め、長寿だけを願って何になるのか。そういう人は人生の何たるかを知らないのだ。

 人生とは結果ではなく「如何に生きるか」のその経緯が大事なのである。

 兼好の様に、職を辞し精神の自由を求めれば生活は困窮する。暮らしを楽にしようとすれば心が拘束される。
しがない右翼浪人だが、せめて精神だけは兼好の様に自由でありたいと思う。

cordial8317 at 05:02|Permalink

2010年01月13日

「通名」使用を禁止せよ!

 鳩山が永住外国人への参政権付与法案を今度の通常国会に政府提案するというが、狂気の沙汰と言う外ない。その理由も「日韓併合百年というタイミングでもある」と詭弁を弄しているが、党内の意見も国民の理解を得られないと、マニュフェストへの記載を見送った筈の政策を何故強行に提出しようというのか。マニュフェストの目玉だった「子供手当て」や「高速道路の無料化」「暫定税率の廃止」という国民との約束を反古にして措きながら、参政権の付与、夫婦別姓の成立への異常な姿こそが民主党の正体であろう。

 「参政権付与」「夫婦別姓」成立の後は、慰安婦への「戦時性的強制被害者法案」や靖国神社に代わる「国立戦没者追悼施設」の建立やら「外国人住民基本法案」「人権救済機関設置」「日教組主導の教育政策の実施」と国民へ知らせなかった反日的基本政策の成立を急ぎ、正に選挙公約だった「政権交代で日本を変える」という大目標を達成しようとするのだろうが、断じて阻止せねばなるまい。

 話を戻すが、日本に寄生しながら、反日的な発言や行動を繰り返す「在日朝鮮人」は自分達の素性が明かされる事に、恐怖と後ろめたさを持つ様だ。『通名』で通すのは、日本人に成りすました方が悪さするのも便利で、疚しい事が多過ぎるから本名を名乗れないのだけなのだが、その理由を『自分達が「在日朝鮮人」であるとカミングアウトし辛いのは、差別意識を持つ日本人にこそ問題があるからだ』と必ず責任転嫁する。

 そりゃ嫌われるのも当たり前で、自分達は「強制連行された」と嘘を吐き通し、だから特別待遇されて当然で、それをしない日本は「差別だ!」と宣う。「日本人」のフリをしているが、彼等は「韓国籍」を持つ由緒正しいガイジンなのだ。そこを彼等も日本人も弁えるべきだろう。外国人が日本人と全く同等の権利を主張するなど、有り得ない事なのだ。しかし、彼等「在日朝鮮人」は違う。日本に住まわせて貰っている事への感謝もせず、「生活保護をヨコセ」「参政権もヨコセ」等々、理不尽な権利ばかりを要求する。挙句、その要求が適わなかったら「差別だ」「強制連行だ」と騒ぎ立てるのは常套手段で、やりたい放題し放題。

 戦後、日本は「在日朝鮮人」に対して、あまりにも対応が甘くあらゆる特権を与え過ぎた様だ。

 民主党や公明党、社民党の売国議員共が、永住外国人への「参政権」を与えようと数の力で強行突破を図るというなら、我々も最大限の抵抗は惜しまないが、参政権付与の前に、先ずは「在日朝鮮人」も「支那人」も普通の外国人として取り扱うべきで、日本人とチョーセンジン、シナジンの区別を付ける為にも、先ず『通名』の使用を禁止させるべきである。

 『通名禁止法案』を成立させよう!



cordial8317 at 09:02|Permalink

2010年01月12日

危険を孕んだ参政権付与問題

 大正15年、普通選挙法が施行され25歳以上の全ての男子日本国民に選挙権が与えられるようになり、日本本土に在住する朝鮮人にも日本国民として平等に与えられた。

 昭和7年の衆議院選挙には東京4区から朝鮮出身の朴春琴が立候補し当選した。選挙区には朝鮮から出稼ぎに来ていた人達が多かったとはいえ有権者数の1.5%にも満たない数で、多くの日本人が投票したことが分かる。

 投票の表記にハングルで書かれたものも有効と認められていたが「植民地」の文字が宗主国の選挙で使用を認められたのは当時世界で唯一であった。この様に、戦前の朝鮮人に対する偏見、差別はよく言われている様なものではなかったことが理解出来る。

 朴春琴は昭和12年の選挙でも再び当選している。尚、貴族院は華族と勅撰議員(天皇陛下から指名された議員)で構成されていたが、朝鮮人の華族、勅撰議員が何人もいた。更に付け加えると「創始改名」が行われてからも、彼等は日本名に改名していない。このことでも創始改名が強制ではなかったことの証拠だろう。

