2012年06月25日

停電は日本を救うってか、呵呵大笑!

 昨日は釣友の哲ちゃんと三週続けての実川での釣行を愉しんだ。釣りや登山は性格が出るもので、昨日は哲ちゃんが友人を連れて来たのだが、その友人は崖を下りるのも​、竿を出すのもポイントを移動するのも早い早い(笑;

 ポイントを移動しようと登山口まで行くと、大粒の汗と全身​から湧き出る湯気の若者が、「は~、疲れた~」と、その声とは正​反対の爽やかな笑顔で接して来た。

「飯豊山には一人で?」と愚生。
「ハイ、昨日の朝から登って途中で一泊して​帰って来ました」
「何キロ背負ってるの?」
「ええと、今日は20キ​ロです」と、
中身に興味津々の愚生はバーナーやらツェルトやら色​々見せて貰った。

 登山の専門家らしい彼から得たものは多かった。右翼団体時代に奈良の修験の山、大峰山・金剛峰寺に参拝する為に何回か登ったことがある。隊員20程度で3名ずつグループを作り登るのだが、これがホント面白い様に​その性格が分かる。

 同行者など関係なく自分勝手に歩いているヤツ。遅い人の​ペースに合わせて気を遣えるヤツ。どこまでもマイペースなヤツ。最​初の頃だけ元気なヤツと色々いる。高が遊びや趣味だが、周りには性格を見抜かれてるかも知れませんぞ。

 一昨日は「沖縄戦終結の日」で、沖縄県内は追悼ムード一色だった。野田総理や関係者の挨拶を聞いてはみても沖縄の方々の悲劇ばかりで、沖縄戦で亡くなられた特攻隊を始めとした英霊への感謝の言葉は聞こえて来ないのは何故なのだろう。

 特殊潜航艇、回天魚雷、空挺特攻、対戦​車特攻、震洋特攻艇、陸軍海上特攻が行われ、鹿屋基地(海軍航空)からの特攻で1981名、知覧基地(陸軍航​空)からの特攻で1021名の合わせて3002名の​実に76%が沖縄戦で亡くなっている。

 こうしたことを語らずして真の平和は生まれまい。マスコミの一部分だけ切り貼りしたくだらないインチキ平和論的偏向報道にはうんざりだ。

 テレビっってのは何事も公正に報じなければならないが、どう見て​も公正ではない。何か問題が持ち上がるとその萌芽は我が国に在ると騒ぎ、何でも​腐した上に、然も自分達の幼稚な正義を押し​付けるという構図はもう止めるべきだ。

 福島原発事故の影響で全国の原発再稼働は混迷の度を深め、電力確保に躍起になっているが、電力確保というなら先ずはテレビ局を輪番制にしたら好いのではではないか​。例えば、月曜日はNHK、火曜日は日テレ、水曜日は・・・ ってな感じ​で好いだろう。どのチャンネルも同じ様な内容の垂れ流しばかりだし。

 それで、夜9時になったら消灯すりゃ好いよ。昔、アメリカで大停​電が起きたが、翌年にはベビーブームが到来した。福島県でも昭和59年頃だっただろうか、大雪で​停電が起こった年がある。その翌年生まれの子供は多かったっけ(笑)

 電力が足りないなら、何も無理して確保しなくても停電でいいんじゃね~の。愚生が子供時代の昭和の40年代頃に​はしょっちゅう停電していた記憶がある。

 ロウソクを立てながらの食事もい中々乙なものだ。人間暗くなりゃ寝るしかないし、やることがないと考えることは同じ。2、3年もすりゃ電力の問​題もクリアするだろうし、何より少子化問題も解決するっかもよ。ってか。呵​呵大笑。

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2012年06月20日

出でよ平成の思想家よ、悩める右翼を導き給え!

 ヤクザ、右翼ファン御用達のマニアックな某月刊誌を立ち読みしてみた。グラビアには鈴木邦男が田原総一郎や左翼の面々が「暴力団排除条例」の問題で「人権がどうの」「憲法がこうの」と能書きを垂れてたが、時代遅れの感は否めない。

 鈴木邦男は右翼側と思われているが、自著「言論の覚悟」で左翼転向宣言した人物であり、胡散臭げな左翼言論人と意見が一致するのは当然だろう。

 右翼団体の最近の運動は「暴排条例撤廃」が中心だというが、驚くというより厭きれてしまった。右翼の多くがヤクザとのとつながりがあるのは承知しているが、宣伝車で大声で訴えてりゃ却って逆効果だと思うし、ヤクザも迷惑だろう(笑)

 こうした問題は右翼団体の主体とする運動ではないと思うのだが、どうも訳が分からん。悩める右翼を導き煽動してくれる思想家は出ないものだろうか。

 ヤクザを取り上げ営利に奔る雑誌屋にしてみれば「暴排条例」は大問題だろうが、ヤクザに向かって「私たちは反対してますよ」ってなポーズにしか見えない。

 暴排条例は人権侵害というが、この条例があるから現行犯逮捕が無くなったのも確かだろう。例えば、スナックにみかじめ料を要求しても中止命令で終わり。昔だったら店から110番されて、恐喝や恐喝未遂で現行犯逮捕だろうに(笑)

 人権が無かったら裁判も受けられないが、裁判を受けられるし、国選弁護士やら弁護士も選び放題だ。警察権力や国家権力と社会的正義を訴える勢力との争いの構図らしいが、どう見ても右翼団体がヤクザに利用されている感は否めない。

「今度、ウチの雑誌にオタクの団体を載せようと思うんだが、派手なパフォーマンス頼みますよ」と記者。それに右翼団体が、「了解~♪」って応える感じだろうか。

 鈴木邦夫が左翼転向を宣言しても、未だ「一水会」の相談役だか顧問に納まっているのは解せないが、代表の木村三浩もその雑誌に載っていたのには嗤えた(苦笑)

 一緒に写真に納まり、記者に語った内容は衒学臭さと胡散臭さが漂っていたと思った愚生は穿ち過ぎだからか。上昇志向が逞しい木村代表も最近は品善く納まり過ぎて、極貧に喘ぎながらも純粋で行動派だった頃の無鉄砲さは感じない。

 現在の右翼団体の中で、愚生的に一番演説が上手いと思っている長谷川光良が載っていたのは好かった。記事からも長谷川氏のあの低音のダミ声が聞こえてきそうで、弁舌豊かな上にシャレが利いていた実に分かり易い内容だった。

 長谷川氏は見てくれはあの通りだが、喋る声も実に耳障りも好いし、落語家なみの話しっぷりは故横山武彦ばりで、聞いてても心地好い。「暴排条例」の話にしても田原や鈴木らの営業的言動とは比べものにならないくらい説得力があった。

 昨今の右翼活動家の演説は政治家やインチキ評論家みたいな話しっぷりが多くて、長谷川光良氏の様なアジテーターが少なくなったなぁ。右翼は読書より落語が勉強になる。ということで右翼人の端くれとして忌憚のない雑感を綴ってみた。呵呵。

※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。

《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。

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2012年05月31日

革命家として人生を終えたいものだ・・・

 40年前の昭和45(1972)年5月30日、イスラエルテル​アビブ空港乱射事件が起きた。犯行を実行したのは日本赤軍幹部​の奥平剛士(当時27歳)と、京都大生だった安田安之(当時25歳)、鹿児島大生だった岡本公三(当時25歳)の3名だった。

 愚生は当時小学6年生だったが衝撃的な事件で記憶が残っている。「革命」という​ものを朧げに感じたのはこの時だったかもしれない。その後、日教組の担​任らの影響もあったのだろう、真逆の右翼思想に共鳴して行った(笑)​ 

 大学入学と共に縁あって防共挺身隊に所属する。初代総隊長は福田進。因みに福田​の父は福田素顕(社会主義者として官憲に弾圧を受け支那に亡命し、その後蒋介石と共に台湾へ​、後に日本へ戻る。国家社会主義者。初代防共新聞社社主)。

 その​福田の著書「日本人と油虫」に次の様な一節が在る。

 俺はまだアラブを知らない。アラブでは夜空に輝く星が、
今にも落​ちて来るのじゃないかと思うくらい綺麗なんだってな。
 連合赤軍の兵士てえ自称する、共産主義の三匹の油虫のアンチャンは​、
イスラエルの空港で好き勝手に暴れ回ってユダ公をぶっ殺した。
​ 生き残った一匹は、
『我々三人は死んだ後オリオンの三つの星になろ​うと考えていた』、
その言葉は稚拙ではあるが、荒廃した日本にはない​ロマンを感じさせるんだなあ。
 アラブという国が、
日本青年をして​死を覚悟するまで革命に駆り立てる何かがあるとすれば、
俺も夢多​き一人として一度アラブへ行って見たい衝動に駆られる。
 きっとア​ラブの夜空に燦然と輝くオリオンの星が、
油虫の俺を魅きつけるの​かも知れない・・・

 國士舘大学時代にこの本に出会い、いつの日か自分も満天の星が煌めくアラブに行き​たいと思ってはいるのだが未だ実現出来ないでいるが熱が醒めた訳ではない。

 右翼人だからという訳ではないだろうが、チェ・ゲバラ、カストロ​、ビンラディン、カダフィといった革命家や愛国者には共鳴を覚え​る。

 ゲバラの様な革命家に出会っていれば、行動を共にしたに違いない​。ゲバラもカストロも共産主義者だが愛国者だ。世界には多くの左翼がいるが、その全ては愛国者だ。日本の左翼の​様な売国奴は世界でも稀で、珍現象の一つだろう。呵呵。

 30年来所属していた防共挺身隊を辞めてから三年が経った。右翼人として恥じることは一つもないが、袂を分かつた盟友から「除籍通知」なるモノを出された。別に気にするものではないが盟友が寂し、辞めて三年は蟄居しようと心に決めた。

 自分自身に科した三年という謹慎生活が今日で明ける。といっても浪人人生には変わりはないが、辞めてから始めたブログやら新聞や雑誌への投稿やfacebookやTwitterなどSNSの知らない世界を経験し、右翼人としても視野が広がったと自負しているし、今後の右翼活動に生かし、出来れば後進を育ててみたい。

 今後は、宣伝車でも造って破邪顕正と勧善懲悪の糾弾活動でもしたいと思っているが、慢性的手元不如意が身に付いてそう簡単には実現出来そうもない。

 また今日も酒を呷って悲憤慷慨するのが関の山というのが悲しい。革命家として人生を終えたいものだが「死んで名も無きの星になる」のは未だ未だ先の様だ。

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2012年05月30日

中共大使館李春光1等書記官がスパイ活動で出頭要請されるも逃亡

 在日中共大使館の李春光1等書記官が、スパイ活動で警視庁公安部から出頭要請されるも当然乍ら李書記官はそさくさと逃亡を謀った。この李春光は福島県の「須賀川市日中友好協会」の国際交流員も務めており、福島大学大学院の修士号も取得しているというから福島県民として良心の呵責に堪えない。

 10年ほど前だったか、須賀川市の友好協会の支部長だった相楽新平市長に、抗議と質問状を渡したことがあったが、間違いではなかったということだ。

 尤も、日本国内でスパイ活動容疑で検挙されたところで軽微な罪にしかならず、喫緊に「機密保護法(スパイ防止法)」などの法整備が必要だと痛感する。

 現在米国を始め、アフリカ大陸、ヨーロッパ、全ての都市が支那人で溢れ返っている。大陸を出て他国に根を下ろす「華僑」「華人」は全世界で4800万に上る。

 シナの現在公表されてる人口は約13億4千万人で地球上の全人口の5分の1を占める。国土は日本の26倍だが不毛な土地も多く移民となって海外に出て行くものが後を絶たない。この移民が「華僑」「華人」である。「華僑」は、海外に移住する支那公民で、「華人」は居住国の国籍を取得した華僑とその子孫を指す。

 中華人民共和国(中共)が建国されたのが昭和24(1949)年10月1日。その頃の華僑、華人は1200万人というから、約60年で4倍に膨れ上がった計算だ。

 ここ数年での殖え方が目立つ。中共は、移住者や留学生らを使って諜報(スパイ)活動をするのは常套手段であり、移住した海外でのスパイ活動を活発化させ、各国の機密を盗み、軍事力や経済力を強化を謀っているのは周知の事実。

 世界の何処の国も機密情報の漏洩には神経を尖らせ、スパイ活動で逮捕されれば極刑は免れない。しかし、未だに日本は「スパイ天国」と侮られながらも一向にスパイ活動が無くなる気配も、対策を講じる気配もないのは何故なのだろう。

 日本国内でスパイ活動が後を絶たないのは、諸外国に比べ量刑が軽過ぎるのが原因だ。スパイ映画が面白いのは捕まれば殺されるから。でも、日本国内でスパイ容疑で逮捕されても殺されることはないし、罰金刑で済まされる(苦笑)

  今や日本の永住者の数は在日を抜き支那人がトップの約70万人。これに日本国籍取得者や不法滞在者を加えると100万人を優に超える。

 外国人犯罪者は以前から日本をナメきっている。そこへ加えて件のビザの緩和などの甘い対応は更に状況を悪化させるのは火を見るより明らかだ。

 シナ人犯罪者による凶悪犯罪の増加という現実を無視した上で、国内の治安を一層悪化させる「査証(ビザ)の簡素化」や移民政策は国民感情に反するだけでなく、極めて危険、且つ無責任なものと断じても好かろう。

 嘗ては世界一安全といわれた我が国が、外国人の急増、それもシナ人の増加で安全を脅かされていることは、幾ら不精な人でも気付いているだろう。生命の保証、財産の安全に優る国益はないのだが、何故かシナ人への優遇政策は盛んである。

 世界がシナ人移住者に警戒しているのに、我が国ではそのシナ人のビザ​を緩和して、シナ人留学生を優遇し、生活保護費をばら撒いては、更には「地方参政権」までをも与​えようとしているのは狂気の沙汰と言う他はない。

 李春光1等書記官のスパイ行為は氷山の一角であり、今こそ「機密保護法(スパイ防止法)」などの法整備を急ぎ、スパイは極刑を以て処罰するべきである。

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㊙警視庁公安部

 在日中共大使館の一等書記官がスパイ活動で警視庁公安部から出頭要請されたが、書記官は当然の如く逃亡した。まぁ、日本でスパイ活動で検挙されたところで軽微な罪にしかならず、喫緊に「機密保護法(スパイ防止法)」などの法整備が必要だと痛感する。ところで、出頭要請した警視庁公安部というのはどんな組織なのだろう。

【警視庁公安部】過激派の集会を視察する私服の捜査員。警視庁公安部は、公安を担当する警視​庁の組織で、東京都を管轄とする公安警察。

 警視庁公安部は日本の警察で唯一独立した「部」を置いており、​多くの捜査員を抱えている。これは単に人口が多いからというだけ​でなく、東京には日本共産党をはじめとする対象団体の本部や各国​の大使館(外交官は逮捕されないなど色々と便利な事がある為、ス​パイは外交官として大使館に勤めている場合が多い)がある為であ​る。

 他の道府県警察本部の場合は、警備部内に公安課や外事課を設置し​ている。また、日本の各警察署では警備課に公安係、外事係を設置​することがある。

 警視庁公安部を初めとする公安警察は警察庁警備局の指揮の下活動​する。左翼や右翼は公安課が担当し、外事捜査に関しては外事情報​部(防諜は外事課、国際テロ対策は国際テロリズム対策課)が担当​する。

〈捜査方法〉
 捜査対象は政治犯やカルトなど特殊な対象のため、そのほとんどが​機密に包まれる。通常は、対象団体の集会の視察や構成員を追尾する視察作業が多い​。構成員を饗応して協力者に仕立て上げ(獲得工作という)、情報​を収集することもある。対象とする犯罪も特殊なだけに、事件発生​後に捜査するのではなく、不審な対象を発見した場合は公共秩序を​乱す行為を行っていなくとも捜査対象に置く場合がある。

〈外事捜査〉
 日本警察において外務的な捜査や、防諜を担当する部門は外事課で​ある。スパイに対する捜査や在日外国人団体関連の捜査を行う。国​外において日本の司法警察に法的な捜査権はないが、現地の捜査機​関と密接に捜査協力を行ったり、特にテロ捜査のためには海外での​情報収集も積極的に展開する。同時に防衛省情報本部や公安調査庁​と協力を行っている。

 また各国大使館や国外の情報機関(西側諸国の機関 主としてアメ​リカ中央情報局や連邦捜査局、イギリス情報局秘密情報部など)と​も密接な関係を保っており、不穏な国内情勢や国際情勢はすぐさま​公安部に伝えられ、常にテロやゲリラなど国家治安維持に関係する​事態に警戒できる体制が敷かれている。

