2010年03月17日
占領下で将棋も無くそうとしたGHQ
戦後、GHQは日本弱体化の為にあらゆる組織や団体に至るまで徹底して監視し規制した。そんな中で、日本発祥の「将棋」も何故か軍国主義と結びつけ、「こんな危ないゲームは無くすに限る」と日本将棋連盟に連絡し責任者を呼び出したという。
当時は、未だ「日本将棋連盟」ではなく、「将棋大成会」という組織だった。会長の木村義雄は升田幸三が適任だとしてGHQ本部に彼を送り出した。
将棋を知らない人でも大山康晴(名人)という名前は知ってるだろう。地味で派手さがなく、つまらない将棋の上に強過ぎる大山とは対照的に、大山の兄弟子であり、当時は実力制第四代名人だった升田幸三は将棋ファンには大人気であった。
升田の全盛期は短かったが、棋風も言動も兎に角豪快で、大山の前の名人である木村を相手に「名人なんてのはゴミみたいなもんだ」と発言し、「名人がゴミなら君はなんだ」と反問され、「ゴミに集るハエよ」と言い返したのは有名な逸話だ。
この升田を木村は、「将棋の危機を救うのは升田しかない」と使者とした理由を語る。升田は兵隊の時に、ポナペ島で星空を見上げては宿敵木村名人を倒すことばかり考えていたという。そんな彼の目の前から将棋が指せなくなる危機が生じたのだ。
升田は、将棋を指すが如く熟慮し、作戦を練ってGHQの牙城である皇居前の第一生命ビルに向かったという。その升田、開口一番に「酒を飲ませろ」と要求する。
将校は驚きながらも缶ビールを差し出した。
缶ビールを知らない升田は「不味いなぁ、これは本物のビールか」
これには将校も呆気に取られた。
酒を出させたのは強がりではない、ビールを飲めば小便が近くなり、難しい質問なら便所に駆け込んで考えようという、升田の緻密な作戦であったのだ。
将校は升田に「我々のチェスと違って、日本将棋は取った相手の駒を自分の兵隊として使う。これは捕虜の虐待であり人道に反するではないか」と質問して来た。
升田は、すかさずこう切り返す。
「貴方方は頻りに民主主義を振り回すが、チェスなんてなんだ。王様が危うくなると女王を盾にして逃げるじゃないか。レデイーファーストとは聞いて呆れる。古来から日本の武将は落城にあたっては女や子供を間道から逃し、然る後に潔く切腹したもんだ。敵の駒も自分のものとするのは、駒の能力を尊重してのことだ。適材適所だ。これが本当の民主主義なのだ。民主主義をバカの一つ覚えみたいに唱えるより、日本の将棋を勉強して政治に生かしたらどうだ」
酔った勢いで喋り倒し敵を圧倒、斯くして将棋は生き残った。
懐の深さと弁が立ち頭の良い升田の価値を理解し、将棋を救うのは升田しかいないと確信していた木村の人を見る価値こそ将棋で培われた「適材適所」であろう。
愚人、賢人、使い道の異なる人間を適所に生かす世界観こそ「各々其の所を得る」ということである。 人は適所さえ与えれば自ずと輝き出すということでもある。
当時は、未だ「日本将棋連盟」ではなく、「将棋大成会」という組織だった。会長の木村義雄は升田幸三が適任だとしてGHQ本部に彼を送り出した。
将棋を知らない人でも大山康晴(名人)という名前は知ってるだろう。地味で派手さがなく、つまらない将棋の上に強過ぎる大山とは対照的に、大山の兄弟子であり、当時は実力制第四代名人だった升田幸三は将棋ファンには大人気であった。
升田の全盛期は短かったが、棋風も言動も兎に角豪快で、大山の前の名人である木村を相手に「名人なんてのはゴミみたいなもんだ」と発言し、「名人がゴミなら君はなんだ」と反問され、「ゴミに集るハエよ」と言い返したのは有名な逸話だ。
この升田を木村は、「将棋の危機を救うのは升田しかない」と使者とした理由を語る。升田は兵隊の時に、ポナペ島で星空を見上げては宿敵木村名人を倒すことばかり考えていたという。そんな彼の目の前から将棋が指せなくなる危機が生じたのだ。
升田は、将棋を指すが如く熟慮し、作戦を練ってGHQの牙城である皇居前の第一生命ビルに向かったという。その升田、開口一番に「酒を飲ませろ」と要求する。
将校は驚きながらも缶ビールを差し出した。
缶ビールを知らない升田は「不味いなぁ、これは本物のビールか」
これには将校も呆気に取られた。
酒を出させたのは強がりではない、ビールを飲めば小便が近くなり、難しい質問なら便所に駆け込んで考えようという、升田の緻密な作戦であったのだ。
将校は升田に「我々のチェスと違って、日本将棋は取った相手の駒を自分の兵隊として使う。これは捕虜の虐待であり人道に反するではないか」と質問して来た。
升田は、すかさずこう切り返す。
「貴方方は頻りに民主主義を振り回すが、チェスなんてなんだ。王様が危うくなると女王を盾にして逃げるじゃないか。レデイーファーストとは聞いて呆れる。古来から日本の武将は落城にあたっては女や子供を間道から逃し、然る後に潔く切腹したもんだ。敵の駒も自分のものとするのは、駒の能力を尊重してのことだ。適材適所だ。これが本当の民主主義なのだ。民主主義をバカの一つ覚えみたいに唱えるより、日本の将棋を勉強して政治に生かしたらどうだ」
酔った勢いで喋り倒し敵を圧倒、斯くして将棋は生き残った。
懐の深さと弁が立ち頭の良い升田の価値を理解し、将棋を救うのは升田しかいないと確信していた木村の人を見る価値こそ将棋で培われた「適材適所」であろう。
愚人、賢人、使い道の異なる人間を適所に生かす世界観こそ「各々其の所を得る」ということである。 人は適所さえ与えれば自ずと輝き出すということでもある。
cordial8317 at 05:07|Permalink
2010年03月14日
「命を守る」最重要課題は国防である
鳩山政権が発足し6ヶ月。政権交代で日本が変ると期待した国民は、小沢や鳩山らの相次ぐ「政治とカネ」問題に失望し、政治不信は益々膨らむばかり。
鳩山は「友愛精神」や「命を守る」という抽象的な言葉を羅列しては悦に入ってるが、真剣に「国家・国民を護る」という気迫や気概が全く感じられない。
「子供手当て」や「高校無償化」「高速道路一部無料化」などの政策の垂れ流しで、人気を回復させようと必死な様だがバラ撒き政策は愚民を増やすだけ。
「バラ撒きさえすれば国民の支持を得られるだろう」とする鳩山や小沢らの感覚は大衆迎合と言うより国民を愚弄するもので、決して国民の支持は得られまい。
「命を守る」最重要政策は「国防と教育」である。普天間問題の迷走でも感じるのだが、国家・国民の平和・安全よりも、「自分さえ善ければ」「政権維持に繋がれば」という風潮が蔓延して、国民の「国防」に対する意識は益々薄れるばかりだ。
政治家も、憲法論議を避けその場を誤魔化し、頭の中に有るものは自己保身と権力欲と党利党略の偽善だけ。「命を守る」と景気対策や社会保障を見直し、バラ撒き政策をしたところで北朝鮮のミサイル一発でそんなものは吹っ飛んでしまう。
「国防」と「教育」、この二つに不可欠なものは言う迄も無く「愛国心」であり、祖国日本を愛するという心情は理屈ではなく極めて自然な感情である。
ところが戦後、戦前の狂信的ともいえる鼓吹された愛国心の反動から「愛国」という言葉自体が、政治家からもマスコミからも教育の世界からも消えて久しい。
愛国心無き「国防」も「教育」も在り得ず、国防を米国に依存した儘で「命を守る」と宣い、将来を担う子供達への教育の中身を議論することなく「子供手当て」や「授業料無償化」に拘り、国民の支持を得ようとは実に姑息で痴がましい。
我が国は、今や愛国心の希薄と国防意識の欠落では恥ずかしいことに、世界に冠たる国となってしまった。今後、民主党政権下では「国を愛する心」や「国を護る」という言葉はタブーとなり、国民の国防意識など無くなって行くだろう。
政治を行う上で大事なのものは、国家観を持って外交を行い、国防を怠らず、将来を担う子供達に誇りの持てる教育を如何に施して行くかということである。
鳩山は「友愛精神」や「命を守る」という抽象的な言葉を羅列しては悦に入ってるが、真剣に「国家・国民を護る」という気迫や気概が全く感じられない。
「子供手当て」や「高校無償化」「高速道路一部無料化」などの政策の垂れ流しで、人気を回復させようと必死な様だがバラ撒き政策は愚民を増やすだけ。
「バラ撒きさえすれば国民の支持を得られるだろう」とする鳩山や小沢らの感覚は大衆迎合と言うより国民を愚弄するもので、決して国民の支持は得られまい。
「命を守る」最重要政策は「国防と教育」である。普天間問題の迷走でも感じるのだが、国家・国民の平和・安全よりも、「自分さえ善ければ」「政権維持に繋がれば」という風潮が蔓延して、国民の「国防」に対する意識は益々薄れるばかりだ。
政治家も、憲法論議を避けその場を誤魔化し、頭の中に有るものは自己保身と権力欲と党利党略の偽善だけ。「命を守る」と景気対策や社会保障を見直し、バラ撒き政策をしたところで北朝鮮のミサイル一発でそんなものは吹っ飛んでしまう。
「国防」と「教育」、この二つに不可欠なものは言う迄も無く「愛国心」であり、祖国日本を愛するという心情は理屈ではなく極めて自然な感情である。
ところが戦後、戦前の狂信的ともいえる鼓吹された愛国心の反動から「愛国」という言葉自体が、政治家からもマスコミからも教育の世界からも消えて久しい。
愛国心無き「国防」も「教育」も在り得ず、国防を米国に依存した儘で「命を守る」と宣い、将来を担う子供達への教育の中身を議論することなく「子供手当て」や「授業料無償化」に拘り、国民の支持を得ようとは実に姑息で痴がましい。
我が国は、今や愛国心の希薄と国防意識の欠落では恥ずかしいことに、世界に冠たる国となってしまった。今後、民主党政権下では「国を愛する心」や「国を護る」という言葉はタブーとなり、国民の国防意識など無くなって行くだろう。
政治を行う上で大事なのものは、国家観を持って外交を行い、国防を怠らず、将来を担う子供達に誇りの持てる教育を如何に施して行くかということである。
cordial8317 at 07:18|Permalink
2010年03月09日
福島民報新聞「みんなのひろば」に7回目の採用
先日、友人の父親の葬儀があり参列したが余りにも過剰な演出が目に付いたので、「福島民報新聞」に「過剰演出は故人への冒涜」として投稿したら採用された。
昨年9月に政治批評を中心に投稿を始めて以来、今回で7度目の採用だ。採用されると嬉しいものだ。「過剰な演出は故人への冒涜」とのタイトルが、「過剰演出やめて・葬祭場の告別式」 となっていたが、投稿した原文は次の通り。
「先週、立て続けに葬式があった。一人は同級生で、もう一方は友人の父親である。同級生は、日頃から明るい性格で、まさか自殺で亡くなるとは夢にも思わなかったが、死のうとするまでの悩みや苦痛に同級生として少しでも力になれなかったのが、返す返すも残念でならない。告別式は同級生の営む葬祭場で行われ他の同級生と共に参列した。残された娘さんが「お母さんへの手紙は、てっきり私は結婚式で読むものと思っていた」との別れの手紙を読み上げると、参列者の涙を誘っていた。派手な演出もなく、しめやかに行われた。その数日後に、友人の父親が郡山で倒れ、処置の甲斐なく幽冥境を異にした。告別式は二本松の葬祭場で行われたが、開式前から葬祭場の社長らしき人の説明が入り、故人の思い出話や来賓の挨拶と見間違うばかりの講釈を延々と聞かされたのには驚いた」
今、どの家庭も手狭になり、便利さもあって葬祭場を利用する家庭が多くなった。葬祭場の関係者は、連日繰り返される葬儀に慣れっこになり過ぎているのではないだろうか。過剰な演出をして、泣かせるために美辞麗句を並べて悦に入ってる様だが、こうしたイベント的告別式に辟易している参列者も少なくない。
参列者は下手な演出を見に来たわけではなく、しめやかに故人を見送ろうとしているのであって、こうした過剰演出に参列者や遺族が利用されるのはまっぴらだ。こうした過剰に演出された葬式は、故人を冒涜しているように感じる。 合掌
昨年9月に政治批評を中心に投稿を始めて以来、今回で7度目の採用だ。採用されると嬉しいものだ。「過剰な演出は故人への冒涜」とのタイトルが、「過剰演出やめて・葬祭場の告別式」 となっていたが、投稿した原文は次の通り。
「先週、立て続けに葬式があった。一人は同級生で、もう一方は友人の父親である。同級生は、日頃から明るい性格で、まさか自殺で亡くなるとは夢にも思わなかったが、死のうとするまでの悩みや苦痛に同級生として少しでも力になれなかったのが、返す返すも残念でならない。告別式は同級生の営む葬祭場で行われ他の同級生と共に参列した。残された娘さんが「お母さんへの手紙は、てっきり私は結婚式で読むものと思っていた」との別れの手紙を読み上げると、参列者の涙を誘っていた。派手な演出もなく、しめやかに行われた。その数日後に、友人の父親が郡山で倒れ、処置の甲斐なく幽冥境を異にした。告別式は二本松の葬祭場で行われたが、開式前から葬祭場の社長らしき人の説明が入り、故人の思い出話や来賓の挨拶と見間違うばかりの講釈を延々と聞かされたのには驚いた」
今、どの家庭も手狭になり、便利さもあって葬祭場を利用する家庭が多くなった。葬祭場の関係者は、連日繰り返される葬儀に慣れっこになり過ぎているのではないだろうか。過剰な演出をして、泣かせるために美辞麗句を並べて悦に入ってる様だが、こうしたイベント的告別式に辟易している参列者も少なくない。
参列者は下手な演出を見に来たわけではなく、しめやかに故人を見送ろうとしているのであって、こうした過剰演出に参列者や遺族が利用されるのはまっぴらだ。こうした過剰に演出された葬式は、故人を冒涜しているように感じる。 合掌
cordial8317 at 12:41|Permalink
2010年03月08日
日教組は我が国に巣食う「癌」である。
北海道教職員組合から小林千代美代議士への不正資金提供事件で、民主党と日教組の関係が改めて問題になっている。日教組と民主党に絡んだ事件は少なくない。
日教組の代表的議員と言えば「日教組のドン」を自任する輿石東参議院議員であるが、輿石の地元の山梨でも、先の参議院選挙で「教育公務員特例法」と「政治資金規制法」で関係者が逮捕され有罪判決を受けているのを知ってるだろうか。
この一件でも、輿石は関係を否認し、責任を取ってはいないことを見ても、小林が辞任するとも思えない。というか、辞任する必要もないのではあるまいか。
神奈川県と山梨県の小学校教諭や山梨県教組執行委員長を歴任した輿石東は「永遠に日教組の組合員であるという自負を持って、日教組と共に戦って行く」と、日頃から度々宣っている様に、自他共に認める「日教組政治家」である。
教育基本法第14条では、学校の政治的中立性を定めているが、輿石は「教育の政治的中立は有り得ない」と改正教育基本法を再び改正しようと目論んでいる。
今迄にも輿石は日教組の反日思想を政治の場に持ち込んでいる。例えば日教組は入学式や卒業式などの式典に於ける「国旗掲揚」「国歌斉唱」を否定している。
民主党も日教組の影響が強い為に、党大会に国旗掲揚と国歌斉唱はしたことは一度もなかった。国民からの抗議で先の党大会で始めて掲げた様だが、未だ国旗掲揚は徹底されてはいない。未だ輿石ら売国奴が幅を利かせている証左である。
民主党政権下で、国家行事に日の丸と君が代が消える異常な事態が起こりかねない。輿石らの命令で学校を始め、其処彼処で実行されるだろうことは必至だ。
更に恐ろしいのは、所謂「従軍慰安婦」と称する売春婦どもに対する「戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法案」を早期に成立させ、国家賠償をしようと企んでいることだ。それに因って、日本の戦争犯罪を正当化させる魂胆だ。
子供達へ自虐史観に基づく教育を徹底する魂胆であることは明白で、ホント、左翼の売国性というのは留まるところを知らず何処までも姑息な連中である。
また「内外に多くの犠牲を齎した先の大戦を国策として立案・指導した人の責任は非常に大きい」として、所謂A級戦犯が合祀されている靖国神社に代わる「国立追悼施設の設置」を訴え、それが実現を帯びて来たことは看過出来るものではない。
民主党政権誕生で国のカタチが大きく変り、国家の大本である教育が大きく転換されつつある。日教組の「反日」「自虐」史観に基づく学校教育が大っぴらに行われ、益々教育が荒廃していくであろうことは火を見るより明らか。
これを唯々傍観している訳には行かないのである。日教組は日本国内に巣食う「癌」であり、これを抉り出し粛正しない限り、教育の正常化など在り得ない。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員は300000円~。
日教組の代表的議員と言えば「日教組のドン」を自任する輿石東参議院議員であるが、輿石の地元の山梨でも、先の参議院選挙で「教育公務員特例法」と「政治資金規制法」で関係者が逮捕され有罪判決を受けているのを知ってるだろうか。
この一件でも、輿石は関係を否認し、責任を取ってはいないことを見ても、小林が辞任するとも思えない。というか、辞任する必要もないのではあるまいか。
神奈川県と山梨県の小学校教諭や山梨県教組執行委員長を歴任した輿石東は「永遠に日教組の組合員であるという自負を持って、日教組と共に戦って行く」と、日頃から度々宣っている様に、自他共に認める「日教組政治家」である。
教育基本法第14条では、学校の政治的中立性を定めているが、輿石は「教育の政治的中立は有り得ない」と改正教育基本法を再び改正しようと目論んでいる。
今迄にも輿石は日教組の反日思想を政治の場に持ち込んでいる。例えば日教組は入学式や卒業式などの式典に於ける「国旗掲揚」「国歌斉唱」を否定している。
民主党も日教組の影響が強い為に、党大会に国旗掲揚と国歌斉唱はしたことは一度もなかった。国民からの抗議で先の党大会で始めて掲げた様だが、未だ国旗掲揚は徹底されてはいない。未だ輿石ら売国奴が幅を利かせている証左である。
民主党政権下で、国家行事に日の丸と君が代が消える異常な事態が起こりかねない。輿石らの命令で学校を始め、其処彼処で実行されるだろうことは必至だ。
更に恐ろしいのは、所謂「従軍慰安婦」と称する売春婦どもに対する「戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法案」を早期に成立させ、国家賠償をしようと企んでいることだ。それに因って、日本の戦争犯罪を正当化させる魂胆だ。
子供達へ自虐史観に基づく教育を徹底する魂胆であることは明白で、ホント、左翼の売国性というのは留まるところを知らず何処までも姑息な連中である。
また「内外に多くの犠牲を齎した先の大戦を国策として立案・指導した人の責任は非常に大きい」として、所謂A級戦犯が合祀されている靖国神社に代わる「国立追悼施設の設置」を訴え、それが実現を帯びて来たことは看過出来るものではない。
民主党政権誕生で国のカタチが大きく変り、国家の大本である教育が大きく転換されつつある。日教組の「反日」「自虐」史観に基づく学校教育が大っぴらに行われ、益々教育が荒廃していくであろうことは火を見るより明らか。
これを唯々傍観している訳には行かないのである。日教組は日本国内に巣食う「癌」であり、これを抉り出し粛正しない限り、教育の正常化など在り得ない。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員は300000円~。
cordial8317 at 08:22|Permalink
2010年03月05日
朝鮮高級学校と国士舘
その昔、チョンコー(朝鮮高校)と我が国士舘は切っても切れない縁が有った。遭遇すれば喧嘩に明け暮れた。思えば懐かしく、昭和の良い時代だった。
そのチョンコーへの無償化などとんでもない話しだが、授業料を無償化したところで、その浮いた金は北朝鮮に流れるだけ。在日への優遇措置は止めなさい。
中共からの支那人留学生への手厚い高額補助や、明らかな憲法違反である私学助成金制度に比べれば屁の様な金額だろうが、拉致問題の解決するのが先決だろう。
チョンコーでは、「朝鮮史は教えているが、その他の授業は日本の歴史教育と凡そ変らない」と宣うが、その「朝鮮史」こそ反日教育そのものではないか。
国内に巣食う総連関係者や在日どもは事有る毎に、「差別だ!」とか「強制連行された!」などと御得意の決め台詞を吐くが、くだらん嘘ばかり抜かしてないで、こういう時にこそ本国に苦言を呈し拉致問題解決に奔走すべきではないのか。
「差別」という名の日本人への「逆差別」にはいい加減うんざりする。 北朝鮮が異常且つ極めて危険な国家であることは、誰もが認めるところだろう。
北朝鮮の正式名称は「朝鮮民主主義人民共和国」。だが、その体制は民主主義でも人民の国でもなく、「金一族」の個人独裁の世襲全体主義国家である。
日本人や外国人を拉致監禁し帰国も許さず、ニセドル紙幣を偽造しばら撒き、覚醒剤を製造密売しては、テポドンなどのミサイル等の武器を輸出し資金調達しているが、北朝鮮は中共同様共産主義に内在し悪の本質が体制化したヤクザ国家である。
何十万の餓死者が出ても歯牙にもかけず弾道ミサイルを開発し、核開発に狂奔しているが、こんなヤクザ国家と付き合おうとは狂気の沙汰と言う他はない。
北朝鮮のミサイル開発にしても核開発や金一族の成金趣味にも、日本で営業してるパチンコ屋からの金が流れているということは今や公然の事実である。
パチンコ屋からの送金が止れば北朝鮮は困窮し体制崩壊に繋がるかも知れない。日本経済や治安に悪影響を垂れ流すパチンコは諸悪の根源。この不良産業を非合法化すれば拉致問題に曙光が射し全てが丸く治まる。先ずは換金制度を廃止すべし。
そのチョンコーへの無償化などとんでもない話しだが、授業料を無償化したところで、その浮いた金は北朝鮮に流れるだけ。在日への優遇措置は止めなさい。
中共からの支那人留学生への手厚い高額補助や、明らかな憲法違反である私学助成金制度に比べれば屁の様な金額だろうが、拉致問題の解決するのが先決だろう。
チョンコーでは、「朝鮮史は教えているが、その他の授業は日本の歴史教育と凡そ変らない」と宣うが、その「朝鮮史」こそ反日教育そのものではないか。
国内に巣食う総連関係者や在日どもは事有る毎に、「差別だ!」とか「強制連行された!」などと御得意の決め台詞を吐くが、くだらん嘘ばかり抜かしてないで、こういう時にこそ本国に苦言を呈し拉致問題解決に奔走すべきではないのか。
「差別」という名の日本人への「逆差別」にはいい加減うんざりする。 北朝鮮が異常且つ極めて危険な国家であることは、誰もが認めるところだろう。
北朝鮮の正式名称は「朝鮮民主主義人民共和国」。だが、その体制は民主主義でも人民の国でもなく、「金一族」の個人独裁の世襲全体主義国家である。
日本人や外国人を拉致監禁し帰国も許さず、ニセドル紙幣を偽造しばら撒き、覚醒剤を製造密売しては、テポドンなどのミサイル等の武器を輸出し資金調達しているが、北朝鮮は中共同様共産主義に内在し悪の本質が体制化したヤクザ国家である。
