2010年08月06日

原爆投下は日本人蔑視の「動物実験」だった

 広島は65回目の原爆の日を迎える。昭和20年8月6日の広島、9日の長崎への原爆投下後の14日、日本政府はついにポツダム宣言の受諾を決定する。この結果を見て原爆投下が大東亜戦争の終結を早めたという人がいるが事実はそうではない。

 元駐日大使のグルー国務長官代理が中心になって作成されたポツダム宣言の原案には、当初は「天皇制」存続の保証が盛り込まれていたという。

 米国側は日本政府は和平を模索していることを知っていたので、天皇制存続を保障する案なら受け入れられる可能性が極めて高いと考えたのである。

 ところが、反日的なスチムソン陸軍長官やバーンズ国務長官は元国務長官ハルの助言に由りこの項目を最後の土壇場のポツダム会議直前に削除してしまった。即ちポツダム宣言は、日本が極めて受け容れにくい物になっていたのである。

 そのことをよく認識していたトルーマン大統領は、ポツダム宣言発表前日(7月25日)の日記に「この兵器(原爆)は、今から8月10日迄の間に使用されることになる」と書いていることは実に興味深い。原爆投下は既定路線だったということだ。

 日本政府がポツダム宣言を「黙殺」したから原爆が投下されたなどと言うのは真っ赤な嘘であることは、このトルーマンの日記が明瞭に証明している。

 元々原爆を日本に投下することになった背景には、日本人への人種偏見(人種差別)が根強くあったことは否定出来ない。米国が原爆投下を決定したのは1943(昭和18)年5月のことで、原爆搭載機を対日戦用のB-29を選んだ。

 翌(昭和19)年9月米英間の秘密覚書「ハイド・パーク協定」に、原爆は日本に対して使用されるであろうと明記されたのである。こんな不可思議な決定は、日本人への人種偏見、日本人蔑視以外に合理的根拠は見つからない。

 更に、その後の米軍が原爆投下後に広島長崎で執った「放射能治療方法交流禁止」や「被爆者カルテ没収」など目に余る人権蹂躪行為を見ると、原爆実験は日本人を使った「動物実験」としての原爆投下だったのではとすら見えて来る。

 トルーマン大統領の日記には次の様に「ジャップどもは野蛮人で、冷酷、無慈悲且つ狂信的な連中だ」と日本人への憎悪を剥き出しにしている。未だ日本人蔑視が蔓延る米国に「国防」という国の大本を委ねて、まやかしの平和に現を抜かしている時代ではない。真の「平和」は、我ら日本人自らが創り出さなくてはならない。

cordial8317 at 06:19|Permalink

2010年08月02日

五十にして四十九年の非を知る

 今日は小生の誕生日である。愈愈、不惑の四十代も終え五十代に突入である。こんなに生きるとは思いもしなかった。「三十にして立つ 四十にして惑わず 五十に天命を知る」という。また「五十にして四十九年の非を知る」という言葉もある。

 過去の自分の人生は恥入ることばかりで、正に「人生とは失敗の連続である」。五十になり、これからは人生の終わりを考えて生きたいと思っている。

 この一年はある意味人生の節目になった。昨年約30年所属していた右翼団体「防共挺身隊」を辞め浪人人生を歩み出した。ミクシイやらブログやら新聞への投稿といった啓蒙活動をしているが、知らない世界を経験し視野が広がった気がする。

 哲学者の西晋一郎先生は「教えるとは実に教えられることである」と訓釈しているが、ミクシイ日記やブログでは実に教えられることが多い。自慢気に持論をひけらかし悦に入ってるが、ちょっとでも下手なことを書くと竹箆返しが来る。

 本人は教えた積もりでいても、相手にしたら意味不明の反論に感じることも。理に敵った意見や反論は有難いものだ。それとは逆に、如何にも安っぽい意見には諭してやろうと更に調べたりするのでこれがとてもに勉強になる。

 正に教えることは、実は教わっていることだと痛感する。 ミクシィを始め一年半。「足あと」は27万人を超えた。最近はグリーやらの日記にも投稿している。

 足跡を付けた人が自分の政治の日記を見てくれたら、少しは啓蒙活動になると考えて地道にコツコツとやっている。27万の1%だとしてもかなりの数字だと思う。ブログの訪問者は中々伸びないが、地道にやって行くしかないか(笑)

 人生のもう一つの節目は「渓流釣り」を覚えたことだ。餌釣り、テンカラ、フライ、ルアーと一通りやっているが、やればやるほど嵌って行く。

「釣り」は実に愉しく奥が深い遊びだ。渓流釣りをやっている時は川の音と鳥の鳴き声しか聞こえず、浮世の小さな悩みなど吹っ飛んでしまう。

 開高健の「1時間楽しみたければ酒を覚えなさい。3日楽しみたければ結婚しなさい。一生楽しみたければ釣りを覚えなさい」とは、蓋し名言である。

 渓流釣りは九月末で禁漁になるので、海釣りも覚えた。タコ釣りもやってはみたが、ヘチ釣り(黒鯛釣り)は未だ未だ修行不足。へチ釣りはとても楽しい釣りで、へチ釣り用の竿も綺麗なものが多く見ているだけでウキウキしてくる。

 昨日は友人らと猪苗代湖へハヤ(ハエ)釣りに出掛けたが、釣れたのはブラックバスばっか。ブラックバスの引きは強烈で楽しいのは分かるが、キャッチアンドリリースは止めるべきで持ち帰って食べるべきだと思う。

「再放流禁止条例」が出来るという話だが大いに結構なことだ。勿論、猪苗代湖で釣り上げたブラックバスは駆除して来ました。 まぁそんなとこで、土用が過ぎたとはいえ酷暑が続きますので皆様も御自愛下さい。 爆発五郎こと佐久間五郎拝

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cordial8317 at 08:22|Permalink

2010年07月30日

辻元清美が社民党に「三行半」で解党は時間の問題か

 与党ボケというか薄汚い権力欲から政権与党入りした辻元清美が、社民党に三行半を突き付け、党内はてんやわんやの大騒ぎ。民主党幹部も辻元に秋波を送っており、辻元の民主党入りで社民党の消滅は時間の問題になって来た。

 辻元は「嘗ては野党で批判の急先鋒に立ったが、それだけで日本を変えることは出来ないという思いが強くなった」と尤もらしい意見を述べてはいるが、要は与党として副大臣を経験し、あの蜜の味が忘れられないと言うのが本音だろう。
  
 一方で、民主党が両院議員総会を開き、選挙敗北の結果を「消費税」として菅直人が袋叩きに遭った。だがどうだろう、国民の半数以上が消費税増税には賛成していることを見ても、その総括は間違いだと断じても好かろう。

 先の総選挙で「自民党にお灸を据える」程度で民主党を支持した有権者のバランス感覚と、民主党の売国政策に危うさを感じた国民の判断の結果である。猛省もせず菅や枝野を批判するとは本末転倒であり、未だ未だ政権担当能力不足は否めない。

 菅直人が総理に就き、漸く国家の在り方や政治の重さに目覚めたのだろう。先の参院選での「消費税増税」発言は、逼迫する財政を思った末のもので、市民運動家が一国の総理大臣に就任し、責任感に目覚めた結果ではないだろうか。

 元内閣安全保障室長の佐々淳行氏は、菅総理の消費税増税発言を「変成」と命名し、オタマジャクシが蛙へと変化・成長して行く過程に準えたが、「君子豹変す」という諺も有るし、良い方に「変成」して行くことは結構な話だ。
 
 何でも反対、反対の為の反対しか頭になかった辻元も政治の在り方に目覚め、「政権の中にいて、色々な声を届けた方が効果的じゃないか」と宣った様に、政権の中枢で活動することが如何に効果的で有るか思い知ったのだろう。

 だが、辻元の「変成」は、嘗て60年安保闘争で学生運動を経験した団塊の世代の連中が、国家の中枢に入り、官僚や政治家として戦後民主主義を撒き散らしたのと同じ臭いを感じているのは愚生だけではあるまい。

 辻元の売国活動は枚挙に暇なし。先般もソマリアへの自衛隊派遣に反対し、態態ソマリアまでキチガイ左翼のピースボートと共に行ったのは良いが、結局は大嫌いな自衛隊に助けられた。辻本らアホ左翼どもは未だ自衛隊へ感謝の言葉も無い。

 離党を受けて、社民党や有権者への謝罪よりも先ずはピースボートとの関係と国民への釈明と謝罪、そして何より自衛隊へお礼と感謝をするべきだろう。

 社民党の前身である「日本社会党」の衰退の原因は何だったのか。売国政党の消滅を願い、カリスマだった党首・浅沼稲次郎を刺殺した山口ニ矢が没して、今年で50年。漸く、山口烈士の売国政党殲滅の念願が果たされそうである。合掌。

cordial8317 at 08:00|Permalink

2010年07月29日

民間人で法務大臣が務まるなら「死刑執行」も民間委託したら如何か

  国賊・千葉景子が総選挙で有権者から「仕分け」されながら、未だに民間人として大臣の席に居座っていることは当人も生き恥を曝している様なものだろう。先の選挙で落選したことを国民からあれだけ喜ばれた政治家も珍しい。

 それに堪え兼ねてか、死刑廃止論者の千葉が「死刑執行」に踏み切ったのはある意味で笑える。刑事訴訟法は、死刑確定から6カ月以内の執行を定めており、何れも6ヶ月以内に検察庁が法務大臣に「死刑執行上申書」を提出し、規定通り押印し、法相の命令から5日以内に執行されなければならないと明記されている。

 死刑制度が有る以上、粛々と刑の執行をすべきであるのだが、性善説や冤罪などを唱え「死刑廃止」を執拗に求める輩も多く簡単には執行出来ないのが現状だ。

 これとは別に、日本在住の外国人が罪を犯し、1年以上の有期刑に処せられた場合には「永住権」は剥奪され国外追放になると決められている。然し、特別永住者の「在日」ら特定の外国人に限っては優遇されていて、7年以上の刑を起こした場合のみ法務大臣が特別永住権を剥奪し国外追放出来るとしている。

 だが、それは建前で今迄に在日の懲役7年以上の犯罪で法務大臣が押印し、特別永住権を剥奪され韓国や北朝鮮に送還された者は誰一人いない。昔、一度だけ執行しようとしたら在日らがお決まりの「差別だ!」と騒ぎ出し、結局は頓挫した。

 死刑にも在日の犯罪には目を瞑っていては、これも「法の下の平等」に触れるというものだろう。最近は、不法に入国したり、不法に残留したシナ人に因る犯罪が増えているが、これもまた在日同様に強制送還されるケースも少ない。こうした不作為もあって、我が国の刑務所は不良シナ人どもで大入り満員状態である。 

 法務大臣は、死刑執行も強制送還も、またあらゆる犯罪に対して、毅然とした態度で「公正」に処理しなければならないのは言うまでもない。

 最高裁の下した決定に従わず、支那人の留学生に特別在留資格を許可した国賊・千葉景子だもの「法の下の平等」なんてのは端から持ち合わせていない。今更「法相として法律に沿って適正な判断をしたと認識している」とは笑わせる。

 総選挙で落選し、弁護士活動を再開すべく「刑事訴訟法」を勉強し、やっとのこと死刑制度を理解出来たのかもな。然し乍ら、法務大臣が民間人で務まるんだもの、いっそのこと滞ってる「死刑執行」も民間委託したら如何だろう。呵呵。

cordial8317 at 06:14|Permalink

2010年07月17日

神道と日本人

「豊葦原(とよあしはら)の千五百(ちいほ)秋の瑞穂の国は、是れ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地なり。宜しく爾皇孫(いましすめみま)、就(ゆ)きて治(しら)せ。行(さきく)ませ、宝祖(あまひつぎ)の隆えまさむこと、当に天壌(あめつち)と窮(きわま)り無かるべし」(日本書紀)

 自然は人智の及ばない大いなる存在。雷雨や日照りや嵐を人間は制御することは到底出来るものではない。人々は、自然を征服すべく挑み続けるか、それとも自然と共に生きて行くかなのだが、賢明なことに我が古の人々は共生することを選んだ。

 何故なら自然は一瞬のうちに暴れ回り甚大な被害を出したりもするが、それと同時に無限の恵みを齎してくれたりもする。そこで我が祖先達は、自然の織り成す新羅万象を「神」と呼び、豊穣を齎してくれた「神」を称え、荒ぶる「神」を畏れ、鎮め、人々は「神」と共に生きて来たのである。

 新羅万象の全てが「神」の姿で、山の神、海の神、或いは岬、谷、森、石、水・・・そして人間も、その神の在る景色の一部に過ぎなかったのである。

 日本固有の信仰である「神道」は、こうした世界の中から生まれた。神と共にあるから「カンナガラ(惟神)」といい、神の命を与えられているから、人は「神の子」、生命は神の「ワケミタマ(分霊)」と考えられた。

 人は、彼等の暮らす土地の神「ウブスナガミ(産土神)」の御陰を被って誕生し、産土神や、その他諸々の神々と正しく付き合っていくことで四季の恵みを享受し、そして最後には、産土神に導かれて祖霊の世界に帰って行ったというものである。

 民衆レベルの神々の世界は、この様な意味付けを必要としないまでも、自然に体現し、「神」を感じとっていたのである。こうした神々の世界に、天上界の別格の神々の世界「高天原」が重ねられたのは、天皇による国家統一以降のことである。
 