〈公安部員〉
  公安部員の性質は一般的な警察官に比べて情報機関要員に近く、業​務の特殊性から顔・体格・素性・素振りなどを部外者(これは一般​人のみならず、刑事・交通・地域など他部の警察官も含む)に覚え​られることを嫌う。そのため、マスクなどで顔を隠していることも​多い。声を覚えられることを警戒する公安部員もおり、部外者とは​雑談さえも控えている者もいる。一般市民が公安部員と接触する機​会は全くといっていいほどない。また、現職の警察官であっても、​公安部員と合同で捜査や業務を行うことは非常に少ない。そのため​公安部員については、たとえ同期の警察官であっても、詳細な所属​先や業務内容が分からないと言われている。

〈対象犯罪〉
 政治犯
 カルト団体
 国際及び国内テロリスト
 警察内部の防諜
 軍事的な重武装を行うゲリラなどの犯罪
 皇族だと身分を詐称する人物に関するもの、例えば有栖川宮詐欺事​件など。

 同盟国以外の外国政府の要員による諜報活動(実際、金大中事件以​外、情報収集活動・不法工作を行なった者が摘発された例はない)特に警戒される事件として北朝鮮による日本人拉致問題などの北朝​鮮の国家機関が関係すると見られる犯罪

〈組織〉
 公安総務課 庶務:庶務係(公安部内庶務) 第一公安捜査:公安管理係(公安部運用)、第1、第2係(デモ対​応) 第二公安捜査:第3、第4係(反戦デモ) 第三公安捜査:第5、第6係(反戦デモ) 第四公安捜査:第7、第8係(左翼政治団体対応) 第五公安捜査:第9、第10係(左翼政治団体対応) 日本共産党、市民運動、反グローバリズム運動、カルトなどを捜査​対象とする。総務課相当の業務は庶務係と公安管理係が行う。

 公安第一課 第一公安捜査:第1係(課内庶務)、第2係(極左警備情報) 第二公安捜査:第3、第4係(極左情報収集) 第三公安捜査:第5、第6係(日本赤軍情報収集) 第四公安捜査:第7、第8係(極左情報収集) 極左暴力集団(=新左翼の過激派。警察用語)を捜査対象とする公安第二課 第一公安捜査:第1係(課内庶務)、第2、第3係(労働争議関係​) 第二公安捜査:第4、第5、第6、第7係(過激派関係情報収集)​ 労働組合、極左のうち革マル派等を捜査対象とする 公安第三課 第一公安捜査:第1係(課内庶務)、第2係(右翼情報) 第二公安捜査:第3、第4係(右翼情報) 第三公安捜査:第5係(右翼情報) 右翼団体を捜査対象とする公安第四課 第一公安資料:第1係(課内庶務、公安関係統計) 第二公安資料:第2係(公安資料整理) 資料管理 外事第一課 外事:第1係(課内庶務)、第2係(在外大使館関係) 欧米:第3、第4、第5係(欧米関係外事捜査) ロシアや、摘発例は寡少だが東ヨーロッパ等旧共産圏のスパイを捜​査対象とする。

 また犯罪経歴証明書の発行も担当 外事第二課 アジア第一:第1係(課内庶務)、第2係(アジア関係外事捜査)​ アジア第二:第3、第4、第5係(アジア関係外事捜査) アジア第三:第6、第7係(アジア関係外事捜査) 東アジア地域、特に中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国、共​産圏諸国のスパイを捜査対象とする 外事第三課 国際テロ第一:第1係(課内庶務)、第2係(国際テロ情報) 国際テロ第二:第3、第4係(外国人テロ情報) 国際テロリストや、こちらも摘発例は寡少だが中東地域のスパイを​捜査対象とする 公安機動捜査隊 隊本部(庶務係、運用係)、各班。NBCテロ対策班を置いている​。目黒区目黒一丁目に隊本部が在る。

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2012年05月18日

シュガーキングと呼ばれた男・松江春次



 台湾に烏山頭ダムを設計した八田興一の銅像が在るが、当時は台湾は日本領であり、それ以外に外国で建てられた日本人の銅像は二人だけだったという。

 一人は、医学者 野口英世博士、そしてもう一人は、映画「バルトの楽園」で有名になった板東捕虜収容所所長・松江豊寿大佐の実弟、松江春次氏だ。野口英世、松江春次両人共に福島県人で同じ年、然も、実際に交流が有ったというから凄い。

 後に「キング・オブ・シュガー 」と称された松江春次は、明治9年(1876年)市内馬場町(現在の中央二丁目)に生まれ、会津中学(現会津高校)を卒業し、苦学して東京工業学校(現東京工業大学)応用化学科を卒業し、大日本製糖に入社。

 春次は米国ルイジアナ大学にも留学し砂糖科を卒業。技術習得の為にヨーロッパに出向し31歳で帰国すると日本初の角砂糖の製造に成功する。その後も製糖会社を転々とし、台湾での製糖業で成功を収めるも描く南洋開発の夢の為に退社。

 日本人が入植していた「南国の楽園」と言われたサイパン島に渡る。然し、実際にはサイパン島では入植事業に失敗した日本人約1000人が生活に苦しんでいた。

 サイパン島全域を調査し、製糖事業の成功を確信した春次は、地元の人々を救う為に「南洋興発株式会社」を設立し開拓に着手する。後に製糖事業は大成功を収めて、日本国内からも多くの入植者を迎えた。成功した春次だったが、成金趣味を持つことなく会津人らしく質素な生活を続け、育英事業に私財を投じた。

 自分の苦難の経験から「青年に投資する」を持論とし、自分の土地、株券を売却し、故郷の会津工業高校へ33万円(現在の価値で数億円に相当)を寄付し、機械科を創設させ、多くの技術者が育ち日本に貢献することとなる。

 会津の白虎隊の悲劇は誰もが知るところだが、こうした会津の若者の悲運が、春次が日本の将来の為にも青年を育てなければという思いに駆られたのだと思う。

 第二次世界大戦は激烈を極め、日本軍は終に敗走する。サイパンを占領した米軍は残された「キング・オブ・シュガー・松江春次像」の倒壊を謀るが、地元住民からの懇願で断念したという。春次が如何に慕われていたかが想像出来る。

 春次は、敗戦で財産の殆どを失った。だが今も尚、砂糖製造を中心に開発事業に成功した優れた開拓者として語り伝えられている、福島が生んだ英雄である。

 晩年、春次はサイパンへの郷愁を抱きながら、酒を酌み交わすことが楽しみだったという。春次が好んで揮った「生来無一物(しょうらいむいちぶつ)」の渾身の書に、激動の時代を生き抜いた春次の人となりを感じる。

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2012年05月02日

沢田研二の「我が窮状」を嗤う

 芸能界には愛国者と思われる保守的な芸能人も多くいるが、それとは逆に共産党シンパや無自覚左翼も少なくない。芸能人の「言葉」は社会的影響が大きいだけに、ハリウッド俳優の如く安易に政治的発言をするのは慎んで欲しいものだ。

 一世を風靡した「ジュリー」こと沢田研二は共産党に利用されてる一人。憲法「九条を守りたい」と自ら詩を付けたバラード「我が窮状」を制作した。「憲法」という言葉は使わず九条を「守りきりたい」と歌い、コンサートで人気らしい(笑)

 地元紙に沢田研二の憲法観というかバカを披瀝しているインタビュー記事が載っていた。これが実に笑えるものばかり。正しいと思い込んでる故に始末に負えない。

「アメリカから与えられた憲法だという人がいるが、世界に誇れる宝物だと思う。特に惹かれるのは戦争を放棄するという部分。やられたらやり返すじゃない。日本人の宗教観で受け入れられる感覚だと思う」というが日本人の宗教観って(笑)

「どの家でもお父さんが怒っても、お母さんが我慢すれば喧嘩にならない」と、悪いのはいつでも親父らしい。左翼思想を通り越してジェンダーフリー(苦笑)

「他国に宣戦布告されて迎え撃ちに出ることになったら若い人達が召集されて、国の未来を考えると良いことはないですよ。国の軍隊同士の戦いと言っても、結局普通の人が巻き込まれる。自分の家族が死傷者に含まれていたら、国の為、大義の為で片付けられないでしょう」とは、思わず「勝手にしやがれ!」と言いたくなった(笑)

「世界中の宗教絡みの争いも、どっかで止めれば、或いは我慢すれば無くなる」という。ここまで来ると、余りの短絡的思考に憐憫さを禁じ得ない。

「若い人は自分のことで手一杯でしょう。長く生きて来た僕らが考えないといけない問題なのだと感じます。」と締め括っていたが、歌手として何を歌おうが勝手だが、九条を「世界に誇れる宝物」だとか、「若い人は自分のことで手一杯」だからとか、アホな自説と解釈を垂れ流すのは勘弁して貰いたいものだ。

 第九条の「戦争放棄に関する条項」は、世界大戦後に国連が勧めた「不戦条約」がその源であり、日本や米国、英国、仏国、伊国など多くの国が締結している。

 しかし、戦争放棄の国際条約を結んでから、世界は皮肉な事に条約とは全く正反対の道を歩んで往ったという現実を沢田はどう考えているのだろう。

 平和主義を憲法で謳っている国は80ヶ国以上在り、イタリア、スペイン、ハンガリー、エクアドル、フィリピンは日本と同じ規定が在る。

 沢田研二ら護憲派は「世界で唯一の平和憲法」と賛美しているが、この認識こそが日本人の奢り以外の何ものでもない。「護憲」とは正に「誤憲」なのだ。

 沢田らは「戦後民主主義」に拘泥する余り、自分の考えこそ絶対として全く聞く耳を持たないが、誤憲、人権、平和団体などの無自覚左翼に共通するものは、物事の見方が薄っぺらで、実に腹立たしいものが多いことだ。

 こうした無自覚左翼の芸能人を「九条の会」を始め、共産党は利用する。そういうことも分からない沢田研二も結局は破壊活動家なんだろうな。

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2012年04月28日

4月28日の主権恢復記念日に思う

 本日4月28日は、サンフランシスコ講和条約が発効し、独立国家としての主権を恢復した日である。本来ならば国民挙って御祝いする日でなければならないのだが、今日が主権を回復した日だということさえも知らない国民ばかり。

 昭和27年同日、「日米平和(旧日米安保)条約」が発効され、昭和35年「日米の相互協力及び安全保障条約(新日米安保条約)」が発効したことに伴い旧条約は失効する。この事実こそ、戦後の我が国の「国防」に関するまやかしなのだ。

 国防無くして何が主権快復か。日米安保条約の存在が、防衛費を少なく抑えられ、その結果として戦後の高度成長を助けたのは認めるが、それにいつまでも甘んじていてはならない。今こそ日米安保条約を見直し、現憲法を破棄し、自主憲法を制定し、国防体制を確立せねば完全な独立と主権の快復は成されない。

 主権が恢復し、「日米平和条約」が締結された同日に、我が国政府は報恩感謝として中華民国(台湾)との「日華国交条約」を締結する。道義国家・日本としては当然の行動だろう。だが、昭和47年9月29日、田中政権に因って中国共産党と「日中国交正常化」がなされると、国際条約の「日華国交条約」を一方的に破棄した。

 この田中の国際条約の蹂躙は明らかな憲法98条違反であり、決して許されざる蛮行だったのだ。我が国は悲しいことに「主権国家」どころか「道義国家」としても体を成していないというのが真相だろう。未だ日本が台湾を国家として認めないのは、この日華条約破棄が原因であり、日米安保体制同様、早々に見直すべきだ。

 締結した国際条約という日本国憲法の条項が蔑ろにされながら、これを批判するマスコミはおらず、「護憲」を唱える能天気な連中からも当然指摘はされてはいない。最早、日本国憲法は国の基本法としても不適格な代物でしかない。

 今日の祖国日本の惨憺たる現況は目を覆うばかり。政治の混乱と機能不全、経済の停滞と低迷、社会の沈滞と頽廃と戦後の諸矛盾が一気に噴出した。

 この重苦しい閉塞感が日本全体を覆い更には東日本大震災と原発事故。この大震災こそ神が与えた試練であり、日本再生への千載一遇の好機ではなかろうか。

 過去の大震災で犠牲となられた方々や、日清・日露戦争や大東亜戦争で祖国の礎となった英霊や先人達は、この国難ともいえる祖国日本の現状に、現代の日本人がどうやって立ち向かって行くのか、その行く末を案じているに違いない。

 今こそ国民は心を一つにし、この国難に立ち向かい、日本の明るい未来の為にも、戦後体制の諸矛盾を洗い流し、真の主権恢復と日本再生を図ろうではないか。

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2012年03月30日

「遺恨あり!」死刑制度は「仇討ち禁止令」に代わるものである

 民主党政権下で二回目となる死刑執行が行われた。小川敏夫法相は会見で、「刑罰権は国民に在る。裁判員裁判でも死刑が支持されている」として死刑執行の理由を述べたていが、至極当然のことであり異論を挟む余地など無い。

 死刑執行停止や、死刑廃止を訴える連中は、「国際人権基準」がどうのだとか、死刑は「非人道的」とか「生きる権利の侵害」とか「死刑囚の資料を精査する十分な時間が有ったとは思えない」など、愚にも付かぬくだらん屁理屈ばかり。

 刑事訴訟法は、死刑確定から六ヵ月以内の執行を定めており、何れも六ヶ月以内に検察庁が法務大臣に「死刑執行上申書」を提出し、規定通り押印し、法相の命令から5日以内に執行されなければならないと決められている。「死刑制度」に替わる法律が無い以上、粛々と刑の執行をすべきだが、保留されてる事案は多い。  

 抑々「死刑制度」は、江戸時代には認められた「仇討ち禁止」や「決闘禁止」に代わる制度として発足させたものである。明治6年(1873年)2月、司法卿・江藤新平は「復讐禁止令(仇討ち禁止令。太政官布告第37号)」を発令した。

 幕末から維新期の派閥、政論の対立による暗殺とその報復という面があったところから、この種の紛争を断ち切る為のが目的だったというが、明治22年には「決闘罪ニ関スル法令」も発布されたことに由り、敵討ちや復讐は禁じられた。

 主君や親兄弟などを殺した者を討ち取って恨みを晴らすことは日本人の美意識の顕れであり、江戸時代には武士階級で慣習としてそれらは公認されていた。

「敵討ち」と認められれば罪に問われなかったばかりか大衆の支持を得た。赤穂浪士の討ち入り(忠臣蔵)などがその典型だ。現代も死刑制度を容認する国民が85.6%もいるのは、国が遺族に代わり遺恨を晴らして欲しいという気持ちの顕れである。

「遺恨あり!」という映画を知ってるだろうか。江戸末期、親が藩の策謀で殺された。倅はやっとの思いで仇を討つが、これが「仇討ち禁止令」後のことで罪に問われてしまう。この映画は実話に基いた物語で、実に見応えの有る映画だった。

 犯人への「仇討ち」も「決闘」も出来ない遺族に代わり、「遺恨を晴らす」ことが「死刑制度」の大きな意味である。「生きる権利の侵害」などとくだらない理由で死刑執行しないのでは、それこそ遺族の無念は晴れることは無い。

 死刑囚の執行に躊躇することは、憲法下での「法の下の平等」を犯してるばかりか、刑事訴訟法の意味も問われかねない。法務大臣に就任したのなら刑事訴訟法に定められている通りに、死刑執行確定から六か月以内に執行すべきである。

cordial8317 at 06:14|Permalink

2012年03月22日

高校生の国歌独唱が「素晴らしい!」と評判になっている



 この時期、各地で卒業式、入学式が行われるが、それに合わせ、国旗「日の丸」、国歌「君が代」に反対する勢力も蠢き出すが、今年は橋下大阪市長の影響か、やはり自分の生活が大事らしく騒ぐ輩も例年より少ない様だ。

 日本に住んで、日本の恩恵を享けながら、日本に誇りも持てず、卑下する連中は実に見苦しいばかり。それも、未だに「君が代」「日の丸」に憎悪を抱いてる理由が米国の押し付けた自虐史観なのだから御粗末過ぎる(苦笑)

 選抜高校野球での広島音楽高校の野々村彩乃さんの「国歌独唱」が素晴らしいとネット上で評判になってる。この歌声を聴いて感動しない日本人はいないだろう。

 野々村さんの歌声を聴いて「国歌」「国旗」に反対している大馬鹿者も己の幼稚な行動に恥入りなさい。「日の丸」と「君が代」の意味を改めて考えてみよう。

 推古天皇の摂政として政治を整備した聖徳太子は隋へ「日出づる所の天子、書を日没する所の天子にいたす、つつがなきや」の文書を小野妹子に託す。

 この文書を読んだ隋は激怒するが、小国日本の存在を堂々と主張して見事にその気概を示すと共に支那大陸との国交を開き大陸文化導入に努めた。

 我が国は、ユーラシア大陸で最初に朝日を迎える国であり、稲作民族が日の神、天照大御神を崇め太陽信仰を持つのは自然なことだった。

 そうした国のシンボルに「日の丸」を執ったのも極めて自然なことだ。国の成り立ちや理想が「日の丸」ほど一致する国は無い。

 日の丸の赤丸は、太陽を意味し熟誠、活気、博愛、誠心誠意を現し、白地は清浄無垢を示し神聖、正義、純潔、平和、鎮静を現している実に美しい旗である。

「君が代」は「古今和歌集」巻七「賀の部」の「わが君は千代に八千代にさざれ石の巖となりて苔のむすまで」の一首からの出典だ。

 この歌の本意は、大君の御代が栄えることを願ったもので、我が国は、天皇を族長と仰ぐ君民一体の家族国家であり天皇即日本、日本即天皇の天皇国家なのだ。

 この国體の精華は万邦類を見ないものであり、天皇国日本である我が国で陛下の御代が栄えることは、即日本が栄えることでもあるのだ。

 実に「君が代」は、我が国體の精華を格調高く歌い上げたもので、その曲と相俟って厳粛にして荘重、世界に冠たる誇るべき「国歌」である。国旗「日の丸」を高く掲げ、国歌「君が代」を高らかに歌い、祖国日本の再建に立ち上がろう。

cordial8317 at 06:23|Permalink

2012年03月09日

「陸軍記念日」に米国の大空襲は始まった!