何十万の餓死者が出ても歯牙にもかけず弾道ミサイルを開発し、核開発に狂奔しているが、こんなヤクザ国家と付き合おうとは狂気の沙汰と言う他はない。
北朝鮮のミサイル開発にしても核開発や金一族の成金趣味にも、日本で営業してるパチンコ屋からの金が流れているということは今や公然の事実である。
パチンコ屋からの送金が止れば北朝鮮は困窮し体制崩壊に繋がるかも知れない。日本経済や治安に悪影響を垂れ流すパチンコは諸悪の根源。この不良産業を非合法化すれば拉致問題に曙光が射し全てが丸く治まる。先ずは換金制度を廃止すべし。
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2010年03月01日
「蛍の光」は四番まで在るのを知ってますか
今日から弥生三月、進学や就職、或いは異動や退職で別れの季節でもある。卒業式で、日教組の反対で歌われなくなった「仰げば尊し」だが、「蛍の光」は歌われているのだろうか。この「蛍の光」が四番まで在ることを知っている人は少ない。
一、蛍の光 窓の雪
書(ふみ)読む月日 重ねつゝ
何時しか年も すぎの戸を
開けてぞ今は 別れ行く
(蛍を集めた光や雪の明かりを頼りにして、貧しくとも共に苦労して勉学に励んで来た友よ、愈々お別れの時が来ましたね。)
二、止まるも行くも 限りとて
互(かた)みに思う 千萬(ちよろず)の
心の端を 一言に
幸(さき)くと許(ばか)り 歌うなり
(学舎に留まる人も、また学を修めて卒業し、旅立って行く人も、今日を限りにと思ってお互いに交わした心の架け橋、永遠の絆を、無事に有れとばかりを念じ、この歌の一言に想いを託して歌います。)
三、筑紫の極み 陸(みち)の奥
海山遠く 隔つとも
その真心は 隔て無く
一つに尽くせ 国の為
(九州の端や東北の奥まで、海や山々によって遠く離れていても、真心は唯一つにして互いに国の発展の為に尽くそう。)
四、千島の奥も 沖縄も
八州(やしま)の内の 守りなり
至らん国に 勲しく
努めよ我が背 恙無く
(千島列島の奥も沖縄も、日本の国土の守りだ。学を修め職を得て、どの地に赴こうとも、日本各地夫々の地域で、我が友よ、我が夫よ、我が兄弟よ、どうか無事にお元気で、勇気を持って任に当たり、努めを果たして頂きたい。)
「蛍の光」を知れば、日本の歴史や先人の営為が見えて来る。
一、蛍の光 窓の雪
書(ふみ)読む月日 重ねつゝ
何時しか年も すぎの戸を
開けてぞ今は 別れ行く
(蛍を集めた光や雪の明かりを頼りにして、貧しくとも共に苦労して勉学に励んで来た友よ、愈々お別れの時が来ましたね。)
二、止まるも行くも 限りとて
互(かた)みに思う 千萬(ちよろず)の
心の端を 一言に
幸(さき)くと許(ばか)り 歌うなり
(学舎に留まる人も、また学を修めて卒業し、旅立って行く人も、今日を限りにと思ってお互いに交わした心の架け橋、永遠の絆を、無事に有れとばかりを念じ、この歌の一言に想いを託して歌います。)
三、筑紫の極み 陸(みち)の奥
海山遠く 隔つとも
その真心は 隔て無く
一つに尽くせ 国の為
(九州の端や東北の奥まで、海や山々によって遠く離れていても、真心は唯一つにして互いに国の発展の為に尽くそう。)
四、千島の奥も 沖縄も
八州(やしま)の内の 守りなり
至らん国に 勲しく
努めよ我が背 恙無く
(千島列島の奥も沖縄も、日本の国土の守りだ。学を修め職を得て、どの地に赴こうとも、日本各地夫々の地域で、我が友よ、我が夫よ、我が兄弟よ、どうか無事にお元気で、勇気を持って任に当たり、努めを果たして頂きたい。)
「蛍の光」を知れば、日本の歴史や先人の営為が見えて来る。
cordial8317 at 05:42|Permalink
2010年02月17日
確定申告と健康保険税と年金問題
確定申告が始まった。支援者から原稿料や講演料という形で浄財を戴いているので真面目に申告している。因みに昨年の所得140万円チョィ。国民健康保険税は「後期高齢者支金」「介護保険料」を含め約19万円も徴収されているが高くないか。
共産党らが声を張り上げ「年寄りに死ねというような制度で許さない!」などと叫んで党勢拡大を謀っているが、現実は現役世代が高齢者の4倍の負担をしてる。
本来ならば若い世代が怒らなければならない問題なのに、何故か優遇されてる高齢者負担だけが騒がれるのは可笑しな話で、要は党勢拡大に老人を利用してるだけ。
医療費年間約33兆円の内の3分の1の11兆円が75歳以上の高齢者の医療費。この11兆円のうちの1兆円を高齢者が負担し、もう1兆円は病院で高齢者が窓口で払う金額。残り9兆円のうちの5兆円を国が負担し4兆円を現役世代が負担している。
過日、共産党のオバちゃん達がこの問題で下手クソな演説をやってたので、からかって質問してみた。誰も医療費の実態を理解していなし、老人負担も知らない様で「皆、歳をとって往くんですから・・・」と、訳の分からぬ答ばかり(苦笑)
マイクで説明してやるから「自分に演説させろ」と言ってみたが、拒否され、無視された。「年寄りだから可愛そうだ」というのは間違いで 老いて尚、若い者に世話に成りっ放しでは、若者に「長幼の序」などという気持ちは生まれまい。
国民年金未納率は最悪の37.9%という。国民年金は月々14000円を40年間払い続け、約700万円納付し、受給年齢が来たら月々約7万円ほど貰える制度である。
抑々「国民年金制度」など遠い昔から有った制度ではない。ドイツ国宰相のビスマルクが「社会主義者鎮圧法」という法律を作る代わりに、労働者の不満を解消する為『年金制度』作り出した。日本はこれを真似て年金制度を導入し「国民年金」「厚生年金」「共済年金』の3つに分けられ現在に至っている。
日本国憲法では「勤労の義務」が有り、「厚生年金」だけで良いのに「国民年金」を創設し、公務員の為の「共済年金」まである始末だ。厚生年金は理解出来るが、共済年金が国民年金の実に4倍もの年金を受給していることは納得出来ない。
公務員の友人らに聞くと「我々も高い共済保険を積み立てている」と言い訳するが、その積立金も税金である。今の時代、公務員が「全体の奉仕者」などとは真っ赤な嘘で、公務員になってしまえば死ぬまで、否、死んでも優遇されるのである。
この儘では、年金制度など破綻するであろうことは誰にでも理解出来る。国民年金を支払わないのは、生活困難な人もいるだろうが、「どうせろくに貰えない」と思っている国民が少なくないからだで、早々に廃止して自己責任にすれば好い。
年金制度を有り難がっているのは、年金をろくに積み立てもせずに貰っている高齢者が殆どで、これを素晴らしい制度というのは偽善そのものだろう。
政府のやるべきことは、国民年金と共済年金の廃止の検討に入るべきで、今まで積み立てした分を返還し、老後は「自己責任にすべき」と教える事が大事だ。
我が国の社会保障制度は世界でも優れたもので、生活が困難な家庭には国や自治体で支援すれば良いだけ。但し、生活保護費の不正受給は徹底監視する必要あり。
ろくに働きもせず、「年金が貰えないのは差別だ!」とホザく在日への「生活保護」支給は違法であり、これを中止し日本人困窮者の支援の拡充すべきである。
今必要なのは「年金手帳」などというその場凌ぎの誤魔化しよりも「将来的には年金を廃止せざるを得ない」と、「本音」を言える政治家の出現であろう。
共産党らが声を張り上げ「年寄りに死ねというような制度で許さない!」などと叫んで党勢拡大を謀っているが、現実は現役世代が高齢者の4倍の負担をしてる。
本来ならば若い世代が怒らなければならない問題なのに、何故か優遇されてる高齢者負担だけが騒がれるのは可笑しな話で、要は党勢拡大に老人を利用してるだけ。
医療費年間約33兆円の内の3分の1の11兆円が75歳以上の高齢者の医療費。この11兆円のうちの1兆円を高齢者が負担し、もう1兆円は病院で高齢者が窓口で払う金額。残り9兆円のうちの5兆円を国が負担し4兆円を現役世代が負担している。
過日、共産党のオバちゃん達がこの問題で下手クソな演説をやってたので、からかって質問してみた。誰も医療費の実態を理解していなし、老人負担も知らない様で「皆、歳をとって往くんですから・・・」と、訳の分からぬ答ばかり(苦笑)
マイクで説明してやるから「自分に演説させろ」と言ってみたが、拒否され、無視された。「年寄りだから可愛そうだ」というのは間違いで 老いて尚、若い者に世話に成りっ放しでは、若者に「長幼の序」などという気持ちは生まれまい。
国民年金未納率は最悪の37.9%という。国民年金は月々14000円を40年間払い続け、約700万円納付し、受給年齢が来たら月々約7万円ほど貰える制度である。
抑々「国民年金制度」など遠い昔から有った制度ではない。ドイツ国宰相のビスマルクが「社会主義者鎮圧法」という法律を作る代わりに、労働者の不満を解消する為『年金制度』作り出した。日本はこれを真似て年金制度を導入し「国民年金」「厚生年金」「共済年金』の3つに分けられ現在に至っている。
日本国憲法では「勤労の義務」が有り、「厚生年金」だけで良いのに「国民年金」を創設し、公務員の為の「共済年金」まである始末だ。厚生年金は理解出来るが、共済年金が国民年金の実に4倍もの年金を受給していることは納得出来ない。
公務員の友人らに聞くと「我々も高い共済保険を積み立てている」と言い訳するが、その積立金も税金である。今の時代、公務員が「全体の奉仕者」などとは真っ赤な嘘で、公務員になってしまえば死ぬまで、否、死んでも優遇されるのである。
この儘では、年金制度など破綻するであろうことは誰にでも理解出来る。国民年金を支払わないのは、生活困難な人もいるだろうが、「どうせろくに貰えない」と思っている国民が少なくないからだで、早々に廃止して自己責任にすれば好い。
年金制度を有り難がっているのは、年金をろくに積み立てもせずに貰っている高齢者が殆どで、これを素晴らしい制度というのは偽善そのものだろう。
政府のやるべきことは、国民年金と共済年金の廃止の検討に入るべきで、今まで積み立てした分を返還し、老後は「自己責任にすべき」と教える事が大事だ。
我が国の社会保障制度は世界でも優れたもので、生活が困難な家庭には国や自治体で支援すれば良いだけ。但し、生活保護費の不正受給は徹底監視する必要あり。
ろくに働きもせず、「年金が貰えないのは差別だ!」とホザく在日への「生活保護」支給は違法であり、これを中止し日本人困窮者の支援の拡充すべきである。
今必要なのは「年金手帳」などというその場凌ぎの誤魔化しよりも「将来的には年金を廃止せざるを得ない」と、「本音」を言える政治家の出現であろう。
cordial8317 at 08:00|Permalink
2010年02月15日
教えるとは実に教えられることである(西晋一郎)
昨年、防挺を辞めて以来、福島の自宅に蟄居状態である。啓蒙活動の一環として、今年からブログを始めたが、昨年からミクシィやらグリーやらのコミュニティサイトに書き込んだり、地元の新聞(福島民報)、雑誌にも投稿したりしている。
新聞への投稿は昨年の9月からだが、昨日も採用されて今回で6回目の採用になる。内容は割愛するが、投稿記事のタイトルだけ記してみる。
第一回目「公約だけではなく民主党の根を知って」(9月24日)
以後「亀井発言の真意、家庭崩壊の警鐘」(10月15日)
「選挙公約より国益を第一に」(11月16日)
「政治とカネ問題、説明責任果たせ」(12月2日)
「特例会見問題おごり明らか」(12月23日)
「鳩山、小沢両氏見苦しい言い訳」(今年2月14日)
題名と投稿内容は編集者がチョッとソフトに校正している箇所はあるが、まぁこんなものだろう。他にも仄々としたものや、ローカルなネタも投稿している。
高が地方紙ではあるが、右翼の街頭演説やSNSのトータルサイトの書き込みよりは反響よりは大きく、各方面から連絡を頂いたりもする。ネット社会とはいえ未だ未だその影響力は小さなもので、改めてマスコミの力の大きさを痛感すること頻り。
学問とは、本来自分自身の向上の為にするもので、こうした衒学臭げなことは好きではないが、「教えるとは実に教えられることである(西晋一郎)」の言葉を教訓にやっている。教えることで抱える問題に気付き、大いに勉強にもなる。
「小人の学は、耳より入りて口より入ず。君子打たねば響かぬなり、打てば響くなり」という。坂本竜馬は、西郷隆盛を「西郷という男は大きな太鼓だ。小さく敲けば小さく響き、大きく敲けば大きく響く」と評した。
人というのは敲き様で返って来るものが違うという。小人は学問を売り物にし、耳から聞き齧った事をそのまま口にするので少しも身に付かないし、自分の中に真の学問を積んでいる人は決してひけらかすことなく衒学臭くはないという。
確かに「武士道」では、衒学が嫌われると教えている。学問は他人を説得したり、論破したりするものではなく、自分自身がどう生きて行くかのか、或いはどう在るべきか、といったことに答えを見出す手段でなくてはならないと説く。
仲間にしか通用しない理論や付け焼き刃の知識を熱く語り、ネットで同じ様な内容をツイートしまくって自分自身に酔っている輩をよく見掛ける。そんな受売りを垂れ流したところで、世の中ところか他人さえも動かすことが出来ないだろう。
吉田松陰は「学問をする眼目は 自己を磨き自己を確立することにある」と訓えている。右翼のカリスマ・野村秋介は「人を動かすものは決して理論などではなく、自分の謙虚な反省に基づく人間性以外に有り得ない」と教えていた。その言葉を噛み締めながら、自己確立を目指すと共に自問自答の日々は続くのである。呵呵。
新聞への投稿は昨年の9月からだが、昨日も採用されて今回で6回目の採用になる。内容は割愛するが、投稿記事のタイトルだけ記してみる。
第一回目「公約だけではなく民主党の根を知って」(9月24日)
以後「亀井発言の真意、家庭崩壊の警鐘」(10月15日)
「選挙公約より国益を第一に」(11月16日)
「政治とカネ問題、説明責任果たせ」(12月2日)
「特例会見問題おごり明らか」(12月23日)
「鳩山、小沢両氏見苦しい言い訳」(今年2月14日)
題名と投稿内容は編集者がチョッとソフトに校正している箇所はあるが、まぁこんなものだろう。他にも仄々としたものや、ローカルなネタも投稿している。
高が地方紙ではあるが、右翼の街頭演説やSNSのトータルサイトの書き込みよりは反響よりは大きく、各方面から連絡を頂いたりもする。ネット社会とはいえ未だ未だその影響力は小さなもので、改めてマスコミの力の大きさを痛感すること頻り。
学問とは、本来自分自身の向上の為にするもので、こうした衒学臭げなことは好きではないが、「教えるとは実に教えられることである(西晋一郎)」の言葉を教訓にやっている。教えることで抱える問題に気付き、大いに勉強にもなる。
「小人の学は、耳より入りて口より入ず。君子打たねば響かぬなり、打てば響くなり」という。坂本竜馬は、西郷隆盛を「西郷という男は大きな太鼓だ。小さく敲けば小さく響き、大きく敲けば大きく響く」と評した。
人というのは敲き様で返って来るものが違うという。小人は学問を売り物にし、耳から聞き齧った事をそのまま口にするので少しも身に付かないし、自分の中に真の学問を積んでいる人は決してひけらかすことなく衒学臭くはないという。
確かに「武士道」では、衒学が嫌われると教えている。学問は他人を説得したり、論破したりするものではなく、自分自身がどう生きて行くかのか、或いはどう在るべきか、といったことに答えを見出す手段でなくてはならないと説く。
仲間にしか通用しない理論や付け焼き刃の知識を熱く語り、ネットで同じ様な内容をツイートしまくって自分自身に酔っている輩をよく見掛ける。そんな受売りを垂れ流したところで、世の中ところか他人さえも動かすことが出来ないだろう。
吉田松陰は「学問をする眼目は 自己を磨き自己を確立することにある」と訓えている。右翼のカリスマ・野村秋介は「人を動かすものは決して理論などではなく、自分の謙虚な反省に基づく人間性以外に有り得ない」と教えていた。その言葉を噛み締めながら、自己確立を目指すと共に自問自答の日々は続くのである。呵呵。
cordial8317 at 08:02|Permalink
2010年02月13日
「竹島」は我が国固有の領土である
民主党政権の弱腰外交並びに朝貢外交の実態が今更乍ら露呈しているが、領土問題は国家の主権であり、如何なる譲歩も妥協も有ってはならない。
韓国は我が国固有の領土である竹島を「独島(ドクト)」と称し自国の領土と主張するが、この根拠は「三国史記」という古代朝鮮の歴史書に帰着する。
鬱陵島の隣の干山島が新羅の領土と書かれていることを論拠に「4~5世紀から韓国領だった」と主張する。だが、古地図では干山島は鬱陵島の西に接近している。竹島は鬱陵島の東南92キロに在るのだから干山島が竹島ではないのが分かる。
こんな判りきった事実が有るのに、何故韓国の連中は干山島は竹島だから固有の領土だと主張するのだろうか。というのも過去には、竹島と鬱陵島の周辺の小島の呼称が色々変わって来た為であり、そうしたことで混乱を招いているのも確か。
竹島は「松島」と呼ばれた時代もあるし「リャンコ島」と呼ばれたこともある。李氏朝鮮時代の地図には、鬱陵島より90キロも先に在る島のことなど唯の一度も登場したことはない。鬱陵島とその近くの干山島などの小島以外は全く出て来ない。
考えてみれば当然のことで、李氏朝鮮時代には鬱陵島すら空島政策によって居住が禁止されており、それより遥か先の小さな島のことなど関心の外であって、認識すらなかったというのが歴史的な事実であるのだが、それすら認めようとしない。
日本では徳川時代から魚採が行われ度々渡航していた事実がある。この領土問題を紛らわしくしているのは、日本では当時「鬱陵島を竹島」と呼んでいたことであろう。 歴史的な事実は以上の通りで、韓国の主張おいうのは全く根拠がない。
日本政府は過去にこの問題を「国際司法裁判所」に付託することを提議したが、韓国政府は未だに応じていない。韓国側が応じていないというより、応じられないというのが本音だろう。応じれば竹島が日本の領土となるのが分ってるからだ。
昭和26(1951)年に韓国がアメリカ政府に対し、ポツダム宣言の解釈として「日本が放棄した領土には竹島(独島)が含まれるべきである」と要求した。
「独島、又は竹島ないしリアンクール岩として知られる島に関しては、この通常無人島である岩島は、我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことは決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐支庁の管轄下にあります。この島はかつて朝鮮によって領土主張がなされたとは思いません(ラスク国務次官補より梁韓国大使宛書簡、1951年8月10日付)」 と回答されている。
歴史的に見ても竹島は我が国固有の領土であり毅然と領有権を主張すべき問題であり、領土問題での譲歩は更なる譲歩を生むだけで何の解決にもならない。
戦後の日本の歴代政府の弱腰軟弱外交と国家主権に対する認識不足や対応の甘さの所為で、韓国を始めロシア、中共、北朝鮮といった国になめられ続けている。
韓国は我が国固有の領土である竹島を「独島(ドクト)」と称し自国の領土と主張するが、この根拠は「三国史記」という古代朝鮮の歴史書に帰着する。
鬱陵島の隣の干山島が新羅の領土と書かれていることを論拠に「4~5世紀から韓国領だった」と主張する。だが、古地図では干山島は鬱陵島の西に接近している。竹島は鬱陵島の東南92キロに在るのだから干山島が竹島ではないのが分かる。
こんな判りきった事実が有るのに、何故韓国の連中は干山島は竹島だから固有の領土だと主張するのだろうか。というのも過去には、竹島と鬱陵島の周辺の小島の呼称が色々変わって来た為であり、そうしたことで混乱を招いているのも確か。
竹島は「松島」と呼ばれた時代もあるし「リャンコ島」と呼ばれたこともある。李氏朝鮮時代の地図には、鬱陵島より90キロも先に在る島のことなど唯の一度も登場したことはない。鬱陵島とその近くの干山島などの小島以外は全く出て来ない。
考えてみれば当然のことで、李氏朝鮮時代には鬱陵島すら空島政策によって居住が禁止されており、それより遥か先の小さな島のことなど関心の外であって、認識すらなかったというのが歴史的な事実であるのだが、それすら認めようとしない。
日本では徳川時代から魚採が行われ度々渡航していた事実がある。この領土問題を紛らわしくしているのは、日本では当時「鬱陵島を竹島」と呼んでいたことであろう。 歴史的な事実は以上の通りで、韓国の主張おいうのは全く根拠がない。
日本政府は過去にこの問題を「国際司法裁判所」に付託することを提議したが、韓国政府は未だに応じていない。韓国側が応じていないというより、応じられないというのが本音だろう。応じれば竹島が日本の領土となるのが分ってるからだ。
昭和26(1951)年に韓国がアメリカ政府に対し、ポツダム宣言の解釈として「日本が放棄した領土には竹島(独島)が含まれるべきである」と要求した。
「独島、又は竹島ないしリアンクール岩として知られる島に関しては、この通常無人島である岩島は、我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことは決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐支庁の管轄下にあります。この島はかつて朝鮮によって領土主張がなされたとは思いません(ラスク国務次官補より梁韓国大使宛書簡、1951年8月10日付)」 と回答されている。
歴史的に見ても竹島は我が国固有の領土であり毅然と領有権を主張すべき問題であり、領土問題での譲歩は更なる譲歩を生むだけで何の解決にもならない。
戦後の日本の歴代政府の弱腰軟弱外交と国家主権に対する認識不足や対応の甘さの所為で、韓国を始めロシア、中共、北朝鮮といった国になめられ続けている。
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2010年02月12日
韓国併合から100年の節目に韓国に猛省を促す
昨日ソウルで岡田克也外相と韓国李明博大統領との会談が行われた。いつの間にやら韓国への朝貢国が如くに振る舞った岡田の行為は日本人として怒りを覚える。
日韓併合に関し「民族の誇りを傷つけた」との訳の解らぬ見解を示し、「私たちは過去の歴史を前向きに直視する勇気を持っている」と、恰も我が国の韓国を弾圧したかのように媚び諂ってたが、外交とは断じて謝罪や同調をすることではない。
今年は日韓併合から100年の節目ということで、それに合わせあろうことか天皇陛下の訪韓を画策している様だが、日韓併合を批判する勢力は依然として日帝支配を糾弾しており、その様な中での御訪韓は不祥事が起こる可能性は否定出来ない。
天皇訪韓は、不快極まるものになるであろうことは火を見るより明らかで、断固阻止せねばならない。要するに韓国は、天皇陛下を御訪韓させて、改めて謝罪させ、それを正しい歴史としたいのであろうが、無礼千万極まりないことである。