 自然信仰の観念に重ねられた神々の天上世界が「高天原」だ。天に固有の住居を持つ神々は、高天原で育てた稲(ユニワのイナホ)をその苗裔に授けるという神話によって、この国の神々の世界に革新を齎した。

 地上の王権は、高天原の神々の苗裔である天皇の支配するところとなり、地上に住居を持つ国津神(クニツカミ)は高天原に住む天津神(アマツカミ)の支配下に入った。神祇(ジンギ)の世界の誕生である。

 高天原というのは、神道の中に生じた垂直思考の産物であるが、民衆レベルでは、自然と共にある神は、何処まで行っても水平に広がる世界だった。太陽の昇る東の方位には「命の源の世界」が在り、日の沈む西の果てには「死の世界」があった。

 この水平に広がる生と死の世界に高天原という垂直の軸が導入されることによって、その頭上に「高天原」、高天原の下には水平に広がる「中津国」と「海神(ワタツミ)の世界」、そして「黄泉の国」という三層構造が完備されることになった。

 古事記」や「日本書記」は、これらの世界が全て「高天原」の支配下に入るよう神話を整えた。高天原は天照大御神が支配し、中津国は、その苗裔である天皇(スメラミコト)の支配領と定められ、海はスサノオ、ないしキヨミノミコト、或いは神武天皇の兄である稲氷命(イナビノミコト)の支配下に入り、黄泉の国は、やはり天津国であるイザナギないしその息子であるスサノオの世界となった。 

「高天原」の登場によって、日本の神道はオカルト的なシャーマニズムから固有の神々(八百万)の世界と信仰が生まれていったのである。

cordial8317 at 09:50|Permalink

2010年07月15日

夏の風物詩「みたままつり」を愉しむ

 昨日は久しぶりに上京し、物心両面で支援して頂いている方に挨拶を済ませ靖國神社のみたままつりを愉しんで来た。東京の夏は蒸し暑く何時もながら閉口する。

 大鳥居から参じ、奉納されている大小3万灯を超える提灯と各界著名人揮毫の雪洞を眺めてから、先ず拝殿で参拝。続いて拝殿左手に在る「鎮霊社」に詣でた。

 鎮霊舎には所謂賊軍とされた会津藩や我が二本松藩、西郷隆盛といった方々が祀られており、靖国神社を参拝する時には必ずここに詣でることにしている。

 所謂、A級戦犯合祀云々よりも先ずは維新の悲運に斃られた方々の名誉回復こそ急務で有ると思うのだが、靖国神社とはそういう処でもある。大村益次郎の銅像が、上野の西郷さんを睨んで建っているが、如何に長州閥が大きかったのが解る。

 参拝を済ませ、涼もうと、遊就館に入り、上映されている「みたまを継ぐもの」を1時間程観て、展示物を足早に眺め、特別展「神風 そのふきゆくかなたへー蒙古襲来と国難に立ち向かった護国の戦士たちー」を見学し、靖國神社を後にした。

 その後、咽喉も渇いたので一人で直会でもと、九段下の「寿司政」に立ち寄った。この店は池波正太郎や山口瞳などの文人や有名人も足繁く通った店で、シンコは絶品。ビールと〆張鶴の純米酒を気の利いた肴でやってから、一通り握って貰った。

 残念ながらこの日はシンコは無かったがコハダと煮蛤を堪能し、白身の昆布〆と穴子、干瓢巻を頂く。どのネタも職人の技が光る逸品で久々大満足でした。

 勘定をすれば1万チョィ。ポチ袋に入れた僅かばかりの御心付けを従業員に渡し店を出た。また来たいが、不景気の影響か、最近は通し(休憩無し)で営業してる店が少なく、夕方前には呑みたくなる小生には不都合な時代になった。

 我々は普段、神の存在のんて意識することなく生活をしている。「自分は無宗教だ」という人も偶に見かけるが、日本人ならば、心の深いところで、我々の物の考え方や行動を動かしている「何か」が有るのではないだろうかと思う。

 その「何か」こそが先人から脈々と受け継いでいる「神々の記憶」であり、「神道」の教えである。大自然に宿る日本人の原風景がそこには存在している。

 寺院で仏像が多く作られ祀られたのに対して神社には殆ど神像が存在しない。否、本来は全く存在していなかったのだ。何故なら、日本人は偶像崇拝とは別の次元で「神」の坐すことを感知し、「神」の宿る神木を岩を山を信仰してきたからだ。

 姿なき「神」は、自ずと知覚されるものではなく、人間の感性の源である「魂」と直接に響きあう存在なのだ。聖なる山の奥深い処に神社は在ったことでも解る。また「祭り」というのも「神祭り」であり、人々は「神」に触れ熱狂する。

 これを体験することで日常の日々から開放され、同時に他の者達と体験を共有することにより「同じ神の子供」即ち「氏子」として絆を再確認するのである。

 豊作を祝い、大漁を寿ぎ、これを「神」に感謝し、来年も再来年も善い年であるよう祈願し、「神」と共に酒を飲み「神」と共に騒ぎ、歓喜を分かち合う。

「祭り」は「神」を通じて人間を癒し、地域の共同体を維持させて来た強力な行事なのである。みたままつりも、英霊(神)に対する畏敬や欽仰する祭りである。

 正に我が祖国日本とは天皇の国であり、天皇こそ日本なのだ。随神の道を歩んで来た世界にも稀有な国であるというそんなことを実感した一日だった。

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2010年07月07日

「みたままつり」つのだ☆ひろ奉納特別野外コンサート

 参議院選挙も終盤に入ったが、相変わらず盛り上がりに欠ける選挙で、消費税議論に掻き消され、候補者から国家観の見える政策を聞くことは無い。

 今回出馬している有名人やタレント候補に国家観を求めるのは酷というものだろうが、保守思想を持つ芸能人も少なくない。例えば、俳優の藤岡弘や歌手のつのだ☆ひろの思想・信条は共鳴するものが多い。こうした保守タレントが結集し保守新党でも結成すれば、日本が直面する危機を身近に感じる国民も増え、効果絶大であろう。

 藤岡 弘

「祖国の為、先祖、子孫の為に、戦いの場に赴いた戦士達を、後世の人間が敬意をもって遇しないとしたら、その国はやがて滅びるだろうと私は思います。難民救済活動でいろんな国へ行きましたが、女子供、老人たちが見るも無残な難民となって、彷徨う姿を見る度に、国や民族が滅びるとはこういうことかと、とても悲痛な思い駆られます。だから私は『自衛力無き民族は滅びる』という言葉を実感として受け止められるのです。全人類の歴史を考えてみれば、一体どれほどの民族が絶えてしまったか。もう自分が生きていることは奇跡の様な事だと思って間違いない。そして自分を、自分の両親、そのまた両親を生かしてくれる為に、自らの命を投げ出してくれた人がいる。自分の存在はそうした尊い犠牲の上にある。靖国神社にはそうした、生きては見(まみ)えることのなかった子孫のために命を投げ出してくれた人たちが祀られている。感謝の気持ちは自分もまた次なる子孫の為に、愛の連続性に責任を持つという姿勢として現れてくる。だからこそ、どの国、どの民族も、自国の為に戦って倒れた戦士の慰霊を大切にする。当たり前の行為なんだといいうことを改めて日本人は自覚すべきである。そして慰霊の作法というのは、それぞれの国や民族の文化によって異なるものですから、これは日本のやり方を通すしかない。今の日本が徹底した侮りを受けないで済んでいるのは、身命を投げうって究極の奮戦をしてくれた英霊、特に神風特攻隊のお陰です。彼らが武士道精神を発揮して戦ったその記憶が『バリア』となって、いまも我々を守ってくれている。戦後半世紀の平和は『平和憲法』によって齎されたもたものではなく、最悪の戦いの中で、究極の武徳を示してくれた英霊のお陰だと私は思っています」

 つのだ☆ひろ

「私は、戦後の自虐史観を身体に叩き込まれた団塊の世代だ。戦前や戦中派の人達と違って皇民教育の断片も頭の中に無く、最初から祖父や父の世代を悪し様に貶め、軍隊や戦争は全て悪いといった教育の真っ只中に育った。何処の誰が何時の間に、そんな考えを植え付け指導したのか。これは国家の安全対策上大きな問題であろう。遡って、先の大東亜戦争は国民の総意により洋威の圧力に屈せず、亜細亜の安定を強固にする事で、日本の安全をより確かなものにする為に起きたものだと確信する。欧米の侵略から亜細亜を救う為の戦いという大義は誇らしく思う。ところが、日本が敗戦するやこの理念は一変して戦勝国によって捩じ曲げられてしまった。軍国主義国家という不名誉な罪を擦り付けられ、法律上有り得ない事後法まで使って裁かれ、戦犯の汚名を着せられた上に、戦争の責任を一方的に負わされてしまったのである。日本の正義も道理も歴史も理不尽に踏み躙られてしまった。私は幸いにも祖先から高潔な志と価値観を受け継いだ日本人として、自らを律して一生の幕を閉じたいと思う。社会が私をどう見ようが、日本人としての魂に恥じない視点と方向性を私の『普通』として位置付け、常に先学に学び勤勉と進歩を目指して努力を怠らない姿勢を貫きたい。現在の日本に蔓延している事勿れ主義と無責任、そして何より誤った教育、偏った報道は国を滅ぼし大切な命を死に至らしむる病原菌と成りうる事を我々は肝に銘じなければならない」

 来週13日から16日迄の4日間、靖国神社で、第64回「みたままつり」が執り行われる。14日には「つのだ☆ひろ奉納特別野外コンサート」が催される。

 コンサートに先立ち、「御神前に額づき英霊に感謝の気持ちを伝え、労を労って戴ければ私の奉納演奏の意義も自ずと価値を高めるに違いない」と語っているが、是非とも機会が有ればコンサートに参加したいものである。

cordial8317 at 08:13|Permalink

2010年06月22日

天皇皇后両陛下が日本学士院授与式に御親臨

 参議院選挙や日本相撲協会の不祥事の記事が紙面を賑せている中、片隅に天皇、皇后両陛下が日本学士院授与式に御親臨されたという記事が載っていた。

 陛下は授与式の席上、「科学技術の進歩が人類に不幸を齎すことなく、真に人類社会に役立つ様にする為に、世界の人々が互いに協力しあって行く事が切に期待されるところです」と御言葉を述べられて、今回の受賞者を労った。

 優れた芸術作品や芸術の進歩に貢献された方々を称える授与式に、天皇、皇后両陛下が御親臨なされることで賞の重みが増すことは誰もが認めることだろう。

 科学技術や芸術の分野で卓越した業績を残した方々を、国を挙げて御祝いすることは大きな意義がある。その祝いの席に陛下や皇室の方々が「後ろ盾」として位置付けれ御親臨なさることは、自然で望ましいことだと思う。

 日本の皇室というのは、皇族方自らが研究に勤しむ「学者」集団でもあるのだ。昭和天皇は、ヒドロ虫類の分類学的研究で知られる研究者であったのは誰もが知るところ。今上陛下はハゼの分類学研究者であり、皇太子殿下もまた水運の歴史に関する研究者として活躍されており、秋篠宮殿下はナマズの研究で知られている。

 皇族方が、自ら学問に勤しむ熱意ある方々に拠って構成されていることの意味を、我々国民はもう少し考えた方が良いのではないだろうか。

 学問というものに対する尊敬の思い、そして、科学や技術や芸術が人類普遍の価値に関わるものであるという信念を再確認する場として、日本芸術院賞や日本学士院など日本国最賞の祝いの場に天皇、皇后両陛下が御親臨なされることは英国の「王立協会」(ロイヤル・ソサイエティ)にも勝るものだと思う。

 こうした学問だけではなく、何事にも情熱を駆り立てるものは、自然の驚異に対する感受性と、偉大な成果を残して来た先人に対する尊敬の念が無ければ、それは実に軽いものとなってしまうだろう。四季折々の自然にも悠久の歴史にも恵まれた我が国には、そういった心を育む条件が力強く根付いていると痛感する。

 将来を担う子供達に恵与すべきことは「子ども手当」というばら撒きではなく、何処に生まれ、何処で生き、何の為に学ぶのか、何を貴び、何を信じるのか、友人や朋輩と何を分かつのか、失ってしまった心の中の高貴さと、高邁な知性の磨き様を見失ってしまった今、何事も決め手になるのは、過去を大切にする心なのである。

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2010年06月21日

参議院廃止を公約に掲げる政党はないのか

 柔道の谷亮子やプロ野球の中畑清や堀内恒夫、石井浩郎、落語家の桂きん枝や女優の岡崎友紀や歌手の庄野真代、タレントの三原じゅん子や歌手の敏いとうといった候補者の乱立は衆愚政治の始まりであり、国民を愚弄する何物でもない。

  抑抑、参議院とは良識の府であり、その良識とは政治的良識でなくてはならないのだ。現職を見ても、女子プロレスラーや麻薬所持で実刑判決を受けた沖縄民謡歌手、部落解放同盟に元朝鮮日報支社長、日教組に元極左、不倫妻やら女子プロゴルファーの父やら挙げたら限がない無能な連中ばかりで政治的良心の欠片も感じない。