 米軍による東京大空襲は昭和20年3月10日が最初だった。日本の多くの家屋が木造だという理由から火炎の強い焼夷弾を投下した。この空襲で多くの一般市民が犠牲となったが、米軍はこれに飽き足らず、4月14日と5月25日にも空襲している。

 5月25日の戦災では、皇居にも及び、明治宮殿が全焼し、陛下の執務室や御所、正殿などの儀式殿を失った。昭和天皇は「御文庫」を仮の御所とされ、昭和36年に吹上御所に御移りになられる迄の17年間を御文庫で御過ごしになられた。

 戦争で疲弊した国民生活の向上が最優先との思し召しから新宮殿の再建を御許しにならなかった。大空襲以降も「国民と共に苦楽を分け合う」と仰せになられ、皇居から御移りにならなかった。先帝陛下の大御心を拝する逸話である。

 東京大空襲は、広島、長崎への原爆投下と同様、一般人を犠牲にした蛮行は断じて許されるものではない。マッカーサー元帥の右腕の一人だったボナ・エラーズが、日本への空襲をして「史上最も冷酷野蛮な殺戮」と証言している。

 大空襲や原爆投下、ドイツのドレスデン爆撃は「国際法違反」の代表的例だ。東京裁判で連合軍は、東京への爆撃は「重慶、南京の日本軍のよる爆撃への報復」と詭弁を弄したが、民間人の殺戮は国際法違反である前に赦されざる蛮行である。

 未だ国内でも、こうした米国のプロバカンダを信じ「日本が戦争さえしなければ空爆されなかった」といった、自虐史観が散見されるのは困ったものだ。
 
 東京大空襲が決行された3月10日は我が国の「陸軍記念日」である。日露戦争最後の陸上戦「奉天会戦」が、大山巌陸軍大将指揮下断行され、明治38年3月10日に勝利を収めた。翌年、その勝利を祈念して3月10日を「陸軍記念日」として制定した。爾来、3月10日は国民が先人の偉業を称え、御祝いする日だったのだ。

 米軍は敢えてこの3月10日を選び攻撃したのだが、こうした事例は枚挙に遑なし。極東軍事(東京)裁判では、所謂A級戦犯が「死刑」判決を言い渡された日は「天長節」の4月29日。処刑日は皇太子殿下の御生誕日の12月23日に執行している。

 日本人に対し未来永劫に亘って、贖罪意識を植え付けるのが目的だったのは言う迄もない。こうした米国の意図は予想以上に成果を上げ、今や日本は「同盟国」とは名ばかりの「米国のポチ」として忠誠を誓い続けてる始末である。

 世界情勢が大きく変わろうとする今こそ、現憲法を破棄し、帝国憲法を復元・改正し、米国依存から脱却を急ぎ、国防体制の強化こそ急がねばならない。 

cordial8317 at 11:11|Permalink

2012年02月20日

愛犬・陽太(ヨーダ)逝く!

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 愛犬・陽太(ヨーダ)ことジャンダーム・オブ・コーサイ・JP。来月12日で17歳の誕生日だったが、惜しらくも昨日永遠の眠りに就いた。

 寿命の短いパグ犬にしては大往生だったと思う。ホント世話のかかるヤツだったが、陽太の御蔭で色々と愉しい生活を送れた、本当に有難う。

 倅が小学校時代にペットを飼うことにした。今でも譲って貰った日の光景を思い出す。乳離れもしていない様な二匹のパグの内の、大人しそうな一方を気に入り抱き上げると「俺の方がイイぞ」と猛アピールしてきたのが「陽太」だった。

 何故に五月蝿い方を選んだのか。それも運命だったのだろう。当時は市営住宅に住んでいて、勿論だがペット禁止。散歩に行くのも一苦労。隠そうと思っても近所にはバレバレで、それでも倅が高校へ入る迄の約5年間を団地で過ごした。

 大槻公園や逢瀬公園ではよく遊んだが、怪我もしょっちゅうで、1歳の頃だったか遊んでて爪が剥がれ、近所の動物病院へ運んだが、ここがとんだヤブ医者で、その後の爪切りは寝たきりになる迄ホント大変だった(笑)

 倅が高校に入り、通学が楽な様にと引越した。ペットOKだと思って契約した借家も、後になってペットがダメだと知るも、大家に隠れて飼うことにした。

 他の犬と違って余程のことがないと吠えることはないので迷惑を掛けることは無かったと思うが、周りの住人も知って知らないフリをしていたのだろう(笑)

 元気だった陽太だったが、三年ほど前から歩くのが困難になり、東日本大震災の頃からは寝たきりになった。地震の時も愚生と一緒に炬燵に入ってた。

 大きな揺れに炬燵を覗くと、見えなくなった目で愚生の方をジッ~と見ていたのを思い出す。陽太を抱えて外に出ようと思ったが、外には大家の息子夫婦らもいるし、部屋で揺れの収まるのをジッと待った。今でもその光景は忘れない。

 二年前に倅夫婦に子供が出来て、その孫が遊びに来ると、彼方此方と遊び回るので、陽太の方は孫が嫌いだった様だ。先日、孫が久しぶりに遊びに来たが、陽太はもうライバル意識も逃げ回る体力もなく、孫にされるが儘にしていた。

 そんな孫が陽太を見るなり「師匠」と呼んでいたのには思わず笑った。その後は陽太の体調が徐々に芳しくなくなった。その頃に愚生も所属団体を辞したのだが、今考えると愛犬・陽太の介護に専念する為に辞めた様にも感じる。

 歩けないから当然トイレも自分じゃ出来ない。定期的に腹を押して尿をや糞を出させ、水や食事なども吠え方で何をして欲しいのか分かる様になった。

 半年前くらいからはその声も出なった。介護はホント大変だったが生きてるというだけで嬉しかった。だが、2、3日前から食も細くなったというか食べない。

 昨日はワカサギ釣りに出掛けたが、その前にシッコさせて、水も飲ませたが、飲むことも出来ず、愈々かなぁと覚悟は決めていたが別れは突然やって来た。

 夕方、陽太に「帰って来たぞ!」と頭を撫でると、出ない声で「ホーッ」と二回吠えると、眠る様に息を引き取った。「ホー」という掠れた声は、「今までホントに有難う」と言ってる様にも感じたが、感謝するのはこっちの方だ。

「何れの道にも別れを悲しまず」とは剣豪・宮本武蔵の言葉だが、酒を嫌いな人が「我、酒を絶つ」或いはタバコを吸わない者が「タバコを絶つ」などと書かない。

 武蔵は寧ろ、人一倍感情豊かで熱血漢だっただろう。男は斯く在るべきだと常々思っていたが、ペットとはいえ家族を失った悲しさは余りにも大き過ぎる。

 陽太、享年16歳11ヶ月。色々とホントに有難う!合掌。

cordial8317 at 07:26|Permalink

2012年02月11日

奉祝・紀元節!神武肇国の精神を偲ぶ

 本日は建国を偲び、国を愛する心を涵養する「建国記念の日」。戦前は「紀元節」として奉祝した記念日である。戦前は四方節(元旦)、天長節、明治節、紀元節は四大節として、宮中皇霊殿で天皇親祭の祭儀が行われた。

 各地で神武天皇陵の遙拝式も行われたが、現在は紀元節の祭祀だけが行われていない。こうしたことでも分かる様に、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の謀った戦後占領政策の「神道指令」の名残りであり、早急に見直すべきであろう。

 明治22年2月11日には「大日本帝国憲法(欽定憲法)」が発布された記念日でもある。以来、全国各地の神社で紀元節祭を行うこととなり、青年団や在郷軍人会などを中心とした建国祭の式典が、各地で盛大に開催されることになった。

 昭和22年、日本国憲法を押し付けたGHQは、紀元節を「建国の日」として盛り込まれてることに着目し、建国の日が旧欽定憲法の発布日と知り削除された。

 主権を回復した昭和27年4月28日に「紀元節復活運動」が起き、昭和33年に国会へ議案を提出、昭和41年に祝日法が改正され「建国記念の日」を定める政令として再制定され翌年2月11日に「建国記念の日」として実施され今日に至る。

 本日は全国各地で、神武天皇陵の遙拝式や奉祝パレードが行われる。愚生も鎮守に詣で、神武肇国の精神を偲ぼうと思う。

 しかし世の中には捻くれた日本人らしからぬ輩も少なくなく、この日は「科学的根拠がない」「軍国主義復活反対」などとして、蛆虫・共産党を始めとした売国団体が「奉祝反対」の催しを行うが、連中に日本人としての誇りなど微塵も無い。

 誤憲(護憲)を叫ぶ連中が、憲法に基き制定された日を蹂躙しているのは笑えるが、連中の主張する「科学的根拠が無い」とする論拠が、歴史学者としての三笠宮崇仁殿下の「紀元節祭復活は科学的根拠に欠ける」と皇居皇霊殿での祭祀に反対している意見を利用していることは困ったもの。

 日頃から皇室を否定している左翼が、三笠宮殿下のこうした意見を利用し国民世論や大衆を煽動するのは言語道断であり、心ある国民は与してはならない。

 誰もが誕生日を祝うのと同じ様に、国の誕生を祝うのは当然であり、民族の信念と道統を受け継ぎ、これを護持し、これを宣布し、そして子孫に伝える責任と使命を有する者、それは我ら日本人であることは言うを俟たない。

 神武肇国の大理想「八紘一宇」を掲げ天皇國日本の真姿開顕へ奮闘前進しよう!

 歌曲「紀元節」

伊沢修二作曲、高崎正風作詞

一、雲に聳ゆる高千穂ねおろしに艸も木も
  靡きふしけん大御世を仰ぐけふこそ樂しけれ

二、海原なせるはにやすの池のおもよりなほひろき
  恵みの波にあみし世を仰ぐけふこそたのしけれ

三、天つひつぎの高みくら千代萬づに動きなき
  もとゐ定めしそのかみを仰ぐ今日こそたのしけれ

四、空にかがやく日の本の萬の國にたぐひなき
  國のみはしらたてし世を仰ぐけふこそ樂しけれ

cordial8317 at 06:04|Permalink

2012年02月10日

世界的大偉業だった「日露戦争」



 明治37年(1904年)2月10日、日本は当時世界最大の軍事大国だったロシアと民族の生死を賭けた戦いを開始した。一年半にも及ぶ強国との大戦に我が国は奇跡的とも言える勝利を収め、極東小国日本の存在を世界に知らしめた。

 日本大勝利の報は、戦いを固唾を呑んで見守っていた世界の人々を驚嘆させたのは言うまでもない。日露戦争での日本の勝利は、ロシアから占領・弾圧されていたフンランド、トルコ、ポーランドといった国々や、有色人種と差別されていた民族に、国と民族の存在を決定的に変える影響を齎したのである。

 15世紀の大航海時代以来、白人による世界制覇の滔々たる流れが、日露戦争の勝利によって大きく変化し、全世界の有色人種に与えた影響は強烈なもだった。

 印度のガンジー、ビルマのオマッタ、フィリピンのリカルテ、ベトナムのファン・ボイ・チャウ、エジプトのムスタファ・カミール、トルコのケマル・パシャなど挙げれば限が無いが、世界の各地で日本の勝利に狂喜し、有色人種が白人に劣らないことに確信を持ち、各地で独立運動が湧き上がった。

 米国でも、日露戦争後に黒人に人種平等の自信を与え、黒人解放運動の支えとなり、黒人誌「インディアナポリス・フリーマン」は当時、次の様な社説を掲げた。

「東洋のリングで黄色い男達のパンチが白人を打ちのめし続けている。事実ロシアは繰り返し何度も日本人にこっぴどくやられて、セコンドは今にもタオルを投げ入れ様としている。有色人種がこの試合をものにするには、もう時間の問題だ。長く続いた白人優位の神話が、遂に今突き崩され様としている」

 それから15年後、パリ講和会議に於いて我が国は、国際連盟規約に「人種平等の原則」を入れる提案を行うこととなった。日本の全権使節団が、パリに向かう途中、ニューヨークに立ち寄った折に、黒人指導者4人が「世界のあらゆる人種差別と偏見を無くす事に尽力して欲しい」という嘆願書を日本の全権団に提出した。

 だが、こうした黒人の願いも米国大統領ウイルソンが議長を務めるパリ講和会議で拒絶されてしまう。日本人を始めとした有色人種への偏見が原因。日露戦争が齎した歴史的課題の本格的実現は、大東亜戦争を待たなければならなかった。

 先の大戦で我が国は敗れはしたが、大東亜戦争後「人種平等の原則」という歴史的使命は果たされる。如何に大東亜戦争が「聖戦」であったかが理解出来よう。

 世界史にとっても日本史にとっても重要な出来事が、何故か日本では余りにも軽く扱われているが、先人の「誠心」こそ、民族の魂の記憶として、誇り高く永く後世に継承して往かなければならない。すめらぎいやさか。

cordial8317 at 08:44|Permalink

今日は日露戦争の「開戦記念日」

 今日2月10日は「日露戦争」の開戦記念日。民族の生死を賭けた戦いが行われた日だ。明治天皇の御遺徳と明治人の気概と誇りに感謝せずにはいられない。

 明日は「紀元節」。國士舘大学時代の右翼現役の頃から、紀元節には明治神宮へ参拝したものだが、平成16年に明治神宮が神社本庁から離脱し、一宗教法人となった以降は明治神宮参拝を取り止め、靖國神社にて建国祭を行っていた。

 現在は団体を引退し、紀元節には近所の神社で神武肇国の精神を偲んでいる。明日は、安積国造(あさかくにつこ)神社で「建国祭」が挙行され、奉祝パレードも行われるというし、参加してみようとも思っているが、熟慮中だ。

 明治神宮は、神社庁からの離脱の理由として、平成16年4月、陛下の御親拝なされる際の関係者への案内状に「陛下」を「殿下」と誤記してしまった責任を取って離脱したとしているが、神社庁での主導権争いや確執の末の離脱というのは明らかだ。

 明治神宮は周知の通り、国民の総意により、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲び創建された神社であり、それを私物化し、営利至上主義に奔っている現状は正に憂慮すべき事態といえよう。

 本来、神社=神道とは宗教ではなく、日本人の心に清む惟神(かんながら)の道だ。宗教法人の規定では、教祖と経典と布教活動の三条件が必要で有るが、明治神宮はその何れも該当していないのに宗教法人になるのは如何だろう。

 神社本庁から離脱し一宗教法人となることは、神宮建立の趣旨から鑑みても逸脱しており、先人の努力も、国民の総意も踏み躙るものである。

 それにも況して問題なのは神職に携わる者が営利に奔っている事実で、神社庁に属さなくても独立採算出来るというその姿は実に醜く、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲ぶ神社としては実に不謹慎過ぎると断じざるを得ない。
  
 明治神宮が一宗教法人となることは、現在宗教法人となっている靖國神社や護国神社の立場とは違う。靖国神社や護国神社が宗教法人となっているのは、戦後GHQの「神道指令」を免れる為に已む無く採った智慧でである。