日本の統治時代を悪逆非道の「日帝36年」と決め付ける韓国の主張の根源は、日本が米国の「戦後民主主義教育」の洗脳に因り自虐史観に陥っている様に、米国の傀儡・李承晩らによる「反日教育」によって影響を受けているのである。
李承晩は日本統治時代、海外で反日運動をしていた人物であり、戦後米国の威光で初代大統領になった人物だ。韓国国民を纏めようと行ったのが「反共」「反日」政策で、これを韓国の「国是」としたのである。未だにこうした一部の少数派が創り上げた歴史を信じているのだが、李承晩は後に韓国を捨てた人物でもある。
韓国も我が国同様、米国の術中に嵌っているだけなのだ。韓国を併合するに至る歴史は「日韓併合」だけではなく、アジア近代史を知る必要があろう。
韓国独自での巨大ロシアの排除や近代国家建設の道は、日本の助力なしでは在り得ず、寧ろ日本に拠る韓国保護の必要性を認め、日本と一体となった上で民族の自立発展の道を模索しようとした「日韓合邦派」の主張が現実的だった。
無論、その合邦派も最後は韓国併合の現実に一切沈黙せざるを得なかったのだ。この悲劇の現実こそが、日韓関係の日韓関係たる所以なのである。
韓国人は、こういう事実は一切無視し、「事大思想」から物事を冷静に判断出来ない連中ばかりで「韓国併合」は西洋列強の植民地支配とは違うとホザく。
要するに、「西洋の植民地支配は先進国が後進国を支配したのであって悪ではない」という考え方を持っている韓国は、「韓国併合」は後進国の日本が先進国の韓国を支配したのであって、ナチスドイツのフランス侵略と同じだという発想なのだ。
「進んだ文化を持つ国が、遅れた国を支配することは至極当然であり、非難など出来る筈もない」ということなのだが、こうした韓国人の事大思想にはホトホト呆れるばかり。岡田や小沢、鳩山らの藪蛇外交はこれが初めてではない。
小沢は昨年、訪中の帰りに立ち寄った韓国のソウルの国民大学で講演し「天皇家の祖先は朝鮮南部の権力者」「韓国が望めば天皇を訪韓させられる」と韓国を喜ばせ、歴史問題では土下座というパフォーマンスをして在日の「参政権付与」を約束した。
過去にも、扶桑社の歴史教科書が問題になった時、「採用されることがあってはならない」と口走り、「慰安婦問題」では民主党は国家補償をも打ち出している。
日本国内では未だに「自虐史観」が蔓延り、韓国では「反日史観」が徹底されている状況では、健全な日韓関係の発展なんぞ望めやしない。「韓国の国是である『反日』を止め、『親日分子取締り法」などというふざけた法律は廃止すべき」と訴えてくるならいざ知らず、「民族の誇りを傷つけた」とは開いた口が塞がらない。
コイツらの外交は、自国の国益などそっちのけで謝罪や同調や譲歩することだと思っているらしいが、こういう連中は所詮どの国も信用してはいないだろう。日本人も欧米や韓国の様に「己を正当化する強固な意志」を持つべきであろう。
日韓併合に関し「民族の誇りを傷つけた」との訳の解らぬ見解を示し、「私たちは過去の歴史を前向きに直視する勇気を持っている」と、恰も我が国の韓国を弾圧したかのように媚び諂ってたが、外交とは断じて謝罪や同調をすることではない。
今年は日韓併合から100年の節目ということで、それに合わせあろうことか天皇陛下の訪韓を画策している様だが、日韓併合を批判する勢力は依然として日帝支配を糾弾しており、その様な中での御訪韓は不祥事が起こる可能性は否定出来ない。
天皇訪韓は、不快極まるものになるであろうことは火を見るより明らかで、断固阻止せねばならない。要するに韓国は、天皇陛下を御訪韓させて、改めて謝罪させ、それを正しい歴史としたいのであろうが、無礼千万極まりないことである。
日本の統治時代を悪逆非道の「日帝36年」と決め付ける韓国の主張の根源は、日本が米国の「戦後民主主義教育」の洗脳に因り自虐史観に陥っている様に、米国の傀儡・李承晩らによる「反日教育」によって影響を受けているのである。
李承晩は日本統治時代、海外で反日運動をしていた人物であり、戦後米国の威光で初代大統領になった人物だ。韓国国民を纏めようと行ったのが「反共」「反日」政策で、これを韓国の「国是」としたのである。未だにこうした一部の少数派が創り上げた歴史を信じているのだが、李承晩は後に韓国を捨てた人物でもある。
韓国も我が国同様、米国の術中に嵌っているだけなのだ。韓国を併合するに至る歴史は「日韓併合」だけではなく、アジア近代史を知る必要があろう。
韓国独自での巨大ロシアの排除や近代国家建設の道は、日本の助力なしでは在り得ず、寧ろ日本に拠る韓国保護の必要性を認め、日本と一体となった上で民族の自立発展の道を模索しようとした「日韓合邦派」の主張が現実的だった。
無論、その合邦派も最後は韓国併合の現実に一切沈黙せざるを得なかったのだ。この悲劇の現実こそが、日韓関係の日韓関係たる所以なのである。
韓国人は、こういう事実は一切無視し、「事大思想」から物事を冷静に判断出来ない連中ばかりで「韓国併合」は西洋列強の植民地支配とは違うとホザく。
要するに、「西洋の植民地支配は先進国が後進国を支配したのであって悪ではない」という考え方を持っている韓国は、「韓国併合」は後進国の日本が先進国の韓国を支配したのであって、ナチスドイツのフランス侵略と同じだという発想なのだ。
「進んだ文化を持つ国が、遅れた国を支配することは至極当然であり、非難など出来る筈もない」ということなのだが、こうした韓国人の事大思想にはホトホト呆れるばかり。岡田や小沢、鳩山らの藪蛇外交はこれが初めてではない。
小沢は昨年、訪中の帰りに立ち寄った韓国のソウルの国民大学で講演し「天皇家の祖先は朝鮮南部の権力者」「韓国が望めば天皇を訪韓させられる」と韓国を喜ばせ、歴史問題では土下座というパフォーマンスをして在日の「参政権付与」を約束した。
過去にも、扶桑社の歴史教科書が問題になった時、「採用されることがあってはならない」と口走り、「慰安婦問題」では民主党は国家補償をも打ち出している。
日本国内では未だに「自虐史観」が蔓延り、韓国では「反日史観」が徹底されている状況では、健全な日韓関係の発展なんぞ望めやしない。「韓国の国是である『反日』を止め、『親日分子取締り法」などというふざけた法律は廃止すべき」と訴えてくるならいざ知らず、「民族の誇りを傷つけた」とは開いた口が塞がらない。
コイツらの外交は、自国の国益などそっちのけで謝罪や同調や譲歩することだと思っているらしいが、こういう連中は所詮どの国も信用してはいないだろう。日本人も欧米や韓国の様に「己を正当化する強固な意志」を持つべきであろう。
cordial8317 at 08:11|Permalink
2010年02月07日
小沢一郎の事件を機に政党交付金を廃止せよ!
政治家というのは一体幾ら貰ったら真面目に滅私奉公してくれるのだろうか?
小沢の疑惑は、西松、水谷建設の「裏献金疑惑」や世田谷の土地購入問題以外にも、「都内の高級マンション購入疑惑」「岩手めんこいテレビ株主問題」などがあり、群を抜く「個人資産」は周知の事実。これらの不動産取得や蓄財に、新生、自由党の解党時の政治資金約23億円余りが使われているのは見逃せない。
新生党解党時の9億2000万円と、自由党解党時の13億6000万円が小沢の政治団体に寄付され、内10億円余りで12件の不動産購入を購入している。
「政党交付金(政党助成金)」は全て国民の血税であり、これを返納せずに不動産購入や蓄財に充てることは、国民に対する背任、横領、詐欺行為である。
政党交付金は、企業・労働組合・団体から政党・政治団体への政治献金を制限(禁止としないところがミソ)する代償として、細川政権時に導入されたものだ。
細川はドイツの事例を挙げ「ドイツでは国民がカネを出し合って政党を援助している。政治家がカネ集めに奔走しなくて済むし、何よりクリーンな政治を実現出来る」と国民を騙し、この制度を導入した。
政党助成法成立で、企業献金や政治資金パーティーは無くなり、政治家は国家国民の為に汗してくれるものと国民の誰もが思った。
この政党助成金、国民一人当たり250円。総額約320億円。国会議員一人当たり約5000万円が支払われいている。
議員には歳費として年間2300万円、文書交通費1200万円、公設秘書の給料や議員会館、議員宿舎など年間合わせて1億円以上の国費が掛かる。
誰が見ても十分な金額だと思うが、欲の皮のツッパッた連中は違う。相変わらず、企業献金、個人献金、政経パーティーと、国政そっちのけで金策に狂奔しているのはどういうことか。これではまるで国民に対する「政党交付金詐欺」だろう。
小沢の疑惑は、この政党交付金の在り方を問うべき大問題なのである。政治活動の自由という観点から、政党交付金の使い道には制限が無ければ立法事務費も使途報告の必要もなく、解散時の返納する義務もない。
しかし、法を作るべ国会議員が「合法的なら」「法律の範囲内なら」と法を巧妙に抜け、不動産購入や蓄財をするなど以ての外だ。
共産党が唯一「政党助成金は止めるべきだ」としているが、至極当然の話しで、政党交付金の趣旨は企業、労働組合、団体からの政治献金禁止の代償であり、未だ企業団体献金が無くならない現状を見れば、即刻廃止すべきものである。
日本共産党は、政党交付金を「憲法違反」と断じて給付拒否している。共産党でも解りきってることが、今の欲集りの政治屋どもには全く理解出来ていない。
小沢の疑惑は、西松、水谷建設の「裏献金疑惑」や世田谷の土地購入問題以外にも、「都内の高級マンション購入疑惑」「岩手めんこいテレビ株主問題」などがあり、群を抜く「個人資産」は周知の事実。これらの不動産取得や蓄財に、新生、自由党の解党時の政治資金約23億円余りが使われているのは見逃せない。
新生党解党時の9億2000万円と、自由党解党時の13億6000万円が小沢の政治団体に寄付され、内10億円余りで12件の不動産購入を購入している。
「政党交付金(政党助成金)」は全て国民の血税であり、これを返納せずに不動産購入や蓄財に充てることは、国民に対する背任、横領、詐欺行為である。
政党交付金は、企業・労働組合・団体から政党・政治団体への政治献金を制限(禁止としないところがミソ)する代償として、細川政権時に導入されたものだ。
細川はドイツの事例を挙げ「ドイツでは国民がカネを出し合って政党を援助している。政治家がカネ集めに奔走しなくて済むし、何よりクリーンな政治を実現出来る」と国民を騙し、この制度を導入した。
政党助成法成立で、企業献金や政治資金パーティーは無くなり、政治家は国家国民の為に汗してくれるものと国民の誰もが思った。
この政党助成金、国民一人当たり250円。総額約320億円。国会議員一人当たり約5000万円が支払われいている。
議員には歳費として年間2300万円、文書交通費1200万円、公設秘書の給料や議員会館、議員宿舎など年間合わせて1億円以上の国費が掛かる。
誰が見ても十分な金額だと思うが、欲の皮のツッパッた連中は違う。相変わらず、企業献金、個人献金、政経パーティーと、国政そっちのけで金策に狂奔しているのはどういうことか。これではまるで国民に対する「政党交付金詐欺」だろう。
小沢の疑惑は、この政党交付金の在り方を問うべき大問題なのである。政治活動の自由という観点から、政党交付金の使い道には制限が無ければ立法事務費も使途報告の必要もなく、解散時の返納する義務もない。
しかし、法を作るべ国会議員が「合法的なら」「法律の範囲内なら」と法を巧妙に抜け、不動産購入や蓄財をするなど以ての外だ。
共産党が唯一「政党助成金は止めるべきだ」としているが、至極当然の話しで、政党交付金の趣旨は企業、労働組合、団体からの政治献金禁止の代償であり、未だ企業団体献金が無くならない現状を見れば、即刻廃止すべきものである。
日本共産党は、政党交付金を「憲法違反」と断じて給付拒否している。共産党でも解りきってることが、今の欲集りの政治屋どもには全く理解出来ていない。
cordial8317 at 06:21|Permalink
2010年02月06日
横綱朝青龍と小沢一郎に見る男の引き際の違い
現役に拘っていた朝青龍が、横綱審議委員会から「引退勧告」を出され、苦渋の選択の上で引退を決意したことは妥当な選択だろう。引退前まで朝青龍を批判していた人も、会見での涙を見たら今迄の怒りの矛先も収めてしまったのではないだろうか。
この件で内館牧子が「今後日本であれ他の外国であれ、何処かで仕事をなさるでしょうが、その際、その国とその業界、及びその仕事に対し敬意を払うことを忘れないで欲しいと思います。朝青龍は日本に、角界に、そして相撲という仕事に敬意が欠けていた。それを持てば彼の良さがもっと表れ、そして評価されると考えています」とコメントを出している。今後の第二の人生に向かって役立てて欲しいものだ。
朝青龍の礼節や品格の無さは、朝青龍の指導を怠った高砂親方の責任が大きい。二場所連続優勝で昇進の条件は満たしたとはいえ、品格や相手への礼節に大きな疑問の残る朝青龍を簡単に横綱に昇進させた横綱審議委員会の責任も大きい。
相撲の世界に限らず、どんな世界でも間違いが有れば、諭して厳しく教えることは大事である。高校を卒業し入門したての未だ純粋な時期に、きちんと教えてやっていれば違う人生を歩んだだろうし、誰からも愛される横綱になっただろう。
高砂親方は、自分流で個性を重んじて大らかに育てたつもりなのだろうが、それは優しさというより単なる甘やかしだ。日教組の連中が、自分たちは単なる労働者で、生徒との関係は師弟関係ではなく、同等の立場なんだと友達の様に接する。
家庭でも親子というより友達感覚で生活している親子も少なくない。然し、上下の礼節や長幼の序といったものは、そんな甘ったるい環境では絶対に知ることはない。
朝青龍の引退も「これも人生」と言ってしまえばそれまでだが、力士として抜群の力量が有っただけに、こんな中途半端な辞め方は返す返すも残念である。
朝青龍が自ら引退表明した同じ日、政治資金規正法違反に問われた小沢一郎に不起訴の判断が出た。待ってましたとばかり、小沢は幹事長続投を表明した。然し、嫌疑不十分で罪に問うには証拠が少ないだけで、無実となった訳でもない。
依然、政治的、道義的責任は存在する。小沢にしろ鳩山にしろ「秘書の責任は政治家本人の責任である」と言っていたではないか。二枚舌も好い加減にしなさい。
その昔、小沢は「まず、政治資金の出入りを1円に至るまで全面的に公開し流れを完全に透明にすることである」と提唱し、同時に罰則の強化も主張し、違反の言い逃れを封じる為に「連座制」を導入すべきとも訴えていることとは大違い。
政治資金規正法は議会制民主主義の根幹を成す法律であり、政治資金の実態を偽ることは、国民を欺いて政治判断を歪めることに他ならないのである。
劣化甚だしい小沢一郎に横綱の様な品格や礼節を求めるのは無理な話かも知れないが、政治とは最高の倫理であり、最高の道徳でなくてはならないのである。
小沢は朝青龍に見習って政界から引退して欲しいものだが、恬として恥じることなく居座り続ける小沢には、国民から「引退勧告」を突き付けるしかない。
この件で内館牧子が「今後日本であれ他の外国であれ、何処かで仕事をなさるでしょうが、その際、その国とその業界、及びその仕事に対し敬意を払うことを忘れないで欲しいと思います。朝青龍は日本に、角界に、そして相撲という仕事に敬意が欠けていた。それを持てば彼の良さがもっと表れ、そして評価されると考えています」とコメントを出している。今後の第二の人生に向かって役立てて欲しいものだ。
朝青龍の礼節や品格の無さは、朝青龍の指導を怠った高砂親方の責任が大きい。二場所連続優勝で昇進の条件は満たしたとはいえ、品格や相手への礼節に大きな疑問の残る朝青龍を簡単に横綱に昇進させた横綱審議委員会の責任も大きい。
相撲の世界に限らず、どんな世界でも間違いが有れば、諭して厳しく教えることは大事である。高校を卒業し入門したての未だ純粋な時期に、きちんと教えてやっていれば違う人生を歩んだだろうし、誰からも愛される横綱になっただろう。
高砂親方は、自分流で個性を重んじて大らかに育てたつもりなのだろうが、それは優しさというより単なる甘やかしだ。日教組の連中が、自分たちは単なる労働者で、生徒との関係は師弟関係ではなく、同等の立場なんだと友達の様に接する。
家庭でも親子というより友達感覚で生活している親子も少なくない。然し、上下の礼節や長幼の序といったものは、そんな甘ったるい環境では絶対に知ることはない。
朝青龍の引退も「これも人生」と言ってしまえばそれまでだが、力士として抜群の力量が有っただけに、こんな中途半端な辞め方は返す返すも残念である。
朝青龍が自ら引退表明した同じ日、政治資金規正法違反に問われた小沢一郎に不起訴の判断が出た。待ってましたとばかり、小沢は幹事長続投を表明した。然し、嫌疑不十分で罪に問うには証拠が少ないだけで、無実となった訳でもない。
依然、政治的、道義的責任は存在する。小沢にしろ鳩山にしろ「秘書の責任は政治家本人の責任である」と言っていたではないか。二枚舌も好い加減にしなさい。
その昔、小沢は「まず、政治資金の出入りを1円に至るまで全面的に公開し流れを完全に透明にすることである」と提唱し、同時に罰則の強化も主張し、違反の言い逃れを封じる為に「連座制」を導入すべきとも訴えていることとは大違い。
政治資金規正法は議会制民主主義の根幹を成す法律であり、政治資金の実態を偽ることは、国民を欺いて政治判断を歪めることに他ならないのである。
劣化甚だしい小沢一郎に横綱の様な品格や礼節を求めるのは無理な話かも知れないが、政治とは最高の倫理であり、最高の道徳でなくてはならないのである。
小沢は朝青龍に見習って政界から引退して欲しいものだが、恬として恥じることなく居座り続ける小沢には、国民から「引退勧告」を突き付けるしかない。
cordial8317 at 08:27|Permalink
在日李氏朝鮮人でプロレスラーの前田日明
在日プロレスラーの前田日明が次期参院選に民主党から出馬する予定という。出馬が決まった為か、最近は小沢擁護の発言が目に付く。勝谷誠彦や鳥越俊太郎らの露骨な小沢擁護ほどではないにしろ、小沢に御為倒しをする輩はどうも信用ならない。
前田は中々の勉強家で、日本の歴史にも詳しく、日本の現況を憂いている気概を感じる部分も多かっただけに民主党からの出馬は残念な気がしないでもない。
前田日明は一水会の木村三浩著『右翼はおわってねぇぞ』で、木村氏と対談し「在日コリアンというのはおかしな連中で、当の本人でも自分が何人かわからない。なかには、日本人より日本人的な人間もいます。日々の生活で、まったく日本人の感覚でしゃべっている自分もありますし、韓国人でもある。では何人だと。自分が韓国人、また朝鮮人なのか日本人なのかわからない」とした上で『自分は在日朝鮮人といわれるんですけれど、自分でいうとしたら在日『李氏朝鮮人』です。精神的に自分たちにとっての祖国は李氏朝鮮(李朝)としかいえないかもしれない」と表現している。
自分を「在日李氏朝鮮人」という前田だが、「永住外国人地方参政権付与法案」問題については、「これはおかしいと思うんです。永住外国人、はっきりいって対象は在日台湾、韓国、朝鮮人ですよ。参政権うんぬん以前の問題で、戦前から日本に来ている人たちには是非もなく、まず日本国籍を与えて選択させる。国籍を取れば選挙権は当然で、国籍はいらないという人には選挙権は必要ないですよ」と述べている。
更に「戦後の断絶とともにこの国の精神文化が破壊されました。とくに破壊されたのは、歴史の破壊による精神的断絶。歴史教育というのは、経験という生きた道徳教育につながりますからね。そのために、この国独自の礼節や言葉が乱れてきたように思われてなりません。」と歴史教育の見直しと道徳教育の必要性も訴えている。
「外国人参政権付与反対」「道徳教育の必要性」を主張はしていたが、どうせ右翼との対談で阿諛追従しただけで、これらの主張が本当なら、道徳教育の廃止や外国人参政権付与成立を謀る民主党から出馬しようなどとは夢にも考えないだろう。
衆議院のカーボンペーパーと言われて久しい参議院だが、プロレスラーやら朝鮮日報の支社長やら、「2番じゃダメなんですか」と絶叫した帰化人やら薬物使用の前科者の沖縄歌手だとか、最早「良識の府」などとは縁遠い連中ばかりで、こんな無用の長物・参議院なんぞ、早急に廃止に向けて「仕分け」して欲しいものだ。呵呵。
前田は中々の勉強家で、日本の歴史にも詳しく、日本の現況を憂いている気概を感じる部分も多かっただけに民主党からの出馬は残念な気がしないでもない。
前田日明は一水会の木村三浩著『右翼はおわってねぇぞ』で、木村氏と対談し「在日コリアンというのはおかしな連中で、当の本人でも自分が何人かわからない。なかには、日本人より日本人的な人間もいます。日々の生活で、まったく日本人の感覚でしゃべっている自分もありますし、韓国人でもある。では何人だと。自分が韓国人、また朝鮮人なのか日本人なのかわからない」とした上で『自分は在日朝鮮人といわれるんですけれど、自分でいうとしたら在日『李氏朝鮮人』です。精神的に自分たちにとっての祖国は李氏朝鮮(李朝)としかいえないかもしれない」と表現している。
自分を「在日李氏朝鮮人」という前田だが、「永住外国人地方参政権付与法案」問題については、「これはおかしいと思うんです。永住外国人、はっきりいって対象は在日台湾、韓国、朝鮮人ですよ。参政権うんぬん以前の問題で、戦前から日本に来ている人たちには是非もなく、まず日本国籍を与えて選択させる。国籍を取れば選挙権は当然で、国籍はいらないという人には選挙権は必要ないですよ」と述べている。
更に「戦後の断絶とともにこの国の精神文化が破壊されました。とくに破壊されたのは、歴史の破壊による精神的断絶。歴史教育というのは、経験という生きた道徳教育につながりますからね。そのために、この国独自の礼節や言葉が乱れてきたように思われてなりません。」と歴史教育の見直しと道徳教育の必要性も訴えている。
「外国人参政権付与反対」「道徳教育の必要性」を主張はしていたが、どうせ右翼との対談で阿諛追従しただけで、これらの主張が本当なら、道徳教育の廃止や外国人参政権付与成立を謀る民主党から出馬しようなどとは夢にも考えないだろう。
衆議院のカーボンペーパーと言われて久しい参議院だが、プロレスラーやら朝鮮日報の支社長やら、「2番じゃダメなんですか」と絶叫した帰化人やら薬物使用の前科者の沖縄歌手だとか、最早「良識の府」などとは縁遠い連中ばかりで、こんな無用の長物・参議院なんぞ、早急に廃止に向けて「仕分け」して欲しいものだ。呵呵。
cordial8317 at 07:00|Permalink
2010年02月05日
小沢一郎著「日本改造計画」と今回の事件の矛盾
小沢一郎が不起訴になったが、別に嫌疑不十分ということで無罪になった訳でもない。是非とも検察審議会に審査を申し立て「強制起訴」して欲しいものだ。
小沢はその昔、政治資金の在り方に関し、自著「日本改造計画」でこう書いている。「まず、政治資金の出入りを1円に至るまで全面的に公開し流れを完全に透明にすることである」。白々しくこう提唱していたのを知っているだろうか。