 最近問題となっている「外国人参政権」だが、これを推進する在日韓国居留民団は「あの日帝の支配下においてすら参政権が認められていたのに、現在認められないのは時代錯誤だ」とホザいているが、二重に意味で見当外れである。

 一つは、彼等が非難して止まない差別と弾圧の日帝支配なるものは、寧ろその逆であり、世界に例を見ない極めて公平で平等な制度であったということである。何しろ、日韓併合時に100校程しかなかった小学校を昭和17年には4945校に、中学以上の学校を470校に迄増やしているが、これが差別であり弾圧で有る筈がない。

 二つ目は何故戦前に在日朝鮮人に選挙権が与えられていたのか?理由は明白で、彼等は「日本人」だったからである。現在も執拗に参政権を求めるなら、日本に帰化をして日本人になれば良いだけの話でので、そうすれば、何の制限差別もなく、100%の参政権が与えられる。それが出来ないのであれば、日本人に成り済ます「通名」を止め、堂々と朝鮮人の本名を名乗るべきだ。

 外国人への参政権付与は「在日」が大半を占める「特別永住者」だけではなく、一般の永住者も選挙権の対象とされている。そうなれば「在日」のみならず、支那人永住者にも付与されることとなるが、この点は殆ど議論されておらず、非常に深刻な問題を孕んでいるのだ。

 というのも「在日」が大半をしめる「特別永住者」は年々減少し続け、その減少傾向が止まらないのに対して、支那人「一般永住者」は急増している。在日韓国人の殆どが日本国民と結婚し、その子供は総て日本国籍になっているのに比べ、支那人永住者の方は、留学生の増加などによって更に増加し、永住外国人の前提となる一般の在留外国人の登録者数は、今や韓国・朝鮮人の数を上回っている状況なのだ。

 外国人参政権付与問題は、支那人の移民問題にも繋がるもので、現在「在日」の問題になって隠れてしまってはいるが、近い将来必ず支那人問題になる大問題なのだ。参政権付与など、言語道断である!

cordial8317 at 11:03|Permalink

小沢の疑惑、枚挙に遑なし

 未だ多くの国民が小沢の怪しすぎる多くの疑惑に関し「説明責任を果たしていない」と思っているが、 これらの疑惑に未だにはっきりした説明責任を果たすことなく最高権力者としてしてやりたい放題なのだから世も末だ。

 小沢はその昔、政治献金に関して、自著で「まず、政治資金の出入りを1円に至るまで全面的に公開し流れを完全に透明にすることである」と書いた。しかし現実には、この時、既に小沢は西松建設のダミー会社から献金を受け取っていたと言うのだからフザけた話だ。献金問題で公設秘書が逮捕されると、「逮捕されただけで起訴されたんですか」と開き直り、「献金してくれるという方について、どういう所から出ているのかという類を聞くのは失礼なことですし詮索しない」と答え、秘書が起訴されると「なんで私が離党し、議員辞職しなければならないんですか」と気色ばんで、質問した女性記者を睨み付けた。

 小沢の疑惑は留まるところを知らず、福島県知事汚職で暗躍した北朝鮮系の国賊企業・水谷建設からの1億円の「裏献金疑惑」が持たれている。小沢の地元岩手県奥州市の胆沢ダムの工事に参入した水谷建設は「小沢氏秘書に5千万円ずつ1億円を手渡した」と供述しているが、事実だろう。しかし、この疑惑に対しても「まったくでたらめの報道で、事実は無い」と一蹴したが、国民の多くは納得はしていない。民主党の目玉政策で話題に上った八ッ場ダムの工事中止も、小沢に献金しなかった為の報復だと囁かれていたが、強ち間違いではあるまい。世田谷の土地購入問題以外にも、「都内の高級マンション購入疑惑」「岩手めんこいテレビ株主問題」群を抜く「個人資産」、更に新生、自由党の解党時に政治資金23億円余りを自分の政治団体へ移動したと言うが、こういうのをネコババと言うのだ。新生党結党時に、国から立法事務費として4億7970万円が支給され、自由党には政党交付金5億6096万円、立法事務費1億7550円が支給されているが、これらは全て国民の血税であり、国民に対する背任、横領、詐欺行為である。正に、小沢の疑惑は枚挙に暇なし。

 小沢が目指すものは、国よりも党、党よりも自分であり、最高権力者として「権力欲」と「金銭欲」の異常な執着だけしかない国賊である。

 天網恢恢疎にして漏らさず!