 本来ならば昭和27年4月28日に主権快復した折に、国として護持すべき施設であったのだ。明治神宮の神社庁離脱は神道指令や占領政策を容認するもので、営利主義は蔓延する拝金主義を助長するものだ。明治神宮へは猛省を促したい。

cordial8317 at 08:38|Permalink

2012年01月30日

今シーズン初わかさぎ釣りに出陣するも

 昨日は、親友でもあり釣友の哲ちゃんと檜原湖へ今シーズン初のわかさぎ釣りに出掛けた。前日、檜原湖で氷上釣りをしていた郡山の男性が一酸化中毒で死亡したとのニュースもあり、哲ちゃんの希望もあって、急遽、檜原湖ではなく秋元湖での釣行となった。早朝5時前に郡山を出発し、1時間ほどで現場に到着した。

 入漁料を支払い、いざ出陣。だが、何か様子が怪しい。湖上の雪がシャーベット状になっていて歩くのも一苦労。強風だし歩くのも儘ならない。あっという間に履いてるスノーシューズも水浸し、挙句にシューズの底が剥がれた。これでは目的地までは無理と判断し、目ぼしい場所を探してテントを設営した。

 その後、氷上釣りには欠かせない発泡スチロールの座布団が強風で飛ばされた。追いかけども追いかけども離れて行くばかりで、結局、追うのは諦めて程なく釣りを開始。だが、棚を測ってみたら4メートルもない浅瀬だった(笑)

 外は強烈な地吹雪で場所を移動するにも無理。仕方なく釣りを始めるも当然ながらアタリは少ない。すると今度はテント内の雪が解け出してシャーベット状に。外の雪を入れてはみても無駄な抵抗。それでも悪条件の中で4時間ほど粘った。

 昼前、相談の結果、撤収することに。地吹雪の中素早く荷物を纏め、最後にテントを畳もうとするが、購入したてで要領を得ない。バタバタしてる内に強風でテントが「バキッ」と折れた。泣きっ面に蜂とはこのことだ(笑)

 結局、壊れたテントを引き摺りながら、映画「八甲田山」ばりの雪中行軍で駐車場まで戻った。鼻水は出るは、靴の中はびしょびしょで冷たいし、濡れてたタオルは戻った時にはカチンカチン、ホント未経験の寒さだった。

 たった15匹のわかさぎを釣るのに、3万近くのテントが壊れ、シューズも使えなくなり、最悪の釣行となってしまった。ってな訳で、郡山へ戻り、着替えをして温泉で温まる。温泉の後は、哲ちゃんと「猛省会」並びに次回の作戦会議。

 本宮市の鰻の老舗「山本屋」へ。山形の名酒「鯉川」を持ち込んでビールと肝焼きで反省会の始まり。肝焼きは胆嚢を傷付けていないので全くと言って良いほど苦味はなく美味しい。「鯉川」も飲み干し、芋焼酎のロック、そして鰻重を頂く。

 過ぎてしまえば全て笑い話、あれやこれやと一日の釣り談義に大いに盛り上がり、その後二軒ハシゴして、20時過ぎの電車で郡山へ。何で、電車はあんなに気持ちよく眠れるのだろう。暖かいシートの所為だろう、危うく乗り過ごすとこだった。

 そういや以前、二本松市で飲んでて、最終の電車に乗ったのはいいが、結局、終点の矢吹まで行ってしまったことが有ったっけ。帰りのタクシー代が約1万3千円也。

 二本松から乗っても7、8千円ってとこなのに。まぁ酒での失敗は数知れないが酒で得る物の方が断然多い。扨て、次回のわかさぎ釣りはどうなるものやら。呵呵。

cordial8317 at 11:01|Permalink

2012年01月24日

伊江島を硫黄島とはコレ如何に(苦笑)

 今日、第八十通常国会が召集される。政府民主党は「復興」という大義名分を盾に増税関連法案を目指す。一方の野党自民党は、「マニュフェストの反故は国民の理解を得られない」と、政局に持ち込み一気に解散に追い込むという。

 まぁどっちもどっち、やるなら衆議院の定数削減を最優先にして、政党交付金も廃止して、解散総選挙をした上で増税議論をして欲しいものだが、国会議員の削減など「絵に描いた餅」で本気でやるとも思えない。

 素人防衛大臣の一川の後継に田中家のバカ婿が就任し、二代連続で素人大臣が国家の安全保障という重責を担うこととなったことは笑えない。早速、田中大臣が本領を発揮し、このオッサン、喋れば喋るほど墓穴を掘るばかり。

 沖縄県・伊江島を「いおうじま」と言い間違えたというが、自衛隊員もこうした素人大臣の下で命を懸けてまで働く気にはなれないだろうな。

 東日本大震災での自衛隊の活躍は日本人の誰しもが頼もしく感じたことだろう。国防と領土保全、更には防災、救援、復興と日々休み無く行動している自衛隊は日本国民の誇りである。だが悲しいことに、憲法上は自衛隊は認められていない。

 国際環境が激動しいている今、政府がやるべきことは自衛隊を正式な軍隊として、その存在と必要性を明確にするべきだが、日本国憲法下では「陸海空の戦力は保持しない。交戦権も認めない」と明記されていることでも不可能。

 況してや尖閣諸島を武力で占領しようと中共が虎視眈々と狙っている中で、現憲法の改憲条項を緩和し憲法改正の発議をしたとして国民の同意を得られるのはずっと先のことだ。そんな悠長な時間は無い。現憲法を無効とした方が早い。

 朝鮮戦争が勃発すると米国は参戦を要請、日本政府は苦肉の策として「警察予備隊」を設置し、その後「保安隊」、そして「自衛隊」と名称や組織を変えた。

 政府は自衛隊を「憲法上認められる存在だ」と詭弁を弄しているが、戦後最大の虚構こそ自衛隊の存在であり、こうしたまやかしは最早通用しない。

 今や自衛隊は、国際貢献と平和安定に大きく寄与している。だが、国家の命令で派遣された自衛隊員がもし犠牲になった場合、本来、英霊として靖國神社へ祀るべきなのだが、残念なことにそれは叶わない。

 朝鮮戦争当時、極秘裏に派遣された海上保安庁の掃海艇一隻が触雷、沈没し一名が犠牲となっているが、事実上の戦死にも拘らず未だに戦死と認められていない。

 訓練中や今回の震災での救援活動で犠牲となった隊員も国家として手厚く慰藉すべきであり、祀られるべきは靖國神社以外にはない。

 軍隊とは任務の為なら死をも厭わぬ集団であり、国家・国民の為に犠牲となれば国民挙って感謝の誠を捧げるのは当然なことだろう。

 今こそ、国防をも否定する亡国憲法を破棄し、日本人自らの手で、日本人の為の憲法を制定し、国民の生命財産と安全な生活を守る為に日夜活躍している自衛隊を、国軍として、その存在と必要性を明確にしなければならない。

 沖縄の仲井真知事も「県外移設」しか口にしないが、国家の防衛は沖縄県民の利益より優先されるで、国防意識の欠落とう点では田中大臣とどっこいどっこい。

 今、論ずるべきは防衛大臣の読み違いや沖縄米軍基地の県外移設問題より、国民の生命・安全を守るという「国防の在り方」を論ずることだ。

 沖縄は地政学的に重要だというが、それを良いことに駄々を捏ねているとしか見えないし、いっそ福島原発周辺を更地にして米軍基地を誘致したらどうか。

 原発の賠償金や復興支援に加え米軍基地の予算も入り、一石二鳥どころではないだろう。そうなりゃ困るのはやっぱ沖縄だろうなぁ。呵呵。

cordial8317 at 08:13|Permalink

2012年01月17日

福島は広島にもチェルノブイリにもならなかった~

 愚生の実家の二本松市の新築マンションの室内で屋外より高い放射線量が測定されてんやわんやの大騒ぎ。施工業者も愚生がよく知る建設会社で、全国放送で放映されていたが、測定値も1~2マイクロシーベルト程度で、こうした大袈裟且つヒステリー的報道が、更に県民の不安を煽りストレスを増大させている。

 元航空幕僚長・田母神俊雄氏が第1回最優秀賞を受賞し話題となった、アパホテルグループの「真の近現代史観」懸賞論文の第4回選考では、札幌医科大の高田純教授(57)の「福島は広島にもチェルノブイリにもならなかった~東日本現地調査から見えた真実と福島復興の道筋」が最優秀賞に選ばれた。

 受賞論文は、アパグループのホームページで全文を読むことが出来ます。http://www.apa.co.jp/book_ronbun/vol4/2011japan.html

 高田教授は出版記念の講演で、「今回の受賞の意味は、福島県民は今回の原発事故による低線量の放射線によっては、1人として健康被害を受けないという真実を国内外に広く知らしめることになるということ。そして、原発の20キロ圏内が(警戒区域に指定されていて)人が戻れない状態になっているが、この圏内の復興に大きく結び付くことになる」と切り出した。

「何しろ今回の事故では過酷な環境に置かれた原発の作業員ですら、放射線で死亡したり入院している人はいない。そうした中で僅かな放射線を必要以上に怖がることは、福島の復興を妨げることに直結する。事実を冷静に見たい」と語っている。

 警戒区域の復興策として、原発20キロ圏内の表土を10センチ削り取って除染し、それを海岸に埋めた上で表面を厚さ1メートルの新な土で覆い(これで放射線はほぼ防げる)「防波堤公園」を造ることを提言している。

 関東大震災の際には、瓦礫を埋め立てて横浜の山下公園が造られた。陸上で汚染土の中間貯蔵施設の設置が難航している中、埋め立て案は現実的な提言だろう。

 広島大で研究生活を送った経験のある教授は、広島の原爆投下後に降った「黒い雨」による被害状況について、「池の魚が、雨に含まれていた強烈な放射能によって多数死んだ。また黒い雨に濡れた牧草を食べた牛が下痢をし、雨に濡れた子供達の頭は禿げた」と紹介している。何れも一度に大量の放射線を浴びたことによる障害だが、では福島ではどうだったのか。

 教授は原発周辺に取り残されてた動物に着目し、「4月上旬に現地調査で第1原発の門まで行ったが、周辺でも魚が死んでいる訳でもなく、渇きで死んだ牛はいたが、多くの牛は元気で生きていた。牛の状態を見ると、禿げた牛はいない。見た瞬間に、広島の黒い雨と、福島の放射線は全然(レベルが)違うものだと分かった」

 一方で「チェルノブイリでは1万6千頭の牛や豚をトラックに乗せて避難させたが、菅直人さんは20キロ圏内の牛を避難させず放置した」と菅前首相の不作為を非難した。今回の原発事故が「人災」と言われているが最大の責任者はこの菅だ。

 今回の原発事故で原子力安全・保安院は、放出されたセシウムの量が広島原爆の168倍とする試算を公表し、大きく報じられたが、教授は「全く意味のない数字だ」とバッサリ。その理由を次の様に述べている。

「広島でセシウムによって死んだ人はいない。広島の死者は熱線、爆風、そして半減期の短い強力な放射能によるもの。セシウムの放射線はそれほど強いものではなく、今の日本で起きているのは集団ヒステリー状態だといえる」と説明した。

 因みに教授は、チェルノブイリ原発事故の現地調査の際、自身でセシウムの入ったきのこを食べる「人体実験」を行っている。その結果、セシウム137(半減期30年)は人体に入った場合、体外に半分が排出される生物半減期は100日であることを実証した。反原発派が御用学者と断じるなら自ら人体実験すりゃ好いのに(苦笑)

 教授は大震災後の昨年4月以降、福島県内で住民の甲状腺検査をボランティアで実施。その結果、検査した66人の甲状腺被曝量は最大でも8ミリシーベルトと、チェルノブイリの事例(最大50シーベルト)と比べて千分の1以下だった。

 その線量から計算すると「福島県民が甲状腺がんになるリスクは年間で1千万人あたり1人以下。といっても福島県の人口は約200万人。つまり、誰も甲状腺癌にはなりません」と結論付けている。

 日本は唯一の核被爆国といわれるが、教授はそうではないと指摘する。「世界最大の核災害があったのは中国(支那)内陸部のシルクロード、楼蘭のあたり。住民の避難をさせずに核実験が行われ、数十万人が亡くなっている」と明かした。その影響は当然、日本にまでも及ぶことになった。

 中共の地上核実験で放出された放射能の量は、チェルノブイリ原発事故の実に800万倍に及ぶという。「東京五輪の年(昭和39年)に中共の核実験は始まったがそれ以来、黄砂と一緒に放射能も日本全国に降っていた。そうした事実は殆ど報じられることはなかった。ストロンチウムについては今回の福島事故の1万倍の量が降って来た」と過去の実態を公表した。

 セシウムの生物半減期が100日なのに対し、ストロンチウムの生物半減期は15年だ。その結果「“中国産”ストロンチウムによる日本人の体内被曝量は1~7ミリシーベルトに及ぶが、それでどんな影響があったか。

 団塊の世代の方々がいちばん影響を受けているが、皆元気。恐らく天寿を全うされる」と、低い線量では健康に影響が無いことは「日本人が実験台となって実証された」と解説した。そうした、日本全国を汚染した中共由来の放射能については、今でも殆ど問題とされていない。

 そうしたことも含め、教授は「日本の反核・平和運動はウソだ」と断言。「核・放射線への正しい認識を持って、今後の日本の発展を考えて行かねばならない」と講演を締め括った。正に正論であろう。

 過去の原発事故や核実験での放射線については意外と多くのデータの蓄積がある。そうした事例を分かり易く提示している点でこの論文は復興の指針となる。

 原発事故は抑々安全対策の無作為によるもので原発そのものの欠陥で起こったことではない。非科学的な恐怖心より、高田教授の理に叶った主張こそ多くの人に読まれ、要らぬ不安やストレスが払拭されることを願って止まない。

cordial8317 at 06:01|Permalink

2012年01月10日

「成人式」は1月15日に。「ハッピーマンデー」を改訂しよう!

 今日は成人の日。嘗て成人式は「小正月」である1月15日に行われていたが、平成11年の所謂「ハッピーマンデー」の施行に因って、1月第2月曜日に変更された。

 昭和23年に公布・施行された「祝日法」では、成人式は1月15日と決められた。元旦を大正月と呼ぶのに対して15日を小正月と呼ぶ。その年の初めての満月の日に、一家の行く末を託す男子の「元服」を行ったのが成人式の由来である。

 皇居では、神道の儀式の一つである男子皇族の「元服の儀」が小正月の15日に行われていた。「男子の元服」というのが、性差別を叫ぶジェンダーフリーを叫ぶキチガイどもの怒りを買って、所謂「ハッピーマンデー」が誕生することとなった。

 抑々「ハッピーマンデー」なる愚策こそ、共産主義者に因る国體破壊が目的であり、左翼陣営というのはこうした既成事実を積み重ねることに拠って、我が国の歴史や伝統、文化、更には皇統を否定する論拠とするのが常套手段でもある。

「ハッピーマンデー」なんぞ百害有って一利無し、早々に改定を図るべきだ。旧暦を復活させて、新暦と併用すれば祝日の意味も国民には分かり易くなるだろう。

 皇統断絶と国體破壊を目論む左翼陣営の究極の目的は「女性天皇」と「宮中祭祀」の妨害であるのは明らか。宮中祭祀で特に重要なものは正月、元旦に執り行われる「四方拝」と、11月の2回目の「卯の月」に行われる「新嘗祭」である。

 祭祀は女性天皇では適わない。また祭祀こそ、決められた日の決められた時間にすべきものであり、国民が共に祝う日であって、祝日は単なる休日ではないのだ。諸外国に比べ、日本の祝祭日ほど「国柄」の分かる素晴らしい伝統、文化はない。

 昨今の多くの日本人が、神道に由来する祝祭日を単なる休み(休日)としか考えていないのは悲しいことだ。今こそ祝祭日の意義を教えて行かねばならない。

 日本創新党代表で元杉並区長の山田宏のホームページに、成人式での逸話が載っていた。要約して転載するが、山田区長は11回に亘る成人式の祝辞で、「第一に感謝しなければならないのは、何と言っても、皆さんを生み20年間育ててくれたご両親です。当然のことですが、いま皆さんがここにいるのはご両親が生んでくれたからです。皆さんという存在は、ご両親という尊い存在なくしてなかったのです。次に、その尊い両親を育んでくれた故郷、つまり日本という国にも感謝できなければなりません。今の日本を支えている多くの人々だけでなく、この素晴らしい国を築いてくれた先人たちに『ありがとう』という気持ちを持って欲しいと思います」と語り、大東亜戦争で散華された20歳の若者の遺書を読んで来たという。