 所詮は単なる数合わせと単なる投票要員で、日本の政治家としての矜持を持って政を司ることなど出来はしない。参議院は衆議院のカーボンペーパーと揶揄され、その存在意義が問われて久しいが、タレント候補の乱立は最早末期的症状で衆議院のチェック機関としても機能しておらず廃止するのが得策だ。

 申し訳程度に「議員定数の削減」を公約に掲げる政党は在るが、血税の無駄の象徴でもある「参議院の廃止」を訴える政党はいない。民主党は先の総選挙で、国会議員の定数を衆院を80人減らすと公約したが、未だ議論すらされてはいない。

 更に今回は参院も40人減らすとしているが、所詮「絵に描いた餅」だろう。自民党は国会議員を3年後に1割削減し、6年後に3割減らすとしているが中途半端。

「たちあげれ日本」は衆院定数を400、参院を200にするとしているが、「みんなの党」の衆院300、参院100との公約より民主党に近いというのは如何にもお粗末。

 たちあがれ日本が、保守本流を自認するなら「参議院の廃止」くらいのインパクトは必要だと思うが、候補者に中畑清を担いでいる様では先が見えている(苦笑)

 参議院選前にして自民党の谷垣総裁は、「与党を過半数割れに出来なければ、総裁を辞任する」と宣言しているが、谷垣が辞める確率は限りなく高いと思われる。
   
 パート感覚で参議院議員になろうとする連中に高給を払ってやるほど財政は豊かではない。今やるべき改革は消費税増税議論より、先ずは議員定数の削減であり、参議院の廃止である。地方議員は無報酬か日当制にし名誉職にするべきだ。

 財源不足言とうならば、先ずは政治家が隗より始めれば良いので有る。政治家自身が身を削り、敢然と実行すれば、役人も国民も右倣えするだろう。

cordial8317 at 09:27|Permalink

2010年06月17日

「靖國神社には何度も行った」という菅直人の虚仮威し

 我が国には「A級戦犯」も「B・C級戦犯」も「戦争犯罪人」などという呼称はない。刑死・獄中死された方は、全て「法務死」と称されており、靖國神社では「昭和殉難者」としてお祀りしている。靖國神社には、所謂B・C級戦犯は1068が御祭神になっており、それ以外リンチに等しいもので亡くなった方が約100名いる。

 東京裁判の茶番劇で、或いは外国の地で不当に処刑された、この方々の命は決して軽いものではない。未だ「戦犯」や「戦争責任」という言葉を耳にするが、この汚名を掛けられ続けるこの方々が、敢えて反論もせず諒として全ての罪を償ってくれたのである。死に代わる責任の取り方以外に何が在ると言うのか。

 国民はこの方々の悲劇を忘れてはならない。菅直人は「靖國神社には、A級戦犯が合祀されており、公式参拝には問題がある」と宣うが、昭和26年4月28日に我が国は主権を快復したのであり、何時まで不当な内政干渉に屈する積もりか。首相の公式参拝は至極当然であり、陛下が御親拝を為される様にすることが肝要である。

 代表質問に答える形で、菅は「個人的には何度も参拝した」と述べていたが、どう見てもブラフだろう。要は、所謂「A級戦犯」を持ち出し、「分祀論」をまたぞろ出して、「国立戦没者追悼新施設」の建設を目論んでいるのは間違いない。

 最高裁が示した憲法の禁止する「宗教的活動」の定義は、当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進または圧迫等になる様な行為をいう。国立追悼施設の一般人に与える効果は事実上、靖國神社に代わる施設だとの認識を与える。つまり、当該行為は靖国神社への圧迫干渉でもある。

 宗教活動であるかどうかは「無宗教の追悼式」という外形的側面のみに囚われることなく当該行為を行う意図、目的及び宗教的意志の有無、程度、当該行為の一般人に与える影響等、諸般の事情を考慮して客観的に判断しなくてはならない。

 分祀論は信教の自由を保障しようとする政教分離規定の「憲法20条・第3項」違反である。靖國神社は246万6千余柱の神霊を祀っているが、その中から一つの神霊を分霊したとしても元の神霊は存在するというのが神道の神霊観念であり、仮に分祀論が成立したとしても、それにより靖國神社が分祀することは絶対ない。

「分祀論」や「国立追悼施設」が如何に軽薄且つ支離滅裂であり、国家の艱難に立ち向かい尊い命を捧げた英霊を冒涜するものである。今こそ抑圧していた障害を排除し、真姿の復元を計ると共に靖國神社国家護持に立ち上がろう。

cordial8317 at 06:31|Permalink

2010年06月14日

防共挺身隊総隊長辞任から一年が経った

 昨年3月、国士舘大学在学中から所属していた右翼団体・防共挺身隊(以下防挺)の総隊長に就任。同6月、前任者と活動方針の違いから総隊長を辞し1年が経った。防挺といえば、戦後、大日本愛国党と並び行動右翼として、右翼・民族派運動に大きな役割を担ってきた団体である。(詳細はウィキペディアを参照されたし)

 初代総隊長・福田進、二代目・早坂光夫、三代目・對馬則政の下で約30年間、右翼活動家とし邁進し「防挺の良識」と言われたりもしたが力及ばず袂を分つた。

 爾来、蟄居状態ながらも正統右翼浪人を自任して言論活動や自己啓発に充実した日々を送っている。除籍通知を出されたが右翼活動家として何ら恥じることは無い。そんな中で、昨年末、前任者の對馬が急逝したのが返す返すも残念である。
 
 大学時代に「日本論壇倶楽部」という同好会を創った。未だ野村秋介氏が「反共右翼からの脱却」や「理論武装」を訴えていることも知らずにいた頃、これからの右翼は理論が大事だと感じて団体名に「論壇」という字を付けた。

 当時、国際勝共連合や一水会が私服で演説していた様子に興味を持ち、これからの街頭演説は隊服ではなく、揃いのブレザーを着てやろうと彼是考えたりもした。しかし、今、右翼の原点は理論より行動力であるという結論に至っっている。

 昨今、新保守主義を掲げる学者や評論家の言動が持て囃されてはいるが、その「保守」に「尊皇」はない。彼等が「保守」したいのは、自民党や民主党の体制なのだ。反中共、反北朝鮮と耳障りの良いことを言ってるだけで、本音とは思えない。

 保守主義を否定はしないが、尊皇無き保守では米国や英国の保守政党、保守主義と何等変りは無いのだ。そんな中で、右翼・民族派の知識は保守評論家と然程代わり映えせず、理論をひけらかすばかりで、行動力が乏しくなってしまった。

 街宣右翼のパイオニアであり純正右翼を標榜する防挺が一世を風靡した時代、そこには在るのは理論より行動力だった。昔、ある幹部が自分に言った言葉を思い出す。「パクられたら弁護士の先生が巧く理論を考えてくれるから心配無用」。民族派諸氏は原点に戻り研鑽を積み、テロを担保しつつ活動を続けて貰いたいものだ。
 
 警察庁が把握している国内の右翼団体は現在、約900団体に上るという。御多分に漏れず、右翼の世界も「玉石混交」で、数ある団体の中には街宣車に日の丸を立てて、軍歌を流すだけの団体も在ったり、街宣車を強請り、集りの道具として使用してる自称右翼も少なくない。そうなるのも右翼活動の本質を知らないからだ。

 世間の嘲笑や侮蔑に耐えつつも皇室の弥栄を祈り、国の行く末を憂う「純正右翼」「本流右翼」は極僅かになった。国家社会主義者で「皇道日報社(現・防共新聞社)」の福田素顕翁(防共挺身隊・初代総隊長福田進の父)は、「愛国者は国民の模範的人物にして指導者たれ」との言葉を残してこの世を去ったが、民族派、右翼を自称する者の中で果たして何人が「国民の模範」と胸を張ることが出来ようか。

 野村秋介大人は「塵中に人あり(汚れた顔の天使たち)」の中で「他を批判する者、先ず自らに峻烈でなくてはならない」と示現している。こうした言葉を我が胸に手を当て自省してみれば、忸怩たる思いに駆られるが「国民の模範」に成れないまでも、塵の中でもキラリと光彩を放てる人物には成りたいものである。

※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。

《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員は300000円~。

cordial8317 at 07:07|Permalink

2010年06月11日

須賀川市出身の根本博元中将伝「この命、義に捧ぐ」

 福島県岩瀬郡仁井田村(現須賀川市)出身の根本博元陸軍中将が、死後40年余を経て注目を集めている。根本中将を主人公に描いた「この命、義に捧ぐ」(門田隆将著・集英社)が出版されているが、産経新聞にも根本中将の経歴が掲載さた。

 今日も、地元紙「福島民報新聞」に根本中将の特集記事が掲載されている。門田隆将著の「この命、義に捧ぐ」は、義を貫く生涯を送った根本博元陸軍中将(1891~1966年)の人物像を描いたノンフィクションの歴史記録である。

 産経新聞も春の特集記事の中で、「終戦直後、邦人保護のために蒋介石が手をさしのべてくれた恩義に報いるべく、密航までして身を投じた日本人将軍の秘話が戦役後60年を経て明らかになった」と、根本元中将のことを取り上げている。

 大東亜戦争末期の昭和20年8月9日、旧ソ連は、ヤルタ密約の実行から未だ有効だった「日ソ不可侵中立条約」を一方的に破棄し、満州、南樺太に侵略を開始した。

 終戦間際のロシアに因る鬼畜の如き所業は筆舌に尽くし難い。敗戦時に、駐蒙軍司令官だった根本博中将は旧ソ連の侵攻を食い止めつつ、軍上層部の武装解除命令を敢えて無視して、邦人保護の優先を部下に命じた。この根本の決断に拠って、支那・内蒙古に残された在留邦人約4万人を脱出させることに成功する。

 その在留邦人脱出の際に中国国民党の蒋介石から受けた恩義に報いようと、GHQの統治下だった戦後の昭和24年6月に、九州から老朽漁船で中華民国に密航する。決死の思いで辿り着いた根本は、国民党軍に協力し、そして軍事顧問に迎えられる。

 中国国民党と中国共産党との間で支那大陸の覇権を争って繰り広げた「国共内戦」の事実上の最終戦であった「金門島・古寧頭(こねいとう)の戦い」で、共産党軍を壊滅させる策を授けた。この戦いから三年後、根本は日本に帰還するが、晩年、根本は、自らのこの台湾での行動を誇示することは無かったという。

 台湾当局は台湾独立の先駆けとなった「金門島の戦い」に、先の大戦で敵対した旧日本軍の将軍が参画したことを認めては来なかった。否、出来なかったのだろう。

 然し、昨年10月、金門島で行われた「古寧頭戦役60周年記念式典」に、根本元中将と共に渡った関係者の子息と門田氏らが出席した際に、その席で馬英九総統や軍幹部が初めて謝意を伝えた。根本元中将もあの世で感無量だったに違いない。

 門田氏は根本元中将を「窮地にある蒋介石の力になりたいとの一心で台湾行きを決行した。根底にあるのはヒューマニズム。戊辰戦争で敗れ賊軍となった福島出身であることが影響しているのだろう。毅然とした生き方に学ぶべきだ」と評す。

 根本元中将は正に、会津士魂の教えである「譬え義に死するとも不義を以て生きず」の生き方を実践した武将だ。郷土の偉人の勇姿は時を経て今、光彩を放つ。

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cordial8317 at 07:28|Permalink

2010年06月09日

国民最大不幸である菅直人亡国内閣の即刻退陣を願う

 菅直人が新総理に就き、御祝儀相場も有って支持率が快復しているが、その中身は鳩山政権発足時同様、空疎な言葉ばかりが目立つ。菅内閣は嗤えることに「騎兵隊内閣」を自任している様だが、「奇変態内閣」と言うのがお似合いだ。

「最小不幸の社会を創る」とし「日本を根本から立て直し、もっと元気の良い国にして行きたい。強い経済、強い財政、強い社会保障を一体として実現する」と語る。

 財政状況悪化は「20年間、税金を上げられずに大きな借金を繰り返し、効果の薄い公共事業に注ぎ込んだことだ」として自民党政権時代を暗に批判している。

 菅は「日本は深刻な経済危機」という認識を示したが、日本の純資産残高(債務残高から金融資産を引いた数値)は欧米に比べ然程悪くは無く、日本の国債も95%以上を国民が購入している点を見ても、世界に比べ深刻な経済危機ではない。

「投資がそれ以上の税収を生む」と言うことを知らないから、安直に「公共投資はダメ」だとか、国民の借金である「赤字国債の発行もダメ」と言った妄言を繰り返すのだが、日本の総理としては全くの経済音痴で実に心許ない。

 国民の多くも同様に似非経済危機論を信じきっているのには困ったもので、将来「最小不幸」どころか「最大不幸」が待ち構えているに違いない。

 政治が先ずやるべきことは、将来を担う子供達への教育の充実である。民主党と日教組の関係は今更指摘するまでもないが、マニュフェストに「子ども手当て」を明記しても、どの様な教育を施して行くかということは一切書かれていない。

「愛国心」も「道徳心」も「学力向上」も明記せず、国民から負託されたという驕りから、教育を疎かにして、金の分配だけに狂奔するのは本末転倒である。

「外交・安全保障」も杜撰さが目立つ。「専守防衛に徹し、集団的自衛権を行使しないこと、非核三原則を守ること、海外における武力行使は行わないこと、文民統制を維持することなどを防衛政策の諸原則を今後も遵守する」と、とても防衛の「基本政策」と言えない代物が在るが、喜んでるのは周辺諸国だけ。