cordial8317 at 07:14|Permalink

2010年01月11日

除籍通知と平成の右翼

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 運動方針の違いと組織の維持に対する違いから、30年所属していた団体を辞めたのは先日の日記で書いた通りだ。除籍通知が出され、それに何やら、次の様なこと書かれていたらしい・・・ 「右の者、民族活動家として上下の礼節を弁えず・・・理由は如何を問わず交友等は一切堅くお断りします」。除籍通知を出される謂れもないし、民族活動家として恥じることは一つもない。

 頭山翁がその昔、社内の暗闘の際「そんなケチ臭いことでは将来の志業に大害あり」と憂いたというが、流石は大物である。国士とは斯く在りたいものである。

  『世の人は我を何とも言わばいへ 我が成す事は我がのみぞ知る』(坂本龍馬)

 警察庁が把握している国内の右翼団体は現在、約900団体に上るという。
御多分に漏れず、右翼の世界も「玉石混交」であるから、数ある団体の中には街宣車に日の丸を立てて、軍歌を流すだけの団体も在ったり、街宣車を強請り、集りの道具として使用してる自称右翼も少なくない。

 世間の嘲笑や侮蔑に耐えつつも皇室の弥栄を祈り、国の行く末を憂う「純正右翼」「本流右翼」は、一体どの位存在するのか。

 右翼団体の草分けは玄洋社である。頭山満翁らは明治12年、向陽社を設立したが社内の暗闘を知った頭山翁は向陽社を発展的に解消し、「玄洋社」に改め組織を再編した。

玄洋社憲則
第一条 皇室を敬載す可し
第二条 本国を愛重す可し
第三条 人民の権利を固守す可し

 昭和21年1月4日、GHQは所謂、超国家主義者団体の解散令を出した。荒原牧水の「大右翼史」に拠れば、終戦時の右翼は350団体、このうち追放、解散令を受けたのは210団体に及ぶという。この中には福田素顕翁の「皇道日報社(現、防共新聞社)」も、玄洋社同様一切の活動を禁じられた。この福田素顕翁は「愛国者は国民の模範的人物にして、指導者たれ」との言葉を残してこの世を去ったが、民族派、右翼を自称する者の中で果たして何人が「国民の模範」と胸を張ることが出来ようか。野村秋介大人は「他を批判する者、先ず自らに峻烈でなくてはならない」と訓える。

 我が胸に手を当て自省してみれば、忸怩たる思いに駆られるが「国民の模範」に成れないまでも、塵の中でもキラリと光彩を放てる右翼浪人に成りたいものだ。

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cordial8317 at 09:14|Permalink

2010年01月10日

右翼浪人としての覚悟

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 防共挺身隊(防挺)は、三菱重工でのべ平連との乱闘や日露漁業での糞闘事件等活躍は凄まじく「総会屋右翼」としても業界では有名だった。学生時代には株主総会に借り出されては「議事進行!」の掛け声を叫んでた。日当1万円。右翼活動の運動費は、企業からの寄付金で賄えると踏んで、就職活動もせず運動に専念していた。だが、大学4年の秋、思いもよらぬ商法の改正で活動そのものが岐路に立たされる。

 福田総隊長より各支部は独立採算の通達が有り、防挺は防共グループとして、各支部が単独団体になり、自分の所属していた羽田支部も「報国社」に名称変更した。その後、多くの隊員は就職したりバイトをしたり働き出したが「何で今更」との忸怩たる思いで、一念発起し帰省し団体を設立し活動をするに至る。

 爾来、働きもせず貧乏に呻吟しながらも活動を続けているが、未だ明るい兆しすらない。

 自分が、右翼活動家に至る要因は、中学時代の担任の高橋寅彦、副担任の遠藤四郎が。バリバリの日教組組合員で、その影響が大きく、副担任などは退職後に共産党の市会議員になったことでも理解出来るだろう。それを今になって、自分の境遇を嘆き、「こういった右翼難民を生んだのは国の政策が悪い」だとか、或いは国や行政に生活支援を求めるようなことは恥ずかしくて出来るものではない。

 「乞食に氏無し」というのも有るが、何事も、その者の心がけの悪さからなるものである。

 派遣村問題の報道を見ながら感じることは、ワーキングプアという乞食連中に小遣いを与え、住居を提供し、挙句は生活保護の大盤振る舞いしているが、働く気もない連中を宛も国の被害者扱いし、またそれを「可哀想」といって支援するなど、偽善以外の何物でもない。