「英霊の言の葉」という遺書集の中から選んだ遺書は。

 お父様お母様。
 ただいま出撃命令がでました。
 私は立派にやって参ります。
 本当はその前に最後のお礼とお別れを申し上げたかったのですが、
 その暇もなく行かなければならないこと をお詫び申し上げます
 私の鞄には、缶詰やお酒が入っています。
 軍から支給されたものを皆様とご一緒に食べようと
 残しておいたものですが、
 それも叶わぬ夢となりました。
 どうか皆様で召し上がってください
 それでは行って参ります。
 長い間お世話になりありがとうございました。
 お体お大事になさってください。
 ごきげんよう。
 さようなら。

 遺書を読み始めると、いつも会場は瞬く間にシーンと静まり返ったという。

 山田区長は、「皆さんというかけがえのない存在を世に送り出してくれたご両親に『ありがとう』と感謝でき、そしてその尊いご両親を育んでくれた私たちの国を築いてきた多くの方々にも、『ありがとう』という気持ちを持てた時、皆さんは初めて『大人』の仲間入りができ、皆さんの人生が実りの大きいものになっていくと思います。今日はそういう日です」と締め括っている。

 哲学者で「西晋一郎」という人がいる。その多くの金言の中でも「この身あるは親があり家があるからであり、親があり家があるは国があるからであり、国があるは国の歴史があり、国の精神があるからである」という言葉が大好きだ。

 山田氏の言葉も同じことで、当たり前の言葉、当たり前のことなのだが、今の日本に足らないものはこうした当たり前のことが出来ていないことだろう。山田区長を始めとした真っ当な保守政治家の捲土重来を祈るばかりだ。

cordial8317 at 09:05|Permalink

2012年01月08日

凄まじい国、日本!~守るのは日本人~

 facebookで素晴らしい記事を見つけたので、一部校正し転載しました。一読すれば改めて日本という国の凄まじさが理解出来ることでしょう。

■世界最大の自動車製造会社を持つ日本。

■世界で初めて、小惑星に探査機を着陸させ物質を持ち帰ることに成功した日本。(はやぶさ)

■世界で唯一、海底11000mまで潜水出来る探査船を持つ日本。
(10000m級無人探査機「かいこう」)http://www.mes.co.jp/business/ship/ship_07.html

■世界で唯一、地球のマントル層まで採掘できる掘削船を持つ日本。
(地球深部探査線「ちきゅう」)「ちきゅう」は、人類史上初めてマントルや巨大地震発生域への大深度掘削を可能にする世界初のライザー式科学掘削船 http://www.jamstec.go.jp/chikyu/jp/CHIKYU/

■世界最長の海底鉄道トンネルを造った日本。(青函トンネル) http://contest.thinkquest.jp/tqj2002/50196/japanese/top.htm

■世界一高い自立式鉄塔を造った日本。(東京タワー)

■世界一速く動くエレベーターを製造する日本。
世界で2番目に高い508メートルのビル、TAIPEI101には東芝の当時世界最速エレベーターが採用されていた。時速60km(分速1010m)で上昇していき、1階で立てた10円玉が最上階の89階まで倒れないほど滑らかだという。
http://blog.goo.ne.jp/natuhiro555/e/db95a2b9c34942fb541f5304d060db76

■世界一速く走る電気自動車を製造した日本。(時速370キロメートル ELIICA) http://rikunabi-next.yahoo.co.jp/tech/docs/ct_s03600.jsp?p=000808&__r=1

■世界で最速の市販用オートバイ(312.29km/h)を製造した日本。
(スズキ・GSX1300Rハヤブサ - 市販車で世界一速いオートバイ。谷田部で行われた最高速テストで312.29km/h(実測値)を記録)

■世界一大きなカラー表示画面(743.68m²(2651型))を製造した日本。

■世界で最も古い企業(西暦578年に創業)が存在する日本。(聖徳太子が四天王寺建立の際に百済から呼んだ宮大工である金剛重光によって創業された金剛組。世界第2・3位共に日本企業)
 創業200年以上の企業は日本が断トツの3100社。世界の40%を占める。因みに、ドイツ800社、オランダ200社、米国14社、中共9社、台湾7社、インド3社。

■世界最大の鉄道会社が存在する日本。(東日本旅客鉄道株式会社 JR東日本)

■世界で唯一、固体燃料ロケットエンジンの推進力だけで人工惑星を打ち上げた日本。
(ラムダ4S4段式固体ロケットで「おおすみ」人工衛星の打ち上げに成功) http://blogs.yahoo.co.jp/bdcxs228/16667818.html

■世界で最初に2本足のロボットを走らせた日本。
(1969年に早稲田大学の加藤一郎教授によって開発されたWAP-1)

■世界最大の液晶画面を販売する日本。
(シャープ製、108V型の液晶ディスプレイ) http://news.mynavi.jp/news/2008/06/13/024/index.html

■世界最大のPDPを販売する日本。
(パナソニック製、152v型フルHD・3D対応PDP) http://panasonic.co.jp/corp/news/official.data/data.dir/jn100107-8/jn100107-8.html

■世界で最も長い吊り橋を造った日本。
(明石大橋、全長は3911m、中央支間長1991m)

■世界で最も大きな墓が存在する日本。
(世界最大の墓といえば有名な「ピラミッド」が思い出されるが、大阪堺市にある「前方後円墳」の形で有名な「大仙陵古墳」の方が面積は大きい) http://www.trivia-blog.com/cate05/p185/

■世界で最も古い木造建築物が存在する日本。
(法隆寺)近代、法隆寺の「柔構造」の理論は世界の超高層建築に採用されている。古代より伝わる日本の木造建築の知恵は最先端の建築技術の中で歴史を超え今も生きている。

■温室効果ガス観測技術衛星「いぶき(GOSAT)」に搭載された、高性能姿勢制御用ホイール軸受が開発されたが、日本のベアリング技術は、自動車、複写機、モーター、時計、ハードディスクなどありとあらゆる製品に不可欠だが、日本の技術の高さはNASAにも採用され、日本精工は世界のシェア13%を誇っている。

■世界で最初の高速鉄道を完成させた日本。世界で最も多くのanimeを製造する日本などetc。

「日本のパスポートが教えてくれた日本のすさまじさ」 http://sahashipesu.blog.fc2.com/blog-entry-24.html

■その他

日本が発明した生活の中の発明品

①プラスチック消しゴム:1964年に株式会社シードが発明。

②「折る刃」式カッターナイフ:1959年に岡田良男が発明。

③カラオケ:1971年に井上大佑が発明。

④VHS:19761年にビクターが開発。

⑤自動改札機:1967年に立石電機(現・オムロン)が開発。

⑥腕時計:1969年にセイコーが開発。

⑦インスタントラーメン:1958年に日清食品が開発。

⑧インスタントコーヒー:・電気炊飯器:1955年に三並義忠が発明。

⑨ウォークマン:1979年にソニーが開発。

⑩CD:ソニーが開発。

⑪乾電池:1887年に屋井先蔵が発明。

⑫使い捨てカメラ:1986年に富士フィルムが発売。

⑬エアバッグ:1963年に小堀保三郎が発明。

■昔から凄まじい技術力を持っていた日本。

Q1、国産第1号の鉄砲は、鉄砲が伝わってから何年後にできたでしょう。

A、答えはなんと鉄砲が伝わった翌年1544年には完成していたのです。日本人は、1543年に種子島に伝えられた2丁の鉄砲を見ただけで、翌年には鋼鉄製の鉄砲を造った。

Q2、ポルトガル人は、鉄砲と交換にたくさんの銀を得て自分の国に帰りました。そして、船に鉄砲を山盛りにして再び日本にやってきました。鉄砲のない日本に鉄砲を売って大もうけするためです。ところが、彼らが思ったほど高い値段では鉄砲が売れませんでした。なぜでしょう。

A、すでに日本では、国産の鉄砲が大量生産されていたのです。鉄砲が伝来してからわずかの期間で日本全国に普及したのは、日本刀を製造する高度な鉄の加工 技術があったからです。当時の刀鍛冶たちは、刀を大量生産するシステムをすでに作り上げていました。そんな技術集団が鉄砲作りに取り組んだからこそ、鉄砲は短期間に国産化できたのです。

Q3、鉄砲伝来から50年後、この頃日本は世界有数の鉄砲大国になっていましたが、では、日本の所有する鉄砲の数は、世界中の鉄砲の数の何%くらいだったと思いますか。

A、なんと「50%」です。鉄砲が日本に伝わってから約50年後には、日本は世界の50%の鉄砲を所有する国になっていたのです。日本の技術力の高さは、今に始まったことではありません。300年も400年も昔から、変わらず、世界一流の技術力を持ち続けているのです。それこそが、日本の底力であり、世界が恐れる部分でもあるのです。

http://www3.ocn.ne.jp/~chigiran/nihontou2.html より

■世界で最も長生きする日本人。

■世界で最も長く国内平安を維持した国である日本。(徳川幕府による260年の太平の時代のことである。実に260年もの長期にわたって平安を維持した国は例がない。)

■世界最古の皇室を持つ2672年変わらず続く国である日本。日本は王朝交代がまったく無く「変わらず」2672年続くとてつもない国。

今上天皇は125代目

英国王室のエリザベス二世で38代目、

欧州最古といわれるデンマーク王室のマルガレーテ二世でさえ54代目である。

 世界で最初に「人種差別撤廃」を訴えたのも日本。日本ってやっぱり凄まじい国なのです。もっともっと自国に誇りを持とう!

cordial8317 at 07:20|Permalink

2012年01月06日

「臥薪嘗胆」今年は果たしてどうなるものぞ!

 最近は正月といっても「らしさ」を感じない。元旦からスーパーやファミリーレストラン、ラーメン屋や行きつけの鮨屋も営業してるし、態々おせちを用意したり、買い出ししなくても不便さは無くなった。不便さが解消され便利になったと同時に、昔ながらの正月の原風景も無くなってしまった寂しさも感じる。

 近所の神社に初詣に行ってはみたが、着物姿の女性にも会うこともなく、街並みや町内を見渡しても国旗・日の丸が掲げられている家も少ない。世間では今、保守ブームだというが、本当にそうなのだろうかとの疑問も生じた。

 テレビでは下らないお笑い番組ばかり、正月恒例だった「かくし芸大会」は既に終わってしまった様で、正月番組で唯一見たのは「格付けランキング」くらいなものだ。それも録画で。あの番組は面白いが、別に正月でなくても好いだろう。

 せめて正月気分を味わおうと、郡山市の和食の名店「らん亭」のおせちを味わいながら、御歳暮で頂いた純米大吟醸を呷るも、やはり普段と代わり映えはしない。それどころか、飲む時間が早い分、寝るのも早かった(笑)  

 やはり正月気分を味わうならば参賀に赴き、靖國神社に詣で、どぜう屋や鮨屋で一献ってのが一番だ。今年は手元不如意の為に断念。先月の天長節では参賀に出向く人が例年よりも少なかった気がしたが、正月の一般参賀と近いからかだろう。

 参賀では隊服や鉢巻で来ている団体が気になった。右翼団体現役の頃は隊員には「正装」を義務付けでいたし、他の団体の光景に違和感を覚えた人は多いだろう。

 陛下がモーニングの正装で御出座しなされるのに、右翼人がノーネクタイや隊服、着流し姿では一般人から見れば奇異に写るだろう。「隊服は我々の正装だ」と言った右翼人もいたが、ならばせめて「国民服」にしたらどうだろう。

 運動の時と御祝い事では違う。着流しというより「笑点」の落語家かと思わんばかりの派手な着物を羽織り、若い衆を率いてた任侠系右翼の代表を見たが、着流しは町人のスタイルであって、武士を気取る右翼人ならやはり紋付の羽織と袴だろう。

 初代総隊長・福田進の父、素顕翁は「愛国者は国民の模範的人物にして指導者たれ」と諭していた。民族派、右翼を自称する者は自らの行動を省みるべきだ。

 ネットでは「街宣右翼は在日ばかりで日本を貶めるものだ」との批判が少なくないが、街宣右翼のパイオニアを自任する防共挺身隊出身者の愚生としては忸怩たる思いに駆られる。中にはそういう輩もいるが、指導者が知らなさ過ぎだ。

 国民意識から乖離していながら、右翼を自任し「啓蒙活動」の真似事などしたところで効果は有るまい。今年は自分に科した謹慎が明けるので、右翼人として新たな運動を模索しようと思っているが、果たしてどうなるものやら。呵呵。

cordial8317 at 10:27|Permalink

2012年01月01日

明けましておめでとうございます!

 新年明けましておめでとうございます。年頭に当り、陛下の弥栄と皇室の弥栄を寿ぎ奉り、併而皆々様方に謹んで新年の御挨拶を申し上げます。 昨年3月11日の東日本大震災は、改めて国民の安全管理と国家の安全保障を考える契機となった。

 被災地の復旧・復興は待ったなしだが、防災も領土保全も同一線上に在るという観点から、これらの妨げになっている現憲法を見直しせずに日本再生はない。

 多くの東北人の尊い命と被災された方々の犠牲を鑑みて、今後の我が国の危機管理と防災及び国防が万全なものとなり、更に高度な対策が構築されて行くことが今回の大震災での犠牲者の無念さに応える唯一無二のものだと考える。

 祖国日本の重苦しい閉塞感と惨憺たる現況を救う為に要用なものは、最早機能していない現憲法を制定過程に遡り無効とした上で、先人の智慧と営為に学び、日本人の手に拠る日本人の為の憲法を制定することこそ喫緊の課題である。

 また同時に、日本国民一人一人の義務として靖國神社に眠る英霊に感謝の誠を捧げることこそ大事だと思う。 我が国の歴史の中でこれ程迄に堕落し、自己犠牲の精神を忘却し、自己本位の享楽にばかりに狂った時代は無いのではなかろうか。

 そんな中でも真保守主義に覚醒し、山積する諸問題を如何に打破し、日本再生の転換点と成すべきと各々の立場で行動する人々が出て来たことは喜ばしい現象だ。

 愚生もしがない右翼浪人ではありますが、この迫り来る祖国日本の危機に対処するべく、粉骨砕身報国活動に奮励邁進することこそが日本再生の道であり、天皇国日本を磐石の安きに置く使命だとの確信を新たにしております。

 さだめなき 世なりと知るも 草莽の一筋の道 かはることなし(野村秋介)

 本年が皆様にとって実りある年と成ります様に衷心より御祈念申し上げます。

 皇紀2672年 元旦 佐久間五郎拝

cordial8317 at 05:59|Permalink

2011年12月29日

今年も色々と有りました

 天皇誕生日前日の22日から怒涛の忘年会というか酒乱会。調子扱いて爆飲し過ぎて体調はイマイチというかイマサン。肝臓値が悪いのは承知しているが、背中も痛いし、揚句は右手の指先が痺れっ放しだし、流石にヤバイと思い昨日と一昨日は休肝日とした。何年ぶりだろう、二日間も飲まなかったのは(笑)

「御用納め」も終え、世間でも冬休みモード。愚生も昨日の午前中に野暮用を済ませ、午後から神棚の注連縄と靖國神社の神札を新しくし、玄関にも新年を迎える正月飾りを付けた。神棚を見ながら、それにしても「今年も色々有ったなぁ」と感慨を覚える。自分的に今年の5大ニュースを挙げてみれば次の通り。

 トップニュースは「東日本大震災」を措いて他にないわな。忘れもしない3月11日の14時46分、国会中継を見ていたら警報と同時に「緊急地震速報」のテロップが流れると、数秒後に大きな揺れに襲われた。直ぐに鎮まるだろうと楽観していたが、揺れは治まるどころか益々大きくなるばかり。老犬を連れ、外に出ようと思ってはみたが、外には大家が。住んでいる借家はペット禁止、仕方なくジッとしていた(笑)

 部屋中の物が散乱した。彼方此方のサッシ戸や窓が勝手に開くし、台所の様子を見れば、愚生自慢の糠漬けが散乱してて手の付け様がない。愚妻と連絡を取るも携帯は繋がらず、余震が続く中、身近なところから片付けをした。

 パートに出ていた愚妻が倅夫婦と孫を連れて帰宅した時には安堵した。原発事故の影響で、少しでも被曝を回避させようと嫁と孫を会津に避難させた。

 2位は、防共挺身隊の行動隊長となった30代から約20年に亘り、物心両面で支援して頂いていた大手警備会社「テイケイ」の高花豊会長が引退したことだ。一代で築いた警備会社を古希を機に第一線から退いた。今迄、高花先生には何かと頼りっ放し、甘えっ放しだったので、右翼人として初心を考える機会となった。