 鳩山が辞任挨拶で「米国に依存し続ける安全保障が50年、100年続いて良いとは思わない。日本の平和を日本自身で創り上げなければならない」と珍しく正論を語っていたが、この日米を基軸とした原則を続けることなど出来はしない。

 菅が言うべきことは「日米合意」や「沖縄の負担軽減」ではなく、鳩山が示した認識の下に国民に「国防の在り方」を訴えるべきではないのか。尤も、普天間問題で知らぬ顔の半兵衛を決込んだ菅に、それを求めるのは酷というものか。

 石原都知事が菅政権を「極左政権」と揶揄したが、菅の目指すものは「世界の人々が不幸になる要素を少なくする」と敢えて示した様に、菅の頭に存在する世界は、支那人や朝鮮人の「最小不幸」を目指している様に感ずるのは穿った見方だろうか。

cordial8317 at 08:31|Permalink

2010年06月05日

菅直人売国政権と「でもしか政治家」

 昨年の総選挙で、国民の多くは「自民党にお灸を据える」という程度で民主党を支持した。別に民主党が良い訳ではなく「民主党しかないか・・・」「民主党にでも入れとくか・・・」程度で投票したというのが実情で、所詮、民主党にしろ、自民党にしろ、「でもしか政党」なのだ。乱立するミニ政党然り、菅直人然り。

 政治を行う上で大事なものは、如何に国家観を以て政治を行い、国家・国民を安寧に導くかであり、中身も知らないで支持する事が有ってはならない。

 菅直人が新総理に就き、御祝儀相場も有って支持率が快復して来た様だが、果たしてどれ程の国民が民主党という政党を理解しているのだろうか。

 政権政党として選挙公約(マニュフェスト)の実現ということだけではなく、民主党という政党の持つ国家観や哲学、ビジョンが政府の政策に反映するということを意味する。その意味でも民主党という政党そのものが問われなければならない。

 菅は、「この国を立て直すのが第一の仕事だ」と宣うが、国の大本は景気対策よりも、将来を担う子供達への教育と国防力の充実を図る事である。然し、民主党にはその教育と国防の何れの政策も明記しておらず、それらの認識も欠落している。

 民主党と日教組の関係は指摘する迄もないが、マニュフェストに「子ども手当て」明記しても「どの様な教育を施して行くか」ということは一切書かれていない。

「愛国心」も「道徳心」も「学力向上」も明記せずに、国民から負託されたという驕りからか、教育を疎かにして、金の分配だけに狂奔するのは本末転倒である。

「外交・安全保障」も杜撰さが目立つ。「国際社会の利益と調和させつつ、わが国の安全と主体性を実現していく『外交立国・日本』を目指す。憲法の平和主義に則った防衛政策を継続する一方で、現実かつ柔軟な認識と戦略をもって、日本外交の自立性とダイナリズムを確立する」というが、単なる絵に描いた餅でしかない。

 日頃、民主党は国民向けに「官僚主導の政治から脱却を図る」と息巻いていた割には、頭の悪い官僚が書いた作文の様な空疎な内容が羅列しているのは嗤える。

 防衛政策では「専守防衛に徹し、集団的自衛権を行使しないこと、非核三原則を守ること、海外における武力行使は行わないこと、文民統制を維持することなどを防衛政策の諸原則を今後も遵守する」と書かれているが、要するに「基本政策」とは銘打っているのだが、とても基本政策と言える代物ではない。

 普天間問題の迷走や鳩山の辞任は、こうした国家観皆無の認識が招いた結果である。鳩山は辞任挨拶で「米国に依存し続ける安全保障が50年、100年続いて良いとは思わない。日本の平和を日本自身で創り上げなければならない」と珍しく正論を語っていたが、党の基本政策が在る限り、所詮は空論に過ぎない。

 菅新政権がやるべきことは、絵に描いた餅の如きマニュフェストや国民に直隠ししている亡国的基本政策の実行より、先ずは党の綱領を創り、国民に民主党の掲げる理想を明示すべきであろう。有権者は投票する前に民主党とはどんな政党なのかを知り、日本の為になるかどうか真剣に考えてから行動して貰いたいものだ。

cordial8317 at 08:27|Permalink

2010年06月04日

「国民目線」に立つ政治家を戴く不幸

 極左である菅直人が総理になるのは確実だが、民主党内の人材不足ばかりが目立つ。「強い経済・財政・社会保障」を謳ったところで、綱領すら未だに創れない政党に我が国の将来を任せることは出来ない。況してや大衆迎合主義者の菅如きが強いリーダーシップなど執れる筈も無い。我が国の不幸は未だ未だ続きそうだ。

 極左の菅は、故市川房枝に寵愛され、市民運動家から代議士に転身する。市川房枝は婦人運動家として、如何にも国民目線に立った政治家というイメージが強いが、戦前は大日本言論報国会の理事として国民を戦争に駆り立て煽動した右翼である。

 戦後、市川は公職追放に遭う。「これからは戦後民主主義が持て囃される」と見るや、態度を急変させ、婦人運動家として婦人参政権の付与や売春防止法の制定に奔ることとなる。要は、主義主張も節操も無い政治屋の一人に過ぎない。

 この市川のお気に入りが菅直人だった。その教え故、国民の動きには過敏に反応する。薬害エイズが票になると見るや徹底して市民側に立った政治を断行した。

 先の話題になった「派遣村」に対しても同様で、湯浅某如きの市民運動家と言う名のバカ左翼を内閣府の参謀に参画させたことでも、如何に菅が破壊活動家であり、大衆迎合主義者であるかが理解出来る。大衆迎合主義は百害有って一利無し。

 菅直人を始めとした政治家は、頻りに「国民の目線に立った政治を行う」と宣うが、民主主義の本質は国民目線に立つ事ではない。国民目線とは、国民の平均値のことなのだろうが、平均値で国の政を行うことは余りにも危険である。

 政治が国民目線に立った時、必ず国は滅ぶと言うのは世の常で、何故なら国民の判断力は古今東西常に低く、その意見も気紛れだからだ。民主党が政権を獲れたのも鳩山政権が辞職に追い込まれたのも、同じ民主党に投票した多くの国民の判断だ。

 政治を行う上では、国民目線と掛離れた歴史観、人間観、世界観、時には高度な権謀術数を必要とするのは当たり前のこと。経済もまた然りであり。

「日本は深刻な経済危機」というが、純資産残高(債務残高から金融資産を引いた数値)は欧米に比べ然程悪くは無く、日本の国債も95%以上を国民が購入している点を見ても、他国とは違うと言うことを知っている国民は非常に少ない。

「投資がそれ以上の税収を生む」と言うことを知らないから「公共投資はダメ」「赤字国債の発行もダメ」と言った妄言が罷り通るのである。これらを知ることのない国民の目線とは、ワイドショーに煽られた意見と言っても過言ではない。

 マスコミは視聴率を伸ばす為だけに国民の安直な正義感に迎合して、自分達の主張こそが「正義であり民主主義である」との主張を居丈高に振り翳している。

 要は国民を煽動しているだけなのである。 国民の軽佻浮薄な流れに苦言を呈し、大局観に立って国家と国民を安寧に導く政治家やマスコミの出現を待望する。

cordial8317 at 09:40|Permalink

2010年06月03日

国民不在の政争に狂奔する政治屋どもには厭きれるばかり

 昨年の衆院選で、国民の多くが「自民党にお灸を据える」という程度で民主党を支持し、政権交代が実現した。それから8ヶ月余り、鳩山由紀夫は、自民党・安倍、福田政権同様に、民主党政権を投げ出した。福田元首相が退陣の際に、記者に向かって「貴方とは違うんです」との台詞を吐いたのは記憶に新しい。

 福田にしてみれば、麻生太郎に政権を譲り、即解散総選挙に打って出る算段が脆くも崩れてはしまったが、鳩山も福田と同様に、参院選勝利には自らの辞任は避けて通れないと踏んでの決断であり、如何にも小沢一郎を道連れにした様に見せ掛けてはいるが、今回の「辞任劇」という小芝居の脚本・演出は小沢だろうな(笑)

 所詮「政治とカネ」「普天間の迷走」での引責辞任としてはいるが、選挙目当ての国民向けの誤魔化しでしかない。この辞任劇と新政権の御祝儀相場で民主党の支持率が上がることは必至だが「表紙」を変えたところで、民主党の中身が変る事はない。ややもすれば小沢が表舞台から消え、院政による支配が益々強まるだろう。

 未だに民主党の中身も知らないで支持している国民がいるが、民主党政権が続く事の意味を果たして理解しているのだろうか。政権を執るということは、政党の持つ国家観や哲学、構想、未来像が政府の政策に反映するということを意味する。その意味で民主党という政党そのものが問われなければならないのである。

 果たして、民主党とは一体どんな政党なのか。多くの国民が知り得るのは、民主党がマニュフェストで掲げた「一人2万6千円の子供手当て」「農業の戸別所得補償」「暫定税率廃止」「高速道路無料化」等であり、その政策の多くが頓挫している。

 然し、結党以来の「基本政策」としている「外国人地方参政権付与」や「外国人住民基本法案」靖国神社に替る「国立追悼施設の建立」、元慰安婦に対して国家賠償する「戦時性的強制被害者法案」といった反日政策、更に日本の家族制度を破壊する「夫婦別姓」、言論の自由を侵害する「人権救済機関の設置」「日教組主導の教育関連政策」といった売国法案成立に狂奔していることは国民の多くは知らない。

 敢えて国民に知らせないというのが本音だろう。既に支那の走狗と化した民主党は「東アジア大交流時代」と称し、「観光立国」「査証(ビザ)の簡素化」「沖縄ビジョン」といった支那の策謀を忠実に実行していることは憂慮せざるを得ない。

 民主党が野党時代、コロコロ替る自民党政権に「総理を変えるなら総選挙で国民に信を問え」と宣っていたが、この主張が本音なら衆院も解散し同日選挙を行うべきだろう。尤も「秘書の責任は政治家の責任」同様、自分自身には相当甘い民主党だもの、負け戦をやる度胸は在るまい。国民不在の政争は一体何時まで続くのやら。

cordial8317 at 07:53|Permalink

2010年06月02日

福島みずほや辻元清美の涙には騙されまい(苦笑)

 余程、与党連立に未練が在るのだろう、福島瑞穂も辻元清美も涙を流したと言うが、誰も同情はしまい。 辻元清美なんぞは起訴猶予になったとはいえ、秘書給与を誤魔化し詐取した犯罪者である。辻元の売国活動は枚挙に暇なし。

 ソマリアへの自衛隊派遣に反対し、態態ソマリアまでキチガイ・ピースボートとノコノコと出掛けたのは良いが、結局、乗ってた船が故障して自衛隊を要請し助けられるも感謝することなく、無様な結果に終わったのは記憶に新しい。

 この件で、未だ国民への釈明も謝罪も自衛隊へのお礼も感謝の言葉も無い辻本だが、こんなアホが国土交通省の副大臣だったと言うのだから哂うしかない。

 辞任が決まり、涙を見せ「泣いたらアカンやろ」と、国民からの同情を求めるかの様な三流役者ぶりを見せたが、政権与党に固執する余りに、副大臣ポストに未練タラタラといった感じにしか見えなかったは小生だけではないだろう。

 福島瑞穂も同様で、次期参院選向けの目眩しが炸裂した。社民党は沖縄米軍基地の「県外移設」に拘ってるが、抑抑、非武装中立を叫ぶ連中が政権与党だったことが大きな間違いだろう。こんな無能な社民党を支持してるのもキチガイの所業だ。

 国の大本は「国防」であり「教育」であり、その二つに不可欠なものは「愛国心」である。国家観を持って外交を行い、国防を怠らず、将来を担う子供達に誇りの持てる教育を施すことであるが、社民党にそれらを求めるのは不可能だ。

 沖縄普天間基地移設問題の迷走・混乱も専ら自分達の利害やその場凌ぎばかりで、国民の生命・財産を守るという国防の在り方を論ずることは全くなかった。

 迷走・混乱ぶりは、正に「愛国心」の無さに起因すると言っても過言ではなく、また愛国心無き国防など在り得ない。戦後の我が国というのは残念なことに、愛国心の無さと国防意識の欠落という点では世界に冠たる国に成り下がってしまった。

「国防」という国本来の大本を米国に委ね、まやかしの平和を享受して来たことを恬として恥じない民族になってしまったことをどう感じているのだろうか。

 米国依存の体制からの脱却を図り、国防体制の強化を実行するなら吝かではないが、民主党も社民党も米国依存から支那依存を謀ってるだけである。

 民主党政権は、中国共産党の策謀に嵌り、「東アジア大交流時代」「観光立国」「査証簡素化」を実行する始末で、今後は「外国人地方参政権」「外国人住民基本法案」の法制化を目指すであろうことは火を見るより明らかだ。

 他にも所謂、従軍慰安婦と称する売春婦へ国費投入である「戦時性被害者補償法案」や靖國神社に代わる「国立戦没者追悼施設建立」を目論み、日教組主導による「教育改革」等々、社民党と民主党が共鳴し成立を謀る売国法案は目白押し。

 要は、次期参院選を見越しての偽装政権離脱でしかなく、参院選後は「是々非々」という奇麗事で数々の亡国法案に同意することは明らかだ。破壊活動を主として国民に害を及ぼす社民党なんぞ、民主党同様早々に消滅して頂きたいものだ。

cordial8317 at 05:53|Permalink

2010年06月01日

日中友好などクソ喰らえ!