 安易な生活支援がこの様な愚民を生む原因である。石原都知事が「実に甘えた話だ」と苦言を呈していたが、多くの国民もそう感じたに違いない。

 何でもむやみに貰いたがる賤しい根性を「乞食根性」と言うが、幾ら浪人右翼とはいえ此処まで賤しい人間にはなりたくないものだ。「乞食の朝謡(あさうたい)」という諺も有る様に、普通の人なら働き始めの忙しい朝の時間にも謡ってられる様に、派遣村の連中も自分も気楽な境遇なのだ。

 「乞食も三日すれば忘れられぬ」とも言うし、乞食は気楽で、三日もすればそれが忘れられなくなるし、悪習は染まり易く、改めるのは困難で、働く意欲の無い連中への生活支援など根本的な解決にはならない。

 その昔、横山武彦という破天荒な右翼浪人がいた。年は違うが、妙に馬が合った。その横山曰く「乞食でも本物は信用出来る」。インチキばかりが幅を利かす昨今、本物の右翼浪人で在りたいものだ。

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cordial8317 at 09:03|Permalink

2010年01月08日

『ブログ開設記念』行動右翼から右翼浪人へ

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 国士舘大学時代に右翼団体・防共挺身隊(以下防挺)に入隊した。防挺といえば、戦後、大日本愛国党と並び行動右翼として、右翼・民族派運動に大きな役割を担ってきた団体だ。詳細はウィキペディアを参照して頂けたら幸いです。

 政治に興味を抱いたのは中学時代。親父が町会議員や衆議院議員(故・天野光晴)の秘書の様な事をやったいた影響と、担任、副担任とも日教組だった事が大きく影響していると思う。親父が持ってくる「月刊自由民主」という雑誌を貪る様に読んで、辿り着いた正義感は「右翼思想」だった。

 高校は地元の二本松工業高校で、当時は進学するなど考えもしていないし、土方の監督か「前略おふくろ様」の影響で板前にでもなろうと思っていた。進学に傾いたのは、担任が自分だけには就職を世話しないし、シャレで受けた福島県警も不合格だったし、ならば成績は悪くは無かったので大学を「推薦」して貰って4年間遊びながら将来を考えれば良いかなんて思っていた。

 そんな矢先、国防青年隊隊員で国士舘大学の3年生H氏による大平総理テロ未遂事件が有り、直ぐこの国士舘大学への推薦を願い出た。しかし、即却下され「地元の日大なら」ということになった。しかし、日頃父から「田舎で勉強するより、都会で昼寝しろ」と教わっていたので、地元の大学には行く気もなく、しつこく担任に国士舘大学の推薦をするよう迫ってた。

 暫くして先生も根負けしたのか「坊主にしたら」という条件で推薦してくれることになった。先生にしてみりゃ絶対坊主にはしないだろうという思惑があったのだろうが、翌日五厘に刈り上げ挨拶行ったら無言で書類を作成してくれたのを思い出す。合格し、先生方に報告に行ったら、言われたことは「五郎、右翼にだけは入るなよ!」(爆)  

 爾来30年、微力ではあるが愛国活動に邁進し「右翼の良識」と言われたりもしたが、力及ばず、昨年、永年共に行動してきた盟友と袂を分つた。その盟友も昨年末、幽明界を異にした。今後は、正統右翼浪人として「晴耕雨読」の生き方を全うしたいと思っている。

 昨今、新保守主義を掲げる学者や評論家の言動が持て囃されてはいるが、その「保守」に「尊皇」はない。彼等が「保守」したいのは、自民党や民主党の体制なのだ。反中共、反北朝鮮と耳障りの良いことを言ってるだけで、本音とも思えない。

 保守主義を否定する訳ではないが、尊皇無き保守では米国や英国の保守政党、保守主義と何等変りは無いのだ。そんな中で、右翼・民族派の存在価値は年々無くなってきている様に感じるが、それは右翼人自身に問題が有る様な気がしてならない。思想は乏しく、考えていることは「シノギ」ばかり。久しぶりに相対しても「どう、景気は」・・・、しかし、悲観はしていない。必ずや、この混迷、停滞から脱却し、天皇国日本を磐石の安きに導いてくれる「国士」は出現するだろうから。

 右翼・民族派諸氏は原点に戻り、研鑽を積み、テロを担保しつつ行動を続け、言論活動にも励み啓蒙活動をして貰いたいものだ。

 「自己犠牲に達しない思想は卑しい思想である」(三島由紀夫)

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