「出世払い」という言葉が在る。長期に亘って人としての成長を見守りながら、物心両面で協力してくれるというものだが、それはその人に夢を賭けていることの証しだ。高花会長の示唆に富んだ話を聞けなくなるのは残念だが、高花先生の期待に応えられる様に日々精進し、本物の右翼浪人に成らねばと思っている。

 3位は、渓流釣りを覚えて3シーズン目で初めて尺イワナを釣り上げたこと。新潟の渓の奥まった淵で大イワナがヒット、流石に慌てて、同道した哲ちゃんに助けて貰った。この時のイワナが33cm、その後も尺イワナをゲットした。今年最大サイズは35cm。1シーズンで尺上3匹と、最高の釣行となった。釣りは止められない(笑)

 4位は、ドリームジャンボで100万円当選したこと。5位は、facebookで交流が広がったことと、パソコンを新調したことだろうか。まぁ来年は、防挺の引退から3年が経つ。自分に非は無いが、自分に課した謹慎・蟄居3年間が終わる。

 右翼活動が岐路を迎えているが、新たな右翼運動の形態を模索しながら微力ながらも天皇国日本を盤石の安きに置くべく右翼道に邁進して行こうと思っている。

 今年一年、拙ブログを閲覧して頂いた友人、知人、警察関係、その他諸々の皆様方に感謝を申し上げると共に、来年が皆様にとって更に好い年と成ります様に御祈念申し上げ、擱筆したいと思います。合掌、佐久間五郎拝

cordial8317 at 06:39|Permalink

2011年12月26日

やっぱり昨夜も大破轟沈(笑)

 昨日は国士舘の後輩の松浦さんが来郡し楽しい酒席となった。東京で会社を経営している松浦さんは、クリスマスの24、25日、福島県いわき市と仙台市で、被災した子供達にクリスマスプレゼントを渡すボランティアをしに訪れたらしい。

 その数も4000個以上、プレゼントを入れる袋も自ら縫ったというから中々出来るものではない。毎日怠惰な生活を送っている愚生に出来るのは精精そんな後輩の慰労くらいなものだ。だが、毎晩というか夕方の4時過ぎには呑んだくれている愚生にとって、19時過ぎの待ち合わせはチョッと辛いものがあった(笑) 

 18時過ぎ自宅を出て、寒風吹き付ける寒さの中、徒歩で駅に向かうも待ち合わせた19時17分には未だ未だ時間が在る。ってな訳で、「THE・BAR」へ顔を出し、シャンパンを二杯飲んでから駅へ向かった。郡山在住で中学校の保健体育の先生をしている国士舘の後輩の羽根田先生も到着し、程なくして松浦さんの登場となった。

 挨拶を済ませ、天麩羅の名店「佐久間」へタクシーを走らせる。佐久間といっても別に親戚ではない。カウンター席を予約してたが、やはり天麩羅はカウンターに限る。後輩二人は生ビールを注文するも愚生はシャンパンを飲んで来たので、地酒「田村」の冷酒で乾杯。普段はお好みで注文するが面倒なのでコースにした。

 車海老から順に出されるが、最後の天茶漬けに至るまで絶品で、昔は駅前に在ったので気軽に来れたが、今は引っ越してしまったので久しぶりに堪能出来た。

 勘定を済ませ、駅前に繰り出しさっきの「THE・BAR」へ。郡山市内でロックンロラー向けの洋服などを販売している我妻さんも合流。我妻さんも国士舘だし、盛り上がらない訳はない。我妻さんがこの日に誕生日だったのでシャンパンで乾杯。

 その後は羽根田さんの注文したカクテルを呷る。この辺りから記憶が途切れ途切れとなった。バーボンソーダを飲んだ記憶もある気もしないでもない(笑)

 三軒目は我妻さんの知人の店へ。店の名前も何を何杯飲んだのかは知らない。強か飲んで、松浦さんをホテルに送り、何故か仕上げに「魚紋寿司」へ顔を出した。

 何を飲んで、何を食べたのかも記憶にない。自宅に戻って、気付いたら土産のちらし寿司が紙袋の中でひっくり返っていてが、夜食にしたのは薄っすら覚えている。

 今朝方、「やばい、寝過ごした。かみさんの弁当作らなきゃ」と目覚めた時には既に9時近くで、かみさんはとっくに出かけていなかった。いやぁ申し訳ない。

 着ていた服もハンガーに吊るしていたし、持ち物も何時もの場所へきちんと置いて在った。ただ、財布の中身を見れば外の気温と同様に寒いものになっていた。そういや今日も飲み会なんだよなぁ。愚生が言うのも何だが、忘年会は控えめに。呵呵。

cordial8317 at 12:14|Permalink

2011年12月24日

「天長節」と「靖國神社」と「大破轟沈」

 一昨日の夕方上京し、友人の奥村女史と西川口の話題の天麩羅屋「天心」で待ち合わせるも、不景気なのか移転したのか店は無く、急遽、モツ焼の名店「米山」の在る赤羽へ。「米山」は完全2回の入れ替え制で、1回目の18時15分頃に間に合わないと2回目の20時半頃まで待つ羽目になる。どうにかぎりぎり間に合った。

 寒風の中、店の外での一献。「レバーとタンの生、ハツ、カシラ、ハラミの半焼き、つくね、ねぎロース、水餃子、マカロニサラダ、あっさり煮込み、肉豆腐」などを注文し、店主がその順番で出して来る。ホッピー、グレハイ(グレープフルーツ割り)、トマハイ(トマトジュース割り)を呷り。約2時間、強か呑んで御勘定。

 奥村女史が、「チョッとマニアックな店へ行かない」と「めだか」という店へ向かうも、チョッとその前に串揚げ屋で「餅の串揚げ」などで生ビールとオロナミンC割りを飲んでから「めだか」へ。オカマの店には何度も行ってるが、こんなブサイク、いやいやこんなマニアックなオカマを見るのは久しぶりだ(笑)

 カラオケと会話で盛り上がる。2時間ほどで店を後にし、西川口の「JOI」へ転戦。この店もニューハーフの店だが「めだか」よりはずっとマトモなオカマだ。翌日は一般参賀だというのに調子に乗って午前3時近くまでやってしまった(猛省)

 岡山から参賀に来る国士舘大学の同級生の高杉さんと丸の内中央口で待ち合わせ。錬心舘の松尾先輩も同道し、皇居へ向かった。例年より参賀する人が少なかったのは寂しいが、自然発生的に皇居へ向かう方々を目にし、日本も未だ未だ捨てたものじゃないと感心する。一回目の御出座しに間に合い、「聖壽萬歳!」

 参賀続いて徒歩で「靖國神社」へ向かった。毎回、本殿参拝前に「鎮霊社」へ詣でるが、鎮霊社は本殿に祀られていない所謂賊軍だった方々が祀られている社だ。戊辰戦争で亡くなった福島県の先人に、大震災からの神助を祈願する。

「遊就館」を気忙しく参観し、直会は、浅草の「駒形どぜう」へ。前日というか、朝方の3時まで飲んでたので酒が未だ残ってたが、松尾先輩は焼酎のお湯割りで、高杉さんと愚生は升酒で乾杯と相成った。「男同士で飲む酒は忽ち通う意気と熱」というが愉しい酒席となった。 2時間ほどで店を後にし、再会を約束して別れた。

 帰りの新幹線では爆睡してしまい、あっという間に郡山到着した。安着祝いにいつもの「春鮨」で一杯やろうとも思ったが、自宅へ帰り、そのまま寝てしまった。

 明日は、福島と宮城県の被災した子供達にクリスマスのプレゼントを配るという国士舘の後輩の松浦さんが来訪する。こうした活動を行っている松浦さんにはホント頭が下がる。明後日は梅本兄と郡山女子大学教授のO先生らとの一献の予定だし、畏友の言葉を借りれば、またまた「大破轟沈」するのは間違いない(爆)

cordial8317 at 08:42|Permalink

2011年12月20日

金正日頓死で「哀悼の意」を表したアホ政府

 北朝鮮の独裁者金正日が頓死した。今迄も「死亡説」が飛び交ったが、今回の死亡の報は間違いなさそうだ。死亡した日は、先週末の土曜日に京都で日韓首脳非公式会議が行われた日だというから奇遇と言えば奇遇だが、笑えない対応だわな。

 日本政府と韓国の情報能力は世界から嘲笑されかねないレベルだ。「金正日死亡」の情報を入手してたら会談は行われない可能性もあっただろうし会談の内容も別のものになっていただろう。李明博にしても「日本政府が応じなければ慰安婦像をあと2、3個造るぞ」なんて恫喝してる場合じゃなかっただろうに(苦笑)

 日本政府は金正日死亡の報に接し「哀悼の意」を表明した。日本人の道徳観からすればどんな人も死ねば同じだろうが、もう少し言い方を考えたらどうなのだ。

 国家の方針として「国際テロ」や「拉致」を実行したのは北朝鮮も認めているし、麻薬や覚醒剤を生産して密輸して薬物中毒患者を殖やし、ニセ札をばら撒く「犯罪国家」や「ヤクザ国家」のボスだという認識はないのだろうか。

 マスコミも、金正日の頓死などテロップで流す程度で十分なのに、国民に金正日のカリスマ性でも植え付けるつもりか。リビアのカダフィやイラクのフセイン、チェコのチャウシェスクら独裁者が死亡した際には「遺憾の意」を表したか?

 独裁者の金正日の訃報に接して「遺憾の意」とはどういうことなのかか。北朝鮮に日本人同胞が拉致されてるのに「哀悼の意」とは頭が捻じれてるんじゃねぇのか。

 北朝鮮は正式名称「朝鮮民主主義人民共和国」というが、民主主義でも人民の国でもない。人民の貧困や餓死者が出ても歯牙にも掛けず、ミサイルを開発しては日本上空を飛行させ、核開発の疑惑を持たれても懲りずに軍事力増強に狂奔している社会主義に内在した金一族の世襲全体主義に物申すべきではないのか。

 北朝鮮如きに媚びる必要は全くない。日韓首脳会談で無礼千万な対応に終始した李明博然り、朝鮮人には日本的美風あんてのは通じないということを知るべきだ。

 小泉純一郎総理が訪朝した平成14年(2002年)、金正日は日本人拉致を認めて謝罪した様に、拉致の責任はこの金正日に在るのは明らか。朝鮮半島情勢が激変するかもしれない今こそ、拉致被害者救出の千載一遇のチャンスとも言えよう。

 金正日の死亡で、後継者の金正恩には全拉致被害者を帰国させる大英断を実行して欲しいものだが、親父に輪をかけて如何にも性格が悪そうな人相風体だし、三代目の親分に就任したところでそうした甘い期待を抱くのは危険だろうな。

 我が国周辺を見渡せば台湾や沖縄及び尖閣列島を虎視眈々と狙う中国共産党の策謀に嵌り、「東アジア大交流時代」だとか「沖縄ビジョン」だとか、更には左翼勢力に拠る「米軍基地反対運動」は激しさを増し、中共の御先棒を担いでいる。

 こんなことでは、拉致問題は解決するどころか更に手を拱き、我が国土は不良外国人に蚕食され続けることだろう。金正日が死亡した今こそ、危機管理を疎かにすることなく、国家の安全保障の確立と自衛軍備強化を急がねばならない。

cordial8317 at 05:10|Permalink

2011年12月18日

「慰安婦問題」を強請りタカリとばかりも言ってはいられない

 昨日、京都で行われた日韓首脳非公式会談で両首脳は「歴史を直視し未来志向で日韓関係​発展に努力する」との方針で一致したが、歴史を直視しないの​は韓国だ。

 韓国政権を揺るがす様な問題が起こると「反日」を叫び、日韓併合の歴史的事実を理解することなく「日帝支配36年」とほざいて思考停止状態に陥り、我が国が反論すれば「全くのデタラメ」と聞く耳も持たないのは民族性だけではないのかもな。

 李明博大統領は、野田佳彦総理に「慰安婦問題での政治的解決を求める」などと言ったらしいが、コレっていつもの支持率回復の為のパフォーマンスに過ぎない。韓国側がこうした強請り、タカリに奔るのは朝鮮人の人品の低さも然ること乍ら、歴代日本政府の事勿れ主義や弱腰外交が要因になっていることは否定出来ない。

 朝日新聞が捏造した慰安婦問題を、自民党の宮沢内閣下で、河野洋平官房長官が談話を発表し韓国人慰安婦を付け上がらせる原因を作り、村山談話で火に油を注ぎ、その後の自民党政権下でもこれらの談話を撤回せず黙認し、民主党政権誕生で鳩山由紀夫が「国家補償」を約束し、前原誠司が「戦後賠償支援」を言及した。

 慰安婦問題は捏造であるのだが、日本側が国家として「謝罪」も「約束」もしてしまっている訳だから、韓国にしてみりゃカネを要求するのは当然のこと。単なる強請り、タカリと言ってもいられない現実が厳然と存在してしまっているのだ。

 戦後、日本外交は「謝罪」と「賠償」さえしていれば問題ないと思っていたのは確か。外交での譲歩は更なる譲歩を生むだけで、こうした土下座外交は、国民の誇りや自尊心を傷付けるものである。歴代の不作為犯と売国議員こそ一掃すべし。

 我が国は日清戦争当時から掠奪と強姦を軍律で厳しく規定し、日露戦争もその後の支那戦線も大東亜戦争でも然りで、規律を破った者は厳しく処罰された。

 然し、生きるか死ぬかの戦場で若い兵士に我慢を強いるのは逆に統率を失うと、街に在る「遊郭」で息抜きをさせた。その遊郭で働いていたのが慰安婦。当時は売春は合法であり、売春婦が戦場迄出張ることは当時では当り前の光景だった。

 戦場に遊郭を建て、兵士に息抜きをさせるのは肝心で、強姦といった性犯罪を防ぎ、相手民族の尊厳を最低限保つことでも有意義だった。こうした日本人の配慮を知らずして、高給に集った売春婦を「従軍慰安婦」と称し、恰も軍が関与し、朝鮮人の女性を強制連行し「性奴隷」にしたとは言語道断と言わざるを得えない。

 1951年から1961年の10年間、韓国の「東亜日報」にUN(国連)軍相手の慰安婦募集の記事が載っている。韓国に駐留する国連軍に、韓国が国家として慰安婦の提供をしていた事実を報じたものだが、集まった売春婦こそ従軍慰安婦ではないのか。

 これこそ韓国こそが国ぐるみで他国の軍隊に慰安婦を斡旋している決定的証拠だろう。今や慰安婦が売春婦というのは韓国人でも分かっているだろうに(苦笑)

 自称従軍慰安婦だったという老婆がインタビューで、「日本軍から銃を突き付けられ『慰安婦にならなければ、殺して釜茹でにして食ってやるぞ』と言われた」というビデオを見た。だが、残念ながら日本には、老婆が言う様な「人肉食習慣」はない。

 コレは自分達の風習を日本人も同じ様にやっていると思って仮託した「同一化虚言」の一つなのだ。コレ以上、朝鮮人の嘘に付き合うのは止めて頂きたいものだ。これ以上の我が国の英霊や先人への冒涜を許してはならない。

cordial8317 at 06:32|Permalink

2011年12月15日

「慰安婦問題」「南京事件」の背後にいるものは米国だ

 韓国領域で韓国海洋警察隊員が殺傷された問題で、韓国と中共の関係が不穏になっている。まぁ日本にしてみりゃ高みの見物と極め込みたいものだが、そう安穏とはしてはいられない。何故なら連中は「反日」で団結するだろうから(苦笑)

 韓国がソウルの日本大使館前に慰安婦像を建立し「撤去して欲しいならカネをくれ!」と恥も外聞もなく強請りタカリをしているが、中共も南京陥落の日に合わせ、南京事件を描いた「ザ・フラワーズ・オブ・ウオー」の制作発表を行った。

 主演した米国人俳優のクリスチャン・ベイルは、同作品は「反日のプロパガンダ映画ではない」と主張している。尤もこんな映画は中国人でも観ないだろう。

 ベイルが、南京に進攻した日本軍の残忍な略奪行為から少女や売春婦らを守ることになる米国人を演じていることからも、確かにベイルの言う様に「反日プロパガンダ」映画ではなく、単なるフィクションの娯楽映画か。

 中国軍と日本軍の戦闘シーンや、日本兵による中国人女性のレイプや殺害のシーンばかりらしく、国内の反日感情を煽り、凋落する中国共産党の威信を確保したいのだろうが御粗末過ぎる。 抑抑、「南京事件」など存在していない。