 中国共産党の温家宝との首脳会談が開かれた。鳩山は「日本と中国の間の海が友愛の海になる」と暢気なコメントを出して御満悦だったがホント厭きれるばかり。

 沖縄南方海域で活発化する中共軍の軍事行動に抗議することもなく、論争を避ける様な全方位外交は、国益を賭けた熾烈な駆引きが要求される外交や安全保障には以ての外で、こうした腰抜軟弱外交が隣国を逆上せ上がらせる原因になるのである。

 事実、中共にはガス田問題で出抜かれ、尖閣諸島の問題でイチャモンを吐けられ、韓国には竹島を不法に占拠された上に「日本海」を「東海」と呼べとホザかれ、北朝鮮には同胞を拉致されながら手出しも出来ずテボドンで脅かされる始末。

 北方領土もロシアに不法占拠され続け一向に解決出来ずにいるのも、全て我が国政府の弱腰外交と国家主権に対する甘さが招いた結果である。要は、戦後の日本というのは情けないことに隣国というか中朝韓やロシアにナメラレっ放しなのだ。

 未だ中共は共産主義を最高原理として崇めており、神や仏という共産主義を超える最高の存在を許さず、因って人民には信仰の自由は認めることもない。

 集会、結社、出版、言論等々基本的人権が無く、満州、内蒙古、チベット、新疆の異民族を虐殺し土地を奪い、共産主義と漢民族化を強制し、清朝時代の最大版図を「歴史的領土」と主張する中国共産党こそ最大の「帝国主義国」である。

 その中共は日本に対してだけ「中国」と呼ぶよう強要している。我が国も忠誠を誓うが如く「中国」と呼称するが、これは国際的にも間違った表現である。

「中国」という言葉の一番古い意味は「首都」という意味であり、中共政府の言う「国民国家」を意味するものではない。「中国」ではなく「中共」と呼ぶべきだ。

 差別表記とされる「支那」という言葉は、支那大陸の最初の統一王朝の「秦」に由来し、世界中でその近似音で支那を呼んでいる。清朝の公的文書にも「支那」は出てくる。「支那」を漢字にしたのは新井白石で「チーナ」を翻訳したものだ。

 英語圏では「チャイナ」
 フランス「シーヌ」
 ドイツ「ヒーナ」
 イタリア語「チーナ」
 ペルシャ語「チーン」
 アラビア語「スィーン」
 インド「シナスタレ」
 ロシア語では「キタイ」

「キタイ」とはシナ大陸の北部を支配しただけの契丹のことである。大統一帝国の秦どころか、契丹と呼称とするロシアに対して中共から「差別だ」との抗議の声が上がったことがない。要は「中国」との呼称の強要は日本への逆差別なのである。

 戦勝国を気取り、我が国を属国や朝貢国と見做す中共は、日本にだけは自分達を世界の真ん中にある「中国」と呼ばせたいだけである。「支那」の呼称を差別として使用禁止の理不尽な言い掛かりが始まったのは戦後の混乱期の昭和21年6月迄遡る。

 中華民国の戦勝国は分かるが、戦後に建国した中国共産党は形式上、連合国の一員であった為、その力関係を盾に我が国に「中国」という名を強要してきた。

 外務省はそれに反論も出来ず、従順に受け容れ「外務省次官・局長通達」として「今度(このたび)は、理屈抜きにして先方の嫌がる文字を使わぬ様に」との異常な主張に諾々として従い言論機関にこれを強制し、現在に至っている。

 今日の日本外交の基本である「隣国が嫌がるようなことはしない」との弱腰土下座外交はこの時が最初であろう。一つの譲歩が更なる譲歩を生む典型である。

 今日も「支那」や「中共」と言わずに「中国」と言い続けることは、不当な言論弾圧に屈した儘のみならず、我が国が中共政府の属国化を赦すものである。

「中国」という名は世界の共通語ではない。外務省の「言論抑圧通達」は無効であり、「中共」という呼称こそが世界の共通語であることを知るべきである。「東アジア新時代」を標榜し、友愛を叫ぶなど言語道断。日中友好などクソ喰らえ!

cordial8317 at 06:32|Permalink

2010年05月21日

口蹄疫の被害拡大の原因は赤松の外遊と政治主導という妄想である

 口蹄疫が此処まで感染が拡大した原因は赤松の外遊に因るところが大きい。口蹄疫が発生していたにも拘らず、憧れのカストロに逢いに行く為に外遊を優先し、外遊先ではゴルフ三昧だったという。ゴルフで辞任に追い込まれた人物で思い出されるのは森喜朗元総理。その後の「神の国」発言がバッシングを受けて辞任した。

 平成13年2月10日、ハワイ沖で「えひめ丸」が米国海軍の原子力潜水艦に衝突され、日本人9名が亡くなった。この一報を受けた森がゴルフ場で聞いたにも拘らずプレーを続け、危機管理の意識が欠落していると総理辞任に至る要因になった。

 今回の赤松の外遊にしろ行動や帰国後の言い訳を聞いてみても、森元首相以上に危機管理意識が皆無で、村山富市の阪神大震災時の救助の遅れを彷彿させるものだ。

 鳩山は「責任論よりも迅速な措置を取ることだ」と言うが、今更迅速な措置でもあるまい。先ずは赤松を更迭すべきで、民主党の対応の杜撰さには厭きれるばかり。

 平野官房長官は、「指示が無く、事務方が動けなかった」と赤松を擁護し詭弁を弄しているが、民主党の「政治主導」は何処へ行ったのか。官僚体制を打破し、政治主導に戻すと言いながら「事務方が動けなかった」とは開いた口が塞がらない。

 鳩山政権の迷走は、正に御粗末な政治主導の結果であろう。官僚や事務方を主導出来る能力が無いにも拘らず、描餅の如くに政治主導を訴え「内閣の一元化」の方針を掲げては見たが、民主党の取り組む政策は全て看板倒れに終わっている。

 政治主導とは、官僚任せではなく、民意を享けた政治家が主導権を握ると言う意味合いで使われる。一見聞こえは良いが、これは日本の政治にはそぐわなない。

 政治主導をしている米国を見ても、賞賛には値するものではない。自民党政権下でも、明らかに政治主導であった。経済財政諮問会議や規制改革会議が、米国の要求に沿って官僚の頭越しに我が国の経済や社会の構造を変えて行ったのは事実。

 その結果、主要国が経済成長を遂げる中で我が国だけが緊縮財政に因るデフレ不況を続け、地方は疲弊し、雇用が破綻し、自殺大国に堕ちてしまった。

  政治家よりも政策に関する専門知識や見識は官僚には敵わない。子供時代からあらゆる試験を潜り抜けて来た最優秀の頭脳集団と言っても過言ではない。

 小泉チルドレンや小沢チルドレンや次期参院選の候補者らに見られる様に、議員になるまで国政とは何の関係もないズブの素人よりも遥かに日本の為になる。

 無法な天下りを規制することや官僚に有りがちな倣岸不遜な態度を戒めるのは結構だが、排除や叩き潰すことが本来の目的ではない。官僚は政治家の様に世襲という訳には行かず、親が官僚でも全て試験に合格しなければならないのだ。政治家は、こうした官僚を上手に使うことが大事だが、世襲議員にその能力は無い。

 その点、議員は御気楽で、政治的良識や能力が皆無でも当選出来る。世襲を全て否定するものではないが、世襲議員の所為で政治に情熱を持つ優秀な人材が政界では育たない。政治家も官僚の天下り先となっているのだから然もありなん。

 今や選挙に必要な「地盤・看板。カバン」が無くければ当選は出来ない状況であり、その逆を考えれば馴れ合い政治家の力量は何年経とうが進歩はないということだ。当選しても、考えることは政策よりは次の選挙のことばかり。

「政治家は次の世代の事を考える。政治屋は次の選挙の事を考える」との言葉が有るが、その政治屋の代表格が小沢一郎だろう。小沢が画策した政策の一元化は政治主導を構築する為のものだった。その結果が普天間問題に散見する安全保障や外交政策の迷走・混迷ぶりであり、口蹄疫の被害の拡大もまた同じである。

cordial8317 at 05:12|Permalink

2010年05月20日

ゴキブリ並みに殖え続けるシナ人の蚕食を防ぐ手立てはないのか

 現在、東京都内に15万人のシナ人が巣食っているという。ここ約10年で倍に殖えている。今や永住者の数は在日を抜きシナ人がトップの約65万人。この数字に日本国籍取得者や不法滞在者を加えると100万人を超えるのではなかろうか。

 今後、民主党政権が推進する東アジア大交流時代の下での「ビザの簡素化」に拠って、その予想を遥かに超えて行くことは必至である。我が国に限らず、米国アフリカ大陸、ヨーロッパ、全ての都市がシナ人の繁殖で溢れ返っているという。

 大陸を出て他国に根を下ろすシナ人「華僑」「華人」は全世界で4800万にも上る。今や中共の人口は約13億4千万人となり地球上の全人口の5分の1を占める。

 国土は日本の26倍だが、不毛な土地も多く、昔から移民となって海外に出て行くものが後を絶たない。この移民が「華僑」「華人」であり、華僑は海外に移住する支那公民で、華人は居住国の国籍を取得した華僑とその子孫を指す。

 中華人民共和国(中共)が建国されたのが昭和24(1949)年10月1日。その頃の華僑、華人は1200万人というから、約60年で4倍に膨れ上がったということだ。

 ここ数年での増え方が目立つ。 昨年、米国で永住権(グリーンカード)を得た外国人は約100万人。その内シナ人は約8万人で、その半数が米国国籍を取得した。

 この数字を発表したのは、テロ攻撃や自然災害から国土を守ることを目的に設立された米国の国土安全保障省である。如何に米国は、国家の安全という観点から、シナ人「華僑」「華人」の急増に目を光らせているかが窺い知れる。

 中共は、移住者や留学生らを使い諜報活動をするのは常套手段。海外でスパイ活動を活発化させており、米国政府はこれを未然に防ぐ為に「中共が米国の機密を盗み、軍事力や経済力を強化しようとしている」との報告書を纏め警告を徹底している。

 米国に限らず世界では機密情報の漏洩には神経を尖らせ、スパイ活動で逮捕されれば極刑は免れない。映画「007」が面白いのは捕まれば殺されるというスリルが有るからで、日本の様に逮捕されても罰金刑と国外追放では映画にもならない。

 未だに日本は「スパイ天国」と侮られながらも、一向にスパイ活動が無くなる気配も、対策を講じる気配もない。スパイ活動が後を絶たないのは、諸外国に比べ量刑が軽すぎるのが原因で、「機密保護法(スパイ防止法)」の強化は喫緊の課題である。

 世界がシナ人移住者を警戒し神経を尖らせているのに、日本ではそのシナ人をビザを簡素化してまで招き入れた挙句に「参政権」を与え、更には「外国人住民基本法案」で不法入国者までをも庇護しようとしている事実は狂気の沙汰としか言いようが無い。ゴキブリ並みの繁殖力を持つ、シナ人の蚕食を許してはならない。

cordial8317 at 07:40|Permalink

2010年05月19日

歪曲、偽造、捏造の常習犯であるNHKこそ「仕分け」すべし!

  NHKも歌番組や相撲や落語くらいなら娯楽として愉しめるが、これが歴史が絡むと歪曲、偽造、捏造のオンパレード。 これで公共放送というのだから厭きれる。

 昨年春に放映されたNHKスペシャル「プロジェクトJAPAN」の第1回目「アジアの一等国」で、台湾統治を取り上げるも、台湾証言者の発言を捻じ曲げて報じた。

 日本=加害者というNHK御得意の史実歪曲、偽造、捏造を重ね、日本人のみならず台湾人も含めた1万人訴訟という前代未聞の訴訟を興され目下提訴進行中にも猛省することなく、相変らずプロジェクトシリーズ番組を垂れ流している。

「シリーズ 日本と朝鮮半島」と題された企画は、第1回目の「韓国併合への道~伊藤博文と安重根(アンジュングン)」が4月18日に放映された。本編ではなく再放送で見たが「アジアの一等国」ばりの、歴史事実を歪曲した惨たらしいものだった。

 右翼浪人として憂国の至上逞しい安重根は尊敬に値する人物で、どんな番組なのか楽しみにしていただけに落胆は大きかった。それにも況して、NHKの確信犯的捏造行為に怒り沸騰、これが公共放送だというのだから開いた口が塞がらない。

 日露戦争終結後の明治38(1905)年、「第二次日韓協約」の締結に由り韓国の外交権が我が国に委任された。協約には「韓国が富強の実を認むる時に至る迄」との期限条項が高宗の意向で盛り込まれ、高宗もこれに満足したというのが真相である。

 こうした事実を無視し、日本軍の映像を作為的に流し、伊藤博文が然も日本軍を動員し武力に拠って威嚇し高宗に承諾させたという内容は明らかに事実と異なる。

 また、高宗の妃閔妃殺害を日本軍と壮士の犯行と断定していたが、殺害は大院君と韓国訓練隊が中心となり、陸軍中将の三浦梧楼公使や日本の有志が協力して行った事実ということは、今や歴史的にも明らかになっている事実である。

 裁判では李周會将軍ほか3名が死刑となり、殺害を実行した訓練隊長は後に逃亡先の日本で何者かに殺害されている。 こうした事実を一切無視し、日本軍犯行説を垂れ流し、反日捏造番組を放送するNHKが公共放送だというのだから恐れ入る。

 翌週の4月25日に放映されたNHKスペシャル「『上海・百年の物語』魔都を巡る激動の歴史ー戦争・革命 名門一族流転の人生ー」という長ったらしいタイトルの番組もで、相変わらず日本軍が登場し、市民殺害の悪者とされていた。

 これも「歴史歪曲捏造番組」だったことがバレた。これは最早、NHKに因る犯罪行為と言っても過言ではない。 受信料を訴訟まで起こして取り立てておきながら、国益に相応しくない番組を垂れ流す。これのどこが公共放送であろうか。

 歴史云々を語る前に、放送法で守られた親方日の丸的体質を改めるべきだ。特殊法人でありながら、幾多の株式会社の持ち株会社となり、その収益を視聴者(受信契約者)へ還元しないのは、公共性とは大きくかけ離れる。

 NHKこそ「事業仕分け」の対象として解散、若しくは民間と合併ないし民間に移行させべきである。視聴者は怒りと抗議の意味を込め、受信料を拒否しよう!