更に、同時に罰則の強化も主張し、違反の言い逃れを封じる為に「連座制を導入すべき」とも訴えている。然し、現実にはこの時に、既に小沢は西松建設のダミー会社から献金を受け取っていたと言うのだからこんなフザけた話はないだろう。
献金問題で小沢の公設秘書が逮捕されると、「逮捕されただけで起訴されたんですか」と開き直り、「献金してくれるという方について、どういう所から出ているのかという類を聞くのは失礼なことですし詮索しない」とまで答えている。
公設秘書の起訴を受けて女性記者から質問されると「なんで私が離党し、議員辞職しなければならないんですか」と気色ばんで、質問した女性を睨み付けた。今回の事件で不起訴処分となったところで、政治家としての道義的責任は免れない。
例えば、平成13年、自民党の加藤紘一の事務所代表が所得税法違反に問われた際に、鳩山由紀夫は「秘書の責任は政治家の責任である」と執拗に追及した。こうした結果、加藤は自民党を離党し、議員も辞職しケジメを付けている。
小沢も鳩山も「担当秘書を信頼し実務は一切任せていた」「私自身帳簿や報告書を見たことはない」「私自身私腹を肥やした訳ではない」とはもう嗤うしかない。
それを言うなら、加藤紘一も全く同じで、事務所代表を信頼し実務を任せ、また私腹を肥やした訳でもないだろう。小沢鳩山両人とも自分自身には相当甘いようだ。
政治資金規正法とは議会制民主主義の根幹を成す法律であり、政治資金の実態を偽ることは、つまりは国民を欺いて政治判断を歪めることに他ならない。
民主党は真剣に政権運営に臨むので有れば、小沢に幹事長辞任を進言すべきであろう。だが、民主党は自己保身、権力欲、偽善者の烏合の衆ばかりで、国民には「自浄能力の無さ」「政権担当能力の無さ」を露呈している様に思える。
人品に劣るというか、言行不一致の鳩山や小沢が政治家の椅子に固執すればするほど、国民の民主党離れは進み、政治不信は益々募るばかりだろう。
小沢はその昔、政治資金の在り方に関し、自著「日本改造計画」でこう書いている。「まず、政治資金の出入りを1円に至るまで全面的に公開し流れを完全に透明にすることである」。白々しくこう提唱していたのを知っているだろうか。
更に、同時に罰則の強化も主張し、違反の言い逃れを封じる為に「連座制を導入すべき」とも訴えている。然し、現実にはこの時に、既に小沢は西松建設のダミー会社から献金を受け取っていたと言うのだからこんなフザけた話はないだろう。
献金問題で小沢の公設秘書が逮捕されると、「逮捕されただけで起訴されたんですか」と開き直り、「献金してくれるという方について、どういう所から出ているのかという類を聞くのは失礼なことですし詮索しない」とまで答えている。
公設秘書の起訴を受けて女性記者から質問されると「なんで私が離党し、議員辞職しなければならないんですか」と気色ばんで、質問した女性を睨み付けた。今回の事件で不起訴処分となったところで、政治家としての道義的責任は免れない。
例えば、平成13年、自民党の加藤紘一の事務所代表が所得税法違反に問われた際に、鳩山由紀夫は「秘書の責任は政治家の責任である」と執拗に追及した。こうした結果、加藤は自民党を離党し、議員も辞職しケジメを付けている。
小沢も鳩山も「担当秘書を信頼し実務は一切任せていた」「私自身帳簿や報告書を見たことはない」「私自身私腹を肥やした訳ではない」とはもう嗤うしかない。
それを言うなら、加藤紘一も全く同じで、事務所代表を信頼し実務を任せ、また私腹を肥やした訳でもないだろう。小沢鳩山両人とも自分自身には相当甘いようだ。
政治資金規正法とは議会制民主主義の根幹を成す法律であり、政治資金の実態を偽ることは、つまりは国民を欺いて政治判断を歪めることに他ならない。
民主党は真剣に政権運営に臨むので有れば、小沢に幹事長辞任を進言すべきであろう。だが、民主党は自己保身、権力欲、偽善者の烏合の衆ばかりで、国民には「自浄能力の無さ」「政権担当能力の無さ」を露呈している様に思える。
人品に劣るというか、言行不一致の鳩山や小沢が政治家の椅子に固執すればするほど、国民の民主党離れは進み、政治不信は益々募るばかりだろう。
cordial8317 at 05:55|Permalink
2010年02月03日
右翼浪漫派を気取ってみるも
小生の故郷、二本松出身の大山忠作画伯が死去して一周忌になる。「五百羅漢」を是非見たいと、地元に建設された「大山忠作記念館」に行って来た。日本画家では一番好きな画家だ。因みに大山画伯の長女の采子さんは、女優の一色彩子。
右翼と蔑視されてはいるが演歌や軍歌よりクラッシックやオペラや美術館巡りが好きで、本人は「右翼浪漫派」を気取っているが、周りからは失笑が漏れる。
クラッシックはショパンも好きだが、サティの「ジムノペティ第1番」は春に聴くには最高の曲で、聴いてると何となく気持ちが落ち着いて心地好い。オペラは、パバッロティも良いが、サラブライトマンが好きでipodでよく聴いている。
浪漫と云えば、その昔、防挺の初代福田進総隊長の著書「日本と油虫」という本のあとがきに「男のロマン」を感じさせるこんな一節があったのを思い出す。
「俺はまだアラブを知らない。
夜空に輝く星が今にも落ちて来るのじゃないかと・・・
連合赤軍の兵士てえ自称する、共産主義の三匹の油虫のアンチャンは、
イスラエルの空港で好き勝手に暴れ回ってユダ公をぶっ殺した。
生き残った一匹は
『我々三人は死んだ後オリオンの三つの星になろうと考えていた』
その言葉は稚拙ではあるが荒廃した日本にはないロマンを感じさせるんだなあ。
アラブという国が、
日本青年をして死を覚悟するまで革命に駆り立てる何かがあるとすれば、
俺も夢多き一人として一度アラブへ行って見たい衝動に駆られる。
きっとアラブの夜空に燦然と輝くオリオンの星が、
油虫の俺を魅きつけるのかも知れない・・・」
学生時代この本に出会い、何時の日か満天の星を見にアラブに行きたいと思ってはいるが、当たり前だが慢性的不如意から抜け出せず未だ実現出来ないでいる。
今日の朝刊に「平山郁夫お別れ会」の記事が載っていた。その昔、日中友好協会、各会員に質問状を送ったことがあるが、その時の会長が平山郁夫だった。 平成17年に送付した「日中友好協会各会員に質問す」という内容は 次の通り。
1、尖閣諸島は歴史的にも我が国の固有の領土であるが、1968年の海底調査で石油資源の可能性が報告されてから、支那は領有権を主張しているが、1972年前の北京政府の地図では日本の領土となっていたのは知っているか。
2、日本最南端沖の鳥島を岩礁だと言い張り、我が国の排他的経済水域への侵犯を繰り返しているが、この支那の海賊行為について言及したことはあるのか。
3、盧溝橋の中国人民抗日記念館など反日的宣伝施設にある出鱈目な展示物は著しく友好を損ねるものであると思うが如何か。
4、経済の発展には真の自由と民主主義が不可欠であると思うが、中国共産党による一党独裁を廃し複数政党を認めるよう提言したか。
5、我が国は支那に莫大なODAを支援しているが、無償有償の多大な経済援助を人民に教えないのは何故だと思うか。
6、日本国内の外国人犯罪は年々増えるばかりだが、そのうちの半分以上が支那人によるものだが、こうした支那人犯罪者による凶悪犯罪や不法入国をどう思うか。
7、靖國神社への参拝を批判しているが、靖國神社に祀られている多くの英霊の犠牲の上に今日の日本の平和や繁栄があると思うが、貴殿らは靖國神社に参拝したことがあるのか。
他にも列記した質問は割愛するが、これらの質問を会長である平山郁夫ほか全国の会員に送付したが、一通も回答が無かった。
中共との交流は結構だが、その本質は共産主義であり、「中国と一衣帯水だ」とか「歴史的に特別な関係がある」だとか「同種同文だ」という幻想を捨てて掛からなければならない。だが、連中は聞く耳を持たず中共政府の走狗に成り下がった。
平山郁夫は、晩年を汚した日本人の一人だと思う。平山の「シルクロード」なんぞ、大山忠作の「五百羅漢」一つとってもその足元にも及ばない。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
右翼と蔑視されてはいるが演歌や軍歌よりクラッシックやオペラや美術館巡りが好きで、本人は「右翼浪漫派」を気取っているが、周りからは失笑が漏れる。
クラッシックはショパンも好きだが、サティの「ジムノペティ第1番」は春に聴くには最高の曲で、聴いてると何となく気持ちが落ち着いて心地好い。オペラは、パバッロティも良いが、サラブライトマンが好きでipodでよく聴いている。
浪漫と云えば、その昔、防挺の初代福田進総隊長の著書「日本と油虫」という本のあとがきに「男のロマン」を感じさせるこんな一節があったのを思い出す。
「俺はまだアラブを知らない。
夜空に輝く星が今にも落ちて来るのじゃないかと・・・
連合赤軍の兵士てえ自称する、共産主義の三匹の油虫のアンチャンは、
イスラエルの空港で好き勝手に暴れ回ってユダ公をぶっ殺した。
生き残った一匹は
『我々三人は死んだ後オリオンの三つの星になろうと考えていた』
その言葉は稚拙ではあるが荒廃した日本にはないロマンを感じさせるんだなあ。
アラブという国が、
日本青年をして死を覚悟するまで革命に駆り立てる何かがあるとすれば、
俺も夢多き一人として一度アラブへ行って見たい衝動に駆られる。
きっとアラブの夜空に燦然と輝くオリオンの星が、
油虫の俺を魅きつけるのかも知れない・・・」
学生時代この本に出会い、何時の日か満天の星を見にアラブに行きたいと思ってはいるが、当たり前だが慢性的不如意から抜け出せず未だ実現出来ないでいる。
今日の朝刊に「平山郁夫お別れ会」の記事が載っていた。その昔、日中友好協会、各会員に質問状を送ったことがあるが、その時の会長が平山郁夫だった。 平成17年に送付した「日中友好協会各会員に質問す」という内容は 次の通り。
1、尖閣諸島は歴史的にも我が国の固有の領土であるが、1968年の海底調査で石油資源の可能性が報告されてから、支那は領有権を主張しているが、1972年前の北京政府の地図では日本の領土となっていたのは知っているか。
2、日本最南端沖の鳥島を岩礁だと言い張り、我が国の排他的経済水域への侵犯を繰り返しているが、この支那の海賊行為について言及したことはあるのか。
3、盧溝橋の中国人民抗日記念館など反日的宣伝施設にある出鱈目な展示物は著しく友好を損ねるものであると思うが如何か。
4、経済の発展には真の自由と民主主義が不可欠であると思うが、中国共産党による一党独裁を廃し複数政党を認めるよう提言したか。
5、我が国は支那に莫大なODAを支援しているが、無償有償の多大な経済援助を人民に教えないのは何故だと思うか。
6、日本国内の外国人犯罪は年々増えるばかりだが、そのうちの半分以上が支那人によるものだが、こうした支那人犯罪者による凶悪犯罪や不法入国をどう思うか。
7、靖國神社への参拝を批判しているが、靖國神社に祀られている多くの英霊の犠牲の上に今日の日本の平和や繁栄があると思うが、貴殿らは靖國神社に参拝したことがあるのか。
他にも列記した質問は割愛するが、これらの質問を会長である平山郁夫ほか全国の会員に送付したが、一通も回答が無かった。
中共との交流は結構だが、その本質は共産主義であり、「中国と一衣帯水だ」とか「歴史的に特別な関係がある」だとか「同種同文だ」という幻想を捨てて掛からなければならない。だが、連中は聞く耳を持たず中共政府の走狗に成り下がった。
平山郁夫は、晩年を汚した日本人の一人だと思う。平山の「シルクロード」なんぞ、大山忠作の「五百羅漢」一つとってもその足元にも及ばない。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
cordial8317 at 07:49|Permalink
2010年02月02日
鳩山政権は小沢傀儡政権
愚生は小沢一郎のアノ作り笑顔が嫌いである。小沢に限らず、菅直人も貧乏神の様な岡田克也のニヤケ顔も大嫌いだ。小沢は人と協力してやるということは苦手で、主張もコロコロ変わる。それを鳩山や菅が弁解して歩く姿は滑稽の一言。
田中角栄に政治の帝王学を学んだ割には、小沢には角さんの様な人情味も人間的な魅力も全く無い。 そういった意味では、小沢というのは田中角栄よりも娘の真紀子の方に似てしまった様だ。角さんは、「天下を獲るには敵を造るな」と教えたというが、小沢からは離れる側近が多いのは何故かと言えば敵を造るからだ。
弱冠47歳で自民党幹事長を務めこの世の春を謳歌するも、51歳で旧竹下派を飛び出し、終には自民党を離党する。以後「新生党」「新進党」「自由党」と「創造と破壊」を繰り返し、民主党代表となるもカネへの卑しさから西松事件で引責辞任。
引責辞任したのも束の間、民主党幹事長に就任するという離れ業をやってのける。「選挙屋」の本領を発揮して総選挙を圧勝する。今や民主党内には小沢に物申す者は存在せず、鳩山政権は小沢独裁の傀儡政権と言っても過言ではない。
小沢を語る上で、「不透明な政治資金疑惑」を切り離して考える事は出来ない。政治資金疑惑が発覚すると小沢は白々しく、「私は陸山会所有の全ての不動産について如何なる権利も持っていない」と詭弁を弄したことは記憶に新しい。
民主党は「政治資金の透明化」「政治資金規制の強化」の政策を掲げてはいるが、「政治資金による個人蓄財の禁止」はどこにも明記していない。
収支報告書の開示や領収書の保存などを挙げながら、小沢が行った政治献金の大きな抜け穴に関しては全く手を打たないということだ。はっきり言えば手を打てないというのが本音で、如何に民主党が小沢の独裁政党であるかが垣間見れる。
注目すべきは疑惑になった政治資金も解散時にネコババした政党助成金も自分の懐に仕舞い込んだ儘なのだ。こんな国民をバカにしたふざけた話があるか。
この小沢資金で当選した議員が「小沢チルドレン」と言われる新人議員や、小沢の腰巾着・山岡賢次や小沢主義を標榜する「一新会」の連中なのだが、そんな人品に悖る連中が、国会を我が物顔で闊歩する姿を見てるだけで胸糞が悪い。
一新会には、民主党内の保守派と言われている松原仁がいる。「永住外国人への参政権付与」に躍起になっている小沢と同調すること自体が不可思議であるが、こうした似非保守こそが世の中を撹乱していることを知るべきだ。
民主党は「無駄遣いの見直し」「新たな治水対策考える」という理由を掲げ、公共事業を見直すとして群馬県の八ッ場ダムをその象徴として大々的に取り上げた。
この民主党の目玉であり、一丁目一番地とも言うべき政策も、熊本県の川辺川ダム、或いは長崎県の諫早湾干拓の中止も、西松建設が関与していない工事ばかり。つまり、小沢に献金しなかった企業の工事ばかりだということは実に分かり易い。
小沢の地元の岩手県の胆沢ダムを中止をしない理由として、「既に本体工事に入っているから」というのは、余りにも説得力が無さ過ぎて嗤うしかない。
今、世間を賑わせている不正献金問題は、この胆沢ダム工事を請け負った水谷建設など関係企業ばかりで、事件がはっきりするまで工事は中止すべきだろう。また、小沢らの関与が明らかになった場合は請負い業者を一新すべきである。
小沢一郎には数々の疑惑が有りながら、そこを地球もせずに避けて政策を立てる辺りが、今の民主党の恣意的な政治姿勢を如実に表している。正に、民主党は小沢独裁の「鳩山傀儡内閣」であり、国民にとっては百害有って一利無し。
田中角栄に政治の帝王学を学んだ割には、小沢には角さんの様な人情味も人間的な魅力も全く無い。 そういった意味では、小沢というのは田中角栄よりも娘の真紀子の方に似てしまった様だ。角さんは、「天下を獲るには敵を造るな」と教えたというが、小沢からは離れる側近が多いのは何故かと言えば敵を造るからだ。
弱冠47歳で自民党幹事長を務めこの世の春を謳歌するも、51歳で旧竹下派を飛び出し、終には自民党を離党する。以後「新生党」「新進党」「自由党」と「創造と破壊」を繰り返し、民主党代表となるもカネへの卑しさから西松事件で引責辞任。
引責辞任したのも束の間、民主党幹事長に就任するという離れ業をやってのける。「選挙屋」の本領を発揮して総選挙を圧勝する。今や民主党内には小沢に物申す者は存在せず、鳩山政権は小沢独裁の傀儡政権と言っても過言ではない。
小沢を語る上で、「不透明な政治資金疑惑」を切り離して考える事は出来ない。政治資金疑惑が発覚すると小沢は白々しく、「私は陸山会所有の全ての不動産について如何なる権利も持っていない」と詭弁を弄したことは記憶に新しい。
民主党は「政治資金の透明化」「政治資金規制の強化」の政策を掲げてはいるが、「政治資金による個人蓄財の禁止」はどこにも明記していない。
収支報告書の開示や領収書の保存などを挙げながら、小沢が行った政治献金の大きな抜け穴に関しては全く手を打たないということだ。はっきり言えば手を打てないというのが本音で、如何に民主党が小沢の独裁政党であるかが垣間見れる。
注目すべきは疑惑になった政治資金も解散時にネコババした政党助成金も自分の懐に仕舞い込んだ儘なのだ。こんな国民をバカにしたふざけた話があるか。
この小沢資金で当選した議員が「小沢チルドレン」と言われる新人議員や、小沢の腰巾着・山岡賢次や小沢主義を標榜する「一新会」の連中なのだが、そんな人品に悖る連中が、国会を我が物顔で闊歩する姿を見てるだけで胸糞が悪い。
一新会には、民主党内の保守派と言われている松原仁がいる。「永住外国人への参政権付与」に躍起になっている小沢と同調すること自体が不可思議であるが、こうした似非保守こそが世の中を撹乱していることを知るべきだ。
民主党は「無駄遣いの見直し」「新たな治水対策考える」という理由を掲げ、公共事業を見直すとして群馬県の八ッ場ダムをその象徴として大々的に取り上げた。
この民主党の目玉であり、一丁目一番地とも言うべき政策も、熊本県の川辺川ダム、或いは長崎県の諫早湾干拓の中止も、西松建設が関与していない工事ばかり。つまり、小沢に献金しなかった企業の工事ばかりだということは実に分かり易い。
小沢の地元の岩手県の胆沢ダムを中止をしない理由として、「既に本体工事に入っているから」というのは、余りにも説得力が無さ過ぎて嗤うしかない。
今、世間を賑わせている不正献金問題は、この胆沢ダム工事を請け負った水谷建設など関係企業ばかりで、事件がはっきりするまで工事は中止すべきだろう。また、小沢らの関与が明らかになった場合は請負い業者を一新すべきである。
小沢一郎には数々の疑惑が有りながら、そこを地球もせずに避けて政策を立てる辺りが、今の民主党の恣意的な政治姿勢を如実に表している。正に、民主党は小沢独裁の「鳩山傀儡内閣」であり、国民にとっては百害有って一利無し。
cordial8317 at 08:05|Permalink
2010年02月01日
「沈黙は最大の抵抗である」
昨日、DVDに録画していて見そびれていた「落日燃ゆ」というドラマを観た。その昔、城山三郎の本は読んだ事は有るが、内容は所謂「A級戦犯」として処刑された広田弘毅を題材にしたものである。中々、見応えのあるドラマだった。
「極東国際軍事裁判」という茶番で我が国は、「平和に対する罪」「通例の戦争犯罪」「人道に対する罪」の三つの罪で裁かれた事は誰もが知るところだ。
この裁判で「A級戦犯」として絞首刑に処された外務大臣や総理大臣を歴任した広田弘毅は、公判中一言の抗弁もせず沈黙を守った儘に従容として死に就いた。その沈黙の死は、自己弁護に懸命な他の拘留者の中に在って異彩を放った。
「言いて当たるは知なり、黙して当たるも知なり」という諺がある。自らの発言に拠って核心を突くのは「知」といえるが、沈黙に拠って相手に悟らせることで核心を突くのも同じく「知」である。雄弁も沈黙も時には同列なのである。
表情・眼差し・物腰で、核心に触れる何事かを伝えることは出来るのだ。広田弘毅の「沈黙」は、最大にして最高の「抵抗」ではなかったのではあるまいか。
インドの法学者であったパール判事は極東軍事裁判で、日本が裁かれた三つ罪は、国際法上の根拠を欠くとして全員の無罪を主張したことに括目すべきであろう。
パル判事は、「時が熱狂と偏見を和らげた暁には また理性が虚偽からその仮面を剥ぎ取った暁には その時こそ正義の女神は その秤を平行に保ちながら 過去の賞罰の多くに その所を変えることを要求するであろう」との言葉を遺している。
一体、何年経てば、何時になれば英霊の方々の名誉が回復できるのだろうか。日本人自ら「戦犯」という言葉を使うが、極東軍事裁判で使われた「戦犯」という蔑称は止めるべきではないか。何故なら我が国には戦争犯罪者はいないのだから。
「極東国際軍事裁判」という茶番で我が国は、「平和に対する罪」「通例の戦争犯罪」「人道に対する罪」の三つの罪で裁かれた事は誰もが知るところだ。
この裁判で「A級戦犯」として絞首刑に処された外務大臣や総理大臣を歴任した広田弘毅は、公判中一言の抗弁もせず沈黙を守った儘に従容として死に就いた。その沈黙の死は、自己弁護に懸命な他の拘留者の中に在って異彩を放った。
「言いて当たるは知なり、黙して当たるも知なり」という諺がある。自らの発言に拠って核心を突くのは「知」といえるが、沈黙に拠って相手に悟らせることで核心を突くのも同じく「知」である。雄弁も沈黙も時には同列なのである。
表情・眼差し・物腰で、核心に触れる何事かを伝えることは出来るのだ。広田弘毅の「沈黙」は、最大にして最高の「抵抗」ではなかったのではあるまいか。
インドの法学者であったパール判事は極東軍事裁判で、日本が裁かれた三つ罪は、国際法上の根拠を欠くとして全員の無罪を主張したことに括目すべきであろう。
パル判事は、「時が熱狂と偏見を和らげた暁には また理性が虚偽からその仮面を剥ぎ取った暁には その時こそ正義の女神は その秤を平行に保ちながら 過去の賞罰の多くに その所を変えることを要求するであろう」との言葉を遺している。
一体、何年経てば、何時になれば英霊の方々の名誉が回復できるのだろうか。日本人自ら「戦犯」という言葉を使うが、極東軍事裁判で使われた「戦犯」という蔑称は止めるべきではないか。何故なら我が国には戦争犯罪者はいないのだから。
cordial8317 at 07:20|Permalink
日中歴史共同研究の茶番を嗤う
日本側も中国共産党側も、初めから「南京虐殺は事実である」と決め付けている。「盧溝橋事件」にしても、中国共産党の謀略という歴史的事実が明らかになっているのにも拘らず、今更「偶発的に発生した」とは開いた口が塞がらない。
抑抑「南京事件」など存在せず、ジョン・ラーベという男のでっち上げに過ぎない。ラーべとは昭和12年12月に日本人が南京を占領した時に、南京に残っていた欧米人15人に拠って組織された「安全区国際委員会」の委員長である。
「安全区」は南京の一角を中立地帯にして、一般市民を戦火から守る為に設置されたものだ。ジョン・ラーベは、中国国内では住民保護に当たった人道主義者「中国のシンドラー」として讃えられてはいるが、果たして実際はどうだったか?