 戦後、米国の原爆投下が問題となるや、日本軍も30万人も虐殺していたぞと言わんとばかりに世論のすり替えが得意な米国がでっち上げたものなのだ。

 南京事件は「ラーベ日記」などが証拠とされている。昭和12年12月に日本軍が南京を占領した時に南京に残っていた欧米人15人で組織された「安全区国際委員会」の委員長がジョン・ラーベった。ラーベは、南京住民保護に当たった人道主義者であり「中国のシンドラー」として讃えられてはいるが実際はどうだったか。

 ラーベはドイツの電機メーカー「ジーメンス」の南京支社長で、当時のドイツは、蒋介石政権に軍事顧問団を送り込み、中国軍の近代化を指導すると共に、ドイツ製の武器を大量に売り込んでいた武器商人でもあった。

 産業連盟ぐるみで輸出を行い、支那はドイツの第一のお得意様でジーメンスもその中心メーカーで、蒋介石と親密な関係を持つドイツのラーベが安全区国際委員会委員長に選ばれたのは当然の成り行きだったと言える。

 軍事顧問団のファルケルハウンゼン将軍は蒋介石に、日本に対する先制攻撃を提案していた位だから、ラーベが反日的で支那人に同情的だったのは想像するに余りある。従って「ラーベ日記」には日本軍に対する極めて悪意的な描写が多い。

 あの狭い「安全区」に20万人の市民がいたが、そこを自由に行き来していたラーベ。それでも日記にはたったの一件も殺害を見たとは書いていない。 全ては「こう言っている」「ああ言っている」という伝聞ばかり。

 事実、国際委員会の公式記録「南京安全区の記録」には南京の人口はずっと20万人だったと書いてあるが、ラーベは、ヒットラーへの上申書で、5~6万人の民間人が殺されたと虚偽の報告をした。要するに南京事件とは、「ラーべ日記」やヒットラーへの上申書を証拠に捏造されたものであり、全くの事実無根なのだ。

「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」は存在せず、この問題の背後にいるのは実は米国なのだ。「南京事件」や「慰安婦問題」などの解決は、対中韓ではなく米国へ抗議すべきで、それには米国依存の体制や戦後占領政策を見直すことが肝要である。

cordial8317 at 07:43|Permalink

2011年12月14日

慰安婦像は日本の恥というより韓国の恥だよ(笑)

 余程のバカじゃない限り、朝鮮人が主張している様な「何十万人という朝鮮人の乙女が強制連行され慰安婦にされた」などとの虚言を信じている人はいない。今や小中華宜しく笑中華・韓国の虚言症は本家の中共をも凌ぐ勢いだ。

「嘘も吐き続けると真実になる」とはよく言ったもので、これらの虚言に何ら反論もせずに、揚句に同調する日本人がいることには開いた口が塞がらない。

 先日、「青き狼(地果て海尽きるまで)」というモンゴル帝国を創ったチンギスハンの角川映画を観た。今一つパッとしない作品だったが、この映画の戦いでも「戦利品は女性だ」と描いている。征服の定義は掠奪と強姦だったのだ。

 7世紀に興ったイスラムでは「略奪」は正しいと教え、最高の戦利品は「女」だった。女を奪い犯すことは、その国家と民族の純粋性を奪い獲り、征服者の血を入れることで征服が完了する。斯くして世界中の民族と国家は万古不偏として、この「掠奪と強姦」の定義に従って戦争して来たと言っても過言ではない。

 第二次世界大戦末にベルリンに侵攻したロシアは、僅か半年の間に13万人のドイツ女性を強姦し1万人が孕んだ。そのうちの8千人は堕児処置を施すもののが2千人の混血児が生まれた。モンゴル帝国は13世紀欧州へ攻め込み、イランやロシアに混血児を残した。生まれた子にモンゴル系の血が出るとその子は社会から排斥された。

 米国人もロシア人と同じで、第二次世界大戦に参戦すると英国人400人を強姦した。欧州戦線では1万4千件の強姦を記録している。無条件降伏した日本では米国人もロシア人も残酷に振舞った。民家に押し入り妻や娘を強姦し抵抗すれば躊躇なく殺した。調達庁の記録では実に2千600人を超える日本人女性が殺されている。

 そんな掠奪と強姦の世界の鬼畜どもとは違い、日本軍だけは日清戦争の昔から掠奪と強姦を軍律で厳しく規定した。日露戦争もその後の支那戦線も、大東亜戦争でも然りで、その規律を破った者は厳しく処罰された。

 然し、生きるか死ぬかの戦場で若い兵士に精神的肉体的我慢を強いるのは逆に統率を失うということで、街に在る「遊郭」で息抜きをさせた。その遊郭で働いていたのが慰安婦で、売春婦が戦場迄出張る事は当時当り前のことだったのだ。

 映画「エデンの東」に、開拓時代にワゴンで売春婦が街を巡回するシーンが在るが、アレと同じだ。戦場に遊郭を建て兵士に息抜きをさせるのは肝心で、性犯罪を防ぎ、相手民族の尊厳を最低限保つ事でも有ったのだ。

 こうした日本人の配慮を知らずして、高給に集った売春婦を「従軍慰安婦」と称し恰も軍が関与し、朝鮮人の女性を強制連行し「性奴隷」にしたとは言語道断。では、韓国に聞くが、1951年から1961年にかけ「東亜日報」にUN軍相手の慰安婦募集の記事が載っている。これはそれこそ従軍慰安婦だろう。

 韓国に駐留する国連軍に韓国が国家として慰安婦の提供をしていた事実を報じたもので、韓国こそ国ぐるみで他国の軍隊に慰安婦を斡旋しているのではないのか。

 従軍慰安婦が嘘だとは朝鮮人でさえも判っているのに日本政府は沈黙を続けるだけ。「日本大使館前の碑を建てられたくなければ要求を呑め!」とは単なる強請り。歴代の日本政府が譲歩して来た結果が更なる不当な要求を生んでいる。

 強請り、タカり、恩知らずの韓国は、文化の違いというより、人品の違い、朝鮮人には言葉足らずの日本的美風は通じない。500年以上も前の豊臣秀吉の朝鮮征伐をも責める韓国には、論拠を示して、毅然と対応するべし。

cordial8317 at 06:42|Permalink

2011年12月08日

大東亜戦争勃発から70年に想う

 大東亜戦争勃発から今日で70年の節目を迎えた。未だに左翼勢力は、大東亜戦争を「侵略戦争」であり、アジアの人々に多大の迷惑を掛けたと罵り、戦争の原因を天皇であるとか、軍部であるとか、A級戦犯であるなどと喧伝しているのは、無知に加えて、先の大戦が起きた原因や犯人を隠し続けたいからだろう。

 戦争犯罪人は大日本帝国憲法でもなく、統帥権でもなく、況して軍部でもなければ日本の軍国主義でもない。真の戦争犯罪人は近衛文麿と尾崎秀美らそのブレーン達、即ち日本国内で蠢いていた共産主義者らである。

 マルクス・レーニン主義思想が昭和の悲劇を生んだ。多くの戦死者、戦災者を出し、日本の資産の大部分を失った大東亜戦争とは、ソ連コミンテルンと中国共産党、そして日本の共産主義者が仕組んだ共産革命の為の愚かな戦争だったのだ。

 米国では、12月7日(現地時間)を汚名の日「リメンバーパールハーバー」とし、日本を卑怯な国として糾弾して止まない。70年経った今でも依然として我が国は「騙まし討ちをした卑怯な国」との汚名を着せられ続けている。

 汚名を着せられた原因は、駐米日本大使が宣戦布告の覚書を渡し遅れた職務怠慢に他ならないが、抑抑、何故、開戦を決意し、真珠湾攻撃に至ったかが問題で、それには1853年のペリー来航時代迄遡らなければ到底理解は出来まい。

 我が国は黒船に驚き乍らも、強力な中央集権国家を形成しようと明治維新の大業を成し遂げる。15世紀の大航海時代以来、白人による世界制覇の波がアジアにも押し寄せ、アジアは次々と列強に蚕食され植民地となって行った。

 その間に勃発した「日清・日露戦争」も避けては通れない宿命的な歴史だったのだ。「日清・日露戦争」での日本大勝利の報は、固唾を呑んで見守っていた世界の人々を驚嘆させ、特に有色人種に与えた影響は強烈だった。

 日露戦争勝利から15年後、パリ講和会議で我が国は、「人種平等の原則」を国際連盟規約に載せることを提案する。然し、議長を務める米国大統領ウイルソンが拒絶し否決されてしまう。白人優位主義から「日本を始めとした有色人種に人権など必要無い」との人種差別が会場に横溢していたのは明らかだった。

 その後、世界は第二次世界大戦に突入し、我が国はABCD包囲網や最後通牒を突き付けられ、我が国が生き残る道は連合国との戦争しかないとの決断に至る。

 戦後の1951年(昭和26年)、上院軍事外交委員会でマッカーサー元元帥が、「日本が戦争に飛び込んで行った動機は、安全保障の必要に迫られた為である」と告白している様に、日本は決して騙まし討ちも、侵略もしていない。

 結果として我が国は敗れはしたが、大東亜戦争後、アジアの国々は独立を果たし、「人種平等の原則」は成立した。その事実をしても、如何に大東亜戦争が有色人種の地位向上と植民地解放を目指した「聖戦」だったかが理解出来よう。

 昭和20年9月2日、戦艦ミズーリの甲板上で、重光葵外相と梅津参謀総長が降伏文書に調印する。上海爆弾事件で右足を失った重光全権は、ステッキを頼りに義足を引き摺りながら喘ぎ喘ぎ上った。調印を前に一杯の水を所望するが、米国側に冷たく拒否された。卑怯者の「ジャップ」にやる水などないという憎悪が目に見える。

 今も糾弾して止まない「リメンバーパールハーバー」も、結局は米国の日本人への偏見と差別であり、先の大戦を反省すべきは我が国ではなく米国である。

 12月8日は、国士舘大学の先輩で防挺時代の兄であり、親であり、同志であった對馬則政の命日でもあり、やはり12月8日は忘れられない。 合掌再拝

cordial8317 at 05:44|Permalink

2011年11月30日

「袴田事件」を知っていますか?

 先日「BOX(袴田事件 命とは)」という映画を観た。「こんな不条理が在っても良いのだろうか」と言うのが正直な感想だ。警察や検察の正義が在るということを信じている一人だが、この映画を観たらそんな考えは吹っ飛んだ。

「袴田事件」とは、昭和41年6月30日未明、静岡県清水市(現静岡市)の味噌製造会社の専務宅から出火し全焼。焼け跡から一家4人の死体が発見され、その後、味噌工場の二階の寮に住み込みで働いていた袴田巌さんが逮捕された。

 証拠品は、微量の血痕が付着したパジャマのみ。物的証拠が乏しい中で、長時間の過酷な取調べに耐え切れず、袴田さんは終に自白してしまった。

 一審の公判中の昭和42年8月31日、工場内の味噌タンクの中から麻袋に入っていた血痕の付着した衣類が発見され、パジャマから一転しこの衣類が証拠となった。

 パジャマの血痕。味噌タンクに1年も入っていたとは思えない衣服。犯行時に使用したと言われる切り出しナイフなど、誰が見ても不可思議な物的証拠が提出された。

 明らかなでっち上げだったが、摩訶不思議なことに昭和55年に上告が棄却され死刑が確定した。翌年、静岡地裁に再審を申し立てるも、平成6年にまた棄却されてしまった。現在は、東京高裁第二刑事部に即時抗告審継続中である。

 冤罪を生む理由には、警察の固定観念と捜査の杜撰さや自白の強要や捏造、証拠品の不確かな鑑定など様々だろう。今の時代は科学捜査が当たり前になっているが、一昔前には信じられない様な驚く鑑定が相次いだのも事実だった。

 昭和24年、弘前大学の松永藤雄教授宅で教授の妻が何者かに咽を斬られ殺されるという事件が起きた。事件後、教授宅の近所に住む那須隆という男が逮捕された。

 那須の着衣から血痕が見つかり、それを証拠に犯人と断定され実刑判決を受けた。彼は犯行を否認していたが、起訴された。検事らのメンツもあって、「犯人は反省も無い」との理由から15年の刑を丸々務めることになった。 

 那須さんが釈放されて間もなく「弘前大学教授夫人殺害は自分だ」と、滝谷福松という男が名乗り出る。彼の証言に由れば、教授宅はミシン修理に行って面識もあり、犯行時の詳細を供述した。紛れもなく滝谷福松の犯行だった。

 15年の刑を終えた那須さんは早速仙台高裁に再審請求する、だが何故か高裁は棄却した。2年後、那須さんが再審請求すると今度はあっさり受理され、無罪判決が出た。鑑定の結果、「当時証拠とされた着衣の血痕は別の者のだった」という。

 真犯人も逮捕されて、そんな証拠品などは警察がでっち上げたことは始めから判りきっているのに、何故に2年前には再審請求が却下されたのか。何のことはない、血液鑑定を行った古畑種基東大教授が生きていたからだった。

 要は、事件の事実の解明より、科学捜査研究所所長も務め文化勲章を授与された古畑教授の名誉が優先された。古畑が鬼籍に入りると無罪判決を得るが、こんないい加減な鑑定や判決が当たり前の様に行われていたという事実に驚きは隠せない。

「袴田事件」を担当した紅林麻雄は拷問による尋問や、自白の強要、供述調書の捏造など、自己の先入観に拠る杜撰な捜査方法の常習者だったという。

 二俣事件」「幸浦事件」「小島事件」など、紅林が主導した捜査での行き過ぎが指摘されている。その紅林もバチが当たったのか脳梗塞を患い鬼籍に入った。

 冤罪を生む元凶は、捜査に携わる人間の驕りや傲慢さ、更には、間違いを認めず、屋上屋を架すからだろう。「過ちて改めざる此れを過ちという」諺も在るし、「過ちては即ち改むるに憚ること勿れ」とも言うではないか。

 今からでも遅くはない、真犯人は勿論のこと事件を知る関係者は名乗り出て真実を語って欲しいものだ。袴田巖さんの健康を祈るばかり。

※コメントは煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント入力希望の方や御意見、メッセージは mr.cordial@live.jp へ御気軽にどうぞ。

〈会費&御支援〉みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 15:13|Permalink

2011年11月27日

「女性宮家論」は所謂「天皇制廃止運動」の一環である

 何故にこのタイミングなのか。陛下の御退院に合わせた如くの報道を訝しく思っている国民は多い。小泉政権下で議論された「女系天皇問題」は、秋篠宮悠仁親王殿下の御生誕で沈静化された。だが、何故、又候「女性宮家」の創設なのか。女性宮家を創設したところで一般男子から皇族になろうとする国民が出るとも思えない。

 皇族の数を云々言うならば、皇室典範第12条の「皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」を見直すよりも、同15条の「皇族以外の者及びその子孫は、女子が皇后となる場合及び皇族男子と婚姻する場合を除いては、皇族となることがない」との条項を改正し旧皇族の皇籍復帰を成すべきだ。

「女系天皇問題」が活発に論議されていた平成17年、女系天皇容認論に対して、三笠宮寛仁親王殿下が会長を勤める福祉団体「柏朋会」の会報「ざ・とど」で、公なものではない私的な見解と前置きした上で、女系天皇に明確に反対し、旧皇族の皇籍復帰などを求めているが、この殿下の意見こそ隻眼を有するものである。

 寛仁親王殿下は「世界に類の見ない我が国固有の歴史と伝統を平成の御世でいとも簡単に変更して良いのか」と当時の女系天皇論を批判し、また「万世一系125代の天子様の皇統が貴重な理由は、神話の時代の初代神武天皇から連綿として一度の例外も無く、『男系』で続いて来ているという厳然たる事実」と主張した。

 その上で、男系継承を維持する為の方法として、皇室典範を改正して、歴史上の幾つかの方法論を提起している。

 1.臣下降下された皇籍離脱した旧皇族の皇籍復帰。

 2.現在の女性皇族(内親王)に旧皇族(男系)から養子を取れる様にし、その方に皇位継承権を与える。(差当たり内廷皇族と直宮のみに留める)

 3.元皇族に廃絶になった宮家(秩父宮・高松宮)の祭祀を継承して戴き、宮家を再興する。(将来の常陸宮家・三笠宮家もこの範疇に入る)

 4・として、嘗ての様に「側室」を置くという手も有りますが、国内外共に今の世相からは少々難しいかと思うと述べられている。

 最後に親王殿下は、「陛下や皇太子様は、御自分達の家系の事ですから御自身で、発言される事はお出来になりませんから、民主主義の世であるならば、国民一人一人が、我が国を形成する『民草』の一員として、2665年の歴史と伝統に対しきちんと意見を持ち発言をして戴かなければ、いつの日か、『天皇』はいらないという議論にまで発展するでしょう」と結んでいる。皇族の方の意見は重い。

 又候、蠢き出した「女性宮家」論は、「天皇制廃止運動」の枢要な柱として、昭和40年(1970年)代半ば頃に、純然たる共産主義者が発案したもので、1932年に出された、ソ連共産党から日本共産党への「命令書(コミュンテルンテーゼ)」の命令遂行であり、「皇族の数が少ないから」との理由は付けたりに過ぎない。

「女性宮家論」は断固として反対するべき愚論である。男系男子に限定する皇位継承や宮家を「女性が天皇になれないのは可笑しい」だとか「女性宮家がないのは女性差別」だと絶叫しているのは、「男女共同参画社会」を成立させた名うての売国奴どもである。男女共同参画社会とはその名の通り「共産(共参)社会」の実現である。

「女性宮家」「女系天皇」論は、その精神異常者らが煽動している所謂「天皇制廃止運動」であり、日本解体工作である。政府民主党や自民党からこうしたものが提起されること自体、我が国は想像以上に国柄が破壊されてしまっている様に感じる。 国民よ、国内に巣食う左翼売国勢力に騙されてはならない!

cordial8317 at 06:03|Permalink

2011年11月25日

危急存亡の秋、今こそ三島由紀夫の精神を想起せよ!