※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。

《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員は300000円~。

cordial8317 at 06:03|Permalink

2010年05月11日

谷亮子よ、お前もか(苦笑)

 オリンピック柔道金メダリストの谷亮子が小沢と輿石と共に記者会見し、参院選に民主党から出馬すると聞いて驚いたというより呆れたというのが正直なところ。

 オリンピックや国際大会を経験し、国民栄誉賞にも推挙されたことのある柔道家が、国旗・国歌を否定する民主党から出馬するとは笑えないジョークだろう。

 小沢なんぞは満面の笑みを見せ、「百万、千万の味方を得た気持ちで心強く思った」と強調したが、多くの国民には奇異に映ったし、谷の「小沢先生の強いリーダーシップの下・・・」の台詞には、柔道ファンも興醒めしたに違いない。

 参院選出馬を表明した谷亮子にネット上では「田村で金、谷でも金、ママでも金、政治では金(カネ)」と揶揄されているが、ネット民は巧いこと言うよな(笑)

 民主党は「外国人地方参政権」「外国人住民基本法案」「国立追悼施設の建立」「戦時性的強制被害者法案」「夫婦別姓」「戸籍法廃止」「人権救済機関の設置』といった売国政策を訴えてるが、谷亮子がそれらを知っているとは思えない。

 また「日教組主導の教育」を目指す民主党は、国旗国歌法に反対し、道徳教育の廃止しを目論んでいるということも当然知る由もないだろう。 戦後、我が国が「道徳教育」を廃止した結果が現在の教育の荒廃と家族崩壊に繋がっている。

 教育勅語に「我が臣民克く忠に克く孝に億兆心を一にして世々其の美を済せるは此れ我が国体の精華にして教育の淵源亦実に此に存す」と明解に述べている。最高の道徳である「忠」「孝」を教えることは教育にとって最も大事なのである。

 谷が柔道家としての経験から「スポーツ界の指導者を含めた人材育成や環境整備に携わりたい」と言うならば、先ずは礼節や忠孝を重んじるべきだが、民主党ではどう足掻いても無理な話し。況してや現役続行とは開いた口が塞がらない。政治をパート感覚でやろうという発想自体、政治をナメてるとしか思えない。

 谷亮子、中畑清、堀内恒夫、石井浩郎、池谷幸雄、桂きん枝、岡崎友紀、庄野真代、三原じゅん子、敏いとうといったスポーツ選手や旬が終わったタレント候補の乱立は衆愚政治の最たるもので、国民を愚弄する何物でもない。

 抑抑、参議院とは良識の府であり、その良識とは政治的良識でなくてはならないのだ。現職を見ても、女子プロレスラーや麻薬所持で実刑判決を受けた沖縄民謡歌手、部落解放同盟に元朝鮮日報支社長、日教組に元極左、不倫妻やら女子プロゴルファーの父やら挙げたら限がない無能な連中ばかりで政治的良心の欠片も感じない。

 所詮は単なる数合わせと投票要員に利用されるということさえ分かっていないだろうし、我が国の政治家としての矜持を持って政を司ることなど出来はしない。

 今やるべき改革は議員定数の削減であり、参議院の廃止であろうタレント候補の乱立は最早末期的症状で、衆議院のチェック機関として機能しておらず、税金の無駄である。無用の長物と化した参議院は即、廃止するのが最良策だ。

cordial8317 at 06:25|Permalink

2010年05月08日

名誉棋聖・藤沢秀行の破天荒な生き方に学ぶ

 破天荒な生き様をされた方には憧れや尊敬の念を抱く。豪快、華麗な棋風と酒と女と博打を愛し、破天荒な生き方で囲碁ファンを始め多くの国民を魅了した、名誉棋聖・藤沢秀行もそんな一人。藤沢名誉棋聖が84歳で逝去されて1年が経つ。

 日頃、物心両面で世話になっている、大手警備会社のテイケイで何度か拝顔の栄に欲したことがあるが、眼光鋭く、浮世離れした観は独特で、会長から「あの人が藤沢秀行さんだよ」と言われた時には妙に納得し、感激した覚えがある。

 何でも藤沢さん、若い頃に愛人を何人か囲い夫夫に子供を儲けてて、その生活費の工面を今になってもずっと続けていたそうだ。中々出来ることではない。

 著書は100冊を超え、中でも破天荒な人生を綴ったエッセイは「野垂れ死に」など面白いものが多い。若手の棋士の育成に力を注ぎ、また趙治勲25世本因坊や林海峰・名誉天元らも教えを請うた一人であり、中国本土や台湾での棋士の実力向上に大きく貢献し、訪日した鄧小平の表敬訪問を受けたこともある人物でもある。

 酒癖は悪い方ではないらしいが、酔うと「お〇〇こ」を連呼するらしく、鄧小平に会った時も酔っ払い、同じ様に「お〇〇このことを中国語では何というのだ」という話しに終始したらしく、そんなこともあって面会は途中で中止になったという。

 このエピソードを聞いた時「流石はシュウコウさん!」と爆笑したが、言わせて貰えれば、どうせ慇懃無礼なシナ人のこと、上っ面のことしか言わないだろうから、敢えて業とやったんだろう。シラフでやれば角が立つが、酔っていれば笑って許されることも承知の上での、藤沢さんらしい行動だったのではないだろうか。

 博打と女好きが高じ、ヤクザの高利な金に手を出したお蔭で莫大な借金を抱え、タイトル戦のお金で支払うしかなく、負ければお終い、首を括らねばならない情況の中での渾身の勝負は、正に鬼気迫るものがあったという。

 藤沢秀行は書も愛し、独特な迫力ある書体で個性が光る。その多くの金言の中でも「大丈夫心配ない 死ぬまで生きる」という言葉が好きで、カレンダーの切り抜きだが、神棚の下に貼って毎日拝し元気を頂いている。その趣旨は「死んだように生きてはいかん、死ぬまで生き生きと、死ぬまでは生きるのだ」というもの。

 逆境を跳ね除ける精神力と豪快さは、是非とも見習いたいものである。

cordial8317 at 06:53|Permalink

2010年05月04日

「沖縄県民大会」参加者数9万人は真っ赤な嘘だった(苦笑)

 数年前、社会科教科書の沖縄集団自決に関する記述が違うと抗議集会が開かれ、主催者側が「参加者11万人」と大々的に発表し、それを鵜呑みにした政府やマスコミが右往左往した挙句に、教科書の見直しを検討したことがあった。

 この数字に疑問を持った大手警備会社のテイケイ(株)が航空写真を分析し、参加者の実数が1万8179人と解析し直ぐに沈静化された。今回もテイケイが反対集会の9万人の実数を調べて、参加者の実数が1万1569人だったことが判明した。

 参加者数を偽ることは国民を欺くことであり、主催者は殊更反米感情を煽り日米離間を謀っている様だが、これら全て左翼団体の常套手段である。

 現在の我が国の平和は日米安保条約の下での在日米軍のお蔭であり、この現実は悲しい現実として冷静に受け止めるべきだろう。米軍が否なら国防力を整備し、在日米軍に匹敵する自衛隊を配備し平和安定に努力すれば良いだけだろうに。

 米国依存の体制から脱却し、米軍基地の県外移設に向けて盛り上がりるのは好いことが、悲しい現実として米国抜きの国防など現実的に在り得ない。民主党政権は何のことはない、米国依存から中共依存を謀っているだけに過ぎない。

 沖縄県はその位置関係故に安全保障上重要な場所であり、沖縄から米軍が撤退すれば、支那が触手を伸ばして来るのは火を見るより明らかだ。民主党が目論む「沖縄ビジョン」こそ、中共に因る「琉球処分」への報復であり陰謀である。

 沖縄普天間基地移設問題は、専ら自分達の利害や、その場凌ぎの遁辞を羅列するばかりで、国民の生命を守るという国防の在り方を論ずることは全くない。民主党の迷走ぶりは、正に「愛国心」の無さに起因すると言っても過言ではないだろう。

 愛国心なき領土防衛や国防など有り得ない。残念なことに日本人は、愛国心の無さと国防意識の欠落という点では世界に冠たる国に成り下がってしまった。

 国防という独立国としての本来の大本を米国に委ね、まやかしの平和を享受して来たことを恬として恥じない民族になってしまったのだ。 沖縄普天間問題の迷走は「愛国心」なき国防論が元凶であり、国民も沖縄県民も国防意識を覚醒せよ。

cordial8317 at 05:50|Permalink

2010年05月02日

人生を愉しみたければ釣りを覚えなさい!

「人生を一生涯愉しみたければ釣りを覚えなさい」とは釣り好きで知られる開高健の名言だが、昨年「渓流釣りに」嵌ってからは渓流釣り三昧の日々を過ごしてる。

 右翼浪人として晴耕雨読というか殆ど外出もせず家に篭っている為に、山奥での渓流釣りは気分転換には持って来いだ。福島県内は4月に渓流解禁になる。GWの昨日も友人と阿武隈川上流で竿を出してから、南会津方面の渓に向かった。

 南会津で、中々良さそうな支流を見付け崖を下り、いざ竿を出そうと準備をしていたら、何やら石ころが川に「ボトーン」。ふと見上げると向い側の崖に体長1メートル程の熊が下り様としているではないか、驚いて思わず「熊だ!」(笑)

 こっちも驚いたが、熊もさぞかし驚いたことだろう。渓流釣りを覚えて初めて熊に遭遇し、その後は後ろばかり気になって、釣りを楽しむ余裕はなかった。

 渓流釣りは、熊にも遭遇するが、もう少し暖かくなるとマムシやらアブに襲われたりもする。高が釣りだが、海釣りとは違って結構体力も要るハードな遊びで、現場によっては50メートル程の断崖を下りて行かなければならないことも。

 下りるということは、当然上らなくては帰れないので登るしかないのだがヘトヘトになる。そこまでして岩魚や山女を釣り上げた時の気分は格別である。

 危険を伴う場所で釣りをするのだから当然怪我も付き物で、足元が滑りよろけて脇腹を強打し、肋骨にヒビが入ったことも有るし、崖から転落し腰を強打したりもした。幸い大事には至らなかったが、用心に越したことはない(笑)

 渓流釣りは秋には禁漁になるので、オフシーズンは「蛸釣り」と「ヘチ釣り」にも挑戦している。蛸釣りはそれなりにやってみたが頑丈な竿さえ用意すれば誰でも釣れるし、食べても美味いから一石二鳥。だが、ヘチ釣りはそう簡単には行かない。竿はヘチ竿といって黒鯛用のものを使う。2m前後の竿で結構な値段もする。

 それに烏貝や貽貝、イソメなどを付け中階層を狙い、蛸釣りと同じくチョッとずつ移動しながら釣って行くのだが、これはセンスがものを言う釣りでもある。

 横浜で発祥した粋な釣法で、今年は是非マスターしたいと思っている。畏友でもある横浜在住の蜷川正大さんが、このヘチ釣のプロらしく御教授願う予定だ。

 子供の時に、小遣いで買った安物の釣竿を持って近所の川や池に釣りに行ったのを思い出す。全く釣れなかったが、それでも楽しかった。何時しか釣りから遠ざかってしまったが、今になって、あの頃を思い出し釣りを楽しんでいる。

 最近は、何処の川でも子供達の姿を見かけることが少なくなった。しかし、釣りを通して学べること、そしてそこから得られる感動は無限にあると実感している。

 釣りというのは奥深い遊びだ。今迄の自分と違った自分に出会えるかも知れない。たかが釣りされど釣りなのである。「人生を愉しみたければ釣りを覚えなさい」

cordial8317 at 08:59|Permalink

2010年04月19日

衆議院のカーボンペパーと揶揄されて久しい参議院は要らない

 参議院は衆議院のカーボンペーパーであり、衆議院と同じ政党が同じ政策を訴えてるのは無駄の最たるものだ。参院の存在意義が問われて久しいが、タレント候補の乱立は最早末期的症状で機能しておらず、税金の無駄であり廃止するのが得策である。

 民主党が、「仕分け作業・第二弾」で参議院の廃止を訴えれば支持率も劇的に快復するだろうが、到底無理な話だわな。先の総選挙で、国会議員の定数を80人削減と公務員の2割減を公約したが未だ議論すらされてはいないのが民主党の現実。