先ず何故に、ラーベが委員長に選ばれたのかである。ラーベはドイツの電機メーカー、ジーメンスの南京支社長で、当時のドイツは、蒋介石政権に軍事顧問団を送り込み中国軍の近代化を指導するとともに、ドイツ製の武器を大量に売り込んでいた。
当時は産業連盟ぐるみで輸出を行っていた。中華民国はドイツの第一のお得意様でジーメンスもその中心メーカーだった。蒋介石と親密な関係を持つドイツのラーベが安全区国際委員会委員長に選ばれたのは当然の成り行きだった。
軍事顧問団のファルケルハウンゼン将軍は、日本に対する先制攻撃を蒋介石に提案していた位だから、仲間のラーベが反日的で中国人に同情的だったのは不思議ではない。従って『ラーベ日記』には日本軍に対する極めて悪意のある描写が多い。
あの狭い安全区に20万人の市民がいたことは分かっている。そこを自由に行き来していたラーベ。 それでも日記にはたったの一行も殺害を見たとは書いていない。全てはこう言っている、ああ言っているという伝聞でしかないのだ。
事実国際委員会の公式記録である「南京安全区の記録」には南京の人口はずっと20万人だったと書いてある。ところが、ヒットラーへの上申書で「5~6万人の民間人が日本軍に殺されたと事実と違うことを書いて虚偽の報告をしたのである。
要するに、南京事件とは嘘吐きジョン・ラーベの書いた「ラーべ日記」やヒットラーへの上申書を証拠に捏造されたもので、全くの事実無根ということである。
こんな嘘吐きの反日のナチス党員が書いた記録を証拠とし、中国共産党の御先棒を担ぐ学者らが共同研究したところで、真実が明らかになる筈もない。
証拠も事実も無いにも拘らず「日本軍による集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も頻発した」とは、研究者として恥を知るべきだ。
先人を貶めた行為は万死に値する。 真に日本側に立って主張をするなら、せめて国会での「南京問題小委員会」で調査検証したものを提出しなさいな。
歴史の問題は、一国の存亡に関わる大事であり、こういう意味を成さない共同研究の茶番は即刻止めるべきだ。両国の平和友好というなら、先ず南京屠殺記念館や各戦争記念館に展示してあるインチキ写真を撤去するよう抗議すべきであろう。
抑抑「南京事件」など存在せず、ジョン・ラーベという男のでっち上げに過ぎない。ラーべとは昭和12年12月に日本人が南京を占領した時に、南京に残っていた欧米人15人に拠って組織された「安全区国際委員会」の委員長である。
「安全区」は南京の一角を中立地帯にして、一般市民を戦火から守る為に設置されたものだ。ジョン・ラーベは、中国国内では住民保護に当たった人道主義者「中国のシンドラー」として讃えられてはいるが、果たして実際はどうだったか?
先ず何故に、ラーベが委員長に選ばれたのかである。ラーベはドイツの電機メーカー、ジーメンスの南京支社長で、当時のドイツは、蒋介石政権に軍事顧問団を送り込み中国軍の近代化を指導するとともに、ドイツ製の武器を大量に売り込んでいた。
当時は産業連盟ぐるみで輸出を行っていた。中華民国はドイツの第一のお得意様でジーメンスもその中心メーカーだった。蒋介石と親密な関係を持つドイツのラーベが安全区国際委員会委員長に選ばれたのは当然の成り行きだった。
軍事顧問団のファルケルハウンゼン将軍は、日本に対する先制攻撃を蒋介石に提案していた位だから、仲間のラーベが反日的で中国人に同情的だったのは不思議ではない。従って『ラーベ日記』には日本軍に対する極めて悪意のある描写が多い。
あの狭い安全区に20万人の市民がいたことは分かっている。そこを自由に行き来していたラーベ。 それでも日記にはたったの一行も殺害を見たとは書いていない。全てはこう言っている、ああ言っているという伝聞でしかないのだ。
事実国際委員会の公式記録である「南京安全区の記録」には南京の人口はずっと20万人だったと書いてある。ところが、ヒットラーへの上申書で「5~6万人の民間人が日本軍に殺されたと事実と違うことを書いて虚偽の報告をしたのである。
要するに、南京事件とは嘘吐きジョン・ラーベの書いた「ラーべ日記」やヒットラーへの上申書を証拠に捏造されたもので、全くの事実無根ということである。
こんな嘘吐きの反日のナチス党員が書いた記録を証拠とし、中国共産党の御先棒を担ぐ学者らが共同研究したところで、真実が明らかになる筈もない。
証拠も事実も無いにも拘らず「日本軍による集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も頻発した」とは、研究者として恥を知るべきだ。
先人を貶めた行為は万死に値する。 真に日本側に立って主張をするなら、せめて国会での「南京問題小委員会」で調査検証したものを提出しなさいな。
歴史の問題は、一国の存亡に関わる大事であり、こういう意味を成さない共同研究の茶番は即刻止めるべきだ。両国の平和友好というなら、先ず南京屠殺記念館や各戦争記念館に展示してあるインチキ写真を撤去するよう抗議すべきであろう。
cordial8317 at 06:22|Permalink
2010年01月30日
「葉隠」入門
「葉隠」というと、「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」という一節が余りにも有名だが、一般に「武士道」というと「葉隠」を思い出す人は多いだろう。そして、葉隠から思い出すイメージは「右翼的」とか「忠君愛国的」というものだ。
「葉隠」は、親鸞の「歎異抄(たんにしょう)」と共に、学徒出陣で戦地に赴いた学生達に最も読まれた本でもあり、それは「歎異抄」が「死の平安」を語り、「葉隠」が「死の覚悟」を語ったものであったからであろうと思われる。
冒頭での「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」だけが独り歩きし、「葉隠」を読みもしないで「危険な書」だと思っているのではないだろうか。
三島由紀夫は、自著「葉隠入門」の中で、この葉隠について「行動の知恵と決意が自ずと逆説を生んで行く、類の無い不思議な道徳書である。如何にも精気に溢れ、如何にも明朗な人間的な書物」と語っている。
確かに「葉隠」は、「死に狂いの思想」と云われている様に狂信的な処も多いが、一方で現代人にも通用するものも多く非常に役に立つ。 例えば、「意見の仕方」というものが有るが、葉隠ではそれをこう教える
「人に意見してその人の欠点を直す、ということは大切なことであり、慈悲の心とも言える。ただ、意見の仕方には骨を折る必要がある。大方の人は、人に好まれない言い難い事を言ってやるのが親切の様に思い、それが受け入れられなければ、自分の力が足りなかったとしている様だ。こうしたやり方は何ら役に立たない。ただ悪戯に人に恥をかかせ、悪口を言うだけの事と同じ結果になってしまう」
「意見というものは先ず、その人がそれを受け入れられるかどうかを見極め、相手と親しくなり、何時も信用する様な状態で仕向ける処から始めなければならない。言い方なども工夫し、時節を考え、自分の失敗談等を話しながら、余計な事を言わなくても思い当たる様に仕向けるのが良い。先ずは良い処を褒めて気分を引き立てる様に心を砕き、そうした上で欠点を直していくというのが意見というものである」
なんと細やかな心遣い、これ程の気遣いをする現代人はいないだろう。人間の世界は思いやりの世界である。「葉隠」はそういった日本人としての本来の優しさや気遣う心を教えている日本人必読の道徳規範の書でもある。
「葉隠」は、親鸞の「歎異抄(たんにしょう)」と共に、学徒出陣で戦地に赴いた学生達に最も読まれた本でもあり、それは「歎異抄」が「死の平安」を語り、「葉隠」が「死の覚悟」を語ったものであったからであろうと思われる。
冒頭での「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」だけが独り歩きし、「葉隠」を読みもしないで「危険な書」だと思っているのではないだろうか。
三島由紀夫は、自著「葉隠入門」の中で、この葉隠について「行動の知恵と決意が自ずと逆説を生んで行く、類の無い不思議な道徳書である。如何にも精気に溢れ、如何にも明朗な人間的な書物」と語っている。
確かに「葉隠」は、「死に狂いの思想」と云われている様に狂信的な処も多いが、一方で現代人にも通用するものも多く非常に役に立つ。 例えば、「意見の仕方」というものが有るが、葉隠ではそれをこう教える
「人に意見してその人の欠点を直す、ということは大切なことであり、慈悲の心とも言える。ただ、意見の仕方には骨を折る必要がある。大方の人は、人に好まれない言い難い事を言ってやるのが親切の様に思い、それが受け入れられなければ、自分の力が足りなかったとしている様だ。こうしたやり方は何ら役に立たない。ただ悪戯に人に恥をかかせ、悪口を言うだけの事と同じ結果になってしまう」
「意見というものは先ず、その人がそれを受け入れられるかどうかを見極め、相手と親しくなり、何時も信用する様な状態で仕向ける処から始めなければならない。言い方なども工夫し、時節を考え、自分の失敗談等を話しながら、余計な事を言わなくても思い当たる様に仕向けるのが良い。先ずは良い処を褒めて気分を引き立てる様に心を砕き、そうした上で欠点を直していくというのが意見というものである」
なんと細やかな心遣い、これ程の気遣いをする現代人はいないだろう。人間の世界は思いやりの世界である。「葉隠」はそういった日本人としての本来の優しさや気遣う心を教えている日本人必読の道徳規範の書でもある。
cordial8317 at 06:59|Permalink
2010年01月28日
月日が流れても忘れない心
太平洋上のミクロネシア地域の島々からなる「パラオ共和国」という国が在る。太平洋の浮かぶ小さな独立国だ。歴代大統領には「ナカムラ」という名前の人もいる。面白いことに、「クニオ」とか「マツタロウ」いった日本人風の名前が目立つ。
こうした伝統は、パラオ共和国を近代社会に仲間入りさせてくれた日本への感謝や愛着からだという。このパラオ共和国の国旗は「日の丸」と同じくシンプルなものだが、白地ではなく青地に、やや中心より左にずらした黄色の丸である。
何故このような国旗になったのだろう。ドイツの植民地であったパラオは、第一次世界大戦後に日本の委任統治領となった。そこでの日本は厳しくも、産業、教育、文化の発展に大きな功績を残し、パラオの人々に多大な信頼を受けたのである。
パラオの人々は「日本は厳しかった。然し、我々に農業と真面目に働くこと、そして嘘をつかないことを教えてくれた」と、今でも懐かしそうに語るという。
約4万2000人の米軍が上陸したのは昭和19年9月15日だった。中川州男大佐率いる約1万2000人の日本軍が迎え撃つ。島民は別の島に退避した。米軍がパラオに迫ると、パラオの人々は「我々も日本人と一緒に戦う」と決意したという。だが、民間人に被害が出ることを懸念した大佐はその申し出を許可することは無かった。
日本軍はそれまでの戦法を改め、持久戦に持ち込み、圧倒的な戦力を誇る米軍に大打撃を与えた。この戦いは2ヶ月に及び、11月25日まで続いた。
米国太平洋艦隊司令長官であったチェスター・ニミッツも驚嘆したその戦いぶりは、約3ヵ月後の「硫黄島の戦い」にも引き継がれて行く。因みに、パラオ人の「クニオ」とは、この中川大佐の名前であり、如何に慕われていたかが分かる。
この戦争で命を落した日本人を、パラオの人々は泣きながら丁寧に埋葬した。日本人遺族が何時来ても良い様にと墓の掃除は今でも欠かさないという。
戦後パラオは、1994年の独立まで、アメリカが50年間統治したがパラオの人々の心に残っているのは「日本人」だった。数年間の日本の統治が、パラオの人々の心に残したものは大きい。日本人として先人の偉業を感謝せずにはいられない。
こうした伝統は、パラオ共和国を近代社会に仲間入りさせてくれた日本への感謝や愛着からだという。このパラオ共和国の国旗は「日の丸」と同じくシンプルなものだが、白地ではなく青地に、やや中心より左にずらした黄色の丸である。
何故このような国旗になったのだろう。ドイツの植民地であったパラオは、第一次世界大戦後に日本の委任統治領となった。そこでの日本は厳しくも、産業、教育、文化の発展に大きな功績を残し、パラオの人々に多大な信頼を受けたのである。
パラオの人々は「日本は厳しかった。然し、我々に農業と真面目に働くこと、そして嘘をつかないことを教えてくれた」と、今でも懐かしそうに語るという。
約4万2000人の米軍が上陸したのは昭和19年9月15日だった。中川州男大佐率いる約1万2000人の日本軍が迎え撃つ。島民は別の島に退避した。米軍がパラオに迫ると、パラオの人々は「我々も日本人と一緒に戦う」と決意したという。だが、民間人に被害が出ることを懸念した大佐はその申し出を許可することは無かった。
日本軍はそれまでの戦法を改め、持久戦に持ち込み、圧倒的な戦力を誇る米軍に大打撃を与えた。この戦いは2ヶ月に及び、11月25日まで続いた。
米国太平洋艦隊司令長官であったチェスター・ニミッツも驚嘆したその戦いぶりは、約3ヵ月後の「硫黄島の戦い」にも引き継がれて行く。因みに、パラオ人の「クニオ」とは、この中川大佐の名前であり、如何に慕われていたかが分かる。
この戦争で命を落した日本人を、パラオの人々は泣きながら丁寧に埋葬した。日本人遺族が何時来ても良い様にと墓の掃除は今でも欠かさないという。
戦後パラオは、1994年の独立まで、アメリカが50年間統治したがパラオの人々の心に残っているのは「日本人」だった。数年間の日本の統治が、パラオの人々の心に残したものは大きい。日本人として先人の偉業を感謝せずにはいられない。
cordial8317 at 05:54|Permalink
2010年01月27日
苦難や試練には大きな意味がある
右翼浪人暮らしというのは金銭的には楽ではないが、「乞食の朝謡」というのと一緒で気楽なものである。防挺時代でも、金権右翼と揶揄された時代には未だ新入りで、オイしい思いをしたことが無いから耐えられるのかものかも知れない。
最近、漸く「欲なければ足る」というものが、何となしに理解して来た感じがする。何のことはない、歳を取ったということでもあるのだろう(笑)
若いうちの苦労や失敗は大きな財産を生むというのは間違いない。苦難というものは醜い顔をし厭な顔をして苦痛の姿を採ってはいるが、実は吾等の敵ではなく味方である。苦難は一番親身に吾が身の為を思って突っ掛けてくる正義の友でもある。
苦難や耐えきれない試練というのは人を殺す為に有るのではなく、人をより善くし、より一歩を進ませ向上させる為に起こるのである。 豪傑、山中鹿之助は「願わくば吾が身に七難八苦を与え給え」と月に祈って修行をしたという。
苦難は危険を教える慈悲の鞭である。幸福と苦難は表裏一体であり苦難の本質を弁えれば、人生の苦難はやはり「天の与えた試練」と考えるべきなのである。
西郷隆盛は「艱難は楽しむものなり」と曰く。自殺未遂を経験した西郷は、2度の遠島処分、そして西南戦争と苦難続きの人生を送った人物だったが、真っ黒な目の巨漢というイメージとは裏腹に、その生涯は常に死の影が付き纏っていた。
それでも西郷は、「いつ死んだっていい。人事を尽くして天命を待つだけだ」という処生観を持ち、開き直って生きている様なところがあったという。
私利私欲や保身とは無縁で、清濁併せ呑む器用さもなく、その大人格故に多くの信望を集め、また自分の死に際でさえ実に潔い人物だったという。 苦難や試練には意味が有ると共に、逆に「常に開き直りの処世観」もまた大事なのである。呵呵
最近、漸く「欲なければ足る」というものが、何となしに理解して来た感じがする。何のことはない、歳を取ったということでもあるのだろう(笑)
若いうちの苦労や失敗は大きな財産を生むというのは間違いない。苦難というものは醜い顔をし厭な顔をして苦痛の姿を採ってはいるが、実は吾等の敵ではなく味方である。苦難は一番親身に吾が身の為を思って突っ掛けてくる正義の友でもある。
苦難や耐えきれない試練というのは人を殺す為に有るのではなく、人をより善くし、より一歩を進ませ向上させる為に起こるのである。 豪傑、山中鹿之助は「願わくば吾が身に七難八苦を与え給え」と月に祈って修行をしたという。
苦難は危険を教える慈悲の鞭である。幸福と苦難は表裏一体であり苦難の本質を弁えれば、人生の苦難はやはり「天の与えた試練」と考えるべきなのである。
西郷隆盛は「艱難は楽しむものなり」と曰く。自殺未遂を経験した西郷は、2度の遠島処分、そして西南戦争と苦難続きの人生を送った人物だったが、真っ黒な目の巨漢というイメージとは裏腹に、その生涯は常に死の影が付き纏っていた。
それでも西郷は、「いつ死んだっていい。人事を尽くして天命を待つだけだ」という処生観を持ち、開き直って生きている様なところがあったという。
私利私欲や保身とは無縁で、清濁併せ呑む器用さもなく、その大人格故に多くの信望を集め、また自分の死に際でさえ実に潔い人物だったという。 苦難や試練には意味が有ると共に、逆に「常に開き直りの処世観」もまた大事なのである。呵呵
cordial8317 at 10:59|Permalink
迷走する民主党連立政権
先の総選挙で国民の多くは「政権交代で日本が変る」というスローガンの下、マニュフェストで掲げた「一人2万6千円の子供手当て」「農業の戸別所得補償」「暫定税率廃止」「高速道路の無料化」という政策の実行に大いに期待し投票した。
然し、どの目玉政策は有名無実というもので、一体あの選挙は何だったのだろうと首を傾げたくなる。最悪な時代に最悪な政党が政権に就く不幸ここに極まる。
外交でも「対等な日米関係」を主張し、「安保条約」の廃棄でも言うのかと思いきや、そんな度胸はなく、普天間基地問題の解決を先延ばししただけで、右往左往の混迷ぶりは見苦しいばかり。国防とは国家の大本であることを理解していない。
オバマ大統領との首脳会談での約束を反故にし、「私を信じて欲しい」とまで言ったというが、これでは日本国民の信用まで落ちてしまう。民主党の混迷は、やはり結党しても未だに「綱領」が作れないところに原因があるのではないだろうか。
野合故に基本理念のない儘に、自民党に勝つ為だけの画餅的「マニュフェスト」作り、有権者への目先の損得勘定に問いかけることに成功しただけのこと。
選挙前、「自民党への不満、民主党への不安」と揶揄されて来た様に、自民党に対して積もり積もっていた不満や不信、失望が「逆風」となり、「自民党にお灸を据える」意味合いで安易に民主党に一票を投じた国民は少なくない。
民主党政権誕生は、自民党が4年前の衆院選で圧勝しながらも、保守政党として何ら保守的な政策を実行出来なかった事に国民は見切りを付けたことに尽きる。
「政権交代」で日本を変えて貰いたいという単純な図式で、民主党を支持しただけで、民主党のマニュフェストや「基本政策」を理解して投票したとは思えない。
民主党の勝利の最大の要因は、連日マスコミが垂れ流す『政権交代』というバンドワゴン効果だろう。国民も所詮は、「民主党にでも入れとくか」「民主党しかないか」といった「でもしか政党」が自民党に代わり誕生しただけのことだ。
民主党は結党以来の「基本政策」としている「外国人地方参政権」や「国立追悼施設の建立」、元慰安婦に対して国家賠償する「戦時性的強制被害者法案」「夫婦別姓」や、言論の自由を侵害する「人権救済機関の設置」「日教組主導の教育関連政策」といった売国法案の成立を謀ってることは国民の殆どは知らない。
敢えて国民に知らせないというのが本音だったのだろうが、政権を取ったとはいえこの様な国益を害する政策を実行に移すことが有れば、多くの国民が看過することは決してない。 「民主党への不安」「自民党への不満」は一層募るばかり。
然し、どの目玉政策は有名無実というもので、一体あの選挙は何だったのだろうと首を傾げたくなる。最悪な時代に最悪な政党が政権に就く不幸ここに極まる。
外交でも「対等な日米関係」を主張し、「安保条約」の廃棄でも言うのかと思いきや、そんな度胸はなく、普天間基地問題の解決を先延ばししただけで、右往左往の混迷ぶりは見苦しいばかり。国防とは国家の大本であることを理解していない。
オバマ大統領との首脳会談での約束を反故にし、「私を信じて欲しい」とまで言ったというが、これでは日本国民の信用まで落ちてしまう。民主党の混迷は、やはり結党しても未だに「綱領」が作れないところに原因があるのではないだろうか。
野合故に基本理念のない儘に、自民党に勝つ為だけの画餅的「マニュフェスト」作り、有権者への目先の損得勘定に問いかけることに成功しただけのこと。
選挙前、「自民党への不満、民主党への不安」と揶揄されて来た様に、自民党に対して積もり積もっていた不満や不信、失望が「逆風」となり、「自民党にお灸を据える」意味合いで安易に民主党に一票を投じた国民は少なくない。
民主党政権誕生は、自民党が4年前の衆院選で圧勝しながらも、保守政党として何ら保守的な政策を実行出来なかった事に国民は見切りを付けたことに尽きる。