 昭和45年11月25日、三島由紀夫は、森田必勝ら楯の会のメンバーと共に、市ヶ谷駐屯地に於いて米国依存体制からの脱却を訴え、壮絶な死を遂げた日である。本日11月25日は「憂国忌」や「野分祭」など全国で三島、森田両烈士の追悼が行われる。

 現在の我が国の現状を見渡せば、政治の混乱と機能不全、経済の停滞と低迷、社会の沈滞と退廃と重苦しい閉塞感が我が国全体を覆い尽くしているが、凡そ、我が国歴史の中でこれ程までに堕落した時代はないのではなかろうか。

 これらの諸問題を打開し日本再生の転換点とすべきかは、正に政治家を始め、国民一人一人が三島、森田烈士の憂国の至情を想起し行動に移すことだろう。

 三島は「文化防衛論」の中で、「もし革命勢力、ないし容共政権が成立した場合に、例えたった一人の容共的な閣僚が入っても、もしこれが警察権力に手を及ぼすことが出来れは、忽ち警察署長以下の中堅下級幹部の首の挿げ替えを徐々に始め、或いは若い警官の中に細胞を潜ませ、警察を内部から崩壊させるであろう」と論じた。

 民主党政権下に於いて、「永住外国人地方参政権」や「戦時性的強制被害者法案」「夫婦別姓」「戸籍法改悪」「人権救済機関の設置」「日教組主導の教育関連政策」「外国人住民基本法案」「男女共働参画社会」「ジェンダフリー」「子ども権利条例」「無防備都市宣言」「女性天皇論」など亡国的な政策実行が謀られている。

 今、正に我が国の現状は三島が危惧した、行政権にカタチを変えた共産主義が入り込み、国内外に様々な悪害を及ぼし、我が国を破滅の道に導いている。

 三島はこうした事態に対し、「我々はあらゆる革命に反対するものではない。暴力的手段たると非暴力的手段たるとを問わず、共産主義を行政権と連結せしめようとするあらゆる企画、あらゆる行動に反対するものである。この連結の企画とは、所謂民主連合政権(容共政権)の成立及びその企画を含むことを言うまでもない。名目的たると実質的たるとを問わず、共産主義が行政権と連結するあらゆる態様に我々は反対するものである」 と訴えているが、コレは別に共産主義だけではなく自民党こそ肝に銘じるべきで、あらゆる亡国的企画・政策と対峙して行かねば成らない。

 三島は「檄文」で、「我々は戦後の経済的繁栄に現を抜かし、国の大本を忘れ国民精神を失い、本を正さずして末に走りその場凌ぎの偽善に走り、政治は自己保身、権力欲、偽善のみに捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されず誤魔化され、日本人自ら、日本の歴史と伝統を潰して行くのを歯噛みしながら見ていなければならなかった・・・」と悔しさを滲ませて語っている。

 旧来の思想や社会構造を打破しようとする時に常軌を逸した行動が生まれる。その行動こそが三島由紀夫の正気の狂気であり、この狂気こそが閉塞感を打破する力に成り得るのだ。危急存亡の秋、今こそ三島由紀夫の精神を想起すべし!

 《三 島 由 紀 夫 演 説 文》

 私は、自衛隊に、この様な状況で話すのは空しい。
しかし乍ら私は、自衛隊というものを、この自衛隊を頼もしく思ったからだ。
こういう事を考えたんだ。しかし日本は、経済的繁栄に現を抜かして、
ついには精神的にカラッポに陥って、政治はただ謀略・欺傲心だけ………。
これは日本でだ。ただ一つ、日本の魂を持っているのは、自衛隊で有るべきだ。

 我々は、自衛隊に対して、日本人の………。
然るにだ、我々は自衛隊というものに心から………。
静聴せよ、静聴。静聴せい。

 自衛隊が日本の………の裏に、日本の大本を正して良い事はないぞ。

 以上を我々が感じたからだ。それは日本の根本が歪んでいるんだ。
それを誰も気が付かないんだ。
日本の根源の歪みを気が付かない、それでだ、
その日本の歪みを正すのが自衞隊、それが………。 静聴せい。静聴せい。

 それだけに、我々は自衛隊を支援したんだ。
静聴せいと言ったら分からんのか。静聴せい。

 それでだ、去年の十月の二十一日だ。何が起こったか。
去年の十月二十一日に何が起こったか。去年の十月二十一日にはだ、
新宿で、反戦デーのデモが行われて、これが完全に警察力で制圧されたんだ。
俺はあれを見た日に、此れはいかんぞ、
此れは憲法が改正されないと感じたんだ。

 何故か。その日を何故か。それはだ、自民党というものはだ、
自民党というものはだ、
警察権力を以て如何なるデモも鎮圧できるという自信を持ったからだ。

 治安出動は要らなくなったんだ。治安出動は要らなくなったんだ。
治安出動が要らなくなったのが、既に憲法改正が不可能になったのだ。
分かるか、この理屈が………。

 諸君は、去年の一〇・二一から後だ、
最早憲法を守る軍隊になってしまったんだよ。
自衛隊が二十年間、血と涙で待った憲法改正ってものの機会は無いんだ。
もうそれは政治的プログラムから外されたんだ。
終には外されたんだ、それは。
どうしてそれに気が付いてくれなかったんだ。

 去年の一〇・二一から一年間、俺は自衛隊が怒るのを待ってた。
もうこれで憲法改正のチャンスはない!自衛隊が国軍になる日はない!
建軍の本義はない!それを私は最も嘆いていたんだ。
自衛隊にとって建軍の本義とは何だ。日本を護る事。日本を護るとは何だ。
日本を護るとは、天皇を中心とする歴史と文化の伝統を護る事である。

 お前ら聞けぇ、聞けぇ!静かにせい、静かにせい!
話を聞けっ!男一匹が、命をかけて諸君に訴えてるんだぞ。
いいか。
いいか。

 それがだ、今日本人がだ、此処でもって立ち上がらなければ、
自衛隊が立ち上がらなきゃ、憲法改正ってものは無いんだよ。
諸君は永久にだねえ、唯アメリカの軍隊になってしまうんだぞ。
諸君と日本の………アメリカからしかこないんだ。

 シビリアン・コントロール………
シビリアン・コントロールに毒されてんだ。
シビリアン・コントロールというのはだな、
新憲法下で堪えるのが、シビリアン・コントロールじゃないぞ。

 ………そこでだ、俺は四年待ったんだよ。
俺は四年待ったんだ。自衛隊が立ち上がる日を。………
そうした自衛隊の………最後の三十分に、
最後の三十分に………待ってるんだよ。

 諸君は武士だろう。諸君は武士だろう。
武士ならば、自分を否定する憲法を、どうして守るんだ。
どうして自分の否定する憲法のため、
自分らを否定する憲法というものにペコペコするんだ。
此れが在る限り、諸君てものは永久に救われんのだぞ。

 諸君は永久にだね、今の憲法は政治的謀略に、
諸君が合憲だかの如く装っているが、自衛隊は違憲なんだよ。
自衛隊は違憲なんだ。貴様達も違憲だ。憲法というものは、
終に自衛隊というものは、憲法を守る軍隊になったのだということに、
どうして気が付かんのだ!俺は諸君がそれを断つ日を、
待ちに待ってたんだ。諸君はその中でも、
ただ小さい根性ばっかりに惑わされて、
本当に日本の為に立ち上がる時は無いんだ。

 憲法の為に、日本を骨無しにした憲法に従って来た、
という、事を知らないのか。
諸君の中に、一人でも俺と一緒に立つ奴はいないのか。

 一人もいないんだな。よし!武というものはだ、
刀というものはなんだ。自分の使命………。

 未だ諸君は憲法改正の為に立ち上がらないと、見極めが付いた。
此れで、俺の自衛隊に対する夢は無くなったんだ。
それでは此処で、俺は、天皇陛下万歳を叫ぶ。

 天皇陛下万歳! 天皇陛下万歳! 天皇陛下万歳!

cordial8317 at 06:23|Permalink

2011年11月24日

現状に甘んじれば何も問題はなかっただろうが・・・(チェ・ゲバラ)

 エルネスト・チェ・ゲバラのDVDを借りて来た。「チェ・ゲバラ(革命と戦いの日々)」「28歳の革命」「39歳別れの手紙」の3本。以前、映画館で観たことがあるが、改めてチェ・ゲバラの偉大さというか純粋さを思い知った。

 三島由紀夫は「自己犠牲に達しない思想は卑しい思想だ」と明言したが、「人は何の為に死ぬのか」「人は何の為に死なねばならないのか」と自問自答。DVDを観ながら、現状は唯唯口舌の徒に成り下がっている自分の現状を恥じ入った。 

 国士舘大学時代、所属していた防共挺身隊・羽田支部の岩瀬康雄支部長の自宅には福田進の写真と共にチェ・ゲバラのパネルが飾って在り、初めてその存在を知った。「革命家」なんぞ知らない愚生は、支部長に彼是と伺ったりもした。

 その後、チェ・ゲバラの本を読んだり、分で色々と調べたりしているうちに、支部長と同じく、チェ・ゲバラは尊敬する革命家の一人となり、革命家として生きたいとの、未熟ながらもそうした夢を懐いたのはもう30年以上も前のことだ。

 学生時代古本屋で購入した三好徹の「チェ・ゲバラ伝」が在るが、チェ・ゲバラを知るには恰好な本で、時々取り出しては読み耽っている。1974年に第1刷が出されているが、チェ・ゲバラが亡くなったのは1967年。亡くなって日が浅いから取材するのにも相手方の記憶が鮮明で、その為に実にリアルに書かれて在る。

「28歳の革命」と「39歳別れの手紙」は、恐らくこの本を参考にしたのではないだろうか。愚生も右翼人ではあるが、チェ・ゲバラの様な共産主義者に出会っていれば、そういう道に進んだかも知れない。日本の左翼には愛国者がいないのは世界の珍現象だろうが、そんなクソどもに付いてく日本人はいないだろう。

 チェ・ゲバラも、アメリカにアングロサクソンとして生まれていれば敬虔なカトリック教徒として国に忠誠を誓っただろうし、イスラエルに生まれていればユダヤ教徒になっていただろう。日本人ならどういう生き方を選んだだろう。

 イスラムならウサマ・ビンラディンと共に反米活動に邁進していたかも知れない。宗教や思想信条は、結局、何時の時代に何処で生まれたかの問題なのだ。 

 山川草木、存在する全てのものに八百万の神が宿っている国に生を享け、祖国を愛し、歴史や伝統、文化を護りたいと思うのは日本人なら当然だろう。

 そうしたことが「右翼」と言われるのならそれはそれで諒とするが、愚生は自分で右翼と自任してはいるが、況してや愛国者などとは思ったことはない。

 右翼ではあるがマルクスやエンゲル、毛沢東やスターリンの思想と戦っている訳ではない。日本という国に住み、日本の恩恵を受けながら、日本に誇りを持てず蔑み、貶め、卑下し、罵詈雑言の限りをつくしている連中が無性に腹立たしいだけ。

 映画の中でゲバラが囁く「現状に甘んじれば、何も問題はなかっただろうが・・・」との台詞が、耳にこびり付いて離れない。

cordial8317 at 08:25|Permalink

2011年11月23日

今日は「新嘗祭」収穫を祝い神に感謝を捧げよう!

 今日11月23日は「勤労感謝の日」。祝日法には「神々の加護と人々の勤労によって可能になる万物の生産を祝い、国民が互いに感謝し合う日」となっている。

 旧くは「新嘗祭(しんじょうさい、にいなめさい)」として、11月下旬の卯の日に斎行され、明治6年以降は11月23日に執り行われることとなった。

 GHQの「神道指令」などもあって、昭和23年に名称を「勤労感謝の日」に改められた。因みに天皇の即位後初めて行うものを「大嘗祭(だいじょうさい)」という。宮中では天皇陛下が新穀を神々に供え、厳かに儀式を執り行う。

 県内でも「山ノ神講」として収穫を祝う行事が各地で行われるが、要は仲間同士が集まっての飲み会だ。俗に、口喧しくなった愚妻を「山の神」とも揶揄するが、頭が上がらず、いつも感謝しているという意味では神様も奥様も同じだろう。

 農水省の発表では、一等米比率が年々低下し、コメ農家の収入に深刻な影響を及ぼしているという。今年は米価が下落し人気のコシヒカリは随分と安価になった。

 価格が下がったことで、量販店や外食産業からの引き合いも増えていると言うから消費者とっては嬉しい限りだが、生産者農家にしてみりゃ喜んでもいられない。

 今迄、安い不味い古米や輸入米を購入していた人が、福島や新潟などの一等米の味を覚えて、それ消費拡大になれば御の字だが、生産者にしてみれば米価安での減収は、戸別所得保障制度で補填されるとはいえ気の毒と言う他はない。

 米というのは手間暇を考えればそんなに高いものではない。多少高くても地元の米を購入することが延いては地域活性に繋がると言うことを知るべきなのだ。

 政府はTPP参加を表明し、農水産業や農山漁村関係者が死活問題だとして反対するのは理解出来るが、如何に日本のものが安全で美味しく、且つ「地産地消」こそが地域を活性化させるものだとの認識を共有し啓蒙する事こそが大事である。

 今迄にも安易に中国などから農産物の輸入し、色々と問題が発覚しているが、TPP参加に因って、益々日本の農業は衰退の一途を辿るであろうことは火を見るより明らかで、日本人が当り前に食べている日本の米が消えるかも知れないのだ。

 そういう意味でもTPP参加は「百害あって一利なし」。国策としての農業振興と食の安全保障や食料自給率の向上は急務だが、政府や国会議員など頭の中は景気対策やその場凌ぎの偽善ばかりで、真剣に「農」を考える言葉は発せられない。

「農業」とは愛郷心や祖国愛に繋がるもので、作り手も愛情がそこには無くてはならないのだ。世界各国も「農業」に対しては保護政策が行われているが、こうした対策は「農は国の本」ということを自覚しているからである。

 ところが我が国は、戦後GHQに拠り「農本主義」的国家観は排除され、大輸出国である米国の戦略に嵌った農業をカネ儲けと考える様になってしまった。更に今、米国主導のTPPに参加しようなどとは狂気の沙汰と言う他はない。

 国防という国家の大本を米国に委ねた儘で軍事的安全保障でも自立出来ず、食料安保でも自立出来ず真の独立国家といえるのだろうか。国造りと農業の関係を経済論で語ることは、国家や郷土愛を放棄したものと誹られても仕方ないだろう。

 我々は「平成の農本主義」を構築する為にも、安易な輸入物の購入を拒否し、国産物を購入し自給率向上を真剣に考えるべきだ。「TPP問題」や「東日本大震災」は、戦後の魂無き経済的繁栄に終止符を打つべき天佑神助なのかも知れない。

 本日は、「神々の加護と人々の勤労によって可能になる万物の生産を祝い、国民が互いに感謝し合う日」であり、豊穣の秋に感謝しつつ、家族や仲間と一献やりつつ、我が国の生い立ちと将来の郷土の在るべき姿を語り合っては如何ですか。

cordial8317 at 07:24|Permalink