 揮発油税の廃止や高速道路の無料化同様、所詮は「絵に描いた餅」だった。 抑抑、参議院とは良識の府であり、その良識とは政治的良識でなければならない。

 参議院議員や今回立候補が取り立たされている連中に政治的良識を持っているとは思えない。女優、淫行で逮捕歴の有る落語家や歌手などのバカタレばかり。

 参議院議員の現職を見ても女子プロレスラーや麻薬所持で実刑判決を受けたジャンキーな沖縄民謡歌手を始め、部落解放同盟や元朝鮮日報支社長、日教組に元極左、不倫妻やら女子プロゴルファーの父親やらアホさ加減を挙げたら限がない。

 どう見ても無能な連中ばかりで、極め付けは順法精神皆無な法務大臣の千葉景子。コイツらには政治的良心など持ち合わせていない。単なる数合わせと単なる投票要員で、日本の政治家としての矜持を持って政を司ることなど出来はしない。

 こうした連中を国民の血税で養ってやるほど財政は豊かではない。今やるべき改革は「仕分け作業」よりも先ずは議員定数の削減であり、何より無駄な参議院の廃止である。地方議員は無報酬か日当制にし名誉職にするべきだと思う。

「改革には痛みが伴う」と言うならば、先ずは政治家が隗より始めれば良いので有る。政治家自身が敢然と実行すれば、役人は当然乍ら国民も右倣えするだろう。

cordial8317 at 06:30|Permalink

2010年04月13日

井上ひさしは平和主義者ではなく単なるDV男だわな(苦笑)

 井上ひさしといえば、大江健三郎や故小田実と並ぶ戦後民主主義者の代表だろう。「平和主義」を掲げ、6年前に大江や小田らと「9条の会」を設立している。

 ペンクラブ会長も務め、言論による平和運動を理想としていた様だが、口では「平和主義」を掲げて、「軍事力(暴力)よりは話し合いによる解決」としながら、家庭では話し合いどころか、DVは尋常ではなかったというからシャレにならない。

 前妻の内館好子さんは、離婚後「修羅の棲む家」を出版し、井上のDVを曝露している。三女の井上真矢さんも「激突家族」を出版、井上の家庭内暴力の凄惨さを披瀝していることでも、如何に井上が言行不一致の最低の輩だったかが理解出来る。

 先の大戦を煽り「昭和天皇の戦争責任」を信条としながら、文化功労賞の表彰では陛下から畏まって授与されていたが、これもまた信念の無さが窺えるものだった。

 日本国内に共産主義が入って約90年。ソ連東欧崩壊後、左翼団体はイデオロギーを流石に言えなくなり、その「カタチ」は実に陰湿になっている。

「カタチ」を変えた左翼勢力は、「9条の会」を始め、「外国人参政権付与問題」「夫婦別姓」「歴史教科書問題」「従軍慰安婦」「男女共同参画社会」「人権擁護法案」「協働・共生社会」「ジェンダフリー」「無防備都市宣言」「子ども権利条例」「戸籍法改正」「外国人住民基本法案」「女性宮家」と枚挙に遑なし。   

 唯物論やマルクス・レーニン主義に冒された精神異常者や、ジェンダフリーを叫ぶ性的変質者が巷には蔓延しているが、似非平和団体や偽善人権団体の連中に共通するのは、井上ひさしや大江健三郎、小田実、加藤周一同様、物事の見方が実に薄っぺらで腹立たしいものばかり。こういう連中を「懲りない人々」という。 呵呵。

cordial8317 at 07:05|Permalink

2010年04月10日

我が国が目指すべきは「観光立国」より「技術立国」である

 人気アイドルグループの嵐を「観光立国ナビゲーター」にボランティアとして就任させ、「観光立国」を目指すとしているが、要は漢民族や朝鮮人を多く呼び込んで景気対策に繋げようとは本末転倒。我が国が目指すべきは技術立国である。

 民主党政権が掲げる「東アジア大交流時代」などという妄想は、日本社会の安全を無視した無責任極まりない愚策であり、到底容認出来るものではない。

 今更、何を血迷って「中国本土からの観光客誘致を強化する」などと考えるのだろう。ここ数年、外国人の旅行者の入国は増えているし、今更、犯罪者予備軍ともいうべき不法滞在者や不法就労者が多発しているシナ人らに来て貰う必要はない。

 シナ人を始めとした不良外国人犯罪者に因る凶悪犯罪の増加という現実を無視した上で、政府は治安を一層悪化させることが確実な「査証の簡素化」を既に強行しているが、「東アジア大交流時代」という妄想は国民感情に反するだけでなく、日本人に今迄以上の犠牲者を出す極めて危険、且つ無責任な愚策である。

 嘗ては世界一安全といわれた我が国だが、外国人の急増、それもシナ人の増加に拠って日本国民の安全が脅かされていることは、幾ら不精な人でも気付いている。

 生命の保証、財産の安全こそ国民の願望であり、これに優る国益はない。シナ人や朝鮮人の落とす小銭目当てに「観光立国を目指す」とは笑止千万である。

 政府は「観光政策は国家戦略というのが世界の共通の認識」などとして詭弁を弄しているが、「観光立国」は本来、発展途上国の政策(国策)というべきもので、我が国の目指すべきものは、今迄の様に「技術立国」で良いのである。

「ビザの簡素化」や「観光立国」「東アジア大交流時代」や「外国人参政権付与」という一連の流れは、中共政府の謀略であり、決して騙されてはいけない。

cordial8317 at 05:22|Permalink

2010年04月09日

オバマ大統領って流石はノーベル賞受賞者だな

 オバマ大統領が「核兵器を持たない国に核攻撃せず!」との新戦略を発表した。流石はノーベル平和賞受賞者だけあって言う事が違う。ロシアや中共もそうあって欲しいが、この発言を逆に考えれば核保有国に拠る核戦争は起こり得るということか。

 オバマ大統領は、余程プラハが好きな様で、メドベージェフ・ロシア大統領と新たな核軍縮条約をそのプラハで調印したが、米ロ両国とも核保有国としての影響力を維持し続けたいという「大国のエゴ」が見え見えである(笑)

 昨年、オバマ大統領が北朝鮮のミサイル発射を受けて、プラハで「米国は、核兵器を使ったことがある核兵器保有国として、核軍縮に向かって行動する義務がある」との演説と、先の国連常任理事会で提言した「核兵器の無い世界」に向けた決議が採択されたことが認められ、その褒美としてノーベル平和賞を受賞した。

「核兵器を持たない国に核攻撃せず!」とは、あの演説が出任せだったことが露呈したということだろう。オバマ大統領は何のことはない「我々も核兵器を減らして廃絶に向かうから、日本の皆さんは核兵器を作らないで下さいね!」と言っただけ。

 本当に核兵器を無くすなど出来るものではないし、するつもりも毛頭ない。対話路線を掲げながらも、アフガニスタンへの派兵を続けていることを見ても 『平和』というものは自ら創り出さねばならない時代だということを痛感する。

 方や日本国内を見れば、嗤えることに「核を持つと日本が孤立する」だとか「非核三原則が有れば大丈夫」と言う妄言が未だに罷り通り、挙げ句に岡田らが「日米密約説」を暴こうと躍起になっている有様で、それに何の意味が有るというのだろう。

 冷戦時代に我が国の平和が続いたのは米国の「核」の力に拠るものと、単なる偶然だったに過ぎない。民主党政権が、平和に貢献した米国の核の持込まで暴いて糾弾しようとは正気の沙汰とは思えないし、「平和ボケ」の象徴にしか見えない。

「平和ボケ」という言葉は高度成長からバブル時代にかけて、金儲けや飽食に狂奔してきた世相や、空想的平和論を弄び、米国の核には反対しても中共やロシアの書くには反対したことも無い団塊の世代や左翼運動家どもを揶揄したものだ。

 現代日本も全く同じで、未だ「平和ボケ」から脱却出来ずにいる全共闘世代の連中が、政府の中枢に巣食い、無自覚左翼らが国を治めているのは困ったものだ。

 我が国が、日本人自身で憲法を制定し、国軍を整備し、安保条約を解消し、自らの国の「平和」を自ら創り出すという、当たり前の国になるのは何時のことだろう。

cordial8317 at 06:07|Permalink

2010年04月08日

支那製「チャイナホワイト」という覚醒剤

 中共で麻薬密輸の罪で「死刑」判決を受けていた日本人受刑者が処刑された。昨年、英国籍の男が新疆ヘロイン4kgを持ち込み逮捕され、中共の法律に則り「死刑」判決を受け年末に処刑されている。明日にも日本人3人が処刑されるという。

 犯罪者とはいえ日本人同朋を救出しようと努力するのは独立国として当然だと思うが、情けないことに日本政府と外務省は傍観者を決込んだ儘だ。こんな為体極まる外交姿勢で、北朝鮮との「拉致問題」を解決することは到底無理な話しだ。

 中共が麻薬に敏感なのは「阿片戦争」の苦い経験から来るものだろうが、その国に「死刑制度」があり、それに触れるならば粛々と刑の執行をするのは当然のこと。

 中国国内では「チャイナホワイト」という麻薬が生産されており、欧州系のヘロインをも凌ぐ純度の高さだという。今時の麻薬の密売人にとって、中国に麻薬を買いに行くのは、「銚子に干物を買いに行く様なもの」なのだそうだ(笑)

 そんな汚名を返上すべく、国際的な注目もあって中共は「死刑」執行を急いでいる感も否めなくはない。「死刑制度」に異常な反応を見せる人権派は、今回の死刑執行には何故か沈黙しているが、如何にもインチキ人権派の連中らしい。

 日本では何故か大騒ぎになる死刑問題も、中国共産党や朝鮮半島絡みの問題となると、何故か人権派や自称・平和団体はダンマリを極め込む。例え抗議したとしても、国内向けにチョこっと申し訳程度に抗議をアピールするだけだ。

 こういう事態の時こそ、中共に出向いてお得意の「話し合い」で解決したらどうだろうと思うが、偽善の「人権団体」と似非「平和団体」なのだからそんな芸当は出来る訳もなく、やる積もりもなければ、そんな度胸も持ち合わせてはいない。

 我が国の刑事訴訟法は、「死刑」確定から6ヶ月以内の執行を定めており、何れも6ヶ月以内に検察庁が法務大臣に「死刑執行上申書」を提出して、規定通りに、法相の命令から5日以内に死刑執行されなければならないと決められている。

 最近続いている「冤罪事件」を理由に「死刑廃止」を止めろとするのは本末転倒で、死刑制度が有る以上、法に則り粛々と刑の執行をすべきなのは当前のこと。

 法務大臣は、死刑執行も在日の強制送還も、あらゆる犯罪に対して毅然とした態度で公正に処理しなければならないのだが、順法精神皆無の売国奴・千葉景子だものそりゃ無理な話だわな。死刑囚を釈放すれば誰かが天罰を下すだろうに。呵呵。

cordial8317 at 05:49|Permalink

2010年04月07日

宇宙ステーション「きぼう」に翻る「日の丸」に感動

 宇宙飛行士・山崎直子さんら7人が搭乗した、米シャトル「ディスカバリー」の打ち上げが成功し、今日夕方には国際宇宙ステーションにドッキングし作業を行う。

 日本実験棟「きぼう」で生活を送っている野口聡一さん然り、日本人宇宙飛行士の活躍は、同じ日本人として誇りに思う。「きぼう」の船体には「日の丸」が標されている。国旗「日の丸」が宇宙に在るかと思うと、感激も一入である。

 宇宙で正月を迎えた野口さんが「是非、船内に日本文化を持ち込みたい、きぼうの中で和の心を忘れずに夢を追いたい」と、日の丸を掲げ、書初めをし、門松を飾っていた。こうした和の心を矜持し、国際社会に恥じることなき資質を備えているのが真の国際人であり、日本人であると思う。野口さんの姿に感謝感激。

「敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花」正に桜花咲き匂うこの時期に、全国各地で卒業式や入学式が行われるが、それに合わせて、国旗「日の丸」、国歌「君が代」に反対する左翼勢力の蛆虫ども蠢き出す。日本という国に住んで、日本の恩恵を享けながら、日本に誇りも持てず卑下する輩は醜く見苦しい。

 バンクーバーで繰り広げられた冬季オリンピック、パラリンピックが閉幕した。今大会での日本選手は、各国選手と比べて一際大きな日の丸がユニホームや帽子などに翻っていたが、参加選手のスポーツに打ち込む直向な姿勢や、アイススケートの高橋大輔選手や浅田真央選手の涙と相俟って感動すること頻りだった。

 まともな日本人ならばそんな気持ちになるのは当然。オリンピックなどの国際大会で、愛国心の高揚や、国旗・国歌に対する敬愛の念が増すことは、日本国民として極めて健全な発露であろう。国旗国歌に反対する思想や精神は異常としか思えない。

 多くの日本人は国旗・国歌に親しみを感じている。ところが未だ「国旗及び国歌に関する法律」が制定されて以降も公然と異議を唱え、反対している勢力が存在する。「日教組」や「全教」といった反日教育を施している連中である。