「政権交代」で日本を変えて貰いたいという単純な図式で、民主党を支持しただけで、民主党のマニュフェストや「基本政策」を理解して投票したとは思えない。
民主党の勝利の最大の要因は、連日マスコミが垂れ流す『政権交代』というバンドワゴン効果だろう。国民も所詮は、「民主党にでも入れとくか」「民主党しかないか」といった「でもしか政党」が自民党に代わり誕生しただけのことだ。
民主党は結党以来の「基本政策」としている「外国人地方参政権」や「国立追悼施設の建立」、元慰安婦に対して国家賠償する「戦時性的強制被害者法案」「夫婦別姓」や、言論の自由を侵害する「人権救済機関の設置」「日教組主導の教育関連政策」といった売国法案の成立を謀ってることは国民の殆どは知らない。
敢えて国民に知らせないというのが本音だったのだろうが、政権を取ったとはいえこの様な国益を害する政策を実行に移すことが有れば、多くの国民が看過することは決してない。 「民主党への不安」「自民党への不満」は一層募るばかり。
cordial8317 at 07:05|Permalink
特攻と沖縄
普天間問題の迷走は国益を害するものだろう。国家の防衛という大本を米国に委ねながら、米国と対等の関係などとは開いた口が塞がらない。ならば憲法を見直し、安保を解消し、国防を強化すれば済むことだが、そんなことはやる気配すら無い。
沖縄が歴史的に翻弄されたという事実は理解するが、安全保障上重要な要であるということも認識するべきである。先の大戦で、連合軍の沖縄への上陸、本土決戦を阻止しようと神風特別攻撃隊が編成され多くの若者が犠牲になった。
特攻作戦は、昭和19年10月20日、フィリピンのレイテ島に圧倒的勢力で上陸を図ろうとする米軍部隊への起死回生の反撃作戦としたのが最初である。以降、翌年8月15日の停戦に至るまでに、3972名の若者が特攻攻撃に命を捧げたのである。
祖国を守る為に死を決意して志願した特攻精神は祖国愛の極致と言うべきもので、中でも「神風精神」こそは大東亜戦争が、自存の為の祖国防衛戦争であったことの何よりの証である。沖縄人はそうした歴史の事実とどう向き合うのか。
沖縄戦に於いても特攻部隊が重要な役割を果たした。特攻戦死者の実に76%が沖縄戦で亡くなっている。鹿屋基地(海軍航空)からの特攻で1981名が、知覧基地(陸軍航空)からの特攻では1036名が特攻し、合わせて3017名が散華している。
特攻は航空だけではなく、特殊潜航艇、回天魚雷、空挺特攻、対戦車特攻、震洋特攻艇、陸軍海上特攻なだ様々な工夫により劣勢を覆す為の特攻攻撃が行われた。
集団自決が問題となっている座間味や、渡嘉敷両島に於ける梅沢、赤松部隊は、元々島の防衛隊ではなく、海上特攻の部隊であった。米軍がこれを察知して特攻艇を先制撃破した為に、梅沢、赤松部隊は止むを得ず上陸軍と戦闘を行ったのだ。
大日本帝国海軍が建造した戦艦「大和」が沖縄戦の為に出撃したことはよく知られている。これも特攻攻撃の一つであろう。沖縄に到達した暁には、海岸に乗り上げて全力を挙げて砲撃戦を行う予定であった。然も「大和」艦内には歯磨き粉、ブラシ50万人分、月経帯15万人分などの民生品を大量に積み込んでいたのである。
沖縄と沖縄の人々を必死で護ろうとした何よりの証明と云えよう。 「日本は沖縄を見捨てた」「日本は沖縄を捨石にした」「日本軍は沖縄の敵であった」などとホザく人々がいる。米軍基地反対や集団自決軍命令説のウソを主張している連中である。
「米軍基地反対!」を叫ぶのも良いが、沖縄を死守する為に純粋に国の為に尊い命を捧げてくれた特攻隊の英霊の方々に、一体どんな顔向けが出来るというのか。
沖縄が歴史的に翻弄されたという事実は理解するが、安全保障上重要な要であるということも認識するべきである。先の大戦で、連合軍の沖縄への上陸、本土決戦を阻止しようと神風特別攻撃隊が編成され多くの若者が犠牲になった。
特攻作戦は、昭和19年10月20日、フィリピンのレイテ島に圧倒的勢力で上陸を図ろうとする米軍部隊への起死回生の反撃作戦としたのが最初である。以降、翌年8月15日の停戦に至るまでに、3972名の若者が特攻攻撃に命を捧げたのである。
祖国を守る為に死を決意して志願した特攻精神は祖国愛の極致と言うべきもので、中でも「神風精神」こそは大東亜戦争が、自存の為の祖国防衛戦争であったことの何よりの証である。沖縄人はそうした歴史の事実とどう向き合うのか。
沖縄戦に於いても特攻部隊が重要な役割を果たした。特攻戦死者の実に76%が沖縄戦で亡くなっている。鹿屋基地(海軍航空)からの特攻で1981名が、知覧基地(陸軍航空)からの特攻では1036名が特攻し、合わせて3017名が散華している。
特攻は航空だけではなく、特殊潜航艇、回天魚雷、空挺特攻、対戦車特攻、震洋特攻艇、陸軍海上特攻なだ様々な工夫により劣勢を覆す為の特攻攻撃が行われた。
集団自決が問題となっている座間味や、渡嘉敷両島に於ける梅沢、赤松部隊は、元々島の防衛隊ではなく、海上特攻の部隊であった。米軍がこれを察知して特攻艇を先制撃破した為に、梅沢、赤松部隊は止むを得ず上陸軍と戦闘を行ったのだ。
大日本帝国海軍が建造した戦艦「大和」が沖縄戦の為に出撃したことはよく知られている。これも特攻攻撃の一つであろう。沖縄に到達した暁には、海岸に乗り上げて全力を挙げて砲撃戦を行う予定であった。然も「大和」艦内には歯磨き粉、ブラシ50万人分、月経帯15万人分などの民生品を大量に積み込んでいたのである。
沖縄と沖縄の人々を必死で護ろうとした何よりの証明と云えよう。 「日本は沖縄を見捨てた」「日本は沖縄を捨石にした」「日本軍は沖縄の敵であった」などとホザく人々がいる。米軍基地反対や集団自決軍命令説のウソを主張している連中である。
「米軍基地反対!」を叫ぶのも良いが、沖縄を死守する為に純粋に国の為に尊い命を捧げてくれた特攻隊の英霊の方々に、一体どんな顔向けが出来るというのか。
cordial8317 at 06:06|Permalink
2010年01月24日
「驕れる者久しからずや」というが
天皇陛下の習近平副主席との特例会見問題で、皇室の前例を覆して天皇を利用した小沢が馬脚を露し、ヤクザ紛いの恫喝会見で国民の顰蹙と怒りを買ったことは記憶に新しい。倣岸不遜で姑息なアノ醜態を、決して忘れてはならない。
東京地検の聴取後、詭弁を弄し関与否定の記者会見をしたが、納得した国民は殆どいない。今迄も国会議員の秘書が政治資金規正法違反で逮捕されたり、また知事、市長など多くの人間が建設業界から不当な献金を貰い辞任に追いやられている。
右翼団体も政治資金規正法違反で摘発されることもあるが、「総て修正で済まされて来た」というのは赦されない。それこそ法の下の平等に反するというものだ。
政府与党の幹事長の事情聴取という前代未聞の恥ずべき事態になったにも拘らず、未だに秘書に責任転嫁したまま幹事長の椅子に固執しようというのだから世も末だ。
小沢は政治献金に関して自著で「まず、政治資金の出入りを1円に至るまで全面的に公開し、流れを完全に透明にすることである」と書いた。然し、現実にはこの時既に、小沢は西松建設のダミー会社から献金を受け取っていたというのだからふざけた話だ。これだけカネに卑しい政治家は小沢一郎以外にはいないだろう。
公設秘書が逮捕されると、記者へ「逮捕されただけで起訴されたんですか」と開き直り、「献金してくれるという方について、どういう所から出ているのかという類を聞くのは失礼なことですし、詮索しない」とまで答えていた。
秘書が起訴されると「なんで私が離党し、議員辞職しなければならないんですか」と質問した女性記者を睨み付けた。石川議員が逮捕されると、お得意の「民主主義の否定だ!」と左翼闘士を彷彿する口調で、検察との戦いを宣言した。
北朝鮮系の水谷建設からの1億円の裏献金が、土地購入資金に当てられたのではという疑惑に対しても「全くの出鱈目の報道で、事実は無い」と一蹴していた。
今回の聴取でも「その様な不正なお金は水谷建設は勿論だが、他の会社からも一切受け取っていない」と啖呵を切った。「秘書や秘書だった者も受け取ってないと確信している」と語り、立件されても秘書への責任転嫁で逃げる口実だろう。
一方で「単純ミスや記載ミスは有ったかと思う」と認めていたが、単純ミスや記載ミスで摘発された政治団体もあり、小沢の言う様に「公平公正に捜査をして頂くなら」是非とも検察には立件して頂き、政界から追放して欲しいものだ。
小沢が師と仰いだ田中角栄も、ロッキード社から5億円を貰ったとして有罪判決を受けた。然し、あのロッキード疑獄などホントは小さな問題だった。
田中の最大の過ちは「日中国交条約」を結ぶ際に中共の圧力に屈し、台湾(中華民国)と締結していた臭い条約である「日華国交条約」を破棄したことである。
日本国憲法第九十八条には、『我が国が締結した条約は遵守しなければならない』と明記されており、如何なる理由が有ろうとも破棄してはならないのだ。当時、絶対的権力者だった田中角栄が、堂々と憲法違反を犯したのである。
田中の国際条約の蹂躙を「憲法違反である」と指摘した護憲派はおらず、マスコミは沈黙し、我々右翼団体からの抗議は完全に無視されたのである。
習近平に忠誠を誓った小沢も同様に外国人への参政権付与法案成立を謀り、田中と同じ轍を踏もうとしているが、小沢の過ぎた権力欲は失墜の序章だろう。
田中角栄の晩年は実に淋しいものだったが、小沢のこの世の春も間もなく終焉を迎えるだろう。歴史は繰り返されるのだろう。驕れるもの久しからずや。
東京地検の聴取後、詭弁を弄し関与否定の記者会見をしたが、納得した国民は殆どいない。今迄も国会議員の秘書が政治資金規正法違反で逮捕されたり、また知事、市長など多くの人間が建設業界から不当な献金を貰い辞任に追いやられている。
右翼団体も政治資金規正法違反で摘発されることもあるが、「総て修正で済まされて来た」というのは赦されない。それこそ法の下の平等に反するというものだ。
政府与党の幹事長の事情聴取という前代未聞の恥ずべき事態になったにも拘らず、未だに秘書に責任転嫁したまま幹事長の椅子に固執しようというのだから世も末だ。
小沢は政治献金に関して自著で「まず、政治資金の出入りを1円に至るまで全面的に公開し、流れを完全に透明にすることである」と書いた。然し、現実にはこの時既に、小沢は西松建設のダミー会社から献金を受け取っていたというのだからふざけた話だ。これだけカネに卑しい政治家は小沢一郎以外にはいないだろう。
公設秘書が逮捕されると、記者へ「逮捕されただけで起訴されたんですか」と開き直り、「献金してくれるという方について、どういう所から出ているのかという類を聞くのは失礼なことですし、詮索しない」とまで答えていた。
秘書が起訴されると「なんで私が離党し、議員辞職しなければならないんですか」と質問した女性記者を睨み付けた。石川議員が逮捕されると、お得意の「民主主義の否定だ!」と左翼闘士を彷彿する口調で、検察との戦いを宣言した。
北朝鮮系の水谷建設からの1億円の裏献金が、土地購入資金に当てられたのではという疑惑に対しても「全くの出鱈目の報道で、事実は無い」と一蹴していた。
今回の聴取でも「その様な不正なお金は水谷建設は勿論だが、他の会社からも一切受け取っていない」と啖呵を切った。「秘書や秘書だった者も受け取ってないと確信している」と語り、立件されても秘書への責任転嫁で逃げる口実だろう。
一方で「単純ミスや記載ミスは有ったかと思う」と認めていたが、単純ミスや記載ミスで摘発された政治団体もあり、小沢の言う様に「公平公正に捜査をして頂くなら」是非とも検察には立件して頂き、政界から追放して欲しいものだ。
小沢が師と仰いだ田中角栄も、ロッキード社から5億円を貰ったとして有罪判決を受けた。然し、あのロッキード疑獄などホントは小さな問題だった。
田中の最大の過ちは「日中国交条約」を結ぶ際に中共の圧力に屈し、台湾(中華民国)と締結していた臭い条約である「日華国交条約」を破棄したことである。
日本国憲法第九十八条には、『我が国が締結した条約は遵守しなければならない』と明記されており、如何なる理由が有ろうとも破棄してはならないのだ。当時、絶対的権力者だった田中角栄が、堂々と憲法違反を犯したのである。
田中の国際条約の蹂躙を「憲法違反である」と指摘した護憲派はおらず、マスコミは沈黙し、我々右翼団体からの抗議は完全に無視されたのである。
習近平に忠誠を誓った小沢も同様に外国人への参政権付与法案成立を謀り、田中と同じ轍を踏もうとしているが、小沢の過ぎた権力欲は失墜の序章だろう。
田中角栄の晩年は実に淋しいものだったが、小沢のこの世の春も間もなく終焉を迎えるだろう。歴史は繰り返されるのだろう。驕れるもの久しからずや。
cordial8317 at 07:08|Permalink
「2番じゃダメなんですか!?」BY村田蓮舫
スパコンは、その国の国力を示す上で重要な分野である。長らく日本が世界一だったが、IBMに追い越され、今はクレイ社がトップだ。5位には天津スパコンが入っているが、日本は30位以下となっており、技術立国日本の崩壊現象の一つだ。
IBMの製品は広島原爆を造ったロスアラモスに置かれている。世界一になったクレイ社製のものは広島原爆の濃縮を行ったオークリッジ研究所に置いてある。
この様に、スパコンは国の戦略にも大きく関わっているものなのだ。スパコン関連予算折衝の折に、偉そうに「何故2番じゃダメなんですか?」との発言をした蓮舫だが、我が国が軍事目的で開発しているとでも思ったのだろうか。
「何故世界一なのか?」と詰問していたが、国民から大顰蹙を買ったのは当然だろう。 こうした技術でもスポーツでも一番を目指すのは余りにも当然なことだ。
朝日新聞に、慶応大学の添谷という、如何にも朝日が好きそうな教授の論文が度々出る。添谷は「日本は大国を目指すな。二流国家という選択がある」との自説が信条のアホだ。一体何をしたいのだろう。所詮は左翼が目指す破壊活動なんだろう。
「2番じゃダメなんですか」という蓮舫の雄叫びも、このアホ教授と同じ「偉大な中国共産党の下僕になっていろ」と言わんばかりのものと推測出来る。
帰化した国に誇りも何も無い、有るのは中共への忠誠だけでは余りにも無礼だろう。日本という国への愛着が無いから、ついつい本音が出てしまったのだろう。
あの調子で、小沢に「何故幹事長を続けるんですか」ってな苦言でも浴びせられる様なら褒めても良いが、そんな度胸もやる気も無い。何故なら、権力者には媚び、自分よりも弱いと見るや偉そうに振る舞うだけ。正に支那人そっくりだ。
中国共産党の走狗でもある日中友好議員連盟にも加わり、中共に媚び諂い忠誠を誓う蓮舫は、外省人と言われる父方のDNAはやはり隠し様がない。態度も中身も台湾人とは程遠く、漢民族そのもので、不遜という外に喩え様がない。
この仕分け作業の茶番を批判した平沼赳夫の言葉尻を捉えて「差別発言だ!」と騒いでいるキチガイ左翼どもがいる様だが、どうせ参政権付与法案を成立さたいが為に、目障りな平沼氏を叩いているのだろうが、余りにも姑息過ぎる。
IBMの製品は広島原爆を造ったロスアラモスに置かれている。世界一になったクレイ社製のものは広島原爆の濃縮を行ったオークリッジ研究所に置いてある。
この様に、スパコンは国の戦略にも大きく関わっているものなのだ。スパコン関連予算折衝の折に、偉そうに「何故2番じゃダメなんですか?」との発言をした蓮舫だが、我が国が軍事目的で開発しているとでも思ったのだろうか。
「何故世界一なのか?」と詰問していたが、国民から大顰蹙を買ったのは当然だろう。 こうした技術でもスポーツでも一番を目指すのは余りにも当然なことだ。
朝日新聞に、慶応大学の添谷という、如何にも朝日が好きそうな教授の論文が度々出る。添谷は「日本は大国を目指すな。二流国家という選択がある」との自説が信条のアホだ。一体何をしたいのだろう。所詮は左翼が目指す破壊活動なんだろう。
「2番じゃダメなんですか」という蓮舫の雄叫びも、このアホ教授と同じ「偉大な中国共産党の下僕になっていろ」と言わんばかりのものと推測出来る。
帰化した国に誇りも何も無い、有るのは中共への忠誠だけでは余りにも無礼だろう。日本という国への愛着が無いから、ついつい本音が出てしまったのだろう。
あの調子で、小沢に「何故幹事長を続けるんですか」ってな苦言でも浴びせられる様なら褒めても良いが、そんな度胸もやる気も無い。何故なら、権力者には媚び、自分よりも弱いと見るや偉そうに振る舞うだけ。正に支那人そっくりだ。
中国共産党の走狗でもある日中友好議員連盟にも加わり、中共に媚び諂い忠誠を誓う蓮舫は、外省人と言われる父方のDNAはやはり隠し様がない。態度も中身も台湾人とは程遠く、漢民族そのもので、不遜という外に喩え様がない。
この仕分け作業の茶番を批判した平沼赳夫の言葉尻を捉えて「差別発言だ!」と騒いでいるキチガイ左翼どもがいる様だが、どうせ参政権付与法案を成立さたいが為に、目障りな平沼氏を叩いているのだろうが、余りにも姑息過ぎる。
cordial8317 at 06:07|Permalink
2010年01月23日
脱北詩人「チャン・ジンソン」の慟哭
脱北詩人「チャン・ジンソン」の詩
『わたしの娘を100ウォンで売ります』
ーわたしの娘100ウォンで売ります
書かれた紙を首にかけ
幼児を脇に
市場にたつその女
女は唖者であった
売られる娘児と
売る女を眺めては
人々の投げかける呪詛に
地べたに見つめるその女
女は涙も枯れていた
母が死病に罹っている
と
喚き泣き叫ぶ
娘児は
その母の裾
握りしめ
女はただ唇
振るわせるばかり
女は感謝も知らなかった
あんたの娘ではなく
母性愛を買うと
ひとりの軍人 100ウォン差し出すに
その金持ってどこへやら
駆け出したその女
女は母であった
娘売った100ウォンで
小麦粉パン かかえ
慌て 駆け戻り
別離れ行く娘児の
口へ押入れる
・・・赦しておくれ!
慟哭する その女
『ご飯が残ったよ』
どこからか 貰ってきたのか
冷や飯が ひとにぎり
妻の前に差し出しながら
夫は 嬉しそうに言う
ー僕は 食べてきたから
一日中を 荒地 耕し
裏山からもどった 舅姑へ
妻は その冷や飯を
お腹いっぱいな
そぶりで差し出し
ーこれだけしか残ってませんの
お腹には 胎児
飢えは 生涯の罪か
心に シワ また増えた老夫婦
宝でも 隠すようにして
ーこのご飯は 朝食にしよう
その日とうとう
たべるもののない家に
ご飯が残った
『救済米と言うな』
世界の国々よ
この国に 米なるものを送り
救済米と言うなかれ
その 赤き 赤十字は
我らが血で 血塗られたり
その米で 兵士を増大し
砲身をつくり
残れば その米で
閲兵式 武力示唆
食べたる力を誇示する
先軍
これに なお 力つけさせる
援助だ 支援なのだ
独裁者なるものを救済するだけの
人道主義への 背信
赤十字社の欺瞞
どうか 世界の諸国家よ
送る 米の あるなら
いっそ我らの頭上から
無一物の 我らの頭上から
ああ 砲撃して おくれ!
チャン氏の署名入りの詩は、かつて労働新聞の紙面を飾り、氏は「間違いなく幸福だった」。然し、「最も貧しい国に、最も富裕な王がいる」という眼前の現実に目覚めたとき脱北を決意したという。彼を動かした思いは、「飢えに死んだ300万人の、飢えに至る過程を必ず世界に暴露する」というものだった。
『わたしの娘を100ウォンで売ります』
ーわたしの娘100ウォンで売ります
書かれた紙を首にかけ
幼児を脇に
市場にたつその女
女は唖者であった
売られる娘児と
売る女を眺めては
人々の投げかける呪詛に
地べたに見つめるその女
女は涙も枯れていた
母が死病に罹っている
と
喚き泣き叫ぶ
娘児は
その母の裾
握りしめ
女はただ唇
振るわせるばかり
女は感謝も知らなかった
あんたの娘ではなく
母性愛を買うと
ひとりの軍人 100ウォン差し出すに
その金持ってどこへやら
駆け出したその女
女は母であった
娘売った100ウォンで
小麦粉パン かかえ
慌て 駆け戻り
別離れ行く娘児の
口へ押入れる
・・・赦しておくれ!
慟哭する その女
『ご飯が残ったよ』
どこからか 貰ってきたのか
冷や飯が ひとにぎり
妻の前に差し出しながら
夫は 嬉しそうに言う
ー僕は 食べてきたから
一日中を 荒地 耕し
裏山からもどった 舅姑へ
妻は その冷や飯を
お腹いっぱいな
そぶりで差し出し
ーこれだけしか残ってませんの
お腹には 胎児
飢えは 生涯の罪か
心に シワ また増えた老夫婦
宝でも 隠すようにして
ーこのご飯は 朝食にしよう
その日とうとう
たべるもののない家に
ご飯が残った
『救済米と言うな』
世界の国々よ
この国に 米なるものを送り
救済米と言うなかれ
その 赤き 赤十字は
我らが血で 血塗られたり
その米で 兵士を増大し
砲身をつくり
残れば その米で
閲兵式 武力示唆
食べたる力を誇示する
先軍
これに なお 力つけさせる
援助だ 支援なのだ
独裁者なるものを救済するだけの
人道主義への 背信
赤十字社の欺瞞
どうか 世界の諸国家よ
送る 米の あるなら
いっそ我らの頭上から
無一物の 我らの頭上から
ああ 砲撃して おくれ!
チャン氏の署名入りの詩は、かつて労働新聞の紙面を飾り、氏は「間違いなく幸福だった」。然し、「最も貧しい国に、最も富裕な王がいる」という眼前の現実に目覚めたとき脱北を決意したという。彼を動かした思いは、「飢えに死んだ300万人の、飢えに至る過程を必ず世界に暴露する」というものだった。
cordial8317 at 06:37|Permalink
2010年01月21日
日本人であるということ
大航海時代の末期でもあった嘉永6(1853)年、ペリーの黒船が来襲し、我が国はこれに対抗する為に強力な中央集権国家を形成しなければならないと「明治維新」を成し遂げる。危機に直面して僅か15年で体制を整えたのは奇跡とも言える。
フランスやドイツが、国家形成に至るまで革命を繰り返し100年以上の年月がかかったことと比べてみても、僅か15年で日本を建国したことに驚嘆すると共に、自分がこのような賢い国に生まれたことを心から感謝せずにはいられない。
我が国の歴史上最も賢かったのは「聖徳太子」だろう。太子は607年、日出ずる日本と隋との対等外交に踏み切る。645年「大化の改新」を実現する。この後663年、白村江(はくすきのえ)での敗戦を機に中華圏との正式な外交を絶つ。
その後、1871年に日清修好条規を結ぶまでの1200年に亙り日本は日本列島の中で日本文化を熟成させた。大陸からの漢字に音と訓を付け、ひらがな(後にカタカナ)を付け加え、大和言葉を表現し支那とは全く別の文字体系と文化を創造した。
一方、支那は戦乱に次ぐ戦乱、易姓革命の連続で文字文化の発達は全く止まったままだったのだ。我が国は異文化を吸収し、より善いものを生み出す国民性であり、親中派が「日中は同文同種、一衣帯水である」というのは全く誤った認識である。
今、日本が直面している全ての問題はこうした先人の努力を無視し、「日本人が日本人であることを見失った」ことが起因していると考えても過言ではない。
つまり、何処の国で生まれ、何処で生き、何の為に働き、何を尊び、何を信じるのか、子供達に何を語り、友人や朋輩と何を分かつのか、そうした生き方を見失ってしまったことから、現代の混乱と混迷、様々な問題は起きている。
今一度、「日本とは何か」「日本人であるとはどういうことなのか」を考えながら世界と付き合うべき時代なのだ。欧米主導の西欧時代の終焉が叫ばれている今、我々は日本について考え日本人であるという証を示さなければならない。
本来の日本人なら心の中に「日本人の魂」というものを持っている。この国の歴史伝統や先人達に対する尊敬や愛着の想いである。例えば、我が国が大東亜戦争に負けたのであれば、限りなく口惜しいと思い、GHQに因る占領で失われたものが有るなら、それを何としても取り戻したいと思う「心」である。
そう考えるとき、右翼を標榜する者や保守政治家から、日本人としての魂から発する「思い」を感じることもなく、思想無き右顧左眄型の偽善者ばかり。 我が国は世界の中で最も優れた精神文化と独自の価値を有する国家である。
「保守」とは我ら日本人が未来永劫護り抜かねばならぬ民族、宗教、言語、歴史、価値観、習慣、制度の世界の中で最も優れた精神文化を護り、継承して行くものでなくてはならない。中でも皇統の死守は日本人としての義務である。
フランスやドイツが、国家形成に至るまで革命を繰り返し100年以上の年月がかかったことと比べてみても、僅か15年で日本を建国したことに驚嘆すると共に、自分がこのような賢い国に生まれたことを心から感謝せずにはいられない。
我が国の歴史上最も賢かったのは「聖徳太子」だろう。太子は607年、日出ずる日本と隋との対等外交に踏み切る。645年「大化の改新」を実現する。この後663年、白村江(はくすきのえ)での敗戦を機に中華圏との正式な外交を絶つ。
その後、1871年に日清修好条規を結ぶまでの1200年に亙り日本は日本列島の中で日本文化を熟成させた。大陸からの漢字に音と訓を付け、ひらがな(後にカタカナ)を付け加え、大和言葉を表現し支那とは全く別の文字体系と文化を創造した。
一方、支那は戦乱に次ぐ戦乱、易姓革命の連続で文字文化の発達は全く止まったままだったのだ。我が国は異文化を吸収し、より善いものを生み出す国民性であり、親中派が「日中は同文同種、一衣帯水である」というのは全く誤った認識である。
今、日本が直面している全ての問題はこうした先人の努力を無視し、「日本人が日本人であることを見失った」ことが起因していると考えても過言ではない。
つまり、何処の国で生まれ、何処で生き、何の為に働き、何を尊び、何を信じるのか、子供達に何を語り、友人や朋輩と何を分かつのか、そうした生き方を見失ってしまったことから、現代の混乱と混迷、様々な問題は起きている。
今一度、「日本とは何か」「日本人であるとはどういうことなのか」を考えながら世界と付き合うべき時代なのだ。欧米主導の西欧時代の終焉が叫ばれている今、我々は日本について考え日本人であるという証を示さなければならない。
本来の日本人なら心の中に「日本人の魂」というものを持っている。この国の歴史伝統や先人達に対する尊敬や愛着の想いである。例えば、我が国が大東亜戦争に負けたのであれば、限りなく口惜しいと思い、GHQに因る占領で失われたものが有るなら、それを何としても取り戻したいと思う「心」である。
そう考えるとき、右翼を標榜する者や保守政治家から、日本人としての魂から発する「思い」を感じることもなく、思想無き右顧左眄型の偽善者ばかり。 我が国は世界の中で最も優れた精神文化と独自の価値を有する国家である。
「保守」とは我ら日本人が未来永劫護り抜かねばならぬ民族、宗教、言語、歴史、価値観、習慣、制度の世界の中で最も優れた精神文化を護り、継承して行くものでなくてはならない。中でも皇統の死守は日本人としての義務である。
cordial8317 at 11:43|Permalink
小沢一郎VS特捜が全面対決
検察との全面対決を剥き出しにした小沢一郎だが、検察にしてみれば政治資金規正法違反の容疑を解明し、小沢への疑惑や真実を明らかにしたいだけである。
検察は「政治資金規正法は議会制民主主義の根幹を成す法律。政治資金の実態を偽ることは国民を欺いて政治判断を歪めることに他ならない」と強調しているが、疑惑の解明は当然であるし、疑惑がありながら検察批判とは厭きれるばかり。
検察が秘書の違反容疑の動機や証拠を調べているのだから、小沢が気色ばんで対決姿勢を露にするより、堂々と事情聴取に応じ、自らの潔白と秘書への不当逮捕の理由を説明すれば良いことだろう。国民が知りたいことは、小沢が検察の事情聴取に応じるかどうかではなく、真実はどうなのかということに尽きる。
文芸春秋二月号の「消えた五箱のダンボール」という記事には、昨年三月に大久保秘書が逮捕された日に側近らで証拠隠滅工作を行ったことが書かれている。
今回逮捕された石川議員の元秘書の証言でもあり、具体的に「これを特捜部から隠せて本当に良かった。あと二時間遅れていたらみんな逮捕だったな」「中には鹿島(建設)の資料も入っている。西松(建設)なんか問題じゃないよな」という、その「やばいもの」をダンボール五箱に詰め込み持ち去ったという。
隠蔽工作には小沢側近の樋高副幹事長も加わっており、「資料が出ていたら、小沢先生も含めて全員逮捕だ」と言ったと証言しているが、検察にすれば、そういった証言が有る以上調べるのは当然で、先日、小沢事務所や鹿島本社、水谷建設、山崎建設、宮本組などに一斉捜査が入ったのもその流れだろう。
この家宅捜査の対象は、小沢の地元岩手県奥州市の「胆沢ダム」に参入している会社ばかりで、民主党の目玉政策だった「八ッ場ダム」が工事停止になったのは、小沢に献金しなかった為であるとの噂があったが、強ち間違いではあるまい。
公共工事を利用して「天の声」によって利益を得る手法は、田中角栄や金丸らがやっていたことと同じで、小沢が政治的な力によって独裁的なことをやらかしてるのはそれこそ民主主義の根幹を歪める不当な行為であり断じて許されるものではない。
共同通信社の世論調査で、小沢の幹事長続投に73%の国民は辞任すべきとして反対おり、小沢の説明には6.3%しか納得出来た国民はいない。民主党議員の殆どが、党大会での小沢の説明に「納得出来た」と語っていたが、国民意識とかなり乖離しており、こんな自浄能力の無いアホ政党が政権を続けて行くのかと思うと憂鬱だ。
田中角栄も疑惑を持たれてから、二ヵ月後に記者会見し「潔白宣言」を出したが、三ヶ月後に逮捕された。小沢もまた、同じ様に鼻息荒く検察との対決姿勢を見せてはいるが、宮内庁長官を罵倒した際の記者会見でもそうだったが、自分が不利だと見ると、認識不足を棚に上げて気色ばんで詭弁を弄する癖は治らない様だ。
政治家としての器は田中角栄には及ばないが、政治家としての末路は同じだろう。つ~か、田中角栄に寵愛されたというが、小沢は角栄の足元にも及ばない。
検察は「政治資金規正法は議会制民主主義の根幹を成す法律。政治資金の実態を偽ることは国民を欺いて政治判断を歪めることに他ならない」と強調しているが、疑惑の解明は当然であるし、疑惑がありながら検察批判とは厭きれるばかり。
検察が秘書の違反容疑の動機や証拠を調べているのだから、小沢が気色ばんで対決姿勢を露にするより、堂々と事情聴取に応じ、自らの潔白と秘書への不当逮捕の理由を説明すれば良いことだろう。国民が知りたいことは、小沢が検察の事情聴取に応じるかどうかではなく、真実はどうなのかということに尽きる。
文芸春秋二月号の「消えた五箱のダンボール」という記事には、昨年三月に大久保秘書が逮捕された日に側近らで証拠隠滅工作を行ったことが書かれている。
今回逮捕された石川議員の元秘書の証言でもあり、具体的に「これを特捜部から隠せて本当に良かった。あと二時間遅れていたらみんな逮捕だったな」「中には鹿島(建設)の資料も入っている。西松(建設)なんか問題じゃないよな」という、その「やばいもの」をダンボール五箱に詰め込み持ち去ったという。
隠蔽工作には小沢側近の樋高副幹事長も加わっており、「資料が出ていたら、小沢先生も含めて全員逮捕だ」と言ったと証言しているが、検察にすれば、そういった証言が有る以上調べるのは当然で、先日、小沢事務所や鹿島本社、水谷建設、山崎建設、宮本組などに一斉捜査が入ったのもその流れだろう。
この家宅捜査の対象は、小沢の地元岩手県奥州市の「胆沢ダム」に参入している会社ばかりで、民主党の目玉政策だった「八ッ場ダム」が工事停止になったのは、小沢に献金しなかった為であるとの噂があったが、強ち間違いではあるまい。
公共工事を利用して「天の声」によって利益を得る手法は、田中角栄や金丸らがやっていたことと同じで、小沢が政治的な力によって独裁的なことをやらかしてるのはそれこそ民主主義の根幹を歪める不当な行為であり断じて許されるものではない。
共同通信社の世論調査で、小沢の幹事長続投に73%の国民は辞任すべきとして反対おり、小沢の説明には6.3%しか納得出来た国民はいない。民主党議員の殆どが、党大会での小沢の説明に「納得出来た」と語っていたが、国民意識とかなり乖離しており、こんな自浄能力の無いアホ政党が政権を続けて行くのかと思うと憂鬱だ。
田中角栄も疑惑を持たれてから、二ヵ月後に記者会見し「潔白宣言」を出したが、三ヶ月後に逮捕された。小沢もまた、同じ様に鼻息荒く検察との対決姿勢を見せてはいるが、宮内庁長官を罵倒した際の記者会見でもそうだったが、自分が不利だと見ると、認識不足を棚に上げて気色ばんで詭弁を弄する癖は治らない様だ。
政治家としての器は田中角栄には及ばないが、政治家としての末路は同じだろう。つ~か、田中角栄に寵愛されたというが、小沢は角栄の足元にも及ばない。
cordial8317 at 06:22|Permalink
2010年01月20日
北朝鮮系企業の水谷建設
小沢の疑惑に度々登場する水谷建設は、平成18(2006)年に発覚した福島県知事汚職事件で栄佐久知事の盟友である辻政雄と共に暗躍した北朝鮮系企業である。
福島県内での公共工事も水谷建設は大手ゼネコンの下請け企業として、福島空港を始め、サッカー施設のJビレッジやダム工事など高額な公共工事を請負い、その見返りとして佐藤栄佐久知事の弟らに受注した金額の約5%を支払っていた。
三重県の中堅建設会社が、身寄りも何もない東北各地でこれだけ巨額なの工事を請負えた背景には、北朝鮮出身の水谷元会長の思いが反映されている。
元会長が逮捕され「政治家に金さえ渡せば何とでもなる。そういった意味では全国何処でも金儲け出来る」と豪語していたが、小沢への献金もこれと同じだろう。
福島県汚職で逮捕された際に、小沢らへの証拠も差し押さえられおり、言い逃れられない為に正直に話しているのだろうが、水谷の証言を事実無根とする栄佐久知事らの主張は無理な話で、窮地に追いやられた水谷の供述は信用出来るものだ。
Jビレッジの工事では、東京電力が寄付した約130億円で水谷建設が受注している。この時は名刺代わりに当時の山口組の秘書だった会津角定一家の親分に3億円、いわき市の住吉会丸唐一家の親分にも2億円渡したと公判時に供述している。
水谷建設は知事の実弟を抱き込み、ブローカーの辻と逮捕されるまで公共事業を取りまくり、儲けた金はレインボーブルッジという北朝鮮シンパの胡散臭い団体を経由して、北朝鮮に送金していたと言うから怒りが込み上げて来る。
因みに、辻は、大日本愛国党の相談役でもあった。党員が拉致問題に取り組んでいる中で北朝鮮系の企業と一緒に血税を騙し取っていたとは恥ずべきことだ。
県内の右翼の重鎮である芦名昇盛議長が生前だった頃に、こうした辻の行為を諌める様に進言したことが有る。芦名議長は憮然としていたが、辻に利用されてただけで詳細は知らなかったのだろうか。「右翼人として万死に値しますよ」と苦言を呈した数ヵ月後、芦名議長は幽冥境を異にしたが、辻が逮捕される前で好かったかもな。
福島県汚職で栄佐久らは「事実無根」として上告しているが、見苦しいばかりで、自分が喩え知らなくても、弟らのやった行為は県民への背信行為で不徳の致すところだ。欲の皮のツッパった小沢も、逮捕される前に潔く政界を引退しなさい。
福島県内での公共工事も水谷建設は大手ゼネコンの下請け企業として、福島空港を始め、サッカー施設のJビレッジやダム工事など高額な公共工事を請負い、その見返りとして佐藤栄佐久知事の弟らに受注した金額の約5%を支払っていた。
三重県の中堅建設会社が、身寄りも何もない東北各地でこれだけ巨額なの工事を請負えた背景には、北朝鮮出身の水谷元会長の思いが反映されている。
元会長が逮捕され「政治家に金さえ渡せば何とでもなる。そういった意味では全国何処でも金儲け出来る」と豪語していたが、小沢への献金もこれと同じだろう。
福島県汚職で逮捕された際に、小沢らへの証拠も差し押さえられおり、言い逃れられない為に正直に話しているのだろうが、水谷の証言を事実無根とする栄佐久知事らの主張は無理な話で、窮地に追いやられた水谷の供述は信用出来るものだ。
Jビレッジの工事では、東京電力が寄付した約130億円で水谷建設が受注している。この時は名刺代わりに当時の山口組の秘書だった会津角定一家の親分に3億円、いわき市の住吉会丸唐一家の親分にも2億円渡したと公判時に供述している。
水谷建設は知事の実弟を抱き込み、ブローカーの辻と逮捕されるまで公共事業を取りまくり、儲けた金はレインボーブルッジという北朝鮮シンパの胡散臭い団体を経由して、北朝鮮に送金していたと言うから怒りが込み上げて来る。
因みに、辻は、大日本愛国党の相談役でもあった。党員が拉致問題に取り組んでいる中で北朝鮮系の企業と一緒に血税を騙し取っていたとは恥ずべきことだ。
県内の右翼の重鎮である芦名昇盛議長が生前だった頃に、こうした辻の行為を諌める様に進言したことが有る。芦名議長は憮然としていたが、辻に利用されてただけで詳細は知らなかったのだろうか。「右翼人として万死に値しますよ」と苦言を呈した数ヵ月後、芦名議長は幽冥境を異にしたが、辻が逮捕される前で好かったかもな。
福島県汚職で栄佐久らは「事実無根」として上告しているが、見苦しいばかりで、自分が喩え知らなくても、弟らのやった行為は県民への背信行為で不徳の致すところだ。欲の皮のツッパった小沢も、逮捕される前に潔く政界を引退しなさい。
cordial8317 at 14:08|Permalink
平沼赳夫は雑音など気にせず真正保守を目指せ!
民主党の「仕分け作業」は茶番でしかない。民主党の功績が如く報じてるマスコミもマスコミ。アレだけ騒いで1兆125億円の財源を確保したというが、結局、小沢の鶴の一声で「仕切り直し」した予算も多く、結果は6千億程度とは恐れ入る。
唯一「優良児童劇巡回等事業」が要求通りとなったが、理由は「子供達に夢や希望を与える事業は大切にすべき」と言うものだった。その一方で、小中学校の道徳教材「心のノート」の配布を止めるべきとして「3分の1から半額」の削除とされた。
最終的には廃止し、道徳教育を止めさせる魂胆なのだが、どう見ても児童劇より道徳教育の普及が大事である。 戦後、日本は「道徳教育」を廃止し「忠孝」という言葉は死語になり、教育界からも社会からも危険な言葉とされてしまった。
その結果が、現在の教育の荒廃と家族崩壊に繋がっている。「忠」とは愛国心、「孝」とは親孝行であり、国の教育の基本であり目的であるべきなのだ。
教育勅語には、「我が臣民克く忠に克く孝に億兆心を一にして世々其の美を済せるは此れ我が国体の精華にして教育の淵源亦実に此に存す」と在る。人間にとっての最高の道徳である「忠孝」を教えることは教育にとって最も大切なことである。
更に、民主党は教育関連に関し、教員免許更新制の廃止も示し、不良教師の一掃と教育の充実を目指し改正した教育基本法と関連3法を再改正を目論んでいる様だが、これを見ても文部行政が、日教組に支配され始まった証左であることが分かる。
スパーコンピューター関連予算折衝の折に、「何故2番じゃダメなんですか?」との迷を残した蓮舫が、区民から大顰蹙を買ったことは記憶に新しいが、流石は北京大学に学んだだけのことはあるな。所詮はタレント上がりのバカタレ議員。
日中友好議員連盟に加わり支那に媚びる蓮舫の態度は、台湾人のハーフというより、態度も中身も漢民族を感じさせ、不遜という外に喩えようがない。
この仕分け作業の茶番を批判した平沼赳夫氏の言葉尻を捉え、「差別発言をした」となどキチガイ左翼どもが騒いでいる様だが、何のことはない民主党政権下で外国人参政権付与法案を始めとした売国法案を成立さたいが為のものだろう。
今、平沼グループは、平沼の他に城内実、と小泉龍司の3人だけで政党としての要件を満たしていない。政党助成金など制限があり、国会内で活躍出来ない状況だが、「大義」を翳し、保守再興を目指せばこの状況から脱却出来るだろう。
次期参院選で民主党が過半数を取れず、また自民党が惨敗すれば、その時こそ政界再編の波は大きくなり、真保守政党待望論が出てくるであろうことは必至。
では、真正保守として何を成すべきなのか。それには姑息な奇策などするべきではなく、我が国の歴史と伝統、文化に基づいた日本らしい政策を堂々と掲げ、民主党が実行しようとする反日的な愚策に理路整然と対抗すれば良いだけである。
安政の大獄で牢に繋がれた吉田松陰が、長州が一時的に幕府に恭順した時期でも草莽の民の崛起を信じて、やがてそれが明治維新に至った例に倣い、皇統を重んじ、国家観に溢れた志のある政治家が団結すれば国民も自ずと支持するだろう。
平沼は左翼勢力ら外野の騒音など気にせず、堂々と正論を述べ、自民党や民主党にいながら埋没している保守政治家との真正保守再興を目指すべきである。
「正統の保守主義者に於いて時間を体験する仕方は、過去の意味を直視し、その中に価値を見出す発見によって未来を創造して行くものである」。実践せよ!
唯一「優良児童劇巡回等事業」が要求通りとなったが、理由は「子供達に夢や希望を与える事業は大切にすべき」と言うものだった。その一方で、小中学校の道徳教材「心のノート」の配布を止めるべきとして「3分の1から半額」の削除とされた。
最終的には廃止し、道徳教育を止めさせる魂胆なのだが、どう見ても児童劇より道徳教育の普及が大事である。 戦後、日本は「道徳教育」を廃止し「忠孝」という言葉は死語になり、教育界からも社会からも危険な言葉とされてしまった。
その結果が、現在の教育の荒廃と家族崩壊に繋がっている。「忠」とは愛国心、「孝」とは親孝行であり、国の教育の基本であり目的であるべきなのだ。
教育勅語には、「我が臣民克く忠に克く孝に億兆心を一にして世々其の美を済せるは此れ我が国体の精華にして教育の淵源亦実に此に存す」と在る。人間にとっての最高の道徳である「忠孝」を教えることは教育にとって最も大切なことである。
更に、民主党は教育関連に関し、教員免許更新制の廃止も示し、不良教師の一掃と教育の充実を目指し改正した教育基本法と関連3法を再改正を目論んでいる様だが、これを見ても文部行政が、日教組に支配され始まった証左であることが分かる。
スパーコンピューター関連予算折衝の折に、「何故2番じゃダメなんですか?」との迷を残した蓮舫が、区民から大顰蹙を買ったことは記憶に新しいが、流石は北京大学に学んだだけのことはあるな。所詮はタレント上がりのバカタレ議員。
日中友好議員連盟に加わり支那に媚びる蓮舫の態度は、台湾人のハーフというより、態度も中身も漢民族を感じさせ、不遜という外に喩えようがない。
この仕分け作業の茶番を批判した平沼赳夫氏の言葉尻を捉え、「差別発言をした」となどキチガイ左翼どもが騒いでいる様だが、何のことはない民主党政権下で外国人参政権付与法案を始めとした売国法案を成立さたいが為のものだろう。
今、平沼グループは、平沼の他に城内実、と小泉龍司の3人だけで政党としての要件を満たしていない。政党助成金など制限があり、国会内で活躍出来ない状況だが、「大義」を翳し、保守再興を目指せばこの状況から脱却出来るだろう。
次期参院選で民主党が過半数を取れず、また自民党が惨敗すれば、その時こそ政界再編の波は大きくなり、真保守政党待望論が出てくるであろうことは必至。
では、真正保守として何を成すべきなのか。それには姑息な奇策などするべきではなく、我が国の歴史と伝統、文化に基づいた日本らしい政策を堂々と掲げ、民主党が実行しようとする反日的な愚策に理路整然と対抗すれば良いだけである。
安政の大獄で牢に繋がれた吉田松陰が、長州が一時的に幕府に恭順した時期でも草莽の民の崛起を信じて、やがてそれが明治維新に至った例に倣い、皇統を重んじ、国家観に溢れた志のある政治家が団結すれば国民も自ずと支持するだろう。
平沼は左翼勢力ら外野の騒音など気にせず、堂々と正論を述べ、自民党や民主党にいながら埋没している保守政治家との真正保守再興を目指すべきである。
「正統の保守主義者に於いて時間を体験する仕方は、過去の意味を直視し、その中に価値を見出す発見によって未来を創造して行くものである」。実践せよ!