「日の丸は軍国主義の象徴だ」とか「君が世は天皇賛美だ」との偏狭で稚拙な言説を垂れ流し、将来の我が国を担う子供達を洗脳している状況は、健全な世論に逆行するばかりか、教育現場での混乱は国益を損ねるものでしかない。

 公務員で有りながら国旗国歌法を遵守もしない不良左翼教師の一掃を図るべきだと考えてる国民が殆どだろう。然し、現実を見れば現在の民主党政権の支持母体こそが日教組や自治労といった名うての反日勢力なのだから世も末である。

 我が国の青少年達が、宇宙で活躍する野口さんや山崎さんの様な和の心を矜持し、国際社会に恥じることなき資質を備え、日本と世界の未来に大きな夢を繋げることの出来る健全な学校教育の充実を切に熱望するものである。

cordial8317 at 07:41|Permalink

2010年04月05日

靖國神社の桜の花の下で「同期の桜」を歌う会に参列

 一昨日、知人らと桜満開の靖國神社に詣で「桜の花の下で『同期の桜』を歌う会」に参加して来た。自然発生的に九段の靖國神社に集い、英霊に感謝し、喜びを分かち合う日本人の多さを見れば、未だ未だ日本も大丈夫だと感じる。

 境内の「迅雷桜」が咲き出すと「開花宣言」が出され、その約1週間後には満開になる。昨年暮れに気象庁が「開花予想」を取り止めると発表したことは何だったのか。「開花宣言」は従来通り、靖國神社の標準木を基準に行われている。

 昨年は、開花宣言が出されてから一週間後に参詣したのだが、満開どころか1、2分咲き程度でガッカリした記憶が有るが、今年は前日吹き荒れた強風にも何のその、桜満開で最高の日和だった。人出も大賑わいで参道はごった返していた。

 本殿参拝に続いて、本殿左手に在る「鎮霊社」に詣でるのが恒例である。「鎮霊社」には、賊軍とされた会津藩や我が故郷の二本松藩、西郷隆盛などの悲運の運命を辿った方々が小さな社に祀られている。死者の選別をいつまで続けるのか。

 所謂A級戦犯の分祀論が出る度に「賊軍」との汚名を着せれた先人の名誉回復こそが先ではないかとの思いになる。こうしたことは、靖國神社の創建に長州藩が大きく係っていたことが要因であろうが、靖国神社とはそういう社でもある。

 靖國神社の参道のど真ん中に、陸軍建設の祖とされる「大村益次郎」の銅像が建っているが、聞くところに由れば大村は上野公園に建つ西郷隆盛の銅像を睨んで建っているらしい。こうしたことをしても靖國神社の成り立ちが分かるだろう。

 その大村益次郎の銅像前特設ステージで「靖國神社の桜の花の下で『同期の桜』を歌う会」が行われた。「海ゆかば」が流れる中で、英霊に対し黙祷を捧げ、主催者代表の国学院大学の大原康男先生の挨拶に続き、みんなで献杯する。

 女性コーラス隊が登壇し愈々「歌う会」という名の大軍歌大会が始まった。間髪を容れず次々と歌われて行くが、大声で、立ちっぱなしで歌っていると結構疲れる。

 喉も渇いたので、途中で退席し、銀座ライオンで「直会」という名の一献を挙げることにした。今回、サプライズゲストとして畏友も同道してくれて、大いに盛り上がり、上野のコリアンタウンの焼肉屋「板門店」で二次会を行った。

 友と別れ難くも、強かに呑み過ぎてフラフラになりながらも最終の新幹線で帰還した。蜷川さんの言葉を借りれば、「大破・轟沈」で、毎度の事ながら猛省頻り。

 民主党政権は、靖國神社に代わる追悼施設の建立を企んでいるが言語道断である。「日本は日本人の為のものではない」でもなければ、「日本の国は今生きてる我々のものではない」のだ。政治家おもは靖國神社に関わるなと言いたい。

 国家の為に尊い命を捧げた方々の御魂を奉斎する靖國神社に、多くの国民が護国の英霊に感謝し崇敬の誠を捧げる姿は、靖國神社に代わる追悼施設が造られたとしても未来永劫途絶えることはないだろう。政治家は其方に行けば好い。

 追悼施設より、靖國神社の大祭に天皇陛下が御親拝せられることを目指すべきで、聖恩無辺、英霊並びに遺族にとっての感激と光栄これに優るものは無い。

 我が国は独立国であり、何処の国にも何者の拘束を受ける理由は無く、英霊に感謝し顕彰することを遠慮する必要もない。直ちに抑圧していた障害を排除し、真姿の復元を計り、靖國神社国家護持に立ち上がろうではないか。

 散華の心と鎮魂の誠という、この分かつ事の出来ない「誠心」こそ日本民族の魂の記憶として、誇り高く、永く後世に継承して往かねばならない使命は我ら日本人に在る。参道に立ち、心静かに眼を閉じれば、英霊の声が聞こえて来る。

※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。

《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。

cordial8317 at 08:21|Permalink

2010年03月30日

東京の標準木でもある靖國神社の「迅雷桜」が咲き出すと

 先週、靖國神社の基準木「迅雷桜」が咲き始め東京都に「開花宣言」が出された。開花宣言から、1週間後が満開になる。毎年この桜満開の時期に合わせ、知人と靖國神社に詣でるのが恒例となっていて、彼是20年以上続いているだろうか。

 靖國神社には年に何度も参拝するが、所謂「終戦の日」に詣でたことはない。この時期の九段に咲く桜が満開の時節に参拝するのが一番好きだ。今年は今週末の3日に参拝して、初めて「同期の桜を歌う会」に参加する予定でいる。

 英霊の遺書には「桜満開の時期に靖国で再会しましょう」というものが多く、「同期の桜」に「花の都の靖國神社、春の梢に咲いて会おう」ともある。

 靖國神社には桜満開の時期に詣でるのが好い。終戦の詔勅が渙発された8月15日は遺族の方々や関係者が静謐な環境の中心静かに参拝すべきと思っている。

 散華された英霊の鎮魂を祈るなら近くの神社で十分だし、或いは家や職場、出先で平和を祈念し黙祷を捧げるだけでも良いだろう。何故に態態、敗戦が決定付けられた日に軍服や隊服を着て参拝している人を多く見掛けるが歓心はしない。 

 桜満開の九段周辺は格段に綺麗だ。桜の下で一句詠みたいと思うが如何せん歌心が乏しい愚生はどこかもどかしいく、一献するのが関の山。桜は古代から日本人に最も愛され親しんだ花で、それだけに桜への憧れの詩も多く詠まれている。

 世の中にたえて桜のなかりせば春の心ものどけからまし(在原業平)
 敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花(本居宣長)
 願わくば花の下にて春死なんその如月の望月の頃(西行法師)
 風誘う春よりもなお我はまた春の名残りをいかんとはせん(浅野内匠頭)
 散る桜残る桜も散る桜(大愚良寛)

 また、桜は死に際の潔さで昔から武人、軍人精神に最も合う花でもある。「九段の桜」「同期の桜」「愛国の桜」等等。 陸軍の徽章は桜であり、海軍は桜に錨。靖國神社の紋は菊に一重桜。「桜」は日本人の心の文化と美意識の真髄なのである。

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cordial8317 at 07:11|Permalink

2010年03月29日

「アジア新時代」なんてクソ喰らえ!

 日中韓両政府の合意に基いて「歴史共同研究」という茶番が行われている。中共、韓国側の歴史に対する修正要求は歴史解釈という様な範疇ではなく、我が国の歴史そのものを否定するものであり断じて看過出来るものではない。

 歴史問題に対する支那、韓国の異常な程の難癖は今に始まったことではないが、修正要求やイチャモン難癖は明らかな内政干渉であり「平和条約」違反である。

 締結した「平和条約」には、「両締結国は善隣友好の精神に基づき且つ平和及び互恵並びに内政に対する相互不干渉の原則に従い両国民の交流促進のため努力する」と踏襲されている。だが、こうした規定を順守してるのは我が国だけだ。

 中共や韓国は「近隣諸国条項に基いて対応すべき」と宣うが、「近隣諸国条項」は国際法でも正式な法令でもない。平和条約こそ国際法規である。

 優先すべきは「近隣諸国条項」よりも我が国と締結した「平和条約」であり、中共、韓国こそ「平和条約」に違反しているということを認識させるべきだろう。

 福沢諭吉は「脱亜論」で、「ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならない。国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。」と、支那人や韓国人との接し方を教えているが、その内容は刮目すべき正論である。

 中韓の対日批判の多くは、民族性の「虚言癖」から来る歪曲と捏造であるが、その中でも「南京大虐殺」や「慰安婦問題」はウソの典型だろう。南京での虐殺など存在しない。ジョン・ラーベの嘘を歪曲し喧伝してるだけに過ぎない。

 慰安婦問題でも、元慰安婦だと称する老婆が「日本兵に銃を突きつけられ、殺して釜茹でにして喰ってやると言われた」と証言し、朝日や毎日がここぞとばかり大騒ぎしたことが有るが、残念ながら日本には老婆の言う様なそういった風習はない。

 この証言は、大陸支那の影響を受けた朝鮮人が、悪病治療の迷信から人間の肝や指などを食べていた「人肉食習慣」を、日本人も同じ様に行っていると思って仮託した「同一化虚言」の一つであり、朝鮮人特有の精神疾患でもある。

 日本軍がやったとされる所謂「三光作戦」も、その類のウソであることは歴史が証明している。支那人や朝鮮人の、こうした歪曲や虚言は枚挙に遑がない。

 倣岸無礼な支那、韓国には、西郷隆盛の「征韓論」に倣い、正式な責任ある問罪使を派遣し、正理公道を以って猛省を促すべきだろうが、今、西郷隆盛の様な気骨ある政治家もおらず、福沢諭吉の様な思想家もいないのが日本の不幸である。

※福沢諭吉「脱亜論」全文 http://www.jca.apc.org/kyoukasyo_saiban/datua2.html

cordial8317 at 05:48|Permalink

2010年03月26日

誰だ、こんな民主党を支持したバカは・・・

 政府の普天間問題は解決の兆しすら見えないが、亀井静香金融大臣が固執する郵政改革法案を巡り閣内でまたもや意見が対立、政権の新たな火種になる模様だ。

 こんな中で、中井洽国家公安委員長が30歳も年下の知人女性を議員宿舎に招き入れ、溌剌さをアピールした様だが、危機管理上問題の残る行動には違いない。

 民主党政権下での政治の混乱と機能不全は惨憺たる現況であり、我が国の経済の停滞と低迷、党利党略ばかりで国民不在の政争は一体何時まで続くのやら。

 大多数の有権者は、マスコミの提供する偏った報道に毎日接することで意思行動を方向付けられる。声の大きい者や頻繁に接する物に、人は「正しい者」「魅力のある物」として誘導される。例えば、テレビショッピングは一種の洗脳番組である。

 視聴者に都合の良い部分だけを繰り返し何度も見せて、その後、有名人らに感想を聞いたり、実体験を語って貰ったりする。こうした映像を見た視聴者が、大して欲しくないものをついついその場の勢いで買ってしまうことがあるだろう。

 マスコミはこうした人間の心理を全て理解した上で情報を垂れ流す。これが「バンドワゴン効果」というものである。 マスコミが報道するものが、見せたいものであり、誘導したいもので、報道しないものが国民に知らせたくない情報である。

 巨大な洗脳装置こそがマスコミであり、くだらない芸能ニュースやワイドショー、お笑い番組などにどっぷり浸かっている人達こそが愚民政策の体現者なのである。

 テレビばかり見ているとバカになるってのも満更嘘ではない。マスコミが報じない重要な問題を、自分自身で紐解き判断出来る無私無偏な目を持ちたいものだ。

 先の総選挙での民主党勝利の要因は、連日マスコミが垂れ流す『政権交代』という「バンドワゴン効果」で無党派層と言われる連中が投票したことと、自民党支持者の実に3割近くが民主党を支持したことにある。

 何故、本来自民党である筈の支持者が民主党に投票出来るのかと言えば、自民党に巣食う無自覚左翼と民主党の政策が見事に一致するからであって、浅はかな考えから自民党より民主党に魅力を感じた結果だろう。

 選挙前頻りに『自民党への不満、民主党への不安』と揶揄されてた様に、自民党に対して積もり積もっていた不満や不信、失望が「逆風」となった。

「自民党にお灸を据える」といった意味合いで「民主党に(でも)入れてやるか」「民主党(しか)ないのか」という『でもしか政党』が誕生しただけのこと。

 自民党は5年前の衆院選で圧勝しながらも保守政党として何ら、保守的な政策を実行出来なかった事に、国民は見切りを付け『政権交代』で日本を変えて貰いたいという単純な図式で、民主党を支持しただけ。

 民主党のマニュフェストや「基本政策」を理解して投票したとは到底思えない。結党以来の「基本政策」としている『外国人地方参政権』『国立追悼施設の建立』『戦時性的強制被害者法案』といった反日政策成立に奔走している。

 家族崩壊に繋がる『夫婦別姓』や、言論の自由を侵害する『人権救済機関の設置』『日教組主導の教育関連政策』といったことは国民の殆どは知らない。

 敢えて国民に知らせないというのが本音だったのだろうが、この様な国益を害する政策を実行に移すことが有れば、断じて看過することはない。 民主党政権への不安は日毎募るばかりだが、一体誰なんだ、こんな民主党を支持したバカは。

cordial8317 at 08:26|Permalink