cordial8317 at 07:05|Permalink
2010年01月18日
亀井静香の発言を機に京都遷宮を考えてみる
亀井静香が昨年末、陛下との会食の際に「権力の象徴である江戸城にお住まいになるのは相応しくないのではないか」と発言したという。実に不謹慎且つ不適切で、小沢同様、皇室の存在を軽々しく論じられることに不快感を覚える。
天皇は日本国憲法上の制約から、国事行為として「国会の開会式」「首相や最高裁長官の親任式」「大臣の認証式」など年間を通して約60回お努めになられ、国賓・公賓への接遇や会見、会食などのご公務を約170回お努め遊ばされる。
亀井の言う様に江戸城から遷都して京都にお住まいになられるとしても、こうした憲法上の国事行為やその制約をどの様に対処する積もりなのか。御所・離宮の造営はどうするのかという、そうした議論もせずに遷宮とは失礼極まる。
天皇にとって大事なものは「祭事」であり、国事行為より優先されるべきものである。歴代天皇が古来より司って来た「祭事」は、現憲法によって天皇家の「私事」になってしまい、皇室典範の「大嘗祭」の規定は現憲法には存在しない。
現憲法は歴史的な国家としての継続された「祭祀」に関する天皇の役割を否定しており、未だ占領政策の「神道指令」の呪縛が解除されずにいるのである。民主党政権は憲法を改正して、国事行為を無くするとでも言うのだろうか。
天皇の祭事は、元旦早々の「四方拝」に始まり「歳旦祭」「元始祭」や毎月の旬祭など年に50回程に上る。国家国民の安寧を祈る存在こそが天皇なのである。
静謐な環境の中で、政治的に利用されることのない中で、尊い存在として「祭祀」を執り行って頂く為には京都への遷宮も一つの選択肢であろうが、時期尚早。
先ずは、国民が「天皇とは何か」という天皇日本の歴史の中で果たして来られた役割や、天皇の在り方を学ぶべきである。現在の天皇は、悲しい哉、現憲法に呪縛され、国事行為を行うだけの政府の都合の好い傀儡でしかないのだ。
祭儀や国事行為など、陛下の激務の御苦労を理解していない故に、亀井の様な不敬な発言や陛下を政治利用しようとする輩は断じて容認出来ない。
天皇は日本国憲法上の制約から、国事行為として「国会の開会式」「首相や最高裁長官の親任式」「大臣の認証式」など年間を通して約60回お努めになられ、国賓・公賓への接遇や会見、会食などのご公務を約170回お努め遊ばされる。
亀井の言う様に江戸城から遷都して京都にお住まいになられるとしても、こうした憲法上の国事行為やその制約をどの様に対処する積もりなのか。御所・離宮の造営はどうするのかという、そうした議論もせずに遷宮とは失礼極まる。
天皇にとって大事なものは「祭事」であり、国事行為より優先されるべきものである。歴代天皇が古来より司って来た「祭事」は、現憲法によって天皇家の「私事」になってしまい、皇室典範の「大嘗祭」の規定は現憲法には存在しない。
現憲法は歴史的な国家としての継続された「祭祀」に関する天皇の役割を否定しており、未だ占領政策の「神道指令」の呪縛が解除されずにいるのである。民主党政権は憲法を改正して、国事行為を無くするとでも言うのだろうか。
天皇の祭事は、元旦早々の「四方拝」に始まり「歳旦祭」「元始祭」や毎月の旬祭など年に50回程に上る。国家国民の安寧を祈る存在こそが天皇なのである。
静謐な環境の中で、政治的に利用されることのない中で、尊い存在として「祭祀」を執り行って頂く為には京都への遷宮も一つの選択肢であろうが、時期尚早。
先ずは、国民が「天皇とは何か」という天皇日本の歴史の中で果たして来られた役割や、天皇の在り方を学ぶべきである。現在の天皇は、悲しい哉、現憲法に呪縛され、国事行為を行うだけの政府の都合の好い傀儡でしかないのだ。
祭儀や国事行為など、陛下の激務の御苦労を理解していない故に、亀井の様な不敬な発言や陛下を政治利用しようとする輩は断じて容認出来ない。
cordial8317 at 08:43|Permalink
2010年01月17日
捕鯨問題を考える
シーシェパードの反捕鯨の活動は白豪主義による人種差別で、オーストラリア人がスポーツハンティングと称してアボリジニを虐殺したのと同じ日本人否定の人種差別活動。こうした偽善の環境保護団体はテロリストと断定し駆逐するべきである。
我が国の食料自給率は39%。この数値は危機的水準だと言うことは誰もが知るところ。この数値は食料安保の視点からも大変問題のある状況であり、食料自給率の改善に繋がる問題として「捕鯨問題」は重要な課題の一つなのである。
我が国が調査捕鯨を継続している背景には、「鯨は将来の人類の重要なタンパク源になる」という考えもある。例えば小さなミンク鯨1頭で牛7頭分のタンパク質が採れるといい、鯨を家庭の食卓に戻すことが、食料自給率の改善に繋がる。
地球上の鯨類が年間に捕食する魚類の総量は2億5千万トン~4億トンだという。一方、地球上の漁師の漁獲量は約1億トンしかない中で鯨被害は続いてる。
「鯨飲馬食」と言われるほどに食欲旺盛な鯨類が増え過ぎれば、人間が食料にしている水産資源も脅かされる事となろう。余計な鯨を駆逐するのは 当然だろう。
捕鯨が始まったのは江戸時代の初期の1606年のこと。紀州の太地で開始された商業捕鯨はやがて全国に広まり、それと共に鯨を食する習慣も全国に広まった。
松尾芭蕉の句に「水無月や 鯛はあれども 塩鯨」というものがあるが、塩付けされた鯨の肉は江戸庶民の大切なタンパク源であり、大衆食として愛された。
19世紀初頭には「鯨肉調理方」という本が出版されているが、鯨食というのはそれだけ普及していたのである。正しく鯨食は日本文化そのものなのである。
今も北海道や東北では正月に「鯨汁」を食しているし、「ハリハリ鍋」にしている地域もあるし、大阪のおでんにはコロ、サエズリ、オノミといった具がある。
反捕鯨の連中は、鯨食を「ゲテモノ」扱いしたり、「戦中戦後の食糧難時代に止むを得ず広まったもの」という反論にしても、或いは、遠洋漁業は「鯨油を採る目的だである」などと愚にも付かない反論をしているのはもう嗤うしかない。
「鯨油を採る目的」とは欧米の捕鯨が皮だけ剥いで鯨油のみを採るやり方だから、それと勘違いしているものが多く、こうした考えも白人優位主義に因るものだ。
日本では単に食するだけではなく、鯨の髭は文楽の人形に使い、骨は櫛などの工芸品となっている。漁師達は鯨塚を作り供養も行っていたし、捕鯨問題の背景には、こういった日本の伝統的鯨文化の問題も有り、反捕鯨は日本文化の否定である。
多少波風が立とうが主張はするべきで、「協調」しようとか「友愛」だとか軟弱な姿勢は日本の将来を危うくする。捕鯨問題は日本にとって重要な問題なのである。
我が国の食料自給率は39%。この数値は危機的水準だと言うことは誰もが知るところ。この数値は食料安保の視点からも大変問題のある状況であり、食料自給率の改善に繋がる問題として「捕鯨問題」は重要な課題の一つなのである。
我が国が調査捕鯨を継続している背景には、「鯨は将来の人類の重要なタンパク源になる」という考えもある。例えば小さなミンク鯨1頭で牛7頭分のタンパク質が採れるといい、鯨を家庭の食卓に戻すことが、食料自給率の改善に繋がる。
地球上の鯨類が年間に捕食する魚類の総量は2億5千万トン~4億トンだという。一方、地球上の漁師の漁獲量は約1億トンしかない中で鯨被害は続いてる。
「鯨飲馬食」と言われるほどに食欲旺盛な鯨類が増え過ぎれば、人間が食料にしている水産資源も脅かされる事となろう。余計な鯨を駆逐するのは 当然だろう。
捕鯨が始まったのは江戸時代の初期の1606年のこと。紀州の太地で開始された商業捕鯨はやがて全国に広まり、それと共に鯨を食する習慣も全国に広まった。
松尾芭蕉の句に「水無月や 鯛はあれども 塩鯨」というものがあるが、塩付けされた鯨の肉は江戸庶民の大切なタンパク源であり、大衆食として愛された。
19世紀初頭には「鯨肉調理方」という本が出版されているが、鯨食というのはそれだけ普及していたのである。正しく鯨食は日本文化そのものなのである。
今も北海道や東北では正月に「鯨汁」を食しているし、「ハリハリ鍋」にしている地域もあるし、大阪のおでんにはコロ、サエズリ、オノミといった具がある。
反捕鯨の連中は、鯨食を「ゲテモノ」扱いしたり、「戦中戦後の食糧難時代に止むを得ず広まったもの」という反論にしても、或いは、遠洋漁業は「鯨油を採る目的だである」などと愚にも付かない反論をしているのはもう嗤うしかない。
「鯨油を採る目的」とは欧米の捕鯨が皮だけ剥いで鯨油のみを採るやり方だから、それと勘違いしているものが多く、こうした考えも白人優位主義に因るものだ。
日本では単に食するだけではなく、鯨の髭は文楽の人形に使い、骨は櫛などの工芸品となっている。漁師達は鯨塚を作り供養も行っていたし、捕鯨問題の背景には、こういった日本の伝統的鯨文化の問題も有り、反捕鯨は日本文化の否定である。
多少波風が立とうが主張はするべきで、「協調」しようとか「友愛」だとか軟弱な姿勢は日本の将来を危うくする。捕鯨問題は日本にとって重要な問題なのである。
cordial8317 at 07:45|Permalink
2010年01月15日
横義横行(おうぎおうこう)の勧め
昨日は新宿まで、物心両面で御支援頂いている大手警備会社「テイケイ」の高花豊会長に新年の挨拶に出掛けた。会長は毎回示唆に富んだ話をしてくれるが、何といっても圧倒的な存在感があり、パワーを頂けるのが有難い。
「人間の財産と言うものは、いざと言う時に自分を支えてくれる人で有ると同時に各自が目指す目標実現の為の知恵袋である」という言葉が有る。そんな人物に出会えたことに感謝している。この方に支援頂く様になったのは、その昔、横山武彦という右翼浪人と全国行脚の放浪の旅をしたのがきっかけだ。正しく人生とは邂逅に尽きる。
「横議横行」という言葉がある。辞書には「勝手に論ずる」とか「勝手気儘に歩く」という意味が書かれている。自由気儘に歩き回ることが禁止されていた幕藩体制下に於いて、横議横行を勧め「脱藩せよ」と叫んだのが吉田松陰だった。
吉田松陰こそが「一君万民論」を唱え、近代国民国家を志向した魁であり、そこから「草莽屈起論」を導いた。 つまり、天皇=一君と国民という関係を構築する為に、封建制度を打破すべく「脱藩し、一草莽たれ」と訴えたのである。その結果、意志の高い下級武士等が脱藩し「志士」として維新を実現させたのだ。
横議横行を実践した人物として最も有名なのは坂本竜馬だろう。時代の寵児として活躍した坂本龍馬を始めとした人物の共通の特徴は、発する「言葉」が違うことである。大衆の心を引き付けたりするのは「言葉」を以て他に無い。
土佐の郷士の次男に生まれた坂本竜馬は正に「言葉の達人」だった。彼が幕閣とも勤王の志士とも通じ、後には薩長連合の仕掛け人として、明治維新を豪腕で引き寄せた立役者足り得たのは、説得の技術、つまりは言葉の豊かさによるものである。
更にもう一つは、彼が「歩く人」であったことだろう。交通の不便だった時代に、実に驚く距離を行き来している。愚生も、放浪の旅や、家を飛び出し、多くの人と顔を突き合わせ横議横行することは実に大切なことだと思っている。
唯、話をするにも先ずは一献これは更に大事なことだ。腹を割って忌憚無く喋れるには、酒は貴重な存在である。 坂本竜馬は、「酒は呑むべし 酒は呑むべし 人生唯酒ありて肝を開く 酔中の快楽人知るなし」との言葉を遺してるが激しく同意する。
吉田松陰はこう教えている。「花柳詩酒に陥る如きは真の道に志す者の必ず暇あらざる所なり」。松陰先生というのは愚生にしてみればチョッと堅物過ぎるな(笑)
「数々の過失は酒と共にあり その酒抱きて今日も堕ちなん」とは、最後の浪人と言われた阿部勉の詩だが、愚生にはこの詩が一番合っている。正に夕刻の志士。呵呵。
「人間の財産と言うものは、いざと言う時に自分を支えてくれる人で有ると同時に各自が目指す目標実現の為の知恵袋である」という言葉が有る。そんな人物に出会えたことに感謝している。この方に支援頂く様になったのは、その昔、横山武彦という右翼浪人と全国行脚の放浪の旅をしたのがきっかけだ。正しく人生とは邂逅に尽きる。
「横議横行」という言葉がある。辞書には「勝手に論ずる」とか「勝手気儘に歩く」という意味が書かれている。自由気儘に歩き回ることが禁止されていた幕藩体制下に於いて、横議横行を勧め「脱藩せよ」と叫んだのが吉田松陰だった。
吉田松陰こそが「一君万民論」を唱え、近代国民国家を志向した魁であり、そこから「草莽屈起論」を導いた。 つまり、天皇=一君と国民という関係を構築する為に、封建制度を打破すべく「脱藩し、一草莽たれ」と訴えたのである。その結果、意志の高い下級武士等が脱藩し「志士」として維新を実現させたのだ。
横議横行を実践した人物として最も有名なのは坂本竜馬だろう。時代の寵児として活躍した坂本龍馬を始めとした人物の共通の特徴は、発する「言葉」が違うことである。大衆の心を引き付けたりするのは「言葉」を以て他に無い。
土佐の郷士の次男に生まれた坂本竜馬は正に「言葉の達人」だった。彼が幕閣とも勤王の志士とも通じ、後には薩長連合の仕掛け人として、明治維新を豪腕で引き寄せた立役者足り得たのは、説得の技術、つまりは言葉の豊かさによるものである。
更にもう一つは、彼が「歩く人」であったことだろう。交通の不便だった時代に、実に驚く距離を行き来している。愚生も、放浪の旅や、家を飛び出し、多くの人と顔を突き合わせ横議横行することは実に大切なことだと思っている。
唯、話をするにも先ずは一献これは更に大事なことだ。腹を割って忌憚無く喋れるには、酒は貴重な存在である。 坂本竜馬は、「酒は呑むべし 酒は呑むべし 人生唯酒ありて肝を開く 酔中の快楽人知るなし」との言葉を遺してるが激しく同意する。
吉田松陰はこう教えている。「花柳詩酒に陥る如きは真の道に志す者の必ず暇あらざる所なり」。松陰先生というのは愚生にしてみればチョッと堅物過ぎるな(笑)
「数々の過失は酒と共にあり その酒抱きて今日も堕ちなん」とは、最後の浪人と言われた阿部勉の詩だが、愚生にはこの詩が一番合っている。正に夕刻の志士。呵呵。
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2010年01月14日
徒然なるまゝに
座右の書ではないが、吉田兼好の「徒然草」が好きで時々出しては読み耽っている。 人の世は常に欲望の社会だが、吉田兼好はこう曰はす。
「名利に使われて、閑かなる暇もなく、一生を苦しむこそ、愚かなれ。財多ければ、身を守るにまどし。害を買い、累を招く媒なり。身の後には、金をして北斗をささふとも、人のためにぞわづらはさるべき。愚かなる人の目をよろこばしむる楽しみ、またあぢきなし。利に惑ふは、すぐれて愚かなる人なり」(三十八段)
世俗的な名声とか地位とか財産とかに身も心も使われて、心静かにゆったりと生活を楽しむ余裕もなく、一生あくせくと暮らすなど実に愚かなことである。
財産が多いとそれだけ身を守らねばならず面倒な煩いを招く元となる。例え死んだ後でも残された遺族たちは財産分与で揉めるだけ。そんな愚かな人々の為に自慢したところで、それもまたつまらないことだ。利欲に惑うことは最も愚かな人である。
「まことの人は、智もなく、徳もなく、功もなく、名もなし。誰か知り、誰か伝えん。これ徳をかくし、愚を守るにあらず。本より賢愚・得失の境にをらざればなり」
要するに「まことの人」とは、世間に対して知恵や徳や功績を誇ることなどしないので、世間では誰が本物の人であるかは判らない。だから伝えることも出来ない。
本当に立派な人というのはそういったことを隠し、元々損得とか名声などとは関係ない処にいて、ただただ己の精神の充足を求めているにすぎないというのである。
下品な人、無遠慮な人、知ったかぶりをした自己顕示欲の強い人は教養のない人と説くのである。只管利欲を求め、長寿だけを願って何になるのか。そういう人は人生の何たるかを知らない。人生とは結果ではなく、生きる経緯が大事なのである。
兼好の様に、安定した生活を捨て職を辞し、己の精神の自由を求めれば生活は困窮するどう。一方で、暮らしを楽にしようとすれば心が拘束される。 愚生もしがない右翼浪人ではあるが、せめて精神だけは兼好の様に自由でありたいと思う。
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《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
「名利に使われて、閑かなる暇もなく、一生を苦しむこそ、愚かなれ。財多ければ、身を守るにまどし。害を買い、累を招く媒なり。身の後には、金をして北斗をささふとも、人のためにぞわづらはさるべき。愚かなる人の目をよろこばしむる楽しみ、またあぢきなし。利に惑ふは、すぐれて愚かなる人なり」(三十八段)
世俗的な名声とか地位とか財産とかに身も心も使われて、心静かにゆったりと生活を楽しむ余裕もなく、一生あくせくと暮らすなど実に愚かなことである。
財産が多いとそれだけ身を守らねばならず面倒な煩いを招く元となる。例え死んだ後でも残された遺族たちは財産分与で揉めるだけ。そんな愚かな人々の為に自慢したところで、それもまたつまらないことだ。利欲に惑うことは最も愚かな人である。
「まことの人は、智もなく、徳もなく、功もなく、名もなし。誰か知り、誰か伝えん。これ徳をかくし、愚を守るにあらず。本より賢愚・得失の境にをらざればなり」
要するに「まことの人」とは、世間に対して知恵や徳や功績を誇ることなどしないので、世間では誰が本物の人であるかは判らない。だから伝えることも出来ない。
本当に立派な人というのはそういったことを隠し、元々損得とか名声などとは関係ない処にいて、ただただ己の精神の充足を求めているにすぎないというのである。
下品な人、無遠慮な人、知ったかぶりをした自己顕示欲の強い人は教養のない人と説くのである。只管利欲を求め、長寿だけを願って何になるのか。そういう人は人生の何たるかを知らない。人生とは結果ではなく、生きる経緯が大事なのである。
兼好の様に、安定した生活を捨て職を辞し、己の精神の自由を求めれば生活は困窮するどう。一方で、暮らしを楽にしようとすれば心が拘束される。 愚生もしがない右翼浪人ではあるが、せめて精神だけは兼好の様に自由でありたいと思う。
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cordial8317 at 05:02|Permalink
2010年01月11日
防共挺身隊執行部からの除籍通知と平成の右翼
運動方針の違いと組織の維持に対する違いから、大学時代から約30年に及び所属していた防共挺身隊を辞めたのは先日の日記で書いた通り。除籍通知が出され、それに何やら、次の様なこと書かれていたらしい・・・ 「右の者、民族活動家として上下の礼節を弁えず・・・理由は如何を問わず交友等は一切堅くお断りします」。
除籍通知を出される謂れもないし、民族活動家として恥じることは一つもない。「防共挺身隊執行部」なんぞ聞いたことがない。まぁ某ヤクザの入れ知恵だろうな。
頭山満翁がその昔、社内の暗闘の際「そんなケチ臭いことでは将来の志業に大害あり」と憂いたというが、流石は大物である。国士とは斯く在りたいものである。「世の人は我を何とも言わばいへ 我が成す事は我がのみぞ知る(坂本龍馬)」
警察庁が把握している国内の右翼団体は現在約900団体(現在は恐らく3分の1程度か)に上るという。 御多分に漏れず、右翼の世界も「玉石混交」であるから、数ある団体の中には街宣車に日の丸を立てて、軍歌を流すだけの団体も在ったり、街宣車を強請り、集りの道具として使用してる自称右翼も少なくない。
世間の嘲笑や侮蔑に耐えつつも皇室の弥栄を祈り、国の行く末を憂う「純正右翼」「本流右翼」は、一体どの位存在するのか。 右翼団体の草分けは玄洋社である。頭山満翁らは明治12年、向陽社を設立したが、前述した通り、社内の暗闘を知った頭山翁は向陽社を発展的に解消し、「玄洋社」に改め組織を再編した。
玄洋社憲則
第一条 皇室を敬載す可し
第二条 本国を愛重す可し
第三条 人民の権利を固守す可し
昭和21年1月4日、GHQは所謂、超国家主義者団体の解散令を出した。荒原牧水の「大右翼史」に拠れば、終戦時の右翼は350団体、このうち追放、解散令を受けたのは210団体に及ぶという。この中には防共挺身隊初代総隊長・福田進の父である福田素顕翁の「皇道日報社(現、防共新聞社)」も一切の活動を禁じられた。
この福田素顕翁は「愛国者は国民の模範的人物にして、指導者たれ」との言葉を残してこの世を去った。民族派、右翼を自称する者の中で、果たして何人が「国民の模範」として胸を張ることが出来ようか。新右翼のカリスマだった野村秋介大人は「他を批判する者、先ず自らに峻烈でなくてはならない」と訓える。
我が胸に手を当て自省してみれば、忸怩たる思いに駆られるが「国民の模範」に成れないまでも、塵の中でもキラリと光彩を放てる右翼浪人に成りたいものだ。
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除籍通知を出される謂れもないし、民族活動家として恥じることは一つもない。「防共挺身隊執行部」なんぞ聞いたことがない。まぁ某ヤクザの入れ知恵だろうな。
頭山満翁がその昔、社内の暗闘の際「そんなケチ臭いことでは将来の志業に大害あり」と憂いたというが、流石は大物である。国士とは斯く在りたいものである。「世の人は我を何とも言わばいへ 我が成す事は我がのみぞ知る(坂本龍馬)」
警察庁が把握している国内の右翼団体は現在約900団体(現在は恐らく3分の1程度か)に上るという。 御多分に漏れず、右翼の世界も「玉石混交」であるから、数ある団体の中には街宣車に日の丸を立てて、軍歌を流すだけの団体も在ったり、街宣車を強請り、集りの道具として使用してる自称右翼も少なくない。
世間の嘲笑や侮蔑に耐えつつも皇室の弥栄を祈り、国の行く末を憂う「純正右翼」「本流右翼」は、一体どの位存在するのか。 右翼団体の草分けは玄洋社である。頭山満翁らは明治12年、向陽社を設立したが、前述した通り、社内の暗闘を知った頭山翁は向陽社を発展的に解消し、「玄洋社」に改め組織を再編した。
玄洋社憲則
第一条 皇室を敬載す可し
第二条 本国を愛重す可し
第三条 人民の権利を固守す可し
昭和21年1月4日、GHQは所謂、超国家主義者団体の解散令を出した。荒原牧水の「大右翼史」に拠れば、終戦時の右翼は350団体、このうち追放、解散令を受けたのは210団体に及ぶという。この中には防共挺身隊初代総隊長・福田進の父である福田素顕翁の「皇道日報社(現、防共新聞社)」も一切の活動を禁じられた。
この福田素顕翁は「愛国者は国民の模範的人物にして、指導者たれ」との言葉を残してこの世を去った。民族派、右翼を自称する者の中で、果たして何人が「国民の模範」として胸を張ることが出来ようか。新右翼のカリスマだった野村秋介大人は「他を批判する者、先ず自らに峻烈でなくてはならない」と訓える。
我が胸に手を当て自省してみれば、忸怩たる思いに駆られるが「国民の模範」に成れないまでも、塵の中でもキラリと光彩を放てる右翼浪人に成りたいものだ。
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